縮刷版2021年10月上旬号


【10月10日】 MAPPAとマッドハウスという丸山正雄さんが作った会社の後と前とがいっしょになって作った「takt op.Destiny」第1話見る。銀河美少年ではなく音楽を糧にする戦士と指揮者と、そして音楽を嫌うモンスターとのバトルが楽しめた。何かが力になるって設定は、かつて『聖少女艦隊バージンフリート』を世に送り出した広井王子さんらしい。DeNAも入っているならゲームとの連係もあるんだろうなあ。音ゲーならぬクラシックゲー的な。そうやってメディアをまたいで繋いでいかないと、1クール2クールやってはい次のアニメーションといった具合に、どんどんと忘れ去られていってしまうから。

 それが今のアニメ状況でもあったりして、実際のところ2年前の「キャロル&チューズデイ」なんてもうすっかり記憶の彼方だ。一方で「マクロスΔ」は映画にもなって盛り上がってる。そこはまあ40年の「マクロス」の歴史の成果でもあるけれど。という訳でみんなAmazonPrimeVideoで「住めば都のコスモス荘 すっとこ大戦ドッコイダー」を見るのだ。18年前とは思えないクオリティだから。「鬼滅の刃」で注目が集まることによって制作会社にも注目が集まって、こうして掘り起こされることによって改めて評判が広がることもあるから。

 という訳で「無限列車編」のテレビ版が始まった「鬼滅の刃」。映画を分割して終わりじゃなくて冒頭に煉獄杏寿郎が無限列車に乗り込むまでが完全新作によって描かれて居てスポンサーサイドの力のいれ具合を感じる。アニプレックスと集英社とユーフォーテーブルが製作サイドにいるんだろうけれど、フジテレビも放送時にスポンサーを集めて提供しているのだとしたら「遊郭編」を作りながらしっかりと高い完成度の特別編を作り上げられるのも分かる気がする。登場したおろし蕎麦やかき揚げ蕎麦やあんパンや牛鍋弁当のクオリティたるや、すぐに食べたくなるくらいのゴージャスさ。明日は駅蕎麦で売り切れになりそうだ、かき揚げ蕎麦とおろし蕎麦。

 2時間ほどタリーズにこもって映像を見る仕事をして残り30本まで追い込んでから、歩いてTOHOシネマズららぽーと船橋まで行って「プリズナーズ・オブ・ゴーストランド」を見たらニコラス・ケイジがママチャリで走りキンタマを吹き飛ばされ百鬼丸になる映画だった。あるいは詩情が薄れた寺山修司ともスプラッタが過ぎる鈴木清順とも言えそうな映画だった。坂口拓さんが相変わらずに凄絶な殺陣とアクションを見せてくれた。以上。ってそれで終わりにしたいくらいではあったけれど、もうちょっと説明するなら園子温さんやっちまったなあという映画だった。

 西部劇風だけれどスマートフォンとか普通にあって車はセリカが普通に動いているという謎設定。そんな世界で銀行強盗に入ったニコラス・ケイジとジョン・カサヴェテスの2人に少年がガムボールを差し出したことから混乱が起こって気がつくと、ニコラス・ケイジはサムライタウンとやらを仕切るガバナーの前に引っ張り出されて、逃げた孫娘を探すように命令される。そこで着せられたのが首と両腕とそして股間に爆弾が仕込まれたレザースーツ。孫娘に暴力を振るったりすると反応して爆発するのだとか。

 そんなハンディを背負わされて送り出されたニコラス・ケイジだったけれど用意されたセリカに乗らず、そばにあったママチャリに乗ってキコキコとこぎ出したのはギャグなのか信念なのか。その割にはすぐに坂口択が追いかけ車を渡すあたりに首尾の一貫して無さが伺えた。以後、孫娘が逃げ込んだスラム街みたいな場所へと行って探しあてたら栗原類によってマネキンにされていて、それでも連れ帰ろうとしたら幽霊が現れ行く手を阻む。というか何だ幽霊って。何をしてるんだあの場所で。

 街を隔てる幽霊がサムライタウンとスラム街のどちらに恨みを抱いて邪魔をしているのかが謎めくし、サムライタウン程度の規模でいったい何を拠り所に存立しているかも分からないけれども細かいことは気にしない。行き来する間にニコラス・ケイジが孫娘を憤らせて股間を爆破され金玉がもげ、そして腕も吹き飛ばされて動かなくなったところに刀を取り付け震えるようにしてといろいろ楽しめる要素が加わった。遊郭めいた場所でひかる球を動かしたり、奇妙な歌を唄ったりするのは天井桟敷の流れを汲む高取英さんの月蝕歌劇団のよう。そういった要素が好きならビジュアル的に楽しめる映画ではあるけれど、ストーリーを気にし始めるととたんに意識が飛ぶから、ここは雰囲気に身を委ねつつラストの坂口択vsニコラス・ケイジのバトルをしっかり楽しもう。それしかない。


【10月9日】 ネットで暴れていたライティな人に対して国会議員が名誉毀損だといってアクセス元を突き止め訴えた件で、噂に上がっていた会社がとりあえず自分のところは関係ないですってコメントを出した模様。写真週刊誌あたりが書いていた自由民主党を主要取引先として堂々のトップに掲げたIT関係企業なんて他になかなかないだけに、これでますます混沌として来たけれども企業ぐるみではやってないという言い訳は一方で所属する個人がやっていた可能性は残してあるから、そっち方面での解決を図ろうとしていたりするのかも。いずれにしても裁判が始まれば分かること。見守ろう。

 1勝2敗でFIFAワールドカップ2022カタール大会への出場が危ぶまれてきたサッカー日本代表で、次のオーストラリア戦に引き分けるか敗れたら監督を交代するって話が浮上。オーストラリアに勝てなかったらそれこそ本格的に出場が危ぶまれる訳で、そんなタイミングで変えられたって引き受ける監督が可哀想になって来るけど、それを理由に条件を引き出し出場を逃しても監督としては継続という約束を取り付け就任する人がいるのかも。そうでなければクラブチームを辞めてまで引き受けたりはしないよなあ、長谷川健太さん。

 外国人監督の話も出ているけれどなおのこと、出場できなくたって監督料は数億円って条件を突きつけそう。ここはもう自爆覚悟で今の森保一監督で引っ張って予選が終わった段階で解任し、それから次の4年間とまでは言わないまでも2年先くらいまで見越して育成できる監督を引っ張ってくるのが良いんじゃないのかなあ。可能だったら前の2試合を見るかそれ以前の五輪代表を見て速攻で解任して、8月9月を新監督の下で立て直しに入れれば良かったんだけれどそれをやれる弾じゃ無いものなあ、田嶋幸三JFA会長は。出場が決まらないうちから次期会長の椅子を確保しているあたり、潔さとは無縁っぽいし。やれやれ。

