縮刷版2021年11月下旬号


【11月30日】 大手町からとことこと歩いて行けたこともあってお茶の水、大勝軒には何度が足を向けたことがあって、東池袋で長く店を出していた大勝軒の店主、山岸一雄さんの味をもっとも引き継いだ店といった触れ込みもあった上に、山岸さんが亡くなられた後の大勝軒の分裂騒動で、東池袋の店を継いだ二代目に反旗を翻して独立して結成された「大勝軒 味と心を守る会」の中心メンバーにも入っていたこともあって、お茶の水、大勝軒を傘下に持つ会社の代表の人にはそれなりに高潔な意思があるんだろうと思っていた。

 そこに、茶の水、大勝軒を率いている人がパワハラ騒動を引き起こしているといったニュースが伝わってきた。大塚大勝軒という店があって古くからの大勝軒メンバーだったらしいけれど、のれん会から抜けて味と心を守る会に移った上に店主が代替わりしたかどうかのタイミングで、お茶の水、大勝軒を運営するグループの傘下に入ったみたい。そこに店主としていった人が、蹴られるわスタンガンを押し当てられるわ残業を強いられるわと酷い目にあったとかで、お茶の水、大勝軒を率いる人を相手に訴えを起こしたという。

 音声なんかも録音されているみただからきっと事実なんだろう。味はなるほど受け継いだけれど、心までは守れなかったのかそれともそれこそが大勝軒の心であって、だから分裂騒動なんかも起こったのか。分からないけれども今は休業しているお茶の水、大勝軒が再開してもきっと行くことはなさそう。大塚も傘下なら行かないかな。特にどこの大勝軒にこだわりがある分けでもなく、そもそもが本店の東池袋にも行ったことがないくらいでもっぱら南池袋か、新宿にあるまるいちを利用している薄いファンだけれど時々あのスープの酸っぱいような味を試したくなるから行ってしまうんだよなあ。

 食べるのは主力のもりそばではなくもっぱら中華そばの方。いわゆるつけ麺発祥の店ではあるんだけれど、つけ汁の濃さがもりそばの場合どうも気になってしまうのだった。とか行っていたらちょっと食べてみたくなって来た。千葉にも柏とか津田沼とかにそれぞれの系列店なんかがあるみたいだけれど、出かける機会が多いのは西の方なんで新宿か池袋あたりに近寄ったらのぞいて来よう。

 産経新聞社の2022年3月期9月中間決算が出て、売上高はやっぱり当然に下がっていたけれど、それに比べて売上原価は前年同期とほぼいっしょというから当然に利益は圧迫され、販管費を削ったものの5億円弱の営業利益、経常利益になってしまっていたけれど、そこに11億円者固定資産の売却益を加えることでかろうじて最終利益を黒に持っていったところに力業めいたものを感じ取る。業界全体が苦しいって意見もありそうだけれど、同業の朝日新聞社は売上高こそ落としたものの営業段階で黒字となり最終利益も黒字にした。経営というのはこういうことを言うんだろう。

 産経も値上げをしたから下期に売上げを伸ばして営業利益も黒転させようという考えなのかもしれないけれど、部数がそれの反比例するように下がっていったたら差し引きはゼロかあるいはマイナス。売るものもなくなっている状況で最終的に黒字にして配当を出せるかどうかが、お台場のテレビ局を総本山とするグループにいられるかどうかの分水嶺になりそうだなあ。それにしても2017年6月の就任以来、5期連続の減収がもはや確実であるにも関わらず、大々的なリストラまでしておきながら黒字基調に持って行けない社長が今なお経営の舵を取り続けている謎は、いつまで続くんだろう。次に繰り出す奇手奇策も含めて見守りたい、彼方から。

 せっかくだからと2度目の「EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」をバルト9で。「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」を見返して状況をある程度理解はしたつもりだったけれど、エウレカセブンを含むスカブコーラルから現れたグリーンアースというかエウレカが夢見た世界が受肉したものたちが、10年でどういう感じに溶け込んでいったり軋轢をくらったりしていったかがスポッと抜けているのを埋めるのはちょっと大変だったかも。

 まあそこをすっ飛ばして目の前に起こっている出来事を追っていけば頼めるから良いんだけれど、エウレカの夢でしかなった存在たちが抱く意思なり意識めいたものへの言及が、デューイの自問くらいというのは他の面々は我思っているんだから我ありと認識しているってことなんだろうなあ。瞬間に生まれてもそこから存在し続けているということで。気になったのはオーストリアに落ちてベルリンを目指すエウレカとアイリスにどうしてA.C.I.Dの誰も接触を図ろうとしなかったか、ってこと。デューイが超能力を駆使しているとはいっても、スマホでアクセスした瞬間はA.C.I.D側もキャッチできただろうに。そこから行く先を想像すれば同じ結論を導き出せたんじゃないのかなあ。でもそれをやってしまうと物語にならないから最後まで分からないことにしたのかも。追跡させないようにしたエウレカも上手かったってことで。そういうことにしておこう。


【11月29日】 「ルパン三世PART2」の第145話「死の翼アルバトロス」でも第155話「さらば愛しきルパンよ」でも不思議なのは、どう見たって第1話だとかそれこそ当該の話数のオープニングだとかに出てくるキャラクターとは違った顔をしているのに、それが同じアニメだということで放送されているという点。ルパンはまあ猿顔で次元もだいたい帽子と髭だから似ているといえば似ているけれど、峰不二子の場合は明らかに別人になっていたりする。もしも知らない人が見たら絶対に同じ人物だとは分からないだろう。銭形警部は帽子とトレンチコートで判別が付くかな。

 それが番組を見ていた人なら同じ峰不二子だと分かるのは、「ルパン三世」というシリーズのおいて怪盗ルパンの半ばパートナー然とした位置づけで出てくる女性は峰不二子だと決まっていることがあり、また1979年に上映された映画「ルパン三世カリオストロの城」に描かれた峰不二子に似ているところがあることもあったりする。それを言うならそもそも「カリオストロの城」のルパンや次元や不二子が「ルパン対クローン人間」のルパンや次元や不二子と同一人物なのかといった疑問も浮かぶけれど、それを言い始めると「ルパン三世」PART1」との違いも追求しなくてはいけなくなるから、そこは同じと理解する頭がすでにできていたって考えるべきなんだろう。

