縮刷版2019年2月上旬号


【2月10日】 冒頭の魔導師たちによる飛行シーンでスクリーンから圧力を持った音が放たれて、そして始まったイオンシネマ幕張新都心での「劇場版 幼女戦記」のULTIRAスクリーンによる9.1ch+JBLのサブウーファー6連装での上映、すなわち「幼女戦記 幼女の皮を被った ULTIRA(化け物)9.1ch」は、音響監督の岩浪美和さんが調整に携わっただけあって戦闘シーンになればそれこそ場内の空気が揺れるくらいの爆音が響いて、自分が同じ戦場にいるような気にさせられる。なおかつ横幅18メートルもの巨大なスクリーンではとてつもない奥行きを持ったシーンでとてつもなく動き回るキャラクターたちの空戦であり格闘でありといった戦いを見られる。

 劇場=戦場とも言えそうな空間で味わった感動は、他の場所ではきっと得られない。敢えて言うなら立川シネマシティかチネチッタ川崎での化け物上映くらいだろうけれど、スクリーンのサイズはやはりイオンシネマ幕張新都心が上。そこを基準に考えてしまうと立川シネマシティの最前列でもちょっと追いつかないかもしれない。ただ音響がほとんど音楽のホールと同じという立川シネマシティの場合はまた違った音像を感じられるかもしれないから行く価値はありかな。せっかくの会員なんでいつかのぞきに言ってこよう。川崎は可能なら。その前にもう1度、イオンシネマ幕張新都心のULTIRA(化け物)9.1chだ。

 映画の内容自体はおそらくはテレビシリーズの「幼女戦記」の続きといったところで、フランソワ共和国が帝国に責められ降伏した傍らで、ド=ルーゴだとか言う将軍の逃亡を許してしまってターニャ・デグレチャフに血涙を流させた一件から続いている感じ。砂漠に展開するド=ルーゴ率いる自由共和国軍の拠点を叩いてとりあえず沈黙させてさあ帰還だ休息だと思っていたら、到着した空港から北へとそのまま送り出されて連邦による侵攻の発端を目の当たりにすることになる。そこで展開する軍隊を蹴散らし列車砲を破壊して勝利は得たものの、連邦の侵攻は凄まじく帝国の戦線は押され気味。ならばとターニャ・デグレチャフ少佐率いる第203魔導大隊が遠く連邦の首都へと向かって主要な拠点を爆撃し、帝国の旗も打ち立てこれで勝利も確実と思わせたら相手が悪かった。

 それはきっと存在Xのイタズラなのか。ひとつは連邦で施策を決定する権限を持った内務人民委員部長官のロリヤが究極のロリで、襲撃してきた際に見初めたターニャ・デグレチャフを何としてでも手に入れたいと私欲を爆発させ、それでもって軍隊を動かしとてつもない大軍をターニャたちが奪還して確保した街へと送り込んで来る。銃器すらないのか手にスコップを持った兵士もいたりして、そりゃあスコップは無双だから何個師団だって蹴散らすことは可能だけれどそれは1000年生きてスコップを極めた男にだけ許されたこと。普通の軍人ではどうしようもないまま帝国はかろうじて戦線を維持する。そしてもうひとつの存在Xの企みか。父親をターニャ・デグレチャフに殺されたメアリー・スーが志願兵となって多国籍部隊に加わり、そこでとてつもない魔力とそしてとんでもない自分勝手な振る舞いでもってターニャに迫って追い詰める。

 軍人なんだし命令は絶対だと分かっているなら上官が止めれば止めるもの。そこで止まらなければ営巣入りかあるいは銃殺だって当然なのに、メアリー・スーは相手がターニャ・デグレチャフだと感じるとすっ飛んでいって勝手に戦い始める。強いから追い詰められるけれどもそんれだけの力があれば攻撃の目標だった街の確保だって可能だったかもしれない。戦術級とも言えるその力を私怨からの私闘に使って仲間たちすら危機に追いやる勝手がいつまで許されるのか。続きがあればそこをちょっと呼んでみたい。原作だってまだメアリー・スーはライバルとして存在しているはずだし。どうだったっけ。ちょっと覚えてないや。ともあれしばしの休息を経て後方勤務を満喫していたところに下された指令でもってサラマンダー戦闘団を率いることになったターニャ・デグレチャフの戦いの行方はいかに。いずれ歴史から消される第203魔導大隊の中でターニャ・デグレチャフの存在がどうなるかはやっぱり知りたいなあ。書いてくれるのかなあ。長くなると長くなっただけ終わりが描かれないままフェイドアウトってことも起こりかねないし。さてもさても。

 剣道にかける2人の少女を描いた誉田哲也さんの「武士道シックスティーン」から始まる3部作(その続編らしい「武士道ジェネレーション」を僕は認めないし認めたくない)という傑作シリーズがあって、剣道をテーマにした小説なんて書けるものかと思いたくなるのが人情だろうけれど、ここに果敢に挑戦し、新境地を開いた作品が渋谷瑞也さん「つるぎのかなた(電撃文庫)だ。共に高校生では剣道で最強の乾快晴と乾吹雪の兄妹。でも兄そんな兄妹に待望の相手が現れる。水上悠。今は剣道をやめている彼が編入した高校で剣道部に誘われた。

 大怪我をしたとか、試合中に誰かを傷つけてしまったトラウマでやめたのではなく、道場主だった祖父が死去し、疎遠だった母親との関係修復もあって剣道から離れていたといった感じ。ただとてつもなく強いこともあって、楽勝できるような試合はしたくないといったこともあったかもしれない。そんな水上悠が剣道部に誘われて助けるつもりで他校との交流戦に出たら、そこに来たのが乾吹雪で悠の剣道に見惚れ映像を持ち帰ったら兄が見て悠と気づいた。

 再会から待望の試合へとつながるスポーツライバルストーリーではあるけれど、そこにはライバル関係の2人にありがちな、どこまでも因縁めいたドロドロはな。妹は悠に憧れ兄は友人だたい悠との再会を喜ぶ。2人して試合を申し込むくらい。その順番を争って戦うくらいだからちょっぴりあほの子たちなのかもしれない。そういう意味では「武士道シックスティーン」をはじめとしたスポーツライバルストーリーとはちょっと異なっている。そんな2人がぶつかる試合は、より強くありたいと考えてしのぎを削るといった純粋なもの。あるいは真剣勝負と言えるかも。そこにドライさが漂う。

 因縁も競争もなく純粋に剣道で強さを目指すといった展開はカラッとして読みやすく、悠に惚れる少女たちの戦いも堂々としたもの。そこが武士道シリーズとは趣を異にする理由なのかもしれないなあ。快晴に負けた悠が少しは真剣勝負のために剣道を極めようとするのか。眼鏡の後輩ちゃんは初心者だったけれど、これからどんどんと強くなっていって剣姫の吹雪に迫るくらいになるのか。ライバルができた快晴と違って彼女は孤高。だからこそ相手の登場を望んでいるだろう。どうなるか。続きが出ることも決まっているみたいなで、今はそれを待とう。

 早起きをしてワンダーフェスティバル2019[冬]へ。去年の夏にわっと出てきたVTuberのフィギュアがさらに増えているかと思ったらポツリポツリといった感じで、人数は増えても商業のペースに乗るだけの知名度を持って存在感もあるVTuberはやはり限られるってことなのかもしれない。増えているなあと感じたのは「SSSS.GRIDMAN」で新条アカネと宝多六花のフィギュアがいろいろなところから登場していた。男子チームは欠片もなし。グリッドマンはいた。そこがはなかなかに残酷だなあ。あとは「シティーハンター」があちらこちらに並んでた。劇場版に合わせたのかもしれない。映画がヒットしていなければ悲惨な結果になったかもしれないけれど、年配層を中心に世論込んでいる人が多いみたいで、フィギュアもその線で売れていくんじゃなかろーか。「カメラを止めるな!」のフィギュアもあったけど、彩色が自分ってところがハードルかなあ。


【2月9日】 テレビシリーズ「PSYCHO−PASS サイコパス2」で新任の執行官として厚生省公安局刑事課二係に赴任した元軍人らしい須郷徹平が、職務を遂行する中で起こしてしまった上司である青柳璃彩監視官へのある事態。そこでとんでもないことをしでかしたと狂わず、立ち直って常守朱たちがいる一係へと異動になり、青柳監視官とは同期だった宜野座伸元執行官も側にいる中で後悔に沈むことなく職務に邁進する。決して冷徹ではなく、感情に乏しい訳でもない人間が自分を律し続けることの大変さは、苛烈すぎる状況とは言え青柳監視官が執行対象になってしま事態も起こる状況にあって、やはり相当に強いと言えるだろう。それは須郷徹平が元軍人だからか。過去にとてつもない修羅場をくぐり抜けていたからか。

 そんな須郷徹平の過去、そして公安局の刑事たちとの出会いが描かれるのか3部作として公開が始まった「PSYCHO−PASS サイコパス Sinners f the System」の第2部にあたる「PSYCHO−PASS サイコパス Sinners of the System Case.2 First Guardian」。そこで須郷徹平は、沖縄にあって国防軍のドローン部隊の兵士として、フットスタップ作戦なるコードネームで呼ばれる作戦に参加し、ひとつの苦渋を味わう。それから程なくして起こった国防軍と外務省を揺るがすテロ事件の関係者として須郷徹平が疑われる。そして捜査が始まる。やって来たのは公安局刑事の青柳璃彩監視官と柾陸智己執行官だった。

 ストーリーのあらましについては公開後にまた紹介するとして、ここで出会った柾陸智己執行官の刑事としての仕事ぶり、人間としての温かみに触れたことがあるいは、この一件を経て潜在犯落ちにならざるを得なかった須郷徹平に自分が進むべき道を与え、テレビシリーズ第2期への登場へと向かわせたのかもしれない。一方で須郷徹平は、後に上司となる青柳璃彩監視官とも出会って、そこで監視官ではありながら征陸智己執行官の仕事ぶりを信頼し、そして素晴らしい贈り物もする優しさに触れている。そんな彼女を後に……と考えた時に須郷徹平がその瞬間、それを知って感じた慟哭の凄まじさも想像にあまりある。それでも色相を回復不能なまでに悪化させず、執行官として復帰できたのにはやはり、沖縄で出会った征陸智己執行官にまっすぐな仕事ぶり、貫かれた刑事魂につなぎ止められたからなのかもしれない。

