縮刷版2018年10月下旬号


【10月31日】 2019年のラグビーワールドカップ日本大会の開催に向けてラグビーを盛り上げようとしているのか、ラグビーなら盛り上がるという判断か、ラグビーをテーマにしたSFというかライトノベルが星海社から刊行。椎名寅生さんによるその名も「花園(上)」(1600円)は、1500年とか大昔ながらもラグビーらしき競技が大好きだった王族がいて、その遺志を引き継ぐようにして住民たちが宇宙をさまよいラグビーらしきスポーツの試合が出来る相手を探して地球へとたどり着き、まずはアフリカの小国をその進んだ科学力でもって消滅させてしまうという荒技を見せ本気であることを示した上で、さあ世界のどこかの国がラグビーの相手をしてくれないかと誘いかける。

 ラグビーだったらオーストラリアだってニュージーランドだってフランスだてアルゼンチンだって強い国が世界に幾らだってあるのに、会議の席で見かけた日本になぜかそのヘルエイルムという宇宙人たちは白羽の矢を当て、国民だけで試合に臨むように、そして勝利しなければどこかの国のように日本を消滅させると脅してきた。なるほど宇宙人ではあってもラグビーなりには正々堂々、フェアプレイの精神で臨みたいような感じがあった。とはいえ相手は宇宙人だからどんな異能や科学力を持っているか分からない。そこで日本も考えた。そのチーム編成を。

 すぐれたヘッドコーチが来ていたけれどもその試合にはあらゆる分野から人を誘ってテストを行い、トップでクリアしたという車いすの少女が臨時ヘットコーチとして就任した。ラグビーの経験はまったくない彼女はけれどもチェスの世界では知られた存在。おそらくは思考と読みの力が図抜けていたんだろう。さらに屈強な日本代表選手や候補に混じって女子高生も2人ばかり選んだ。理由はもちろんあるけれど、それはチームメイトにも秘密にされていた。敵に漏れればいろいろと差し障りもあっただろうから。さらにもうひとり、蜥蜴人の少女も。なんでまた。どうやら数カ月前に発掘されて甦った際に日本国籍を取得していたらしい。

 パワフルだけれどラグビーは知らず意思疎通すら難しそうな蜥蜴人と、なぜか選ばれた女子高生2人とあとはラグビーの代表選手たち。そこにざっくばらんな女性のメンタルトレーナーも加わったりしたけれどもその言動にはどこか怪しげなところも。それでも日々の鍛錬を経て結束し、ヘッドコーチも実力を認めさせ、女子高生の2人も蜥蜴人の少女(少女!)もだんだんと馴染んでいった先、聖地とおいえる花園ラグビー場でヘルエイルムを相手にした日本の存亡がかかった試合が幕を開ける。とはいえ劣勢。とてつもない劣勢の中で秘密壁もぶち壊されて、もう絶体絶命のピンチの中で、神国たる日本の威力が発揮され、ひとまずの急場をしのいで下巻へと至る道が示される。敵も味方も総力戦になりそうな展開で、蜥蜴人はどんな活躍を見せるのか、そしてみすずも本領を発揮するのか。いろいろと気になる続き。どうやって勝つのか分かった時、それは日本がワールドカップで勝利する道に繋がる……分けないか、蜥蜴人はまだ見つかってないし。

 やっぱり重傷だったんだなあ、谷垣禎一・自由民主党前総裁。自転車で転んで怪我をしたって話が伝わっていたけれど、それからずっと表舞台に姿を見せなくなってしまっていったいどんな酷い怪我をしたんだといった憶測が富んでいた。政権に関わるどころか衆議院議員選挙に出ないまま政界まで引退してしまって、これはもう人事不省の状態になっている可能性も考えてしまったけれども、10月31日に安倍総理のところを訪問したみたいで2年ぶりとなる公の場への登場。そして車いすに乗っていた。電動なようで腕は動くみたいだけれども下半身はやっぱり動かなさそう。首の骨を損傷したというからやっぱり相当な怪我だったんだろう。

 元より自転車が趣味だった谷垣さんは、神田に昔あったアルプス自転車でパスハンターという峠を登るような自転車なんかも作ったりして、相当な凝り性だったみたいだけれどもその自転車が徒となっての怪我から政界引退は、果たして本人にとってどうだったのか。70歳を超えての自転車趣味はやっぱり良くなかったのか。いやいや年齢とか関係無しに起こりえる不測の事態に過ぎなかったのか。分からないけれども自民党にあってリベラル寄りで福田康夫元総理くらいに冷静な判断ができる政治家の引退は、ただでさえ真っ当な思考が可能な人が不足している自民党にあってもったいないし残念で仕方が無い。あとは趣味の自転車がどうなったのかも気になるところ。アルプスのパスハンターとかどうしちゃったかなあ。聞くに聞けないよなあ。

 自転車とえいばヤングキングアワーズの2018年12月号に掲載の「並木橋通りアオバ自転車店』でプジョーのマウンテンバイク「VTT.CADET」が登場。リヤデーレーラーを取り付ける部分が何とフレームとは直づけではなく昔の自転車みたいにディレーラーハンガーって部品でもって付け加えられていることを知って、どうしてそんな面倒な仕様にしたんだろうかと思ったけれどもハードに乗るマウンテンバイクなら倒れて折れたらフレームごと取り替えなくちゃいけない、ならディレーラーハンガーだけ取り替えられるようにしたんだろういう判断でそうなったみたい。意外だったのはプジョーでもデザインとか設計は日本だったってこと。ビアンキだと台湾でOEMだけどプジョーは日本での乗りやすさを考えたんだろうなあ、あとは技術力か。そう聞くとちょっと探して乗ってみたくなった。チェッカー模様とかおしゃれだし。

 「蒼き鋼のアルペジオ」ではタカオがいよいよもって横須賀にある海洋技術総合学院の第四施設へと入ってそこで死亡したはずの被害者たちがシェルみたいなものにくるまれさなぎのようになって沈黙している様に遭遇する。塩の結晶と化しているって訳ではんくむしろ塩竃に包まれたって感じ? 焼けば美味しい肉料理になりそうだけれどどうやら生きているってことらしいんで、誰がどういう状況でそういう処置をしたのかが気になる所。どう考えても霧の技術力なんだけれどそこまで霧が入り込んでいいる訳ではないかもしれないし。謎肉。いずれ明らかにされるだろう。あとコンゴウさまがジーンズ姿を披露。可愛くってクール。跪きたい。

 手塚治虫さんから吾妻ひでおさんあたりを自分的な萌え絵のルーツとしてやがて高田明美さんとかいのまたむつみさんといった方々が、女性でありながらも可愛らしい美少女たちを絵にして見せてくれて決して男子の欲望の受け皿ではなく、女性やら女子も憧れてめでたい対象としての萌え絵なんだなあってことを感じてから30年くらい経ってどうして女性のクリエイターはイヤイヤ萌え絵を描いているとか、エロゲーから萌え絵は生まれて広がっていったから萌え絵はすぐさまエロを連想させるって話になるのかまるで分からない。

 というか男子も女子も含めてキュンと来る萌え絵がいやらしいことをしたらどれだけギュンとくるかって流れであって逆なんっじゃないかとすら思っているのは「くりぃむレモン」でアニメ絵がエロをやった衝撃を目の当たりに見てるから。やがてエロ漫画にもそうした流れが行き渡り、それが普通になってしまっただけなんじゃないのかなあ。学者じゃないんでそうした流れを時系列を追い原点に当たって証明するのは難しいけれど、エロから派生したんじゃなくエロへと波及したって体感でもうちょっと考えて欲しい気が。でないと普通に女子が萌え絵を可愛いと思い自分でも描いているのに失礼極まりないから。そういう配慮も主張したい人には届かないんだろうけれど。やれやれ。


【10月30日】 監督が木下「隆一」さんでCGが「谷口」英男さんというスタッフィングでもって送り出される「けものフレンズ2」を名前的に悪く言うことはちょっと不可能な状況に追い込まれている気がする昨今。もちろんストーリーとしてたつき監督による「けものフレンズ」を引き継ぐものではなさそうな状況で、諸手を挙げて歓迎できるとは言えないけれどもまった別の世界線で繰り広げられているフレンズたちの物語だとするならば、これはこれで見ておきたい気はしないでもない。ただ子供を拾ってサーバルとカラカルが旅をするっていうのはなあ、あまりにも「けものフレンズ」に寄せすぎだよなあ、そうした指摘も受けることを承知で引き受けたのならスタッフも制作会社も凄いけど、だからといって出てくるものがポン酢ならそれはやっぱり批判もされるだろう。いずれにしても出来てから、放送されてからが勝負だ。同時期にたつき監督「ケムリクサ」も来るし。比べられるだろうなあ、当然に。

 なぜかふと浮かんだのが、魔女化した暁美ほむらに対して虚空よりアルティメットまどかと美樹さやかと百江なぎさが出現し、三位一体攻撃でもって暴れる魔女ほむらを抑え、吸収して宇宙を平定しようとしたものの、空気の読めない巴マミあたりがアルティメットまどかのような方法では何の解決にもならないとこれを阻害。その間隙を縫うようにして魔女から悪魔化したほむらが勝利し、生き残ってそして世界は悪魔ほむらの思惑の下、すべてが存在を許されることになるというストーリーだけれど、どうしてそれが浮かんだかは遠からず明らかになるであろう。付け加えるならそれはSFとしてとてつもなく完成度の高い設定であってストーリーでもあるけれど、決してアクションではなくカタルシスでもないということ。大変なことになりそうだ。

 過去に「TIGER & BUNNY」だって「カウボーイ・ビバップ」だって結構な進度でハリウッドによる実写映画化が取り沙汰されていながらも、その後にいっさいの進展が見られないまま潰れたり、先方の会社が潰れたりして状況が頓挫しているところを見れば、日本のアニメーションなり漫画がハリウッドで実写映画化されるという話は眉唾でもってまずはとらえることが普通になっているんだけれど、中には桜坂洋さんの「ALL YOU NEED IS KILL」みたいに脚本が出来上がってトム・クルーズの主演も決まってあれよあれよという間に撮影も行われ、そして映画が出来て公開へと至るケースもあるから侮れない。果たしてこっちはどっちかと、講談社から発表された「進撃の巨人」のハリウッドでの実写映画化について考える。

