縮刷版2019年3月下旬号


【3月31日】 気力体力の限界でのぞきにいけていないけれど、幕張メッセで開かれているセガフェスというイベントであの「サクラ大戦」の新作の発表が行われたそうで、「太正桜に浪漫の嵐」と耳にして育った人間にとって、「檄!帝国華撃団」のサウンドと共に永遠に心に刻まれたタイトルの復活は喜ばしい限りなんだけれど、ずっと藤島康介さんが描いてきたキャラクターが今回は久保帯人さんという、つまりは「BLEACH」の人になっている上に、2Dのアニメーションとして見てきた絵が3DCGになっていて「サクラ大戦」とは違った印象をやっぱり受ける。

 今時は3DCGのキャラクターが登場するのは別に珍しくないから、これで真宮司サクラほかの面々を3DCGでモデリングしてくれたら普通に馴染んだかもしれない。でも「新サクラ大戦」のキャラクタは久保さんのもので、それが例えば漫画やアニメで見た「BLEACH」のキャラクターだったらまだしもまったくの新しいキャラクターを、見て藤島さんではないけれど、久保さんなのかと言われてもちょっと届かない完成を、これから埋めていく必要がありそう。まあ見れば何となく松本乱菊っぽいのもいるし、神山誠十郎も久保さんぽいといえばぽいから、そうした辺りを頼りに「BLEACH大戦」めいた意識から入りつつ、システムなり世界観としての「サクラ大戦」に浸っていけば良いのかも。遊ぶかなあ。問題はプレイステーション4を持っていないことと、収入が途絶えていることか。やれやれ。

 そうなのです無職なのです4月から。タニグチリウイチであるところのわたし、谷口隆一は本日3月31日をもって産経新聞グループを退社することに。本籍は関連会社の日本工業新聞社で現所属は産経編集センターで、途中にタブロイド紙のSANKEI EXPRESSにいたこともあって、そうした時代に取材したところは数知れず。お世話になった方々も大勢居るだけに、ここで改めてご協力をありがとうございましたと御礼もう下げる次第。

 どうしてなのかといった理由は巷間、噂話も週刊誌沙汰も含めていろいろ言われているから深くは触れないとして、蓋然性として語るなら新聞業界を取り巻く情勢の変化に伴い、諸々の圧縮が必要となっていて、そこで当方が合致する負担の重たい世代が退き若い世代に道を譲ることになったもの、といったところだろうか。ほぼほぼ。そこに今後の方針と当方のスキルのマッチングもあり判断した次第。例えばこれからますあmす高齢者が読むようになっていく場所で若い人が読むような記事を書く人間がいるかどうか、って話。これが真実ではないけれど、居場所の問題はやはり当然についてくる。韓国嫌いが多く読むなら書けないと。それは僕には書けそうもないし。

 あとはやっぱり媒体を持っていないことの不安定さに挫けたってところか。かつてのような日本工業新聞なりフジサンケイビジネスアイなりSANKEI EXPRESSといった媒体に所属して織らず、それでも縁あって所属する組織を外れIGN JAPANに寄稿などをさせてもらえてはいたけれど、そうした宙ぶらりんの身分がいつまでも続くものではない。大きく様変わりを模索する中、年配者も負担と思われている状況ならばここが節目ととらえ、ひとまず退くことにした。

 従前より口にしているよう今後は未定で何ひとつ決まっておらず誘いもなく、何をどうしたら良いのかまったく分からない状態。それで辞めてしまうのも血迷ってはいるけれど、居残っても血迷っていると思われる可能性もあるのでどっこいどっこい。ともあれ身が組織を離れた以上は新しく何かを始めざるを得ない。しばらくは漂いつつ今後を考えていくつもりなので、もし読者がおられるのならしばらくは成り行きを見守っていただければ幸い。あるいは仕事をお世話頂けるならなお歓迎。もらうものはもらったので安くても頑張れるんじゃ、ないかな。とりあえず入社6年目あたりから続くこの日記の回顧を「平成の4分の3をカバーするウェブ日記『日刊リウイチ』から平成を振り返る」として日々更新しているのでご高覧賜りたく。真面目に取材してたなと読み返して今一度。

 15歳の時に書いた作品で応募して、見事に第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞した坪田侑也さんの「探偵はぼっちじゃない」(KADOKAWA)が噂に違わず凄かった。緑川という名の高校受験を控えた中学3年生の男子は、勉強をしろ良い高校に行けと言う親からのプレッシャーもあってか日々に倦み、学校経営者の息子は御曹司の暇つぶしめいたものだと思われることを承知でその中学校の新米教師となり熱血を試みるも空回り。そんな2人の学校での日々を交互に描きつつ、緑川が求められて書くことになった1本の小説が綴られていく。

 長野の小学校にいたころに、図書室で小説を書いていたことを知っている同級生が場所を離れた中学に偶然いたようで、星野温というその同級生が緑川に学園祭の舞台にかける物語のためにいっしょに小説を書こうと誘って来た。緑川には星野が同じクラスにいたという記憶がなかったけれどそれでも求められたことを嬉しく思ったか、星野の誘いを緑川は受けて美術部のモザイクアートが密室の中で消えてしまうといった学園ミステリを2人で書き始める。その一方で、新米教師の原口は石坂というベテランと共にマラソンコースの選定をしろと言われる。

 原口は御曹司なのに現場をかき回すこと、石坂は他の教師とあまりコミュニケーションをとろうとしなくなったことへの嫌がらせ? そんな可能性も勘案しつつ一緒になったことで会話を始めた原口と石坂の間にある問題が浮かび上がる。2人は、とくに過去にいろいろあったらしい石坂は、教師として絶対に認めがたいそれを阻むことに挑もうとする。「探偵はぽっちじゃない」はそんな2本が並行して走るストーリーに、学園での密室での消失事件を描く緑川らの小説が挟まれる構成になっている。

 驚くのはその作中作の小説がちゃんと学園ミステリになっている点。トリックめいたものへの考察があってそして驚かされる真相があってと、抜き出しても学園ミステリの1章として成立しそう。キャラクターが突飛じゃないところでライトノベルミステリとしては弱いかもしれないけれど、そこは修正すれば出来そう。ただし緑川は認めない。妙に小説のキャラクターたちいこだわっている。そこに書き手として込めた心理があったのかもしれない。だからこそ浮かんで彼の絶望にも似た決断へと向かう。

 そこに重なる原口らのある問題への探索。誰がいったい問題を起こそうとしているのか。明らかになる真相の意外な着地に驚かされる。その解決で、教師2人の頑張りが活かされたか、2人に救いはあったかが気になるところ。結局は説得は教師では間に合わなかった訳だから。とはいえ、彼らの探求で救われた部分もあるなら無駄ではなかった。何より教師も同級生もともに誰かを気にかけていたことが分かった。そうした気持があり続けるなら人は不幸にならないと思わされた。そうした内容や展開に加え、大人の教師たちや司書の心理をしっかりと描けたところが15歳だからこと凄い。自分と近い15歳の青春は経験として描けても、大人は大人が読んで納得の姿に描くのって大変だから。そこもだから才能なんだろうなあ。次作が楽しみ。

 カイシャインとして当面は最後の日となったので、明日から求職者となる身に相応しいかもしれないと思いたってイオンシネマ幕張新都心のULTIRAスクリーンで上映されている「ラブライブ!サンシャイン!! School Idol Movie Over the Rainbow」を観る。泣く……ことはなかったけれども「0から1へ」というAqoursの歩んできた道、そして切り拓いてきた道を改めて思い、0へとリセットされた身をさてどうやって1まで持ち上げようかと算段しつつ逡巡もする。9人のAqoursが6人になって0に戻ったかもしれないと思ったところに、0じゃない、積み上げて来たものがあるんだといった言葉が出て、ならば自分も30年ほどで培った何かがあると思いそれが役立つ場所を探して行きたいと、思うもののなかなか見つからないのが目下の悩み。でも0から1には出来るはずだしやらなきゃ終わるならやるだけだ。頑張って目指そうスクールアイドルを。そうなのか? それも人生。


【3月30日】 29日の朝にショーケンこと萩原健一さんの訃報が流れて、ひとつの時代の終わりって奴を感じさせてくれたけれども夜に流れた白石冬美さんの訃報の方が、むしろくっきりと、時代が終わっていく感じを味わわされた。といってもそれらが平成かというとちょっと違って、昭和も含んだテレビ文化のひとつの区切りってことの方をむしろ強く感じたような気がする。それというのも平成に入ってショーケンはそれほどテレビにも出ていないし歌も唄っていなくって、見たのは小栗旬さんが主演を務めた「TAJOMARU」という映画の中で演じた足利義政役くらい。

 これがまた格好良くてショーケンらしくって、よくもまあ登場させたものだと山元又一郎プロデューサーの豪腕ぶりを感じたものだったけれど、以後、映画にもドラマにも出てくるってことはそれほどなく、存在を忘れかけていた時の死去の報。ずっと体を悪くされていたようで、それで表舞台にも出てこなかったと分かった。“相棒”だった水谷豊さんはまさしく「相棒」の中心的な役を務めて長くテレビ界に“君臨”しているのとは対照的。その違いはやっぱり「傷だらけの天使」のアニキとしてのアウトローっぷりを地でいったからなのか。

 水谷さんが仕事に真面目なタイプだったとは、「傷だらけの天使」でも「熱中先生」でもよく分からなかったけれど、穴を開けずにここまで来てつかんだその地位を,ショーケンは選ばなかったとも言える。どっちが格好いいか。それは感じる人によるかなあ。長くしっかり確実に。浮き草稼業に入りがかっている身には水谷さんが羨ましく見えるけれど、地はショーケンでなおかつ彼ほど格好良くもなければ親しまれてもいないからなあ。ちょっと困った。グループサウンズとしても活躍していたショーケンと、タメを張った沢田研二さんはまだ存命でいろいろ騒動はあってもちゃんと第一線で歌い続けている。それもまた人生。見て自分の生き方を考えよう。彼らの毛ほども格好良くはないけれど。

