縮刷版2020年12月下旬号


【12月31日】 宮崎吾朗監督によるスタジオジブリが手がけたフル3DCGのアニメーション「アーヤと魔女」はテレビが映らないから見られなかったけれど、予告編とか見るとカメラが奥までぴったりと焦点が合っているパンフォーカス気味で、ピーカンな感じが漂う一方で世界観はファンタジーなのでどことなく目が痛くなりそうな気がした。同じピーカンでも「サイダーのように言葉が湧き上がる」は2Dのアニメでどことなく図案化されて描かれているからポスター的で目には刺さらない。本編はもうちょっとレンズを操作しぼかしとか入れていたのかもしれないけれど、一方で目の演技にも引っかかったりしたので判断は全編を見るまで保留。劇場で公開するんだっけ。

 いやあ良かった。2020年の日本レコード大賞は「映画『鬼滅の刃』無限列車編」のエンディングに流れるLiSAさんによる「炎に決定。作詞はLiSAさんと共同で、作曲編曲も手がけた梶浦由記さんが遂に日本レコード大賞に輝くとは、20年くらい追いかけて来てインタビューも2度やって、ツアーパンフレットの寄稿もさせていただいた身としてはやっぱり嬉しくて仕方がない。双璧の菅野よう子さんは日本ゴールドディスク大賞とかを受賞して業界でも知られているけれど、それに比べて梶浦さんは「花子をアン」を手がけながらも今ひとつ名前が知られていなかった。

 やっぱりアニソンがメインの活動の場になっているのがネックになっていたんだろうか。なるほど過去にレコード大賞でアニソンが受賞したことはあるけれど、1990年のB.B..クイーンズによる「おどるポンポコリン」はアニメを超えた国民的な番組になっていたし、2001年の浜崎あゆみさんによる「Dearest」も「犬夜叉」のエンディングとは言えエイベックスで浜崎さんだというところが大きくて、アニソンといった認識はされていなかった。

 今回は、LiSAさんがアニソン畑でずっと活動してきた人で、「炎」が出たのもアニソンが中心の「SACRA MUSIC」ってレーベルで、そして梶浦さんはアニソンを中心に作詞作曲編曲を行って来たコンポ−サー。まさにアニソン尽くしという意味でも歴史的な受賞だった。個人的には梶浦さんはKalafinaが早々に紅白歌合戦に出場してはPerfumeにも負けない人気を誇って認知され、仕掛け人としての梶浦さんもいっしょに有名になって欲しかったけれど、アミューズとスペースクラフトでは音楽業界への浸透度が違いすぎた。それが今回は映画の記録的な大ヒットという圧もあって業界の論理に押されなかった。良かったなあ。この勢いが来年も続くことを願いたい。

 「映画 えんとつ町のプペル」とか「映画ポケッとモンスター ココ」とかがいっしょに公開となって押され気味な感じもあった「ジョゼと虎と魚たち」だけれど、ツイッターで検索ななすると数秒おきに新しい人が「ジョゼと虎と魚たち」についてつぶやいていて、見に行ったけれどとても良かったといった感想が大半で、もしかしたらだんだんと口コミが効いてきているんじゃないかと思えてきた。表にはまるで浮上していないけれど、今時のネットってこうした口コミの連鎖が結構広がって、実際の人の動きを左右することがあったりする。

 アニメ映画だったら「若おかみは小学生」なんかが口コミで大いに盛り上がったけれど、その時に比べても一般の人たち、普段あんまりアニメ映画を見ない人たちも行って良かったと感じている。そうした口コミが年末年始に広がれば、年明けに観客を集めてロングランとなるなり、終わった劇場からムーブオーバーした劇場に観客が通って「カメラを止めるな」のような賑わいになれば、作ったボンズも作らせたKADOKAWAとしても万々歳じゃなかろうか。何よりこうした恋愛系の現実が舞台となったアニメ映画でも、ちゃんと観客がいるって分かってどんどんと作られるようになるから。何もかもがファンタジー系のボーイ・ミーツ・ガールではちょっとね。「サイダーのような言葉が湧き上がる」にも繋がるし。見守りたい。

 新型コロナウイルス感染症の感染者が東京で1300人を超えたとかで、死者も順繰りに増えていっていて年明けに人の動きがまた戻ってからいったいどうなってしまうのか、今からやっぱり心配になってくる。3月くらいからずっと、身動きの取りづらい状況が続いて汲々としていたけれど、それがさらに続けばやがてこちらの身にも何か影響が出てくるかもしれない。幸いにして蓄えはあるし、仕事もぼつぼつとはやれているからリストラからのフリー2年はどうにか耐えて3年目もくぐり抜けられそう。それでも残る人生をちゃんと生きるために、何か基盤になるような仕事をしたい。話もあるけど進んでいるかいないのか。ともあれやれることをやっていこう。皆様におかれましてはよろしくお願い申し上げます。


【12月30日】 朝倉秋成さんって聞いたことある名前で、それは日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞にWノミネートされた「教室が、ひとりになるまで」のことじゃなくって、いったい何だろうと記憶を探って「ノワール・レヴナント」の人だったと気づく。講談社BOX組。そんな朝倉さんの新刊となる「失恋の準備をお願いします」(講談社タイガ)は、男子と女子とのどたばたとした関係を連作で描いていく構成になっている。

 男子から付き合ってと言われた女子が、けれども自分は進学で上京するから遠距離恋愛になって男子にあきれられ、捨てられるのは嫌だと断ろうとして、自分は魔法使いだと言い訳したり、嘘を見抜く市町人形をもらった男子が、通りがかったところでもめてたカップルの嘘を暴いたりする短編が連続しつつ重なっていく。フェロモンが出過ぎて女子を寄せ集める男子とか、盗み癖がある女子とかが出てきてそれぞれに振り回される人がいて、アンドロイドまで出てきた果てに浮かび上がるのは、入ってはぐるぐる回って行きたい方向に出ていくラウンドアバウトの交差点。面白いよ。

 押井守総監督による「ぶらどらぶ」でキャラクターデザインを手がけたのは新垣一成さんという方で、最初に押井守総監督に会った時は、「僕らの世代からしたら伝説的な人だから、会ったら死ぬかもという気持ちで行ったけれど、運良く生き延びられた」とのこと。 「その時に提出したものは、こうじゃないんだと言われて、もっと好きにやってくれ、今回はそうじゃないんだということでテイク2を出したら、意外とすんなり通ってそれからは微調整。そういう意味でもやりやすかった」とも話してた。

 なにより「キャラクターデザインはアニメーターにとってひとつの名誉あることなので、それを押井さんの作品でやらせてもらうのはありがたい。それに尽きる」。動画から原画となってキャラクターデザインを手がける同僚をみてうらやましく思うアニメーターがそういえば、「アニメタ!」にも出てきたっけ。これで評判になって次につながると云いですね。一方、そんな激賞に答えて押井守総監督。「「キャラクターデザインをやる知り合いがいる訳じゃないから人に聞く。信頼できる人間の紹介ならだいたいオッケー」ということで、西村純二監督の紹介なら間違いないと思いみて、実際に問題なかったってことを話してた。

