縮刷版2016年9月上旬号


【9月10日】 今日からってことでもしかしたらチケットが売り切れになるかもしれないと、起き出して渋谷へと向かいユーロスペースへと到着すると大行列。まさかこんなにも「マイマイ新子と千年の魔法」を見に来た人がいるのかと驚いていたら、違う「チリの闘い」や「ソング・オブ・ラホール」を見に来た人たちだったんで一安心。それでも午前10時半の段階で20番前後といった感じで結構なはけ具合。夕方に来たらもしかしたらなくなっていたかもしれないだけに、朝から活動する意義ってやつを噛みしめる。まあ暇だからできるんだけれど。サービスする家族とかいないし。いないし。

 ユニクロでスキニーの黒いジーンズを買ってからどっちへ行こうかと迷い、川崎市民ミュージアムの「描く!マンガ展」も中身が変わっていたし寄ろうかと思いつつ今日が確か最終日だったミヅマアートギャラリーで開かれている「眼差しと好奇心 −anomly−」に出展されている大畑伸太郎さんの新作を見に行くことにして、市ヶ谷まで行って歩いて5分ほどでたどり着く。前は中目黒にあったんだよなあ。近くて良かった。そして大畑さんの新作は、コンビニエンスストアの絵を背にして外に少女が佇みながらスマホを見ているといった構図。スマホの光が顔にあたってちょっぴり照らし、そして背中から漏れるコンビのの光が輪郭を浮かび上がらせるような雰囲気を、色の塗り分けできっちりと表現しているのが相変わらず凄い。

 朝日や夕日のどこか暖かみのある自然の光に照らされている作品もいっぱいあって、それも生命観があふれ出してくるようで好きだけれど夜の街頭やコンビニの光といった人工の灯りが人を照らして浮かぶ生活感といったものも、ちゃんと描き出せるところがこの作家の凄いところなんだろー。平面の作品もあってこれも背後にコンビナートを背負って少女が腰掛けている絵だった。良いなあ、やっぱり。でも売れていた。好きな人がいるんだなあ。立体と平面の組み合わせも欲しいけれど、200万円くらいする上に置き場所がない。そこが残念。家がもっと大きければ。それよりお金持ちだったら。悔しいけれども誰か欲しい人、認めている人のところに行くことを願おう。

 ほかでは江口綾音さんという人の作品が凄かった。こてこてに塗ってそれもピンクとか緑とか紫とか白とかいった目にも鮮やかな色を塗り固めていって描くのはどこか異国の世界。ぐるりと囲むような壁の中にある水面に倒れ込んでいるクマのぬいぐるみのような存在からはキノコのようなものが伸びて輪廻する命って奴を感じさせる。でもその世界はファンタスティックでSF的。物語とか考え出したくなる。別の作品だと斜面に倒れた巨大なクマの上に街なんかできているし。そしてぐるぐると渦巻きながら下がっていく階段の上を羊のような奇妙な生き物が飛んでいく。そこはどこ? そして何? 分からないけれども感じられる異形のビジョン、異世界の風。手元においてずっと眺めていたくなった。変えないけど。他にはどんな絵を描く人なんだろう。追いかけていこう。

あとは森の中で狼の毛皮のようなものを身にまとった少女たちが四つ足で這い回っているような不思議なビジョンを見せてくれる野田仁美さんか。ある意味で具象ではあるんだけれど少女たちは人狼なのかそれとも単なる暗喩なのかは分からないし、どうして森で暮らしているのかも分からない。少女ばかりというのも。でもそんな世界があったら垣間見てみたいといった興味をかき立てられる。そこで僕は何になるんだろう。襲われてむさぼり食われるんだろうか。いろいろと浮かぶ想像の窓となってくれる作品。ひとり直立していた裸の少女が描かれていたけれど、彼女はまだ人間だってことなのかな。だったら毛皮をまとって何になるのかな。他の傾向も調べてみたい画家だった。

 せっかくだからと信濃町に回って歩道橋へ。国立競技場があった時にバックスタンド側へと入場する場合によく使っていた歩道橋で、昇って降りてくぐって歩いて絵画館前を抜けると国立競技場にたどり着く。今はそれがないため、渡りはしないで明治記念館へと行く途中に眺めていたくらいだったけど、「君の名は。」に登場しては瀧くんがスマートフォンをかけ、三葉も確か佇んで会えない不安に怯え、そして瀧くんが就職活動中に奥寺先輩と再会していた場所だけに、誰かに会えるかもしれないと思って来るファンもきっと多いんだろう。でも会えないけど。会えるわけがないけど。知り合いに奥寺先輩みたいな美人の先輩もいなければ、三葉みたいな可愛い女子もいない。 それで会えるわけがない。嗚呼。現実は厳しい。

 それは信濃町から千駄ヶ谷へと回って駅前にあるエクセルシオールカフェのテラスをのぞいても、ユキノちゃんはいないのと一緒だし、駅に入って新宿よりのエスカレーターの脇をみても、職場に行こうとして行けないユキノちゃんの姿はない。歩いて新宿御苑の千駄ヶ谷門から入って四阿に行っても、やっぱりユキノちゃんはいないんだろう。神木隆之介さんはいるかもしれないけれど。さすがに今はいないか。そうした、誰か作品の登場人物に会えるということでもなく、作中の誰かになれるといった気分でもなしにそうした場所にいくのは、やっぱり作品そのものの世界に共感をして、そこに身を寄せたいからなんだろう。誰かが幸せになったり、不安だったり悩んでいたりする世界に身を置いて、自分自身の気持ちを改めて整理する。そんな場所になっているんだろう、聖地って。

 だから行ったら佇んで、静かにしているのが1番で、わあわあきゃあきゃあと騒ぐのは筋違いだと思うんだけれど、観光地化してしまう場合もあってそうした場所に暮らす人には、いきなり増えた部外者はやっぱり気分が宜しくないように見えるっぽい。「君の名は。」の公式サイトがそうした聖地巡礼の人たちに対して静かにしよう、深夜早朝に行って騒ぐのは止めようと呼びかけていた。飛騨の山奥でいくら騒いだって誰も困らないし諏訪湖を見下ろす上で叫んだってヤッホーと同じようなものと思われる。でも須賀神社の階段の上は脇に民家もあってそこにたむろされるとやっぱり住人としては迷惑だろー。なので静かに。そして愛想良く。そうすることで味方に引き入れ、次に行く人も幸いな気分を迎えられるようにしてあげよう。それがお願い、聖地巡礼者の。

 広島東洋カープが25年ぶりという優勝を果たしていたその裏側で、ユーロスペースでの「マイマイ新子と千年の魔法」の久々の劇場上映を鑑賞。35ミリフィルムでの上映なんで色味とか目に優しくてどこかほのぼの。作品世界のゆったりとして流れる時間と人間関係にマッチして心に染みた。そんな作品はやっぱり良いというか展開が完璧というか。何度見て見見入る場面がいっぱい。不安にさせつつ道を見せ安心をさせまた驚きから突破を描く。見て子供は成長し大人は足踏みを止めようと思う。そんな映画。ちょっとづつ重なり繋がっていく日常が千年前ともリンクして流れそして最後に重なる構成の妙も見ていて引っ張られる理由かなと改めて思った

 。新子と貴伊子の百合っぷりも今日は妙に響いたよ。表情仕草の付け方も巧いもの。同じ片渕須直監督の「この世界の片隅に」公開でいったいどんな作品を作ってきた人なのかって思った人は、遡って見て良いんじゃなかろーか。舞台挨拶で登壇した片渕監督も、「マイマイ新子と千年の魔法」に登場した、新子のお母さんで終戦の頃に21歳くらいだった人が昭和30年にはおっとりとしたお母さんになっていて、そんな人があの戦時中に何をしていたんだろうという関心が、戦中戦後を描いた「この世界の片隅に」のアニメーション化に繋がってるって話してた。動機でもある「マイマイ新子と千年の魔法」をまずは見て、それから「この世界の片隅に」を見るとまた違った印象が浮かんでくるかもしれない。ブルーレイディスクも発売されるし、上映もしばらく続くしこの機会に是非。とうよりむしろ絶対に。


【9月9日】 松阪牛なんて食べたことがないし、ましてやA−5だなんて最高ランクの松阪牛なんて一生食べる機会もないだろうから味なんて分からないと言えばそうなんだけれど、それでも松阪牛が過去最高に使われているというなら食べればそれなりに味も感じられるかもしれないと、ナムコがベビースターラーメンのおやつカンパニーと共同で作ったというクレーンゲームの景品「ベビースターラーメン(松阪牛を史上最高量練り込みました味)」の発表会へと行って、クレーンゲームを操作してどうにか1つゲットしする。

 そして食べたらベビースターラーメンだった。いや基本の味はやっぱりそうなんだけれど、1つかみ2つかみと食べているうちに、口中にじゅわっと牛エキスが広がってくるような感じがある。それは甘くて深みもあって濃厚といった感じの味。牛肉そのものというよりも、最高級の牛肉につきまとう脂身のまったりとした感じがまとわりついているといった印象で、舌の上から口の中からだんだんと染みていっては、これが牛肉の味なのかもしれないといった気分にさせてくれる。

 これで本物の松阪牛を食べるとまるで違うと思うかも知れないけれど、一生縁が無い以上は僕にとっては松阪牛はこのベビースターラーメンが唯一。その味を心に刻んで一生を生きていこう。しかしどーして松阪牛だったんだろうなあ、三重県ならほかにも伊勢エビだとか魚だとか焼きハマグリだとか真珠なんかがあるような。あとは鹿とか。でもやっぱり世界に誇るなら松阪牛ってことなのか。神戸牛とは何が違うのか。神戸牛味のベビースターラーメンでも作ってもらえれば比べられるんだけれど。