 白石冬美さんには1度、インタビューでお目にかかったことがあってTBSラジオで長く放送されていた「パック・イン・ミュージック」でも人気の野沢那智さんと白石冬美さんがパーソナリティを務めた「金曜ナチチャコパック」のCDが発売され、パック・イン・ミュージックのイベントが開かれるという話をTBSまで言って小島一慶さんも入れて尋ねたことがあったのだった。2014年の2月7日だから5年前。ってことは77歳にはなっておられたんだけれどまだ元気で声にも艶があってそのまま喋ってミライさんにだってパタリロにだってなりそうだった。

 せっかくだからと前日あたりに神保町をうろついて、野沢那智さんと白石冬美さんが歌った「青山レイニィ・ナイト」という歌のレコードを買って持参したら喜んでくれて、サインを入れていただいた。もちろんナチこと野沢さんのサインはなくってそれはやっぱり心残りではあるけれど、今またこうしてチャコちゃんまで亡くなられてしまってひとつの時代が終わったなあと感じさせられる。星飛雄馬であったり怪物くんであったりミライであったりパタリロであったり。そうした声を演じて心を揺さぶってうれる声優さん。「閃光のハサウェイ」が公開されるというこれからに、“母親”として見守って欲しかった。そして「パタリロ!」の実写版公開に合わせて舞台で加藤諒さんに言葉をかけて欲しかった。過去に演じた役がいままた取り沙汰されるというのも実績の反映。それを残して去る。天国ナチチャコパックインがこれから聞こえてくるのかなあ。

 インタビューでは白石さんと一慶さんのラジオやパック・イン・ミュージックへの思いも伺ったけれど、野沢さんがどういう人だったかも聞いていてシャイで恥ずかしがり屋で演技には厳しかったといった話をだいたい聞いた。あと白石さんから「なっちゃんが誉めた人がいてね、山寺浩一さんでしたね。万能じゃないですか、語りもアテレコも第一人者と言われていますよね。なっちゃん『ねえ、山寺宏一ってのが出て来て、良いんだよ』って」ってコメントが聞けた。厳しいことで有名な野沢那智さんが認めた山寺宏一さん。凄い訳だ。そんな山寺さんが誰を認めているかがちょっと知りたい。一慶さんからは野沢那智さんについて「ラジオの読みは文楽志ん生談志志ん朝クラスですよねえ」といった話が出た。徳川夢声を聞いて語りに憧れたという野沢那智さん。「金曜ナチチャコパック」のCDを引っ張り出せばその語りも、「青山レイニィ・ナイト」の歌も聞けるのか。買っておけば良かったかなあ。無職じゃなかったその頃に。

 白石さんといえばミライとして出演した「機動戦士ガンダム」にまつわる誕生秘話を富野由悠季監督、安彦良和さん、大河原邦男さん、そして板野一郎サンをメインにして音楽の藤田純二さんや「アニメック」編集長の小牧雅伸さん、ガンプラ名人の川口克己さんとあと松竹やサンライズの担当者に聞いていくって番組がNHKで放送されていた。初期から理詰めのコンセプトでもって15少年漂流記をやろうとし、20メートルのロボットなら宇宙を舞台にしようとし、やられメカごとの1話完結ではなく続き物にして映画を目指そうとしたって話は、すでにあちこちで語られてはいても今時に「機動戦士ガンダム」に入ってくる人には、最初は苦戦したと言う伝説なり、今の隆盛からずっと盛り上がっていたという印象なりを改めるきっかけになったんじゃなかろーか。

 面白かったのは半ばあたりですでに43話での打ち切りがきまって、現場はもう大変だったからスタッフは喜んだといったあたり。凄い作品に携わってはいても、大変な現場で毎日を疲弊するのはたまらないってことなんだろう。当時は東映動画の請負に良いスタッフが回されていたとか、次が「ジ・ウルトラマン」で円谷いっぱいお金もってそうといった具合に、夢より実利が勝っていたようで、そうした意識が無茶を淘汰していたのかもしれない。時代が巡って無茶でも情熱を傾けるという意識が蔓延って、疲弊しても儲からない現場が山ほどできてしまった、なんてことはあるのかな。それでも中盤からは女性ファンが増え、映画化が成功して3部作が作られそして「Z」から始まるシリーズが続く。決定的な転換点はどこだったんだろうなあ。女子からのファンレターかなあ。そこはやっぱり気になった。

 季節の変わり目でいろいろと決断する人が他にもいっぱいいた感じ。バンダイナムコアーツで「ガールズ&パンツァー」の宣伝とかを担当していた廣岡祐次さんが何とバンダイナムコアーツを辞めて大洗町で大洗とそれから水戸ホーリーホックを応援するための会社を立ち上げるとか。「ガルパン」で培った大洗の人脈があり、それから水戸を「ガールズ&パンツァー」として応援してきたつながりがあるとはいえ、すでに個々では始まっている振興の中にどうとけ込んでいくのか。想像するなら個々で行われているそれらを束ねて版権が必要ならその窓口となって交渉をし、また水戸なんかも首都圏へのアピールで培った人脈を生かすってことになるのかな。それとは別に大洗にコワーキングスペースを作って大勢に利用してもらうとか。大洗に住んでそこで仕事をする、って人には面白い場所かも。僕も大洗に引っ込んでコワーキングスペースに通って日記でも書くか。ってそれじゃあ食べられないじゃん。


【3月29日】 3月最後の平日ということで出社日的には最後の日で、これでもって1990年3月1日から始まった日本工業新聞からの産経新聞グループにおける社員生活を終えることになる。終えたかったかというとそうとは言えず、終えずに済むならそれで過ごしたかったものの新聞業界を取り巻く経営環境がことさらに厳しく、全体の規模を縮小せざるを得ない中で重荷となっている年配層の人件費をどう減らすかといった課題があり、また戦線を縮小していく中で最良のユーザー層を想定し、そこに提供していくべき情報を集中されることになって、そうした動きの中で既に年配層であり、得意としている分野が絞られたユーザー層に対してあまり用を為さないとなれば、書き手として居場所を得続けるのは難しいという判断がひとつ出た。

 どこであっても何であっても仕事は仕事なら、こなしてさえいればそれは貢献になるといった考えもないでもない。それがサラリーマンなのだから従って黙々と日々の業務をこなしつつ、趣味は趣味として余暇で嗜めばそれで良いし、平日だって時間をやりくりすれば、十分に趣味の時間もとれるだろうといった判断もできる。今、無職化に伴う手続きの煩雑さと、出て行く費用の多さを眺めてそうしておけば良かったという気持もむくむくと浮かんでいて、後の祭りであって綸言汗の如くにどうしようもないことではありながら、というかだからこそ後悔の念が浮かんで身を苛み、寝ても早朝に目覚めて、早まったかもしれないといった思いを巡らせながら、朝になるまで過ごすような日々が続いている。かれこれ1カ月ほど。

 それはきっとまだしばらく続くだろうけれど、残る2日で完全にして完膚なきまでの社員としての身分を失い、行く場所もなければ行く必要もない状況へとさらされた時に改めて、現実としての無職を受け止めつつそこからの道を考える必要に迫られ、何かを考えることになるのだろう。やりたいことなんてないし、やれることなんて限られているなら何もやらずに過ごせるかというと、そういう訳にもいかないのがこの人生という奴だ。ならば気持を切り替えて、やりたかったことを今一度探してそこに向かって進むしかないのだった。間に合うか。間に合わなかったらそこで終わるのか。見えないけれどもそれだけの時間を過ごす原資は頂いた。なら後は進むだけだ。どこかへと。どこへだ?

 なんて。いや割とマジなので本当にどこか雇って頂けるところを求めたい。それはそれとして「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の最終上映が行われた際に、続編の製作が発表されたらしくて世間ではそれなりな騒動に。そもそも何をやるんだという感じがするのは「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」の全滅エンドは避けつつも、もう戦うことはないだろうエンディングを持ってきて大団円とさせた物語に続きなんて付けようがないからで、それでも何かを乗せるのならばひとつはガミラス星がやっぱりヤバいからこそ他星を侵略したデスラーなりが、やっぱりガミラスの移住は必須と動き出すしかないという状況がひとつありそう。それが地球は無理かというと、普通にガミラスの人たちが来ていたから可能なんじゃないかなあ、人も随分減ったことだし。あとは確執がとれるかか。

 違うとしたらやっぱり「ヤマトよ永遠に」を借りて古代進がもしかしたら生まれていたスターシャと古代守の娘を引き込み暗黒星団帝国と戦うのか、それとも「宇宙戦艦ヤマト3」のストーリーを借りて、今度こそ本当に移住先を探すイズモ計画を推進させるってことになるのか。どちらにしたってもはや時間断層はなく新造艦は作ろうとしても数が限られる。「ヤマト3」の展開を借りるなら、あるだけの艦を動員して移住のために使いつつ、一方で戦いもしなくちゃならないとなったらどういう手立てが考えられるか。和解したガミラスとの共闘かなあ。どこかへと言ってしまった古代アクエリアン文明の再来? いろいろ浮かぶけれどもそこは誰がやるかによって変わってくるだろう。またしても福井晴敏さんが立つとしたら、過去を借りつつ意外な展開を見せてくるんだろうけれど。果たして。