 ここまで明らかに違ってはいなくても、1980年代半ばくらいまでキャラクターの造形は作画監督やアニメーターによって変わって来ることが割とあって、「うる星やつら」なんて誰の描いたラムちゃんが1番好みかなんてランキングまでできていたし、「北斗の拳」でも「聖闘士星矢」でも作画によってキャラが違ってくるのを楽しむ風土があった。それが今は1つの番組で最初から最後まで、同一のキャラでなければ認められないといった雰囲気があるし、描く方も自分の絵でもってキャラを強引に染め上げるようなことはしない。あるいはできなくなっている。物語そのものよりもキャラそのものを愛でる風潮が強まったからなのか、作り手なり送り手が同一性の保持を強く求めるようになったからなのか。それよりはやっぱり“作画崩壊”などという言葉で揺らぎを許容しない気分が受け手に広まってしまったことの方が大きいかも知れない。つまらないけどそれが時代ってことなのかも。

 朝日新聞が「鬼滅の刃」のキャラクターを使ったケーキをネットで販売したってことで、パティシエが書類送検された話しを大々的に報じてて、伝える側のニュアンスとしてはどうやら町のケーキ屋さんとかパン屋さんがキャラクターを使ったケーキやパンを作って売っているのにどうして今回は“見せしめ”的に摘発されたのかって批判じゃないけど疑義を差し挟むような雰囲気があるけれど、結論がどうなっているかは本文が読めないので分からない。ただ今回の場合は明らかに既存の画像をコピペしてプレートにしていたりする点と、それをネットで不特定多数に広範囲に売ろうとした点が、行き過ぎだと咎められただけとも言える。

 町のケーキ屋さんが頼まれて描く程度のことを版権元もいちいち探して止めたりはしない。違法かどうかと突き詰めれば答えも出そうだけれど、そこをやらないことで円滑に回る世界もあるのだから。そこの一線を越えたらやっぱり注意はしなければいけなくなるのが版権元のお仕事って奴。これをもって町のパン屋やケーキ屋からキャラ風の商品が撤去されると騒ぐものちょっと早計なんじゃなかろうか。そして朝日新聞はアニプレックスを制作会社と行っていたりして、業界の言葉遣いがあまり分かっていない感じ。それとも製作会社と書いたら校閲から赤字が入ったのか。メイドをメードと書かないと通らないのが新聞の校閲だからあり得る話。そうした頑なさが日本語の門番にもなっていた時代があったけれど、今では権威をひけらかす悪しき風習に映ってしまうくらい、メディアへの信頼が損なわれてしまった感じ。困ったねえ。自業自得でもあるけれど。やれやれだねえ。

 図書館で原稿でも書こうと出かけたら休館日ではじき出されたので、タリーズにこもって3時間ほど原稿の要点を整理する。適当な時間になったので出て近所の松屋に入って豚丼でもと思ったら売ってなかった感じ。代わりじゃないけどハッシュドビーフ的な「プレめし」って奴を頼んで食べたらやっぱりハッシュドビーフだったけどそう言わないからには違うのかも。かといってハヤシライスでもないいしなあ。謎。そこからさらにドトールで原稿を整えてから帰宅して寝て起きたら夜だった。こうして1日があっという間に過ぎていく。お金も少しずつ減っていく。稼がねばと原稿を仕上げて送って一段落。明日は2度目の「EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」を観に行くか。


【11月28日】 先週に続いて新宿のEJアニメシアターでK角川映画祭のアニメーション部門を見る。りんたろう監督、川尻義昭監督、そして大友克洋監督による3本が集まって眉村卓さんの原作をアニメ化した「迷宮物語」だけれど登壇した大友さんによれば原作をそのままやったのは大友監督「工事中止命令」くらいだったとか。ほかは自由というかオリジナルをやったそうでそれを見て眉村さんが何を思ったかがちょっと気になった。っていうか自分、このオムニバス見たことあったっけ。掘り返しても記憶が無い。

 そんな3本から「工事中止命令」を監督した大友さんが登壇して氷川竜介さんとトークを繰り広げてくれた。なかなかに貴重な機会らしい。大友さんによれば「工事中止命令」は監督だけでなく原画も結構な枚数描かれているとか。「スープを飲んでねじを吐き出すシーンは原画を描いた1番最初ですね。動画もやっています。最初どうやって原画を描けば良いか分からなかったので、最初から全部描いていったんです。だから全然終わりませんでした」と話してた。

 「スープの中にスプーンを入れてジャガイモをすくい取る動きがあるんですが、それを頭から1枚づつ描いていったんです。スプーンを差すとジャガイモがずずっと逃げていくところも。そういうのは止めておけば良いんだって話しで、別セルに描いておけば良いものなのに、全部aセルで1枚で全部送っているんです。それでなかむらたかしさんに見せたら、違うんですよと教えてもらいました。そうやってアニメーションを覚えていきました」。そんな原画があったら見たいけれども「工事中止命令」はコンテが大友邸のどこかに眠ってはいるものの原画動画レイアウトの類はまるで残っていないとか。

 どこに行ってしまったのか。「大友克洋全集に入れたいから、持っている人はかそっと教えて」と大友さんも話していたけど見つかるかなあ。トークではあと、実写「じゆうを我等に」も監督していたことについて氷川竜介さんが触れて実写はどうかと尋ねてや「あれはあれで思い出したくない気がします」と話してた。理由は「大変」だから。「実写は想像(創造?)したものではない。アニメーションは全部1から自分で作れます。背景まで描けるんです。実写では、自分が思ったような場所がなかなか無いんですよね。部屋の中のシーンを撮ろうとし、もっと下がろうとすると壁があって下がれず、思ったような絵にならないんです」

