縮刷版2020年12月上旬号


【12月10日】 自死という話題はとてもセンシティブなもので、有名人が自ら命を絶った話をワイドショーとか新聞とか雑誌が代替的に取りあげることで、同じ様な心境にある人たちを引き込んで連鎖を起こしかねないといった不安もあることから、WHOでは報道するにあたって規定を設けてあまり刺激しないようにと注意を促している。そいういう例に倣うのなら親しい友人が自分で死を選んだことをエッセイなどに取りあげ、その不在を嘆き痛むことにもやはり最新の注意が求められる。

 ご遺族の了解はもちろんだけれどそれだけではない、そうした不在の穴を生きて残された人たちが思い思いに語って埋めてくれるという事例が、だったら自分は不在となっても良いんだという気持ちを呼び起こしかねないだけに、何か安心を誘うような言説であっては拙い気もしている。かといって死者に鞭打つような言葉で自死を非難するのもしのびないのだったら、語らないでおくのがひとつの正解なのかもしれない。

 それで語るとしたらどういう理由があるのか、どういう影響があるのか、自分自身の納得のためだという考えであてば、それが家族の安心に繋がるのだとしても世界の安寧を考え避けておくというのもひとつの判断かもしれない。なんてことを果たしてcakesの編集が考えて、そうした友人の自死に関するエッセイを連載にすることを拒絶したかというと、もうちょっと軽く何かヤバそうってだけだったのかもしれない。

 それなら最初の段階でそうした自死を扱ったエッセイに賞を与えて連載を確約したことが違っていたという判断もなりたつ。状況がそれを連載するとなり、いやダメだとなってこじれてしまった状況ではもはや、引いても進んでも軋轢が生まれてしまいそう。何か1枚、被せてすべてを前向きに理解させるような細工が必要かもしれないなあ。それがcakes編集部に無理なら引き継ぐところがやらないと。炎上したネタだから売れるぞなんて下卑た考えで手を出しそうなだけに、注意が必要。

 ソニー・ピクチャーズエンタテインメントの方面でアニメーションの配信に関する動きがあったみたい。ファンサブから成り上がって正規のアニメ配信プラットフォームになったクランチロールがソニー・ピクチャーズ傘下になったとかで、米クランチロールのジョアン・ヴォガGMあたりが「クランチロールというブランドの強みとグローバルチームの専門知識をファニメーションと組み合わせることは胸躍る展望で、アニメという素晴らしいアートの勝利と言えるでしょう」といったコメントを出してきた。

 クランチロールは、「300万人を超える有料会員がいて5000万人のSNSフォロワーがいえ9000万人の登録ユーザーからなる熱狂的なファンを擁する世界的なブランド」だとか。アニメの配信といえば日本だと今はNetflixがメインになっているけれど、海外ではクランチロールも根強くそれが大きな資本を得ていったい何をするのか、注目が集まっている。やっぱりソニー・ピクチャーズ系のアニプレックスあたりが手がけた海外でも人気のアニメがいっぱい、流れてくるって期待が大きいだろうなあ。

 ただ、こうしてソニー=クランチロール的な一気通貫の固定化には、いろいろと迷う部分もある。ワーナーが新作の映画を公開と同時にネットのHBO maxに配信するといって物議を醸しているように、コンテンツの作り手がディストリビューションまで持つことがもたらすメリットとデメリットを考えて、今はちょうど綱引きが起こっている印象がある。自前の配信プラットフォームで抱え込むようだったら見ないよとか。それでも見たいから配信プラットフォームにも入るとか。かといって質量で圧倒できる時代でもないと、Netflixが自分ところでいっぱい作っているのはこうした動きを見越してのことなんだろう。結局、すべての民放に受信料を払うような状態が来て結局何も見なくなるなんて時代が来たりして。

 ミステリ作家の太田忠司さんが雑誌に連載していた作品が刊行予告までされていたのに版元から本にしないと言われた話が流れていて、編集長だか出版部長だかのお気に召さなかったのだとしてもそれは個人の感想であって連載されていたならファンもいる訳だから、出して世に問うのが筋な気がするけれどもそうはいかない状況が、出版界に漂っていることをひしっと感じた機能に続いて、今日もライトノベル作家の渡瀬草一郎さんが新シリーズと継続中のシリーズをレーベルから引き上げるつもりだってことを口にしていた。

 何でも自分があるタイトルを示したのに、編集が違うタイトルを推したとか。それでも提供していたら、間際になって上がって来たイラストにそのタイトルはそぐわないから自分たちで考えたものを着けたいと行ったそうで、どうしてイラストに合わせてタイトルが変わるんだとちょっと驚いた。いやイラストと二人三脚のところもあるライトノベルうならそういうトータルでのパッケージングに意味もあるのかもしれないけれど、そこはだから双方が納得の上で進んで欲しかったなあという印象。結構長く活躍しているライトノベル作家であっても、こういった扱いをされるのは一方で読者のためかもしれず、かといって作家のモチベーションを削ぎメンタルを壊す要因にもなる。角を矯めて牛を殺すじゃないけれど、作家を盛り下げて何になる? とりかえはいくらでもきくって意識だったらちょっと寂しい。


【12月9日】 今がピークって訳じゃたぶんない、新型コロナウイルス感染症の感染者数増大傾向の中で北海道の旭川市と大阪府が自衛隊の看護官の派遣を要請したって話。応えて旭川には2班10人が派遣されたみたいだけれど、そこより規模の大きな大阪府にはいったいどれだけの人数が派遣されることになるのやら。なおかつ今がピークじゃないってことは、これからさらに増えて看護師の数も足らなくなって日本中から派遣要請が来かねないってことで、旭川市や大阪府が求めてももう来られない状況はすなわい、両地域の医療崩壊を表すとも言えて事態は深刻さを通り過ぎて来た。

 名古屋市でもたわけたリコール運動に両足突っ込んで無様をさらした市長が会見で市内の病床がいっぱいいっぱいになっていることを明かした様子。こちらは愛知県がまだ多少の余裕があるみたいで吸収はするけれど、憎むべき知事が率いる愛知県に要請する名古屋市長の腹の内はいったいどんな感情か。ってかまともな頭なら自分がいては市民が守れないと身を引くところを、われ関せずと患者を押し付けて平気な顔をしているところに、ヤバが見えてしまったりする。それでも選挙をすれば当選してしまいそうだから厄介。もう世間に顔向けできないくらいのダメージを被らない限りは出てきそうだなあ。気が重い。

