縮刷版2020年2月中旬号


【2月20日】 週中なのでNetflixで見ていないアニメーションの配信分をとりあえずチェック。「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います」はメイプルたちがギルドを作ろうという話。前々から知り合いだった面々がほんわかと集ったところに加えて攻撃力に極振りした双子も加わることになったみたいで、その2人を次の階層へと導くために必要なレベル上げを手伝うシーンで戦闘シーンが披露されてやっぱりな作画ぶりを見せてくれた。ストレスのない展開と気持良い絵が相まって人気になりそうなアニメーション。小説も売れているんだけれど文体とかどうなっているんだろう。ふんわかほわほわしているんだろうか確認する必要があるかなあ。

 「プランダラ」の方はヒロインだったはずなのにしばらく出番が小さめだった陽菜がリヒトー=バッハと合流をしてさて冒険の旅が始まるのかと思ったら、何やら飛行機を作って飛ばそうとしている女性と巡り会ってそれをリヒトーが助ける展開。どうやら揚力がうまく出ていないみたいなのでリヒトーが指導をし、それを受けて女性は飛行機を作ったみたいだけれどもその世界では自分で空を飛ぶことは御法度。すなわち死罪が待ち受けている。そして現れた軍隊か何かにリヒトーが飛行機を壊してこれは風車だと言い訳をさせる道を作ったけれど、そうやって“失敗”したことが女性から数字を奪ってアビス送りへと至らせてしまった。

 夢を叶えれば数字は増えてアビス送りは免れるけれど、夢を叶えれば死罪が待っているならどっちを選ぶ? って究極の選択。とはいえアビスがいったいどういうところなのか、帰ってきた人がいる訳ではなさそうなので分からない。連れて行かれて艱難辛苦を味わっても活かされているなら、そっちを選んだ方が良いのかどうか、ってあたりに迷う。そんな展開だけれどアビス送りにされた陽菜が撃墜王を探せと言い残した理由は示されないまま、ドタバタとした日常が繰り広げられていくストーリー。陽菜とリィンが揃って2大ヒロインが並び立つ展開が予定されているようだけれど、それで修羅場になる感じでもないからなあ。どういう展開なんだろう。原作漫画を読んだ方が良いかなあ。

 漫画と言えば「マンガ大賞2020」の第2次投票が近づいているので田島列島さんの「水は海に向かって流れる」を読む。田島列島さんとと言えば、マンガ大賞2015で2位となった「子供はわかってあげない」という作品があって、そこには学校の屋上でアニメのヒロインを描いているようなオタク少年がいて、オタク少年の兄が前は兄であったのに、姉となって戻ってきて家を勘当され、飛び出してひとり、商店街の古本屋の2階に居候をするようにして探偵の仕事を始めていたりした。

 父親が母親の再婚相手で、いなくなった本当の父親が新興宗教の教祖だったりもしたけれど、旧態依然とした価値観の中ではどこか異なる状況と見なされてきたそうしたプロフィルやシチュエーションが、まるで気にならない特徴として感じられる物語になっていた。ともすれば大げさな問題として描かれがちなそうした差異を、ほんわかとした絵による平穏で優しげな日常描写の連続に紛れ込ませて、たいしたことだと感じさせないようにしていた。

  辛いことや嫌なこと、寂しいことや哀しいことでも、その絵の中、その物語の中に取り込んでは、ゆるゆるとした日常の中に落とし込み、ほんわかと支えてくれる田島列島の腕前が、より一般的な日常に近い状況で起こる事態で発揮されたのが、「水は海に向かって流れる「だ。高校に進学したのを機会に、漫画家をしているおじさんが暮らす家に居候するようになった直達が、そこで出会った榊さんという女性との間に、ちょっとした因縁があった。

 直達は最初はそれを知らず、おじさんも知らず、けれども榊さんは気付いていた。そして直達も知るようになって湧き上がる、申し訳なさめいた榊さんへの感情。一方で榊さんが直達に憤りを向けることもなく、ぎくしゃくとした関係が同じ屋根の下に生まれてしまうことになる。修羅場や愁嘆場になりそうなシチュエーション。それがほんわかとした絵によって棘を抑えられ、どうすれば良いのかを考えられる余裕を与えられる。

 無垢に見えて内心に抱えた感情は激しく、行動もそれなりにアクティブな榊さんというキャラクターも、直達とは高校の同級生で美少女ながらも占い師の兄に似てストリートファイター気質もある泉谷さんというキャラクターも、存在感を持って直達の回りで動き回る。悩みつつ考え迷いつつ進もうとする直達にとって良い導き手。その2人のどちからを選ぶことになるのか。そういう話題とは縁遠く高校生の日常として描き継がれるのか。先が楽しみだ。

 横浜港に停泊中のクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセス号で発生している新型コロナウイルスの感染者から死者が出たそうで、中で感染をしたのか外で感染をしたのが悪化したのかは分からないけれど、密閉された状態で隔離もされず管理もされづらい状況で何日も暮らしていたことが招いた事態だとしたら、それがさらに何日も続くような状況は即座に改善すべきなのに、全員下船で隔離で検査で治療といった大ごとへと向かわず、指摘を受けても大丈夫ですやってますと言うばかりなのはやっぱりこの国で蔓延するトップの逃げ腰体質が広まっている現れかもしれない。

 以前にCDCなんかに匹敵するような組織にすべきはずなのに、逆に予算を減らされている国立感染病研究所の状況について、国会で質問が行われ大臣あたりが増やしますとは決して言わなかったことがあったのに、今になって「安倍晋三首相は17日の衆院予算委員会の集中審議で、米疾病対策センター(CDC)のような組織の設立について『新型ウイルスへの対応を検討するなかで考えていきたい』と述べた」とか。遅いって。予算を自分の政権下で行っておいて何を言ってるんだって。これで改めるならそれはそれで適宜適切な行動なんだけれども、別のところが削られるだけだという予感もあって何ともはや。困ったものです。


【2月19日】 何でもありだとは分かっていたけど、ここまで何でもありだともはや改憲だとかやらなくたって、自衛隊を軍隊にして海外に出して戦闘させることだって出来そうな気がしてきた。っていうかすでに海外には出しているし、戦闘状態の中に置いていたりもするから、あとは戦闘をしたかどうかを認めるかどうかってところか。そこを認めてしまうと改憲を成し遂げた総理大臣という“栄誉”を得られないから、ひたすら認めず改憲の必要性を訴え続けているのかもしれない。

 でも、現実はそういうことを不要として法律だって解釈しだいでどうにだって出来てしまうし、否定されてもそうだと言えばそうなってしまう。例の検察庁における定年延長問題で、先に国会で答弁した人事院の局長さんが、国家公務員には定年延長はあっても検察官には検察庁法でもって定年延長が認められていないし、認められた人は現在までいないと言って、官邸が画策している検事長さんの定年延長は、あり得ないことだといったスタンス示した。そりゃそうだ。国家公務員法があってその上に被せるように検察庁法があるのだから、検察官はそれを守るのが責務だろう。

