縮刷版2017年5月上旬号


【5月10日】 名取周一が柊を式に加えてからすっかり出番が減ってしまって、5期では登場すらしてなかったような記憶もある笹後と瓜姫が珍しくそろって登場しては、前編後編と動き回って喋りもした「夏目友人帳 陸」。とりわけ笹後は声を担当していた本多智恵子さんがなくなって、誰が当てるか気になっていたら川澄綾子さんが入って、こちらは最初からずっと演じている瓜姫の樋口あかりさん、そして柊の雪野五月さんとともに名取のトリオ・ザ・式を務めていく体制が整った。かくなる上はイベントにも登壇してお三方で歌でも歌って欲しいところだけれど、ちょっとメンバーにパワーがあり過ぎて観る側もそのベテランとしての芸と見目にアテられそう。だからとりあえずは作品の中で3人が等分に活躍していって欲しいもの。本多さんのように出番がない間にいなくなってしまうのは寂しいから。

 それにしても祓い屋というのはそんなに急激にストンと妖力が消えてしまうものなのか。名取周一がかつて世話になったという壮年の祓い屋がその力を失ったものの式を解放できなくなってそして恨まれ反撃を喰らいかけている。娘にまで被害が及びそうだったので夏目貴志も伴い名取周一がその祓い屋の家までいったら確かに2体の式が屋敷におしよせ騒いでいて、そしてもう1体は屋敷の中でいろいろと動いていた、といってもそっちは主人を守る側。解放もされず喋り書けてももらえない中途半端で一方的になってしまた関係に、それでも背を向けないのは相手への敬意があったからなのか。そこまで思われる祓い屋も冥利に尽きるなあ。でも宙ぶらりんにする前にしっかりとケアをして置いて欲しいもの。そうでなければ式たちが可愛そうだよまったくもう。

 そうかやっぱり詰め物だったかin No hurry shoutとしてデビューすることになったニノ変じてアリスの立派なその胸は。ってか前のビジュアルだけのアリスがユズの変装で、胸なんてあるはずないのに結構なサイズのがついていたからそういう趣味なのかと思っていたら、当人ではなくプロデューサーの趣味だったみたいでそれが中身も変わっても継続されてニノにも立派な胸がついた。でも中身はユズよりはあってもやっぱり薄い関係上、いろいろと詰めることになったみたい。なにをどう入れているのか知りたいとこと。あとさわり心地とか。ふかふかしているんだろうなあ。

 ってな感じの「覆面系ノイズ」はニノがモモも審査員に入っているけど当日は来ないと言われたオーディションに参加して、2人にとっては思い出のキラキラ星を歌ったら目の前に相手が座ってた。なんで聞かないといったら聞かない道を貫かなかったのか、ってのはやっぱり興味があったからなんだろーけれど、ニノのために書きためた楽曲を金のためにアイドルに提供してしまった罪悪感がニノの前に自分を立たせなくさせたんだろー。結構純朴。でもそこで理由を言えず罵倒も浴びせるイケズっぷり。泣きたくなったニノだけれどもそれはまだ届いていないからだと意識を変え、滾る思いをマイクにぶつけて歌番組でin No hurry shoutのお披露目を引っ張った。その暴走に周囲がついていった先にどんな音楽が生まれるか。どんなシーン作られるか。そしてニノはモモとユズのどちらに向かうのか。漫画を読めばすぐに分かるんだけれどここは「カブキブ!」同様に先を知らないまま、毎週の展開を楽しんで行くことにしよー。

 共に降りてひとつの時代を幕を閉め、次の世代にバトンを渡していくための前向きな退任かと思ったらまるでそうではなかった感じのフジテレビジョンの社長後退。だって今の社長はBSフジの社長になってそのBSフジの社長が戻ってテレビ局の社長になるという入れ替え。これでガバナンスが大きく変わるとは思えず、制作力とか企画力が一気に爆発するなんてこともない。そんな中身の乏しさに加えて今の社長がまるっと退任ではなく入れ替わりでBSフジに行くといった程度の異動では、新しいものが生まれる感じがしないしそもそもそれを担う人材が見えない。ホールディングスの方だって代表取締役会長という座からは惹いても取締役としては名を連ねる。そして相談役とはいっても実権は握って差配を続けるだろー。問題があっていったん身を移しほとぼりが冷めるまで待機する避難ポストのような印象。つまりは変わりきれないという可能性だけれど、それを自覚しているのは現場だろうから、上のそうしたタクラミに対して何か手を打って欲しいもの。驚きが笑いになって世界に響くような驚きの手を。

 ネタでもないかと東京ビッグサイトで始まったIT WEEKってIT関連のいろいろな見本市が集まった展示会を見物。WEBマーケティング&プロモーション系の企業が集まったコーナーに出していたジーアングルって会社が、いわゆる手描きのアニメーションをCMとかプロモーションに使いたい企業から依頼され、制作するってサービスを4月から始めたそーで、それをPRしていた。新海誠監督がZ会や大成建設で作ったような、2D風のルックでストーリー性もあってキャラクターもいまどきといった感じのアニメを使いたいという需用が、新海誠監督の活躍もあってあるみたい。でもそれをどこに頼めば良いか分からない企業のニーズに応えたサービスってことらしー。

 ブースでは自分のところの仕事をPRするための映像を事例として作って魅せていて、これが手描きならではの味わいがあって気になった。新海誠さん風の空気感を持っているのはそれが今とってもビビッドだからなんだろうけれど、ちゃんとした原画マンを使い動画も彩色もそれなりに経験を積んだ人たちが依頼を受けてやっているみたいで、2分近くをしっかり最後まで見通せた。途中で主人公の就活をしている少女が、家で机に向かって苦闘している場面とか表情や仕草、そしてアングルが本格的に見えて気に入った。これくらいのものを作れるんあら頼んでみたいと思う企業もいそうだけれど、納期まで4カ月から5カ月、そして料金も数百万円はしそうとあって気分は割高。でもクオリティは高くそれで効果もあれば割高とは思わず適正からむしろ安いと思ってもらえるようになるかもしれない。とりあえず何が作られどう広められるかに注目。

 小ぎれいなロフトプラスワンというよりはもはや音楽ではなくトークを聞かせるビルボードジャパンといった雰囲気も感じられた渋谷はヒューマントラストが入っているビルの4階にある東京カルチャーカルチャーで、特撮マニアックスというシリーズの第1回となるSFメカニックの魅力(海外ドラマ編)が開かれたんで見物に。特に恋特撮オタではないけれど、出演が出渕裕さんと庵野秀明さんというゴージャスきわまりないメンバーが登壇するとあっては行かない訳にはいかない。ただそんな2人が登場してエヴァについてもヤマトについても語られず、生まれてない時代の海外特撮ドラマについて濃い話をされても若い人は退屈してしまうと考えたのか、最後にイベントを主宰した、SF特撮関係の本を編んで出している岸川靖さんが私物のプラモデルコレクションを放出すると行ってくじ引きを実施。それで見事に「宇宙家族ロビンソン」変じて「LOST IN SPACE」に登場するジャパリバスではないCHARIOTって乗り物のプラモデルを当てたけれど、作るのは結構大変そうかもしれない。開けることすら勿体ないんだけれど、でも作られてなんぼの模型のために頑張る努力を今からこつこつと。2020年までには完成させたいなあ。


【5月9日】 記者は足で稼ぐのが仕事なんで京成本線で青砥まで出て、そこから押上線に乗り換え曳舟まで出て、そこから東武亀戸線に乗り換えてたった1駅だったところを乗り越して戻って小村井駅で降り、ちょっとだけ歩いて到着した警視庁向島警察署で今日から配布となった「けものフレンズ」とテワタサナイーヌがコラボした、電話による詐欺の勧誘を防ぐための啓発チラシを名刺を拝領。聞くと朝から10数人が訪れもらっていったとかで、それでいったん落ち着いたものの散発的に人が訪れチラシを名刺をもらっていった模様。そういった話を現場で聞くと改めて「けものフレンズ」が持つ訴求力ってのが感じられる。

 というか、東京でもちょっと外れの墨田区にあって、交通至便とも言えない場所でも朝から訪れるファンの意識の高さに感嘆。さっそくネットのオークションに出している輩もいて、稼ぐためにはって思いもあるのかもしれないけれど、数百円だったら交通費の方が高く付いてしまうだろーから、そんなに数は増えないだろーと思いたい。まあ遠いとは言っても東急田園都市線から半蔵門線を経由すればそのまま1本で曳舟まで行けて、そこで乗り換えて1駅で到着。JRでも中央線とつながっている総武線の亀戸駅で降りて東武亀戸線で駅3つの距離だから、言うほど僻地でもないんじゃないのかなあ。もらったという話が流れ始めて自分もと思い足を向ける人がこれから増えそう。もしかしたら指名手配半も「けものフレンズ」のファンだからと訪れたりして。そうなったらスーパーボウル級の人気だねえ。

 亡くなられていたとは武田日向さん。桜庭一樹さんの「GOSICK」シリーズの表紙絵や挿絵を担当して、ヴィクトリカというキャラクターをビジュアルとして創造してはあの世界観の決して少なくない割合を担ったイラストレーターだったけれど、その桜庭さんが報告する形でネット上で今年1月に亡くなられていたことを明らかにして、半身とも言える存在を失ってしまった悲しみをよくここまで耐え、そして公表に到ったものだとその心情に敬意を抱く。コメントによれば2011年にパッケージのイラストを描いてもらった時にはもう体調も優れなかったらしく、あるいはずっと闘病生活を送られていたのかもしれない。