 「映画 えんとつ町のプペル」を試写で観た。凄いよ西野亮廣さん。凄いよSTUDIO 4℃。原作については語るまでもなく西野亮廣さんが描いたというか、プロデュースをして仕上げた絵本だけれどもそのストーリーをしっかりと取り込みながらも100分間をしっかりと持たせるだけの世界観を作り上げ、ストーリーを練り上げ見どころを幾つも作って最後まで気を抜かせない作品に仕立て上げていた。その映像はSTUDIO 4℃が意外や手がけていなかったというフル3DCGで描かれていたけれど、いわゆるピクサー=ディズニー的なルックとは違って西野亮廣による原作の絵の雰囲気を残し、フィギュアが動いているというよりは絵本が浮き上がって動いているような感じを持たせていた。

 色彩も派手さを抑えながらも暗くはならないところを探っていて、ある意味でディストピア的な舞台でありながらも悲惨さからはすこし浮き上がって抑圧はされながらも苦しんではいないというユートピア的な感じを漂わせていて、それがある意味で舞台の設定にピタリとハマっていた。それが何かは物語の根幹に関わることだから言わないけれど、革新が凝り固まれば保守に堕すという社会や政治のひとつの定理をしっかり持たせてあった感じ。そこを打ち破っていく物語だとも言えるだけに、先に待っているのは何かはやっぱり気になってくる。見て考えよう。

 アクションはもう最高なくらいに素晴らしくって、冒頭からハロウィンのダンスがあったりゲーム的な横スクロールを模してみた場面があったり上から下へと大きく落下する映像があったりと、縦横無尽に動くカメラワークを決して目を回させず酔わせずに見せる。よほどしっかりコンテをつくって舞台を設計して動きを計算したのかなあ。地底でのトロッコによるスピード感ある大冒険も良かった。そういえは「ホッタラケの島」にもそんな場面があったっけ。ちょっと比べてみたくなった。

 声は父親がおらず病気がちの母親と2人で暮らしながら煙突掃除の仕事をしているルビッチという少年が芦田愛菜さんで最高級に上手かったし、そのルビッチが出会うタイトルロールのゴミ人間、プペルは窪田正孝さんでこれがまた萎縮して申し訳なさげに喋るプペルを見事に演じ切っていた。白眉は立川志の輔さん。ルビッチの父親のブルーノを演じているんだけれど、喋りの訥々とした感じがいい親父さんといった感じを出していた。そして何より絵本ならではの長いセリフというか朗読に近い部分をリズム感もしっかりを語ってさすがは噺家といったところを見せていた。

 俳優でも女優でもコメディアンでも喋りに達者な人たちばかりだからプロの声優に劣らず勝るところすらあって当然か。オリエンタルラジオから登場の藤森慎吾による怒濤の喋りも聞き所。そのウザさ最高。ウザいけど上手いのでいつまでだって聞いていたくなる。そうしたキャスト陣によって繰り広げられるストーリーについても、驚きを味わって欲しいから多くは語らないけれど、しっかりと段取りよく繰り出されては次へと引っ張っていってくれて、そして激しく感動させてくれる。2020年も終わりになってこれほどまでの映画が繰り出されてくるとはなあ。「ジョゼと虎と魚たち」もまた素晴らしいだけに、どちらも100億円ずつ行って欲しいなあ、いや本当に。

 第41回日本SF大賞の候補作が上がって来ていて、今回は実に7作品がノミネート。菅浩江さん「歓喜の歌 博物館惑星II」と林譲治さん「出雲星系のの兵站」シリーズと野崎まどさん「タイタン」とそれから「立原透耶氏の中華圏SF作品の翻訳・紹介の業績に対して」と、同じ立原透耶さん編集「時のきざはし 現代中華SF傑作選」、伴名練さん編「日本SFの臨界点」全2巻とそれから北野勇作さん「100文字SF」。日本SF作家クラブのメンバーが選ぶ関係からか、多く読まれているだろう早川書房の刊行物が多いのと、編纂ものが3点入っていることがやっぱり気になるし、映像作品が入りづらくなった感じもあるけれど、個々に見ればいずれも業績として素晴らしいものばかりだけに是非に皆さん、受賞して頂きたい。個人的には野崎まどさんかな。


【12月8日】 いつも何かやらかしてくれるアニメーション映画の「銀魂」が最新作の「銀魂 THE FINAL」でもまたやからしてくれる感じ。入場者プレゼントとして劇場版の映画が「千と千尋の神隠し」の日本映画史上最高興行収入の308億円に迫ろうかという「鬼滅の刃」に登場するキャラクターを、「銀魂」の作者の空知英秋さんが描いたポストカードを配ろうとしているんだかられはもう便乗も凄いというか、それで果たして「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」を見に行ったお客さんのいくらかでも取り込めるかというと、キャラクターのファンというより物語のファンになった人が多いだろうからちょっと分からないけれど、映画を入口に「鬼滅」を知った人になら効果はありそうだけに、これはなかなかの手段って気がしてる。

 というか、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」で同じ「週刊少年ジャンプ」連載陣として空知さんも含めた漫画家仲間たちの「鬼滅」イラストを配っても悪い気はしなくって、それで2カ月目に入った映画を再度盛り上げて未踏の領域へと一気に叩き込むのも手だと思っていたけど、東宝やアニプレックスにそうした特典商法への意識はなかったのかもしれない。あと「銀魂」だったら単なる便乗とは思われずに徹底的な便乗であってこれが「銀魂」だ、これこそが「銀魂」なんだと思わせる土壌があったことも、こうしたコラボ(?)を可能にした背景にあるんだろう。映画泥棒とか持って来たりして劇場で視る楽しみって奴を感じさせてくれるし。その旅にワーナースタジオのあの光景が出るのも笑えるし。

 これが成功したら果たして2週目以降は何が出てくるんだろうか。徹底的に「鬼滅」に乗っかっても楽しいけれど、ここは「週刊少年ジャンプ」掲載作品とのコラボを徹底的に薦めていって空知さんが描く「きまぐれオレンジロード」とか「ストップ!!ひばりくん」とか「Dr.スランプ」とか「暗黒神話」とか「ハレンチ学園」なんかのイラストカードを配ったらいったい誰がもらいに行くか。ちょっと興味が出て来た。そこはむしろ劇場版の公開が近い「約束のネバーランド」か、テレビアニメが盛り上がっている「呪術廻戦」か、いろいろと噂が出て来た「チェーンソーマン」なんかが楽しいかなあ。「ONE PIECE」は……さすがにないか、空知さんでもさすがにちょっと。

 日本ではいろいろ仕掛けてくれるワーナー映画だけれど、アメリカでは物議を醸している様子。2021年に公開となる映画を劇場上映とともにネットでも配信すると言い出したから映画監督だとか製作会社がこぞって異論をとなえている。これがNetflixだとかAmazonPrimeVideoのように確立されたプラットフォームで巨額のリターンがあるなまだしも、挙がったのはHBO Maxというワーナー系の新興配信プラットフォーム。つまりは丸抱えしての提供を画策している訳だけれども日本以上に映画館で映画を見ることの意義が役者の側にも映画製作者の側にも重くて大きいハリウッドで、大勢に見てもらって喝采を浴びる機会を減らしてまで配信へ、それも新興プラットフォームの客寄せに使われてはたまらないといった思いがあるみたい。

