縮刷版2019年7月上旬号


【7月10日】 ようやくやっとといった感じでジャニーズ事務所のジャニー喜多川さんが死去したとの報。先月の時点で発生していた解離性大動脈瘤破裂からのくも膜下出血が相当な重篤さを感じさせたけれど、発表によればその後に一般病棟にうつって訪れる事務所のメンバーと面会はしていたという。ただ会話はなく反応はするといった感じだからやはり意識不明の状態が続いていたんだろう。そして7月9日に死去。本当にその時間なのか武田信玄じゃないけど隠されていたのか、判然としないし判然とさせる力もメディアにはないだろうけれど、そうだとしたらどういう理由があったかはちょっと気になる。

 たとえば本格化する選挙戦の中でワイドショーでもいろいろと政策が争点になっていった時、突っ込まれることが確実過ぎる自由民主党と安倍総理の政治運営にたいしていろいろな意見を言う機会を減らし、ワイドショーをジャニー喜多川さんの追悼一色でこれからの1週間を埋め尽くしたらどうなるか、ってちょっと考える。誉めてはもらえなくても非難もされないならそれは今の自民党や安倍総理にとっては勝利を意味する。逆に野党は政策を知って貰えず攻撃の姿勢を見てもらえないまま安閑とした流れに埋もれてしまう。つまりはいつもどおり。今回くらいに争点山積みな参院選の選挙戦が吹っ飛んでしまいかねない。

 だから……といった憶測だとかもきっと飛び交うんだろうけれど、大切な人にはいつまでだって生きていて欲しいと思う人たちが大勢いて、そういう人たちの中でも守れていただろうジャニー喜多川さんの死去をそうした選挙戦に利用しようものなら、所属しているタレントたちはあまり嬉しくないだろうし、ファンだってきっと喜ばないんじゃないのかなあ。だからやっぱりここは目いっぱいに頑張って、頑張って頑張ったけれどもここまでだったという状況を事実とし、そして追悼が行われる一方で選挙についてもしっかりと、報じていって欲しいとメディアにはお願い。もはやメディアの人間じゃないので中でどうにかはできないのだ。

 印象から言うなら「VR ZONE SHINJUKU」を平屋にしてなおかつ拡大をしてVRアクティビティをこれでもかと並べてみせた上に、元からナンジャタウンという雰囲気そのものをプロデュースして没入観を誘う屋内型テーマパークの流れを汲んで、ホ恐怖だったりSFだったりアドベンチャーだったりといったテーマ性をもったアクティビティを固めてエリアごとに雰囲気を作って、よりいっそうの没入観を得られるようにしたってところになるのかな。とにかく広い。前に「J−WROLD」が出来た時にも行ったけれど、ナンジャタウンの上の3階ってこんなに広かったかと思わせるくらいにぐるぐると回っていると果てしない。

 当時はまだフードテーマパークの一部があって、半分が「J−WORLD」だったからそうまで広くなかったのかもしれないけれど、今回は左から右までずっと「アニメとゲームに入る場所 MAZARIA」だ。これなら大勢がつめかけても遊ぶアクティビティに不自由はしないで1日ずっといてすべてを楽しむくらいのことはしてしまいそうになる。ってかしないと損。できなかったら次の日も来たくなるんじゃなかろーか。だから今回は4回制限とかつけずに1日フリーパスにしている。どこまでも目いっぱい楽しんで欲しいという意思であるとどうじに、それくらい遊んでも酔ったり疲れたりしないという自信の表れであるのかもしれない。

 そんあ「MAZARIA」では、とりあえず新しく入ったものを試すといったところで、「パックマン」の世界に入り込めるフリーローム型のVRをまずプレイ。背中にPCは背負わないで遊べるオキュラスクエストを初めて使用。「VR ZONE」は基本、HTC Viveだったからこれはちょっとした実験かもしれない。そんな「アスレチックVR パックマンチャレンジ」は、VRの世界にはいるとそこはなるほど「パックマン」の世界になっていて、迫るモンスターを除けながらクッキーをとって進んでいき、モンスターも倒してクリアし次へ。2人がいっしょにプレイする感じで、そんなに広くはないけれども結構歩かされ、文字通りにアスレチックな気分を味わえる。2カ所で楽しめるけど1回2人だと時間はかかりそう。別料金にしたのは行列が出来るのを防ぐためでもあるのかな。

 もうひとつ、新しく入った「太鼓の達人 VRだドン!」はあの「太鼓の達人」をVRで楽しもうってものだけれども、架空の太鼓を叩くだけではつまらない。そこは太鼓ではなく空中を音楽に合わせて迫ってくるどんちゃん&かっちゃんを叩く感じになっていて、これがまた右に左に互い違いに出てくるものだから結構な運動を強いられる。簡単なモードでも結構動いたからハードなモードだとものすごく動かされそう。叩いたときにコントローラーの中で何かがスライドして、叩いた感触ってのを手に伝えてくれるのが、仕組みとして目新しいところかな。コントローラーが再現できればプレイステーションVRで楽しみたいゲームかも。

 これはすでに大阪の「VR ZONE OSAKA」に入っているけれど、「ゾンビサバイバルゲーム ハード・コール」というのもあって、前に体験した「冒険川下りVR ラピッドリバー」と同じ背中合わせに2人づつが座る筐体を使用。そしてVRヘッドセットをかけるとそこは廃墟のような街になっていて、自分たちは車に乗っていてそして同じ方向を向いている。そこから結構な速度でかっとんでは右に左に曲がるんだけれど、不思議と酔ったりしないのは視線が向く方にちゃんと筐体を回転させて感覚を合わせているからなんだろう。「ラピッドリバー」よりもさらにスムースになっていたのは経験が活かされたからか。アイデアを形に下上で、いろいろと応用を利かせていく。次はどんなゲームが同じような筐体で再現されるだろう。自分だったら何を作るだろう。考えてみたくなった。

 横浜銀行と千葉銀行が業務提携をしたそうで、これはきっと徒党を組んで埼玉銀行を見下すための提携なんだと思うのは「翔んで埼玉」を見すぎた人。元より埼玉銀行は横山銀行や千葉銀行が地銀だったのに対して都市銀行と格上で、なおかつ協和銀行と合併して協和埼玉銀行からあさひ銀行となって今のりそなグループというメガバンクの一角に入っている。つまりはまったくの格上なんだけれど埼玉という名前だけで横浜や千葉の下に見られてしまう風潮が、まだ埼玉銀行が単独で存在していた時代にもきっとあったんだろうなあ。行員を集めようとして横浜銀行千葉銀行に負けてしまうなんてこととか。どうだろう。1980年代の金融機関の就職人気ランキング、ちょっと調べてみたくなてきた。


【7月9日】 ぐっすりと眠ってしまって地上波への登場を見られなかった片渕須直監督の「マイマイ新子と千年の魔法」だけれど、見た人の評判はなかなかなようでこれできっとこれからもあるだろう劇場での上映にはずみが付きそう。やっぱり大きなスクリーンで見てあの麦畑が風にそよぐ豊富の風景をたっぷりと感じて欲しい。そんな「マイマイ新子と千年の魔法」が上映された2009年は片渕監督にインタビューも行いつつ、映画に関して発売されたグッズなんかも買い集めていたようで、店頭での販売がなかったサウンドトラックをネットから購入していたみたい。リストラを食らって泣きながら部屋を掃除していた時に、10年ぶりくらいに発見された。

 片渕須直監督の奥さんにあたる浦谷千恵さんが手作りしたはんこスタンプによる新子とか紀伊子とかが描かれた色紙に、片渕監督や音楽を手がけた村谷秀清さん、そしてスキャットを歌ったMinako mooki Obataさんのサインが描かれたもので、それとサウンドトラックがそろって見つかって売ればいったい……って売らないけれど、そういうことをやってもなかなか伸びなかった初期の観客動員を、頑張って増やして伸ばしてDVDの発売まで持っていったのはやっぱり片渕監督のお客さんに見て欲しいという願いから行った連続舞台挨拶のおかげだろう。

 それとおなじ事を湯浅政明監督にもやってとは言わないけれど、せっかくの映画がしぼんでしまっている「きみと、波にのれたら」をもうちょっと盛り上げる方策を考えて欲しいなあ。幸いなことに湯浅監督は次の仕事も決まっているから安泰なのかもしれないけれど、片渕監督は次に作りたかった「この世界の片隅に」がなかなか決まらず、それこと爪に火を灯すような暮らしを強いられた。そこからのかけ上がりを見るに付け、自分も今はどん底だけれど日々を頑張ればどこかに行けるのかもしれないとちょっと思った。才能もなく手がけられることもないけど、誠実に生きて正確にこなすことで何か、次につながればと思う次第。頑張ろう。

