縮刷版2020年3月中旬号


【3月20日】 カンヌ映画祭も6月の開催が7月にズレ込みそうだとの発表があって、けれどもそれすらも実行されるかどうかは不明な状況。だいいちホテルの部屋が取れるのか、バカンスに突入するフランスでリゾート中のリゾートとも言えそうなカンヌのホテルや会場が何日間も抑えられるとは思えない。それとも今の新型コロナウイルス感染騒動でバカンスに行かず家に閉じこもっている人が多そうなのか。これで灼熱のパリとかなったら人死にだって出そうな予感。だからこそ最小限の移動でリゾートに引きこもる人とか出そうな中で、カンヌ映画祭なんて開催できそうもない気がする。

 そして東京オリンピックも。ワンシントン・ポストが日本語でも記事を配信していた移動によって感染が拡大していくシミュレーションによると、移動が普通に行われているとどんどんと人と人との接触を介して感染が広がり発病する人だって出てくる。そして全員が感染してしまう。それは閉じられた箱の中だからなんだろうけれど、これでは感染から発病の後、死亡する人が描かれていない。感染して色が変わり、発病して色が変わってそしてポツンポツンと減っていく点を見たらきっと切なくなるだろう。そして恐怖に怯えるだろう。

 そういうシミュレーションを、モデルではなく7月の東京オリンピック時間の東京で行ったらどんな動きが出るだろう。今時のコンピュータなら別にスーパーコンピュータとか使わなくたって可視化できそう。そして各国の死亡率なんかも混ぜ込んで可視化した時にいったいどんなビジョンが繰り出されてくるか。ちょっとドキドキする。そういう計算だってあるいはどこかの研究所で行われているかもしれないけれど、公表したらダメージを受ける国とか組織とか企業があると公表はされづらいだろうなあ。そしてリークされてメディアに載って扇情的に書かれるという。だったら早い内に手を打った方が、ってことになる。

 ワシントン・ポストと双璧を成すニューヨーク・タイムズの方でもコラムで日本の無茶ぶりについて新型コロナウイルス感染症が拡大する中で世界の公衆衛生に反旗を翻すような無謀で野蛮な振る舞いだなんてかき立てている。発生こそ中国だということで非難の矛先がそちらに向かいがちだけれど、これで五輪を開催して世界がとんでもないことになった時、日本に向けられる視線は厳しく信頼は損なわれ外交や貿易なんかにも影響は出そう。そして同じアジアということで中国韓国台湾から東南アジアにかけて広がるネガティブな視線の矛先を、ぶつけられそう。それでも日本は特定アジアがとか言って知らん顔するのか? できないよなあ、だって世界がそうした視線を向けてくるんだから。それを感じさせることができれば総理だって組織委員会だって何か考えるだろう。それはどういう方法で? えんがちょ? ちょっと注目。

 新型コロナウイルス感染症といえばカナダを拠点に全世界でサーカスというには芸術的な舞台を展開しているシルク・ドゥ・ソレイユが公演を出来ない状態に陥っていてとりあえず、団員の95%を解雇した上で企画部門だけ残して体制の維持に努めるとか。たしかにダンスでもアクロバットでもパフォーマンスでも何でも行う団員たちが何もしないまま待機してたってお金にならないから、いったんレイ・オフした上で可能な場所で就業してもらいつつ再開を待ってまた戻ってきてもらうというのが合理的ではあるけれど、世界にどこでだって公演可能な人気チームがまったく身動きのとれないくらい、新型コロナウイルスの問題が世界規模になっているって現れとも言えそう。解雇されてじゃあサーカスへ、ったって今はどこも仕舞っているかならあ、南半球もオーストラリアで流行しているから季節とか関係なさそう。しばらくはだからトレーニングしつつ待機ってことになるのかなあ。大変だ。

 祭りには前々参加していない「100日後に死ぬワニ」についてたぶんリアルタイムでずっと追いかけてきた人にとっては続いてきた何かがパチンと断たれてしまうことへの悲しみみたいなのも描かれている物語から感じつつ、連載という形式が終わったことにも感じていろいろと考えるのかもしれない。そうしたリアルタイムでの祭りには参加してこなかった僕はだから振り返って物語とそして周辺の喧噪から何が話題になったのかを想像する程度だけれど、普通に繰り返されてきた日常がそこで突然に終わってしまうってのは他人にとっても自身にとっても起こりえること。それも含めた日常について改めて、考えさせてくれる物語ってことになるかなあ。そうなった時に誰かの記憶に残せる何かがあるのかを、今は自分に問いかけよう。

 「最終ロケット・イェイ&イェイ」っていう卒業制作のアニメーションで日本芸術大学のアニメーションを卒業した内沼菜摘さんがその後、商業アニメーションに進んだらしく本日放送の「ゾイドワイルドZERO」で絵コンテを担当したとか。つまりは演出畑へと進んでいるって感じで、そこから監督へと向かっていってくれるんだろう。元より絵はなかなかに拙劣に見えそうな感じだけれど、物語は勢いがあって見せ方にも工夫があった「最終ロケット・イェイ&イェイ」。そうした創作と創造の才能が、これからのアニメーションにどう活かされているのかを見守りたい。演出から監督デビューの日を待とう。

【3月19日】 なぜアニプレックスが配給に絡んでいるのか分からないけれども試写で見た又吉直樹さん原作、行定勲さん監督の映画「劇場」はとりあえず山ア賢人さんが何のコスプレもせず生の顔を見せてくれていて無精ひげも含めてかっこよかった。役柄としては最低のくず野郎だった。そして松岡茉優さん演じるさきちゃんは天真爛漫で可能性もあったけれどずだぼろになっていく感じが痛々しくってよけいに山アさん演じる永田という舞台の脚本家をくず野郎と思ったりもした。

 とはいえ、70年代神田川的青春フォーク映画みたいなどろどろぬとぬとぐちゃぐちゃといった感じがしないのは原作がそうなのか、イマドキの映画だからなのか行定さんの作風なのか。その当りはちょっと判然としないけれど、とても痛い話なのにすーっと抜けていった。というかべつのイタさはあったかなあ、演劇論とか才能論とか。でもって映画内で繰り広げられる演劇がどうしたものとかというか。いかにも小劇団の演劇ちった感じで、評論家が見て絶賛する種類かと悩んだけれど、又吉さんにはあれが格好いい演劇と思えたんだろう。

 モノローグを多用しすぎている感じで、そそれ映像で語るべきなのが映画なんじゃないのと思ったりもしたけれど、それは元が小説だから仕方がないのかもしれない。あるいは最後のオチへと繋げてぜんぶがト書き的なもの、あるいは芝居的なものだといった暗喩だったものかもしれない。たぶん前者を映画に落とし込むのが大変だったのも。ひたすらに静かで静謐ですべてを映像で見せていた「わたしは光をにぎっている」とは対局で、僕自身は「わたしは光をにぎっている」が好きなのでちょっと気になった。

