縮刷版2017年4月上旬号


【4月10日】 思ったのはタツノコプロっぽいなあ、ってことでシリアスなシチュエーションなんだけれどもキャラクターたちは飄々としてギャグ混じり。クールでスタイリッシュなキャラクターでありながらもどこか抜けた雰囲気も漂わせているところがどこか「とんでも戦士ムテキング」を感じさせのかもしれない「ID−0」。何か貴重な鉱物を発掘する仕事に就き始めた学生のミクリ・マヤが教授たちに半ば見捨てられるように置き去りにされた先、エスカベイトって面々に助けられ引っ張り込まれて無理矢理仲間にさせられる、ってあたりが第1話。ここから鉱物をめぐっていろいろと繰り広げられる騒動に、マヤが巻き込まれながらも鉱物探査の才能を発揮してチームを引っ張っていくことになるのか否か。ちょっと関心。大原さやかさんが声を担当しているカーラ・ミラ=フォーデンの肉体はいったいどんな姿をしているかも。ミクリ・マヤはそうか声は「けものフレンズ」のジャガーさんか。

 その「けものフレンズ」が月刊ニュータイプの2017年5月号で何と13ページにもわたって特集されていた。全話すごろくとそれから福原Pにサーバルちゃんの声を担当した尾崎由香さんら声優陣へのインタビューと、そしてたつき監督へのインタビューがセンター付近にドーン。その分量は表紙絵を含めた「進撃の巨人 Season2」と同じで、付録が「進撃の巨人」がポスターだったのと比較して「けものフレンズ」はクリアファイルといったところに、月刊ニュータイプの「けものフレンズ」に対する本腰の入れっぷりがよく分かる。本当は表紙絵にしたかった? それはないか。まあ同じKADOKAWAでガイドブック付きブルーレイを作っているから特集もしやすいだろう。そんな「けものフレンズ」が4月22日から東武動物公園とコラボレーション。グッズも出るみたいだし行ってこよう。フレンズ自体は何がいるんだろう? サーバルちゃんはいるのかな?

 怪しい怪しいクロワ・メリディエス先生。いきなり妖精たちがストライキを始めて魔法石から出る魔力を要求して、分けることはできないからとアーシュラ先生が地方へと行って魔法の力を集めて回っている感激を縫うようにルーナノヴァ魔法学校に赴任してきては、得意とする現代魔法のテクノロジーを見せつけてややがてそれを学校に正式採用させてしまう。でもどこかマッチポンプ。妖精たちをそそのかしてストライキへと到らせ、そして比の妖精が人間に邪険にされた事件の裏で画策していた人工の妖精はどうやらクロワ先生の手の者みたい。そうやって煽って自分の存在とそして現代魔法の力を受け入れさせた先にいったい何を狙っているのか。アーシュラ先生すなわちシャイニーシャリオはその存在を良からぬものと感じているらしい。戻ってきてどんな悶着があるのか。アーシュラでは初対面になるのか。そんな興味を抱きつつ以下次週。第2期に入ってますます快調。最終回まで観ていこう。

 神の子、って山本“KID”徳育選手かよって思ったのは格闘技ファンくらいで、プロゴルフのファンはずっとスペイン人のプロゴルファー、セルヒオ・ガルシア選手のことを神の子、エルニーニョって読んでいたらしい。でも16歳でメジャー大会のひとつの全英オープンに出場し、1999年にはマスターズでベスト・アマチュアの冠も得てプロに転校してメジャー制覇もすぐだと思われながらも幾年月、2位を最高にしてずっと勝てずに73試合を過ごしたまま、37歳まで来てしまったセルヒオ・ガルシア選手がついにメジャーを勝ち取った。マスターズでの最終日、クールなサングラスで決めたジャスティン・ロジャース選手をあいてにイーグルを決めて追いつきそこから一喜一憂しつつプレーオフへ。そして最初のホールでジャスティン・ロジャース選手が1打目を林に引っかけ3オンとなったところをセルヒオ・ガルシア選手は2オンに成功。そしてジャスティン・ロジャース選手が2パッとでボギーとして迎えたバーディーパットを見事に決めてマスターズを制覇しグリーンジャケットを手に入れた。

 歴史という意味ではジ・オープンと呼ばれている全英オープンがやっぱりピカイチだし、コースの難しさもあの海岸べりのリンクスを強風に負けずプレーしなくちゃいけない大変さもあって全英オープンがやっぱり図抜けている。でもマスターズだってオーガスタの美しい光景を1枚めくるとコースは波打ち油断すれば林につかまりバンカーはなだらかなようで深くグリーンは傾斜もあれば段差もあってワンオンしたからといって容易にワンパットでは決められない。それどころあアプローチでグリーンをとらえたところでだんだんと加速がついて外へと転げ落ちてしまうこともしばしば。そんな難コースをこともなげにプレーしていくセルヒオ・ガルシア選手であり、そしてジャスティン・ロジャース選手がいかに優れたゴルファーかってことが見ていて分かった。まあセルヒオ・ガルシア選手はリンクスの全英オープンで上位に入る成績を収めているから腕前が低いってことはないんだけれど。

 そんなコースを最終日に67で回ってワンアンダーでフィニッシュし、最終的に11位に入った松山英樹選手もやっぱり相当に優れたゴルファーなんだろう。世界ランキングの上位にいることもよく分かる。ただやっぱりああいった、1打のミスが取り返しの付かないことになる海外の難コースで、日頃からプレーしていないと同じようなスコアを4日とは言わずとも3日連ねて優勝争いに食い込むような闘いは難しい。つまりは真っ平らのグリーンに向かって真っ平らなフェアウェイから打つような日本のゴルフコースで世界と戦えるプロゴルファーは生まれない、って思うんだけれどそうしたプロスポーツとしてのゴルフだけのためにコースをセッティングすると、日本のゴルファーは難しいからとプレーしなくなって経営が成り立たないんだろうなあ。だから簡単になってしまう。向こうの人はスコアに汲々とせずあるがままに打ち、出るがままのスコアに満足するから難しいコースでも平気なんだろうなあ。ゴルフを攻略のスポーツ、頭脳のスポーツへと回帰させ、プレーする人の意識を変えることが日本には必要なんだろうなあ。

 これはすごい。面白い。人間プラモさんという人がPIXIVに発表した漫画「映画大好きポンポさん」が130ページちょいと結構な分量があるにも関わらず、読み始めから読み終わりまで息をつかせず一気に読ませて楽しませる。そしてちょっぴり泣かせもする。まるで「道」のディノ・デ・ラウレンティスを父親に持つラファエラ・デ・ラウレンティスみたいに、祖父が偉大な映画プロデューサーだったという孫娘の映画プロデューサーがいて、ポンポさんといって面白い映画を作ることに熱心で、美人俳優を使ってB級スペクタクルめいたものをいっぱい作ってそれなりに当てていたりする。祖父のような大作文芸映画が嫌いという訳ではないけれど、面白い映画が作りたいからといった姿勢からそういうのが得意な監督といつも悪巧み。その傍らには映画だけが人生といった若者のジーンもいてポンポさんに振り回されている。

 他に取り柄がなく映画だけが大好きで熱心に観続けて来たけれど、だからといって映画作りに経験もなければ自信もない。そんなジーンの才能を見いだし、そしてオーディションでみかけた田舎から出てきて女優を夢見る少女ナタリーの存在も見いだしてポンポさんは1本の映画を作らせる。そんな過程において何か別に幸せを感じている人にクリエーティブな仕事なんでてきない、自分に満足していないからこそ何か作りたいといった思いが出てくるとか、あるいは毎日毎日映画を見続けて来たんだから映画を作る準備なんてとっくにできているはずだとか、もの作りに悩んでいたり迷っている人たちにとって警句となりそうなシチュエーションがわんさか出てくる。そいうやって抜擢され成功を収めていく展開はともすれば巧くいきすぎだけれど、そんな風に行く才能を見つけるにポンポさんが長けていただけとも言えなくもない。読んで思う。自分に才能がないと嘆くより、ある才能を信じて進めと。面白い何かを作るためには誰か1人にでも喜んでもらいたいと思えと。そんな警句を活かして明日から、自分の道を歩めるかな。まずは向かおう原稿用紙に。


【4月9日】 そして後篇となった「龍の歯医者」は、いきなりジェット旅客機の横を龍が飛んでいては台風を食べてしまったりして、現代にもなってしっかりと龍は存在してその超自然的な力を誇示しているという世界観なんだと理解。「日本アニメ(ーター)見本市」で公開された短編版だと、どこか観念的なストーリーの中に生と死との境目に龍がいて、歯医者という仕事を通して人生を振り返りつつ輪廻転生していくような雰囲気があったけど、長編版では龍という架空の生き物が実在して重畳的な力を振るう一方で、それを人間たちは受け入れ、時に力として利用していることもある。そんな世界観。

 だから過去において戦争の時代に龍はいて、その歯から地上で死んだ人が歯医者として生まれ変わって出てくるというのももちろんひとつの“事実”だったんだろう。そして生まれ変わって後の死に際を誰もが自覚して、その時を誰にも言わないで粛々と待つといったことも。野ノ子といっしょに地上へと落ちて龍へと戻るかどうかでゴネてたベルだって、自分がいつまた死ぬか、自覚していたからこそそれに抗うんじゃなく、受け入れて野ノ子と必要以上に親しくしようとしなかった、だから突っ慳貪な態度を取った、なんて想像も浮かぶ。

 そして戻った龍の上で、野ノ子に新しい歯を持たせてあふれ出る虫歯菌を防がせる一方で、自身はひとり龍宮へと向かい親知らずを持ってできたブランコの前に立ちふさがってその殺意を煽って撃たれ、自分に訪れたその時を受け入れたのだった。格好いいな、ベル。それだけに残された野ノ子がご飯だよと言って探して歩いている姿がどうにも切なくて愛おしくてちょっとジンと来た。そんな個々のドラマの一方で、龍というものが死にかけては復活していく様を見て、やっぱりいったい何者で、何のために存在しているのかって疑問も浮かんで来る。そういうものだと受け入れるのは感嘆だけれど、創造した舞城王太郎さんにはきっとしっかりとした設定があるんだろう。そのあたりを取り上げたムックとか出ないかなあ。1時間半にも及ぶ長編になったんだし、劇場公開されてパンフレットが作られそこに書かれても良いって思うんだけれども、さてはて。