 まあ、一時期は明け方の3時頃に目が覚めたら、そのまま居てもたってもいられなくって、ずっと起きてて経ったり座ったり部屋を片付けたりしつつ、ドトールとかフレッシュネスバーガーに入り込んでコーヒーを流し込みながら日記を書いたり、依頼されている原稿を書いたり、平成を振り返る日記のダイジェストを書いたりして時間を過ごしていたけれど、ここのところは明け方に目が覚めても、とりあえず2度寝ができるくらいには気分が落ち着いてきた感じ。ふっと不安も浮かぶけど、その時は最上和子さんの原初舞踏のワークショップで教わったように、体を地面に沈み込めるようにして脱力して意識をそらす。

 そうやって気持は落ち着けたものの、録画された新作のテレビアニメーションを見るまでにはあともうすこしかかりそう。読んだライトノベルの感想を書けるのは抱えている依頼原稿をとにかく書き上げてからになるかなあ。今のところ構想がまるで浮かばない。パーツだけは出来つつあるけど芯がない。いやあるとしたら“優しさ”か。その優しさをこと大事に我こそは! って名乗って欲しかった。何って坂本竜馬の話。土日と海の日を使ってやっつけよう。

 将来についてはやっぱり見えないけれども起きて歩いて食べて眠れるところから。開業届も出したし再就職手当がこれでもらえればそれなりの資金も入って、漫画を原作にsiteアニメーションが作られた「ARIA」の舞台のモデルとなったヴェネチアツアーに行けるけれど、43万8000円ではさすがに無理。どうせひとりだと一人部屋も10万円くらいかかるから、ここは漫画を読んで火星のネオベネチアに気持を向けよう。大英博物館で開かれているMANGA展も生きたかったなあ。株式会社化された時にもらった第一生命の株を手放せばちょうどいけるくらいのお金にはなるけど、これは最終兵器だからとっておく。そこまで追い詰められないことを願いたい。願うしかない。

 そんな中でもどうにかこうにか「コップクラフト」だけは見られた。今時たばこをガンガンとか海外に出す時どうするんだろうとかふと思ったけど、「LUPIN THE 3RD」シリーズもガンガンだったから気にしないのかもしれない。村田蓮爾さんのイラストがそのまま再現されているかというと、そこはアニメ的にぺらっとなってはいるものの、声に関しては吉岡茉祐さんが意外にエクセデイリカに合っていた。マトバは津田健次郎さんでピッタリなんで声優に関しては頑張った。あのミルパンセなんで作画はどうかといえばまあ、頽廃と混沌がうごめく街をしっかり表現していたんでそのクオリティが維持されることがまずは寛容。気になったのはクレジットの文字がことごとく大きいこと。アナログ時代の20インチテレビでも見られるような文字なのは、スマホで見る人を意識しているのかな。

 しばらくぶりに取材の仕事で池袋へ。解禁前だから具体的な内容はまだ出せないけれどもナンジャタウンを中核としてバンダイナムコグループが展開している屋内型のアミューズメント施設の一角が、これはすでに発表されている「MAZARIA」という施設になったもので、現実世界と漫画やアニメの世界が混ざり合ったって意味合いがいったいどういう具合に実現化されれているかに興味があった。大阪にはまだ「VR ZONE OSAKA」があるけれど、東京は歌舞伎町にあった「VR ZONE SHINJUKU」が3月末で閉まってしまってアクティビティが楽しめなくなっている。代わりに登場ってことだけれど、「VR ZONE IKEBUKURO」では芸がないと融合を狙ったのかもしれない。その成果は? 来る情報解禁、そして12日のオープンを待て。

 しかしやっぱり書く場所がないというのは不自由なもので、会社で書ければいつまでだっていられるものが外だと電源の確保がまず至難。電源を備えたファストフード店とかカフェを頭に抑えてはいるけれど、解禁日が設定されていたので今日は地元まで戻って西船橋にある船橋西図書館で電源が使えてキーボードを打てるコーナーにこもってかちかちと原稿を仕上げる。昔だったら午後5時で閉まっていただろう図書館が最近は午後の8時まで開いているのだった。平日限定だから仕事帰りの人でも寄れるようにって配慮だろう。その割にはパソコンを使えるコーナーに大勢いないのは、やっぱり仕事が終わってかけつけるには早すぎるのかもしれない。おかげでカフェ代わりに使えてフリーとしては有り難い。1時間ちょっとくらいで仕上げて奏功して打ち切った失業保険分は稼いだかな。でも1日では足りないので明日からは三鷹行きを頑張ろう。昨日は撮影を覚えたので次の新しい仕事が覚えられると良いな。


【7月8日】 日本音楽著作権協会ことJASARACが街の音楽教室に職員を送り込んで生徒として参加させ、講師の先生の演奏とかが行われているのを確かめてそれは演奏権の侵害であるといった報告をして音楽教室からお金を取ろうとしているといったニュースが駆けめぐってなかなかの衝撃。個人的には音楽教室であってもその演奏が作曲家による思いを受けて再現しようと努めた演奏であったのなら、著作権の使用料は払うべきかもしれないと考えているけれど、お手本としてパートを弾いてみせるくらいのことを演奏として認めては、講師の先生にも失礼だし作曲家にだって自分の音楽はそこだけじゃないと言われてしまいそう。

 すでにスパイ呼ばわりされている生徒として潜入した職員の陳述書では、「レッスンでは講師の模範演奏と生徒の演奏が交互に行われた。JASRACが著作権を管理する『美女と野獣』を講師が演奏した際は、ヤマハが用意した伴奏音源とともに弾いたため、『とても豪華に聞こえ、まるで演奏会の会場にいるような雰囲気を体感しました』と主張」しているとか。いやいやいくら豪華であってもそこは音楽教室で一部は伴奏であって、演奏会で聞く音楽とはまるで水準が違うだろう。それを「演奏会の会場にいるような雰囲気を体感した」と言ってしまえる人間が音楽に関わっていることの方がどうも落ち着かない。

 また「生徒は全身を耳にして講師の説明や模範演奏を聞いています」とも報告したそうだけれど、講師の演奏なんだから全身を耳にして演奏を聴くのは当たり前。それを演奏が素晴らしいから演奏権の侵害にあたるものだというロジックの材料にするのは、学びたいそして音楽を広めたいと考えている演奏家のタマゴたちに対しても失礼な話なんじゃなかろーか。とにかくお金がとれれば良い、そのためには音楽教室の演奏をプロによる演奏会と同水準のものだと言いつのるってところを出発点にするから、すべてが歪んで来てしまう。商業的に運営されていライブハウスに客として入った職員が演奏されているのを確認するのとは意味も違う。そういう感性の“当たり前”が崩れてしるのが今のこの世の中って奴なのかなあ。寂しいなあ。

 飯田将茂監督の「HIRUKO」はドーム映像作品だけれど、同じ全天周の映像としてヘッドマウントディスプレイを装着して鑑賞するVRというのがあるものの、バレエダンサーが踊ったり、ロックバンドが演奏したりしてうるステージだとか観客性に入っていて、クリエイターの所作を間近に見られるVR映像の面白さは想像できても、最上和子さんの舞踏が繰り広げられる「HIRUKO」をVRにした時の視聴イメージが浮かばないのはなぜだろうとずっと考えている。それはたぶん、ヘッドマウントディスプレイで視覚を通して世界へと引っ張り込むVRは、自身が映像空間に入り込むことによって間近に体感することが楽しいからなんだろう。

 対してドーム映像は、巨大な丸天井に映像が映し出されることによって、直下にある自分たちが空間に包み込まれてどこかであったことを時空を越えて浴びせかけられるもので、「HIRUKO」はは特に見上げて見つめる1点から降る身体の有り様と対峙する映像だから、VRには向かないのかもしれない。最上和子さんが床に寝ながら少しずつ動くような姿は、窮屈な姿勢で仰ぎ見ながら周囲の観客の反応なんかも感じ取るというのがひとつの見方。単独で最上さんに近づいて観察して楽しといったものじゃない。飯田監督はシスティーナ礼拝堂でミケランジェロを観る時は誰もが黙り、時折観覧者に沈黙を促す警備員の「シーッ」という声が響く程度と紹介し、そうしたささやきも含めた空間を体感する唯一性を話してくれた。ドーム映像ならその空間を鑑賞者ともども体感できそうだけどVRは自分が異物になる。対象との関係性を考えながら、ドーム映像かVRかを考える必要があるのかもしれないなあ。ドーム映像でもVR的なものもあるようだし。

