縮刷版2017年1月上旬号


【1月10日】 すごいよ新子ちゃん。って叫びたくなった2016年 第90回キネマ旬報ベスト・テンの監督賞における片渕須直監督の受賞。日本映画部門における第1位も片渕須直監督の「この世界の片隅に」が獲得しているけれど、前にキネマ旬報の映画評で3人が揃って満点をつける快挙を見ているから、そういった評価もあるいは必然のものとして受け止められないこともない。ただ同じ長編アニメーションとして1988年に日本映画の第1位を「となりのトトロ」で獲得した宮崎駿監督が、その時の監督賞をベスト・テンでは第2位だった「TOMORROW 明日」の黒木和雄監督に譲っているのを見るに付け、他のすべての年で第1位の映画を撮った監督が監督賞も獲得する“通例”を曲げてでも、アニメーション映画の監督には賞をあげない掟でもあるんじゃなかと思われていた。

 それが今回は第2位の「シン・ゴジラ」を監督した樋口真嗣監督でも、その上で全体を指揮した庵野秀明総監督でもなく片渕須直監督が受賞。あるいは「シン・ゴジラ」の現場の二人三脚ぶりを見たか、それとも特撮怪獣映画の監督ではといった判断でも働いたかして、だったら第1位の監督にそのまま監督賞をとなったかもしれない。違うかもしれない。投票とかの仕組みがどうなっているかは分からないけれど、いずれにしてもアニメーション映画の監督としては長いキネマ旬報ベスト・テンの歴史が始まって初という快挙を成し遂げた。アニメーション作品の第1位だって「となりのトトロ」以来28年ぶり。これをやっぱりすごいよ新子ちゃんと叫ばずして何を叫ぶ? 祝杯をあげたくなって来た。

 しかし日本映画の第2位に入った「シン・ゴジラ」は、脚本賞を庵野秀明さんが受賞して、これも長いキネマ旬報ベスト・テンの歴史では、おそらく初の特撮怪獣映画としての受賞。もちろん初代の「ゴジラ」の時代から怪獣映画とはいえそこには風刺があり警告があって社会性もあり文学性も含んでいたから、受賞そのものに不思議はないと言えばないんだけれど途中から子供に向けた娯楽映画へと特撮怪獣映画が変化していく中で、怪獣プロレス的な部分と、そしてSF的なサスペンスの部分との乖離もあって脚本賞という分野で賞を与えるに難しい状況があった。そんな状況を崩せる機会があったとしたら平成「ガメラ」シリーズの伊藤和典さんだったけれどそんな結果は得られず、そして今に至って庵野秀明監督の受賞となった。社会性があり政治性もあって文学性も持った脚本。何より圧倒的にスリリングで面白いストーリーを評価されたと言えるだろう。これもまた画期的。SF好き特撮好きとして祝杯をあげたい。

 ただ2016年を代表すると言っても絶対に過言ではない新海誠監督の「君の名は。」が10位以内に入っていないのは謎といえば謎。もちろん興行成績だけで入れるようなランキングではないけれど、一方でストーリーの面白さ、映像の美しさといった見るべき部分は多々あって、それらが評価されてのランクインがあっても不思議ではなかった。でもやっぱり流行りものには手が伸びないのが評論家って人たちなのか。いやいや「この世界の片隅に」なんて絵柄はどちらかどいえば子供っぽさもある、そして戦争という娯楽性からはちょっと離れたテーマも含んだアニメーション映画を選ぶ人たちだから、何か偏見があるとも思えないからやっぱり大流行したって状況に、だったらと躊躇が出たのかな。読者賞では入るかもしれないし、日本アカデミー賞ではきっと何かを受賞するからそういった一般性を得た映画として評価されれば、「この世界の片隅に」と対になってアニメーションという分野の多彩さを世に知らせる材料となるだろう。どっちもゴー。どこまでもゴー。

 いやあ面白い。そして格好いい。テレビの時代劇としての「鬼平犯科帳」についてはとんと見ていなかったけれど、アニメーションになって放送が始まった「鬼平」は見れば江戸時代の風景がアニメーションでありながらもリアリティを持って描かれて、その中で活躍する火付盗賊改やら暴れ回る盗賊やらのアクションも捕り物もスピーディーでスリリング。人情めいたストーリーも含めて見ていて感銘と感動が浮かんでくる。監督は宮繁之さんで、「SUPER NATURAL:THE ANIMETION」でいしづかあつこさんと共同で監督を務めた方。いしづかさんにインタビューしたときにキャラクターの情感については自分が得意で内面までしっかり描いて展開を作るけれど、ハードなアクションは宮さんの方が担当しているって話していた記憶があって、なるほど「鬼平」も時代劇の様式美とは違った、けれども乱打戦にもならないクールな殺陣って奴を見せてくれた。これは良いかも。深夜で本当の「鬼平」ファンが見られるか分からないけれど、録画でもして見るだろうからそのあたりで火が着いて、ゴールデン昇格なんてあったら愉快かも。

 長い夢を見ていた。僕はまだ高校3年生で、受験のまっただ中にあってどうにかこうにか希望していた地元の次第の歴史を学べる学科に合格して、卒業までの学校に行かなくていい期間を名古屋は納屋橋にある東宝会館の中の映画館に行って、上映開始前から並んで開くのを待ってそして始まった映画を観て観終わってそして4月が来て大学に行って4年かよって卒業をして希望していたマスコミには合格しなかったけれどもとりあえず自動車の業界紙に入って地元で務め始めて2年が経って、東京にある産業専門紙に転職をして東京に出てきて務め始めていろいろな部署を経験した。

 やがて個人的に好きだったアニメーションとか漫画といったコンテンツビジネスの最前線を、これから大きな分野になると思い誰もまだ目を向けていない時期から取材をして、それなりな業績もあげたけれども会社の方ではそうした方面への関心をまるで向けず、縮小する中で隅っこへと追いやられ、そんな一方で他のメディアではクールジャパンがどうとかいってどんどんと強化をし始めていくのを横目で追いながら、それでも個人の分野で可能な限りエンターテインメントやコンテンツを追い続け、会社とは違う場所でそれなりに名前も知られるようになっていった33年間という、良いのか悪いのかちょっと分からない時間に及ぶ夢を見ていた。

 そして目覚めると僕はまだ、名古屋の納屋橋にある東宝会館の中にある小さな劇場で、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を観ている最中で、鳴りり始めたエンディング曲「愛はブーメラン」を聞き終わって、鳴り響く友引高校の時計台の鐘をバックに席を立ち、扉を開いて外にでたら1984年3月の名古屋の街がそこに広がっている、なんて夢がちょっとだけ見えたかもしれない東京近代美術館フィルムセンターでの「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の上映会。監督をした押井守さんの自選による特集があってその初日、夜のプログラムで上映されたもので行くとキラキラと光る東宝のマークがあり、そしてチリチリと画面に傷跡が走るフィルムでの上映がスタートして、気分は一気に33年前へと引き戻される。

 これがもしも最新のBDなりデジタルリマスターによる上映だったら、くっきりと鮮やかな画面に今の技術を感じつつ、そんな技術によって時代感を底上げされたものとして受け止めたかもしれない。けれどもそこで始まったのが昔映画館で観たもの、そのままの映像だったことが気持ちを一気に33年前へと連れて行ってくれた。東宝会館で観て、その後どこかのリバイバル上映でも観たかもしれない作品は、次にどんな展開があってどんなセリフが繰り出されるか、もう完璧に頭に入っているんだけれど、それでもやっぱり次に起こることが何かを想像するだけで心がドキドキとしてしまう。荒廃した友引高校で驚きながらも硬直する諸星あたるを過ぎつつ、時間が巻き戻されるかのように学園祭1日前の友引高校のドタバタした1日が始まって、レオパルドが鎮座した教室での騒動を経ていったい今がいつなのかといった懐疑が提示され、何か起こっているらしいといった感覚を惹起されてさあ、いったい何が起こるのかと目を画面へと引きつけられる。

 何が起こるかなんて知っている。もう完璧なくらいにラストまで知っているのに知らないような気分で見られるのはそれだけ、注意を引っ張りぞっとするような不安な気分をあおり立て、楽しげな日々への耽溺を誘いそして今という時間をいったいどう過ごすべきなのかといった問いかけを投げかけられる展開に、直情的に気持ちが反応してしまうからなんだろう。そういう意味でも巧い映画。いったいどういう生理でこんな展開を作ったのか。当時の押井守監督に聞いてみたい気もしてくる。一方で映像はもう映画といったクオリティで、独特のキャラクター表現でありながらも崩れず簡単にもならず、明暗がくっきりとした描写もあって夜の不穏な感じが醸し出され、昼間のピーカンな気持ちよさも引っ張り出されてその世界を引きずり回されている気分にさせらえる。これもまた、没入を誘う要因かもしれない。

 さくらさんは美しいししのぶは健気だしラムちゃんはもうどこまでも可愛らしくて愛おしい。そんなラムちゃんをまだ20代だった平野文さんが演じて心にキュンキュンと届く声でもって愛情めいた感覚をそそってくる。神谷明さんはクールでギャグにも変わる面堂終太郎をどこまでも演じきって芸域の幅広さって奴を見せつけてくれる。そして古川登志夫さん。嫌味でなくあっけらかんとして脳天気で、それでもちょっぴり芯はある諸星あたるという役を演じて、カイ・シデン的なものともブルメ的なものともまた違った、古川さんらしさのど真ん中といった声をそのまたど真ん中といった位置から満天下に向けて放っている。そんな全盛の声を耳にしたこともまた、時代を33年前に引き戻された理由になるのかもしれない。

 この現実が現実ではないかもしれない、誰かの観ている夢かもしれないという不安と、こんな愉快な夢なら誰の夢であっても気にしないでずっと浸っていたいという昂揚が入り交じった気分にさせられる映画。でもラストシーンで現実へと引き戻されて、そこで自分という存在を意識し、他人という存在にも思いを巡らせながら、責任を持って生きていく必要といったものも突きつけられる。だからこそ当時、観終わって映画館の外に出てもそこがまだ夢の中だとは思わなかった。これから始まる大学生活と、そしてその後の人生を目一杯に夢のように楽しく生きるんだ。そんな希望を抱いていた。そして……現実はままならず夢は十分に果たされないまま過ぎた33年を思いながら、これが夢だったら思ったこともまた、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を観ながら時間が戻る夢に溺れた理由だろう。悔しい今を抱えている人に楽しい過去を思い出させてそこからの未来を夢見させる映画。33年経ってそんな思いを抱くようになってしまった人生もまた、現実なのだと改めて意識してこれからの残る何十年かを、悔いなく生きる覚悟を決めよう。


