縮刷版2017年10月下旬号


【10月31日】 2016年のアヌシー国際アニメーションフェスティバルで最優秀作品賞と観客賞をW受賞したクロード・バラ監督によるストップモーションアニメーション「ぼくの名前はズッキーニ」を試写で観る。ちょうどストップモーションアニメーションとして「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」が東京国際映画祭で上映され、製作陣も来日をしてCG全盛のこの時代にわざわざ人形を手で動かして1コマ1コマ撮影していく苦労をする理由なんかを話していたこともあって、CGにはにあそこに本物があって動いている感を味わうことが出来る作品かと思ったけれど、そうした部分は確かにある一方で、人間を人形にすることによって漂うある種の象徴化を狙ったものでもあるのかなあと感じた。

 ストーリーは父親が女を作って出て行ったかして、残った飲んだくれの母親が怒って手を上げるような境遇で暮らすズッキーニと名乗りたがっている少年が、迫る母親と問題を起こしていしまって施設に引き取られることになり、そこでいろいろな経験をしながらだんだんと自分を解きほぐし、仲間とも共感をするようになっていくといったストーリー。入った当初は牢名主、じゃないけどきっとボス的な存在の少年から言葉で誹られ大切なものを取り上げられる虐めを受けて、心がいたたまれなくなってくる。そんなボス的な少年シモンも家族に問題があり、また施設にいる子供たちはやっぱり家族が強制送還されたり刑務所に送られたりして心に傷を負っている。

 そうした境遇で虚勢の張り合いがあったり逆に卑下のし合いもあったりしてまとまらない中に新しく入ってきたカミーユという少女の存在が、内向きでバラバラだった施設の子供たちの関係を結束へと導きそしてズッキーニにも前に向かおうといった心理を与える。もちろんカミーユも両親はおらず引き取ってくれたオバはカミーユを金づるとしか考えていないところがあって一緒に暮らせば不幸になると分かっている。もしかしたらズッキーニがしでかしてしまったこも起こるかも。そんあ未来への不安を醸し出しつつ進んでいく展開はともすれば暗くネガティブで、それを例えば人間の俳優が子役として演じたら、とてもいたたまれないものになったかもしれない。だいたいが子役とはいえ子供にそんな役はやらせたくない。

 かといってCGではどこか距離が遠すぎて自分のこととしてとらえられない。そこで人形によるアニメーション。子役とはすこし距離があって作り事のような世界観で身を引いた場所から展開を眺めていける。一方で人形であるためにそこに自分の身代わりを感じ取って、彼ら彼女たちが経験することに同感や共感といったものを得られる。そんな効果があるような気がする。もしも同じストーリーを子役でやったら、CGだったらと考えるけれどここにしっかりと登場した人形を使ったストップモーションアニメーションから感じ取れることがすべて。それはとてもセンシティブで、けれどもしっかりとポジティブなものだと言いたい。「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」のようなアクションはないし壮大なストーリーもないけれど、身近なテーマを描いて何ができるかを考えさせてくれる作品。そして「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」と同様に家族とは何かを考えさせてくれる作品。公開は来年2月とまだ先だけれど、ストップモーションアニメーションのひとつの傑作として見てもらいたい。是非に。絶対に。

 今のところ9人か。それが首だけにされて部屋の中に置かれてていたとうのは相当に猟奇で何か欲望だとかを満たすために近づいては殺さざるを得なくなったのが積み重なっていった事件とは、ちょっと違った匂いなんかを感じてしまう。純粋にシリアルキラー的というか。そして死体にこだわるネクロフィリア的というか。問題はそうなるまでどうして誰も気づかなかったってとこで、行方不明が相次ぐ中で中心にいそうな誰かを割り出し、そこからたどっていって発見って訳じゃなく自殺サイト的なかき込みから辿って露見したといった感じ。隠蔽する気もそれほどない態度でありながらも発見されれず、露見したのも地元の神奈川県警ではない警視庁だというからこれはやっぱり何かがすっぽりと見落とされるくらいに、そこに普通があったんだろう。それが何かを分析することで、次なる犯罪も防げれば良いのだけれど。あるいは今まさに起こっていることが止められれば。しかしまだまだ増えるのかなあ。大久保清はとうに抜いたから誰に迫ることになるのかなあ。

 漢和辞典といったら大学の東洋史専修に入った時に講読の授業で「十八史略」を読むことになったんで漢文を本格的に読むために使えてそれでいてコンパクトな角川書店の「新字源」を勧められて買って4年間、ずっと使ったものだった。もちろんもっと難しい漢籍なんかを読むときは、研究室に備えてあった諸橋轍次さん監修による大修館の「大漢和辞典」を引っ張り出して引いていたけれど、そうした具合に僕にとっての漢和辞典は中国語のそれも昔の言葉を読むために必要なものであって、日本語を読むために必要なものではなかった。だからライティな層にとっても受けているハンドレッドな作家の人が沖縄に行って基地反対派のテントに漢和辞典があるのを見つけて、中国から来たスパイが日本語を勉強しているんじゃないかと言った時にはハテナが浮かんで苦笑が滲んだ。

 なるほど読めない感じを読むために漢和辞典を引くことはあって、それが小学生中学生の時に漢和辞典を使うたいていの理由だった。でもそれで読めたところで解説の所にだって感じはあってそれが読めなければ意味も用例も分からない。中国から来た人が日本語を読むために漢和辞典を使うなんて理由はだから理由としても下の下であって主流ではないにも関わらず、そうやって思いつきをつぶやいてはお仲間の賛同を得て盛り上がって良い気分になれるメンタリティの強さって奴には、やっぱり感心するしかないのかもしれない。そうやって食べていられる人は幸せだなあ。そういえばハンドレッドな人と親しい新聞にいる編集委員で論説委員も朝日新聞のワルクチだけをここんとこ書き続けてはお仲間の喝采を浴びていた。それでご飯が食べられるんだから楽だろうなあ。編集委員で論説委員ならもっと広い知見からいろいろなことが書けるのに、そうしない毅然ぶりにこれもある意味で感心するしかないのかも。やれやれといったため息交じりに。

 第30回東京国際映画祭もこれで最後の取材にしたい原恵一監督と町山智浩さんとの「カラフル」に関する対談を見物に行く。どういう関係から町山さんが原恵一監督のそれも「カラフル」について尋ねるのかちょっと分からなかったけれど、関係で言うなら「映画秘宝」が送るベストワンを原監督の「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」が獲得していてその授賞式に原監督が来たらしい。トロフィーをもらって却ってシンエイ動画で次回作の「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」のコンテを描いていたそうだから何もかもみな懐かしい。それから16年。再会を果たした町山さんが「カラフル」に描かれている家庭や中学生の鬱屈なかを参照して山田太一さんの影響を喝破すると原監督も「木下恵介アワー」を見ていて「二人の世界」が好きで、それが山田太一さんの脚本であることを明かした。木下恵介監督も好きだけれどそれ以上に作風の根底には山田太一さんがあるのかも。そう理解して今までの作品をまた見返してみたいなあ。


【10月30日】 たつき監督というかirodoriの美術監督の白水優子さんといっしょにお仕事ができるかもしれない募集にいっぱいの絵師さんが参加を表明している様子を見るにつけ、「けものフレンズ」という作品に描かれていたあの世界、サバンナであったりジャングルであったり高山であったりといった美術に対する評価が結構あったんだなあと今さらながらに思ったりする。ただの草原でジャングルで山じゃないのと言えば言えなくもないけれど、「けものフレンズ」という作品にあって必要不可欠な自然をそこに描き、オブジェクトも描いて乗せていったトータルの世界観がやっぱり並々ならぬものだと感じさせたのかもしれない。あとは「駅長さん」とか「傾福さん」といった短編に描かれている世界観とか。

 ただやっぱり美術は作品あってのもので、その世界にマッチしたものを監督の要望に応じて捻り出すのが仕事であって自分が持っている世界観をそこに目一杯に乗せれば良いというものではない。監督によって違うレベルに答えつつ時に物理的な法則を超えて監督の欲しい絵を空想するようなことも必要。いつか「君の名は。」とか「星を追う子ども」で新海誠監督作品の美術を担当した丹治匠さんが、山頂で指してくる夕日をバックに瀧くんと三葉が向かい合ったポスターなんかで光がなぜか2人の手前にある不思議さを指摘しつつ、でもそうなんだからと言っていた。何が描けるというより何でも描けてかつ描いて欲しいものを描くという忍耐。その中で自分を出そうとするクリエイティブが必要な職種にさあ、どんな人が入っていくのか。イラストレーターとは少し違って自由がないからと挫折せず、挑んで何かを得て欲しいなあ。

 やっと見た「Just Because」の第4話は初詣で周りが気を利かせたのか2人きりになった相馬陽斗と森川葉月だったけれどもいろいろと引っ張った挙げ句にようやく陽斗の口から好きだといった言葉が出たのに葉月は即断で「付き合えない」。それはどうして? 卒業したらすぐに兵庫県の大学に進学してしまうから? 成績は良さそうだから神戸大かとか思ったけれどそれだと神戸と言いそうだから違うのかもしれない。だったら関西学院大学かなあ、甲南女子大学かなあと想像もするけれど、家計はそんなに潤っては無いのに私学に行くとも思えないし。まあともあれ神奈川にはいないから付き合えないのか付き合いたくないから付き合えないのか。初詣まで行ったんだから嫌いじゃないとは思うんだけれど……。乙女心は複雑怪奇。それを解きほぐす話が次から始まるのかな。頑張れ陽斗。

