縮刷版2018年3月上旬号


【3月10日】 実は「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」って嫌いじゃなくて、雰囲気的にダークではあったけれども小説版「ブギーポップは笑わない」のエピソードを裏側から前後も添えて描いていある感じで、小説版と併せて観るとそれなりに世界が拡張されて面白かった。後に上遠野浩平さん自身が「ブギーポップ」のシリーズをどんどんと拡張させていって宇宙とか巻き込んだとんでもないワールドへと発展していったけれど、まだどこか遠い世界とご町内とが背中合わせで存在している不思議な感じが漂っていた中、そんな裏側や外側を感じさせてくれる話だったという印象。そこに流れるスガシカオさんによる「夕立ち」という主題歌が、退廃と気怠さをよりいっそう醸し出していた。

 電撃文庫関係のアニメーションばかりを集めた上映会で改めて何羽かを観て、これはやっぱり良い物だと感じ入ってまだCDサイズのケースに入っていたDVDを中古でもって全巻、集め直したっけ。そんなアニメーション版「Boogiepop Phantom」から18年、今また「ブギーポップは笑わない」が再びアニメーション化されるというか、このストーリーとしては初めてアニメーション化されることになったみたいで、前のテレビシリーズをちょっぴりダークでストーリーも違っていたから、これに喜んでいるファンもそれなりにいそう。とはいえ半ば“伝説”となってしまってよく分からないまま暗いとか、違うといった印象でネガな感情を抱いている人にもその面白さを知ってもらう意味で、再放送とかしてくれると嬉しいんだけれどなあ、観ればたぶん今回のより、緒方剛志さんっぽさがよく出ていると思うから。

 長く続いているシリーズはそれだけ復活の機会もあるってことで、この前は「ブギーポップ」と並んで電撃文庫の2枚看板ともいえる時雨沢恵一さんの「キノの旅 theBeautiful World」がテレビアニメーションになって放送されたっけ。今時の深夜アニメに混じるとどうしても目立つってことはないけれども、原作のダークなストーリーをそのまま受け継ぎ寓話的な世界をしっかり表現してたっけ。前のもそうではあったけれど中村隆太郎さんによる演出がダークさにシリアスさもまぶしてこれもやっぱり難しいアニメになっていたっけ。そうした過去が埋められてしまうのも悲しいので、やっぱり再放送とかして見比べられる環境を整えて欲しいもの。まあこっちもDVDボックスを買い直していつでも観られはするんだけれど。BDボックス化はないかなあ。

 電撃文庫はこの勢いで「イリヤの夏、UFOの空」もOVAからテレビシリーズへとリブートして秋山瑞人さんに仕事をさせてそして「猫の地球儀」をアニメ化して黒猫とクリスマスの両方を悠木碧さんに声を担当してもらうとか、あるいはufortableによって今再び「住めば都のコスモス荘」をアニメ化してネルロイドガールの声を悠木碧さんに担当してもらうくらいのことをすれば、過去にあった素晴らしい作品がよみがえってそしてライトノベルレーベルの筆頭としての地位を確固としたものにできると思うのだけれど、そうしたことをプロデュースできる人はいるのかどうか。KADOKAWAのいちレーベルとなって吸収され、カクヨムとの連動も始まった中で異色作やら意欲作を送り出す余裕がなくなり、次第に評判を呼んで「キノ」とか「ブギーポップ」のように長く続くシリーズになる作品が、出てこなくなるのも寂しい話。そこはだから投資と思っていろり出して欲しいけど、読み手が受け止める余裕もなくなっているのが厳しいところか。多すぎるからなあ、新作。そういえば最近あまり読めてないなあ。

 若手アニメーター育成プロジェクトの「あにめたまご2018」完成披露上映に申し込んだものの抽選に外れたみたいで、取材の案内も来なかったんで観るのをあきらめ別に面白そうだった文化放送で放送中のラジオ番組「エブリスタ・マンガボックス puresentsu 豊永・小松・三上の真夜中のラジオ文芸部」の公開収録を見物に行く。ラジオ番組の中でProject ANIMAっていうアニメの企画を募るプロジェクトに応募する企画を考えるってもので、今はSF・ロボットアニメ部門が募集中。そこに出す企画をこれまでとりあえず練り上げてきたのを、多くの前で改めて披露した上でプロの意見を仰ぐといった内容になっていた。

 そのプロが「マージナル・オペレーション」で「セルフ・クラフト・ワールド」の芝村裕吏さん。あるいは「高機動幻想ガンバレード・マーチ」に「刀剣乱舞 ONLINE」の人がその場で企画に突っ込みを入れてダメ出しをし続けるかというと、割と何でもOKだといった雰囲気を漂わせ、そして繰り出されるネタを真っ向否定しないでポイントを指摘し面白い方向へと持って行こうとしていた感じだった。そりゃあ本気でダメだし始めたらまず」「ロボット×一般市民×祭」というコンセプトからして何だそりゃってなるし、舞台が青森でねぶたがロボットに変形して津軽弁ばりばりの女の子がそれを操り戦うといった展開の無理筋っぷりも指摘されまくるだろうから。

 でも、公開収録ではそうした要素を吟味し舞台を青森に限定するとか、戦う人たちが一般市民ならそれは祭りのために帰省してきた人たちも含めてにして、それならシーズンを8月第1週を中心にしてあまり延々と戦いが続かないようにするとか、戦う場所はねぶたを引けるようにと広くされた青森ならではの道路にするといった設定が乗っけられてみるみるそれっぽい形が作られていく。八甲田山をまずは入り口にしてそこに湯治に来た人が出会った神獣が、街へと降りてきては農作物に被害を与える、それを青森の人たちが退けていくといった展開? ローカルだけれど青森色が濃く出れば出るほど興味も誘われ観たくなる。そんな印象。

 実はキャラクターの案も番組で練られてきていて、神獣を押さえ込むために東京から青森に派遣された兵士の豊永俊行、やはり東京から派遣されたクールビューティーの小松未可子、そして青森でリクルートされた新兵で、津軽弁が濃く何を言っているか分からないやや天然の三上枝織といった感じに番組出演声優の名前がそのままとられた3人の設定が示された。もっとも、公開収録の流れの中でいろいろと浮上した新たな要素を元に、しまどりるさんがその場でキャラクターを作画して会場に披露。そこにはは東京から出向してきた役人で、脱ぐと「祭」と書かれた赤いふんどしを締めている豊永がまず描かれていて、これはちょっと思わせた。

 そして相棒となるクールビューティー小松は何と女性ではなく華奢でおかっぱな銀髪の男性で、こちらはふんどしが白で会場の驚きと笑いを誘いつつ、男性同士という2人の組み合わせからもしかしたらヒットするかもしれない可能性を感じさせていた。そこに加わる三上については、ねぶたにちなんだ顔を持った少女には見えないキャラにされていて、秋田のなまはげなんかも覆わせたけれど、これでアニメ化が決定した時、そのままで行くのか仮面を外すと美少女といった展開になるのかいろいろと想像させた。果たして実現するのかしないのか。一応は本気で企画書を練りProject ANIMAに応募するみたいなんで通ったら男子な小松のふんどし姿が見られることになる。期して待とう展開を。

 いやあ、財務省が書き換えを認め、それからすればまるで違った答弁を国会でしたことになる当時は理財局長で現在は国税庁長官の人を辞めさせているにもかかわらず、そのタイミングで朝日新聞は根拠も曖昧なのに記事を書いていて、自分がいた時代ならボツだとかうそぶいている元朝日新聞記者がいるのもびっくりだけれど、それを平気で載せている媒体があるのにも仰天というか、何というポン酢っぷりというか。そりゃあ調べているさ、そして証拠も握って書いているからこういう展開になっているにも関わらず、曖昧だとか根拠が薄いとか何を言っているんだって話。OBなら編集幹部にどれだけ証拠を握っているか聞けば良いのに。定年まで朝日にいてしっかり退職期ももらっただろうし、その上でなお朝日で記事を書きながら、ずっと燻っていた慰安婦問題とか知らなかったよ的なピュアっぷりを発揮して、さも今知ったかのように朝日批判に回ったところも不思議な人だから、そんなスタンスも踏まえて話を聞いていこう。


【3月9日】 誰が何をしたくて何をしたのか、今ひとつよくわからなかった長編アニメーションを見た後で、記憶に残っていたのはその長編アニメーションが上映される前に実写版「曇天に笑う」の予告編として流れたダンス映像。軍服を着た男たちがサカナクションの音楽に乗ってブレイクダンスにヒップでホップなダンスを見せてくれて、後ろで踊っている人たちのうまさとそろいっぷりとも相まって、とても微笑ましい気分を心に醸し出してくれる。もとより群舞の持つ整然として激しい感じが好きなこともあって、それにサカナクションが乗ればもう完璧以上。あまりの強烈さが余韻となってその後に繰り広げられたよくわからない時間を埋めてくれた。これで本編も面白そうだと見に行ったら、まるで関係なくダンスなんてカケラも出てこずがっかりする可能性が高いので、「曇天に笑う」はそのダンスPVこそが本編といった気持ちで繰り返し見てすごそう。

 枝垂ほたるが全然出ない「だがしかし2」だけれども代わりにプロポーションでは尾張はじめがになって無防備の中にしみ出す色気を感じさせてはまだ若い鹿田ココノツを惑わせているのかいないのか。ドジだけれどもとりあえずは才媛を住まわせておいて手も出さなければ足も伸ばさないそのストイックさはやっぱり枝垂ほたるの巨大すぎる胸を拝み続けてそれに染まってはじめ程度ではぴくりともしないということか。だったらもっと平べったい遠藤サヤの場合はどうなってしまうかとうと、それはそれで需要があるのかもしれない。ないのかもしれない。はじめにはめがねがありリクルートスーツという押さえ込まれた中にボディラインが出やすい格好がある。そうした萌えポイントの総合でもかなわないほたるの胸のすさまじさを、また拝める時は最終回までに来るのかなあ、来ないかもなあ。

 さあ始まった東京アニメアワードフェスティバル2018だけど、コンペティションの作品を見ている余裕がないので朝にプレス登録だけしてそれから今年はWACCA池袋の1階にしつらえられた功労部門の受賞者たちに関連した展示を見物、杉井ギサブロー監督による「銀河鉄道の夜」の絵コンテがあってますむらひろしさんとも違った猫たちが動き回る絵コンテが妙にかわいらしかったけれど、それが映画ではあれだけの深遠さを持ったものになるんだから不思議というか、それが映像のすごみだというか。きっと細野晴臣さんの音楽も深遠さをより深いものにしているんだろうなあ。あとは「タッチ」の脚本とかが置かれてた。隣は芝山努さん長く日本のテレビアニメーションを支えてきた2人がそろって受賞は嬉しい限り。杉井ギサブロー監督にはまた映画を作って欲しいなあ。