【1月9日】 いよいよ始まったテレビアニメーション版「リトルウィッチアカデミア」が完璧な第1話だった。きっかけがあって始まりがあって旅立ちがあって出会いがあって大変があって助け合って戦って発動して落っこちてそして。だいたい詰まってそしてまだ先に何ががありそう。「アニメミライ」版がありクラウドファンディングで作られた続編があっていろいろ展開も作られてはいるけれど、シャイニィシャリオっていう謎めいた、そして現在は嫌われている存在とアッコとの関係なんかが中心軸になって進んでいくのかな。過去の2作ではそこがすっとんでいたから。ともあれ楽しみ。

 それにしてもこの年のアニメミライからは「デス・ビリヤード」が「デス・パレード」となってテレビアニメ化され、そして「リトルウィッチアカデミア」もこうやってテレビシリーズ化された。1番続きがありそうな、というか前段がって当然の「アルヴ・レズル」はけども、今に至るまで動きはないし山口優さんの原作も書店では手に取りづらくなっている。続編まで出ていたのに。アニメ化企画として募られた作品が、文化庁の事業の中でアニメ化された不思議もあるけど、この機会に後に続けと熱が再燃してくれたら嬉しいかな。結構先鋭的だったんだよそのテーマ。シンギュラリティのその先とか見せてくれる。

 そして早起きをして横須賀へ。映画「この世界の片隅に」を横須賀の劇場で観るためで、呉と同じ海軍の鎮守府があって太平洋戦争でも攻撃の的になった地域で観る、っていうのは呉や広島で観るのにちょっぴだけれど迫れるくらいの“ご当地”感があるかもしれないと思っての参戦。前に「酒保 伊良湖」の内覧会を観に行って横須賀へはJRより京急が早いと確認しておいたこともあって、今回は地下鉄の東西線を茅場町で降りて都営地下鉄の日本橋駅から三崎口行きに乗って京急へと入って一気に横須賀へ。おかげで午前11時半からの上映開始にもかかわらず、午前9時前についてしまって時間をもてあます。

 とりあえずバーガーキングで朝ご飯にしてそれから三笠公園へ。途中、さいかやパーキングって建物の横を通ると献花台が置いてあった。去年の末に立体駐車場に止めようとしていた車がそのままおっこちで、5人の家族のうちの3人が亡くなるという事故があった。その追悼。もうすぐ年末でそしてお正月って時期、年越しのためのお買い物でワクワクしていた家族がその一瞬で希望を断たれ、一方で哀しみに浸らされるという状況を思うとなんかジンと来る。その瞬間に人の頭をどんな思いがよぎったか。考えると辛くなる。引き延ばされる一瞬ってあるんだろうか、それとも。

 そして到着した三笠公園で戦艦三笠を前から後ろから眺めつつ、売店で三笠をはじめとした連合艦隊の艦船がフルスクラッチでモデル化されたものが収録されたカタログ本を買う。発行年月日からすればたぶん、去年の夏に「酒保 伊良湖」の内覧会を前に立ち寄った時にも販売されていたはずだけれど、荷物になると思ってか買わなかったんじゃなかろうか。今回は買って開くと青葉がおって利根もおって武蔵もおった。すずさんと晴美ちゃんが山すそから観ていた船。もう実物は見られないそれらをこうやって、模型でも観られる今が平和であることを喜ぼう。

 そして前にJR横須賀駅から三笠公園まで歩いたのと逆の道をとことこと辿って、京急だと汐入駅の前くらいにある横須磨HUMAXシネマズへと行き映画「この世界の片隅に」の舞台挨拶付き上映を観る。だぶん10回目くらい。そして上映後には昨日の「マイマイ新子と千年の魔法」の新宿ピカデリー凱旋上映に続いて片渕須直監督が登壇し、合わせてマッドハウスからMAPPAへと行き、今はM2を率いる丸山正雄プロデューサーが登壇。MAPPAを最初に立ちあげたマンションの1階にある花屋さんでこうの史代さんがアルバイトをしていたとか、そんなアルバイトをしていた時に片渕監督の「名犬ラッシー」を見ていたといった“縁”が明かされ、そうした諸々が結実しまくった「この世界の片隅に」のあと、どうすんじゃろっていろいろ怖くなっているとかどうとか。

 そして丸山プロデューサーが0号試写で泣いていたって話から丸山さんが脳梗塞を煩った後で、不自由な体をおしながら「この世界の片隅に」の完成に向けて歩き回って、それこそこれが自分にとって最後の仕事だからといった“切り札”を使ってようやく、音楽を受けてくれるところがあったって話が出て、あの業界にとてつもなく顔が広い丸山さんが推す作品であっても、ビジネスライクなり信頼なり心意気なりでは受けづらい状況に「この世界の片隅に」ってタイトルはあったんだなあと思ったりする。スポンサーがつかなかったのもよく分かる。

 そこをどうにか受けてくれた佐々木史郎さんとフライングドッグよありがとう。今ではぴんぴんしている丸山さんに”死ぬ死ぬ詐欺”と冗談言っているそうだけれど、そんな冗談言えるくらいでちょうどいい。そんな0号試写で丸山さんが泣いたのは自分が不自由な体になって、そしてのんさんも不自由な体になって、それでも絵を描きたいといった気持ちを失っていなかっただろうことを思い、自分に重ねたからといった話をしてくれた。何か欠けてしまっている人にも、力を与えてくれる映画化も知れないなあ、「この世界の片隅に」は。そうした話が広まれば、まだまだ見に来ていない人も見に来るようになるのかもしれない。ずっとこの映画だけを上映している映画館があれば良いとも話していたけれど、そんな夢も叶う時がくるのかな。

 そうそう、10回目くらい観ていてようやく、草津のおばあちゃんの家にお盆のお参りに行ったすずちゃんが新しく仕立ててもらった着物と同じ柄の布が、天井から降りてきた座敷わらしの女の子の。ボロボロになっていた着物の形とかに当ててあった布と同じだった。きっとおばあちゃんが繕ってあげたんだろう。優しいなあ。出て行く時にも着物をあつらえてあげて、そして時が経ってあの時の着物を洋服に仕立て直したすずさんが、それを着て闇市に砂糖を買いに言って迷った時にリンさんと会う。これも“縁”って奴か。だからそんな“縁”が途切れることはなく、きっと繋がっているはずで、リンさんはあの空襲の前にどこかにもらわれていって、同じ戦後の空を生きていると思っていたいのだった。

 「RWBY VOLUME4」のChapter8がネットに来ていたんで観た。クロウおじさんの苦労話だった。って冗談でなく会話が中心でセイラムが何を狙っているのかといった話や人類創世の話なんかが盛り込まれて世界観と大きな設定が明らかにされ、その上で運命の少女となったルビー・ローズがいったいどんな役割を果たすのか、興味が浮かぶけれどもそこに至るまでにはまだ幼すぎるといったところ。どういう感じで世界に絡んでくるんだろう。そしてクロウおじさんは大丈夫か。いろいろ気になる。それにしても急激にCGが進化していてジョーン・アークが無茶苦茶格好良くなっている。マイクラフと的な絵が動くのとは大違い。3DCGでありながら2Dライクなクールさもちゃんと描き出されている。進歩って凄いなあ。これでVOLUME8くらいまでいくとFF15もかくやって絵になるのかなあ(行くんだろうか)(ならないんじゃないか)。


【1月8日】 そして読み始めてみたカルロ・ゼンさん「幼女戦記」の第1巻の冒頭で人員整理にあたるサラリーマンが怨みから線路に突き落とされて死んでそこで神様に信心の無さを嘆かれ、どうやったら信心が生まれるかを問われだったらと中年で男で戦争にも行ったことが無い奴では無理だといった逆を行って、あんな格好で転生させられたんだと分かる。まあそんなことだろうと思ったけれど、冷静で沈着で冷血なのは別に軍隊に入ったからではなく前からか。企業生活ではさすがに恨まれもするけれど、命令が絶対で死にに行くのが当然の軍隊では有効な資質。それを如何なく発揮しての大躍進ってことなんだろうなあ、ターニャ・デグレチャフは。

 そんなターニャ・デグレチャウが幼くして知恵が発達していたのは、神様に試されているからといったところで、そんな出生を経てそれこそ10歳に満たないうちに士官学校に入り、そこで次席という優秀な成績を修めて勉強にと出された前線で功績を挙げ、軍の大学にも入ってそこで参謀から認められ、魔道大隊を率いるようになるってのが第1巻。大学に入れるのも大隊を引き入らせるのも反対と訴えた人事の大佐は人を見る目があったけれど、軍隊ってのは人じゃなく軍事的な才能を見るところだから仕方が無い。テレビアニメーションはそんな過程を端折っていきない魔導大隊を率いる前のライン戦線から始めたけれど、この後で学校生活から大隊を率いるまでをやるのかもっと戦闘ばかりの展開になるのか。学園ラブコメにはなり得ないだけにやっぱり戦闘続きで行くんだろうなあ。見ていこう。

 「うらら迷路帖」のアニメーションを見た。山から出てきた千矢って少女が占い師になるまでを描くストーリー、ってことになるのかな、山から出てきただけあって動物たちに好かれる感じでいっぱい引き連れていた動物たちが可愛かったけれど、勝手に食べ物をとってきてしまったことで追われた際に散り散りに。いずれまた主人公の千矢の周りに集まってくるのかな。占い師になるための家でほかの3人と修行をするっていった展開は、どこか「ARIA」にも似ている感じ。あそこまで環境重視じゃなくドタバタも多そうだけれど、成長しながら協力していくって展開に頑張る気持ちを誘われそう。見ていこう。

 「亜人ちゃんは語りたい」のアニメーションを観た。デュラハンの町京子の首から離れて腕に抱えられた顔の角度とか表情とかの作画が抜群だと思った。首の上に乗っていればだいたいの感じで可愛いと思えるものだけれど、首から離れた頭をそれでも立体感を持って可愛いと思わせるのって結構大変なんじゃなかろーか。そそれをあっさりとやってのけている。もしかしたら圧倒的な作画アニメなのかもしれない。CGによるモデリングってことはなさそうだしなあ。亜人ちゃんではやっぱりサキュバスの佐藤早紀絵が気になるけれど、本気だしたらいったいどれだけの色気なんだろう。そんな色気で相手から精気を吸うんだろうか。ヒロインの小鳥遊ひかりは血をとりあえずパックでもらって飲んでいるって言ってたし。その出生条件も含めていろいろ気になる。見ていこう。

