縮刷版2019年12月中旬号


【12月20日】 「すずさんが、もうちょっと自分のことを分かって欲しいという映画」。きょう、公開された長編アニメーション映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」で、テアトル新宿の初回上映後、舞台挨拶に登壇した片渕須直監督は、こんな風に映画のことを説明した。2016年に公開された「この世界の片隅に」に38分もの新作部分を加えた“長尺版”。もっとも、ただ長く伸ばしただけではなく、新たに加えられたシーンによって登場人物たちの心の流れが大きく変わり、受け取る印象も前とはまるで違ったものになる。

 その意味で“長尺版”ではなく、また“完全版”とも違う。完全、というと前のが未完成なものにとられてしまうからだ。2016年版「この世界の片隅に」は、それでしっかりストーリーをもった映画になっていた。昭和とともに誕生したすずという女性が生きた「あの時代はどんな時代で、どんな街で、どんな空気感だったか」を感じてもらおうとした映画。それは大成功して、大勢の人が戦前戦中から戦後すぐの日本、そして広島であり呉といった地域に映画を通して入り込み、登場する人たちと一緒に生きた。

 対して「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は、「そこにいる人たちの声を聞いて回る」ことを目指した映画になった。「水原哲の、円太郎の声。あの時に俺はこうしていた、こんな気持ちだったというのをたくさんたくさん、聞いて回ることだった」と片渕須直監督は舞台挨拶で話してくれた。「前のは時代を描いた映画だった。今度はその中にいた、たくさんの人たちの気持ちを描いた。ひとりひとりがそこにいた。その心の中にあった想いをインタビュー回る映画だ」。

 だから、より強く、そして時に激しくあの時代に生きている人たちが、感じたさまざまな想いを浴びせられる。円太郎で言うなら、二千馬力のエンジンを仕上げて悦にいることなく、上空に迫るB29を想いながら自分たちには恐ろしい飛行機でも、敵方にはその感性を喜んでいる人がいるのだろうと考える。技術者ならではの思考が見える。そしてすずさん。「前よりも喋ってくれた。本当の心の近くに立てるような気がする」と舞台挨拶で片渕監督も話したように、北條の家へと嫁いで周作の妻となって日々、送る中で知っていったかつて周作が想いを寄せた女性に対して、そして周作に対していろいろな想いを抱く姿が描かれる。

 2016年の「この世界の片隅に」では、原作を読んでいた人なら分かっていた白木リンという女郎と周作の関係を会えて明確には描かず、すずさんとはまた違った境遇に生きた女性の存在を、すずさんとの一期一会を通して感じさせた。2019年版「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」ではそんなリンさんと周作との関係がはっきりと描かれ、それに対して最初は事情を知らず、友人となったリンに対して憎んでも憎めず、嫌いにもなれずかといって応援する訳にもいかにあ複雑な心境をそこかしこで見せる。

 周作に対しても別に好いた女性がいたことへの不安や不信を漂わせる。実に人間らしい感情の揺れが、はっきりと描かれぼうっとしているように見えて、実は繊細なすずさんという人間の姿を感じさせてくれる。もちろん「前のもすずさん。今度は別の方向から人生を聞いてみたすずさん。本当のすずさんは別にいる。だから皆さんでこうの史代さんお原作を紐解いて、見つけていってくださると良いんじゃないでしょうかと片渕監督。より深くより強い描写が加わったとしても、ひとりの人間のすべてが描ききれるということはない。自分なりのすずさん像を見つける旅を、3年を経て提示された今回の映画を新たな起点に初めて見るのも良さそうだ。

 深さという意味では、今回の「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」ではすずさん、リンさんにもまして水原哲という人物の想いがくっきりと浮き上がって来た。詳しくは言わないが、海がのぞめる松林ですずと哲はいきなり出会ったのではなく、理由もなくすずがおびえているのでもなく、前段があって松林でのシーンに意味が加わる。水原哲という人物が抱くすずへの想い、そして持っている優しさのようなものが見えてくる。それがあったからこそ入湯上陸で北條家へとやって来た哲とすずとの関係、けれどもすずが哲ではなく周作への想いを吐露した理由が分かる。

 哲については新たに描き足す際に、どうやって描くかを逡巡したらしい。納屋の2階ですずさんを押し倒さなかった哲のことを、どうしてと尋ねた声優の小野大輔さんに対して、片渕監督は「哲は良い奴だからなんだ」と答えたという。「良い奴だったんですね、僕は。理解できました」と答えた小野大輔さんに、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」でまた哲を演じてもらうに当たって、新たなシーンについて「一切すずさんに目を向けない。目をそらしたセリフを言って欲しい」と頼んだという。

 すでにあった原撮は、片渕監督が哲について「良い奴」だと深く理解して描いたものではなかったらしい。ちゃんとした絵がなく、後で変えることを想定して小野さんにそう頼んだら、小野さんはしっかりと受けて「分かりました。目をそらした水原哲をこれから演じます」と答えたという。「そんなことできるのか」。そう片渕監督も思ったそうだけれど、しっかり演じてのけた小野さんの音声を持ち帰り、「目を背けているのはこういうこと」だと聞かせ描き直したシーンが出来上がったのが12月8日か9日。今年の。さらにいくつかのシーンを描き、12月の9日とか10日に出来上がった映画が20日にこうして上映されている。本当にぎりぎりまでかかって作られたそのシーンを、改めて見に劇場へ足を運びたい。

 もちろん、哲とすずとのエピソードという前段がなく、そして周作とリンとの関係が見えなくてもあの場面はしっかりとすずによる周作への強い思いという形を持っている。それはそれで意味があるのだけれど、いくつかのエピソードが加わったことで別の様相が浮かび上がる。すずの周作への想いの強さも見えてくる。落ち葉でつくった代用炭団が煙をあげる場面で一瞬、見えるすずの目からしたたった涙。それが火にかかって煙を呼び、すずの涙を煙に煽られたものと見せた展開から感じられる、すずの悔しさや寂しさも分かる。

 時代から人へ。場所から心へ。深化して強まる映画から放たれるメッセージのようなものを、改めて感じるために映画館へ行こう。1度見たからといって「この世界の片隅に」で満足していてももちろんかまわない。あれはあれで時代の空気をひとつの完成した作品だから。けれども改めて「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を見ることで、生きている人の感じるさまざまな想いのようなものにいくつもいくつも触れられるから。

 そんな「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」もノミネートされた毎日映画コンクールのアニメーション映画賞・大藤信郎賞には、見里朝希さんの「マイリトルゴート」や副島しのぶさん「鬼とやなり」、キヤマミズキさん「くじらの湯」といった東京藝大院アニメーション専攻の人たちによる卒業制作だかが入っていて、相変わらずのクオリティーの高さを見せてくれている。一方で個人が独力で作り上げたコタニジュンヤさん「絶望の怪物」が入り、あのヤマカンこと山本寛さんによる「薄暮」も入ってなかなかの激戦。ここに湯浅政明監督「きみと、波にのれたら」や今石洋之監督「プロメア」、渡辺歩監督「海獣の子供」、伊藤智彦監督「HELLO WORLD」なんかも入ってさらに新海誠監督「天気の子」もといった具合に、競争が激しく何がとっても不思議じゃない。そんな中から「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が前作の大藤信郎賞に続いて前回は「君の名は。」が受賞したアニメーション映画賞を受賞したら面白いんだけれど。発表に注目。