 「GOSICK」シリーズが富士見ミステリー文庫から角川ビーンズ文庫に移ってライトノベル的に刊行される一方で、角川文庫からも同じシリーズが刊行され、さらに続きも出たのにそれに対応したビーンズ文庫版が出なかったのはつまり表紙絵もイラストも添えられない状態にあったということなのだろう。出して欲しい、どうして出さないと思ったこともあったけれど、そこに何か良いわけをすることなく淡々とシリーズを描き続けた桜庭一樹さんも頑張ったんだろうなあ。帰って来たら描いてもらいたかったけれど、それも叶わず。これまでご苦労様でしたと悼みつつ、これからも桜庭さんには世界を紡いでいって頂きたい。僕たちはそこに武田日向さんが描いたヴィクトリカと九城の姿を視ていくから。

 録画してあったのをようやく視たテレビドラマ版「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」はとにかく櫻子さんのというか観月ありささんの脚が綺麗でそれが出ている以上は見続けるしかないと決心する。親子連れの標本教室に行っては骨をケンタッキーフライドチキンで例えつつ大腿骨はどこかと言って自分の脚を教壇の上に載せてのける。長くなければ届かないし股関節が柔らかくなくては開かない。それをあっさりやってのけた観月ありささの身体能力の高さにも改めて感嘆。ストーリー的には謎があんまりなくて淡々としていた感じがあるけれど、櫻子さんのちょっと捻くれた、それでいて真摯な愛情表現の姿が見えて正太郎にもちょっとは理解が広まった模様。そんな2人はどうなっていくのか。どうもならないのか。年の差なんて気にしない、フランスのマクロン新大統領だって25歳年上の女性と結婚したなから。

 バズると一気に広まるネットの特質が出たのか、神社本庁が国旗の掲揚を啓発するか何かを目的にして2011年に作って配った「私日本人でよかった。」と書かれたポスターが、京都のそこかしこに貼られているといった話題が数週間であちらこちらで取り沙汰されて、海外からの観光客も多く訪れる京都で排外的ともとられかねないポスターはいかがなものかって意見も出ていたりする。ポスターの趣旨からすればそうした排外的な意図はなかったと言えそうだけれど使う場所によってはそうしたニュアンスも出る訳で、気をつけて欲しいものといったところだけれどそうやって話題になったおかげで、モデルとなっている女性が実はフォトアーカイブで提供されている素材で、そしてどうも日本人ではないといった話が浮かび上がった。

 そのメッセージさえ伝わればモデルがどこの人であろうと問題ないとも言えるけれど、こうしたポスターをありがたがる人たちにとっては苛立ちの原因になりそうだし、日頃の主義主張が足下からひっくりかえされたような気分も抱きそう。そこで鷹揚に構えてどこの国の人であっても、日本という国の国民となって国旗に敬意をはらうようになってくれて有り難いと言えれば良いんだけれど、純血こそがといった理念に凝り固まって移民も何も認めたがらない種類の人もいそうなだけに、そうじゃない人を使って日本人だと言わせることそのものへの反発なんかも浮かんできそう。結局のところ日本人なのかアジア系の国の人なのか、分からないけれどもしかしちょっと興味深い一件。できれば愛国心とかでなく、安らげて安心できる国としての日本への関心を誘うビジュアルって方面で容認されていって欲しいなあ。無理だろうけれど。

 えーっと叫んだフジテレビジョンの社長交代話。視聴率の悪化が言われる状況で亀山千広社長が退任を余儀なくされることは仕方が無いとして、現在60歳の亀山さんですら太刀打ちできなかったこのテレビ業界を取り巻く状況の変化に、新しく社長に就任するという73歳の宮内正喜さんが対応していけるのか、ってところが誰にも浮かぶ疑問だろー。10年前に社長レースに敗れたといった話も出る中を岡山放送の社長に出て、これで終わりかと思われたら2年前にBSフジの社長となって本体近くまで戻ってきた。そして2年経っての本体復帰。その返り咲きのストーリーには驚くべきものがあるけれど、どういった理由から“抜擢”されたか、ってあたりが出てこないことには妥当か否か判断に迷う。特にフジテレビ時代に大きな実績があったという感じでもないしなあ。月9も10%を切った状態が続いて大変な中、いったい何を打ち出すか。やっぱり昼ドラマの復活か。そうなったらいよいよトップも含めた高齢者シフトが顕著になったって言えるかも。おじいちゃんのばあちゃんメディアとしてのテレビってことで。

 イブニングでは鬼頭莫宏さんの「隼ちゃんもとんでます」がショートだけれどほのぼのとしてキュンとさせられて素晴らしいんだけれど、「ネメシスの杖」を描いた朱戸アオさんによる連載で最新号に8話目が掲載された「リウーを待ちながら」が凄まじすぎて毎週戦慄している。富士の麓の横走市で発生した小さな病気がとんでもないものだと分かり、それをどうにか少ない犠牲者で抑えて中世のようなパンデミックは避けられたと思ったのも束の間、とんでもない事態へと移行して街は大混乱に陥り、日本そのものが揺るがされるような状況へと陥って恐怖感が広がっていく。最新号ではいよいよの事態となってこれからどんな混乱が起こるのか。冷静に受け止め座して待つとは思えないだけに世界を巻き込んでの騒動へと到るか、否か。展開が楽しみだ。


【5月8日】 アニソン特集だったテレビ朝日系で放送の「関ジャム」は、音楽について徹底的にリサーチを行い専門家も招いて講義もしてもらうスタンスが基本にあることが奏功したか、適当な分析がなくてちゃんとアニソンにはタイアップとしてのアニソンがあり、ど真ん中を行くアニソンがあり、そして劇伴といったものがあると指摘されていて、どれこもこれもアニソンと括りがちな世間に対してしっかりと状況を伝えていた。まずタイアップとは何かってところでゴダイゴによる「銀河鉄道999」あたりを始まるとして挙げつつ、「キャッツアイ」や「シティーハンター」で杏里さんやTM NETWORKが提供した楽曲を紹介して、なるほどそういったものかを理解させる。

 その上で、アニソンといったものがあると言って、アニメのために作られたところがあって、それをアニソン歌手が歌っている楽曲を挙げつつそのアニソン歌手にも声優アーティストがいて、アニソンシンガーがいてそしてキャラクターとして歌うアニソンがあってといった分類を行って、これまたアニソンの多彩で多様な状況といったものを理解させていた。紅白歌合戦にも出て一気に知名度を上げた水樹奈々さんなんかは声優として活躍しつつアニソンも歌って武道館をいっぱいにする声優アーティスト。そして「魔法科高校の劣等生」とかで人気のLiSAさんは、声優ではないけれども主にアニメの主題歌を歌って人気をえて武道館とかを成し遂げたアーティストと指摘する。

 加えて歌手とかアイドルにとってまだまだ大きな舞台ともいえる武道館でワンマンを成し遂げるそうした声優アーティストでありアニソンシンガーが結構な数いることを紹介して、音楽業界においてどれだけの地位にあるかってのを分からせたのも巧かった。関ジャムだってアーティストだから武道館を満杯にすることの凄さってのは分かっている。そこにLiSAさんでありKalafinaでありスフィアでありといった面々が名を連ねている状況は、それだけ声優アーティストでありアニソンシンガーがマーケットを持ちファンを持って活動している証明になるだろう。

 アニメに登場するキャラクターとして歌うものとしては、「化物語」の千石撫子とかを挙げて声優の花澤香菜さんが役としての千石撫子になって歌う「恋愛サーキュレーション」なんかがあると言ったけれど、これは果たして分かったかなあ。でもそこに強い援軍。ご意見番として出演している古田新太さんが、かつて「ポポロクロイス物語」でガミガミ大王という役を演じていて、そのガミガミ大王として歌った歌があることを指摘して、なるほどそういうものかと分からせるあたりに構成の巧さが光る。「赤ずきんチャチャ」でリーヤくんがリーヤくんとして歌った歌があったら、それも説明になったかもしれないけれど、ちょっと記憶にないからなあ。というかパッケージだとそもそも「君色思い」がSMAPじゃないんだよなあ。だからタイアップとしても紹介できなかったという。奥深い。

 そんな前提を置いて、今のアニソンを紹介するコーナーでどかんと「ようこそジャパリパークへ」が取り上げられて何という充実ぶりかと感嘆。そもそもが他局のテレビ東京で放送されたアニメの主題歌が放送終了から1カ月経ってもこうやって紹介されてしまうところに、「けものフレンズ」という作品の今もって衰えを見せないのブームっぷりが伺える。警視庁の向島警察署でも電話による詐欺対策で「けものフレンズ」とのコラボがスタートするみたいだしなあ。その企画成立のスピーディーさにはちょっと驚いた。誰が発案してどう交渉してあそこまで持っていったんだろう。ちょっと気になる。とりあえず警察署ではチラシと名刺を配るとか。もらいに行くかなあ、でも平日朝から行ったら不審者扱いされてしまいそう。迷うなあ。

 そして「ようこそジャパリパークへ」の凄さを分析するところで、神前暁さんが展開の早さを指摘していた。サビがあってAメロBメロサビに別メロときて大サビといった具合に89秒、約1分半の中にすべてがサビといったメロディが詰め込まれている。1分半ってこんなに長かったんだとすら思わせる詰め込みっぷりが、あるいは今後のアニソンの主流になっていくのか違うのか。ちょっと関心を持って見ていきたい。今の春アニメだと「僕らのヒーローアカデミア」第2期のオープニングで米津玄師さんが作って歌っている「ピースサイン」が最高にクールでスタイリッシュ。シングルいつ出るんだろう。