 「血界戦線&BEYOND」の方は人狼の部隊がいろいろと暗躍をした果てに罠にはめられ悪人となった元人狼の女によって捕まってしまったものの、ひとりチェインだけが徹底的に自分を希釈していった果てに相手を出し抜きどうにかこうにか倒したものの、希釈しすぎて戻れなくなりそうになったところを、それでも現世に執着があると戻ったところにその執着の原因が訪れジ・エンド。決して見られたくなかった醜態を見られてしまったものの、だからといってそれをキーにしたからこそ、帰らなければ戻らなければどうにかしなければといった執着も働いた。憧れのあの人に汚部屋を見せたくないという執着。分かるなあ。だったら普段から掃除しろ? それが出来ないからこその集約であって。乙女心はやっぱり複雑怪奇。とばっちりをくらったスティーブンだけれど、そこまでされてまだ気づかないのかその思いに? 冷血だねえ。冷血かあ。

 ナムコとかは散々っぱら運営していていノウハウもあるキャラクター関連の飲食店を今度はバンプレストが手掛けるってんで見物に行く。場所は池袋。名前は「映像居酒屋 ロボ基地」で、名前のとおりにロボトットが出てくるアニメーションをテーマにしていて映像を見たりしつつ、ロボットアニメにちなんだフードメニューなんかを楽しむことができる。なるほど「スーパーロボット大戦」でロボットアニメをとりまとめているバンプレストらしい店ではあるけれど、そうしたIPとかをバンプレストが出す一方で、飲食店としてのオペレーションは居酒屋チェーンで老舗の養老乃瀧がやるみたいだから、その辺はプロの飲食を楽しめる。

 たとえば「伝説巨神イデオン」にちなんだメニューでは、あのイデのゲージが描かれたピザが提供されていたけれどもちゃんとピザでバジル風味で美味しかったし、あのユウキ・コスモのアフロエアがモチーフになったとうナポリタンスパゲッティは赤くてこんもりしている様がユウキ・コスモだったりする一方で、ほぐせば別に髪の毛の味なんかしないでおいしいケチャップスパゲッティになっている。「六神合体ゴットマーズ」からあとつくねの串が6種類あってそれで六神合体!!とのこと。分かりやすい。「冥王計画ゼオライマー」のアイテムも合ったけれど、アニメを見ていないからちょっと何か分からないや。それを調べるって楽しみもあるのかも。

 そして目玉は「超時空要塞マクロス」から「柿崎の幻のステーキ」。テレビの中で食事に行ったスカル小隊が出動を命じられ柿崎はステーキを食べられずに出撃してそこで暴走したバリアの爆発に巻き込まれる形で死亡。以後、柿崎といえばステーキがパワーアップアイテムとしてついてきた。それがこうして実現。食べれば思い残しも消えて成仏しちゃいそうだけれど、今も彷徨う柿崎の代わりに食べてあげて涙を流してあげるといった解釈もできるのかな。ほかにはアニメとは関係ないけれど、ロボの基地と言えばなタワーをベーコンで再現したもの、ロボといえばなドリルをイカ焼きで作ったものなんかもあって結構な懲りよう。そして見てくれだけでなく味もしっかりしているのが養老乃瀧らしい。

 スクリーンとかモニターとかに流れる主題歌とかを口ずさみつつ、場内のWi−Fiでアクセスしたタブレットやスマホで再生できるオープニングとか名場面を眺めつつユウキ・コスモのアフロを囓り柿崎のステーキをほおばってロボットに浸れる酒場。これを楽しめるのってやっぱり50歳前後のような気がするけれど、1975年の「勇者ライディーン」から1988年の「ゼオライマー」まで結構な幅もあるんで、養老乃瀧が想定している団塊ジュニア世代を中心としつ30代から60歳近い世代まで、来て楽しめる気もしないでも無い。あとは「スパロボ」でロボットの名前だけは知っている世代が来て、その元ネタが何かを確かめるといった楽しみ方もあるのかな。11月1日オープン。1度は客で行って見るか。

 東京新聞だからたぶん中日新聞で夕刊で藤井聡太四段をきっかけにした将棋に関する連載が続いていて、ここしばらくは板谷進九段にまつわるエピソードが紹介されていて、読んでいてやっぱり相当に名古屋とそれから中部圏で将棋の普及と浸透に尽力された方なんだということが見えてきた。将棋の駒を彫る人とかも若い内からかわいがって名局に使われた古い駒なんかを見せていたと言うし、同輩の面倒を見てプロになれなくても将棋道場を任せてそしてそこから藤井聡太四段も出てきたといった逸話を知るほどに、今のこの主義ブームの根っこにあのNHK杯で対局しながらあぐらをかいて煙草を吸っていたおじさん棋士が、豪快な中にも繊細な配慮を見せていたことがあったんだと分かった。亡くなられて来年2月で30年。改めてその業績に敬服。


【10月29日】 ひと晩明けて「ブレードランナー2049」について考えるとやっぱりあの奇跡はどうして起こったかってあたりが気になって、だから奇跡なんだと言うしかないんだろうけれど、科学の結晶でもある存在にそうした非科学的な事態が発生するのも不思議な話で、どこかに何かトリガーめいたものでも仕込んであったのかと想像してみたくなる。レプリカントと人間との間に境界線を引かない存在がかつて作られていたとか、あるいはレプリカントの製造工程に人間の血肉めいたものが使われていたとか。そうしたあたりから発生した魂めいたものが受け継がれ結び付いて奇跡が起こったとか。まあきっと説明はないんだろうけれど、ファンタジーでもサイエンスでもどっちでもとれるようになっているあたりに映画事態の深さってものを感じざるを得ない。長く語り継がれる作品になるだろう。無茶な続々篇とか作られなければ。「レプリカント無双」的な。

 やっぱり見ておきたいと昨日は行けなかったデジタルコンテンツEXPO2017が開かれている日本科学未来館へと出向いて国際学生対抗バーチャルリアリティコンテスト(IVRC)2017年の決勝大会を見物。まずは試した東京工業大学の「ゴムゴムノシューティング」がとってもゴムゴムしていて楽しかった。つまりはルフィみたいに腕を伸ばして向かってくる敵に当てて倒すというもので、腕に装置を取り付け前へと突き出すと、ガシャンとスライドする部分が前へと伸びてそれが腕を前に伸ばしている感じを作り出す。引けば戻って来る感じも。ギュッと締められる腕のタイミングともどもばっちりで、VR空間で自分が本当に腕を伸ばしているような気にさせられる。これに本格的にIPを乗せてVR ZONE SHINJUKUの「ドラゴンボール」でかめはめ波を打ち出すVRの横に置いたら受けそうな気が。コヤ所長タミヤ室長とか試して検討してみていかがっすか。

 この「ゴムゴムノシューティング」も含めて何かになりきろう的VRが多かった気がしたIVRC2017。関西学院大学の「光り輝くかぐやの世界」は何とかぐや姫になってまだ生まれる前の竹筒の中から翁に呼びかけて世の中に出してもらうまでを体験するものだけれど、VRヘッドマウントディスプレイを着けて見るとそこでは遠くで竹を切り倒している翁というよりただのおっさんがいて、それに向かって体を動かしアピールすると竹が光って向こうに気づいてもらえるという。だから頑張って体を倒したりしていたら、おっさんが何か光っているぞと言って近寄って斧を一閃! その際にシュパッと空気が当てられ首ごと切られるかもしれない恐怖と誕生の喜びが得られるという寸法。斧をもった男に迫られ切られる感覚はむしろホラーに近いかもっっしれないかぐや姫もこんな恐怖を味わったのかなあ。よくぞ無事に生まれたなあ。

 自分で試して面白かったのはあと電気通信大学の「モグラMoguMogu」で、これもモグラになりきって暗やみの中を匂いを頼りに虫を探してすすんでいくという内容。手にセンサー付きのグローブをはめてそれで下から空気圧をあてることで固くも柔らかくもできる砂場に手を突っ込み、思いっきりかくとモグラが進んでいく。一方で花に鼻にはマスクがあてられそこにホースでもって匂いを引っ張ってきて吹き出させる。その匂いが出るタイミングは何も見えないVRヘッドマウントディスプレイで顔を振って匂いを発生させる餌の虫がいる場合。プレイヤーは真っ暗闇の中、顔を左右に傾けそして匂いが出た歩行を向いたまま手を動かて砂をかいて進んでいくと、見事に虫に当たってポイントになる。

 やるとちゃんと顔を傾けたりすると匂いが出てきて、そちらに進むとちゃんと虫がいるという。そうした連動はしっかりとれていたようだけれど、最初に匂いが漂っていた方向に進んでも、距離があるため出だしのズレが最後に大きくなって虫の横を通ってしまうおともあったいたい。僕は2匹しか取れなかったけど多い人だとしっかり5匹とかとっていた。角度をしっかり感じる才能があるのかな。ともあれ匂いを誘導のひとつに使うという意味ではちょっとユニークなVR。次は暗やみの中でMoguMoguは暗闇の中、空気圧で水たまりみたいなる砂をかき、マスクから匂いの方向を察知して虫を感じて進んでいくVR。モグラって大変だなあって思えて来るだろう。

