縮刷版2018年5月下旬号


【5月31日】 試合の開始直後から、フォワードにいる選手が相手のゴールライン近くまで突っかけてディフェンスラインに並ぶ日本代表の選手たちにプレッシャーをかけ、そして攻められると戻って守備陣形を固めて5人6人7人と人を増やして日本代表の選手が飛び込んだり、ボールを入れたりするような隙を作らない。だったらボールを素早く前へと運びつつ別の選手がまだ手薄なガーナ代表の守備の脇とか裏とかに飛び込み、ボールを受けてシュートへと持ちこめばチャンスだって増えるものを、せっかくゴールライン際まで運んだボールをなぜか止めてはそこで周囲を伺い、固まった場所にいる味方のあたりに放り込むだけ。これではフィジカルに勝るガーナ代表のディフェンスを越えてボールをゴールにたたき込むなんてことはできない。

 逆にガーナ代表は素早い前へのフィードから数人でボールを持って慣れない3バックにした日本代表の裏を付き、戻ったディフェンシブハーフの体制が整わない中でつっかけファールをもらってはフリーキックでまず1点、そしてペナルティキックでもう1点といった具合に確実にチャンスを決めていく。それはフリーキックの精度だとかいった問題ではなく、そうした状況を作らせてしまった守備であり攻撃であり日本代表といったチームの戦術の問題。というよりそこに戦術は果たしてあったのか、ガーナ代表の速攻を抑え日本代表の攻撃を成り立たせるためのプランはあったのかを、検証して欲しいのだけれど今の大手スポーツ紙を中心としたサッカーメディアにそうした戦術分析を行うジャーナリストはいない。いてもきっと書かせてもらえない。

 出てくるのは香川真司選手がプレイをした、そして本田圭佑選手がミックスゾーンで自分は選ばれると言ったといった話ばかり。ガーナ戦において日本代表の中で本田圭佑選手がどういった役割を果たしていたのか、香川真司選手のプレイは90分間を戦い抜いてなおクオリティを保ち得るものなのか、そうしたプレイはFIFAワールドカップ2018ロシア大会の中で対戦相手となるコロンビア、セネガル、そしてポーランドを相手にどういったタスクを果たし得るものなのかといたことを書いて欲しいんだけれど、勝負をした、勝った、抜いた、シュートを打った、惜しかったといった言葉ばかりではもはや誰も納得しない。なぜなら僕たちは五百蔵容さんによる「砕かれたハリルホジッチ・プラン 日本サッカーにビジョンはあるか?」(星海社新書)を読んでいるから。

 本来だったらサッカー日本代表を率いてワールドカップに臨むはずだったヴァイッド・ハリルホジッチ監督が、どういった戦い方を見せるのかを解説してこれまでの試合の中で積み上げてきた戦術を解説し、ハリルホジッチ監督の有用性を世に問う本だったはずが、なぜかコミュニケーション不足を指摘されて突然に解任されてしまったことで発売が延期に。そして中身を改めて刊行された本でもたとえばアジア予選の天王山ともなったオーストラリア代表戦で見せたハリルホジッチ監督の采配を分析して、相手をよく見て長所を潰し短所をえぐって勝利する、監督としてきわめて正しくてまっとうな仕事をしてきたことが明らかにされている。読めばこうした分析とそれに対応した戦術の徹底によって、レヴァンドフスキを擁するポーランド代表に互した戦いを演じられたかもしれないと思うだろう。

 けれどもハリルホジッチ監督はもうおらず代わって就任した西野朗新監督は戦術を試すとうより選手を見せることに終始していた感じで、どんな相手にどういったプレーをしてどういった結果を見せるのか、といった課題を掲げて取り組んでいたようには見えない。逆に3バックという“秘策”を見せてはその弱点をさらけだし、終盤になって守備を固めた相手に対して友好な手立てを打てない様を見せただけ。パワープレイで1点もぎ取るといったオプションも示せないのはザッケローニ監督下でパワープレイをしようとして大物選手たちにハブられたトラウマがあるからなのか。それを排除してラストのオプションを設ける考えはあるのか。すべては選手選考にあるのだけれど……。

 そして発表となったFIFAワールドカップ2018ロシア大会に臨む23人の日本代表は、香川真司選手も本田圭佑選手も入って風吹かず。岡崎慎司選手も入って“ビッグ3”は誰も落ちなかったメンバーを見て、これをやりたかったからこそ西野監督を起用したんだろうといった想像が膨らんでしまう。大迫選手に武藤選手に原口選手がだいたい前目で活躍すれば本田圭佑選手はともかく香川真司選手は出る幕がなさそう。それでも入れる理由は何か? 南アフリカ大会で中村俊輔選手をメンバーに入れながらも試合にはほとんど射さなかった岡田監督なみのドライな判断が出来るかってところにも関心が向かう。3カ月も試合に出てない選手が1カ月でフィジカルを取り戻して試合勘も戻るとは思えないものなあ。それでオプションを1つつぶして得られるのは何? 未来を削って今を稼いで何になる? 日本代表のサッカーはここから終わっていくのかもしれない。もう終わっているかもしれないけれど。

 EPISODE2に入ったみたいな「ルパン三世PART5」をようやくそこから見始める。アルベール・ダンドジレーというかつてルパン三世とその称号を競い合うくらいの相棒だったものが今は泥棒稼業から足を洗ってフランス司法警察で警視をやっている男が登場。同性愛者という設定がさらりと出てきてそれを説明抜きに分かってもらえる時代が今ってことなのか。でもって展開はガストンという偽造の天才がピカソのサインを入れた絵をルパンに盗み出して欲しいと依頼し、ルパンが何と峰不二子に化けて持ち主に近づき金庫に忍び今で絵を得るも、持って行ったガストンは1カ月も前に殺されていたと知って愕然。でもって絵に入っていた手帳をめぐって騒動が持ち上がる中、ルパンはアルベールと再会を果たす。

 絵の裏に手帳が入っていたならルパンだったら持てば分かるだろうとは思うけれど、そういうところまで巧妙に細工がしてあったとここは理解。でなければ車を動かすのにいちいちキーをひねるとか直結させるとかではなく、遠隔操作でドアを開いてエンジンをかける装置を用意しているとは思えない。そんな隙の無い設定は銃器の描写なんかにもイカされていて、アルベールが持つルガーP08もルパンが持つワルサーP38とか次元大介のS&S M19あたりと同様にしっかり作画されていた。手書きかなあ、CGかなあ、今時のこうしたガジェット描写がちょっと気になた。車もどれもリアルなものばかり。それを手書きで描いていたファーストの頃の大塚康生さんはやっぱり凄かったってことで。ストーリーはどこへ向かうか未だ見えず、立ち上がったアルベールはルパンと共闘するかそれともぶつかり合うか。残る話数はリアルタイムで見ていこう。

 アメリカの人気番組に主演していた女性コメディアンがツイートでオバマ前大統領とその支持者だった女性を誹謗するツイートをしたことが問題となって、番組そのものが即座に打ち切られたとか。視聴率は好調で収益にも貢献していて賞すらとるんじゃないかと言われていたらしい看板番組でありながら、忖度も躊躇もしないで即座に打ち切るこれを英断と呼ぶべきか、当然と呼ぶべきかは日本とアメリカの公正さに対する意識の違いとも相まっていろいろと比較されそう。どうも以前からいろいろとツイートでの言動に問題があったらしい女性コメディアンだったけど、それでも切られなかったのはどきかギリギリを歩んでいたからなのか、それとも支持者がいたからなのか。それでも踏ん張れなかった今回のツイートは人種差別があからさまだったからなのかもしれない。

 翻って日本は人種だとか民族だとか地域をあからさまに差別するツイートを作家だとか大学の先生だとかが平気でつづっていながらアカウントを停止されることはなく、テレビにだって出演を続け執筆活動だって制約を受ける感じない。支持者がいることは分かるけれどそうした活動を支える出版社がいてテレビ局がいて、そして収益が得られるなら誹謗や中傷によって被る評判なんて気にしないし、気にするほどでもないといった雰囲気があるんだろう。もちろん言論は自由であって言うこと自体は勝手ではあるけれど、言ったことに伴う責任は果たさなくてはならない。その果たさせる責任の重さを如実に感じさせるアメリカのように日本はなるのかどうなのか。この一件がMeToo運動みたいに広がれば可能性はあるかも。MeTooだって日本では今ひとつな風土が阻む可能性もあるけれど。


【5月30日】 日本大学アメリカンフットボール部フェニックスのDLが、関西学院抱く学フットボール部ファイターズのQBにレイトヒットのタックルを仕掛けた問題で、フェニックスなんかが所属している関東学生アメリカンフットボール連盟がいろいろと調査を行って処分を決定。監督とそしてDLに直接的な指導をしていたコーチを除名、つまりは関東学連の管轄から永久追放するという厳しいもので、これが通ればしばらくどころかずっと指導の現場に立つことは難しくなる。関西だとか東海だとか社会人だったら処分は及ばないとはいっても、関東で処分を食らった監督やコーチに指導を仰ぎたいと手を伸ばすところもないと見るなら、これで大学のアメリカンフットボール界から2人は消えてしまうことになる。

 自分たちの主張では決して怪我をさせろとは言っていないし、DLがQBへと突っ込んでいく場面も見ていないため状況が把握できなかったってことを相変わらず唱えていたらしいけれど、関東学連に集められた映像ではしっかりとDLがQBに突っ込んでいくところを見続けている監督がとらえられていて、言い訳が言い訳にしかならないことがだいたいにおいて証明されてしまった模様。あと、部員も含めた聞き取りなんかも行われていたようで、選手をハブって追い込んでいくことが常態化していた環境も把握されてしまった。スポーツ新聞だとかワイドショーとかもここまで踏み込んでの報道はなかったから、関東学連が統括団体としての権限とネットワークを駆使したと見てとれる。

 それらが真実かどうかに未だ懐疑は残るものの、それでも客観性を持って判断できるくらいの証言が集まったんだろう。その時点で法律とは別のモラルであり、スポーツマンシップといった基準の上で断罪されるべきと判断された。ならそれは正しい判断と言えるんじゃなかろーか。あとは監督とコーチの身の処し方だけれど、フェニックスに影響力を及ぼし得る大学の常務理事であり体育会関係の統括者といった立場が残る以上、部の方は体制が改善されたと言って通るとは考えづらい。とはいえ、それは関東学連の権限の及ばない大学経営の範疇であって退任しろ、あるいは解任しろとも言えないとなると次、手番は日大の経営側に回って来る。どういう判断を持って扱うのか。求められる結果は半ば見えているけれど、それができなかったからこその事態の悪化。それを知ってなお存続を選ぶか否か。結果としてブランドとやらにどういった影響が出るか。しばらく目は離せそうにない。

 HDDレコーダーの容量が足りなくなって来たんで、千葉テレビで放送されている「カウボーイビバップ」の録画分を再生して見返しながら消していく夜。なるほどこれはクールだしキャッチーだしスタイリッシュなアニメーションで、リアルタイムで見ていてハマった人が多いのも分かるし今見ても存分に格好良さを味わえる。スパイクとヴィシャスとの仇敵関係を遠大な軸としつつビバップ号に集ったスパイク・シュピーゲルとジェット・ブラック、そして加わってきたフェイ・バレンタインにエド……なんだっけ、まあエドで良いか、あとはアインという犬も交えた4人と1頭が織りなす宇宙活劇やら宇宙バラードは脚本も錬られ映像も崩れずエロティックさも感じさせつつ進んでいく。

