縮刷版2012年2月下旬号


【2月28日】 AmazonPrimeで見ていて、ついにたどり着いたぞ富士山に、でも形がちょっとヘンじゃない? って驚きをラストに迎えつつ途中のシロたちの健気さに心打たれて流れた涙を拭き、布団に潜ってちょうど後半からラストへと流れていったTOKYO MXでの「ケムリクサ」の放送を見ていたら、なぜかわかばやりなたちがどん兵衛のてんぷらそばを食べ始めた。おいおいどうして「ケムリクサ」の世界にどん兵衛が、って驚いた人ももしかしたら多かったかもしれないけれど、「けものフレンズ」の頃からたつき監督を見て来たファンとしてもう大歓喜。そして大落涙。同時に日清食品への激しくも果てしない感謝が浮かんで布、団の中でひゃっはあああああああと拳を振り上げたら枕の上に積んだ本の山に当たって痛かった。

 日清食品といえば、「けものフレンズ」が放送された2017年になって、盛り上がりを受けてたつき監督にアニメーションのCMを依頼して、どん兵衛のきつねうどんを取り上げて、ギンギツネとキタキツネがどん兵衛をどうやって食べるのか? といった疑問に挑戦する展開を描いてどん兵衛きつねうどんのふっくらぶりを伝えてもらった。「けものフレンズ」という世界のフレンズがあまり人間界のことを知らないシチュエーションを巧みに取り込み、「けものフレンズ」のファンを納得させつつどん兵衛からアニメに来る人も楽しませる演出だった。

 そこに、たつき監督の凄みを見たんだけれど9月25日に起こった例の一件でコラボレーションに気まずさがつきまとうようになってしまった。正統だったものに反逆の烙印が押されて、プロジェクトとして堂々を押し出せるものにならなくなってしまった。“たつき監督の暴走”だなんて噂が広まるにつれて、もちろん正規の依頼を受けて作られプロジェクトも承認していはずのCMにアンダーグラウンドな印象が漂いはじめて、それを日清食品が否定する事態になった。こうなると日清食品だってたつき監督は組みたくない、もう組めないと思っても仕方が無かった。

 それが、今回の「ケムリクサ」で堂々の起用に至ったことで、日清食品がたつき監督のどん兵衛きつねうどんのCMを評価していたことが伺えた。だから歓喜した。喝采した。感動した。925以降の喧噪から今の状態を複雑な心境で見ていた人はみんなそうだろう。おまけにどん兵衛てんぷらそばの「ケムリクサ」とのコラボレーションが面白かった。あの世界にどん兵衛がなぜあるの? といった疑問は「けものフレンズ」でも同様で、ポストアポカリプス的世界に人類の遺産めいたものが残っている、といったところから日清食品のラボの廃墟にあったどん兵衛を発掘し、熱を出すケムリクサでお湯を沸かしてどん兵衛を作り上げる展開は、作品の世界を活かしつつどん兵衛の食べ方もちゃんと伝えていた。生ではかじるな。そういうこと。

 本編だって忙しい中で本編に負けないクオリティで作り上げるたつき監督とirodoriの面々の仕事の凄さ上手さ巧みさにも改めて感嘆。これで堂々、産業界にもクリエイターとして“公認”されたたつき監督とirodoriの存在が、CGアニメーション業界の中で消えず残って定着し、広がっていってくれると嬉しいなあ。「ケムリクサ」の方はひとつのポイントにたどり着いて世界の謎がいよいよ浮かび上がりそう。置いてきたりくねえとかりょくちゃんとかの登場なんかも気になるけれど、誰も死なせないと言い切りわかばもそれに含めたりんの言葉が、フラグとなって悲しい出来事を招き寄せないで欲しいと願いつつ、起伏のあるドラマのためには悲劇も必要かもと思ってびくびくしながら展開を見守ろう。「けものフレンズ」11話のあのラストの衝撃を超える何かを、平気でぶつけてきそうだし、たつき監督。

 看板と肩書きがなくなれば出入りできる場所も減るからその前に、あちらこちらを見ておこうと幕張メッセで開催中のライブ・エンターテインメントEXPOへ。例年だったら仮面女子さんの若い子たちが会場中を練り歩いてあちらこちらでライブとか見せてくれるんだけれど、今回は姿が見えずちょっと残念。それとも時間を外しただけなのか。VRとかARとかいったものも以前は結構見られたけれど、今回はあまりなくeスポーツのイベント実施に向けたシステムなんかが目新しい出展といった感じだった。あとは4K8Kの巨大モニターとか。その辺はInterBeeでも出るからちょっと全体にトーンが下がっていたかもしれない。

 そうした中で星光技研というところが出していたミストスクリーンがなかなかユニーク。もともとが加湿器だとか超音波による噴霧器なんかを手がけている会社で、そこが持っている技術でもって超音波で細かくしたミストを横並びに噴出させて壁というかスクリーンを作り、そこにプロジェクターで映像を投影させることで遠目にはクリアなモニターが見える。でも近寄るとゆらゆらしていて手をつっこむと突き抜ける。子供なんかが映っている作品に“触れる”ことができるスクリーンとして、イベントの場なんかで賑わいそう。インタラクティブな仕掛けも盛り込めるそうで、触れれば映像が変わるとかいろいろ試せる。あとは加湿器としていろいろ仕込んで殺菌とかにも役立てるとか。遊べて健康にも良く面白い新タイプのスクリーン。どこかで誰か、お試しいかが?

 ライブ・エンターテインメントEXPOにはカドカワが東所沢に作り始めているところざわサクラタウンの出展もあって、主に工場と倉庫に併設されるシアターの営業を行っていた。中規模と小規模のホールがあって映画や演劇を上演したり、ライブを行ったりできるいたい。中規模の方はキャパが600人。それだけの人数が何かを見に東所沢に行くとして、どんなライブが最適なんだろうなあ。あと知らなかったけどホテルも併設されるみたい。抱き枕とかKADOKAWA的なアイテムで埋め尽くされたら行くかもしれない。でも誰かが抱いた抱き枕と添い寝できるかは難しいところ。KADOKAWAといえば夏に「未来のミライ」とコラボレーションした部屋を東京ドームホテルに作ったけど、あれと同じ様なものになるのかな。いずれにしても東所沢に泊まりに行く用事が必要だけれど。メットライフドームでライブがあったらその前乗りか当日の泊まりに利用かな。

 いよいよプログラミング教育の低年齢化が進む感じで、2020年に小学校でのプログラミング教育が義務化される流れもあるんだろうけれど、そこでいったいどれだけの内容の授業が受けられるかってのはまるで未定。いくら中学校から英語をやったって片言すらしゃべれない人がゴマンといる状況で、余計に面倒なプログラミングを教えることが果たして可能か、ってところで専門家がわんさかいるドワンゴも関わっている角川ドワンゴ学園が、小中学生を対象にしたプログラミングスクールを4月に開校することになったとか。Scratchでもってまずは基礎を学んでタイピングも教わって、そして3カ月ごとの課題に取り組んでいくと、9カ月後にはUnityでもって2Dのゲームなんかを作れるようになるらしい。なんて実践的。むしろ大人でも通いたいくらいだけれどそっちはドワンゴのプログラミングスクールに行くのが良いだろう。3年学んで手に職つけて再就職、ってその時自分、幾つだよ。


