縮刷版2018年10月中旬号


【10月20日】 そしてトルコにあるサウジアラビアの領事館で、サウジアラビアの反体制ジャーナリストが入ったっきり出てこなくって、皇太子の命令で殺害されたんじゃないかって一件で、サウジアラビアではゴメン皇太子がどうも嫌ってる奴だったけれど、そうしたご意向を忖度しすぎて下が勝手に暴走して、ちょっと可愛がったら死んじゃったなよ悪かった、だから可愛がった連中は一網打尽にしてしょっぴいて厳罰下すから許してね、皇太子は無関係ってことでって、そんな筋書きで国際的に納得してもらうって展開になるっぽい。それで心情は納得できなくても、外交的には納得させるのが大人の醜い世界って奴なんだろうなあ。

 だってほら、この国の1番偉い人が願ったこととかやったことを、役人たちが忖度して祥子を消したり証言を引っ込めたり頭が良いから覚えていて当然のことを忘れたりして、自分たちだけが悪かったんですごめんなさいと言って諾々と処分を受け、上はまったく知らなかったんだよ監督責任は免れないけれどもそれで自分たちが何か罪に問われることはないよって話で、まとめあげたことがあったりする訳だから。もしもサウジアラビアの一件をなんて不法で不道徳で野蛮な振る舞いだと非難するなら、それはこの国にだって言えること。それを言わないんだから外にだって言えるはずがないし、言うこともないんじゃないかなあ、この国の1番偉い人が大事にしたい国とか人たちでもある訳だから。そうやって世界は回る。見えない犠牲を粉々にして。やれやれ。

 生きていたのか滝本竜彦! ってちょっと前に佐藤友哉さんの新刊「転生、太宰治 転生して、すみません」(星海社FICTIONS)の刊行前トークイベントでゲストとして登壇して、前と変わらないイケメンぶりと訥々とした喋りっぷりを見せて聴かせてくれたんで、今もなお健在なことは分かっていたけれどもそうやって地下のイベントに登場するだけじゃなく、テレビ東京という立派な民放在京キー局に出演して、あの蒼井優さんとか森川葵さんを相手に自作「NHKにようこそ!」とか出演キャラクターの中原岬について語っているのを見ると、改めてその健在ぶりってのが満天下に伝わって長く応援して来た身として嬉しくなった。新作も近く登場の予定だし、いよいよ復活となるかなあ、2010年にハードカバーで「僕のエア」を出した時にも復活の兆しはあったけれど、あれは完全新作ではなかったから。

 しばらく前から大岩ケンヂさんによる漫画版の「NHKにようこそ!」のリバイバル掲載も始まってその存在所在が確認されていたこともあったし、こうやって「NHKにようこそ!」が「このマンガがすごい!」というテレビ番組になって女優さん俳優さんが好きな漫画を選んでその場面を演じるまでをドキュメンタリーチックに描くという、今までに無かった試みの中で分からないところを聴くために、作者のところを尋ねて行くといった流れて本人が登場。所在がちゃんとつかめていて、今なおコミュニケーションが可能なクリエイターだと認められたってことでもあるんじゃなかろーか。答えてしっかりと受け答えもしていたし、自分がどん底からどうやって立ち直ったかも話してた。これに興味を抱いて他のメディアからも出演の依頼執筆の依頼が舞い込めば、かつてのような活発な活動も期待できるかな、どうかな。

 しかし面白かった「このマンガがすごい!」という番組は、あんまりアニメに詳しくもない蒼井優さんが聞き役になって、森川葵さんがどんなアニメーションが好きで、それから漫画が好きで訳でも「NHKにようこそ!」が好きかを聞き出すといった展開で、普段はあんまり表に見せない女優さんたちの内面、どうった感じに作品に接し、役を作っていくかが垣間見られた。滝本さんから中原岬のことを聞いた後でも、なお自分に演じられるのかと悩む森川葵さんにマネージャーが口を挟む感じに現れ、今までに演じた役をずらずらと上げて何にでもなってしまえる森川さんなら大丈夫と励ますシーンとか、仕込みでなければ本当にタレント思いのマネージャーを持ったものだと感心することしきり。

 そんなマネージャーの激励を受けて演じた森川葵さんの中原岬は、抱えた闇を見せず天真爛漫に振る舞う少女が佐藤達也を引っ張り出す作戦として、ちょい女王様的な感じに扮して声音も変えて臨むという、2重の演技が必要な感じのシーンから抜き出してあって、それをあっさりとこなしていた姿の女優としての才気を見た。他にどんな役をやっているんだろうと興味。同時に改めて「NHKにようこそ!」の実写映画化なり、「ネガティブハッピーチェーンソーエッヂ」のアニメ映画化が実現しないものかと思ったけれど、それも改めて滝本龍彦さん人気が盛り上がっての話だろう。その道へと至る第1歩になったかどうか。今後に注目。

 再度上映が始まった「リズと青い鳥」を見に立川シネマシティへ。モノレールの下に御坂美琴みたいなのがいたり、ウドンというウドがベースになった怪獣がいたりして賑やかな通りを抜けて劇場へと入って極音上映の映画を観る。もうほとんど終盤から誰も声を発せず咳払いすらしない静けさの中、1番やかましいのがエアコンの音だったりするような環境で、隅々まで行き渡った音でもって味わうことができた。誰もいない不入りの劇場ではない、満席に近い状況でもこうやって極音が味わえるのってやっぱり映画の力って奴なんだろうなあ。今さら物語について語ることもないから合奏の場面で誰がいるかを見渡したけれども久石奏っぽいシルエットがユーフォニアム奏者のところに見えたものの顔までは描いてなかった記憶。W鈴木がハグをしていた部屋でも確か後ろを向いていた。敢えて避けたのかなあ、それとも単なる見落としか。いずれにしても次の「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」ではたくさん登場してくるだろうから、その際の顔立ちとそしてどこか忍野扇を思わせる毒を含んだ声音をたっぷり味わおう。

 これは面白い。伝奇的で猟奇的ではあるけれど、現代のテクノロジーなんかも入って肉弾戦もたっぷりあったりするミステリー&サスペンスだった建待吉作さんの「住職探偵」(プライムノベルズ、1200円)は過去、お寺だった家を父親に反発して放火して燃やした際に、延焼した檀家で焼死者が出たことで咎められ少年院に送られた少年が、長じてどこにも就職できないまま探偵となって仕事をしていたら、クライアントとなったのがお寺の住職の奥さんで、旦那の浮気調査に出向いた先で相手に出自を見抜かれそれをネタに脅されたことで、笹峰誓之助は仕事ができなくなってしまう。なおかつ依頼主だった女性は僧籍も持っていて山奥の寺に住職として赴任しろとの辞令が。病気の子供がいて離れられない彼女に変わって、一応は住職としての務めが可能な誓之助が復帰させられ派遣されることになる。ところが。

 赴任する先の奥瀬郷では何年かおきに宗教者が惨殺される事件が繰り返されていて、厖蔵宗なる秘密の宗教が隠れて蔓延っていてその手にかかって殺されているらしい。ちょうどそうした事件が起こる月での赴任を奥世郷へと続くトンネルの手前で止めようとしたのが奥世郷にある神社の宮司をしている圓観という女性。自身ももちろんそうした危険にあるのを承知で誓之助に忠告したものの、自分が帰れば子供がいる女性が赴任してくるだけだからとそのまま入った先で案の定、自分や圓観、そして奥世郷にもかった切支丹の教会の司祭を狙って老婆の顔をもった凄腕の暗殺者が襲いかかってくる。体術も凄まじければ手にした小刀も狒々色金といった合金か何かで、誓之助が持ちこんだ防刃グローブも切り裂いてしまう。190センチ近くあって柔道でも段位を持つ誓之助を圧倒する体術も駆使。スタンガンににた装置で動きを止めようとしても止まらない。