 空間ゲートというガジェットとそれを表現するビジュアルも今見ても格好いいし、逆に言うなら今ってここまで綿密に宇宙時代を踏まえたSF設定やらメカニック設定をやって来ているアニメーションってあったっけ、って思わせる。ああ「id−0」はとても綿密な設定があって人類と異種生命体との交流に交えつつ人間の欲望めいたものをしっかり描いて面白がらせてくれた。けど放送から1年ちょい経って今、いったい誰がオボテ居るんだろう。それは「ブブキブランキ」にも言えるしP.A.WORKSが手がけた富山県アニメの「クロムクロ」にも言える話。オリジナルの画期的な作品が幾つも続いたのにすっかり忘れ去られている。

 なのに「カウボーイビバップ」は覚えられていて秋葉原ではカフェが開かれ繁盛している様子。違いはもちろん皆無ではなくて各話のシナリオの面白さとキャラクターの格好良さが当時は分からなくうても思い出しては噛みしめていくことで身に近づけていける強さがある。だったら「id−0」もそうなるか、「ブブキブランキ」はって考えるとそこに至る回路がなかなかつながらない。せめてキャラクターの誰かが圧倒的な支持を集めて今も静かにファンがいたら良かったのになあ。放送される本数が多い上に他にすることがいっぱいあるとアニメこそがといった感じにはなりにくいのかもしれない。

 まあバズったって既に「ポプテピピック」だって忘れかけられている訳で、流行が続く時間がどんどんと短くなっている感じがしないでもない。そうした中にあって「けものフレンズ」はいろいろあった割に今も思い出されているし、グッズとかゲームといった展開は続いているからネガティブであっても評判になりすぎることが重要なのかも。ちなみに「カウボーイビバップ」は岡村天斎さんの絵コンテ回が圧倒的に格好いい。その才を今一度。「DARKER THAN BLACK」のような作品を。「クロムクロ」いたいなのじゃなく。いや嫌いじゃ内けど「クロムクロ」。どんな話だったかもうあまり覚えてないけれど。そういうものだ。

 チラシの美少女は誰? という問いはおいてセバスチャン・ローデンバック監督の長編アニメーション映画で、東京アニメアワードフェスティバル2017のコンペティション部門で最優秀長編アニメーション賞を獲得した「大人のためのグリム童話 手をなくした少女」を試写で観て、例えるなら東京藝術大学大学院アニメーション専攻の修了制作クオリティのアーティスティックな絵柄で、80分近い長編を作ってなおかつ飽きさせないで魅せる作話、水墨のような描線なのにキャラが生きて動いているように感じさせる作画の力に感嘆する。そこに人物がいて生きているように感じさせるんだから本当に凄い。

 粉をひくらしい水車小屋に暮らす父と母と娘の一家だったけど水が涸れ水車を回せず日々の食料にも困る日々。そこに悪魔が訪れ水車の裏にあるものと引き替えに黄金を与えるけれど、その対象は林檎ではなく林檎の木に登っていた娘だった。悪魔の追い込みもあって母は犬に襲われてかみ殺され、父は悪魔の言うままに娘の両手を切り落とす暴挙に出る。それでも清浄な娘に悪魔は手を出せない。娘は家を飛び出し放浪した挙げ句に川へと落ち、そこで巨大な姿をした女神と出会い送られるようにして王子と出会って后となるものの、戦争が始まりそして悪魔の暗躍も始まる。母は死に父は狂い手は切られ夫は戦場へ行き息子も狙われる不幸の連続。見ていて決して心は安まらない。

 それでも、日々を生き食べて排泄もする女や子供の生々しさが簡素ながらも確かな描線によって形作られ動かされて描かれていくストーリーは、確かに苛烈だけれどその水彩画のような絵柄の変幻する様が慟哭の手前で画面に見入らせ、起こる日々をしっかりと目で追わせる。実写だったら悲惨だし、スタジオジブリのような絵柄だったら斧で手を切ったり林檎の木の上からおしっこしたり母と息子で並んでうんちを出したりといった、人間のしかりと食べて出しながら生きている様を表現する描写は避けられただろう。そこを簡素な絵で描いて感じさせつつ戦かせないところが、アーティスティックな絵柄で紡がれていくアニメーションならではの効能と言えるかも。ラストシーンはあれはハッピーエンドなのか違うのか、ちょっと追い切れなかったところもあってもう1度見て見たい。


【5月29日】 東京だと街角に集められるようにして赤い自転車が並んでいて、それにカードか何かをかざしてロックをあげて乗り始めてはどこかで乗り捨てるシェアサイクルが一般的になっているけれど、東京ドームシティのプリズムホールで開かれていた「BICYCLE CITY EXPO2108 自転車まちづくり博」に登壇したジャーナリストの人たちが言うにはそれはフランス方式で、中国だともうどこでも置いてあるシェアサイクルに乗ってそしてどこでも乗り捨てて良いことになっているんだとか。

 自転車の定義からしておかしく電気で動く小さな箱形の乗り物でも時速が出なければ自転車扱い。そんなものが街中に転がっていて自由に乗って乗り捨てられるなら、誰も自動車に乗ろうとはしないし自分で自転車を買おうともしなくなるだろう。結果、北京の空は毎年のように空気が綺麗になっているんだとか。日本の技術が公害をなくすかと思われていたら進んだ交通システムが公害を駆逐してた。日本のアジアにおける地位ってやっぱり、もうあまり高くないのかもしれない。

 もっとも乗り捨ても善し悪しで、あまり坂道のない北京の街を普通に走っている分には問題がないけれど、高速道路の下をくぐるトンネルなんかだとスロープで下まで下がってそこから上がるのがしんどいと、低いところで乗り捨てる人がいてそこに自転車がたまるんだとか。それもまた合理性だけれど回収にいく必要があったりするのは運営としては不合理で、そうした部分をコストとして吸収しつつ広く普及させることによって勝負に勝ち、唯一の存在となった暁に料金を上げて回収に向かうというのが中国のビジネススタイルってことになるみたい。そうなったらそうなったでまた競合が出てくるのかもしれないけど。

 そんなシェアサイクル絡みの話も聞けた「BICYCLE CITY EXPO2018」では板橋周辺い続いて今日ととか宮崎でシェアサイクル事業を始めるPiPPAの自転車のうち、宮崎で使われるものにフリーパワーという会社が開発した不思議な技術が使われていて、ペダルをこいでクランクを回す時に封入されたシリコンがぎゅっと圧迫されてはそれが戻る力を回転力に変えてこぐ力をアシストするという。くるくると回転させていても力が入らなくなる部分が必ずあって、そこをアシストすることによって電動ではないものの何か力を添えられているような感じになるという。実際に漕いでみないと効果のほどは分からないけれど、採用されているからには何かしらの恩恵はあるんだろう。一般に採用されて市販の自転車に搭載されることはあるのかな。様子を見ていこう。

 これはシェアサイクルというよりレンタサイクルに近いアニポタTOKYOというサービスは、秋葉原UDX横とかアトレ横なんかにスペースを借りて自転車を並べては貸し出すというものだけれど時間貸しではなくてほとんど1日貸しで、そこを拠点にあちらこちらを走って欲しいといったところ。だったら普通のレンタサイクルで良いところをここん家はあの「ラブライブ!」であり「ラブライブ!サンシャイン!!」のキャラクターが後輪のホイールカバーとかに描かれていて、自分の好みを選んでまたがってあちらこちらを進んでいける。「俺はエリチで行く!」と決断して借りて乗るとかしたいところだけれど、人気が重なるとのれないのでそこは予約しておくのが良いのかな。7月からスタートだけれど会員の登録は始まっているみたいで、会員証はなんとμ’sとAqoursが両方描かれた貴重なもの。これをもらうためだけに会員になる人もいそう。しかし誰が1番人気かな、矢沢にこかなあ、やっぱり。

 広島国際アニメーションフェスティバル2018のコンペティション入選作品が発表になったみたいだけれど、やっぱりというか日本から応募があって残ったのがたったの1作でいったいどこの国の映画祭なんだといった声も起こりそう。そりゃあ水準があるんだから達しなかったと言えば言えるんだろうけれど、341本もの応募があったんだからそこにはそれなりな水準のものだってあったあろうし、唯一選ばれた東京藝術大学大学院アインメーション専攻での黄ブン睿さんの修了作品「SOUTH FOREST」は確かに素晴らしい作品ではあるんだけれど、孤高にして唯一の作品といった訳ではなかった。でも残ったのは広島という舞台で戦時下にある動物園がテーマの作品が引っかかったかどうなのか。可能性は皆無ではないと僕は思う。

 ちなみに前回2016年のフェスティバルでは日本から8作品がコンペティションに残ってまずまずだった。さらにその2年前の2014年は日本からの作品が1本も入らないという“異常事態”でどうしてなんだといろいろと言われた記憶。そこでの反動が次の回の8本となりそしてまた揺り戻しがあって1本だけになったんだとしたら、何がいったい基準なのかちょっと分からなくなる。この2年間で日本のアニメーションが急速にやせ細った訳ではないし、その前の2年かで急速に花開いた訳でもない。にも関わらず起こる浮き沈み、分母の大きさに対して小さすぎる分子といった問題の根源が何にあるか、突き詰めないと映画祭が持つ信頼と期待が薄れてしまうんじゃなかろーか。そこは見てやっぱり海外凄いと思えれば良いんだけれど、広島は遠すぎるので行けそうもない。上映と専攻の経過を誰かがリポートしてくれることに期待。

 朝方にネルケプランニングから「魔法先生ネギま!」の舞台化の案内が来て、主演が乃木坂46を卒業したばかりの生駒里奈ちゃんだと分かってこれはピッタリなところを持ってきたなあと感心感嘆。「美少女戦士セーラームーン」を現役の乃木坂46で上演もしたり、指原莉乃さんプロデュースのアイドルユニット=LOVEを使って「けものフレンズ」だとか「ガールフレンド(仮)」なんかを舞台化し、ミュージカル版「アメリ」では渡辺麻友さんを起用したりとそっち方面からの起用が相次いでいる。持っているブランド力とかついているファンの動員に期待してのこともあるんだろうけれど、こと舞台には厳しい松田誠さんだけに話題性だけでへたくそを持ってくることはないだろうから、生駒ちゃんによる舞台もビジュアルだけでなくストーリーも面白いものになると思いたい。

 舞台化は発だけれど実写化では以前に「MAGISTER NEGI MAGI 魔法先生ネギま!」ってテレビドラマが放送されていて、ネギ・スプリングフィールドをやっぱり女性が演じてた。その柏幸奈さんは当時でそれこそ13才とか14才とかそんな感じでネギに先生に近かったけれど、その後にももいろクローバーを経て乃木坂46の1期生となって生駒里奈と同僚になったというから運命は数奇なものというか。今の柏幸奈さんがどんな雰囲気になっているかあまり知らないんで生駒ちゃんとどっちが良いか比べられないけれど、共に卒業している2人がこれをきっかけに再会して、ネギ役比べなんてしてくれるとドラマ版への興味も誘われるかも。あるいは今回の舞台に何かの役で出演するとか。ちょっと期待。乃木坂46のセーラームーンより動員良いかなあ。チケット頑張ってとろうかなあ。