 「ただ、それだけでよかったんです」の松村凉哉さんによる「15歳のテロリスト」(メディアワークス文庫)は少年犯罪と少年法を巡る物語。妹と祖母を少年のタバコの不始末から来る失火で亡くした15歳の渡辺篤人が、唐突に映像を使って新宿駅の爆破を予告し、実際に爆発が起こって怪我人が出る。なぜ直人はそんなことをしでかしたのか? やはり恋人を少年に殺害されたことがあったルポライターが、長く少年犯罪被害者と突き合う中で得た人脈を生かして直人の事件に迫る。

 直人は少年犯罪が取り締まられない憤りから爆破事件を起こしたのか。自ら凶悪犯となって少年の保護を不要とする考えか。それにしては出ない死者。見えない動機の奥に、別の何かを覆い尽くして、自分が引きうけようとする振る舞いがあった。妹と祖母が死んだ事件の意外な真相。少年法と少年犯罪の厳罰化は以前から出ている。一方で緩和も叫ばれている中で、誰かが仕組んでいたある企みが浮かび上がって来る。近親者を奪われた者たちには依然として高い恨みの感情が爆ぜている。けれども渡辺直人は別の思惑で動き、その過程で深層が浮かぶ。驚きが幾重にもかさなるミステリだ。憤りを赦さずとも連鎖を生まない道を探りたい。

 2019年12月20日に公開が決まった片渕須直監督の長編アニメーション映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」。なぜ夏じゃないのといえば夏にはさすがに間に合わないということもあるけれど、でも前の2018年12月の予定では19日からまるまる1年は伸びない訳で、それでもこだわったのは12月22日があの映画の始まり、クリスマスの中島本町ということもあって以前もその頃にしたし、今回も近づけると片渕監督は話してた。戦争映画は夏のものという感覚があるしそれで夏休みだから子供も見れば高齢者も見る。でもクリスマスからお正月なら一家団欒、世代を超えて見てくれるんじゃないでしょうかと片渕監督。そういうことってあるよなあ。

 もちろん、今回はそこまで完成しないって訳じゃないからいろいろやるとのこと。あとは応援チームの結成とかあってクラウドファンディングはもうさすがに必要ないけれど、エンドロールに名前が載ってる人はやっぱり気になるし、自分がそこい出遅れた気持もあるなら応援チームとして載せましょう、実費で応援名刺に応援チラシを頒布する形で実施しますと真木太郎さんから告知。前のクラウドファンディングに応募した人も参加して良いのかな。どうだろう。ともあれ公開が決まって良かった。本日限りで平日的に無職になる僕が取材に出ることは状況的になさそうだし、一般客として普通に見に行こう。それまでは生きのびたい。職が見つかればなお結構だけれどそれはさすがに難しいかな。頑張る。


【3月28日】 全裸は寒いので普通に寝間着姿になって電気毛布が挟まれたベッドに潜り込み、午後10時15分というテレビよりは15分早いスタートをAmazonPrimeビデオで見ようと待機。りりがワカバを助けようとしてケムリクサをいじろうとしている場面を見てから目覚めたりんが、見えないわかばを探したところに見えた体を貫かれたような姿のわかばに何が起こったんだという衝撃が展開されて1週間が経ち、あれやこれやと想像が戦わされていたけれども結論としてそこは案外に聡いわかば。ミドリのケムリクサをしっかりつかって致命傷を避けていたようで、立ち直ってはガードを繰り出しりんを守ろうとする。

 その姿は、かつてりりを後ろに残して自分ひとり、赤い巨木に挑んでいったワカバそのもので、これはダメだ寂しすぎると奮起したりんのところに遠く離れた場所で奮戦していたりつからミドリの枝が届き、それを剣のごとくに手にしてりんは巨木へと挑んでいく。もう愛しい人を助けたいと願う乙女の力の発露といったところ。それでも矢折れ刀尽きたところに記憶の葉の中に少しだけ残っていたりくとりょうとりょくが現れては、最後の1戦をそこで見せて歩き出した異様な赤い巨木をどうにか倒しきる。

 振り返るなら「けものフレンズ」の12話で、かばんを飲み込んだセルリアンを止めようとサーバルが頑張る場面に現れた博士と助手とフレンズたちのよう。あの感動を再話のように描いて許されるのはたつき監督本人だからであって、そして最後の力を飄々としながら振り絞っているという泣き笑いをしたくなるシチュエーションが新たに載ってタブレットを握って画面を見る目も大きく開く。クライマックス。そしてエンディング。安心の先に未来も見えてこれからどうなっていくのかといった喜びの中で終わりを迎えられた。ありがとうたつき監督。最高でしたたつき監督。エンディングの中にうっすらとりりとワカバが見えていたのも良い配慮。すべてのキャラクターを愛しく等しく思う気持ちが込められているから、僕たちは感情を乗せて見られるのだ。次は何を作るかなあ。何であっても期待大だなあ。

 SF的にどうかというなら、おそらくは彼方より来た宇宙船が環境的に激変していた地球へと降り、巨大なカーゴの中にかつての文化や社会を転写して再現をして保存し持ち帰ろうとしていたら、人間の転写もされてしまってりりという少女が現れ、その少女がカーゴの外にも影響を及ぼしかねない赤い木を作ってしまったので完全封鎖をして外に出ないようにしたといったことなのか。でもってりりは自分を分割してワカバを救いに行こうとしたけれど、観察したらすでに存在しなくなっていたので生まれてくる子たちには自由に生きてと託したと。でも赤木の侵略はとまらないなか、もう終わりかと思われたところにワカバがわかばとして復活。これが駆動力をもたらし押し返していった。

 つまりはわかばは天の配剤。それをりりの意志がなしとげたのか、どこかに意識を残していたワカバが送り込んだのか、あまり分からないけれどもどこかに世界を救いたいという気持が漂っていたんじゃなかろーか。でなければ唐突な異分子の登場が分からなくなってしまうから。1島にたまっていた水を吸い上げている時に現れたわかばは、その水たまりの中にとけ込んでいたのではなのなら、つながっていたどおかから現れたと見るべきか、吸い上げているミドリの中に存在していたのが顕在化したのか、等々。考えるといろいろ浮かぶけれどそれも含めて考察なり、オーディオコメンタリーを待ちたい。早速の第1巻発送のお知らせから、第2巻第3巻と争奪戦が起こりそうだなあ。凄いアニメになったなあ。そしてすごい監督に。友だちになっておけば良かったなあ。

 高校生のeスポーツの大会がちょっと前に毎日新聞の主催で開かれたと思ったら、今度はテレビ東京が電通と組んでeスポーツの高校対抗による大会を発足。毎日が春開催だからこっちは夏の開催で甲子園ってことになるかもしれないけれど、面白かったのはテレビ東京だからといって日経だけと組んでいるんじゃ無く、北海道なら北海道新聞で東北は河北新報社、名古屋は中日新聞で九州は西日本新聞といった具合にそれぞれのブロックのブロック紙なり地方紙がテレビ局とともに開催に協力している。気になったのは大阪が産経新聞だったことで、世間でいろいろ言われているのを先取りして、関西のブロック紙として参加していたりするのかもしれない。そうなると中日新聞が関西進出を目指して買収だなんて話も消える? そんな話があったら関西に転勤して居残り中日に移ってたよ。今となっては後の祭り。まあ仕方が無い。

 強調されていたのは世界を相手に勝てるようなeスポーツの選手を養成するって目的で、だから選ばれたゲームは世界でどれも大きな大会が行われていて、日本での優勝校をそこへと派遣し鍛えてもらえる仕組みをしっかり提案している。プロゲーマーを目指したところで日本では賞金付の大会がそれほど行われる訳ではないし、世界で大人気のゲームの場合はなおのこと日本では高額賞金付の大会が行われず、優れた選手も来ずに対戦して腕前を試すようなことがしづらい。それが障壁になっているならこちらから出稽古に行けば良い。そんな機会を今回は作ったってことになるのかな。なかなかの判断。おかげでタイトルが「クラッシュロアイヤル」だったり「フォートナイト」だったり「リーグ・オブ・レジェンド」だったりと高校生っぽくないけれど、これも世界の高校生がやっているなら世界を目指す以上必要ってことなんだろー。いつか5年後に世界一がこの大会出身者から生まれるか。そこまで続けられるかどうかも気になるけれど。飽きっぽいから日本のテレビは。

 脱税かあ、そういえばその昔いGAINAXの脱税が発覚して摘発されていろいろと騒動になったことがあったけれど、社長の人が収監されたくらいで会社自体は存続をして普通に制作が続けられていた。社長の人は特に現場で指揮をしている人ではなかったから支障もなかったと言えるけど、今度のアニメーション制作会社の場合は社長の人がプロデューサーであって時には監督までしてシナリオも書くといった重鎮。収監でもされたらとたんに仕事が回らなくなってしまうし、それ以前に騒動の影響で人心なり信用が失われてしまったら、ただでさえ自転車操業のところがあるアニメーション制作会社はとたんに立ちゆかなくなってしまう。そのあたり、どこまで関与があったのか、そしてどれくらいの質だったのかをこれから精査する必要がありそう。とはいえガサ入れだからなあ、よほどのことがあったのかなあ。例の三部作の最終章、どうなるどうなる?


