縮刷版2020年5月上旬号


【5月10日】 「響け!ユーフォニアム」なんかでもお馴染みの全日本吹奏楽コンクールが今年の開催を断念したそうで、各県とかさらに小さな地方とか、ちょっと広くなる地域での大会がどうなるかは分からないそうだけれど、この流れでいくならより早い開催となる今回はやっぱり中止せざるを得ないだろう。夏の県別なりの大会に向けてそろそろ本格的に練習しなくちゃいけない時期だし、京都府立北宇治高等学校だったらサンライズフェスティバルへの出場に向けて練習とそれからユニフォームの制作をしなくちゃいけない。でも今のこの状況では新入部員のパート分けすら行われていないからやっぱり参加は無理だろう。

 そんな吹奏楽部で黄前久美子たちが今年3年生になったとしたら、前年に関西大会でダメ金に留まったところからのリベンジはできず、加藤葉月も3年生でようやく掴んだ大会メンバーの座を掴めないまま卒業を迎えてしまうことになる。そういう寂しい事態が全国的に起こってしまうこの状況を、だからといって救う方法がないのがどうにも悔しい。外野でそうなんだから当事者たちにとっては泣きたくなるような事態だろう。音楽に限らずスポーツでも各所で発生しているこうした事態が社会にどういった影響を与えていくのか。若い人たちの心にどんな溝を刻んでいくのか。これから何十年もかけて明らかにされていくんだろうなあ、東大が学生運動で入試を中止した時みたいに。

 約束したマスクの2枚すら未だに配布できていない政府だけれど、そうやって何もしないだけでなく経済活動ではむしろマイナスの影響を与える気が満々な感じ。新型コロナウイルス感染症の流行に伴い事業にとてつもない影響が出た事業者に対して、東京都をはじめ各地の自治体が休業要請に応じてくれたら協力金を提供して売り上げの減少をカバーする施策をとっていることについて、政府はこれを課税の対象にする方針を決めたとか。

 理由は「休業対象以外の事業者との公平性を保てないと判断した」からでそうで、なるほどといった理屈ではあるものの休業対象に入ってなくても配慮して休んでいる事業者休んでいるところはあって、そうしたところが申請を求めてもしも支払われるとして、それでも課税されるのだったら不思議な話だし、休業要請の対象以外でも、営業時間の短縮で売り上げが落ちているのだったらそれを補うような施策を打ち出し、バランスを取れば良い話。にも関わらず、そっちは課税するなら全部も課税ではあまり社会のお役に立っているようには見えない。

 結果として多くの業種が協力金をもらったところで赤字になって課税対象から外れるだろうから、無理に非課税にしなくても良いってスタンスもあるんだろうけれど、それでも税金とる気満々という国のスタンスにはやっぱり国民として見捨てられた感を憶えそうな気がする。マスクすら配れなかった政府がすでに満ちて来ているマスクの配布をすっぱりあきらめ、その分の財源を振り当て新しい施策でも打ち出すなら別だけど、そっちは決まったことだからと遂行するんだろうなあ。6月に届く布マスク。意味あるのかねえ。

 これが「#ただの検察庁法改正には興味ありません。この中に黒川弘務・東京高検検事長の検事総長起用、そのための定年延長、それに必用な検察庁法改正に抗議する人が居たらこのハッシュタグを書きなさい。以上」だったら笑える話になったけれど、ハッシュタグは短く「検察庁法改正には興味ありません」。それで何を意思表示できるかといえば、政府がやろうとしている特定個人の引き上げを目的にしているとしか思えない無理矢理の法律改正を見過ごすことだったりする。

 そうしたスルーによって何が起こるかといえば、この国の法律による権力者への断罪を、不可能にしかねない見通しをはらんでいたりして、だから「#検察庁法改正に抗議します」というハッシュタグが作られ、大勢がそれを含んだツイートをしている。そうした動きに対そのものに無視を決め込むならまだしも、法律改正そのものを無視するという意思表示は無関心ということではなく、賛成を意味するカウンター的な意識のアピール。それがハッシュタグ化されてぶつけられること事態は言論活動の健全さを示すものだけれど、敢えて作られるところにこの後に及んで政権の施策を認めたい、支持したいという人がいたりする現れとも言える。分かっているのかいないのか。こっちが真意を分かっていないのか。いずれにしても可視化された抗議の数が何をもたらすか。それとも何ももたらさないか。見守りたい。

 アラン・シルヴァスタの声がだんだんと堺雅人さんに聞こえてきたりもした「BNA ビー・エヌ・エー」の7話から12話までのNetflixによる配信。獣人たちが楽園として寄り集まったアニマシティが抱えた問題が明らかになって、それに対して片方から解決のアプローチがあったけれどそれがどれだけの問題を孕むのか、ってことを考えた時にアイヌだとかオーストラリアで行われた同化政策なんかを思い浮かべて、それはやっぱり違うだろうという気にさせられる。本来だったらアニマシティに隔離されていることすら問題な訳だけれど、そこは性質の違いもあって分けざるを得ないのだとして、獣人たちが獣人として暮らし続けられる環境が、補償されるには何が必要かってことを考えて、出されたもう一方の策が現状では妥当なのかもしれない。とはいえ持っている本来の資質が“改造”されてしまうのも寂しい話。生まれ持った資質をそのまま持ち続けられる世界を望む。


  【5月9日】 ネットに流れていたネコ動画を見たのが影響したか、明け方にかけてみた夢にネコがわんさか登場。今は建て直した実家で、1階にある応接間から出ると凄まじいばかりのネコがあらゆる場所に入り込んでいて、足下をすり抜けて外へと出て行こうとする。かき分けでトイレに入って用を足そうとすると、そこでもくみ取り式の便所の中にネコが落ちそうになったの、で慌てて蓋をして防ごうとしても収まらない。2階にある部屋に上がって寝ようとすると、今度は布団の中がネコだらけで、顔にもガンガン乗ってくる。

 中には夏目友人帳のニャンコ先生みたいなフィギュアっぽかったりするものや、顔がないロボットのようなものもあって、もはやネコとは言えずもう無茶苦茶なシチュエーション。それらを捕まえては放り投げてもまた乗ってくる繰り返し。夢なのにしっかりと感触が伝わってくる。そこからやがて場面は流れて、部屋にネコはいなくなっても、外に出るとなぜか森になっている庭でネコが気持ちよさそうに寝ているのを、フィルムのカメラに望遠レンズを付けて撮って回っている。そんな夢に意味があるとしたら、ネコでもいいから今は構いたいという孤独な暮らしから浮かぶ欲望の現れか。動画に猫が見えると妙に落ち着くものなあ。

