縮刷版2020年7月上旬号


【7月10日】 昔だったら定年の歳になったのを記念はしないけれども、今一度地に足をつけてやり直しを始めるきっかけでも得ようといった思いはこっそり胸に秘めつつ、若き漫画家たちがなろうなろう明日は大漫画家になろうと夢みて集い日々創作に打ち込んだトキワ荘が再現された豊島区立トキワ荘マンガミュージアムを見物に行く。出来たばかりでさぞや混むかと思ったけれど、予約フォームから見ると平日なら普通に時間がとれる感じ。20分起きで10人くらいづつの予約を入れて順繰りに中へと案内していく展開で、11時20分に入ったら中はそれほど混んでなく、普通にいろいろな部屋を見て回ることができた。

 手塚治虫さんがいた部屋に手塚治虫さんの原稿がある訳でもないし、藤子不二雄の2人が暮らした部屋に藤子不二雄の生活が感じ取れる何かが置いてある訳でもない。それは赤塚不二夫さんでも石森章太郎さんでも同様だったけれど、寺田ヒロオさんの部屋は生活感が感じられるようになっていたし、水野英子さんの部屋は水野さんの原稿なんかも確か見られて漫画家さんが暮らしていた感じたした最高にごった返していたのが山内ジョージさんの部屋で入口に映画のフィルム缶が積み上げられ、本棚にはハヤカワポケットミステリが詰め込まれていかにも文化に親しんでいるという感じ。って今の自分の部屋だってDVDとライトノベルがぎっしりだけれど、消費であって創作につながっていないのはちょっと悲しい。

 再現度合いはなかなかで、廊下は通夜が出て天上も古びた感じになっていて、ガラスは昔ながらの模様入り。窓から見える風景は絵ではあったけれど、そうした光景を見ながら四畳半にこもって未来を夢みた時代があったんだなあと思い、自分にもそうした時代があったし今もそうした時代なんだという気が改めてしてきた。頑張ろう。無料で楽しめて懐かしめる最高の施設。落合南長崎駅から徒歩ですぐなのも便利かなあ。本当だったら西武線まで歩いて松葉でラーメンを食べたかったけれども仕事なんで早々に退散。また機会を見つけて言ってこよう。

 夜は夜でジブリ映画の上映で今のこの状況に1番合っている映画なんじゃないかと見て思った「ゲド戦記」。なるほど「風の谷のナウシカ」のように発達した文明によってもたらされた災禍に人類が滅ぼされかけて後、再生へと歩む中で自然との共生を尊ぶべきところをかつてのような科学万能の意識に戻り友愛よりも憎しみを優先させようとする者に天罰が下るストーリーが、今のこの天罰めいた状況を表しているといった声もありそう。同様に自然をないがしろにした天罰が下る「もののけ姫」の展開をこそ思い出すべきといった声もあるだろう。

 「千と千尋の神隠し」だって自分を見失って欲得に走った人間がどんな末路をたどるかを見せて警句を発するという意味で、この状況にふさわしいと言えなくもないけれど、どれも罰からの反省を促してはいてもそこから何をすべきかといった指針はなかなか得づらい。スペクタクルに押し流されて英雄たちの活躍に目を奪われて喝采と賞賛は浮かんでもそれを我が身の物としてとらえられない。そんな気がする。

 これが「ゲド戦記」になるとまずは死を思い人生の限りを感じつつその中で何をしていくのが最善かをしっかりと教えてくれる。しっかりと地に足をつけて精一杯の生を一生懸命に歩んでいこう。そのためには朝にご飯を食べてしっかりと働き、夜にご飯をたべてしっかりと眠る。その繰り返しの中、食べ物に感謝し自然に有り難みを感じながら毎日を、毎月を、毎年を過ごしていくことが人間にとっての基本なんだと思わせてくれる。

 浮ついた気持ちを落ち着け、冷え切った心をほんのりと暖め、下を向いていた顔をそっと持ち上げて前を向き、足を踏み出すための方法を教えてくれる物語。それが「ゲド戦記」なのだと改めておもった。派手な展開はまるでなく、スペクタクルもほとんどなく、爽快感とかいったものとは正反対にある地味で静かで時に暗くもある映画だけれど、だからこそ恐怖をあおり不安をさそうような言説が飛び交う今を、すっと冷静になって見つめ直すきっかけになる。

 不安や恐怖が心を縛り逃げ出したいと思わせる。誰にもあるそんな気持ちがおかしくなった世界から生まれている状況はまさに今そのもの。そういう時だからこそ日々への感謝を忘れず、毎日をしっかりと生きることを自分に求めて問い直す。ご飯を食べたら食器を洗おう。畑仕事をして手にまめをつくろう。風に身を任せて心地よさを覚え、海を眺めて世界を思う。全編からそうした自覚を促される映画を今、見られたことととても嬉しく思う。

 最初に見た当時から「ゲド戦記」の原作にそれほどの思い入れもなかった身として、心に染みる映画だといった思いはあったけれども改めて見て、それこそ公開された2006年以来かもしれない劇場での上映で見て思った。これはスタジオジブリの傑作だと。もしかしたら「思い出のマーニー」「耳をすませば」に並ぶ傑作なのかもしれないと。ってどれも宮崎駿監督の映画じゃないじゃん。自分は宮崎駿監督は好きだけれど、映画としては宮崎駿監督じゃないジブリ映画が好きなのかもしれない。

 ラスト。手嶌葵による『時の歌』が響いてきて心が震えた。新居昭乃さんが元より好きなこともあるけれど、訥々として響き伸びるあの声で歌われることがやっぱりとてもマッチしている。ざわつきがおさえられ静かに立ち上がろうとしている心に今一度落ち着きを与えてそして外への歩みをもたらしてくれる音楽を得て、「ゲド戦記」は最高にして至上のアニメーション映画になったのかもしれない。

 あの山下達郎さんがこれまで封印し、劇場公開でしか見せてこなかったライブ映像をついにネットで配信するとか。リアルタイムにライブをして提供する感じではないけれど、パッケージでだってライブ映像を発売してこなかった達郎さんでも今のこの、音楽業界のとりわけライブエンターテインメントが窮地に陥っている状況を打開し、良質な音源でライブ映像を配信してお金も得られるプラットフォームを応援したいという気持ちがあって、その先導役になれればと考えて応じたんだろう。困るのはその余りにも凄いパフォーマンスを見て、実物を見たいとライブに応募する人が増えてチケットが取りづらくなることかなあ。頑張ろう争奪戦。


【7月9日】 花澤香菜さんと小野賢章さんの結婚を祝って、以前から電子ドラムに花澤さんの声をセットして叩くと声でボイスパーカッションみたいなリズムを表現するようにしていた人が、小野賢章さんの声も乗せて「恋愛サーキュレーション」を演奏していた。ドンドンという花澤さんの声が可愛い一方でハイハットを叩くと小野さんのウエエエエエエエといった叫びが出るようになっていて、聞くとなかなか耳にハマって抜け出せなくなる。

