縮刷版2017年3月下旬号


【3月31日】 「やったもんがち、とったもんがち」が社是だけあって明和電機、フライングタイガーが魚コードっていう魚の骨の形をしてぐにゃぐにゃと曲がるコードとまるで同じ製品を作って販売していたって話を聞きつけ、渋谷かどこかの店舗まで出かけて店にある商品をありったけ買い占めては自分のところのラベルを貼ってサインも入れてアートピースとして売り出した。調べると前に自分のところで出していた魚コードとほぼおなじ型で、詳細を見るとちょっとだけ違うんでスキャンして3Dプリンターで打ち出したか何かしたっぽい。なおかつ自前ではAndroid対応のUSBコードなのがiPhoneのライトニングコネクタになっていて、自前では出せなかったものを他が出したのを自分のものにしてしまうこのバイタリティが「やったもんがち、とったもんがち」を体現していてちょっとシビれる。

 もちろん著作権なり意匠権なり商標権めいたものを厳密にあてはめれば、金型をパクったような形をしていてアイデアも仕様も丸借りしているフライングタイガーの骨コードを、原則に沿ってどうにかすることも明和電機の側には可能だけれどそれをやっていったいどれだけの時間がかかるか、そして利益が得られるかと考えた時にいっそだったらそれを上書きして自分たちの“作品”にしてしまえば、別の形で知名度も得られるし売上だって建てられる、っていうのはアート的な判断と言えそう。もちろんキューブって会社が作って出している魚コードとのバッティングはあるけれど、そっちがAndroid版しかないなら国内でも世界でもとくに売上に支障は出ない。市場は見えながら出さなかったのはライセンスとかいろいろ手間暇もあったんだろう。それを他が“素材”として提供してくれたら乗らない手はない、ってことなのかな。どっちにしても楽しい振る舞い。せっかうだからと1つ購入。アート作品として末永く愛でていこう。

 2001年ごろだったっけ、いろいろと見て歩こうとしていた時期に日本武道館で開かれていた日本武道競技会による鏡開き式・武道始めってイベントをのぞいたら最初はご高齢の方々が弓矢を持って放ったり、甲冑を着た人たちが鏡開きをしてそして、相撲とか剣道とか柔道とか合気道といった武道を学ぶ少年少女が武道館の床一杯に広がってあちらこちらでそれぞれの稽古に勤しんでいた。参加しているのは日本武道競技会に所属している現代武道の団体で、古武道と呼ばれるものはなし。そんな団体にどうやら銃剣道というのも含まれていたそうで、きっと開場のどこかで木の銃の戦端をくるんだものを手にしてえいやっと突き合いをしていたんだろう。

 銃剣道が明治維新後の日本における軍隊で、歩兵な人たちが手にした長銃の先に剣をとりつけ接近戦ともなれば突き合い差し合い殺し合うための嗜んでいたものだてことは想像がつく。つまりは殺人のための武道だけれどそれは剣道でも弓道でも同じこと。でも今の武道において真剣で切り結んだり矢を人に向けて射ったりするようなことはない。かつての人殺しのための武術は現代においてスポーツの武道となって嗜まれている。ならば太平洋戦争が終わって後、銃を手にせず剣も外して生まれ変わった銃剣道もまた、人殺しの武術に源流を起きながらもまったく違った鍛錬のための武道として認識しても悪くはない、といったロジックはなりたつ。あとは時代が明治維新後か太平洋戦争後か、って違い。そこに拒否反応を示してもあんまり楽しくはないなあ、って気はしてる。

 同じ現代武道の9競技に含まれている銃剣道が、だから国体の種目になり学校で教えて良い武道に含まれて、いきり立つような反応はない。問題は銃剣道という武道がどこまで意味のあるものかが見えないってところで、銃剣でありながら銃は撃てないならそれはちょっと短めの槍でしかない。あるいは長刀。だったらそちらの競技で代替できるものを敢えて銃剣道として学校教育の場で教える意味、そして国体でボクシングを隔年開催にしてもこちらを毎年実施する意味ってのをちょっと考えてみたくなる。同じ現代武道だからという理由だけでは納得しづらい銃剣道の存在感、そして立ち位置。それが入って来るような思考なりプロセスなり忖度なりをこそ、突きつめて行くべき何だろうなあ。あり得ないことが起こりえる、この社会の不思議として。

 名古屋鉄道こと名鉄が名古屋駅あたりを再開発して南北の400メートルとかに呼ぶ壁のようなビルを建てるとか。高さはそんなになさそうだけれど質量として池袋の駅を南北に挟んだ西武と東武に感じが似てそう。名鉄百貨店に名鉄メルサに名鉄セブンといったビルがあって名鉄バスセンターもあってそして今はヤマダ電機だとかも含まれる。近鉄百貨店ってのも間に挟まっていたっけか。そうした建物群をぐわっとまとめる感じになるんだろうけれど、気になるのは近鉄の処遇とそしてナナちゃん人形の行き先。今は名鉄セブン前にしっかり鎮座しては季節によって違ったファンションをみせてくれている。これがなくなると名古屋の風物詩が1つ減ってしまうくらいの存在を、建て替えたあとにも起きつづけるのか否か。それは名古屋城を木造で再建するとかしないといった話以上の問題を巻き起こすだろう。いっそ建物をまたぐように巨大なナナちゃん人形を建てれば目立つのに。世界に。宇宙にも。

 季が違っているから仕方が無いとは了然和尚でも言えないだろうなあ、この事態。辻元清美議員に関する諸々の噂が出回って、それについて民進党なりがまるで虚偽だから報じるのは適切ではないと言ってそして、自分たちで調べる能力のあるメディアはなるほどそうだと報じるのを留め、あるいは調査能力を持ったジャーナリストは自ら突っ込んでは噂の虚偽性を確かめ注意を喚起した。にも関わらずとあるメディアはその噂について新たなファクトを積み上げ裏付けることなく、ただ噂があるといった感じにそのままダイレクトにウェブだけでなく紙の媒体にも載せて満天下に喧伝。社会の木鐸が載せるならそれは真実だろうという世間一般の認識を惹起し、安倍晋三総理大臣すら動かして国会でほら辻元議員にだってこれだけの問題があるんですよと言わせてしまった。

 でも違っていた。作業員との繋がりが云々と取り沙汰された当の作業員にラジオのパーソナリティーが電話して違うと確かめた。つまりはちゃんと取材をすれば不確実だと判明して報じるに値しないと分かることを、そうせずそのまま垂れ流しては民進党側から抗議され、その時には返事をしないでまる1日以上は経ってようやく自分たちは正しいといった反論を出したけれど、そこには自分たちは正しいんだということ以外の反証が何もなかった。口では取材をしたと言っているんだけれど、ほかの情勢から虚偽だといった話ししか出て来ていないことをいったいどうやって裏付けたのか。そこがどうにも厄介きわまりない。

 あと「27日午後1時半すぎに質問書を事務所に送付、午後5時までの回答を求めた。ところが、事務所側は午後5時23分に『明日、確認が取れた段階で返答する』とFAXを送付してきたので、やむなくその経緯を入れて記事化した」といった取材の段取り。相手は国会会期中の国会議員であって午後は議員としての公務も入っているだろう。そんな相手に3時間半のうちに返事を寄越せと言えてしまえることがまず不思議だし、明日返事をするからと言っていることを待たずに記事にしてしまうことも取材の段取りとして不思議。拒否している訳ではないなら待ってそれを受け取って、中身を精査して違っていれば反証を掲げて論じれば良いのに、どうして返事を待たずに掲載したのか。それが普通のジャーナリズムではあり得ない。よほど翌朝の紙面に間に合わせたかったのかとしか思えない。

 「翌28日午後5時23分、辻元氏側は回答書を出したので、その全文を29日付紙面に掲載した。回答書や抗議文の全文掲載は極めて異例な対応だといえる」ってそれが異例なのは回答に対して反論も謝罪もしていないこと。一方で自分たちが掲げた記事は取り消していないならそれは相手の言い分を聞いたのではなく、自分たちの言い分を貫こうとしている現れに過ぎない。あまつさえ疑惑があるんだからそれが事実かどうかなんて関係無しに報じる意義がある、それだけのことを民進党と蓮舫党首はしでかしてきたんだからといったニュアンス。そういう側面があったとして、ひとつのファクトに対して事実かどうかとはまるで関係ない話し。悪い奴なら嘘をついてでも貶めて良いだなんてロジックが通じる世界があるのか。あるんだろうなあ。だから平気で口にしてしまう。もはや公器でも木鐸でもない状況だけれど、それを自覚しないで自分たちだけのロジックを放ち続けている。困ったなあ。参ったなあ。公の場でガチで丁々発止するしかないんだろうなあ。いや無理か。敗れたってそれを勲章にしてしまう世界だから。やれやれだ。


【3月30日】 最近人気の駅だという赤羽まで行って降りても、テレビに出てきた昼間からやってる飲み屋のようなものは見えず。それは多分駅の反対側にあるんだと想像はつけつつも、今日はそっちがメインじゃないと、京浜東北線の西側に降りて少し歩いて東洋大学が新しく作った情報環境学部INIADという施設を見物に行く。あのミスター・トロンにして電脳建築家の坂村健さんが学部長に就任して4月1日からスタートする学部だそうで、売りにしているのは文理にプラス芸まで含めての総合カリキュラム。文理は分かるけれどもそこに芸が入るのってどういう意味かと調べたら、ソニーでBRAVIAとかブルーレイディスクレコーダーのプロダクトデザインを手掛けた人たちが教授として招聘されていたりして、サービスでもプロダクツでも形あるものでもないものでも、そこに技術がありコンテクストがあるのと同時にデザインもあってしかるべきといった理念があるみらい。

 坂村健さん自身が電脳建築家を名乗るくらいに理工系のエンジニアでありながらもデザイン面を重視していて、自分たちの暮らしの中にテクノロジーがどう入り込んでいくのかといった発想を常に忘れないでいる。あるいは暮らしにおいて必要なテクノロジーはなにかといったものを考えて、使い勝手も含めてトータルでデザインしていくといった思考。だからこそそこにデザインという概念も入れ込んで、パッケージとして見た目も使い勝手も良い上にしっかりと新しものを生み出す考え方を、育んでいこうとしているんだろう。そのための器ともいえるINIADはだから、建築家で新国立競技場を手掛けた隈研吾さんが外観のデザインを手掛けていて、とってもクールな雰囲気に仕上がっている。得意の木材は見えなかったけれど、そこは木目のパネルを配してたりして隈研吾イズムはしっかり刻んでいる。

