縮刷版2016年8月下旬号


【8月31日】 気がつくと東京卸売市場の築地市場から豊洲市場への移転が延期になっていた。もうずっと環境に関する調査なんかも行われていて大丈夫そうだといわれていたし、そもそもが築地のあのオープンすぎる市場が豊洲に比べて衛生面で上かというと微妙なところ。近隣の渋滞もあるしこれなたいっそ移転してしまえば良いんじゃないのと最近は思うようになっていただけに、そうした世間の風潮に棹さすように移転を中止させた小池百合子東京都知事の態度に対して、庶民の星だというヤンヤの喝采よりは出しゃばって目立ちたいだけなんじゃないかという批判の方が、この場合は上回りそうな予感。

 タイミングってのがあってこれがまだ数年前なら築地を残しつつ安全面を確保してこうとする空気も濃かっただろうから、移転中止の判断は喝采を浴びたかもしれない。でももう2カ月後に控えて建物もできて商売の段取りだって決まっていただろう時期での中止で、僕たちが何かメリットを受けるかというとまるで思いつかない。東京オリンピック/パラリンピックのスタジアム建設なら無駄な出費を抑制するとか見た目にも良い物になるといった“成果”が先に期待できたから現行路線への反発にも支持が集まった。今回は準備万端の中での恣意行為的な決断で、それでいったい誰が得をするのかといった答えがないため同情だって向けにくい。

 青島幸男都知事の時みたいに都市博を完全に中止してしまうという決断なら、0か1かの選択の1つとして理解もできた。でも今回はいずれ移転するだろう状況下でただ、何か口を挟んでみたいから止めてみたってな雰囲気も漂っていて、これで数カ月後には移転決定となった時にいったいどういう判断だったんだって意見も出そう逆にこれで移転しないと決定してしまったら、豊洲の施設はいったいどうするのか。そして築地の老朽化にどう対応するのか。そこまで見据えつつ今回もさっさと移転した上で、安全面とか環境面を整えて行けば良かった気が。設備だって文句を言う人もいれば評価する人もいる。使ってみて分かる問題もあるだろう。だからまず移転ありきでも良かったんじゃないかなあ、などと千葉県民として思うのだった。千葉の市場はゆるキャラプロレスとか開かれて面白いから豊洲もやるんだ萌えキャラプロレス。

 見えていないって意味では民進党がリオデジャネイロ五輪の閉会式で日本が2020年の東京オリンピックをプレゼンテーションしたパフォーマンスにかかった費用12億円が高すぎるとかいって調査に乗り出すとか。でもこれってパラリンピックでの閉会式の費用も含んでのものだし、地球の反対側まで数十人を連れて行ってはパフォーマンスをさせたり、そのための準備を整えたり映像を作ったりした費用も当然含んでいるんで結構な額いっても仕方が無い。なおかつ6億円が12億円でもそれだけの強い印象を世界に与えられたことは評価できるはず。日本の企業がテレビのスポット広告にどれだけの費用を使うかを思えばむしろ安いだろう。でもそんなことお構いなしに突っ込んでいくせせこましさに世間は呆れているんだとどうして分からないんだろう。それが格好いいと行ってくれる人しか周りにいないのかなあ。民進党やっぱり政権は無理だなあ。

 サッカーチームの監督といえば現場の最高責任者で、上にGMなんかもいるケースはあるとしてもすくなくともピッチの上では誰よりも上に立っている存在。その監督に向かって暴言を吐いて拒否の姿勢を示したのなら選手は監督から徹底的に排除され、干し上げられたって文句はいえない、その監督が居る限り。なのに鹿島アントラーズは石井正忠監督が金崎夢生から反抗的な態度をとられ、そのことをきっかけに体調を崩したことに対して金崎選手を持ち上げる感じに回って監督の不行き届きをとがめるような方向に持って行ってる。監督といえどもチームにおいては中間管理職、上に社長がいてGMなんかがいれば逆らえないというのなら、誰も監督になんかついていかずその上を見るだろう。そしてチームはバラバラに。そうはならないように監督を現場では絶対としておくべきなのに、そうしない鹿島アントラーズはつくづく日本的。そんなチームじゃなかったのに、そうなってしまったのはやっぱりJリーグが守りに入っているからなのかなあ。

 「ヤングキングアワーズ」の2016年10月号は表紙がタカオとハルナだけれどもどっちも制服姿。タカオは見慣れていてもハルハルはいつものずっぽりとしたコートじゃないんで誰か分からないかもしれないし、当人だって勘弁してつかあさいってなものだろう。でも仕方が無い、そうやって潜入しては探る第4施設消失事件。ぶつかりあうメンタルモデルたち。でも激しい戦闘とかしたらすぐにバレてしまうんで、たとえバレバレだったとしても表面上は可愛らしいバトルが繰り広げられることになるんだろうなあ、男子生徒による投票とか、学園祭のミスコンでの。そんな「蒼き鋼のアルペジオ」。ヤマトことコトノもアタゴとともに来たけど海洋技術総合学院に入ってくるんだろうか。総旗艦さまが相手じゃ誰もかなわないよなあ、演算も美貌でも。何より顔が顔だし。

 藍華が主人公となった「ゼロエンジェル 爽碧の堕天使」は扉でもしかしたら藍華の白が見えているのかどうなのか。スカートの裏地ってこともないだろうし。そんな藍華に近づく女子が1人。そのバックにGT−Rを駆る男。いったい何者? 生理日に調子がおかしくなるのを狙って何か仕掛けてきそうだけれど、それで負けるより暴れる方が藍華にはふさわしい。次号が楽しみ。そして「はやめブラストギア」。ロードレースの漫画で美少女がいっぱい。不穏な相手にバトルが始まりそうだけれど、そこと見守る謎の女。戦いのその先に待つさらなる戦いの行方は。なんて楽しみもあるなあ。「ヤングキングアワーズ」、諸々漫画が終わってもちゃんと読めるものがいっぱい。そこが編集の腕って奴かなあ。ピンナップは社長と高見ちゃん。早く漫画での復活を、この2人に関しては復活の可能性がある訳だし。

 デジタルコンテンツ白書2016の発表があってランキングを見たら3位にオンラインゲーム運営サービスの売上が入ってた。テレビ、新聞広告に次ぐ位置で総額は1兆円を超えていて、ここのところの成長ぶりにやっぱり驚くことしきり。コンシューマー向けのゲームソフトとハードでもって1兆円とかいってた時期もあったけれど、コンシューマーが廃れミリオンヒットがいつもみたいに出なくなって来た一方で、スマートフォン向けのオンラインゲームとかはぐいぐいと市場を伸ばしている。それが本格的に現れてきたってことなのかも。新聞は停滞気味でテレビもダメダメ。そして上がってくるインターネット広告。そうやってメディアの主流は変わって生きているのに、尊大さだけは変わらず昔のままのビジネスモデルでいこうとしている新聞に果たして未来は。まああと10年持てば逃げ切れるんだけれど。無理かなあ。やっぱり。


【8月30日】 せっかくの日本産ゴジラなのにどーしてゴジラ像のある有楽町で「シン・ゴジラ」の上映がないんだと思っていたら、TOHOシネマズ日劇でもって上映が決まったらしくこれでもう1段の盛り上がりが期待できそう。やっぱり見るなら聖地だよねって人を集めて連日の超満員となれば良いけれど、何しろ国内最大規模の944席を有する劇場だけにたとえば六本木ヒルズのTOHOシネマズ六本木にある最大のスクリーンが満席になった人数が来ても、531席と6割も埋まらない。それほどまでに広い劇場で観る「シン・ゴジラ」は遠景での巨大感をさらに遠景でのスクリーン上で観るという、雄大なものとなりそう。これは是非とも行きたいなあ。そして観ているうちにやってきたゴジラに踏み潰されるという。TOHOシネマズ日本橋ではまだ届いていないのだ。

 エンディングテーマを歌っている2人のうちの1人がかみ殺されてしまうという衝撃の結末から続いたテレビアニメーション「タブゥー・タトゥー」の第9話は、それでいったいどうなったんだという興味を脇において赤塚正義がBBの意識を確かめに潜るといった展開からBBの過去話へと向かって国王といい仲だったらしい青年がいきなり出てきては愛情を失わずに逝ったり、アイバヤータ王女とはクローンというより姉妹の関係にあるらしい女性が出てきてはゲーム好きで優しいところを見せたりと、これまでの展開でまるで触れられていなかった話と登場していなかったキャラクターがあふれ出て、どういう脈絡なんだと戸惑った。BBも強いのか弱いのか分からないし。

 そんな中でもイルトゥトゥミシュが拾われたところまでは分かったし、カル・シェーカルはあれはふんどしではなくひも式のパンツをはいて胸にさらしを巻いている姿を見せてくれて目に嬉しかったしと、多少は今に繋がる展開もあった感じ。とはいえあの展開のどこでいったいBBはカル・シェーカルから慕われ恋心まで抱かれるようになったのかが分からない。短いようで結構な時間をBBはブラフマンとして過ごしていたんだろーか。あと目を縫い止められたガネーシャってブラフマンの1人も出てきたけれど、過去にどこかで出てきたっけ。第2話だかを録画し損ねて観てないんだけどそこに出た? 出てない? どっちにしても妙な構成。でもキャラクターが素晴らしくって観てしまう。オープニングに出てきた首をかしげて笑う老人も出てきたし、あとはショートパンツ姿でへそを出してる単発の女性くらいか出てないの。残る話数で片付くんだろうか。それとも2クールなのか。見守ろう。

 タイトルが長い。でも興味をそそられる「私たち殺し屋です、本当です、嘘じゃありません、信じてください。」(ダッシュエックス文庫)は兎月竜之介さんの新刊で、中身的にも殺し屋だけれど信じてもらえそうにもない2人組が、鉄道に乗ってあちらこちらを旅しながら仕事をするといった話。でもどういう経緯で依頼があって、誰を目的に仕事をしてそしてどこからお金をもらうかっていった段取りがないまま、ハンバーグが名産品の街に降りては手に職ををハンバーグ工場で働いては、経営者たちの悪巧みを暴いて潰して逃げ出すといった感じ。行きがけの駄賃とばかりにお金は奪っても殺し屋としての仕事をしているのかどうなのか、分からないだけにやっぱり殺し屋ですと言われたって、信じる気分は起きないなあ。とまあそんな話。行く先々での出来事にバリエーションがあってロードノベル的にも楽しめそう。