 「PSYCHO−PASS サイコパス」シリーズの刑事ドラマとしての軸、正義の象徴であり人間味の権化ともいえる征陸智己執行官を演じた声優の有本欽驍ウんが死去。訃報はしばらく前から漂ってはいたけれど、公表されるとやはり浮かぶ悲しみもひとしおというか、本当にもうすぐ目の前に「PSYCHO−PASS サイコパス Sinners of the System Case.2 First Guardian」の公開が迫っている中で、須郷徹平と並んで主人公でありながらも舞台で公開を喜ぶ姿を見られないのが寂しい。舞台挨拶には須郷徹平を演じた東地宏樹さんと狡噛慎也役の関智一さんが塩登壇される予定。現場ではきっといろいろな言葉が贈られるだろう。それを聞いてどれだけのキャラクターであり、声優であったかが改めて偲べそう。観客は映画での活躍を目の当たりにした前後だけに、そうした言葉が深く心に染みそう。まるでお通夜のような沈んだ雰囲気になりそうだけれど、須郷徹平を励まし導いたとっつぁんの飄々とした声であり態度から、信念を貫く糧を得て、立ち直って僕たちは映画館を出て歩き出すのだ。

 雪も降り始めて戻れなくなるかもと思ったけれど、見ておく機会もそうそうないので今年は馬車道に戻った東京藝術大学大学院映像学科アニメーション専攻の第十期修了生による修了制作展へ。今年からDVDではなくなった第十期生とそれから一年次生の作品が収録されたUSBメモリーを購入し、そして上映会場へと入ってざっと観終わった作品から、まずは修了生の感想を書いていく。

 星夢乃さんは多分東京工芸大の卒制も見ている記憶で、「あたまのからだ」はその時からずっと続いている絵柄を生かしつつノンナラティブ的変幻も入れて発展させた感じ。具象の水江未来さん的な? あの可愛いキャラがぐにょぐにょ動くのを見たいかもしれない。次いで野田ゆり子さん「Where is my home?」はクレイモデルの動物みたいな人形たちがテーブルを囲む中で色違いがつまはじきにされている感じが切ない。だから頑張って自分の居場所を創るんだけれど……。頑張らず変わらないで居られる世界が欲しいと思った。

 山崎スヨさん「降霊ダイヤルの恐怖」はホラーだ貞子だ心霊だと思って身構えた。実写の女優とモーションがグラフィックされた像が入り交じって非現実な雰囲気が浮かび上がった。アニメーション的な映像も重ねられたりはしているけれど、全体的な印象から言えば実写寄りで、そこにアニメーションを演出に乗せた感じと言えば言えるのかな。アニメーションでやる必要は、ってことをちょっと気にさせた。

 前畑侑紀さんの「湿らない 腐らない おいしく まろやか」は童話的絵本的な絵を動かしつつぼかした感じで思い出めいた子供たちの世界を描いていたところが上手かった。今に戻ると平面でグラフィカルな絵になる変化をつけていた。瑞地美鈴さん「夜の道路工事」は靴底のフロッタージュを頑張ってた。でこぼことした素材に髪をあてて鉛筆か何かで擦り出すと模様が写し取れるといった技法。それをつかて写し取った靴底を幾つも並べて動かし地面の下から見上げる道路工事の現場を見せていた。ほかにも地面とか潰れた空き缶なんかも擦りだしてた。路面という平面を描くために技法を生かした作品って言えそう。

 佐藤桂さんお「A Pawn」は木ぎれで作られたような兵隊さんたちが木ぎれが散らばった線上で撃ち合うストップモーション・アニメーション。よく動いてた。ただやっぱりどうして彼らは木ぎれで作られた存在なのかが気になった。いつか外国から来たストップモーション・アニメーションのクリエイターが、その素材に意味がなければいけないって話をしていたのを着て以来、ずっと考えていることなのだった。たあ作りやすい、動かしやすいでは届かないのだ。開發道子さん「レーテー」もストップモーション・アニメーションだあtけど、こちらは動きそのものへの渇望よりも示されるビジョンが優先されたといった感じか。

 フワフワとしたフエルトを丸めたような存在が、乗り合わせた誰かから顔をもってあちこちを歩き回る。海とか草原とか。自分って何だろうと思わせられた。とはいえ海でも山でもずっと据えられたカメラで長回しされて撮られている感じで、その背後で海が動き雲も動いているけどアニメーションとして動かしている訳ではないからなあ。映像美ではあってもアニメーションかという問いは残りそう。ささきえりさん「うめぼしパトロール」は逆にドローイングを並べて動かすザ・アニメーションといった感じ。ぐんぐんと変わっていく場面に動いていくキャラクターが心地良い。子供の目から見た世界ってあんな感じなのかもしれないなあ。

 たぶんそれなりに活躍しているっぽい平松悠さんの「ひ なんてなくなってしまえ」は広告デザイナーが上手くきまらない「ひ」に無くなってしまえと思ったら「ひ」がいろいろとミュージカル仕立ての中で主張しだす展開が愉快で絵柄も愉快で歌も楽しい。幸洋子さんとシシヤマザキさんに姫田真武さんが合わさったかのような派手さ賑やかさ。歌い踊るそれぞれの「ひ」に由来があればもっと興味をそそられたかも。蝶ネクタイの「ひ」が何かからの派生とか。

 鵜飼ゆめさん「あの夏に二人でいた」は少女2人のまるっとしたキャラクター造形が上手かった。そして海の中のさまざまな生き物に分裂したり変化したりした場面とのギャップが興味深かった。もっと少女2人によるアニメーションを見ていたかった気がしないでもない。とはいえ童心に海ってああいう風に見えるのかもしれない。そうだと思おう。そしてしばたたかひろさん「何度でも忘れよう」は今展でも屈指の1本となりそう。ぬいぐるみのクマのようなキャラと母親との日常だけどクマは構ってもらえず傷つき、それに気づいて修理されてもまた。食事も大変。それでもやっぱり愛おしい母親の情愛。子供への愛情とも虐待ともつかない行為の横溢が想起される。

 ストーリー性があってテーマ性もあってビジュアルも印象的。大藤信郎賞を受賞した小野ハナさんの「澱みの騒ぎ」に通じる感じか。あるいは昨年の修了作品で目下世界の映画祭で様々な賞を取りまくっている見里朝希さん「『マイ・リトル・ゴート」とも。つまりはそれだけの活躍が期待できるってことで、この3日間で見るかあるいは東京に来て上映される際にマニアなら見ておいて損はない。むしろ見るべき。齊籐光平さん「舞空」は筆を水で濡らしていろいろ描いたりしたものを撮っていって重ねて動きを表現したのかな。だとしたら大変かも。あとは雨とか自然現象も織り交ぜ感じさせる生々流転といたtところ。折笠良さん「水準原点」をふと思い出した。

 村松怜那さん「雪解けをきいて」はさまざまな素材を絵画的に並べつつ動かして表現したストップモーション・アニメーションといったところ? 歌う少女が可愛い。解けちゃうけど。角砂糖の妖精かとちょっと思った。最後がキヤマミズキさん「くじらの湯」で、これも今展で目立つ1本。とりわけ技法的に。オイルペインティング? てもって描かれる神話風に洗濯物が干される海峡から大阪の長屋に転じて母娘が銭湯に行って体を洗い風呂に浸かる展開が刻々と変化するペインティングによって続いていく。変幻する快楽に酔いしれる。

 「モブサイコ」のエンディングなんかで活躍している佐藤美代さんの修了制作となった「きつね憑き」も同じ様なガラスへのペインティングで描かれた童話的作品で、これも各所の映画祭なんかで評判になたt。その流れで「くじらの湯」も注目を集めそう。体が大きく顔が細い母親を含めた女性像とか絵柄も独特。それがストーリーにマッチして非日常的な銭湯での様子を感じさせる。風呂の湯とか海の表現が抜群。オイルペインティングでこれは凄いのか? といった感じが東京藝大院アニメーション専攻第十期生修了制作展の修了生作品の印象。一年次生の作品も観たから感想はそのうちに。1本挙げるなら石館波子さん「Pupa」が好き。商業寄りのアニメーション的ビジュアルの中で部屋から動けないOLっぽい女性の日々が生活感も含めて漂う。「ひとり暮らしのOLを描きました」的な哀切があるのだ。必見。

 ネットが発達していた時代ではなかったから、30年前の2月9日に手塚治虫さんが亡くなってその日のうちに情報を知ったか、それとも翌日にテレビとか新聞で知ったかは覚えていない。時代が平成に変わって1カ月くらい経って、世間的にも落ち着きを見せていた時期ではあったけれど、気分はやっぱり昭和を引きずっていたのがこれで一気に時代の節目を強く感じさせられた記憶がある。泣きもしたかもしれない。そのちょっと前くらいだろうか、何かのパーティーに出てきた手塚治虫さんの痩せっぷりを写真で見ていたから、危ないんだろうなあとは予想していたしずっと呼んでいた「朝日ジャーナル」での「ネオ・ファウスト」の連載も途絶えがちになっていたような記憶があるから、覚悟は出来ていたはずなのに悲しさはそれを上回った。30年が経って他にも大勢の漫画家が鬼籍に入られたけれど、これほどまでに時代の終わりを感じさせられた経験はないかもしれない。平成が終わろうとしている時にさて、時代は誰を象徴として掲げつつ奪っていくのか。それが今は少し気になっている。奪わないでという思いも抱きつつ。


【2月8日】 ガードの仕事を請負ながらも護る相手をひとり喫茶店に残していそいそと野上冴子に会いに行ったところに襲来を受け、進藤亜衣を御国真司の使いに連れて行かれ、そんな亜衣が休んでいた海坊主と美樹がきりもりする喫茶店「キャッツアイ」を、傭兵たちによる銃撃や砲撃でメチャクチャにされて、それでもスイーパーなのか冴羽りょうって思った一方、そんなスイーパー風情がたったひとりで逃げつつ反撃をして撃ち落とされるような拙いドローンの運用を見せながら、6機だか8機のドローンとメサイアシステムがあれば、1個小隊だかの軍隊を全滅させられると、武器商人見習いみたいな男が言ってのけたりする。

 狙えば確実に当てるだろうドローン兵器の銃撃が、冴羽りょうや海坊主にはまるで当たらなかったりもするシーンの連続もあって、見ていてこれはどうにも展開に合わせて警戒のラインとか強さの限度をいじってあるなあと思ったものの、そういった調整によってトータルの面白さを醸し出しつつ戦闘の大変さを浮かばせつつ、やっぱり冴羽りょうは凄いんだ強いんだといったヒーローとしての立ち位置をしっかり示してみせたのだと思えば、あまり気にすることではないのかもしれない。そして、そうした漫画的とも言える部分があってこその「シティーハンター」だと言うのなら、「劇場版シティーハンター<新宿プライベートアイズ>」は間違いなく完璧なほどに「シティーハンター」でありそのアニメーションだった。