 内閣総理大臣としてではなく、自由民主党総裁として憲法改正がどうのこうのといったことを、内閣総理大臣として来ている国会で説明するのは面倒だって意識なのか、野党の議員から聞かれて前にインタビューを受けている読売新聞を読んでくれって答えた安倍ちゃん総理だけれど、たとえ立場は違うとはいえ同じ人間が、そっちは別だって言うのはまずもって奇妙な話だし、内閣総理大臣という立場にある人間が別の立場であっても答えたことについては、しっかりと説明するのが筋だろー。そうした意識がまるでないのか読売新聞を読めとか平気でいってしまえるところにどこか気持ちのズレってものがあったりするんだろうなあ、それが積もり積もってはぐらかしと憤りでもって埋め尽くされる答弁が常態化していく。糺さないといけないのにそれをする人もいないこの末期ぶり。議論はされず権力者の意志だけが称揚されていった先に待つものは。不安はふくらむ。

 君は毛糸洗いに自身が持てる大統領なんだね? って言いたくなった人もいれば、傷口の消毒が得意なフレンズなんだね? って思った人もいそうなフランスの新しい大統領誕生。マクロンっていう名前からはやっぱり毛糸洗い洗剤のアクロンであり、傷口にシュシュッと吹き付ける消毒液のマキロンが浮かぶ。サッカーに詳しい人なら東京ヴェルディとかガンバ大阪でプレーして、長身を生かしてヘディングシュートとかガンガンと決めていたマグロン選手の名前も浮かぶかもしれないけれど、そうした名前をおそらくは乗り越えて、この難局にフランス大統領の座についたマクロンの名が強く印象づけられる数年間になるのかな。英国のEU脱退に対してフランスはEU維持を決め、ル・ペン候補の排外的なスタンスもとらず穏健的な施策を繰り出した果て、何が起こりどうなっていくか。とりあえず幾度となく襲われているテロがどういう理由でどれくらいの規模で起こるか、それとももう起こらないのかに関心。街がある巨大な宇宙船でロボットにも変形するアレは超えられないかな。

 まさか巨大ロボットアニメになるとはテレビ版「リトルウィッチアカデミア」。ワイルドハントって行事が何を意味しているのかは分からないけれども狩人が各地を回って目には見えない妖怪変化の類を退治していくツアーみたいなものが、ルーナノヴァのそばにやってくるってんでメカ好きのコンスタンツェが船とか揃えて挑もうとしていたみたい。そこに口を出すアッコの何てお節介なんだろうと思わないでもないけれど、自分がやりたいという思いを貫きつつ、誰かがやって面白いと思えるようにしようといった配慮も見せつつコンスタンツエを驚かせるアイデアを示し、それに刺激されたコンスタンツェが本気を出して見せた巨大ロボットが、クロワの企みをとりあえず防いだものの着々と何かを溜め込んでいるクロワ。分かってアーシュラ先生には手が出せないのは彼女の力のどこかに不備があるからなのか。個々のエピソードが起承転結で進みつつ伏線めいた筋もしっかり描かれる連続アニメーションの鏡みたいな作品。次を観るのが待ち遠しい。


【5月7日】 やっぱり描いた性格がそのまま反映されるんだ「Re:CREATORS」の顕現者たちはロボットに乗るヒーローにありがちな承認欲求が強いのか、求められれば嫌とは言えないけれど無理強いすると逃げては存在感を示そうとする厄介な性格だった鹿屋瑠偉が登場し、ギガスマキナなんて巨大ロボットまで手に入れていよいよもってメテオラやセレジアといった水篠颯太に与する面々の戦力が高まってきているようだけれど、軍服の姫君の方でも創造された世界に対する憤りを感じている面々を味方に引き入れ着々と戦力アップを図っている様子。信念でそうするものもあれば面白いからと肩入れするものもあってと千差万別だけれど、それでも人間よりは強い架空の世界の存在だけにぶつかり合えば世界もただえは済まなさそう。

 だからってことで政府もさっさと動いて菊地原亜希だなんて特別事態に対する対策本部を立ちあげ関係省庁との連絡を取って対策を練り上げている様子。何が起こっているんだと右往左往したり、信じられないと無為無策を繰り返すのがこうしたフィクションでの政府であり省庁であり官憲だったはずが、「シン・ゴジラ」からこっち異常事態でもしっかりと状況を認識し適切な対応をするというのがデフォルトになって来た模様。もちろん「正解するカド」にしてもこの「Re:CREATORS」にしても「シン・ゴジラ」が公開される前から脚本は練られていただろうから、リアルな水準にフィクションもやっと追いついたといったところ。政府は愚劣で官憲は間抜けだなんてステレオタイプはもう通用しないってことになるのかな。

 とはいえ未だ正体の不明な軍服の姫君についてうっすらとあった記憶を水篠颯太が掘り返して行き当たったある存在。それこそがアニメーションの第1話の冒頭で線路に実を投げたお下げの眼鏡だったりして、いったい何があったのか、自らの創造に対して四方八方から浴びせられた批判に耐えられなくなって世をさったのか、その結果として残された創造世界から現れた軍服の姫君が世界に復讐をしようと目論んでいたりするのか、けれども逝ってしまった少女に対して水篠颯太だけが優しさを見せていたことが軍服の姫君にも伝わっていて関心を向けていたりするのか、いろいろと想像も浮かぶけれどもとりあえずはまだ見ぬ新たなキャラクター世界からの顕現者が誰かに感心を向けていこう。二丁拳銃を振り回すカットジーンズのポニーテールとか出てきてくれたら嬉しいんだけれど。あるいはフライフェイスを持った元ロシア軍人の女マフィアとか。どっちも強いぞう。

 大型連休も最終日だけれど毎日が休みみたいなものなんであんまり関係なかったりもしたりしなかったり。とりあえず文学フリマが開かれていたんで地下鉄からJRを経てモノレールに乗って流通センターまで行き開場と同時に中に入ってあっちこっちをうろうろ。アニクリだっけかが出していた西尾維新×新房昭之といった評論の本を買い、ほしおさなえさんのサークルで1冊買ったら1冊おまけがついてきて、そして大橋崇行さんのところで東海学園大学の文芸ゼミ生が書いた作品が文庫サイズで2冊出ていたのをもらってあと聖地会議とか回って1時間ほどで退散。細かく探せばSFだとかライトノベルだとかミステリの人もいたみたいだけれど、こっちの面が知られておらず向こうに名前を理解されていると思えないだけに無理に探すことはしないのだった。こういう引っ込み思案が交流をどんどんと狭めていくんだなあ。飲み会なんてもう何年、呼ばれても行ってもないしなあ。それもまた僕の人生。逝くまで続くんだろうなあ。

 神奈川県民ホールでKalafina。昨年末くらいにオーチャードで観せて頂いてから4カ月ちょっとになるのかな。幕が開いて現れたセットは、ステージの上に平台が置かれてその上でバンドメンバーが演奏しているといったシンプルなもの。9周年というある意味でプレ節目的なライブで、これまでの楽曲を振り返るようにして歌っていく内容だっただけに、セットでもって世界観を作り込むことを避けたのかもと思ったけれど、そうしたセットの代わりに背景のスクリーンを使って映像を映したり、光を投映したりして奥行きを出し、そして途中では前面にスクリーンを下ろして、そこにPVを投映しつつステージ上で歌ているKalafinaの3人にもスポットを当ててPVの映像を重なるように見せて、セットの中で歌うのとはまた違った雰囲気を楽しませてくれた。

 喋りもそんなになくて歌をまとめて歌って一息ついてそしてまた歌うといった感じでびっしり。耳に覚えのある曲が多いというか、そもそもが大体の曲を覚えているからその入れ替わりでもって今回はヒストリカルな雰囲気を作りだしていたといったところ。デビュー曲となったobliviousを入れたのがそうした部分の一例で、そこより始まり今に到るといった雰囲気を出しつつポップな歌からロックな歌からしっとりとした歌まで幅広く演じては、どの曲でも確かな音程とそしてハーモニーを聞かせてくれた。

 思い返せばobliviousの頃にはまだHikaruはメンバーではなくCDのレコーディングには参加していないんだけれど、今となってはこの3人の楽曲としてしっかりと確立した感じ。荘厳なWakanaの声に力強いケイコの声が乗ったひとつの楽曲にポップな香りを与えるスパイスといったところか。最新の楽曲だからあれは「メルヒェン」だったか、コーラスではなく3人がそれぞれの声でつないでいく歌ではHikaruがリードを取ってKeikoにWakanaへと続いていくところに今のKalafinaの柔らかさであり生々しさを司る役割を与えられているのかもしれない。

 ペンライト禁止のライブがKalafinaの基本だけれど珍しく入り口で指輪タイプのライトを渡されアンコール後に点灯するように言われていて、つけて照らした室内には蛍のように光がともってとても綺麗。ペンライト解禁ではのべつまくなしに光が躍って目にも鬱陶しさが出ることもあるけれど、時間を区切り楽曲にも併せつつその場を彩るためにライトを使うといったこともありなのかもしれない。フェスとかに出ればKalafinaにもペンライトのシャワーが浴びせられ、それを観て綺麗だと思うことがあるから、自分たちのライブでもちょっとだけ取り入れてみたかったのかも。ちなみにリングは回収されて次のライブへ。最終公演ではお持ち帰り自由になるんだろうか。ちょっと気になった。

