縮刷版2019年6月上旬号


【6月10日】 前作の「君の名は。」が公開前に中高生が良く来られそうな場所でいっぱい試写をやって、それこそ何万人とかいった単位で呼んでもしかしたら映画を観る予定の人数を超えちゃっているんじゃないの、今までの新海誠監督の実績ならその可能性もあるんじゃないのと思わせながら、ふたを開ければそうした試写での口コミがきいて大勢が映画館へと駆けつけ、繰り返し観るリピーターも呼び込んで延べで2000万人近い動員を達成してしまった。だから今回も同じように前宣伝として試写を行うのかと思ったら、「天気の子」ではクオリティを最大限に上げるため、試写をいっさい行わないで公開日の深夜0時から最速での上映を行うってことになったみたい。

 ギリギリまでのクオリティアップというのは一説にはギリギリまで完成にかかるといったシチュエーションを意味することもあるらしいけれど、予告編とかの出来を観るなら絵の方は割と完成していそう。とはいえアフレコがつい先頃までそれこそ1カ月とかかけて行われていたように、セリフのニュアンスを大事にしつつそれを絵にも反映させるようなことをやってきそう。どこまでも映像と音楽とセリフのタイミングを大事にする新海誠監督の演出なら、そうした調整も徹底しそうでそれがギリギリまでかかるってことなのかもしれない。

 いずれにしても誰も知らない状態で見に行く「天気の子」。ただ「君の名は。」以前の「言の葉の庭」までの新海誠監督とは違って、今は誰もが知る監督であり、傑作を作る監督だと広く知られているから内容とか判らなくても予告編の美しさとかRADWINPの音楽の良さとかに関心を抱いた人が初日から映画館に足を運んで、そしてやっぱりの完成度に口コミが広がって一気に爆発しそうな予感。よしんば内容面で口コミがドライブしなかった時が大変だけれど大箱を開けていてもTOHOシネマズ、シビアだから小箱に移して別の何かをかけるだけ、ってことになるのかな。だったら大箱を「海獣の子供」に譲ってあげて欲しいな。TOHOシネマズららぽーと船橋も小箱に移ってしまったし。チネチッタ川崎が関東圏では最大か。行ってこようかもう1度.

 ペンデュラムを揺らしながら戦うゼンラーマンたちが登場する林トモアキさんの「ミスマルカ興国物語」をすでに読んでいるだけに、賢勇者なる青年が全裸大好きでそんな賢勇者に着脱が簡単な鎧の下から現れた全裸の剣士が対峙するような展開でも、バトルが足りんと行ってもっと全裸をと呼びかけたくなったけれども、今時の電撃文庫でこれをやるのはなかなかに勇気がいることだっただろう。なおかつ救水なる衣装を取り出してはいったん女子に着せ、それをマッチョな剣士に鎧の下のアンダーウエアだと言って着せては鎧が外れた時の阿鼻叫喚を招いた展開は、面白くって仕方がないのでこれは良作を断言したい。有象利路さん「賢勇者シコルスキー・ジーライフの大いなる探求〜愛弟子サヨナのわくわく冒険ランド〜」(電撃文庫)。

 行き倒れていたところをシコルスキー・ジーライフって何か意味深な名前の賢勇者たちに助けられたのサヨナという女子。実は……ってのは後で明らかになるとして、そんな女子に全身からきのこがにょっきり生えてしまう状況に陥ったシコルスキーの、あまつさえ股間に生えたキノコを異性の唾液でなければ取り除けないからといって舐めさせたりする展開も、電撃文庫にあってなかなか以上にやらかしているかもしれない。口から「おちん(以下自粛)」と叫びながら全裸で駆け回る女子が登場するガガガ文庫じゃないんだから、電撃文庫は。

 どうしてもシリアスになってしまう女子をお笑い方面に引っ張り込もうと落とし穴に落としたり金だらいをぶつけたりしても動じない展開とか、火浦功さんのギャグを読んでいるような懐かしさ。電撃文庫がある所在地を繰り返し文中に繰り出すメタな展開はほかにはないから冒険だっただろうなあ、ところで千代田区富士見1−8−19電撃文庫編集部ってつまりは角川第3本社ビルってことで、ここっていつまで電撃文庫の編集部でいられるの? 実を言うならそこがちょっと気になるところ。ベストセラーとなって増刷がかかったらそこで住所が変わっている、なんてことはあるのかな。どうなのかな。

 「アラジン」のようなロケットスタートとはいかなかったけれども決して大きくはない箱で回されてしまったにもかかわらず、「海獣の子供」は興行通信社の週末ランキングで観客動員で5位に入ったようでまずは安心。口コミが回ってここから大きく下がらないで欲しいけれど、すでにして箱が小さくなりかかっているし回数も減らされ気味なのがちょっと心配。誰かメジャーな人による口コミがドライブしてくれればいいんだけれどなあ、吾郎ちゃんが出ているからと中居くんが誉める? それもまた映画の観客層とは違った届き方をしそう。でもそれでも見て欲しいんだ「海獣の子供」は大勢に。

 意外なのは東野圭吾さん原作の「パラレルワールドストーリー」で、あれだけ前宣伝があったのに初週が4位で2週目は8位。何があったんだろう。ちょっと気になる。「ゴジラ・キング・オブ・モンスター」「コンディフェンスマンJP」「空母いぶき」は前週の1位2位3位から順当に1つづつ下がった感じで、それだけ根強いってことでもありそう。今週末はいよいよ「ガールズ&パンツァー最終章 第2話」が登場でもちろん1位、とはならないまでも下から上げてくるからいよいよ「名探偵コナン」も圏外か。「劇場版 誰ガ為のアルケミスト」は何位くらいに入ってくるか。ゲームアプリの映画であっても本気でストーリーを紡いでいるから見て欲しいなあ、河森正治総監督による初の原作付きアニメーションって意味でも貴重だし。

 奇妙な話で菅官房長官が夜回りで喋った話がICレコーダーで録音でもされたかのように克明に週刊誌系のメディアに出たことを憤って、もう喋らないとなったので現場では番記者たちが袋を回してICレコーダーを集めてまとめて録音してませんよといった態度を見せるようになっているらしい。録音できなければ頭で覚えて再現すりゃいいだけじゃん、って言えるのはたぶん昭和の新聞記者あたりで今時はICレコーダーの録音どころか現場でパソコンを叩いて一言一句をその場で記録していくのが主流。そうでなければニュアンスまで再現できないってことらしいけど、重要なことが喋られたら録音してあろうとあろまいと、ニュアンスを最大限まで感じ取って記事にするのがジャーナリズムって奴だろう。でも録音してませんって態度を見せている以上、そうしたヌケガケも許されないんだろうなあ。それがこの国のジャーナリズムって奴で。やれやれ。


【6月9日】 そうかなつはまたもや作画部行きに落ちたのか。中を割る動画を描く試験でなぜかいっぱい描いてしまってそれがクリンナップされていないラフに近い絵で、動画といえどもちゃんと描けているものを求める試験官の目にはそぐわなかったみたいだけれど、アニメーターにとっては自分が理想とする動きがあって、それを引っ張り出しては描こうとして挑戦し、ラフな形でもそこに現出させたなつの想像力に惹かれたみたい。なおかつそうした想像に腕がおいつかないことを悔しがるなつを、アニメーターが永遠に悩むことだと2人でうなずきあう。業の深い世界なんだなあ、アニメーションって。

 そうした妥協なき精神がクオリティを保ち日本を世界に冠たるアニメーション大国にしている。讃えるべきかシステムに置き換えて平準化を目指すべきか。どちらも必要そう。「海獣の子供」がCGならではの良さでもあったモデリングの使い回しをしないで、場面場面にマッチしたクジラを付くって動かそうとしたって話は、職人魂の発露と讃えたいけれど5年の制作期間を持った映画だからの所業であって毎週が納期のテレビシリーズでは無理だろう。