 それでも襲撃をかわし、村人の中にいた若者の協力も得て厖蔵宗をあぶりだそうとするものの、事態は意外な展開へと向かっていく。それは……といった感じで誰が犯人か見えない中、疑心暗鬼も生まれる状況で戦いに挑む人たちの探査とアクションを楽しめる作品。あとは廃仏毀釈でもって神仏習合がとかれた明治以降の一般的な宗教状況と違って、隔絶された山奥だけあって未だに神仏がいっしょにまつられていたりする宗教の状況が残っているところに、かつての信仰の姿を見ることができるのも特徴か。神社本庁が幅をきかせて神社を統合しつつ仏教は仏教でいろいろあったりする今がずっと続いてきた訳ではないんだなあ。そうした勉強も出来て少年が抱えた罪に対してどう立ち向かうかといった主題もあり、幼くして奥世郷へと連れてこられて神主の座に据えられた女性宮司の世間知らずなキャラクターも楽しめる。何より主人公、誓之助が自分の居場所を自らの手で得ようとしつつも決して逃げず、自分を曲げずにそれを成し遂げたところに好感。この後に待っている圓観との関係は興味深いところだけれども、それも含めて受け入れてくれる奥世郷って案外に、良いところかもしれないなあ。テレビも電話もないけれど。


【10月19日】 内覧には行けずそこから風邪で倒れかけて初日も2日目も行けないままだったCEATEC2018をのぞきに幕張メッセへ。バンダイナムコグループのブースへと行ってハロを見たり近藤科学とコラボして作ったザクを眺めたりしてキャラクターを持った企業のある意味での強さを感じる。アニメーションや漫画の夢が現実にかなうってのはそれは嬉しいものなのだから。キャラクターのフィギュアをステージ上に置くと、中のチップに反応して、音声とか音楽が流れ出すような仕組みもあってライブライブとかアイカツとかプリキュアを置いていろいろステージを楽しめそう。あるいは仮面ライダーを置いても仮面ライダーショーなんてのも再現できるのかな。ウルトラマンショーでもいいか。

 仕組みとしてフィギュアのチップにデータが仕込んであるのか、IDいたいなものでそれを鍵にしてネットから音声や音楽を取ってくるのか分からなかったけれど、これも夢を形にできるバンダイナムコグループならではのIP展開ビジネスと言えそう。一方でスマートフォンをライドに乗せて街の模型を走らせ対戦させるゲームもって、ロボットバトル的な楽しさがあった。これはノンキャラクターだけど遊びの面白さで引きつける。玩具メーカーとしての王道はどっちかは難しいところだけれど、新しいテクノロジーを生かした遊びのクリエイトが、IPと結びつけばこれは最強な訳で、それをできるグループってことになるのかも。今後の商品化に期待。

 東銀座まで行く用事があったんで、ちょいと脚を伸ばして築地の場外市場をふらっと見て回る。とりあえず印象として前と変わらない賑わい。何も豊洲へと移転した中央卸売市場で売り買いされた鮮魚が、そのまま場外市場に運ばれ供させるわけではないのだから、奥に中央卸売市場があってもなくても外は変わらないってことなんだろー。というか、元より中央卸売市場があったところで一般の利用者には使えない場所で、入るのにも制約があった。だから、普通の人にとって築地の市場といったら場外市場に並ぶ店舗がメインであって、そこが卸売市場の移転に伴い豊洲へとついていく意味を見いだせず、築地に残ったのなら変わらずそこを築地市場として訪ね、利用し買い物するだけだろー。

 アメ横だって近所に市場がなくても普通の雑貨屋と飲食店が軒を並べて賑わっている。秋葉原だって電気街が自然と並んでそれが少しずつ取扱商品を変えながらも一種の電気街的な雰囲気を保ち続けている。築地の場外市場もそんな感じに観光客が集まり、食と伝統文化に親しむ街になっていくんじゃないのかなあ。可哀想なのはだから豊洲に移転した際に、そこに賑わいのために作られた商業施設に入った人たちで、見学のために豊洲に行く必要がないのなら、何も食のために豊洲に行く必要なんてない。築地で十分。そういった卸売りと小売りの使い分けが出来てくれば、自然と豊洲への注目も収まり、築地は築地でブランドとして残っていくってことかなあ、アメ横的な? それとも黒門的? 王府井的とでも? それが良いか悪いかは分からないけれど、来る方には関係にないってことで。

 東銀座から銀座まで歩いてGinza Sony Parkでハシラスが開発しソニー・ミュージックコミュニケーションズとタイトーが展開している「VRキャプテン翼〜燃えろストライター〜」のロケテストを体験。まだキャラクターが乗っていない頃のプロトタイプみたいなものを展示会で体験したことがあって、その時はボールを蹴るタイミングとかボールの固さ、そしてVRとのシンクロがなかなか大変だったけれども製品版として登場してきたこれはプレイに関してはとってもソリッドで、VR空間に見えるボールを蹴れば蹴った感触がちゃんと脚に伝わりつつ、その蹴りにふさわしい軌道でボールが飛んでいってゴールキーパーをぶち抜いてとても気持が良かった。仮想の視覚と体感とがズレると気持ち悪くなるのがVRの常。なおかつサッカーボールを蹴るという体感は誰もが少しはもっていて、それがズレるとどうしても引っかかってしまう。そこをちゃんと仕上げてなおかつ、キャラクターはマイルドにキャプテン翼。これは楽しいゲームだ。

 羊山十一郎さんの「PUFF パイは異世界を救う」(星海社FICTIONS)が届いたので読んだらマジに良かった。面白かった。現代の歌舞伎町でセクキャバの呼び込みをしていた龍太郎がもめ事に巻き込まれ目覚めるとそこは異世界で、巫女になりかけていた女騎士に助けられたものの彼女の巫女への道を断ったことがあり、知り合った食堂の娘が危機だったこともあって一肌脱いで恩返しをしようと考える。それが「ぱふぱふ」な店を開店しての金儲け。娼館があって奴隷もいたりして性病もあってとリアルにシリアスな世界が舞台で、神様による偶然だとか奇跡とかは起こらない。だから龍太郎は持てるコミュニケーション能力を生かし、奴隷を借りて胸にだけお触りOKの店を異世界に開くことにする。

 いわば商才を生かした形。最初に世話になった娼館とは商売敵にならずむしろ共存共栄が可能と持ちかけ、そこで客引きをすることも認めてもらい、また地元を仕切るヤクザには娼館ではないからみかじめ料は払わないと若きボスに認めさせる。合間の時間のちょっとだけぱふぱふできると男たちに人気の店となったけれど、龍太郎自身の意識の底には娼婦らに拾われ育てられた過去があり、女性を食い物にしてのし上がっていこうという気はなかった。現世でもリアルにシリアスな境遇だった龍太郎の設定が、異世界でも奇跡に頼らせず才知と努力によって成り上がらせたと言えそう。そこが読んでいて心強かった。

 そこに事件。連続する娼婦殺しの犯人を見つけようと動き回った先で起こったある出来事に龍太郎はどう立ち向かう? 犯人捜しのミステリの要素も漂う。隷制度があり娼婦がいて騎士もいて宗教の教義もあってとしっかりした設定の上に構築された異世界で合理的に娼館ならぬおっぱぶを開きそれを繁盛させる筆致が見事。虐げられた者たちへの暖かい視線にも喜べる、まずは窮地は脱したものの、店は元の食堂に戻してあげて新しく店を構えることになった龍太郎。新しく用心棒も雇いヤクザのボスとも関係を気付いた先で新たなる事業を興すのか。それはもしかしたらこの世界全体を変えるような動きになるのか。なんて続きも想像したけれど、果たして。

 「WOOMS」で日本SF大賞を受賞した白井弓子さんの新シリーズ「大阪環状結界都市」(秋田書店)が凄かった。完全監視により犯罪を撲滅するOシステムを搭載した環状線では犯罪が激減。それでも起こる犯罪を確認するべく乗り込んでいた婦警が目撃した事件が、なぜかOシステムから消えていた。どうしてかと理由を調べに開発元のO研に乗り込んでいく。けれども要領を得ない回答で引き下がった婦警の森かなたが署でOシステムを調べていく途中、何の気なしに環状線で消えた妹の名前を入れたらシステムに入れて消えたはずの痴漢現場が再生された。どういうことだと見ていたかなたと同僚の前に、奇妙な存在が現れる。