 監督がすでに「IT/イット “それ”が見えたら終わり」のアンディ・ムスキエティに決まってプロデューサーにもバルバラ・ムスキエティがついてしっかり座組ができている上にヘイティ・フィルムズからデイビッド・ヘイマンが入って「ハリー・ポッター」を手がけてきた会社がしっかりとバックアップ。さらに「HEROES/ヒーローズ」のマシ・オカもプロデューサーに入っていたりするところに、日本との連携なんかもうまくいってそうな予感がする。あれで結構しっかりとした人で、俳優としてのキャリアとは別にハリウッドで生きていく術というものをちゃんと考えているって、以前にインタビューした時にそう感じた。今回も注目作に参加しながら途中で頓挫させれば被る影響もしっかりと考えているだろうから、そこから前向きさを感じて良さそう。

 とはいえやっぱり主演とか脚本とかがどこまで決まっているかは気になるところで、やっぱり脚本がしっかりしていないと映画もとんちんかんなものになってしまう。そこが決まらないことにはやっぱり決定とは喜べないなあ、「ALL YOU NEED IS KILL」は脚本を作ってからあちこちに持ちこんだそうだから。あとはやっぱりストーリー自体がどうなるか、か。巨大な存在が迫ってくる恐怖については「キングコング」の国だけあってちゃんとしたものを作るだろうけれど、それが巨人で実は世界に秘密があるような深遠さで表現できるのか、単なるモンスターにされてしまうのか、ってあたりを気にしたい。もうひとつあるとしたらハンジの性別か。あれでちゃんとおっぱい持った女性として描かれているから、漫画でもアニメでも、映画なんて女性キャストだったし。気になるなあ。出るのかも。

 10月31日と11月1日にポール・マッカートニーが東京ドームでライブを行うみたいだけれど、過去に1年おきくらいに2度も来日していたりすると、今回はもうちょっと良いかなと思う気持ちが一方にありつつ、でももう次はないかもしれないという思いも浮かんで見るか止めるかを迷っていたりする。なぜかそう考えている人も多かったんだろう、完売の続出だった過去の2回と違って今回は東京だったら当日券が出ていたりする感じ。演目もビートルズにウイングスにソロを混ぜてとだいたい同じだったりするだけに、ツアー名は違っても焼き直しだしといった思いを超えて当日券があるならちょっとといった気分ももやもや。とはいえ手元不如意な上に年末のお小遣いもまるで期待が出来なそうだし、ここで無駄遣いはしない方が良いのかも知れない。でも次に来た時はさらに貧乏になっていて絶対見られないかもしれない。迷うなあ。やっぱり迷うなあ。

 デジタルハリウッドでNUMOこと原子力発電環境整備機構が建設を目指している高レベル放射性廃棄物の処分場建設をPRする動画とかポスターなんかをデジタルハリウッドの大学生とかスタジオの受講生なんかが参加して作るコンペの発表会があって見物に行く。蒼山の児童相談所じゃないけれど、絶対に必要な施設だと誰もが理解はしていても、それが自分のところに作られるのは嫌だといった考えた蔓延る中でいったいどういう風に設置をせっとくしていくか、なんてことを真剣にデータを並べたり、NHKの番組風に作ったりしていろいろな方法で周知しようとしていて面白かった。

 もちろん賞金付きでスポンサーがいてのコンペだから目的はひとつ、推進なんだけれどそれでも必要性の是非を問うところから始まって、批判もちゃんと混ぜて紹介しているところに宣伝ではない誠実さは見えた。押しつけでも美辞麗句でもない、問題点をちゃんと挙げつつ必要だと説く説得性。それがやっぱりこれからの施策では必要なんだろうなあ。嘘を言ってその場凌ぎでいては絶対にバレるから、どこかの総理大臣みたいに。いやいやどこかの総理大臣はバレたらバレたで開き直るから質がわるいんだけれど。そんなコンペで一等賞は人形劇の形式で必要かどうか、分からないんだよといった結論を投げつつ考えることの大切さを説いた映像が受賞。これもまた結論の押しつけではなく考える方向へとベクトルを動かす作品だった。見て分かった隣に高レベル放射性廃棄物の処分場を……作って欲しいとはやっぱり言えないなあ。そういうものだよ人間って。


【10月29日】 マイケル・ムーア監督がトランプ大統領で揺れるアメリカの状況なんかを取り上げて描いた映画「華氏119」が間もなく公開になるんだけれども、東京国際映画祭の中で湯山玲子さんとそれからアメリカの上院で共和党側の職員なんかをしていて今は早稲田の教授をやっている中林恵美子さんが対談をしてその中で、左側からも右側からも既存の勢力に対するプレッシャーみたいなものが動き始めてるって話が出た。マイケル・ムーア監督の映画なんかは左というかリベラルというか民主党の側から動かそうっていった感じだし、あのスティーブ・バノンが作っている映画なんかは右側からの動きだけれどそれがより右にいくのかどうかはちょっと不明。

 ただ民主党にしてもエスタブリッシュメントに寄りすぎて、市民の視線から遠くなってしまったのがヒラリー・クリントンの落選に繋がったこともあるだけに、もっと視線が下がったところからの改革が必要だし共和党もあれよあれよという間にトランプが大統領になってしまったような不思議をもう起こさないためにも、乱暴なだけじゃなくしっかりと地に足の付いた施策を唱えてそれで対立だとか分断を起こさないような国へと引っ張っていくことが必要。ユダヤ教の協会で乱射が起こってまた11人だかが亡くなる事件も起こったりして、分断からの憎悪はのっぴきならないところに来ている。そこを昔のように自由で平等な雰囲気へと変えていくために何が必要か。それを考える時が来ているんだろう。

 中林さんはその鍵となるのはミレニアル世代ってことを話してて、映画の中で立ち上がって行動を始め、ネットを駆使して情報をやりとりすることで連帯して進んでいける若者たちの動勢が今後のアメリカを変えていくって期待なんかを示してた。マイケル・ムーア監督が応援するのもそうした期待があるからだけど、問題もあってミレニアル世代はあまり選挙に行かないそう。日本も若い世代の投票率の低さが問題になっているけど、直接選挙で大統領を選べるアメリカでさえ20代は20数パーセントしか行かず60台の8割にかなわない。そこが今のこの惨状、フロリダでの銃乱射のような事件の続出で変わってくるか否か。中間選挙でまずそこが問われることになるんだろー。「華氏119」で目覚めた層とかが動くかな。11月6日の中間選挙前に見ておきたい。

 言い出せば「響け!ユーフォニアム」の宇治市だとか「けいおん!」の大津市あたりとか、「映画 聲の形」の大垣市なんかが入ってないのが寂しいけれども京都アニメーションの作品だからというよりは、パッケージメーカーなり原作者なりといった著作権者とそれから地域との話し合いの中で特定の地域だということを示すことをさけている作品なんかもあったりする関係で、特定の聖地を作りづらいってことがあるのかもしれないんで決して何か行き違いがあったりするんじゃなとは思っておきたい「訪れてみたい日本のアニメ聖地88」。作品によっては「氷菓」が京都アニメーションだけれど2018年版から入っているし、「涼宮ハルヒの憂鬱」が2019年版から西宮市が聖地として認定。どちらもKADOKAWAが原作の作品ってこともありそうだけれど、そこはアニメーション制作会社の一存だけで入ってないと決めつけられない理由にはなっている。

 ってな感じで発表になった2019年版アニメ聖地88カ所では、やっぱり群馬県館林市が「宇宙(そら)よりも遠い場所」で選定されたのがなかなかの快挙。市長さんがやってきて「暑さ日本一の市だったのがアメダスの移転で今年は1度も日本一にならなかった。ただ暑い市になった」と喜んで良いのか寂しがるべきなのか、分からないようなトーンで喋っていてそこに「よりもい」の選定でもって新しい勲章が加わったことを喜んでいた。アニメを見てきてくれる人がぐっと増えたことで、単なる観光者ではない一種の「関係者」といった見方をしていくべきなんじゃって話し合いも持たれたそう。それだけアニメ聖地巡礼によるコアで濃い来訪者への期待が大きいってことなんだろー。

 「よりもい」のほかには「はまち」こと「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の千葉県千葉市が入ったり、「冴えない彼女(ヒロイン)の育て方」で埼玉県和光市が入ったりと関東圏はいろいろとランクイン。藤沢市なんかは「TARI TARI」だとか「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢をみない」だとか「つり球」だとか「刀使ノ巫女」で選定されてどれがどれだかといった感じ。まあそれを云うなら映画「あなたの声をとどけたい」で入っても良いんだけれど、そこはやっぱり投票が左右するだけにいろいろあるんだろう。そうし映画では「劇場版のんのんびより ばけーしょん」で沖縄県の八重山諸島が選ばれていた。公開されて間もないのにしっかりと入ってくるあたり、強烈な印象を残したんだろう。行きたいと思ったものなあ、八重山に映画を観て。

 ユニークなところでは木崎ちあきさんの小説を原作にした「博多豚骨ラーメンズ」で福岡市が入っていたけれど、アニメのような描かれ方をした人口の3%だかが殺し屋だなんて時が聖地巡礼の対象になり得るか、ってところがひとつ謎。普通は行きたくないだろう。でもアニメではああでも現実は違っていればそれは聖地として見ておきたくなるものなのかも。いや博多は現実に殺し屋がいっぱいいる修羅の街だから、って言いたくなる気もおこったけれど、池袋で平和島静雄が投げる冷蔵庫が富んでいないのと同様に、アニメに近くても肝心なところはちゃんと線引きされていると思いたい。思いたいけれども博多はやなあ、やっぱり修羅の街だものなあ。聖地で大丈夫かなあ。裏聖地にしておけば良かったんじゃないかなあ。

 しかし発表会にはわざわざアニメツーリズム協会の会長として富野由悠季監督に来臨を賜ったのに、途中で一言も話させず挨拶すらさせないでフォトセッションに立つだけにしたのは謎というか理由も分かるというか。2018年版の発表の時には登壇していろいろ喋ったけれども自分の作品が入ってないというある種の韜晦はそれとして、聖地を選びながらも選ばれてないところにも行こうと話して、それはそれで真っ当だけれど協会としては存在意義にも関わることを会長の立場で言われてしまっていろいろ不安もあったんだろう。次の機会ではチェックしないと掲載しない状況になっていて、今回は一言も喋らせないという完全防備。まあ喋れば書かなきゃいけない身としては何も言わなかったから楽ではあったけれど、今いったいどういう意見を持っているかは聞いてみたかったかもなあ。

