縮刷版2016年9月中旬号


【9月20日】 僕が映画観での発声可能上映の最近におけるひとつの源流として考えているのはこれかなあ。マイケル・ジャクソン「THIS IS IT」のライヴスタイル上映て奴で、もともとは爆音上映で有名な立川シネマシティが始めたことだけれど、映画なのに観客席で立って歓声を上げ、拍手しながら見ることが可能。もちろんマイケルのビートに合わせてダンスだって全然オッケーなライブハウス的ノリで映画を観るという、過去にない上映スタイルが話題となって全国のマイケルファンの関心を集めた。命日に合わせて舞浜のイクスピアリでも同じようなスタイルの上映があって、行ったけどなるほどこれは面白かった。音楽が鳴っているのにすわりっぱなしで手拍子もできない苦痛から解放された気がした。

 「THIS IS IT」の場合はもともとがライブシーンも多い音楽系ドキュメンタリー映画なんで、そうした場面を中心にして実際のライブの模様を中継するライブビューイング的なノリで見ることが可能だったのかもしれないけれど、完全にすべてが音楽とMCで流れていくライブ映画とも違うんで、合間合間には誰かの証言めいたことも入って気が萎える。そういう時に昨今の「キンプリ」みたいな声がけと言うスタイルがあったら、いろいろと突っ込みも入れていただろう。だからこそ今、改めて「THIS IS IT」のライヴスタイル上映をお願いしたいところなんだけれど、権利の関係もあって映画館での上映は難しいんだろう。

 後に爆音上映で大好評を得る立川シネマシティの担当者に聞いたインタビューなんかを読むと、やっぱりきっかけは「THIS IS IT」で音楽なんだから立って応援できて踊れる酢上映なんかどうかと初めて大好評。これを劇場版「けいおん!」にも導入していきそして「ゴジラ」や「パシフィック・リム」や「マッドマックス 怒りのデスロード」の極爆上映なんかへと進んでいったのがひとつの流れ。そこに応援上映という声をかけても良いスタイルが入り込み、「キンプリ」の映画でもって何をどうリアクションするかといったひとつの形が提案されたことが今の「シン・ゴジラ」における発声可能上映に繋がっている。そんな認識。

 難しいのは「キンプリ」でもあったことだれど、スタイルとして定着してくると一種の様式美がそこに生まれて空気を読まない不規則発言が排除されるような雰囲気が生まれること。もともとが映画館で声を出すなんて不規則発言もきわまりないことで、だから怪獣映画特撮映画なんかで誰かの特技部分に監督の名を叫んで「良し」とやる、一種の応援上映も同様の不規則発言として発声可能上映の原点ではあっても、“歴史”として認めたくない気分はある。そんな不規則発言をオープンにして始まった昨今の発声可能上映が、その人気故に規則性の中に押し込められるのは本末転倒。かといって何を言っても良いとなるとヤジとか怒声めいたものも容認しなくちゃいけなくなる。その塩梅をどうするか。慣れていくしかないんだろうけど、その慣れが馴れ合いになっても拙い訳で……。許容と自制。そのせめぎ合いの上に成り立っていくのかなあ。

 いったいどこの誰が言っているのか。本名が能年玲奈さんというのんさんが大変な状況で「この世界の片隅に」の声として出演したり、被災した久慈にいって激励したりとその動勢が聞こえるくらいに活動を再開している感じだけれど、そうした前向きさに冷や水を浴びせるようにネット媒体が、お金がないと話しているのを取り上げて「この必死アピールには、マスコミ関係者の間からも『痛々しすぎる』という声が聞こえてくる」と書いている。いやいやそれってどこのマスコミ? 見渡してもまるで聞こえてこないし、むしろよくやっているってその境遇を思いながら同情している声が多いんだけれど、そうは言いたくない勢力、例えるなら旧態依然とした芸能マスコミは、自業自得の癖に貧乏をアピールするなんて卑怯な人間といったニュアンスを醸し出そうとしている。

 「まだにレプロから、月30万円前後の給料が支払われていると伝えられています」って書いているけど、そんなのがあったら堂々とよのなかに出て仕事なんてしていられないだろう。紐付きではなく手も着けていないからこその復活なのに、そう書くことで事務所こそが正義で裏切ったのんさんは悪なんだといったニュアンスを作りだそうとしている感じ。いかにも芸能界に足を突っ込んだ記事って感じで呼んでいてやれやれ感が浮かんでくる。「『久慈秋まつり」に参加する予定だった。ところが「フライデー」によれば、台風の影響で祭りは中止に」って書いているけど、この記事が出た9月19日には、すでにのんさんが久慈を訪れ激励したことが報じられている。なのに触れない。触れようともしない。

 これはスポーツ紙なんかと同様。一般紙とかNHKとかが報じたのに、もっとも報じてふさわしいスポーツ紙の芸能面にはカケラも乗っている感じがなかった。いったいどんな力が働いているのか。豊洲の問題なんかよりよっぽど闇が深そうだけれど、それを取り上げ暴こうとするワイドショーはない。あるはずもない。どうしてそこまでして健気で前向きなのんさんというイメージを作らせようとしないのか。こうなるともう「この世界の片隅に」でスポーツ紙の応援は期待できそうもない。むしろ妨害だって入りそう。なので割と報じてくれている一般紙やNHK、そして1部の民放なんかの力も借りつつ、僕たち観客が劇場に通ってしっかりとした数字を作りしかない。封切りの週末のすべてのスクリーンを観客で埋め尽くすくらいのこと、やってやりたいなあ。やろうぜ。

 そして発表された週末の映画興行で新海誠監督「君の名は。」が4週連続1位を確保。そして興行収入も91億円に達したとかで1カ月を待たずにこの成績なら100億円は確実、観客動員数1000万人という“ジブリ級”の大ヒットが見えて来た。口コミでもって未だ広がっている感じだし、あとはどこまで行くかってところでディズニーと違ってパッケージの発売を見越して尻が決まっている興行でもなさそーなんで、伸ばせるまで伸ばしていくことになるんだろー。そんな1位に続く2位がやっぱり長編アニメーション映画「映画 聲の形」というのも嬉しい。決してハッピーでもキャッチーでもない、深いテーマを扱った作品だけれど絵柄の良さと作品性でしっかり食い込んだ。これも勢い続いて欲しいなあ。そのまま「この世界の片隅に」へと突入するんだ。

 “公式”に取材を認めていないからといって、それにのっかり出来ませんではトップ屋の名が廃ると、知人友人を総動員し裏から手を回し長い経験も活かしてコメントを取ってそれをつなぎ合わせて“インタビュー”として掲載して、やってやったぜと媒体は喝采し、読者も言葉に触れられ嬉しいという状況は絶無ではなく、だからサッカー媒体界隈で論争が起きているエアインタビューか否かといった問題については、エアではなくって根っこはあるなあというのがとりあえず、載せた媒体側のコメントや種明かしを呼んで浮かんが印象。日本だってなかなかとれないインタビューを、各所でのコメントのつなぎ合わせによって“作る”こともないでもない。それは虚偽かというと形式においては虚偽だけど、言葉自体は虚偽ではない。

 欲しがるものを提供し、それで儲けることを廃してジャーナリズムが務まるか、というとそうでもないのは百も承知。潔癖症では食べていけないから。ただそうした手法に検証不能な言葉が混じり虚飾によって浸食されていつしか誘導されていないとも限らない。検証不能な言葉というのはそうした可能性を排除できない。あるいは無理にでも言葉を得るためにアンダーグラウンドな勢力へと金を回して儲けさせるようなことも起こりえる。それを是とするか否かは考えるべきだろう。選手の知人友人親戚等々がファミリーとして糊口にしていて、それを半ばチームも黙認していたとしても、説明が難しい手法をトップに掲げ続ければ、どこかで虚飾が混じり暗黒へと染まる。ほどほどに。ってことなのかも。

 とはいえ報道だって自分達が主張したい事柄のために、いるのかどうか分からない関係者の言葉をどこかから持ってきて添えることがある。というか最近はそういう為にする言葉が横行していて本当なのかとまずは疑う癖がついている。どこかの全国紙を自称する媒体が防災訓練で自衛隊が区庁舎に入ることを拒否したって話を書き、関係者の談話まで載せていたけど結果として、そんな事実はなかったと判明した時、一体誰が拒絶の言葉を発したのか、それは本当にあったのかって可能性が浮かんでくる。そういうことが報道の王道たる媒体で行われている状況が、改善されるどころかむしろ率先されている空気の中で、真実を見分けるのは難しい。信じるに足るは己のみ。でもそんな己を作る情報環境が曲がり歪みきっている。どうしたものか。どうしようもないのか。


【9月19日】 27万人を超える人が集まったそーで東京ゲームショウ2016、過去最高を更新していったいそれだけの人が何を見に集まったんだろーと考えた時に、やっぱり浮かぶのはVRってところだけれどプレイステーションVRにしても、その他のVRゲームにしても遊べる人数は限られていて、午前中に整理券はさっさとなくなってしまう状況。試遊台を何十も並べて1人5分でぶん回す訳にもいかないデモでは来場者を大きく伸ばせるとも思えないんだけれど、それでも体験できずとも見てみたいとゆー人がやって来て8ホールとか9ホールに行列を作らせたんだろー。あとはゲーム実況ステージとか。

 そして1ホールから8ホールの方では普通に試遊台で楽しめる最新のゲームを体験しに来た人たちが行列を作り、各社のブースで行われていたステージにはクリエイターのみならずタレントとかアイドルを見に来た人たちが大勢集まって連日の大盛況。中村悠一さんが司会を務めたスクウェア・エニックスのステージなんて最終日の午後3時半から4時半と、会期の終了まで残り30分までやってそれでも大勢の観客でステージがぎっしりだったから、見たい声優さんとかを見に来た女性ファンの足も向いたんだろー。だからこその過去最大。大人のゲーム好きだけでは絶対にたどり着けない数字はそーして実現されたと。

