縮刷版2018年3月下旬号


【3月31日】 「そうだ、極地研に行こう」という訳で「宇宙よりも遠い場所」とのコラボレーションイベントが行われているらしい立川市にある国立極地研究所まで行く。東西線で大手町まで行きJRの中央線で立川まで。そこからモノレールで1駅乗ってさてどっちへ向かおうと迷う間もなくめの前に「南極チャレンジ」と書かれたウィンドブレーカーを着ている人がいたんで、その人を追いかけるように駅を出て歩いて行ったら10分ほどで到着。いやあ綺麗だ。そして広々。立川市役所だとか裁判所だとかも並ぶ中に建ったこぎれいな建物の裏手に回って、まずは南極と北極に関する展示を見る。

 氷があったり雪上車があったりペンギンの剥製が立っていたりとなかなか見物。国立科学博物館とか国立科学技術館でも果たして見られたんだっけと思ったもののここまで充実しているのは極地研くらいだろうなあ。そして倉庫の方へと回って物販に並ぶ長い長い長い長い行列を横目に「宇宙よりも遠い場所」にちなんだ展示を見物。キャラクターのサイン入りパネルがあったり5メートルルールといってペンギンの5メートル以内には近づかないという制約を再現したコーナーがあったりしてなかなか楽しい。

 あとはアニメーションに関する展示と原画。きっとアニメ系のイベント会場でやっても人は入りそうだけれど、すぐ近くに本場の品々がある極地研ならではのリアリティが作品の面白さを引き上げている感じ。これが“聖地”の持つオーラって奴なんだろう。限定の物販は行列だったけれど地元から来ていたお店屋さんは普通に変えてジャンボシュウマイと「ウドラ」っていう立川名物のウドをモチーフにした怪獣が描かれたどら焼きを購入。ウドが使われていたかは食べても分からなかった。っていかウドでどんな味? 極地研にはあと、2013年に東京タワーの下から撤去された南極観測で連れて行かれた樺太犬のブロンズ像が移設されていた。オリンピックのためとはいえどうしてといった憤りも出ていた像だけど、落ち着くべき場所に落ち着いていたってことになりそう。あとは南極観測船があれば完璧なんだけど。それは名古屋港の「ふじ」で我慢。今度帰省したらまた行ってこよう。

 「宇宙よりも遠い場所」のいしづかあつこ監督にはそういえば「SUPERNATURAL:THE ANIMATION」の時にインタビューをしたことがあって、いっしょに監督を務めていた、後に「鬼平」なんかを手がける宮繁之監督との担当分けみたいな話を伺ったっけ。アクションが豪快なら宮さんで女性のドラマがあるならいしづかさんといった感じ。担当した話数で女性が写真を見ながら泣いているシーンを入れたんだっけ、夫音優しさや確かな愛を感じないと彼女は納得できなかたっといったあたりを深く考えたりしたというから、そうした細やかな情動を入れるのに巧みな監督であり演出家ってことになるのかも。見返したいけれど買ったはずのBlu−rayは家のどこかに埋もれていて出てこないのだった。そういうものだ。

 愛知県立芸術大学を出てマッドハウスに入社されたいしづかさんは、当時ずっとマッドハウスのどこかで映画を作っていた今敏監督の存在は感じていたようで、インタビューした時に「可愛がっていただきました」と話してくれたっけ。ただ「今さんには最初すごく嫌われていたんです。ちょっと特殊な入り方をして、ちやほやされていたからか、一緒に仕事をしないと言われて。すいませんでした」といった感じで最初は大変だったみたいで、なるほど入社してすぐに「月のワルツ」でみんなのうたをやったりして評判を呼んでいたから、いろいろと思われたかもしれない。

 まあ特殊といっても大学を出て就職活動をして入ったところはごく普通。アニメーション作家を目指していた訳じゃなく、商業アニメーションがやりたくて入ったんだけれど絵が描けないからああいったアートっぽいものになていただけらしい。マッドハウスへは2004年に制作進行で入ったんだけれど目指していたのは演出で、そして入社した年の秋には「月のワルツ」だから早いといえば早い抜擢であったことは間違いない。その後、しばらくは助監督とか演出とかをやって、「青い文学シリーズ」で「蜘蛛の糸」と「地獄変」の芥川作品2本を監督したのが本格的な商業監督デビューってことになるんだろう。あれもまた作家性が出まくったアートっぽいアニメーションではあったけど。

 それが2009年だからその間に「MONSUTER」とか「ちはやふる」とか「魍魎の匣」といった作品でいろいろと経験は積んだという感じ。段階を踏んでキャリアをつませるところはマッドハウス、なかなかしっかりしているなあと思わうのだった。今監督は「その後1、2年たって個人的に話をするようになって、演出教室を開こうということで会いに行ったら、君には頑張って欲しい、お友達になりましょうと」言われたとのこと。今監督らしいといえばらしい人との接し方かもしれない。虚構は嫌いだけれど才能を認めるに壁は作らないというシンプルさ。もしも存命だったら今のいしづかあつこさんの作品を見て何を言ってくれたかなあ。「良かった」って言ってあげたかなあ。

 命への慈しみよりも相手が困り悩んで苦しむことの方を楽しいと感じる心性があって、それは単独ではうっすらとしていても徒党を組むと競うようになってより濃く相手を嫌悪していることを締めそうとしてエスカーレートしていく。それがたぶん今のいじめなり、いじりといったものの根底にあるんだろう。単純な憎悪とは違うけれど、だからこそ理解ができず歯止めもきかないまま突っ走って最悪へと至る。第3回ジャンプホラー小説大賞で銀賞となった鳥谷綾斗さんの「散りゆく花の名前を呼んで、」(集英社)で起こる事件の根っこにもそんな過去があって、どうにかならなかったのかと憤るもののどうにもならない現実が、今のこの世界で多くの人たちを泣かせ嘆かせているのだった。参ったなあ。

 母校に教育実習生としてやって来た鹿住未来は残留思念を読み取る能力があって、初日から名簿のふりがなを隠される意地悪を生徒からされても難読氏名に詳しいと思わせて能力を使っていわゆるキラキラネームでも全部ぴたりと当ててまずは第一関門クリア。そして生徒たちが復活させたホラー映画研究会に顔を出すようになるものの、その部員たちがなぜか次々と死んでいく。ロッカーの中で心臓麻痺。家でベッドの上で心臓麻痺。外傷はないけど苦しみ恐れる中で死んでいった少女たちは少し前、ある心霊ゲームみたいなものをやっていたらしい。

 それが原因? だとしたらなぜ。分かったのはそのゲームの元となったある実話。そこで起こった悲惨さに人のあっけらかんとした悪意のすさまじさを感じる。復讐されて当然というより、どうしてそこまで人がやってしまえるのか。ネットで無根拠の誹謗中傷を延々と繰り返す人が普段は普通といった状況にも似て、やってはいけないことの判断にどこか歪みが生じているのかもしれない。事態はとりあえず収束しかかったけれど、1人の少女の勇気がそこにあってのもので決して歓迎は出来ないし、さらなる恐怖の可能性もあって先が怖い。主人公の残留思念を読み取る能力は他への展開も可能なだけに、オープンエンドの読み切りとして楽しめるこの話の設定を生かした次の展開があっても良いんじゃないのかな。期待して待とう。


【3月30日】 A級から陥落してどうしたものかと先が不安視されていたけれど、渡辺明棋王はしっかりとタイトルを防衛したみたいでどうやら無冠にならずに済んだ模様。竜王と棋聖を持ち名人にも挑戦する羽生善治棋士との差はやっぱり埋まらないけれど、それでも追いすがるグループにはまだまだいられる感じで、この先復調して来ればトップ5には入る棋士として活躍してくれるんじゃなかろーか。あとは藤井聡太六段がどれくらいタイトル戦に絡めるかだけれど、王将戦だかは敗れて落ちてしまったみたいで名人戦はまだまだ先。期待ができるとしたらやっぱり竜王かなあ。高校生で竜王なら「りゅうおうのおしごと!」を地でいけるし。さてもどうなる。

 吟鳥子さんの「きみを死なせないための物語」(秋田書店)の第3巻が出て宇宙に浮かぶ都市はだんだんとその裏面をのぞかせ人類にとってのユートピアではなく未来を縛るディスとピアの様相を呈してきた。ネオテニーと呼ばれる成長が遅い上に優秀な存在がいる一方で、若くして死んでしまう病気を持った者たちがいて、その交流めいたものがずっと描かれているストーリーの中、ネオテニーであっても成果が出なければリストイン、すなわち間引きの対象とされてしまう恐ろしさが前の巻で描かれた。そして最新刊では病気でもう先行きの乏しい少女たちであっても、あるいはだからこそリストインされる可能性が浮かび上がっていたいどういう人間だったら生きる権利が与えられるのかと声に出して叫びたくなった。

 長命で優秀で人類に貢献できるなら生きていられるなら、短命で無能ならすぐにでもリストインさせるべきか否か。それこそ優生学で遺伝子検査も行い生まれて即座にリストインといった状況すら生まれてきかねない雰囲気。その中で人が人として生きていられる条件を、限界まで切り下げずむしろ広げる方法を考えてみたくなる。そもそもが人類が宇宙に押し込められていることが問題な訳で、どうして地球へと戻らないのか、戻れないのか、だったらもう滅びるしかないのか等々、背景となっている世界の状況を改めて考える筆ようがありそう。その上で物語りがどう転がっていくかを想像したい。誰もが幸せに生きていられる世界は来るんだろうか。どうなんだろうか。

 ちょっと前まで新型AIBOのお触りコーナーがあった渋谷モディに今度は英gあ「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」のコーナーが登場したってんで見物に行く。テーマパークEXPOにも出展されていたソニーのハプティックベストを使うアトラクションがあって、着込んで手にガンコントローラーを持ち3D立体視メガネをかけて前を見ると、そこには「ジュマンジ」の世界が広がっていてプレイヤーはサルが投げつけてくるバナナなんかを撃ち落とし、道を暴走してくるサイの足を止めてそしてお宝を守っているカバの口に銃弾をぶちこみ黙らせる必要がある。ただの映像だけれど投げつけてくるバナナにのけぞるところはバーチャルであってもリアルと感じる人間ならではの経験値ってことなのかも。

