縮刷版2020年9月上旬号


【9月10日】 「ながさとー、ながさとー、永里優季ゲットゴー」ってチャントがまず浮かぶ女子サッカーの永里優季選手が、長い海外でのサッカー選手生活を経て日本へと戻って参加したのが古巣の日テレ・ベレーザはなく、そしてベレーザの選手がよく移籍するINAC神戸レオネッサでもない、神奈川県リーグ2部のはやぶさイレブンであることに吃驚仰天。

 だって普通の社会人リーグのチームだよ。全日本社会人サッカー連盟に加盟している県のリーグで勝ち上がれば1部から地域リーグを経てJFLに上がり、J3というJリーグへとたどり着くことだって可能なチームだよ。そこに女性の選手が加入する。そして男性のサッカー選手たちの中に入ってプレーする。こんなに画期的なことがあるだろうか。こんなに革命的なことがあるだろうか。これは日本のサッカー界、いや日本のスポーツ界において歴史的な出来事だと言える。

 なるほど野球で例えばアイラ・ボーダーズ選手がアメリカの独立リーグに参加しているチームに投手として入団し、男性に混じって女性としては初のプロ野球選手として活動したという例はあるし、日本でも片岡安祐美選手が日本野球連盟に加盟している茨城ゴールデンゴールズで男性の選手たちに混じって投手として投げた事例があったりするけれど、投手という投げる才能に秀でていれば活動はできるポジションであり、また独立リーグやクラブチームといった、頂点から一気通貫したヒエラルキーの中に位置づけられてはいないチームでの活動を、永里選手の事例と重ねて良いか迷うところではある。もちろん偉大な先人たちではあるけれど。

 サッカーの場合は走力からキック力から同じフィールド内でイーブンに扱われるし、ボディコンタクトだってあったりする。同じ男性でもそうした部分で差が出る競技に女性が参加し共に走り、蹴り合い競り合うことが可能かと考えて、小学生とか中学生だったらまだどうにかなっても社会人のチームではやっぱり無理なんじゃないかと誰もが思う。なおかつ日本サッカー協会の下でトップのJリーグから一気通貫したヒエラルキーがあって、そこで勝ち上がっていけば頂点にたどり着けるという道が繋がっていたりする。

 その場所でたったひとりの女性選手として戦う。考えるほどにあり得ないことが起こってしまった。そりゃあ冗談でジェフユナイテッド市原・千葉のゴールキーパーはジェフというクラブチーム全体でもトップクラスに背が高い山根恵里奈選手をレディースからトップチームに上げたら興味深いんじゃないかと言っていたけど、そうしたことが県リーグの2部とはいえ起こってしまったんだからこれはやっぱりすごい。

 チームには兄の永里源気選手がいたりして、フットゴルフには妹の永里亜紗乃選手もいるというから永里一家勢揃いな感じもある。そういう話題も一方におきつつやっぱり選手としてどこまで出来る科興味津々。早ければ9月20日のFC AIVANCE横須賀シティ戦に登場する可能性もありそうだけれど、どうやら無観客試合なので見にはいけそうもない。その日は日テレ・ベレーザとジェフユナイテッド市原・千葉レディースが西が丘で対戦する予定みたいだし、行くのはそっちにしつつ情報を待とう。

 そういえば、アメリカのアカデミー賞では女性の活用も含めてマイノリティへの配慮が足りない映画は、作品賞にノミネートされないって決まりを出して着た。出演者のバランスもあればスタッフのバランスもあって4項目あるうちの2つが満たされていないとダメらしい。さすがにキャスト陣でそうした縛りをガチガチにしてしまうと、意図した映画が撮れなくなってしまう可能性もあるからインターンの部分とか、スタッフの部分でいろいろとマイノリティやら女性やらを織り交ぜてくることになるんだろう。

 そこまでしないと機会の均等が図れないのかって、自由の国で女性の権利も確立していそうなハリウッドに対して思ったりもするけれど、「アグレッシブ烈子」が日本よりも知られて人気になっていたりする国だけに、女性だからといろいろ迷惑を被っていたりする人もいっぱいいたりするんだろう。こうした作法がだったら日本で導入され得るかというと、テレビの現場にも映画の現場にも女性は確かにいたりするけれど、過半かというとそうでもないような気がするし、人種となるとアメリカに比べて日本ではまだまだ日本人が多いから、混ぜろと言われても人材がいるかが問題になりそう。とはいえ世界の潮流となる中で、いろいろと工夫もされていくんだろう。どうなるか。セクハラにパワハラの問題を解決する方が先かなあ。
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【9月9日】 それなりに強かったはずのジェフユナイテッド市原・千葉レディースが今期のなでしこリーグではまだ1勝しかできていなくって、10チームあるうちの8位でちょっと危なっかしい。まだ半分を消化しただけだから後半戦に頑張ればそれなりに浮上もできるんだろうけれど、試合を見ていないだけに何がどう調子が悪いか分からないのでいろいろと不安は残る。13日にホームのフクダ電子アリーナでアルビレックス新潟レディース、20日に味の素フィールド西が丘で日テレベレーザと試合があるから、見に行けたら様子を見たい気もするけれど気力は保つか、時間はあるか。出不精になっていけないなあ。ここは気力を振り絞るか。WEリーグ入りもあるだろうし応援しなくちゃ。

 兄貴分の調子の悪さはなおいっそうな感じで、ジェフユナイテッド市原・千葉はJ2リーグで22チーム中の16位とこちらも中断より下を低迷している。ここのところの4試合で3敗1分だから下降線なのは当然だけれど、それなりに予算もあって選手も揃っていて練習環境は抜群のチームでどうしてこうも勝てないのか。J2暮らしも長引いてすっかり板についた感じ。日本代表がいるようなJ1のチームと長く試合を見ていないと、どれくらい弱いのかもちょっと計れなくなっている。ってJ2でこの体たらくだからJ1に上がってもすぐにまた逆戻りかなあ。どうしたものか。天皇杯ってもう始まっているんだっけ。いずれにしてもKAPPAであり続ける以上は浮上しない気がしてる。どうして変えないんだろうなあ。

 電気グルーヴがピエール瀧さんの薬物事件での逮捕から、ようやく新曲を出したみたいで「Set you Free」って楽曲がミュージックビデオと共に公開されていた。聞いた印象は「虹」みたい、っていうかこういうアンビエンドがかった電気の楽曲は「虹」しか知らないのだから何とも言えない。なぜ「虹」は知っているかは「交響詩篇エウレカセブン」のお陰だと言っておこう。そういう人って多いかも。電気グルーヴといえば昔、桑島由一さんにインタビューした時「電気グルーヴ」を略す時はは「電グル」ではなくて「電気」だと教えられたことを思い出した。そういうものか。作家から音楽プロデューサーになっているみたな桑島さん。また文学に戻ってこないかな。

