縮刷版2018年7月下旬号


【7月31日】 遅まきながら「月刊ニュータイプ」2018年8月号に掲載の『未来のミライ』公開を前にした細田守監督に対する氷川竜介さんのインタビューを読む。媒体の特性上、ティーンを中心とした若い人が大勢読んでいるだろう場所で、どうやら親と子の物語であり、4歳のくんちゃんという男の子が主人公になった作品だと分かっている映画の紹介を、載せて果たして意味があるのかといった問いがあらかじめ浮かぶところを、インタビュアーとしてしっかり指摘してティーンとかアニメ好きとかにも関係のある作品だといった流れを作ろうとしている雰囲気が読んで感じ取れた。

 受けて細田守監督も、30男が自分と関係あるだろうかと迷いつつ「となりのトトロ」を見た話を挙げながら、「未来のミライ」もティーンに関わりのある作品であることを言おうとしている。それは「未来のミライ」が「アイデンティティの物語」であり「自分探しの物語」であって、くんちゃんのような子供に限らず誰でもいつでも欲しているものだったりする。とりあえずビジュアル的にはくんちゃんを表に立てて描いている映画だけれど、アニメ誌を読むような人でも見れば得られるものがある。そう細田監督は理解しているようだし、インタビュアーもそうした答えを願って引き出しているように感じられる。

 つまりは従前に出回った情報だけでは、親と子の物語なんだという印象に収斂してしまってティーンを呼びづらい状況が予想されたって感じで、それで興行が伸び悩む可能性をあらかじめ潰しておく必要があったからこそ、こうした質問をぶつけて答えを引き出し「月刊ニュータイプ」誌上で文字にしたんだとも言える。ただ、実際の所そうした誰にでも関わりがありそうな映画だという印象は事前には広まらず、「バケモノの子」であり「おおかみこどもの雨と雪」といった作品の流れで、家族とか親子についての映画であってそうした層に”しか”関わりをもたれ得ない可能性が高まっていた。

 だからこそ宣伝側には、広く一般にも関係のある映画なんですよといったアピールをして欲しかった気がするんだけれど、メジャーになり過ぎてしまった細田守監督の最新作を喧伝する上で先にネガティブな情報を出し、それにカウンターを当てて潰すというか、より称揚させる手を講じて欲しかった。でも、封切りまでは有名人とか大手メディアによる礼賛でもってアピールしようとして、外してしまってそこにネガティブな印象がたたき込まれて回復できないまま1週間が過ぎてしまった。2週目にはいってようやくポジティブな反応が出始めて来たけれど、それが口コミを読んで広まり観客を映画館に足を運ばせるまで映画館の方が保たず規模を縮小してく感じ。今のままだと確実に劇場は狭くなって上映回数も少なくなってほぼ終わりといった状況へと至るだろう。

 「表面的な設定にとらわれず、映画が描いている本質がいかに自分に近いことか、期待して欲しいです」と「月刊ニュータイプ」で話していた細田監督の言葉は、どんな作品からも自分自身が欲している主題を得られることを意味している。「特に研鑽を積んでいるアニメウォッチャーの方たちは、偏見なく見る力も強いと思うので、30年前の僕が『トトロ』を頑張って見たように、ぜひ劇場に来てください」とも言っているけど、宣伝の部分でアニメウォッチャーに対して作品に関する意見を発してもらおうとしていた感じはなく、いち早く見てもらって声を上げてもらおうとした感じでもない。

 「バケモの子」のメジャー感を踏襲してメジャーに煽ろうとして逆風に妨げられて足踏みをして伸び悩んでそして……。今からこれを大きく持ち上げるのは難しいだけに、興行収入も厳しいところに落ち着きそう。そうはさせず今から改めて持ち上げ、ドライブをかけて盛り返す方策はあるんだろうか。あるとしたらそれは。ジャスティン・ビーバーに見てもらう訳にもいかないしなあ。細田守監督が新作を自由に作れなくなるとそれはほかのアニメーション監督にだって作品が自由に作れなくなることを示唆するだけに頑張って欲しいんだけれど。

 だから今からでも多くの人に見て欲しいのだけれど、初期にどうしたものかといった評判が出回った結果、映画館の出足が今ひとつで劇場としても対応を始めている模様。8月4日のTOHOシネマズ新宿のタイムスケジュールが出たんだけれど、数館での連日超満員という実績を引っさげ、3日から拡大公開される上田慎一郎監督の「カメラを止めるな!」が407席のスクリーン7で8回上映される一方で、「未来のミライ」は86席のスクリーン1で6回と88席のスクリーン8で1回という状況に押さえ込まれる。全部が満席になっても「カメラを止めるな!」の2回に及ばない苦境でも、それですら埋まらないという判断なんだろう。2周目に入ってようやく好評も聞こえて来たのに、出始めの不評が出足を縛ってしまった感じがしてならない。

 なるほどネガティブな評判が出る時は、実際にネガティブな評判を誘発し得る問題点があることは分かっていて、細田守監督の長編アニメーション映画「未来のミライ」にもそうしたポイントを感じてネガティブな感想を抱きたくなる気持も分かる。それをそれだけそのまま書くこともまた感想だし、批評なので仕方が無い話で当然でもあるのだけれど、ネガティブな風向きの中でナナメ方向からネガティブに書くことによって、オレら分かってるんだぜキミらの気持をと見た人の共感を誘うというか、まだ見ていない人の興味を煽ってアクセスを誘い、バズろうとするメディアが現れてくることについてはどうにもこうにも厄介な感じ。

 真意はともかく見出しで「ホラー」と言い切ることによってそうなのかな、そうなのかも、そうなのねといった感じに印象を操作し、そう言うのがイマいと感じさせてしまう風向きがあってそれに逆らう術がネットにはなかなかないことに困り果てる。このまま風に流されてしまったら勿体ないよ、「未来のミライ」という映画は。「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノノ子」は放っておいても大勢の人が見に来たんで初見のネガティブな印象を口にしても良かったけれど、今回は逆にネガティブばかりが先走る。なおかつ良さは過去の作品にも増してといった映画が埋もれてしまってはいけないので、引き続き頑張って喧伝しつつ自分でも可能な限り足を運ぼう。復活の目はまだあると信じて。

 「ヤングキングアワーズ」2018年9月号で「蒼き鋼のアルペジオ」をつらつら。横須賀の海洋技術総合学院で学園祭がスタートしたけどそこに日本列島を3分割して統治する首相が結集。そこまで来るだけの電気すら貯めるのに大変らしい状況が霧の艦隊匂い詰められた人類の窮状を感じさせる。石油だって輸入はできないものなあ、だとすると太陽光発電でも使っているんだろうか。そんな状況で開かれる学園祭はもはや国家的世界的行事なんだけれど、表層では生徒達がどんちゃん騒ぎをして終わるのだろう。それもまた学生の特権。一方ハシラジマの方では甦った千早群像と子供として作られたグンゾウがともに食事。記憶はないのか? 不明だけれどチョウカイがだんだんとデレていて面白い。やっぱりタカオの妹だけあるか。最後に出てきた看護師の格好をしたのはヒエイか。生徒会長はもう辞めたのか。千早群像にいろいろ言いたいことがあるみたいだけれど追い出されて続かず。次は絡んでくるのかな。

 2020年の東京オリンピック/パラリンピックの開催に合わせて明治大学がちょうど重なって来る2020年の試験時期を前倒しするために、春の大型連休にも講義を行うようにカレンダーをいじるとか。交通機関の状況が激変するオリンピックの開催時期に試験はやっぱり拙いという判断からのカレンダー変更は施策として間違っていないけれど、そうした施策をボランティアへの参加のしやすさと結びつけて告知してしまったところに学徒動員感が漂って色々と論議を呼びそう。

 オリンピックやパラリンピックで学生がボランティアをしたところで個々の経験にはなっても単位にはつながらず、就職で優遇されるとも思えない。そんな場所に文部科学省によるボランティア促進のための授業時期変更という方針をためらいもなく受け入れるのは自治を標榜する大学として拙い気がしないでもない。試験時期だろうと自分が必要と思えばボランティアに出てそれを将来につながる糧とする。それがボランティアの神髄だろうに。言われてやる釈然としなさをこれからもあちらこちらで目にすることになるんだろう。企業も週休3日にして1日をボランティアに当てろとか言い出したりして。もちろん給料は払わず欠勤扱いで。経団連とか政府の方針だからと従って施策として打ち出しそうだよなあ。やれやれだ。

 今まさに告発をされているまっただ中で自分たちは悪くないんだと否定から入ると、後になってそれが本当だとどんどん判明してきて見当違いをしていましたと後退戦を強いられるのは霞が関の不祥事だとか政府首脳の疑念をもたれそうな行為とか、日本大学のアメリカンフットボール部における暴力推奨なんかで明かなのに、日本ボクシング連盟が会長の権力めいたもがもたらしたらしい不祥事の告発に関して事実と違うと早々にサイトで発表してしまったのが、まさに会長を護らんとする意思の働きだといった印象で余計に告発の信憑性を裏付けてしまいそう。

 まあ会長なんだからあがめ奉られようともそれを周囲が許しているなら構わないかもしれない。でも試合で明らかにおかしい判定が繰り広げられて、そこに会長への忖度めいたものが絡んでいたのだとしたらこれはスポーツとしての公正性が大きく揺らぐ。忖度どころか直接の失跡なんかもありそうで、いずれどんどんと情報が出てくるんだろう。そうなると逃げ場がなくなるから最初は下手に出るのが筋なのに、まずは否定から入ってしまった一件が落ち着く先は日大アメフット部のような追放からの事件化かなあ。どうなることか。でも会長が権力を行使してポン酢な代表監督選びをやって代表チームの価値を下げまくっている日本サッカー協会よりは自浄が働いているだけまだましか。どうなることか森保一監督。加茂周監督の二の舞にならなきゃ良いけれど。


【7月30日】 バーチャルアイドルと「ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン」が目立ったワンダーフェスティバル2018[夏]だけれど、それ以外のアニメーション関係で最近の番組から出ていたのは「ダーリン・イン・ザ・フランキス」のゼロツーくらいで、ストレリチアやフランクスたちが出そろっている感じもなければゼロツー以外のキャラクターもイチゴを見かけたくらい。他にフィギュアにして立つキャラがいないって言えば言えるんだけれど、それを補うメカたちですらこのまま立ち消えになってしまうのかと思うとヒットする、バズるための壁の分厚さって奴はやっぱりなかなかなものってことになりそー。

 そう考えるとあっというまに世間に浸透してキャラクターたちのフィギュアが今も出続けている「けものフレンズ」は本当に近年まれに見る大ヒットだった訳で、それをどういう経緯か知ってか知らずかはさておいて、あっさりと潰してしまいそうな権利者なり中核メンバーの傲岸不遜ぶりは目に余る。ファンというものの気持を蹴飛ばしてでも自分の思いを貫くのはなるほどクリエイター的ではあっても、世に作品を問い喜んでもらえることもクリエイター的であってそちらに背く言動はやっぱり哀しいし寂しい。誰か知らないけれども悔い改めてたつき監督を再招集してしっかりと、僕たちが臨む「けものフレンズ」のアニメーション第2期を作って世に示して欲しいなあ。それができればあと30年は戦えるキャラクターになるから。本当に。絶対に。