 前後篇を見て改めて、主演の野ノ子の声を演じた清水富美加さんの巧さを強く感じたというか、声の質とか口調とかが、どこか林原めぐみさんに似ているような気がしてならなかった。アニメには林原めぐみさんも出演しては大人の美女の柴名を演じているけれど、もうちょっと若かったら野ノ子の声を演じてそして清水富美加さんのような雰囲気を出していたかもしれない。ちょっとだけ清水富美加さんの方が澄んでいて、気だるさがないかなあ。だからこそその声をもっといっぱい聞かせて欲しいんだけれど、出家とかしちゃって名前も変わった今だと使うところもなさそうで残念。パッケージ化なんかもネックになって行われないかもしれない。元より「日本アニメ(ーター)見本市」の作品はパッケージ化がないだけに、長編であってもNHKが絡んでいても放送のみでお蔵入り、なんて事態になりかねない。勿体ない話。だからこそ出家からの復帰を。あるいは気にしないでの起用を。願いたいけれども、果たして。

 広江礼威さんのキャラクター原案にしては「Re:CREATORS」の美少女たちがあんまり殺伐としてないない。目の下にクマが入っていたり見下したり蔑んだりするような目つきだったりしてないし。でも性格はちょっとひねくれていそうなんてそこから原案者の人となりを感じることはできるかも知れない。なんてことを考えつつ眠り起きてさて、花見でも行こうと考えたもののどこも雨模様で浅草あたりは歩くのが大変だからと、京成で上野まで出て上野公園の桜通を歩いて少しだけ葉の出た桜を満喫。まだ朝も早かったから花見客もそれほどおらず雨なんで場所取りをしている人たちも少ない中を、普通に歩いて通り抜けることができた。そしてたどり着いた上野動物園を折角だからと見物。こちらも雨なんでそんなにお客さんのいない中をパンダからヒグマからハシビロコウからいろいろと見物していく。

 前に来たときはいたかもしれないけれども気づかなかったハシビロコウは下にある区域の方にいて、結構な広さをもらっていたけど動かないし羽ばたかないからスペース的には割と無駄。でもそれくらいないとあの巨体が動いた時にあちこちぶつかって大変なんだろう。カバも見たけど水の中をグルグル回っているだけで上がってこないんで全体像は拝めず。「けものフレンズ」によればカバって泳げないみたいだけれど、その割にはずっと水の中にいるんでよく見たらそんなに深くないプールをずっと歩いてた。そうかやっぱり泳げないんだ。近場にはこども動物園がいてアルパカとラマがいたけどどっちがどっちだっか。こちらも雨なんで「お客さん来ないねー、ぜんぜん来ないねー」状態。でもペッとはされなかった。雨だとやっぱり動きたくないんだなあ、動物でも。

 上へと戻ってエゾヒグマを見に行ったらデカかった。もうデカくて黒セルリアンと戦っても軽く勝てそうに見えたけれどもそこで叶わないのがセルリアン、そして巨体を誇らないのがエゾヒグマってことで。ミミズクとかとかコツメカワウソとかプレーリードッグとかフレンズたちも割といたけどアフリカライオンがいたかどうかはちょっと不明。サーバルキャットはいないんでこれはいつか多摩動物公園へと見に行こう。ぐるっと回ってやっぱり上野動物園はそんなに広くなく、動物の種類も多くはない。都心部にあって動物たちと触れあえる貴重な場所は2020年の東京オリンピック/パラリンピックでも観光地になり得るけれど、今の規模だと海外から来る人にこんな規模かと言われてしまうかもしれないなあ。かといって広くはできない。整備して見やすしていくのかな。入り口付近にあっていつも賑やかだったミニ遊園地がなくなっていたのがちょっとショック。昭和の遊園地感があったのに。子供はああいうのが楽しかったのに。誰が潰したんだろう。そしでなぜ。オシャレなカフェとかいらないんだよあの場所には。メリーゴーラウンドとコーヒーカップだけでも再配置、してくれないかなあ。

 熊谷紗希選手に宇津木瑠美選手に阪口夢穂選手くらいだなあ、前から見知っているのは。あとはもうすっかり代替わりしていて、最近のなでしこリーグをあんまり見てないんで名前をようやく知っているくらいだけれど、そんな選手たちが出場してはコスタリカを相手にきっちり3点を奪って零点に抑えて勝利したキリンチャレンジカップをひとつの軸に、スター選手の饗宴ではない昔ながらのひたむきさを持った選手たちによる前向きな試合ぶりをこれから見せていってくれると信じたいサッカー日本女子代表ことなでしこジャパン。横山久美選手は早くから注目されながらもようやくここに来てたどり着いたといった感じ。もう1年半早く“覚醒”していればリオ五輪の出場もあったかというと、あの頃はチームも過渡期でフィットもしてなかったから仕方が無い。今は中盤に中里優選手がいたり長谷川唯選手がいて田中美南選手もいる。ディフェンスリーダーが立ち戦術の徹底が図られればそれなりに買っていけるんじゃなかろーか。あとはトラップミスをなくしボールをきっちり治めて素早くパス。そんな躍動があればきっと次のワールドカップでも勝てるだろう。信じて見守っていこう。

 安倍政権お得意の閣議決定でもって、とある新聞がネットの噂をそのままこんな噂があると書いた記事を安倍総理が持ち出して、それが実は虚偽ばっかりですぐに否定されたものだけに、そんないい加減なものを持ち出し国会で答弁したのは拙いんじゃないのかと突っ込まれたことに、「『事実があると主張する者により提示される証拠については検証されるべきである、との趣旨を述べたもの』とする答弁書を決定した」と当の噂をそのまま書いたところが報じてる。安倍ちゃん側は俺らの責任じゃないぜと言った。だったらどこに責任があるかというと、記事を書いた側であってそこがちゃんと事実かどうか確認しろよって突っ返したに等しい。分かっただったら検証するかというと、そこは噂を書いただけだといったスタンスは変えず、書かれた側が事実が嘘かを証明しろって話だと言い募るんだろう。やっぱり出るところに出て白黒付けるしか解決はしなさそうで、それもなかなか厄介な話。どうしたものか。


【4月8日】 3DCGなんだなあ、でも同じ東映アニメーションが前に手掛けた「楽園追放 −Expelled from Paradise−」とは違ってフィギュアめいたキャラクターではなくリアルに寄せた人物像でなおかつ舞台は現代、登場するのはスーツ姿のお役人とか制服姿の自衛隊員といったところで、それを3DCGで描くのは結構大変そうだけれど、もしも可能なら日常芝居も含む作品を作画動画の大人数を使わないで3DCGで作って効率化できる。そんな意味もあって東映アニメーションもこの作品に挑んだんだろうなあ、「正解するカド」。立方体とか手描きで描くには複雑すぎるから3DCGの利用もありだけれど、今までだったらそういったオブジェクトだけ3DCGで作ってはめ込んでいた。でも今回はキャラクターも含めての3DCG化。苦労もあっただろう。

 その甲斐あってパッと見た目はまるで分からない手描き風。どこかBL系出版社ものも思わせるエリート官僚たちの戯れがあって、そっちに期待を誘っておいて登場した1辺が2キロもある立方体にとらえられた飛行機の中でいったい何があったか分からないけど、現れた美形とそして主人公の真藤が、いよいよ何かを言い出すところで以下次回。散々っぱら触れさせておいて何物も受け付けない頑健な箱だと思わせてオーバーテクノロジーぶりを見せつけ、そして始まる交渉は人類にとって厳しいものになりそうだけれど、そこは奪うでも退けるでも潰すでもなく、誰もが幸福になる道を探りあてる天才ネゴシエーターの真藤だけに、あらゆる困難を乗り越え人類をも救済する道を見つけ出していくんだろうなあ。ちょっと楽しみ。でもあっさり人類とか滅ぼしそう。脚本が何しろ野アまどさんだし。どうなるかなあ。

 実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」を観たら傑作だった。かつて押井守監督の長編アニメーション映画「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動」』によって示されたある種のビジョン、女性の義体を持った捜査官が飛んで跳ねて戦って傷つけ合って自分を探してさまよってといったアクションに、近未来の様で過去の様でもある、テクノロジーが発達してクールな様でいて人間の雑多な部分がかえって露わになった様な風景や暮らしぶりが、もうそのままに人間によって演じられ最新の合成技術によって実在するかのように描写されて、グッと高まるリアリティの中に繰り広げられた。これにまず喜ばないではいられない。

 そんなルックの中で繰り広げられるストーリーもまた鮮明。機械化されつつ人間の判断力も持ち合わせた兵士を作りたい企業があって、スポンサーとなって始めたプロジェクトに巻き込まれた者たちの苦衷や苦悩や憎悪があふれ出す中で、テロリズムに立ち向かう女性の義体を持った正義感にあふれた捜査官こと“少佐”がいて、支えるバトーやトグサといった仲間達がいて、アラマキという頼れる上官もいたりといった中でクゼなるハッカーと対峙し、追い詰めようとして逃げられる中で浮かび上がって来た“少佐”自身の過去。そして……。

 何となく分かっていたけれど、それがだんだんと鮮明になって来て、最後にピタリをはまりこんではひとつの到達点へと到るストーリーは、観ているこちらの気分もしっかりと盛り上げてくれる。なるほどアニメーション版「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」に見られたいくつかの展開が差し挟まれてもいたりして、そうした謎も帰着点も何とはなしに見えてはいたけれど、浮かぶ既視感を実写というルックが覆って目の前で、肉体がたとえそれがCGによって描き足されたものであっても、“体温”めいたものを感じさせてくれるから気にせず目新しいものとして追って行けた。