【2月27日】 濃いぞ濃すぎるぞ「モデルグラフィックス」の2019年04号は、片渕須直監督の「この世界の(さらにもうひとつの)片隅に」の公開なんかを見越しつつ、この時期に改めて取り上げておこうといったスタンスから大特集が汲まれていて、いつもだったら戦艦に戦車に戦闘機にロボットの作例が並ぶページになぜか、すずさんの人形だとか戦艦大和の艦橋だとか擱座した青葉なんかが並んでいる。すずさんとかは出来合いのフィギュアを改造して作中の別のシーンに登場したような姿にしていて、凝りっぷりに驚いたけれど大和は大和でアニメの中に登場した色味や光の具合をそこに再現。ただミリタリー色に塗るだけじゃない工夫が入っていたようで、頼んだ方も頼んだ方なら作った海洋堂も凄まじい。そこがだから模型魂って奴なんだろうなあ。

 擱座した青葉とかは砲塔が取り外されて木で再現されているところとか、甲板に蔓草なんかが蔓延っていて廃れた感じになっているところとか、映画を観ていただけでは目が及ばなかった部分をがっつり取り入れ再現しつつ、それでもしっかり映画の中の青葉といった雰囲気を作り上げている。どこまであの映画に心を入れ込んでいるんだろうなあ、担当した廣田恵介さん。「マイマイ新子と千年の魔法」の頃から片渕須直監督を追いかけ続けてきただけのことはある。

 そんな特集には憲兵さんを演じた栩野幸知さんがフルスクラッチした呉の北條邸も大きく紹介。前に阿佐ヶ谷ロフトで見せてもらってはいたけれど、作り上げられたものはあの時代、あそこにあった北條邸の雰囲気をどちらかといえばリアル寄りに甦らせてくれている。どうやって質感とか出したのか。そこがだから模型者の凄まじさ。片渕須直監督自身もミリタリーへの傾倒が凄まじい人だけに、その知見から生み出されるものはたとえアニメで絵でも模型者を奮い立たせるのかも。これで「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が公開されたら何が作られるかなあ。やっぱり桜の木の上で邂逅するすずさんとりんさんかなあ。美し過ぎるのあのシーンをフィギュア化できるか否か。それは挑戦だし成果だ。期待して待とう。それより先にまずは映画の完成を。

 濃いぞ濃すぎるぞ「アニメスタイル014」のすべての特集。「ヤマノススメ」についてはアニメを劇場で公開されたOVAみたいなものくらいしか見てなくって、話についていけなかったけれど「ペンギン・ハイウェイ」や「若おかみは小学生!」「宇宙よりも遠い場所」なんかのスタッフへのインタビューによって引っ張り出される情報は、どれも濃すぎて飲めば濃度に喉が焼けてうぐぐとうつむき加減になってしまいそう。というかアニメ関係者への小黒祐一郎編集長のインタビュアーとしての力量のとてつもない差に打ちのめされて、自分が似たような仕事をしていて良いんだろうかと思わせる。監督に聞くなら原画が誰で絵コンテは誰でってことが聞けて分かってとコミュニケーションできる。「ペンギン・ハイウェイ」でコンテの雰囲気が切り替わるなんて指摘、普通に映画を観てたって気づかないからなあ。そこに至るまでにどれだけの研鑽があったのか。やっぱり絵コンテを1冊呼んで原画を全部眺めてそして脚本も読まないといけないか。その道で食っていくなら。

 「若おかみは小学生!」だと演出助手でついた清川良介さんという人が物語の取捨選択の部分で高坂希太郎監督と深くディスカッションしていた話なんて、そういうクリエイターが存在することを知らなければ聞けないこと。監督がすべて作っているかのように思っているか、そう思わざるを得ない媒体側の都合では埋もれてしまう話が、小黒祐一郎さんの言葉によって次々と引っ張り出されている。まさにオーラルヒストリー。その正確性も担保されているとあっては、これは記録として永遠に残さなければいけないし、他の作品いついてもどんどんと広げていって欲しいけれど、読者に求められて商売になるかというと。だからやっぱりアニメ制作者は、アーカイブでありオーラルヒストリーとしてそうしたインタビューをどの作品でも行い、公開せずとも記録として残して欲しいなあ。そういう場所に仕事が得られるならちょっと欲しい。修行が必要だけれど。5年後にはなんとか。

 「『あんたこそ何を言ってんだ! 人生は一度きりなんだよ! 泣いても、笑っても、死ぬほど後悔しても、大切なものを、失ってから、絶望しても……」もはや誰のことを言っているのか、自分でも訳が分からなくなる。『自分の、人生は、一度しか、ないんだ……。だから、自分で、決めないと、いけないんだよ……』」。そんな言葉を松山剛さんの「君しにたもう流星群3」(MF文庫J)から拾い、そして「『人は必ず死ぬ。そして、生きている間だって、死んじまうこともある。一番大切なものまで―【魂】まで売り渡しちまったら、もうそれは死んだも同然なんだ』」という言葉も拾って考える。深く考える。  お前の書くものは1ミリたりとも必要とされてないとか、お前が書ける媒体などどこにもないとか、お前を蝋人形にしてやろうかとか面と向かって言われて、そこで【魂】を売り渡して死んだも同然になるべきなのか。違うだろう。なるほど、人を減らすための方便として定形の言葉を浴びせただけかもしれないけれど、そうやって浴びせられた言葉は当人にとっては真実以外の何者でもなく、心に刺さって頭に響く。後で嘘ぴょーんとか言ってきたところで、次は本気で言ってくる可能性もある。全方位で厳しい言葉を投げつけ、質など無縁の数合わせを狙った方策は、後にいろいろと響くだろう。そうした場所で腐っていくことに甘んじていられるのか。

 「『どれほど盤石な人生も、どれほど潤沢な資金も、どれだけ高度な医療も、人の時間を止めることはできない。人間には寿命があり、残念ながら君たちの時代の医学の水準ではまず抗いようのない真実だ』その瞳が闇夜に光る。『人生の橋は、対岸に何もないんだ』」。そんな橋のぎりぎりまでを意に沿わぬ場所で魂を腐らせていたくはない。生きるだけなら可能な状況の中で自由に生きられるのなら選ぶ道は自ずと決まってくる。そんな「君しにたもう流星群3」に背中を押されて、懸案の件にとりあえず決着を付ける。まだまだ先があるだけに迷ってないといえば嘘になるけど、時が来れば否応なしに状況へと引っ張り込まれて、何をすべきか考えるだろう。何もしないべきかも含めて。今はその時まで息を潜めて成り行きを待つ。そして時が来たら目指すのだ、宇野宙海のようにアイドルを。

 黒スーツを着ていたのは何も自分のお葬式のためではなくって、TOHOシネマズ新宿でもって吉田尚記さんが勝手に企画した「PSYCHO−PASS サイコパス Sinners of System Case.2 First Guardian」の映画を黒スーツで観るイベントに参加するためで、前回と同じ様な席でもってMX4Dの動くシートでドローンが移動する視点とか、格闘シーンの振動とかを味わいながら改めて征陸智己執行官の格好良さに浸る。例の投下された箱から煙が吹き出すシーンでは前のスクリーンからミストが発生して思わず逃げようかと思ったけれど、あれはナノVXガスではないの大丈夫。でも縋れるはずの糸かと思ったら逆に抹殺のツールだったと知って驚いただろうなあ、あるいは悔しかったか。そんな意識を転送する間もなく死んだだろうから、地下の原潜ドックで「ガスはないだろう」と言っていたのは燐さんか。本懐を遂げさせてあげたかったけれど、それは征陸執行官がしっかりと叶えたから満足して下さい。次は未見のCase.3。花城フレデリカの暗躍はいったい狡噛慎也をどこへ連れて行くのか。そして世界を? 楽しみだ。