 そんな発表会の裏側では能年玲奈さん変じてのんさんが主演の声優を務めた長編アニメション映画「この世界の片隅に」の完成披露試写会があったみたいでのんさんも登場して舞台挨拶とかあったみたい。媒体を持たないアニメーション業界も専業ではない泡沫記者に案内なんて来ないから行くことはなかったけれど、のんさんの実物は1度くらいは見ておきたかったかなあという思いがちょっとだけ。映画はまあ、いつか公開するだろうから見られるし、零号の試写では完成品とはほど遠いだろうから封切りされたら見に行くことにしよう。しかしやっぱりどこのスポーツ紙も取り上げないのんさんの舞台挨拶。かわって示談から不起訴処分いされて犯罪者ではなくなった人間をやっぱり叩きまくる記事があふれかえるんだろう。それが芸能界。誰のためのものなんだろう。どこを向いているんだろう。潰れるはずだよなあ、新聞もテレビも。

 これは素晴らしい。第21回スニーカー大賞[春]で優秀賞を獲得した藤宮カズキさんの「いつかの空、君との魔法」(スニーカー文庫)が僕的にライトノベルフロントライン大賞あげたい級の青春ファンタジーだったのでそっち系の話が好きな人は読むように。つまりは異世界転生でもなく異能バトルでもなく青春ラブコメでもなくスクールカースト残酷系でもなく、読んで胸がきゅんとするような作品。舞台となっているのはダスト層雲に被われ精霊が降りてこず人が生きるのに必要な精霊指数が足りなくなることがある世界で。そのダスト層雲をはらえるのは箒で空を飛ぶことができる<ヘクセ>と呼ばれる少年少女だけだった。

 カリム・カンデラという少年も、そんな<ヘクセン>としてグラオベーゼンなるダスト層雲をはらいに行く作業をこなし、躍動感ある動きで人気を得ていたけど中身は三流とされている。どうしてなのか。それは高い場所を飛んでダスト層雲を大きくはらえず精霊も多く呼べなかったから。だからどうして高い場所を飛べなくなってしまったのか。それには理由が。誰よりも高く飛んでグラオベーゼンを行い大量の精霊を呼び込むことができる樫宮揺月という少女との過去にあった。幼なじみで仲良しだった2人だけれど、今は樫宮揺月は精霊がいっぱいいる森で離れて暮らし、カリム・カンデラは高く飛べない<ヘクセン>としてグラオベーゼンをこなしていた。

 そんな2人の思い合ってすれ違う心を描き、そして壁を乗り越えていく姿を見せるストーリー。そこにカリム・カンデラと同じ学校に通う少女で先輩の<ヘクセン>も絡んで起こる三角関係? みたいなシチュエーションを楽しめる。長く離ればなれでいなくちゃならない彼に久々に出会ったら、横に可愛い女の子がいたらそりゃあすねるよなあ。そんな少女の憤りに気付かないカリム・カンデラの朴念仁ぶりにムッとするけど、自分の失敗を悔やんでいる過去があるから、近寄って手を差しのばすのもためらわれるんだろう。難しい年頃ってことで。

 そんな感じに少年や少女たちの思い思われるドラマがあり、ダスト層雲に被われ精霊がいて人が生きるのに必要な世界というちょっと不思議な設定があって、そんな世界を自分を表現するために飛ぶ<ヘクセン>たちのアクションの格好良さがある物語。読むと自分も飛んでいる気分にさせてくれる描写がとても良い。そしてラストも。 ダスト層雲がなぜ世界を覆い、精霊はどうして人の生活に必要なのかという世界の成り立ちへの興味があり、<ヘクセン>の仕事を肩代わりしようとした科学の力がなぜ通じないのかへの関心も浮かぶ。良い舞台と良い展開の上で踊る少年少女の躍動に感動せよ。

 誰かのすでに見えなくなっているツイートを情報源にして雑誌にこう書いてあったぞと報じたそのポン酢さ加減が話題になっていた自称全国紙のニュースサイトが、まとめサイトかよって非難をまるで馬耳東風と聞き逃すようにして阿呆の後追いをして泣けてくる「」8日、平成9年に発売された雑誌「CREA」(文藝春秋)のインタビュー記事で「自分の国籍は台湾」と発言していたことが分かったと報じたが」っておいおい、報じたじゃないだろう。又聞きの記事のさらに又聞きのような文章でもって歴とした国会議員を非難する、もはやまとめサイト以下とも言える振る舞いが世間にいったいどう見られているか。感じられれば立って歩いているのもやっとなのに。心臓か強いのか耳がふさがっているのか。そうじゃなけや生きていけない世界にいるんだろうなあ。いつまで保つやら。

 追い打ちをかけるようにそこん家の支局で記者が市民団体による提訴の会見の録音とそして配布された資料を、提訴された自治体側に渡していたというからこれまたどういうことかと大騒ぎ。なるほど訴状めいたものなら公知として回すようなことがあったかもしれないけれど、資料は裁判にあたって原告側のスタンスを示したもので、ある意味では戦術の書かれた指令書にも近かったりするし、録音もそうした戦術を伺う上で重要な資料となる。それを被告側に流したらやっぱり中立の立場にある者として拙いだろう。

 そうでなくても取材で取得した情報を、横に流すのは御法度の世界。そこを問われず語って察しさせるようなテクニックも生まれそうだけど、そうでなくまるごと渡しているから同業者だって目を背けるしかなかっただろう。問題はそれでどういう処分が下るかだけど、根拠のない話を取材もしないで繰り出し名誉毀損で負けた人間が、処分もされずに偉くなる場所だけにこれで排除されたら何なんだって話にもなりそう。でもきっとあっちは大丈夫でこっちは大丈夫じゃないような感じ。そういう不公平な状況におかれていったいどんな真っ当な仕事が出来るんだって話になっていく。現場は疲弊し上はポン酢が跋扈する組織の向かう先は。考えると夜寝られなくなっちゃう。ぐうぐう。

 そんなこんなで2度目の「君の名は。」。なるほどラストシーンでの須賀神社はメインビジュアルみたいに遠景を入れずに階段の部分だけで治めてあって六本木ヒルズめいたものは描かれていない。ポスタービジュアル作る時にここに何かあった方がって誰かが描き足したのかな。ストーリーはもう完璧で削る場所もない。組紐の思念とか口噛み酒のスピリチュアルな効能とかを科学的な量子なりに載せて語れば語れそうな時間の行き来。そうしたSF的理解をしても分かるししなくても楽しめるすれ違いに、誰もが驚きながらもだんだんと近づいてく関係を応援したくなるんだろう。ひとつ気になったのは三葉のあれからの8年間がどんなだったってことかな。瀧よりも長い時間をいったい、何に縋って生きてきたのか。そこが知りたい。思いのよすがは何だったんだろう。ひとり入れ替わった時に触った瀧の股間のサイズか?


【9月8日】 目覚めるとアップルがiPhone7の発表をしていて任天堂から宮本茂さんが出てマリオのアプリか何かを出すって話をしたそうで、「ポケモンGO」に続くヒット作になるんだろうなあと思いつつ、子どもの頃から遊び続けて10数年の世代がコレクションという概念と町歩きという要素を絡めて送り出されたリアルポケモンだからこそ群がった「ポケモンGO」とは違って、単なるバージョン違いのゲームアプリにしか見えない「スーパーマリオラン」が「ポケモンGO」ほどの爆発的な話題になるかはちょっと疑問。日本でも一瞬は上に来ても、白猫とかそんな当たりの習慣性のあるアプリがすぐさま追い抜き返すような気がするけれども果たして。つまりは作り込みかなあ、ゲームアプリとしての。

 そんなiPhone7は何とイヤフォンジャックが消滅していて、基本的にはワイヤレスのヘッドフォンなりイヤフォンで音楽なんかを聴くってことになったみたい。まあ時代なんだろうけれど、パソコンでいうところのUSBなんかと同じに世界共通の規格でもって作られたデバイスであり端子を拒絶してしまう危険性とか考えるとやっぱり無謀な気がしないでもない。誰もがワイヤレスを使っている訳ではないし、その性能だってワイヤードに勝るものとは限らない状況で、自分家の規格に押し込めてしまうとそれなら使わないって人も出てきそう。いやいやそういう人のためにライトニング端子に接続してイヤフォンジャックにする変換アダプターを出すんだってことなんだろーけれど、これがまた格好悪いんだ、尻から垂れ下がったそうめんみたいで。

 アップルだったらもっとシンプルに、厚みがを持っても本体に接触したようなアダプターを出してくれても不思議はないのに、ただのケーブル。おまけにライトニング端子を占領するから音楽を聴きながらだと充電が出来なくなる。そんな不便を強いてなお得られるスタイリッシュさがあればさすがはアップルってことになるんだけれど、そういう感じでもないからなあ。だから早速呆れた声も出始めている。ここでサードパーティあたりがライトニング端子を使いつつ本体を延長するような形状でライトニング端子をイヤフォン端子の両方が使えるアダプターでも出してくれれば売れるかな。ケースが使えなくなるっていうならケースにそんな機能を盛り込むのもありかも。そもそもケースなんて不要と考えられていたものが流行してアップルもアンテナの配置を考え直した訳で、そんなたくましさをもった第三者がきっとこの危機も埋めてくれるだろー。どっちにしたって買わないけど、iPhoneなんて。

