縮刷版2020年10月中旬号


【10月20日】 お仕事のために、湯浅政明監督の「日本沈没2020」をざっと見て、小松左京さんが描きたかった、ディアスポラ(漂白)、国土を失って後の日本人がどうなるか、日本人とは何かといったテーマを初めてちゃんと描こうとした「日本沈没」じゃないかと思った。小説が大ベストセラーとなり、1973年の映画が有名になって、翌年のテレビドラマ版も好評だったけれど、いずれも日本が次々に破壊されていく中を、逃げ惑う日本人たちをメインにすえたスペクタクルとしてのパニック映画的な人気だった。

 いずれも日本は沈んでしまったところで物語は終わりとなって、小松左京さんが意図したディアスポラ的なニュアンスは、映画版のシベリア鉄道で走り去る女性といった部分に描かれて居た程度。テレビドラマ版は沈んだ海をバックにして去って行く船の航跡が見える場面で終わり、2006年の新しい映画版に至っては日本は沈まないと来た。そこにちゃんと描かれたディアスポラの物語。世界に溶け込んでいきる日本人がいて、狭いながらも海上に得た国土に寄り添い生きる日本人がいてと、固定化しないで幾つものパターンを描いて人それぞれに選べば良いといった雰囲気を見せてくれている。

 自分ならどっちの道を選ぶのか、といったところでそもそも最初の地震で本に潰され生き延びられない気もするけれど、それでも生き延びさせてくれるなら、そしてアニメのように世界が受け入れてくれるなら、世界に出て行くのも悪くはないかもしれないなあ。どうせどこで生きたって自分は自分なのだから。今だってそんなような身の上だし。映像としては自己犠牲をある程度の必然として描いているところが関心。KITEは使命感に加え優越感と自己肯定感の固まりとしてのYouTuber的行動だし、マムはもう幾ばくも無い命を捧げた感じ。先輩はそれができるのが自分だけだからという行動。必然としての行動に、必然とされる場が得られるのならあるいは自分はとも考えてしまう。いろいろ言われたけれど実に公平で前向きなアニメ。映画版も近く公開されるみたいだし、劇場に観に行こう、「鬼滅の刃」に推され公開規模が縮小されなければ。

 2015年からロボット最強を決める「電王戦」を勝ち抜いたAIと対局する人間代表を選ぶ棋戦として始まり、「電王戦」が終わった後、終了とはならず逆に2017年に八大タイトルに昇格したばかりの将棋の「叡王戦」から、主催のドワンゴが2020年の期を持って降りると発表。一般棋戦ですらたった3期での撤退はなかなかなだけに、タイトル戦にまで押し上げながらも引かざるを得ないほどにドワンゴの収益が滞っているのか、そもそもが川上量生さんの関心から始まったタイトル戦を維持させるほどには、角川歴彦さんの関心が持続しなかったのか、人絡みの想像もしたくなる。

 日本SF大賞の後援からも降りているだけに、いろいろと整理をしていることだけは確かだろう。ただ事業と直結しない日本SF大賞よりは、将棋中継という現在においてはドル箱とも言えるコンテンツを得られる「叡王戦」は主催して賞金を出す意味があった。それこそ竜王戦・名人戦に続く賞金総額から序列で3番目を得たほどに高額のお金をかける価値を感じていただけに、そこから退かざるを得ないほどに収益面が厳しくなっているのかもしれない。プラットフォームとして絶対を見越していたニコニコが思ったほど伸びていないか、むしろ縮小していることとも関係があるのかも。

 いや将棋中継だけなら需要はあるけれど、それをニコニコが独占できていた時代は過去で、Abemaが出て来てYouTubeを使ったチャンネルも増えて、棋戦を独自に主催しつつ将棋界との関係を深め、将棋コンテンツを独占するといった思惑も崩れてしまい、逆に棋戦を主催していることが足かせとなってAbemaほど自在に振る舞えなくなったのかもしれない。だから降りてフリーとなりつつ中継を強化していく、とか。それもありかなあ。気になるのは後継だけれど、序列3位の賞金を出してドワンゴのように、あるいは棋譜を独占して載せる新聞社のようにプラットフォーマーとしての意味を感じないなら、Abemaが引き受けるってこともないのかも。参入というニュース性も二番煎じな訳だし。

 かといってヒューリックが棋聖戦を降りてまで単独で獲得に乗り出すとも考えづらいから、ここは序列最下位となってしまって、棋譜を載せることにメディアとしての価値がもはや大きく薄れてしまった新聞の一角ともいえる産経新聞のヒューリック杯棋聖戦を収益を埋める意味も含めて“売却”しつつ、叡王戦と統合をしてせめて叡王戦くらいの賞金総額を維持してもらえるようにするとか。何しろ今の棋聖は藤井聡太二冠。すでに始まっている期で挑戦者となった棋士を退けタイトルを防衛してもらった上で、叡王と戦い棋聖叡王となるか叡王棋聖となるか、略して叡聖として両者を継承するタイトルとして続けば、日本将棋連盟としても万々歳だし、買う方も藤井聡太棋士がいるならを関心を示しそう。そうした“売り時”を捉え動くだけの経営力が棋聖戦の主催者にはあるのかな。逃せば次はないかもしれないのにな。

 女性ロックバンドの「赤い公園」で楽曲作りを担っていた津野米咲さんが亡くなられたとかで、どこかで聞いたバンド名だと振り返ったら春に放映されていたアニメ「空挺ドラゴンズ」でエンディングの「絶対零度」を歌っていたバンドだと気がついた。タキタがダンスをする絵がなかなかに面白くって、その背後に流れるテンポが自在に変化しメロディが切り替わる不思議な楽曲も印象に残っていたのだった。リードボーカルが元アイドルネッサンスの人だとも知って、大阪★春夏秋冬との対バンを観に行った身として懐かしく思った。津野さんの逝去はだから残念。コンポーザーとも言える人を亡くしてバンドはどうなっていくのだろう。気になる。


【10月19日】 週が明けて、興行通信社がまとめた週末の映画興行ランキングでは「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が当然のように1位を獲得したけれど、その数字が凄まじすぎて腰が抜ける。3日間での興行収入が何と46億円。最終的に250億円に達して歴代2位を記録した新海誠監督の「君の名は」は2日間で17億円で、これを1・5倍したところで25億円とかだから46億円には遠く及ばない。

 繰り返し見る人が多く現れてペースを落とさずに突っ走った「君の名は」とは違って、最初にぐわっと稼いであとは半分半分と下がっていくパターンで行くなら100億円に届くかどうかがひとつの目安になりそうだけれど、ムーブメントの中でいつもはいかない層が行くようになったら、案外に150億円くらいまで行ってしまうかもしれない。とはいえ初日からの3日間は多くの劇場で上映作品が「鬼滅」1本とかいった過去にない状態になって一気に稼いだところもある。コンセッションが使えないことを覚悟で座席を売り切ったことも数字をあげた。これで飲食も楽しんでもらおうと、新型コロナウイルス感染症の中での興行に戻して、席を空けるようになると一気に数字も下がってしまうかもしれない。