 エブリスタがやってるノベリスタ大賞とゆーのを受賞した人たちとかを集めて作家の石田衣良さんが小説の極意について語るとゆーイベントがあったんで見物に。というかノベリスタ大賞がどういったものかまるで知らなかったんだけれど、エブリスタあの中に掲載されている作品か何かで応募しては優れた作品だか人気のある作品を選び、それを石田衣良さんが読んで講評するといった感じで決まっている様子。でもって今回も5作品が最終選考に残っては、北沢あたるさんの「路地裏少年」とゆー作品が大賞に選ばれた。賞金の5万円がさて、高いか低いかは分からないけれども公募の出版社による新人賞ではなく、ネットに書かれているものでお金がもらえるのならそれはそれで凄いことなのかも。ここから石田衣良さんが認めた小説ってことで出版の話もあるかもしれないし。

 そんな「路地裏少年」を石田さんはファンタジーあけれど予定調和的なところに落ち着かず、ファンタジーならではの無茶な設定をやり切っているところが良いと褒めていた。まとめるよりとっちらかっても独自を貫くことが、作家として目にとめられるきっかけになるのかもしれないなあ。とは両性具有とか性転換といった人たちが登場する作品が準大賞に選ばれていて、石田さんの趣味なのかそういった要素を含んでいるからこその繊細な情景の描写なりキャラクターの息づかいなりがある作品だったのか、読んでみないと分からないもののちょっぴり興味をそそられた。石田さんがいうにはそうした要素があるならもっとぶっとんだものをってことだったけれど、一般向けに公開するエブリスタで性的にコアでハードな描写がどこまで行けるか、って考えると原型を含みつつもより過激さを持った内容にして、一般向けに出してみるのも手なのかもしれない。そういった方向性が示される意味でも、価値のあるイベントだったんじゃなかろーか。

 ひとり、ユニークだったのは小説も読まず映画も観ないのに、アメリカが舞台の犯罪小説を描こうとしていた人がいたことで、何でもラップのリリックに書かれたアメリカのひりひりとした状況からインスパイアされてそうした暗黒小説を書いたらしいけれども石田さんは、やっぱりラップでは描写が薄くなるんでもっといっぱい本を読め、年に100冊とか読んで2年くらい続けてから書けって諭してた。例えばドン・ウィンズロウの「犬の力」とか、そうした本をいっぱい読んでなおかつ自分たちがよく知る舞台で書くことが今は重要とのこと。福岡とか九州を舞台に明日までにこの死体をどうにかしないと一家皆殺しに遭う状況にまで追い込まれた主人公が見せる活躍とか。それなら独自性もありつつ違和感も少ないものに仕上がりそう。果たして書いてくれるかな。

 感涙にむせた舞台から4カ月ちょっと。舞台版「クジラの子らは砂上に歌う」のDVDができてみたいで家にも届いていた。本当だったらパッケージ化なんてなかったかもしれない舞台だけれど、尻上がりに評判を得て最終日は満席の中で幾度ものスタンディングオベーションを浴びた傑作の舞台。それがパッケージになって客席からは遠かった個々人の表情にグッと迫った映像とか、とっても可愛いギンシュ姉さんの躍動する殺陣とかをじっくりと観られそう。何より切なさと悲しさを乗り越えて立ちあがり、進んでいく泥クジラの面々にまた会えるというのが嬉しい。そこから得られた前向きの気持ちを今一度、蘇らせては苦境を者ともしないで進む気持ちを沸き立たせよう。でもやっぱり観たいのは舞台。再演、ないかな、あって欲しいな。


【8月29日】 ガルパンだガルパンだ、「ガールズ&パンツァー」のイベントが開かれて「ガールズ&パンツァー」の続編らしい「ガールズ&パンツァー最終章」が作られることが発表されたそうで、世間のガルパンさんたちはもう狂喜乱舞の大騒ぎ。それが映画なのかテレビアニメーションなのかOVAなのか分からずもしかしたらFROGMANさんが「鷹の爪」のキャラを使ってFLASHで作るものかそれない不安があるけど、水島努監督が動いているらしいからそっち方面には行かなさそう。あとはあれだけがっつりと、そして完璧に描いた大洗女子学園の存亡をかけた戦いの後、何をどうやったら面白い作品になるかが見えないところ。それすらも含めて考え抜いてくる監督だろうから今は静かに感性の時を待とう。「レガリア」が無事、放送される方が先だろうし。

 「食戟のソーマ」と「DAYS」がやっぱり面白いかなあ、この7月から9月にかけてのテレビアニメーション。とりわけ「DAYS」はテーマがサッカーってこともあって興味が向かうし、金髪でロン毛の野郎が案外に良い奴で天才だけれど外交的で、柄本つくしを相手に威張らず彼の頑張りを認めて自分もいっしょに頑張ろうって感じになっているところが見ていて心地良い。あとチームのメンバーが全員そんな感じのところが。実際のところただ走っているだけの選手が1人いたところで、チームの戦力が高まる訳でもなく逆に1人分のミスマッチも出て弱くなるものだけれど、もとよりポテンシャルの高い面子がつくしの頑張りに120%を発揮すれば戦力ダウンも埋めてそれ以上に達するはず。そしてやがて戦術を覚え技術も高まったつくしが乗ればどれだけのチームになることか。そんな関心もあってこれからの展開を見て行けそう。明るい部活物って良いなあ。「大きく振りかぶって」とかも。

 渡航さんと橘公司さんとさがら総さんが汲んで立ちあげたシェアワールド「クオリディア・コード」の本筋ともいえるテレビアニメーションがだんだんと佳境に入って、アンノウンなる存在に脅かされている世界が本当にそれだけなのかといった疑問が浮かんで来る。ランキング第1位の天河舞姫と同じ神奈川の次席でランキングでは3位の凜堂ほたるが共に巨大なアンノウンの攻撃を受けて姿を消失。でもその直前に千葉主席の千種明日葉の兄、千葉霞に向かって何かを言い残していたようで、それを感づいたか眼鏡で巨乳の大人が霞にちょっかいを出してきた。撃退はしたものの怪我をしたその目に見える奇妙な世界。二重化しているのか別の何かを見ているのか。思ったより舞姫も霞もヒーローでヒロインではない感じ。あるいは生け贄か何か? ヒロインなのに行方不明の宇多良カナリアの消息も気になるところ。世界の成り立ちと構造に迫る展開を見守っていこう。ほたるちゃんにもまた会いたいし。

 1位だ1位だ、週末の邦画の興行ランキングで新海誠監督の長編アニメーション映画「君の名は。」が見事に1位に輝いて絶好調とも言えるスタートを切った。2位は「ペット」で3位は公開から1ヶ月が経った「シン・ゴジラ」。この強力なラインアップに割って入って突き抜けたってことでポストとかどうどかは関係なしに、夏のアニメーション映画の主軸に細田守監督と並んで新海誠監督が、本格的に入ってきたって言えば言えるかもしれない。ただ「おおかみこどもの雨と雪」と「バケモノの子」の2本でステップしジャンプした細田守監督に対して、新海誠監督はまだまだホップの段階。ここでの認知度の向上が面白さとかよりも先にその監督のなら見に行くといったファン層を生み出し、雰囲気を作って次の興行でステップとなれば名実ともにポストジブリ映画のポジションに、収まることになるだろー。勝負するとなると次の細田守監督作品か。何を作ってくるかなあ。

 あるいは仁木英之さんの世を忍ぶ仮の名前かもしれないとか思ったけれども、そうやって世を偽る必要もない媒体でずっと前から1作ずつ、発表されていたということはどこかに書いた当人がいて、書かれた作品もあったんだろう。だからいやっぱり埋もれていた才能と見るのが正しいのかもしれない前野ともひろさんという人による短編集「ランボー怒りの改新」(星海社FICTIONS)を買って読んだら本当にランボーが怒りとともに大化の改新をやっていた。つまりはタイトルが一種の出落ちになっているんだけれど、そうと分かって呼んでも蘇我入鹿の暴虐を正そうとする中大兄皇子と藤原鎌足の一派がいて、一方のベトナムで戦ってきた帰還兵のランボーがいて、その現状がモザイクのように入り交じってはさも同じ地平と時空で事態が進んでいるかのように描かれて不思議な気分になって来る。

 どうしてそうなのかといった説明はないし、そうである必然性もないと言えば無い。ある種の語感でありあり得ない融合だけれどそれを説明なしいつないでいっては大化の改新にランボーが絡みそれを聖徳太子が後押ししているような状況を、無理矢理に成立させているところが凄いのかもしれない。あれれと感じながらもそれのどこが問題なのかを理解できないというか、理解する必要なしに不思議時空にパッと繰り広げられる奈良とベトナムが重ね合わさったビジョンを楽しんでいけば良いのかも。ほかに何を組み合わせてもこの味は出なかったかもしれないなあ。だからこそのピックアップであり、表題作になったのかも。呼んで何だ出落ちじゃんと思えば思えて、けれどもそれ以外の魅力に溢れた1作。映像化は……無理かなあ、言語だからこそキメラのように入り交じった不思議さが想像の中に浮かぶのだから。

 他の3編では佐伯さんという奈良の言葉を話す女性がお気に入りというか、飄々としてつかみ所がないけれども惹かれずにはいられないというか。1編目では高校生たちが出会ってどうにか仲良くなりたいと思っても「無理やわ」といって断るものの肘鉄くらわすわけじゃなく、自分にはマッチしないといったことを相手にも分からせる感じがあって嫌われない。最後の1人くらいは脈があるかと思ったら、やっぱり無理だと言う予定調和を外した展開が面白い。あとは鹿にせんべいをあたえてあいつら阿呆やと言い放つ豪快さも。2編目ではちょい大人になってもやっぱり青少年を引きつけ混乱させつつすっと消える不思議な存在。引きずりはしあいけれど忘れもしない印象を残す。そんな女性が奈良には実在するのかと思うと言ってみたくなる。どんな人だろう、佐伯さん。