 今日から「第一回白鯨会展」なる名称で始まった牧田恵実さんの個展をのぞきに浅草橋にあるアートラボ・アキバへ。18禁の部屋があって並ぶは乙女の妄想が炸裂した作品群で、バオバブがファロスだったりタマネギがヴァギナだったりしてそれがスイスアルプスだかをバックに置かれた絵なんてどういう妄想か、分かりそうでパーソナルでもある思考をもろ浴びされる気がして楽しかった。全年齢の部屋にも妄執のモチーフたるバオバブの絵が並んでいるけれど、小さい写真の中以外はそれがファロスに転じていないんで安心して見られる。どう安心だ。中に高校生の頃に描いた絵とかもあって巧すぎる。バオバブと工場という高校時代のモチーフは、最新の作品でも再現されていて凄い技量がより凄くなっている。バオバブが色彩的にもフォルム的にも変化し始めた作品もあってなかなか楽しい。作品集やブロマイドも販売中。また行こう。


【10月28日】 新約に入ってからもう21巻にもなっていたりする鎌池和馬さんによる「とある魔術の禁書目録」の最初のシリーズの、15巻あたりなんてもうほとんど覚えてなくって、学園都市のうごめくグループだのスクールだのアイテムだのといった集団がいったいどういった構成で、何を目的にして動いているのかすっかり忘れていたんで第3期が始まった「とある魔術の禁書目録」のアニメーションで、動く麦野沈利だとか滝壺理后だとか結標淡希だとか海原光貴だとか垣根帝督といったあたりを見て、そういえばいたなあといった記憶を引っ張り出しつつあるところ。とはいえ天草式十字凄教に所属してアビニョンでノーブラの上にシャツを羽織るという破壊的なファッションを見せてくれた五和のように、ビジュアルで記憶に刻まれるキャラクターに乏しかったこともあってストーリー展開はまるで記憶から飛んでいる。

 一方通行と土御門元春がいるグループあたりはまだ学園都市にとって味方な気もしないでもないけれど、裏切りだって平気な土御門とか歩く破壊兵器の一方通行がいるならやっぱり悪の組織だたのかもしれない。どうだったっけ。麦野沈利は途中で浜面仕上と仲違いかなにかをして、いろいろな目にあってから復活してきて目に炎を燃やして追いかけてきたような記憶が割とあるんで、その動静にちょっと注目しておきたいところ。とはいえ新約となって以降、神様連中がインフレーションしてアレイスター・クロウリーまで美少女化してキャラクターがしっちゃかめっちゃかになっているんで、そことは切り離してノーマル版だけでどういった配置だったかを思い返すのが良いのかも。ってか新約にも出てたっけ。食蜂操祈くらいしか記憶にないんだよなあ、学園都市からの大活躍組って。まとめて読み返すかなあ。強制プーに奈良ナイトも限らない情勢だし。

 気に入らない相手を文字通りにぶっ殺したくなってしまって、実際に怪獣を使ってぶっ殺すことも厭わないくらいに精神が沸騰している割には、嫌な場面に遭遇しても即座にブチギレることはないのはやっぱり美少女の仮面はある意味で抑制につながるってことなのか。でも迫ってくる男たちの鬱陶しさに顔を隠して嫌気を示し、最後まで付き合わずに飛び出してしまうあたりはやっぱり美少女であっても我慢はしてられないってことなのかも。

 そんな新条アカネのジリジリといらだっていく心理状態を感じさせられた「SSSS.GRIDMAN」の第4話。宝多六花をバス停で待ち受けいっしょに学校に行ったのは、彼女に感心があったからなのかそれともグリッドマンの正体が裕太だと感じて、今その近くにいるらしい六花から何か聞き出そうとしたのか。流れだと後者だけれどもエンディングでアカネと六花が2人で仲むつまじくしている映像とか見たり、家が近所で昔はいっしょに学校にも行ったことがあったらしかったりする点から、それなりに思い思われた関係なのかもしれない。

 そんな六花と裕太の間にいったい何があったかも分からないまま、ぎくしゃくとした人間関係の中でただ怪獣は現れ続けるといった展開。強さも増していたりして果たして戦えるのかといったところで、集合した新世紀中学生の4人がまとめてグリッドマンの強化に乗り出そうとしたら、古いパソコンだったからか処理オチとして武装させられなかった。そこでコンセントを引っこ抜くというパソコン使いには悪夢のような処理を六花が見せたけれど、何かがイカれることもなく再起動したパソコンの中でバトルトラクトマックスが合体して怪獣を倒せてひとつ進展。何体までは装備可能かを探りつつ、いつかメモリも大容量のパソコンへと移転しそこで全装備を身にまとったグリッドマンが大活躍をしてくれるのかな、制限付きの中で工夫する展開が続くのかな。見ていこう。

 9月25日に開かれた第31回東京国際映画祭のラインアップ発表会で、「アニメーション監督 湯浅政明の世界」の紹介に登壇した湯浅政明監督が次の作品について問われて10月28日に発表すると漏らしたとおりに新作映画の発表があったんで六本木ヒルズへ。そして明らかにされたタイトルは「きみと、波にのれたら」というもので、彼女が水着に着替えてもないし私をスキーに連れてもいかないタイトルに、どういった話になるんだろうかといった興味が浮かぶ。曰く「シンプルなラブストーリーです」とのことだけれど、何を作ったって複雑な構造を持ってビジュアルもテクニカルなものになるのが湯浅政明監督。一筋縄ではいかないラブストーリーになっているんだろう。

 設定としては消防士の青年とサーフィンをたしなむ女子大生のラブストーリー。自分に自信が持てないひな子という女子大生を港という名の消防士が支え引っ張っていく話になりそうだけれど、それだけだと少女漫画を映画にしたようなものになってしまうからなあ。続編ではないものの「ルーともちょっと繋がっているところがある」そうだから、少しばかりのファンタジー要素も用意されているのかもしれない。「すごく意外なところから始まるかもしれないが、最終的には満足していただける感じ。スペクタクルもあるし、ドラマの盛り上がりもある」と湯浅監督。「皆さんと波に乗れたらと思っています」と言われたからには、公開日にかけつけその波をビッグウェーブへと変えるお手伝いをしよう。

 そんな湯浅政明監督の新作が発表されたイベントは、本来は「夜明け告げるルーのうた」の上映会で、トークイベントではフジテレビの笠井信輔アナウンサーの問いかけに答える感じでいろいろなことが明かされた。例えば誰もが聞いてみたかった、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」への意識があったかどうかってことで、湯浅監督は「人魚にしたのは他に競合がいないと考えたからで、『ポニョ』に気付いたのは後です」と答えて、あまり意識はしていなかったことを明かしてくれた。

 ただ、「ジブリ愛というか宮崎駿愛はあった」と湯浅監督。『パンダコパンダ』が大好きで、『夜明け告げるルーのうた』のパパのキャラクターはパパンダ(父親のパンダ)のイメージ」と話していて、なるほどトトロすらそこから派生したともいえるパパンダが原点だったのかと改めて教えられた感じ。ニカっと笑ってどんどんと進む姿はトトロよりはパパンダだよなあ。あとは「カートゥーンも大好き」ということで、アメリカのアニメーション黄金期を支えたテックス・エイブリーの要素なんかがダンスのシーンに入っていたとか。それもだいたい分かった。今度の作品がそうしたカートゥーン要素も混じる話になるとはちょっと思えないから、もうちょっとベタにファッショナブルな絵が連続するアニメーションとして、女性にも受けることを願いたい。

 群れて仮装して集まって騒いで何が楽しいっていうのが信条で、やるなら自分がそれになり切って楽しいと思える仮装をやって欲しいと思うんだけれど、今は何であれ仮装して繰り出すことでつながりを持った気持になって安心していたいんだろうなあ。そうした同調意識がちょっとした脱線へと自体が流れた時も我には帰れずいっしょになって脱線を後押ししていった挙げ句に暴徒と化して渋谷のハロウィンを大混乱に陥れる。その場にいるときはそれが当然と思ってしまっても、ハッと我に返った時にとんでもないことをしでkしてしまったと思うのかも知れない。しっかりと映像に録られているから被害届けが出れば警察だって動くだろう。戦々恐々。なるほどそれもまたハロウィンか。やれやれ。


【10月27日】 SFマガジンの2018年12月号に掲載されていた草上仁さんの「魔王復活!」が最高だった。時は現代、各地で魔王の復活が相次ぐ中で日本政府も対策を受け持つ部局を発足させたものの、自衛隊とか警察のように組織だったものではなく、武器も支給されない中で街中でも持っていて危険物だと怪しまれない包丁を築地へと買いにいって仕入れては、これも包丁を持っていて怪しまれない板前の格好をして動き回ることになる。その担当者が小太刀を極めたこともある女子。だったら小太刀をとはいかないのが現代で、ひとり仕方なく板前の格好をしつつ、スマートフォンにボーカロイドが唱える呪文を入れた男性や、感覚を加速させるような薬物を開発して持ち歩いている男性を従え、幾つもの確変が起こっていた埼玉へと東武伊勢崎線で向かう。

 現代ならではあり得る可能性を並べて成り立たせて見せた魔法戦の様子がまずは愉快。そして魔王自体も存在が認識されなければ存在できないといった観測問題の上にあってそしてその復活を認めれば認めるほどに存在を濃くして強くなっていくからなかなか厄介。これもまた現代み魔王のような異形を存在させる企みがこれも面白い。一行の行く先々に現れ邪魔をする謎のクマとかもいたりして、いったい何者かといった想像があってなおかつそのクマの結構な強さに長包丁でもって挑む板前女子もいたりしてと、絵にすれば実に滑稽な様相がそこに繰り広げられる。どこか短編ドラマにして放送してくれないかなあ。あるいは映画にしたって良いかも。SF的なアイデアを笑えるストーリーにくるんで伝える草上仁さんの真骨頂がいかんなく発揮された中編。願わくばこのチームで続きを読みたいものだけれど。