 テレビシリーズで連続4話を費やし放送しても、2時間スペシャルとして放送しても同じ印象を受けただろうけれど、ずっと繰り返し創られ続けている「ルパン三世」のテレビスペシャルとは違っていきなりの久々ではやはり盛り上がりにかける。それならと劇場版にしてイベント性を高めて公開へと至ったのだとしたらそれは正解。情報が出始めてからの盛り上がりがあり、出演声優たちが以前と同じだと分かって歓喜の声も広がっていき、そして公開が近づくにつれて久々の「シティーハンター」なのだから、やはり1回くらいは見ておくかといった能動的な積極性も心に芽生える。その結果としての公開直後の印象としてのダッシュがある。そう感じる。

 内容については特筆して凄さを語る部分はあまりなく、あるとしたらドローン兵器が運用される戦場の可能性、そして戦争という国家間が動いては泥沼化して問題も広がる行為ではなく、狭い地域での戦闘といった行為を誘ってそれで悪化する治安の中、武器を双方に売っていくようなビジョンが示されているところが興味深かった。そんな御国の計画を阻止するためにシティーハンターが立ち上がり、海坊主や美樹を巻き込みさらには喫茶店「キャッツアイ」の大家という触れ込みで絵画泥棒の来生三姉妹が登場するオールスターキャスト的な展開で、かつて見ていた人たちを楽しませてくれるところも久々の映画ならではの配慮と言えるのかも。

 ここでキャッツアイの3人は登場する必要はなかったかもしれないけれど、長姉の来生泪が登場しては声を藤田淑子さんにオマージュを捧げるように戸田恵子が演じ、そしてメモリーとして藤田淑子の名前をクレジットに掲げ業績を耐えるという意味合いで、三姉妹の登場はタイミングとして有り難かった。もちろんご本人が声を演じてくれるのが一番だったのだけれど……。改めてご冥福を祈りたい。

 絵柄も雰囲気としてテレビシリーズに近くて違和感を覚えず、そして声はやはり多少の回りに引っかかりが感じられても神谷明さんは冴羽りょうを感じさせ、伊倉一恵さんは槇村香を感じさせてくれた。野上冴子は決して春の屋の関峰子おかみではなかったけれど、でも新宿で赤いポルシェをかっとばしていたから、本当は野上冴なんだけれど扮装でおばあちゃんになっていて、けれども事あれば仮の姿を脱ぎ捨て東京へと出向き、実は部下のグローリー・水領に預けてある赤いポルシェを駆って走らせているのかもしれない。

 それでもそれぞれに年輪を感じさせる中、海坊主の玄田哲章さんは変わらずいかにも海坊主といった声を聞かせてくれた。やはり常にその声で現役を走り続けているからなのかもしれない。声とは別にもうひとつ、音の面から「シティーハンター」らしさを醸し出していたのは音楽で、エンディングに使われ本編からの流れで入っていく格好良さを今もまた感じさせてくれたTM ネットワークの「Get Wild」を劇場で聞かせてくれたのは最高だった。

 オープニングの小比類巻かほるの「City Hunter〜愛よ消えないで〜」であったりPSY・Sの「Angel Night 〜天使のいる場所〜」であったりと、当時の雰囲気を甦らせてくれる楽曲が歌も含めて流れて一種、「シティーハンター音楽大全」といった印象すら感じさせる。PSY・SなどCHAKAさんと松浦雅也さんの関係が複雑なのか、今はもう現役として聞けない歌声なだけに貴重だし、何より嬉しい。そしてFENCE OF DEFENSE「SARA」。超絶的なスタジオミュージシャンたちが結成したバンドという触れ込みで強い印象を誘っていた中に発表されたこの楽曲は、メロディラインもメロディアスならボーカルによって紡がれる歌もやはり哀切に溢れて耳を奪われてしまう。

 観終わればやはり野上冴子がいろいろと企んでいたこともかじられ、そうした誘いに騙されたふりをして乗ってあげつつ仕事は完璧にこなしてのけるシティーハンター・冴羽りょうの格好良さも浮かび上がって来るストーリー。その存在が改めてこうして劇場版として世に問われて後、続いての登場はあるのかどうか。それはすべて興行成績次第だろうか。可能なら今をギリギリと思わないでもないところもある声の出し手たちが、その精一杯を聞かせてくれる期間の間に続編をとお願いしたい。あるいは槇村香と香瑩が共に出るような展開とか。それはちょっと無理かなあ。

 「シティーハンター」が昔とまったく変わらない声と音楽と絵柄でそれなりに評判を取りそうなのとは対照的に、新しくテレビ放送が決まりそうな「妖怪人間ベム」の新作アニメーション「BEM」はキャラクターデザインが村田蓮爾さんになってベムもベラもベロも誰それいったいといった雰囲気になっている。小西克幸さんが演じるベムなんて「俺を信じるお前を信じる俺を信じろ」とか言い出しそうだし、ベラは小娘になりさがってとてもじゃないけど鞭をふるって悪人どもをぶちのめす肝っ玉姐さんといった雰囲気は見えない。ベロはあの明るくて外交的な雰囲気がない鬱屈した少年風。これでいったいどんなドラマを描くのか。まあ西洋のテレビにありそうな怪奇譚を集めた初代のアニメ以外は見てないし覚えてないんで、違うものとしてここは認識するのが良いのかも。それにしてもベラ、「ゲゲゲの鬼太郎」でねこ娘が美少女化して大ヒットしたのを横目に変えてきたのかなあ。

 なんだこのポン酢は。立憲民主党の辻元清美議員に対して韓国籍の弁護士から献金があったことが判明したけれど、外国籍では献金できないことを知らず献金してしまったという釈明、そして1万円という金額から意図的でも悪意があったとも言えないというのが一般的な認識で、だから大手の新聞とかはあまり騒ぎ立てないんだけれど、オレンジ色のタブロイドだけは何か重大な違反をしたかのようにあおり立て、もっと大きな金額をもらっていたとか口利きしていたとかいった与党議員に対する批判はしないという絶妙なバランス感覚を見せている。

 それはいかにもオレンジ色のタブロイドらしいけれど、それに乗っかるよういして自民党から都議選に出て落選した候補者が、立憲民主党がどうして韓国の選管が自衛隊機にレーダー照射をしたかについて追求しなかったかといえば、1万円をもらったからに決まっていると言わんばかりの言動をネットで書いて、やんやの喝采を浴びているから堪らない。もう本当にクズい発言で、それなら自民党が北方領土について我が国固有の領土とは言わなくなったのはロシアから幾らもらったからだ、沖縄の米軍基地移設で地元の意見をまるできかないのはアメリカからいくらかもらっているからなのかといった憶測を飛ばされても仕方がなくなる。

 というか森友加計問題で糾弾しないのは、やっぱり幾らかもらったからだろうって言われて反論できないはず。でもそうした振る舞いはまるで知らん顔して、立憲民主党は1万円をもらうと黙るかのような印象を醸し出す言動を平気で放ってしまえるところに、周囲を見渡して自分が何を言っているかを判断できるだけの理性が失われてしまっている可能性が見えて来る。というか、そう言えばやんやの喝采を浴びるだろうという過去の体験と将来の憶測が、そうした発言を平気でさせてしまうんだろう。瞬間は気持良いし何か言ってやったって気になれるけど、振り返るとやっぱりクズい発言だと批判されることは確実。そう思えば出来ない発言をしてしまえる人が、今も活動できてしまうところに界隈のヤバさも膨らんでいるって印象かなあ。


【2月7日】 ハウスの貴公子は髭をたくわえてすっかりおじさんっぽくはなっていたけれど、そこはスウェーデン人だけあって雰囲気は甘く、そしてDJブースでターンテーブルを操作して流すジャージーな感じでビートを効かせたサウンドは、ビルボードカフェという場所にマッチしてなかなか大人の雰囲気を作り出していたラスマス・フェイバー。「プラチナジャズ」っていうアニソンをジャズに乗せて展開するシリーズが10年となって、それを記念したライブが大阪と東京で開かれるのに合わせて来日。せっかくだからと開いたDJパーティーだったようで、半分くらいいたけれどもその間にアニソンのミックスは流れず、あくまでも来日を歓待したいファンがハウスの貴公子の今を長めに来た感じ。まあ「プラチナジャズ」自体は以前にも見ているし楽曲はCDで聴けるから、そうではないラスマス・フェイバーを見られて面白かった。

 振り返れば、あれはいったいいつになるんだろう、「プラチナジャズ2」がこれから出るかどうかって頃にインタビューをしてこういう人がいるんだと紹介したことが、後のシリーズ化につながったのなら嬉しいけれども、それだけの媒体力もなかったから多少の安心に繋がった程度だろー。それでも10年前に見た人たちが同じことを続けて今も活躍し、評判になり続けているのはそれだけ日本のアニソンが世界に通じるサウンドを持っていているってことの現れで、なおかつラスマス・フェイバーというクリエイターがジャズの魂も持ってアニソンをアレンジして世に問うたことによって、さらに普遍の存在になったってことだろー。気持ち的にはビルボードのような場所だけでなく、ホールでもそのサウンドを聴きたいんだけれどもジャズって小さなライブハウスがやっぱり似合うから、そこは仕方がないのかも。でもいつか中野サンプラザで見たいかも。

 テレビでの放送を待ちきれずにAmazon Primeで「ケムリクサ」の第5話。わかばくんの叡智が放たれてミドリのケムリクサが何かを治すかあるいは時間を巻き戻すような力を持っていることが分かったんだけれど、それにまるで関心を示さないりんたちってやっぱり完成がわかばとはズレている気がする。とはいえ車輪がとれてしまった車両がえっちらおっちら歩いて行かざるを得なくなり、りつ姉に負担がかかりそうだって時に匂いをかぎつけ車輪を探し出してなおかつ、ミドリのケムリクサを使って修復までしてしまったわかばはやっぱり“特別”な存在なのかもしれない。ラッキーさん……じゃない無害になった虫ロボットが管理者権限でも感じたか、わかばの役に立とうとしているところもあるし。

 そういった意味合いではやっぱり「けものフレンズ」のかばんとラッキービーストの関係を想起させる「ケムリクサ」。意図的に重ねてきたのか、もともと「ケムリクサ」用に構想していたストーリーを「けものフレンズ」に挿入して、そして今また自分の作品に引き戻したのかは気になるところで、いつか誰かがインタビューをして尋ねてくれるだろうと期待。一方でやっぱり漂う不穏は死という決定的な出来事を含んで不安となって見る人を包んでいて、ふんわりとして暖かい展開があった第5話を見ていても、まだ安心はできないぞって身構えさせる。