 何かのための覚え書き。森田修平監督によるOVAの「FREEDOM」を見返して、「空挺ドラゴンズ」とか「ドロヘドロ」とか「ブブキ・ブランキ」とかいった3DCGでセルルックで見た目にも動きにも違和感のないアニメが普通に作られるようになっている今から14年から12年前の「FREEDOM」と見ても、それほど劣っているとは思えなかった。大友克洋さんのキャラクターという元々が立体感を持って描かれているものが動いたらこうなるといった予想があって、それに近い動きをしてくれていたこともあるけれど、手付けされたという仕草などが棒立ち感をなくして人間らしさをそこに感じされてくれていたことも大きいようだ。

そう、WEBアニメスタイルでの小黒祐一郎氏による森田修平監督へのインタビューによればモーションキャプチャーは使われず動きは手でつけられたとのこと。なおかつ表情にもこだわっているようで、目の動きとか口の開き方をみっちりしっかり考えてあって、それがアニメを見る人たちに違和感を憶えさせない理由になっているらしい。別のインタビューでは森田監督は「目の強さ」といったことも言っていたけれど、そうした眼差しの強さに加えて、どこを見ているかという視線の誘導、そして何を考えているかといった目の表情もしっかり整えられている。

 僕が個人的に大好きな沼田友というアニメーション作家がいて、3DCGでモデリングをするけれどこれがどうにもよろしくなくて、人によっては落書きのキャラクターにすら見えてしまう。そのキャラクターをとてつもなく極上なシナリオで乗せて動かすから、ストーリーとしてまず見れてしまうけれど、それに加えて拙いキャラクターでもしっかりと視線をつけて、どこを見ているか、何を考えているかが伝わるようになっている。この計算が抜群だから、ルックを超えて作品に入っていける。

「FREEDOM」は商業作品だけあってルックも抜群な上に視線の誘導や目の表情の着け方も抜群。そして口も目ほどに物を言っていて(当たり前だが)、しゃべりに合わせてタイミングだけでなく表情もちゃんとマッチして動いている。これは森田監督の次の作品「コイ☆セント」のメイキングを話すセミナーで聞いた話だが、3Dのモデルに口を刻んでそのまま動かしても、キャラクターをぐるりと回すとまるで表情が出なくなってしまう。

 だから監督は口をひん曲げ片方に大きく引っ張るなどして表情を着け、その角度からベストに見える表情にしていったという。まだ「コイ☆セント」を作る前に、「FREEDOM」でオープニングを手がけた神風動画の創業者で、「ニンジャバットマン」を監督した水崎淳平さんも交えて森田監督がデジタルハリウッドでトークをした時も、「FREEDOM」ではカメラ位置を決めてそこからベストな形に顎や口を整えていると話していた。

 そうした作業が3DCGのアニメを2Dライクに見せる。逆にモーションキャプチャーによって人の動きを取り込み、人形を動かしているようなルックに落ち着いた「ULTRAMAN」や「攻殻機動隊SAC_2045」では、表情の芝居といったものはさほど意味を持たない。それでもそちらはそれで面白く、「FREEDOM」やその進化形となる「コイ☆セント」も面白い。2Dにだっていろいろな表現があるのだから、3Dにもあらゆる表現があって良い。選ぶのは視る人たちなのだから。

 通っている三鷹の仕事場で以前に行われたNHK京都のロケが使われたニュースが放送されてたみたい。アニメの資料の取扱に関する報道で、太秦にある東映のスタジオで古い「白蛇伝」の絵コンテとか人形が発見されたという話を冒頭に起きつつ、練馬にある博物館に所蔵されている「一休さん」や「銀河鉄道999」のセル画に背景画なんかは、個人のアニメーターが気に入ってもらって保管していたものが大半で、ほとんどは捨てられてしまって今は残っていないのが残念といった話がされていた。

 そこから延長で、積極的にアーカイブを行っているプロダクション・アイジーが紹介されて、「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」なんかのセル画をどうやって保存しているかが紹介された。袋に詰めてバーコードを貼って撮影といった手順をやってみせて、そこと撮影して一応の流れとして紹介。そこで働いている自分が映っていたけれど、関西での放送が中心みたいなのが残念というか。とはいえ今の時代、ネットでも動画がしっかり流れて5分近い映像にしっかり映っていたので、これでもってとりあえず足跡は残せたと誇りたい。どうせ世を捨てた未なので地道にアニメのために何かをしていければ。でも食べていかないと。ここのギャップを何で埋めるかが今の課題か。永遠の課題かも。


【5月8日】 6月の東京おもちゃショー2020は中止にはなったけれど、その後のイベントがどうなるかってあたりが今は気になっていたところに9月開催の東京ゲームショウ2020が幕張メッセでのリアルな開催を中止といった方向を打ち出してきた。代わりにオンラインでの開催なんかを模索するそうで、3月に開かれる予定だったAnimeJapanが中止になってANIPLEXが自社の発表なんかをオンラインに切り替えたように、ゲーム各社がそれぞれに発表とかイベントをオンライン展開するのか、それともゲームショウとしてポータルを持ちつつ各社のイベントを配信するのか、そこは未定ながらも各社が配信時間なんかを勘案しながら、ある程度まとまって情報を展開していくことになるのかな。

 いやそれなら別にゲームショウと銘打つ必要もなく、個々の会社が個別にそれぞれの理想のタイミングで情報発信wすれば良いだけで、ゲームショウなどという冠すら不要になってしまいそう。あるいはソニー・インタラクティブエンタテインメントなり任天堂なりのプラットフォーマーが、対応タイトルを集めて発表するようなネットカンファレンス形式でのイベント展開とか。そうなるともはやCESAとしての役割すら否定されかねないから、どうにかこうにかイベントとしての体はなしていくことになるのかな。元より任天堂はプラットフォーマーとしてゲームショウには出してないから関係なさそうだけれど。

 CESAが主体を持てるとしたら、海外から日本へと売り込みたいゲームを束ねて紹介するようなビジネス寄りのオンラインカンファレンスかなあ。個別に展開してもお客さんとか集まりそうもないから、そこはCESAが頑張ると。あるいはインディーゲームコーナーで、ある程度の取捨選択を行った上でCESAお墨付きのインディゲームを並べて見てもらってコンシューマからもビジネスからも評判を得られるような仕組みを作る、と。誰かがプレイしているのを実況なり解説なりしている動画配信があれば面白いんだけれど。

 VRのように体験が主体となるタイトルはオンラインだとHDMがなければ楽しめないから展開が難しいかな。そういうのを体験できる場所をたとえば全国各地に用意してあげて、人数とか行列の感覚とかを調整しながら楽しんでもらえるようにするとかあれば良いんだけれど。せっかく幕張メッセっていう固定された場所から離れるんだから、全国がゲームショウの会場になればだれもがうれしいのに。全世界でも良いか。E3がどういう対応をしてくるかがあるいは先行事例となりそう。