 ほかでは塩山紀生さんのイラスト原画展で上映されている「太陽の牙ダグラム」の関連トーク映像に出演している星山博之さんい関連する展示があって、直筆の原稿とは別にたぶん通っていたらしい喫茶カトレヤの灰皿とマッチがあってそこでいろいろと構想を練ったんだろうなあということがうかがえた。どこにあった喫茶店だったんだろう。そして喫煙者だったんだろうか。そういう人も場所も少なくなったなあ。ファミレスではそういった長居でのお仕事は嫌われるし、かといってスタバでなんてとてもじゃないけど構想は練られない、やかましくてせわしなくて。やっぱり行きつけの喫茶店、コーヒー飲み重ね灰皿に吸い殻を山盛りにして生まれた何かがあったんだろうなあ、あの時代。戻ってみたいなあ。

 池袋を後にして改装なった日本青年館ホールで今日から幕を開けるミュージカル「陰陽師」〜平安絵巻〜のゲネプロを見物に行く。前は伝統こそあったものの薄暗さもかじられた日本青年館ホールが真新しくなってロビーなんかもきれいでそして客席はゆったりとして広々として、あそこならどんな舞台だって演じられるなあと思った。キャパでいったら中野サンプラザより大きいのかな、客席は1200人程度だからそうでもないか、でもAiiA 2.5 Theater Tokyoよりは大きいからだんだんとステップアップしていく場所としてはひとつの目標かも。

 そしてこれが初演となる「陰陽師」がそんな場所でできるのも、世界で2億ダウンロー^度を突破した大人気スマートフォン向けアプリゲーム、本格幻想RPG「陰陽師」が原作になっているからで、そして中国での公演も最初からそれが目的となっている関係で中国資本によるお金の投入がすごかったんだろう、役者は誰もが素晴らしく中には宝塚の元娘役トップとかもいたりして、見れば豪華絢爛とした衣装がゲームのイラストをそのまま立体にした感じを醸し出し、そして歌えば一級の声が響いて目にも美しい美少女に美女を見せてくれる。あれは雪女を演じていた七木奏音さんはなまめかしてく美しい姿態をダンスとともに披露してくれた。紅葉という役の女性も胸元が開いて谷間が見えてそれで歌も素晴らしかったなあ。

 役者を見ても歌声を聞いても素晴らしい舞台はそしてストーリーもなかなかにこっていて、清明という陰陽師の主人公が記憶を失い悪鬼を倒しながら取り戻そうとする旅路に八百比丘尼が加わり進んでいった先、なぜかその清明に悪い評判が出てくる。酒呑童子は1人の女性を不幸にしたといい、判官は閻魔大王の下に清明を連れて行って裁きを受けさせようとする。記憶はないけどそんなことをする人間とは思われていない清明は、背後に誰か別の清明がいることを知らされそしてそれが黒清明なる存在であることを知る。出会った2人の間にはどんな関係があるのか、ってところがひとつの謎。それが解決されてもまだまだ奥深い謎があってそこへと迫っていって欲しいけれどもプレビュー公演では時間がない。きっと中国での本公演もそこまでで、たまった不満を続編に載せてまた演じたりするんだろうなあ。それもまた商売。

 面白かったのはスクリーンの使い方で、背景となる映像なんかを次々に変えてはそこを別の場所へと転換する。舞台装置を動かし階段にしたりお立ち台にしたりとこれもまた工夫がされている。豪華なセットではなく単純な装置と映像を組み合わせることによって作り出せる様々なシーン。大道具小道具の立場もだんだんと薄れていってるのかな。そしてスクリーンはエフェクトにも活用。清明や黒清明は陰陽師らしく呪文と唱え手を動かしてさまざまな術を発動させるけど、そんな黒清明と清明がぶつかり合うシーンでは、舞台上にはられたスクリーンに投影されたプロジェクションで、さまざまな術のエフェクトが映し出されて迫力を増す。これなんか初音ミクと歌舞伎が共演した「超歌舞伎」でも見たようなエフェクト。これからの舞台にプロジェクションは必須になっていくのかな。とりあえず普通にまた見たい舞台だけれど、お姉様方でいっぱいっぽいからちょっと考えよう。

 ははははははは。朝日新聞嫌いで朝日は勘違いだという印象を醸し出すための材料に、朝日の取り違えじゃないかとSNSに書いた和田政宗議員の言葉を引っ張り記事にした途端に朝日新聞いよる追撃が来て和田政宗議員も手のひらを返して放り出された某全国紙。目的のために都合のいいコメントや材料だけを集めて記事作るなって海兵隊とか沖縄関係の一件で身にしみたたはずなのに、すぐこれなのはこうでしか記事が作れない体質になっているからなんだろうなあ。ある種のメソッドというか。そしていよいよもって保たないとなって国税庁長官が辞職する事態になったけど、そこでも会見せずとか報じてアップされたその時間にぶら下がりめいたものだけれど会見い応じていたという。後で一問一答も報じていたけどその下に会見せずって記事が残ってたりするこの態度を正直とみるか、先走って引っ込みがつかないと見るか、気づいてないだけだと見るか、いろいろだけれどそれら全部の複合が今の状態につながっているんだろう。やれやれ。


【3月8日】 月曜日あたりがらノートPCの調子が悪くなってネットにつながらなくなったと思ったら、アプリケーションを使用中にウィンドウズが止まってしまって開けなくなったりと散々な状態に陥ったこともあって、手持ちのPCから使えそうなのを引っ張り出してデータなんかをいろいろと移植。隠れていたりして引っ張り出すのが大変だったり、メールのデータを移植するのが面倒だったりと苦労したけど、どうにかこうにかそろえられたと思ったらFTPクライアントがどうもうまく動いてくれずに苦労する。とりあえず管理者権限からアクセスすれば送信はできるみたいだけれど、それもいちいち面倒なんでFFFTP以外のFTPクライアントがあれば探して使ってみたいところ。でもどうなんだろう、ずっとこれだったから今更ほかのって使えないんだよなあ。マッキントッシュ時代は何を使っていたんだろう。もう思い出せないや。

 週末にかけて東京アニメアワードフェスティバル2018とかがあって忙しそうになる合間にちょっとだけ時間ができたんで、劇場公開が始まったアニメーション映画「文豪ストレイドッグス DEAD APPLE」を見に行ったけれど、これはどうしたものかなあ、大好きな渋沢龍彦が出ているのは良いんだけれども「正解するカド」のヤハクィザシュニナみたいな風体な割に耽美さにはちょっと欠け、おまけにいったい何をやっているのかが伝わってこないというか、とりあえず霧を出してその中で異能力者から異能を引きはがして分身のようにして本人と戦わせ、本人が敗れれば異能は宝石となって渋沢龍彦の元に集うといった設定があるみたいだけれど、どうしてそこまで執着するのかといった過去がよくわからないからただの貪欲なおじさんに見えてしまう。

 おまけに、そんな渋沢龍彦と脈絡がなく知り合いらしい太宰治とドストエフスキーがそばにいて見守っているようで裏切ったりしてまた裏切ってと、それが何のためなのかわからない展開が続くその合間にちょっとづず武装探偵社の面々が自分の影と戦ってはいるんだけれど、メインとなる中島敦と泉鏡花と芥川龍之介以外はどうやって勝利したかも描かれないまま最後にやっぱり強かった的に笑顔で合流。その見せ場のないことこの上ないけれど、ひとりひとりに見せ場を作って勝利し集合して戦いけれどもかなわない中、中島敦の最強の異能が炸裂とかていったら展開もちょっとマンネリなんでここは脇へと置き、ひたすらに中島敦と渋沢龍彦の因縁に落とし込んだってところなのかも。その因縁がそもそもどういいうシチュエーションから発生したのかがやっぱりわからないんだけれど。

 そんな映画でもアクションシーンは最高で、芥川龍之介の全身を布きれみたいなので包んで半分ミイラになりながら向かっていっては押し返されてもまた向かっていくすさまじさ、泉鏡花の本当は繰り出したくないのにやっぱり生きるためにはと夜叉白雪を出してはその圧倒的な剣劇でもって圧倒したりされたりする素晴らしさ、でもって中島敦がフレンズ化というかキリングバイツ化というか獣人めいた格好になって退けられても立ち上がって向かっていくすごさを見ている分には、さすが日本のアニメーション、2Dでもまだまだやれると思わせられる。というかこれを3Dで描こうとしたって無理だろうなあ。どうなんだろう。

 ただ、やっぱりどうしてそうなったかのかといった前振りがなく、何をしたいのかよくわからないおじさんが、何をしたいのかよくわからない兄ちゃんたちに囲まれて、何かをしているところに何をしようか迷っている兄ちゃんがやってきて、ほかにも何をしようとしているのかあまりわからない人たちも出てきて、くんずほぐれつの間に何かが終わっていた、そんな印象に落ち着かざるを得なかった。これでもうちょっと与謝野晶子が活躍してくれたらなあ。あるいは谷崎ナオミとか。そうした女性キャラの圧倒的な足りなさを、幼い着物姿の泉鏡花に追わせるのは無理だよやっぱり。かといって辻村深月では文豪の中にあってやっぱりちょっと役者が不足している。もっと圧倒的でもっと絶対的な女性異能力者の登場を、ってなるともう宇野千代か瀬戸内寂聴しかいないんだよなあ。強そうだけれど強すぎる感じ。どうしたものか。

 引っ張るだけ引っ張っておいて散々っぱらあおらせておいて、実はそんなことありませーんとばかりに書類を出して、「安倍晋三記念小学校」の二の舞にしてやろうって意図でもあるんだとしたら、今のこの何も言わない状況を安心して見ていられる人もいるんだろうけれど、同じ自由民主党からも右往左往といったスタンスが見えているところを鑑みるに、やっぱり財務省なり近畿財務局なりでもって書類の書き換えがあったと見るのが妥当で、けれどもそれを認めてしまえば何かが終わってしまうから、言わず曖昧なまま別の何かが大こるのを待っている、といったところだろうかどうなんだろうか。いろいろと報じては根拠がないと言われ安倍総理から揶揄されてきた朝日新聞だけに、ここで確たる証拠もなしに突っ込んでいるとは思えないのも今回の一件の信憑性を裏打ちする。

 あとはだから受けて立つ政府側が、どこに落として誰を生け贄に差し出すか、ってあたりを探っていくんだろうけれど、そこで下手を打てば生け贄にされた側からの反撃もキツそう。でも自分を守るためには今が大事とばかりに周りを批判し処分したあげく、いったい誰のためにやったんだと周囲が憤ってはいよいよもって引きずり下ろしにかかる、なんてこともありそう。そんな安倍総理の態度を正しいと讃え、財務省が悪いと誹り、審議に時間をかけすぎる野党を罵倒しといった感じに周囲ばかりを批判していた新聞あたりも、ともにどこかへ沈んでいったりするのかな。そんな状態にありながらも朝日ガーと吠えた記事をかける論説の偉い人がいたりするだけに、未来を見通して落としどころを探るより、今をいかにかっこよく見せるかにこだわり後の祭りとなりそう。やれやれだ。