 途中で「サザエさん」の花沢さんに成り代わって「磯のくーーーーん」と叫ぶ花澤さんの声も混じる楽しさ。アイデア勝負だなあ。こういうのが昔はニコニコ動画にいっぱいあって楽しかったんだけれど、今は時事ネタを語ってアクセスを引っかけ稼ぐYouTuberばかりな感じ。技とネタで楽しませ、それがムーブメントになって新しい文化が起こる状況はまた来るか。今だと初音ミクですら話題にならず広がらないまま埋もれそうな気がするなあ、って初音ミクがいたからネット発のコンテンツに人が目を向けるようになったんだけれど。時は巡る。

 そんな花澤さんの結婚に関して、声優ファンはこうした結婚を喜ばないんじゃないかな、的視点からやっぱり書いてくるメディアもあるみたい。案外にそうした空気はなくなっているんだけれど、世の一般の人がみるオタクなり声優ファンはそうした慶事を嫌うというのがある種の法則になっている感じ。答えてそういう意見を言って喜ばせるようなことをしてしまう人もいるからややこしい。とは言え「推しキャラが既婚者になった気分になる」というのはちょっとないなあ。だってキャラじゃん、声は部分じゃん。そこまで切り分けができない人はなかなかいなさそう。これもある種のポジショントークなんだろう。そんな意見を発している人の「例外としてゆかりん(田村ゆかり)には早く幸せになってほしいと思います」には激しく同意。ほっちゃんも。

 白人ばかりが居並ぶ光景への違和感からキャラクターの設定に黒人も入ったりして、そうした人を演じる役者として黒人が起用されるようなバランスの取り方が、ハリウッドとの映画とかテレビドラマなんかではずっと前からあったりして、そこに日系人だとかネイティブアメリカンだとかスパニッシュだとかも混ざって多様性を見せようとしている点はやはりアメリカ、進んでいるなあとは思うけれども時にどうにも事態が進みすぎて、LGBTの登場人物を演じるのはやはりLGBTでなければいけないといった認識から、出演を辞退する女優さんなんかも出たりする状況に、これは役者として正解なのか違うのかといった思いが浮かぶ。

 その役を演じるに相応しいLGBTの役者がいるなら何も異論はないけれど、オーディションをして演技を見て作品の中でその人物が該当するキャラクターに見えているかどうかがたぶんとっても重要なこと。たとえ自分自身はそうでなくても想像力と共感力と演技力によってそうなってみせる、言い換えれば役が降りてくるような感じになるのが役者というもので、そこを否定して本質てきにそうでなければ演じてはいけないとなったら、果たしてヘレン・ケラーは誰が演じたら良いんだろう、ってことにちょっとなりそう。北島マヤだって無理だろう。

 アニメーションでキャラクターが黒人だったらはやり黒人の声優が演じるべき、っていうのもその役にマッチしているかどうかがすっ飛んでいるのでちょっと悩ましい。まあ演じるに相応しい黒人の声優もいるだろうから構わないといえば構わないんだけれど、すべての役はそれに近い人が演じるとなったら果たしてうまくハマるのか。男の子の役を大人の女性が演じるのはどうなのか。野沢雅子さんは孫悟空も鬼太郎も演じてはいけないのか。ルフィは田中真弓さんではダメなのか、等々。そういう話ではなく、機会を広げてあげようというのが趣旨だとは分かっていても、いつかそういった先鋭的な意見が主流になりかえない。線引きはすべきか。すべきならどこか。考えないと。

 東京都で新型コロナウイルス感染症の感染者が224人も出たとの報。過去最多が207人だったからこれを上回る数字は吃驚だけれど、3500人を検査した上での感染率で考えるとそれほど大きなことではないという声もある。一方でやっぱり224人という絶対数は大変で、ここからさらに広がっていったらすぐさま感染者で世間が溢れかえってしまう可能性も示唆される。

 重症患者ではなくても出歩いて良いって訳じゃないから隔離施設は満杯に。そして数字に出て来ていない感染者から感染がひろがってそれが高齢者や持病を持った人へと広がってどこかで限界点を超える、と。感染症の専門家も若い人が中心で感染率は高くないとはいっても絶対数から見るにどこかでパンクする可能性も見ておかなくちゃと言っている。とはいえ政府も行政も責任はとりたくないのか外出禁止も休業も要請しない。そして自己責任を持ちだしあとは野となれ山となれ。夏に目立たなくても秋から冬になっていっきに爆発した時に、病院とかどうなるか。そこが心配。マスク買いだめしておくかなあ。


【7月8日】 水樹奈々さんが声優シンガーとして至高の高みにあるなら、女性声優として絶頂にあるのが花澤香菜さんだと言えるかもしれないとして、そんな花澤香菜さんが水樹奈々さんの結婚報告の翌日に、結婚したことを報告して声優界は話題騒然。お相手は「黒子のバスケ」に黒子テツヤ役で出演していて、顔出しの映画や舞台にも俳優として出演する小野賢章さん。すでに数年前から付き合っていることが報告されていたけれど、改めての報告となったみたい。どうしてこのタイミングなのかは分からないけれど、尾ひれをつけて憶測を交えて報じるところがあるいはあって、先んじて公表したのかもしれない。

 まあ、何を恥じることも憚ることもないカップルだから、普通に今でしょとなっただけかもしれないけれど。あの「鬼滅の刃」に甘露寺蜜璃という恋柱役で出演していることが代表作にならないくらいに、数々の作品で主役とか準主役とか主要な役を演じている花澤さん。可愛らしい声も出せるけれども最近だと「空挺ドラゴンズ」のヴァナベルというちょっとやさぐれているようで、実はいいところのお嬢様らしい不思議で複雑な役を演じて聞かせてくれたっけ。ちょっと大人も大丈夫になっているというか。

 一方で「PSYCHO−PASS サイコパス」シリーズでは中心ともいえる常守朱を演じつつづけていて、「PSYCHO−PASS サイコパス3 FIRST INSPECTOR」の続きがあれば大きく物語に絡んできそうな予感。活躍はこれからもまだまだ続くだろう。そんな花澤さんと、こちらも役がさまざまな小野賢章さんのカップルは、坂本真綾さんと坂本真綾さんと鈴村健一さんのカップルにも並ぶビッグぶり。あとは年は結構上だけれど朴ロ美さんと山路和弘という超ビッグなカップルにも劣らず及びそうな感じがあって、もしもこの6人が共演したんらどれだけのフラワーでピンキッシュな風が吹いては周囲に集まる共演者たちをドキドキさせるのかと想像してしまう。っていうか6人がそろった作品ってあったっけ。さすがにないかな。

 前にも書いたけれど古谷徹さんと間嶋里美さん、池田秀一さんとさんと玉川砂記子さんのように声優さんどうしのカップルは割とあったけれど、こうして今のトップが続々とこうしていっしょになっていく様に、何か時代的な風があるのかとちょっと考えてしまう。それだけ忙しくて付き合う範囲が同業者に限られてしまうとか。あるいは安定していていっしょになっても安泰さを持続できるといった確信が得られるようになっているとか。公表については、もはやトップである上に年齢もそれなりにいっていて、アイドル的なところから脱して結婚が人気に影響でないってこともあるんだろう。おめでとうしか言う言葉もないというか。