 そしてO研から着けてきた黒眼鏡の男がかなたらに言う。見るな。見ると現れる。人の目には見えない何かがOシステムには捉えられる。それを見ることで何かは顕現したかのように暴れ回る。そんな得体の知れない存在の「みぎわもん」を関知し、密かに対峙する仕組みが存在していたことにかなたは気付かされる、大阪を密かに侵食する何物かがいて、それらを検知する存在、対峙する存在もいて長く戦ってきた歴史が浮かび上がった中、森かなたは強い視る力を持っていたらしい妹の行方を気にしつつ、戦いの戦列に加わっていくことになる。敵はどれほど強いのか? 妹の行方は? 続きが気になるシリーズだ。


【10月18日】 週明けからひいていた風邪が治らず熱っぽさも抱えてくしゃみ鼻水咳も断続的に続いているのを薬で抑えてかけつけた、まだアライグマが現れる前のマイナビBRITZ赤坂でのWakanaのライブ「Wakana Live Tour 2018〜時を越えて〜」を果たして無事に聴き通せるか最初は不安もあったけれど、始まってみれば鳴り響く歌声に風邪で早まった動悸は抑えられ痛んでいた頭も静かに落ち着き熱っぽかった体は平常へと戻って静寂の中に自分を起きながら最後まで見通すことができた。どこまでも音程に正確で延びがあって張りもあり、そして高らかに響くWakanaの歌声に身を浸らせているうちに、咳はとまりくしゃみも出ないで頭痛もまるで気にならないようになった。

 それは例えるなら聴くサプリ? いやいやもはや健康補助食品程度のものではなく聴くドラッグ……と言ってしまうとヤバさもあるからここは聴く癒やしとでも例える方が正しいのかも知れない。元よりKalafina時代から定評のあったWakanaの歌の上手さは、ソロで演じられて改めて強く強く感じられた。「九月」「カンタンカタン」といったKalafina時代の曲の、スローに響いて高音域でのWakanaの美しい声の響きが特徴的だった楽曲のすべてをWakanaが歌い通す。それはKeikoやHikaruがいてパートを分け合い全体を構築していた楽曲とはやや聞こえ方も違ったけれど、元より1つの楽曲を1人のシンガーが歌い通すことで全体を通してKeikoの強さやHikaruの艶やかさを抑えたWakanaの清らかさで覆われた楽曲として感じられた。これもまたひとつの発見だった。

 とはいえ、Kalafinaの楽曲でもWakanaが1人ですべてを通せるものばかりではなく、「Sprinter」のようにKeikoの疾走やHikaruの叙情だあって成り立つ楽曲をWakanaが1人で歌いきるのは難しいし、Obliviousのようにハーモニーがあってこその楽曲も同様に難しい。だからこそ、Wakanaが1人で歌えるWakanaならではのオリジナルが登場してくる。楽曲をもらい自分で詞を書いた歌が幾つか披露されては、それぞれに伸びやかでなめらかで響き渡るWakanaの声や歌い方にマッチした曲として仕上がっていた。Kalafinaではソニーから出していた楽曲をWakanaのソロではビクター・エンタテインメントからリリースされることも発表され、いよいよ1人での道を歩み始めていることも感じさせられたライブツアー。いずれシングルではなくアルバムも、と想像させられる中ではライブで披露されたカバーも収録されれば少し嬉しいかもしれない。

 例えばオフコースによる「秋の気配」であったり坂本九の「見上げてごらん夜の星を」、そして中島みゆきの「糸」などハイトーンが要求されてメロディアスなところも持った楽曲を、どれも正確な音程で高らかに歌い上げたWakana。この声なら、この歌い方ならあれもこれもそれもカバーさせてみたいと音楽ディレクターなら思うだろう。Wakana meets……といったシリーズをここで手がけてカバーアルバムとして仕上げるなんてこともあったらちょっと嬉しいかもしれない。その中には是非に「水の証」も入れて欲しいところだ。梶浦由記さんの楽曲で「機動戦士ガンダムSEED」のヒロイン、ラクス・クラインとして田中理恵さんが歌った楽曲ではあるけれど、Fiction Junctionの中でWakanaも歌って半ば持ち歌にしている。思い入れもあるのだろう、マイナビBRITZ赤坂のライブうでもカバーとしてではなく持ち歌として聴かせてくれた。

 そうした梶浦サウンドに新しく加わった楽曲、武部聡が手がけた楽曲などを含めたWakanaというシンガーの新しい道が描かれ示されたライブ。ここから先、どこへと進んでいくかは分からないし、HikaruとのKalafinaもそれはそれで伝えていって欲しいとは思うし、いつか時が来ればKeikoも含めた“復活”も期待したいところではあるけれど、今はここに始まったWakanaというシンガーが奏でる音楽を、まずは確かめさらに味わっていくことが何よりも大切だろう。どこへ向かおうともそれはWakanaの選んだ道。ならば就いていくしかないじゃないか。大好きなのだから、澄んで高らかに響き心をいやしてくれるWakanaの歌声が。

 いったいなにが起こったのかといろいろな理由が取り沙汰された沢田研二さんのさいたまスーパーアリーナでのライブ中止。当初、いろいろな噂が流れて、それが真相だったとするなら公共の施設内で政治的だったり党派的だったりする活動は本来の目的からそれているのでやっちゃいけないといった規定があって、それに反したことをやろうとしたから中止を言い渡されたなんて想像もできない訳ではないけれど、そうやって土壇場でキャンセルをすることによって集まってくれた観客に対して申し訳がないと考えるなら、そこは引っ込めてファンを優先するのがアーティストって気もしないでもなかった。一方でそこでファンよりも自分の主張を貫き通そうとするのもロッカーであってそういった感覚がどちらがわに傾いたかってあたりが気になった。もちろんまるで関係がなくって別の理由から契約に行き違いがあったといった想像も出た。まさかヴァン・ヘイレンでもないからm&m’sの茶色いのが混じっていたから中止ってことはないだろうけれど、事ほどさように契約とはデリケートなものだったりする。

 では本当は、いったい何があったのかということで、当の沢田研二さんが釈明に出て会場があまりにすかすかで、これではライブは出来ないと判断して中止にしたってことを明らかにした。なるほど2万5000人は入る会場で9000人が集まったと聞かされて、出たら7000人くらいで客席が潰されていたところもあったのがどうにもお気に召さなかったらしい。でもなあ、客を集めるのはイベンターかもしれないけれど、客を呼ぶ根本は自身であってそれで集まったのが7000人ならそれでもやるのがプロじゃないかって気もしないでもない。これも逆にいっぱいの観客でなければやれないというのもプロだろう。その感覚の傾き具合が今回は後者に働いたってことなのかも。ともあれ以後のライブが挙行されるならそれは善哉。こうなると1度くらいは見ておきたい気もするなあ、古希になった沢田研二さんを。

 渋谷にいろいろと出来るってんで朝から出かけてまずは渋谷モディにあるソニースクエア渋谷プロジェクトのリニューアルを見物。前はちょっとしたスペースを使っていろいろな展示が行われていたけれど、その面積を2倍にして商品展示が出来るスペースを確保しつつクリエイティブなコンテンツも見せられるようにした感じ。とりあえず第1弾として何と17.1chものスピーカーを置きマルチなスクリーンも設置してそこで音楽と映像を再生し、没入できるようなものを出してきた。まずは蓮沼フィルによる楽曲を流し、続いてTOKYO HEALTH CLUBによる楽曲を流すみたいで、どんな感じになっているかは聴く時間がなかったから分からなかったけれど、きっと四方八方から音楽が振ってくるような感じなんだろう。どうやて音を振り分けるかでセンスも試されそう。いずれにしても家では体験できない音場に入れるとあってこれは改めて体験に行きたい。aiboもいるし。

 そして渋谷の交差点の角に立つMAGNET by SHIBUYA 109の6階にCAセガジョイポリスが立ち上げたVRの施設を見物。日本初登場という「ターミネーター サルベーション」があってまず顔を記録してからVR空間にはいると、自分の顔がターミネーターのあの骨格モデルの上にのった形で現れて、そこで迫ってくるターミネーターを打ち倒しつつミッションをこなすことになる。輸送機にのって移動する場面で揺れて動く感じがある分、ハシラスの「GOLDRUSH VR」の方が優れてるかもとか思わないでもなかったけれど、顔がずっとはりついたままで動き回ったりするところとか、中の世界の緻密さではやっぱりそれなりな規模の会社が作ったVRってクオリティを持っていた。なかなか楽しくて遊べるVR。