 不定期刊ということはきっと実質的な休刊になってしまうんだろうなあ、小学館の「SAPIO」。昔は国際情勢なんかも伝えるジャーナリスティックなルポルタージュも多く掲載されてて、読んで勉強になったことも多かったけれど最近は嫌韓嫌中反野党にして安倍ちゃん大絶賛の翼賛ライティな雑誌になってしまって、前からの読者なっかがどんどんと離れていた感じ。それで隔月刊になったけれどそれすら維持できないといったところに、見かけは威勢が良くても金払いという面では厳しいライティな層の傾向が見える。ああいった取材も必要な内容だとやっぱりお金もかかるんだろう。一方で机上の妄想を掻き集めては並べるだけの「WILL」であったり「Hanada」であったり「正論」なんかは未だ健在の様子。実体がどうで誰に変われているかは謎めくけれど、そちらにも及んできたらいよいよやっぱり翼賛なライティへの関心が、ここに来て大きく転換している現れってことになるかも。動勢に注目。

 新宿バルト9で「若おかみは小学生!」を観た後で、夜には関西方面へと回る予定の高坂希太郎監督と、今回が初登場となる渡邊洋一美術監督、加藤道哉撮影監督・VFXスーパーバイザーによるトークショーを聞く。加藤さんはエンドロールの泣けるイメージボード使用の立役者で、どういった順番で出すかも決めたらしい。高坂監督はイメージボードの使用に反対していて、最初は黒バックに花を散らす気だったけど、子供向けでそれは暗いと加藤さんがイメージボード入りを作って見せて、プロデューサー陣の賛成を誘い編集の瀬川武司さんの応援も得たというのはいつかのトークイベント以後、取り沙汰されていた話。今回の舞台挨拶では、高坂監督が加藤さんを横に改めて発言して、こうしたスタッフ間のやりとりやパス回しが良い映画を作り上げたことを喜び感謝しているようだった。

 渡邊さんはウリ坊が屋根を突き抜け喜ぶ場面で、10メートルもの美術を描かなくちゃいけない設計になったのを加藤さんの計算なんかもいれて抑えたらしい。でも、ウリ坊と美陽ちゃんが鯉のぼりを追い越しながら追っかけ合いをするシーンで、場面では最初はもっと速く飛ぶんでバックもいっぱい描いたのが、ゆっくりになったんで随分と使われてないと楽屋での打ち合わせで聞いたらしい。いつか「若おかみは小学生!」に関する原画展とか美術展が開かれたら、是非に展示をして欲しいものだなあ。あと、あの鬼のような映り込みは写実に近い背景で地味になりがちな和風の建物の中をどう彩るかってことも勘案して、加藤さんが拾っていちいち映り込みをつけていったらしい。包丁だとか蛇口もそうだけれど、個人的には神楽の練習で板の上に映るおっことピンフリの影があらためて凄いと思った。

 美術については、目の大きなキャラクターのおっこを基準にして背景を描くなら本当は荒くなるのをやっぱり描き込んでしまったのを撮影でぼかして調整したと。映画のクオリティってつまりはそういった作画であったり美術であったり撮影であったり編集であったり音響であったりといった各部署の、さまざまなパス回しによって形作られているってことなんだろう。こうした話は是非、パッケージ化されたらオーディオコメンタリーで聞きたいところだし、生コメンタリー上映でもって美術と撮影がづいった差配を行ったかをかぶせるように話してくれても面白いかも。質疑応答ではおっこが春の屋の自分の部屋に入ったところで入射光にほこりがまっているのが凄いと思ったという意見が出て、そこも渡邊さんが後からそういうシーンになると聞いて付け足したとか、撮影さんが働いたとかいった感じだったみたいで結局のところは高坂監督は鬼だと分かった。映像の鬼。作品の鬼。それを受けてその先を行こうとするスタッフの頑張りが生んだあの高密度映像ってことなんだなあ。日本人仕事しすぎだ。

 ようやく出た阿部藍樹さん「白翼のポラリス2」(講談社ラノベ文庫)を読んだらピリリとした空戦&侵略と戦う戦記物になっていた。海ばかりの星を巨大な船が国となって行き来している世界で、飛行機を使い運送を担っているのがスワローと呼ばれる職種の人たち。頭にコンパスが入っているかの如くに方角を間違えずに飛べる力あって、そんなスワローでも名うての一人だった父親が消えて、その愛機を告いだシエルを主人公にして運送屋の矜持と戦乱の中で戦うお姫さまを描いていたのだ第1巻。そして第2巻ではシエルの行方不明だった父親が別の国で空軍の隊長めいたことをしているのが判明。その父親から持ちこまれた”荷物”を守ることが世界の命運と繋がっていく。

 日本のような人名を持った人とか皇族とかが出てきて、そして日向とか赤城といった日本の戦艦を模したような名前を持った戦闘艦を所有している大国があって、オーパーツ的なものとなっている古来から伝わる技術を割と多く持って国力を高めていた果て、寒い地域を脱して世界を侵略するかそれとも協働していくかで分かれていた感じ。そんな中で恐慌はが侵略を始めてしまったのを、止めようとして戦う少女がいて、それをシエルが助ける形となる。結果、戦乱はひとまず収まったもののシエルにはただの運送屋の分を超えた任務が舞い込み、それこそ星を揺るがす戦いにの中で存在感を示していきそう。いったいどうなるか。そして次々と加わる美少女達でハーレムができるのか。いろいろと気になるだけにやっぱりここは続いて欲しい。そしてなるべく早く続きを出して欲しい。期待して待とう。


【10月26日】 東京国際映画祭のP&I上映で「PSYCHO−PASS サイコパス  Sinners of the System Case.1『罪と罰』」を見た。霜月頑張った。そして続いて「PSYCHO−PASS サイコパス  Sinners of the System Case.2『First Guardian』」も見た。おやっさん格好いい。まだ公開前で多くは語れないけれど、そんなことくらいは言って良さそう。とりあえず1期と2期と劇場版も含めた人間関係を今一度、おさらいしたくなった。脚本はCase.1が確か吉上亮さんで、内容としては宜野座と霜月の物語だけれと宜野座がアクションをいっぱい披露する。あの宜野座が。ちょっと驚く。Case.2は深見真さんで政治に軍事に人情が絡むけれど、同じ深見さんが脚本を書くしCase.3とも絡みそう。それだけに早く見たいけれど、公開はいつになるのかなあ。

 新宿へと回ってバンダイナムコアミューズメントが運営しているVR ZONE SINJUKUで最新VRの「ゴジラVR」を体験。大阪にはすでに導入されているものだけれど、ゴジラがビルの上にそびえる聖地・歌舞伎町で遊べないのはやっぱり残念ってことで今回の導入はありがたい。でもって内容はといえばだいたい「シン・ゴジラ」。あの巨大で理不尽にも恐ろしいゴジラがのし歩くのを下から眺めてしっぽがぶんと振り回されるのを体感し、そして戦闘ヘリのガンナーとなってゴジラにミサイルやらをお見舞いするのを体験できる。そんなVR。

 映画でも巨大感は存分に出ていたけれど、目の前が街並みになった中でゴジラがぐおんと屹立しているのを真下から眺める感じはVRならではで、その巨大感にまずは圧倒される。壊すビルのガレキをそこはコンピュータ、ではなく腕利きのパイロットが操縦したヘリがうまく避けながら飛んでいってゴジラを追いつつ避難民がいるからまだ撃てず、やきもきとした先でいよいよ街がゴジラによって火の海に包まれた中で射撃スタート。視線を合わせてトリガーを引いてゴジラに弾をぶちあて、そして最終的にはぐわっと開けた大口に血液凝固弾をぶちこんで倒す。

 いつまたあの熱線が飛んでくるか分からない中で相当に恐怖もあるけれど、おちついてタイミングを合わせてトリガーを引けばしっかりと、ゴジラに当たって倒せる。そこが嬉しい。難易度の高さを競っていた感もあるVR ZONE SINJUKUのアクティビティにあってエンターテインメントに寄ったものだとも言えそう。4人でのマルチプレイも出来るけれど、1人でもゴジラを倒せるのは良かった。トリガーを照準に合わせて撃てばいいのだ碇シンジくんのように。興味深かったのはゴジラのモデリングを白組が手がけたことで、映画と同じ造形のゴジラがVRに登場して同じような重量感を漂わせながら動く。だからこそ没入感も高いのかも。映画が好きだった人ほどハマりそう。庵野秀明総監督や樋口真嗣監督はもう遊んだのかなあ。遊んでないなら遊んで感想、聞きたいなあ。

 TBSラジオの「アフター6ジャンクション」でライムスター宇多丸さんが「若おかみは小学生!」について遂に解説。冒頭からいきなり流れた藤原さくらさん「また明日」に映画のあの感動を思い出して涙ぐむ。そして宇多丸さん、最初は絵面的に食指が伸びづらかったけど、観ることになってまずは映画を観てそれから20巻ある原作も読んで、4月から9月まで放送されたテレビアニメ版も観て劇場版ノベライズ読んで同じ吉田玲子さんが脚本を書いている映画「リズと青い鳥」も観て、最後にまた映画を観て結論としてやっぱり食わず嫌いせずに観て良かった、と話してた。つまりは激賞。

 抑制が効いて品良く抑えられたからこそ観る人の涙腺を刺激せずにはいられない、文句がつけづらい傑作であるとライムスター宇多丸さん。原作とかから選んだプロットの再構成と、それを元にした吉田さんの脚本化の手際が良いとも話してた。原作にあるライトな方はテレビシリーズに任せ、映画版はファンタジック要素を最小限に抑えてそして鬼クライマックスを持ってきたけど、それもまた原作小説の終盤の展開を忠実に再現しているとのことだった。ため込んできた感情を表にはき出し段階を抜ける、その着地が感動になっているという。

 連想するのは是枝裕和監督が映画化した「海街dialy」のすずちゃん。ずっと貯めてきたものをはき出して重たかった現実を受け入れ、前に進む展開なんかが似ているのかな。「若おかみは小学生!」のおっこが、そうやって現実を受け入れていく展開がロジカルで考え抜かれているという。あとは構成も、神楽から神楽の1年を春夏秋冬でつづっているところとかを指摘。パンフレットなどで高坂希太郎監督が解説していたように、3つのエピソードで最初のあかねを現在のおっこ、グローリー・水領さまを未来のおっこ、宿屋に来た木瀬翔太くんを過去のおっことしている構造を紹介していて、そうした関係性がクライマックスですべてが交差し集約。グローリーに受け止められ翔太くんを受け止める展開を指摘していた。