 だったら、昔のテレビアニメーションと同様にバンクも使って演出を工夫し物語を見せる作品と、徹底する作品を分ければいいだけのこと。でも今の目の肥えたファンはテレビでも妥協を許さないからなあ。サービスしすぎて鍛えられすぎて挙げ句の異論、そして破綻じゃあ寂しいから、ここはリテラシーの問題として妥協を許す空気を付くって欲しいかなあ、「けものフレンズ」のように物語力でねじ伏せるくらいのことができれば結構なんだけれど。

 意識を持ち上げてどうにか外にも出られるようにはなっているけど、そういう感じじゃなかった頃に幾つか申し込んでは逃したイベントがあってちょっと勿体ない気分。6月6日に水島精二監督が登壇したイベントとか、7月に入って片渕須直監督が登壇して「この世界の片隅に」について語るイベントとかネットでちゃんと予約はしたけど、そのままクレジット決済にするのが惜しくて現金払いにしようとして、結局コンビニで払わないまま流してしまった。それが自分にとって何の意味があるんだろう? って考えるともう身動きがとれない。

 それが自分にとって面白いからっていう割り切りが出来ないのは、長く自分を介して世の中に何かを発信することで、ささやかな自己顕示欲を満たしてきたからなんだろう。そうした回路を断たれさまざまな場所にアクセスする道筋も狭められ、なにより原資が減ってそこかしこに出向いていけるだけの余力がない。そうなると結局はネットから拾ったネタに感想を書いてジョッキーするのが関の山になってしまう。それはもう出没家とは言えない。だからせめて週末くらいは1日に1つのイベントに行く、週に何冊か本は読むといった課題を設定し、遵守していきたいけれどそれもいつまで続くやら。まずは職だ。定収だ。そして居場所だ。頑張ろう初夏。

 というわけで昨日のメットライフドームでのAqoursに続いてさいたまスーパーアリーナでの岡崎体育を見物に。発表された時にまさか埋まるかと思いつつも多分埋まると思っていたとおりにしっかり埋まって1万8000人。ぎっしりの観客に対してたった1人でカラオケみたいに音を鳴らして口パクだって駆使して聞かせるそのサウンドその歌声はテレビで見たりPVで眺めたりする岡崎体育とまるでいっしょ。もっと小さい箱でもおなじ事をやって受けるのが、とてつもなく大きな箱でやってもしっかり受けるところに基盤となる面白さがあり音楽の確かさがあるんだろう。

 とにかく楽しませることに一生懸命で、アリーナの中央に丸いステージを用意しているんだけれどそこへと向かう花道が平均台を2本くらい並べた程度で歩くにはなかなかの根性がいりそうな幅。予算を節約しないとといった説明があってそれはセンターステージを彩る花を代わりにえのきにしたことにも現れている。なんでえのき? まあ遠目には判らないから気にならないか。そして別に使うところには使っている。それは場内スタッフ。何と藤木直人さんがスタッフに紛れて最前列でフェンス抑えてた。どういう繋がり? どういう意味合い? でも面白いからそれで良いのだ。

 そういう外して捻って被せてくる笑いと真っ当な歌の絶妙なバランスが、全編にあふれていたさいたまスーパーアリーナ。Aqoursのメットライフドームでも見たような、ステージからアーティストが離れて場内を回る時に乗るトロッコというかゴンドラが岡崎体育にも用意されていて、それを今まで1度もやったことがない、トロッコで場内を回るのに1度もやったことがない曲を使うという内容の歌といっしょいに練り歩くんだからもう嗤う。見れば楽しく歌もどことなく聞き覚えがあるんだけれど、そういう風に作ってしまうところが才能なんだろうなあ。途中での合いの手だとか一緒に歌ってだとか、誘っても付いて来られないというオチも交えて半分まで来たら、次は帰りのトロッコをパッケージに収録されているライブを振り返るオーディオコメンタリーにしてしまった。

 今そこにいるのにかつてライブを見ていて号泣している女性としてしまって、映し出された女性号泣すべきかどうかを悶々としている姿が映し出されるわ、乗っている途中で酔って気分が悪くなるような雰囲気を見せるはとやりたいほうだい。そんなオーディオコメンタリーの下では実はちゃんと新曲めいたものが流れていたりするから、もしかいたら作ったものがあるのかもしれない。でも流さない。そこがやっぱり岡崎体育。ほかにも宙づりで登場したり、センターステージからぐっと上にせり上がる場面で例の歌詞を忘れてしまったというセリフを株得て歌わなかったりと、シリアスに感動しようとするとズラしてくる技が冴えていた。でもトータルでやっぱり感動してしまう。さいたまスーパーアリーナにたどり着いた感動もあるけれど、どこまでも観客を楽しませようとするそのスタンスに感動するんだろうなあ。ああ楽しかった。気鬱も晴れた。まあクスリのおかげか。正念場だけれど頑張ろう。


【6月8日】 聞こえてくる「海獣の子供」の評判はプロのアニメ評論とかやっている人たちにはことのほか良いようで、信じてみて欲しいとか劇場で見て欲しいといった言葉が並んで見に行かざるを得ない気分を醸し出す。とはいえ芸能人であるとかお笑い芸人であるとかいった人の声の方が圧倒的に響く世間で、アニメを語る人たちの言葉は内輪のほめ言葉に捉えられてしまう可能性もあって、どこまで広がるかが心配になる。幸いにして出演者に南海キャンディーズの山里亮太さんと結婚した蒼井優さんがいて元SMAPの稲垣吾郎さんがいて絶対子役から女優へと進み始めている芦田愛菜さんがいる。そんなファンを多く持った人たちの言が広がれば目を向けてくれる人が増えそうだ。

 それでも誘われて見に言って今度は何回で意味不明と言われてかえって足を遠のかせてはもったいない。そういう時にアニメを語る人たちの考えるよりまずは体感して欲しい、ストーリーを追うよりも何かが起こっていることを感じてそれから考えていって欲しいといった言葉を受けて、判らないなりに味わう術を講じて欲しいんだけれど、そういう風になっていってくれるかなあ。金曜日の昼過ぎの劇場でもまあそれなりに観客はいたから、原作付きということもあって認知度や関心はそれなりにありそう。そんな人たちが判らない、ならもう1度となるためのヒント、あの場面は実はといった言葉が流行ってそれなら確かめにとなれば、観客を減らさずむしろ伸ばせて劇場も増え、待望の大きなスクリーンでの上映もあるんだけれど。どうだろう。

 個人的には2度目の鑑賞でラストの展開、隕石を飲み込んだ琉花が大きくなってもろもろを宿していたところに陸が来て、引っ張り出して海が現れ飲み込もうとして、ダメと止めてもさいごは与えてそして星や銀河がいっぱい生まれて、それをジンベイザメとかが飲み込んではきっと宇宙全体にばらまいたのかどうなのか、判らないけ宇宙の中にあって海を持つこの地球は重要で、そこを基点にして世界が生まれ銀河が生まれ宇宙が生まれていくといった、地球の独特さを伝えるメッセージがあったような気がした。間違っているかもしれないけれどそんな理解。

 判らなかったのは国家の組織が関心を示していた割には、何を狙って何を手にしたかってあたり。宇宙の誕生を見たかっただけ? それはないよなあ。だったらきとジムがデータを消してしまったことに何か意味があるんだろう。世界は守られ儀式は成立して宇宙が生まれ世界は次に進む。そんな世界がまた同じ儀式を行う時、そこに琉花はデデのような立場で絡むのかな。受け継がれる経験と記憶。その様子をちょっと見て見たいかも。「海獣の子供2」で。いやそれはないか。

 このライブが仕事で見に行けなくなるのが嫌で会社を辞めたなんていったら世界から叱られそうでいえないけれど、今の宙ぶらりんの心境だったらやっぱり土台をしっかり持った上で行って存分に楽しみたかったなあという気が随分としている。それだけやっぱり環境の変化は覿面に心理にダメージを与えていて、前なら心から楽しめたエンターテインメントを楽しめなくしてしまっている。たぶんこれは残る人生で随分と続きそうな予感。せめ年収が300万円くらいを確保できるお仕事に就かなければ、心が沈んでしまうかもしれないなあ。だからこそ頑張らないといけないんだけれど、その道も見つからない昨今。だったら行かないかというと行くんだけれどね、Aqoursの5th LIVEには。