 総じて罵声が浮かぶほどでもないし、見ていればいろいろと考えさせられるところも多々。何より2時間を超えて長いはずなのに、そうした長さを苦痛と感じさせない面白さはあった。松岡茉優さんはやっぱり優れた女優だった。伊藤沙莉さんが出ているので、「映像研には手を出すな」で声が耳についた人は行かねばならぬか。あとは下北沢がいっぱい出てくるのでその界隈に住んでいる人たちも。演劇好きが見てやっぱりあそこで描かれる演劇がどうかっていうのは聞きたいかなあ。そしてもちろん柳下毅一郎さんの完走も。縛り首にしてつるすか否か。気になります。

 高島雄哉さんの新作SF小説「不可視都市」を読み終える。なるほどそういう帰結かあ。人口の都市への集中が起こって人類の9割が12の点在する超重層化都市に暮らすようになった世界で、致死性兵器システムが突然に暴走して人類を都市に押し込めそしてネットも遮断され交流がとれなくなったとう。そんな中で数学者を集まれと洋上にある都市からメッセージが放たれ、苦労の果てにひとりの若い女性数学者がたどり着くといった展開を、戦前戦中からの科学哲学に関するモノローグ的なパートと、そして舞台から1世代くらい前にアインシュタインの時計か何かを巡って行われた取り引きのパートが綴られる。

 そうした展開が収束したところで、不可視都市とはいったいどういう概念なのかが明かされ、それによって世界がどこへと向かおうとしているかが明らかにされ、けれどもそうした混沌へと向かいかねない状況を阻止しようとする動きが起こるといった大騒動が持ち上がる。未来はたとえ不明であっても量子運動的な概念から起こりえる何かはすべて認識可能、すなわち可視化されているといった視座からだったら見えないようにするにはどうすれば良いのかといった問いかけがされ、結果としてそうした状況を作り出そうと画策する勢力があり、それじゃあ困るといった勢力がぶつかり合う。結果は見てのお楽しみ。とりあえず最後に尋ねてきた誰かが誰かを考えよう。こうした推理、不得意なんだよなあ、自分。

 地獄のような香川県議会というか、例のゲームは1日1時間条例を可決したらしいけれどもそのために集めたというパブリックコメントがだったら本当にそうなのか、ってことを検証されてくれと議員たちが言っても明かさずそして決議の直前に見せることは見せるけれども時間は限定でメモは出来ない上に口外もしちゃだめって決まりを押しつけてきたとか。メモができないというのは過去にも例があったかもしれないけれど、でも議員が調査するならメモくらいさせて悪くないし、可決の後ろ盾になるほど有効なものなら公開して恥じるものでもない。にも関わらず見せず写させず話させないのは何か疚しいところでもあるのか。あるんだろうなあ。だからそうなる。そんなもので決められた香川県の子ども達の未来はいったいどうなるか。10年後の文化や産業や意識に見える差なんかを調べてユニークな結果が出ないかに興味津々。


【3月18日】 高島雄哉さんの新作SF小説「不可視都市」が出たので読み始める。世界では人口の都市への集中が起こって、12の超重層化都市が点在するようになっていたけれど、そんな世界を守る致死性兵器システムが突然に暴走して、都市外にいる人たちを襲い始めてそれによって人々は都市に釘付けにされてしまう。北京に来ていた数学者の相原青夏は、恋人の暗号研究者を月面基地に送り出した後、東京へと戻れなくなり恋人とも離ればなれになってしまう。どうにかして世界を回復させたい。そんな時に洋上に浮かぶ都市から数学者は集まって欲しいと呼びかけがあって、青夏は北京を出て海へと向かう。

  そんな冒頭から浮かぶのが、都市に押し込められた人類が交通を分断されてしまった世界。なおかつインターネットも遮断されて交流も連絡もつかなくなった状況で何が起こっているか、というのは目下世界を覆っている新型コロナウイルスによる交流の遮断と似た状況。それによって起こっている経済の停滞がいったい世界にどういった影響をもたらすかが、もしかしたら「不可視都市」に書いてあるかもしれないので、ちょっと気にして読んでいきたい。そもそも不可視都市と名付け、致死性兵器システムを操っている存在だって、そう考えているだけで実在するかは不明。あったとして何者か、なかったとしたら何が世界を隔絶に追い込んだのか、そこから浮かぶ人類の衰退なり突破しての成長なりを見てみたい。読まねば。

 途中で京急が運休になっていたりする区間があってたどり着くのが大変だったけれど、横浜市営地下鉄を使ってどうにかこうにかたどり着いた黄金町でアニメーション作家の小野ハナさんによる個展 【In A Mere Metamorphosis】をのぞいて新作抽象アニメーションを観る。東京藝術大学大学院アニメーション専攻の修了制作で作った「澱みの騒ぎ」でまいにち映画コンクールの大藤信郎賞を受賞された方。店番にはパートナーで「ポプテピピック」のフエルトアニメーションを手掛けた当真一茂さんがいてちょっと驚いたかというと、パートナーだからそりゃあいるか。

 でもって新作のアニメーションは「あっというま」という言葉とともに世界が散り散りになっていくビジョンが今と重なった。でもきっとつながりを取り戻す。生々流転。そんなビジョンも感じさせてくれる映像だった。ほかに観覧者もいなかったので少し当真さんと歓談。最近、小野ハナさんと組んでやっているUCHU PEOPLEでWIT STUDIOが手がけている「けだまのゴンジロー」向けに当真さんがこちらも東京藝術大学大学院アニメーション専攻の修了制作「パモン」なんかで手がけたようなフエルトのストップモーションアニメーションを提供したそうな。

 どういう伝かと尋ねたら、WIT STUDIOにインディペンデントや学生のアニメーション作家を訪ねて見て回っている山田健太さんというプロデューサーがいるらしい。WIT STUDIOが手がけた「魔法使いの嫁」の原作マンガの単行本第8巻につけられたOADが、やはり当真さん小野さんと同じ東京藝大院映像学科アニメーション専攻出身の久保雄太郎さん米谷聡美さんだったのも、同じ山田健太さんの声がけらしい。商業アニメーションのスタジオだけれど、インディペンデントなテイストを取り入れ活かすやり方を探している方だとか。