【2月26日】 アメリカのアカデミー賞が決まって長編アニメーション部門で「未来のミライ」の受賞は無し。でもノミネートされるのだって大変だった訳だから、今回は未来への期待として喜ぼう。受賞は「スパイダーマン:スパイダーバース」。マーベルユニバースからの作品が受賞とはちょっと珍しい。別に「ブラックパンサー」も何か賞をとっていて、マーベル物がだんだんとアメリカ映画の興行面だけでなく、表彰面でも主流になって来た現れかもしれない。外国映画賞は是枝裕和監督の「万引き家族」は受賞できず。これもやっぱりノミネートされただけでも万々歳。監督自身が権力に逆らってライティな層から言われようとも、作品さえ素晴らしければ世界で認められるのだ。次は何を撮るのかなあ。「翔んで埼玉」で「おもしろ半島ちばへようこそ」を高笑いしていた伊勢谷友介さんのデビュー作「ワンダフルライフ」を見返したくなってきたなあ。

 MOVIXさいたまの大きなスクリーンが2日間、ほぼほぼ満席だったりして埼玉では流行っているなあとは思っていたけど「翔んで埼玉」、興行通信社が出してきた2月23日から24日にかけての週末映画興行ランキングであの「アリータ:バトル・エンジェル」を抑えて堂々の1位を獲得。世界中でヒットしていてすでに2億6000万ドルを超えている「アリータ:バトル・エンジェル」をワールドワイドではとても比べられないけれど、そんな世界でことごとく1位を奪ってきた作品を抑えて「翔んで埼玉」が1位というこの状況に、ハリウッドがどんな感想を抱くかに興味がある。いかな木城ゆきとさんでも大御所の魔夜峰央さんにはかなわないってことなのか。だったらこの「パタリロ!」という奴を映画化してみるか。読んでなにこれなにこれ面白いじゃないか映画だ、ってことで動き出したりして。バンコランは誰が演じるのがベストかなあ。

 そんな「翔んで埼玉」の1位進出に大木航行権したのが地元・埼玉の興行らしくて東京都を抜いて都道府県別で1位を獲得したみたい。そりゃそうだ、MOVIXさいたまもユナイテッドシネマ浦和もどこもかしこも大入り満席。平日だって満席に近い劇場が出ているそうで、埼玉県民が1日3回は見ているんんじゃないかとすら思えてくる。それはないとしても内容的に埼玉が思いっきり莫迦にされているものがどうして受けるのか、っていえば莫迦にしつつもしっかり特徴を描き良いところを抜き出して持ち上げているから、なんだろー、草加せんべいとか深谷ネギとか東武動物公園とか。そうしたくすぐりとあとはやっぱり展開の面白さ、俳優陣の豪華さで見れば確実に面白がれるとあっては週末の2時間をかけるに相応しいと思うだろう。「アリータ:バトル・エンジェル」も気にはなるけど「銃夢」では「パタリロ!」に及ばない、ってことで。

 これでハリウッドで「翔んでサウスダコタ」が動き出すかはどうかは別にして、ご当地ものがご当地で流行る前例となれば次は各地でいろいろなご当地映画が作られていくことになるのかな。まずは千葉から「おもしろ半島ちばへようこそ」ってそんな原作はないけれど、伊勢谷友介さん主演で描けば何か凄いものは出来そう。面白いかはしらない。我らが名古屋だとやっぱり「やっとかめ探偵団」かなあ、かつてアニメ化されながらも途中でスポンサーだか制作会社だかが倒れて打ち切られた不遇の作品を、今こそ完全版にて映画化するのだアニメで。実写でも良いけれど、ご当地声優がいっぱい出ていたからやっぱりアニメで見たいなあ。でもそんな映画、やっぱり三河では流行らないんだろうなあ。埼玉の映画はどうして熊谷で流行ってるんだろう。群馬じゃんほとんど(禁句)。

 チーターとロードランナーとほかいろいろなフレンズがかけっこをしてまっすぐ走るんじゃ行き詰まって湖に落ちるから円形にしてぐるぐる回れば、それも何人かでリレーしながら回ればどっちが早いか決着もつくんじゃない、っていうことが繰り広げられた「けものフレンズ」だったけれど、そういうことが繰り広げられただけって感じに終わってしまって次につながる何かが感じられなかったところにいろいろと、その真否を判断する迷いが生まれているのだった。エンディングに出てきたサーバルとカラカルとキュルルの3Dモデルも何かPC上で作られたモデルをそのまま生で出しただけって感じで、トゥーンレンダリングもされていなければテクスチャ処理もなく陰とかそのまんま。顔が陰って陰鬱な表情になっているのを平気で見せて大丈夫? とにかくいろいろと配慮されていない感じはあるけれど、それでも物語の終わりまでは見続けるしかないんだろう。大逆転のドラマを期待して。

 「転生したらスライムだった件」の放送分を見たらリムルが教師として頑張っているけどやっぱり最強過ぎるた。そんなリムルでも敗れる相手がいるんだから転生した世界は広いなあ。アニメではそこまでやるかは不明。まあ次のクールがあればどんどんと進んでいくんだろう。そんな「転生したらスライムだった件」が何とあの「課長・島耕作」とコラボレーション。朝に発売されていた「イブニング」の最新号をKindleからダウンロードしたら、開いたページにリムルと島耕作が載っててひっくり返った。以前に騎士団長になる話がどこかで連載されるって話は聞いていたけど、こちらはどうやらリムルには転生しないで島耕作に転生するって話になるらしい。転生の際にどんなスキルを受け取るんだろう。女性と年頃になるスキルとか? 出世していくスキルとか? それだと普通に島耕作の物語か。転生以前の能力が活かされるか活かされないような展開もあるのかな。否応なしに「イブニング」は買っているんで読むか。っても「学生・島耕作」は1話も読んでなかったんだけれど。どうなることか。

 何というか、いくらものは言い様だからといって選挙なり投票なりの結果を絶対的な数字でもって判断することの難しさは、国政選挙における総有権者数に対する得票率なんかを持ち出される場合を考えれば、普通に分かるものなのに沖縄県で行われた普天間基地の辺野古移設に関する正否を問う県民投票で、5割の投票率を超えてそのうち7割が反対票を投じたことについて、そうした反対にポジティブな見解を否定したい新聞が、「『反対』は全有権者の過半数どころか、4割にも満たなかった」から「『反辺野古移設の圧倒的な民意』が得られたとは言い難い」って書いて来た。なるほどライティな方々がネットの上でポジティブは反応を否定するロジックとして使われてはいるけれど、それを大手メディアが言ってはちょっとヤバいよなあ。