 やはり真正面のそれも前方から白い小三角を拝まなくてはいけないと「君の名は。」で賑わう劇場へと行って「傷物語2 熱血編」を2度目の鑑賞。原作だとグレーの野暮ったいそれがアニメーションだとミニマムになってそして色は透き通るような白。前作ほど長い時間映ってないけどそれもしっかりと目に焼き付ける。もらったのがあれだったら阿良多木暦は何を持っただろうか。こんなに地裁のに収まるんだろうかと驚いたんだろうか。それからこちらは本当にもらったピンクの脱ぎたてほかほかを、すぐに顔に寄せ付け匂いを嗅ぐような真似をしなかったのは偉い。やったらどん引きされたか、それとも匂いはどうかと聞かれたか。聞かれてなんと答えるのが正解なんだろう。かぐわしい甘酸っぱさがあるとでも言うのかな。何の匂いなんだろう、それ。また行こうその匂いを想像の中で嗅ぎに。冊子もあと2冊、もらわないといけないし。


【8月28日】 そうそう、新海誠監督といえばすれ違ったり離れていったりする話がずっと多かったのが、「言の葉の庭」でいったんは離れつつも実は繋がっていたりする女性と男性の関係を仄めかして、希望と期待ってものを与えてくれたんだけれど、その後に作られたZ会向けのショートアニメーション「クロスロード」がもっと直接的に遠く離れていた女の子と男の子が、関わりを持たないままそれぞれの進路を突き進んでいった果てに合格発表の場という1点で、ぐっと近づきさあ重なり合うかどうなのか、ってところで先への興味を引っ張り出してくれた。そして同時に新海誠監督、向かい合うベクトルもちゃんと描ける人なんだってことを教えられた。

 だからなのか新海誠監督の作品だからといって、最後に別れが来て盛り上がりに冷や水をぶっかけられちゃうんじゃないの、って不安から遠慮する人もおらずきっとワクワクする展開を見られるんだと思い集まった若い人が多かった、それが連日の満席に繋がっているのかもしれない「君の名は。」。2002年頃からずっと見ている人だともう結構なおばさんにおじさんとなっていて、やれやれまたいつもの新海誠監督作品か、なんて擦れた頭で捉えてそれでも見に行くのとは違って、「秒速5センチメートル」あたりで直撃された世代は切なさの向こう側にある美学を嬉しいと思うか、寂しいと嘆くかに分かれて寂しいとなったらそこからこっち、劇場に足を運ばなくなってしまう。

 それでちょっと停滞した気分を「言の葉の庭」でぶちこわし、見ていた中高生辺りが「クロスロード」の洗礼を浴びた世代も加えて今の大学生からちょっと大人の層を形成してて、そうした層がこれはやっぱり行かなくちゃ、行ってワクワクしなきゃと劇場に端を運んだ結果が今の満席に現れているとか、そんなことも思ってみたり。もちろん見ていてコミカルで1秒たりとも飽きずに見ていられるってこともあるんだけれど。そこはシナリオと編集とそして作画の力かなあ。何よりあのリズム感、あのテンポをコントロールして作り出す感性が、新海誠監督の真骨頂だと思うなあ。遠く2002年のSFセミナーで、遮断機が落ちてこつんとはねかえるタイミングの作画を、永瀬唯さんがめちゃ褒めていたのを思い出した。あれから14年かあ。ここまで来たか。

 でもポスト宮崎駿監督とかって言うには、14年のキャリアを無視するようでちょっと頂けないというか、むしろ14年も第一線を走り続けてきた新海誠監督にこそ“ポスト”が出てきて欲しいところ。自主製作から出て来て一気に名を馳せ次はインディペンデントだって思わせながらもその後、劇場作品で名を成すまでに至った人がいったいどれだけいただろう。「アジール・セッション」のアオキタクト監督も今はプロダクションで映像製作をしているし、「センコロール」の宇木敦哉監督も、その後に多くの作品を作っているって感じじゃ無い。まあそれでも「イヴの時間」の吉浦康裕監督が「サカサマのパテマ」を作って劇場デビューし「パトレイバーREBOOT」にも挑んでいる。「フミコの告白」の石田祐康監督も「陽なたのアオシグレ」で評判になったしようやく、作家性と作品性と娯楽性を兼ね備えた作品を世に出せる監督が増えてきた、って感じかなあ。だからこれから。そして新海誠監督はその先を拓き続ける。アニメーション界隈がちょっと楽しみになって来た。

 黒人白人のバーリートゥードかマーシャルアーツでもやてちそうなガタイの良い、胸板も厚い人たちが「SECURITY」と背中に書かれたTシャツを着て闊歩していたアニメロサマーライブ2016だったけれど、それでも厄介事がつきないところはあの場にあって自分が何かをしでかした、っていう自己満足感だけで生きていられる人がいるからなんだろうなあ。そんなアニサマだけれど3日間のセットリストをざっと眺めて超大物感っていうものが、いったいどうすれば出てくるんだろうかとも考えた。アイドルマスターシンデレラガールズが軽い訳でもLiSAが至ってない訳でもangelaが足りてない訳でもなく、個々に観客を大勢集めて歓声を浴びているユニットでありアーティストだから、当然に会場も盛り上がるけれど、そんな面々がだったら紅白歌合戦に出られるか、っていうとこれは迷う。

 紅白に出たから凄いとか偉いってことではなくて、これは一般の人たちにもそんなアーティストがいるぞってことが知られているかどうかという問題。でもって水樹奈々さんはどうにか突き抜けたけれど、その後に続くのが誰もいないというか、話題性でμ’sが出たもののほかはせいぜいがキングクリームソーダといったヒットアニメの主題歌担当。本当の意味でアニソン単体での盛り上がりを体現した人たちじゃない。ここでJAM Projectとか田村ゆかりさんといったアーティストが常にNHKとかに出続けていれば、何となく知られていたんだろうけれどもそうはならなかった。今年は水樹奈々さんですら出られるか危うい中でアニソン枠消滅だなんて心配も浮かんでいる。

 それでもフェスで田村さんやJAMが出れば大トリとして落ち着きも出るくらいの知名度を誇り人気度もある。積み重ねられてきた実績が評判を呼んでバリュートなり、そこにいても良いんだという了解を世間に与えた。そんな重鎮たちが消えてしまったアニサマで、May’nさんとかKOTOKOさんとかが続くかと思ったらそうはならないところが不思議というか。新たな実績を積み重ねさせて次の大物感を持ったアニソンアーティストを作り旗手として世に喧伝していくといった動きもないまま、その時々の旬を大トリに持ってきて良かったね感の中に追えるような展開でこれから行くのかなあ。それも悪くは無いけれど、先に同じだけのバリューを持った人たちが出てくるか。連鎖が途切れて縮小していく可能性はないのか。とりあえずKalafinaがアニサマに出て大トリを務め区は区歌合戦にも出る未来を希望。強く希望。

 去年は学生が出展する學展だけだったのがデザインフェスタ本体も加わり「真夏のデザインフェスタ+學展」となったんで東京ビッグサイトに見物に。恐竜の造形物とか出している知り合いの人とかもいたり中学校の頃から細かい未来都市図を描き続けている内山航参も出ていたりした中になぜか旧ビルドアップこと旧IDAこと現ブラストが展開している「バ怪獣ゴメラ」のゴメラとヨッコラが。着ぐるみとして吊されつつ横でぬいぐるみが売られていてこれが1つ1600円の割に良い出来で、2つなら3000円なんでまとめて買ってみたけれども映像の方はとりあえず終わって、IPとして終了に向かっていた感じもあった「ゴメラ」「ヨッコラ」がぬいぐるみになったってことは、ここから復活の動きでもあるのかな。本家「ゴジラ」がど真面目なIPに戻ってしまった今こそ、「快獣ブースカ」みたな楽しめる特撮を是非に。

 百壁ネロさんがライブコラージュをやっていて這いつくばって細かい文字を書き込んでいたりする姿も見かけた學展と真夏のデザインフェスタで、もっとも引かれたのが大平小百合さんという人が出していたウツボカズラのポーチか。大小さまざまあってふたのあるのとないのがあって、中に何でもは入らないけど電池とか、小物とかガチャのフィギュアとかを入れて吊して持ち歩ける。大きいのになるとペンも入れば細長い携帯だって入りそう。スマートフォンは無理だけど。何より食虫植物っていうモチーフがとても良い。本来は淫靡でグロテクスなものなのに、それが可愛い感じになっているのも良かった。こういうのに出会えるからデザインフェスタ通いはやめられない。でも次の11月のには出ないんだよなあ。どこい行けば会えるかな。


【8月27日】 しげちーが。原作を読んだのはそれこそ20年くらい前でどういう展開だったかすっかり忘れていたけれど、最強とすら思われたハーヴェストですらあっさり交わしてしげちーを爆弾によってほぼ瞬間的に消滅させてしまうキラークイーンはやっぱり相当に恐ろしく、それをどうやって仗助やら億泰やらがかわして反撃するのかに、今から興味が及んで仕方が無い。でもコミックスは読み返せない。部屋のどこかにはあるとは思うんだけれど、テレビでやるからそこはまた、漫画を読んで毎週ドキドキしていたのと同じ気分を味わおう。

 デザインフェスタにも行きたかったけれどもとりあえずC3TOKYO2016へ。C3っていうのはメディアワークスが中心になって立ちあげたキャラクター系のイベントに使われていた名前で、それがホビージャパン系のイベントと一緒になってキャラホビになったって記憶。でもどういう理由からかまたC3に戻って今回から開催。とはいえ中身は基本的には変わらずガンダム関連の展示があってあと、企業ブースが並んで新グッズとかを販売していた。自衛隊も来ていたけれども去年に続いて米軍はおらずバンド演奏もなし。ある種キャラホビの名物だったんだけれど、それはニコニコ超会議の方に持って行かれたってことなのかな。残念。

