縮刷版2018年11月下旬号


【11月30日】 朝も早くから起き出して東京コミコン2018へ。スタン・リーが亡くなられてもう来ず、スティーブ・ウォズニアックも来ないからどうしようかと思ったけれども「ウルトラマンR/B」の劇場版の発表があるんでやっぱり行っておくかと朝の7時に家を出て、7時45分くらいに着いたらだいたいメディアで6番目くらいでオープニングの最前列センター付近に座れそうだったんでそのままそっちも見物。あの「マーフィ巡査」こと「ロボコップ」のピーター・ウェラーが来日をして登場したけど、声は磯部勉さんではなくってご高齢な方になっていた。でも顔は渋くて今でもロボコップになれそう。続編の噂もあるし出演とかするのかな。しないよなあ、「ブレードランナー」でもハリソン・フォードはおじいちゃんになってたし。

 そんなピーター・ウェラーよりもトム・ヒドルストンに萌え萌えだったみたいなしょこたんこと中川翔子さん。東京コミコン2018ではアンバサダーに任命されて、持てる映画とか漫画とかアニメーションとかの興味と知識を活かして目一杯に宣伝することになっていたけど、オープニングに登壇をしたきら星の如くなスターたちに顎ががくがくになって涙も出てきてまつげも全部とんだらしい。とぶものなのか? まあでも本当に憧れだった人に出会えれば人間、泣くだろうなあ。同じステージにはあの偉大なる王、バーフバリことラーナー・ダッグバーティさんも登壇していてしょこたんの真後ろにいたりして、そりゃあ誰だってその偉大さを感じて泣くだろう。讃えたくなるあろう。そういうものだ人間は。

 鏡開きのような形式的なイベントはなく政治家だとかの挨拶も短くゲストのスターをいっぱい見せてたオープニングはいかにもアメリカのイベントらしい。ついでにやってくるプレスもアメリカらしいのか朝から並んで順番をとって最前列に座ったその前に割り込んできては写真を撮り始めるんで後ろから引っ張って頭を下げさせたけれど、気にせず撮り続けるのが根性って奴なんだろうなあ。でもそこはやっぱりルールを守れ。オープニング以外ではマーベルのコーナーにあったキネクトをつかって取り込まれた自分がアイアンマンのアーマーをまとった姿になって、そして自分が手を突き出すとモニターの中のアイアンマンアーマーをまとった自分も動いてビームを繰り出すアトラクションが、シンプルだけれど没入感があって面白かった。本当に自分からビームが出ている気がするから。精度が高いんだろうなあ。

 展示では実物大のバンブルビーが来ていて着ぐるみのバンブルビーも歩いていてなかなか格好良かったけれど、実物大なら「THE NEXT GENERATION パトレイバー」の上映時に作られた実物大のパトレイバーがやって来ていて、時々デッキアップもされていてその巨大さは東京コミコンでもナンバーワン。実物大のゴジラでも来なければこれは越せない偉業を見せていた。ゴジラも来るみたいだけれど大きさは実物大ではないだろうからパトレイバーの勝ちってことで。あと気になったのはスタン・リーさんを偲ぶコーナーと、それからドイツのアパレルでスター・ウォーズとかマーベルの世界をクールに取り入れたウエアを作っているマスターブランドかなあ。

 パッと見は本当に普通のスタイリッシュなブルゾンとかなんだけれど、裏地がとっても派手だったりするのだった。Tシャツは普通にプリントだけれどそのセンスも抜群。コスパとかがオタクに寄っているならこっちはクールに寄るぜといった割り切り方。色とかマーベルだともっと赤くなるところを、抑えてシックにしつつ衣装はマーベルといった残し方で、そういうのをちゃんと認めてくれる権利元の割り切りにも感嘆する。ミッフィーとかだと色は絶対守らなくちゃいけないっぽいから。一方でスター・ウォーズとかマーベルをかわいい系のバッグにするラウンジフライも今年も来ていて、マーベル的だったりスター・ウォーズ的だったりする衣装をしっかりバッグとかに取り入れていた。ここも凄いなあ。どうして日本でこういうデザインが出来ないんだろう。それはやっぱりキャラクターグッズ的なものを欲しがる国民性だからかなあ。「A MAN of ULTRA」なんかがもうちょっと頑張って欲しいなあ。

 そして「ウルトラマンR/B」の劇場版の発表を見て、新たに登場するウルトラマントレギアってののツンとした感じにちょっと惹かれる。歩き方も気取ってたしポージングもしょってる感じ。いったい誰で何がどうなるんだろう。映画を観たくなった。そんな映画の主題歌はOxTではなくってつるの剛士さんが歌うみたい。言わずと知れた「ウルトラマンダイナ」のアスカ・シン役の人だけれど、歌も唄って巧い人だからここはファンには嬉しいかも。そんなダイナとそれから「ウルトラマンティガ」「ウルトラマンガイア」が並ぶ平成三部作を再び盛り上げようとするプロジェクト「TDG」もスタート。具体的には何をするって決まった感じじゃないけれど、こうしたイベントにガイアとダイナだけじゃなく、ティガの人も出て欲しいなあ。無理かなあ。長野博さんだものなあ。凄い早くだったんだなあ、当時。

 そんな中でも本は読む。これは異世界転生俺TUEEEEを異星墜落科学TUEEEEに変えてリアルを感じさせつつ半ば無双の楽しさを感じさせて読ませようとした本かなあ。ファミ通文庫の大判として出たっぽい伊藤暖彦さんの「宇宙軍士官、冒険者になる」(エンターブレイン、1200円)は、宇宙を航行する戦艦に乗っていてコールドスリープから目覚めたタイミングで起こった事故で、アラン・コリントという士官だけが助かってその身一つで近隣にあった呼吸可能な星へと不時着する。士官は胎内に軍事用のナノマシンを持っていて、コンピュータ的な機能を持ったそのナノマシンからさまざまな知識も得て健康管理も受けながら、未知の星を生き抜いていく。

 目に見える草とかが食用か否かをナノマシンが示唆してくれるのはなかなか便利。元より興味があった調理は本とかで覚えた知識で行うし、持ってきた武器も使えばそれなりに猟もできる。ただその星には生物がいてなおかつ人間と同じ遺伝子を持って文明を育んでいたりしたから、ただサバイバルするだけでは収まらなかった。目に入ったところで獣に襲われている一群がいて、かけつけて助けようとしたものの助かったのは少女がひとりだけ。それも腕と脚を食いちぎられてて瀕死の重傷だったところを、ナノマシンを含ませ治療を行い助けては、その少女から言葉を覚え星のことを学ぶ。

 クレリアという名の少女は実はとある王国の王女で、反乱に遭い父王ほかが処刑される中、助力を求めて旅する途中だったとか。彼女が繰り出す魔法をアランはナノマシンの力で解析し、力の変動などを覚えて自らも使えるようになったりしたからクレリアも驚いた。その意味では異世界転生に割とあるチートな設定ではあるけれど、科学という理屈があってまだ納得し訳す、また敵が幾万とかあったら勝てないあたりは決して無双ではない。だから慌てず追っ手をさばきつつ仲間を増やし金を稼いで生き抜こうとする。四面楚歌な王女がすぐに国を奪還するのも難しい中、冒険者として登録したアランとクレリアと彼女の知り合いらしい少女の3人が繰り広げる冒険が、どこに向かうかが今は楽しみ。魔法と科学がさらに折り合いを見せて無敵となるか?