 そして「漫画やアニメでイメージしたものを使ってはいけないのが実写。なまじ頭の中で想像できてしまうと、現実とのギャップが激しいんです。あと、役者がやってくれないことには始まらない。イメージ通りの役者なんていないので、自分のイメージを役者に合わせていかないといけないんですね。それからロケ地の中から自分のイメージを作り出さないといけない。それも最初のうちは面白いんですが、だんだんと嫌になってきます。アニメーションは自分で演技をつけられます。役者によってはスピードが違ったりするし、リアクションの仕方も違ったりします。自分の思い通りに役者を操るのは黒澤明監督ならできますが普通はできません」。だからアニメーションは面白いし、同時に試されているとも言える。

 「アニメーションはどこにも自分が出てくるようになります。だからどれだけ勉強してるか、世界をどれだけ見ているがが大切になります。自分はそれほど引き出しは無いんですが……。」。なあにご謙遜。「こういうのは日本のアニメーションだけですね。アメリカにいくと分業で、シナリオライターからダイアログライターから細分化されています。あれこそ本当のスタッフワークになるんです。日本は監督が1人で作っているところがあります。きちんとした映画のスタジオと比べてアニメーションのスタジオは脆弱ですが、その分だけ誰かが引っ張っていかなくてはならない。監督のカリスマ性で引っ張っていくところがないと無理ですね。それが良い場合と悪い場合とあるんですが」。大友監督はどちらなんだろう。気になった。

 新宿を離脱して夕方から開かれる「ルパン三世」の上映に備え秋葉原へと移動。もうすっかりと人通りも戻ってコロナ以前みたいだけれど、この冬に果たして第6波があるのか、あるとしたらどれくらいの規模になるのかが気になるところ。とりあえず昼ご飯をと思って歩き回っていたけどカレーの「カリガリ」は行列ができていたので近所の「ジャンカレー」でスパイシーキーマをかきこむ。量たっぷりが嬉しいなあ。そこからしばらく休憩してからテレコムアニメーションが手がけた「ルパン三世パート3」から「マイアミ銀行襲撃記念日」「死の翼アルバトロス」「さらば愛しきルパンよ」を見る。面白いなあ。

 やっぱり照樹務=宮崎駿監督のルパンはそれ1本で高密度。こうした20数分のシリーズをいっぱい作ってくれれば良かったのに、映画に行ってしまったのは残念でならない。それで世界が喜ぶ映画をたくさん作れたんだから良いんだけれど……。悩ましい。上映後は叶精二さんによる友永和秀さんを招いてのトークが行われて、そこで尋ねられたのが「死の翼アルバトロス」に大塚康生さんが携わっているかということで、友永さんは「ちょっと関わっていますね。ルパンが捕まって護送車の中でカツラを脱がされるところとか、ルパンと次元が逃げていくところとか、あの辺は大塚さんですね」と話してた。

 でも叶さんが大塚さんに確認すると絶対にやってないと良い、仕事歴にも絶対に入れなかったとか。その理由についてはやっぱり分からないみたい。ご本人の中にある何かのこだわりなんだろうなあ。あと興味深かったのがフィアット500の中に人がぎゅうぎゅうにつまっている感じになっていることについて、友永さんの場合は描いているとだんだんと人物の頭が大きくなって車にいっぱいになるんだけれど、今は等身がしっかりと描かれるため同じフィアット500でも中に余裕があるらしい。

 友永さん曰く「今のアニメーションは漫画的な表現をしなくなったね」とのこと。「車対人間の比較で今はリアルに描く」。そして「車も3Dもやってしまうから。リアルというか、そういったとらえ方をしてしまう」。なので決まった表現に落ち着いてしまう。「僕の膨らんだ絵でやると合わなくなる」。友永さんがルパンと手がけていた時代はそうしたデフォルメが許された。「ぎゅうぎゅう詰めのフィアットはリアルさと漫画っぽさの中間」。でもその方が車とキャラクターが一体になっている感じが出た。車がキャラクターになっていた。そういうようなアニメが今は作られているのだろうか。これから作られるのだろうか。ちょっと気になった。

第155話「さらば愛しきルパンよ」については、終わったらテレコムのメンバーで海の家に行くことになっていたけれど、少し絵が足りないことが分かってひとり宮崎駿さんというか照樹務が残って描き足していたという。そのシーンはラストで海岸沿いの道をルパンたちが走るシーン。それはシリーズのまとめとして印象的だったけれど、ちゃんと詰まっていたらなかったのかと思うとまた印象も変わってくるなあ。最後に「風魔一族の陰謀」について友永さんが面白いと言っていて古川登志夫さんのルパンも良かったと話していた。上映だってされて欲しいけれど壁は分厚そう。でもいつか融ける時が来るだろう。その時にはぜひに行こう。


【11月27日】 希望退職に応募してくれた人にはリクルートだのパソナだのといったキャリア支援会社のコンサルタントが登場して「6か月間で80数%は再就職できる」といったり、就職が決まるまで「」マンツーマンで付いてくれる」といったりしてそして、「再就職の斡旋先」としてNPO法人だの講師だのを並べ立てていかにもすぐに再就職先が決まるような気分にさせてくれるけれど、実際は集まった人たちに対してまずはキャリアの洗い出しをさせつつ履歴書の書き方を教えたり、適性試験の模擬試験を行ったりして自分がどれだけ世間の役に立たないかを思い知らせ、絶望させるところから始めたりするからメンタルが日に日にやせ細っていく。

 そこでもういいやと諦めて脱落できるなら良いけれど、たいていは家族がいたりして何が何でも就職をしなくちゃいけないと歯を食いしばって履歴書を書き書類選考に落ちまくった果てにどうにかこうにかひっかかったところに入った結果が再就職先80%という数字となって現れたりするだけなので、それがバラ色か真っ黒かは関係なかったりする。だいたいが50代の頭で適性試験なんか受けたところで20代の記憶力が良い人たちにかなうはずがない。数列だとか順列だとか集合だとかいった問題、解けないよ簡単には。そんな将来が待っているとも知らずフジテレビジョンの人たちも希望退職に応じてそして、リクルートなりパソナに通うようになって絶望するんだろうなあってことを勝手に想像してみた。いや本当かどうかはよく知らない。まったく知らない。本当に知らないってば。