 もちろん「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」の人形使いと実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」のクゼは違うし、神山健治監督によるアニメーションのテレビシリーズ「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 2nd GIG「のクゼとも「ゴースト・イン・ザ・シェル」のクゼは違う。ただし、己という存在を懐疑しネットへの可能性を示唆する存在としての立ち位置に重なるところはあって、そうした飛躍への憧憬を誘う。

 対することになる“少佐”は、靡きつつ迷う中で何か結論を得ていく、そんな先を実は見たいんだけれど北米ではこの実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」の興行成績が不振なようで、続編が作られる可能性はちょっと低そうでどうにもこうにも勿体ない。お客さんたちの寄せ集めっぽかった公安9課が、この事件を経てようやくひと1つのチームとなれたのに……。だからこそ北米での不振をアジア各国での興行成績が覆って世界規模で観たらとてつもないヒット作となって、北米のスタジオを動かせればこんなに嬉しいことはない。ないんだけれど無理かなあ、やっぱり。

 北米での不振の一因に、東洋人の“草薙素子“をスカーレット・ヨハンソンという女優を起用したことで白人のルックを持った“少佐”としてしまったことへの批判めいたものが最初にあって、レビュアーたちもそうした見解に引きずられるように触れざるを得なくなって、観客の足を遠のかせた、なんてことも言われている。けれども映画を観れば分かるというか、そうした白人化という行為そのものが作品の中でひとつの主題めいたものとして描かれ、半ば批判されつつ外見を超えてわかり合える可能性を示唆している。

 なによりスカーレット・ヨハンソンという女優は、外見は日本人ぽくはあっても頑健なキャラクターとしての草薙素子により近い雰囲気を“少佐”という登場人物に与えている。漫画なりアニメーションといったフィクションでの日本人キャラクターの西洋人化が日常茶飯事な状況下で、ハリウッドリメイクされる実写版の草薙素子、あるいは“少佐”を誰か日本人の役者がやっても、かえって違和感があったかもしれない。

 もちろん、そういった文脈とは違うところで権力による簒奪、過去の迫害を無視する所業といった理由などから、草薙素子の白人化ということへの批判が起こっているらしいとは承知している。けれども、この「ゴースト・イン・ザ・シェル」という映画ではそこはやり玉に挙げる部分ではない。これでアラマキまでもが白人化されていたらさすがに眉をひそめるところだったけれど、そこは“ビート”北野武がしっかりと演じてくれた。格好良かった。今まで北野武が出演した作品の中でも究極の格好良さ。それを見に行くだけでも価値がある。最高なんだよアラマキが。

 そうした役者たちの頑張りと、ストーリー展開の妙で実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」は面白い映画に仕上がった。アニメーションでしか描けなかったビジョンがリアルな質感を持って描けることも感じさせてくれた。そんな映画のどこに不満があるのか? どこに違和感が見えるのか? そんなものはないし、あるはずもないと思うのだけれど、それは個人的な所感なので批判があることは承知する。承知するけれどもやっぱりスカーレット・ヨハンソンの尻は良い。だから自分はこの実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」が大好きだと断言する。日本語吹き替え版で。そう、やはり日本語吹き替え版で観たから違和感も吹き飛んだのかもしれない。それを感じられる分、日本人はこの実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」に対して多大なるアドバンテージを持っているのかもしれない。

 薄給だもの。というか民主党議員に名誉毀損で訴えられて最高裁まで行って敗訴した記者が遅延損害金について相談を持ちかけたといった話を当の議員が明かしていて、そこまで追い詰めなくても思わなくもないけれども総額110万円の賠償金で年率5%の遅延損害金が幾らになるかを考えると、そう大きな額でもないのに考えてしまうところに今の景気の悪さも見て取れる。ただなあ、初期に撤回して謝罪する目もあったのに下げず裁判を起こされ、そこで和解の目もあったのに下げず判決出されそこで引く手もあったのに最高裁まで行って民事で最高裁は憲法判断でもなければやらないぜって諭され、退けられて完敗。謝れないと後が大変というひとつの例でとも言えそうで、普通なら見渡してこれは勝てないと思えば弁護士が引っ込めさせるものなに、そうはならなかった。そこまで“無敵の人”と化してしまっていたのか。いずれにしても賠償金に訴訟費用も乗っていったいどれだけかかるのか。大変そうだけれど同情はしない。言葉はそれだけ重たいものなのだから。


【4月7日】 アニメーションの新番組から「武装少女マキャベリズム」は、とても強い問題児の男子が女子によって支配される学校に転校してきて起こす一悶着。まずは天下五剣と呼ばれる強者の中から1人が突出して挑んだものの、胴体に気でも通されたか悶絶して敗戦。あげくに手下の暴走に巻き込まれる形で男子とキスしてさらに大変な関係になっていく。まあよくあるパターンだけれど、戦闘シーンとか割とシリアスで見ていて楽しいし、ヒロインは別にいてとっても強いみたいなんでそっちの本格的な登場を期待して待とう。とりあえず見ていくことに。

 そして「クロックワーク・プラネット」は、ライトノベルの原作が登場してから5年と結構経ってのアニメーション化で、なおかつ決して多作ではなく、まだ4巻までしか出てない作品がどうしてって思わないでもないけれど、作者のひとりが「ノーゲーム・ノーライフ」っての書いていて、そっちは人気で今度映画版も公開されるみたいなんで、何か作者的に追い風が来ているってことなのかもしれない。世界観はもとより大好きな作品で、滅亡しかかった地球を歯車によって立て直した天才科学者がいて、そして1000年とか経ってきしみはじめたその世界で、耳の良さでもってオートマタを直してしまった少年を軸に、世界を相手にした大騒動が演じられるといった具合。まだ序盤だけれどキャラも出そろいあとは邂逅から闘争、そして協働といった展開になっていくのかな。原作をどこまでやるか分からないけどこっちも追っていこう。

 すっごーい! とまずは口をついて出た「ミュージックステーション」へのどうぶつビスケッツ+PPPの出演決定。歌うのはもちろん「ようこそジャパリパークへ」だろうけれど、出てもう2カ月くらい経ってオリコンの上位に入っている訳でもないし、「けものフレンズ」自体が一部にはブームになっても広く社会現象化している訳でもない。一部には知られたって感じのものをこうやって興味を持って引っ張り出して来るところに「ミュージックステーション」とそれを放送するテレビ朝日と司会のタモリさんの進取の気風が見えるというか。単にビクター・エンタテインメントがプッシュしただけかもしれないけれど、それでも見知らぬアニソンの有名とは言いがたい声優系ユニットを受け入れるんだからすごい。いったいどんな祭りになるか。録画決定。

 鳩見すたさんの「ひとつ海のパラスアテナ」的な世界で犬村小六さんの「とある飛空士への追憶」的空の冒険をやっているような雰囲気を感じた阿部藍樹さんによる「白翼のポラリス」(講談社ラノベ文庫)が読んでとても面白い。海ばかりの世界で人々は方舟のような巨大な船を島にして国に見立てて暮らしている。船には動力がなくただ海流によって漂うといった感じ。そんな国々の間を飛行機に乗って行き交う者たちがいる。それが“スワロー”。人間の中でも地軸を感じて方角を察する能力を持った人たちだけがなれる職業で、主人公のシェルはSS級の優れたスワローだった父が行方不明となり、戻ってきた愛機と一種の航路図を受け継ぎスワローとなった。

 そして数年が経ち、どうにか仕事をこなせるようになって空戦の腕も上がったシェルは、ひと仕事終えて戻った拠点にしてる国のそばにあって、隠れ家にしていた洋上の小島に戻って、そこで流れ着いていた少女を拾い、彼女から別の国へと飛んで欲しいと頼まれる。お金にならない仕事はしないし、正体も目的も言わない少女の依頼を聞くのも少しはばかれたものの、彼女がとてつもなく高価なアイテムを持っていたこと、その依頼がシリアスだったこともあって受け入れ、とりあえず彼女が告げた目的の国へと向かう。ところが途中で敵影が現れ、以前も少女が別の面々とその国に向かおうとした時も現れ、彼女を撃墜したその敵機を相手にちょっとしたバトルが繰り広げられる。

 以前の時は、少女は自らの身分をしっかりと示す飛行機に乗っていた。それでも撃墜された。考えられないことが起こっているようだけれど、誰が起こそうとしているか分からない陰謀にシエルは少女と共に巻き込まれていく。陸地が少なく船の国々も動力はなく流されるだけで少ない陸地の資源をめぐり争いをしているというシチュエーションで、近付けば紛争も起こる中、平和を願って冒険に挑んだ少女ステラと、彼女に引っ張れつつ自らの過去とも対峙することになるシェルはどんな出来事に出会い、そしてどんな結末を迎えるのか。なおかつその後の展開の中、組むことになる2人の未来は。未だ見えない敵の正体とその目的など気になることも多いだけに続きがあったら読んでみたい。書いてくれるかな。書かせてもらえるかな。

 ミッキーマウスといったら「蒸気船ウィリー」が最初の登場だって一般には言われているけれど、実はそのまえに作られていた「プレーン・クレイジー」という作品にすでに登場していたんだとか。けれども公開が後になった関係で真のミッキーマウスのデビュー作という名前を奪われてしまった「プレーン・クレイジー」が日本科学未来館に登場。8日からスタートする「ディズニー・アート展<<いのちを吹き込む魔法>>」ってのに展示されていて、その内覧があって見に行ったらすぐそばに「蒸気船ウィリー」の原画もあってミッキーマウスの源流を同時に楽しむことができた。世界でも初の同時展示ってことになるのかな。その意味でも結構すごい展覧会なのかも。

