縮刷版2017年2月下旬号


【2月28日】 デザインのアイデアの在処を巡って、円谷プロダクションとの確執もあった成田亨さんの名前を冠したデザインの賞が創設されると正式に発表されて、一悶着おきなければ良いなとまずは思った一方で、円谷プロダクションの大岡新一社長が公とも言える場、栄えある金城哲夫賞の第1回目の受賞作を発表して表彰する場で発表した以上は、ご遺族の方々との話し合いも終わっていて手を携えてその偉業を残していく方向で一致しているんだと思いたいんだけれども、どうなんだろう。とりあえずは解決していると信じるしかないのかな。

 あと問題なのはデザインの賞だけあって、何を基準にどう選ぶかが企画・脚本の金城哲夫賞以上に難しそうってことか。ヒーローや怪獣のデザインでは円谷プロダクションクリエイティブアワードがキャッチにしている「ウルトラを超えろ。」は達成できない。かといってウルトラ以上の成田デザインっていうと何だろう。その辺りが興味の向かいどころ。そして受賞作への期待でもある。まずは審査員に誰がなるかだなあ。凄い人たちだと良いなあ。そんな人たちを超える人たちが応募してきて審査の場が大変になる、なんてことも起こったら面白いけれども、果たして。

 そんな第1回金城哲夫賞の贈賞式で審査員の方々が話されていた「金城哲夫像」ってのが僕らの理解する、どこか沖縄を引きずって社会的政治的な屈託や屈折を底に抱えて作品を世に問い、それがメッセージとなって観る人を動かし子供向けの作品を大人の鑑賞に堪えうるものにした、なんてイメージとはまるで違って、とにかく明るい作風だったってところにちょっと驚いた。たぶん1番身近に知っているだろう大岡新一社長は、「金城さんは沖縄戦でいろいろなダメージを負われているかもしれない。世の中の金城哲夫研究ではそれが根っこにあるだろうといったステレオタイプな分析解析もされている」と指摘した上で、「盟友の上原正三さんから話を聞いたら、存命中に金城さんから御謹話戦のことが出たことは1回もなかった」と話してた。

 だから沖縄や沖縄戦のことは「根っこにはあったかもしれないが、昇華した上でエンターテインメント作品を作り上げた。その明朗さ快活さが普遍的なテーマとして世の中に伝わった」という。金城哲夫さん=明朗で快活、ってイメージはなかなか浮かんでいなかっただけにこれはちょっと新鮮だった。そして金城哲夫さんの名を冠した賞には「突き抜けた明朗さが欲しかった」といって、伊藤公志さんの「呼んだのはそっちだぞ」を選んだという。同じく審査員で脚本家・映画監督の高橋洋さんも、「根底に明るさがあるから遠くまで届いた」って金城さんのことを話してた。一方で伊藤さん自身はやっぱり僕たちと同じような理解で、明朗さとか快活さはあまり感じず応募作品にそうした要素を含めたってことはないみたい。こうしたイメージのギャップがどこから生まれたのか、そしてどう乖離していったのか、それともやっぱり根底には沖縄戦と沖縄出身から来る屈託や屈折があったと見るべきか。ちょっと考えてみたくなって来た。

 BSやCSでアニメーション専門チャンネルを持っているアニマックスとキッズステーションが合併だそうで、インターネットを使った配信が大勢を占めてくる中で電波を使ってパラボラアンテナに向けて送り出すとか、ケーブルテレビを介して届けるといったビジネスモデルにいろいろと差し障りも生まれて来ているといった感じ。だったらいっそインターネット配信を始めればよかったのに、って話になるけど権利がまずは違うだろうし、あとは放送と通信では持っている技術にも違いがありそう。編成っていう概念がなくなるし。だからこそいっしょになって数の力でとりあえず勝ち、あとはネット配信の遅れている地域での放送に力を入れていくってことになるんだろう。配信でありながら編成の概念を持ちKんで射るAbemaTVは果たしてどうなることか。そっち、見たことないんだよなあ。

 経済産業省が部屋に施錠をして記者とかふらりと入れないようにするって話。企業なんかはカードがなければ移動すらできず外来なんてロビーから先にすら行けない状況で、国家機密を背負った役所がフリーってことはあり得ないのは当然。それを問題のように言うメディアもあるけれど、課長がおそらくは意識して重要書類を机の上に出しっ放しにして中座した時にそれを見て記事を書いてリーク経由のスクープだとか、これもおそらくは拾われるのを想定して書類をゴミ箱に入れておいたのを拾ってスクープだとかいった、役所がらみの記者的武勇伝が割とあったりしたらしいからそういう風にネタを取ってこその記者だ的感性、でも内実は情報の出してのコントロール下でリークのタイミングを計られているスクープ事情を振り返って、懐かしんで尊んでいる人たちが施錠許すまじと言ってるようにも見えなくもない。ただ政権の胸先三寸でリーク先が決まり役所の思惑だけで揺さぶれないようになるのは権力の一元化に繋がる気もするんで、そのあたりはいずれ抜け道もできてくるんだろうなあ。いたちごっこ。

 とりあえず見た神山健治監督による話題の映画「ひるね姫」。公開前で構造そのものがひとつの楽しみにもなっているんで詳述は公開後に回すとして、思ったのは池井戸潤さんの企業小説の上にファンタジーのスキンを被せ、ところどころに穴をあけて隙間を見せたといったところ。そうした構成でもって見飽きることをさせず、また生々しくなるところをスペクタクルなビジュアルにして引きつけることに成功はしている。とはいえ企業や経済を取材してきた人間からするとそうもとんとんと行くものだろうかという気も。そんなところにどう折り合いをつけているのかを、公開されたらまた観に行って考えたい。

 なんかもう倫理観の底が抜けているとしか思えないなあ、安倍晋三総理とその取り巻きメディア。国会という場で菅元総理からメルマガに書いた内容が名誉毀損だからと訴えられて、それは相手が当時の総理ということもあって名誉毀損にはあたらないといった判断が下ったけれど、勝利したとしても、メルマガに書いた内容は明らかに虚偽であってそれは裁判でも認められたにもかかわらず、裁判には勝った言い募って嘘をついていたことにはだんまり。あまつさえ完全勝利だと国会の場で喧伝する。そこに嘘をついたけれどお目こぼしにあったといった恥の意識はまるでない。

 これは取り巻きのメディアが起こされた韓国での裁判にも言えることで、伝聞というか想像でしかないセクハラ紛いの揶揄で大統領を貶めたコラムを咎められ、刑事事件にされてしまったものの権力者相手の批判を、それがたとえ虚偽であったとしても刑事裁判にするのはちょっとといった司法の判断で、表面上は無罪にはなった。とはいえ裁判の過程でコラムは嘘で取材すらしていないものだと断定され、それを書いた人間も認めていたにもかかわらず、裁判に勝ったことだけを挙げて言論の自由のために戦ったと誇る。やっぱり嘘をついてまでセクハラ紛いの文章を書いたという、ジャーナリストとしての恥の意識はまったくない。

 それって政治家失格でありジャーナリスト失格じゃない? っていった突っ込みは当然あるし、相手から指摘されればそりゃそうだといった見方もちゃんと浮かんで来るけれど、信者はそうした真っ当な反論を信じないし認めない。存在すら知らないかもしれない。いや信者はそれで良いけれど、当事者の安倍ちゃんは一国の総理大臣であって、たとえ名誉毀損にはあたらなかったとしても、恥ずかしいことをしでかしたって意識は持って当然なのに、自分は嘘など書いてないと信じ切っている雰囲気があってちょっと大丈夫なのかと思うのだった。これは本当にヤバいこと。支離滅裂なアメリカの大統領なんかよりずっと。だって僕らの総理大臣なんだから。それが……。やれやれだ。