 グッズでは「ガールズ&パンツァー劇場版」に出てくるボコのぬいぐるみが良さげだったけれど、残り1つの激レアといいながら棚に売るほどあったし、イベント限定でもないんでパス。同じブースでマグネットを釣り竿で釣るアトラクションがあったんで、3回挑んでアヒルさんチームのマークとそれからカチューシャにケイさんをゲットできた。嫌いじゃ無いから2人とも。でもやっぱりダー様欲しかったかも。ほかにはシャア専用手帳とか面白そうだったけど、何か書くとスケジュールが3倍のスピードで消化されていくんだろうか。使って試してみるしかないのかなあ。

 そんなキャラホビの記事を書き上げてからTOHOシネマズ日本橋で新海誠監督の最新長編アニメーション映画「君の名は。」ををやっと見る。まず思ったのは、あそこで山崎まさよしさんの「One more time, One more chance」が流れ出さなくて良かったなあ、ということ。つまりはすれ違い。あるいは離別。過去、新海誠監督の作品ではそうした出会いからの交流を経て来たる離別、もしくは一瞬の邂逅を経てしだいに遠ざかっていく関係のようなものを描いて、その切なさに例えば男性を悶々とさせ、女性をどうしてもっとと苛立たせていた、ような気がする。

 女性側の印象についてはよく分からないから適当だけれど、新海誠監督の作品に女性ファンも多いところを見ると、遠ざかって薄れていく関係に切なさの美学を覚えるとうよりも、至らない物足りなさを覚えて悶々としていたのではかろうか。「ほしのこえ」でもそうだし「秒速2センチメートル」はさらに顕著だった。山崎まさよしさんの歌声に乗って描かれるその関係性、というより無関係性へと向かうシチュエーションは消極への苛立ちを男女ともに誘うものだった。「雲の向こう、約束の場所」や「星を追う子ども」は方やSF的な仮想戦記的シチュエーション、こなたファンタジー的状況の中で個人の出会いに焦点がやや合いにくくはなっていたけれど、それでも決してふれ合って重なり合って寄り添うような方向へは進んでいなかったと記憶している。

 「言の葉の庭」。これもふれ合った関係が一時、高まりを見せながらもその後に落ち着きを取り戻す。ただ、ここに永遠の離別、広がっていく隙間といったものはなかった。可能性としての再会と、そこからの再びの重なり合いもあるいは考えて良い、ほの見えるハッピーエンドが感じられた。そこが未来への期待を抱かせ、喜びへの道を噛みしめたい男女で劇場は人に満ちた。そんな解釈をしている。そして「君の名は。」。近かった関係が広がりそして広がり続けて重なり合うことのない「ほしのこえ」からだんだんと瞬間の重なりなり、将来の重なりの可能性を描いてきた新海誠監督がもっと積極的に、そしてポジティブに出会いから認め合ってふれ合い重なり合うような関係を描こうとした作品といった印象を受けた。

 その詳細については語ることはしないが、工夫されたシチュエーションの上でちょっとだけふれ合い、クロスしながらもぐっと隔てられた関係を、それは嫌だと近づけ重ね結ぼうとした。たとえシチュエーション的に山崎まさよしさんの「One more time, One more chance」が流れそうでも、そこを違う展開へと持っていった。だから見えて喜べた。良かったなあ。そして期待した。これからもずっと重なり合っていってくれるだろうと。そんな映画だった。

 設定については事前の予告編からと、そしてささやかれる瀧と三葉のそれぞれの状況から想像したものとだいたい同じで、あとはだから何が起こってどうなって、それをどうやって解消するかに関心を向けられた。結果は見てのお楽しみ。興味深かったのは因果が揺らぐと記憶も揺らぐといったあたりの描写か。頑張って原因をなくせば、その結果としての原因をなくそうと“共闘”する経験もなくなってしまう。そこでそもそも“共闘”が起こるのかといったパラドクス的疑問もないでもないけれど、量子論だとかタキオンだとかった言葉に浮かぶ万能感から情報だけでも時空を越えて行き来する、その結果として因果が逆転して結びつき、けれども因果のもつれが解消されて原因となった因果そのものが存在感を失ってしまっただけだと考えておこう。

 ひとつのクライマックスまでは完璧に組み立てられてその瞬間を迎えられる。気になったのはそれ以降、瀧がどこで何をしていたかは感じられても三葉が何を思い抱きながらどうやってそこに辿り着いたのかがちょっと分からない。衝動が東京へと向かわせた? 記憶がそこに行かなくちゃと背中を押した? 分からないけれども原因は取り除かれても結果の現存がその間にひずみを生んで未来の情報を過去へと届け、過去の状況を未来へと戻す力になっていたのかもしれない。もしかすると神様という情報体が口噛み酒という媒介を得て時空を越える暴走を起こしたとか? そういう理屈づけを誰か考えてくれると面白いかも。

 総じてエンターテインメント。そしてラブコメティックにきゅんきゅんとする場面も多々あって見ながら赤面させられそれでも何が起こりどうなるかといった興味で観ていける。男女ともども理屈に流されず斜に構えたニヒルな姿勢に引きずられることなく沸き立つ衝動からの互いを求める気持ちが出会わせ、結びつける展開に安心感を覚え喝采を浴びせることになるだろう。そんな映画を本当にありがとうございました、新海誠監督。

 脚本も良いんだけれどもやっぱり心地よいリズムで展開して画面の動き、音楽の雰囲気がベストになるよう編集する腕の確かさがこの映画の爽快さの要因になっているのかも。全部まとめれば良いのに「編集」だけ別に肩書きを取り出して新海誠監督に添えていたところを観ると、コンテを描き本編を作ることにも負けず編集という仕事を独立したものととらえ、客観性を大切さをその仕事に見い出し、監督であり脚本の新海誠からは独立させた人格が、心地よさと分かりやすさを追究してハサミを入れたのかもしれない。そんな感じ。 あと何回くらい観ようかな。


【8月26日】 ああセバスチャン。GAUSを駆って降下してきたエフィドルグに混じっていたミラーサを相手に戦うことになって、お嬢様ことソフィー・ノエルを始めとした面々が見ている前で皆を守ろうとしてミラーサに組み付き自爆。こりゃ死んだとは思うけれども主要メンバーの命が奪われるような設定がこれまでなかっただけに、リアリティのレベルとして本当に死んだのか、それとも実は生きているのかの判断は今後を待ちたいところな「クロムクロ」。

 いっしょにGAUSで戦っていた劉神美は、相手こそ戦士ではなかったとはいえ、敵に敗れたところをしっかり脱出していたようだからセバスチャンも同じように生存の可能性はあるのかな。新型で脱出装置が付いていたからこそ生き延びられたんだとう描写がこちらにはあってセバスチャンにはないのは、やっぱりダメってことなのかな。次が気になる。あと耳から虫を入れられ忠実な僕に帰られてしまった眼鏡っ娘ちゃんの行く末とか。脳味噌囓られちゃったのかなあ。っていうかそういう装置があるならさっさと使えば枢石とかもさっさと見つかったのに。やっぱりどこか間が抜けてる。

 アスキー・メディアワークスが「週刊アスキー」あたりからの流れを汲んでIoTとか含んだガジェット系のスタートアップを支援するようなイベントを開いてたんで飯田橋へ。前に3月に開かれた時ものぞいて、サウス・バイ・サウス・ウエストなんかに持ち込まれていたハンディDJ装置とかが出てたりしたのを見たけれど、今回は受注生産の小型の野菜工場があったり、スマートフォンの上で流れるアプリのプッシュ通知を読み上げてくれるアプリとそれを受け取るワイヤレスイヤホンなんかがあってバリエーションがエンターテインメントから家電からいろいろ広がっていた。ニッポン放送が作るラジオも出ていたし。吉田尚記アナウンサーともども。

 興味を引かれたのは耳に取り付けるイヤホンタイプの通信装置で、スマートフォンに搭載されたアプリを介して通信装置を付けながら喋った声が、同じ装置を付けている別の誰かに届くよう。いわゆる超小型のトランシーバーといったところ。手に何も持たずスマートフォンはポケットに、そしてイヤホンは耳に入れたり着けたりしていれば通話がオッケーとうのも、スノーボードとかサバイバルゲームとか手に余計な物を持ちたくない状況での利用を促しそう。電話で喋っているじゃなく、アプリ同士の通信ってあたりも仕組みとして面白い。どれだけの人数がどれだけの範囲で喋れるのか、それこそ遠隔地でもネットを回してつながれるのならトランシーバーとかに変わる装置として、一気に普及していきそう。ちょっと追いかけていこう。

 ジョッキの下に取り付けると飲み干すと光って煽ってくれて、別の誰かのジョッキと近づけるとやっぱり光って乾杯を誘ってくれる装置とか、実際のビアガーデンで使われているそうでどんな光景なのか気になる。どれだけの量が飲まれたかも簡単に記録しておけるそうで、伝票を数えなくても良いから便利と言えば便利そう。あとは家の中をうろうろするカメラがあって遠隔地からスマートフォンで操作してカメラが捉えた映像も見られるというロボットが良かったかな。真っ先に浮かぶ留守番中の動物との戯れ。ロボットを走らせまとわりついて来た犬や猫を眺め続けるだけで、1日が暮れていきそう。いったい何しに遠隔地まで出たのやら。それでも遠隔地暮らす両親の安否確認と、通話機能を使った対話なんかに需用はありそう。我が家は置く場所がないんで基本スルー。ロボットを導入した誰かの家の猫を延々眺めるような映像配信サービス、あったら流行るかな。