 噂には聞いていたメットライフドームはまず遠くて、池袋から飯能へと向かう列車を途中で降りて西武球場前まで行ったらもう目の前がメットライフドーム。駅からのアクセスは万全だけれど、その分、帰りがとてつもなく混むという話を聞いていて、今日も実はアンコールを飛ばして帰って来てしまった。あとでセットリストを見たら4曲もやったそうでユニットごとに3曲とそしてライブのテーマにもなっている「Next Sparkling!」だっけ、聞いて見たかったけれど聞いていたら確実に帰宅が2時間は遅れたから仕方がない。そのあたりはパッケージで補完したいけれど買うお金が……。そういうことも考えないといけない不安がジリジリと神経を痛めつける。就職しろ? それができれば。

 まあでも聞いているうちに気鬱とか吹っ飛ぶ楽しさよ。とりわけ劇場版に登場したSaint Snowによる「Believe Again」が生で演じられて生で聞けたのは最高で、もしかしたら場内も1番くらいに盛り上がっていたんじゃなかろーか。映画と同じようにミリタリーなスタイルで網タイツ。中の人たちのそのスタイルはなかなかにセクシャルで遠目ながらも映し出されるモニターによってアップにされ、なかなかに感じさせてくれた。ライブビューイングだったらもっと目の当たりにできたかもしれないなあ。今日の席はアリーナでもあっても中段の最後方といったところで観客が立つとステージに立ったメンバーは見えず、センターまで出て来てかろうじて上半身が見える程度。もっと高くしてくれればいいけれど、そうもいかないんだろうなあ、安全上。

 それでも今はモニターが本当に高精細になっているから、テレビを見ているように映し出されるメンバーを見られるのが嬉しいところ。そういうのを眺めつつ、あとは同じ場所にいるんだとう共感を味わうのがライブの醍醐味って奴なんだろう。そしてもっと大きく間近に見たい人たちのためにライブビューイングがある。行けない人のための予備でもあるんだけれど、実在の人間よりも巨大に映し出されるスクリーン上のメンバーを文字通りに“体感”できるライブとは別のエンターテインメントでもあるって言えそう。そういう部分を強調していけば、これはこれでもっと大きな商売になっていくんじゃなかろーか。ライブビューイング・ジャパンあたりがそうしたライブの中継演出のノウハウを貯めていくことで、生まれてくる新しいエンターテインメントの予感。それこそ9部屋とって1部屋ごとに違うメンバーを捉え続けるとか、あったら誰に行くかなあ。

 サニブラウン・ハキーム選手が100メートルで9秒97の日本新記録を出したそうで、桐生選手といい日本から出た選手が軒並み10秒台を切ってきた感じ。これがだんだんと普通になっていくんだろうけれど、見上げれば世界はさらに上を言っている訳で、サニブラウン選手もそのレースでは3位だったというから恐ろしい。それでもオリンピックの100メートルで日本から出た選手がファイナリストに残る可能性は以前以上には高まった。とうか以前はゼロだった。そういう部分を鑑みるなら陸上を見る楽しみは増えた。100×4のリレーなんかではメダル常連になりつつあるだけに、あとはファイナリストの常連となって世界に存在を示して欲しい。他に誇れるものがなくなりつつある国だから、日本。やれやれ。


【6月7日】 山里亮太さんといえばもうずいぶんと昔にお笑いのライブ「潜在意色」というもののDVDが出る歳に、インタビューにいってその日がちょうとテレフォンショッキングで誰かから回って来ることになって、「いいとも」と答えるのを待ってからインタビューをしたんだけれどとても真面目でそして未来のお笑いを真剣に考える人だったから、いったん貼られたレッテルとしての不細工といったものはまるで感じなかった。どちらかといえば理論派で、だから天才肌のしずちゃんには憧れを持っているとも話していたっけな。その天才に頼ってばかりじゃ行き詰まる。ならばと仲間を集めてライブを開いた。

 春日という天才がかたわらにいるオードリーの若林とかも交えてのライブの話を熱心に語ってくれた山ちゃんは大学を出ているし、慎重だって178センチもあるしあの極端に小さい眼鏡をはずしたら裾野はひろいけれども鼻筋はちゃんと通ってなかなかにクール。そうした方面へと髪型やファッションをチューンすれば良いのに、そうしないで南海キャンディーズの山ちゃんとしてのイメージを維持してテレビには出続け、一方でお笑いについても考えているからこそ、蒼井優さんとの結婚へといたったんだろう。勢いとか雰囲気ではなく理論と実践。それをクールと見て今は受けてもあとで熱が足りないと振ったりしないとも限らないけど、今は心からの祝福を。

 そんな蒼井優さんが主人公の女の子の母親役で出演している「海獣の子供」をTOHOシネマズららぽーと船橋で。東京でももちろん始まっているけどどこの劇場もスクリーンが小さくて、あの細部まで描き込まれた絵がそれこそ宇宙規模に広がっていく映像を、見るにはとてもじゃないけど相応しくない。どこもTCXを使って上映するか、幕張新都心のイオンシネマだったらULTIRAを使うべきなのに、そこは新作の「アラジン」なんかが抑えて回ってこない。そうした中で15メートル×6メートルの規模のスクリーンを宛がってくれたなら、もう見に行くしかないじゃないか。

 ってことで船橋中央図書館にある電源が使える席(ここは西と違って予約して何時間限定で使うって感じじゃないみたい。西は西でライトが着くんで主に西で時々中央もありかな)で来週末が締め切りとなっている漫画に関する評論のとりあえずアウトラインをどうにかこうにか着くってあとは足したり削ったりいざとなったらそのままえいやっと出せるくらいにまで整える。数週間前から気鬱が激しくなって取りかかりたくてもかかれなかったけれど、ワイパックスをもらって昼間はどうにか立て直せたのでそのままどういんか作り上げ、そして雨の中を歩いてららぽーとTokyoBayまで言って「海獣の子供」。試写に続いて2度目。凄かった。

 デジタルハリウッドで解説も聞いていたから、そのシーンが手描きの作画でCGで合成でアフターエフェクトでってことも判ったけれど、それを知ったからといって何か違ったものが見える訳ではなく、トータルで溶け合って混ざり合って凄まじい映像を作り出しているってことが改めて判ったというか。あとはやっぱり美術の緻密さ。五十嵐大介さんのタッチを取り込みながらも背景としてリアルにも寄せてあって人間が普通に生きている感じを醸し出す。これだけ抜いて背景画展とかやってくれたら、どれだけ緻密か判るんだけれど。あとは現実の風景と並べてくれるとか。それってパンフレットでやっているのかな。買わなかったけど次また見たら買おう。何しろ「海獣の子供」は3度では足りない、4℃見ろ、だから。

 3月1日の受賞者発表までは確かCG−ARTS協会が運営を受託していて、呼び込みなんかもあったのでソニービルの跡地にあるスペースで受賞者を眺めチコちゃんとかに出会ったりしたけれど、それを境にぱったりとリリースが来なくなり、すでに会社をクビ……じゃなくて希望退職することは決まっていたけどまだまだ在籍はしていたにもかかわらず、リリースが来ないのは何だろうと不思議に思っていた。辞めて2カ月目くらいに文化庁メディア芸術祭の受賞作品展が開催されることになっていて、その内覧会とか贈賞式の案内が、以前だったら届いていたけど今年は届かないのは辞めたんでリストから外されたのかもと感じていた。