 昨日はマクロスを見たので今日はヤマト。2020年代に入りながらも源流が1980年代からさらに1970年代へと源流が遡っていくところが面白いというか、日本はなかなか新しいIPを育てられずにいるというか。これだとエヴァンゲリオンだって完結とはいいつつ復活してくる可能性も低くはなさそう。さてヤマト。「宇宙戦艦ヤマト2205愛の戦士たち 前章−TAKE OFF−」は前にも映画になった「宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」をモチーフにしてガミラス本星が襲撃を受け破壊されてイスカンダル星が暴走するってストーリー。とはいえ前の「愛の戦士たち」を見ていないのでどこまで同じかまるで見当がつかない。

 敵の正体も妙に計画とか誤差とか気にする奴らだったからメカかもしれないとか想像したけどどうなんだろう、指揮官のガタイがブライキング・ボスっぽかっただけにアンドロイドっぽさをより醸し出している。そんな奴らの攻撃が待ち受けるとも知らずに地球を発信したヤマトとそして従属している真田士郎と森雪がそれぞれ艦長を務めている船が、途中でガミラス襲撃の話を聞いてイスカンダルを追うかどうかを迷っていた時、最初は古代を恨んでいた土門という若者が、同期の乗組員たちと図ってヤマトをのっとろうとする。

 いややたかが数人が結託したところで1隻の戦艦を乗っ取るなんてことは不可能だろうと思うけど、そこはだから情報部が後で動いてとりあえず成功したように思わせる工作でもして古代にもしっかり吹き込んでいたってことにしておかないと、リアリティが感じられなくなってしまう。それ以前に一介の防衛大学校上がりの候補生がハッキングして経歴を改竄して赴任先を変えられる訳がないから、そこもきっといろいろと画策していたところがあるってことにしておこう。結果としてヤマトはフリーハンドを得てガミラスの救援にかけつけられた。バーガーは生きているしフラーケンは声が中田譲治さんじゃなくなったけどやっぱり存命。メルダ・ディッツも登場をして2199組が姿を見せる中、新メンバーを加えたヤマトはいったいどんな戦いを見せるのか。後編が楽しみだ。

 しかし制作がサテライトだったのは最初の予定どおりなんだろうか。ヤマトを作るためにジーベックの代表だった下地直志さんがstudioMOTHERという会社を立ち上げた訳だけれど、そこは総集編の2202は手がけたものの今回の作品には絡んでいない。下地さんの名前もクレジットをざっと見た限りではなくって逆にジーベックから引き継いだプロダクション・アイジーが入っていたりとちょっと様子が分からない。それは2199とか2202を引き継いでいるから入っているのかもしれないけれど、ヤマト継続のために立ち上げたスタジオが絡まず「マクロス」で忙しかっただろうサテライトが現場になったのはなぜなのか。謎めく。ともあれ混乱した挙げ句にマクロス艦の腕がヤマトになったり、マックスがコスモタイガーで参戦したりしなくて良かった。


【10月8日】 懐メロとしてではなく流行歌として聞いた楽曲だとザ・タイガースよりはガロの「学生街の喫茶店」にたぶんなるし、アニソンの分野だったら「スカイヤーズ5」のタイトルコールが耳に残る主題歌が真っ先に挙げられそう。巷では「ドラゴンクエスト」の楽曲が代表曲と言われているけれど、ゲームをやらない人間にとってはとりたてて強い印象を植え付けられた訳ではない。ただゲームをやらない人間にもその印象的なファンファーレからのテーマソングは耳に残っていたりして、その意味で世間がそれを代表曲と言うのも理解できない訳ではない。

 「花の首飾り」や「君だけに愛を」といったザ・タイガースの一連のヒット曲こそを代表曲と訴えたい世代もたぶんいそうな気もするけれど、そうした世代を広くまたがって活躍した偉大な作曲家を取りあげて、愛国的な活動をした人だと持ち上げて紹介するのはやはり違う気がする。それは作曲家としての名声とそして得た資金を元手に参加したものであって、それによって何か具体的な成果を得たというものではないのなら、やはり一種の趣味の範囲に止めて業績はまっさきに作曲家としての部分を取りあげて、偉大な作曲家が世を去ったと言うことで記録しつつ送りたい。すぎやまこういちさん、ありがとうございました。

 加えるならアニソンだと「伝説巨神イデオン」のメロディラインが印象的に変化する主題歌とか、心を刺激するエンディング「コスモスにきみと」を挙げたい人がいるのもよく分かる。エンディングなんて名古屋では井荻燐さんこと富野由悠季監督による歌詞が流れずサビすら抜かれたAメロだけがインストゥルメンタルで流れたけれど、そこだけでも強い印象を残したのだからこれは凄い。改めて全部を聞いてやっぱり名曲だった。アニソンでも屈指、おそらくは富野監督のアニメを通しても「そっとおやすみ」と1、2を争う名曲を手がけた人として、アニソンの殿堂に飾って顕彰すべき方だと思う。それだけに晩年のライティな活動がどうにもひっかかる。戦前生まれでそうしてそうなってしまったのだろう。戦争に行かず戦後も苦労をしなかった世代にありがちなある種の郷愁なのだろうか。それにしては同世代の小松左京さんも野坂昭如さんも五木寛之さんですら厭戦気分は強そうなのに。謎めく。

 地震で電車が止まることまでは見越していなかったけれど、結果としてまったく影響が出なかった京成電鉄で行ける上野から歩けてなおかつ営業もしていたTOHOシネマズ上野を予約していたことが奏功し、ちゃんと上映された「劇場版マクロスΔ絶対LIVE!!!!!!」を朝いちで見る。大分泣く。まずは「劇場版短編マクロスF〜時の迷宮」で同じく劇場版マクロスF「イツワリノウタヒメ」「サヨナラノツバサ」から続くストーリーとして、どこかへと行ってしまったアルトを求めてメンバーが星々を尋ねて回るストーリーが描かれて、CGあったり手描きだったりするキャラクターの複雑なミクスチャーを楽しませてくれた。楽曲も菅野よう子さんによるランカとシェリルのツインボーカルが響くものを久々に堪能。やっぱり良いコンビだ。

 そして「マクロスΔ」の劇場版も同じくテレビシリーズではなく劇場版の「マクロスΔ」から連なるストーリーとして、フレイヤとハヤテの関係を軸にしてぐっと近づいた2人の間にある寿命の差といった問題を前面に押し出しつつ、それでも2人は結ばれるべきかそれぞれに幸福を追求していくべきかって感じのテーマが繰り出されては迷わせる。ミラージュによる横恋慕も続いていたりして、同じ寿命ならそっちを選ぶべきかって思ったりもしたけれどゼントラーディの血筋も入ったミラージュって寿命どれくらいなんだろう。そこはちょっと気になった。