 だから割としっかりとしたゲームを作る会社だなあと思って見ていたゲーム会社の偉い人が、キャバクラみたいに露出の激しいコンパニオンが増えたから、それを見にエロい人たちが集まって来場者が過去最大になったって書いているのにんはガッカリしたし、それってあれだけのゲームを作り、あれだけのステージを企画したゲーム業界の人たちに対して失礼じゃないかとも思った。なるほどおっさんメディアとも言える新聞系のサイトが、何年かまえからこぞってコンパニオン特集をやるよーになったけれど、それはおっさんが読む媒体だからであってゲーム好きに向けたものじゃない。行かずとも見られるグラビアとして眺めているだけで、ゲームショウの会場に行ってゲームもやらずにコンパニオンばかり見ているかとゆーとしれは違う。

 会場まで足を運んだ人だってカメラをかついでコンパニオンだけを撮っている人なんっていったい全体のどれだけいたか。そういう群衆が目に入らない訳じゃないけれど、そうじゃない大群衆に目を向ければとたんに霞んでしまうくらいの人数。けれどもそれを言いたい口に繋がった目には、そういったコンパニオン目当ての人たちが余計にくっきりと見えてしまったんだろー。あれだけいっぱいいたステージ目当ての人たちも、ゲームをプレーするために並んでいた人たちも、VRの体験をしたいと朝から押し寄せた人たちも、目に入っていなかったんだとしたらそれは残念だし、そしてゲーム会社の偉い人としてちょっと残念感も募る。

 キャバクラめいたコンパニオンを見に来る人はいるけれど、それ以上に俺たちのゲームを楽しみに来てくれている人たちがいる、って手応えが感じられなかったのかな。それはコンパニオンのせじゃない。自分達の責任だろう。そもそもコンパニオンの派手さは、東京モーターショーが自粛傾向に入った一方でゲームショウでは割とずっと続いていること。今さらの話ではないし、それが極端に過激になったとゆーこともない。でもそれに目が行ってしまう心理の方を、とりあえず自問して欲しいとちょっと思う。面白いゲームをいっぱい作ってくれている人だから。

 エロさが増しているあkら子供が来なくなっているとも言っているけど、小学生や未就学児童は別にコーナーが用意されてるし、どちらかといえばそーゆー層は次世代ワールドホビーフェアに行く。あるいはジャンプフェスタとか。つまりはゲームユーザーの中で、行くべきイベントの棲み分けが出来ている。そうした中で中高生以上が集まるゲームショウと考えればその層は確実にゲットしているし、上の世代へも広がってきている。不思議なのは家庭ゲームの市場がハードもソフトも確実に下がっていながら過去最高を記録したこと。つまりはイベントとして来場し、体験するライブエンターテインメントのひとつとして、東京ゲームショウが認知されて来た現れじゃないかなあ。客寄せのエロくらいでそれは成り立つものじゃない。企画。ラインアップ。受け手の意識。それらをひっくるめて変化の兆しが見えた年だった。そう思っているんだけれど、果たして。

 4日間を幕張メッセに通って8本くらい記事を書いて疲れ果てたんで今日は気分を取り戻そうと、越谷レイクタウンにあるイオンレイクタウンへと観光に行く。ってもとりあえず目的はドクターマーチンのアウトレットに行って何か出物はないか探すこと。そしてたどり着いた店で見つけたのは、カーフが使われてちょっぴりぴかぴかとした素材で作られたUK製の6ホールの黒いブーツ。普通は内張も同じ色になるのがなぜか赤くなっていて、そしてエアクッションソールにもほんのりと赤が混じってどうにもこうにも格好いい。サイズはUKの8だから自分的に大丈夫。赤好きとしては買うしかないと思いつつ、値段的にちょっと迷う。

 とはいえ、同じ素材で普通のを買っても5万円はする品だけに、半額以下というのは実に魅力的。そして以前に寄った時に、同じサンプルのコーナーに茶色のロングブーツがあって、ちょっと良いなと思ったもののその時は見逃し、後日やっぱりと出向いたらすでに売れていて悔しい思いをしたんで、見つけたらその時が買いだと気持ちを奮い立たせて購入する。同じサンプルでは10ホールのロングブーツで色が若干紫が買った不思議な色のがあって、これも欲しかったけれどとりあえず我慢。別に狙っているダナーのブーツもあるけれど、そっちもしばらく我慢になるかなあ。まあ言い買い物。これで疲れも吹っ飛んだ。八神純子さんのライブもあったみたいだけれど、最奥のステージまで行ったらすでに席取りの人で満杯だったんで退散する。今でもあの澄んだ声、出るのかなあ。

 ようやくやっと十文字青さんの「魔法使いと僕」を読了。少年だけれど何か出自に謂われがありそうなカルルが通りかかると寝ている少女がひとり。近寄ると起き上がって剣を突き出してきた。それを手のひらを貫かせる形で止めて一段落。少女はおとなしくなり手の傷もふさがる。ちょっとやっぱり不思議なカルル。そして2人は近隣の山村で世話になるものの、そこの娘が病気で死んでしまう場面に行き当たる。人があっさり死ぬ世界。そして人と亜人がいて仲良くではなく差別や侮蔑の中で生きている世界。そんな舞台が見えてくる。魔法が禁じられている世界だということも。

 そして少女は魔法使い。といっても完璧ではなく炎をきらめかせられるくらい。それでも追われる身なのでカルルと2人で村を出て、町まで来たらカルルが怪しいと捕まり牢獄へ。エルシーという少女は町の中でキツツキという男と知り合い頼るもののそこで巡らされていたのが革命的な陰謀で、やがて大きな紛争が起きる中でカルルはエルシーと再会する。人間ならぬものへの差別とどう向き合うのか。救おうとしても救いきれないその状況を目の当たりにして人は諦めず折れないで居られるのか。どこか不思議なところがあるカルルの正体は。そしてエルシーの中に眠る別人格の意味は。いろいろ積み残して物語は次へ。続きが気になる。その帰結も。「灰と幻想のグリムガル」と並行して進めていくのかな。いずれにしてもこちらもよろしく。


【9月18日】 「食戟のソーマ 弐ノ皿」を見たらまだ外での修行は続いていて、メニューが多すぎる定食屋を予約制にして人心地付いた先に以前、田所恵の退学取り消しをかけて食戟をしたことのあるフランス料理の名シェフ、四宮小次郎が日本に開いた店に手伝いに行くことになった幸平創真。自分に自信もあったみたいだけれども繊細な料理を作りつつ大勢の来店客をテーブル毎に相手しなくはいけない大変さを肌身で感じて、定食屋で1人ずつを相手にしていた気楽さとは正反対の苦労が存在することを知った模様。けど叱られてもへこたれず当たらしことを吸収し、やがて先回りするくらいにまでなるのはさすが雪平。認められ最後までいてそして新メニューの提案も行うというからやっぱり相当な腕なんだろう。

 そんな創真を当然のように叱責する四宮の店の肉料理担当シェフというリュシ・ユゴーとか、やっぱり凄い腕なんだろうなあ。そして創真が絶対に勝てなかった父親も。世界はまだまだ広いってことで。あとリュシ・ユゴーの声が新井里美さんで、「美琴おねえさまああ」な黒子の声ではあるんだけれど媚びたりせず、それでいて新井さんならではの独特な声で女性のシェフを演じているから可愛いのか怖いのかちょっと迷った。キャラクター性が強すぎる声っていうのも大変かも。同じ四宮の日本の店でサービスを担当していた高唯(カオ・ウェイ)は渡辺明乃さん。僕には「ウィッチハンターロビン」の瀬名ロビンだけれどその頃と変わらず凜々しい声を聞かせてくれる。ハマり役。それ過ぎて他に広がっていかないのがもったいない。瀬名ロビンのような役を今一度。

 相変わらずのとんでもない作画でありながら、物語的な面白さでもって文句をあんまり言わせないところに昨今の、作画崩壊祭りっていったい何だったと思わせるところがある「クオリディア・コード」。アンノウンの企みが露見して、救出された「世界」の力を持った子供たちが関東へと向かいアンノウンと一戦交えようとしているけれど、そんな中にありながら自分達を騙していたはずの朝凪求得と夕浪愛離がそれでも気になる面々の、誰だって助けちゃうんだ的行動によって密かに行われた関東奥への侵入。そこで明らかになったのが求得さんが人間だってこと、そして愛離が人間の子供たちに情愛を抱いているといったことで、結果、起こりそうな哀しい戦いがどこへと向かうかで、この作品の見終わった後の感情も変わってきそう。それが良い方へと出て、なおかつ作画が大幅に改善されるならパッケージ、ちょっと買っても良いかなあと思い始めているけれど、さてはて。少なくとも岩崎?さんのサントラは買いだ。

 最終日だからと東京ゲームショウ2016へ。午前8時半に家を出たら、開場間もない9時半には着いてしまったという我が家の立地の素晴らしさを相変わらず実感しつつ、それでもすでに開場して入った人たちによって、VRなんかがあるコーナーはいっぱいになっていて、整理券なんかもガンガンとはけていった感じ。家庭用ゲーム機のプレイラブルなら1人5分もあれば十分だけれど、VRは1人にかける時間が10分から20分は必要でなおかつおける台数も限られるから、なかなか体験ができないとゆー難しさがある。なおかつ体験しないと面白さが伝わらないという矛盾。ここをどーやって乗り越えさせていくかが普及のひとつの鍵になるんだろー。

 そして東京ゲームショウのような場もひとつのチャンスなんだけれど、来る人が多すぎるんで体験も難しい。あとはだから日々のイベントでどこまで展開できるかってことになるんだろー。カラオケボックスなんかをVRの拠点として整備していく動きなんかがあれば面白いんだけれど、担当できるスタッフを置けるかどうかはちょっと問題か。それに剣を振り回して敵を倒すVRとか、街中ですぐに出来るものではないしなあ。なかなか難しい。そんな剣を振り回すVR「サークルオブセイバーズ」で、女子高生が剣を振り回して敵を倒す姿を見物。スカートがひらりとまくれあがってそれは良いものを見せてもらった。東京ゲームショウ2016へと行った甲斐があった。残る今年を元気いっぱいで生きられそう。安いなあ、自分。