 いよいよもって実現した藤井聡太六段と杉本昌隆七段との公式戦初対局は、千日手による差し直しでもって藤井六段を破って勝利を飾る。それは今の棋力や勢いを見れば当然といったところかもしれないけれど、敗れた杉本七段にとっては自分がまだプロ棋士になる前に板谷進九段が急逝をして公式戦で対局できなかった過去を踏まえ、師匠として弟子と対戦できた喜びっていうのはあるんだろう。そしてやがて藤井六段が故郷にタイトルを持って帰って板谷進九段のある意味で悲願だった中部将棋界の隆昌を、そこに見ていきたいって気持ちもあるんだろう。名古屋出身だけに僕もそう思うけれど、さても今後もずっと瀬戸なり名古屋に拠点を置いて指し続けてくれるのかな、学校があるうちはそうでも高校を出たら先はわからないなあ、関西か関東か。逆に指しに来てくれるなんてないよなあ。要観察。

 すっかり「ポケモンGo」にポータルを塗り替えられてしまった「イングレス」だけれどまだまだプレイは続いているようで世界的な広がりもあるみたい。いよいよフジテレビでもてアニメーション化も行われるってことで、「+Ultra」なんて枠が設定されて「ノイタミナ」どこいったんだよとか「ミツコとハッチン」が放送された「NOISE」って枠も消えたよなあとかいろいろ振り返りつつ、それでも本気でアニメーションに乗り出すのは悪くないことかもと改める。梅沢富美男さんに坂上忍さんに林修さんともう誰が見るんだ的なラインアップが4月から始まりいい加減、煮詰まった秋から若い人へと舵を切る、その先鋒になれば面白いかも。もういっそそっちで勝負すればと思うけど、広報がどこまでアニメに力を入れてPRするかもわからないからなあ。「ノイタミナ」、10年以上経っても未だ継子扱いだよ。


【3月7日】 浅草木馬亭にはどこかのソフトウエア会社が珍しく発表会をそこで開くってんで入ったことがあったけれど、落語にとってのマジソンスクエアガーデンに等しい新宿末廣亭に入ったのは実は初めてで、いつか年をとって暇になったらぶらりと昼間から寄席通いだんなんて思っていても、案外にいかないものだなあと思い続けて10数年、ついに来たのは別に人間国宝が出演するとか、襲名騒動で話題の誰かが出演するとかいったことではなく、というより本当に落語なのかといったイベントを取材するためで、果たして落語は聞けるのかといったらこれが立派に落語だったから驚いた。そして嬉しかった。

 「ドラクエ落語」。聞いてその名前のとおりにゲームの「ドラゴンクエスト」と落語が融合したといった趣向で、ずらりと居並ぶ新進気鋭の落語家たちが古典にオリジナルといった落語をひっさげ、それにドラクエを絡めた落語を練り上げ高座から繰り出していく。その登場からして出ばやしにドラクエのサウンドが使われ、そしてひとりひろりがドラキーにゴーレムにナイトにスライムといったドラクエに出てくるモンスターのかぶり物をしている。勇者はなし。なぜってこれは勇者が戦う話ではなく、モンスターたちを集めて冒険をする「ドラゴンクエストモンスターズ スーパーライト」のサービス開始4周年を記念するイベントだから。

 1月にすでに笑福亭鶴瓶師匠が出演するテレビCMが放送されていのが一種の伏線となって、以外とマッチする最新のドラクエとそして古典芸能の落語をだったら、末廣亭といういろいろと革新的な試みも行っている寄席でやったらどうだろうということで実現した奇跡の夜。そこには鶴瓶師匠の弟子たちが主に参加してそれぞれに古典落語の「動物園」とか「運廻し」から「田楽喰い」、あるいは親子が都々逸で対決する「都々逸」とそれからあるある話をメインにした新作落語の中、ドラクエに関するネタをオリコンでドラクエ好きの頭をうなずかせ心を笑わせていた。

 ドラクエを知らなければ楽しめないかというと、そこは長く第一線を走り続けているゲームだけあって、何となく知っていればそうなんだといた驚きも得られる。なおかつそこからドラクエやってみようかなといった広がりを与えてくれる。そこがある種の国民的なゲームとしての立ち位置で、ファンは濃いけれどもとがっている「ファイあるファンタジー」とはちょっと立場が違う、そんな気もした。前座で登場した笑福亭茶光さんは前座なんだけれど最初にかぶり物で出てきてそれを外して顔をさらすというおいしいところを持って行った。後から来る落語家ではもうそれで笑いはとれない。得したんじゃないかなあ、茶光さん。演じた「動物園」もこれでなかなか面白く、将来伸びそうな気がした。気にしていこう。

 トリを務めた三遊亭とむさんは笑福亭ばかりの中でのただひとりで、関西弁でもなく江戸弁だからこその速射砲のように繰り出される都々逸が立て板に水と流れカツンと頭に響いてなかなか楽しい。それがドラクエがらみってことだからなおのことファンには響いただろうなあ。即席って訳じゃないだろうからきっとしっかり作って覚えてきたんだろう。ちょっとだけ噛んだ都々逸があってそれでぐっと響きが減るところがやっぱり話芸って大事なんだと思った、そんな夜。ほかのも笑福亭羽光さん笑福亭鉄瓶さんが登場してやっぱり繰り出したドラクエあるある。バグ混じり設定いじりみたいなところもあって、客席で聞いていたドラクエ生みの親の堀井雄二さんは何を思ったかなあ、感想ちょっと聞いてみたかった。次は「らくごか」なんて「しょくぎょう」が生まれたりして。

 イチロー選手が帰ってくる、といっても日本ではなくシアトル・マリナーズに帰ってくるそうで2001年に入団して以後、しばらくシアトルに拠点を置いて活躍し続けたイチロー選手が、メジャー記録を上回る年間最多安打を達成した年に流体力学で2001年の入団年、オールスターにも出場したイチロー選手が着ていたユニフォームをオールスターワッペンが入り、そして9月11日に起こった同時多発テロでなくなられた方々をしのびつつ、アメリカ復活を願い背中に入れた星条旗のワッペンも入ったものを結構なお金を出して勝ったんだっけ。ちらりと話も伺ってすごさを認識して以後、イチロー選手が大リーグ選抜みたいな形で来たときに着ていって以来しばらく眠らせていた。

 もしもマリナーズが日本で試合をやるようなら、そこに着ていけるし日本に来なくても入団であるとか出場であるとか記録がかかった試合のある日に着て、フロリダよりはぐっと日本に近くなったシアトルへと向けて応援の気持ちを後れそう。そもそもが実力はあって実績も十分で年俸だて昔に比べてお買い得、そして客だって呼べる選手が今の今までちゅうぶらりんだったのは、オーナーたちの出費抑制がFA選手のドミノ玉突き現象を押させ停滞状態においていたから。それでもやっぱり必要ならばこうして引っこ抜かれる。もはや任天堂が日本の宝だからと起用する時代でもないだけに、やっぱり実力が認められたとみるのがここはいいんだろう。大谷翔平選手も行ったし今年は大リーグが楽しみだ。

 そうかそういう使い方があったのかと目から鱗。「アサシン クリード」っていう映画にもなって暗殺者が登場して過去に戻っていろいろな時代のいろいろな場所を行ったり来たりするゲームがあるけれど、基本はアクションでアサシンだから暗殺もあってと内容的にはそれなりにハード。子供が遊んで良いといったものではないんだけれど、そんなタイトルを教育的なものに変えるといったタイトルがここに登場した。「ディスカバリーツアー」といって「アサシン クリード オリジンズ」の拡張キットめいた感じで登場するんだけれど、そこでは古代エジプトが暗殺の舞台ではなく探索して探求できる場所になっている。アレクサンドリア大図書館にピラミッドにナイル川。農村に街に砂漠といった場所も含めてあちこち歩き回っては、それらに関する情報を画像やコメントなんかで得られるようになっている。

 あのミイラをどうやって作るかなんていった情報も得られるからすごいけど、使う場所がないのは残念といか、あったらまずいというか。ただそうやって一種のマルチメディア百科事典として使えるところがやぱり基本として「アサシン クリード」がルネッサンスのイタリアにしてもヴィクトリア朝のロンドンにしてもシク王国のインドにしてもしっかりと歴史を踏まえ考証も得て作り込んであるからで、そこをただアサシンたちの暗殺野庭にするのはもったいない、といった発想からこうしたサービスが生まれた感じ。あるいはどこか残酷さを持ったゲームを出している会社だけれど、社会に貢献できるところを見せたかったのかもしれない。家にゲーム機があればやってエジプトに浸りきりたいなあ、プレイステーション4はそろそろ買い時かなあ。

 あっさりと南極に到着してしまったご一行、だけれど荷物を運び入れ到着のパーティを終え日々の作業の手伝いに追われるばかりで特に新しい進展はない中で、白石結月が自分は誰かと友達になったのかなれてないのかそれなら友達契約書を書いてよといったずれたことを言って、ずっと突出した環境に置かれながら友達といったものを得られなかった寂しさを感じさせてくれた。あれだけ一緒にいて3人とは友達だって思えないその心理はまじめなのかずれているのか。やっぱり難しいものなあ、友達っていう存在の境界線って、僕もそう思う、ってか友達いたっけ、そこがわからないのだった。しかしやっぱり南極に来て報瀬の母親の貴子がどうなったか話が出ないのが謎。どこにいるかも不明。そこに行くのか。行って何が見つかるのか。楽しみにして待とう。やっぱり穴が開いてて地底人がいるのか南極。


【3月6日】 築城院真?は物語世界から現実にやって来た被造物だからもしかして歯だってサメのようにギザギザになっていたって不思議はないかもしれないけれど、いちおうは現実世界が舞台になった「りゅうおうのおしごと」に出てくる女流棋士の祭神雷の歯ならびがギザギザになっているのは九頭竜八一の何をかみ切るためにそういう歯に入れ替えたんだろうかどうなんだろうか。何ってそれは玉、玉将のことだけれど。いやどうなのか。純粋に将棋を思っていて将棋が強い相手と将棋をさし続けられればそれで満足な性格が、雛鶴あいに敗れて強さを認めていったいどうなるか。押しかけ雛鶴あいとそして九頭竜八一の側で将棋をさし続けたいと願うのか。この後の登場がちょっと楽しみ。まさか終わりってことはないだろうから。

 DAZNは使ってないけれどもドコモの契約で見られるなら見ようかというとドコモじゃないからやっぱり見ないのだった。そんDAZNとNTTドコモが組んでやってるDAZN for docomoというサービスをアピールするためか、移転したドン・キホーテ渋谷店があった跡地を使った「DAZN for docomo SPORTS LOUNGE」なるスペースがオープン。新しいスポーツ観戦や試聴の方法を提案するといった雰囲気で、VRを使ってプロボクサーと対戦できるコンテンツとか、VR空間で投手が投げる球をバットで打って球筋に慣れるコンテンツなんかがあってプロの最前線へと自分を立たせてくれる。八重樫東選手のパンツは当たっていたい訳じゃないけれど、やっぱり世界チャンピオンに前に立たれると威圧感も十分。殴り返して当たると嬉しいけれど、反撃が怖いと思ってしまうのだった。VRならではの迫真。次は勝ちたい。