 これた仮にNetflixだったとしても、そうやってネットで配信した分は劇場での公開が減って劇場の取り分が減って映画館で映画を見るという環境がどんどんと悪化していきかねない。すでに2020年は新型コロナウイルス感染症の影響で映画興業ビジネスが死に体になりかかっているところに、恒久的な劇場とネットでの同時提供で映画館はとどめを刺されかねない。そうなった時に新型コロナウイルス感染症から世界が快復したとして、果たして観客は映画館に行くのかどうか。配信というプラットフォームだけで以前と同じだけの収益と栄誉を得られるのかどうか。経済的経営的文化的な問題を孕むこの事態をワーナーがどう考え、どう展開し、起こる喧噪にどう対処していくかが気になる。劇場に行ってくれれば「鬼滅の刃」のポストカードを配るってんなら……行くかな、アメリカでも人気みたいだし。

 貧すれば何とやらってのは映画の世界だけじゃないというか、むしろこっちの方が激しいかもしれない新聞の世界でとある研究所のフェローの人で日本物理学会とか旧帝大とかでそれなりの地位にあった人が股間を触ってわいせつだと見なされ警察に逮捕されたとう件で、とある一応は全国紙がネット向けの配信記事の見出しに「日本学術会議会員の男」とつけてちょっとした騒動に。事実としてはそうかもしれないけれどこういう場合、書くのはまずは目下の所属でそして元職であとは名誉職的なもの。そこで日本学術会議を持ち出して来たのは、その新聞が批判している相手であってその印象をメンバーの不祥事によって貶めたいというのが世間にバレバレだったのが、物議を醸している理由にある。むしろそうまでしてアクセスを稼ぎたいのかといった憐憫か。そうやって積み重なっていった呆れが今の惨状を生んでいると分かっていても、やめられないのが今の惨状なんだよなあ。デフレスパイラルまっしぐら。行き着く先は……。


【12月7日】 前週に「タイタニック」を抜いて日本の映画興行収入で史上2位となる275億円に達した「映画『鬼滅の刃』無限列車編」が、この週末を経て288億円となって史上最高の宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」の308億円まであと20億円に迫った。積み足した金額は13億円だからこれら1週間を同じ金額では追いつかないし、ここまで来るとあとは下がっていく一方だから10億円くらいにな留事もありそう。それでも前々週からの1週間が16億円あってそこからの13億円だから3億円しか下がらなかった訳で、その人気の根強さには相当なものがある。

 これから年末に向かって新作の公開も相次ぐだろうけれど、一方でテコ入れなんかもあるかもしれないからそれで落ち込みを防いで次が10億円でその次が8億円となり、そして5億円を足せば311億円で晴れて「千と千尋の神隠し」を抜いてしまう。そうでなくても残る10週を2億円ずつ足すだけで追いついてしまう訳で、これはもう史上1位は見えたといっても良いだろう。どうしてそうなってしまったかは、もはや分からないとしか言い様がないけれども普通だったら100億円だって難しいカテゴリーにある作品が、それをあっさり達成してしまったことについてはやはり分析が必要かも。世代なのかテーマなのかビジュアルなのかコロナなのか。それらの全てなんだろうなあ。

 まあ、マーケティングのプロフェッショナルを自称しておられる方だって見誤るのが今のマーケットって奴だから。とある場所で「僕は同時期にヴァイオレットエヴァーガーデンという映画も見たんですが、こっちは上映数が少なくて、全然やっている映画館がなかったです」って書いていたけれど、言うほどやってないってことはなく割といろいろな場所で上映してたし、「鬼滅の刃と同じくらい素晴らしい映画だっただけに、やはり配荷含めたエンタメのマーケティングの難しさと切なさを思い知りました」って言うけど、20億円を突破して長編アニメーション映画では成功といえる10億円の倍にまで達していた。

 そのことを知らず何か書いたら突っ込まれたのか、付け加えるように「実際はかなり上手くいっていたみたいです」と言っていて、まるで現状を見誤っているにも関わらず、現状のその先を想像してのけるマーケティングってものを商売に出来ているんだから、現状を分析するのが必須のジャーナリストとは違う言論空間にいるんだろうなあ、マーケティング者は。願うならこれから公開される「ジョゼと虎と魚たち」もとても良い映画だから10億円は行って欲しいし、「魔女見習いをさがして」も同じくらい届いてアニメ映画が稼げるコンテンツだと分かってそれで、いろいろ作られお金が還元されて現場が潤えば嬉しいんだけれど、よく分からない映画もあったりしたからそこはやっぱり丁半博打の世界なんだろうなあ。難しい。

 最初、流れてくる個々人への評価と賛成率に引きずられそうになった温泉街での町議リコール騒動だったけれど、ネット媒体が出して着た記事を読んで、まだ刑事民事等での判断も出ていない状態での投票は拙いと思い返した。「裁判の判決が出ているわけでもなければ、警察の捜査が終わっているわけでもないので、当事者以外に真実を知っている人はいない」「事者以外に、誰一人として断定的にモノを言える人がいない。普通は、こんな状態で住民投票が行われることはありません」「今後の捜査や裁判の判決次第で、冤罪で辞めさせられていたんだとわかってしまう可能性が出てきてしまいます。本当はこんな状態で住民投票が行われていること自体、とても恐ろしいことなのです」。然り。

 法によって裁かれたり断罪されたりしているならまだしも、そうに違いないという思い込みでもって断罪されているからこれはちょっと恐ろしい。そうに違いないという思い事態もそういった感じに思わせられるような流れが作られていたりするだけに、誰もがフラットな状態で公平な見地から判断したものとは言えないだろう。それで9割がリコールに賛成したといっても、バイアスがかかっての判断だったとも言えそう。奇しくも同じ問題について北原みのりさんが、こういうバイアスが生まれてしまうミソジニー的な意識に迫ったルポを書いている。あまりに条件として一方的な中で、権利が奪われることの恐ろしさをここは理解して訴えつつ、公平な判断が行われることを求めていくべきだろう。その道はあるのかな。ちょっと気になる。