 中については坂村健さんの趣味が炸裂しているようで、東大院の情報学環に大和ハウス工業の寄付で作ってもらった校舎でも幾つか取り入れられていたことが、よりバージョンアップされてあちらこちらに取り入れられているみたい。すべての部屋にIPV6による無線ネットワークが完備していて、どこからでもネットにアクセスできる。エレベーターを動かすのも教室の灯りを点灯させるのもプログラミングによって元のスマートフォンから行えるようになっている。ロッカーについてもICカードを使って開け閉めするような感じ。トイレは……さすがにスマホなしでも使えるかな、シャワー出すのにプログラミングが必要だとちょっと困るし、スマホ忘れた時とか。

 ただしそれらはすべて自分でプログラムを組まなくちゃいけないそうで、それができなければ、そしてデバイスを忘れると学校では何もできないに等しい状態になる。厳しいけれどもそうやって必要とさせることで、自らプログラミングへの関心を抱き,学んでそして応用していこうという気になるという。あとは家で予習をして来て、それで小テストを受けてパスしないと授業も受けられないようになるとかどうとか。学校はカリキュラムを消化していく場ではなく、自らカリキュラムを進める場。そういう意識を持って授業に臨まないとついていけないどころか参加すらできない。ちょっと苛酷。でもちょっと面白い。アメリカとかはだいたいそういう風になっているし。

 調度品についてもいろいろ意見が取り入れられているようで、例えば椅子なんかは学校に来て長く座っていられないから、もう帰るといったことが起こらないよう、座って脚もくめるくらいに引き出しなんかつけず余裕を持たせている。これはホールも同様で前後に狭くなく脚をくめるくらいのスペースがあってテーブルなんかも引っ張り出せる。東大にもあったホールは割と前後が狭くて出入りが面倒だった。そんなあたりを反省してもいるんだろう。ずらりと本が並んだ図書館はなくメディアセンターで電子書籍を閲覧するとかほかに代えがたい紙の本を見るとかいったことになるのも新しい。そういう時代なんだなあ。

 でもカフェはなかなかにリッチで、香港デザートでは結構知られた糖朝って名店が店を構えておかゆやチャーハンを安価で出してくれる。普通に街中で食べれば1000円はするのが確か500円くらい? これを食べに来るだけに通いたい人もいそうだけれど、外部の人が授業も含めてもぐれるような隙間はなさそう。というか学生でなければそもそも侵入するためのプログラムすら書けないしもらえない訳で。だったら入学して通って味わいつついろいろと学ぶか。50歳を過ぎてからでも役立つプログラミングとかの知識を得られそうだし。それはまあ夢だとしても、ちょっと珍しいカリキュラムを持ち有名過ぎる先生たちがそろった大学から、4年後にどんな学生が卒業してどこに向かうか。それより前にすごいベンチャーとか立ちあげるのか。関心を持って見ていこう。

 サーバルちゃんが巨大セルリアンの脚にがしっとしがみつく場面のその表情と、そして繰り出すこわがりだけれど優しくて頑張り屋だといったかばんちゃんへの言葉を思い出して歩いていても涙がにじんでくる。それくらい強烈な印象を残した「けものフレンズ」の12話「ゆうえんち」だったけれども細部においていろいろ気になるところも出てきて、頭の中でどうだったかを組み立て治していたりする。サーバルちゃんが紙飛行機を投げてセルリアンの目をそらす場面で、どうして火が着いていたかはそれはセルリアンからこぼれてきたかばんを回収していたから。あれはかばんちゃんへの思いをグッと高める効果とともに、サーバルちゃんの“武器”を与える展開でもあったのだ。巧いなあ。

 あるいは紙飛行機もかばんの中に入っていたのかな。第1話でサーバルちゃんが一生懸命に折った腕一杯の紙飛行機が。それともその場で折り直した? いずれにしても第1話でサーバルちゃんがかばんちゃんから紙飛行機の折り方をちゃんと教わっているという事実がラストにしっかり生きてきている。これぞ伏線って奴か。それは桟橋からジャパリバス変じてジャパリボートへと向かうかばんちゃんの仕草にも言えること。第1話でさばんなちほーからじゃんぐるちほーへと向かおうとするかばんちゃんは何度か振り返ってサーバルちゃんとの別れを惜しんだ。怖かったのもしれない。でも第12話では振り向かずに真っ直ぐボートへと向かう。そこに成長のあとが見てとれる。そこまで考えて第1話のコンテを切ったのならたつき監督はやっぱり天才。今後造る者にも俄然と興味が湧いてきた。何やってくれるかなあ。やっぱり「けものフレンズ」のシリーズ化かなあ。

 いやもう本当にヤバいかもしれない。もはや編集局内にコンプライアンスもガバナンスも存在していないのかもしれない。民進党から政治部長相手に抗議があって、対応によっては法的措置すらあり得るとまで言われてしまった案件について、それは済まなかったと謝るでもなければ、まったくもって言いがかりでありしっかりと証拠は握っていると反論するでもなく、スルーした状態で今度は「民進・蓮舫代表、本紙の辻元清美氏『3つの疑惑』報道を『ガセネタ』」という記事を出してきた。見れば誰もがああやっぱり鋭い指摘に慌ててるんだと思いそう。そう誘導したい思惑があるんだろうけれど、そこでもやっぱり間違っていると指摘されるニュースを流し続けるのはジャーナリズムではないといわれ、法的措置も視野にあると言われている。

 だからこそ出すべきは反証なり謝意なのに、やっぱりスルーしたまま相手がジタバタしていると思わせようとしているのは何か理由があるんだろーか。本気でガセメールを真実だと思い込んでいるんだろーか。ひたすらに民進党には謝りたくないと思っているだけなんだろーか。いずれにしても他の新聞がやったら即座に大問題となる自体が、ここなら当然と思われてしまうのもやっぱり拙い。それで今は一部に支持されていても、ごひいきの政治家がコケたら途端に応援のためなら嘘でも平気で繰り出すヤバいやつ、味方にしたら足を引っ張られると思われ切り捨てられそう。それこそ籠池さんみたいに。そこまで考えてやっているのか。今のアクセスさせ稼げれば良いと割り切っているのか。いずれにしても明日を考えるといろいろ先行き不穏な影も見えてくる。どこへ向かうか。どこにも向かえないのか。とりあえず真っ向から組んだ勝負の行方、見極めたい。


【3月29日】 勝って当然の相手などいないとイビチャ・オシム監督だったら言って諫めてから送り出し、堂々たる試合運びでもって完全なる勝利を叩き出したかもしれないけれど、そこはハリルホジッチ監督率いるハリルジャパン、若い選手たちが今がチャンスとばかりに躍動してはタイを相手に4点を奪って、ワールドカップ2018ロシア大会のアジア地区予選における大きな勝ち点3を積み上げた。もっと奪えるかというとそこはやっぱり身体能力では結構高いタイの選手。プレミアリーグに出資する企業もあって交流もあるだろうサッカー界にジワジワと根付く心身面での上昇志向が、プレーにも現れているようで10年後は要注意と思わせる。

 それでも勝利は結構な話で、サイドからの久保裕也選手のクロスとかにしっかり飛び込みきっちり会わせる岡崎慎司選手の凄みとかも改めて感じさせられた。香川真司選手はあの正面のフリーを外すかと天も仰ぎたい気分。でもいるといないとでは中盤の溜も変わってくるんで、しばらくは10番という背番号に相応しい存在感を示し続けることになるだろう。逆に本田圭佑選手や宇佐美貴史選手は中心にいるべき知名度であり能力だけれど、やっぱり自分のチームで出られていない影響もあるのか、試合では重用されない。チームでも代表でも出られない悪循環を自ら断ち切らないのは何なんだろうなあ。そこが分からないし勿体ない。本大会の出場も危ぶまれる中で何か決断、見せるかな。

 そして帰宅して遅い夕食を食べて、布団に潜って待ちつつ「ACCA13課監察課」を見て最終回がきっちりと原作通りに収まって感謝感激雨霰。クールでスタイリッシュな雰囲気で始まった作品は、シリアスな部分を見せながらも酷いことにはならず誰もがしっかりと国を愛し国を守っていきたいといった思いを見せて、こんな人たちばかりなら世界も平和になるだろうなあと考えた。決して誰かが強権で縛っている訳ではなく、13ある区のそれぞれが個性を活かしつつ自分たちを出しながらもまとまっていく。理想の王道楽土。八紘一宇・五族協和が成し遂げられればこんな感じになったのかなあ。まああの圧送自体が上から目線の押しつけではあるんだけれど。

 ひとつ、フラワウ区だけは尊大なのか自意識が過剰なのか過去に敬意があるのか納得せずに離脱。でもその“特権”が崩れて後、果たして孤高を保ち続けられるのか。聡明になれそうな王子の下、結束を強めるドーワー王国の中にあって独立独歩を保っていくのも大変だろう。スイツ区がそんな感じだたけれどもこの一件を通して変わっていく感じ。そんな行き違った世界の先ってのが見てみたいけれど、番外編の「ACCA13区監察課 P.S.」ってどういう方面を描いているんだろうか。ちょっと気になる。あとジーン・オータスはモーヴ本部長に失恋したみたいで可愛そう。でも他に心を寄せる相手もいないしなあ、設定的に。そういう人が出てくるような話かな、番外編。やっぱり気になるんで多能本にまとまったら読もう。

 そして始まった「けものフレンズ」は、展開が少し進む度にジワッと浮かんで来る涙に視界がかすむ。横たえられた姿で目覚めるサーバルちゃんのそばにかばんちゃはおらず、そしてヒグマから何が起こったかを聞いて飛び出すけれども止められる。その言葉に納得せざるを得ないけれど、ボスがなぜか喋って求めて協力し、立ち向かうことになった先でやっぱりとてつもなく強い相手にどうしようもない中を、巨大セルリアンの脚にしがみついて引きずられても離そうとしないサーバルちゃんの健気さにブワッと涙が流れ出す。大好きだったんだなあ。そしてもっとお話したかったんだなあ。かばんちゃんのことが。でも……。もう前が見えない。