 野球の方は実際にプロ野球の球団でも使われていたものらしいけれども投手の投げる球筋をバッターボックスで本当に体感できるところがすごい。そして相手が川上憲伸さんというのもまた凄まじい。150キロ台のボールが当たっても痛いわけじゃないけれど、飛んでくるのを見てバットを振ったら間に合わないくらいの速度感があって結構、野球している感じになる。手に反動が来ず手のひらが痛くならないけれど、速球を打てるバッティングセンターとして使いたくなるなあ。ビギナーモードで3球投げてもらって1球打てたんで、ノーマルモードに行ったら3球3振。野球を舐めてはやっぱりいけない。プロが打席に立ったらやっぱり打てるのかなあ。見てみたい。

 いつだったかフジテレビが新春のテレビ番組を地獄に例えて、亡者どもが徘徊し獄卒が跋扈する絵を掲げて大顰蹙を買ったことがあったけど、正月に逆説的な喧噪を見せることはフジテレビらしいなあと思ったものの、まさに視聴率が低迷しかかっていたフジテレビにあって地獄絵図は洒落にならなかったとも言えて、それが周囲の唖然呆然と誘ったような気がする。そこで改め何か極楽浄土へと向かうような案が生まれたかというと、ドラマは月9という枠そのものがもはや忌避の対象になっているかのように視聴率が上がらず、バラエティもこれといった新味を打ち出せないまま「バイキング!」の坂上忍さんの辛口と「ワイドナショー!」における松本人志さんのぶっちゃけたコメントだけが話題になっている。

 それも必用な情報ではあるけれど、何かどこかで出た話にリアクションしているだけであって、新しい価値であるとか流れであるとか情報を作り出しているとはちょっと言えない床屋政談、受ける話にだんだんと流れていっては濃縮されたワルクチをタブーに挑戦と言い換えて突っ走って、一部に大受けしつつその他大勢を呆れさせるだけになってしまうし、実際先走ってそうした新聞がのっぴきならない状況まで至っている。だからこそ世代交代を行って新しい価値観を生み出すのかと思ったら、やっぱりカラクチとは名ばかりのワルクチを言って受けそうな人たちをズラリと並べて、そうした人たちに共感をする世代の人たちの関心を誘おうとしている。

 それはテレビというメディアがお年寄りのものになりつつある状況下において正しい判断なのかもしれないけれど、そのままだんだんと世代だけが上がっていってやがて潰えてしまうことになる。でもってそうした層の購買意欲がどこまであるかというと、漫然と見てワルクチに共感をして溜飲を下げる感じが多くて、何か新しい消費を生み出すとも思えない。そんなところについてくれるスポンサーがあるとしたらそうした主張を打ち出したいところくらい。つまりはTOKYO MXで起こったことが東京の大手キー局でも起こりかねないという分水嶺にもしかしたら今、あるのかもしれない。ここで引き返したTOKYO MXも大変だけれど今より未来と取ったともいえる。逆にMXがお台場を出てMおなお残るフジテレビはトレンドから取り残されてオトナの玩具となっていくのか。4月から始まる番組への反応が今は見物だなあ。

 追撃が来たなあ、とある全国紙が沖縄に乗り込んでいっては沖縄の地元紙は米軍に冷たいから交通事故を起こした日本人を助けようとして跳ねられた米軍の軍人がいたという美談をカケラも報じないと非難したところ、そんな事実は確認されていないと反論されていったい誰に聞いたんだ、誰にも聞いてないんじゃないかと突っ込まれた延長で、いろいろな場所で起こっている沖縄県とか基地に反対する人たちとかの行動が、米軍不要に凝り固まっているといった見方を示した記事に対してこれまた誰にも取材をしていないのにどうして書けるんだ、事実と違っているじゃないかといった突っ込みが重ねられた。

 もちろんそれらには無回答という沖縄にはどうしてコメントしないんだと迫り自らはといった矛盾もつかれて傍目にはこれはちょっとないんじゃないのといった雰囲気を漂わせている。元黒田ジャーナルの大谷昭宏さんまで引っ張り出されては最初から沖縄の地元紙とか沖縄県とか基地反対はへの批判ありきであてそのために必用な状況をいっぱい集めはするものの、当事者に当たってそうかどうかを確認するという基本中の基本をやらないのは、それをやったら事実が存在しないことが分かって言えなくなてしまうからやらないんだ、なんてことまで書いている。

 さすがにそれはと思えるか否かは、過去にいろいろとあった事象を並べれば実態も浮かぶもので国会議員が阪神・淡路大震災の時に何かしでかしたというデマを書いた人が、当人に聞かず聞く必用もなかったとうそぶいては裁判で敗れていたりする。本人に聞けば済む話でも聞いたら否定されて書けなくなるなら曖昧な状況で仄めかす方に走る。それが読者を煽ってアクセスにつながるといった判断なのかもしれないけれど、それはもはやジャーナリズムではない釣り師の世界。それで果たして同じ業界に居続けることができるのか、って辺りもここに来て大きくクローズアップされて来そう。読者を広げる窓口になってるポータルサイトが批判を受けて謝罪した先、どういう態度をとるかに今はかかっているなあ、キュッと締められば途端にバタンと鳴りかねないからなあ。


【3月5日】 たまにはのぞいてみようと第90回アカデミー賞の授章式をライブビューイングできる場所へと行って朝の8時半くらいから延々と様子を見続けたけれどすごいなあ、まるで飽きない。もちろん日本時間で午前10時からの授章式に先駆けて、日本から行ったリポーターが通りがかる候補者をつかまえてインタビューをしたり、ABCがお立ち台の上でインタビューしたのを流したりする時間があるんだけれど、出てくる男優女優に監督その他の人たちが皆一流揃いで、そこにいて良いんだろうか的な名前がぞろぞろと繰り出されてくるのを見るにつけ90回もの伝統がそのままハリウッドという映画界の耀きとなって存在していることを突きつけられる。

 そして始まれば司会のジミー・キンメルがおそらくは完璧に仕上げられた台本を元にアドリブのような口調でひょうひょうと状況をイジりながら栄えあるイベントへの気分を盛り上げていく。立っているオスカー像に近づいていってペニスがないと言うのはつまり、ハリウッドで大問題となったセクハラに関してオスカーはそれを起こすことがないと言いつつ、やってきた人たちがいたことをしっかりと感じさせていた。あとは前回、作品賞の発表で受賞作品を間違えるといった前代未聞のハプニングがあったことから、呼ばれてもすぐには立たないでくださいといった感じの忠告とか。担当した人はアカデミーから永久追放を食らったけれども、それも含めてジョークに交えて笑いに変える、それも嫌みではなくさらりと流してクスリと笑わせるところに芸達者ぶりが窺える。

 それは登場してくるプレゼンターとして女優や男優についても言えることで笑いをとりつつ昨今の情勢について触れつつしっかりと受賞者を紹介してのける。上手いなあ。こういうことを例えば日本アカデミー賞で日本の俳優たちがやって果たしてどこまでゴージャス感が出るのか。あるいはコメディアンが司会をして嫌みにならずにさらりと場を盛り上げられるのか。スタンダップコメディの伝統があって相手ではなく社会をからかいつつ自嘲も交える中に笑いを醸し出す風土があるアメリカと、強者でじゃなく弱者をイジる傾向が強い日本との差が空気に出てしまって気まずくさせるんじゃなかろうか。司会についてはそんな気がしてならなかった。あるいは妙なおべっかを入れてネットリとさせてしまうとか。日本レコード大賞なんかだと割とあるんだよなあ、持ち上げる気持ち悪さが。

 受賞した側のスピーチもまた奮っていて、「スリー・ビルボード」で主演女優賞を獲得したフランシス・マクドーマンドは壇上に立つなり客席へと向かって女性の候補者は立ってと呼びかけ、主演と助演の女優をのぞいて編集技術音楽監督プロデューサー等々、作り手となる人たちにいかに女性が少ないかってことを感じさせてくれた。もちろん日本に比べれば1割2割に達しているだけハリウッドはまだましなのかもしれないけれど、世界の半分が女性であってそして最前線には女性が多くいるにも関わらず、オスカーの場に来られる人となるとグッと限られてしまうところに未だ厳然として壁が存在しているってことなんだろう。それを破るための1歩が今年、踏み出されたのだたとしたら第90回アカデミー賞は歴史に刻まれれた回になるかもしれない。10年後、同じ質問をしてどれだけの起立者がいるかが楽しみだ。

 さて栄えある受賞者となるとやっぱりギレルモ・デル・トロ監督による「シェイプ・オブ・ウォーター」が監督賞とそして作品賞も受賞したことが少し驚きというか、「美女と野獣」的なロマンスがあるとはいえ野獣ではなく怪獣で、半魚人で昔だったらホラー映画に括られてアカデミー賞どころか他の映画祭にだって出てくる余地がなかったものが、堂々の監督賞を受賞しそして最高賞ともいえる作品賞まで獲得してしまった。「スリー・ビルボード」がありゲイリー・オールドマンが主演男優賞を受賞し辻一弘さんがメイクアップ&ヘアスタイリング賞を日本人として始めて受賞した「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」があり年若いティモシー・シャラメが瑞々しさで誘った「君の名前で僕を呼んで」があって「スリー・ビルボード」に「ゲット・アウト」もあった作品賞では、どれをとっても意義深さが感じられた中で異形との愛を描いた「シェイプ・オブ・ウォーター」が抜け出たのも、区別や差別のない世界の実現に向けて歩みたいハリウッドの意志めいたものがあったからなのかもしれない。

 マイノリティへの視線の強さは他にもいろいろ表れていて、受賞は逃したけれども「君の名前で僕を呼んで」はホモセクシャルな関係が登場する映画で、ペンス副大統領への痛烈な批判になっていた。外国映画賞はトランスジェンダーの女性がパートナーだった男性の死後、すべてを奪われてしまう展開に未だ根強い差別を感じさせるチリの映画「ナチュラル・ウーマン」が受賞し、LGBTが未だ抱える問題が露わにされた。脚本賞も黒人への差別が未だ残った社会を描いた「ゲット・アウト」で監督も務めたジョーダン・ピールが受賞した。「スリー・ビルボード」ですら権力を持った者による弱者への差別を漂わせる映画で、その権力を体現して見せた演技でサム・ロックウェルは助演男優賞を獲得し、主演女優賞と分け合った。演技力に加えて社会性を帯びたそのキャラクターを世界が必用としていたと言えるだろう。