 そこまでは良い。一応は予想の範囲のたつき監督だったけれどもまさか最後にあれを持ってくるとは。趣味のアニメーションの0.5話から0.9話あたりを見ていた人と、そしてこれまでの展開でほのめかされた喪失を意味する言葉から、すでに過去となっていたはずの事象が突然目の前に立ち現れては驚くしかないだろー。たつき監督を信じ半ば既定路線の上、予定調和の中で起伏が演じられるだろうといった安心感の上に見ていたものが、とたんに信じられなくなって、次に何をしでかしてくれるのかと心も躍る。不安と期待でいっぱいになった心が破裂しそうになる。あの1週間が待ち遠しかった2年前がまた蘇って来た感じ。さてどうなる。そしてその後は。社会から放り出されそうで折れそうになっている心がこれで繋がった。

 マンガ大賞2018を受賞した板垣巴留さんの漫画「BEASTARS」がアニメ化だそうで、これでマンガ大賞受賞作品ではテキスタイルとか風俗とかの描写が実写ではまず無理で、アニメ化しようにもやっぱり描くのが大変そうな「乙嫁語り」を望めば東村アキコさんの「かくかくしかじか」くらいになってしまった。授賞式では稲沢工芸大学の先輩にあたる細田守監督にアニメ化して欲しいって話していた東村さんだけれど、それが実現するかはともかくとしてアニメ化でも実写化でも行けそうな素材。でもやっぱり進まないのはテーマが美大を受験する女子と老先生との交流という、どこか私小説めいた内容になっているからだろうなあ。大河的でもないし。でも面白いのでいつか誰かが。今年の受賞作はますます何になるかが楽しみ。主演は誰か、声優は誰が良いか。聞こう授賞式で。そこまで首が繋がっている保証はないけれど。むしろ切られている可能性が高いけど。はあ。

 「死んでも死んでも死んでも死んでも好きになると彼女は言った」をダッシュエックス文庫で出していた人だった斧名田マニマニさんがダッシュエックスノベルの方で「復讐を希う最強勇者は、闇の力で殲滅夢想する」を刊行。魔王を倒した勇者だけれど王女さまの誘いをむげにしたのを恨まれ捉えられ、仲間は惨殺され家族も殲滅され悪行をでっち上げられるために村人全部が虐殺されたりもして、恨みを抱えながら刑場でじっくりと殺されていったラウルが女神の力で記憶もそのまま、闇の力を手に入れて復活。1年が経っていた王国に入っていってはガードしていた兵士を氷で串刺しにし、婚姻を発表した王女の腹をぶち壊しては一端生かし、配下の少年たちを怪物に変えた貴族や女科学者を皆殺しにしてそして王女への復讐に戻っていく。

 毒を飲ませてはその解毒剤を女科学者に自分で開発させ、そしてまた毒を飲ませる繰り返しとか強大な力を持つ割には一気に殺さない残虐ぶり。自身がそうやってジワジワと殺された恨みもあるんだろうけれど、すべてをそうやってなぶり殺しにしていて飽きないかなあというのがちょっと気になった。それだけ恨みが深いってことか。王女の周囲にいて世話になった村人を惨殺して自分に罪をなすりつけた女騎士も一気に殺さず罪を着せ、それで頭をおかしくさせて王女に自分から近寄り刺すように仕向ける。そうやって果たされたかに見える復讐だけれど第1部ってことは第2部があるのかな。今度は誰に復讐するんだろう。世界に? でもそうなったらなったで別の女神が勇者を送り込んで来るんじゃないかなあ。あるいは飽きてしまうとか。そういった展開がやや楽しみ。俺TUEEEが残酷方面に走ったらどうなるかを見せてくれる1冊。

 原作者の海法紀光さんがアニメーション版とかに登場させたショッピングモールのモデルとなった錦糸町オリナスにあるTOHOシネマズ錦糸町(オリナス)で実写版「がっこうぐらし!」の最終日最終上映を見る。毀誉褒貶あってキャベツがどうとかいった話も飛んでいたけれど、見ればなるほどこれはまさしく「がっこうぐらし!」。そのエッセンスは十二分に取り入れられていて、漫画の絵柄とかそれが元になったアニメのようなポワポワとした感じではないけれど、女子高生たちのどこかフワフワした日常の奥、あるいは河を1枚剥いだところに確実に存在する残酷な現実と対峙し、日々をどう生きるかを問われる物語だった。その展開に挫けそうになり負けそうになっても生きようと思った。こんなに良い映画だったらもうちょっと早く見ておけば良かったかなあ。いつかまた再上映される機会があれば行こう。


【2月6日】 将棋の順位戦でC級1組の対局が行われて上位を無敗で走っていた杉本昌隆七段と藤井聡太七段は共に敗れてB級2組への昇級はまだ確定せず。共に勝利していたら師弟での同時昇級を何十年ぶりかに果たせたみたいだけれども、それほど将棋の神様は甘くはなかったってことで。とはいえ年齢が30歳くらいは違っている2人がともに無敗で走ってこられたことについて、藤井七段よりも杉本七段のここに来ての棋力の充実を讃えたい。年齢とともに衰えるのが体力と知力とそして棋力。それは名人級でも同様な中でタイトルホルダーでもない七段が、しっかりと保っていられるのはなかなかに希有なこと。そこはだから弟子の頑張りに刺激されつつ棋力も引っ張られたってことがあるのかもしれないなあ。次に共に勝てば1敗で同時昇級。果たせるか。

 アニメーションの中で3DCGで造形されたキャラクターがただ、PC内にいる3DCGの人形に演技をさせているだけでじゃなくって、顔の表情とか手足の位置とかを大きくいじった上で、平面のモニターの中に登場した時にそれっぽく見えるようにしてあって、だから2Dのアニメーションを見ていた目にも違和感なく映るけれど、そんなキャラクターのモデルが横から見たらどうなっているかというと、口とか大きく歪めてあって顔の輪郭も歪んでいて、そして手足も本体とは違う場所から伸びていたりするといったことは、割と知られた話なんだろうかそれとも3DCGでモデリングさえすればあとは人形のように動かすだけで楽だって認識を持っている人の方が多いんだろうか。

 今をときめる「ケムリクサ」のエンディングアニメーションを手がけたらしい尾本達紀という人がCGアニメーターとして参加していた、サンライズ荻窪スタジオが手がけた「コイ☆セント」という3DCGながらも2Dに見えるアニメーションについて、大昔に監督の森田修平さんが登場するメイキングセミナーがあって、取材でのぞいたら大口を開けた少年の顔とか、モニターに登場している時は漫画チックに豊かな表情をしているように見えるんだけれど、そのモデルを横に回って見ると口とか片側に大きく引っ張られて開いていて、とてもじゃないけれど人間には見えない。目の位置なかもいじってあったかもしれない。

 そうやって造形をいじらないと、正面から見たらただの無表情な人形になってしまう。だからアニメーターはCGでモデリングはしても1コマ1コマでちっかり表情付けを行い演技付けも行って、テレビモニター越しの1方向から見た時に違和感がなくそしてアニメーション的に面白い絵になるように努力している。そこでは視線なんかもしっかりといじって演技をさせ、シチュエーションにマッチした表情にしているんだろうけれど、そうした手間がかかっているんだと考えていないプロデューサーあたりが、早く量産できるからとフル3DCGを手法として選んだら、とんでもないものが出来上がるか、頑張ろうとした現場が大変な事態に見舞われるかするんだろー。「けものフレンズ2」がそうなっているかというと、そこはだから見て比べるしかないんだろー。「ケムリクサ」のアクションや表情なんかも参考にしながら。「FREEDOM」とか「いばらの王 King of Thorn」とかに参加しつつネットで自作を量産して鍛えたたつき監督のスキルがどれくらいなのかを意識して。

 東京新聞の記者が官邸での官房長官会見で、いろいろと質問をしようとして報道官から遮られ、官房長官からは素っ気ない対応をされても諦めずになお食い下がっては今、何がどういった感じに問題となっているかといった状況を、質問に乗せて可視化していることすらきっと鬱陶しいと感じられたのか、そうした質問すら封じようとした官邸の動きに対して流石にこれはヤバいと感じたか、新聞労連が抗議を行ったという話が伝わってきたけれど、特定個人が名指しで遮られる羽目になったからようやく抗議したといったあたりが、やっぱりどこかこの国のメディアが置かれた状況を現しているようでちょっと切ない。

 とある問題があったとして、所管する内閣なり政府なりの見識を問うても当人に効けと返し、報道があっていろいろと指摘されていることについて見解を正しても、報じているところに聞けと返すのは明らかに文脈としてズレているんだけれど、そうした応対が常態化していてなおかつそれを内閣の記者会見にでている他のメンバーが許容していたこと、それ事態がひとつのメディア業界の自殺行為に近かった。半年でも1年でも早くどうにかしなさいと内閣記者会側が抗議をし、そして入れられなかったら新聞労連ではなく日本新聞協会の編集委員会が声明を出すべきだった。でもどっちも未だ出ないまま新聞労連が正したのみ。そこにはジャーナリスト個々の集合的意見はあっても、新聞業界として報道機関の集合的意見としての危機感はまだない。

 あれば直ちに当該の記者が質問をして、木で鼻を括ったような返事が来たら、同じ質問を別の記者たちが何度もぶつけて見解を正すだろう。そこで答えが出れば個人を差別していたものだし、誰もが同じ事を聞いて答えられないならそれは逃げていることになる。でもやらない、やって問題を顕在化させることをせず、個人の記者の資質に押し込めようとしていることに、荷担していることに気づいていないのかそれとも意識して孤立させているのか。新聞労連はだからそうした記者クラブ側の体質をお含め指摘すべきだったけれど、言ってしまえば“同一人物”が自らを非難するような挙には出られないよなあ。そこがやっぱり中途半端だと思うのだった。新聞協会はセクハラまがいのガセネタを書いて支局長が捕まった問題と同様、報道の自由を阻害する行為として抗議するか。見ていきたい。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、と言ったりこの世には不思議なものなどないのだ、と言わせたりするもののやっぱりどこか不思議が残っている可能性について考えたくなるのが人間というもの。そうした幻想を真正面からたたき壊し、すべてが合理と説明してしまう展開があったとするなら、合理を訴えなければ誰かが不思議の中に取り込まれて困ったり迷ったり悩んだりする可能性があるからだろー。そうでないのなら不思議は不思議として残し、それを不思議とせざるを得なかった誰かの思いを汲んであげるというのがやっぱり展開として嬉しいし喜ばしい。