【3月27日】 第11話の延々と続くプロペラ戦闘機による空戦の迫力に感化されて、アプリ版「荒野のコトブキ飛行隊」をインストールしてプレイし始めたけれども自分で戦闘機を操作して機銃を掃射し撃墜するアクションゲームというよりは、鍛えてレベルをあげて並べて相手を上回ろうとするカードゲーム的な内容だった。飛んでる戦闘機を操縦もできなければ掃射のタイミングを揃えるわけでもない。空戦感はあまりないけどそれでも見知ったキャラクターたちが登場し、喋り戦っていく様をストレートなテレビで見るのとは違った、自分で選んだ展開の中で見られるところがこれはこれで面白さの理由かもしれない。とりあえず隼を作れるところまで頑張ろう。

 かつて七大タイトルと呼ばれた将棋のビッグマッチは今は八大タイトルとなっていて、竜王名人を頂点の双璧として棋王王位王座王将棋聖といったタイトル戦が並ぶ間、それも竜王名人のすぐ下に叡王というタイトルが出来て将棋界を賞金総額というもので潤している。主催しているのは他のタイトルのような新聞社なり通信社ではなくドワンゴで、電王戦を取り仕切って将棋をニコニコ動画の人気コンテンツにした流れからタイトル戦も作って将棋界に貢献し、中継を行って共存共栄を探ろうとしている。

 そうしたネットでの将棋中継を、サイバーエージェントとテレビ朝日が立ち上げたAbemaTVでも行っていてこれまた人気コンテンツになっていたりする。テレビ番組だとかアニメーションだとかを配信はしても地上波の補完でしかなかったりするし、地上波以上の冒険ができるといっても限度があって大昔の破天荒だったテレビの地上波にも及ばない、それが低予算で作られている番組では限度もあるのかなかなか普及しなかった。大して将棋はそれそのものが感性されたコンテンツであって、見始めれば投了まで見ざるを得ない吸引力も持っている。滞留時間を延ばしたいネットメディアにとっては重要なコンテンツだろう。

 だからニコニコもAbemaも頑張っていたのが協業となった時、どっちかがどっちかへと引っ張るのか違うのか。ドワンゴとAbemaTVが協業を発表したニュースを見て、そこがひとつ気になった。あるいは毎日新聞が長く持っていた名人戦が親会社の苦境なんかもあって大変なところにずっとタイトル戦を持ちたかった朝日新聞が秋波を送り、日本将棋連盟を納得させて毎日と朝日が交互に取り仕切るようになった。もしかしたら叡王戦もニコニコとAbemaTVが共に主催に入って賞金額をアップさせつつ、交互に中継するような状況になったりするんだろうか。

 あるいはAbemaTVもここは貢献と八大タイトルでも最弱で、ヒューリックだなんて冠スポンサーを付けざるを得ない棋聖戦を買い取ったりするんだろうか。かつてはもうちょっと上位にいたはずなのが、いまや八大タイトルでも最下位の序列になってしまったからなあ。前期と後期の年2回という特徴もきっと賞金が倍になるからとやめてしまって普通の棋戦になってしまっては、持つ意味があるのかどうかってところが判断の迷いどころ。だったらもう手放しても良いかもとなった時、どこが買うかってところでAbemaTVの名前が入っても不思議は内。果たしてどうなる? そういう面も含めて今後を注目したいニコニコ×Abema。両方引くってことは避けて欲しいけど。

 将来への不安は消えないものの動かなくては心が死ぬんでむっくりと起き出し、松屋銀座で今日から始まる「転生したらスライムだった展」の内覧を見物に行く。「転生したらスライムだった件」の展覧会で、いったいいつの間にそれほどの人気になったのか、気にはなったけれど小説の単行本があり、漫画があってそしてテレビアニメーションとなって見たら、意外に面白くて楽しくてワクワクさせられると気づいて、漫画なり小説の単行本へと向かう人たちも大勢出ているようで、こうして展覧会が開かれ不思議のない作品にはなった気がする。

 とはいえ、松屋銀座の同じフロア、「転生すればスライムだった展」のすぐ隣で始まった「夏目友人帳展」となると、もっとずっと人気がありそうで、居並ぶファンたちが作る長蛇の列を向こうに、転スラ展はアニメのようにひょっこりとしてほんわかとした展開で、本当に好きなファンを集めるんじゃなかろーか。シズさんのバトルシーンを描いた原画とか、本当に見ていて動きを感じる参考になるし。それはリムルのスライムでも同じだけれど。柔らかそうだけれど崩れないスライムが転がり動くのを描くのって、結構大変だし感性も必要そう。それを描けてやっぱりアニメーターは一人前って呼ばれるのかな。

 フォトスポットが割とあってリムルみたいな大きいスライムを抱えて膝に乗せて記念撮影が出来るコーナーとか、リザードマンのガビルになった気分で部下たちから讃えられているか、あるいはぶん殴られて這いつくばっている姿とかを撮れるようになっているから行って全部に挑戦して、自分が「転生したらスライムだった件」の世界に入り込んだ気分になろう。インスタグラム的なフォトフレームに顔を入れるとスライムになっててエルフのおねえさんの胸元に収まっているとかあったりするから。でもそれは本当にスライムになって抱きかかえられたいなあ。どんな感触なんだろう。ってかスライムに感覚ってあるんだろうか。

 なり切ると言えばVRがあってそれがスライムになって暴風竜ヴェルドラと仲良くなるってストーリー。HTC Viveのヘッドセットを着けて見渡すとそこは洞窟で、魔素がいっぱいの草とかを吸収しながら前へと進んでいくことになる。その際にスライムが飛び跳ねていくのを再現するためか、自分が膝を曲げ伸ばしして屈伸運動をする必要がある。これがスワット的で決行きついけれど、スライムだって手足もないのに飛び跳ねているんだから人間に出来ないことないと受け入れるのが吉。そうこうしているうちにヴェルドラ発見。ぐっと迫ってくる巨体の感じはVRならではといったところ。そこで握手して終わりで、ストーリー的に深くゲーム的に濃いわけじゃないけれど、VRってのが世界を再現するものだって分からせるツールにはんっているんじゃなかろーか。未体験の人は是非。


【3月26日】 「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」第七章「新星篇」の上映とともに実に106人もの観客に何かしらのプレゼントが当たる大抽選会付きの上映会に、ニコニコ超会議2019の発表会を途中で抜け出し最初から映画も観て、桂木透子さんの白い艦内スーツ姿にグッと来たけどズウォーダー相手の会話に乗ってしまって居場所をつきとめられ、槍ぶすまにされて死んでしまったのはやっぱり残念だった。あのまま放っておいたって古代進たちはズウォーダーの所にはたどり着いただろうに。それとも滅びの方舟を止められるのを避けたとか? サーベラーもちゃんと引き取っていたからそういうことなのかも。お疲れ様でした透子さん。

 そして上映後の抽選会は106人もいながらかすりもせず。タンブラーとかAnimeJapan2019のステージで使われた、古代に島大介にクラウス・キーマンの顔が描かれそれにフキダシのようにセリフをつけて好きなセリフ当てで混ぜっ返してたスケッチブックがそのままサイン入りでプレゼントに乗っていて、あまりの貴重さにオークションとかに出さないよう誓約をもとめるサインが必須になっていた。よろこんで名前を書いて押印したのに自分には当たらず。まあ当たっても家のどこかに埋もれて出てこないだろうからサイン入りポスターも含めて当たらなくて良かったかも。でもタンブラーはちょっと欲しかったかも。使えるし。本に埋もれた台所を片付ければ。

 ニコニコ超会議2019の発表会ではやっぱり「超歌舞伎」の演目に注目が。そして想像していたとおりに「千本桜」をテーマにした「今昔饗宴千本桜(はなくらべせんぼんざくら)」となって2016年の初演の時に味わったあの感動を、また味わえると思うと早くにチケットをとっておいて良かった良かった。取材もしていたんでアリーナに座って見るってことをせず、スタンドから見ていたので舞い散る花吹雪の中を練り歩く中村獅童さんによる煽りも上からで、盛り上がったものの一体感にはちょっと離れてた。今度はちゃんと観客席から。それも違う演目からのやっぱりこれが好きだろうと入るのではなく、徹頭徹尾「千本桜」で責めてくる公演に浸れるというのはやっぱり嬉しい。獅童さんも嬉しいんじゃなかろーか。

 どうせ同じ演目なら見なくたってと言う人もいそうだけれど、松竹的にはまったく新しい試みということで、ちょっとセーブしていたらしい。3年間の実績を踏まえて今回はより歌舞伎らしさを追求していくということで、それにNTTによるKirari!の技術の進化が乗ってどれだけのスペクタクルが演じられるのか。後が暗幕でなくても役者を切り取って別の場所に投影できるようになり、それにスキンを被せて変身だってできるようになった舞台はより絢爛として歌舞伎的に華やかなものになってくれると予想。何しろ京都・南座でも同じものを上演するんだから、千年の都のかぶき者たちが納得できる内容でないはずがない。まずは見て、そして京都にも遠征しようかな、どうせ暇だし、金なら一時金がたっぷりあるし。使っちゃう? それが糧になるならどれだけでも。半分言い訳。

 G’zブレインからこの4月スタートのアニメーションの何を見るって質問に対する答えがリストで出ていて、見たら1位は「進撃の巨人」Season3 Part.2で続きもの、2位は「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN 前夜 赤い彗星」と劇場で上映されたもののテレビアニメ化といった具合で、自分が積極的に見るかというとそれほどでもないのが並んでた。これがマスだとするならやっぱり自分はマイナーだけれど、だったら何を見ると言われてこの春からだとリストをざっと見てあまり思い浮かばない。情報のチェックが甘いってこともあるだけれど、この1月スタートの「けものフレンズ2」なり「ケムリクサ」のように是非見たい見なくちゃいけないといった衝動を煽られるものがないような気もしている。

 3位は「ワンパンマン」の第2期だけれど、ここって漫画だともうひたすらにガロウを相手にドタバタしている感じで、エピソードとして長すぎる上に着地点も見えてないからドラマとなにならなそう。戦慄のタツマキが活躍してくれたら個人的にはもうそれで十分とはいえ、そういう場も少ないからなあ、今の連載は。どうしてこうなってしまったんだろう。4位「妖怪ウォッチ!」は論外で5位「フルーツバスケット」も懐かしさはあっても目新しさは。過去のもそれほど見ていないから新しいからといって「ブギーポップは笑わない」のように比べられないのだった。まあでも見て楽しむかも。