 ところが、現役でアニメーション関係の取材をしている人のところにも内覧会や贈賞式の案内は行かず、以前にアニメーション部門の審査委員をしていた人ももらってないとかった話が流れてきて、受託が変わったのかと調べたらPRを3月1日以降はCG−ARTS協会ではなくゼストっていう代理店がPRを担当するようになっていたのが判明。そして受託事業者もCG−ARTS協会ではなくBSフジになっていた。なるほどだからBSフジの番組に出ている女性がアンバサダーとかいったものに就任したんだな。過去に文化庁メディア芸術祭でそんな仕掛けなんてなかったし、元より作品を見せ受賞者を見せるイベントにアンバサダーなんて必要ないにも関わらず、持ってくるセンスがどうにもテレビ屋さんくさい。

 それで何かアピールに繋がっていれば良いんだけれど、今時の人なんてテレビは見ないからBSフジで何が行われているかなんてまるで不明。むしろネット上でアニメーションについて発現するインフルエンサーをこそ誘って喧伝させるべきなのに、そうしたところに案内状が回ってないからネット上での情報がSNSとかを入れてどうにも少なくなっている。まったくもって虻蜂取らずの愚行。その上に今回は展示してある作品が、壊れたらしいからといってアーティストに相談なしにスペアと取り替え、あまつさえその取り除いた作品をなくしていまったんだから驚いた。

 すぐそこから、すぐそこへと3メートル動かす間にどうして消える? そりゃ僕の部屋みたいに本が積み上がって床が見えないと落としたら埋もれて出てこないことおある。でも平たい床しかない展示室で置いたものが消えるなんてあり得ない。ってことは捨てたか締まったかで、もしかしたら壊れた上に壊した状況が重なってこりゃあまずいとどこかにどうにかしてしまった、なんて想像も浮かぶ。なくしたことをしばらく報告できなかったっていうんだから、その前にどこかに勝手に処分していたことも……それはないと信じたいけどいずれにしても、初回でいろいろ不手際を乱発して来年もまた受託するんだろうか。慣れたCG−ARTS協会が国立新美術館でいつもどおりの発表会をやって欲しいなあ。もう取材には行けないけれど、見物だけはしたいから。


【6月6日】 ついに歌ったアンジェラはタオが作った楽曲を見事に歌いこなしてボーイッシュなところものぞかせるヴァレリーのフランス語による歌も者とも試合でベスト4進出。次はGGKと当たるのかな、宇宙からの声を歌にしているだけあってファッションが宇宙のプロジェクションマッピング的なのがユニークだけれど、この時代のファッションって「PSYCHO−PASS サイコパス」みたいに完全AR化はされてないってことなのかな。まあ勝つのはアンジェラなんだろうけれど。

 とはいえオーディション会場に来ていたAI作曲家でアンジェラのために極を作ったのタオはキャロル&チューズデイが気になったみたいで、会いに行ってAIを使ってないと聞いてそのままアンジェラに会わず帰宅。そんな区別をアンジェラが憤って何か怒るのが準決勝なんだろうか。キャロル&チューズデイの相手はえっと誰だったっけ、蒼井翔太さんが声を担当しているピョートルか。歌わないと可愛らしいのに歌うと強くなるというこのギャップがまた見られるのかな。それよりやっぱり気になるヴァレリーのあの噛みつき癖。何か良くないことされてなければいいけれど。ただのスキンシップだと思うけど。

 アニメーター編へと入って見る気が沸いてきた「なつぞら」では仕上げに配属されてペタペタと色を塗ってるその合間に、作画も気になってのぞきにいったら貫地谷しほりさんが演じるセカンドのアニメーターが中割動画を描いているアニメーターに感情が表現されていない原画のままをなぞって面白いのかと詰問している。とはいえ動画って原画のままをなぞるのが仕事な訳でどうせいっちゅうんだと思ったところで、そんなアニメーターが捨てた動画を拾って自分で描き治したなつの動画を見かけた貫地谷しほりさん演じるアニメーター。怒った彼が治したものだと思って誉めたら違うと言わなつが描いたと知って驚いた。

 それでもせっかくの良い表情、顔を上げたり下げたりする中割を演出の指示なく入れてもそれが少女の感情をしっかり表しているという理解のもとにそうすべきだと訴え描けなかったけれども絵はうまいアニメーターにクリンナップをまかせて出てきたそのカットを見て演出家は演出の指示なくしてやったら秩序が乱れると言うものの、2人しかいない原画の力量を越える部分での成功も期待したいところで新たに試験をすると言い出した。そして週末、試験が行われて晴れてなつが作画部へと異動になるってストーリーかな。今はまだ森康二さん大工原章さん大塚康生さんくらいだけれど宮崎駿さんも加わり賑やかな世界が見られそう。とはいえまだ2カ月。残る4カ月でどれだけの展開が待ち受けることやら。朝の気鬱がどうかしだいてちょと追いかけることにしよう。

 まあ、0.5ミリグラムのワイパックスでどうにか気鬱をそらして目の前のことに時間を割けるようにはなった気がするけれど、根本となる宙ぶらりんな状態が解決していない以上はそこを思って不安がスパイラルとなって膨らむ可能性は未だあって、それをいくらワイパックスで抑え続けたところで解決にはならないだけに早急の大作が必要かもしれない。幾つか動き出してはいるみたいだけれど、両天秤を選ぶなんて前向きさよりも、こちらを立てればそちらが立たな板挟みに悩むというこれまた不安スパイラルに陥りがちな我が思考。昔から考えすぎだと言われ続けただけのことはある。考えすぎて何もしないというそんな状態を今回ばかりは避けないと。どうしたものか。

 東洋動画ならぬ東映動画変じて東映アニメーションが原器に「新しい発想を持つクリエイターと100年続くアニメ企画を発掘する」ための公募をスタート。まずアニメ企画コースでは、未経験者が挑戦しやすいアイデア重視のコース があって「だれでもアニメコース」って名付けられている。企画書1枚でもビビッドなのがあれば採用してくれるのかな。そして映像製作経験者を主な対象とした企画の完成度を重視するコースB「プロでもアニメコース」はアニメーションを作ってみたい映像クリエイターを集めようとしているのかもしれない。CGクリエイターが含まれているから不明。

 そして、東映アニメーションを代表するアニメ「一休さん」を自由な発想でリメイクするコース C「みんなでリメイクコース」なんてものあって、もう一休さんが美少女になったりマッチョになったり動物になったりメカになったりしたものがわんさか出てきそう。個人的には美少女で百合かなあ、誰とって新右衛門さんに決まっているじゃないかってばよ。それとも一休とは架空の存在で室町の世が求めたトリックスターの巨像であってその言にあやかり何かを成そうとするものたちの象徴であったなんて、押井守をやったらやっぱり拙いかな。それぞれのコースで大賞は賞金100万円、優秀賞は賞金50万円、奨励賞は賞金30万円が送られ大賞作品は企画化も進むみたいで受賞者には嬉しい知らせ。

 もうひとつ、コースDの「クリエイター&製作プロデューサー募集コース」では20歳以上の経験者を対象に、製作プロデューサー ・演出・アニメーター・美術デザイナー(背景員)を若干名募集するから、「なつぞら」を見てあんな場所ならと移ろうとする人もいるのかな、東映アニメーションだからこそやれる仕事があるって時代でもなく、むしろプログラム的に制約もありそうだからこぞってってことにはならないだろうけれど、いつかプリキュアをドラゴンボールをと思っていた人の移動とかはあるかも。ただし社屋は都心部から遠いぞ。大泉学園から徒歩15分だからな。それで良いなら是非に応募を。


【6月5日】 うひゃあ。ダイソン球体に地球貫通トンネルとSFのそれもニーヴンだとかイーガンだとかベンフォードといったハードSFあたりに出てきそうなアイデアが、可愛らしい女の子とか眼鏡のお姉さんとか鳩の頭の男たちとか得体の知れない存在だとかが並び現れる物語の中に盛り込まれてはセンス・オブ・ワンダーの物語を漫画によって紡ぎ上げる。そう聞くととても小難しそうだけれど、語り口が判りやすく何かが起こっていると感じさせてくれるから、あとはその展開に沿って読んで行けば驚きを得られて理解ももたらされる。これぞハードSFコミックの金字塔にしてメルクマールと言えるのは八木ナガハルの「惑星の影さすとき」(駒草出版、1050円)だ。

 「2.999」は正しくは2の99乗として表記すべきタイトルの作品で、少女がじゃんけんで9999連勝すれば終わるという、それだけの作品なんだけれどもそれだけの数を連勝するためにはいったいどれだけの相手が必要か、負けたらあとは参加できないルールだったら32連勝するためだけに43億人、それこそ地球の人口に近づくくらいの人数が必要になってくる。間に合わなくなったら少女は宇宙へと出てダイソン球体、恒星の周囲をリングワールドめいたものがぐるりと取り囲む星へと出向いてそこで60勝目を上げる。まだ60勝。9999勝には遠く及ばない。銀河ですら90勝がやっと。このあといったいどうなるの?