 ところが、官邸は国家公務員法の方が検察庁法の上を行くような答弁をして世間を戸惑わせていた。さすがにそうじゃないと人事院の答弁をもって世間もその不思議を問おうとしていた矢先、人事院が現在までそうした延長はないと言ったのは、発言した時点ではなく、前月に法務大臣から定年延長はありだよねと問われた直前までのことであって、それ以降は検察官の定年延長も認められるように変わったような答弁を、改めてしたからこれには誰もが驚いた。現在って何週間も前のことだったの? そんなことがあるはずない。現在と言えばその時その時点。でもそうした時間を前にズラしてしまえる権限が、どうやら官邸にはあるらしい。

 法務大臣から以前にそう聞かれていたなら、答弁した時点でそう聞かれたって言うのが頭の良い官僚の人たちなはずなのに、それが忘れていたのか失念していたのか、単に勘違いしたのが現在という時間を過去に戻してしまう。そんな態度を見せれば普通だったら官僚失格の烙印すら押されかねないし、そうでなくても人間としてとても恥ずかしいはずなのに、そうしたリスクを推してでも、自分がバカだと思われることも覚悟の上で過去に時間を巻き戻してしまわなくちゃならないくらいに、あの界隈にはいろいろな雰囲気が漂っているのかもしれない。

 今に始まったことではないにしても、こうして連発されるとさすがにヤバさも三倍増。新型コロナウイルスの感染者が発生しているプリンセス・ダイヤモンド号へと入り込んだ医師が告発したことに、厚労副大臣がツイッターを使って即座に反論したけれど、医師だって大げさには言っても嘘を言うはずはない訳で、真っ向から否定する副大臣の言説を信じて良いかは迷うところ。現実に感染者は広がり、そして入った医師までもが感染している状況が、あの界隈の大変で残念な状況を証明している。それを告発されたら否定するんじゃなく、大丈夫なように現実を改善するのが前向きな態度なんだけれど、この国の状況は偉い人がいった言葉に現実を合わせるようになってしまっている。景気は今なお成長中だと言ってそれに合わせて数字が書き換えられるかも。けれども実際は? 心の底からやれやれだ。

 「とある科学の超電磁砲T」に続いて「インフィニット・デンドログラム」も新型コロナウイルスがもたらす中国との交通途絶か何かの影響で制作に遅れが出て、最新話の放送を延期すると発表した。似たような話はこれからどんどんと増えてきそうで、そうやって延期になった分がどうやって放送されるのか、それとも配信のみで終わるのかがちょっと気になる。制作って各話ごとに行われているから、中国を利用する回もあれば日本だけ出治める回もあって、そうした差から先の話数が出来上がってくることだってありそうだから。そういうのを放送しつつ未放送分をネットで入れるか、枠を広げてもらってその回を差し込むか。東日本大震災の時は放送できなかった終盤をまとめて放送したっけ。その時とは事情は違えどいろいろ大変な状況。オリンピックは出来るのかねえ。

 そうか大学生になったのか梓川咲太。それで思春期症候群とか言ってる世代でもないだろうという思惑は脇に置いて、今時の人は大学生だって20代だって思春期のまっただ中にあっていろいろと思い悩み続けてるという感じ。そんな状況を反映してか「青ブタ」シリーズの最新刊となる「青春ブタ野郎は迷えるシンガーの夢を見ない」では同じく大学生になっていたスイートバレットってアイドルユニットに所属する卯月に不思議なことが起こって、それがもしかしたら思春期症候群じゃないかって思わせる。時空がねじ曲がったり姿が消えたりといった超常的なこととは違ったその変化。でも当人にとってはいろいろと気付きもあったんだろう。結果として起こった騒動も、どうにか収まった先に現れた謎の人物と咲太の関係は? 展開が楽しみになって来た。


【2月18日】 勉強も兼ねて月曜日に国立新美術館で開かれた2019年度のメディア芸術連携促進事業報告会を見物。そこでメディア芸術データベースに記録していくアニメーション関連の情報ついて、データ原口さんこと原口宏正さん式に全録からスタッフクレジットを目視し記録する方式が、確実性という面で消極的ながらも最善という説明があって興味深かった。制作会社からもらってもそれが最終データという保証がない。間際で差し替えられるケースもあるらしい。

 テレビ局ですらエム・データに聞いて確かめることもあるとか。だから放送されたものを最終的なものとして理解するしかないという現状があって、そこを起点にしてデータを認識した上で、キャプチャを自動化するなり映像からOCRするなりキャプチャされた画像を自動的に放り込んでテキスト化するなりしていければ、なんて展望が語られたものの、それすらも後で校正校閲が必要となるから大変だろう。あとはやっぱり膨大な上に範囲も広がるアニメの定義をどうするかが悩ましい。とはいえ原口さんほかメンバーで属人的に続けられるものでもないなら、どこかがシステム化しないといけないこの案件。会社作るかメディア芸術データベース入力のための。ライトノベル部門なら頑張れる。そんな部門はないけれど。

 新型コロナウイルスの蔓延を防ぐ意味から開催が中止となる展示会も出る中で、ブシロードは3月20日までの開催予定だった主催イベントを中止するなり延期すると発表。女子プロレスのスターダムは後楽園ホールで開催はするものの無観客試合として配信を行うそうで、これはまあひとつの英断ではあるけれども入場料はもらえない訳でやっぱり痛手。幸いというか武道館とか大型ホールでのイベントは入っていないみたいで、あってカード講習会とかリリースイベントとかそのあたり。とはいえ少女歌劇レヴュースタアライト関連のホールイベントがあるから影響はやっぱりそれなりにありそう。

 それでも中止としてしまうところが、何をすれば今もっとも尊ばれるかを判断して即決できる企業になっているからってことなんだろう。社長じゃないけどオーナーとして木谷高明さんがいろいろと頑張っているのかな。気になるのは3月20日までってことでその翌日、3月20日から始まるAnimejapanについてはまだ何も言ってないこと。主催イベントではないから言う権利も何もないってことなんだろうけれど、出展するかどうかは企業側の判断になるのでうちは出ないとなれば結構な影響はあるだろうなあ。あるいはそうした企業が続出することによってイベント自体の行方も決まるか。その前に主催社の方で判断してくれってスタンスなのかもしれない。

 そんな新型コロナウイルスの影響で「とある科学の超電磁砲T」の放送が延期になったとか。見ていただけにちょっと残念。日本国内ではまだそれほど猖獗を極めているとは言えず、普通にアニメーターさんだって仕事をしているんだろうけれど、ご多分に漏れずアニメーション業界の人材逼迫なり空洞化なりから海外に動画なんかを出すこともあるだろう中で、中国なんかが取引先になっていたらそちらに向かわせる航空便だっていろいろと支障が出ているかもしれないし、会社だって動いていないかもしれない。かといってすぐには国内で捲き直すなんてことも出来ない状況だと、完成が遅れて延期なんて自体も起こりえるんだろう。これが1社の1本に限らず五月雨式にあちらこちらから出てくるのかな。