 前にNHKホールで観た初音ミクと鼓童とのコラボレーションイベントが放送されてて、「千本桜」から始まって初音ミクとか鏡音リン・レンとかの名曲の数々が鼓童による迫力の太鼓サウンドと合間って奏でられる映像を観ているだけでも大興奮。それを現場で観られた僕は改めて幸せだったと思う。ボーカロイドの楽曲と太鼓のリズムとの重なりってあんなにもマッチするんだなあ。できればもう1度くらい再演して欲しいけれどもその可能性ってあるんだろうか。でなければせめてパッケージを発売して欲しい。放送されなかった中にも良い曲がたくさんあったし、鼓童の人たちのアクションについては今回は初音ミクメインであんまり抑えられていなかった。そこをたっぷりと含めて全編を通した映像を是非。あるいはそれこそ映画館での上映イベントなってやってくれたら最高なんだけど。


【5月6日】 品輪彼方がパンと手を打たないで謎を解き明かしてしまったワムは、これからいったいどれだけ作られるんだろうかといった点で興味を惹かれる一方で、先週に指摘されていた無尽蔵のエネルギーによってもたらされる過食症的状況が、気温上昇だとか干ばつだとか海面上昇といった現象を呼んで、地球を崩壊に追い込まないかといった疑問も浮かんだけれど、誰もがどれだけでもエネルギーを自在に取り出せるようになるなら、それを求めて働くことは必要ないし栽培だって何だって自在にできて、食べることにだって事欠かなくなる。ならば生産も過多にはならず化石燃料が必要以上に燃やされることもなくなり、地球に温暖化がもたらされることもない、って見通しがあるのかな。

 いやいや、そういった理論には向かわないで、ホモ・エコノミクス(経済人)としての人間のあれも欲しい、これも欲しいといった欲望には歯止めが利かず、やっぱり富の独り占めを狙う動きが起こって生産過多を呼び、格差が生まれて騒乱が起こるのか。そんなあたりまで見越して書いてあるだろう物語の行く末が気になるけれど、現時点ではワムと呼ばれる2つの球体のどちらがアンドリュー・リッジーで、どちらがジョージ・マイケルなのかを是非に知りたい。エネルギーを出す方がやっぱりジョージで、受ける方がアンドリューなのかそれとも見かけによらず受け攻めは違ってジョージが受け取る方なのか。ワムについて詳しい人に聞いてみたい気分。テレビの方では徭沙羅花の右手にはまった指輪を何度も映す意図がちょっと知りたい。移動する車の中で膝に置かれた指と、そして驚くバストショットで前に出された指にはまったあの指輪。何だろうなあ。

 コミティアへと出かけていってとらいえず、「マンガ大賞」の10周年祈念本を買いに行ったら、何でも選考委員はもらえるとかで1冊もらいつつせっかくだからと1冊買って誰かに渡してそしてアニメ部のある映像ブースに行ったら沼田友さんの隣にいるはずにirodoriが壁際シャッター前に飛ばされていた。今まで普通にDVDとか冊子とか売ってたブースだったけれどもこの半年の激変が、大行列サークルへと変貌させてしまったみたい。

 そんなシャッター前でも長蛇の列ですでに新刊というか新譜は見えず、冊子だけが残っていたようで並んで1冊購入。作品の美術なんかを紹介してあったけれど、いつかそうした設定がコンテも含めて刊行されることを願いたいなあ。あとは落ち着いて普通に買えるサークルに戻ってくれること、だけれどそれも寂しい話なんで人気は続くけどほどほどって辺りで。そんなirodoriで作画の監督だろう人からアニメ部っていう、自主製作アニメーション系のサークルで組んでやっているスタンプラリーのスタンプをもらい、主宰の位置にある沼田友さんのところとかいろいろ寄って集めて横3つを揃えてビンゴ達成。ポストカードをもらう。irodoriの入っているから貴重な1品。みんな回ってもらえば良いのに。

 買わなくももらえるけれど、折角だからとK×Drop!!ってところた手掛けた作画アニメーションのBlu−rayを購入。普通の手描きアニメーションっぽいキャラクターが結構しっかり動いていた。それ単独で作品というにはちょっと短いけれど、腕前を使ってどこかで活躍してくれているんじゃなかろーか。あとNaNo X EX−Uさんというサークルでシールをもらって横1線。時間とお金があれば全部回って集めたかったけれど、体調もなかなかなんでその辺りで引き上げる。しばらくするとirodoriは完売との報。すごいなあ。2011年にクリエイターズワールドの番外編みたいなのが秋葉原であって、出展しているのを取材して記事にしたことがあったっけ。そこから5年半。大きくなったなあ。後に続くサークルがアニメ部からどんどんと出てくることを期待。沼田さんもその筆致と演出力で是非にメジャーなシーンへと向かって欲しいなあ。

 大和撫子といったって、子供の頃に親ともどもテロに巻き込まれて崩れた住宅の下敷きになって両親は死に、自分だけが生き延びたところを助けられ、そして彷徨っていたところを誘われ後宮に入ってそこで成長した訳で、日本人らしい器用さとか、日本女性らしい奥ゆかしさといったものが基底にあって動いている感じでもないのが引っかかるけれども、言葉としてキャッチィだからタイトルに使ってみたくなったのかもしれない宮内悠介さんの「あとは野となれ大和撫子」(KADOKAWA)。まず凄いと思ったのはアラル海という現実にあった世界で4番目に巨大な内陸湖が灌漑によって河川の流入がなくなり干上がってしまって、それも月面からだって見えるくらいのレベルで湖が消えて陸地になったところにカザフスタンとウズベキスタンという、アラル海を領内に持つ国とは別の国を立ちあげたこと。

 それが政治的に可能かとなるとちょっと迷うところではあるけれど、旧ソ連が崩壊してCISとなって後、いろいろな国々が分離独立を重ねる中でそれまではただの水底に過ぎなかった土地、そして塩害によって農業には向かない土地に誰かが国を作ってそこを舞台に綿花のような産業を立ちあげどうにかこうにか切り盛りしていく可能性ってのがなかった訳ではない。そんな可能性をまずは通した上で周辺諸国といったいどういった関係になるかを練り上げることによってこの現実世界に架空の国を作り上げ、現実の中で興亡というものを描いて見せた。

 もっと簡単にライトノベル的なファンタジーの世界にして戦記的に描くことだって可能だったろうし、「フルメタルパニック」のような政治と軍事とが絡んた寓意を含んだフィクションに仕立て上げても良かったかもしれない。でも、それをやってしまうとどこまでも飛躍が可能になって、乗ってエキサイティングな展開を入れてしまうと嘘っぽさが出てしまい、かといって抑制すればエンターテインメントの面白さが薄れてしまう。現実という制約の中でどこまでカッ飛べるか、ってところでリアルな世界にバーチャルな国家を打ち立てる力技を繰り出し、その上でシリアスに向かわずポップな空気を保ってエンターテインメントとして読ませる絶妙のバランスの上に物語を作り上げた。そこがひとつ、素晴らしい。

 物語では、ナツキという女性が後宮とは名ばかりの女性を対象とした私塾めいたところで成長し、技術面での知識を伸ばしていった果てに大統領暗殺という難事の中で国防大臣に就任し、知識と直感を働かせては居残った軍人たちとまずはゲリラ勢力を迎え撃ち、そして立て直した国の中で起こる油田地帯での紛争なり、国そのものの転覆をねらった謀略なりに挑んでいく。硝煙の臭い漂い血が流れ肉が飛ぶような内戦なり侵略なりといった悲劇へと向かわせないために何をすべきか、ってとこでナツキや大統領代行となったアイシャ、そして文化面を見ることになったちょっぴり謎めくジャミラといった女性たちが、異能ではなく美貌とか性事といったものでもなく知識と決断力と指導力とといったものを発揮し国をまとめて引っ張っていく。

 それは現代の政治状況なりからすればとても絵空事に見えるかもしれない。だかこそそうすれば楽しくなるんじゃないかといった思惑もあったりするだろうけれど、ライトノベルなりファンタジーならそういった無茶はあって不思議ではなくても、リアルな舞台を選んだ以上、面白いから良いじゃんといった理由は仕えない。作者はだから、それを無理筋の絵空事にさせないための段取りをしっかりと踏んでみせた。なるほどそれはそうなって当然かもしれないと思わせてくれる。男どもの中にもちゃんとした意思を持ち才覚を持って事に挑む人材を残してもあって、バランスを取りつつ楽しさにも配慮した巧みな設計。それがあるから読み終えてあり得ないといった感想はあまり浮かばない。まあ女性たちであってもなくても、優秀な人が多すぎる気はするけれど。ともあれ読んで楽しく読み終えてこれからが気になる物語。続編はあるか、ってそれは分からないけれど、そこはせっかく配された大和撫子が、大和すなわち日本との繋がりを見せる物語を少し読んでみたいかも。自転車旅行の青年、いろいろ素性が気になるし。


【5月5日】 ああそうか、「裏閻魔」の人かと経歴を見て思い出した中村ふみさんによる講談社X文庫ホワイトハートから刊行の「天空の翼 地上の星」(660円)は、徐という名の中華風の国があってそこに生まれた王太子がいたけれど、国王による善政とは名ばかりの無為無策が遠方の飢饉を招いて飢骨なるバケモノを生みだし、その混乱に乗じて山賊の頭領が立って王都へと進撃を開始。それまでの無為無策もあって人心を失っていた王国は反乱を抑えられず、王は王玉なる王権の正当性を体現するものを王太子で11歳の寿白へと譲って、自らは妃とともに自害し300年の栄華を誇った徐はいったん、滅び去る。