 そこに現れた2つの影。そしてさらに……ってところで今度は歓喜の涙。ひゃほー。そういう展開は十分に考えられたけれど、どう見せるかってところであちらこちらからザザザッと集まる面々の、顔を見せず首から下が走り駆け下りる姿を見せて来てくれたんだ、やっぱり来てくれたんだと期待を持たせ、タイトルをバックに勢ぞろいした姿をバーンと見せて開放感にも似た感慨をあおり立てる。うまいなあ。とてもうまい演出。あるいは絵コンテ。これがいったいどこから来たものなのか。どういう狙いからそうしたのかをたつき監督に聞いてみたい。映画なんかに元ネタがあるんだろうか。

 そして始まった戦いの中、次々と繰り出されるフレンズたちの得意技にだんだんと削られていく巨大セルリアン。力のないマーゲイですらものまねでもって参加し貢献するという、ひとりひとりは弱いけれども特長を会わせていけばとっても大きな力になるという、ある意味で当たり前な教訓って奴をその映像から感じさせてくれた。そんな中に起こったちょっとしたピンチで、サーバルちゃんがとった行動がまた感動もの。そうか第1話がここに繋がるのか、ってゾクッとして、そしてブワッと涙があふれ出た。頑張ったんだなあサーバルちゃん。そういう頑張りが当然と思えるくらいの積み重ねが、ここまでの旅にあった。描かれていた。だから得られる感動、という意味でも積み上げてきた監督なり脚本なりのスタッフの凄さに驚かされる。かつてない構成力。かつてない展開力。2010年代においてトップに来るアニメーションだって、誰もが断言したくなるのも分かる。あの「魔法少女まどか☆マギカ」すら超えて。

 ホッと一息ついてからは、謎が解明される展開でそんな風にできていたのかと設定の深さに驚きつつ、やがて訪れたその時にやっぱるグッと来る。送り出した桟橋で皆が後を向いてフレームの外へと去り、残されたサーバルちゃんもやがてすっと後を向いてフレームの外に出る。きれいな別れ、かと思わせてそして始まった展開は、「おわり」と書かれた言葉のその奥にうっすらと「つづく」を感じさせて先への期待を引きずらせる。やがて公表された新作映像制作の報。それがテレビスペシャルなのかブルーレイへの特別収録なのかウェブなのか映画なのかは分からないけれど、もう終わりかと思われたプロジェクトにまだ先があることを確定させた。とうことはさらに先も? 完璧な展開で終えた話に蛇足とならないかは不安だけれど、それすらも超えていけるだろう。だから言う。改めて。たつきを信じろ。

 ヤバいなあ。いやもう本当にヤバい。とある新聞が民進党の辻元清美議員に関して諸々の噂が出回っていることについて、堂々と新聞紙面を使って書き立てていてそれが国会で安倍晋三首相による答弁にも引用されて、噂がさも真実であるかのごとく一国の総理大臣によって国会という場でオーソライズされてしまったけれど、実はその記事は噂に対していっさいの検証を行わず、取材もせず裏もとらずに書き流しただけのもの。普通の新聞だったらそういった話があれば当事者にあて、客観情報をつかみ確証が得られたらそのことを添えて書くものだけれど、とある新聞はそうしたジャーナリズムとしての当然の手続きを怠って、バイラルの如きコピペを行ってしまった、それもウェブではなく公器たるべき新聞の紙面で。

 当然に辻元議員側は怒り心頭。なおかつとある新聞が、真っ当さ故に裏をとってデマだと分かった話を載せなかったことについて、何か忖度を求めたかのように風評をまき散らしたものだから、そんなことがあるかと抗議をした。本来ならそれを受けて記事を取り消すなり、誰かが全面に出て釈明するべきなのに、ただ抗議があったと紹介するくらいで重ねて取材を行い真実だと主張するでもなく受け流そうとしている。支持者はそうした態度に強さを覚えて讃えるけれど、世間一般はデマをデマのまま裏付けもせずに垂れ流す新聞をもはや新聞とは認めないだろう。ウェブだけに止まっていたならまだあそこはそういう場所だといった言い訳もできたのが、なぜか安倍総理の答弁に間に合わせるかのように紙面化してしまって挙げ句にデマだと突っ込まれ、反応しないのはさすがに拙いんだけれど、すでにして証券街の噂をそのまま載せて批難され、デマだと裁判で確定させられても言論の自由の勝利だと拳を振り上げる体質になってしまっているから、どうしようもないんだろうなあ。やれやれだ。まったくもってやれやれだ。


【3月28日】 熱にうなされながらも月曜日の午後にテレビ東京で観ていた「ダイ・ハード」の第1作は、ブルース・ウィリス演じるジョン・マクレーンの声が野沢那智さんで、そしてアラン・リックマンが演じた敵役のテロリスト、ハンスの声が有本博さんといった個人的には「ダイ・ハード」シリーズではベストの布陣で、録画しておいた方が良かったかなあとちょっと観終わって後悔。ただストーリー的には続編「ダイ・ハード2」の方が好きなんで、そっちの野沢那智さん版が放送されたら今度は逃さず録画しておきたい。思えば野沢那智さんも有本博さんも亡くなられていて、同じ吹き替えはもうできない。けれどもいったん演じて記録されれば、こうして何度も再放送されて蘇ってくる。役者って良いなあと思う瞬間。あるいは何かを創造するクリエイターは。そうなれる日は果たして自分には来るか。

 「樫乃木美大の奇妙な住人」シリーズで角川文庫のキャラクター小説大賞を受賞した柳瀬みちるさんのこれは新シリーズになるのかな、同じく角川文庫から出た「横浜元町コレクターズ・カフェ」が届いていたので読んでみる。ちょうど造形作家のkamaty moonさんが横浜の元町にあるギャラリーで展覧会を開いていたこともあって、2度ばかり元町の通りを歩いていたからあの辺りの雰囲気が分かって作品を受け入れやすかった。舞台はそんな元町にあるカフェで、出すのは紅茶とあとはお菓子類。食事は出さない。なおかつ開いているのは夕方からと不思議な店だけれど、店主が良いのかいろいろなコレクションを持ち寄って会合をするお客さんがいて、それなりに営業は成り立っているみたい。

 そんな店、「ブラックバード」へと入ったのが前は横浜に住んでいて、今は越谷へと移ったものの横浜の大学に通うようになった大崎結人という青年。絵本作家になりたいという夢があって、それが育まれたのが元町にあってキッズスペースに絵本が充実していた「ウォルラス」というレストランで、店主らしき人から夢はかなうと太鼓判をおされてその気になってはいたものの、最初に描いて投稿した絵本が一次にも通らず、自分には力がないと思い込み、「ウォルラス」という店に行って店主の人からかけられた、絵本作家になれるという魔法を解いてもらいたいと願っていた。そして久々に訪れた元町で、それらしき店を見つけて入っのが「ブラックバード」。構えは同じで絵本も並べてあったけれど、店の名前も経営者も代わっていた。

 いったい何があったのか、というのが物語のひとつのポイント。おそらくは「ブラックバード」の今の店主、佳野は前の店主を見知っているけれど、そのことを大っぴらには口にしようとしない。そして来店客に持ち上がるトラブルなり迷いごとなりを圧巻の観察力とそして知識で解決していく。そういう部分が頼られての繁盛かもしれないけれど、結人にとっては彼が前の店主とどういう関係なのかが最大の謎。佳野が老女の持っていたテディベアのいわれを解き明かし、出入りしているマリィという名の女装した男性の親族たちが揉めていた形見分けの現場に乗り込み秘密を暴露していった先、今度は佳野自身の周辺に残された情報から結人が前の店主の今を突き止める。おそらくは佳野も気づいていたはず。けれども確信できなかったか、したくなくてそのままだった過去との決別を促す一方で、その過程で結人自身の過去への屈託が解きほぐされる。共に新しい未来へを歩み始めた2人がペアを組んで持ち込まれる難題を解決していくミステリ、読んでみたいなあ。

 「このライトノベルがすごい! 大賞」の受賞者らしいんだけれど、回数が最後で選考委員による最終選考を不要とする中で選ばれた人だったんで、前の年まで選考委員をやっていた身にはちょっとぴんとこなかったはまだ語録さんの新刊「女流棋士は三度殺される」(宝島社文庫)が面白かった。元より将棋には関心があって、それこそ30年近く前から「週刊将棋」を読んだりNHK杯をテレビで見たりして棋士の名前をチェックしていた関係もあって、読んで見知った名前が例えのように次々と出てきて関心を引きつけられた。メーンとなるのは高校生の将棋部で、そこでひとり孤高の強さを持っていながらプロにはならず医者になるといった少年が主人公。彼の回りには奨励会3段にいてプロ棋士1歩手前という少女がいて、そして強さを発揮して女流棋士になった少女もいたりする。あと小学生でプロ棋士になって今は名人の高校では先輩の少年も。

 そんな環境の中で発生した女流棋士の少女への殴打事件。いったい誰がやったのか、ってのを推理していくのがメーンみたいになっているけれど、そんな先に浮かび上がってくるのがポストヒューマン時代における人間の才能とは何かといった問題。計算だったらコンピュータが速いし、人間がナノマシンなりインプラントのデバイスを通じてネットに接続されるようになれば、そこから情報のアシストを得られるようになる。近未来に普通となったテクノロジーに囲まれながらも人間はなお、孤高にして生身の体で将棋に挑み続けるべきなのか。それこそが正義か。そんな問いかけがあり、そして知らぬ間に肉体を改変されてしまう可能性めいたものへの示唆がある。人間はどこまで純粋に人間であるべきか。その人間の強さとは。その意味で近未来におけるポストヒューマンを描くSFでもあった作品。こういうのを描く人だったのか。もう名前は覚えた。次は何を書くかも楽しみだ。

 そして決定したマンガ大賞2017は柳本光晴さんの「響〜小説家になる方法〜」(小学館)。書いた小説が評判になって新人賞を獲得し、そのまま直木賞と芥川賞にノミネートされるって前代未聞、でもないけれども今となってはまずあり得ない状況に到る女子高生を描いた作品で、なおかつその主人公の響がもうしっちゃかめっちゃかで、自分に正直というか相手の書いたものがつまらないと思えば賞の選考委員であっても平気で誹り、突っ込んでくるマスコミ相手にはカメラをぶつけマイクをぶつけ蹴り飛ばすことだって辞さない。