 開発者向けカンファレンスのCEDECもオンラインでの開催になったようで、遠くパシフィコ横浜まで出かけなくても見られるならこれはうれしがる人もいるかもしれない。会員なり会費を払った人とは別に、プレス登録した人向けにIDを発行してくれて、それで見られるようにしてくれれば家なりカフェなりから見てそれをすぐさま記事にするとかいったリモートでのお仕事はできそう。そのあたり考えてくれると良いけれど。それにしても8月開催のアニサマはどうなるんだろう。やっぱり開催されるのかなあ。いややっぱり難しいだろうなあ。

 すばらしい! 大人も子供も感涙に浸った劇場アニメーション映画「若おかみは小学生!」が何とNHKのEテレで地上波放送されるとか。テレビシリーズと同じテレビ東京が出資していて系列のAT−Xも製作委員会に名を連ねているからそっちが先だと思っていたけど、そうしたしがらみを飛び越えて全国で見られるNHKでの放送となって、これで見られる人が一気に広がりそう。劇場での公開もされてはいたし、打ち切られそうな瀬戸際からの拡大公開も行われたけれど、それで見られた人ってやっぱり限られているから。

 そりゃあスタジオジブリ枠となっている日本テレビの金曜ロードショー枠なんかでドカンと放送されれば、いろいろと話題にもなって知名度も広がるんだけれど、そこだとやっぱりジブリ枠って範疇に入れられて独自性がついてこない。NHKでの深夜ではなく昼間の時間帯での放送は、やっぱりあまり家から出られないだろう状況の中、親子で見てくれる人とかいてそれで感動と感涙を引き起こしそう。そうやって認知されることによってパッケージがまた売れれば、高坂希太郎監督も次を作るってことになるだろうなあ。あるいはテレビシリーズの再放送とか。

 どういう経緯でNHKでの放送が決まったかは分からないけれど、テレビ東京側も機動的にウインドウを判断してくれてそれはそれで英断って言えそう。こうした試みから子供が本当に楽しめそうな劇場アニメ映画がどんどんとテレビにかかって、ジブリじゃなければアニメ映画じゃない的なテレビ業界的な気分を吹き飛ばしてくれるとありがたい。「マイマイ新子と千年の魔法」とそして「虹色ほたる〜永遠の夏休み〜」も放送しないかなあ。してほしいなあ。こうした作品がこんなにあるんだと知られることで、子供向けのアニメーションがないと指摘した片渕須直監督の残念な思いも払拭されていくだろうから。

 スーパーに箱でマスクが積まれていたと思ったら、コンビニにマスクが入ってこれで世の中に本格的にマスクが流通し始めた感触。通っている先もスタジオの入口にマスクが置かれてスタッフが使えるようになっていたし、手には入って配れるだけの目安がついたってことなんだろうけどそれは決して国がマスクを配ったから余裕が出来たんじゃなく、生産が追いつき輸入も始まり現場も高止まりではあっても急拡大からは逃れられた中で、市中に回すマスクが出始めたってことなんだろう。ってか未だに国からのマスクは届いておらず、調べると東京の一部に配った程度。それで国のおかげでマスクが余り始めただなんてよく言える。ちゃんと予定どおりに配れていたらタイミング的にもそう言えたけど、配られてない今に言っても空威張りに過ぎない。でも信じる人は信じるんだろう。そういう人が7年も支えてしまった。やれやれ。


【5月7日】 先月の4月15日まで仕事に通っていたアニメーションスタジオがとりあえず、業務を再開したというのでそれこそ4月16日以来のJR総武線とそれから東京メトロ東西線に乗車。見てJR総武線の車内に吊り下げられていた広告が、ほとんどJR東日本関係のものになっていたことに気付く。未だに2020年の東京オリンピックのオフィシャルパートナーだかになっているって告知が出ていて、それを差し替える余裕もないんだろうなあという気もしたけれど、来年開かれる五輪が東京2021になると決まった訳ではなく、同じ名前で行く可能性もあるからこれはこれで仕方がないのかも。

 途中で乗り換えた西船橋の駅にある書店はまだ開いておらず、そこなら売っているはずの京都アニメーションが刊行するKAエスマ文庫は買えず。まあそっちは通販で京アニショップに注文したからいずれ届くとは思うんだけれど、駅構内にあってライトノベルが豊富に並ぶ書店だっただけに開いていないのはやっぱり不便。ときわ書房本店が開いていてとりあえず間に合いはするものの、急いで買いたい時とかはやっぱり開いていて欲しかった。同じ理由からか三鷹駅の上にある本屋も閉まっているし、駅構内のプロントもサブウェイもやっぱり閉店状態のまま。電源がとれる店だけに早く再開して欲しいもの。それは図書館も同じか。

 午前中から起きだしては立ったり座ったりしながら過ごすのも20日ぶりくらい。それで疲れるほど柔ではないものの、もしもあと1カ月とか同じ状態が続いていたら、背中が布団に張りついて起き上がれなくなっていた可能性すらあったかも。近所のコンビニに買い物に行くことすら面倒になって、買いだめしたものを少しずつ食べては体力を衰えさえるといった日々。そこに原稿書きという仕事が挟まってくれていたおかげで、夕方であっても外に出て喫茶店で原稿を書こうという気になれた。これは有り難かったかも。

 あとは再開した仕事がずっと続けば体力的にも財力的にも有り難いけれど、今のこの社会でどんな業種も結構厳しいから、いつ何がどうなるか分からないので今は遊ぶのも我慢をしながら食べることだけに専念しつつネタになる本を読みアニメを見て映画とか行き展覧会に通って……って前とまったく変わってないや。つまりはそういう暮らしをずっと続けて来たし、これからもずっと続けていけば良いだけか。遠くに遊びには行けないけれど、行ったところで名古屋に帰省をするくらいだったものなあ。60歳まではそうやってどうにか生き延びよう。

 宝塚市で子ども達がポリ袋を改造した防護服を作って医師会に寄贈したって話に、ポリ袋じゃダメだろって意見がガンガンと出ていた件で日が変わっても同じ様な意見が寄せられる一方で、作り方が示されたサイトなんかを紹介しながらとりあえずは医師が監修をしているって話が広まり、一方で現場ではポリ袋を使った防護服だって必要になっているのに、それを作っている余裕がないからむしろ有り難いって声も出始めてバランスが取れてきた恰好。ここで大切なのは条件反射で善意は偽善で効果は無いとは言わず、どうしてそうなているかを踏みとどまって考えることなのかも。PCR検査が少ないから日本が世界各国から攻められているという話も、現実に死者が少ないところからあるいは悪くない判断だったと見るべきか、それとも。これはちょっと分からないなあ。あと数週間、日本の感染がどうなっているか見てみないと。