 いやもう無茶苦茶というかというか、ANAインターコンチネンタルホテルが過去に政治家だとかのパーティを開いて明細書を出さなかった例はないと断言していて、そうした趣旨を辻元清美議員が文書で回答してもらっているにもかかわらず、安倍総理は国会という場で堂々とANAインターコンチネンタルホテルからは明細書はもらったことがないと言ってしまって、それを曲げようとしないところに言い訳をし続ければいつかは追求も終わるといった思考が見え隠れ。そして実際に過去もそうした言い訳でもってあらゆる事案が葬り去られて、過去だったら総辞職なり退任が必至の状況であっても、延命をして過去最長の政権なんてものを記録してしまった。

 さらには野党が審議を拒否すると、ホテル側を呼びつけでもしたのか誰かが来て話し合った果てに、広報が対応して明細書を出さない例はないと言ったけれど、営業部門ではそういうことはあると言ったらしいから、安倍事務所からの返事は間違っていないと来たものだ。どこの会社に広報と営業で言ってることが違うなんてことがある? コンプライアンスの観点からステイトメントは統一した上で広報部門が発表する。それが唯一だからこそ誰もが信じられるのに、2つの見解があっても良いなんてことを認めたら会社が立ちゆかなくなってしまう。けれどもそれを言わざるを得ないくらいにホテル側にとって差し迫る何かがあったんだろう。

 これは拙い。何が拙いって嘘を言おうと言い訳をしようと、権力側が言うならそれが通ってしまう状況を満天下に示してしまったこと。これで誰も正直に真っ当に生きようなんて思わなくなる。検察官にあった定年の規定を国家公務員にはない規定だからと外してしまうって、それは順序が逆だろう。国家公務員であっても検察官なら守らなくちゃいけない法律を検察官であっても国家公務員なら守らなくて言いなんて、どこの法律家がそんな言い訳を認めるのか、って当の検察官が認めてしまっているからこれが怖いというか、そういう人が検事総長になるかもしれない可能性が凄まじいちうか。そんな国を世界がどうして何も言わないんだろう。気にするだけの重みもないのかな。ないんだろうなあ。


【2月17日】 ついに出てきた東京マラソンの一般参加取りやめ方針。3万8000人もの人が同じ地点に集まりスタートをしていったらどうなるかって考えれば、屋外ではあってもやっぱり今のこのご時世でやらないでおくのが感染の可能性を考慮し、予防の観点も交えるならば妥当と言えるんじゃなかろーか。それだけの人が移動をすると鉄道だって混雑するし。人が集まることを極力避けるのが感染拡大の防止に必須なら、こういう処置は極めて正しい。

 もちろんこの日のために鍛錬を欠かさずにいた人とか、コスプレを準備していた人にとっては大変に残念な話。参加費だって払い込んでいただろうし、チャリティーランナーの人のお金が何かに役立つといった仕組みもある訳で、そうしたお金の問題なんかがこれからどうやって解きほぐされていくか、そこですんんありと返金があるなり寄付は寄付としてお願いできればお願いするなりの配慮があって、理解も得られることになるだろう。

 それでエリート200人くらいが参加する普通のマラソン競技を開催することにはなりそうだけれど、それで沿道に観客が集まった時に同じような感染の可能性なんてのも出てくるかもしれない。沿道での感染を禁止し近寄ってきたら首都警がプロテクトギアまとって排除するとかしたらちょっと映画的かも。いちおうは東京オリンピックへの出場権をかけた戦いでもあるらしいので、有名選手は出るし応援したい人だっている。そうした人たちの期待をも排除して運営が可能かどうか。どんな雰囲気になるのか。そのあたりを見ていきたい。

 ってかこれでいよいよ東京アニメアワードフェスティバル2020とかAnimeJapan2020なんかも決断が求められることになるのかなあ。TAAFは劇場という密閉された空間をつかうイベントな訳で、そこに集まることをいやがる観客や参加者がいたら悶着が起こりそう。AnimeJapanはいけばわかるけど場内はもう密集状態。広い東京ビッグサイトであってもぎゅうぎゅう詰めになってそれが何十分とか何時間とか続くからやっぱり感染の可能性はあったりする。それでも挙行できるかどうか。判断が求められそうだねえ。

 災害に水害だとか煙害だとか霜害だといった言葉があるなら、映害という言葉だってあって良いかもしれないと思った。それくらいに災厄と害悪をもたらしかねない内容を含んだ映画だった。「バイバイ、ヴァンプ!」のことだ。すでにネットで騒然となっているように、吸血鬼に噛まれたら同性愛者になるという作品の設定が、同性愛者を何か病原菌のごとくに扱っているものだと見なされ、性的マイノリティに対する誹謗にあふれたものだと指摘され、上映中止を求める署名活動も行われている。

 ただ、昨今の一部を拡大解釈し、自分たちの気に入らない表現に対して糾弾を行う風潮もあって、どこまでが本当に性的マイノリティを差別し、ダイバーシティが言われる時代に逆行した内容なのかといった疑問もあり、ティーンに対するキャッチさを狙ったコピーにあおられているだけかもしれない、もっと標準的に同性愛でも異性愛でも両性愛でもかまわず称揚する内容を持ったものかもしれないという期待もあって観に行った。唇をかみしめた。

 これはいけない。これは絶対に認めてはいけない映画だ。吸血鬼に噛まれることによって同性愛になる。それを作中で嫌悪すべき状況だとして描いている。もうこれだけで今の時代にそぐわないだろう。人に偏見を与える災厄とみなすべきだろう。あるいは作り手側は、同性愛を吸血によって”強要”されることをもって、愛はもっと自由なものだと訴えたかったと言うのかもしれないが、その表現のために同性愛を感染症のように吸血によって広がるもので、決してそこにはいきたくないとおびえ逃げ、そして最後は糺すものとして描いた段階で多様性は否定されている。

 永遠に生きる吸血鬼にとって子孫を残す意味はないから同性愛が当然だという設定。これはもしかしたらあるかもしれないが、そうした吸血鬼にとっての当然に対して、吸血鬼にとって異常と異性愛を持ち出し、それによって子をなした吸血鬼を殺害してしまった展開は、裏返せば現実の世界で同性愛を異常と見なし、子をなせない者といって切り捨てて良いという思想を想起させる。いつか誰かが論壇誌で開陳しては糾弾され、雑誌そのものを休刊へと追い込んだ主張とまったく同じ。それを現実のパロディとしてしか描いてない内容を、同性愛を異常とする現実への批評とみることは不可能だ。

 美しくあるべき吸血鬼をゾンビのごとくに描いているとかいった表現手法についても異論はあるだろう。アーカードが怒鳴り込んで来るかもしれないと思う人もいるだろう。その気持ちもわかるが、吸血鬼を恐るべき怪物であり忌むべき存在と描くこと事態はかまわない。そういう時代がかつてはあった。それこそ表現の自由だ。ただやはり性的マイノリティに対する嫌悪を助長するような表現は今の時代に許されるべきではない。絶対に。それを行っているという段階で「バイバイ、ヴァンプ!」に対していかなる批判が起こってもそれを咎める言葉を僕は持たない。

