縮刷版2017年11月下旬号


【11月30日】 という訳で「機動戦士ガンダム サンダーボルト BANDIT FLOWERを夜のTOHOシネマズ上野で見てくる。でっかい画面と大きな音響で鑑賞してこその作品だという気が強くあって、観られる時に観ておいた方が良いって理解が働いた。そしてやっぱり途中で鳴り響くジャズとかポップスとか民謡に心躍らせ、エンディングの「色悪」もグルーブする感じは映画館で音に包まれるような環境で聞いてこそ心をこね回すのだ。キャラクターではビアンカ・カーライルも良いけれど、だんだんお気に入りになって来たのがホワイトベースみたいなスパルタンでオペレーターをやってるメグ・リーム。セイラさんみたいなツンとした表情とすらっとした肢体がとても良いのだ。何歳くらいの設定なんだろう。彼氏はいるのかな。ビンセント艦長が怪しいな。

 そして見た「BLACK LAGOON Roberta’s Blood Trail」の第2話は、暑さにうだりながらレヴィと戯れるロックのところに巨乳のロベルタがやってきては戦いを挑むという展開で、手にしたメンコを投げてはひっくり返せば勝ちという戦いの中でレヴィが一気に3枚をひっくり返すという腕前を見せてロベルタを圧倒して師と呼ばれる身になると……ってそれ「BLACK LAGOON」じゃない「だがしかし」だ。同じ時間帯を毎週録画予約していた関係で第2期が終わって違う番組が始まってもそのまま録画され続けているのだった。オープニングに枝垂ほたるののけぞりもはいって登場人物は勢揃い。田舎を舞台にした駄菓子の知識を巡る戦いが繰り広げられるのであったという。第2期っていつからだったっけ。

 これはやっぱり相当に理解が及んでないとしか言えなさそうな日馬富士関による引退会見でのやりとり。まずもってけがを負わせた貴ノ岩関への直接的な謝罪の言葉がない上に、弟弟子を思って叱ったことが行き過ぎたといった判断を下して、その失跡的な行為そのものに一切の非はないといったスタンスを表している。違うだろうって、弟弟子じゃないだろうって、同郷の後輩ではあっても部屋が違う身内でもない力士を勝手に弟弟子よばわりし、その素行に親方でもないのに注文をつけて自分が気に入らないとなったら激しく殴ってけがを負わせる。そんな非礼で無礼なふるまいを「弟弟子だから」「かわいがりだから」と言って正当化しようとしている口を伊勢ヶ浜親方は速攻、注意すべきだった。

 でも伊勢ヶ浜親方も一緒になって日馬富士関は悪くないといったスタンスをとり続け、それでも騒がせてしまったことへの自発的な責任としての引退だったといった雰囲気を醸し出そうする。これにはさすがに協会べったりで白鵬関やら日馬富士関やらに見方をしていたスポーツ紙の記者たちも戸惑ったのか、反省の弁がないといった記事をいろいろと書いて非難を行っている。それを進歩とみるかようやく普通になっただけと観るかは判断の分かれるところだけれど、貴乃花親方と貴ノ岩関にネガティブな情報を流して協会と横綱衆に与してきたスポーツ紙でも、事態がかばって済むものではないと気付き始めているのかもしれない。味方しすぎては引きずり込まれる。そんなところか。

 いずれ事情聴取も終わり、力士たちの間で矛盾も出てくる中で合わせようとした口裏も崩れて本当のことが浮かび上がった時に、自分がどれだけの非難を浴びるかといった予想もあったからこそ引退を選んだんだろうにもかかわらず、大勢の前では未だ自分に非はないといった態度を見せ続けなくてはいけないところに状況の複雑さが見て取れる。それが日馬富士関の保身なのか、もっと別のモンゴル力全体、あるいは日本相撲協会という組織全体の屋台骨に関わる問題が潜んでいるからなのかもしれないなあ。防衛のためには違うことでも言い続けなくてはならないけれど、違うことを言い続けたから防衛が失敗したなんて未来がちょっと想像できて辛い。今を生き延びられればそれで良いという刹那主義が相撲界も世間も蝕んでいるなあ。

 しばらく来なかった案内状が届いたんで、久々にバンダイによるフィギュアのお祭り「TAMASHII NATION」の内覧会に行く。2008年3月にTAMASHII NATIONSっていうバンダイのコレクター事業部が作ったコレクターズ商品の統一ブランドが立ち上がるのを取材してから約10年。マスに向けたおもちゃが本流のバンダイにあってマニア向けとしてどこかサイドビジネス的な雰囲気もあったものが、今やバンダイでも主力の事業になったみたいで、当時のコレクター事業部を率いていた川口勝さんが今やバンダイの社長にまでなってしまった。それはマニア的な心理としては面白いことだけれど、広くあまねく子供たちに向けて遊びそのものの楽しさを編み出し玩具の形にして伝えるおもちゃメーカーとしてどうなんだ、って考えた時にいろいろと浮かぶ思いがある。

 まあでもバンダイの場合は、元からプリキュアであり仮面ライダーでありウルトラマンでありスーパー戦隊でありといった具合にキャラクターをハンドリングしながらそこに楽しさを乗せていく事業で来た会社であって、そうしたキャラクターで育った世代が大きくなってより濃いキャラクター商品を欲しくなっているのに答えるという意味で、世代を超えて顧客を引き寄せ続けていると言えるのかもしれない。より濃くより深く。そんなファンが海洋堂とかグッドスマイルカンパニーに行ってしまうなら自分たちの力で商品をつくって囲い込んでおく。そうした事業ポートフォリオのひとつのパートとして、10年かけて育って来たんだと見るのがこの場合は良いのかもしれない。

 始まった頃と違ってあれもこれもそれもどれも撮影禁止になっていたのはネットが発達して画像が広く拡散されて、それを見てもう来なければいいやと思ってしまう人が増えるのと、まだ未完成の品が完成品として流布されてしまうのを権利元がいやがっているのと、どちらなんだろうか両方なんだろうな。そこまで気にするかというとファンは細部まで気にはしてなくて、出れば買うといった感じだと思うんだけれどささいなポイントでも見逃さずあげつらった見解がフレームアップされ拡散されやすい環境を考えると、完璧な状態のものを出したいという意識が働いても仕方ないのかもしれない。

 とりあえずそうした撮影禁止の新製品では「シン・ゴジラ」のゴジラなんかがピカピカ光って綺麗だったし、「ストライクガンダム」の大きなフィギュアが大きい上に精緻で工業製品として、そして芸術としてひとつの領域まで達してた。飾ったら格好いいだろうけれど、飾る場所なんて家のどこにもないのだった。そういうものだ。会場は2つあってベルサール秋葉原の方は過去の製品がずらり。個人的にはこっちの方がいろいろ見られて楽しかったかな。12月1日から3日まで。東京コミコン2017とモロかぶりだけれど主客大丈夫なんだろうか。行く人はどっちも行くから大丈夫なんだろうな。


【11月29日】 僕は好きだなあ、「ガールズ&パンツァー」の5周年を記念して作られたという実写ムービー。女子高生たちが体操着姿でダンスしながら戦車を洗車するというだじゃれも利いて見るからに楽しげな映像は、「ガールズ&パンツァー」というストーリーとはまた別に女子高生たちの躍動する姿が見られてうきうきとしてくる。過去にもたとえばポカリスエットであるとか、高校野球なんかを題材に女子高生とか男子も含めた若い人たちがダンスをするムービーが作られ話題になった。運動している姿、それがダンスという見て楽しいものを演じているという喜びを感じられる映像だったから。

 「ガールズ&パンツァー」の実写ムービーもそうした一連の流れに乗ったものとして見れば作品とあまり関わりがなくても楽しめるんじゃなかろーか。戦車も出てきて学園艦も見られてそれなりに作品への愛も感じられるし。願うならこれが劇場の巨大なスクリーンで流れ、4号戦車をバックに22人の大洗女子学園戦車道専攻の面々を模したと思われる女子たちが、めいっぱいい躍る姿を見られたら。なんて思うけれども反対する人も多そうなんでそれはあり得ないかなあ。1度や2度はあっても良いかなあ。それにしても蝶野正洋さん、ガルパン広報大使としてちゃんと登場してくれてありがたい。あんこう祭りにも行かれたみたい。そんな愛が認めた映像なんだから、みんな愛そう。

 TBSラジオがプロ野球中継を今シーズン限りで止めてしまうという話が正式に発表になったみたいで、長くラジオの花形番組だったプロ野球中継ですら、鍵となる試合どころかすべて取りやめになってしまうくらいに、プロ野球というスポーツへのマスの関心が薄れていると言えるのかも知れない。ナイター聞くよりネットでチャットかゲーム。そんな若者気質に変わっているとも言える。もちろん野球場へとかけつけ試合を応援する人たちは一定数いて、巨人戦とか阪神戦とか広島戦なんかは満杯が続くような繁盛ぶりを見せている。最近だと横浜戦なんかもスタジアムの改修とかチームの活躍とかあって人気になっているのかな。聞くから見るへスポーツ観戦の中心が変わっている、あるいは原点に回帰している現れなのかもしれない。

 ここで気になるのがラジオ局にとって花形ポジションだったとも言えそうなプロ野球の実況アナウンサーがもう育たなくなるのかもしれないといった不安。スポーツアナウンサーには別に競馬中継の実況アナウンサーという職業もありそうだけれど、これは結構特殊な職種でそっちにどっぷりハマってしまうと他のスポーツ中継には感覚が合わなくなるような気がする。刻々と状況が変わる競馬実況とゆったりと進みながら選手のエピソードなんかもはさみ解説者にも喋らせるプロ野球の実況は、確かに同じスポーツアナウンサーといってもタイプが違うような気がする。