 それでもPG12の映画として子供に加えて親も必ずついていくから、動員だけなら結構な数字を稼ぎそう。他にかける映画もないとなると「鬼滅」を中心に回していくことも続きそう。そうした見合いを勘案した上で果たしてどこまでたどり着けるか。100億がやっぱり目安かなあ。それでもボン・ジュノ監督のアカデミー賞受賞差kう「パラサイト 半地下の家族」の47億円はあっさりと抜いて、2020年で最大のヒット作になるんだけれど。

 そんな「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」に抜かされはしたものの、相変わらず「TENET」は人気だろうな、話題沸騰の「スパイの妻」の上位に来るだろうな、角川春樹御大が久々にメガホンを取った「澪つくし料理帳」だってそこそこいくだろうなと思ってながめた興行ランキングで2位に入ったのがまるで知らない「夜明けを信じて。」という映画。どういうことかと瞬間思いつつ、あるいはとキャストを見て千眼美子さんの名前をみつけて納得。そしてあらすじ。「四国の小さな町に生まれた青年が、霊的世界の真実にめざめ、さまざまな人生経験を積み、やがて宗教家として立つまでの心の軌跡を描いた本作。製作総指揮・原作は大川隆法」。そういうことでした。

 「TENET」は3位でそれなりのポジションを維持しているし、「浅田家」「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」も4位5位と繰り下がっても順当な位置。期待の「スパイの妻」が6位というのは果たして正しいのかと思わないでもないけれど、まだ見ていないのでもっと上が相応しいかどうかはちょっと不明。時間を見繕って観に行こう。「みおつくし料理帳」は8位かあ。主演が松本穂香さんだけにどういう演技をしているかを見たいんだけれど、時代劇で見るのは過去にないからちょっと想像がつかない。「君は彼女」って近く公開のアニメ映画では声を当てているから、そっちでの演技ぶりにも期待したいところ。こうまで出まくっているのに橋本環奈さんみたいに騒がれないのは何だろうなあ。それがメディアの限界かなあ。

 「鬼滅の刃」といえば緑と黒の市松模様がトレードマークとなって人気の柄といてあちらこちらに利用されていたりする。集英社なんかは独特の意匠として登録しようとしているけれど、柄としては一般的過ぎるからちょっとやり過ぎな感じがしないでもない。ただ集客とかに利用されると作品の印象にも影響するから、抑えたいところではあるんだろうなあ。そんな模様をここは公式に、東京都が「鬼滅」とコラボして東京オリンピックに向けた観光ボランティアの衣装として採用した黒と青の市松模様を緑と黒に変えて提供すれば、やりたい人がいっきに増えるような気がするなあ。当時は散々言われた模様が今は最先端。コンテンツパワーってだから凄い。

 いやまあ、たいていのメディアはそれでも頑張っているんだけれど、とある自称するところの全国紙では1面コラムからして「日本語音読めない記者が書いたの?」と言われて呆れられていたりするから大変というかヤバいというか。その1面コラム、森友学園の土地売買に関して改竄が行われたことで、自殺された近畿財務局の人の上役が良い訳混じりに発言した、安倍晋三前総理からの支持はなかったけれど、野党の追及が鬱陶しいから改竄したという発言をそのまま引きつつ、だから野党が悪いんだというアクロバティックでエクストリームな結論へと誘導していたりする。

 そしてこう書く。「野党やマスコミは安倍氏夫人の昭恵さんも標的とし、執拗に証人喚問に応じるよう求めた。反省も示さず、いまなお正義の味方面する彼らの鉄面皮が理解できない」。いやはや南友。大阪日日新聞で編集局長をやっている、元NHKの記者だった人も「…私も理解できません。このコラムを書いた記者の日本語能力が。このコラムを載せた新聞編集長の知性と理性が」と呆然としている。結論の我田引水ぶりも凄まじいけれど、上役の発言が出たシチュエーションは良い訳に趣いた場であって、そして発言が出たのも随分と前。それがさも新しく明らかにされた新事実かの如くにとらえ、ソラミタコトカと書いてのけ、批判されても知らん顔できるその“鉄面皮”ぶり。やれやれだ。


【10月18日】 そして池袋の新・文芸坐で開かれた今敏総監督のテレビシリーズ「妄想代理人」のオールナイト。見渡すと本当に若い人が増えた感じで、とりわけ若い女性が多くいて、髪の毛が真っ赤だったり青いメッシュが入っていたりカーリーヘアをアップにしていたり飛行帽をかぶっていたりとサブカルなファッションだったりして、昨今の今敏監督ファンの広がりってものを強く感じた。亡くなられた直後くらいにシネセゾン渋谷で開かれたオールナイトもやっぱり若い人が多かったけれど、それから10年近く経ってなお若返っている。希有なアニメ監督だって言えそう。

 上映前に神アニメーターの井上俊之さんと、スタジオジブリ出身の安藤雅司さんのトークがあって、8割井上さんがしゃべってた。今監督の印象については「怖いというより厳しい人。それを隠さない。たいていは内心思っていても表面上うまくつきあうが、彼はとげを出す。刺さって次々人がいなくなる。我々は飛んでこなかった」。井上さんという神アニメーターですら畏敬するそのうまさ、本質を突く舌鋒の鋭さ。失われてこそ分かるその重さ。今さんのようなぬるさを嫌う人の場所にいたからこそ、今の自分があるとも言っていたから相当に強い敬意を持っているってことなんだろう。

 井上さんは、「Memories」でいっしょに仕事をしながら今監督が森本晃司さんとともにレイアウトを描いている状況に入り込んで、2人とも超上手くてそのせいでしばらくレイアウトに苦手意識があったらしい。「人狼 JIN−ROH」のころまで続いたけれど、沖浦監督から頼まれレイアウトも面倒見るようになって、今監督のレイアウトをじっくり向き合って良さを盗もうとしたことで、今はレイアウトは苦手ではなくなったという。今さんとう壁を乗り越え取り込むことで神にすら成長を促す。そんなクリエイター不在の10年がどんな影響を及ぼすか。考えるといろいろ震える。

 一方の安藤さん。「妄想代理人」ではキャラクターデザインを担当しているんだけれど、その前、『「東京ゴッドファーザーズ」の頃から今敏監督の作品に関わるようになったとかで、その時の思いとして「怖かった。自分から門戸をたたいたから」といった話をしていた。今さんのところにはすでに同じジブリで働いていた小西賢一さんがいたから、伝を頼って「やらせて欲しい」と申し出たとか。「使えなかったらそれっきりで良いという覚悟」だったらしい。