 ってことでたぶん6位の「続・終物語」と「<物語>シリーズ」セレクションは見そう。すでに劇場で見てはいても見ているだけで楽しいから、その辺は。ほかでは梶浦由記さんが音楽を手がけるのは「鬼滅の刃」だったっけ、ジャンプ漫画だから王道だろうけれどそれだけに見て漫画といっしょならって気も。和楽器がテーマの「この音とまれ!」は興味深そうだけれど果たして音楽の演奏をどこまでアニメで再現できているか。そこが適当だとやっぱり気が抜けるのだ。「ULTRAMAN」はNetflixがメインだっけ。まあ見るけど「SSSS.GRIDMAN」の楽しさと比べてしまうんだろうなあ。

 「文豪ストレイドッグス」第3シーズンは通常運転で。ってことでたぶん注目は「異世界かるてっと」。異世界転生ななろう系小説が原作となって漫画だとかアニメで人気の4作品がコラボレーション。「オーバーロード」に「幼女戦記」に「この素晴らしき世界に祝福を」に「Re:ゼロから始める異世界生活」と合わせればどれだけの部数を稼いでいるんだ的作品が大集合。誰が1番不幸だ合戦とかするんだろうか。ここに「問題児たちが異世界から来るそうですよ」も入ればさらに上乗せもきいたけど、メンバーが複数な上に展開が第2部「ラストエンブリオ」だからそぐわないってことかな。かな?

 さて「けものフレンズ2」が放送されてクライマックスはセルリウムがキュルルの描いた絵に反応して描かれたフレンズたちをコピーしてしまうという展開に。そこに描かれていたあれはアムールトラまでもがセルリアンとしてコピーされてしまったとして、それはビースト化したものなのか真っ当な頃のアムールトラなのか、って思うとどうじにビースト化したまま彷徨っているアムールトラをどうして何とかしてあげないのって気持も浮かぶ。ちょっと放置が長いよなあ。キュルルの家探しという最初に提示された目的も果たされる気配がなくっていろいろな筋が入っては走ってどこかに向かっている状況で、果たして12話でまとめくれるのか。PPPが歌って万事良しとなるのか。そのあたり、気にはなるけどフレンズたちがバスに引かれて海辺のホテルに向かう場面は楽しげだったので、そうしたユルめた描写を味わう作品としてこれはこれで喜びたい。そんな最終回のの放送時、僕はもうカイシャインじゃないんだなあ。それはそれで感慨。


【3月25日】 年度末の給料日だけれど新年度からの交通費が支給されていない。そりゃそうだ。新年度からいなくなる訳だから。こうしてお前は必要のない人間だということがじわじわと感じられていくんだなあ。年度が明けて朝にどこにも行く必要がないという身の空虚さを受け止められるのか。それ以後の毎日をどうやって過ごすことになるのか。まったく想像がつかない状況にいたりするけれど、時がくればそれにも慣れていってしまうのだろう。怠惰にながされ安易に溺れる毎日がどれだけ続けば立派なニートになれるのか。実験だ。いやそれはダメだからとりあえず目の前に振ってきた幾つかの仕事だけはこなそう。ライトノベルでAIもの。何があったっけ。公募。

 AnimeJapan2019で「キラッとプリ☆チャン」のシーズン2放送を目前に控えたイベントが開かれていたまさにその時、テレビで放送されていた「キラッとプリ☆チャン」の最新エピソードではとてつもなくてとんでもないことが起こっていたことに帰宅して録画を見て驚き慌てて腰を抜かして涙する。例えばソラミスマイルとドレッシングパフェが“合体”を果たしてソラミドレッシングとなった過去を踏まえるならば、それはいつか登場するとは思っていたけど白鳥アンジュに七星あいらの2人が組んだ強烈なユニットを相手に、という以前にアンジュひとりでもミラクル☆キラッツなんて粉砕できてしまう状況で、怯え逃げようとしていた萌黄えもに桃山みらいは精いっぱいにやろうと励まし、そして臨んだ舞台に現れたのがライバルのメルティックスターだった。

 彼女たちだってその舞台に立つチケットは持っていて、そして再発行が案外に簡単だとも分かった先週の結末を受ければそこに入ってきたことに不思議はない。とはいえ、三つ巴の戦いにしてしまってはアンジュ&あいらの凄さに叶うはずもないところを、ミラクルキラッツとメルティックスターの6人が横一線に立ってミラクルスターとなり、シーズン1でも第1と第2クールの主題歌だった「キラッとスタート」を歌い始める。なるほどRun Girls, Run!の持ち歌ではあっても桃山みらいを演じる林鼓子に青葉りんか役の厚木那奈美、そして紫藤める役の森嶋優花はそのメンバーであって、そこに萌黄えも役の久保田未夢、赤城あんな役の芹澤優、緑川さら役の若井友希というi☆Risのうちの3人が加わって、より最強感が増したと言えそう。

 そして繰り出された楽曲は、耳に馴染んでいることもあってとってもパワフルに聞こえて来て、そしてダンスの楽しさもあってもう目が離せなくなっている。いつもだったら1番だけで終わるのがフルコーラスに近い形をダンスも含めて映像にして、さらにはとてつもなくレアなコーデも持ってきてミラクルスターを後押しする。これじゃあ誰も投票しないわけにはいかないよなあ。数で勝った訳じゃない。でも数がいてこそ、あの2組だからこそ成り立つパワーってヤツが放たれてアンジュとあいらのペアに向かう投票の手を止めさせ、ミラクルスターの投票瓶を破裂させた。凄いすごい。いつもだったら録画してすぐ消していたけどこれは永久保存だ。DVDだって買っていいかも。そんなミラクルスターを見てアンジュさんもまた歌うことを決めてくれたみたい。頂点に立ったって憧れられているならずっと立ち続けて欲しい。それを目指していっぱい新しいチームが出てくる。そう気づいてくれたなら幸い。気づかせたミラクルスターに喝采。ライブで並んでくれるかなあ。そっちも期待。

 録画してあった分だと「レイトンミステリー探偵社〜カトリーのナゾトキファイル〜」がいよいよレイトン教授の復活となってアルデバランが残した謎に向かって突き進むものの、プラネタリウムが現れて星空が写し出されたところでいったんの幕。続きは次回ということでアルデバランが誰でそして現代はどこにいるのかってあたりに興味が向く。レイトンたちと一緒に眠らされていたながらカトリーたちがたどり着いた時にはもういなかったのなら、きっとロンドンあたりに出没してカトリーたちの回りで暗躍していたに違いない。誰だろう。あの顔立ちそのままで動いていた訳じゃないから誰かに変奏していたのか。まさかジェラルディンが……ってそれはないから普通に隠れていて現れる、と。対決するのはレイトン教授ではなく成長したカトリーに。それが「カトリーのナゾトキファイル」の最終回に相応しいから。

 ようやくやっと笹本祐一さんの「放課後地球防衛軍2 ゴースト・コンタクト」(ハヤカワ文庫JA)を読み終える。動いて喋る日本人形の怪! といったフォークロア的な設定に端をおきつつ、どうして動いたりするのかを観察していて電波を専門に扱う学生から奇妙な電波が出ていることを聞かされ電波生命体とかいったものを想起して、それがどうやたら人形と関わるかを推定し、突然にいなくなってしまい、図書館に現れたりする人形の行動からも推測を重ねて幽霊の類ではないといった結論へと向かっていく。なおかつそこから人形とコミュニケーションをとる可能性も模索。最後には人形が自分でしゃべれるようにしてしまうから科学って素晴らしい。

 同じ非現実的ではあっても幽霊の類は科学では解明のしようがない。今回は別の異種というか宇宙的な生命体が絡んでいたこともあって、広大無辺ではあっても現実の拡張であるところの宇宙だったらそこに科学を持ちこんで推察から検証を経て実現できる。ファンタジーなりホラーにならずSFになる理由がそこにありそう。どうにかこうにかコミュニケーションが成立し、人形が前の時代にしゃべっていたのと中身が違っている話も聞き出し、コミュニケーション可能な知的生命体は貴重といった話になって人間たちを良い気にさせていたらどうも大変なことが起こったみたい。情報を聞きつけて人間狩りでもやって来たか。そこは分からないから続きを待とう。いつ出るかは分からないけど。前からみたく2年3カ月は開けないでとだけ、お願い。

 AnimeJapan2019はビジネスデイが今回からパブリックデイの後の実施になって、アニメファンたちが詰めかけて喧噪に満ちた東京ビッグサイトが一変し、静まりかえった月曜日にひっそりと開催されたので見学に行く。といってもちゃんと海外からやって来て、日本のアニメーションを買い付けようとしている人たちはいて、ブースはどこもちゃんと人がいて来訪者がいて商談をしている感じだった。とはいえ例えばカンヌであるとかいった場所で繰り広げられるどはでな商談会のイメージはなく、これで本当に大金が動いているのか判然としないところだったりする。

 秋には秋で東京国際映画祭のマーケット部門にあたるTIFFCOMがあってそちらでもアニメーション関係は取引されるから、どっちがより多くの商談をまとめているのか気になる所。あるいは海外のマーケットでやりとりされているとか。とはえい日本の最新作がAnimeJapan2019のパブリックデイに発表されて、それを目の当たりにして商談に臨める分、AnimeJapanでのそれも後の開催のビジネスデーに今は軍配はあたるのかな。本気なら来ている人とか受けた人にインタビューするんだけれど、そういう媒体でもないしそもそもクビなんで手控える。どこかそういう仕事をすれば良いのになあ。ま、それをさせないからこそのアレなんだけれど。アレって何だ? それは言えない。