 たとえば砂月美貴が演じる工藤美桜が冒頭で気のそばに立った時にふわっと風で持ち上がるスカートにドキッとする楽しさはある。澤山璃奈が演じるボディコンミニスカの英語教師が前屈みになって教卓に開いた胸をおしつけ谷間を見せたり、テニスをしながら転んで絶対にアンスコではない何かを見せたりする場面にググッとする面白さはある。けれどもそうしたキャッチさですら今は公共では懸念される表現になりつつある。見せる相手を考慮する表現だとも言えるだろう。

 そうした配慮されあればかまわないというレベルを「バイバイ、ヴァンプ!」における同性愛表現では超えてしまっている。ガレッジセールのゴリが演じる高校教師がホモセクシャルなのはかまわない。彼が生徒といい仲であってもそれは自由だ。いや学校教師と生徒の恋愛にモラルを求めるなら危ない部分かもしれない。そうしたところへの配慮は必要かもしれないが、愛に形はなく対象も自由なら認めるにやぶさかではない。

 問題はその描かれ方だ。いかにもな仕草であり表情であり態度を乗せてステレオタイプに仕立て上げたキャラクターを、今の時代に映画という場において登場させてしまえるところに愕然とする。とんねるずの番組がどれだけ問題になったのか。それを知らない訳でもないのに。つまりはそういう表現だ。見る人がいかにもだと笑い、いかにもだと嫌うように仕向ける。そこに違う、それもありだと救いがあればよかったのだけれど……。これだけの厄災を含んだ映画、すなわち映災を作り上げた側に問題があることは自明として、こうした映画に町長まで出して協力した茨城県境町の判断が今後は大きく問われるだろう。

 かの町では同性愛者は、あるいは性的マイノリティは病原菌のごとくに忌まれ嫌悪され糾弾される存在なのだという評価を世界中から受けかねない。ダイバーシティが言われるこの時代に逆行する町だと見なされかねない。早急な釈明が求められるだろう。映画の関係者以上に。メディアが大きく取り上げ問題化する前に。果たしてそこまでの自覚はあるのか。認識はあるのか。それが気になる。ともあれとてつもない映画だった。とんでもない映画だった。観たことは後悔しない。そういう映画もありえるということがわかっただけでも自分の人生に意味はある。これを反面教師とし、ひとつの価値として刻んで表現とは何かを考えていかなくてはならない。一生かけて。


【2月26日】 リアル空銀子from「りゅうおうのおしごと!」by白鳥士郎さん。女流棋士ながらも奨励会の三段リーグ戦に挑んで男子ばかりのリーグを勝って四段のプロ棋士を目指している「りゅうおうのおしごと!12」の空銀子というキャラクターがいるけれど、そんな小説を後追いするように現実の第66回奨励会三段リーグ戦で西山朋佳三段が、今日開かれた対局に2連勝して3月7日に開かれる最終日の対局での四段昇段、すなわちプロ棋士になる道を残した。

 女流棋士でタイトルも持っている西山三段がプロじゃないの、っていうのは既に知られた疑問でもあって、女流棋士は例えば藤井聡太七段なんかが最年少プロ棋士になったといったカテゴリーとはまったく別のものになっている。プロ棋士とは三段リーグで上位に入った2人が四段に上がって初めてなるもの。あるいは次点を2回とってフリークラス入りしてなるもので、女流は5段だろうか6段だろうが厳密な意味でのプロ棋士ではない。

 そして過去、女性のプロ棋士は誕生していないからこそ「りゅうおうのおしごと!」での空銀子の挑戦が物語になる。現実にも過去、幾人かの女流棋士が奨励会入りしてはプロに挑んだものの、里見香奈さんのように三段リーグに名を連ねながらも昇格できずプロ入りは逃したくらい、難しい壁になっている。それは女流棋士が弱いからという訳ではなく、圧倒的な人数の差があり体力の差なんかもあってのこと。場になれていないというのがやはり大きいと言われている。

 それが近年はだんだんと変わって来た。コンピュータのせいもあって序盤の研究も進んだのかもしれない。それによって体力勝負をかけられる前に形勢をととのえ勝利できるようになったのかもしれない。そんな状況下で活躍する女流が増え、そして西山朋佳三段のように三段リーグ戦で勝利を重ねて3位につけて、最終日に二連勝して上位にいる棋士のひとりが1敗すれば、晴れて四段昇段という女性の棋士では初の事態が到来する。これはやはりニュースだろう、藤井聡太七段の加藤一二三九段の記録を上回る最年少プロ棋士誕生に劣りもしないくらいの。

 今日も2連勝したから最終日の2連勝も夢ではないけれど、とてつもないプレッシャーもかかる中、果たして実力は破棄できるのか、ってあたりが目下の注目。「りゅうおうのおしごと!12」で空銀子も最終日の対局まで昇段の可能性がもつれこんで、そこでとてつもないプレッシャーの中、修羅となり弱る心情を自分で叩いて肋骨を折りながらも戦った。それくらい激しい状況下、メディアの目も集まる中で果たして勝てるのか。今から気になって仕方がない。よしんば敗れて次点に入れば2度でフリークラス入りながらも四段昇段となる訳で、後の半年にも注目は続きそう。そうした状況で先駆者として「りゅうおうのおしごと!」が売れるのか。続編のアニメ化があり得るのか。気にしたい。気にしていきたい。

 読んだんだろうかどうだったんだろうか、「ゼロの戦術師」という電撃文庫から出た作品があって、それを書いている紺野天龍さんがハヤカワ文庫JAから「錬金術師の密室」という小説を刊行。ファンタジー仕立てのミステリというカテゴリーで、希代の錬金術師が密室で殺害されていた事件に、美人の錬金術師とそのお目付役としてついていった堅物の少尉が挑むといったストーリーで、錬金術師なら何ができるか、そして誰が殺害する理由を持っているかといった条件から犯人なり真相に迫っていくことができる。

 読み所は何といってもテレサ・パラケルススという名の王国軍務省錬金術対策室長というキャラクターの美人だけれどやあぐれていて酒飲みで女性好きといった設定。エミリアという女性名ながらも歴とした男性の少尉を相手にくだを蒔きつつ傲岸不遜な態度で犯人と疑われた逆境から抜け出し、真相にたどりつく。その冴えの一方で抱えた大きな秘密。そしてエミリア自身の秘密。それらが合わさり2人の過去が重なって浮かぶとてつもない事件とその張本人を探し追い詰めていく旅が、これから始まりそう。秘密は守られるのか。そして活躍は。2人の関係は。そんな興味を抱えて読んでいこう。

 今日も昼まで沈みがちではあったものの、寝続けている訳にはいかないと午後2時過ぎには起き出して、近所にフレッシュネスバーガーにこもり、ハンバーガーをかじりコーヒーを流し込みながらとりあえず頼まれていた書評を1本どうにか仕上げて、もやもやとしていた気持ちを晴らす。もちろん将来についての不安もあるけれど、目の前の仕事がこなせるかっていうのも結構なストレスとなって、心を苛むのだった。

 原稿って依頼されると嬉しいけれど、それが自分に書けるのだろうかという不安が常につきまとう。依頼されるのだから書けるだけの能力はあると思いたいのだけれど、そうした期待にもしも応えられなかったどうしようというプレッシャーが働いて、なかなか手が動かないのだったりする。「らんま1/2」なんて、世界的なメジャー漫画の評論について商業誌に書くとか俺で大丈夫なのって思ったりもしたし、今だってあれでよかったのかと迷う気持ちもあるけれど、とりあえず好評は見たので今は安心。異論はないのでよかったと思いたい。