 そのメディアが支持する政府与党がいったい総選挙でどれだけの絶対得票率を得たのか。それで国民の民意を代表して辺野古移設を決断したんだって言ったら矛盾が出てしまう。それに止まらず大手メディアは「米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を問う県民投票では、全有権者(約115万人)のうち47.52%が棄権し、6割以上が明確に『反対』の意思を示さなかった」とも書いて来た。反対の意思を示さなかったけれど賛成の意思も示してないんだからどっちもどっち。ならば賛成と傾くべきところを「反対」という言葉を前に出して世論は辺野古移設に賛成しているような雰囲気を漂わせている。テクニックとしても頼りないのにそれを書くことで讃えられる空間ってのがあるんだろう。とあるメディアの隣にある読売新聞なんかは、社説で県民投票は取り上げても得票率では戦わず、安全保障が絡む問題を県民投票で決めるのはそぐわないといった理由を挙げ、代替案がすぐにまとまらない中で決断しないのは無責任、現実的になろうと呼びかけている。そういうところはオトナな雰囲気。そんな彼我の差異が今の状況を呼んでいるなら、即座に改めるべきなのに変わりそうもないから絶望感も広まるのだった。やれやれ。


【2月25日】 第39回日本SF大賞が決まって山尾悠子さんの「飛ぶ孔雀」と円城塔さん「文字渦」が受賞。山尾悠子さんなんてもう超ベテランで伝説の作家でもあって1980年代90年代はすっぽりとその消息を絶っていたのが2000年ごろから活動を再開して集成が出て新著もどんどんと出始めた。どういう経緯だったかは知らないけれど2000年4月1日に大阪で開かれた第3回DASACONに現れたのを見た時は、これが伝説のと驚いたものだった。その時が初見でそして見た最後かもしれないので、もしも日本SF大賞の贈賞式に来られるのだったら19年ぶりにご尊顔に見えることになる。やっぱりお美しいままかなあ。それよりちゃんと読まないと。

 円城塔さんは確か伊藤計劃さんの未完の作品を引き継いで仕上げた「屍者の帝国」で日本SF大賞は獲得しているけれどもあれは確か特別賞。なので今回が単独無印では初の受賞ってことになる。すでに芥川賞という文壇的文学的には頂点にありそうな文学賞を受賞している作家が日本SF大賞は初かもしれないけれど、直木賞だったらすでに受賞していた井上ひさしさんが「吉里吉里人」で日本SF大賞を受賞しているから前例はあるのか。宮部みゆきさんは日本SF大賞のあとに直木賞なので先取りした感じ。藤井太洋さんとか月村了衛さんとか同じ流れを辿りそうな作家も多いから日本SF大賞は、未来のビジョンを見せるエンターテインメントの発信源として、これからも関心を集め続けることになるだろー。

 逆に芥川賞から日本SF大賞という流れは、遠からず、「オブジェクタム」で候補になっていた高山羽根子さんが芥川賞から日本SF大賞といったルートを再び辿るだろうからもはや文学は幻想とリアリズムが交錯する地平にあってそこから先鋭となって突出したものだけが日本SF大賞の高みへと至れる、って流れになるのかな。ああでもスペクタクルと奇想のSFも捨てがたいし。その意味では草野原々さんのどSFが選から漏れたのは残念だった。とはいえ来年は飛浩隆さん「零号琴」が来て小川一水さん「天冥の標」も来るだろうから本格変格SFが並び立ちそう。割って入るか高山さん。今から気になります。「宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち」も入れたいなあ。

 異世界なのか現実世界なのか。戦闘機たちが元あった場所があって、技術なんかもそちらから持ってこられた穴の向こうのユーハングに関する探求が進むかと思ったら、冒頭でそれをやろうとしていた戦闘機乗りが問答無用に撃墜されて身動き取れなくなるシーンを挟んで、謎を探求することのヤバさを見せ、そして別のエピソードへとつなげて無理な探求は今は避けた「荒野のコトブキ飛行隊」。大手から破格の値段で提供を申し出られたガソリンを使おうとしたらオクタン価が低いのかノッキング多発で隼をうまく扱えないことが判明。それでキリエを相手に良い勝負をするんだからエンマの腕も相当なものだけれど、ガソリンの方は引き取れないとなったもののその直後、贔屓にしている石油採掘会社が突然爆発事故を起こして炎上・廃業の危機に陥る。

 閉められたら以後は大手石油会社の言い値で買わなくてはいけなくなるような状況を背京都、コトブキ飛行隊が出動して消化に当たろうとしたらここでも謎の戦闘機に襲撃されて消化を邪魔されそうになる。その石油採掘会社が潰れたら得する誰かがいて、そしてその利権い乗っかった戦闘機乗りたちがいる、といった構図。でもそれが向こう側の世界とも関わる話なのか、単純に今居る世界での勢力争いなのかは不明。SFとして広がっていくなら向こう側のせかいの事情とこちらあわの世界の状況が関連して進んでいって欲しいところだけれど、そういう設定はあるのかどうか。見ていくしか亡いか。残る話数で片付くんだろうか。

 アジアから7チームも出られるというのは結構な数に思えるけれど、バスケットボールの日本代表男子について言うなら過去、リーグの分裂状態を理由に国際バスケとボール連盟から国際試合への出場を禁止されて弱体化の一途を辿っていた時代があったし、それより以前に国内リーグの分裂状態が、BJリーグにいただろう優れた選手を場外した形で代表選手を汲んでいたりしてフルな実力を発揮させづらい状態にあった。日本がバスケットボールで国際的な大会に出るなんて夢のまた夢。2020年の東京オリンピックだって開催国だからとって出場させてもらえるあkどうか、曖昧な状況にあった。

 なにしろオリンピックという場に出場できるバスケットボールのナショナルチムは122まで。ワールドカップに32チームも出場できるのと比べると門はとてつもなく狭くなっている。大会に負担をかけたくないというのもあるんだろう。球技をそれこそ参加国全部に広げたら収拾もつかなくなるから選ばれたチームが出ることに異論はないけど、それで開催国枠というのまで削られそうになってしまっているから日本としてはちょっと困った。まだ確定ではなく理事会で決定されるそうなんで、それより以前にアジアでもトップクラスの実力があって、出場するに相応しいと認識してもらえれば開催国枠は存続され、ワールドカップでアジアナンバー1になったり、オリンピックの世界最終予選に回って各グループで1位になったりするような困難はさけられる。その意味でも少なくともワールドカップにだけは出ておきたかった日本代表が、カタールを相手にダブルスコアに近い得点差で勝利。3ポイントが面白いように決まった試合が本番の試合でもできれば、ワールドカップ上位に食い込み開催国枠を認めさせることもできるだろー。流石に1位は無理だろうから。

 県民投票が全市町村でちゃんと行われた上に投票率は50%を超えて60万人以上が投票して、それで7割以上が辺野古への米軍基地の移設に反対を投じたということは、県民の意思として決定的に無視できない水準にあると思うんだけれど、それを聞いても政府が受け止めますとはいっても民意を政策に反映させるなんてことは絶対になく、そうですかといってスルーするのが見え見えなあたりにこの国の民主主義的な活動への絶望感も奔る。法律的に定められている訳ではないと言うだろうし、民意といっても半分の7割だから3割5分だといった声がきっと応援団から出てくるだろう。それを言ったら国政選挙だって票の過半数は野党がとっているのに自民党が政権を固めているこの状況に自ら唾をすることになるんだけれど、そっちはそっちで知らん顔しそう。そういう政権である支持者たちだから。

 中には住民票を移して反対票を投じた人が大勢居るとか言い出しそうだけれど、60万人の投票の7割が反対票を投じた県民投票を動かすくらいの移住者だったらいったい何万人必要か。そんな移動があれば統計にだって表れるだろうけどそういう気配は無し。だから結局は否定したいがための論法であって、沖縄の意識の結構な部分が辺野古への反対に傾いていることに間違いは無い。問題はそうした民意に対してどういった道筋があるかってことで、普天間がヤバいのは当然として辺野古もダメならじゃあどこに、ってことになるのかならないのか。辺野古がなくてもいっぱい基地があるんだからそれでどうにかしてと言いつつ、本土なり別の島にって持って行けるだろうといった話もやっぱり出てくる。そうした検討をせずに辺野古だけが選ばれ推進されることへの呆然が、反対につながっているだろうことを感じ取って何かするかとうと、やっぱりやらないんだろうなあ。絶望だけが積み重なっていくこの国。明日はどっちだ?