 かといって、そんな気軽さで臨んだかというと「プレッシャーはあるよね」と突っ込む井上さん。「ジブリで作画監督をやっている人間が来たんだよね。道場破りのように。『もののけ姫』の作画監督ってこんあのと言われたら」なんて思ったんじゃないかということで、井上さんとはまた違った緊張感もあっただろう。幸いにして受け入れられ、「妄想代理人」ではほぼゼロからキャラクターを任せてもらえたとか。面白がってもらえたのならそれはもう十分。そんな安藤さんですら「レイアウトなんて描けるんだろうか」といった思いは抱いていた。

 とはいえ、「東京ゴッドファーザーズ」あたりになるとコンテを拡大すればレイアウトになるというか、レイアウトを縮小してコンテにしたようなところもあったから、なぞるだけだったとも。そうなると競い高めるといったこともなくなってしまう。井上さも初期の頃の今監督は、周囲にそれでも気をつかっていろいろと任せるようになったことで、独特の拘りだとか特徴が薄れていって良さがなくなってしまったって話してた。

 安藤さんはそれでも充分、初期から付き合っていたからですよと突っ込んでいたけれど、そうしたクリエイティブへのちょっとした姿勢の違いを、見極められるのは紙アニメーターだからなんだろうなあ、「ジョジョの奇妙な冒険」での今敏演出回での望遠レンズの使い方を絶賛していたから。ジブリでも話題になったらいしその画面を僕はまだ観たことがないんだ。どうやったら見られるんだろう。探してみよう。

 途中で意識を失いつつも朝まで見てから帰ってちょっとだけ寝て、久々にフクダ電子アリーナになでしこリーグ1部のジェフユナイテッド市原・千葉レディースと伊賀FCくノ一三重との試合を見に行く。188センチもあるゴールキーパーの山根恵里奈選手が海外から戻って復帰したからどんな感じになったか確かめたくて行った感じで、先発した山根選手は殺陣への動きも左右の動きも万全で俊敏。そして足下も危なっかしさが消えてソリッドなゴールキーパーになっていた。声も良く出てコーチングも充分。日本代表なでしこジャパンの合宿によばれているそうなんで、そのまま代表復帰もあるかもしれない。まずはリーグ100試合出場おめでとうございます。試合は美しい大滝麻未選手の折り返しとぶち込んだ美しいゴールで抜け出し2対1で勝利。やっぱりサッカーは面白い。

 偶数ではない半端な数なのが気にかかるけれど、11チームはまあ順当なところが入っている感じ。マイナビ仙台レディースはベガルタ仙台のレディースでその前身的なものは東京電力女子サッカー部マリーゼだからそれなりに歴史もあるし、浦和レッドダイヤモンズレディースに日テレ・ベレーザもJリーグのチームのレディースで強豪。アルビレックス新潟レディースもJリーグのチームのレディースで母体はしっかりしているし、強さもあるからジェフレディースにとっては要注意ってことになる。

 ちふれASエルフェン埼玉はASエルフェン狭山として埼玉での女子サッカーの歴史を刻んできたチーム。大宮アルディージャは知らなかったし埼玉で3チームの入って静岡からは入らなかったりとバランスが悪いけど、静岡で強豪だった清水鈴予はもう活動をしておらず見渡して強豪がいない。そしてアルディージャはFC十文字VENTUSは女子サッカーの強豪、十文字中学校・高等学校サッカー同好会がルーツにあるだけに、十文字学園からの選手も良いのが張ってきて強そう。何よりあの佐々木則夫元監督がスーパーバイザーを務めているそうだから、外すわけにはいかなかっただろう。

 逆にJリーグのチームのレディースでセレッソ大阪堺レディースが入っていないのが気にかかる。頭からはINAC神戸レオネッサが参加するとはいえ、かつての強豪でパナソニックを源流に持つスペランツァ大阪高槻も入ってない。L・リーグ時代からの懐かしい名前では同様にプリマハムが源流の伊賀FCくノ一三重がなでしこリーグ一部に所属していながら落ちてしまった。それとも降りたのか。判然としない。2部からはAAC長野パルセイロが入って中部代表みたいな居場所を得たけれど、東海からもやっぱり入ってくれないと寂しいなあ。

 そして広島。ずっと活動しているアンジュヴィオレ広島が入らず見たことなかったサンフレッチェ広島FCレディースが入ってきた。ここはいったいどういう判断があったんだろう。NPO法人でプロを目指さずそこそこの規模でやっていくことを決めたんだろうか。とはいえサンフレッチェがゼロから女子サッカーチームを作る以上は声がけなんかもあるだろうなあ。もう1つある女子チームも含め再編とかあるのかな。WEリーグは他にノジマステラ神奈川相模原が神奈川代表として参加。横浜FCのレディースは申請しなかったのか落ちたのか。千葉からオルカ鴨川が加われば「まるっ!」ってなるんだけれど、果たして。


【10月17日】 「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」はTOHOSシネマズ新宿のIMAXレーザーで見たけれど、流れてくる噂だとIMAXの画角になっていたって話で、それ用に作ったのが両端を削ったのかやっぱり普通の画角だったのかといった話が乱れ飛んでいる。確かめるにはまた行くしかないのかな。ラスト近くで煉獄杏寿郎とその母親が、画面の両端に別れ向かい合うワイドなシーンがあったけど、ギリギリ感はなかったから削っているってことはないんじゃないかなあ。それも含めて再見必至。

 そんな「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が上映される前に流れたのが「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の特報3.0。6月に上映が決まってしばらく流れていた、アスカとシンジと綾波タイプが歩く映像だとか、去年に発表されたパリでのバトルを描いた冒頭だとかでは見られなかったアスカとマリの白いプラグスーツ姿が登場して、ただでさえ体に張りつくスタイルが余計に強調されていてなまめかしさが増していた。そんな恰好で動き回る姿を巨大なスクリーンで見られるだけでもワクワクしてくる。ストーリーはまったく不明だけど、だからこそ2021年1月23日に劇場にかけつけるしかない。本当に終わるのか。想像するだけでドキドキしてくる。

 窓際から埋もれていたラジカセを掘り返して電源を入れ、復活させてFMラジオを流すようになってよく聞くのが、最近亡くなった筒美京平さんの楽曲。いろいろな番組でパーソナリティが有名な楽曲をセレクトして流しているけれど、凄かったのばbayfmで「9時の音粋」という主に日本の楽曲を流す番組の、木曜日のパーソナリティを務めているクリス松村さんによるセレクト。元より日本のポップスに異常なまでに通じていて、山下達郎さんらシティポップをメインにグループサウンズから歌謡曲からロックから何から含めて、その謂われまで情報を詳しく教えてくれる。