 世間には漫画評論もやる人としてまるで届いてないけれど、これでも「漫画家本」は皆川亮二さん島本和彦さん細野不二彦さん一ノ関圭さん小山ゆうさん高橋留美子さんと6冊もやっているのになあ。どこかでまとめるか、マンガ大賞に寄せた推薦文とかと併せて。どこで? ともあれこれまでも締め切りが近づいて、いやでも書かねばと手を動かし始めれば、どうにか仕上がって来たこれまで。こんな経験をあと10年は重ねて、俺の書くものはすべてが完璧だと思えるようになるかというと、やっぱりならないんだろうなあ。自信はどこで買えるんだろう。


【2月15日】 「ID:INVADED」で小柄な小学生にも見えるけれども23歳という本堂町小春が頭に穴を開けられたせいなのか、よっとずつズレていって殺人犯を殺害しても平気な感じになってしまったことを嫌気されたか、イドに潜る名探偵に推挙されてしまったエピソードまで見る。放送よりも配信が遅れているから、井戸でのその活躍、聖井戸御代としての姿はまだ見てないけれども結構な恰好だと噂では聞いているので早く見たい。

 ストーリーの方は、起こる事件の真相を探るべく現場に残されていた思念をもとに井戸に潜ってそこで死んでいる「カエルちゃん」なり「カエルさん」の死因を調べ、それが殺人犯の究明につながるといった感じで進んでは行っているけれど、そうした構造が分かってきた先で、殺人犯たちのイドにたびたび現れるジョン・ウォーカーという人物がいったい何をしていたのかが、全体に通底するテーマになって行くのかな。その正体を突き止めたところで何か大きな事件が解決するとか、世界が激変するといった展開があるかが見えないところもあって、単体では秀作でも全体では傑作と呼べるかどうかはまだ様子見。面白いことには違いないんだけれど。

 お気楽に見られるという意味では「プランダラ」あたりがグッドというかライクというか。絵とか非道いし展開とかも適当だし、世界がどうにかなってしまうようなテーマもまだ見えず地方で元撃墜王らしいけどそんな年には見えない青年が、いやらしいことをしたり強い相手と戦ったりする小さなエピソードが積み重なっているだけ。ヒロインで母親をアビスから取り戻そうとしている少女も出てこなくなって、いったいどこに話が向かっているかも見えていない。それでも見ていて気を抜けるのは悪くないと言えるのか。アニメ人材の不足が叫ばれる中、こうしたアニメがどういう要請によって誰のために作られどうした効果があったかを、検証したいけれどそれをやっても意味があるのか悩ましい。楽しいんだからそれで良し、ってここは割り切るべきかなあ。

 NETFLIXやAmazonPrimeビデオに配信されてないから毎週1話分だけが見られるようになっているGAOで飛ばし飛ばしに見ている「宝石商リチャード氏の謎鑑定」。だい6話ではトルコ石のエピソードが描かれてリチャード氏が過去にやっていた商売が初めて明かされた。それだと偽って売った宝石が実は違っていて、けれどもそれよりも実は高かったりするのは詐欺なのかどうなのか。欲しい相手がいたから違っていてもそうだと偽って売ったのならそれは親切ではないのか。ちょっと考えてしまった。

 当時の荒んだリチャード氏ならそう思っていたのかもしれないけれど、出会ったラナシンハという人物に誘われ見込まれ暮らす中、正義の気持ちを取り戻しっていたんだろう。結果として今の品行方正なリチャード氏の出来上がり。正義が作ったプリンを食べるその姿に、とある心情を思い浮かべるけれども当の正義がそれに気付かないというすれ違いを、見て悶々としつつドキドキとしている視聴者が大勢いそう。評判を見ると決して悪くはなさそうで、見ていてほっこりとしてすっきりとさせてくれる作品になっていそう。原作のどこまで描くか分からないけれど、末永く続いていって欲しいもの。せっかくアニメ化にもなったんだから劇場版とかも、第1部の終わりがけのエピソードとかで是非。

 用事を入れていない土日が動けなくなっている感じで、午後2時くらいまでベッドでうつらうつら。午前3時までベッドでNETFLIXとか見ていたからしゃあないとは言え、これでは先が思いやられるのでどうにか起き出し洗濯をしてレーズンパンをかじり、しっかりと歯磨きをしてからパソコンを担いでいつものフレッシュネスバーガーで原稿を書く。書評系で2ほど依頼があるのはありがたい。それで食える訳ではまったくないけれど、今はひとつひとつしっかりとこなしていくしかない。コンビニのATMにカードを突っ込み預金残高を眺め、まだ戦えると心に希望。でも10年先を思い鬱鬱。人間そう簡単には変われないのだ。

 歯磨きといえば、しばらく前に歯ブラシで歯茎をこすると血が出たのをきっかけに、リステリンで口をゆすぐだけにしていたらそれでは歯石は流れず歯垢も落ちないようで、いつのまにか歯が汚れプラークもたまって歯周病になりかけていたらしく、それがひどいにおいにつながっていたと歯医者に言われてなるほど。試しに1週間ほど歯磨きを続けたら血も出なくなったのだった。そういうものかと目から鱗。

 あとその歯医者は言ってすぐに神経とか抜かず歯も削らす、まずはレントゲンから写真も撮影して歯周ポケットの深さを測り、図解した上でまずは歯磨きで歯茎を引き締め様子を見つつ歯石を削りそれから奥歯の親知らずを抜くことにするといった段取り。今時の日本の若い歯医者はちゃんとそういう風になっているらしい。時間だけはあるからじっくり直しておこう。お金が続くことだけが心配だけれど。続けさせないとなあ、頑張って。


【2月14日】 2月の終わりにパシフィコ横浜で開かれる予定だったカメラと映像機器の見本市「CP+2020」が開催を中止すると発表。もちろん理由は新型コロナウイルスの蔓延を懸念してのことで、海外からの来場者も多いだろうイベントを不安視して来場者が来るのをためらっているのか、それとも日本での桁違いとはいえ中国に次ぐ感染者の発生で海外からの参加者が来日を忌避したか、はっきりとは分からないけどいろいろと不安があったんだろう。大きなイベントで新型コロナウイルスを懸念しての開催中止はたぶんこれが国内では初。3月にはAnimeJapanとかも開催が予定されているだけに、そちらへの影響も気になってくる。

 すでに海外では台湾でのゲームイベントが中止になり、香港のフィルメックスも中止といろいろと影響が広がっていたりする。上海ワンフェスはどうなるんだろう、中止の噂はあるけれど正式なアナウンスがないからそこは不明だけれど、やっぱりいろいろと影響は出そう。そうした流れが一気に拡大すればAnimeJapanもその前の東京アニメアワードフェスティバル2020も、海外からの参加者が不安だからといった理由で中止とかありそう。ずっと準備してきて可哀想だけれど、今後の広がり具合でそうした決定もありそうだなあ。ダイヤモンド・プリンセス号ではまた感染者が増えて重症者も出たみたい。シウマイ弁当は届かず閉じ込められてジワジワとウイルスに迫られる乗客の心境やいかに。船内から実況するYouTuberとかいないのかな。

