縮刷版2016年5月下旬号


【5月31日】 「沖縄にサブカルは無い」と言ってしまって、ウルトラセブンとか音楽とか映像とか漫画とかあるんじゃないかと突っ込まれて、「違った沖縄にオタクコンテンツが無いだった」と言い抜けようとしたら、神野オキナさんという「あそびにいくヨ!」とか「南国戦隊シュレイオー」といった、沖縄が舞台になったライトノベルを沖縄に住みながら書いている人がちゃんといて、当人からふははははと言われてしまって逃げ場を失ってすまんかったと言うかと思ったら、ゼロ年代批評の文脈に入ってないから知らなかったよといった具合に言い抜けようとして、おいおいそんな文脈に載ったものだけがオタクコンテンツなのかよといった、至極真っ当な突っ込みが入る。

 それにどう答えようかって展開になっていたのがちょっと前。とりあえず読みますといった感じで当人同士の間で決着はついたものの、傍目にはあり得ることを無いと断じてしまう危険性と、それが間違っていたと分かった時の身の処し方といったものの大変さが見えて、何かを書いたり言ったりしている人間にとっていろいろと勉強になった一件。あまりに大量の作品が漫画でもアニメーションでもライトノベルでも、世に送り出されている現状で、それらを分類したり論じたりする際には、こうと決めつけるんじゃなく、自分の観測に入った範囲でといった前提をあらかじめ言って、逃げ道を作っておくなりするのも一つの手だけれど、そもそも限定してしまう意味があるのかってところでも、考え直してみる必要がありそう。って感じてしまうから区分して断じて語れる批評家になれず、本も出せないんだろうなあ、自分。まあ良いけど。

 中野千雨のハングオンがとても良かった「ばくおん!!」は、2年生に上がった佐倉羽音らバイク部の面々が新入生の勧誘にと入学試験の時からバイクの音を口でならしてサブリミナルを行って、入学してきた生徒を誘おうとしたら自転車の方がダイエットになるとつぶやかれて玉砕。それでも負けずと新入部員を勧誘するステージにバイクを出そうとしたら、鈴乃木凜の企みによって間際になってダメだと言われて、あわててバイクのハンドルだけを手にして弱ペダミュージカル的なダンスを唄を見せたらこれが大受けするかとうとそうでもなさそう。ただ自分は背が低いので公道ではバイクには直らずサーキットでだけ乗ると断言していた新入生の千雨がこれに引っかかった。

 バイクってのはそんなに軽いものではないと言わんばかりにハンドルを奪い見せたレーサー的なライディングポーズ。スカート姿で足も開いてバランスを取るその姿勢を男子が見れば大喜びしそうだけれど女子ばかりの学校ではそれで引っ張れるはずもない。でもそうやって1人、加わってバイク部はまだまだ続いていきそう。来夢先輩も留年をして1年から3年までそろったけれど、来夢先輩に卒業をさせない設定だといずれ羽音たちが3年生になって同級生になってそして卒業していって、やっぱり残されるのか来夢先輩。というか校長のたづ子たちが卒業してからずっと何やっていたんだろう。千雨の母親のところには年賀状がバイク部の部室の住所から届いていたそうなんで、ずっと居たことは居たのかな。いやあホラー。でも良いホラー。

 6月2日と3日に京阪奈で開催されるNTTコミュニケーション基礎科学研究所のオープンハウスに出てくる研究成果を見る機会があって、そのうちのひとつが面白かった。トリオ漫才用ロボット。違う。人間とロボットの対話にもう1台、ロボットを混ぜることで会話が弾むようになるなじゃいかという研究。人がロボットに話しかけたり、ロボットからの問いかけに人間が答えたりすると、それを受けて関連するような話を違うロボットが始めてそれに人間が答えたり、1台のロボットが人間からの返事に「ふむふむ」とうなずいている間に別のロボットから関連する返事が発せられたりといった具合。1対1よりまだるっこしくなるかというと、これが逆にテンポよく会話が続くようになる。

 というか、本当に会話をしているというより、連想ゲーム的に言葉をつないでいく感じなんだけれど、これが1対1だと対話をズラされている感じがありありとするし、答えて返事が出るまでに間が開くとちょっとしらけてしまう。これが2台のロボットになると、返事のための演算をロボットがしている間に、別のロボットが関連する言葉を発して間を埋めて人間を飽きさせない。人間がロボットからの質問を聞き間違えて頓珍漢な答えを返した場合もそれを受けてロボットが答えるんじゃなく、別のロボットが質問にそぐう言葉を発することで会話を逸脱から軌道修正して会話をうまく繋げていく。

 1対1で向き合ったロボットがそれは違うそんなことを聞いてないなんて言ったら会話も持たないし、場の空気もササクレ立つところを、もう1台混ぜることで全体をまとめて、穏やかな感じに保っていくといった感じ。ちょっと面白い。人間でもあるいは1対1より誰か別の1人がいた方が会話も進むし、コミュニケーションも破綻しないのかもしれないけれど、そういう風に出来てないからなあ、人間の性別は。結婚したら夫婦は2人で別の誰かが会話に参加してくることはない。だから詰まったりササクレ立つ。子は鎹とはよく言ったもの。これで人間にも第3の性が生殖に必要になれば、離婚率も減ってコミュニケーションも円滑になって種として繁栄するのかも。そんな設定のSFってなんかあったような記憶もあるけれど。どだったっけ。

 資料によると1対1の対話で1台のロボットがすべてを言うより、別のロボットが助言めいたことを混ぜていくことで会話全体が豊かになるような感じがあって、それがお年寄り相手のセラピーなんかに利用できるとか。政府が介護の現場でロボットを入れるとか言っているけど、こういう技術も活用されていくのかな。ちなみにこれは大阪大の石黒さんの研究室との共同研究成果だそうで。対話ロボはマツコロイドでも使ったそうだけれどそうした音声対話ロボットを何台か置いて人間のパーソナリティ1人で番組とか作って流したらどんな感じになるだろう。どこに話が流れていくかも含めてスリリングで面白くなるかな。どうなのかな。

 テレビドラマ版が始まるときに記事をちょっと書いたくらいで、それ以降はほとんど歓心を向けていなかった「牙狼(GARO)」が知らないうちにビッグコンテンツになって、テレビドラマはシリーズを重ねパチンコだかパチスロにもなって大勢が知るところとなり、そしてテレビアニメーション版も作られそれから派生する形で劇場アニメーション版も作られてしまった。この間だいたい10年くらい? いったい何がそれほどまでにファンを引きつけるのか、判然としないところではあるけれども「仮面ライダー」ばりのスーツアクションがありそれが「聖闘士星矢」ばりに煌びやかで、なおかつドラマだとイケメンがそろいアニメーションも人気声優が並んでいるとあって、男性のみならず女性も引きつけられているんだろう。

 それが証拠に劇場アニメーション版「牙狼<GARO> DIVINE FLAME」のスタッフトーク付き上映会に来ていた中に結構な女子がいたというか、もしかしたら半分くらい女子だったかもしれない感じ。声優さんが挨拶に来たわけでもないトークイベントでこれほどまでの女子率ってことはやっぱり作品として、あるいはキャラクターとして映画を愛してそれを作った人を見たいと思っていたからなんだろう。もしかしたら声優人気からキャラクター人気、あるいはスタッフ人気へと女性の関心もシフトしているとか? でなければ「キンプリ」の上映にあれだけ長い期間、ファンは押し寄せないか。そのあたりを間違えて声優頼みの作品を作っていたら、これからの時代ちょっと外すかな、それはそれで人気なのかな。

 そんな「牙狼<GARO> DIVINE FLAME」は特撮版を見ておらず、テレビアニメーション版もまるで見てない自分でも過去、何かあって今があるといった理解からたどって見ていくことが出来た。とにかくアクションが派手でよく動いて海外の特撮映画のよう。演出でアクションシーンも手がけた朴性厚さんによれば頭の中にそうした描きたいシーンがあって、それをコンテにして形にしてもらっているとか。映像としてそういうシーンを浮かべられるくらいになるまで、いろいろな映画を見まくる必要があるんだろうなあ。「RWBY」のモンティ・オウムもきっとそういう人だったんだろう。そして淡輪マジック。撮影監督の淡輪雄介さんの手で凄いシーンがより凄くなっていったらしい。そう聞くとまた見たくなる。

 というか観に行かなくちゃいけない理由が。スーパーでスペシャルなアニメーションを作ることで知られているあの大平晋也さんがこの映画で1カット、担当しているとかで聞いてなるほどそういえば、って思ったけれどもその時はあまりに情念がほとばしりすぎていて付いていくのに精一杯で、どれだけ凄いかをしっかと確認できなかった。言われてなるほど大平さんらしい作画というかおそらくは画用紙にいっぱい描いたものを積み重ねて渡したのを、淡野さんが指示通りに色を使って撮影して重ねつないでいったんだろう。それがあれか、って思い出せても全体像は記憶の彼方。ならばやっぱり今一度、見ておかなくちゃと思った次第。上映も続くみたいだし、これはもう1回くらい劇場で観ておこう。


【5月30日】 出入りしていた事務所なんかでしゃべるのが好きなんだろうと見初められ、現場で訓練していけば良いと抜擢されてプロとしてデビューしてしまったという状況から、とてもラッキーな人生を歩んでいるんだと思われていたかもしれない池澤春菜さんが、そこに至る過程でどういった道を歩んできたのかがLive Wireでのトークイベントで日下三蔵さんのインタビューによって明かされて、その聞くも涙で語るも慟哭の過程によくもまあ生きて今があるものだと感嘆することしきり。日本の学校に今ひとつなじめず海外に留学してロンドンで過ごしてしばらく。次は北欧だと思いノルウェースウェーデンフィンランド等々に希望を出したらそこが通らず、なぜかタイへと留学先が振り分けられてしまったという。

 そこでは西洋人が英語を教えに来てくれると思っていたら、やってきたのが英語は話せても日本人だったからややガッカリ。微笑みの国とは良いながらもすべての人がそうではなくって放って置かれて食べる物にも困るような状況が続いて、すっかり気持ちが参ってしまったという。間に入った人の責任問題を回避したい思いからの握りつぶしをどうにかかき分け、どうにか脱出はかなったものの人間不信が募ってしまってタイの別の場所に留学することはもとより、日本に戻っても外に出られない日々が続いたとか。

 そこで永久の引きこもりになってしまっては今はない。元から対外的に好奇心旺盛だった子が、引っ込んでしまっているのはいけないと思った親戚筋から誘われただいればいいと広告系の事務所に出入りするようになった時に出逢った大手声優事務所の代表から、誘われ誰かとしゃべっているようにマイクに向かってしゃべれば良いんだと言われてラジオに出たことがきっかけとなって、プロとなりそのままいろいろなラジオ番組とか声優の仕事とかを始めていったことが今に至るという。自身の頑張りもあり才能もあったんだろうけれど、弱っている人を見捨てずに引っ張り外に出そうとする人たちがいてこその今だと思うと、似た境遇にある人たちを無理にではないけれど、当人の興味が及ぶ範囲でいろいろとやらせてみるのも、“脱出”の手なのかもしれない。人生の勉強になるイベントだった。