 毎日新聞が今なおアメリカの大統領選挙でトランプ大統領が勝っているけどバイデン候補が不正をやったから負けているように見えるだけだと訴え続けている、それなりに名の知れた作家だとか編集者がいたりすることを名を上げて報じていたけれど、それに対して当事者たちから特段の反論もなかったのは読んでないのか読んだら負けだと思っているのか。ここに朝日新聞も参戦して日本でトランプ当選デモをしている勢力の幸福感に統一された法の輪ぶりを仄めかしつつ、やっぱり今なお訴え続ける識者を上げていたらしい。もうバイデン候補の当選は確実なのに、それでもトランプの有利をどう主張し続けるのか。陰謀があったと言い続けるんだろうなあ。それしかないもん、自分を正当化できる道。それで真っ当な媒体で仕事があるかというと、一応は全国紙がちゃんと席を用意しているから不思議というか、もうすぐ全国紙ではなくなる覚悟を決めたんだろうかというか。参ったなあ。関係ないとはいえ関係があったところだけに。やれやれだなあ。


【12月6日】 午前2時くらいにPCを立ち上げて「はやぶさ2」の脱出カプセル、じゃなかった小惑星のサンプル回収カプセルの大気圏突入から地表への落下までを中継で見守る。真っ赤に燃えたカプセルが地表へと激突して爆風が起こるとかいた派手派手な展開はなくって、突入したあたりで空気の分子が圧縮されて起こる熱が放つ光らしいものが見えたもののそのごはスッと消えてあとは静かに。3方に分かれて配置されたエヴァンゲリオンが走り出して受け止めるようなこともなく、広いオーストラリアのどこかにふわふわと着陸したみたい。

 明けて回収も終えたようであとは開いて何が入っているかを確認し、そこから何か新しいことが分かるかどうかってところが本当の意味での成果になるんだけれど、距離だけなら火星に匹敵するくらい遠くにある小惑星から何かを回収して持ち帰るというミッションだけでも凄いこと。重力圏を脱出できるだけの推進力を持てばそれこそ火星からだって何かを持ち帰ることが可能になるかもしれないけれど、その目前のフォボスに今は探査機を送り込もうとするのが精いっぱい。それでも他の国がまだできていないことをやってのけるという意味で、日本凄いをここは言っても良いのかもしれない。それを分かっていないといつか、無意味だと言われて整理された挙げ句に他国にプロジェクトごと買われかねないから。

 しかしやっぱり浮かぶ宇宙からの得体の知れない物質の地球侵入。これが流星だったら大気圏で熱に炙られ死滅していたものが、試料とともにカプセルの中で熱から守られ地表に落ちてきた何者かが、蔓延って人間なり地球の生命に悪さをするんじゃないかって想像をめぐらせてしまう。それこそ今の地球を脅かしている新型コロナウイルスと結びついて、凶悪な毒性を持ったウイルスを作り出したりしないとか、科学を無視していろいろと思い浮かべてしまうなあ。回収に趣いた人たちも防護服に身を固めていたし。あれはやっぱりくっついた宇宙生命体にアブダクトされないように身を守ったのかな。

 立川シネマシティ小池健監督の「REDLINE」が極音上映されるってんで見に行く。先に10月9日だったかの公開10周年記念上映で、DCP化されてブラッシュアップされた映像を新宿バルト9で見て堪能したばかりだけれど、その時は音圧が全体に高めだったからなのか、冒頭のイエローラインで親子が会話するあたりからちょっとセリフが聞き取りづらく、レーシングマシンが爆音で突っ走るシーンとなるとさらにセリフが被ってしまって何を言っているか分からないところもあったりした。というか元からあまり聞こえなかったけれど、雰囲気で理解していたというか。

 それがシネマシティの極音上映では一新された感じがあった。音響が新しくなったとのことで、より音声が粒立ったというかエッジがキレキレになったというか、それがクリアになった映像とも相まって凄さが億倍増しになっていた。冒頭の親子が会話するシーンもすべてのセリフが聞き取れたし、イエローラインでトランザムに乗って突っ走るJPが、爆音の中で「レーサーの心、アナウンサー知らずってか」って言いながらニトロをぶち込むシーンのセリフも、初めてくらいにまともに聞き取れた気がした。

 分離が良いのか音像の立て方が良いのか。座った場所が前列だったからスピーカーから聞こえてくるセリフ部分の音も大きかったのかもしれにあ。他の位置ではどうなんだろう。自分はもう映画は大きな画面を堪能したいから最前列に近い場所で見るようにしているんで、確かめようがないのだった。音声は静音の場面でも粒立っていて、例えばJPがラウンジで無理矢理相席したソノシーに頭を下げる場面とか、リーゼントの先っぽがテーブルに当たった音がちゃんと聞こえた、って本当にそういう音が着けているかは知らないけれど、着けているような気もするからちゃんと来とけたんだろう。

 映画自体の良さはいわずもがなで、それが今までに無いクリアな映像とクリアで激しい音響によって甦った。これはもう2020年どころか21世紀において見ておくべきバージョンの映画だと思った。1週間ではもったいないので定期的に上映して欲しいなあ。それには大勢が見に行くことだけれど、時間帯的にどうなんだろう。あと1回くらいは行けるかな。上映の後は石井克人さんが登場して、パイロットフィルムを上映したり企画書を投影して成り立ちを説明してくれた。

 そうかソノシーは最初はもうちょっとスれたアバズレな感じだったのか。JPは何十人も子供がいてその養育費のために稼がなきゃいけない設定だったのか。そんな猥雑な設定を引っ張りつつ勢いで推したイエローラインから先、どうするかってところで脚本執筆が止まって考えていった先で少しメロウな感じになったとのこと。暗いとも話していたけれど、ああいったソノシーの過去話があってそれに刺激されたJPの奮起があってようやく憧れの人に追いつけたからこそのかっこつけがあって嬉しさもあってといった、心情のドラマを味わえるようになった。ひたすらレースレースレースだったらこれほど伝説にはならなかったと思うよ、5分のパイロットが限界だよ。ともあれ最高。とにかく見ろ。


【12月5日】 よく分からないうちに案内が届くようになっていたレナウンのファミリーセールでは、タートルネックのニットとか、フォーマルのスーツなんかを買ったし靴下はだいたいここでまとめ買いをしていたけれど、レナウンの清算によっていよいよ最後になったらしく会場もいつもの幕張メッセから平和島の東京流通センターに移転。せっかくだからとのぞきに行ったもののサイズが合うスーツは気に入ったデザインものがなく、銀座山形屋でSCABALのを買ったばかりなのでここは遠慮して主にシャツとか靴下をまとめ買い。いつもは300円くらいの靴下が100円とは安すぎるなあ。