 とことんポン酢なんだろうなあ日本将棋連盟は。だからこそ証拠もないまま単なる棋士の勘というか、あるいはタイトルホルダーとそのバックにいるビッグスポンサーのご意向なんかに揺り動かされて、無実となった三浦弘行九段を疑いタイトル戦から排除して、その経歴に大きな傷を付け人権すら損なった。そんな反省を踏まえたならば以後、二度と同じことが起こらないよう決められた規則は守っていくのが筋なのに、新しく始まったタイトル戦の王将戦ではスマートフォンは預けさせたものお両対局者の意向もあって金属探知機での検査は見送ったらしい。

 性善説は大いに結構。あるいは棋士の矜持に頼るってのもあるけれど、それなら最初から三浦九段を疑わず、疑わしくても排除するようなことはするべきではなかった。相手によって基準をコロコロと変えてそれで信頼なんか得られるはずもない。公営ギャンブルでいくら選手達の合意があったらといって、競技前に外部との接触をネットも含め認めたらそれで成立しなくなってしまう。賞金もかかるタイトル戦で、厳格な基準も守れないし守らせられないようならもはや連盟なんて存在している意味がない。タイトル戦ごとに基準を作って運営し、参加者に分配するようにすればそれで潤う棋士も生まれて来るんじゃなかろうか。曖昧で適当な運営を、棋士たちはもっと怒らないと、いずれ自分たちに返ってくると知ろう。

 結局のところとある自称するところの全国紙、中国とか韓国といった国々についてネガティブな話を書きさえすれば、中身はどうあえれアクセスが稼げるっていうのが半ば社是みたいな基本姿勢になっているんだろう。だからこんなすごい記事が載ったりもする。曰く、「医療目的で来日する外国人は国民健康保険(国保)に加入できないため、『留学』などと入国目的を偽って国保に加入し、1〜3割の自己負担で高額な治療を受けて帰国する不正な事例が増加していることが5日、複数の医療関係者への取材で分かった」。

 読めばそうか中国とかアジアの国々の人たちが、日本の制度にタカっているって思わされるけれど、そんな記事のどこにも何人ぐらいが悪用をしていて、幾らくらいの損害額が出ているのかが書かれてない。あるのは「不正な事例が増加している」という言葉と、そうした状況を厚生労働省も関知しているといった話くらい。でも誰が確認してどういう状況だったかって具体的な事例は登場しない。というか、そもそもが3カ月もの日本国内への滞留と、そして就業なり留学といったビザの取得が国保加入の条件なら、そこにかかる費用も結構バカにならない訳で、それにどれくらいの金額を支払って、そして国保でもっていくらくらい得をしているのかが指摘されていなければ、記事としての正確性に大いにかける。

 真っ当なデスクだったら具体的な金額は、そして具体的な事例はと言って調べさせるだろう。あるいは関係者のコメントを拾ってくるだろう。そんなものがまるでない記事が、それでも載れば外国人への偏見が強まる。外国人が日本で病気しても治療を断られるようなケースが出てくるかもしれない。そんな未来を想像するなら厳密に、ケースを挙げて指摘するべきなんだけれど、目的は外国人のとりわけ東アジアから来るのはワルイヤツばかりってな気分を煽れれば、そした角度のつきまくった記事が大好きな読者がさくっと食いつき、アクセスも上がるって意識だから、ファクトも検証も必要ないってことなんだろう。もはやジャーナリズムではなくプロパガンダで、それも論証されてば覆される稚拙なアジビラ。でも堂々と掲載されてしまうこの状況を末期と言わずして何を言う? 参ったなあ。

 そしていったい何時以来になるんだろう、2009年の12月に間もなく公開が終了となると聞いて観に行ったからおそらくは7年ちょっとぶり。新宿ピカデリーに帰ってきた「マイマイ新子と千年の魔法」を最前列で観て、冒頭から新子とおじいちゃんとの場面にちょっとだけ、お母さんの声が遠くから聞こえてくるのが耳に入って最前列だから聞こえたのか、新たに上映する素材にはちゃんと聞こえるようになっているのか、考えたけれども今回はブルーレイディスクを投影したいみたいで、音声もきっとデジタル収録だったからあるいは際だって聞こえたのかもしれない。フィルム上映の状況はもう覚えてないから、次にあったら注意したい。ちなみに発表になって1月20日に、今度は新宿ピカデリーでも最大のスクリーン1で上映があるそうで、なおかつデジタル上映になるそうなんで行ってとれえば最前列で観よう。満席になるかなあ。なって欲しいなあ。


【1月7日】 池袋のサンシャインシティで6日から始まった「刀剣乱舞−本丸博−」が好評なようで時間制であるにも関わらず入場を待つ人の行列ができ、そしてグッズを買う人も大勢いて売り切れの品なんかも出ているそうで、買えなかった人は残念だけれどそれでも料金に見合った展示内容だとは感じているようで、主催者としても良かったんじゃなかろーか。内覧会では金襖に刀剣男子たちが鮮やかに描かれた部屋とかあって好きな刀剣男子の前にずっと佇んでいたくなった。

 描き下ろしの絵が集められた祝画の間では、今まで見たことの無いビジュアルの刀剣男子に感激する審神者続出って思っていたら、やっぱり泣くくらい感動する人が出ている感じ。あれは本当に良い物だった。撮影禁止でネットにも見えないんで言って見るしかないのも観客を喜ばせているのかな。オープンは売れ行きを煽るけどクローズドは共感を誘う。どっちが良いかは対象次第。そして祝画は成功している様子。いずれ画集とかになるんだろうけれど、その前にもう1度くらい見ておくかなあ、っても時間指定だし女子ばかり来そうだし。男子も行って良いですか?

 アメリカのドナルド・トランプ次期大統領がツイッターを駆使して日本のトヨタ自動車がメキシコに工場を作ろうとしていることにプレッシャーをかけている。元よりアメリカ本国から工場を移転させるものではなく、むしろカリフォルニアの工場を拡張して雇用を増やそうとしているにもかかわらず、新たな工場がメキシコに作られることを挙げて批判するのは筋違いも甚だしい。あるいはそれがアメリカ国内に作られれば雇用も確保されたと言うのなら、アメリカで売られる商品のすべてはアメリカで作られなければならないってことになる。そんなことをアメリカの企業が許せるのか。トヨタに限らない問題として全米の経済を、そして消費をゆるがすことになるだろう。

 アップルなんてアメリカに工場を持たずに世界の企業から部品を集めて組み立てて、それを輸入して売っている。トヨタにアメリカで売るならアメリカで作れと言うなら、トランプはアップルにもアメリカで作れと言うべきだけれど、そういう指摘はないのか、されても聴く耳を持たないのか。さすがにちょっと言い過ぎだってことになるとは思うけれど、理不尽でも思いつきがツイッターによって拡散される状況で、企業も安心してアメリカに投資なんてできないだろう。そんな状況を、お友達の安倍晋三総理はどうして諫めないんだろう、我が国の企業が理不尽な目に遭っているなら、等位のFacebookを使って反論をすれば良いのに。政府は就任前の権限もないつぶやきって逃げるけど、そんな人に当選直後にゴルフクラブ持参したのは他ならぬ安倍総理。大統領と認めての行動だったんだから、今こそその理解を元に手腕を発揮すべきなんだけれど。ねえ。

 2017年1月にスタートするアニメーションも幾つか始まっていてとりあえず、予告編を見て気になっていた「幼女戦記」を見て劇中に出てきた「サラリーマン」という言葉におよその設定を理解して、積み上げてあった本とか読み始めたらやっぱりそうだった。どこかドイツ軍にも似た軍隊が向かう第1次世界大戦の西部戦線にも第2次世界大戦での東部戦線にも見える荒地での砲撃から始まる塹壕戦。そこに飛来した魔力でもって空を飛びバリアを晴れる魔導大隊の面々を率いているのがターニャ・フォン・デグレチャフという見かけはまったくの幼女で、けれども強い魔力を持っているようで手にした銃弾に込められた魔法で周辺を一気に爆裂させる。

 その威力は「この素晴らしい世界に祝福を」のめぐみんが繰り出す爆裂魔法に並ぶとも超えるとも。いやギャグがメインの世界で繰り出される魔法とは比べちゃいけないんだろうけれど、地上では兵士たちが突撃をくり返し、その上を砲弾が飛ぶような世界にあって空を飛べるってだけでも相当優位な上に弾を跳ね返せて魔力だって放てるのならもう無敵と言えそう。でもそうでもなくってやっぱり消耗するその力。圧倒的な火力の前には劣ることもあって苦労する中、幼女なのに強い魔力を持っているターニャがもうひとつ、繰り出す知識って奴が帝国を勝利へと導いていく。

 そんな知識がどうして幼女にあるのか、って理由がターニャの発した「サラリーマン」という言葉。周囲の誰も知らず気づかない言葉に込められた意味を考えるなら、そんな世界でどうしてターニャの存在が許されるのか、ってあたりが全編を通しての主題になっていくのかなあ。単に第1次世界大戦と第2次世界大戦のドイツの戦いを知識も持った人を配して再現してみたいっていう、一種の架空戦記的な着想でもって書かれているだけなのかもしれないけれど、膠着状態にある帝国とソ連になぞらえられそうな連邦との戦線を、解消するために必要な講話に向かわない以上は帝国はジリ貧で、そして反攻され壟断されるだけの運命を辿りそう。

 そんな戦争の再現だけではやっぱりつまらないので、ターニャの存在が鍵となって過去の戦争を今に再現するような体験をさせた意味と、その先に世界に訪れる何かって奴を、原作は最後まで描いていって欲しいなあ。アニメの方は戦闘の迫力と幼女の悪魔っぷり、ターニャをどうにもかわいがるというか信頼を置く大人のおっさんの参謀たちの頭脳戦めいたものが楽しめそう。中身は……それは言わない方が良いか。それにしても悠木碧さん、幼女っぷりをしっかり演じているなあ。昔だったら釘宮理恵さんが担当してそうだったけれど、くぎにゅーだとちょっと媚びが出るから残忍さを持ったターニャとは違うか。副官は早見沙織さん。今は帝国べったりだけれどそのうち分かってくるんだろうなあ、戦争の無意味さに。さてもどこまで描かれるのか。観つつ本も読んでいこう。