【5月28日】 名古屋に住んでいるからといってキリンラーメンのことは実はまるで知らなくて、25歳くらいまで住んでいてそのうちの4年間は名古屋から豊橋にある大学まで名鉄で通って西三河も東三河も通り過ぎていたんだけれど、キリンラーメンには一切出会うことのないまま過ぎてそして東京に出稼ぎに出て何かのイベントでそういうラーメンがあることを知って、そのキッチュでレトロなパッケージのユニークさに興味を持った。つまりはとても碧南ローカルなラーメンだった訳で、すぐ隣の半田出身の人に聞いてもやっぱり知らなかったから相当に狭い範囲で売られていたんだろう。今はいろいろな種類も出て「チームしゃちほこ」とのコラボレーションなんかもあったりして、ローカルながらもビッグなブランドになりかかっていたところにピンチが訪れた。

 「キリン」という商品名をどうやら仕えなくなったみたいで、製造元の小笠原製粉が改名を公表して新しい名前の募集を始めた。反応はやっぱり「どうして?」といったもので、諸般の事情としか説明していないこともあって不思議がられているけれど、ちょっと調べてみたらどうやらキリンビールあたりといろいろあったような感じになっている。といってもキリンビール自体がラーメンを出していて商標がガチ合うってことではなく、キリンビールの傘下に一途聞いたキリン協和フーズあたりが出していた食品なんかの延長で、穀物の加工品という範疇の食品に関して「キリン」の商品名をつけられる範囲がどうやら限られているといった感じ。状況は複雑だけれど小笠原製粉が普通に「キリンラーメン」という商標で出し続けるのは難しくなったみたい。

 という訳で改名。キリンビールが大人げないといったところではなく、食品名に「キリン」が使われることで混乱が生じる可能性があるなら使ってもらっては困るといった事情があるといったところか。相手は日本でも老舗のビールメーカーでブランドはそれこそ100年規模。大してキリンラーメンは50年の歴史があるとはいっても復活をして0年くらいだから勝負をしたらやっぱり負けてしまう。かといって使わせてもらうのも大変ならここで改名という判断になったんだろう。早速ホームページで募集を始めていて、そこでは「キリン」でも「きりん」でも「麒麟」でも「KIRIN」でも仕えない感じ。じゃどうするか、って浮かぶのやっぱり「ジラフ」だよなあ、キリンの正式な英語名。これならパッケージのデザインを変えなくて済む。「キリン」という互換が持っていたちょっと間抜けな感じが衰えてしまうけれどそこは仕方がないということで。

 以下、大喜利的に新しい名前を考えるとしたらやっぱり「サーバルラーメン」が良いなって思うし「かばんちゃんラーメン」だとか「アライさんラーメン」だとか混ぜて「アラフェネラーメン」が浮かぶけれどもそれだと種類が限定されてしまうから「けものラーメン」で良いんじゃないかと思うし「すっごーいラーメン」「なのだラーメン」「たーのしーラーメン」なんかだといかにも美味しそうで食べてみたくなる。「キリン」がダメなら「シマウマラーメン」も悪くないけどそれなら間をとってキリンなのシマウマなのどっちでもないのがオカピな「オカピラーメン」にすればちょい、イラストも改良するだけで仕えそうな気がする。問題は日本でオカピを知っているがどれだけいるかだよなあ。なのでおとなしく「ジラフラーメン」ってことで。ピラフと勘違いされそうだなあ。

 コンサートなんかできっと見てはいるんだろうけれど、「リズと青い鳥」の上映以降はその演奏の雰囲気だとか音色だとかが気になっていたオーボエが間近に聴けそうだってんで、東京メトロの渋谷駅コンコースで開催された。ステーションコンサートin渋谷を見物に行く。東京藝術大学に通う修士あたりの学生さんが参加して演奏を聴かせてくれるイベントになっていて、最初は弦楽四重奏が登場してモーツァルト音「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」だとかハイドン「弦楽四重奏曲第38番“冗談」よりの楽曲なんかを聴かせてくれた。ヴァイオリンのひとりの山本佳耀さんは全日本学生音楽コンクール大阪大会中学生の部で第1位だとか横浜国際音楽コンクール高校の部第1位といった成績で学部の4年生に在学中。ほかもコンクールの入賞者が固めたアンサンブルはなるほどしっかりとした音楽を聞かせてくれた。これで学部生ならいずれ。そんな見守る楽しみもありそう。

 そして目当ての木管五重奏はオーボエにクラリネットとフルートとファゴット、そしてホルンによる編成で、どうして金管なのにホルンが入っているかといえばそれは「響け! ユーフォニアム」の「北宇治高校ホントの話」に入っている「アンサンブルコンテスト」にも書かれていたように、優しい音色がなじむからとよく引っ張り出されるのだとか。そんな5人の中でもやっぱり気になったオーボエの石井智章さんは、首を振り唇を引き締め頬に息をためて注ぎつつ俯き加減で上目気味に目を見開く楽しげで力強くて、とても表情の豊かな演奏を見せてくれた。音色にすら感情を交えずすまし顔で淡々と吹く北宇治高校吹奏楽部の鎧塚みぞれとは正反対。というかきっとオーボエとは石井さんのように吹くもであって、それをやってないからどこか生硬な音楽になってしまうんだろう。逆に剣崎梨々花は表情豊かに吹いているから楽しげな音色になる。そっちが本当だとしても、鎧塚みぞれが首を振り息をため目を見開いて吹く顔はちょっと想像ができないんだよなあ。いつか描いて欲しいなあ、リアルオーボエ奏者としての鎧塚みぞれを。

 いやはや。仮にも学校を作ろうとしている集団に所属する人間が、総理大臣に会って話したことを学校を作りたい自治体の人に話したけれども実は総理大臣になど会っていなくて、学校を作りたいあまりに虎の威を借りるつもりで総理大臣に会ったと言ってしまったと明らかにしたことを取り上げるとするならば、目的のために嘘をついて誰かを騙すなんて教育を目指す人間にあるまじき振る舞いであって、そのことだけで学校を作る資格なんかないと拒絶し、あるいは学校がすでに出来上がってしまっていたのならいったん運営を止めて内部を精査し、嘘をついた人間なりその周辺を洗い出して排除するのが筋だろう。

 にも関わらず、そうしたあたりまえの反応を愛国を歌う人たちはあまりせず、ほらやっぱり我らが総理大臣はえこひいきなんてしてなかったんだといった方向でのみ話を膨らませて評価する。何かがやっぱり間違っている。というより誰かを守るために嘘をついたことにせざるを得ないといった雰囲気が漂う一件を、そうは捕らえずやっぱり総理大臣は潔白だったと言いつのるそのマインドそのものにヤバさが潜む。それはないと言って蹴っ飛ばすべきなのにそうはならず通ってしまい、なおかつ義挙とすら認識されるこの状況を早々に改めないと、この国はすべてが嘘にまみれて権力者だけが得をするトンデモな国になってしまうぞ。すでになってる? そうかもしれないなあ。

 増田弘道さんが書いた「製作委員会は悪なのか? アニメビジネス完全ガイド」(星海社)なんかをペラペラ。よく劣悪な環境にあってブラックな状況の中をやりがいだけで兄メーターたちは働かされているといった言説が繰り出されるけれど、それは一部には真実であってもすべてだはないってことは現実に、アニメーションに携わる人たちが大勢居てしっかり食べていることからも感じられる。入ったばかりの新人には厳しいし部門によっては厳しくても生き残れればちゃんと食べられるという実力主義であり成果主義の世界は才能があってやる気がある人にとって決してブラックではないだろう。

 とはいえやっぱり動画という入口に近い部分が厳しいと人が育たなくなるという懸念はあるようで、そこをスタジオとアニメーターの暗黙の了解に止めず、1枚の単価を引き上げそれなりに食べられる状況をスタジオは作り、一方でアニメーターも力がついたらすぐ独立とはならずしなくても良い環境を作っていくことが必要みたい。難しいけれども未来のためには必要だろうなあ。あと人材育成で現在活躍中のクリエイターにマッドハウス輩出の人が多すぎた。丸山正雄さんも含めたスタジオ経営者の意識の持ちようってことかなあ。サンライズもだからもっと人材を育成しないといけない気がするんだけれど、プロデューサーに偏りなおかつ当てたら独立という連続では、ちょっと未来が狭い気がしないでもない。IP育成に力を入れるならまずは人材の確保と育成。それを分かっているなら良いんだけれど。


【5月27日】 まどろみながらも見たチャンピオンズリーグの決勝は誰かレアル・マドリードの選手が蹴ったボールが強烈な上にぶれ球でリヴァプールのゴールキーパーの手をはじいてゴールに飛び込んだらしく、プレミアリーグでもトップクラスのチームに所属はしていても止められないシュートがあるんだってことを満天下に示した格好。ってか蹴ったボールが敵に奪われゴールを決められた時点でちょっとメンタルが崩れていたのかもしれない。オリバー・カーンだったらそれはそれでこれはこれと立ち直っては味方を鼓舞し続けただろうけれど、そういう選手ばかりでもないってことで。これでレアルはチャンピオンズリーグ3連覇という偉業。連覇ですら凄いのにこの強さは何だろうなあ、やっぱりクリスティアーノ・ロナウド選手の凄さか、だとしたら対談したらどうなるか。そんな噂も飛ぶ中で来シーズンがどうなるかが今から楽しみ。その前にポルトガル代表としてワールドカップでどこまでやれるかも。

 せっかくだからと「コードギアス 反逆のルルーシュ3 皇道」を見る。だいたいにおいておっぱいでとりわけ紅月カレンのがブリタニアに捕らえられていた時のドレス姿しかり、パイロットスーツを身にまとって改造された紅蓮に乗っている時もなおのこと目立っていたけれども、アーニャの中から飛び出してCの世界で顕在化したマリアンヌもなかなかだったし、シュナイゼルの銃撃を受けた後にベッドに横たわるコーネリアも横たわっていながらしっかり上を向いていた。そしてナナリー。ずっと着座でドレスをまとっていたから気づかなかったけれど、ラストシーンでルルーシュ皇帝の足下で奴隷のように縛られていた時に来ていた服の前から見えたそれもしっかりとあって、立てばきっと結構なグラマラスなんだと思わせた。皇神楽耶はどうなんだろう。水着回とか温泉回があればまとめて見られたものを。そういう息抜きはなかったものなあテレビシリーズでは。映画でもだけれど。

 さてストーリーはジェレミアも配下に入れて黒の騎士団が中華連邦も含めた超合衆国も味方に引き入れブリタニアを相手に決戦を挑むところから始まって途中にルルーシュとスザクとの邂逅があって誤解が生まれて戦闘があってカレンが復活してフレイアが使われ東京租界が大変なことになってナナリーも失われたようでルルーシュが本気だして皇帝を止めようとしたら母親が現れ実は2人の企みだったと知らされるといったあたりを、テレビで見ていた時よりもしっかり理解できたような気がした。かつて圧倒的な戦士でそしてシャルルと結ばれてからは良き母親のように伺わせていたマリアンヌのあのフラワーな性格。テレビだと急転すぎてあれれと思っている間にまとめてアボンされてしまったけれど映画だとそのあたりが前半でクローズアップされていたんで、シャルルとマリアンヌがやりたかったことの意味も分かりつつ、ルルーシュがそれを受け入れなかった理由も感じられて幸せっていうのはどっちをとればこっちが失われる難しさの上にあって、どう選びどう繰り出すかを考える必要があるのだと諭された。まあそれでもシャルルとマリアンヌなりルルーシュなりが自分で選んだ自分の幸せが遍く万人の幸せとは限らないけれど。