 取材を頼まれていたのは2本。うち1本のコーエーテクモゲームスで「仁王」っていう新しいゲームのチャレンジステージを見物する。挑むのは襟川陽一さん、というかシブサワ・コウさんでゲーム自体のゼネラルプロデューサーではあるんだけれど、歴史シミュレーションゲームの元祖ではあってもアクションゲームに強いと行った話は聞かない。いったいどんなプレーを見せるのか、ってことで眺めていたけど4度死んだ。女郎蜘蛛っていう敵のところまでどうにかたどり着けたのは良いけれど、手にした武器を使う間もなく回復をする暇も与えられずに削られ落命してしまう。途中、武器を変えてもやっぱり通じず。もうこれはステージでのクリアは難しいと思われた5度目、残る時間からこれが最後となりそうだったプレーで見事にクリアしてしまった。

 その瞬間、手にしたコントローラーを握って雄叫びをあげているようにも見えたけれど、それだけやっぱり嬉しかったんだろうなあ。満足感と達成感が与えられるゲームっていうセールスポイントを自ら証明して見せた。なおかつ死んでも死んでも挑戦し続ければいつかはクリアできるという希望も。これなら自分でも大丈夫かな、アクションとか苦手なんだけれどちょっとやって見たくなった。「鬼武者2」だったっけ、やっぱり戦国みたいな場所で剣を振るって敵を倒していくゲームを結構やったけど、クリアできなかったものなあ。60歳を過ぎたシブサワ・コウでもクリアできるという事実がある以上、これはやっても大丈夫かな。

 そしてもう1本はスクウェア・エニックスで「サガ スカーレット グレイス」のステージで、中村悠一さんが司会として登場するとあってこれがスクエニブース最後のステージだったにもかかわらず、コーナーにぎっしりの人が訪れていた。そんな中村さんがゲームには一切関わっていないというか、そもそもボイスがないというあたりの割り切り方が凄かったこの「サガ スカーレット グレイス」。なおかつ難しさと不親切設計がウリだったらしいシリーズでありながら、マップが最後まで分かるのと敵が何をしてくるかが分かるといった仕様になっていて、これサガなのっていった声が中村さんから上がっていた。

 もちろん河津秋敏さんが手がけている歴としたシリーズ最新作なんだけれど、そーしたプレー面での改造はあってもキャラクターのセリフなんかにサガシリーズらしさは残っているとのこと。あとは簡単そうに見えるけれどもそれだけ戦略性を求められる仕掛けになっていて、やり込んでいく楽しみもあってそれこそ1人のキャラクターに50時間を費やし、4人で200時間とか遊んでいられるゲームになっている。そんなにゲームで遊んだことあったかなあ。「艦これ」だって……200時間くらいはやっているかな、1日1時間で200日。そんな楽しみ方が出来るならちょっとやってみるか、PS VITA持ってないけど。ダメじゃん。

 参ったなあ。セクハラ紛いの噂話を検証もしないで記事にして、裁判所からそれは虚偽だと認定されてそれを認めた人物が、それでも言論の自由という基本に助けられた話がどうしてノンフィクションの賞なんか取って讃えられるのかが分からない。それを自慢げに誇る媒体も含めて。もとより胡乱なショウではではあったものの、竹田恒泰氏やら高橋洋一氏やら門田隆将氏やらに授賞していたあたりからどんどんと捻りが利き始め、そしてこれでもはやジャーナリズムとしての土台も崩れ去ったというか。嘘を書いても讃えられば良いって風潮が、これで蔓延した果てに荒む人心。その先に来る国の崩壊。どっちが売国だっていうの。やれやれだ。本当にやれやれだ。


【9月17日】 富野由悠季監督の、どのアニメーション作品に聖地巡礼を促す要素があるかと考えた時に挙げられるのはやっぱりバイストンウェルで、どこか道路をバイクで走っていて絡まれて思いっきりジャンプをさせることでたどり着けるはずだけれど、それってつまり三途の川の向こうじゃ無いかと言われると、否定できなかったりするからちょっと巡礼は大変そう。片道覚悟で行くしかない。ほか「機動戦士ガンダム」シリーズにしたって、南米のジャブローだのベルファストだのに行くわけにも行かないし、行ったところで何が見られる訳でもない。スペースコロニー? そんなのまだ出来てない。

 つまりは架空の場所に架空の物語を作り上げてはそこに大勢を惹きつけて来た、聖地巡礼の力など借りずとも作品を成立させられる力を持ったアニメーション監督を、どーしてそうした聖地巡礼を促す団体のトップに据えるのかってのが大いなる疑問で、世間的にいくら通りが良いからといって、目的とズレてしまっている人選は結果として聖地巡礼に靡いていた心理を大いに萎えさせることに繋がりかねない。そんなことを百も承知だと思っていたけど角川歴彦さん、やっぱり世間に通る名前を借りた方が良いって判断だったのかもしれない日本アニメツーリズム協会設立話。

 せっかくの盛り上がりを観光に利用しない手はないと、旅行代理店とか官公庁とかを巻き込んで政策的経済的に聖地巡礼を盛り上げていこうといった考え方に間違いはないけれど、ただそうしたトップダウン的な聖地化に本当にファンがついてくるかといったところが気になって仕方が無い。まずは好きがあってそして行ってみたいという気持ちがあって、受け入れる側の許容もあって成り立つ聖地化とその交流。でもそこが聖地になりました、大勢を送り込みますのでよろしくでは地元だって困るだろうし、ファンだってなんでその作品でそこが聖地と決められるのか、納得を経ていないからのめりこめないんじゃなかろーか。

 自分が好きな場所が“公認”の聖地とされなかった場合もあるだろう。その時に団体に抱く感情は決してポジティブにはなり得ない。そうしたボトムアップ的な聖地化の動きを果たしてどうやって取り込みながら、互いに納得できるポイントを探っていくのかが今後の課題となるんだろーけれど、そーゆー質疑応答があった感じはしないからなあ、世界の角川と世界のトミノが上に立って官公庁とか自治体とか企業を巻き込み盛り上げます、それで付いてこられないならファンが悪いし自治体が悪い、だなんて話になったりするのかな。それはそれで面倒な話。いったいどういう推移を見せるか。どこが参加してくるか。どこが聖地に“公認”されるか。そこに注目。

 役柄としてはどちらかと言えばメインでも脇に位置しているけれど、かろうじて本当の意味では脇ではないという美術部の顧問を水樹奈々さんが演じている「この美術部には問題がある」。アニメミュージックの世界では誰をおいてもナンバーワンといった扱い方をされている一方で、声優としていったいどれが代表作、って問われるとプリキュアかなのはあたりが挙がるものの、古谷徹さんのアムロ・レイなり野沢雅子さんの孫悟空或いは鬼太郎のようにそれで30年40年を演じ続けられるものではないってところに、立ち位置の不思議さが垣間見える。

 もちろん美術部の顧問は眼鏡で可愛くてグラマラスで胸のボタンなんかはじけ飛ぶくらいにキャッチィなんだけれど、それを水樹さんが演じる必然性を考えると、やっぱりどこか役不足な印象も浮かぶ。かといって何かヒロインが出来るかというと。こと声優という仕事では田村ゆかりさんの方が強い印象を残しているんだよなあ。いずれにしても2人のこれからがどうなるか、ってところに年齢を重ねたアイドル声優が次に向かう道っていったものを探る材料がありそう。歌を歌いつつ脇でも重要なところを演じてずっと出演し続けるという道、その声の特徴を出せる役を受け続けるという道、等々。三石琴乃さんのようにセーラームーンと葛城ミサトという強烈な役を得た人はやっぱり強いのかもしれないなあ。

 午前10時くらいにコスパからアスカの刺繍が施されたジャケットが届いたんで家を出て東京ゲームショウ2016へ。それでも11時前に着けるところに住んでいる場所の立地の良さを強く覚える。狭いけど。そしてとりあえずVRのコーナーへと行ってあれやこれや見物しようにもすでに整理券ははけていて、試すなんてとても無理。唯一クリーク&リバーってクリエイターの支援をしていた会社が作った部門が、中国から輸入していたスマートフォンもいらずPCに接続する必要もないVRヘッドマウントディスプレイを体験できたのが良かった。軽くて追随性が抜群。それでいて酔いもないのは映像にブレがないからだろーか。視線ではなく顔の向きでもって照準を合わせるシューティングを楽しんだけれど、ほかにどんなコンテンツが入って来るか。ゲームに限らずいろいろ展開したいって話してたんで、そのあたり、ラインアップによっては化けるかもしれない。そうでないかもしれない。

 お仕事が入ったんでセガゲームスのブースへと行って「蒼き鋼の…」じゃなかった「蒼き革命のヴァルキュリア」の発表会を聴く。主にサウンドについての話で、作曲家の光田康典さんが登壇してはクラシカルに作り上げた今回のヴァルキュリアのサウンドについて説明してくれた。何でもシームレスに展開が変わっていくゲームの内容に合うように、音楽も場面場面で同じ旋律ながらも違うアレンジの楽曲が鳴るという。金管木管弦楽器を別々に取りつつ違うアレンジの音楽も作って並行して流しながら、激しい場面になれば激しく聞こえるようにして、そしておだやかな場面では穏やかなアレンジになるように音源を引っ張り出してくる、といった感じだろーか。

 その詳細は分からないけれどもオーケストラピットに誰かいて、シーンを観ながら強弱を付け替えるのをゲームのプレー状況を感知して自動的にやってしまうとしたらちょっと凄いかも。どれだけの音楽を作っているのか。どれだけのアレンジをほどこしているのか。そしてどうやってデータを状況に合わせて引っ張り出して重ねているのか。それが妙に聞こえないようにどういう工夫をしているのか。知りたいところだけれども聞いてもきっと話からないだろーから。ここは自分でプレーしてみてどんな音楽が鳴っているかを、場面場面で聞き分けていくのが良いのかも。そんな「蒼き革命のヴァルキュリア」ではゲーム内に出てくる国歌をみんなで歌おうって企画があるらしい。集まって収録した国歌斉唱をゲーム内のそういう場面で使うとか。参加者は名前がエンドロールに出るそーなんで記念になるぞ。僕も応募しようかな。音痴だけれど。