 大勢が来ていた感じで会計まで長い行列が出来ていたけれど、レジも多く設置してあるからグングン進んで30分ほどで終了。そこから日比谷へと出てTOHOシネマズ日比谷で映画でも見る前に、ドトールにこもって書評のために偏柳一さんの「ハル遠カラジ4」(ガガガ文庫)を読んでこれは凄いSFかもと震撼する。人工知能が長く稼動していると処理が滞るようになって暴走も起こる症状が起こることが分かっている未来。一方で人工知能による暴走も起こって人類が追い詰められる中、軍用の修理ロボットと少女とが旅をする中で、人工知性の限界から暴走、そして人類の衰退と進化を描く。言語と自意識の問題にも切り込んでいて読み所たっぷり。完結を機に読み返したい。

 マシュ・キリエライトは尻であり、玄奘三蔵は乳である。以上。ってそれで「Fate/Grand Order−神聖円卓領域キャメロット−」の映画を説明してしまってはあまりに短絡過ぎるのでもうちょっと説明するなら、マスターの藤丸立香を守って盾を構えてさまざまな攻撃を防ごうとして踏ん張るシールドのデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトを守られる側から見た時のその力の張った尻はとてもとても丸くて素晴らしいものだった。

 そして、オジマンディアスの居城にたどり着いた藤丸立香やマシュ・キリエライト、そしてアーサー王の円卓の騎士だったベディヴィエールがオジマンディアスの下僕となることを拒絶し、城から出て行こうとした場に居合わせて、アーサー王との対決を目的に山岳地帯にある何者かの拠点を目指す藤丸立香たちについていくことになったキャスターのサーヴァントであり、その真名を玄奘三蔵という人物の特徴はどこまでも前に張り出して並んだガスタンクのような形状を見せる乳であった。以上。

 他にないのかよ。いやあることはあるけれども聖都なる場所を砂漠真ん中に作っては、押し寄せる難民の一部だけを救ってほかは殺害する獅子王とその円卓の騎士たちの蛮行を止めようと、かつて生前のアーサー王に付き従って最後を看取ったベディヴィエールが旅する過程で、世界が滅びるのを止めようとして、カルディアからやって来た藤丸立香やマシュ・キリエライトやレオナルド・ダ・ヴィンチと道連れになってまずは聖都に行く。

 そこで変貌した円卓の面々に愕然としつつ命からがら逃げ出して、向かった別の王国で玄奘三蔵とは対極的なスレンダーさがなかなか良いニトクリスらに案内されて、ピラミッドの中に入るもそこも放逐。そして向かった山でも一悶着の果てに獅子王からの鉄槌が下ろうとするのを、どうにか防いでまずは前編が終わりとなり、そして後編で本格的な戦いが始まるまでは判断のしようがなというのが目下の気分。

 それでも言うところがあるとしたら、だからやっぱりマシュ・キリエライトは尻であって玄奘三蔵は乳になるけれど、ほかにあるなら絵はSignal−MDが携わって黄瀬和哉さんが総作画監督に入っている割にはテレビ的といったシンプルさで、演出もクライマックスの絶体絶命ともいえる場面、空から巨大な三角錐が落ちてくる場面の壮絶にして壮大な感じが今ひとつ感じられず、それをどうにかした時の開放感も薄かったような気がしてらなない。溜めて溜めてもう駄目かと思わせてぶわっと払うような感じにできなかったのかなあ。体力が伴っていなかったのかなあ。

 それでもストーリー自体はいろいろと切迫しているし、ベディヴィエールと獅子王や円卓の騎士たちとの因縁も気になるところ。そこに孫悟空でもないのに自身を分身させて戦う玄奘三蔵の可愛らしさがあったり、助けられた女性のアサシン、静謐のハサンのこちらもニトクリスくらいにスレンダーな肢体の躍動感もあったりするから、後半での活躍に期待がかかる。獅子王はどうしてそこまで残酷になってしまったのか。付き従う円卓の騎士たちの胸中はどうなんだろうか。出落ち気味だったニトクリスやオジマンディアスも参戦しての一大バトルを期待して2021年春の後編公開を待とう。今度はプロダクションI.Gがアニメーションも制作だ。言い訳はできないし、聞かないぞ。

 東海テレビ沙汰になったり朝日新聞沙汰になっていた愛知県でのリコール運動にまつわる不正署名の件。愛知県の大村秀章知事に対するリコール運動の中で、一部の人たちがどうやら誰かの名前を使って署名を勝手に書いてしまっていたものを、提出前に見つけた人たちがいてこれを出したら運動そのものの信用が損なわれると抜き出しつつ、拙いんじゃないのと指導者に訴え出たところ、なぜかそうした不正があったことを認めようとはせず、運動そのものをまだ一部の市町村で続いているにもかかわらず撤退させると言い出し、それでいて署名は大量に集まったと言い出したからこれはちょっとと思ったのか、不正な署名を官憲に問うたことを、記者会見して公表した。

 テレビが調べると署名にあった人は覚えがないと言い、書かれた住所に住んでいない人もいたというから深刻だけれど、なぜかリーダーはそうした署名そのものの問題性を問わず、出したらヤバい署名を抜いて選管に問われるのを防いだ人たちを非難する。まったく訳が分からないけれど、とにかく数がアピールできればそれで良かったんだとするならば、考えられるいくつかのことはあったりする。周囲もそうだと勘づいているのに、なぜか当人だけは頑なに認めようとしないのはやっぱり拙いと感じているからなのか、それとも感じられないからなのか。どっちにしてもこうして報じられた以上、周辺のファンだけに訴え続けても通じないだろうなあ。ってことすら分からなくなっているのかなあ。やれやれだ。


【12月4日】 bayfmで放送している邦楽専門番組「9の音粋」がなかなか良くて、分けても木曜日のクリス松村さんの選曲が抜群なので聞き逃すまいとして夕方にちょい居眠りをして、時間に起きようと思ったら寝過ごして午前1時くらいになっててこれはもう諦めようと寝たら、夢の中でずっと寝過ごしてしまって約束の場所に行けず、LINEでスマホから手書き入力した下手な字のメッセージを送ったら電話がかかってきてごめんと謝っているうちに目、が覚めたら午後10時過ぎだったという自分はいったいどこから夢の中にいたのだろう。

 よっこらしょと起きてiPad miniをかかえて午前0時となって日付が変わり、何度かリロードを繰り返してkindleに「鬼滅の刃」の最新第23巻をダウンロードしてむさぼるように読む。このあたりは連載の終盤で読んでいたから展開はだいたい知っていたけれど、柱たちが次々と倒れていく中で柱ほど強くはないけれどもその前向きさで鬼舞辻無惨に挑んでいった我妻善逸とか嘴平伊之助とかの格好良さに感嘆。そうした若い剣士を守ろうという意識もあって、率先して柱たちが倒れていったんだよなあ。倒れたままなら生き延びれたかもしれないけれど、誰の一太刀が書けても無惨は倒せなかったとするなら、決して無駄ではなかったってことだろう。