【11月29日】 何歳かしらないけれども元新聞記者のジャーナリストという人が、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観て1980年代の存命だったクイーンの音楽は大向こうねらいに聞こえてダメで、フレディ・マーキュリーについても爬虫類みたいだったけれど、すべては感動して感涙したこの映画の伏線だったと思うに至ったらしい。勘弁してくれ。あのクイーンが映画という表現方法によって丸められ、磨き上げられ、飾られ彩られ箱詰めされて大宣伝された映画なんかの伏線であるものか。当時にホンモノを見極められなかった目を恥じ耳を悔やんで懺悔するならまだしも、映画を主にとらえるような物言いはどうにもこうにも腹が立つ。

 映画を観て泣いたっていうけど、そこに描かれたクイーンはあなたが嫌ったクイーンではない。あくまで映画の中のキャストたちだ。そこをまず身に問い本当のクイーンを改めて観て感じて欲しい。映画を伏線にして原点に回帰して欲しい。そしてこれから生まれる諸々を、爬虫類に見えようと大向こうを狙ったように感じようと、厭わずにその奥にある何かを見極めて欲しい。ビジュアル系でもパンクでもアニソンでもアイドルでも何でも、そこに今、存在している意味は絶対にあるのだから。なんて言っても届くものでもない。フィクションを時にホンモノと感じて記憶を美化してしまうことは多分、自分にもあるだろうから、そうはならないように己への戒めとしよう。

 昨日あたりからザワついていた話が朝になって広がり始めて、月蝕歌劇団を主宰する高取英さんが亡くなったらしいと言われ始めて、つい先日には京都精華大で講演を行い、Twitterだって順調に更新されているのに、どうしてそんな話が出るんだろうかと思いつつ、いつかの大杉漣さんだってロケ先で収録を終えた夜に急に心臓が悪くなって亡くなられてしまった訳で、年配の方にそうしたことも起こりえるかもと考え直していたら、やっぱりどうやら虚血性心疾患で亡くなってしまったらしい。寒くなるといろいろと血行にも影響が出て、そこに元よりの体調が加わると一気に行ってしまうものなのだろう。なにか前兆はなかったのか。あったら救えたかもしれないのにと今になって言ってももう遅い。せめて多くの人が同じ様な道を辿らないよう他山の石とするしかない。

 しかしやっぱり勿体ない高取英さんの急逝。藤原カムイさんが漫画を描いていたことから「聖ミカエラ学園漂流記」のことは知っていて、アニメーション版のレーザーディスクも確か買った記憶があるけれど、その後に演劇も観るようになって月蝕歌劇団の舞台に何度か足を運んだ。寺山修司さんの流れを汲んでアングラ演劇を続ける人たちの中にあって、少女たちをメインに押し出し漫画なんかとのコラボレーションも行って、暗黒の宝塚でありながらもどこかポップな雰囲気も醸し出しつつ、アングラからサブカルチャー方面へと抜け出して、そこで多くのファンを掴んでいったのが月蝕歌劇団だった。

 僕が初めて観たのは、取材先の企業になぜか勤めていた人が月蝕歌劇団の制作をやっててその伝手でチケットをもらい言った竹宮恵子さん原作の「疾風のまつりごと」。和風な世界で繰り広げられるファンタスティックな物語を少女たち(年齢不問)が演じてシンミリとした気にさせてくれた。以後、いくつかの月蝕歌劇団の公演をのぞいては「少女革命ウテナ」だったり「新撰組 in 1944 −ナチス少年合唱団−」だったりを観たような記憶がある。成宮観音だった三坂知絵子さんが加わって出演するようになってからも何本か観て、その究極として本多劇場で行われた「花と蛇」を観たのがもしかしたら月蝕歌劇団に行った最後くらいかもしれない。

 演劇の殿堂ともいえるあの空間を2次元どころか3次元的に空中まで使って、人を吊り下げ弄りながら回すという凄まじい演出に打ちのめされたっけ。写真誌のFRIDAYにも紹介されたその舞台をもってある種、ピークを迎えた感じすらしたけれども月蝕歌劇団はそこでもちろん終わらず、今なお公演を続けてすぐ12月にも「ドグラ・マグラ」などを控えていた矢先の訃報。今後果たしてどうなるか。続くのかといった不安も浮かぶ一方で、支えたJ.A.シーザーさんも含めた周囲や役者たちが何か考え、動いてくれると信じたい。そうなればなったで微力を尽くす気構えはあるから、まずは偉大な戯曲家にしえ演劇人の死を悼み、これまで見せてくれた世界に感謝しつつ黙祷しよう。有り難うございました。

 訃報といえばコラムニストの勝谷誠彦さんも亡くなったようで、さるさる日記に過激なことを書いては喝采を浴びていたあたりは、今のネトウヨと呼ばれる人たちの立身出世ぶりに重なるところもあるけれど、時に小沢一郎党首が率いた自由党から民進党あたりを応援し、民主党による政権奪取あたりへとつながる道に貢献したところもあって、単純に今の与党というより安倍ちゃんのみを応援する人たちとは違ったスタンスを感じさせてくれた。とはいえ、南京事件とかでは歴史修正主義的な言動もだんだんと出てくるようになって、それが災いしてか首都圏のテレビからは消え、関西からもいなくなった先にアルコール依存症が強く出たみたいで、体を壊して入院もした果てに死去。退院してもなお飲み再入院しても飲んでいたならもうこれは処置無しで同情の余地もないんだれど、そうなるまでに道を改める機会を周囲として与えられなかったものか。そこが残念で仕方が無い。

 とはいえ、マルコ・ポーロの廃刊事件で花田紀凱編集長が文藝春秋社を退社したのに同調して文春を離れたらしい信条で、ずっと花田編集長についていこうとしても朝日に行ったりKADOKAWAに寄ったりしつつ、ネトウヨ御用達の嫌韓嫌中反朝日にして安倍ちゃん大好きメディアのトップに収まり日々、不穏な情報をバラまいている中に自らを浸して染まり翼賛の片棒を担ぐのを、もしかしたら潔しと思わなかったのかもしれない。少女漫画研究会で活動していたというポップさは、排外主義的で差別主義的な今の花田編集長のスタンスとは相容れない気もするし。それで仕事が減って孤独になって心を痛めて酒に逃げ、溺れて身を崩すならそれも本望? 今の世にその筆が何を討ち何を擁護していたのか知らないけれど、活動できる場はいつか巡ってきただろう。それを待たずしての訃報。こちらもまた残念だと言っておこう。

 「大迫半端ないって」がYahoo!検索大賞2018の流行語部門を獲得して「『大迫半端ないって』半端ないって」と誰か言ったかどうか。もはや記憶の彼方に飛んでしまったけれども6月から7月にかけてロシアで開かれたワールドカップで大迫勇也選手が大活躍して、かつて高校選手権時代に誰かが放った言葉が再びクローズアップされて検索数を伸ばしたらしい。でもそこで大迫選手がどんな活躍をしたかも既に記憶の底で、率いていたのが西野朗監督だったことすら忘れられている気がしないでもない。森保一監督へと引き継がれた日本代表は新しい面々を得てそれなりに好調な船出を迎えた様子。一方で主力と期待された香川真司選手も本田圭佑選手もチームへと戻った今、出られていなかったりマイナーなリーグでの活躍だったりと憧れられる選手としての要件を満たせなくなっている。だったら別の誰かを入れて活躍させておけばと思ったりもしたけれど、それができないからこその代表人気の停滞ってところなんだろー。アジアカップで優勝できるかどうかかなあ、それより成長の軌跡が見えるかどうかかなあ。「大迫半端ないって」をwith Bの背中に描いて発表したブルゾンちえみさんは頑張って2018年もサバイバルしたなあ。


【11月28日】 宇宙超能力大戦だった。いや、それだけだと流石に簡略化しすぎだから付け加えるなら、超人ロックがアマゾナと組んでロードレオンを倒しに行く話というか、東丈がプリンセス・ルナを傍らにして幻魔に挑んで世界を浄化する話というか、やっぱり宇宙超能力大戦になってしまうところに「機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)」という作品の、まずはロボットアニメであり、そして宇宙が舞台のミリタリーSFといった「機動戦士ガンダム」と言われてまず浮かぶフォーマットをひっくり返し、ニュータイプというガンダムのシリーズにおいて神話化され、神格化された憧憬と焦燥の象徴を解体して、コピーどおりに「ニュータイプ神話の行き着く先」、あるいは「ニュータイプ幻想の正体」めいたものを示そうとした意識がみえる。

 公開前なので詳細は避けるものの、ニュータイプが宇宙に遍く広がりながらも隔てられた人類が、通じ合い分かり合って生きていけるようになる人間の主体的で能動的な進化の形だとは見ず、とある帰結のために存在を求められ認められるといった客体的な恩寵であって、そこへと向かって生まれ育まれて発現した先で、役目を終えて消えていくものだといった見方が打ち出されているような気がした。そのために使われ翻弄される人生を潔しとする気持はとても浮かばないけれど、帰結となった段階であるいは生きてきた意味といったものを味わい、感じて微笑めるのならそれも悪くはないのかもしれない。どうだろう。

