縮刷版2016年2月中旬号


【2月20日】 JAEPO2016の会場では、あとやっぱり「艦隊これアーケード」の人気ぶりがなかなかで、大きなタイトルというのはやっぱり人を集めるものだとは思ったけれども稼動してどれだけのファンを集めるかはちょっと未定。家でしこしこと成長させるのがいいのか、それともやっぱりグッズとしてカードを集めたいと思うのか。そんなプレーヤーの意識の持ちようがこれから浮かび上がってくるかも。プライズでも「艦これ」関係は結構あったけれど、不思議と「刀剣乱舞−ONLINE−」はあまり見かけなかったのは権利元が逡巡しているのか、単に見落としていただけなのか。各所のレポートを後で見よう。

 やっぱり人気なのか「おそ松さん」関係のプライズは各所にあって、いろいろな素材でいろいろなグッズを出していた。ふり向きおそ松さんのイラストを起こしてそれをシリーズ化しているようなところも。アニメ制作会社とかからもらった版権イラストを使うだけじゃなく、さまざまなアイデアを出してそれを版権元にぶつけて返ってくる答えを形にするあたり、共に盛り上がっていこうっていう意気込みが見えて面白いかも。決まった版権だけを貸し与えてあとは自由にといわれても、欲しがる商品には仕上がらないってことを分かっているんだろうなあ、どちらも。

 しかしそんな「おそ松さん」人気の秘密を、有名声優が声をあてているからって今のこの段階で分析している記事があって腰が砕けた。それもあるけどそれは土台でその上に、ねじれたパロディやらギャグやらが乗っての今ってどうして書けないんだろう。記者は書きたいけれどデスクが理解不能? だから声優人気に押し込めた? だとしたらその媒体の未来って奴が不安になるし、書き手がそう信じていたのならさらにヤバさも募る。まだ若そうなのに。理解しようとしないんだろうか。そもそも理解できないんだろうか。困ったことだけれど仕方がない、そういう単純な物言いが好まれ、それが出来る人が偉くなれる場所らしいから。やれやれ。

 自民党に所属する国家議員によるアメリカのオバマ大統領の出自に関するある種の失言は、当の国会議員がアメリカにおけるフリーダムな環境、さまざまな差別を克服して至った状況を讃えたものだと言い訳をしていて、なるほどそういった発言主の意図そのものは分からないでもないけど、大統領自身が奴隷の子孫だと思わせかねない言い回しには事実としての誤認があったし、奴隷の子孫があり得なかったはずの大統領になってしまうといった言い方にも、長い歴史と闘争の中でアメリカが克服して来た差異を改めて指摘して、そういうことが過去にあったと突きつけ、今ふたたびの差異を顕在化させる恐れなんかを醸し出している点で、やっぱり拙いような気がしないでもない。

 いったんはフラットになった中から、ひとりのアメリカ国民として育ち大統領になったこと、ただそれだけのことだと言い切ることによって自由であること、平等であることを言うのは実に前向きだけれど、そこに当人たちとはまったく関係のない、差別され区別されていたルーツを添えることによって、今の社会にそうしたルーツに伴う分断を意識させ、反目を呼び反発を誘いかねない。ある種の百科事典的な知識として、添えるだけならまだしも立場のある国会議員がそうした配慮もなしに、サラリと言ってしまったことをだから世間も問題視して、海外なんかでもちょっと良くないんじゃないかという声が挙がっているんだけれど、そういう方面に回す意識は国会議員にも、擁護する人たちにもあまりなさそう。過去を辿り誇るなり卑下すればそれが軋轢を呼び断絶を招いて混沌を生む。気をつけようと自戒も込めて。

 政府がポン酢なのか、そんな政府の間抜けさ加減を伝える新聞も含めてポン酢なのか、そもそもありもしない話を妄想して書き記した新聞だけがポン酢なのか。とある新聞がこんな記事を出して、日本中から右も左も関係無しに失笑と爆笑と苦笑と嘲笑を浴びている。曰く「甘利元経済再生相の秘書口利き疑惑は、中国によるTPP妨害工作の一環ではないのか?!」。いやもうポン酢かと。どこの「月刊ムー」かと。いやいやムーならまだ妄想の中に娯楽を探求するというエンターテイメントとしての存在価値があるけれど、真実を求めることによって国民の知る権利を付託され、記者クラブとかに人を置かせてもらえる権利を得て、そして税制とかでも優遇してもらって稼いでいる新聞が、どこにも根拠を見いだせなさそうな妄想というか陰謀論を堂々、その題字の下に掲載をしてしまうなから世界に与える影響は半端ない。それこそ新聞業界が挙げて俺たちはムーとは違うと言って、ムー以下の妄想を繰り出す新聞を仲間内から廃したって不思議はない。

 「政府機関が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の妨害工作として海外諜報組織の関与がなかったどうか極秘に調査を開始した」っておいおい本当のことなのかよ。というか政府機関ってどこなんだよ。警察か。内調か。公安調査庁か。レイセンか。第八か。どこかの探偵事務所か。とてつもない国益への棄損ならそうした調査を行っているあろう政府組織をまず挙げて、その頑張りを讃えたって不思議はないのに具体名を挙げずに報じる理由が分からない。もしも国会でこれを突っ込まれて政府は知らないし調査なんてやってないと答弁したら、どう言い訳するんだろう。極秘任務についているから政府だって言えないなんじゃないかと言い訳するのか。そうしかねないよなあ。

 というかもしも政府がそんな調査を本当にしているんだとしたら、話が違う、まずはちゃんとした司法が甘利前経済担当大臣の身辺を洗い違法行為がなかったかどうかを調べて告発するかどうかを決めるのが先だろう。そして秘書が悪いというならその秘書を甘利前経済担当大臣が訴えるべきだと言うのが先だろう。なのにいきなり話を存在も疑われそうな政府組織の、実態に疑問も持たれそうな調査と言って中国に責任を押しつける。自分たちの身内の身ぎれいさも証明できないのに余所様に責任を押しつけようとするその筆の卑怯さ。あるいは政府が本当にやらせているんだとしたらその行為の卑劣さをこそ、世間は問い糾すべきなのに。

 けれども今の政府はそういう愚劣をやりかねないと思われていて、なおかつその新聞は為にする謀略論を新聞という公器でありながらも平気で載せて、一瞬のアクセスを稼ごうと躍起になっていると同業者からも世間からもすでに見切られ、認識しているから、ああまたあそこがやったなゲラゲラで終わってしまう。たとえ内部でいっぱいアクセス稼げたぜって喜んだごころで、炎上と侮蔑のアクセスなんて何千万集めようと何のプラスにもならない。そうやって次第に信頼を売り飛ばしていった果て、待っているのは広告主からの呆れによる撤退であり、紙も含めた媒体全体の墜落。そんな奈落の底へとまっしぐらの事態に気付いて目覚めて欲しいんだけれど、外の生暖かい苦笑を鉄面皮で跳ね返してそっくり帰っているうちに、プツンと紐が切れて真っ逆さまに落ちていく。大勢を巻き添えにして。たまらんなあ。知ったことではないけれど。やれやれ。

 「滅葬のエルフリーデ」から久々になる茜屋まつりさんの「ブラッドアイズ 北海道絶対防衛戦線」(電撃文庫)は少年少女が北海道で熊退治をする話、ってそんないったい時代は明治か開拓時代かって思われそうだけれどもバイオテロめいたものが起こって北海道の動物たちが凶暴化。知性まで持って人間を襲い始めたものだからプロのハンターでもどうしようもなくなったところを、訓練を受けて装備も固めた少年少女が手に銃を持ちナイフも携え凶暴化した動物たちに挑むという。ロボットでも魔獣でもないけれど人間という脆弱な生き物は武装でもしなければ動物たちにはかなわない。そんな食物連鎖の文明によって上げ底されていない状況を思い出させてくれる物語。読むと北海道に行くのが怖くなる? いやまあ今は安心だけれどいずれ人間が減って動物が増えると起きることかもしれないなあ。熊。僕にも倒せるかなあ。