 歌曲賞を「リメンバー・ミー」で獲得して長編アニメーション賞も持っていった「ココ」こと「リメンバー・ミー」ですら、舞台がメキシコというトランプ大統領にとって壁をつくってでも遠ざけたい国であり、すでになじんでいる不法移民の子孫たちをそこに追い返そうとしている国だけれど、そんな国で育まれた文化と人間が育ちアメリカ中を喜ばせる映画を作って見せてくれた。ギレルモ・デル・トロ監督もメキシコから来て素晴らしい映画を作ったのだからどうして壁を作る必要がある? 追い返す必用がある? もっと融和して共に歩んでいくべきだっていったメッセージが、こうした受賞にはあるんじゃなかろーか。「メキシコ万歳」といった声が受賞者たちからたびたび聞かれたのも、トランプ大統領によって強まる圧力への抵抗であり、反攻への呼びかけだろう。

 これだけの抵抗と反攻に満ちたイベントでありながらも華やかできらびやかで楽しく嬉しいものに仕立て上げるハリウッドという場所の力もまた感じさせられた第90回アカデミー賞授賞式。スピーチが短ければジェットスキーをもらえるという煽りもそうしろという訳ではなく、少しの壁ではあっても最後に誰がもらうかなといったお楽しみの域で繰り広げられていた。そしてもらっていったのは……。乗るのかなああの歳で。「ブレードランナー2049」で無冠の帝王だったロジャー・ディーキンスがようやく受賞したのは良かったというか遅かったというか。あの映画で受賞がこれだけというのも寂しい話ではあるけれど、前の「ブレードランナー」なんて何ももわらずともカルトに今へと残る映画になったのだから構わないってことなのかも。ああ面白かった。

 新百合ヶ丘にある小田急ブックメイツ新百合ヶ丘店が店じまいってことで作家の人たちが大勢集まりその場でサインをしてくれるイベントがあったんでちょっとだけのぞく。村山早紀さんが来られていて「百貨の魔法」(ポプラ社)を買ってサインを頂き國學院大學での講演依頼のご無沙汰をわびる。そして「をとめ模様、スパイ日和」でボイルドエッグズ新人賞を獲得してデビューした徳永圭さんが「XY」以来の小説「カーネーション」(KADOKAWA)を出してたんでそれも購入してサインを頂く。もうボイルドエッグズは離れてしまったみたいだけれど、作家としてはKADOKAWAに続いていろいろなところから出すことが決まっているみたい。人情話も書ける人なんでそういうのが世に出てほろっとさせるような展開になれば嬉しいかなあ。知念実希人さんも来られていたけれども手持ち不如意にて遠慮。まあどこかでまたサイン会をしてくれるだろうからその時に。こんなにも大勢に愛された小田急ブックメイツ新百合ヶ丘店、幕引きは残念だけれど幸せの中に終えられて良かったかな。


【3月4日】 どこの言葉かと聞きつつアイヌとも思った瞬間もあったけれども実際は沖縄方言でそれもきわめてディープな言葉が延々と続いて言っていることの9割は分からなかったけれど、前半に同じパートがあった関係で言っている中身は何となく分かった「ポプテピピック」の第9話内「奇跡とダンスを。」のパート。どうして沖縄方言にしたのかを、監督が沖縄出身だからと理解することも可能だけれども何か含みを持たせて世間に挑戦し続けるアニメーションだとするならば、そこに沖縄が置かれ続けた環境と、今も置かれている状況を勘案して独自の言語と文化を育んで来た地域なんだと理解させ、だからこそ言いたいこともあるんだろうと感じてもらいたかったのかどうなのか。聞くのも野暮なんでそこは含みを感じたい。

 そんな「ポプテピピック」に続々と修了生を送り込んでいる東京藝術大学大学院アニメーション専攻でもとりわけストップモーションアニメーションを多く手掛けていた人たちの作品が見られるというので横浜へと出向いてFEI ART MUSEUM YOKOHAMAってところで始まった「ストップモーションアニミズムム展」へ。人の手で動かしたものには神が宿るとでもいった意味なのかもしれないけれど、それはCGという手法には神が宿らないかというとこれもまた難しい話で、一流のアニメーターたちが精査して吟味して動かしているディズニーやピクサーが繰り出してくる3DCGのキャラクターたちにはどれも魂がこもっているように見える。

 たつき監督が送り出した「けものフレンズ」のアニメーション版キャラクターもその表情、その仕草のどれをとってもそこにキャラクターが実在して生きているように感じられる。人の手が動かした人形でなくても動かし方と見せ方が避ければ神は宿ると言いたいけれど、それでもやっぱり人は物理的なマテリアルがそこにあり、それに人の手が触れて動かしたものにこそパッションが籠もるのだと思いたいものなのだろう。苦労や汗が価値になるといった考え方は、後でも書くけどアニメーションにはやっぱり根強い。それも一理あるし、無理もあるという分水嶺の中で価値あるアニメーションがあって、それがストップモーションアニメーションだったといった位置づけで今は考えるのが良いのかもしれない。

 ってことで「ストップモーションアニミズム展」では「ポプテピピック」でアース/ウインド&ファイアーばりにポプ子とピピ美を動かしたUchuPeopleの当麻一茂さんが修了作品として手掛けた「パモン」を久しぶりに見る。なるほどここまで狂気に溢れていたか。かわいらしいフエルトの人形の胸毛がコミュニケーションに重要だ、って設定もぶっ飛んでいたけれど、そこからラストのダンスシーンに頭が直結して楽しい話かと思っていたら、途中に狩猟のシーンとかあって捕まえてくびり殺して肉を剥いで食っていた。割と残酷な世界。それがポップでキッチュな造形で描かれラストにダンスシーンという破天荒さにきっと普通じゃないセンスを見たんだろう。結果生まれた「Let’s pop Together」ってことで。内面のカオスが実は出ていた作品だったのかもと改めて。

 なぜそう感じたかは横浜美術館で開かれた東京藝術大学大学院アニメーション専攻第9期修了制作展に関連したトークイベントで、横浜美術館のキュレーターの松永真太郎さんとアニメーション作家で教授でもある山村浩二さんが対談した中で松永さんが修了生の作品を見てまとまっているし面白いけど内面のカオスが出ているかとうとどうもといった話をしていた。描きたいものがありはらんだ狂気がありそれを滲ませ吐き出してこそ感じられるその凄み、ってものがあるなら修了生の作品にはなるほど見て傑作感はあったけれど、これやなんだといった驚きは少なかったような気がする。幸洋子さん「ズドラーストヴィチェ」なんてタイトルからして不明だし展開もぶっ飛んでたからなあ。もちろん修了生にも皆無じゃないけど、どちらかと言えば“いい話”が多かった。

 それは山村浩二さんも感じていたようで、「自分の内なる問題に関心が向きがち」といったコメントをしてた。それが良いか悪いかは両面があって迷うところではあるけれど、作品を持たせるリアリティをただただ自分の中にあるものだけに求めて、それを表出させることに汲々としてたら自分という枠組みから大きくは羽ばたけない。さらに奥底に眠る混沌をさらけだし、他人を驚かせ恐怖すらさせるような作品がもっと出てきて欲しいといったところなのかもしれない。最近、あんまり世界で活躍する新鋭が修了生から出てきてないのも気になるところではあるし。だったら一年次生はどうなんだろうということで、赤い服着て東京藝大院アニメーション専攻第九期修了制作展の見逃していた一年次作品・博士課程作品をさっと見る。

 清水はるかさん「A4 Microcosm」は修了生にもあまりなかった水江未来さんばりのノンナラティブでうごめくプランクトンめいた生物が増えていく。手描きなら凄い、という認識についてはトークイベントでも出たなあ。それは文化庁メディア芸術祭でボリス・ラベ「Rhizome」への授賞についてCGじゃなく手描きだと山村浩二さんが解説すると凄いと思われたという話で個人のアニメーション作品は制作過程の汗に価値があるか動くフォルムに意味があるかといった問われ方をするという話。「Rhizome」は仮にCGだとしてもその展開力が凄いと思うけど。だから清水はるかさん「A4 Microcosm」もA4が畳サイズまで広がりボリス・ラベばりの凄まじさを見せれば世界も納得する、かな?

 高木杏奈さん「いつもいっしょ」はクレイかなのストップモーションアニメーションで本好きゲーム好きの姉妹がそれぞれに象徴し合う対比が面白い。結局は似た者同士かも。 開發道子さん「潮騒にかえる」は海辺の街に現れた白いかたまりがうごめく話。実写とクレイの融合。佐々木恵理さん「わたしとあさみちゃんとベロベロおじさん」は小学生の女の子2人の小学生ならやりそうないたずらやむき出しの言動が子供の頃を思い出させる。絵本のようなイラストのような絵もなじむ。ちなみに僕の小学校時代の通学路には「ポイポイじじい」というのがポーイポーイと言いながら自転車でうろうろしてたのをいろいろ弄ってたっけ。思い返せば差別的で残酷だけど子供ってそれを普通にやってしまうのだ。怖いなあ。

 上映順序がズレるけど小学生ならではの感覚は前畑侑紀さん「わたしルール」にも出ていて白いところを踏まないと死ぬとか水たまりを飛び越えられないと母親が死ぬとかいった妙なこだわりに笑みつつ怯える自家撞着が子供っぽかった。絵柄も小学生っぽい単純さで気分を出していた。クリア音はゲーム的な。さて端池美鈴さん「七転び八起き七種目」は紙に鉛筆で描かれる日常が野球のスライディングやテニスのショットなどに変化する。その仕草スポーツっぽいねという思いが紙の上でビジュアル化され消され戻る流れが面白かった。山崎スヨさん「真珠草」は闇に浮かぶ女性にポール・デルヴォーをふと思い出した。雰囲気があって上手い人。

 平松悠さん「毎日は踊りたいことだらけ」はダンスの動きが上手くてセンスが良いなあと思った。ビームスとかユナイテッドアローズのCMにだって使えそうな。星夢乃さん「あしたから」は整った線のキャラが可愛い。しばたたかひろさん「くだもの」は少女の性徴の告白に諸々のビジョンが重なり見える。昨晩のテレビアニメーション「ダーリン・イン・ザ・フランキス」最新話で同衾していた男子と女子が妙に意識しあってそれが反目へと向かう“思春期”を描いてたっけ。深刻だけど通過点でもあるそれをコミカルに描きつつ現実をつきつけ半歩前へと歩ませた。そうはいかない性徴への不安と期待を見せたのが「くだもの」と言えるかも。

 村田香織さん「女友だち」は女性の日々が絵にしっかりまとまり普通に見られる。交換留学生のギネ−・アストリッド「Passengers of the night」も終電を逃し街を彷徨う女性の見た夜の街の喧騒がかっちり描かれていた。木山瑞嬉さんの「かえりみち」はもしかしたら一年次生で1番好きかも。太り禿げた父の背に負われた少女の前でその父親が…。いろいろと変幻して父親ってそう見えているんだと思わせる。増えて力士になって相撲を取ったり並んでなわとびを跳んだり。そのコミカルだけれど妙でもある展開に無邪気な妄想が垣間見えて面白かった。娘と父の関係にシュ・ゲンドウさん「コップの中の子牛」を思い出した。