 そうやって倒された後、時間が経って現代へと至った展開では竈門炭治郎と栗花落カナヲの孫の孫たちが兄弟でいて、そして善逸と竈門禰豆子のひ孫が姉と弟でいてひと世代ずれているにも関わらず、同世代ってことはやっぱり炭治郎は早くに子供を作って善逸は禰豆子が育つまで待ったってことになるのかな。痣が出た関係で炭治郎が早世した関係で早くに子供を儲けたって可能性もあるかなあ。伊之助とアオイとの子孫らしい嘴平青葉は研究員だから20歳は超えていそうだけれどこちらもひ孫になるのか玄孫になるのか。いずれにしてもあの伊之助が普通に家庭生活を送れたとも思えないんだけれど、そこが描かれることはなんだろうなあ。でも気になるその後の伊之助。善逸はだいたい分かるから良いや。

 って感じに一気に読んで寝たら今度は地下鉄に乗るとそこが中古CD屋になってて古本もいっぱい並んでいて、眺めながら欲しいのがあるかなあ、ないかなあといった思いを抱いていたら、なぜか地下鉄が地上を走って普通の道路の線路もない場所を進んでいってはトンネルの中に入っていくという夢を見た。さらに今度は地下鉄が止まったか降りて地上を歩いている人たちを眺めているという展開。そういう夢を見る原因がまったく分からないのがちょっと気になる。中古CDとかDVDとか古本は数日前に神保町を歩いていろいろと見た記憶が浮かんだものだって感じなんだけれど。分析した方が良いかなあ。

 朝になってお仕事に行く途中でコンビニで全国紙をあれこれ購入。いわずとしれた「鬼滅の刃」の全面広告目当てで、とりあえず読売と日経をかって、それから駅で朝日と産経を買ったけれど毎日だけが見つからない。描かれて居るキャラが良いとかどうというよりは、全国紙だけれども朝日や読売よりはコンビニへの配置が少なく、そして産経のように不死川兄弟と伊之助という男ばかりで売れ行きが鈍い新聞ではないところで早くに売り切れてしまったのかもしれない。きっと全国的に発生しただろうなあ毎日難民。あと中部地方では産経難民も。撃ってないからマジで産経、名古屋では。

 トランプ大統領が記者会見ではなく独演会を開いたようだけれど、内容的には大統領選挙で不正が行われたんだといった陰謀論に満ちたもので、普通のメディアはまるで報じないか、報じても中身がフェイクに溢れたものだといったネガティブなもの。トランプ大統領はそれには触れず、身内にも等しい保守系サイトへのリンクばかりをツイートするところに、いよいよヤバさが漂い始めた感じ。

 本当に陰謀があったというなら、それこそ直属のCIAでも国防総省の情報部でも国家安全保障局でもFBIでも何でも指揮して動かして証拠を集めれば良いのに、それをやっても出てくるものがないと分かっているのか、触れようとはしないでひたすら不正だと訴えている。もしも本当に指揮権を私利のために発動しようものなら、いよいよこれは情緒不安定だと副大統領とかホワイトハウスの面々から待ったがかかって、強制的に退任させられるだろうし。その前にに使えるうちに権力を使って何かしでかそうとしないかが目下の不安時か。どうなるアメリカ。どうするホワイトハウス。

 宅八郎さんが死去。「週刊SPA!」では長く書評の仕事をしていたけれどもリモートで編集部とか寄ったこともないから、ある意味でサブカルスターでもあった宅さんを見たことも話したこともなかった。オタクという存在のひとつのカリカチュアライズされた姿を体現した存在ではあったけれど、そこで留まらず復讐というかストーキングめいた活動をして社会性を反社会性を行ったり来たりするような存在になってしまって、さらに遠い存在であり避けたい存在になってしまった。1990年代の終わりとともに存在も遠のいた気がしていたけれど、選挙とかにも出ていたんだなあ。そうこうしつつ今までしっかりと暮らしていたからには、何か支援する人もいたし才能もあったんだろう。ご冥福をお祈りします。


  【12月3日】 大阪の“都構想”とやらに推進の立場でどっぷりと浸ってたりする一方で、アメリカ大統領選の不正という陰謀論めいた話からは距離を置いていたりする感じで、それが常識を持ち合わせているからなのか利得が絡んでより大きい方にたなびいているのかは分からないけれど、それなりに優秀でなおかつ目端の利く嘉悦大の高橋洋一教授人がNHKのEテレ廃止を訴えるってことはどこかの出っ張りを掴んだってことなんだろうか。

 菅義偉政権のブレーンという立場にあるからその言が確定事項のように取り沙汰されたりするけれど、親分の加藤寛が日本国有鉄道や日本郵政公社の分割民営化を提言して受け入れられていった事例に倣って、何か言うにしても少し基盤が弱い気もするのでそこは政権による鉄砲玉を使ってのある種のアドバルーンとして見ておくのが良いのかも。個人的にはEテレが子供の教育に向けた優れた番組を幾つも作ってきたのはまだ小学生だった自分、「はたらくおじさん」だとか「みんななかよし」と言った番組を学校のテレビで見せられて、放送が教育に使えるんだなあということを肌身で感じた身として、決して不要だとは思っていない。

 といういか、教育という場で見て怒られないテレビってものがあるんだなあとも感じ、それを抜け道にしていろいろやらかせる可能性に気付いて以後、教育テレビから生まれる不思議な番組を楽しんだ記憶もあるから、止めろとは言えないし言いたくない。ケーブルテレビやネット配信なんかがあってチャネルは増えても、その上に載せる番組に教育向けとして良質なものがあるとは言えず、NHKが公共放送の立場で作ってこその番組がだから支持され続けて民間頼み、民放頼みになったところでもはや「ロンパールーム」も「ママとあそぼうピンポンパン」も「ひらけポンキッキ」も復活はしないのだから。

 うへえ。今度は出演している1人が実際には朝鮮学校に通っているのに日本人から差別を受けた経験を元にしているというのはフェイクだとか、CMの中でチマチョゴリを着ているのに通っている学校で差別を受けているのはおかしいといった話が飛び出して大騒動なNIKEのCMだけれど、別にドキュメンタリーではなくって日本における人種差別的なものを感じてきただろう人たちの感覚をひとつの形にして表現したものだから、出ている人が今は朝鮮学校に通っているからといって差別が存在しない訳ではないし、自身だって違うシチュエーションで感じたことがあってそれを形にしてもらったという意味での“体験”という見方もできる。

 あとCMの中でチマチョゴリを着ていても、その後で「転校生を紹介します」とあって朝鮮学校から普通の学校に入ったんだろうといったストーリーが作られている。そこでは最初は通名を名乗っていたけれど、これは自分なのだろうかといった意識を持ってカミングアウトして主張したのを周囲も別に気にしていないと見るなら差別なんて今はそんなにないんだというストーリーだともとれる。そういう解釈をすっ飛ばして短絡して解釈してありもしない批判をする方がよほど状況のねつ造だって気がして仕方がない。