 そんなクリス松村さんだからこそ、筒美京平さんのヒット曲でも意外なところを持って来てくれて、何かはプロモーション用のディスクだったりして聞いて違いが分かるかというと分からないまでも、そこまでコレクションしているからこそ語れる言葉があるんだってことが伝わってくる。日本レコード大賞を獲得した尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」は英語版。英台を言われて最初は気付かなかったけれど、流れたイントロからああこの曲かと了解したのも束の間、歌詞が英語だったので驚いた。そういうのがすぐ出てくるところがやっぱり凄いクリス松村さん。木曜午後9時はこれを聞いて夜を過ごそう。

 とある原稿のためにと昔取材した時のメモを引っ張り出す。原恵一監督がサンライズの代表だった内田健二さんと対談した時のメモで、サンライズが作った「カラフル」というアニメ映画で原監督が絵コンテをしっかり描いて、それこそ音楽のタイミングまで指定していたことを明かしていた。曰く「ここだと思って絵コンテはかなり注意深く描いた。音楽のタイミングも絵コンでで描いている」とのこと。「そこまで自分で出来るから絵コンテは大事だ。絵コンテを描く人は、音楽のことまで考えて描こう」とまで言うのは、そこが映画作りにおいて基点になると考えているからだろう。

 原監督というと映画「百日紅=Miss HOKUSAI」で絵コンテを描いては消す場面がメイキングに移っていた。何度でも描き直して望むものに近づけていく。逆に「自分で絵コンテを描かないと思ったような物には近づいてくれない。僕は昔から絵コンテである程度形を作っていく。それからズレないように絵が仕上がってくれれば、だいたい自分の思っていた通りの形に近づく。逆に絵コンテでおろそかにした部分は取り戻せない」。演出に徹して絵コンテは別に任せる人もいるけれど、原監督は自分でイメージをコントロールしようとする。

 「絵を描く人が上手いと期待をしても、絵コンテのダメな部分が残ってしまう。だから、遅い遅いと思われても、時間がないから出してしまえということはしない方が良い。描かないとダメだ」とも。井上俊之さんのように、どんな絵でも描ける人が参加することが多いけれど、それでもイメージは自分で整える。雪がばさっと落ちる「百日紅〜Miss HOKUSAI〜」のお参りのシーンは、絵コンテでえどう描いているのかなあ。見返してみたくなったけど、絵コンテってどこかにあったっけ。調べてみよう。

 はははははは。とあるシンクタンクのコラムが「当初の原稿では『学術会議幹部は北大総長室に押しかけ、ついに2018年に研究を辞退させた』としましたが、学術会議幹部が北大総長室に押しかけた事実はありませんでしたので、『学術会議からの事実上の圧力で、北大はついに2018年に研究を辞退した』と訂正します」と書いて来た。虚構を根拠に書いたコラムが吹っ飛んだにもかかわらず、事実上の圧力と不確かな根拠から残すところに、是が非でも日本学術会議を貶したい意思が伝わる。

 同じシンクタンクでは別の人が、中国と協力関係を結んだのだから、中国に軍事技術の情報が流れていると言わんばかりに書いているけど、これは日本学術会議が否定し、国会で騒いだ議員も否定した。にも関わらずその議員の言を引っ張って無根拠の批判を続けるあたり、言い続けることで信じる人だけを集め成立させるライティなメディアの生存戦略が見てとれる。それがだんだんと適用範囲を広げているから厄介なんだけど。困ったなあ。でもそれが今のこの国なんだ。未来はやっぱり暗いかな。気分を吹き飛ばすために「妄想代理人」のオールナイトを見ていこう、って吹っ飛ぶのかそれを見て。


【10月16日】 日本ABC協会がまとめている、新聞の発行部数についての数字が流れて来て、見たら2020年の8月で朝日新聞が500万部を割ったりしていて、流れとはいえある種の壁を越えた感が漂う。1年で43万部近い状況は49万部の西日本新聞にほぼ匹敵。ひとつのブロック紙が消えてしまうくらいに新聞経営を取り巻く環境は厳しさを増している。読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞の全国紙を標榜する5紙合計だと、1年で減った数字は150万部ほど。こちらは産経新聞の部数を上回っている。そりゃあつぶれかけもするし、ボーナスもゼロに近づく訳だ。

 新型コロナウイルス感染症の蔓延で企業がオフィスを閉じ始めていて、それに伴いとっている新聞も減ったらさらに……。来年はいよいよ本当に店じまいをする新聞も出てくるかもしれないなあ。見ると毎日新聞が209万部で日経新聞が206万部、そして中日新聞が208万部。経営が同じ東京新聞が41万部あるから足すと250万部でもはや毎日新聞を上回っているとすら言えそう。産経が東京で51万部だから遠からず東京新聞に抜かれるかもしれない。となると最初に消えるのは……って想像しても詮ないか。

 まあ、1面の看板とも言えるコラムで割とライティで政権擁護が大好きなシンクタンクに書かれた、北海道大学が防衛省の安全保障技術研究推進制度に応募していたというので、日本学術会議の偉い人たちが乗り込んでいってやめさせたというコラムを真に受けて、引っ張って引用したらそうした事実はないとコラム主に撤回されて、別の日に関係のない文章の末尾1節をつかって訂正するほど。1文で形になるコラムにお詫びをぶっこむ無様な構成を書く記者も乗せる新聞も、どこか美しさを欠いている。こうしたスタンスが読者を狭めた結果としての今があるのだけれど、それでも変わらないスタンスが招くのはいったい何か。答えが出る日も遠くないかなあ。

 朝も午前6時に起きて家を出て、TOHOシネマズ新宿で「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」を見る。1館のほとんどが「鬼滅」を上映しているというとてつもない事態であるにも関わらず、1時間早い午前7時からの上映も含めてだいたいがいっぱいの状態で走っていて、いったいどれだけのファンがいるんだと驚きつつも、それだけムーブメントになっているんだと改めて確認する。朝で平日だからPG12で子供だけでは見られない映画に親といっしょに来ている子供はまだ少なかったけれど、土曜日曜はこれが一気に出てくる訳で、劇場は親という一般料金を確実に1人引き連れて、いっぱいの子供が押し寄せててとてつもない状況になるかも。興行収入的にはやや減か。それを上回って全子供が全集中して来場するか。劇場を覗いてみたいなあ。

 お話しの方はさすがにユーフォーテーブルが手がけただけあって迫力いっぱい。ストーリーについては原作の漫画といっしょだからあとはどう見せるかというところにかかっていたけれど、決して長くはなくってエピソード的にもそれほど詰まっていない展開を、静謐に丁寧に見せていって子供でも理解が追いつくようになっていた。夢での場面は竈門炭治郎の場合は家族との再会と離別が核になっていて、心を揺さぶるけれども吾妻善逸は禰豆子ラブさを前回にコミカルなパートになっていたし、嘴平伊之助は自分がボスで炭治郎ら子分をひきつれ洞窟探検とやっぱりコミカル。そうした場面で子供をホッとさせつつ家族というテーマをじっくり見せて、親と来ている子供に改めて自分の居場所を分からせる。