 「今回は中身が中身なんで、本当に時代を無視しているくらいネタが古いんで、せめてキャラクターくらいは今風のちゃんとした今風のを使わないとヤバいと思った。アニメのチラシとかウエブとかってパッとキャラクターしか出ない。キャラクターなんです。だから、あんまり違和感のないものだったら良いんじゃないかと」。評判を見ると確かに押井守作品らしくないって声も聞こえてくるしなあ。面白かったのは「今ってキャラクターの崩れた顔にうるさくなった。びっくりしたんだけれど、キャラクターの直しがあって、こんなの直すのと。キャラクターが崩れるのは絶対に許さないんだと」。なるほど。

 「でも、キャラクターは作業用の基準であって、シリーズが始まったらに好きなように変えて良いんだ。『うる星やつら』なんて毎回違ってた。アニメーターの数だけあたる色が一緒なあけで同一性を担保する。今はキャラクターを大事にしている。驚いた」。確かにアニメーターの数だけラムちゃんがいて好みも散らばっていたっけ。「「アニメーションとは、僕らの常識に照らせば動いてなんぼなんだ。そして動けばキャラクターも崩れるよ。要は崩れ方に愛ががあるかないか。今回は結構いじくっているので『イノセンス』になったりする。キャラクターとはは僕にははそういうものになってる。鉄壁のように描かなくていはいけないとは思っていない」。その意味で、キャラクターの変化に注目するのもありなのかも。

 「今回は女の子がざらざら出てくる。中でも血比呂先生、あれだけは譲れないぞと。暴力性もふ含めて女の子に求めるものが全部入っているから。キャラクターに関して苦労したのはほぼないね」。そんな血比路先生は声が朴ろ美さんなんだけれど「うる星やつら」でサクラ先生を演じていた鷲尾真知子さんにそっくり。押井総監督の希望を取り入れて若林和弘音響監督がそういう風に寄せたのか、見たらもうこれしかないと朴ろ美さんが自分で寄せていったのか。聞きたかったけれど自分の参加した取材に声優さんはいなかったから聞けず。まあでもそういうものかと思って見れば楽しいのでそう思おう。貢は別にあたるを意識してないなあ。

 大きい原稿を作れるだろうかという不安から、手を付けられないままに手慣れたいつもの原稿を書いて今日はこれでいいやという気になってふと気が付くと、明日が締切というホラーにならないよう、気を付けたい気を付けたい気を付けたい。そんな感じで意識を改めつつ起きてからまずは来月が締め切りのミステリマガジンを早めに仕上げて送稿し、そして家にいたら寝てしまうので起き出して越谷レイクタウンまで出向いてそこでしばらく大きい原稿のための検討を3時間ばかり。どうにかなりそうだとメドが立ったので、今日が締め切りなのか違うのか、年末なんでちょっとわからないけどとりあえず書いておこうとリアルサウンドブック向けの原稿を書いて仕上げて送稿し、今年1年の原稿書きをひとまず終える。大きい原稿にこれで専業で取り組めるかというと、マンガ大賞の投票が始まるからそっちの推薦文とかに逃げてしまいそう。やれやれだ。


【12月29日】 押井守総監督の「ぶらどらぶ」の表現についての補足。見れば分かるけれども「ぶらどらぶ」は頻繁に画面にウインドウが出てきてはキャラクターが正面を向いてそこで喋るシーンが登場する。回が進むと増えたキャラクターたちが幾つも開いたウインドウにずらり並んでは全員が正面を向いて喋り倒す。会話ごとにカメラを切り返すとかはなし。それこそが「ぶらどらぶ」で押井守総監督がやろうとした手法だったらしい。

 「持論として、シリーズの作品は金のない映画じゃないということがある。安い映画と同じことをやるのはやめようぜ、コマ割りとか切り返しとかカメラワークが映画もテレビシリーズも変わらなくって、なぜ同じじゃないといけないんだと思っていた。スクリーンでやらないものは演出からして違ってくる。表現の仕方が違っていて当然なんだ。あと会話のシーンになると切り返したりしていると、作業が負担になってくる。絵やカット数が増えて背景も増える。いらないんじゃないか」

 そして至ったのがウインドウを開いてキャラクターを喋らせる手法。「ゲームやっていた中で思いついた。背景が変わらないカードゲームみたいなもので良いんじゃないか。ウインドウで切り出して、その中で正面を向いてしゃべっていれば良い。目線あわせとかいらない。延々と正面で良いんじゃないか。その方がテンポが出る。面白さがでる。そういう演出を試してみたかった」。それから「背景は全部写真。ロケハンして回ったものを使っている。保健室とかはセットを組んでもらって撮影している」。気付かなかったけれど、よく見たらそうなのかもしれない。

 これから来る演出として足下までは描かない。「膝から下はないんだ。足元があるとパースが必要になるから。足元を切ればどんな背景でも使える。キャラクターが喋りまくって面白い顔をしていれば良いんだ。基本的にシリーズのアニメーションのキャラはここ(胸から上)だけで良い。テレビ漫画がそうであるように。そうすればカット数が劇的に減る。100カットくらいになる」普通のテレビシリーズは1話だいたい300カットくらいあるから3分の1。劇的に減るけれど、その分、1カットの中で演技させる必要があって、アニメーターや演出に想像力と技術力も求められるかなってことをプロデューサーは言っていた。

 カットが減れば背景も減る。そんな背景について。「凄い背景にするんじゃない。すげえ背景のためには背景を描くんじゃない。空撮でやろうといって空撮をやった。場面転換の時に流そうぜ、シリアスラインでと相談した。現場は楽しかったね。特撮までやった。ミニチュアを使って。メカとか戦闘機とか戦車は全部プラモデル合成。テレビアニメシリーズは何をやったって良いんですよ。映画のように 正しい文法でやる必要がどこにある?キャラクターが身近になるものそういうサイズでありカットであるべきなんだ」。 そういう意識で見ると発見があるかも。2021年2月14日から配信開始。ご覧あれ。

 ニューヨークタイムズがスタジオジブリ作品のアニメーション映画について22本をランキング付けしていて、1位はやっぱり「千と千尋の神隠し」で2位は「もののけ姫」とやっぱりな宮崎駿監督作品が上位を占めた。逆に再会は原作の本国なので「ゲド戦記」になってしまった。あの作品が持つ「シュナの旅」的な要素を感じ取れないのは仕方が無いとして、「思い出のマーニー」とか「コクリコ坂から」といった宮崎駿監督及び高畑勲監督の作品以外は下に来るのはどうなんだろうなあ。その中で森田宏幸監督「猫の恩返し」が「火垂るの墓」より上だったのは太平洋戦争を扱っていることで「火垂るの墓」が悲惨な世界を生んだ当事者でもあるアメリカで避けられたか、それともやっぱり暗いからか。

 とあるどこかの漫画家が、評論家然として新型コロナウイルス感染症は風邪みたいなものでインフルエンザよりも感染力も弱ければ死亡する人も少ないからさっさと指定感染症の分類をインフルエンザと同じにしろと訴えているけれど、そんなインフルエンザで2018年に亡くなった人の数は3325人で、そして12月28日までに新型コロナウイルス感染症で亡くなった人の数は3325人と同じ人数になってしまった。感染者の数から見た死亡率はケタ違い。なおかつ新型コロナウイルス感染症はこれからが本番で、明けた12月29日までに死亡者はまた増えて3384人まで増えて、これで収まる気配はまたくない。