 振り返れば2005年の4月から、毎週日曜日の朝は7時に必ず目を覚まして「交響詩篇エウレカセブン」を1年間、ずっと見続けたんだけれどそれで「エウレカセブン」が大好きになったかというと実はそれほどでもなく、「コードギアス 反逆のルルーシュ」のように第1期の最終2話が間に合わなくって放送が延期になった時のように、4か月ほど先になったその放送日まで「一日一ルルーシュ」といった感じ出「コードギアス」の話題を必ず日記で触れていたような熱中はなかったし、むしろ日記には褒め言葉よりも悪口の方が多かったような記憶すらある。

 それでも見続けたのはレントン・サーストンという少年とエウレカという少女を軸に進んでいく物語の展開が気になったし、サーフィンだとか建築だとかいったカルチャーを取り込みつつスピリチュアルな思想も織り交ぜたごったに加減もサブカル者としては見過ごせなかったし何よりSFとしてどういった世界の造形が成されているかに興味が及んだ。小中千昭さんのような脚本家や山本沙代さんのような演出家も絡んで何か時代を捉え拓こうとする意識にも溢れた作品だったので、きっとそこから得られるものもあるだろうといった気持ちで1年間、見続けた先で何か得られたかというと実はよく覚えてないくらい、全体のストーリーは印象に残らなかったし、今もよく覚えていない。

 だから数年後に「劇場版エウレカセブン ポケットは虹でいっぱい」が上映された時も、見ていったい何がどうなったかをその時は分かっても見終わって覚えていなかったりする状況で進んだ「交響詩篇エウレカセブン/ハイエボリューション1」から続く3部作も、どういった意図から作られ何を見せたいかといった興味は浮かばず満たそうといった気も起こらない中、それでもハイエンドな映像によって綴られるKFLのような特異なロボットたちによるバトルであり、エウレカという少女やレントンという少年の冒険がどうなるかが気になって観に行ってそして「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」も見て3年。

 いよいよ完結となった「EUREKA/交響詩篇EUREKAセブン ハイエボリューション」を見てすべてが完結したとなって浮かんだのは大塚ギチさんだったら何を言うかなあといったことぐらいで、特段の感慨も感涙も浮かばなかった理由を振り返ってみると、やっぱり物語に入れ込んだりキャラクターに惚れ込んだりすることが無かったことが大きそう。全編を通して気に入ったのはゲッコーステイトのタルホがまだギャルい格好をしている時くらいで、あとは全体にガキっぽい大人がガキっぽいことをしてそしてガキがガキっぽいことをしまくる展開に入り込めなかったような気がする。アニメ好きにしてはちょっと珍しい作品だったかもしれない。

 とはいえSFとして考えた場合は折り重なる夢だとか多次元だとかいった世界のどれをリアルととらえてどれに集約されていったかを考える必要はありそうで、そうした整合性を考える意味でもあと1回か2回は「EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」を見ておかなくちゃいけなさそう。その予習もかねて改めてNetflixで「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」を見たらやっぱり意味がよく分からなかった。最後のあのガリバーの集団はいったい何だったんだろう。そこから逃げ出したエウレカとアネモネが今作のエウレカとアネモネなんだろうか。ホランドとかゲッコーステイトの連中は10年でちゃんとした職を得て大人になってしまったんだろうか。そんなことを思って2度目を観に行こう。やられ役のスーパー6の花道も見届けたいし。あとデューイ・ノバクが指を立てながら溶鉱炉に沈んでいくところとか。


【11月26日】 早川書房から新刊が送られてきて開いたらキラキラとした美少女が描かれたなろう系ノベルスみたいでどこかの出版社が早川書房の名を騙って送ってきたのかと帯に目をこらしたらしっかり早川書房と書いてあった。こりゃまたどういう心境なんだろう。つまりはそういう本を出すということで、かみはらさんによる「転生令嬢と数奇な人生を1  辺境の花嫁」は12月2日に発売。ネットで人気だった作品を早川が出すのは最初ではないけれど、「JKハルは異世界で娼婦になった」は一般のなろう系とは違ったエロティックでサスペンスフルな設定もあって他で出すよりハヤカワ的なエッジがきいたところで出した方が話題になった。今回はストレートななろう系。それでも出すからにはきっと奥深い設定と壮大なストーリーがあるんだろう。読んでいこう。

 サンケイビルとかグランビスタといった不動産事業を抱えているフジメディアホールディングスの決算全体ではうかがい知れないフジテレビ単体の決算を引っ張り出して見ると、なるほどこれはリストラというなの希望退職もやむを得ないと思えてくる。フジテレビジョンという企業の売上高は2022年3月期の第2四半期で1131億円。そこから販売費とか一般管理費とか売上原価なんかをさっ引いたのが営業利益、すなわち本業での儲けだけれどこれがたったの10億円しかない。

 営業利益率が1%以下って薄利多売のスーパーマーケット以下。番組製作費なんかは削りに削っているんだろうけどそこにおそらくは人件費って奴がのしかかって収益を圧迫しているんだろう。とりわけバブルあたりに入社した50代が全体でも多くなっている逆ピラミッド構造で、人件費がふくらんでいるのが大企業の傾向。それを見越して日本テレビでは全体の給与調整を行って若手社員の給与がそれほど上がらないようにして来た。アナウンサーでも1000万円いかないなんて話、聞いたことあるし。

 結果として日本テレビホールディングスの中の日本テレビ放送網は、2022年3月期の第2四半期決算で売上高1447億円を叩き出した一方で、営業利益も214億円を確保した。フジテレビの10倍どころか20倍と桁違いも甚だしい。これは日テレほどではないけれどTBSだってテレビ朝日だってそれなりの営業利益を確保しているから、フジテレビの営業利益率が極端に低いってことになる。もう待ったなしだったってことになる。だったら今やれば上向くかというと人は減って人件費は減ってもすでに先細りりしていた番組製作費によって作り出されるコンテンツの差が視聴率に影響を与えてしまっている。

 日本テレビホールディングスの決算資料にあった視聴率調査だと1月から10月末の個人視聴率で日本テレビは全日のゴールデンもプライムもノンプライムも深夜のプラチナもすべてが1位でそしてフジテレビは4位。かつてはフジテレビが1位でも日本テレビは2位くらいだったのがひっくり返されただけでなく大きく沈んでしまったフジテレビへの関心を、ここからどうやったら盛り上げられるかを考えただけでも経営陣の胃は重たそう。