 ともすれば暴力的とも見られがちな少女をヒロインにした作品は、文壇への批判めいたニュアンスも含んでいて、そっちから評判になりそうだけれど、でも主軸にあるのは自分に純粋でありつづけることの重さと、そして圧倒的な才能を土台にした説得力の強さ。想像するなら文壇に限らず今の社会は、才能ではないものが力学として働いて、純粋ではいられず才能を必要としないでも生きていられるって状況を、ひとりの少女がぶちこわしてこうとしている様を描こうとしているのかも知れない。だからこそ放たれる圧倒的なパワー。読めば過去にすがって今を精進しないで生きていこうとする身を苛まれ、そして今一度立っている場所を確認し、自らの才能を認識してそして新たな道を歩み始めたくなる。

 授賞式には書いた柳本光晴さんも登壇したけれど、真面目そうに見えるその言動の奥には創作物に対する揺るぎない自覚と自信めいたものも見えた。だからこそ紡げる響の言動とそれが変えていく世界。これが世に広まればあるいは今の微温的な文壇なりも、変わっていくのかそれとも潰されるのか。漫画如きに変えられない、って思うんだったらそれは甘い。映画化されるなりアニメーション化されて広まる文壇への、権威への懐疑がやがてヒエラルキーを崩し、芸能の人気に縋る文壇を木っ端微塵に吹き飛ばし、漫画こそが創作物の王であるといった認識を世に広めるかも知れない。そんな日が来るか。そしていったい誰が響を演じるか。興味を持って眺めていこう。


【3月27日】 ペギラでも来たかこの週末に寒さが押し寄せたことに加え体調も低下していて熱が出たもののアニメジャパン2017は外せず通ったおかげで悪化したみたいで起きるのも億劫になったんで、自主避難をしてソーホーに仕事というか読書というかハードディスクレコーダーに溜まった未視聴のアニメーションの消化に努める。あるいはBD−REへの移し替えとか。BD−Rを使わないのは何か癖で。そんな中で第1話を見返していた「超・少年探偵団NEO」でエンディング「超探偵キュリオシティー」の途中、花崎マユミが「偉い!」と合いの手を入れるシーンで画面に現れ何か叫ぶ花崎マユミの絵が遅れて出ていることに気がついた。

 最近観た話数だとそこでちゃんと「偉い」という合いの手に飛び出してくる花崎マユミの絵がピッタリ重なって良い感じを出していて、巧いエンディングだなあと思っていただけに気になったというか気がついたというか。見返して第3話までズレていてそして4話からピッタリと合ったみたい。どうしてズレたんだろう。並べて再生すれば途中に挟み込まれる“余計”な絵も判明するだろうけれど、そこまですることでもないんでここはちゃんと間に合わせたと理解しておこう。細谷佳正さんに木村良平さんに江口拓也さんい上坂すみれさん花澤香菜さんと有名どころが出演していてストーリーも楽しいこのアニメ、もっと盛り上がっても良いと思うんだけれどなあ。「おにくだいすき! ゼウシくん」みたいに知る人ぞ知る作品になってしまうのかなあ。ブルーレイは買おう。買ってイベントに行こう。

 「幼女戦記」も最新話を観てアニメ版のオリジナル展開として復活してきた協商連合のアンソン・スーがターニャ・デグレチャフを追い詰めるものの前の週では寝相が悪くてベッドから落っこちていたヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフがとっさの判断でアンソン・スーを打ち抜き弾は掴まれ引き寄せられていたターニャ・デグレチャフにも当たったけれども掴みが解けて離れたところをアンソン・スーが自爆。かろうじて巻き込まれずに済んで共和国との停戦もなろうかという場面で気づいた彼らの本土脱出作戦に、攻撃を具申するものの入れられず強行偵察に出ようとしても阻まれそしてみすみす取り逃がす填めに。ある意味で“未来”を知っているターニャ・デグレチャフだけにそこで戦争を終わらせられないと分かってしまって苦悩も激しかっただろう。そして泥沼へと入り込んだ世界戦争の行方は? 原作がどうまとまるかが今は興味。引き延ばしたら帝国の崩壊しかあり得ないものなあ。

 興行通信社の週末映画動員ランキングで3月25日と26日の分が出て、アニメーション映画の「SING/シング」と「モアナと伝説の海」が前週に引き続いてワンツーを決めたものの、かろうじて前週は9位に入っていた神山健治監督の「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜」は圏外へ。実写版「3月のライオン 前篇」も同様に圏外へと落ち、監督の名前とか作品のバリューとかでいったら上位を走り続けても不思議は無い作品であるにも関わらず、苦戦を強いられている。いったい何が悪かったんだろう。「3月のライオン」に関しては主演が「君の名は。」の神木隆之介さんだし映画館でもテレビでも予告編はバンバンと流れていた。苦悩する天才棋士が暖かい“家族”を得て再生へと向かう物語もとても良い。「ちはやふる」くらいの人気になっても良いものを、スッと落ちていったのはやっぱりかるたより将棋の分かりづらさがあったからか。それはないよなあ。ちょっと事情が分からない。観て欲しい層への事前の試写とかが足りていなかったとか? それはあるかも。

 「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜」については「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」の神山健治監督といった具合に細田守監督や新海誠監督なみにアニメーション界隈ではバリューもあり、テレビとか映画館での前宣伝もしっかりと行われ、そして高畑充希さんほか有名人が声をあててテレビのワイドショーでの取り上げもいっぱいあってと“条件”はそろっていたはずなのに、スタートダッシュから躓いてしまったのはやっぱり何かが足りなかったからなんだろうか。そこがいろいろ気になってくる。

 試写もちゃんと回っていたし観ればストーリーだってユニーク。ただどこかフェイク気味に予告編を作ってファンタジーの世界に遊ぶストーリーと思わせたことが、ジブリ的な香りを感じさせつつジブリじゃないと敬遠させたか。もっと本来のテクノロジーとファンタジーの戦いめいた軸を出した方が良かったか。「君の名は。」のスタートダッシュとは別の意味で検討が必要かもしれない。せっかく盛り上がってきたアニメーション映画の口コミドライブもこれで途切れたか? そうはさせたくないから何か、盛り上がれる作品が来てくれることを祈りたいけれど。湯浅政明監督に期待するしかないのかな。もっと口コミ働きそうもない作風だもんなあ。

 ごろごろしていると飛びこんでくるのが横綱稀勢の里関による大相撲大阪場所の優勝話。13日目に横綱日馬富士関に寄り倒されて土俵の外に落ち、そこで左肩あたりを負傷したみたいで相当に痛さがあったのか、明けて14日目の取り組みでも敗れて12勝1敗れとなって残る千秋楽、大関照ノ富士関との取り組みに買って同じ星となって優勝決定戦に進めるという状況で、怪我もあって連続の勝利なんてあり得ないと誰もが思っていたら、まずは本割りを勝ち、そして優勝決定戦も土俵際から小手投げで照ノ富士関を転がして連勝して見事、横綱昇進直後の場所での優勝を貴乃花関以来、22年ぶりに成し遂げた。っていうか貴乃花若乃花が活躍していたのって、もうそなに昔のことになるのかとちょっと遠い目。

 そういえば貴乃花関も似たようなシチュエーションで怪我を押して出場して優勝したけど怪我を酷くし、まるまる1年を休場してから復活したけどそれでも万全にはならずに引退してしまった。あそこで完治させていればもっと長く活躍できたかどうか、ってのは判断に迷うところでもあるけれど、今となっては親方としてしっかりと後進の育成に努めているからアスリートとして、あるいは相撲業界の人間としての本意は真っ当しているんだろう。全盛は短くても人生は長いという判断の中でどこに重点を置くかってのも個々人次第。それに稀勢の里関の場合は脚ではないから治して次の場所にもきっと挑んでくれるだろう。そのまえに大相撲超会議場所もあるけれど、出てくれるかな? リアルSUMOで波動拳を見せてくれるかな?

 正常性バイアス、だったのだろうかどうなのだろうか。前日から雪が降ってておまけに気温も真冬ではなくスキー場としての営業も終わって踏み固められていない状態のゲレンデに入ったら何が起こるか、山に詳しい人なら察知できるとは思うんだけれどそこがスキー場で山奥ではなく折角来たのだからといった思いも働いて出たゲレンデで雪崩が発生。春山登山の訓練に来ていた高校生から何人もの犠牲者が出てしまった。っていうか高校生で雪の山を登って春山登山の訓練って、山岳部かワンゲル部か何かの合同合宿みたいなものだったんだろうか。だとしたら修学旅行めいたものではなく、教員顧問に山に詳しい人がいたって不思議は無い。にも関わらず山に入って雪崩に遭う。いったいどういた判断がそこに働いたのかを、調査する必要があるんだろー。今後のレポートに関心を向けよう。


【3月26日】 コメントのうちの何割くらいが「うーがおー」「フレンズー」「じゃぱりぱー」「はいはい」といったオープニングの「ようこそジャパリパークへ」に合いの手なのかは数えれば分かるかもしれないけれど、数えるの面倒だしそういった行動を誘発するのもやっぱり作品の力ということで、アニメーションの「けものフレンズ」がニコニコ生放送で1話からラス前の11話まで配信され、30万人くらいの視聴者で実に270万ものコメントを得たことは素直に喜ぶべきだろー。

 1月にスタートした時点ではそこで切り捨てる人も多かった作品が、3カ月を待たずして一気にトップランナーに躍り出た。ベストセラーコミックだとか人気ライトノベルだとかが原作になっているわけではないし、人気声優の登場といった要素もないけれど、それでもお話本意でファンは引きつけられるという証明を「けものフレンズ」のヒットが果たしてくれた。ハケンアニメという言葉はあんまり好きではないけれど、最初から確定しかのようにヒットが語られる作品もある中で、真っ先に切られそうな作品がその力だけでトップに登る下克上に、これぞ心底からの覇権アニメだと言って讃えてあげたくなる。