 それを言うなら黒人のハーフとして出演しているさかき・ソワンデは大・生徒会の書記であってサッカー選手ではないのだが、っていったフィクション設定が混じってしまうくらい役にハマってたグレイス・エマさんは、サッカー選手ではなくモデルとして活動していたわけで、そうした人たちに出てもらいつつ立場から感じたひとつの傾向を重ね演じてもらった集合に、ノンフィクションを見ようとするのは少し違うんじゃなかろうか。もうひとつ、女子だから体育の授業でサッカーをさせてもらえないという状況はやっぱりある訳で、そこを捉えて称賛するような話が聞こえてこないか、かき消されてしまっているのも寂しい限り。まずは理解と共感を。そこから始まる1歩がある。

 ベネッセが小学生に「きいた「憧れの人物ランキング」で漫画「鬼滅の刃」の主人公、竈門炭治郎が1位になったという話。いつもだったらスポーツ選手だとかお母さんだとかお父さんだとか研究者だとか先生といったある種の属性が並ぶランキングで、どうしたら固有名詞が投票されるのかが聞きたいところで、質問の仕方とか解答の導き型に何かあってそいういう答えを出してくれることによって、アンケートが注目されるんじゃないかって思惑があったんじゃないかと勘ぐりたくなる。

 それだけならまだしも3位は胡蝶しのぶで6位が冨岡義勇で7位が竈門禰豆子、そして8位に煉獄杏寿郎、9位に我妻善逸、10位に時透無一郎と「鬼滅の刃」勢が7人も入っている。そんな隙間に先生とかお父さんお母さんが入っているんだから、漫画の主人公でもオッケーだよって誘導があったとしか思えない。というかどうやったら小学生が竈門炭治郎なんて字を書けるんだ。煉獄杏寿郎なんて自分だって何も観ないで書けと言われたら迷ってしまうし、アニメだと柱合会議でチラリと出て来た時透無一郎が入っているのも気になるところ。嘴平伊之助は入ってないのに。まあアンケートなんてそういうものだと思うことにして、来年はだったら何が入るかを想像するのも面白いかな。菅義偉とか入るかな。


【12月2日】 キティちゃんではなくキティ・チャンちゃんが本格的に登場した「体操ザムライ」。そうか声は田中美海さんなんだ、「Wake, Up Girls!」で片山実波を演じていた。天真爛漫差が出た声がまた聴けて嬉しいけれど、やっぱりもっと続いて欲しかったかなあ、紅白歌合戦までは。それはともかく「体操ザムライ」では忍者のレオがロイヤルの至宝と呼ばれるバレエダンサーだたことが分かって来たけど、それがいよいよ荒垣城太郎の娘のレイチェルこと羚にも分かってしまったみたい。

 とはいえ、その重大さまでは理解していない模様。城太郎も城太郎でそれだけの人間が劇場ではない自分の家に居候していることを異常だと騒がず、何かあったんだろうからここにいるんだろうといった程度の感覚で受け入れ、バレエの練習をすることにも違和感を抱かない。そんな城太郎に習って何も言わない天草コーチもなかなかの胆力。城太郎と長く付き合えばそういう感覚になるのかも。そして感覚派のレオがダンサーとして回転を見せる場面で抱く感覚を、感覚で喋ったのをやっぱり感覚派の城太郎も感じ取ったみたい。これで4回転技を成功させたら世界は大変なことになるかなあ。現実には前田楓丞選手がやろうとしているみたいだけれど成功したのかなあ。気になる。

 男子が楽しそうにサッカーをやっている外で、しゃがんでコートの中を見ている女子がいて、黒人のハーフらしい少女がいて、チマチョゴリを着て投稿する少女がいて、いろいろと差別めいたことを受けているけれど、それぞれにサッカーという競技に打ち込んでいて、チームでは自分を出していて認められている。そんな状況が社会の、世界のすべてに広がる日を願い、というより自分たちからそうあろうと歩き出す。そんなNIKEのCMに誰もが大小はあっても心に抱えている偏見、抱いている葛藤の類を感じさせられ、変えようと決意すれば、世界はもっと優しい場所になる。

 その意味で、とても強く響いたNIKEの例の広告。中に出ているグレーイス・エマさんは、さかき・ソワンデという名前だったよねと思ってくらいに映画「映像研究には手を出すな」で強い存在感を見せてくれていたけれど、CMでは黒人の容貌でかみしつを持つ少女としての立場をしっかり見せ、同じ立場にある大阪なおみ選手の言動に刺激されている姿を見せてくれる。そこにきっとそれほど異論はないだろうし、女子が体育の授業で好きなサッカーをさせてもらえないカリキュラムの非対称性にも、経験を思い出して納得しているだろう。

 それなのに、激しい批判が起こったのはなぜなのか。それは、中国に対して強気に見えるというだけで、トランプ大統領の再戦を願いそのためにバイデン候補がありもしない不正をしたことを、ありもしない根拠でもって訴え続けているのとたぶん同じで、在日朝鮮人が差別をされているというメッセージが含まれていることが許せず、軽重の差はあっても現実に存在しているだろう民族差別を認められないからのような気がしてならない。日本中がそうした差別を許しているように見えると言って、全体を批判する偉い作家の人なんかもいたりする。

 だったらあなたたちは差別をしていないのかと問えば、向こうだって差別しているんだからといった言葉を繰り出して対等性を訴えてきそう。あるほどそういう傾向もあるけれど、それが差別を認めて良いことには絶対にならない。少しであるのならそれを指摘されればないようにしよう、相手にも似たような振る舞いがあったとしても、お互いになくしていこうと訴え続けようとなれば問題はないにも関わらず、問題化してしまうことがやっぱり根深い問題のような気がしてならない。SNSとう極端な意見が拡散され、狭い範囲からの熱い称賛を受けてフレームアップされる状況も乗って分断が進む。どうすれば分かってもらえるんだろう。分かってもらえるのを待ってられないから動かし続けるしかない。一助として。言葉を。

 アメリカで司法長官といったら国務長官や国防長官らと並んで大統領の身内な感じがするけれど、トランプ政権で現在の司法長官職を担っているウィリアム・バーが先のアメリカ合衆国大統領選挙では大がかりな不正はなかったとAP通信に語ったとかどうとか。国務長官や国防長官ほどは大統領の意向に左右されず政治性の薄い法務官僚のトップ的立場から、現実に不正なんてないのにあったとは言えないんだろうと想像するけれど、トランプ大統領の再選に向けてバイデン候補の不正が絶対必要だと考える勢力にはこれが気に入らなかった様子。司法省の報道官が否定のステートメントを発表したとか言った話を流して否定しようと躍起になってる。