【2月19日】 「ヨーグレット」って駄菓子だったの? っていうのがまずはちょっとの驚きだけれど、前にグリコの「ビスコ」も駄菓子扱いで登場していたんで子供が好みそうな、そして値段もそれほど高くないお菓子は駄菓子屋で扱って相応しいってことになるのかもしれない「だがしかし」。サヤを相手にお医者さんごっこを出来るというのに脱がせもせず、聴診器を胸に当てもしないで薬のようだと「ヨーグレット」を出し続けるココノツの唐変木ぶりにもったいなさも募ったけれど、それでもちゃんとお医者さんごっこの記憶を消さずに今なお持ち続けては「ヨーグレット」の言葉とともに思い出すあたり、何か感じるところがあったんだろう。狭い部屋で2人きりで遊ぶ、っていうシチュエーションも大人になるとあり得ないことになるものなあ。違う遊びはしたとしても。

 そんな「だがしかし」にはあと、「超ひもQ」とそれから「まけんグミ」ってのも出てきたけれども子供の頃にコーラガムとかはあってもグミってあんまり見かけなかったんで、この商品のどちらも駄菓子屋で買って食べたって記憶もないし、遊んだ記憶も当然にない。もしも「まけんグミ」でもってその手のひらでサッと引っ張り上げることが可能なら、僕なり他の誰かなりが学校で実演していただろう。あるいはおやつは300円までの遠足で誰かがもって来て試していただろうけれど、そういう記憶もないからたぶん、僕の子供の頃にはまだ流行ってなかったお菓子なのかもしれない。おはじきについては遊んだけれども小指が通るとかいったルールは知らないなあ。そこまで厳密な遊びをしてなかったってこともあるか。ただ集め、キラキラするのを見ていたくらい。そういうものだよ、子供って。

 JAEPOと闘会議が合体するぞ。カーニバルだ。ごはんだけでもおいしいわ。意味が分からないけれどもそれくらい、驚きの事態が進行しているようでアミューズメント業界にちょっとした旋風が巻き起こるかが、これからちょっと楽しみになって来た。昔は9月に開催されていたJAMMAのアミューズメントマシンショーと、2月に開催の全日本アミューズメント施設営業者協会連合会とか日本遊園施設協会なんかが開いていたAOUエキスポってのがあってそれぞれに業務用ゲーム機なんかが出ては、アーケードゲーム機のファンを喜ばせていたんだけれどもいつの頃からJAMMAショーがなくなり、そして差パンアミューズメントエキスポ(JAEPO)っていうイベントに統一されて2月開催となってこれが、年に1度の業務用ゲーム機の祭典ってことになっていたけれど、規模はそれほど大きいとはいえずマニアが集まる場所といった雰囲気になっていた。

 というか業務用ゲーム機自体がかつての栄光も今は昔といったところで、ヒット作といったものが見えずせいぜいがカードゲーム筐体といったあたりでビデオゲームにしてもメダルゲームにしても、だんだんと廃れていっているといった味方が一般的になっていた。プライズゲーム自体は人気でもそれはゲーム機ではなく中に入っている景品の方が人気なだけ。だから業務用ゲーム機そのものへの注目は下がり気味になっていた。これも時代とは言えるんだけれど、だからといって業務用ゲーム機の魅力が薄れたかというとそれはなく、個々に面白ゲームはあってファンはいるし大会も行われている。

 ただ触れる機会が減ってしまっているという状況の中で、スマホ向けのゲームとか家庭用ゲームのファンが集いイベントを行ったり実況を見せたりする場として大いに盛り上がりを見せているドワンゴの闘会議が、来年からこのJAEPOもいっしょの会場でいっしょの日時で開催することになったと発表。闘会議ゼネラルプロデューサーの浜村弘一さんもやって来て、JAEPOの里見治会長とがっちり握手をしていた。そんあ握手の結果として期待できるのは闘会議コーナーでのアーケードゲーム機関連の展示やイベントの増加で、今回も大会めいたことは幾つか行われていたけれど、それが本格的に行われるようになって現地でその闘いぶりを見た人たちが、アーケードゲームって面白いんだと興味を持って通うようになるって動きが生まれること。シューティングみたいなゲームを大きな画面でプレーして、その凄まじいばかりの動きを実況も交えて見てもらうことによって生まれる感動はネットなんかで繰り広げられている、さまざまなゲーム実況に負けていない。

 あの懐かしのゲームサーマ-フェスティバルでも、炎天下に立てられた巨大モニターで繰り広げられていたシューティングの技に、誰もが見いていたものなあ。そんな感動を今一度、呼び覚ましてくれる場になればと思うんだけれど果たして。JAEPO自体は見本市でもあるから業者向けには金曜日を当て、そして今は土曜だけの開催を日曜にも伸ばして闘会議と同じにすることで、得られる相互交流のメリットが、果たして業務用ゲーム機を救うか。それともやっぱりスマホで十分といったファンの無関心を突きつけるか。来年の闘会議が今から楽しみ。

 そんなJAEPO016で面白かったのが、何といってもバイキングって新しい会社が出してきた「マジシャンズデッド」っていう業務用ゲーム機。何しろ操作に手を使う、ってもコントローラーを握ってボタンを押したりスティックを動かすんじゃなく、その手を前に押し左右に振ると何とゲーム画面の中のキャラクターが、腕とか振って魔法や超能力を繰り出して敵を倒す。地面に魔法陣めいたものを描いておいて、そこに誘い込んで一気にドカンなんてことも可能。つまりは自分がゲームキャラの超能力者なり、魔法使いになった気分を味わえるというこの「マジシャンズデッド」。超能力とか魔法を繰り出しビームや炎を発して敵を攻撃するだけじゃなく、手のひらを振ってバリアをはったり、車とか岩とか言った大きなものを磁力線めいたもので動かして防御とかも行えるというから、結構多彩な遊び方が出来そう。そのあたり、どういう認識をしているかが気になるところではあるけれど。ジョイスティックとの連動かな。どうなのかな。

 コンシューマーゲームでもマイクロソフトのキネクトとか使えば似たようなことは出来るだろうし、プレイステーションでもMOVEとか使えばやっぱり出来そうな気はするけれど、あれは家でやるには狭すぎるし、自分のプレースタイルを他人に見てもらう訳にもいかない。でも「マジシャンズデッド」なら自分の動きをゲームセンターに来ている大勢の観客に見てもらえる。だからちょっとポーズを決めて呪文も唱えてうなれ俺の左手とか叫んで振って、中二病っぽさを全開にして遊べそう。ファッションも揃えればばっちりだけれど、そんなプレイヤーは出てくるかなあ。春からロケテ開始とか。始まったら見物に言って左手を唸らせている野郎とか、すまして右腕を差し伸べている女子とかいないか観察してこよう。

 数ある媒体の中でも割と最後の方まで吉田証言を引っ張っていたことをネグって、自分たちはずっと吉田証言の嘘くささを糾弾してたちったフリをしたがってる媒体が、朝日をいじれば数字が取れるからと躍起になって朝日叩きを続けて、それをより盛大にやろうとしたらお前等自分ところの記事は読んだのかと、朝日の元記者に突っ込まれてうろたえ慌てて取り消しとか小さく載せたこともも忘れたかのように、慰安婦問題は朝日が捏造証言を載せたから世界に広まったんだってなデマを今も続けて、それをお友達な記者が総理大臣に吹き込んで、その意を受けて外務省が言いたくもないことを国連で言わされ、早速国連から何言ってんだお前ら先だって誤りをみとめたばかりじゃないかと突っ込まれていることに、知らん顔して今もなお朝日が悪いと言い続けている状況がどうにもこうにも鬱陶しいというか。それで世の中が通ると思っているというか。困ったなあ。


【2月18日】 地方移転とかいうならまずは国会を地方都市へと移して官公庁もそっちに持って行くのが先というか本質だと思うんだけれど、首都移転とかずっと言われている割にはどこも動かず、都構想だとかをぶち上げた大阪だって近隣市町村を抱き込んでデカくなることばかり考えて、官公庁から機能をもらいうけて何かの都として立つような気構えは見せていない。通信の総務省とか産業の経済産業省とかいったあたりを呼び込みつつ、高市早苗総務相の示唆するように、NHKの制作機能の大部分をAKからBKに持って行くくらいのことをやればもうちょっと沸き立つと思うんだけれど、そういう兆しもないまま消費者庁をなぜか徳島に持っていこうとかいう話だけが起こる。何で徳島? 愛媛でも高知でも香川でもなく徳島って理由が分からないけれど、でもご安心、務める職員の中にはきっと徳島行きを心待ちにしている人もいるだろう。