【2月27日】 ツイートの勢いでややっぱり今は「けものフレンズ」の方が上みたいだけれど、その大金星的な流行がなければ多分、覇権と呼ばれていたのはこっちになっただろう「リトルウィッチアカデミア」が今石洋之さんの絵コンテ回で凄まじいばかりに動いて変幻して展開して面白かった。日常だとどこか横暴でジャイアンなアッコだけれどスーシィの夢の世界では相手の思うがままに進む世界で横暴も通せず大変そう。それでも真あらず歪まず突き進む辺りが逆に頼もしさとなって映った。あの性格はやっぱり有事でこそ輝くんだろうなあ。そういう場がこれからの展開であるのかどうか。未だ学園ドタバタが続いていてシャイニーシャリオとの絡みが出てこない。そうした筋を絡めつつ進んでいくようになった時、物語としての面白さも滲んでくることになるのかな。観続けよう。BDもあるいは買おう。

 来るべき時が来たというか、興行通信社の調べによる映画の週末観客動員数ランキンで「この世界の片隅に」がベスト10から圏外へ。11月12日の公開から3カ月と2週間をよくもまあ持ちこたえたものだって方を高く評価すべきなんだろうけれど、ずっといたのがいなくなるのはやっぱり寂しい。何より新海誠監督の「君の名は。」はこの時期になって順位を8位から7位へと上げている。もはや怪物としかいいようがない人気ぶりではあっても同じ長編アニメーションとして肩を並べてきただけに、逆転する時まで食いついていたかった。チャンスはあったんだけれどなあ。

 まあでも遠からず発表になる日本アカデミー賞の長編アニメーション作品賞を「この世界の片隅に」が受賞すればまた盛り上がるって可能性もありそう。とはいえここまで毎日映画コンクルーのアニメーション映画賞くらいしかとれていない「君の名は。」にその記録的な興行成績と内容に見合った賞をとって欲しい気もあるだけに悩ましいところ。果たして結果は。まあランク外になったとはいえ15位くらいのところにはいるだろうから、上の結果によっては再ランクインとかありそうだし、20億円を超えた興行収入も25億円へと向かって進んでいるはず。そうした結果を踏まえ海外行脚での評判も得つつ今一度の注目を、集めてほしいもの。夏にまたチャンスは来るだろうし。そういう映画だし。

 海の向こうでは日本がつかないアカデミー賞の発表があって「ラ・ラ・ランド」が下馬評通りに主演女優賞やら監督賞やら音楽賞なんかを受賞して人気の程を見せつけた。ただ作品賞については最初にそんな発表があったのが、取り違えだったと分かって大騒ぎになったらしい。ちょっとしたハプニングかと思ったら呼ばれて「ラ・ラ・ランド」の関係者一同がステージ上に上がってスピーチまで始めていたそうで、これはちょっと前代未聞のできごと、担当者はその首がどうにかなってしまうんじゃなかろうか。でも今年のアカデミー賞はそうした内輪でのハプニング以上に外に向かって結束すべき相手がいたことで、大事も小事のうちに収まった感じ。その相手は言わずと知れたトランプ大統領で、イランの監督が入国できなかったりといった問題を抱えての贈賞式は別の意味で自由の国・アメリカの恥部をさらけ出したと言えそう。ここからどう立ち直っていくのか。それとも余計に酷くなるのか。彼らと彼女たちの戦いはまだ続く。

 日曜9時のドラマ枠をTBSで木村拓哉さんが主演している「A−LIFE〜愛しき人へ〜」と争っている形の小雪さん主演「大貧乏」の視聴率がまさかの4.0%で過去最低を記録したそうで、もはや深夜ドラマのちょっといい視聴率的な水域にまで来ている感じで枠そのものの存続も危ない感じ。続く4月からは太田紫織さん原作の「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」がドラマとなってスタートする訳で、原作が好きな身としては期待もしたくなるんだけれど主演の北条櫻子を演じるのがなぜか御年40歳の観月ありささんだったりするか驚いた。

 原作では20代でアニメーション版でもスレンダーでふてぶてしさを持った20代の女性になっていたのがどうしてテレビドラマだと40歳のベテランといった風情になってしまうのか。そこがどうしても分からない。なるほど観月ありささんは見た目はまだまだ若くて30歳半ばと言って通じはするけれど、20代というにはやっぱりちょっと難しいものがある。スタイルの良さは櫻子さんを演じるに相応しいけれどもようやくベテランの域に入ってきた女優が、ふてぶてしさの中に若気の走りを持った櫻子さんを演じてまっちするかというとこれも悩ましい。

 どうしてもっと若い女優を持ってこなかったのか、ってあたりにフジテレビの原作ファンをどこか蔑ろにしても自分達の事情で通そうとする傲慢が見える。この場合は何年連続とかいった観月ありささんのテレビドラマ主演記録か何かだろうなあ。それでキャスティングをして原作を探してこれなんか流行ってるっぽいから填めておけ、ってなったとか? 分からないけれども前に「ビブリア古書堂の事件手帖」でヒロインの雰囲気をガラリと替え、妹を弟にしてしまった無茶が繰り返されそうな感じ。ドラマとしてはよくてもやっぱりファンの印象は損ねる。原作者もどう感じるか。そんな気持ちの乖離が昨今の原作者によるNG連発につながっているんだろうなあ。お台場の未来はこれからさらに暗くなっていくのかなあ。

 京都の朝鮮学校に出張っていってきたない言葉をぶつけて問題視され裁判沙汰になって敗れた集団のトップだった人物が、都知事選への立候補を経て新たに政党を立ちあげたのをとある全国紙で番記者前としてくっついて御用聞きをしている記者が出張って記事にしている。もはやこれで喰っていこうとしている感じだけれど、そのヤバさを考えるなら遠からず田母神俊夫氏のような事態になって共倒れってこともあり得るんじゃなだろうか。酷いのはそうした腰巾着ぶりだけでなく、「『腹違いの兄貴を平気で殺す。人を殺すことに金正恩(朝鮮労働党委員長)は良心の呵責を感じない』と北朝鮮を非難した上で、桜井氏の活動を『ヘイトスピーチ』と批判している神奈川新聞の石橋学記者に向かって『これに抗議しても差別なんでしょ』と挑発した」って書いていること。

 これはもう、書いてる記者も言ってる党首もヘイトスピーチが何かを分かってない証拠。権力に向かって叫ぼうとそれはヘイトスピーチじゃない。謂われのない反論のしようがない弱者例えば小学校に向かって攻撃したからヘイトスピーチって言われたんだ、って基本を踏まえず、言いたいことだけを言い、その言い分だけを垂れ流す。一部にはそれは受けても大勢にはやっぱりヤバい奴らとつるんでると思われるだろう。そして敬遠されていく。果てに何が起こるかというと体力がないだけお台場よりも酷いことが起こるんだ。そう考えるなら早々に止めさせるのが吉なんだけれど、本気でそう思っているのか、それともそこに縋らざるを得ないほどもはや追い詰められているのか。一行に改まる気配もないまま二人三脚で地獄へと突き進むマラソンが続く。いつまで? もうゴールまでどれほどもなさそうな。やれやれだぜ。


【2月26日】 今日も今日とて東京工芸大学芸術学部の卒業制作展へ。マンガ学科をさっとのぞいて齋藤美智子さんの「ギター」という作品があの東日本大震災の離別からの復興を描いてジンと来た。そしてアニメーション学科へと回ってSプログラム。いわゆる各研究室からのセレクションで、そこではやっぱり昨日も観た大学院生の橋谷卓磨さん「red flower」が表現物語音響ともにすごかった。霧に霞んだような世界、嵐も吹く中で彷徨う大きなものと小さなものがいて、どうやら父娘のデフォルメ的な感じで、それが不意に離別し、娘だけ残されて流離った果てに再会する、その絵を赤い花びらが導く。グレーのコントラストの中に差す赤の鮮やかさが目に染みる。そrが最後の光景に繋がって目がぱーっと開かれる。圧巻の1作。2017年の話題になりそう。