 「キルラキル」「プロメア」のTRIGGERが吉成曜監督と中島かずき脚本で「BNA」という新作アニメーションを作ると発表して、そして「進撃の巨人」のWIT STUDIOが「キサラギ」「リーガルハイ」の古沢良太さんを脚本に迎えて鏑木ひろさんが監督、貞本義行さんが「新世紀エヴァンゲリオン」以来のテレビシリーズのキャラクターデザインを手がける「GREAT PRETENDERS」という新作アニメーションが作るといった発表も行われて、クールでスタイリッシュで熱そうなオリジナルのアニメがこれからもまだまだ出てきそうな様相。

 人気の漫画や小説をアニメにして流してしっかり視聴率を稼ぎパッケージなりマーチャンダイジングで収益につなげる堅実な商売も必要だけれど、それではいつまで経っても「エヴァ」は生まれてこない。もちろん「さらざんまい」がいくら優れていたってマーチャンダイジングの稼ぎ頭になってくれるかというと微妙だし、「ダーリン・イン・ザ・フランキス」もゼロツーのキャラだけ残ってあとは忘れ去られている感じ。「天元突破グレンラガン」や「キルラキル」の方が今も根強い人気を誇ってる。そうした不安をそれでも吉成曜×中島かずき、鏑木ヒロ×貞本義行×古沢良太の組み合わせは吹き飛ばしてくれそう。そうした熱さでもって企画を作り転がしていく動きが見える限り、日本のアニメーションは大丈夫なんじゃないかなあ。とは言えそれもスタジオ単位。ルーティンに陥って元気も企画力も減退している老舗中堅は今こそ決起だ。

 朝イチで3週間ぶりのクリニック。徒歩3分圏内でありがたい。まだ若い先生はテーブルを挟んで対面しながらこちらの後述をタイピングしていく。あと基本的にポジティブでしっかり話を聞いてくれる感じ。こういうところが求められるんだろうなあ。三鷹に通い始めてとりあえず朝に目覚めて不安に苛まれて居てもたっても居られなくなることはなくなったものの、老後資金に2000万円が必要って話じゃないけれど、60歳を過ぎてからの生活不安を杞憂する状況は変わらないので引き続き様子を見る感じ。仕事自体もそれが自分の何になるのか未だ浮かばないものの、まだ1週間しか経っておらず今は作業を覚え慣れる時期と身に言い聞かせて気を静める。気鬱の方は来週明け締め切りの原稿の段取りがあまりついていないこともあるのかも。ちまちまとパートを書いていって土日で一気に書き上げよう。無理なら伸ばすか落とすか(いけません)。


【7月7日】 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」と地続きで嬉しかったのは伊吹マヤがちゃんと出ていてそして若い男嫌いをやっぱり公言してくれたことで、その男共にはツンケンとしてきっと赤木リツコさん大好きな心情をどこかで覗かせてくれるだろう描写があれば、百合ブームじゃないけれどもきっと評判になるんじゃなかろーか。年齢とかこの世界では気にしない。あとは復活した碇シンジに憎々しげな目を向けていた北上ミドリがまた見られたこと。あの唇が好きなんだ。

 しかし綾波レイもどき以外は女性キャラクターは全員が反シンジな感じがして、それでいったい生きていられるのかシンジってところ。アスカとアヤナミレイに引っ張られて富士山麓を歩いていたけど今はいったいどこにいるんだろう。ワンコくんとマリに名前を出されていたからきっと生きてはいるんだろうけれど、アスカも含めて冒頭の10分には出てこないからヴンダーでパリに来ている訳ではないのかもしれない。でも緒方恵美さんが収録はしたそうだし、庵野秀明監督からどっちの結末が良いかを聞かれてもいるそうなんで、登場するのは間違いなさそう。だったらどんな雰囲気で? アスカとの関係は? それが見られるのはやっぱり本編かなあ。2020年。公開を待とう。何月なんだろ?

 21年前というのはちょっと半端だけれど、去年の20周年にオフィシャルなイベントが何もないままインディペンデントでクラブイベントが開かれたのを見て、公式が何も出来ない状況でも二次創作的な活動が動くんだったらそれを阻害しない方策を構築しようと動き始めて1年が経って、実施にたどり着いたんだと思えば半端であっても立派にアニバーサリーだと言って良いのかも。1998年7月7日に放送が始まったテレビアニメーションserial experiments lain」に関して公式サイドが個人等に限って二次創作を認めて監修もいらないしロイヤルティもとらない「TTL(Time To Live)」という施策を公表した。

 個人的には「AKIRA」じゃないけど新しい映像コンテンツがスタートするとか「シン・エヴァンゲリオン劇場版」みたいに続編が作られるといった華々しい発表が聞きたかったけれど、それは今もって世界中で売れ続けている「AKIRA」であったり、Netflixがテレビシリーズを一挙配信したり、世界で開かれた新作映像のアバン上映イベントにわんさかか人が詰めかける「エヴァ」だからこそ出来ること。そうした盛り上がりが背景になく、「ブギーポップは笑わない」みたいに今もなお新作の小説が書かれ続けているシリーズとも違ったオリジナルのアニメーションに、続編を作ろうとする動きはやっぱり起こらないから仕方がない。小説版の版元がある訳じゃないしね。

 それだからこそ向こう9年間、30周年を迎える時まである意味でフリーにするというのは大盤振る舞いも過ぎる。ゲームを作って欲しいという声に、だったら君たちで作れば良いじゃないかと答えたもののそれは1年2年で作れるものではない。でも9年あったら作れるかもしれない。漫画だってアニメーションの続編だって個人が頑張れば作れてしまえる期間を与えることが、lainにとって出来る最大限のことだったんだろう。だったら……と言いたいけれども僕にはもはやそういう元気も才知もないのでファンの人たちがグッズを作りアニメを作り漫画を描いてゲームも作ってくれるのを待とう。60歳を過ぎてもまだ、lainの二次創作が作られて楽しませてくれると信じて、それまでを頑張って生き抜こう。

 飯田将茂監督のドーム映像作品「HIRUKO」に出演された舞踏家にして押井守監督のお姉さんでもある最上和子さんによる原初舞踏のワークショップが東高円寺で開かれたので参加。抱えた原稿の締め切りが1週間後くらいにまで迫っていて、なかなか構成が決まらなくってそれも気鬱の原因になっているんだけれど、そうした気分も含めてリセットできないかと思い申し込みが始まって即座に参加を決めた次第。そんなスタジオではまず、最上さんが必ずやるという、バレエではバー運動にあたる床稽古を体験。床に仰向けになって全身を脱力してから起き上がるもので、その後に湯飲みを手に取り口まで運んで戻す、腕を上げるといった動作を3時間程で経験して、自分の身体を脳から切り離す。

 まずは10分間、とことんまで脱力させて重力でもって体が床に沈み込むようなところまで意識を持っていく感じらしいんだけれど、その脱力が過ぎて半分寝ている状態から10分が経ち、さて起きようとしてどう体を動かせば良いかに迷う。起き上がって良いのかにも。そこで筋肉を使い関節を曲げればすぐにだって立てるけどそうじゃない。脱力したままで手足を動かし、首を傾け、体を曲げて胴体を倒し、うつぶせになて丸まりのけぞり、背を持ち上げ腕はだらりと下がったところから徐々に、丁寧に体の横へ持っていってようやくやっと立ち上がれる。

 それが果たして床稽古の正解という自信はないし、次に同じ様なシチュエーションで同じようにできるかも分からない。あらかじめこう動かすんだといったルートを決めて攻略するのとは違って、その時々の身体の状況と対話し、どう動かせばどう動くか、そしてどう立ち上がっていくのかを試しつつ進んでいく感じとでも言おうか。10分経ったからとにかく起きなきゃという欲求に負けず、かといって眠ったままで言いという気持に溺れず自然に動くのはなかなか大変。どうにか立ち上がった姿は、頭が下がり手もだらんと前に下がって生まれたばかりのエヴァンゲリオンの用。傍目にはどう見えたかなあ、って外部を意識するのも間違いなんだろうなあ、この場合。機会があったらまた挑みたい床稽古。次はどう立ち上がるんだろう?