 「窓のない部屋のミス・マーシュ」とか「ビストロ三軒亭の謎めく晩餐」といった作品を書いてきた斎藤千輪さんが光文社文庫から出した「コレって、あやかしですよね? 放送中止の階事件」(600円)はテレビのキー局からは子会社にあたる会社で作られているネット番組が舞台。怪しいものを取り上げ謎に迫ったりする内容で、人気声優が司会をして妖怪が関連した漫画を出して大人気の漫画家がコメンテーターとして登場しては、噂の怪異に迫っていく。その初回では龍について取り上げたら多摩川を龍が流れていく映像がとれたと番組に投稿があって、訪ねるとフェイクなしのスマートフォン動画に龍に似た何かが河を流れていく様がうつっていた。

 あるいは巨大な淡水魚といった意見も浮かび、そういえばと巨大な鱗が発見されたことを投稿者が伝えてそうかと一件落着するかと思ったら、チーフディレクターがいろいろと考えを言い出してそしてそこにあったひとつの作為を暴き出す。とはいえ最初から騙そうとしていた訳ではなく、投稿した動画がフェイクまがいにされないための“保険”を建てようとしたらそれが余計だったといった感じ。そこで開き直った投稿者に対してUMAみたいなものへの情熱があるじゃないかと諭すことで、悪者が悪者にならずそして龍の紹介にあったひとつの職人の情熱も浮かんで、誰もが不幸にならず誰も責められない中で謎が解明へと向かっていく。

 番組にはならないかもしれないけれど、それぞれに思いがあて事情があって行動してしまうことへの慈しみが感じられる展開。だから読み終えて嫌な気持ちにならず泣けてそして嬉しくなれる。別の墓場で火の玉が揺れていた一件、公園に化け猫が現れた一件もそこに人魂だとか化け猫といった超常現象が見えつつも裏にあった人間としてのさまざまな思いが浮かび上がって、誰もがせいいっぱいに頑張っている姿が感じられて嬉しくなる。ちょっと行き過ぎもあるけれど、それも周囲の無理解があってのもの。そうした抑圧への憤りが明らかにされて、次の展開へと結びつく可能性を喜びたい。ADの香月都のお菓子好きは進物の勉強になるなあ。そんな彼女が巫女姿で出した杯に汗が垂れても飲み干した漫画家先生、偉い。あるいは羨ましい? 気があるのかなあ、巫女姿に(違います)。


【2月5日】 アリツカゲラの登場でやっぱり前にヒトをお世話したことがあるといった感じに「けものフレンズ」のかばんちゃんの存在がほのめかされたりした「けものフレンズ2」。続編としての正位置をこれで満天下に宣言したのか、それともほのめかしだけで他の設定と接続するのか、そのあたりが今後の展開上での関心事となりそう。オオアルマジロとセンザンコウのペアがいったい誰かの指令を受けてキュルルちゃんを追いかけているのかまだ見えないし。っていうか怒られたら丸まってそのまま一昼夜って役に立たな過ぎらだろう2人。アライさんとフェネックのころはアライさんは猪突猛進でフェネックは冷静沈着とそれぞれ役割を分担しながら追いかけていって追いついたぞ。そうした設定面での差異がやっぱり気になるなあ。

 叡智については今回は雨宿りの時間に何をするかでパズルが登場。バラバラにした絵を合わせてひとつの絵にするって行為はつまり1つの絵の完成形をしっかり認識できるって現れでもあって、文字は読めなくても絵は見られるし判別できる一種の証明ってことになるのかな。面白かったのはラッキービーストの喋りが千差万別だったことで、軌道上の列車から降りて出迎えたラッキービーストはメキシコ風で喋りがなんだかウザかった。そしてその後に現れたあれはガンマン風? いろいろいるんだなあ。もしも続編ってことだとするなら1種類だったラッキービーストがその後にエリアの雰囲気に応じて分化したってことなのか。サバンナのラッキービーストはもしかしてムツゴロウさんみたいなしゃべり方をするのか。そんなあたりも含めて今後の展開に注目。

 ネット上で父親がずっと描いてきたメカニックの絵があるので見てねって声が上がっていて、それがなかなかな腕前だったりして絵描きクラスターとか模型クラスターとかの間で大評判になっていた。名前も判明して杉山新一さんというそうで、調べたら1970年代に学研から出てきたジュニアチャンピオンコースといった書籍をはじめ、さまざまな本にイラストレーションを提供していた方だった。柊冬二さんとか依光隆さんとか小松崎茂さんといったメジャーな方々とはやや一線下がった方みたいで、画集が出るとかいった話はなかったみたいだけれど、それでもメカニック系の雑誌で表紙を担当していたりしたから、プロではあったんだろー。

 残された絵がまずはどうなるかが心配な点で、捨てられたり散逸してしまっては勿体ない。かといって引き取るとなるとどこなのか。ま特撮の箱絵だったら特撮博物館とかに収めたら喜びそうだけれど、そういった絵だけとは限らない感じで、空想とか実在のメカニックが描かれた絵が多く、挿絵的表紙絵的な価値はあってもそれがどういった価値を持つのかがちょっと見えない。雑誌や書籍のイラストレーションもそうしたパッケージの中での有用性はあっても、単体となると個人の名前にくっついての価値がまつは問われるから、杉山新一さんではちょっと及んでないかもしれない。とりあえずはだから、価値を判断してもらうために、テレビとか新聞とかネットメディアが報じて世間に知られることが大事か。我先にと得体の知れない競取りがかっさらっていくのだけは勘弁。

 居酒屋だった池袋駅南口の「映像居酒屋 ロボ基地」がリニューアルによって一種のバーに。その名も「ROBOT KICHI」にはコの字形をしたカウンターがしつらえられて、スツールに座ってメニューとお酒を楽しみながら、カウンターの中にセットsれたプラモデルを見たり、背後のショーケースに入れられたロボットのフィギュアを眺めたりして過ごせる。これは「映像居酒屋」の頃からのサービスで、スマートフォンとかタブレットでアニメの名シーンを見られるようになっていて、あとはプラモデルとかフィギュアに添えられたQRコードを読み込むと、関連するアニメのシーンが登場するようになっている。ジャブローでシャアのズゴックがジムを串刺しにするシーンとか、ランスロットが発進していくシーンとか。

 居酒屋時代はテーブルが並んでいた関係で、やっぱり数人でないと入りづらかったし居づらかったけれど、今回はカウンターにイスが並んでいる感じだから1人で履いて座って食事とお酒とロボットを楽しむことも出来そう。トレンチコートにサングラスで酒を飲みつつ「ぼうやだからさ」とつぶやくとか、そんな人もいたりするのかな。だったらもうその演説を流して座っている人全員がいっせいに「ぼうやだからさ」とつぶやくとか。飲食に関しては以前はコラボメニューが提供されていたけれど、面倒なのかコストもかかるからなのか、今回は普通に養老乃瀧が提供するディッシュになっていた。ソーセージだとかパスタだとかローストビーフだとか。そうすることで値段も下がってより行きやすく、いやすくなったってことかな。バー風ラウンジ風の店では六本木にあるKAIJU MUSUME6が2月いっぱいで閉店なんで、アニメ系の雰囲気を持った店としてこっちに流れる人もいるかも。

 去年の8月くらいにTHORES柴本さんがイラストを描いている「王立探偵シオンの過ち」の第2巻がコバルト文庫ながらも本として出ず電子書籍だけのeコバルト文庫として刊行されると知って、そういう時代なのかなあと思った記憶があったけれど、気がついたら本での出版がさらに減ってもはやコバルト文庫は電子書籍だけになっていく模様。それもひとつの時代だということで、須賀しのぶさんなんかが電子コバルトがどんどん読まれてくれれば良いなと書いていて、それはそれでひとつの真理だと思いつつも「電子コバルト」という表記がちょっと面白くて、いろいろと考えてしまった。たとえばそこに光線銃が付けば「電子コバルト光線銃」でめちゃ強そう。爆弾だと「電子コバルト爆弾」で続・猿の惑星のクライマックスが想起される。温泉だったら「電子コバルト温泉」で体の隅々まで効きそう。ことほど作用に強いイメージを持つ「コバルト」が少女小説のレーベル名だったことの方が実は驚きなのかもしれない。かといってアトム文庫でもないものなあ。どうしてコバルトだったんだろう。そこが今はちょっと知りたい。

 「今昔饗宴千本桜(はなくらべせんぼんざくら)」だろうなあ、とは思ったものの未だ未公表ならそう思うに現時点では止めておきたいニコニコ超会議2019の「超歌舞伎」。だって過去の2年間、千秋楽のクライマックスで中村獅童さんは必ずやっぱりこれが効きたかったんだろうといった具合に「千本桜」を鳴らしながら場内を練り歩く。その光景を味わいたくて2年続けて千秋楽のアリーナ席を購入したくらいで、そんな人の多さを考えるならここは今一度「今昔饗宴千本桜」を公演しては、最初の年で油断していて見られなかった人にもあの感動を味わってもらおうと思って当然か。ストーリー的にもまとまっていて感動があったし。

 問題は「超歌舞伎」に必ず使われるNTTのイマーシブテレプレゼンス技術kirari!が、「今昔千本桜」の時は初期のバージョンで、役者は後ろに暗幕が下げられたケージに入ったところを撮影されて切り取られ、3体ほどの分身となって登場するだけだったのが今はケージに入らずとも切り取られ、それも複数人が同時に切り取られて別の場所に時間的なディレイもかけながら出現させられる。さらに技術も進んだならどういった演出が可能かを、考え取り入れた新しい「今昔饗宴千本桜」になるんだろう。それはどういうものか。見に行くしかないかなあ。もはや多分フリーターの毎日が日曜日人間になっているだろうから、チケットだけじゃなく入場券も買っておかないと。今回から別々になったのだ。


【2月4日】 映画プロデューサーの荒戸源次郎さんが、その映画の上映のためだけに、東京国立博物館の片隅に作った専用劇場の「一角座」で見た大森立嗣監督による「ゲルマニウムの夜」に、若くて美しくてそして空虚で残酷な青年の朧(ロウ)を演じた姿を見たのが、たぶん最初の出会いだっただろうか。後で行定勲監督の「GO」にも出ていたと知ったけれど、「GO」はどちらかといえば窪塚洋介さんの映画としての印象が強く、出演していたことには気づかなかった。そして「ゲルマニウムの夜」以後、数々の作品に顔を出すようになって、岡崎京子さんの漫画を蜷川実花さんが監督した「ヘルタースケルター」の、ちょっとハイなヘアメイクの役でまた違った顔も見せてくれていたけれど、それだけの活躍をしていて交流にも不自由なさそうに見えてもなお、気持に何か抱えていてるものがあったのか、それとも元々の性格だったのか。