 世界初なのは最新作「モアナと伝説の海」に関連したコンセプトアートなんかの展示も最新作だけあってこれが初。というかまだ普通に公開されちている作品なだけに映画を見てその内容に感動をした人が見に行ったらそうかこういうコンセプトでデザインされていたんだってことが分かって勉強になりそう。監督のひとりのジョン・マスカーさんが手帳にスケッチした初期のモアナのデザインなんかもあって、今のいかにもポリネシアンな雰囲気の少女とは違った感じになっていて、そこからしっかりと作品世界に合わせていったんだなあってことが分かった。あとコンセプトアートもいろいろあって、それぞれに雰囲気が違っているのをよくまとめあげたなあとも。個々の才能を尖らせつつそれらを取り入れ新しい世界を作り上げていく。それがディズニーが常に先を行く秘密なのかも。じっくり見たいんでまた行こう。でも混んでるかなあ。

 どうやら本国では惨憺たる興行収入になっていらしいハリウッド版「ゴースト・イン・ザ・シェル」が日本でも公開されたみたいだけれど、見に行く余裕がまだないんで明日にでも見に行くとして、そこに飛び込んで来たのが神山健治監督と荒牧伸志監督よってまた新たな「攻殻機動隊」が作られるといったニュース。この面子ならストーリー的には神山監督の社会派路線で、そこに荒牧監督の3DCGを使っての描写が乗るといった感じになるのかな。同じ士郎正宗さん原作の「APPLESEED」とかを3DCGでアニメーションにしている荒牧監督だけに手慣れたものだろうけれど、「攻殻機動隊」ではそういうのが無かっただけにどういう雰囲気の少佐が出来上がるかがちょっと気になる。いや3DCGっぽい雰囲気んら北久保弘之監督のプレイステーション版ゲームにつけられた映像があったっけ。あれこそが士郎正宗さんの漫画版をそのまま映像化している作品だって思えないこともないだけに、どうしてまた神山監督で荒牧監督なのか、気になる人も割といそう。いつか実現しないかなあ、北久保監督版「攻殻機動隊」。無理かなあ。


【4月6日】 録画できなかった関係でずっと見てなかったけれど、最終回くらいはと「小林さんちのメイドドラゴン」を見てあのだらだらと生きているようで、しっかりと仕事はしている小林さんの生き方にちょっと憧れた。ドラゴンのトールが同居していてもいなくても、そんなに悪い暮らしじゃないよなあ、ひとり暮らしのOLの方がもうちょっと可愛そうだよなあ、なんて思わないでもないけれど、トールがいてカンナもいる暮らしに慣れてしまうと、トールの消失にはぽっかりと穴があいたように感じてしまうのも仕方がない。人はやっぱり一人では生きづらい生き物なのだってことで。録画しそこなったけどBDを買うのも大変そうだし、再放送がないかとちょっと期待。

 「サクラダリセット」と「サクラクエスト」が続いて流れたりする厄介さはさておき、ライトノベルの原作でだいたいの筋を知っている「サクラダリセット」の冒頭だけをちょっと見て、ああこれはまだ出会っていなかった浅井ケイと春埼美空が出会うシーンから始めたのかなあと理解。でも違っているかもしれない。後でじっくり見るとしてとりあえず見た「サクラクエスト」は、これは「花咲くいろは」なんかと同様にまったくのオリジナル作品なのか。P.A.WORKSが手掛ける田舎お仕事物語は東京にあって短大を出ようとして仕事がなく、前に登録していたモデル事務所からの依頼で田舎の施設の王様に就任するって仕事をこなしに行ったらまずは人違いで呼ばれたと判明。さらに1日で終わらず1年もの間、そこに居続けなくてはいけないと分かって田舎は嫌だと逃げだそうとする。

 実家が田舎でそれがいやで東京に出てきて就職しようとしたのに、1年も田舎に閉じ込められるなんてどういうこと、って思って至極当然だけれど、その場所に過去、ちょっとした経緯もあったみたいであとは周囲にいる人たちの熱意もあって、ちょっとだけ情が移り始めたといったところ。そして始まるだろう街おこしのための奮闘劇はリアルのレベルで「ろこどる」めいたドタバタに終始するのか、それとも王国の題材となったチュパカブラに絡んでホラーにも似た展開が待ち受けているのか。ちょっと興味。舞台となっている田舎はどこなんだろうなあ、P.A.WORKSだけにやっぱり富山あたりだろうか。日本でチュパカブラの出没地って……ないよなあ、やっぱり。

 「艦隊これくしょん−艦これ−」のゲームにおける戦艦の擬人化に続いて、「刀剣乱舞ONLINE」での名刀名槍の擬人化ゲームも大流行して次はいったい何かといったところで出てきた「社にほへと」は何と神社の萌え擬人化ゲーム。伏見だとか鹿島だとか諏訪だとか厳島だといった、聞けば当該の稲荷なり神宮なり大社なり神社が浮かんで来る名前を用いたゲームに、神社本庁あたりはどうしたものかといったスタンスだけれど、配信元は「本ゲームは『神社』をイメージした『フィクション』である内容のため、実際に実在する人物・建物・団体とは一切関係ない」「実在する地域や神社等とも一切関係ない」といった理由で異論を退けようとしている。

 なるほど直接に「伏見稲荷」であり「鹿島神宮」であり「諏訪大社」であり「厳島神社」であり」「鶴岡八幡宮」ではないにしても、それを感じさせてしまう可能性は極めて大きい。そうなった場合に一般名詞の稲荷でも神宮でも大社でも神社でも八幡宮でもない固有名詞のこれらの神社から、なにかしら権利を侵害していると訴えられて果たして勝てるものか、ってところがひとつの迷いどころ。商標登録はもしかしたらされていなくても、長い歴史から先使用権ってのが認められる可能性は大だし、人格権とかパブリシティ権といったものも認められては侵害を言われるかもしれない。

 これで神社が等しく美少女として大活躍する話だったらまだしも、個々に優劣なんかがあった場合にいくら規模に差があるとはいえ、信仰を集めているそれぞれの神社としては比べられることにあまり良い気分を抱かないだろう。そういった不満とそして権利面からのアピールを、無関係と一刀両断して良い話なのかどうか、ってところがこれから論じられるのかも知れない。信仰の対象であり畏敬されるべき神社仏閣を萌えの対象に挙げることの是非については、そうやって挙げられた神社仏閣をキャラ萌えだけで見なす人ってあんまりいないような気も。あるいはそうした人でも信仰なり畏敬の念を抱かせるだけの存在感をそれぞれの神社仏閣は持っている。良い入り口になるって思うことだってできるだろう。だから萌えによるPR面での異論より、それと思わせる名前を勝手に使われることへの気分侵害が、今後議論の的になっていくのかな。流れを注目。寺はまだか。

 参ったなあ、昨日に個人で書いたSNSの記述が国会議員への名誉毀損だって最高裁で確定した記者に、今日の紙面でコラムを書かせている新聞があって、これはいたいどういう判断が働いているのかといろいろと迷う。あるいは当該のコラムについては妥当なことを言っているといった声もあがるかもしれず、だから是々非々で判断しているんだといった言い分もあるかもしれないけれどでも、読む側は1度ならず2度までも、事実とは違っていることを書いて国会議員を誹謗し名誉毀損したと裁判によって確定した記者が、書いた内容は果たして本当だと信じて良いか迷うだろう。そこに書かれていることについていちいちファクトチェックをしなければいけないって気になる。そうはさせないために、新聞では長い歴史で題字の下における信頼性を培ってきた。それを2度も損なって題字への信頼性を大いに下げた張本人を翌日にしれっと出してくる。つまりは信頼より主張。それが世に届けば良いってことなのか。もはやジャーナリズムではなくアジテーション。それで良いのか? 良いんだろうなあ。やれやれ。

 TOHOネマズ錦糸町で今日が最終日の「サクラダリセット 前篇」を観る。というか既に1度、試写で観ているんだけれどミッチーが最高の演技を見せてくれる後篇をまた見るにはやっぱりもう1度、前篇も見ておかなくちゃと思ったのだった。実を言うならアニメーション版がもうちょっとクールで尖っているかと思っていたらふんわりとした絵柄でむしろあのクールでひりひりとした日常は実写版の方が巧く再現できているんじゃないかと試写を観て思ったのだった。監督も「半分の月がのぼる空」を手堅く仕上げて感涙を誘った深川栄洋さんだし。

 そして観た実写版「サクラダリセット 前篇」はなるほど原作の1巻から3巻までをしっかりと取り込みながらも枝葉をそぎ落として芯だけ残して浅井ケイと春埼美空、そして相麻菫との関係を軸にして、かつて相麻菫が死んでけれども浅井ケイは既に春埼美空にリセットを自分の為に使ってしまって時間を戻せずその命を取り戻せなかったことを食いつつ、日々を春埼美空といっしょに奉仕クラブのメンバーとして悲しいできごとをリセットしている状況からまず語られる。

 そんな浅井ケイに依頼があって大石吾朗さん演じる佐々野宏幸という老人のところに言って岡絵里というかつて浅井ケイが救ったけれども今は恨まれている少女によって佐々野の能力が奪われてしまっていることを聞き及び、それを回復させるための模索を始めたところに別の指令。異能者が集いながらも街から出たらそのことをすっかり忘れてしまう不思議な街、咲良田の能力者たちを束ねる管理局でも中枢にいるという人物、すなわち魔女から面会を求められて春埼美空と出かけていき、そして帰りがけに岡絵里と村瀬陽香の襲撃を受けて春埼美空はリセットの能力を奪われてしまう。

 そんな状況からの大逆転劇。とらえられた魔女を解放して佐々野の元へと返してあげるというミッションに挑みつつそこでいくつかの能力を組み合わせることによって不可能が可能になるという一種の異能パズルを提示。ぎりぎりのタイミングで春埼美空にリセットの能力を取り戻させるという賭けにも成功した浅井ケイはそこから最大のミッションともいえる相麻菫の復活に挑む。けれどもそれは終わりではなくすべての始まりに過ぎなかった。