 これも昨日観たコカさん「cofee time」もやっぱり良かった。カップに満たされたコーヒーから広がりビジョンが宇宙へと発展していく流れが綺麗。イルカが踊る海から船へと行き船窓から甲板でダンスするカップルへと至る流れが好き。やっぱり2度目の尾崎爽乃さん「Without symptoms」は幼女に付きまとわれ少女になっても好かれる画家が羨ましすぎた。ストーリー性があって引きつけられる。男はだからやっぱり手紙をちゃんと書こうと思った。せっかく書く相手がいるんだし。これまた2度目の服部笙太さん「夢TV」は曇り雨も降る煙突から煙りがたなびきくすんだ街の光景と、男がロボットを蘇らせようとするダークな展開が引き込む感じ。白地に黒線とかで描かれる狂気と猟奇のビジョンもグッと来た。描ける人、って感じ。

 あとは初見。西谷望さん植田悠人さん「forerunne−Gear’s」はロボットが格闘するアニメを作ろうという気概を買いたい。でもいきなりロボットをばりばり動かすのは難しいので工夫した、ってとこかも。ロボットのデザインは魔神的で好き。今井洸暉さん「TECHNOLOGY」は眼鏡っ娘は正義だった。以上。ではなく実写の彼女が持ってたスマホがロボットに変形してバトってた。3DCGと実写の合成。ロボットが実写のPCにぶつかっても攻撃が机に当たっても背景に影響は出なかった。そこまでやったら迫力だっただろうなあ。でもまあ大変だし。心意気を買うってことで。

 須藤百香さん「BLACK MANSION」はモノクロで見せる「パンティ&ストッキング with ガーターベルト」って感じにぶっ飛んでてアクションも良く魅せられた。巧い。上映されれば確実にファンを得られる作品。半田誠也さん「しかく」はパズルのようで規則性があって楽しかった。紺野彩美さん「ほもにむ」はほんわかしていた。背景の字を読むとさらに奥深い韻書うだった。トウソケンさんのは動画に凝っていた。小石由香利さん「なつのありか」はねこちゃんが可愛かった。片山雄太さん「YAPSYCHO」の刻まれた野菜たちで作られたあれは美味いのか?

 吉岡隼汰さん「clear in the rain」は自分の動きをコマ撮りして切り抜き並べて動かしたストップモーション。岡本将徳さんをちょっと思い出した。人物だけじゃなく背景も動かすとかすると奥行きが出たかなあと思ったけれどそれは大変。そして金井千夏さん「宇宙の片すみで」は祖母のレコードプレーヤを積んだ宇宙船で星々を回り残された人を探す少年が見つけた犬とそのパートナーをどうするか、って決断に泣かされた。キャラを2Dで描き、背景となる小さな星とかが実物のストップモーション。星の素材が何だろうか気になった。そんな感じのSプログラムはやっぱりセレクションだけあって巧いけれども、インパクトで渡邊はるかさん「胸がいっぱい」にかなうかな。あれややっぱり凄かった。ICAFで上映されたら観客賞、いけるかも。動向を追おう。

 もらった食券でミートソーススパゲッティを食べたら山盛りだった。昨日はカレーと大盤振る舞いなのは秋葉原UDXから中野坂上へと移って場所的に人が来なくなるのを心配してのことなのか。まあそれなりに人も来ていたし設備も良いので開催場所としては悪くないかも。来年も行けたら行こう。そして中野坂上からそして地下鉄を乗り継ぎ豊洲PITへと回って「第2回日本e−Sports選手権大会」を見物。「Counter−Strike:」の決勝で30ゲームのうち片方が15ゲームをとってあと1つで勝利から相手が確か9ゲームからから14ゲームまで連取して追いつきかけた展開にハラハラした。

 どんなゲームなのか最初は分からなくても、観ているうちに分かってくるし盛り上がってくれば興奮もする。そこがe−Sportsの面白いところかなあ。誰かがやってるゲームプレイをながめるゲーム実況とはまた少し違った面白さ。野球あってサッカーだってどういうルールか分からなくても、観ているとそれなりに面白さも分かってきて、やがてスポーツそのものへの興味が湧いてきて、自分でもやってみたいと思うようになる感じか。そこへと誘うために、解説者のゲームスキルと中継能力が問われるあたりも、単なるゲーム実況とはちょっと違っているのかも。どっちがってことでなく、どっちも盛り上がりながらゲームそのものへの興味を誘い、市場が膨らんでいけばこれは面白いんだけれども、果たして。

 豊洲から渋谷へと回って円谷プロダクションが運営している「第1回金城哲夫賞」の贈賞式を見物。何しろ大友啓史さん高橋洋さん田中芳樹さん中島かずきさんに大岡新一円谷プロダクション社長が審査員をやっているというだけでも凄いのに、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」といったシリーズを立ちあげ脚本も書いて今に至る特撮ヒーローものであり、SFものといったジャンルの基礎を造った人の名前を冠した賞。自分が欲しいという人も大勢居たようで何と615人もの応募があってその中から伊藤公志さんという、「ドラえもん」の脚本なんかを手掛けている人が「呼んだのはそっちだぞ」って作品で受賞した。ファーストコンタクトものだけれど、うまくいかないコミュニケーションが描かれているそうで、映像化されたらどんなやりとりがあるのかちょっと楽しみ。っていうか宇宙人、配役どうするんだろう。

 佳作にもやっぱりファーストコンタクトっぽい福間一さん「説子の宇宙戦争」が入り、こっちは江戸時代が舞台の伝奇っぽい加藤公平さん「命替師(たまがえし)」も入ってといった具合に「ウルトラマン」とは随分とテイストの違ったものが選ばれた。それも当然でキャッチフレーズが「ウルトラを超えろ。」で最初からヒーローものみたいなものは除外されたという。そして残った少年ドラマシリーズ的な興味を誘われる作品たち。どういう結果を辿るかで次の応募にも影響しそうだけれど、次はどうやら2018年の開催みたいで今年はあの成田亨さんの名前を冠したデザイン賞を創設するらしい。ウルトラマンにバルタン星人にウルトラホークといったヒーローから宇宙人からメカまで、広く手掛けたデザイナーはこちらも今の特撮やSFのデザインのルーツにあると言って過言ではない。そんな人にあやかりたいと、プロアマ問わずな応募資格だったら名のあるデザイナーが応募して、とんでもない事態になったりしたらちょっと愉快。詳細が決まるのはまだ先だけれど、吾こそはって人は準備を整えておこう。

  これはもう大丈夫なんだろうかスピリッツといったレベルの話じゃないだろうと思ったとある全国紙での北海道が危ない企画。だってだよ、日本のアパートやマンションを借りたり投資したりするような行為について国交省が手続き円滑化のマニュアルを作ることは「日本の“領土”である不動産を外国資本に斡旋する」ような行為であって、「唖然とする」って言うんだよ。外国による直接投資なんてこれまでもいっぱいあったし、日本だって海外でいっぱいやっている。そういう行為を衰退の途にある日本が自分たちを救おうとしてやったら批判する。どこに整合性を求めてればいいのかが分からない。遠からず外国人に貸したり売ったりする輩は非国民だと言い出すんだろうなあ。というかこれは言ったも同然か。こういう単純な煽りに食いつく人たちだけを集めて祭り上げられたって未来はないのに。やれやれだ。


【2月25日】 午前5時には起きて総武線をお茶の水まで行ってそこから中央線で新宿で降りてテアトル新宿へ。午前7時ですでに結構な行列ができていはいたけど、「宇宙戦艦ヤマト2199」のイベント上映をやっていた初日に並んでいた人たちと大差はないというか、同じ人たちが2年くらい歳を取っている感じで、果たして若い人たちは入ってきてくれているのかが気になった。これが「機動戦士ガンダム」シリーズだと若い人向けのも作られ、ポップカルチャーからの参入もあってファン層が広がっている感じだけれど、「ヤマト」はその辺がちょっと見えづらい。キャラクターデザインだけではやっぱり若い人は食いつかないのかなあ。