 そこにはもちろん「ケロロ軍曹」の吉崎観音さんという有名クリエイターがずっとフレンズたちを作り続けてきたことも大きく貢献しているだろう。そして、そんな思いを受けて動く絵にして物語も添えて送り出したたつき監督の力もとても大きい。決してハイクオリティではないCGのキャラクターでも、可愛く動かして見せる技に長けてたし、不思議で不穏な世界観を物語にまとめ上げる力もあった。それを見ずして動物の擬人化が受けるとか考えたらやけどをしそう。「けものフレンズ」のヒットを受けて今後どういうアニメ作りのフォーマットが生まれて来るか。そこが今はとっても気になる。

 そんな「けものフレンズ」のガイドブック付きブルーレイというかブルーレイ付きガイドブックが届く。アマゾンでまだ品切れとなる前、それこそ流行始めるかどうかという時に予約したからちゃんと発売日に届いたようで、そうでない人はまだ届かないといったkonozamaを食らっているような感じ。本屋で買えるかもって考え頼まないことも考えたけれど、今となっては本屋で見かけることなんて絶無の希少フレンズとなっている。人気になるってことはこういうことなんだなあ。再版の準備も始めているけどパッケージに加え冊子や箱もつくから揃えるのが大変そう。そういう意味でも最初の2刷から先は、まだまだ入手困難が続くかなあ。2巻も品切れになって来ているし、全部アマゾンで頼んでおいて良かったかな、やっぱり。

 しばらく前から噂は飛んでいたけれど、「皇国の守護者」の佐藤大輔さんの訃報が新聞に載って確定に。たった1歳しか違わない人があっさりと身罷ってしまうのはちょっと寂しいし、自身にも跳ね返って来そうでいろいろと心配になるけれど、とりあえずのところ体にガタついたところはないんでもうしばらくは生きていろいろ読んで行けそう。佐藤さんも存命ならばもっといっぱい本を書いてくれたはずだろうから残念でならない。というかほとんどが完結していないだけに、その続刊を望んでいる人も多かっただろう。漫画版「皇国の守護者」も途中で終わってしまったしなあ。それの再開とかって逆にあり得るんだろうか。

 「A君(17)の戦争」とかも続きがあって欲しいところ、ってそれは豪屋大介さんで佐藤大輔さんではないって話も出そうだけれど、コミカライズを担当された漫画家の松本規之さんが、ヤマグチノボルさんと並べて一緒に仕事をしたのに亡くなられる作家さんがいることを悼んでいたから、やっぱり同一人物と見るのが良いんだろー。雑誌に豪屋大介として顔出しした時の影武者も、別のライトノベル作家が自分がやったと告白してたし。そういう意味ではやっぱり残念。「バベル17」ともども完結して欲しかったなあ。何より早川書房から4月刊行の「「帝国宇宙軍 1 領宙侵犯」がどうなるかが最大の関心事。仮に出ても続きが読めないとなるとやっぱり寂しい。でも出して欲しい。悼みつつ先行きを見守ろう。

 今日も今日とてアニメジャパン2017へと行ってあちらこちらを見物。する前に昨日は大行列ができていて近づけなかったフードパークへと行って、開場早々のまだ誰もいない時間帯に「ユーリ!!! on ICE」とコラボレーションしたカツ丼を食べる。まあ普通のカツ丼というか、コンビニで売ってるカツ丼と同じ味だったけれど、それでもキャラクターが描かれたシートがついて、ノリも載っているのはファンにとっては嬉しいし、何よりああいった場でコラボレーションしたフードを味わうというのが参加したい気持ちをくすぐる。高くたって外で買っていかずに野球場でホットドッグを買いビールを飲むのと同じこと。そうした参加への気持ちをうまく誘い、その場で散財させるだけの力をコンテンツに持たせることが、パッケージそのものが売れなくなった時代にキャラクターや作品をドライブさせていく上で大切なんだろうなあ。

 巨大なエレンを見落としていたので「進撃の巨人」ブースへと寄ったらお兄さんからいっしょに写して欲しいとカメラを渡されたけれど中距離で広角ではなく難しい。寄って寝そべって下から煽る感じにしたけれど、うまく撮れていたかなあ。遠くから入れたら人間が小さくなるから巨人の巨大な感じが薄れてしまうし。というかなんで単焦点を付けてたんだろう。普通はズームだよなあ。あとはバンダイナムコのブースで加藤直之さんがずっとやっていたライブペインティングを何度か見物。昨日のうちにアンドロメダとヤマトのディテールはしっかりできていたんだけれど、そこに上からいろいろ描いていくと立体感が出て質感も生まれるからやっぱりすごい。濃くする薄くする線を足す色を差す。ちょっとした筆と絵の具の使い方で絵ってどんどんすごくなる。それを分かっているからプロはすごいんだろうなあ。ずっと見ていれば勉強になったかな。

 「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」のイベントがあったんで見物。福井晴敏さんと羽原信義さんとそれから小野大輔さんが登壇して「2202」における愛について語っていた。スタッフにヤマト愛がありキャストにも老若関係なく愛が芽生えつつあるとか。そしてファンの愛。2週間で8万人が見て1億円の興収があったとか。わずか15館でそれだけってのはやっぱり相当なものなんだろう。ただ見て次も見たいかとなったかは分からないところ。新展開もあるしズォーダーのキャラも今ひとつ見えないしサーベラーさんがどこまでエロいかもまだ判明してない。そのあたりが見えてくるまでは映画館に通い詰めないと。何よりテレサのあのすっぽんぽん。巨大なスクリーンで見たいから。


【3月25日】 朝にネットを見ていたら、4月に五反田のゲンロンカフェで大森望さんが出演して「この世界の片隅に」の片渕須直監督を招いてコニー・ウィリスの航時史学生のシリーズ「ブラックアウト」「オール・クリア」についてガッツリと語るイベントがあるってんで、久々にチケットを確保。一応はゲンロン友の会会員なんでちょっぴり安く参加できるし最前列だって頼めば頼めるのであった。問題は「ドゥームズデイブック」は読んでいても「ブラックアウト」と「オール・クリア」はまだ読んでいないことかなあ。片渕監督にインタビューに行くときにネタとして買って持っていったけどあれ、どこにしまったっけ。分厚くて読むのに時間がかかりそうで正月にでもと思って脇に置いていたらどこかに埋もれてしまった。探すか。それとも買い直すかイベントで。おふたりのサインとか頂ければ幸い。

 早くに起き出して東京ビッグサイトで開催中のアニメジャパン2017へ。ビジネスエリアは既に見たけどやっぱり一般にも公開される日こそ言ってのアニメジャパン。あとはいろいろステージもあるし。少しだけ早めに入ってまだあんまり人の居ないブースを散策。駆けつけたテレビ東京のブースでは「けものフレンズ」のフレンズたちに扮したコスプレ女子たちを見て喜ぶ。サーバルちゃんにフェネックにアライさんにハシビロコウとあと誰だっけ。結構再現度も高かったし実写版「けものフレンズ」だって作れそうな気がしてきた。その時はトキを金田朋子さんに演じてもらおう。あの破壊力あるヴォイスはやっぱり金田朋子さんにしか出せないから。絶対に。藤井ゆきよさんにアルパカ・スリを演じてもらうのもありかなあ。

 「けものフレンズ」絡みでは、グッドスマイルカンパニーのブースにねんどろいどのサーバルがいてなかなかの完成度。普通でも頭が大きくてちょこんとした格好がねんどろいどっぽいけれど、それがよりデフォルメされて可愛らしくなっていた。これは欲しいな。そして他のフレンズも出して欲しいなあ。コスパのブースではスタッフパーカーが出ていてちょっと欲しくなったけれど、普通に入った人たちのために我慢する。そして夕方には売り切れていた。やっぱり人気なんだなあ。探せばほかにもあったかも。イベントもあるみたいなんで日曜日もチェックだ。

 ふらふらと見ていたらワーナー・ブラザーズのブースで「RWBY」のアニメーションがVOLUME3までTOKYO MXで7月から放送されるって告知が出ていて飛び上がる。もちろん日本語版だろう。あの独特の世界観、独特のテンポが果たして日本のアニメーションの枠にはまるのか、ちょっと不明だけれどそれでも声優さんの演技のハマりっぷりとそれから根底に流れる勇気と友情のストーリーは、万国共通に見て楽しめるはずだから放送が始まればファンも一気に増えるんじゃなかろーか。そうばればまた劇場での公開もあるかもしれない。バトルシーンとかやっぱり大きなスクリーンで見ると迫力だから、そうなれば嬉しいなあ。

 問題は、現在における最新作のVOLUME4がVOLUME3のラストに起こったとてつもない事態を受けて、ちょっとダークな展開になっていて、仲間たちが協力して得る勝利といった大きなカタルシスがなく、そこで見たい気持ちが途絶してしまう可能性もあることだけれど、「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」の先、絶望からの彷徨がやがて勝利へと向かうための停滞だから、それも必然と多いのみ込んで先の展開を待ちつつテレビで「RWBY」の明るく楽しい展開を見守ろう。主題歌はやっぱり英語版のままでいくのかな、日本語版の主題歌とか作られるのかな。いろいろと楽しみ。

 GENCOのブースには「この世界の片隅に」のすずさんのフィギュアが登場。段々畑でスケッチブックを取り出して間諜行為を始める直前の、ふんわかとして楽しげな表情がしっかりと再現されていた。こうの史代さんの漫画ってよりはアニメの「この世界の片隅に」版すずさん。いつごろ出てくるんだろう。チェック。GENCOのブースでは「アニメビジエンス」の最新号も販売されていて、表紙が「この世界の片隅に」っぽくって描いたのが「この世界の片隅に」でキャラクターをデザインし作画も手掛けた人で、基本「アニメビジエンス」の表紙は作品に関係ない人が描くってことで、方針を変えたのかと思ってよく見たら「夕凪の街 桜の国」のイラストだった。同じこうの史代さんの漫画を同じ人が描けば似てくるか。なかなかにうまいセレクト。その号には片渕須直監督のインタビューも載っててこれからについて喋ってた。やりたいことはいろいろあると。どれを選ぶんだろう。気になる気になる。

 なぜかリングが出来ていて見ていたら女子プロレスのマーベラスが出展していてレスラーたちがキャラクターに扮してリングに登場。コノハナサクヤとかアメノウズメとか、神話の女神さんたちを演じてたけれど、そこから本当にプロレスラーかと問われて本当だということを見せるため、3人で飛んではねて投げて叩いてといった技の応酬を見せてくれた。迫力だった。クラッシュギャルズの長与千種さんが立ちあげた団体みたい。全力のプロモーションにだんだんと見る人も増えてきていたから決してアウェイではなさそう。リアルビーボイスとコラボしたTシャツとかも格好良さげで、これからの展開をちょっと注目していきたいところ。時間があったら明日もまた見てみよう。長与千種さん見逃したし。