 原作ではそれなりに重要な役割を果たした猫と繋がれる野ノ尾盛夏は出てこず咲良田の情報に通じた非通知くんも登場しない。それこそ終盤にかけて幾つか重要な役割を果たす能力者たちを削ってラストの闘いに勝利できるのか? といった興味を原作既読者は抱きそうだけれどそこは後篇も見ている身からいえばしっかり畳まれているとだけ言っておこう。そうした取捨選択の妙が深川監督自身による脚本にはあっていったいどれだけ原作を読み込んだだと讃えたくなる。演出に派手さはなく淡淡とつづられる日々。重ねられる音楽もやかましくはなくどこかパンフォーカスのかかった淡いフレームの中で少年と少女の日々が描かれ過去の思い出がつづられ今を切り抜けようとする闘いが描かれそしてひとつの謎が解決された先により大きな謎が浮かび上がる驚きのクライマックスが描かれる。

 見て退屈はせず次にどうなるのかといった興味に引っ張られてたどり着いたラストで突きつけられる衝撃は、スペクタクルも少し含んだ後篇で少女の慟哭にも似た感情に触れることでより激しさを増す。どうしてそこまで。それが運命だからなのか。そんな驚きと感涙の気持ちを抱きたかったら絶対に「サクラダリセット 前篇」は観るべきだ。とはいえすでに劇場公開もまばら。ならば後篇の公開に合わせ、どこかで上映される機会があることを祈ろう。続けて観れば絶対に面白い映画だたと分かるから。そして痛みを乗り越えて生きる大切さを感じられるから。


【4月5日】 朝になってテレビを着けてBDレコーダーを起動しても「けものフレンズ」第13話は録画されていなかった。当たり前だ。でもネットの方が騒がしいので見たら、何とたつき監督による12.1話と称されたショートエピソード「ばすてき」が公開されていて狂喜乱舞の大歓喜。カバンちゃんが乗って海へと出て行くジャパリバスの運転席のタイヤが先の黒い巨大なセルリアンとの闘いの中で曲がってしまっていたのをどうにかしようと、博士と助手がフェネックとアライグマに言ってどこかからまだ無事なタイヤを来させようとする話。第12話のサイドストーリー的な感じになっている。

 もちろんカバンちゃんのためならと頑張るフェネックとアライグマだけれど、歩きすぎてサンドスターが減ってしまって疲れて遠くに行くのも大変そう。そこで博士たちが探し出してきたのがキコキコと漕いで進むちょっとした車。それがすなわち「ばすてき」なもので、それに乗ってフェネックとアライグマは荒野を目指すのであった。でも進むの遅いけど。歩いた方が早いけど。そんなエピソードが12話の終わりになってカバンちゃんが海へと出したジャパリバスのタイヤが1つだけ色が違っていたり、その後を追ってサーバルとほかおそらくはフェネックとアライグマがキコキコとジャパリバスの客室部分を漕いで海へと出て行ったりした展開に見事にハマっている。

 なるほど、あの「ばすてき」なものを組み込んで、客室を漕いで進めるようにしたんだなあ。そういった感じにそれぞれの話数で説明が飛ばされていたような隙間を埋めるエピソードを紡いでいっても、いっぱい続きができそうな「けものフレンズ」。もちろん僕たちが見たいのは文字通りの13話以降なんだけれど、それで高まりすぎた期待が損なわれる不安に怯える前に、今あるエピソードを膨らませてくれるようなショートエピソードがいっぱいあっても嬉しいかもしれない。そうやって心落ち着かせてから続きへ、ってそれやってたらたつき監督、いつまでも続きが作れないじゃん。困ったなあ。いろいろ求めてみたくなるけど手は2本。体は1つ。だからやっぱり続編を。それか新作を。

 そんなたつき監督が、北朝鮮から発射された飛翔体を超えてトレンドのトップに名を輝かせ、「君の名は。」の大成功で新海誠監督が、現時点における邦画界の頂点に立ちといった具合に自主制作系から来たアニメーションの作り手が話題になっていて、これで後に続いている一杯の才能に目が向いて欲しいと思うものの、前も宇木淳哉監督の「センコロール」であり吉浦康裕監督の「イヴの時間」でありアオキタクト監督の「アジール・セッション」であり粟津順監督の「プランゼット」であったりと、自主制作から出てきたクリエイターの作品が続々と劇場にかかった時期があってその後、大きく世に出ることなく吉浦監督ですら地道に作品を作り続けているといった状況に戻ってしまった。

 あそこでムーブメントとして盛り上がっていれば、新海誠監督もその筆頭としてもうちょっと早く世に羽ばたいていたのか、それとも作品性がマイナーすぎると埋もれていってしまったのか、分からないけれどもそんな状況でありながらもコミックス・ウェーブ・フィルムは新海誠監督を支え続けて作品を作らせ続けた。他のクリエイターについてもそうやって後押しするプロダクションなりプロデューサーがいて、二人三脚で作り続けていれば今のこの状況が変わる事態が起こっていたかもしれない。そうでないかもしれない。あるいは見る側がそういったインディペンデントのクリエイターをしっかりと観続け、メディアもしっかりと取り上げ盛り上げるような動きが必要だったかも。たつき監督、新海誠監督の人気を受けて次、来る人たちをだからメディアはしっかりと広い応援し、観客もしっかりと鑑賞し、スポンサーはしっかりと支え続けて欲しいもの。頼みますお願いします。

 池袋でセガと「バンドやろうぜ!」とのコラボカフェを見物してから、六本木のニコファーレで開かれたN高等学校の入学式へ。去年はVRヘッドマウントディスプレイのGearVRを使って全員がVR入学式を体験していたけれど、1年が経って時代もAR(拡張現実)すら超えたMR(複合現実)ってことらしく、マイクロソフトが開発したHoloLensを70台もかき集めては生徒や来賓に装着させて、現実の空間に現実ではない人物やオブジェクトを重ねて見せていた。たった1年でこの進歩。それが来年もあるとしたらあるいはテレイグジスタンスによる遠隔操作ロボットを使って、全員が自宅なりからロボットを操作して会場で式辞を聞いたり答辞を読んだりするのかもしれない。自分で作ったロボットが原則で既製品の改造もありってことで、ずらりと並ぶPepperやROBOHONやRobiや鉄腕アトムや諸々。ちょっと見てみたいかも。

 そんなN高等学校の入学式になのち、世界でいちばん貧しい大統領として知られたホセ・ムヒカ ウルグアイ前大統領がホログラムによって登場しては、新入生に式辞を述べた。その中にあった言葉にオタクとして震撼。曰く「一方で、私たちは市場に圧迫されています。市場は次々に物を買うように私たちを駆り立てます。そして時間を奪います。皆さんが払うのはお金ではありません。あなたの人生の貴重な時間です。その代金を稼ぐために費やした時間なのです。ですから、分別と節度を持ち、無駄遣いをしないでください。そうすれば人生の自由な時間を失わずに済みます。古代ギリシャの格言にもあります。紀元前6世紀頃の言葉です。“過剰の中の無”(多くを求めるな)」。耳が痛い。痛すぎるけれどもそれで消費を止められるならオタクなんてやってない。今日もやっぱり新製品だ新キャラだと言って買い求めるんだろうなあ。でも少しは考えようアフリカのこと、世界のこと。そう思った。

 なるほど見た目からして村瀬歩さんが声をあてていそうな小さい教師の声がまるで大人な感じだったのは、声優陣を同じタイトルで行う舞台版と一緒にしたからなんだと気づいた「王室教師ハイネ」。見た目となんか違うけれどもきっと舞台では小柄な植田圭輔さんが、良い感じに教師のハイネを演じて他の王子たちをしっかりしつけて手玉に取るんだろう。慣れればアニメの方でもそういうものだと思えてくるから気にしない。意外なのは声優もやっているけど、俳優が多い他の王子たちの声の演技がちゃんとしていたこと。キャラとも合っていたし巧い役者は声優をやらせても大丈夫ってだけのことなんだろう。第5王子のリヒトについては声優としてもキャリアの長い蒼井翔太さんだから巧いのも当たり前か。第2王子の安里勇哉さんはほとんど喋ってなかったからちょっと不明。舞台でもあんな感じにあんまり喋らないんだろうか。

 最高裁で判決が出て民進党の議員に対してSNSで誹謗ともとれる話を書いて訴えられた記者の敗訴が確定。110万円の賠償金なんていったいどこから出せるんだと、その懐具合を想像して大丈夫なんだろうかと思ってしまうけれど、自腹を切ってでも民進党についていろいろ書けたから良いと納得するんだろうか、どうなんだろうか。同じ記者は国会議員を相手にデマを飛ばしてやっぱり敗訴した過去もあって、名誉毀損で2連敗というおよそジャーナリストとか社会の木鐸を担う職業において致命的ともなる仕打ちを受けながら、未だしっかりペンを握って地位も得て書き続けられる根性の拠り所はいったいどこにあるんだろう。なかなかに興味深い。普通の会社だったら民事とは言え書いたものが名誉毀損で連敗した書き手を怖くて使えないもんなあ。それが……。やれやれ。


【4月4日】 獅子の日ってことはライオンの日であって、お外でゴロゴロしているライオンを見物に動物園とか行きたい気分だったけれど、平日なのでそれはかなわず。せっかくだからと録画してあった「けものフレンズ」の「へいげんちほー」を見直して、城に陣取るライオンが強そうだけれど決して喧嘩っ早い訳ではなく、フレンズたちにけが人が出ることを心配していた優しい子なんだと改めて理解し、そんな優しさが全体を包み込んでいたからこそ、見ていてホッとできる人も多く出て人気になったんだろうなあってことを思い直す。

 そんな「けものフレンズ」が「週刊朝日」で紹介されていて、読んだらとりあえずありきたりだけれども「すっごーい」「たーのしー」といったワードを入り口にして、けれども深いと来て動物園が大人気になっていて、そんな状況についてプロデューサーの人がコメントしてと今のムーブメントを感じさせていた。ブルーレイが入ったガイドブックが人気になっていて、品切れ状態にあることも紹介。続刊も出るんで「ほっしーい」と締めるあたりもありきたりだけれど、全体として順当で穏当で妥当な感じに仕上がっていた。いちゃもん付けたくてもつける要素、ないしなあ。