 増えているなあと感じたのはほかだと「アズールレーン」か。「艦隊これくしょん−艦これ−」の向こうを張るような戦艦の美少女擬人化ゲームということで、普通あったら「艦これ」ファンは許せないはずなのに憤りもしないでどっちもどっちといった感じて受け入れているか、眺めているかといった感じ。過去に山ほど擬人化はあったとはいえ時期も近いなかで同じ元ネタをぶつけてくるとか普通だったらあり得ない。勝てないから。でもやってのけてはしっかり浸透してそれなりなマーケットを得られるところが、バズれば一気に広がるネット時代のIPってことなのかも。この勢いで行けば「あそびあそばせ」とか「ぐらんぶる」のフィギュアも……変顔娘と男の裸しか思い浮かばない……ダメかなあ。

 7月28日と29日の映画の週末興行ランキングで細田守監督の「未来のミライ」は3位となって前週の2位からひとつランクダウン。かといって「ジュラシック・ワールド/炎の王国」も連覇ではなく2位。トップに輝いたのは何と予告編の山Pのセリフのことごとくが聞き取るのに困難さを伴い、立川シネマシティあたりで山Pセリフ爆音上映でもやって欲しいと思ったりする「劇場版コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命」だったりするところにこの国の映画興行の不思議さって奴が見えたり見えなかったり。8月から全国的に拡大公開される上田慎一郎監督の「カメラを止めるな」に粉砕されてしまったらちょっと面白いんだけれど。ミニシアターランキングでは2週連続1位となったし。

 しかし問題は「未来のミライ」か。作品性はとてつもなく高いと僕は思っているんだけれど、どうにもターゲットを狭めて捉えがちなレビュー方面の影響から見に行く層が限られてしまっている感じがあってマーケット的なバズりがない。それが証拠に東京ドームシティにあるギャラリーアーモで25日から始まった「未来のミライ展」の客足が今ひとつで、オープニング代わりに何十人かをそこに入れて何分かプロジェクションマッピングを見てもらうコーナーに3人だけって感じだった。夏休みなのに客がいないってどういうことだ、「バケモノノ子」が上映された時に渋谷で開かれた似たようなイベントは長蛇の列だった。渋谷と水道橋では立地に差があるとはいえ、幕が開いたばかりの状況でこのサイレンスぶりは先行きにちょっと不安が募る。

 展覧会自体はとても良いもので、「未来のミライ」からピックアップ原画が飾られ符合するシーンが上映され、コンテも置かれてどういった理由からのこのシーンが抜かれたかの解説も付けられているので、映画の中で、あるいはアニメーションという表現の中でそのシーンが持つ意義が分かり、そうした特徴的なシーンがアニメーションの中でどういった視覚的心理的効果をもたらすかが分かるようになっているのでいろいろと勉強になる。映画でも印象的な「だるまさんがころんだ」のユッコと未来ちゃんとくんちゃんの焦り苦しむ表情とかもう最高。そこを見に行くために映画館に通いたいシーンが抜かれているからやっぱり見入ってしまう。

 でも、そうやってアニメーションの制作手法への興味から展覧会に行く人は少なくて、好きなキャラクターのいろいろな表情が見られるから行くって人が多いのが実情。それは映画自体にも言える話で、まったく未知のキャラクターだけが出てくる映画に人はなかなか行かないし、それの展覧会をやってどかんと主要キャラクターの絵を並べてもそれに萌えたいと行く人もいない。そういう意味合いもあって展覧会はアニメーション的な見地から真面目にやったとも言えそうだけれど、それでもやっぱり客足は欲しい、展覧会にも映画にも。少なくとも展覧会にはフォトスポットとか用意されてて造形物もあるので遊びに来てみてはいかが。本当なら過去作品についても知りたかったけれど、それはいつか開かれるだろう「細田守展」に期待だ。

 とはいえ、現実に客足が鈍ると日本のオリジナル企画によるアニメーション映画が死んでしまうんで、一助になればと映画館で2度目となる「未来のミライ」を鑑賞。やっぱり面白い。4歳児の経験という形で繰り広げられるさまざまな出会いと、そしてその時々の問題意識の解消は、子供の立場から考える世間の荒波の突破の仕方でもあるし、大人の立場から見る子供が抱えた問題の検知でもあるんだけれど、そうした親子の問題に限定して考えるから、ティーンや大学生といった若い層が映画館へと足を運びづらくなる。自分たちとは関わりのない映画だと思ってしまう。でも、この映画は、そうやって親子のそれぞれの問題に見せかけて、誰かの子であり誰かの親になるかも知れず、そうでなくても誰か大勢の人たちの中に生きている自分たちが自分を分かってと願い、誰かを分かろうと感じる気持ちの大切さを改めて突きつけてくるもの。つまりは誰とでも関係を持ち得る開放されたものなのだ。

 自分の子供でなくても、誰かの子供が困っているならそれはどういうことかを感じ取る。子供がいる親が悩んでいるようなら、それはどういう理由からかを推察する。弟や兄や姉や妹がいる同級生が抱える悩みも戸惑いも、そしてこの世界に生きるすべての人たちが日々直面しているさまざまな苦しみも、すべて自分に関わりのあることとして考えることで道は開け、自分自身にも今あるなりいつか訪れる壁の突破につながる。そういった意識で見ることができれば最高に楽しくて面白い映画で、なおかつコミカルな描写もたくさんあって笑いながらエンディングを迎えられるんだけれど、すでにして子と親の映画であってティーンには無関係のような顔立ちを持ってしまった。

 そこを崩すだけの材料がないと、このままランキングも落ちていって「打ち上げ花火、横から見るか下から見るか」のような成績に終わってしまうんだろうなあ。「打ち上げ花火、横から見るか下から見るか」も僕は大好きで、10回は劇場で見ただけに世間は何で分かってくれないという思いも強いけれど、分かってくれないのが世間だとも知っている。だからせめて自分たちとの関わりを感じて欲しいとここに呼びかけ、焦りまくる未来ちゃんのかわいらしさを味わえる映画だと喧伝して観客の動員を促そう。本当に本当に面白いんだから、「未来のミライ」は、山下達郎さんのオープニングとエンディングを聞き、そしてやっぱり「けいおん!」のさわちゃんに聞こえる真田アサミさんのセリフを聞きに行くだけでも価値があると断じつつ。さわちゃんが福山からプロポーズされるシーンを脳内に浮かべられる映画。ほら、自分と関係あるように思えてきただろ?


【7月29日】 「Fate/Grand Order」の3周年記念イベントの内覧会が始まる午前8時よりも遅かったとはいえ、やっぱり日曜日の午前9時に幕張メッセというのはなかなかな難行。それでも台風が通り過ぎて暑さも戻ってきたのが午前6時あたりで部屋の温度が上がりはじめたこともあって、これは寝ていられないと起き出し支度をして総武線からバスを乗り継ぎ幕張メッセへとやって来る。今日はワンダーフェスティバル2018[夏]。台風が東京を直撃していれば開催も危ぶまれたけれど、西日本へと曲がったこともあって天気は朝から晴れつつ雨が降るという不思議な天気で、これならいけると運営側も判断したみたい。

 実際、昼を過ぎると気温も上がって湿度も高まり幕張メッセの中でも結構暑くなったから、これで中止だったらせっかくの好天なのにといった声も上がったんじゃなかろーか。関西から来られなくなる人もいたかもしれないけれど、幕張から帰れなくなる人が出そうもないならやっぱり開催するのが道ってことになるんだろう。気になったのは、空間が割とゆったりとしていたワンフェスの会場とは違って、人がぎゅうぎゅう詰めになっていた「FGO」のフェスの会場がいったいどんな暑さだったかってあたり。熱気がむんむんと立ちこめてサーヴァントの着ぐるみたちもいつも以上にやさぐれたんじゃなかろーか。露出の多いコスプレイヤーさんは大丈夫だったかな。衣装ってやっぱり暑いのかな。それはワンフェスの会場もいっしょか。

 さてもとりあえず会場に到着して早めに中に入ってグッドスマイルカンパニーとマックスファクトリーが出している合同ブースのワンダフルホビーライフフォーユー!!28をさっと見学。例年長い行列ができる「艦隊これくしょん−艦これ−」が総集編っぽくなっていて「刀剣乱舞−ONLINE−」も三日月宗近の等身大フィギュアはあったもののそろそろ人気も落ち着き気味でさっと眺める程度に治め、新しいのはないかと探したら何とバーチャルアイドルばかりが集まったコーナーができていた。VTuberとも言うのかな、あのドワンゴが新会社を作って注力しようとしている分野ではあるけれど、グッスマに限らずフィギュアメーカーが次の商材として持ち上げようとしている感じがあって、アニメーションとかマンガとは別のところからフィギュアのネタが生まれてくる時代になったのかと感嘆する。

 自分としてはまるで接触のない分野で、キズナアイの名前くらい走っているけどその面白さだとか人気の度合いは正直測りかねている。それをいうならYoutuberだって同じことでHIKAKINの名前は知っていても子供が憧れるくらいの存在なんだといった認識にはまだ立てていない。それでも現実にHIKAKINを人気者のナンバーワン煮挙げる子供達がいて、そしてくしてバーチャルアイドルたちがフィギュアになって続々登場してくる現状は、それが今のトレンドの最先端だという現れでもあるんだろう。分からない自分を責めるつもりはないけれど、商売柄やっぱり分かる事に努める必要があるのかもしれない。面白いのかなあ。自分でやってみるのも手かもしれないなあ。そういうツールも出てきたし。

 あとザッと見て出来の良い等身大フィギュアが増えたなあと感じた今年のワンフェス。マシュ・キリエライトの等身大フィギュアはお尻も丸みとかがよく出ていたし、それを手がけたワンダフル・ワークショップって会社はバーチャルアイドルの輝夜月の等身大フィギュアを作ってこれもバーチャルアイドル人気と相まって注目を集めていた。198万円するという「冴えない彼女の育て方」の加藤恵のフィギュアはキャラクターがそのまま抜け出てきた感じで制服姿からにょっきり伸びた脚とかなかなか人間っぽい。「マクロスF」のシェリル・ノームとランカ・リーの等身大フィギュアは衣装がひらひら。いったいいくらになるんだろう。でも加藤恵を買った人なら買えるし置けるだろうなあ。うらやましい。