 もう1つ、日本初登場だった「THE DOOR」はいわゆる謎解きゲームで、「なぞともカフェ」だとボックスの中に散らばっているさまざまなアイテムからヒントを拾ってダイヤル錠とかを解いて脱出を目指すものが、そうした作業を全部VRで行うようになっているところがユニークだった。2人1組で遊ぶんだけれど、入ったVR空間では鍵のかかったドアに隔てられて一緒にはいられず、その鍵を開くために小窓を通してアイテムをやりとりし、暗号をやりとりしてヒントを集めて鍵を手に入れていく。気がつけばなるひどと思う暗号とかアイテムの場所とかも、そこに至るまでがなかなか大変。謎解きに慣れた人ならそれでも簡単に解いてしまうかもしれないなあ。あとVRだから脱出に失敗した時、VRならではの身に迫る恐怖ってやつが襲ってくる。そこがリアルな脱出ゲームとの違いかも。次こそは是非、脱出に成功したい。


【10月16日】 新条アカネというキャラクターを他に美少女を演じて人気の声優さんが担当したとして、あれほどまでの不穏さが漂ったかというとそこは演技の仕方次第だと思うけれど、逆に上田麗奈さんが演じているからこそ、どこかに毒を含んで狂気を孕んだキャラクターになり得たとも思えなくもないのは、過去に演じた役が「ハーモニー」の御冷ミァハだったり「プリパラ」の黄木あじみだったりと、クールがホットかの違いはあっても何かに一途で信じ込んだら命がけで、それが一般の良識だとか通例だとかを外れていても言うことを聞かずに突っ走るキャラクターが多かったこもあったから。だから新条アカネもそうした流れに乗っていろいろとぶっ込んでぶっ飛ばしていくんだろう。そんな新条アカネがどいういう結末を迎えるかも気になるところ。ぜんぶが彼女の妄想だった、なんてこともあるのかな。あったりして。

 なぜ青山なのかという問には、なぜよその地域なのかという答えが返ってくるだけで、何ら説得力を持たないことに気付いていないとしたらそれはとてつもない天狗たちってこと。鼻高々に自分たちの暮らす場所ことが至上であって至高であり、児童相談所を含んでDVから逃げてきた可哀想な親子を住まわすような施設は、自分たちの暮らす場所にはそぐわないと言っているに等しい。それは子供たちに安全と安心を与える行為は、自分たちのような高級住宅地に暮らす人間にはふさわしいものではないと認めたに等しいことでもあるんだけれど、そうした非人情的な気持があるとは外にはおくびにも出さないで、青山とう場所には全国そして全世界人が集まり賑やかになるような施設だけしかあってはいけないような主張をする。

 なるほどせっかく青山に空いた土地を東京という地域が世界に冠たる繁華街になるために使おうという主張には一理あるけれど、それは同時にそうした繁華街にたんなる市民が暮らしていて良いのかという話に流れていく。商業施設と公共施設に特化して、住民はすべて余所に行けば良い、それこそ大田区でも目黒区でもどこへでも移って自分たちが住民として占拠していた土地を空け、公共にふさわしい施設を誘致すれば良いじゃないかといった話になるけれど、そうはならずに自分たちはそこに住んでいて、そして自分たちにこそふさわしい施設を作るべきであって、そこに児童相談所とかDVの被害者はそぐわないとほのめかしてしまう。

 何とも哀しい話。なおかつそうした反対運動を仕切っているのが地元の不動産屋というのが何か、地価を高めて儲けたいといった心情から出たものじゃないかといった憶測も生んでしまう。そういう可能性を鑑みて表に出ないのが美学なはずなのに、なりふり構わず出てしまうところに惻隠の情とか謙虚さが薄れ、エゴをむき出しにしてそれが通ってしまう社会にこの国が、なってしまったことを示しているのかもしれない。政治も経済もそんな感じ。それで日本を取り戻すとか言ってるこの国の為政者の脳天気さと自己矛盾がまた、この国から活力を奪っていく。まともに真っ当なことを言って行っても報われない空虚さに、倦んで爛れて沈んでいく未来。それも遠くない。やれやれ。

 案内だとか整理といった分野についてはなるほど、ボランティアとして普段だったら関われないオリンピックというビッグイベントの一翼を担えて嬉しいといった感情を抱けるかもしれないから、応募してみようと考える人たちがいて不思議はないし、余裕があったら自分だってそこに加わってみたい気もないでもない。けれどもこれが高度な技能を要求され、なおかつ責任も伴う分野だったらボランティアとして参加して、無償だからと適当なことをやって問題を起こさないとも限らない。対価には報酬をあたえることで役割に責任感も生まれるし、利用する側にも安心感が芽生える。そいういうものだろう。

 だから、東京オリンピックで誘致委員会が医師までおも責任者はのぞいてあとはボランティアとして無償で働いてもらうと言い出して、そんな体制の中で安心して怪我も病気もできないと考えて、選手や観客が日本に言うのはもう止めたと言い出さないかと今からちょっぴり心配になって着た。他人を救うこと燃えている医師なら、無償でも出てきてくれるというならそれは大間違いで他人を救うことに命を燃やして勉強し、医師となったからにはその医師を続けて他人の命を救い続けるために対価を頂き生活を維持する。無償で自分を犠牲にして医師を道半ばで投げ出してしまう方が無責任だろう。でも東京オリンピックはそうした無責任な医師たちを集め束ねて利用させようとする。そんな国に果たして選手や観客は着てくれるのか。行きたくないと行ってくれれば体制も変わるかもしれないけれど、外にはまさかそんな体制だとは伝わらないんだろうなあ。どうしたものか。

 ようやくやっと「ゴブリンスレイヤー」のアニメーションを見る。GA文庫はいつもアニメ化に恵まれているなあ、「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」もそのスピンオフ作品というか並行して進む「ソード・オラトリオ」もアニメーション良し声優良しで確実に作品のファンを増やして小説の売り上げを後押しした。今年は「りゅうおうのおしごと」があって元より人気だった作品が、藤井聡太七段の登場による将棋ブームとも相まって一気に爆発。きっと今ごろ売り上げは倍くらいになっているんじゃなかろーか。それだととてつもなさすぎるか。

 そして「ゴブリンスレイヤー」。話としてはゴブリンばかりを狙って倒す冒険者という隙間を狙って深掘りしていく、ネット発の作品にありそうな設定だけれどそれが元より緻密で粘着質ともいっていいゴブリン退治の極意的筆致とも相まって、読む側に驚きと感嘆と集中とそして少しばかりの嫌悪ももたらし大人気に。子供でも将来仇なす存在になるならあっさり殺すその非道を、非道と非難させない展開を見て当然だそのとおりだと思ってしまう人が将来、溢れてきたら世界に博愛も慈愛もなくなってしまう。そうした部分をどう処理しているか、それとも処理していないかも含めて作品への興味をかき立てる。

 それにしても思うのは、ゴブリンが決して安易な相手ではないということをゴブリンスレイヤーが知っているなら、他の冒険者たちだって感じていたりして決して新米でも力を過信して始めたばかりの素人で退治に向かうなんてことはしないだろう。でもういう無鉄砲が後を絶たないのはきっと次代が今ほど情報化されていなくて、そうしたゴブリンの怖さを共有化できないまま、英雄譚と経験だけで判断して自分は強くてゴブリンや弱く感嘆に倒せると思い込んでしまう人が後を絶たないからなのかも。いくら吟遊詩人が隙間を埋めても伝わるのはずっと先。その間にもゴブリンスレイヤーだけはひとりゴブリンを刈り続け、ゴブリンの恨みを買って人間に何か災いともたらすなんてこと、あるのかな。ともあれ始まったアニメーション、見ていこう。


【10月15日】 おっこが日比谷に帰ってくる! 9月21日に公開された高坂希太郎監督の長編アニメーション映画「若おかみは小学生!」はTOHOシネマズ日比谷ほかでのロードショーといった具合にTOHOシネマズを基幹チェーンとしていて舞台挨拶もTOHOシネマズ新宿で行われたものの、その新宿は公開から10日で上映を打ち切ってしまい日比谷に至ってはわずか1週間しか上映しなかった。新作映画は少なくとも2週間くらい上映するのが普通できっと興行的な契約もそうなっていると思うんだけれど、別にイオンシネマが入っていたこともあってかTOHOシネマズの「若おかみは小学生!」に対する扱いは厳しくて、上野あたりも早くに店じまいをして都内では錦糸町が頑張っていた程度だった。