 ニュータイプに限らず人はその終着点こそが人生の基点であって、そこから誕生へと向かって進んでいく時の流れを逆回しで経験しているのが認知している今の日々であって、そんな中に宇宙的な意思とでも、集合的な無意識とでも言えるようなものが必要とする行為によって迎える帰結にして基点へと進んでいったものが、ニュータイプというものの定められた生きざまなのだとも捉えられたけれど、そうした恩寵を与える存在をどこまで高次元に設定するか、あるいは宇宙という次元の中で広範に設定するかにも迷うし、時間が逆さまに不可逆という論理も成り立つか分からないしのだった。まあ良いか。分かったら面白くないし。そんな思索を得るためにもまた見に行こう。そしてエリク・ユーゴのおっぱいを堪能しよう。あれは良いものだbyマ・クベ。

 やっぱりなあ。サウジアラビアと日本との間で行われる予定だったeスポーツの大会が延期に。思い当たる理由はいろいろとあるけれどもとりあえず「諸般の事情」と言うならそれは「諸般の事情」なんだろうと理解しておこう。今のご時世でサウジアラビアと“健全”な付き合いをするのはなかなか難しい。アメリカなんかも動勢を注目している状況で日本が突出したら拙いといった判断もやっぱり働いたんだろうなあ。孫正義さんなら自分の責任でいろいろと出来るだろうけれど、一般社団法人である上に将来のオリンピックにeスポーツを入れたいと思って国なりに働きかける必要もあるJeSUが、突出してサウジアラビアと付き合ったらやっぱりいろいろと差し障りもあるから。

 今後も実施に向けてサウジアラビア側と協議は継続していくと言ってるものの、どの段階になればサウジアラビアにまとわりついたネガティブな空気が払拭されるかが見えないだけに、しばらくはないと思った方が良いのかも。JeSUはだから来年の国体でのeスポーツをしっかりサポートしつつ、日本サッカー協会との付き合いをここで一気に深めてJリーグにeスポーツが入ってくるような流れを作ってくれれば嬉しいかも。それこそ女子サッカーチームとeスポーツはJリーグに参加しているチームには必須と義務化してくれるとか。それだとインディペンデントにサッカーゲームを楽しんでいる人たちが入れないから、フットサルみたいなリーグが出来てそれをJFAが公認してJeSUが後押しするような流れを期待。今からウイイレなりFIFAを鍛えてプロを目指すか。カズさんなら目指しそうだし。

 「カウボーイビバップ」のテレビシリーズによる実写化が本格的に動き出したみたいで、Netflixがアメリカのテレビ製作会社と組んで番組を作って全世界に向けて配信するみたい。ノリにノってるNetflixが絡んでいる以上は取りっぱぐれはないだろーから、きっとちゃんと番組も出来て天かけるソードフィッシュ2に乗ったスパイク・シュピーゲルとその傍らを飛ぶフェイ・ヴァレンタインが見られるに違いないと思いたい。でもやっぱり不安なのは前にキアヌ・リーヴスによる映画化って話が持ち上がってサンライズもゴーサインを出していた記憶があるからで、けれどもちっとも話が進まないまま10年くらい来てしまった。もうきっとないと思うとその二の舞もなんて考えてしまうけど、映画とは違いテレビはもうちょっと軽く動くからあるいは来年にも登場なんてこともあるのかも。どっちにしてもスパイク・スピーゲルを誰が演じるかが目下の関心事か。エディ・レッドメインならもじゃもじゃ頭がピッタリなんだけどなあ。それは流石にないよなあ。

 やっぱりポン酢しかいないのかもしれない政府とか役所とか。税金をどこからむしり取るかをいろいろと考えた挙げ句に今度は長く車を走らせたらその分に税金を課すとかいったことを検討し始めたらしい。すでに燃費に応じて税金を課したとか課そうとしているって話があってそれで燃費が良い車が増えればガソリンが売れなくなってガソリン税が入らなくなるじゃんとか思ったりもしているけれど、今度のも長く走れば税金をかかるなら車に乗る人が減ってやっぱり税収が減ってしまうような気がするし、都会じゃない例えば北海道のそれこそ何10キロも毎日走らなければどこにもいけない地域では、それだけ負担が増えて困ったことになってしまう。いつも頓珍漢なことを言ってる北海道の元政治家さんもこればかっかりはクリティカルにおかしだろと言ってたりして、自分の暮らしに関わるとやっぱり人は聡明に戻るのかとも思ったというか。まあ実施はされないだろうけれど、これで味をしめたら今度は長く生きたらそれだけ国に負担をかけているんだから税金も多く取るって話になるかもなあ。長生き税。嫌なら逝って? あり得るだけに恐ろしい。

 ミステリマガジンの2019年1月号で「ミステリが読みたい」が特集されてていろいろとアンケートも行われているんだけれど、ライトノベルもキャラノベもライト文芸も含めてそうしたランキングに選ばれている作品が若い人たちの集まりが選んだところに氷桃甘雪さんの「六人の赤ずきんは今夜食べられる」が入っているくらいで、周縁として同じサークルが青柳碧人さんの「浜村渚の計算ノート」を選んでいるのを除けばほとんどの人がそうしたライトノベルズ系のミステリを気にとめてくれていない。毎回いろいろと紹介して年に20冊近くは並べているんだけれど、あまり届いてないのかと思うと寂しいものの力不足なんだとここは理解し、少しでも届いてくれることを願ってこれからも求めがある限りは紹介し続けていこう。青木杏樹さんによる「ヘルハウンド 犯罪者プロファイラー・犬飼秀樹」(メディアワークス文庫)なんか現場でのプロファイリングに取調室での対話でもって犯人を当てるというか、隠そうとしている真相を暴いてのける腕前が圧巻。現場と言葉のどちらが欠けても成り立たない謎解き種明かしの醍醐味って奴を味わわせてくれる。続きが出て欲しいなあ。


【11月26日】 宝島者の「このライトノベルがすごい! 2019」が発売になって瘤久保慎司さんの「錆喰いビスコ」が文庫部門の総合1位となって、そして当然のように新作部門でも1位を獲得。過去には支倉凍砂さんの「狼と香辛料」が発売された最初の年に1位を獲得したことがあったけれど、当時はまだ新作部門とか分けてなかったから総合部門と新作部門のW1位という言い方はされていなかった。今は両部門で初のW1位となって世間でもちょっと多めに喧伝されている感じ。CMまで作られたのは驚きだけれど、それだけKADOKAWAも「このライトノベルがすごい!」というブランドに改めて意味を見いだしたって言えるのかな、一時電撃文庫って「このラノ」といろいろあったような気がしているし。

 文庫の2位には白鳥士郎さん「りゅうおうのおしごと!」が入って、3連覇は逃したものの相変わらずの人気ぶり。というか3年連続で総合1位となると殿堂入りしてしまって以後、ランキングに入ってこないんで2年で止めてまた再帰を狙えるってのは悪い話ではないのかもしれない。両作品とも配分は対照的ながらもホームページからの読者投票とライトノベルに詳しい協力者票がそれなりに入っているところから、今の雰囲気をちゃんと表しているものと言えそう。「錆喰いビスコ」の場合は協力者票が強力過ぎな感じもしないでもないけれど、去年の「86−エイティシックス−」のように先取りをして紹介するという“役割”があると思えば、それはそれで業界のためになるんじゃないかと個人的に言い訳。

 単行本・ノベルズ部門についてはHPからの投票が少なくても協力者票でぐわっと上に来る作品もあったりして、発掘の意味はありつつ現状はどうかといったところでやや迷う。とはいえそうでもしないと石川博品さんの「海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと」とか存在すら知られないでスルーされてしまいそうなんで、協力者のうちでも知られていたことの方を驚きたい。SFの方で知っている人とかどれだけいるかなあ、SFマガジンで紹介はしたけどほとんど知られてないような気がするしなあ、「SFが読みたい2019」で誰か紹介しているかが今は気になる。「JKハルは異世界で娼婦になった」も協力者表が聞いたかな。個人的には「幼女戦記」の最新刊とか苛烈さが増してて好きなんで、HPでの人気ともども盛り上がって欲しいもの。来年は講談社レジェンドノベルスが上位独占なんてあるのかな。

 HDDレコーダーに録画してある新作アニメをちゃんと見るシリーズで「うちのメイドがウザすぎる」を何話分かまとめて見る。なるほど鴨居つばめにつきまとわれる高梨ミーシャの側にとってはウザい存在かもしれないけれど、つばめの超絶ロリロリな変態性を減じれば、それは百合にも似た愛情であって肉体的に圧力をかけるといったことはなく、そして日々の暮らしにおいて料理洗濯掃除は完璧にこなしてくれるなら、決してウザい存在ではないような気もしないでもない。ミーシャの方もウザいといいつつなついても来ているようだし、自分の欠けたものを埋めてくれる存在として認めていくのかもしれない。一線は越えずに。一線って何だ。