【12月19日】 天皇陛下と愛子内親王がご覧になられるとは事前にニュースで流れていた「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」のチャリティー試写会、残念にも外れてしまって様子をネットで眺めていたら、皇后さまもいっしょにおいでになられてご家族3人でご覧になったようす。いろいろあって人の多い場所にあまりお出ましにならない皇后さまだけに、今回も皇居でお留守番と予想していたからちょっと驚いた。

 もちろんお立場として天皇陛下に愛子さまが行かれるところに1人だけ行かれるのも半ば当然ではあるのだけれど、今までの経緯も踏まえつつ想像するなら、それだけ愛子さまと一緒にいたかったのか、そして「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」をご覧になりたかったのか。お気持ちは分からないけれども3方が並ばれた席で両脇を片渕須直監督とすずさんを演じたのんさんが挟むように座る写真を見るにつけ、映画がとんでもないところまでたどり着いたといった気がしてならない。

 なにしろ発端は作れるかどうか分からなかったという映画。そこをクラウドファンディングという手をつかってパイロットフィルムを作ると喧伝、そこに多くの資金があつまりこれならと本編への出資も集まりどうにかこうにか作られたものの、そこからまた大勢に見てもらうために片渕監督が全国を行脚し舞台挨拶などに登壇し、世界も回って挨拶しまくった結果、ヒットして長尺版とこ「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を作れることになった。

 もっと遡るなら前作「マイマイ新子と千年の魔法」が劇場でどんどんと打ち切りになる中、頑張って上映を実現させた監督と大勢のファンがいたからこそ、次の映画を作れるだけの基礎固めが出来た。そうでなければ片渕監督に映画を作らせようって話にはならなかったかもしれない。そんな過去から見てきた身として、天皇皇后両陛下に愛子内親王までお出ましになって映画をご覧になられ、感想を述べられたということは驚きであり喜びでもある。

 中身も戦争というものに対して決してポジティブではなく、迫る苦境を自然に示して考えさせるといったもの。そうなった責任から決して遠くはない血筋を持たれた方々が、見ようという気になり見せようという周囲の動きもあって実現したこの天覧試写は、そのまま皇室の方々が抱かれる先の戦争でありこれからの戦争に対するお考えの一端を仄めかしたものと言えるんじゃなかろーか。

 そうした振る舞いでありお言葉を感じるならば愛国者を標榜する人がすべきことはただひとつ。戦争なんて起こすなってことなんだけれど、そうじゃない考えを持った為政者を支え応援するのが愛国者であり、反戦はすなわち反日だといった空気が漂っているからなあ、霞が関なり永田町には。そこがちょっと分からない。ネットなライティは真のライティとは違うのか? 違うのかも。そしてきっと「FUKUSHIMA50」か何かを観にいった為政者が念仏のようにとなえる悪夢の政権への批判に賛成して煽るんだ。この分断、どうしたら糺されるんだろう。豊かになること、なんだけれどそうはさせない政権がいたりするから難しい。それとも分断して支配するために豊かにさせないとか? それもまた難儀な話。やれやれ。

 しかしテレビが映らないので朝の民放のワイドショーがこのニュースをどう報じたのが気になるところ。NHKではしっかり伝えていたし民放もニュースではちゃんと報道していたけれど、ワイドショーで主演ののんさんがちゃんと映し出されていたか、名前が紹介されていたか、そこが知りたい。こうしていわゆる天皇御用達となった映画の、主演を務めたのんさんがNHKとか民放でもローカル局には出演できても東京キー局の民放にまるで出演できていないのは知られた話。その理由はつまり……ってことなんだけれど天皇陛下がご覧になられた映画の主演女優を引っ張りだせれば数字だってとれるところを、やらないのはつまり本物の天皇陛下よりも怖い業界の天皇がいるってことなんだろうなあ。潮目は変わるか。変わって欲しいけど。

 いろいろなネット媒体を運営していて、前に「アニメ!アニメ!」も買ったイードがリアル媒体も手にした模様。アニメ誌の「アニメディア」とか関連の「声優アニメディア」、そしてムックなんかを含めた学研プラスのアニメ出版事業を譲り受けるとのことで、ネットでも展開されているアニメディアとアニメ!アニメ!との関係なんかがどうなるか、アニメ誌でもキャラクターを前面に押し出し自由な発想で版権イラストを描いてもらっている「アニメディア」のカラーが、買収によってどうなってしまうか今は気になっている。

 お金だってかかっているそうした特色を、ネットの合理性で排除するのかそれとも付加価値として維持するのか。一方で学研プラスの方は教育事業へと特化していく中で「ムー!」とか「ゲットナビ」とかどうするのか。出版や雑誌が陥っている苦況が呼んだことだけに、他への広がりなんかも想定しておかなくちゃ。とかいってる前に宝島社が洋泉社を吸収して「映画秘宝」を休刊にするって話になってて一騒動。映画誌にあって独特な編集スタンスから根強い支持を受けてる雑誌なだけに、休刊させなきゃいけないのかってところがまず不明。「この世界の片隅に」も特集してのんさんもフィーチャーしてただけに、休刊されては困るなあ、片渕須直監督の次回作をどこが大特集するんだって、それとも「映画宝島」をまた作る? 動きから目が離せません。


【12月18日】 最高に面白いアニメーション映画がいっぱい公開された年だったけれども成績的にはダントツな「天気の子」はさておいて、「名探偵コナン」とか「クレヨンしんちゃん」といったプログラムピクチャー系も脇において単独の作品としてスタートしたアニメーション映画でヒットしたって言えそうな興行収入10億円を突破したのが「プロメア」ぐらいだった状況に、どこがアニメブームなんだろうと感じていた。「君の名は。」があれだけ面白いアニメーション映画だったんだから、ほかのアニメーション映画も見て見よう、って思って1割がいっても20億円は超えるのに、そうはならないのが日本のアニメ状況って奴なんだろう。

 つまりは入るものにはより入る、という状況。口コミドライブが効いているといえば聞こえもいいけれど、それだったらと横展開して他のを自分の目で確かめにいくことはしない。ただ人気だから、話題になっているからそれに乗っかるという思考はネットのグルメサイトの星がいくつついているかで行く場所を決めたがる性向と重なる。どうしてそこまで評判に乗っかりたいんだろう。安心できるからか。損をしたくないからか。儲かっていたり繁盛していたりすればそういう気持ちもなくなるんだろうなあ。つまりは貧困が文化の多様性を削いでいる、と。実際に無職化して行く場所減ったし機会も少なくなったし。

 そんな中で「映画 すみっコぐらし とびだす絵本とふしぎなコ」が興行収入で10億円を突破したのはある意味で朗報であり、これもまた口コミドライブがかかった結果だという意味では不安要素でもあるかも。元より小学生中学年の女子にはとても人気のあるキャラクターだったらしいから、そうした層と親がいっても結構な人気にはなっていたものが、見た目以上にハードでシリアスで心に刺さって泣ける内容だという評判が広がって、大人の男性あたりも結構な数見に行った。そうした層の口コミがのっかり達成した10億円は、けれどもアニメーション映画全体の人気とは重ならない。