 そんな池澤春菜さんによるSF書評集の「SFのSは、ステキのS」(早川書房)の表紙で、池澤さんが実はスケルトニクスに乗っていることが判明。写真だとアップになってて外骨格にあたるスケルトニクスはほぼほぼ見えず、かろうじて腕とかが見えるくらいだけれど実際には赤い色をした第4世代に乗って立っている場面を撮影してもらったらしい。とはいえ自立は難しくって支えてもらいながら竹馬に乗っているような感じだったとか。この後の第5世代は立つのもまだ楽でなれれば1時間でも乗っていられるものだから、池澤さんでも操縦は可能かも。もしも「SFのSは、ステキのS」が希望通りに星雲賞を受賞したら、来年の静岡である日本SF大会に池澤さんが登場して、スケルトニクスに乗って授賞式に臨んでくれるかも。そしたら暗黒星雲賞もスケルトニクスに乗った池澤春菜さんということでダブル受賞だって行けるんじゃないかなあ。さてはて。

 そんなスケルトニクスで代表の人が変わっていたことを知る。ずっと創業時から白久レイエス樹さんが会社の顔となってあちらこちらに出ていたけれど、4月からはCTOとして技術開発に当たってきた阿嘉倫大さんが代表取締役CEOになっていた。何があったんだろうかと想像するに、「エグゾネクス」というコードネームで進められていた、スケルトニクスにパワーをサポートする機構を組込パワードスーツ的な存在へとグレードアップさせる計画が、技術的な部分もあって行き詰まって終了となったことがあるみたい。ここでいったんリセットして、次をかんがえた時に白久さんは別の事業をかんがえ阿嘉さんはスケルトニクスの方法論を別の何かに仕えないかと考えた。それが「スター計画」。超人スポーツとかいった分野で拡張された進退が可能な範囲で動くこと、その快感を味わえる装置としての可能性にかけたって言えそう。今後どうなっていくかは分からないけれど、クールな乗り物としてのスケルトニクスは続きそう。そして別の方向からパワードスーツ的な物も始まって、いずれ道が再び重なり合うなんてこともあるのかな。目を離さないで見ていこう。

 デビュー作の「煌夜祭」で島が環状に連なる奇妙な世界を舞台にして、奇妙な物語を語って聞かせる語り部たちを通して魔物の存在を知らせ覇権争いを描いてといった具合に、奥深くてそして広々とした物語を送り出した多崎礼さんが、ハヤカワ文庫JAに新たな居場所を得て送り出してきた「血と霧1」(ハヤカワ文庫JA)もまた、巻き貝のようになった都市が地中に幾つも埋まっている奇妙な世界を舞台にしつつ、そこに生きる人々に血の明るさであり鮮やかさであり色といったものの違いから発言する異能を持たせ、そんな血の違いが階級を生んでいるという設定も乗せ、そんな世界ならではの高位の者が立場から来る抑圧にもだえ、下位の者が底辺であえぐような状況を示しつつ起こる事件を描いていく。

 最高位が10という血中明度で9という高い位置にありながらもライコスという都市国家の最下層に暮らして血液専門の探索業を営んでいるリロイスという男が主人公。ギィという名の男か女か分からないくらいに端正な人物が店主を務める酒場の上に居候しながら、持ち込まれてくる依頼をこなしている。その日も見た目は紳士淑女ながらも中身はどうも違っていそうな男女がやって来て、ひとりの少年を探して欲しいと依頼する。どうにも裏がありそうと思い断るもののしつこくつきまとって来た挙げ句に、リロイスは少年捜しを引き受けることにした。なぜなら少年は極めて高貴な出身で、その下位の者を従える血が悪用されては困るといたことがあり、またリロイス自身に子供を放ってはおけない心理的な事情があった。

 そして始めた探索の果てに出逢った挙げ句に腐れ縁にもなってしまったリロイスとルークという名の少年と、そして依頼に来たヴィンセントという男とティルダという女はルークが舐めて気を失ってしまった謎の血の大本を探して下層におり、また雇い主の大切にしていた薬を失ってしまった人物から代わりになるものを探して欲しいといった頼みを受け手地上にあがったりといった冒険を繰り返す。そんな果てに見えてきたリロイスという人物の過去と、そして大いなる後悔。それが解消される日が来るのかがまずは見えない上に、血の力を根源とした世界で女王による支配を打破しようとする動きも起こって世界は混沌へと向かいそう。

 そんな世界でリロイスはどんな活躍を見せるのか。血が階級を決め能力を左右する世界に生きる者たちの生き方を知り、地位がある者がそれを振りかざすのではなく責任を持って統治するような展開に、持たざる者の反抗といった形式に乗らない独自性を感じる。あとはルークという少年の最初は認められず反抗し、自分の居場所を見つけて安心し、やがて自分にしか出来ないことをやるべきだと自覚している“成長”の様子がとても良い。そこに意図的ではなく能動的ではないけれども寄り添う形になったリロイスの存在が、人は導かれて育っていくのだとも教えられる。彼は最愛の存在に出合えるのか。気になる下巻の「血と霧2」の発売を心待ちにしよう。それにしてもうギィはいったいどっちなんだろう。付いているのかいないのか。そこも気になる。世界がどうしてそうなっているかは「煌夜祭」同様に説明はないんだろうなあ。それもまたファンタスティックで良いじゃないか。


【5月29日】 仲間が危ないと分かれば自分が単身でも突っ込んでいって船員への指示とかほったらかしにする辺りに、岬明乃の艦長としての自覚の足りてなさを感じて、宗谷ましろ同様にイラっとすることがある「ハイスクール・フリート」だけれど、今回は割と艦橋あたりにとどまりながら敵影を見つつしっかりと指示を出して船を無事に動かしつつ、迫っていた脅威もどうにか退けた感じ。相手はとりあえず自分たちより成績が良い面々なのに、それに勝てたのは相手が興奮のあまりに周囲が見えなくなっていたからなのか。そもそもどうしてそんな疫病めいたものが生まれ、流行し始めているかって部分が謎になっているだけに、そこが明らかになるまでは追っていかないといけなさそう。しかし他にもいっぱいいた艦艇はどこに消えた? そこが知りたい。ブルーマーメイドとしてやってきたましろの姉のバンカラぶりの、あれは誰の影響なんだろう。どおくまん? 岩鬼? そこも知りたい。

 目が覚めたら後半延長11分で得点は1対1と同点のところから、アトレチコ・マドリードがレアル・マドリードのゴール前に走り込むものの得点には繋げられず、一方でレアルの方もアトレチコのゴール前にボールを運んでクリスチアーノ・ロナウドにボールを渡したり誰かが近づいたりしたものの、ボールを受け取り置き直す瞬間にアトレチコのディフェンダーが詰めてシュートボールをはじき返す繰り返し。もう110分以上を戦って体力もぼろぼろになっている状況なのに、球際の厳しさを忘れずそしてボールを運ぶ足を止めないところに世界最高峰のリーガ・エスパニョーラで活躍するチームであり、選手の凄さを感じる。これがJリーグだと……。問いたくないけどやっぱり差が出るものなあ。球際の厳しさ。それがあったら失点なんかせずアジアチャンピオンズリーグでさっさと敗退なんかしないのに。

 そしてPK戦へと入ったアトレチコとレアルのマドリードダービー。普通のリーグ戦ではそんな場面は起こらないから貴重だったけれどもそこはやっぱり大舞台に場慣れしているレアルに一日の長があったか、すべての選手が悠然と決めた一方で、アトレチコに1人、ちょっと早く蹴りすぎてポストに当ててしまいそれが失着となって最後、ロナウドが決め手5−4にてレアルが勝利し11度目というビッグイヤーの獲得を成し遂げた。ここのところリーグ戦でも同じリーガのバルセロナが突っ走っていただけに、レアルとしても是非とも欲しいタイトルだっただろう。監督もジネディーヌ・ジダンに変わって最初のタイトルにして最大のタイトル。これはさい先も良さそうだけれど、選手層がガラリと変わるととたんに落ちる可能性もあるからポストシーズンが要注意。フロレンティーノ・ペレス会長の胸先三寸だけど、そのひとつとしてジダンの監督就任もあったから、選手はいじらずむしろ希望を通すかな。誰か日本人、引っ張らないかな。

 月刊というよりもはや週刊といったイメージすらわくくらいに本を出し続けている入間人間さんが新しく出した新しい作品「デッドエンド 死に戻りの剣」(メディアワークス文庫)がこれまた半端なかった。江戸時代あたりを舞台に、街の剣術道場で出逢った2人が後継を巡り対立して、すごい剣を振るい天才肌だと自他共に認めていながらも、なぜか後継には指名されず変わって師匠から後継と使命された凡庸だが実直な男が、なんでおまえなんだと挑まれ斬られ死んだら決闘前に逆戻り。そして戦っては凡庸な方が斬られ死んで戻る繰り返しから、だんだんと勝ち抜く方法を見いだし越えていく。

 そうやって生き延びたものの、道場は継がず剣客とは名ばかりの片腕の人斬りとなった男に医者にして剣豪という男が挑んで着ては、、またしても戦って斬られ死んで戻り、越えていくといった展開が待っている。そして勝って待つのは医者の弟子に仇討ちを挑まれ医者の娘に敵と狙われ追われる日々。心は荒み体は壊れやがてどうでもよくなってしまう。リセットからのリスタートにより突破していき、それこそ世界を救うのような物語はあるけれど、自分の困難をそうやって越えていったところであるのは斬られ続けて痛い自分であり、切り伏せて嘆く相手の家族といったものばかり。リセットとリスタートが心身にもたらす重さ、周りに及ぼす憎しみの連鎖を噛みしめながら、人はどう選びどう生きるかを常に問うべきなのかもと感じさせる。今をこそ大切に。そういうことなのかもしれない。

 日本語版では2度目となる「ガルム・ウォーズ」を、新宿バルト9で押井守監督のティーチイン付きに観に行ったところ、冒頭の戦闘シーンを眺めていたはずが、気付いたらカラ23による砂漠の彷徨へとシーンが飛んでいた。何が起こったかさっぱり分からない。恐ろしいものの片鱗を味わった。いやまあ単純に半分くらい記憶を失っていたんだけれど、英語版も含めると4度目なんで何が起こったか分かっているし、見たかったのは前の舞台挨拶で押井守監督が見所めいた発言をしていた、戦車で男女が初デートでもしているように初々しく語り合うシーンだったんで、それはちゃんと確認できた。あの世界で男女っていう関係は存在するんだろうか。そこが気になる。繁殖しないってことはそうした性差はやっぱり存在し合いのかな。

 そして上映後のティーチインでは押井監督があの帽子を脱いだんだけれど、もうみごとに天辺がはげ上がっていた。剃ればいいのを剃らずちょろりと残っているところがオヤジなはげ具合だった。「ガルム・ウォーズ」の撮影ってそんなに過酷だったんだ、ってもう何年も前の撮影だから後遺症ではないよね。よね? そんなティーチインデは、映画においては構成ではなく構造について重要視しているよ、ってな話を問われそうだねえと答えてて、登場するキャラクターの関係性とかトライアングルがあれば良いとかいった話をしつつ、宮崎駿監督ともよく構造について話すんだけれどそんな映画の構造を分かっていないのが宮さんで、感情しかないとかいった話をしていた。