 床稽古の次は、床に座って足の前に置いた湯飲みを持ち上げ口元まで持っていって飲む形を作ってそこから床へと降ろすというもの。ここでは事前に手のひらをこすり体を触って手のひらに肌理をつくり、手に触れるものが柔ら書く優しく感じられるようにするらしいんだけれど、自分が座っている空間を意識してそこにある湯飲みに自然と触れるまでがなかなか大変。というか湯飲みを持つ、という行為を意識すべきか否かが判断しづらい。持てば持ったで一気に持ち上げられない。でも不思議。気がつくと湯飲みがだんだんと口に近づいてくるのだ。体が自然に動いて。

 そうしようとする意識がどこかにあって、けれどもダイレクトに筋肉を動かすというより全身をそういう方向に持っていってその空間の中でそういう振る舞いをするようになっている、というか。胸元にあった湯飲みの口が次は口元に来ていて驚いた。あとはゆっくりと歩きながら、腕の内側の筋肉を意識して腕を上にもっていって降ろす動作をする一種の舞踏を体験した最上和子さんによる原初舞踏のワークショップ。その体験が何かの役に経つかと聞かれると、壊れかけていた身心の原因となっているリストラクチャリングからの将来不安から切り離して修復するの無理だけど、肥大した自意識を沈めて身体の存在を意識し、そこから始まる何かがあると思えるだけでもここは良いのかもしれない。逃避ではなくリセット。自分はここにいるという確認から自信へ繋げたい。繋げなくちゃいけないんだ。


【7月6日】 バルサを出されてFC東京に来た久保建英選手が、バルサには戻らずライバルのレアル・マドリードへと移籍してそれはそれで騒動も起こりそうだけれど、世界トップのクラブに移籍がかなうとはやっぱり凄いとこれは認めるしかないと思っていたら、一方のバルサも誰かやっぱり欲しいということで、鹿島アントラーズに所属する安部裕葵選手の獲得に乗り出したといった話が日本のスポーツ新聞に出始めた。実はまるで知らなくって南米選手権に出ていたかどうかも知らずどれくらいの選手かちょっと判断が出来ていない。フォワードだから得点とりまくってるかというとそうでもない。

 20歳だからこれから大きく育つ可能性はもちろんあって、ラウルとかクリスティアーノ・ロナウドといったスターに近づいていってくれればそれは嬉しいけれど、2人とももっと早い時期から注目を集めてビッグクラブで大活躍をしていた。メッシ選手だってそうだ。安部選手の場合は移籍をしても3部リーグのチームに出場を余儀なくされて、そこで活躍できなければ放出されることになる。久保選手もそんな条件を出されてお金も安くてこれはいやだとレアルに行った見たい。それがバルサの方針なのかもしれないけれど、日本での実績から見てとりあえずマーケティング要員か、なんて今は思われても仕方がなさそう。

 とはいえ、トップチームで得点を重ね代表にも選ばれている選手なら日本ではトップクラスであることに違いはなく、2部でも3部でもシアに出続けることでコンディションを維持し、また揉まれることで強さも発揮できるようになれば日本にとって得だろー。五輪代表にだてなれる年齢なんだからまずはB2のチームから初めてそして帰国して五輪で大活躍して、認めざるを得なくしてトップチームに22歳くらいでデビュー、ってのがひとつの理想の道筋かなあ。そう上手くいくとは限らなくても、若いんだから次の道はまだまだ行ける。なのでここは挑戦を。鹿島には悪いけど。それよりジェフユナイテッド市原・千葉が弱くって。天皇杯でも負けてしまったしなあ。いつになったら鹿島アントラーズと戦えるんだろう。

 500万円とか600万円をもらって販売データをエクセルの表に入力したり、送られてくる記事とかへの意見を見て返事を書いたりして1週間を過ごしてそれから、週末をもらった給料で存分に楽しんで1年2年を過ごした先に来るだろう定年なり解職の先に地獄を味わうくらいなら、200万円がせいぜいの状況で今はひたすら段ボール箱を運んで入ってるカット袋の500とか1000とかにバーコードを貼り続けても、そこから未来につながる可能性に賭けて正解だったのか、っていった葛藤が気分をいろいろと揉んでいるけど大きいのは10日後に迫ったとある原稿の締め切りに向けて、あまり内容が固まってなかったりするこで、ぼんやりとした頭に何を書いたら良いのか浮かんでこず、プレッシャーに苛まれる。いつものことだけど。

 まだ10日もあるんだから時間的には大丈夫かもしれないけれど、かけられた期待を裏切るかもしれないというプレッシャーになかなか弱くって、なあに書いて問題があれば書き直せば良いんだって開き直りが出来る人、締め切りなんて延ばせば伸びるんだから伸ばそうと鷹揚に構える人がちょっと羨ましい。自分はそうではないから、少しでも書かなければ進まないから書こうとそ最近よく使っている船橋西図書館へと出向いて、電源が使える席で3時間ばかりメモ程度の文章を書く。まだまだ固まらない。残りは来週末までにどうにか筋を立て、メモをいっぱい書いて組み合わせて完成させたいけれど、できるかなあ。難しいなあ、坂本竜馬についての原稿は。

 船橋西図書館でお勉強の途中にフランスのジャパンエキスポで開催される「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の予告編10分上映を日本でみ見ようぜってイベントの会場と、そして整理券お配布時間が発表されたので新宿か、日比谷か考えて日比谷を選んでかけつける。それなりに人が来ていておまけにランダムで配布ということで、何番になるか不安だったけれど450番くらいがとりあえずもらえて、だいたい並んだ順番あたりが回ってきたみたい。アナウンスで雨が降っても傘は差しちゃダメって話だったんで、手にした「お〜い!竜馬」の本とかパソコンとかがぬれると拙いし、そもそもポンチョ持ってないんで家に取りに帰ってそして昼ご飯を食べたらグッと疲れが出て来て寝てしまう。

 段ボールの上げ下げとかバーコード貼りとかが思いの外体力を削っていたみたいで、2時間ほど寝て目覚めたら気力もふくめてグッと下がって起き上がれない。雨も降りそうだしそんな中を広場で立ちっぱなしで過ごしたら、明日以降の生活に差し支えるかもしれないんでどうにかこうにか大手町あたりまで出たものの、引き返そうか逡巡したけどやっぱりそこは出没家、事件の現場にいてこその価値もあるということで、頑張って会場まで駆けつけ行列に並んでしばらく待って、そして会場に入ったら日比谷の中庭に作られた階段状の場所に案内されて、そこで座って見られることになったんで体力的にとてもラッキー。早い番号の人たちがスクリーンには近いけれども立ちっぱなしなのと比べると、これはこれで良かったかもしれない。

 そうこうしているうちに体力も回復して来て気力もどうにか浮いてきた。やっぱり楽しいものが間近にあれば嬉しくなる性質だったんだなあ、そういう場所に近づけるのなら段ボールの上げ下げだって頑張らないと。それで終わってしまったら嫌だからそれ以上の価値があることを証明しないと。でもどうやって? それが見つからないのが今は辛い。頑張らないと。そんなことを思いながら待っていたらモニターで、予告編とか関連商品のCMなんかがガンガンと流れ初めて盛り上がって参りました。新宿ミラノ座の跡地で見るというある種の“聖地性”はないけれど、東宝にとっての新しいランドマークでソフトに見られるのも2019年のエヴァンゲリオンの楽しみ方。これもひとつの経験と喜びたい。

 そして始まったパリからの中継は、高橋洋子さんによる歌唱が続いたけれども「残酷な天使のテーゼ」が歌われても「魂のルフラン」が歌われても、日比谷の会場で「ハイハイ」といった合いの手がかかる感じがないし、拳を振り上げる人もいない。これがアニソンのライブ会場だったら冒頭からそんなコールが飛び交うところだけれど、考えてみれば「残酷な天使のテーゼ」はテレビシリーズの主題歌で「魂のルフラン」は春エヴァの終わりに歌われただけと、当時からエヴァをリアルタイムで見ていた人は知っていても新劇場版から入った人には何が何だか分からない。パリの会場でも高橋さんやゲストで登壇した碇シンジ役の緒方恵美さんから、Netflixで配信が始まって、初めてテレビシリーズの「新世紀エヴァンゲリオン」を見た人には初めてだったといった言葉が出てたくらいだし、そうじゃない新劇場版から入った人が多分多くいただろう会場で、流されてもポカーンだったかもしれな。自分と回りは同じと思っちゃダメなんだ。

 そんな感じで始まった中継で、東京からパリへ行きたかったけれど行けなかった庵野秀明監督から、ようやくエヴァにパリを出せてエッフェル塔を出せて良かったって話がビデオメッセージ経由で飛び出して、緒方さんから「ネタバレ?」って言葉が出ていったい何が起こっているんだと気になって始まった「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の冒頭10分のアバンでは、赤く染まったパリにそびえたつエッフェル塔がまず出てきては舞台がパリだと教えられ、そこに降り立ったボディラインもくっきりの船外活動服で登場した赤木リツコさんほかVILLEのヴンダーの搭乗員が、パリを回復させるための操作をラップトップパソコン使ってやっている最中、使徒とエヴァが合体したような敵が現れあれやこれやと攻撃をしてくる。