 一方で決算そのものは不動産事業で見せかけは良くなっているだけにそっちをのばせばって話しになりそう。結果としてテレビ事業はどうなるか。ましてやぶら下がっている新聞事業は……なんて思うと夜寝られなくなっちゃう人もいるだろうなあ。リストラすればテレビが救ってもらえるなんて思っていたらテレビがリストラ始めちゃって、こりゃ無理だって思い始めているかもなあ。やれやれだ。せめてアニメへの出資は怠らず確かな作品を溜め込むことによって5年後10年後の資産になるよう、今から布石を打っておいて欲しいもの。頼みます。

 新宿にある伊勢丹の前を歩いていたらふっと目に入ったバレンシアガの広告に見たことがあるフェイスマスクが映ってて、調べたらやっぱり池内啓人さんが手がけるガジェットマスクだった。既存の防毒マスクにプラモデルのパーツを貼り付けていってサイバーパンクな感じのマスクにしあげるところから始まって、だんだんとスタイリッシュでテクノでリックな感じを醸す出すようになっていって、いろいろなところとコラボを始めていたけれども遂にグッチグループの世界的なブランドといっしょにお仕事をするようになったか。最初に見たのはクリエイターEXPOで次はメイカー・フェアだったっけ。いわゆるSF好きの模型好きだったのが今や世界のクリエイター。こいういうところがクリエイティブの面白さでもある。次に来る人、探しに行こうかなあ。


【11月25日】 「このライトノベルがすごい!2022」が刊行されて総合1位と文庫部門1位を裕夢さん「千歳くんはラムネ瓶のなか」(ガガガ文庫)が獲得。2年連続の1位となって3年連続だと入れる殿堂入りにあと1回と迫った。WEBからの一般投票で2位で協力者のアンケーとでも4位とどちらからも満遍なく支持された格好。協力者って新しいもの好きだから前年の人気作品は避ける傾向にあるんだけれど、それが去年の1位にしっかり投票するってところはやっぱり支持される理由があるってことなんだろう。

 ちなみにWEB1位は衣笠彰梧さん「ようこそ実力至上主義の教室へ」(MF文庫J)。去年もWEB投票で1位だから相変わらず一般読者の支持の分厚さって奴を感じざるを得ない。この「よう実」は協力者票が0ポイントなのに全体の3位に入っているんだからどれだけ一般の支持が強いかがよく分かる。逆にいうならどうして協力者の支持はこれほど低いのか、今さら支持するのは避けたいというのならそれはイーブンに作品を見る気持ちが少し減退しているってことにならないか、なんてことを思う一方で新しいものを入れてブーストを手助けしたいという気持ちも協力者の側にいて持っている。難しいなあ。

 ちなみに僕は「マージナル・オペレーション改」「スパイ教室」「ミモザの告白」「オーバーライト」「Vivy prototype」を推して八目迷さん「ミモザの告白(ガガガ文庫)が全体の4位にランクイン。協力者では暁佳奈さん「春夏秋冬代行者」に続いて2位と高位だったことが、WEBでは少なかったポイントをカバーして「春夏秋冬代行者」ともども上位に押し上げたって感じ。こういうあたりは「このラノ」らしいランキングの出方と言えば言えるかも。僕が推した「スパイ教室」は全体16位だからまずまずかなあ。シリーズが重なっても衰えることなく面白さを増している希有なシリーズ。WEBポイントが伸びているだけに来年こそはと期待だ。

 単行本・ノベルズ部門はぶんころりさん「佐々木とピーちゃん」(MF文庫J)が1位を獲得。全体では9位だけれど去年のトップだった珪素さん「異修羅」(KADOKAWA)が40位と伸び悩み、こちらは常連に近い「本好きの下克上〜司書になるためには手段を選んではいられません〜」がWEB投票を稼ぎながら協力者票ゼロで全体13位にとどまる中、単行本・ノベルズとしてグッと抜け出した格好。読めばプロの本読みも楽しませる面白さを持った作品だけに、これで手に取ってくれる人が増えれば来年あたりはさらに上位も狙えるか。アニメ化とかもあったりするかもしれないなあ。動きを待とう。

 フジテレビが50歳以上で10年以上勤務した人を対象にリストラ……じゃなかった早期退職を募るらしい。退職金に加えて特別加算金も乗るそうで、想像するなら同じグループの新聞社が数年前に行った時の数倍はもらえそうな気がするけれど、それを聞くのも気恥ずかしいしあ。同じ年数を勤め上げても入り口が違うと出口も大きく違ってしまう資本主義の厳しさって奴をここは噛みしめるしかないんだろうなあ。とはいえ3年前にも増して厳しさが増している今の契機で、落差も激しい転職をできるかどうか。たいしてもらってなかった新聞社でも将来を考え心が荒んだだけにエリートなテレビ局員には厳しさも何倍か。いやいやもらえるお金でしばらくは悠々自適だろうからゆとりも大きいだろうなあ。やっぱり格差が。泣くしかない。

 AR15なんて連射によって敵の突撃を制圧する自動小銃を手にして黒人を射殺した白人の少年が無罪になる一方で、ただの黒人ランナーを車に乗って追い回した挙げ句に銃で撃って殺害した大人たちが有罪になるアメリカの司法は果たして正常なのかそれともケースバイケースなのかが気になるところ。少年には更生の機会が与えられつつ有罪といった可能性も考えられない訳じゃないけれど、正当防衛が認められてしまっては自分が人の命を奪うという、とても大きな間違いをしてしまったことに気づかないまま生きていくことになる可能性もあるだけに迷わしい。正当防衛が認められると分かったらあとは正当防衛と認めさせる方向に力を傾けないとも限らないし。それでも認められてしまうお国柄。摩擦は続くだろう。