 興行収入10億円の大ヒットという情報を受けて、ようやくもって民放のテレビでもで取り上げられる機会も増えたけれども「この世界の片隅に」、それは口コミで観客を増やしている、製作過程でクラウドファンディングという手法が使われている、昭和の日本を緻密な調査によって再現してあるといったトピックが中心で、主演声優が超有名人って話は出てこない。順番からいけば主演声優がNHK朝ドラに出ていた国民的な女優ののんちゃんだって話に民放各局が飛びついて、大騒ぎして取り上げたって不思議じゃなかったのに、そこがずっぽり抜けた状態が公開前に続いてテレビを通じての情報がまるで出ず、世間の関心が広まらず出だしぼちぼちって感じだった。作り手もおそらくはそうなる可能性を考えていただろうけれど、まさかここまで排除されるとは予想外だったかもしれない。理屈ではわかっても情として。だっておかしいじゃん、絶対に。

 でもそれがあの世界の掟ってことだから仕方が無い。頑張って観てもらおうと奮励した結果、影響力を持った人たちに観てもらえて、そんな人たちののんちゃんの声も含めた作品性への支持が口コミで広がって動員を伸ばしていった結果、テレビだって見過ごせない数となり、取り上げられる“理由”を得てそしてって今に至ったといった感じ。今にして思えばキャストの話題性だけでぶわっと広まっても、作品性が口コミで広まる時間を得ないまま、スタートは良くてもあと下火って可能性もあっただけに、少ない館数でことこと煮詰めて口コミを増やし動員を保って「この世界の片隅に」という映画が持つ味を、知ってもらえたからここまで来たとも言えるかも。そうやってぐつぐつと煮えたぎっているところに主演声優は、実は「あまちゃん」なんですよって全民放が乗っかれば、興行収入30億円に向けて鬼に金棒なんだけど、そうはあんまりなっていない状況が未だ解けない大人の世界。このままだと本当に滅びるかも。困ったねえ。


【1月6日】 やっと来たか。梅田阿比さんによる漫画「クジラの子らは砂上に歌う」がいよいよアニメーション化されるそうで、詳細は不明ながらも今から期待が膨らむ。広がった砂の海を行く巨大な船とも島ともとれそうな泥クジラ。そこに暮らす人たちには異能がありながらも短命な者たちがいて、異能はなく長命な者たちとともに暮らしていた、そんなある日、外から感情の乏しい少女が流れつき、その少女を追うようにして異国の軍隊が乗り込んできて殺戮を始める。それは泥クジラに暮らす者たちが、どうしてそんな境遇に陥ったのかとも絡んだものだった。

 犯した罪に対する罰としての放浪。そして罪から逃れるための自滅を画策する長老たちに対して、今を懸命に生きている若者たちは戦いへと向かい、そして自分たちに課せられた罰を払って自由を取り戻そうと足掻く。何か意思めいたものを持っているような泥クジラの存在、砂に覆われた世界の謎、各地に点在するらしい国家の思惑などが積み重なって広くて深い世界観を感じさせる。ようやく安住の地を見つけられそうな状況まで物語は来ているけれど、まずは自立と自覚のための戦いを生き延びることが先決。そんな戦いが描かれるだろうアニメにまずは注目。舞台版でも感動だった物語にきっと涙するんだろうなあ。舞台版の主題歌「スナモドリ」がオープニングやエンディングに使われたら泣きそうだなあ。

 そして気がつくとジェフユナイテッド市原・千葉にあの羽生直剛選手が戻ってきていた。ヤッホー。大好きなんだそのプレースタイル。中盤のサイドあたりから中央へ、そしてトップへとななめに走り込んできては相手からボールを受けてシュートするなり、誰かに渡すなりしてチャンスを作る。守っても走り回って相手の攻撃を遅らせる。阿部勇樹選手が中盤の底から組み立てる頭脳で、佐藤勇人選手が中盤で守りに貢献する鉄壁とするなら羽生選手は中盤から前をエリアとして攻守に貢献する鳥のような風のようなプレーヤーって言えるだろう。

 そんな3人に水野晃樹選手や山岸智選手が両サイドを駆け上がり、トップに陣取る巻誠一郎選手が体を張るあのジェフ千葉の、一部でも戻って来ればかつての栄光もまた取り戻せるような気がするけれど、阿部選手は浦和レッドダイヤモンズの方が長くなってきた感じだし、トップに置くべきフォワードもなかなか見つからない。パラグアイの名門、オリンピアから来るホルヘ・サリーナス選手はどんなプレースタイルを見せてくれるのかなあ。守備は大丈夫かなあ。いろいろと不安もあるけれど、ちょっとどっしりしかかっていた雰囲気が軽やかでタフな羽生選手の加入で少し活性化されるかも。走ってこそ、走り抜いてこそのジェフ千葉が戻ってきて欲しいもの。観に行くかなあ、今シーズンは。

 そして気がつくと「この世界の片隅に」の興行収入が10億円を突破していた。っても「映画 聲の形」が20億円で「ガールズ&パンツァー劇場版」も20億円で「ライブライブ! The School Idol Movie」も20億円といったラインを突破していたから、最近のアニメーション映画では決して大ヒットとは言えないところ。というかそもそも「君の名は。」が日本で200億円を突破して中国は100億円くらい行きそうで、韓国でも滑り出しで第1位だったからさらに上乗せをしていきそうな中で、10億円はやっぱり大きな数字では無い。でも、そもそもの公開規模が違う中、それでも観客が満席なりを続け全国でもそれなりなアベレージを記録し続けたことで、公開から1度もベスト10を外れることなくここまで来た。その確かさの上に立つ10億円はやっぱり重い。

 もしもだったら公開時に200館くらいあったらとっくに達成していたかというと、その段階ではまだ口コミが効いておらず都心部はともかくとして地方は空きが目立つなかで早々と打ち切られ、都心部で細々と上映が続く状態になっていたかもしれない。小さい規模の中でそうした逆境も含みつつ、観た人たちがその感動を口コミで伝えていった結果、観て欲しい人たちの目に届き、影響力のある人たちの関心も誘って情報が拡散し、そしてだんだんと観客数を積み重ねて今がある。そんなところだろう。なおかつこれでようやく陣形が整い。情報もそれなりに行き渡った中で館数が増えていくことになる。観ていなかった人が見始めて、そして作品の良さという根本を踏まえて口コミを伸ばせばさらに10億円を積み重ねることも、難しくはないんじゃないかなあ。どうかなあ。

 そういえば昨日、「この世界の片隅に」の舞台となった広島県の呉市と広島市、そして江波あたりを描いたロケ地マップ的なものが銀座一丁目にある広島県のアンテナショップに入っていたんで確保に行ったけれど、その時は結構分量がったものが今日には無くなっていたらしい。あると聞きつけた人が昨日中に一気に集まったのかな。良識のある人たちだろうから1人で5部10部と持っていたってことはないだろうけれど、それでもやっぱり今が旬ってことで予想を超える人たちが存在を認知し、その関係する品々に興味を示しているのかも知れない。これならカレンダーだってもっと売れるかも。書店に下ろして原作漫画の単行本と一緒に並べれば相当生きそう。そいういうルートはあるのかな。双葉社ならもっていそうだけれど。

 白の三角は大でも小でもないだろうとは分かっていたけど、代わって真正面から巨大な双つの房がたわわに実って前へと突き出て、2D映画でありながらも3Dのような感覚にさせられるかもしれないと、そんな期待も持って最前列の真ん中あたりの座席を確保して観た「傷物語<3 冷血篇>」はある意味では大成功。ドラマツルギーにエピソードといったヴァンパイアハンターたちを退け、最後に残った強敵らしい上に羽川翼を人質に取る卑怯者でもあったギロチンカッターにあっさり勝利してさすがはキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの眷属であるところを見せつけた阿良々木暦だったけれど、凱旋をしてキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの失われていた手足が全部戻って、そして知らない間に奪われていたらしい心臓も返されてあとは阿良多木暦が人間に戻るだけってなったところでひとつ大きな問題が。

 お腹が空いた。それはキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードも同様らしく、それならと阿良々木暦はコンビニで食糧だとかを調達し、お別れ会でも開くつもりで戻った学習塾の中で観たのは人間の、それもギロチンカッターの殺したあとの死体を貪り食らうキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードだった。吸血鬼がお腹を空かせて一体何で満たすのか。そりゃあ当然血液で、あるいは人間の血肉そのものだったらしけれどもそこのところに気づいていなかったか、あるいは気づこうとしていなかった阿良々木暦は懊悩する。

 このままキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードを野に放ったままでは誰か人間が殺される。それは自分の知り合いではないかもしれないけれど、知り合いかもしれない。誰であれそれは嫌だ、自分があの地下鉄のホームで血塗れになって死にかけていたキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに血を与え眷属とならなければ、誰も新しく死ぬことはなかったと思い至り、そして吸血鬼という人間の敵を倒す正義の味方だったはずのドラマツルギーでありエピソードでありギロチンカッターを相手に戦った自分こそが悪の味方だったとも気づいて阿良々木暦は惑う。さらにはいずれこのままでは自分は誰か人間を食べるようになるかもしれない。それは許されないとも考え阿良々暦は決意をし、その前にひとつの望みを叶えようとする。

 おっぱい揉み揉み。たわわで巨大で爆発的でぷるんぷるんな羽川翼のおっぱいを心ゆくまで揉むことによって、完全体となった29歳くらいの体型のキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードが羽川翼よりも巨大かもしれないおっぱいをぶるんぶるんさえながら攻撃してくるのに目を奪われず、心も捉えられないで冷静に戦えるよう、心構えをしたいと言って羽川翼に頼み込む。はっきりってとっても酷い頼みだけれどもひとつの決心をそこに感じた羽川翼は分かったと言い制服のボタンをはずして胸元をひらいて巨大な胸が揺れ動くのをおさえていたブラジャーを外しつつ、スリップはそのままで制服も羽織った姿で阿良々木暦の方を向く。

 なんでやねん。なんでそこで制服もスリップも脱がないねん。上半身をすっぽんぽんで巨大なおっぱいを触らせないねん。阿良々木暦もそんあ羽川翼の覚悟と勇気に正面から向かい合って手を伸ばしてひらいた手をあてぐいっと揉み、指先で先端をこちょこちょとして羽川翼を喜ばせないねん。なんて思いも浮かんだけれどもそんなあさりとした展開以上に事態がちょっぴり淫靡でエロティックで官能的なセリフと描写に進んでいった果て……阿良々木暦のチキンっぷりが明らかになる。そこまでがこの「傷物語り<3 冷血篇>」に白の大三角から小三角へと続いたような期待が叶えられるパートで、おおよそ興奮に心躍らせた後、待っていた激しくも切ないバトルへと突入しては、その圧倒的なアクション作画を浴びるように見せられる。