 ハプティックベストといえば同じ「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」のTOHOシネマズ日比谷での上映でも使われていて、映画の中で起こった出来事が体に伝わってくるようになっている。ロック様に殴られる感じとか。でもそれは一方的な体感の拡張であって自分からバーチャルな世界に何か影響を与えることはできない。渋谷においてあるゲームはその点で自分から起こしたアクションによって展開にも変化が出るといった感じ。そこがリニアな映画とインタラクティブなゲームとの決定的な差ってことになるんだろう。いずれVRの導入でパブリックな映画ですらパーソナルな展開を楽しむことも可能になるかも。そんな時代にゲームと映画とアニメーションの垣根はどこら辺りに出来るんだろう。そもそも垣根なんて出来るんだろうか。見ていきたい。

 いろいろと噂は出ていて報道なんかもされているから、何か確証めいたものもあったりするんだろうけれど今日に限って言うならそうした話の一切が出なかったので、とりあえず騒動はないものとしてKalafinaの10周年を記念した映画の舞台挨拶を受け止める。あるいは今日がWakanaとKeikoとHikaruによるスリーショットは最後じゃないかなんて話もあったりしただけに、まぶたに焼き付けたい気持ちもあったけれど、ファンの前に並んだ3人の誰からももう会えないといった言葉は出ず、それぞれがお互いを尊重し合うような印象を醸し出していたから、騒動についてはとりたてて触れずに記事にしておくことにする。

 途中、Keikoさんから出た「ひとりだからできることももちろんあると思うんですgあ」という言葉を裏読みして穿ってそうかひとりでやっていく覚悟なんかも抱いているのかと想像しては、針小棒大をしたためることだって出来ない訳じゃないけれど、続けてまるで違った3人が集まって生まれるものは未知数といったことを話していたから、まだまだこの3人でやれることがあると思っていると受け止めることお可能。そんな裏読み合戦に邁進するもの疲れるだけなんで、普通に道はまだまだ続くと思いたいし、そうでなくてもそれぞれの道はまだ続くと思ってこれからの活動を見守ることにする。今が一番だし未来はどんなものでもちゃんと来る。そして願えばきっと思いはかなう。信じよう。


【3月29日】 森友学園に関連した決裁文書の改竄問題について前の財務局長が国会で証人喚問を受けた時の証言がことごとく訴追の恐れがあるから言えませんだったことはまあ、そういうシステムだから仕方がないと言えば言えるんだけれど1年くらい前に交渉記録は廃棄を確認したと国会で証言をしていながら証人喚問では廃棄をするルールがあることを説明しただけだと答えていたことに愕然としたというか、立派な大学を出てとてつもない役所に勤めて一生懸命仕事をして国のために尽くしてきたはずの人が、どうしてこうもあからさまな良いわけをして恥ずかしいと思わないのか、満天下に恥じるところはないのかと思えて泣けてきた。今をそれで逃げ延びても一生を自分は国会で、テレビカメラが見守る中でポン酢な答弁をしたことを恥じて生き続けることに恐れはないんだろうか。ないから言えるのかなあ。そういう人たちによって動かされるこの国はきっともう終わっているんだろう。やれやれ。

 ようやく読めると映画「レディ・プレイヤー 1」の原作でアーネスト・クラインが書いた「ゲームウォーズ」を読んだらRX78−2ガンダムが登場するシーンがいろいろと違っていたというか、ガンダムも登場すればボルトロンすなわちゴライオンとダイラガーXがロボテック並に融合した作品とか勇者ライディーンとかマジンガーZに登場したミネルバXとか日本からのロボット群が大集合してそれこそスーパーロボット大戦的に徒党を組んで、こちらもやっぱり日本から参戦のとてつもなく強大な奴を相手に戦っていたりした。観たかったなあその場面。

 もとtも、原作小説そそのままに映画になったとしらどこの国の映画か分からなくなるし、観る人もよほど詳しくなければ出典なんかがちんぷんかんぷんだっただろうからメインで活躍するロボットをアイアン・ジャイアントに変えて正解だったかもしれない。その戦いぶりとか見せる活躍とかクライマックスとかとにかく最高。良い奴ロボットのアメリカにおける代表格ってところを見せてくれる。「レディ・プレイヤー 1」を観たらまた、「アイアン・ジャイアント」の映画を観たくなる人も出そうだし、その勢いでリブートなんてことになったら嬉しいんだけれど、アニメじゃなく実写でとか。今なら何だって出来そうだし、実際「レディ・プレイヤー 1」で出来てたし。

 「レイトン」シリーズのテレビアニメの発表会があるってんでフジテレビまで行って1階のエントランスで始まるのを待っていたら、産経新聞元会長の清原武彦さんとかほか見るからに取締役っぽい人たちがぞろぞろとエレベーターで降りてきたんで、フジメディアホールディングスの取締役会でもあったのかなあと思ったらサンケイリビング新聞社の株式の8割をライザップに売却するって発表が出て来た。その決議でもやっていたんだろうか。もともとは産経新聞社の系列だったものをディノスとか通販事業なんかとの連携も意図してフジメディアホールディングスが買収したか、あるいは厳しい経営状況をどうにかしようと産経新聞社が手元に資産として売却したか、その両方なんだろう。

 とはいえ、かつて傘下に収めた会社をここに来て売却とは、フジメディアホールディングス的にどういった意図があるのか少し気になる。そうだとしたら次に売るのは新聞だろうから。一方で、ライザップ側の意図についてはわかりやすくて、すでにいろいろな事業を買収していたりしてスポーツ用品のR&Dだとかジーンズメイトだとかいった衣料系やボディケア系、そしてメディアとしてのぱどなんかを買収して店舗ネットワークと情報ネットワークの拡充に努めてきた。そこに加わるサンケイリビング新聞社はフリーペーパーを紙の形態でひろくポスティングして伝えるネットワークに秀でている。それが規模で最大のぱどと組み合わさることによってそれこそ世界最大規模のフリーメディアのネットワークができあがる。

 そこを通じてライザップのPRを行い物を売っていくことができればこれは大きい。対象が広範ではなくあるていど絞れるところも新聞を買うより使いやすいだろう。そうやって大きくなっていくライザップと、本業すなわち放送と今は不動産関連に注力できるフジメディアホールディングスと事業のシナジーを期待できるライザップの思惑が一致した、ってことになるのかな。じゃあ次に売るのは、あるいは買うのは本体の新聞か、っていうとそれは買えば権威にはなっても事業としての将来性を考えるとライザップあたりはシナジー効果も薄いと二の足を踏みそう。かといってこのままでは不良債権と化すかもしれないならフジメディアホールディングスとしてはどこかにって決断を下したりするかも。名誉が欲しくて金はある、みたいな。ってそれはなかなか厳しいところになるなあ。さてもさても。

 さて「レイトン ミステリー探偵社 〜カトリーのナゾトキファイル〜」の発表会ではロンドンバスから花澤香菜さんがオープニングを歌う足立佳奈さんとそしてだんだんとズボンがキツくなるナゾが解けないレベルファイブの日野晃博社長を従えレッドカーペットを歩いて登場。壇上では日野さんがとにかく花澤さんが演じるカトリーの元気さに癒やされていると話していて、それならと観てみたくなったけれども日曜日の朝8時半って裏にすごいのがやっているなあと思うと、果たしてそのためだけに人は観るのかといった不安も浮かぶ。かといって録画で観てとはいえないつらさ。さても4月8日以降はどんな視聴率の戦いになるのか。そんな興味も浮かぶ。

 ただし第1話については今井翼さんが声優初挑戦でもってなおかつ数々の俳優を声優に起用してきた日野さんが太鼓判を押し、花澤さんも「初めてとは思えない」と絶賛するほどだったから今井さんのファンがこぞって観てくれそう。今日の発表で体調面からしばらく休養するようで、本来は登場するはずだった今井さんが来られずファンはガッカリしたかもしれないけれど、個人的には花澤さんが目当てだったしその花澤さんがフジテレビきっての美人アナウンサーかもしれない宮司愛美さんを相手の声優指導をしてくれたのを聞けたから超ラッキー。誰かを相手につきあってくださいと言うセリフでも、一か八かの思いを込めて叫ぶのと、もうつきあう前提で確認の意味を込めて優しく告げるのとでは演技がまるで違ってくる。そうしたシチュエーションやら関係を台本から理解することが必要らしい。でも日野さんによれば感情をあまり出さない場面だとか。果たしていったいどんな声になるのか。第6話も楽しみ。

 またやってしまったというか某紙。麻生財務相がTPP11について日本の新聞が報じなかったことを「麻生氏は『日本の指導力で締結された』と評価した。その上で『日本の新聞には載っていなかった』」と言ったと報じたんだけれど、読売も朝日も自分たちはちゃんと報じたと反論の記事を書いていて、毎日もちゃんと書いていたとも添えられていて、結果として麻生財務相はフェイクをぶっ放した格好で、それを検証もせず真に受けて某紙が上塗りした状況になっていて、おいおいところでおまえさんのところは報じたのかといった疑問をぶっ込まれそうな予感。っていうか届いている新聞を調べればTPP11について報じているかどうかくらい分かるだろう。たとえ麻生財務相がそう言ったからといって、それをそのまま掲載して他紙を貶めたらいかんだろう。自分達は沖縄の海兵隊員のブレイブを報じたのに他紙は報じてないと、実はフェイクだった案件を理由に他紙を非難したのと構造はまるで同じだろう。それで謝罪をしたことをもう忘れて目的のためにはフェイクでもそのまま通してしまう。もう本当に体質になってしまっているんだなあ。参ったなあ。


【3月28日】 「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」のアニメプロジェクトが5月公開の「機動戦士ガンダム THE ORIGIN 誕生 赤い彗星」をもって終了という話は、個人的にはこれで十分と思っていたから特段の感慨はないけれど、安彦良和さんというクリエイターを信奉して漫画版「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」を読んで育った若い世代には、あのフォーマットで描かれたいわゆるファーストガンダムをすべて見てみたいという気もあっただろうし、安彦さん自身もやれるのならやってもといったスタンスを覗かせていただけに、ここで打ち止めは残念といった思いもやっぱりあるのかもしれない。

 ただ、やっぱり漫画として描かれる驚きの表現であったり、背景のちょっとしがギャグっぽい仕草なんかは漫画だからこそパッと見の中にシリアスな雰囲気を和らげ気を落ち着かせる効果はあっても、アニメーションという時間が決められリニアに過ぎていく中で持ってこられると、そこばかりが浮き上がって見えてしまって全体の印象をそっちに引っ張る。それこそが安彦テイストという人もいるかもしれないけれど、ファーストガンダムのすべてがその色で染め上げられた時にいったいファーストガンダムを見て育った世代は耐えられるのか、なんて思いもあったりする。