 派遣マッサージの女性に対する強制性交の容疑で逮捕された俳優の新井浩文容疑者。「ゲルマニウムの夜」では暴力すら厭わず欲望も隠さない性格で、同じ教会にいて自分にちょっかいをかけてきた男を叩きのめし、広田レオナさんが演じるシスターにまさしく強制性交を行った。それはもちろん原作の花村萬月さんが書いた小説そのままで、むしろ原作よりもおとなしめであったし、俳優だから演技でもあった訳で、決して当人の本質ではないと思っている。他にも多く出演して見せた役は実に様々で、自分の出自がそのまま描かれたような深田晃司監督の「さようなら」では重要で且つ重たい役割をしっかり演じきっていた。許容されているようでこの国では異邦人が実はやっぱり阻害されている感じを、自身のルーツを滲ませるようにして役に乗せて見せてくれた。

 そんな役者がどうしてまた、といった思いはやっぱりあって、疑問でならないけれど、一方では過去に数多ある作品のすべてがこれで否定され、早速始まったNHKによる出演番組の配信停止などが広がって関わったすべての作品が“封印”されてしまいかねない懸念が浮かんで迷っている。そこは過去、犯罪を起こしながらも復帰した俳優たちが出演している作品が、しっかり放送もされ上映もされていることからいつか回復はあるとしても、今まさに作られている作品なんかに及ぶ影響は小さくない。それは当然の話であって、事の解明が終わって容疑が起訴となるか違う方向へ行くか、基礎あれ裁判となって有罪となるか否かといった方向を見極める必要はありそう。その上でまだ役者を続けられるのか、復帰して欲しいという声があるのか、といった壁に向かってアクションを取っていくことになるんだろう。とりあえず11日に川崎で上映される予定の「さようなら」のプログラムが、実行されるかどうかだな。

 海の向こうから第46回アニー賞の結果が伝わってきて、長編インディペンデント作品賞を細田守監督の「未来のミライ」が受賞してこれはめでたい。日本では毀誉褒貶、というかどちらかといえば否定の声が先走って広まったこともあって興行的には苦戦を強いられ、「時をかける少女」や「サマーウォーズ」は超えたけれども「バケモノの子」や「おおかみこどもの雨と雪」にはちょっと及ばなかった。だからもう日本で次を作るのは大変かもと思わせていたところに海外での高評価が届いて、こうして結果までついてきて決して路線は間違っていなかったことが判明した。あとはだからインディペンデントという枠組みから飛び出て、それこそ「スパイダーマン:スパイダーバース」と競り合って勝利できるところまで行ければ、アカデミー賞での受賞もあり得るんだけれどそれは果たしてどうだろう。ノミネートはされているだけにちょっとは期待してしまうなあ。

 「スパイダーマン:スパイダーバース」は7部門の受賞だそうでディズニーだとかピクサーだとかがずっと取り続けている中に「カンフー・パンダ」や「ヒックとドラゴン」のドリームワークス・アニメーションが入り、あとは「ランゴ」でニコロオデオン・ムービーズが入った程度といった流れの中に、ソニー・ピクチャーズアニメーションからよくもまあ入ったものだといった印象。っていうか他に何を作っていたっけ。「モンスター・ホテル」とか「くもりときどきミートボール」とか、観てない作品がいっぱいあってどれも印象に残らなかった中にいきなりどーんでアニー賞を取りアカデミー賞だって夢ではない。それがマーベル&スパイダーマンの力なのか、生み出したスタン・リーの力なのかは分からないけれど、作ったクリエイターと作り上げたスタジオの力が上手く結実した証とも言えるかも。元がカートゥーンな作品だけにカートゥーン的なビジュアルがマッチした作品だたっというか。そういった分析がこれから出てくるんだろうけれど、まずは映画を観なくっちゃ。公開が待ち遠しいなあ。

 エリート工業だっけ、雷電を持ち逃げした空賊にちょと毛が生えた組織へと乗り込んでいこうとした我らがコトブキ飛行隊だったけれど、途中の道の駅ならぬサービスエリアでもない空の駅だっけ、そこに寄ったら違う空賊の襲撃を受けておいてあった自販機がまるごと破壊されていた。サービスエリアとかドライブインとかに昔あった、自販機でソバとかカップラーメンとかハンバーガーとかが出てくる奴かなあ、そういったものが遺産めいて営々と残っている世界観と、そしてエリート工業が姐さんと呼んでいた割にはもっと高校生とかそれっぽかった少女が描く北斎歌麿インスパイアな絵の源流から、そこは地球で日本っぽいんだけれどどういう経緯でああいった世界になったかがまだ見えないところに興味を誘われる「荒野のコトブキ飛行隊」。出てくる戦闘機もやっぱり旧日本軍の物ばかりだし。

 そんなコトブキ飛行隊にあって色っぽさ担当のザラさんが、昔色々とやり過ぎていたことが判明。お酒は強いし躍れば麗しくそして空の駅でも働いていたことがあるみたい。どれが本当でどれが嘘かは分からないけど、謎多き美女ってのはやっぱりいろいろとそそられる。踊りも臨時なのにセンターを務めていたからやっぱり上手かったんだろうなあ。でもその踊りがどこかあんこう踊りめいて見えたのは監督が水島努さんだからか。もちろんあんこう踊りよりは上手くて西洋っぽかったけど、その場で上下してくるりと回ってってあたりにあんこう踊りの残滓が見えた。振付が同じ人とか? 監督自身とか? ちょっと知りたい。雷電は取り返してエリート工業とも和解したというか役員くらすが裏切って逃げ出して頼った先が、きっと空の駅を襲った奴らだろう。そことの決戦が次かなあ。空戦のシーンだけ見ていても楽しくて為になるアニメ。学んでアプリに役立てよう。アプリの戦闘機もああいった動きをするんだろうか。ひらりひらりと舞うような。

 「劇場版 ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか −オリオンの矢−」の試写を観た。ベル・クラネルを自分の手元に起きたいという欲望のために悪巧みを巡らしたアポロンと違って、アルテミスは真面目で高潔な女神だった。真面目すぎていろいろ大変そうだった。そんなアルテミスとベル・クラネルとの出会いから始まる物語。その帰結は…といったおおまかな内容を持った物語は、小説に書かれてない映画オリジナルのストーリーだから小説読みもコミカライズ読みも新鮮な気持ちで楽しめる。まだボロい教会にベルとヘスティアが2人だけのファミリアとして暮らしリリとヴェルフが手伝いに来る時点の話。見どころはヘスティアのおっぱい……だけじゃない。

 もちろんそれもあるけどそれだけじゃない。なぜなら美人が揃ったヘルメスファミリアのご一行と、そしてゲストヒロインのアルテミスの沐浴に、我らがヘルメスさまが性根を入れ替えることなく過去に捕まり晒されても怯まず挑むのだ。その動きから目が離せない。まあ失敗するけど。そんな楽しさもあるし、外伝の「ソード・オラトリア」じゃないからアイズ・ヴァレンシュタインは脇におかれて活躍も限られるけど、ロキ・ファミリアともどもちゃんと出ているので、アイズやアマゾネス姉妹をはじめフィン・ディナム率いるロキ・ファミリアのご一行が好きな人たちはご安心を。

でも活躍のメインはヘスティアファミリアとヘルメスファミリア。貴重な眼鏡っ娘のアスフィさんもちゃんと出ては、いつもながらの苦労人ぶりを見せてくれる。ヘルメスさまっていつも何をしでかすか分からないから大変そう。アポロンの悪巧みとは違うんだけれど、でもやっぱりベルくんが大変な目に遭うのだった。そういった展開も含めて、原作をずっと読み込んでいる人はあれやこれや出てきて嬉しい映画。そしてやっぱりベルくんのモテ属性が遺憾なく発揮される展開を観て、こいつまたかと歯がみするのだった。アクション最高で物語もファンなら納得。さあ劇場へ。


【2月3日】 新木場STUDIO COASTでORESAMAを入場待ちしている時に読んでいた梅野歩さんの「南条翔は其のキツネの如く1」(ヒーロー文庫)。幼なじみながらも以前のように誘っても3回に1回くらいの割合で、急用が入ったといってキャンセルするようになった少年と少女が本当はいったい何をしているのか、気になってこっそり後を付けた南条翔は2人が隠れて妖祓(あやはしはらい)という任務を果たしていたことを知り、自分だけがのけ者にされたような気分になってショックを受ける。別に言う必要なんてない筈だけれど、そこはやっぱり寂しくなるのが人情というもの。悔しさも感じつていた翔だったけれど、そこでひとりに成った時、何人もの人が殺害されているという化物が現れ襲われる。

 訪問場所で見つけ、罠にかかった跡があったのをはずしてあげた銀狐を抱えて逃げ出したものの、迫られて翔は瀕死の状態に。ところがしっかりと目が覚めて、自分の暮らしている部屋にいてそこに銀狐もいて、なおかつ自身が人間ではなくある種の妖怪に近い存在になってしまっていた。近隣に古くから伝わって神社を守っていた狐が、神主の死後に浮いていたところに現れた翔を依り代にしたとでも言うのだろうか。結果として強い狐の力を受け継いだ翔は、現れた妖怪たちに誘われその世界へと行き、銀狐の正体を始めいろいろなことを知る。ギンコと名付けた狐は実は雌で年齢は160。人間なら相当だけれど狐の世界ではまだまだ若い娘らしい。

 そして許嫁もいたらしいけれどもそれが浮気者でデートの約束をすっぽかしたのを憤って出奔したところで罠にかかったり襲われたりしたギンコを救ったのが翔。結果として翔はギンコに激しく懐かれ好かれてしまう。そんな狐の恋人を得て、異能の力も身につけた翔が妖怪と人間の間に立ってももめ事を解決していくような展開かと思いきや、翔の両親が死んだ事故の背後に妖の仕業があったことを知っていて、翔を守ろうとしている幼なじみの2人がそこに絡んで来るからややこしい。2人にとっては敵とも言える妖になってしまった翔だけれど、それを明かすわけにはいかにあ。難しい関係がどう進んでいくのか。翔を慕って出てきてしまったギンコは大丈夫なのか。人間に化けられるようになったらどんな美少女になるのか等々、浮かぶ興味が明かされるだろう続きが今は気になる。

 出かける用事がないので録画してあったアニメーションから「からくりサーカス」のからくり編あたりをざっと見る。林原めぐみさんが声を担当しているメインキャラクターのしろがねの活躍はほとんどなくて、死亡していなかった鳴海が「真夜中のサーカス」へと乗り込んでいってはフランシーヌの人形に従う最古の4人を相手に戦う展開をメインに据えつつ「しろがね−O」を率いるフェイスレスとのフェイクな離別があったりそれぞれの「しろがね」たちの思いを込めた戦いがあったりした果て、フランシーヌ人形が実は偽のもで本物はどこかに行ったと聞かされ、いったい何のための戦いだったんだ的絶望の果て、本編とも言える物語が始まることになるみたい。原作は飛ばしつつ眺めてはいたけれど、これほどまでに複雑な話だったとは。美女たちが乱舞してバトルする見た目も悪くないのでこれからの放送はリアルタイムで追っていこう。