 それでも「2199」の出渕裕さんは、ストーリーに工夫もして新しい要素を入れて群像劇めいたものを描きつつ、初見の人が観て納得のシリーズへと昇華させたから、まだ少しはファン層の拡大に貢献したかもしれない。「機動警察パトレイバー」の人、っていうバリューも新しいファンを引っ張る要素になった。だったら「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」はどうなんだろう、ってことで観ても今のところ新規の客はそれほどなく、今はコアなファンがそのまま繰り上がっている。後はストーリーでどこまで若い人たちにアピールできるか、ってところだけれど……映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」と「宇宙戦艦ヤマト2」の混ぜ合わせってだけではちょっと、厳しいかもしれないなあ、エンディングが沢田研二さんで喜ぶのってもう、軽く50歳は過ぎていると思うし。

 まあ男子のそうした若いファンは来ずとも小野Dこと小野大輔さんに鈴村健一さんといった人気の声優さんがいてそして新たに神谷浩史さんまで加わって、舞台挨拶には若い女性ファンがいっぱい押し寄せそうだし実際来ていた。そんな3人が群像劇の中でかすれず主役級を張っていってくれればファンも喜ぶだろうけれど、それがヤマトなのかっていうと難しいところ。そこで妥協せず物語を通した出渕さんと、ストーリー性で行こうとする福井晴敏さんであり羽原信義監督との違いかなあ。出渕さなったら外で無帽の古代たちに挙手の敬礼はさせなかっただろうから。そういう部分のこだわりが剥げ落ちていって果たしてミリタリーな人は止まってくれるのか、そして新しい人が分かりやすいと入ってきてくれるのか。どっちが勝つか。その意味でも今後の展開が注目。そして観た「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の感想はと言えば……。

 結論、芹沢虎鉄が全部悪い、ってことなんじゃないか。遠くイスカンダルから地球に戦う力と救う力を与えてくれたスターシャが、あれほどお願いをした宇宙を破滅に導くへいき、波動砲の封印をあっさり破って一艦長すなわち沖田十三の約束であって別に条約じゃないから破るも何もないとほざいてアンドロメダに拡散波動砲を搭載し、それを何隻も作って地球の力を満天下に示そうとする。同盟を組んだガミラスでさえ眉をひそめるその傍若無人ぶり。それで遥か彼方から来る白色彗星帝国だって打倒できると信じているらしいけれど、やたらと愛を謳うあたりにズオーダー大帝の拘りがある印象で、そこで野蛮な波動砲なんて使う人類に、これは愛が足りないと嘆き憤って地球へとやって来るに違いない。

 つまりは芹沢の先走った愚策が招いた危機。そして地球人類の多くを失い地球を大きく破損したガミラスとの戦いも、相手の最初の交信を無視して先制攻撃を仕掛けた芹沢ら軍務局が戦端を開いたようなもので、それで結果としてガミラスが宇宙を侵略することになったデスラー体制は崩壊し、地球も軍門に降ることなく独立を維持したものの、一方で払った犠牲はもう半端じゃない。逆らわず軍門に下るべきだったか否かは判断に迷うけれども、芹沢らの行動は戦端もそしてヤマトを乗っ取り別の惑星への移住を進めようとする計画へと逃げようとした罪はやっぱり問われるべき。それなのに、終戦後も更迭されずに軍の上層部に居座ってアンドロメダ建造へと至りそして。失敗する軍隊の失敗の本質を方多様な人物。でもそういう人が設定されていることもまた、地球だけが正義じゃないってことを分からせてくれる理由になっていからここは受け入れるしかないのかも。結局地球人が1番愚劣で野蛮だってことで。

 小野Dと鈴村さんと桑島法子さん福井さん羽原監督が登壇した舞台挨拶を聞いて時間がまだ朝だったんで、中野坂上へと回って東京工芸大学芸術学部の卒業制作展を観る。去年までは秋葉原のUDXで開かれていたけれど、校舎もきれいになってハイクオリティの上映が可能なシアターも出来たんで移したみたい。でもってとりあえずみたアニメーション学科の研究室別の上映では、三善研究室の渡邊はるかさんによる「胸がいっぱい」に笑った笑った。テレビをつけるとどのチャンネルも胸の大きな女性が胸を誇示する番組ばかり。自分は平たい女性はそれがいやでチャンネルを変え続けて、パイパイの実を植えるとすぐに育つといった園芸の番組を観てこれだと思い自分の実をとって鉢に植えたらとんでもないことが起こったという、そんな話。

 平たく手も上げたり寄せたりすれば少しはふくらむ胸の描き方が良かったし、何より突拍子もない展開が良かった。というか胸のあれってとれるのか。とって植えるとああなるのか。発見だった。そして女性の悩みに答えた後、男性の悩みにも超えたるエピローグが挟まれていたけれど、そこに至る過程であの男性は自分のを切り落としたんだろうか。そこが気になった。そこまでして大きいのが欲しいのか。欲しいなろうなあ。それが男心ってものだ。三善研究室ではあと、ホウリクヨウさんの「死神と赤ちゃんの大冒険」が絵的に完璧でドラマ的にも面白かった。そのままNHKとかで放送しても良いんじゃないかってクオリティ。きっと遠からずプロとして登場してくるだろう。韓国の人なのかな。

 クオリティでは大学院の橋谷卓磨さんによる修了制作作品「red flower」がもう素晴らしい出来。霧の漂うような暗い平原を巨体をもった何者かと小さな何者かが連れ立って歩いていて、巨体から小さいものへと赤い花が贈られるけど風で飛び、巨体のものも追いかけて消えてしまう。取り残された小さいものが彷徨い赤い花をみつけていった先で合流し、そして向かった先に広がる巨大な赤い花が連なる平原。怪物というより父親と娘の寂しくもほほえましい人生の暗喩とでも言えそうなストーリーを、絵本のようなテイストの絵で描ききっている。完璧といいたい。あと同じ大学院のコカさんによる「コーヒータイム」も、黒いコーヒーの中にひろがっている宇宙のイメージを易しい絵柄でメタモルフォーゼを使い時空を自在に飛び越える特長も生かして描ききっていた。これもまた最高。いずれどこかで上映される2作だろう。気にして欲しいそのタイトル。

 ご飯を食べさせてくれたんでキーマカレーを頂きそしてマンガ学科の卒展ものぞく。山本千佳さんの「卒業」がすごかった。昭和な雰囲気の学生話は丸尾末広というより古屋兎丸的な耽美とシリアスが混じっていて読んでグッと来た。美形の少年の美形ぷり、でも性格の格好良さが胸に刺さった。そのままどこかに掲載されても良さそうなできばえ。あとあと齋藤聖子さんという人の「KANNA」がえだけでなくストーリーもしっかりしていていて読ませた。父親が失踪してしばらく。残された家をもう処分すると母親から連絡があって帰省した娘が姉妹と再会しつつ過去と向き合い父親が自分に向けていた感情、そして自分が父親に抱いていた感情を今一度問い直す。人生のひっかかりを乗り越えていく物語。上手かった。

 そこから都営大江戸線で汐留へと周りゆりかもめでお台場まで行ってダイバーシティの広場で「けものフレンズ」の主題歌「ようこそジャパリパークへ」のリリースイベントを見物する。CDを買えば特別エリアに入れる整理券をもらえたけれども購入列だけで120番目くらいで大変そうだし、CDは2枚すでに持っているので今さらな感もあったんで一般エリアから見物することにして1時間半くらい立ち続ける。昨日の「カラスは真っ白」のライブに続いて立ち待ちする日々。歳には堪えるけれども仕方がない、これが人生だ。良いこともあった。まだ特別エリアに人が並ぶ前に登場してどうぶつビスケッツとPPPがリハーサルをやってくれて、フルコーラスで歌った両方を遠目でも人垣のない状態でしょうめんから観ることができた。得した気分。本番ではサーバルちゃんの耳しか見えなかったからやっぱり一般エリアで待って正解だったかも。多く見積もり1000人は来ていたような初イベント。ノリも良くってこれからが大いに期待出来そう。次はどこで歌っている姿を見られるかなあ、アニサマかなあ。