 もうひとつ、「ゴッドイーターオンライン」ってゲームの発表会も見物。某モンハンの向こうを張るよーに立ちあがったアクションゲームだったという記憶がある「ゴッドイーター」だけれど、海外で大受けしてバンダイナムコエンターテインメントでも売れ筋のタイトルになった感じ。それをスマホアプリとして遊べるよーにしたのが「ゴッドイーターオンライン」で、画面をタッチして操作しながらキャラクターを扱い神機でもって敵アラガミを討伐するといった遊びを楽しめそう。ほとんど家庭用の「ゴッドイーター」そのまま。なおかつ100人が同時対戦プレーできるとゆーから広がりも持っている。どこかの誰かと狩りにいくのをスマホで試せるのならいっぱい試すだろーなー。ちょっとやってみたい気分だけれど、今のiPadだとやっぱりスペック足りなさそう。そろそろ買い換えるかiPad4に。お金無いけど。当たらないからスクラッチくじ。


【9月16日】 遂に敵の本体までたどり着いて倒してゲートも封鎖したものの、すでに発信した本体が通常航行でもって220年だかそんな先にやってくることになったらしい「クロムクロ」。いっそだったら乗り込んでいって蹴散らすかっていうとそうもいかないテクノロジー的状況。となると来たるべき襲来に備えて鉄壁の守りを固めつつ超越的な武器を作って迎え撃つってことになるのかな、相手は220年くらいの昔の技術な訳でそれを人類が上回ることが出来たら勝ちというか。どうするんだろう。それにしてもセバスチャン、頑丈だったなあ。まあそういう時空の話だから案外に楽観的な結末に向かうかも。

 そして東京ゲームショウ2016へ。昨日は忙しくて立ち寄れなかったVRとかインディーズゲームのコーナーを回って幾つか試す。とりあえずFOVEとか。さっさと整理券をもらいつつ時間がありそーだったんで、アイドルめいた美少女が3人あらわれまとわりつくVRを体験。水着の子が近寄ってきて見下ろす感じになって谷間に目をやりグッときたり、なぜかぴょんぴょんと動き回る娘がいたりとユニークなキャラクター設定で見せてくれた。机の影から出たり入ったりする子とか、良い仕草だなあ。顔立ちはゲーム系の萌えキャラで、この方が「サマーレッスン」より実はピンと来るんだけれど、「サマーレッスン」の開発者はむしろゲームの萌えキャラではVRではキツいんで、人間らしくしたとか昨日話してた。萌えキャラに慣れていればそちらで萌えられるけど、そうでない人は記号めいたキャラではピンと来ないのかもしれない。どーなんだろ。

 あとは講談社が出していたアイドルの3人が歌い踊るVRなんかを体験。初音ミクとかアイマスとかをVRで見る感じ? でもやっぱり目の前で自分のためだけに歌い踊ってくれている感じがして楽しい。VRならではの没入感って奴か。そして回ってきたFOVEではゲリラに捕まりアジトに拉致され尋問を受けるとゆーコンテンツを体験。目の前にグッと迫ってくるゲリラの顔とかナイフとかにリアリティを覚える。視線入力は誰がスパイかを視線で教えるアクションに使われていた。シューティングだと目からビームで打ち落とすんだろうか。いずれにしてもクリアな画像を楽しめた。これに「サマーレッスン」が来たらホント、視線がバレ過ぎて相手に引かれてしまうかもなあ。そういうインタラクションを実現できるデバイス。幾らくらいになんんだろう。

 せっかくだからと、新清士さんとこのよむネコが開発したVR脱出ゲーム「エニグマスフィアー透明球の謎」も遊ばせてもらう。VRヘッドマウントディスプレイを装着し、手にコントローラーを持って迷路のような建物の中に入り込み、レバーを上下させたりハンマーを持って投げたりしながら進路を確保し、目的地へと向かっていく内容の何だろうこの既視感は? そうだ「GADGET」だ、庄野晴彦さんが手がけてマルチメディアグランプリなんかを受賞したマルチメディアタイトルの草分けであり金字塔。そこで味わわせてくれた、現実ではない世界を動き回っていろいろ触れて動かし進んでいった果てにある何かを求める楽しさって奴がVRの中で再現されていた。

 この「GADGET」とか同じ庄野晴彦さんの「L−ZONE」とか、もうちょっと前の「MYST」とかいったマルチメディアタイトルなりインタラクティブムービーは、デジタルの空間に構築された現実とは異なる世界に没入して、探索を楽しむタイプのコンテンツだった。完全に自由って訳ではなくて、作り手があらかじめ仕込んでおいたアクションを追体験していく必要はあるけれど、それを見つけるまでの楽しさと、そして現実ではない世界に干渉するという痛快さが、当時はモニター越しにマウスを経由して行ってはいたけれど、自分を現実の向こう側へと引っ張り込んでくれた。

 それがVRでは、完全に現実とは違う世界に没入してはマウスを合わせてクリックではなく、その手を動かしスイッチ操作を通して動作させることになって、なおいっそうの没入感がもたらされる。なおかつ現実とは違う世界を彷徨いながらいろいろと試してみるという、好奇心を満たす要素にあふれている。かつてのマルチメディアタイトルなりインタラクティブムービーが、VRという環境を得て本当の意味での異世界への没入をもたらしたとも言えそう。プレイステーション対応ゲームに押され死滅してしまったCD−ROMによるマルチメディアタイトルだったけど、スピーディな操作を必要としてそれが全身から来る情報の洪水によるVR酔いを引き起こしかねないゲーム由来のVRよりも、世界をたゆたうようなマルチメディアタイトルの方が案外にVR化に向いているのかも。「GADGET」のVR版とか出てきたら、やってしまいそうだなあ。

 東京ゲームショウ2016の会期中だとすでに分かっていたこともあって、行けるかどうか分からなくなる可能性を鑑みつつ、自前でチケットをとっておけばお誘いを受けながらも行けない無礼をせずにすむと、早くに確保しておいたチケットをどうやら使えそうだと日本武道館へと行き、アリーナツアーを敢行しているKalafinaが2度目となる日本武道館で2daysを行う初日を観覧する。いったいいつ以来のKalafinaになるんだろう。もうたくさん見ているから思い出せないけれども今回のライブはのっけから、声、声、声といった感じにKalafinaが持っている声の素晴らしさを押し出す内容になっていて、結構な広さがあってそして音響が大変と言われる日本武道館にあって声の隅々までがくっきりと聞こえてくる音質でもって、それぞれが最高に張り上げた歌声を聞かせてくれた。

 もうそこはO−EASTか東京ドームホールかと思えるくらいの音質であり声量なのは、もしかしたらこうしたアリーナツアーやホールツアーの合間に繰り広げているアコースティックライブでもって、声でもって聴かせることに力を入れてきたひとつの成果なのかもしれない。もとより音程の確かさと音質の美しさに定評があったKalafinaだけれど、よりもっと大きく、そして美しい声を出そうという意識が3人の歌姫たちに備わってきたような気がする。そんな声を活かそうとしたのか、バンドのサウンドも音量を上げてど派手なロックにするというよりそれぞれの特質を活かしつつ、最小限の音でもってKalafinaの歌声を支えるといった感じになっていたような。

 もちろんビートの効いた音楽の時には今までのようなハードなロックサウンドも鳴り響かせはするけれど、それでも歌声と競い合うようなことはなく、あくまでもKalafinaの歌を聴かせるためのサウンドといった面持ちだった。そんなサウンド構成でなおかつ広い武道館。それでいてしっかりと隅々まで歌声が響くという脅威のコーラスワーク。そしてソロパート。いったい何者? って初めて聴いた人は思うかも知れないし、これまで聴いていたファンもKalafinaの声というものへの関心をぐっと高めたのではないだろうか。この勢いなら横浜アリーナだってさいたまスーパーアリーナだって隅々まで声を響かせられるかもしれないなあ。東京ドーム? それはまた違う演出も必要となるだろうから別の話ということで。

 セットリスト等はまだ2日目があるから明かさないし、関係者で入ってないのでセットリストの紙ももらってあいからはっきりとは分からないけれど、聴けばそれと分かる曲がずらりと並んで記憶を刺激してくれる。なおかつアルバムとは違ったアレンジも。それがまたコーラスをしっかりと聴かせるような感じで、ここにもKalafinaのより鍛え上げられた声を大勢に聞いてもらいたいという作り手の意識が感じられる。衣装のチェンジはあってもそれは外套を脱いだようなチェンジで後ろに引っ込まず、以後もインターミッションでバンドがインストを奏でる場面がないまま最後まで歌い続けた約2時間。それでいて一切の緩みがなく掠れも起こらず、むしろどんどんと高まっていく声が凄い。

 Wakanaさんとか出だし、ちょい重いかと思ったけれどもどんどんと抜けてきて澄んでいったし、Keikoさんはトップバッター的に歌い始めてそれを最後まで維持。Hikaruさんは歌声に合わせた表情や仕草がどんどんと豊かになっていく。あるいは歌曲だってできそうなその表現力。いつか女優めいたこともやってみたいと話していたけど、そういった志向があるのかな。アコースティックライブの次は歌曲めいたステージなんてのも見てみたいかもしれない。梶浦由記さん、企画しないかなあ。そしてアンコールを経て3曲だかやって終演。その終わりの2曲はアニメーション好きでもヒストリア好きでも納得の選曲で静かな中に情感を保ちつつ聞き終えることができた。

 静かに終わっても良し。派手な音楽で終わることもできるKalafinaの今回は感動のフィナーレを味わえるパターンだった。次はどんなライブを見せてくれるだろう。そんな構成の妙への興味も募るけれど、いずれにしてもその声は、どんどんと高められていくだろう。コーラスでありながら3人の個性が際立ったKalafinaという音楽の、よりいっそうの進化が見られそう。そして、そんな声を活かした楽曲も作られるようになる。次の新譜が今から楽しみ。あとは歌う場があれば最高で、それはライブもだし、テレビにも登場して欲しいもの。今年こそは紅白歌合戦に、なんて思ったりもするけれど、果たして。