 そこに立ちふさがるのは予告編で飛び回っていた8号機を操るマリで、難しそうな操縦をしっかりこなして敵を叩き、戦艦を重ねて強力なビームを少しずつ跳ね返してそれで一時はしのいでも、再発射がされて危機一髪のところに飛び込んで来てはリツコたちを守り、そしてそびえ立っていたパリのシンボルのエッフェル塔を折り取って武器にして敵を突き刺しどうにか退ける。そして復活したパリ。でもエッフェル塔は? 出せて良かったと持ち上げておきながらもしっかり壊してのける庵野監督。それもジャパンエキスポというフランスが舞台の会場で行うなんてなかなかのイケズっぷり。果たしてパリッ子たちは喜んだのか? 例えば「パシフィック・リム」で東京スカイツリーを引っこ抜いてカイジューをぶん殴れば喜んだだろうから一緒かもしれないなあ。そういうもんだよオタクって。


【7月5日】 アメリカで始まったAINME EXPOであの大友克洋さんによる漫画「AKIRA」が、またまたアニメーション化されるって発表があったみたい。監督が大友克洋さんかは分からないし、長編映画なのかNetflix的なテレビシリーズなのかも不明だけれど、伝えられる情報によれば全6巻がすべてアニメーションになるというからもしかしたら長いアニメーションのシリーズか、あるいは3部作くらいのアニメーション映画になるのかも。続報に注意しよう。というか実写による映画化も進められていたはずなんだけど、そっちはどーなったんだろう? ちょっと不安。

 とはいえ今、改めて「AKIRA」の新しいアニメーションが見たいかっていいうと、すでにある大友克洋監督によるバージョンで充分で、スタイリッシュな画面構成があって密度の高いメカや都市の描写があってスペクタクルな展開があって芸能山城組による心に突き刺さる音楽がある。そして東京がメチャクチャになっているとことから始まるこれからの日本を表現したようなビジョン。これをむしろ今、ガンガンと劇場上映しては日本がヤバいところにあることを、直感させた方が良い気がする。でなければもうキャラクターデザインも変えてTRIGGERが手がけて鉄雄を松山ケンイチさん、金田を堺雅人さんが演じて戦うんだ。「さんをつけるよ、デコ助野郎!」って堺さんのあの声で聞いて見たいよね、よね?

 新しいのを作ったところで原作準拠になったってだけで、鉄雄と金田の喧嘩って構図に大差はない。新しいメッセージが載っかる訳でもないし、出来上がるのだって数年後で東京オリンピックも終わってる。そして始まる不況の中で見せられてもねえ。だったらその労力をもっと違う新しい作品に向けて新しい、これから30年残るプロパティを作ってくれた方ガスタジオのためにもなるし新しい経験を積めるアニメーターのためにもなる気はするけれど、それが売れないとスタジオは大変だしアニメーターも稼げないなら、売れる作品、凄い作品に改めて誰もが目を向け手を掛け、作り回していくしか生き残る道もないんだろう。そうやって回しつつ新しい血を入れビジョンを繰り出すエヴァみたいになれば良いけど、「AKIRA」は原作回帰だからそれは無理。ならばせめて音楽と声のイメージを前とは変えて、新しい空気感をもった「AKIRA」を作って欲しいなあ。でなきゃ作り直す意味、ないから。

 新版「AKIRA」以外では前の「AKIRA」の4Kリマスターが行われるとかで、もうそれで充分じゃん感がふわっと。あと新作アニメーション「ORBITAL ERA」ってのが作られるみたいだけれど原作なんてあったっけ? ちょっと不明。ほかに「大友克洋全集」ってのも出るみたいだけれど「AKIRA」はあの想定でもって家に6巻が揃っているのがサブカルの鉄則ななから、全集にするならすべてを「AKIRA」みたいな想定にしてずらりと並べられるようにして欲しい。あるいは昔出た原稿原寸大サイズの「童夢」の再版を宜しく。全集ってもそもそもそんなに作品ないじゃんとは言わないで。

 セブン&アイ ホールディングスのグループによる7payの不正チャージ問題は、実際にコンビニで高額商品をまとめ買いしようとした人が捕まったりして現場に動きはあるみたいだけれど、どうしてそうした穴が露見して即座に使われてしまったかがやっぱり不明で、なかなか使って見ようという気に人をさせない気がする。僕はスマートフォンを使ってないのでそもそも埒外。paypayだってアプリは入れたもののまだ使ったことはない。不安だから、っていうことでもなくそれなりに揉まれれば安心も生まれて来るものだけれど、そうした安心の束を見て生まれた後発のサービスがあっさり破られたことが衝撃だった。学ばないのか学べない事情があったのか。

 それは出てきたトップがSMS認証すなわちショートメッセージを使って人称させる仕組みをSNSと勘違いしてツイッターがどうとか言ったらしく、事態の重大さを認識していないことからも伺えた。どうして事前にレクチャーをしておかなかったんだろう。そういう風土にきっとないんだろうなあ。トップによってすべてが決まって間違っていても誰も口を挟めない。そんな状況下で安心より安全より安楽を選んだ結果の不正使用ってことになるのかな。プロ中のプロが慎重に使っても破られたってんだから相当に大穴が明いていたんだろう。こういう時にデジタル時流にのらない身は一安心。でもそろそろLINEとか駆使せざるを得なくなりそうだし、スマホを入れるかどうするか。迷うなあ。

 人間でそして結構な戦力でもあった元騎士団長のガイウスが、虐げられているコボルドたちの中に入ってだんだんと親しまれ信頼を得た果てにコボルドたちを人間のいわれのない攻撃から守るべく、王として立ち上がって攻めてきた連中を撃退したまでが第1巻。そして登場のSyousa.さんによる「コボルドキング2 騎士団長、辺境で妖精犬の王になる」(レジェンドノベルス)はいよいよもって本気の攻め手が来たものの、そこは準備を整え落とし穴とか罠とか使って相手を億劫にさせ、そして強敵も最後はガイウスが出て行ってどうにか倒して連続しての勝利を得る。

 これで安泰か、と言えばそこは何かを目論む連中がいればやっぱり圧倒的な戦力を持つ人間の方が強そうだけれど、ガイウスがいて守っては強い勢力だと思わせ、そし勝ってもたいして利権は得られないと思わせることで無視してもらいたいところ。そんな方針で臨むことになりそうだけれど、小説としてコボルドたちは静かに暮らしましたではまとまらない。建国編となっていたからには次の展開も用意されててそこでは意に沿わない領土拡大による戦乱なんてこともあったりするのかもしれない。コボルドのほかにも人間じゃない精力はいる訳で、束ねて人間にきっ抗する国を打ち立てる、って展開だとちょっと「転生したらスライムだった件」に重なるかな。そこはガイウスという地味だけれど強い男と、サーシャリアという才媛とそしてダークという女戦士を軸に、少しずつ基盤を固めていく展開を読ませてくれると思いたい。

 すでにWakanaはそろでライブを何度かやっているし、Keikoも梶浦由記さんのライブに歌姫として参加して以前のFiction Junction的な活動に戻って入る感じな中、ひとり元KalafinaではHikaruの動向が見えていなかったけれど、バースデー生配信で12月のソロライブが開かれることに決まったみたいで、どんな歌をどう聞かせてくれるかちょっと楽しみになって来た。透徹した歌声のWakanaに強さを押し出すKeikoと散ってHikaruはどちらかといえば演技派な歌声。女優もやってみたいといつか話していたこともあって、感情がくっきり歌に出る。そんな歌声がWakanaやKeikoによる中和なり相乗なりを得ないでソロで響いた時にどんな空気感が醸し出されるか。興味津々といったところ。身分が曖昧なため行って楽しめるか分からないけれど、その足で歩き始めたHikaruを見ることで、自分も歩き出す力を得られれば良いかもしれない。生き延びて行こうかな。


【7月4日】 なんだ2クールだったのか「キャロル&チューズデイ」はマーズブライテイスってオーディション番組で、優勝したアンジェラに加えて遅刻したけど圧巻のパフォーマンスを見せてデビューする権利をキャロル&チューズデイのユニットも得たところでひとまずの幕。そしてその場で奇跡の7分間が起こるかというと起こらずガスとロディによる振り返り、すなわち総集編ってものに入ってこれまでの展開が振り返られる一方で、新しい展開はとくになくいったいデビューしてアンジェラがどういった活躍を見せ、そしてキャロル&チューズデイは母親の政治との絡みも踏まえながらどんな道を歩むのか、なんて興味をもって次のクールへと向かっていきそう。

 ここまでは底辺からアーティストが成り上がっていくストーリーをなぞった程度で、新しさは特になくオーディションで出てくるほかの挑戦者たちのバリエーションに笑わされたくらいだったけれど、デビューしてから成功への道は可能性が幾つもあるから展開も予定調和気味だったものから離れていくんだろう。気になるのはタオというAIで作曲をする男がキャロル&チューズデイにも興味を持った感じだったこと。アンジェラの専属でマーズブライテストには参加したけどそのAIを一切使わない作曲に感化されたか反発したか、ともあれアンジェラをたてるなり捨てるなりしてキャロルとチューズデイの2人に関わってきそう。2人の作る音楽こそが絶大だというところを壊してでも割り込むかそれとも。4月スタートでこのクールを唯一“完走”できた作品だけに見ていこう。心も少しずつ開封してきたようだし。