 そして待ち受けたバトルの果て。ホッとしたところに襲ってくるピンチに立ち向かう炎柱、煉獄杏寿郎の立ち居振る舞いがとにかく格好良かった。初登場時は単純な正義バカといった風体だったし、映画でも弁当に「うまい」としか言わない妙な兄さんだったけれど、その中に通った正義の炎、そして弟や父親、死んでしまった母親への思いがいっぱいにつまって終盤に向けて溢れ出してくる。どこまでも気高くて純粋で炎以上に熱いその生きざまに、分かっていても目頭がジンとしてくるからたまらない。大人でこうなら子供なら。煉獄さん大好きな女の子ならどうなるか。そんな姿を確かめる意味でもやっぱり子供がいっぱいの環境で、また映画を見に行こう。特典が変わればそれを狙いに。


【10月15日】 iPad miniのセッティングを明け方まで。メールを設定しても落ちてこなかったりする状況に苦闘したものの、よく分からないうちにアクセスできるようになったので今回はいつも使っているベッコアメと、Gmailをセットして手元で見られるようにした。朝日ネットのメールアドレスに一時期、毎日100本を超えるスパムが送りつけられて大変だったけど、この数週間ですっと落ち着いてたから入れても良かったかな。LINEは暗号化されて見られないのがあったりするのが厄介だけれど、元から仕事関係の連絡でしか使ってないから関係ないか。次にぶっとぶ時のためにPCのバックアップを早いところとっておこう。しばらくは大丈夫だと思うけど、鬱気が蔓延るとバックアップをとることすら億劫になってしまうから。

 調べに行ったことがない国会図書館の6階にある食堂が、10月20日をもって閉鎖になるとかでちょっとした話題に。メガカツカレーというメニューがあってお皿ではなくトレイに盛られたくらいの量で1000円くらいというのは、なかなかにお腹に嬉しいメニューだったかもしれない。1度くらい食べたかったけれど今は行くのも抽選制らしいし行く理由もないから食べずに終わることになりそう。閉鎖になったあとの食事はどうなるかが心配で、来場者は時々だからお弁当を持ってくるなり我慢して外で食べれば良いけれど、働く職員の人たちは食堂を利用していたのならちょっと困ることになるのかな。別に職員用の食堂があるんだろうか。これでUberEatsとか出前館を利用可能にして、入口で受け渡せるようにしたら賑わったりするんだろうか。今の改革大好き大臣に合理化につながるからとアピールしてみては、いかが。

 何かのための覚え書き。原恵一監督のアニメ映画「クレヨンしんちゃん 嵐をよぶアッパレ! 戦国大合戦」を原作にしたような実写映画「「BALLAD 名もなき恋のうた」がDVDとかで出た時に、山崎貴監督にいろいろと話を聞いたのだった。やっぱり尋ねたのは原恵一監督の映画が好きだったのかというところで、答えて山崎監督は「『クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』は『ALWAYS 三丁目の夕陽』の時に拝観たのかな。ここでは僕は敵側の人間だね」と話してた。<「大人側の人間。三丁目を否定するような映画だったから」とも。ノスタルジアに浸るんじゃなく今を生きようっていう話だった。

 自分から見たというよりは「『ALWAYS』を作った時に、『オトナ帝国の逆襲』を観た方が良いと言われたからで、その時についでに『戦国大合戦』も見たんです。2本が良い、素晴らしいと言われたから。そこで『戦国大合戦』に引っかかりました」。そういう意味では「三丁目の夕陽」があって「BALLAD」につながって感じになる。アニメ好きかというと「アニメが好きな人に比べれば、ほとんど見ていないに等しいかな。原さんのテイストでは『戦国大合戦』は本当にびっくりしました。観る前までは舐めていました。これを実写にするのは大変かと言われれば、2Dだからできることというのがあるじゃないですか、それを実写世界でやると相当に大変いなると覚悟していました。やっぱり大変でした」。実写で出来るからといってアニメでやる意味が無いという訳ではない一例。だからアニメは面白い。

 中国が優れた海外の研究者を招へいして科学技術力の向上につなげようとしている「選任計画」が、日本の技術流出につながっているんじゃないかといって日本学術会議の新会員の6人が排除された問題を学術会議側の瑕疵にするべく、跋扈している人たちが中国に好意的な学術会議だと批判し中国に協力する学者をそれこそ非国民的な感覚で非難し始めている。でもなあ、今時の研究って中国の方がはるかに進んでいたりする訳で、世界中から千人もの人を集められる資金力を国内にも振り向けて、ガリガリと研究を積み重ねていたりする。それが軍事面に応用されることもあるけれど、産業だとか科学だとかに利用されていつかノーベル賞の連発を生むことに繋がりそう。

 そんな中国に比べて日本は学術研究の費用がどんどんと削られ青息吐息。今は相次ぐノーベル賞も高度経済成長時代のたまもので、それらが削げた5年後10年後にはもう地盤沈下が進むだろうと言われている。そんな日本からお金をもらえないといって学者が逃げ出すことは止められない。止めたいのなら中国に負けないお金を払い囲って研究させるしかないんだけれど、それはしないで出て行くなとだけ言う日本の将来はいったいどうなるんだろう。笑ってばかりもいられない。産業が衰退すれば収入も減って生きていくのも大変になる訳だし。これでデフレが起こって財産が倍になったらそれは嬉しいかな。そんなことにはならないだろうなあ。やれやれ。


【10月14日】 記者が検事長を賭けマージャンをして問題鳴った際に、言われたのが流石に賭け事という法律違反は拙いけれど、外出自粛といった法律には定められていない状況の中で、取材相手を接待するような形で送り迎えをして密着し、親しくなってコメントを取ったり、雰囲気を感じ獲ったりすること時代は取材の範囲として問題はなく、むしろ相手の懐に飛び込むという難しい取材を成し遂げた、天晴れな記者だといった擁護が飛び出した。そうした側面は確かにあって、参加していた新聞社もそうした要素をちらつかせては記者と会社を擁護していた。

 ただ、そうした取材で得られたことが果たして記事となって世に出たかというと微妙なところ。そうしなければ得られなかった情報でもなければ無意味だし、そういう状況でしか情報が得られないような雰囲気を助長していたとしたら、いったんはリセットするなりだんだんと後退をさせて、情報は正統な形で得るものだと取材側、取材相手がルールを心に決めて臨むような雰囲気にしていかなければならない。そうでなければメディアだけがどうして記者クラブのようなものを結成し、取材相手に近づくことができるのかといった、知る権利の代弁者としての立場を恣にしていることになってしまう。