 しかし日本で577人しかまだ亡くなっていない一方で、人口が2倍のアメリカで10倍もの5万7000人が亡くなっているというこの違いが何なのかがちょっと分からない。仮に肺炎で亡くなっても新型コロナウイルス感染症ではないと判定されていたとしても、増えて倍にもならないだろうから1000人くらいで、アメリカに遠く及ばない。この違いが単純に国民皆保険制度があるかないかの差なのか、免疫的な差があるのか医療機関の対応なのか中国よりも欧州との行き来の方が感染を拡大させたのか、今後の調査が待たれるとして今のこの差を勘案しないで、日本は間違っているとか遅れているというのもちょっと違う気がしてきた。とはいえ安心は出来ないのでやっぱり数週間は様子見かな。

 絵は酷いし展開もグダグダだけれどそれなりに安心して見ていられる「プランダラ」。過去に戻った一行が離人と出会って頑張っていたけれども条約が切り替わって戦争が始まって学園にいた生徒達がおそわれる中、改造手術を受けていた離人にも聞きが迫る。そして撃墜王になるのかそれとも違う展開が待っているのか。未来が変わってしまう可能性を抑えつつ過去を変えようとして出来るのか。タイムパラドックスにも挑む展開がどうなるかに興味。漫画を読めば分かるんだろうけど今から読むのもなあ。そういえば「吸血鬼すぐ死ぬ」てのがアニメ化だそうで話題になっていたけど、これも読むのは巻数が多くて大変そうなのでアニメになるのを待とう。始まるんだろうか予定どおりに。


【5月6日】 昨日近所のカフェで見かけた小学生だか中学生の女子は利用できるネットを使ってタブレットで大手進学学習塾ののネット講義を見ながら勉強していた。公教育は出遅れている部分でも塾とか予備校とかはずっと前からやっていたこと。N高等学校に入学した人が実は1番勉強している的な状況が今、あったりするのかもしれない。スクーリングの”密”必須だけ何とかなれば完全ネット化も可能だものなあ。“密”の反対を行く所沢への拠点移転と、それに伴う「翔んで埼玉」的な意識からの自宅テレワーク化移行と共に、KADOKAWAの時代の先を見る目をちょっと感じてしまったよ。

 受け取ったのが医師会なんだから、善意しかない効能ゼロのものを相手を傷つけちゃいけないからって受け取るはずもないだろうと、考えれば想像もつきそうだけれど、そこに偽善めいたものとか親の欲目みたいなものを無理に観ようとして、言いなりにささせられている子ども達の不幸を感じ取り、やらせている世間の風潮を戦時の統制めいた原動と重ねて批判したい人たちがやっぱり少なくないんだろうなあ。宝塚市で子ども達が、新型コロナウイルス感染症の流行している状況下で使う防護服が不足しているという話に対して、ポリ袋で簡易防護服を作って宝塚医師会に寄贈したという話が毎日新聞で報じられて、ほとんどがそんな役立たずのものを贈って迷惑だろうといった反応を示している。

 最初は確かにそうも思ったけれど、いっしょに医師会の人も写真に写っているなら根拠もあるんだろうと調べたら、尼崎市にある会社がアメリカで2001年の同時多発テロ発生時に細菌戦を想定して考案された簡易防護服の作り方をアレンジして、医師の監修なんかも経てポリ袋での作り方を紹介していたって話に行き当たった。そこがいろいろな問い合わせを受け、その中に宝塚市の子ども達の話もあって作り方を動画で配信し、それを観て子ども達が作ったって話になっていた。受け取る宝塚市の医師会もとりあえず大丈夫と言っているみたいで、だったら別に外が騒ぐ話じゃない。つまりはこれでおしまいってこと。

 そこにはウイルスを完全に防御するものではないといった但し書きがあるし、使い方も例えば家庭で新型コロナウイルスに感染した人が療養なんかをしている場合、家族への感染を防ぐ意味からこうした防御服を自宅で作って大いに利用できる。医師会経由で家庭で療養中の人がいる家族に配るって手もある。ただの善意ではなく身のある善意だったって訳。問題はだから報じる側で、可能性としてただの善意なのかもしれない、効果はないと言われるかもしれない可能性を鑑みて、記事に但し書きはあるけれども有用だと認められていると書かないと、批判を浴びて子どもたちや進めた親たちが酷いことになるといった想像が働かなかったのかが気になる。新聞なり報道への信頼がだだ下がりしている状況でも、自分たちの正義を信じちゃっているのかなあ。それが今の報道なりメディアの下降線に繋がっているのだけれど。見渡そうよ周囲を。

 声優の石川由衣さんに害を及ぼすといった脅迫がネットにかき込まれた件は、警察への通報とか行われてこれから犯人捜しが始まるからそちらの経過を待ちたいとして、同じように脅迫の対象になっていた「けものフレンズ」のたつき監督が、一連の動きを伝えるまとめサイトに対して憤りを表明していて、このままなら犯罪とも関連づけて報告するぞと宣告。載せていたサイトなんかは記事を引っ込めたみたいだけれど、それで果たして憤りが収まるか。

 何しろたつき監督、「かねてから大手まとめサイトは真摯な人間や真剣なお客さんを外野から茶化し、怒りや対立を煽り、業界に泥をかけながら反社会的な金稼ぎを増大させている印象ですが、最近これら扇動の実害が笑いごとでなくなりつつあります」とまで言ってまとめサイトを批判している。消されてしまった記事を保存してあった場所で見たら、なるほど犯人像を特定の勢力に限定し、そういった方面への批判を煽っているところがあった。犯人への憤りが自分のファンであり自分自身に向かえばそりゃあ、たつき監督も怒るだろう。

 そうしたことをまとめサイトが意図していやっているのか、もはや反射として何かを批判し対立を煽る方がアクセスが稼げるといった判断が瞬時に働いて、影響を考えずにそうしてしまっているのか。そこも気になるけれども過去、まとめサイトに対する批判が何度も起こりながら改善されず閉鎖もされないで残り続けていることが、どうにも謎めくしネットのネガティブな勘定を集め煽って広める役割が、求められている現れなのかもしれないと思えてくる。それでもやっぱりあっちゃ拙いのなら、ここいらで改善への動きも始まるのか。「ケムリクサ」が星雲賞を獲得しても、夏の日本SF大会がないからたつき監督には会えそうもないけれど、いつか聞いてみたいその意見。来春に移った大会に期待だ。


【5月5日】 NHKで「未来少年コナン」のテレビ放送が始まったようだけれど、テレビが映らないので見ることができず噂の16:9による横長の画面が、大昔に見た時とどれほど違って見えるかを確かめられないのが残念なところ。Netflixだかどこかから再生すれば見られはするけど、小さい画面で見るのと大きな画面で見るのとでは印象も違うだろうから比べられない。まあ物語事態が変わる訳ではないので、ラナとコナンの出会いから残され島を出てコナンが大冒険を繰り広げつつジムシーら仲間と出会い、ハイハーバーで平穏な日々を過ごしそして三角塔でのスペクタクルへと至る過程を、今の子どもたちもきっと楽しく見てくれることだろう。