 試さなかったものでは猫のパジャマ着ぐるみをまとって手に猫の手みたいなグローブをはめて四つん這いになり、ウォーカーマシンに両手をおいてそしてVRヘッドマウントディスプレイを装着すると自分が道路を歩く猫になってそこから美少女とコミュニケーションをとったりするというVRが面白そうというか、それで何がどうなるというか。もうひとつ、VRヘッドマウントディスプレイを装着すると見えるものがすべてエビになるけれど、それを口に運んでやっぱりエビのようなパリパリとした触感ながらも、2つ食べる1つはコオロギだというVRが面白そうだった。食用のコオロギだから食べられないことはないんだけれど、虫は苦手という人にエビと勘違いさせる時に使えるか。あるいは食糧事情が厳しくなって虫を食べなくてはいけない時に、VRなりARなりMRでもって食べるものをご馳走に見せる時とか。そうやって人間は飢餓を乗り越えていくのだった。食感同じならいいけど違って同じ見てくれでは困るかな、味までごまかせるVRなりARなりMRが出てくる必要があるのかな。

 今村耀さんのユーフォニアムを聞きたかったけれど用事もあるんで日本科学未来館を退散して、雨の中を歩かずに済むようにとロータリーにあるバス停からバスに乗って門前仲町まで行き日高屋であんかけ五目ラーメンと半チャーハンを食べてから六本木にあるTOHOシネマズ六本木まで行って第30回東京国際映画祭の特別招待作品として上映された「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」の上映後舞台挨拶を見物する。登場したのはライカ・スタジオCFOのブラッド・ヴァルドさんとライカ・スタジオでアニメーション・スーパーバイアーを務めるブラッド・シフさん、そして後藤太郎さんでシフさんは手にクボ少年を持って登壇してくれた。個人的にはもしかしたら今回の東京国際映画祭で主演男優賞を贈っても良いくらいの名演を見せてくれている少年だけれど、それがどうやって出来るのかがシフさんの手でもって明らかにされた。

 ポケットのどこかに仕込んであった顔のパーツとかを取り出しカチャカチャっと付け替えるとほら、表情がキュッと口を結んだものから大きく開いた笑顔のものに早変わり。ちょっと手を上げると集まった観客に挨拶をしているような感じにも見えた。マグネットで取り付けられるそうではめ込みじゃないから付け外しも楽なんだろうけれど、だからといってその場面に相応しい顔を選んで目も選んで付けていくのは結構大変そう。コロコロと変わる表情はすべていちいち付け替えられている訳で、1秒で24コマを撮りそれを1分1時間と撮っていく大変さは想像するに余りある。何でも小さい吸血鬼と呼ばれていたそうで、それはアニメーターから命を吸って動いているというかうごかされているからって理由。でもそうした命が込められているからこそ、人形によるストップモーションアニメーションには魂が、パッションが、エモーションがあると感じられて見続けられていくんだろう。CGで替えられないそこに秘密があるのかも。公開されたらまた行こう。

 これはやっぱりポン酢としか。読書週間に絡めて「27日から恒例の読書週間が始まった。同日付小紙朝刊の2、3面では、これに合わせて16冊の書籍が写真入りで紹介されていた。さてどんな種類の本かと眺めると、うち2冊が朝日新聞の報道のあり方を問うたものだった。ある意味で、大変な人気者である」と書いていた自称するところの全国紙で伝統のある1面コラムが取り上げた書籍紹介が、何のことはないその新聞の営業局企画・制作による広告だったという話。自分のところの読者に向けてピックアップした本だから、そういう並びになるのもある意味当然で、それがさも一般的にそうした傾向があるんじゃないかとコラムに取り上げるコラムニストの夜郎自大ぶりというか、マッチポンプぶりに腰が砕けて飛び散ってしまった。そういうポン酢な文章だってことを分かって書いているのかねえコラムニストは。分かってないんだろうなあ。やれやれだ。


【10月27日】 帰宅したら午前0時前ではそこからトークイベントの内容を記事に使える形に整形し直すのが精一杯で、とりあえず寝て午前6時に起きていそいそと電車に乗って武蔵野線から新木場まで出てそこから有楽町線で豊洲まで行き電源の使えるマクドナルドでメガマフィンのセットを囓りながらとりあえず昨日の原恵一監督と中島かずきさんによる「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」に関するトークの記事をフィニッシュ寸前まで持っていき、そしてゆりかもめでテレコムセンター駅まで行ってそこで形を整え送信をして一段落。そして内覧会が行われるデジタルコンテンツEXPO2017を見に日本科学未来館へと向かう。

 普通に新木場からゆりかもめでお台場に入れば良いじゃんとも言えそうだけれど、それで東京テレポート駅まで行くと原稿を書けるような場所がまるでないから困りもの。ダイバーシティ東京プラザは店がひらくのが午前の10時だか11時だかでファストフードも喫茶店もまるでなく、そしてデックス東京ビーチにあるマクドナルドに寄っていたらやっぱりそこからゆりかもめになってしまう。いっそ地下鉄で新橋まで行きそこでしばらく滞在することも考えたけれど、遠回り感が半端ないんで豊洲経由にしたって寸法。結果として電源を使えたので原稿もはかどった。これで家が執筆に絶える環境なら早起きをして仕上げてから出たんだけれど、机に向かえるようなスペースはもはや存在していないのだった。引っ越したい。宝くじ当てて。

 そして向かったデジタルコンテンツEXPOでは真っ先に7階へと駆け上がったけれどもハシラスが出すと言ってた「URBAN STAMP RALLY」とやらは見当たらず、代わりに「ハッピーおしゃれタイム」というVRが出ていたものの準備中だったんで東大院が「無限回廊」に続いて出して来た「無限階段」というVRを体験する。舞台となっている場所は三角形の断面を持った棒が放射状に並べられているだけ。けれどもVRヘッドマウントディスプレイを被るとそこには天空へと伸びる螺旋階段が現れ、そこに向かって歩いて行って階段に足をかけると、縁が足の裏に当たっているような感じを受ける。それが三角の棒の天辺な訳だけれど、見える景色に従い階段を辿っていくとしっかりと縁を足の裏が感じて今まさに階段を上っている感じになって来る。

 見える風景もだんだんと高くなっていって気持は爽快。ただしそこから引き返そうとして下を見ると高い空中にいるのが分かって怖くなる。下りるのも足を探るような感じになってなかなか大変。別に落ちるわけでもないのに、どうしてそんな感じになるかを考えるなら上へと向かっている時にそれをリアルな階段だと認識してしまった頭が、下りる段になってもリアルさを覚えていて下に落ちる恐怖って奴を感じさせるからなのかもしれない。人間は案外騙される生き物なのだ。そして試した「ハッピーおしゃれタイム」もこれまた現実からの乖離を誘うVR。基本は仮想空間での着せ替えで、見える衣装にポイントすると自分が来ている衣装が代わって、それを向こうにある鏡に映しているといった状況で、女の子のキャラクターになった自分が選んだ服を着ているのが分かる。変身の気分。

 メイクや髪型などもいじってから飛んでくる星形に手を当てていくリズムゲームが始まって、音楽とのマッチングの確かさに感嘆した後はフレームを選んで記念撮影。そこでかわいいポーズをとって絵にそうさせるんだけれど、現実の自分はおっさんな訳でそれがカワイイポーズをしているという客観的な状況に、耐えられるかどうかで楽しめるかどうかも決まって来そう。僕はもう気にせず目一杯にカワイイポーズ。それで良いのだ。アイドル系だと凸版印刷が講談社のやっているVRアイドルプロジェクトの映像を借りてドームシアターに移しだし、それを立体眼鏡越しに見て飛び出してくるアイドルを体感するようなコンテンツを出していた。音楽のノリの良さとアイドルのかわいらしさについついコールを叫んでしまいそう。そうやってのめり込んだ方がVRって楽しいから。土日にそうしたコールは飛び出しているか。見てくるか。

 球体型の装置に入って楽しむVRとかブランコに乗って空中を浮遊するVRとかもあって楽しそうではあったし、前に同じ日本科学未来館で体験したドームスクリーンを前に動くシートに乗って「東京ビクトリー」を聞きながら空中浮遊を楽しむVRライドも乗れば楽しいことは分かっているけどそっちは体験に時間もかかりそうだったから遠慮して、イノベーションホールってところで人間の演奏家とAIとがアンサンブルを行うライブを見物する。まず登場したのが今村耀さんっていうユーフォニアム奏者で、若い女性でメガネをかけているところにこれは田中あすかだ、リアル田中あすかだと個人的に小躍りしたけど果たして賛成してくれる意見はどれくらいあるのだろう。なくても僕がそう思えばそうなんだ。そういうものだ。

 演奏を終えてQ&Aを行った田中あすか……ではなく今村耀さんはこれがメトロノームとかオーケストラのトラックだと自分から合わせに行かなくてはならないものが、AIだと自分が演奏したらそれに着いてきてくれるから演奏しやすいと話していた。人間を相手に練習しているようだとも。誰かの癖をAIが覚えてそのように演奏するようになったらあるいは、自分が黄前久美子になって田中あすか先輩といっしょに吹くような合奏を体験できるのかもしれない。ライブでは2曲目として黄前久美子と高坂麗奈が合奏する奥華子さんの「愛を見つけた場所」をその感じで演奏してくれて、アニメを見ていた人なら泣き出しそうな気にさせられそう。それにしてもユーフォニアム、ただの低音でリズムを取るだけじゃない静かな旋律を奏でて場を和ませる楽器と知れ渡って来たなあ、これで日本から凄い演奏家が出てくるかな。