【3月24日】 新海誠湯浅政明原恵一に片渕須直も加わるかも知れない2019年の長編アニメーション映画のラインアップに「心が叫びたがってるんだ。」の長井龍雪監督も参戦をして10月11日に秩父三部作の3本目となる「空の青さを知る人よ」を公開予定。キャラクターデザインは田中将賀さんで脚本は岡田麿里さんと鉄壁のトライアングルから繰り出されるだろう物語はきっとまた、中高生の心をキュンとさせつつ人々を秩父へと向かわせるんだろうなあ。キャラクターが車の上に座ったビジュアル1枚から話は想像つかなくて、幽霊話でもハンディキャップ話でもないただの恋物語を持ってくるとは思えないので何かしらのフックを持った作品になるんだろう。見守りたい。

 青春とはまるで正反対の絶望が滲む太宰治の「人間失格」を原作にした映画「HUMAN LOST 人間失格」なんてものも2019年に公開だそうで本広克行さんが入り木崎文智さんが監督をして冲方丁さんも入っていた入りする布陣はなかなか見応えがあるけれど、「人間失格」なら前に浅香守生さんが「青い文学」というシリーズの中で手がけた、これはもうどこまでも原作のテイストを取り入れつつ耽美さすら漂う映像に仕上げたアニメーションがあるので、そっちをまずは大勢に見てもらい気がする。原点があって輝くアレンジだと思うから。とはいえ「HUMAN LOST 人間失格」が太宰の原作を昭和111年という近未来にアレンジしただけとは限らないからなあ。どういう関係になるんだろう。そこも含めて見守りたい。見守ることしかできないし。

 自前の媒体を持っていないので追える情報も限られる中、見落としていたAnimeJapan2019での発表に、中国のビリビリとアメリカのファニメーションの発表があったらしく、何でも日本のアニメーションの中国での配信と、アメリカでの配信で相互に補完し合うことになったらしい。これでたとえば出資についてもアメリカの市場、中国の市場の両方に通用するような作品の調達に向けて、倍増なり3倍増といったお金を注ぎ込めることになったとして、日本がそれ以上のお金を払って日本向けの作品を調達できるのかどうか、ってあたりがこれから取り沙汰されているんだろう。

 つまりはテレビ局でありビデオメーカーなり映画会社といったウインドウにとって、競争相手がワールドワイドに広がるって意味。国内のそれこそ数万人を相手にしたようなビデオパッケージ、数十万人が相手になれば十分な映画を作って下さいとお願いしたところで、相手は世界で巣億人が見るアニメーションを作って欲しいと、それだけの規模からあがるだろう収益をぶっ込んでくる。アニメーション制作会社的にはもちろんその方がありがたい訳で、なおかつそこで向こうの事情にするりと自分たちの思惑も入れ込ませ、共にウィン=ウィンな作品を作り始めた時、テレビ局なりビデオメーカーなり映画会社が自分たちの企画を成立させられるのか、なんて心配が浮かんでくる。

 とはいえマスに寄りすぎれば濃度が下がるのはあらゆることに言える話で、日本人好みの日本市場に向けた作品だからこそ受けてそれを臨むコアな層がいて世界にファンが広がったという経緯もある訳で、中華ファンタジーなりカートゥーン&アメリカンコミックのテイストを押しつけ日本の制作会社に依頼したところ乗ってくれるとは限らない。日本は日本の中だけでマーケットが成立し得る部分もあってそこにおいて日本のテレビ局なりビデオメーカーなり映画会社が企画を制作会社とともに練り上げ二人三脚で作り上げ、そこからさらに世界といった時にビリビリ&ファニメーションが協力してくれるような座組がうまく作れれば、今度はウィン=ウィン=ウィンな三方百両の得となるコラボレーションだって出来るかもしれない。乗れるうちに乗り込もうとするか。出方が気になるなあ。テレビ局で熱心なのは日本テレビかTBSかフジテレビかテレビ東京か。TOKYO MXはある意味で電波での配信事業者となっているから別口なのかな。どうなのかな。

 ようやくやっと「えんどろ〜!」の最新話を見てユーシャやセイラやファイやメイら後に魔王を倒すことになる4人のチームが実はすでに魔王と対峙していてそこで呪文を噛んだかして言えず過去に飛ばされ記憶を失っていたことが判明した、ってことはマオちゃんと同じ境遇じゃん。ただしマオちゃんは記憶は消えずにそのまま教師となった感じ。ユーシャたちはどういう境遇であの世界に放り出されたんだろう。たいして年齢も違わないなら普通に前いた学校に戻ったってことになるのかな。いやいやそれだと前からいた自分たちとガチ会うことになってドッペルゲンガーで対消滅なんてことも。ないんだったら単純に時間が巻き戻っただけってことになるのかな。あんまり難しく考えないのがここは良さそう。そういう話だし。

 でもってゴーレムが登場して魔王のことを知ってか知らない感じな中で、かいがいしくマオちゃんを世話していたけれども遂に魔王の関係者と分かって連れて行かれそうになった時、マオがこれはやっぱり寂しいと魔王の姿に戻るというか、本来はマオちゃんだから変身をして魔王っぽくなってさらって逃げていく。そこを追いかけるユーシャちーむは果たしてあいてがマオちゃんだからと手加減するのかしないのか。まあやっぱり呪文を待ちがえて過去に戻ってやりなおしになる、ってオチなんだろうなあ。それは単純すぎるか。ともあれあと1回くらい。楽しみにして待とう。この安定ぶりは「ケムリクサ」とは別の意味で2019年新春の覇権候補でありました。オリジナルなのに凄いなあ。

 今日も今日とてAnimeJapan2019へと繰り出し知り合いがいたら辞めます辞めさせられます残念ですけど仕方が無いです仕事くださいとお願いして回る。といっても知り合いなんてそれほどいないから果たして仕事につながるか。一方でちゃんと仕事も。「キラッとプリ☆チャン」のステージでは新しくシーズン2から登場するキャラクターに関してキャッチフレーズを考えようってイベントがあって、声が徳井青空さんだったことから芹澤優さんが「にっこにっこにー」と危ないコメントを発し、さらに畳みかけるように「横浜一の名探偵」とこれもまた危ないコメントでキャラクターの色をつけようとする。普通だったら止めに誰か入るところをながすあたりがi☆Risメンバーの自由さってことか。ロックテイストってことで若井友希さんが演じる緑川さらに似ているってことで「打倒、緑川さら」と言った萌黄えも役の久保田未夢さんにそれだけはやめてと突っ込んでいたからなあ。仲が良いというか。結局決まらなかったけど果たしてどれが出てくるか。シーズン2の楽しみが増えた。


【3月23日】 また酷い顔になっていたりするけれど、ストーリーはちゃんと流れているから気にしなければ気にならない「魔法少女特殊戦あすか」。妙になっているのは顔くらいでボディスタイルとかはちゃんと整っているし、タビラ将軍に関してはグラマラスなボディにしか目が向かないから作画はあとで直してくれればそれで良いのだ。とはいえ今時の円盤事情ではそれなりに売れなければ直して出す意味もなく、かといってネット配信に向けるために直すといった状況も考えづらい。となればずっとあのままの絵で推移していってしまうのか。海法紀光さんが脚本を書いたという事実とともに。それって別に海法さんの責任じゃないけれど、やっぱり監督に並んで名前が出てしまうのが脚本家って立ち位置だからなあ。せめてだから円盤が出て潤うようにと祈願。

 漫画版とか読んでないからこの先、どいういった展開になるかは知らないけれど、きっとあすかたちとも縁をもった魔法少女なり誰かがいろいろと画策しているんだろう。タビラ将軍から奪ったマジックアイティムっていったい何に使うもの? それで世界を滅ぼしたいのか変えたいのか。テロリストなのか革命家なのか。そこに見極めがちょっとできない間はその行為を真っ向から否定しづらい。とはいえ無関係な人を虐殺していたりもする訳で、やっぱり世界を滅ぼしたいのか。やっぱりマンガを先に読むべきか。そういやあちさとってどうなったんだろう。死んでないなら自分を魔法少女に仕向けた事件がマッチポンプだったと知って、おかしくなった神経を戻してあすかたちに加わったりするのかな。そのボディスタイルと空手の技は捨てがたいからなあ。そこも含めて観ていきたいけどあと1回。2期はあるのかな。

 そういえばAnimeJapan2019の会場で「魔法少女特殊戦あすか」関連の展示って見たっけ。気づかなかったけれども毎日放送なりTBSが店を構えていた感じはなかったから、どこかの制作会社か代理店のブースにひっそりとあったかもしれない。なかったかもしれない。そんなAnimeJapan2019でまず見に行ったのが「天気の子」のパネル。記事を書く上でやっぱり2019年において最大の注目策になるだろう作品の情報は外せないから。湯浅政明監督の新作があって原恵一監督の新作もあって五十嵐大介さんの「海獣の子供」の劇場版も作られて「響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ」の公開も近く今石洋之さんの最新作「プロメア」の公開も5月にあってと、長編アニメーション映画が目白押しではあるものの、あの宮崎駿監督に続く興行成績を残した新海誠監督の最新作である以上、注目が向かうのも仕方が無い。