 とはいえ、放送時間が夜遅いのがそれだと残念なところで、どうせだったら前みたいに午後7時半くらいから放送してくれれば夕食後の団らんに見て感動もできたかもしれない。といっても今時の午後7時台は子どもがテレビアニメを見る時間ではなくなっている。「名探偵コナン」だって夕方という時間帯だからそういう時間にNHKが合わせる訳にもいかないとなると、元の番組だった「キングダム」の時間しかないんだろう。願うならその時間の録画を子どもに見せてあげて欲しいもの。「コナンだよ」と騙してでも、ってそれやると違いに引かれるかな、でも殺人とかないから「コナン」より健全だと思うぞ。

 そうそう「未来少年コナン」といえば、バンダイビジュアルが初のDVDタイトルを出す時に選んだのが確かこれだったような記憶。1997年7月25にT意発売で、CDと同じサイズのケースにディスクが入って6枚組になっていて、それがボックスに入っていた。メモリアルボックスっていうのかな。もちろん買ってみたけれど、パイオニアのレーザーディスクとコンパチの再生機で再生すると妙なノイズが出まくった。トラッキングエラーというよりブロックノイズ。デジタルで圧縮して収録したDVDは、データがアナログで入っているレーザーディスクと違って隙間を絵が埋めてないため間が揺れてノイズが出るって話だたtけど、満を持しての初DVDタイトルなら、そうしたエラーはクリアしてくると思ったら逆だった。

 もう堂々のエラー出まくりではあったけれど、それも含めてあの時代のアニメDVDの歴史ってことになるのかも。押され気味のレーザーディスクがアニメはLDで観ようなんてキャンペーンを張ってたなあ。とりわけパイオニアLDCが。でもすぐにDVDへと道を転換していろいろと出していったっけ。1998年の「serial experiments lain」はレーザーディスクじゃなくDVDでそろえたから。バンダイビジュアルは同時期に「アルプスの少女ハイジ」のDVDもパート1とパート2の2箱体制で出したけれど、これもブロックノイズ塗れなんだろうか。ちょっと気になる。

 アニメのバンダイビジュアルなだけに、やっぱり「未来少年コナン」のメモリアルボックスがアニメでは初のDVDかというと、同じ1997年7月の18日だかに「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビシリーズのDVDがリリースされている。第1巻でキングレコードとガイナックスの両方から確か出たっけか。家ではキングレコード盤をそろえたけれど、それはブロックノイズとか気にならなかったような気がする。今見たらどうなんだろう。とはいえ「エヴァ」は後に出たモノリス型のボックスに入ったDVDを買い、ブルーレイボックスと一緒に出たDVDボックスも買ってと3種類4セットが家にある。なおかつNetflixでも見られるので今となってはディスクで見ることもなさそう。いつか暇になったら朝から順に再生していきたいものだ、って今が暇じゃないか? 貧乏が心から余裕を奪っているので無理かなあ。ってことは一生無理か。人生ままならないねえ。

 今敏監督についてあれやこれや考えていたら、「パプリカ」がNetflixに来ていてつい見始めてそして最後まで見てしまった。いやあ面白い。実を言うと「パーフェクトブルー」のような入り組んだ感じがあまりなく、「千年女優」のトリッキーな感じもなく、「東京ゴッドファーザーズ」ほどのシナリオ的な完璧さもなくってどこか平板な印象が今敏監督作品ではあった気がした「パプリカ」なんだけど、見れば見るほど最初から最後まで計算されてて伏線だとかもしっかり回収されていて、観終わるとああ良い映画を観たなあって気にさせられてしまう。終わりの一言も最高。「千年女優」にも匹敵する終わりだと思う。というか「パーフェクトブルー」にも。そこまで考え抜かれているんだよなあ、今敏監督作品って。

 絵もある意味で頂点を極めている感じで、ガラクタたちによるパレードにしても街中を行く人々にしても動きもフォルムも完璧すぎて、これらが手で描かれて居るなんてちょっと信じられなかったりする。貼り付けにされたパプリカの下腹部から腹にかけて小山内が手を突っ込んで上に引き上げていくところの、ぬぼっと入り込むあたりの弾力感とか皮が裂かれていくような感じとか、どうやたら手で描けるんだろう。あの入り組んだパレードを誰が描いていったんだろう。考えるほどに頭が痛くなる。原画とかみたいし美術とかみたいけど、そういう機会ってあまりない。他の作品も含めた大々的な回顧展が、没後10年のタイミングで開かれれば嬉しかったのに……。今のこの情勢で無理なら、せめてバーチャルでの上映会でも開かれて欲しいもの。願おう。そして実現に向けて応援しよう。


【5月4日】 エンドクレジットで確かめたいことがあってバンダイチャンネルで110円払って「FREEDOM」のの第6話を見る。ブルーレイボックスを持っているけど開いて最盛期にぶっ込んでテレビから離れて見る視聴スタイルがすでにまどろっこしく思ってしまうほど、目の前のモニターで再生できる便利さに染まってしまっているのかもしれない。

 第6話は月面の「エデン」から地球へと逃げ出すようにしてやってきたタケルとビスの人組が、また月へと戻ろうとしてロケットを打ち上げる話。懐かしのサターンVに積まれていたエンジンとかを持ち出しつつ、ロケットをくみ上げアポロ19号として打ち上げるまで。文明は相当に衰えていながらも科学の名残と2人が月から持ってきたヴィークルのコンピュータか何かを使って計算して打ち上げに持って行くところとか、かつてのアポロ計画よりは簡便にはなっているかな。

 映像はやっぱりオープニングが神風動画だけあって格好いい。3DCGでぐりぐりと回しつつところどころに大友克洋風なマンガのシーンを入れてミックスしてあって、今みてもそのままカップヌードルのCMに使えるんじゃないかと思った。歌も宇多田ヒカルだし。でもっていちおうはキャラクターなんかフル3DCGで描かれつつセルルックにしてある先駆的な作品だけれどセルルック的な見栄えは今よりむしろなじんでいる来もした。

 キャラクターが大友克洋風なだけあってぐりぐり回しても大丈夫な立体的造形だったってことおあるけど、それを見ていて違和感がないように歩かせ動かし、表情もつけて見せている。森田修平監督が次に作る「コイ☆セント」のメイキングを見たことがあって3Dで造形した上に表情はあちらこちらを曲げたり引っ張ったりしてその角度でベストに見えるようにしていたけれど、「FREEDOM」なんかでも人形として置いたらそれでおしまいじゃなく、いろいろと表情を付けたり動きを工夫したりしているんだろう。

 そういう積み重ねがサンライズの3DCGアニメに出ている、と。元は「スチームボーイ」でありデジタルエンジンってことになるのかな。今見ても視聴に完璧以上に耐える映像だし、ストーリーも抑圧された月からの脱出でありそして再び月へと向う話と見ていてワクワクする。文明がこれからどんどんと廃れていくだろう状況下、希望を持って生きるために必用な意識を与えてくれる。頑張ろうと思わせてくれる。そんなアニメだと思って見るといいのかも。