 なぜって徳島には年に2回、春と秋に東京からアニメや漫画やゲームのお偉いさんやらクリエイターやらアーティストが大挙してやって来ては連日のようにお祭り騒ぎを繰り広げてくれる。山の上ではライブもあるし橋の下をめぐる美術館だって出来る。そして映画館。市内に1つしかない映画館ではそれこそ人気のアニメーションからちょっと珍しいアニメーション、そしてアート的な映画まで上映されて東京にいるよりよっぽどうれしいプログラムに接することができるのだ。東京ではもう見ることができない「桜の温度」っていう短編アニメーションまで見られる。こんなうれしい街に早く移転してって思っている消費者庁職員だっているだろう。その割合はともかくとして。そういう意味なら例えば大洗とか鴨川とか、秩父とか鷲宮とかに移転ってのもありかもなあ。まずは消費者庁の動向を見守ろう。

 「おそ松さん」祭りの狭間にあってまるで関心の埒外に置かれているような感じさえ漂う「プリンス・オブ・スクライド オルタナティブ」だけれどイケメンたちによる街中を使っての障害物競走は主人公たちの学校がトライアルツアーをこなしてそして、いよいよ決勝トーナメントを迎える前に、ライバルとも言える学校と合宿するって感じだけれどお風呂シーンとかあんまりなくて見ている女子にはあるいは肩すかしだったのか、ラストの海辺での夜の水泳にこれはこれでと思ったんだろうか。いずれにしても鍛錬というものの状況が分かったエピソード。相手はあれだけの施設であれだけのデータを駆使して日々の鍛錬をしているのに、主人公たちはアナログで旧式な根性的練習。これでどうやって勝つんだろう。そんな段取りが気になってこれからも見てしまいそう。八神陸の兄ってまるで絡まないけどどうしているんだろう。そこだけがちょっと気になる。

 もう10年になるのかと、改めて時の流れの速さを感じた五反田にあるDNPミュージアムラボでのフランス国立図書館との発表会。前はずっとルーヴル美術館が所蔵している美術品とか文化遺産を日本で展示すると共に、DNPが持つデジタルを含めたさまざまなテクノロジーを駆使してより深くより多層的に作品に迫れる環境を、美術館のような場所に作るっていう探求を行っていた。最初のジェリコーによる「銃騎兵」では出始めだった4Kのハイビジョン映像をシアターd絵上映するとともに、ディスプレーに触れて情報を自在に引き出すインタラクティブというかマルチメディア的な展示がメインだったけれど、それから10年が経って新たにフランス国立図書館を始めることになった「体感する地球儀・天球儀展」という展示では、VRヘッドマウントディスプレーとかキネクトを使っての動作による操作なんかも入ってより、マルチメディアな展覧会といった感じになっていた。

 あのフェルメールの絵にも描かれたホンディウスの地球儀と天球儀を始めとして、表面がデコボコとして地形が形成されたチュリーの地球儀なんかも日本に来てお披露目されるこの展覧会。とはいえ貴重なもので触れて自由にぐるぐる回してあちらこちらを指さして確かめるなんてことはできない。そもそも古くて表面に書かれた文字なんかも読みづらくなっているのをDNPでは、500枚くらいの画像データに分割して表面をスキャンし、それをデジタル上でつなぎ合わせて汚れもとってクリアにして、球体のデータにして利用できるようにした。実際の地球儀やら天球儀が置かれた手前に設置された、4Kのタブレットに触れるとそこに映し出された円形の地球儀なり天球儀がぐるぐると回って任意の場所が現れる。真下だって真上だって見られるのは、実物の天球儀や地球儀ではあり得ない。それがデジタルでは可能になっている。

 汚れも落とされ文字なんかも補正されてくっきりと読めるなおかつ任意の場所に関するデータを仕込んでおいて、そこを指し示すとディスプレーに情報が現れ学んでいける。表面に触れると声が出るとか行った電子玩具的な地球儀ならあったけれど、貴重な資料でもバーチャル上で手に触れなで回し、そして情報にもアクセスできるという新しい見せ方が可能になっている。地球儀のデータを起点に地球のあらゆる場所のあらゆる情報にダイブしていくような、インターフェースとしての使い方もあるのかな。ネット上に置いてくれれば自在になで回して居ながらにして過去の人類の叡智に触れられる。それも可能になっているらしいから凄いというか。あらゆる情報がネット上に集い、誰でもどこからでも利用できる時代に向けて、こうした作業を通して得たノウハウが大きくものを言うんだろう。

 ほかにもDNPでは冊子のページにマーカーをつけてそれをとらえると平台の上にプロジェクションマッピング的に当該のページに関連した情報が投影される仕組みとか、フラットディスプレイにこちらは上下は無理でも左右にぐるぐると回せる地球儀や天球儀音データを表示させるデジタルサイネージ的な展示とかを行っていた。そしてVRヘッドマウントディスプレーを使った展示。天球儀って普通は丸いのを外から眺めて内側から見るとどうなるんだろうなっていった想像をする必要がある。ところがこのVRヘッドマウントディスプレイを装着すると、天球に描き出された星座の動物たちを見上げるように、あるいは見下ろすように鑑賞できるようになっている。中心にあるのは地球で、そこから見た天球の光景。VRだからできる新しい見せ方。これもこのままネットとかで提供して、どんどんと出てくるVRヘッドマウントディスプレイ様のコンテンツとして販売するとかいったビジネスに応用できそう。

 マイクロソフトのセンサー技術をつかった展示もあって、大きなディスプレーの前に立って腕を動かし指でつかむようにして地球儀を回したり任意の場所を押したりするようなことが出来るようになっていた。操作に慣れは必要だけれど、コントローラーを使わず自分の手足でもって地球を動かしているような、神様気分を味わえる展示。これも地球儀という動かしてこそ意味がある品を、それでも動かせない中でどう体験してもらうかといった思索から生まれて来たものと言えるかも。いずれにしても最初に地球儀をデータ化するのが大変だったんじゃなかろうか。光も当てられない中、どうやってスキャンしてどうやって洗浄し、そしてつなぎ合わせて自在に見られるようにしたんだろう。そういう技術も立体物のアーカイブ化に役立ちそう。そういうのをいち早く、そして日本企業のDNPと進めるフランス国立図書館とか、ルーヴル美術館の目的のために邁進する姿勢が素晴らしい。同じだけの設備、日本のどこの美術館が、あるいは図書館が有しているのか。文化の国とそうでない国の、これが差って奴なんだろうなあ。

 面白くって夜の東西線を降り忘れ、東葉高速鉄道に入って飯山満まで行って慌てておりて、戻る電車が最終でギリギリ間に合って良かったというくらいに、読み始めたら止まらなくなる杉井光さんの「ブックマートの金狼」(ノベルゼロ、700円)。20前後から書店に勤め始めて前の店長がいなくなったのをきっかけに店長となって10年くらい。慣れないとはいえそれなりな経験も積み助かる店員さんとかアルバイトとかに囲まれ地道に日々を送っている宮内直人のところにある日、超人気のアイドルが顔を隠して現れた。何でも知人に名前を聞いて頼み事をしに来たらしい。でもそんな過去はもう知らないと追い返したら、こんどはヤクザが車を連ねて迎えに来たから店員たちは驚いた。店長いったい何をやった?