 湯浅政明監督作品では圧倒的に面白かった「きみと、波にのれたら」はやっぱり行かず「怪獣の子供」の凄まじいばかりの作画力(さくが・ちから)も映画館に人の足を運ばせるまでには至らなかった。「空の青さを知る人よ」も面白かったのに「心が叫びたがってるんだ」ほど言ったのかどうか。「HELLO WORLD」も結果は伴ってないだろう。これだけのアニメーション映画が公開されてどれも面白かったにも関わらず、「天気の子」の半分もヒットする作品がない状況を見る限り、日本がアニメ天国でアニメ大国だとは言えそうもないよなあ。

 だから「すみっコぐらし」で口コミが効いたなら、同様の口コミを湯浅監督原恵一監督長井龍雪監督伊藤智彦監督等々で働かせるだけの状況にどうしたらできるのか、ってあたりを製作の側も宣伝の人も、そして観客も考えないとアニメ映画の傑作なのに興行的には死屍累々って状況が今後も続くだろう。さて年末に来る超大作にして超話題作「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」はどれだけの興行収入をあげるだろう。前に公開されたものの“長尺版”という印象、そして2時間半近い長さを乗りこえ観客を映画館に向かわせるか。口コミドライブに期待。

 「すみっコぐらし」のあの平面なキャラクターなのに3Dにされても違和感のないルックを送り出した立役者を千駄ヶ谷に訪ねてお話ししたあと、新宿御苑で「言の葉の庭」の四阿でも見てから新宿三丁目に出るかとも思ったものの、入場料が500円もするので「桜を見る会」に招かれた時に先送りして新宿御苑の外周を代々木に向かって歩きそして新宿高校の脇に出てから真珠三丁目へと向かい、テアトル新宿で「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の初日初回舞台挨拶のチケットを発券する。朝早いので発券に手間取り見られないなんてことも心配だったってのが理由。その翌日の21日も舞台挨拶があって豪華声優陣がそろい踏みする予定で、これも見たいけれど抽選制なので当たるかは不明。当たったら来年の運まで使い果たして没落しそうだけれど、それでも見たいよなあ、超豪華声優陣。ワクワクして結果を待とう。

 アーノルド・シュワルツェネッガーが刑事の身分を隠して保父さんになった「キンダガートン・コップ」がまずは浮かんだ蘇之一行さん「キンダーガーデン・アーミー」(電撃文庫)だけれど、同時にやっぱり「フルメタル・パニック」の雰囲気も漂う作品。かつて特殊部隊で伝説の英雄と呼ばれた黒柳力也だったけれど、とある理由から部隊を去ることになり、女上司から紹介されたのが日本にある幼稚園の先生という仕事。常に緊張感のまっただ中にあって危険を察知し退けることばかりやって来たため、幼稚園でも警戒を絶やさず落とし穴を掘ったりしては同僚から訝られ、その同様の友人という女性警察官から疑われる。軍隊ならではの言動を民間で見せるギャップは「フルメタル・パニック」譲りとも言えそう。

 そんな黒柳力也がどうして特殊部隊を去らざるを得なくなったかがなかなかに厳しい話。ヒーローなったことで邪魔者扱いされたという、それが無名性と組織の成果を重んじられる特殊部隊の性質というなら納得もできるけど、単に上役の嫉妬めいたものがあった気もしないでもない。それでも除隊した先で狙われた少女の出自を感じ取り、守ったその命が今後もずっと守られ続ける保障はあるのか。そこは力也が守り続けるんだろう。そしていつか少女からパパ呼ばわりされて、ずっと身を隠していたその母親と結ばれる、とか? ライトノベルも年上ばやりだしそれもあるかもしれないなあ。問題は世界を相手に戦う特殊部隊を相手にして生き延びられるか、ってところか。その整合性をどうとるか。続き位注目。


【12月17日】 願望を言うなら「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は上皇上皇后両陛下に観ていただきたかったけれども、もしかしたら触れてないだけで「この世界の片隅に」に方はご覧になっておられるかもしれず、そこに描かれた戦前戦中の日々、一般の人たちが窮乏によってどんどんと狭まっていく暮らし、そして空襲によってどんどんと追い詰められていく居場所に迷い惑っている姿を、目の当たりにして2度とそんな日々にはすまいと思われたかもしれない。そうした意識がこの数年のお言葉の中に染みておられたのなら嬉しいんだけれど、はっきしりたことは分からない。

 今回、こうして天皇陛下と愛子内親王が「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」をご鑑賞されることが明らかになって、そこで語られる戦争というものへの視線を今後のお言葉の中へとどう取り入れられていくかが、ひとつの注目点になるかもしれない。というか、すでに決してポジティブではない戦争への見方がなされている映画を、選んでご覧になられるということ自体がひとつの態度だといったことも考えられそう。

 朝日新聞が出資もしている映画で、朝日新聞が主催するチャリティー試写会に出られるということも含め、そうしたスタンスを汲んで政治も意を改めれば良いのだけれど、知ってか知らずか無視して突っ走るのが今の政権だからなあ。これで対抗姿勢を見せようと別の映画なんか観にいったりするのがあの人だから。でも何があったっけ、「空母いぶき」とかそうした系の映画はしばらくなさそうだし。あるとしたら「FUKUSHIMA50」かなあ、そして時の政権を「悪夢」とこき下ろすんだいつもみたいに。自分は何をしたかも忘れて。やれやれだ。

 映画といえば興行通信社のランキングが発表になっていて、「映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」は7位と今なお10以内に入って好調な様子。周防正行監督の「カツベン!」の初週が8位に止まっているからその上を言ってしまった。あと9位の「決算!忠臣蔵」も。「ルパン三世 THE FIRST」は2位から5位へと下がってしまったもののまだまだ堅調。1位は「アナと雪の女王」でこれはやっぱり相当強い。ステマだ何だと言われているけれど、そんなことしなくたって誰もが見に行く映画なんだから仕掛けなんかしなければ良かったのに。

 それともディズニーだと著作権がどうとか言われそうだから仕込みでもしないと誰も描いてくれないかもしれない。そいういう意味でいろいろとレッテルが貼られている不便さはあるかもしれにあ。まあそれも半ば自業自得的なところもあるから仕方が無い。普段からもうちょっと一般の商売抜きでの利用には寛容な態度を見せていれば、ディズニーの映画だからといって遠慮することなくいろいろなインプレッションが溢れてより盛り上がったかもしれないのに。そうした中に混じるかもしれない批判を嫌がったというのもあるのかも。だから仕込んでもバレてさらに評判を落としては意味ないけど。