 ともあれうだうだとしつつワルキューレの活動も始まって、戦いを終えたウィンダミアとの和解も兼ねたワルキューレたち一行の訪問に合わせたかのうように、敵が襲いかかってウィンダミアの星を蹂躙してそして宇宙の星々にも侵攻の手を伸ばす。その尖兵が闇キューレ。悪キューレって言わないところが多少はダジャレの抑制を意識したのかもしれないけれど、ともあれ謎の新たな歌姫によって蹂躙される宇宙で、唯一の対抗勢力となるワルキューレが渾身の力を振り絞ったことで起こるフレイヤの結晶化が、ハヤテやワルキューレの面々に苦悩をもたらす。

 宇宙か。命か。元よりの短い寿命とも相まって深く迷わせる展開の中、それでもすべきことをするのが本道だっていったメッセージが浮かび上がって来る。犠牲とのトレードオフはあまり好きではないけれど、だからといって奇跡も有り得ないなら自ずと道は決まってくる。その中でやれることを精いっぱいにやったからこそ、得られる納得もあるということなのかもしれない。そんなストーリーを改めてぶつけて「マクロスΔ」のフレイヤとハヤテの物語に決着を付けつつ、「レディM」というオーバーテクノロジーを牛耳って宇宙を導く存在について、触れてどうやらその正体はって気付かせてくれた映画だった。

 同時に「超時空要塞マクロス」の頃から圧倒的な戦闘力を見せてファンを熱狂させてきたマックスことマクシリミリアン・ジーナスを活躍させて、往時のファンを喜ばせてくれた映画だった。デルタ小隊の誰よりも、そしておそらくは空中騎士団の誰よりも強いかもしれないなあ、マックス。白騎士やメッサーすら上回ってそう。かなうのは…てにミリアぐらいか。今どこにいるんだろう。エキセドルさんお久しぶり。この姿は「マクロス7」からの引き続きになるのかな、テレビシリーズと劇場版が入り組んで、どれが“正史”か分かりづらいけれどもその時々に存在するマクロスが“正史”なのだと思うしかないのかも。というかすべてが“映画”ってことらしいし。ハイコンテクストだなあ。


【10月7日】 「僕と彼女とラリー」についてもうちょっと補足。主人公の大河を演じた森崎ウインさんは、俳優としての意欲はあるもののどこか感情が気迫でのりきれない。それも理由があってのことだが、父親の死で田舎に帰って隣家に済んでバツイチシングルマザーの上地美穂と再会し、日々を重ねることで感情を取り戻していく様を巧く演じていた。美穂を演じる元乃木坂46の深川麻衣さんも、30歳のシングルマザーと行った役を年齢も同じということで浮かずかといって沈まない明るさを美しさで演じてくれていた。どちらも巧かった。

 父親役は西村まさ彦さん。すっかり白くはなっても無くなってはいない頭を見せて息子に理解されない父親像を見せてくれた。そして竹内力。弁護士なのにヤクザにしか見えない豪快さで暗くなりがちな展開に風をくれた。香嵐渓や猿投山や豊田スタジアムや豊田市美術館なども登場して記憶のある風景を懐かしめる物語。ラリーのシーンも2回、競技としてというより人の命をつなぎ未来を開くために必要なランとして描かれる。その走りを見てまたあの西三河の道路を走ってみたいと思えてきた。その昔、走ったよなあケンメリで。そんな豊田の風景とラリーカーのランを楽しめる作品として、そして深川麻衣の愛らしさを堪能できる作品として、あとは旧車がいっぱいでてくるエンスー語のみの作品として、見られて欲しいものだ。

 DAZNでUEFA女子チャンピオンズリーグのジトロバッドー−1対レアル・マドリードとか、セルヴェット対ユヴェントスとか見ていて、選手のかなり多くが長い髪を後で縛ったり、上でお団子にしてプレーしているのが気になった。いや女子サッカーなら髪が長いのは当たり前じゃないかと言われそうだけれど、今年から恥又WEリーグなんかは選手の一覧なんかを各チームのサイトで見ると、多くがショートで長くてもミドル、垂らしていたり後で縛っていたりする選手の方が少なかったりする。

 以前は澤穂希さんや加藤與恵さん、今なお現役の山豪のぞみ選手ら縛っていたりお団子にしている選手が割とめについた。短くても肩くらいまではあって女子サッカー”らしさ”を感じさせてくれた。その”らしさ”がつまりは女子はそうあるべきといった観念に過ぎず、サッカーという走り回る競技をする上で長い髪が鬱陶しいなら切って問題ということはない。映画「カラミティ」のマーサ・ジェーンが動きやすいからとジーンズをはき、引っ張られるからを髪を切っても男子になろうとしたのではないのと同じだ。

 歴史的、あるいは社会的に醸成されていつしか押しつけに変わった「らしさ」にそぐわないで、目的に合った格好をしているなら女子サッカー選手の髪が短いということをことらさ意識する必要もないかもしれない。だったらどうして海外のトップチームに所属する女子選手たちの髪は長いままなのか、欧州における女性像にそぐう格好を強制されているのかというとそれも違うんだろう。選手であると同時に母親でもあるかもしれず社会において自分としてそうありたいと願う格好として髪を長いままにしているのだとしたら、それが「らしさ」の現れだ。対して日本の選手たちがそろって短くしているのは、それも「らしさ」なら気にはしないけれど違うベクトルもあって揃えているのならちょっと気にしたい。ポニーテール好きとして。

 「ルパン三世カリオストロの城4K7.1ch」を見た。赤くて青くて紫色で桃色だった。フィルムの傷がぐるぐる回らないしラストシーンで音飛びもなかった。名古屋の宮裏太陽劇場で見たフイルムはそんな感じに傷があったけどスクリーンで初めて見たカリオストロだったので僕のスタンダードになってしまっていたのだった。それが覆ってくっきりとして音もきれいに聞こえたのは良かったけれど色味がちょっとピーキー過ぎた。どういう調整をしたんだろう。もしかしたら自分の色味に対する認識が、映像より読み込んだラポートの大辞典に引っ張られているところもあるかもしれない。印刷物と比べると光の投影による映画はよりくっきり出がち。その上にセルを撮影してフィルムに落としていない生セルに近い色を再現していて、それがダイレクトに出てしまったのかもしれない。良いか悪いかは悩ましいなあ。同時上映の「ルパンは今も燃えているか」は不二子のくすぐりを楽しむ映画だった。