 羅絲佳さん「Time Autobahn」はまっすぐ進んでいく両脇の変化が面白かった。博士課程のグアリン・ニコラス「The Missing Shoelace」は犬ばかり拾いすぎる彼女の優しさが炸裂して動けない野良犬をまた拾ったけど獣医から大怪我で治らないかもと突きつけられる。面倒見るにもお金も飼う場所もない。どうする? 突きつけられた選択に進んでもそれは仕方がない。でも彼と彼女の間は……。わかりきったことなのに、仕方がないことなのに気まずさが浮かび罪悪感も浮かびそれを押しつけ合う関係がちょっと寂しいグ。悪いのは彼?彼女?犬の動きが上手かった。といったあたりが東京藝大院アニメーション専攻修了制作展の一年次作品・博士課程作品。齊藤光平さん「箱の中の天使」まではたどり着けなかったよ廊下の奥で入るのがはばかられて。二年次生の修了制作までにここからどういった変化を見せるか、深化を見せるか今から楽しみ。清水さんのノンナラティブが貫かれるかも。


【3月3日】 神谷広志八段が持つ28連勝の記録を、棋士になったばかりの中学生が30年ぶりに塗り替えるという快挙があって漫画みたいな出来事が起こった上に、その中学生棋士が昇級によって五段になりさらに棋戦で優勝して史上最年少で六段になるという漫画ですら起こりえないことが起こってしまった2017年度の将棋の世界では、もはや何が起こっても驚かないと思っていたけどさすがに順位戦のA級で11人いる棋士のうち、6人が6勝4敗で並んでプレーオフに進出するなんて宇宙がひっくり返ったって起こらなさそうなことが起こってもう、これからは女性初のプロ棋士が誕生したってそれが外国から来た12歳の幼女だからって驚かないし、高校生に進学した藤井聡太六段がすべての棋戦に勝って八大タイトルを総なめにしたって普通普通となるかというと、さすがにこの2つはまだまだ実現しそうもないなあ。

 とはいえやっぱり6人がプレーオフというのは不思議である上に異常であって、普通は好不調の波の差から誰かがやっぱり1頭抜けてそれに追随する誰かがいるといったところ。その下で五分からちょい上で何人かが並んで不調の3人くらいから2人が頭ハネで降級するといった感じになる。三浦弘行九段に関するあれやこれやがあって11人が戦う変則になったところで、好不調の波は変わるはずもないし復帰してからあまり調子の出なかった三浦九段が、そのままA級に残れるとも思えずあとは何人かが落ち、上でに何人かが競り合う状況になるというのが普通の見方だったのに、3月2日の「将棋界の一番長い日」が終わってみたらこの有様。いったい何が起こったのか? 長年将棋を見ている観戦記者もそしてプロ棋士たちでも理由を考えるのは難しいような気がする。

 とはいえ研究が進む中で棋譜も新手もすぐさま共有化される中で棋力のハイレベルでの平準化が進んでいるのも実際で、それが理由にかつてのようにトップの幾人かでタイトルを分け合うようなことにはならず、せいぜいが2冠から3冠であとは違った人たちが持つような感じになっている。それがA級という場所でも起こっていて、星を取り合った結果として少し強かった6人が少し弱かった5人よりも上に出て並んだといったところかもしれない。逆に言うなら今回降級が決まった渡辺明棋王だって残れる目はあったし、その渡辺棋王を倒して5勝5敗で残った三浦九段ももうちょっと上に出られる可能性があったかもしれない。屋敷伸之九段と行方尚史九段もいずれ劣らぬ実力者だからここは勉強が足らなかったか、ちょとした好不調の波に逆らえなかったか、だろう。

 とはいえ三浦九段と渡辺棋王の対局に関しては、別に勉強の過多とか好不調の波とは関係なしに、当人達にも外野的にも燃える理由はあって、それは2016年度の竜王戦で当時の渡辺竜王に対する挑戦者に決まった三浦九段が、なぜかスマートフォンを使ったカンニングに疑いをかけられ棋戦への出場を辞退させられ、その後に潔白が証明されて復帰したという経緯があったこと。たとえ勘が働いたとしても、そして主催者と日本将棋連盟がそれを真に受けたとしても結果として無実の罪で1人の棋士をタイトル線の場から追い出し、棋士としての生命を奪いかけそして残留が決まったとはいえA級という対局料にも関わってくるポジションを失わせかけたことに対する責任は重大で、勘違いでしたと言って済む話でもない。

 そしてそのことに対する何かペナルティをおったかというと、責任は連盟が背負う形でタイトルは結果として羽生善治竜王に奪われたとはいえ棋戦には出てしっかり稼ぎ、そして罰金を祓いはせず出場停止にもされないままここまで来てしまった。これはやっぱり世間の納得も得られない処遇だっただけに、見る人の関心は三浦九段による勝利、そして渡辺棋王のA級からの陥落といった方向へと向かっただろう。そして結果、堂々たる終盤の的確な指し回しによって三浦九段が渡辺棋王を投了に追い込み勝利して残留を決め、渡辺棋王は敗れて降級が決まった。これもまたドラマであり漫画ですらなかなか設定巣づらいシチュエーション。そんなネタが1日でいったいどれだけ生まれたか。この1年でどれだけ生まれたか。使い回していけばフィクションも食うに困らなそうだけれど、逆に現実に追い越されたフィクションがさらなる驚異を設定するためにどれだけの無茶を働かせるかに注目する方がいいのかも。やっぱり盤上に家から持ってきた駒を打ち、そしてボウリングの球を叩きつけるしかないのかな。ないんだろうな。

 クラシックでもないのに徹頭徹尾、オール着座というちょっと変わったアニソン系の音楽イベント「Songful days 次元ヲ紡グ歌ノ記憶」が開かれたんで両国国技館へと行って、そして出演者のKalafina、May’n、茅原実里の3組が最後に並んで歌った「鳥の詩」に涙ぐむ。いわずとしれたLiaによる「AIR」の主題歌で、当方的にそれほど「AIR」に強い思い入れがあるわけではないにも関わらず、漏れ伝わってくる内容があり、テレビアニメ版が放送されたかそのパッケージが発売されるかで流れたCMでかかる楽曲への強烈な印象もあって、その象徴としての詞と旋律を当代随一の歌姫たちが順に、そして揃って歌うんだからたまらない。ああ、最高の時間だった。そこに鍵っ子がいたら号泣しただろうなあ。

 というかそもそもどういうイベントかよく知らず、Kalafinaが出るからとチケットを取って出かけた両国国技館では張り紙があってサイリウムとペンライトが禁止になていた。Kalafinaでは普通だけれとMay’nや茅原実里さんでもそうなのか、そうかもしれないけれどフェスにしては珍しいと中に入ってまず納得。そういやあこのイベント、両国国技館にある枡席でチケットを売っていた。あの四角くてペタンと座って土俵をながめる座席が音楽イベントであるにも関わらず引っ込められず、そのまま残してあることにひとつ意味があった。

 座って聞く。そもそもが枡席で立つなんて不可能な訳で(やれないことはないけど危ないし)、そうした形態を残して主催者がやりたかったのが、踊って飛び上がってペンライトを振ってコールをする喧噪と熱気にあふれつつどこかそうして騒ぐことが目的化してしまったアニソンのライブをその素晴らしい楽曲にもっと耳傾けさせて楽しんでもらおうといったもの。そのために会場をしつらえ雰囲気を作り枡席を売りそしてシンガーもアコースティックで歌ってしっかりとしっとりと聞かせる3組を選んだといった感じだろうか。

 そのトップバッターとして登場したMya’nさんは元よりシェリル・ノームの歌側としてアップテンポなロックを歌い聞かせてくれるシンガーで、「マクロスF」を離れてもダンサブルな楽曲を多く歌って会場を熱気でいっぱいにすることに長けている。そんなMay’nさんも時にアコースティックのライブを開いているそうで、そのアレンジをひっさげての登場たったのか聞かせる曲が「マクロスF」でもあったアップテンポな楽曲「ノーザンクロス」をバラードにし、また「いなり、こんこん、恋いろは」の主題歌「今日に恋色」をダンサブルな楽曲からスローなテンポに変えて歌って聞かせてくれた。

 この「今日に恋色」が実に良くって旋律になぜか涙が出てきた。もとより良い節回しの楽曲とは思っていたけど、それを改めてじっくり聞かせるテンポに落とし、かつバンドを使わずアコースティックなギターとピアノとストリングスを据えた感じにアレンジすれば耳に届くのは素晴らしい曲であり歌詞でありそして歌声。ノリノリで腕を振ることにめいっぱいになっているライブやフェスでは味わえない、ある意味でアニソンの曲的歌詞的歌声的な神髄に迫っていたかも知れない。だからそうか泣けたのか。「鳥の詩」でもそういうことが有ったのかも知れないなあ。

 そんなMay’nさんのあと、そしてKalafinaの前に登場することになった茅原実里さんはいったいどんな気持ちだったのかが少し知りたいところ。シンガーとしても凄いけれども相手は銀河の歌姫でもあるMay’nさんでそして最高のハーモニーを聴かせるKalafina。いくら上手いといっても声優シンガーという立脚点から何をどう聴かせても届かないかと思われるところを、ストリングスを激しく奏でさせることによってアップテンポを維持しつつ、粒の立った声で歌い観客を引き込む技を見せてくれた。

 アニメの番組とかフェストかで聞き慣れたテンポで激しさもあるけど奏でられるのはストリングスであり歌声。歓声とかコールといった“雑音”の廃された中に響く茅原実里さんの声によってその時間、ひとつの世界ができあがっていた。「境界の彼方」とか「ParadiseLost」なんかを聴かせてくれた。そしてKalafinaはもうKalafinaであって、アコースティックのライブも慣れたものだけれど、しっとりとして淡々と歌い上げることだって出来るのにちょい声音に演技を交えて激しさも出す感じがあって、どこか歌曲めいた雰囲気を感じさせてくれた。あるいはそうした方面、歌唱劇めいた方向へとこれから進出していっても良いかなあと思わせてくれた。活動がどうとか言われているけれど、トークで世界に刻んでいくとか話していたからまだまだやってくれるだろうし、やってくれないとファンとして困る。心底困る。

 この前の日本武道館での10周年ライブでは流れず、ここ最近やってなかった「映画 イヴの時間」のエンディング曲となっていた「I have a dreams」を久々に聴けて嬉しかったのと、あと珍しく「ソラノヲト」の主題歌「光の旋律」のアコースティックバージョンも聴かせてくれて、いつものアレンジとは違う新鮮さを味わわせてくれた。こういうのもできるんだ。オール着座でバラードばかりでは退屈してしまったかもしれない中を、スローでも声音に抑揚を混ぜたりすることで引きつける。さすがはKalafina。確実に成長しているしこれからも成長していくことだろう。