 菅義偉総理が朝に記者たちを呼ぶような形で開いた懇談会に、朝日新聞の記者が欠席をしてそういった取材には応じない姿勢を見せたのは、賭けマージャンの席に元記者がいた反省にたって取材の正常化に努めようとしていた態度として、天晴れと思った人もいたけれど、それから数日が経って改めて開かれた懇親会に、官邸取材キャップが参加してなおかつそのことを、「首相に取材をする機会があれば、できる限り、その機会をとらえて取材を尽くすべきだと考えています。対面して話し、直接質問を投げかけることで、そこから報じるべきものもあると考えるためです」と正当化していて腰が砕けた人も多そう。

 だったらまずはその場で何が語られたのかを、余さず記事にするのが知る権利を付託されたメディアとしての国民への矜持であるはずだけれど、そうした気配はあまりない。あるいは顔色なり立ち居振る舞いなから感じたことがあって、それが事後の取材に役立っていると言うのかもしれないけれど、首相という公人中の公人が密室で一部に何かを見せて良しということになって、公衆の面前に顔色を見せ立ち居振る舞いを示すような機合から逃げる良い訳にされているのだとしたら、やはり応じず他者にも応じさせないようにして、話す場を設けて話すことこそが正しいのだと思わせるべきだろう。

 そうした動きに逆行し、旧態依然と容認するようなこの一件こそが、取り込まれ混ぜ込まれてしまう今のメディア状況を表してるような気がする。そして政権は日本学術会議の会員一部拒否の問題を本質からずらし、長引かせる中でウヤムヤにしようとしつつ、一方で政府が力を示せば排除されるのだといった雰囲気を世に示した上で、中曽根元総理の政府と自民党による合同葬の際に、全国の国公立の学校に弔旗を掲げさせ黙祷などの弔意を示させるよう求めたという。過去にも行われたことらしいけど、今は逆らえば予算が削られるなり、大学の運営に携わる人事が左右される可能性が強く示されている。逆らえない空気で世を縛るこの動きを、跳ね返すには抜け駆けなんて許さないことだけど、メディアが率先して抜け駆けを行い良い訳までしている。どうしたものか。どうしようもないのか。やれやれだ。

 日本SF作家クラブの新会長に声優だけれどSFの批評も多く行っている池澤春菜さんが就任したことに、異論を唱えている人がいてそれと丁寧に意見を交換していく中で、評論家などが日本SF作家クラブの会長にはなっちゃいかんという意見があって、なるほどそれだと日本推理作家協会も中島河太郎さんが会長に就任した際に、いろいろと言われたんだろうかと思ったのだった。というか日本SF作家クラブは創設時に会長がおらず、福島正実さんが実質的な会長とはされながらも、事務局長が前面に立って仕事をすることが多かった。

 中でも万博のような大きな出来事で世間を相手に大活躍し、国際的なシンポジウムを実現したのが大伴昌司さんだったことは知られている。作家ではなく編集者といった立場で会を率い会員をまとめあげた成果が今の日本SF作家クラブの社会的な存在感を確立したのだとしたら、池澤さんが会長になることではなく、池澤さんが会長としてなにを為すかが問われるべきだろう。そのことを池澤さんは決意表明の中で語っている。たった2年しかない任期の中、忙しい本業に平行してどれだけのことを成し遂げてくれるのかを、今から楽しみにして見守りたい。末席では協力できるのはこうと言うくらいしないのが寂しい。頑張ろう。

 iPad miniは電源が立ち上がらずデータのバックアップもできないまま、交換というか新型の購入へ。25GBのipad mini5でAppleCareも入れたら8万円ちかくになって、ひどい出費だけれどそこは自由業、経費として落とせば何とかなるかな、ならないかな。バックアップは今年1月からとってなくって、それも壊れているのか流し込めない状況があり、それ以前にitunes事態が壊れていたりして快復のためにリペアソフトを使ったりして出費が嵩んだけれど、メールの環境とかLINEの環境も整えどうにか使用可能な状況に。エロサイトへのブックマークも吹っ飛んだけれど、そうやってリセットをすることで観なくなるからもっけの幸い。ドパミン増やしていることもあって気分がダウンにならずに済んだ。あとはちょこちょこ設定を整え、どうにか使えるようにしていこう。


【10月13日】 自分で最初に買ったレコードはたぶん中学1年生の時で映画「スター・ウォーズ」を観て大感動をした流れで、テーマ曲が入ったドーナツ盤を買って家のプレイヤーで何度も聞き返した。B面は酒場でかかっている楽曲でこれもなかなか賑やかだった。自分で最初に買ったLPレコードは山下達郎さんの「ON THE STREET CORNER」で、まだ1とか2とかつく前の、ライブ会場がジャケットになったものではない街の写真が使われていたものだったかな、これもやっぱり聴いたなあ。SF映画に山下達郎さん。どちらも自分の血肉になっている。

 そんな自分が最初に買ったポップスのレコードが、1984年に放送されたアニメ「重戦機エルガイム」の2ndシーズン主題歌となった鮎川麻弥さんによる「風のノーリプライ」だったっけ。1stシーズンが前作の「聖戦士ダンバイン」から続くMIOさんによる主題歌で、重々しくも迫力のある主題歌が良かったけれど、鮎川さんはさわやかで美しくって透き通っていて、ファンネリア・アムとかクワサン・オリビーとかガウ・ハ・レッシーといった女性キャラクターたちが頑張るアニメに似つかわしかった。その「風のノーリプライ」を作曲したのが筒美京平さんだった。

 何しろあの「サザエさん」の主題歌を作曲して、たぶん世界でもっとも多く放送されたアニメの主題歌としてギネス世界記録に認定されても不思議がないくらいの存在だった訳だけれど、他のアニメの主題歌となるとNHKで放送された「スプーンおばさん」のオープニングとエンディングを手がけて飯島真理さんが歌っていたくらいかどうか。「重戦機エルガイム」は富野由悠季監督作品にあって珍しく手がけた口で、MIOさんの1stシーズンの主題歌も、エンディングの「スターライト・シャワー」も手がけていた。とはいえ以後、手がけてはおらずどうして1回限りで終わったのか、ちょっと聞いてみたい気もしていたりする。残されたこれらが名曲なのはさすが筒美さんといったところか。永遠に聞き続けていこう。ありがとうございました。

 会社を辞めたものの行き場が見えずに沈み込んでいたこの1年半の間、気分をとにかくそらそうとiPadを手にしたらアクセスしていたのが「荒野のコトブキ飛行隊 大空のテイクオフガールズ」というゲームで、少しずつパイロットたちを鍛えて大勢をレベル100までたどりつかせていった。時々更新されるストーリーではアニメーションで描かれるコトブキ飛行隊だけではなく、カナリア自警団とかゲキテツ一家といったさまざまなチームのメンバー達のなりたちを、掘り下げて描くようなドラマを味わいながらそれぞれに好きなキャラクターを見つけてのめりこんでいった。