 この勢いで「アサヒグラフ」が作品に登場した動物をグラビアで特集し、「科学朝日」が絶滅危惧動物なんかも含めて紹介して地球環境問題を訴え、「Asahiパソコン」がたつき監督とヤオヨロズの3DCGアニメーション制作術を特集し、「朝日ジャーナル」が哲学者社会学者SF作家を総動員して「けものフレンズ」における崩壊のビジョンと互助の精神を今の殺伐とした風潮に絡めて論じるとかすれば良いのにと思ったけれど、どれも休刊になっているのだった。むかしはいろいろ出していたんだなあ。残っているのは「アサヒカメラ」「小説トリッパー」くらいか。動物の撮影に適したカメラ特集と、そしてポストアポカリプスにおけるポストヒューマン的小説の特集ならできるかな。朝日ソノラマ繋がりで「獅子王」とか復活させてライオン特集をするってのはあるのかな。

 いやあ、何を言っているのかまるで分からないというか、例の安倍昭恵さん付きの秘書めいたことを任されていた女性の官僚が、昭恵さんに対しての森友学園からの問い合わせを受けてとりあえず、自分の名前でもって返事をしたためFAXなり郵便なりで送った件について内閣が、あれは昭恵さんの秘書という職務ではなく、公務員として広く国民に奉仕しなくてはならないという役割から応えたもので、昭恵さんは関係ないんだよってことを閣議で決定したらしい。質問趣意書には閣議で答えて決定するのがルールとはいえ、そうやって無茶を既成事実化していく流れが強まっているのが気に掛かる。

 なるほど公務員として国民の役に立ちたかったのだとして、そんな公務員が国民からの相談ごとを自分の範囲内で留めずに、昭恵さんなり多の官庁なりに相談をおそらくはしただろう上で返事を出していることについて、守秘義務を逸脱していないのか。そんな問いに対しては、あれは一般的な質問であって秘密でもないんでもないから、他に相談したって構わないんだよってロジックを持ち出し逃げを打った。何が何だか。森友学園という固有の学校法人の経営者から持ち込まれた、学園の運営に直結する相談ごとが一般的だなんて言って、いったいどこの誰が納得するのか。でもそれを認めてしまうと、昭恵さん付きの秘書が守秘義務を守らなかったってことになって具合が悪いし、込み入った話について聞き及んでいたと昭恵さん側に責任が向くのもやっぱり問題になりかねない。だから、あくまで一般論での質疑だったということにしたのだろう。

 職務とは関係ないというのも同じで、秘書さんが秘書という職務に絡んで受けたのなら、それは“上司”にあたる昭恵さんにも責任が及ぶことになる。そうはさせないと公務員という立場にのみ囲い込んだ。そうとしか思えないこの処置は、けれども一生懸命に秘書としての仕事に努め、“上司”におうかがいを立てて取り次いだ官僚の人に責任がすべてかかってしまっている。身内を、あるいは自分を守りたいがために権力が、一官僚を切り捨てるような振る舞いをどうして全官僚は黙って眺めているのか。元官僚の国会議員だっていっぱいるし、そこには同じ元女性官僚だっている。なのに声を上げようとしないこの不思議。それだけ政治が怖いのか。なんとも虚しい社会になってしまったなあ。

 何を言っているのかやっぱり分からないというか。国民的になったと自認している作家先生が、雑誌で中国を偉大な国だと思うようになってしまう漢文の授業なんて止めてしまえと書いているとか。そもそも漢文を習ったからといって、あの国には長い歴史があって哲学歴史に文学を送り出したってことを理解するくらいで、それで偉大だと感じたからといって今を正当化するかどうかは別の知識から判断すれば良いだけのこと。日本にだって「竹取物語」に始まり「源氏物語」「枕草子」といった文芸作品はたくさんあって、漢文で彼の国に敬意を覚える一方で、それを受けた日本も独自に発展させて新しい文学を切り開いたと教えれば一方的にはならないだろう。

 というか、漢文の授業を止めてしまえと叫ぶ作家先生が、日本万歳と訴えたい気分の拠り所にしたがっている、天皇制の下に国民が伏すような体制で根本となっている「明治」だの「昭和」だのといた年号は、元々が書経やら易経といった漢籍にある言葉から取られたもので、漢文の素養があってこそ理解できるし讃えもできる。そこでもう漢文なんていらない、漢籍なんて取るに足らないと言えばすなわち年号までも否定することにつながりかねない。それがしたいのか。今後は平仮名で「土佐日記」あたりから「はるはあけぼの元年」とかって付ける気なのか。やりかねないだけに恐ろしい。感じ仮名交じりの文字を使いアルファベットもアラビア数字も駆使して言葉を紡ぐ人間が、ルーツのひとつになっている言葉を否定し排除しようとしている様もどうにも珍妙。そう思えば言えないことをでも受けを狙って平気で言ってしまえるくらいに、あの界隈は不思議な空気が漂っているんだろう。やれやれ。

 他の作品を読んだか記憶にないけれど、曽我部浩人さんによる「想世のイシュタル」(講談社ラノベ文庫)はゲームみたいな異世界に男子が女性のアバターで転移して無双するという、ある意味で願望をとっぷりと充足してくれる展開が楽しい上に、そんなヒーローにしてヒロインの戦女神を中心にした面々が、仲違いをせず誤解はあってもやがて仲直りをしながら異世界を開拓し、暴れようとする者たちを諫め統率していこうとする展開が読んでいてとっても心地良い。世界が崩壊に向かう中で、無理矢理転移させられたゲームの世界がどうして現実のような世界になってしまったのか、ってあたりがちょっと不思議だけれどSFだから何でもありってことで。あとはそうした世界を巡って誰がイニシアティブをとって統率していくか、そこに邪な考えは混じらないかといったところが気になる部分か。今はまとまっている主人公たちだけれど、より強大な敵が現れるなりした時にどんな戦いを見せるのか。続きが気になるんで出たら読もう。


  【4月3日】 著書の刊行イベントで星野源さんが最近泣いたこととして「けものフレンズ」の最終12話を見て、途中で博士と助手の紹介からタイトルがバーンと出るところで泣けたって話していて納得。というかその直前のサーバルちゃんが巨大セルリアンのあ士にしがみついて、かばんちゃんを返してと叫ぶ場面でグッと来て、そこに依頼した博士と助手の活躍にウッと感じて、そして次々に駆け寄ってくるフレンズたちがずらり並んでバーンと出てくる場面で滂沱となったというのが実際。それも含めて泣いたってことなんだろうなあ、星野源さん。さすがは「ようこそジャパリパークへ」を60回も聞いてラジオでもかけたフレンズ。芸能人が流行っているアニメに言及してウケ狙いとは違う重みを感じる。いつかライブで歌って欲しいかも「ようこそジャパリパーク」へ。どんな感じになるかなあ。

 中野サンプラザホールでのイベント「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ THE LAST FLAG」は昼の部の方を取材していて途中、オルガ役の細谷佳正さんが「なんじゃこりゃあ」的に撃たれてしまったオルガの死に様が、あるいはもうちょっと違った形になる可能性もあったことを話していたのが印象的。というか長井龍雪監督は最初、オルガたちを車に乗せて外に出し、ドライブスルーに立ち寄らせた際にオルガだけが車を離れて自動販売機で缶コーヒーを買おうとしていたところを撃たれ、死ぬって展開も考えていたか。なんかヤクザ映画とかVシネマではありそうな展開。宇宙的「仁義なき戦い」でもあった「鉄血のオルフェンズ」には相応しいシーンのような気もしないでもない。

 ただそれだとやっぱり尺が足りないのと、それからそもそもあの世界観で唐突に自動販売機なんて出せないってこともあったみたいで案は没。結果として50話も続くシリーズとなった「鉄血のオルフェンズ」の主役にしてはちょっと地味な死に様になったみたいだけれど、それも含めて異能の存在を突出させずに日常の中で未来を描いたシリーズだったってことで。イベントでは三日月・オーガス役の河西健吾さんが次があって欲しい、そのためには応援をって呼びかけていた。当人は役としてすでに無くなっているから自分が登場するかどうかは不明だけれど、プロデューサーの人が話していたよういん、1期と2期の間にあった鉄華団の平穏な日々におけるエピソードを描いてくれる話なら、あって欲しいし見てみたい気もしないでもない。果たして叶うか。

 新番組にはまだ手を出さずに「リトルウィッチアカデミア」の続きをまず見る4月のアニメーション。ルーナノヴァ魔法祭が始まって月光の魔女の称号に最も近いダイアナが完璧な召喚魔法を見せて、退屈しきっていた魔女たちや生徒たちを喜ばせるけれどもそこに現れたアッコとロッテとスーシィの3人が、嘆きのバハロワと呼ばれる悪霊の生け贄になる儀式を真正面から行わず、バハロワを喜ばせようと懸命になるけど涙を流すばかりで立ち直らない。どうして、ってところに現れたアーシュラ先生が探り当てた秘密を教えてバハロワの中にある悲しみの種から芽生えた樹をアッコたちに引っこ抜かせ、そしてアッコはバハロワに楽しかった頃を思い出すように諭す。

 伝統をただ諾々とこなしていくだけになって、衰退への道を辿っていた魔法が誰かのためになるもので、誰かを喜ばせるものだといった基本を思い出させるストーリーは視察に来ていた重鎮の魔女たちも驚かせた様子。仕組んだホルブルック校長はダイアナを評価しているようで、案外にアッコのことも気にしているのかも。何しろ手にしているのがシャイニィロッドな訳でそれを使いこなすアッコがただ者であるはずがない、って気づいているだろうから。でも他の先生たちはあれがシャイニィロッドだと分かってないんだろうか。そこが気にならないでもない。ともあれひとり突っ走っていただけのアッコが仲間を振り返り助けを求める気持ちも抱いた。変身魔法も下手だけど覚えた。成長していったその先、シャイニィロッドに7つの輝きが戻って世界はどう変わる? 世界はなぜそれを求める? スペクタクルの予感。見守ろう展開を。