 つまりはどちらも特殊なスキルが求められる仕事であるにも関わらず、中継がなくなってしまうと新しく入ってきたアナウンサーがプロ野球中継の現場で実況を学ぶことができなくなってしまう。そして育たなくなってしまう。そうなって10年、20年が経って後、いったい誰がどうやってプロ野球をラジオで中継するんだろう。それとももはやラジオという音声だけのメディアは存在せず、インプラントされたデバイスによって電波をキャッチしそれに音声だけでなく映像も乗って脳内で再生されるようになるんだろうか。そうならなくてもARデバイスのようなものに映像ごと映し出されるなろうか。実況も画像認識でAIが行うようになったりして。そんな未来も想像してしまった一件。どんな反響が出るかなあ。

 そして横綱日馬富士関が引退を発表。貴ノ岩関への激しい暴行は場所中ではなく稽古中でもなく巡業での取組中でもない半ばプライベートな飲食の場で行われたもので、なおかつ貴ノ岩関としては断るに断れない恩師からの誘いに答えて出向いた先から流れた場所に、予想もしなかったモンゴル出身の横綱3人がいたという状況下でふるわれた暴力なだけに、そこにスポーツ界隈にありがちなしごきとか指導とかかわいがりといった概念を当てはめるのは無理がある。もしも場所中稽古中巡業中だったら貴乃花親方もこれだけ態度は硬化させなかっただろう。何かある。その何かをしっかりと明らかにするなり排除するためにかたくなに口を閉ざし貴ノ岩関を守ろうとした。日馬富士関はその壁を押しつぶせなかったってことだろう。そりゃあ無理だ。理がないから。だから引退した。

 あるいは途中、日馬富士関と伊勢ヶ浜親方が事態の深刻さであり、底流にある貴乃花親方の不信感を感じ取って徹底した謝罪を行い、九州場所への出場辞退を申し出ていたら、貴乃花親方も被害届を取り下げて事態を穏便に済ませつつ日馬富士関の復帰を可能にし、そして日本国籍の取得から親方へと向かう進路を認めたかもしれない。でもそうはならなかったからこそのこの事態。協会も伊勢ヶ浜親方もこれが通ると思っていたのかなあ。だとしたらやっぱり甘かったし、その甘さはこれを機会に滅せられなければならない。引退の会見でも貴ノ岩関や貴乃花親方への謝罪めいたことは言わなかったとか。やっぱり分かってないか分かろうとしてないのか。そこも含めて至極当然の帰結となった一件。さらに来るか刑事処罰。そこも含めてまだ目が離せない。

 サンフランシスコにおける慰安婦像の建立とそしてサンフランシスコ市への寄贈に絡んで姉妹都市提携をしていた大阪市が解消へと向かって突き進んでいることに、シカゴ大学教授の山口一男さんが冷静かつ論理的にそれがどれだけヤバい話で日本の立場を悪くするかを説いている。まず姉妹都市提携に政治的な話を持ち込んだ愚を指摘し、また過去の大日本帝国の軍隊が戦争という異常な状況下で起こした悲惨な事態はそれを非難しつつ、一方で今の日本人はその反省の上に築かれた民主国家で生まれ育った者たちであって慰安婦蔵によって批判されている当事者ではないし、多くはそう感じていないという指摘を行っている。まさにしかり。祖父母の代のしでかした事態を子孫として非難されている気になる人もいそうだけれど、それは戦争の悲劇と割り切ることをまずは説くべきといった気がする。

 でもそうはせず、我らのことと勝手に決めつけ自分が侮辱されたかのごとく怒っては突っ込み自爆という惨状を積み上げる。結果、日本は人権にルーズな国と非難され言論の自由にも乏しい国だと非難されて世界の先端から取り残されていく。まさに国辱的ともいえる行為であるにも関わらず、当人たちはまったくそうは思っていないのは、ひたすら国内の持ち上げてくれる勢力に向かい頑張ってますとアピールできているためであって、そうやって一部で盛り上がり慰撫し合っているかたわらで、世界の中でこの国の立場は沈んでいく。それで自分たちはまるで構わないといった感性は、まるで戦前の軍部といったところでこの先戦中の大本営発表へと至りそして現実の惨状を知らないまま唐突な敗戦へと至るんだろう。あるいは東京オリンピック2020の女性選手からのボイコットなんて事態が起こって、ようやく気付くのかなあ、気付かないだろうなあ不遜な輩と非難するだけで。やれやれ。


【11月28日】 ようやくやっと見た「機動戦士ガンダム サンダーボルト BANDIT FLOWER」はやっぱりビアンカ・カーライルのベタベタしてないけれどツンケンともしていない女兵士っぷりが格好良くって戦場にそんなキャラクターがT人いたら士気もあがりそう。イオ・フレミングが南洋同盟のド・ダイに乗っていたクローディアを見つけて飛び出していった時もその関係に嫉妬めいた感情は入れずモトカノだと認識した上で、イオが乗るアトラスガンダムを支えるブースターを操りつつしっかりサポートするし、それより前の極地での戦いでも海中に落ちて水圧に潰されそうになったイオとアトラスガンダムを引っ張り上げる。

 その直前には敵と戦って追い詰めつつも追い詰められて絶体絶命の場面でおびえず何か覚悟していた感じすら見せていたところに歴戦っぷりが感じ取れる。全身にいれられた所属部隊を表す焼き印めいたタトゥーを誇りはしないし卑下もしないであっさり見せて刻んでいく潔さ。どうしたらああいったキャラクターができたのか、でもってイオと競り合うくらいにジャズに詳しくピアノだって弾けるのかが知りたくなって来たけど、そういう過去に迫るようなエピソードってこの先あるのかなあ。そもそも歳はいくつなんだろう。科学者のカーラ・ミッチャムや軍人のクローディア・ペールとはまた違った女性像。できれば最後まで生き残って欲しいけど。

 ストーリー的な展開は、南洋同盟に取り込まれた感じのクローディアをめぐってイオが南洋同盟に迫る一方で、J.J.セクストンを取り込んでサイコガンダムの技術を手に入れた南洋同盟を、ジオンの残党としてダリル・ローレンツや仲間たちも追いかけている。その先にいるのはニュータイプ実験の果てに生まれたレヴァン・フウ。異能をもって信者を引き寄せ技術も得て地球連邦に、そしてジオンに楯突く理由は何か、ってあたりがきっとこの先に待ち受けているんだろう。そんな物語が紡がれてそして劇場にかかるのは1年後か2年後か。一方で「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN」が「誕生 赤い彗星」で一段落しそうな中で残されて動いていてなおかつ個人的には2010年代で最も面白いガンダムとして、「機動戦士ガンダム サンダーボルト」は作られていって欲しいもの。圧巻の映像とそして音楽。そしてストーリーのすべてが完璧なガンダムだから。

 同時上映の「機動戦士ガンダム Twilight AXIS」もシチュエーションとかストーリーをようやく理解。シャア大佐でありララァ・スンを間近に見てきたメカニックの少女が残されて10余年、アクシズを根城にしてのネオ・ジオンの反抗も終わって「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」も「機動戦士ガンダムUC」も通り過ぎた世界でアクシズに取り残されているサイコフレーム技術の調査をするため、かつて天才的なテストパイロットだったダントン・ハイレッグとそしてメカニックからダントンの家に移ったアルレット・アルマージュが派遣されそこで私兵武装集団バーナムが操るガンダムと遭遇する、といった話だったみたい。T度目は飛ぶ時間と投げっぱなしの展開にちょっと置いて行かれたからなあ。

 でもってアルレットが過去にニュータイプを育てる施設で激しい実験の中をひとり生き延びたところをシャアに救われララァを目の当たりにして感化されたといった設定。そんな過去を思い出しつつ戦いの中で感じ取りつつも今を生き延び元いた場所へと戻って行けたのはシャアがダントンに言った必ずアルレットを守れといった命令が今も生きているからなのか。それだけ宇宙に影響を与えたんだなあ、シャアは。ハマーン・カーンだって半ば感化されフラれて暴走したって感じだし。そうなのか? それにしてもどちらの映画でも語られるニュータイプという存在の不確定さ。自然発生はなかなかせず実験で生み出されても使い物にならず処理される。あるいは存在してもアムロ・レイほどの突出した活躍は見せない。いったいどういう存在なのか、ってあたりを問い直して人間が夢見てそして触れた領域で罪を背負ってうまれた存在だと位置づけるのかもしれない。ここからまたニュータイプの概念が変わっていくのかな。ちょっと興味。

 「UQ HOLDER! 魔法先生ネギま!2」は待望のお風呂回でありながらもあんまりイヤらしくないのは基本、暴れているだけでぽろりもチラリもないからか。あるいは最初っから隠そうとしないでレイアウト的に見えなくしているからイヤらしさが漂ってこないからか。結城夏凜が手にデッキブラシを持って刀太を見下ろしたシーンも股間が見えてはいてもスパッツでもはいているかのように真っ黒でグッとは来ないし、眼鏡の桜雨キリヱもそれなりにふくらんではいながらそれが見えるような場面はない。

 むしろ九郎丸がタオルをはがされそうになって股間を押さえていた時の方が興奮することしきり。下についている? ついていない? いろいろ想像もできるし。そして雪姫がすっぽんぽんで刀太の背中を洗っているシーンは真横からもう雪姫が見放題だけれど、そうもあっさりさらされると逆に普通感が漂ってしまう。恥じらいとか期待する歳でもないから仕方がないけれど、せめてもうちょっと刀太が自分の裸を見られてどぎまぎするシーンとかあれば、感情が添えられて相手への興奮もわいたのに。それがないってことはつまり2人で暮らしていた時から刀太は雪姫をお風呂入り放題だったってことなのか。ああ羨ましい。心の底から羨ましい。