 罹ればインフルエンザと違ってタミフルなり何なりを飲んで寝ているくらいでは済まず、重症者はICUに入院させては人工呼吸器を付けて厳重な監視の中で看病する必要はある。そして看護や治療にあたる医師には厳重すぎる感染対策が求められる。人的にも設備的にも多大なリソースが求められる上に、まだまだ死者が増えていく新型コロナウイルス感染症をいつまでもインフルエンザと同じだなんて言えるのか。そこは絶対に誤らない総理大臣といっしょで、そうと自分が決めた基準を絶対の如くに違う数字を持ち出し一緒かそれ以下だと言い張り続けるんだろうなあ、関連死を含めればインフルエンザの方が多いとか。やれやれ。

【12月28日】 「立憲の福山哲郎幹事長は28日夕、国会内で会見し、羽田氏がPCR検査の結果、陽性だったことを明かした。新型コロナによる現職の国会議員の死亡は初めて」ということで、急死した立憲民主党の羽田雄一郎参議院議員が新型コロナウイルス感染症で亡くなられたことが確定。具合が悪くなって倒れてから一気に亡くなってしまうとろこに、新型コロナウイルス感染症がただの風邪でもなければインフルエンザとも違う、疾病としての困難さが改めて強く感じられた。

 残炎なのは、25日に1度、37度くらいの熱が出た時にPCR検査を進めながらも現場が忙しいからと断ったという。そういった配慮は尊いけれどもそういう状況に誰もが落ちる可能性がある中で、現場に配慮とかいっていたら誰も検査を受けられなくなる。名のある方には率先して検査を受けてそして陽性判明なら判明、陰性でも大丈夫だったけど気になるなら受けましょうと言って欲しかった。結果、陽性が判明した人にその日まで大勢が接触し、倒れた時には秘書が介抱の濃厚な接触をしてしまった。早くに分離し接触者を断つ方向とは逆の事態を反面教師として皆が気軽に怪しいとおもったらPCR検査を受けられる気分を作って欲しい。それが亡くなられた羽田さんの供養になるのなら。合掌。

 試写で見た押井守総監督による「ぶらどらぶ」は、YouTubeで配信されている第1話から後、第4話まで上映されて、第2話以降にオープニングに登場してはバンドを演奏している女子たちが順繰りな感じに登場しては、貢というヒロインで吸血鬼のマイを拾った少女に絡んでいくといった展開になっていた。映画研究部の渡部マキとは貢がマイと映画を見に行った後に接触してはニンニクたっぷりの餃子や焼きめしを食わせる中華料理屋へと連れて行ってそこで吸血鬼にしこたまニンニクを食わせて起こる大騒動。そしてコスプレ研究会の紺野カオルがカルチャーゾーンで開いたコスプレイベントにマイを誘ったらそこで大変な出来事が起こる。

 さらにダンス部の曇天那美とかがキャッツアイみたいな格好で出てきて空手部と対決したりしているうちに、マイが超とてつもないことになってまるで「機動警察パトレイバー2 the Movie」のようなシチュエーションが繰り広げられる。その間はもうどこまでも賑やかでキャラクターたちがしゃべくり倒す感じは「うる星やつら」のメガネのよう。今回はそれを女性校医の血祭血比呂という女性が引き受けてはまるでサクラさんにような声でもって朴ろ美さんが演じて血液型に関するうんちくからその他諸々の喋りを聞かせてくれる。

 「うる星やつら」のファンなら懐かしくて涙が出てきそうな雰囲気だけれど、そんな世代ですら追いつけないような古いギャグとか出てくるところはじいさんたちが開き直って自分たちが面白がれるものと作ったからこそ。それを許したいちごアニメーションに押井守総監督が大感謝するのもよく分かる。押井さんに言わせると第4話以降がさらにスピードアップして面白くなるとのこと。演出も一回りしてアニメーターも役者もどういう話なのかを理解して、そこまでやって良いんだって分かってくるかららしい。

 それがシリーズものの面白さ。1クルーでもそうなんだから4クールとかあったらいろいろと冒険ができたんだろうなあ。そいういう場が与えられない今のアニメーション環境はやっぱりちょっとかわいそう。ちないみ5話の予告にはなにやら××クラゲみたいなのが出てきたりしたけれど、そうしたオールディズなパロディもさらにきわまっていく感じ。ついていけるかな。ついてけなくて良いんですって押井総監督は言っていたから気にせずしゃべくりを見て聞いて楽しみたい。

 316億円まで伸ばした「千と千尋の神隠し」だったけれども4DXとMX4Dの完売も後押ししたのか「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が一気に伸ばして324億8000万円くらいまでいったとか。感覚動員は2400万人を超えて日本人のそれこそ5分の1が見た感じ。公開から73日間の到達も記録的で、これから何年経っても果たしてこれだけの数字を達成できるのか、出来るとしたら誰のどんな作品なのかといった興味が湧いてくる。「千と千尋の神隠し」だって相当なものだったし、「君の名は。」だって相当な勢いを持っていたけれど、それでも届かなかった領域へと駆け上がっていた「鬼滅の刃」を超えるとしたら、次の「鬼滅の刃」の劇場版ってことになるかも。vs無惨編を3部作でやっていく? それは分散するからなあ。上限の弐までをテレビでやってそれから映画。どうだろう。

 そんな「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が日刊スポーツ映画大賞で石原裕次郎賞を獲得。毎日映画コンクールと違ってアニメーション映画を専門に取りあげる賞がないから、高畑勲監督も細田守監督も何かの賞を受賞したことはないし、宮崎駿監督も「千と千尋の神隠し」で作品賞をとったのが最後。新海誠監督は『君の名は。』で監督賞をとったくらいで、他にアニメーション関係の作品が何かひっかかることはなかった。そういう賞だけにこれだけ大ヒットした「鬼滅の刃」をいったいどこで披露かが気になっていたけれど、映画という文化をある種、象徴するような人物でもある石原裕次郎さんの名前を冠した部門を、今年の停滞して厳しさに溢れた映画状況を突破するような賑わいを作った「鬼滅の刃」が受賞するのは実に相応しい。選んだ人はナイス。他の映画祭ではどんな賞に引っかかってくるかな。興味津々で見ていこう。


【12月27日】 「ジョゼと虎と魚たち」を横浜駅のT−JOYで見る前に寄った横浜そごうで見た「鈴木英人展」。言わずと知れた山下達郎さん「FOR YOU」のアルバムジャケットをデザインしたイラストレーターで、アメリカンな感じをきっちりとした線とピーカンな色彩で描いて1980年代に大人気となった。「FM Station」の表紙絵なんかも長く担当していた記憶。「A LONG VACATION」の永井博さんと双璧を為す人気ぶりだった。そんな鈴木英人さんの絵が出ているとあって達郎さんファンとしてはやっぱり行かなくてはならない。

 あと来年に公開予定の映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」の雰囲気が、ピーカンでカメラのピントが奥まできっちり合っているような映像で、鈴木英人さんぽいなあと思っていたら東京国際映画祭2020のシンポジウムに出演したイシグロキョウヘイ監督が、参考に鈴木英人さんを挙げていたし作品の中に「FOR YOU」のアルバムジャケットも出てくるから、来年きっと流行るだろうその前に見ておきたかったというのもある。そんな「鈴木英人展」にはきっちりと、「FOR YOU」のピクチャーレコードが飾ってあって、やっぱり代表作なんだなあということが伺えた。