 映画館から帰ってきてカップラーメンを食べようとしたら地震。震度5弱らしいけれども2011年3月11日の東日本大震災後の余震の方がよほど強いイメージで、その時でも本震では崩れ落ちた本が微動だにしなかったように5弱くらいではやっぱり崩れてこなかった。ただ割と長く続いた感じで311の本震のように数分間も揺れ続ければやっぱり崩れ落ちるんだろう。規模よりは長さの方が問題ってことで。幸いにして被害は各地を見てもなさそうだけれど首都圏直下のこの地震、あるいは婿取りをいろいろと言われている姫様がわらわの恋路を邪魔するでないと苛立った震えが地母神を刺激したものか。だとしたらワイドショーは非難を辞めて讃えよ祝えよその恋路。


【10月6日】 品川駅のコンコースにずらりと並ぶ大型モニターに連続して映し出される「今日の仕事は、楽しみですか。」の文字に「心を折られる」といった声が続出したことから、掲載元のNewsPicks系企業が広告を取り下げたとのこと。新規事業をアグリゲートして経営資源をサステナぶることがミッションとかいうトッポい会社がキャッチィと思って生みだしたメッセージだったんだろうけれど、ちょっと時代にそぐわなかった。

 働けば働くほど稼げて将来も安泰だった時代とは違って、今は給料は上がらず昇進もなく将来も不安でいっぱい。そうした中で働いている人たちにとって、仕事は今日を生き抜くための手段であってそれが目的ではなくなっている。そういう人たちに向かって「楽しんでるか〜い?」と呼びかけたところで「楽しみなんかじゃねーよ!」と言われるのがオチ。そのことを感じ取れなかった企業側の、リサーチとマーケティングがズレていたってことになるんだろう。

 筑波大付属駒場高校から東京大学を経てリクルートという経歴の持ち主の、チャレンジしてサクセスして自己充実感にあふれた代表が率いる会社だけにきっと仕事は手段なんかじゃなく目的であって、なおかつそれに付随するマネーも着いてきたんだろう。だから「仕事は楽しい」し「楽しむもの」だという観念が強くあって今時の社会の気分をすくい取れなかったのかもしれない。あるいは現場にはそういう世間の空気がちゃんと分かる人がいたとしても、仕事は楽しいだろうと言われ楽しいはずだと押しつけられる状況の中で、今日の仕事は楽しみだと言わなければ居られない雰囲気、あるいはそうしたある種の“信仰”に囚われ異論なんて言えなかったのかもしれない。

 NewsPicksグループは、以前に出版事業に進出した時も「さよなら、おっさん」といったコピーで世の神経を逆なでして、その割りに自己啓発気味の本しか出せず結局は「ネオ・おっさん」を生みだしたに過ぎなかった。そんな「ネオ・おっさん」たちが惰性の中で日々を送らざるを得ない世の若い人たちに上から何か言ったところで、届くはずもなかったってのが多分、今回の一件の顛末なんだろう。もちろん、仕事が楽しみならそれは最高、なおかつ結果が伴えばベストであって、そういう時代にシフトさせる道を切り開いてくれるのなら誰もがついていった。あるいは楽しんで仕事をすれば結果もついてきた時代なら受け入れられた。そうではなく労働力をピースとしてのみ扱う風潮が色濃くなっている社会で出すべきメッセージではなかったところに、炎上の理由がありそう。息苦しい世の中になっている。

 愛知県出身で自動車新聞上がりなので見なくちゃと来たイオンシネマ市川妙典で「僕と彼女とラリーと」を見る。世界ラリーの日本大会開催を見込んでの映画だったけれど、大会は新型コロナウイルス感染症の影響で中止となってその意味では可哀そうな映画になってしまった。とはいえ、そうしした逆境だからこそ公開される意味もあると思わせてくる映画だった。東京で俳優をしている北村大河のところに何度か父親から電話がかかってくる。足助で整備工場を営んでいる父はかつて凄腕のメカニックとして世界のラリー転戦していたが、今は引退して田舎に引っ込んでいた。

 その父親と大河は折り合いが悪かった。母親が病気となってそして倒れた時も父親は外国から戻ってこなかった。遅れてやって来た父親に大河は怒り憤った。以来、父親を父親とも思わない日々を続けていたが、そんな大河に父親が倒れて死んだという連絡が入る。戻った実家には同じように父親に反発を抱いた兄もいた。兄は父親が経営していた整備工場を潰して実家も更地にすると言い出す。従業員の働き続けたいという願いは聞かず、無慈悲に閉鎖を言い渡した兄に大河は反発を覚える。

 自分で整備工場を続けたい。それは家にいない父親に対して母親が思っていたことが綴られた日記を読んだからかもしれない。一緒に働いていた人たちに同情したからかもしれない。いずれにしても兄とは敵対して整備工場を存続させようとした大河は、ガレージの奥にあったラリーカーを引っ張り出して、近く豊田市で行われる誰もが出場できるラリー大会に出て、整備工場を宣伝しようと考える。世界のラリー選手権で活躍していた父親ほどの腕もない大河や従業員たちに何ができるのか、といった兄が思うのも当然。それゆえに取引先も二の足を踏んで継続的なメンテナンスの依頼をためらう。

 残された面々が良いところを出し合っても及ばない父親の実績に、それでも近づこうと頑張る大河や仲間たちの奮闘ぶりを応援したい。けれども無理だろうといったところに降りかかったさらに大きな災難は、絶望以上の思いを面々にもたらしただろう。そこからの復活劇が映画の見どころ。道を外れたらもう戻れないレースなら終わっていたかもしれあにが、彼らが目指すのはラリーだ。たとえ壊れても修理をして戻ってくる。帰ってくる。それがラリーの神髄。人生でも道を踏み外したらもう終わってしまうという恐怖に誰もがとらわれているけれど、間違っても踏み誤ってもやり直してまた始めることで、得られる新しい道があるのだと教えられる。人生はレースではない、ラリーなのだ。そんな映画だった。

 ラリーと言えば以前に世界選手権が北海道に来たときに仕事で見にいったことがあって、十勝の街なんかを走るラリーカーを眺めた記憶がある。あと斜面にダートコースが作られてそこを走るラリーカーを見たけれどもエキジビションみたいなもので林道だとか山間部だとかを高速で突っ走るラリー本来の走りとは遠かった。そういうシーンを現地ではなかなか見られないのもラリーという競技の悩ましさではあるけれど、北海道とは違って愛知や岐阜の山間部だったら分け入って斜面から見下ろすことも可能だったかもしれない。それができなくなったのは残念。来年度はあるのかな。情報を探ろう。


【10月5日】 コナミがリリースした「ウイニングイレブン」:から変じて新しくサッカーゲームのブランドにした「eFootball」の最新作「「eFootball2022」の評判が最悪だそうで、ただでさえEAの「FIFA」シリーズに世界規模では追い抜かれてしまっている状況がますます悪化しそう。ドメスティックな「パワフルプロ野球」では世界と勝負できないだけにグローバルなIPとして力も入れていただろう「eFootball」でどうしてそんな事態が起こってしまったのか。ガバナンスにおいてやっぱりどこかに軋みが出ているのかもしれない。