 一方で、つばめにつきまとおうとする自衛官時代の上司でもあった鵜飼みどりは犬と蔑まれても付いていき、詰られれば身をよじって喜ぶ変態性がたっぷりでちょっとウザいかもしれない。ただ1カ月でメイドはお役御免となったようで身近なつきまといはないかというと、隣にいるからすぐにでも飛んできそう。ツインテールのメイド服姿だとゴージャスな美人なのに、自衛官時代のようなショートヘアにもどると地味になるあたりに女性の装いの意味って奴を見た。っていうか33歳なんだよなあ、みどり。アニメにあってサブでも結構ハイエイジなヒロインかも。とはいえ、あれだけ美人で金持ちなら結婚の声だってかかりそうだよなあ。かかったけれどことごとく粉砕してきたのかなあ。過去が気になる。それはつばめも一緒か。自衛官を辞めた理由、というかパイロットを降りた理由が気になるなあ。

 バンダイがアポロンを買収してバンダイミュージックを設立したもののなくなってからエアーズという会社が立ち上がってそこに何人か集まったメンバーが後、立ち上げたのが確かランティスだったっけ。知らずバンダイビジュアル傘下に入って今はバンダイナムコアーツのレーベル入りもしたけれど、それで立場が下がったかというと逆でランティスというアニソンのレーベルであり、音楽イベントのようなリアルエンターテインメントを展開する部署としてバンダイナムコグループの中でも大きな存在感を持っている。ランティス創設者の井上俊次さんがバンダイナムコアーツの代表取締役副社長を務めているのも、そんな意味合いを持ってのことだろー。

 そんなランティスが創設から20周年を記念するイベントを2019年に敢行。10年前にもランティス祭りとして富士急ハイランドで2日間もの野外フェスをぶち上げたけれど、今回は何と3日間、野外ではなく幕張メッセを開場にしてランティスのレーベルに所属したアーティストがわんさか登場して盛り上げてくれることになっている。その面々にはあのJAM Projectがいれば茅原実里さんがいて、緒方恵美さんもいてTRUEさんに栗林みな実さんことMinamiさんがいて「ラブライブ!サンシャイン!!」のAqoursがいてと新旧バラエティーに富んでいる。アニソンフェスでのトリが似合うようになって来たGRANRODEOもいるから凄いけど、今回ばかりは兄貴姐御のJAM Projectに大トリは譲らざるを得ないよなあ。

 MAGESがお前みたいな野郎には見せられないとでも考えたのか、初期からいそいそと通って無名だったころから記事にして来ながら、取材に呼んでくれなくなって今年は行けずきっと来年も行けないだろうアニメロサマーライブがいろいろなレーベルからアーティストを集めて見せる関係で、ランティスからでも呼ばれなくなったアーティストなんかがランティス祭りにはしっかり出てくれるから、行けば懐かしい顔に出会えて大好きな歌を聴けそう。MinamiさんだってOLDCODEXだって今なおいろいろと楽曲を演じていながらフェスで見られないのは寂しいのが、ここでまとめて見られるのならそりゃあ行く。っていうか毎年やってくれれば毎年だって行くだろう。一方でフライングドッグがフェスを開きスターチャイルドあらためキングレコードもフェスを開くご時世にあって、アニサマの価値はどこまで維持できるのか。長く取材してきたメディアも追い出す態度に悲しさを覚えているだけに、レーベルごとのフェスが隆盛になってくれればそれはそれで嬉しいかも。通う側は大変だけれど。

 初日にAqoursが出て、そして3日目にその中のユニットが出たりとしてファンはいつ行けば良いか選ぶのが大変そうだけど、ざっと見てORESAMAが出る日は行きたいなあと思うし井上俊次さんもメンバーのLAZYが出る日も行きたい気が。GRANRODEOの楽曲も好きだしOLDCODEXの歌唱とライブペインティングのミスマッチ的マッチングをまた見たい気もしているし、全日本アニソングランプリで優勝をしてデビューしながらレコード会社がつかなかった時期もあった佐咲紗花さんがランティスのメンバーとしてステージに立つのを讃えたい気もしている。大好きな栗林みな実さんと同じレーベルに所属できて嬉しいだろうなあ。何よりアニソンシンガーとして10年に迫るキャリアを築けたことも。そんな姿を見て讃えたい気もしているけれど、来年の6月なんていったい自分がどうなっているか分からないから安易にチケットは買えないか。いやいや3日間通っても平気な自由人になっている? だったら大丈夫かな。かな?


【11月25日】 「2025年に大阪万博の開催が決まった」「決まった」「とはいえ目玉がない」「ない」「2005年の愛・地球博ではスタジオジブリの『となりのトトロ』に出てきたサツキとメイの家が人気になった」「なった」「だったら俺たちは本物のジャパリパークを作ろう」「それは良い」「京大のiPS細胞研究所の山中伸弥教授も万博への協力を約束してくれたし」「リアルサンドスターを作ってリアルフレンズたちをこしらえて」「万博会場に放したら」「暴走して」「観客が喰われそうになって」「『食べないでくださーい』というところまでがジャパリパークで」「その後は」「さて」「はて」。そんな夢を見た。

 宝多立花は本当に新条アカネが自分を嫌いになれない友だちとして怪獣から作った存在なのか。嘘をいって惑わす性格でもないならそうかもしれないけれど、だったら立花が持っている過去の記憶だとか、その実家のジャンク屋だとかも全部アカネが創造したものなのか。そんなジャンク屋にグリッドマンが閉じ込められていた古いパソコンがあってそして新世紀中学生たちがやって来てグリッドマンをサポートしてアカネが作った怪獣と戦いアカネを邪魔するのはなぜなのか。神様でありながら思い通りにならない世界のどこにアカネの差配が及ぶ範囲があって、そして及ばない範囲がある境界線が引かれているのか。いろいろと謎も多いけれどもそれも含めて引きつけられる「SSSS.GRIDMAN」。面白いなあ。

 HDDレコーダーに溜まっているこの開きスタートの新作アニメをそろそろ見ないといけないと、とりあえず安倍吉俊さんがキャラクター原案をやっているという「RErideD−刻越えのデリダ−」を2話まで。ロボットを兵器として転用しようと画策している会社の重役の雰囲気があまりにも小物過ぎてどうしてあんな奴に天才科学者とかが翻弄され、そして殺し屋までもが金のためとはいえ良いなりになっているかがちょっと分からないけれど、やっぱりアニメーションならキャラクターの設定は分かりやすくしないといけないと、いかにもな悪役感を出そうとしたのかも、ドナルド・トランプ大統領のように。

 お話としてはそうしたロボットの兵器転用に際して発見されたバグを修正する暇が与えられなかった開発者チームが口封じに消されたかと思ったら、1人だけ生き延びたといった概略ではあるけれど、その上に時間跳躍というちょっとオーバーなテクノロジーが重なっていてマージュという少女がその渦中にあって、運良く冷凍睡眠相におっこちた主人公が眠っていた5年だか10年だかの時間を越えて行き来しているところがあって、それが展開にどう絡むかが気になる。時空を越えて偏在出来るタイプなのか、過去からの警告なのかそれとも未来からの警鐘か。すでに放送されている話数を見ていけば分かるだろうから、そこはこれから順に見ていこう。とりあえず茜屋日海夏さんが声を担当している女の子が、安倍吉俊さんならではのアンダーフレームな眼鏡っ娘だったのでこれは正義だ。絶対に。

 そして朝から起き出して羽田モノレールを使って流通センターへと行き文学フリマ。前回行ったかパスしたか思い出せないけれどもだいたい行ってる今回は、いつもよりブースが増えたそうで通路も狭くなっていた感じ。エブリスタが出ていなかったのは一般にブースを譲ったからか、今回は出すのを見送ったか。おかげで青い袋がもらえず買った冊子を入れるのに迷った人もいたんじゃなかろーか。習慣になると終わった時に戸惑いが生まれるという一例。そんな文学フリマではとりあえず、「私が大好きな小説家を殺すまで」(メディアワークス文庫)が評判の斜線堂有紀さんが何か書いてい「強力な零」という同人誌を買う。