 あとはやっぱりあのワイヤレスヘッドフォンが確実に落としそうな形状で今から心配。ヘッドフォンなら頭に被るからなくさないけど、イヤフォンは左右が分かれていて耳穴にそれぞれはめ込む感じ。コードのないイヤフォンがハマっている状態になるんだけれど、それでどうして止まっていられるのかが分からない。耳穴なんて人によって大きさも違うし形も違う。だから落ちたりずれたりするのを手で直して使っている。仮に落ちてもコードで繋がっているから無くなることはなかった。でもワイヤレスはそれぞれが独立しているから落ちればどこかに言ってしまう。これはちょっと困ったことになりそう。まあこれもそれぞれにゴムのわっかをはめて紐でつなぐようなアクセサリーが出てくるんじゃなかろーか。落ちても引っかかるし外して首から下げておけるし。だったら最初からつないでおけ? それだと格好いいと自称している充電器に入らないというんだろうなあ。利便性のために安全性を削っていく。らしいといえばらしいし、らしくないといえば言える感じ。どうなるかなあ。だから買わないけど、iPhoneなんて。

 せっかくだからとインターナショナルギフトショーへと出向いて、タカラトミーのブースでさかなくんロボを見る。最初は窓から顔を出しているだけのものかと思ったら、ショータイムになってなにやらフグみたいな着ぐるみたちが出てきた後に、ブースから巨大な全身を表しては周囲を睥睨していた。つまりはジャンボマックスなんだけれど、「8時だよ!全員集合」を知っている世代でもないとあの巨大な着ぐるみ人形を知らないんで果たして通じるかどうか。とか思ったら社内でもジャンボマックスとか呼ばれていたらしい。そういう世代がまだ残っているんだなあ。そんなさかなくんロボがダンスを踊り周囲の人たちとツーショット写真を撮り始めたので記念に1枚。3メートルってことは「境界線上のホライゾン」の島・左近くらいあるってことなのか。大きいなあ。そんな子どうやって……いやなにをどうする訳じゃないけれど。ちょっといろいろ考えた。

 なんでさかなくんかというと、前に出ていたピクチャリウムっていうカードに描かれた絵を認識してアプリに取り込みスマートフォンのディスプレーから水槽みたいな中に反射させて映し出す玩具に、新たにさかなくんバージョンを出したからで、魚類にかけてはプロ中のプロともいえるさかなくんが描いた魚のカードが添えられていて、アプリに取り込むことができる。なおかつ前とは違って独自なコードが降ってあるようで、絵が大きくなったり魚群になって泳いだりといった演出も加えられている。コードがそうした動きを与えているっぽい。いろいろと考えるなあ。ピクチャリウム自体も結構面白い玩具だったけど、そうしたバージョンアップによってどんどんと深みを増していく。キャラクターに頼りつつ基本の面白さはしっかりと作っているところに玩具メーカーの意地ってのをみた感じ。

 あとはさかなくんがあしらわれた回転寿司作りの器機やコンベアも出るみたい。ってさかなくんは魚を食べるのか? そりゃあ食べますだいたい食べるそうで、それが魚に対する愛情ってことらしい。みんな魚を好きになろう、そしていっぱい食べようといった感じ。そこがやっぱりプロってことなんだろー。そんなタカラトミーのブースを離れて、チェコアニメの「アマールカ」関連のグッズを置いてあるブースで挨拶。いつか見たイジー・パルタ監督の「屋根裏のポムネンカ」のDVDは鋭意制作中とか。近く阿佐ヶ谷でも上映があるみたいなんで時間があれば見に行こう。そしてトーダンっていうカレンダーの会社のブースで「刀剣乱舞」の2017年版カレンダーを見物。2016年版もあってまずは刀を黒バックにしっかりと印刷し、脇にキャラクターを描いたパターンを今年も踏襲。単なるキャラものではなく、学術への興味も満たしてくれるカレンダーになっている。2016年版をは採用された刀も変えてあるんで、前のと重ねてちょっとした大判の刀図鑑として使えそう。10年続けて120振りを載せた刀百科事典になるくらいになれば良いかなあ。しまった2016年版を買っておくんだった。

 ここまで脳内の発酵が進んでいたとは。とある自称全国紙のニュースサイトが載せた記事がどうにも厄ネタっぽくてヤバさしか感じない。例の蓮舫さんに関する記事で、もう20年近く昔の雑誌の中で自分の国籍について発言していたよ、っていうツイッターでのコメントをそのまま引っ張る形で1本、記事を作って蓮舫議員に非難めいた言葉を浴びせている。でもちょっと待て。雑誌にそう書いてあるとしても、どういう文脈で書かれているかを調べるために、原本に当たるのがジャーナリズムってものだろう。新聞という機関がネットのバイラルなりまとめサイトなどと違う存在だと依って立つ正確性の確保だろう。それをすっ飛ばして噂話を取り上げそのまま報じる。もう無茶苦茶としか言い様がない。

 そんな無茶がそれが平気で行われるのも、蓮舫さんを貶められればそれで良いという姿勢がそこにあるから。自称全国紙が日頃から罵倒を浴びせているどこかの国がスローガンにしていた造反有理のマインドを、まるまる受け継ぐような無法の所業。早く誰か止めないと今ある毛筋ほどの信頼だって失いかねないんだけれど、それをなくしても目の前の支持者だけがいれば良いとでも思っているんだろうか。恐ろしいことに元ネタにされたツイッターがアカウントごと消えてしまい、そして流れて来た雑誌の記事の文脈は、日本で生まれ日本人の中、日本人といった雰囲気で育ったものの台湾国籍だったこともあって、中国語に興味があったんだといった過去話をしているように取れる。読めば了然のそんな事態を、読まないことで知らん顔して曲げて伝えて断定口調。どうして本人に直接聞こうとしないでツイートとテレビでのインタビューでまとめるのか。タメにする印象操作の記事だと言われて訴訟されたら勝てるのか。まあ負けても関係なんだろうけれど。名誉毀損で敗れてなお大出世を遂げる人がいる場所だから。やれやれだ。


【9月7日】 せっかくだからと録画してあった第1話から見返していった「クオリディア・コード」はなるほど、湾岸の上空を飛ぶ鳥がなぜか空中でパシュッと消える描写があって、あの地がどうやら普通ではないことを示唆している。あと入ってはいけない地域というのがあって、そこに行った者には首筋のチップに何か変化が起こるといったことも。そして出た者を狙ったように襲う敵らしき存在。それは本当に人類の敵なのか、っていったあたりがこれからの展開で明らかになっていくんだろう。それにしても管理官で眼鏡の巨乳の大國 真昼が退場させられてしまったのはちょっと残念。大人の魅力を1人で背負ってた人だったからなあ。あとは夕浪(能登かわいいよ能登)管理官か。でもちょっと色気が足りてない。はやく大人の世界と重なり魅力のある女性をいっぱい。でも次々に千葉の千種兄妹に殺されていくんだ。

 日本レコード協会からのリリースで、著作権が関連していそうな日本音楽著作権協会とか日本音楽出版協会といった団体がトップの名前で文化庁の京都移転に関連して、著作権関連の機能は東京に置いておいてくれと呼びかける声明を出したことを知る。政治の何かやってますよアピールで、消費者庁がまるで土地勘のない愛媛だか徳島だかに移転させられそうになったけれど、効果なんてまるでないとかいった話から立ち消えになったものの、文化庁はほら京都にはいっぱい文化財があるじゃないか伝統芸のうもあるし京都に行くのが良いんじゃね、って話のまま進んでいたりする。

 でも京都にある文化財は京都が都だった以前のもので、それ以降の明治大正昭和に生まれた文化は東京とかを中心にして大都市圏に集中していて,その管轄を京都で行う意味がちょっと分からない。まあでも今だって東京でやる意味が分からないと言われればそれまでで、だったら間を取って浜松にでも置いたらどうって話も浮かべたい気もするけれど、こと著作権に関する行政は、それを担う団体なり企業なりが首都圏に多く集中している関係で、やっぱり東京にあった方が合理的。なのに何も考えていない政府はそれでも京都に行こうと推し進める。これはタマランと声明を出すに至ったといったところか。

 クールジャパンとか言うならコンテンツの世界進出は不可欠で、そのためには著作権の管理と展開が絶対に必要。それらを担う事業体との連携も必要なのに、片翼が京都にあっては身動きもとれないという訳。なるほど確かに。あと上がっている話だと、そもそも著作権を担っている職員の数が少なくて、とてもじゃないけど機動的な著作権の管理や展開、把握がうまくいってない。企業の法務やJASRACのような団体におんぶしている状況で、国が主導して責任も担いながらのクールジャパン的活動なんで出来ないのに、看板をぶち上げ旗は振るだけの役所にそうした現場の苦労なんて見えてなかった感じ。そしていっしょに移転となって起こった反対の声にさてどうする。知ったことかと移転するんだろうなあ。それが政治。間抜けな国の。やれやれだ。

 美少女だけれどおどおどとしていて、職業はネクロマンサーで死体と骨が大好きというノルンが唯一のお友達だという、死体だけれど小指の骨から復活させられるジェシカさんと遊んでいたら、魔力が尽きて死体に戻ってしまったところをネクロマンサー嫌いの冒険者に骨を奪われ、涙ぐみながら歩いていてジェシカさんがいないとやだよーと哀しむ姿がとてもとても可愛いので、真代屋秀晃さんの「転職アサシンさん、闇ギルドへようこそ!」(電撃文庫、610円)は傑作だと認定したい。だって美少女が死体好きで困っているんだよ。そりゃあ助けたいと思うだろう。

 元賢者で、なぜかアサシンにジョブチェンジしてしまったユウトもやっぱりそう考えたみたい。というかそもそもあり得ないジョブチェンジが身に起こり、上げていたレベルも0にリセットされて、そこから這い上がろうにも嫌われ者のアサシンではどこのギルドにも入れてもらえなかったユウトにとって、他にすることなんてなかったというか。目つきは悪いけれどももとより性格は曲がっていなかったというか。やっぱり寂しかったんだろうなあ。ひとりでいるのが。