 それは数々の人気IPを作って来た人たちが、どんどんといなくなっている状況からも感じられる。「メタルギアソリッド」シリーズという世界に冠たるIPを立ち上げた小島秀夫監督は自分の会社で「DEATH STRANDING」というIPを新しく立ち上げて個人として世界に復帰した。「ときめきメモリアル」や「ラブプラス」といった一時のコナミに濃いゲームファンを引きつけたタイトルは続かず「悪魔城ドラキュラ」とか「サイレントヒル」といったタイトルも果たしてどうなっているのやら。「遊戯王」カードは世界で今も好調なようだけれど、幾ら売ってもゲームソフトが500万本とか売れる海外の大手パブリッシャーとは比べるべくもない。

 だからこその「eFootball」だった訳だけれども挙動が妙で選手同士がぶつかると体がぐにゃっと曲がってまとわりついて軟体動物みたいになってしまう。そんなサッカー選手は存在しないだろう。あるいは一種のバグとして許容するなら「シャングリラフロンティア」の中でバグだらけのクソゲーを攻略することに命を燃やしているサンラクが、そうしたバグを使った技を編み出したかもしれないけれどそれで世界大会は無理だろう。

 アジア大会からも前回は採用された「ウイイレ」=「eFootball」が今回は「FIFA」になっているのも退潮の表れか。ってかこれで「eFootball2022」が採用されていたらとんでもないことになっていた。改良してもブランドイメージが停滞してく中で復権は難しいだろうなあ。パッケージに依拠せずマルチプラットフォームで誰とでも対戦できる機能を整え巻き返すか? いずれにしてもまずは改良版の評価を見たい。PS5が手には入ったらプレーしてみたいけど、それはないだろうなあ。

 図書館に寄って3時間ほど仕事をしてからサイゼリヤによってランチメニューとランチドリンクバーを頼んで食べて仕事を再開したら、集まって来たご老人たちが6人ばかりでテーブルを囲んで大声で喋り始めて、いくらワクチンを接種しているからって感染はしないとは言えない中でどうしてそういう振る舞いができるんだって訝る。1人はマスクすらしていなかったからなあ。非常事態宣言というのはそれが終わったからといって病気そのものがなくなる訳では無い。引き続いての注意が必要なのにそれを気にもとめない心性って奴が再度の流行を招いてこの年末年始も帰省が不可能な状態へと追い込むんだろう。やれやれ。

 ノーベル物理学賞が発表になって二酸化炭素の排出による地球温暖化の研究で世界的に知られている真鍋叔郎さんが他の2人とともに物理学賞を受賞した。また日本人かと思ったら1950年代にアメリカに渡って向こうの気象庁のようなところで気候なんかの研究をしていたそうで、プリンストン大学なんかでも教えて国籍もアメリカでつまりは帰化アメリカ人の受賞ってことになる。それでも就任したばかりの岸田文雄総理は日本人の研鑽のたまもののようなコメントを出していてちょっと違和感を覚える。

 日本では無理だった研究をさせて世界に貢献したのはアメリカの研究システムであって、それを提供できなかった我が身を恥じて祝いつつ嘆くいてくれないと、当時よりも悲惨な状況に喘ぐ日本の研究者たちの流出がさらに続くだけだろう。100人計画を謀略めいた構図でとらえて批判する人間が幹事長に座る悔い国だから、改まるどころかどんどんと悲惨な状況になっていくんだろうなあ。いくら世界最高のスパコンを持っていたって、研究させるのがオリンピックで飛沫感染は起こりませんというアリバイ作りのためのデータ作りでは、現場もやってられないあろうなあ。


 【10月4日】 第100代というのはやっぱり覚えやすいし分かりやすいから、岸田文雄首相だったということが永遠に歴史に刻まれて残るかとうと第100代の天皇が後小松天皇だってことも調べてようやく分かるくらいだから、100年後の誰かが聞かれてすぐに答えられるかというと、それは無理って思った方が良いのかも。100年後にこの国がどうなっているかすら危うい訳だし。

 2230年くらいには明治以降の体制が、途中に大日本帝国から日本国への変化はあっても基本は同じまま続いているとするなら江戸時代と同じ長さに達する。そんな長い期間を鎖国もせずに切り抜けられるはずもないならどこかで変化は起こるだろう。それは何時? そしてどうなる? 生きているうちには見られるとはおもえないけれど、その萌芽は出始めているような気がしないでもない。まずはやっぱり政治に携わる人たちの乱れが気になるところ。過去に犯歴があっても禊ぎが済んでいるなら咎めないけど、言い訳だけして証明もせずに逃げて隠れて戻って来た人が多すぎるんだよなあ、今回の政権には。

 収賄についてもドリルについても窃盗についても立件が見送られたからその意味で、禊ぎは済んでいると言えるのかもしれないけれども李下に冠を正さずの故事にのっとるなら、証拠となるハードディスクにドリルで穴をあけてデータを破壊するような振る舞いを許す人はやっぱりそもそも政治の場にいたらヤバい。収賄だとか窃盗だとかよりも心証として疚しさが上を行く気がしないでもない。きっといろいろ言われるだろうからそこをどう釈明して禊ぎを済ませてくれるか。無能ではないだろうからそこを切り抜け立派になってくれれば良いけれど。初代総理大臣だって若い頃は外国公使館焼き討ちとかやんちゃしていた訳だし。

 2016年の東京おもちゃショーに現れて、タカラトミーアーツから出たグッズのPRを行って口パクだったけれど歌も披露してくれたジャガーさんが、JAGUAR星へと帰還したと事務所から発表となって千葉県全域にいろいろな思いが浮かんだ模様。越してきて最初の頃にチバテレビの深夜番組で何やら奇妙な格好をして不思議なトークをしている人がいたような記憶があって、そしてしばらくとんで同じ人が千葉県にある名所を歌詞にいれて唄っているのをやっぱりチバテレビで見て、その名前とパフォーマンスを目に焼き付け耳に染み込ませて心に刻んだ。ジャガーさん。千葉県が誇るローカルタレントにして実業家といった情報も加わって、ますます関心が募った。

 隣の市川市で活動をしながらも姿を見ることはなかったけれど、グッズが登場して当人も出演するとあって東京おもちゃショーのすでに取材も終えて出稿もし終えていた週末に、改めて行ってその会見を見守ったっけ。サイン入りのTシャツも限定で販売するということで申し込んで届いたあのフルグラフィックプリントされたTシャツは今で家宝だ、ってどこに置いたかすでに忘れているけれど。まあJAGUAR星に帰っただけだからいつかまた来てくれると信じたいけれど、今回は結構遠そうだし僕が存命なうちには戻って来られそうにないのなら、100年後に千葉県が千葉国となって日本を統一した時に改めて来訪して、皇帝として君臨して欲しいもの。待ってますから子々孫々が。