 そして早速呼んだ斜線堂さんの「ゼロの証明」がなかなかに面白かったというか、ストロングゼロは凄いんだなというか。大学生の男子が小学校からの知り合いだけれど中学校の時以来に再会した友人がいて、過去に部屋から消えてみせることをやってそれが大学生男子にはひっかかっていたらしく、再会をして部屋に転がり込んできたその同級生と謎めストロングゼロを飲んでしこたま酔っ払った朝になって、男どうしてヤってしまったらしいと気付く。慌てたか狼狽えたか同級生がベッドに火をつけちょっと大変。そんな出来事があってすぐ、大学生男子が所属している音楽サークルの二美佳いがあって、そこで所属の女子2人に似非レズという言葉が浴びせられる。

 ゴスロリ姿のお嬢様然とした1人は悠然とお茶漬けをすすっていたけれど、もう1人は怒り飛び出してしまってそれを追って大学生男子が飛び出していき、なぜか燃えて仕舞ったベッドの代わりを同級生に買わせるための買い物に付き合わせる。ホモセクシャルな好意を意図するしないに関わらずしてしまった大学生男子に漂うモヤモヤが、レズビアン的カップルの女子に通じるとでも思ったか否か。そこは不明ながらも以後、繰り広げられる自己の探求によって、それがストロングゼロという強烈な酒のせいなのか、本来内面にあったものなのか、小中学生の時代にすり込まれた畏敬めいたものが噴き出したのかが問われ語られる。

 來山はぐみという、似非レズを居られながらも悠然とお茶漬けをすすっていたお嬢様もあらわれてその性格がなかなかで、同級生がかつて密室めいた部屋からいなくなった謎になんかもいどみつつ、人間関係に容赦なく切り込んでいく。そんな展開がなかなか読ませて、セクシャリティの在処なんてものも考えさせて、このままそれこそ文芸誌にだって掲載できるんじゃないかと思わせてくれる。似非ではなかった女子2人は音楽サークルのユニットとしてステージに立ち禁酒のはずのステージでストロングゼロを煽って飛び出しそのまま北欧へとエクソダス。カッコ良いけどそこでもストロングゼロが何か解放の象徴のように描かれる。っていうか「強力な零」がすなわちストロングゼロ小説アンソロジー。そんな中にあってプロデビューしている斜線堂さんならではのまとまりが出ている作品って言えるかも。まだ他のは読んでないけどどういう使われ方をしているか確かめよう、ストロングゼロをすすりながら。実は飲んだことないんだよなあ、ストロングゼロ。そんなに凄いの?

 飛浩隆さんのインタビューが載っている本とか和綴じのSF集とかも買って退散して横浜は戸部から歩いて10分ほどのところにあるシネマノベチェントで坂本サクさん「アラーニェの虫籠」を久々に見る。池袋のシネリーブルでしばらく公開されていたホラー映画で花澤香菜さんが声をあてているという点でも貴重にして至高。でもって改めてみてやっぱり展開は謎めくけれども、一応は夢落ちではないといった示唆もあって、だったらやっぱりいろいろ起こって最後はああなってしまうんだと納得して世界の滅びを歓待する。リンが幸せになってくればそれで良いのだ。

 上映後に坂本監督の過去作品の上映もあって、中に砂漠に現れ空を飛ぶ巨大な魚を原始期に後退したような人類が追いかけて狩る「フィッシャーマン」という作品があって、これは見たことがあると思ったけれどどこで見たかが思い出せないのだった。文化庁メディア芸術祭か他の何かの上映会か。すさまじいアクションとカメラワークとそしてビジョン。凄さが伝わってきたけれど、これ以後に自分の短編はなかなか作れずそして一気に長編の「アラーニェの虫籠」になってしまうところに、日本のインディペンデントなアニメーション作家の苦労めいたものが感じ取れた。会社に所属しながら暇を見て作って上映会に流してっていうことすら難しい中、これだけの長編を作り上げたんだからやっぱり才能がある上に、プロデュースも機能したんだろう。その成果として公開後もこうして上映が続いてファンが来る。まだしばらくは劇場を回って楽しませて欲しい。機会があれば見に行こう。


【11月24日】 ふとタブレットを操作すると2025年に大阪で万国博覧会が開かれることが決まったみたいで、大阪府とか大阪市あたりは大騒ぎしているみたいだけれども東京あたりだと2020年に東京オリンピック/パラリンピックの開催が決まってわいたは良いものの、その後に巨額な工事費とかが積み上がってにっちもさっちもいかない状況でもう東京オリンピックなんて止めてしまいたいといった思いが、2年後に迫った今もまだ頻繁にわき出ていたりすることもあって、大阪もその後を追うことになって大変だねえといった嘆息混じりの同情なんかも浮かんでいたりする。

 とはいえ現地大阪のとりわけ万博を推進してきた人たちにはそんな危惧など馬耳東風、自分たちがそこに何かを刻めるといった歓喜に今はうちふるえている。でも2025年だなんて今から7年も先の未来にいったいどれだけの万国をどうやって博覧させられるのか。テーマもビジョンもスカスカな中でただ自分たちの地域の経済活性化だけを狙いに万博を開いたところで、そこに共感も共鳴も生まれない。2005年の愛知万博こと愛・地球博がかろうじて成功したのは環境に配慮しつつその時のテクノロジーを見せようとしていたことがあり、まだ未来に希望も抱ける経済環境もあってトヨタ自動車という大スポンサーもあったから。それが2025年の大阪でどれだけのビジョンを未来に抱ける?  スポンサーはどうなる? そこが見えない。

 2010年の上海万博のように右肩上がり過ぎな中国という経済環境でもない大阪で、緊縮財政の中でボランティアだとかヌかして開いたところで経済なんて回らない。地元の都合だけで誘致された見世物だから観客だって呆れて来ない。それを感がえれば他に誘致すべきものはいくらだってあったのに、1970年の大阪万国博覧会の賑わいが頭に残った爺さんたちにはその再来しか頭になかったんだろうなあ。同じ事は1964年の東京五輪の成功が脳裏に焼き付いてその再来を狙った東京の爺さんたちも同じだけれど。それでも決まった以上はやるんだろう。ならばせめてVRでもARでもMRでもプロジェクションマッピングでも未来に残せるテクノロジーをそこで大実験するくらいの覚悟と規模で挑み予算と技術を突っ込んで欲しい。でなければ大阪は、そして日本はそこで終わる。確実に。その前に大阪が地盤の自称全国紙はとっくに終わっていそうだけれど。報道できるかなあ、東京五輪、てそこかい? そこなんだ。

 ウルトラマンのシリーズでリアルタイムで見ていたのは「ウルトラマンAくらいまでで、「ウルトラマンタロウ」となると最初の方を見ていたくらいで青と赤の派手な乗り物が出ているなあといった印象が残っている程度、そして「ウルトラマンレオ」となると小学生向けの漫画誌あたりに情報が載っててレオがいてアストラがいるなあといった情報は知っていても、どんな怪獣が出てきてどんな戦い方をしたかはまるで覚えていない。せいぜいが森次浩嗣さんが元ウルトラセブンだけれど変身できないまま、ウルトラ警備隊みたいな組織の隊長を務めているといった程度だったりする。

 だから「ウルトラマンレオ」で40話から登場したらしいブラック指令によってその組織、MACとやらが大変な目にあったという話を聞いてそんなことがあったのかと驚いた。子供として見ていたらトラウマになったかもなあ。味方が全滅だなんって正義の組織にあってはならないものだから。どうしてそんな破天荒が許されたかっていうと分からないけれど、「ウルトラマンレオ」に続くウルトラシリーズの放送は決まってなくて、これが最後なんだからともうスタッフがやりたい放題をやったからなのかどうなのか。そのあたりの解説があったら知りたいし、「ウルトラマンレオ」も改めて見て見たいけれども見たらやっぱり心に穴が開きそうだから抑えて今、甦ってその巨乳ぶりとそしてポンコツぶりを見せてくれている「怪獣娘(黒)」のブラック指令をオリジナルのものとして認識しておく。

 ゴモラだとかエレキングだとかキングジョーだとかミクラスといったメジャーどころの怪獣たちが、怪獣ガールズとして組織されアイドル活動をしたり正義を行使していたりしている社会にあってブラック指令はやっぱり「ウルトラマンレオ」に出てきた円盤生物の名前をとったシルバーブルーメだとかノーバだとかいった怪獣娘たちを従えて、祖師谷の安アパートだけれども8畳もある部屋に暮らしながら、どこからお金が出ているか謎めくけれどもデパートの催事で大食いをしたりして世界を困らせようとしている。それで困る世界でもないけれど。そんな組織に見つかりスカウトされたのがペガッサ星人の怪獣娘。ブラックホールでも発生させられる力があるけどそれはネガティブな気持になった時しか発生しない。