 そんなきっかけから闇の職業、ネクロマンサーにアサシンに魔獣使いとそして元聖職者なのに新しく加わってきた女性も含めた女の子ばかりのギルドに誘われたユウトは、矜持として断りながらも、そのギルドを仕切っていながら追い出された奴が、改めて攻めてきてギルドの建物を乗っ取り、ノルンたちを追い出して泣かせたことに怒り心頭、ネクロマンサーや魔獣使いやバーサーカーらを率い結構強い相手のところにカチ込みをかけてギルドの居場所を取り戻す。ここでもいじめられて泣きそうな子たちを見たらほおっておけなかったといった感じ。偉いなあ。それで賢者として成功したんだろう。でもアサシンとしては? 人を殺せないアサシンにレベルアップの道は。なさそうだけれどありそうな感じを手探りで進んでいくユウトの冒険が、楽しめるならこれから先の物語があっても良さそう。果たして。

 季が違っているから仕方が無いとは「獄門島」での和尚の弁だけれどもしかし、ズレた感性をフィクションの中に出てくる孤島での事件ではなく、公器でもって繰り出される言説に持ち込まれるとそれを信じて季の違いにいきり立つ人も出てくるから話は厄介。だからそうそうにちゃんとした人たちが、季の違いを言って正しい景色を見せないといけないんだけれど、そうした真っ当な動きが権力筋のプレッシャーによって押さえ込まれ、かき消されてしまうといったシチュエーションも一方にあったりして、かくして季の違った言説がじわじわと広がって世の中全体を季の乱れた雰囲気へと染めていく。なんという恐怖。でもそのことを問題にしたところで動かない世間はやがて前に見た以上の壮絶な玉砕へと突き進んでいくんだろう。

 っていうかいったいどういう了見なんだろう。国会議員として何期も務めたからには立派に日本人だと言える人の過去がどうなっていたかなんて関係ないし、手続き的にも当人がそうだと信じているなら信じてあげるのが情の行き交うこの国の姿。あるいは大和魂って奴なのに、苦手な相手をとことんまで追い詰めようとするライティーな感情が、ここぞとばかりにありもしない問題を問題化して大声を上げてわめきたてる。どうだって良いじゃんそんなこと。というかそれが問題になるなら与党の重鎮になった時にどうして問題視しなかった。する必要がなかったんだろうけれど、それを今になって騒ぎ立てるのは、それが対立する勢力に対するお土産になるから。いい顔が出来るから。だから競ってかき立てる。わめき立てる。どうにも品性といったものが伺えない所作。でもそれで偉くなれる場所がある。そんな場所がいつまでも続くはずがないのに。困ったなあ。本当に困った。


【9月6日】 「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」でケンブリッジ飛鳥さんとかが契約しているアンダーアーマーとコラボレーションするという話で、登場するヤマトクルーの1人で1番鍛えていそうな山本玲がアンダーアーマーのスーツを身に着けトレーニングに励むような展開が、作品の中で出てきそうな印象を持ったけれどもこれは本当なんだろうか。一種のプロダクトプレーイスメントとも言えるけれど、現実世界から遠い未来に現在あるブランドが存在するかといった世界観のズレが1つ気になるのと、それから半ばスポンサー的な存在になったアンダーアーマーが、一種の聖域になってしまわないのかといった不安が1つ、気になっていろいろと考えてしまう。

 だってこれでは山本玲をまっさきに退場させるわけにはいかないじゃん。アンダーアーマーを身に着け最強に鍛え上げたはずのキャラクターが真っ先に退場したら、それこそブランドに傷が付くし途中での退場だってやっぱりブランド的には嬉しくない。やっぱりここは古代進が散ろうと森雪が今度こそは永遠の眠りにつこうと、ヤマトが爆発して四散し宇宙の藻屑となろうと、ひとり山本玲は生き残って白色彗星帝国相手に単身で乗り込みステゴロでズォーダー大帝と殴り合いして勝利するしか道はない。でもそれはやっぱりおかしい。

 ましてや死んだはずの沖田十三艦長が、アンダーアーマーの全身スーツを身に着けたことによって血行が促進されて復活し、若返りすらしてはピチピチボディスーツ姿で艦首からパンチを放つと10万隻の敵艦隊が全滅するような展開が、あったら面白いけどあって良いはずがない。つまりは諸刃の剣ともいける実在ブランドとのコラボレーション。そのあたりを作品としてどのように消化していくか、ってところが今後の展開での見どころになるんだろうなあ。それをいうならヤマトだって戦艦大和の残滓を受け継ぐ存在で、最強であって欲しいところだけれど元が特攻の果てに沈没しているから、アニメの中で沈んでも誰も文句は言えないか。うん。

 会見ではケンブリッジ飛鳥さんが出演したいみたいなことを話していたけど、アニメーションなだけに声での出演しか出番はなさそう。でも誰の声をあててもやっぱりズレが生まれてしまう。そういった難しさをどうやって裁きながらお話をつくっていくのか。「宇宙戦艦ヤマト2199」とはまた違った興味が生まれてきた。むしろいっしょに登壇したKellyさんをそのままアニメ−所のキャラクターに直して登場さえてくれた方が目にも鮮やかかも。メルダ・ディッツよりも山本玲よりもスリムでスレンダーで長身で美人。古代君だってメロメロで森雪おかんむり。そんな明るい「愛の戦士たち」が見たい。というか愛に燃えてるキャラばかりが登場するって意味での「愛の戦士たち」にすれば良いとか。うん。

 最初は勢いでグンと伸びてアーリーアダプターがいっぱいついて盛り上がっているように見えても、途中で情報が減って関心も薄れて伸び悩んでは達成に至らないクラウドファンディングのひとつの形を見知っていると、1300万円というなかなかな高額の達成に向けて期間の半ばで半分達成したニッポン放送とCerevoとグッドスマイルカンパニーが手がけるラジオのクラウドファンディングが、ここから相当に苦しむかもしれないと思っていたらまるで逆。グッと勢いをましてはそこから1週間ほどで残り半分を埋めて達成してしまった。いったい何があったのか。どこかで露出があったのか。吉田尚記アナウンサーはいろいろなところに登場してはPRにも務めていたけど、それで届くとは限らない。メジャーな場所での喧伝があったか、届けなくちゃいけない層に情報が届いたか。その分析がこうしたデジタルガジェット系のクラウドファンディングの成否を占う上で意味を持ちそう。誰か調べてくれないかな。

 3冊目が出回り始めたんで「傷物語2 熱血編」を観に新宿へ。大きなスクリーンで上映しているところも少なくなって、このままでは羽川翼のあれは白い小三角を浴びるように観られる場所もなくなる可能性が高いんで、今のうちに行っておくのが吉というか絶対というか。そして見上げたそれは本当に素晴らしかったなあ。丸みもあって柔らかそうで。それこそ吶喊して顔を埋めたくなったけれどそこにあるのはただのスクリーン。だからやらない。いつか触覚まで再現できる映画が出来たら嬉しいかもしれない。でも匂いまで再現されたら。どんな匂いだろう羽川翼の白い大三角とそして小三角。良い匂いだろうなあ。絶対に。

 新宿に出たついでに四谷三丁目へと立ち寄って須賀神社へ。新海誠監督の「君の名は。」でメインビジュアルにもなっている、そして2人がすれ違いながら気付く重要なシーンの舞台になっている階段があって近景はそのまんまだったけれど、遠景に映画だと六本木ヒルズめいた建物が描かれていたんでてっきり南方面を向いているのかと思ったら逆方向の北側を向いていた。当然に遠景は違っていたけどそうすることで台地感が出て空間に広がりが生まれたからわざといじったのかもしれない。「言の葉の庭」でも新宿御苑の水辺と藤棚と東洋風の建物のカットを撮ろうとしても写真じゃ無理。そこは意図的に背景を配置できるアニメーションの強みってことで。しかしいっぱい人が来ていたなあ。頭にリボンをつけた子を撮影している人も居た。すっかり聖地。そういうパワーがある作品なんだなあ。また寄ろう。ついでに新宿御苑の四阿ものぞいてみるかなあ。

 観た「クオリディア・コード」が作画的にアレだったけどお話的にはものすごく、揺らぐ景色の向こう側にいったい何があるのか、そしてアンノウンなるものの正体はといった興味をかき立てられる。小説の方では先行して千葉に埼玉、そして東京の前日譚が描かれているけれど、悲惨な境遇にあって覚醒した子どもたちが戦う日々をラブコメチックな要素も絡めて描いてあって、シリアスな状況までは伝わってこない。ああやってキャラを立てて読者を集めたその先に、こうやってSF的な設定をぶつけてくるとはさすが3人の人気作家、発想になれ合いはない。そのせいでシナリオが遅れて作画が酷いことになっているなら問題だけれど、そういう理由かどうかは不明。ただ反響として、近年にない崩壊っぷりにも関わらず、お話の良さを褒める人が多いのもアニメーションであっても物語性の重要さは変わらないという事実を、教えてくれている気がする。でもやっぱり絵は直して欲しいなあ。千葉の妹が窓辺で動くと顔が膨らむとかマジありえないし。

 そしてサッカーの日本代表はワールドカップ2018ロシア大会のアジア最終予選でタイと戦い2対0でとりあえず勝利。2点しか取れないのっていう気もするけど、国内リーグも出来て組織化もすすんでいる相手にやっぱり勝利するのはなかなか困難。何しろ最終予選にまで出てきているチームで、そこを相手に彼らの地元で戦って勝利できたのなら万々歳といったところだろー。とはいえこれでUAE戦での問題が覆い隠された訳でもなく、守備の問題は顕在化しなかっただけで残っているし攻撃はやっぱりサイドが使えず使えても正確性にかけ高さもないので点にはならない。浅野選手のスピードで勝ててもそれは“戦術・浅野”でしかなくて予選は抜けても本戦では。そんな余裕はないとはいえ、ここで再検討しておかないと次の次のワールドカップは本当に、出られない覚悟をしておく必要がありそう。ってどこで開催だっけ、カタールか。暑くて行かなくて正解とか言い出しそう。