 なんて興味に挟まって、偶然性物理学なものが生み出した車、すべての分子が完璧に再現されてどこも壊れていないにもかかわらず動かない車なんてものがあったりして、それを完全にコピーしたものなら動くといったエピソードが後の短編に盛り込まれているように、宇宙や物理をめぐる不思議なエピソードがそこかしこに挟まれ何かを教えてくれる。そんなじゃんけんの行き着いた先に現れたのは。それは宇宙がいったいどういうもので誰のために作られたものかを示していた、なんて展開を2008年のウルトラジャンプでやってしまうんだから八木ナガハルさんも集英社も凄いものだ。

 ウルトラジャンプでは「地球貫通トンネル」なんてものも掲載して、地球の地殻を貫くトンネルを掘ったら者を投げ入れれば途中まで自由落下で落ちていき、そして引っ張り上げられるようになって反対側に速度0で到着するといった甘言に載って掘った穴に大気が吸い込まれて大変なことになるエピソードが繰り広げられる。20世紀のドリームにあった落とし穴。帰還が50年後になるのを承知で遠く離れた星へと戦争に出かける青年たちが戦う相手は、人間の頭を使った戦闘兵器だったりするエピソードもある。可愛らしい絵に淡々とした語り口でハードなSFをぶち込んでくる。そんな八木ナガハルの商業作品と、コミティアで発表された作品がまとまった「惑星の影さすとき」が日本SF大賞や星雲賞にノミネートされる時は来るか。マンガ大賞には推したいなあ。

 昨日のデジタルハリウッド大学での「海獣の子供」に関するCGクリエイターたちのトークで、主にクジラを担当した平野浩太郎さんは東京工業大学を出てからデジタルハリウッド大学に入ってCGを学びそしてSTUDIO 4℃でアニメーションを作っているというところが不思議な経歴。いわゆるクリエイター専門学校とは違った環境から出てきたことが、冷静に無茶をやる性格につながっているんだろうか。元よりCGがいかにもCGとしてしか見えない映像が嫌で、そんないけてないCGをどうにかしたいと現場に入ってまず監督の渡辺歩さんから示された絵コンテをもとに、くじらが縦になって水面を割って飛び出して来るシーンを作ったとか。

 でも、どうにも棒にしか見えず悩んだ。CGくさいというかCGそのものというか。普段、手描きのアニメーターはCGクリエイターに優しいらしんだけれど、スタジオジブリなんかで「かぐや姫の物語」を手がけた小西賢一さんが作画監督として入っていて、どうにも厳しかったという。作ったクジラのCGに修正をいれ、それを元にクジラを動かし捻りを入れてどうにか見られるものに持っていったという。それおそ1カ月、引きこもってそればっかり作っていた。そんな贅沢ができるのもこれが映画だったからで、経験した人はいろいろと今後に役に経っただろう。作画的CGというものが今後大きく伸びていくきっかけになるかも。STUDIO 4℃だけじゃなくノウハウを広げてくれたら……っていうのがそうかデジタルハリウッド大学での講義か。聞いた学生がCGの良さと作画の凄さを感じて映像作りにのめり込んでいってくれれば、日本のアニメもより豊穣になるだろうなあ。

 「放課後の帰宅部探偵」でデビューした如月新一さんの続きがなかなか出ないと思っていたら、講談社が開いたリデビューという既存の作家に限定して作品を募る賞に応募して見事に通っていたらしく、そちらから新作が刊行されることに決まったとか。そんなイベントを日本経済新聞が紹介していて、「絶対小説」という一般文芸で再デビューを果たす芹沢政信さんは何と為三という名で「ストライプ・ザ・パンツァー」というとんでもないSF作品を発表していた人だと判明。他にもいろいろペンネームを使っていたみたいだけれど、今回は河岸を変えて一般で勝負となる感じで、うまく抜ければ結城充孝さんのようにハードボイルドの世界ぬ抜けるとかするかもしれない。如月さんはラノベ文庫になるのか講談社タイガに行くのか。見守りたい。

 激しい気鬱に居たたまれなくなった2週間ほど前、勢いで予約しておいた近所のクリニックに行って若い院長先生と対話をして、いわゆる“うつ病”といったものではないと言われて一安心。状況を自分でしっかり理解していて、理路整然と説明が出来て会話が成り立つんだからたぶんそうななろう。とはいえ混じる不安が沸いてはループする状態もあって、それは環境の激変に伴う適応障害だから、体と頭を動かし迷いを追い出し今の状況に慣れるしかないと諭される。将来への不安事態はやっぱり消えないけれども目下の状況を改善する方法はありそう。そのために出来ることから始めるのがやっぱり良いのかもしれないなあ。急がずとも道は開けると信じるならば今はやって楽しいことをやる? どうだろうってことで浮かぶ不安が抑えられたら何か選ぼう。


【6月4日】 前に展示会で見せてもらったボイジャーのGaze−onという画像を拡大して見せる技術が阿部ゆたかさんという漫画家さんの展覧会に合わせてちょっとだけお披露目されてて、ネット上で見たらなるほど拡大をすると遠目にはモアレと思われたドットがちゃんとカラートーンのドットだと判ったし、フキダシの部分に貼り付けられた写植がちゃんと、写植だと立体感を伴って見えてネット上なのに実物を見て、それも間近に寄って見ているような気になった。

 ベタの部分も塗られたまだらな感じがそのまま判って、家に居ながらにして原画展を歩いているかのよう。というか原画ではやっぱりちょっと間が空いてしまうのをぐっと詰めて拡大鏡を手に見ているようだからもっと上かもしれない。それこそネットで原画展すら出来てしまうクオリティの画像を撮るのに何回のスキャンというか、これは撮影が必要なんだろう。そして拡大したい場所のタグ付けとかどうやってやるんだろう。そうした作業の手順が見えて、サーバーの費用とかも判ればネット上で作品を売りたい人だとか、アーカイブの閲覧可能な状態におきたい人なんかに利用してもらえそう。いつから売るかどうか、どうやて展開するか、未定だけれども注目しておきたい技術かも。

 アーツ千代田3331で4月の半ばまで開かれていた「ラフ∞絵」展の会場で、お歳を召された女性の方々が、秋本治さんの寄せたイラストなんかを見ながら彼と一緒に働いていたって話をしていて、女性がアニメーション会社ということは彩色か仕上げかと思ったらやっぱりセル画を塗っていたとかいった話をしてた。アニメーションでも絵を鉛筆で描いて動かすアニメーターだと、女性っていたにはいたけどあまり大勢いたって感じではなく、だから「なつぞら」のヒロインのモデルと言われる奥山玲子さんがスポットを浴びたりするんだけれど、なつが最初に入った仕上げ課は驚くことに女性ばかり。なぜそういう棲み分けが出来たのか。何か歴史があるんだろう。

 たとえばディズニーアニメーションスタジオの例にならったとか? いやそれは不明だけれどもセル画にトレスされた線に沿って絵の具を塗っていく作業は繊細で、間違えたりはみ出たりしたら元も子もなくなってしまう。勢いで描いていける原画動画とはまた違った作業は当時、手作業が得意な女性向きと思われていたのかもしれないし、今もそう思われていそうだけれど、今のデジタル彩色がどういう手順で誰が担当しているか、調べてないからそちらも不明。そういえばちょっと前に見に行ったスタジオでは、彩色ではないけど色彩設定を女性がやっていたっけ。あと編集も。デジタル彩色も女性が手がけているのかもしれない。