 家にいても仕方が無いので幕張新都心にあるイオンモールまで出かけていっていろいろと買い物。黒い服を着る機会に合わせてシャツとかネクタイとかサスペンダーを仕入れる。きっと4月に無職になってからそらなりな場所に出かけていく時、白いシャツとか必要になるかもしれないから今のうちに仕入れておくのも意味があるかも。まったくないかも。でもってアクティブモールにある「レジェンドスポーツヒーローズ」という施設を外から見学。ちょっと前に立川にできた店を取材に行って、コンピューターとセンサーでもって本物のスポーツをリアルに体験できる機器を体験したけれど、それを同じものが並んでいて結構な人が遊んでいた。

 バスケットボールはリングにボールを投げ入れていくゲームセンターにあるものと同じ様な機器だけれど、バッティングはちゃんと投げられるボールをバットで打ち返すと、センサーで角度とか把握されてヒットかどうかが判定される。打席に立ってボールを打てば自然と進む野球のゲーム。バッティングセンターだとただ打つだけだけれどここならゲームに参加している気分を味わえるのが嬉しい。ピッチングの方もあるけれどこれは打者と対戦するものなのかな。ちょっと興味。サッカーとかもあるみたいで映像のゴールキーパーに向けてPKを撃ち込むといったもの。VRでもサッカーはあるけれどやっぱり見ながら蹴るのが分かりやすくて楽しいし、外で見ている人も分かるというのが嬉しい。商業施設とか宇都宮パルコが撤退を決めたとかって話もあるように、ネットで物が変える時代に集客が厳しくなっていて、そうしたところがリアルに体験できる施設を入れていくって流れがあるみたい。イオンモール幕張新都心にはバンダイナムコもトランポリンとかボルダリングとか楽しめる「トンデミ」を出しているし。リアルな体験を手軽に提供できる施設にこれからのビジネスとエンターテインメントの未来があるのかも。

 さて帰ろうとしたらバスがなかなか来ず、どうやら近隣が大渋滞で遅れている上に乗っても駅までたどり着けそうにもないと感じてそこから歩き出して京葉線の新習志野駅へ。逆に向かって海浜幕張駅に行っても良かったけれど、電車に乗っていて何か近そうな距離が歩くとどれくらあるのか確かめてみたかった。だいたい20分くらいは歩いたかな。途中にショッピングの施設とかもあったけど入って寄るような感じじゃなかった。これならイオンモールを抜けて海浜幕張まで行った方が楽しかったかもしれない。早くイオンモール幕張新都心の横に駅が出来れば良いんだけれど。ってか作る予定があったんだっけ? 越谷レイクタウン駅みたいにそっからすぐにイオンモールに入れれば便利なんだけどなあ。まあでも西船橋から南船橋まで行って乗り換えって面倒で、幕張本郷駅からバスで運転免許センターで降りて歩くのが早いんでそっちを使いそうだけれど。

 言いたいことのためには事実なんて関係ないスタンスはやっぱり相変わらずというか、野田市で小学4年生の女子が父親による虐待の果てに亡くなってしまった一件で女子が父親による暴力を学校の教師に訴え出ていたにもかかわらず、そのアンケート用紙をこともあろうに教育委員会が父親に見せていたことが判明。それが憤りなりを生んで女子の更なる虐待に繋がった可能性もあるだけに、教育委員会の失態はそれこそ“万死に値する”酷さだったと言えるだろー。問題は、この一件で過失は学校の教師ではなくその上で管理する教育委員会にあるにも関わらず、言いたいことのために事実には目もくれないところがまたもや出ているからたまらない。

 日教組による教研集会を引き合いに出して、教職員は政治活動に励むよりも、先にやるべきことがあるとか書いて、いかにも教師の過失だったかのように糾弾する。「父親から虐待を受け続けた女児の悲痛な叫びに、どうして真摯に応えられなかったのか」とも書いているけれど、そうした憤りの矛先を向ける相手は先生ではなく教育委員会。そちらは文部科学省を頂点にした教育のシステムの中に組み入れられて活動をしている組織で、つまりは安倍総理を頂点とした行政のピラミッド内において起こった過失を、働く現場の教師に向けてるといった筋違いをやっている。日教組が悪く言えれば実態なんて知ったことかという態度は、過去にもいろいろと見せてきたものだけれど、それと咎めずむしろ持ち上げる組織が向かう先はいったどこか。考えれば分かりそうだし結果も出ているんだけれど、それでも改めないんだろうなあ。やれやれ。


【2月2日】 「スコップ無双 「スコップ波動砲!」( `・ω・´)♂〓〓〓〓★(゜Д ゜ ;;;).:∴ドゴォォ」と正式タイトルは書くらしいけれどもそんなものいちいちキーボードで撃てないので略して「スコップ無双」(MF文庫J)を読む。スコップが無双していた。それともショベルが無双していたとでも言うんだろうか。植木の植え替えに使うような片手で持てるスコップではなく、足で踏んで先端を地面に突き刺し土を掘っていくあのスコップを使って、山でずっと宝石を掘っていた男が1000年を掘り続けてとてつもない技を習得。あっという間にトンネルを掘り狙えばビームも発してなおかつ波動砲まで放てるようになったという。

 ほとんど魔法としか思えないけれども長い宝石掘りが与えた一種の技能。ドワーフの血筋を持ってはいても1000年なんて普通は生きられないという疑問も乗りこえ、そういう存在となった男が掘り出した宝石を持って街に行く途中、襲われていたお姫さまを助けてそれが悪魔に王位を簒奪されそうになっていると聞き、助けようとしていっしょに旅を始める、その途中でスコップから波動法を出したりばったばったと敵をなぎ倒したり。あまりの活躍にお姫さまはスコップに心酔し宗教まで始める始末だけれど、当の鉱夫は気にせずお姫さまの女騎士も引き入れ旅を続ける、という話。

 ものの数時間でエルフの城をつくり近寄れないように取り囲む壁も作ってのける技のどこが魔法じゃないんだと思わないでもないけれど、1000年も修行をすればそうなれるのかもしれない。なれないのかもしれない。そうしたスコップの偉業に染まって裸にスコップを身につけ体を捧げようとする行動すら見せるお姫さまの奇矯さを、奇矯と知っているあたりに鉱夫の真っ当さが見えるけれどもこの先、凄い技で戦っていく中でさらにスコップを信奉するものたちが現れ崇めてきた時、それでもじ実直さを保てるか。大丈夫だろうなあ、スコップ使うことした頭にないみたいだし。「ざるそば(かわいい)」に続くMF文庫Jの波動砲的破壊力を持ったライトノベル。挑む変態的な書き手は出てくるか。

 潜在犯を乗せて公安局へと向かって走る車が、ガードに入ったドローンを蹴散らしドミネーターを構えて立つ刑事課一係監視官の霜月美佳や、執行官の宜野座伸元のところに突っ込んでくる。宜野座は当然のように霜月をかばって地面に押し倒す。そして車はそのまま公安局の入口まで走ってそこで止まる。助かった。呆然としながら安心して立ち上がるかと思った霜月監視官が宜野座を怒鳴りつける。どうして潜在犯の確保をしないのかと。驚いた。誰だこれはと耳を疑った。

 若くして公安局の監視官となり、先輩の常守朱監視官に事ある毎に挑戦的な態度を見せながらも、いざという時になると自分の色相が濁ることを極端に嫌って危ない仕事は避け、リスクを負うような判断は人任せにして、仲間すら危険にさらすことがあった霜月美佳が刑事と書いてデカと読むような正義感を見せた。自分よりも仕事の方を優先した。それだけで「PSYCHO−PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰」はこれまでの2期にわたるテレビシリーズとも、SEAUnが舞台となった劇場版とも違うドラマが描かれていると冒頭から感じさせられた。

 もちろんやっぱり常守朱監視官への対抗意識はしっかりあって、青森から車で逃げ出してきた潜在犯の女性、夜坂泉をどこかからの横やりによって自分たちで確保できず、サンクチュアリと呼ばれている潜在犯の矯正施設へと送り返すことを命じられた時、真っ先に飛んでいきそうな常守朱監視官が居残りを告げた際、これは自分の事件だと主張し、太鼓判を押されてガッツポーズを見せるあたり、いつまでも先輩後輩ではないし、シビュラシステムにだって自分は有用だと思われているといった自負が見え隠れはしている。

 それでも、執行すべき正義のためには何か背後に大きなものを隠していそうな相手、この場合はサンクチュアリと呼ばれる集団で潜在犯を監視しつつ犯罪係数を劇的に下げることが可能な施設が、その背後でいったいどういった企みを巡らせているのかを暴き立て、そうした企みの過程で大勢の命が失われることに憤って見せる。以前の霜月美佳だったら、同じ厚生省も経済省とともに1枚、噛んでいそうな事案を追い詰め、中枢の思惑を破綻させてしまって恨みを買い、いつかの縢秀星執行官のようにひっそりと粛正されてしまう恐怖に動けなかったかもしれない。けれども今回は、何かありそうだという勘からまず動いた。

 とりあえず動いてみて、動いた先で公安局に横やりを入れる組織が、サンクチュアリでの霜月美佳や宜野座伸元、六合塚弥生らの活動を権力で排除しようとはしていないことに気がついて、行動すべきだと確信しただけなのかもしれない。それでも、現場で繰り広げられる非人道的な潜在犯への扱いに憤ってみせたし、最後には本当の黒幕が企んでいたことに批判的な言動も見せた。これも以前の霜月美佳監視官だったら、粛々と従っていただろうか。公安局の禾生壌宗局長に良いように使われ、スパイのようなこともしていた霜月弥生監視官。劇場版では確保したテロリストから無理矢理記憶を引き出し、命を失わせても平気だった。

 もちろんそれは、己が信じる正義のため、今回のエピソードでも依然としてのぞかせていた、潜在犯なら執行されて同然といったスタンスから来るもので、その部分はずっと引きずってはいるけれど、何か事情があるならそれを聞き、潜在犯となってしまっても元に戻ることを望んでみせるようになった。SEAUnへと乗り込んでいって減らず口をたたいてからまだ間もない時間の中に成長があり、そして1時間ほどのエピソードの中にも成長があった。霜月美佳監視官というこれまで決してヒロインとして見られなかった、むしろ常守朱の迷いながらも正しさを選ぼうとする意志に釘を刺す悪役として見られていたキャラクターの成長を描く物語。それが「Case.1 罪と罰」なのかもしれない。