 作家と編集者がチームを組んで短い時間の中で3000字から1万字くらいの小説を仕上げて装丁を行いネット書店で販売まで持って行くというNovelJamというイベントが来年も開かれるということで、その発表会見を見物に行って最前列で話を聞いて静かに退散して来る。隣にいたのはたぶん仲俣暁生さんだった記憶。でもって代表の鷹野凌さんを司会に藤井太洋さんうめ(小沢高広)さん内藤みかさんが今年の要点などについて話していて、とりあえず作家が編集者で参加するのが面白いんじゃないかって声があがっていた。違うところから見る目も養えるとのこと。というより作家は16人の枠でもいっぱいになるけど編集者はそれに比べて希望が少ないから、どうしても参加したい人には狙い目かも。でも仕事は大変らしいよ。

 あと知りたかったのは前回、新城カズマさんが最優秀賞なんて取ってばりばりのプロが参加して筆力と知名度でかっさらっていっちゃうから作家志望者とか一般とか参加しても意味ないんじゃね? 的不安があるんじゃないのかそれとも関係ないから大丈夫なのかってことで、これについては優秀賞はプロではなく同人誌を作っている人だったし、売れ行きも新城さんが1番ではなかったし、編集者やデザイナーとの組み合わせも重用だから必ずしもプロが優位ではないってことのよう。っていうか今回は組み合わせもテーマも当日決定。小沢さんなんかが去年の組み合わせの決め方にどこかヌルい感じがあって知り合いで固められてジャム感がなかったのがイヤだったとか。今年は凄腕の編集と素晴らしいデザイナーがアマチュア作家についてプロ作家を上回るパッケージを作り上げるかもしれない。そんな様が見られるってのもこのイベントの特徴。イベントが重なって行けそうもないけれど、遠巻きに様子はながめておこう。

 こんなことを言う人間もポン酢なら、こんな主張を乗せるメディアもポン酢過ぎて笑い過ぎて腹がよじれる。曰く『小川氏は「全体的に見て、瑣末(さまつ)な内容だ。【以下は、私の推理である】と前振りして書いた文章に抗議してきた部分もある。【推理】とはロジカルなもので、【事実に反する可能性がある】という意味だ。水掛け論になるのではないか。今、反論書を書いている」と語った』。おいおい推理ならたとえ間違ったことでも書いてそうだと世間に印象づけて良いのか。虚偽でも捏造でもそれは推理だからと言えば通るのか。そんな訳はないだろう。それが通るなら例の設立趣意書の黒塗りだって朝日が推理して「安倍晋三記念小学校」だと感じ取ったと言えばそれで許すのか。許さないだろうに。自分の推論は勝手でも見逃せ、あいての推論は捏造で許せない、なんて二枚舌二枚腰をどうして政権は持ち上げるんだろう。そこがやっぱり謎なのだった。


【11月27日】 総集編ならぬ聖地巡礼編を挟んで再開された「just Because!」の最新話とその前の話をやっと観て、相馬晴斗と森川葉月との間にちょっとだけ進展が見られた一方で、脇にはじかれた格好となった夏目美緒は消しゴムを返してとりあえず気持ちに決着をつけたものの、その先で自分に親切にしてくれて雪で戸惑っていたセンター試験行きを支えてくれた泉瑛太に対する気持ちが少しは浮かんだ感じだけれど、その瑛太は美緒が気になって仕方がないのにその美緒が親友の晴斗をずっと気にしていたことを知っているから黙って語らず。その瑛太に写真部の2年生、小宮恵那が接近した果てに誘って良いかととりあえず、美緒に仁義を切ったら「ダメ」と言ってとりあえず続くといった感じて新たなもやもやが始まりそう。

 別に美緒は瑛太とは幼なじみ的な関係ではあっても、気にしていた訳ではなく、そして瑛太が自分のことを気にしていたことも知らないのに、どうして恵那が宣言をすると留め立てをするのか、ってあたりに女性のあれもこれもと求めて囲っておこうとする心理が見て取れるのか、それともそういう心理などないのか。分からないけれどもここからまたいろいろと騒動が起こりそう。そもそも瑛太はどういう気持ちなのか。フリーになったからといって美緒に前向きなアプローチなんてできないだろう。でも推薦で行き先が決まっていながら美緒が行こうとしている大学を受けようとしているから未だ心残りがあるんだろう。それを恵那は感じていたから恵那に仁義を切ったら「ダメ」だと言われて起こるか怒鳴るか明かすか。そんな修羅場が今度の回は楽しめそう。どこに落ち着き誰がはじき出されるか。興味津々。小説版を読むのはそれらが終わってからかなあ。

 九州場所が終わってもまだ続く情報戦。モンゴルからやってきた元旭鷲山関の人が実は日馬富士関からコメントはもらっていなかったらしとか、貴ノ岩関と話してフェイスブックに書いたことは不正確だといった話がスポーツ紙なんかに載っていて、実はうさんくさい人間なんじゃないかといった雰囲気を醸し出そうとしている。とはいえ基本、スポーツ紙は協会乗りで日馬富士白鵬推し。ここで貴ノ岩関と貴乃花親方が聴取に答えて本当のことを言ったら、何が正しくて何が曖昧で何が間違っているかなんて分かってしまう。貴ノ岩関は不正確ではあっても真実を語っている部分もあったりしそうで、それをあたかも捏造のように感じさせたスポーツ紙は、そうじゃなかった時にどんなスタンスを見せるんだろう。そこまでリスクを取っているとも思えないし、ましてや確信しているとも思えない。。今を刹那に強いっぽい方の味方をしているだけ。いつものこととは言え、今回はそれで通るとはちょっと思えないなあ。どうなる今後。

 人口の3%が殺し屋だということは秘密なのか、大日本印刷とLGジャパンも協力してJR九州エージェンシーが博多駅の中に作る大型の有機EL曲面サイネージの発表会に行って、JR九州エージェンシーによる福岡市は今こんなに来ていますという紹介スライドの中にはそうした記述が入っておらず、人口増加率が政令指定として第1位だとか博多港の外交航路乗降人員が全国1位だといった評判に誘われ福岡市に行ったら周囲は殺し屋だらけで凌ぎを削り合う中を這々の体で逃げ回ることになったらどうするんだと思ったけれど、そこは自分が培ったスキルを生かして戦うしかないんだろう。そのためにも木崎ちあきさんの「博多豚骨ラーメンズ」を読んでおかないと。テレビアニメーションの放送も始まるし。日々是勉強。殺し屋になるための。

 まあそれは冗談として実際に東アジアへの玄関口であり、南九州への入り口として賑わっていることは確かないようで、博多駅を起点にしていろいろな催しが繰り広げられているみたい。乗降客も大勢いて、そんな人数を見込んでJR九州でも博多駅の中のサイネージを大きくグレードアップ。52枚だったら2Kで60インチのパネル4Kでを70インチのパネル64枚にした上に、50インチの有機ELのパネルを36枚並べた大型のサイネージを置いて上がぐるっと曲がって見る人を覆うようにして、そこにいろいろな映像を流して迫力あるプロモーションを行う模様。とにかく色が綺麗で黒が引き締まっていて、遠目にも観客を引きつけそうなそのサイネージでいったい何が流されるのか。「博多豚骨ラーメンズ」の番宣映像だったら楽しいけれど、登場するのは来年2月だからアニメはもう始まっているか。放送中でもブーストかける意味で1日くらい何か流してみては。お値段は600万円。高いか安いか。

 歌ってと言われて歌おうとしたら歌わなくて良いと言われたらしいピコ太郎さん。アメリカから来たトランプ大統領の晩餐会に招かれ面会しつつも孫娘が大好きという「PPAP」をやらなかったのにはそうした事情があったのか。さすがに目の前でやられても困ったと思ったのか知ったふりをして実はどうでも良かったのか。ちなみに奥さんのメラニアさんはどんな歌を唄っているのと聴いてきたそうで、アッポーとパインアッポーをペンに刺す歌を唄っていると言ったら「面白い方ね」と笑ってくれたそうな。その笑顔を称して「忖度」と行ったピコ太郎さんが、Yahoo!検索大賞2017のプレ・イベントに登壇して、昨年の「PPAP」に続く今年の流行語部門賞として筆書したのが「忖度」というワード。「漢字を初めて知りました。りっしんべんなんですね」というのはつまりは含みがあっての言葉なんだろうけれど、そこに反応するようなチェリーはあまりいなかったという。残念。

 プレ・イベントでは、毎年のトピックから授賞する対象を決めるスペシャル部門も発表されて、今年は活躍がめざましかった10代が表彰されることになって男子ではプロ野球へと進む清宮光太郎選手ではなく、将棋で加藤一二三九段を上回って史上最年少でプロ棋士となり、歴代単独トップとなる29連勝という記録も打ち立てた藤井聡太四段が受賞。まあ当然。女子では女優でドラマ「僕たちがやりました」に出演して話題となった永野芽郁さんが受賞したそうだけれど実はよく知らないのだった。あとファッションの急上昇ワードを集めた番外編も番外編も発表となって、花柄ガウンや刺繍ブラウス、サッシュベルトなどを身につけ、切りっぱなしボブの髪型にブルゾンちえみメイクをして、手にハズキルーペを持った女性モデルが登場した。なんだハズキルーペって。そんなもの着けて普通街は歩かないけど、個々にトレンドを追っているからこうなってしまう。でもトータルで見るとそれなりにまとまってしまうところが毎年面白いのだった。ちなみにボトムスはジョガーパンツで足下はコンバーススニーカー、香水はガブリエル シャネル。そろえるといくらかかるんだろう。