 46号は放ったものの大リーグでの本塁打王には届かなかったロサンゼルス・エンジェルスの大谷翔平選手。投手としてもベーブ・ルース以来の二ケタ本塁打二ケタ勝利にはあと1勝まで迫りながら届かず、歴史にしっかりと名を刻むことにはならなかったけれども100打点である上に100奪三振という今の野球の分業制では日本であろうとアメリカであろうとあり得ない成績を残したことは、永遠に記録として残るし記憶にもしっかりと受け継がれる。

 最後に余力を残してのシーズン終了は来季に目標として心を奮い立たせられるということでもあって、燃え尽きないで意欲をもってマウンドに立ちバッターボックスに立ってくれそう。気になるのはオールスター明けからの三振の多さと本塁打の少なさか。ぶんぶんと振り回しすぎて調子を崩したか、それとも周囲が本気になって来たか。それでもリーグ3位の本塁打成績を残せたのは立派以上。来季も同じくらい打ってそして同じくらい勝っていくことで、あり得なかった投手であり打者という存在を世界に認めさせ、後に続く選手を続々と生みだし野球をまた少し違ったフェイズへと持って行ってくれるだろう。期待しよう。サッカーにもゴールキーパーであり得点王とか出ないかな。


【10月3日】 パナソニックで希望退職を募ったら会社に残って欲しい人がどんどんと辞めてしまってちょっと大変と社長の人が会見で話したってことが話題になっていた。想像するならこうしたリストラ含みの希望退職はコンサルタントが入ってまずはどれだけ辞めさせるかを管理職に競わせるようにして面接を行わせては会社にはもう居場所がないだのやってもらう仕事がないだのと言って自信を失わせ、そして外になら活躍の場があると唆してそこにこれだけのお金を今なら渡せるが将来は渡せないし定年退職の時にもたいして渡せないと告げ、心をぶち壊して退職へと持っていく。

 それがある程度は仕事ぶりを観た上で取捨選択して言っているならまだしもマニュアルにでも沿ったかのように一律にそうってとりあえず数だけ稼ごうとするから、対象になった人でも本当にやむにやまれずそこに居続けなくてはならない人以外はもうダメだと諦めて退職の意思を示してしまう。結果、残っていても不思議はなかった人も辞めてしまうと言った感じ。もちろん会社側が辞めて欲しくないと感じた人はホールドしておくこともあるけれど、傾いた会社が募る希望退職で会社を傾けた人たちが選ぶ残って欲しいと判断すうる人は、会社を傾けることに“貢献”して来た人であってこれから持ち上げる人ではなかったりする。

 そんな人たちが残ってなおかつ不要だと言われながらも残った人が高いモチベーションなり未来を創る意欲なりを示せるはずもない。見た目は大量のリストラで人件費が削減されて業績が向上するけれど、中身は櫛の歯が抜けたようにがたがたになって業績は下がり、それを補うためにさらにリストラをして人件費を削るマイナスのスパイラルへと陥っていくのだった。まあ観てきた訳ではないから何とも言えないけれど、そんな感じに大量の希望退職を募った挙げ句にどんどんと売り上げを下げていたりするところがあったりするから、あながち外れてはいないんだろう。200人辞めさせて20億円とか30億円とか人件費を減らしたところで、それくらいの売り上げなんてあっという間に下がるものだからなあ。やれやれ。

 七瀬夏扉さんの完全版「ひとりぼっちのソユーズ」(主婦の友社インフォス)をSF者は絶対に読め。宇宙へ向かうこと、そしてより遠くを目指すことの大切さをじっくりと噛みしめられるから。誰かを思い、誰かに思われることで人は困難を乗り越えられると強く教えられるから ユーリアという日本人の父とロシア人の母の間に生まれた少女と知り合った僕は、父親の仕事の関係で宇宙が大好きで、いつか月に行くんだと言うユーリアからスプートニクと呼ばれ、自分をソユーズと呼ぶユーリアと供に宇宙を目指すことになる。

 けれどもユーリアは体が弱く宇宙は無理。だから僕が宇宙飛行士になってユーリアを宇宙に連れて行くと約束する。そんな2人のうちのユーリアは軌道エレベータの開発に重要な役割を果たし、こなた僕の方は月面に降り立った初の日本人となって宇宙開発に名を残す。けれどもそうなるまでにユーリアは……。そんな展開を経て月面の資源開発から宇宙移民の問題へと話がふくらみ月で生まれた少女の自律と自覚の物語も描いて宇宙時代の人の営み、社会のあり方を問う。

 さらにとてつもない事態が起こってもう初老となった僕の意識を遠く彼方のブラックホールへと向けさせる。そこから届いたメッセージの意味を知る僕がとった行動。そこから繰り広げられる世界の無限のビジョンが人間が争わず平穏に生きる難しさを示す。苦渋と困難を乗り越え僕はどうする? そして得る。宇宙へと人が出始めていく様子を理想の形で描き、一方で悲劇へと向かう可能性も示す多様なビジョンを持った物語。一方で人が宇宙の彼方を目指すことによって得られる可能性の大きさを示す物語。それを成すには誰かと一緒の方が良いと思わせてくれる物語だ。

 以前に富士見L文庫で出た「ひとりぼっちのソユーズ 君と月と恋、ときどき猫のお話」は、長大なストーリーにイントロダクションに過ぎなくて、完全版ではそこから宇宙の深淵へと人が歩み始め、さらにその裏側にある何者かの意思を描いて壮大なSFとなり宇宙開発ストーリーとなった。なので前の話を読んだ人もこの完全版を読んで良し。アニメ化の話が浮かびながらも立ち消えとなっていろいろと話題にもなったけど、今回のこの完全版なら長大なSF映画として実写でも、あるいは長編アニメーション映画でもなって不思議はない。動き出さないかに期待。ともあれ大勢に呼んで欲しいとお願い。

 「統一協会」を「ナチス」に置き換えてもなお「“ナチスやや歴史に対する造詣が無いのでこの是非については語りませんし分かりません」と言い抜けられるのかというと、それは無理だといった認識を持てるかというとそれは無理だろう。つまりはそれくらいの事態なんだといった自覚を誰もが抱いて、ちょっとでも関わって来たのなら全力でお引き取り願うくらいの態度を見せ、過去に触れてしまったのなら全力で釈明するくらいのことした方が良いって思ってくれるように、世界が動いてくれれば良いけれどもかつて桜田淳子や飯星景子さんが散々っぱらワイドショーで騒がれたような状況に、前の総理大臣が挨拶をしたってならないんだからこれはメディアには期待できそうもない。困ったなあ。