 会場を出て神楽坂へと昇る坂の途中にある店でトルコライス。前々から気になっていたけど時間的に好いていたんで今回はゴー。以前は池袋駅のコンコースにあった立ち食いの店が並んだコーナーにトルコライスもあったんだけれど、改装されて見せも入れ替わって妙に甘みがする、肉たっぷりの汁もいっぱいかかった牛丼ともども食べられなくなってしまった。そんなトルコライスはカレーライスにナポリタンスパゲッティにトンカツにサラダといったあたりが1つのプレートに載った料理。カツカレーとナポリタンを同時に頼めば一緒のような気もするけれど、そこはワンプレートに載ってこそのトルコライスってことで。しかしどーしてトルコライスなんだろう。ギリシャライスでは違うんだろうか。謎。

 アニサマだアニサマだ、夏の終わりに開かれるアニメソングの祭典「アニメロサマーライブ2016」とやらの初日を見物。目的はi☆Risとデーモン小暮閣下だったけれどもオープニングと同時にGRANRODEOと一緒に「北斗の拳」を歌ってハイトーンボイスの凄まじさをデーも小暮閣下が見せつけてくれた。本物は違うなあ。そしてi☆Risは別にプリパラの格好もしていあくて普通にユニットとして出ていたけれど、やっぱり1人1人にキャラクターの顔がちらつくなあ。それだけ役の雰囲気を立体的に完璧に再現していたんだよなあ、ミュージカルでは。どーしてパッケージが出ないのかが謎。また見たいなあ。

 それでとりあえずの目的は果たしたけれども前半では神田沙也加さんがボーカルを務めるTRUSTRICKが出てきてやっぱり上手いところを聞かせてくれたし、蒼井エイルさんの代役として登場した春奈るなさんも大舞台慣れしたところを見せてくれた。そしてMay’n部長。あの「マクロスF」から幾つもの代表曲をメドレーでやってくれて、久々にシェリル・ノームが歌う姿ともども思い出した。良い歌だったなあ。もちろん最近の「タブー・タトゥー」の主題歌もMey’nさんが歌っていて本編にアクションへと向けて気持ちを高ぶらせくれているけれど、聞き慣れて耳に馴染んだ「マクロスF」時代の歌はさらに格別な思いを与えてくれるる。面白いアニメだったなあ。そしてあれから何年経ったのか。年を取るはずだ。

 後半に入ってZAQさんとかSuaraさんとかアニソンシンガーとして独特の地位を気付いた人たちが登場してその歌声で魅了してくれた。そしてAKINO with bless4。「創聖のアクエリオン」主題歌とか、アカペラの英語版でしずしずと始まったものが日本語版になってそしてさびの部分で全員が「あいしてる」と叫んで場のボルテージをマックス以上に押し上げていた。誰もが知っている歌が1曲でもあるとやっぱり盛り上がるよなあ。なおかつAKINO with bless4には「天城ブリリアントパーク」のオープニング「エクストラ・マジッック・アワー」がある。「あいしてる」と大声で歌わないけどサビの部分でパンと拍手する楽しさがある歌を今年はやってくれた。オープニングのアニメーションとして見ても感動のあのパンを自分でも出来た僥倖は、3日間続くアニサマでも屈指の名場面になったんじゃなかろーか。

 でもそれはmotsさんことMOTSUさん、八木沼悟志さんことSATさん、そして黒崎真音さんことMAONさんが汲んで活動しているALTIMAが、本日をもって活動休止に入ることを宣言した場面も別の意味で屈指の位置づけに入りそう。もう3人とも忙しい人だってことは分かるけれど、それでも5年間にわたって続けてきた成果をここで埋もれさせてしまうのはもったいないんで、ほとぼりがさめた頃に再結成ってなるのを期待しながら待とう。KOTOKOさんはしかしやっぱり圧倒的な歌唱力だったなあ。場の盛り上がり方違ってた。そんなシンガーたちではなくデレマスの方がトリだったってところに、イベントのひとつの転機めいたものも感じたり。作中キャラの歌をトリに持ってきてアニソンのイベントといえるのか。それも含めてアニソンだから構わないのか。残り2日のトリなんかも見て、収まりの良いアニソンシンガーがあるいは減っているか、または多くがそうした収まりの良い、誰でもそうと認めるアニソンシンガーを世に喧伝して地位にふさわしい人物にするような頑張りを、僕たちがしていないことにも問題があるのかなあ。ちょっと研究。


【8月25日】 半分ぐらいは冗談交じりにスポーツ紙がどこも報じないなあと言いつつ、でもやっぱり少しは関心を示してくれるんじゃないのかって思っていたら「この世界の片隅に」の声優決定というニュース、夜になって日付が変わってもいっこうに取り上げる気配はなくって結局、完全にスルーされてしまった模様。一般紙を含めても見たのは朝日新聞くらいで、あとは今のところバリューがないのかニュースとして取り扱っていない。

 ただ一般紙の場合は扱われているテーマに広島の原爆があり、主演のすずさんを演じるのがかつて能年玲奈さんと呼ばれたのんさんということもあって、公開が迫れば取り上げてくれると思いたい。思いたいけれど……もしもそこですら取り上げられないとしたらこの国のマスコミは、政治以上にタブーを持った業界を抱えているってことになる。冗談めかして言えないくらいに深刻な問題だけれど、それを改善するだけの矜持とか、あるいは経営的なゆとりがなくなって、何が何でも部数でありアクセス数であって、そのためには人気者を呼びたい、そして人気者を呼べなくなるような要素は排除したいって頭になってしまっているのかも。果たしてどうなることか。

 まあ「アリーテ姫」だってどこかの工業専門紙がコラムに書いたことはあっても、一般紙とかが取り上げた感じはなかったし、「マイマイ新子と千年の魔法」だって、おしゃれなタブロイドして1ページ使って取り上げた一方で、一般紙が昨今の細田守作品ほどの扱いを見せたような記憶は無い。そんな状況からスタートして、いったんは上映が終わりそうになったところをファンがこれは拙いと立ちあがってロングランへと至り、そしてDVDの発売までこぎ着けた先に次の作品への期待を誘い、それが「この世界の片隅に」に決まったとあってこれを実現するために必要となる立ち上げの資金を、クラウドファンディングでもって支援し映画制作決定の段階へと至らせた。

 そんな過去を知る身からするならまるでマイナス、あるいは無に等しい存在だったところが大きな輝きへと至った過去とはまるで違って、作品への認識があり主演への関心があり、何よりクラウドファンディングで支援した幾千もの人間による情愛がある。大きくプラスとなっている場所からのスタートが、前と同じような道を辿るはずはなく、そして応援した人の意識は、マスコミの完スルー何する物ぞといった気概で、前以上の草の根のアピールを繰り広げるだろう。そんなうねりがマスコミの圧力を跳ね返し、とてつもない大波を作り出してなお無視できるか。嫌でも取材にこざるを得ない状況を、作ってやれば良いんだという気概でもって、これから公開までの時間を一生懸命に喧伝していこう。

 今日も今日とてCEDEC2016へ。 朝1番くらいからセッションを聞かなくちゃいけないんで、午前中にゴジラ展を見に行く余裕もなければ昼ご飯の合間に抜けて見に行くことも不可能。まあ前に渋谷のヒカリエであったジオラマも並んだゴジラ展に、最新の「シン・ゴジラ」も加わったくらいだとは思うから、そっちを見るより本編を見に行く方が今は大切なのかもしれない。もとより着ぐるみとかがない作品なんで、あって原型の鋳型くらいでそれならワンフェスとかで既に見ているし。等身大の尾頭さんフィギュアとかあったらちょっと見たいけど。どんな色のをはいているんだろうとか。いやそれはさすがに見られないか。

 しかしVR関連のセッションが多かったというか、展示もVRばかりになっていたといった感じのCEDEC2016。学生なんかが机を並べているコーナーも、アイトラッキングで誰かを見ている様を可視化するようなVRだったり、痛みをフィードバックするようなVRといったもんで、VRヘッドマウントディスプレイがないところを探す方が大変だった。大げさでなく。企業のブースもやっぱりVRで、プレイステーションVRを持ち込んで来てはいろいろな使い方を提案していた。プレイステーション4が家になく当面は買うこともなさそうだけれど、普及してくればそれこそ美少女が添い寝だってしてくれるコンテンツが登場するかもしれない。

 眼前の大スクリーンで映画やアニメを見ている感じにだってなれそうで、テレビを買い換えるよりはプレイステーション4とセットで買って、映画やアニメを楽しむ装置にするって手もありそう。でも「バイオハザード7」はちょっとやらないかな。来年1月にも登場してくるVR完全対応の「バイオ7」は、あの廃墟の中でゾンビに迫られる恐怖ってのが空間を置いて画面を眺める客観的な状況から、その空間に身を置いて前進で味わう主観的な状況へと転じることになりそう。それこそ背中から忍び寄られ前へと回られ脅されるといったことも。プレーしたら家でギャーギャー悲鳴をあげそうなだけに、これは恥ずかしくってプレーできない。むしろ誰かがプレーしている様を見てみたい気もするけれど、それで恐怖が伝染してもなあ。とんでもないゲームを作ったものだ。

 何でも最初は2Dの普通の「バイオ7」を作っていたんだけれど、途中からVR完全対応にしようぜて話になっていろいろと作り込んでいったとか。とはいえカメラを2つ置いたらすぐVRになるかっていうとそうでないのが、VRならではのさまざまな事情。それは没入感をもたらすのと引き替えに、VR酔いとかVR疲れのような症状を引き起こしてプレーを阻害する。もしもVRで遊んでこれが合わなかったら、二度とVRで遊ぶものか、それよりも「バイオ」で遊ぶものかとなってお客さんを失ってしまいかねない。同じ「バイオ7」でもVRにはVRなりの工夫が必要、ってことで歩く速度を落として入って来る情報量を抑えたり、無駄なイベントを除外して極力酔いやすい状況にならないようにしていったとか。