 会見の場とかではなくインタビューでバー司法長官が語った言葉だから、拡大解釈なり意訳なりが含まれているかもしれないし、ねつ造だってあるかもしれないというのが否定の根拠だけれど、ねつ造しようが出勤停止になる程度の日本のメディアと違ってアメリカでそれをやったら社会から放逐されてしまうのは確実な重大時。本質はねじ曲げないと信じるならやはり言ったんだろう。とはいえ信じたくない病に罹った人たちは、又聞きの又聞きのような伝聞情報を並べてメディアのねつ造を訴えている。遠からずバイデン候補の当選が確定しても、闇の勢力によって投票結果が書き換えられたというあり得ない出来事が、実際にあったかの如く語られた情報をのみ信じ続けていくんだろう。厄介な病。付ける薬はなさそうで。


【12月1日】 事情はいろいろあったんだろうけれど、やっぱりどこか間が悪く見えてしまう大阪府の吉村洋文知事による看護師の派遣要請。今の大阪がそれだけ新型コロナウイルス感染症に脅かされていて、人命のために必要だから是非にどこか国でも自治体でも派遣に応じて頂きたいけれど、それが一段落した後でやっぱりこれまで吉村知事の出身母体となる維新が大阪市や大阪府で手がけて来た、スケープゴート的なコストカットによる看護師不足の問題なんかが改めて問われて責任も含めて追及されるべきなんじゃなかろうか。

 それというのも大阪府の医師会が運営していた看護師専門学校が、補助金を切られて運営が立ちゆかなくなり、2022年3月末をもって閉校になることが決まってしまった。もちろん大学なんかの看護学科があちらこちらにあったり、民間の看護学校もあったりして競争もあっただろうとは想像できるけれど、それでも世間に必要な存在なら維持につとめるのが社会的な冗長性といったもの。それが途切れるといざというときに逼迫から破綻へと向かうことは自明なのに、今が無駄なら未来も無駄だろうと切って格好良く見せようとした挙げ句、冗長性が失われた時に足りないと叫ぶから矛盾が出る。

 今はまだ学校があるのだから、今の看護師が足りないという状況は関係ないと言えば言えるけれど、これからずっと足りなくなるかもしれない可能性すらあるし、今後また足りなくなる場合もあるだろうと想像できる中で、決まったことだからと補助金を打ち切ったままにして、閉校へと追い込んで伝統やノウハウを途切れさせて良いのかどうか。そういう施策をとる自治体にどうして自分たちが育てた看護師を送り込まなくちゃいけないんだといった反発もあるだろうし、看護師を部品かなにかのように考えている首長の下ではんか働きたくないといった看護師側の思いだってあるだろう。そういう部分を知らん顔して反省もせず、対策も立てずに今が足りないからと叫んで通じるかどうか。そういう首長の下で医療崩壊にさらされ命の危険が取り沙汰される府民は大変だ。生き延びてください。

 そんな維新ともつながりがありそうな名古屋の河村たかし市長も大概というたたーぎゃーというか。例の大村秀章愛知県知事をリコーするぞと旗揚げをしたものの、旗色を見て撃ち方止めと勝手に叫んで前線で頑張っていた人たちからやれやれと思われた上に、集めた署名の中にどうにも不思議なものが大量に紛れ込んでいることを、運動の参加者たちから暴露され告発だかされてしまっている美容整形外科医の人と仲良く運動の先頭に立っていたことを挙げられ、署名がちょっと妙なんじゃないのと市議会か何かで突っ込まれた際に、それは美容整形外科医の人に聞いてちょと言ったとかどうとか。

 つまりは我関せずで、これには質問者の呆れたというか、あるいはそういう答えが返ってくるだろうと予想していたのかいやいや市長さん、運動では美容整形外科医の人と並んで先頭に立っていたのにそれはないんじゃないのと言われてしまっていた。受けてどういう顔をしたのか分からないけれど、傍目で見れば一心同体な関係にありながら、ヤバい案件だと見るとサッと身を翻す首長の下で名古屋市民は果たして安心して暮らしていけるのか。今まさに新型コロナウイルス感染症が猖獗を極めようとしている時に、飲食店がお可愛そうだからと県からの要請に逆らい営業を後押ししていたりするだけに、市民が可哀想とは考えていないのかもしれない。そういう名古屋にこの正月も帰れないのかなあ、やっぱり。こっちもあっちもヤバい日本で居場所は部屋の中だけってか。

 「スター・ウォーズ」のシリーズで最初にダース・ベイダーの中に入ってあの威容を世に印象づけて、映画史どころか人類史に残るだろう悪の権化を世の中に強く印象づけたデビッド・プラウズの死去について、しばらく袂を分かっていたルーカス・フィルムとジョージ・ルーカスがコメントを出して追悼した。ルーカスはツイッターにマスクをとってデビッド・プラウズが顔を出したダース・ベイダーの写真を載せて古い友だちだと告げ、そして「スター・ウォーズ」の公式サイトにもコメントを寄せて、「彼の高い身長とパフォーマンスがダース・ベイダーという存在を強く印象づけて、脚本の上からスクリーンの中へと現出させたんだよ」と振り返った。

 顔出しの画像というのには意味があって、ルーカスはデビッド・プラウズの訛りをきらって声をニール・アール・ジョーンズに頼みそして殺陣も他の役者を使ったことで、デヴィッド・プラウズという役者をどこかオミットしているところがあった。シリーズでは第6部だけれど公開順では3作目にあたる「ジェダイの復讐」ではマスクが外れてのぞいたルーク・スカイウォーカーの父、アナキン・スカイウォーカーの変貌した顔をセバスチャン・ショウが演じてデビッド・プラウズはただその身長と歩きのみが用いられたに過ぎなかった。

 それでもチューバッカのピーター・メイヒューはずっとチューバッカであり続けたし、R2−D2のケニー・ベイカーも中に入り続けたけれど、デビッド・プラウズはいろいろと意見を言いまたリークの疑惑もあったらしく遠ざけられてしまった感じ。挙げ句に公式から出入禁止にされてしまったらしいけれど、それだけにダース・ベイダーとして認められスーツから顔が見えている画像が使われていることには、死後の追悼に過ぎないとはいえ意味があると思いたい。個人的には当時のムックでも多分パンフレットでも、ダース・ベイダーはデビッド・プラウズだとすり込まれ声がどうとか殺陣が誰とか一切知らされていなかった。だから唯一だと思っていたデビッド・プラウズのこの復権を、当然の権利と思い喜びつつ改めてその死を悼む。あなたがダース・ベイダーだ。


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