 ワンハンドレッドな人が沖縄で講演をした時に地元紙の面々をあげつらってテキトーなことを吹いたのを、さすがに聞き捨てならんと立ち上がったのか、沖縄タイムスがひとつひとつを挙げて反論を繰り出している。いきなり訴訟とはならないのは、沖縄タイムス事態が誹謗中書うされた訳ではないからだろうけれど、ただこうやって右側の受けを狙って未確認の放言を連ねる手合いに対して、ファクトを逐一チェックしこうして記事にして提示したところで、そもそもサヨクはとか言っていろいろとあげつらうだけで反省も自重もしなさそう。それでも指摘しておかないと、放言だげが広まり拡散されて事実化してしまったあげくに何度も蒸し返されるのでやっておくしかない。朝日が抗議している小川某も同列だけれど、こちらは裁判で白黒つけられたら少しは自重するかとうとそうでもないからなあ、そっちの界隈は。やれやれ。


【11月26日】 買ったばかりのビルケンシュトックのギルフォードブーツを履いて早速お出かけ。足を入れた時は中敷きの突起が足裏に当たって気になったけれども、それもいつものビルケンシュトックで歩いているうちに足になじんでむしろ気持ちよくなって来た。足入れのキツさもレースをゆるめれば万事解決、ワイズが足りないかとも思ったけれどもそこはもとより幅広のビルケンシュトックだけあって左足についてはすぐなじんだ。割と快調でい痛みなし。左右のバランスが違う関係でちょっとあった右足の甲高から来る痛みもきっと、そのうちなじんで中敷きが下がって余裕が生まれ、かえりも良くなって歩きやすくなるだろうからこのまましばらくはき続けよう。さすがはドイツの医療用シューズ上がりだけあるなあ。ドクターマーチンのアウトレットが低調ならまた何か1足買いに行くかなあ。さすがにサンダルは仕事に無理だからそれ以外で。

 そんな足で出かけていった慶應義塾大学のアニメカルチャー研究会主催による「たつき監督・福原Pトークショー〜ふれんずと考えるアニメについての“ヤオヨロズ”〜」は福原慶匡プロデューサーに言われるまでもなく神イベントだった。基本的には事前に募った質問から福原プロデューサーとたつき監督が答えて行くといった形式で、コミケのスタッフで車の誘導をしているという会長さんは脇に立って見守るといった感じ。そこでは例の件に関する仄めかとか煽りとかは一切なく、ただひたすらに淡々とアニメーション作りであり、モノ作りについての姿勢が2人から話された。

 たとえばたつき監督が目指す終極が100%だとして、今はどれくらいのところに来ているのかといった問いには確か6、7割と言っていたように記憶しているけれど、それに加えて100%に到達して万歳というよりは、そこから角度を変えて進んで行く必要性を話していたのが興味深かった。たしかにフル3DCGをを突き詰め過ぎたところで現実を再現したものになるだけで驚きはないし愛着もわかない。たつき監督はそういう方向性ではなく、今も描いているもののような個性であり特徴を出したもので究極を目指して進んでいるといった感じなんだろう。

 あとやっぱり出た日本の映画興行しで第2位に輝く「君の名は。」を手掛けた新海誠監督のことについては、DoGAっていう自主制作アニメーションを盛り上げている団体に出品しているころから見ていたとか。そりゃあ自主制作アニメーションの人は見るし知っていたよねえ。そして新海さんも自分も含めて自主制作から出て来た人たちが、いったん商業を経た上でそこに自主制作で培ったフローを入れて作っていくことで、業界に変化がもたらされる可能性をたつき監督は話してた。

 シナリオがあって絵コンテがあって原画があって動画があって彩色編集があってアフレコへ、といった作り方ではできないアニメーションが自主制作でありCGから生まれている、それが作品性でありワークフローにもたらす変化はやっぱり気になるし、これから重用になっていくってことなのかも。新海誠監督うやたつき監督に限らずいっぱいいる自主制作アニメーションのクリエイターが持っている個性やフローを、商業の人ももっと見るべきだと思った。それこそコミティアにもコミックマーケットにもDoGAにもICAFにもいっぱいいるんだ、自主制作や学生のアニメーションの作り手たちが。そこに通っているプロデューサーはどれだけいるか、ってところで福原プロデューサーの足の軽さが光るなあ。御陰ですばらしいものを見られた訳だし。ありがとう。

 しかし天下の三田祭で慶応ガールが歩き慶応ガールが笑い慶應ガールが焼きそばを売り慶応ガールがジャズを演奏して陶芸して絵画して書道しているのをまるで横目に見ながら、地下の教室でもって早稲田卒の福原プロデューサーと美大出のたつき監督のトークを1時間半、ほぼほぼ男子とあとサーバルちゃん1匹で静かに聞くハイブロウなイベントだったなあという印象。3DCGのツールでMAYAとかではなくCHINEMA 4Dを使うんですってイベントがリアルに充実しすぎた人たちの中で繰り広げられるとは。そこに参加しているだけで魂が磨かれた気分。あと思ったのは、会場を運営していた慶応アニメカルチャー研究会の人たちに女性会員が見られなかったことだけれど、気のせいだろうか。いたかもしれないけれど目に入らなかった。慶応SF研にはいるよなあ。知らないけど。

 そしてサッカーJ2リーグからJ1への昇格プレーオフ準々決勝は佐藤寿人選手が所属する名古屋グランパスと佐藤勇人選手が所属するジェフユナイテッド市原・千葉が対戦して4対1で名古屋が勝って決勝へと駒を進めた模様。順位的にも妥当ではあるけれど、もしも個々で勝てていれば次は上位といった位置づけで勝つか引き分けで昇格できただけに残念といえば残念。でも以前にそうした条件下で確か大分トリニータに負けて味の素スタジアムで涙に暮れた記憶もあるんで、昇格するならこうしたプレーオフ経由ではなく堂々と自動昇格枠に入って昇格すべきだと思うので、今年もまた我慢ということにしておこう。来年こそは。とか言い続けてそろそろ10年かあ。長いなあ。重たいなあ。

 公開も近づいてきた例の映画に関連して、漫画の実写化がどうのこうのとまたぞろ言われ始めている中で、自分としてははライトノベルの実写化でどうだこうだといった思いをずっと抱き続けているのであったという。今年も「サクラダリセット」とか公開されたけれどもまるで評判が聞こえて来なかったものなあ。あるいはテレビドラマの「桜子さんの足下には死体が埋まっている」とか。これからも「ビブリア古書堂の事件手帖」が控えているだけに何が正解かを探りたくなる気分。そりゃあ世界で3億7000万ドルを稼いだ「Edge of Tomorrow」(「All You Need Is Kill」)みたいになれれば良いけれど、あれはトム・クルーズが頑張り監督ががんばった結果だものなあ。五浦大輔や浅井ケイがトム・クルーズだったらどうなるかなあ。ならないよ。

 比喩であろうとも誹謗であるならその言に対して事実無根であって名誉を損なうものだと突っ込んで当然であって、比喩なんだから無実だと訴えて通るとはとても思えないなけれどそれを堂々と言ってしまえる文芸評論家とやらはいったいどんな文を芸にして生きているのかが気になってしかたがない。というか何か文芸に対する評論をやって来たのかどうか。そこすらもいろいろ気になる人間を取り上げ見方してインタビューまでのせてしまって応援する新聞も大丈夫なのかといった空気がこれから漂いそう。決して勝算は高いとは言えなさそうだけれど、朝日新聞を悪く言うためなら何だってやるといったスタンスがここでも発揮されている感じ。そのプロセスだとか結果とかはお構いなしに。そして結果、一蓮托生とばかりに訴えられて敗れた時にどんな良いわけをするんだろうか。そこが気になって仕方がないけれど、そんな頃まで保ちそうもないかなあ、今の雰囲気だと。やれやれ。

 石川博品さんでもそうなのかと思いつつ、石川博品あんだからそうなのかもと思い直したりもした「先生とそのお布団」(ガガが文庫)。ピコピコ文学賞で新人賞を獲ってデビューして3年。『猛毒ピロリ絶賛増殖中』は3巻まで続くシリーズになったもののそれすらも担当がせっかくだからと言って出してくれたもの。以後、『タカムラさんの修学旅行で無人島漂流からの大逆転サバイバルマニュアル』を出したものの売れず次、新人賞を獲得した版元から出してとの依頼はなく、そしてどこから何を出すかも定まらないまま石川布団はアパートに暮らしスーパーで週5日のアルバイトをしながら小説を書き続けている。1匹の猫とともに。

 その猫が「先生」。なぜ先生かは人語を話して石川布団にあれやこれやと小説の書き方から文学のたしなみ方から校正のやり方まで指導をしてくれるから。そんな猫と暮らし売れっ子の和泉美良という美少女作家にも猫を引き取る課程で恩を売れて石川布団の作家人生は順婦満帆……と思いきや書くもののすべてがどうにも売れない。なぜなのか。やはり書くものがといった話に落ち着きそうなのはまさに書いている「少女御中百合文書」という作品からも感じとれる。なにしろ舞台は鹿児島で、かつて存在した思春期の少年たちを集めた御中を少女向けに設定し、そこで少女たちが暮らしながら情交するような話を鹿児島弁で書いている。売れるわけがない。

 ほかにも女子が相撲を取る学校に呼び出し一族の末裔の少年が入るといったもの。なんだかとっても面白そう……と思えるのは、後宮で野球がはやっている中に少年が女装して潜り込「後宮楽園ハレムリーグ・ベースボール」のような石川博品作品が大好きな人たちくらいだろう。そう、石川布団とは石川博品あんであって面白そうだとごくごく一部に思われながらも大多数からは関心を持たれづらい作品を書いては売れずにシリーズを代え版元を代えて書き続けているライトノベル作家のこと。そんな人間がどのようにして創作に挑みつつ跳ね返されてもあきらめず、書き続けては同人誌でも出すことを画策して即売会に出展しあるいは通ってイラストレーターを探し出す、そんな努力の日々を読んでが張っている姿が「先生とそのお布団」という小説から読み取れる。