 そこで描かれなかったシャア・アズナブル誕生の物語だったからこそ初見としてつきあってこられた。でも本編は……って思いがある身としてはここでいったん、打ち止めになるのが気持ちとして良かったかもしれない。とはいえやっぱり動いているかもしれなファーストガンダムのリブート企画が誰の手でどんな映像になるのか。そこはやっぱり気になるところ。タイトルも「機動戦士ガンダム THE HOTTOMOTTO」なのかも、ってそれはさすがにないよなあ。ちなみに最終章となる「機動戦士ガンダム THE ORIGIN 誕生 赤い彗星」の魅力を簡単にいうならフラウ・ボウの水着。以上。いやほかにも憂いを帯びたセイラさとかあるけれど、出る場面もそれほどなかったからもうちょっと見ていたかった。動き喋るセイラさんを見るためにもファーストのリブート、あって欲しいかもしれないなあ。そして展開は富野由悠季監督による小説版の方向へと。それこそあり得ないか。

 未発信だった小渕沢貴子によるメールの正体も判明して、誰もが過去に決着をつけ現在を整理して未来へと向かう道を得たように見えた「宇宙よりも遠い場所」。極地から見上げたオーロラの画像という、ただそれだけのメールなんだけれど日本で待つ報瀬へと向けて貴子は発信したかったんだろうなあ。そのために命を失ったってことではないだろうし、そもそもが遭難の要因が未だ判然としていない。ただのポカだったらちょっと残酷だけれど英雄的な振る舞いでこそ人は亡くなるものではないとするなら、ちょっとした油断で失われる命があることを改めて感じつつ、遺されたものたちが抱く感情に気持ちを添え、自分だったら何を残していけるのかを改めて問うのが良いのかも。毎回ちゃんと見所を置いてラストまで引っ張り安心させて終えた良いアニメ。続きはなっそうだけれどあったらどうなるんだろう。劇場版で4人が芸能界デビューしてファンクラブのツアー引き連れ南極旅行とか?

 僕たちはヴィーナス・シティを知っているしBOOMTOWNを知っているしブレイン・バーストもアインクラッドも知っている。最近だったらセルフ・クラフトというものや、デンドロビウムというものもあったか。つまりはMMORPG。そしてVR。あるいはAR。さらにはMRといったテクノロジーによって現実から逃避し、現実を置き換え、現実を取り込むような異空間を舞台にして人が集まり、遊び語らうような物語の数々を日本に生まれた僕たちは何十年も前から味わい楽しんできた。

 なおかつただ享楽にふけるために逃避できる場所としてではなく、電脳の神が集いウィザードがイタズラを仕掛け何者かの作為が埋め込まれ病んだ科学者の怨念が渦巻くような場所として提示されては、さまざまな試練が与えられ命すら奪われる恐怖すら示されながらもそれらを乗り越え、勝利する物語が紡がれてきた。読めば決して楽園ではない、そうした異空間をも人は勇気と知恵で自分のものとして制してきた。そんな物語に触れて僕たちは科学のすごみと人間のすばらしさを大いに堪能してきた。

 だから決して「レディ・プレイヤー 1」という、アーネスト・クラインによって「ゲーム・ウォーズ」として書かれた小説を、スティーブン・スピルバーグという監督が映像にしたものを見てもその状況に目新しさを覚えることはないし、人類がその先へと進むような神の手を感じることもない。だからといってつまらないということは絶対にないし、見飽きていると感じることもやはりない。なぜならそこに繰り広げられているのは、圧倒的な資本力と技術力によって映像化され、ゴーグルをかけなくても連れていかれるバーチャルの世界だからだ。そして誰もがそこで感じ、味わい経験している思いや喜びや楽しさを映画館にいながらにして体感させてくれるからだ。

 どれほどに貧しても、それこそトレーラーハウスが幾重にも積み重ねられた場所であっても人々はVRヘッドセットを顔につけ、手にグローブをはめ体感を覚えるスーツすら着込んで<オアシス>なる仮想の世界へとダイブし続ける。そこに行けば金も稼げて遊びもできる。食べ物だけは味わえないけれどそうした時間を除けばずっとでもダイブしていられるし、ダイブせずにはいられなくなる。パーシヴァルと<オアシス>では名乗っている少年ウェイドもそんな1人で、叔母の下で彼女のヒモに小突かれながらもひとり潜んでは<オアシス>の世界に入り込み、創設者のジェームズ・ハリデーが死んで遺した言葉に従い3つの試練を乗り越えイースター・エッグなるお宝、すなわち<オアシス>運営の権利と運営会社の経営権を手にしようとしていた。

 そう考えるものたちは他にも大勢いてIOIなる企業は企業としてそうしたお宝探しのレースに参加。一方で滞納者を連行して働かせるようなビジネスにも手を染めていた、そんな中にあってウェイドは<オアシス>にある記録所に通ってハリデーの日々や言葉から、今もって誰もクリアできない第1の試練であるレースに勝とうとしていた。そして分かったあるヒント。そして浮かぶ増長と油断。<オアシス>で知り合ったアルテミスというアバターは少女の人物に惚れ込みリアルで会いたいと告げ本名すら言いかけたところをIOIにキャッチされ、先取した鍵を狙われ命すら脅かされる。

 社会も知らない子供がネットで自分が大きくなたったと感じてしまい、なおかつ成功もあって増長しては自我を肥大させて、万能間の中に失言をして蹴躓いて炎上し、批判を浴びるだけでなく社会的な生命すら脅かされるというこの現実の世界でも頻繁に起こっている出来事を、パーシヴァルでありウェイドを通して感じさせてくれるところが面白い。というか見ていてドキドキしつつグサグサされる気分。さすがにもう失敗する年ではないけれど、これから見る若い人はここからネットとのつきあい方について、あるいは人生における成功と失敗の意味について学ぶべきなんじゃなかろうか。

 さて物語は3つの鍵をIOIよりも先に手にいれろといった競争の中でパーシヴァルに仲間ができて皆で戦うストーリーが描かれ、ピンチもあって諦めそうになっても頑張って突き進んでいった先で評判の、古今のキャラクターたちが大集合して敵に挑むというとてつもないスペクタクルが描かれる。ここが凄い。とてつもなく凄い。圧倒的な技術力と圧倒的な資金力、そしてスティーブン・スピルバーグという監督の知名度がキャラクターたちを権利者に差し出させ、一瞬でも映れば良いような大群衆を作り出させた。見ればそこに何かがいると分かるけれど、1回ではとても分からないので試写で見ようとまた映画館に足を運んで巨大なスクリーンを見上げるように確認していくことになりそうだ。

 そんなキャラクターにいったい何がいるのか、といったところですでに予告編でも明らかにされているアイアン・ジャイアントがいて、そして公表されているガンダムがいる。それらが誰によってどういうシチュエーションで繰り出されるかは見てのお楽しみ。登場から退場までのすべてにおいて感銘を受け感動を味わい感涙にむせぶことになるだろう。ガンダム。最高に格好いい。その敵も。とてつもない敵も。こんなものがいたとは。それも音楽も含めて大暴れするとは。さすがスピルバーグ監督、そつがない。

 VRに耽溺した人々がVRを狙う資本に対して立ち向かい戦って勝利するというストーリーの、説明すればシンプルだけれどその途中に山場があって起伏も設けられナゾトキという興味も差し出され挑戦という興奮もあってと見落としている暇がない。瞬きする時間すら惜しいと思わせる充実度。ともすればそのあまりの情報量に脳をやられ目を痛めるから最初は漫然と流れに身を任せつつ、ああそこにそれといった感じで見るのが良いかもしれない。でもそのうちに目が釘付けになっている自分に気付くのだけれど。


【3月27日】 小説のイラストでも確かまだ描かれたことがない名人の顔がアニメーション版「りゅうおうのおしごと!」に登場。竜王戦の第4局で0勝3敗と追い込まれた八一が起死回生の双方禁じ手という局面へと持ち込んで指し直しとなった対局でもやっぱり追い込まれ、あきらめかけたところに響く雛鶴あいや姉弟子の銀子や桂香さんらの声におされて立て直し、それが勝負手と震える指先で繰り出した名人の1手すらしのいだ八一が相手の最後の読みの時間を自分も使って読み切り見事に勝利する。

 そんな展開の中でようやく上げた顔で見た名人の顔。中年のおっさんではあるけれど、思えば羽生善治竜王だってもうデビューした手の10台ではなく40台も後半のおっさんな訳で、それと重なる風貌だって言えるのかもしれない。でもちょっと名人の方がイケメンかな。まあ、とりあえずテレビアニメはこれで終わりで、竜王戦の防衛というクライマックスがそこいある以上はやっぱりそこで打ち止めにするのが今はベストと言えるんだろー。

 第2期が作られるとしてもその後は姉弟子の奨励会3段昇段がかかった対局であり、囲碁の本因坊秀舞の酔った勢いでの放送禁止用語ばかり口にしての乱入であり、師匠の清滝のB級2組からの降級がかかった順位戦であり、同時に八一のC級1組昇級がかかった順位戦であり、さらには月夜見坂燎と供御飯万智による山城桜花のタイトル戦といった具合で八一とあいとが大きくからむエピソードがないんで盛り上がりにはちょっと足りない。やっぱり欲しいのは八一のタイトル戦だけれど、A1に上がらない限りは名人戦はなく、それがかなうころにはあいは15歳の女子中学生になっていて今みたいなビジュアルは維持できないから描かれそうもない。ってことは他のトーナメントかなあ、誰に挑ませるのか。それも予想を超えるような形で。続きを待とう。

 樋口真嗣総監督で青木俊直さんがキャラクターをデザインしたアニメーション「ひそねとまそたん」の試写があったんでのぞいてきてひっくりかえってげらげらげら。いやあ面白い。そして素晴らしい。なおかつすさまじい。何を言ってもネタが割れてしまうから何も言わないけれどもとにかく青木さんがキャラクターデザインであることが最大限に生かされ、あののほほとした空気感が自衛隊という本来だったらもっとピリピリとしていてしかるべき空間を染め上げているから安心して見ていられる。なおかつ展開がもう最高。事前にドラゴンがいて空自が囲っていて戦闘機に擬装して空を飛ぶといった設定は分かっていたけれど、まさかそうなるとは。そうなってしまうとは。だからもう驚くしかないんだけれどもそれを知るのは放送が始まってからのお楽しみ。だからとりあえず断言する。このアニメは絶対に面白い。