 池袋駅のちょい北にまた高層ビルが建てられると思ったら、新宿駅の西口でも西新宿ではに小田急百貨店のところに、260メートルもの高層ビルが建てられることになったとか。界隈で1番高い東京都庁すら上回るその建物が、西側から見る新宿の風景をがらりと変えてしまいそうだし、地下のあのかつて集会なんかが開かれていて、今は人通りが激しい新宿西口の雰囲気も変えてしまいそう。昭和が残る雰囲気がこれでまたひとつ、消えることになる。そういえばメトロ食堂が閉まるみたいだけれど、そうした再開発の流れに乗ったものなのだろうか。京王百貨店は乗ってくるんだろうか。小田急だけ建て替えて京王がそのままじゃあバランスも悪いから、タカシマヤのツインタワーが建ち、JRゲートタワーも建っていった名古屋駅前のようになるのかな。

 引っ張っていた議事録を10日ほどかけてとりあえずまとめ、続いて近所のフレッシュネスバーガーに入り浸って締め切りが来た週刊の書評仕事をどうにか終わらせたので、Netflixで見ている新作アニメの最新エピソードなんかを消化する。「デカダンス」はアバター的な肉体を取り戻したカブラギがナツメを誘ってガドルの工場へと乗り込んでは、迫るフギンをどうにか退けガドルを全滅させるスイッチをポチっとな。でもそれってペットにしていたダメおやじ、ではなくってパイプも消滅させることにはならないか。出かける時にお別れみたいにいっぱいごはんをあげていたのは、そうなることをカブラギがしてて板からだけど、知ったらナツメが悲しみそう。というより世界の秘密を知ってどう反応するか。興味津々。

 サイボーグたちが本体に戻ったシーンがサイバーな設定にかかわらずカートゥーン的で、ナツメたちタンカー、すなわち人間のシーンは等身が普通なのは同じ地続きの世界観にしては偉い違いな気がする。だったらサイボーグたちのシーンは電脳空間で、ナツメたちのシーンはリアルワールドかというとフギンが現れバグを始末しチップを抜き取るシーンはある訳で、シームレスに繋がってた世界といった感じ。それであの絵柄の違いはメリハリを付けるためなんだろう。冒険だったなあ。その効果は出ている。サイボーグたちの生き死にに悲壮感があまりないから。そうした軽さとリアルの重さの対比が、混ざり合った先でどんな絵柄になっていくのか。第3の絵柄が出て来たら面白いけれど。

 「Re:ゼロから始める異世界生活」は魔女のエキドナとスバルの邂逅とかあって少しずつ進んでいる感じ。エルザの襲来をどう撃退するか、記憶も存在も奪われたレムに復活の目はあるかなど、課題もいっぱいあるしレムに関しては先行する原作から先は厳しそうだけれど、そんな苦況を幾度となく死に戻っては突破してきたスバルだから、いずれどうにかするんだろう。先は長いが気は抜けない。「食戟のソーマ」は幸平創真と才波朝陽とのバトルがいよいよスタート。5大料理をまとめた皿ってどんなんだ。スパゲティをラーメンで作りつつバターソースでカレー粉をまぶし羊肉といっしょにケバブとしたようなもの? 美味いのかそれ? まあきっと突拍子もないものを見せてくれるんだろう。見守りたい。


【9月8日】 ほおおおお。フジテレビ頑張った。10月に公開となる劇場版「鬼滅の刃 無限列車」に合わせて地上波で、それも土曜日のゴールデンタイムにエピソードの一部を2週にわたって放送することになった。話題性も抜群のプログラムを手にできて、タイミングもバッチリで高い視聴率は期待できそう。Netflixでいつでも見られる番組だとはいえ、そして放送されるのは1部だとはいえ、全国ネットで全国民が一斉に見られるというのは話題性も抜群でフジテレビの名ともども高まりそう。スポンサーだっていっぱいついてお金だって儲けられる。頑張って番組をとって来た編成はそれこそ社長賞ものだろう。

 一方で番組を企画して制作する機能としてのテレビ局にとっては恥辱的で敗北感もたっぷり浴びそうな事態。土曜日のゴールデンタイムだなんてどれだけでもお金をかけられる時間帯に、自分たちの企画を出して注目を浴びて次につなげたいプロデューサーだってディレクターだっていただろう。そう思わなければテレビマンではないとすら言えるにもかかわらず、余所で作られた番組をもって来られてハメられた。悔しいだろうし恥ずかしいだろうなあ。自分たちの作る番組はアニメーションの企画会社が手がけてTOKYO MXで放送されたテレビアニメに叶わないって突きつけられたのも同然だから。

 Netflixが最初は番組を掻き集めてプラットフォームとしての存在感を高めていった先で、オリジナルのプログラムを作ってクリエイターたちにやりたいことをやらせて、より存在感を強くしていったのとは反対に、オリジナルの企画で人気を高めていったテレビ局が、そうやって得た存在感で既にある企画を引っ張って来て放送するプラットフォームと化す。逆の動きをたどっているのが今のこの、テレビと配信の逆転的な状況を示していると言えるのかもしれない。それともここから新しい時代を作っていくんだろうか。

 しかしフジテレビだってアニメに力を入れていない訳ではないのに、自分たちで育てた「PSYCHO−PASS サイコパス」の劇場版が公開されるタイミングで、テレビシリーズをゴールデンに放送することなんて一切しなかった。せいぜいが「ONE PIECE」の特番アニメを作るくらい。それだけ「鬼滅の刃」が凄いってことでもあるけれど、自分たちで育てていく努力をしないと未来がないってことに気付かないあたり、やっぱり将来を捨てているような気がしないでもない。これで特番で叶姉妹がコスプレして登場したりしたら、フジテレビらしいんだけれど。どうだろう。

 伊勢谷友介さんといえば映画「ワンダフルライフ」に登場してそのイケメンぶりを見せてくれたのが最初くらいの出会いだったけれど、東京藝大を出てモデルだとか俳優だとかをやっていたりといった経歴から、眉目秀麗にして才知にもあふれたカッコいいけどちょっぴりいけ好かない人だという印象がしばらくあった。それがちょっと変わったのがリバースプロジェクトという、環境を考えたアイテムづくりを行うプロジェクトを立ち上げたという話を聞いたあたりで、廃材なんかを再利用したファッションアイテムを作ったり、そうしたアイテムを集めたセレクトショップを作ったりしていて、なかなか結構やる人じゃんといった印象を持つようになった。

 俳優としても吹っ切れたのか「翔んで埼玉」でおもしろ半島千葉と言いながら満面の笑いを浮かべたヤバいイケメンぶりを発揮して、性格俳優っぽさを見せてこれからぐんぐんと出ていくような印象を与えてくれていたところにこの大麻取締法違反容疑での逮捕。現物が見つかったのなら容疑ではないとして、あとは初犯で微量なら不起訴なり処分保留となって前科はつかないか、それとも有罪となって執行猶予がつくかといったあたりで今後の活動にも違いなんかが出てきそう。いずれにしても決まっている仕事はしばらく自粛。社会貢献性が見られるリバースプロジェクトについては、代表を離れることになるのかそれはそれでナチュラルなヘンプのアイテムを出していく方向になるのか。大変だなあいろいろと。