【2月24日】 フジヨンの日。フジヨンが何かは知らない。やっぱり埼玉でも視ておかなくてはいけないと、平仮名で「さいたま」と堂々駅名にも書かれてしまったさいたま新都心にあるMOVIXさいたまの巨大なシアターで「翔んで埼玉」。満席の観客が埼玉の悪口でどっかんと沸き立つ様に、この映画が“地元”で愛されているんだということを深く実感する。いやまあ現実の埼玉とは他人事の絵空事と捉えているのかもしれないけれど。千葉を相手にして埼玉勢が虐待されたり罵倒されたり蹂躙されそうになっている場面で、自分は千葉だと明かしたら袋だたきになっただろうか。あるいはあの満席の中に千葉の人間はいたのだろうか。東京と千葉がいたらどちらがより激しく糾弾されるだろうか。千葉だろうなあ、東京にはやっぱり憧れるものだから、埼玉的に。そういうものだ。

 改めて見ると二階堂ふみさんの壇ノ浦百美はベスト以上の配役で、役者自身は女性だけれど男の子を演じてやんちゃで聞き分けがなく傲慢だけれど惚れればしおらしくなる男の子っぽさを存分に見せてくれていた。麻実麗はGACKTさんがMALICE MIZERのGacktだった時期からこれまでに重ねてきた雰囲気があるからこその役回りで、髪を長く垂らしてゴージャスな衣装をまとい高邁な言葉を吐いてもGACKTさんならといった空気感で受け止められる。別にまったく無縁だった美形の男子がいきなりやってもにじみ出る高貴さに欠けてしまう。やはりベスト以上の配役だけれど、思いついて頼んだスタッフも凄ければ受けたGACKTさんも凄い。その判断と決断あってこその映画と言えそう。

 そして阿久津翔役の伊勢谷友介さん。壇ノ浦家に執事として仕える人物は忠誠を誓っていそうでどこかに陰もあったりする雰囲気を、その圧倒的に整った顔立ちと悪辣な笑顔でもって演じてみせた。これまた他の誰でも違ってくる役。GACKTさんとの絡みとかゾクゾクしたなあ。百美と麗は役では男同士だけれども中身は違うけど、こっちはまたくの男性同士。それが巨大なスクリーンにどかんと出てくる。卒倒ものだ。ほかにも麿赤兒さんに京本政樹さんと突出した役者が並ぶ中、Zクラスの生徒として出ていた加藤諒さんは独特な風貌でもって埼玉らしさを出していた。同じ魔夜峰央さんの「パタリロ」では舞台でパタリロを演じている加藤さんがこちらでは貧乏そうな役。それをどちらもベストにこなす凄い役者だ。

 2度目の鑑賞ということで、おおよその展開を知って繰り出されるギャグなディスりも知ってしまうと、その都度都度に驚くことがなくなってしまうけれど、埼玉の劇場で視ることによってそのセリフ、そのシーンに周囲がどういった反応を見せるのか、といった楽しみ方があるので飽きずに楽しめた。流山で埼玉と千葉とが激突してから合流を経て東京を目指し進撃していく展開は、途中にあまりギャグも出てこずただぶつかり合いになってしまって、リアクションもないためちょっと長いかなあとも思わないでもなかた。でもこれは展開として重要なところだから、初見の観客にスペクタクルを提供するという意味で正解だと思おう。日本埼玉化計画も世界埼玉化計画も提言されればそうかと思いつつ、具体的にどう埼玉化されたかが見えないところに隔靴掻痒な感じも残る。そういう部分を含めた漫画を改めて、魔夜峰央さんが描いてくれれば良いのだけれど。

 これは凄い。行かなくてはならない。5月4日に開催されるSFセミナー2019に漫画家のゆうきまさみさんの登壇が決定。ずっと作品は好きで読んでいるし、ネット上にその存在は確認していてもご本人を見たことは未だにないため、これは貴重な機会となりそう。とり・みきさんならサイン会でお目にかかったことはあるし、河森正治さんも出渕裕さんもイベントなどでお顔を見ているだけに、過去に憧れ関心を抱いた人の中では火浦功さんと並んで未だ見ぬ存在だった。どんなお顔をしているんだろう、ってそれはインタビューとかでも出ているから分かっているか。あとは何について喋るかだなあ。SFってことでやっぱり「新九郎、奔る」か、ってなんでやねん。とい現代用語を喋ったりするサプライズは合っても基本歴史漫画。だからやっぱり「究極超人あーる」や「鉄腕バーディー」かなあ。「機動警察パトレイバー」ももちろん。楽しみたのしみ。売り切れになる前に予約しよう。

 メディアは国民の代表なのか、と問われて答えるのも烏滸がましいけど、話題になっている事柄だけにちょっとだけ触れるとしたら、国民の代表といい切れるほどの権威も権限もメディアは持ってはおらず、公的に代理人として承認された訳でもない。だから代表ですと大声で叫ぶのはちょっと恥ずかしいけれど、すべての人が情報源にアクセスできる訳ではないのなら、そうした情報源にアクセスをして、国民の知る権利というものを代弁する存在としてメディアは国民から付託を受けている、といった立場は示せるだろうか。だからメディアはそうした付託に応えるために最大限の努力をするべきだし、権力側もそうした努力に対して背後の国民を感じて応えるべきだろー。

 そういう関係性でもって官邸を含めた記者クラブのような場所にメディアはこれまで存在を許されてきたし、新聞とかテレビとかが取材に行ってあちらこちらに立ち入り話を聞いて報じる活動も認められてきた。国民の側にもそうしたメディアの活動を頑張りとしてを許容する空気があった。これからだってそうした関係性は変わりながらも存在していくことになる。だから権力側が記者クラブのような場所、あるいは新聞テレビといったメディアが国民の代表ではないと、法的な根拠なんかを持ち出して言うのは態度として間違っているし、そうした声に答えないのなら別にちゃんと“国民の声”に応える回路を持つべきだ。

 国会議員はなるほど選挙によって選ばれた国民の代表ではあるけれど、それはすべての権限を国民から以上された訳ではないし、白紙委任状を得た訳でもない。その行動に問題があるなら監視され糾弾されるべきであって、そうした役割を別に国民から付託されたメディアが担う。それを権力が排除するのは傲慢であり、ともすれば権力の暴走に繋がりかねない。そうした声にメディアが立ち上がって反論するのは当然なんだけれど、権力が怖いのか声が広がらないのがちょっと拙い。代表ですと声高に叫んでも内容が伴わず、国民の離反を招いている状況も半ばある。そうした中、メディアと権力とが馴れ合いの中でなあなあの関係が、過去に進んだ結果が大政翼賛会であってそれがもたらしたものが戦争による大敗北なら、今起こっていることの未来も想像できる。だから良く考えて欲しい、権力はメディアの権利を認めることを、そしてメディアは国民の代表面して自己顕示に奔らず国民が求める言葉を探り出していく努力を怠らないことを。出来るかなあ。