 えーーーっ、っていうか先着順だったら自分にもまだ人気の競技を見る可能性があるかもって人が来たいを抱けたんだけれど、東京オリンピック2020の大会チケットの次なる売り出しが「セカンドチャンス」という名称で一種の「救済措置」的なものになってしまった。曰く「セカンドチャンスに申し込めるのは1次抽選に申し込みながらも、1枚も当選しなかった人。売り出されるチケットは会場の座席数が数万単位と余裕のある球技の団体戦の予選や、予選ラウンドが多い競技となる予定。申し込めるのは1口のみとなる」。どんな競技でももう1枚でも当選してしまったらダメってことで、これで人気競技が残っていたら他の何かに当選はしても、人気競技を見たかった人は門前払いを食らうことになってしまう。

 それはつまらない話だけれど、読むと「座席数が数万単位と余裕のある球技の団体戦の予選や、予選ラウンドが多い競技」といった具合にあまり人気がなさそうなものばかり。そういうのでも見たいからを1枚も当たっていない人が申し込むかどうかがちょっと微妙。そういう人って当たればラッキーな感じでとてつもなく倍率の高そうなのに申し込んではやっぱり外れてそうだよねって思っていそうだから。あるいはそれでもやっぱりどれでも良いから東京オリンピック2020に“参加”したいと思い直して応募するかもしれないから、1枚でも当たっている身としては譲って差し上げたい。それでも余るチケットを3次で売り出したりはしないのかな。海外向けに売るのがきっと余って還流して来そうな気もするなあ。待とう成り行きを。

 今のトレンドはどちらかといえば姉だったり年上彼女だったりお母さんだったりと主人公よりも年齢が上の女性が大活躍するものだけれども、広く見渡せばやっぱり異世界転生が大人気って感じに見えるんだろうなあ、ライトノベルとかノベルズの世界は。いくつかの媒体が今気がついたように取りあげていて朝日新聞までもがずらりと異世界転生系のライトノベルとかノベルズなんかを並べて紹介してる。やっぱり中心は「転生したらスライムだった件」で漫画がヒットしアニメーションだ人気となって原作にも回帰しているといったところ。あとはやっぱり「幼女戦記」だろうなあ、映画も良かったし。

 ただ他はとなると「オーバーロード」や「Re:ゼロから始める異世界生活」も「この素晴らしい世界に祝福を」といた“異世界カルテット”組を外しているのは他のレーベルとか他の作品とかにも目配りしたかったって判断かな、あまりにKADOKAWA推しになってしまうし。そうした流れでも「スコップ無双 「スコップ波動砲!」( `・ω・´)♂〓〓〓〓★(゜Д ゜ ;;;).:∴ドゴォォ」と「空手バカ異世界」と「異世界最強トラック召喚、いすゞ・エルフ」を入れたのはなかなかに正しい判断。もはや大喜利常態となって捻りとアイデアの競争になっている中で、この3冊はバカバカしさが突き抜けていたから。読んで楽しくそして元気になれる異世界転生物。個人的にも今の気分で底辺から這い上がっていくのはなかなか苦しいから、こういう突き抜けた作品が流行るのが嬉しいのだった。その意味ではよくぞ選んだ朝日新聞。

 支援BISさんによる「迷宮の王 2 勇者誕生」(レジェンドノベルス)をさっと読む。第1巻では雑魚なはずのミノタウロスが階層ボスという制限を抜けて部屋から出ては強くなって英雄たちをなぎたおし、やがて迷宮そのものを制覇してしまうという異色の展開で驚かせてくれたけれど、そんなラストにきっ抗する力をもった戦士が現れさあ決戦かといったところで、英雄は帰投して残された迷宮でミノタウロスは悶々としつつ、英雄パンゼルとの再戦を待ち望んでいた。おっともパンゼルは外で活躍して子を成しつつも早くに死去。そして第2巻はその子が旅をして英雄になっていく物語がメインに描かれる。

 ミノタウロスはミノタウロスで戦い続けるけれどもメインじゃなく圧倒的でもなくちょっと脇に。まあでも英雄の息子がすぐに因縁の戦いへと向かってもそれで勝てる相手じゃないから、親に匹敵するくらいの英雄になるための修行を外で重ねるっていうのがやっぱり展開として妥当かも。ミノタウロスじゃないけれどもさまざまなモンスター系と出会ったり、竜神めいた存在と出会ったりしてどんどんと強くなっていく模様。恩恵恩寵めいたものももらっていった果てにミノタウロスと対峙して、それで買って大団円といきたいところだけれど、それ以上に強くなっている可能性もあるからなあ。そうやってミノタウロス対パンゼルの一族の因縁で進んでいくのかな。次に期待。

 バーコードを貼ってバーコードを読み取るサポートをしてそれが何かにつながるかといえばそうした作業が行われるからこそ整理が出来て分類がされて活用もできるといったところで、そのための準備をしていると言えばなるほど意味がある。一方でクリエイティブかと問えばなかなか難しいところだけれど、今はそうしたワークフローが構築された意味を考え、それを敷衍させていく方策を考えていくのが最初の1歩。その1歩が明日は半歩でも2歩でもなってそして3歩下がったりしたとしても、半年後1年後に50歩100歩と進んでいけるならやっぱり必要な1歩なのだと今は認識しよう。かつての年収で1日中、エクセルに数字を書き込んでいるのと今、将来につながる何かをしているかもしれないのとどっちが良いか。そこなんだよなあ。どっちだろう。


【7月3日】 三鷹のアニメーション制作会社と業務委託の契約をして、長い期間を働くことになってこれは就労にあたるかからとハローワークに行って、失業認定を止めてしまったけれどもこれは判断として正しかったのかどうか、実はよく分かっていない。個人事業主として開業届を出せば、働く期間が1年以上に亘るといった可能性が認められれば再就職手当をもらえるそうで、金額的には結構な額に届くけれど、一方で業務委託をした先からハローワークでもらえるだけの金額をもらえるかどうか、そこがちょっと見えないだけに迷うところではある。

 業務委託とかを結ぶことなく、しばらくはフリーランスで行くと決めて、働く時間とか金額とかを調整しながら失業保険をもらえるだけもらうって手もあったし、たとえ業務委託を結んだとしても、働く時間を調整しつつもらい続けるような手もないでもなかった。けれども、朝に起きて行って仕事が出来る場所があるならそちらに落ち着きたいという意識があり、そこで長く働かせてもらうことで再就職手当をもらえるのならもらっておきたいというのがあって、今回の業務委託を選んだ。だったらもはや開業届を出さない道はないのだけれど、それでもやっぱり迷うのはとことん自分の思考に自信を失っているからなんだろうなあ。

 そんなに慌てず焦らないで家に籠もって失業保険をもらえるだけもらってそれから動けば良いじゃんって意見も頂いていて、それはそれで道としてはありなんだけれどそうはできない性分だから仕方がない。月に2回のキャリア支援サービスに通って就職活動としつつ、ハローワークで月に1回認定を受けていれば、来年3月までは大学卒業者の初任給分くらいはもらい続けていたれたけれど、それだけの時間を家にいて本でも読むなり勉強するなりして過ごせるかどうか。それはさすがに無理だった。あとは誘ってもらって仕事を他の人にやらせるなら、自分でやってみたいとうのもあたかな。次にどう繋がるか分からないけれど、とりあえずはそこで身心を整えつつ再就職手当が出ればそれで豪遊……は無理だから美味しいものを食べよう。

 土佐の坂本竜馬と武市半平太と岡田以蔵の誰に共感するか、というよりは誰に共感できないかを考えている。もしもそう聞かれたら、今の僕だと岡田以蔵が真っ先に挙がるのは確実かもしれない。坂本竜馬のように、日本を飛び回ってさまざまなことを成し遂げ、大勢の人たちと出会い慕われ、今も歴史に名を残す大人物だった訳ではない。武市半平太のように、最後は政変にもまれて獄死したものの、強い信念をもって行動し、郷士の身でありながら土佐の藩論を動かすくらいの人物にまで成り上がった訳でもない。