 一方で真面目なペガッサがブラック指令らに悪の手ほどきをして、正義の味方に敗れる確率が高い背中を見せて逃げるとか、高い場所で高笑いといったことをしないように忠告したりする展開にウルトラも含めたヒーローもののメソッドのようなものが伺えて楽しかった。池袋では邪神を暴れさせてしまったみたいだけれど、とりあえず抑えてまた亜空間にでも放り出してしまったようで、それも可哀想だけれど仕方が無いか、ゼットンすら倒せる相手だから。でも最初は事故で巻き込まれたようなその邪神ちゃん、いずれ出てきて仲間になるのかな。つまりは「怪獣娘(黒)」に続きはあるのかな。1時間ちょっとで3エピソードだなんて半端な作り方はテレビシリーズでも意識しているのか。あれはそうした展開が見たいもの。だって巨乳だからブラック指令。テレビでもぶるんぶるんさせて欲しいねえ。

 たぶん現実はいろいろと違っていて、ただ映画だからドラマチックになる部分なんかは虚実混ぜるなり時間を前後させるなりして編集し、盛り上がるようにしてあるんだろうけれども総体としてやっぱりクイーンというバンドであり、フレディ・マーキュリーというアーティストの凄さと葛藤は見て取れた映画「ボヘミアン・ラプソディ」。デビューに至るステップから成功へと駆け上がる展開にあまり挫折めいたものはなく、プロデューサーとの言い合いめいたものはあっても順当に有名になってメジャーになって大金持ちになって、そんな中で人付き合いの問題とか仲間内での諍いとかおこって大変になって解散寸前に行くけれど、でもやっぱり僕らは家族なんだと戻って来るところは単純な感動のストーリーになっている。

 フレディが自分はHIVに観戦していると明かし、ライブエイドにでるからといってとらいえず参集した仲間も納得するとか、なかなかできすぎだけれどこれはできすぎにしたんであってその段階でフレディが仲間に打ち明けたといった説はない。HIVという診断を受けたのもライブエイドより後の時点だって映画にも出ていたジム・ハットンが言い残しているらしいから弱り時間がなくなったフレディが、やっぱり仲間だ家族だと回帰していった展開も虚構だろう。でも分かりやすくはなっている。

 実際はそれなりに付き合いもあって行き詰まっていたけれどもこのあたりで妥協したか、ソロが行き詰まってやっぱり仲間が良いとなったか、分からないけれどもそんなに深刻に解散の危機があったようには当時の印象では見えなかった。ただだんだんと一線から退いていってそしてHIVの噂とともに退き死去。らしいなあとは思ったけれど音楽に命を燃やして逝ったといった感じもなかった。もしも「ボヘミアン・ラプソディ」を見てフレディ・マーキュリーとはああいった人物だったと思うのは早計で、いろいろと出ている本とかを読んだ方が良いのかもしれないけれど、知ったところで彼らが残した音楽が何か凄みを増したり逆に輝きを失ったりすることはない。クイーンというバンドがいて、フレディ・マーキュリーというボーカルがいて、凄いことをやってそして今、フレディだけがいないという現実を感じつつ改めてクイーンを、そしてフレディ・マーキュリーを感じれば良い。それだけだ。そのための映画だと思いたい。


【11月23日】 星川リリィはだから可愛い自分が好きでそれは女の子の格好で、それでずっと可愛いままでいたいけれども性徴によって可愛い自分でいられなくなることに絶望した、という理解でいいのかな、その性自認は果たして女の子だったのか、普通に男の子だけれど可愛い自分に見ほれていたのか、女の子とか男の子とか関係なくただ可愛い自分というのを大事にしていたのか、ってあたりをある程度吟味しないと単に女の子みたいに可愛い女の子が登場することを条件反射的に尊び騒ぐ心理に飲み込まれてしまう気がしないでもない「ゾンビランドサガ」。それはつまり男の子であっても女の子になりたいけれども可愛くない子の存在に対して、ある種のプレッシャーとなりかねないから。可愛いは正義ってやっぱりなかなかに残酷な言葉だと思うのだ。

 そこはだからあまり踏み込まず、可愛い自分が好きだったけれどそんな自分すら見てくれないでテレビの中にいる自分の分身ばかりに目を向ける父親に反発した子供の葛藤と、そんな子供を失ってはじめて分かる悲しみを長くため込んでいた男の心の解放が,ドラマとして繰り広げられたと思っておこう。こうしてだんだんとそれぞれに過去の自分と対峙するエピソードが紡がれていって、昭和と平成のアイドルたちの葛藤もクリアにされた先、残る暴走族のレディースと花魁と伝説の山田たえとそして源さくらの正体も明らかになっていくのかな、いやレディースも花魁も記録には残っているだろうからやっぱり気になる源さくら。誰だったんだろう。山田たえは伝説の山田たえで終わりそうな気が。それともちゃんと設定を出してくるか。残る1カ月ほどを見守ろう。2クールってことはないよね。

 待ち遠しかった下巻が出て読んだ椎名寅生さんの「花園<下>」(星海社FICTIONS)はやっぱりどこまでも熱くて深くて濃くて面白いラグビー小説だった。遠く宇宙の彼方からやって来ては地球人にラグビーの試合を申し込み、そこで日本代表を相手に指名し負けたら日本列島を消し去ると脅して真剣勝負の舞台に引きずり出した宇宙人たち。言葉に違わず相当な強さで、いろいろと策を練って挑んだ日本代表に圧倒的なパワーとそして異能で序盤から大差をつける。そこはかろうじて日本伝来の神の力も借りたか水入りにして、続きを8月15日に開催すると決まってから数カ月。選ばれた日本代表やヘッドコーチらの葛藤と鍛錬の日々が下巻に描かれる。

 メンバーにはもちろんキャップを持ったラグビーの日本代表もいるし、これからの成長が期待出来そうな高校生の代表もいたりするけれど、中には女子高生も混じっているからこれは謎。というか理由は明確で超能力者だったからで、相手が異能を使うかもしれない状況、そして日本が消されるかもしれない瀬戸際であらゆる手段を講じて勝とうとした。サイコキネシスにテレパシー。そんな力を持った女子高生たちに加え、地底湖から発見されたリザードマンの少女もいたりするチームはけれども序盤で通じず、仕切り直しへと向かう中でサイコキネシス使いの女子高生は修行の旅に。残された少女はリザードマンとのコミュニケーションを取り、そのパワーを戦力に組み込めるようにして試合に備える。

 試合中に昏倒したサイコキネシス使いの女子高生が、そのまま続行されていたら起き上がれなかった訳だからエキスパンドされただけの試合に出る資格はないといった反論から、出したければもしも引き分けだったら撤退はせず北海道と沖縄を消すといった条件も乗せてきて、ヘッドコーチが降りる降りないといった問題も生まれそこでヘッドコーチのラグビーにかける想いも描かれ涙。誰にでもあるそうした過去は敵の宇宙人にもあって、思っていたより苛烈な状況にあったことが分かってくる。とはいえそれで試合が揺らぐことはない。真っ向から真剣に、異能も含めた全能力をぶつけ合い、パワーとテクニックで挑み合う。

 その試合運びと描写は本格的なラグビー小説以上にラグビー小説。サイコキネシスをあらゆる場面で振るってボールを動かし相手を翻弄するような卑怯は使わない。ことし合いに関してはおおむねパワーとテクニックによるラグビーを駆使してぶつかり合う。読む側も、いったいどちらにボールが転がるのか、どこで反則が生まれるのかといった感じに試合を見ているように手に汗握ってしまいそうになる。数あるスポーツ小説でも傑出したラグビー小説だと感じさせる所以。自分探しでもチーム事情でもない、多くの人々の気合いを背負い想いを背負い自分自身のプライドも乗せた試合に誰もが心震えさせられるだろう。これが読まれずして2019年に開催されるラグビーワールドカップ日本大会2019が盛り上がるとは思えない。それだけラグビーが軽んじられているということだから。逆に読めばラグビーの面白さも伝わり、スポーツとしての真剣勝負の楽しさに気付くはず。大会運営者は今からでも遅くないから『花園』上下を買い取り買い占め学校に、職場に、コミュニティに配ってラグビーへの関心を誘うのだ。それなくしてW杯日本大会の成功はないと断じる。