【2月24日】 午前0時前に寄ったけれども、店を閉める気満々だったんで退散して、朝に立ち寄ったときわ書房船橋本店で村上春樹さんの新刊「騎士団長殺し」の第1部と第2部を合わせて購入。店頭からレジ前から平台からどかんど積み上げてあって、きっと売れるんだろうなあとは思ったものの、「ねじまき鳥クロニクル」のような凝った装丁ではなく、もちろん初期の佐々木マキさん描くポップなものでもなくってどうにも色気のない装丁でサ、ブタイトルも「第1部 顕れるイデア編」「第2部 遷ろうメタファー編」となんだか出来損ないの自己啓発書みたい。それを読んで面白がれるんだろうかと開いて辿り始めた冒頭で5度くらい行き詰まる。

 前に家へとやって来て肖像画を描いてもらえなかった代わりに受け取ったペンギンのお守りを、おまえはこれを必要としているから返そうと言い、そして肖像画を描いてもらおうとしたものの雲のように渦巻く表情を肖像画家は捕らえられずに描くことが出来ず、それを受けて会うのはすでに2度目なのに「いつか再び」と言って、肖像画家がいずれ必要になると言っていたはずのお守りを渡さず持ち帰る顔のない男が、果たして支離滅裂なのかそれとも自分の読み方が浅いのか。時制とかぬかりなく推敲しているはずの人にしてはなんか抜けてる感じ。それともそこにも企みが? 読み切ってみるまえでは評価しづらいなあ。

  解説仕事で滞っていた読書もいろいろと再開。買って随分と枕元に置いてあった橘マユさん「うさぎ強盗には死んでもらう」(KADOKAWA)は何というか複雑にしてシンプルなラブストーリーといった同じか。出勤した女性の部屋で男と少女が置き忘れられていたスマートフォンを届けてあげるかどうかを話している。冷蔵庫から600円もするアイスを勝手に食べたらしく、その女性に怒られるかもといった会話がやがて2人が女性とは知り合いではないらしいことが見えてくる。空き巣。そんな2人が戯れているところにチャイムがなり、誰かが尋ねてきた。

 そして外から見張っていた青年は拉致をビジネスにしている会社の若手で、仕事して部屋にいる2人を殺害するよう命令され、同僚というか見張り役を2人引き連れ入ると空き巣はおらず男が死んでいて、連れて行った見張り役の2人も殺された。。青年は実は拉致ビジネスの会社で働きつつ、かつてその会社で殺害された彼女の仇を討とうと画策していた。そして空き巣は入っていた家の女性は、その拉致会社にさらわれたばかりだった。2人のうちの少女は殺し屋組織で育ったものの今は追われる身。そんな悪党ばかりの中に現れるのがうさぎ耳のついたフードを被ったうさぎ強盗なる少年。過去の因縁が縦軸として通り青年の復讐が横軸となって絡み、犯罪組織を追い詰め壊滅させる展開へと向かう群像劇が楽しい。成田良悟さん「バッカーノ!」や木崎ちあきさん「博多豚骨ラーメンズ」が好きな人なら興味が湧く1冊。

 デビュー作で角川文庫から新装版が出始めている「サクラダリセット」がアニメーションになり映画にもなる河野裕が創元推理文庫で書き下ろした「最良の嘘の最後のひと言」(創元推理文庫)を冒頭だけ。とある企業が超能力者を年収8000万円で迎えるという告知を出し、応募してきた7人から、1人だけを採用するという採用試験を行うことになって、そして始まった鬼ごっこのような採用試験の中でさまざまな超能力が飛び交い、出し抜いたりもしながら進んでいくといったストーリー。異能の対立だけではなく組み合わせがものを言うのは「サクラダリセット」と共通。騙し騙される中で真実を見抜く目を試されるSF&ミステリーになっていくのかな。週末に読み込もう、でも「騎士団長殺し」が先か。

 「鉄腕アトム」のお茶の水博士こと声優の勝田久さんが書かれた「昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち」(駒草出版、2200円)を読んで少し泣く。そこでは肝付兼太さんも富山敬さんも山田康雄さんも野沢那智さんも滝口順平さんも内海賢二さんも井上瑤さんも生きてらっしゃる。熊倉一雄さんも広川太一郎さんも納谷悟朗さんも大平透さんも皆さん現役ばりばりでいらっしゃる。今まさに活躍されている仕事に臨む姿といったものを見せて思いを語っていらっしゃる。どうしてなのか。

 それはこの本の列伝部分が、1981年つまりは昭和56年から1984年、昭和59年まで、今は無き秋田書店刊行のアニメーション雑誌「月刊マイアニメ」に連載された勝田久さん取材による声優たちの過去と今をつづったコラムが、当時の時間のままで掲載されたものだから。登場するみなさんは超ベテランではなく、まさにアニメーションなり洋画の吹き替えの第一線で活躍する現役の声優であり俳優で、今はすっかりベテランの古川登志夫さんなんかは若手だったりする、あとは神谷明さんか。

 大山のぶ代さん野沢雅子さん池田秀一さん小原乃梨子さん柴田秀勝さん冨田耕生さん小林清志さんら今もおられる方々も含め、昭和50年代後半、声優さんたちが今とは違うアニメ人気の中でどんな仕事をしていたか、そこまで何をして来たのかが分かる。そんな昭和の声優さんさちに通底するのは、別稿で振り返られる勝田久さん自身の歩みも含めて、誰もが演劇、舞台、役者としての自分を思い貫きとおしてそこにいるってこと。別に舞台に立つのが正統とは言ってはないけれど、でも動機として演劇があり役者としての芝居があって声の演技もそのひとつ、といった経歴を見るにつけ、声の仕事が独立して存在する今と熱量なり、雰囲気なりが同じなか、やっぱり違っているのか、ちょっと考えてみたいなあと思った。そこはだからやっぱり今の声優さんたちを追いかけた藤津亮太さん「声優語」を読むしかないかなあ。

 割と最近までこれがラストツアーだと知らずにいて驚いていたりするんだけれど、どうしてという思いもあればやっぱりという感情もあっていろいろと複雑。ただ上を向けばどこまでだって行けそうで、それでも行くためにはいろいろと切り捨てなくてはいけないものもあるなかで、自分たちの音楽を、サウンドを、バンドを貫くにはこのレベルでの公演がマストであり、そして今がベストだったんだろうなあ。だからここでいったんのピリオド。そしていつか……って考えて良いのかな。そんなカラスは真っ白のライブを渋谷のWWW Xで。

 すぐ隣のWWWとは違って段差がなくて平場でそれほど大きくもない中で、どんどんとお客さんが貼ってきてもうギチギチに。そんな開場を番号が良かったんで最前で、シミズコウヘイさんが前に出てギターを弾く正面に立ってその圧巻のギタープレーを間近に観ながら聞き遂げる。終幕にかけてだんだんと盛り上がっていく場内は、前へと向かって圧力が最前にかかりバーで腹筋を鍛えられたけれど、そんな状態からシミズコウヘイさんを見上げ斜めにヤギヌマカナさんを見上げラストまで。泣かせる煽りなく無理に慰めることもなしにごく通に、いつもからいつも以上のアクトをシミズコウヘイさんヤギヌマカナさんタイヘイさんオチ・ザ・ファンクさんとサポートのキーボード、トランペットとあとからしくんが見せてくれた。ビートが利いた名曲「ハイスピード無鉄砲」でピリオド。良かったよ。とても良かった。

 生でカラスは真っ白を見たのは同じ渋谷のパルコにあった2.5Dでの無料ライブで、これも最前でヨシヤマ”グルービー”ジュンさんの前あたりから観てやっぱりのサウンド、演奏、そしてヤギヌマカナさんの魅力にハマって以後、渋谷や代官山や恵比寿や日比谷野音へ行ったっけ。その旅もこれで終わる? 終わってしまう? いつかZeppから中野サンプラザを経て日本武道館へと行くバンドだと思っていたカラスは真っ白。今だってすぐそこに扉は開いていると思うのだけれど……。とはいえこれがラストならしっかりと目に「ハイスピード無鉄砲」までのアクトを残し場内が跳ねた一体感を身に覚えておこう。凄いバンドがいたと。そしていつかまた、再び出会える時があったら駆けつける。それだけだ。今はただ、カラスは真っ白というバンドが存在した時代を生きられて、そのステージを目の当たりにできたことを嬉しがろう。そして作られた幾つもの音楽を聴き続けよう。「FAKE FAKE」かけならがあそこでクラップとか。ね。