 言えるとしたら誰もがひとつになれる、「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」でロイドがやろうとしていたことにも似たシャルルとマリアンヌの道はそんなに悪いことでもなさそうで、恐怖の果てに平穏を導きだそうとするルルーシュのやり方のが結果として犠牲も大きかった気がしないでもないけれど、自分が自分でありながら幸せな方がやっぱり自我を持ち自己を尊ぶ人間という生き物にはルルーシュのような道がふさわしいのかもしれない。シュナイゼルは論外、というか彼、誰かを上回ることしかもう考えてないというか、心がないんだよなあ、ペンドラゴンすら消し去ってしまう訳で。何を考えているというより何も考えていない空虚さは、誰もがぎらぎらとしていたあの世界にあって異質で異色。だからこそルルーシュ最大の敵となり得たんだろう。

 それでも大逆転によって得たルルーシュの勝利はひとまずブリタニアの独裁になったように見えて実は……といったあたりはテレビシリーズと同じ。繰り広げられたある種の惨劇であり革命の果てに来た世界については小説版なんかに書かれてあったから読み返そう。それともまた作るのかアニメーションで。エンディングの後に出た告知が気になった。でもテレビでは馬車の荷台に寝転がっていたC.C.が映画では馬だかロバをひとりで駆っていた。御者が誰かといった憶測を与えない改変はつまりルルーシュの物語りに決別したという意思表明か。でも波間に漂うゼロの仮面の意味は。いろいろと興味があるけどやっぱり見所はルルーシュから電話をもらい喋っているシャーリーのおしりであることは確か。スクリーンに向かって右側で見ていただけに余計に。大きかったなあ。

 出てきたばかりのバーチャルユーチューバーが何か儲からないんで運営が手を引こうとしているんで誰か助けてくださいと言い始めているって話に、ただただ「消えれば」としか思えなかったのは「コードギアス 反逆のルルーシュ3 皇道」を見て誰であれ人生かけて命賭けて大義を為そうとする奴らを見たばかりだからか。それはともかくとしてどこかこうやって困窮を訴えれば、ファンが乗って来て盛り上がって救済も図られるんじゃないの的ストーリーを最初から求めているような雰囲気が感じられて、そんな企みにのるものかと帰って身構えてしまう人が多そう。

 バーチャルだってリアルだって存続が臨まれるキャラクターは誰かの主体としての思いから生まれ動かされたものであり、そうした何かを伝えたいという意思への共鳴があって受け手にももり立てようとする意識が生まれ広がっていく。今回みたいに未だ物語を作り切れていないバーチャルユーチューバーが、同情を誘うようにして救済を呼びかけたところで、そこに乗ったり何かが救われるドラマを感じられそうもない。救う意味もまにとしか思えないんだけれど、より解せないのはそうした憶測から反発を生みそうな事案を考え繰り出して平気な人たちが少なからずいるってこと。これでバーチャルユーチューバーのアヤしさばかり喧伝されたらシーンが壊れてしまいかねない。炎上しても自分達が儲かれば良い? それも寂しい話。乗る人がどこまで出るかに注意しつつ状況を見ていこう。

 スラガヤという街に暮らしている人々は等しく奴隷で<大獣>と呼ばれる異能の使い手たちに仕えることによって日々の暮らしを営めている。そのスラガヤは≪天子≫と呼ばれているものの、その姿は巨大な鋼の虫といった形状の敵の攻撃を受け続けていて、大猿のような≪一つ目の君≫が持つ軍勢が相手にしていたものの戦いはだんだと分が悪くなっていた。そんなスラガヤで育ち、全身に≪銀紋≫と呼ばれる奇跡を可能にする模様を、ひときわ多く刻まれてているクロアという少女は、人を食うと恐れられている大獣の<貪食の君>に引き取られスラガヤから離れた場所で暮らし始めるが、そこでスラガヤが<天子>の襲撃で危機に瀕していると聞いて街へと戻り<貪食>とともに前線に立つ。

 そんな展開が描かれた新八角「滅びの季節に花と獣は」(電撃文庫)の上巻を経て、下巻の冒頭で気づいたクロアは<貪食>と共に街から離れた場所に来ていて、そこで≪貪食≫から大獣の力が抜け落ち、三百年前に生きていたガファルという男の意識が蘇る。クロアが似ていると言われる世界を救った聖女リリアンの兄だったガファルが語る過去。そして始まる<天子>との戦い。クロアは自分が記憶を失っていた哀しい過去を知らされながらも、気力を失っていた≪一つ目≫を鼓舞して<天子>と戦う道を選ぶ。大獣と奴隷といった社会の構造も、昆虫の怪物に似た脅威のビジョンも独創的な舞台で紡がれる、生まれて来た理由を探し誰かを守りたいと思って戦いを選ぶ少女の物語。人間の社会が置き換えられただけ、RPGの世界が再現されただけの異世界ファンタジーとは違った驚きを味わい人なら読んで噛みしめて濃い味を楽しめる作品だ。

 FAXで取材を申し込んでおいたつもりだったけど、届いていなかったか時間になっても受付の担当者が現れず、どうしたものかと思ったもののそこは普通にチケットを買ってあったんで、お客さんとして入った「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」の応援上映会舞台挨拶付き。今回はワルキューレでもお色気担当いんして本業はメカニックちう意外性もあるマキナさんを演じた西田望見さんが登壇してはハヤテとフレイアの登場の時は中の人の好物つながりで「肉」と良い、そしてマキナとレイナの時には「魚貝」と言うようにといったお達しもあってそこそこコールが飛んでいた。あと三雲さんの時は「倍ヤバイ」とか本当は3歳なんで「倍ヤバイ幼女」といったコールも指南されたものの全員が共通してそこでそれを叫ぶんだといった意識にはまだと立つしておらず、気づいた人が散発的に叫んでいた。

 レイナがお風呂に入っている時には小声で「チクチクチクチクチクチクチクチク」と言うんだってことも指南されたけれどお風呂のシーンなだけにみんなスポポンで目を奪われて何を言うこともできず。ロイド卿の時だけはワルキューレを万遍なく誘うその振る舞いから「箱推し」か「トップおた」かをどちらかが候補に挙がって「よっ! トップおた」が選ばれ割と言われていた。あの澄ました顔に突っ込むのって楽しいからなあ。眼鏡がいっぱいい並んでいるとこでもツッコミがあったし。眼鏡眼鏡眼鏡眼鏡。ただ「キング・オブ・プリズム」とか「プリパラ&プリチャン」の応援上映のようにある程度のここはこう言うんだといった共通認識が出来上がっているものとは違って、それほど回数もこなしていないからかコールが箱いっぱいに揃うといったことはなかった。

 今やっている「劇場版プリパラ&プリチャン〜きらきらメモリアルライブ〜」だと本当に歌ではコールが飛びまくるけど「マクロスΔ」がワルキューレのライブ会場みたいにコールで爆発するような雰囲気にはまだなってない。それでもポイントといったところで「恋!ハレイション THE WAR」の途中の「デカルチャー」といった合いの手は入るから意識はしているみたいでも、それをやっていいいかどうか戸惑いが見られる。サイリウムだってずっと振ってたって良いのに。なので本当は1週間でも良いから毎日のように応援上映を開いて、だんだんとコールが増えてそしてポイントが固まり誰もがやって楽しい応援が出来上がると良いんだけれど、次は1カ月後みたいだからそれまでに、自分の中でそれぞれにここはこうしたいというのを考えてみたい、って行く気満々だねえ、取材の案内は来ないものと思うのが心に優しいし。


【5月26日】 桂木透子の谷間が夢にまで出てきたかというとそれはなくってちょっと残念。でもまた見に行けばきっとくっきりと目にも焼き付いて夢にも出てくるだろうと期待したい「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第五章 煉獄篇」で思ったのは、独房を監視している乗組員がなぜいないのかということ。そこは地球連邦にも黙って飛び出してきたから警務とか情報といったセクションは乗っていなかったと考えられる。でも独房に誰かを入れたならカメラなり音声なりで監視するのが常だし、よほどの権限がなければ近づけず中を開けられないのも当然。それがあっさりと近づかれ開けられ会話をされてなおかつそれが外に漏れない。そこがやっぱり気になった。

 得体の知れない薬物を持ちこまれた佐渡先生がその出所を怪しんで誰かに告げればすぐさま調査が入って何が起こっていかが判明し、こんなこともあろうかといった具合に止められるのが普通の組織だろう。さらに言うなら少し離れて立てられた独房の間で会話が聞こえてしまうという謎。それは耳に入るのに、肝心の陰謀は届かないという食い違いなんかも気になるなあ。そういうところでの精緻さが足りないのもこのシリーズの特徴とは言えるけど、そこはそういうものだと思いそれによって桂木透子の谷間が拝めたのだから良しとしよう。

 地球ごと消えてなくなるのに子供の命だどうとかいった矛盾にはきっと、桂木透子が別の誘いをかけているんじゃないかと想像。連れて行ってあげるとか。でもってその結果として真琴が激怒し浮気を疑い三行半をつきつけ親権も奪われ父ちゃん涙目。生きていてくれればそれで良い? そういうものかなあ。そこはパンフレットの福井晴敏さんの“言い訳”を信じよう。吸い込まれたヤマトがこれで終わりになるとは思えず、きっと重要な会談を経て宇宙に変化をもたらすのだとしたら、あそこで役に立たないナントカ波動砲をぶちこんで跳ね返されて終わらなかったことも伏線になるのかも。いろいろ気になる第六章。待ち遠しい。

 自信満々のタギツヒメが尊大なタキリヒメを吸収して超ポジティブになった一方で、イチキシマヒメは相変わらずの超ネガティブで、自分はここにいていいんだろうかと悶々としながら蹲って動こうとしないところを折神紫がどうにかこうにか引っ張っていった先に現れたタギツヒメ。使う二刀流は前に折神紫と融合していた時に覚えたものか違うのか。きっと経験だけなら折神紫の方が上なんだろうけれど、そこは神様のチートでタギツヒメが折神紫を圧倒する。これはもうイチキシマヒメも吸収されるのかといったところで戦う意識を持ったイチキシマヒメが、やって来た十条姫和相手に何かを持ちかけそして誕生したのは第2の折神紫かそれとも別の何かか。

 そんな感じに話が進んだ「刀使ノ巫女」はノロを取り入れたことで強くなったと勘違いした歩を一刀のもとに倒してかけつけた衛藤可奈美が、その先でイチキシマヒメと融合した姫和を見て何を思うか、そして可奈美はどういう態度をとるのかとといったあたりが残る話数の展開か。超絶的な力を持った大荒魂を相手に戦い敗れても乗り越えていく展開があった前半と違って未だタギツヒメが超絶的な力を見せておらず、同類の小競り合いめいた感じなところがアクションとしては物足りないけど、その分、剣戟が楽しめるし神様であっても美少女たちのわちゃわちゃとしたやりとりも面白いのでこれはこれで良いのかも。あれだけ紫様紫様と言っていた高津学長が、ころりとタギツヒメに寝返ったのはもとより紫ではなく中の人(人じゃないけど)に惚れていたのかな。でもやっぱり雑魚扱い。報われないなあその恋は(恋なのか)。

 千葉ロッテマリーンズはバレンタイン監督が抜けてからというものどこか停滞ムードで推移していて優勝争いとか縁遠いし、ジェフユナイテッド市原・千葉はJ2暮らしが長くなてもうすっかりJ1に戻ることを忘れてしまったかのよう。こうなると名前に千葉がつくプロスポーツのチームでトップリーグに所属しなおかつ勝っているのはバスケットボールのBリーグに所属する千葉ジェッツふなばしくらいしかないってことで、その千葉ジェッツがBリーグのファイナルに進出したので横浜アリーナまで試合を見に行く。まだbjリーグにいたころに1度、船橋アリーナまで試合を見に行ったことがあったっけ、地元の応援も結構凄かった記憶があるけれど、今はBリーグで観客動員数でトップを走り、それに連れて成績もあがって天皇杯を2連覇するくらいの実績をあげている。