【9月15日】 40歳女性に起こった出会いのチャンスめいた展開は読んでいてくっつくかもしれないポジティブな予想が立てられワクワクしながら読んでいけるけれど、そんな「初恋の世界1」(小学館)とは違って同じ西炯子さんによる「たーたん1」(小学館)はこれから起こるかも知れない波瀾万丈を思うと心がズキズキとして気が重くなる。手にしたわずかばかりの金を握りしめ、童貞を捨てに風俗に行こうと思っていた上田敦にかかって来た電話は、殺人を犯したばかりの友人から生まれたばかりの赤ん坊を預かってくれと言う頼みだった。そして童貞のまま預かり育てた15年。娘になった鈴は親のプレッシャーを厭いながらも決して親が嫌いではなく、一生懸命に育ててくれていることを実は内心でうれしがっている。

 敦の方も成長してきて女らしさを見せるようになった鈴に童貞としてドギマギしつつも、やっぱり娘として心配もして口も出し、厭われてもそれでも慕われている関係を保っている。そこに起こりそうな風。15年が経って友人が刑務所から出てくる。お前は自分の娘じゃない、殺人犯の娘なんだと告げることが出来るのか。そりゃあ無理。なおかつ鈴は敦とは別れたということになっている母親のことを知りたがって探してもいて、学校の先生がそうかもしれないと思い込んだりもする。でもそんな母親のことは過去、出てこないとこにちょっと不穏な空気が漂う。本当の父親はいったい誰を殺して刑務所に入ったのか。って考えた時に浮かぶ悲劇。それを知って鈴が受けるだろう衝撃。もちろんそう描かれている訳じゃないから違う可能性もあるけれど、いずれいんしても迫る再会は何を呼ぶ? 気になるけれど、読むのが怖い。

 VRだVRだ、VRがいつの間にやら主流になっていた東京ゲームショウ2016。プレイステーションVRの発売が近いってこともあるんだろーけれど、それだけじゃなくHTC ViveとかOculusRiftとかハコスコみたいなのを使って楽しむVRコンテンツがゲーム会社のブースのそこかしこに。いったい何を楽しんでいるのか傍目には分からないけれど、そうやって何かを楽しんでいる姿を見せることがひとつのPRに繋がっているよーな気がする。よくVRは試した本人にしか面白さが伝わらないから、波及しないと言われたけれど、こーやってムーブメントになればあとはその楽しそうなものを自分にも楽しませろって人が増えていくから大丈夫なのかもしれない。ポケモンGOだって楽しそうなことをやっている人がいるから自分も、って人が多かったようだし。そして1カ月で飽きる、と。もう万世橋の上に人、溜まってないものなあ。

 VRの場合スマートフォンのアプリを入れればすぐに楽しめる訳じゃなく、何万円もするハードを購入するとかしないといけないから、だったら自分もとなるハードルははるかに高いけれどもスマートフォンを使って楽しめるVRコンテンツも増えてきているから、あとはそれを楽しむためのVRヘッドマウントディスプレイが普及すれば結構広がりそうな気がしてる。VRギアとかもあるしハコスコみたいなのもあるし、おもちゃ会社が作るVRヘッドマウントディスプレイは1万円弱で作りも良くて顔へのフィット感も抜群。それでいてタカラトミーのはスティック型のコントローラーが使え、メガハウスのは手にしたマーカーを使った操作が可能になっている。そうした専用ゲームを楽しみつつVRコンテンツも楽しむ人が増えればそこに、VRコンテンツのビジネスも生まれて来るんだけれど。でもやっぱり1万円は高いかなあ。一家に一台VRヘッドマウントディスプレイ。そんな時代は来ないかなあ。

 いやいやゲームに限って言うから必要性の度合いが下がるんであって、介護とか観光とかいった分野に没入感なり臨場感をもたらすアイテムだといった感じに打ち出していけば、必要の度合いも上がっていくよーな気がする。東京ゲームショウ2016の基調講演でもFOVEってアイトラッキングを搭載したVRヘッドマウントディスプレイを開発している会社のCTOがそうした分野にも可能性はあるって話してたし、HTVのバイスプレジデントもVRの制約はイマジネーションだけで、何に使えるか、どう使うかって想像力さえあれば無限の可能性を持っているってなことを訴えていた。ただやっぱりゲームが先行してしまうと、かつて存在したCR−ROMによるインタラクティブな表現が、すべてプレイステーションのゲームに吸収されて滅びたようなことも起きかねない。そうさせないためにもプレイステーションVRで何をやるか、ってところが大切になりそうな予感。

 それについてはスクウェア・エニックスがVRと漫画の融合っていう、ちょっとユニークな試みを展開していて今後どうなるか興味を持った。VRヘッドマウントディスプレイをかけると誰かの部屋があって、そこに漫画の本が立ちあがる。コントローラーを振るとページがめくれてスタート。そして漫画が読めるよーになるんだけれど、コマを追ってページを読み終え次っていった感じではなく、コマがバラバラになっては前後に現れ順繰りに読んでいけるよーになていく。コマによっては平面だったはずの絵が3D化されているからキャラがまるでCGのアニメーションのよう。紙で読んでいるのとはまた違った臨場感と没入感を味わえる。

 手元に引き寄せるとコマが目の前に近寄ってキャラクターの細部とかくっきり。美少女の胸元とか紙だと顔に本とか雑誌を引き寄せる必要があるけれど、そしてそんな格好を誰かに見られる恥ずかしさがあるけど、VR空間なら好きに誰かのコマを引き寄せ細部をまじまじと見ることができる。これは楽しい。吹き出しの文字がピントの問題もあって読みづらい人がいそうなことと、あとはやっぱり紙で読む簡便性に比べると大仰で、そこまでするコンテンツなのかといった問題も立ちふさがるけど、コストもそれほどかかってなければ漫画のバリエーションとしてあっても悪くはないし、全部の漫画じゃなく名場面だけをVR化してその感動を間近に見られるようにすれば結構需用はあるかも。あの決定的パンチラを間近に、とか。それこそ「あしたのジョー」の名シーンをVR化とか。とりあえずはコンセプトのショーケース的展示だったけど、今後の展開がちょっと楽しみ。

 これはちょっと驚いたけれど、同時にばっちりかもしれないと思った「龍が如く6 命の詩。」への山下達郎さんの楽曲提供。あの「蒼茫」がいったいどんなシーンで使われるかは分からないけれど、雨の降る神室町で濡れながら立つ桐生一馬を見せつつ鳴るとかそんなシーンが浮かぶくらい、使えばインパクトのある雰囲気を醸し出せる。「希望という名の光」なんてタイトルがそのまま「龍が如く」のサブタイトルに使えそう。「アトムの子」は……ちょと分からないや。ほか2曲を含めた5曲も提供されるのは山下達郎さん周りではちょっと珍しいことかも。そもそもゲームに楽曲提供なんてしてたっけ。ともあれこれでちょっとやってみたい気が湧いてきたけど、プレイステーション4限定なんだよなあ、これ。ハイエンド版も出るしプレイステーションVRで映画とか見たいし、この辺で買っておくかなあ。置き場所が……。


【9月14日】 「盛り土」って「もりつち」じゃなく「もりど」って読むんだと分かって、ふっと浮かんだ「加戸守行」という名前。誰だそれって元愛媛県知事だけれど問題はそうじゃなくって見た目からなら「もりつち」なのにどーして「もりど」って土木業界の用語を使う必要があるのかって話で、意味が違うのかってゆーとそーでもなく、土木用語を使うことで何か真意が浮かび上がってくるかとゆーとそーでもない。つまりはどっちでも良いってこと。それはたぶんこの問題自体にも当てはまる。

 流れはよく分からないけど結果として、あの部分にスペースがとられてコンクリートで囲われて下からの侵入が防がれて、そして建物が地面に沈み込むようなことがなければそれで良いじゃないかって話。手続き上に何か行き違いがあったようにも聞こえてくるけれど、それが法律にのっとってないとかいった話でもない。だったらちょっと行き違ったけれども豊洲市場は元気です、って形で進めれば良いんだけれど、悪いと言って拳を振り上げてしまった以上は何かを叩きつぶさなければ下ろせない。それが人間になるのか豊洲市場そのものになるのか。今は分からないけれど、今時のこの空気感からすると豊洲市場そのものを、数年間は塩漬けにしそうな気すらしてくる。

 本当にどうだって良い話をほじくりかえしてチクチクやっては、舛添都知事を引きずり下ろして何十億円もかかる都知事選挙をやって、それで溜飲が下がればオッケーな心理は、移転しなくても築地がそのまま使えれば良いじゃんって選択を残している状況で豊洲市場そのものを使わず廃棄へと持ち込む方向へと働かせかねない。それで誰か損をするかというと、移転に向けて動いていた人たちには影響があるものの、それは移転が延期された段階で損が確定されている。それを切りさえすればあとは、すでに使われたお金なんて何をしたって戻ってこないんだから、知らん顔していればそれで気は済む。そーゆーものだ。

 そして見捨てられた豊洲市場は、廃墟となるか他の施設として使われるかは別にして、なかったことにされてしまうんだろう。いっそだったらあの場所を、漫画の殿堂にでもして毎日コスプレアイドルイベント同人誌即売会でもやればオリンピックに来た人を、呼び込めるんじゃなかろーか、あと忍者のショーとか。ってそういう風に使えるんだろーか、あの施設。鮮魚とか扱う訳で冷暖房の設備は完備しているし、ターレットを走らせるための通路が整えられているから移動は楽。あとはホールがあって上映会とかライブとかも行えればグッドなんだけど……って冗談言ってられるうちはまだ良いか。本気で使わないなんてこと、あるのかなあ。ありそうだなあ。