 「EAFE E−1サッカー」なんてものが開かれていてサッカー女子に本代表ことあんでしこジャパンが出場していてどうやら優勝したらしい。東アジア大会って言われていたやつのことなのか。よく分からないけれども最近は中国の台頭とかあったりしてなでしこジャパンもアジアでトップを維持できず、先のリオデジャネイロ五輪には出られなかったりしたから、ここで勝っておくのも悪い話じゃない。東京五輪は開催国だから出られるけれど、そこで惨敗しても次ぎに響くんで、アジアでの強さを世界相手にも発揮できるよう、これからの半年を鍛え上げていって欲しいもの。岩渕真奈選手にはだから怪我などないように祈ろう。

 グルジア変じてジョージアが名産らしい「シュクメルリ」って料理がちょっと前まで松屋で食べられたらしいけれど、15日で終わってしまって食べ損なって残念かというと、ニンニクが結構利いているらしい料理を鍋で煮るから香りが広がって大変だという話もあり、また食べて仕事にはちょっと行けないってこともあってあまり残念という気は起こらなかった。ところがどうやらこの「シュクメルリ鍋定食」が普通の献立に加わったとかで、松屋フーズのお膝元ともいえる三鷹駅前にある松屋に張り紙が出ていた。そこで食べるかというと仕事に行く途中でも、買える途中でもやはり無理。だったら家の近所でってことになるけど、最近セルフに変わった店で出るのかなあ。寄って見よう。ビーフシチューも美味しそうだけれど、高いんだよなあ、今の僕の身分では。頭大盛り牛飯にしておくか。


【12月16日】 成田亨さんの遺族と円谷プロダクションとが庵野秀明さんの仲介によって仲直りしたことで、成田さんの原案に近いウルトラマンの造形が可能になった「シン・ウルトラマン」だけれど、そんなウルトラマンのデザインを初代「ウルトラマン」と同じライン上にあるものと見た場合、果たして中国での展開が可能になるのかがちょっと気になった。タイのチャイヨーとかいう会社を経て「ウルトラQ」から「ウルトラマンタロウ」までの初期のシリーズの海外展開に関する権利が持って行かれてしまっていたことで、円谷プロの海外戦略に支障が出ていたけれどもアメリカに関しては裁判で判決が出て、契約書はニセモノだっていった判断が出て展開が可能になった。

 けれども中国に関しては、過去に裁判で争われて確か円谷プロが負けていたはず。だからウルトラマンの新作に関連した展開が行われようとした時、過去の作品に絡んだ部分で海外での権利を主張する会社が訴えた。それは判決が出るまえに提訴が取り下げられてしまったけれど、仮に敗訴を予感して引っ込めたのだとしても、裁判で白黒付かなかったことには変わりが無く目下のところそのあたりはグレーの状況となっている。負けると確信しているならたとえ「シン・ウルトラマン」が中国で展開されても、それを「ウルトラマン」の延長だと言って展開を阻止するような真似はできないと思われるけれど、ちょっとしたリスクであることには変わりが無い。

 そうした部分を仄めかされて、「シン・ウルトラマン」に関連した展開を中国で行えるか分からないからと二の足を踏むところとか、出たりするのかしないのか。安心してと円谷プロは満天下に言えるのか言えないのか。そこはやっぱりちょっと確かめてみたいところ。「カラータイマーがないのにウルトラマンと同じなんて言えますか?」って理屈が裁判所相手に通用するならそれはそれで結構な話だけれど。ともあれ2021年の公開に向けて動き始めた「シン・ウルトラマン」。どんな話になるのかなあ。ずっと募集されていたエキストラに応募したらちょっとは分かったかなあ。分かったら分かったで何も言えなくなるから参加しなくて正解だったかなあ。次の機会があったら考えよう。

 18日に開かれる予定の「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」のチャリティー試写会は、先着ということでさっさと申し込んだものの抽選に変わってあえなく落選。そこはまあどうせ初日に見に行くから良かったんだけれど、何と天皇陛下と愛子内親王が鑑賞に行かれるみたいで、いっしょに見たかったなあとう気もあって少し残念な気になっている。愛子内親王に一目惚れされるとか期待したけれど、それは無理だから良いとしてやっぱりあの玉音放送の場面、天皇陛下にとってはおじいさまで愛子内親王にとってはひいおじいさまの声が流れてくるところを、どういった気持ちで見ているかを気にしたかった。すずさんのリアクションをどう受け止めるかも。

 それはある意味で国体を信じていたってことで、ひいおじいさまが担った国体への信頼が裏切られたという場面、はたしてひいおじいさまの判断を是としてすずさんのリアクションに誤りつつも間違っていないと思ってくれれば愛子内親王もきっと優しい方になっていかれることだろー。そんな昭和天皇の声を演じているのは栩野幸知さん。自分の声を天皇陛下と愛子内親王がおそらくは気にされるという状況にどんな心境を抱いているかがちょっと気になる。当日行かれて目の前で「耐え難きを…耐え忍び難きを忍び」と唱えてくれたら楽しいんだけれど。

 そんな「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の初日初回に片渕須直監督が挨拶に来られるというので、テアトル新宿のその回のチケットを購入する。金曜日の朝1番とか普通の勤めにんいはとても行けない時間だけれど、普通の勤め人でいられなくされた身だにそういう時には自由を謳歌できる。いや金銭的心理的な不自由は被っているけれど、行動の自由はあるのでそこはしっかりと堪能したい。すでに映画祭で見てはいてもそれでお欠けていた一部がどう加わるか。今から楽しみ。

 住民投票潰しかどうか、経緯をよく知らないからあまりはっきりしたことは言えないけれども石垣市自治基本条例には住民投票の規定があって市長の発議とか市民の4分の1の署名とか議会での決定とかでもって住民投票が行えるようにはなっていて、その結果を市民も市長も尊重しなくてはいけないことになっている。そうした住民投票でもって石垣市を目下支配している与党と言われる人たちが、決定したトンデモな施策をひっくり返されたら堪らないということで条例を廃止しようとする動きに至ったと言われている。

 とはいえそこは市民の権利を大きく損ない、自治の理念を阻害しかねない動きだったらしく反対の声が挙がっていたもよう。とはいえそうした廃止を訴える勢力を議会に送り込んだのも市民であって、そうした声を付託されている議会の決定ならば廃止もやむなしといったロジックで押し切るかとみていたら、与党の中にもこりゃ拙いんじゃないかといった声があったみたいで多数をにぎっていたはずの与党側が無所属も含めて廃止に賛成が10に留まり、与党から2人が反対にまわって廃止に反対が11となって退けられた。

 沖縄本島への反意から、そっちが左がかった風潮になるなら右がかっていく動きも出る中で、ちょいライティな空気が漂いそこに乗っかって勢力を伸ばした一派がいたとも言われているけれど、そうした一派への一定の支持はあっても基本的なところで自治やら権利やらを狭めてしまうような動きには、やっぱり拙いといった判断が今は働いているって言えるのかも。とはいえギリギリでの否決だった訳で、今後の説得なり切り崩しなりの動きからまたぞろ廃止へと向かうような展開も出て来そう。そこにどういったロジックが乗るかは、市民の声を蔑ろにして政権の意思だけが尊ばれる国の未来とも関わる。憲法改正の論議とかにも繋がる。それだけに石垣市の動きは注視しておかなくっちゃ。