【9月5日】 そして週末の映画興行ランキングで新海誠監督の「君の名は。」が2週連続で観客動員のトップに。1週目は封切り時だけあって当然にお客さんは詰めかけただろうけれど、そこで評判が落ちるどころかますます乗っかり平日でも夕方から夜にかけての劇場がほぼほぼ満席になる賑わいぶり。勢いを受ける形で2週目の週末も動員を落とさずむしろ増やしたって印象で、2週連続のトップをおそらくはぶっちぎりで確保した模様。それはそれとして2位が前週の3位から「シン・ゴジラ」が返り咲いていることも驚きで、こちらは公開から1カ月以上が経っているにも関わらず、そして夏休みが終わっての週末にもかかわらず動員数を伸ばした。

 売上だとIMAX版の上映で1人当たりの単価を稼いでいたから上に来ても不思議はない。でもこれは動員数だからちゃんとお客さんが詰めかけているってことになるんだろう。最初はシリアスに見せて日本の政治や社会について考える作品としてしかめっ面で見る人を引き寄せ、そして発声可能上映会とか女性限定上映会といったものを開いて騒いで叫んで見て良い映画だといった印象へとスライドさせ、男性に限らず女性のファンも呼び寄せるにようになってそしてゴジラの第2形態、通称“蒲田くん”の愛らしさとか尾頭さんのキューティーさでキャラ萌え系のファンも呼び寄せ動員をここに来ても落とさない状況を生み出した。

 宣伝が上手いのかズラして楽しみどころを見つけていくファンが偉いのか。それは分からないけれど、今後も親子で楽しむような環境を作ったり政治情勢がまた賑わってそっち方面からの検討が必要な雰囲気が立ちあがったりといった変化をバックに、これからも動員を維持していくことになりそう。戻って「君の名は。」はもう中高生が押し寄せて見なくちゃいけない映画化しているんで、週末ごとに動員を確保してしばらくはランキング上位を走りそう。1度見て分からないけど感動して、もう1度見て今度は分かって泣いてみたいというリピーターもいそうだし。最終的に「シン・ゴジラ」は80億円くらいいくのかなあ。でもって「君の名は。」は今んところ40億円で低くて80億円、爆発すれば100億円超えだってあったりするかも。新海誠監督で100億円。細田守監督でも届かない数字をたたき出してはもう、近寄って挨拶もできなくなりそうだなあ。それもまた僥倖。戦った人が凄くなる。そうでない僕は下から見上げてほほえむのみ。それで良いのだ。

 問わず語りに語られたことを忖度して、そうして差し上げることによって総体としてまるく収まるようなことこそが、和をもって貴しとなすこの国にふさわしい政治の姿なのかもしれないけれども、それが自分達の権能を縛られることになるとでも思ったんだろうか安倍政権は、天皇陛下による譲位への関心についてそれを恒久的に可能にするような法律の整備を先送りにして、とりあえず今の天皇陛下が譲位できるような枠組みだけを作ってそれで体面を整えようとしているみたい。自分たち以上にして以外の存在から何かさせられるような状況には、絶対にしたくないとでも考えているんだろうか。そんな気がしてならない。

 国民主権で天皇陛下の政治的発言が禁じられている状況で、問わず語りの忖度でもそのお気持ちをかなえる方向で動けば、それが政治的発言だと捉えてキーキー言うのは天皇制を認めていない極左の集団だけかと思っていたら、保守を標榜して美しい国がどうとか言っている人たちが、その象徴のご意向に沿わない形で何かを成そうとしている。それで保守なんだろうか。違うか保守というおyりは保身の集団。だから自分たちの思いや願いを優先する、といった感じになるのだろうか。そんな意向を真っ先にご用新聞が記事にして後追いも出てきて、政権への平目ぶりも見え隠れ。一方で皇室のご意向を忖度した報道をして来たNHKは特別措置法による対応についてどう報じるだろう。ご意向に背くものといったニュアンスを流してくるだろうか。そこが目下の注目点。でもやっぱり政治に負けて日和るかなあ、やっぱり。国会に予算を握られているだけに。嗚呼。

 「宇宙戦艦ヤマト」が帰ってくる、っていうのはすでに「宇宙戦艦ヤマト2202」ってのが作られるって発表されて周知となっているけれど、それがどういう内容なのかは今だ判然としなかった中でようやく発表会が。その名も「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」となってやっぱりあの「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のリメイクになるんだろうかといった予想が濃さを増す。1978年に封切りされるやその悲惨かつ悲壮な展開に見る人たちが戦慄し、どれだけ戦ってもかないそうもない相手に挑んでいっては最後に捨て身の特攻を食らわせどうにか相手を退けるという、涙なくしては見られないストーリーが繰り出されて大勢の悲しみを誘った。そして熱狂も。21億円の配給収入はその年2番目。アニメーション市場に残る作品となったっけ。

 とはいえ一方で、自己犠牲の過ぎる展開に批判も起こった内容を、この現代に再び描いて果たして同意は得られるか、ってあたりが難しいところで、脚本を手がける福井晴敏さんもそおあたりはいろいろと考えるところがあったみたい。発表会でも当時の空気の中で求められた展開を今、同じようにやったところで支持は得られないんじゃないかといった話をしていて、今なら今の空気感にあったものにするようなことを話していた。じゃあそれがどういうものになるのか、全滅ではなく希望を残して未来を感じられるものにするのか、といった当たりが気になるところ。一方で全滅とはならなかったテレビシリーズ「宇宙戦艦ヤマト2」ってのもあったりする状況で、どちらに寄せた話になるのか。そこが目下の関心事だろう。

 いずれにしても来年の2月25日になれば第一章の上映も始まり、展開も見えてくる、っていうか映画だと2時間ちょいの「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を第七章まである映画にできるのか、ってのがそもそもの疑問だけれど、それはつまりは映画をまんまリメイクするんじゃなく、テレビシリーズとしての「宇宙戦艦ヤマト2」も織り交ぜた話にするってことなんだろー。問題は僕が「宇宙戦艦ヤマト2」のストーリーをほとんど知らないことか。途中までは見てたんだけれどなあ。覚えてないんだよなあ。タイトルロゴも「宇宙戦艦やまと2202」の最後の「2」の字だけ大きかったりするのは「宇宙戦艦ヤマト2」へのオマージュもあるって意思表示なのかも。それならそれで当時見ていなかった「宇宙戦艦ヤマト2」が、どんな話だったかを振り返る意味で、今度の新作を見ていくことが出来そう。また劇場通いの日々が始まる。2月25日はちょっと寒そうだけれど。

 もしかしたらヤバい展開になるかもしれないと、初日の開幕早々にのぞいてきた牧田恵実さんというアーティストによる個展「へんたいですがなにか」だったけれどもなるほど屹立する男性のアレがチョモランマと重なっていたり、タマネギに議せられた女性のソレがマッターホルンの前に据え置かれていたりして、大陸を挟んで男性と女性の象徴が存在するようなビジョンってやつを突きつけられて目がクラクラとしてきた。ある意味で神々しくある意味で通俗。その両方を取り入れながらも精緻な筆致で描かれた作品はパッと見でシュールレアリスムのような幻想性を醸し出す。マグリット的というか。ダリ的でもあるというか。バオバブの木に模された男性のソレとかもあったりして、土台となる絵の精緻さに溶け込んだその異形が猥褻性を通り越したフォルムの美といったものを感じさせる。面白いアーティスト。素っ裸にペインティングを施されて踊る映像も公開中。怪奇の終わりまでちゃんと続けられるかな。また見に行こう。


【9月4日】 安保法案についていろいろと語っているにもかかわらず、最後に繰り出した国籍がどうとかいった話を見出しに取って、何を言ったかを気にさせないようにしていたり、やっぱりいろいろと都政について話していながらも、映画「シン・ゴジラ」に出演していたという話で、それも防災意識に関しての本筋ではなく感想めいた話を見出しに持ってきて、政策面で何を言ったかを気に止めさせないようにしたりしている新聞社系ニュースサイトの、アクセス稼ぎたい病に辟易とさせられ、そんな羊頭狗肉みたいなことをやっていたら読む人も衝動的な人に限られて、本来の長く読んでくれそうな人を排除するだけだよって言ってやりたくなるけれど、言ったところで無駄なのは分かっているから黙っている。

 でもってそんな「シン・ゴジラ」について語った小池百合子東京都知事の質疑応答が、ネットの方に上がっていて、読んだけれどやっぱりちょっと意味が分からないというか。「ちなみに、庵野監督に、『是非、電線をゴジラが取るのはやめてほしい』と言ったら、『いや、あれはゴジラの大好物ですからとれません』という話でございました」って部分で、小池都知事はどうして電線に話を持ち出したのか。? 「シン・ゴジラ」には別にそういった場面はないから、まだ撮っている最中に過去、どこかで見たゴジラのシーンで電線なんかにゴジラが絡んでいる場目を思い出し、ああいったシーンが市民生活なりにもたらす影響を考え尋ねてみたってことなのかもしれない。

 でもって庵野監督が、ゴジラと電線の関係から答えたんだけれどそこで「とれません」と言ったのは、そういう場面があっても取り去ることはできないって文脈的にはなるんだろーか。電線は取らせませんということだったのだろーか。真相は不明。いずれにしてもよく分からないやりとりだけれど、そういう部分もちゃんと文字に起こしてサイトに掲載しているところは小池都知事、安心できるかも知れない。どこかの総理は国会での言い間違いを削ったり直したりしているから。ちなみに会見では「災いというのは想定外のものも起こる、ゴジラを含めて、だと考えておりますので、そういった想定外への対応をするのが私は最大の防災だと思います」と話しているからいつ何時、ゴジラが来ても東京都的には対応してくれることだろう。