 今日で最終日だからと新宿眼科画廊に寄って、三山真寛さんの個展「006 ダブルオーシックス」を見物。ソリッドな線で普通なんだけれどちょっと異質なところもある人物を描いた絵画って感じで、どこか市川春子さんの人物に通じるところはあるけれど、もうちょっとシュールレアリスムが入っているとも言えそう。眼鏡がヘンとかいった感じに。そんな中で気に入ったのは「守屋絵子の独演会」という作品で、眼鏡をかけた少女がヴァイオリンを弾いているんだけれど弓が髪にからまって乱れまくっているという。そんなシーンで少女は前を凝視。いったい何を思っているのか。ちょっと不思議に感じた。あとブードゥクリスタリンという絵。見て普通の少女なんだけれど顔に薄く影が差している。それが醸し出す異質な雰囲気。どういう意味があるのか。何を狙ったのか。いつか聞いてみたいかも。

 これだけ大量にインタビューが出ながら、家族についてはどこも聞いていなかったので聞かないのが花だったのかとも思った「君の名は。」の新海誠監督が「女性自身」で聞かれたからなのか媒体が媒体だからなのか、家族について触れていてまず脚本は奥さんに見せて良いねと言われることを旨としていると話してた。何でも褒める人なら言ってもらって安心する訳でもないだろーから見る目を持ってその上で褒めてくれていると確信しているのかどーなのか。そもそも家族のこととかよく知らないんで分からない。娘さんがいるらしくこれだけ映画がヒットするとコンビニで顔ばバレてしまうと心配してくれるらしい。なんか可愛い。でもすでにバレているだろーから気にしないんじゃなかろーか。むしろ新海誠監督の娘さんだとバレてしまうことを心配した方が。100億円監督の娘なら身代金だって1億円は、なんて思われるし。どれだけ稼げたのかなあ。

 40歳だけれど長身で痩身でグラマラスでもあって、眼鏡でそして美人なら全然良いじゃんと思うのだけれど、それは漫画だからであって、現実ならどうなるか考えたものの観月ありささんとか井川遥さんとか木村佳乃さんとかいったあたりが、1976年生まれの40歳だと思うと、案外に現実の世界にも長身で痩身でグラマラスで眼鏡が似合う美人の40歳の女性とかいるのかもしれない。とはいえそんな女性はだいたいが結婚をしていたりするから、モリノカフェというちょっぴり高級なコーヒーをしっかりと煎れてはおちついた調度の中でじっくりと味わってもらう珈琲店で、ずっと働き続けているというのは稀かもしれない。

 というかどうして小松薫という長身で痩身でグラマラスで眼鏡の美人は、40歳になっても独身のままモリノカフェで働き続けていたのか、っていうのはちょっと不明。学生時代にオタクで腐女子な同人誌を作っていたからでもなさそうだけれど、そこはだからやっぱり漫画だからということになるのかもしれない。そんな設定の西炯子さんによる「初恋の世界1」(小学館、429円)は、どうにかモリノカフェというコンセプトを軌道に乗せて全国展開を始めた矢先、なぜか鹿児島ならぬ角島にも出した店が今ひとつということで、そこに地縁のある小松薫が新しい店長として赴任することになった。東京を離れたくはないものの、他に行く人もなく故郷に戻った小松薫を待っていたのは、本来のコンセプトからかけ離れたモリノカフェだった。

 禁煙なはずがたばこはオッケー、コーヒーだけのメニューなのにランチをやっていてナポリタンとか出している。近所のおじさんおばさんがたばこを吸える店としてたむろしパソコンとかを開いて仕事をしている人もいたりと、とても静かで落ち着いた雰囲気の中でコーヒーを楽しむ店ではない。なぜそうなったのか。現任の店長が店を開いたものの伸び悩む売上に自分も悩んでいた時に、ふらりと現れた小鳥遊という男が手伝いに入りつつ店を自分の良いようにきりもりをして、地元の人が好むメニューや雰囲気へと作り替えた。それで売上は伸びたから店長としてはとりあえずオッケー。ただし上にはとても言えない状況だったとこに本社から小松薫が新しい店長としてやってきた。これは困った。今の店長も小松薫も。

 困ったとはいえすでに回っている店を級には変えられない。引き継ぎの間をとりあえず、小鳥遊が切り盛りしていた形を維持するもののやがて店長となった小松薫はまず禁煙を打ち出す。そしてお客さんに逃げられる。それで良いのか。それが正しいのか。そんな葛藤がこれから繰り広げられそうな一方で、地元に帰って再会した学生時代の仲間たちが、それぞれに家族を持ったり不倫をしたりと自分の感情を満たす生き方をしていて小松薫を迷わせる。自分は何をやっているんだろう。そんな心の隙間に小鳥遊が忍び込んでいくのかそれとも。そんな楽しみがこれからありそう。しかし本当に可愛いなけれど小松薫、漫画だからそうなのか、実写になってもそのままなのか。そこが知りたい。


【9月13日】 4度目の「傷物語2 熱血篇」で特典の冊子はコンプリート。4回見ないと集められない仕組みなだけに4回見るためのモチベーションを何で得ようかと考えて、「鉄血篇」の時は当然に羽川翼の白い大三角をひとつの拠り所にして、あれを巨大なスクリーンで浴びるように見ることを目的に映画観へと通い切った。今回はそうした鍵となる場面があるかどうか、最初は分からなかったけれども初見で振り返る白の大三角があり、そして新しく白の小三角まであってこれはやっぱり何度も見たい、それも大画面の真ん前で真下から浴びるようにして味わいたいと確信した。

 前ほど長く映っている感じじゃないのが寂しいけれど、その分を瞬間にかけることになって見ている側には緊張感が走り、途中を寝ていられなくなったのは良いことか。その場面へとたどり着くまでに幾度か、ドラマツルギー戦での最後の降参場面の記憶が飛んでいたりエピソード戦での逆ギレからの首締め場面が飛んでいたりしたことがあったけど、それでも肝心の場面はちゃんと見られたのはそこに気持ちを集中させられたからだろー。人間やればできるんだ。ほかにもだんだんと大きくなるキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードのお尻あたりが見られて僥倖。問題は第三幕となる「冷血篇」にそんなシーンがあるかだけれど……あったっけ。もみもみがあるからそれで我慢することになるのかなあ。回想でも入れて欲しいなあ、白三角。

 何度でも見に行きたくなるシーンというと、たとえば「ガールズ&パンツァー劇場版」では大洗町での市街戦であんこうチームを追いかけていったプラウダ学園のノンナが、カチューシャを追う前に神社にそっと手を合わせて頭を下げている場面なんかを見逃すものかと思ったり、大学選抜との戦いを観戦している西住しほがパンツスタイルで股を開き気味に座っている姿を見極めたいと思ったりしている感じがあるかなあ。もちろんラストシーンで得られる感慨がひとしおなのが何度も見に行く理由だけれど。目下大ヒット中の「君の名は。」の場合だと、そうしたラストのカタルシスより前にまず、今一度戻った三葉の身体を瀧が泣きながら揉みまくる場面なんかが好きかなあ。

 あと飛騨まで行った瀧についていった奥寺先輩が旅館で目覚めた時に浴衣の胸元からのぞく黒いあれはブラ? したまま寝ていたのかな、そんなエロスがちょっとずつ挟み込んであるから、それを言い訳にしてついつい見に行ってしまうのかも。あるいは感動はしてもやっぱり長い映画の時間を、そのシーンだけは見逃すものかといったアンカーになって観客を席に止まらせ、最後までいさせるとか。映画ってそこが大事なのかも。「千と千尋の神隠し」でおにぎりに泣くシーン。「ハル」でくるみが長屋の二階から駆け下りてくるシーン。フックとして記憶に刻まれ再見を誘うシーンを自分の中に作ることが、映画を好きになるための道なのかも。「シン・ゴジラ」はどこだろう。滑り降りる前田敦子? 迫ってくる蒲田くん?

 「とある魔術の禁書目録」に出てくる上条当麻の父親と、そして「ヘヴィーオブジェクト」に出てくるクウェンサー・バーボタージュの父親とではどっちが凄腕のエージェントなんだろう、って思ったりもした鎌池和馬さんの「ヘヴィーオブジェクト 一番小さな戦争」(電撃文庫)。もちろんんどちらもしがない会社員といったところなんだけれど、方や当麻をめぐって起こるゴタゴタに絡まずとも関わっては息子の活躍をそっと支えるところがあり、こなた義侠心からか貴族の母娘をかくまっては逃がしてそして今をときめく唄って殺せるアイドルキャスターを誕生させる。そんなクウェンサーの父親が、マッハで連れてこいと言ったのならキャスリン=ブルーエンジェルには望み通りの未来がしっかり用意されると信じたい。エリートでありながらも離脱し案全国で平和に暮らすという未来が。

 本編はそんなキャスリンの、ある意味安全国への編入試験ともいえる生活が繰り広げられるといった展開。人工浮遊島にひろがったリゾート地にあって、落ちてくる衛星投下兵器をオブジェクトで爆破四散させる簡単なお仕事がクウェンサーとヘイヴィアのいる部隊に持ち込まれ、お姫さまともども出かけていってリゾート気分で眺めていたら何か背後で謀略が蠢いていた。閉鎖されるセカンドヴェニス。その渦中で露わになった生物兵器的なものの存在。広まれば世界が大騒ぎになるそれを封じ込めようと動いたクウェンサーとヘイヴィアにくっついて、日常生活が可能かをチェックされていた幼女エリートキャスリンが持ち前のエリートとしての身体能力を発揮しつつ、その思いを貫いてひとり犠牲になる。

 それじゃあだめだと憤るのがいつものクウェンサーで、解毒剤を探して走り回りお姫さまを助けようと動き回る。そんな展開がありながらも下される非情な政治的判断を、上条当麻なら右腕でぶち殺したところだろーけどただの整備研修生のクウェンサーにそんな能力は無い。だから頼った父親だけれど、本当に安全国のしがないサラリーマンなのか、自称しているだけなのか、そこが気になる。フローレイティア=カピストラーノは相変わらずに爆乳で、おほほはオブジェクトの中から出ないまま周囲に爆乳を見せてくれていて目にはなかなかの展開。あとはミョンリがモブにならずちゃんと残っているおんが嬉しいかなあ。帰結が見えないシリーズだけに毎回の難題とその解決が楽しみ。次はどこでどんな難題を押しつけられる?