【12月15日】 「空想東京百景」を昔のと新しいのをぼつぼつと読んでいるんだけれど、患っている気持ちの損なわれのせいかなかなか頭に入ってこず整理が進まない。それでも思ったのは昭和39年の東京オリンピックが終わったあと、日本は50年を飛び越えて一気に令和なんて時代になってしまったんじゃないかといった感覚。あれだけの発展からの世界への雄飛も、文化的な成熟もすべてが雲散霧消して昭和のそれも30年代に生活とかが戻ってしまったとうか、そこから何も変わらなかったような気がしてならない。

 誰のせい、ってそれは言うまでも無い偉い人のせいなんだけれど、消費税をあげておいてすべての消費が落ち込んでいるこの時期に、財布の紐を緩めてじゃなく開いて下さいといった頓珍漢な言葉を吐いては失笑を買いつつ、それでも支持率は下がらないしつこさで居残りさらに日本を滅ぼそうそている人が日本を戦後の水準まで追い落としてしまった。そんな気がしてならない。

 昭和の懐かしさを味わえる物語だけれど、そんな昭和が令和と一文字、すり替わって今も続いていると思うとさすがに胸が痛くなる。なおかつ昭和は先への希望があったし実現もしたけれど、令和の未来に高度成長もバブルも平成のIT革命もきっと来ない。そう思うとやっぱり財布の紐は緩められない。かくして消費は停滞し企業は衰退し給料も上がらず財布の紐はの悪循環。どうすりゃ良い? 変わるしかないか。もう遅いか。やれやれだ。

 萌黄えもがいなくても、赤城あんなとメルティックスターがいれば大丈夫。大丈夫だっ! というのは言い過ぎかもしれないけれど、どこかのスクールアイドルが西の果てで立ち上がったことで、東の果てに萌黄えもであり、あるいは北条そふぃの参加がなくなり、「プリパラ」におけるソラミスマイルであり、「キラッとプリ☆チャン」におけるミラクルキラッツといった主役チームからそれぞれにメンバーが、毎年恒例のウインターライブに登場できなくなってしまうとい椿事にちょっと驚いた。

 テレビの中とかだったら中の人が重なろうとも関係ないんだけれど、リアルなライブエンターテインメントへと発展していった時に身はひとつしかなく、どちらかを選ばざるを得なくなった時に今、まさに立ち上がったばかりのチームを優先せざるを得ないという状況は理解したい。納得はしないけれどもそうせざるを得ない。そこは10年というシリーズの期間、そして「プリパラ」「アイドルタイムプリパラ」「キラッとプリ☆チャン」で6年があるならそこで生まれたさまざまな音楽ユニットがリアルなライブエンターテインメントを支え盛り上げ持ち上げてくれるという安心感もある。

 それが今回の場合は赤城あんなでありメルティックスターだったという感じ。センターに君臨する赤城あんな=芹沢優の安定感と脇に立つ緑川さら=若井友希の歌唱力、そして紫藤める= 森嶋優花の愛らしさでもってすっかりイベントの主役を奪って君臨していたといった感じだった。あとは桃山みらい=林鼓子と青葉りんか=厚木那奈美に森嶋優花を加えたRun Girls, Run!がオープニングアクトを務めそれぞれが存在感を強めていることも、北条そふぃであり萌黄えもの不在をあまり感じさせなかった。

 そりゃあみらいとえもとりんかの3人が並んでこそのミラクルキラッツであり、真中らぁらと北条そふぃと南みれぃが並んでこそのソラミスマイルでありそこにドレッシングパフェの3人が加わってこそのソラミドレッシングではあるんだけれど、よく見てそういえば5人しかいないと冒頭で感じつつ、それでも気にせず全体を通して見られたのなら、それは良いライブだったと言うしかない。いて当然のメンバーがいない状況をカバーするだけのキャラクターが育っていたことに加え、そうした不在を感じさせない構成を考えたスタッフにも喝采。

 あと舞台演出も。A1ブロックという前目ではあってもステージに向かってやや左よりに位置して、ステージで歌うアイドルたちが肉眼でまずまずの大きさに見える場所ではあったけれども、それが時に最前列になったりしたのは両サイドの通路とそれからセンターを横切る通路にトロッコを走らせ、出演者たちがほそこを行ったり来たりしたから。最初の前のステージだったら次は後方でそして両サイドだったり前のステージの両脇だったりと、出演者たちが動き登場位置が変わる演出は、後方ブロックの人たちにもとっても、スタンドの人にとっても数曲ごとに最前列が来る感じでとても嬉しかったんじゃなかろうか。

 アリーナ席だとトロッコの上で行き来する出演者たちを見上げるようになるから、それこそスカートから伸びる脚をじっくりと見ることができる。いやもうじっくりと。そんな喜びを味わえたのも演出のおかげ。すぐ横であれは真中らぁらではない金森まりあの茜屋日海夏がすっくと経ってかわいいかわいいと言われてうれしがる姿を見られて一生分の運を使い尽くしたような気がした。いやまだここで倒れる訳にはいかないのは、来年こそ萌黄えもも参加しての完全版を見たいから。何しろ続くのだ、「キラッとプリ☆チャン」は第3期へと。

 これはなかなか偉大なこと。「プリパラ」が根強いファンを掴んで後番組に響いて最初はあまり浸透していなかった気もしたけれど、2年が経ってメルティックスターと赤城あんなという存在感なら最強のキャラクターも生まれた。さらにRun Girls, Run!が育ち、そこの謎のシルエットだけ示された新しいキャラクターも加わる。誰だ。どうなる。そんな期待も胸に抱いてこれからを見ていくことで沈んでいた気持ちを持ち上げ、生きる気力をかき立てて2020年を生き伸びようと思うのだった。職場が果たして来年もあるかは分からないけど、そこは何とかなるかなあ。何とかするしかないかなあ。

 流れて来たとあるバラエティ番組の動画で橋本環奈さんがフランス人ジャーナリストの日本語吹き替えを演じるシーンがあったんだけれど、その喋りが外国人がたどたどしい日本語で喋るといった状況を再現したもの。それを笑いにするのはつまり拙い日本語での外国人の喋りは笑いの対象だってことで、日本の来てまだ日本語が上手くない外国出身の子弟に対する侮蔑嘲笑を煽っているとみられても仕方が無い。やった橋本環奈さんがいけないのか、やらせたバラエティ番組がいけないのか。シナリオだってあるだろう番組だからやっぱり構成側の問題かなあ。


【12月14日】 そしてAmazonPrimeVideoで見た「PSYCHO−PASS3 サイコパス」の第8話はやっぱり終わっていなかったどころか、まったくの途中でこれでテレビシリーズだなんてよく言えたものだといった感じ。続きはだったらテレビで放送するのが筋って気もするけれど、一方で映画館に大勢の観客を集めてそれで収益を得て欲しいという気もあるだけに判断が難しい。ビフロストなる組織が裏で暗躍する中、そのビフロスト内でも椅子をめぐって争いが。残っている2人が刺し合いをする中に炯・ミハイル・イグナトフが巻き込まれる感じになって、そこで奥さんの舞子の退院をエサにインスペクターに誘われてしまう。