 雑誌も出て全国紙の看板を下ろすという方針が満天下に示されてしまった自称するところの全国紙だけれど、そういう惨状へと至った道を振り返って拙かった部分を変えようとしているかというと大して変わってないからやっぱり全国紙の看板を下ろして済むとはちょっと言えなさそう。北京の総局長様が日本に帰るからといって北京の空港に来たところ、列に割り込んできた男がいて注意したら日本語で中国人じゃないんだと驚いた、でもって日本に帰って行列に並んでイライラすると自分が中国人化しまったと堂々、コラムに書いている。割り込むのが中国人だというステレオタイプな偏見を土台にした物言いを、何のてらいもなく書けてしまえるところにやっぱり根深い嫌中有理なスタンスが透けて見える。それを読んで誰か楽しいと思うんだろうか。思うと思っているから書いては思わないからズレていった果てが今だとなぜ分からないんだろう。そこがやっぱり分からない。

 まあ、自称するところの全国紙に限らず中国へのステレオタイプな偏見は世界に蔓延しているみたいで、世界的なファッションブランドのドルチェ&ガッバーナが中国に関する悪口を放って総スカンを食らって大変な感じ。元は中国人が箸でピザを大変そうに食べる映像が流されたことみたいで、まあ箸でピザは食べられないこともないからそれを指摘されても莫迦にされているとは思わないし、下手に食べるのは箸の使い方の問題であって自分たちの文化が揶揄されたとはあまり思わない。だからその映像だけでは問題も大きくはならなかったんだろーけど、言うに事欠いてデザイナーが中国人をあしざまに言った言葉が流布されて、出演モデルやゲストが次々にボイコットしてショーが中止になり、ネットでの販売からも閉め出されたみたい。炎上しそうな発端で消し止められたにも関わらず、煽って延焼した一例。まあそうかもねーと名古屋人なら笑ってスルーしたかもしれないけれど、そこはプライドを持った中国人だし結束も固く、揃ってのボイコットになった感じ。まあいつか再開はするだろうけれど、この一件でささいな批判が無関係なところに及んでボイコットへと波及していかないかはちょっと心配。正当な批判ですら受け入れなくあんったらやっぱりそこは拙いから。


【11月22日】 9年前に舞台挨拶付きで片渕須直監督の「マイマイ新子と千年の魔法」を見た新宿ピカデリーで8周年に続いて9周年を記念した「マイマイ新子と千年の魔法」の上映があったんで見物に。舞台挨拶では音楽を村井清秀さんとともに担当しているMinako mooki Obataさんが登壇をして楽曲について話しつつ、前に赤様ミッドタウンで見た時のようにPCを持ちこんで多重録音の音源を再生しながら声をかぶせてひとりアカペラを演るかと思ったら違って、何と会場の観客に歌ってもらってそこに自分の歌声をかぶせる集団アカペラを見せてくれたというか、やらせてしまった。

 会場を左中右と分けてはベースの音と高い音、そして真ん中あたりのフレーズを順に歌わせそのまま継続させた上に自分の声を乗せて出来上がったその音を、観客席にいるとどういう感じかあまり聞くことができなかったけれどもきっと前方にいた片渕須直監督には、ひとつの音場として聞こえたことだろう。麦畑が見えたというからきっと何か見えたに違いない。オフィシャルが録音をしていたそうだから、いつかどこかで聞ける時がくるかもしれない。そんな中に僕の声はちゃんと入っているか。ミドルレンジでのトゥントゥクトゥンとかいう声だけれど、分からないだろうなあ。それでこそコーラスってことなんだけれど。

 そんな「マイマイ新子と千年の魔法」の上映会では、片渕須直監督が12月に入ってあの「大脱走」を見た上でトークを行う上映が行われることが発表に。3時間近くある映画を観るだけでも大変だけれど、それにミリタリーに関してとてつもなく詳しい片渕監督があれやこれや語った時、いったいどれだけの時間になるのかが今から心配。映画上映3時間に片渕監督のトーク3時間とか。それはないか。行きたいけれども行くならやっぱりスティーブ・マックイーンの着ていたフライトジャケットを羽織っていけたらと思って探したら、リアル・マッコイからレプリカが出ていて見たら値段が20万円超えで手が出ず。仕方が無いから家のフライトジャケットの襟のファーを外して着ていこう。中のスウェットも欲しいけど、これもマックイーン仕様は2万円で高過ぎるのでユニクロあたりで似た色を探そう。グローブとボールは持ち込めるのかな。据えられた機関銃で銃殺されるかな。

 23日からの3連休はとてつもなく混みそうな予感がしたので朝にアーツ千代田3331の屋上に上って「まんがタイムきらら展」の開場を待つ。150人くらいが7つのグループに分かれて並んでそしてくじ引きで決まったグループから順に入っていくシステムは、蒲田のホールで開かれる同人誌即売会なんかで経験をしたことがある待機列の処理方法。これなら早朝から来て順繰りに並んでいかずとも、運が良ければ最初のグループで入れるから出足競争にならずに済むってことなのかも。前の「蒼樹うめ展」は本当に長蛇の列が出来たものなあ。あとは平日だからやっぱり休日よりは人が少なく、運悪く6番目のグループになっても20分ほどで中には入れた。ただ続々とその後も来場者が来ていたから、3連休ではそれなりに最初のアルファベット分けに入れるくらいには行った方が良いかもしれない。

 展示は興味深く過去からの「まんがタイムきらら」とか関連の雑誌に掲載された漫画作品からピックアップされた作品の何と新作漫画が新作イラストとともにカラーで展示されるというもの。よくある漫画関係の展覧会のように原画なりを並べカラーイラストを並べるものではなく、こういった作品があったことを時系列的に紹介しつつその現在地というものを見せつつ、それぞれにどういったテーマがありストーリーがあり特質があったかってことを、タイトルにして展示してあって作品そのものへの理解を深めることができる。その意味では博物館的なイベントではなく、編集的なイベント。記念誌的なイラスト集なりを作る感覚で展示を作りカタログも作ったというか。振り返って懐かしいと感じるよりも、見て新しいと思える方がもしかしたらファンも楽しいし、作り手だって新しい地平に立ってこれからを進んでいけると思ったかもしれない。そんな展覧会を企画し監修した人、ちょっと凄いかも。

 そんな「まんがタイムきらら展」を見ていてなんとなく思ったのは、この一連の漫画誌群はもしかしたら大人のコロコロコミックなのかもなあと思ったこと。漫画ではあるしそれらは単体として楽しいけれど、そこで取りあげらている題材が時としてレジャーであったりホビーであったりエンターテインメントであったりを歓喜して、漫画の外側で読者を喜ばせることができる。「けいおん!」ならバンドだし「ゆるキャン」ならキャンプだし「はるかなレシーブ」ならビーチバレー。「GA芸術家アートデザインクラス」や「ひだまりスケッチ」では美術。そんなホビーなりへの情報に浸り自分でもやって楽しい広がりが、漫画を中心にあったりするところにメジャーな会社から出ている訳でもないこの漫画誌群が、愛され親しまれアニメ化も多く成される理由にあったりするのかもしれない。とはいえ、仕込んでは台無しになるからそこは作者と編集者の直感とリサーチ力に任せ、受けてはこれが楽しいかもと思って試すことにしよう。キャンプの次は何が来る?