 京都アニメーションについて振り返る記事を書いたので、その分は京アニに還元しようという思ったというか、どうせ最初のを買ったのだから第2作目となる三好一郎さんの「バジャのスタジオ〜バジャのみた海〜」のブルーレイも買わなきゃいけないなあと思ったというか、そんな理由をつけて京アニのサイトで売り出していた「私たちは、いま!!全州2019」を購入する。作品に関するインタビューなんかも収録されているから、こっちを読んで記事は書くべきだったかとも思うけれども、引用ばかりになってしまいそうだから、そっちは読んで再確認しつつ本格的な復活が成された日に改めて何かを書きたいなあ。どこか書かせてくれないかなあ。

 振り返る記事でも重要な要素として触れたKAエスマ文庫について、週刊ポストのネット媒体が新作はアニメではなく小説といった見出して報道していて、ちょっとは呼び水になったのかもと勝手に妄想。だって普通は気付かないだろうから。ただ、4月5月に発売になった作品より前の2019年12月に「モボモガ」という結城弘さんの作品がリリースされているから、“復活”後の作品としてはこっちが早い気はする。続けて『時間』とう小説が出て3月に「ヴァイオレット・エヴァーガーデン エバー・アフター」が出て4月に1冊5月に1冊と5作連続刊行は、近年のKAエスマ文庫にしては異例とも言えるペースでの刊行。アニメがなかなか作れない状況で、本なら先を行けるという考えなのかな。

 なおかつ今やKAエスマ文庫は京アニにとってオリジナルの企画を集め送り出す源泉になっている。ねとらぼが行った京アニ作品はどれが好きかというアンケートでは、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が1位で「ハイ☆スピード」が原案の「Free!」が3位とオリジナル企画がベスト3で2作も占めた。「境界の彼方」シリーズが10位で「中二病でも恋がしたい!」シリーズも11、「ツルネ −風舞高校弓道部」が12上位だからオリジナル企画が結構上に来ていたりするところに、クリエイターだけでなく自社で権利が持てるオリジナル企画を出版という形で集め育ててきた先見性が見て取れる。それが今なお活発ってことはアニメもきっと大丈夫。本格復活を期待して今は待ち続ける。


【5月3日】 気がつくと5月に入っていただけでなく、3日も過ぎてしまって大型連休も残りが少なくなってきた。連休だけなら水曜日までで、木曜日金曜日も休みに入れればその次の日曜日までは大型連休と言えなくもないけれど、世間はだんだんと喧噪を取り戻して日常が戻って来るんだろう。とは言え、安倍総理大臣を中心とした政府は今の緊急事態宣言を1ヶ月ほど先まで伸ばしたい意向。だとすると5月いっぱいは今の状態が続くのかもしれない。

 そうだとすると、オフィスからリモートワークに切り替えた人がそのまま家に居続ける状態が続き、そして店も多くが閉まったままか、あるいは開いても早くに閉まる状態が続きそう。お手伝いに通っている仕事場の方はとりあえず、木曜日から開くみたいだけれど、これも果たして本当なのかは明日の安倍総理の会見を聞かないと分からないか。始まったところで通える時間も前ほどじゃないから、他に仕事を探さないといけないかなあ、書きものとか。

 連休ということと、あとは巣ごもりの時間が長くなっていることで、ネットなんかにあるアニメーションとかネットから読める本なり漫画の紹介なんかを行う記事に需要がある感じ。前に「serial experiments lain」をイッキ見しようという記事を書いたらなぜか結構人気になっていて、1998年放送のカルトアニメが今になってもそれなりの人気を得ていることが確認できて面白かった。続いて京都アニメーションが作ってきた歴史と作品、送り出して来たクリエイターを振り返る記事を出して、これもそれなりに関心をもって読まれた感じ。

 ファンの多い会社だけに、何を書いても批判とかありそうで怖かったけれど、論評とかまじえず起こったことを自分なりの思いを載せて綴っただけだったので、そういう意見もあると思われて理解された感じでまあ良かった。京都アニメーションについてはかけば追悼への悲しみとか、喪失への憤りなんかが先に立ちそうではあったけど、それを今になって改めて出して同感をうのは自分の領分ではないので、詳しいことは批評家の人たちに任せて自分は歴史の確認に止めたといったところ。悪く言えばコタツ記事だけれど、20数年を座り続けたコタツで見聞きしたことだから、それなりに厚みもあったと思いたい。それが自分の役割だから。さあ次のコタツ記事を書かないと。コタツないけど。

 ってことで今敏監督について考える午後。2003年だかに発売された「パーフェクトブルー」DVDの初回限定版を引っ張り出して、絵コンテ本に掲載されていた今監督へのインタビューなんかを読む。自分がセル画や動画や修正原画や背景美術をまとめて持ってるカット538のカット袋に該当する絵コンテで、霧越未麻のニセモノが部屋に現れて、ふわっと跳ぶシーンなんかを見てそこに、「ピョーンと後ろ向きに1歩でV未麻  ☆物理的法則を無視した場違いかつ非常識な動きです」とかいてあって、なるほどやっぱりそういう風に描こうとして描いたものなんだと改めて了解した。アニメだからこそ表現できるアニメならではの雰囲気がアニメとしての「パーフェクトブルー」を成立させている。実写じゃ出ないその雰囲気。それを分からず実写でリメイクなんてあり得ないから。あるかどうかは知らないけれど。

 Netflixで「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…」の最新話を読む。マリアて本来はゲームのヒロインである少女の家に押しかけたカタリナは、学校では平民の出だからといって虐められ、地元では光の魔法だなんてものを持っているから貴族の隠し子ではないかと疎まれて板挟みみたいになっていたことが分かった。そこから本来だったら貴族なり王族と結ばれ幸せになる道をカタリナによってへし折られ、不幸なんじゃないかと傍目には見える。

 けれどもカタリナが破滅フラグを折るのが第一なだけに仕方がないし、そんなカタリナと仲良くなって虐められず王族にも貴族にも慕われやがて魔法省に入るんだから十分に幸せなんじゃなかろうか、カタリナも結ばれる相手以外も不幸にしてないし。そんなマリアとカタリナが歩んでいった先、すでに文庫本では続編に入っているゲームの終わりはどうなっているんだろう。そこはよく分からない。なおかつ続くとしたら第3部とかもあるんだろうか。そもそもゲーム世界が再現された異世界っていうのがよく分からない。もしかしたら夢? なんて帰結も考えつつ、今は元気で庶民的なカタリナの異世界ライフを応援しつつ堪能したい。勉強と魔法以外のスペックはあれで結構高い訳だし。