 とはいえ映像面の紹介はなくメインビジュアルのパネルが置かれてあと、ちょっとしたあらすじが書いてある程度。それで何を判断しろって話ではあるけれど、それでもちゃんと作られていると分かるだけで僕たちは安心できるのだ。ここからまさかパネルだけで年を越す、なんてことはないだろうから。公開日だって決まっている訳だし。そんなコミックス・ウェーブ・フィルムのブースには新海監督のサインが入ったパネルも。これは貴重かどうなのか。今年はただ「星を追うこども」の生フィルムセットが売ってなかったのが残念かなあ、あとはコミックス・ウェーブ・フィルムが手がけた作品のDVDとか。ショップどうして出さなかったんだろう。それともどこかにあったっけ? 明日探してみよう。

 そんな密やかな「天気の子」の展示に対して「プロメア」の方は派手というか、東宝アニメーションと組んで作品に参加しているXFLAGが大きなブースを作ってそこで火を消すファイヤーレスキューの新人らしいガロと、炎を操る力を持ってしまったミュータントでガロの敵になるリオの立像を並べ、そしてマッチョなファイヤーレスキューのガロと同じ様なボディを持った男性コンパニオンをブース前にいっぱい立たせているからもう目立つ目立つ。女性だったら抱き上げられたいそのパワフルな肢体を目の当たりにするにつけ、ガロが実在したらやっぱりとてつもないパワーを発揮するんだろうなあと考えた。映画の方はまだまだ認知度が足りてないけど、「天元突破グレンラガン」に「キルラキル」を作った監督の新作だという情報と、そしてカミナのような格好いい男が出て来そうだという雰囲気をまず知って、そしてストーリーについて感じていけばそれなりに当たってくれると思いたい。今石監督が参加しなかった「フリクリ」が知られないままひっそりと終わってしまった二の舞は避けたいし。

 湯浅監督のサイエンスサルは出ていないのかなと探したものの見つからず、ワーナーブラザース ジャパンのブースに行って見知った宣伝の人にいろいろとお世話になりましたこれで取材で伺うのは最後です今までありがとうございましたこれからよろしくお願いします仕事下さい雇って下さいと挨拶しようと思ったもも見当たらなかったのでこちらは明日の課題にしたい。発表会ではすべてを見るなんてそもそも不可能なんで、ずっと見てきたDeNAと文化放送と創通と毎日放送が、新しいアニメーションの企画を発掘するために立ち上げが「Project ANIMA」の大集会となるキッズ・ゲームアニメ部門の贈賞式を見物する。そうかそうだったのか品川一、ってつまりは受賞者なんだけれど、漫画で描かれたその受賞作のタッチや内容から想像した人と違ってた。豊永利行さんも驚いていたからなあ。でも最近はあんまり関係ないから、ほら「鋼の錬金術師」だって。つまりはそういうことでした。動画工房がアニメ化するそうだけれど、絵がある分早いかな。

 適当に会場を出て角川つばさ文庫小説大賞の授賞式へ。目的はもちろんKADOKAWAの人たちに仕事がなくなっちゃうんです無職になってしまうんですこれまで有り難うございましたこれからもよろしくお願いします仕事ください雇って下さい所沢とかでも通いますむしろ移り住みますなんてことを言うためだったかもしれないれど、さすがに面と向かっては言えず心で唱える。届いたか。そんな角川つばさ文庫小説大賞でお見かけしたのが「ぼくらの七日間戦争」の宗田理さん。90歳になる身は動くのも大変そうだったけれど、小説に対してはなかなかにクリアな見識を効かせてくれた。

 一般小説部門という、まあメインの賞に関しての発言だと思うけれど、「みなさん、技術的にはお話がうまくなり、面白い小説を書くようになりましたが、言わせてもらえばとんでもないようなお話がない」と、あまりわくわくするような展開が少ないことを指摘していた。そりゃあそうで、突飛な話だと破綻もしやすく選考にだって不利に働きそうだから。でも宗田さんは「もっとそういう話が欲しいと思っていたら、こども部門でものすごく楽しくて面白くて奇抜な発想の本が幾つも出ている」と、こどもたちの作品をあげて畳みかけてきた。

 だってこどもじゃん、何にはばかることなく将来を見越すことなく自由で突飛な発想を繰り出せるじゃん。世間ズレしていないとも言えるけれど、そうした自由で奔放なアイデアがやっぱり欲しいというのが宗田さんの思いなのかもしれない。当たり前の地点に落着する本を今さら読みたくないものなあ。総評ではこども部門で特別賞となった「感情」を挙げて、「AIを取り入れて今の虐めとかに対するものがあった。面白い。こういうのが新しい作家の像じゃないかと感じさせてくれました」と激賞。聞いて一般部門の受賞者も居心地が悪かったかもしれないけれど、逆に宗田サンがお墨付きをくれたんだから、新しいアイデア斬新な展開にどんどんと挑んでいったら良いんじゃないかな。僕もやってみるかな。閉めきりはこれからだし。


【3月22日】 イチロー選手が引退した。昨シーズンに途中でいったん、現役を退いてアドバイザーみたいな立場になった時点で、すでに翌シーズンの開幕戦を日本でやることが決まっていて、そこに出場を果たして引退というルートが決まっているんだろうなあと思ったけれど、あのイチロー選手のことだけにそうした既定路線のコマーシャリズムに乗っても平気でいられるか、って懐疑もあってシーズンオフに移籍なんてこともあるかと想像したもののそれはなく、普通にオープン戦に出場してそして普通に来日を果たし、やっぱりここで引退だろうなあといった予想に沿って日本での2戦目で、ラストを飾って退いた。まずはご苦労様と言っておきたい。

 チケットが売り出された時に買っておこうかな、イチロー選手の最後を見に行こうかなとも考えたし、かつてイチロー選手が大リーグの年間最多安打記録を抜くときに、流体力学というショップでイチロー選手がシアトル・マリナーズへと移籍した2001年に着用していたのと同じユニフォーム、ちょうど同時多発テロ事件が起こって大リーグがユニフォームに星条旗を入れたものがちゃんとそのとおりになっているオーセンティックのユニフォームを手に入れて、その後にイチロー選手が来日した試合で着て以来、ずっと飾ってあったけれどもいよいよ着て見守る時期だとちょっとだけ考えた。

 でも会社がどんがらがっちゃんになっていて、自分自身が面倒な立場に追い込まれている時に野球なんて見ていられるだろうかといった躊躇もあって、買うのを見送っていたら見事に完売。これではもう手が出ないと諦めた。おかげで片渕須直家督と土居伸彰さんによるユーリ・ノルシュテインのアニメーション作品「外套」を追いかけたドキュメンタリー映画の上映記念イベントに行けて、いろいろと話を聞けた訳でそれはそれは良かったけれど、ひとつの角出を飾って弔いというか、お清めをユニフォームにしてあげる機会が取れなかったのはちょっと残念かもしれない。今後、イチローが登場するイベントなんかあったら着ていってあげたいけど、そんなことしてくれるかなあ。任天堂に挨拶に行くなら入口で待っててあげたいなあ。

 わざわざ現役として年を越させて、それまでの間も球団で練習をさせて体調を整えさせることをした球団はやっぱり素晴らしく、契約であり金であり実績が物を言うような世界でありながらも、それ以上に偉大な成績を残したメジャーリーガーを冷たくあしらうことなんでメジャーリーグのプライドが許さなかったのかもしれない。開幕2戦で引退するならその分を別のプレイヤーに分けてあげるのが普通。でもしなかたっところに日本だからイチロー選手が出れば儲かるといった打算の一方で、それだけのことをしてきた選手だというリスペクトもあったと信じたい。残した安打数は3089でメジャーリーグの歴代22位。3082安打のプホルス選手に抜かれたとしても30位には当面落ちそうもないその成績を、やはりあっぱれと行って送り出したい。あっぱれ。

 片渕須直監督と言えば次につくる俗に言う長尺版こと「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の発表会をテアトル新宿で開くってんで、チケットの争奪戦が懸念されたもののとある会合でライトノベルとAIについて考えた後、手にしたタブレットでアクセスしたらすぐに繋がり、席もちゃんと前目を確保できた。平日ではやっぱり来られる層も限られたってことなのかな。でも学生は春休みだし関係ない。あるいは告知が前ほど行き渡っていなかったんだろー。おかげで取れたので良かったけど。

 個人としては某紙を退職へと持って行かれる月の平日最後の日で、つまりは名目的にはカイシャイン最後の日。それを慰労会とか送別会とかではなく、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の発表会に居て良いのかといえば、良いんです、そうすることで自分という存在が苦難を乗り越えて向かう道というのが掴めるのです。だから当日は引き留めがあろうとも、逆に叩き出しがあろうとも気にせずしっかりと劇場へ行っては何が発表され、そしてどういった展開になるかを目の当たりにしながら、そういう状況を日々の食事にも事欠きそうな中を頑張って企画の成立に邁進した片渕須直監督の苦難を噛みしめ、これから訪れる我が身の苦難など欠片も及ばないと感じ勇気を得て前に進む気力を得よう。それだけの発表があると信じてます。2020年に延期じゃあ即死だから。

 観客動員数100万人で興行収入14億円はアニメーション映画としても、最近の邦画としても優秀に入る成績で、それを「シティーハンター」という1980年台がピークだったタイトルの超久しぶりの劇場版となる「劇場版シティーハンター <新宿プライベート・アイズ>」が達成してしまったことに、映画を企画する人たちはいろいろと考えた方が良さそう。かつて見ていた層が見に行ってかつて見ていたのと同じくらいに楽しめるストーリーであり声優陣、そして音楽。きっと大丈夫という安心さと、そして多分面白いんじゃないかとう期待が最初の動員に役立って、そこで見せられたあまりにも「シティーハンター」であったりする展開に、これなら大丈夫だという口コミも働いたってことだろー。