 竜馬の自在さに憧れ、半平太の理想に共鳴をして二人のためにと剣術を磨き、彼らの進む道の邪魔になるならと暗殺を繰り返した人斬り以蔵に、理想や信念といった格好良さはない。主体性をもたない人斬りロボットと唾棄したくなる人もいるだろう。かつての自分だったらそうかもしれない。でお今は違う。以蔵の主体性のなさが自分と重なるから。この社会でもっとも多いのが岡田以蔵のように何かのため、誰かのためにと思わされて動かされ続けるロボットのような人間たち。そこに主体性などなく理想といったものもない。あると思わされているだけで自分自身がそれをどうしてもやりたいといった内在する熱などない。

 そして、上司に言われるままに人を斬って斬って斬り進んだ先、手に残るのはただ人を斬ることだけの残酷なスキル。そもれ誰かに価値を決めてもらい、その指図にのって斬るだけだから自分の頭で考え、どういう意味を持つかを吟味するようなマネジメントのスキルは欠片もない。現代におきかえて、会社員として上司なり組織が求めるままに仕事をし続けていって、いつかぽっかりとその仕事が不要となった時、次になにをすべきかを迷って宙ぶらりんになってしまう。まさに今の自分のように。

 マネジメントやマーケティングやクリエイティブやプログラミングといったスキルを持たない人間が、社会の荒波を渡っていけることなんで不可能だ。だから自分ではどうにもできず、誰かに縋ろうとして声をあげて叫んでいるけど、見透かされて放っておかれる。それは、ひとりでは寂しいからと竜馬を呼び、半平太を呼んでも届かなかった以蔵にとても重なる。以蔵はそして絶望し、自分の愚かさをさらけ出して刑死した。その生き様に共感などしたくないけれど、それが自分の今の、未来の、過去の生き様。なおかつ自分だけでなく世間の大勢の生き様でおある。今のこの社会状況が、岡田以蔵に同族嫌悪と裏腹の暗い共感を抱かせる。アンケートを採ると、案外に以蔵好きが多いかもしれないなあ。とはいえ以蔵では死んでしまうので変わるしかない。竜馬に。あるいは半平太に。なれるかなあ。

 決済の専門家からアニメーションの設定考証者までいろいろな人が7payを使ってのっとられたか何かして、紐付けされているクレジットカードを使われてお金を引っ張って行かれらしくその額も何万何十万といったレベルに達しているらしい。1人2人じゃなく大量に発生していることからそうしたやり口ができるってことが、どこかの段階で露見をしてそれが裏の口コミか何かで伝わって一気に広がったのか、それとも自動的にサーチを走らせていて7payと紐付けされているクレジットカードからチャージして稼ぐソフトでも動いて入りするのか。分からないけれども組織的に情報が共有されて一斉に行われているとしか考えられない。だとしたら誰が何のため? そこが気になる。

 しかし朝からこれだけ大騒ぎになっているのに7payを運営しているところはヌルいというか、サポートに電話が繋がらないのを放置するはパスワードに気をつけろとは言うものの保障がどうとか原因が何とかアピールしないわでちょっと態度が宜しくない。こうしたスマートフォンによるキャッシュレスの決済はそれが悪用されないことが第一なのに、しょっぱなからアプリを導入したくらいでクレジットカードからお金を持っていかれるという最低な状況を招きながら、偉い人が会見をして頭を下げるでもなくスルーしようとしているセブン&アイ・ホールディングスにこれは後でダメージが来るんじゃなかろーか。個人としてはスマートフォンを使っておらずバーコード決済もしてないので縁遠いけれど、いずれ世界がそうなっった時にセブン=イレブン系は何かヤバいとなったら商売も立ちゆかなくなるだろう。それくらいの危機意識はないのかなあ。ないからこその塩対応なんだろうなあ。さてもどうなる。


【7月2日】 だんだんと口コミによって広がっては来ている「きみと、波にのれたら」の認知度だけれど週末6月29日と30日の観客動員数は、興行通信社のランキングによればベスト10には入っていなくて1週間でランク外。「海獣の子供」でも2週は入っていた記憶だからこれはなかなかに厳しい興行を強いられていると言えるかも。知名度のあるシンガーが声優を務めて元アイドルの女優が結結構素晴らしい演技もしていてストーリーも良く音楽も良く絵も良いのにどうして? ってところでやっぱり一般のラブストーリーが好きな層、アニメが観たい層がそれぞれに、自分とは関わりがないんじゃないかと思ってしまったことが背景にありそう。調べた訳じゃないけど。

 逆にこれがどちらにも関わりのあるものだと思えたら、双方が詰めかけ大人気になっただろう。そこがどうしてすれ違ってしまったのかを宣伝のケーススタディとして考えると今後の糧になるかも。いや糧にしちゃあいけない、この素晴らしい映画をもっともっと大勢の人に見てもらいたいのにどうしたらいいのか分からないのが残念。映画「若おかみは小学生!」の時も似たような状況から口コミのドライブがかかった上に、高坂希太郎監督があちらこちらに出現しては舞台挨拶を行って、ファンサービスにつとめた。これが報じられて口コミがさらに広がった。「きみと、波にのれたら」にそんな用意は今のところなさそう。

 かといって今さら「夜明けつげるルーのうた」をテレビでゴールデンの枠で放送しながら、CMを「きみと、波にのれたら」のタイアップにして関連映像と使いつつ流すなんてことはできない。すでに「夜は短し歩けよ乙女」ともども放送してしまったから。真夜中に。どうしてこういうことをするんだろうなあ、いくら朝のワイドショーでタレントが出て宣伝したって、それを観て劇場に行こうなんて若い女性もティーンも家にはもういない。だからまったく宣伝にならない。「君の名は。」の地上波のゴールデン放送に合わせてCMに手を入れ同時視聴を促しつつ宣伝もしっかりやった「天気の子」はやっぱり凄い。同じ東宝系でこの差はテレビ局のアニメーションに対する力の入れ方の差、ってことになるんだろうなあ。そういう場所なんだよフジテレビ。社長が替わって少しは意識も変わるかなあ。

 ようやくメディアも報じ始めたジャニーズ事務所のジャニー喜多川さんの病状。解離性大動脈瘤からのくも膜下出血って聞けば相当な重病そう。嵐のメンバーが詰めたり木村拓社さんが行ったりする状況も考えるならなかなかに厳しいのかもしれない。そうした情報がしかしどうして入院したって情報が流れてすぐに公開されなかったのか。G20にジャニーズ事務所の誰かが絡んで安倍総理にインタビューなんかしていたことから邪推するなら、社長の危機的状況にテレビに出ている場合じゃないと言われかねないことを考慮し、その病状を隠していたってことになる? 亡くなった訳じゃないから喪に服すとかないし亡くなったって仕事は仕事と割り切る方が評価も上がる場合がある。けど何か突っ込まれるリスクは避けたかったのかも。いずれにしても明らかになったご病状が以後、どう報じられていくのか。そこが目下の関心事。

 大友克洋監督と押井守監督がそろって米映画芸術科学アカデミーの会員に招待されたそうで、ハリウッドもいよいよ2人が準備している「スチームボーイ」と「G.R.M」という、映画の常識を変えるような作品に目を付けたに違いない……ってそれは20年前の話であって、普通に「AKIRA」と作った監督と、「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」の監督として世界に影響を与えた作品を作ったことを評価されたんだろう。個人的には2人とも気がするけれどもそこは最近になってハリウッドも非白人の拡大に積極的に乗り出したようだから仕方がない。これで片渕須直監督もなったし細田守監督はどうだったっけ。会員が増えれば投票権も広がり日本の作品が有利になる、って簡単にいくかは分からないけれど、アカデミーの権威を介してこやってアニメーション監督の名前がメディアに取り沙汰されるのは悪いことではない。受けて新しい仕事につなげて欲しいけれども押井監督は当面入っているからなあ、いちごアニメーションの仕事が。どんなアニメになるのかなあ。

 そういう身なので(どういう身なのだ)出勤前に東京国立近代美術館で「高畑勲展」を見る。これがほかの若いアニメーション監督だったら初日から行列も出来るところだろうけれど、誰あろう高畑勲監督ではそうしたことはなくって普通にすんなり入れた上に、展示も間近でじっくりと見ることができた。そんな資料の凄まじさよ。とにかくぎっしりと並べられた展示物の物量に圧倒されて体も心も押しつぶされそうになる。集め、保存し、整理し、分類し、調査し、意味付け、必要とあらば取り出して見せ、また保管する作業の膨大さを思うと、足がすくむけれどもそれをやったからこそのこれなら、やらなきゃいけないんだろうなあ。頑張ろう。その前に仕事を覚えないとリーダーがいない時に仕事にならずお金にならないし。