 カナリア自警団だと人間の皮を被った猛獣と評判のミントだし、ゲキテツ一家だと可愛いんだけれど悪辣で、ニコを相手にふてぶてしい態度を見せるシアラだ妙にお気に入り。怪盗団アカツキだと美しいものに目がないリガルが顔立ちとか性格が好きだったなあ。そんな「荒野のコトブキ飛行隊 テイクオフガールズ」がいよいよサービスを終了とか。最近そういえば新しいメニューがなくて同じようなゲームを繰り返してばかりだった。もしかしたらと思っていたけどやっぱりということで、寂しさがじわじわと募ってくる。

 映画も公開されて藤原啓治さんが演じたサネアツの勇姿に再会できたばかりだったのに……。どうにも残念で仕方が無いけれど、結構な人気で長く続けられてきた「グリムノーツ」だてサービスが終了して、永遠なんてないってことを分からせてくれたっけ。ちょっと早い気がするきえれど、いつか来る終わりが今来たって思えば残る期間を精いっぱい、楽しむのがファンとしてのけじめなのかも。沈む気持ちを維持してくれた心の栄養剤だったこのゲームが、なかったら今ごろどうなっていただろう。そういう意味では命の恩人かもしれない。ありがとう。そしてさようなら。また会う日まで。

 宮内庁が「閣僚名簿は参考資料、見ていない」って言って内閣が出して来た組閣の名簿を拒絶して、気に入らない大臣を認証しなかったらそれこそ大騒ぎになるだろう。そうはしないで決まったことなら認証するのがこの国が回ってきたひとつの理由。にも関わらず、内閣は日本学術会議が出してあとは総理大臣は認証するだけだった会員の推薦名簿について「推薦名簿は参考資料、見ていない」と言ってしまって誰もがひっくり返った。

 あれは参考資料ではなく公文書。それが途中で6人が削られていたんだったら、それこそ手続きが無視され法律が蔑ろにされた現れだろう。口にするのも恥ずかしい文言を、官房長官が会見で堂々と語って知らん顔するこの国の政治は、そして政府はやっぱり何かが間違っている。それを認めずだんだんと、ズラしてちょうらかしてもう良いやと思わせウヤムヤニしてしまう前政権からのメソッドが、目下炸裂中といったところか。やれやれだ。


【10月12日】 池田明季哉さんの「オーバーライト2−クリスマス・ウォーズの炎」(電撃文庫)もやっぱり英国のブリストルでのグラフィティーの物語。反権力と自由文化の象徴たるグラフィティーも違法な落書きという面は否めず、第1巻「オーバーライト−ブリストルのゴースト」で得たブーデシア勝利後も、グラフィティーへの批判の火は燻り続けている。そこに盛大にガソリンがぶっかけられる。ミュージシャンのガブリエルがグラフィティーを憎みブリストルのゴーストを憎んで煽り批判を誘う。

 相次ぐグラフィティーへの毀損とライターへの暴力。そんな状況の中、ヨシに転機が訪れる。日本でデビュー間近のバンドのギタリストだったけれど、バンド仲間に魂がないといわれ落胆し、逃げ出すようにして英国に留学したヨシは、ブーデシアを通してグラフィティーを知って好感を抱くようになった。そのヨシをグラフィティ排除を訴えるガブリエルがライブに誘う。加えて日本からヨシが英国行きを決めた言葉を吐いたバンド仲間のネリナが来て引っかき回す。

 倒的有利そうなガブリエルだけど、ライターを束ねるララや、ヨシにグラフィティを教えたブーは勝てるのか。そんな構図から浮かぶ、グラフィティが置かれた決して讃えられてばかりではいない状況、それでも描く意味とは何なのか。そして……。グラフィティの勝利からグラフィティの不穏、それでも求められるグラフィティの魂を描きつつ音楽も含めたアートへの関心と必要性も問い、グラフィティと音楽のどちらが劣って優れているかではない、人を刺激し昂ぶらせる文化を絶やさない大切さを問う物語だ。

 阿呆じゃなかろうか。それとも戯けだろうか。とある自称するところの全国紙でワシントン駐在客員特派員をしている人が、とあるネット媒体で安倍晋三前総理に対して「ウソつき」とか「バカ」と言った日本学術会議の元会長を批判する文章を書いているんだけれど、ここで「特定の個人に対しての『バカ』とか『ウソつき』はヘイトスピーチ(憎悪表現)ともなりかねない」と書いていて口あんぐり。なりません。

 なるほど個人に対する誹謗ではある一方で、権力者に対する批判でもあって名誉毀損が成立するか怪しいところ。なおかつ記事でヘイトスピーチの意味として、百科事典的なものを引用して、「主に人種、国籍、思想、性別、障害、職業、外見など、個人や集団が抱える欠点と思われるものを誹謗・中傷、貶す、差別する言葉」を指すものと説明しながら、総理という権力者に伴う立ち居振る舞いの至らなさを、批判しているだけの言葉をヘイトスピーチに当てはめてしまっているからたまらない。

 書いていて違和感を覚えなかったのか。乗せておかしいと思わなかったのか。とあるネット媒体を運営しているのは、自称するところの全国紙が所属するメディアグループのテレビ局で解説委員をしていた経歴を持つ人だけれど、別にグループを挙げて安倍総理を守ろうという感じというよりは、個別に安倍総理が大好きというか安倍総理を批判する奴らが大嫌いな感性の人たちが、群れてカウンターの誹謗を行っているといった感じだろう。もちろん言葉として「ウソつき」とか「バカ」というのは美しい言葉ではないし、好ましい言葉でもないけれど、権力者に向けられるそれらを、ヘイトスピーチと言ってしまって平気な感性が、蔓延り続けるのはやっぱりどうにも居心地が悪い。かといって止められないしなあ。自然に潰えていくのを待つしかないのかなあ。

 作曲家の筒美京平さんが死去。80歳だからまずまずの往生とは言え、長くその作品に親しんで来た世代としてはやっぱり残念でならない。あのジュディ・オングさんによる「魅せられて」とか近藤真彦さん「スニーカーぶる〜す」「ギンギラギンにさりげなく」なんかを作曲して、一時代を築いた作曲家。売り上げたシングル枚数は7000万枚を超えて日本最高というからこれはやっぱり一大事ってことになるだろう。とはいえシンガーでもあった平尾昌晃さん、アニメ方面で名があった宮川泰さんなんかに比べると、刺さり方は少し浅いかも。そこはだから流行歌、歌謡曲の俗っぽさに埋もれてしまう悲劇でもあるか。