 リーグはとなると前のシーズンはクォーターファイナルで勝てそうだったところを落として勝負弱さを見せた感じで、それを克服してのファイナル進出。相手はアルバルク東京。つまりは日本最大の企業であり世界でもトップクラスのトヨタ自動車のチームな訳で、有志が立ち上げゼロからスタートした千葉ジェッツとは対照的なチームって言える。それでも試合となるとリーグでは千葉ジェッツの方が地区で優勝をしてアルバルク東京は2位と下位。これは楽勝かと思ったら第1Qこそ1点差ですがっていたけど、そのころからすでにミスが目立って速攻でいってもシュートが決まらず、パスが通らずドリブルを転がすようなミスを連発。これがぜんぶ決まっていたらむしろ大きく引き離せていたのに、逆にアルバルク東京に点差をつけられてしまう。

 そして第2Qでもミスが相次ぐ一方アルバルク東京はしっかりと決めてきてじりじりと千葉ジェッツを引き離す。これで一桁点差だったらまだ追いつけるって意識も保てただろうけれど、ブザービーター的に3ポイントを決められてしまって10点差くらいにまでなって、これでちょっと気がが萎えてしまたような印象があった。ハーフタイムを経ての第3Qも逆転はできずにむしろ離される感じ。第4Qはもう完全に切れてしまって20点近い差をつけられ敗れてしまった。投げやりな3ポイントにおざなりな守備と良くないプレーも頻出。ここで頑張る意識を見せられないところに勝負弱さの理由があるのかもしれない。ただ天皇杯では強い訳で今回は、ポイントガードの富樫選手を正面からディフェンスして前にすすませず攻撃を送らせたことが奏功したのかも。研究の差って奴か。まあ良いこれも経験、切り替えて来シーズンこそはファイナルでの優勝を目指して自力とメンタルを鍛えて欲しい。ジェフ千葉がJ1に上がる可能性がもうゼロに等しくなりつつあるだけに。

 「やってみなくちゃわからない、わからないならやってみよう」というのが最近よく見るアニメーションに出てくるセリフで、自分でネット動画を作ってアップし大勢に見てもらうことでいいねをもらってランクを上がっていく仕組みの上で、どんな動画を作ったらヒットするかを考えた時に浮かんだいろいろな挑戦を、それは無理だと最初から諦めないでやっていくことで主人公たちは自分を広げ世界を広げていく。つまりはポジティブ。なおかつサクセス。ここでやってみて失敗してしまう描写がないのが子供向けアニメーションならではの配慮と言えるけど、それでもやってこそ得られる何かがあるならまずはやってみるというのは決して向こう見ずではなく、むしろ建設的だと言える。そんなアニメーション「キラッとプリ☆チャン」の世界から見ると、「やってみたってわからない、わからないならやってみない」と全く正反対の心情を持った青年はただひたすらにネガティブだ。

 とはいえ当人はそうやってあらゆるリスクから自分を遠ざけ必要なだけの努力で必要なだけの答えを得ることこそが人生だと思い込んでいる。本当に心底からそういった平凡を求めているかは分からない、本当ややりたいことが山ほどあるにも関わらず、それに挑戦をして失敗をしてしまった時に取り返しがつかないと考えると、手の届く範囲でのみ取り組むことの方が自分が苦労せず、傷も付かずに済むと思っているだけなのかもしれない。それこそが敗北者の思考であって逃避に過ぎないと言えば言えるけれど、当人にそうした意識がないかあっても否定をしているならもはやどうしようもない。勝手にひとりで平凡を歩んでくれとしか言えない。言いたくもない。

 もっとも、そんな平凡を得に描いたような生き方した選ぼうとしなかった男が、未来を変える可能性を世界で唯一持ったとしたら、怠惰に生きろと言って見過ごすことができるだろうか。やるだけのことはやれ、やってみなくちゃわからないんだから、やってみるしかないだろうと怒鳴りつけてやりたくなるのではないか。松山剛さんによる「君死にたもう流星群」(MF文庫J、650円)に出てくる平野大地という主人公の男に言ってやりたいのがそんな言葉だ。2022年に起こったある事件、宇宙を飛ぶ人工衛星がすべて落下し大気圏で燃え尽きて消えた事件はテロの疑いもあったものの、地上に落下による被害は出ず混乱もあったものの世界は安寧を保ったまま日々は過ぎていった。もっとも、当時宇宙にいた少女だけがステーションもろとも落下して死亡。唯一の犠牲者となった少女、天野河星乃は平野大地の知り合いだった。

 親が宇宙開発に従事していた星乃だったけれど、事故で2人とも亡くなってしまって父母の同僚だった女性エンジニアに引き取られ、アパートの一室に引きこもるようになる。ただし天才的な頭脳の持ち主であって引きこもりながらもいろいろと開発していた様子。そんな星乃と知り合いだんだんと仲を深めていった大地の活動があって、星乃は外に出るようになり誰かとコミュニケーションを取るようになり、念願だった最年少の宇宙飛行士にまで上り詰める。そして……。星乃は死んで大地は就職もできずアルバイト先にも断られ続ける中を怠惰に送っていた。冒険もせず挑戦もせずコストパフォーマンスだけを追求した人生は最小限の努力すらしないで最低限の益すら得られない最底辺の日々に甘んじながら、どうして自分がと憤ってもどうしようも無かった大地。そこに転機が訪れる。

 誰も住まなくなった星乃の暮らしていたアパートが取り壊されることになり、整理に出向いた先で大地は見つけ、知ってそして挑んだ結果起こった不思議な出来事は、大地にある種の選択を迫る。やってみなくちゃわからないのならやってみるしかないのか、それとおやってみなくても分かるのだからやってみないで見過ごすのか。目の前の驚きを受け止めもう失いたくないと足を踏み出した大地は果たして過去を取り戻せるのか、そして自分を変えられるのか、その結果世界はどうなるのか、そもそも世界はどうしてそうなってしまったのか、等々。謎が明かされ未来が示されそして幸福が得られる未来を信じたいけれど、何かを変えられる立場になりながら未だコストパフォーマンス良き人生を引きずっている大地では心許ない。その彼を変える決定的な出来事あるとしたら何だろう。そんなことも考えながら、歩み直す人生で最大限の努力をし、最高の益を得て最上の日々を送れることを今は願う。同時に自分がそうなるために何をしたら良いのかも。やってみなくちゃ分からないならやってみるしかないんだよ。そういうこと。


【5月25日】 イギリスから日本に来て声優アーティストを目指して頑張っているスカーレットさんという女子がいて、ヤオヨロズのボイスラボで学んでいるみたいだけれどもそんなスカーレットさんがツイートをしていて、お父さんの本がやっと日本でも出たんだよと嬉しそうに書いていたのでどんな本かと添付の画像を見たら何と、CWA(英国推理作家協会)賞で歴史ミステリ部門のエリス・ピーターズ・ヒストリカル・ダガー賞を受賞した「影の子」というミステリを書いたデイヴィッド・ヤングその人だった。声優の卵のツイートから凄いお父さんへとたどり着いて驚いたことで、池澤春菜さんから池澤夏樹さんを知る今時の若い人の驚きに気づい。 

 本は早川書房のハヤカワミステリから刊行だから由緒正しく伝統もあるレーベルで、そこに入ったということはそれだけの内容を持っているんだろう。というかCWA(英国推理作家協会)自体が伝統のある団体で、日本推理作家協会みたいなものだしシャーロック・ホームズを生みだした国という意味では本家でもあって、そんな団体が出している賞のひとつを受賞したなら年間ベスト級。過去にはサラ・ウォーターズとかフィリップ・カーも受賞していて「影の子」が受賞した2016年はそのフィリップ・カーもノミネートされていた中での受賞だから実力はあるんだろう。あらすじによれば1975年、未だ東西に湧かれたドイツにあって東ドイツ側のベルリンを舞台に女性刑事が殺人事件を捜査する、といった今までにはあまりなさそうな内容だったりする。

 東西ドイツをまたにかけたスパイアクションなら他にはあっても、管理され監視もされていただろう東ドイツで人々はどうやって生きていたか、そんな興味を満たしてくれそうな気がする。それにしてもジョン・ル・カレとかイアン・フレミングとかいった東西冷戦下でのスパイ小説が流行の最先端だった時代も今いずこ、1975年というわずか42年前の出来事が歴史ミステリの部門に入れられてしまうくらいに世界は変化が進んでいるんだろう。すでに東西ドイツは統合してしまってベルリンの壁も亡くなっているわけで、その意味で過去であり歴史の上の出来事。同時にそこでの日々を身に刻んで生きている人たちも存命な中で、忘れさらえるよりは歴史として刻まれていって欲しいといった気持ちもあるのかもしれない。そんな期待に応えてあの時代を言葉に刻んだ小説なのか。読むしかないなあ。

 巫女の処女性とでもいうんだろうか、純潔にして男になんか興味を抱かずひたすら神に自分を捧げる存在こそが尊いといった“信仰”めいたニュアンスが漂って、それを妙に信じている人たちが男性を問わず一部の女性に盛られたりする旧弊ぶりと、そしてセクハラに過ぎない暴力性も帯びた態度で基準を下げておいて実はいい人なんだ説を振りまき、ちょっぴり真面目になって頑張る姿も見せてポジティブさを目立たせるやり口が、どうにもわざとらしくてそれで現代のMeToo運動盛んな社会に受け入れられるのかといった思いも少し浮かんだ「ひそねとまそたん」最新話。エンディングが凄まじかったのはまた別の話。

 フォレストという前任のDパイが男性になびいて妊娠をして結婚までしてDパイから離れていったことを同僚だった柿保令美がどこか冷めて見ているのは、自分がなりたかったDパイを奪われたのにあっさり止めたことに腹を立てているのかもしれないけれど、それでも恋愛と結婚と出産というその人にとっての幸せを、否定するような雰囲気があって余計なお世話感が漂うし、絵瑠がルームランナーに乗って走っている横に来たらそこでも軽口を叩いて胸をじろじろ見るのがゲスな男ってものだろうに、それをやらせず妙にしおらしくさせ、それを見て絵瑠がちょっとだけトキメく感じを漂わせるのが男の都合全開でどうにも居心地が悪い。まあ作り手だってそのあたりは分かってやっていると思いたいからあらゆる常識も良識もプレッシャーもはねのけ、勝手気ままにDパイたちがやらかしそれで世界も救われるような明るい物語になってくれると嬉しいな。どうなるんだろう。

 日本大学から学長が出てきて会見をするって話が流れた時点で、学長選挙で66標中の64票を獲得して圧勝するくらいにとある方面に人気者の人が、その人気を裏切ってまで学生と教員のためにすべてを明らかにして、現在の経営陣を糾弾するなんてあり得ないと思っている人が多かったけれども現実はそういった予想すら上回る感じに経営陣の代弁者となって擁護に努めた感じ。コミュニケーション不足が原因で、そしてアメリカンフットボール部はいずれ活動を再開させるといった具合に、今すべき齟齬の詳細な分析とそして同じような自体が起こらないよう再発防止策を練って打ち出す意識をまるで見せなかった。

 あまつさえ自分が会見に出ることを理事長に許可してもらったとまで言い出す始末。これってつまりは自分は最高責任者じゃないと断言しているようなもので、けれども社会が求めるのは最高責任者による謝罪であり原因究明への玄智であり自身の身体についての言及。そこに至る以前に壁となってせき止める役し回りしかなかったとも言える学長の会見に、メディアが憤ることは百も承知でそれをやってしまう危機管理能力の甘さが確信犯なのかただのポン酢なのかを今は知りたい。ゴタゴタしている間にウヤムヤになってしまうとでも思っているのかな、でも提訴の動きもあるしこれだと最悪の事態になると思うんだけれどな。