 面白かったのはピアニストのよみぃさんの演奏で、SEKAI NO OWARIとか「千本桜」をピアノで弾いたんだけれど連弾になっているピアノには誰も座ってないのに鍵盤が動いてそれがよみぃさんの演奏に追従している感じだった。見えないAIが弾いているってことでそれが証拠に背後から当てられたスポットライトに誰もいないピアノの方にも影が出来ていた。これがAIの影か、ってことはないただの演出でも、そこに誰かがいるかもしれないと目で思わせる効果はあった。なかなかの巧みさ。ピアノの連弾ではよみぃさんが主旋律から伴奏に回る場面もあってそこでは果たしていったいどちらが合わせているかが気になった。相手が人間なら合わせるのは自分ならAIが人間と同じならやっぱり合わせるのは人間か。そういったインタラクションも含めて再現できるとしたらこれは凄い技術かも。

 そんなデジタルコンテンツEXPOの開場を出て市ヶ谷へと回って大日本印刷がDNPプラザに作った東京アニメセンターを見物。前はUDXにあった施設だけれど閉鎖となって行き場を探していたらインバウンドも狙いつつ自社のコンテンツビジネスへの影響もあると考えたみたいなDNPが手を上げ施設の中に組み込んだ。結構な広さでそこで「KING OF PRISM」とか「Infini−T Force」とか「アイドルタイムプリパラ」とか「Wake Up, Girls!とか「タイムボカン 逆襲の三悪人」に関連した展示が並んでいる。DNPが絡んでいるだけあって大型のパネルとか手慣れた造形でオリジナルの絵でもあってツーショットを取りたいファンとか嬉しいかも。アニメセンターでは出来合のPOPが並んでいただけだからなあ。そういう意味でもDNPが運営に絡んだのは大きな意味がある。あとは怒らせないで続けてもらえるよう、コンテンツの提供をしっかりと。「けものフレンズ展」とかやってくれたら嬉しいなあ。たつき監督の新作映像も流してくれたら。願望。


【10月26日】 参加表明をし忘れて何も書いていないSF映画特集の第2弾が乗っているSFマガジンの2017年12月号が届いて見たら最終ページの次回予告に「ガールズ&パンツァー 最終章」の公開を記念して「ガールズ&パンツァー」とそして戦車SFを特集するとあった。何だ戦車SFって。真っ先に思い浮かぶのが神林長平さんの「今宵、銀河を杯にして」でマヘルシャラルハシバズだっけ、そんな名前の思考する戦車が出てきては走り回っていた記憶がある。他はライトノベルだと伊吹秀明さんお「出撃!猫耳戦車隊」とそして続編「猫耳戦車隊、西へ」あたり。もちろん卯月竜之介さん「ニーナとうさぎと魔法の戦車」も入って来るけど、SFマガジンが取り上げるとも思えないかあらなあ、監修の酒井昭伸さんが知っているとも思えないし。

 佐藤大輔さんの絶筆くらいにあたる「エルフと戦車と僕の毎日」も戦車が登場はするけれども架空戦記的に中東戦争をエルフに置き換えた作品で戦車そのものが何かSF的な意味を持っている訳ではないから違うかな。その点で言うなら芝村裕吏さん「富士学校まめたん研究分室」は理科系の女子が作った新設計のミニ戦車が世界の戦いを変えてしまうくらいになって、そこに謀略とかも絡んでポリティカルにも重要な役割を果たすところがSF的。きっと取り上げられるだろう。海外SFでも探せばきっと戦車的なものが活躍するものがあるはずだから、そこは特集を待って逆に学ぼう。アニメーションだと「サイボーグ009」のベトナム編に出てきた飛行戦車が怖かったなあ、人間の脳を使ったサイボーグ的戦車。このアイデアの敷衍なり元ネタがあるならちょっと知りたい。その意味でも注目。

 せっかくだからと東京モーターショー2017へ行って、やり残していたVRなんかを試す。フォルクスワーゲンではクルマが置いていない場所でバーチャルのクルマに触れたり乗ったりできる展示を行っていて、VRヘッドマウントディスプレイを装着するとそこにフォルクスワーゲンのコンセプトカーが現れて、近づいて空中に浮かぶボタンを押すとドアが開いて椅子が動き、そして下がってしゃがむとホイールが目の前にしっかり見える。VR空間では目の前にクルマがあるから不思議な感じはしないけれど、傍で見ていると何も無い場所で歩いたりしゃがんだりしているから不思議。そうしたプレイをも含めて自分はVRを遊んでいるんだろ言う気分を抱き周りも抱かないと、スマートな文化としてVRが浸透していくことは難しいかもしれないなあ。

 運転席に座って仮想空間のコックピットを見ながらドライブするVRには隣に美女が乗り込んできていろいろと話しかけてくるからなかなか楽しい。映像のクオリティも高くて流れていく街並みとかは実写のよう。それとも実写か? それらがシームレスにガタつかず流れていくからまるで酔わないのも良い。相当に考え込まれたVRかもしれない。手掛けたのはどこなんだろう。ちょっと気になった。手の位置とかはゴーグルの前につけたセンサーで把握しているみたいで、マーカーを手足に着けなくても位置は録れるから楽は楽。でもいずれWindows Mixed Realityが登場してくると、手にコントローラーを持って操作するタイプに代わるのかな、それだと手に持っているという状態が続くから本物感は薄いしなあ。その意味でも今回の仕様を組んだのかな。

 同じフォルクスワーゲンでは脳波を測定してそれで自分が好きそうな車を教えてくれるコンテンツも出していて、試してみようとVRヘッドマウントディスプレイを装着して流れてくる映像が家族だとか恋人だとか友達だとかいった人々が群れて戯れ動き回っている明るい絵。引きこもりの独りものには怒りしか湧かない映像だったんだけれど、そこから自分がアルテオンっていうフォルクスワーゲンが旗艦サルーンとして投入してきたクルマがピッタリと提案された。ううん。そんな金はないけれどただ、昔ケンメリとかに乗っていた関係でワゴンだとかハッチバックだとかには興味がなくスポーティな4ドアセダンに憧れている感じはある。それに近いクルマってことで5ドアハッチバックだけrど4ドアに見えてスポーティな走りもできるアルテオンに傾いたのかも。色が白なのは謎。ガンメタか赤がいいのに。そこはそれ、臆病な心理を感づかれたのかもしれないなあ。

 カヤバ工業と前は行っていたKYBが出していたのがレース用電動パワーステアリングの機能を使った°シミュレーターで、ル・マンのレーシングマシンなんかにも使われているそれが組み込まれたステアリングを握って半球のドームスクリーンに映し出されたコースを走っていく。ゲームじゃないからスピンして逆そうしたりと難しい。慣れていないなあ。バックといえばハーレーダビッドソンが並べていた3輪のトライクというバイクは何と普通免許で運転ができるものだそうで、自動車みたいにバックの機能も組み込まれているという。「ワイルド7」でヘボピーが乗っていたハーレーも後輪を重ねて分厚くした上でバックも可能にしてたっけ。望月三起也先生の想像がトライクという形になって表れた? 二輪の免許でなくても乗れるところに引かれるかなあ。値段は自動車なみだけれど。いつか機会とお金があれば。

 山尾志桜里さんが愛知7区で衆議院議員選挙に当選したことに対して無効票が多いことを挙げて不正を非難する声に対して、他の選挙区でも結構な無効票が出て行くことを挙げて並べて不思議じゃないだろうと毎日新聞が報道したにもかかわらず、全国紙を標榜する新聞がしつこく愛知7区の無効票が特別に多いような印象を記事に醸し出し、どういった批判が原因になっているかを改めて書き立てることによって特定方向に当選者の印象を持っていこうとしている。まるっきりデマなんだから書かないのが理性で、書くにしてもデマだと主張することが必要なのに、デマではあってもそうかもしれないと思わせ、言われるには理由があるんだと思わせることによってネガティブな印象を着けていく。なんとも鬱陶しい。さすがにまともな世間はポン酢っぷりに気づいているようだけれど、読んでいる層だけはやっぱりそうだと信じている節があって、そんな信者を束ねて食べている状態が今。先細りしかなさそうだけれど、受ければ勝ちの空気がこういう記事を許してしまうところに未来への不安も浮かぶのだった。やれやれ。

 東京国際映画祭で行われてる原恵一監督の特集上映のトークを観に行く。初っぱなとなった今日は「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」が上映されてその後に原監督と双葉社で編集者をやりクレしんのプロデューサーも手掛けた中島かずきさんが登壇し、氷川竜介さんの司会の中でいろいろと語られた。綿密な考証が評判になった「この世界の片隅に」よりも15年は先に行っていたらしいそのリアリスティックな戦国の渇せ描写。それを本来はギャグの「クレヨンしんちゃんでやってしまったところに時代劇が好きだった自分が出たみたい。これが最後と突っ込んでいった成果なだけに泣かされる人も多かっただろう。主役級が死んでしまうことも最後は説得で乗り切り作られた映画はやっぱり大評判になって実写映画として山崎貴監督がストーリーラインだけを借りて「BALLAD」と作ったっけ。そんな映画をさらりと作って前年の「オトナ帝国の逆襲」と続けざまに当てるんだから凄い監督だったんだなあ、原恵一さんて。次は何を作るんだろう。イメージボートだけでもみたいなあ。たつき監督の次回作ともども興味。