 映画では国が防衛出動するまでの逡巡が描かれ、その必要性が云々されてもいて、防衛大臣の経験がある石破茂さんなんかが担ぎ出されて、治安出動でも良かったんじゃないか、なんて話をさせられているけれど、映画の中の東京都知事は国に先んじて治安出動を要請しようとしていた訳で、そうした意見が外から出て、だったら国としてそれに従うんじゃなく、もっとデカいので行こうとなって、総理大臣が顕現を発揮できるような防衛出動に切り替えた、って見ることも出来るんじゃなかろーか。対応のための制度はちゃんとあって、あとはどれを選ぶかだけの話。そう考えると別に自衛隊を何かが縛っているとかいった話にして、だから改憲だなんだと訴えるプロパガンダめいた映画なんかじゃないってことも言えそう。そのあたり、どういう議論があったなろう。分厚い本に書いてあるのかな。

 せっかくだからとあいちトリエンナーレ2016の昨日は見られなかった栄会場と長者町会場、それから名古屋市美術館会場をぐるりと回るたびへ。まずは明治屋が入っていた栄のビルに入っていろいろと見物。そうか中はそんな風になっていたのか。上の方だとガラス張りの部屋があってそこにバーがついていたから、バレエのレッスン場か何かになっていただろう部屋があったり、クラシカルな壁になっていたりとなかなかの見物。でもいずれ壊してしまうと思うと寂しいというか、名古屋市でも有数の繁華街でこうして閉鎖から即再開発とは行かない状況があるといった感じは、景気が良いといわれている地域でもそれないに大変かもっていった印象を醸し出す。

 それは長者町の会場とかも同様で、前は中部電力か何かの変電所跡めいたビルを使っていたけれど、それも取り壊しとなった今回は別の繊維問屋か何かのビルの中を使って展示をしてた。その状況から見るにいずれは再開発となる感じ。日曜日だから閑散としていたとはいえ平日なら仕事をしている人も多い繊維問屋街。でもやっぱりビルはどんどんと閉鎖されていく。繊維が今さら日本の産業になり得ないのも分かるし、ファストファッション全盛に細かい繊維製品の取引が受けないってのも分からないでもないけれど、そういう状況が良くならず、そして開いたビルがこうしてアートの拠点として使われ愛知県の文化事情を底上げすることを、須直に喜んで良いのかそれとも経済の停滞と裏腹だからと哀しむべきなのか。そういうことも含めて考えさせれるアート展になっている。らくだのシャツの成り立ちとか、繊維街と中部財界の栄枯盛衰を語った偽史的作品だったし。

 あとは沖縄なりへの視線か。長者町の方に出ていた作品だとアメリカの軍人さんの顔が映し出されては嘉手納とかいった基地の名前が表示される映像作品があったり、3面のスクリーンの1枚に何か待避壕に入って首から上を出して恐怖に戦く顔をしている人間を撮りつつ、両脇で古いニュース映像かそれとも記録映像の戦闘シーンを映して、悲惨な戦争って感じを出している作品があったり。戦争関連の方は、米軍が壕に向かって火炎放射器を放っている場面があったから、あれはやっぱり沖縄戦だろう。そうした直接的な基地の島、あるいは戦場としての沖縄を描きつつ一方で、日本の本土から離れた場所にある前線であり尖端としての沖縄なり北海道といった地域を表現する作品もあった。

 北海道の土と沖縄の土を並べてそれがケージに入っている作品は、そうした2つの地域が本土から隔離され搾取されているってことを表したものなんだろー。沖縄の海とオホーツクの海、そして南シナ海とか各地の海を映した映像も、海へと開けて繋がっている地域への関心を誘おうとしたものだろーし。しかし北海道と沖縄を並べるて語っているというところに、両地が未だに開発担当大臣を必要とするくらいに苦労している場所だっていう状況も垣間見える。とはいえ沖縄は、基地があってそれへの反対運動があって、中国や台湾、フィリピンといった地域とも近くて東シナ海経済圏の中心として発展していく可能性が伺える。そお一方で、北海道の方がむしろ日本のひとつだという安心感に紛れつつ、だんだんと衰滅していっているような気がしないでもない。

 先の豪雨で鉄道網とか道路網とかに影響が出たみたいだけれど、その鉄道網がかつてのようにJRによってくまなく結ばれ、乗りさえすればいつか着けるような地域ではなくなっている。札幌から網走へ、そして十勝へ、帯広へといった感じにぐるりと回っていけた学生時代とは様相が一変している感じ。いったいどうやって札幌から網走へと列車で向かい、そこから北海道を一周するのかが浮かばない。でもそれをJRは経済を理由にやってしまう。人の流れを断ち切って文化の移動も及ばなくしてしまう。一体感を失い分断された地域はだんだんと活気を失っていくだろう。

 そこに入り込んでくる北からの誘い。豊富なマネーをバックに開発の声をかけられ、なおかつ北方領土問題の表向きの解消という餌をちらつかされた時に政権はどんな態度を取るのか。領土は回復したけど商権は売り渡されていた、なんてことがないようにしたいけれど、それすらも今の安倍ちゃん大好きメディアと取り巻きは平気で応援するからなあ。現に沖縄が、地元の人たちが窮状に耐えきれず声を張り上げどうにかしたいと叫んでも、本土にいて安倍ちゃんを支えるメディアや支持者たちは、お上の方針に逆らうのかこの者どもはといた態度で罵倒する。北海道がいつそうならないとも限らないと思うとこうして、沖縄と手を携えて国の両端にある地域として、現状を認め将来を考えさせるような作品があって良いのかも。本来やるべきジャーナリズムではなく、アートが後押ししているという状況はやっぱりひとつの行き詰まりを感じさせるけれど。アートで社会を変えられるのか。正念場かも。


【9月3日】 キャベツの名産地として出てくる群馬県の嬬恋村と、ちょっとだけ重なっていた時期もあったけれどもポプコンから出てきた音楽をちゃんと聴くようになってポプコンが行われている会場だってことで調べるようになって、静岡県の掛川市にあってポプコンを実施していたヤマハが運営しているリゾートだと理解したヤマハつま恋リゾートが、慌ただしくも年内をもって営業終了するとかで掛川市あたりでは大騒ぎ。スポーツ施設があってホテルもあってリオデジャネイロ五輪とか、その前年のラグビーワールドカップとかで来日した外国チームが練習する場所として使って欲しいと思っていただけに、目先で油揚げをお預けどころか捨てられたって感じだろう。

 企業にとっては年間で何億円も赤字が出る施設をこれ以上、運営するわけには行かないというのはコンプライアンス的にも当然のことで、だったら潰すか譲るしかないんだけれどこういう施設は得てして半ば公共財にもなっていて、そこを中心に経済とか文化も回っていることがあるだけに、企業のフトコロ事情だけで決定して良いのかどうか迷うところ。それも残り4カ月での閉鎖はやっぱり急すぎる。雇用だってどうするんだって話にもなるし、来年の行事だって内々では動いていただろうからその代替地探しも面倒になる。せめてあと半年、閉鎖を延期して欲しいっていうのが心情だろう。

 ただ、だからといって行政が閉鎖まかりならん、ヤマハけしからんというのもお門違いで、自分達がそれだけの投資をしてこなかったツケが回ったともいえる。企業が運営できないものを行政が肩代わりできるとも思えないけれど、魅力のある施設なら担ってくれる企業もあるだろう。掛川市も参画した第三セクターとか立ちあげ買い上げ運営を指定管理者に任せるとかいった方策が取れればベストなんだけれど。でもやっぱり難しいかなあ、ポプコンやったり企業研修に使ったりするくらいしか使い道、ないみたいだし。リゾート化するにも御前崎とか浜岡砂丘とかを観光地に汲む込むにはちょっと交通的に不便だし。ご当地漫画から題材をとって、ぬぽぽんとした生き物が跋扈して、女子高生がふんどし姿で歩いている粟岳ランドにするとか。それ何だって話になるかなあ。

 流行り出すとあれやこれや尋ねてくるメディアとかがあるけれど、そこでメディアの求めに応じた文脈でスラスラと言える人が勝ち残っていくのが評論の世界なんだろうなあ。今日も今日とて新海誠監督の作品「君の名は。」について記事が出ていて「ヒットの要因について、映画批評家の前田有一氏は『大まかなプロット(構想)の出来の良さがひとつにある。とっぴなストーリーではなく、大林宣彦監督の[転校生](82年)を彷彿とさせるノスタルジックな内容が多くの観客の心に響いたのではないでしょうか」だなんて書かれている。いやいや中高生は「転校生」なんて知らないって。それでも見に行くのはひとつに惹かれ合うけどすれ違う少年少女の姿に自分達が重なるって感じたからじゃないのか。

 あとはやっぱり「言の葉の庭」から「クロスロード」を経て出会い重なり合って繋がる男女のストーリーに共感を抱く人がいっぱい増えていたから。そこにこれだの面白さを持った作品が来たんだから行くしかない、声も神木隆之介さんだしっていった要因が普通だったら浮かぶだろう。というか前田有一さん、いつもここん家に出てくるよなあ。もちろん語れる映画の時は語れるし面白いことも言うけれど、特撮からアニメーションから何から何まで引っ張り出しているのはどうにも。新海誠さんっていう監督の位置づけをその経歴からちゃんと捉えて言えているのかに不安が浮かぶ。