 今日から公開された「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第五章 煉獄篇」を舞台挨拶付きで見る。見終わって音響監督の吉田知弘さん、シリーズ構成の福井晴敏さん、そして急遽参加の羽原信義監督が登壇して主に音響の話。加藤三郎と桂木透子が絡むシーンがあってその辺りの音楽は新録らしいんだけれどどんな曲だったか忘れてしまったのでまた聴き直しに行かないといけないかなあ。買ったBD見れば良い? 劇場で見るから良いんだよ! なぜってそれは桂木透子の谷間だから。なるほど加藤三郎の父ちゃん泣きがあるけれど、やっぱり桂木透子の谷間だしキーマンの正体も明らかになったけど、それでも桂木透子の谷間なのだ。

 謎の戦艦が福井晴敏さんによればビルバインらしいけどやっぱり桂木透子の谷間であることに揺らぎはない。逆に山でもあるしそれから横乳でもあったりする桂木透子こそが「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第五章 煉獄篇」の主役であることに間違いはないと思ってる。あとは復活のサーベラー様か、前ほど傲岸さは見せてくれそうもないなあ。でもだんだんと壊れていくのがサーベラーさまってことで。テレサは見慣れた。いやでもあの巨大な顔で迫られたら怖いかも、無垢で無謬でちょっぴり機械的なだけに。本当は何者なんだ、そしてデスラーにはどう見えているんだ。気になった。実はデスラー良い奴だった話もあって、そこは福井さんの腕の冴えかなあ。

 もちろん艦隊戦という見所はあって、どうせヤラレ役なんだけれどそこはしっかりと迫力の艦隊戦って奴を見せてくれた。「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」ほど絶望しないのはそうはならないと信じているところがあるからかなあ、どうなるかは分からないけれど。ビルバインというよりエルガイムマーク2かあるはZガンダムかとも思われる謎の戦艦の航海長らしい市瀬美奈を演じる黒沢ともよさんは、一声で不遜で捻くれた性格を感じさせる黒沢ともよさんらしい声音を聞かせてくれた。高垣彩陽さん演じる藤堂早紀はユリカ・ミスマルではなかった。そんなところ。続きは11月と半年後だけれど待つ甲斐はありそう。どうなるんだろう桂木透子の谷間は。そこかい? そこだよ。


【5月24日】 ジーコが住友金属でプレーしていて鹿島アントラーズへと移行して、ガリー・リネカーが名古屋グランパスに入ってきてピエール・リトバルスキーがジェフユナイテッド市原・千葉に入ってラモン・ディアスも日産マリノスにいたりしたJリーグの草創期なんかを思い返せば世界的な知名度を持ったプレイヤーを僕たちは間近に見て来たんだけれど、そういった面子を並べて比べて果たして上回っているか下回っているかというと、イニエスタ選手はやっぱり一頭抜けた存在なような気がしないでもない。一頭髪が抜けたとか言わない。

 カレッカだってストイコビッチだって世界的な知名度を誇っていた上に、日本でも活躍をしてその実力を示してくれたけれどもいろいろと巡ったサッカー人生のまとめに入るだんかいで柏レイソルに来たカレッカ、八百長問題があってマルセイユでのサッカーが滞った中で、よりビッグクラブへと移るための道を模索する意味もあってかヴェンゲル監督がたまたま来ていた日本にちょっとだけ立ち寄った感があるストイコビッチと比べると、イニエスタはクラブチームとしても最高峰のバルセロナで中心選手として活躍し、スペイン代表にも選ばれ続けているバリバリの現役選手といったところでやっぱり一頭抜けている。だから一頭髪が抜けているとか言わない。

 だから本当に来てくれるのかという不安もあって、プレミアリーグのマンチェスター・シティが持って行くんじゃないかって話も出ていたけれどもそこをヴィッセル神戸へと引っ張ってきた三木谷浩史オーナーはさすがの商売人といったところか。年俸32億円で3年契約だから総額で100億円を注ぎ込んで、それだけの利益をサッカー事業で得られるか、そして楽天というブランド全体で上乗せできるかっていうと国内でまずもって無理だと思うけど、世界を視野に入れた時にイニエスタ選手が所属する球団を持っている会社といったとらえ方で、出て行けるなら万々歳といったところ。バルセロナへのスポンサードもそれでやった感じだし。

 じゃあ世界で楽天が何をできるのかはやっぱり話からにけれど、バブル華やかな時代に日本人が武勇伝を残して以降、途絶えていたジャパンマネーの炸裂を、感じさせてくれる偉業としてここは素直に称えたい。問題はFIFAワールドカップ2018ロシア大会に出場して何か毛が……じゃなかった怪我でもしないかって心配があることと、そして再開までの2カ月くらいの間に気持ちを変えてやっぱり神戸なんて行きたくなと思い返してスペインにとどまるか、プレミアに移るかブンデスに行く道を選びかねないことか。もっとお金を出してくれるならそれに乗っかるのもプロだし。それとも個人として日本に何か関心があるのかなあ、アニメがいっぱい見られてマンガも読めるとか。そうだったとしたら嬉しいけれど。ともあれワールドカップでのプレイにまずは注目。

 途中で「劇場版プリパラ&キラッとプリチャン〜きらきらメモリアルライブ〜」のアイドルおうえん上映会に入ってしまったため見られなかった日本大学アメリカンフットボール部フェニックスの内田正人前監督と、そしてコーチだった井上奨氏の会見は関西学院大学のフットボール部ファイターズのクォーターバックにレイトヒットをしてしまった選手が選ばれていた大学世代の日本代表を辞退するよう監督から言われたという話が、食い違っていて内田前監督は言ってなくてその時はまだ代表だったといった認識をしめしていた感じ。ってことは代表クラスの選手をチームは干していたってことでそれも意外で、いったい何があったのか、何が気に入らなかったのかが気になって仕方がない。

 コーチだった人は優しい性格なんで発憤させたいといった思いから飢餓感を与えていたそうだけれど、代表に選ばれるようなプレーを見せられる選手を試合にいったい何が必要なのかを考えなかったことと、そして飢餓感を与えて言うことを聞かせた挙げ句に何が起こるか分からなかったといった時点で、コーチという資格を返上するに値する愚挙だったとも言えなくもない。そういったやり方が分からないでもなく、追い詰められた中から闘争心を発揮して伸びる選手もいたりするし、フィクションでの一発逆転を象徴するイヤボーンっていうのはそういうものな訳だけれども、結果として粋すぎてしまったのならその時点で失敗だったと理解した上で、やってしまった選手をケアすべきなのにどこか突き放して責任をかぶせようとしているところに厄介さが潜む。

 本当に指示はしていなかったのか、たとえ話であっても指示したに等しい状況が起こったのならその責任はどこまで及ぶのかは今後も議論されるとして、見ていなかった中継で司会の人とやらが質問をさえぎって抗議をされて反論してぐちゃぐちゃになったことも報じられていてちょっとびっくり。まあ実際のところ同じような質問が相次いで答えも同じといった感じで、さっき何を聞いていたんだと思わないでもないような場面があったっぽいけれど、そこを何か時間が来たとかもうちょっと核心に迫る質問をと促せば良かったものを否定して退けようとして突っ込まれ、売り言葉に買い言葉とぶちまけてしまったから問題になった。あれで元は通信社の論説委員だという話もあってメディアの尊大さは大学の尊大さに並ぶものだなあといった思いも。そんな尊大さがぶつかりあって対消滅してくれればやれやれだけれど、当事者のやられてしまった学生の怪我が癒され、一方でやってしまった学生の名誉も回復されるにはまだしばらく日本大学にはおつきあい頂かなくてはならないので、療養をして精神を落ち着かせてまた戻ってきては日大ブランドは永遠に不滅ですと言ってくださいませ。

 AIBOに触れられるイベントとか、映画「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」の世界に入り込めるアトラクションとかが置いてあったソニースクエア渋谷プロジェクトで次に始まったのが音楽の新しい楽しみ方を見せるという「The Music Experience」という企画。その中の「Lost in Music:”カリード Young Dumb & Broke VR”」では、世界的シンガーソングライターのカリードとコラボレーションして、VRミュージックビデオというVR時代ならではの音楽体験を楽しめようになっている。使うのはプリステーションVRで、イスに座って装着するとまずはクルマの運転席が現れ、フロントグラスにカリードが現れコメントをしてくれる。

 そこから流れる音楽とともにクルマがスタート。移動した先で前面に現れる巨大なスクリーンに映し出された映像を見たり、モーションキャプチャによって再現されたカリードがダンスする姿を眺めたりして楽しめる。「傷物語」のVRでも使われたVRプロジェクションマッピングという技術が使われていて、VR空間内の様々な場所に映像が現れる。まるで屋外シアターみたいに駐車場からのぞむスクリーンに現れる感じ。なかなか面白い。あとR&Bではあってもソウルフルではなくって歌うのは優しい旋律で、どこかファレル・ウィリアムスにも近いところがある感じ。今はつぶやきとささやきで誘うヒーリングの音楽が人気なのかもしれにあ。

 ちなみにタイトルにあるLost in Musicとは、音楽とVRのようなテクノロジーを融合して新しい体験を届けるソニーのブランドプロモーションで、第1弾ではザ・チェインスモーカーズとのコラボレーションを提供した。第2弾となるカリードとのコラボレーションでもVRという空間の中に入り込める表現を使ったミュージックビデオを提案。これが人気になればプレイステーションVRも音楽を体感するデバイスとして普及するかもしれない。どうなんだろう。他にはグレース・ヴァンダーウォールの顔がかかれた箱に頭を入れるとメッセージが聞こえるコンテンツがあって、外から見ると自分の体にグレース・ヴァンダーウォールの顔が載っているように見える。インスタ映えする展示。DJカレドのアルバムジャケットが再現された草花生い茂る空間もあってこっちもインスタ映えは存分。今日からスタートしたイベントだからおいおい、インスタとかSNSに現れてくるだろう。しかしオープンと同時に渋谷モディに入ってきたモノノフたちはなにだったんだろう。私気になります。


【5月23日】 新しく作り直されたテレビアニメーションも放送中の田中芳樹さんによるスペースオペラ「銀河英雄伝説」が、マッグガーデンから四六に近いB6版ソフトカバーの本になって刊行が始まっているんだけれど、本屋さんで置かれている場所がいわゆるがなろう系の異世界転生ノベルズがあふれた棚で、そういった方面に関心があって棚に近寄った人たちが、テレビでやってるアニメの原作なんだと思って手に取って新しい読者になっていくんだろうかとちょっと思った。振り返れば「銀河英雄伝説」は新書版のトクマ・ノベルズで最初に出て、ハードカバーの愛蔵版を経て徳間文庫となりライトノベルっぽい徳間デュアル文庫で出たと思ったら、ガチSFの創元SF文庫に移ってそして今が旬の四六版キャラノベへ。時々の読書トレンドを押さえ器を変えて売れ続けるといったとおろか。もしも次に形をかえるとしたら何になるんだろう。絵巻物だと面白いかもしれないなあ。