 そうした出口があるのは嬉しい話だと当麻さん。ただやっぱり一部だったり「モブサイコ100」のエンディングをオイルアニメーションで描いた佐藤美代さんのようにEDとかOPだったりと作品そのものを作品として見せる機会はまだないとか。だから作るのもそうした商業仕事の合間になる。小野さんの最新作もそうやって合間合間に作られたものとなる。ただ文化庁の助成金はもらっているからそのあたりは幸運か。ここから各所映画祭へと送って入選して上映して入賞となれば言うことなしだけれど各所のアニメーション映画祭が続々と中止とか延期とかなる可能性もあるだけに心配。1年待てばそれだけ競争率も激しくなるからなあ。せめてオンライン上で鑑賞会から選考受賞とかってあり得ないのか。それくらいのインフラくめそうな気がするけれど。

 いわゆる森友学園に関連した近畿財務局の文書改竄問題に絡んで、関わったことを苦に思って自殺されてしまた職員の方が支持をした当時の理財局長らを訴え裁判を起こしたことに関連して、安倍総理大臣がぶら下がりでコメントを出したみたいだけれどこれが何というか痛々しいというか。まず「大変痛ましい出来事で、本当に胸が痛む。改めてご冥福をお祈りしたい」と語ったのは良いとして、そのうえで「財務省で麻生大臣の下で事実を徹底的に明らかにしたが、改ざんは2度とあってはならず、今後もしっかりと適正に対応していく」と言ったらし。これを聞いて遺族の方の怒髪が天を衝いたかかも。

 だって誰のために改竄が行われたのか、って話であってそれは他ならぬ総理大臣が話したことの辻褄合わせだったってのが一般的な解釈。つまりはそんな当事者でありながら、「改竄はいけない」と言ってしまっては実際に改竄した人間が1番悪いてことになってしまう。つまりは改竄を苦にして自殺してしまった職員の方。最初に誤ったように見せて実は実行したお前が悪いだなんてこと、聞いたらあの世からだって這い出てきそうな非道なコメントを、それと知らず満天下に放てる心理がどうにもこうにも分からない。すでに世界が怪しいと感じているのを自身が意識しないもの当然か。果たして裁判の行方はどうなるか。これでダメージが蓄積し、そして東京オリンピックの延期となれば一気に吹っ飛ぶ? それともやっぱりしがみつく? 向こう3カ月が勝負か。


【3月17日】 栗山千明賞という、一生涯誇れそうなネーミングの賞を受賞してデビューし、「魔法少女育成計画」で大人気となた遠藤浅蜊さんによる新シリーズ「帝都異世界レジスタンス」(宝島社)をやっと読んだ。舞台は大正の日本だけれど、なぜかエルフがいたりオークもいたりして、ヒロインのエルミアも華族の娘で父親は人間だけれど母親がエルフのハーフエルフ。女学校に通ってて連日の送り迎えを見ようと沿道に人だかりができるくらいの人気を博している.

 といっても単に美しい姿を見たいからというだけではなさそう。途中、誰かが理不尽な仕打ちにあっていると止まっては蹴りを放つなどして大乱闘を演じるというからかなりのお転婆。そうした活躍を見たいがためにもしかしたら大勢があつまっているのかもしれない。そんなエルミアや同級生たちが、熱海に社会見学に行くことになて、、「はむすぴあ」なる物質転送装置がある場所に集まった。

 そこに特定の場所の何かをのせると、その場所へと転送されるという仕掛けを持った「はむすぴあ」。この場合は熱海の砂をのせて順繰りに生徒達を送り込んでいたけれど、エルミアが家から持ち出した石が連ねられたネックレスから幾つか石が「はむすぴあ」の上に転がる事故が起こって、その結果エルミアと同級生の香澄と百合子が巻き込まれて違う場所へと転送されてしまった。そこは草木が生い茂り、鷲獅子とか火蜥蜴が跋扈する世界だった。

 「はむすぴあ」は一定時間が経てば強制帰還させる仕組みで、エルミアや香澄や百合子はそこでちょっとしたサバイバルを送りつつ、元いた場所に戻るけどそんな事故の裏でとある謀略が巡らされ、香澄たちも巻き込まれていくというのが「帝都異世界レジスタンス」のストーリー。大正が舞台でファンタジーにご令嬢とは言いながらも、麗しい世界とかではなく「わたしの幸せな結婚」みたいな薄幸の中に思慕を見いだす恋愛ドラマでもない。ましてや「鬼滅の刃」のような異能バトルでもなく、もうちょっとふんわりとしながらもバトル要素とか持った展開になっていく。

 共闘することになるのがオークの兵卒で、訳あっていろいろなところを巡って日本に来たらしいけれど、その記憶に操作された節があってそれが明るみになった時、日本をひっくり返そうとする謀略が浮かび上がる。それを阻止しようと頑張るエルミアや仲間たち。どうして大正時代の日本に欧米やアジアといった当たり前の外国人ではなく、エルフやオークやエルフといったァンタジーの住人たちが紛れ込んでいたりするのか、それが溶け合ったりしているのか、理由の説明がまだないけれど今後の展開で「はむすぴあ」の存在ともども明らかにされるのかもしれない。そして逃げた反逆者の反攻があるかも。続きがあるなら待とう。

 見透かされているなあ、というのが正直な気持ちで、安倍晋三総理大臣がG7のテレビ会議に臨んでそこで、夏の東京オリンピック開催について各国首脳から「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして、完全な形で実現することについて、G7の支持を得た」といった言葉を会談後に発してことが話題になったけれど、すぐさま「何時の開催なのか」と突っ込まれて答えられず、同じ言葉を繰り返しては去って行ったことに、世界のメディアが反応して「開催時期は明言しなかった」と報じてどうやら延期の可能性があるんじゃないか、もしかしたら完全な形で開催できなかったら中止だってあるかもといった憶測が乱れ飛んだ。

 つまりははっきりと言質を取られそうなことは言わず、曖昧にしつつも前向きさだけはしっかりアピールする性格なんだと世界のメディアには見透かされているということ。これはAPが打電した「東京オリンピックが計画どおりに行われなかった場合、日本の安倍晋三首相が最大の敗者となる可能性がある」といった見出しの記事も同様で、保身のために中止を嫌がっているんじゃないかとか、その性格から施策まで踏み込んで分析されていた。そういう人物なんだってジャーナリズムの世界ではすでに共通認識になっている。

 でもってそうした認識が報道を通して海外の指導者たちに広まってきている。トランプ大統領も呆れているかなあ、それとも既に知っていろいろと煽ったりなだめたりして操っているのかも。その一方で、日本ではなぜかやっぱり決断力のある首相だといったイメージがいつまでも定着し続け、それにのっかろうとしていろいろと口八丁を尽くす結果、内外でかい離が生まれて気がついたら置いてきぼりにされているという悪夢。困ったなあ。今日だって時期とか明言していないにもかかわらず、橋本聖子五輪担当大臣なんかが延期も規模縮小もしない予定通りの形で開催するといった認識を示していたりする。これで延期なり中止となっても総理は明言しておらず、大臣や官房長官が憶測で語ったことだと言い訳するのも見えている。それも含めて世界のメディアが見透かして見下している総理をいつまで担ぎ続けるのか。結果共倒れとかしないのか。やれやれだ。