 でもそれで面白い展開を見せてしまうんだから宮崎さんは凄いなあと思った。構造で見せるというよりアニメート、つまりは動きで情動を誘う。そこがアニメーション映画の監督として宮さんを慕う人が世界にいて、一方でロジックでもって世界に信者を持つ押井監督との差異なのかもなあとも。あとはデジタルエンジンの時代に作ったアニメーション的なパイロットの出来が良く、これで行けると思われてしまったのも不幸だったか。あれを描けるのは黄瀬和哉さん西尾鉄也さんといった凄腕で、そして誰もが2度と描きたくないと言ったとか。そりゃあ作れないよなあ。でもいつか作って欲しいアニメーション。

 「スカイ・クロラ」についても触れていて、あれは時間をどう描くか、動かさないけど止めないということに腐心したかを説明してた。グラスを置けば音が鳴り、外でも光が揺らぐ。アクションはないけど動きは続く。そこに時間の流れを表現したというから、アクションとセリフのテンポで見せる最近のアニメーションとは、思想が大きく違っていたんだろう。でも見ていて退屈じゃなく、引きつけられたのはそうした時間の経過が画面にあったからなのかもしれない。改めて劇場で観てみたいけど、そんな機会はあるかなあ。「ガルム・ウォーズ」については、英語版を観ようと改めて訴えていた押井監督。英語版の方は印象が違うと。記憶が薄れつつあるんでやっぱりこの際、六本木に行って見ておくか。


【5月28日】 頭が持ち上がっては背もたれに体ごと打ち付けられ、左右に引っ張り回された上に顔面へと水を拭きかけられて上からシャボンの泡まで降ってくる4DXでのマシマシ上映も良いけれど、ここはやっぱりシートが揺れない劇場でも観ておこうかと、それも巨大なスクリーンで見上げるような感覚で見ておこうかとTCXでの上映があった劇場まで夜に足を運んで見た「ガールズ&パンツァー劇場版」。3列目くらいの真ん中では見上げてようやく左右の端まで視野に収まるかどうかといった感じ。その世界がほぼほぼ視界を占める感じになって体ごとその世界に入り込んだような雰囲気を味わう。

 ただし戦車戦になっても体は揺れず、最後の遊園地での決戦で、巨大迷路に入り込んだ戦車が操縦者視点で進む場面で自分も戦車に乗っているような感覚はちょっと下がったけれど、それでも揺れ動く視界に自然と体も揺れているような感じ。そこに被る音響が今一度、あの世界へとこの身を誘ってくれる。これはいくら巨大になっても家のテレビでは味わえない感覚。これだから映画ってすばらしい。聞けばブルーレイディスクとかが出た「ガールズ&パンツァー劇場版」で上映版との違いが続々と発見されているようで、そっちを確認しつつ本当に違っているのかを味わいに、映画館へと戻る人も出てきそう。パッケージが出ても終わらない劇場での集客。良い作品だからこそそういうことが狩野なんだろう。さらにパッケージ修正版を上映する企画とかが持ち上がれば、なおいっそうの集客もはかれそうだけれど、果たして。

 そんな「ガールズ&パンツァー劇場版」で思わせぶりな事ばかりいって周辺を煙に巻いている継続高校のミカが例えば「ジョジョの奇妙な冒険 第4部 ダイヤモンドは砕けない」に出てくる山岸由花子みたいにだんだんと本性を炸裂されて暴力的な表情になり、卑猥な言葉も平気でまき散らしては敵に対してぶつかっていくようなところを見せたら、どんな感じになったんだろうかと「ジョジョ」を見ながら思ったり。同じ能登麻美子さんが声を担当しているキャラクター。おっとりとしたところも見せる場面の山岸由花子にミカの面影はないでもないけど、広瀬康一に向かってはにかむようにして愛情を告げる辺りには漂うミカと似た清楚さ。そしてだんだんと意味不明の事を言う辺りに近いものを感じるけれど。

 その方向が一気に分かれて激高へと向かった山岸由花子の能登麻美子さんは繰り出す言葉がもう下品。それこそ男性の下半身にそそりたつ棒状のものを引っこ抜いては内蔵を指すスラングをぶちまけるとか言って叫んで脅かして憤る。いやあ怖い。そして強いけれどもそんな彼女ですら優しく受け止め危険をあらかじめ察知し助ける優しさに惚れない女の子もいないってことか。そして始まるアプローチ。そこでは“普段”どおりの能登麻美子さんになるのかな。今期のアニメーションだとほかに「Re:ゼロ ゼロから始める異世界生活」で本当にはらわたぶちまけさせる怖いお姉さんを演じていたけど優しげで残忍という役はまだ能登さん風味。そこに加わったキレ芸を今度は何で見せてくれるだろう。楽しみだ。

 一夜明けていろいろとつたわってきたオバマ大統領の広島訪問。原爆資料館をスケジュールがきつきつの中で見学する時間を作り出し、入っていろいろと見て回った中で4つの折り鶴を差し出して寄贈したという。広島で折り鶴といえばちょっと前、熊本の震災に復興を祈願する折り鶴を贈るのは迷惑だって話の流れて、原爆慰霊碑に飾られる折り鶴の処分に結構な費用がかかっているって話も浮かんで、それに何の意味がある? っていった声も出た。だから表層の行為だけ見てオバマ大統領の折り鶴に意味があるのかって声も少し、出ていたけれどもその真意と経緯を知れば誰もそれを無為とは思わないだろうし、広島に大量の折り鶴が贈られることにも理解が及ぶだろう。

 佐々木禎子さん。広島に投下された原爆によって白血病となり、12歳でなくなった少女が自ら快復を信じて鶴を折り、そして周囲もそんな彼女を励まそうと折り続けて1000羽を越えたものの快癒とはならず死去。そんな少女を偲びつつ大勢のなくなった人を悼みつつ、あの悲劇を忘れないで後生に伝え続ける意味でも鶴を折り、捧げる行為は止まらず広がっていった。被災地に送りつけるものとはちょっと違った意味合いが、広島であり同じような被爆地の長崎にはあると分かっていたら、広島に飾られた千羽鶴を無駄とは言えないだろう。それをちゃんと知ってオバマ大統領はやって来て、鶴を自ら織って持参し寄贈した。

 何という優しさと慈しみに溢れた振る舞いだ。それが外交上のポーズだとしても、それをやってくれる人を真っ向から否定なんで出来ない。そういう行為が言葉には出せずともあの災禍に何か思いを抱いていることを示す。というより広島に来た時点でそうした思いは滲んでいる。もうありがとうとしか言えないんだけれど、どこかの新聞は、歴史ある1面コラムでそうしたオバマ大統領の広島訪問であり、折り鶴の寄贈といったエピソードについて一切触れることなく、それより以前に伊勢神宮で行われた参拝に10分遅れてきたことに、アメリカはジャイアンだといった非難を浴びせている。だったら日本はそれにへつらうスネ夫なんだけれど、そうした言及をすることなく。ってか1面コラムで引っ張る例えでもないだろう。すべての読者が「ドラえもん」を知っている訳でもないんだし。

 というか、世界史に残るような、少なくとも日本の戦後史において大きな転換点となった歴史的な一件の翌日に書く話ではそもそも絶対にないだろう。だから他紙はちゃんと広島訪問なり原爆に触れて、ここから刻まれる歴史に思いをはせている。あるいは締め切りが早くてまにあわなかった、なんて言い訳は通らない。それだったら広島訪問の記事そのもを入れられない。それともこの曜日の担当者が安倍総理のお気に入りとして同行しているから広島訪問の後にコラムなんて書いている時間がなかった? だったら他の誰かに書かせれば良い。石井英夫さんの時代みたいにひとりで書いているんじゃないんだから。にも関わらずこのていたらく。コラムニストの怠慢かそれとも傲慢か。いずれにしてもこれを恥とも思わないならコラムニストも載せた編集側も、チンポコ引っこ抜かれてはらわたぶちまけられて欲しいもの。そう言ってももはや馬耳東風なんだろうなあ。先は長くなさそうだなあ。

 そうかゼナってシャアと士官学校で同期で成績8番の優等生だったんだ。思想的にジオンべったりなのかそれともリベラルなのかは分からないけれど、聡明さはあったみたいでシャアに頼まれガルマにも諭され君しかいないと言われてドズル校長のところへ行って、反乱を起こすシャアたちを止めに急がないよう銃までつかって牽制する。純真な若き軍人っぽい振る舞いだけれどこれがのちにドズルの妻となってミネバを生み、そのミネバがオードリーと名乗って宇宙の争いに終止符を打つ働きをするとはいったい、誰が予想しただろう。いや予想しなくても宇宙世紀の歴史がそうなっているんだけれど、そもそもゼナがどういう出自かはいろいろ説もあるから、これが正解と果たして言っていいのかどうか。

 といういうことで安彦良和さん史観の「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN 暁の蜂起」を舞台挨拶付きで鑑賞。最初はひ弱に見えたガルマの腕っ節とかがだんだんと太くなっていくように見えるあたり、ちゃんと時間の経過を踏まえて描いているなあといった印象。ガルマの取り巻きを指ではじいたら吹っ飛んで遠く離れた生け垣まで壊す描写は靖彦さん描く漫画な雰囲気も出ていて、そうした演出がシリアスに寄りかかった展開にふっとした面白さを醸し出す。最初はそういうった安彦調に不真面目さも覚えたけれど、今となってはそれもありって感じかな。次はいよいよシャア・セイラ編が終わりで続いて1年戦争初期のルウム戦役編がアニメーションになってシャアが“赤い彗星”と呼ばれるようになるまでの活躍が分かりそう。そしてその先は? どこまで続くか「THE ORIGIN」。追っていくしかないなあ。


【5月27日】 復帰したチェルシーで2期目にプレミアリーグ優勝を果たしたものの、3期目となった2015−16年シーズンで下位に沈んでそろそろ伝説も終わりかと思わせたジョゼ・モウリーニョ監督だけれど、それはやっぱり選手たちのマネジメントに帰する部分もあった感じなのか当人の力量に異論を挟む声はそれほどなく、責任上から退任となったとたんにプレミアリーグでも伝統のマンチェスター・ユナイテッドから声がかかってルイス・ファンン・ハール監督の後任として監督に迎え入れられることになった。

 なるほどチェルシーだって名門だけれどプレミアリーグ、あるいはそれ以前のイングランドリーグを背負ってきたのは赤い悪魔ことマンチェスター・U。そこで監督として優勝を果たせばチェルシーの時に負けない栄光を得られることだろう。だから難しい中で引き受けた、と。監督のせいというよりやっぱりマネジメントの方で選手がそろわず勝ちきれないといった雰囲気のマンチェスター・U。ウェイン・ルーニー選手にナニ選手といったメンバーがいてもやっぱりそれなりに年配で、新しい人材が出てきてチームを引っ張るといった雰囲気にない。そこを一気に改革して規律を取り戻し、チームワークで勝っていくようなチームになっていけるのか。そこがまずは注目だろう。