 今井正人選手に続いて箱根駅伝の登りの部分で大活躍して“山の神”と呼ばれた元東洋大学の柏原竜二選手が引退を表明とか。卒業後は富士通に入って陸上部で駅伝とかに出ていたみたいだけれど、ずっと故障がちだったようであんまり活躍したって話しを聞かなかった。山じゃない場所でいったいどれだけ走れるの? って思ったりもしたけれど、今井選手はトヨタ自動車で2時間10分を切るマラソンを走っているから人によるんだろう。柏原選手の場合はあまり記録も出ていなかったからここでの競技生活終了もまあ、やむを得ないといったところか。ただ柏原選手の場合はオタク大好きな本性を隠さず露わにして世の偏見を跳ね返してくれた大いなる存在意義があって、今後もオタクランナーからオタク指導者として活躍してくれることへの期待も高まる。あるいはオタク富士通社員? だとしたらとりあえず「エーベルージュ」の復活を……って知っている人、今どれだけいるんだろう。

 そろそろ公開も近付いて気になったハリウッド版「ゴースト・イン・ザ・シェル」の評価をロッテントマトで見たら半分くらい腐ってた。ボックスオフィス・モジョによれば北米での週末の興行も1900万ドルでちょっと出遅れ気味。海外で4000万ドルとか稼いでいるみたいだけれど、本国では金土日と日を追う毎に下がっているんで2週目の興行を終えて3000万ドルくらいに達したら上々といったところで、世界トータルでも100億円にはちょっと届かなそう。製作費が1億1000万ドルらしいからこれではもう失敗作というレッテルは確実で、あとはどうしてこうなったって意見が飛び交うことになるんだろう。ちないみ押井守さん版の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」はロッテントマトで96%フレッシュの殿堂入り。比べれば分かる違いがあるのか、それとも似すぎていて駄目だったのか。いずれにしても公開されたのを見れば分かるだろうから週末には駆けつけよう。次は北久保弘之さん監督のフル3DCG版をぜひ。

 尾張名古屋のご当地ソングなど「燃えよドラゴンズ」があればオッケーで、あとは盆踊りの時に流れる「大名古屋音頭」でもあれば十分。錦三丁目を歌った演歌とかもいらないし東山動物園を歌ったフォークソングがなくても、名古屋は普通に名古屋として名古屋とその周辺の人たちの愛着を集めている。あるいはみんなのうたで歌われたきくち寛さん「マイ・スイート・タウン」があれば十分と考えている、そんな名古屋に対して余所の人がご当地ソングがないだの、行きたくない街ナンバーワンだのと行ったところで、当の名古屋の人たちはほうきゃあほうきゃあとうなずきつつも、それがどうしたって感じて受け流す。名古屋が東京五輪後の経済を引っ張るだって? すでに名古屋は世界のトヨタを筆頭に製造業やら何やらが引っ張り経済としての安定を保っている。むしろ学ぶべきは東京であり大阪。そういう意識を持てとすら言わずに余所が何を言おうとだんまりしつつほくそ笑む、名古屋の本当の怖さを知っていたら書けないコラムだよなあ、某紙。


【4月2日】 録画予約したっけ、って心配になっていたら前からやってた「3月のライオン」の放送枠予約がそのまま残って無事、予約もできていたけれども折角だからとリアルタイムで見た日本アニメ(ーター)見本市から生まれたアニメーション「龍の歯医者」の前編は、短編として作られた「龍の歯医者」を中に取り込みながら前後にちょっとしたストーリーを着けつつ、後半にスペクタクルを感じさせてと大きく広がった作品になっていた感じ。BSで見ていないから分からないけれども後半に戦いがあってその中で歯もろとも地上へと落ちた、歯医者の少女と歯医者になりたての少年との関係がグッと進みそうだけれど、とりあえず前編だけ見て清水富美加さんは声優としても期待できたなあと思った。

 まず声の質が良い。くぐもってなくって粒立っている感じがある。そしてどこか林原めぐみさんのとっても若い頃を思わせる。「日本アニメ(ーター)見本市」といえば林原めぐみさんと山寺宏一さんの2人がすべての作品で声を演じるという無茶を通したシリーズだったけれど、長編化されてそれでさすがに通すのは無理だったと見えて、短編では林原さんが演じた少女役には清水富美加さんを起用し、少年を入れて声を岡本信彦さんしてぶつける形にしてその上に、山寺さんと林原さんが演じる大人を入れて来た。その場合、別に少女の声は誰でも良かったはずなんだけれど、前は林原さんだった少女の声が、大きく違っていたら拙いと考えたのかどうなのか、似た感じの清水さんが起用されたように感じた。本当のところはよく知らない。

 どこか死後の世界の暗喩めいたところがあった短編版だったけれど、長編版は死後の世界であると同時に現実の世界でもあって、そこで争う2つの勢力の片方には龍がいて、巨大な姿でもって地上を睥睨して敵を威嚇している感じ。そんな敵として戦い死んだ少年が蘇って龍の歯からこぼれ出て、そして龍の歯医者となったというのがひとつの展開。その一方で過去に龍で発生した巨大な菌が再び暴れて暴れ回った裏に、前の事件で生き残った女が絡んでいたことが分かってどうしてなんだといった疑問が浮かび、その女が変幻した怪物と果たして戦えるのかといった興味が湧く。そして続く後編で地上に落ちた少年と少女、龍で戦う歯医者たちと怪物といった先、何が描かれるのかを今は楽しみにして待とう。いずかこれ、パッケージされるかなあ。日本アニメ(ーター)見本市をまとめてパッケージで見られる日は来るのかなあ。

 中野まで来たので久々にハンバーグハウスへと入ってスタンダードを頼んで食べる。煮込み風に柔らかくなくってしっかり中まで火が通った固めのハンバーグにパスタと目玉焼きが添えられたシンプルなセットで普通に美味しい。前はちょい大きめのを頼んだけれど、ここんところ食べる量を絞っているので普通でも十分に満足できた。そこからちょっとだけ歩いて広場で四川料理のフェスタをやっている様を眺めてから、中野サンプラザホールへと向かって「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」の最終話をみんなで見るイベント「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ THE LAST FLAG」を取材。本編をほとんど見ないまま迎えた最終話で、主人公というべき三日月・オーガスタの最期を目の当たりにしつつ、その後に残された面々がしっかりと生きながらえて火星の平和に貢献している姿に鉄華団の活躍も無駄ではなかったんだなあと理解する。

 「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」でエピソード3からエピソード4へと到る過程で活躍しながら歴史の上には残らなかった傭兵チームのローグ・ワンってものの存在がクローズアップされたけれど、鉄華団も火星がこのあと独立した生計を営んでいって大きな力を得た暁に、その過程で革命の母とも呼べるクーデリア・藍那・バーンスタインを守り育んだ奴らとして語られることになるんだろうか。それともクーデリアの思いは途中で打ち砕かれて、マクギリスによる騒乱は鎮圧されて火星は地球圏の植民地として末永く差別され搾取されたってことに落ち着いてしまうんだろうか。この100年の歴史を振り返っても語られていない人々の活躍は幾らだってある。ましてや何百年という歴史に名を残せる人がどれあけいるかを考えると寂しい気にもなるけれど、それでも三日月とオルガの活躍は無駄ではなかった。それが後生に残るような歴史が、物語のあとで刻まれていってくれると嬉しいんだけれど。続きとかあるのかなあ。あって欲しいなあ。

 読んだことはないけれども存在は知っている「ポプテピピック」って漫画がアニメーションになるそうで、クソアニメ呼ばわりされるのならDLEあたりが出てきてFROGMANさんの手によるFLASHアニメ化がもっとも相応しいと思っていたら、あのクールでスタイリッシュな3DCGによるアニメーションを手掛けてきた神風動画がアニメ化するってことで世間に震撼。公開されたメインビジュアルが前に新宿バルト9で上演された、映像に声優さんによる声とミュージシャンによる演奏を生で重ねる「COCOLORS」と同じってあたりに、本気なのか遊びなのか分からないけれどもポプテピピックらしさを感じた。きっとストーリーもあらゆる作品をのみ込んでは粉砕していくようなものになるんだろうなあ。声誰が演じるなろう。そこも興味。

 いやはや。例の民進党の辻元清美議員に関する“疑惑”をそのまま報じて抗議された記事の記者が反論しているんだけれど、それがまるで反論になっていないというか、自らが依って立つ新聞という報道機関の存立に関わるような発言を繰り出していて脳味噌が砕け散った。「本文で諄子氏のメール内容を原文をいじらずに紹介しました」「私が『諄子氏のメールにこう書いてあった』と原文を紹介し、内容を検証する端緒とすることはダメなのでしょうか」。ダメだろう。というかそうしたメールが出回っているならそれが事実かどうかを裏付けて報じるのが新聞だろう。

 とりあえず読者はそこに載っているのは事実だという了解事項のもとに新聞を読んでいる。そして新聞社に事実を報じてくれるメディアという信頼を抱いて国民の知る権利の代行者として国会に、官公庁に、あるいは企業も含めて優先的にアクセスする権利を与えている。そんな権利に対する義務としての事実を確認して報じる行為を最初から捨ててしまいような振る舞いを、当の新聞社が堂々とこれは間違っていないと言ったら駄目だろう。「もちろん、記事では、諄子氏のメール内容を『事実』と断定して報道してはいません」。 でも虚偽だったとも報じていない。新聞は事実を報じるという前提のもと、それが噂であって一部に否定する人もあるけど肯定的に報じることで噂=真実と世間に信じ込ませている。それはやっぱり拙いだろう。