 もっとも、ああいった直線的でデザイン的でピーカンな感じのイラストと、どこか違う感じがあって見て行くと2000年代とかに入って描かれたもの。会場にいた人に聞くとそれらはコンピューター上で描かれて彩色なんかされているそうで、鈴木英人さんらしさはあるもののかつての紙に鉛筆で下絵を描いたあと、それを写した上からPANTONEを張っていく技法ならではのシンプルで図案化された中に細かい手業も光っていた頃の絵とは、やっぱり雰囲気が違って来てしまっていた。これが鈴木英人さんだという印象をすり込まれて育った目と頭には、今のぼかしなんかも入ってより細かくなった絵はちょっと上手すぎるというか豪華すぎるんだよなあ。

 PANTONEといえば確か江口寿史さんも、ロイヤルホストとかのイラストを描いていた時代とか画材につかっていろいろと描いていたっけ。けれどもPANTONEがなくなってしまった後、それを使った絵を展示する展覧会を開催して販売までしていて、そこで「ストップ!ひばりくん」の1枚を50万円くらいで買ったっけ。もうちょっとお金があればロイヤルホストとかのイラストも買っていたかもしれないなあ。ああいった味が失われてしまった今でも、江口さんの場合はキャラクターというフォルムがあるから独自性を見せられるけれど、それが鈴木英人さんの場合はモチーフと表現方法になっていたから、ズレがやっぱり気になってしまったのかもしれない。

 とはいえ、イラストレーターである以上は絵は描かなくちゃいけない。そしてPANTONEという画材が消えてしまった現在、選んだのがデジタルでのドローイングであり彩色で、その中に自分ならではのデザインセンスを乗せた結果がこれなら認めなくちゃいけない。同じだけのクオリティを持ったものが、出力として数十万円で購入できる訳でもあって、それはファンとしては嬉しいかもしれない。ただ個人的には、PANTONEによって描かれた原画に目がいってしまう。やっぱり味があるんだよなあ、懐かしさの回路も刺激されるし。ハーレーダビッドソンを描いた絵とか190万円くらいで、ナンバープレートを並べたものは90万円と買えない値段ではなかったし。高いのは495万円でこれはちょっと手が出ない。でももう絶対に作られない1点物。ここで踏み切れたら大金持ちになれるんだけれど。

 さて「FOR YOU」の山下達郎さんは夜にストリーミングライブを敢行。前はお客さんが入っていたのを収録したものと、それから氣志團万博でのライブを配信していたけれど今回は配信のために行ったライブ。それだけにMCも入って構成もアコースティックはあっても、通常のライブと同じような感じに「SPARKLE」から入って「甘く危険な香り」「paper doll」といった並びになっていて耳に馴染んだ。キーボードが難波弘之さんということで、「夏への扉」は2番を最初に曲を歌った難波さんが歌って聞かせてくれて、初めて「夏への扉」を歌う難波さんを見られてちょっと嬉しかった。

 とにかく高画質な上に高音質。ストリーミングでこれだけ出来るなら、それも最前列で見られるんなら充分って気もしてきたし、それを率先して感じさせるために自分からストリーミングライブをやってのける達郎さんに感心した。あれだけCCCDを嫌っていた人が今は配信もやってくれるなら、それだけ納得できる音質を保証できるってことでもある。同じ仕組みを使って後に続く人が出てくれれば嬉しいけれど、あれだけのクオリティと音の分厚さを3人で出せる人なんて他になかなかいないからなあ。誰もライブなら見たいだろう。矢野顕子さんなら見たいかなあ。村下孝蔵さんがいたら見てみたかったなあ、アコースティックギターによるライブを。

 羽田雄一郎参議院議員が急死したという話し。具合が悪くってPCR検査を受けることになっていた日に倒れてそのままというから、原因は新型コロナウイルス感染症か違う何かかまだ分からないけれど、具合が悪くてPCR検査待ちだったのに出歩いて会合とかにも出ていたというならそれはちょっと拙かった気もする。政治家は休めないとはいえウイルスは政治家も避けて通らないのだから、やはり頑張って欲しかった。この事態にピリッとして会合を行っても必要だからと嘯く偉い人たちがいる自民党も、いい加減に気付いてあらゆる活動に制限をかけようってなるのかな。立憲民主党からの犠牲だから自分たちは関係ないと思っていたらサイアクだけど。


【12月26日】 「ジョゼ虎」と略すとアイドルのライブで厄介が叫ぶ「家虎」と混同するかというとさすがにそれはないものの、肝心の「魚」がどこかに行ってしまって映画のニュアンスが変わってしまう気がするからここはノーマルに『ジョゼと虎と魚たち』とフルでタイトルを書いておく。原作は芥川賞作家の田辺聖子で前に犬童一心監督が池脇千鶴を主演に実写映画も撮っている題材だけれど、「ノラガミ」のタムラコータロー監督によるアニメ映画「ジョゼと虎と魚たち」は、池脇千鶴のヌードもあったという実写版とは違ってエロティックな方面の描写がほとんどない。

 恒夫という大学生と車いすで暮らすジョゼという名の女子が出会ってだんだんと近づいていく中で、それぞれが挫折をしたり諦めそうになったりするものの、お互いに感じ合うことで進み始めようとする青春ストーリー。坂道を車いすで転がり落ちてきたジョゼをすくい上げるようにして助けた恒夫は、ジョゼの祖母に誘われるように彼女の家に上がって夕食を頂き、そしてジョゼの話し相手として来て欲しいと頼まれかよいはじ通い始める。祖母はあまり家から出したがらず家にずっと閉じこもっていた苛立ちもあってか、恒夫に無理難題を押しつけるなどツンケンとしたところを見せていた。

 そんな関係だったけれど、家に押し込められることに耐えきれず飛び出してしまったジョゼを探しに行って見つけた恒夫はそのまま2人で海岸へと行ってジョゼに海を見せ、そして2人でいっしょに出歩く日々が始まる。深まっていく仲。けれども恒夫には大学を出たらメキシコに行って海洋生物を研究しつつ夢だった熱帯魚を海に潜って見るという夢があって、それを恒夫がアルバイトしているダイビングショップの同僚の女性から聞かされたジョゼはたぶん嫉妬にも似た感情から恒夫を遠ざけようとして、そして気まずい気分を抱えながらまた海へといった帰りに事件が起こる。

 ふわふわとした時間がぐっと現実に近づいていく。ジョゼの祖母が亡くなりすぐではなくても働く必要も出てくる一方、恒夫は事件の結果として停滞を余儀なくされて心を荒らす。離れていきそうな関係。離れていって当然の関係がどうなってしまうのか、というのは映画を見てのお楽しみ。ハンディキャップを負い祖母に庇護されるような場所で暮らしていたジョゼは自分を確立し、夢に向かって順風満帆だったところから座礁しかけた恒夫は懸命なジョゼに刺激されて文字通りに再び歩き出そうとする。

 見れば頑張ろうという気にさせられる作品。果たしてジョゼがハンディキャップである意味があったのだろうか、病弱だったり難病だったりしても成り立ちそうという気もするけれど、身動きがとれず他人が頼りだったハンディキャップを持った人たちの生き方に他人の俗情が入り込んでいた状況が、そうした事態への視線も通るようになりバリアフリーもすすんで多少なりとも生きやすくなった中で、健常者もハンディを持った人も共に等価の生を送っているという雰囲気を、醸し出そうとしたのかもしれない。