【2月23日】 ホラーでありSFであってミステリでもあるといった感じか、講談社タイガから出たオキシタケヒコさんによる「おそれミミズク あるいは彼岸の渡し綱」(720円)はとある田舎で叔母と叔父が経営している新聞配達店に居候している少年が、毎日曜日ごとに山中にある屋敷へと出向いて座敷労に捕らわれている片手と両足が不自由な少女ツナに怖い話を聞かせ続けて10年という、そんな設定があっていったい少女は何者か、といった疑問に対する答えがもたらされるけれどもそこにひとつ、ホラーでありちょっぴりSF的なニュアンスが漂う。人間から生まれる恐怖というエネルギー。それを食らう超次元的存在を宇宙人と呼ぶべきか、それとも妖怪を呼ぶべきかでジャンルが分かれ、あるいは融合する。

 そこに絡んでくるミステリとしての要素。シャーロック・ホームズもかくやといった感じに依頼主の難題を解き明かしていく謎めいた男がいて、その正体はホラー雑誌の副編集長ながらも全国各地を放浪中。その彼がミミズクと少女から呼ばれている瑞樹という少年につきまとっている怪異の謎を根拠を持って解き明かしてのけるあたりは、ホラーに逃げないミステリとしての謎解きの楽しみがあるって言えそう。知識があって観察力があって技術も伴って成り立つ技。そんな技がホラー的、あるいはSF的といった現象をも含めて解き明かしては良い方向へと導いていく展開が面白い。人間が抱く恐怖の心を糧にして生きる存在を、どうやって生き続けさせるのか。その難問に対する答えにニヤリ。まさか作家自身がそういう依頼をこなすために動いているのでは、なんてことはないかな。伝奇に見えてSFだった「筺底のエルピス」とも通じる設定。SFもホラーもミステリも問わず読んでみよう。

 せっかくだからとパシフィコ横浜まで出かけて「CP+2017」を覗いたけれどもほとんど何も見るものがなかったというか。つまりはカメラの展示会だけれどニコンもキャノンもフラッグシップになるような新製品を発表しておらず、オリンパスもソニーも共にメジャーとはちょっと一線を画したメーカーで大勢を集める材料には乏しい。我らがペンタックスが新型機の「PENTAX KP」ってのを出していて、中級機でもってコンパクトでISOの感度が無茶苦茶高くて使うに便利そうではあったものの、フルサイズデジタル一眼のフラッグシップ「PENTAX K」を去年に出してしまっているからやっぱり引っ張るだけの話題性には欠けている。パナソニックも似たようなもの。シグマの「sd Quattro」って安倍吉俊さんの同人誌で沼扱いされたカメラもあったけれど、その扱いどおりに色物だからなあ。いや真剣に使うと面白いカメラではあるんだろうけれど。

 だったらアクションカムはと見てもニコンがあるくらいで他はちょぼちょぼ。去年あたりまでは3社くらいがいたようなドローンも今年はDJIだけで、流行しているとはいいながらも栄枯盛衰の激しさって奴を感じさせる。そういえば3月と4月に幕張メッセで立て続けにドローンの展示会が開かれるけれど、片方なんて未だに出展社を募集しているものなあ、産業となるにはまだまだ利用が少なく、メーカーの方も格差が進んで来ている感じ。そんな業界から金をむしりとろうと媒体とか立ちあげたって人件費とか経費に見合った収益なんて得られないのに。いやどこって話じゃないけれど。そんな中で見てこれはと思ったのはZEISSが出してたVRゴーグルくりあかなあ。スマホを挟んで見るタイプだけれどツァイスだけあってレンズが良いのか歪まない。そして発色が良い。これでコンテンツをスマホに落として見たらいったいどんな感じに見えるだろう。ちょっと欲しくなったけど、それにはまずスマホから揃えないといけないのだった。VRもやっぱり旗頭にはならないか。来年はもうちょっと賑わうと良いけれど。

 早々に退散をしてその足で横浜美術館へと回って「篠山紀信展 写真力」を見る。宮沢りえさんがぶるんとしていた。もうとてつもなくぷるんとしていてしばらく見入ってしまった。ぷるんぷるんじゃない。それだと何か揺れ動いたり垂れ下がってりしていそうな印象が漂うけれども、宮沢りえさんのそれはぷっくりとふくらんではしかりと前を向き、それでいて下がらず揺れもしないで柔らかさと確かさを持ってそこに存在し続けるといった具合。そこからあと何年かすればぷるんぷるんになったかもしれず、何年か前だとぷくっといったニュアンスの印象を抱いたかもしれない。まさに絶妙にして絶好の時期を篠山紀信さんはとらえた。そういう巧さと運が篠山紀信さんをして長くグラビア写真家のトップに君臨させ続けているんだろう。

 とにかく巧い。どれも適当にばちばちと撮っているように見えて1枚1枚が被写体を考え背景をマッチさせ構図を工夫して撮っている。東京都庁をばっくに座頭市の構えを見せた勝新太郎さんなんて背景とのバランスもポーズも最高。水の入ったボートに寝そべる山口百恵さんもその瞬間をとらえつつ肢体の投げ出された感じ、表情のふっと気が抜けたようなところを絶妙なタイミングで抑えてある。そんな瞬間芸の極致を見せる一方で、両国国技館に当時の全力士と全行事を集めて大判のカメラをそれでも何回かに分けて映して繋げて1枚の中に全力士と全行事が入るようにした写真なんかは合成もありながら瞬間をとらえた感じを醸し出す。凄いなあ、やっぱり。

 最近の歌舞伎役者の表情をとらえていった縦長のポートレートとかはまさに平成の大首絵。1枚1枚が写楽の浮世絵にも並ぶアングルと迫力を持っている。そんな篠山紀信さんが展覧会の最後に持ってきたのが東日本大震災で被災した人たちのポートレートで、おそらくはまだ復興途上の背景に立つ様々な人のその瞬間を、笑顔とかではなく怒り顔でもないまっさらな表情でもってとらえて並べている。今はまだそんな時なんだ、って気分をそこに定着させつつ、そんな表情を持った人たちが大勢いる状況をただ撮ろう、そして伝えようとしたんだろう。悲痛とは違うけれど決意でもない、呆然とも違って決然には至らない時間を経て今、篠山紀信さんは被災地の人たちをどう撮るだろう。そんな興味も浮かんだけれど脳内にはやっぱり宮沢りえさんのぷるんが残っている。本当にぷるんだったなあ。ぷるん。

 常設展でも林忠彦さんとか桑原甲子雄さん、土門拳さんといった写真家たちのスナップやポートレートが展示してあって写真美術館以上の充実ぶり。ざっとながめて下に降りると「わからないブタ」でベルリン国際映画祭の銀熊賞を受賞した和田淳さんの新作「私の沼」ってのを上映していてしばし見入る。部屋の中を5面のスクリーンに見立ててそれぞれに「私の沼」という同じタイトルの、けれども中身の違う映像を投影してはバラバラに進んでいるようで、関連しているような流れにして全体像としてひとつの世界って奴を作り上げる。

 沼のほとりで女性が喋りつつ犬を抱えたり手放していたり、床で赤ん坊が遊んでいたり、ネコヤナギを猫が食べていたり、沼のほとりで子供か小人が魚を釣り上げ崇めていたり。あと何かノイズめいたものだけが流れる1枚があってそれらが最後、繋がるような余韻を残すのは何だろう、1人の心に浮かぶ諸々をそれぞれに描いてみたって感じなのか。思考は一直線ではなく沼のように各所で違った様相を見せる。でも結局は1人の思考、1つの沼。そんな意味合いか。はっきりしたことは分からないけれど、どれを見て良いか迷いつつどれも見てみようと思いつつ、見逃してまた見て他を見逃しているのもまた、ひとつのことに集中し続けられない人間の思考のフローぶりを示していると言えそう。映画館では再現不能なあの感じ。行って体験するしかない。


【2月22日】 東京ゲームショウが2017年も開催されるみたいで、その概要発表会を見物にホテルニューオータニへ。昔はいろいろな会見とかが開かれパーティーなんかもいっぱいあって、それこそ月に1回は寄っていたような記憶もあるけど、最近はまるでそうした機会がなく、同じ東京ゲームショウ2016の発表会見に来たとき以来、1年ぶりじゃないかとすら思えてたりする。本当にそうかもしれないけれど、中はとりたてて変わらず、通路から見えるテニスコートでテニスに勤しむ人も相変わらずいて、セレブってのはどこの世界にも存在するんだなあといった思いもひとしお。ホテルオークラが建て直しに入り、赤坂プリンスホテルは消えて巨大な四角いビルになってしまった今、東京都内の1990年代的な雰囲気を残したホテルとしていつまでも続いて欲しいもの。建て直しとかって話、別にないよね?