 ルーニー選手はあれで悪童めいていてもサッカーには熱心で体に悪いことはしてないんで大丈夫かなとは思うけど、いっぽうで茶目っ気たっぷりなだけに厳格すぎるモウリーニョ監督の下で自分を保っていけるかな。まあインテルでもエトオ選手と険悪だった関係を実力でもってねじ伏せリーグ優勝へと導いた。そんな手腕がマンチェスター・Uでも発揮されたら他のチームもちょっと大変かも。とりあえず優勝したレスター・シティあたりを攪乱してくるだろう。あアーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督との舌戦はどうなるんだろう。いろいろな意味で楽しみ。日本人選手とか引っ張るかなあ。

 伊勢神宮には参ったけれども会議する場所は志摩なんでここははっきりと「志摩サミット」というべきだったと志摩の人なら思いそう。そうでないと各国の首脳が伊勢神宮を訪れたことがとっかかりになってサミットも伊勢の志摩というところで行われたのであって、志摩は伊勢に包含される地名だってな印象が定着してしまうんじゃなかろーか。ただでさえ伊勢の名物赤福餅はあっても志摩のまんじゅうはないし、伊勢うどんはあっても志摩ラーメンなんて存在しない。そんな地域が一気に世に出るチャンスだったのに「伊勢志摩サミット」だなんて連名になってしまった。無念だっただろう。

 例えるなら日本でのワールドカップが韓国との共同開催になって印象が薄まったのに似ているなあ、いやそれでも半分は日本でやり決勝も日本でやった日韓ワールドカップはまだ対等。伊勢志摩サミットは志摩の名誉の伊勢による簒奪。観光客も伊勢まで入っても鳥羽にぎりぎり入っても、賢島には行かないかもなあ。どうする志摩。とか言っていたら伊勢志摩ですらな伊賀上野から忍者軍団がやって来てメディア向けにパフォーマンスを披露。なるほど同じ三重県で、そして外国人にはとっても受けが良い忍者の登場で志摩の存在感は海へと沈んだ。こうなったら一度は公認を潰されて独自に立ち上がった碧志摩メグを世界的にして聖地巡礼を誘うしかないぞ。頑張れ碧志摩メグ。一肌脱い……それはしなくていいから。

 ポン酢なヒゲの元隊長が鞘があるのは守る意思だとかなんとか言って用語している陸上自衛隊のエンブレムだけれどそれだったら鞘に入れて抜かずけれども武器を帯びて戦う用意は出来ているとか言えば格好良かったし、武士道っぽさもあったんだけれど鞘から抜いた投身を鞘とクロスさせて掲げ突きつけてくるその間に、日の丸なんて置いて威嚇たっぷりといった感じは、大和魂を内に秘めた兵士というより威圧して押さえ込もうとしているヤクザといった雰囲気。そもそもが線が細くて強さがなくて見て憧れなんて浮かばない。

 同じ刀に日の丸でも蒼雷ってところが作っている「SAMURAI FORCE −極東−」ってエンブレムの方が、絵が劇画チックで意匠も大和な感じがしてかっこいい。というかデザイン的にそっくりなんだけれど大丈夫なのか陸上自衛隊。それだけありきたりのパーツの組み合わせってことなんだろうなあ。いっそだったら戦車でも配すれば今の時代、日本中が感心したのに。あるいは刀剣の魂を持ったイケメンとか。そういう配慮をきっと現場もかんがえていたけど、勇ましくありたいと願う上が懐古趣味的な意匠を並べてアナクロぶりを見せて下がやれやれと思っているとか。あり得るなあ。

 やれやれだ。福島産の野菜だとか海産物に対して外国が、輸入したくないねえと言ってきた時に風評被害も甚だしいと額から血しぶきでも飛ばしているような憤り方をしていたメディアがあったとして、そこん家が中国で作られるものなら何でもかんでも毒ギョーザだと批判したらやっぱり言行不一致だろうし、実際に風評以外の何者でもなく、むしろ営業妨害にすらなっていて訴えられた確実に負けそう。中国や韓国の悪口を言うためには何でも利用するというか、そんな偏ったスタンスが世間にもあからさまだと見抜かれているのに、直せば中国嫌い韓国嫌いの人たちで保ってるアクセスが失われるとでも思っているのかなあ。思っているんだろうなあ。

 どいうかそのメディアは、ファッションでもスポーツでもエンターテインメントでも、取り上げては中国韓国の悪口へと持っていく癖があって、それが最近はなおいっそう強まりつつある感じだから厄介というか。「ファッションおたく」だなんて看板でコラムめいたものを書いている人がいるんだけれど、取り上げていたのはヤマザキ・ナビスコのライセンスが切れて「オレオ」だとか「リッツ」といったお菓子を作れなくなって、そのうちの「オレオ」なんかが中国で作られるようになるって話。別にちゃんと作ればそれで良いだけの話なんだけれど、中国が作るのはすべて悪いといった思考のもとで「毒入りギョーザの悪夢再び!?」だなんて失礼千万な見出しでもって盛大に揶揄っている。

 というか、ナビスコの菓子が中国で作られることになる話のどこがファッションなんだって気もするけれど、そこで持ち出してきたのがバーバリーが三陽商会から離れて日本で独自にブランド展開を始めたこと。長く日本人向けのバーバリーを作ってきたのに可哀相って話ではあるけれど、こういうのってイタリアとかフランスとかのブランド物ではいくつもあった。当初は合弁なりライセンス供与なりでブランドを作らせ売れてくればサッと取り上げ自分たちの直営にする。それで苦汁をなめた会社も過去にゴマンとあるのに、そういう事例として紹介せず、親会社の異動でヤマザキ・ナビスコが存続し得なくなった話と並べてファッションの体裁を整えようとする。

 針小棒大というか牽強付会というか。それだったら日本から世界に羽ばたくファッションブランドが生まれづらくなっている話でも書けばいいし、スポーツをネタに韓国の悪口を言う人も日本のクラブチームがACLでまるで勝てない問題をえぐってJリーグの非協力的なスケジュール編成に文句を言えばいいし、映画をだしに監督中国の悪口を言う人も、そんな日本から世界で戦える映画が生まれていないことを嘆けばいい。でもやらないで韓国中国の悪口を書くために、ファッションやスポーツや映画を持ち出してくるその気持ち悪さ。やってて自身も気持ち悪いと思わないんだろうか。思っているけど書かなければ食べていけないってんならまだしも、書きたいから書いているってことだと先はなさそう。ってかそういう人しかもういなのかもしれないなあ。やれやれ。

 主体者としての行為の振り返りでは、あの戦争を正義と信じて戦いあらゆる手段を駆使して国を勝利へと導いた者たちをそしることになりかねない。だからといって触れない訳にはいかないとき、それを人類全体に対する挑戦ととらえ人類として省みることで謝罪ではないけれども過去への謝意を含ませるといった感じに、とっても工夫があってそして思いやりに満ちていたアメリカのオバマ大統領による広島訪問時のスピーチ。アメリカの大統領としては初の広島訪問に謝意を求める声も起こるのは仕方がないけれど、それがかなわなくても十分に気持ちは感じられたといって矛先を治めることがこれでようやく出来るんじゃなかろうか。

 未来に向けて核兵器の廃絶へと向かいたい意向も示され実に前向き。なおかつ普遍的。これが日本の総理大臣だと自分がアメリカ議会で演説したことを“手柄”のように語ってそこから話を引っ張っていく。そこが自己中心的で自慢大好きな総理のメンタリティの限界であり、アメリカなり世界におけるスピーチとの埋められない差なんだろう。哀しいしくるおしいけれどそれが現実。でも安倍総理じゃなかったらもうちょっと未来志向を示せたかな。そこがやっぱり気になるなあ。


【5月26日】 発売日は明日だけれど、すでにショップには出回り始めたので「ガールズ&パンツァー劇場版」のブルーレイディスクを求めにショップへ。特に予約もしていなかったので店舗別特典で選ぶかと考えざっと眺めて最初はアニメイトの各校隊長がずらり並んで大洗女子学園の制服を着ている絵が描かれたボックスinボックスが気になったけれど、見たらアンツィオ戦とかコンサートのディスクを入れて隙間が埋まるといった感じで、アンツィオ戦と劇場版のパンフレットの縮小版も付くには付くけど既に持っているのでちょっとパス。だったらとタペストリーを眺めてゲーマーズが隊長陣のお風呂シーンを取り上げていて心揺れる。大いに揺れる。

 とはいえ、そういうのばかりでも家が豊かになる訳ではないので、ここはしっとりと西住みほと西住まほの姉妹がいて、そして島田愛里寿がいてと戦車道の主流2派から次代を担うヒロインたちが登場してならんだタペストリーを提供していたとらのあなで1つを確保。ついでにテレビシリーズから映画版へと主題歌を歌っていたChouChoさんのアルバム「bouquet」もリリースされていたんで、合わせて購入をsいてこちらはクリアポスターをもらう。他の多くの作品にも楽曲を寄せている人だけれど、これまでアルバムとか聴いてこなかっただけに一つ、聴いてみてどんなシンガーなのかを改めて勉強してみよう。ライブもあるけど良ければ行ってみるかな。

 与謝野晶子が本格始動したみたいで、切っては切り刻んで瀕死にまでしてようやく治す繰り返しによって武装探偵社の人たちを蘇らせていることが判明。自分だって治せるけれどそれだって瀕死にならなければ治せないところは同じ。でもあれだけ他人を切り刻んでいるんだから案外に自分だって平気でナイフを当てられるのかどうなのか。やっぱり痛いのはいやだろうなあ。一方でどんな異能力だって中和してしまう異能の持ち主の太宰治がなぜか泉鏡花に襲撃されて人質に。これはまずいといったようなことを叫んでいたのは異能力を使わせないことで相手が死んでしまうと感じたからか。中島敦のようなスピーディな爆弾解除が出来ない身では巻き込んでしまうと遠慮したか。

 いずれにしても過去、30人以上を殺したと自称している泉鏡花の待遇が来週あたりの話の中心になりそう。捕縛し処刑? でもそれだと可哀相。だったら無罪放免? それも無理な話だろうから展開として殺害しているようで実は殺していなかったといった抜け道でも作るのか。それもあり得ない話だなあ。中島敦に連れられ国木田独歩も交えた楽しげな日々が描かれていた予告編の先に待ち受ける悲劇的な離別、なんてものも想定に入れながら来週を待とう。ハードボイルドでは「ジョーカー・ゲーム」も進行中だけれどとことんシリアスに対してギャグもあり美少女も出てくる「文豪ストレイドッグ」の方はアニメーションの面白さとしては先を走って行きそうかな、やっぱり。「ジョーカー・ゲーム」は実写版と違った展開の映画をアニメーションで見たいかも。