 これは「VR ZONE」のコヤ所長なんかも言っていたことだけれど、開発している人たちはVRにのめり込んでいるうちにだんだんと慣れてしまって、どこが酔いの原因かを気にしなくなってしまうらしい。でもそれを普通の人にやらせたらVR酔いが起こってしまう。なおかつお客さんというのはそういった普通な人で、そうならないように常に自分も気持ちをリセットし、何が酔いを引き起こしそうかを感じながら作っていく必要があるという。そういう知見をカプコンは「バイオ7」で貯め、バンダイナムコエンターテインメントは「VR ZONE」で貯めていく。コロプラも端役からVRヘッドマウントディスプレイ用のダウンロードコンテンツなんかを出してきた。今を謳歌するんじゃなく、未来に向かって挑戦を続けるところが今後、生き残っていけるのかも。そうした挑戦に、ごくごく1部を除いてまるで向かっていないアニメーション業界が心配だなあ。

 いつモニターのバックライトが点かなくなるか分からないんで、ちゃんと動くのを揃えておこうと横浜からの帰りがけに秋葉原のソフマップに寄って中古のX201を購入。もOSがなくたって最初からHDDの差し替えで対処するって決めていたんで、税抜きで2万円に届かないのを買って帰って壊れたものからとりあえず動いていたのに換装したHDDを差し込んで、電源をいれたらちゃんと動いたんでまずは善哉。これにもいつか不具合が出ないとも限らないけれど、今回壊れたのは途中でシャットダウンすることがあっただけに最初から調子が悪かった、それと比べると普通に動いているからたぶん大丈夫だろう。液晶パネルが落ちるかも知れないのを予備役に戻してしばらくはこれで運用していこう。中古市場からX201も消えかかっているし、もう1台くらい買っておくかなあ。キーボードが抜群に打ちやすいんだよ、これ。


【8月24日】 情報が流れたのは2010年の8月25日で、「忘れもしない今年の5月18日」で始まるブログの記述も8月25日付になっているからまだ、1日あるような気持ちふっと浮かぶけどそれだって出会える喜びに近づくというのではなく、亡くなられた日からさらに1日、遠ざかっていってしまうということ。心躍る時間ではなく、募る寂しさを薄れさせないよう、歯を食いしばって耐える1日になりそうだ。そんな8月24日、「千年女優」や「パプリカ」の今敏監督が亡くなられてちょうど6年、七回忌。

 日本での反響もアニメーション関係者やアニメファンを中心に大きいものがあったけれど、世界の扱いがまた大きくてニューヨークタイムズが報じ、ロサンゼルスタイムズもサイトのトップに顔写真入りで載せていたことを今でも覚えている。監督した映画でいうならわずかに4本、作られただけで日本人の誰もが知る映画にはならなかったし、世界の興行で大成功したといったものでもない。知る人ぞ知る。そんな監督であり、アニメーション映画だったのに、そんな知る人たちに与えた影響は大きく、そして映像の世界に一家言を持った人たちに知られていたことが、ああいった海外での衝撃と、今に至る嘆きにつながっている。そんな気がする。

 今もなお、検索すればリアルタイムで作品を話題にし、関心を向けその命日を知って悼んでくれる人たちが国内外に大勢いる。悼むことしかできない寂しさはあり、悼んでも新しい作品を見ることのできない悔しさがある。でもどうしようもない。どうにもならない。できるのは語ること。それだけだ。でも、それだけでも忘れ去られるよりは絶対に良い。もちろん、忘れ去られるなんてことはありえないと思うのだけれど、移ろいやすいエンターテイメントの世界で、永遠に語られ続ける人は決して多くない。石ノ森章太郎でも。手塚治虫ですら。

 だからこそ語られる間は語り続ける。その存在を、その作品を。上映されるものを観る。DVDやBDを再生する。amazonプライムから鑑賞する。心であの名場面を思い描いて名台詞を口ずさむ。ひとりで。誰かと。大勢で。世界中で。そんな行為が来年も、10年後も、そして22世紀になっても今敏監督を、その作品たちを生かし続けると思い、そうあって欲しいと願うのだ。「夢みる機械」が果たしてどれだけ進んでいるか、本当に公開されるのか、分からないけれどもそれを夢に見続けるのもまた、語り続けることになるのだから。改めて、合掌。

 そんな今敏監督作品のうちのすべてをマッドハウスで手がけたMAPPAの丸山正雄さんと、そして「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」を手がけたGENCOの真木太郎さんがまたいっしょに作っている片渕須直監督の長編アニメーション映画「この世界の片隅に」にとてつもない情報が。かつて能年玲奈として知られた女優ことのんさんが主演の声優としてすずさんの声を担当することになったとか。いやあ凄い。そしてめでたい。いろいろあって芸能界っていう“世界”の片隅に追いやられてしまっている形ののんさんだけれど、これからの公開が待ち望まれている映画のそれも主演という場所でしっかりと生きて、そして声を上げようとしている。これは応援するしかない。

 これが「あまちゃん」全盛のころだったら、スポーツ紙がトップで扱いワイドショーだって何十分もかけて紹介しそうなところだけれど、今の状況ではせいぜいが早朝の情報番組に流されたくらいで、全国区のワイドショーはまるでスルーしスポーツ新聞も昼を過ぎても触れる気配がまったくない。これがつまりそういうことか、って芸能界と芸能マスコミの凄まじさを感じてみたりもするけれど、もとよりそうした場所の支援などないまま「マイマイ新子と千年の魔法」をロングランにして世に定着させ、そして新作への期待から立ち上げのための資金を拠出する人を大勢呼んだ片渕監督の作品。そうした芸能界と芸能マスコミのスルーを気にせず自分たちの手で、自分たちの声で世に広めていくことになるだろう。そこにいらぬちょっかいを出そうものあら、全てのアニメーションファンと、そして「あまちゃん」以来の能年玲奈ファンが立ちあがる。レヴィと新子が殴り込む。バラライカとロベルタもいたらこれは怖いぞ。どうする芸能界。謝るのなら今のうちだ。

 原稿を書く予定のセッションは午後からだけど早めにいって他のも見物しようと横浜についてパソコンを開いたら電源がイカれて起動しないかしてもすぐ落ちる。これはヤバいととって返して予備のパソコンのHDDを換装し、とりあえず使えるようにしたけどこれも液晶パネルが真っ暗になる症状が時々出るんで恒久的には使えない。4台目になるけどどこかでX201を仕入れていつでも換装できる準備をしておこう。出費がかさむなあ。まあ仕方が無い、。でもって午後からCEDEC2016。とりあえず外国人のVR開発者がVRどうなるっって話を聞いて、ARに持って行かれるんじゃないのと言われてそうかもなあと思ったり、行動経済学からソーシャルゲームのヒットを分析していた代理店の人の意見に、そうだけれどもヒットしたものを後付けで分析するのは難しくないかもなあとか思ったり。でもそこでピタリと当てはめてみせられるのも知識だし才能。それがないから未だにしがないライター稼業。偉くならなくても良いからお金持ちになりたいなあ。

 大成功だったみたいな「シン・ゴジラ」の女性限定発生可能上映会。そもそもが尾頭さん役の市川実日子さんや泉副幹事長役の松尾諭さん、そして間准教授の塚本晋也さんが来るってだけでも大騒ぎになりそうなのに、片桐はいりさんまで加わった舞台挨拶があり、女性限定ってことでそうしたイベントになれた人たちが応援のうちわを作って用意してもいて、相当に華やかな会場になった模様。どういうコールが飛んでいたかは想像するしか無いけれど、どこか大向こうっぽい感じもあった男性も混じっての発生可能上映会に比べて熱量があって声も響いて突っ込みにも厳しい感じのものになったんじゃなかろーか。あとで映像がパッケージについてくれたら嬉しいけれど、その場にいてこその楽しさって奴でもあるから、見るよりは想像の中でああだったかもと思うのが良いのかな。今度は男性も入れる場所で尾頭さん見たいなあ。


【8月23日】 忠犬ぶりを讃えるべきか、それとも贔屓の引き倒しだと諌言すべきか。例のリオデジャネイロ五輪の閉会式で、安倍晋三総理がマリオになって土管から現れた演出について東京五輪組織委員会の武藤敏夫事務総長があろうことか安倍総理をマリオにしようと発案したのは会長の森喜朗元総理だと報道陣に向かって言ったとか。いやいやそうじゃないだろうと普通にあの展開を見ていた人なら気付く話で、日本からリオへと何かを届けるというストーリーがあって、それには土管を使って世界中の誰もが知っているマリオが届けるのが面白いというアイデアがあるか、あるいは逆にマリオを使って土管を使って何かを届けよう、それは何にしようかという思索があって、北島康介選手やハローキティ、ドラえもんといったキャラクターが起用されたって段取りが浮かぶ。

 そこにはマリオというキャラクターはあって、それを誰が演じるかという段取りはあってもいきなり安倍総理をマリオにしようという発想が入り込む余地はない。それとも安倍総理のマリオありきで組み立てられたストーリーだと言うんだろうか。それなら別に日本から土管で送り込む必要はなく、現地で土管から現れ走り回るだけでも充分だろう。そもそも総理はマリオとして演じた時間がすごく短い。マリオにこだわらなくたって他の使い方はあっただろう。

 考えられるのはキャラクターがあって日本からのワープがあってリオなんでマリオという発想も乗ってそれを演じるには安倍総理がふさわしい、けど誰が頼める訳でもないんで偉い森元総理に頼んでもらったといった段取り。受けて森元総理が直談判してOKをもらった話を、武藤事務総長が持って発案者も森元総理だと吹聴したって可能性が浮かぶ。そこで常識的な頭があれば、段取りを詰めて森元総理の関与部分を抜き出して状況を適切に報じようとするんだけれど、森元総理に手柄を捧げたい武藤事務総長のよいしょぶりを、受けてそんな献身的な武藤事務総長をよいしょするように曲げずさらに持って記事を書いたのが、報じられた発案者としての森元総理といった記事になるんじゃなかろーか。