 おっこがトカゲを見た反応でも成長を描いているとも。あとはアニメーションとして目にも楽しいカタルシスに溢れているといったことも指摘していた。温泉で廊下をぞうきんがけしているシーンだけでも気持いいのはアニメの強みだし、食べ物が美味そうなのはジブリイズム直結と宇多丸さん。なるほど確かに。卵焼きの包丁への反射、ウリ坊ごしに部屋の人物を俯瞰でとらえる複雑なレイアウト、メリハリのきいた明暗使いなんかを上げてたし、あとは現実とシームレスにあらわれる両親の姿も、夢という描写がないまます進む展開が新鮮で不穏さも漂うと話してた。布団の中をもぐりこむと両親が手を伸ばすショットがあって、それが終盤に出てくるところに催涙効果があったと。そこは確かに感じた。

 ひとりの小学6年生女子に帰ってはしゃぐ水領さまとのドライブシーン、ジンカンバンジージャンプかかかる軽快さ、その奥にあるものが涙腺を誘うし、早くになくなった2人の幽霊の夏休みを楽しんでいる感じとか、次々と見どころをあげていく宇多丸さん。真月さんのことも語っていて、死んでしまった姉を思ってふっと悲しみを吐露する真月さんに泣かせ死にさせる気かと云っていた。あそこは確かに泣けるのだ。そこから続く神楽のシーンは、多幸感と切なさがないまぜになり、けれどもハッピーな別れとなって、終わったら拍手したくなる。ポンとおわる潔さがいいとも。そして続くエンディングだからこそ、流れて思い出して泣いてしまったのかも知れないなあ。

 よく、おっこがあまりに気丈だといった意見が出るけれど、それが不穏さになっているのだとも話していた宇多丸さん。冒頭の「いってきますと」か、さして落ち込んだ様子を見せていないところがサスペンスであって不穏さであって、それは「海街dialy」と同じ構図になっているとのこと。補足するなら、そこではまだおっこは両親の死という不幸や悲劇を受け入れられてなくって、自然といつもと同じ振る舞いをしているってこと。だからこそ終盤で本当に両親の死を意識させられて、涙し走り出して子供に戻るのだ。そういうところにちゃんと気付いてくれたところがさすが、宇多丸さんという感じ。結論として今年の日本映画の中でトップクラスの良作、劇場で見てと大推薦。これでまたまた観客動員、伸びるかなあ。伸びて欲しいなあ。


【10月25日】 なろう系からハヤカワとして2人目になるのか、他にもっといたのかは、調べれば分かるけれどもとりあえず、「JKハルは異世界で娼婦になった」に続くなろう系からの刊行に思える七士七海さんによる「異世界からの企業進出!? 転職からの成り上がり録1 入社篇」(ハヤカワ文庫JA)は、なるほどハヤカワが引っかけるだけあってスカッとした感じに俺TUEEEEとはなってなくって、そもそも異世界転生でもなくって、現代に生きていた会社員が上司と喧嘩して辞めたところに舞い込んできたチラシを見て、ダンジョンのテスターを募集していると知って応募したら……といった展開。つまりは現代の日本と地続きの場所だったりする。

 かといってすぐに誰でも行けるという感じではなく、あるていど魔力を持った人間だけがチラシを読めて、募集している会社に入れて入社の面接も受けられる。そこで田中次郎という主人公は合格して採用され、魔王たちが勇者によって簡単には攻略されないダンジョンを作るため、人間の観点からテストをするための人員になる。不思議なのはそうやってテストの際にテスターたちに殺害されるのは、魔王たちの一族であってつまりは仲間なんだけれど、そこは弱いから敗れるんだという割り切りもあるみたい。とはいえ簡単に敗れるはずもなく、次郎たちは集合して講義を受けつつ個別に指導も受けたりする。

 次郎にも教官が2人ついたけれど、これが軽そうに見えて実は将軍クラスの者だったからたまらない。簡単に人間なんてはじき飛ばしてしまえるその力を抑えつつ、それでもわき出る力を次郎にぶつけて瀕死の状態へと幾度も追い込む。それで死なないところが主人公というか、生きる気力を見せて訓練をしのいでそれなりの実力をつけてく。もっともそうやって訓練を終えても、ひとり年かさだったこともあってパーティを組めずソロで入ったダンジョンをなぜか攻略。魔王からも将軍からも少しは目をかけられる存在になった田中次郎が、どれだけの強さを発揮して勇者にも劣らないテスターになれるのか。そんな興味を持って続きを読んでいこう。ネットを開けば読めても読まないのが自分なので速く続刊を。

 シリアで拘束されていたというジャーナリストの安田純平さんが、V年ぶりに身柄を釈放されたそうでトルコ経由で日本へと帰国。まずはお疲れ様でした。シリアという誰が味方で誰が敵なのかも分からないような内戦が続いている地域に入って、最前線から情報を伝えてくれるジャーナリストがいるからこそ世界は、シリアで起こっていることを知り誰が敵で誰が味方なのかといった問題を考える材料を得られる。誰も行かず一方的なプロパガンダばかりでは困るし、海外のジャーナリストが取材した内容を受け売りしてもそれぞれにバイアスもかかっているだろう意見に偏り判断に迷う。だからこそ多くの人が入って見て聞いた話を並べる必要がある。

 そうした行為をも今の世間は自己責任で危険なところに行った人間を支持する必要もなければ、捕まったからといって救出する必要もないという。なるほど身代金を払ってそれが相手方の資金を潤し、テロを促してより大勢が被害に遭う可能性は否定できないけれど、だからといって見捨てて身代金を渡さなかったところで事件は起こり続けるし、新しいジャーナリストがもう行けないとなって新しい情報が入らなくなって、判断を誤りもっと大勢の不幸が生まれる可能性だってある。必要なのは情報であってそのためにコストをかける必要を考えるなら、ジャーナリストの行為を阻害し非難することは、かえって自分たちの首を絞めることにつながりかねない。敵とみなされ攻撃されたらそれこそ被害は甚大になる訳だし。

 安田純平さんが救出されたことで世界は、シリアで3年の間にいったいどういったことが行われていたかを間接的にでも知ることになる。ずっととらわれていても日々に接する反政府勢力の言動から、何が問題となっているかが分かるだろうし、そうした拠点がどこにあるかも類推できるようになる。その意味では暗殺される危機もあり、また囲い込まれる懸念もあるからそこをまず、日本という国は護って欲しいところ。もはや人質ではない国民を護ることを厭うはずはないのだけれど、それも自業自得だと言って切り捨てようとする勢力がやっぱりあるからなあ、この国には。ともあれ静かに体を休めた後で、ジャーナリストとして生きて帰った証を示して、その3年間が無為ではなかったと示して欲しいし、政権もそれこそ“英雄”と称えて欲しい。

 だってほら、韓国で時の最高権力者である大統領に関する根も葉もない噂を真に受けて、コラムに書いてセクハラまがいの内容でもって大いに侮辱した支局長が、当然のように名誉毀損を問われて収監されてしまった一件について、誰も自業自得と非難しなかったし、さすがに刑事事件にはできないと司法機関が釈放し、日本に帰国したら言論弾圧と戦った英雄と扱って時のというか今も同じ総理大臣が面会した。裁判でも認めた虚偽を書いて非難を浴びたという意味で、まったくジャーナリストとは正反対の人間を英雄と称えたんだから、本当の意味でテロリズムの最前線で戦ってきた人間を英雄と称えて不思議はないなけれど、そういう頭が回る政権でもないし。まあ称えられても迷惑か。

 「僕のヒーローアカデミア」がアメリカでレジェンダリーの手によって実写映画化されるかもという話が入ってきて、だったらオールマイトはアーノルド・シュワルツェネッガーだよなあと思ったものの御年71歳ではちょっとオールマイトは荷が重いような気がしつつ、だったら代わりはとなると思い浮かばないところにシュワちゃんの唯一性という奴が強く輝く。今なら誰であってもそこそこの体格さえあれば、あとはCGでもって補完してパワフルな肉体へと変貌させられるし、むしろその方がオールマイトがマッスルフォームを維持できなくなった時に合わせやすいんだけれど、それでもやっぱりオールマイトには本物の肉体でもってその強さを誇示してもらいたいところ。そして痩せたところをCGにするくらいの見せ方でないと誰もがそこに存在を感じられないだろう。「わたしが来た」と言って安心させられるくらいの器量が必要なんだよ、オールマイトには。だから誰がいいかなあ、ドルフ・ラングレンも年取ってるし。むしろレジェンダリーということでジン・ティエンが何役をやるかが注目か。やっぱり八百万か。それもまた年齢が……気にしないのがレジェンダリーってことで。

 プロ野球のドラフト会議があったけれども秋田の農業高校のピッチャー、吉田輝星くんは最初の一巡でどこの球団からも1位に使命されず、4人の選手が上がってうち3人がくじ引きになった後ではずれ1位の中で北海道日本ハムファイターズが1位で指名。一応はドラフト1位になるんだけれどどこかやっぱり指名が集まり籤で抽選の上決まった選手との差が感じられてしまう。とはいえ去年の清宮光太郎選手だって、ドラフト1位で入ったものの1軍では活躍できず2軍に落とされそこで鍛え直されてどうにかこうにか1年目を過ごした感じ。2年目だってブレイクするかどうか不明なだけに果たして吉田輝星くんはダルビッシュ有選手になれるのか斎藤佑樹選手のように長く停滞を続けるのか清宮光太郎選手みたいにしばらく低迷するのか。そこが目下の注目だろうなあ。話題はとっても実力は伴わない選手ばかりで球団だって困るから、そこはどうにかしてくれると期待。できなければ農業高校のスキルを活かして日本ハムで酪農か畜産の仕事を、ってそれが狙いか?