 だいいち「“第2の細田守監督”として注目されていました」ってどいうことだ。「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーmう」の時だって「ハウルの動く城」の降板時だって世間はたぶん、細田守監督という人についてそれほど知らなかったし、気にもしなかっただろう。むしろ2002年春に新海誠監督が「ほしのこえ」で出てきた時の方が、しょの作り方、その描かれたものにたいする評判は多くて衝撃も与えた。第2にどうこうではなく第1の新海誠が誕生して、そこから次にどんなインディペンデントのアニメーション作家が出てくるかってことに注目が向かったのに、いつの間にか細田守監督に続く才能ってことにされている。

 せめて同じ時代を併走し、それどれの得意分野で活躍してきた人だと言えば良いのに。でもそうしないのは「第2の宮崎駿」であるところの細田守監督の後を襲う人材と言った方が世間も分かりやすいと考え、そして記者自体がそういう風でしか理解できなかったんだろう。「長らくジブリの独り勝ちだった日本のアニメ界」って言葉もそういう認識の方が世間に、というよりメディア的に通りが良いからで、実際のところ1作の興行成績はすごくても、トータルではそんなに稼いでいる感じでは無かった。それこそコンスタントに稼ぐコナンにドラえもんの方がアニメ映画を背負って立ってたとも言えるし。まあ言ってることの意味は分かるしメディア的な文脈だとそう言った方が通りが良い気もするけれど、そうやってまるめられた簡単な言説が定着して正史化されていくとなると、ちょっともやもやするのだった。頑張らねばメディア。

 気がつくとあいちトリエンナーレ2016で3日に山村浩二さんの新作『サティの「派ラード」』の上映があったんで名古屋に到着してあいちトリエンナーレの愛知県立美術館においてある分をざっと見てから上映会場へ。トリエンナーレでは割とお上品な作品があつまる会場だけに見て驚きといった感じはなかったけれど、1点、オスカー・ムリョーリョのFrequenciesというプロジェクトが興味深かった。世界各国の子どもの机に布を置き自由に何でも描いてもらうだけど地域性、国民性が結構出る。アフリカのケニアだと画材が限られるのか青いペンがメインで屋外らしくキャンバスが茶色くなる。インドのムンバイはドラえもんがいてなぜかパオパオの上に乗っている。しずかちゃんもいた。子どもの関心事が垣間見える。本当に自由自在。ほつれたところを編む子もいたとか。面白いなあ。日本だと自由という言葉が逆にルールになってあれやっていいのかどうか、決められないから誰かが導くといった感じになるらしい。それもまた国民性か。

 さて山村さんの新作は、エリック・サティのジムノペディではない音楽に乗っていろいろなキャラクター動き変幻するといった作品。静謐で哲学的でもあった「マイブリッジの糸」と比べてミュージカル感が強いというか、楽しいけれどもじっと見入って考え込むところがない分、あとに引きずらないというか。そんな中にもメタモルフォーゼの着想なんかが交えられてて山村さんらしさもちゃんとあった。広島アインメーションフェスティバルで優秀賞受賞なのも分かるかな。一緒に上映のジョルジュ・シュヴィッツゲベル「魔王」もやっぱり音楽で、シューベルトの「魔王」に乗って描かれる少年と父親と悪魔の入れ替わり。こちらはそんな変幻が面白かった。あと1本はアニエス・ヴァルダのキューバで撮られた写真をつないでナレーションと音楽をつけた「キューバのみなさん、こんにちわ」。絵でも重ねれば動いて見えるというか。3作とも音楽と関わりのある作品。揃えたのかな。

 そしてとてつもないニュースが。「週刊少年ジャンプ」で40年にわたって連載されて来た秋本治さんによる漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が9月17日発売号で連載終了とか。開始号も重なってちょうど40年を休載もなく突っ走り続けたその筆力に驚くとともに、最後までテンションが落ちず面白いままだったとう驚きも含めて、日本の歴史始まって以来の漫画だったと言っても言い過ぎではないだろう。ってことは神武以来? でも同じ神武以来の天才と呼ばれた将棋の加藤一二三九段がプロになった14歳7カ月っていう年齢を、ついに追い抜いて14歳2カ月でプロ入りを決めた藤井聡太さんという人が出た。歴史は追い抜かれるならいずか、40年以上を連載し続ける漫画が出てきても不思議はない。これまでの労に感謝しお礼を言いながらも次の漫画よいでよと叫ぼう。それは私と「ガラスの仮面」は言った。まあ続いているだけなら長いもんなあ「こち亀」なみに。そしてあと10年は続きそうだし。


【9月2日】 声優の櫻井智さんが引退を発表したとの報。声が出なくなったとうのはやっぱり声を使うお仕事としては致命的で、それで引退ということだけれど44歳という年齢から見ればまだまだ若く、張りこそ衰えても深みは出せるようになっていても不思議はないのに、そういう方面も含めて仕事から身を引くということは、やっぱり声自体に満足がいっていないんだろう。残念だけれど仕方がない。丹下桜さんも一時、声優業から身を引いていた時期があったけれどもその頃は、シンガーとして活動していたから現役は続いていた。櫻井智さんの場合はそれとも違いそう。もう聞こえなくなると思うと寂しいけれど、ここはいったん時間をおいて、喉の調子と仕事への思いを取り戻すのを見守るのが良いのかも。今までありがとうございました。

 小林立さんのマンガ「咲−Saki−」がいよいよ実写ドラマ化だそうで、世間的にはノーパンみたいだったり胸がもろはだだったりするキャラクターたちをいったい誰がどう演じるか、って方面で興味をかき立てられている様子。咲に並ぶメインキャラクターの原村和ちゃんだってあの胸を再現するのは並大抵のことではいかない。いったい誰が演じるのか。抱えられるぬいぐるみ役をゲットするのは誰なのか。いろいろ気になる今後の情報だけれどそれにしても、紹介される記事で「熱血スポ根漫画」とあるのには笑ったというか。スポーツなのか麻雀は。なるほどe−sportsとして思考ゲームをスポーツの範疇に入れる動きはあるけれど、真正面からスポーツと言い切ったのにはちょっと驚き。これなら将棋だって思考ゲームのスポーツで、「三月のライオン」も青春スポーツ漫画と紹介するのかどうなのか。「ハチワンダイバー」は……スポーツだったからこれは良し。

 サーバーは借りているしコンテンツの配信にも協力してもらっているけどリテラはサイゾーとは資本関係がないんだよ、っていった説明自体に間違いは無いし一緒くたに考えられて右手と左手でバランスをとってるだけだろうって批判に釘を刺すのも悪いことではない。ただ一方で、それなら独自に出している記事のどれだけが真っ当に足を使って取材をして、真実に迫りタブーを暴いているのかといったジャーナリズムの根本に立ち返った時に、ネットにある報道とか情報をくるりと束ねて感想をつけるというか、もともと政治的に言いたそうなことにそぐう話をポジティブならそのまま使いネガティブなら批判の材料としてぶっ叩く、といった記事の多さはどうしたものか案件。

 SMAP関連報道みたいに記者が周囲を回って情報を集めるなり、他が出せない話を頑張って出すなりといったことをしていれば良いんだけれど、ごく一部だったりするんだよなあ。だから同情も向かわないといったところ。尾崎豊さんの息子が二世といわれ続けることから抜け出した、って記事も読むと著作からの引用がほとんどで、あと無関係だけれど同じ二世の寺島しのぶさんが会見で言った話を添えているだけ。書評、と言えば言えるけれどもジャーナリズムかとうとちょと違う。もしもリテラが反権力ジャーナリズムの牙城だった「噂の眞相」の流れを汲むと改めて表明したなら、政治でも社会でも文化でもタブーに切り込み返り血を浴びるくらいの記事を書いて欲しい。それなら読みたい。そういうや最近、分断記事とか少なくないかとも思うし。どーしたリテラ。やっぱり足腰が保たないのかなあ、ネットからの上がりだと。

 やらないからハドソンが。とはいえハドソンという会社はすでになくブランドとしても引き継がれているかどうなのか。IPは買収したコナミが持っていてそこが出すかどうかの決定をしてそして、出ないとなった「桃太郎電鉄」が何と任天堂から復活して「桃太郎電鉄2017」としてニンテンドー3DS向けにリリースされる。ってことはコナミがIPを売ったのか、って話はなるけど権利的にはまだコナミが持っているみたいで、ライセンスを任天堂に供与したってことになる。あるいは制作している会社か何か。売れてもだから一定料率はコナミに行ってしまう訳で、そこまでして今さら「桃太郎電鉄2017」を出す意味があるのかって判断になる。

 そしてある程度は売れると踏んでいる制作側がいて、権利を出すだけでお金が入ってくるならと判断したコナミがいて、お互いの利益が一致したってことなんだろー。IPをまるまる買い取るよりもそれぞれに儲かるというか。これが成功したなら例えば、コナミで持っているけれども続いていないIPを、どこかに貸し出して復活させるって動きも増えてくるのかな。希望としてはやっぱり「ラブプラス」であり「ときめきメモリアルGirlsSide」で、手がけていた内田明理プロデューサーがユークスに移籍した時も、許可が下りればやってもって話してた。まんま携帯型ゲーム機向けじゃなくてもスマートフォン向けなんかに出してくれれば嬉しいんだけれど。どうかなあ。

 できたのが2003年ってことだからかれこれ13年も前になるのか「自由が丘スイーツフォレスト」。ナムコがまだフードテーマパークをあちらこちらに作っていた時期に、スイーツでも何かってことで立ちあげたものだけれども船橋のパン屋ストリートがなくなり全国各地も縮小されていくなかで、ナンジャタウンの餃子とそして自由が丘のスイーツだけが残ったって感じ。シーズンを問わない自由が丘っていう風土にピッタリマッチしていたんだろうなあ。そんな「自由が丘スイーツフォレスト」の真向かいに新しく「なぞともCafe」が登場、すでに歌舞伎町とか渋谷なんかで運営されている施設だけれど、広がるリアル系なぞときゲームの並みに乗ったかスイーツを楽しむ人とそうでない人のために作られたってことらいし。