 こう連続するとやっぱり気になる明坂聡美さんの反応だけれど、水樹奈々さんの件に続いて誰もが話題にしてのぞきにいったツイートは九州で起こっている水害に関しての心配が中心。そうした意識を冷静に発して浮かれ騒ぎにのらないところに生真面目さがうかがえる。そういう人だからこそって期待してあげたくなる。『放課後ていぼう日誌』も再スタートを切ったことだし、応援していくか大野真。

 うひゃあ。ってまあ、どこか想像するところはあったけれど、それにしても登場から1年ちょっとでの退場となって驚いた「LINEノベル」のサービス終了。ネット上での小説投稿サイトであり、電子小説の配信サイトであり、またリアルな文庫を刊行していくプラットフォームでもあった上に、LINEという巨大なネットワークをバックに持ち、三木一馬さんというライトノベルの世界では大きく知られた編集者を迎えて立ち上げたサービスが、こうも早く終わってしまうのはやはり意外としか言いようがない。

 どういう理由があるかは分からないけれど、単純に小説というカテゴリーに今はあまり客がつかず収益面で厳しかったというのがあるかもしれない。一方でそろえた作品はベテランもいれば若手もあって中には「とある魔術の禁書目録」の鎌池和馬さんもいたりして、それなりに充実していたような気がする。そして賞金を高めに設定して映像化も確約された令和小説大賞なんかも開いて、受賞作も決まりさあこれからだといったところでサッと引くのはLINEがYahoo!の親会社と合併することが決まったからか。その過程でサービス面の見直しがあったからなのか。そこも含めて事情が気になる。

 これがライトノベルといった分野、キャラクター小説といった分野の停滞と直結するかというとそうではなくって、相変わらず店頭には書籍があふれてその中から数十万部、数百万部に達するヒット作も生まれている。テレビアニメになる作品もあるし漫画化される作品もあって小説の中では元気な部類にあると言っていい。ここが衰えたらもう小説は趣味の世界にいってしまう。篠田真由美さんがキャラクター文庫で出すのを予定していた本が、単行本になったとたに部数が激しく減らされると危惧していたように、キャラクター小説にはそれなりに広がる力がある。

 それでもやっぱり厳しいのは、小説投稿サイトだと「小説家になろう」があって「カクヨム」があって「エブリスタ」があって、そしてライトノベルだと既存のレーベルがいまだに頑張っているからだろうか。小説投稿サイトといえば講談社が立ち上げたものがサービスを引き上げたりして過当競争感は否めなかったし、既存のレーベルでも「ノベルゼロ」のように回転休業のところもあって紆余曲折中。そうした中で小説という分野、キャラクター小説なりライトノベルなりが蔓延っていくには何が必要か、ってのを考えないといけないか。それを紹介しているわが身にも影響が及んでくるから。いずれにしても足が速いなLINE。日本SF大賞は応援し続けてねとお願い。


【7月7日】 それで明坂聡美さんが何をつぶやいているかを即座に見に行ったけれど、熊本の豪雨とかの方が重大事な関心事なのでこうした話題に乗ることはなかった感じ。というか声優さんの結婚話が大きなニュースとして取り上げられるようになったのって、いつ頃の誰くらいからなんだろう。こうしたニュースがファンの離反を招くからとタブー視されていた時代もあったけれど、それより昔になるとアムロ・レイの古谷徹さんはキシリア・ザビの小山茉美さんとの結婚が話題になって離婚はそれほどでもなくミハル・ラトキエの間嶋里美さんとの再婚でそうなのかと思った程度だった。

 シャア・アズナブルの池田秀一さんがマチルダ・アジャンの戸田恵子さんと結婚して離婚してタチコマ玉川砂記子さんと再婚した流れも話題にはなったけれども今ほど大きな話題になったかというとそれほどでも。トピック程度かなあ。そういう時代からアイドル的な人気の声優さんに関する年齢も結婚もタブー視される時代をくぐって今は声優さんの結婚が話題になり、付き合っているとうニュースですら取り上げられるといった状況。それだけポジションが高まっている現れなんだろうなあ。

 とりわけ水樹奈々さんは声優シンガーのトップ級のトップで紅白歌合戦にも出たくらいの人だから、バリューとしては声優界で最大級。それで明日のスポーツ紙の1面トップがとれたらそれこそポジションはもはや芸能人並と言えるけれどもどうなるか。池澤春菜さんの時は父親が芥川賞作家であるにも関わらず、トップにはならなかったみたいだし。一般紙とか最近読んでないから載ったかどうかはちょっと分からない。もしも田村ゆかりさんのご成婚だったら、APが打電してBBCが放送して当然かな、違うかな、新華社あたりが打電して中国が大変なことになったりするかも、って中国にファン多いんだっけゆかり姫。共和国内の王国民ってやっぱり弾圧されるんだっけ。

 なんというか役立たずというか。新型コロナウイルス対策を担っている西村康稔経済再生大臣。朝日新聞のインタビューで休業要請に応じない事業者に対して「罰則規定を設ける法改正を検討していく考えを示した」とか。その一方で「休業要請に対する補償規定の新設については『法律上は非常に難しい』と否定した」らしい。罰則規定院ついては、私権の制限という重大違反の可能性もあるけれど、法的根拠を見極めた上で導入した気満々なのに、補償については法律上むず香椎を見極める考えはまるでなし。ここがやっぱり世間から非難を浴びている。

 同じ法律に照らして無理なこと、とりわけ罰則規定は私権の制限という憲法違反に関わる問題をくぐり抜けようとする癖に、補償ははなっから無理だと決めてかかっている。賞罰の罰だけ下して賞は出さない政府に対して、どうして称賛なんで出せるだろう。それで支持されるかどうか分かりそうなものだし、それで世の中が前向きになるかも分かって当然なんだけれど、国としてはとことん面倒をみたくないらしい。いろいろ言い分はあるだろうし、それも分からないでもないけれど、こうして改めて無情に突き放されるとやっぱりむなしさが沸いてくる。何もしてくれない国に何かしてあげようなんて誰が思う? そんな国でも国なんだから愛せよと叫ぶ輩はいたりするけれど。やれやれだ。

 キリンビバレッジがミネラルウォーターのボルヴィックを販売終了にするとか。契約が終了するからってのもあるけれど、エビアンにしてもミネラルウォーター類だったら日本から出る水の方が普通に美味しかったりする中で、海外ブランドでどこまで引っ張れるかというと開拓期ならいざしらず、今はもう難しいのかもしれない。とはいえボルヴィックといえばハーゲンダッツのストロベリーを食べる時に必須の飲料by「空の境界」だっただけに、なくなってしまうと困ってしまう。なのでどこか別のところが引き継いで欲しいけれど。クリスタルゲイザーじゃダメなんだ。