 何しろ最前列だ。動機は揺れる羽川翼のおっぱいを見上げるように楽しみたいというものだたけれど、アクションシーンへと移ってからはテレビでは絶対に放送できない激しい描写の数々を、巨大なスクリーンでもって全身が包み込まれるような感覚で見せつけられることになる。とにかく飛ぶ。そしてあふれ出す。それは「LUPIN THE 3RD 血煙の石川五ェ門」で繰り出される描写すらも上回る激しさで、そのルパンが予告編の段階でちらりと見えるそんな描写故にテレビで放送できない状況にあるのなら、「傷物語<3 冷血篇>」は国立競技場らしき場所をしたバトルのすべてが、というかその前のギロチンカッターを貪り食らうキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードのシーンも含めて放送なんてできないだろう。それくらに残酷で、激しくて、そしてなぜか美しい。

 傷つけられても、それこそ手足をもがれても、頭だって吹き飛ばされても次の瞬間は再生をして蘇ってくる吸血鬼たちがぶつかり合う戦いは、どちらかが粉砕されれば終わりのこれまでのバトル描写なんて比べものにならないくらい、あるいはかつて描かれたことがなかったくらいの異常な描写が連続する。それはお互いに力を振り絞り、全能をかけて向かい合った戦いで、なおかつそんな中にひとつの思いなんかも通っていたりするからちょっとした情愛の感情も漂っていたりする。必至な阿良々木暦と余裕のキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード。でもその内心にはともに痛みがあって嘆きがあって慈しみがあって決意があったという、そんな感情の通い合う様を見極められたかというとい、最前列で羽川翼のおっぱいを目当てに観ていた目にはちょっと追いつかなかったので、次はもうちょっと引いた場所から全体像を観て、どんなぶつかり合いがあってそこにどんな情感が込められていたかを確認しよう。


【1月5日】 そのタイトルに期待したくらいにはいろいろ見られた「パンチライン」に対して「AKIBA’S TRIP −THE ANIMATION−」はむしろ見せることこそが本筋というか、見せなければ先に進まない構造になっているからもう見せ放題の見え放題。正義の味方らしい少年がかけては手を伸ばして服を剥がすと見える三角。さらには谷間。そんな少年に力を与えた少女もやっぱり戦って服を脱がせてリボンのついた白いものやらそうじゃないものやらを見せまくってくれて、録画を再生していた手がリモコンのポーズボタンに伸びっぱなしになっていた。眼福眼福。秋葉原のあちらこちらが出てくるみたいであああそこ入ったことがある的な気分も味わえそう。GONZOもしかしこういうのを作る会社になったのか。時は流れる。

 秋葉原といえば3日にテレビで放送されていた「ラブライブ! The School Idol Movie」を録画でみてまずもって「Angelic Angel」のえりちのウィンクをポーズで止めて10分くらい見入って惚れ直しつつ、ラスト付近で前に出て扇を2度、手のひらにうちつける仕草の可愛らしさに感動しつつざっと飛ばして秋葉原に来て「SUNNY DAY SONG」の場面に映る秋葉原のこれも秋葉原らしさにこれで本当に秋葉原でスクールアイドルたちが集まって、「SUNNY DAY SONG」を歌ってくれれば最高なんだけれどと思ったけれども歩行者天国でのそうしたパフォーマンスって、一般人はもちろん企業を使ってのイベントとしても行われないからなあ。新宿だとお祭りめいたことがあるのに。やっぱり大勢がなくなた場所を何かの祭りにはできないのかな。でもいつか秋葉原中が楽しく歌って踊るような場所になれば。

 そういえば映画「ラブライブ! The School Idol Movie」が放送された翌日に神田明神の前を通ったら大行列ができていて、やっぱりライブライブの力、μ’sの力は偉大だなあと思ったというか。いやまあそれは違って普通に仕事始めの1月4日に近隣から勤め人たちが集まって参拝していただけで、神田あたりの氏神様っていった立場を改めて認識。どこまでが入るか分からないけれども見渡して浅草の浅草寺から九段下の靖国神社や飯田橋の東京大神宮あたりへと行かなければ、界隈から集まるのって神田明神になるものなあ、あとは湯島天満宮だけれどこっちは学問の神様で、行くのは受験生かその関係者が中心だから混むのはセンター試験が近づくこれからか。参道にはぱっと見幾つか屋台も出ていたんで今年まだ食べていない粉もんを摂りにまた行くか。ラブライブ!絡みのグッズとかあるかな。ないかな。

 そうそう神田明神を前に秋葉原へと抜けた時にCOMIC ZINへと寄って買ったのが安倍吉俊さんによる同人誌の「飛びこめ!!沼」。何それ「沼」っていったいなんだ、「灰羽連盟」みたいにダークなホラーかファンタジーかというとまるで違ってカメラの同人誌。ここで言われる「沼」とはつまりはカメラの愛好家たちがよく陥る。例えばレンズ沼といった感じで使われる、あれやこれやと気になっては買ってしまって収集がつかなくなる状態を指す。そして「飛びこめ!!沼」で泥船が沈む沼となるのがSIGMAというカメラ。交換レンズで有名だけれどカメラ本体も作っていてそれがまた質実剛健というか使いづらいというか、諸々の伝説を持って語られている。

 重すぎる上に手ぶれ補正がないんで、電柱に横付けして動かないようにして撮れとか。その時は自分も抱きつけとか。本当かなあ。でもそれやれば確実に撮れそうな気はする。今度やってみよう、PENTAXだけれど。ともあれSIGMA、使い始めれば不満はいっぱい出てくるけれど、それでも使ってしまう上に新型機種が出れば乗り換えてしまうというからまさに沼。その沼に陥っている安倍吉俊さんの経験が、女性と少年を登場人物にした漫画でつづられる。SD1なんて発売当時には70万円もした一眼レフが今は中古で5万円とか。

 決して20世紀の銀塩カメラではないのに、そんなに価格が下がってしまうとは。これがニコンのデジタル一眼レフの1代前にあたるD4なら、下がったところで20万円とか30万円はするのにSD1の場合はちょっと下がり過ぎ。つまりはそれだけ無価値化するのが早いってことなんだろうだけれど、下取りとか考えないでSIGMAを買ってしまうあたりがすでに沼、なんだろうなあ、って主人公の女性は中古で買ったみたいだけれど。ただSD QUATTLO Hも買ったみたいでそっちはこれから安倍吉俊さんも購入済みで、今後の漫画でインプレッションが語られていくことになるんだろう。続くのか? だってこの同人誌、「01」ってついてるもん。

 言いたいことのためには歴史だってねじ曲げて平気な媒体だってことはすでに広く知られているから今さらだけれど、通州事件だなんて踏み込めば自分たちのヤバさもいっしょにクローズアップされる過去を今さら持ち出し、問題点を知らないふりして言いたいことを言える材料だけをつまみ食いして有意の人たちから苦笑を買っていたのに続いて、今度は沖縄という場所を悪く言うために統計だとか数字といった、操作しようもないものを恣意的に使って記事を仕立て上げてきた。何でも沖縄が全国の都道府県で最も平均年収が低いというのは、沖縄が世間にそう思わせ、補助金なんかをガメるためるに行っていることで、高知県が使っている算式を使えば最下位にはならないんだとか。

 曰く「ところが、高知県(調査時点では45位)と同様の方式で計算し直すと、沖縄県の1人当たり県民所得は266万5000円で63万円増加し、全国28位に浮上することが判明した」。ここでひとつ疑問。28位に上がったというけれど、それは沖縄県の数字だけを高知県欲しきにあてはめて計算したものであって、他の都道府県について高知県方式で計算はしていないのか。もしもそれをやったら全体にかさ上げされていく中で、沖縄県はやっぱり全国レベルで最下位に近い場所に居続けるじゃないのか。

 たとえ最下位でなくても低いということ、それ事態がやっぱり問題であって、そうした地域格差をなくすことを社会の木鐸として訴えるべきなんだけれど、そうではなくって沖縄県はズルをして低く見せているんだとばかりの論調を掲げ、その根拠となる部分では、統計として重要な同じ基準を使って比べることをしていない。感覚でもってそうかもしれないと言ったところで誰が信じるか、って思うんだけれど、中国を悪く言い、韓国を悪う言い、沖縄を悪く言いたい記事が大好きな人たちが、沖縄はやっぱり悪いんだといった論調に落ち着いているから厄介というか。

 もちろん、そんな不思議計算の結果を信じる人は少と思いたいけれど、ネット時代でそれなりに社会性を持った新聞が、根拠はなくても書いた数字はそれなりの意味を持って流布されてしまう。信じる人も出てくるだろう。あるいは沖縄を貶めたい勢力によってそうした数字が利用されてしまう可能性がある。それが狙いなんだろうけれど、でもやっぱり大勢としてはは無茶をやっているなあと感じて手に取らなくなるもの。そして一部信者だけがもてはやすマイナー媒体に陥ってその先、どうなるかっていうと結果は明白なんだけれど、今をもてはやされればそれでオッケーなんだろうなあ。信頼を切り売りして売り尽くした今、虚偽を売って借金を膨らませている感じ。破裂する日も遠くないかも。


【1月4日】 なんか東京都が2020年の東京オリンピックやパラリンピックで贈るメダルを使われなくなったパソコンとか携帯電話なんかから取り出した希少金属でもって作るとか言い出して、都民の皆さんに保管しつついずれの拠出を呼びかけているのを見て、それだったらちゃんと全国で希少金属のリサイクルをやっている業者から買って流通を促進するのが良いんじゃないか、そこで都民から直接集めてしまったら、リサイクルが成り立たなくなって廃業に追い込まれるところが出て、そしてオリンピックの後にどこも引き取り手がなくなるんじゃないかと思ったけれど、そういう民業圧迫ととられかねない所業であっても、表向きは何か良いことをやっているんだといった面構えを見せて、世間を欺きにかかるんだろう。なんという厄介な。

 とはいえ売れば売れるものをタダで出す人もいないだろう状況下で、集まりが悪いと感じた東京都あたりが政令を定めてまずは都の職員が持つ携帯電話やスマートフォンを買い換えさせては、古い携帯やスマホを拠出させれ希少金属を集め、やがてそれも滞るようになって手持ちのスマートフォンや携帯電話を1家に1台までとして、家族の分はまとめて拠出するように求めたりしそう。さらには都民に対してもとんからりんと隣組を復活させては、1家に2台以上あるものを密告させて拠出させ、そして江戸川と多摩川に関所を作って23区に働きに来ている人から1台ずつ、携帯やスマホを拠出される施策を打ち出してきそう。目的のためには過程なんて気にしない。そんな施策は後に「スマホ狩り」として歴史に残ったという。やれやれ。