  【11月24日】 メタバースなんて言葉が流行始めてそれを商売にしようといった動きもぞろぞろ出てきてIT界隈が賑わっているけれど、もう10年以上も前に「セカンドライフ」なんてものが出てきた時も同じようにネット空間をコミュニケーションの場にしてそこに集まる人向けに、いろいろと商売しようとして大失敗した過去がある。ネットの回線が遅いとか処理の速度が劣っていたとか理由はいろいろあるんだろうけれど、それでも同じようなメタバース的環境を整えていた「リネージュ2」とか「ファイナルファンタジー11」とかはしっかり受け容れられて、そこで遊ぶ人を引き寄せていた。

 ゲームの場合はそこで遊ぶという目的があって誰もが集い楽しむことができる。セカンドライフは空間はあってもそこに思想なりベクトルがないから集う人も集い甲斐がなく参加する意識もわかなかった。同じようなことがこれから繰り出されるメタバースにも言えそうで、ただプラットフォームだけを作ってもそこに参加したいと思わせるきっかけを与えられないと、「あつまれどうぶつの森」だとか「ポケモンGo」といったメタバース的なゲームなり現実を重ねたXRに持って行かれるんじゃなかろうか。高島雄哉さんが「青い砂漠のエチカ」に描いたような。

 そうでなくても手にしたスマホが進化して、かけた眼鏡から見える現実に仮想空間が重なったりして、通信も気軽に行えるようになればそこがメタバースになるだろう。情報を得たりコミュニケーションをとったり合ったりだって簡単になる。そうしたビジョンを示さずただ言葉だけが一人歩きしたメタバースに傾ける意欲はちょっと湧かない。もちろんそうした商業の現場から語られる金儲けとしてのメタバースではなく概念として創造されるXR的空間で何かが起こりそうな予感はしている。何を提供できるか。簡便な機材か楽しめるコミュニケーションか。いずれにしてもそうした萌芽は見逃さないようにしていこう。自分がそこに行けるだけの機材を揃えられるかは不明だけれど。

 用事で新潟まで新幹線でゴー。大型連休前に確か「ふしぎの海のナディア展」を観に行ったけれど、その時みたいに余裕はなかったので万代バスターミナルまで行ってカレーを食べたりイタリアンを食べたりはできず、新幹線の駅にあるスタバで原稿を書いたりしてから取材先に行って戻って来ただけだった。富野由悠季展も高畑勲展もやっていたら前日の休日から泊まりがけで行ったんだけれど、どちらも終わってしまっていてちょっと残念。次に行くとしたら佐渡まで渡って「アイの歌声を聴かせて」の聖地巡礼をする時かなあ、アニメ映画で見たようなロボットがいたりハイテク企業のオフィスが建っていたり浜辺に風力発電の風車が回って太陽光発電のパネルが敷き詰められているとも思えないけれど。

 なんでバッハ会長なんだというのが率直な感想で、それはつまりIOCの会長として北京五輪を推進したい立場のバッハ会長だったら無体なことは聴かないだろし、詮索もしなだろうから中国も安心して中国最高指導部のメンバーだった張高麗元副首相に性的関係を強要されたと訴えた女子テニスプレイヤーの彭帥選手と会わせたんだろう。というかオンラインで会談したからといって、本当にそれがリアルなんかそれともどこかにフェイクかどうかは分からない。進んだCGの技術だったら本人にそっくりの映像だって作れるし、声だって本人に近い人が当てて重ねることだってできる。そうした不信をこれでぬぐえたと中国だって思ってないだろうけれど、バッハ会長がそうだと言えばIOCもそうだと言ったも同然。これでクリアされて北京五輪開催に向けて突き進むのだろうなあ。やれやれ。


【11月23日】 「takt.op Destiny」の最新話をNetflixで見る。音楽に反応する怪物によって世界が侵蝕される中、音楽を力に変えて戦う美少女戦士たちが指揮者のバックアップを受けて戦っているというストーリーの中で、近所の少女がなぜか美少女戦士のムジカートになってしまった元音楽少年が、旅をする中でいろいろと見聞を広めていくような感じになっている。本来なら目覚めたばかりで世界のことを知らないポンコツなムジカート少女が、音楽莫迦の少年よりも好奇心旺盛で活動的なのが面白い。あと戦闘シーンの迫力だとか。

 そんな世界なだけにムジカートを操れるコンダクターが尊ばれる状況にあって、指揮官として権勢を振るっている男が新米コンダクターのタクトに目を付け排除しようとしたら、上官から止められぶち切れて怪物を引っ張り出せるムジカートの力を使って排除しに来たというのが最新話のストーリー。以前からあちこちに出没しては悪さをしていたことを告白までしてくれて、そんなに悪事を働いていていてよく上から目を付けられなかったものだというのがひとつの疑問。組織の長にもなろうという最高司令官がポンコツな訳がないから何か理由があって泳がしていたのかな。それで被害が出ているからやっぱりそいつも悪人か、等々、想像できる要素を含みながらストーリーは続く。どこに帰結するかを見守りたい。

 Netflixではイシグロキョウヘイ監督の「サイダーのように言葉が湧き上がる」の配信が始まっていて見た人の評判がやたらと良くて、この評判をそのまま受ける形で劇場で公開されて欲しかったという気持ちがひとつありつつも、ネット配信というプラットフォームだからこそどこにいてもいつの時間からでも見られて広まるというメリットも一方にあって、マッチングの難しさといったものを噛みしめる。「アイの歌声を聴かせて」のように公開と評判のタイミングがかみ合えば、評判を受けて上映が増えて劇場で見られる機会も増してさらに評判がふくらむスパイラルを作れるんだけれど、そこへと至るきっかけ、一種のバズが起こらないとなかなか厳しい。

 「サイダーのように言葉が湧き上がる」でそんなバズは作れなかったのかなあ。作るとしたらどのタイミングでどんな方法があったのかなあ。考えてもうまく浮かばないところがバズなんだろう。それは「ジョゼと虎と魚たち」にも言えることだけれど、こちらはこちらでドリパスなんかでの再上映がされる度にかけつける熱烈なファン層を生み出しつつあるから、ある意味で伝説のアニメーション映画として語り継がれていくことになりそう。でもやっぱり映画館で見たい作品。「ジョゼと虎と魚たち」と「サイダーのように言葉が湧き上がる」とあと1本くらいが劇場で3本立ててで上映されたら行きたいなあ。その1本が「君は彼方」だったらちょっと考えるけど。