 スタジオポノックによる「ポノック短編劇場」の発表会をのぞいてつらつらと思ったことはこれ、興行的にちゃんと収益あげられるのってことで過去にも短編のオムバス映画の上映ってなかった訳じゃないけれど、大友克洋監督の「火要鎮」とか森田修平監督の「九十九」とかが入ってた「SHORT PIECE」だってアカデミー賞の短編アニメーション賞にノミネートされる作品は出たものの興行的にはやっぱり今ひとつ。もとより興行の規模も小さかったからそっちで稼ぐというよりは、パッケージとかを狙った企画だったんじゃなかろうか。

 あるいはその源流となったような「MEMORIES」だって3本あって113分と映画館の長編アニメーション映画なみの長さで公開だったから見ている側もしっかりと楽しめただろうし劇場だって映画並みの料金をとれてぶん回せた。でも「ポノック短編劇場」は15分が3本に5分のイントロとエンディングがついて50分ほどで1時間に満たない映画を1000円で回したところでさてはてどれだけのお客さんが来るのだろう。東宝では100館規模で公開するとかいっちゃってるからそれなりに力が入っていると言えそうだけれど、そうした規模に見合った集客力を持った作品に仕上がるか、というとこれがなかなか状況が見えない。

 「小さな英雄」という統一テーマを持って作られる作品は米林宏昌監督がカニの兄弟を主人公にした「カニーニとカニーノ」という作品で家族とか誕生とかを描いてそう。「ポータブル空港」だとか「空飛ぶ都市計画」とかで中田ヤスタカさんのCAPSULEと組んだ百瀬義行監督の「サムライエッグ」はタマゴアレルギーの少年に関する実話が元になっているというから結構地味そう。まさか「ポータブル空港」みたいにテクノをバックにCG的なキャラクターが動くような話にはできないし。そして山下明彦監督の「透明人間」は透明であるというキャラクターが登場する時点でなかなかにビジュアル的に大変そう。ユニークではあっても挑戦的ではあっても、商業にかける作品としてどこまで観客を引っ張れるか、ってあたりに原作がないオリジナルの短編でなおかつ有名すぎる作品を手がけていない監督が混じってのアニメーションを、見に来る人は限られるんじゃんなかろうか。

 だからピクサーなんかは短編を実験の場としてとらえて表現とかの探求をしつつメジャーな長編アニメーションの添え物として作らせ世に送り出して反響を見ることをやってきた。カラーとドワンゴが組んだ「日本アニメ(ーター)見本市」の場合は最初から採算度外視でもってネット発で短篇アニメーションを見てもらう文化をはぐくみつつクリエイターにアニメ作りに挑んでもらいつつ斬新な企画をここから送り出すといった実験場的な意味合いを持っていた。文化庁のアニメーター育成事業として行われている「あにめたまご」も言ってしまえば国のお金でアニメに関する若手を育成するのが目的で、上映すらされなくたってかまわない感じになっている。もったいないなあとは思うけど。

 そうした実験であり育成といった目的で投資的に行う短編アニメーションの制作、あるいはインディペンデントのアニメーション作家がコンペティションを目指して行う短編アニメーションの制作とはまた違い、東宝という大看板の下で興行するといった商業目的を持ちつつ短編アニメーションを送り出すというとこがひとつ、挑戦的とも言える。配信で世界にアピールとかとも言わない。作りたい側が作るのは自由だけれど、それを東宝が配給としてよく引き受けたなあとうのが目下の実感。それだけ西村義明プロデューサーが目指しているアニメーションの改革であり挑戦に、東宝として1枚噛んでおきたかったのか。あるいはそれを必要と感じていたのか。聞いてないから分からないけれど、何かしらの勝算なりあるいは打算もあってのことだろう。いずれ完成に近づけば語られる機会も増えるだろうから、そのあたりを注目して見ていきたい。作品のできについては心配のいらない3監督。だから見守るその完成。今年は短編にかけるとして、だったら長編アニメーション映画はいったいいつごろ作るのかなあ。そっちも気になるけれどもさてはて。

 森友問題に関する財務省の決裁文書改竄問題を受けての前理財局長に対する証人喚問が行われたものの肝心なところは刑事訴追の恐れがあるからと沈黙を守りそして官邸や総理ほか政治家の関わりについては否定をしてのけて真相についてはやっぱりどこか分からずじまい。もやもやとした雰囲気を受けて一方は疑惑は深まったと書き、他方は疑惑は解明されたと書いてぶつかり合う状況が続く中で果たして支持率は上がっていくのか下がっていくのか。外では北朝鮮の偉い人が中国に行ったという話しも出て外交が大きく動こうとしている。そうした中で点数稼ぎに走った総理の支持が高まり逃げ切るか、なんて想像も働くけれど今度ばかりはやっぱり判然としないといった雰囲気が続きそうな気も。刑事訴追の恐れがあるとのたまった前理財局長を刑事訴追した上で取り調べの中で真相を語ってもらうしかないのかなあ、第三者による調査委員会なんて出来そうもないしなあ。やれやれだ。


【3月26日】 「ポプテピピック」で東京藝術大学大学院アニメーション専攻を修了した当麻一茂さんと小野ハナさんによるUchuPeopleが新しい作品を送り出した翌日は、「ドラゴンボール超」の最終回の演出にやっぱり東京藝大院のアニメーション専攻を出て「かたすみの鱗」とか作っていた石谷恵さんが入っていたそうで、いわゆるアインメーション作家的でインディーズへと向かうしかなさげなキャリアでありながら、商業とのリンクをしっかりと取って世に出ていることがうかがえて面白かった。大ヒット上映中の「ちはやふる−結び−」でエンディングのアニメーションを手がけているシシヤマザキさんもやっぱり東洋藝大院アニメーション専攻出身。それ以前から活躍はしていたけれどやっぱりCMとかプロモーション的世界だっただけに、商業映画の中に入って自分を見せていたのは新しい出口を想像させた。続くか今年の修了生。

 届いた細野不二彦さんの漫画「ギャラリーフェイク」の最終巻に近いところをつらつらと読み進める。サラだっけ、主人公の藤田ギャラリーに手伝いに来ているアラブ系の国のどうやらお嬢様らしい少女が実家のあるQ国だかに帰ってお見合いめいたものをしている間に藤田が贋作か何かの嫌疑をかけられ追われる中でトルコに逃亡。けれども傷つき瀕死の中を金が尽きてとどまっていたトレジャーハンターと出会いどうにか逃げ出して、そしてQ国だかに飛んで対峙するといったエピソードは長いんだけれどサスペンス色が強くてあまり芸術に関するエピソードがなかったような印象だったりする。

 これで終わりではさすがにと思ったか続きが書かれ始めているのは周知の事実。それがどういう話かはまだ読んでないので前みたいにアートにまつわる蘊蓄とか裏話があって勉強になりつつ驚けるなりホッと出来ると嬉しいかも。もうちょっと巻数がさかのぼってメキシコへと行った話では「リメンバー・ミー」にも出てくる死者を迎える祭りの話に触れられていたり、ドクロがいろいろと好まれている話も出ていたりと映画を先取っている感じ。そしてマフィアのボスの娘を救ったことから水晶ドクロへと迫る展開へと向かい危機を乗り越えつかみそうになって失ったものの、どうやら呪いめいたものもかかっていた感じ。そういうところは巧みによけて通る藤田。サラに遺されたモナリザだって失ってはじめて呪いが外へと移されてたりしたし。そういう運の良さも必要なんだろうなあ、ギャラリストには。

 どうして東京タワーなんかでと思ったら、どちらも同じ1958年の誕生だったらしいエポック社の「野球盤」と東京タワー。そんな関係で「野球盤」の60周年を記念する年の開幕を告げるイベントが東京タワーの直下で開かれ見物に行く。そしてどうしてトレンディエンジェルがとも思ったけれど、元プロ野球選手の佐野滋紀さんを招いたイベントを開くとなるとその独特な髪型にマッチした芸人がいたら盛り上がるといった逆算の発送だったのか、それとも野球にそれなりに縁もある芸人かもしれないという判断だったか、不明ながらもトレンディエンジェルの2人とそして佐野さんが登壇してトリプルでピッカリ投法を見せてくれた。まぶしかった。

 こちらも帽子を脱いでピッカリ返そうと思ったものの素人が芸人を邪魔しちゃいけないのでそっと押さえる。じゃなかった元は佐野さんの芸風を芸人がパクってたんだ。いやそれもまた相互作用ってことで。そんな野球盤のイベントでは「スーパーマリオブラザーズ」と「ドラえもん」の野球盤も発表になっててフィギュアがフィールドに刺さっていていろいろといじってプレーできそう。ピーチ姫が投げた球をピーチ姫に返すとか。危ないよ。「ドラえもん野球盤」の方はフィールドが近所の空き地といった風体がとても「ドラえもん」的。土管とか転がってるし。そしてどこでもドアなんかがあってこれに当たると角度が変わるから作戦に使えそう。そこに入るとボールはいったいどこへ? ホームラン? それともブラックホール? ちょっとやって見たくなった。ユニフォーム姿のしずかちゃんも可愛かったし。

 1月23日に日本武道館で10周年の記念ライブを挙行し成功裏に終えたKalafinaのこれまでの10年を振り返りつつ10周年記念ライブに臨む姿を追ったドキュメンタリー映画「Kalafina 10th Anniversary Film 〜夢が紡ぐ輝きのハーモニー〜」を試写で見る。とあるコンポーザーに関してのコメントも紹介もまるでないという状況を不思議と思うことも可能だけれどそれを言うならバンドのメンバーに関しても説明なしに登場してはいっしょにリハーサルとかしているシーンが映っていたりするから、周辺のスタッフとかの説明は極力抑えてKalafinaという音楽ユニットそのものの魅力であり存在感を際立たせようとした演出であり編集だったと理解することもできるんじゃなかろうか。