【10月25日】 東京都知事となってそして都民ファーストの会を作って東京都議会議員選挙で圧勝したところまでは確かに、ガラスの天井をぶち破って上へ上へと向かっていった感があるし、それによって世間が期待することも大きかったけれど、衆議院議員選挙において立ちあげた希望の党が予想を大きく下回って野党の2番目に甘んじてしまったことは決してガラスの天井があった訳でもないし、ましてや強固な鉄の天井があった訳でもない。むしろ自分自身がどこかから鉄の天井を引っ張ってきて自分で蓋をしてしまった感じすらあったりする。

 合流を言った民進党に対してそりの合わない人たちを「排除」すると笑顔で言ったあのシーンに漂った傲岸さ。政党だから政策が合わなければいっしょにはなれないといった当然は一方にあったとしても、そこを説得なり納得させるなりする手間をかけずに門前払いのような態度で拒絶する不遜さを周囲は見て、この党に期待を寄せてもいつか裏切られるんじゃないかと思ったことだろー。お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らしてすくい上げようとしたら、傲慢な口ぶりでもって自ら糸を断ち切ったカンダタのような印象を持った人もいるかもしれない。そうした思いが離反を呼び新たに立ち上がってまともな口ぶりを見せていた立憲民主党へと流れたといったところだろー。

 けれどもこれを鉄の天井と言って自分は被害者だと訴えてしまえるとことに、笑顔で「排除」と言ってしまったパーソナリティが滲んで見える。さすがに世間も分かっているからここでいくら被害者意識を見せたところで、自分ですべてをひっくり返しているだけだと言われるのがオチ。それは都政で何かやろうとしても、自己満足と自己アピールに満ちたものだと思われ滞る。そうした都知事の下に集った都民ファーストの会の議員たちも、これは言うことを聞いていたら次は無い、明日すら無いと思って離反していきそう。結果、都政は乱れすべてが滞って東京五輪どころじゃなさそうだけれど、未だ自分が仕切る気満々だからなあ。開会式はCO2ゼロって息するなってことなのか。思いつきで喋って突っ込まれる性格がここにも。良いブレーンをつけないと。つけても逃げられる? ごもっとも。

 風景であり風物として浅草は浅草寺の前に建ち並ぶ仲見世はあって欲しいくて、どこか胡散臭いけど外国人なら喜びそうな和テイストのグッズだとか古着の着物だとか子供が欲しがる玩具だとか唐辛子だとか饅頭だとかが並んでは、今という時代に阿らない空気を醸し出し続けて欲しいと思うけれど、一方でそれが決して商売として成り立っているとは言いがたく、近隣に比べて極めて低い家賃の上にどうにかプラスとなっているものだとするなばら、文化の継承として残す意味を抱えつつもそれを経済的に優遇して良いものかといった気分も浮かぶ。賃料の値上げをきっかけに似たテイストでも収益をしっかりとれる商売が並ぶようになれば、ある意味で健全化は図れると言えなくも無い。

 ただ現実には似た商売が高い家賃で通用するはずもなく、京都の老舗みたいに付加価値を持って高い値段で何かを売れるはずもないからやっぱり存続は難しい。となれば入れ替えでもって今っぽい店が並ぶことになりそうだけれどそれだと例えばスターバックスであったりマクドナルドであったりソフトバンクの携帯ショップであったろドンキホーテであったりと、何もそこになくても良いような業種が並びそう。まるで門前といった風情を感じさせないそれらが並んで観光地としての価値を既存して、それで浅草寺は良いと思っているのか、そしてそういった判断を浅草寺がせざるを得なくした東京都は良いと考えているのか。誰か聞くだろうから聞いてみたいその思い。アニメイトととらのあなとゲーマーズが並んだらそれはそれで楽しいけれど。外国人だって嬉しいだろうし。

 なんだかなあ。先の衆議院選挙の開票所で遠目から望遠か何かでもって見つけた投票用紙の癖字等々を挙げて並べて、外国からの工作員による投票であって不正選挙が行われていると言い募るブログがあってツイートもあって、そんな訳あるかいと思ったらそうした意見に賛同する人がわらわらと湧いてきてこの国の慈しみの精神はどうなっているんだと思ったという。障害なり知識なりの影響から字の書けない、あるいは書くのが苦手な人たちがいて、それでも頑張って書いているということへの想像を働かせ、よくぞ選挙に参加してくれましたと敬意を持って讃えるどころか工作員呼ばわりする。そしてこうした罵声が日頃から愛国だのどうのとほざいている層から出て、喝采を浴びるところに戦慄を感じざるを得ない。読めない字で投票したって対象者の利にも対抗者の利にもならないだろうに。そんな当たり前の発想すらないらしい。

 まあそれも個人がしゃかりきになってやっているならまだ良いけれど、とりあえず全国紙を標榜しているメディアが選挙には不正があったんじゃないかと愚にも付かない噂を取り上げ書き立てて、それがあたかも本当だったかのように印象づけているから厄介極まりない。愛知7区で山尾志桜里候補が当選したことについて、無効票が4%を超えるくらいあってそれはとっても高い割合で、だから本当は対立候補に入れられていた票を無効にしたんだといった憶測があって、結構な抗議が地元の選管に向かっているというのがひとつの前提。そこで理性を持って全国を見渡せばもっと無効票の割合が高い地域はあると示して、野卑た感情が発言しているだけに過ぎないといった感じで話をまとめようとしている。

 にも関わらず、自称するところの全国紙はやっぱり多いんじゃないかといった印象を示し、山尾さんがどういった批判を浴びているかを改めて書き立てることによって批判されて当然だと印象づけ、だから選挙でも不正があったんじゃないかといった雰囲気を顔し出す。読んで残るのはああやっぱりといった気分。それを元に理不尽な抗議は止むどころかむしろ増えそう。アリバイ的にとても無効票が多かった東京の選挙区について触れているけれど、自民党の議員が出ていなかったという理由にもならない理由を並べているだけで、まるで筋が通っていない。そんな記事でも山尾さんへのネガティブな印象づけという“目的”が土台にあれば、書かれてしまい載せられてしまうところにとてつもない問題がはらんでいる気がする。いい加減そうした牽強付会を止めないと、東京オリンピックを迎えられないかもしれないぞ。マジでそう思えてきた。ヤバいなあ。

 世界を震撼させたたつき監督のあのツイートからちょうど1カ月。阿鼻叫喚の中で迎えた「けものフレンズがーでん」の楽しさに心浮き立たせ、グレープ君の訃報に心沈ませながらそれでもいつかアナウンスがあってたつき監督がアニメーション版のスタッフに戻ってきてくれると信じて待っていた。でも特段の動きは無し。果たして事態は進展しているのかそれとも膠着しているのか。どちらに向かっているかだけでも知りたいけれど、知ったらそれはそれで恐ろしい気もするので、今はTOHOシネマズ上野で開かれる「けものフレンズLIVE」の上映イベントを楽しみにして待とう。サイリウムって持っていって良かったんだっけ。


【10月24日】 やあ、たつき監督の短編アニメーションの新作が公開されたぞ。「傾福さん」と名付けられたシリーズみたいで、傾斜を滑るケーブルカーの巨大なプラットフォームみたいな場所で前作は何かを待ってる少女とこしょこしょとしか言わないマンタが出てきて待望の先に得られる開けた感じに気分が明るくなった。今回は傾斜を降りた先でもって廃墟の中を歩いた傾福さんらしき少女とマンタが白熱電球みたいな巨大な袋に入った何かを集めて持ち帰る。それは世界遺産のミニチュア? それともクレーン? いずれもよく分からないし使い道も分からないけれど、不思議なものを不思議な少女が不思議に集めているといったシチュエーションだけで、世界への想像が浮かんで楽しくなる。

 いや楽しいとはちょっと違うか、廃墟めいた場所を歩く少女とマンタは残されて何かを待つ存在でもあって、それは滅びへの過程だとしても再生への途上だとしても、寂しさなり侘しさといったものが根底に漂う。そうした雰囲気の上でも自分を律して明るく生きている存在がいる、といったシチュエーションはまさしくテレビアニメーション版の「けものフレンズ」で、元よりあったそうしたシチュエーションへの傾倒が商業作品としての「けものフレンズ」の上に現れ、そしてirodoriとしての自主制作アニメーション「傾福さん」の中に染みているって言えるのかも知れない。つまりは同根。だからこそ「傾福さん」シリーズの先に期待が浮かぶし、そうっした世界観を持ったたつき監督による「けものフレンズ」のアニメーション第2期への期待も高まる。他に考えられないよなあ。明日でちょうど騒動から1カ月。何か動くか?