 そんな背中を向けるTOHOシネマズ系の後こそ追わなくても、イオンシネマ系とかHUMAX池袋とかも2週目にはグッと回数が減って午前とかしか見られなくなっていたりしていたけれど、そんな状況でジワジワと評判が広がって劇場へと足を運ぶ人が出始め、著名人による絶賛もSNSあたりから出ては広まりこれはやっぱり見ておくべきかといった空気が漂い始めた。その時点でようやく見られるかどうかといったところだったけれど、機動力に定評がある新宿バルト9が半分くらいTOHOが関わっているけどメインは東映系のティジョイだったりすることもあってか他に引きずられないで上映回数を増やし、立川シネマシティとかも音響を良くするだけでなく、良い映画を見せることにも熱意を示して上映を続けてくれた。

 そうした効果もあってか観客の動員はさらに増えていった感じ。監督によるティーチインが開かれサイン会も行われてようやく動き始めた映画をここで捨て置くのはもったいないと感じたか、TOHOシネマズがいったんは打ち切った日比谷や新宿、上野あたりで「若おかみは小学生!」の再上映を決定した。こんなことが過去にあったかとなるとあまり聴いたことがないというのが実際で、すでに決まっていただろうチェーンならではのブッキングをどうやってやりくりして、「若おかみは小学生!」の上映をぶっ込んだのかが気になってしまう。

 「カメラを止めるな!」が拡大上映された時も期待されていた某長編アニメーション映画の不入りをカバーするためなんて話もあったし。それでも封切り直後の超大作ではなく、いったん打ち切った作品を再上映するのはやっぱり異例。興行主の判断が間違っていたことを示す大きな例でもあるけれど、そんな恥を偲んでも上映すべきと思ってくれたのなら有り難い。これを機会にさらに多くの人が見て、口コミを広げて一気にロングランと行って欲しいなあ。「虹色ほたる〜永遠の夏休み〜」や「きみの声を届けたい」で出来なかったことがだんだんと出来るようになってきた、そんな例をここで作って次につなげて欲しい。でもやっぱり基本は良い作品を作ること。それがなければ何をしたって続かないし広がらないものだから。

 ウルトラ怪獣のデザインといえばバルタン星人をはじめとした現代アート的なデザインでもって成田亨さんの名が通っていたりするけれど、レッドキングとかカネゴンとかガラモンといった世に広く知られたウルトラ怪獣の造形は高山良策さんが手がけたものだったりして、そうした怪獣の親しみもあれば恐ろしさもあったりするデザインが子供心を引きつけ、今に至る怪獣人気の基礎となったことはやっぱり強く意識しておいた方が良い。そんな高山良策さんによるケムール人のフィギュアが何と海洋堂の造形によって円谷プロダクションから発売予定。映像製作がメインの円谷プロがここに来て商品展開も行うようになったみたいで、その名も「ULTRAMAN ARCHIVES」という名前でプロジェクトが発足。その発表会があったんでのぞいてきた。

 ウォルト・ディズニー・ジャパンあたりで仕事をしていた人が社長に就任し、キャラクターを基礎としたビジネス展開を考えていたこともあるんだろーか、他社にライセンスを供与するだけでは売れ線に偏ってしまうものを、もうちょっと歴史に残るような形で作りたいといった思いもあってか自前でプロダクツを送り出すことになったみたい。第1弾が「ウルトラQ」でそれも高山良策さんがデザインを手がけたケムール人が出ている「2020年の挑戦」という作品。これを劇場で上映しBlu−rayやDVDでリリースし、出版もしてついでにフォトフレームとか怪獣のフィギュアとかも作って売り出すという。その怪獣が高山良策さん原型によるもので、今の姿に近いんだけれどどことなく職人の差配もはいったようなスタイル。高山良策さんは生前にそれらを7体ほど作っていたらしい。

 バンダイなんかがそうした高山デザインの原型を世にフィギュアとして送り出すことも考えたみたいだけれど成らず。そこを今回、海洋堂の製造技術も借りつつ製品として販売することになった。スタイリッシュでそれでいて恐ろしさも含んだケムール人とかなかなか最高。首回りにはファーも飢えられていてどれだけ手間をかけて作るんだって気にさせられる。3万円近いけれど欲しい人は欲しいだろうなあ。個人的にはでもレッドキングがどっしりとしてかっこよさそうだし、ラゴンも半魚人めいてなかなかキュート。でもやっぱりカネゴンか、永遠の円谷怪獣キャラクター。ソフビ人形も可愛かったけど今度のも結構かっこよさそう。揃えるかなあ、そんなお金はないけれど。

 気になったのはそんな感じに高山良策さん推しな感じなところで、もしかしたら晩年に成田亨さんと円谷プロの間でいろいろとあった出来事が、今に至るまで容易に成田デザインの怪獣人形として出させないとかいったシチュエーションを生んでいるのかもしれない。その影響で選んだ映像もケムール人のほかはガラモンにカネゴンにペギラといったあたりも高山良策さんが造形を手がけたものを中心としたラインアップ。そこに成田亨さんデザインといったアピールはない。次の「ウルトラマン」での事業に何が成田亨さんの入ってくるかで判断しよう。そういえば金城哲夫賞の次は成田亨賞とぶち上げながらも今に至るまで実現していないなあ。やっぱり未だいろいろあるのかなあ。

 とある自称するところの全国紙がサイトをリニューアルしたんだけれどもどこかニューヨークにあるクオリティペーパーに感じが似通ったレイアウトだったりするところに、主張ではこのリベラルめと非難しても使えるものは使うといった功利性が見え隠れ。ただそうやってレイアウトをいじった影響か、これまでページのどこかにあったスポーツ紙とか産業専門紙とか夕刊紙とかゲーム情報サイトとか競馬情報サイトとか自転車専門サイトといった自分の会社で出しているさまざまなニュースサイトへの入口が消えてしまっていて、そうしたサイトに飛ぶのにいちいち検索してサイトを呼び出さなくてはいけなくなった。こうなるとついでに見ようという人も減り、結果としてトータルのPVなんかは下がりそうな気がするけれど、どういう判断があったんだろう。新聞のサイトは新聞のサイトで独立独法に孤高の存在だから関連媒体などとは連携しないとうのも決断。ただそうやって孤高を保って人が来てくれるだけの情報があるか。いろいろ未来を考えたくなるなあ。考えるまでもないけれど。やれやれ。


【10月14日】 立川シネマシティでの極音上映で「劇場版 響け!ユーフォニアム〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ」を観て、「劇場版 響け!ユーフォニアム〜届けたいメロディ〜」も観て、ようやく脳内のキャラクタービジュアルが「リズと青い鳥」の特徴的で抑制されたものから戻ってきた感じ。これで「リズと青い鳥」の頭のままで「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」へとなだれ込んでしまったら、雰囲気もテンポもまるで違った雰囲気にちょっぴり戸惑ったかもしれない。あるいは「リズと青い鳥」で始めてアニメーションとしての「響け!ユーフォニアム」に関心を持った人が、たぶん物語的には続きの展開になっている「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」を観て、黄前久美子が実は主人公で高坂麗奈といちゃいちゃする話だったと気付いて驚くとか。

 ああ、でもそれは楽曲「リズと青い鳥」のオーボエとフルートの掛け合いをユーフォニアムとトランペットで演奏し、鎧塚みぞれと傘木希美の尻に蹴りをぶっ込んだときに少しばかり見えていたか。脇役なのにあの存在感。物語にしっかりと絡んでくるところは本当の主人公は私たちなんだということを、世の中にしっかりと認識してもらって「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」へとつなげたかったのかも。観ればきっと、あああそこでユーフォニアムとトランペットを吹いていた2人だったと、すぐに気付くだろうから。