 「放課後ていぼう日誌」は魚釣りに関していろいろと指導もしてくれるアニメだけれど今回は、釣り人が捨てた糸がアオサギに絡まって怪我を負わせたりする状況をアニメの中で指摘して、見ればしっかりルールを守って釣りをしようって気にさせられる。それでいて見ていて楽しいところが嬉しいアニメ。もっと売れてくれれば良いんだけれど。前半では顧問のさやかちゃんがいつも笑って瞑っている目を開いていて、それがちょっと怖かった。ああいう目もできる人なんだなあ。そしてライフセイバーとしての水着姿もなかなか良かった。でもやっぱり推しは大野先輩。大きいし眼鏡だけれど寡黙で可愛らしい。実写化したら演じられるのは誰かなあ。考えたい。


【9月7日】 もはや総理大臣扱いだねえ、新聞は菅義偉官房長官を。インタビューをしてはデジタル庁を作ると言わせたり派閥の要望には応じないと答えさせたり。おなじ事を例えば岸田さんとか石破さんにも行っているかというと、扱いは小さく本気度も足りてない。現実として自民党が次の相殺に菅官房長官を選べば、それが総理大臣に選ばれることになるのは既定路線だけれど、日本の首長がそうやって派閥の論理、党のご意向によって決定されるというこの雁字搦めの状況に、メディアが違和感を差し挟まないのがどうにも歯がゆく気持ち悪い。それが日本の間接民主制だからと言われても、認めたくはない状況。どうにかならないものかなあ。かといって直接民主制でトランプ大統領が選ばれる状況も困るんだけれどなあ。

 歯医者に寄ってからフレッシュネスバーガーでネット会見を聞いて記事に。会場前まで行かずに済み会場前に並ばずに済み最前列で写真を撮らずに済み質疑応答でしゃべらなくて済み終わったらその場で原稿を書いて出して帰って寝られるところが近未来。生でえらい人とか有名な人とかに会えないのは寂しいけれど会えてどうというものでもないからなあ。こうやって人は怠惰になり記事はコタツから生まれていくことになる。

 そんなNetflixの日本ローンチ5周年会見で興味深かった事。ドラマ「今際の国のアリス」を監督する佐藤信介さんが「Netflixのプログラムはデータを取られていてそのデータに基づいて作品の企画やキャスト選びが行われると言われているが、そういう話し合いはなかった」と話していた。マーケティングというよりは、何か違った力学が働く民放TVドラマと違う感じ。

 「どうしたら人々が面白い物が作れるか。どうやればさらに次が観たいという気持ちにさせられるかというエンタテインメントの神髄を話し合った」と佐藤信介監督。「気分としては自由な気持ちで作れた。本当に面白いものはなにかと考え続けられた」。いろいろと余計なしがらみから解放され、自由に作れる嬉しさが感じられる言葉だった。

 「余計なことは考えない。ここで恋愛要素を入れようとか考えず、面白くするために必要なことを入れようとだけ考えた」とも話していた佐藤信介監督。テレビ局のプロデューサーがギョーカイ的な感性でグッとラブシーンいれちゃってサトウチャンと呼び掛けるのを苦々しく感じるような構図がちょっと見えた。

 そこに事務所的な力学が作用してのキャスティング面での横やりも入らず、スポンサーに配慮した代理店的宣伝的編成的思惑が入る余地も小さそう。もちろんマーケティングとは違う意味での今求められているものに答える感性って奴は必要。そこをしっかり持ったクリエイターと、それを支援するプラットフォームとしてのNetflixがあって、ダイレクトにそれらを視聴できる視聴者がいるという状況があらためて浮かび上がってきたNetflix日本ローンチ5周年会見だった。日本のTV局も何かの顔色をうかがい忖度していちゃ拙いってことになるんだろうなあ。

 ホームレスという社会の端っこでどうにか生きている人たちがメインの「東京ゴッドファーザーズ」を今見て、なかなか前のようにはなって来ないメンタルに、ちょうど去年の今頃見て追い打ちをかけた「ジョーカー」のようなバックフラッシュが、襲って来ないかと不安もあったけれども、ホームレスという社会の端っこでも楽し気に、虚勢であっても気を張って生きている人たちがいるんだから、住む部屋も稼げる手段もある今のこの身なんて極楽じゃないかと逆に思えて気楽になった柏のキネマ旬報シアター。

 相変わらずあまりにハマり過ぎている展開は、あざとくもありつつストレスを感じさせずにラストまで連れて行ってくれるところがすごいというか、素晴らしいというか。ハリウッドの良質な映画を見ているような気にさせてくれる。ハリウッドだったら高いお金で長い期間をかけて練るシナリオを、日本で完成させてしまった今敏さんと信本敬子さんに拍手。これは「PERFECT BLUE」にも「千年女優」にも「パプリカ』」にだって言えることだけれど、今敏監督作品の絵ではない方の肝であり、日本の映画に必要なものだって気が改めてした。

 見て思ったのは人の動きの自然さと、背景のリアルさって奴で動きについては走っても転んでも立っていてすらピタリと決まる。人間っぽく見えるけど人間が演じてはそうはいかない雰囲気って奴が立ち上る。それでいて表情はどこまでもオーバーで泣き顔笑い顔怒り顔のいずれも人間が演じては絶対に出ない。いやジム・キャリーだったら出せるかな。それくらいのオーバーさと演じる声の演技巧者ぶりが、あざとくも優しい奇跡の物語にあり得ないと思わせながらもあって欲しいと感じさせて引きずり込む。

 そんなアニメーションならではのオーバー気味な展開が、あのリアルな背景で浮き上がらないのがすごいというか、どういうバランスなんだろうかと考えてみたくなる。新海誠監督の背景のリアルさとはまた違ったニュアンスでバランス。同じことを実際の街並みでロケーションして実際の俳優で撮ったとして、同じような映画になるんだろうかと考える。なるんだろうか。やっぱり違うんだろうなあ、赤ん坊はもっと生々しくてホームレスはもっと見すぼらしくて雪景色はもっと寒々しい。それを感じさせない絵がもつリアルとバーチャルの曖昧さ。だからこそ成り立つ物語なのかもしれないなあ。


【9月6日】 NHK広島放送局が手がけた「ひろしまタイムライン」で小学生のシュン君の日記を現代に甦らせたツイートが大炎上した件で、元になった日記を書いた人がそんなはずじゃなかったといった回答を朝日新聞に寄せていた。日記には書いてないし手記にも書いてはあったけれども「奴」といったような言葉は使っていないと話してて、だったらどうして日記がああした口調になってしまったか、それは代筆した小学生がそういう風に書いたからってことになる。