【10月2日】 いつの間にやらサッカーのフィールドに立って、立場は何か人質めいたものらしく、そのハンディとして背中に本当はプレイさせたらとても上手な女子を背負う形でプレーをすることになった。それでも蹴ったロングボールが前線でうまく転がって得点となって、そして攻められてなぜか自陣のコーナーからボールを蹴ることになって右利きか左利きかを聞かれ、左利きなら自ゴールにボールが向かうことがないから大丈夫となって蹴ったら飛ばなかったけど、プレーしているチームのキャプテンに渡ってそのままゲームが終わって1対0で勝利となった。

 湧いている中で人質みたいな立場からは解放されたけれど、背負っていた女子はそのまま着いてきて、誰か知り合いらしい人の車にいっしょに乗って走り始めた途中で、どうやら駐車違反の印が車につけられていることが途中で分かったという、特に脈絡も何もない展開の夢を見たのはきっと脳が庵野秀明展で観たあれやこれやにスパークして、過去の記憶やら最近の出来事やらがいろいろと浮かび上がったからなんだろうか。よく分からないけど最近どうにも見る夢がファン足すティ区でダイナミックで寝るのが楽しくて困る。まるで読書が進まない。どうしたものか。夢の中で読書できないものか。

 最高でも連続して走った距離が2000メートルに満たない身では、東京の本所吾妻橋あたりから島根県の出雲大社まで自動車だと800キロ、サンライズ出雲の走行距離なら950キロに及ぶ距離をさあ走れと言われても、そんな距離を走れるものかと臆してしまうだろう。たとえ神様の力が使えて余り疲れないのだとしても、1日に走れる距離は200キロがせいぜいで、そんな毎日を5日間近く繰り返して何が得られるのかと考えた時、相当なものが得られなければ走ろうという気にはなれない。

 「神在月のこども」という長編アニメーション映画で、主人公の葉山かんながそんな距離を走ろうと思ったのは、死んだ母親に会えると信じたから。神無月と呼ばれる旧暦の10月は日本中の神様が出雲大社がある島根県に集まるという。出雲ではだから逆に神在月と呼ぶそうだが、八百万と言われる数の日本中の神様たちが一同に会するのなら相当に賑やかだし、宴会だって連日連夜繰り広げられそう。そんな宴席での「馳走」のための供物、つまりは「ご馳走」を運ぶ役割をまだ小学6年生のかんなは与えられることになった。

 韋駄天、という神の末裔らしいかんなの母親が病気で亡くなって宙に浮いていた神の座を、かんなが引き継ぐことになったのがひとつの理由だが彼女は進んでその役目を引き受けた訳ではない。出雲に行けば死んだ母親に会えるかもしれない。そう因幡の白ウサギに聞かされて、だったらと走り出したに過ぎない。それでも走る理由があるから走れていたが、神様の役割はそうした対価の代わりに行うものではない。逆にいうなら母親に会えさえすればそれが偽りの幻想であってもかんなにとっては満足できるものになる。
B  何か目的を持っての行為、対価を求めての振る舞いは時として強さをもたらすが、場合に寄っては弱さも露呈する。「神在月のこども」が描くのはそんな、偽りやごまかしの感情をぬぐい去った時に現れる、自分自身の本当の思いの強さだ。名誉のためでも金のためでもセリヌンティウスのためでも走ってもちろん構わない。それが心底からの願いなら存分に力となって疲れた脚を動かし体を前へと進めるだろう。そして名誉を得て金をもらいセリヌンティウスの命を救って走るのを止める。それだけのことだ。

 かんなも母親に会えたら走るのを止めてしまうかもしれない。そのことは責められない。誰かを思う気持ちは尊く誰にも邪魔できるものではないのだから。神のためにご馳走を運ぶという、韋駄天という神に与えられた役割を果たすかどうかといったことも関係ない。韋駄天として生まれ育てられ教えられて育った訳でもない普通の人間にそんな義務など関係ない。そう言ってしまえば物語は終わってしまうし、実際にいったん終わろうとした。そこでいったいかんなはどうして走っていたのか。どうして走りたいと思ったのか。浮かんできたひとつの思いが人に、自分が走り続ける理由を思い出させる。そんな映画だ。

 ユナイテッドシネマ豊洲で開かれた先行上映会では舞台挨拶があって、幼い頃のかんなを新津ちせさんが登場。走る場面の息づかいを聞いてねって話していたように、一生懸命に、そして純粋に楽しんで走る時の息づかいをしっかり感じさせてくれていた。そんなちせさんに変わって、小学6年生のかんなを蒔田彩珠さんが演じていて、中身だけ中学生になってしまったような思いを一瞬だけ抱いたものの、話が進むにつれてだんだんと頑張る小学生の女の子らしくなっていくのが面白かった。

 舞台挨拶にはかんなの母親を演じた柴咲コウさんと、父親役の井浦アラタさん、そして大国主命役の神谷明さんが登壇。いっしょに旅をする白ウサギを演じた坂本真綾さんも鬼の夜叉を演じた入野自由さんもおらず女優俳優を揃えたのは、スポーツ新聞とかワイドショーが取りあげ安いからってのもあるかもしれないけれど、かんなの母親は重要な役だけにその声を演じて遜色のない演技を見せていたから柴崎さんも実質主演か。井浦さんも優しいお父さんを演じてとても良かった。

 声優チームから登場の神谷さんは神様陣営の声を声優が演じたことを聞かれて「自分たちは普通の役も演じられるが」と決してキャラクター専門ではないことを前置きした上で、それでも神様といった特別な存在を声優が演じた意義を話してその演技を聞いて欲しいと話してた。なるほどナチュラルさもあるけれどキャラっぽさも出せる声優さんなら見えない神聖な存在だって演じられるといった判断だったんだろう。音響監督が岩浪美和さんならそこは話して納得させたに違いない。聞き所ってことで。

 文化庁メディア芸術祭での「PSYCHO−PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR」上映を見に池袋へ。人がわんさかといて賑やかで露店なんかも行われていて以前が戻って来たような印象を受けたけれどもこれで新型コロナウイルス感染症が収束した訳ではないので早いと11月には第6波が来そう。用心用心。上映はHUMAX池袋でも大きいシアターに結構な人数が集まってファンの底堅さを実感。霜月課長の変顔がやっぱり楽しい。アマプラで配信された3分割のラストにはない劇場版ならではの、エンディング後に常守朱による宣言で途切れるエピローグがあってやっぱり続編が作られるべきだと強く思った。スタジオは疲れ果てるかもしれないけれど、みんな見たがっているならやるべきだ。うん。