 そんな「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」で気になる点があるとしたら、完全新作ということで前提にテレビシリーズがない関係で、前の劇場版2作品ではテレビシリーズだとしっかり描かれていた部分が省かれ例えば、滝昇が「なんですか、これ?」と笑顔で言った最初の合奏へと至る前、パート練習がみっちりやられないまま早く見てもらおうとした北宇治高校吹奏楽部のダラけぶりとか、鎧塚みぞれと傘木希美の和解と希美の吹奏楽部復帰のエピソードとかが落とされていて、単体では話はつながっても心情の機微まで終えなかったところがあった。でもテレビを観ていた人はそうだと埋め合わせていたけれども今度はそれがない。原作から補完できるとしても結構違うところがあるしなあ。その意味では脚本と演出の腕の見せ所か。そもそもどのあたりが映像化されるんだ? 今は気にしつつ間もなくリリースの「リズと青い鳥」を眺めつつ公開を待とう。

 せっかくだからとアニ玉祭2018へ。毎年のように雨が降るイベントで、去年なんかは台風が来たかかすったかして大雨で外でのステージイベントがなくなりオープニングも屋内で行われた。今回もぱらぱらと雨は降っていたけれど、撤収するほどではなくオープニングも屋根がない場所で行われたしその後のライブもしっかりと外で挙行。雨の影響を1番受けやすい好演での痛車展示とかブース出展も滞りなく行われて来場者もそれなりに見物していた。午後はもうちょっと晴れ間も覗くみたいんんでしっかりと観客も訪れてくれることだろう。

 オープニングに久保田未夢さんと渋谷梓希さんというi☆Risのメンバーが埼玉出身ということでMCとして登場。去年が大雨でオープニングが屋内になったこを話して今回は、外でやれて良かったみたいなことを話していたような。あと秩父から来ている人と聞いてあんまり手が上がらなかったのは同じ埼玉でも秩父と大宮では交通がズレてて来づらいってことなのか。埼玉半端ない、ってそれは千葉もいっしょか、千葉市と柏市じゃあ距離は近くても行き来は大変だし。ブースをさらりと観て「ヤマノススメ」のテントとか見物。あと来年の日本SF大会が埼玉であるんでブースを出してコスプレイヤーさんがアピールしていた。熊谷市のブースでは「ブルーサーマルVR」の体験版を見物。「カメラを止めるな!」で一躍有名になた上田慎一郎監督が撮っただけあってグライダー部の面々の演技とか面白そうだった。完全版を観たいなあ。

 ブースではあと公演の方に知多娘。が来ていて知多半島の市町や地域なんかを代表した美少女キャラクターが並んでいた。最初に見かけてローカル萌えキャラとしてどこまで続くか気になっていたれど、しっかり10年続いて常滑の中部国際空港オープンとも合わせて盛り上がる知多半島を彩るキャラクターになって来た感じ。もう知多半島なんて武豊でアニメーション映画祭が開かれていた頃に言ったきりで、10年は様子を見てないけれども常滑の賑わいはなかなかなものらしいので1度、帰省を機械に見物にいって観るかなあ。東海市の聚楽園大仏とか、近くで見たことないし。ブースではツイッターをフォローしてお守りをもらう。ご祈祷入りの本物で御利益は「就職」。いろいろとヤバくて来年の存在が危ぶまれている状況にあってこれが威力を発揮してくれることを願おう。割と真面目に。

 テレビ放送が始まった「SSSS.GRIDMAN」が第2話にして不思議ちゃん系ヒロインに見えた新条アカネがヤバい奴だと判明して、あれでなかなかのビルダーで怪獣の模型をフルスクラッチビルドしては実体化させ街に放って現れるグリッドマンと戦わせ、なおかつ必殺技まで妨害するくらいの進化を見せてこれからの展開をますます多難なものとする。翌朝になれば壊れたものなどすべて元通りになって、そうした記憶もすっかり消されている中で、怪獣たちによって直接的な被害を受けた人間たちが、その時間線上から消されてしまっている怖さもあっていった何が起こっているんだと言った気にさせる。過去に遡っていなかったことにするなんて、人間に出来る技ではないからなあ。というか現実に起こすことはまず不可能。でも起こっているならそこは現実か。響裕太はどうして記憶を失った頭で宝多六花のジャンク屋の前に倒れていたのか。そうした謎も含めて明かされていく展開が話題になりそう。毎週のリアルタイム視聴を見逃せない今クール随一のアニメーション。

 「ちはやふる」の末次由紀さんとか有名な方々が続々と「若おかみは小学生!」を観に行っては感動して泣いた話を紹介し始めていて、これはなかなか大変なことになっていきそうな予感。まずはこの週末の動員がランキングのベスト10に入るかどうかが気になるけれど、そうならなくてもしっかりと伝わったからあとは劇場がキャッチアップのための興行をしっかりと整えることが重要か。舞台挨拶もあるみたいだしそうした話題でもう人盛り上がりして欲しいもの。そんな世間の波に逆らってまたしても立川シネマシティで「劇場版 響け!ユーフォニアム〜届けたいメロディ〜」。駅コンでの小笠原晴香部長のバリトンサックスがやっぱり最高だった。あと同じ「宝島」では鳴り響くホルンが癖になる。そうした楽器の特性を把握し見せ場を用意した編曲が凄いんだなあ。そんな立川シネマシティでは同じ時間からスタートした「宇宙の法 黎明編」が満席に。昨日今日と8回の上映のほとんどが満席になったみたいでこっちは確実にランキングの上位に来るだろう。でも周囲に観に行ったという人は少ない。何で? ってそれは言わないお約束ということで。添えるなら梅原裕一郎さんのイケボが凄い。以上。


【10月13日】 ようやく見た「ゾンビランドサガ」は少女がいきなり死んでしまうという展開がもの悲しくはあるけれど、目覚めた時代が直後ではなく本人もまるで記憶がない状態からココハドコ的空間へと放り込まれるので、関わりを持っていた人の悲しみが漂ってこずこちらのもあまり響いてこないのが幸いな感じ。そしてゾンビだからこその体を張ったヘッドバンキングでもってまずは観客をつかみ、そしてラップで新しい層へと広げていく展開がゾンビとまるで無関係な音楽バトル的要素も醸し出して引きつける。次は何だろう、やっぱりアイドルか、いやそれだと本命だから別の何かか、デスメタルにラップと来たらやっぱりテクのかなあ、なんでやねん。

 ひとりまだ目覚めていないゾンビがいるけど残りは花魁にレディースのリーダーに前のアイドルと最近のアイドル。そのあたりだと知っている人もいそうだけれどハリウッド仕込みのメイクでは表情まで変わってしまって気付かれないのかな、そこはちょっと不明。そんな5人を操る男を演じる宮野真守さんがもうはっちゃけていてあらゆるボイスを出しまくっているのが楽しい。これを例えばひとりだけで抜き録りしているとしたらブースでいったいどんな演技を見せているんだろう。それを観察して集録するだけでも大きなコンテンツになりそう。パッケージにつければ宮野真守ファンも声優になりたい人も面白いものが見たいだけの人も興味を示しそうだけれど。

 ストーリーが佐賀をピックアップしてディスりつつ盛り上げていくものになるかも気になるところ。まるでゾンビが徘徊していても不思議はなさそうな佐賀の寂れ具合を見せ、デスメタルを愛するどうみてもオタクだったり温浴施設に集う老人だったりと、地方な感じを見せつつそこでのロコドル的な活躍で盛り上げていくのか、逆説的に佐賀をディスりつつも関心をあおり立てていくのか。遠からずコラボレーションもありそうだけれど、問題はそれを東京によくある地方自治体のアンテナショップでやろうとしても、佐賀県は東京にそうした店を出していないんだよなあ、もうずっと。それが新聞記事になるくらいの頑なさで、時折期間限定の店は出しても常設は持たない主義っぽい。阿佐ヶ谷に佐賀の産品を扱う店はあるけど民間で、そこで「ゾンビランドサガ」とのコラボをやるとも思えないからここは今一度、期間限定のアンテナショップを出して店員にゾンビメイクをさせてゲソとか売って欲しいもの。ってか佐賀ってゲソが名産だったのかあ。僕はまだサガを知らない。

 国で1番偉い人が昔からの友人だからと学校法人の経営者とあってそして学校法人がいろいろと国から利便を得てたりする状況を遠巻きにみればやっぱり何かいろいろとあるんじゃないかと疑う余地は十分。でも国で1番偉い人はそれはそれでこれはこれ、友人だから会ったかども別に便宜供与はしてないよ嘯いていたりして、なおかつ支持者もそれはそれでこれはこれなんだ、やっぱり僕らのリーダーは情に厚くてい理知に聡いと持ち上げるからもうモラルなんてものを誰も護らなくなっている。