 そんな五輪への曖昧模糊とした状況が続く中、欧州で7月くらいに開催予定だったサッカーの欧州選手権ことEURO2020が開催延期を発表した模様。1年後の開催となるようで開催国とか視聴者とか迷惑を被ったかもしれないけれど、1年後に開かれると分かっているなら我慢するのが欧州サッカーファン気質。そもそもがそれぞれの国のリーグ戦だって開催が中断していたりするから、とてもじゃないけどEUROなんて開いていられないと分かっているんだろう。寿命の長いサッカー選手だから1年後くらいならまだチャンスがあるとレギュラーは感じているだろうし、候補者も1年後なら入れるかもと期待しているかも。そうした妥協を果たして五輪でも行えるか。無理かなあ。ってことで完全な形で開催するべく2032年を狙うのであった。ありえる話。


【3月16日】 「ID:INVADED」のNetflix配信での最新話を見る。ようやくもってジョン・ウォーカーの正体が判明。蔵の局長をやっている早瀬浦宅彦っておじいさんらしいけれど、いったい何が目的で連続殺人を教唆したのかが分からないのでやっぱりこれからの展開を見る必要がありそう。イドの中のイドの中で本堂町小春なのか名探偵・聖井戸御代なのか、曖昧な中に出て来た彼女が鳴瓢秋人なのか名探偵・坂井戸なのか分からない彼と出会ったりして時系列が今ひとつ、理解できてないのでもう1度くらい見返して、状況をとりまとめる必要がありそう。

 これほど分析が必要なアニメなのに、ネットで考察が盛り上がっている節がないのは「ケムリクサ」のように誰もが次どうなるかをワクワクしながら見る作品には至ってないってことなのか。そういう盛り上がりが今の分断されてたこつぼ化したポップカルチャーファンの世界では起こりえないということなのか。「けものフレンズ」を毎週誰もが放送を待って見ながらああだこうだと騒いだ時代が懐かしい。まだ3年しか経ってないのになあ。時代は巡る。

 「ハイキュー!! TOP OF THE TOP」の最新話も見たら清水潔子さんが走ってた。過去に陸上部でハードルの選手だったらしいけれど、飛べずに故障したのがきっかけか、辞めてしまって幾年月、高校に進学をして部活をやっていないところを大地に誘われバレーボール部のマネージャとなってひとり、頑張ってきたら遂に春高バレー出場を成し遂げた。その嬉しさを顔には出してなかったけれど、本番に臨んでひときわ嬉しそうな気持ちがその言動から伺える。そして次に繋げたいちう気持ちも。今の日向や影山の世代が2年生になった時、どんなエピソードになっていくんだろう、っていうか漫画ではその辺がすでに描かれているんだっけ。アニメが4期でもまだ1年生ってなかなか遅い歩み。ハードラー潔子さんは可愛かったなあ。

 5月の大型連休に開催される予定のコミックマーケット98について、コミックマーケット準備会が「新型コロナウイルス感染症(COVID−19)感染拡大防止の観点から、2月26日・3月10日に出された政府による大規模イベントの自粛要請に関する今後の動向その他や、新たな関係各方面の指示・要請等により、中止または延期を含め、通常と同様に開催できないという判断をせざるを得ない可能性があります」といったステートメントを発表。まだ立場は明確ではないけれど、中止なり延期の可能性について始めて公式に触れて話題になっていた。でも未だ立場を明確にしていないって声も浴びていそうで、4月のイベントも続々と休止になる中、どういった判断が下されるかを探る動きがこれからも続きそう。

 とはいえ、何も言っていない状態だと、憶測と蓋然性から休止せざるを得ないんじゃないかといった意見を報道に交えて書くところも出て来そうで、出展を見合わせるサークルなんかの言葉を並べて開催にネガティブな方向で雰囲気を作りつつ、それに逆らい意見を出さない準備会はいかがなものかといった流れを作り出そうとする動きなんかも出て来かねないだけに、現時点で言えることを言っておくのは大切かも。質問をして返事がもらえませんでしたと書いて、いかにも非協力的だって雰囲気を作り出しかねないのが今のメディアのスタンス。それだけに、公式ステートメントがあればそれが現時点での全てだからと主張できる。とはいえ時期は迫る。どうなるか。どうするか。待とう判断を。

 新型コロナウイルス感染症の予防という観点から開催されない可能性もあったけれど、人数もそれほど来ないからと開催されたマンガ大賞2020の授賞式を見物に行く。受賞作は山口つばささんの「ブルーピリオド」。去年もノミネートはされていたけれど、3位に留まって受賞を逃した作品が、1年を経てストーリーを積み上げて感動を誘って見事に受賞となった。高校生の男子でコミュニケーション力に優れて頭も良く悪く言えばちゃらちゃらとしていた矢口八虎が、ふとした表紙に見た1枚の絵に感動をして自分でも絵が着てみたいと美術部に入部。そしてだんだんとのめりこんでは東京藝大という日本でも最も難しい大学の入学を目指して動き出す、というストーリー。

 部活物でスポ根物にも近い雰囲気だけれど、授賞式にカエルのかぶり物で登場した山口さんは、担当から売れる漫画を描こうと言われて本屋でいろいろと見て、ファンタジーとスポ根が気になったとのこと。そして自信が絵を描いていたことから、美術部での特訓もスポ根物として描けるんじゃないかと考え作り出したのが「ブルーピリオド」って作品になるらしい。とはいえ土にまみれ汗を流しながらの特訓といったイメージはなく、突き詰めて描き抜くといったある意味で思考的で戦略的な要素も多い作品。その意味では将棋とか囲碁なんかの勝負を描く文化系スポ根にも似ているかもしれない。吹奏楽とか演劇とかもあるかな。

 美大に入るためのテクニックは学べるけれど、その根底に描くということは何かを突き詰める必要もあったから、読んでいて通り一遍には終わらなかった印象。とはいえある程度は受験テクニック物でもあった作品が、ひとつの山場を超えてしまってこれからどうなるかは興味の置き所。テクニックよりもパッションが重要となるアートの分野でそれを誰かに教えてもらう訳にはいかない。かといって八虎に描きたい物、描かなくちゃいけない物があるのかどうか。それを乗りこえて歩み出す地平こそが、本当に迷っている人たちを導く先になる。漫画を描くか演劇に向かうか絵画の世界でとてつもない成功を編み出すか。続きが楽しみ。とりあえず第7巻かな。