 「天気の子」に登場したピンクのスーパーカブがレンタル用だけでなく販売用も登場したそうで大いに気になる。50ccの原付と110ccの小型が出るみたいで値段が110で31万円くらいだから税込諸費用入れても40万円くらい? 高いっちゃあ高いけれども等身大フィギュアを買うくらいなら実用性のあるこっちの方がファンは嬉しい。ヘルメットも着くし。原付はパワーに劣るけど普通免許で乗れるからそっちも悪くない。だから気になるけれどもそれ以上に映画で警察を相手に交通違反を堂々と繰り広げながら逃げ回っていたアイテムが、公認アイテムとして登場する世の中がやっぱり不思議というか、それだけ国民的監督になったんだなあ、新海誠さん。


【7月6日】 全米50州のそれぞれの州でトップスターをビルボード誌が選定したもの。アラバマ州がアラバマ、カンサス州がカンサスで分かりやすい。あとコロラド州がジョン・デンバーなのも。ジョン・デンバーは名前だけれど芸名で、コロラド州デンバーからとっているらしいから。州の名前ではなく州都の名前をつけたシカゴはイリノイ州の代表とこれも順当。

 バンド名ではなく歌った曲からだと「雨のニューヨーク・シティ・ザ・ナイト」ならぬ「ニューヨークの想い」でビリー・ジョエルがニューヨーク州代表。だったら「ホテル・カリフォルニア」のイーグルスがカリフォルニア州代表かというとこちらは大御所、「ザ・カリフォルニアガールズ」のザ・ビーチ・ボーイズが代表に選ばれておりました。至極当然。そして「わが心のジョージア」を歌ったレイ・チャールズはジョージア州代表に。日本でこれをやると岐阜県は「奥飛騨慕情」の竜鉄也さんが代表になるのかな。「柳ヶ瀬ブルース」の美川憲一さんは岐阜県出身ではないから。

 ほか、気になるところだと最近何かと話題のミネアポリスを州都に持つミネソタ州はミネアポリスの帝王ことプリンスが代表に。プリンスと並ぶスターのマイケル・ジャクソンはと見れば出身地のゲーリーがあるインディアナ州の代表になっていた。マドンナはミシガン州の代表で1980年代からの大御所たちはしっかり名前を遺している。新しい人だとペンシルヴァニア州のテイラー・スウィフトか。ハワイ州代表のブルーノ・マーズも新しい方。ハワイアンの歌手ではないんだね。

 アメリカでも地方となるとスターがいるのかというといろいろいるみたいで、ネブラスカ州はイーグルスの創設メンバーだったベーシストのランディ・マイズナーが代表となっていて、モルモン教とユタ・ジャズで知られているユタ州はザ・オズモンズが代表に。そしてパタリロにひどいことを言われていたノース・ダコタはローレンス・ウェルクというアコーディオン奏者が選ばれていた。知らないなあ。

 いやそれでもミュージシャンではあるけれど、お隣のサウス・ダコタはたぶん「オズの魔法使い」を書いた作家のライマン・フランク・ボームが代表に。他にいないのか。マウント・ラシュモアがあって映画「ダンス・ウィズ・ウルブス」の舞台になったバッドランドが広がっていてカジノもあってネイティブ・アメリカンも大勢住んでいる土地だけど、音楽とはあまり縁がなかったのかな。気になった。シアトルがあるワシントン州はアバディーン出身のニルヴァーナ。永遠なれ。

 例の「アマビエ」を商標登録しようとしていた電通が、申請を引っ込めたとの報。元より理由として今後の展開の中でどこかに商標登録されたら使えなくなるんで先にやろうとしていたという話が出ていて、けれども独占的に使う気は無かったという言い訳はあるものの、自分たちが使う以上は他に使われては拙いという事情もあるだろうから、とりあえず権利は抑えつつパブリックなものとして公開するなんてことは難しかっただろうから、申請を取り下げていったんはパブリックな形に戻すのも仕方が無いのかもしれない。

 とはいえ既に申請しているところがいくつかあるし、海外からの申請だって今後あるかもしれない状況で、それを果たして特許庁がどう受けるかが今後の問題となりそう。すでに公知のものとして申請を認めずにおけるのか、それともどこかに折れて申請を認めてしまうのか。そういう大所高所からの判断が出来る役所かどうかも分からないけれど、少なくとも海外においては登録を急いだ方がいいかもしれない。日本が誇る疫病に効く存在として日本のIPとして広めていきたい気がするから。

 IPといえば「おそ松さん」の第3期が決まったそうで、とてつもなくブームになった第1期から見て第2期が今ひとつ弾けなかった上に、映画も公開されてこれでしばらく一段落させるのかと思っていただけに、ここに来ての再始動に果たしてどれだけ食いつきがあるのかが今は興味津々。今も愛好するお姉さま方は大勢いるし、アイテムだって出てはいるけどパッケージが売れまくる状況でもなくなっているだけに、どういう展開をしてどういった収益を上げるのか。海外で人気となるタイトルでもないからなあ、ってか和からニアだろうあのギャグのニュアンスは。そこを突破して受ける可能性があるのか。気にしていこう。

 将棋の叡王戦での永瀬拓矢叡王と豊島将之竜王・名人との第1局が千日手からの指し直しも持将棋となって再戦が決定したとか。なかなか珍しいことだけれども将棋漫画の「将棋する獣(けだもの)」では三段リーグ入りを目指す女流棋士が二段の小学生と対局をして2度、千日手となった上に再々戦が持将棋になるというシチュエーションが描かれていて、まだまだフィクションの方が現実の先を行っているといった感じ。とはいえあり得ないからこそのフィクションに現実が追いつきつつ有るのも実際で、白鳥士郎さんが描く「りゅうおうのおしごと」で非現実とされた10代での二冠をもしかしたら藤井聡太七段が達成してしまう可能性が生まれている。1冠ですら現実に追いつく状況なだけにフィクションもうかうかとはしてられない。こうなると女性でローティーンのプロ棋士がミニスカで対局をして名人になるくらい書かないと。賭けないか。


【7月5日】 宮内悠介さんの新著「黄色い夜」(集英社)を頂いたので読む。薄いと思って読み始めると結構な密度の上に内容が重い。アフリカのエチオピアとの国境にあるE国(たぶん架空)は独立したものの農業も水産業も工業もなくカジノが唯一の産業になっている。国王自らがディーラーとして登場する場合もあって、そこで国王相手に勝つと国が手に入るらしい。そんなカジノに日本人の龍一ことルイが挑む、というのがおおまかなストーリー。

 まずは東アフリカの大国エチオピアとの国境付近。ルイこと龍一は、そこでブラックジャックをして知り合ったイタリア人の男・ピアッサとE国へ潜入する。国境を越える時にどうやって警備隊のお目こぼしに預かるかってあたりの蘊蓄が、世界を放浪する宮内さんらしい描写。買収の仕方もクールにやらないと相手もすんなり受け取れないってことなのか。そしえ潜入後は、水が沸騰する時間を賭けて現地女性を口説き、仲間を増やして挑んだ仮想商店を運営しながら相手を倒産に追い込むハッキング勝負でも、幾重かの罠を仕掛けてピアッサが勝ち残るように仕向ける。