 プロレスといえば「タイガーマスクW」のステージがあって、貧乏な会社の窓外で仕事をしているロートルに珍しく案内が回ってきたんで見物に。決してハイクオリティではない映像だけれど熱いストーリー展開が受けているのかこのご時世に第3クールなんてことになっている。こちらにも本物のプロレスラーが登場しているけれどステージには来ず。それでも八代択さんとか梅原裕一郎さんとかが登場し、三森すずこさん橘田いずみさんとミルキィホームズでお馴染みの2人とそれからミスXを演じる小林ゆうさんが登場。舞台の上で特別編の生ドラマを演じてみせてくれた。やっぱりプロってすごいなあ。あと梅原裕一郎さんが普段はあんまり他の声優さんたちと喋っていないことが判明。役的に孤高を行ってはいたけどそれが演技ではなくパーソナリティだったとは。でも舞台上で橘田さんの無茶ぶりに応えてキャラが崩れていたからこれからアフレコでも仲良くなるかも。それでタイガー・ザ・ダークの性格も変わっちゃう? しばらく見ていなかったけれどまた見てみるか。

 そして第2話あたりから見始めたニコニコ生放送での「けものフレンズ」の1話から11話までの一挙見は、どのエピソードを見てもやっぱりところどこにひっかかるポイントがあって、世界設定への興味を誘い展開への不安を煽って見る目をつぶらせない。おそらくは最初に切った人は決してすごいとはいいづらいCGのキャラクターにこれはどうしたものかと思ったんだろうけれど、そこを「みならいディーヴァ」とかで慣れていた目はそういうもんだとスルーできたことが第1話でもってすでに今期1番と思うに到った大きな理由。いろいろ見ておくことってやっぱり大切なのかも。さすがに最後まではつきあえないけど、とりあえず「ぺぱぷらいぶ」まで見てサーバルちゃんとかばんちゃんの友情に微笑み。だからこそ11話のあの衝撃が強くなる。いったいどうなる12話。たつき監督を信じて待とう。


【3月24日】 ニコニコ生放送になかなか入れずようやく入れたら10分くらいが過ぎていて、サンドスターが吹き出す山に上がったかばんちゃんとサーバルちゃんにフェネックとアライグマがようやく追いついたあたりから観られたからそれはそれで良かったけれど、観られなかった人も結構いたみたいで最後に行われるアンケートで良くなかったといった回答が続出。それも受けてかニコニコ生放送でもう1度、「けものフレンズ」の第11話「せるりあん」が放送されることになってファンとしては嬉しい限り。早い対応をまずは喜びたい。ファンあっての作品だって分かっている製作者だからこそ、ああいった世界が感動する作品が生まれたんだろうなあ。ガイドブックの発売も迫っているし、しばらく「けものフレンズ」で世界は盛り上がりそう。

 朝のワイドショーでは森友学園の籠池さんに対する国会での証人喚問についてあれやこれや議論されていて、安倍晋三首相の夫人の昭恵さんとの絡みについて籠池さんが話したことについて、昭恵さんがfacebookで反論していることを取り上げ話している政治ジャーナリストな人たちがいたんだけれど、その言葉がどうにもこうにもささくれ立つ。証人喚問は偽証罪に問われるから、そこで発言した籠池さんの発言の方がfacebookなんかで反論した昭恵さんの言葉より、信じるに足るといった判断をするのがとりあえずは物事を公平に見られる人の意見だろう。けれども政治ジャーナリストは1人ならず2人とか数人が、籠池さんはうまく偽証に取られないよう言葉を選んで話しているから信頼ならない、だから昭恵さんの言葉の方を信じるといった意見を繰り出していた。

 おいおい、それってつまり国会での証人喚問なんてまるで無意味ってことか。とても当人が書いたままとは思えない、それこそ言質を取られないように詰められているfacebookの生硬な言葉の方が正しいってことか。国会という場がSNSより下だと言われているに等しいこうした態度を、国会議員なら憤って追究すべきところを、当の国会議員が率先して証人喚問で発言されたことより、facebookでのコメントの方を取るとか言っているからどうにもこうにも。自らが依って立つ国会という場、そして国会議員という権威を損なってでも守りたい何かがあるんだろう。そこまでして守って何になる? 議席か? 金か? いずれにしても酷い話。言葉の重みなんてとうになくなっていたけれど、ここまで軽くなっていたとは。もう戻れないんだろうなあ。綸言汗の如くの状況には。

 サッカーのワールドカップ2018ロシア大会に出場するための予選でUAEと対戦した日本は相手に攻められながらもゴールキーパーの川島永嗣選手がよく防ぎ、そして攻撃では久保裕也選手がスパッと決めてそして久々に登場の今野泰幸選手が久保選手からのクロスをぴたりとトラップしてすっと押し込み2点を奪って見事に勝利。勝ち点でグループ2位につけてこのまま次のタイ戦を勝てば出場の目も見えてくるといった雰囲気が出てきた。気になる本田圭佑選手は途中出場ながらもパスにドリブルにキレのある動き。それが長い時間続くかどうかが問題だけれどショートリリーフのクローザー的役割は果たせると分かったんで、あとはリードを奪って逃げ切る大勢にどう持ち込むかが残る戦いの鍵になりそう。出場してからのメンバーはまたそれからの話。期待の新人、久保建英選手のフル代表入りなんてあったらしびれるなあ。

 もうハヤカワJA文庫では書いてくれないのかなあ、なんて思ったりもする瀬尾つかささんのスニーカー文庫での「サイバーアーツ01 真紅の虚獣」(620円)はVR(仮想現実)というかMR(混合現実)のゲームが登場するあたりに最先端のSFの香り。ナノマシンのV2ウエアなるものを導入することによって人は現実世界でAR(拡張現実)の恩恵を受けて仮想現実の世界にもダイブできるようになっているけれど、そんな世界にあってひとり、樫尾ナジムという少年は周囲から存在を認識されないでいる。V2ウエアをインストールしていない古手の先生からはちゃんと見えているらしいから原因はそのあたり。特に不自由も無く暮らしていたけどそのナジムを凄腕ハッカーの高峯レンが認識したことで事件に巻き込まれていく。

 とうよりナジムの兄でV2ウエアの開発に携わったユキヤの存在がそもそもナジムを事件の中心にいさせた模様。仮想空間を冒す敵が現れ守ろうとする勢力を次々と脅かしていく中で、ユキヤから譲り渡されたディスクを使って仮想世界を守り抜く。人の意識に働きかけて、ひとりの少年の存在を意識させないようにしてしまうあたりが、ネットワーク化された人類に起こりえる、データとして見せないものを見えなくしてしまう可能性を感じさせる。ハッキングによってもたらされる恐怖。あるいは歓喜? そういったビジョンをもっと描けば「攻殻機動隊」にも似たサイバーでハードなSFになるかもしれない。こういうのも書けたんだなあ、瀬尾つかささん。でもまた「約束の方舟」のようなスケール感のあるSFも書いて欲しいなあ。あれはもっと評価されて良い作品だよ。

 アニソン絡みの音楽レーベルが結集して、アニソンの配信事業を行う「ANiUTa」てサービスを始めたとかいう会見があったそうだけれど、窓外会社のロートル記者はお呼びでなかったんで前々から呼ばれていた、秋葉原にあってナムコとかが運営してる「アニON STATION」でスタートする「コール&レスポンスSatge ドリフェス! 〜KUROHUNE ROCKな晩餐会〜」のデモンストレーションを見に行く。スクリーンに映し出された3DCGで描画されたキャラクターがライブをしたりトークをする映像を見ながら、観客がペンライトを振ったり色を変えたり声援を送ったりすると、その反応によってストーリーが変化する、といったインタラクティブコンテンツ。

 ユークスえ内田明理Pが手掛けている「AR performers」と似ているけれど、あれはその場でモーションをつける人がいて、そして声を入れる声優さんもいるからその場での受け答えがまるで本当の人間を相手にしているように進んでいく。こちらはそこまでのリアルタイム性はなく、ある程度のシナリオにそって録音された声があって、それを状況を見ながら引っ張り出してつないでいきつつ動きも合わせるといった感じ。これならひとり、現場を観ているオペレーターがいれば公演ができる。まだスタートしたばかりなんでぎこちなさもあったけれど、それなりに空気を読めるオペレーターだと当意即妙な操作で本当にいるように感じさせられるかも。公演期間は短いし追加公演分以外は売り切れているみたいだけれど、後学のために行って見るのも悪くないかも。合い言葉は即位して。そして襲来。それだけは忘れずに。


【3月23日】 70年も前に本物は失われてそしてもう70年もいわゆるレプリカでもって尾張名古屋の象徴をやり続けていた名古屋城を、今さら前の木造に直したところでそれはやっぱりレプリカに過ぎない訳で、そんなものを500億円以上もかけて作る必要があるんだろうかと河村たかし市長の思惑とか市議会の判断なんかを不思議に思ったりする昨今。そりゃあ前の設計図が残っていてそのとおりに作って築城の技術を継承するっていうなら分かるけど、今の技術でもって木造にするだけだったら意味がないし、つくって前の名古屋城みたいに300年を保たせるだけの頑丈さを持ち合わせているかも不明。作っては20年で建て替えってなったらそれこそ税金の無駄遣いが過ぎるだろう。

 すでにあって十分に要件も満たしているなら今のままのレプリカで十分。耐震補強が必要ならそれをしっかりやればいい。木造にしたらかえって耐震性が保てなくなるなら本末転倒も甚だしい。同じように耐震性の問題があって補強が必要なテレビ塔をこそ、先に手直しをして名古屋のもうひとつの象徴として改めて屹立させる方に力を割いて欲しい。あるいはそれこそエッフェル塔の如くに高さも見栄えも格好いい塔を作るとか。すでにして電波塔としての役目は終わっているのだから、形なんてどうにも出来るだろうに。検討を願う。