 初音ミクも2体あってそのうちの1体を手がけたデザインココって会社は「ドリフターズ」の島津義弘とか「楽園追放」のお尻がエロかったアンジェラを作った会社で、その技術を生かしたのか村上隆さんが率いるカイカイキキのアーティストで美少女絵のMr.が描いた絵をBOMEさんが原型作ってフィギュアにしたものの等身大を作って出していた。それも2体。微妙に目とか違うし膝小僧の絆創膏があったりなかったりして、そうした際から生まれ漂う美少女萌えの感情の違いなんかが、アートとしてフィギュアを愛でる文脈の中で重要になってくるのかもしれない。多数あるという「モナリザ」をどう見るかといった。

 カイカイキキでは村上隆さんのデザインによる「制服KO2」ってのも出していてこれが制服で眼鏡でツインテールでなおかつ巨乳という萌えのカタマリ。それでいて「HIROPON」ちゃんほどエロくなく「マイ・ロンサム・カウボーイ」ほどお下劣でもない。その意味ではアーティスティックな挑戦というよりコマーシャリズム的な萌え要素の提示とも言えるけれど、それでも現実には存在しないキャラクターに萌え要素を乗せてかわいらしく見せるという実験はある意味でアート的。そうしたアプローチを経て生まれたものが、内面からあふれ出る感情を形にしてみせたMr.と比べてどうなのかといった思考をすると、アートというものをパッションで感じるかコンテクストで理解するかの違いも含めて考察できるかもしれない。好き嫌いでいうとううん、眼鏡巨乳はやっぱりズルいよ。

 アートというと徹底した造形へのこだわりが、もはやホビーではなくアートとしての価値を生むようなこともあるのかも。グッドスマイルカンパニーが展開しているtoon WORKSHOPっていうヘッドフォンブランドがあるんだけれど、そこがヘッドフォンとかスマートフォンとかマスクとかにジャンクなパーツを貼り合わせることでメカメカしさを持ったフォルムに変える池内啓人さんとコラボレーションした作品を出していた。もとより変形する機構を持ってメカメカしかったtoon WORKSHOPがさらにメカっぽく。これで音楽を聴けたらクールだろうなあ。イタリア版のVOGUEで作品が紹介された池内さんだけに世界が存在を知るのも近い。今のうちに作品を仕入れておくかなあ。お金無いけど。

 うーん、「カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督が映画の大ヒットもあってフィーチャーされるのは良いんだけれど、その時にずっと困窮していたのがこれで1発大逆転だって文脈でも組み立てたいのか、奥さんで映画監督のふくだみゆきさんによる数々の受賞歴にまるで触れられていないのが気になった朝日新聞系サイトに掲載の記事。「ちなみに上田監督の妻は映画監督でありアニメーター。本作でも衣装制作やデザイン絵を担当している」ってあるけどふくだみゆき監督はアニメーション作品「こんぷれっくす×コンプレックス」で毎日映画コンクールのアニメーション映画賞を受賞して、宮崎駿監督高畑勲監督細田守監督原恵一監督新海誠監督らと肩を並べた凄い監督なんだよ。添えれば良いのにそれを添えない意図が分からない。

 そういう凄い監督とともに仕事をしてプロデュースにも携わった上田慎一郎さんではいけないのか? 内助の功を受けつつどん底から這い上がるというサクセスストーリーが必要なのか? それでふくだみゆき監督の偉業が“無かった”ことにされるのはアニメーション好きとしてはたまらないので、2人がともに作品作りに携わり、先にふくだみゆき監督がアニメーション映画賞を受賞した毎日映画コンクールで今度は上田慎一郎監督が日本映画賞を受賞し、共に凄い監督であることを世間に分からせて欲しいなあ。それでもアニメーションなんて眼中にないと朝日新聞系メディアは上田慎一郎監督のサクセスストーリーばかりを綴るのか。アニメーションはやっぱり未だヒエラルキー的に下なのか。やれやれ。


【7月28日】 こういう時は船橋あたりに済んでいるのがありがたい。早朝も午前7時半にの幕張メッセに集合しての「Fate/Grand Order Fes. 2018 〜3rd Anniversary〜」の内覧会取材。午前6時に家を出たって余裕で間に合いすぎる感じで途中、イオン本社の下にあるミニストップで時間をつぶしたもののそれでも午前7時には幕張メッセに到着。土砂降りの中を待つ可能性も考えたけれど、台風は東京を直撃せず雨もほとんど降ってない状況で開場までを待つことができた。もっと早くから並んでいただろう一般参加の人たちも、土砂降りでの待機にならなくて開場前に体力を削られることはなかったもよう。

 ただ、先だっての豪雨で大きな被害が出た西日本を直撃するのは拙い事態だし、西日本から今日明日のイベントのために幕張メッセへ向かおうとして途中で交通機関が麻痺していたらそれはそれで可愛そう。天候を鑑みてイベントが中止になるのは直接の降雨がイベントに影響を与えるだけでなく、行き帰りの交通機関が止まってしまって移動できなくなる可能性を考慮してのこともあるだけに、「FGO」のイベントが音楽フェスを終わって強風のため京葉線が動かず誰も帰れなくなったなんて事態を引き起こし、フェスへのネガティブな印象が生まれてしまうことだけは起こらないで欲しいもの。騒ごうとする人はどんな理由を付けても騒ごうとするものだから。

 イベントの方はといえば、デフォルメキャラの着ぐるみたちが相変わらずやさぐれていたけれど、ダヴィンチちゃんが加わって少し雰囲気も和らいだような気が。気のせいか。高品質の公式コスプレイヤーさんたちもわんさか出てお出迎えして始まったイベントでは、サーヴァントたちが描き下ろしのファッションに身を包んで世界中を案内してくれるという「サーヴァントと巡る世界展」があって言ってしまえば書き割りに等身大パネルが建っているだけなんだけれど、作り込んである部分もあってファンなら見て楽しめたかもしれない。あとウェルカムロードに柱状のLEDが何本も立っててそこにマシュ・キリエライトほかサーヴァントたちが映し出されるのが見ていて目に嬉しかった。いやファンなんで、マシュの。

 13メートルはあるという高さの巨大な円柱型スクリーンにいっぱいマシュが映し出される映像イベントもあって、巨大な戦車みたいな虚数潜航艇シャドウ・ボーダーに乗って移動していたマシュとダヴィンチがピンチに遭遇して大変なところをサーヴァントが助けに来てくれるといかいった、そんなストーリー。映像も迫力なら音響も凝ってて遠巻きに身ながらも震動が伝わってくる。作り込んだなあ。ほかにも宝具の展示があったりフォトスポットがあったりして見ているだけでも楽しめるイベント。グッズを買おうとしたらそれこそ長蛇の列なんで、ファンは大変だったかもしれない。天候が悪化しそうな中を正午ごろにはホールにぎっしりと人の波。いったいどれだけ入ったんだろう。2日目は「ワンダーフェスティバル2018[夏]」とも被るだけに行き来する人で賑わいそう。雨はもう入ってしまうのかな。暑くなったりしないかな。明日も朝早くから幕張メッセ。船橋市民であることを喜ぼう。

 謝罪しなくちゃならない案件がやたらと増えているように見えるフジテレビに関連して朝日新聞が、視聴率で低迷していることもあって間違いが増えているといったような論旨の記事を掲載している。同じマスコミ業界の企業を批判するとか昔だったらあまり考えられなかったけれど、今は相手のあら探しをして貶めることが、それで自分のところに読者として還ってくることを期待してというより、単純にメディア批判は数字になるといった感じもあっていろいろと増えてきている感じ。印象論なんで実際の所はよく知らない。朝日がフジテレビをイジったところで部数が増えるとは思えないから、やっぱりアクセス狙いの関心事ってことだろうなあ。

 ただ、実際にフジテレビの番組では謝罪案件が多くあって、つい先日もオウム真理教の流れをくむ宗教団体が麻原教祖のビデオを改めて配って見せているとか報じては、いやいや資料映像を提供した人が、ずっと前から流しているものだと懇切丁寧に説明していたにも関わらず、死刑執行後に渡したものだと嘘をついて補導した。嘘という能動的な部分を持った言葉を使ったのは、ちゃんと説明を聞いていればおよそ判断でもできるだろうことを結果的に無視する形になって、自分たちのストリーに都合の良いように話を組み立てていたから。莫迦じゃないんだから、念を押されてなお間違えるのは単純に記憶違いとかじゃなく、意図のあってのものだと考えざるを得ない。

 その方がオウムは残党も麻原信奉者で危険といった既存のイメージを損なわず、増幅させるつもりでもあったのか。いずれにしてもビデオの提供者から指摘があってフジテレビは平謝り。ほかにもいろいろと謝罪の案件が並んでいるのは視聴率競争で低迷しているから、起死回生を狙ってヤバい話を改変してでも上げようとした、って意味はあるかもしれないけれど、一方にずっとそうした事実を脚色してセンセーショナルに報じるやり口を続けていて、それがいい加減視聴者にバレて見放されていった挙げ句の視聴率低迷だったとも言えるんじゃんなかろーか。因果が違うというか。順序が逆というか。どっちにしろどっちが先でも批判は改めてフジテレビに向かう。それがデフレスパイラル的に経営を追い詰めていったらどうなるか。考えるとなかなかに怖い。とばっちりも受けそうだし。やれやれ。

 昼に幕張メッセでFGOの3周年イベントを見て、夜に上野で「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」の応援上映を見る。夕方に東京都内も豪雨になって開催が危ぶまれたものの台風事態は直撃ではなかったこともあって挙行。東山奈央さんという人気声優が登壇することもあってか、前回よりやや広めのシアターが使われてそれでもいっぱいの観客がつめかけた。そして登壇したレイナ・プラウラー役の東山奈央さんは、クールなレイナとはまた違ったドSのキャラクターを演じるという宿題に従って「何見てんのよ!」「台風なのにこんあところに来るなんて何考えてんの?」「ありがとう!」と話してM系な人をきゅんきゅんとさせた。喝采も飛んだけれど「そんなお年じゃ全然頑張れないんですけど」と回答。すっかりドSになり切ってみせるところは声優さんならではの凄みだったって言えるかも。

 応援についての要望では、7月23日がレイナの誕生日ということもあって、スクリーンに登場したら「おめでとう」と声をかけることが決定。どういう言い方が良いかを問われてレイナの演技で「うーん、普通におめでとうと入って欲しい」と解答。そして「見切れたらすぐ言って欲しい」とも話していて、その言葉どおりに実際の上映では髪の毛が見えてもマキナ・中島にそれられた手でもレイナと分かれば「おめでとう」という声がのべつまくなしに飛んでいた。最高だったのがまだ美雲が入る前のワルキューレが出動をして地上に降下する場面で、パラシュートで降りるメンバーが遠目に見えたんだけれどそこにレイナがいると判断されて「おめでとう」と声が飛んだ場面。間髪入れずに感じ取る能力に長けたファンの凄みを見た。もとよりワルキューレメンバー出ずっぱりの映画なんで、いったいどれだけの「おめでとう」が飛んだか。受けてレイナは喜んだか。淡々としつつも喜んでくれたと信じたい。事態は小清水亜美さん。歌の担当をしているJUNNAさんがイベントだとよく出るけれど、小清水さんが出て美雲というキャラについて語ってくれるのは貴重な機会。これは行きたい。チケットとれるかなあ。