 結城夏凜のすっぽんぽんが見られて嬉しかった「UQ HOLDER! 〜魔法先生ネギま!2〜」はスラム街の救出に向かった近衛刀太と時坂九郎丸が夏凜も連れて行った先で襲ってきた不死狩たちの攻撃にあってちょっと大変。吸血鬼だからこれに弱いと人狼の灰斗十字架の形に拳を打ち込まれて刀太は動きがとれなくなり、九郎丸も剣豪の南雲士音らと立ち会って大変そう。そしてシャワーを浴びていた夏凜は襲ってきた超星仔を相手に体のどこかを恥じて隠すこともなく立ち向かうけど操られた影に絡め取られて股とか胸とかぎゅうぎゅうしめられる。その影が星仔の体の一部だったとしたらそれで触れてて羨ましい限りだけれど、当人にあんまり恥じらいの意識がないのは残念かなあ。ぶん殴るシーンで胸とか抑える動きとかまるで見せなかったし。状況は危機的だけれどそこは呼び寄せたUQナンバーズが戦って撃退するんだろう。緩急あって楽しいアニメ。お気楽気分で見ていこう。

 韓国で開催されている富川国際アニメーションフェスティバルで片渕須直監督による長編アニメーション作品「この世界の片隅に」が最優秀賞のグランプリを獲得したという。日本でも世界でもどのアニメーションフェスティバルに出しても、グランプリなり優秀賞なりは取って当然といった完成度を持った作品であるけれど、あの太平洋戦争の渦中にある日本を描いている作品が、その太平洋戦争の前後で諸々の苦難を抱えていた韓国の映画祭で認められたというのはなかなかに大きな意味がある。もちろん彼らだってイデオロギーによって作品の好悪を決めるようなことはしなだろうし、だからこそこの作品がコンペティションに選ばれ上映もされたし、ロードショーだって行われることになっている。ただそれでも、異論を唱えるならば戦時中の責任について語っていないといった指摘がされて、そうかもしれないといった判断が行われて不思議は無い。

 市井の女性が国体による戦争への傾注の中で知らず協力をさせられつつも当人たちは日々だんだんと色濃くなる物資不足に直面し、そして激しくなる空襲に恐怖したことを描いた原作であって、それを映画化したものだから戦争責任を声高に問うようなことは元よりない。一方で原作では暴力で従えたからこそ暴力に屈することになる必然を問わせ、また映画ではそこまで明確ではないけれども海外から来た穀物で自分が出来ていることを問わせることで、海外からの搾取があってそれを自覚して恥じ入らせる。その意味では太平洋戦争における日本の責任についても言及していると言えるけれど、そうした細かなニュアンスではなく正面から論じていなくて大丈夫か? といった不安もあった。結果はそれでもやっぱり必要な映画で泣ける映画で満場一致での受賞となった模様。分かって頂けて有り難く、そして分かってもらったことに逃げず改めて原作から醸し出された責任への意識を噛みしめたい。ともあれおめでとうございます。

 ジャパンコンテントショウケース2017って東京国際映画祭に関連して開かれる見本市があって、昨日に音楽だけのTIMMに行ってもらったスケジュールを見ていたらTIFFCOMの方でVRに関するセミナーがあるのを見つけて見物に行く。出演するのはコヤ所長とタミヤ室長とそしてハシラスの安藤晃弘代表。いずれ劣らぬロケーションVRの先駆者たちで、その口からアニメAIを使ったVRはどうしたらいいか、そしてロケーションVRはこれからどんな方向に行くかが語られ勉強になった。とりあえずアニメIPのVRで言えるのは王道を行けといったこと。よくありきたりな発想に埋没したくないと、突飛な体験をVRでやろうとする動きがあるけれど、それは決して多くが望んではいないことらしー。

 例えば「ドラゴンボール」でVRを作ろうとした時、なぜか桃白白が柱をぶん投げてその上に乗って飛んでいく体験ができるVRなり、舞空術を再現したVRを構想した声があった。でも結果としてVR ZONE SHINJUKUに導入されたのはかめはめ波を自分で発生させて打つVR。こういう遊びだったら過去にもいろいろと玩具なりゲーム成りがリリースされて、またかといった気にさせられそうだけれども逆に見るなら幾度となく玩具なりゲームにされているということはそれだけニーズがあるということ。ならばやらない手はないとかめはめ波を打つVRを作り、そこにVRならではの地面がえぐれて山が吹っ飛ぶような迫力を目の当たりにできる楽しさを乗せて出し、結果としてVR ZONE SHINJUKUでも1、2を争う人気アクティビティになった。

 逃げないこと。そしてもうひとつはヒーロー自身に成り代わらせようとはしないこと。すべてを自在に操り圧倒的な力を振るって敵とかを倒すヒーローになれるのがVRの仮想体験の面白さといった声もないでもない。でも実際に自分がヒーローに成り代わってもアクションの体がついていかず、傍目にそれはVRによる追体験なのかといった意見が浮かんできて、思い悩むことになる。そうじゃない、自分は自分としてVRによる体験の空間に入っていき、練習を重ね再チャレンジを続けることによって成長し、完遂できるようになっていく。そうした成長が感動となってプレイヤーを喜ばせる。何にだってなれるVRだけれどそれが幸せとは限らない。意外な教訓を得られたセミナーだった。ハシラスの方は実体験をVRと紐付けリアリティを持たせれば、虚構の展開をそこに混ぜても嘘だと思わずホンモノだと思ってしまうといった話をしていた。これもなるほど。虚実を綯い交ぜにしてリアルな感覚に引っ張り込む。そんな差配が出来るようになればVRも一気に実用性を増していくのかな。経過観察。


【10月23日】 韓国での「けものフレンズ」の放送だか配信だかが始まっているみたいで、流れて来たオープニングとかを見るとこれが実にピッタリというか、韓国語なのにどうぶつビスケッツ×PPPによって歌われているかのような声質でさすがはアニメーションに長けた国だと思わせられる。「うーがおー」とかが発音が違っているけれどおそこは国によって吠え声とかが違って聞こえるってことの現れなんだろう。あとはやっぱり韓国語でもこの歌が流れてきてアニメーションを目にすると、「けものフレンズ」を観ていた時のワクワク感が蘇って来て今一度見続けたくなるし、その続きだってやっぱり見たくなる。韓国でもきっと同じ思いを抱くだろう人が数百万人は出るだろう。そういう声を集めてぶるけることによって何か自体が進展しないか,何て考えたりもする。それで足りなければ中国で放送して1億にの声を集めるとか。そうならないかなあ。なって欲しいなあ。

 衆議院議員選挙でやっぱり気になったのは千葉1区の動静で、これで維新から立候補した警察から呼び出されているにも関わらず最初は知らないと良い、そして呼び出されたんじゃなく自分から申し込んだんだとも言ってすぐに突っ込まれていた元アナウンサーの人が2位とかに入って惜敗率で比例で当選したらどうしようかと心配したけどそこはやっぱり地盤もなければ看板だって壊れかかっている人だけあって、選挙区では選挙違反してるじゃないかと非難していた共産党の候補者にすら負けて最下位となり、惜敗率で救われることなく重複の両方での落選が決まった。それを当人や家族の身に立てば不幸と言えるかもしれないけれど、国会議員は家族のためになるものではなく自分のためでもなく国のため、国民のためになるものであってそうした国民を区切って虐げ分断するような言説を唱えて支持される方がおかしい。落選も止む無しといったところだろー。

 もしもそんな元アナウンサー氏が東京もそれも千葉だなんて今済んでるってだけで千葉から立候補せず、地縁もあるだろうし維新の人気だって高い関西で立候補していたら果たして当選したかというと、人気が高いだけあって勢力図もかっちりしていて新鋭が入り込んでも名簿では下の方に下がるだけ。そして人気があったところで松浪健太前議員みたいに選挙区で落ちて比例でも上がらず、そして名前だけは知られている足立康史前議員ですら選挙区で落ちて比例でどうにか引っかかるくらいの場所な訳で、やっぱり落選しただろうし知名度とともに行状もいろいろと暴かれてほじくり返されて維新全体の人気を下げただろーから関東で出馬させたのもあるいは党側の思惑か。そして落選。今後いったい何をやっていくのかなあ、2年後くらいにある参議院議員選挙を狙って地道に活動をしていくのかな、それとも千葉市長選……は5月に終わったばかりだからまだ先。いよいよもって福祉のお世話になる時? 子供たちには頑張れと言っておこう。

 しかしたとえ通っても勢力としては泡沫で鬱陶しい言説を放つだけの元アナウンサーとは違ってこちらは与党の自由民主党から公認を受けて出馬し中国地区の比例で当選してしまった某女性の方がいろいろと大変そう。元々議員だった時期もあるんだけれどその頃から言っていることが歴史を横に見てひっくり返して逆さまににした上で自分の都合の良いように解釈したもので、それを世界も認めるべきだと声高に叫んでは一部に喝采を浴びるものの世界と仲良くする必要がある政権にとってはちょっと面倒な立ち位置にあった。政権の外にいるだけでもダメージを与えるような存在を、改めて公認して当選させたってことは安倍総理はあるいは稲田朋美前防衛相の抜けたかたわらのポジションを与えて愛でてライト側を守らせる気でいるんじゃなかろうか。

 だとしたら厄介以上に面倒なことになりそうだけれど、それを拙いと言って止める総理なら稲田大臣のあたりで止めている。そうえはなく本気でライト方面に舵を切る気でいるのか。稲田前大臣を入れ丸川珠代氏を入れ三原じゅん子氏を入れ片山さつき氏まで入れて高市早苗氏も含めてずらり並べたシフトはレフト方面がら空きだけれど、そっちに弾など飛ばす気はないから関係ない。かくして政権は華やかさとともに面倒さも抱えて世界に爆弾を投げ続け、それは絶句を誘って絶交を招きそう。戦ったところで中国とだってロシアとだって勝てる訳もないのに。だから外交で慰撫し経済で抑えるのが現代の国家なんだけれど、誰かのプライドを満足させるためだけに威張って引っ込みがつかなくなって戦って雲散霧消。80年近い昔の失敗をまた繰り返す気満々だなあ。立憲民主党がもうちょっと当選してれば何とかなったかなあ。希望の党から半分くらい出戻ったりして。そして自民党からも。動かないかなあ、政治。