 東京ゲームショウ2017は去年はVRだったコーナーにARが加わって、「VR/ARコーナー」になるみたい。やっぱり「Pockemon GO」のヒットがそうさせたんだろうと思うけれど、ヘッドマウントディスプレイを被せれば何とかそれといったものを楽しんでもらえるVRと違って、現実空間に何かを重ねないといけないARを移動しないブースのような場所で見せるのって大変そう。あとは機材か。ホロレンズとかって出てはいるけどまだ高いし、かといってエプソンとかが出している小さいモニターでは何を楽しんでもらうことって出来そうもないからなあ。何をどうやって見せるのか、そんな工夫も観て将来来るものを考えよう。

 そして昼はカレー。本当はCoCo壱番屋で野菜カレーを食べたかったけれども赤坂の店に寄ったら混んでて入れず、ほかにC&Cとか見当たらなかったんで次の仕事があった東銀座まで行って、ゆで太郎で400円のそば屋のカレーを食べる。ちょっぴり肉片が入っていたのはフレンズたちに申し訳なかったかなあ。何でカレーかはつまりは「けものフレンズ」の第7話「じゃぱりとしょかん」でかばんちゃんとサーバルちゃんがボスといっしょにやって来た図書館で、出会ったアフリカオオコノハズクとワシミミズクのペアがかばんちゃんの正体を教える代わりに要求したのが“料理”というものを作ること。フレンズたちは人間に見えて元は動物なんで料理をして食べるといったことはせず、かといって草木を食べている訳でもなくじゃぱりまんを拾うかもらうかして食べて栄養補給をしている。

 でもそれではせっかくフレンズになって人みたいになったのに勿体ないと、ヒトはいないかと探し図書館へと来る途中の道に細工もしてヒトを峻別できるようにしていたら引っかかったのがかばんちゃん。板をみていきなり字を読み出したかばんちゃんに何をいきなり言い出すんだと訝ったサーバルちゃんを見るにつけ、フレンズたちには文字といった概念はなくそれを読むこともせず、だから文字を読んで喋ったかばんちゃんが何を級に喋り出したのか分からなかったってことみたい。そういう部分の細かさが、世界設定のどこかシリアスでダークな部分に信憑性を持たせているとも言えそう。いよいよもってヒトだと判定されたかばんちゃんに向かって、絶滅したといってのけたりもする辺り、だったらかばんちゃんは何者なんだって不安が浮かんでその先、どうなるんだって興味も湧いてくる。

 でもってストーリーの方で、暗くはならずでへこたれないでカレー作りに挑むかばんちゃんと、そしてサポートとして野菜をその鋭い爪で細切れにしているサーバルちゃんの仲の良さってのがつづられる。食べきれないくらいに細切れにしたけどそれを見てかばんちゃん、多すぎるとか愚痴なんていわずにすごいありがとうって素直に出てきた。何かしてもらったらお礼を言うし困っていたら助けてあげる。人間以上に人間らしい優しさってのが見えて気持ちが楽になる。それだけにもうどこにもいないかもしれないヒトを探してジャパリパークを行くかばんちゃんとサーバルちゃんとボスに、どんな結末が待ち受けているかが今は興味津々。たぶん全世界的な興味だけれど次はちょっと一服かな、PPPのライブがあるみたいで。どんな感じに歌うんだろう。そしてオープニングでまた増えたシルエットを埋めるのは何か。残る1カ月、やっぱり目が離せない。

 東銀座では鉄腕アトムのロボットを組み立てるパートワークが出たって発表会。それにしてもすごいメディアの数なのは、やっぱり鉄腕アトムというタイトルが、そうしたオールディーズなテレビとか新聞とかにはフックになると考えているから、なんだろう。中身はそれほど凄いかって感じでもなく、デアゴスティーニが出してたRobiの方が動きも喋りも結構凄かったりするんだけれど、外側が鉄腕アトムである、っていった認識がそれを報じれば誰もが見てくれるって認識になってメディアを会見へと向かわせたんだろう。

 でも現実、テレビアニメーションから50年以上が経ち漫画からだと65年も経って還暦ですら過ぎている訳で、そうしたものを自分のものとして感じている人で、ロボット作りに興味もある人がいったいどれだけいるのか。代名詞としては知っていても興味の向かわないものを、旧態依然とした知名度で持ち上げ報じつつ作って世に出して大丈夫なのって気もしないでもない。むしろガンダムとかマルチの方が若い人には知られているかなあ、それすらもやっぱりオールディーズな感じかもしれないなあ。果たしてどれだけ売れるのか、Robiを上回ることは出来るのか、ロボットとしての雰囲気は悪くないだけに外側の知名度の是非が明暗を分ける可能性を想像しつつ、行方を見守っていこう。

 終わって東銀座から都営浅草線で三田まで行って、バンダイナムコエンターテインメントでもって「城崎広告」という何かよく分からないプロジェクトの発表会を見る。いや、自分には割とすんなり理解できたけれども、普通の経済記者とかが聞いたらいったこれは何なんだろうと首をかしげたかもしれない。「城崎広告」というのは広告代理店の名前で、それはバンダイナムコエンターテインメントが立ちあげたキャラクターみたいなもので、架空の広告代理店というものを設定して、そこに所属しているイケメンの社員たちがいて、いろいろと活躍をしている姿を眺めて楽しむ。765プロダクションに所属しているアイドルをながめるようなものといったところか。

 ただし「城崎広告」の社員たちは、765プロダクションのアイドルのように育成して楽しむってものではなく、彼らは彼らとしてとあるPR案件を受託してそれをどうやって事業化するかをいろいろ考えていて、その頑張りや努力を見てキュンとする、といった感じになっている。なおかつそこで受託する案件というのが、リアルな企業のリアルな商品だったりして、今回はサンスター文具の商品を受託して「城崎広告」のメンバーがあれやこれや話し合い、企画を提案して世に訴えていく流れになっている。リアルな有名広告プランナーがいて、いろいろと企画を立案してプレゼンをして勝利し世に出して流行らせるようなストーリーを、架空のキャラクターでやるようなものとでも言えば良いか。

 ただ、そこでリアルなプランナーには直接は抱きづらい共感も、バーチャルなイケメンキャラクターだったら最初からずっと見て、その頑張りにほだされていくといったストーリーから抱いていけるし、そうやって世に出た企画の成果を嬉しさとともに噛みしめて、商品への愛着を抱くといった結果も得られる。架空の広告代理店でありながらも、というか架空だからこそのファンの関心を集め、そこが介在することによって仕事の成果にも関心を向けさせる一石二鳥なプロジェクト。面白いけれどもそれが流行るには、キャラクターへの共感って奴を醸成する必要がありそう。どんな属性でどんな雰囲気を漂わせながら業務をこなしていくのか。そんなシナリオをしっかり整え、そうとは思わせないで世に出していくクリエイティブが果たして出来るかに、まずは注目したいところ。個人的にはイケメン男子には興味がないんで、社長の城之崎律子さんのファンになろう。彼女、どんな仕事ぶりを見せるんだろう。