 内容としては冒頭にやっぱり日本武道館での10周年記念ライブにのぞみメンバーで決まり事の合い言葉を言うシーンとかから始まって、福岡のWakanaに富山のHikaru、そして東京のKeikoという3人のそれぞれの生い立ちを追ってついでに銘菓もかじるといった展開。インタビューしたこともあったけれどそうした過去とか聴いてる時間もなかったんで、Wakanaが地元のストリートとかクラブで歌いゴスペルのグループでも歌っていたこと、Hikaruが地元の音楽教室でミュージカルを勉強していたこと、Keikoが原宿でダンスのレッスンを受けていたことが分かってそれぞれの音楽性ともつながるそうした経歴が見えて面白かった。

 どこまでも透き通って高らかに、天井へと届きそうなWakanaの声や歌い方が神様への賛歌ともいえるゴスペルに重なり、Hikaruの感情が交じって言葉が紡がれる歌い方にミュージカルの要素が垣間見える。Keikoはダンスを舞台で披露する訳じゃないけれど、ステージの組み立てを行い演出も話し合って決めていくリーダーシップにパフォーマーとしての力量が見えた。そんな3人が出会い始まったKalafinaが、奈良の興福寺でライブを行い日光の東照宮でもライブを行って望んだ日本武道館。そのリハーサルよりさらに以前の練習の段階から、3人の巧さといったものが際立っていることが分かる。

 スタジオで3人がそれぞれに造語の歌をそれぞれのパートとして練習し、そして合わせた時にぴたりとハモるそのすごさ。見ているだけでライブに行った気になれるし、それ以上の潜在力の高さをつかめて驚ける。さらにライブのリハーサルのシーンで、しっかりと3人が自分たちの居場所を得て歌い方を貫きステージを作り上げていこうとするところに、お飾りではなく引っ張られるだけでもない、アーティストでありクリエイターであろパフォーマーといった存在感が見えてくる。コンポーザーの存在は重要だけれど、得られた楽曲をライブという場でどう見せるか、どう歌うかはKalafinaが決めていること。それはだからKalafinaの音楽と言って良い。

 そうした展開のラストに日本武道館でのライブシーンが連続して、現場で見ていた者として懐かしさとうれしさを感じられる。見知った楽曲がピックアップされたのはやっぱりそれらが最適だと監督が感じたか編集が思ったか。ラストへとつながる感動もあって映画なのに拍手をしたくあった。バックステージへと戻った3人が喜びを露わにするシーンを見るにつけ、その次、そしてこれからといった期待を抱かざるを得ない。それが可能かどうかは分からないけれど、すでに屹立して存在するKalafinaという音楽は消えてなくならない。映画の中に刻まれ過去のライブに記録されて今も触れられる。その感動が新たに生まれることがやはりベストだけれど、それを決めるのは僕たちではない。だから言いたい。KalafinaはKalafinaとしてKalafinaであれと。

 御用っぷりもここまで来ればむしろ清々しいとすら思えるけれど、そうした御用っぷりが世間の見解との激しい乖離を総じて居る状況で、世間の見解に沿わなければ無意味なメディアという世界での将来性について、やっぱり不安と言ったものが浮かんで仕方がない。とある自称するとこの全国紙が森友学園と近畿財務局の間では、安倍昭恵さんが登場するより以前から売買についての話し合いがもたれていたといったニュースを報じて、だから安倍昭恵さんは関係ないんだよといった印象を醸し出そうとしている。でもこれって十全から言われていたことで、売りたい買いたいという話し合いでまずは落ち着いたその先で、値段を大きく引き下げ売ってしまったことの裏側に誰かの差し金があるんじゃないかといったことが問題の根本となっている。スタート地点と言って良い。それに触れずに過去のやりとりがあったと書くことなんてまるで無意味なんだけれど、目的が安倍昭恵さんへの視線をそらすことだからそれで良いのかもしれない。まあ見抜いている人は見抜いているから、度重なる御用ぶりとも相まってそのやり口が丸裸にされ、やっぱりヤバいといった空気へと流れていくんだろう。そうなった時にどうするのか。もはや舵を切ろうにも曲がらない雰囲気。だったら共に地獄の淵へ? それもやれやれな話だなあ。


【3月25日】 UchuPeopleによるフェルトの人形を使ったストップモーションアニメーションも復活した「ポプテピピック」は、ファンキーなダンスではなく学校の卒業式を模したようなストーリーの中に猥雑で残酷な言葉を混ぜて「ポプテピピック」らしさを忍ばせる。いっぱい出てきたのはまさかそれだけ作ったとは思えないけれど、合成するより作った方がインパクトあるなら作りかねないからなあ、あの人たちは。聴いてみたかったけれど東京藝大でUchuPeopleの人たちがトークイベントを行った24日はまだ放送されていなかったから、その夜に何をやるかは明かされなかっただろう。いずれまた改めて講演を。9月にイベントやるみたいだしそこでフェルトの人形によるストップモーションアニメーションの講座を。

 そして訪れたAnimeJapan2018で「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」のステージイベントを見物。小野大輔さん鈴村健一さん神谷浩史さんって違う六つ子のアニメなんかも想像したくなるメンツがそろって大喜利めいたことをやってくれた。決してストーリーはポップではないんだけれど、こうして声優陣がこなれてきて作中の関係性をギャグにして見せてくれるようになると、裏を勝手に妄想する楽しみも増えて作品への“愛”も深まるといった感じだろうか。時折突拍子もない展開があるけれど、それでも見ていられるのはそうした自分との関係の深まりがあるからなのかもしれない。サーベラーおよびその純粋体の桂木透子への関心があるからなのかもしれないけれど。あと西条未来。前よりいっぱい出ているし。結局はそこか。そういうものだ。

 しかしヤマトに限らずリバイバル物が多い気がした昨今のアニメ事情。見渡しても「あしたのジョー」のちょっぴり変わった作品が出るし「ルパン三世」が始まるし「キューティーハニー」も始まるし「キャプテン翼」も「ゲゲゲの鬼太郎」もスタートする。映画だと「劇場版シティーハンター」とかも挙がっていたりしてほかにも「カードキャプターさくら」があったりして、昔懐かしんだ気持ちで見られる作品が多そう。そうでない若い人にとってはいったいどんな意味があるのか迷うところではあるけれど、マスとなりえないそうした世代よりも確実を狙っているのか、それとも「おそ松さん」のように新しい層の取り込みに自信があるのか。いずれにしても4月スタートのそれらを眺めて評判を聞いてリバイバル物が増えた意味を探りたい。

 表紙のキャプテン・ハーロック娘がいつ出てくるのかとヤキモキしたけど、ちゃんと登場して役回りも重要だったんで男が主役でも表紙に美少女を廃して読者の気を引くライトノベル商法は使われていないと理解した鷹見一幸さんの「再就職先は宇宙海賊」(ハヤカワ文庫JA)。1万年とか8000年とか昔、地球圏に宇宙人がやって来ていたことが分かった。どうやら帝国と称されるらしい宇宙人は恐竜タイプの敵勢力と争っていて地球圏を領土と主張するために駐在員めいたものを月の地中に置いていたらしい、その名残が発掘されては地球文明を遙かに上回るテクノロジーをもたらしたから大騒ぎ。軍産複合体が勢力を得ようとして争いも起こりかけたけれど、遺産のすごさを誰もが知ってみなで分け合うことで納得して地球は発展。そして宇宙へと進出していく。

 はるか遠くへと発展していくかと思いきや、そこまでの進歩はまだなく遺産の動力を使いエネルギー効率を高めつつ火星あたりまで版図を広げていた人類が次に始めたのは、帝国の遺産を発掘すれば一攫千金の夢をかなえること。ゴールドラッシュよろしく誰もが宇宙へと出て行く中、左前の中小企業の社長もそんな夢に乗って社員をポケットマネーで宇宙へと派遣。3人の男たちが小惑星へと行くものの会社がつぶれ3人は宇宙の小惑星に取り残される。金が入らず食料もつきかけた3人だったけれど、小惑星帯で大逆転のネタを見つける。それが帝国の遺産の宇宙船だった。

 掘り出し届ければ一攫千金。とはいえ居座ってはひからびるので宇宙船を動かし救援が得られる場所へと向かうものの、腹を空かせた3人は通りがかった客船に食料とナースを求める。それによって彼らの立場は激変する。まさに驚きの展開。慌てつつ対策を練った3人が選んだのは……。といった展開から海賊との関わりが生まれる鷹見一幸さんの「再就職先は宇宙海賊」。大企業の令嬢だけれど海賊コスプレとか好きな女子(これが表紙のハーロック娘だ)も加わり始まる稼業かビッグなトラブルに巻き込まれつつ、それを通り過ぎた先にもたらされる再結集によって本格的に何かが始まりそう。人類以外との交流すら。読み切りだそうだけれど売れれば続きが書かれることもない訳じゃない。それで結果として戦争とか起こったら嫌だけれど、そこで意外な活躍を見せるってのもありかなあ。期して待とう。いずれにしても話は売れてから。なので売れろ。

 これはヤバい。まじヤバい。文部科学省の前の事務次官だった前川喜平さんが名古屋の中学校で講演をした件を国会議員が咎めるようにして文部科学省を動かし、中学校に内容を明かせと迫った一件が問題になっているけれど、それとは別に名古屋の高校で前川さんが寺脇研さんらとシンポジウムを行った件をオレンジ色の夕刊紙が取り上げては、それに出た高校生が中身ゼロで聴くだけ無駄で他の高校生もみな寝ていたとかいったコメントをしたことをそのまま使い前川さんを誹っている。喋った内容も教育のことより政権のことで、参加者も教員とか大人ばかりで学生のために行われた講演でそれで良いのかなんてことを記事では書いていたりするけれど、これがまるで虚構だったりするからたまらない。

 中学校での講演と違いこのシンポジウムは愛知県の私立学校の先生たちが集まって、授業のやり方とかを研究するために開いている大会で、その中で前川さんらを招いてのシンポジウムが行われた。聴講の対象はだから教員と一般の人で学生が聴いているのは聴きたかったからか何かといった自由意志でのもの。そこで個人がつまらなかったという権利はもちろんあるけれど、だからといって学生のためのシンポジウムではないということを書かないのは大人が好きな演歌のライブに子供が入ってアニソンが流れないと憤っているのをライブはつまらなかったらしいと書くようなもの。誘導も過ぎるしある意味で虚報に近い。