 たぶん見てはないだろうけれど、通りがかった何かの折に眺めたこともあるかもしれない、吉祥寺は井の頭公園にいた象のはな子さんが死去。69歳だなんてそこいらの人間よりもずっと長生きしているし、当然のように僕よりもはるかに長生きでそれこそ太平洋戦争が終わって間もない1949年に日本にやって来て、そして復興から高度成長からバブルからバブル崩壊といった時期、ずっと日本にいた訳で戦前に生まれて戦火をくぐり抜けた子供も含めて日本人のほとんどが、その存在とともに生きてきたってことになる。すごい象。ただやっぱり上野動物園とかのようなゴージャスな象舎がある場所でなく、いわふる街中の公園にずっといたのは果たして幸せだったのか。2歳半で日本に来て、同じ場所にいて辛いとか哀しいとか思うこともなくそれが普通と感じていたのかなあ。聞いても答えてくれなかっただろうし、もう聞けない。ただやっぱり、これからは幸せな環境で生まれ育って欲しいもの。次に象に産まれても、動物園じゃなく自然な場所で長生きしてね。これまでありがとう、はな子さん。

 始まった伊勢志摩サミットに向けて世界中から首脳陣といっしょにプレスも乗り込んでいる様子。もしも存命だったらその中に混じっていただろう竹田圭吾さんが、伊勢と言えばな赤福餅から出ている赤福氷を本場で食べたといかいったツイートをして、赤福氷好き竹田さんウォッチャーを喜ばせたんだろうけれど、残念ながら先だって死去してそうした報告は聞けず仕舞い。ちょっと寂しい。モーリー・ロバートソンさんも何か発進していたけれど、どうやら伊藤園の「水素水」が配られているらしい。飲んで元気になってジャパニーズスイソスイデリシャスとかって言って騒ぐプレスとかいるんだろうか。というか英語でハイドロウォーターというんだろうか水素水。それで意味が通じても何だそれってなるよなあ。

 そんなプレスに配られるお土産は、沖縄サミットの時はリカちゃん人形が話題になったけれども今回はトートバックタイプのものがまずは配られ、中に熊野筆とか三重県の日本酒で安倍総理が「國酒」と揮毫したラベルが張ってあるものとかお菓子のハイチュウとかポッキーとか歌舞伎の隈取りがデザインされた顔パックとかが入っていたらしい。疲れた時に顔パックとかシャキッと出来て喜ばれるかも。でも酒飲んで寝てしまったら意味ないか。順番逆にすれば良いのか。でもなあ、三重県に来たんだったらやっぱり外国人のプレスは絶対にあれが欲しかったんじゃないのかなあ、忍者の衣装。里となる伊賀上野に行けば土産物屋でそうした衣装も売られていて、日本人のみならず外国人も買っていくとか。説明せずにプレスバッグに入れておけば開いてこれはと思い日本には本当に忍者がいると感じて諜報とかにも注意しようと帰国して政府に告げてくれたかもしれないのに。そういうところに芸がないなあ、安倍総理。自分の揮毫を得々と書いてさらすのも神経が太いか存在しない現れに思えるし。うん。

 牧眞司さんが書評を集めた「JUST IN SF」って本を出してそのトークイベントがあったんで池袋へ。同じ頃に「SFのSは、ステキのS」を出した池澤春菜さんを迎えて対談といった感じに進んでいったイベントでは、牧さんが柴野拓美さんの下で収監し向けの書評の代筆というか下書きみたいなことをやって治されたりしながら自分のスタイルを掴んでいったことが語られて、そうやって書評家になるのかと勉強になった。ネットで適当書いてたら書く仕事が回ってきてそのままのスタイルでやってる自分ではやっぱり何かを位置づけ評して語り、時には切るといったことが出来てないからなあ。池澤春菜さんの場合は誰からも教わらず、そして自分の好きな本、自分にとっての五つ星の本ばかりを紹介する幸運に恵まれてはいるけれど、たくさん読んで語りたい言葉を自分の中に溜め込んで来たのを、言葉にして紡ぎ出す才能がもとよりあったってことなんだろう。こちらもこちらでいろいろ勉強。いずれにしても本なんて出せない自分とは違い、何冊も書評集を出している2人にいつかあやかり、せめて1冊でも世に問うて起きたいもの。頑張ろう。どうやって? それがやっぱり問題か。


【5月25日】 「夏目友人帳」の傑作選は1期からお祭りの回が放送されて笹田純の夏目くん大好きっぷりが発揮されてて良かったというか。それが恋愛感情なのかあるいは得体の知れない雰囲気をまとった夏目への興味なのかは迷うところではあるけれど、委員長で眼鏡っ娘で声が沢城みゆきさんにそっくりな女子高生から関心を持たれるのならそれはそれですばらしいこと。是非に答えてあげれば良いのに夏目ったら奥手だからなあ。そういう浮いた話のひとつもない。いっそだったらニャンコ先生が化けた夏目レイコとくっつけば良いのに。いやそれもまたひどい話か。ヒノエがところどころに出ていたけれど傑作選に出番はなかったからここから見た人だと誰あれってなったかも。柊は前に出たから仮面の女と分かりそう。名取はいったい何の用事だったんだろう。次回からは続になりそう。オープニング好きなんだ。

 紡がれている言葉の一言一句が小説家として、あるいはライトノベル作家として世に出て書き続けていくために必要な事柄に満ちていて、そして心の支えとしていくだけの警句に溢れている。森田季節さんによる「異世界作家生活 女騎士さんと始めるものかきスローライフ」(ダッシュエックス文庫、600円)。それなりに活動をしていて著作も多いけれど、アニメーション化されたものはまだないライトノベル作家の森田季……ではない長谷部チカラに訪問者。それは国交がある異世界から来た女騎士で、異世界に来て小説の書き方を教えて欲しいとチカラに頼んで、チカラも異世界に行って小説を発表すれば、日本ではまだ及ばない最強作家になれるかもといった思惑があって依頼を引き受ける。

 そして赴いた異世界で始めた小説教室に集まる生徒たちに向かってチカラが繰り出す言葉の実に重くて深いこと。あるいはチカラに向かって突きつけられる評価の実に的確で痛いこと。読んでいる読者ですらそう思うのだから書いている作家としての森田季節さんはきっと、血反吐を吐きつつ切れる血管をバンドエイドでふさぎつつ、キーボードがめり込むくらいの勢いでワープロに言葉を刻んでいったに違いない。そのいちいちを書き出すのも心苦しいけれどもとりあえず、書き方に役立ちそうなのは自分が気に入った文章を書き写しながら学ぶことってのはひとつ、やってみると良いかも。

 確か火浦功さんもデビュー前に小松左京さんの短編を写したって何かで行っていたし、上手い作家の文章を書き写してみるのはリズムを掴む上で役に立つ。音読もリズムを肌身に刻むのに意味がある。筒井康隆さんの文章なんて本当、読むとテンポの良さが伝わってくるし。そんなアドバイスの一方で森田季……じゃない長谷部チカラに対して向けられる評価の辛辣なこと。デビュー作は暗かったとか次は設定が詰め込みすぎだったとか、その次は人気取りに走ったけれど気持ち悪かったとか、SFなのかファンタジーなのかどっちつかずだとか温泉街を立て直す話は地味だとかいった小説教室の生徒からの指摘は、小説ってものが世間からどう見られているかを強く感じさせる。百合小説は編集者が仕事をしなかったので作家らしさが出ているとか短歌小説はマシでギリギリ合格だとかいった言葉は褒め言葉だけれど、それが売れたかっていうと……。

 ってこれはあくまでも小説の中に出てくる作家が、過去に書いた架空の小説に対する評価といった具合に、完全なるフィクションなのだけれど、読んでああそうかもと読者が作家に重ねていろいろと感じてしまうなら、作家自身ははどれだけ身にサンドペーパーをかけそこにワサビを塗り込んだのか。思うと身も震える。とはいえ、そういう客観性があってこその今地位があり、こうやって小説について的確な言葉を紡げる立場にたどり着いたんだろうなあ。でもそれだけやってもまだ、堀松ひらというベストセラー作家のようなアニメーション化作品はなく、台湾でのサイン会も実現していない。そこに向けて今こそ動くときだぞ森田季……じゃない長谷川チカラ。短歌&異能バトル&百合という異色な小説「ウタカイ」とか実写映画化されて良いと思うんだけれど。

 右がアンディ左がフランク。だったっけ、泉田塔一郎の胸の筋肉に名前がついていたことは知っていても、それがそれぞれにどっちだったかをすぐに言えるほどの「弱虫ペダル」ファンでもないから、ナムコが秋葉原で運営しているキャラクターをテーマにした一種のカフェ「キャラクロ」で月末からスタートする「弱虫ペダル」とのコラボレーションで、ドリンクメニューとして用意された泉田のドリンクを持ってきた店員さんが、ゼリーで表現された2つの半球の右がアンディで左がフランクだとすぐに言ってのけたことに感動しつつ、それだけの思い入れがあるからこそファンが来て満足できるサービスを提供できるんだってことを納得する。持ってくる時にもちゃんと「アブ、アブ」って言ってたものなあ。何でそんなと思う人は「弱虫ペダル」のアニメーションを見れば了解。なるほど言ってる「アブ、アブ」って。

 そのほかのドリンク類もキャラクターの雰囲気やらをちゃんと捕らえているようで、たとえば巻島裕介のドリンクだとあの緑とオレンジが入り交じった髪型なんかをスライスした柑橘類で表現して上に載せていた。すごいなあ。巻ちゃんではフードメニューでも北総とか箱学といったチーム単位ではなく個人の分が用意してあって。蜘蛛をイメージしたパスタなんかが添えられている。個人プレーとでは人気の真波山岳をイメージしてライスとポテトで作った山が脇に添えられたキーマカレーなんかも用意。食べ尽くせば山を征服した気分になれるかな。箱学のプレートは6つの小鉢がメインなんだけれどそれぞれがメンバーを象徴しているとしたらどれがどれなんだろう。2個のソーセージが泉田らしいけれどこれもやっぱり右がアンディで左がフランクなんだろうか、それとも太ももか。食べて考えよう。

 声優の神谷明さんが電話をしながら急ぎ足で歩いていたら怪しいと警察官に呼び止められて職務質問を受けたとか。すかさず眠りの小五郎なりケンシロウなりキン肉スグルなりの声で言い訳すればご苦労様ですとか我が生涯に一片の悔いなしとか屁の突っ張りはいらんですよと言われて解放されたんじゃないかと思うけれどきっと神谷さん、シティハンターの声で答えてしまってそりゃあ怪しいってなったのかもしれない。だって拳銃持ってるし。でも新宿辺りなら街を助ける英雄ってことで見逃されたのかな。どっちにしても急ぎ足の壮年を捕まえるとかいったい何を見てるんだと。むしろ歩きスマホでたらたらと歩く奴らをその場で捕まえ説教しろよと。迷惑なんだよ後ろが仕えて。事故だって起こしそうなのに。でもやらない。それはすでに日常であって誰もがやっていることであって捕まえたって普通の人で点数にはならないから。なんとも矛盾した話。そんな国に生きている。


【5月24日】 テレビ朝日の朝の番組やフジテレビの夜のニュースに大森望さんが「アイドル評論家」として登場していたそうで、見たSFとかの関係者を中心にいろいろと驚きの話が広がっている様子。いやまあSF関係者なら、SF翻訳家でありSF評論家でありミステリー評論家でもあって文学賞メッタ切り家でもあ、映画評論も行いりウェブ日記評論もしてゲーム批評も行い、編集者としてアンソロジーを作って日本SF大賞を受賞したアンソロジスとでもあると知っているから、そこにアイドル評論家の肩書きが加わっても別に不思議なことではないと納得はしている。最近はアイドルのライブに出かけてその日々をつづった「50代からのアイドル入門」という本まで出したことも知っている。その流れで出たんだろうといった理解はしているだろう。