 そして作画には今は女性も結構いそうだし、脚本なんて女性の天下って感じすらあるし監督にもいしづかあつこさんや今千秋さんや山本沙夜さんといった人気作品を手がける人たちが出てきて活躍していたりする。短編アニメーションなんでもう女性がいっぱいで、東京藝大院のアニメーション専攻の修了制作展に行くと半分以上は女性だったりする。もうそういう時代になっているのを紹介するところまで行ってくれれば、「なつぞら」がなつを始め一部の女性アニメーターたちによる孤軍奮闘からの突破を描いてアニメってそんな世界なのと、過去形を現在形として捉えられずに済むんだけれど。本当はポスト宮崎駿監督にいしづかあつこ監督とか入ってくれば良いんだけれど。オリジナルの劇場映画がやっぱり必要かなあ。

 そんな「なつぞら」ですら早送りでざっと見る程度で、いろいろと録画はしてあっても新作のアニメーションで見ているのは「キャロル&チューズデイ」と「Fairygone」くらい。他にもいっぱい面白そうなのがやっているし、続いているのだってあるのに見て自分にとって意味があるのかと考えてしまったりするから堪らない。これとか典型的な自己否定のスパイラルだったりするから、やっぱりそういう症状なんだろうと自覚はしても、それで晴れる訳じゃないのがどうにも困る。そこの部分を立て直さないと一生の課題になりそうなんで今、いろいろと考えてはみても自分で真っ当な判断が下せるとお思えないだけに悩ましい。とりあえず医者に行くのが先決か。

 なるほど割と単純に観客動員数が減って収益力が低下し赤字となって債務超過に陥り破産せざるを得なかった、ということか演劇集団キャラメルボックスの活動休止。10年前がピークで9億円くらいを稼いでいたのが2年後には7億円に。まだそんなに稼いでいたのと驚くけれども広がってからの落ち込みは投資した分、回収しないと負債になって残りそれがずっと解消されなかったってことなのかも。どこかで畳めれば良かったんだけれど活動するのが取り柄みたいな劇団だけにファンの期待にも応えようと頑張ったんだろう。でもダメだった。勿体ないなあ。年間数億円なんて大きな企業がパトロンとなれば支えられそうな気がするけれど、キャラメルボックス・サポーテッド・バイ・グリコとかって感じじゃあ締まらないから仕方がない。脚本は残っているし演出家だっているんだからサノスじゃないけど指をパチンとならせば集まり公演として見せられる気はする。それをプロデュースできる企業なり人がいれば。期待して待とう登場を。

 デジタルハリウッド大学で映画「海獣の子供」を手がけたSTUDIO 4℃のCGIクリエイターが登壇してメイキングを語るイベントがあったので気を取り直して言ってくる。そして衝撃の事実を知る。予告編なんかでザトウクジラが水面へと問いだして倒れるシーンがあるんだけれど、そのクジラはなるほど3DCGで一生懸命作られているんだけれど、その場面で黒々とドーム状にふくらんでは持ち上がり、そこをクジラが割って出てきたあとは体表にそって崩れ落ちていく絵は何と2Dによる作画でもって描かれているという。

 担当したのは島田あんという女性のアニメーターで、現場では水の女王と呼ばれていろいろと手がけたとか。そんな作画に圧倒されたのがクジラを担当したCGアニメーターの平野浩太郎さん。作画監督の小西賢一さんからいろいろ言われ最後はクジラも作画で行こうかと言われて奮闘し、作画に負けないクジラを作り出したというからなかなかの頑張り。いろいろな場面に出てくるクジラの骨組みをすべて変えたそうで、使い回しが効くはずのCGが逆に手間になっているというからやっぱりバカげたアニメーションってことだよなあ。そんな成果ですら作画の動きには圧倒される。人間の手ってやっぱり凄いんだ。

 あと、冒頭でハンドボール部を追い出された琉花が道を端って曲がって橋までやって来るシーンが見るとどうしても3DCGでモデリングされた空間に作画のキャラクターを合成しているように感じるんだけれど実は違って20枚くらい、背景を美術に描いてもらっていてそれをカメラマップ? とかいう手法でつなぎ合わせてシームレスに見せているらしい。どこまでもこまかく描かれた2Dの背景美術だから陰とちゃんとしっかりあったりして、3DCGで生成されたものとは違う情報量が詰まっているからなるほどリアルに感じられるんだろう。途中のカーブミラーを風景が流れるエフェクトとかも加えてたりするし。それは本当はそうは動かないけどそれらしく感じさせるものになっている。いろいろと見どころたっぷり。だからこそ3度ならず4℃見ないといけないなあ。


【6月3日】 そんな路線があったのかとニュースで知った横浜の金沢シーサイドライン。東京のお台場あたりを走るゆりかもめと同様に無人運転らしいけれどそれが駅で逆走をして車止めに衝突して、しばらく路線が使えなくなるらしい。沿線にどういった施設があってそれが走らなければどれだけ不便か、実感が湧かないけれども他に代替の交通もないのなら、それが走らなければ困る施設や住人もいるんだろうなあ。ゆりかもめもそういえば車軸が破損する事故があってしばらく止まったけれど、復旧まではかからなかったけ。物理的な事故だからまだ判りやすい。コントロールの事故はいつまた同じことが起こるかもしれないから、調査も綿密にやらないといけないんだろう。再開はいつか。再開したら乗りに行くか。

 朝方に目が覚めてしまって寝られないので枕元から江波光則さんの「デスペラード ブルース2」(ガガガ文庫)を拾い上げてパラパラ。主人公で無名拳というのを使う筧白夜という青年が、前にいた街でつきあっていたという久遠鳴海という少女なのか女子なのか、バイクを転がし腹筋を割るくらいの強い娘がいっぱい出てきて白夜と絡むけれど、特に仲が進展するといった感じではなく白夜の両親と妹が惨殺された事件の謎を追う方へと進んでいく。父親が勤めていた会社での業務が関係あるのかな。東京の建設現場で白夜を指導する男で社長を裏切り金をせしめようとしている中年男の過去も見えてきたし、そこが突破口になるのかも。

 一方で身長2メートルとかいう最強の格闘家が現れ戦ったりするから話はまるで刃牙とかそっち方面の雰囲気が。2巻のラストで出てきたのがそれならとてつもない戦いが繰り広げられそう。勝てないでしょう白夜。そんな感じハードボイルドなのかアンダーグラウンドなのか武闘なのか、はっきりと区切りが出来ない中、それらすべてがそれらが入り交じって進む展開に未だ明確な答えは見えない。白夜の戦いは続く、って感じかな。羅紋家でカーディーラーを営む女の存在感が相変わらずで、巨大な胸が白夜を惑わすし。いずれにしてもライトノベルという枠組みからは完全に離れた独自の世界。それを出すガガガ文庫、勇気あるなあ、他が小説投稿サイトからの引っ張りばかりになる中、挑戦を続けて欲しいけれど。

 あっちがポケモンで来るならこっちはドラクエ。「ポケモンGO」の世界的なヒットを見るに着け、人気のIPを位置情報ゲームに使って来る流れは至極当然ではあったけれども日本においては最強に近い「ドラゴンクエスト」を遂に投入してスクウェア・エニックスが「ドラコンクエストウォーク」ってのを2019年中にいよいよ投入するらしい。ゲーム性とかよく分からないけれども自分が移動した分だけ、そして移動した場所によってスマートフォンの中のゲームも変わるといった感じだろう。ARが組み込まれていて現実の世界の建物だとか記念碑だとかにドラクエのモンスターが絡んだりするのかな、位置にあわせてCGで似た建物が描かれるのかな、そんな当りもちょっと気になる。

 あとはやっぱりゲーム性か。全国津々浦々を舞台にする位置情報ゲームという状況から、ストーリーをそこで作るのは難しいと思われるけれど、モンスターを倒したり集めるだけだと数でポケモンにはかなわない。どういう内容になるのか。そこに堀井雄二さんの監修は入るのか。いろいろ興味を引くタイトルになりそう。位置情報に関しては開発元が「コロニーな生活」で元祖的な展開を始めたコロプラだから、「ポケモンGO」のグーグル=ナイアンティックとはまた違ったノウハウと技術でもって展開されるんだろう。これが成功すれば別の強力なIPも任され発展していくチャンス。「白猫プロジェクト」が人気の会社だけれどグッと注目も集めるだろう。創業10年で500億円もの売り上げを確保する会社になれても、どこかレッドオーシャンと化していたスマホアプリにまた新しい油田が掘れた?