【3月15日】 東京アニメアワードフェスティバル2020がふっとんで行くイベントもないので家でごろごろとしていると気持ちが沈むので、テレビアニメの「インフィニット・デンドログラム」をNetflixでようやく見始める。原作の方は「小説家になろう」では読んでいなくって、HJ文庫から刊行された第1巻からしばらく読んでいた記憶があるけれど、その後をちょっと追ってなかったのでどいういう展開かちょっと忘れていた。

 フルダイブのVRものだから「ソードアート・オンライン」に連なる系譜とも言えるのかな。あるいは今なら「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います」とか。ただ「ソードアート・オンライン」ほど戦いは殺伐とはしておらず、かといって「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います」のようにふんわかもしてない、プレイヤーにとっては何度も死んでは挑めるゲームだけれど、中にいるティアンと呼ばれるNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)はゲーム内で死んでしまうと復活はないという設定。ここがちょっとポイントでだったりする。

 別にゲームなんだからキャラクターがいなくなっても平気という人には何ともない設定だけれど、フルダイブした上でリアルに接するティアンたちが、それぞれに人格を持ち生命すら持っているように振る舞うのを間近に見る中、感情を添えて殺されたり虐げられるのは嫌だといった感情を抱くプレイヤーも出てきたりする。そうした違いがいったいどこにあるのかは気になるところ。2Dのゲームだってそこで育てたキャラクターに感情移入して、リセットしたくないと思う人は少なくない。

 そうした感情は相手のキャラクターが人間らしいから浮かぶものなのか、自分が注いだ時間がもったいないからそう思うだけなのか、もっと深い理由があるのか。考えてみたくなる。そして「インフィニット・デンドログラム」というゲームでそうした感情を惹起するような仕掛けが、どういう意味合いを持っているかも。シリーズを通して読んでいる訳ではないからそこは不明。ただAIあたりがそうした感情の持ち主を気にしているような言動があったから、ゲームといえども単にゲームではないような印象は持っている。どうなるか。原作にまた手を出すかそれとも「小説家になろう」で読み切るか。

 大学に入ったのをきかっけに、試してみようとふんわりゲームに入ったシュウ・スターリングが中で熊の着ぐるみを着た兄と接触し、は初心者として冒険を初めてだんだんと強くなっていく展開。というか強くなる速度が案外に速くてちょっぴりチートがかっているのにも何か理由があったっけ。それも見れば分かるかな。兄は兄で秘密があってなおかつ策士でもある感じ。1巻を読んだ時にそうした兄のキャラクターが気になったっけ。そして物語はシュウが仲間を増やし友人を増やし敵なんかとも遭遇する中でちょっと大がかりにな戦闘が始まったというところでNetflixでの配信はストップ。以下次週といったところ。バトルシーンの迫力はあるしキャラクターも特徴があって面白い。作が敵にめちゃくちゃすごいってことはないけれど、「プランダラ」よりは上かなあ。あれより下ってそうはないから。

 ついでに「ドロヘドロ」の最新エピソードもNetflixで見る。魔法の世界へと連れ戻されたニカイドウが煙との間に契約を結ばされて大変なことになっていたけれど、そんなニカイドウとは知り合いらしい悪魔がカイマンのところに来てニカイドウの救出を依頼する。さても始まる大騒動だけれど、1クールだったらあと2話で決着して長い長いその後は描かれない。2クールでも足りなさそうな展開を果たしてどうするか。2期3期と続けられるならありがたいだけにそこはNetflix様の判断ってことになるんだろう。海外で受けていれば引っ張れるし。さてはて。

 寒いのでおのまま布団に潜り込み続けたいけれども、それではやっぱり沈んだままになるので起き出し、ていつものフレッシュネスバーガーでライトノベルランキングを予想しながら予定稿を書く。顎木あくみさんという人の「わたしの幸せな結婚」シリーズがなぜにあれほどまでに人気なのかを考える。徹底して自分に自信のないヒロインが自分に重なっていやになりつつおられた自信ってのは性格もあってなかなか元には戻らないものだと実感する。今の世の中、優しいけれどもそれゆえに先読みして自分の居場所を失い自信を失って沈む人が多くいて、だから読まれているのかもしれないと感じてみたり。本当かどうかは知らない。

 電撃関連のイベントがネットなんかで行われていたみたいで、そこで安里アサトさんの「86−エイティシックス−」がアニメ化されるという発表が行われた模様。人気作だけにそういう日が来ると期待はあったけれど、いよいよ決まってどういった座組でどこまで描かれるのかに興味が向かう。1巻である意味完結もしているからそれだけを映画にしても悪くはないけれど、以後も続く機械たちと人間との戦いなんかも重要で、それの行き着く先まで描いて欲しいというのが個人的な思い。というかそこまで小説が書かれ続けることも重要。決して人類にとって分の良い話じゃないだけに、どういった解決策を見せるかによってSFとしての注目度も変わってくるから。ポストアポカリプス小説の金字塔となって欲しいなあ。そしてSFラノベ再興への先導役も果たして欲しいなあ。


【3月14日】 目を覚ますとアメリカ合衆国のトランプ大統領がホワイトハウスで会見を始めていたけれど、いつものような屋内ではなくたぶん庭でそこに演台を置き、そして医学とか諸々のエキスパートをずらりと背後に並べては、それぞれの知見なり施策なりを語らせつつ自分の言葉でこれからすべきことを語って、アメリカ合衆国はこれほどまでに新型コロナウイルスについて考えているんだということを、満天下に閉めそうとしていてそれは大部分において納得させられるものだった。日本じゃあ安倍総理がずらりと医療関係者を並べ時時はニックネームで呼んで語らせるなんてことはないから。

 おまけにホワイトハウスでの会見ではずらりと集まった記者たちの誰彼構わずトランプ大統領が指名しては、どんな質問だってしっかりと受けて自分なりの答えを返しつつ、筆ようだったら並んだエキスパートを招いて語ってもらっていた。記者たちが決して事前に質問なんかを渡してそれに対応した答えを書いてもらって読んでいるだけってことはない。記者たちもひとつ質問して納得しなかったらそれで終わらず何度でも手を挙げてそれをトランプ大統領は避けずに指名する。誰かの質問に納得できない答えがあったら別の記者がそれに関連した質問をぶつけて答えをもらおうとする。

 そんな質疑応答が延々と続く。たぶん1時間以上は続いたんじゃなかろうか。その間に誰かが止めに入ることもない。最後がどの辺まで続いたかは確認していないけれど、ほぼ質問が出尽くしてから終わったんじゃなかろーか。そこは双方に手を抜かずそして敬意を示し合っているアメリカのジャーナリズムが見えたりする。これがあってそして夜の日本での安倍総理による会見が、前回の事前に受け付けた質問にしか答えず手を挙げても当てずに帰ってしまうようでは差がくっきり出てしまうと思ったのか、終わろうとしたところで記者達がこれは会見ではないと訴えそれに答えて1問だけと言って続けさせ、さらに手を挙げた記者がいたので質問をしばらく続けたみたい。