 しかし希少金属だけ取り出した後の電子機器はどうせ廃棄されるだけなら、いっそ現代アーティストで電子機器やAV機器なんかからパーツをとって組み合わせ、色を塗ってレトにクールでスタイリッシュなガジェットに仕立て上げる池内啓人さんに頼んで、全国から集められたパーツやら電子部品を組み合わせてメダルを1つ1つ、手作りしてもらえば前代未聞なメダルが出来上がるのに。同じ物が1つとしてないという。そしてクールジャパン的で秋葉原的なテイストにも溢れているという。そんな施策を繰り出すなら小池都政、認めてあげてもいいけれど、そういう冒険はしなんだろうなあ。池内さんに限らず現代アーティストから江戸っ子の職人から総動員したメダルを競技毎に作ってもらう。最高じゃん。どうせ貴金属としての価値なんかもうないんだから。うん。

 週末というか年末年始の2016年12月31日から2017年1月1日までの映画興行ランキングが出て新海誠監督の「君の名は。」が前週の7位から3位へとランクアップ。8月末に公開されてもう4カ月以上が経ってのこの勢いってやつはやっぱり凄く、2学期が始まってなかなか忙しくって映画に行けなかった人たちが、お年玉ももらったんで映画館にかけつけたのかそれとも2度目3度目を見に行ったのか、分からないけれどもともかく異例ともいえる粘り強さを見せている。ロングランはあったけれども「千と千尋の神隠し」ってこうまで粘ったって印象があんまりないんだよなあ、一気に駆け上がってあとはつらつらってところ。こっちはずっと保っているという感じ。それだけ若い人たちにとって“必要”な映画になっているってことなのかもしれない。そこにあって欲しいというか。

 そして気になった片渕須直監督の「この世界の片隅に」は10位から1つあがって9位。圧倒的に上映館数が少ない状況で驚異なまでの着座率を誇って興行収入を稼ぎ動員数を稼いで1つ、ランクアップしたってところ。シネコンなんかとは違って地方の単館計が頑張って満席とかを続出させているんで、そういうところの数字が集計させるランキングだとちゃんと入って来る。一方で東映が結構な館数で公開した「ポッピンQ」は1週目すら入らず2週目でも来ず。いったい何位くらいかを想像するのがちょっと可哀相になって来た。決してポッと出じゃなく前々から予告編も流してイベントもひらいていたの。どうして届かなかったんだろう。そこはちゃんと検証すべきかも。ローティーンからミドルティーン向けに見えたけど実際は深夜アニメ好きのお兄さんたち、ってかみ合わせが巧くいかなかったのかなあ。

 「この世界の片隅に」で言えば1月4日でどうやら興行収入が10億円に達したみたいで、単館系ではおそらくとてつもなく異例のヒットでその興行の成功もまた検証が大いに必要かも。広告的なターゲット分類でいうところのF1層F2層が見るようなテレビのワイドショーなりバラエティなりにほとんど情報が出ず、一部の雑誌とあとはネットでそして結構な高齢者が読む新聞なんかが中心だった宣伝なりタイアップだったけれど、そうしたところがまずしっかりと食いついては映画館へと足を運び、もともともファンだった人たちの熱心なPRも重なって外へと向かって情報発信を始めるようになった。

 その結果、やや上の世代なんかもちゃんと来るようになり、そういう人たちが下の世代を引っ張りさらに下といった感じで世代が広がり今なおしっかりとした動員を稼いでいる、って感じだろうか。もちろん作品の良さっていう基本があっての現象だけれど、良い作品なら人が来るってものでもない状況に、これで変化をつけられるかもしれない。良い作品は良い作品だと大勢が気づいたから。2017年もいろいろと話題のアニメーション映画が公開される。それがどれだけヒットするか。ポッピンするか。見ていこう。

 やれやれ。歴史戦とかいって自分たちに都合の良い歴史しか見ようとしないメディアの勢力が、厄ネタの通州事件を引っ張り出して大勢が殺害されたことだけを挙げてまたぞろいろいろ言い始めてきたけれど、そもそもそんな検証はとっくの昔に行われていて、中国共産党が現地の保安隊に誘いをかけたとかいった説も出ているし、それはいくつかある説の一つでしか無いとも言われている。広中一成さんが出した親書「津州事件 日中戦争泥沼化への道」(星海社)を読めば、そうした説を今さら持ち出すことに気恥ずかしさのひとつだっていい筈なのに、今さっき改めて発見されたかのような書きっぷりで持ち出しては、他の説にはまるで触れようとしないで一方的に向こうが悪いと決めつける。

 そりゃあ非戦闘員が残酷にも殺害されたことには憤りも浮かぶし、亡くなられた方々にはそれが日本出身者であろうと、半分に及ぶ朝鮮半島出身者であろうと動揺に悼む気持ちはある。ただ、そもそも通州は日本国内ではなく満州ですらなく、遠く北京のすぐ近くにあって、そんな場所にはるばる日本人が居留してたのは何のためか、そこで何が行われていたのかを考えなければ、状況に対するバランスの良い応えってのは見えなくなる。それから保安隊に反乱を起こされ大勢を殺されてしまった日本側に、どれだけのぬかりがあったかも考え、その拙さを追求しないといけないのに、そんな姿勢は見せはしない。だって見せたら歴史戦だって振り上げた拳が浮くから。だから知らないフリをしているか、本当に知らないか。どっちにしたって言いたいことを言うためだけの言説。それに踊らされる人も多いけれど、世界に持っていったら嘲笑されるだけだから。英語サイトになんか載せないで欲しいけれど。大丈夫かなあ。

 そして気がつくと第ブルーリボン賞の作品賞に映画「この世界の片隅に」と「君の名は。」と「シン・ゴジラ」がノミネートされていた。監督賞には片渕須直監督と新海誠監督の名前が。もちろん実写映画も含めた映画の賞なんで競争は激しく宮沢りえさんの好演が光った「湯を沸かすほどの熱い愛」なんかが有力なんだろうけれど、こうやってアニメーション映画が作品賞の候補として登場することがひとつには嬉しく、それが2本もあったりする状況に2016年という年の何か分岐点になりそうな意味合いってのも感じたりする。欲を言うなら並ぶくらいに素晴らしかった「映画 聲の形」にも触れられていたら良かったんだけれど、これはアニメーションのファンが強く印象に残しておくことで応えよう。「文化庁メディア芸術祭」か「東京アニメアワード」で「映画 聲の形」に顕彰を。


【1月3日】 真夜中にゴローちゃんがガーリックライスをかき込み、300グラムものリブステーキを食らっている様を見て自分も何か食べねばと思ったものの、冷蔵庫はごみの山に塞がれ稼働を止めて幾年月、かといって近所のコンビニまで出かけるのすら面倒な人間に与えられる食べ物などなく、すかせた腹を水で満たして埋めつつ眠る正月2日。どうやら「孤独のグルメ」に出てきた店は津田沼にあるらしく、行けば行けそうだけれど同じ系列の店が船橋にもあって、歩いて5分とかそんな場所にあるらしいんでいつか行こうとだけ決める。まあ行かないけど。ステーキとか食べてないなあ、もう何年も。

 お金持ちになると友だちが増えし、成功すると関係者がいっぱい出てくるというのは世の常で、映画「この世界の片隅に」が10億円のヒット作になりそうな状況の中で、そのスタートアップを支えたクラウドファンディングのプラットフォーム、Makuakeの偉い人がインタビューに登場して、過去にこうしたクラウドファンディングで作られた映画があったかと聞かれて曰く。「あるにはありましたが、自主制作的な短編映像を作るための資金を集めるものがほとんどでしたね。このように商業作品は前例がありませんでしたし、Makuakeでもアニメ作品はこれが初めてです」。

 ………。そうか「リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード」は自主制作的な短編映像か。いや違う、これはアニメミライで30分の短編「リトルウィッチアカデミア」が作られ、それが世界にも公開されて続編が見たいって声があがり、だったらお金が集まれば作るぜってなってクラウドファンディングの代名詞にもなったKickstarter上で募集が行われて、とてつもない金額が集まって、制作が決まってそして完成へと至り日本での上映にもこぎ着けた。その時間は82分もあって決して短編映像ではなく長編の映画と言っても良いくらい。完成度にいたっては当時公開されたどの映画にも負けていない。そんな事例がありながらも知らないか、知らないフリとするのがひとつ解せない。

 もしかしたらMakuakeによる「この世界の片隅に」こそが初のケースで、だからMakuakeは凄いんだ的ニュアンスを漂わせたいのかもしれないけれど、それで過去に事例に触れないのは正直さに欠ける。あとひとつ、クラウドファンディングのプラットフォームにいったいどれだけの背負うリスクがあるんだといった思いもあって、それで成功したら自分たちのおかげみたいなニュアンスを漂わせてしまっては、あんまり得にならない気がしないでもない。というか、クラウドファンディングは常に成功する訳ではなく、他に失敗した企画もあったりする。そうした中で、成否の境目はいったいどこにあったのか、成功のためにいったい何をしたのか、失敗した例では何が足りなかったのか、その違いはどこにあったのかを話さないと、単なるプラットフォームに過ぎないのに何で出てくるのって思われる。

 「この世界の片隅に」におけるクラウドファンディングの意義があるとしたら、全額ではなくパイロット版を作るということに特化して金額を抑えたこと(まあ規模としては大きいけれど)、そして、リターンをパッケージとかチケットとか完成品にせずお気持ちをもらってお気持ちで返すことに絞ってそんな心意気に乗りたい人たちを誘ったことだけど、それを設計したのはMakuakeなのか真木太郎さんなのか丸山正雄さんなのか片渕須直さんなのか。そうした部分を明確にしないと、成功したクラウドファンディングを展開した人に成功した事例だけで語ってもらっても、あんまりピンと来ないのだった。片渕さんに対するネット発の応援の心意気がずっと続いててくすぶっていて、「マイマイ新子と千年の魔法」の海外版パッケージのKickstarterでちょっとだけ顕在化したのを受けての日本でのゴーだったんで、乗った人も多いと思うのだった。そこを踏まえないと同じことをまたつづけても巧くいかないんじゃないのかなあ。