 若い内から髪の毛がなくなってお腹もポッコリと出てきた僕は絶対に罹らないと思う、イケメンしか発病しない病気があってそれに罹るとある日突然に昏睡してしまうという。そんな病気の蔓延と避けるため、イケメンだけが隔離された日本が舞台になっているのが相羽鈴さんの「イケメン隔離法」(集英社オレンジ文庫)という小説。イケメンすれすれの少年と、父親が有名経営者の庶子と、そして舞台俳優の3人がそれぞれに隔離された場所で出会い考え動くといったストーリーで、その幕間に宇宙開発に尽力しながら帰還した探査船の傍らで、最初の発病者として倒れたイケメンエンジニアの知人で宇宙に行って病気の原因を探ろうとする宇宙飛行士の行動がはさまれる。

 つまりはイケメン病の原因は宇宙にあるってことなんだけれど、その原因は不明でどうしてイケメンだけを狙うかもまだ分かっていない。そんな状況下で始まったストーリーは、まずは病気の判明から2年くらい経った頃、高校を卒業して就職しようとした会社が潰れてしまってフリーターになり、栃木の喫茶店でバイトをしていた微妙なイケメンの広樹に招集がかかるエピソードがまず始まる。周囲もどうして彼がと思うくらいの微妙なイケメン。網走にある隔離施設へと運ぶ飛行機では、専用のシートがあてがわれてきっと凄いイケメンが来るかと期待したCAの戸惑うような視線を浴びて気持ちをそがれる。

 でも仕方が無い、発症の恐れありと見なされたイケメンは微妙であっても隔離されるのが決まりになっていて、広樹は網走の施設へと送られそこで先に入所したイケメンたちと共同生活を始める中、東大を出てドイツにも留学していたイケメン農学者が収容されながらも研究していたことから、とても重要な発見をする。それはイケメン病の進行を遅らせるものだったけれど、未だ撃退には至らず、続いてエピソードは宮古島へと送られた親が実業家の遊馬という青年が、知人になった先入者に喋ったことが週刊誌記事になったりして面倒な暮らしを送っている中で、カウンセラーと仲良くなり脱走を企てるも失敗。そしてカウンセラーの正体を知って憤り、けれども真実を分かって少だけ親子の仲が進む。

 イケメンは少数派ではなく社会的芸能的に重要な者も多く居るため、東京から近い富士山嶺には最大のプリズンが作られていて、そこに舞台俳優だった咲良も入れられていた。そこから外に向かって動画を配信して、人気1位になると外から知人を呼べるという競争が始まって咲良はどうしても1番になりたいと、施設で知り合った知人たちの協力も得ながらバーチャルアイドルを作って一気に順位を上げるものの、そこは究極のイケメンたちもたくさん収容されている施設。朝の連ドラで国民の弟とまで呼ばれ慕われた俳優の泣き落とし作戦があって1位は難しい状況になった。実は彼女を呼びたいかでのイケメン俳優を上回るにはどうすれば良いか、ってところで咲良が打った手が以外だけれどなるほどこれならと思わせるもの。そんな展開の中ではイケメン病の理屈がやっぱり不明で、SFと呼ぶには謎が多すぎるけれどもいずれ宇宙へと出て行った宇宙飛行士たちの手によってが原因の探求が進むと期待。今はそこへと至る過程で描かれる隔離されたイケメンたちの日々というシチュエーションを楽しみたい。

 日本大学アメリカンフットボール部の部員による関西学院大学アメリカンフットボール選手へのレイトヒットから始まった騒動は、ようやく当事者でもある日本大学アメリカンフットボール部前監督の内田正人さんとコーチの井上奨さんが会見。その言葉を言葉として聞くと、自分達のチームを思い選手の将来を思っておとなしい性格を変えてあげたい、もっと発憤してもらい高いところへ言ってもらいたいという気持ちから、飢餓感を与え追い詰めつつ爆発の機会を与えたかったという思いは何とはなしに伝わってくるし、監督が具体的に何かを言うよりは現場で日々接しているコーチが監督という権威を背景に自分でいろいろと発憤材料を与えたんじゃないかってことも伺える。

 だったら監督に責任がないかといえば結果として起こったことには責任があるからと言って監督を退任したのはひとつの判断。ただ、ここまで自分達の言葉で自分達の立場を説明する努力を怠ってしまったことが憶測を生み、いらぬ不信感を読んでしまったことは反省すべきで、結果として所属する大学の信頼を貶めたことに関しても何かしらの責任をとらされることがあっても不思議ではないとは思った。あと試合後のコメントがどこかユルかったことにも言及していて、自分は酷いレイトタックルは見ていなくって、プレーの時にはボールを追っていてどれだけのことがあったかは分からない、3度目の暴力沙汰は見ていたとのこと。ああいったラフプレーならうん、確かによくあることでそれを心に止めて発言したのならまあ納得はできる。ただ、あとでビデオを見て酷いプレーがあったことが分かったなら、即座に前言を撤回して全面謝罪するべきだった。そうすればここまで話も広がらなかっただろう。判断ミスがあったとしたらどうしてか、そこを突き詰めないと同じピンチはまた起こる。危機管理学部のひとつのケーススタディにしても良いんじゃなかろーか。

 9回ほど通った「劇場版プリパラ&キラッとプリチャン〜きらきらメモリアルライブ〜」アイドルおうえん上映会で最初は嬌声とコールくらいだったものがだんだんと進化していく感じが楽しかったしこちらも入れる合いの手をだんだんと覚えてそのタイミングが心の中だけでもかちっと合うとなんか嬉しい気持ちになれた。らぁらとゆいが歌う「Brand New Happiness!」だとスリー、ツー、ワン ようこそアイドルタイムの「アイドルタイム」という部分とか、同じように虹色にのの「あっちゃこっちゃゲーム」でも出てくる「アイドルタイム」という部分とか。あと最初と最後に出てくる赤いめが姉ぇがパンパンパンと手を叩くのに合わせて手を叩くのがだんだんと広がっていった感じ。「シン・ゴジラ」で間准教授が何かに気がついたところでパンと手を合わせるのにだんだんと観客も合わせていったような。回を重ねることで進化する応援上映。とはいてキンプリほど厳密な仕切りはなくて来た人が自由にめいめいにコールもできるしペンライトも触れるところが何度も行きたくなる理由かなあ。あと1回くらい行っておくかなあ。


【5月22日】 しれっと長い受話器を使わせてウマ娘たちの耳は顔の横にあるんじゃなく、頭の上に飛び出ているんだってことを分からせて来たテレビアニメーションの「ウマ娘 プリティーダービー」。人間には使いづらそうな形をしているそれがウマ娘たちの寮にあるのは分かるけれど、エルコンドルパサーが凱旋門賞に出走するために遠征した先のホテルにもあったってことは、それだけウマ娘たちがサービスを受けられる存在で、泊まるホテルの部屋にあらかじめ用意してあったってことなんだろー。

 とはいえ携帯電話だって口と耳に届いてなくてもしっかり聞けてしっかりしゃべれる訳だから、長さは必要ないよなあ、ウマ娘たちだってスマートフォンは持っているみたいだし。でもエルコンドルパサーがスペシャルウィークに電話をかけて来た時は顔に当てずハンズフリーでしゃべらせていたっけ。あそこで顔に当てたら長い受話器の描写が無駄になるから避けたのか、それともスマホのアイコンの笑顔としゃべる声の嘆きの対比を見せたかったからなのか。いつか機会があったら聞いてみたいかも。

 新聞社のオーナーが編集局に入ってくる情報を聞きつけ先回りして事件を解決していたというカラクリは分かった。問題はその新聞社のオーナーがどういう理屈から先回りできるだけの仕掛けを作ってどこかに起き、そして現場で人間離れしたパワーを振るうことができたかで、これがブルース・ウェインとかトニー・スタークだったら時間と財力に明かせていろいろと仕掛けも作りパワードスーツだって作ったかもしれないけれど、新聞社のオーナーにそうした技術があるようには見えないし、スーツだって何か仕掛けがあるようにも見えない。

 ただ着ただけ。それでもあれだけの活躍を見せられたのはつまりは新聞社のオーナーが死ぬほど自分を鍛え上げて、空だって飛べるし空中にだって飛び上がれたからだって考えるのが、ここは波風をたてない答えってことになるのかな。あのスーツの下にははち切れんばかりの筋肉が。なりたいもののためになる努力を怠らない結果なんだろー。でもいつか銃器に破れるぞ。それとも筋肉で跳ね返す? やりかねないなあ。そんな「レイトンミステリー探偵社〜カトリーのナゾトキファイル〜」。そろそろレイトン教授(元)も出てくるかな。

 核心に最も近い人間が、核心とおぼしき状況を説明した以上は当事者たちはその線を肯定するなり否定するなりしなければもう話は前に進まないだろう。日本大学アメリカンフットボール部フェニックスのディフェンスの選手が関西学院大学フットボール部ファイターズのクォーターバックに仕掛けたレイトヒットやそのほかいくつかのファウルがどういった状況から出たものかが、仕掛けた側にあたる日大の選手からつまびらかにされた。それは試合への出場を減らされる中で相手のクォーターバックを潰せば試合に出してやるとコーチからいわれ、そう監督に報告に行けと指示されてそのとおりにしてしまったということ。

 気になるのは直接の指示がコーチだったりする部分だけれど、それを報告したのだから監督だって一蓮托生だし、コーチだって監督の指示もなければそうした無謀は行わない。それがあのチームの体質だってことはここしばらくの一連の状況が示している。結果として選手はレイトタックルを仕掛けてクォーターバックを潰したものの自分までが追い込まれる事態に。最初は監督が自分がやらせたと言って責任を取ると言いながらも釈明に出てきて言ったことは選手が指示をはき違えたといった保身の論理で、これでは自分ひとりが悪者にされると思った選手が弁護士を頼り学校にすがらず記者会見を行って当然の事態だと言えるだろう。

 守ってくれるはずの監督が、コーチが、学校が守ってくれないんだから。そして明らかになったのは、調査をして回答しますと言っていたアメリカンフットボール部が未だ当事者の選手から話を聞いていないということ。そして日本大学アメリカンフットボール部フェニックスとしては関西学院大学のフットボール部ファイターズとの定期的な交流試合がなくなっても良いと考えていたこと。

 前者はまるまる虚偽をいっていたことに等しくて指導者として、あるいは大人としてとんでもないことだし、後者は長い伝統を誇る日本大学アメリカンフットボール部の伝統をたたき壊すに等しい所業。これを聞いたら現役もOBも含め立ち上がって改革を叫んで当然だろう。もしも読売巨人軍が阪神タイガースとの試合なんてなくなってもかまわないから相手の投手がバッターボックスに経ったらデッドボールで潰して来いと投手に指示したら、その時点で読売巨人軍は終わってしまう。だからこそOBだって親会社だってそうした所業に出た人間は洗いざらい放逐するだろう。早稲田と明治のどちらかのラグビー部がどちらかの部員に対して対戦がなくなってもかまわないから潰せと言おうものなら全OBが立ち上がって浄火に向かうだろう。

 それくらいの大事を平気で言ってしまってなお、その地位にとどまれるとしたらコーチは相当なタマってことになるし監督だって神経が太いとしか思えない。それともことここに及んで監督は指示なんてしていない、コーチが勝手に拡大解釈をして選手に伝え、それを選手が真に受けただけだといったしっぽ切りをするんだろうか。そうなったらなったで今度はコーチが立ち上がって監督の告発に向かうかというとどもコーチは体制の側に強く身を寄せている感じで、反旗を翻すなんてことはできそうもない。だからやっぱり選手の戯れ言といった否定を続けていくんだろう。そうでなければ自分達のアイデンティティが崩れ落ちてしまうから。