【10月1日】 ちょんまげ姿だろうが腰からヒョウタンを下げていようがそれが許される職場で働いているのだから構わないといえば構わないのだろうけれど、世界でも由緒正しい家系のお姫さまをお嫁さんに迎えるとなると、立ち居振る舞いとしてやっぱりそぐわないという声も出る。あるいはそういった声を見越して実際にお嫁さんに下さいと挨拶に行く場では、衣服を整え髪も切って月代までしっかりそり上げた姿で現れ相手も世間も驚かせるという、「織田信長、正徳寺にて斎藤道三と対面す」のシーンを地で行こうとしているのかもしれない。逆にヒョウタンじゃらじゃらで手に握った灰をぶつけたらそれはそれで凄いけど。

 岸田文雄新総裁を迎えての自由民主党の幹部人事が決まったようで、岸田総裁と選挙で戦ったうちの河野太郎ワクチン担当相は広報本部長といちおう役は付いたものの、党運営に携わるような立場かというとそこは外れてしまったのは対抗馬として仕方の無いところ。閣僚として活動する場も奪われるだろうからしばらくは表だってその馬力を観ることもなくなるだろう。1点突破を担わせるとなかなかに有能なだけに勿体ないけど仕方が無い。役所からペーパーをなくした勢いで選挙の電子投票まで行って欲しかったなあ、これができれば投票率だって上がって何か起こるかもしれなかったから。

 同じ対抗馬だった高市早苗前総務大臣は2度目の政調会長。応援団の面々が冷遇だの官職だのと騒いでいるのはアメリカなら国務相にあたる外務大臣、あるいは国防相にあたる防衛大臣を任されず表に出てくる機会が奪われるからってことらしいけれど、それで自民党の中にあって政策決定を一手に握る政調会長を閑職だのをいうのは一方を貶めることでしか持ち上げられない語彙の足り無さ、称揚の仕方の知って無さをここでも露呈した感じ。

 ここで中心になって煽っているジャーナリスト氏が政調会長の重要さを本当に知らずに煽っているのなら問題だけれど(その可能性もないでもないけれど)、知ってやっているならそれは周囲にそうと信じ込ませて唯一無二の存在として高市新政調会長を持ち上げたいから。当人にとっては良い迷惑だけれどそうすることで界隈が対抗勢力を貶め始めるなら自ら手を汚さなくても勝手に周囲が潰れていってくれるとでも思っているのかもしれない。その結果として敵と味方しかいなくなって何かにつけて憎悪をぶつけあって混乱する国政を遠目に喜ぶのは誰、ってところで反日だ何だと騒いでいる人たちが実は最も反日かもしれない可能性が漂うのであった。資金源が気になるなあ、煽って喜ぶ界隈だけでは商売にならないのは、それやって部数が半分になった自称全国紙が証明していたりするから。

 台風が近づく中をタイフーンを観に「庵野秀明展」へ。早く着いてしまったのでロビーで行き来する来場者を観察。総じて若い人が多くて25年前の「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビ放送すら見てなさそうな人もいっぱいで、つまりは今はそういう層から憧れられる人に庵野秀明さんはなったんだなあということを実感する。身をエヴァグッズとかで身を固めた野郎も推しキャラの缶バッジを鞄に貼り付けた女子も見当たらず、ファッショナブルな男女がいっぱいの中にひとりアスカが背中に刺繍されたジャンパーを着ているのはもしかしたら雰囲気をぶち壊しなんだろうかとも思ったけれど、それを恥ずかしがる歳でもないので平気で会場を闊歩する。

 特撮の間には以前の特撮博物館で観たような映画のプロップがならんで壮観。個別に観れば相当にすごいものもあるのは東京都現代美術館での展示でも分かっていたけれど、あの時は個々のクリエイターにもスポットを当てての展示だったのに対して今回は、庵野監督の思い出の中にあって自身を作ったものを中心に並べている関係で、ごっちゃとした感じはなく年齢の近い僕たちの記憶に沿いつつ刺激するものになっていた感じ。そんな部屋の中に同人誌とかも並んでいて割と可愛い女の子のイラストを庵野さんが描いていたのもあって何だ上手いじゃんと思ったのだった。

 そんな女の子の絵は「風の谷のナウシカ」の手伝いに言った時にトップクラフトのレイアウト用紙に仮面ライダーやらサイクロン号やらを楽がしたのを見とがめられたか喜ばれたか、周囲があれやこれやコメントを載せた1枚にもちゃんと描かれて居て、可愛いといった言葉もあれば服を着せるな脱がせろといった声もあって喜ばれていたことが伺える。この頃は22歳か23歳かそんなあたりか。若いけど慕われ実力も認められていたことが伺える。いやいやすでにDAICON4のオープニングでその実力はとてつもないところに来ていたことも、上映されている映像と展示されている原画から伺える。あの勝手なようでしっかり計算されて描かれたミサイルめいた飛翔の動きとか、20歳前後で描いていたとは思えないくらいの迫力だから。

 学生時代の短いアニメーションの再撮影・再制作めいたものもあって有名な「じょうぶなタイヤ」は言うに及ばず、バス停でバスを待っている女の子がなかなか来ないバスに飽きたかバス停に寄り添って倒して曲げてしまったり、そのバス停が地面の下に引っ込んでしまってあれれと思っていたら上からバスが降ってきたりといったアニメーションも、女の子が冷蔵庫をあけたら戦車が飛び出してくるアニメーションも、何が起こるか分からない展開とそこにいたるまでの静かだけれどちょこちょこ動いて目を引きつけ続ける仕掛けがただ絵の上手いだけではない、動きへの関心の高さを表していた。

 ひたすらティータイムをしながら読書をしている女の子を描いたアニメーションでも、スカートのすそが風に靡いたりあくびをしたり唇を舐めたりする仕草表情を挟みながら、時折上空を見上げて何事もなくたなびく雲を映し、戻って読書する少女がお茶がなくなったと呼び鈴を鳴らすと、テーブルごと地面に引っ込みまた出てくる繰り返しで時間をつなげ、それがやがて反応しなくなって何が起こるか分からないところでどーん! と来て驚かせる展開は、他愛もないしテーマもないけど動きと仕草に凄みがあって2分数十秒の間目を奪われた。

 迫力のあるアクションばかりがアニメーションの面白さじゃないってことをアクション描写に走りがちな学生アニメーションの人たちも、観て学んで欲しいなあ。なんてことを思って見ていたらいつまでたっても終わらない。「ナディア」に「エヴァ」に「セーラームーン」のウラヌスとネプチューンの変身バンクに「キューティーハニー」以下の実写なども並んで最後に「シン・仮面ライダー」のマスク造型なんかも来る展示は底知れないし奥深い。これで展示が増えていくというのだからたまらない。また言って今度は見逃したところをじっくりと観ていこう。「ポップ・チェイサー」の痕跡がどこかにないかも確かめに。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る