 つまりは過去に公安局刑事課の監視官を狙った勢力に取り込まれてしまったという形。もちろんビフロスト内にも対立があるから敵対勢力にそのまま味方したって訳ではないにしろ、公安局すら手玉にとる相手に味方すること自体がやっぱり重い厳罰物の行為であって、それを聡明な炯がやってしまうところに人間の弱さめいたものが伺える。舞子のため、っていうか。一方では如月真緒が自分は狐に協力していたことを明かしてそれ以降は接触していなかったことも説明し、ギリギリのところで踏みとどまっていたことが明らかに。執行官ですら守れた一線をやすやすと踏み越えていく炯がどうして監視官になれたのか。そこにひとつの穴がありそう。誰が開けた? 何のため? それも映画を待つしかないのか。

 そして悲劇も。「PSYCHO−PASS サイコパス」の頃から執行官として登場していた六合恂生が今は色相が改善して一般社会に戻ってジャーナリストをしていて、そして公安局刑事課の操作を手助けしたりしていたんだけれどもインスペクターの企みによって排除されてしまった模様。おやっさんこと征陸智己は既に亡く、縢秀星はシビュラシステムに消されてしまって当時の執行官で残っているのは外務省行動課に席を移した狡噛慎也くらい。第2期でも東金朔夜は死に須郷徹平は外務省行動課に行き蓮池楓は存在自体がどこかの遠くへ。雛河翔だけが同じ身分で残っている中、貴重過ぎるキャラクターを退場させてしまって良いのか、それで唐之森子恩は大丈夫なのかといった心配も頭をよぎる。いずれにしても何も解決しなかったテレビシリーズの続きは劇場で、って腹も立つけど期待も膨らむ。予定通りに完成して公開されることを願いつつ、期待を上回る出来であることに賭けよう来年の職場の安泰を。

 5日間も三鷹に通い詰めたので寝ていたかったけれども、休んでいる間はお金にならない身なので休日に舞い込んできた仕事を断ることができず、東京ドームシティで開幕したTSUBURAYA CONVENTION 2019ってイベントに取材に行く。何よりあの「シン・ウルトラマン」に関連する発表があるとかで、「シン・ゴジラ」がほとんど情報を出さないまま公開間際まで行っただけに、2021年公開の「シン・ウルトラマン」についてどこまで情報が出されるのか、興味津々だったけれども斉藤工さんと樋口真嗣監督が登壇したステージでは何と「シン・ウルトラマン」に登場するウルトラマンのデザインが発表になったので驚いた。

 いや、それ以上にデザインコンセプトにあの成田亨さんが手がけたデザインで、「真実と正義と美の化身」という絵画に描かれたウルトラマンが採用されているという話に頭がひっくり返ったというか。だって円谷プロダクションと成田亨さんって、デザインをめぐって何十年も争ってきたじゃないか。ウルトラマンとか人気の怪獣をデザインしながらクレジットから名前を消され、存在を否定されるようにして円谷プロを去った成田さんは、その後に権利を巡っていろいろと話をしながら入れられず2002年に他界。そしてタイでの権利とは別に、ウルトラマンやウルトラセブン、そして怪獣達のデザインをめぐる確執が続いていた。

 しばらく前に円谷プロが脚本家の金城哲夫さんの名前を冠した金城哲夫賞を立ち上げた際に、今度は美術として成田亨賞を立ち上げるとぶち上げたものの、当時から確執は知られた話で根回しもないままぶち上げて大丈夫なのかと心配したら、今にいたるまで賞が実施された形跡はない。それくらいもつれていた糸がほどかれたってことで、これは歴史に残る大ニュースのはずなのに、来ていたメディアのライターさんが若かったのかそうした確執を知らず、原点としてある成田亨さんのデザインに回帰したってトーンで記事が書かれていて、そういう世代が最前線に来ているんだなあと思った次第。

 でも、ご遺族で子息の成田浬さんが寄せたコメントを見れば、成田亨さんが亡くなるまでずっと円谷プロに遺恨を抱いていてそして悔しい思いをしていたことが感じられ太。相当に根深いものがあったと分かるのに、まるで触れないのはやっぱり気がつかないか大事と思ってないかどちらかなんだろうなあ。そうした遺恨があるからこそ、庵野秀明さんが「シン・ウルトラマン」で成田亨さんによるカラータイマーがなく、人が入って動かす以上は必要な出入りのためのファスナーを隠す背びれ、そして前を見るために必要な目の下の穴も排除されてつるりとして生物感が漂うデザインを採用したいと訴え、円谷プロと成田家を説得し繋いだ意味の大きさも分かる。生粋のウルトラマンオタクが絶対の企画力を背景に半世紀に及ぶ確執をもねじ伏せた。そんな構図と言えるかも。

 そんなデザインでぬぼーっと立つウルトラマンは、どこかエヴァンゲリオンのような雰囲気もあって単なる巨大ヒーローでは終わらなさそう。ただ強いだけでもないそのキャラクター性をどう活かし、どんな物語を紡ぐのか。絶対のヒーローが出づらい世の中で、小さなモンスターたちがSNSの中とかで暴れている現在、そうした小さな状況に立ち向かう小さなヒーローたちこそ求められているとも言えるけど、ウルトラマンにそんな小さな役は似合わない。かといって圧倒的なヒーローが何かを変えられるほど、今の世界は単純ではない。そんな難しい時代のヒーロー像。それを成田亨さんのデザインを元にしたウルトラマンでどう描く? 今から気になって仕方が無い。それまでは生きないと。


【12月13日】 目覚めたのは午前7時前と早かったけれども、ぼんやりとしていてAmazonPrimeVideoで観るのを忘れてしまった「PSYCHO−PASS3 サイコパス」。ネットに流れていた情報によると“続きは映画で”って感じらしく、1時間とはいえ全8話ではまだまだ語りきれなかったことがあったのかもしれない。45分くらいだったとしても360分だと1クールのテレビシリーズと同じかちょっと長いくらい。それで収められないのを問題とみるかそれだけ壮大なドラマなんだと讃えるか。いずれにしても映画でしっかり稼がないと後がいろいろ大変そう。

 でもテレビシリーズの続きの映画に果たして人が来てくれるのか。それはテレビがどれだけ観られていたか次第か。どうなんだろうなあ。ノイタミナだと過去に「東のエデン」がテレビシリーズであまり解決しなくって、劇場版へとつながって2作が公開されたっけ。1作目ですら話が収まらず2作目に期待したらアクションには向かわず会話劇に終わってしまった記憶。それもスリリングではあったけれど、劇場で観るなら派手なアクションを観たいよなあ。「PSYCHO−PASS」シリーズならそのあたりは安心できそう。問題はやっぱり設定か。シビュラシステムに挑む勢力の正体と行方。そのあたりは第8話で明かされたのかな。いずれにしても観なくっちゃ。

 テレビのお手伝いも終わりライター仕事もなく書評の仕事もきっとまだ間があると思うことにして、今週は月曜から金曜までずっと三鷹通い。とあるテレビシリーズのこれは続きではなく数年後を描いた劇場版のカット袋や原画とにらめっこする日々が続いていたけれど、原画については袋詰めが終わって整理も終わり、ここしばらくは撮影に回されていただろうカット袋から背景を抜き取りレイアウトを外して原画やタイムシートなんかとまとめて袋に入れ、そして残ったセル画をはりついた動画用紙ともどもカット袋に戻して整理する作業を続けていた。