 ただ、SFやら文芸絡みの活動ではまず出ないテレビから、比較的新しく加わったアイドルに詳しい人という肩書きでして引っ張りだこになっている状況には、やっぱり驚くというか、テレビにおけるバリューっていうのはそういうものなのかと驚きつつ、面白がっている感じがありそう。もちろんそうした活動が引っ張りだこになった理由が、ひとりの女性の命に関わるような事件にある以上、浮かれたり騒いだりするのはやっぱりふさわしいことではない。大森さんだってこういう場面で出てしゃべることに違和感もあったのか、文学賞の授賞式にだって着ていった、自著の宣伝にも繋がるピンクのTシャツを着ていなかった。そういう分別を持って語られる地下アイドルとファンの間の様々は、いろいろと勉強になるしこれからの状況を見ていく上で、示唆を与えてくれるものになっていただろー。次に出るなら見てみたいけど、どこか呼ぶかな。

 ただ、今回の事件が以前のAKB48の握手会で起こったような、アイドルとファンとの近しい関係、そういう風に近しくすることで人気を得ようとする状況がもたらしたものとは決定的に違うってことが、明らかになってなおアイドル評論家を呼んでアイドルの問題として語らせることに、世間もだんだんと違うと気付いてきている。ギターを持って移動していたシンガーソングライターへの襲撃事件が、いつまでもアイドルへの襲撃事件として語られることへの違和感が膨らみつつある。吉田豪さんなんかがネットで強く言い、メディアでもそう語り問い合わせにもそう答えた効果が、世間一般の間では少しづつ広まり始めている。

 だからメディアはこの辺で、今までの筋書き改めた方が良いと思うのだけれど、依然としてアイドル襲撃事件として語られるのはつまり、アイドルは自分を切り売りせざるを得ないので事件が起こりやすいと思わせたいのか。アイドルだからこそ起こりえたって文脈だと歓心を誘うことが、仕事のアイドルに責任を押しつけつつアイドルの誘いを熱に変えやすい気質がアイドルファンにはあるといった空気を誘い、その界隈への批判的視線を生む。アイドルもファンも誘い誘われる形式を楽しんでいるだけでマジとは違うと言っても潰される。それは避けたいけれど、メディアはそういう文脈の方が落ち着くと思っているんだろうなあ。そんなメディアこそがアイドル担いで商売しているというのに。やれやれだ。

 やっと見た「ズートピア」の吹替版で思ったことは、内海賢二さんの後はもうすっかり三宅健太さんで埋められるんだなあってことかなあ。ウサギのジュディが草食動物でありながらも警察官になろうと奮闘して警察学校で好成績を収め、念願かなってズートピアにある警察署に配属されたものの署長から割り当てられたのは駐車違反の取り締まり。それだって立派に警察の仕事だろうと思うし、それを厭う姿を最初もそして最後も見せて刑事のような仕事こそが警察官の本分だて訴えるのは、何か違うような気がするけれども子供にはきっとその方が通りやすいんだろうと理解。そんなジュディの上司にあたる署長の声が三宅健太さんだった。

 たぶんバッファローか何かの強靱そうな肉体を持ったキャラクター。今までだったら内海賢二さんか玄田哲章さんが担当していたけれど、玄田さんは別にズートピアの市長を担当しているから回れない。ってことで三宅健太さんが起用された。太くてそれでいて軽快で、頑固で威圧的だけれどちょっぴり優しいところものぞくキャラ。内海さんならばっちりだったけれど亡くなってしまわれた今、三宅健太さんが担当してしっかりと役をこなしてくれている。

 最近では三宅健太さん、テレビアニメーションの「僕のヒーローアカデミア」でも、オールマイトって役を担当していて聞けば玄田さんか内海さんといった雰囲気。それを38歳でしっかりこなしているとなると、将来どれだけの声を聞かせてくれるようになるんだろうかと楽しみになって来る。まあ内海さんだって36歳とかそんなあたりで「新造人間キャシャーン」のブライキングボスを演じて見事に演じきっていたんだから、三宅さんが今の年齢で存在感を確立させつつあっても不思議はないか。声優さんではあと、羊の副市長を演じていた竹内順子さんがクロミっぽかったかなあ。優しいんだけれど、後々色々出てくるという。

 そんな「ズートピア」はなるほど、いわれているとおりに草食動物と肉食動物という大きな違いをどう埋めて、仲良く暮らすかって可能性が示され、けれども肉食動物は本能的に草食動物を襲うかもしれないといった危険性も示されて、解決しているはずの平和に陰を指しつつ解決できる可能性がりながらも今もって出自や属性の違いで争う現実を諫めようとしている。草食動物だって肉食動物を偏見の目で見続けているといった描写もあって、それをどうやったら払拭できるのか、なんてメッセージも含まれている。

 あとは社会的な弱者と呼ばれる層が理不尽な扱いを受けがちな現実への警句か。女性の副市長が秘書というか事務員のように扱われたり、ジュディが能力はあってもそれを発揮できる場所を与えてもらえなかったり。そうした差別に対して解決方法を示してみんな仲良く、平等に、けれども努力は怠らず、頑張って生きようぜって結城を与えてくれる完璧な物語を楽しめる。ミステリーとしても謎を追い、証拠を集め手がかりを掴んで真相に迫っていく楽しさがある。ブラフがあり誘導があって大逆転が待っていて。見終わって楽しくないなんていう人はいないだろう。そうした展開へのつなぎも抜群。ネズミの街で助けた女性が後で大いに役に立ってくれたりするし、そこで逃げ回っていたいイタチが持っていたものが大きな意味を持ってくる。

 所々で見せるコミカルな描写も最高。とりわけ運転免許センターに勤めるナマケモノの描写は、見ているこっちがいらいらしてくるけれども彼らには彼らの事情がある。そう思うのもまた異なる種族が争わずに生きるために大切なことなんだろう。でもさすがに夜までかかってははなあ。ラストにもう1発、ナマケモノの活躍もあったりする伏線のばらまき方も最高。こんな絶妙の組木細工のような作品、ディズニーだから作れるんだろうなあ。ただ完璧すぎてスペクタクルとセンセーショナルにはやや足りないか。それを求めるものではないけれど、刺激も欲しいというのが僕たちの世代。だからやっぱり日本のアニメーションはまだまだ必要ってことで。「亜人 −衝突−」とかスペクタクルの塊だったし。

 もしもアニメーションとして「鋼の錬金術師」が三度作られるのなら、アレックス・ルイ・アームストロング少佐の声は三宅健太さんになるんだろうけれど、今回作られると決まった「鋼の錬金術師」は実写版。あのファンタジーでSFな雰囲気も持った異国が舞台の漫画をどうやって実写にするのか、考えるほどにいろいろと困難さも浮かんで来る。「進撃の巨人」はそうした違和感を避けるように日本的な名前にして配慮したけれど、今回はエドワード・エルリックでありロイ・マスタングでありといった具合に漫画そのままの名前でキャラクターが登場する。けれども演じるのは山田涼介さんであり、ディーン・フジオカさん。バリバリの日本人顔で演じて大丈夫って誰もが思ってる。

 嫉妬のエンヴィーが演技巧者の本郷奏多さんで色欲のラストが松雪泰子さんで飽食のグラトニーが内山信二さんといったあたりはまあ、雰囲気だけはしっかりと作り出してくれそうだし、リザ・ホークアイ中尉が蓮佛美沙子さんで、マリア・ロス少尉が夏菜さんっていったあたりも、女優ならではの化けっぷりを見せてくれると思えそう。でも男優はそうはいかないものなあ。ちびで短期なエドを「暗殺教室」でふんわりとした役柄を演じた山田涼介さんが演じられるのか、なかなか信じたくても信じられない。身長だって豆小僧と呼ばれるような小ささでもないだろうし。

 より不安が漂うのは、まだ発表されていないキング・ブラッドレイにホーエンハイム、アームストロング少佐、そしてエドには最大のパートナーとなるアルフォンス・エルリックを、誰がどうやって演じるのかってあたり。威厳と恐怖がにじみ出るブラッドレイなんて演じられるのは、世界的な俳優の渡辺謙さんしかいなさそうだし、アームストロングは日本のプロレスラー持ってきたって筋肉の雰囲気が追いつかない。それこそザ・ロックでも呼んでこないと。全身が鎧のアルはいっそCGにするか。だったら声は殺せんせーと同じ二宮和也さんか。想像は浮かんでも実際は難しそうな中で、いったいどんな映画が作られるのか。「テラフォーマーズ」以上の衝撃をもたらしてくはくれないことを願いつつ、その公開日を待とう。


【5月23日】 本多忠勝の娘の稲姫を正妻として迎えることになって、それまで正妻だったおこうを離縁することになった真田信之に対して、父親の昌幸が自分は反対したんだが信幸がどうしてもと大嘘をついていた場面にこの親父、やっぱり悪党だと思いつつそんなおこうがちゃっかりと、信幸の身の周りを世話する役に収まっていたあたりに、昌幸の妻や母親もやっぱり半端じゃないと戦慄。そんな家族にもまれてよくもまあ、あんなにまっすぐに育ったものだけれど、それだからこそ太くまっすぐな本多忠勝の信頼も得て、後に真田家が江戸時代を生き残る道を開けたんだろう。そんな「真田丸」。稲姫の輿入れにバレバレの変装で付いてきた父親の忠勝が、あのまま家来として居座ったら元妻と合わせて四面楚歌の状況に置かれて気分も相当に参ったかも。

 それでも生きるの死ぬのといった場面にはないだけ信繁よりはましか。聚楽第の壁になにやら豊臣秀吉を揶揄する悪口が書かれたという事件を解決することになった信繁たち。梯子の破片などから犯人らしき人物にあたりをつけたもののどうも違う。秀吉は怒るばかりで妥協せず、犯人が見つからなければ町人をくじ引きで選んで貼り付けにするとか無茶を言う。それはたまらないと思う信繁だけれど、自分で何が出来る訳でもなし。結局は石田三成に頼んでとりなしてもらおうとして果たせず、自分の無能を省みないで三成に文句を言うばかり。果てに三成が秀吉から切腹を申しつけられそうになった場面で、現れた北政所が秀吉を諫めてどうにか場を取り繕ったものの、それだって信繁が頼んだというより北政所が見るに見かねてといった感じで動いただけ。ひとり偉そうなことを言っては何も成さない無能みたいに信繁が描かれていた。

 これで来る大坂の陣で信繁が、実は真田以上に活躍したんじゃないかと言われている毛利勝永の猛攻を横目にひとり手柄にはやって討ち死にしたりして、そんな歴史的に言われていそうな状況が物語的に真田の手柄とされて講談本なんかに書かれていたことも暴かれて、なんだ実はたいしたことなかったんだと真田信繁の“真実”を世に示したとしたら三谷幸喜さん、とてつもないやり手って言えそうだけれど、果たしてどういう風に描くのか。ただただ真面目で父親たちに翻弄されながらも歴史を生き抜き真田の家を公正に残した信幸を、本当の意味での英雄として描いてみせようとしているのか。最終回まで気が抜けない。