 ほかがちょっぴりおどろおどろしい雰囲気の、シャーロック・ホームズでも出てきそうな内装に整えられているのと比べると、スイーツがそばにあるだけあって明るくておしゃれな感じ。でおそんな中に骸骨とかが転がっていたりするのは明るいホラーハウスといった面持ちでもあってなかなか楽しい。部屋は6つあってプラス3分で解けるというキューブに入らない謎解きがあって、これならと挑戦したけど最初のヒントを解読するのに時間がかかって最後までたどり着けなかった。残念。慣れてくれば出てくるヒントから何をするのかが条件反射的に分かるんだろうけれど、他で挑戦した謎のことごとくに失敗している身としてはやっぱり訓練が足りなかった。次こそは、って他でも次をやったことがないんだよなあ。スイーツを嗜む友人と尋ねてみようか。そんな友人なんていねえ。そもそも友人が……。泣かない。

 戻って大崎でサンリオエキスポ2016へ。「SHOW BY ROCK!!」の第2期がスタートするって発表があって見てきたけれどもいきなりダークな雰囲気のPVを見せられて、どこまでも陽気で楽しいバンドバトルだったはずのアニメがいったいどうしたって気になった。これは見なくては。でも興味深かったのはあの「おそ松さん」とサンリオキャラクターたちとのコラボレーション。モテないのは自分達がモテないキャラだからだ、女の子が大好きなキャラになればモテるはずだっていう意味からサンリオの人気キャラクターと組み合わさるって感じだけれどもそれでいったいモテる姿になるのか。おそ松がハローキティになったところで鬱陶しそうだし、十四松がポムポムプリンになったら可愛いにアホが移って誰も近寄らなくなる。そんな組み合わせが生み出すのはカオスがそれとも新次元か。ちょっと注目したい。


【9月1日】 ブロードバンド環境にないんでまったく恩恵は得られていないんだけれど、動画配信サービスなんかの内外での浸透は確実に進んでいる模様。9月1日に発刊されたデジタルコンテンツ協会がまとめた「デジタルコンテンツ白書2016」ではそのあたり、毎年のトピック的な事柄に関してリポートを掲載しているコーナーで、メディアコンサルタントの境治さんが「映像コンテンツビジネスのパラダイムシフト」というタイトルで、スマートフォンやネット動画サービスの台頭について触れている。

 ここで境さんは、テレビの視聴率は暫現傾向にあるが、瞬発的なリーチ力はまだ高く、ネットとの相乗作用によって影響力を発揮できるといった見方を示し、視聴率では把握できなかったテレビメディアの価値を明確にする必要性を訴えている。テレビを見ながら実況をしてそれで番組への関心が高まるといったベクトル。翌日の学校での会話がリアルタイムになったって訳だけれど、それだと見ながら突っ込める内容になっていないと、誰も見ようとしてくれないから迷うところ。品質を突きつめたいのにそれを落としてまで番組を作れるか。ネット時代って結構厄介。

 あと“黒船”と話題になったNetflixについても言及していて、フジテレビが作った「テラスハウス」とか、芥川賞作品を原作に下「火花」といった番組が作られて評判になることで、これまでテレビだからといった考えだった制作会社や役者さんたちが「ネットでも予算をかけてよいし、よい役者に出てもらえる」って空気が、日本に生まれつつあると見ている。そしてより発展していくために、Netflixやhuluやニコニコ生放送に限らず、定額制動画配信サービスの発展は、オリジナルコンテンツの拡充が鍵を握っていると指摘している。

 そんなリポートのまとめとして境さんは、映像コンテンツはボーダーレス化が進んでおり、テレビと映画とで作り手が相互に交流し、作っているものも「映画かテレビかネットコンテンツを分類することに意味がなくなりつつある」とも指摘している。またテレビ局や芸能事務所が制作してNetflixやhuluといった海外から来た動画配信プラットフォームで配信されるような状況が生まれて、もはや「『どこが作ったか」が曖昧になってきている」とも書いている。

 さらにNetflixが「火花」や「シドニアの騎士」といった作品を海外に提供し、好評を得ていることを挙げて「国境のボーダーレス化」も進んでいるという。ただし、日本のコンテンツホルダーが、商慣行からか海外に放送権は販売してもいっしょに配信権は売らないといって、「だったら買わないとあっさり引かれてしまう」ことがあったという。配信権まで手放したくない、握っていたという思いからなのか、別にウリ先が決まっているからなのかは分からないけれど、効率的に仕事をしたい海外には面倒な話だろう。

 こんな状況が続く由では「海外市場から相手にされなくなってしまいかねない」と不安視してる。「映像産業を取り巻く常識を、世界市場でコンテンツを流通させるために変えていかねば、ほんとうに世界から取り残されかねない。業界全体を巻き込んだ議論が必要な時期に、さしかかっていると思う」。なかなかの警句。だけど聞いてくれるかなあ、日本の映像産業、とりわけテレビと芸能事務所は。アニメーションは権利をクリアしてやっているけど、なあなあでずぶずぶの中で作るのになれ地得るからなあ。どうなることか。

 酷い話もあったもので、NHKが相対的貧困にある女の子を取り上げた番組にいろいろと疑問点があるって話を書いたネットメディアがあって、NHKに質問をして回答も得てそれを添えたってあるんだけれど実際には誰もNHKには質問もしておらず、だから回答も得られていなくってまるっきりの捏造だったことが判明。いつか田中康夫さんが長野県知事だった時に、囲みか何かのメモを勝手に捏造した新聞記者がいて、それを上げたら記事になって大騒ぎになって解雇されたことがあったっけ。

 つまりはそれくらいの大変なことなんだけれど、脇が甘いのかそうした処分についてあんまり聞こえてこない。ネットメディアだって波及の勢いでは紙に勝るし、信用を失えば読者も離れてしまうのは紙と同じ。最低限の事実関係だけは抑えておく必要があるにも関わらず、間違いもあるさといった態度でスルーしてしまうとこれは他のネットメディアもそういうものかと思われかねないんで、ここは追究もして信頼性が最低限、担保できるような状況を皆で作り出す必要があるんじゃなかろーか。

 とはいえそうした糾弾に先陣に立つべき新聞みたいなメディアが過去、訓練中の自衛隊が立ち寄ろうとしたら区役所が拒否して追い返した、なんて話をまるっきり作り出して掲載して、すべての区役所からクレームがついたにも関わらず、書いた人は未だに健在で東京都知事選でも厄介な候補者にくっついて、厄介だからこそ得られる特定層のアクセスを稼ぐ仕事をしていたっけ。あるいはピースボートのメンバーが東京でインタビューに答えていたって、ピースボートに聞けばすぐに否定される話を聞きもしないで書いて迷惑をかけたことも。その書いた人が何かされたって話しも聞こえてこない。目的のためなら熱情上等だなんて、どこかの造反有理な国に似たようなことをやって平気な媒体もある。ならばネットメディアが何をやって構うことがある? なんて言われかねないなあ。まずは襟を正そうよ。だなんて言って聞く所でもないけれど。やれやれ。

 サッカーの女子日本代表がリオデジャネイロ五輪に出られなかった時から次は、男子の日本代表がワールドカップ2018ロシア大会に出られない可能性なんかを思い浮かべて、それは日本のサッカー界にとって一種の成熟をもたらすのか、改革へのモチベーションを取り戻すきっかけになるのか、いろいろ考えていたけれども現状の、ロシア大会に出られなかっ場合から想像するなら、ドイツの大会で惨敗して、そして監督の途中交代という事態を緊急避難的な方向でしか生かせず、立て直すチャンスをふいにして緩いチームにしてしまい、挙げ句に監督を抜擢しては解任するような無様をさらすといった具合に、どんどんと悪い方向へと転げ落ちていった状況から、新たな改革を起こす以前に責任のなすりつけ合いで、上が機能しなくなって下も結束できないまま、長い停滞のそれも下降線へと入るような気がしてならない。

 決まり事がないのか守備が緩くて、少ない攻め手でやってきたUAEの選手がそれでも1人くらい余ってしまうようなザルっぷりを見せるわ、ガチガチに固められた相手の陣をそれでもパスで崩して中央を突破することにこだわって、跳ね返されてミドルも届かずコーナーキックは意図の見えない蹴り込みに堕すわといった感じで、失点する一方で得点を奪えないまま、ホームで大事なワールドカップ最終予選の初戦を落とすという失態を演じたサッカー日本代表。アナウンサーの希望的観測から来る絶叫ばかりが響いていたけれど、アディショナルタイムに選手が倒れていたってそれを勘案して時間を延ばすなんてことはない。でもそうでも言わないと日本が強い感じが出ない。印象に頼って実力が伴わないチームが、瀬戸際で力なんて出せるはずがない。にも関わらず……。

 ずっと謂われ続けているように、背の高い豊田選手やハーフナー・マイク選手がいれば最終盤の大事なところでパワープレーだって行えただろうし、いなくたってやるべきなのに相変わらずセンターにボールを寄せ、そこから突破をはかろうとして跳ね返され、時間ばかりが過ぎていく。ブラジルのワールドカップでグループリーグを敗退した時と変わらないサッカーで、アジア予選が勝ち抜けるかってーの。そして勝ち抜いたところで世界と戦えるかってーの。改善する方法は分かっているのに、それができない監督でもないのに、させないのはいったい何の力学か。それを守るためにチームがワールドカップに出られなくても本望というのは本末転倒も甚だしいけれど、権力を握り地位を得た人は自分の居場所が守られさえすれば良いんだろうなあ。そうやって組織は腐り、人心はよどんでく。政治も。スポーツも。独裁者でも理想を掲げ突破しようとする人がいた方が良かったかなあ。どうなのかなあ。


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