 図書館へと向かって3時間ほど「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」に関するレビューを書いていったら4000字近くになってしまったのでちょっと削る。引用を無断転載呼ばわりするようなメンタリティでもって注文を付けてくる可能性もあるからそこはいろいろ考えて、言葉を直接は引っ張ることをせず内容を紹介する程度にしたけれど、論文なんかだと記述を引用して並べていくからそれを無断転載といっていろいろ注文付けるかどうかが今後の注目か。だってこれ、本当に日本のポップカルチャーやメディアミックスや企業運営を語る上でケーススタディになる本なんだもん。引用されればされるほど名誉と思ってくださいな。それが太っ腹ってものだから。

 どうにか仕上がったので電車の飛び乗り1時間ちょっとで東京モノレールの流通センター駅へと到着して文学フリマへ。おおあれは滝本竜彦さんではないですか。コロナの中でも太らず痩身で端正な顔立ちをして立っていたのを見てご挨拶しつつ原作を書いた「異世界ナンパ」のコミック版2巻を買ってサインを戴く。こちらを覚えていてくれるのはありがたい話しであります。2001年11月がデビューだからちょうど20周年。その間に出した本はそれほど多いわけではないけれど、確実に一定の世代に強い影響を残しつつ、今に至っても確実に新しい読者を掴んでいる作家。その意味で時代を作ったと言えるけど、でもやっぱり新しい作品を読みたいところなので12月に出る原作版「異世界ナンパ」に期待だ。

 アップリンクの支配人によるパワハラ問題はいったん終息したかに見えたものの支配人が深田晃司監督や部下の人に対して匿名でパワハラがあったのかを問うようなメールを出したとかで、何がいったいどうなっているんだといった話しになっている。気になったから問い合わせたと言っているそうだけれど、だったらどうどうと顕名で問い合わせればいい話で、そうやって根も葉もない話しを匿名で出すことが、何かを仄めかしていると思われかねないと考えると、嫌がらせと取られても不思議はなかったりする。

 記事によればアップリンクの支配人は「精神的に追い込まれ、自分の中で社長の考えに賛同してくれる人物を作り出してしまいました」と言っているそうで、自分が正しいと思い込んでいるのにそれが認められない苛立ちが出たって感じ。その正しさというのがパワハラへだったとしたらやっぱりどこかに反省し切れていない感じも浮かんだりする。「社長が会社の仕事を封じられる状態は、正直、逆パワハラ、あるいは社長に対するいじめではないか」と話しているのも然り。そうした精神状態のままで経営が続けられていて果たして従業員はどんな気持ちでいるのだろう、って考えるとなかなか生きづらくなってくるアップリンク吉祥寺。近くて良い映画も公開されているから利用したいんだけど。悩ましい。


【11月22日】 なぜか竈門禰豆子が自分の妹のようになって家にいて、今はもう取り壊された旧宅の二階にあった二部屋の奥は弟が寝ているので、手前の部屋で自分の布団を隅によせてそこに布団を敷いて禰豆子を寝かせようとしたけれど、嫌がって起きて階下に降りてしまった夢を見た。意味がまったく分からないけれど、エンターテインメント性があったので楽しめた。最近どうも観に行く映画並みに見る夢が面白いので家から出ないで寝続けたい気がして仕方がない。これが年を取るということか。単なる貧乏の出不精か。

 読みたくても読めない幻の社史として評判になっていた「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」が何とブックウォーカーで期間限定ながら無料配布されて朝から大騒ぎ。その理由のひとつとして「またインターネット上でおきている本書の無断転載に対応するためにも、正規配信が必要と判断しました」とあって、もっぱら紹介して来たのが自分だったりするだけに無断転載呼ばわりは心外だけれど完璧に要件を完璧に満たしているかは迷わしいのでここは結果オーライとしておく。もらってもこれは凄いと表紙を掲げておくだけで、中身を紹介しなかったらこれだけ話題になることもなかっただろう。

 その意味では主にアニメやライトノベルに内容を絞って地道に内容を紹介して、存在への認知を広めていった甲斐はあったかもしれない。いわゆるお家騒動については、書けばアクセス数は稼げるけどゴシップにしかならないから意識して避けた。そっちで話題になると”禁書”扱いされかねないと思ったし。そうしたら角川春樹さんが「最後の角川春樹」をぶつけてきて、角川歴彦さんによるクーデターが画策されていたので瀬島龍三さんを仲介人にして辞めてもらったと書いて来たので、たぶん偶然だけれどタイミングとしてカウンターになった。比べて読むとそれぞれの立場から見たお家騒動の立体的な様相が見えてくる。真相がどちらかはそれは本人たちだけが知っていると思おう。

 興行通信社の映画興行の週末ランキングが発表になって、「映画すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ」が2週連続で首位に輝いた。1週間の通しだと4位だけれど週末に賑わうのはやっぱり親子連れが映画館に足を運んでいるんだろう。結果として土日に10万人を動員して興収は1億2300万円を確保。累計で52万人の動員、興収6億4000万円にまで到達した。ヒットもあって上映館が12月3日以降に72館、12月末までに16館が追加されるそうで、さらに大きく伸びそう。100万人の動員と10億円の興収も見えてきた。こういう映画がふわっと出てきて当たるとアニメーションも玩具と連動して1年放送しなくても、じっくりと作って内容で客を呼び込めるってことを業界も理解するかなあ。

 大リーグのMVPを獲得した大谷翔平選手に政府が早速、国民栄誉賞を贈ろうとして断れたとの報。そりゃそうだ、大リーグがどれだけ凄いかは分かっているけれども毎年1人は確実に出る賞を獲得した誰かをその出身国がアメリカだろうとドミニカだろうと表彰なんてしているって話しは聴いたことがない。ひとつの到達点ではあっても終着点ではない賞で讃えられても困るといった意識もあっての辞退となったんだろう。政府に利用されたくないってことはないだろうけれど、あげる自分たちが目立ちたいから国民栄誉賞を出す雰囲気すらある国の思惑に乗っかりたくなって意識があっても不思議はない。それこそだったらすぎやまこういちさんに出せよとも思うし。引退してその時にどれだけの記録を残せたか。残せてなくてもどれだけ頑張ったかで改めて授与を検討して差し上げて。