 5人衆と言われる信繁と岡本健一さんが演じる毛利勝永、そして哀川翔さん演じる後藤又兵衛以外の役者も、長宗我部盛親に東京サンシャインボーイズの阿南健治さん、明石全登を小劇団の世界で有名なコンドルズの小林顕作さんが演じることが決まり、秀吉亡き後の豊臣家の命運を握った大野治長を三谷映画常連の今井朋彦さんが担当するといった具合に渋い役者が勢揃い。門番に劇団ヨーロッパ企画から本多力さんが出ていたりと日本の演劇シーンを総ざらえしていて、ここから劇団での活動に興味を持って観に行く人が増えたら、演劇も大きく活性化しそう。そういうことも踏まえての起用だとしたら凄いなあ。<

 「まっちゃう、まっちゃう」とだけ叫ぶ得体の知れない存在が跋扈するたびに、人間がミンチのような状態に変えられていく連続猟奇殺人事件が発生する街に暮らす龍胆ツクシという少年。交通事故によって両親を失い、その時に負った怪我によって他人の顔がうまく認識できず、サザエだったりガゼルだったりシベリアンハスキーだったりピカソの絵だったりと、人間ではないものに見えてしまうようになっていた。そんな彼が夜、出歩いていて遭遇した猟奇殺人事件の現場で、赤いコートを着たハシビロコウ頭の人物を目撃。そして生還した彼の影から幼い少女が現れて、ツクシにつきまとうようになる。ジュゲムととりあえず名付けたその少女の正体は、漂う思念めいたものが観測されて形となったものから、さらに分離したものらしい。

 だったら街を跋扈して人を次々にミンチへと変え、ツクシを養っていた法医学者の祖父も殺害した怪物は、分離する前のジュゲムが属していた何かなのか。そんな謎へと迫る展開から、怪異を追ってかり出す組織の存在が浮かび上がり、けれども凶悪な怪異によって破綻してしまった先に見えてきたのは、自分の存在をもっと知ってもらいたいという底知れない願望だったという、そんな話だった第10回小学館ライトノベル大賞優秀賞受賞作の今慈ムジナさん「ふあゆ」(ガガガ文庫)。タイトルが掛けているフー・アー・ユーという言葉が意味するように、自分という存在に他人という存在が入り乱れて認識し、認識されて成立している世界にあって、誰からも認められない哀しみめいたものが漂い、それが惨劇を招く展開が見えてくる。

 スプラッタな描写も多々あって、親しい命があっさりと奪われてしまう残酷さに溢れている割に陰惨さはあまりなく、切実な思いが入れられない寂しさめいたものが漂う。番長気質の森宮タクミという少女の可愛らしさにも注目。そんな彼女をガゼルと認識していたなんて、ツクシもよくよく可哀相な人生だけれどすべてが片付いた後、存在しながらも認識されない身になってしまった方がはるかに辛い。それを飲み込んで一種の怪異となった彼にこれからの人生めいたものはあるのか。そういう存在として世にはびこる怪異と戦うようなストーリーが用意されているのか。単巻としても面白い作品だけれど、そういった展開があるなら読んでみたいし、認識の問題へと迫る創作の力を使ってもっと別のストーリーを紡ぎ出してもたっても嬉しいかも。今慈ムジナさんのこれからの活躍に注目。

 第15回女による女のためのR−18文学賞の贈賞式に行って三浦しをんさんの顔を見る。みずとりのハイヒールげただった。これ良いのよ。それはそれとして受賞作では友近賞に輝いた笹井都和古さん『県民には買うものがある』が滋賀県小説で地方青春小説で興味深かった。都会ではない場所に生まれてそこから出ないで暮らし続ける若い人の生態というかメンタリティーに迫る作品。男子は馴染んで服も靴も適当で車には力を入れるけど女子はそういう自分にちょい焦るという感じ? 山内マリコさん「ここは退屈迎えに来て」に通じる寂寥感といったものが漂ってた。

 文中にある言葉が妙に響いた。「琵琶湖が生活圏にある子とそうでない子では、人間の質が違う。どちらが良い悪いではなくって、そうでない子にはほんの少し、普通にしていれば気付かないくらいの憐れさがあるのだ。琵琶湖が遠くにあるということに由来する、底のほうにある揺らぎ。信じるものが確かではないような感じ」。そういうものなのか滋賀県民。滋賀県と言えば琵琶湖と言われる中でそれを自覚しつつも近くに住んでおらず、問われて答えられないことが招く寂しさが憐れみを醸し出しているのかも。一方で男子とつきあう自分がSNS上で消費されてしまっていることに敏感な女子の心理ってのも描かれていた。彼女話を男子は自慢げに書いてもそれは相手を褒めていたってやっぱり消費なのかもしれない。21歳の受賞者だけれどしゃべりが聡明でよく考えて書いている。もしかしたらとてつもない作家になるかも。 要注目株。


【5月22日】 シャラララン。と始まった「ふらいんぐうぃっち」は、サブタイトルが「喫茶コンクルシオ」となっていたけど大半は木幡真琴と倉本千夏と倉本圭と石渡なおが山菜採りに行くって話。冒頭でチトさんを持ち上げ、ちょっと太ったんじゃないかと突っ込んだなおの肩に乗って重さを見せつけるチトさんちょっとイケズ。でもそれで太ったことを認めてるんじゃないかとも。山菜採りではもっぱら圭が主導していろいろ説明していたけれど、熊が出るにも関わらず鈴を忘れたのはちょっとまずいかも。ここ数日、現実の秋田県で熊が出て人が襲われて亡くなっているし。秋田でそうなら青森だって。本州でもそこは東北。千葉の里山とは違うなあ。

 そして家に戻ってきて山菜料理をたしなんだ後で、木幡茜が教えた喫茶店へと真琴と圭と千夏がゴー。たどりついたそこは廃墟だったけれど、なぜか神社にお参りするときの二礼二拍一礼でもって魔法が解けて、店が露わになるのはなかなかに絶妙。神社だったら同じような行動をする人も出そうだけれど、廃墟でそれをする人はいないから。そんな喫茶コンクルシオに入った3人が、誰も居ない店内で見つけたメモ。それもどんどんと出てくる。もしかして幽霊? って驚かない千夏が凄いし、驚くより先に怖がる圭も凄い。いるかいないかってレベルはとうに過ぎている訳か。まあでもすでに身内に魔女がいるんだから、何がいたって気にしないのか。

 そして登場した幽霊店員のひなさんだけど、真琴の魔法で姿が見えていることを知って臆して仮面を被っちゃった。ずっと見られていないと見られるのが恥ずかしくなるのかな。逆に恥ずかしいから消えちゃってたのかな。コンクルシオのオーナーたちはまだ姿を見せず。椎名杏子たちが登場して、ようやくオープニングの面々が出そろうけれど、春の運び屋さんはどこかに行ってしまい、茜が手に持っているマンドレイクも1話だけの登場であとはお呼でなさそう。初期の要素を詰め込んではみたものの、後が続かない状況は寂しいので可愛い犬飼さんにはもうちょっと登場して欲しいもの。夜も良いけど実は昼間のあの姿も結構可愛いと思うのだ。マント着ててもボディコンだし。酔いから冷めて中身が変わっていた時の私服姿も良かったし。出ないかなあ、また。

 痛ましいし悔しいし、哀しいし恐ろしい。元アイドルで今はシンガーソングライターとして活動を始めていた女性が、ツイッターとかメールとかでさんざんっぱら絡まれた挙げ句に襲撃されて刺され意識不明の重体に。ただただ快癒を願うけれど、直前にそうしたストーカー的な文言を送られ、身に危険を感じていることを警察に相談しておきながら、どうしてこんな事態になったのかっていった憤りも浮かんで仕方がない。何かあったら110番してくださいといったって、何かあってからじゃ遅いことはこの一件が如実に語っている。だって刺されちゃったんだから。

 見かけたら110番とか言われていたって、見つけた時にはもう刺されてたような状況で、110番していったい何の役にたつ? ここはだから地元の警察がせめて楽屋に入るまでを保護し、出待ちしているような怪しい人間を職質かけてナイフを持っていたらしょっ引くべきだった。工作用のツールとして持っているミニナイフでも秋葉原あたりで見つけたら没収するか、抵抗すればしょっぴく警察が、こういう場面ではほとんど動こうとしないのはスカされて空振りに終わってしまうことを嫌気しているからなんだろうか。職質で危険物を探し出せれば点数だけれど、ストーカーを警戒して何もなかったらそれは点数にならないから。

 まあ、そういう見方もあるだろうけれども一方で、すべてを警察が面倒見るというのも抱える事件の多さを思えば難しいかもしれない。当人が何か身辺に危険を感じていたのだったら、自分でも強く警戒をして、誰か知人に保護を頼んでおいて欲しかったという気がしないでもない。出演先のライブハウスの人に駅まで迎えに来てもらうとか。出たらすぐにタクシーを呼んでもらうとか。そういった警戒を当人なり周囲がしていれば、あるいは避けられたかもしれない状況だっただけに残念感も募る。ファンだっと思っていた人がズレていく状況を目の当たりにして、誰も信頼できず、相談もできなかったのかもしれないなあ。もちろん逆恨みを募らせ襲撃をして刺した犯人が誰よりも悪いことには変わりがないけれど。

 なぜそうなってしまうのか。これは何も今に始まった話ではなくて、昔から行き過ぎたファンの言動が対象に迫り、時には殺傷事件へと発展してしまうことはあった。ジョン・レノンがまさにそうしたファンによって射殺されている。前に比べてタレントとファンとの関係が近くなったって意見もあるけれど、雑誌に書かれていた住所を頼りに作家や漫画家をファンが家まで訪ねたとか、憧れの声優をファンがスタジオで出待ちしていたって話は昔の方が多かった。それで事件が多発したということはなく、むしろジョン・レノンを筆頭に有名な人を対象にして起きるとか、あとは身内間のトラブルによって起きる場合が印象として多かった。

 ただ、今が昔と違うのは一種、特権として存在としたメディアの上に乗る人たちは今ほど多くはなく、そこに向かってアクティブな行動を起こす人たちも今ほど広くは存在していなかった。これがネットの登場によって、誰でもちょっとした有名人になれて、そこに自分の存在を伝えられるようになって、リアクションも返ってきやすくなった。タレントを意識する人たちの存在が昔以上に可視化され、そうした人たちとコミュニケーションを取ることで得られるちょっぴりの優越感なり自己承認なりも、以前に比べて増えていった。そこで裏切られたと感じた時に、そういうものだと耐えられない人も混じるようになった。