【2月21日】 朝から汐留シオサイトへと寄ってBOATRACE振興会が各地で展示しているVR+MX4Dのボートレース体験アトラクションに乗ってくる。映画館においてある動くシートのMX4Dの上で、ボートレースをやっているVR映像をヘッドマウントディスプレイで観るっていう趣向なんだけれど映像の展開とシートの揺れがシンクロし、そこに前を走るボートから飛び散るしぶきもかかって結構な没入感を得られる。よくあるジェットコースターのVRよりも、リアルなボート競技を体験できるいって意味で、面白いし貴重かも。というかボートレースってあんな感じにほかのボートと競り合っていたんだなあ。インをとれば勝ちとかいうけど、観たより速い速度で重力もある中でボートを操作するのは大変そう。そういうのが出来るVRアトラクションが出来ればやりにいくかもなあ。

 PUB虐殺器官へと寄った時に配慮した宮澤伊織さんの「裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル」(ハヤカワ文庫JA、780円)を読んで、とりあえずなんて面倒くさい女子たちなんだと思ったりしたというか。まずは紙越空魚の方だけれども過去に結構厄介ごとがあったようで、今は埼玉にある大学に通っているけど学費なんかがかつかつで、それで現実から逃避する思いでもあったのか、ネットをあさって出てきた都市伝説というかネットロアから異世界へと行く通路を見つけて入り込み、喜んだもののそこは予想以上に怖くて危険な場所だった。

 くねくねと動く妙な白い人っぽいものがいて、見ているだけで心を持って行かれるような気になってしまう。もうヤバくて倒れそうになっていたところに、なぜかやっぱり入り込んでいた美少女と出会って2人でどうにかこうにかその「くねくね」を退治すると奇妙な物体が残った。もしかしてドロップアイテムの類か。そんなファンタジーRPGのような世界観ではなく、もっと奇妙なものだったようだけれどもとりあえず、空魚はその少女、仁科鳥子と出会ってそのまま何度か裏側の世界へと足を運ぶようになる。

 聞くと冴月という少女と前はいっしょに入っていた鳥子だったけれど、冴月がいなくなってしまってその後を追って行方を探しに裏側の世界へと来ていたらしい。そう聞けばどこが面倒なって話になるけれど、落ちていたのを拾ったといって銃器などを平気で扱うし、空魚を強引に誘って仲間にする割には冴月のことばかりを言って空魚の友だちが出来たといった喜びの気分に竿を差す。2人で打ち上げをしてのんびりとしているようで、早く行かないと冴月が死んでしまうかもしれないと飛びこんでいくこともあって、どこかズレが性格に空魚は振り回される。

 だったら空魚が冷静かというと、自分が蔑ろにされた気分が裏側の世界で魔物のようなもおに魅入られて誘われてしまう。「八尺様」という巨大で人間の心に作用する怪異。それをどうにか退けたり、鳥子がパートナーにしていた冴月の知り合いだったらしい、まだ若い認知学者の小桜の所へと行って謎を探ったりしながら過ぎていった日常の中で、鳥子と空魚は沖縄にいた米軍が訓練中に迷い込んでしまったらしい場所に行き当たって、プロの軍隊ですら壊滅へと追いやる怪物の攻撃を逃げ出したりもしていった果て。喧嘩した鳥子がひとりで向かった裏側の世界へ、空魚は小桜も引き連れる形で入り込んではその行方を追っていく。

 よくある一反木綿や塗り壁やぬらりひょんといった妖怪変化の類とは違って、「くねくね」であり「八尺様」であり「きさらぎ駅」であり「時空のおっさん」といった、ネットで噂になっている怪異が現れ迫ってくるだけあって、常識や知識では太刀打ちできない怖さといったものが漂い出す。慣れていないとでも言い換えられようか。クトゥルーの邪神ですら何かフォーマットの上で対応できそうな気がしても、裏世界に現れる怪異にはどうやって対抗したら良いのかが分からない。

 ふと気がつくと街中から引きずり込まれたりもしていて、誰がどうやって空魚たちを迷わせているかも気になる。だから怖いけれど、それでも自分といったものから発露する恐怖心が、ネットという場を漂った挙げ句に溜まって生まれたネットロアというものを、逆に考えそこには人間から発露した恐怖心があるんだと考え払拭する方法を考えることで、対抗できそうな気もしてくる。空魚と鳥子は、そして小桜もいれた3人はいったい裏世界をどうやって攻略していくのか。オープンエンドで終わったようなところもあるだけに、続きがあれば読んでみたい。でもやっぱり自分は入り込みたくないなあ。どこかぬぽぽんとした少女2人が異世界で異形に遭うっていうシチュエーションは、粟岳高弘さんをちょっと思い浮かべた。裸でもないしふんどしでもないけれど。

 文化放送の和田昌之さんがパーソナリティを務めている番組の特別編で、あの富野由悠季監督と片渕須直監督が対談する企画があって、ネットに流れているのを見たらとっても面白かった。まつ富野さんが「この世界の片隅に」を見たきっかけを話していて、原作を2015年には読んでいるんだけれどその時にはもう、アニメーションの製作が始まっていると知ってショックだったという。それこそ「好きな作品だったからアニメになったんで観たくなかったんですよ」と富野さん。「だいたい映画って原作より悪くなるから」とは至言。だから最初は渋っていたけど、映画館の前を通りかかってちょうど始まると分かって、立ち見だったけれども入って2時間ちょっとを立ち見で観られるくらいに良かったと感じたら意思。「悔しいけれど良い出来の映画で腹が立った。嫉妬心むらむらです」。褒めているのか怒っているのかが分からないところがいかにも富野さんらしい。

 意外なことに富野さんは「片渕監督の名前を知らなかった。こいつうまいよねとショックだった」そうで、同じ日大芸術学部映画学科でありながらも歳が20年は離れていると気づかないというか、同じアニメーション界で仕事をしていても、すれ違わない時はまったくすれ違わないと分かって面白かった。富野さんだからこそ周囲を気にせず突っ走れるんだろうけれど。そんな片渕さんの「この世界の片隅に」に関する富野さんの感想がまた面白かった「当たり前の作り方をしている」。多分、戦争がテーマになった時にやっぱりいろいろな演出があって描き方があってとその文法に乗ってしまうのが富野さんたちの世代。そこからガラリと変わっていることに「フィーリングが根本的に違うのね。世代が変わったんだなあ。でも、この部分を」きちんと認めていかないと」とも話していたところが、良いものは良いとみとめるこれも富野さんらしさが現れていた。

 あとは技術論で、「中割で、つまらないところまで枚数入れている。こういうことよねえとう、それが見えました」と富野さん。つまらないというのは無駄って意味ではなく、テレビアニメーションのように毎週を忙しく作っている監督なら、手間を考えて省くようなところにも丁寧に動画を入れて描いているってことの表現。受けて片渕監督は「中3枚のところを11枚入れたりしている」と話していて、富野さんをうらやましがらせていた。「毎日作り続けていかなければ生きていけない恐怖感から作っていた。制作の言うことを少しは聞かないといけないので、中3枚で済むところを中5枚までは許容できても、8枚10枚は許容できなかった」と富野さん。それが11枚だからもう驚いただろう。「着物で歩いている1歩はとても短いけれど、そこに中10枚入れられたらアニメーターはたまったもんじゃない。でもやっている」。

 ただ、それも決して作画の凄さを自慢しようとやっていた訳じゃないってのが片渕監督の事情で、富野さんがデジタルでやった方が速いよと言っても「デジタルに回すお金がなかった。技術的な闘志や経験を積んでいる時間がなかった。あらゆるものを自分達が持っているものでどれだけできるか。になった」と話して、ギリギリの中でとった手段らしいことを訴えていた。一方で「この原作と出会ったのは一期一会だったので、思うように完成させないと悔いが残る」とも。どうせ動かすのなら思い通りに思いいっぱいに動かしたいっていう考えが、慣れた手法の中で中割11枚とかってカットを生んだんだろう。着物の柄がズレていくのもすべて手描き。でもぬるぬるとはしないところがやっぱり凄い。改めて映画を観たらそのあたり、どれくら動いているのかを確認してこよう。


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