 そんな感じでラストを「ring youre bell」で締めくくってじっくり聴かせまくった後に飛び出した3組のコラボレーションが「鳥の詩」だった訳でこれは知らずとも泣くだろう。パッケージ化されるか分からないしそんな節もなさそうだっけど、だとしたら貴重な機会に居合わせた。オール着座でじっくり聞かせるアコースティックなアニソンライブという、かつてない試みは個人的には大成功で、改めてアニソンの凄さ素晴らしさ、アニソンシンガーの上手さを堪能できた。次があるかは分からないし出るメンバーがどうなるかも見えないけれど、またあったら「Songful days 次元ヲ紡グ歌ノ記憶」、また行こう。こんどは出演者全員で「メグメル」とか? そして「だんご大家族」? やっぱり号泣だ。


【3月2日】 告発状が出ていたいという週刊誌の報道を受けてすぐさまテレビのワイドショーとかが週刊誌の文脈そのままに週刊誌が撮影した映像も使って報じていて、もうこれは真っ黒だろうと世間に印象づけた女子レスリングのパワハラ騒動だけれど、総本山の日本レスリング協会は事実無根と良い当事者の強化本部長もそう思われたところがあるなら謝るけれどと言いつつ邪魔は否定し、告発の当事者とも見做されていた選手までもが告発状には関与していないとコメントをして、だったらいったい誰が告発をしたのか、どうしてそれを弁護士がまとめて提出したのかって状況になってどっちがどっちなんだといった感じ。

 なるほどそういう噂があったのなら取材陣も含めてレスリング関係者の間には周知のことで、それが週刊誌の報道を皮切りにして一気に噴出したんだといった見方もできるし、だからスポーツ新聞なんかも後追いをガンガンやったのかもしれないけれど、当事者側から関与していないとか否定とかが出て振り上げた拳をどこへと持っていったら良いのか状態。噂を感じていて追いかけたならそのまま行けば良いのに、週刊誌責任を負わせて逃げるのはやっぱり協会に対していい顔をしたいからなんだろうか。それとも実は何もなかったということなんだろうか。だとしたら追いかけたことがやっぱり拙い。いずれにしても主体性なく週刊誌報道を追いかけるだけになったワイドショーにスポーツ新聞。未来はなさそうだなあ、どちらも。

 一般紙だって似たようなものか。「バブル直前の日本にロボット、いやモビルスーツのブームをもたらしたのは1985年の『機動戦士Zガンダム』だった。79年に始まったZの付かない初代は“序章”的位置付けで、『Z』から、今に連なるロボットアニメ、ガンプラブームやアニソンブームが始まったと言っていい、エポックメークな存在である」。毎日新聞で音楽業界を取材している偉い記者さんの記事だけれど、内容的にまるでポン酢でさっそくフルボッコに合っている。もともとが「Z」で主題歌の「水の星へ愛をこめて」を歌ってデビューした森口博子さんへのインタビューを中心にした記事だけれど、森口さんを持ち上げようとして「Z」を特別視しようとしている感じがありあり。でもそれで歴史までねじ曲げられてはたまらない。

 ガンプラブームは1980年の発売時からすでにあって、売り場に人が殺到してどんちゃかする現象が起こったし、ロボットアニメブームの始まりに「Z」を位置づけるとかなんだそりゃ的な話。“序章”のガンダムですら幾つかのロボットアニメから生まれたもので、ある意味で飽和したブームの中で新しいものをと生まれたもの。なおかつこれを受けて「超時空要塞マクロス」だとか「宇宙戦士バルディオス」だとか「戦国魔神ゴーショーグン」だとか「伝説巨神イデオン」だとか「銀河漂流バイファム」だとかいろいろ作られた。

 「太陽の牙ダグラム」とか「装甲騎兵ボトムズ」といったリアルロボット路線も立ち上がり、「銀河旋風ブライガー」から始まるJ9」シリーズだって動いてた。もちろんタツノコも。そんな流れに乗っかり「戦闘メカザブングル」や「聖戦士ダンバイン」や「重戦機エルガイム」を出したものの当てられなかったバンダイが、やっぱりガンダムだってことで「Z」を出してきたのがだいたいの流れ。そしてそれがロボットアニメを変えたということはない。ガンダムというタイトルをエターナルにしたといったくらい。そんな認識だろう。アニソンブームの始まりというのはもっと違う。 それならヤマトのささきいさおさんとか過去に遡ればいくらだって始まりはある。少なくとも「Z」でアニソンブームが始まったとは言えないだろー。

 「『時をこえても歌手でありたい。あ、ときは“刻”って書いてください』。テレビ版のエンディングで『君は、刻の涙を見る』というフレーズが毎週流れていたことを、ちゃんと知っているのだ」って書くけどナレーションの「とき」が「刻」だなんて気づいた人は当時どれだけいたか。むしろ文字としては鮎川麻弥さんが歌った第1期の主題歌「Ζ・刻をこえて」の方が前に出ていたんじゃなかろーか。まあ自分の強烈な思い込みからこれを推したいと時系列をごっちゃにして自分ムーブメントを全体のムーブメントにすり替えることは割とあるし僕もときどき突っ走る。でもこういう取材対象を“接待”するようにして歴史をテキトーされるのはやっぱりどうにもウザいと思うのだった。森口さんも良い迷惑だろうなあ。やれやれだ。

 CP+に行く通り道の横浜美術館で東京藝術大学大学院アニメーション専攻修了制作展の第9期終了作品をザッと見る。まず浅野陽子さんの「花とラルバ:はストップモーションアニメーションで学生の日常と虫との交流を描いた優しい雰囲気に見せて、隕石が落下し怪獣が現れ命の選択を迫られる中で同調圧力の痛みに突き刺される。自分だったらどうしたか。やっぱり同調圧力に押されたか。迷う中で見えた幻想の美少女が儚くて泣けた。バス停や教室の造形が見事。

 今津良樹さん「モフモフィクション」は世界に満ちるモフモフ動物たちをナレーションで紹介していくニュース風アニメーション。キリンだけどモフモフだからアルパカみたいでイヌは膨らみ毛玉になる。トカゲもモフモフでノミまでモフモフでそれが部屋中に広がるとかゾッとするけど健康には良いらしい。絵で描かれるアニメーションだけれど色指定がとても上手い気がした。そして戸嶋優多さん「ナマハゲのお盆帰り」は3DCG作品で実家に現れる眼鏡の女子が可愛いんだけれど、物語はとてもシビア。実家に置いた父親が健忘なのかメモ代わりに付箋を貼りまくる、その行為が付箋で覆われたナマハゲとなって現れ幼い少女に1枚1枚と手渡す。

 そして顕現する未来のビジョンは実は過去のビジョンで、幼い少女と伏せる父親が暮らす寂しい家がくるりと転換して、付箋だらけのからっぽの家になる。故郷を置き家族を置いて都会に出る子に葛藤と慚愧を思わせる。実は似たような作品として櫻田純菜さん「おばあちゃんのマッチ箱」もあって、こちらは写真家になりたいと都会に出た娘が帰郷して元気だった祖母の今を見る。それはとても寂しげで痛ましいけれど、だからといって若者は都会に出るなとも言えない。過疎化する田舎、高齢化するひとり暮らしの問題を実写と紙への作画、ガラス板への作画といったさまざまな手法で描いていったアニメーション。そのマッチ箱に入っていたモノに心がズキン。故郷に帰ろうかなあ。

 小光さん「Wander in Wonder」はグラフィカルな草木を平面に描き重ねるようにして動かすアニメーション。グラフィック的にキレイで全体に上手い。インタラクティブ作品らしく展示コーナーにはiPadが置いてあった。試してみると良いかも。そして関口和紀さん『性格変更スクール』は、これも青春の葛藤が感じられるアニメーション。運動が出来て勉強も出来る同級生を横目に泳げば遅くレジを打てば客を溜める少女が広告を見て性格変更スクールに行きなりたい自分を告げるとその先にとんでもない自体が待っていた。

 なれて嬉しい? でもそれは自分じゃない。だったら消えたい? でも自分にだって良いところはあると思いたい。そんな葛藤。今や「ポプテピピック」に作品を寄せて世界に名も知られてるんじゃないかの関口和希さんが、『死ぬほどつまらない映画』のシュールな状況劇に寄せつつ自意識過剰な少女の迷いと悩みを描いた。ラストはハッピーエンドなのかそれとも。かわいい絵柄で割と残酷な展開のギャップが良い。佐々木茉結さん「light of tenptation」は博物誌の草木めいたものが平面に描かれ重なり合い動きながら紋様めいたものを見せるというイメージ性が強い作品。時折顔のような形になるのは気のせいか。

 渡辺栞さん『忘れ たまり』は雪に埋まった引き出しを順に掘り出し開くと蘇る様々な記憶。それが。紙への作画によるアニメーションで描かれ引き出しを掘るストップモーションアニメーションとミクスされ行為と想像の対比を感じさせる。雪に埋もれたタンスはちゃんと造形してあって展示してあるのでこんなに掘ったのかと驚こう。そして福地明乃さん『たいふう14ごう』。もうとてつもなく素晴らしい。これも絵本を動かしているようなアニメーションで舞台は沖縄、来たる台風に備え買い出しに行く姉とまだ幼い妹が、家に戻って停電の中、台風の目について話し風雨が収まった隙に海辺に台風の目を見に行くという物語性がある。そして舞台の沖縄感が風景や暮らしに出てる。あと画面構成が抜群に上手くて、1枚絵の中にその時々の情景、光景、関係なんかをしっかり見せててくれる。

 最高なのが髪の長い姉が背の低い少女に上から顔を差し出す場面。ワッと来るその構図が何度かって楽しいし2人の仲の良さを感じさせてくれる。今回見るべき作品と断言したい。谷耀介さんの「怪獣神話」は中国風神話的構図から始まりやがて生命のスープ的な中から生命が生まれ進化し淘汰されるような展開があった果てに巨大な生き物が殴り合い蹴り合っているアクションへと行き大逆転のドラマがあってと展開がカオスだけれどバトルシーンの迫力は兎に角圧巻。声も狂言的で良い。森永大貴さん「あかばし落ちた」は熊本地震で土砂崩れとともに流され阿蘇大橋のビジョンが重なる作品。人を多く渡しながらも嫌われこそすれ喜ばれてはいない赤い橋が落ちる。そこにある当たり前の存在が消えてしまった時に浮かぶ感情について考えた。月見うどんか何かは美味しそうだった。あれは立体造形? 作り方が気になった。

 子安のぞみさん「Take Me Home」は骨組みだけになった家から過去、振り返られる静謐な日常が幸福そうで今の骨組みだけの状況から浮かぶ悲劇めいたものにぎょっとした。そう言う解釈が正しいかは不明だけれどベッドで目を覚ます子供の階下で鳴る暴力的な音にやっぱりドキッとさせられる。キャラが可愛い。山下理紗さん「螺旋のクオリア」は3DCGなんだろうけどレンダリング途中めいて見える荒れたモデルが動く中、ロボットめいたキャラがいて美少女めいたキャラもいてサイバーでクールなビジョンを見せてくれる。ふと「ブラックロックシューター」の雰囲気を思い出した。もしかしたらVR作品なんだろうか。