 ボンズが手がけた映像は大阪の各所が繊細な線と色でもって表現されてどぎつさが先立つ大阪という街のイメージをスタイリッシュでファッショナブルな場所に見せている。アメリカ村にしても通天閣の下あたりにしても梅田あたりにしても新宿だとか原宿と変わりがない感じ。実際にそうだし梅田や中之島あたりは東京よりも洗練されたオフィス街で官庁街っぽさがあるんだけれど、大阪というイメージにのっかりたがる気分がある中で、すっぱり断ち切っているところが好ましい。映画を見たら出て来た場所に行きたくなる。海岸は電車の進行方向と山の見え方から兵庫方面かなあと調べたら須磨海岸だった。あんな綺麗な場所があるならいつか行ってみたい。そして海を舐めて塩っぱさを感じるんだ。

 写真界の芥川賞とも言われる木村伊兵衛賞が今年は中止になるという噂。公的な団体が主催に絡んでいたなら横取りもできただろうけど、「アサヒカメラ」や「アサヒグラフ」の朝日新聞社が朝日新聞出版と作って出していた賞なので木村伊兵衛賞が朝日新聞の都合でなくなったとしても経営の事情としては飲み込めるかなあ。もちろんある意味でトップランクの権威となって登竜門的な位置づけでもある賞を継続させなとなるとそれは写真という文化に対する不正直なスタンスで続ける努力をしなかったのはなぜと問い直したくなる気持ちも分かるかな。今年は甲子園すらなかった訳だし。

 日本SF大賞が徳間書店の降板でも続けられたのは日本SF作家クラブが主催の側にいたからで、大スポンサーの降板はそりゃあ大変ではあったけれど名は受け継げた。そこから手弁当でも賞だけは継続できたけど木村伊兵衛賞は朝日の都合で作られ出されていたものだから引き取るとなると大変かなあ。そこをたとえば第3者に譲る度量があれば賞の価値と写真文化の称揚に前向きだといった理解はできるかな。ドワンゴさんがこれで作った叡王戦を潰していたら批判も相当だたけどとりあえず不二家に引き継いだように。引き受けるところはあるかなあ。デジタル写真も含めてそれこそ富士写真フイルムとかが引き取るとかあるかなあ。カメラメーカーでもあるからそれは無理かなあ。日本写真協会は協会賞を別に出しているからなあ。毎日新聞は土門拳賞をちゃんと続けていくかなあ。

 LUNA SEAのドラマーの真矢さんが新型コロナウイルス感染症の陽性となって今日と明日、さいたまスーパーアリーナで予定されていたライブが中止になったとか。「公演当日の朝、急遽体調不良を訴え、会場入り前に新型コロナウイルス感染症のPCR検査を実施した結果、陽性反応が確認されたた」ということで、今日の今日で結果って出るものなのかと驚きつつも、検査が受けられるようには普及していることが分かって、後回しにされて感染者を増やさなくて良かったととりあえず安心。まずは体調を直して復活して欲しいけれど、気になるのは先週金曜日に横浜ガンダム前でドラムを叩いていたことで、会場には富野由悠季さん来ていて、フォトセッションでは真矢さんの隣に立って写真に収まった。濃厚接触。お歳だけにちょっと気になる。調べているだろうけれど。


【12月25日】 自分は自由民主党の総裁で選挙に落選するなんてことはあり得ないから地元の有権者に利益供与なんてするはずないじゃないですかと、国会での質疑に答えてそういったらしい安倍晋三前総理。それが通るなら財布にお金とを入れたまま、万引きをして捕まったら自分はお金保ちだから万引きなんでするはずじゃないですかと良い訳したって通りそうだけれど、そうはならないのは行為は行為であって事情なんて関係ないから。有権者に対して利益供与がなされたならそれがどういう意識だったかに関わらず、悪いことだと捉えるべきなんじゃないのかなあ。

 というか、自分で喋っていて何て間抜けなことを言っているんだろうかと思わないのかが不思議だけれど、きっと自分の中では極めて整合性がとれた言動になっているんだろう。嘘を行っても嘘ではないと信じ切っているから嘘を言っている時のような疚しさとかあたふたした感じがない。堂々と嘯いては笑って通り抜けようとする。権力があるうちはそれが通じたけれど、だんだんと権勢が失われていったら果たしてどうなうか。それこそ利益供与でもしないと地盤を身内に継がせられないんじゃなかろうか。そうなる前に引退して地盤を譲るくらいのことをするだろうか。しないだろうか。

 SNSとかいわゆる信奉者が溢れているのでどれがそうした意識高い称賛か真っ当な批評家分からないのだけれど個人的に「映画 えんとつ町のプペル」は良いできだと思うので、公開日に改めて近所のイオンシネマ市川妙典まで見に行く。ニュースリリースとかで新型コロナウイルス感染症の対策としてシートをパーティションで仕切ったことが紹介されていて、どんなものかと思ったらなるほどちゃんと椅子ごとに仕切りが出来ていた。プレミアムシートはさらに広めにとらえていて個室みたい。そうしたパーティションが鑑賞時に目に入って鬱陶しい可能性も考えたけど、目線にかかることはなかったのでこれは安心。一般シートもシートがグレードアップされていてゆったりしていたので環境としては最高かもしれない。

 さて試写に続いて2度目となる「映画 えんとつ町のプペル」では冒頭で町を逃げ回っていたプペルが倒れて頭の傘を広げた姿を見た町の発明家っぽいドロシーが、何かに気がついたことを理解。物語の後半になって明らかになることで、絵本だとひとつのクライマックスになっていることを気付いたからこそドロシーは、プペルを助けてプペルを信じるルビッチを支え続けたのかもしれない。何で分かったかはそれは自分も関わっていたからっていうのも、ちゃんと説明がしてあった。そういうストーリー面での伏線に手抜きがないところがなかなか良くできていた。

 途中に出て来た星読みの女性がどうなったかは気になるところで、後半にあまり関わって来ていないところを見ると途中のトシアキほか異端審問官によって処分されてしまったのかどうなのか。エンドロールに出てくる巨大な船の上にいないかなあって探したけれど小さすぎて見つからなかった。2度目でだいたいのストーリーは知っていても、それが飽きとか眠気につながらずどういうつなぎで展開していったかを確認する気持ちを起こしてしっかりと最後まで追っていけた。間延びしているところもそれほどなく、つなぎもなかなかに巧み。感動させる場面も幾つかあって、そこにたどり着きたいと思わせる、そこを見てジンとしたいと思わせる映画っていうのは強いかもしれない。リピーターを招くという意味でも。

 声優についても改めて窪田正孝さんはやっぱり上手いし芦田愛菜さんはなかなかに可愛い。男の子を演じているんだけれど冒頭でゲームの横スクロールみたいな画面で走り回るところでのホッホッって感じのかけ声は、女の子が出していると思うとキュンとする。可愛いなあ。立川志の輔さんも改めて巧さが理解できた。ラストシーンでの朗読めいた朗々とした語りが一瞬、強い口調になるところとシーンとの融合ぶり。そこであることをしようとするルビッチに頑張れ頑張れと声をかけたくなる。そういう声出しは今の映画館では厳禁だけど、応援上映とかあったら喝采が飛んだだろうなあ。大向こうみたいな。