 カット1があったかどうかは記憶にないけど、最終となるカット1054はあってそこまで果たしてどれくらいかかるのか、見えないなかで始めた作業も順に進めてようやく1054までたどり着いた。中身は入ってなくってタイムシートだけだったから、そこに入っていたはずのヒロインのセル画はきっとどこかに行ってしまったのだろう。どこに? そこは謎。とはいえ活躍するパイロットたちとかラーメンを食べるヒロインとか、そんな場面のセル画はあったし原画もそれなりに残っていたから、束ねれば1作分をまるまる振り返ることは可能な気がする。

 20年が経って気にする人たちも多いだろう作品だから、こうして整理も終わったところから再始動してくれれば整理した甲斐もあったってものだけれど、それにはやっぱり保存され展示される施設が必要だからなあ。その意味でメディア芸術ナショナルセンターの設置が遅れるか、あるいはポシャってしまったのは残念至極。自民党だけでも推してくれれば良かったんだけれど、そういうところだけ律儀に超党派での法案だってことを守るのはそれが民主主義だから? だったらもうちょっと守るべきところもある気が、って言っても詮ない話。ともあれ整理はしたのであとは利活用の芽が出ることを祈りたい、ってまだ背景と原画類の整理、そして大判の仕分けがあるんだけれど。年内はかかりっきりかな。

 「この世界の片隅に」を作り終えてから「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」へと至る3年間、片渕須直監督を追いかけたドキュメンタリー映画「<片隅>たちと生きる 監督・片渕須直の仕事」が公開されたのて舞台挨拶付きでテアトル新宿へと見に行く。もっと若い人かと思ったら大御所だった山田玲於監督と、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」と同じジェンコの真木太郎プロデューサー、そしてサンを演じている声優の新谷真弓さんが登壇していろいろと語ってくれた。

 山田監督はまるで片渕監督のことを知らず、どういったドキュメンタリーにしたらいいのか模索もしていて、たとえばメキシコに舞台挨拶に行った話から当時のメキシコがトランプ大統領によって壁で隔離されようとしていた話を盛り込もうかと考えたけれど、現地で女性がすずさんの雑草をとって食べるシーンを観て、貧乏だった子供の頃に母親が草をとってきて食べさせてくれた話をしていたいのを聞いて、そうした誰にでもある経験がこの映画の鍵なんだと思い、そうした部分を見せていこう時事性で語るのは辞めようと思ったとか。

 真木太郎プロデューサーは「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の公開が遅れたのは誰のせいだって話を笑いを交えつつつぶやいていたけれど、そうした伸びた1年があったからこそ濃さも増したドキュメンタリーになったんじゃなかろーか。そんな映画を観て浦谷千恵さんが左利きと気づいた。あとリンさんの着物の柄が動きとともに変化しているのに注目しなくちゃと思った。アフレコ現場での片渕監督の指導から、すずさんとテルちゃん、すずさんとリンさんの会話のニュアンスを劇場で汲み取ろうと思った。

 ほか、音響の気の配りっぷりを確かめなくっちゃとも。

 お花見の場面、キノヴォリの後ろで聞こえる歌があるらしい。東京国際映画祭のP&I上映で観ていた時は、画面に集中していて気付かなかったよ。そうした、展開を邪魔せずけれどもしっかり聞こえる音響の数々に注目するためにも、ドキュメンタリーを見て予習するのは良いかも。ただ、新作カットいっぱいなのでそこは要注意。すでに試写とかで観た人は驚かないけれど、ドキュメンタリーを先に見ると映画の初見をまっさらで見たい人はちょっと気になるかもしれない。既に見た人、原作を知ってる人は新作の凄みを味わい尽くす意味で見ておいて吉。


【12月12日】 「新サクラ大戦」が発売になったけれどもまるで興味が及ばないというか、そもそもプレイステーション4を持っていないから興味を抱きようがないというか。キャラクターとして神崎すみれと真宮寺さくら、そして眼鏡っ娘の李紅蘭が大好きだった身として藤島康介さんがキャラクターを描かず、神崎すみれは不思議な顔立ちになってしまったゲームをどうプレイしたら良いか分からない上に、キャラクターがアニメーション的2Dから3Dモデルに変わってそれがどうにも好みの範疇からズレたモデリングだったりするから、積極的に手を出そうという気が起こらない。

 ゲーム内のアニメーションをプロダクションI.Gが手がけたあれは「サクラ大戦2」だったっけ、そのあたりが個人的には興味のピークでセガサターンからドリームキャストに乗り換え何度も繰り返しプレイしてはすみれでフィニッシュを迎え、そしてさくらでエンディングを迎えるような楽しみ方をしていたけれど、今回そうしたプレイを幾度もさせる要素があるのか。久保帯人さんで言うなら「BLEACH」は嫌いじゃなくって全巻そろえて全話を読み込んだくらいだけれど、そのキャラクターがまんま3D化されているって感じでもないんだよなあ。今時のアニメーションだって3Dでモデリングしながら2Dアニメーションの感じを出せるというのに……。ゲームどうした。ちょっと新派になってきた。

 とはいえ、いつかプレイしてみたい感じもあって、プレイステーション4がスタンダードもProも台数限定でディスカウント販売をするみたいなんで、それを契機に買って見るってのもありなのかも。でもそれだと先に「DEATH STRANDING」を買い込んでは100時間くらいプレイしそうで、「新サクラ大戦」に手を出している余裕なんてちょっとない。実家で接続して年末年始の6日間をひたすらプレイし続けたって「DEATH STRANDING」から抜けられるとは思えないし、「みんなのゴルフ」とか始めたらなおのこと「新サクラ大戦」に手なんか出してる時間はない。ってことでしばらく様子見。神崎すみれでプレイできるなら手を出すかも。そんなアップデートに期待。

 ふと気がついたらドリパスで「機動戦艦ナデシコ −The prince of darkness−」が上映されるとかで秋葉原UDXシアターって決して劇場ではないけれど、改装されてゆったり目で見られる場所でもあるんで行こうかどうか検討中。最近妙に縁があって2000年1月1日に買った絵コンテと本編を収録したCDがセットになった不思議なパッケージを職場へと持っていき、ムックの「GEKINADE100%」も置いていろいろとシーンを調べたりしているので、それらが動く様ってのを改めて大きなスクリーンで見てみたいのだった。ってかパッケージも買ったはずなんだけれど家のどこかに行ってしまって出てこない。どうしたものか。

 話では2018年にもドリパスか何かでの上映かがあったそうで、その際にはルリとユリカが寄り添っている版権のセル画が展示されたとか。見て懐かしいと思った人も多いだろうなあ。そんな人たちに例えばルリがお風呂に入っているシーンのセル画とか、漫画家になって徹夜続きで目の下に熊ができたアマノヒカルとか、不気味な顔をして笑うマキイズミとかのセル画を見てもらったら大喜びしてもらえそうだし、ヒカルが描いた本宮ひろ志風の漫画の原稿なんてものが本当に漫画の原稿用紙に描かれているものだと分かってもらったら、もっと盛り上がりそうでそこから「機動戦艦ナデシコ」ってIPが生き返るんじゃないかなんて思ったりもするけれど、そういう機会になってはくれそうもないしなあ。急ぎ誰かがアピールして、権利元が承諾して所有者が出せば実現もあるかも。見守りたい。