 そうした乱暴な言葉が差別的だと糾弾されてしまったことで、日記の主に迷惑がかかったことはさておいて、差別的だと言われてしまうとNHKの側が想定していなかったのがひとつ、問題になって来そう。分からなかったんだろうか。そしてもうひとつ、そうした乱暴な言葉をNHKが何も校正せずに使ったのだとしたら、書いた子ども達の間にそうした乱暴な言葉をぶつけて良いんだっていう意識が、漂っているってことになる。こっちの方がむしろ怖い。

 子どもだから差別なんてまだ分からないとも言えそうだけれど、特定した相手を「奴」と言って良いか悪いかくらいの判断くらいは付きそう。それでも言ってしまえる心理がじわじわと広がっているのだとしたら、これは将来がちょっと怖い。だからこそNHKには現場でそうした意識に対してのサジェスチョンをして欲しかった。それともNHKの中にそうした意識があって、改正できなかったのか。日記の主の発言自体にそうした意識はなかったと言えるのか。そのあたりをもうちょっと、説明して欲しい気がする。まあしないんだろうけれど。

 巨大な台風が九州から朝鮮半島へと向かっていて、ただでさせ雨が多かった九州とかとても大変そう。何が出来ることもまったくないからご無事でと祈るしかないんだけれど、風速70メートルだなんて風が吹いたら何が起こるのか、分からないだけに現地の人には祈るより逃げることを優先していただきたい。北朝鮮も抜ける可能性があるから、大変な被害が出てその欠損を取り戻すために何か良からぬ計画を推進するんじゃないかといった不安も浮かぶ。電子機器がぶっとんで核ミサイルが発射されるなんてことはまさかないだろうけど、SFだとあったりするからなあ。どうなることか。

 やっぱりポン酢しかいないのか自民党。前の五輪相だった鈴木俊一総務会長が、テレビの番組で来年の夏に開かれることに一応はなっている東京オリンピック・パラリンピックについて、「新型コロナウイルス感染拡大により一部の国が不参加となっても開催は可能といった考えを示したらしい。その理由が、「冷戦下の1980年モスクワでは西側諸国が、84年のロサンゼルスでは東側諸国がボイコットした前例がある」からだとか。いやいや、ボイコットは国が参加するかどうかを自分たちの意思として決定した訳で、新型コロナウイルス感染症の影響で参加したくても出来ないのとは事情が違うだろう。

 そうした国々への残念な意識をまるで組まずに「コロナで十数カ国が参加できなくても、数の上から言えば成立するのではないか」となんて言っちゃうのは、参加国に対する非礼で非道な仕打ちだろう。それよりやっぱり十数カ国が参加できなくなるってことはなく、すべての国が参加しづらい状況に陥るのが国境など気にしないパンデミックの特質。それを分かっているのか分かっていないのか、ボイコットと同じように語ってしまえる時点で、事の大変さを分かってないって現れだろう。そんな自民党が政権を維持していく未来。世界は日本を見捨てないでいてくれるのか。

 新刊が出た遠藤達哉さんの「SPY×FAMILY 4」は幕間的でど派手なアクションがない代わりに、ヨルが頑張って料理を上手くなろうと頑張る姿がなかなか健気で可愛らしい。それが愛情とかではなく、捕まって自分の本当の仕事がバレてしまうのが怖いだけだとしても、慣れないことに懸命になる姿は見ていていろいろと励みになる。とはいえ作ると毒物になってしまうその料理。ナイフの扱いは得意で人肉だったら完璧にバラせるだろう腕前なのに料理はできないものなのか。

 アーニャが赤点をとるのを阻止しようとロイドが学校にしのび込んだところに、ダミアンの成績をいじろうとしていたスパイが忍び込んでいたエピソードも本筋とはあまり関係なさそうだけれど、あれでなかなか良い成績をとっているダミアンをちょっと見直した。アーニャに対していじめとかせず堂々としているし。そんな幕間的なエピソードを挟んでロイドの同僚にして夜帷のコードネームを持つフィオナがヨルを邪魔にしていて自分が正妻の座に納まろうとしているエピソードがスタート。アーニャが心を読んだ時に見えたその全身全霊を込めてロイドを「すき」と思う気持ちの迫力には、アーニャならずとも圧倒されそう。とはいえロイドは気付いていないんだろうなあ。あれでそっち方面は朴念仁だから。続く展開が迫力のエピソードになってくれることを期待。マンガ大賞にも近い作品だし。


【9月5日】 20万部突破は2014年のサッカーW杯を特集した時以来で、近い部数でも日本で行われたラグビーのW杯を特集した時くらいだから、スポーツグラフィック誌であるNumberの1010号「藤井聡太と将棋の天才」で特集された将棋は、サッカーやラグビーに匹敵するスポーツってことになる。いやスポーツじゃないだろうって意見もありそうだけれど、いちおうは頭脳スポーツとして語られることもあるから大丈夫。これまで取り上げられなかったのは藤井聡太二冠ほども一般に知られて興味を持たれるスターがいなかったからってだけだろう。

 本当だったらオリンピックを挟んで大盛り上がりだったはずのスポーツグラフィック誌が売り上げの核をお預けされ、そして新型コロナウイルス感染症の拡大防止を目指したスポーツの自粛で野球もサッカーもすべてが縮小となって雑誌を満たすだけのネタに乏しくなっていた。かつては何度か取り上げられていたF1も最近はとんとお見限り。日本人ドライバーがおらずスターと呼ばれるドライバーもルイス・ハミルトンくらいしか知られていないような状況で、10万部とかを売る誌面が作れるとは思えない。

 そうこうしているうちにホンダエンジンを搭載して一時代を気づいたウィリアムズが株式を売り払ってウィリアムズ家のものではなくなるといった話も浮上。開発費用もかかる状況で家業として行うのは大変だって状況もあるんだろうけれど、一方で貴族のスポーツ的な立ち位置でそうした伝統ある家業も運営できていたものが、世界的なパラダイムシフトの中で競技として価値を下げ、結果として投資対象としても価値を下げていろいろと厳しくなっていたんだろう。

 そうした時代にあって、売れるスポーツになって来た感じも見える将棋だけれど、藤井聡太二冠に偏りすぎていて他の棋士ではやっぱり売り上げは伸ばせそうにない。だから藤井二冠の名人位奪取が業界的には大きなセールスポイントになっていきそう。それには3年はかかるのが難点か。飛び級なんて認められるシステムではないからなあ。どこかそんな藤井二冠のために賞金1億円とかのタイトルを創設するなら別だけど。あとは羽生善治九段がタイトル100期を成し遂げるか、くらいか。それもパンチは弱そう。やっぱり来たれ女子小学生プロ棋士か。