 別に何もしていないけれど過去にいろいろやっていた。まだ若かったころに直人はチームを組んでトラブルシューターをやっていた。といってもヤクザを相手に喧嘩を挑んでいたなんてことはなく、そうした勢力も含めたもめ事を解決してはお金をもらうという日々。それで結構名を挙げていながら書店が忙しくなったからとチームを解散して10年ばかり経って再び呼び出された。そして押しつけられたアイドルに対するストーカー騒ぎに嫌々ながらも取り組むことになる。過去を誇らずかといって卑下もしないで生きている直人が格好いいけれど、そうやって挑んだ事件に裏があって奥もあって一筋縄でいかないところに今時のアイドルの凄みってやつも浮かんで来る。コニー・ウィリスの「航路」が話に絡んだりしてSFな人でも興味をそそられそう。メンバーのうちまだ今が不明なのも何人か。そんなあたりが再登場する話も書かれるのかな。期待しよう。


【2月17日】 美少女聖騎士バラバラ事件、なんてタイトルだったらもっと今時なライトノベルの感じも出たかもしれなり三浦勇雄さんの「皿の上の聖騎士(波ラディン)1 −A Tale of Armour−」(ノベルゼロ、700円)は過去、英雄がいてあちらこちらに散らばって住んでいた霊獣から防具を預かり、それを集めて作った甲冑を着て国の大難に立ち向かったという伝説からずいぶんと経ったレーヴァテインという大国が舞台。そんな勇者の末裔と言われるフィッシュバーン家に生まれた少女が、長じてとてつもない強さを持った騎士となり、これなら先祖から伝わる甲冑を受け継ぐに相応しいということになって王に呼ばれ、重臣たちの前でその甲冑を身にまとったらとんでもないことが起こってしまった。

 それは見た目にとってもグロテスクで、もしもノベルゼロが挿絵付きだったらそのシーンがどう描かれたか、そして美少女騎士の弟が姉に起こったとんでもないことをどういかして解消しようと王たちの元から逃れ、まずはドラゴンを尋ねて状況を確かめ、そして世界に散らばる霊獣たちを相手に戦いを挑むハメになった時に、とりあえず言葉はしゃべれる状態にあった姉がどういう風に描かれたか、ってな興味が浮かぶ。それはある意味でグロテスクかもしれないけれど、見た目が良いならそれはそれでありなのかもしれないなあ、ほら、舟越桂さんのお父さんの舟越保武さんが作った美少女の顔の彫刻とか、手元に置いて愛でたい美しさを持っていたりするから。

 ドラゴンのところに現れ襲ってきたヒュドラも、あるいはそうするつもりだったのかもしれないけれど、それ以上にもっと素晴らしいアイデアを弟くんからつきつけられていったんは退場。そして始まる霊獣たちを相手にした弟くんの戦いと、そして霊獣たちが互いに互いの持ち分を狙って始めるだろう戦いの行方が気になるところ。そうまでして見たいか全身が。胸部分だけもらったのはどこなんだろうとか下半身はどこにあるんだろうとか気に掛かるけれど、それだけ持っているよりやっぱり欲しいよ顔の部分、ってことで全身を尋ねて始まった戦いの行方は、やっぱり生身の人間パズルが感性するまで続くのかな。食べられたり殺されたりするような悲惨がなく、どこか安心の向こう側にゲームのような戦いって奴を楽しめそう。ある意味でノベルゼロの中でライトノベル的な雰囲気を1番残した作品かも。その答えは残る3冊を読んでから。とりあえずこれまでの3冊、前宣伝に違わず面白い。

 うわあ。何というか最近どんどんと右端に寄ってはそちら受けする言動でそちら方面の論壇に躍り出たケント・ギルバート氏が、雑誌に書きそして本にまでなった記事で、言ってもないことを言ったと書かれていたと神戸大の梶谷懐教授が訴えてていたんだけれど、それについて雑誌の編集とか版元とかが誤りを認めたという。それは当然だけれど不思議なのは、版元が制作過程の問題と言っていること。なるほど聞き書きをしたライターが取り違え、編集が見逃し、校閲が気付かず記事になり、本にもなったことは制作過程の問題かもしれないけれど、その過程で筆者とされた本人が一切のゲラのチェックをせず、言っていないことが書かれていることを見逃していたことがどうして問題とされないのかが分からない。ゴーストが入ろうが版元が編集しようが著作者は著作者として権利も有するし責任だって負う。それが著者ってものだけれおd、そこに触れずに版元が自分たちが悪うございましたと言ってかばうほどにケント・ギルバート氏って大事なの? そんな人になっているの? まったく訳が分からないよ。分かりたくもないけれど。やれやれ。

 オートレースの平成28年度前期の適用ランキングが発表になっていて、森且行選手はS15で前の期のS46から大きくランクアップしていた。その前の期がS19だったからさらに上に行ったことになる。川口では船橋から中村雅人選手とか移籍してきてより上位に入って大変だと思うけれど、そんな中でも川口では4番手としてレースを盛り上げていってくれるだろう。同じ川口所属では女性オートレーサーで初めてS級になった益春菜さんが現行のS40から若干ランクを下げて最下位の46番になってしまったものの依然としてS級。佐藤摩弥選手もA43からA47にちょっとだけ下がったものの中堅としての強さは維持している感じ。そんな煌めきに期待しつつ次のランキングで消えてしまう船橋の最後くらいを、ちょっと見ておきたい気も。坂井宏未さんへの追悼も兼ねて言ってくるからな3月17日からのG1に。

 俺TUEEEEE! なのは確かにそうかもしれないけれど、逆の意味で強過ぎてその力を使って良いのかって問題と、その力が過去に悲劇を引き起こしたって問題を考えると、それは封印されるべき強さであって、最後にふるってすべて解決って訳にはいかない制約を、背負いながらそれでも強さにすがらざるを得ない事情があって、強さの持ち主に葛藤をもたらし、周囲に恐れをもたらし世界に危機をもたらす。そんな逡巡があるからこそ、読んでいてどうせ最後はっていった楽観に塗れることなく、ほどほどの緊張感を抱いてページを繰ることが出来るのかもしれない。ってな話だった物草純平さんの「超飽和セカンドブレイヴズ ―勇者失格の少年―」(電撃文庫)。

 ほとんどすべの人類に「勇者」の因子が濃い薄いはともまく行き渡って、その濃度が高ければ勇者として強い力を持っていて、魔物が引き起こす災害やそうでない自然災害に事故なんかも含めて対抗している世界。S級を筆頭にA級B級とランクが下がっても勇者は勇者としてそれぞれに特徴を活かしながら活動していた、そんな勇者たちの総本山ともいえる街スリプリーヴィルにやって来たのが草壁ジョウという少年。ただし彼は勇者にはなれないと言い張り、資格がないとも言い続けて、知り合いらしい勇者たちを束ねるセイヴズって組織の会長から誘われても首を縦にふらなかった。それでも勇者の総本山に来たジョウは、現役のプロ勇者でA級で有りS級入りも遠くないと言われるプリマステラことエステルと出会い、彼女に世話を見てもらいながら散策していた町に事件が。現れないはずの魔物達が次々に現れ、そして何やら秘密をかかえたジョウを狙う存在も現れる。

 ジョウにはいったいどんな秘密があるのか。その彼をなぜかお兄ちゃんと呼ぶプリマステラことエステルの真意は。ジョウという存在につきまとうとてつもない過去が浮かび上がり、そしてそんな存在を求めるのが決して魔王の側に限っていなかったという壮大な設定も見えてきて、やはり勇者たちがいっぱいいて戦っている「ワンパンマン」だとか「TIGER & BUNNY」なんかと似ていても、ちょっぴり違う要素を持った世界観だってことが見えて来る。自分の過去にどうにか折り合いを付け、正義に目覚めたのなら正義であり続けると決めた彼がエステルとも連れだっていったい何を目指すのか、その前にどんな敵が立ちふさがり、そして世界はどうなるのか、なんて興味も誘われるそのエンディング。続いて欲しいしもっともいろいろな勇者たちを見てみたい。何より世界がどこへ向かうのかも知りたいんで続きを早く。絶対に。


【2月16日】 第8回恵比寿映像祭「動いている庭」での上映プログラムで、TBSが開催している「DigiCon6 ASIA」の出品作品を集めて上映した「躍動するアジア −DigiCon6 ASIA」でひとり、高校生としてストップモーションアニメーションの「故障中」を出品していた水越清貴さんが上映会場に来ていて、塩田周三さんらのトークにも登壇していろいろと喋っていたけれど、あれはひとりでコツコツ作ったということとか、自動ドアにロボットが頭をぶつける時の音が自分の頭をぶつけて録ったとかってことにも驚いたけれど、それ以上に周囲にそうしたジオラマ作りをやろうという学生が、誰もいないってことの方にさらに驚いた。

 どうやら都立で美術系がある高校に通っているそうで、それならアニメーションを志そう、そしてアニメーションならストップモーションで、当然のようにジオラマを作って動かすぞっていう人が何人もいたって不思議はないのが、1970年代とか80年代を過ごしたような人間の思うこと。あるいは映像系を学んでいて映画を撮るなら特撮だから当然にジオラマは必須という人がいたって不思議はないのに、今時のアート系の高校生にそうした嗜好の人は水越さんを除いて誰もおらず、だから仕方なくひとりでコツコツと作るハメになったらしい。そういうものなのかなあ。CGが全盛の時代にミニチュア作って動かすなんて人間は出てこないものなのなかなあ。