 それは不幸かというと、書きたいことを書き続けられるある種の幸福がそこにはあるし、1年先輩ながら15歳も年下の売れっ子で美少女で直木賞まで取ってしまった作家といっしょに山など行ったりして傍目にはうらやましいばかり。ただ、作家としてどうかと言えば書きたいものを書いても売れず編集者の言うままに書き直してもやはり売れず、同人誌で声をかけたイラストレーターが商業出版の際には外され苦しい立場に立たされるという、なかなかに神経が痛みそうな出来事も繰り返される。それでもなぜ書くのか。書き続けるのか。といった作家の神髄へとだんだんと迫っていく展開が興味深い。答えが今なお売れずとも独特な世界を紡ぎ続ける石川博品さんの姿に現れているのかも。今回はどうかなあ。やっぱりかなあ。


【11月25日】 レナウンのバーゲンを見に幕張メッセへと出向いてとりあえず、チケットぴあで発売開始になった舞台「クジラの子らは砂上に歌う」のチケットをどれかとれないかとネットにアクセスし続けて、楽日をとろうとしたけれどもうまくいかなかったので土曜日の夕方からのをとりあえず確保。注釈尽きの席とかで見切れたりもするそうだけれど、すでに2度見てはいるしDVDも持っていて上映会にも参加したからストーリーも舞台上での展開もほぼ理解可能。というより初日のチケットは確保しているからそれで変化したところも目に焼き付けてだんだんと盛り上がっていった舞台の楽日前日を堪能することにしよう。役者も入れ替わってはいるけれどきっと大丈夫。あとは千秋楽のライブビューイングがあれば嬉しいんだけれどなあ。

 そんな幕張メッセでフィットネスっぽいけどジルバを踊る人たちっぽいカラフルなファッションに身を包んだ一段がいて「ZUMBA」って書いてあったんで調べたら、エクササイズだけれどそこにラテンな音楽をのせて踊るフィットネスのジャンルのことだった。インストラクターはいるにはいるけど激しく指導するんじゃなく、型を見せつつ参加者の自由に任せて躍り続けるといった感じでその意味ではクラブののりに近いかも。好きなときに入ってきて躍って出て休んでまた躍る、と言った感じ? 楽しみながら自分のペースで運動できるといったところに参加者たちも引かれているんだろう。苦行としての運動も時に必要だけれどそれ以上に楽しめることが肝要、ってことで。

 レナウンのバーゲンではいつも買ってたタートルネックとかは出ていなかったんでポロニットなんかを買いつつ靴下をそろえて退散。同じ柄のスーツを袋いっぱいに買っていた人がいたけどどうするんだろう。謎めく。出てアウトレットへと出向いてずっと気になっていたビルケンシュトックのギルフォードハイというブーツを買う。2015年秋から出ていたものだけれどすでに店頭にはないのがちょうどアウトレットに回ってきた感じで3万8000円以上はするのが半額以下でとてもお得。人気がないのか健康サンダルなブランドだけにこうしたブーツとかまだ知られていないだけなのか。

 幕張のアウトレットにはずっとダナーの店が出ていて、前にスウェードのブーツを買ってそしていつかゴアテックスが使われたダナーライトを買おうと思っていたけど店なくなってしまってもう買えない。去年あたりに2足買ったイオン越谷レイクタウンのアウトレットにあるドクターマーチンも最近は出物が少なく、欲しい10ホールブーツなんて出そうもないのでここはビルケンシュトックで収めるというのもひとつの手だったかも。もう1足。ペコスブーツっぽいカーキのブーツも出ていて気になるんだけれど履くシーンがあんまり思い浮かばないからこれは保留。期間限定の店らしいんで季節が変わるあたりにまたのぞいて来よう。しかしブーツばっかりになって来たなあ。スニーカーが1足欲しいなあ。ニューバランスをのぞいてくるか。

 体調も今ひとつだし来週は東京コミコンで慌ただしそうなのでイオンシネマ幕張新都心で上映が始まった「TIGER&BUNNY」の劇場版2本の上映も見ることはなく退散。昼食兼夕食を買い込んで家の近くまで来たら船橋西武の2階外にあるフロアから力強い歌声が聞こえてきてなかなか巧かったんで戻って見たらCheeky Paradeというアイドルグループだった。エイベックス・マネジメント所属でIDOL STREETってレベールでSUPER☆GiRLSに続くユニットだそうで舞台「クジラの子らは砂上に歌う」でリコスを演じた前嶋亜美さんの後輩に当たるのかとみたら前嶋さん、2017年の3月末にSUPER☆GiRLSを卒業してた。ってことは今回の舞台では前とはまた立場の違う、覚悟の決まった前嶋さんが見られるってことかと楽しみが増えた。

 Cheeky Paradeも本当は7人いるみたいだけれど2人が留学中で休業中らしく5人での登場でポスターも5人になっていた。誰が誰だか分からないけれども誰がボーカルをとってもしっかりと張りがあって伸びやかな声を聞かせてくれるところが特徴。あとダンスも適度に激しくノリも良い。楽曲はアイドルというよりロックな感じで伸びやかなボーカルとともに耳に届いてくる。これはなかなかに良いものだ。活動歴は5年近くになるみたいだけれども気づけないと知らないもの。こうして一期一会でも出会えて触りでも聞くことによって興味を抱く人がいると思えば、今日は船橋明日は橋本というリリースイベントもやって無駄ではないってことかもしれない。フェスに出ることとかあるならのぞいてみようかな。

 カナダのトルドー首相が長くカナダで行われていた先住民の子どもたちに対する同化政策で、すでに謝罪をした枠からはみ出していた東部についても謝罪をしたとの報。トップに立つ人がこうして代表をして国として謝ることによって、広く国民全体が澱のように抱え込んでいたある種の罪悪感というか忸怩たる思いを、個々に吐露して相手から個々に責め立てられ、それが軋轢となって分断を生むような事態を避けらるのかもしれない。それはこの国と彼の国における慰安婦を巡る問題なんかにも言えることで、過去にしでかしたことはやはりひとつの過ちであったと思いつつ、すでに70年以上が経って当時を知らない世代がやはり当時を知らない世代から責められ、知ったことかと憤って反発し合って関係を悪化させるような雰囲気になっている。

 心には拙いことをやったといった気持ちはあっても、だからお前がと言われればこれこれこういう事情があたっと言い訳し、それでも責められれば知ったことかとなるもの真理。なので国が国として責任を果たすべきなのにその国のトップがそうした態度に積極的ではなく、むしろ雰囲気として嫌々感を醸し出しているものだから、周囲が忖度して憤って喧嘩をふっかけ関係をどんどんと悪化させている。上が上で謝って、だから謝っていると言って下は下で気にしないという、ドイツなんかが戦後に続けてきたような割り切りをどうしてとれないのか。親の世代がとか先祖の名誉がとか言うんだろうけれど、それもどこまで本当か。結局はどこかに見下して区別したい意識が根強くあって、自分でなくても頭を下げることが我慢ならないのかもしれない。あと100年経っても解消しそうにないねえ。その間にまた一騒動あってなおのこと。やれやれ。

 あと何週間くらい公開しているか分からないからもう1度くらい見たい映画「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」。その日本に寄り添った描写が評判になっているけれど、東京国際映画祭で映画のアニメーション・スーパーバイザーを務めたブラッド・シフさんが「実は作品のコンセプトは『コララインとボタンの魔女』のキャラクターデザインの方から来ていて、こいうアイデアがあるとピッチした。その彼の小さい時からの友人のあだ名がクボだった」って話してたっけ。そのあたりをブラッド・シフさんに詰めた話をあまり聞かないのでちょっと気になっている。監督のトラヴィス・ナイトがナイキ創業者のフィル・ナイトの息子でよく日本に来ていたからその時に感じたことがあるといった話もあるからなあ。どっちにしても良い日本が見られる作品であることは確かだ。もう1度、今度はまた字幕で見てくるかなあ。


【11月24日】 今日も今日とて珍しく午前5時半に目が覚めたのでBBC WORLDNEWSを見たら冒頭がサウジアラビアのホテルリッツにBBCの記者が入って内部の様子を取材したもので、監禁といった感じではなくホテルのサービスを利用しつつ汚職してたらそれを認めて返金すれば出してあげるといった話があり、また突きつけられた証拠に対して無実だと証明できれば出してもらえるといった話も紹介されてて、独裁だとか弾圧とはまた違った権力による摘発と集権のプロセスってやつが進んでいるように見えた。

 それからロヒンギャの難民がバングラデシュに押し寄せているのをミャンマーのアウン・サン・スー・チーさんとバングラデシュのトップが話し合って戻すようにしたという話も紹介されていた。あとアルゼンチンで沈んだ潜水艦から爆発音が聞こえたとか、パプアニューギニアにもうけられたマヌス難民収容所が閉鎖されてオーストラリア行きが頓挫しそうな感じになっている話とかが流されさらにチベット亡命政府の支柱ともいえるダライ・ラマ14世に代わって代表を務めているロブサン・センゲ首相が登場してテロを煽動している訳ではなく、ただ自治を認めて欲しいだけだといったことを丁寧に話してた。

 日本だったら出演を煽って何かしら対中国の切り札的な扱いでセンセーショナルな発言をフレームアップしそうだけれども普通にゲストとして登場して淡々と説明をしていた感じ。見ていると世界の情勢もつかめそうな一方で、日本のワイドショーは相変わらずに貴ノ岩関と日馬富士関の問題を大々的。ロヒンギャ難民についてはちょっとは触れていたけれど、どのワイドショーを朝6時から10時まで見ても世界のことは分かりそうもない。それで良いのか、ってことではやっぱりないんだけれど、だからといって世界を報じる番組なんて作れないものなあ、資金的にもスキル的にも。だからここはBBC WORLDNEWSがある幸せを喜ぶことにしよう。早起き早起き。