 角川文庫がやっているキャラクター小説大賞の第2回が決まっていたようで、って決めたのは誰って話しになるけどそれはさておき前回は、美大が舞台のちょっとした推理物とそれからハーブのお店を舞台にした謎解きといったお仕事系ミステリーが並んだのに対して今回は、1本が吸血鬼の作家とそれをサポートする編集者が怪事件に挑むといった伝奇系と、そしてタロット占いの女性と引きこもり気味の少女がバディとなって推理し相談ごとを解決していくといった作品で、幅も広がっていった感じ。その面白さについては刊行されてのお楽しみなんだろーけれど、問題はこうした作品が独立したレーベルじゃないから埋もれてしまいかねないことなんだよなあ。でもレーベルじゃなくても突発的に売れる文庫もあるから分からない。そこは賞の存在をまず認知してもらい、面白さに触れてもらうことが大事かなあ。刊行されたら頑張って喧伝しよう。

 造反有理を地で行くように民進党の悪口はこれ正義といったスタンスで記事とか作っているからだろうか、ブーメランだの何だの悪口を書いたは良いもののそれは難癖も過ぎるだろうと突っ込まれたようで元記事が消えてしまった事例が発生。東北の水害による被災地に行って、長靴忘れて水たまりをおんぶしてもらった議員に、何で革靴履いていくと突っ込んだ民進党が気に入らなかったのか、熊本地震に革靴入ってたじゃないかとイヤミを言ったっぽいけど被災地の避難所を回るのに長靴履いていく必要もないし、そもそもが革靴履こうが水たまりでおんぶしてもらったみっともなさが事の本質。あそこで気にせずバシャバシャと渡っていれば問題も無かった訳で、そんな当たり前のことに気付いたのか記事も画像も消されてた。だったら書かなきゃ良いのに、書いてしまうのはきっと民進の悪口を書かないと、死んでしまう病にでもかかっているんだろうなあ。会社的に。あるいは記者人生的に。大丈夫かなあ。


【9月12日】 時間はたったの50秒。そこで繰り広げられただろう総勢16万人にも及ぶ壮絶な殺し合いにはまるで触れずに結果だけを佐助の口から語らせて、浮かれる真田昌幸とその身内たちをどん底へとたたき込む展開が、関ヶ原の戦いに対する当時の武将たちの見込み違いを表しているようで面白かった「真田丸」。実際のところ石田三成の西軍とそして徳川家康の東軍が、がっちりを構えて向かい合いながら戦ったらどれだけの時間がかかってそしてどちらが勝利したかといったのは興味のあるところで、どこか成り行き任せで突入してしまっては、乱戦の中で見方の討ち死にも出て兵を引く間もなく敗れてしまった石田三成にも存命の可能性があったかもと考えると、その後にどんな歴史が待っていたのかに興味も及ぶ。

 どちらに大義もなく始まった戦いのような気もするし、石田三成の鬱憤だけがとりあえず晴れれば後は粛々とまとまっては豊臣秀頼の強健ではない治世へと向かいつつ、摂政的に徳川家康が絡んでは関東に基盤をもって共和国的に存在し、日本を2分するような感じになっていたのかもしれないし、自力を高めた豊臣方が難癖を付け続ける徳川家康を打ち破って天下再統一を成し遂げたかもしれない。そんなイフへの想像を巡らせる間もなく歴史の事実だけをスパンと出してはあとはお前ら大変だぞとぶつけてくる三谷幸喜さんの筆がイジワルだけれど面白い。次週、真田昌幸は没するまでの生き地獄を味わう九度山への軟禁へと向かい真田信繁もそれに付き合い歴史の表舞台から10数年、消えることになる。その間に真田信之はどうやって徳川の中で地盤を固めていったのか。そんなドラマが見られるのかな。それとも真田紐の発明と改革と販売で成り上がる信繁の商才が発揮されるのかな。大坂の陣まで見逃せない。

 62億円とはまたすごい。それも3週間でこれだけで、さらに上積みが期待できそうだから100億円だって本当に夢では無くなってきた新海誠監督の「君の名は。」。この興行収入は細田守監督の過去最大のヒット作となった「バケモノの子」の58億円をあっさり突破していて、上にはディズニーとかピクサーとか「名探偵コナン」をのぞけば宮崎駿監督しかいない。その意味ではポストジブリでありポスト宮崎駿監督のポジションを争うレースでは、新海誠監督が細田守監督を抜き去ってトップに立ったとも言えそうだけれど、子供も見に行って楽しがってたジブリ作品、宮崎作品と違って中高生から上あたりがメーンとなる「君の名は。」を、簡単にその位置に当てはめて良いのかは迷うところ。むしろ宮崎駿監督という軸に新海誠監督と細田守監督という軸が加わってそれぞれのファンを集め稼ぐ時代が来たって言った方が良いのかも。

 高圧線が通った高い鉄塔の上にる絶縁碍子がどんな形をしているかは知らないし、それに萌える女子がいるということもあってはならないとまでは思わないにしても、なかなかありそうにはないことだとは感じてたりするものの、そんな絶縁碍子を間近で撮った画像が見たいという女子がいて、お礼に鉄塔に登った距離に比例してスカートの裾を持ち上げてくれると聞けば、どんなに高い鉄塔にだって登って登って天辺までたどり着き、スカートを裾どころかへその上までまくれ上がるくらいにしてやろうって気になるだろう。ならないか。でも相手は絶世の美少女の木佐谷樹軍乃。その容姿とその姿態を間近に見ながら誘われれば、高い場所への恐怖なんて吹き飛ぶだろー。でもって登って後悔する。落ちたら死ぬと。

 獅堂ログの場合も表向き、美少女のスカートの裾がめくり上げられるのを期待して、鉄塔に登ったように見えたけれども途中、木佐谷樹軍乃が妙な力をつかって獅堂ログが握っていた鉄骨のボルトを熱くして、もしかしたら落下するかもしれない危険を与えたことで、単に冴えない男子生徒をからかっている訳ではないことが見えて、そんなことに飄々とつきあう獅堂ログもエロいことを期待していた感じではないことも見えて来た。いや、少なくとも木佐谷樹軍乃の前ではその本性を現さなかった獅堂ログ。彼に何かを期待して誘い出しながらも、答えなかった獅堂ログを置いて立ち去った木佐谷樹軍乃の前に次の瞬間舞い降りた獅堂ログは、届いてなかったはずの絶縁碍子の画像が記録されたデジタルカメラを差し出して驚かせる。

 何をした。宙を飛んだ。というより重力を操った。それで浮かんで絶縁碍子を撮って地上へと舞い降りた。実は以前、木佐谷樹軍乃にボールが当たりそうになった時、獅堂ログは飛んでくるボールの軌道を曲げて自分の手のひらに治めたことがあった。よく見れば不思議な軌道に気付いたことが、獅堂ログを木佐谷樹軍乃が誰もいない鉄塔へと呼び出した理由。それというのも彼女には、熱を発する異能の力が備わっていて、獅堂ログにも同じような異能の力を感じてその正体を確かめようとしていたのだった。

 結果として明かすことになって、共に異能の力の持ち主だと分かった2人の間にすぐさま恋が芽生えたかというとノー。約束だからと教室でスカートをまくるどころか服を脱いだ木佐谷樹軍乃を止めようと、ドタバタしていたところに謎の影まで絡んで大騒ぎになっていたところに、今度は星降ロンド・タルクウィニアという少女がやって来て、絡み合う2人を見つけて泣きながら逃げ出した先で、ドタバタが起こってそしてロンドも獅堂ログや木佐谷樹軍乃とはまた違った、魔女としての力を持った存在だということが分かってくる。そんな3人が出会い、絡み合って進んでいくのが清野静さんによる「さよなら、サイキック 1.恋と重力のロンド」(スニーカー文庫、620円)という物語だ。

 心臓の病気でずっと伏せっていたロンドは“最後の魔女”という存在で、高い場所にある部屋で療養していた時期に重力操作で飛び回っていた獅堂ログと知り合ってお互いに関心を抱くようになる。そして手術によって健康を取り戻したロンドは外に出るようになって獅堂ログの周りに現れるようになって、そしで行き当たった木佐谷樹軍乃との絡み合い。誤解もしたけれども木佐谷樹軍乃が同じような異能力の持ち主だと知って仲良くなろうとし、拒絶されてもくらいついていって3人で、仲良くなり始めたけれどもそこにひとつの影。ドッペルゲンガー。あるいはグラツィアーナと呼ばれる謎めいた存在が、ロンドから放たれ獅堂ログの腕にまとわりついて脅かす。

 目的は。その未来は。なんてことも引っ張りながらも3人の異能力者がそれぞれに関心を抱き合って進んでいく第1巻。大きな事件とかは起こらないものの、恋をすると能力が薄れてしまうといった指摘が木佐谷樹軍乃から出され、そしてその恋の相手が誰かってことが見えて来てちょっとした波乱が予感される。それ以上にやっぱりグラツィアーナが過去の亡霊然としてロンドの周辺に現れて、何かを成そうとしているところが気にかかる。手術ぐらいで健康を取り戻したのかといったことも。今はようやく取り戻した健康を謳歌し、だらだらとした生活が繰り広げられているけれど、そこに悲劇の影とか指してきたらちょっとキツいかも。どうなんだろう。

 剛毅というか200万円を最優秀賞の賞金にしつつ物流に関するデータをオープンにして、それを使って何か新しいアプリケーションを開発してくれよと募ったコンテストの結果が発表。神奈川県中小企業診断協会のチームによる「先輩!秘密の休憩場所を教えてください」が最優秀賞を見事に獲得して賞金をゲットしていった。全国を走るトラックがどういう場所で休憩しているかを記録してはデータベース化して、そこに行けばどんな感じに休めるか、どんな車両なら留められるのかといったことが分かるようになっていて、自分の車両のデータを入れると適切な休憩場所ってのが表示されるようになっている。