【2月23日】 富士山の日。でも富士山は見なかった。とりあえず録画されていた「とある魔術の禁書目録3」の中、上条当麻が一方通行相手にひるまず襲ってくる黒い翼を右手で吹き飛ばしながら迫って拳で殴って言うことを聞かせてた。それでいながら、自分はレベル0だからとか言って、別にヒーローじゃないとも嘯いて、いったい誰が信じるかってーの。イマジンブレイカーだなんて屈指の力を前にしたら聖人だって無事では済まないんだから。でも当人はそうした力は無力であって、ただひたすら困っている人を助けたいという思いだけで動いていると言うんだから周囲も始末に負えないんじゃかなろーか。一方通行だって何いってやがると思いそう。でもぶん殴られてしまっては文句も言えない。そういうものだ。

 そんな一方通行はどこかにかくまわれ、浜面仕上は傭兵崩れを相手に大立ち回りの最中。こちらこそまったくの無力でありながら、純粋な思いだけで行動しているけれど、それだけに絶体絶命の危機に陥ったところを後方のアックアが到来して掬ってくれた。頑張れば報われるという証明。でも遠からず麦野沈理がやってくる。まだデレる前のツンケンがピークに達している麦野を相手に遠くロシアの地で浜面仕上も一巻の終わり? そうはなってないから新約にも登場しているんだけれど、どういう具合に凌ぎきったか、文庫本を読みたくても家のどこかに埋もれて出てこないのだった。そろそろ電書でiPadに並べておいた方がいいかなあ。「境界線上のホライゾン」は積み上げたものが崩れて踏まれてボロボロになって来たし。読書専用のKindle Fire買うって手もあるかなあ。

 「ブギーポップは笑わない」のアニメーションはオープニングを飛ばして「ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター」の最終回。ペイズリーパークの高い塔の上でイマジネーターこと飛鳥井仁が織機綺織に迫るもののお節介焼きの末真和子が置いてきた宮下藤花が先回りをしてブギーポップになって谷口正樹を邪魔する着ぐるみたちを蹴散らし塔の上では飛鳥井仁を萎えさせ事態を収拾へと向かわせる。心を操作できるったって関係性の中で作られる心なんだから、いじったところですぐに元通りになってしまうって言うならスプーキー・Eだって操られるのを厭うて自分で顔を焼かなくても良かったんじゃ。でもまあシリーズでも屈指のゲス野郎だけにああいった退場もまた相応しい。ずっと出ていたって途中で殺されていただろうし。

 ペイズリーパークといえば旧作「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」の第10話「プームプーム」にも登場しては想像の妖精ともいえるプームプームが集ってオトナたちから子供の心を奪って集めて引き留めるというエピソードに使われていた。廃墟となっても昼間の遊園地はまだ陽気さを保っていたけれど、夜のペイズリーパークややっぱり不気味で、そこで襲ってくる子供たちとかやっぱり相当に恐ろしい。これを普通にアニメーションとして作って放送していたんだから2000年って何でもありの時代だったんだなあ。エピソードとしてもマンティコアの残滓がもたらした事件を残務処理的にブギーポップ・ファントムが処理して回る。百合原美奈子さん顔のブギーポップは凄惨に美人で惑わされそう。殺してって言いたくなるけどそれも放送を見ていた時はあまり気づかなかったなあ。ブルーレイボックス化、お願いします。

 六本木の交差点にあるウェンディーズで上と下がパテになったワイルドロックをむさぼりながらブギーポップについ1時間ちょっとくらい考えて、煮詰まって来たんで国立新美術館で開催されたJAniCAこと日本アニメーター・演出家協会によるアニメーション制作者実態調査2019の結果発表をのぞく。NHKが取材に来ていたんでどせやっぱりアニメーターの給料が安くて大変ですってことを強調して不安を煽ろうとしているんだろうと思ったら、案の定そういった文脈でしか報じてなかった。それでは新しく入ろうとしている若手に不安を与えるだけだろうが。っていうかNHKだって出資者になってアニメを作っているんだろうが。そこでもうちょっをお金を出したら若い人だって潤うかもしれないのに、そうした当事者意識をまるで見せずに若手を搾取するアニメ業界酷いといった雰囲気しか醸し出さない報道しかしないから腹が立つ。

 調査結果を照会するならアニメーション関連事業者の年収の平均値は440万円で2015年の332万円から上がっているし、中央値も370万円で300万円から370万円へと上昇した。産業界全体が上がっているのでアニメーション界でことさらに改善が進んだといえるかどうかと入江泰浩代表理事は話していたけれど、それでもやっぱり改善に向かっていることは確かだろう。それで忙しくなっていた本末転倒だけれど、労働時間は1日平均も1月平均も減り休日は4.63日から5.40日に増えている。これはやっぱり早く帰ろうという意識が高まっているからということか。あとは配偶者がいるとか子供がいるといった率も上がっている。

 これが少しばかり問題も含んでいて、それは平均年齢で39歳は前の34歳から5歳くらい上がってるってこと。結婚して子供がいる可能性も高まるから、単純に年寄りが増えただけってとれなくもない。あとは20歳から34歳までは年収が全産業平均を下回っていることか。そこで挫折しなければ逆に全産業平均を上回ってくるように見える訳で、そうしたケアをしないと若い人が入ってこない業界になってしまうから、この数字を見ていっそうの改善を目指して欲しいと言えば良いのに若手に厳しいとだけしか報じないかからなあ、NHK。その方がバズるってこともあるんだけれど。

 ちなみに職種別だと総作画監督の平均は788万円で作画監督は538万円で監督は779万円。これも振れ幅があって上が1500万円とか1400万円から下は400万円とか300万円。原画は232万円で動画は125万円。ここを基準にアニメーション業界を大変だと騒ごうとする人がいるのは注意だけれどそういう若い人のケアをだからやっぱりやてあげたいものである。原画が334万円で平均年齢40万円なのに3DCGは平均年齢が35歳で550万円だからやっぱり狙い目? あと気になったのはアニメーション制作者の仕事でテレビシリーズは前回の88%が78%となり劇場用映画が44%から54%に。増えているんだなあ。ゲームが44%から23%に下がったのはやっぱり厳しいってことなのか。アプリとか出ては外れてたりするし。

 やっぱり埼玉で観るべきだったとも思いつつ、半ば当事県でもある千葉で観る意味もあった「翔んで埼玉」。あの魔夜峰央さんの漫画がリバイバル人気となってついに映画化までされたものだけれど、未完に終わっている漫画をぐっと伸ばして完結へと持っていってなおかつそれが原作と同様に面白いんだから嫌になる。ある種の都市伝説として埼玉から東京へは通行手形が必要だった時代があって、それと戦った人たちがいるという話が伝わっていて、その伝説をラジオで伝えていたのを聞いて現代の普通に見える埼玉人たちが泪を流すといった入れ子構造にしつつ、そうした都市伝説部分を想像力豊かな展開でもって描き埼玉をディスり千葉をディスり群馬をディスって茨城をディスる。それが実際にそうかもしれない部分があって自虐心をそそる。どれも楽しくそして泣ける。ラストは団結から解放へ。スペクタクルもあって笑いもたいっぷりの超娯楽映画。ヒットしそうだけれど続編は無理だよなあ。千葉はやっぱりジャガーさんだよなあ。