 これでも大学のアニメーション学科とかアニメーション専攻に行けば、ストップモーションアニメーションを作っている人は結構いるし、「ちいさいアニメーションの学校」なんてそれがメインの教え方をしているスクールもある。だから決してマイナーではないし、滅んでもいないとは思うんだけれど、中高生あたりでそうした方面に興味を持ってやろうとする回路が、もしかしたらちょっと途絶えているのかもしれない。「ひつじのショーン」とかアードマン系を見て育てば、ストップモーションアニメーションを作りたいって思って不思議はないけれど、あれをもしかしたら今の人はCGだって思っていたりするのかも。そんな莫迦な、って言えないんだよ、今のCGアニメーションが持つリアリティは。

 幸いにして水越さんは、あれがミニチュアでストップモーションアニメーションだと分かってそれを自分でもやろうと頑張った。午前9時に「ひつじのショーン」が放送されているなら自分は午前8時に放送される子供向けのアニメーションを作るんだという意気込みなんかも語ってくれて、ドワーフの合田経郎に続くストップモーションアニメーションの泰斗として世に出て来てくれるかもしれないなあと思わせてくれたけれど、それにはだから作品をどんどんと作る機会をもってもらわないと。仲間がいないなら誰か仲間になってあげて、一緒にジオラマを作ってあげよう。卒業制作を始めるそうだけれど学校の机を40個作るのが大変とか言っていた。手伝って教室を再現してそこで繰り広げられるドラマを僕達に見せて欲しいもの。期待して待とう。

 ファッションに関心があって、彼氏がいるなり彼氏が欲しいと思っているのが女子として当然、でもってアニメーションや漫画やライトノベルやゲームに登場するキャラクターにも関心を寄せて、グッズを買い作品を見て2・5次元ミュージカルにも行く人を「オタク女子」とか呼ぶって分類の無茶さ加減に夜中のテレビニュースを見て気が滅入る。まずもって女子はそうあらねばっていうカテゴライズが女子にとって鬱陶しいような気がするし、逆に真のオタクはファッションにも恋愛にも興味がないっていった透けて見える決めつけも、思い込みが強すぎてどうにも面倒くさい。

 オタクが結婚もしなければファッションにも関心を持たないなんてことはない。見渡せば結婚して子供もいるオタクの叡智がゴロゴロいるのに、そういう人たちは存在しないかのように考え報じてそういう空気を作り出す。おそらくはテレビとしてそうあった方が世の中も納得するんじゃないのって思いがあるんだろうけれど、現実はとっくにオタクもサブカルもマニアもファンも分けられず隔てられることもなしに濃淡を変えながら存在している。そこにこうあらねば、こうあるべきだといった壁を作って分断し、見えやすくするというかそう見せてしまって持ち上げられた方も、見下された方も居心地が悪くなるだけだろう。

 そうやって分断して違いを意識し背を向け合うようになって良いことなんて何もない。エンターテインメントの側だって、ライトな層こそがマスだから濃い層をだんだんと外していってメジャーになるんだなんて意識は持っていない。共にファンとして支持してくれる人たちだと思い、相手をしているのに、勝手な価値観でもって分類して分断するテレビもテレビなら、そうした状況を助長するようなコメントをする元日経エンタの編集長も編集長。今はアナリスト然とした活動をしているみたいだけれど、テレビ受けしてメディアに乗りそうな言葉を作り風潮を作っても、実態からかけ離れていくだけだろー。乖離する評論に乖離する報道。でもそれで今はまだ食えるんだよなあ。断言して看板を掲げその第一人者然と振る舞う。それができていたらもうちょっと食える商売が出来ていたかなあ。やりたくないけどそんな虚構は。

 たまたま日本が五輪予選でセントラル方式の会場になっているだけで、そこに政治的な判断から北朝鮮のサッカー女子代表を閉め出してはホスト国としての名誉を汚すことになるし、政治から切り離されているというスポーツの理念からも反するんで、とりあえず来るなら受け入れることを日本政府が認めたのは真っ当な判断。あとは宿泊なり試合で不利益が生じないかってことが重要で、観客席に妙な輩を入れて誹謗を許すようなことがあっては、ホスト国としての運営力を疑われる。それこそ2020年のオリンピックだって何が起こるか分からない訳で、そのあたりキッチリとして欲しいものだけれど。どうなることか。そんなサッカー女子日本代表で横山久美選手が好調の様子。元より天才だし下部リーグながら長野で得点王とかに輝いているからきっとやってくれるだろう。怪我と慢心さえなければ。期待しつつ見守ろう。

 朝も早くから総武線と中央線を乗り継ぎ、三鷹まで行ってそこからバスでNTT武蔵野研究センタへ。年に1度のお蔵だしとばかりにNTTの関連研究所なんかがコツコツと研究していたりヒソヒソと実験していたりする成果を発表する展示会が開催間近で、その内覧ってのを見物に午前10時に会場に到着。そして見た「Kirari!」のデモンストレーションは、去年はあらかじめ作られていた卓球なんかの試合の映像を上映してそこで卓球をしているかのような臨場感を醸し出していたけれど、今回は別会場で喋っている人を切り出しステージ上の演台の後ろに映し出したり、体育館で空手の形の演武をしている美少女の映像をステージ上に映し出したりしてリアルタイムでも臨場感のある中継が出来るってことを示してた。

 ピンで抜き出して暗闇に浮かぶ臨場感ってのを再現できるまでは来た。あとはだからスタジアムの中とかアリーナの中での映像をとらえ、それを別の会場に臨場感もたっぷりに再現することだけれど、それには空間全体を集録して伝送して投射する技術が必要だから、実現にはまだまだかかりそう。それならまだステージ上に限定されたライブなんかをリアルタイム中継して、そこで演じているように見せるのが先かも知れない。クラシックの演奏で何人かはステージ上にいるのに何人かは映像で、それでも違いが分からないくらいの臨場感はあったから、注名ソリストを海外から中継でそこに出現させて周囲が合わせるような演奏を見せるってことはあるかも。海外からとタイムラグもあるだろうから後から周囲が合わせる方が実現可能っぽいし。どうなるか。来年の進歩に注目。


【2月15日】 村松殿が小山田茂誠の妻として一生を添い遂げ、1630年だなんて徳川家康が死んでからもさらに15年近くを生きたことは史実として分かっているから、「真田丸」で真田昌幸の娘のまつが、あれは琵琶湖かどこかの川か、分からないけど水に飛び込み消息を絶ったことにそんなに心配はしていないし、昌幸の母親が沼田城に人質に出て、そこを多分北条か誰かに攻められ大変ことになりそうでも、10年後の天正20年あたりまでは存命だったことを史実として知っているから、不穏な予感に震えたりはしない。だから、ああいった描写が全体にどういったスパイスを与えて、分かってはいてもそれでもどうハラハラさせてくれるのか、といった作劇部分に興味が向かう。

 そこはだから、脚本を書いている三谷幸喜さんの巧さというか見せ所って感じで、逆に史実としてその死が確定している織田信長にしても明智光秀にしても穴山梅雪にしても、その死を外連味たっぷりには描かず実にあっさりと描いてスルーしているところが、死者よりも生者の言動であり格好であり躍動にスポットを当てて、描こうとしたドラマなんだってことがうかがい見える。信長なんて俳優すら演技してなかったものなあ。むしろ息子の信忠の方が二条城で奮戦してた。明智光秀なんて山崎の合戦で撃たれたって言葉だけ。そして羽柴秀吉はそれに買って喜ぶ姿を見せてこれが初登場というから、真田にとって関わりのない武将はとことん描かないといったスタンスらしい。

 そんな中にあって徳川家康の出ずっぱりな感は大いに気になるところ。それは後に真田信繁にとって決戦の相手となる存在で、また真田信之にとっては仕える相手でもあるからってことになるんだろう。その重臣の本多忠勝は娘を信之の嫁とする訳で、逆の意味で“真田一家”となって双胴の真田丸の片方を担うことになる徳川&本多の姿を、ここでしっかりと描いておくことには意味があるってことで。一方の昌幸である信繁が従うことになる羽柴秀吉はだからこれから、どんどんと出て来ては2人に絡んで来るんだろう。その調子の良さと裏の多さは狐と狸がぶつかり合った徳川家康相手とはまた違った狐と猿の戯れ合い。どんな丁々発止が見られるか。楽しみだけれどまずは目の前の北条を倒さないと。そこに至るまでの紆余曲折、生き残りをかけて右に左に自在に動く真田昌幸の活躍に目を向けていこう。