 400カットもの作り直しがあったらしい「劇場版ハイスクール・フリート」。ブラッシュアップは全体の3分の1に及ぶというからんもう別の映画に近いというか、だったら前に見た未完成品については料金を返すなり次ぎに見る人を割り引くなりの処置すら必要に思えるレベルだけれど、そんな映画を実際に2回ほど見て実はあまり作画どうとか気にならなかった。なるほど甘いとか緩いとか言われていたけれど、それが顕著に見られたという中盤から後半にかけては、大和型戦艦が4隻並んで手法をぶっ放し、晴風が会場をぶっとばしプラント潜入部隊がミリタリー仕事をしといった具合に、キャラクターの作画よりもアクション展開で見せる場面が大半で、その格好良さにシビれて崩壊具合にまるで気がつかなかった。

 だから今日から公開されたブラッシュアップ版を見に、三鷹から立川へと回ってシネマシティに寄ったけれども「見せてもらおうか、ブラッシュアップ版の実力とやらを!」と意気込んだ割にはあまり大きな驚きはなかったというのが正直な感想。もしかしたら顔立ちとか綺麗に整っていたかもしれないし、戦闘の場面も迫力が増していたかもしれない。宗谷真冬の格好良さが倍増しになっていたかもしれないけれど、元から面白かったからどれだけ綺麗になっていたのかまるで検討が着かないのだった。それでもまあ、見た人が口々に作画が治っていたというからきっとそうなんだろう。もうちょっと細かい分析が出て来たら確かめにさらに1度くらい、見に行くかも。

 でもやっぱり武蔵艦長の知名もえかが校長らの慌ただしい雰囲気から何か起こっていると察して、大和や信濃や紀伊の艦長にも根回しをしてプラントや要塞の奪還に向かって船を出した経緯ってのが、映画を見ているだけではやっぱり分からないなあ。セリフではその知将ぶりが讃えられているけれど、背後での交渉とかは何かドラマCDとかを聞かないとやっぱり分からないのかもしれない。小説版とか出たら呼んでみたいけれどそこまで果たして描かれるだろうか。ちょっと気になる。ともあれテレビシリーズからOVAを経て映画にもなってジワジワと続いているシリーズ。これで終わりとならずにまた続きを。艦これよりも横須賀で盛り上がっている作品だから。

 いやもう無茶苦茶でござりまするなあ安倍総理。「桜を見る会」の前日に自身の事務所が主催してホテルニューオータニで開かれた前夜祭に来たゲストの人たちが全部それぞれがホテルと契約したものだから、事務所の収支報告には掲載されていなくて当然といった言い抜けをして世間から苦笑されていたのにくわえて、今度は自分がその場にいたのは自分が契約したからかといった問でもあったのだろうか、そうじゃない自分はそこにふらりと足を踏み入れただけであって会費とかも払ってないんだと国会の場で言ってのけた。おいおいそれってただのパーティー荒しじゃん。あるいは無銭飲食。会費も払わず紛れ込んではタダで飲み食いしたことを、総理という立場で国会の場で堂々と語ってしまえるその心理状態が凡人にはまるで理解できない。

 でもってその内閣で検事長の人の定年を延長させた件について、検察庁法で定年が決められているにもかかわらず、国家公務員法では延長はオッケーであってそして検事長は国家公務員だから定年延長もオッケーだなんて謎理論を持ち出して来た。いやいや国家公務員であっても検察庁の人間なんだから検察庁法に引っかかるだろうという真っ当な反論は通じない。それが通るなら憲法に規定されていないことは刑法だとか民法だとかで規定されていても憲法上は大丈夫だなんてことになりかねない? それはさすがに無理すぎるけどそういう無理を自分たちのために少しでも通してしまうのが今の内閣。見ればこれはヤバいと思って当然なのに、支持者はまるで動じないところに無力感を覚える。未来はどこへ?


【2月13日】 花澤香菜さんにとって「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」への出演で、のんさんと共演したことがやはり印象に残っていた様子。片渕須直監督を追いかけたドキュメンタリー映画「<片隅>たちと生きる 片渕須直の仕事」の中だと、のんさんに片渕監督が演技指導をしている後ろで、にこにことしている花澤さんが立っている姿が映っている。人とてもおだやかな雰囲気で、現場がまろやかになたっって片渕監督は話していた。そうだよなあ、あの顔立ちあの声質でにこにことされていたらまろやかにならない現場なんてないよなあ。

 そんな花澤香菜さんが、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の舞台挨拶にはじめて登壇した2020年2月12日の上映時、片渕監督に「すずさんのキャラクターは回りを掛け合わせることで出来上がると話されてましたが、私にはのんさんがそのまますずさんに乗り移っている気がしました。最初からそうだったんですか?」と尋ねていた。答えて片渕監督は「すずさんはこういう人なんだと、2016年のアフレコに言いました。そこでの『わかりました』について、2019年の7月にその時の回答を持ってきてくれたんです」と答えていた。

 当時だってちゃんと出来てはいたけれど、それでもまだ足らなかったことがあった。映画が公開されていろいろな場所で演者として活動し、また映画も見直す中できっといろいろと感じていったんだろう。3年をかけてすずさんという人をより深く知り、演じられるようになった。そして片渕監督。「そのすずさんも、映画の中で変化していかなくちゃいけない。テルちゃんとの掛け合いを経験する中でどう変わっていくか」を考えたみたい。「リンさんとの色々なことがあった。リンさんとの関係が、テルちゃんと話すことでわだかまりが解消していく」。

 茶碗を渡すというのは半ば口実で、やはり気持ちには対決の気持ちもあったんだろう。けれどもそこで病気で苦しみながらも明るいテルちゃんと話すことですずさんの中で、自分がしっかりしなきゃという気持ちが芽生えたのかもしれない。「どっち方向にすずさんが変わっていくか」。その結論が、母親然とした方向。「テルちゃんと話している時のすずさんは頼もしく見えます」という言葉に片渕監督は「甲斐甲斐しく熱を出しているテルちゃんの面倒を見て、雪を食べんさいと持ってくる」と、すずさんの行動を列記する。

 「のんちゃんに言ったのは、すずさんはいっぺん、お母さんにならないといけない」。あの場面、風が吹き込む窓を閉める時の優しくも頼もしげな「もう閉めますよ」というセリフにそんな気持ち、そんな心が感じられる。そうした変化が「映画の最後でお母さんになることにつながったんです」と片渕須直監督。さらに「すずさんが、晴美ちゃんをかばう場面ですずさんは、晴美さん晴美さんと行って来たがの、あそこだけ『晴美ちゃん』と言うんです。保護者にならないといけなかった。そのきっかけが、テルちゃんとの出会いだったんです」。新たに加わったシーンが、前からあるシーンにより深みを持たせ、より意味を持たせた。