 吹奏楽部に所属する部員たちの楽器を演奏する手つきを完璧に描いて喝采を浴びた京都アニメーションがもし、綾野ことこさんの「ツルネ −風舞高校弓道部−」(KAエスマ文庫、648円)をアニメーション化したらいったいどれだけのリアリティを持った弓道のシーンが描かれることになるのだろう。何しろ口絵からしてキャラクターのキャッチーな絵柄ではなく、もちろん美少女なんて1人も描かれておらず、和装の弓道部員のそれも男子キャラクターによる射法八節の図解。それを見て分かる人がいったいどれだけいるんだろう。なおかつ物語も射法の解説があり、心得みたいなものが延々と描かれ、早気あなんて知らない人にはまるで知らない状態の説明があってやっぱりどれだけの人が“分かる”のかって思えてくる。

 そもそものタイトルになっている「ツルネ」からして絃音、すなわち和弓を引いて鳴る音のことで、それの違いなんかが心理状態やら技術なんかと絡んで分かる人には分かるとか。もしもアニメーション化されていったいそんな音をどうやって再現するのか。まるで検討も衝かないけれども「響け!ユーフォニアム」で高校の吹奏楽部がまるでダメだった音を大学の吹奏楽団によって再現させ、そして最高の演奏も行われた京都アニメーションだけに、プロ中のプロを見つけてそこもしっかり描いて来そう。いやまだアニメーション化が決まった訳じゃないけれど、期待したくなるじゃないか、京都アニメーション大賞の審査員特別賞を受賞した作品だから。

 まだ子供の頃に見た弓道に引かれ、自分でも初めて中学の頃には結構名もあげていた鳴宮湊だったけれど、いろいろあって中学の途中で早気が出て弓が引けなくなってそのまま逃げるように強豪だった中学を卒業し、上に進まず公立の高校へと入学した。ところがそこで幼なじみから誘われ、出来たばかりの弓道部に入るように言われ、出来ないからと逃げるようにして迷い込んだ森で凄腕の射手だった滝川雅貴という青年とも知り合って、交流を続ける中でどうにか早気を克服し、また仲間と共に弓を射ることに意味も見いだして高校の弓道部へ入部する。

 そこでも同年の海斗から絡まれたりもして、なかなかかみ合わなかったけれど、それぞれに個性があり特長もある5人のメンバーが、ぶつかり合いながらも理解も深め、補い合いつつそれぞれが抱える問題も克服していくことで、それなりの強さといったものを見せるようになっていく。猛練習というよりも、所作を確かめ形を整えることで弓が当たるようになるところが、スポーツ物とはまた違い、剣道や柔道といった同じ武道ともやっぱり違った雰囲気を醸し出す。将棋や囲碁に近い部分もあり、けれどもやっぱりスポーツでもあり、そして絶対的に武道であって作法が尊ばれる弓道の不思議。その所作から要点からどっぷりと浸れる緻密な描写が凄い。なおかつポッと出ながらも才能と努力で勝ち上がっていく“下克上”のドラマも味わえる。女子チームの描写が少なくイラストの1枚もないのが残念だけれど、それもアニメーション化されたらついてくるだろうから、やっぱり期待しよう。

 季が違っているとか悠長なことを言っている場合じゃ無く、本気でヤバい状況に来ているような某自称全国紙。トップに立つ人間が、正月早々にヘイトまみれな言説でもって世間を唖然とさせたけど、下も下でやっぱりヘイトに傾いた言説を流して世間を呆然とさせている。ちょっと前にネットの情報を集めて流していたキュレーションサイトとか、まとめて配信していたまとめサイトなんかが問題視されたことがあったけれど、それにすら劣るような真似を新聞という社会の木鐸を辞任していたメディアの看板を背負ったサイトでやっているからたまらないというか。

 過去にヘイトな言説で訴えられて敗れた人間が、やっぱり根拠の無いヘイトとみなされかねない言説をつぶやき、それに批判が寄せられたことを取り上げて1本の記事を作っている。そのスタンスがヘイトな側を持ち上げ優勢としているところがひとつ、不思議というかおそらくは記事書いた人間が、ヘイトな言説が好きな人間を番記者的に持ち上げているだけに自然とそうなったんだろうけれど、真っ当な思考ではちょっといたらないベクトルをで、読んだ人たちに何でそうなるといった思いを抱かせそう。もうひとつ、引用されているツイートが、いくら反論だったとはいえ一般の人たちのつぶやきで、それらが例えネット上にアップされて公開状態にあるとはいえ、好き勝手に引っ張ってメディアの題字の下でもってネガティブに書いて良いのかって問題も浮かぶ。

 これが真っ当なメディアなら、そうした発言なり反論なりに至った理由を聞きただして添えつつ、状況も分析しつつなるほどひとつの意見としては妥当で、けれども反論があっても当然で、そこにおいて乱暴な物言いがあったならそれは拙いとたしなめるものだけれど、もはやそうしたメディアとしての段取りを踏まず、矜持もない感じでネット上の言説をただ引っ張りぺたぺたと切り貼りしては、自分の応援したい方に優勢なように誘導する。もはやキュレーションとすら言えないプロパガンダ。それが新聞の題字の下で行われている状況に対して、世間は憤るどころかそこなら仕方が無いとすら思っている。そう見做され見捨てられている状況を、一部の支持だけで受けていると勘違いした先に来るのはいったい何か。考えれば分かるんだけれどなあ。考えられないんだろうなあ。


【1月2日】 元日はとっても混んでいそうなので遠慮をしつつ、それでもやっぱり行列が出来るのを想定して、朝早くに参ろうと思って午前5時に家を出て埼玉県は久喜市にある鷲宮神社へ。これでもう何年連続で参っているんだろう。「らき☆すた」の舞台になったと評判になって来場者が一気に増え始めた2008年からずっといっているから、ちょうど10年になるのかもしれない。だからといって別に記念イベントがある訳でもなく、早朝のためにほとんど行列なんてない状態の中をスッとお参りしてお札を買い、おみくじをひいたら「凶」だった。ちょっと珍しいかも。浅草寺じゃない場所でおみくじで「凶」が出たのって、ずいぶんと前に立ち寄った赤坂にある豊川稲荷以来だ。

 珍しいとはいえ持ち帰るのも何なんで結んでそして、これを払拭するにはやっぱり浅草寺に行くしか無い、同じ「凶」でもあそこのは強烈だから別のパワーで運勢を塗り替えてくれるだろうと思って東武線に揺られて浅草へ。こちらもちょっと時間が過ぎると正月2日でも長い行列が仲店の先、門の下まで出来るけれどもさすがに9時前ではそんなに人もおらず、スムーズにお参りできた。そして引いたおみくじは「吉」。もしかしたら8割が「凶」と言われている浅草寺にあってこれは貴重なので去年と同様に持ち帰ることにする。見渡してもまだ屋台は開いておらず、初詣の楽しみだった粉もんは食べられず。残念。

 それならと千葉は中山法華経寺へと回って参道の屋台をのぞいたもののこちらも午前10時前ではまだまだ準備中だったんで諦める。というか一時に比べてずいぶんと屋台が減った感じ。昔はそれこそ参道をずらりと埋めて門の当たりまで埋まっていたものなあ。イイダコがまるまる1匹入っていたたこ焼きもあったし。今はそんな感じもなく猫もおらずちょっと寂しい。でも霊験はあらたかなんで気にせず鬼子母神へとお参りして、今年の厄除けをお願いする。数え41歳の翻訳の時にも前後を含め3年連続でお参りして、そして厄払いのご祈祷も受けたら病気もしないで健康に過ごせた。さすがは鬼子母神さま。会社は傾いてボーナスは半分に減ったけど。でもその半分と今と変わらない。なおかつ当時は子会社だけだったけど今は親会社も含めて。やっぱり災厄ははらえない? いやいやそれはそれ、僕の健康には何の関係もないので気にしないのだった。やれやれ。

 行き来の道中は大森藤ノさんの「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか外伝 ソード・オラトリア7」(GA文庫)をつらつらと。ベルくんたちヘスティア・ファミリアとイシュタル・ファミリアとの諍いの直前にロキ・ファミリアにこんなことがあったなんて! って本編の方ではそんな影響、描かれていたっけ。フィンとか大変なんことになっていたけど、その後も普通に出ていたようなそうでないような。ちょっと記憶にないんで家に戻って掘り返して読み直そう。ティオネとティオナのアマゾネス2人も本気だすと怖いよなあ、っていうか特にティオネ。ふだんは姉っぽさを見せていてもいざとなったら口調は変わって腕っ節も。敵にしたくない女子ナンバーワンかも。

 それにしてもこのシリーズ、本編の方でもベルくんがただの幸運なラブコメ主人公的立ち位置から、自分を貫き強さを求めつつ愛情も失わない存在へと向かっていて、それにつられて物語にもシリアスな要素が増えて来たけど、こっちの外伝ももともとアイズ・ヴァレンシュタインのルーツ探しというシリアスな主題があっただけに、なおいっそうのシリアスで時に残酷な展開が繰り広げられる。呼んでいて辛いけれど今だとなかなかそいうシリアスさ一辺倒のライトノベルを書ける場所もなさそうで、出だしこそラブコメで始めつつ人気を得ながら、世界を広げ物語を深めシリアスさも加えていったこの作品はだから書きたいものを書けるようになるまでの、ひとつの道筋って奴を表しているのかも。どこまで続くか。何が描かれるか。本編も外伝も見逃せない。外伝アニメになるそうだし。

 あの電通が過労自殺にパワハラなんてものも乗っかって社長が辞任せざるを得ない状態になっているというのに、Jリーグではトップに立つチェアマンの人が根性があれば勝てるはずだとか行っててとっても気持ちが悪い。日刊スポーツのインタビューに答えた村井満チェアマンが言うには「リーグ戦を戦いながら、ACLを戦う日程的な厳しさもあると思いますが、心の中に言い訳があると絶対に勝てません」。おいおい日程的な厳しさを乗り越えて勝ったのは鹿島アントラーズであって、その内心をチェアマンがどうして代弁できるのか。本当は辛い苦しいとんでもないと思いつつ、チームなんだから勝つために試合に臨んだだけで、そのツケが今シーズに出るかもしれない。それでも「言い訳するな」って怒るのか?