 そんな筒美さんの年代別シングル売り上げが興味深い。1990年代までは「ブルーライト・ヨコハマ」にしても「魅せられて」にしても近藤真彦さんの楽曲にしても岩崎宏美さんの「ロマンス」にしてもだいたい歌えるのが、2000年代に入ってTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」にしても安倍麻美さん「理由」にしても、聞けば思い出すけどイントロから歌えと言われると迷ってしまう。2010年代に至っては、前嶋亜美さんの「センチメンタルジャーニー」こそ松本伊代さんのカバーだから分かるとして、続く「時空ツアーズ」「囓りかけの林檎」という、竹達彩奈さんの楽曲はメロディすら浮かばない。

 流行歌がラジオから始終ながれ音楽番組で常に歌われ誰もが知らず覚える楽曲だった時代が過ぎ、知る人ぞ知る楽曲へと移り変わっていったことがまずあって、そしてCDが売れる楽曲もAKBのようなグループアイドルの楽曲か、あるいは声優アーティストのようにパッケージがアイテムとして売れる人たちのものになって来たって証だろう。そういう時代に筒美さんにような専業の作曲家が入り込む余地がなくなっていたのかもしれない。それでも声優では人気の竹達さんに楽曲を提供するところに、時代をキャッチアップしていこうという意識も感じてしまう。それとも歌謡曲を求めたクリエイティブの要請に応えたのかな。聞いてみたいなそれらの楽曲。謹んでご冥福をお祈りします。


【10月11日】 AERA.dotに「“上級国民”池袋暴走事故の裁判で『車のせい』にされたトヨタ『記録が残る』」という記事。暴走事故を起こした工業技術院(現産業総合研究所)の元院長が裁判で車に異常があったから無罪だと主張したことについて、載っていた車を作ったトヨタ自動車が反論をしているという内容で、まあそう言うだろうなという気はするけれど、気になったのは朝日新聞系の媒体が、ネットスラング的な”上級国民”などという言葉を平気で使っていること。

 元院長の場合は裁判で自身の利益を最大限に追求するために、そういう可能性もあるよと言うのは自由であり権利として、なかなか逮捕されなかったことを、当人も怪我をしてなおかつ高齢だったこともあったのに、工業技術院の元院長だからといった理由を当てはめ、“上級国民”という言葉を誰かがひねり出してレッテルとして貼り付けたことから広がって、今は事故を起こした当人だけでなく政府や行政や学術や企業のトップクラスに上り詰めた人には“特権”があって、“上級国民”として保護されるといった雰囲気が漂ようようになった。

 個人にまつわるひとつの現象であるにも関わらず、作られた言葉が同じ様な立場の人全般に広がってレッテルとして張られ、分断を呼んでいるような雰囲気を、助長しかねないような“上級国民”という言葉。中には老いて駄馬になった人もいるかもしれないけれど、現役時代はちゃんと国の為、人の為に働き勤め上げた人を括って”上級国民”と嘲る風潮を蔓延させたら、誰も官僚なんてならなくなるし、目的が偉くなるためでも結果を出すために頑張ろうという人もいなくなるよ。さすがは“マスゴミ”……っていう言葉もメディアの頑張って調べ報じようとする意欲を削ぐネットスラング。それを思えば“上級国民”だなんて言葉は使えないのになあ。やれやれ。

 「『ひぐらしのなく頃に」の竜騎士07さんによる「バケモノたちが嘯く頃に〜バケモノ姫の家庭教師〜」(電撃文庫)が傑作だった。太平洋戦争が終わって5年ごの昭和25年ごろ、東北で名家に生まれた少女にバケモノとの噂が立って、診た医師の紹介で青年が家庭教師として赴くと、そこには分家に閉じ込められた少女いた。現れた少女は汚れた格好で、「のじゃ」と仰々しい言葉を使って青年に女を切り裂いて取り出した”はらわた”を「食え」とつきだした。青年は少女を殺人への嗜好にとりつかれたバケモノと診つつ、自らも嗜虐の嗜好を持ったバケモノという立場から、少女を恐れず嫌わず認め愛していく。

 ちょうどその村では、紡績工場で働く女工が相次ぎ行方不明になる事件が起こっていた。消えたひとりの女工の遠い親戚で、祖母が日本人というアメリカ人の女性がサイドカーに乗って調査に訪れ、家庭教師になった青年に接触して始まる丁々発止。少女は女工殺しの犯人か。青年は少女の味方なのか。猟奇の臭気漂う展開だけど、そこから語られるのはスプラッタなホラーであるようで、嗜虐的な”“思考”を持つことの善悪を問う物語。訪れた展開から、自分たちはここにならいて良いんだろうか、それともやっぱり規制されて当然なんだろうかという意識が浮かぶ。

 世界が厭うバケモノであっても、自分の巣でならバケモノであって良いという慰撫。けれども巣から出たらニンゲンであれという警告。確かになるほどな至言にも満ちた「バケモノたちが嘯く頃に〜バケモノ姫の家庭教師〜」。文章から浮かぶ光景と実際の出来事のズレなんかも含めて、いろいろと想像させ推理させるミステリーとしても楽しめる。世間が猟奇と糾弾したり、淫乱と批判したりするような“行為”は当然として、自分の頭の中でめぐらせる“思考”をも狩ろうとする社会に挑む気力ももたらしてくれる。出会った2人の旅は続くか。サイドカーを乗り回すアメリカ美女も絡むのか。期待したい。

 佐島勤さんの「続・魔法科高校の劣等生 メイジアン・カンパニー」(電撃文庫)も読み終えた。もはや高校生でも劣等生でもない司馬達也が魔法師未満の魔法因子を持ち制約を受ける者たちをメイジアンと呼び保護する活動を行う組織を立ち上げ、そして始まる穏健派に過激派に対立組織らによる戦いの行方は、ってストーリー。1人で1国を相手にできる司馬達也の下で動くかつての先輩や、送り込まれたスパイや元スターズが丁々発止をしつつ挑む相手は魔法を厭う人類か、そんな人類を憎む過激な集団か。自らも疎まれけれども厭わない立場で居続けることができるのか。格差からの分断を誘うような風潮に、理解からの融合をぶつけるような物語。良い。

 ワイパックスからレクサプロへと変えて1年経ってもなかなかアガってこなかった気分がエビリファイを混ぜたことで一変してこれまでなかなか臆していたiTunesからの音楽鑑賞もできるようになって来た。聴きながら原稿打ちとかやっているとネットに逃げずそちらに集中できるのも有り難い。折しもiPad miniが最初はタッチしても画面が反応せず、そして電源まで入らなくなって見て時間を潰すことが不可能になったのも、読書か原稿書きに気分を集中させる。ここでも修理で出費かあと落ち込むはずの気分がアガったままになっているのも薬の影響か。気分って物質なんだなあ。科学万歳。


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