【5月2日】 99%死んでいる説が出てアメリカのトランプ大統領も状況は知っているが言えないと思わせぶりなことを口にして、これはもうやっぱり亡くなっているんだろうと世間を思わせていた北朝鮮の金正恩国務委員長が、5月1日に竣工した肥料工場を視察に訪れたといったニュースが北朝鮮から発信されて姿なども見せていて、死亡説を真っ向否定にかかってきた。昨日の今日で99%死亡説を否定された脱北者の国会議員当選者の人も赤っ恥をかいたってことになるのかな、それともかかされたか。

 だったらどうしてすぐに出さなかったって話にもなるし、本当に5月1日の訪問なのか、それは本人なのかといった疑問もつきまとうけれども、現時点では公式には生存していることを認めさせたい意向があるとは分かった。妹に譲ったりして体制が混乱するよりも、為政者が存在してしっかり統治している状況でありたいという意向。今の右往左往している世界情勢に更なる混乱をもたらす要素は避けたい思いも各国にあっただろうから、これでひとまず落ち着くだろう。あとは韓国なりアメリカなりロシアなり中国の要人の前に出てくるか、かな。

 何かのための覚え書き。今敏監督は、現代が舞台になっていいて、背景も人物もリアルに寄せてあることから「どうして実写で撮らなかったのか?」と、定番のようにインタビューで聞かれていた。答えて「アニメーション監督だからアニメで作っただけ」だと言ったり、ウエブに書いていたりしたが、仮に「PERFECT BLUE」や「パプリカ」を実写で撮ったとして、同じような雰囲気の映像に仕上がるかというと大いに疑問だ。

 たとえば「PERFECT BLUE」の中で、アイドルから女優へと転身を遂げようとしている霧越未麻のマンションの部屋に、アイドル時代の衣装を着た未麻がすっと立って話しかけて来るシーンがある。ある種の未練が幻影となって現れたとも取れそうなシーン。ここでアイドルの未麻はふわっと飛ぶように窓側へと後じさって消えていく。まるで重さを感じさせない動きと、張り付いたような笑顔はまさに幻影。これを実写の女優で表現した時にどういった印象を抱くかを想像すると、やはりどこかに実体の女優としての重さを感じてしまうだろう。それが人間の物体に対する理解で、3DCGなど絵で表現された物に重量を感じない理由にもなっている。だから描く際に姿勢や仕草、効果音などによって重さを伝えようとする。

 「PERFECT BLUE」の場合は、最初から絵で表現するアニメだからこそ、ふわっと浮かんで漂う幻影の未麻を本物の未麻と区別して描ける。クライマックスで夜のアーケード街をはねるようにして移動していく未麻がにせ者であることも伝わってくる。そこに重ねられる鏡に写ったある人物の必死の形相、そして重量感を持った動きがキャラクターの二重性を巧みに表現する。アニメだからこそ描けたシーンだろう。

 「千年女優」も「パプリカ」も現実と虚構とがシームレスに繋がって激しく切り替わっていくところがあるアニメ映画だ。千代子というかつての名女優が、鎌倉の自宅で語る思い出話が聞き手の男たちを映画のシーンへと引きずり込む。そのシーンが出演作品を辿るようにどんどんと切り替わっていく「千年女優」の手法を果たして実写で撮れるのか。同様に、夢の中で映画の名場面を突き進んだり、人間の頭からあふれ出した妄想が街全体を包み込んだりする「パプリカ」を実写にしたらどれだけの費用がかかるのか。

 アニメならそれらをあっさりとやってのける。いや、描く方は幾つもの場面を手がけなくてはいけなくて大変だし、そうした移り変わりをタイミング良く描いていくには監督や演出の緻密な計算が必用になる。それらをこなして作り上げたアニメの映像は、見ている人を知らず幻影の世界へと引きずり込む。アニメだから出来た。出来るからこそアニメにした。どちらとも言えそうな判断だろう。唯一、「東京ゴッドファーザーズ」だけは実写でも撮れそうな題材だが、東京に雪を降らせ続ける芸当が出来ればの話。3人のホームレスによる善行といった題材も実写では物質的な印象が前面に出て見る人に迷いを与えるかもしれない。リアルだがバーチャルな絵という表現だからこそ人はその間に入り込んで漂えるのだ。

 「Re:ゼロから始める異世界生活」の長月達平さんがスニーカー文庫から出した「戦翼のシグルドリーヴァRusalka(上)」は、7月だかに始まるらしいテレビアニメ「戦翼のシルグドリーヴァ」の前日譚的な位置づけというらしく、そっちは日本の館山基地が舞台になっていることから考えるに、「ストライク・ウィッチーズ」の本編に先んじて、やっぱりスニーカー文庫から大昔に出た、ヤマグチノボルさんによる「ストライクウィッチーズ スオムスいらん子中隊」の立ち位置が似ているような印象。展開がなかなかにシリアスでハードなところも含めて。

 欧州に光の柱が現れ、そこから敵性生物が侵攻して来て人類が脅かされる中、北欧の神オーディンの神託を受け、プロペラで跳ぶ旧型機を操る少女が現れワルキューレとして対抗するも、敵はどんどんと強さを増して人間を責め立てているという世界観。第一人者のファーストワルキューレも敗れ去って後がない人類にあって、翼を捨てたセカンド・ワルキューレの少女が今は空を飛ばずオペレーターをしていたけれど、そこに強大な敵が現れる。第3世代のワルキューレたちが懸命に立ち向かうなか、翼を捨てたセカンドの少女が自分を取り戻し……ってな展開に復活からの成長が見えて楽しい。敵の正体も神の意思も不明ながらも戦う少女の戦術を駆使し挑む姿が格好いい。良作。読んでいこう。

 メディア問題2題。NEXCO中日本っていう高速道路を管理している会社がこの4月1日だかに放送されたフジテレビの番組で、サービスエリアを食べ歩く芸能人たちが登場する内容を放送されたことに困っているとのこと。外出もままならない状況でサービスエリアを持ち上げる内容はやっぱり喜ばれないといった判断からで、放送延期を求めたけれども入れられなかったという。文句も来ているんだろうなあ。別に外出禁止が強化される以前に撮影された行楽めいた内容のものが、今放送されてもそういう事情だからと受け入れつつ、これが終わったら言ってみるんだと思うこともあるから、放送されて悪いことはないと思う。

 文句を言う気持ちは気持ちとしてそれで世の中が良くなるものでもない。とはいえ、協力した側として延期を求めた声を入れられないのはやはり寂しい話。以後の協力を得られなくても当面の穴あきがいやだったってことなのか。難しい。それから練馬にあるとんかつ店の経営者が新型コロナウイルス感染症で店を閉めざをえず不安から焼身を選んだとかで、それに高須院長が追悼のツイートをしたところ、スポーツしたそのことを報じてる。高須院長が何を言おうとそれは個人の言葉だけれど、それをニュースとして報じる意味は何なのか。高須院長の言葉がなくても悲痛な出来事として報じるべきじゃないのか。コメントを広い載せて穴埋めしてPVを稼ぐ流れが取材不能な中で極まってきた感じ。やれやれ。