 そういった繋がりを改めて感じると、また映画を観たくなってくる。花澤香菜さんも、こうして監督による説明を聞く度に映画を観なくちゃという気になるらしい。だからもっといっぱい舞台挨拶をしてとすら言っていた。いやそれならご自身ももっと出て来てふわふわりして欲しいんだけれど、お忙しい方なので次はやっぱり小野大輔さんのご登場を願いたいところ。冒頭ですずさんに非道いことをした時の内心とか、やっぱり聞きたいかならなあ。どこまで本気ですずさんのことを思っていたのか、いつまで思い続けていたのか。その小野大輔さん的解釈をぜひ聞きたい。待ってますご登壇。

 横浜港に停泊するダイヤモンド・プリンセス号に崎陽軒がシウマイ弁当を差し入れたという話が伝わって、さすがは横浜の雄だと誰もが讃えたけれども一晩が明けてどうやら差し入れたシウマイ弁当を船内の誰も食べていないことが判明。実に4000食ものシウマイ弁当がどこかに消えてしまった。とりあえず引き受けたもののすでにある食材の消化がやっぱり先と船会社が隠してしまったのかもと考えたけど、船の方でも受け取ってないという話が伝わっている。本当だとしたらいったいどこに消えたのか。ワームホールを透って200年後の横浜に転送されてしまったのか。謎めくけれど、きっと連絡不足で積んだまま放っておかれたんだろうなあ。ドタバタしてるし。

 しかし新型コロナウイルスによる肺炎でいよいよ死者も出たようで、広がる感染者の数から発症者も増え死者もこれから出て来そう。世界が押さえ込みに成功しているように見えるなか、どうして日本だけがこうなった? ってところで単純に観光を優先したという話以外にも、重症者を即座に隔離し面倒を見たり、原因を特定した対処するような施設なり研究に関する費用の不足なんかがあるのかもしれない。現実に対策のための費用が削られていったって話もある。よく分からない所にお金が回って研究だとか学術といった分野からお金が消えるこの政権こそ、シウマイ弁当が消える船より複雑怪奇かもしれない。何しろ国会質疑にヤジ飛ばす人が政権トップにいる訳だから。性懲りもないねえ。


【2月12日】 新宿ピカデリーで開かれた「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の上映に合わせて開かれた部隊挨拶に、テルちゃんを演じた花澤香菜さんが登場。封切り時の舞台挨拶には居なかったから、今回がこの映画では初の顔見せとなって、こちらは「この世界の(さらにいくつも)片隅に」の封切りから55日ですでに30数回、舞台挨拶に立っている片渕須直監督から、「主立った出演者で小野大輔さんと花澤香菜さんがお忙しくて」と言われ、「小野さんまだなんです」と言った瞬間、「よしっ!」と先んじられたことを喜んでいた。こういうところがちょっと可愛い。

 「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」に出演依頼があったことについては、「びっくりしました」と花澤香菜さん。「『この世界の片隅に』を見ていて、こんな素敵な作品に関われる人は良いなと思ってました。小野さん、潘ちゃん、細谷さん……。私はオーディションなかったけど、あれで完成されていた」ので出られないと思っていたらしい。「『さらにいくつもの』が作られるとは知っていましたが、新しいキャラが出てくるなんて知らず、まさかお声がかかるなんて」。

 そんな花澤香菜さん起用の経緯はすでに語られていて、片渕須直監督が宇多丸さんのラジオでアナウンス原稿を読む前に素であたふたしていた声を、奥様の浦谷千恵さんが運転する車の中で聞いて、実にテルちゃんらしいと思ったから。その番組に花澤香菜さんを声がけしたのが藤津亮太さん。花澤さんの口から「藤津亮太さん」という名前が出たときに世界宙の花澤香菜さんのファンがふわふわりと思ったことは脇において、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」のムック関係で仕事をしている藤津さんとの関わりも含め、いろいろな奇跡が重なって生まれた出演だとも言えそう。

 そんな花澤香菜さん、実は片渕須直監督作品のオーディションを受けていたことを明らかにした。作品は「マイマイ新子と千年の魔法」だから、役はたぶん貴伊子。そのときはかなわなかった出演を果たし、これからも呼んで欲しいと話していた。そりゃあ呼びたいけれどもお忙しい方だからなあ。のんさんと花澤さんが並んで演じてくれれば嬉しいけれどなあ。そもそもがどうして花澤香菜さんで空席が出来るのか。平日の夜はやっぱりこうなってしまうのか。それはちょっと寂しかった。

 テルちゃんといえば九州弁で、それを演じるのは難しかったかと司会のヤマモトさんに聞かれた花澤香菜さんは、「自分なりの方言のやり方、今までやって来た中で作り上げてきた台本の書き方があって、上げて下げてを印として書いておいて何回も練習してたたき込みます」と話していた。声優さんってそうやって練習するのかと感慨。結果、現場で九州の人たちが即オッケーを出す完璧な方言を聞かせてくれた。

 ただ「練習し過ぎちゃうとディレクションされた時に変えられなくなる」と花澤香菜さん。「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」のテルちゃんは、九州弁の上に「もっと死にそうな肺炎になってください」と言われ「どうしようかと思った」と、舞台挨拶の椅子から立ち上がって当時を振り返っていた。驚いたんだろうなあ。「あのディレクションは初めてでした。監督が直接、声を潰して欲しい、からして欲しいと」ディレクションしてきたことも明かしてくれた。

 受けて片渕須直監督は、「九州弁でずっと風を引いていて喉が嗄れていて咳が出っぱなしの三重苦」のキャラクターだけにキャスティングを悩んだと話しした。「僕がキャスティングを悩んだのは、それを超えた上でお芝居ができる、テルちゃんという人物像が出てくるのが大事だった」と片渕須直監督。「もっと死にそうになって」といった並大抵ではない演技への要求に、見事に応えてのけた花澤香菜さんの、何重もの苦労を超えた演技を劇場に見に行こう。

 そういえば花澤香菜さん演じるテルちゃんのためにすずさんが、茶碗で雪をすくうシャリッという音が新宿ピカデリーだと聞こえてきた。「スクリーンで大きな空間で色々な所から音が聞こえてくる」と片渕監督が言う劇場だからこそか。花見のガヤにいる小野大輔さんとかも聞こえるかもしれない。舞台挨拶ではのんさんの演技が、リンさんとかテルちゃんとの掛け合いの中で変化していった経緯も語っていたけれど、長くなるのでそれは後日に。あと何度、観たら良いんだろう。ムビチケまだ使えるんだろうか。

 横浜に停泊しているダイヤモンド・プリンセス号で新型コロナウイルスの感染者が続出している件で、船から降ろさないまま検査もゆっくりとしている間にどんどんと広がっている感じというか、もはや船内に限ればパンデミックというか。隔離もできず大勢が行き来している船の中に感染者と健常者を閉じ込めたらそりゃあうつるだろう。かといって降ろして発症したらそれが日本の発症数に数えられるのが嫌なのか、感染が拡大するのが拙いのか。かくして閉じ込めたままでプリンセス・ダイヤモンド号は知らず出航させられ東京湾の沖で某国が設置した機雷に触れて沈められる……なんてカサンドラクロス的展開があったら何か凄いかも。そうさせないためにも検査と隔離をしっかり。