 そして10年が経って、庚と名を変えた王国のとある街に現れたひとりの青年。飛牙という名の彼が酒場で色目を使った女性が、実は大府すなわち街の長官の妻で飛牙は間男として捕まり死刑は確実。もう諦めようと思ったところに天令というかつて寿白に王玉を移した一種の天使が現れ、飛牙に王玉を返せと訴えた。嫌だと答えた飛牙は欲しければ助けろと言い、地上のことに手出しは出来ないと断る天令の那兪を困らせるものの、最終的には飛牙を食わせようとした虎を手なずけ、そして飛牙自身も動物を意思を通わせる力を使って死刑を観に来ていた大府を虎に襲わせ、その隙に逃げ出しては都を目指す、かつて王太子として暮らしていた。

 そこでひとりの少女を厄介事から助けつつ、その家に隠れるように暮らし始めた飛牙だったけれど、王宮の方では寿白の死を信じていないかつての知人が生き延びていて、今は宦官となって後宮から寿白を探しつつ庚の転覆を画策していた。都合良く簒奪者の王は体が弱って死ぬ寸前。その治世は前よりも悲惨で反乱の画策も進む中で、飛牙は那兪から王玉を返せと責められ、宦官からも寿白なのか違うのかと目を付けられる中で、次第に自分自身の居場所について考え、為すべきことを為そうと動き出す。

 前漢が王莽による簒奪によって滅亡しつつ、後漢がすぐに立ちあがって易姓革命は中座したような感じに、ダイナミックな歴史の中の一瞬を、それでも人が育ち考え動くようになるくらいの期間として切り取り、そこに生きた少年が青年となって国を取り返して立て直そうとするまでを、1冊にしっかりと描いてあって読んで納得の感慨を得られる。王朝物だとそれこそ何巻も重ねて戦記を連ね描くことになりがちだけれど、人物を絞り戦乱を削って王室でのやりとりに終始させてあるから、ダレることなく読んでいける。その後の身の処し方もさらりとして鮮やか。後を引かないようにしてあるけれど、国は他に3つもあってそれぞれが語られないまま過ぎるのは勿体ない。そうした国々が舞台となった物語が、あるなら読んでみたい。どうなるか。

 こどもの日。柏餅食べないと。でもってテレビアニメーションの「カブキブ!」は、阿久津新が加わり三人吉三はどうにかまとまとまり部員も増えて歌舞伎同好会にとって本番ともいえる学園祭を迎えようとしていたものの、演じる場所をめぐって演劇部と対立してこれまで楽屋として使っていた行動地下を開けて欲しいとお願いいっても聞き入れられず、それなら勝負だということになって「外郎売」を演劇部と歌舞伎同好会とが競い合うことになったけれども滑舌に台詞回しの練習で、普段から唱えている演劇部に真正面から歌舞伎同好会が挑んで叶うはずも無し。勝負あったかに見えた。

 でもそれは歌舞伎十八番の「外郎売」を選んだところに演劇部の手抜かりがあった。歌舞伎の演目として演じてみせれば、それはもうただお経のように唱えるだけの演劇部とは違った舞台としての面白さもあるってことで、聴いて審査員たちも歌舞伎同好会に軍配を上げて晴れてどうにか場所はとれたけれど、これからまた一悶着あるんだろうなあ、御曹司も未だ参加はして来ないし。それにしても浅葱芳先輩、掛け持ちとは良いながらもなかなか演劇部の方に参加しいている感じがないけどそっちでちゃんと舞台に立てているんだろうか。進行の都合もあって削られているんだろうけれど、両立しているところを見せてこその浅葱芳先輩の凄さって奴でもあるでいつか是非、見せて欲しいもの。そろそろ小説にも手を出すか。

 ほかでいろいろ日本人を侮辱する発言を繰り返していたといった話も流れ、違うそれは誤訳のデマであって差別に輪をかけた妄言だといった話も流れて、ぐちゃんぐちゃんになっている京都のラーメン店における訪問した韓国から来た人への暴言だけれど、過去がどうれパーソナリティがどうであっても、その場において面と向かって侮辱と差別のニュアンスを含んだ言葉をぶつけた訳で、他にどんな言い訳も効かないと思うんだけれどそうした態度を正当化したい人たちが、過去を洗って虚実の判然としない言説を繰り出し、対抗して反差別的なグループも言説を繰り出して発端が見えなくなっている。この場合の問題はただ1点、見知らぬ相手をその出自で侮辱したこと。そこにおいて非がどちらにあるかは明かで、だから誤りそれを許した。ならば落着。あとは今後起きること、過去に起こったことを総合して人物の是非を問えば良い。それだけだ。

 参ったなあ、あまりに一方的で短絡的でエビデンスもない歴史学会的に認められてもいない言説を持ち出しては、それが正しい歴史だと個人でいくら言おうと誰の知ったこともないけれど、本にまとめて出版したものを図書館に寄贈するとなって果たして図書館の側として受け入れるべきかどうなのか。彼らにだって取捨選択の自由はあって、あまりに虚偽が酷ければそれは多くに読ませるに値しないと判断できるだろう。嘘であり差別でありといった言説を公共の場に置くわけにはいかないから。けれども寄贈した側は言論の自由をたてに受け入れと閲覧を求めてきそう。出版した段階で言論の自由は守られており書店で売るも売らないも、図書館に置くも置かないも言論の自由とは別の倫理が求められるって判断を下せるか。コトナカレの風潮からとりあえず置いてあとは利用者の判断と言い逃れるか。明快な間違いを流通させてはやっぱり知の牙城としての敗北だろうからここは明快に、筋道を立てて可否を判断して欲しいもの。どうなるか。どうするか。

 夜のユーロスペースで篠崎誠監督の「SHARING」。2度目。東京では多分これが最後となるらしい上映には結構な人が来ていて監督とそれから大輔ってひげ面の鳩学者を演じた木村知貴さんも来場して喝采に答えてくれた。展開が見えてどこからが夢でどこからが現実か、っていちおうの区切りもしっかりとした中でどうしてそこでその夢を見て、そして現実に戻って涙したのかといった心理はひとおり終えて人があの3月11日に起こった出来事から受けた衝撃を、心で消化できていないんだなあって思わせてくれたけれども一方で、彷徨う男の立ち位置はやっぱり判然としないというか、底が抜けてしまった世界で居場所が見えず向かう先も分からないまま自分を消そうとして消せない曖昧な社会を、あるいは体現した存在なのかもしれないなあ、とか思ったけれど真相は不明。一応リア充化しているし。ともあれ2度、見てひととおり落ち着いたんで次はアナザーバージョンとやらが見たいかも。展開も解釈も違うのかどうなのか。気になる。そんな篠崎誠監督には次回作もあって9割方撮り終わっているとか。タイトルは「共創」。これもバージョンが2つあるらしい。どんな作品になるか。楽しみ。


【5月4日】 微睡みながらもところどころ目を開けて見ていたチャンピオンズリーグの準決勝、レアル・マドリードとアトレチコ・マドリードによる第1試合はクラシコほどではないにしても同じスペインのマドリードを本拠地とするチームによる激突で、そして去年の決勝で当たった2チームによる対戦ということもあってPK戦でやぶれたアトレチコにとっては雪辱を果たしたかった試合だっただろうけれど、そこはやっぱりクリスチアーノ・ロナウド選手の凄まじさ。気がつくとポンポンポンとハットトリックを決めて本拠地で3点をリードする形でほぼほぼ勝利を確実なものとした。

 そこは大逆転のドラマもあるサッカーだけに次の試合でアトレチコが4点を奪ってレアルを0点に抑えて勝てば良いんだけれどリーガエスパニョーラでも1位2位をバルセロナと競い合っているチームがおいそれと負けるとは思えないし、1点でも奪われればアウェイゴールの計算もあって4点奪っても勝ち抜けない。せめて第1試合で1点でも奪っていればと思わないでもないけれど、結果として0封されてしまった以上は次にかけるしかなさそう。さてもどうなる。対戦相手はやっぱるユヴェントスが出てきそうでレアル・マドリードとユヴェントスというどちらも強豪がぶつかる形になるのかな。とはいえユヴェントス、優勝は1996年ともう20年以上もビッグイヤーから遠ざかっている訳で、ここで是が非でも決勝に出て優勝したいだろうなあ。セリエA復権のためにも。決勝は6月3日。場所はウェールズ国立競技場。今からワクワク。

 勝ったのが新人王戦に出場可能なアマチュアの人だったことでもあって、大山中原谷川加藤といった名人経験者を撃破してNHK杯を優勝した羽生善治さんの強さにやっぱり未だ匹敵するとは言いがたいけれども藤井聡太四段、それでもデビュー以来の公式戦16連勝はやっぱり立派でこのまま28連勝という神谷スペシャルでもって神谷広志八段が26歳くらいに成し遂げた日本の連勝記録を一気に書き換えて欲しいって気もしないでもない。それをやったら今あるタイトル戦のどこまで手が届くんだろう、竜王戦は6組決勝まで残って昇級は決まっており、あとは優勝して本戦に出てそこで5連勝だかすれば渡辺明竜王への挑戦が決まるのか。合間に他の棋戦も入るだろうけれど、それも含めて12連勝すれば新人王なり竜王なりは獲得してたりしそう。そうなった時に改めてその棋士としての強さを考えたい。ともあれ愛知県の星、頑張れ。