【5月1日】 ちょっと前にアニメ化のリリースを見てからLINEマンガで「ゴッド・オブ・ハイスクール」を全話一気に見通す。通常はチャージが必用なんだけれど、4月29日に限って全話が無料だったのでその日の日付が変わったあたりとか、寝て起きた午後とかを使って日本語になってる分はだいたい見た。英語版の方はその4倍くらいは話が進んでいそうで、いったいどこまでエスカレートしているのか想像がつかないけれど、とりあえず日本語になっている部分でいうなら、高校生の格闘世界一を決める大会が開かれるっていうことで各地が予選が行われる中、韓国のソウルでも大会が開かれてアイマスクを額にのっけたジン・モリって少年が主人公的に参加。そこに剣術道場の娘のユ・ミラと極真空手をやっているハン・ディって少年が絡んで大会が進んでいくといったところ。

 「幽☆遊☆白書」とか「ドラゴンボール」といった「少年ジャンプ」のマンがでよくある格闘トーナメントでそれ自体は珍しい設定ではないけれど、韓国の作品ということでテコンドーがメインに据えられていてリアルテコンドーというスポーツとは違った格闘技としてのテコンドーがダイナミックに繰り出されて目を引く。そうした描写を縦に長い長方形のページにコマを割って乗せるのではなく、ひとつひとつが基本は四角いコマになって多少の変形を加えつつ飛び出しなんかも添えつつ、縦スクロールで見ていく作品になっているところがスマートフォンに適応した漫画で先を行く韓国らしい。

 日本だったら見開きでどーんと左右に分かれた参加者たちがぶつかり合うとか拳が飛ぶとかけり技が放たれるとかいった表現になるところも、縦スクロールで見るスマートフォンなりタブレットの縦長の画面に収まるような描かれ方で繰り広げられていく。それでもしっかりと技の迫力とスピードが感じられるから面白い。もちろんアニメになればなったで横長の画面に収まるような格闘シーンとして描かれるんだろう。そうした際に何か違いが感じられるかが興味がある。

 韓国だけあって北朝鮮との関わりなんかも描かれているけれど、それよりもっと深いところで神話的伝奇的な要素が絡んでエスカレートしていく展開も面白い。今は敵に見える教団めいた組織もあるいは……って想像が浮かぶけどそれは英語版の先読みから感じたことで本当かどうかは不明。途中からジョジョのスタンドよろしく借力って何か精霊っぽい存在の力を応用する展開もあって、ただの高校生たちによる格闘自慢を超えた展開に向かうことは確実。あとはいったいどこまでアニメで描けるか、ってところかなあ。とりあえずトーナメントの終了あたりまでか。ちゃんと作られ放送されることを願おう。

 脱北者の国会議員当選者による北内部の情報筋からという、素直に信じて良いのかちょっと分からないルートからの情報ではあるものの、それなりの体裁を持った中央日報が報じるからには何かしらの確信なり、根拠めいたものもあるのかもしれない「先週末の金正恩死亡を99%確信」という記事。まだ1%の確立で生存の可能性があるものの、そういうのは可能性とは言わず希望とすら言いがたい確率だけにあるいは遠からずそうした発表があるのかもしれない。ないのかもしれない。

 トランプ大統領が会いに行った時には自分もすぐさま会いに行くぞと行った総理大臣もこれで永久に会えなくなってしまった訳だけれど、会いに行く気があったかどうかも定かではないだけにここははしごを外されすこし安心といったところか。とはいえ体制が激変するようなら対応も必用な訳で、ここ数日の官邸の動きに目を向けておかなきゃいけないかな、でも今のこの状況ですら休日は休んで膝に犬乗せてお茶を飲む総理大臣だから動じないで家に籠もっているのかも。

 後継はどうやら妹の金与正労働党第1副部長になりそうだけれど、中央日報でも「北は依然として家父長制が強い社会であることを考慮すると、金与正といっても住民全体を率いるリーダーシップは落ちるはず」といった言葉を紹介して、そのまま体制が移行することはないと見ているあたりに日本とはまた違った事情が窺える。「ゴッド・オブ・ハイスクール」なんかにもそうした儒教的な教えなり思考が混ざっている感じがしたし。続けて「金与正が遺訓統治や摂政式で統治し、金委員長の子に後継する構図になるようだ」とあるけれど、子どもってどれだけいたっけ、何歳だったっけ。娘が2人に3歳になる第3子がいるらしいけど第3子は男の子? 女の子? 男の娘? ちょっと気になる。

 「ホットケーキミックスがなければお好み焼きを食べればよろしくて」byアントワネット、などと言おうと思ったもののスーパーとかの店頭からホットケーキミックスが消えているのと同様に、お好み焼き粉なんかも少なくなっているという話も伝わって、そんなに家で粉もんを焼いて食べているのかこの自粛期間中と思ったりもした、家で料理ができない人間。コンロのそばまで本が迫っていて火が着けられないのだった。もし使えたとしても食べるとしたらキャンベルのスープに野菜とか肉団子とかぶち込んで煮るか、パスタのそれも細身のフェデリーニを短い時間でゆでてレトルトカレーをぶっかけるかするだけで、ホットケーキを焼こうとはちょっと思わない。

 とはいえあれで水で溶いて焼いてバターは付録しているからハチミツか付属のシロップをかけるだけでそれなりの分量のおやつにはなるから、家に子どもがずっといる過程にとっては重宝する品物なんだろう。パスタだと重いしうどんだと食事だしパンを焼くには手間がかかる。その点、ホットケーキなら焼けば簡単だ。蒸しパンとか揚げドーナツになるともうちょっと手間がかかる。サツマイモをふかすにもやっぱり時間がかかるとなると、選択肢としてホットケーキミックスに辿り着くのも分かるから、ここは国が10万円を配りつつホットケーキミックスも配って食を助けてはどうだろう。可能ならホイップクリームも着けてとお願い。

 お好み焼きでも悪くはないけど肉がないと寂しいし、キャベツだけだとヘルシーではあってもどこか修行になりそう。あとやっぱりソースが必用でこれが普通のウスターソースだと寂しいから専用のオタフクソースになるかあるいは中濃以上になってお金もかかりそう。ホットケーキの万能感がここでも光るって寸法か。あとは何があるかなあ、チヂミって材料はお好み焼きといっしょなんだろうか。チャパティとかナンとかって家で焼けるんだっけ。ピッツァは石窯以外は認めないとなると家では大変。ってかナポリでピッツァは今も焼かれているのかそれとも外出できずに石窯から火は落ちているのか。そして三鷹のナポリピッツァの灯火は。自粛明けに様子を見たい。


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