 繰り広げられる賭け事は、カジノ小説というより異種格闘技的ギャンブル小説のよう。「カイジ」とか「賭けグルイ」とか。もっとも、そうやって勝ち抜けていくスリリングさの底流には、閉塞感と劣等感に苛まれる現代人への救済がある。そこがギャンブル小説とはちょっと違う。何しろ直木賞的エンタメに見えて、掲載誌が文芸誌の「すばる」っていうからちょっと意外。底流の現代を、世界をえぐる筆のメスのようなものが感じられるのも道理か。

 読み終えて、鬱々として不安を覚えつつしがみついてる感じの自分に、重いけれど諦めない誘いのようなもの、もっと楽に生きるための道のようなものをくれた感じ。どんよりとした心の黄色い夜が晴れて星空を見上げるために頑張ろうと思った。とはいえ、ルイが付き合っていた鬱気のある女性のように、音楽から演劇へと関心を変えて前向きになったような真似はできそうもないからなあ。そこは対象を考えよう。

 もちろんギャンブル小説としてのスリリングな面白さもたっぷり。ポーカー勝負をどう切り抜ける? 国王相手のイカサマルーレットをどうしのぐ? 水が沸騰する時間の勝負で何を仕掛ける? その抜け道が楽しい。架空の国家が舞台ということで、超常的ではないけど種や仕掛けを繰り出し戦うあたりはSFかミステリといったところ。アニメだと今なら詐欺師達の話ではあるけれど、詐欺的要素もあるってことで「GREAT PRITENDER」あたりと並べて紹介するのもありかもしれない。それにしても世界をいろいろ書く作家。アフガニスタンからアメリカから中央アジアを経てアフリカへ。次はどこを書くんだろう? インドかな、行ってたみたいだし。

 「アマビエ」といえば新型コロナウイルス感染症が流行し始めてから、一躍注目を集めた日本の妖怪で疫病が流行った時に現れ自分の姿を写して配れば災厄から逃れられるとして、日本で描かれ世界に広がり世界中で描かれた。もはや世界が気にする新型コロナウイルス感染症予防のアイコンになっている存在を、こともあろうに広範囲に商標登録してしまおうとする輩が現れ何と罰当たりなと問題になっている。何しろ申請者があの電通というからこれは本気でごっそりと、商標権を奪ってはあらゆる分野で「アマビエ」を使いづらくしようとするハラだと誰もが感じて声をあげている。

 あるいは不逞の輩が登録をして何かどこかた使おうとした時にやいのやいのと難癖を付けて金だけガメようとしているのを、大資本の力で防ごうとしているだけで多くが使う時はパブリックドメイン的に許容するんじゃないのと言う声もあるけれど、自分たちがプロデュースしたり仕掛けたりするカテゴリーの商品から「アマビエ」を使いたいと言ってきた時に認めないって可能性も一方であるから信頼はしづらい。すでにお菓子だとかお酒なんかの分野で申請も出ているだけに、それがいけないとも言いづらいところでどうやってせき止めるのかが、今は話題の中心になっている。

 そこはやっぱり世間がパブリックなものとして扱い、且つ疫病の神様的な存在を商標登録して独り占めしようとするなんて大人げないし公共性の見地からもみっともないんじゃないかといった声が、大企業のブランドに影響があるといった判断を促し引っ込めるような流れを期待するしかないのかな。とはいえそれだと他が出した時に認められてしまう可能性もあるから難しい。どこかの弁理士が「かっぱ寿司」は認められているというけれど、それは「かっぱ」ではなく「かっぱ寿司」だからであって「アマビエ」が「アマビエ寿司」ならそれは認められただろう。甘エビしか出ない寿司屋でも。そうじゃないから困っている。はたしてどうなるか。見物見物。

 東京都知事選挙はやっぱり小池百合子都知事が当選を果たしたようで、これでまたぞろ東京オリンピック開催に向けていろいろ舌先八寸の言説が繰り出されていきそう。やるのやらないのといった判断を曖昧にしたまま自分の権限を伸ばしていった果て、やっぱり無理だとIOCから言われて国がやめるとなって自分の判断ではないがいたしかたないと言って断念するような流れが想像できてしまう。一方で水道の民営化で事務所の重鎮だった人が社長になっていたりする所から、何かしでかしそうな予感も。これから4年という長い期間を任せていったい何が起こるか? 東京都民は戦々恐々としているだろう。千葉県民で良かった……とはならないけれど。とりあえず3日連続で100人を超えた新型コロナウイルス感染症の感染者から何を言うかだな。


【7月4日】 そして東京都の新型コロナウイルスの感染者が130人になったということで、前日の127人すら超えて来たあたりにいろいろと懸念の声も出てきそう。もちろん、検査数を増やしたから感染者数も増えたといった経緯は理解できるし、重症患者が少なく感染者病室にも今は余裕があるという観測も聞いている。とはいえ、若い人に増えているという感染者が普通に街に出歩いていて、そして東京都知事選にも行ったりする状況が訪れている中、重症化が懸念される高齢者だとか既往症の持ち主だとかに感染を広げるという可能性もあったりする訳で、そこへの取り組みが見えないうちは年寄りは出歩かない方が良いのかもしれないなあ。とか言いつつ家で寝ていると沈んでいくので前週に続いて阿佐ヶ谷で映画でも見よう。途中下車した中のはもう人がいっぱいで前を変わらず、阿佐ヶ谷も乗降客でエスカレーターに行列ができている。前と変わらない感じ。喉元を過ぎれば何とやら。気が付くと世界は……。

 ペッパーランチは好きで何度も入ってはハンバーグとかワイルドステーキとかペッパーランチとかいろいろ食べていたけれど、いきなりステーキは立ち食いな上に高いんで1回も入ったことがなかった。そんな身からするとどうしてペッパーランチを売却して、どうにも先行きが不透明ないきなりステーキを残すのかがちょっと分からない。これから経済だってどんどん悪くなっていきそうな雰囲気の中、いきなりステーキのような外食が果たして受けるのか、もう買って帰って家で焼いて食べたほうが良いんじゃないかと思う人だって出てきそうな中、どうしてこういう判断になったかがちょっと気になる。ペッパーランチと共通なハンバーグ系とか消えちゃったら、なお行く気も起らなそうなんだけれど。さてはて。

 決してポスターの黄色いチャイナ服を着た女性の胸に目が惹かれた訳ではないと言い訳がましく前置きをして、ユジク阿佐ヶ谷でビー・ガン監督「凱里ブルース」を見に行く。間を置いて入れる30席は満席になっていてなかなかの人気ぶり。どういう映画かは予告編とポスターに目を惹かれた訳ではないと言い訳をしつつ、読んだ作品紹介から何となく感じていたけれど、見始めるとなかなか少ないとっかかりにこれはストーリーを登場人物からしっかり追って見るよりは、何となく感じながら流していくのが良いと感じて流れに身を任せる。