 Lenovoのx280で使っていた純正ACアダプタの調子が悪く、出先でUSB TYPE−Cのコネクタに接続しても充電が始まらない状況が繰り返して起こって難儀する。USB TYPE−Cというコネクタの構造なのか、転んだりPCを落下させたりした際に歪んでしまってうまく通電しないくなってしまう。予備で買っておいたACアダプタも同様の症状が出てまったく繋がらなくなっていて、手持ちの1つが止まるとPCが死んで目下の議事録作成作業が滞るので、よっこらしょと秋葉原まで出かけてジャンク屋でLenovoのACアダプタを探したけれど、TYPE−Cのものは出回っておらずちょっと焦る。

 とはいえLenovoに限らずTYPE−Cから電源をとれるようになっているPCが、Mac Bookほか出回り始めているのだから、何か方法があるだろうと思い至ってヨドバシアキバに言ってACアダプタをいろいろ探して、パワーデリバリー対応のUSB YPE−Cからの充電が可能な60WくらいのACアダプタを見つけ、これとTYPE−C⇔TYPE−Cのケーブルで結べばあるいはと考え購入。戻って試して通電したのでまずは一安心。この土日にどうにか仕上げようと決意する。決意しただけだけど。

 しかし秋葉原、メイドさんの客引きが多くなったというか、ラジオセンター前の道路を総武線に沿って歩くと道の中央に感覚を開けて立っていて、そして九十九電機からコトブキヤへと向かう通りにわんさかといてお客さんを引いている。その延長で末広町まで続く裏通り、キッチンジロー前から北へと延びる道路にもやっぱりいっぱい立っていて、声をかけてくるんだけれどそれでいったいどこに連れて行かれるのやら。

 中央通り沿いの歩道にもやっぱりいっぱいいたりして、とても美少女とかとてもスレンダーとか目にも可愛い子もいたりする状況にいったいこれは何が起こっているんだと思ったりもする。そもそもどういう店なのか。普通にメイド喫茶なのか違う系統の店なのか。入る気もないしお金も乏しいのでスルーだけれど、時々みかける芸能人クラスのルックスの子とかスカウトされず芸能活動もしないで何をしているのか、ちょっと気になった。メイドの客引きは増えキッチンジローは閉店前に行列ができてクレーンゲームは「鬼滅の刃:のプライズがわんさか。今はそんな秋葉原でした。

 朝日新聞がウイングを広げて伝統的な家族間から離れているといって稲田朋美議員を持ち上げている感じがまたしてもするけれど、そうした記事を通じて、女性が首相になる可能性をしょっぱなから潰してくる自由民主党の総裁選びについて、憤りを表明している稲田議員の動静を伝えていく中から、問題意識が浮かび上がってそうした可能性へと近づくことがあるか。あれば面白いんだけれど、現実において派閥が推しを決めたらそれに従わざるを得ない政党政治における国会議員たちの立場が、これからも永劫に近い期間を日本から女性首相の誕生を遠ざけそう。

 あるとしたら自民党が政権を維持できないくらいの議員数になり、連立なり政権交代なりが起こった時に推され立てられるなり、率いて立つことがあるかだろう。その場合は自民党の女性議員ではなく連立先の誰かだったり、率いる女性リーダーだったりするからやっぱり稲田議員にも、野田議員にも出番は回って来ないってことになる。むしろだから小池百合子東京都知事の方が立場的になりやすいって印象。今後稲田議員なり野田議員が党内において派閥を率いるぐらいになれば別だけれど、それこそ可能性が見えないからなあ。永劫にメルケルも蔡英文もサッチャーですらも日本からは登場しないのでありましょう。


【9月4日】 「響〜小説家になる方法〜」の柳本光晴さんによる新作漫画「龍と苺」の最新刊が出たので感想を書く。中学生の女子がクラスメートの男子をいきなり殴り倒したり、校舎から飛び降りようとしたりといった突飛な行動をし、そして将棋に挑んで天才を発揮するところは「響」と共通したフォーマットだけれど、年少の天才が体制に挑んで突破し壁を破壊するような展開、それ事態の面白さに加えて「龍と苺」の場合は将棋という場において女性がおかれているなかなかに大変な状況が、くっきりと指摘されているところが「響」とは違った意味を持ちそう。

 つまりは偏見。女性は将棋が弱いといった見方から、バカにされ続けている描写が重ねられている。いくら何でもここまではと思わないでもないけれど、こちらは女流棋士が登場する「永世乙女の戦い方」では奨励会二段で戦う女性の棋士から女流棋士がコンパニオン呼ばわりされていて、そういう目を浴びる場所にいたってことが伺える。「りゅうおうのおしごと!」でも釈迦堂里奈というエターナルクイーンが女流四段の棋士が誕生し、女性が弱くないと認めて貰えるならカテゴリー分けされている女流棋士制度なんてなくなっても構わないと訴える。女性のプロ棋士が1人も出ていない状況が生む偏見を、突破するだけの活躍を苺が見せてくれること。そこがだから「龍と苺」の読み所なんだと思いたい。「響」のコピーなんかじゃ絶対にないぞ。

 早くもないけれども起きだしてTOHOシネマズ新宿で初回の映画「Reframe THEATER EXPERIENCE with you 」を見る。2019年10月に渋谷公会堂ことLINE CUBE SHIBUYAで開かれたPerfumeのライブを収録した映像だけど、東京ドームとか開かれるライブとは違ってライゾマティクスがばりばり関わってPerfumeをひとつの素材としたメディアアート的なインスタレーションになっているといった感じだった。
B  あーちゃんとかしゆかとのっちが並んで歌って踊るところはライブだけれど、背景に投影される過去からの写真だった映像だったりがグラフィカルにデザインされててコンピュータのモニターを見ているよう。いろいろと動くグラフだとかノイズなんかもただ適当に出しているだけじゃないんだろう。ライゾマティクスのことだからライフログだか過去からの蓄積だかを可視化でもして投影しているんじゃないかと想像した。ここはUDキャストで真鍋大度さんの解説を聞いた方が良いかもしれないんでまた行こう。

 衣装もトーガのように垂れ下がっている感じで両足がにょっきりと見えることはないのが残念というか。片方だけでも見えているならそれは嬉しいんだけれど、でもやっぱりヒールをはいてもしっかり両足でステップを踏むPerfumeを大きなスクリーンで観たかった。ふつうのライブを映画館で上映するようなイベントだったらなあ。そういえば昔、アメリカでのライブを日本の映画館に中継するイベントを見たんだっけ。あの時もライゾマティスクが絡んでたっけどうだっけ。

 サウスバイサウスウエストで見せたような3人のスキャンデータをコンピュータの仮想空間に再現してはリアルとバーチャルを行き来させるような演出はなく、リアルで踊っている3人の背後だとか、周囲を行き交うプレートにシルエットの形で映してみせていた程度。背後からスポットをあてて影を投影しているだけって思われたかもしれない。まさかそういうことはないだろうね。どうだろう。とてつもなく巨大なボードに映し出していたNHKホールでのPerfumeとライゾマティスクの公演よりは小ぢんまりとはしていた。