 サミ……。第2話のラストで降り注ぐ銃弾の中に身を委ねたサミが辿った運命は当然に悲惨で、それを目の当たりにしたチャクロは身動きがとれなくなり、続く淡々とした虐殺に手も足も出なくなった所をリコスが現れとりあえず事態は次の襲来が仄めかされていったんの幕を引く。帝国の襲撃に対してあまりに無抵抗すぎる感じがするけれど、事情を知っている長老会が動くことを禁じ動けとも言わない中でただ市民だけが何が起こっているのか分からず逃げ惑い、一方で相手は激情とかを喰われた中で命令どおりに淡々と殺していく。だからあんまり派手な描写がなかったのかなあ、それとも演出の力量か。ちょっと考えたい。かかる事態にオウニが動き団長もいよいよ動きそう。泥クジラきっての使い手2人が本気でみせる戦いに帝国も驚け。でもサミは戻ってこないんだよなあ。悲しい。せめてギンシュ姉さんに活躍を期待しよう。可愛くて活発で強い娘さん。見ていて楽しんだよ本当に。

 スティーブン・A・スターフェイズの日常めいたものが描かれ、その薄氷に立つようなシビアな暮らしに侘しさを覚えたエピソードが第2期になってようやくアニメーション化されて嬉しい「血界戦線&BEYOND」。レオがヘルサレムズ・ロッドに来たヤクザ者に脅され金を巻き上げられたのを取り返そうとするエピソードに、ザップが女から局部に爆破の魔法をかけられ彼女の猫を探して回るエピソードも重なった中で、スティーブンが家に友人達を招いてホームパーティを開いている最中に起こる裏切りとも言える展開に、絶望よりもそういうものとかといった諦観を感じてスティーブンが対応する姿にどういう暮らしをして来たんだろうと思えて切なくなる。きっとそれまでも近づいてきた友人が敵だったなんことがあったんだろうなあ、そういう中でクラウス以外に信頼できる仲間を得てライブラを作り活動できるようになった。その幸せだけで十分じゃないか、って思えるけれどやっぱり欲しい仕事じゃない友達ってことなのか。スティーブンに愛を。

 それはチェイン・皇が向けてくれる? でもスティーブンが気づいている節はなし。次回の人狼大作戦でチェインが大変な目に遭うけれどもそれをスティーブンへの思いを逆手にとった作戦が解決するところに思いの強さってものが伺える。えも仲間にも優しいチェインはカツアゲの時は見逃したヤクザ者を酒で負かした上に文無しにして体で支払わせたりする。ヘルサレムズ・ロッドの掟に従わずお上りさん気分で最強を気取ればどうなるか、ってのが分かった時にはもう遅いという話。でも目の前であの立派な胸と谷間を見せつけられれば普通は誘いに乗ってしまうもの。それだけのものを見せても靡かないスティーブンはやっぱり朴念仁か。クラウスとどっちがどれくらい朴念仁だろう。いやでもクラウスはレディとして気遣う描写があるし。チェインに愛を。浴びるくらいの愛を。


【10月22日】 3話まで見た「宝石の国」は3DCGなんだけれども原作自体が構築的な絵なだけあってその2Dを立体に興しても違和感がない上に巧みな描写でもってスピーディーな動きとか構図とかを作っていて見ていて目を引きつけられる。なおかつ声優さんによる演技がどのキャラクターにもピッタリで、いつもどこか不満げな黒沢ともよさんんの声が黄前久美子に勝るとも劣らないほどにフォスフォフィライトにぴったり。あと茅野愛衣さんによるダイヤモンドも可愛らしくて守ってあげたくなる。医師のルチルは内山夕実さんかあ、ちょっとアルペジオのキリシマっぽい。ジェードが先生を起こそうとして殴って手首を割ってしまう時の声とか最高。高垣彩陽さん。そうした演技を抜群のキャスティングも含めて見ているだろう音響監督の仕事っぷりに最高の賛辞を。これは傑作になる予感。

 雨の中での最終日となった東武動物公園でのグレープ君死去に伴う献花台にはそれでもたくさんの人が訪れた模様。上がっている写真なんかを見ると献花台にはいっぱいの花と写真とグレープジュースなんかが置かれ、メッセージボードは1枚だったのが3枚くらいになって手前にも張り出されていっぱいの言葉を受け取っていた。親しまれていたんだなあ。もちろん他の動物たちが亡くなっても同じくらいに悼む気持ちを抱きたいけれど、大好きな「けものフレンズ」という作品を通して知ったその存在で、なおかつ歳を経て得た2次元の恋人といったストーリーも相まって、いっぱいの感情を持ってしまった。これはもう仕方がない。

 アイルランドのサイトで誰かが1000匹のナメクジにレンガを叩きつけることはできても、1個体のカタツムリを潰すことができるかっていったことを書いていた。あるいは南極でアデリーペンギンの子供が大量に死んでも抱く感情はグレープ君1頭に及ばないとも。その非対称性はやっぱり気にすべきだろうけれど、だとしたらむしと近づけるのは世界のあらゆる命に物語性を付与する努力であって、そうすることによって命に対する慈しみが生まれ何とかしようという気になる。当然に人間であっても。そうした動きが強まってくれれば良いけれど、今はむしろ内向きの関係性を強化することによって外へは拒絶と排除の意識を向けることが多くなっている。それだけ自分を守ることが大変になっている現れなんだろう。でもだからこそ。グレープ君に抱いた気持を外へと向けられるような物語を世界に紡いで欲しいと祈ろう。改めて安らかに。

 同じ明いた魔剣でも大宮にあるソニックシティで開かれたアニ玉祭へと出かけていろいろと見物。今年も含めてこれまでに5回開かれたうちの4回が雨というからよほど天気に運がないと思えるけれども唯一晴れた1回があの実写版パトレイバーで使われた等身大レイバーのデッキアップが行われた回で、雨が降ったら台無しだっただけにこれはこれで運が良かったと言えそう。今回は雨も酷い感じでこれまではちゃんと出ていた公園のブースが全部開かず痛車の展示のみになり、そしてソニックシティ前の半地下の広場で開かれていたステージも中止となって小ホールへ。整理券を配った関係で朝に早々になくなり行ってもはいれない人が出たようでちょっと可哀相だった。広場なら遠くからでも見られるし出入り自由だからなあ。そのあたり精査が必要かも。

 展示では「らき☆すた」とか「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」とか「こころが叫びたがってるんだ。」とか「ヤマノススメ」といった埼玉にゆかりのアニメ作品のグッズが並んでいた一方で、東北ずん子とか京町セイカとかいった地域で取り組まれているキャラクターも登場してアピール。そうしたクロスオーバーが見られるのもアニ玉祭の良いところで知らずいろいろと詳しくなれる。南砺市と間野山市とが姉妹都市提携した記念のクリアファイルも配られていて、昔の初代iPadではOSが合わずダウンロード出来なかった「恋旅」のアプリを入れてゲット。でも南砺市まで行かないとアニメーションは観られないのだった。やっぱり一度くらい行っておくかなあ、PAワークス的な聖地だもんなあ。

 そんな聖地巡礼に絡んでのトークイベントもあってフライングドッグで「月がきれい」をプロデュースしていた南健さんが登場して、川越市を選んだ理由とかを話してくれた都会ではない垢抜けなさを持った中学生がいるところ、ってことで選んだみたいで千葉だとライトノベルの聖地でもあるし越谷だと都心が近くて選びづらいとなっていろいろ探しているうちに川越市に行きあたったらしい。でもって川越まつりなんかの存在も都心との違いを感じさせる上で大きな要素だっとか。そういえば2010年ごろに観に行ったけど最近は行ってなかった川越まつり。「月がきれい」のこともあったし来年くらいは行ってみるか。

 ちなみに恋人同士の片方が市川に移ったのは横浜とかと違って微妙に行く気がしないから、らしい。何も無いしとか。武蔵野線って寂しとか。いやいやそれは10年前で越谷レイクタウンとかできて今は人気の路線なんだけど、それに乗ってアニ玉祭まで来たんだけど。ってことで南健さんは敵認定。川崎でも売ってろと。そんなアニメもやってたらしい。あのアニメかなあ。あとはやっぱり地元との連携で頼られ過ぎるのも面倒な一方で大勢が一気に訪れるのも厄介で、そうしたすれ違いをやっぱりなくさないと聖地巡礼的な盛り上がりはないとか。「ガールズ&パンツァー」だって巧くいってる部分が目立っているけどそれまでにいろいろあった訳で、すり合わせをしっかりして地元が作品だけでなくアニメファンのファンにもなって一緒に盛りあげる気概を持つ筆ようがあるというのは聖地巡礼プロデューサーの柿崎俊道さんの弁。コンテンツツーリズムは観光の一部だけれど聖地巡礼は人生そのもの。そうした熱さを共に受け止め育む気概。養おう全国。

 なんだかなあ。もちろん投票日に特定の政党を礼賛するとか逆に避難するとかいった紙面を作ることは御法度なんだけれど、日頃から自由民主党を大応援して野党を大批判している新聞が、「安倍政権5年 審判は」といった見出しでもって1面に大々的に掲載した写真に候補者が立ってその周りを大勢の人たちが囲んで大喝采を贈っているような雰囲気があったら、それは安倍政権への圧倒的な支持があるんだってことを満天下に感じさせようとしていると思うだろうし、実際にそう感じる人も多いだろう。でも実はその写真は対立する立憲民主党の枝野代表が新宿駅前で行った集会で、街宣車ではなくお立ち台の上に立って低い位置から衆目に礼賛を浴びているような雰囲気を見事に出している。同時に立憲民主党への支持の熱さを表している。