【7月27日】 朝に「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の特報が公表されたと思ったら、昼に「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の特報が映画館だけではパクられるからとネットにアップされて真希・マリ・イラストリストの躍動を目の当たりにできて、それで満足かと思っていたら夜に「ガールズ&パンツァー最終章 第2話」の公開が2019年6月に決まったとの報とともに特報が公開され、我らがカチューシャ様が手のひらでキツネか何かを作ってぱくぱくとサインを送っていた。あれは何のサインだろう。

 問題はその直前、奇妙な戦車が出ていたことでマークからヴァイキング水産高校と分かったけれど車種が分からず、ヴァイキング水産高校の保有車両を調べてどうやらNbFzだと判明する。島田愛里寿もちらりと登場しいて大学選抜が何のようだと世間は騒いでいるけれど、でもやっぱり戦車が主役のアニメーションだけに出てくる車両に目が行くのがガルパンおじさんといったところだろー。そのものずばり「新型戦車」という意味のNbFzをいったいヴァイキング水産高校はどう運用してどこと戦っているのかが目下の興味の向かい所だったりする。

 直後にカチューシャ様が登場したプラウダ高校か、アンチョビが頑張っているアンツィオ高校か、ダージリンとオレンジペコがやっぱり出ていた聖グロリアーナ女学院かそれともサンダース大学付属高校か。分からないけど大洗女子学園の苦戦もあってこれまで登場した常連だって負けるかも知れない戦いの行方が、きっと第2話で描かれていると信じて9月の「第63回戦車同全国高校生大会 総集編」の上映と、12月のテレビシリーズおよび「これが本当のアンツィオ戦です!」が入ったブルーレイボックスの発売をこなしつつ待とう。本当に公開されるかなあ。

 チャンチャンプーチャンチャンプーとプリチャンのカフェができるってんで原宿へ。プリズムストーン原宿が入った建物のの2階にあるテンポが28日から「キラッとプリ☆チャン」をテーマにしたコラボレーションカフェ「プリズムストーンカフェ原宿」を始めることになって、その内覧会を見に行ったらこれはなかなかにしっかりとしたコラボメニューを出すイベントになっていた。緑川さらちゃんの肉食な感じが出ているハンバーグステーキとか、赤城あんなちゃんのセレブな感じが炸裂したケーキとティーのセットとか、頼めばメルティックスターになった気分を味わえそう。

 とはいえ、やっぱり主役のミラクル☆キラッツがテーマになった桃山みらいにちなんでピンク色したカレーとか、応援団らしい萌黄えものポップコーンなんかを頼みたいところ。スナックな感じだけれどそこはカジュアルにポップなフードってことで。赤いめが姉ぇとか青葉ユヅルにちなんだメニューも期間限定で出てきそうで、めが姉ぇのオムライスとかなかなか美味しそう。チキンライスはメインディッシュめいたプレートにも使われていて、サラダにチキンライスがセットになってて小旗がミラクル☆キラッツ、メルティックスターのどちらかを選べるようになっている。果たしてどっちが多いかで勝負をするとどうなるだろう。あんなちゃんが「おごりますわ」と言えばそっちかなあ。

 描き下ろしのイラストもあってカフェコーデになってて眼鏡を外して衣装をまとった青葉りんかちゃんが激可愛い。手にしたグラスはジャムの瓶みたいな感じだけれど歴としたドリンクで、週替わりで出てくるコラボドリンクの3周目に登場するみたいだからファンは入ってのもう。ブルーな感じだけれど味はクールか。グッズ類もあってカフェ向けに描き下ろされたカフェコーデのイラストが使われていて下のショップでは買えないんでやっぱりプリズムストーン原宿に行くならついでみよってみるのが良いかも。ドリンクなら600円からあるから。1品は頼めと入口であんなちゃんも言っているけど時間は90分で頼めるメニューも限られているんで、割といっぱい集まる初期を避けて8月中旬とかに行けばいろいろ味わえるかもしれない。そのころはりんかちゃんコラボも始まっているから合わせていくか、男1人で。大丈夫? やってみなくちゃわからないならやってみる。

 バーチャルキャストってVTuber向けのツールを投入してニコニコ生放送やらニコニコ動画がYouTubeに持って行かれている現状をどうにかしようとしているドワンゴが、いよいよ本気を出してVTuberの事業で大攻勢をかける模様。その名もそのまんまのバーチャルキャストって会社を設立しては、バーチャルキャストのサービスを強化したりスマートフォンで簡単にVTuberのアバターを作って自分で使ったり、ニコニ立体というプラットフォームで公開できるようにするらしい。バーチャルキャスト自体はVRヘッドセットを使って入り込むタイプのもので、そこで配信している人にギフトを贈るサービスななんかがあって観客サイドから盛り上げていくことができるようになる。見る側の本気度も高まりやる側の意欲も上がるだろう。

 それからスマートフォンで簡単にVTuberのキャラクターモデルを作るサービスってのも出てくるみたいで、もう本当にサクサクとキャラクターを作っては3DCGのモデルにしてスマホ上で動かし、自分の顔の動きにシンクロさせて表情なんかを変えられる。これを使えばそれこそスマホで自分だけCGのキャラクターにしながら実況できたりする訳で、身を偽った生主とかになれるとあって臆していた人たちをいっぱい誘いそう。作れるモデルが美少女ばかりで、どうして誰もが美少女になりたがるんだろうという真理の裏側にある、美少女だからモテるといった状況への残念な思いもある。

 その一方で、美少女になれるという誘いの甘さもあっていろいろと考えてしまいそう。試してみるか、それでどういった影響が出るか。コミュニケーションが円滑に進むならたとえ美少女への甘さや逆の意味での舐めた真理も埋めて進むべきか否か。迷うなあ。あと「Vカツ」というパソコンの上でこちらも簡単にキャラクターのモデルを作成できるサービスが、バーチャルキャスト向けのデータ仕様にマッチしたファイル形式で出力できるようになるってのも、VTuberへの参加を加速しそう。誰でも簡単にVTuberになれる時代はもうすぐそこまで来ている。

 ただし、それが自分が有名になれるきっかけかというと、Blogがありニコニコ生放送がありTwitterがあってInstagramもあり今だとYouTuberがあってそしてVTuberへと移りながらも、本当にやる気と才能がある人、そして以前からそれなりに知名度のある人が持ち上げられ有名になっていって、他は有象無象に沈んだ状況を鑑みるに難しそう。甘い言葉で誘っても一過性のものとして終わる可能性だって割と高い。ただ、ペルソナを替えることで滞っていたコミュニケーションが進めば、そこに新しい会話が生まれ活動も生まれてくる可能性もないでもない。自分を偽り自分を隠すことで進む何かが世界を変える。そういった未来を夢見つつ、それを支えるための居場所を与えることがたぶん、全人類総VTuber時代に必要なんじゃなかろーか。ドワンゴはそうしたサービスを打ち出せるか。見ていきたい。


【7月26日】 1993年というともう28歳になっていて少しテレビアニメーションからも離れていた時期で、ましてや特撮ヒーローものとなるとすっかり縁遠くなっていたから当然、「電光超人グリッドマン」もテレビで見ることなく過ぎてしまっていた。まあ存在ぐらいは知っていたけれど、それが「日本アニメ(ーター)見本市」の中で雨宮哲監督によってTRIGGERというアニメーション会社でもって短編アニメーション化されて配信され、上映もされて改めて関心が及んでいたところに、テレビアニメーションとして復活することが決定。東京コミコン2017の会場で「SSSS.GRIDMAN」というタイトルも発表されて、この時代にいったいどんな話になるのか関心が高まった。

 それというのも「電光超人グリッドマン」はまだインターネットも普及していない時代にネットワークだとかコンピュータウイルスといった題材を持ってきて、それと怪獣バトルを絡めて描いたことで早すぎた特撮ドラマといった呼ばれ方をしている。今はネットワーク全盛であらゆるものがネットにつながっている時代、グリッドマンにだって活躍の場もあるだろうと思いきや、25日に「ウルトラマンフェスティバル2018」の会場で開かれた「SSSS.GRIDMAN」のスペシャルナイトで上映された第1話はグリッドマンこそパソコンの中にいて、広瀬裕太という少年が吸い込まれてグリッドマンと合体するまではネット的でも、あとは地上に現れ街を蹂躙する巨大な怪獣と戦うというもの。特撮的な重量感を出していた作画は凄かったけれど、ネットとかウイルスといったものとは少し離れていた。

 ただ怪獣が大暴れしてきっと大勢の人も亡くなっただろう大事件から1夜が明けて街は平穏で怪獣に壊されたはずの学校も元通り。いったいそこで何が行われたのかといった疑問がわき上がり、それは裕太たちが暮らしている世界そのものの成り立ちにも向かっていく。いきなり記憶喪失で現れた裕太の身に直前何が起こっていたのか。そんな興味から怪獣を送り出している謎の存在への関心まで、さまざまなハテナマークが浮かんで灯っているアニメーションが第2話でさらに驚きの展開を見せ、そして続く展開へと向かっていくうちに謎解きへの興味、考察への関心を呼んでぐわっと盛り上がっていきそう。「ダーリン・イン・ザ・フランキス」がエヴァ的でありながらもエヴァのようなムーブメントを起こさないまま通り過ぎようとしているだけに、10月からの「SSSS.GRIDMAN」が謎解きと考察の渦の中心に来たらTRIGGERとしても面目躍如、今を代表するアニメーション制作会社の名を確固たるものにできるんじゃなかろーか。期して待とうその放送を。

 エヴァといえば「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の予告編がもうネットに上がっていた。正式なルートからの配信みたいでこれを見に劇場に集まって来てくれる人を期待した配給側的にどうなんだろうと思わないでもないけれど、劇場で撮影をしてアップをしている人とかが現れたみたいで映画泥棒として罰金1000万円の刑に遭いそうなのはそれとして、そうした犯罪を抑止し違法アップロードを見ないようにするために、権利者がネットで公開を早めたってことなんだろう。現実問題その予告編を絶対に見たいと他に見たい映画もなく劇場に足を運ぶ人はいないだろうし、こそっと流してバズされはいこれでしたと見せて知名度を上げる作戦も十分に成功したから、このタイミングでの公開もそれほど外してはないんじゃなかろーか。

 改めて見ると真希波・マリ・イラストリアスがグラマラスなプラグスーツ姿でエントリープラグの中で頑張っていて、にやりとした顔がアップになってそれがシンクロするように8号機初期検討用モデルの挙動へと映っていく流れはやっぱり格好いいし、二丁拳銃のように両手でもって銃を撃ちまくる姿はエヴァであるにも関わらずクールでスタイリッシュ。そうした奮戦がだったら映画の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」に生きるかというと今の段階で誰もそうは思ってないところにこのシリーズのユニークさがあり、真面目に検討しようとする意識を削いで成り行き任せにしているデメリットがあると言えそう。本当にマリがいっぱい出てくるなら見るのは確実。純粋に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・Q」の続きならそれだけで見る意味はある。どっちだろう。どっちだって行くんだけれど。2020年が楽しみ。