 小学生の頃は本屋といったら平針住宅にある亀山書店か原にできた小さな書店に行って漫画の新刊を見るくらいで、それ以前となると街道沿いにあった市場の中にあったスタンドで雑誌を眺める程度。もしくは白土あたりの裏手にあった小さな本屋をのぞくくらいで、本格的に本が欲しければいりなかにある三洋堂書店に行くしかなかった。中学校になって通学路の途中にようやくそれなりな大きさの書店ができてそこでアニメックとかSFマガジンを手に取るようになったし、もうちょっと下がれば平針駅前にも1軒、本屋ができて雑誌とかをよく読みに行ったけれどもそれは今はなく、他の書店も平針・赤池界隈は通学路にある店を除いて存続が危うくなっている。

 映画にいたっては栄なり上前津なり伏見なり名古屋駅に行ってようやく見られるといったところ。名画座的なもので桜山にあった宮裏太陽がもっとも近い映画館だけれどそこでかかるのはフィルムがすり切れたものばかり。でも「ルパン三世 カリオストロの城」はそこで初めて見てそして何度も通った、自転車で。そんな文化果つる平針・赤池になんとTOHOシネマズがオープンするというから驚いた。あと紀伊國屋書店も。赤池駅からちょっとズレた山をけずったあたりが宅地開発されていろいろと住宅も建ったけれど、本屋だとかはなかなかできなかったのが、これで一気に進むことになる。実家からなら歩いて行けそうな距離だけに、帰省した時が楽しみだけれど問題は、文化果つるその地域でいったいいつまで店が保つかだったりする。ちょっと心配。

 地下鉄の路線は違うけれども長久手にはイオンができてそこに映画館が入っているし、赤池からちょっと豊田市によった三好にもMOVIXみよしがあってしばらく営業を続けている。そして豊田市駅前にもイオンシネマがいよいよ劇場をオープンするみたいで、何十キロかの範囲にそんなにシネコンができて大丈夫かってのが目下の不安。TOHOシネマズは赤池くらいだから番組の編成で勝てそうな気もしないでもないけれど、弾力性があるイオンシネマの支配人が頑張ればマニアはそっちに流れてしまいそう。なにより商圏として果たしてテナントとして入ったプライムツリー赤池に集客があるやなしや。それだけの車をさばけるや否や。そんなところも想像するのだけれどとりあえず、できてすぐつぶれることはないだろうから年末年始に帰省をしたらのぞいてこよう。見る映画何かあるかなあ。がルパンとかやっているかなあ。

 自民党の竹下亘総務会長がいったいどういう権限なのか分からないけれども宮中晩餐会に同性婚だとかそれに類した同性のパートナーを伴い出席することや、そして事実婚のパートナーですらも伴って出席することがどうにも状況にそぐわないなどと頓珍漢なことをヌかして集中砲火を浴びている。そりゃあ当たり前。世界では首長に同性婚の人もいたりして、そうした人を国賓で迎えた時にお引き取りを願うのは外交問題も甚だしいし、それ以前に人権問題として非難を浴びて当然だろー。

 というか皇室でもなければ内閣でもない政権与党とはいえ政党の総務会長が何の権限で宮中の意思を代弁できるのか。それだけで不敬なことこの上ないんだけれど、そうしたことへの自省はあまりないようで、姪という人から言い過ぎだと咎められて言わなければ良かったと釈明している。これも本心から間違えた拙かったと考えているのではなくて、自分の主義主張に謝りはないけれども人前で言ったのが問題だといった認識。そうじゃない、もはや主義主張として謝りななということを理解しない限り、似たようなことをヤラかす可能性は題さし、政策にもそうした差別意識を持ち込みかねない。ここは姪なのかそれとも姪孫にしてBL漫画家の影木栄貴さんからスパルタで思想を教育してもらなくちゃいけなさそう。やるかな一族勉強会。

 角川三賞の贈賞式があったんで見物に行ったら道尾秀介さんと貴志祐介さんによる横溝正史ミステリ大賞と角川ホラー小説大賞の選評が長くて詳しくて最終選考に残った人とか作家を目指す人には大いに参考になったんじゃなかろうか。そして山田風太郎賞は受賞した池上永一さんの受賞の言葉が長かったというかボリビアへの郵便の送り方がこれまた充実していてボリビアに郵便を送ることがある人には大いに参考になったかもしれない。そうでない人にはまるで意味が分からないものだったけれども別の場所で喋るネタにはなっただろう。つまりは1年かけても届かない可能性があるので、出したら連絡をとってジャパンと良いコード番号を強きで唱えて相手が復唱するまで続けるのが吉らしい。そうでなければまず届かないとのこと。本当かなあ。テレビ番組とかで誰か試してみないかな。

 そんな横溝正史ミステリ大賞の奨励賞がその昔、第4回このライトノベルがすごい!大賞を「セクステット 白凪学園演劇部の過剰な日常」で受賞した長谷川也さんという人で、確か読んでとても面白くて1番に推した人のような気がするけれどもそれ1冊を出して後はしばらく活動が止まっていたと思ったら、あちらこちらの新人賞に応募しては最終選考にも残ったそうで、そして奨励賞ながら横溝正史ミステリ大賞に名前が残って再デビューとなった模様。これはめでたいというか、今やもはや「このライトノベルがすごい!文庫」が存在していない以上は他で自由に出せる道がついたちうのは喜ぶべきことなんだろう。大泉貴さんも宝島社文庫で出しつつ他でもいろいろ出しているし。そうした作家活動へのお手伝いができたのか、それともできなかったからこその再デビューなのかは選考委員として迷うところ。ここはだからご自身の力が大という意識でその活動を見ていこう。


【11月23日】 「BLACK LAGOON The Second Barrage」が終わって鷲峰雪緒が薄幸の生涯を閉じて後、OVAで出た「BLACK LAGOON Roberta’s Blood Trail」の放送が始まるのかと期待してテレビを見ていたら、どこかにある田舎の町に眼鏡はかけてないけど巨乳の美人がやって来て、地元の少年と激しい勝負を繰り広げていた。なるほど美人がロベルタで少年がロックってことなのか。喫茶店でコーヒーを入れていたのがレヴィ? でもこのエピソードでは拳銃でなく駄菓子で勝負するんだなあ、ってそれは「BLACK LAGOON」違う「だがしかし」だ。第2期も始まる関係からか第1期が再放送して田舎の駄菓子屋に巨乳巨尻の美女がやって来た。あとはひたすら駄菓子に関する蘊蓄を繰り広げる12話だったか。人も死なずに楽しく見られるんでこのまま見ていこう。だもロベルタ編もまたテレビで見たいなあ。

 組み合ったならもうそれは取り組みが始まってしまったと考えるしかない訳で、そこでまわしを取られた状態から「待ったをかけた」と言って通じるなら、どんな相撲だって不利な状態になった力士が「待ったとかけた」と言って取り組みを中断できるようになってしまう。立ったか立たないか。せいぜいがその段階でしか言えるはずもない「待った」と大の横綱が言って、そして負けては物言いを自らつけようとしてしまったところに、白鵬関の現在のもやもやとしてイライラともしている心理状態が感じ取れる。ここで負けても1敗でダントツの首位を走っているのは変わらないにもかかわらず、気にしてしまうのは取り組みに全力を傾けているといった見方もできない訳ではないけれど、一方で横綱の品位が問われている状況下でそれを汚すようなことを自らやってしまっては、世間的にも決して良いとは言えないだろう。このままガタガタと崩れていきそうな相撲界。やっぱりここは貴乃花親方の愚直なまでの潔癖さを求めるしかないのかもしれない。

 たとえば、そのあすなろの木が山の奥にありすぎて伐採しても運搬にコストがかかって商売にはのらず、かといってそのままにしていては遠からず樹齢が尽きて朽ち果てるだけのところを大勢の関心を集めることで表舞台へと引っ張りだし、こういう木が日本のあちらこちらにはまだ生きているんだと森林への関心を呼び覚ますとともに、それを運んでクリスマスツリーとして利用することで樹齢も尽きかけていた木に、人間の勝手とは言え阪神・淡路大震災から長く時間も経って忘れ去られるようしている雰囲気に歯止めをかけるという役割を与え、今なお復興の途上にある人たちに喜んでもらうための文字通りの大黒柱とするといった説明があったのなら、世間もまだ納得しないまでも理解を向けようとしただろう。

 でも、今の説明ではそうした木が置かれていた状況に切迫感はなく、長く山に自然に生えている大木をギネスワールドレコード級の巨大なクリスマスツリーを作るために利用して、自然を破壊しているだけのようにしか受け取られない。なおかつそうした反対意見に対して、協力しているほぼ日のスタッフ経由で主催した人が、よくも切ったなよくぞ切ったぞといった異論は承知で、そうした異論を巻き起こすことこそが目的だったといらぬコメントをしているようで、ほらやっぱり阪神・淡路大震災の被災者に対する心のサポートは二の次だったんだと思わせてしまうところに、プロジェクトの芯の通ってなさってやつが感じられてしまう。切ってしまっては議論もなにもない。殺してしまって人を殺すことの是非を考えて欲しかったと言って世間は納得しない。そういうものだ。