 そんな空気をまるっと自民党の安倍総裁への支持めいたものへとすり替えてしまっているような紙面構成。キャプションにだったらこれは立憲民主党だと書けばまだ救われるんだけれど、特定政党への礼賛になるからかイメージ写真的なものとして固有名詞を入れずに扱っている。そうした事情をまるで逆手にとるかのように評判を持って行ってしまうこのスタンスを、仕方が無いといって受け入れる人が果たしてどれだけいるのか。やっぱりやりやがったと持って紙面の価値を下げるだけだろー。だったら秋葉原での最後の演説を堂々掲載すれば良いじゃないかと思うけれど、街宣車の周りに大きな日の丸が林立している写真を載せて果たして世間はどう思う? ってあたりへの配慮もあったのかもしれない。だとしたらさらに面倒な話。集まった人たちは厄介と思われた訳でそれで怒らなければ嘘だけれど、安倍ちゃんを礼賛できさえすれば写真なんてどうでも良いと思うのか、それともご都合主義だと糾弾に回るのか。ちょっと興味。


【10月21日】 そうか「すくらっぷブック」に似ているんだとふと思った「Just Because」。言わずと知れた小山田いくさんの漫画で「週刊少年チャンピオン」に連載されて長野県小諸市に住む中学生たちがクラスメートを中心にして成長して卒業までいく姿を辿った青春ストーリーになっている。とくに驚くような出来事もなく学業があって部活動があって恋愛があってといった具合に中学生たちに起こり得る学校生活とか日常とかが淡々と綴られる中で、それぞれの登場人物たちが抱く感情だとかいったものが描かれ誰かに自分を重ね、あるいは全体に自分を置いて読んでいけた。

 「Just Because」は中学ではなく高校が舞台だけれどもとくにやっぱり大きな出来事がある訳でもなくひとつの部活動がテーマにもなっていなくて登場人物たちがそれぞれに自分の立場を持ちながらも繋がりあって重なり合いながら暮らしていく姿が淡々と描かれている。進学のための勉強に励む人もいれば推薦で決めて部活動からも引退しながらあとは家の手伝いに精を出す人もいて就職を決めてあとは告白したいと思っている日とがいたりして、それぞれにリアルな生活をリアルな環境で送りながらも他人と重なりつながっている。

 大人ならすでに過ぎた青春の一瞬が、現役ならば今まさにかあるいはこれから来る日々がそこにあって懐かしんだりはにかんだり、期待と不安に浸ったりして見ていける。言いたいのに言えない思いや期待しているけれども裏切られるのが嫌で臆している気持や頑張って突破したいけど行き詰まってしまう焦りとか、そんな人間だったらどこかで抱くだろう感情が滲んでどこかに自分を見つけたくなる。きっと大きな事件も起こらず高校3年生の冬休みから3学期が綴られ、ちょっとだけ近づいたりもしかしたら離れたりする日々を見せてくれるんだろう。そこに驚きはないけれど同感を抱くことはできそう。そうして納得して微笑んで、観終わって次ぎに来る日常を歩いて行くのだ。当たり前の青春を当たり前に描いたアニメーション。傑作の予感。というより既に傑作。評判になるかなあ。なって欲しいなあ。

 「十二大戦」は酉が見かけによらず壊れていて幼いころから虐待を受けて両親を惨殺して引き取られ鳥を操る能力を発動させては戦場で戦士としてスパイとして大活躍してそして満を持して参戦した十二大戦だったけれどもワンマンアーミーとなってパワーも増したら精神も落ち着いてしまって申の平和主義に感化されたか彼女を守ろうとして丑を相手に戦って一瞬で敗れ去って鳥に自らを捧げてジ・エンド。それとも申は笑顔で平和を唱える言葉の中に他人を自分の配下に置く力でもあるんだろうかともちょっと思った。丑は圧倒的過ぎるけれども誰かがどうにかして破るのか、それとも。既に亥が消え酉も消え戌も消え巳は操り人形にされて3分の1が退場。でも残るほどに強豪だから先は長い。見ていこう。

 1998年の8月末に名古屋で開かれた日本SF大会に行った人で「劇場版 響け!ユーフォニアム 〜届けたいメロディ〜」を見た人は映画に出てきた巨大な騎馬像に見覚えがあるはずだろう。レオナルド・ダ・ヴィンチが構想をしたけど完成しなかったスフォルツァ騎馬像って奴で1989年に名古屋で開かれた世界デザイン博で制作された後、白鳥会場に作られた国際会議場センチュリーホールの前にデンと置かれたのだった。SF高いでも話題になって暗黒星雲賞の候補になったか取ったかした記憶があるけれどそのあたりは曖昧。そのことを覚えていて映画を見たSFファンにしてユーフォニアムファンがいるかというと……いないでもないか。あの頃はまさかセンチュリーホールが吹奏楽の殿堂になるとは思わなかったよ。

 そんな全日本吹奏楽コンクールが開催中の中を京成ローザで「劇場版 響け!ユーフォニアム 〜届けたいメロディ〜」を観る。2回目。やっぱり基本、田中あすかのための映画で冒頭から登場して最後まで出てきては黄前久美子を相手に自分を韜晦したり偽ったりしつつもだんだんと打ち解けていく。全体として外面をよくして内心を吐露しないんだけれども唯一、模試で好成績を収めたことを先生から教えられて、職員室を出たところでよっしゃと涙ぐむあたりが未だ高校生で子供なんだなあと思わせる。あとは黄前から全力でぶつかられて「嬉しいよ、嬉しいな」という場面。でも顔を見せないところに矜持が。泣いている? それは見ても言っても呪われるから言わない。大学に行って吹奏楽はどうするか? 良い大学に行けば親だって満足するから隠れて吹いたって良いんじゃないの。今時良い大学出て良い会社に就職したって10年後にも良い会社である保証なんてないんだから。そんな未来を想像してしまった。やりぬけ一生。どうせ一生。

 ヤバいなあ。本当にヤバい。衆議院議員選挙で各党の党首が最後の演説を行ったみたいだけれども自由民主党の安倍晋三党首が立った秋葉原では「その後、一部がマスコミブースを取り囲み、『偏向報道をするマスコミは日本から出ていけ!』などと怒声を執拗に浴びせる場面もあった」らしい。いかにも隣国に敵を想定しメディアを敵と罵倒し他党を敵と攻撃して参じる内輪の賛美に酔いたがる人たちの集まりらしいけれど、そうやって結束を固めていった外側で沈む心はいつか爆ぜる。ただしその爆ぜ方によっては未だそびえる要塞から繰り出されるクリスタル・ナハトの再来が暗黒を呼び込みかねない。それをどうやって避けるか。そのことが今は気になって仕方が無い。落ち着いて、先走らずに待てば要塞はいずれ瓦解すると信じたいけれども、果たして。

 やれやれまたやっているというか、筆者はずっと同じ記者だろうけれど、それにしても無茶が過ぎるというか。朝日新聞が「国民の『知る権利』がある」。と書いたことに対して「とはいえ、両紙は加計学園の獣医学部新設をめぐる7月10日の国会閉会中審査に関し、自分たちの論調と食い違う加戸守行前愛媛県知事の証言を、翌11日付の記事本文中で1行も取り上げなかった。これで正確な情報を提供し、知る権利に資したといえるのか」と言って何が知る権利だと主張している。

 でもこれはとっくに否定されている。朝日新聞は詳報ででもって加戸守行前愛媛県知事のことも報じている。誤報を検証するサイトでも自由民主党の安倍晋三総裁が党首討論の中で同様の象徴をしたことを検証して、違うとはっきり書いている。だから明らかに誘導なんだけれど、ここん家はとうかこの記者は「記事本文中」という狭く範囲を見積もっての言いがかりでもって執拗に「1行も取り上げなかった」と書き続けている。もうずっとそれだけを書き続けている感じ。

 でも、新聞って本文だけが記事でもないし1面だけがニュースでもない。1部のすべてが新聞であってそこで報じているならそれは報じたことになる。それとも自分のところの新聞は本文以外は「新聞」ではないとでも言うのか。コラムもインタビューも記事ではないのか。そんなことはない。ようするに言いたいことを言うために条件を狭めて言えるようにする。あるいはねじ曲げてでも言いたいことの材料にしてしまう。同じ新聞の同じコラムで数日前に書かれた「日本を貶める日本人をあぶり出せ」といっしょで、慰安婦問題に火を着けたところを貶めたいがためにマルタの女性記者爆殺を追悼の言葉なく枕にふる。

 つまりはいつもの手口がいつものように続いているだけで、それがマルタの女性記者の場合は不謹慎さの度が過ぎた上に、枕がまるで効いていなくてロジックが支離滅裂だったから多くの目に付いただけ。「記事本文中」で「1行も取り上げなかった」という主張なんてもうどれくらい書き続けられているか分からないけれど、それが周知された感じでもなく今日も礼賛のコメントがいっぱいついてる。そうやって内輪で盛り上がったところで世間はとっくに見切りをつけていると思うのだけれど、そうは思っていないのかなあ、内部は。気づいてないのか気づきたくないのか。やれやれだ。


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