 そんな感じに僕はお気に入りなんだけれど、西野亮廣さんに違和感を抱く人たちからすると最初の段階で偽善めいているとか露悪的だとかいった印象が先立って足を運びづらそう。運んでも悪いところを取りあげようとするから評価はネガに転んでしまうし、かといって信じる人だとポジしか出て来ない。普通のアニメファンが普通に見に行って普通にどういう感想を抱くか知りたいなあ。とはいえ今のアニメファンは情報通というか耳年増で西野さんのような外様の闖入を最初から厭う傾向があるから評価しづらい。ここはだから有無を言わせず数字で示すしかなんだろう。とりあえず30億円がひとつの指標か。たどり着けるか。

 「風の谷のナウシカ」がテレビ放送されるってこともあってか、島本須美さんが文春オンラインのインタビューに登場して「風の谷のナウシカ」に起用された時のこととか話していた。オーディションがあって声をかけられ行ったものの風邪で声が出なかったら次もあって呼ばれたという。それだけ期待されていたのかそれとも気にされていたのか。ちゃんとオーディションをやるところはオープンだけれど。そこには榊原良子さんもいてクシャナ役を掴んだそうだけれど、そんな榊原さんを良子ちゃんと呼んでいるところに島本さんの役柄に似合わない今のポジションがうかがえる。大ベテランなんだよなあ、考えてみれば、その道40余年の。

 そんな島本須美さんが、「もののけ姫」にも出てはいるけれども大勢いる俳優さん女優さんといった出演陣にあって声優として出演して話した言葉を、同業者が良かったと誉めてくれたことを果たして良いことかどうか悩んでいたのが印象的だった。自身も俳優として活動し、声を寄せるんじゃなく自分の声で演じることを旨していたんだけれど、「もののけ姫」で自分が目立ってしまったとうことは、俳優さんたちが自分のナチュラルな演技を役に乗せて演じていた一方で、自分は声優っぽい声で寄せる演技をして目立っていたのかもしれないということかもしれない。そういう声色のような演技を嫌って、もしかしたら今のアニメ映画で声優よりも俳優女優が起用されるのかもしれないってことを言いたかった感じ。最初は違和感あっても1時間も見ていれば馴れるし、そうでなくても窪田正孝さんとか上手かったからなあ。声優って何だろう。今一度考える時期なのかも。



【12月24日】 東京都で888人という、また末広がりまくっている数字になった新型コロナウイルス感染症の新しい感染者数。全国も3737人で皆々様におかれましてはな数字となってこちらも過去最高。もはや歯止めが利かない感じになっていて、これでたとえ年末年始を動かないようにしたところで、全国的に広がった感染が急激に減ることはないから、再開後にまた対数的に増えてあっという間に今の記録を抜いてしまうんだろう。そうならないためにもっと少ない段階で根絶をすべきだったのに、GoToトラベルだのGoToイートだのといった感染者を全国にばらまく施策をとった政府がやはりあんぽんたんだったことだろう。

 もしも9月10月の時点でGoToだのをいったん止めて東京都だったら2ケタで全国でも3ケタくらいの数字まで落としていたとしたら、この年末年始も堂々を帰省ができて初詣だって出来たんじゃなかろうか。でもって1月からの入試だって無事に行えたかもしれないのに、目先の利益とそして票を狙って政府は移動を自在にした挙げ句の体たらく。いったい誰を批判すれば良いのかってことになるけれど、引き継いだ菅義偉総理大臣がいきなり止めるなんてことはできないから、始めた安倍晋三前総理の責任が重大で、その罪は万死に値するってことになるかもしれない、このまま日本が滅びたら。南極でだって発生する伝染病だもの、日本なんてあっという間に沈没さ。

 じゃあ責任を感じて何かするかというと、責任はとても感じましたと言いつつその責任を取るという言葉が辞書にもなければ脳内にも存在していないのが安倍前総理。桜を見る会の前夜祭として繰り広げられた夕食会の費用を安倍晋三事務所が負担していたことが発覚して、東京地検だかに聴取されたというからこれはもう疑獄に近い問題で、実際に秘書は政治資金規正法の違反を咎められて略式起訴されては罰金を言い渡されていた。つまりは有罪。なのにその直属の上司的な立場にいる安倍前総理は、道義的な責任は感じても法的な責任からは免れてしまっている。なおかつ道義的責任も痛感はしてもそれをどういう形で果たすかまでは言ってない。言わないよなあ。果たす気ない訳だし。

 論理的に考えるなら、国会の場で桜を見る会の前夜祭で5000円じゃあ安すぎるから補填しているんじゃないのと散々っぱら突っ込まれた際に、そんなことはしてないと答えたことは完膚なきまでの虚偽答弁に当たる訳だし、何度も繰り返し来かれて確認を求められて事務所に確認したってことも言ってたみたいだから、そこで詳細を掴めなかったことも雇い主として重大な瑕疵ってことになる。おかしいと言われているんだから徹底的に調査するべきだったし、それ以前にホテルに聞けば1発で分かっただろう。誰か総理にホテルにお聞きになったのか、って尋ねていあのかなあ。それで聞きましたが違ってましたと答えたら、それこそ虚偽答弁として挙げられる。

 でも、そうした確認だのといった当たり前のことを自分がしてしまっては、そこに責任が生じてしまうと考えたのか、徹底的に秘書が独断でやらかしたことであって、その秘書から挙がってくる報告を完璧に信じて一切の疑いを差し挟まなかったのだから、知らないのも当然であって知らない以上は罪にはなりませんといったロジックで逃げ切ろうとしているし、半ば逃げ切ってしまっている。これがまかりとおるなら企業で犯罪が起こっても上司はあずかり知らぬと逃げて社長が辞めるなんてことは起こらないだろう。でも違う。責任は追及される。それが管理者の責任の取り方だから。そういう当たり前を国のトップにいた人が無視して平気な上に、それを称揚する人たちもいたりするから処置無しだ。なるほどその在任期間中に国力が衰え地盤沈下し世界から取り残される訳だよなあ。せめて後を継いだ総理大臣が、これでは国が死ぬと徹底した調査を命じれば支持率も上がると思うんだけれど。

 2020年ノベル大賞の準大賞を獲得した遊川ユウさん「ダンシング・プリズナー」(集英社オレンジ文庫)を読む。少年院でも新しい更正の取り組みとして収容者に演劇をさせるようになっているという、ちょっと異色の設定があってこれが実際に導入されていたら、どんな演劇が見られるんだろうかといった興味が湧く。物語はそんな少年院に収容されたカミツレという名の少年が主人公。父親を殺したという罪状で少年院行きになったけれど、実は殺しておらず冤罪だったりするものの、当人は面倒なのかおおっぴらに主張はしなかった。

 喧嘩っぱやい所もあって、少年院でも教師に反攻しては独房送りになる繰り返し。そんな彼でも歌が上手く院内の演劇ではそれなりに役ももらえていたりするから面白い。さてそんな少年院に曼珠沙華煌という凄い名の少年が、こちらは本当に父親を殺したらしい罪状で入所してきた。同室になった彼にふと、自分は父親を殺していないことを話すと興味を持ったのか、だったら誰が真犯人かを院内にいながら推理するようになる。安楽椅子探偵よりはもうちょっと積極的かな。