 スポーツ紙に多かったそれは考えるなら来る東京五輪に向けて、プレスの枠を失わずみしろ拡大したいスポーツ紙の思惑なんかも絡んでる? もとより勢力の乏しい自称全国紙がそうした仲介の可能性を匂わせながら記事を書いていたのとは対照的。2020年に存在しているかも分からないのに媚びていられるか、ってことなのかも。というか今だスポンサーになってないものなあ、自称全国紙。次の段階でなれるだろうか。そんなお金はあるんだろうか。

 SMAPの名前がないのは仕方が無いことなのかもしれないとして、TOKIOとV6もないらしく、いろいろと寂しさ混じりの憶測を呼んでいたりするチケットの高額転売取引防止を求める音楽業界やらアーティストやらの共同声明。ずらりと並んだアーティスト名はポップスにアイドルにアニソンもいたりして幅が広い上にだいたいのところを抑えてあって今時の音楽シーンが伺える名前になっている。そして日本音楽事業者協会に日本音楽制作者連盟にコンサートプロモーターズ協会、そしてチケットぴあとかも含めたコンピュータ・チケッティング協議会が名前を連ねた共同声明では、ライブのチケットが買い占められては高額で転売されて、本当に行きたい人のところに行かず、そこで生じた利益はあーティスの所にはまるで入らず本当に音楽が好きな人の懐を痛めて音楽市場全体にダメージを与えていると訴える。

 ほぼほぼ納得の主張で、最初から高値での転売目的でチケットを買ってはネットオークションに流す輩の大量発生が、以前にも増して高額転売問題を深刻にしているとも言えてそうした部分をどう崩すか、ってあたりがテクニカル的な課題になっている。単純に言うなら買った人しか入れないようにするチェック機能の強化が挙げられるけれども名前を免許証とかで確認して入場証を発行するのも数千人規模のライブでは無理だし、顔認証もどこまで精度があるかが今だ不透明。スマートフォンのようなデバイスを使って電子チケットだけで入場を判断するという方法も、スマートフォンありきになってしまってそれを持たない人を閉め出してしまうからイーブンじゃない。やってやれないことではないけど、やらずにすませたい手間でもあって、だからこそ転売をどうにかしたいといった声が起こってきた。

 買ったけれども行けなくなったから誰か行きたい人に渡したい、そのためにオークションのサイトに流すとかいった善意の転売をも規制しかねない節があって、踏み切れないでいる業界。だったらどうしたら誰もが納得の環境が出来るのか、転売を一切禁止することは難しいならチケットぴあがやっているようにリセールを認めるってのも一つの手。だけれど間際のでリセールはできないから完璧じゃない。転売のシステムは認めるけれども、そこに一定の上限は設け、なおかつ転売分からある程度をロイヤルティとして徴収してアーティストなりプロモーターに還元するといった手段もありそう。新古書店が大量の中古本売買で設けながらも作家には還元されていない状況を緩和しようと業界でとりまとめて変えそうとしたって話もあったし。

 とはいえ誰にどれだけ配分するかってな具体的な方法なんか見えないだけに、そうした古書販売からの還元は状況としては頓挫している感じ。チケットの場合は取引量が本ほどじゃないから売れたものを把握できれば可能だけれど、すべてが上回って取引される訳じゃ無く、ディスカウントされるものもあるからなあ。それでもロイヤルティは取るべきか? ちょっと納得いかないだろう。中古品とは違って最初に売られた分で必要とされている分は回収できていて、そして新しいチケットの販売を阻害する訳ではない。そんなものが出るならみんな喜んで買うだろう.追加公演って奴だから。なので気分としては同情できても、細部の部分でどれだけ音楽業界、自分たちのわがままを言うんだって話になりかねないだけに、その辺りをしっかりと詰めて、売り方に問題はなかったのか、対策を惜しむような態度を見せていないか、良い席も悪い席も無関係に同じ値段で売る態度は正しいかってあたりを勘案しながら、誰もが普通に変える仕組みってのを作っていただければありがたい。

 そして気がついたら名古屋グランパスエイトの小倉隆史監督が休養に入っていたというか解任されたというか。5月くらいからまるで勝ちがなくて初のJ2落ちもほぼほぼ確実と言われる状況では仕方が無いとは言えるけど、それならどうしてちょっと前に問題が浮上した際に、解任でも何でもして体勢を立て直さなかったのかが気になる。守ると言いつつ具体的に何をするといった声も受けず、文字通りに見守っただけのトップに責任はないのか。そこがこれから問われてくるだろうなあ。しかし名古屋は中日ドラゴンズが谷繁監督の休養を発表してこれでサッカーと野球のトップ2チームともが沈没。お隣のFC岐阜も監督が替わったりしてプロスポーツが全般に低迷している。いくら至学館ルートの女子レスリングが強くたってそれでスポーツビジネスは盛り上がらない。秋に始まるバスケットボールのBリーグにもB1に名古屋ダイヤモンドドルフィンズを送り込んではいるけれど、上位進出が狙えるチームでもなさそうだし。Fリーグで連覇を続けているフットサルの名古屋オーシャンズだけが頼りかなあ。


【8月22日】 「食戟のソーマ」第2期と「DAYS」あたりが7月スタートのアニメーションで毎週必ず見る列に入っている感じなのって、漫画として連載されてそれなりに評価されている作品だという安心感があるからだけなのかもしれなし、それゆえに先が分かっているからなおのことびっくりしなくて済むっていう気があるからなのかもしれない。見知らぬ展開をワクワクドキドキしながら見ていって、驚きを得る楽しさよりも驚きに戦く怖さが先に立ってしまうのって、やっぱり創作物に対する姿勢として良くないのかもしれない。

 でも「クオリディア・コード」みたいに人がいなくなるのに直面するのはやっぱり辛いしなあ。文庫で幾つかシリーズ出ててもアニメの本筋はまた別だし。姫とほたる、どうしたんだろう。そしてあの世界、本当はどうなっているんだろう。気になってきた。こうなるとずっと見ようって気になるかな。好奇心が恐怖心に打ち勝つ分水嶺がきっとどこかにあるんだろう。「クロムクロ」は学園祭の回を録画じゃ無くて放送で見たことで、なんだこの愉快な奴らはって思いが浮かんで恐怖心が吹っ飛んだ。「タブー・タトゥー」はオープニングのレヴィみたいな女性に目を奪われた。きっかけなんて単純。だからここは録画されたものも順繰りに見ていくか。「ラブライブ! サンシャイン」とか。無印より面白がれるのか、っていう壁がこちらにはあってやっぱり手が出せていないのでした。

 注目はいったい、どんな演出になるかってことでそれによって2020年の東京五輪の開会式が、どんな感じになるかも伺えると思って見ていたリオデジャネイロ五輪の閉会式。次回の開催都市である東京をアピールするコーナーで現れたのは力士でもなければAKB48でもなく女子高生でありマリオでありドラえもんでありハローキティでありパックマンでありキャプテン翼。いわゆる“クールジャパン”の尖兵として広く世界に知られたキャラクターを並べて見せたところに日本が、そうした存在をアイドル以上に世界に通じ得ると認識していることが伺えた。

 まあそりゃそうか、世界にアイドル文化はしみ出ていてもアニメやゲームのキャラほど伝わっている訳じゃないからなあ、せいぜいがアニソンか。だからアニソンの1発でも演奏すればさらに盛り上がったとは思うけれど、そこはさすがに抑える一方で秋元康さんが率いているような感じの音楽ではなく、世界でもじわじわと広がっているPerfumeやらきゃりーぱみゅぱみゅの音楽を手がけている中田ヤスタカさんを持ってきて、Perfumeの振り付けをしているMIKIKOさんがパフォーマンスを担当し、そこに電通の菅野薫さんがおそらくは数々のプロジェクトで一緒にやっていて、Perfumeにも関わっているライゾマティクスの真鍋大度さんを使ったARやらVRやらプロジェクションマッピングやらを被せて近未来感を表現してのけた。

 マリオの格好をした安倍晋三首相がマリオならではの土管から現れたのがご愛敬。だけど日本の総理が世界で人気とは言えゲームのキャラクターを演じて見せたってことに意義はある。やった安倍首相もなかなかのもの。これが麻生太郎さんだったらゴルゴの真似でもしてみせた? あの人がマリオの格好しても似合いそうもないものなあ。まあそれはそれとして、交換言われたAKB48であり秋元康さんでありジャニーズでありといった、ドメスティックに人気のアーティストやらプロデューサーを持ってこないで、ポップカルチャーとテクノロジーを融合させた面々をしっかり持ってきたところに、日本もちゃんと世界における現在位置を捉えているってことが伺える。

 演出の椎名林檎さんは日本的でありながらアジア的で世界的なゴージャスを造り出せる人だから、これも合わせて良い感じに。そんな座組が作り上げた圧巻のパフォーマンスがさて、4年後の東京でも維持されるのかっていうとそこはそれ、別の政治的な判断も働きそうだし、現在の最先端が4年後もそうかとは限らないから適宜、アップデートをはかりながら驚きの演出プランを提案していって欲しいもの。まさか浅利慶太さんの復権とかはなよなあ。ただ個人的にはあの長野五輪での演出、嫌いじゃなんだよなあ、静謐で日本的で世界に媚びていなくって。御柱とか立てたのには驚いたけど、世界に分かってもらえたとはちょっと思えない。でも良いんだ御柱なんだから。今度はだから4隅にスカイツリーを建てるんだ、66.6メートルくらいのを。 ドドンと。

 そして終わった五輪を受けて日本のテレビ局あたりがマラソン中継のあたりからすでに、メダル獲得選手を集めてタレントが歓待しながら大騒ぎする番組をどこも始めていてちょっと辟易。すでにメダル獲得の瞬間で大いに感動している話を、余計な音楽とかエピソードとかタレントのいかにもな賞賛を載せて見せたところで過剰であると同時に鬱陶しさも増してメダリストへの敬意が削がれてしまう。ここで見たいのは個々の競技、メダル獲得に繋がったプレーがどういったものだったのかという分析で、当事者とそれから経験者を交えて語ってくれたら後進にとって役に経つし、普通の人にもスポーツを見る勘所が分かってためになる。競技事態への興味を誘ってスポーツを盛り上げることに繋がるのに、そうしたスタンスはどこにもなさそう。まあいずれNHKがやるだろうけど、そういう果実をあっさり捨てて目先の視聴率稼ぎに走る民放地上波に、未来はやっぱりなさそうだねえ。