 そんな行為が単独でもヤバいのは当然だけれど、このオレンジ色の夕刊紙の場合は同じグループの新聞が、沖縄の地元紙に関する虚偽を根拠にした非難を行って反撃を食らって全面謝罪した一件を直前い経ているから。学生向けではないにも関わらずそういう前提から話を進めて結論として前川氏の印象をおとしめている。そうした虚構からの虚報をなくすよう、双方から意見を聞いて公平を旨とするようお達しが出ているにもかかわらず、前川氏を貶め政権を擁護しようとするベクトルからすべてのストーリーを組み立て、それにそぐわない情報はなかったことにしてしまう。やっちゃだめって言われたことを平気で繰り返している。それがまずいと分かってやっているのか、自然とそうなってしまうのか。いずれ突っ込まれて炎上するかというと世間はそれほどこの媒体の牽強付会な針小棒大に気づいてないのだった。沖縄の件だって指摘してから2カ月、燃え上がらなかったしなあ。やれやれだ。


【3月24日】 「キリングバイツ」は獣獄刹に決着がついて兎が優勝してしまった感じ。偶然であっても勝ちは勝ちだから賞金を手に入れ悠々自適の生活となるかどうかは第2部を読んでのお楽しみという訳で。それもいずれはアニメ化するんだろうか。宇崎瞳は人工的に作られた獣人ではなく天然として存在してたところを祠堂によって日本へと連れてこられた様子。そこで人間らしさを学んだもののいざというときは野生が出るって感じ。これが本当の野生解放って奴か。でも腕を切られたりして満身創痍。なおかつエンディングにいろいろあるみたいで、ヒロインでありながらも次の章では脇に置かれるといった感じでちょっと残念。まあこれも次のシリーズが作られなければアニメ版では永遠のヒロインでいられる訳だけれど。さてもどうなる。AnimeJapan 2018では特に情報、出ていなかった感じだなあ。

 そのAnimeJapan2018は、受付が混むと思ってプレス受付がスタートする朝の8時半ちょっと前には到着してまだ少なかった行列を並んで受付を済ませ、そし中に入ってロビーあたりで1時間ほど待って開場となった会場へ。手前にあったワーナー ブラザース ジャパンのブースに「ポプテピピック」と「ニンジャバットマン」のコラボフィギュアがあってそもそもどういういきさつからこのコラボなのか、考えたけれど分からないから考えるのをやめた。キングレコードとワーナーじゃあ関係がなさ過ぎるし竹書房とワーナーでもやっぱりつながらないし。謎肉。

 そのワーナーのブースでは4月12日からスタートする樋口真嗣監督の新作テレビアニメ「ひそねとまそたん」に登場するドラゴンのまそたんをブースに置いて、ひそねらキャラクターのパネルを並べて写真を撮れるようにしていた。SNSに投稿したら限定のポストカードがもらえるってサービスもやっていて、つまりはSNSの利用拡大も意識してか、来場者が撮影をして投稿できるような“インスタ映え”するスポットを用意したってことになる。これは他のブースにも広がっていて。レベルファイブのブースでは、レイトン教授シリーズの新作アニメで4月8日から放送スタートの「レイトン ミステリー探偵社〜カトリーのナゾトキファイル〜」に描かれる世界に入り込めるコーナーを用意。ここで撮った写真をSNSに投稿すると、オリジナルのショッパーがもらえるようになっていた。

 イスというのもトレンドみたいで、ADKグローバルコンテンツグループのGONZOでは、4月から放送が始まる新作「宇宙戦艦ティラミス」のシートを置いて座れるようにしたり、キャラクターのコスプレイヤーと一緒に写れるようにしたりといったサービスを展開していた。コスプレイヤーさんが自撮りしていた時はライトを当てていたっけ。そういうところがレイヤーの自覚の強さってことなんだろうなあ。荘厳だったのが「Fate/Grand Order」関連で、ラムセウム・テンティリス光輝の大複合神殿の玉座を再現したコーナーを用意して、杖なども置いて来場者が王様になった気分で写真に写れるようにしていた。ファラオになった気分がもりもりして来た。

 「進撃の巨人」のリヴァイ兵長が座っているシーンが描かれたイラストのイスを再現した「リヴァイ兵長の椅子」もやって来ていた。何か雑誌の表紙として描かれたもので、原作者の諫山創さんの地元にあたる大分の家具メーカーが実際に作ったものを持ち込んでいた。イベント限定ではなく実際に税込み29万9999円で販売するそうで、これに座ってシニカルな表情でもって足を組み、本を読んだら結構はかどるかもしれない。でも表紙とかだとリヴァイ兵長、漫画を読んでいるんだよなあ、あの世界に漫画とかあるかは知らないけれど。座り心地はなかなか良かった。西洋のデザイナーズチェアに比べたら安いんでお一ついかが。カリモクが作ったデギン公のイスも持ってくれば良かったのに、バンダイとか。

 もちろんインスタだとかSNSなんかで拡散してもらうことよりも、やっぱりステージイベントとか展示によってPRする方がマスを通じて拡散するのは道理。とはいえそうしたマスに乗せるのにもやっぱりいろいろな工夫がいるみたい。今回のAnimeJapan2018ではクリエイションのコーナーがあってそこではアニメに関する仕事をいろいろな角度から解説していた。その1つがアニメ映画の宣伝に関する諸々で、4月13日公開の劇場版「名探偵コナン ゼロの執行人」に関した宣伝の手法や素材を、宣伝プロデューサーによるコメント付きで展示していた。

 読んでいてハッとしたのが「ロゴも宣伝だと思っています」というコメントで、「ゼロの執行人」については作中で江戸川コナンと対峙するという重要な役回りをになっている秘密組織の安室透をイメージできるロゴデザインにして、キャッチコピーもコナンvs安室だと分かるものを採用したとか。公開に向けてファンがいったいどういった雰囲気の作品かを知っていれば、気持ちものめり込めるし見た後にぽかーんとならずより積極的に語ることができる。そうした口コミが人を呼んで盛り上がっていくとするならば、映画の前宣伝は予告編に限らずあらゆる部分で重要ってことになる。でもロゴもそうしたひとつだっとは。気をつけてこれからロゴを見ていこう。

 ステージイベントではタカラトミーアーツが筐体ゲームを展開する「キラッとプリ☆チャン」の放送前ステージを見物。動画配信によってアイドルとしてのし上がっていくというストーリーにちなんで出演声優がカメラに向かって自己PRをするという出し物があってそこでi☆Risの久保田未夢さんが喋ろうとすると、同じi☆Risで「プリパラ」にもいっしょに出演していながら今回はライバルキャラになるらしい芹澤優さんと若井友希さんが後ろから近づいていって映り込むようなイタズラをしかけていて面白かったというか、芹澤さんはやっぱり楽しいというか。そんな関係を見ていると「プリパラ」から変じて「アイドルタイムプリパラ」からすら遠ざかっていても案外に「プリ☆チャン」も盛り上がるかもしれないと思えて来た。歌も良さそうだし。とりあえず日曜日朝に時間帯も移ることだし見ていくか。5月にはライブシーンを集めた映画も公開とか。見逃せない。発生上映とかやってくれると嬉しいな。

 最終回? かと思ったら2クール目があると分かって一安心した「刀使ノ巫女」。荒魂にとって変わられた折神紫を倒すために集まった6人が順番に追っ手を相手していたなかで衛藤可奈美と十条姫和はどうにかたどり着いて追い詰めかけたものの本領を発揮した折神紫に反撃されてさあ大変、ってところでなぜかよみがえった可奈美の母親がもとより最強の剣士ぶりを発揮していたして、そりゃ唐突だし折神紫は浄化はされたようでも決して消滅はしていないみただし、親衛隊は後ろめたさを引きずっているしといった具合に完結といった落ちは見えていない。続くとしたら折神家の統治が終わり、刀使たちが合議制なりで来る反撃を待っている、といったところか。そこに可奈美や姫和や仲間たちはどう絡む? 荒魂を身に入れた親衛隊たちの処遇はどうなる? それより元に戻れるのか? 等々の謎も2クール目で万事解決。となって欲しいけれども果たして。今のクールで放送されたら直後に見ていたいくつかの作品の1本だけに、これからも見ていこう。

【3月23日】 移動中の雪上車がブリザードに巻き込まれている中から外に出て、前線の基地へととって返して忘れたパソコンを探そうとしたとは、その危険性を誰よりも知っている南極観測隊員としてちょっとあり得ないだろうから、小渕沢貴子が行方不明になったのは別に理由があると思いたいけれど、それだとやっぱり危険を推してブリザードの中に出た理由が分からないからやっぱり未だ原因不明だったりする。

 とはいえ残る話数で消息がつかめる要素も乏しいだけに、そのあたりは曖昧なまま考え事をして足を滑らせたとかってことにして終わるのかもしれない「宇宙よりも遠い場所」。報瀬が行き着くところまで行ってもう新しい情報は得られないと確信したらあるいは生存という可能性すら失われてしまうと思い、同行を迷っていた気持ちは何となく分かる。ふたを開けてみるまで生きているか死んでいるか分からないシュレディンガーの猫思考って奴だから。あるいは決断の先延ばしとも言うけれど、とりあえず進んで未だ不明のその先をつかむ時は来るのか。来る残りの話数の放送を期して待とう。

 さすがにブリザードが吹き荒れ視界がゼロとなってホワイトアウトしてしまう南極とはケタが違うけれど、極寒の中での強風はやっぱりキツいと分からせてくれるアトラクション「マウントケニア」をオービィ横浜で体験。セガホールディングスが2013年にオープンした施設で、当初はBBC系の映像アーカイブなんかも入って大自然とか動物なんかの映像を見せることがメインだったけれど、デジタルコンテンツとシアターで楽しむよりもやっぱりナマが好きってことらしく2016年にはアニマルスタジオといって動物に直接触れられるコーナーが登場。そしていよいよ動物を本格的に導入することになってリニューアルが行われて、その内覧会に行ってきたという次第。ポイントポイントではだいたい行ってるなあ、プライベートで行ったことはまるでないんだけれど、「けものフレンズ」とのコラボでもやってくれれば行ったけど。