 その分、Perfumeの結成から20年でメジャーデビュー15年を振り返るような演出はあった。過去の楽曲だか公演のタイトルをいいながらポーズをとるとか。追いかけて来た人が見れば懐かしいところもあったかもしれない。衣装では中間に出て来たものがわりと胸元がタイトでのっちとか大きいなあと思えたのが良かった。あとスクリーンに大きく映し出された肢体を下からあおる関係で、足とかグッと迫ってくる感じがあったのも嬉しかった。ライブで最前列で見たってここまで大きなあーちゃんやのっちやかしゆかには出会えないから。だからこそ普通のライブを上映して欲しい気も。

 最後は3人はそれぞれご挨拶してあーちゃんが泣いてそして終了。渋谷公会堂とは言ってもLINE CUBE SHIBUYAとは言わなかったのは個人的には楽しかったかも。ってかYahoo!と合併して名前はどうなってしまうんだろう。まさかpaypayホールになったりして。球場じゃないんだから。

 何かのためのメモ。2011年8月3日にユーフォーテーブルカフェで開かれた「住めば都のコスモス荘 すっとこ大戦ドッコイダー」のDVD−BOX発売を記念してのトークイベントをのぞいた記録を引っ張り出す。「昔の日記を読み返したら、やっぱりどの話数でも褒めあげていてそして2003年の上半期では『LAST EXILE』に並んで第1位のアニメだったって結んでた」と「ドッコイダー」が凄いアニメだったことを振り返り、「なるほど分かる。それは分かる。『LAST EXILE』はやや最終回でキャラが不思議な展開になったりもしたけど、それでも雰囲気とクオリティだけはラストまで維持していってくれた。一方の『スットコ大戦ドッコイダー」は毎話が超クオリティ。実験的えでもあれば映画的でもあってそして楽しく面白かった」と讃えている。

 そんな「ドッコイダー」がDVDボックスになって次はブルーレイディスクだと思ったものの、トークイベントに集まった人数は、当時のツイートによればたったの9人だった模様。「1人で1000個も買えば1万セットは……ってうーんやっぱり今はまだ知名度的にはこれくらいか」とボヤいたのも分かる。今だったら近藤光さんが出てくるってだけで違う意味でいろいろ騒がれそうだけれど、作品の知名度的にはやっぱりまだまだだなんだろうなあ。それでも「空の境界」を作り「鬼滅の刃」も作った会社。その原典としてここで盛り上がってくれれば嬉しいから、やっぱりブルーレイディスクを目指して欲しい。お金ならあるんだろうし。


【9月3日】 藻野多摩耗夫さんの「さいはての終末ガールズパッカー」(電撃文庫)が百合でSFだった。太陽が寿命を迎え寒冷化する地球で、寒村に暮らしていたレミという名の少女が亡くなった母親を埋めにいった場所で自動人形を掘り当てる。ゼンマイを巻いたら復活した自動人形はリーナという名で、片方の腕が動かない故障があって記憶も飛んではいたけれど、とりあえず動いてはいた。そんなある時、ラジオから東に楽園があるからおいでよといった声が流れて来た。

 失われた技術なのにラジオに音声を乗せられるなら、リーナも治せると思ったレミは、祖父が亡くなったのをきっかけにムラを出て楽園らしいその場所に向かってルート66を歩き始める。途中、人が来なくなったホテルで客を待つスロットマシン型フロントロボに出会い、何かを運ぶ女性ドライバーにも出会った先、稼動するエネルギー源をだましだまし使って集落を維持する人々もいて、ロボットたちは主人を失い壊れていき、人間は残るエネルギーを使い懸命に生きている様が描かれる。

 そんな出会いを経てたどり着いた楽園「エリシオン」で人間のレミと自動人形のリーナは世界の有様を知る。人類がどうなっているのか。そして自動人形たちは何を望んでいるのか。そんな物語は漫画の「少女終末旅行」的だけど、レミにはリーナを直すという目的があり、リーナもかつて失った愛しい人の思い出を繋げたいとの願いがある。だから前向きな2人の姿に、頑張ろうという気にさせられる。そんな2人の今の思いとは別に過去に起こった悲劇も綴られリーナの数奇な運命が明かされる。2度までも繰り返すのか、それとも。滅びの運命は変えられなくても、残る時間の過ごし方に希望を見たい物語。人間よ頑張れ。生きているそこが楽園だ。

 日付が変わったのと同時にkindleで買って読んだスポーツグラフィック誌「Number」の1010号は何と将棋特集。昔から頭脳スポーツとも呼ばれている将棋だからこうしてスポーツ誌が取り上げても不思議はないと言えば言えるけれど、あの羽生善治九段の七冠制覇の時ですら、特集は組まなかったから今回の特集の特別ぶりがうかがえる。

 とはいえそこはNumberだけあって記事がだいたいNumber調というか、野球でもサッカーでも技術解説なり戦術解説といったものではなく、プレイヤーの人間ドラマがメインになっている感じ。金子達仁さんが中田英寿選手を中心にアトランタ五輪での五輪代表がどう崩壊したかを描いたような。だから読んで藤井聡太二冠のどこがすごいとか、棋聖戦で渡辺明名人を相手にどれだけすごい手を打ったとか、王位戦で木村一基九段を相手にどれだけ圧倒したかは読んですぐには分からない。とはいえ渡辺名人が失冠した夜に東京へと戻ることになったら、岐路にインタビューを受けて欲しいと前日に親しい記者にLineでコンタクトを取った話は面白かった。

 どこまでも冷静で客観的に自分を見られる棋士だとはいえ、タイトルを失うことを前提にして失ったその夜に記者を帯同して心情を吐露すると言える棋士がいったいどれだけいるのだろう。人となりが分かる記事だった。あと藤井二冠がとてつもなく強い上に発想がぶっとんでいて、現時点において最強と目される渡辺名人ですら唖然とするところがあるというのも分かった。やっぱりすごいんだなあ、藤井二冠。そんな藤井二冠が得意とする矢倉が今、どういう状況にあるかの解説は勉強になるかも。桂がさっさと跳ねていく傾向にあるため銀を上げて矢倉を組むことが少なくなっているんだとか。それも時代か。

 森下卓九段が名人だった羽生善治九段に挑戦した時のエピソードなんかも書かれてあって、その日に電話する必要があって局面はすでに終盤で自分が羽生九段を追い詰めていてどうしてそこで投げないんだとイライラしていた森下九段。名人なのにみっともないとすら思っていたようだけれど、そんな心境から放った緩い手を見逃さず羽生九段は攻め手を外して逆転に出てそして勝利してしまったというからやっぱり凄い。盤面に集中していれば勝てたかもしれない森下九段は1勝4敗で敗退し、結局今にいたるまで1度もタイトルをとれずにいる。ここぞという時の集中力の違い、執念の差というやつが出たんだろう。