 LGBTがカテゴリー化されたそれぞれの頭文字を並べたものでどこか厳密化されてしまった印象があって、そうではなくってもっと曖昧だし多様なものだから違う表現もあって良いんじゃないかって時に、もっと以前から使われていた「クィア」って言葉があったことを思い出したのは、東京藝術大学大学院アニメーション専攻の修了生、矢野ほなみさんが中心になって「201Q クィア・アニメーション上映+レクチャー」っておんを7月7日に開催するから。そこでは全世界から集められた性的マイノリティだったりジェンダーだったりといったテーマを持ったアニメーションが上映されて、レクチャーもあって世界のアニメーション作家がどういうスタンスで取り組んできたかが判るみたい。

 っていうかそんなに作られていたくらいに、テーマとしては重要なんだけれども日本からは矢野さん自身の「染色体の恋人」とそれから村田香織さん「女友だち」が上映されるくらいであとは海外から。いや探せば日本の作品もあるだろうから今回は海外作品の紹介に徹したのかもしれないけれど、サブ上映として日本のものだけ集めたコーナーもあって面白いかなあとは思った。でもそれも大変か。いずれにしても矢野ほなみさんという未だそれほど知られてないけれども強い作品を作り出すアニメーション作家が核となり、上映会を開くというのは結構意味がある。これが話題となって成功すればアニメーション作家によるキュレーションが広がって、短編アニメーションが上映される機会も増えるんだけれど。TOKYO ANIMAとか強烈なものばかりではなく、テーマ性で集めていく上映会、もっとあっても良いよなあ。

 ずっとサラリーマンだったので自分では納めたことがなかった国民年金をとりあえず前納してくる。お金が手元にあるうちにやっておかないと、後になって払いたくない気分が出て先延ばしにしかねないからなあ。いつか厚生年金に戻れば良いけどそれもなかなか厳しそう。月曜日なので週1で通っている再就職支援サービスの会社に行ったら、これまでのコンサルタントが異動で変わって新任が来たけど強く何か相談にのってくれる感じでもない。取説向けテクニカルライターの募集とか紹介してくれたくらい。バイク雑誌の版元よりは自分に近いけど、今行くべき道はそっちかというと迷うところ。契約でも社員なら社保は便利。でも……。とは言え他にいろいろ出していたところはほぼ終了。今はとりあえず気鬱を沈めて、それからもらっている話を考えよう。そこから再起が今はベストか?


【6月2日】 i☆Risのパシフィコ横浜決定場面で本当にサプライズだったんだなあと思ったのは、各地の公演を振り返る映像だってことで見せられていたモニターにパシフィコ横浜の文字が映し出された時、メンバーの澁谷梓希さんが半ば立ちすくんで震えていたように見えたからで、キャラ付けとして強気な雰囲気を見せている澁谷さんですら驚かせるならこれは本当にサプライズだったんだろう。いつも自分を整えて見せることに長けた芹澤優さんですら話しているうちに声が震えてきた。驚いたんだろうなあ。飄々としていそうな茜屋日海夏さんも似た感じ。それだけあり得ないと思われていたことだったのか。

 日本武道館でもやっているのにどうして次が予想できないか、って事で言うなら武道館は大人たちに連れていってもらった感じがあったとのこと。それなりにグループを続けて来て、そのあたりでひとつお祭りをってことで与えられたご褒美。それをそつなくこなしたところで自分たちでたどり着いた実感は得られなかったのかもしれない。その後はやっぱりホールツアーが続き、「プリパラ」での舞台はあってもそれはキャラクターを演じてのこと。その「プリパラ」も終わり「キラッとプリ☆チャン」でメンバーはバラバラな役で全員が歌う訳でもない。

 活動はちゃんと続いているけど向かっていく目標がない中で、山北早紀さんがそろそろ良いかもと思っても当然か。そこに与えられたパシフィコ横浜。今回は5thツアーを自分たちで作り上げてきた実感もちゃんと持ってのことだけに、成し遂げてたどり着いたという実感もあったみたい。そこをだから今はしっかりやりきって、埋め尽くされたパシフィコ横浜で到達点を見せてさあ次って意欲を持ってもらえたら、さらに数年を活動していけるんじゃなかろーか。30才になる山北早紀さんをリーダーに歌って踊れるアラサーアイドルユニットがいたって良いじゃないか。応援し続けたい。

 コバルト文庫から「犬恋花伝――青銀の花犬は誓約を恋う――」デビューしたらしい瑚池ことりさんによる集英社オレンジ文庫の「リーリエ国騎士団とシンデレラの弓音」(オレンジ文庫)は、中世ヨーロッパのような風景や支配体制の中、国同士が武力で争う戦いを止めて代わりに騎士たちが、フィールドに入って戦い甲冑の額にはめた石を割り合って勝敗を決めるようになった世界が舞台。とある村では女性も戦士として鍛錬されてたけれど、中のニナという少女は体が小さく剣を振るえず長弓も引けないため、もっぱら短弓だけを手に鍛錬してきた。他の娘たちには莫迦にされていたけれど、腕だけは良く居ればほぼ当てることができた。

 ただやっぱり気弱で、その腕を買われた訳ではなく、メンバーが足りないからと出された大会では転んで対戦相手の餌食に。やっぱり出来損ないと思われていた時、街中で暴走する馬車の車軸を射って救命劇を演じたところを騎士団の青年に目撃され、嫌がっても誘われ連れて行かれた入ったところが騎士となった兄のいる王国騎士団だったから驚いた。過去に自分の危険を兄が守って猛獣と戦い、片目の視力を失ったこともあってニナが負い目を感じていた兄がいて、まともに剣を振るえない自分がいる環境で臆して動けなかったニナだったけれど、他の騎士が彼女を守り、そして攻撃に徹することで勝利を掴む作戦に欠かせない駒となって受け入れられていく。

 誰にだって取り柄はあるし、特徴は武器になるといった話。それでも対策を立てられた時に自分だけで勇気を振り絞って事にあたる大切さも描かれている。世界が戦争をせずゲームで勝負をつけることに納得したなあ、といった気もするけれど戦争で得られるメリットより失うものの方が大きいと気付くきっかけがあったのかもしれない。敵のとてつもなく強い男がとことん傍若無人だったのはもったいないかも。ただの荒くれ男でなく、別に取り柄でもあれば人間味も感じて同情も浮かんだけれど、それではニナたちの正義も霞むから仕方がないか。ニナを見つけた騎士の“正体”も明らかになっていっそう恐縮する二ニナ。紛争の種は未だ残るだけに続きは書けそう。続くかなあ。

 お誘いを頂いて熊谷にある細谷正充さんの書庫を見物に行く。拾い部屋に書棚を収めてそこにもう図書館と言うより書店に近い感じでぎっしりと古今の本が並ぶ。エンターテインメント系が中心で小説に漫画に文庫にライトノベルにポップかカルチャー系も書籍にパンフレットにレーザーディスクボックスまで。ライトノベルなんてたいていのレーベルのだいたいが並んでいる感じで、ブックオフに行くよりも確実に種類がそろっていていつかの何かを探したいと思ったら、どこに何があるかさえ判れば簡単に取り出して確認できそう。自分の家の場合はもう並べることはもとより積むとかいったことすら不可能で、読んでは重ねておきつつ外に出していく繰り返し。シリーズ物の以前のなんて見つけたくても見つけられない。