 早速出て来た米アカデミー賞での作品賞と監督賞を受賞したボン・ジュノ監督「パラサイト」へのいろいろなやっかみ。「『パラサイト』に関して、日本の配給会社関係者は『製作のCJエンターテインメントのアカデミー会員へのロビー活動が凄かった』としている」なんて出所不明の談話をのせてる新聞なんかもあったりしたけれど、だったら日本の映画だってロビー活動をすれば良いってだけの話だし、だいたいがロビー活動をすれば受賞できるような賞でもない。アカデミーの会員だってプライドがあり見識だってある中で、過去の流れに寄らない真意を告げたらこうなっただけの展開を、いかにもな謀略論で括っているうちは日本映画がオスカーなんてあり得ないだろうなあ。いやだからそこはアニメーション映画が獲得するから別に良いのだ。「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」で花澤香菜さんがレッドカーペットを歩く日を願う。


【2月11日】 「創訳 とある魔術の禁書目録」刊行をきかっけに、過去作品を振り返ってみようとNetflixでアニメーション版の最新シリーズとなる「とある魔術の禁書目録3」を午前3時くらいまでずっと観ていて、途中で意識を失い午前中に目覚めてからも続きを観つつ、寝たり起きたりしながら午後4時くらいまで布団に潜り込んで過ごすという引きこもり気味生活。おとといの日曜日とまるで一緒だったりして、これが板についてしまうと本格的にヤバくなるので、おとといの日曜日と同様に、家を出て近所のドトールで原稿なんかを打とうとする。

 とりあえず依頼があった本の紹介文を書こうと頭をめぐらせたものの、なかなか言葉が出てこないのが困ったもの。2時間くらいかけてどうにか気持ちを浮上させたものの、まるで文章としてはまとまらず、どこを糸口に何を書けばいいかもまだ定まってなくて、これから毎日いろいろと思案をめぐらせることおになりそう。まあ無理な時はいきなりまとまって筋が通った文章にはせず、部分を構成するパーツをメモ的に描き散らかして、あとでつないでいく。そうやって去年の一ノ関圭さん、小山ゆうさん、高橋留美子さんに関する漫画評論3部作はどうにか仕立てたし。とりあえず今週末をめどに1本をどうにか仕上げたい。少しずつ。少しずつ。

 キーボードを打つためのリハビリも兼ねて、野村克也監督の訃報に大リーグで活躍するダルビッシュ有選手が急遽、YouTubeにアップした動画を見ながらコメントを打つ訓練をする。曰く「日本で野球しているとき、デッドボールを当てると、日本は帽子をとって謝るのが当たり前。アメリカはわざとやったと取られるから、帽子をとっちゃだめらしい。日本では帽子をとる。自分はそれを大事にしている。ただ、当てて帽子をとって終わりというのが、僕の中では気持ち悪い。その行為をすることに意味があるんじゃない、相手に対してすいませんという意思を伝えることが大事。バッターの人も当たってピッチャーを見てにらんでいると勘違いされるのをいやがり、ファーストに走っていかえる方もいる。そういうかたには3塁のランナーコーチを見る時、目が合うのでちゃんとすいませんとやる。伝えたくてやっていた」。合理的なダルビッシュ選手らしい態度。

 それがどう野村監督と関わるかというと「ある時、記事で野村監督が僕の話をしていて、ダルビッシュはえらい。ファーストへとランナーがいくのを待っている。敵の監督がそんなにピッチャーのことを見ているんだ」と思ったとのこと。「野村野球、頭を使う野球といわれていたけれど、本当にやっているんだ、いろいろな人のことをずっと見て、人間観察がたけているから、こういうことを考えているんじゃないかと、データだけでなく、自分で見て感じたものを野球に落とし込んでやっているんだと感じた」。相手投手が何をしているか観てこそ攻略のきっかけも掴める。そんな観察力の先にダルビッシュ選手の振るまいも見えたのだろう。

 「自分は2人、やってみたい監督がいる。そのうちの1人が野村監督で、もう一人はまだ言わない。野村監督がその後もちょいちょい、自分のことを言ってくださった。自分のことを評価してくれているんだと感じていた。去年、2019年の前半、全然だめで終わったと思った。現役がどんどんと落ちていくんだと思っていた。自身もなく体の状態もよくなくストライクもはいらない。やばいと思った。その本人があきらめている状況で、野村監督のベストナインというのを言っていて、それに自分が選ばれていた。自信がまた自分の中に出てきた」。尊敬する人に誉められると湧く自信。そういうものなのだなあ。自分もあやかりたい。というか依頼があるってことがすでに気にはされている証拠だと、思うべきなんだろうけれど。<BR>
 「昔の野球選手は現代の野球選手のことをほぼ認めていない。自分のすごさが守れるから言ってしまうが、野村監督は知性でも先を言っていた。美化される中で人間の自然な本能、そういうのを知性で押さえつけられる力があると思っている。昔よりすごいかはわからないが、ずっと生きてきて、それを言えるのがすごいと思った。こんな人が自分を選んでくれている。自分の教え子には田中将大や岩隈選手がいる。教えた選手たちのことも選びたいのもわかるが、そこで自分を選んでくれた。あの時の自分を救ってくれた。どんどんと良くなった」。僕もきっかけをつかみたいけど、そのためには日々の鍛錬を怠らず水準を落とさないこと。土日に寝込むのは寒い今限りにしなくっちゃ。

 アイマスだとかラブライブ!といった、アイドルがアニメーションやゲームに登場して歌ったり踊ったりする一方で、演じている声優さんたちがリアルなライブにも出演して歌とパフォーマンスを繰り広げるエンターテインメントが、結構な数生まれていたりする。最近だとガールズバンドを組ませたバンドリ!だとかもそんな延長。一方で男性声優の人気にあやかり男性アイドルユニットをいっぱいつくっては、出演声優によるイベントなんかを開いて女性ファンを大勢集めている。もはや飽和状態ではあるけれど、それでも当たるとでかいと思い参入も続く。

 アイドルから目先を変えてラップバトルへと持っていったのがヒプノシスマイクで、アイドル的な美形揃いではあるけれどもキャラクター的には不良だたりおっさんだったりとなかなかに多彩。演じる声優さんも美声ばかりとは限らず、ドラえもんでジャイアンを演じている人がいかにもラッパー然とした風貌で歌いライブにも出ていたりするから面白い。ヒプマイの人気が美形アイドルユニットばかりだった2.5次元的なエンターテインメントに幅をもたらした。

 そんな延長に生まれたのがありは声優がお笑い芸人を演じつつ舞台にも立つプロジェクトだったのかもしれない。ゲラゲラとワラワラ、2つも生まれて競い合ってるそれがどういう展開を見せるのか、それを考えるのが目下の課題。渡航さんを座付き作家にしてドラマを紡がせ天津向さんがネタを提供する「GETUP! GETLIVE!(ゲラゲラ)」はなかなか強そうだけれど、「ワラワラ! Laugh Lige」も人気声優揃ってるし。豊永利行さんなんて両方に傘下しているし、そういう場合ライブが被ったらどっちに行くんだろう。気になります。


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