【10月24日】 経団連といったら産業界経済界を束ねるリーダー的な組織であってそこのトップといえば日本の産業界経済界を代表する人物とも言える訳だから、これだけ世間がネット時代だのIoTだのと言われている中で当然のようにネットを駆使して情報をやりとりしているべきだといった認識が、世間にはたぶんあったからこそその経団連の会長で、なおかつ日立製作所というある意味で日本のコンピューター産業をリードしてきた企業の出身者が、経団連では自分のPCすら持たずメールもやりとりしていなかったというのはなかなかに衝撃的というか、あるいは笑い話として世界に向けて通信社が打電したって不思議はないかもしれない。自動車会社のトップでありながら運転免許を持っていないとかいった話以上に深刻だし。

 だって自動車は乗せてもらっても楽しめるけれど、電子メールは今やツールであってそれなしにいったいどうやってコミュニケーションを取れば良いのか分からない人の方が多い。その中でやらずに済んでいたのはすなわち秘書がいて届くメールのあらゆる分を読み上げ精査し返事も出してくれていたのか、あるいはもはやメールなどというドキュメントベースのやりとりなんかは超越していて、執務室に入るなり脳内にインプラントされたチップを通して意識が電子ネットワークの中にダイブして、そこで情報も得ればメールも精査し返事もしつつ執務もこなして映画も観るような超ハイテクなコミュニケーションが行われていたのかもしれない。どうなんだろう。いっそ経団連会長は器に過ぎなくて、影で過去の財界人とか発明家の脳が数多結節され、その集合意識が器に転送されているだけなのかも、ってそれは「PSYCHO−PASS」か。それくらいの国になっていて欲しかったなあ。やれやれ。

 現代の吹奏楽経験者が異世界に転移し、そこで音楽の技術や楽曲の知識を活かして活躍を始めるライトノベル、と言えば是鐘リュウジさんの「ブラス・オブ・シェルオール 新世響奏の姫騎士T」が浮かぶのだけれど、残念にも続きが出ず悲しんでいたところに登場したのが「きんいろカルテット」で若いユーフォニウム奏者ほかブラスバンドの演奏者たちが登場する物語を書いた遊歩新夢さんの「どらごんコンチェルト!1」。世界的なトロンボーン奏者の師匠の下で学んで、コンクールにも出た遊佐響也だったけれど、緊張からか恐怖からか舞台に立って演奏が飛んでしまって大失敗。師匠にも迷惑をかけそれが心に傷となって演奏できなくなり、師匠の元を去って楽団のステージマネージャーをしていた。

 きっぱりと諦められないところに未練も漂うけれど、いい加減に道を決めるべき時期にさしかかっていたところに、楽器を運ぶトラックごと異世界へと飛ばされてしまう。トラックから出た遊佐は、そこで古い時代のトランペットの奏でる音楽に感銘し、吹いていたフィリーネという少女に救われる形でその世界に居着く。どうも歴史上のローマ帝国時代に似ていながら微妙に違ったところがある世界。何しろ竜神が現れ音楽を所望するからやっぱりファンタジー。フィリーネはそんな竜神に奉納する楽士になるため音楽を学んでいた。

 演奏家としては優れた過去があったし、知識も豊富な遊佐にフィリーネは師事を頼むもののコンクールでのトラウマもあって音楽を嫌っていた遊佐。とはいえ助けられた恩もあってフィリーネを支え指導し、楽曲といっても現代に伝わっていた名曲を譜面に起こして提供して、フィリーネはめきめきと腕を上げて竜神楽士になるための演奏会で名演を披露する。もっともなぜか合格はできなかった。どうして? そこに蠢く陰謀は、フィリーネに難題を課し、さらに遊佐にも危険が及ぶものの、当地で知り合った貴族の娘で楽士でもある少女や、フィリーネを審査し腕を認めながらも謀略があって意見が通らなかった審査員のハイドンの支えもあって窮地をしのいでいく。

 もっとも、本当に突破するためには遊佐自身が吹かなければならない。首を持ち上げるトラウマ。けれども少女のため、自分のために吹かなくてはならないところでどうやって突破していくかという部分に、音楽家なりアーティストが抱える限界や恐怖との戦いを見て取れる。誰のために奏でるか。自分のためかそれとも。そんな問いも投げかけられる。もとよりトラウマがどういう理由で発生したのか分かりづらいところがあるけれど、誰もがきっとキツキツだったんだろう。そうした悩みを持たないフィリーネの姿が遊佐にかつてのような、楽しく朗らかに音楽を奏でていた時代を思い出させたのかもしれない。

 ハイドンが美少女だったりモーツァルトとバッハとベートーベンが同時にいたりする不思議もあって、やっぱり異世界めいてもいる舞台でフィリーネと遊佐は立場を得て、次なるステージへと進んでいくことになりそう。世界を滑る竜神が所望する音楽を奏で続けることでいったい遊佐に何がもたらされるのか。師匠が待つ現代への帰還もあり得るのか? そのあたりが気になるだけにこれはちゃんと続いて欲しい。それにしてもハイドンが美少女なら他の楽聖たちも美少女だったりするんだろうか。トラックに積まれた現代の楽器たちが封印を解かれて活躍するシーンも描かれるんだろうか。やっぱり続いて欲しいなあ、そして「ブラス・オブ・シェルオール 新世響奏の姫騎士T」の続きも出て欲しいなあ。

 オリィ研究所の分身ロボット「OriHime」が出ているっぽいビジュアルからあるいはと思っていたけれど、TIFFCOMのP&I上映で観た「あまのがわ」という映画はなるほど「OriHime」が出るにふさわしい内容を持った作品だった。「OriHime」がどういうロボットかを知らない人が観て、ちょっぴりドキドキした先でビックリするのを妨げないためにも詳細は避けるけれど、冒頭にちょっとした描写があって、そこから吉藤オリィさんらしい人が出てきて「OriHime」を調整して手渡している場面から、そういう展開なんだろうということはだいたい分かるかも知れない。つまりはそういうサプライズがあってその先、心や体に傷を負って閉じこもってしまいたくなっている人が、繋がることによって自分を見つめ直し、心をいやして前を向き歩み始めるといった物語。籠もらない。逃げない。諦めない。生きてさえいればいつかかなう、必ず。絶対に。そんなメッセージをもらおう。

 そのTIFFCOMは、いつものようにテレビ局とか映画会社とかアニメーション制作会社とかパッケージメーカーのブースが並んで商談中。これでちゃんと取引が行われているなら何も問題はないのだけれど、小規模の映像制作会社とかそれこそ個人のクリエイターが作品を見せるような場ではなくなっている感じもしないでもない。お台場の頃はとりあえずどこかが仕切って個人のアニメーション作家にブースを出してもらっていたし、六本木の頃は直後に東京コンテンツマーケットが開かれて、そこで出展されていた個人クリエイターが認められて世に出て行ったケースもあった。水江未来さんとか当時はイラストレーションを展示していたんだよなあ。

 でも、今のTIFFCOMではそういう出会いはなさそう。「あにめたまご」に出していたPICONAが出ていたくらいか。同じ事はAnimeJapanにも言えて、前身というか業界がこぞって結果として撤退に追い込んだ東京国際アニメフェアの頃にはあったCREATORS WORLDが、AnimeJapanではまるっと存在しなくなった。企業の出展はあっても基本はTIFFCOMと同じで新味に乏しい。以前はCGアニメコンテストは東京で前みたいに上映会とかやっていたけど今は無く、映画祭はあっても基本は完成した映像のコンテストであって、企画を見せて出資を募るような場にはなってない。ICAFとか美大系の卒制展とか通って良い作家を見つけても、それはあくまで学生作品だから次に繋がるものでもない。電通がアニメーション制作会社と組んでCMのためのアニメーションを作るなら、こうした美大系のアニメーションクリエイターを雇い作品を作らせるくらいのことをすれば良いのに。それよりやぱりショウケース的なイベントが必要だよなあ。それこそクールジャパンの出番なのに。やれやれ。


【10月23日】 それほど「プリティリズム オーロラドリーム」は熱心に観ていなかったけれど、春先に上映された映画「劇場版プリパラ&キラッとプリ☆チャン きらきらメモリアルライブ」で春音あいらが歌う「Dream Goes On」の尊さに触れた今だと、「キラッとプリ☆チャン」で白鳥アンジュがフッと口にした「Dream Goes On」に耳も反応して、ある種プリティシリーズのアンセム的な位置づけにある楽曲がここで流れる意味も考えて、つながりといったものへの思いをはせる。そういえば青葉りんかも子供の頃に歌っていたなあ。それだけ「プリ☆チャン」世界でも人気の楽曲なんだろう。

 そんなアンジュが春音ならぬ七星あいらからドレスを受け取りトップのプリチャンアイドルへと駆け上がっていった先、新たなアイドルたちを引き寄せようとしてMiracle kiratsを支えている姿にもつながりを感じて涙。この先どんな展開が待っているか。ますます目が離せなくなっていた。とりあえず12月のライブで白鳥アンジュを演じている三森すずこさんが「フォーチュン・カラット」をどう歌うか、そのバレエダンサーのような足上げも含めて再現できるかに注目したいところ。席とったけれどどの辺なんだろう。幕張メッセは広いからなあ。

 GAGAでマイケル・ムーア監督の「華氏119」を試写で観る。入口に1番近いポスターが「若おかみは小学生!」で、今のGAGA的な人気の度合いがちょっと測れた。何しろ会長の依田巽さんが直々に舞台挨拶に来たくらいだし、その思い入れを是非にパッケージ化へと結びつけつつ「ジンカンバンジージャンプ」のCD化なんかも成し遂げて欲しいところ。元であってそしていろいろあって離れたレコード業界であっても日本レコード協会元会長の威光をここで示しても悪くはないんじゃないかなあ。おっこちゃんの頑張りに報いるためにも。

 そうだった「華氏119」は、冒頭に繰り出されるドナルド・トランプに出馬を意識させたグウェン・ステファニーが悪いという言辞は、今のこのどうしようもない世界情勢に関して、トランプ大統領が悪いとか政治全体が腐敗しているとかアメリカの民主党だって酷かったといった原因探し、犯人探しの困難さを示したもので、そうした特定の誰かなり組織に原因があるのではなく、今のこの惨状はもう随分と前から芽生え育って積み重なった澱が、いよいよ一気に噴出したといった感じなのかもしれない。

 ラストベルトと呼ばれるアメリカ中西部の労働者がずっと抱えていた不満を民主党は解消できず、人種差別や金持ち批判を繰り出すトランプの過激な言動をメディアは視聴率が稼げるからと排除することなく積極的に報じて煽り、民主党は大統領選の候補者選びで実は一般投票で買っていたバーニー・サンダース候補をスーパー党員の投票によって貶め負けたことにして有意の民主党員の意欲を削ぐ。ミシガン州のフリントで発生した水道水に鉛が混じって子供たちに鉛毒の害が出て、そして大人もレジオネラ菌の発生で大勢がなくなる事態に当時のオバマ大統領が乗り込んで来ながら、何ら解決へと至らせず住民たちの失望を呼ぶ。