 「ズドラーストヴィチェ!」が劇場で上映されるなんてなかなかないと、東京都写真美術館が開いている第8回恵比寿映像祭「動いている庭」へ。といっても東京都写真美術館は改装のため閉館中で、代わって展示は恵比寿ガーデンホールで行われ、そして上映は恵比寿ガーデンシネマで。そんな上映の方のチケットをまずは抑え、それから展示を見に行ったらこれがなかなか現代美術というかメディア芸術していて、割とシンプルな作品が多かった文化庁メディア芸術祭のアート部門よりもよりメディアアートしているような作品が並んでいた。例えば鈴木ヒラクさんの作品とか、街で見かけたデザインを集めてモーフィングさせるような内容で、そこにどんな意味があるかは計りかねるけれども空間を超越して変幻する世界の機微ってものが感じられた。

 面白かったのはジョウ・タオって人による映像作品「青と赤」で、巨大なLEDのあれはドームか何かが夜にもキラキラと光るのをじっと見つめる人がいて、街角やら路上にシートを敷いて寝入る人たちがいて、土で埋まったダムだか川だかがあって、そんな3点が繰り返し映し出されてはやがてデモで警官隊だか軍隊が出て来て発砲するようなシーンへと至る。それぞれの場面で何かを見ていて何かを待っていて何かを求めている人たちがいて、そんな姿を映像を見る僕達はじっと見ながら次に何が起こるんだろうかと待っている。世界で起こっているさまざまな出来事を脈絡はないけれどもつないで関係を持たせ、さらに鑑賞者となった僕達に接続していくそのストーリー。見ればきっと今いる自分から遠く離れた場所で起こっている何かへの想像をかきたてられるだろう。とはいってもそれで何ができる訳でもないんだけれど。それが地球であり、社会の残酷さ。なのかな。

 セントラルパークを模したような小さな公園を海上に浮かべてタグボートで引かせたりするロバート・スミッソンの箱庭的な行為の映像からはそれが何の意味を持つのか、世界に公園を広げることで固有の場所にあり続ける公園を拡張するのかといった思いにとらわれ、崖からアスファルトだかを流して模様を描いてエントロピーがどうのとうそぶくジェーン・クロフォード&ロバート・フィオーリの作品に環境を汚しているだけだろうとか思ったりした「動いている庭」。そんな展示を見てから向かった恵比寿ガーデンシネマでは、上映プログラムとしてTBSがずっとやっているアジアの短編映像を審査して表彰する「DigiCon6 ASIA」から出た作品を並べたものがあって、中に幸洋子さんの「ズドラーストヴィチェ!」があったんでこれはと思い観に行ったら、これに限らずすべてが面白くて驚きで、アジア全体のとりわけアニメーションに関する向上と拡大が感じられた。

 たとえばインドから来たシューレス・エリオットという人の「魚売りの女」は、IT産業が進み映像産業でもハリウッドからの下請けめいたものが発達している国らしく、3DCGによるアニメーション作品だったんだけれどピクサーライクといったものではなく、インドらしい風景でインドらしさがあふれるストーリーやら設定があって、そして色彩もインドめいた独特な感じがあってそうかこういう作品を作れるようになっているのかと思わされた。海辺に暮らして魚をとっては街に持っていき売って暮らしている女がいて、普段はオートリキシャで送り迎えをしてもらっているんだけれど、いつかお金を貯めて自分のオートリキシャを持って、それをピカピカに飾り付けたいと願っていた。

 それがかなって手に入れて、嬉しさのあまりすっ飛ばしていた魚売りの女に起こった悲劇。好事魔多しの教訓めいた話のようにも見えるけれど、そうなって絶頂から不幸のどん底に置いたように見える魚売りの女が、それでもやっぱりオートリキシャへの愛着を失わず、直して乗り込み愛でてそして共に向かうといった展開に、自分の好きをやり抜くならそれはそれで幸せなことなのかもと思わせる。そうした行為に人生の最大幸福を見いださなくてはいけない階級の哀しみってのも味わえないこともないけれど、人間誰もが何でもかなう訳じゃなく、ささやかな望みを持って人生をどうにか生きている。そんな夢を一瞬でも見られる嬉しさってのが、感じられて見終わって傷みは覚えずむしろうれしくなった。こういう作品が出てくるのかインド。恐るべし。

 そしてインドに負けずハリウッドらいくな映像産業を目指してエンターテインメント性の高い3DCGによるアニメーションを作り出している韓国からは、ウー・キョンミンという人の「ジョニーエクスプレス」って作品が来ていてこれがまたユニークというか、見て笑えてなかなか泣ける作品というか。ロケットで宇宙をかける宅配便がたどり着いた星。けれども見渡しても配送先は見えない。どこに行った? といって1歩を踏み出すことが壮絶なスペクタクルを招くという。見て「ミニヨンズ」を作ったスタジオの人が感嘆し、作った人とコンタクトをとったとか。所属していた会社が1年の猶予を与えて好きなものを作らせたことが、大きなビジネスに結びついたのなら日本だって、企業に所属するクリエイターが時々は好きなものを作るってのもありかなあ、と思ったけれどもそうはいかない資本の論理。上映の後に行われたトークでポリゴンピクチュアズを率いる塩田周三さんもうちではそうはいかないなあ、って話してた。

 ROBOTに在籍しながら「つみきのいえ」を作ってアカデミー賞を獲得した加藤久仁生さんの例もあるから、所属クリエイターに自由な活動を認め支援するのもありって思わないでもないけれど、それが世界中からのROBOTへの発注につながったって感じでもないだけに、経営者としても躊躇する部分があるのかも。とはいえ「ズドラーストヴィチェ!」のような作品が出て来て、「DigiCon6 ASIA」のフェスティバルディレクターをしている山田亜樹さんが「型破りで手法もカテゴリーも見たことがない作品。犬童一心さんも何て野蛮な作品だと評価しいてた」と話していたように、そうした作品と作れるクリエイターをどうにか確保し、スポイルせずに育て放つことによって世界を勝負できる作品が生まれるかもしれない。塩田さんが「ズドラーストヴィチェ!」を会社の外国人に見せたら「ゲラゲラ笑ってた」というから、内容的にも通用するってことは分かっている訳だし。

 ただやっぱり、企業に所属しながら日々の仕事をコツコツとこなす合間に自分の作品を作るっていうのは結構な体力も気力もいる。就職をしているらしい幸洋子さんは果たしてどう言う境遇にあるのか。あの奔放さを認められて所属しているだけで良いから何か勝手に考えてといわれているのかどうなのか。ちょっと気になる。「月のワルツ」のいしづかあつこさんはアート系ではなくてもともと商業アニメーションをやりたくてマッドハウスにはいった人だから、今みたいな作品を作っているのがベストなんだろうけれど、幸さんにしろサンドアートのアニメーションで少年が後悔から立ち直る話「息ができない」を作った木畠彩矢香さんにしろ、自分のやりたいことは独特な作風のものだろうから。そんな意識を掬い広げ高めることで、韓国とはまた違った多様性を生みだし世界の中で勝負していけるようなアニメーションの製作環境であり、クリエイターのロードマップを作れれば最高なんだけれど。どうなることか。とりあえず「ズドラーストヴィチェ!」の次の作品が何になるかに注目。作っているのかな?