 とはいえやっぱりほとんどが想定問答集をプロンプターで見ながらの受け答え。専門家が解説する場面もなく国民がそれで安心できたというと悩ましい。それでも記者たちは自分たちの権利を貫いたぜって大いばりでそのことを報じていたりするのが情けないやら寂しいやら。それはごくごく当たり前のことで、ニュースになる方がおかしいんだという意識を持って例えば菅官房長官の会見でも、質問が続く限りは答えるような体制を整えて欲しいんだけれどきっとやらないだろうなあ、相変わらず1問2問で打ち切りそして中身も木で鼻を括ったようなもの。それが変わらない限りジャーナリズムの衰退は続く。やれやれ。

 果たしてトランプ大統領が東京オリンピック/パラリンピックの開催について触れたかどうかは分からないし、日本の安倍総理もそれにつては延期とか中止の意向は示していなかった模様。とはいえアメリカの選手が日本には行きたくないとか言い出したり、所属チームなりスポンサーが派遣したくないと言い出した時にトランプ大統領も派遣を渋って参加がなくなり、そうしたアメリカ選手の活躍を見越して放送契約を結んでいた放送局とかが手を引くと言った時にだったら収まるまで延期にしようって方針が打ち出され、日本も否応なく従わざるを得なくなるって可能性があったりしそう。そうなった時に受ける経済的なダメージはどれほどか。議論されるんだろうなあ、これから。

 八丁堀にいた人が新宿に移ったので薄毛が得意な美容院、INTI新宿店へと行って6週間ぶりくらいに頭を刈ってもらってから、すぐ近くで堺三保さんと池澤春菜さんによるSFなんでも箱が開催されると分かって久々にのぞく。いつ以来になるんだろう。今回のゲストは「機巧のイヴ」って作品を書いている乾緑郎さんで実は読んでいないんだけれどこれから読む可能性もあるから参考までに話を聞く。さいしょ「からくりのイヴ」と読んでいたけれど、乾さんが「きこうのイヴ」で良いという話が出たので以後はそれに統一。あるいは文中でそういうルビが振ってあるのかも知れない。

 面白かったのは第3巻となる「帝都浪漫編」が出てそれに大森望さんがシリーズの完結編だといった解説をつけているんだけれど、作者の乾さん自信は完結だなんて言ったことは1度もなく、それなのに完結編と言われてあれれと思っているらしい。だったら削ってもらえば良いのに、そうしないのはあるいは大森さんのご威光のたまものか、それともとりあえず三部作として“完結”してそして新しいシチュエーションへと移る可能性があるからなのか。いずれにしても同一の世界観を持った作品は続くらしいのでファンは安心。とりあえずNOVAの最新刊にスピンオフ短編が載るかもしれない。別の作品かもしれないけれどもそれを待とう。池澤春菜さんによる「オービタルクリスマス」のノベライズも載るそうだし。


【3月13日】 確かめられないけれども海外では公式めいた存在として認識されているらしい「BUSTERCALL」とかいうプロジェクト。その名のとおりに漫画で始まりアニメーションとかにもなっている「ONE PIECE」で海軍がひとつの存在をまるごと消滅させる大艦隊での艦砲射撃による攻撃を指す言葉だけれども、そんな必殺技的無茶苦茶さを名前にとってやることは、「ONE PIECE」におけるグッズだとかイラストだとかの展開を、自分たちならではの感性でカッコいいものにしようというもの。その根本には現在の「ONE PIECE」関連の漫画から派生している展開が、どうにも格好良くないものだという認識があるらしい。

 それって既に展開されている版権展開を攻撃するってことにならないか、それを公式で言っちゃ拙いだろうって判断もあったのか、それとも公式として繰り出すのはかっこ悪いという判断でもあったのか、そもそも公式ではなく完全な同人での二次創作的な活動だったのか、分からないけれども日本のKAI−YOUってサイトでこの「BUSTERCALL」プロジェクトが取りあげられて、それが完全なるインディペンデントの立場から棄損のコンテンツ展開をぶった切るような言説に満ちていたものだったから世間があっと驚いた。

 担当者とやらが登場して言うには「有志のファンがやってる非公式のプロジェクトだと思ってもらえれば十分です」だから日本向けには公のメディアで「非公式」という立場を貫いている。それならそれで結構だけれど、続けて言ったのが「現状の『ONE PIECE』を取り巻くコンテンツのほとんどが納得いく出来ではない。Tシャツにしてもキャラクターの立ち絵がプリントされているだけ。アニメのクオリティも世界一の漫画にしては低い」といった批判。「僕たち世代の、ストリートやポップカルチャーが好きな人々にとって『カッコいいもの』がない」というスタンスから、「『自分たちでカッコいいコンテンツをつくってしまえ』と考え立ち上げたのが、『BUSTERCALL』プロジェクト」ということらしい。

 それはそれで結構なこと。同人誌だって同人グッズだって世にそれなりに頒布されているのだから、自分たちで作ってこれこそが俺たちの格好良さだと触れて回れば良かったし、あるいはアートだったらその分野からカッコいい「ONE PIECE」って奴を見せることでなるほどこれはうなずくしかないと世間の思わせれば良かったんだけれど、そうやって繰り出されているアートなりグッズめいたものがどうにもズレている感じがして格好良さを感じない。エネルを雷神めいた像にしたものなんかもあるみたいだけれど、それだってメガハウスのPOPのフィギュア以上の格好良さになっているか、というと迷うところだったりする。POPはどれも本当にカッコいいから。

 まあ格好良さは個々人の感性だからそうと思うならそうなんだと思うだけだけれど、同人グッズや同人誌だって厳密に言えばお目こぼしの範疇、非商業だからこそ成り立っている訳でそれを堂々とグッズ展開しようぜってな態度で居直られたら、権利元だって何か動かなきゃいけなくなるだろう。だってそれを許せば他も許さなくちゃいけなくなるから。それとも違う我々は本当は公式だとでも明かすのか。それこそ前言撤回でカッコ悪いから落としどころとしてはカッコいいので公式が認めたってストーリーにしたいのかもしれないけれど、それだと既存の公認を受けたグッズ類への罵倒が響いてくる。

 作らせてもらっているけど作ってあげてもいるライセンシーが不信感を抱いてグッズは作らずアニメにもせず何も協力しなくなったら、出版社だって今時大変だろう。それとも全部自前でやり遂げる? それもさすがに無理な話。どこも八方ふさがりになってしまいそうな展開の落としどころはいったいどこか、ってのが目下の興味の置き所か。それにしてもアート&サブカルの度合いが過ぎる「BUSTERCALL」の作品郡。同じライセンスに厳しい円谷プロダクションと交渉し、人気の怪獣をオリジナルのタッチで描いてグッズ展開したGreenFlashのKAIJU SERIESはどれも格好良くってそして怪獣ファンも納得の代物だったぞ。