 認められたと思ったら拒絶され、どうしてなんだといった憤りと屈辱感に苛まれ、思い詰めた果てに爆発したといった流れが、事件の背景にあるのだとしたらやはり現代のこのネット状況なり、情報環境が呼んだ事態と言えそう。そうした事態に警察もまだ十分に対応し来ていていないとも。だからこれからも、起こりえる可能性があるだけにやはり何らかの対策が必要。それが対症療法的に警備を増やす、自分で身を守るといったことに当面はなったとしても、根治するにはネットなりで気軽になったコミュニケーションを怒らず心おだやかにして、時に受け流す度量も持って進めるような心理的発達、自己顕示欲や承認欲求が肥大化した挙げ句に認められず暴走しないような心理的進化を遂げていく必要がありそう。それには何が必要か。教育でも追いつけないし。人は少なからず暴走すると認め対症療法を厳格にするしかないのだろうか。ううん。難しい。

 高校のたぶん1年生の時に学校行事で落語を聞く時間があって、やって来たのが確か桂歌丸師匠と、そして当時はまだ三遊亭楽太郎だった現在の6代目三遊亭圓楽師匠だったと記憶している。何をしゃべったかはもう覚えていないけれども、ちゃんとした落語を聞いたのはもしかしたらそれが最初で最後かもしれず、そして大喜利のようなどんちゃかしたものとは違って、ちゃんと枕を振ってそして本題を話してちゃんと下げて引っ込むその話芸に、少なからず感動したこともやっぱり記憶している。その2人が同じ「笑点」の舞台にあって以前は大喜利メンバーとして、そして後に司会を歌丸師匠でメンバーを圓楽師匠が勤めるようになった。当時から著名だったけれど35年経って大御所にもなった2人を呼んだ学校に見る目があったのか。紹介した誰かが偉かったのか。

 その歌丸師匠が50年勤めた「笑点」を去る。過去、歌丸師匠と激しいやりとりを見せて三波伸介さん司会の「笑点」大喜利を盛り上げた4代目三遊亭圓遊さんが急逝し、どこかクールな存在感を放っていた5代目圓楽は三波さんの後を襲って司会になったもののやはり逝去。林家こん平さんも病気で退くなどして、残る初期メンバーは林家木久扇さんだけとなってしまうけれど、その存在を誰よりも引き出してくれる歌丸師匠の降板が「笑点」の空気をどう変えるのか。新しく司会を務める春風亭昇太さんがどんな差配を見せるのか。不安もあり楽しみもあってちょっと「笑点」を見るのが楽しくなって来た。最後の出演、張りこそ衰えたものの勘の良さで一流のところを見せてくれた歌丸師匠が、これから高座でどんな落語を聞かせてくれるかを、時間を作って見に行きたいなあ。やってくれるかな。それとも大喜利にちゃっかり戻るのかな。


【5月21日】 切れ者で頭が良くって実務に長けて効率的な雰囲気があっただけに、舛添要一東京都知事が政治資金なり公費なりを自分のこととか家族のことに振り向けて、使っているのが次から次へと露見するのがちょっと信じられない。バレて突っ込まれたらそれこそ政治声明に関わる問題だって、過去の営々と続く似た事例を見ていれば政治学者であり政治家を長くやって来た人間なら分かりそうなもの。それでもやってしまって次から次へとバラされ窮地に。挙げ句に会見を開いて釈明もせず第三者に調べてもらうの一点張りでは誰だってこりゃダメだと思うだろう。

 いやでもそこで開き直って「莫迦なこと言いなさんな」と席を立った石原慎太郎元都知事だって褒められたものじゃなく、そこでマスコミが徹底的に追求していれば早くに進退も定まって、表現規制なんて導入されず、東京オリンピックだなんて無駄な物を誘致しようだなんってことにはならず、尖閣諸島の問題がこじれて中国との関係が一気に険悪化することもなく、それで野田政権がガタつくこともなく安倍ちゃんの再登板へと至って景気が谷底へと真っ逆さまに落ちるなんてこともなかったかもしれない。日本の運命を変えたかもしれないその進退。でも突っ込まなかったマスコミが今回ばかりは徹底追求するみっともなさは問われて良いだろう。非対称的過ぎる。

 でもやっぱりどうにもみっともない舛添都知事のそのあたふらぶり。辞めてもらって代わりに来るのがタレント都知事ばかりだったらさらに厄介だけれど、猪瀬直樹前都知事が再登板してもらっても東京オリンピック誘致の当時の責任者だったことは確かで、そのけじめもついてない状況ではやっぱり世間が許さない。ってことはしばらくは続投か。それともやっぱり辞任か。どっちにしたって日本にあまり良いことなさそうなのに、そういう未来を考えないで引きずり下ろそうとするエネルギーの源がいったい何かをちょっと知りたい。義憤とも言えないし、嫌悪からも遠い空気。それが何によって情勢されているのか。それとも核があるのか。私気になります。

 あまり今シーズンはなでしこリーグに行けてなくって、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースがあまり勝てない状況に歯がみしているんだけれど、そんな女子サッカーからも続々と新鋭が登場しているみたいで、これはやっぱり観に行こうかと思い始めている。高倉麻子さんが新監督となったサッカー女子日本代表ことなでしこジャパンに新しく招集された選手が5人。うち日テレ・ベレーザの中里優選手はまだ21歳だけれど、中盤という大事なポジションで選ばれているってことはチームでもしっかりと活躍しているんだろう。

 ベレーザの中盤といえば加藤與恵選手なんかがいて、最高のポジション取りでチームを救い攻撃の起点となって来た場所で、今も阪口夢穂選手という新生なでしこジャパンの背番号10番を任されたベテランが君臨する場所にあって、代表入りするくらいの活躍をしているとなれば相当なもの。もしかしたら去年にどこかで見ていたかもしれないけれど、名前を覚えて改めてそのプレーを確認したくなった。近々だとジェフレディースとひたちなかで試合があるみたいあけれどちょっと遠いか。でもその次は美作だし。ちょっと考え中。ジェフからは菅澤優衣香選手と山根恵里奈選手がそろって入ってこちらは新生なでしこでも中堅以上として引っ張っていく立場になりそう。古手が居なくなった中でどれだけ自分を出せるのか。期待して見守ろう。

 ガルパンだガルパンだ。「ガールズ&パンツァー劇場版」がパッケージの発売前に全国で一斉上映になってその中には4DXでの上映も含まれるってんで、これは行かねばと手ぐすね引いて待っていたら豊洲あたりはとっとと売り切れてしまったんで、他にはどこかないかと探したら千葉県の奥にあって京成電鉄が乗り入れているちはら台のUNIMOってショッピングセンターにあるUSシネマで4DXの上映があって、夕方からの回にちょうど空きがあったんで早めに抑えて待つこと数日。やって来たこの日に電車を乗り継ぎはるばるたどりついたちはら台は田んぼと森に囲まれた場所だった。住宅地とかベッドタウンにもまだなっていないけど、それでもポツポツと家は建ち始めたといった感じ。名古屋でも浅田とか三好とかのちょっと前の雰囲気に似てるかな。例えがちょっとローカル過ぎ。

 そんな場所にあってUNIMOの方はフードコートもショップも充実。何しろH&Mがある。そして撤退が決まったオールドネイビーがある。いろいろと買い物に不自由はしなさそうだけれど、周辺地域にそうしたショップを利用するニーズがあるかがまずはなぞ。案外に車だと千葉市とか近いのかもしれないけれど、それでもやっぱり場所的には遠過ぎる。むしろ船橋の駅前にあったって悪くない店なのに、そっちにあるのはイトーヨーカ堂だものなあ。何が何だか。まあだからこそオールドネイビーは撤退するのかもしれないけれど。

 そんな店とか眺めてから始まった4DXでの「ガールズ&パンツァー劇場版」は、最前列のほぼ中央で見たからまるで気持ちは戦車の操縦士。とりわけ大学選抜との試合で戦車目線で動く場面なんかがいっぱいあって、立体迷路のところなんか左右にも動くんで実際に戦車に乗っている気分になった。あとは最終決戦のところか。加えて今回の4DXはqマシマシ版だそうで、前に豊洲で観た時に比べて揺れも激しくシャボンも多く飛び霧なんかもいっぱい吹いていた感じ。隣の人なんて背中が座席から離れて頭をぐらんぐらんさせていた。首が強くないと大変そう。そうでなくても終わったあと、ちょっとした疲労感が体に漂う。4DXはスポーツ。とりわけ戦車戦とか多い「ガールズ&パンツァー劇場版」の4DXはハードスポーツ。アトラクションを超えて肉体の限界へと挑戦させてくれる。

 でもそんな激しい動きを西住みほとまほの姉妹が過去を振り返る回想シーンでは一切出さないところも上手いなあ。あそこは2人の美しい姉妹関係にどっぷりと浸って気持ちを温かくする場面だから。そんなこんなで2度目となった4DXをまたみたいかというとううん、時間があればかなあ、それよりも普通のバージョンを改めて見ておきたいかも。音響も工夫がさらにされていそうだし。もらったフィルムはみほと武部沙織が並んでいる場面。後ろにKEEPOUTのテープが見えるから校門前かな。キャラで嬉しい。次もらえるならまほが欲しい。あるいはねこにゃー。いつまで配っているかな。

 4DXといえば6月4日から全国の4DX劇場で、日本で始めて4DX専用に作られたという映画「雨女」が公開。日本のホラーを引っ張る清水崇監督による40分に満たない短編だけれどホラーシーンに後付けでもってシートが揺れるとかきりが吹き出すといったアレンジを加えたんじゃなく、映画のストーリーや演出に併せて4DXならではの様々なギミックが稼働するから映画を映像が飛び出すって意味じゃなく、立体的に楽しめる。まず雨が凄い。何しろ「雨女」ってんだから映像には雨が降っている場面が多いけれど、その振る雨に遭わせるように天井からぽたりぽたりと水滴が滴って雨の中にいるような気分にさせる。

 「ガールズ&パンツァー劇場版」の4DX版でも高地の取り合いを経て撤退する大洗女子学園の連合チームに雨が降るシーンなんかで劇場でも雨が降って眼鏡を濡らしてくれた。でも「雨女」はそんなレベルじゃないくらいに雨が降って映画が終わった後に床を観るとほんとうに雨上がりのような水の跡が出来ている。ポタポタって音も聞こえてくるようなその降らせっぷりの中で観る雨の中で起こる不思議で恐ろしい出来事の数々が、スクリーンの向こう側とこちら側をつないで空間を一体化する。そこに起こる恐怖のギミック。首元から空気が吹き出し前方からは霧が巻かれてギョッとさせるシーンを彩る。背中を押すこれはもしかして本物? でも振り向いたらそこに居そうで振り向けない。

 テレビの30分ドラマよりちょっと長く60分ドラマよりは短い映画だけれど満足度は十分。料金も普通のロードショー並みはとるけれども4DXとしてはちょい安めの値段で、たぶんテーマパークの映像系アトラクションよりは安いはず。それで日本初どころか世界でも希の4DX専用映画っtのを体験できるんだからこれは行かない手はないかも。ちょいストーリー上であのモデルの女性はいったいいつごろ彼と知り合ったのかっていった疑問も浮かばないでもないけれど、結末が怖ければすべてよし。恐怖の対象が敬愛の象徴へと転じるところもあって泣けてくるけど、それを上回って迫る恐怖もあるってことで、命のかけがえのなさって奴を思い知ろう。「ガルパン」で4DXを試した後にはこれもおひとつ。


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