 佐藤華音さん「あの地」は古い住宅の階段を上がり廊下を行く舞台設定の造形とそして光の具合がとても良くてリアルさを感じさせた。3つの窓が開いた部屋もそこに流れる風船やボールの動かし方が良かった。これもストップモーションアニメーション。端木俊?さん「ライオンナニーの旅」は色の重ねで描く作品。たぶん電車の中にいるあれは少女か誰かが周囲を観察する、その諸々が水彩のようなタッチで淡く塗られた絵でもって表現される。果てしない作画によって描かれる揺れて動く世界という、学生が作るアニメーションらしさを1番感じさせてくれた気がした。

 ?『あたしだけをみて』でアニメーションに関するさまざまな賞を受賞した見里朝希さんの新作「マイリトルゴート」も登場していて、ストップモーションアニメーションの凄さを改めて感じさせてくれた。1年次作品の「Candy.zip」ではテーマ性ストーリー性に合わせて素材をキャンディーっぽいものに変えたけど、羊毛フエルトに戻り動きも表情も豊かなキャタクターたちを造形。それで描かれる物語が凄まじい。腹を切り裂かれ狼から取り出される羊の子達は消化されかかってボロボロに。なおかつ最初に食べられた1匹は……。諦められず探す母親にって連れて来られたのは羊の衣装を被った人間の少年で、戸惑い恐れつつ羊のきょうだいたちと対峙する。

 怯えて逃げ出したくなる少年。そこに現れた少年の父親は優しげでけれど実は……。そんな「マイリトルゴート」から浮かぶのは児童虐待の光景だ。グチャグチャになりかけた羊の子たちを寓話の羊と見て、紛れ込んだ人の子との違和、けれども悲惨な人間界よりマシな家族愛ある羊の家庭とみても良さそうだし、ネグレクトされた子たちのシェルターと見ることもできそう。重なるイメージから様々なメッセージを読みたい。羊毛フエルトの素材も羊っぽさを出しててあと表情の自在さ、グロテスクな変形のやりやすさを勘案するならピッタリの素材な気がした。これもいっぱい賞を取りそう。

 そんな東京藝大院アニメーション専攻修了制作展。これは「ポプテピピック」に使えそうと思う作品もあるかなあ。それは見てのお楽しみ。物語性から個人的に気に入ったのは福地明乃さん「たいふう14ごう」と見里朝希さん「マイリトルゴート」。心に刺さったのは置き去りにした実家を思い出させる戸嶋優多さん「ナマハゲのお盆帰り」と櫻田純菜さん「おばあちゃんのマッチ箱」。笑えるのが今津良樹さん「モフモフィクションか。これはそんまま種類を増やして商業へと持って行けそう。「へんないきもの」的な絵本の展開もありそうだし。


【3月1日】 2020年東京オリンピック/パラリンピックのマスコットが決定したとの報を見て、パラリンピックの方が「鉄拳」の三島平八みたいだと思って平八の髪をピンクに染めて頬にピンクの毛を生やし、腕をピンク色に塗って目の周りにピンクのシャドーを入れたら可愛くなったかというと、やっぱり三島平八だったという、そんな夢は見たくない。決定した(ア)案を提供したのが福岡県に在住のキャラクターデザイナー、谷口亮さんだと明らかにされて、デザインフェスタとかクリエイターEXPOとかですれ違ったことがあるかなあとも思ったけれど、調べるのは不可能なので今後は気にしていこう。

 とはいえこうしてオリンピックのマスコットなんてデザインしたんだからお金ガッポリで展示会に出て自分をアピールする必用なんてないかというと、賞金が100万円出るだけで権利は全部持って行かれるといった話。そういう条件での公募であるし、そもそもが公共のキャラクターを募るんだから個人に権利がいってしまっては拙いといった考えももちろん分かるけれど、それこそ世界中にキャラクターが出て行っても1銭にもならないというのは何か釈然としない思いを抱く人もクリエイターなんかには多そう。その規模から考えるなら、やっぱりいくらかのインセンティブを用意してあげても良いような気もしないでもない。

 ただそうなると動く金銭も莫大になるんで候補が挙がった段階、いやそれ以前でいろいろ画策することも起こりえるから描きっ切りの売り切りというのもひとつの手で、以後はその実績をひっさげて多くの仕事をとってもらえば良いんじゃないかって話になる。というかすでにテレビ番組のマスコットとかジャパンエキスポが海外で開かれた時のキャラクターとかデザインをして実績も持っている人だから、さらに加速していくことはありそう。ただ五輪みたいなキャラとして依頼されると範囲も狭まり発想が細る可能性もある。クリエイター紹介サイトに登録してある絵をみると、ファンタスティックなキャラクターも描けるみたいだしそうした方面でも使ってあげるようなところが出てきて欲しいかも。あとは絵本とか。それによって100万円で回らないお寿司を食べきった後の谷口亮さんの家系を支えて差し上げて下さいな。

 ガンダムとシャアザクで戦う「戦場の絆」のVRを作ったと思ったら、「新世紀エヴァンゲリオン」のVRを改善して4人で戦う仕様にしたりと日々進化し続けているバンダイナムコエンターテインメントのVR ZONE SHINJUKUにまたしても新たなVRアクティビティが登場するってことで見物に行く。そのなも「大量破壊VRシューティング ギャラガフィーバー」は昔懐かしいアーケードゲームの「ギャラガ」を3D空間に再現したのと同時にVR化。攻めてくるギャラガを相手に高さ150メートルもの場所から戦うといった設定で、ビデオゲームのキャラクターが実体化した映画「ピクセル」の世界に入り込んだような気分になれる。

 なおかつ攻めてくるギャラガの数が半端ではない。約3000。もう目の前を埋め尽くすようにギャラガたちが群れとなって迫ってくるからそれを手にした銃で撃って倒していかなくてはならない。とても追いつかないと思われそうだけれど、ハンドガンからガトリングガン、そしてレーザービームにロケットランチャーと進化していくからその都度、敵に対して適切に使って倒していける。とはいえ油断をすると足下をすくわれエレベーターを倒されるから注意が必要。そして巨大なギャラが放ってくるビームを食らうとそこでゲーム終了になってしまうから、これもしっかりと避ける必用がある。そんなスリルと肉体的な動作が、足下の振動とも相まって相当に体力を削ってくるから、プレイが終わってVRヘッドマウントディスプレイを外すと脚がガクガクになっている。虚構が現実を侵食するVRならではの効果とも言えるかも。

 足下が振動する上に向こう側から風が吹いてくるVRアクティビティというと主当たるのが同じVR ZONE SHINJUKUにあった「ドラゴンボールVR 秘伝かめはめ波」だけどそれもそのはず、筐体は同じでそこに「ギャラガフィーバー」という新しいVRを乗せてまったく違った体験を得られるようにしてある。同じ振動でも「ドラゴンボール」はかめはめ波を打つ際に気を溜めた時の振動で、「ギャラガフィーバー」はエレベーターが上下動したり敵が攻撃してきた時の衝撃。同じ振動でもシチュエーションが変わればまるで違ったものとして受け止める人間の脳の面白さってものが感じられる。風もかめはめ波ではなく上空に吹く風。それだけで場所が闘技場から空の上なる。面白い。

 難しいかというと撃っていればちゃんとギャラガは倒せるし、放ってくるビームも高速ではないから見ていればしっかり避けられる。2人1組でやるゲームで自分が当たってゲーム終了になったら申し訳ないという緊張感もあるけれど、それもまたスリルになって面白さを押し上げているから仕方がない。ラストに登場する巨大なギャラガとの戦いでは、ロケット弾を放ってギャラガの口に放り込まなくてはならず、これがまたそれなりの照準を必用とされるから落ち着いて狙おう。それさえクリアできればどこかで見たことがある黄色い丸い奴を撃退して殲滅完了。ほどよい疲労感とともに格別の爽快感を得られるだろう。回転も速そうで試してみる人も多そう。とりわけ女性に売りたいみたいなんで「ギャラガ」なんて知らない女子は行って試してみてはいかが。カップルで行ってゲーム終了後にガクガクとなってる震える彼女を支えてあげるとか? でも自分がやられて莫迦にされるリスクと裏腹だから気をつけて。

 「ぼくの名前はズッキーニ」のトーク付きイベントを諦めて行った「塩山紀生 サンライズ原画展」だったけど、ほかに書いている媒体がないところを見るとどこも行ってなかったのかもしれない。サンライズから案内が回っていたと思うのだけれど、今どきの媒体では塩山紀生さんといってももうピンと来ないのかなあ。行けば高橋良輔さん富野由悠之さんのツーショットというなかなかにグッとくるシーンも見られたのに。上映室で座っていた良輔さんのそばをフッと富野さんが横切り、おおと気づいた良輔さんが部屋から出た富野さんを読んできて何か書こうよと誘ったものの、隣で立派な絵が描かれていてその横に何を書けばと言う富野さんにサインで良いんだよと話す良輔さん。ならと書いたのが「嫌だけど来たぞ」という言葉だった。

 「嫌だけど」って多分に誤解も招きそうな富野さんの言葉は、一方で露悪的な態度を時としてみせる富野さんらしさも感じられて面白いなあと思った。その正しい解釈は僕も分からないけれど、驚きの訃報から1年が経って今も思いは複雑だけど、それでも言葉を贈るのならと葛藤や困惑をにじませ逝ってしまった塩山さんに言葉をかけた、ってところだろうか。そんな富野さんに書いてもらえて塩山さん良かったねと添える良輔さん。2人とそして塩山さんも交えた関係性と歴史を垣間見たような気がしたのでありました。上映会場では「太陽の牙ダグラム」の25周年記念ボックスに入っている座談で、良輔さんと塩山さん、そして脚本家の星山博之さんが出演。最高齢の良輔さんを残して星山さんも塩山さんも行く逆命が、あるいは富野さんを憤らせているのかもしれないなあ。みなさん健康と安全に気をつけて長生きを。

 東宝に片足を残したままで別会社を作ってそこで企画やプロデュースをやりますよ、そして自由に仕事をしますよと言ったところで、どこまで東宝から離れて自由な企画を作れるかって疑問があり、また兼ねになりそうな企画は基本的に東宝へと持っていくんで、それ以外のところに持ち込まれる企画は東宝が蹴っ飛ばしたものなんじゃないかっていった不安も浮かんだりしないのかなあと、東宝でアニメ事業を牽引してきた古澤佳寛さんと河村元気さんがSTORYって新会社を作ったことに思ったり。かといって完全に独立したプロデュース会社ではやっぱり資金とか配給の面で信頼が置かれないなら潔く、東宝の別働隊として動いてますよといった態度で世間に臨むのが良いのかも知れない。とはいえ過去、WOWOWで大ヒットを飛ばしていた仙頭武則さんが出資を受けてサンセントシネマワークスって会社を作ったけれど、あまり成功しなかったからなあ。本体からすれば外に出た人、籍はあってもどうぞ勝手にってなり、かといって余所からはあっちの人でしょと思われる宙ぶらりんにならないことを期待しよう。


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