 映画と言えばそれよりも先に来る「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」があって年末の映画興行戦線を席巻しそうな予感。言わずと知れたこうの史代さんの漫画「この世界の片隅に」を原作にした片渕須直監督の長編アニメーション映画「この世界の片隅に」を本来意図していた長さまで伸ばした作品で、あるいはこちらを改めて映画「この世界の片隅に」と言い現行のバージョンは「この世界の片隅に(抄)」と変えてしまうことだってできたンだろうけれど、予算の中でギリギリの選択をして作り上げた映画はそれでひとつのすずさんという女性を中心した世界の片隅の物語になていた。その身に自分を重ねて当時を思い今を考えるきっかけになった映画を、脇に追いやるようなタイトル改変を片渕監督がするはずがない。支持してくれた観客や賞を与えてくれた審査員への敬意だって損ねることになる。「この世界の片隅に」はそれで1本の映画なのだ。

 だったらより原作に近くなった「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は何かというと、すずさんだけでなくリンさんや他の大勢が世界の片隅に生きて感じていたことを改めて取り上げ、描いて大勢の人たちがその時代に生きて、今という時代へと続いているんだということを思ってもらうための映画ってことになるんだろう。もちろんリンさんとすずさんとの交情がメインになるんだろうけれど、それだけでなく台風による裏山とか家の破損なんかも入れつつ、大変な時代を大勢が生きた証をそこに見せてくれることになりそう。30分くらいは伸びるそうなんでトイレ対応が大変だけれどまあ、冬だし水分補給もそこそこにして「ブレードランナー2049」を見るつもりで見ていれば、すぐに入り込んで知らずエンディングへと導かれているだろう。どこが変わるかなあ。何が見られるかなあ。今から楽しみ。

 テレビで放送はされていたけれども録画だけして見ていなかった「東京喰種トーキョーグール:re」にちょっと興味が湧いてきたのは東京ジョイポリスでコラボレーションイベントが始まったから。花江夏樹さんをはじめ佐倉綾音さんや石川界人さん内田雄馬さん藤原夏海さんといった面々が組織を作って敵に挑むストーリーが繰り広げられているみたいで、コラボレーションの発表会に行って画像とか映像とか見たら戦闘シーンなんか迫力もあって結構面白そうだった。実写映画とかいろいろ話題になっていたけど原作が漫画なだけにアニメーションが雰囲気的にもマッチしてそう。花江夏樹さんが演じる佐々木排音というキャラクターにはいろいろ事情もありそうで、そうした背景なんかを深掘りしていくことによってのめり込めそうな予感がしている。問題は録画が残っているかだなあ、BDに焼いてしまうとそれがどこかに隠れてしまうんだ。探してみようHDDを。


【7月25日】 映画「この世界の片隅に」の広がり方も凄かったけれど上田慎一郎監督の「カメラを止めるな!」の拡大ぶりはさらに凄まじいようで、K’s Chinemaを中心に1部の劇場から始まったものが渋谷のユーロスペースとか川崎のチネチッタ、池袋のシネマロサなんかに広がりイオンシネマ大宮も含め名古屋のシネマスコーレなんかも巻き込みまずまずの実績を上げていたと思ったら、あのTOHOシネマズが「この世界の片隅に」にも開けなかったTOHOシネマズ六本木とかTOHOシネマズ新宿、TOHOシネマズ日本橋、そして新しく開業した旗艦店的なTOHOシネマズ日比谷で上映をするとかでいったいどうやったらそこに食い込めるのかと驚くこと仕切り。配給に入ったアスミック・エースの力ってことになるのかなあ。

 何しろ今は夏の映画興行真っ盛りで、次から次へと大作が公開されてはシネコンなんかはスクリーンの奪い合いが行われている。そのまっただ中に飛び込んでしっかりとスクリーンを開けさせるからにはただの実績以上の何かが働かないといけない。それが配給の力なのか、単純に上映を予定していた作品の成績が今ひとつでその時期まで集客を維持できそうもないことからスクリーンを開けてそこにぶち込んだ、なんてことがあったのか、分からないけれども予約が可能な都心部のスクリーンで見られるとうのはありがたい話。可能なら8月17日から上映がるイオンシネマ幕張新都心が誇る巨大なスクリーンULTRAでもって絶笑上映なんて仕込んでくれたら嬉しいんだけれど、ただし最初の37分は黙ったままで。あそこで笑われるといろいろ分かってしまうから。

 「けものフレンズマンチョコ」を買っては食らう日々。チベットスナギツネが出てアードウルフも出てPPPから参加のフンボルトペンギンも出たけれど、サーバルが増えてケツァールは3枚になってライオンも2枚になってとダブりも増えてきた。アライさんとフェネックはなかなか出ない。個人的にははやくヒグマが出ないかなあと思っている。シークレットについてはもういろいろと情報が出ているんだけれど、ツチノコというUMAとはまた違った方向性からの参加。こういうところを20枚の中に入れてくるセンスがビックリマンチョコなのかもしれない。サバンナシマウマとアミメキリンはまだか。第2弾があるならタイリクオオカミとやっぱりなコツメカワウソを。そしてかばんちゃん。ヒトだってフレンドなんだから。

 監督のラレコさんが紹介していてアメリカの、というより世界的な新聞のニューヨーク・タイムズがNetflixの番組紹介みたいなコーナーで、見るべき9本のオリジナル作品ってのを上げていてそこに日本のアニメーション「アグレッシブ烈子」こと「Aggretsuko」が入っていた。ほかは純粋にアメリカとかで作られたドラマみたいで、そんな中に入る日本の作品が入ることも、それがアニメーションであることも、なおかつ「Aggretsuko」であることも驚きに溢れている。2016年の1月末とかにサンリオエキスポでアニメ化とグッズ化がささやかに発表されていた程度で、その後TBSの「王様のブランチ」で1分間のアニメーションが放送されたものの今ひとつ。日本ではもう尻すぼみのキャラクターかと思っていたらアメリカでは爆発的な人気となってあのNetflixが直接新シリーズの製作に乗り出した。

 そして作られたシーズン1が4月から配信されてこれがまた爆発的な人気に。シーズン2が作られるところにまで至っていたのは承知の話だけれど、日本の並み居るアニメーション作品がNetflix上で配信されながらもそうではない「Aggretsuko」に注目が集まるのは、ちょっと興味深いところ。湯浅政明監督の「DEVILMAN crybaby」だって「I.C.O」だってあるのに。でもラレコさんって元は「やわらか戦車」の人でネット発のクリエイターだからある意味ではオタク的なクリエイター。そうした広い支持をバックに認知度を広げ、ファンワークスのプロデュースで作品を作りつつもしっかりと作風は維持しつつ、作り続けて世界に至ったのはやっぱり才能があったからってことなんだろう。今は中国発のコンテンツをアニメにしているけれど、続く「Aggretsuko Season2」で再びの爆発を呼んで欲しい。その前にいろいろと賞レースもかかってくるのか。何があるんだろう。アニー賞? エミー賞? アカデミー賞は違うけど、ともあれ世界のラレコとなる日は近い、かもしれない。

 Aqoursの「HAPPY PARTY TRAIN」を大きなスクリーンで楽しむイベント、って言っても良いような大げさすぎるような、そんな気がした東京アニメセンター in DNPプラザで開催中の「アニメと鉄道展」。箱根登山鉄道と「ラブライブ!サンシャイン!」がコラボレーションして作られたラッピング鉄道の第1弾第2弾が紹介されつつ第2弾が実車で走る場面にかぶせて「HAPPY PARTY TRAIN」が流され、そしてフルバージョンのPVも流さされては機関庫のような場所で踊るAqoursのメンバーをたっぷりと楽しめる。売店ではBトレインショーティも発売中だ。

 大きなパネルでのメンバー紹介もあって、これを見ることによって少し関心を引っ込めていた「ラブライブ!サンシャイン!」への興味も引き出せそう。生徒会長っぽい黒沢ダイヤとか髪型性格がちょっと気になったし、ゴージャスな雰囲気で胸も大きそうな小原鞠莉にも関心が向いた。ちょうど再放送が流れているしこれをきっかけに見ていこうかなあ。μ’sへの忠誠を引きずってなかなから見られなかったんだ実は。「HAPPY PARTY TRAIN」という楽曲がAqoursの中でどれくらいの位置づけにある曲か分からないけれど、PVの面白さとか振り付けの楽しさ、とりわけ動輪を動かす時のような指と腕の動きが見て楽しいんで実際のライブで声優さんが演じて歌っているところも見てみたいかも。西武ドームは行かなかったけど次、それこそ東京ドームでもあればのぞいてこようかな、チケット争奪戦になるのかな。

 他の展示では何かと話題の「この世界の片隅に」でもっぱら呉へと向かう鉄道とか呉の駅とか鉄橋とか、呉の街を走る鉄道なんかが紹介されていた。しっかりと取材して考証を注ぎ込み、それでも分からなかった部分は想像で埋めるかいっそ外すかして正確性を極限まで期そうとしたスタンスが駅と鉄道の描写からも見て取れる。三等車と二等車で将校は二等車に乗るとかいったあたり。そうやって描かれたかその絵が動くに過ぎないアニメーションからにじみ出るリアリティって奴なんだけれど、そんな考証を絵として持っていって作ったらやっぱりちょっぴりカチンと来るだろうなあ、そういう訝りがあるいは今回のドラマ版「この世界の片隅に」に対するコメントとして出ているのかも。どこへと落ち着くか。まあ遠からず長尺版と呼ばれるアニメーションが登場したらそっちへと関心が持っていかれるんだろうけれど。いつになるかなあ。


【7月24日】 なんだろうなあ、この事態。長編アニメーション映画「この世界の片隅に」の製作委員会が、TBSによるドラマ版「この世界の片隅に」がクレジットに「special thanks to 映画『この世界の片隅に』」と入れていることについて、「当委員会は当該ドラマの内容・表現等につき、映画に関する設定の提供を含め、一切関知しておりません」といった声明を出していた。気になるのはそこへと至った事情と心境。個人的に思うところがあるとすれば映画「この世界の片隅に」は片渕須直監督らスタッフが原作への誠実さ、時代というものへの正確さ、そして観客に対する正直さを保って臨んだことで大勢の共感を集め、作品そのものの良さとも相まって応援を呼んでここまで大きく広がったって印象がある。そうした誠実さや正直さとは反対側に位置しそうなTBSによるテレビドラマ版のスタッフに対してやるせない気持が浮かぶ。

 「special thanks」がクレジット的にどれだけの意味を持つのか、著作権の世界においてどういった事情なり権能から出されるものなのかといった知識はないけれど、単純に映画「この世界の片隅に」に色々とインスパイアされたことへの“参考資料”として掲示し感謝の言葉として捧げつつ、本筋としてはこうの史代さんの漫画「この世界の片隅に」をなぞっているんだという自負の元で記されたであったとしたらそれは映画「この世界の片隅に」の側が何か異論を挟む要はなかったかもしれない。