 ほぼ日を仕切っている糸井重里さんってそういうところでしっかりと、ポジティブに感じられ共感を誘う理屈づけをして来た人なだけに今回はどこでボタンを掛け違えてしまったのかが気になるところ。山からデカい木を切り出すって段階で、それって自然破壊じゃんと思わなかったのかなあ。そうでないならやっぱり20年以上が経って上場までして、ちょっと高い場所に行ってしまったってことになるのかなあ。いろいろと残念。とはいえすでに木は崖をガサッと削る感じで根本があらわにされては切り出され、トレーラーなり船によって運搬され、もう神戸港に立ってしまっている。今更戻したところで根を着られて崖も削られている中で自立は難しそう。あとは切り刻まれて記念品になってしまう。何の記念だろう。人間という存在の尊大で愚昧な振る舞いの証明? だとしたらひとつ目的は果たしたとも言えるけれど、その犠牲が樹齢150年のあすなろの木。まこと人間とは愚かな生き物であることで。

 雨がざあざあと降っている中を文学フリマへ。早めに行けば屋根の下に並べると思って30分前に到着し、雨を考慮してロビーまで入れてもらった中でしばらく待まって中に入ったら西島大介さんが「アオザイ通信#1」を売っていたので買ってサインを頂戴した。「ディエンビエンフー」を刊行し続けて10余年とかなる中で、書き継がれてきたショートコミックというかエッセイコミックというか、そんな感じの漫画が大盤の冊子になっていたのでこれはもう買うしかない。「ディエンビエンフー」自体も版元を変えつつ続いているようで、今は双葉社からの刊行となっている模様。ベトナム戦争という年々忘れ去られていく戦争を扱った漫画は貴重なだけに描き継がれつつ完結して欲しいと強く強く願うのだった、と言いつつ新装版、まだ買ってないんだけれど。集め直すかなあ、これを機会に。

 印象として文芸の創作系が増えたような印象で、ライトノベルから一般小説からファンタジーから詩からいろいろな創作が本になって並んでた。同じ日にコミティアも開かれていて前ならそっちの方が人が集まるからと文学フリマをあきらめた人もいたような気がするけれど、文芸の創作系ならあるいは文学フリマの方が大勢人が集まるといった判断からこっちを選ぶようになったのかもしれれない。主催の人に聞いてみたい。そうした人を意識してか、しばらく前から小説家になろうとカクヨムとエブリスタという小説投稿サイトが出展するようになっていて、今回エブリスタでは石田衣良さんが先生を務めた小説家養成プログラムから生まれた沢村基さんという人の「ABCランサーズ」という 本を出していた。

 石田衣良さんはノベリスタ大賞という小説の賞で審査員をやっていて受賞者が集まったか何かした講座があって取材に行った記憶があるけれど、その時にも来ていたらしい人が小説講座に参加して、何度も書き直しをしつつ指導も受けつつかいたものらしい。巻末にはいったいどこをどう直したかって記録もあるから読めばプロが小説のどこに注意をはらって欠いているかが分かりそう。たとえば出だしのインパクトとか、キャラクターの目的とか、情報量不足とか。そんなところが直されたこの小説はいったいどれくらいの面白さか。そしてこれをそのままどこかの新人賞に応募することは可能なのか。石田衣良さんが審査委員をやっているところならあるいは。なんて想像したけどまあきっと、どこかがうちから出したいと持って行くことになるんだろう。そうなる前に読めて良かったとなるかどか。まずは読了することだ。

 コミティアへとirodoriがいない中で沼田友さんのブースに立ち寄り挨拶をしつつ退散をしてイオンシネマ幕張新都心へと回って夕方から「映画 けいおん!」を見る。先週末の土曜日に続いてここでは2度目。ULTIRAの巨大なスクリーンと重低音も含めた音響の良さに感動をしてまた見たいと思ったのだった。そしてやっぱり教室で放課後ティータイムがあずにゃんも含めた5人で演奏する最後のライブを見ながらジンと来るのだった。終わりじゃないけど大切な区切りをいっしょに遊べてそしてみんなから望まれているっていうのは嬉しいことなんだろうなあ、そんな経験がないから余計にうらやましく思えたのかもしれない。上映は明日で終わりでもうしばらく見る機会はなさそうだけれど、またどこかであるならこれは通おう。そして叫ぼう「スカイハイ!」。


【11月22日】 電撃大賞の贈呈式に出始めてからだいたい17年とか18年くらいになるけれど、その間に作家の人と喋ったり顔を覚えてもらったりしたのって数えるほどしかなくって今も行っても名前だけ知っている人を遠巻きにしながらだんだんとメジャーになっていくのを見守っていたりするのだった。まあ普通に名乗ったところでライトノベルのレビューとかやっている人間を相手が知っているとも思えないし、仕事で行っている場合は名前も漢字表記になってなおのこと気付かれないところで説明するのも相手に面倒だろうから、編集でもない読んで感想を書くだけの人間が顔見知りになる必要もないと言えば言えるのだった。インタビューとかすればそれでも顔見知りになるかというと、こちらは覚えていても相手は覚えていないという場合が大多数。それもあるからやっぱりこれからも遠巻きの観察を続けることになりそう。それが人生。

 そんなこんなで昨日も出かけていった第24回電撃大賞の電撃小説大賞は2作品が大賞に輝いていて1作品はロケットを作る少年を見守るような青春ストーリーになっているみたい。作者の凩輪音さんという人は去年も最終候補に残っていたらしく、受賞できて安心したと話してた。賞金は車を買うと即答。決断力ってやつで。もうひとりのうーぱーさんは卒業文集に書いたことがある種の能力となって、閉鎖されたか何かした世界へと行った高校生たちがそこでサバイバルをするといった展開。なかなかシリアルでハードそう。根っこに太平洋戦争時に出生していった兵士たちが残した文書があるらしい。それを一般小説で書けばなかなかにハードでシリアルな戦記ものになりそうだけれどライトノベルにはなり得ないところをエクストラポーテーションによってファンタジーへと組み替えた。どんな話になっているか、刊行が楽しみ。ちなみに賞金は貯金するという。対照的。

 イラスト部門で大賞となった人は京都市立芸術大学でアニメーションも作っているそうなので、もしかしたらICAFあたりで作品が見られることもあるのかも。年齢的に卒業まではまだ間がありそうだからその日は数年後。それまでに何かアニメーションで世に騒がれるものを出してくれるのかな。ただこうして受賞してしまった以上はやっぱりイラストレーションの仕事に軸足を移していくことになるんだろう。応募では「キノの旅」をテーマにして描いていたけれど、見たところあんまり「キノの旅」っぽくなかったのは自分でテーマを咀嚼した上で変わったもの、独自なものとして問う作家性めいたものが宿っているからなのかもしれない。となると余計にアニメーション作品も見てみたくなる。追っていこう。とはいえ学生としての名前、知らないからなあ。

 ふと気がついたら三上延さんの「ビブリア古書堂の事件手帖」の実写版のキャストが発表になっていて、栞子さんは「重版出来」で評判になった黒木華さん、そして古書店で働く五浦大輔は「サクラダリセット」で浅井ケイを演じていた野村周平さんが担当することになった模様。ってことはどうしても買いたい本が出たセリへと行って競り負けた時なんかは「栞子、リセットだ」と言って時間を巻き戻してセリに再挑戦するなんてことが……あるわけないか、それは別の話だ。栞子さんについては黒髪のロングでメガネといった“本来”の容姿をしっかりと再現する模様。問題は劇場版はどのあたりを描くかってところで母親との確執から祖父との戦いめいたところまで描くか、それとも日常のちょっとした事件を重ねて以下続編とするのか。ちょっと気になる。まあ野村周平さんなら悪いことにはならないだろうから見に行こう。栞子さんに“妹”がいるかも気になるし。

 よろしくないことであるという大前提を置いた上で、こうもどんどんと広がっていくと、いったい何が起こるのかといった心配は浮かぶ。ピクサーで活躍してディズニーのクリエイティブ部門のトップにまで上り詰めたジョン・ラセターが、どうも度を過ぎた抱きつきだとかお触りだとかを咎めらられて半年間の休業に張ったとか。ミラマックスを立ち上げ映画の世界に風を呼び込んだハーヴェイ・ハインスタインのパワハラ気味なセクハラが糾弾されて以降、誰それに私もやられたといった話が映画業界にうわっと起こっては謹慎追放等々を食らっている俳優だとかプロデューサーだとか監督が大勢出ている。もちろん大半が本当のことなんだろうけれど、こうも告発が職務を縛る状況が次々に発生すると、これも性質がまったく違うと断言した上で、赤狩りが防共の目的を超えて魔女狩りの様相を呈していったかのごとくな進展もあるかもしれないと思われてくる。

 誰かを追い落とすために無実の罪を着せるとか。今の誰もがわっと話に飛びつく状況だと、検証もなされないうちに当人だけが糾弾され排除されかねないだけにすこし立ち止まって息を整える時間が筆ようだろう。それにしても不義なのは抱きついたとかお障りだといったレベルでのセクハラでジョン・ラセターという世界的な巨匠が休職を判断するという、ある意味での健全さ公正さが保たれているアメリカに対してこの国では、明らかに職権を利用して女性を酔わせ連れ込んで無理矢理な性交渉に及んだ人間が、刑事事件として立件されていないというだけで無罪かのごとく振る舞っては月刊誌に季候なんかを始めている。ちょっとのセクハラでニューヨーク・タイムズの敏腕記者が謹慎を食らう国とは何という違い。こんな彼我の事態への認識の差異が、世界での日本の立場を悪くしないとも限らないだけに今後の注意が必要かも。軽い気持ちでいたら世界から激しく疎まれていたtおいう。そういう自覚も抱かないんだろうなあ、この国のマッチョなおっさんたちは。