 そんなリニューアルではアニマルガーデンってのが登場して、カピバラだとかカーペットパイソンだとかが飼われている森に入り込むといった感じで、檻とか金網なんかを挟まず動物たちと直接対峙できる。オニオオハシなんて止まり木にとまってこっちを威嚇してきてカメラのレンズなんか食いつかれそうになる。飛んだりもするそうで子供とか大丈夫かなあと思うけれどそこはだから親がしっかり守ってあげることで、大自然の脅威と戦うすべを覚えるのだろう。そんなものを使う機会は当分来そうもないけれど。カーペットパイソンは取り出して首に巻いて楽しむことも可能。鱗とかザラザラとしてなくて触れるとプニプニしていて良い感触。抱いて寝たら気持ちいい? それはさすがに遠慮したいかな。

 アニマルスタジオは継続しつつ動物をアニマルガーデンに一部移して新しいのも入れてといった感じでヒヨコとかインコとかに触れられる。こども動物園に近いかなあ、ヤギとかはいないけど。そして何といってもヌコヌコハウスが超最高。正式にはキャットパラダイスという名称で、中に入ると12種類ものネコたちがいてあちらこちらを動き回ったり寝ていたりしている。積極的に触れに行くのは良くないけれども座っていると足下に寄ってきたり膝に上がったりするのは可能。猫じゃらしでひっぱたりもできるからそのあたりは猫カフェに近いかもしれない。アメリカンショートヘアーにロシアンブルーにノルウェージャンフォレストキャットにシャムにペルシャにといった具合に種類もバラバラなんだけれど、当人(ネコ)たちはそうした種族の違いを分かっているのかなあ、喧嘩にならないところを見ると気にしてないのかなあ。平和主義者だなあ、ネコって。

 そんな新作アトラクションに混じって以前からのものも備えてあって、上空を飛ぶ視点から大地とか山河とか海洋を見下ろす感じで進んでいくアースクルージングとか、プロジェクションマッピングで自然と動物をそこに映し出すベースキャンプは健在。マウントケニアもそんなひとつで、赤道直下にありながらも昼間の気温と夜の気温が大きく違うというマウントケニアの気候をそこで体験できる。普通に10℃くらいのところから始まってだんだんと低くなり、そして強風が吹き付ける部屋へ。寒さに加えて風が体感温度を結構下まで引き下げる。これに雨とか加わって体温を持って行かれると低体温症にもなるってものだと理解。ましては南極だったら。そんな中をだからやっぱり貴子が出て行った理由が知りたいなあ、説明されるかなあ。

 そして「機動戦士ガンダム」へとつながる結節点となる「機動戦士ガンダム THE ORIGIN 誕生 赤い彗星」の試写とかが始まっているようで、ちらりと見た限りではフラウ・ボウがとっても良かったということだけは言って言えそう。あとはルウム会戦でどうしてレビル将軍がとらえられることになったのかといった経緯があり、その中でシャア・アズナブルがどんな功績を挙げたかが描かれていて、そしてレビルがジオンからどういった経緯で脱出をして有名な「ジオンに兵なし」の演説をするに至ったかってあたりが、単純な軍事面からの綱引きだけでなく、ジオンの中に渦巻く権力争いでありジオンと地球連邦の間で交わされる政治的なやりとりでありといったものが絡んでいることが見えてきた。まあでもそれでいっぱい人が死んだわけで勢力の拡大が権力の維持にズレてそれに邁進した権力者の下で、虐げられる人々というものの悲劇はいつの時代も変わらない。現代も。一連の問題で死ぬ人がもう出ないことを願いたいけれど。

 これは凄い。凄すぎる。第24回電撃小説大賞で銀賞となった瘤久保慎司の「錆喰いビスコ」(アスキー・メディアワークス、650円)は世界観もキャラクターもストーリー展開もどれをとっても究極めいててこれが新人なのかと思わせるくらいに凄いSFになっっている。テツジンなる防衛兵器が暴走したか壊れたかして東京地域には大穴が開き、そして世界も生き物も錆び付かせる風が吹き荒れて日本は昔とまるで違った状況になっている。そんな中にあって国境以上に厳重になった県境を越えて旅をする2人組とそして巨大なカニ。それがキノコ守のビスコとシャビ。2人は手にした弓を放っては錦糸を植え付け敵ならキノコまみれにし、そして地面でも物質でもかまわずキノコをはやして動き回る。

 そんなキノコ守りを世間はけれども受け入れてはおらず、錆を拡散させる世界の敵だと認識しては追っている。ビスコもそんな追われる身でありながら、錆を完全に除去できる飛躍を探して群馬から今は忌浜と呼ばれる埼玉あたりまで出てきてそこから東北を目指そうとするもののシャビの調子が良くない。それは錆に覆われ始めていたからで、だからこそ急いでいた旅の途中でビスコたちは忌浜県を牛耳る黒革に追われる羽目となる。そこを逃げ出したのはビスコとそして現地で出会った医者のミロ。女性みたいな風貌をした彼もまた姉が錆に覆われ始めていて、救うためには特効薬の錆喰いを手に入れる必要があった。

 戦いを経て逃げ出し各地をめぐり怪物と戦い現地の人と交流しながら進んでいくビスコとミロ。そんなバディによる冒険に追ってがかかり、人質をとられ救出へと向かう戦いの中でビスコは倒れ、彼に鍛えられキノコ守りのような戦い方ができるようになっていたミロもまた傷つく。そして発動するかつての超兵器。世界が再び滅びることを泊められるか、といったストーリーも起伏があって面白い上に、錆び付き滅びへと向かう世界の様子、その原因がキノコかもしれないという展開、けれどもキノコは実はといった設定が露わになって現在とはまるで違った社会の構造と生態系の雰囲気が浮かび上がる。

 腐海が汚れた大地から毒を吸い取り朽ちて浄化していくようなイメージ? そこまで壮大ではなくても変化してしまった世界を再び正常に戻すため、地球が生み出したメカニズムのようなものが感じられる。そうしたSF的な設定と、ビスコやミロ、そして姉のパウーといったキャラクターの魅力、彼ら彼女が見せる戦いぶりのすさまじさとも相まって、手に汗握る展開にページをめくらされる。一段落をして世界が正常になったかに見えて、主人公たちは新たな宿命を背負ったみたいでそれを解消する展開、あるいは広い日本のどこかに未だ潜む権力への妄執めいたものとの戦いなんかが続きで描かれていくのかな。単体でも面白いけれどシリーズ化されてもなお良い作品。出来ればパウーも登場させて欲しいなあ、最高にいい女、だから。


【3月22日】 そして気がつくと順位戦A級の名人位への挑戦者を決めるプレーオフが行われて稲葉陽八段が羽生善治竜王に敗れて羽生竜王が佐藤天彦名人への挑戦権を獲得していた。順位的に1番下にいた豊島将之八段が久保利明王将佐藤康光九段広瀬章人八段を破ってそのまま突破するかと思われたところに立ちふさがった羽生竜王。だけれども去年は稲葉陽八段の下に甘んじ名人位への挑戦が出来なかった。本割でも稲葉八段に破れているだけにどうかと思われたところを下からの勢いを退けたその力を上にも振り向け見事に突破。これで名人位獲得となればタイトル通算100期を達成する訳で、「りゅうおうのおしごと」の名人よりも先に偉業を達成することになるのかな、それとも「りゅうおうのおしごと」ではすでに100期に達したのかな。そこは謎ながらも現実はフィクションを超える。それが今という時代なのかもしれない。

 名古屋大学と岐阜大学が同じ法人の下にぶら下がることを検討するかもしれないって話が伝わって、それによってどんなメリットがどっちに得られるのかが分からないんだけれどもバックオフィスに当たる部分なんかを共通にして人減らしに取り組めるってのがとりあえず、目先の目的のような気がしてならない。あとは教員の融通とか。そうやってしぼんでいく学術が行き着く先は知性の崩壊というならそれをやらせるこの国が、知性を求めてないってことの現れなんだろう。でもどうせ効率化なら愛知県かにある国公立を統合する方が利便性は高いんじゃないのかなあ、名古屋大学と名古屋工業大学と愛知県立痔学と名古屋市立大学とか。

 そこに愛知県立芸術大学とか愛知教育大学なんかを入れるかは考えようだけれどそれらをまとめて首都大学東京よろしく日本ど真ん中大学名古屋とすれば、卒業生たちが「ど真ん中大出身です」と言えて嬉しいんじゃないのかな。なんてことをどれとも関係ない私大出身者として思うのだった。それとも尾張から美濃を攻略して伊勢も平定し近江の浅井から越前の朝倉を成敗していった織田信長にたとえて名古屋大学と岐阜大学と三重大学、滋賀大学に福井大学を統合して織田信長大学とするとか。本拠はもちろん安土に置いてそこから天下布武の号令をかけて手始めに京都大学を狙うという。何という戦国乱世。でもすぐに豊臣秀吉大学が出てきて全国をだいたい統一した後、徳川家康大学が東大を拠点に全国を統一するんだけれど。つまりはすべて東大。なんだそりゃ。

 AnimeJapan 2018がビジネスデイだけれど開幕したんでとりあえず東京ビッグサイトへと出向いてビジネスエリアをさっと見物。イオンファンタジーが出ていて「ラララ ララちゃん」のアニメを流してた。イオンシネマに行くと「パンパカパンツ」とのコラボマナー映像が流れていてララちゃんがとにかくおしゃべりなのが可愛いんだけれど、アニメーション版でも結構おしゃべりらしい。キッズステーションでやっているそうだけれどどこかで見られる機会はあるのかな。あとファンワークスが出ていて4月からNetflixで大々的に配信が始まる「アグレッシブ烈子」のPRを大展開していた。5分物から15分になってストーリー性も加わるそうで、1発芸的な展開から少し中身にも変化が出そう。どんな印象になるのか。ペーソスが加わるのか。ともあれ注目。海外での反響も含めて。

 商談とは無関係なメディアの人間がうろうろとして聞ける話もないんで早々と退散して新橋へと出てさて昼ご飯でもと思い、前にスパゲッティキングがあったところにできた牛カツ屋さんの前を通ったら牛カツに加えてフライも食べさせてくれるお店になっていた。2種盛り3種盛り4種盛りとかあっていろいろ選べる感じで、せっかくだからとメンチカツとハムカツと、それから魚肉ソーセージ&はんぺんのカツを選んで食べたら結構ボリュームがあった。似たような合わせは下のキッチンジローでもやっているけど手っ取り早くでボリューム感があるからこっちが良いかなあ。というか牛カツ専門で行かなかったのややっぱり客層が限られたからかなあ。どっちにしても寄って楽しげな店が出来たんで新倍に寄るときはまた入ろう。今度は何を頼もうか。