 ただ、ここで掲示された「special thanks」が映画「この世界の片隅に」における演技的なプランであったり画面的な構成であったり展開的な取捨選択および追加であったりを活用していることへの確認めいた言葉だとしたら、それは堂々と正式に映画「この世界の片隅に」の側へと申し入れ、確認を得ておく必要があるのかもしれない。権利的なやりとりが発生するビジネスのレベルなのか、ちょっと借りましたので認めてくださいといった礼儀としての挨拶なのかは分からないけれど、そうした声がけがあればこうした事態は起こらなかっただろう。

 まるで声がけはなく、そして「special thanks」といった言葉を添えて描かれたものが映画「この世界の片隅に」からの影響を受けていつつもオリジナルであるといったスタンスを崩さず、だから遠巻きに声は出したけれども直接的な挨拶は不要なんだよといった考え方でTBSのドラマ版「この世界の片隅に」のスタッフが臨んでいたのだとしたら、それは映画「この世界の片隅に」を支持して盛り上げ大ヒットへと至らせ、TBSによるドラマ版の製作も促したスタッフであり、ファンといったものがより所にした誠実さ、正直さから大きく外れてしまう。そこに怒りを覚える可能性があるだけに、TBSのドラマ版スタッフは誠実に正直に応対し、誤解があるなら解消しておく必要があるだろう。せっかくの深い物語をこうしたトラブルで埋もれさせてはいけないから。

 ブラジル代表で言ったらペレかジーコといったクラスで、イングランド代表ならオーウェンでもリネカーでもベッカムでも届かないボビー・チャールトンといったクラス、ドイツ代表なら若いミュラーではなくゲルト・ミュラーといったクラスか。すなわちレジェンド。そして長いナショナルチームでも1位2位といったあたりに位置づけられるレジェンドのサッカー選手が、トルコ代表ではハカン・シュキュルといったあたりになる。そんな選手が今、トルコという国にいられずアメリカのパロアルトでカフェを経営しているというからいったい何事かといった気持になる。日本代表でいうなら三浦知良か釜本邦茂選手が日本におられず海外で日本料理店を経営しているとでも言おうか。

 理由はトルコの政情で、エルドアン大統領が激しく強権を振るいクーデーター未遂の歳には多くを処刑した中で盟友でもあったはずのハカン・シュキュルにも疑惑が及んでトルコに帰るに帰れず、そのままずっとアメリカにいるという。資産もすべて差し押さえられ父親も拘禁されたというから本当に国家的な反逆者扱い。ペレやジーコやゲルト・ミュラーや釜本邦茂にそんな“国家の敵”のような疑惑が及ぶのか。そして日本を追い出されることなんてあるのか。そう思うとドイツ代表でもあったメスト・エジル選手らがエルドアン大統領を合って仲良くしたエピソードが、ドイツでいろいろと問題にされたことにも納得が及ぶ。自由の敵たる人間と、いくら親の故郷の指導者であっても仲良くするのは拙いだろう。

 もちろん。エジル選手がそのことをもって迫害を受けドイツ代表にもういたくないと思ってしまうに至ったことは問題で、そこはエジル選手を支持したいけれども一方でエルドアン大統領という存在をいつまで強要しておくかは世界にとっても大きな問題になっていくだろう。独裁者は国家にとっての英雄からだんだんと国家においても迫害者となる可能性が多分にあるから。そんなトルコ大統領と実は結構と仲良くしているのが日本という国の安倍晋三総理大臣。再選を果たした時も祝意を贈っていたくらいでこのままオリンピックとなって安倍総理×エルドアン大統領の体制が続いていれば、抱擁すらして来日を出迎えるんじゃなかろうか。でもそこに批判は及ばない。安倍ちゃんの味方は僕たちの味方といった考えの人たちが多いからなあ、あの界隈。いつか日本からもそんな体制を批判して居づらくなって海外に出て行くアスリートが出てくるのかもしれないなあ。

 川栄李奈さんが声をあてているリサという女子高生の顔立ちとかボディスタイルが気に行ったので実は初のなるポケモン映画鑑賞。「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」はタイトル通りに“みんな”がそれぞれにちょっとづつ足りていなくて、そしていろいろと引きずっているんだけれどそれをポケモンを得ることで、そしていろいろな人と出会うことで埋め合って、補い合って自分の壁を越え、殻を破り、とてつもない困難に挑んでそれを解決するという爽快感に溢れる話だった。

 足を怪我して入院している弟がリサという姉にフラウシティという場所で行われる「風祭り」へと行ってそこでポケモンを捕まえてきて欲しいと願う。ポケモンなんてまるで関わりがなかったリサだけれど、陸上でチャンピオンになりながらも足を怪我してちょっと休養、そして治ったもののなぜか復帰できずにいたこともあって、弟の言うことを聞いてプレゼントのサングラスも身につけフラウシティへと出向いていく。そこで出会ったのがカガチという中年男。妹とその娘のリリィといっしょに「風祭り」を見ていたけれどもどうにもほら吹きのところがあって、自分は凄いポケモンを保っているとリリィに自慢し、フラウシティにやって来たリサが見せた弟が欲しがっているというポケモン、実はありふれたイーブイだけれどそれをレアだと言い山にいると言ってリサを驚かせリリィを喜ばせる。それが後に誤解を呼んで喧噪も招いてフルシティと「風祭り」に大変なことを引き起こす。

 ほら吹きでああってもカガチはポケモントレーナーとしての腕は確かなようで、ポケモン研究家でありながら発表が苦手なトリトという青年から自分の代わりに発表をしてくれるならという頼みを聞き入れる代わりにポケモンを借り「風祭り」の中でのポケモンゲット競争に参加し良い腕を見せて1位を獲得する。そこまでの凄腕がどうしてほら吹きになってしまってポケモンの1匹も持っていないのかが気になるところだったけど、そういう詳細な説明がなかったのがひとつ寂しかった部分か。それはトリトにも言えることで、気弱な研究家だけれどそれでも地位を得ているあたりに凄い秘密がありそうなのに、自虐的で引っ込み思案の冴えない青年になっている。天才性ゆえに周囲から惹かれているのを誤解して自分は嫌われていると思っていたとか、そんな説明があったらキャラクターとして膨らんだかもしれない。

 ただそれをやっていると映画も3時間くらいになってしまう。「みんなの物語」というタイトルにあるみんな、つまりはカガチやトリトやリサやポケモン嫌いになってしまったおばあさんのヒスイ、そしてフラウシティの市長の娘で何か秘密を抱えているラルゴの物語にも目配りをしながら、それぞれが自分について問い直し、助言も得て前向きになっていくストーリーを描くには、間引くしかなかったエピソードもあったんだろうとここは理解し、想像で埋めることにしよう。

 フラウシティがルキアという幻のポケモンに護られている理由、それが50年前にちょっとだけ大変になってしまった事件、そこで起こったある出来事、そこから生まれたある伝説が今へと引っ張られた挙げ句に誤解を呼び、曲解も生み、偶然の重なりもあって大変な事態を招き、50年前と同様の出来事を引き起こしながらも今度は誰かに責任を押しつけることなく、誰もが自分自身に欠けていた勇気を振り絞り、ポケモンと手を取って事態に挑む。一緒にやれば何でもできる。勇気があればどんなことでも突破できる.走れなかったリサが走り嘘ばかりついていたカガチが本物になろうと頑張り、自分を出せなかったトリトは仲間に向かって自分をぶちまけ、親に秘密を持っていたラルゴがすべてをうちあけヒスイは哀しみを埋めて今を選ぶ。それらのどこかに自分と同じような悩みを感じ取り、自分だったらこうするといった気持を抱いてちょっとだけ、成長した気持になれる映画。それが「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」かもしれない。

 悪さを仕掛けて大変な事態の遠因をつくったロケット団も悪さを止めて成長できたかというとそれは狂言回しみたいな存在だから無理だろうけれど、しばらくはジュース売りをしていたのは悪さを痛感した半生かどうなのか。いずれにしても少年サトシと相棒ピカチュウのバディ&冒険ストーリーという子供が感情移入しやすい設定ではなく、サトシ&ピカチュウというスーパーヒーローたちを脇におきつつ様々な普通の人々の、普通だからこそ持っている悩みや苦しみや後悔を浮き彫りにして光明を与える展開にしたことで、「ポケットモンスター」とは縁遠い僕でも楽しむができた。そこはリサという少女のビジュアルの良さがあり、オリバー市長の秘書のパンツスーツスタイルへの好ましさがあったからでもあるけれど、一本調子ではないストーリー、続編的ではない設定の上に構成によってひとつの寓話を描き出し、メッセージをもたらすアニメーション映画であったことも大きいかも知れない。こういう映画が続けばポケモン映画もまた見たいかもしれないなあ。


【7月23日】 見たぞ見た見た、上田慎一郎監督の「カメラを止めるな!」は噂に違わず面白すぎて面白すぎて語りたいけど何を語ってもこれから見る人の興を削ぐからほとんど語れない。それでも少しだけ触れるなら最初の37分間、ワンカットでゾンビ番組を撮ってる場面を撮ってる映像でおやっと思った部分についてはちゃんとおやっと思える理由がちゃんとあった。そこを感づきつつ噂として流れてきた情報を含んで見ていた最初の37分間の面白さが、残るストーリーの上でよりいっそうの爆笑となって迫ってくるから素晴らしい。1度目はだからぼんやりと感じつつくすっと笑って見てそして、2度目は見ながら大爆笑、となるとそれは初めて見ている他の人の興を削ぐから自分自身の中で含んで笑ってそして、残る時間をより激しく爆笑するのが良いのかも知れない。

 語れるところの無さをもう少しだけ踏み越えて語るとしたらゾンビ番組の監督としてカメラを回している監督のいきなりのセリフの心がはき出されるような叫び突っ込みに共感を覚えた監督のきっと多かったところだろう。そこを軸にして暴れ回るとそれはどこか筒井康隆的なスラップスティックになってしまうんだけれど、そうはしないで全体の中のパーツとして押し込みつつ他の面々の抱えた鬱憤、抑えた欲望を露わにさせて画面の中、スクリーンの上で繰り広げられる完成された映像の外側にある諸々の存在といったものを感じさせる。映画なり演劇なり創作に携わる人たちにとって見れば浮かぶ感情にも深いものがあるだろう。

 きっと浮かぶ有名俳優たちによるリメイクって話もこれは長編に出演するのがほとんど初めてという役者たちによって繰り広げられるからこそ漂うぎこちなさであり、素の部分からでる本物らしさを損なう恐れがあるからやっぱりこれはこれでひとつの金字塔として永遠に語り続けるべきだろう。それとも有名俳優たちによるリメイクを作っても一筋縄ではいかない新たな構造、新たなレイヤーを付け加えてもっと凄まじい映画にできるか否か。そこがこれからいろいろ語られる部分になるかもしれない。