 電撃小説大賞から金賞の逆井卓馬さん「豚のレバーは加熱しろ」(電撃文庫、630円)を読む。豚のレバーを生で食べたら(これイカンやつ)当たったのか苦しんだ果てに意識を失い、気がつくとどこかの豚小屋にいて豚に転生していた。まあ蜘蛛になったりスライムになったりする転生物が過去にあるから豚くらいでは驚かないけれど、その豚が忍豚で豪傑で俺TUEEEって訳じゃなく、どちらかといえばただの豚で人間の心が入っている程度。そしてやっぱり死にかけていたところを、その屋敷で働くイェスマっていう小間使いの種族の少女ジェスによって助けられ、どうにか回復する。

 そんなジェスはイェスマっていう種族の決まり事に従い、16歳になったら屋敷を出て王都へと向かわなくてはならない。その道中にはイェスマが首輪にためた魔法の力を狙って襲ってくる奴らが現れるというからとても危険。なおかつ王都に入ったところでどうなるか分からないといった状況で、豚はイェスマについていって彼女を助けようと決心する。そんな豚がいろいろと見せる活躍がミステリー的でサバイバル的。イェスマが魔法の石を買おうとして騙されていないかを推察してアドバイスしたり、助けを呼ぶ声に誘われるジェスたちに罠かもしれないと忠告して危地をくぐりぬける。そうした物語の果て、イェスマが持っていた宿命を突きつけられ迷う豚。そして……ってところで続きがちょっと気になって来た。ジェスは無事なのか。そして豚はまた豚になるのか。続刊を待ちたい。あと豚にもパンツはやっぱり純白に見えるのかも知りたい。

 新型コロナウイルスの感染蔓延を防ぐ意味からお仕事に行くのを手控えた関係で出来た時間を使って、シアタス調布のULTIRAスクリーンで「劇場版メイドインアビス 深き魂の黎明」を観に行く。これで2度目。1度目はあまり原作とか入れておらずテレビシリーズも見ていなかったからミーティアの存在だとかナナチの正体だとかボンドルドの狙いとかがあまり分からず戸惑ったところもあったけれど、それらをしっかり入れて見たから展開もつなありどこがポイントだったかも見えてナナチの苦悩が強く感じられた。酷い話ではあるけれど、今の境遇に重ねてダメージを受けるかというとそうではなく、苛烈な状況でも夢を信じて歩み続ける大差さを学べるところがあるし、可哀想なプルシュカの思いや願いがある意味でかなったところもあったから、そこは受け止め前に向いて進むことができた。これで打ち止め。あとは「劇場版SHIROBAKO」だけれどこれはちょっとキツいかな。考えよう。


【3月12日】 香川県の人たちがそうしたいと言うならそうすれば言いと、安易に投げられないのはその条例が他にも飛び火して全国へと広がりやがて国の方針となってしまいかねない不安があるからで、ここであまりに理不尽で無根拠であることをしっかりと訴え、潰すことは無理でも窘め釘を刺しておくことで、他に飛び火せず国にも回らずひとつの県での特殊な事例に止めつつやがて廃止へと持って行ければ幸いだけれど、何やら権力めいたところが背後にうごめいて成り立たせようとしている事案だけに、すんなり通ってしまった上に似たような権力を行使したい面々が真似て同じことを繰り返していく不安が浮かんで仕方がない。

 何ってそれは香川県議会が策定しようとしているゲームやインターネットへの依存をなくすために未成年を中心にゲームやスマホやインターネットの利用時間を制限する条例を策定しようというもの。本来だったら家のしつけの問題であり個々人の信念の問題であって止めるも突破するもそれは自由なはず。つきつめてゲームをやりこみやがてすごいプレイヤーになる可能性もあればネットでしこたま勉強して偉い学者になる可能性だってある。昨今の登校が禁止された状況はまさにネットを活用した教育を広めるチャンスであって、それをインターネットの利用時間制限だなんてもので潰しかねない条例を、どうして今一生懸命になって推進する必要があるのか。そんな疑問も浮かぶ。

 でも県議会も、そして発端となったっぽい地元の新聞もキャンペーンを推進してはそれが成り立つことによって自分たちのプライドを満足させつつ権威を世にひけらかそうとしている雰囲気が感じられる。だから引かないし止めない。新聞だなんて権力に対峙し表現の自由を尊ぶべき媒体がどうして私権を制限するような政令に賛成するのか。教育のためとか依存防止のためといった耳障りのよい言葉で世間の評判をさらって売り上げ増に結びつけたいのかな。そんな気もしてしまう。いずれにしても厄介な条例だけに県の内外から批判が起こって反対のコメントをぶつけたり署名活動をしていた。パブリックコメントにもそうした声がたくさんいっただろう。

 それなのに、発表があったコメント数では条例に賛成する意見が2000以上もあって反対の333を大きく上回っていた。県内に限定したにしても、地元の高校生とか中学生なんかがきっと反対の意見を持っていただろうからそんな少ないはずがないのに、結果としてこの数字だとしたらそうしたパブコメの発信が可能な場所に何か壁でもあったのかもしれない。県外からの意見もまるっと無視してしまっているのは県の条例だからという理由かもしれないけれど、これは子どもの権利にも関わる話で1県にだけ止めていいものでもない。だからこそ耳を傾けて欲しかった。賛成する団体が1つなのに反対する団体は68もあってそれで賛成意見ばかりが多いのも謎、ってまあ組織票なんだろうなあ。そこまでして通したい理由って何? やっぱりどこか不思議な国になっている。

 知識は大事で勉強は必要ってことを、こんなにも感じさせてくれるライトノベルがあったとは。電撃小説大賞で銀賞を獲得した陸道列夏さん「こわれたせかいの むこうがわ 〜少女たちのディストピア生存術〜」(630円)は独裁体制にある上に砂漠のような場所にぽつんと独立した都市があって、そこには激しい格差が生じていて富裕層はいるものの貧困層もいたりして、その日に飲む水にすら困っていたりする。フウという少女もそうした最下層に生まれて育って日々をどうにか生き延びようとしていたけれど、砂漠で立ち往生した車両から降りた一行をチアゲハなる怪物が襲って皆を喰らっていく。

 フウだけは動かず堪え忍んだ中でチアゲハの習性を見いだしどうにか生き延びたものの、戻った管轄区にいた母親は死んで天涯孤独の身に。それでも生きねばと補助金をもらい訪れた王都でプラスチックで出来た箱から音楽や声が出ているのを発見し、ラジオだと教えられたそれを肉を食おうとしていた金で買ってしまう。そして音楽だけでなく、何かの講座のようなものも聞くようになって、そこから自分が知らなかったいろいろな知識を学んでいく。やがてラジオの電池が切れて、入れ替えにいったらラジオ以上の金を要求され、暗然としたもののラジオから流れていた「オカネノハナシ」をメモに取り、人が欲しがるものは金になると学んでいたことを実践し、稼いで電池も買ってそしてだんだんとお金を貯め、便利屋稼業を始めるようになる。