 「し、万が一、ACLに出ることで日程的に損をするというような、ちょっとした心の緩みがクラブ関係者や選手にあったりすれば勝てません。すべてのタイトルを取りに行くという強烈な思いがあれば、日本のチームにできないことはないと思うのです」っていうもも単なる根性論で、損をするとは思いながらも勝利のために頑張っているだけなのかもしれない。そうした内心の不満にまるで想像を及ばせず、この過密日程でも勝っているんだから大丈夫だって勝手な判断を下している。さすがは苛烈な業務も自己啓発だってな感じに個人にこなさせ大きくなっていったリクルートの出身者。その過程て壊れていった人、落ちていった人への考えなんてまるで存在しないんだろうなあ。鹿島アントラーズが壊れないことを願おう。ジェフユナイテッド市原・千葉はもうちょっと壊れるくらい練習しようよ。昔のジェフの選手て誰もが精悍だったけど今は……。今年こそ。

 元号が今上天皇の在位であり現時点では存命と密接に関わったものとなっている現状において、その元号を総決算すると言うのはつまり今上天皇の御代の終焉を予想したものとして、場合によってはとてつもなく畏れ多い言葉だとして異論百出となるだろう。そんなことをもしも築地にある新聞社の編集局長が行ったとしたら、右側に位置する人たちはこぞって拳を振り上げ何と不敬だと訴えるはずなのに、とある新聞の編集局長が堂々「日本はいよいよ『平成』の総決算に入ります」と元旦のコラムに書いてもまるで反応がないのは、それだけ存在を認知されていないことと、そしてもはや右からも左からもやれやれまた言っていると呆れられ諦められているからなんだろう。同じコラムが冒頭で繰り出したのも隣国への当てこすりに近いワルクチで、1年の計を立てる元旦の書き初めがそれってことは、1年を通してワルクチを言い続けることなんだろう。それが好きな人は読むし、そうでない人は逃げていく。そして世界にはそうでない人が圧倒的。結果は……。やれやれ。

 なんかあちこちで「ルパン三世」のテレビスペシャルが放送されるみたいな年始の第1弾として「ルパン三世ル バイバイ・リバティー・危機一発!」が放送されたんで見たらなんだ面白いじゃん映画レベルじゃん。たぶん放送時にも見ている気がするけれども1989年放送で山田康雄さんも小林清志さんもテレビの2ndシリーズの時みたいな声がちゃんと出せてて峰不二子役の増山江威子さんも色っぽくって聴いてて不安がない上に、出崎統さんの監督であり絵コンテでコンピューターウィルスっていう1989年あたりではまだ最先端で今だって使えるネタを盛り込みつつ怪しげな宗教団体の暗躍を入れ、そして母と息子の確執から和解も入れて感慨深いストーリーにしている。ルパンがコミカルばかりじゃなくニューヨークの街並みもクールでスタイリッシュ。それを多く見せることで雰囲気作りに成功しているといったところ。映画館で見てもきっと面白がれただろうなあ。明日は「ルパン三世 ヘミングウェイペーパーの謎」を放送。裏ではおおすみ正秋さん「ルパン三世 ルパン暗殺指令」も。山田ルパンと小林次元、そして増山不二子のハーモニーを味わおう。


【1月1日】 いやあもう面白かったよ最高だったよ2016年のNHK紅白歌合戦。茶番だの小芝居だのといった悪評も聞こえてくるけれど、もはや歌がメディアでまんべんなく広められて誰もが知る流行歌が毎年毎月生まれている状況でも無い中で、その年のトピックを絡めながらヒットした歌を流しつつ、過去の名曲も歌ってもらって世代を広く引きつける手段はあって当然。たとえ歌謡バラエティーと化そうとも、それで歌が世に聴かれるようになるなら良いんじゃないかとも思う。聴かれもしないで特典だけ抜かれて捨てられるよりは。それすらも1枚はたぶん聴かれているだろうからやっぱり良いのかな。

 そんな紅白歌合戦で愁眉はやっぱり「PPAP合唱付」か。あのピコ太郎をフィーチャーして全編に絡ませつつ、「シン・ゴジラ」の襲来をサイドストーリーとして混ぜいつ来るどこから来るといった関心を誘って引きつけ、そして最大の茶番となるNHKホールへの到着。そこで武田アナが表に出ては実況を行い呼びかけも行い、応えたピコ太郎がNHKホールの2階だかにしつらえられたステージで、男女混声の合唱をバックにPPAPを歌う前後にベートーヴェンの交響曲第9番合唱付を奏でさせ、そして「PEN」だの「APPLE」だのといった部分で合唱風の声でもって被せてくる。

 なんという芸術の無駄遣い。でも聴かれなければ芸術だって無意味にされかねない中で、こうやって合唱の凄さを見せつけることによって興味を誘えれば、それはそれで良いんじゃないかって気がしてる。三山ひろしさんのけん玉だって、演歌歌手にとっては目立つ手段だろうけれど、けん玉にとってはそれで世に広まる機会でもある訳だし。それにしても格好良かったなあ、後ろのけん玉プレーヤー軍団。あんなことが出来るのか。やってみたい。そう思わせたら勝ちなんだよ。戻って「PPAP合唱付」から武田アナの「PPAP」を混ぜ、そしてX−JAPANによる「紅」でもってゴジラの凍結を成し遂げる展開は、よくもまあYOSHIKIたちが乗ったと思わないでもないけれど、紅白に出ると決めた段階で野暮やっても仕方が無い。そんな思いもあったのかも。それとも「シン・ゴジラ」が好きだったとか?

 巨大生物災害対策本部のメンバーを混ぜて(尾頭さんがいないのは残念)ストーリー仕立ててで見せたのも「シン・ゴジラ」好きには嬉しかった。見てまた映画館に「シン・ゴジラ」を観に行きたくなったけれど、あんまりやってないんだよなあ、さすがに。また蒲田宝塚に行こうかな。あとはやっぱり2016年を代表するヒット曲とも言えるだろう星野源さんによる「恋」が聴いてて最高だった。ガッキーが踊ったとかそういうんじゃなく、ドラマをほとんど見ていない僕でも何とはなしにメロディーも歌詞も耳に入っていたとう事実、これが流行歌って奴なんだろうけれど、なぜか日本レコード大賞にはかすってもいない。10月スタートのドラマで間に合わなかったかもしれないけれど、文字通りに2016年を代表する曲に触れないってのは業界として間違っている、そう思える。だからこその衰退、なんだろうなあ。

 そしてRADWIMPS。演奏は良かったけれどもそのバックで流れた新海誠監督による「君の名は。」の映像が完全に演奏とシンクロしていた。生の演奏でピッチがズレればパーになりかねないところを、どうやて合わせたのかが不思議だけれど演奏のタイミングとそして歌詞にマッチした映像がタイミングよく出ていて目も耳もそっちへと向かってしまった。さすがは新海誠監督、編集の鬼。でもこれも1夜限りなんだろうなあ、もったいないけど、それがお祭りってことで。Perfume。体の動きとLEDの店頭をシンクロさせるのはリアルタイムでキャッチしていたのか、動きをトレースして作った上でそのとおりにPerfumeが踊っていたのか。後者なら凄いけれどそれくらいやるのがPerfumeなのだ。

 東京都庁からの椎名林檎さんは議事堂にプロジェクションマッピングを行いつつおろさくはリアルタイムでのCGも重ねてテレビの視聴者には見えるような操作をしていた気がする。前年とかのPerfumeでも使われていた技術。あとリオデジャネイロ五輪での日本紹介イベントでも。電通が絡みライゾマティクスが担当していればそれくらいは平気でやるだろう。TOKIOでも東京都庁でのプロジェクションマッピングが使われていたっけ。今や普通の技術になってあとは場所と発想の勝負になって来た。どこがどんな変化を見せるか。楽しみだしその先を行くようなアイデアが出てくるのも楽しみ。それこそなにもない空間に映像を出せるようになるかも。それで2020年の東京オリンピック/パラリンピックを彩り世界を驚かせよう。AKB48の群舞も良かったなあ。ソロの誰かより集団の迫力こそがAKB48の魅力なのだ。

 そして呼んだあわむら赤光さん「我が驍勇にふるえよ天地3 〜アレクシス帝国興隆記〜」(GA文庫)はとりあえず、1国を任される身となったレオナートは人材を抜擢しては国の運営を軌道にのせつつあったもののそこに隣国のアドモフ帝国から冬にもかかわらず侵攻が。皇太子の地位を盤石にしたいと思う中将が、武功をあげて政権中枢に食い込もうと兵を動かしたものらしいけどその侵攻の裏側で、別の思惑も動いていたりしてレオナートは2正面での戦いを余儀なくされる。英雄が一騎当千の戦いを見せるレオナートたちに対して、アドモフは兵士に下士官に士官といった指令の系統が立ってそこでそれぞれが戦況を見ながら戦うからなかなかレオナートでも壊走させられない。

 手こずっているうちに別の方面からの侵攻があって困ったものの、そこは美しい軍師もいてどうにかこうにか切り抜けたものの幼いころから鍛えてくれた武将を失うという事態にも。そしてアドモフ帝国の側にも皇太子を立てようとする派閥があって、それに動じない守旧派の6長官たちがいて、さらに武勲を上げている王女を支えようとする派閥があってと三つどもえのなか、謀略が巡らされその材料にレオナートたちも絡められて先が見えにくくなっている。後の戦記からの振り返りが挟まれるからレオナートが吸血皇子の名を持った苛烈な指導者になることは分かっている訳で、そこへと至る過程にどれだけの戦いがあり、そこで部下にした者たちによるどれだけの活躍があるかを、追いかけていく楽しみが増してきた。問題はちゃんと完結させられるかだなあ。そのためにも買わねば、読まねば。

 そして元旦からシネマート新宿で「時をかける少女」。なんでまた上映かとも思ったけれども10周年を記念したボックスも出たりして盛り上がっている中で、見たい人もやっぱり大勢居そうだと感じたからなんだろうなあ。実際に結構な人出があったし、ひとりで来る女性とか。やっぱり心を千昭に持って行かれて未来で待っている彼に会いに来たんだろうか。そんな映画を見て10年前に始めて見た時の感想とかを振り返ったら、「筒井康隆原作! 細田守監督! ならば100万人の動員は確実! という時代は来るのか?」って感じにスタジオジブリ一辺倒で、新しいアニメーション映画をまるで注目しない世間に憤っていた。幸いにして細田監督は「おおかみこどもの雨と雪」でブレークしたけど、片渕須直監督は「マイマイ新子と千年の魔法」が今ひとつでそのあおりから「この世界の片隅に」を作りづらかった。それがヒットして果たして変わるかというと、やっぱり細田監督なら、片渕監督ならっていったブランドに縋る状況が続くんだろうなあ。良いものを見定めそれを売るために邁進する。そんな幸福が本格的に訪れるのはいつか。明日か。永久に来ないか。これからの数年に注目。


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