 基本として元ヤクザでどうやらボスの息子の指を切って殺害した奴らに復讐をした罪で、9年の刑期をくらって入った刑務所から出て来たチェンという男が、戻るとすでに妻は亡くなっていて老女医が営む診療所の手伝いのようなものをしながら暮らしていたものの、弟が放蕩の果てに子供をどこかに売り渡そうとして遠く山奥にある集落へと引き取られたらしいと聞き、連れ戻しに出かけるついでに老女医のかつての恋人だった人物に服とカセットテープを届ける、といった設定。

 でも、スタートしてチェンという主人公の男が刑務所帰りとはすぐには分からず何かをしでかしたらしいとは感じられたけれどもそこまで悪のような感じはしない。むしろ弟の方が遊んでばかりで、息子を外から鍵をかけた家にとじこめ食事も与えておらず、それをチェンは心配しているといった感じ。そうした地方の都市にあるやや下目を生きる人たちの人間模様がふわっと描かれていて、日本の秩序がしっかりと見えあちらとこちらがくっきり分かれた暮らしとは違った、中国ならではのふんわりとした関係性みたいなものが見えてくる。

 そこからチェン消えた甥っ子を求めて向かう旅へと移ったあたりから、話がさらにふんわりとしはじめてる。どうやら“ダンマイ”と呼ばれる集落あたりで現実からズレたビジョンが繰り広げられているらしい。老女医から元恋人への届け物にするはずだったシャツをチェンが着たり、そのまま髪を切りながらヤクザだった自分を友人になぞらえて過去を語ったり。そうした展開の中に、胸の大きなヤンヤンという女性が出てきて裁縫の仕事をしていて、チェンが着ようとした届け物のシャツにボタンをつけたり、ポップスを演奏留バンドの奏でる音楽に聞き入ったりする。

 そのシーン単体では、地方のさらに奥地にある集落に暮らしながら、いちおうは都会にあたる凱里でのガイド生活を夢みる若い女性や、バイクを転がして人を運びつつ賭け事や遊びに興じて過ごす男性の日常ととれるけれど、チェン自身の本筋とは特に絡まないそうした描写に何か意味があるとしたら、それは主人公の物語としてのストレートな映画の表現に、別の情景を挟み込むことで濃い物語から意識をそらし、異空間へと誘いさまざまな人の営みや思いといったものに触れさせてから、あらためて主人公のリアルな実生活の物語に意識を戻させようとしたのかもしれない。これによって人生の毀誉褒貶といった物語の重力に囚われず感情を染められることなく、誰かの人生にようなものに触れた感覚を味わえる。

 ヤンヤンの胸に意識を持っていかれて他がどうでもよくなるということではないぞ。絶対にないぞ。そう強調するところが怪しいけれど、そんなシーンも含まれる、チェンがピックアップトラックでバンドとともに移動し、途中で虐められていた男を拾い、”ダンマイ”まで行って食事をしてヤンヤンと話し髪を切る間に、ヤンヤンが川を船で渡り橋から戻ってくる意味があるのかないのか分からない展開を経て、チェンがバンドで歌いそして”ダンマイ”を出て船着き場へと向かうまでが、ワンカットのロングショットで描かれていることに、単なる元受刑者のぼんやりとした日々を描くのではない何かの意味があるのだろうと思いたい。それが何かを語る言葉を、情報をもたないのが今はもどかしい。もう少し考えてみよう。

 遅ればせながらKAエスマ文庫から刊行の鏡はなさん「時間」を読んだら、が美しくも切ない話だった。中央大学がモデルっぽい央都大学で文化人類学の助教となった覚は、宇宙物理学の博士課程に在籍する真千子と結婚間近。そして覚が教授のお供で出向いた滝に現れた銀色の物体の調査中、真千子がそれに触れて異変が起こる。真千子の記憶が新しいところから薄れ始める。そして肉体にも異変が起こる。「ヲチミズ」と「シニミズ」。そんな伝承から浮かぶ異変が並んで進んでいた覚と真千子の一方の時間を巻き戻す。

 離別の悲しみと新しく始まる日々の果てに来る再びの、立場を変えての離別に浮かぶ涙。そんな物語。出会えたことを良かったと思う。寄り添って歩めたことを嬉しく思おう。通っていた気持ちがすれ違っても新たにかけがえのない時間を刻めたのだから。そんな気持ちにさせる。事態の発生時から四半世紀、2人によりそい変化の見えない美人で都庁職員の武波さんが謎めく。


【7月3日】 出版界もいろいろと大変なようで、ちょっと前にスニーカー文庫でも人気を得ている作者の新刊が随分と刊行を先延ばしにされた挙げ句に、イラスト無しで刊行されて作者の方がいろいろと異論をつぶやいていた。何か事情があるんだろうと思うし、表紙と口絵があれば自分なんかはそれで十分と思ってしまう口なので、あまり気にはならないんだけれど人によってはイラストがあってこそのライトノベルという意見もあるから難しい。どういう経緯だったかはまあ、関係者は知っているんだろうけれど、この場合は売り上げが見込めないからイラスト分の費用を削るといった話ではないだろう。

 篠田真由美さんの場合は違って、刊行を予定して執筆していた「はこだて桜珈琲店」という小説が出せなくなってこれは困ったという話。そこは日本推理作家協会に所属している作者だけあって、周囲の進めもあってそういう動きになっていることを担当者に言ったところ、「『単行本で出したい』という返事がたったいま届きました」となってこれは目出度いと思ったらそうでもなく、「しかし私はキャラ文向けに書いた作品を、値の張る、そして部数は極小であろう単行本で出すことが適切だとは思えません」という状況になっている。

 キャラノベ的な文庫だったら今だとうどうだろう、昔だったら1万2万と刷られた文庫も今は3000部とか出るんだろうか、それとも5000部? それで入って25万円にしかならないあたりに文庫市場の大変さも伺えるけれど、単行本ならさらに下がって1500部とか出れば今は結構な数というから、それで20万円くらいにしかならなかったらかけた取材費だとかも取り戻せない。物書きの人に大変さが伺える。それでも単行本よりは文庫の方が、動き始めた時に増刷されやすいからそっちが良いのかもしれない。

 篠田さんが綴るには、推協から版元に電話が行った結果、「単行本で刊行」という懐柔策が出てきたとのことで、今の日本推理作家協会の会長が京極夏彦さんだということを考えると、刺激しては版元としてもいけないかなあと考えたのかもしれない。「『推協に提訴する』が利いたのだとしたら、どっちにしろろくなことではないですね。うかうか『だったら単行本で』などと返事したら、少ししてからばっさり後ろから切られそうです」というのも、不信感が貯まっている表れだろう。

 「それよりは経費が欲しいと思う」というのも、印税では取り戻せないくらいに本の売れ行きが大変というが逼塞している可能性を示す。そういう世界でライター風情がどうやって食いつないでいけば良い? 他人事じゃあないなあ。一方で伝統のスニーカー大賞が改革を唱えて長谷敏司さんらを新しい選考委員に迎え賞金額も300万円に上げて優秀賞とか作り広い上げの制度も公式に出して新人賞から面白い作家を引っ張り上げる動きに出た。小説投稿サイト経由で人気の上澄みを掬っても、傾向が似て飛び出せないことに気付いたか。売れれば凄いけどそうでないと大変な中、2つのプラットフォームをうまく行かして拾い育てていって欲しいもの。期待しよう。下読み仕事とか来ないかなあ。