 もう山積の問題にはトランプ大統領が就任してからのものなんてなく、それ以前の段階でアメリカを蝕んでいた。というか共和党どころかリベラルな見方、民主主義の権化のような民主党ですら、かつてのビル・クリントン大統領が金持ちを優遇し福祉を切り捨て今の惨状へと至る道を作った。競争力を失い貧困へとひた走るアメリカにあって例えば鉛毒を呼んだフリントで行われた水源の切り替えは、自治体の財政危機が根っこにあって誰か特定の人物の私服を肥やすためのものではなかった。ウォール街だけが華やかに見えて、その下では誰もが疲弊していったアメリカの諸問題が積み重なっていよいよ起こった崩壊が、一気に噴出したのが今のアメリカ。トランプ大統領の当選もその延長に過ぎないのかもしれない。

 そんな行き詰まって未来に希望が持てない政治や行政に挑むウエストバージニアの教員ストは、教員だけを救おうという分断による慰撫を拒絶し、スクールバスの運転手や食道の従業員も含めた総体として挑み賃上げを勝ち得て、労働者の団結が示す力の大きさというものを感じさせてくれた。フロリダの高校で起こった銃の乱射事件を受けた高校生や学生たちを中心と銃規制運動の盛り上がりも、まだ目的のために頑張ろうとう純粋な思いが見え、そうした学生たちを応援する勢力に陣取りのような打算はなく、皆が同じ目的のために走って行くんだという強さが見えた。そうした運動に揶揄が入って分断が起こる気配がまだ見えないところにアメリカの底力が感じられ、救いがあるような気がした。

 もっとも、こうした運動はやがて先鋭化したり主導権争いによる階層化なり分裂が起こったりするもので、そうした対立につけ込まれて運動が崩壊していくのもよくある話。そうはならないためにも暴力であり貧困であり移民であり財政破綻といった問題が解決され、誰もが笑顔で生きていけるような社会をいったい誰なら作れるのか、それはどうやったら作れるのかを考えることなんだけれど、それが出来れば誰もが大統領どころか神になれる。限られたこの世界で誰もが幸せになるのはそれこそ共産主義的平等を誰もが不満を抱かず諾々と受け入れる必要があって、それもそれで自由からはかけ離れてしまう。難しい問題だけにトランプ大統領を倒したところで叶いそうもないのだけれど、それだと世界は滅びてしまう。かといってもっと過激で耳に聞こえの良い声に傾いてしまうと起こるのは独裁……。世界は問われている、誰がではなく自分が何をするのかを。

 不摂生が原因で病気になった人の医療費を税金で負担する必要はないんじゃないかという言説が、繰り返し国の偉い人というか特定の爺さんの口から乱暴にも発せられては、確かにそうかもといった賛同を呼んでいたりするんだけれど、こういう言説が恐ろしいのは、健康であることこそが第一義であって、それに背く行為をしたものは拒絶され排除されて当然といった思考が、やがて健康ではない人たち全体に及んで差別を生みかねないからで、だからたとえ理不尽であっても、区別せずに平等に救っていこうというのが人間社会の理知でもあった。けれどもやっぱりここでも貧困が、遍く救おうといった気持をささくれ出させて、自分が損をしている気がするならそれは許されないといった雰囲気が漂う中、過激な意見でそうした空気を濃縮し、全体のトーンへとまとめ上げようとしている。

 不摂生だから病気になるのは当然として、その不摂生を何も好んでやっている人ばかりではないというのがこの社会。貧困故に健康な食事ができず栄養過多で不健康になってしまうケースもあるし、ブラックな職場環境で働き詰めで健康的な食事も運動もできず体を壊してしまうケースもある。それをも不摂生が原因と言えるのか、いやいやそれは違うと今は言えてもやがては不摂生はすべて悪だといった空気に傾くのがこの世界。そうならないために入口で阻止すべき政治家が率先して差別を口にし、分断を煽って一方の支持にすがり地位を安泰させようと画策する。今はその身内にいられてもいずれ切り捨てられる覚悟を支持者は持っているか。そう考えると恐ろしいことなんだけれど、これもやっぱり貧困な今をどうにか生き延びるために味方せざるを得なかったりする。「華氏119」の世界は日本にも確実に及んできている。


【10月22日】 国際映画祭の審査員をしているからとか、「エースコンバット7スカイズ・アンノウン」のシナリオを書いているからといった事由はたぶん関係なしに日々、描くべき題材が生まれる中でそれをどう処理していくかを逡巡しつつ、確実なものを積み上げようとしていることが進行に遅れを読んで、12月の公開を無理にしてしまったように思っている「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の公開延期。2019年中の公開に向けて制作が進んでいるというなら、今はそれを待つのみであって、それまでは「若おかみは小学生!」の人気ぶりを味わいつつ、涙を目頭に貯めつつ「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」とか、「続・終物語」の公開を楽しみにして、アニメーション映画の現状を味わっていこう。ほかに何か大作って控えていたっけ? ちょっと記憶にない。「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」は2019年だし「ガールズ&パンツァー最終章 第2話」もその先だし。劇エヴァは……考えない方が心に良さそうな。

 たとえば完全なフィクションで太平洋戦争中のことを描いて、憲兵なり特高なりが居丈高に市民を引っ立て、活動家を拘禁しては尋問を行い拷問を加え、挙げ句に死なせてしまうような展開ばかりだとそれはそれでステレオタイプだといった声があって不思議はないけれど、公約数としての憲兵なり特高なりが繰り広げた理不尽な暴力をエッセンスとして取り上げ、描いていることを虚偽だと問題視することは難しい。案配を考えても優しい憲兵よりは怖い憲兵の方が圧倒的な印象なら、そちらに傾けて戦中を描いて戦後民主主義をこそ称揚するのが現代に生きる人間の務めでもあるだろう。

 ましてや戦中に憲兵によって拘禁されては長い拷問を受け、体にひどい後遺症が残った日清食品創業者の安藤百福さんの場合は、手記にもそうした過去を書いている以上その彼をモデルにしたドラマで憲兵が激しい暴行を加えることを、本当は優しい憲兵さんもいたんだから拷問ややり過ぎなどと言えるはずがない。現実に起こったことは起こったことであり、それが物語に必要なら描くのがドラマというもの。そこにフォローなんて必要ない。けれども兵隊さん軍人さんに肩入れをしたがる人が、事実をねじ曲げてでも憲兵さんは悪い人ばかりではなかったんだからドラマはやり過ぎと言って憚らないのは、やっぱりちょっと拙いだろう。

 でも、そうした声を支持する人が多いところに、過去の戦争に関する悪いことをすべてなかったことにしたいという空気が蔓延って来ていることが感じられる。戦争に関する諸々を指摘する人は日本を貶める者だという主張。いやいや、過去に悪いことをやった日本を悪く言うのは過去に悪かった日本を悪いといっているだけであって、今の日本を悪いとは一言も言ってないし今生きているあなたたちを悪いとも言ってない。にも関わらず、どうして自分たちが悪く言われたように感じてしまうのか。自分の先祖でもない兵隊が起こした悪事を認めたくないのか。そこに何か得体の知れない不気味さを感じる。メディアへの批判なり与党への迎合なりが合わさって混ざり生まれた妙な空気が、ますます広がりお上が言うこと以外は認めない空気が醸成された挙げ句に何が起こる? 関東大震災の中で起こった暴動の再来が今は怖い。本当に怖い。

 ふと気がついたらアミューズのマークが変わっていて、Aを基本にしたロゴタイプになっていてアミューズだとすぐに分かりづらいというか、やっぱり自由の女神がマイクを掲げてレコードを持っているマークこそがアミューズだといった印象もあるから、その看板の下で働く人たちにとってはより所を失った気もしないでもないけれど、そんなアミューズを創業した大里洋吉会長が東京国際ミュージックマーケットで講演したのを聴いていると、もはや会社単位ではなくアーティスト単位でありマネージャーも含めたプロジェクト単位で世界で勝負している感じで、会社が看板を掲げて世界をひれ伏させているような感じはまったくない。PerfumeだってBABYMETALだってONE OK ROCKだってアミューズだから売れたって感じじゃないなら別に、マークが変わってもあまり関係がないのかもしれない。サザンオールスターズなんて自由の女神のロゴと重なって見てことすらなかった訳だし。これからもアミューズは存在を持ちつつ前面に出ないせ世界にアーティストを送り続ける。そんな感じ。

 読まれている感じとか手に取られている感じとかから体感としてそんな印象を持っていたから、「週刊ダイヤモンド」がメディアの特集でもってとある自称するところの全国紙がすでに100万部を切っているんじゃないかと書いて来たところで、世間的にもそんな体感が広まってきたのかなあと思った程度で今さら驚くことでもないし、慌てる気持もない。ただ、そうした状況に至らしめた経営の人たちに果たして実売がそれくらいだという実感があるのかというと、もしかしたらいろいろとお化粧した数字をのみ見てまだまだ大丈夫だと思いたがっていたりするのかも知れない。正常化バイアスというか。そうやって安心の夢想に浸り自分たちの責任を回避しつつ今をとにかく見てくれだけでも維持することを第一義に、いろいろと手を打っているんだろう。つまりは数字作りってことで赤字を減らし、人件費を減らして決算をお化粧する。でも中身は生産拠点を潰しページを減らして商品性を下げ、なおかつ商品性の維持に不可欠な人材も削っての益出しに過ぎず、そこから上に上がるどころか踏みとどまることだって困難になって来てくる。そしてさらに削ろうにももう削る場所すらない状況がすぐ目の前に来ているという、これも体感だけれど果たして当たっているのかな。どっちでもいいけれど。どうしようもないんだし。

 そして新宿ピカデリーで「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の第六章回生篇の先行上映。なんか冒頭に第五章の最終話で全体では第18話の上映があって柱エ信義さんと福井晴敏さんが中村繪里子さんとともに生オーディオコメンタリーをしてくれてとっても楽しかったし、ストーリーがどこまで来ていたかを思い出せた。そうかアンドロメダ軍団は白色彗星帝国の暴虐の前にもろくも崩れ去ったのか。そして加藤三郎が子供への愛を発動させてヤマトを裏切りヤマトは白色彗星の胎内へ。そこには星々がコレクションされていてヤマトがそこにとっつかまっていたところから第六章回生篇は展開されつつ、ヤマトに艦首と艦尾は似せてあるものの艦橋あたりはまるで違って植物園の温室みたいなウインドウがついていて、そして武装がなくコスモリバースシステムを使って波動エネルギーを増幅させる機能だけを持っていた。タコ殴りにされれば沈むから護衛艦が必要という感じ。