 辻真先さんが出演するってんでSFセミナー2017へ。最初は宮内悠介さんで最新刊の「あとは野となれ大和撫子」はまだ読んでないけれど、去年出たSF3部作、って訳でもないけれどとりあえずどこか地続きな感じがするようなしないような「アメリカ最後の実験」「彼女がエスパーだったころ」「スペース金融道」はとりあえず読んでいて、まるで違う主題をそれでも時分に引きつけ物語にするのに長けた人だなあという印象は持っていた。「スペース金融道」なんてジャンルSFと言っても良いし一方では人とは何か、知性とは何か、生命とは何かを問う哲学的な書であると言えば言えるし何より金融について挑んだ経済的社会的な物語でもあって、そんな切り口をどうやって掴んだかとうととりあえず「カイジ」だったというか福本伸行さんだったというか、そんな感じ? ちょっとまとめ過ぎ。

 2時限目はアーサー・C・クラークについて翻訳をする大野万紀さん酒井昭伸さん中村融さんと作家の山本弘さんが登壇して牧眞司さんの司会によってクラークのどれが好きでどこが好きで何が凄いかって話を順繰りに聞いていく進行で、見ている打ちに久しぶりにクラークを呼んでみたくなって来た。SFマガジンを読み始めたあたりで「楽園の泉」が出るか出たかってあたりでこれと「地球帝国」「宇宙のランデブー」あたりを海外SF乃ヴェルズで読んでそして世界SF全集に入っていた「幼年期の終わり」を読んでそして「2010年宇宙の旅」が映画化されたあたりまでを中心に、幾つか読んで行った記憶はあるんだけれど最近ちょっとその時の感動を忘れてた。「海底牧場」とか「都市と星」とか「渇きの海」とか名作名著は幾つもあって、改めて読んでみたいなあと思った。新訳の「幼年期の終わり」とか買ったはずなんだけれど、どこに行った?

 そんな「幼年期の終わり」の新訳をめぐってあれやこれや聞こえてきた記憶もあったりして、出演した翻訳の人もいろいろと訳したいものがあってもそれとは口に出来ないというか、しなかったというか。中村融さんはその後にダイビングなんかもするようになったんで改めて「海底牧場」なんかを訳してみたいと話していたけど、あのそこはかとなく漂う英国流のユーモアをどう訳すか、ってあたりで皆さんいろいろ感じているらしい。それがユーモアなのかすら分かりづらいものなあ。そんな各位から日本のクラークとしてこの人以外になしと言われた野尻抱介さんの新作をまずは読んでみたいのだった。「ふわふわの泉」も「南極点のピアピア動画」も根っこはクラーク。メガ構造物をしれっと出して説得力を持たせて物語に取り入れる力量とか、比肩しうる作家さんは確かにいないものなあ。でもご本人はスリランカならぬ三重の山間でジャパリバスを作ってる。このギャップもまたクラーク的というか。

 清水建設の人が登場して海上都市とか海底都市とかについて話していてクラークから繋がった感もあったSFセミナー。海中に構造物を作って都市を作るのはそれこそ青柳蒼人さん「東京湾海中高校」みたいだったけれどあれは東京湾という浅瀬に作るものだったから挑めば実現だって早そうだけれど、どうして誰も挑まないんだろう。漁業権とかあるから難しいんだろう。それと安価で作れるコンクリートが開発されたからこそ実現したという設定の東京湾の海中とし。それが結果として問題となったけれど清水建設の案はそうした採算性とか度外視しているからこそ案も立つ。問題はそうした採算性を度外視してでも人は海上や海中に都市を造るかってことで、オイルマネーが砂漠を緑化して暮らすようになっても、人類が生き延びるために海を開発はしないだろう。いわんや宇宙をや。人類はだから環境を暗い尽くしてあとは衰退して滅びるだけのような気がする。それこそオーバーロードでも現れないと。SFがその代わりになり得るか? なっていたら今のこんな世の中は来てないか。やれやれ。

 そして辻真先さん。お父さんが10期も衆議院議員を務めた辻寛一さんで、生まれてすぐくらいにその辻寛一さんが名古屋市議会議員になって14歳の時には衆議院議員に初当選もしたりしている環境に生まれてどーして空想科学小説だとか探偵小説だとか国際謀略小説だとかを浴びるように読み、映画は名古屋ではできないから紙芝居とか小説とか漫画映画の仕事に就きたいと考えたのかがやっぱりなかなか分からない。鷹揚なお父さんだったのか隠れて読んでいたのか。それで結局は地盤を嗣がず政治家にはならずにテレビ局に入ってこうやって未だに現役の脚本家にしてミステリー作家でもあってSFも書く人になったというから、そっち方面にこそ才能があったんだろう。

 面白かったのはそうやって子供の頃に読んだ海野十三さんの作品とかを題名も中身もしっかりと覚えて立て板に水と解説していくところで、記憶力が良いのかそれとも若い頃に読んだから強烈にすり込まれているのか、そこは分からないけれども書いたものとかしてきたことをしっかりと覚えているところに頭の良さが感じられる。その言には昭和のテレビ史がぎっしりと詰まっていてアニメ史なんかも入っていて、評伝にして映画にもしたいくらいだけれど「トットちゃんねる」みたいにはならないところが裏方系の寂しさか。でもアレンジ次第でどうにでもなりそう。會川昇さんの「神化三十六年」とかも半ば票田をアレンジしたSFだった訳だし。

 今はまだお元気そうなんでそのうちに出せる証言をとここんまで引っ張り出して記録し刻んでいって欲しいとお願い。何か名古屋で昭和12年に開かれた名古屋汎太平洋平和博覧会についての作品を書かれるそうで今から楽しみ。これが開かれて2カ月後に日本は日中戦争へと突入して8年の戦争を経て名古屋は灰燼に帰した。「戦争は簡単に始まる」と辻真先さん。博覧会だなんて巨大なイベントを開いて大々的に平和を唱えていても、社会はあっという間に戦いの渦に巻き込まれていく。あるいは平和を唱えている人たちがすぐさま手のひらを返して戦いへと社会を引っ張り込んでいく。そしてそれは過去の過ちではなく、今まさに進行していることななのかもしれない可能性を、強く激しく噛みしめる。


【5月3日】 いやいやだったらイノハリことin No hurry shoutのフロントはユズがそのままアリスとして務めてギターも弾きつつ口パクで、そしてバックでギターを弾くふりしながらニノが声を出して歌えば良いじゃんその方が絶対可愛いよって思ったけれどもさすがにそれだとバレバレだから、PVじゃないリアル番組に出演するとなると歌えるフロントを立てなきゃいけないってことで。でもなあ、やっぱりニノのアリスとユズのアリスじゃ雰囲気が。愛らしさが。そこがどうにも悩ましい「覆面系ノイズ」はいよいよオーディションでニノが歌い、イノハリにも加わりバンドデビュー。いったいどうなっていくのか。原作読みたいけれども今は手を出さずにアニメーション版だけで追っていこう。実写版は178センチの志尊淳さんがユズかあ。女装は似合いそうだけれどユズのアリスとは違うなあ。どうまとめてくるか。そっちも関心。

 ソッチ系の人に間違った事を言っても謝れない病が蔓延しているのは割とよくある話だったけれど、図書館について文句を言ってた紀伊半島の某市議もやっぱりそんな一味だった様子。これから順繰りに毎日毎週毎月出てくる本が新たに加わっていって、やがて棚が形成されていく図書館に対して、一杯にして開けつつ入荷と返本を繰り返していくのが当然の書店と同じ基準を当てはめスカスカじゃねーかと頓珍漢なことを言っては四方八方から指摘され、批判されて袋だたきの状態になっていた。

 にも関わらず、間違ってましたとは言わずそれどころか反論すらせず、そして予算足りなかったんじゃないのといった突っ込みに対しては、本棚を埋める予算がないというならそれは働きかけなかった図書館が悪いんだって責任を押しつけ知らん顔。おいおいお前は図書館について詳しい市議会議員じゃ無かったのか、そして図書館が困っているというなら率先して働いて本で一杯に満たしてあげるのが勤めじゃ無いのか、それを言わない図書館が悪いだなんて自分の職務を棚上げした言動は、まったくもって恥を知らないとしか言いようがない。

 それで自分の画像の背後に日の丸を掲げて日本の誇りめいたものをアピールする。日本男児にはそんな過ちを認めず責任を転嫁するような恥知らずはいないはず。まあそうやって崇めているようでツイートのトップ画像の日の丸なんて途中で見切れていて、日の丸なのかどうかが確定しづらくなっている。そんな程度の愛国心が平気で闊歩できる今のこの状況、そんな程度の愛国心を許してしまえるこの空気がどうにも厄介きわまりない。真性なる右翼として日本いただ1人の神楽日毬が見たら日本刀でも突きつけ即座に腹を切れと言うレベル。でもそんな真性がもはや存在しなくなっている。左も大概だけれど右もどうにも。

 そんな陥穽を縫って、耳に心地よくプライドをくすぐり自尊心だけを煽る言説が蔓延っていく。その果てに連れて行かれるのはどんな場所? いい加減どうにかしないといけないんだけれど、総理大臣が自ら特定の団体にメッセージを寄せては改憲するぞ、自衛隊をけんっぽう9条に載せちゃうぞって言ってしまって、それが普通に受け止められてしまう国だから仕方が無い。そりゃあ自由民主党という政党の総裁ではあるけれども、一方ではあらゆる思想からなる国民の代表ともいえる立場であって、それが特定の思想に偏った言説を公の場ではなく、公衆に向けたものではない状況で発信するのはどうにも頂けない。