【2月14日】 1話完結に見せながらもしっかりと、刑事のさくらの父親が山猫に殺されたかどうかとか、細田は本当に山猫に殺害されたのかどうとかいったストーリーを引っ張りつつ、底流に謀略めいたものを伺わせながら次へ次へと興味を結びつけていく「怪盗 山猫」が、ドラマ作り的に巧いなあと思うんだけれど、視聴率はだんだんと下がって先週は10%ちょうどくらいになっていた。もしかしたら今週は一ケタ台に落ち込むかもしれないけれど、このストーリーなら録画でも楽しめると感じてそれで見ている人が多いのかな、どうなのかな。それでもこの1月スタートのドラマでは、2番目とか3番目とかの視聴率なんで最後まで勢いを真っ当して突っ走ってくれるだろうと思いたい。さくらを演じている菜々獅ウんが顔立ちもスタイルも雰囲気もなかなか。この感じで1本立ちしていったらどんな女優になるだろうか。ちょっと興味。ハイキックとか見せてくれるし、次はパンツではなくスカートではって欲しいものだけれど、それは無理か。

 そして「ブブキ・ブランキ」は間絶美と野々柊とのブブキ戦が続いているのに湧きでは石蕗秋人と種臣静流とのブブキ戦も始まっていて2勝後の2敗も確実かと思ったら普段は草とって食べている静流がこと戦闘にかけては天才らしく自在に動いてツラライを操り先生と呼ばれる秋人と互角以上に戦って見せる。とはいえ無意識の発露らしく途中でダウン。これで万事休すかと思ったら、倒れてはいても敗れいていなかった柊が起き上がってはイワトオシを使って絶美を倒して3勝決定。そこに現れた巨大なブランキを相手に戦わなくてはいけない状況となって、万流礼央子の炎帝が向かっているんらしいんだけれど、的場井周作も新走宗也も絶美も敗れてブブキを封印されていて、どうして炎提を支えるんだろうかとそこが不思議。いや3人で炎帝の手足になるのは周作だけだからたいして影響はないのかどうか。そんな設定を忘れてきているんでここはひとつ、見直しながら絶美が味方のふりをしていた時に、本性をのぞかせていなかったかを再確認でもしてみるか。

 カバーにはイラストを入れず色紙にタイトルと著者名だけを入れてそして帯にイラストを入れてそれをぐるりと巻いて店頭に並べる手法に今はなき講談社Birthを思い出して果たしてそれは門出に相応しいのかどうなのかと迷ったけれどもKADOKAWAから出たノベルゼロ、面白そうなのが出ていたんで早速何冊かを手に取って読んでみた。まずは「女騎士さん、ジャスコ行こうよ」が大評判の伊藤ヒロさんと「絶対城先輩の妖怪学講座」が人気急上昇中の峰守ひろかずさんによる「S20/戦後トウキョウ退魔録」(ノベルゼロ)。うん、これは相当に面白い。戦後間もない亀戸で紙芝居の絵を描く隻腕隻眼の美形と物語を練る背中に刺青の巨漢のペア。その仕事とは別に不思議な事件の話を仕入れ解決もする退魔の仕事も請け負っていた。

  そして持ち込まれる不思議な事件は巨大な鐵の人形だったり水晶ほかの髑髏の仮面を着けた怪人だったり河童のような小人だったり人々を導く歌声だったり。そんな事件の記憶が魔姫に消されても後、あれになりそれになりこれになる。そんな含みを持たせているところが面白いというか、テレビアニメーション「コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜」を想像させるというか。この「コンレボ」は戦前戦中戦後を生き延び実在のまま戦後を生き続けた怪人であり英雄であり化物といった“超人”が、高度経済成長の中で胡乱なものと化していってその存在を最後に輝かせようとしている足掻きを描いたものだとしたら、この「S20。/戦後トウキョウ退魔録」は後にフィクションとして描かれた諸々の、戦後の混沌に実在して騒いだ記憶の源流といった感じになるのかも。

 読み始めてあれがそうなってこれがそうなるなら、次はどうなるかってのも想像がつくけとそれを探っていく楽しみもある作品。しかし鐵人は何とか分かっても、「申す裏谷」がまさかああなるとは。いや最後の方では分かっただけにそこにそういういわれがついて、なおかつ故事まで付くとはなあ。いろいろと考えたもの。伊藤ヒロさんと峰守ひろかずさんのいったいどちらが考えているか知りたいところだけれど、あとがきによれば主役それぞれに書き手を分けているらしい。いずれにしても濃密でぎっしりと詰まった物語で、それでいて読んでいて引っ張り込まれる。今のパッと分かってさっと読める文庫の感覚で手に取ると時間も結構とられそう。でも間違いなく面白いので気にせず読もう。これがノベルゼロの標準ならこのレーベル、物語というものを今の時代にじっくりと読みたい人には最高かも。そういう人がどれだけいるかは不明だけど。とりわけラノベを求める若い層に。

 それはこちらにも言えるかも。やはりノベルゼロから登場の青木潤太朗さん「インスタント・マギ」は、いつかの「ガリレオの魔方陣」DTPと立体映像で魔方陣を描き魔法を生み出す科学が浸透していた話をやや前に戻した感じで、スマホなんかで再生される映像を見た人に感嘆な魔法が発動するようになったという設定。けれどもそれが魔法使いを怒らせた。 魔法使いの秩序を壊すと迫り、そんなインスタント・マギの発明者で大学で学ぶ青年を襲う魔法使いがいて、守る魔法使いがいてと2分する魔法使い側の争いの狭間にあっても、死の切迫感より自分の発明の探求に余念がなく、襲ってくる敵にも優しい青年にいよいよ最強に近い魔法使いの女が立ちふさがる。

  敵の魔法を壊すなら魔方陣が刻まれた目玉をえぐれとか命を奪えと行ったシリアスなバトルもある上に、より上位の魔法使いにたとえ名家の出でも能力が下なら虐げられ付き従うことを求められ、それこそ灰皿代わりにされてしまうダーティーでグロテスクなシーンもあったりするけれど、それにあまりえぐさを覚えないのは強いものがすべてを取り仕切り、弱いものや負けたものは退くのみといった思考が当然の世界観が示されているからなのきあも。一方で、人間ならではの好奇心と優しさが人を動かす展開もあって、そんな魔女と人間との異なる思想のぶつかり合いが、停滞を壊して未来を開くといった感じ。クライマックスに最強最悪の魔法使いも現れいったいどうなるか、そして世界に広がったインサント・マギは人類に何をもたらし魔法使いたちをどう動かすか、なんて興味も浮かんだけれど、果たして続きは書かれるのかな。期待して待とう。

 代官山UNITで「カラスは真っ白」「東京女子流」「TEMUPRA KIDZ」というパッと見訳が分からないかもしれない組み合わせの3組によるライブがあったんで、ずっとカラスは真っ白を追い開けている身として言って来たらやっぱり生で見るライブは迫力があって「東京女子流」も「TEMUPRA KIDZ」も素晴らしかった。というか元よりオタクなんでアイドル属性もあって多分2013年のANIMAX MUSIXで「東京女子流」は見たことがあるし、「TEMPURA KIDZ」も前に何度か見たことがあるんで、逆にそちらのファンが「カラスは真っ白」をどう見たかに興味があるかな。ヤギヌマカナちゃんのピュアピュアな声と、かシミズコウヘイさんのギターとか。途中で立ち上がるタイヘイさんのドラムとかベキバキボキバキと奏でるオチ・ザ・ファンクのベースとか。そんな生バンドのファンクなサウンドを間近に見てさて、「東京女子流」や「TEMPURA KIDZ」の追っかけさんが日本にこんなファンキーなバンドがあっと知ってライブに行けばいつか日本武道館だって実現するかもしれない。というよりして欲しい。

 それでもやっぱり見て驚いたのは「TEMPURA KIDZ」の変化ぶりで、「はっぴぃ夏祭り」のころはまだテープの歌をバックにキレのあるダンスを見せる感じだったのが、今はボーカルを女の子3人で回しつつ、P→★とKARINのダンスを両サイドに置くような感じで見せて切れ味抜群、スピード感たっぷりの激しいダンスと、ビート感に溢れた歌声を聞かせ、ステージを見せてくれた。ラップとかも混じっていて、あの話題沸騰のCharisma.com とのコラボ曲も聴かせてくれたけれど、これだけの歌声とそのダンスがあれば本当に大きなステージだって大勢を湧かせられるんじゃないのかな。名前とそれから衣装やダンスの雰囲気にまだクールジャパン的なニュアンスを残してはいるけど、楽曲の方は随分とかわって最先端のヒップホップやビートの効いたテクノっぽい歌も歌ってくれる。あとポップな曲も。

 そんなクールでアグレッシブな楽曲で大人も引き付け、ダンス好きの子供や女の子も引き付けデカくなっていく、なんて思いたいけど果たして。踊り歓声を上げる女の子のファンも多かったなあ。そんな歓声が唯一の男子のP→★に向かうの、かそれとも格好いい歌声やキレキレのダンスを見せてくれる4人の女子に向かうのか。昔は1番小さかったのが今は頭ひとつくらい大きくなったP→★は今のままユニセックスな雰囲気で踊り続けるのか、それともいつか男の子っぽさを出すのか。そんなあたりも気になったんで「TEMPURA KIDZ」、またどこかに観に行こう。