 ともあれ凄いとしか言い様がない映画。素晴らしとしか言いようがない作品。出演者では日暮隆之役の濱津隆之のおっとりとしてからの豹変ぶりが素晴らしかったし、日暮晴美役のしゅはまはるみの役者ぶりも楽しかった。松浦早希役の浅森咲希奈さんは眼鏡ってことで星が乗るけど走ってこけて腰が見えたところもグッときた。松本逢花役の秋山ゆずきさんは頑張ってたなあ。ホットパンツ姿で走り回る姿態を追いかけるだけでも目に楽しい。ほかにも独特な渋みを持った出演者たちが上田慎一郎監督の当て書きの中で輝いたけれど、他の作品でどんな演技を見せていってくれるかが今は興味津々。日暮真央役の真魚さんとかセリフのキレが素晴らしいものなあ、きっと活躍していくだろう。

 興行通信のミニシアターランキングでも遂に1位に躍り出た「カメラを止めるな!」。これだけ話題になって観客にも大受けしているならばきっと映画祭でも台風の目になるだろう。日本アカデミー賞すら作品の価値的には狙えるけれど、大手の映画会社に互助会的な映画祭だからインディーズではきっと絶対無理だろう。だから仮にインディーズであっても上に行ける映画祭を総なめにして欲しいところ。奥様のふくだみゆきさんが「こんぷれっくす×コンプレックス」でアニメーション映画賞を獲得した毎日映画コンクールで日本映画大賞を受賞するのが展開として楽しく美しい。話題性から言えば十分に狙えるところなので期待して発表を待とう。

 喜多川信さんんの「空飛ぶ卵の右舷砲」が人類の行き過ぎたテクノロジーが生みだした存在による人類への挑戦と、それを受けての戦いを描いたストーリーだとしたら、宇枝聖さんの「アルビオレ・スクランブル」(電撃文庫、630円)は地球にあっても人類には未踏の場所だった極限環境から現れ人類を襲い始めた極限生物を相手に、人類が生存をかけて戦い続けるというストーリー。高温のマグマの中から現れたちどころに高高度の空や超深層の海で爆発的に増殖して人類の生存権を脅かした極限生物に対抗するべく、人類はベゼル・キャリバーなる一種のロボットを作りそれに適合したパイロットを乗せて挑んでそして、ひとりの英雄的な活躍によってどうにかこうにか極限生物を撃退する。

 とはいえ殲滅はできず未だ残って現れる極限生物を相手に戦う組織は維持され、かつての大戦で生き残った霞目吹雪や黒江祥子といったパイロットたちが強い敵を相手に戦いつつ、新しい操縦者を養成する動きも進んでいた。そんな拠点で働くひとりの青年が若松疾風。かつての戦いで英雄のひとりとして活躍しながらも今はベゼル・キャリバーから降りて基地の中にある食堂で過去を隠して料理人として働いている。もちろん吹雪は疾風の正体を知っているし基地の司令官も黙認。時々戦ってそして戻って食事をしといった日々が大きく揺らぐ。

 極限生物に大量発生の兆し。それが狙うのは疾風がかつて操縦していた黒いベゼル・キャリバー。戦線に復活できない理由を抱えた疾風は臆するものの、吹雪も祥子も倒された中で後がない状況下、自分が教官となって教えていた2人の落ちこぼれ搭乗者候補生を伴い戦線へと復帰していく。そんなストーリーではかつての英雄の怠惰に見える日常があり、それでも重用されるその能力を次の世代に受け継ぐ役割を果たす展開があって、受けて落ちこぼれだった候補生たちが自分たちの持つ能力に気づいて一種の覚醒を果たす場面もあったりと、複数のキャラクターたちに見せ場が用意されていて読んでいて1本調子にならない。

 そして本当の英雄めいた存在がぽっかりと穴のような場所にいて、疾風や吹雪や祥子といった面々にある種の後悔めいた感情を与え続ける。その存在は誰で、今はどうなって、これからどう関わってくるのか。そもそも関わってくる可能性はあるのか、等々の疑問に対して答えが紡がれるだろう続きに今は期待が及ぶ。極限生物は果てしなく強大でなおかつしつこいようで、殲滅が可能かは怪しいところ。でもそうしなければ人類にもはや未来がない切羽詰まった状態を、どうやって乗り越えて物語を完結へと導くのか。そこにも注目したい。2人の若き英雄候補が本当の英雄になれるのかも。狂言回しで終わらせず、その才能を取り込み誰もが英雄になれるような展開を期待だ。

 これは本当にいけない。とある国会議員がLGBTについて雑誌への寄稿で生産性がない等々の差別的な言説を振りまいて、それに対する意見があっても自分は自民党の中で支持されているからと嘯いたツイートをしていた。ところが脅迫があって警察に指導されたという言い訳をして、当該のツイートを消してしまった。もちろん脅迫という行為は断じて許容できるものではない。だから警察に相談するのは当然だけれど、それを理由にした削除には、内容への反省が一切ない。謝る気持ちはさらさらないってことだろう。だから今後も追及の手は止まない。国会が開かれていない中でどう追求していくかが今後は問われそう。

 拙いのは、そうした敬意を説明するツイートで、脅してきたという相手の属性を本当かどうかも確認せず脅迫者として公表し、非難の矛先を真偽不明のまま特定勢力に向けさせている点。騙りであってもそう言われたんだからと訴えてしまうヤバさにまるで配慮していない。そしてそうした主張にまるまる乗っかる自称するところの全国紙。騙りか否かの検証を自分で行わないまま、国会議員の一方的な言葉だけを取り上げ特定勢力への非難を増幅している。このやり口で行けば差別的な言説で扇動し脅されたからと排除を煽ることだってできてしまう。そうした可能性への想像力がまるで働かない言説の空間が、与党であり権力のバックアップで公然と存在している今の状況がどうにもこうにもいけないんだけれど、それに気づいている節が国会議員にも自称するところの全国紙にも欠片もないんだよなあ。参ったなあ。


【7月22日】 昨日、「けものフレンズ×東京フィルハーモニー交響楽団『もりのおんがくかい−Final−」に行く前に立ち寄った九段下の昭和館で見た「昭和館で学ぶ『この世界の片隅に』」では入って正面に海軍文官従軍服がマネキンに着せてあって、向かいに割烹着の女性のマネキンもあって周作さんとすずさんが向かい合っているようだった。あのぼたっとした記事の感じとか漫画とそれが原作となったアニメーションがそのまま抜け出してきたよう。当時の人に体型とかからすればああいった見た目になったんだろうなあ。別のケースには配給の服が展示してあってセパレートの子供用水着があったんだけれど胸にフグがぷくぷくと泡を吹き出している刺繍がしてあった。

 いっしょにあったジャンパースカートも含めてセンスは結構おしゃれ。戦前って暗黒じゃなくって大正デモクラシーから昭和初期のモダンボーイモダンガールな時代を経てファッションセンスは世界でも相当なところを行っていたんじゃなかろーか。中原淳一さんが描いた戦中のファッションとかもうモダン。それでいてすぐに工場とかで働けるようにもなっているとか添えてある。もんぺとか国民服とか一色じゃなくワンピースもあばパンツスーツもあったんだなあ。そうした考証が生かされているからすずさんは割と戦中もワンピースを着て歩いている。実写ドラマではそこがどうなるんだろう。見るのが怖いから伝え聞く評判で想像しよう、その価値を。

 軟弱っぽい眼鏡男子が登場していたかがみあきらさんんが1984年に亡くなられてしばらくした1985年、眼鏡男子で軟弱だけれどマッドなところもある男子を描いてデビューしてきた永野のりこさんが32年目にして第49回星雲賞でアート部門を受賞してここまでに積み重なってきた時代といったものをちょっと感じる。というか漫画家で「Si−Fiもーしょん!」というSFを冠した漫画でデビューしながらもアート部門とうこのズレは、漫画とは別に1枚絵を描いてそこにSF心を込めるようになったことの成果が出たってことになるんだろうなあ。

 例えば永野さん、ここんとろころ確か開田裕司さんとかが参加している「幻獣神話展」にも出してSF的ファンタジー的なイラストで勝負するようになっていた。SF方面い影響力のある人たちも多く出展しているイベントを通して、SFファンの間にそちらの人として認知を広げていったのかもしれない。アニメーションや漫画の展覧会が結構開かれる銀座のスパンアートギャラリーで個展も開いて漫画だけじゃなくイラストも見せていたし。今後もイラストで行くのか漫画もまた描くのか。楽しみであると同時にかがみあきらさんが存命だったら何回くらい星雲賞を受賞していたかもちょっと考えるのだった。34年目の夏が来る。

 第49回星雲賞ではほかに聖悠紀さんの「超人ロック」生誕50周年を記念したトリビュート活動が自由部門を受賞し、マンガ部門は石黒正数さんの「それでも世界は廻っている」が受賞。「それでも世界は廻っている」はよくミステリーの方でも話題になっていたから、SFでの評価はそれだけ多彩な切り口を持った作品だって現れだろう。最後の方とか超越的な立場からのやり直しめいた描写があってSF的神話的様相を呈していたいものなあ。海外長編部門は「巨神計画」で続編「巨神覚醒」にも弾みが付きそうだけれど確かこれ、3部作だったっけ、読み始めるタイミングが難しい。海外短編部門は「折りたたみ北京」か。読んだっけ。

 日本短編部門は柴田勝家さん「雲南省スー族におけるVR技術の活用例」が受賞。これも凄かったけれど個人的には草野原々「エヴォリューションがーるず」が受賞して実質「けものフレンズ」の2冠達成を実現して欲しかった。だって実質「けものフレンズ」だし。日本長編部門は宮内悠介さんの「あとは野となれ大和撫子」で、中央アジアにある架空の国が舞台の政争紛争めいた話がSFかというとポリティカルフィクション的な部分とか、巨大な湖を干上がらせてしまった部分なんかに来たるべき可能性への示唆が込められていると言えるかも。まあ宮内さんは元からSFの人だから書けばそれはSFなのだ。そういうことだ。

 necodethさんのネット小説大賞金賞受賞作「おっさんたちの戦いはこれからだ! 勇者パーティーの初期メンバーだった商人は勇者を使い捨てた大国にブチギレしました」(宝島社、1200円)が相当に面白い。タイトルがすべてを説明して待っている当りとか、おっさんというタームを使っていたちろかネット発の四六版ソフトカバー作品に倣い過ぎているゆで、そういったフォーマットに乗せないと売れないとでも思っているのかと疑問に思うけれども目に付く機会がそれで増えるなら別に良いのか。