 あと高畑勲という人の創作に向けての緻密で厳密な準備にも呆然。ストーリーをこまかく作るはキャラクターと綿密に設定するは、1本のアニメーションを作るのに1つの世界をまるごと作ってしまうような情熱で作品に向き合う。「赤毛のアン」なんてアンがいったいその日に何をしているのか、なんてことを書き出してそれに合わせて話を組み立てていったそうだから凄まじい。「太陽の王子ホルス」の場合だと村人たちが躍る場面とかの人の動きを設計し、歌う歌も作って書き出してあって子細よろしくと他人に丸投げして帳尻だけ会わせるような雰囲気はまるでない。

 キャラクターの相関図もかいてホルスがどうして孤立していくのか、なんてことも分かるようにしている。それは作品に取り組んでいる大勢が同じ知識を持ち認識を抱いて共通の世界観の上、共通のキャラクターを作れるように配慮しているってことなんだろう。だからバラバラにならない。レイアウトシステムだってひとつきっちりと構図を決めて芝居を固めておくことで、バラバラな映像にならないための配慮であってそこに天才・宮崎駿がいたから画面も芝居も展開も完璧なものが仕上がった。「パンダコパンダ」とか「母を訪ねて三千里」で描かれた宮崎駿のレイアウトが、どれだけ世界や雰囲気の創出に貢献しているかを考えてみたくなる。

 「赤毛のアン」の途中で宮崎駿が「未来少年コナン」のために抜け、以後の映画でそうしたレイアウトを宮崎駿が担わなくなったことでポップさもあった世界観が固くなってしまったのかなあ。ちょっと分からないけど、ともあれ戦って練り上げて突き進んでいったからこそ、高畑勲作品は今も世に讃えられて資料もこうして尊ばれる。他の会社がそこまでのものを作っているか。未来に残す価値はあるか。商業に押し流されていたりするかもしれないけれど、高畑勲監督がどれだけの熱情でもって作品に挑んだかを展覧会で目の当たりにして、そこを出発点にして日本のアニメの再構築をクリエイターもプロデューサーも狙って欲しいなあ。そうなればアーカイブにもより意義が出てくるから。


【7月1日】 3カ月の無職生活がどうなるかそうなるか見えて見えない状況に疲れ果てていたのか、夜の8時には寝てしまってそのまま朝まで来てしまってテレビ放送された「君の名は。」は見ず、従ってCMでの「天気の子」とのコラボレーションなり提供ロゴの入れ替わりになりを目の当たりにできず、録画しておけば良かったかなとも思ったけれどもリアルタイムに視聴しながらわいわいとやって楽しい仕掛けを録画で見るのも無粋なんで、見られないならそれはそれで平気だとここは開き直ろう。

 本編に追加映像があるとかだったら残念さも増したけど、そういう訳ではないし。ただリアルタイムの視聴者を求めた放送局の努力は認めたい。でないと今って視聴率稼げないからなあ。よく頑張った。こうした貢献が次の作品も呼び込むってことになるのかな。テレビ朝日は新海誠監督で日本テレビは細田守監督とスタジオジブリ。フジテレビは……湯浅政明監督をあからもっとフィーチャーしようぜ。ノイタミナ時代から抱え込んできたことが無意味になってしまうじゃないか。あとは「PSYCHO−PASS サイコパス」というコンテンツ。ゴールデンに放送したって大丈夫なタイトルに育てれば良いのに。そこがやっぱり編成としてアニメを軽んじている印象につながるんだよなあ。勿体ないもったいない。

 原作準拠をうたい文句にしてスタートした「美少女戦士セーラームーンCrystal」が、1期は原作者の武内直子さんに極力寄せたキャラクターデザインでそれなりにファンを得つつも東映アニメーション版を見て育った今のお母さん世代から、いろいろ思われたのかどうなのか、2期では少しキャラクターデザインも旧作へと近づき、演出も今千秋さんが入ってポップでコミカルな部分もあるセーラームーンになっていた。つまりはちょっとした先祖返り。それで持ち直したって説もある。

 そんな経緯をたどったからか、いよいよ劇場版としての製作が発表となった新シリーズの最新作「美少女戦士セーラームーンEternal」では今千秋さんがシリーズディレクターを務めるのは従来の発表通りとして、キャラクターデザインがあの「美少女戦士セーラームーン」であり「美少女戦士セーラームーンR」を手がけた只野和子さんになっていた。出てきたビジュアルもかつてのセーラームーンのよう。ネットなんかを見ても喜ぶファンの多さから、求められていたのはこっちなんだって改めて思えてきた。

 それじゃあ原作回帰の新シリーズを作った意味がないじゃんてって思わないでもないけれど、原点回帰に喜ぶファンが多いのならそうするのが顧客あってのアニメーションビジネスというものだろー。発表されたセーラームーンとセーラーちびムーンのかつてのようなビジュアルは確かにグッと来る。そんなビジュアルに今千秋監督のノリが加わった懐かしくて新しいセーラームーンが見られたら、やっぱりファンとして嬉しいだろうなあ。その公開は2020年。オリンピックが近かったら海外から来るファンもいっぱい映画館に押し寄せて、劇場も英語字幕を用意しなくちゃいけなくなるかも。そしてなぜか「ムーンライト伝説」が流れてそれを外国人も一緒になっての大合唱。聴きたいなあ。それまでは頑張ろう東京で。

 本当にツイートを読んでそれならを腰を上げて平壌から板門店へとかけつけたのか、事前にそうしたことも起こりえるからとルーツを通じて打診があって、その上でツイートで呼びかけ応じたといったアングルを作ってみせただけなのか。すべての行動に先回りして準備が必要な合衆国大統領と、そして安全の担保のためにはどれだけの準備だってかけて当然の北朝鮮の最高指導者が「会おうか?」「会おうぜ!」で会うとも思えないだけに、いろいろと根回しはあったと思いたい。それならそれで日本に一切の情報が入ってこなかったことの方が、問題だし怖いし恐ろしい。何をやっていたんだろう外務省。あるいは官邸。それとも外交ルートは捉えながらも監督と関わりたくない官邸に“忖度”して伝えなかったとか? 分からないけど蚊帳の外ですらなかったことは衝撃だ。

 板門店でトランプ大統領が金正恩と会って何かが進んだということはないにしても会ったという事実とそれが軍事境界線を越えた北朝鮮の場でも行われたという事実は、長く戦争状態にあった北朝鮮と韓国・アメリカの関係をいろいろと変えることになる、って話も出ていたりする。そりゃあそうだ、無条件降伏をしていない日本にマッカーサーは降りてこなかった訳だから。そういう外交的な楔が少しずつ抜けてきて、動きやすくなっていった先に韓国と北朝鮮との関係に変化も起こりえる。けどそこに日本が絡むことは今の状況ではあり得ない。韓国から北朝鮮に拉致された人は帰ってきても日本は情報の拉致外に置かれる? それで国内世論が納得するかというと、安部さんは日本という国の尊厳のために我慢しているんだといった応援が出て支えそう。過去にそうでもあったし。いつか東アジアから日本があつての北朝鮮おような立ち位置におかれそうな悪夢も見えてきた。どうなるか?

 諸々あって3月末に勤務先の新聞社を退き3ヶ月、ロートルにして偏ったキャリアのため、再就職のあてもなく不安な日々をワイパックス囓りつつ、船橋西図書館と船橋中央図書館とドトールとベローチェとタリーズとファーストキッチンとハローワークで過ごし、雇用保険とライター仕事で賄って来たけれど、これでは身心も衰えるばかりと気を入れ直し、7月1日より従前よりお誘いを頂いていたアニメーションのアーカイブ事業の手伝いをすることにした。三鷹というか武蔵野にあるナポリピッツアの美味しいアニメーション制作会社が、以前から力を入れているアーカイブ構築のお手伝い。、アニメーションの制作素材を整理分類してバーコードを張ったり、原画をビニール袋に詰めたり、カット袋を段ボールに入れたり、そんな箱ごと上げ下げしたりしながら身心を整え、何か次のステップを見つけたい。というより見つけないと次がない。

 身分はフリーの業務委託で、フルタイムで詰めて雇用保険分にたどり着くくらい。それなら寝ていたらって話だけれど、何もしないよりはしていた方が覚えることもあるし、学校に行くと思えば逆にお金をもらえて新しいことができるんだからこれは幸福と見るべきだろう。何かの本を冬の刊行に間に合わせるための作業もあるとのことで、これは頑張るしかないなあ。もちろん書評等の書き物は従来どおりに致しますのでお仕事があれば是非にお願い申し上げますとアピール。当面は修行となるけれど、昨今の経済情勢から安泰とはいかないのが世の常。そうした将来も想定し、偏ってロートルな当方に、こうした仕事を手伝わせてやっても良いという奇特なお考えの持ち主がいたら、持てるスキルと使える時間、そしてエネルギーの回復度合いを勘案しつつ、お話しを伺うにやぶさかではないので引き続きご厚情のほどをお願い申し上げます。


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