 国民の代表たる国会議員の代表としての首班だから、その言説は国民の意思かとでも言いそうだけれど、それはすなわち独裁に繋がる。国会があってそこで審議され可決されたことこそが国民の声。だからこそ立場を考え謹んで欲しかった。そんな慎みなんてものも既にないんだろうなあ、恥の意識と同様に。どうしてこんな国になった。どうしてこんな政治家ばかりになった。それは国民がそういだからというトートロジー。もう断ち切れないんだろうか。戻れないんだろうか。なんてことを考えながら来たる2020年までに改憲の動きがどこまで進むかを見極めたい。そんな総理大臣の立場を大歓迎する新聞は果たして2020年を迎えられるのか。その年の五輪のオフィシャルスポンサーに全国紙で唯一、なっていないしなあ、未だに。謎めく。

 オアゾ丸の内の丸善でFANTANIMA!っていう個人クリエイターによる造形物の展示即売が始まって、その中に横道佑器さんっていうちょっと風変わりな編みぐるみを作っているクリエイターさんの名前を見つけて初日に寄ったらご本人もおられて久々に挨拶。大昔に恵比寿で開かれたテディベアの展示会とか、その後のデザインフェスタなんかに出展してはどこか異形の、けれども不思議と愛らしい編みぐるみを手掛けて僕の目を引きつけた。クトゥルーって言ってしまうとご本人は悪いけれど、でもそうしたブキミカワイイ感じが好き者にはたまらない魅力に映るのだった。

 今回もネコとかフクロウとかを持ち込んでいたけれど、色味は自在で表情は独特。ハンドマペットになっていて手を入れて遊べるところも編みぐるみにしては珍しい。以前はもうちょっとソフトな感じがあった手触りがぎっしりと編まれてより頑丈になっていて、表情なんかもぐっとまとまりが出てきた感じ。腕を上げつつスピリッツは保ったまま、成長し続けている感じがあってこれからいったいどんな作品を作ってくるのか気になった。値段は決して安くないけれど1点もので買えば飾って遊んで楽しめる。あるいは10年後にとんでもないクリエイターになっているかもしれないと思うと1つ、所望したくなるけれどもそこで先立つものが無いのがどうにも歯がゆい。そうやって何人ものクリエイターを見逃して来たものなあ。お金持ちになりたい。

 どうせだからを足を伸ばして多摩動物公園まで行ってサーバルを見ようとしたら秘境だった。多摩丘陵を舐めていた。正門を入ってアフリカゾーンまで行く道のりがとにかく険しく小野田坂道でもケイデンスいっぱいにして苦労するレベル。それでも行かなくてはライオンもチーターもサーバルも見られないとなるとやっぱり親子連れでも登っていく。大変だろうなあ、親も子も。そんな多摩丘陵にある中央大学も同じような環境だとしたら4年間、通い詰めた学生は男女を問わず本場のアルプスくらいならピクニック気分で登れるだけの脚力がついているかもしれない。恐ろしや中央大学生。きっと就職も良いだろう、誰でも運動部並な訳だから。本当かは知らない。

 そんな苦労をしてたどり着いたサーバルのゾーンはとくに「けものフレンズ」系の人が群がっている訳でもなく普通に賑わっている感じ。見て思ったのはなるほど意外に小さいなあということで、ライオンだとか虎だとかチーターといったネコ系の動物たちに比べるともう本当に小さく、犬ですら大きく見えるレベル。でもネコというには大きいからやっぱりアフリカの獣ってことなんだろう。そして夜行性という割にはせわしなく動いて写真すら撮りづらい状況。観続けていたらサーバルちゃんみたく疲れて止まってくれたんだろうか。そこまでの時間もないので移動。チーターの親子は行列が凄くて見なかった。ジャガーさんはいないなあ。

 それで一応の目的は果たしたけれどもどうせだからと園内を歩いていたらいつの間にか最奥にあるコアラ舎まで来ていた。名古屋の東山動植物園にもいることはいるけれど、前に観た時は木の上に登ったままで微動だにせずただの毛玉となりはてていた。幸いにして屋内にいるからか多摩動物公園のコアラは止まってはいても食事をしていてちゃんと動きを見せていた。動くコアラ。これは珍しいのかどうなのか。持ち上げたらふかふかしてそうだったけれど、この国で抱くのは難しいだろうなあ。いつか行きたいオーストラリア。でもってカンガルーに蹴られて吹っ飛ぶんだ。


【5月2日】 渋谷で本屋といったらむかしは井の頭通りに面したビルに老舗の大型書店があってぐるりと回れば新刊の文芸書とか変えたし、漫画は東急文化会館の中に専門店が出来て神保町に負けない品ぞろえを誇っていたけれども共に今は姿はない。109の中にだって漫画専門店があった時代も存在したけど、今はどちらもなくなってしまった。今はH&Mが入っている建物がブックファーストだった時代は雑誌も含めてとても充実した書店ライフが渋谷には存在多けれど、なくなった今は代わりにスクランブル交差点に店を構えるTSUTAYAが漫画とライトノベルを揃えているから、探して買うのに困ることは無い。

 東急本店の中にも丸善ジュンク堂が出来てこちらはもうびっしりと本だらけ。渋谷モディにはHMVブックスが入ってそれなりな品ぞろえをしていてくれるから、半蔵門線を降りて道玄坂へと向かう途中の地下にあるブックファースト渋谷文化村通り店が閉店しても、渋谷で本探しに困ることはないかなあ、という気はしている。ただどこかへと向かう途中にひょいと寄って雑誌とか確認するのには立地も含めて良い本やさんだった。PARCOの地下にあったブックセンターも建物ととともに消えてしまった今、あの界隈で1番近いTSUTAYAが漫画とラノベ中心というのは僕には良くても本好きには困った話かも。その意味では新しくはいるヴィレッジヴァンガードが本を揃えてくれるかが気になる。だって元々本屋さんだったんだから、名古屋のヴィレバン本店は。

 面白いなあ、こういう小説が書かれたりして本にもなったりするからネットの小説投稿サイトって使われもすれば読まれもするんだろう。江本マシメサさんによる「北欧貴族と猛禽妻の雪国狩り暮らし」(宝島社文庫)は北欧の雪深い地域を治める貴族の若き当主で伯爵のリツハルドが、外から嫁を迎えようと出向いた異国のパーティーで見初めたのが男装の軍服姿をした凜々しい女性。名をジークリンデというその女性に近寄りいきなり求婚をして引かれたかというと相手にもいろいろ状況はあった様子。

 というか結婚しろと言われても女性のドレスが似合わず親に世話を頼んでも断られるという始末。そして年齢も31歳とあって先も見えず軍学校の講師でもするしかなかったところに、自分を必要としてくれる人が現れた。これは面白いと思ったが、軍人として長く務めてきた自分だけに雪深い北欧で狩猟と伝統工芸の製造といったことしかできない場所でも務まると考えたか。リツハルドにしてみればいきなりの求婚を受けてくれるだけでも不思議だし、自分よりも年齢が上というこもあって相手がどう思っているか考えあぐねているところがあった様子。そんな2人が雪国で暮らし始めて狩猟に栽培に生産にと勤しむスローライフな日々からは、ただ生きて、そして愛することの純粋な良さってものが滲んで来る。

 自分もジークみたいな男装の元軍人で強くで美しい人が見つかれば、って思いたくってくる。31歳と熟成しているのもなかなかのチャームポイント。親戚の少年から男装ババアと言われて倒して踏みしだき、裏で説教すると途端に従順になるくらいの怖さにも引かれる。もう魅力的とした言いようがないキャラクターなんだけれど、どーしてその歳になってしまうまで誰も向かわなかったのかなあ。最高なのに。でもやっぱり世間はお姫さまが良いんだろう。だからリツハルドでも手が届いた。それで2人が幸せになってくれれば傍目には本望ってことで。日本で映画化は無理だけれど、舞台化とかすれば面白いかもしれないなあ。

 話題になり始めた学校による地毛証明書の提出問題。染めているとかパーマをかけているとかいった髪型を見破るために昔の写真を持ってこいってものらしいけど、でも今の中学生って13歳だとしたら生まれたころにはすでにデジカメがあって、髪の毛の色とか癖とかが分かる年代になったらもうフィルムで写真なんて撮ってないかもしれないし、だからプリントなんて存在していないかもしれない。あってパソコンとかハードディスクの中。さらにもうちょっと時間が経つと、デジカメですら撮って無くって手持ちのスマホで撮ってSDカードか何かに移しただけって世代も出てきそう。そうなったらもうデータなんてフォトショップとかでイジリ放題で、それをプリントして証明したところで意味なんてない気がする。それでもプリントを要求するのか? 間が抜けた話だなあ。

 ライトノベルにローマの風が吹く。っても別にお風呂に美少女が入る話ではなく、って入る話もあるけれど基本はローマ帝国から東西ローマ帝国に分裂して後までも含めた歴史というものについて描かれた作品が相次いでいるってことで、まずは6世紀の東ローマ帝国で、後に大スキピオの再来と讃えられる将軍ベルサリウスと書記官プロコピオスが主役になって難局に挑む戦記であり、周辺で起こった事件を解決するミステリとも言える高橋祐一さんの「緋色の玉座」がスニーカー文庫から登場した。

 社蓄話を書いていた人が本格的な歴史に挑んでそれも西洋とか中世とは違った東ローマ帝国という、あまり興味をもたれなさそうなところにぶっ込んできた。書いた方も書いた方なら出した方も出した方。だけれどど直球ぶりが話題になっていたりするのを見ると、待っていた人も結構いたりするのかも知れない。そしてもう1冊、オーバーラップ文庫からはカエサルが巨乳美女という遠藤遼さんの「ユリア・カエサルの決断 ガリア戦記」が登場。こっちは女神ディアナに送り込まれる形で歴史好きの少年がローマ帝国に行ったんだけれど彼の知るものとは違ってカエサルが女子で巨乳で女好きでなおかつ借金まみれ。つまりはポンコツだけれどそれでもローマのために働きいつかは英雄になるストーリーがこれから繰り広げられていきそう。