 200人を超えても検査数が増えているからで乗り切る考えなのだろうか。東京都の新型コロナウイルス感染症の新規感染者が124人となって、前日の107人からさらに増えた感じ。その前が50人台で推移してこれも結構多かったけれど、トンと倍に上がって数日経ってまたトンと倍に上がったら200人。以前の最盛期に並んでしまう。それでも重症患者が少ないのと、感染病棟に余裕があるのとで乗り切れると言っていたら、あれあれと400人800人になって手が付けられなくなったり、東京から出た人たちが広めて地方が大変なことになったりしたら、日本がパニックになってしまう。

 そうさせないためにもまたぞろ対策込みの施策が必要になりそうだけれどそれをしたらお金がかかるからと、自分たちでは高見の見物と決めて自主的な自粛なりを求める姿勢をとり続けそう。というか「夜の街」という言い方で感染者が広がっている一因を主因かのように吹聴するところが巧妙というか、そういう場所で遊んで感染する人たちに何か負い目があるような感覚を抱かせ、自分たちが悪いんだから自分たちの責任だから補償なんか求めるのは間違っていると感じさせつつ、世間からも彼らが自己責任でやっていることだから補償なんて必要ないといった空気を、作り出そうとしている感じがしないでもない。

 現実を見れば病院は落ち着いているし亡くなる人の数もそれほどではないといった声も出そう。でもこれが少し前なら亡くなる人の数を数え間違えているだの、病院の実態を見ていないだのといった声がわんさか起こってそれこそ今にもニューヨークだロンドンだといった状況が来ると脅かす人がいっぱいいたような気がする。そうした声がいったん収束して後、状況が不安定に戻りつつあるのに上がらないのは冷静になったからか飽きてしまったからか脅かして得られるバリューが下がってしまったからか。いずれにしても自分だけはと安心はしないのがよさそう。まあ出かける気力も今は萎えてさっぱりなんだけど。

 夢2題。日付が変わって電子版が早くに刊行された「鬼滅の刃」の21巻を読んでそれから微睡んだからか、リッジレーサーの速度で街中をグランツーリスモするようなゲームとも現実とも言えないルートを突っ走る車を運転している後ろから、甘露寺蜜璃や不死川実弥の突っ込む声が聞こえてくる夢を見た。自分では速いつもりでもダルい走りをしているようだった。続いて部屋で寝ているとセンザンコウらしき縦に長い動物が布団の周りをうろうろとして入ろうとしてきたりする夢を見る。夢の中でそれを自分はセンザンコウだと信じているけれど、寝ている途中でネットでセンザンコウは何を食べるんだろうと調べても、なかなか端末のキーボードを操作してセンザンコウと打ち込ない。でもってその動物は顔が毛におおわれていて、体にも毛が生えていて、起きて調べるとセンザンコウとは程遠いのだけれど、夢に見ているときはずっとセンザンコウだと信じている。何が何だかよく分からない。夢のセンザンコウは不気味だけど可愛かったなあ。


【7月2日】 すでに「アニメディア」に関連した事業は「アニメアニメ」を展開しているイードに売却した学研が、「ゲットナビ」だとか「ムー」といった他の出版事業を学研と日本創発グループが合弁で設立するワン・パブリッシングという会社に移管すると発表。株式は共に49.5%ずつ持つということだけれど残り1%をどっちが取るかでイニシアティブが変わってくるからちょっと気になる。プレスリリースを見ても「その他」としか書いてないけど1%程度を銀行とかが持つとも思えないからどちらかの会社の代表者系か誰かか。いずれにしても「ムー」が学研という場所を離れるのが興味深い。

 科学と学習といった教育に関する雑誌や出版物を中心にしつつも「ムー」を出したりモノ雑誌を出したりアニメ雑誌で手広く展開したりとアグレッシブだった学研。とはいえ出版という事業が紙から電子へと動く中、舵取りの難しい状況に置かれていたことも確かで、ここで頑張ってリソースを注ぐくらいなら本業ともいえる教育事業と、最近は医療関係の事業にシフトしていくのが賢明と考えたのかもしれない。新しい場所で「ムー」か。妙なところに買われて本気でオカルトやられたら困るけど、今のところは安心して見て置いていいのかな。「歴史群像」もどこか社がライティな歴史戦のネタにするために買ったりしなくて良かったというか。

 東京都における新型コロナウイルス感染症の感染者数が1日で107人だったという数字自体は大きいけれど、それがどれくらいの検査数に対してのものなのか、といった割合から考えるならたぶん以前のよほど感染の可能性がある人たちに絞って検査を行って、同じかそれ以上の感染者が出ていた時期よりもぐっと低い割合になっているような気はする。あと重傷者数の数とか亡くなられていく人の数なんかも含めるなら、猖獗を極めた感じがあった3月4月5月の雰囲気に比べて和らいだ感じがあってちょっとした流行性感冒程度の位置づけで、改めて緊急事態宣言なんかを出すことなくそのまま様子を見ていくことになるんだろう、東京都的には。

 とはいえ高齢者や持病を持った人が罹れば重症化しやすい病気であることは実際で、感染者数が増えていく中で今は活動を活発化させている若い人たちが中心でも、そうした人の移動が高齢者なり持病を持った人への接触を通じて拡大していく可能性はやっぱりある。割合ではなく人数で見れば増え始めていることは実際な訳で、それを止めることでしか蔓延を防げないのなら改めて、緊急事態宣言に等しい外出の自粛を要請するしかなくなるのかどうなのか。都知事選後に判断が出そうだけれどそれで間に合うのかなあ。ちょっと心配。

 どっかの副総理兼財務大臣が日本人は民度がどうとかヌかしていたけれど、緊急事態宣言という強制ではないとはいってもお上の監視下で圧力として自粛を求める風潮の中で周囲の目も気にして身動きできなかっただけのことで、それが外れた途端にわんさか街へと繰り出してはしっかり感染していたりするから吹き出すというか。民度が高いならたとえお上がたがを緩めても、こうして増えているならやっぱり出かけないし遊ばないのが民度だろう。そうじゃないならただの公的抑圧。それを粛々と守るのが民度というなら自立に根ざして価値を判断する民度とは正反対のものでしかない。やっぱり冴えないこの国の政治。

 密室で事件が起こったら、その密室のトリックを解き明かして証拠を並べ立て動機を洗ってこいつしかいないという真犯人をあぶり出すのが名探偵という奴だけれど、そうした密室のトリックが、誰にでも起こせるのだという状況を用意して並べ立てることによって真相から探偵を遠ざけ、迷宮入りにしてしまう存在はいったい何だろう。どうやら魔女と呼ぶらしい。「迷宮落としの魔女」。そう呼ばれる紫色の髪をもった焔螺(ほむら)という少女が登場するのが小林一星による小学館ライトノベル大賞審査員特別賞受賞作の「シュレディンガーの猫探し」(ガガガ文庫)だ。