 なるほど、大阪府で知事が公用車を繰り出し中でタバコを吸ったという話も、それ事態が何か法なり条例なり取り決めに違反したということにはなってないけれど、同じ大阪府で少し前、勤務時間中に職場を離れた場所でタバコを吸っていた健康医療部の男性職員を「職務専念義務違反」で訓告処分にして、その職員が依願退職していたことがあったりしたから、どこか不公平感が漂って世間をモヤモヤさせる。普通にどこかに出かけるために繰り出した公用車の中でタバコを吸う。そこが禁煙に定められていないなら間違いではないし、運転手さんの受動喫煙への懸念はあるもののそれはそれで解決するべき話。特段に咎められることはないかもしれない。ただコーヒーブレイクと称して公用車を繰り出し中でタバコを吸ったということは、目的違いも甚だしくて公私混同を言われても不思議はない。

 コーヒーが飲みたければ知事室でもどこでも行けば良いのに敢えて公用車を走らせた。知事室なり大阪府庁が全面禁煙になっているから公用車でタバコをすいたかったととられて不思議のないシチュエーションを、それでも違うと嘯いて世間はたいてい納得しない。支持者であっても一方に厳しく自分に甘い態度は敬うに値するかを迷わせそう。スルーして良い話じゃないと所属政党でも議論画で始めている中で、果たしてどんな弁明を見せるのか、それに支持者がどんな賛意を送るのか。いずれにしてもそれで辞任に追い込めるものでもないのは、国で1番偉い人があれだけやっても未だその地位に居続けていることが証明している。そんなモラルが通らない空気がやる気を削いでこの沈滞を生んでいるのだろう。やれやれだ。

 テレビシリーズの方は暗黒成分がやや薄めの「少女革命ウテナ」だなあといった印象で眺めていた「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」だったけれどもネルケプランニングが仕掛けるミュージカルとライブのりあるイベントを見る機会があって、目の前で生身の少女たちが歌って踊ってくるくると回る姿を見ていると、目も釘付けになって親近感もグッと湧いてそこからアニメーションへの方へと関心を向けて物語を強く理解してみたいと思うようになるあたりに、生身の人間が持つオーラというか引力めいたものを感じないではなかったりする。人間、いくら頑張ったところで完璧な2次元にはなれないのかもしれない。

 そんな「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の舞台第2弾では新しいライバルが現れ第99期に挑んでくるといったストーリー。でも本当の敵はってあたりで結果として団結が得られハッピーエンドへと向かい皆での歌唱が始まる。そういった展開も心に傷を残さず安心して見ていられる理由かもしれない。主人公が消えてサブヒロインが達観して何がなにやらな中に終わった「少女革命ウテナ」は伝説になったけれど、それだけでは得られない広がりを確実に「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」は得ていると言えるかも。出演者ではやっぱり眼鏡の星見純那を演じた佐藤日向さんに目が向いてしまったけれど、ライバル校の教師を演じた小林由佳さんがマッスルなところを見せてとてつもないアクロバティックな動きを演じてのける。そこも注目。凄いから。チケットはもうないだろうけどライブビューイングもあるし、言ってみようか千穐楽を映画館で観劇に。

 立川シネマシティで劇場版「響け!ユーフォニアム〜届けたいメロディ〜」を観る。これは割と劇場で観ていたけれども改めて観て田中あすか先輩のラスボス感が半端ないというか、最初からこの展開で幕を引く予定だったのかと考えると前半の田中あすかの目立っていなさがフェイクのようにも思えてくる。小説を読み込むなりテレビシリーズを見入ればあるいはその強烈な存在が吹奏楽部内に蜘蛛の糸のように張り巡らされていることに気づけるのかも知れないなあ。そんな映画では駅ビルコンサートで小笠原晴香部長がソロのバリトンサックスに入る瞬間にふっと息を吸うのが改めて分かってちゃんと人間が吹いているんだってことを見せようとした、希有なアニメーションだと理解できた。同時に立花にいった佐々木梓が階段に座って「かっこいいじゃん」という場面がカットされていることにも改めて気付く。あれはあれで良いシーンだたけど演奏が伸びたから映画は映画で良かったと言おう。次はいつ劇場で観られるかな。明日また来る? それはさすがに。


【10月12日】 午後の2時半ごろにグレープ君が息を引き取ってからちょうど1年。東武動物公園で繰り広げられた「けものフレンズ」とのコラボレーションで、ペンギンのいるコーナーに立てられたフンボルトペンギンのフレンズ、フルルの立て看板に興味を持ったかずっと眺めていたフンボルトペンギンのグレープ君には、「けものフレンズ」のファンだけでなく世界中から関心が集まり報じられ、そして訃報も世界中で取り上げられた。9月25日にテレビアニメーション版「けものフレンズ2」に関するいろいろとショッキングな出来事が起こって、モヤモヤとしていた中にあってまだ楽しかった頃の気持を繋いでくれていたグレープ君とフルルの逢瀬もこれで切れてしまって、「けものフレンズ」への気持も滞りがちになりかかった。

 幸にしても舞台があってライブがあって音楽祭もあったりして、あの頃の楽しかった気持はまだまだつないでいけると気を取り直して1年後を迎えた。東武動物公園ではその後も「けものフレンズ」とのコラボレーションを続けてくれているし、グレープ君への関心も今につないでくれている。その意味では動物への関心を高めるコンテンツとしての「けものフレンズ」のスピリッツはまだまだしっかり残っているとは言えるけれど、一方で新しく発表された「けものフレンズ2」のキービジュアルに描かれたキャラクターたちの、どういったら良いのか分からないくらいに不思議なポージングでありフォルムであり顔立ちだったりするところに、今後の展開へのいろいろな感情が渦巻いている。

 11月には新しい舞台も行われて最初の舞台と同じメンバーが登場し、割とアニメーション版「けものフレンズ」の雰囲気を漂わせてくれていたあの優しい世界にまた会えるのかといった期待も膨らんでいるけれど、ここで例えば「ようこそジャパリパークへ」が歌われなかったりして、第1期アニメーション「けものフレンズ」の痕跡が消されていくような事態があったとしたら、気持もグッとへこたれてしまいそう。ファンに喜びを与え関心を抱かせたあの世界を、まさかまるっと没にして封印してしまうようなことが起こりえるか否か。そこが今は気になっているところ。ビジュアルブックが絶版品切となってボックスでのパッケージ販売もなくテレビ放送すらされなくなるような事態だけは、避けて欲しいけれどもそれができるならこういった事態には至っていないような気も。ともかく来月の舞台にまずは注目。そして1年前を思って黙祷。

 遅いかといえばやっぱり遅いと思うし、どうしてもっと早くにアンテナを広げて面白さを感じて世に喧伝しようとしなかったのかと、大手のメディアの怠慢を誹りたくなったりもするけれども広範囲を視野に入れて最大公約数の面白さをまずは伝えるのが使命の一般メディアにとって、「若おかみは小学生!」というタイトルで絵柄もちょっと可愛らしくて、まるで子供が見るような長編アニメーション映画を真っ先に取り上げるのはちょっと場違いな感じもあっただろー。ただこうまで著名人が面白さをツイッターとかSNSで訴え、それを多くの人が読んでどういうものだろうと考え、興味を抱いたことが今のこの打ち切り終映からの復活劇なんかにつながっていそう。

 なおかつそうした現象が大きなメディアにようやく捉えられ始めていて、あの「フライデー」が著名人による絶賛ツイートが相次ぎだんだんと広がりつつあることをネットの記事で紹介していて、それがYahoo!ニュースのトップに掲載された。今時Yahoo!で情報を得る人がどれだけいるかは分からないけれど、自称全国紙のサイトよりは何十倍何百倍もユニークユーザーは多いだろうから影響力だって未だ健在。その影響がこの週末に出ないとも限らない。あと毎日新聞もSNSによる支持者の絶賛ツイートが後押しになったことを夕刊で新聞記事として紹介した。こうした後押しを受けて観客数を伸ばし、この週末を乗りこえればあるいは2館から始まって全国規模になって160万人だなんて観客を集めた「カメラを止めるな!のような爆発的大ヒットへとちょっとでも近づけて行けるかも。そんな期待を今はしてみたくて仕方が無い。イベントも決まったみたいだしそこからさらに高みを目指して欲しいなあ。