 もし今、かつてのアニメをリメイクする企画があったとしてこれだけ1980年台をそのまま持ってこられるか。新しいファン層を考え声優を変えたり設定を変えたりするんじゃなかろーか。それが結果として新しいファン層を呼ぶかというと、自分たちとは縁遠い物なら見に行く必要はないと敬遠し、一方で従来からのファン層は新しくなったものはやっぱり自分たちの思い出を汚すものだと拒絶する。双方から嫌われて浮く瀬もないってことで、それを「劇場版シティーハンター<新宿プライベート・アイズ>」では、まず旧来からのファン層にターゲットを絞ってそこで確実に観客を動員できると分で動き、その上で面白さから新しいファン層でも大丈夫といった空気を作ったのかもしれない。これが正解とは限らないので、誰か「劇場版シティーハンター<新宿プライベート・アイズ>」のヒットの概況を、時系列とかネットの口コミから追って解き明かしてくれないかなあ。自分でやれって? 媒体持ってりゃやったっさ。ないんだもん。だから任せた他の媒体。


【3月21日】 語られた過去はリリという少女が人間として、ワカバという青年が船長として地球らしき場所に過去の建物なんかをプリントして再構築していた、といったもの。文化の保存ということはきっと滅び去った地球を見て、宇宙からの来訪者が再構築を目論んだとちたところか。そんなワカバが扱うケムリクサの効能をリリが覚えてなおかつ組み合わせ、新しい使いかを創造してしまったところから悲劇は起きた。忙しくて出かけてしまうワカバをちょっと休ませたい。そんな思いからケムリクサを抑えるケムリクサを作ってしまったら暴走した。赤霧の誕生。そして赤虫たちの発生。迫る危機にもワカバはリリの才能を誉め、けれどお抑えなければと挑んで詰んでると分かり、自分を犠牲にして結界を張り赤い巨木の進行を押さえ込もうとする。

 残されたリリは子供では介入できないと知り、ケムリクサを使って自分を成長させようとする。そして生まれたのが……といったところで最初の人ことリリから生まれた「り」が付く少女たちが、リリの思いも受け継ぎながらワカバを探し、けれども探さなくて良いと書かれ、それでも生き残るために旅をして戦っていった先に現れたのがワカバによくにたわかばだったといったところから、「ケムリクサ」の物語は始まったって言えるのかも。それが分かったepisode.11。ギリギリのところまで来てまるまる1回を回想に使って設定を何となく分からせようとして、そして最終決戦へと向かうところでわかばを大変な目に遭わせるあたり、かばんちゃんがサーバルを助けようとしてせるりあんい飲まれた「けものフレンズ」の11話とも重なって、驚嘆を与えつつ1週間の緊張を誘う。上手いなあ。

 わかばは傷つきりんも勝負手は持たないところで、眠ってるりくやりょうやりょくが復活しては最後の力を振り絞って巨大な赤い木に挑んでいくことになるのかな。そこにわかばがどう絡むのか。というか元のワカバは白衣を木の根元に残してミドリの巨木を残してリリたちを守ろうとした訳で、すでに無いのが何かの弾みで転写されただけのわかばにどいういった役割が与えられているのか。リリの記憶にあるワカバを助けたいという思いをドライブさせる対象? そうした伏線めいたものも多々あって、噛みしめても噛みしめても汁が出続けて味が尽きない。そもそもどうしてワカバは地球に来ていたのか。リリを転写で復活させたのか。そうした根本も含めてまだまだ知りたいことだらけ。エンディングでりつとりなの姿も消えてわかばまでいなくなったその先、すべてが復活して並ぶ後継を僕は見たい。そして見せてくれると思いたい。だから信じる。たつき監督を信じる。

 一方で「けものフレンズ2」の方はついにアライさんとフェネックが登場してはオオアルマジロにオオセンザンコウと対話するという2人4役の美味しい展開。=LOVEが出演をした絶滅動物ばかりが登場した舞台版「けものフレンズ」からリョコウバトも登場したりして、ずっと見てきた人には嬉しい回だったけれどキュルルが自分のおうちを探して歩き回った過程で残した、さまざまなフレンズを描いた絵がセルリウムを刺激してフレンズそっくりなセルリアンを生み出していった展開が、大勢のフレンズたちを描いたキュルルの絵を重なった時にいったい何が起こるのか、って考えるとちょっとドキドキしてくる。どったんばったん大騒ぎっぽい展開が待っているのかな。そんな11話を経てハッピーなエンディングを迎えてくれると信じて待とう、最終回。

 バスジャックに遭って犯人から声を出したら誰かが死ぬとしつこく脅されたことで声が出せなくなた少女が後、入ったフリースクールに行き倒れていたところを拾われ、やって来た青年教師が実は……といった展開があってまずは最初の吃驚を見せてくれた綾崎隼さんの「世界で一番かわいそうな私たち」(講談社に)に続編となる「世界で一番かわいそうな私たち 第二幕」が登場。バスジャックの犯人とそして消えた理屈が説明されてそれで万事OKとは行かず、フリースクールとなっている静鈴荘に入所している少年に対するいわれの無い中傷というか激しい告発が行われて生徒たちも周囲も動揺する。

 それは少年には関係ないと言えば関係ないけれど、相手がどうしてそうしたくなるかも分からないでもないところに解決の糸口が見えない。警察が取り締まっても諦めないでしつこく絡んで来る相手ににどうすれば引いてもらえるのか、というところでフリースクールを切り盛りする舞原杏という女性が、第一幕でひとりの男子高校生に対して行われていた酷い振る舞いを暴き立てずに押さえ込んだような思考をここでも見せ、権力で縛るでも説き伏せるでもなく理解をさせ納得の果てに落着へと持ちこむ。それが常に正解とは限らないけれど、準備もして臨んで上手くいった感じ。行き場の無い感情をぶつけたくなる気持をどうそらすか。あるいは本当に必要なところに向けさせるか。そんな教えをもらえた。とはいえ舞原杏自身に謎が浮かんでこれからの展開に波乱が起こりそう。捨てられていた花束の謎が遂に明らかになる? そんな第三幕に期待。

 テアトル新宿での「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」に関する発表会は争奪戦が激しそうなので、失業者となる前に片渕須直監督のお顔を見る最後かもしれないと思い立って下北沢は移転を果たしたB&Bで開かれた、片渕須直×土居伸彰 「アニメーションの神様・ノルシュテインと現代アニメーション」 「ユーリー・ノルシュテイン《外套》》をつくる」上映記念トークに参加して最前列で話を聞く。まずノルシュテインについていろいろと語られ、1981年に高畑勲監督がOHプロダクションで「セロ弾きのゴーシュ」を作ってそれが上映された際、尺を整えるために併映された「霧の中のハリネズミ」を見た高畑監督が、大きな事件ではなく小さなエピソードを描いたアニメーションに思うところがあったってことが紹介された。

 それが後、「かぐや姫の物語」につながったのではと上映会に当時STAFFとして携わっていた片渕須直監督が振り返っていた。もうひとつ、作品ごとに手法をノルシュテインは変えてくるって話もしていて、もしかしたらそれは作品に最適な表現を探して新しく作り出す高畑監督にも影響を与えたかもしれない。日大芸術学部で講義を持っていた際は鷹羽監督、ずっと「話の話」の話しかしていなかたとか。理解をしていない学生を怒っていたそうで、学生としては堪らないけどノルシュテインの神髄へと高畑監督を通して迫れたのなら、それは貴重な講義だったんじゃなかろーか。アーカイブ化されていたら受けたいなあ。そういう時代ってくるのかなあ。

 そんな「セロ弾きのゴーシュ」が上映された辺りから、実はノルシュテインの新作「外套」はずっと作られ続けているらしい。ソ連邦が崩壊して資金が滞ったり制作環境が変わったりしつつも日本でのノルシュテイン大賞開催なんかで支援しつつ、ジリジリと完成に近づいているのかどうなのか、分からないもののその存在だけはまだ残っている「外套」を、どうにか作らせようとラピュタ阿佐ヶ谷とかふゅーじょんぷろだくととかを運営している才谷遼さんが、ドキュメンタリーを撮って上映するそのキックオフイベントとしてB&Bの対談は行われた。酔っ払ってざっくばらんに会話をしたりする中に、「外套」のさまざまな映像とか素材とかが入っていて、見ればどれだけ凄いアニメーションなのかが分かるようになっている。見れば「作れノルシュテイン」って言いたくなるだろうなあ、ぜったいに。

 凄いのはそれこそんな「外套」でノルシュテインは皺一本までピンセットでつまみ乗せて動かし表現しようとしていること。CGででやりゃ簡単じゃん、ってことになるけど知られた小説をアニメーションとしてどう動かすかがまず見たい気持ちに、人間が手で動かしたことから来る何かがあるから皆がノルシュテインに頑張ってと願ってるとか。そんな片渕須直監督の話で興味深かったのは、ノルシュテインのような大御所ではなく最新の長編アニメーションでも作家性が出たアート系と目される作品が世界では増えているという点。

 確かにセバスチャン・ローデンバック監督による「大人のためのグリム童話 手をなくした少女」とかその極みで、他にもそうした作品が欧州なんかで政府とか企業の支援のもとで作られ世界中で賞とかとっていたりする。日本は一方でアーティスティックな作家性を持った長編アニメーションなんてほとんど出てこない。日本がガラパゴス化してるかもと。もっと動きへのこだわりとか出さなきゃいけないってこで、だから多分「この世界の片隅に」は見た目商業だけれどすずさんが荷物背負う場面とか動きにこだわりまくっているのかも。それは知られたゴーゴリの小説をノルシュテインがどう動かすってだけで、興味を抱くしか無いということでもある。ストーリーから動きへ、表現へ。そんな波は日本でも起こるかな? とりあえずは才谷さんが作ったドキュメンタリーを見てノルシュテインの凄みを改めて噛みしめよう。


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