 しかしジョン・ラセターほどの才能を半年間とはいえ腐らせておくのはもったいないといった見方も可能で、ここは鈴木敏夫プロデューサーが日本へと呼んで懺悔の修行と銘打って、坊主頭にして作務衣を着せては宮崎駿監督が手掛けている新作アニメーション映画の制作現場に放り込み、丁稚奉公をさせれば面白いんじゃないかと勝手な妄想なんかをしていたりする。セクハラにもパワハラにも寛容すぎる日本なだけに懺悔の態度を見せること、そして国民的なアニメーション監督の下で修行することを条件に入れればまあるく収まるような気もしないでもない。それが欧米で批判されてますます戻りづらくなってそのまま日本に居着いてスタジオジブリのチーフ・クリエイティブ・オフィサーとなって遅れていたフル3DCGによるアニメーション制作に力を入れる、と。日本的には美味しすぎる話だなあ。だからまああり得ない話。でも本当に宮崎駿監督はそれくらいの才能を持ち込まないと、新作作れないような気がするなあ。

 今日は今日とて早川書房のアガサ・クリスティー賞とハヤカワSFコンテストの贈賞式を見物に行く。アガサ・クリスティー賞は正賞が1人いて優秀賞がもう1人いてそっちの方は城山三郎経済小説賞だか何かを受賞した経験がある人だった。でも今度は摂政関白の秀次を取り上げた安土桃山ミステリになっているみたい。どんな話だろう。読むのが楽しみ。SFの方は受賞者が2人いたけれども「構造素子」を書いた樋口恭介さんは奥さんが出産間近で欠席。もう1人の津久井五月「コルヌトピア」は東京の環八あたりがグリーンベルトになってそこで植物をコンピュータに仕立てて演算させる世界が舞台。でもきっと定常的な進化とは違ったアクシデントがあってそれを乗り越えていく話になているんだろう。読まないと。受賞はしなかったけれど候補になっていた愛内友紀さんという人の「スターダスト・レイン」は刊行に向けて動いているらしいのでちょっと期待。どんな話だろう。


【11月21日】 桜雨キリヱの不死身って自分だけは何度も時間をやり直せるってことであって、そこから先の時間は果たして続いていくのか時間ごと巻き戻るのか、ちょっと分からないと使って良いものかどうかちょっと判断がしづらいと思った「UQ HOLDER!〜魔法先生ねぎま!2〜」。河野裕さんの「サクラダリセット」に登場する春埼身空のリセットも似たような能力だけれどあれは捨てられた時間はないようで、時間を巻き戻すといった感じになっている。だから記憶も巻き戻されて春埼美空自身ですら何が未来に起こるか分からないといったところなんだけれど、それすらも超越してしまう浅井ケイの絶対記憶の能力があるから使って違いが分かって誰かを助けることに役立つ。そんな力。

 でも桜雨キリヱがリセット&リスタートを使ったら自分だけは戻れるけれどそれ以外は置いてけぼりになってしまう描写があったりするから判断に迷う。彼女も含めてフェイト・アーウェルンクスに襲われて全滅しかかった時などリセットした先に続いた未来ぜ彼女以外は全滅して世界は破滅していたかどうなのか。考えるとちょっと不安になる。でも今回のように全員がしがみついて戻ればそれは巻き戻ったことになる訳だし、あるいは春埼美空のように巻き戻してはいても自分だけが覚えいてられるパターンかもしれない。そう思っているから雪姫もUQナンバーズに加えているのかもしれないと思って彼女の力を称えよう。フェイトにしがみついた時の格好はかわいかったなあ。

 珍しく午前5時半に目が覚めたので、チバテレビで放送している「BBC WORLD NEWS」を見たらトップからジンバブエで起こっているクーデーターの話題を繰り出し、そしてミャンマーで問題化しているロヒンギャの問題を取り上げサウジアラビアでの民主間お動きを取り上げてと実にワールドワイド。見れば世界のどこで何が起こっているかを短い時間の中に知ることができて、これからの世界がどこへと向かうかが何と話に見えてくる。あるいはそれを見定めるためにより多くの情報を求めようという気になってくる。でもカチャカチャとチャンネルを変えて民放のワイドショーを見ると世界なんて欠片もなくて、パンダが木から落ちたとかプロ野球の表彰式があったとか空き巣を執念で捕まえとかいった話。この国の政治や外交にすら迫った話題はなく、いったい今世界で、あるいは日本の政治で何が起こっているかを知ることは難しい。

 かろうじてテレビ東京だけが経済を中心にして日本や世界の動勢を追いかけ税制なんかに切り込んでいるくらい。それを見ないで日本のテレビばかり見ていたらそりゃあ人間、世界なんて何も分からないまま置いてしまいそう。あるいは世界のネットで話題になている話とか。石畳が浮かんで見えるか陥没して見えるかと言った錯視の話題を拾って放送しているのを見て。昔だったらそれでも家で取っている新聞の国際面を読めば大小とりまぜ10から20のニュースが載っていて何となく世界の動きを感じ取れた。今は新聞が読まれず読まれない新聞は世界に人をおけずニュースも出せないまませいぜいが韓国中国の話題で埋めるくらい。ひどいとそれらの国の悪口だけで長々と書いて埋め尽くす。どうしようもない。

 昔はまだ小西克哉さんとかキャスターを務めていたCNNデイウォッチって番組があったり、ピーター・バラカンさんがキャスターを務めていた60ミニッツの日本語版とも言えるCBSドキュメントが放送されたりして世界の今をそれなりに知ることができた。でもそうした海外ニュースを仕切る番組は今はなく、あってやっぱりネットで話題のアクシデント映像ばかり。これでは日本人が世界から取り残されるもの当然だろうなあ。でもって特定の勢力が騒いで特定のメディアが報じてネットが増殖する韓国とか中国とか北朝鮮とかの話題、というよりそれらの国々への嫌悪感だけをあおるようなアジテーションが溢れて日本人の心をじわじわとささくれ立たせていく。そんな果て、気付いたら世界でも最低ランクの賃金水準となった国で排外主義だけが盛り上がって人も雇えず置いて朽ちていく。そして結果として他国に救済されるという。藪蛇もここに極まったような状況が、遠からず訪れることになるんだろう。そうなる前に逃げ出したいなあ、楽園へ。

 それは「死」? いやいや死ぬことは終わることであってすなわち悪、そして続けることこそが善ならば人はしがみついてでも生き続けるべきなのに、そう結論づけた聡明にして堅実な人間ですら揺さぶって追い込んで突き落とす。曲瀬愛とは本当に恐ろしい存在だと思い知らされた野崎まどさんによるシリーズ最新作「バビロン3 −終−」(講談社タイガ)。サブタイトルからこれでクライマックスかと思ったらまるで終わっていないどころか、むしろいよいよ始まったといった感じに世界全体をその魔法が包み込んで集団的な自殺へと突き進んでいきそうな予感。

 そこに至るまでは世界各国の首脳がはびこり始めた自殺を認める都市への宣言について哲学的文学的社会的経済的法律的宗教的な見地から議論を重ねて実に有意義なものとなっていた。読み応えもあった。ぜもすべてがひっくり返される。いったいどうして? そこにどんなマジックが? 言葉なのか誘導なのかそれとも本質的に人は「死」を望んでいるのか。そんなあたりの議論も深まって破滅へと歩んでいくのだろう。いったい何が待つのか。そして仲間たちを死へと追いやられ一人は惨殺された特捜検事の正崎善は思いとどまらせた復讐へとやはり突き進んでいくのか。それよりもどうして彼だけが曲瀬愛の数々の凶行に飲まれず目撃者として生かされ続けているのか。早く知りたいその理由。そして早く読みたいその続き。きっとサクサクっと書いてくれるだろう。幸いにして手の骨は折れてなかったみたいだし。

 ようやく見られた「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」の日本語吹き替え版はクボを演じた矢島晶子さんもサルの田中敦子さんも完璧以上。そんな2人を支えるようにクワガタのピエール瀧さんがいて月の姉妹を1人で演じた川栄李奈さんがいてといった具合にディズニーが吹き替え版を作るかのように役にマッチして演技もちゃんとした人たちが良い声を聞かせてくれた。村にいるお婆さんを演じた小林幸子さんも含めて。ただ不思議なのはそうした声優さんの中でもピックアップされるのはピエール瀧さんであり川栄李奈さんで、主役級の2人についてはなぜかオフィシャルの方でおおっぴらな喧伝がなされていない。

 そして今日あった舞台挨拶もピエール瀧さんと川栄李奈さんの登壇で、その挨拶中に矢島晶子さん田中敦子さんの名前は一切でなかったこれって何か理由があるんだろうか、前に機内上映向けか何かで吹き替え版が作られた時にはそんな2人とそしてクワガタも月の姉妹もプロの声優さんが務めながら公開時は話題性も鑑みてピエール瀧さんであり川栄李奈さんに差し替えたとか。いやそのあたりはまったく知らないんだけれど、声優さんでアピールしたい層に届く矢島晶子さん田中敦子さんをまるで喧伝しないところに宣伝のスタンスの不思議さが感じられてならない。

 とはいえピエール瀧さんが演じたクワガタは英語の役者さんと雰囲気がまるで同じでニュアンスばっちり。よくぞここまで寄せたものだと感心したほどだし、川栄李奈さんも迫力たっぷり凄み十分の月の姉妹を演じていたからその意味でアピールして良い2人。とりわけピエール瀧さんはストップモーション・アニメーションであるところを強く訴え見るしかないと叫んでいたくらいこの映画のことを愛していそう。そんな言葉に応えるためにも声優さんの宣伝が足りてないとか関係なしに完璧なまでの映像とそして物語があり、完全なまでの吹き替えも行われているこの映画を見られる時間が限られているなら絶対に見ろ、映画館で見ろと言っておこう。ここで成績を残せなかったら次、スタジオ・ライカがさらに凄いストップモーションアニメーションを作ってきても日本での公開がなくなるから。


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