 「ネバー×エンド×ロール〜巡る未来の記憶〜」がSFだった本田壱成さんによる「終わらない夏のハローグッバイ」(講談社タイガ、750円)がとてつもなくSFだったのでSF方面は気にするように。首筋へのインプラントを通して脳に直接五感を覚えさせる<第六感覚>、いわゆるサードアイなる技術が使われ始めた時代、そのサードアイを全住人に装着させた街に暮らす周という名の少年が、2年間眠り続ける結日という名の少女がどうして眠り続けているのかを探り、目覚めさせようとする行動の中で見つけたこととは? そんなストーリー展開を持った物語の中に、人は感覚を共有することでわかり合えるようになるという、VRだとかネットワークだとかの効能を謳うフラワーなビジョンにどばっと冷や水を浴びせかける。

 けれども、なお求めて止まないコミュニケーションへの渇望がもたらす人類にとっての危機と、その先にうかがえる可能性が描かれ、絶望の中に人を沈ませない。一方でたとえ冷や水を浴びせられても、そこで感じら得る自分と誰かの関係を尊べば良いといった味方も与えられる。どっちが正解なんだろう。VRだとかARといったものがインプラントで発現するというのは、川原礫さんの「アクセル・ワールド」にも描かれているビジョンだけれど、特定の世代に特化し、主にゲームとして楽しまれているテクノロジーが、より広範囲の世代で使われた場合にどんな影響が世界にもたらされるかが、「終わらない夏のハローグッバイ」には示される。娯楽ではなく人類のあり方そのものへともたらす可能性が、各種の類例から示される。素晴らしい世界がすぐそこまで着ているのかもしれないし、そうでないのもしれない。問いかけに答えるのは僕たちだ。


【11月21日】 「ガミラス&イスカンダル合同スクールアイドルの『TWIN STARS』の組み分けは、1年生チームが花束の少女、ヒルデ・シュルツ、ユリーシャ・イスカンダルで、2年生チームがメルダ・ディッツ、ミレーネル・リンケ、スターシャ・イスカンダルで、3年生チームがミーゼラ・セレステラ、ネレディア・リッケ、エリーサ・ドメルね」「ってスターシャ姉様がどうして2年生チーム」「スターシャ・イスカンダル、17歳です」「おいおい」「おやあ、声が小さいぞう、スターシャ・イスカンダル、17歳です」「おいおい」。ってな感じで。「我が彗星帝国もスクールアイドルを作るぞ! メンバーはサーベラー、サーベラー、サーベラー、サーベラー、サーベラー、サーベラー、サーベラー、サーベラー、桂木透子だ」「おいおい」。

 起訴もされていない段階の容疑者であって、その容疑もなおかつ脱税をして国庫に損害を与えたといったものではない日産自動車のカルロス・ゴーン会長に関する一件で、たとえば企業ガバナンスの問題として日産自動車の首脳が所管する経済産業省なり国土交通省なりに赴き状況を説明する、あるいは有価証券報告書への虚偽記載なら株価に影響を与えたという理由で東京証券取引所なり金融庁に説明をするのが段取りというものであって、それがどうして首相官邸へと赴き官房長官という、ある意味では首相の名代に面会をして釈明をしなくてはならいのかといった部分が、この国の“王権”めいたものの存在を感じさせて居心地が悪い。王に逆らい王の心を乱す出来事は王が聴取して王が裁く。知らずこの国は絶対王政になっていたらしい。感じてはいたけれどもこれで明らかになったと言えるかも。そういう国家ガバナンスの妙さについて、メディアも問わずおかしいと感じない状況もまた恐ろしい。未来はどこへと下り落ちていくのだろうか。

 そしてメディアもまた絶対王政下の僕として王に逆らったものは徹底的に糾弾しようとする腹か。あの朝日新聞であってもサイトのトップに一時、「ゴーン夫妻、セレブな日常 宮殿で『王と女王』の晩餐会」などという下衆なゴシップを掲げてのけた。結婚パーティーでブルボン王朝を模してもそれは「日常」じゃないし、そおn費用もどこが出したか定かじゃない。会社に出させたということが明確なら背任ではあっても、それも起訴すらされていない容疑の段階で決めつけて良い話ではなく、違っていればそれこそ名誉毀損に当たる。カンヌ映画祭に参加してレッドカーペットを歩いた? フランス国営で規模も巨大な企業のトップならお膝元のカンヌで行われる映画祭を歩いて不思議はない。そうした当たり前ですら異常なことを思わせクローズアップして経営ではなく人格を叩くメディアが、時として口にする人権っていったい何だ。そこに確かな意思はあるのか。いろいろとややこしい時代。未来はもはや存在していないのだろうか。

 VRに匂いをもたらそうとしているスタートアップ企業のVAQSOが、開発者向けのキットをリリースするってんで発表会を見に行く。昔はチョコレートバーくらいの大きさだったデバイスが、バウムクーヘンの3分の1くらいの大きさになってVRヘッドマウントディスプレイの下にぶら下がる感じになっていて、ちょっと大きくなり過ぎな気がしたけれどもそれで5種類まで匂いのカートリッジをぶら下げられるし、実際にはもうちょっと薄くなるというからそれでまずファーストモデルを製品化して、だんだんと小さくしていくようなロードマップがあるのかもしれない。他に幾つか似たようなことをしている企業もあるらしいけど、どこもサイズは巨大でなおかつ顔を覆ってしまう感じで匂いが逃げずこもってしまうらしい。その点、VAQSO VRはオープンだからすぐに散って次の匂いへと切り替えられる。それならこっちを使おうかって人も増えれば、開発も進んで小さくなっていくだろう。そこに期待。

 VRに匂いが必要かというのは、たとえば映画館の4DXだとかMX4Dといった体感型のシートで座って見る映画でも、やっぱり匂いが演出効果にラインアップされていることからも明かで、そうした効果があったからこそ「劇場版マクロスΔ 劇場のワルキューレ」のMX4D版でメンバーが入浴しているシーンで良い香りを体感できたし、「劇場版マクロスF サヨナラノツバサ」でも匂いが漂って良い気持ちになれた。それをVRでも行えるようにすればより没入感も得られる。いつか脳細胞の匂いを司る部位に信号を送って匂いを感じさせられるようになれば話は別だけど、そんな技術は流石にあと半世紀は出てこないだろう。だからやっぱりVRの進化は重要で、そこに向けて匂いVRの開発も進む。あらゆる匂いが瞬時に合成されて漂いそして切り替わるような進化なら5年10年で可能かも。そんな次代に対応ソフトとなった「劇場のワルキューレ」を見て見たいなあ、美雲さんの香りに浸りたいなあ。

 転戦して恵比寿で開かれた「機動戦士ガンダム 40周年プロジェクト」の発表会を見物。いつか発表になっていた歩く、ではなく動くガンダムが2019年ではなくて2020年と1年先延ばしで実現するようで、横浜港は山下ふ頭に出現することになる模様。歩く、ではなく動くと言っているところがちょっと気になるけれど、あの巨体を歩かせて倒れでもしたらけが人も出るだろうから仕方が無い。かといって30周年で作ったガンダムの立像とか、今あるユニコーンガンダムの立像みたく首が動くだけではやっぱり物足りない。腕でも上がるか腰でも曲がるか。片足立ちするってことはないだろうなあ。それとも直立のポーズからビームライフルを構えるポーズに変わる? ちょっと気になる。「こいつ動くぞ」を再現して、トレーラーに寝かされたところから上半身を持ち上げるだけだったら、それはそれで面白いかも。さすがにそれはないかな。

 さすがに40周年が何も無しではガッカリ感もでるからなのか、当該の2019年にはいろいろと映像の方で企画が動くみたい。とりあえずしょっぱなでは「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」が何とNHKの総合テレビで放送だそうで、シャアが成り上がっていくあの物語をNHKでCM無しに見られるのは嬉しい限り。過去のガンダムの名曲をLUNA SEAのSUGIZOさんがプロデュースしてトリビュートするみたいなんで誰が何をどう歌うかに今は注目。もちろんLUNA SEAも歌います。それから「Gのレコンギスタ」の劇場版。新作カットを加えた再編集版を上映するそうで、富野由悠季総監督がどんな差配を加えてくるかが気になる。目下最新作ってことになる訳だし。その富野さんは夏にフランスで開かれるJAPAN EXPOに参加されるそうで、海外での人気ぶりを今一度、確認できそう。

 でもやっぱり驚きは、富野さんが小説に書いた「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」の劇場版3部作にようる映像化だろう。アニメになるかははっきりしないけれどもたぶんそうだとして、いったい誰が撮ってそしてどういう展開になるのかがやっぱり気になるところ。囲み取材でSUGIZOさんに、プロジェクトで発表になった作品群だと何が気になるか尋ねたら、まったく予想していなかったんで「閃光のハサウェイ」の映像化に驚いて絶叫したって話してた。でもってちゃんと内容はご存じで、悲惨な最期を遂げるあの結末をちゃんと描いてくれるというからもうコアなファンとして楽しみで仕方が無いって話してた。そうだよなあ。でもやるんだよ。とはいえまだ先の展開なので目下のところは「機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)」がお楽しみ。「ミネバを我が子のように思っているから、成長したミネバが活躍するのが嬉しくて」。それは同感。でもSUGIZOさんにとっての娘でも僕にとっては嫁なのでいつかSUGIZOさんに「ミネバを僕にください」と言ってみよう。決死の覚悟で。


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