 戻ってAnimeJapan 2018関係の記事をまとめてからマンガ大賞2018の発表買いへ。選考員なんで大方のところは予想がついたけれども改めて板垣巴留さんの「BEASTARS」(秋田書店)に決まっておめでとうとまずはお祝い。僕自身は選んでいなくて「映画大好きポンポさん」「約束のネバーランド」「ランウェイで笑って」をそれぞれ1位2位3位に選んで投票したけど、いずれも3位以内には入らなかった模様で趣味の違いといったものを再認識。とはいえ「BEASTARS」だって擬人化された動物たちが暮らす世界が舞台で、そこで草食獣と肉食獣とか牽制し合いつつも同居しているといった設定があり、かといって肉食が禁忌として存在しつつ破られていたりする状況もあって、完全なる調和とは行ってないところに、メジャー感とは違ったダークさを覚えたりもする。

 それでもマンガ大賞に選ばれたりするのは、「このマンガがすごい」で2位に入ったりしてそうした漫画読みたちの間に作品として認知されていることがあり、また学校での部活動があり種族を超えた恋情めいたものがあり、アウトローが住む社会がありといった平板ではない展開があってそこに茫洋としたところのあるハイイロオオカミの主人公が巻き込まれ、ありは参加しながら進んでいく1本のストーリーにいろいろと感じるところがあったからなんだろう。どこか「ズートピア」っぽさはあるけれど、前進となる「ビーストコンプレックス」が構想されたのは作者の学生時代からで、それが短編になって連載されたのは2016年3月3日からと、アメリカで「ズートピア」が公開された1日前。見てどうこうってことはだからなく、ずっと作者の頭にあったイメージがタイミング良く(そてとも悪く)世に問われたってことだろー。

 その意味ではネズミの国への忖度とかせず連載を続けさせ、そこから延長としてできが「BEASTARS」も連載させた秋田書店の週刊少年チャンピオンは凄い。手塚治虫さんですら恐れた壁村耐三さんを生んだだけのことはあるなあ。ただやっぱり擬人化された動物が二足歩行するイメージというのはディズニーとか手塚治虫さんに寄っている部分はあるようで、板垣さんはディズニーのイメージがあったからこそ違和感なく入り込めるといったことを話してディズニーに感謝していた。手塚治虫さんについては1冊も読んだことないそうで、同じ週刊少年チャンピオンに「ブラックジャック」を連載していた仲でありながらとも思いつつ、それが時代とも感じるのだった。石ノ森章太郎さんも赤塚不二夫さんも読まないまま過ぎ去っていく世代が生まれているのかなあ、今って。

 マンガ大賞では先輩にあたる第2回を「ちはやふる」で受賞した末次由紀さんの展覧会が池袋で始まるってんでマンガ大賞2018の贈賞式からそのまま回って内覧会を見物。ほかの漫画家から寄せられたメッセージとそれから映像以外は撮影OKというのは太っ腹。そんな展覧会にはカラーイラストから漫画の原稿からいっぱい並んで改めて、末次由紀さんというクリエイターが持つ色彩の感覚、タッチの雰囲気といったものをつかめるようになっている。面白かったおは単行本の表紙絵シリーズで、キャラクターを描き草花なんかを描いたものを別々に作ってデザイナーに渡すと、それが組み合わされ背景の色に載せられ単行本の表紙に仕上がるようになっていた。そうかそうやって作られていたんだ。それを「デザイナーの技」と末次さんも話していたように、キャラクターでも大胆に切られていたりするのが分かり、なおかつ元の絵がどんな感じだったかも分かる。単行本では分からないその世界を展覧会で改めて確認しよう。


【3月21日】 「ちはやふる−結び−」を見ながら大江奏を演じている上白石萌音さんの背格好の「こまさ」が「この世界の片隅に」を実写ドラマ化した時に、すずさんの役にぴったりだなあと思っているのだけれどその場合、相方となる周作さんを神木隆之介さんが演じたら違う映画になってしまうかもしれず積極的には推しづらい。いや別に神木さんじゃなくても「ちはやふる」の部長の野村周平さんでも、綿谷新の新田真剣佑でも出来ないことはないんだけれど、プッシュできる要素をてんこ盛りにしがちなテレビだけにもしかしたらそんなキャスティングを考えているかもしれない。晴美さんは谷花音さんで江波のおばあちゃんは市原悦子さんで径子は長澤まさみさん。長沢さんはリンでも良いかなあ。いやいややっぱりあり得ないなあ。

 「VOVA展」でも見に行こうかと上野に行って、タイミングが合いそうだからと東京藝術大学大学院アニメーション専攻の修了制作展のBプログラムだけを見てくる。やっぱり楽しい福地明乃さんの「たいふう14ごう」。だんだんと台風が近づいてくる沖縄で、買い出しに行ったスーパーの棚が空っぽになりかかっていて、みんな年中行事として台風を受け止め準備しているんだなあと感じ、そして台風のさなかでも外に出てたむろしているヤンキーに沖縄という場所の人の群れ方といったものを感じたりする。あと買い出しで持ち帰った食材が沖縄らしいってことも。そんな風土を感じさせる絵が絵本のように楽しげで、なおかつしっかりと動いて台風が来る夜のことを伝えてくれる。

 子供の視線、姉の視線といろいろな視線に自分が台風を待ち望んでいた子供の頃を思い出す。そんな作品。NHKとかで普通に流してもファンがつきそう。次はどこで見られるだろう。DVD買ったからいつでも見られるんだけれど、やっぱり映画祭とかで入賞したところを喜びたいなあ。ICAF2018が開かれたらやっぱり来るかな、でも見里朝希さんの「マイリトルゴート」と一騎打ちになりそうで、出られるかどうかも分からないか。それだけハイレベルな作品が集まっている東京藝大院アニメーション専攻の修了制作展。日曜日までやっているから横浜美術館が遠いと思って遠慮した人も是非に。上野の奥の奥だけど。パンダの誘惑に負けそうになるけれど。

 さてVOCA展は1等賞のVOCA賞に輝いた碓井ゆいさんによる「our crazy red dots」がユニークと言えばユニークだけれど、決してライティな人間ではないものの国旗といったものにある種の尊厳を覚えている身は、それを半ば解体するようにして貼り合わせたキルトワークの作品に対してやっぱりおののきのようなものを感じないではいられない。もちろん多分国旗そのものを引き裂いて貼り合わせてはいないだろうし、国旗めいた赤いドットのモチーフを集めあるいは白地に赤のモチーフを集めて重ねることで、そこに国旗めいたものを現出させつつそれらが象徴している右に寄って何かに忠誠を誓わせあらがう者を踏みつけにする風潮への違和感を表明している。そう思う。

 草間彌生さんのドットなんかもそこに取り入れキルトで再現して切れ端にして混ぜたりもしている努力は買う。全体として醸し出されるメッセージも理解しようとは思うけれど、国旗をないがしろにすることで違和感を唱えるという方法よりは、やはり直接的に抑圧してくる対象への違和感を表明して欲しかった。それではアートにならないというなら、そういうアートが必要か否かというところも含めて考える機会をくれた、そんな作品かもしれない。ジャスパー・ジョーンズの星条旗シリーズの方がシンプルでそれでいて響いてくる重さといったものが感じられる気がしないでもないなあ。増やし集めればそれだけそこに集めようとする意図が混じるものだから。かといって日の丸をそのまま描いたって意味ないし。やっぱりこれで良いのかな。

 佳作になってた梅ラボこと梅沢和木さんの作品は梅ラボらしいといえばいえ、あちらこちらからきっと集められてきただろう画像を細かく砕いて積み上げ重ねつつ全体としてどこか退廃と衰退のイメージが浮かぶあれは都市か、それとも煉獄といったビジョンを見せてくれた。単なるオブジェクトとしての集積ではなくそれに意味を持たせようとする行為に梅ラボの平面絵画としての道を見る。それをメインに進んでいくかは知らないけれど。

 そして水江未来さん。前もドット絵でもって増殖する細胞めいたものを描いてはいたけれど、今回はなにか文字めいたものが3700とか800とか整然と並べられた絵を提示。実はノーマン・マクラレンというアニメーション作家の記号的キャラクターを意識した約3000もの多様化した人類の肖像が、ってことらしいけどヒエログリフとかロゼッタストーンに刻まれた文字だと受け取る人も多そう。整然とした記号の羅列と思われがちな絵に、すさまじい熱量をかけた行為をアートとして評価されたのかな。1000年後にこれを文字だと信じて買い得に乗り出す人がいたら面白いなあ。石に刻んで埋めておくとかすれば良いのに。

 昨日、NHKホールで見て半生だなあと思ったPerfumeのライブがネットで中継されたんで見る。クライマックスの3曲だけだったけれど、巨大な白いパネルに巨大な影が映るのは現場で見たのといっしょ。ただ正面から見ると演じるPerfumeのメンバーの小ささが背後のシルエットの巨大さと対比になってどこか荘厳な雰囲気を醸し出す。そして登場してきたパネルやセットへの言葉のプロジェクションも現場で見たのといっしょだけれど、中継はもしかしたら見やすく重ねているかもしれない。2階席から見たからそう感じただけで、正面から見れば中継のようにきれいに見えたかもしれない。だとしたら見る位置を制約する演出ってことで四方に気配りが必要な普通のライブでは使えないかなあ。迫力はあったから使えるかなあ。

 送ってもらった大勢の人たちの写真がプロジェクションされては散り消える演出は現場で見たままで、これも正面から見るといっぱいの画面の中にPerfumeg取り込まれていてネットを漂う人みたい。その次の曲ではPerfumeがデータ化されそしてNHKホールがデータ化されて提示されて、それは現場では見られなかったこと。あと空中に写真がいっぱい浮かんでいたのも現場では見られなかった演出で、実際はPerfumeが掲げる枠とそれから天井からつり下がった幾つもの枠があるだけだった。それらをマーカーに何か投影したのかな。白くて蠢くキューブも浮かんでなかったし。何もおかれていない広々としたステージで3人がダンスをしてい歌っていた現場は、まるでスタジオで合成用に撮っているようだった。その理由がこれか。オリンピックに採用されたとして中継を見ている人は驚けても、現地にいる人がぽかーんとするのはちょっと寂しいのでどちらもすごいと驚ける演出を考えて欲しいと今からお願い。


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