 それだけの蔵書に加えて毎月、大量の新刊も加わってそれらを捨て図に並べていった書庫を持ってこそできる仕事があって、だからさらなる仕事も舞い込む好循環をどうやって作り上げたのか。それはやっぱり不断の努力なんだろうなあ。部屋を動かず本を積むだけ積んでいった果てに読める環境すら毀損しているが、名乗って良い肩書きでは書評家はないと確信。もちろん毎月の数十冊からポイントを見つけて取り出し読んで紹介しても書評は書評ではあるけれど、フローに過ぎないそんな仕事からストックとなりえる著作なんて生まれないものなあ。以前だったら隣の部屋でも借りようかとも思えたけれど、今の身ではそれも不可能。そんな格差をもうちょっと早く見せつけられていたら、肩書きの維持なんて夢は捨てて真っ当な道を選んでいたかなあ。


【6月1日】 ジェイムス下地さんの黄色いオニツカタイガーが目立った「LUPIN THE VRD 峰不二子の嘘」の新宿バルト9での舞台挨拶では、やっぱりしっかり峰不二子について果たして“母性”はあるか否かといった話に及んで、それを探りに見に行ってくれる人も増えてきそう。インタビューで小池健監督がそうした付加価値について言及したこともあり、試写に続いての鑑賞でいろいろと注意をこらしていたけれど、ジーン少年をホテルにおいて1人出て行くあたりで部屋の扉を閉めた後、なんともいえない表情を見せて立ち止まるあたりに何か、そんな雰囲気を感じないでもなかった。

 部屋の中ではもうあからさまな豹変があってやっぱり峰不二子は悪い女だって印象がぶわっと浮かんだのが、次の瞬間にあれ? やっぱり? なんて気持にもなる。そうした上げ下げやらぶん回しが結構あるし、演じる沢城みゆきさん自身も明快な解説を聞かず自分なりの解釈と音響監督への相談から演じたところがあるみたいだから、そうした迷いだとか揺れの部分も含めて体感し、その上でいったい何が嘘で何が本当か、漂う母性はフェイクかそれとも滲む真実かを探るのがこの場合は良いかもしれない。次にもう1度みたら変わるかも。ただビンカムに対しては徹底的に女で行っていたなあ。あのボディで毒を仕込まれたら誰だって太刀打ちできないよなあ。本能に効く毒。回ったら最後。

 この「LUPIN THE VRD」のシリーズは、もはや声優といっても良い栗田貫一さんのルパン三世を筆頭にして全員がとりあえず声優さんのプロフェッショナルで埋められているけれど、公開となっていく大型の長編アニメーション映画でメインどころを声優さんが演じる機会がグッと減り、俳優さん女優さんの起用が多くなっている傾向に対して声優の上田燿司さんが「期待大の作品ほど、声優は使われなくなってきている。宣伝絡みもあるが、変な声で不自然な演技をするって、本気で起用側に思われている節もあるだろう。型が目立ったり、台本読解が甘かったりの部分も…。先人が積上げた素晴らしい技は継いで行きたい。誰が演るにせよ、これは大事だと思う」とツイートしていてちょっと話題になりそう。

 「攻殻機動隊ARISE」のパズだとか良い感じのおっさん声が出せるし「DOUBLE DECKER! ダグ&キリル」では千葉繁さんばりの叫びが混じったナレーションも行っていたりと芸達者。洋画の吹き替えも多くこなしているから役に合わせた演技ができる声優さんって印象だけれど、そういうひとが嘆くくらいに俳優女優の起用の多さは声優さんたちの意識に何か影響を及ぼしているんだろう。もちろん「天気の子。」には梶裕貴さんとか出演しているし、「プロメア」にだって檜山さん小西さん小山さん新谷さん佐倉さんといった面々が出ているから起用がない訳じゃない。最大のヒット作となる「名探偵コナン」も「ドラえもん!」も「ONE PIECE」も並ぶのはテレビからの声優たちだ。

 ただ、いずれもキャラクターにフィックスされた声って感じで、そこに加わる新キャラクターに話題性のある俳優やアイドルが使われることも少なくない。一方でまったくの新作となった時に原恵一監督も湯浅政明監督も細田守監督も新海誠監督ですら、メイン処に並べるのは俳優だったり女優だったりする。話題性だけで客を呼べる人たちではない新人でも起用される。それはだからやっぱり声の出し方、質の問題なんだろうなあ。プロの声優にできない訳じゃないけれど、やってないしやれないとも思われているのかもしれない。若い人たちだととりわけキャラクター性を出すか、イケボイスに傾くかといった感じ? それでは青春のただ中にある普通の人たちは演じられないって思われているのかもしれない。

 それなら子役だとか若手俳優を起用した方がマッチする、っていうことなら上田さんがいくら嘆いても大人になったプロの声優の起用は難しい。女の子だったらまだ若い声優さんもいそうだけれども可愛い声は得意でも、ストレートに自分を出してそれを絵の上に載せるような感じができるかどうか。そこがちょっと判らない。作られた声よりまっすぐな声を求めるのならそれは俳優女優にはかなわないから。だったらどうする、ってところで可愛い声、起用に演じ分けられる声が求められるアニメの世界はまだまだあるからそこでってことになるのかな。花澤香菜さんでも早見沙織さんでも悠木碧さんでもトップを走る声優さんたちが、ちゃんとトップを張ってるアニメーション映画もある訳だし。そういう棲み分けが声優さんたちにって良いか悪いか。そこは議論が欲しいところだけれど。

 中野でいろいろと状況を伺う。そちら方面がこれからどんどんと伸びていく分野で、関わっていれば3年5年と繋げていけることは承知しながらも、そこに居続ける自身がないというかそれを今の自分がやるべきなのか、といった悩みも浮かんで前向きになれない。それをやるために出たのかとも。出たんだと言い切るには別口のまた魅力的なんだよなあ、収入の面は差し置いて。そちらで生きて行ければ本当に幸い。得意だし。一方の難しいテーマも金融をやりITも見た目には何となく判るから頑張れば得意には出来そう。それだけに板挟みになて揺れ動く。収入も良さそうだし。だからそのために出たのかという問がまた渦巻く。

 ほかにもいろいろと興味深い話は頂いたけれど、自身のシフトがどうにもバックに入っているからなんだろうか、表の舞台をずっと進んできた流れを維持して、前向きに突っ走っていこうとしている動きに乗り切れず、そうしなくちゃという意識はあっても、そうすべきなんだという意欲が浮かばないため、どうしたいんだろうといった空返事ばかりが続く。なかなか恥ずかしい。こういう状況ではまずはシフトをローでも前向きにするために、ニュートラルな状態へと持っていってわかりやすい作業に身を置き、体を動かし頭をリセットしてそこから周囲を見渡し、手を広げていった方が良いのかもしれない。とはいえ走っていく件も惜しい気がするという生煮えな意識もあってまとまらない。カウンセリングでも受けてくるかなあ。

 とはいえ11月24日までには、地に足を着けて手に職を付けなくちゃいけなくなって来た。なぜってi☆Risがパシフィコ横浜に立つからだ。日本武道館を終えてなにかやりきった感があって、それでもホールツアーを頑張ってきたけどどこか虚無感もあったらしいメンバーもいたらしい。でもパシフィコ横浜と聞いて俄然とやる気が湧いたみたいだと、中野サンプラザでのツアーのファイナルでサプライズに情報が出されて、メンバー自身が驚いた後で語った言葉から感じられた。山北早希さんとかもう自分がいる必要があるのかとまで思い詰めていたっぽい。これで28才からさらに先、30才になったってアイドルをやっている理由が出来たんじゃなかろーか。パシフィコ横浜はそれだけの箱。でもまだあるさいたまスーパーアリーナ、そして東京ドーム、さらには紅白歌合戦。そこまで行けるグループなんだからそこまで行ってよ、そうしたら僕も頑張れる。頑張らないと。頑張ろう。


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