 ふと気がついたら先の土日の映画興行ランキングが発表になっていて、「すみっコぐらし」は未だ4位と大健闘を続けていてちょっと驚いた。4週目でもシアターが満員になるくらいだからその数字もあり得るか。そして公開1週目だった「ルパン三世 the FIRST」はとりあえず2位とこれも検討。上が「アナと雪の女王2」だから仕方が無いと言えば仕方が無い。「スター・ウォーズ」の新作だとか「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」だとか凄い作品が2週間後には出てくる関係で、いつまでもトップ近くに居られるとは限らないけれど、5位以内くらいを横ばいでいけば30億円くらいは行って次回作もってことになるだろうから頑張って欲しいもの。僕はあのセカンドシリーズ的なルパンも嫌いじゃないんだ。次元大介の声が保つうちに早くどんどんと。

 そんな「この世界の(さらにいくつもの)片隅にがようやく完成したようで、これからビデオ編集が行われてDCPのデータとなって劇場へと展開されることになりそう。すでに東京国際映画祭で見てはいたけれど、それは途中の状況で枕崎台風のシーンとかが入っていなかったしクラウドファンディングに関連したエンディングもついていなかった。それらがついてさらに伸びたバージョンの試写会が18日に開かれる予定で、先着だからと応募したけど多数が応じたみたいで抽選になってしまって、今に至るまで連絡が来ないってことはきっと外れて仕舞った模様。残念。でもまあムビチケもあるし20日からの本番を見に行こう。でもまだ舞台挨拶の案内とかないなあ。どうなっているんだろう。ジリジリ。


【12月11日】 第40回日本SF大賞の候補作が発表になっていたけれど、事前の一般からのエントリーで大量に推薦を集めたたつき監督によるアニメーション「ケムリクサ」は入らず、新海誠監督の「天気の子」も入らずとアニメーション作品にはちょっと厳しかった感じ。というか候補作が小川一水さん「天冥の標」に伴名練さん「なめらかな世界と、その敵」、日下三蔵さんと大森望さん編集による「年間日本SF傑作選」、酉島伝法さん「宿借りの星」、飛浩隆さん「零號琴」といずれも日本SF大賞級の小説なりアンソロジーが並んでしまったから、映像作品とか漫画が入らなくってもこれは仕方がない。

 あるいは以前だったら2回目の受賞とかないだろうという雰囲気の中だったら、飛さんや酉島さんが候補にはならず「ケムリクサ」はともかくとして「天気の子」くらいは入ってきたかもしれないし、それ以前の徳間書店が支えていた時代だったら戦略的に何か映像作品なりが入ってきた可能性もあるけれど、日本SF作家クラブの会員によるエントリー作品からの投票で、小説好みの人たちがこぞって投票して挙がるのはやっぱりこの5作品ってことになてしまうんだろう。むしろ藤井太洋さんとか高山羽根子さんが入ってこなかったことの方が不思議かもしれない。それくらの激戦。

 だから選考委員の人たちにとってはとてもとても大変な年になりそう。あの超大作「天冥の標」とか読み切らなくちゃいけない訳だし、「零號琴」について語らなくちゃいけなかったりする訳だし。どんな議論が戦わされて講評が出るか。贈賞式が楽しみだけれどちゃんと開催されて欲しいなあ、今のこの不景気でもSFは元気だと世界にアピールするために。新たにAbemaTVとか乗って来てくれないかなあ。もれなく池澤春菜さんの名司会が着いてくる訳だから。あるいは正体不明の伴名練さんが拝めるかも知れない訳だから。

 とはいえ、あれだけの推薦が連なった作品なんだからやっぱり気にしたいというのも正直な気持ちだし、個人的には「ケムリクサ」を推していたから残念といった感じは強くある。元より小説が入りやすくSF界隈の流れを大きく受けやすいところもあって、外様な感じのアニメ作品は最初から埒外に置かれてしまう可能性もあったりする。過去にアニメーション作品が受賞したのは「新世紀エヴァンゲリオン」「イノセンス」「電脳コイル」くらいで、いずれも徳間書店が支えていた時期。日本SF作家クラブが運営の主体となってから、候補に入ったのは2016年度の「天気の子」しかない。当然「けものフレンズ」は入らなかった。

 一方で話題の新鋭が入りやすくなっている感じもあって、今回の伴名練さんなんかは新人って訳じゃないけどほとんど新鋭な感じの単行本でどんと入った。過去だと酉島伝法さん宮内悠介さん小川哲さん藤井太洋さんあたりが新鋭で入ってきたりする。その後の活躍を見れば入って当然とも言えるけど、どこか時流に流され安いところがないでもない。その上でメディア作品には厳しいというか、そんな感じか。来年にはいよいよ「鹿の王」の劇場アニメーションが公開されるんで入って欲しい気もするけれど、どうかなあ。とりあえず「ケムリクサ」は星雲賞に期待だ。受賞しそうなら行かなくちゃ、日本SF大会に。

 しかし「鹿の王」、ようやく監督が発表になったと思ったら「精霊も守り人」を手がけた神山健治さんではなくって「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「パプリカ」なんかで作画監督と務めた安藤雅司さんというからきっと誰もが驚いた。絵描きではあっても演出家ではないからなあ。そこは共同監督で「伏 鉄砲娘の捕物帖」を手がけた宮地昌幸さんがいるから安心なのかもしれないけれど、果たしてどんな作品に仕上がるか。プロダクション・アイジーのお手並み拝見といったところ。あのカリスマアニメーターの井上俊之さんも参加しているみたいだし、絵の上手い人たちが集まって何か作っているとしたら期待するしかなさそう。ヒットすればなお良いけれど、そういう作品なんだろうか。期待しつつ模様眺め。

 「ファイブスタースター物語」の最新第15巻が出たので読んだけれどもいつごろの連載だったか思い出せずシチュエーションなんかも判然とせず、これが今の最新のエピソードにどうつながるのかちょっと思案。巻末でマウザー教授が追いかけようとしているツバンツヒが今まさにラキシスといっしょにいて異次元からの敵の攻撃にマドラあたりとともに対抗しているところで時系列的につながっていることは分かるけど、どういう手順でラキシス登場に至ったのか、ちょっと記憶が飛んでいる。まあちょうどリストラ喰らって外からの情報が入ってもすぐに抜けていた時期だから仕方が無いか。今だって全部が覚えられている訳じゃないけれど、とりあえず情報を得るのに前向きな気持ちは浮かんで来たので「<片隅>たちと生きる 監督・片渕須直の仕事」の初日舞台挨拶付きとか、「機動警察パトレイバー the Movie」のトークイベント付きとか予約して見に行くことにしよう。散在だけれどそれが出没家のアイデンティティだから。


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