 そんな先人たちをも驚かせるのだから藤井二冠のやっぱりとてつもない棋士であることよ。そんな藤井二冠を生んだ東海の板谷一門に関する記事もあって名古屋出身として面白かった。まずは板谷四郎九段がいて石田和雄九段なんかを輩出しつつ息子の板谷進九段を送り出し、その進九段の門下として小林健二九段や杉本昌隆八段が出てそんな杉本八段の下から藤井二冠が出たという系譜。東海にタイトルをという願いをずっと抱き、名古屋に同情を開き研修会も営みいつかは将棋会館もと思いながらも進九段は若くして亡くなってしまう。

 そして四郎九段も亡くなってしばらく。かなわぬ悲願がようやくかなった板谷一門の喜びを、ちゃんと拾っているところがそれなりに分かった人が編集していると思ったのだった。いつかはそんな藤井二冠の門下から、さらにすさまじい棋力を持った小学生女子が出てくる……なんてことはさすがにないか、それも2人もとか。

 毎日新聞に続いて朝日新聞沙汰にもなっていたキッチンジローの2店舗を残した一斉閉店。神保町に寄ったりした時に三省堂から近い、神保町シアターの向かいくらいにあった店を割と使って2品盛りとか食べていたし、東京ビッグサイトでのイベントを取材した帰りにゆりかもめで新橋まで戻ってきた時に、ニュー新橋ビルの地下にあるキッチンジローに時々入って食べていた。決して安いとは思わないけれども適度な値段で適度なボリュームを味わえるところと、適度なチェーン店として味もメニューもだいたいわかるところが良かった。

 ほかだと秋葉原の店かなあ。旧日通で今はベルサール秋葉原の裏にある店で食べていたっけ。いつも混んでいるけれど、時折カウンターが空いていると飛び込んでいた。そんな安定と安心の店であってもこの状況ではお客さんが入らず、売上が減ってしまって店を占めざるを得ない状況になってしまった。普段だったら神保町界隈はオフィスもあるし学生さんだっていてにぎわっていただろうし、秋葉原だって東京オリンピックとかがあって海外からわんさか人が来る中で、しっかりと売り上げを維持していただろう。それが全部吹っ飛んで、なおかつ回復の見通しがまるで立たないとなると、戦線を縮小せざるを得ないんだろう。


【9月2日】 報道番組ならやらせは厳禁だけど、情報番組なら演出で認められるかというと難しいのは最近は、報道番組のようで新製品とか新サービスを扱う情報番組のようなことをやったり、逆に情報番組であるにも関わらず政治だとか社会といったネタを流していたりするからで、どっちがどっちと切り分けが難しいならここは基本として仕込みだとかやらせは極力廃する方向でいくのが筋なんだろうけれど、それをやっては番組が予定通りに仕上がらないという心配から、仕込んでうまく撮れるように誘導してしまったのだろう。

 それが、テレビ朝日のスーパーJチャンネルで起こった、業務用スーパーの紹介で登場した人がディレクターの教える俳優学校の生徒だったという一件。ただ知人でも一般人に頼んで日頃は行かない業務用スーパーに買い物に行ってもらうんだったらまだしも、俳優を使うのは完全に演技であってフィクションであって、やらせなんてものを超えるヤバさを含む。たとえ情報番組であっても街で出会った人に演技をつけるとか、コメントを用意するといった仕込みだったらまだ予想の範囲内にあるものが、完全にドラマの世界に入って情報番組ですらなくなっている。

 これにはBPOも演出の範囲内とは言えずテレビ朝日に対して放送倫理違反だったと結論づけざるを得なかった。だったらどうなるかというとドラマがやっぱり台本ありのバラエティーに戻るくらいだろうというのが、今のテレビ番組事情といった感じ。時間をたっぷりとかけてロケして断られながらも多くの人にあたって出演してくれる人を見つけ出し、なおかつ有意な回答を引き出すような手間を予算的にも日程的にもかけていられない状況で、確実に撮れ高を上げるには多少の演出とそして事前打ち合わせという名の仕込みは避けられない。そうやって早く安く質はそこそこの番組を量産しないと、プロダクションもテレビ局も保たない時代に来ているってことなんだろう。大変だなあテレビ業界。

 そういやあそんなテレビ業界に1年前から3カ月、関わっていろいろと心労に心を痛めたんだった。こちらは逆に天下のNHKが相手の仕事で、やらせだとか仕込みなんか絶対にダメといった中で番組に最適で、なおかつ確実に出てくれそうな人を探して頼むブッキングめいたことを受け持って、揃わないスケジュールと来ない返事に心が壊れかけたんだった。どうにかこうにか出演の許諾を得て収録も終わり番組が出来上がったころには、午前中に家から出られなくなっていた。新型コロナウイルス感染症の影響で逆に家から出ないように言われた果て、どうにか落ち着いたけれどもまたやってみたいかというと、やってみたい気もするなあ。乗りこえればあるいは。しかしやっぱり。迷うところであります。

 民放テレビ局のヤバさについては東大とハーバード大に合格した話を「よくひとりぼっちだった」という本にして渋谷陽一さんのラジオ番組に出て名を知られたモーリー・ロバートソンさんが、最近のテレビ出演の経験なんかをもとにツイートを重ねて指摘していたのを読んで、元よりそういう感じのところはあったけれどなおいっそう大変になっている感じがしてきた。予算と効率から来るやらせの問題については古くから取り沙汰される問題だけれど、最近は番組におけるいじめだとか差別だとか裏の取れてない情報の流布といった、メディアとしてちょっと拙い事態が日常的に起こっているらしい。

 モーリーさんはこのあたり、「報道、バラエティーともに瞬発的なセンセーショナリズムを追う演出が以前より目立つようになった」「生煮えの企画が多く、見切り発車の頻度が増えている。情報番組ではファクトチェックが入念になされない」といった指摘をしていた。より視聴率を稼ぎたいがためのセンセーショナリズムへの集中が、それを望む視聴者の要望でより濃縮されていく循環があるんだろう。あと「テレビが衰弱し続ける中で手っ取り早い『いけにえ』を見つけ出そうとする傾向」があるとも行っていて、このところ相次いで問題化したリアリティ番組が演出によって個人を貶める方向へと流れ、自殺者を出すような問題も指摘している。

 「業界がコンプライアンスを働かせるべきです。加えて視聴者も出演者もいじめに加わってはなりません。こんなことを言わなくてはならない状況がそもそも異常です」とモーリーさん。当たり前に守られるべきことが視聴率と効率の前に無視されているということだけれど、それでなおテレビが保っているのはそうしたものを望む視聴者もいたりするからで、だからよりセンセーショナリズムに走らざるを得ないのかというと、流れを断ち切る権限はテレビ局の側にあるのだから、やらないと決めてあとはそうしたものを望まない視聴者を育てていくしかない。かつてTBSがワイドショーの過熱化を懸念して、「はなまるマーケット」を作ったように。出来るかなあ。やらないとさらなる地獄だよなあ。