【2月22日】 「はやぶさ2」が地球に近づく軌道を持った小惑星のリュウグウに見事着陸したそうで、その時に微生物でも踏みつぶしていないか心配で仕方がない、なんてことはないとうか、微生物がいたらそれで大発見というか。それ以前にやはりとてつもなく遠い場所にあるとてつもなく小さく、そしてとてつもない速度で動いている的にどんぴしゃで当てる大変さだけでも考えて頭が痛くなるし、それに加えて放り投げて当てるのではなく傾けないで着陸させてはサンプルを採取し、そこから浮かび上がって地球へと戻ってくることも考えなくてはいけない。ぶつけて壊してはすべてがパー。だから着陸が成功したという言葉の前には、とてつもない苦心と努力と技術があるってことになる。大喜びするのも当然だ。

 そうやって採取したサンプルが何かとてつもない発見をもたらすかというと、地球にだって落ちてくる小惑星の欠片あたりとの差異を把握するくらいなのかもしれず、今さらといった印象をもって迎え入れられる可能性もないでもないけれど、そうしたサンプルそのもよりも、やっぱり今回も遠くまで飛ばしてどんぴしゃで落としてなおかつ戻って来させる技術が工学的に大きな発展と進化をもたらすんじゃなかろーか。前の「はやぶさ」の時だってその価値が帰還後も問われてた。戻ってきたという現象が感動を誘って予算がついて「はやぶさ2」が動いた。やっぱり感動が目的なんだと言われる可能性はやっぱりある。でもそれを超えて具体的にもたらされる成果はあるだろう。そこをしっかりと噛みしめながら、次は何をするかを考えたい。月の裏側に人類を送るとか。それは中国がやってしまいそうだなあ。

 半年ちょっとくらい前にプロデューサーのジョン・ランドーが来日して結構な分量の映像を見せてくれていたので「アリータ:バトル・エンジェル」のVFXがどれくらい凄いかは理解していたけれど、目の大きくなった顔にサイボーグのボディがつながってそれが目の大きな少女でありサイボーグの体を持った少女だとしっかり認識させてしまうところには改めて、VFXの力って奴を感じてしまう。メイクで目を大きくなんて出来ないし、サイボーグのボディが着ぐるみだったらどこかもこもこしてしまう。人間のようにスムースに動きながらも機械的なシャープさが表面にあって動きにもそうした硬質感が残る。どうやって描いているんだろうなあ。そして合成したんだろう。メイキングが知りたい。パッケージには入るかな。

 モーターボールの場面とかでもアリータやほかの選手たちが猛スピードで突っ走りながらもそれぞれがちゃんと動きのベクトルを維持しながら戦いぶつかり転んで壊れてバラバラになる。最初っから全部を3DCGで描くんだったら可能だろうけれど、ちゃんと役者も入って演技しながらそうした動きを描いているんだとしたら、どれだけのアクションがあって合成があったのか。そこが知りたい。それともモーターボールのシーンだけはフル3DCGの映像に顔のテクスチャだけ貼り付けているのかな。それだとほとんどアニメーション映画になってしまう。というか海外版「ゴースト・イン・ザ・シェル」だって「レディー・プレイヤー・ワン」だってそういう意味ではほとんどアニメーション映画。差なんてない時代にあとは見る側の意識、演じる役者の意地って奴が彼我を決めているんだろう。

 「アリータ:バトル・エンジェル」の場合はまだ役者の力が強かった感じ。アリータを演じたローサ・サラザールは表情もアクションもどれもしっかり見せてくれた。もちろんバトルのシーンとかはスタントも交えているんだろうけれど、大きく脚を開いて着地をしたり、構えたりするようなシーンでは柔らかいのか体をしっかりたたんでバネのありそうなところを感じさせてくれた。薄い胸と細い腰はそういうのが好みな人にはジャストミートなスタイル。あれもアリータという役に遭わせたVFXだったらちょっとがっかりだけれど、服を着ている場面とかほのかに膨らんだ胸は本物だったと思いたい。そしてイド役のクリストフ・ヴァルツ。木城ゆきとさんの漫画「銃夢」から抜け出てきたようなスタイルだった。苦い表情をしながらスレッジハンマーを振り回すところなんてまるでそっくり。良い役者を見つけてきたなあ。

 ストーリーについては原作漫画を読んだのなんてもう随分と前で、アリータがどういう風にイドの下に拾われてボディを得てイドの裏稼業を知り戦いに身を投じていったのか、はっきりと覚えてないけれどもだいたいのことろは原作をなぞっていたんじゃなかろーか。ただ実写で見るとアリータの性格がお世話になっている人でありながらもイドのことを疑い、そして自分に力があると分かると見下してはいないもののその力を過信して自分で何でもできると突っ走る。結果としてバーサーカーのボディを見つけ出してしまったのはまだ良いとして、それが危険なものだと説得しても聞かず飛び出したアリータが、バトルの中で恨みを買って襲われ娘さんのボディをボロボロにされた挙げ句に自分につけてもらうとか、ちょっと我が儘が過ぎる気がする。

 恋人のヒューゴが巻き込まれた一件も、そうやって自分の力を過信して突っ走った結果であって誰も彼もが不幸になりながらもアリータだけは自分こそがと立ち上がってモーターボールに身を投じ、スターにまでなってしまった。なんというサークラぶり。そして女王様ぶり。まあでも祭り上げられたんではなく、自分の力で這い上がったところだけは評価できるのかもしれない。巻き込まず巻き添えにしなければ良かったんだけれどなあ。まあそれもヒロイン気質ってことで。遠くザレムから見下ろすノヴァの存在もあって物語はまだまだ続きそう。ってことはあるかな「アリータ2」。そこではやっぱり成長してないアリータの薄い胸が眺められると期待しよう。

 ポール・ジョージ選手にとっては良い迷惑だったデューク大のバスケットボールのザイオン・ウィリアムソン選手が履いていたバスケットシューズの底が剥がれて怪我をしてしまったという一件。そのバスケットシューズがポール・ジョージ選手のシグネチャーモデルだっただけに開発に関わっていたならそんな底が剥がれる靴なんて作るなって批判が向かっていたりする。自分も履くシューズが欠陥品であるはずがないから無関係のは自明なんだけれど、でもやっぱり後味は良くないだろー。ナイキとの契約を打ち切ったりするかな。それくらい当人にとってはダメージは小さくない気がする。マイケル・ジョーダンだったらシグネチャーモデルのアクシデントで若い選手が傷ついたらどういう態度をとったかな。

 それにしてもキュッと力を入れたら底だけ剥がれるなんていったいどういう現象だろう。接着が甘かったのか。バスケットシューズなりスニーカーっていうのは、買って随分と経つと加水分解で底が剥がれ落ちるのが通常で、それで持ってたエアジョーダンのバスケットシューズ2つがダメになった。でも新しいモデルの底だけ剥がれるのは工程の問題だろう。あれ1足で済むのかラインのロットが全部ダメなのか。調べが進んで明らかにされるのを待とう。ライバル選手がこっそりナイフで剥がしておいたっていうならそれはそれれでドロドロとして面白いけど。画鋲を入れるより面倒なことをやってみせたなあという感嘆も浮かぶなあ。だからそういうのはダメだって。