 そういえば気がつけば築地の市場が豊洲に移転していて食べてる魚もきっと豊洲から来ていたりするんだろうけれど、味に築地とか豊洲とかがついている訳ではなく、単なる通過点に過ぎない市場をブランドだ何だと持ち上げて奉ることにさて、どんな意味があったのかといったことがこれから5年、10年と時間が経つ中で浮かんでくるんだろう。そもそも築地だって100年も経ってない中で集積の果てに培われた伝統であり、逆に言うなら澱みたいなものでそれがいったんリセットされれば、次に別の場所に伝統が溜まっていく。それをだから維持し堅持し盛り上げていくことが今は重要なんじゃなかろーか。手狭になったから10年で移転とか取り壊すとか、そっちの方が問題だし築地に一部を戻すとかもう論外。そうやって価値を分散させることの方がかえってブランドの価値を貶める。ってことを分かっているかどうか。あの都知事では八方にいい顔さで出来れば何だってやりそうで先行きが思いやられる。東京オリンピックへの大盤振る舞い後に何が来る? 都民じゃないけど気になるなあ。

 結局のところ売れ行きを悪くした味をまったく変えることなく作り続けている料理店が、そんな売れ行きでは店が維持できないからと店舗を狭くしてウエイターやコックの人数も減らしたもののメニューの数は減らせないとあってそれなら皿の上の盛り付けを減らしてより多くの小皿を作れるようにしたところで、食べて満足できない皿なんて誰が食べるかって話で一口でいろいろ味は試せるオードブルはしょせんオードブルに過ぎないと、メインディッシュとしての扱いを止めてしまう人が多く出そう。一方で料理を店で出していただけではもう儲からないとご家庭向きのデリバリーを始めるようにしたものの、そっちはそっちでボリュームが求められるにもかかわらず対応できるのはオードブルのような小皿でしかなくやっぱり届けられたものに不満を募らせ注文しなくなるという、そんな未来しか想像できないけど何の話かは内緒だ。まあいずれ分かるだろうけれど。やれやれだぜ。


【10月11日】 たーかーのーつーめー。という訳でDLEが誇るキャラクター「鷹の爪団」があの大ヒットして欲しい映画「若おかみは小学生!」のパロディFLASHアニメをネットに公開。小学生が若おかみな上に厨房が中坊だったりともう無茶苦茶ではあるけれど、そうやってイジってくれることで認知も広がり関心を持つ人も増えるから今はどうであっても話題になることが先なのだ。とはいえ、「鷹の爪団」を作っているFROGMANこと小野亮さんはDLEの取締役でもあって、自分たちの会社で製作した「若おかみは小学生!」が当たらなければいろいろと会社的に大変。だったらと自分で盛り上げるのは内輪受け? マッチポンプ? 自画自賛? いろいろ浮かぶけどそこはあのDCとだって組んで無茶苦茶をやるFROGMANだけに、会社とか気にせず流行っているものに乗っかり余計に流行らせるポリシーを、ここでも貫いただけだと思っておこう。いずれにしても有り難い話。

 一方で、秋好旅館の若おかみこと真月さんが医食同源の手ほどきをもとめてやって来た時に、ひとり図書室で読んでいた原書「ホモ・デウス」の日本語訳を刊行している河出書房新社も、そのことに気付いたみたいでしばらく前から真月さんにスポットを当てていろいろと話題を振り始めている。最近とかはそんな「ホモ・デウス」の読まれ方を紹介したとたん、売り上げが一気に増えたってことでお礼参りと称して、新宿バルト9で連続上映されている「若おかみは小学生!」を観に行ったとか。やっぱり感動の映画だったようで、撮った画像が涙で濡れていた。いやきっと手ぶれかなにかか。そうやってあまり縁がありそうもなかったところに広がっていくことで、上映打ち切りが止まって延期するところが出てきたようで今は何より。

 10日に発売された「月刊アニメージュ」2018年11月号でも劇場版「若おかみは小学生!」の設定資料が掲載。いつもだったら作画の基準になる線画のキャラクター設定とか背景美術とかが掲載されるのに、高坂希太郎監督はそういったものを作っていないらしく企画開発時のデザイン画が掲載されていた。何でも原作のイラストを担当した亜沙美さんのテイストで絵を動かしたいという欲求があって、そんなテイストがまるっと取れてしまう平板なキャラクターデザインは作られず使われなかったとか。それでいてアニメーションではしっかり誰もが崩さずキャラクターを描ききった。やっぱりアニメーターって凄いなあ。

 こうした応援もあってFROGMANのアニメーションが乗ってSF作家の山田正紀さんの絶賛ツイートも加わって、どちらかといえば実写の人の樋口尚史さんによる「本作は設定とシナリオを考えぬき、アニメ的自在さを自制しつつ着実に物語を組み立て、その果てにほんのひとときアニメ的な歌を唄うような、まことに見事な『ドラマ作品』であった。その丁寧さと的確さは、多くの実写映画が範とすべきレベルのものである」といった絶賛記事も加わって、週末にさらに爆発をしてくれれば一気に興行収入も10億円へ……ってそれはまだ遠いか、1度も興行のベスト10に入ってないから。でも数億円へは届いて欲しい。そして作って欲しいBlu−rayディスクを。特典映像も満載で、「ジンカンバンジージャンプ」とか鈴木慶一さんのサウンドとかも入ったCDもつけて。

 そんな「若おかみは小学生!」の先達として単館に近い上映から一気にブレイクを成し遂げた「カメラを止めるな!」が、なぜか実写映画であるにも関わらず2018年11月号の「月刊アニメージュ」で大特集。上田慎一郎監督がファンに作ってもらったらしい黄色い地の「ONE CUT OF THE DEAD」Tシャツを着てインタビューに答えていて、アニメーションに関する話ではオールタイムベストテンとしてあげた中に今敏監督の「PERFECT BLUE」と「パプリカ」と「東京ゴッドファーザーズ」が入ったらしい。「千年女優」は? って思ったけれどもホラーでもサスペンスでも人情ものでもないテクニカルな構成はやっぱりちょっと違うかもしれない。その意味ではアニメーションでしか出来ない映画で、実写でしか出来ないワンカットが主題の「カメラを止めるな!」とは対極。そうした属性の違いが好みにも出たのかもしれないなあ。だからこういうインタビューも面白いし役に経つ。そういうことで。

 亡命なんてしたらターニャ・デグレチャフ中佐、ラインの悪魔と呼ばれて前線の兵士から恐れられ嫌われているだけあって即座に捕らえられ処刑されるのが落ちだと思うけれども、そのまま帝国にいたら国ごと滅びるだけでその前に総力戦の中で特攻させられるだろうから、処刑になる懸念があってもやっぱり亡命したいんだろうなあ。それだけ逼迫している帝国の情勢がいよいよ明らかになってきたカルロ・ゼンさん「幼女戦記10」。防御のためだといって敵の国に上陸するだなんて無茶をやり、なおかつそれが暗号を解読されていたらしく相手に筒抜けで待ち伏せをくらって危機一髪。それでも味方の損耗を軽微に抑えて敵を攪乱して撤収までしてのけるところにターニャ・デグレチャフという軍人の凄みって奴が伺える。

 もしもその活躍が名前と結びつき、戦術ではなく戦略レベルで相手に恐れられていたなら亡命後、それなりの待遇で迎え入れられたかもしれない。名前をだからやっぱり売っておかなくちゃいけないんだけれど、前線に立つ度に名乗りを上げるなんて日本の戦国時代でもないからなあ。かくして八方ふさがりの中ですり減るのを待つだけになりそう。どうなることやら。ルーシー連邦だったら内部人民委員部長官のロリヤがターニャ大好きなんできっと大歓迎してくれそうだけれど、それだと歓迎の仕方が極めて個人的で好意的なものになりそうだからなあ、見かけはアレでも中身はソレなターニャにとってそれは幸せか、もうその世界で10年くらい生きてきたら多少は中身に無関係の肉体にともなう感情も芽生えたか。そういう感じではないかなあ、もうちょっと性徴が出たらそうなるかな。その辺も含めてどうなるか、続きを待ちたい。劇場版はどこを描くんだろう。


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