 さて煌はカミツレからその場の状況を聞き出し、動機から類推して真犯人らしき人物を挙げる。だけど確かめる術がないなら外部の協力者に頼むしか無い。でも通信は不可能。どうやって連絡をとるかといった課題の解決部分でも、工夫があってミステリ的な楽しみを味わえる。そうやって浮かび上がった真相から感じられるのは、人間ってしっかりしているようで土台はもろく中は虚ろだったりするということ。そうした虚勢が崩れた時にとんでもないことをしでかす一方、自分が助けを求め周囲が理解を示せば立ち直れる機会もあるってこと。物語から学んでひとり陥穽にはまるようなことはないようにしたい。


【12月13日】 銀行の頭取で名字が「半沢」だとやっぱり浮かぶ「半沢直樹」の名前。それが「半沢直樹」シリーズを書いた池井戸潤さんがかつて務めていた三菱銀行の系譜に連なる三菱UFJ銀行の次ぎの頭取の名前だというと、モデルか何かだったのかって想像もしたくなる。まあ大量に入行する中で池井戸潤さんが半沢淳一さんと例え同期だったからといって知り合いだったって保証はなく、単なる偶然かもしれないけれど、そんな偶然を勘ぐられることを承知で抜擢したからには、半沢淳一さんは相当な実力者ってことになるんだろうなあ。55歳は同い年。それでメガバンクのグループで中核をなす銀行の頭取に。頑張ったんだろうなあ。自分は……。そこはまあそれぞれの人生ってことで。

 堺三保さんが撮った短編映画「オービタル・クリスマス」はまだ公開には至ってないけれど、そんな映画に先立ってノベライズが書かれてNOVAというアンソロジーに収録予定。そして刊行に先立って公開されることになったけれど、その筆者が声優にして書評家でそして日本SF作家クラブの新会長に就任した池澤春菜さんだったってことでさらに話題になっている。才媛で本もいろいろと書いているけれど、いわゆる創作となるとこれが初めてって感じ。創作者じゃない人が会長になるなんてと言っていた人も、これで文句は言えなくなるんじゃないかなあ。もちろん創作がなくっても池澤さんが会長になることに異論はないんだけれど。次は完全オリジナルの小説も読んでみたいけれど、何かアイデアはあるのかな。声優SFなら草野原々さんが既に書いているからなあ。

 近年では最もコストが小さいオリンピックになると喧伝して誘致したにも関わらず、気がついたら過去最大の費用規模になっていた東京オリンピックだけれど、それだけかけても本当に開催できるのかどうなのか、まるで見えなかったりする状況。それでもやる気でいたりするところに日本の日中戦争やら太平洋戦争やらにのめりこんでは引けずに敗戦まで突っ走っていった日本ならではのメンタリティも見え隠れ。ともかく体面だけは整えておかなくちゃいけないんで、オープニングセレモニーはやる方向で準備を進めていかざるを得ない。

 とはいえ、本当に開かれるかどうか分からないセレモニーの準備のために7人だかの著名なクリエイターを確保して、案を練ってもい続ける訳にはいかなかったのか、野村萬斎さんをサブとして残しつつもケラさんとか山崎貴さんだとかMIKIKOさんだとか椎名林檎さんだとかはここで退き、演出チームはいったん解散となった模様。前に電通でライゾマティクスなんかと組んでリオデジャネイロ五輪での東京オリンピック紹介イベントを手がけた菅野薫さんが、パワハラだか何かで退いたのもミソのつき始めではあったけれど、その後に新型コロナウイルス感染症で五輪そのものが延期となって、開会式は果たしてやるべきかどうかも議論の俎上に挙がっていた。

 やるならやるで、新型コロナウイルス感染症に配慮したものにした方が良いんじゃないのって意見もあって、椎名林檎さんが派手な演出あんてやめて入場行進だけで良いんじゃないかといったのもある種の至言。シンプルで必要なことは何かを今一度、問い直すきかっけになったかもしれないのに、やっぱり何かを見せなくちゃいけないという意見もあって取り入れられなかった感じ。あとはIOCあたりから今の世界の分断をくっつけ直すような内容にしてくれとか言われてしまうと、まだまだ隔離と分断が続く中でどうやってくっつける演出なんかできるのかって疑問も浮かぶ。それに答えなきゃいけない後任と、サブの野村萬斎さんは大変だろうなあ。そうやって関わってやっぱりやりませんでしたとなって、受けるダメージはいかほどか。見守りたい。

 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の公開までちょうど1カ月になった今日になって「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・Q」がまたまた劇場で公開されることが発表になっていた。すでに現在1週間限定で公開されているんだけれど、1月8日からのはIMAXで2Kでもって公開されるとかで、3.333という新しいバージョンになった作品はいったいどんな感じになるんだろう。明るくて大きい上にサウンドもきっと一新されて心に響く作品になっているんだろう。アスカが元気な映画だからその勢いをまるまる受け止められるかな。シンジをぶん殴りに行く時のプラグスーツ姿のアスカが歩く姿とか、エントリープラグで丸まっているシンジを見下ろすアスカの居丈高な姿とか大好きなだけに、改めて大きなスクリーンで見てみたい。行こう2度3度。


【12月22日】 そして中日新聞がついに大村秀章愛知県j知事へのリコール署名に不正なものが混じっていたというニュースを報じてこれがなかなかに痛い中身で大騒動に。県内の市議会議員だとか市長だとか県会議員だとかいったそれなりに名の通った公職にある人たちが、あずかり知らないところで署名が行われていて拇印まで押してあったというからそれはいったい誰がやったって話になりそう。拇印だから指紋な訳で警察が採取して前と照らし合わせれば、あるいは引っかかるかもしれないけれどそうやって犯人が見つかって、リコール運動を進めていた人だったら推進していた美容整形外科医やら名古屋市長はどう釈明するんだろう。そこが気になる.

 愛知県の選挙管理委員会なんて愛知県知事の手下が調べるのは釈然としないとか言ってる指導者だったり、どうして今さら調査するのか分からないと言ってる名古屋市長だったりで、それは選挙管理員会は県の行政からは独立していて総務省の管理下にあるから関係ないんだよとか、ただの署名じゃなくって地方自治に関わる重大な制度であるところのリコールで不正が行われたらそれは地方自治であり民主主義への挑戦であって、不正があったらそれは徹底的に調べられるんだよってことを、教えたところで聞く耳をもたないんだろうなあ。これを出したらリコール運動そのものに泥が塗られると拙い署名を避けた人たちを裏切り者扱いするんだから。

 たとえ不正でも数だけそれなりに集めつつ、届かなかったから詳しい調査はされずに澄ます一方でそれなりな数は集まったんだから民意は問えた、だからお前が悪いだなんて中途半端なことをやって、自分たちの政治活動が正当だとアピールしたい人たちが、勝手に署名をねつ造してリコール制度そのものをハッキングしたら拙いってことを、分かっていたらとてもじゃないけど起こらない事態。それをやってしまった訳であとは首を洗って待ってなさいってことになるのかなあ。