 その名も守明令和という名の高校生には守明弥生という妹がいて、その妹はたとえば季節に関係なく全天の星が一度に現れるような現象が起こると言って周囲を不思議がらせる。俗に「やよいトリップ」。どうやらそれは未来予知的なものらしく、やがて同じ様なことが数年後に起こったりする。たとえば学校で更衣室として利用されている部屋のロッカーがいっせいいに開かなくなるような事件。そしてロッカーに入れていた手紙が神隠しに遭う事件。鍵を閉めて外に出てからロッカーをズラすことで鍵を合わなくしたんだろうとか、そんなトリックが考えられる。

 けれどもだったらそれを誰がやる? どうしてやる? といった謎から名探偵が現れ解決しようとするけれど、妹に害が及ぶかもしれないから解かせたくないと考えた兄の令和が、文芸部でたった1人活動する芥川という少女を介して洋館に暮らす焔螺を紹介され、そして共に学校に行って高校生探偵の明智太陽を無理矢理にひとつの可能性へと誘導していく。解決さえすれば気にしない世間に対してその解決は作られたものと訴えたところで通じない。そんな手段で迷宮落としをしていく焔螺とは本当に魔女なのか。そして「やよいトリップ」とは。

 弥生と令和の死んでしまった姉が残した謎めいた本が消えた事件を経て、令和に開かされた焔螺の不思議な存在がSFめいて来る。、開けなければ猫は生きているか死んでいるか分からないし、そのどちらでもあるシュレディンガーの思考実験に閉じた密室を開け放って猫が死んでいるか生きているかを確認するのがミステリ。そこで再び扉を閉じて事件を曖昧にしてしまう、謎解きならぬ謎作りの物語。よくもまあこういうのを考えたものだ。そして刊行したものだガガガ文庫。芥川さんと焔螺がどういう関係なのか、そこに令和がどう絡んだからこそ焔螺が守明という名字に反応したのか。考えると想像も浮かぶけどそういう想像すら崩してくるかもしれないなあ、迷宮落としの魔女だけに。


【7月1日】 目覚めたら池澤春菜さんのご結婚が公表されていた。最近ちょっと触っている「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」で豪役を務めた声優さん。最初にお見かけしてから四半世紀近く経っているのに変わらないお美しさを持っている方を伴侶に得られた方がまずは羨ましい。聞けば「超超超遠距離生活」というからもしかしたらお相手は異星人か異世界人か。なんてことはないと思うけど、日本SF作家クラブ理事の池澤春菜さんなら不思議はないのだった。本当はいかに。いずれにしてもおめでとうございます。

 年に4回開催しては都度都度に出展者からいただいた参加費とかカタログへの広告費なんかを集めつつ次の開催につなげていっていたんだろうか。そうした循環が新型コロナウイルス感染症の流行を防ぐためにイベントが休止となる中で、同人誌即売会のコミティアも5月開催のコミティア132extraを中止にして、そして秋開催のコミティア133の開催に向けて動ている中で、もしも中止になってしまい、そして続くコミティア134も中止になったら何が起こるかといった苦境をつづって来た。

 曰く「もし2020年内のコミティアが全て中止になった場合、今後の開催を継続することは難しくなります。そこでコミティアの開催以外からの収益を確保する必要があると判断し、クラウドファンディングの実施を検討しています」。そうなってしまった場合に、コミックマーケットとはまた違った創作系同人誌の発表の場、コミケほど混雑はせずゆっくりと見て回れてそして出会いもある場が失われてしまうことは、漫画文化にとってもエンターテインメントの状況にとっても、大きくて激しいダメージをもたらしそう。

 そうならないで欲しいとは思うし、ゆっくりとだけれどイベントが開かれる動きが進んでいるなら9月だったら大丈夫だろう、そして11月も動いてくれるだろうといった可能性はある。あるけれども一方で連日50人以上の新規感染者を出し、今日とか67人もの新規感染者が出た東京都がこれからの動きの中でさらに100人超えの状況へといたれば、以前のようにイベントの開始は取りやめとされてしまうだろう。企業の活動は続けられながらも。

 どうも小池都知事は感染者数がどれだけ増えようとも、病院はもうパンクしていないからと経済活動の制限に向かう方向にはないらしい。つまりは感染して発病して重篤化して亡くなる人が出てもそれは自己責任だということなのか。病院がパンクしかかっていようがすいていようが、お年寄りや既往症を持った人たちはかかれば重篤化して亡くなるリスクを背負ったまま。そうした人たちを減らすには、やはり感染者数を抑制するような施策が必要であるにも関わらず、経済活動は元通りにして会社も再開されて通勤ラッシュも戻っている。

 これで感染者が前のように戻らないという保証はないのだけれど、そうしたリスクを減らさず弱者を見殺しにするような施策がどうしてとがめられないのかが分からない。老人や既往症の持ち主は出歩くなというのか。出歩くなら自己責任だというのか。そうなのかもなあ。そうした弱者の巻き添えで自分たちの経済活動が停滞させられてはたまらないという”一般”の声が高まっていくこともありそうだし。それが差別につながらなければいいのだけれど。

 もちろん、そうなってしまったらコミティアどころではなくなって、中止になってコミティアが崩壊してしまうから感染拡大にはならないで欲しいもの。一方で増える新規感染者数にそうならざるを得ない可能性も伺える。今を絞って未来を拓く英断、せめて11月の開催は可能になるような決定があるかないか。見定めたいけど東京都知事選までは動かないだろうなあ。

 政府が配布した布マスク、俗称「アベノマスク」が新型コロナウイルス対策の感性拡大の防止に、一定の効果を有しているといった閣議決定を政府が行ったとか。いやいや、感染拡大が一段落してからようやく届いた「アベノマスク」のどこに防止の効果があったんだ。政府はどうやら布マスクを着用することで、「せきなどで生じるウイルス等の病原体を含む飛沫の飛散を防ぎ、感染を防止する効果がある」といった認識から、効果は有るといったことは示したけれどもそれは布マスクそのものの効能であって、一連の動きの中で「アベノマスク」が配布されたことを示してのものじゃない。薬が病気に効くといっても、病気の流行時に配られなかったらそれは無意味。そうした議論をすっ飛ばして効果を閣議決定までして、いったい何がしたいのか。みっともないことこの上ない。

 そんな指摘をしたところで、政府には馬耳東風なところがどうにもこうにも息苦しい。何を言ってものれんに腕押しぬかに釘な状況に、世間も慣れてしまっているのはどうしてなんだろうなあ、香港の自治を求める動きや、アメリカなどでの黒人への差別撤回を求めるのデモみたいな実行伴っていないからか。とはいえその香港では、「香港独立」と書かれた旗を持っているるだけで「国家分裂」を煽る言動きだと咎められて逮捕されるようになってしまったらしい。香港国家安全維持法違反。だったら「香港独特」だとか「香港特別」と訴えたらどうなるのかは興味もあるけど、それはそれで「政府転覆」と咎められるかもしれない。もう何もできないだろうなあ、香港。それに比べてまだいろいろできる日本で何か起こってくるか。起こらざるを得ないか。見定めたい。


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