 そんな船のクルーが艦長も含めて女性が多いのには理由があったみたいだけれど、懐かしいヤマトクルーも加わって新旧織り交ぜてのおっぱいを拝むことができた。そしてヤマトには相変わらずの一張羅めいてきたタンクトップおっぱいも。その出自こそいろいろあったみたいだけれど今はどうやら切り札として存在しているらしい。そんな彼女を狙うスパイの存在も取り沙汰される中、誰がスパイなのかが明らかになるクライマックスからヤマトとデスラーとの対峙も含めていろいろ動いた第六章回生篇。何よりズォーダーがどうして人類を滅ぼす考えに至ったか、それをどうやって発動させたかも明らかになって愛だ何だと言う彼こそが愛に飢えて愛に溺れ愛を願い愛を失いつつも愛を求めていたことが分かった。ならば愛を与えて未来を歩ませたいのだけれど、乗ってくれるかなあ。全方位に愛をふりまき男も女もねじ伏せる我らが最終ラブウェポン、古代進がいれば大丈夫か。ところで次はいつなんだ。また半年後? 良いよ待つよどこまでも。タンクトップおっぱいが目覚めるまでは。活躍するまでは。


【10月21日】 せっかくだからと立川の帰りに越谷レイクタウンへと回ってイオンシネマ越谷レイクタウンで見た「劇場版 はいからさんが通る 後編 〜花の東京大ロマン〜」は何というか「はいからさんが通る」であってよくあの最終シーンをアニメーションにして動かしてくれたという喜びがある一方で、エンドロールに流れた前編の絵を見てどうしてこんなことになってしまったんだろうと思うことも仕切り。いや決して崩れているとか歪んでいるとかいった訳ではないんだけれど、まるでテレビアニメーションのそれも最初のテレビシリーズがそのまま甦ったような平板で陰影が少なく簡単な線と塗りによるアニメーションを、総集編でもなく新作アニメーション映画として言って良いのかどうかといった悩みがつきまとう。

 まあそれでも動いていれば良いという意見もあるから人それぞれとして、ストーリーもやっぱり端折られ過ぎというか花村紅緒が満州へと行ったら都合良く馬賊に襲われそこで伊集院少尉の部下だった鬼島軍曹と出会って話を聞いて、とって返したところに現れたミハイロフ公爵夫妻。そして紅緒は監獄に入れられることもなく顔に線路が走っているような女牢名主とやりとりすることもなく、その釈放に伊集院少尉が一肌脱ぐこともないまま記憶はいつしか復活し、けれどもラリサへの恩があるから見捨てておけないといったシチュエーションにおいて紅緒と伊集院少尉を引き離す。それならぶっちゃけちゃってラリサにお礼を言いつつ伊集院家で匿うとか面倒を見るとかすりゃ良いじゃん、と思うんだけれど負い目もあったから夫婦としての関係があって紅緒に疚しかったのか。

 そうした想像もしつつクライマックス、ラリサが息を引き取った瞬間に外に出て紅緒を探して走り回るってのは節操としてどうなんだという気もするけれど、そこもまあ段取りということで青江編集長との関係もどうにか精算され、紅緒と伊集院少尉は仲良く暮らして子も授かりましたといった展開はやっぱり見ていて嬉しいもの。漫画版はともかくアニメーション版で引っかかっていた流れを動かしてくれただけでもここは芳としたい。早見沙織さんはやっぱり巧いけど今回は環を演じた瀬戸亜沙実さんがポンコツの無駄美人じゃなくて良かった良かった。家名を捨てるのは無駄じゃないしポンコツじゃないから。

 やっぱりワルだったアカネちゃん。せやね。ってことで「SSSS.GRIDMAN」では新条アカネがあのゴミにあふれたフィギュア部屋から外に出て、傘もささずに佇むアンチという名の少年か何かにコンビニ弁当を渡したものの箸はつけていなかったのか、そもそも使うことを知らないのかアンチがひとり雨降る公園の四阿で弁当に口を直につけてむさぼり食っているとこに通りかかった宝多六花だったけれど、そんな姿を見た情報がとくに怪獣と重なることもなければ、相棒の眼鏡がもしかしたら怪獣は人かもしれないと裕太に言ったことが六花たちに共有されることもないまま、ひとり裕太が悩んで自爆していく展開にグリッドマン同盟と口で言っても、中学生では情報の共有化も作戦の立案も何もできないだけって感じ。

 そういう若さと段取りの悪さが見ていて正義のふがいなさを感じさせ、アカネの理不尽な暴力を逆に痛快と思わせてしまうところあって面白い。サムライキャリバーの仲間みたいな存在もジャンク屋に現れては説明もなしにグリッドマンの見方面して裕太たちに協力し、ついにひとりが武器どころかアーマーとなってグリッドマンを強化し現れた敵をやっつけようとして時間切れ。グリッドマンは死なず相手も死なないまま禍根を遺した展開は次、人間じゃないならやっつけても良いのか弁当を食べて言葉を話しコミュニケーションが可能でアカネに虐められているアンチが元ならやっつけるに忍びないのかといった迷いも倦むのかな。いずれにしてもモヤモヤしそうな中でアカネだけがスパンと割り切ってすべてをぶっ殺しにかかるのだった。複雑化した社会では単純明快な振る舞いが人を引きつける。それが悪でも。なんてな。

 これは吃驚。シアタス調布での「若おかみは小学生!」の舞台挨拶付き上映に行ったものの現在高坂希太郎監督たちスタッフは確か韓国のプチョンで開催中のアニメーション映画祭に作品がコンペティション出品されていることもあって韓国に滞在中かと思っていたら、何とシアタス調布の舞台挨拶に韓国から戻ったばかりの高坂監督が参加しては本来小林星蘭さんと2人ゲストだったはずの三間雅文音響監督をおののかせていた。「茄子 アンダルシアの夏」の頃からいろいろと要求が厳しい高坂監督を相手に仕事をするかどうかでしばらく悩んだというくらいの三間さんが、そうした裏話を本人を前にしてどこまで言えるかどうか。そこがやっぱり気になった。

 葛藤もきっとあったかもしれないけれどもそこは気心も知れた仕事相手ってことで三間音響監督、グローリー・水領さんが載ってるポルシェのオープントップを開けるシーンの音響とかで、最初はベンツのオープントップを参考にしたらそれは車種が違うと言われ、伝手を頼って他のポルシェを上げても年式が違うと言われたって話をしては映画を通じて思い出に残るしーんとしてあげていた。いやそれ誉めてないから。なおかつ小林星蘭さんがあの「ジンカンバンジージャンプ」を生で披露するという今回の舞台挨拶最大のトピックで、カラオケが用意されている訳ではなくって映画のそのシーンを上映することでそれに合わせて歌うといった技が使われ、ポルシェのオープントップを開くシーンが再び写し出された。三間音響監督の心情やいかに。とはいえ映像といっしょに歌を聴けたファンは嬉しかったかも。サイリウムは持っていったけど振らなかった。

 高坂監督は冒頭の神楽のシーンを相当に頑張ったそうで、そこで関心を引けたことが良かったとかいった話をしていた。あとはおっこがグローリーサンに連れられていった2ランク上のショッピングモールで服を着せ替えられているシーンで、すべての服が後からのテクスチャーの貼り合わせではなく手描きによって描かれているということで、そんなに長くないから描けたんだけれども動画さんも可愛い可愛いと言って描いてくれたと話していた。良い映画の良いシーンにはクリエイターも喜ぶという一例。あと最初は大人の声優を起用するかどうかといった検討もされたけれども小林星蘭さんお上手さもあって起用へと至った感じ。そうした判断とか頑張りがこうして上映から1カ月が経った映画で舞台挨拶が行われ、満席の客が詰めかける状況を生んでいるんだろう。依田巽さんまで見に来ていたし。さらに広がるかなあ、ここから。そして年末の賞レースも。期待しちゃう。

 安楽椅子に座ったままで部下たちが集めてきた情報とか、メディアを通して得た情報を精査して判断して謎を解き明かす探偵が主役のミステリなら過去に幾つも例があるけれど、地下室の喫茶店に監禁されて1週間後に命を奪われると宣告された状況の中で、覚えた料理の腕でサンドイッチとかパスタとかを作って集まってくる女子とかに出しながらそこで繰り広げられている会話を耳にして起こっていることを何とはなしに把握して、そして別に何もしないというか出来ない少年が主人公という作品はちょっと珍しいかもしれない。竹内佑さん「前略、殺し屋カフェで働くことになりました。」 (ガガガ文庫)。ふとしたはずみで迷い込んだ廃劇場に倒れていた男と会話をしていたら気絶させられ、殺す埋めるといった会話で高校生になったばかり迅太目覚めるとそこは地下の喫茶店らしき場所で、男性とか女子たちが何か殺し屋稼業のような相談をしていた。

 迅太も殺して埋めると言われ、その費用に必要な300万を自分で稼ぐからしばらく命を延ばして欲しいと頼んで料理が出来るからと喫茶店で働くことになってそして、現れた3人組の若者が金を持って逃げた男を捕まえて殺して欲しいといった依頼をしてきたのを耳にする。殺人はいけないと言ったところで自身もとらわれの身。そして連れてこられた逃亡者が実は悪人ではなく3人組の方が悪だったことが分かっても男や少女たちは動じず殺害を決行しようとする。怒ってもどうしようもない迅太。けどそんな振る舞いが彼の運命を変えていく。小金井市あたりで起こる事件の裏にうごめく謎の組織の存在があり、そこに触れた迅太が善悪をどう決断するかといった展開もあって、最初は理不尽な暴力に憤りつつ、最後は痛快な懲らしめに喝采する。とはいえ本当に正義を執行する組織化は不明で、3人組の訴えが本当だったら殺人は起こっていたかもしれない。本当はどっちだ? そんな興味も誘われる物語。次に迅太は彼の正義を貫けるのか、それとも悪の殺し屋として血を見るのか。


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