 「28日付記事では、この回答を論評抜きに掲載しました。記事では、辻元氏に説明責任があることは指摘しましたが、回答が即日来ないことを批判したつもりはないのです」。だから回答が届いてから載せてはいけなかったのか。回答がなければなかったで調べて確証を得て書く。そういう基本への意識がまるでない。答えないお前らが悪いと言っているようにしかとれない。「ある民進党議員からは『偽証罪に問われる可能性のある泰典氏の証言は重く、諄子氏のメール内容を同列に扱って議論するな』とも脅されました」。脅されましたじゃないだろう。間違いを指摘されただけだろう。なのにどうして脅されたと感じるのか。脅されていると書く方が、相手に責任を押しつけられるからという語彙の選択に過ぎないこの言葉使いが、どうにもこうにも厄介きわまりない。

 情けないのはこの辺り。「御党から抗議文を受け取った翌30日早朝、私は新潟に住む母からの電話で目を覚ましました。『あんた、訴えられるの?大丈夫?』母は同日の本紙朝刊に掲載した抗議文を読み、『法的措置も含めた対応を検討する』との一文に驚いたそうです」「『法的措置』という言葉は一般人からみれば、それだけ重いものなのです」。なぜそこで仕事とはまったく関係の無い母親を持ち出す? 一般人からみたら重たい法的措置をとられかねないくらいの重たいことをしでかしたという自覚はないのか? 結局、書いたことが間違っていたとはひとつも言わず、言い訳にもならない繰り言を書いてのける。というか、取材とか関係無しに噂を書いてなぜ悪いって態度は、上司が取材はしたぜ、間違ってないぜと堂々書いてのけたこととすらズレている。そういう配慮すらなく自己正当化にのみ終始する人たちであふれかえっている感じ。大丈夫かなあ、未来。


【4月1日】 銃剣道といったら思いつくのが高橋慶太郎さんんお「ヨルムンガンド」で人民解放軍がりの陳国明とその弟子のカレン・ロウが使っていた、拳銃の先に銃剣取り付けそれを両手で持って振り回しながら撃って迫って切る技をまっさきに思い出す世代なんだけれど、反応とか見ているとそれを挙げる人が少ないところに作品としての世間一般における認知度の至らなさって奴も伺える。刊行中に「マンガ大賞」が始まってその時はまだ規定の8巻は超えていなかったけれど、結局最終候補には挙がってこなかったものなあ。それは「デス吐露246」も一緒か。僕は好きでも世間は知らず。そんな漫画を世に広められるくらい、大きくて遠くに届く声が欲しい。本当に。

 その前年まで1343本の安打を放ち、直前でも161本と打撃で全盛に近い働きをみせつつ守備でも大きく貢献していた川崎宗則選手がもしもそのまま福岡ソフトバンクホークスに在籍し続けていたら、5年で1年平均120安打を放ったとして500本で1943本となり、今シーズンにも2000本安打の大台突破を達成していただろう。けれどもそんな居場所に安住しないで川崎宗則選手はメジャーリーグではありながらもマイナーでの契約を選んで渡米し、シアトルからトロント、シカゴといった街を回ってチームに所属し、決して恵まれているとはいえない境遇で野球を続けた。

 それを傍目に勿体ないと思っても当然だろうけれど、当人にとっては長い人生においておそらくは日本でのプレーに負けず劣らないくらいの意義を持った5年間だったんだろう。でなければマイナーという移動もキツくて食事も大変な世界に身を起きつづけるなんて無理。いつかメジャーに上がって定着できるという自信もあったのかもしれないけれど、それよりも野球という場に身を置いて全霊を傾け全力を出し切れることにこそ、価値を見いだしていたような気もする。客観的にもその実力やムードメーカーとしての素質は評価されていたようで、要所に呼ばれてはメジャーでプレーすることを繰り返した。不必要ならばマイナーですら契約できない世界でちゃんと、すれすれの所に身を起きつづけた実力は、やっぱり一流だったと見るのが正しい理解なんだろー。福岡に復帰してさてどれくらいの安打を放つか。そこがまずは注目。いきなり首位打者、取っちゃったりして。

 そしてといらえずの最終話が放送された「幼女戦記」は共和国の息の根を止めるべきだと進言したにもかかわらず、目前の勝利に酔いしれ海上を脱出して海外勢力と結んでの徹底抗戦に出ることを予見できなかった参謀本部が未だぬくぬくと中央で机上の空論に明け暮れる一方で、ターニャ・デグレチャフら第203魔導大隊は最前線で泥と硝煙にまみれながらも戦い続けているというこの不公平。というかターニャくらいの頭脳があるんだからさっさと参謀本部に挙げて作戦立案に当たらせて、戦争をとっとと終わらせれば良い物を頭脳と同時に暴力としての機能も抜群なだけあって、それも戦略級の力を持っているだけあって容易には後方に送れない。なんという矛盾。とはいえ自ら無能を装って後方に下がっては今度は前線が崩壊して戦争に敗れ居場所がなくなる。しゃあなしと小さい背を伸ばし前線に出ていくターニャ・デグレチャフって案外に、優しい人なのかもしれないなあ。

 なんか出ていると来て池袋のパルコに行ってアンドロイドのUちゃんがインフォメーションに座っているのを見届ける。前にドワンゴとかがニコファーレで発表していたもので、ミスター・アンドロイドの石黒昇教授が手掛けたもので上半身とかを主に精緻に再現することで表情なんかはとっても人間っぽく見える。手前のタブレットから質問を選ぶと合成音声で話しかけ、それを受け取って何かを返すと言ったインタラクション。コチコチの外観のロボットよりは見た目で引きつけられるようになっている、って感じか。コミュニケーションに関しては、ネットと繋がっていてそこに寄せられたコメントなんかから選び蓄積するような形で語彙を増していくって感じだったっけ。物珍しさはあるけれど、どこまでスタンドアロンで実用に耐える動きができるのか。それも含めて実証実験なんだろうなあ。明日はニコニコ本社に登場して生番組を担当するとか。何を喋るんだろう。ちょっと気になる。

 パルコでは7階でフォトグラファーのレスリー・キーさんによる主に女性を取ったファッショナブルなポートレートの展覧会をざっと見る。冨永愛さんとか浜崎あゆみさんとか最上もがさんとか壇蜜さんとか土屋アンナさんとかスリムでスタイリッシュな美女ばかり。それをファッショナブルな衣装に身を包ませつつ時に剥がしもしたりしながら佇むんじゃなく躍動感とリズム感あるポートレートに仕上げている。巧いなあ。キャットウォークを歩くファッションモデルがスタジオで自在に踊っているような雰囲気。だから見て心が浮き立つ。何かの表紙みたいにただ止まって1発、ポーズを決めて微笑むだけの写真にレスリー・キーさんを使うことの、それがあっても悪くはないけどもっと使い方もあるんじゃなかと思った次第。名前じゃない、作品が光るフォトグラファー。問題化したヌード系も見てみたいなあ。メイプルソープに負けずグッと迫ってくる生命感に溢れているんだろうなあ。

 そして銀座へと回ってとりあえず広島炎のアンテナショップへと行って「この世界の片隅に」の日本酒があるのを見たけどもう賞を取り尽くして祝杯として明ける機会は来年のアカデミー賞までなさそうなんで、その前後にまた買いに行くことにして今回は遠慮。がんすとあとブッセとレモンケーキを購入してから歩いて東銀座に立つ東劇へと回って片渕須直監督の「マイマイ新子と千年の魔法」のリバイバル上映を観る。上にあるのは松竹本社。過去に松竹系の新宿ピカデリーでの上映はあったけれども銀座は今回が最初だそうで、めぐりめぐっての凱旋上映に登壇した片渕監督も感慨深げ。当時、周辺で行われたという山口弁の指導についての思い出を振り返って離してくれた。

 声優さんは福田麻由子さんは決まっても相手役の貴伊子が決まらずオーディションをしていたところ、事務所の別の子が参加したオーディションに着いてきた感じの水沢菜子さんが70人中で69人目くらいの参加で見事にその役を射止めたとか。でも今は芸能の仕事から身を引いてしまってちょっと残念。あのほわっとしつつだんだんと自分を見つけ強くなっていく声を演じられる人って他、思いつかないんだよなあ。同じく光子を演じた松元環季さんも子役として結構注目されていたけれども今は仕事をしていないようす。8年が経つってそういうことだと思いつつ、そんな季節を生き残ってこうして劇場に「マイマイ新子と千年の魔法」が上映されたことをまずは喜びたい。片渕監督は無垢な子供たちに見ていろいろ考え感じてもらいたいと離していたから次、行かれる人は子供を連れて言って欲しいとお願い。僕は無理だよ子供なんて周囲にゼロだし。連れていれば胡乱がられるし。うん。

 サイン会には参加しないで秋葉原へと回ってUDXで開かれている秋葉原映画祭で「シン・ゴジラ」の発生可能上映を鑑賞。新宿バルト9での最初の発生可能上映が完璧過ぎただけに果たして進化しているのか退化しているのか拡散しているのか気になったけれど、だいたいにおいて同じように進んでいくのはやっぱりスタイルとしての発生可能上映で、ある程度は状況に引っ張られるから同じになってしまうのかもしれない。茶茶入れとか入り出すと収集がつかなくなって、観ている他の人の中には鬱陶しいと感じる人も出そうだけれどそこには到らないといったリテラシーは誰にもあるみたい。あと矢口蘭堂が最後の決戦に向かう隊員たちに演説する場面は誰もが黙して傾聴という、最初の発生可能上映で感嘆したフォーマットが採用されていたのは良かった。自然とそうなったのか意識的にそういうものだと感じていたかは不明。個人的には間教授の2回の「パン!」に合わせられたのが嬉しかった。劇場で「シン・ゴジラ」を観るのもこれが最後か、まだ機会はあるのか。それは発生か普通か。パターンを見定めつつ見守ろう。やっぱり映画館で観るべき映画だよ。


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