 「新・サクラ大戦」にはまったく触れてないけれど、それとは別に「サクラ革命〜華咲く乙女たち〜」なるゲームがスマートフォン向けに作られることになったようで、それに関するアニメーションがテレビシリーズ1話分くらいの長さで配信。時代は太正から100年は経った2011年くらいの東京だけれど、霊子甲冑だかが時代遅れなのか敵めいたものにおそわれる中、新たにヒロインになるらしい少女がその一部を身に纏って戦うような展開になっていた。モビルスーツがバリアブルギアに替わったような、あるいは霊子甲冑の擬人化めいたデザインだけれど、これならずっと顔が見えてボディラインも見えるからファンには嬉しいのかも。監督は伊藤祐毅さんという人で制作はクローバーワークス。良いできだったんでテレビシリーズ化があると良いなあ、ってそういや「新・サクラ大戦」のアニメ、まだ見てなかったんだ。だってなあ、藤島康介さんじゃないもんなあ。


【9月1日】 実家に帰って中日新聞を見るとやっぱりテレビ覧から見て何が放送されているかを知る身からすると、新聞にとってテレビ覧とはネットにアクセスをして見づらい番組表を探して見つける手間をかけずに、パッと見て網羅的に番組を確認できるという便利さを持ったコンテンツであるだけに、日本とは放送事情も新聞事情も異なるニューヨーク・タイムズでの話とは言え、時代の変化がテレビ覧すら不要とし始めていることを改めて強く感じさせられる。

 81年にわたってテレビ覧を掲載してきたニューヨーク・タイムズが全国版では止めていたけどニューヨークでは続けていたテレビ覧の掲載を止めるとか。見たい映画があったとしてもNetflixなで配信されているから今更テレビで確かめる必要なんてない。そもそも地上波のテレビを見る週間がだんだんと細っている。だからといったところか。日本でも配信が結構な比重を占めるようになるとテレビ覧なんて見向きもしなくなるというか、もう1年くらいテレビが着かない状況にいる身では、テレビ覧もまるで不要になっているからなあ。

 HDDが内蔵されているテレビだと、EPGの番組表がリモコン操作でテレビ画面に出て、そこから録画予約をできるからテレビ覧なんてやっぱり不要。とはいえ、全体を眺めるなり番組の紹介を読むなりといった機能は必要だから日本では今しばらくテレビ覧は残り続けるのかも。日経みたいに中に入って最終面からは追い出されるかもしれないけれど。そこにはもっと大切な記事を載せた方が収益になるとかいって。

 文庫本では西島大介さんが3部作とも表紙のイラストを描いていた越谷オサムさんの小説『いとみち』だったけど、映画化が決まって応援のためのクラウドファンディングがスタートして、そこにあの安彦良和さんがイラストを寄せたTシャツのリターンが登場したから驚いた。3部作とも解説を担当したから全部読んでいるけど、登場する津軽弁が濃いメイドの相馬いとはもちろんのこと、先輩メイドで子持ちの幸子もマンガ家を目指している智美も、脱サラした店長もヤバい仕事をしていそうなオーナーも、ちゃんとしかkり特徴をとらえて描いている。安彦さんもやっぱり読んだのかなあ。読んだから描けたんだろうなあ。

 安彦さんは応援メッセージも寄せていて、「女子高生、美少女、ローカルであったかい人間模様、リンゴ、岩木山、桜、そして津軽三味線、おまけにメイド喫茶!当たる要素がてんこもり!これだば当たるんでないべか。ぜったい当たるっきゃあ!当たるんでないかい、、、。」とあるからこれはやっぱり絶対に読んでいる。ほんとうにそう、当たる要素がてんこもり。解説で僕も女子高生でメイドで津軽弁でといった具合にキャラクターが濃すぎてライトノベルみたいだと書いたというか、そういう小説だから僕に解説の依頼が来た。

 そうした感想を安彦さんも持つくらいに突出して特徴的なキャラクターと設定に溢れた小説が、まずは映画になるんだけれどこれを機会に安彦さんが監督でもしてアニメーション映画にならないかなあ、なんてちょっと思ったりもする。いや漫画の安彦さんが描くちょい、ドラマチックなタッチとは合わないけれどもこうしてイラストに描いたキャラクターとその仕草、そして動きの感じで描けば大人も見て楽しめる映画になりそう。ちょっと期待してみたくなる。

 もちろんもうちょっと萌えな要素を乗せたキャラクターとビジュアルでアニメにしてくれても嬉しいかも。弘前が舞台となった「ふらいんぐういっち」のようなほんわかとして迫るところはグッと迫ってくるアニメ。音楽のところとか「けいおん!」とか「響け!ユーフォニアム」のような作画力でもって描けば目にも迫り耳にも響く映像になりそうだけれど、それだけの技術力を持ったスタジオがあるか。そして声優は。実写と同じ駒井蓮さんが演じても良いけれど、青森出身の三上枝織さんがいるからお願いしたいところ。津軽弁のクリスタ・レンズって感じになりそうな。

 ともあれこんなイラストの安彦絵は貴重なので申し込もう。文庫解説で稼がせてもらった、といっても遠い昔の話だけれども名刺代わりにできる仕事にしてもらえそうだということで、感謝の意味もこめて応援したい。それこそロケ見物にだって行きたいけれどこれ青森は遠いしなあ。いや今だと朝の7時に家を出れば新幹線を乗り継いでお昼前には青森駅についてしまうのだ。上野発の夜行列車に乗って降りると雪だなんて話はもう昔なのだ。考えよう。

 5時間ほど働いてから帰宅しようと乗った東京メトロ東西線が、原木中山駅にさしかかったところで急停車。いつもの人身事故がどこかで起こって非常停止ボタンでも押されたかと思ったら、乗っている車両が人身事故を起こしたとかでこれは長引きそうだと居座りを決めこもうとしたものの、すでに半分くらい入っていた原木中山のホームに降りられるようだったので、先頭車両まで行って開いていた扉から降りて前を見ると、救急隊員が何かいろいろと作業をしていた。つまりはってことだけれど、そこに群がるように普通の乗客もいたのが気になった。見て嬉しいものでもあるまいし。それでも見て撮れたら嬉しいのだろうか。そいう時代なんだろう。

 さて歩いて西船橋まで行くかと考えたものの、線路は川の上も渡っているから道路だと遠廻りを余儀なくされそう。だったらと地図で見たら総武線の下総中山駅の方が近そうだったので、20分ほど歩い下総中山駅まで出てそこから総武線で無事に帰り着く。調べると地下鉄は20時過ぎまで止まっていたもよう。たぶん車両も点検に入っただろうから乗ってはいられなかっただろう。ちょっとした運動になった。涼しくなっていたのも良かった。事故に遭われた方は無事だったんだろうかと、言うのお口寂しいけれどもやはり無事は願いたい。いつ自分がその身に陥るかも分からないだけに。


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