 評判の良さを聞くとやっぱり見て見たくなって、そしてなぜか当日券もありそうだと聞いて駆けつけたbunkamuraオーチャードホールで「シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽」をS席で、っていうかこれだけのコンサートが千穐楽であるにも関わらず当日券を出していて、そしてS席まで売れ残っているのが不思議だけれど、そこは声優さんが出てきて歌うようなライブではなく、また値段もS席で1万4000円とかって結構な値段で、好きってだけでは行きづらい部分があったのかもしれない。

 ただしその値段が高過ぎるかというとそうではなくって、1階に陣取り目線の高さからステージ上にいるオーケストラやバンドを眺め奏でられる音に耳を傾け、そして掲げられたスクリーンに映し出される「シン・ゴジラ」であり「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の映像に目をやって、映し出されるシーンと音楽とのシンクロを存分に味わえたからどれはもう結構な話。なおかつ途中でマーチング仕様のブラスバンドが出てきて、通路に立ってゴジラだエヴァだといった音楽を奏でるのを、真横で聴ける僥倖はやっぱりS席ならでは。行った人は十分過ぎる内容に元を取った以上の喜びを味わったんじゃなかろうか。

 構成もなかなかにユニークで、「シン・ゴジラ」からの楽曲が流れ続いたあとで「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の楽曲が流れといった具合に、同じ監督で同じ作曲家という部分以外は別物で表現形式も特撮でありアニメーションといった違いがある作品が取り上げられ、それぞれにあった音楽が奏でられたにもかかわらず、肌に感じる音楽の受け止め方を変える必要なく、すっと耳へと入れられたのはゴジラという特撮怪獣映画とエヴァンゲリオンといういわゆる巨大ロボットアニメの根底に、共通するものはあるってことなのかもしれない。

 それは巨大で異形なものへの畏れであり、見上げるような巨大さへの驚きであり、それが暴れ回ることへの痛快さといった具合。そのニュアンスが共にあるから僕たちはエヴァを最初に見て新しさよりも懐かしさを覚えた。その懐かしさを今再び、最新のテクノロジーによって蘇らせた「シン・ゴジラ」から感じられる畏敬に沿う音楽が、エヴァの音楽と繋がらないはずはないってことになる。それは鷺巣詩郎さん作曲ではない、元祖怪獣音楽の伊福部昭さんによる音楽でも同様。競い合い繋がる部分に違和感はなく受け入れられた。見た目も表現方式も違うけど、共通する憧憬を含んだ作品だったからこその融合。人気キャラクターをただ並べただけではない意味がそこにはあった。

 とにかく豪華な布陣で、東京フィルハーモニー交響楽団を天野道明さんが指揮するだけでも十分なのに、新国立劇場の合唱団が参加して歌い、今剛さんらのギターが響きエリック宮城さんのトランペットが高らかに鳴り渡る。オーチャードホールでという絶好の空間に色々な楽器が、歌声が響いて重なり合い、繋がりあって生まれた奇跡の空間に触れられただけで今は満足。なおかつ東海大学吹奏楽研究会による生のマーチングバンドを間近で見られた。ドラムメジャーがミニスカのメガネの副部長だったらなお良かったけれどそれは贅沢ってもんだ。若い才能が名うての音楽家たちに対峙し精一杯に表現したことを称えたい。

 終わりに庵野秀明さんも登壇して半束を受け取っていたりして、しばらくぶりに見た姿は元気そうだったからきっと、司会を務めた2人のうちの1人が待ち望んでいる最新作を次にはつくってくれるだろう。「ゴジラ」をよろしくってコメントは素直にアニメであり海外版といったものでなおも作られ続けているシリーズの紹介でありエールと思っていたからオッとはならなかった。あのあとに尻尾から何が生まれるか、ってのはうん、続編じゃなくてそれこそ得意なアニメで、さらにはエヴァのシリーズのなかで答えを出すってのもありなんじゃないかなあ。

 ネイチャーが日本の科学研究が酷いことになっているって話を特集していて、独立行政法人化して以降、大学にお金が回らず研究者たちは安定した地位を追われて安心して研究に取り組めず、結果として成果を出せずに海外へと雄飛する道すら経たれてこのままだと沈没するしかないっていった感じ。そんなネイチャーが表紙にしていたのが落合陽一さんだったあたりにひとつ、個人を探せば未来に期待がもてる研究者も研究もあるって言えそうだけれど、裏を読むなら日本はもはや科学を捨てて魔術や魔法や魔導をこそ尊び研究し始めているってことを言いたかったのかも。何しろ現代の魔法使いだし。実際にテレビをつければアニメーションは魔法少女ものばかり。そしてラノベにも魔法だ魔導だってのがわんさか出ている。そうした素養を若いうちから蔓延らせ、密かに魔法の研究を強化しているのかもしれなかったりするのかな。しないよなあ。やっぱり大変かも、日本の科学、ひいては日本そのものが。

 ニコニコ生放送で「けものフレンズ」の第11話「せるりあん」が配信されるってんでプレミア会員の窓口から入ろうとしたらつながらない。始まる前のアクセス集中でスタートすれば入れるかと思ったらまるでつながらず。どれだけのアクセスがあっても耐えたニコニコ生放送をぶっ飛ばすとは「けものフレンズ」、やぱりちょっととんでもないことになっているのかもしれない。それでもアライさんとフェネックさんがカバンちゃんに追いついた辺りから入れて、そして観ていたらやっぱり涙が溢れてきた。まずはうみゃみゃみゃってカバンちゃんが木登りする場面、そして最後の場面。カバンちゃんのあのかっこよさを思うと心が震える。来週はいったいどうなるんだろう。ハッピーエンドだと良いな。でも……。今は心落ち着けて放送を待とう。本当に泣くのはその時だ。


【3月22日】 2020年の東京オリンピックでゴルフ競技の開催地に決まっているらしい霞ヶ関カカンツリー倶楽部が、女性会員を認めていないのが男女平等を重んじるオリンピック憲章に反しているからといって候補地として認められないといった話が浮上して、すったものだのすえにとりあえず女性会員も認めるよってことになって、これで開催地の決定に生涯がなくなったっていっている人たちがメディアも含めていっぱいいて萎える。あそこが問題なのは男女が平等じゃないってことではなく、プライベートコースでオリンピックが終わっても一般の人はプレーできないからなのに。

 いわゆるレガシーって奴を残してオリンピック精神を広く一般に受け継いでもらうのが開催するのがオリンピックを運営する側の意思。ゴルフという競技がオリンピックで開かれたのなら、それを観た人たちがいつか私もあそこでと思い挑むようになるのが理想だけれどプライベートコースではそうしたニーズを満たせない。税金を投入して競技を運営する以上は宣伝なり施設なりでプライベートコースの利になるようなこともあんまりすべきではない。だからこそジャーナリストのタケ小山さんなんかは最初から、霞ヶ関はプライベートコースであり東京からも遠く内陸にあって真夏の五輪の開催には向かない。東京都にはパブリックコースの若洲があるんだからそっちで開催すべきってずっと訴えていた。

 けれどもいつしか問題が男女平等にすり代わり、それがネックとなって開催できないなら断るか、規約を改めるかって判断になって霞ヶ関側は伝統ともいえる規約を曲げた。それが内心から出た男女平等の時代に相応しい改革なら喜べはするけれど、上から言われて仕方なくって感じだったらあんまり意味はない。とりあえず取り繕っただけって印象も浮かぶ。あるいはそこまでしてでもオリンピックを開催する意味があるってことか。そして霞ヶ関の規約改定を受けて世間は良くやった、これで障害は取り除かれたと行って一件落着だと感じている。そうじゃないってことを言っていかないといけないのに。遠く手厚くてオリンピック後に楽しめないコースではダメって言わないといけないのに。そうはならない日本のメディアの腰砕けっぷり。参ったねえ。

 4月1日から松竹の本社がある東銀座の東劇で、片渕須直監督の「マイマイ新子と千年の魔法」がリバイバル上映されることになって、1日には片渕監督も登場する舞台挨拶があるってんでとりあえず最前列のチケットを抑える。たぶん行けると思うけれどもどうだろう。でもやっぱり行って場内を満席にしたいところ。底は何しろ松竹のお膝元で、普段はあんまり賑わっていない、歌舞伎とか演劇の映像版を上映したりしている劇場が映画を観に来る人たちで長蛇の列ってことになったら松竹本社だって片渕監督の凄さを認めない訳にはいかないだろう。次は無理でも次の次とかに作ってもらう、お金もいっぱい出すって気持ちに松竹の人がなれば片渕監督だって嬉しいだろう。そうなるためにもやっぱり劇場をいっぱいの人で埋めたい。長蛇の列で歌舞伎座まで人が繋がる現象を起こしたい。頑張ろう。

 涙しかない朝、おかしいな、早起きしたからかなってつぶやきながら思い気持ちを抱えて会社へ学校へと出かけていった人もきっと多いだろう。それくらいに「けものフレンズ」の第11話「せるりあん」がすごかった。港まで来て船をみつけあカバンちゃんとサーバルちゃんの前に現れたのが巨大なセルリアン、ってことまでは予告にあった。そこに現れたハンターたちによってセルリアンが退治されるはずがなかななの強敵で行き詰まる。だったらと立ちあがったカバンちゃんとサーバルちゃん、そしてボスと我らがジャパリバス。手助けのために動き始めた先々で出てくる展開、繰り出される言葉に涙がにじみ浮かんでこぼれ流れる。それがずっと続いて最後まで。くしゃくしゃになった顔をどうしたら元に戻せるかって考えても思いつかないくらいに心打たれた。

 海の向こうに行きたいと願うカバンちゃんが、そのために必要な船よりもフレンズたちを選ぶという気持ちも尊いし涙がにじむけれど、それ以上にずっといっしょに歩いてきたサーバルちゃんが大変になって、それをどうにかしようと不得意なこと、空も飛べず泳げず走れず気にも上れないフレンズだからとカバに言われながら、それでもいいところがあるとサーバルちゃんに言われ自信をもったカバンちゃんが、できなかったことをどうにか頑張ってこなしていく姿に涙があふれた。成長したんだなあ。そして信頼してたんだ。だから……。あのラストもそんな延長。分かるけれどもそこまでするのとも思い、だからこそづにかなって欲しいと今は願う。果たしてどんな結末が待ち受けているのか。山頂にあったあの飛行機に見えるものの正体は。海の向こうに見えた島には誰が住む? 諸々をこなして進む展開を今は静かに見守ろう。