 似た歴史ながらもキャラクターが女体化しているって点では「織田信奈の野望」に近い者がある。あっちは歴史が大きく変わろうとする中でそれを修正しようとする力もあってぶつかり織田信長の本能寺の変による死をどこまでなぞるか、それとも超えていくかってあたりが問題になっていた。こっちもブルータスに暗殺されるはずのカエサルがいったいどういう生き様を見せるのか、それ以前にどうやって英雄になっていくかが描かれる中で実在する歴史との衝突が問題になっていくのかな。いずれにしてもど直球のローマ史ものがあり、変革の女体化ローマ英雄記がある、この振れ幅がライトノベルってことなのかも。どちらも続いて欲しいけれど、受けるかな、受けて欲しいな。

 昨日に続けて「絵師100人展07」へ。昼過ぎだったんで行列もなく混雑もしておらずすっと見られたし物販にも行列はなかったけれど、一部商品が当日分販売終了になっていたから行った人は朝から並んだんだろう。絵では生煮えさんという人の「天体恋舞」という作品が青い宇宙で絡み合う少女2人を描いていて深淵な美しさにグッと来た。今回が初参加らしけれど他に何を描いている人なんだろう。ライトノベルだと「サイコメ」とか手掛けているけどラノベらしく女子どっかんな絵なんで背景も含め構築された出品作は雰囲気も良くてこういったのをもっと見たいと思った。上条衿さんの「硝子庭園」も良かったなあ。カバー絵だと構築的な雰囲気があるけど出品作は世界観前回で海中にあるような硝子の園に座る少女を描いてた。キャラノベ系だけじゃなくても行けそうだけれど、使うところはあるかな。活動に注目。


【5月1日】 東京都あたりから展示会事業の関係者に説明もあったみたいで、東京ビッグサイトは2020年の東京オリンピック/パラリンピックの間は3カ月間くらいほとんど使えず、それ以前から東館(ひがし・やかた)はずっと使えなかったりして大いに制約を受ける模様。仮設の展示場を東京テレポート駅のそばに作るって話もあるらしいけれど、それだって決して広くはなくて今でも結構あったりする東京ビッグサイトの全館を使ったイベントにはとうてい間に合わない。受けるダメージは果てしなく、そして東京オリンピック/パラリンピックのために来日する人たちに日本の産業や文化をアピールするコンベンションの開催すらも不可能といった自縄自縛を、どーして東京都は平気で推進できるのか。築地市場の豊洲移転は土壇場でひっくりかえしておいて、そーいったところには気を向けないのは世間に対する自慢にはならないからなんだろうなあ、都知事サマの。

 それにしても不思議というか、東京ビッグサイトをメディアセンターにするらしいけれどメインスタジアムとなる新国立競技場がある千駄ヶ谷から東京ビッグサイトがある有明までの距離ってちょっと半端ないような。東京体育館でライブを観たあとに東京ビッグサイトに転戦する気が起きるかっていうと、距離とか移動手段を考えるとやっぱり億劫になる。車でなら早いかというとそうでもなくって、銀座とか新橋とか抜けるのはなかなか大変そう。高速でって言ってもそっちには道路は届いてない。かといって地上を走ろうにも、五輪期間中は交通も渋滞とか起きやすく、そして有明のある場所までたどり着こうとするとさらに混雑も予想される。そんな場所にメディアセンターを作られて、世界から取材に集まる報道陣は納得するんだろうか。

 辰巳で水泳があり夢の島の彼方でボート競技があるったって、そのためだけにメディアセンターはある訳じゃない。代々木や駒沢といった地区に行くにはやっぱり有明は遠すぎる。周辺には泊まる場所もなさそうで、千駄ヶ谷で取材して有明まで戻って送出して、そして宿泊施設まで戻ってって行き来しているうちにジャーナリストも疲弊しそう。せめて海さえ越えなければ……ってことでやっぱり浮かぶ豊洲市場のメディアセンター転用。どーせ使わないんだったらやっぱりそれくらいのことはしないと勿体ないよなあ。あるいは移転したあとの築地での仮設メディアセンター開設。でもそれはレガシーにはならないからやっぱり避けた方が良い。いっそお台場の放送局が昨今の不振でもって傾いてがらんどうになった建物を接収して、メディアセンターにしてしまうとか。でもそれだって海の向こうで橋を越えないといけないし。誰が考えたんだこの案は。隣の国がどうとか笑ってる場合じゃないぞ。

 お台場のテレビ局のもしかしたら不振を象徴するドラマになったかもしれない「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」だけれど、第2話については原作でも泣けたしアニメーション版でも胸がギュッとなった、母親の切なる思いと悲しみに引きずられてクライマックスに泣かされてしまった。鋭い観察力と推理力によって謎を解くって展開の基本はちゃんと踏まえていて、観ている分にはしっかり「櫻子さん」をやっているように思うし、設定から大きく違っていた櫻子さんと正太郎の年齢も、そういう関係なんだと思えば違和感も薄れるし、観月ありささん自身も見かけによらず若い雰囲気を出しているから、30前後と思えばそれで思えてくる。正太郎を少年と呼び続ける理由も何と話しに見えてきて、そういった関係が明らかになってさても正太郎は何を思うか。それ以前に惚れた惚れられたって関係が想像できないんだけど、どうするんだろう、ドラマの櫻子さんに許嫁っていなさそうだし。ばあやは怒るとサクラさんだなあ。

 たとえ父親が亡くなり女手ひとつで育ってくれた母親が逐電してしまった高校1年生の娘が、どうにかこうにか奨学金を得て高校に通い始めたものの自転車では坂道が大変と原付を買うことになり、慎ましい生活の中でやりくりして貯めたお金をつかって中古のスーパーカブを破格の1万円で購入し、ヘルメットとか手袋ももらってそれで学校に通い始めたら、同じカブでも郵政仕様のMDに乗ったこちらは父親は市議会議員で母親は仕出し弁当やを切り盛りしている女子高生と知り合って、語らいつ仲も深めていくといった忍従と青春とがいりまじった文芸であっても、それがスニーカー文庫から出ている以上はやっぱりライトノベルと言うべきなんだろうかどうなんだろうか。トネ・コーケンさん「スーパーカブ」。ちょっと常識からはあり得ない。でもあったりするのもライトノベルだからなあ。

 困窮しているとまではいかなくても、無利子の奨学金だからいずれ借金としてのしかかてくるお金を一方に、日々の食費も切り詰めて生活している主人公の小熊のどこか達観をしている心理がなかなかに興味深い。大人ぶっているともいえるけれど、それでもひとりきりというのはどこか寂しかったのか。礼子というMDカブに乗っている同級生と知り合えたことで学校の日々もより張り合いのあるものになっただろう。いずれにしてもスーパーカブに乗っている女子高生2人がメインキャラクターという状況は、どうにも不思議に思えるけども読んでいるとそういったシチュエーション自体はあり得ると思えてくる。それもまた説得力のある文章であり物語といったことなんだろう。ライトノベルというドリーミーでファンタスティックなカテゴリーにおいてリアルでシビアでちょっとだけユーモラスな青春を描いた作品を、読むのは果たして誰なんだ? そこに興味。映画化しないかなあ。

 初日2日目と行けなかったんで平日に入った「絵師100人展07」にようやく行く。午前10時過ぎだとやっぱりちょっとだけ行列も出来ていたけれど、中はぎゅうぎゅうって感じでもなくそれなりにじっくりと見ることは出来そう。ただし出遅れると物販が長蛇の列になるんでまずはすっとくぐり抜けてそれでも外まで伸びていた行列に並んで30分とか待ってようやく図録を購入し、戻ってようやく作品を鑑賞。全部をスクリーントーンで描いたといううたたねひろゆきさんは凄かったし、いつもながらに油絵風にも見える絵を寄せてくれた末見純さんんも格好良かった。司淳さんとか岡崎武士さんとか蒼樹うめさんとかも安定感抜群。バーニア600さんがいなかったような気がしたけれど、融合がテーマだと鉄道のある日常の絵では参加が難しかったかどうなのか。ちょっと残念。

 美少女と機械の融合ってのが定番みたいでCHOCOさんもKeGさんも鬼月あるちゅさんもそんなモチーフをそれぞれの絵で持ってきていた。CHOCOさんはやっぱり格好いい。個人的に好みだったのは少女が動物たちを従えて前へと進む有葉さんの「harumonize」って作品で仮想空間と現実が融合して生まれた世界ってことになっているらしい。でも今だとやっぱり「けものフレンズ」言われてしまいそう。ウエダハジメさんも参加していてどこまでもウエダハジメさん的な絵を描いていた。ぶれないなあ。「天より宿る嫁入り狐」は横顔で白無垢の女性のどこかふてぶてしさも漂う表情が良かった。ゆーげんさんさんはそうか「アウトブレイク・カンパニー」あたりで見たことがあったんだな、タッチが好み。美少女ばかりっていうのはやっぱり現代絵師の特長なのかもしれないけれど、そんな中にも多彩さをのぞかせてくれるところはこの国の、媚びず流されないけど影響もし合って伸びてくクリエイティブの状況を表しているのかも。来年はどんなテーマで誰が出るか。楽しみ。とりあえずあと1度くらいは見に行くか。


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