 この後に及んでなおも反対派がスパイを送り込んで不正な署名を紛れ込ませたんだなんて言うなら、それこそ徹底的に調べられて証拠を突きつけられるんじゃないかなあ。どうなることか。それはそれとして一応は全国紙でリコール運動をどこも報じないとコラムに書いたジャーナリスト氏と掲載した新聞は、は各紙が書いているこの問題をまさか報じないなんてことはないよね。いやしかしあり得るから怖いんだよ。今日になって系列のタブロイド紙なんて主宰者の美容整形外科医のコメントを何の精査もせず現在の問題について触れもしないでそのまま掲載しているんだから。それで日本新聞協会加盟紙。どうにかしないと業界全体が錆び付くぞ。

 マイクロマガジン社から「城と少年」という絵本を出した菊地秀行さんの意外性は、その弟がジャズミュージシャンの菊地成孔さんというところにもあって、東京大学駒場キャンパスの教養学部でジャズを講義した「東京大学のアルバート・アイラー 東大ジャズ講義録」なんて本を大谷能生さんと共著で残していたり、「LUPIN the Third −峰不二子という女−」とか「機動戦士ガンダム サンダーボルト」のサウンドトラックを手がけていたりとマルチな活躍を見せている。いつか菊地秀行さんの作品が映像化された際に音楽を当てることがあるのかどうか。マッチするとしたらどの作品か。「城と少年」でもあり得るか、ちょっと考えてしまう。

 横浜に発った1分の1「機動戦士ガンダム」について富野由悠季総監督が現場で「ガンダムは優しかった」といった表現して、ある程度の評価を見せていたのは玩具カラーにされてしまったガンダムが、意外や巨大になってみるとその大きさだからこそ威圧感を持たずに楽しさを感じさせてくれるからだと思っていたけれど、GUNDAM FACTORY YOKOHAMAで売っているオフィシャルブックで富野総監督が話していることを読むと、いろいろとわだかまっている部分もあることが伺えて、それらを飲み込んであの発言になったのかと思うと人間、丸くなったのかもなあと思えたり。つまりはクリエイターにとっての理想として、やっぱり2本足歩行させたいというのがあるんだけれど、そういう希望は入れられず工学の人たちとか技術の人たちが今の時点で出来ることをやっただけで、それはただの建築に過ぎないのではってことらしい。

 クリエイターとしては40周年という記念の年にガンダムでやれることはもっとあったはずなのに、そうした希望は入れられず工学の人たちが歩かないし、立ちもしないロボットではないものを作って喜んでいることに、いろいろと憤懣を抱いているようにも見える。そうした気持ちが向かった先が八谷和彦さんが作り上げたちゃんと飛ぶメーヴェで、当初はこれをただの宮崎駿監督ファンが作ったものだろうと嫌っていた富野総監督、けれどもちゃんと航空工学を学んだ人に頼んで飛ぶものを作り上げようとしたと知って、クリエイターの思いとエンジニアの願いが重なったところに出来たものだから好きになったって書いている。八谷さんには嬉しい話だけれど、ガンダムにとってはちょっとな言動。それを語る富野さんも富野さんなら載せるオフィシャルブックもオフィシャルブックだ。それだけ重たい言葉だと感じて50周年ことは空飛ぶガンダムを是非に。そんなのあったっけ。


【12月21日】 気がついたら横浜の1分の1「機動戦士ガンダム」がギネスワールドレコーズに認定されていた。ひとつは「最大の可動型ガンダム」ということで、何をもってどこまでを可動とするのかと考えた時、前にも立っていた1分の1ガンダムだって顔が動いたから可動じゃないかと思うんだけれど、その程度は認めないとなると、やっぱりああやって足が動いて歩いているように見えることが可動の水準だったのかもしれない。歩いてはないんだけれどね。

 その意味でいうなら「最大の可動型ヒューマノイドロボット」として表彰されることはどうなんだろう。ヒューマノイドすなわち人間型ではあるけれど、ロボットという範疇で考えるなら別に自律型ではないし操縦して動かすものでもない。言うなれば動くハリボテに過ぎずそれがたまたま人間のような形をしているものを「ヒューマノイドロボット」と言えるのか。そこはちょっと議論したくなる。もしも違うとうならどれが最大になるんだろうなあ、クラタスは別に人型じゃないからなあ。スケルトニクスなんかは外骨格ロボットと言えば言えるのかもしれないけれど、人力で動くんでやっぱり違うか。いずれにしてもこれが規準になるなら次はどこが挑んで来るか。台湾や中国が57メートルのコンバトラーVを作ってくるか。期待して待ちたい。

 トンチキなのは今に始まったことじゃないけれど、この情勢で世界なんかもぐるりと見渡せばとうてい開催なんて不可能な2021年の東京オリンピックを今も開催する気満々でいる菅義偉総理大臣が、新型コロナウイルスに人類が打ち勝った証として東京オリンピックを開催したいとどこかの会合で演説したとか。そりゃ無理だろう、打ち勝てなんてしないだろうと言うのは簡単だしそれが当然なんだろうけれど、問題は言った事は必ずやり抜く今の政権の体質。ウイルスに勝った証として東京オリンピックを開催するということは、逆に言うなら東京オリンピックを開催するためにウイルスに打ち勝ったことにするということだったりする。

 そりゃ無茶なという勿れ。箱を開けなければ猫が生きているか死んでいるか分からないシュレディンガーの量子論よろしく2020年初春あたりに新型コロナウイルス感染症が広まっているか広まっていないか分からないような感じにするため、厳しい政策をとらずにいって結果として春先に病院が逼迫する事態を招いた。今もGoToトラベルを推進するために感染者数は増えても重症者数は少ないような雰囲気を醸し出そうとしている政権が、オリンピック開催という大命題の前にウイルスに勝ったふりそするなんてこと、やらないと考える方が無理だろう。新型コロナウイルス感染症っぽい人はだから違う病気に認定し、収まったかのように感じさせるに違いない。やれやれだ。

 ははははは。愛知県の大村秀章知事をリコールしたいと署名をいっぱい集めて、40万を超える署名を集めて結構な数集まったからとりあえず大成功だけれど、リコール投票の実施までには至らなかったからここで撤退、署名は戻してもらって溶解しますと言っていた主催の偉い人がいたけれど、そんな署名にこれ本当にひとりずつ書いてもらったのって思われるものが散見したことから、リコールに携わっていた真面目な人たちから不安な声が起こった途端、裏切り者扱いされてしまってどういうことなんだって状況になっていた。裏切り者扱いされた勢力はそのまま出したら恥だから抜いたって、筋の通ったことを言っていたのに盗人呼ばわりされては勘弁ならんと訴え出て、会見なんかもやってそれに罵声が浴びせられる内ゲバみたいな様相を呈してた。

 でも肝心なのは署名に不正があったかどうかであって、それされスッキリすれば問題はなく40万評以上が見事にあつまってリコール運動の正当性も訴えられるから悪いことじゃないのって感じだったのに、そんな署名を愛知県の選挙管理員会がちょっと詳しく調べてみると言ったところ、それはどうなんだって言い出した。リコール相手の知事の下にある選管が、って言い方もしていたけれど選管は独立した組織で知事は関係ないし、署名に不正がないと証明してくれれば40万票以上の数も大手を振って喧伝できる。何も悪いことはいのに臆するのはどういうことなんだろう、ってところで結果が今から気になってしまう。どうなんだろう。どうなるんだろう。さてはて。


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