 やっぱりシルさん怪しいなあ。大森藤ノさんによる「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」の新シリーズとなる「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか外伝 ファミリアクロニクル episodeリュー−」は【疾風】とあだ名されるくらいの冒険者でそして今は「豊穣の女神亭」で働きながら時々ベルくんに協力もするリュー・クラネルをメーンに据え中編2本の作品集。最初のでは高級カジノ経営者にさらわれた少女を救うべく、リューが乗り込んでいく話だけれどそれを聞いてどこからか、高級カジノがあるエリアに入るための招待状を取り寄せたのが同じ「豊穣の女神亭」で働くシル。貧民街育ちで身内のいない彼女が酒場での仕事だけで人脈を作り神様たちから慕われるうようになった、ってことも考えられるけれど、それにしては不思議なことが多すぎる。

 ベルくんを時々導き危機があったら助けになるようなこともするし、新刊でもベルくんにちょっとした活躍の場を与えてみせる。カジノではポーカー勝負で凄腕のディーラー相手に連戦連勝。それも運? 違うだろうなあ。ってあたりから類推されるその正体。もう1本の中編でリューがシルに拾われ「豊穣の女神亭」の女主人ミアに救われ雇われ働き始めた先を、黒猫に黒拳というとおにレベル4の殺し屋たちが襲ってくるエピソードでも、直接の活躍はしなかったけれどもシルを大事にしている存在が仄めかされるし、ミアが過去に何をやっていかたも明かされる。そこから想像されるのはシルという存在のかけがえのなさ。そういえば以前も「豊穣の女神亭」で働くアーニャの兄で、フレイヤ・ファミアに所属するアレン・フローメルがシルを陰ながら守ってたっけ。それってつまり……。浮かぶ想像の先、進む展開が今から楽しみ。次は本編の続刊だっけ。

 マウントレーニアホールにて観たコトリンゴさんによるライブは、カタスミクインテットの名前通りにコトリンゴのピアノとボーカルをサックスにチェロにベースとドラムが絡むジャジーな構成でのステージ。それでいてしっかりと「この世界の片隅に」という映画で聞こえてきた音楽をしっかりと感じさせてくれる。演奏もすごいしアレンジもうまい、もとよりコトリンゴさんが手がけた楽曲ってことでジャジーなニュアンスが底流にあって、それがクインテットのシンプルな構成の中で強めに響いたってところかな。

 ことにコトリンゴさんの奏でるピアノの響きは映画のまんまで、ああこの音だって耳が立つ。そんな音楽に合わせ動画もふんだんに上映。音楽が使われた場面をぴったり切り取り合わせてくるからますます映画を観ている気になった。それこそ1本丸まる見たって感じ。それも映画に合わせて音楽を聴いたっていうより、音楽映画を観たって気になる。それくらいに映像と音楽がシンクロしてた。映像を提供した製作委員会も偉いし切り取り合わせたVJもいい仕事をした。

 最上の音楽にベストな映像でもって紡がれる「この世界の片隅に」の音楽と、そしてコトリンゴさんのオリジナルの楽曲が混じった構成は映画から入った人にコトリンゴさんのシンガーでありコンポーザーとしての凄さを感じさせただろう。矢野顕子さんにも迫るテクニックに楽曲性、大貫妙子さんをピュアにしたような歌声がさらに広まっていくよ嬉しいかも。また見たいけど4月のはとれず。せっかくだからビルボードでジャジーさ全開で再演してほしいなあ。あとソロで回るハナウタライブってのもあるんでアレンジがどうなるかが気になるところ。鎌ヶ谷でやるみたいなんで行ってこよう。


【3月21日】 「けものフレンズ」とか「ACCA第13区監察課」とか「幼女戦記」とか「リトルウィッチアカデミア」なんかが今期の録画したら即見るテレビアニメーション作品になっているのは半ば当然として、やっぱり毎週の放送が楽しみで録画されていたらすぐに見る作品がほかにも幾つかある。「銀魂」とか「弱虫ペダル」とか「ALL OUT」とか「境界のRINNE」とか「エルドライブ」とか、ってこれで共通するのは少年漫画誌系の作品ってことになるなあ。

 そして思うこと。前週見たら今週を見て次週も見ないと続きが気になって夜寝られなくなる展開の妙なり、1話完結ならそれぞれにどこか安定のキャラクター描写と展開と落ちがあって見ればスッキリできるといった味なりが、こうした少年漫画誌系のテレビアニメーション作品にはあるような気がする。「銀魂」なんて普通にやってたい時はほとんど見ていなかったし、漫画の連載もほとんど読んだことがなくっておおよそのキャラクターの配置くらいしか分からなかったけれど、今の吉田松陰が化け物みたいな存在になって、かつて弟子だった連中が揃って倒しに行くって展開と、それから万事屋で働く神楽の兄と父親との決着めいた展開があってそれが毎週、激しいバトルを伴い繰り広げられていることに引っ張り込まれ、まあ主人公側の方が勝つんだろうなあといった安心感も含みながら見ていける。

 「弱虫ペダル」はこれも連載を読んでないから今後の展開は知らないけれど、敢えて知ろうという気も起きない中で、毎週精一杯に競い合う自転車乗りたちが出てくるのをながめているだけで楽しめる。連載を読んでい続けられる安心感に近いものがあるのかも。まったく知らないという意味では「エルドライブ」なんかは過去にシリーズもなく突然始まった作品だけれど、地球人でありながら宇宙人が体にくっついている少年が宇宙警察みたいな組織にスカウトされ、いろいろありながら成長してく一方で過去と向かい潰されそうになりながらも乗り越えていく展開が、ほぼほぼ毎回の事件が起こって解決されるストーリーの中に描かれている。

 だから1クールが終わろうとしている状況で、ほぼほぼ世界観が理解できてしまっている。美少女が出てきて少年と反目しつつも惹かれ合う中で少年が異能の力で活躍する、って萌えアニメにでもありそうな展開がジャンプ的王道の中に描かれているのもユニーク。あるいはジャンプ系にそうした深夜アニメ的ニュアンスが侵入しては王道のフォーマットに落とし込まれて掲載され、アニメ化される状況になっているのかも。「約束のネバーランド」なんかがジャンプ本誌に載っちゃう時代だからなあ。萌え系深夜アニメも負けてはいられない、ってこれ、全部深夜に放送されているんだけれど。もはやアニメも漫画もサブカルのメーンストリートからズレてきているのかなあ。

 興行通信社が毎週出している週末映画興行ランキングで、観客動員数によるベストテンであの「君の名は。」がついにランキングから消えたものの、10位までのうちの7本がアニメーション映画で何というかやっぱりというか。1位は「SING/シング」でディズニーが誇る「モアナと伝説の海」をたった1週で1位から引きずり下ろしたのにはちょっと驚いたけれど、評判とか聞くとそれも当然かなあと思えるし、興行収入が17億円を突破して20億円の目も見えてきた「劇場版ソードアート・オンライン −オーディナル・スケール−」が10位に止まっているのも、衰えない人気ぶりを見ればだいたい分かる。そのすぐ上に神山健治監督の「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜」が入っているのは興行規模から言えばちょっと残念な位置といったところか。

 前週金曜日の夕刊とか朝刊の映画評で神山健治監督のインタビューを載せているところはなかったし、大きめのスペースで扱っているところもなかった。「この世界の片隅に」がすべての新聞で大きい欄を奪い片渕須直監督の言葉を載せているところもあったのと比べると大きな差。決して前々から宣伝が出来ていなかった訳ではないし、声優さんだって結構稼働して露出もあったにも関わらず、スタートダッシュができないのはあるいは見てもらいたい層に刺さるプロモーションが出来ていなかったってことなのかもしれない。先行きが心配された「君の名は。」が観て欲しい層であり口コミが働く層でもあるティーンをターゲットに大試写会を開いて事前に火種を仕込んで置いたような戦略が、とれていなかったかとろうとしなかったってところかも。従来通りの映画宣伝の作法で動いて、そして……。映画宣伝も岐路に来ているのかも知れない。

 アニメーションでは3位に「映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険」が入り5位に「映画プリキュア ドリームスターズ!」が来て6位に「劇場版 黒子のバスケ LAST GAME」と女子のドライブが働く作品が入ってランキングをアニメーションに染めた。実写の日本映画でトップは7位の「3月のライオン 前編」で主演のバリュー原作の人気前宣伝の多さを考えるとこれもちょっと厳しい船出。アニメーションに推された性なのか届ききっていないのか分からないけれど、作品自体は面白そうなのでぜひに見に行っておきたい。ももちゃんを演じる新津ちせさんも見たいし。前に「ミスサイゴン」でセリフはないけど泣かないで全編を通すしっかりとした演技をしていた子役さんだった。喋っても巧いと分かっているんで映画でどう、演じているかを確かめたい。

 「ソードアート・オンライン」だからけん玉なのか。「ソードアート・オンライン」であってけん玉なのか。そこがなかなかに悩むことろではあるけれど、アスキー・メディアワークスがIoTとかテクノロジー系のベンチャー企業を紹介する事業の一環として行っている展示会の中で、「ソードアート・オンライン」の担当編集だった三木一馬さんが新しい会社の代表として登壇しては、「ソードアート・オンライン」とベンチャーとのコラボプロジェクトを公表。その第1弾が電玉っていう会社が作っている、ネットワークにつながりセンサーも内蔵されたけん玉「DENDAMA」で、ファンからしたら何でと思うだろう。

 けれども、今やけん玉は世界で何千万人という人がプレーしている人気スポーツ。そこに世界で1900万部が売れている「ソードアート・オンライン」が乗ることで、けん玉ファンにSAOのことが知られSAOのファンがけん玉をプレーする、なんてクロスが起こったりするのかも。三木さんが言っていたように、部数的にもうSAOはライトノベル史上の限界に来ていて、これいじょう広がるとなるとやっぱり新しい一般層とかに知られていかなくてはいけない。映画なんかのヒットもその間口を少しは広げただろうけれど、ほとんど関係なかった層にはそうした層が関係するもので伝えるしかない。それがけん玉でありコミュニケーションロボットでありといったことになりそうな「SAO Future Lab」。第2弾はなんだろうなあ。ちょっと楽しみ。


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