【2月21日】 「ケムリクサ」の第7話。過去に幾人かの犠牲をはらって行われた島から島への冒険は、落胆からすっかり一行の気持を萎えさせて、あとは水の枯渇とともに衰退するだけとなっていたところに現れた、わかばという少年の前向きな言葉を受け、路面電車を木の根っこで走らせ始まった新しい一行の冒険。途中で巨大な赤虫の襲撃もあって過去と同様に仲間を失う悲劇へと向かうかどうかというところで、過去にはいなかったわかばの存在が仲間を救い、路面電車の不具合を治して冒険をポジティブなものへと変えていく。そしてたどり着いた巨大な木の根元で大量の水を発見し、その上周囲は壁に囲まれ赤霧は見えず赤虫もいないとあって、ここを拠点に新しい暮らしが始まるんだと一行を安心させた次の瞬間、とてつもない絶望を繰り出してりんやりつやりなたち一行を激しい落胆へと至らせる。

 なんとう悲劇。なんという残酷。ただでさえ次の瞬間に誰かがやられるかもしれないという恐怖をしっかりと維持しているこの冒険。わかばが多少の知恵を得たことで危険度は下がったかもしれないけれど、それに対してりんが口癖のように油断するなと言い続けていることで、フラグとなったそんな言葉が悲劇を呼び寄せないとも限らない可能性を感じさせ、視る人の気持を落ち着かせない。それでもようやく得られた安寧を、あっさりとひっくり返してのけるから堪らない。たつき監督も人が悪いというか、安心と安寧の中にちゃんと治めてくれると信じていたくても、信じられないたつき監督の「ケムリクサ」における方法論が感じられる。これからもドキドキとした気持を抱えたままで付き合っていくことになりそうだ。

 というか、状況はより過酷で苛烈なものに。巨大な赤い根っこから湧きだしてくる巨大な赤虫たちの根本を断たねばと、壁を越えて赤虫たちが蠢く場へと進んでいく一行。わかばのケムリクサへの知識と、覚えた操作による武器化が過去に比べてりんたちを有利な立場に立たせているようにも見えるけれど、それで感嘆に倒せる相手でもなさそうだしなあ、数からして。だからいったいどうするか、どうなるかをしばらくは手に汗握って見続けることになりそう。屋根の上に新しく2つの電話ボックスを乗せて3つの電話ボックスに水をいっぱい溜めた路面電車をえっちらおっちら運ぶりつ姉さん、頑張って。後ろからついてくる白いルンバは何かをもたらしてくれるのか。地下の廃墟で邂逅したりくが手をかざしていた先には何があったんだろう。向こうに見えるのは富士山? めっさ気になる。

 気がついたら東京ゲームショウ2019のVR/ARコーナーにアミューズメント機器のVRは出展できないことになっていて、それだと例えばハシラスのようなロケーションVRを専門に展開しているところか、出られないんじゃないのと心配になった。なるほどソニー・インタラクティブエンタテインメントによるプレイステーションVRが出たり、OcurusだとかHTC Viveといったところからコンシューマ向けのVRデバイスも出て容易に楽しめるようにはなっているけれど、それらを買って家で楽しむといった習慣はまだまだ生まれていない。没入感はあっても体にビビッドな体感はそれだけでは得られないから。ここにロケーションVRとしての仕掛けが加わることで、より深くVRの世界に入り込めるようになって、疑似体験とはどれだけ凄いものかが分かるようになる。

 ロケーションVRはだからVRなりARが普及していくための牽引役であり、現時点ではマーケットにおいても中心を締めている気がする。VR ZONE Shinjukuが3月いっぱいで閉まってしまってどこに行けば楽しいVRが遊べるんだという不安も生まれる中、ロケーションVRを旗印にしてVRの面白さをアピールすることで、だったら家でも体験くらいはとなってコンシューマに目が向くといった可能性、過去にアーケードゲームから家庭用ゲーム機へと移っていった流れを無視しては先も細る気がするんだけれど、でも今回はアミューズメント専用VRは出られないことになっている。ってことはそれ自体がアミューズメント施設名ハシラスの「オルタランド」なんて出展不可能じゃん。あれだけの規模を見せて大勢に楽しんでもらう場として東京ゲームショウはベストだったんだけど。今後どうするんだろう。そして他の体感が伴うVRをロケーション向けに開発しているところとか。私気になります。現場に見に行くしかないなあ。まあ行く時は無職の一般来場者になっている可能性が大だけど。

 「スコップ無双」も大概だったけれども輝井永澄さんの「空手バカ異世界」(ファンタジア文庫)もなかなかに大概というか、スコップ1挺で魔王を倒し瞬時にトンネルを穿つほどの凄まじさはないものの、モンスターでも鎧で固めた騎士でも全身から炎を吹き上げるイフリートでも粉砕してしまうくらいに凄まじい空手使いが異世界にいってばったばったと敵をなぎ倒していく展開に、やっぱり空手は世界最強だって思いを強くする。いやそれは。ろうそくの炎を拳を近づけ引く動きによって作り出した真空状態で消してしまうように、イフリートに拳をつきつけ引いて全身で燃えさかる炎を消してしまうなんてことが可能なのか。鎧に拳をあてて発頸によって中の人間だけを悶絶させるなんてできるのか。そう思わないでもないけれど、そこはエンターテインメントってことで空手の技の延長が、どこまでエスカレーションさせられるかを想像し、それを超えてくる楽しみを味わうってのがこの作品の楽しみ方なのかもしれない。

 分からないのはどうして空手家が異世界に転移することになったのか。4トントラックをあいてに挑んで敗れたとう間抜けなきっかけはあるけれど、それで誰もが転移転生する訳ではない。女神が選んで連れて行くなら空手家を選んで連れて行った理由があるだろー。かつては魔王が現れたから転生者が呼ばれて与えられた特殊な能力を使って倒して世界を平和に導いたってことだった。空手家はそうした異能を与えられることを拒絶。それもまた異例だけれどそれでも転移した以上は何かのためって考えるのが妥当。それがいったい何なのか、ってあたりを軸に第2巻は進んでいくんだろうなあ。ついでに誰も彼も弟子にして、異世界で空手の一大道場を作ってそれなりの規模になる、と。結果、世界すら捻り征服してしまったりして。そして魔王と呼ばれたりして。逆じゃん。だからやっぱり何かのため。何のめ? 続刊を待ちたい。

 札所なんて作ってそこに観光客を集中させることは“観光公害”とまで言われて大勢が1カ所に詰めかける問題を助長するだけじゃん、って感じでいろいろと気にしていたのかなあ。そんなニュアンスの挨拶をKADOKAWA富士見ビルに登場した「アニメ聖地88」の1番札所のオープニングセレモニーで喋ったアニメツーリズム協会の富野由悠季会長。88カ所もあるんだからもっといろいろな場所に出かけるような運動をしようよって意味合いだろうけれど、そうなるための拠点として機能するのか、単純に人が集中するだけなのか。角川歴彦理事長は海外でのアニメ人気もあるから日本に来ても88カ所、いろいろな場所に出かけていって富野さんはやっぱり偉大だって話になると確信しているそうだから、そうなる可能性を鑑みつつそうしてくれる施策が出てくると思おう。沼津また行きたいなあ。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る