 周辺の風景なんかもばっちり。これがあれば先輩たちから口伝によって休憩場所を教わらなくても、集合知として認識されて無理な走行を減らして安全性の確保にも繋がるといったところだけれど、そこが本当にトラックを停めて言い場所あのか、誰かの敷地かどこかの駐車場じゃないかといった心配もあるし、交通量が多い場所に長時間停めすぎて迷惑になっていないかといった懸念も浮かぶ。どこかコンビニなりスーパーなりドライブインなりといった提携先も絵ながら、安全に安心してトラック運転手たちが休める場所を共通の知恵として蓄積し、活用していくようになれば本格的に使えるシステムになるかもしれない。

 ほかにも物流を完成してドライバーが1人で長距離を走らなくてもよくしたり、視覚障害者の人が倉庫でピックアップを適切にできるようなアドバイスをする仕組みが登場。同じデータを使いながらもいろいろな出口があるんだなあ。それを多くのアイデアによって得て、200万円の賞金で形にしてしまえるのなら安いもの。そういったコンテストがこれから増えていけば、日本ももっと新しくて画期的なアプリケーションなりサービスが生まれてくるのに。国とかか1億円の賞金で。そういう部分はケチって民間に丸投げする国だけに、やっぱり未来は暗いかなあ。外国の資本が入ってきて、知恵も人材も全部持って行かれる未来が見えます。すでに見えているけれど。うん。


【9月11日】 明けて広島東洋カープの25年ぶりの優勝でスポーツ新聞はどこも(一部デイリースポーツを除く)カープ一色で真っ赤っか。だったら1998年に当時の横浜ベイスターズが38年ぶりの優勝を果たしたときに新聞各紙が真っ青になったかとゆーと、どうもそんな記憶がないのはカープの優勝を待ち望む人がそれだけいて、優勝して欲しいという雰囲気が作られていたからなんだろうなあ、カープ女子とかいった言葉でくくられるようなファン層の声が盛り上がっていった結果として。

 そんなカープ女子の盛り上がりに貢献したとも発端になったとも言える漫画「球場ラヴァーズ」を描いた漫画家の石田敦子さんがスポーツニッポンに登場して喜びの声をあげていた。もちろん優勝した9月10日の東京ドームでの巨人戦にも行っていたみたいで、目の前で25年ぶりとなる胴上げを見られて感慨もひとしおだっただろー。それで原稿が遅れて載らなかった大変だけれど、「ヤングキングアワーズ」でスポーツニッポンに入社したカープが大好きな記者の話を連載しつつ「ヤングキングアワーズHG」に「球場ラヴァーズ」の番外編を描くそーなんで、筆はまだまだ走るといったところか。あるいは走らせざるを得ないとゆーか。

 きっとそれは過去の幾つかあったシリーズのメンバーが総動員して東京ドームに集い観客席から、ゴンドラのようなシートから、ビールの売り子として見たカープ優勝の瞬間ってのが描かれるんだろ−。ミッキーにまた会えるなら嬉しいな。でもそーやって掲載されてもシリーズは単行本が完結しているから雑誌限りになるのか、連載中の「野球+プラス!」の単行本に収録されるんだろーか。どっちにしても少年画報社のアプリが立ちあがって最新号の「ヤングキングアワーズHG」が読めるよーになっていたんでそっちで読めると信じよう。「ヤングキングアワーズ」は毎号買っているから良いんだけれど。

 それにそて25年ぶりの優勝ってファンにとってどんな気分なんだろー。1974年に中日ドラゴンズが20年ぶりの優勝を果たした時、名古屋の街はとてつもない大騒ぎになって誰もがドラゴンズの試合の行方を見守っていたっけ。そして優勝の瞬間にファンが中日球場のグラウンドに乱入して、マーチン選手がもみくちゃにされた挙げ句に帽子を取られて頭をさらされたって記憶があれから40年以上経っても鮮明に記憶に残っている。今回もそんなエピソードを刻んでまたの優勝を待ち望むファンが生まれたのかな。1975年にカープの優勝を目の当たりして強く心に刻んだ石田さんもいることだし。そうやって歴史は繰り返される。さて次の優勝は。来年? でも去年のアレ采配から今年の優勝なら来年は果たして。そういうものだよ野球って。

 しかしこうやって、リーグ優勝が大々的に取り上げられるくらいに野球ってまだ、大勢の心に響いているし残っているんだと分かった一件。大してサッカーは注目が集まらないからとわざわざシーズンを2つに割って前半と後半にそれぞれ優勝争いを持ってこさせて話題になろうとしたものの、期待していたテレビは前半戦の優勝が決まる試合を地上波ではまるで放送せず、そしていったいどこが優勝したか思い出せといっても無理なくらいに情報の露出も限られた。そして後半戦も始まっていながらどこがいったい優勝するのか気にしなければ分からない。子供のスポーツ人気ではサッカーが野球を超えたとかって話があるけど、こーやって露出の多寡を見ていると、いずれまた野球が盛り返すんじゃないかって思えて来る。

 テレビで野球中継がほとんどなくなっているとゆー点はサッカーと同様。それでもじわり、じわりとにじみ出てくる情報が渦となって関心を呼び込む。サッカーにはそれがなくなってしまっている。どうしてなんだろう。有名な選手がいないから? 報じるに足るバリューがないから? それには報じて有名な選手を作ってないからだ、ってトートロジー的な言い訳も浮かぶけれど、どっちが先でも起こりえていない以上はあとはデフレスパイラルに乗ってシュリンクしていくだけ。そこを変えないとサッカーはいつか来た道へと逆戻りしてしまうのに、代表チームは権力争いに終始してチームを強くしようとする感じがないし、リーグは金儲けに走って肝心の露出に目を向けない。今は良くても5年後は。考えるとちょっと怖くなる。

 今はスタジアムに足を運んでくれている人がいるのが救いだけれど、それだって広島のマツダスタジアムに通い大騒ぎするファンたちの姿にどれだけ勝っている? ファンサービスでは上を言っていたはずのサッカーが今では野球に追い抜かれてしまった感じ。盛り上がらないサッカーのスタジアムより盛り上がっている野球のスタジアムを報じたくもなるだろうなあ。そんな格差が未来により大きくならないためにもサッカーにはもうちょっと、露出への努力と来場への呼びかけを行って欲しいもの。そのためには何が必要か……アビスパ福岡の試合には田村ゆかりさんが必ず現れ唄うこと、かなあ。それなら必ず行くけれど。なんか違うか。

 それを言うならまずは自分からスタジアムに足を運ぼうと、久々になでしこリーグの「日テレ・ベレーザ対INAC神戸レオネッサ」戦を見に味の素フィールド西が丘へ。午前中にちょい雨も混じって開催が心配だったけれども板橋区あたりは午後に雨も上がるって予報が出ていたんで行ったらなるほどだいたい晴れてた。普通だったら自由席にするバックスタンドもゾーン指定の高額チケットにしていてそれでファンは逃げないのって心配になったけれど、両サイドのゴール裏にぎゅうぎゅう詰めになるくらいファンが来ていた感じもないんで仕方がない。それが今の集客力ってことなんだろー。それでも1400人くらい来ていたし。300人くらい来れば多かった15年前とは違うのだ。

 ただある意味リーグ最強のカードであって例えるならレアル・マドリードとバルセロナによるエル・クラシコとも言える試合にこれだけってのはちょっと寂しいか。前なら3000人は来ていただろーし。澤穂希選手の引退がありリオデジャネイロ五輪への出場を逃して薄れた関心があってといった具合に、なにがしかの影響は出始めているって言えるかも。それでもまだ……って思うべきかいやいややっぱりと不安視するべきか。後者ならばやっぱり何か世間にアピールするものが必要ってことだけど、その意味でも高倉麻子さんが代表の監督になってフィーチャーされたベレーザの中里優選手はこれから大いにアピールしてなでしこの顔にして欲しい逸材かも。

 たぶん過去にも見ていただろーけれど、よーやく代表入りしたってあたりから近年めきめきと存在感を高めていった感じ。だったらそのプレーはと見ていたら、守備では中盤を左右に走り回ってボールを追い回して相手を遅らせる役割を果たし、攻撃でも特に目立つといった感じではないけれどもしっかりと位置取りをして、受けたボールを即座にパスしてちゃんと繋いでた。その意味では中盤のダイナモであり守備の要的な選手、古いけれども加藤與恵選手に近いかなあと思ったけれど、得点には直接絡むことが少なかった加藤選手とは違って中里選手は、チャンスがあればシュートを放ち瞬間の跳び出しも見せてゴールを奪う。

 INAC戦でも1点目は、ゴール前での混戦からこぼれてきたボールをミドル気味に蹴り込んだらそれがグラウンドを這うようにしてゴールへと向かいポストに当たって反対側に跳ねて先制。幸運気味のところもあったけれど、あの場面で積極的に打ってそれもふかさずゴールへと向かわせるところに強気さと冷静さが垣間見える。凄かったのはチームの3点目で、それまで中盤でさばいていたはずの中里選手がするするっと前へと走ったところに後ろからボールが入ってきて、それをトラップして前を見てゴールキーパーが前目だったのを確認したのかループ気味にシュート。それが決まって自身2点目をゲットする。

 フォワードの選手でもないのになんであの場面で最前線にいて、ディフェンダーの間をするっと抜けて前に出たのか。そこにゴールを奪うって意欲がなければ出来ないプレーだし、そんな中里選手を見て即座にボールを蹴り込んだチームメイトがいるところを見ると、普段からゴールへの意識を持っていることを周囲も認識していたに違いない。身体が小さいから目立たないけど最後まで落ちないその運動量は秀逸。それこそ中里選手を中心にしてチームを作ればどんな代表になるのかって思いすら浮かんでくる。海外組とか目立つ名前で選ばれていた時期が過ぎ、落ち着きを取り戻したなでしこジャパンがこれから再浮上していく上で欠かせないピースになりそう。代表での働きぶりを見たいんで、是非に国内での壮行試合をやって欲しいなあ。最近見てないんだなでしこジャパン。もっと関東でやれば良いのに。


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