【11月21日】 平井和正さんの原作をりんたろう監督がアニメ映画化した「幻魔大戦」を新宿のEJアニメシアターで観る。1983年の公開時に名古屋のあれは名鉄東宝かどこかで試写会に当たって観たのがたぶん最初で、そして最後になったかそれとも公開されてから観に行ったか。厖大な原作の一端をちょい見せされた感じで、平井和正ファンとしてちょっと抵抗があったのかもしれない。

 あと大友克洋さんのキャラクターデザインにも。平井和正といえば生ョ範義といった意識が強いとやはり薄くて軽い印象が浮かんでしまうから。実際には立体的で動かしづらいデザインを今となってはよく動かしたと讃えたい。そんな「幻魔大戦」が角川書店にとってアニメ映画第1号では知られた話し。例の社史「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」(佐藤辰男)にも「角川アニメは一九八三年三月公開の『幻魔大戦』に始まる』とあり『配給一〇億六千万円を上げ」「その年の第一回日本アニメ大賞を受賞した」とある。

 この「幻魔大戦」から続く「カムイの剣」「ボビーに首ったけ」「時空の旅人」「火の鳥 鳳凰編」「迷宮物語」「少年ケニア」などについて「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」では触れているが、位置づけは「大人の観賞に耐える内容」を持ち、「角川文庫とのメディアミックスを十分意識した従来の角川映画の延長にある娯楽作品であった」といった書き方で1ページほどの中にまとめてしまっている。大友さんのキャラクター性がもたらした影響などには触れてない。

 対して伊藤彰彦が角川春樹さんに取材してまとめた「最後の角川春樹」(毎日新聞出版)には、春樹の言葉として「大友の『気分はもう戦争』を『漫画アクション』の連載で読んでいて、絵が上手くてストーリーもキャラクターも面白かったんですね」「たまたまりんたろうも大友克洋でいきたいと言ってきたんですよ」ということで合致して起用が決まったことが明かされている。「幻魔大戦』」映後のトークでりんたろう監督も大友起用について触れていて、「平井和正の小説を映像化するには、どういうキャラクターが一番合うかを考えて、悩まずすぐ答えた出た。大友克洋しかいないと』」話してくれた。

 「ショートピース」とか「ヘンゼルとグレーテル」とかを読んで彼の線といい、キャラクターがピッタリだ』と思ったとりんたろう監督は話してた。あと都筑道夫さんの「銀河盗賊ビリィ・アレグロ」の表紙絵を挙げ「彼の絵を持って春樹さんのところに行ってこの人にキャラクターをお願いしたいと言ったら春樹さんもいいね、この人で行こうとなった」とりんたろう監督。決まったかに見えたけど「最後の角川春樹」によれば「原作者の平井和正さんが大友のキャラクター・デザインは『主人公の顔つきが陰険だ』とクレームを付け、りんたろうは大友じゃなければ自分はやりたくないと言い、石森(後の石ノ森)章太郎さんまで絡んできた」とのこと。  「『幻魔大戦』は角川映画でもっと揉めた作品』とも春樹。あの豪傑をもってしても疲れたと言わしめた結果として出てきた映画が……いやこれは言わないでおこう。ともあれ時の最先端すら飛びこえていた大友克洋の「幻魔大戦」への起用はいろいろと波風を起こしたものの、「大友克洋がキャラクター・デザインを描いたこともあり、『ジャパニメーション』の先駆として海外では高い評価を受けています」と春樹さん。以後、「カムイの剣」の原作は星新一さんが矢野徹さんを紹介したことを振り返っている。

 そして「ボビーに首ったけ」のキャラクター・デザインに起用される吉田秋生についても「女性コミック誌『月刊ASUKA』を創刊するぐらいでしたから、もちろん読んでいました」「萩尾望都さんとか山岸涼子さんも読んでしました」と話してる。漫画ばかり読んでると苦言も受けたと振り返るけどその素養が今のKADOKAWAがメディアミックス帝国へといたる発端になったのだとしたらやはり“社史”を広く拡大する書として「最後の角川春樹」は「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」とセットで読まれるべき本だと言えそう。

 ちなみにトークイベントでりんたろう監督は、角川春樹と対面した時のことも振り返っていて、銀座の高座?というクラブに招かれ行くと角川春樹がいて、背後に武田信玄の甲冑があって威圧感が凄く、目をそらしたら負けだと思ったという。すでに「幻魔大戦」のアニメ化が企画されていたけれど、そこでりんたろう監督は石ノ森章太郎の漫画をアニメ化しては映像が見えてしまう、だったら平井和正の原作をそのままアニメ化したいと直感的に判断し、角川春樹に告げたという。

 「口ごもったら負ける。口からでまかせでやりましょうと言った」とも。受けて動き始めた企画だったけど、クラブで紹介されたプロデューサーと話が全然かみ合わないので困ったもののそこはさすがに断れず、家に帰ったりんたろう監督のところにその夜、角川春樹から電話があって「今日紹介したプロデューサーとは合わないだろう? 彼は外すからプロデューサーはお前が推薦する人間を使え。じゃあおやすみ」と言われたとう。見るべきところを見て動くところで動く人だったんだなあ。

 そんなトークを終えてから立川シネマシティへと転戦して「イヴの時間劇場版」を見る。たぶん11年ぶり。お腹から装置がどかんと出てくるのは「アイの歌声を聴かせて」のシオンといっしょでそういうデザインが好きなのが分かる。時代的にはシオンのようなアンドロイドがもっと発展して一般家庭にまで入っていった時代。命令には従うけれども時々息抜きにカフェへと出かけるアンドロイドが自分の命令じゃないことをしたと憤る高校生の狭量ぶりが最初は癇に障ったけれど、だんだんと馴染んでいく姿に自分を重ねて理解の必要性を感じさせられた。そういう映画なのかもしれないなあ。未来を予感させる終わり方も悪くない。「アイの歌声を聴かせて」が進化して「イヴの時間」になった先のビジョンをまた、描いてくれないかなあ、吉浦康裕監督。


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