 もちろん、宜野座伸元の成長もしっかりと見られた。最初のテレビシリーズではいつもカリカリとしていた監視官が、父親との和解を経て執行官に落ちながらも自分を保ち正義を貫くために活動をしつつ、先走り行き過ぎる霜月美佳監視官を諫め抑えるようになった。かつての自分を霜月美佳監視官に見ているような雰囲気すら漂う宜野座伸元の、シリーズを通しての成長を確認するエピソードであるとも言えそうだ。謎があるとしたら、サンクチュアリが隠そうとしていたものが暴かれかねない状況を、どうして国のすべてを支配するシステムが見逃したのか、といったところだけれどシビュラシステムにとっては行動の担い手が誰であっても構わないのだろう。

 サンクチュアリを委託された辻飼姜香が果たせればそれで良し。けれどもやり過ぎた結果、ほころびを招いたのならそれに変わる誰かを当てれば良いという。そうした、巨大なシステムの繰り出すどこか非人道的な振る舞いを、直接裁くようなことには関われず、むしろシステム全体を維持するために使われる公安局の面々がそのことに疑問を抱き始めないかがやはり興味の向かうところか。諾々と従っていた霜月美佳監視官が人間としての自負を見せるようになり、常守朱監視官化し始めているけれど、それはどこかで誅されるのか。それとも若くして抜擢された才知を見せて常守朱監視官以上にシステムの成長に貢献する存在となるのか。憎まれ役だった霜月美佳監視官が中心となって世界を動かす物語が、次ぎに来るなら見てみたいなあ。敵はその全能ぶりをシビュラシステムに取り込まれた常守朱。霜月の傍らには宜野座伸元とそして狡噛慎也が。そんな夢を見た。

 犬系ではなく新木場STUDIO COASTでORESAMAのライブを見る。Bの10番台のチケットは全体で600番くらいの入場だったけれど、横幅が広い会場だったこともあってか割とステージに近づけて、ボーカルのPONさんを間近で仰ぎ見れた。前の赤坂ブリッツより近かったかもしれない。「Trip Trip Trip」あたりから始まって、CDだとかネットのMVで見たり聞いたりした曲をいっぱいやってくれて耳に嬉しく心に楽しかった。

 「魔方陣グルグル」の主題歌なんかを手がけたこととか、所属がランティスってことからどこかアニソンとかすっている感じがあるけれど、アニソンライブにいがちな厄介系がおらず奇声も飛ばず、ダンスミュージックのクラブのような雰囲気で過ごせた。これからもこんな雰囲気が続くといいな。PONさんが花道まで出てきて歌った「秘密」というスローな曲が最高だった。配信されているみたいなでダウンロードして聞いてみたい。ステージ上のひときわ高いところでDJのモニ子さんが手を掲げて跳ねていた。こっちも跳ねたかったけど、膝に来そうなのと体力ないのとでラス前の「流星ダンスフロア」まで我慢。そこであのイントロがかかって跳ねたけれどもそこで体力がついえた。仕方ないよ50超えてるんだから。とても楽しいライブだった。今度いつ会えるかな。ランティス祭りかなあ。行けるかな?


【2月1日】 毎日映画コンクールのアニメーション映画賞と大藤信郎賞について毎日新聞に講評が出ていてアニメーション映画賞となった「若おかみは小学生!」について氷川竜介さんが20巻に及ぶ児童文学のシリーズからの映画化ながらも「映画としての完結性」を獲得していて、「両親を亡くした小学6年生が、秘めた悲しみを乗りこえる成長の物語は、少女の限られた期間だけ出会える異界の者たちというアニメーション特有の仕掛けで深い共感を呼ぶ。その公共性を高く評価」したって書いている。原作がある子供向けのアニメーションだとそのファンに寄りがちなところを、一般の人が見て話が分かりそして感銘も受ける1本にしたことが、栄えある映画祭での受賞になったってことだろー。

 もう1本、実験性が評価されることが多い大藤信郎賞を獲得した「リズと青い鳥」についてはインディペンデントアニメーションを研究し配給し製作もしている土居伸彰さんが講評していて「最も親しいはずの人が最もつかみ難い巨大な存在となる」という映画の本質をしっかり把握しつつ「アニメーションの表現自体を変化させる」山田尚子監督の手腕を評価。「現実の縮減された記号ではなく、捉えきれぬものの謎を顕現させる記号となるのだ」って言葉で有り体の記号にまみれたアニメーションではないところをしっかり評価している感じ。可能ならその極めて実験的な音響についても触れて欲しかったけれどそれはまた別の人に期待しよう。「さのならの朝に約束の花を飾ろう」も議論になったそうで「長編アニメに実験性が宿る時代が来ている」と結び。それがなおかつ興行的にもしっかりして来ていることを嬉しく思おう。

 夢を狙う魔王たちを相手に戦う夢装少女(ファンタジスタ)なる存在になれるのは夢見がちな少女たち、って決まりがあった中でひとり、圧倒的な美貌と戦闘力を持って魔王を退け続ける夢装少女がいたんだけれども黄昏騎士と呼ばれるようになったその少女の正体が実は公人という男子だという不思議がひとつあったりする、神秋昌史さんによる「最強夢装少女の俺がヒロインに正体バレした結果」(スニーカー文庫)。どうして男子がといったその不思議については深く問わないとして、守りたいと夢に見ている優羽という少女が実は夢装少女でその子を助けていたものの、ひとりと思って生徒会室で夢装少女を送り出している精霊のメジーナと話しつつ、変身した時の下着がどうなるかについて話していたら、ロッカーの中にその優羽がいたから驚いた。

 コスプレだとごまかし女装なんだなと納得させたつもりが、膝に張ってあった絆創膏から魔王を相手にした現場に現れた黄昏騎士を見てやっぱり公人だと気づかれてしまってこれは困った。でも気味悪がられず言いふらされもしないでどうにか過ごしたその先で、夢装少女に変身する3人の少女たちのケアをするよう元夢装少女の理事から言われていっしょに下校したり上から目線で罵倒したり困っているところを助けられたりといったミッションをこなしていく。優羽以外の2人は公人だとは気づかれていない中でのケアは大変だけれど、それよりも変身した時に下着がどうなるかといったところも喫緊の問題らしい。

 男子のトランクスをはいてズボン姿で変身すればズボンがスカートになりその下のトランクスは残る。かといってトランクスだけ、あるいはズボンだけではスカートの下に何もはいてない状態となってジャンプした時とかいろいろといけないものが見えてしまう。男子にして本物ではないものが見えてしまうのは屈辱なのか。それは不明としてどうするかといったところでトランクスを脱いで変身をしてそして女性のショーツを履くことにしたら、自分で変える白のコットンでは黄昏騎士のコスチュームに合わないと優羽に突っ込まれいっしょいに下着を買いに行く展開に。そうしたコミカルな部分もありつつ、少女たちが抱える悩みにも取り組みつつ魔王との戦いを経ていく展開がなかなか面白い。だからどうして公人だけが男子なのに夢装少女になれるのか、といった謎も含めて続きを読んでいきたい。あんなに可愛くなれるんだから嬉しいよなあ、違うのかなあ。

 東京での公開が日曜日までなので上野の森美術館へと行ってフェルメール展。時間指定のチケットを取って午前9時の会場まで30分くらいで現場についたらまあそこそこの人が待っていた。といっても「蒼樹うめ展」のように数百人が行列ってことはなく、その時間帯に入れる当日券もまだ売られていたんで間際になって大混雑といった感じでもなかったみたい。そして午前9時の会場とともに中に入ってまずは通り抜けてフェルメールの部屋へ。8点くらいあったんだっけ、みんなメイン画像になっている「牛乳を注ぐ女」の前に行って囲んでいて、「真珠の首飾りの女」とかの前にはまだ誰もおらずひとりでじっくり見ることが出来た。これは贋作でメーヘレンの作品だ、なんてことは思いも浮かべず。見たってきっと分からないだろうし。

 「マルタとマリアの家のキリスト」とか「取り持ち女」とか大きいサイズで塗りも荒い感じのものがあって見てすぐフェルメールと分かるかというと難しそう。あの部屋の向かって左側にある窓からの採光によって部屋の中がいろいろと浮かび上がる構図でこそフェルメールってすり込まれているんで、夜のランプの光で動く人とか描かれていたとしても分からないだろうし、そもそもそういう絵を描いたのかも知らない。図録にはいちおうフェルメールの作品とされている35点だかが図版で乗ってたけど、突飛なものはなかったなあ、静物だけとか風景だけとか。そういう意味で融通の利かない画家がどうやって画家を生業に出来ていたのか。そういった部分への興味がちょっと湧いた。肖像画を別に描いていたてことでもないだろいうし。

 公開が始まった「PSYCHO−PASS サイコパス Sinners if the System」の3部作。まずはCase.1として「罪と罰」が公開中で宜野座伸元を演じる野島健児さんが、テレビシリーズ第1期のカリカリとした雰囲気を抑え、第2期のすっかりと落ち着いては突っ走る霜月美佳監視官を支える役割で登場しては、激しいアクションまで演じてくれている。そんな変貌を遂げながらも演じた野島健児さんは無理に役は作らず、物語に合わせて成長していった姿を演じただけってインタビューで話してくれた。そういう風にちゃんとキャラクターの成長が描かれているアニメーション、ってことなんだろう。常守朱を演じる花澤香菜さんに聞いてもきっとそうした答えが返ってくるんじゃないのかな。

 インタビューで興味深かったのは、野島さんがシビュラシステムっていうある種の監視社会で管理社会の権化のようなものによって縛られている状況について、割としっかりとした意見を持って話してくれたこと。「『PSYCHO−PASS サイコパス』の人間って、シビュラシステムという秩序、価値観の中でシビュラシステムが持つ正義という価値観に生かされているじゃないですか。それぞれが絶対に違う価値観をもっているはずなのに、気付かないうちにならされてしまう。そんな怖さがあります」。つまりはシビュラシステム的なものが規定する考えに誰もが引っ張られているってことを指摘している。

 政治なり行政なり権力によって作られた方向性に流され馴らされてしまう状況はアニメに限らず現在にもある。そうした懸念をちゃんと口にしてくれたし、それを掲載もさせてくれた。政治的発言とかアイドルだと嫌がる芸能の世界だけれど、俳優として声優として独立した信念を持っているってことの現れなんだろうなあ。こういう意見が社会に届くと良いんだけれど。映画とともに。本当に裏の裏の裏まで突っ込んでくるからなあ、シビュラシステムの企みって。それを喝破しないとこの現実の世界で僕たちもどこに連れて行かれるか分からないぞ。


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