 実際、日大の広報は部員の会見を受けて集まった報道陣に当初、法人として話すことはなにもないからと追い返しておきながら、関学が日大の選手の勇気を称えるコメントを出したのを見たからなのか夜になってファクスで声明を発表。これがまた凄まじくって、日大のアメリカンフットボールでは「QBをつぶせ」という言葉は「思い切り当たれ」という意味だといった説明をしたものだけれどだったらどうして、その1発目で物理的にQBをつぶしてしまったプレーを咎めて選手を交代させなかったのか。そうはせず2つめのファウルでもそのままにして3つめで退場処分にされてしまった。日大の附属高校から来て2年生にもなった選手が、日大で普通に使われている言葉を知らずに物理的に潰しに行ってしまったことも、そうした説明への矛盾を感じさせる。もうツッコミどころ満載なのに、それを平気で出してくる学校に果たして未来はあるのか。OBとか今頃悶絶しているだろうなあ。

 「クロサワさんならどうするだろうか?」。それが日本を舞台にしたストップモーション・アニメーション映画「犬ヶ島」を作るに当たってウェス・アンダーソン監督が考えたことらしい。2010年頃にひとつのアイデアを思いついたウェス・アンダーソン監督によれば、それは「犬がゴミの島に置き去りにされ、その犬たちを助けに行く男の子の物語」だった。その時、「自分といっしょに脚本を考えた人たちも入れて、ひとつの質問を自分たちに投げかけた。それが、あの黒澤明監督ならどのような映画にするだろうかといった問いだった。

 六本木で開かれた「犬ヶ島」の舞台挨拶に登壇したウェス・アンダーソン監督の言。黒澤明のみならず、さまざまな敬愛する日本のクリエイターたちが描いてきた表現に近づこうとして「とても努力した」けれど「答えを出すことには失敗してしまったかもしれない」とウェス・アンダーソン監督。それでも「これは黒澤明監督の影響なしには作ることができなかった映画だ」と話して、黒澤明監督や黒澤映画で音楽を担当している早坂文雄さんの名前を挙げて感謝を示していた。

 ほかにも、「犬ヶ島」の日本版ポスターを描いた大友克洋さんに礼を言い、「宮崎駿や高畑勲を自分は深く心に刻んでいます。庵野秀明、今村昌平、北野武……彼らからもインスピレーションを得ています。仲代達矢、三船敏郎、志村喬、香川京子、浮世絵の北斎や広重からもインスピレーションを受けました」と大勢の名を挙げ感謝感激。だからこそ日本で公開できたことを喜んで来日もしてくれたんだろうなあ。だとしたらもう見るしかない。試写で観たけどより詳しく迫るためにまた行こう。


【5月21日】 消したはずの記憶が蘇るのはゼロツーとヒロの出会いの記憶が蘇ったことからも明らかで、にも関わらずココロとミツルが交換した指輪を外さずそのまま残してそれが何かを考えさせるトリガーにしていたり、結婚なんて大それた行為を止めるどころか祝福した第13都市部隊のところに戻したりといった具合に、まるで思い出してといわんばかりの処置にパパたちが本気で子供たちを無垢のままにしておきたいとは思えなかったりする「ダーリン・イン・ザ・フランキス」。実際に散る桜の花びらを見てココロが何か心を揺らしていたりする訳で、そんな腑抜けたオトナたちと咎めない9’sもあれでどこか間抜けなのかもしれない。オトナに信頼されていると喜んでいるコドモというか。そういった部分がこの作品へののりづらさを感じさせる要因なのかもしれないなあ。

 日本雑誌協会が出している四半期ごとの印刷部数で週刊少年サンデーの部数がついに30万部を割り込んでしまった。新編集長が就任して全部自分で決めるからと言って長い連載を幾つも切って新しい連載を始めるって話を聞いたことがあるけれど、それからたぶん2年くらいが経ってサンデー発のヒット作が出たかというと記憶にないし、マンガ大賞の週刊少年サンデー連載の作品が入ってくることもあまりない。だったらまるでヒット作がないかといえば72億円の興行収入を稼いでまだ伸びている映画の原作となっている「名探偵コナン」がある訳で、「ONE PIECE」以上の稼ぎ頭を勇姿ながらも漫画として、あるいは漫画雑誌としての存在感で「ONE PIECE」にあまり及んでないように見られるところに今の部数の状況もあったりするんだろう。

 とはいえ週刊少年マガジンも100万部を切って80万部からさらに下を伺う感じだし、週刊少年ジャンプだってとっくに200万部を切って170万部とかいったあたり。週刊少年チャンピオンが分からないけれどもそれらを足してかつてのジャンプが成し遂げた600万部とかった数字の半分にだって達するかどうかといった感じで、雑誌で漫画を読むことの減退が満遍なく現れていると言えるかも。可能性としては電子版への移行があってそちらで読んでいる人もいそうだし、僕だってイブニングはkindle版をずっと買って読んでいるから他の漫画誌もそういう人がいるかもしれない。

 ただジャンプにしろサンデーマガジンにしろスマホで漫画雑誌を買うような大学生とか大人に読まれてもあまり意味はなく、将来の漫画ファンとなる小学生とか中学生に読まれて欲しいところ。そうした市場がどんどんと減っているなら今の減少は将来の絶滅にすらつながりかねないだけに検証が必要だろう。果たして漫画雑誌は電子版でも読まれているのか。それは誰が読んでいるのか。見えて驚きの事態にならなければ良いけれど。もちろん悪い意味での。

 登山家の栗城史多さんが挑戦中だったチョモランマことエベレストで亡くなられたとの報。体調が優れず途中の7400メートル地点から引き返して下山する途中、連絡が取れなくなりヘッドランプの光も消えてしまったため下から捜索に出向いたところ、低体温の常態で亡くなっている姿が発見されたという。事務所が発表しているからこれは公式で、他の大陸の最高峰を制しながらもエベレストだけは8度目の挑戦でもかなわなかったということになる。登りたかっただろうなあ、という思いも浮かぶ一方でここまで失敗してどうして登ろうとしたんだろう、といった不思議もあって賛否が渦巻くその登山家人生だったりする。

 無酸素だとか単独登頂といった、いろいろと物議を醸している“記録”なんてこうなるともはや関係なく、登りたいと願い続けて歩き回り、スポンサーも募って挑戦へとこぎ着けたその意志の強さはやっぱり評価するしかないだろう。ただ、やはり命までかけることだったのかといった疑問も浮かばない訳ではなく、ずっと体調も芳しくなくなかったなかで早く断念をしていれば、命は助かったかもしれないしそれでまた挑戦だって出来たかもしれない。

 幾つもの大企業をスポンサーにつけ、AbemaTVでの生中継だなんて今までとはまた違った要素もあって引くに引けなくなってしまった状況が、体調の悪い中を前へと進ませ引き返すのを送らせてしまったのかもしれない。そうしたスポンサーに夢をかかって資金を得たのだから、気兼ねをして身をすり減らしたのも自分に責任があると言えば言えるけれど、そこを剛胆に無理なものは無理、そしてまた夢を与える可能性が出来たと開き直って生きていくような性格だったら、死なずには済んだのかもしれない。いずれにしても身ひとり、誰も巻き込まなかったのはせめてもの救いとして今は「よくがんばった」という声を掛け、ひとりのアルピニストの死を悼もう。

 「グランド・ブダペスト・ホテル」のウェス・アンダーソン監督による最新作でストップモーション・アニメーション映画の「犬ヶ島」が5月25日に公開されるってことで、ウェス・アンダーソン監督や声で出演しているジェフ・ゴールドブラム、コーユー・ランキン、野村訓市さんが登壇したイベントが開かれたんで見物に行く。面白かったのがウェス・アンダーソン監督がストップモーション・アニメーションに入れ込んでいる理由で、何でも「ストップモーション・アニメーションにはパペットや小道具を作る職人たちと仕事ができる喜びがある。古風な手法の映画作りだとも言えるけれど、ひとコマずつ動かして撮影していく手法は映画が始まって以来長年続いているもの。それに携わることが僕の夢だった」とか。

 そして「それを『ファンタスティックMr.FOX」で実現した」とウェス・アンダーソン監督。ロアルト・ダールの児童文学を原作にした映画で、人間に追い詰められたキツネの一家が、他の動物たちと共に人間に戦いを挑むするストーリーが描かれているところは、人間に追い詰められた犬たちの反抗が描かれた「犬ヶ島」と共通しているかもしれない。映像も横移動が多かったり正面からとらえて演技させるレイアウトが見かけられたりと、これも「犬ヶ島」と似通っている。実写作品のカメラワークとどこまで共通しているかは分からないけれど、ストップモーション・アニメーションではある種のウェス・アンダーソン監督らしさってのがちょっとだけ見えた気がする。次回作があれば確実だけれど。

 それにしてもやっぱり不思議なのは「グランド・ブダペスト・ホテル」でアカデミー賞とかノミネートされまくって受賞も幾つかしているにも関わらず、実写ではなくまたしてもストップモーション・アニメーションに挑んだこと。そこは「ファンタスティックMr.FOXを作って「ものすごい時間を掛けて勉強してようやく覚えられたと思ったら映画が終わってしまった。豊富な知識を得てアニメーターとも出会えた。その経験を活かしてまたストップモーションで作ろうと思った」からだとか。せっかく得た経験値、そして感じた面白さを1度で終わらせては勿体ないというのはなるほどとても分かる話。でも実際に作ってしまうくらい、入れ込んでいるものがあったんだろう。

 それはストップモーション・アニメーションが持つ醍醐味か。「ストップモーション・アニメーションでは、ひとつひとつのコマを動かす時、事前にチャートを作ってそのとおりに動かしているけれど、アニメーターが動かす角度によって全然違ってくる。魔法をかけているんじゃないかと思った。それによって物体に過ぎないパペットがものを考え、ものを感じる生き物みたいになった。そんな様子を見ていることが僕には楽しかった」。手書きでもパペットでも、ソリッドな物体に命を吹き込むアニメーションのその面白さを1度でも味わったら、またやってみたくなるものってことなんだろう。これがアニメーション沼という奴か。

 ウェス・アンダーソン監督が素晴らしいのは、そうやってアニメートするクリエイターの仕事をとてもリスペクトしていること。「ボイスキャストによって映画には半分の命が吹き込まれるが、もう半分はアニメーターが演技をつけることによって生まれると僕は思っている」。アニメーション作品だとなぜか声優さんが脚光を浴びるケースが多々あって、舞台挨拶なんかでも声優さんが登壇をする一方で、途中で腕を振るったアニメーターが出てくることはほとんどない。むしろ皆無に近い。今回も声優さんが登壇したイベントだったけれど、ウェス・アンダーソン監督はビジュアルとして見えるキャラクターの演技を成り立たせる上で、アニメーターの役割が大きいことを改めて強調していた。

 「キャラクターの演技は、半分はボイスキャストの声によって成り立っているが、ジェフも話していたようにその時間は2時間と短い。残りの半分はアニメーターによって作られている。それは本当に長い」。ジェフ・ゴールドブラムが吹き替えに使った時間はたったの2時間。そしてアニメーターは何年かけて人形に命を吹き込んだのか。その軽重を考えるならアニメーターに軍配が上がりそうだけれど、ウェス・アンダーソン監督は「そんなボイスキャストとアニメーターという2つのクリエイティブな職種が映画の中で一体になる。一緒になれる。それが僕は素晴らしいと思う」とどちらもしっかり持ち上げていた。日本でもそうやってアニメーターの仕事の凄さを声優さんの演技の素晴らしさと等価で語る場があって、それをファンも喜ぶ傾向が強まってくれると良いなあ。


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