 せめてだったら政府がスポーツそのものの振興と普及に力を入れればいいのに、そうした政策を司ってるスポーツ庁の長官からして「一度リセットして、メダルの可能性が高い競技やもう少しでメダルに手が届きそうな競技を重点的に強化していくことが大切だ」なんて言っているから困ったものというか。せっかく日本でオリンピックを開くんだから、ひろくスポーツ全体に枠を広げ、それこそ五輪の種目になっていない高齢者向けのスポーツや、子供が安心して取り組めるスポーツも含めて予算をつけて盛り上げて、国民総健康社会を作ろうとか呼びかけるべきところを、取れるメダルは全部かっぱぐって感じのスタンスを見せている。

 せっかく世界中から来てくれる人がいるのに、そういった選手たちに向かってメダルは俺たち主催国が独り占めするからそれでも良いならかかってこいって言っているような雰囲気。遍く参加国に、そして来てくれる観戦客に向かって日本を楽しんで、そして自国の頑張りも支えてあげてと言うのがホスト国の懐の広さなんだけれど、そういう風に向かわないのはメダルこそがすべてって環境に、知らず日本のスポーツ界が染まっているか、そうせざるを得ない状況に追い込まれているからなんだろうなあ。言っているのが何も分からない素人ではなく、ソウル五輪で金メダルをとった鈴木大地さんというのも分からないところ。やっぱり金メダルがあったからこそつかめた地位だという思いでそう言っているのか、日頃からメダルこそがすべてを教えいるのか。そんな人たちによって仕切られ進められるスポーツ振興政策。開会式に安心できそうと思ったらすぐこれだ。参ったなあ。

 台風が上陸するかもって場所の、それも通過していくだろう時間帯に発表会をセッティングしていて、来てくれるだろう人の安全だとか終わって帰ってもらうときの足の問題なんかを鑑みて、中止にするのが普通の世界の発送なんだろうけれどもPRにとれる時間も予算も決まっている中で、再セッティングなんて出来ないとなったらやっぱり実行するしか無いんだろう。だって木曜日に発売のゲームソフトの発表会だから、ってことでのぞいてきた「戦国BASARA 真田幸村伝」とそれから映画「真田十勇士」のW真田発表会。「真田丸」が大流行のご時世に伝奇とすら言えそうな真田十勇士の活躍を映画にする剛毅さがまた凄いけれど、そこは堤幸彦監督だけにいろいろ称賛もあるんだろう。活劇としての面白さ、へたれた幸村の性格設定、等々。そして大坂の陣後の展開。それを見たさに言ってしまいそう。ゲームもこれで新しい展開がありそうでちょっとプレーしてみたくなった。久々に動かすか、プレイステーション3。


【8月21日】 熱を出したからなのか、汗腺が開いて汗が出るようになって数時間置きにトイレに立つようなことがなくなり何時間もまとめて寝られるようになったものの、今度は寝汗がひどくて布団が水浸し。かといって干せるような場所もなければ暇も無いため、このままウォーターベッドが壊れたような場所で残る3週間ほどの夏を過ごしていくことになるんだろう、そんな布団から見ていたリオデジャネイロ五輪のサッカー男子決勝となるブラジル対ドイツ戦。2002年の日韓ワールドカップの決勝と同じカードではあったものの、ロナウドがいてオリバー・カーンが構えていたようなビッグネームはネイマール選手くらいしか見当たらず、興味という点ではちょっと薄そう。

 とはいえ王国を名乗るブラジルにとって、ワールドカップは5度制していてもオリンピックで金メダルは今だなく、そしてネイマールを欠いた2014年のワールドカップブラジル大会でドイツを相手に1対7で記録的な大敗を喫したこともあって、その雪辱に燃えていたってこともあったのだろう。マラカナンに満員の観客を集めた決勝戦は最初にネイマール選手がフリーキックから1点を決めてリードを奪うも、後半にドイツが追いつき延長戦へ。幾度かゴール前にブラジルが運ぶもののそこがオリンピック代表という若さなのか瞬間の見極めが悪く持ち替えたりそらしたりしてる間に詰められゴールを奪えない。そしてPK戦へ。

 ここで因縁を持っているところがあっさり負けてしまうってのがドラマなんだけれど、そこは地元で恥をさらせないという自意識が、マラカナンで応援する観客からはもとより、ブラジル全土から向けられる必勝のプレッシャーに勝ったか、1人として失敗することなくドイツのゴールキーパーに触れさせもしないキックで得点を重ねていく。そしてドイツの5人目の失敗があり、ネイマール選手の成功があって見事にオリンピックでの金メダルを獲得した。ブラジルサッカー界が今まで何度もワールドカップを掲げても、これだけは持ち得なかった金メダルだけに参加した選手は嬉しいだろう。

 そもそも2002年のワールドカップで優勝したメンバーも残っていない状況で、ひとつの栄冠を得たと言えそうなのは2007年の南米選手権優勝メンバーくらい。それから9年が経ってしまった今、王国の看板を掲げられるメンバーに名を連ねられたことは、2007年にはまだ出場していなかたネイマール選手にとっても、ほかのメンバーにとっても一つの励みになるだろう。とはいえやっぱりフル代表での栄冠があってのセレソンってことで、狙うは次のワールドカップ、ロシア大会での優勝か。ネイマール選手以外に誰ってスターも思いつかない状況だけに、今大会のフォワードに名を連ねたガブリエル・ジェズズ選手やガブリエウ・バルボーザ選手がトップとして躍動することを期待するしかないのかな。ロナウドロナウジーニョカカネイマール。継ぐのは誰か。

 反中有理ってことなのか、何であっても中国の悪口に結びつけてくるメディアがあってその無理筋っぷりに毎度頭がクラクラしてくるんだけれど、リオデジャネイロ五輪に関する記事でも日本人選手の素晴らしい活躍ぶりとか外国人選手の圧倒的なパフォーマンスを紹介して読者に夢や希望を与えるなんてことはせず、ひたすらに中国人選手とか中国から来た観客のあら探しをしては報告をすることに腐心している感じ。日本と中国の卓球の試合を、なぜか記者席からではなく観客席で見ながら締め切り間際の記事を書いていたという記者が、そんな忙しいなら試合なんて見る暇もないはずなのに前に入ってきた中国人の観客に妨げられて見えなくなって、どいてと指図したけどどいてくれないんで怒鳴ったら跳び蹴りを食らったと書いていた。

 そもそもなんで観客席で記事を書いているんだって話になるけれど、想像するなら記者席がすでにふさがっていたか、あるいはそもそもがオリンピックの取材パスをもらっていなくて、観客として入りながらも記事を書くようにしていたかで観客席にしかいられなかったということがひとつ。そこには日本人選手を応援する人もいれば中国人選手を応援する人もいて、試合が白熱してくれば総立ちの歓声も起こるだろう状況で、応援に加わらず記事を書くからとパソコンを叩いている方が一種別次元の存在と言えるだろう。もちろん指定席にいたら前にそうじゃない人が来て立ちふさがったという可能性もある。でもそこに人がいたって立ちあがった可能性もある。そうなる可能性のある観客席で視線を妨げられたと起こるのが筋違いで、だったら見える場所に動けば良いだけのことだろう。

 そうせずに自分の勝手な理由で目の前の試合を応援する、すなわち“愛国心”というどこかの新聞が大好きな言葉を実践していた人たちを怒って蹴り返されたところで、怒れる筋合いの話ではない。それとも日本の愛国だけが愛国であって中国の愛国は愛国じゃなといでもいうんだろうか。なんとまあ自分勝手な話。挙げ句に退場した観客席はゴミばかりだったって捨て台詞のように付け加えているけど、それは中国に限った話でもないし、日本だって一部に観客席を綺麗にする人はいても、そうじゃない場所だって人だってわんさかある。ハロウィン翌日の渋谷がどんな状況だったか。それを思えば比較できる話でもないけれど、とにかく中国の悪口ならば書いてOKで、載せてもアクセスが稼げると考えているんだろう。他人の悪口で凌ぐ糊口は美しいか? まったくもってやれやれだ。

 気がついたら芸文社というところが出していた「痛車グラフィックス」という痛車を紹介する雑誌が休刊になっていて、そして主催して年に1回くらい開いていた痛車の祭典「痛Gフェスタ」も開催が中止になっていた。車をキャラクターのシールとかペイントで飾り内装にも手を加え音響面でもとてつもないシステムを組んでアニソンなんかを流す「痛車」ってジャンル。今だ認知されたとは言えないものの世の中をキャラクターのラッピングバスが走るようになり、ラッピング電車も普通になる中でそういうものも悪くはないと思われ始めていた感じ。極めてオタク的だったフィギュアが普通のホビーになり、コスプレも世界大会が開かれるくらいに一般性を帯びたものとなったように、遠からず日本発の世界的な2・5次元系文化として、認められる可能性を持っていただけにここで潰えるのはとても寂しいしもったいない。

 ひとつの出版社が主催して支えるには、昨今の出版事情もあて厳しかったのかもしれない。参加者が1000台とか越えてくるとその事務経費だけで支出も相当になるけれど、それに見合うだけの部数を得られるほど出版の環境って良くないから。でも一方でワンフェスが変わらず開催を続けており、世界コスプレサミットは愛知県知事も名古屋市長も喜んで参加しアピールする世界的な祭典になっている。痛車というカテゴリーもどこかのテレビ局とかメディアが関わり、広告代理店が仕切り出版社も絡みつつ自動車メーカーや部品メーカーやカー用品店が名を連ねて盛り上げれば、絶対に大きくなるイベントだと思うんだけれど。そんな剛毅な判断を出来るところはあるかなあ。イエローハットでもオートバックスでも手を上げてくれないかなあ。


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