 そして中身はといえば人生経験があって経済とか社会とか政治に関する知識があり、人脈も豊富な40歳の商売人がかつての仲間で少女に見えるけど20歳くらいらしい勇者の危機に立ち上がるという展開。まだ30くらいだったその男、バラドが見かけた少女は10歳くらいでヴェルクトという名で、魔王の軍勢を相手にとてつもない強さをを見せたけれども財務はからっきしだったことから、バラドが世話していっしょに魔王軍と戦う旅をしていたらいつの間にかヴェルクトは勇者となり英雄となっていく。

 そんなヴェルクトたちのパーティーに商売しか取り柄のない、戦うことが不向きなバラドは不要とされ、自分でも納得をして退き勇者といっしょに廻っていた時の人脈を生かして商売を始めて大成功を治める。やがてヴェルクトたちの活躍で魔王を倒すところまで行ったものの、そこで勇者やパーティーの仲間の多くが死んでしまう。裏切ったのはパーティーにいた王子メイシンとその配下の密偵アスラ。そのことを察知したバラドはヴェルクトが倒されたという城へと向かい、メイシンによって地下に閉じ込められていた聖女と魔剣士を救い出し、事情を聞かされヴェルクトが甦る可能性にも気づいて遺体となって保管されているヴェルクトの救出、そして裏切り者の討伐へと向かう。

 宇宙の根源にある光と闇の代理戦争にもなっていく感じの戦いで、ただの商人でありながらもバラドが見せる強さがある意味で特徴的。才能による俺TUEEEではなく財力を生かし人脈も駆使して集めた材料で魔力を取り込み作った鎧を身にまとい。自動で魔術を発動させ魔法を繰り出して強敵を相手に戦っていく。それは大富豪のトニー・スタークが財力でもってパワードスーツを作り、身にまとって正義を貫く「アイアンマン」のよう。ただ理由も泣く才能があるから強いといった展開ではないところに、大人が読んでも面白がれる納得力がある。勇者の仲間だった聖女や魔剣士を引き入れ、外伝として示されたとてつもなく強いエルフも味方にして挑む戦いの行方は。続きが出たら手に取りたい。

 「練習直後に倒れ…亡き女子マネジャーへ、捧げる2本塁打」という記事を朝日新聞が載せていて、体が弱い中を頑張っていた女子マネジャーが亡くなった話にしてもケアが拙かったという部分で美談にはならないだろうと思って調べたら、何と3キロ以上も離れた場所から普段だったら乗せて帰るバスにけが人を乗せたため、走って帰らされた女子マネージャーが到着して倒れ、放っておかれて低酸素脳症になりそのまま亡くなったという事故というよりもはや事件の体すらある一件を受けての話だった。これはダメだ。ダメ過ぎだ。

 だって野球部全体が女子マネジャーを死に追いやったような話だから。その責任は喪に服して1年2年といったあたりで、中には自分たちが面倒を見られなかったと責任を感じて野球を止める部員がいたって不思議はない。それなら美談めいて語られるけれど、これはそうした責任をまるで感じていなさそうな学校と野球部員が、負けたけれども試合でホームランを打ったから女子マネジャーも喜んでくれるんじゃないかと言っている話。娘を奪われた親が聞いたら激怒しそうな内容だけど、それを美談めいて記事に書いてしまえるところに甲子園という題材、高校野球という題材を得て記事を書くときの朝日新聞の意識の程度が滲んで見える。甲子園有理とでもいうか。早速批判も起こっているけど知らぬ顔してスルーして、次の美談を全国の支局の若い記者に探させるんだろうなあ。そうやって現場もデスクも心を摩耗させていく。やれやれ。最初から愛国有理に固まっている所よりはましかも知れないけれど。


【7月21日】 あえて「Final」と銘打つからには東京フィルハーモニー交響楽団はもう「けものフレンズ」に関連したクラッシックのコンサートはやらないってことなんだろうか。あれだけのアレンジをして練習もした楽曲をこれで“封印”してしまうことがちょっと信じられないんだけれど、続けてもあまり意味がないと感じたのかそれとも続けられない理由でもあったのか。そんな思いがいろいろと浮かんでしまった「けものフレンズ×東京フィルハーモニー交響楽団『もりのおんがくかい〜Final〜』」。観客だって当日券は出てもそれなりに埋まっていたし、盛り上がりだって凄かったから続ければ続けられそうな気もするんだけれど……謎が多いよこのタイトルは。

 けどそうした切迫感もあってか、観客の思いも強かったようでコンサートは最初から最後まで誰もが演奏に聴き入り、演奏が終われば拍手を入れてそして指揮者が指揮に向かおうとするとピタリと止むクラシックならではの雰囲気がちゃんと作られていた。アニメーション「けものフレンズ」の主題歌やサウンドトラックを巧みにつないで組曲めいた感じに仕上げ、舞台「けものフレンズ」のサウンドトラックも織り交ぜ幅を広げ、そして最新アルバム「ペパプ・イン・ザ・スカイ」の中でフルルが歌った「やくそくのうた」も入れてくる。色々と思いを込められそうな歌、思いが浮かんできそうな歌だけに聞けば涙の人も多かったんじゃなかろーぁ。

 そしてアンコールに入って「ようこそジャパリパーク」をさまざまな楽曲に混ぜず三味線の人も入れて演奏。この時は観客に拍手を誘い歌も呼びかけてそれには観客もちゃんとのって最高潮の気分に浸ることができたその上に本当の最後に持ってきたのがクラッシックにアレンジされたアニメーション「けものフレンズ」のエンディング曲「ぼくのフレンド」。コンサートマスターの第1バイオリンが奏でる旋律から全体の変奏へと流れあのメロディが形作られた時には本当に涙が出てきた。それは周囲でも同じだったようでハンカチで目をぬぐう人が続出。「つまりはこれからもどうかよろしくね」という歌詞を思い浮かべて続きがあると思いたいものの、「Final」と銘打たれたからにはこれをもって終わりと考えるのが普通。でもそこに込められた思いをくみ取るならば東京フィルハーモニー交響楽団にはまだまだやる気はあるんじゃないかとも思えてきた。

 その思いを形にするためにも僕たちは「けものフレンズ」という作品を決して見捨ててはいけないし、とりわけアニメーション版「けものフレンズ」をいくら運営が亡き者にしようとしても埋もれさせてはいけない。そのためにもことあるごとに存在を口にし、作品への評価を言葉にして形にして世界に訴え続けるのだ。声さえあれば、評判さえあればいつか必ず復活の目はある。ガンダムだってヤマトだってそうやって今に至るコンテンツとなった訳だから。原案者の量産されるイラストばかりが前面に出て中身の伴わないゲームとかが蔓延るけれど、それだってちゃんとした主題を保ちストーリーもあり世界観も強烈だったアニメーション版が作った強度があったればこそ。「もりのおんがくかい」だってだから開けるし「けものフレンズがーでん」にも人が詰めかける。サーバルちゃんとかばんちゃんの旅はまだ途中。それを忘れないで居続けようと改めて思ったのだった。

 そう、まだだ、まだ「けものフレンズ」の旅は終わっていない。いっしょになって旅をしたいと思っている人が大勢いるうちは、たとえ先が見えなくなっていても、道が途切れているようでもきっと先に道は開ける。そして続きが描かれる。そんな一助になりそうな出来事として「けものフレンズ」が第49回星雲賞のメディア部門を受賞。あくまでも参考とはいえ候補作にはドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「メッセージ」があり同じヴィルヌーヴ監督の「ブレードランナー2049」もあってSFファンの関心をグッと引きつけていた上に、アニメーションでも「正解するカド」があり「ID−0」があり「Re:CREATORS」があってと激戦だった中を見事勝ち抜き受賞した。

 これは凄い。ちょっと凄い。星雲賞は一般投票ではなく第58回日本SF大会ことジュラコンに参加する人だけが投票権を持っていて、そこに来るのは名うてのSFファンばかり。合宿タイプだからなおのこと財力もあって経験も豊富な参加者たちが投票で選んだとうことは、つまり「けものフレンズ」はテッド・チャンとかフィリップ・K・ディックといったSF史に残る人たちの原作なりを元にした映画よりも、そして名うてのアニメーション監督たちが手がけた作品よりもSFファンの支持を集めたってことになる。どうしてか。SFだったからだ。

 これは嬉しい。さすがに日本SF大賞はとれなかったけれど、星雲賞という知名度においては並び立つSFの賞に輝いたことで「けものフレンズ」はしっかりとSF史に刻まれ、それとともに大勢の記憶に受け継がれていくことが決定した。もはや消せない。沈められない。たとえそうしたいと思う勢力があってももう手遅れだ。ジュラコンの会場にたつき監督が受賞者として登壇して賞状と副賞を受け取っていたけれど、コメントでも盛り上がった空気感は残らないものだけれど、SFファンは化石的な保ちのよさがあると話して空気を記録してくれる媒体として信頼していると話してくれた。その信頼に答え受け継ぎ残しなおかつ訴え続けることで、いつかたつき監督の構想による続編といった可能性もあるような気がして鳴らない。薄い希望だとしても抱き続けることでいつかつながる。そう信じてこれからも応援し続けよう、アニメーション版「けものフレンズ」を、それを手がけたたつき監督ら一堂を。

 いやあ、これはどうしたものだろう、映画「BLEACH」はなるほどキャラクターや設定といったパーツはちゃんと「BLEACH」で、そしてシリーズの冒頭はこんな感じに進んでいたのかもしれないけれど、すでにシリーズを終えてあらゆるキャラクターの性格や属性や強さも明らかになっている中で、昨日今日死神のそれも代行になった程度の人間を相手に、護廷十三隊の隊長クラスが何度も切りつけそれで倒せないなんてことがあって良いはずないだろうと誰もが感じたんじゃなかろうか。でも黒崎一護は朽木百哉を相手に何度も斬りつけそして斬られてそれでもちゃんと命を保っている。一瞬で首だって飛ばせるはずなのにどうして百哉は一護を生かした? そういった疑問に説明もないままロータリーでのチャンバラで話をまとめてしまって、壮大で遠大で長大な「BLEACH」という作品の醍醐味の欠片も味わわせようとしない。

 原作を知らない人が見て面白いと思ったんだろうか。そこが気になる。石田雨竜だって刺されてなんで生きている? まったく訳が分からない。まあアクションは凄いしVFXも頑張っていたからそうした面では日本の映画も進んだと言って言えるけど、原作の表層をなぞってキャラクターを並べ書き割りのようにセリフを言わせて話を進めたところで原作ファンの驚きや感嘆を誘えるかどうか。大いに気になった。まあそれでも救いはあって朽木ルキアを演じた杉咲花さんが制服姿でスカートから太ももをのぞかせながら殺陣とか見せてくれるシーンはなかなかに目の薬。もちろん見える訳ではないしスパッツめいたものの影ものぞくけれど、あの足をしっかと開き大地を踏みしめる仕草とかもう格好いい。そうした部分をより所に見ていく分には楽しめるだろう。問題は死神に復帰し装束をまうと足がもうのぞかないってことか。どうするんだ続編。っていうか作られるのか続編。松本乱菊が登場して開けた胸を拝ませてくれることに期待して待とう。


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