 知識こそ勝利への道を地で行く展開。そんなフウのところにカザクラという名の少女が転がり込んで、2人で生活していこうと考えフウは知識を使ってさらに大きなビジネスを発案して転がそうとする。何て前向きなベンチャースピリット。というか、現代社会では当たり前の知識であってもこの物語の世界、文明が栄えたあとにいったん衰退し、都市間が遠く離れたか交流が不可能になった時代では、他者と差をつけるために大きな武器となっていた。もっとも、フウと暮らし始めたカザクラには秘密警察からの追っ手がかかっていてそれらを相手にフウは対峙することになる。

 同じように警察ではあっても秘密警察ではなかったサミヤという女性も巻き込み始まった逃避行で、目指すのはラジオに流れていた講座を発信していた場所。それが実在しているという保証はない、というかフウたちの暮らす世界の他は存在しないものと教えられていた。書物などもなかった。独裁体制の下ですべてが隠蔽されていた。けれどももしかしたらあるかもしれないと動いた果てに得られたその場所で、フウがどれだけの才覚を活かしていくのか、そして元いた世界はどうなっていくのか。きっとあるだろう続きが気になる。っていうかラジオなんて危険物をチオウがよく販売許可していたものというか。電波が届くのを邪魔しなかったというか。そういう知識すら失われていたのかも。だからこそ知識は武器であり、それを学び実践する姿勢が勝利へと至らしめる。


【3月1日】 「プランダラ」を見たら作画はアレだけれども中身は至極シリアスで、アビスの穴の底から戦闘ヘリが飛び出してきては銃器で街を襲っていて、それをアビスの穴から伸びた手が捕まえようとする一方で、同じ目的でとびかかっていったリヒトーを邪魔してお前どっちの見方やねん状態。なおかつそんな戦闘ヘリの上から眼鏡のグラマラスな少女が現れはハッピートリガーよろしく街の住人を虐殺し始める。それにはジェイルも巻き添えをくらって半分死亡。どうやらリヒトーの知り合いらしくて彼のことを離人と呼んで隊長とも慕って銃弾をぶち込む。だからお前どっちの見方やねん。

 そんな最中にリヒトーの口から出たのが自分は「プランダラ」だという言葉。それはなに? どういう意味? まるで分からないけれども撃墜王が300年も前の存在だったにもかかわらず、リヒトーとそして眼鏡の園原水花であることも分かっていったい何が何やらってところで以下次回。1クールだとして果たしてどこまで描かれるのかは謎だけれど、2クールにしてファンが見てくれるような作品かというとこれも謎。テコ入れのような水花の存在も今だとただのハッピートリガーだし。まあ期待はしないで放送される分はしっかり見ておこう。とりあえずストレス溜まらず楽しめるし。

 明けて世間で総自粛が始まった感じ。まずは4月開催の「ニコニコ超会議」がリアルイベントを休止して「ニコニコネット超会議」を開催するとか。それってつまりはただのニコ生って奴? まあ観客は入れずにステージイベントとかを配信するってことになるんだろう。料金はとるのかな。気になる「超歌舞伎」はチケットを買ったけれどもこれも無観客で配信だけになる模様。チケットは払い戻されるとして見るのに料金が別途いるならちょっと考えちゃう。それともプレスだけは取材を受けてくれるんだろうか。だとしたらちょっと行きたい。せめて一声でも大向こうを入れたいから。「初音屋っ!」って。

 イベントではこれまでどれだけコロナが流行しようと休止の姿勢を見せなかったリード エグゼビジョン ジャパンが4月開催のコンテンツ東京を休止して10月に延期と発表した。真っ先にイベントの自粛を発表したブシロードの木谷高明さんが講演する予定もあったけれど、やっぱり降りてしまったんだろうし他にも出ない行かないって声が挙がれば当然自粛せざるを得ない。それでも強行しようとしても、2度目の安倍総理による自粛令が出てしまってはやるにやれない。やれば攻められそうだから。そんな理由も立ったんだろうか休止を発表。4月に入っても休止が続くといよいよ5月の大型連休のイベントも怪しくなって来たなあ。

 休止といえば9日に再開したばかりの宝塚も再度の休止になってしまった模様。あれだけ自分たちで予防に努め、そして観客たちも防護に努めて円満な中に再開が出来ていたはずなのに、それでも総理の自粛延長要請が出て、世間の風当りなんかもあって休止せざるを得なかったってところかもしれない。日刊スポーツなんて本来ならイベントの見方をしてやれるよう努力をする方を讃えるべきなのに、この件に関しては「再開が『暴挙』に/記者の目」なんて記事を書いて、再開を「暴挙」と印象づけようともしている。

 「再開を知った全国のファンからの意見が相次いだ。『生命の危機』へ危機感の欠如を指摘されるなど、批判の数は『想定を超える数』だったと想像される」って書くけど、想像したのはネガティブが前提の見出しに合わせた方向でのことだろうか。「『大好きだからこそ、時期尚早。こんなに早く再開をしてもし問題が起こったら、宝塚歌劇の歴史を汚してしまう』と考える人もいた」って言うけど、それが正しいとしても、そうは考えない人が結構いたことも報じて欲しかった。ただひたすら自粛をすべきだと言いつつ、再開に向けた可能性を模索し提言するような言葉はない。ちょっと無責任。何よりこうして再開を「暴挙」と印象づけてしまう筆が、可能な限りの安全策を講じつつリスクを個々人に置いて再開を模索しても、もなおすべてを中止なり自粛へと追い込んでいく。日本の息の根を止めるのに荷担しているという自覚もなしに。怖いなあ。

 そして高校野球の春の選抜もついに休止へ。規模がでかい上に全国から球児たちが集まってはひとところで寝起きし、練習もして試合に臨む上に観客がスタンドをぎっしりと埋めれば外とはいえリスクも大きいだろう。観客席ではのべつまくなし大声で声援を送り続ける訳だし。だから無観客での試合はやむなしとして大会そのものを中止する必要はあったのか、大相撲のように無観客で試合をさせつつ中継は行うような処置はとれなかったのか。応援も含めて大会で観客の収入が頼りというならそれは部活動の延長という高校野球のスピリッツに反する。だったら試合だけでもやればと思うけれどやらないところに甲子園というビッグイベントが抱える矛盾が見えるのだった。夏はどうなるかなあ。それだとオリンピックに関わってくるなあ。


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