 目当てだった「カラスは真っ白」は、いつもながらのファンキーなサウンドがバリバリ。聞いててやっぱりテクニックすげえなあと思ったけれどこれだけのユニットがホールとかにまだ出てないのは不思議というか。次はどこでやるんだろうというか。去年見た日比谷の野音以上のデカい箱で見たいなあ。次の段階にじわじわと向かっていって下さいな。「東京女子流」は小西彩乃さんの卒業から引退を経て4人となったステージを、それぞれが縦横無尽に入れ替わりながら歌い踊るパワフルなアクトを見せてくれた。「はなかっぱ」の主題歌だかエンディングのあたりはもうちょっとふわふわっとした感じのグループかと思っていたけれど、今はとても激しく踊るユニットになっていた。それこそチアリーダーくらいの激しさでなおかつ歌もしっかり唄う。大変だろうなあ。昨年出たというニューアルバムからの楽曲もとても良かったんで、こちらも機会があれば観に行こう。


【2月13日】 前に「詮索されるような重苦しい感じのものではない」ってキングレコード側からコメントが出ていたから、レコード会社を円満移籍して新しいレーベルかどこかで再出発するだけなのかと思っていたけれど、田村ゆかりさんのラジオ終了ライブ中止の話は契約しようとキングレコードが考えていたにも関わらず、それを受けてもらえなかったとかライブについても見直しをしようとする話を、やっぱり受け入れてもらえなかったといった話が漂って、田村ゆかりさんの側にいろいろと含むところがあるってニュアンスが今は漂っている感じ。

 それが現行のレコードの制作やらリリースの体制に、田村ゆかりさんのサイドなり当人が不満を抱いているということなのか、それとも体制が変わってこれからやろうとしていることに、不安を覚えて拒絶したのかって想像も浮かぶし、ライブもレコード会社側がまだまだ大きくしていきたいと思ったけれど、当人はもうちょっと別の体制にしようという提案をしてすれ違ったのか、逆に当人が規模を抑えて大人の雰囲気で行こうという提案に、レコード会社側が王国を維持していこうと提案して行き違ったのか、いろいろ考えは浮かぶけれどもいずれにしても、円満とは言えそうもない重苦しさが感じられる。

 いずれそのあたり、いろいろと話も出てくるだろうけれども個人としては、希有の歌い手でありムードメーカーでもあるシンガーであり声優の、活躍をただ祈念したいところ。幸いというか、音楽活動以外の部分ではちゃんとやっていってくれるだろうから、落ち着き先が決まるまではそうした声優としての活躍を、見守り応援していくことが長く見ている者の務めってことで。とはいえ今、大きい役をやっているって感じがないんだよなあ、2016年に入ってこの1月からの作品とか、「シュバルツェスマーケン」くらい? あとは「探偵オペラ 逆襲のミルキィホームズ 劇場版」か。せめてそれがあるのなら、劇場で見て応援したいけれども、いつから公開だったっけ。

  高野雀さんの「13月のゆうれい01」(祥伝社)という漫画を見かけて買って読んだらとても良かった。双子の姉のネリはラフな男っぽい格好を好むけれど、合コンでは格好いい男を探すからいわゆる普通の女子ってところ。でもってネリの双子の弟のキリは姉と似た顔をずっと可愛いといわれていて、それが嫌で仕方が無かったんだけれど、男子校で女装コンテストに優勝して踏ん切りを付けたのか、今は好んで女装をして歩いている。そんなキリは男と同居しているけれど、別に同棲ではなく高校時代の同級という関係。そしてキリの同居相手の周防こそが、ネリが合コンで惹かれた男だった。

 なんという不思議な偶然。というか3年ぶりのキリとの再会にそういう事情があったことに驚きだけれど、2人とも家を離れて暮らしているネリは、キリが女装していることを知りって驚く。とはいえ別に咎めず、会社でキリに困ったことがあれば、空手をやって勇ましくしていた子供の頃みたいにネリはキリを守ろうとする。だからといって、空手をやり男っぽく振る舞っていた昔とは違い、女性として男性を意識するネリ。その相手となる周防は女装したキリに惹かれるも欲情とは違って男に戻ったキリとは一線。そんな関係が端から見ていると不思議に思えてくる。

 やがてネリと周防は近づきキリは女装をしばらく封印するんだけれど、それでキリはどうなるのか、といった興味が浮かぶネリは周防に惹かれ周防はキリが女装したようなネリを意識し始める。でもキリだけは心情が見えない。自分をどういう風に捕らえているのか、といったキリの性自認が分からない。キリは好きなのは誰? 霧刃はどうありたい? その葛藤が後、浮かんで来るのかがこの作品のひとつのポイントになるんだろう。セクシャルマイノリティの懊悩や葛藤を描いて強く訴えかけてくる感じとは少し違う、柔らかく越境する性自認を掬い取りつつ自分はどうあるべきか、どうありたいのかを考えさせる作品かも。続きが楽しみ。

 何が起こっても飄々と難局を乗り越え、巨体のオブジェクトを相手に勝利を重ねる英雄たちの物語、なんて思って見ていたらだんだんとシリアスな戦場のリアルな光景も混ぜてきたなあといった感じのアニメーション版「ヘヴィーオブジェクト」。サハリンでのミッションに参加したクウェンサーとヘイヴィアは、それぞれに別のチームに参加したけどクウェンサーの方はハッキングを担当していた隊員がチームの兵士に殺害され、その裏切り者がヘイヴィアとそれからいっしょにいた黒軍服のお姉さんも撃ったりしてと人死にが。そしてヘイヴィアの方でも空を飛ぶオブジェクトに煽られ、4人いたチームのうちの2人が吹き飛ばされてリアス式海岸の谷底へと落ちていった。1人がオープニングに出ている誰かだとしたらあるいは復活もあるかな、なんて考えたけれどそれでも人死にがちゃんと出る戦場。そして現場での人殺しもちゃんと行われる。

 そういう背景を濃くすることによって、巨大ロボットによる空想バトルに終わらせない作り手の思いが出ているって感じ。吉野弘幸さんとか大河内一楼さんって書き手が参加してのシナリオは、原作でも陽気な中にあっさりと人が死んでいくニュアンスをしっかりとらえて楽しさの中に戦場の厳しさってのもちゃんと見せてくれる。それでもやっぱり死なないクウェンサーとヘイヴィアというコンビがあるんで、安心して見て入られるってこともあるんだけれど。陰謀によってお姫様の攻撃が鉱山に向かいそうな中、鉱山にいるクウェンサーとヘイヴィアはどう切り抜けるのか。眼鏡の黒軍服のお姉さんはちゃんと生き延びるのか。クウェンサーが昔助けた戦場アイドルはクウェンサーに自分が出世した姿を見せられるのか。来週も楽しみ。

 30歳を過ぎて軍隊時代の同僚だった男が皇帝になっていたんで求められて後宮に入り、そして皇后になでなってしまった小玉って女性の豪快で豪傑な活躍によって皇帝に起こる政治的な不穏は取り除かれ、後宮の中にも姐さんと慕う姫たちがいっぱいできて楽しい女子寮物語的なニュアンスも漂っていた雪村花菜さんの「紅霞後宮物語』シリーズだけれど、それでも展開の端々に甘くはない後宮の様子、政治の残酷なんかも描かれていた。そして最新刊の「紅霞後宮物語 第三幕」ではそんなシビアな後宮と宮廷の様子がぶわっと浮かび、凄まじく痛くてで哀しくて寂しくて重たい展開が繰り出されては読む人の涙を誘う。まさか。そんな。そしてそんな涙の向こう大きな暗闇も覗いて皇帝の身辺に起こる不穏、それに挑む小玉の苛烈が見えてこれからもっと凄まじくなるんだろうなあと想像させられる。読み進めるしかないなあ。しかし3巻目でさらに面白くしてくるとは。すごい作家だなあ、雪村花菜さんは。

 例のアイドルグループによる生放送での謝罪会見に対してBPOにとてつもなく大量の意見が寄せられたんだけれど当のBPOは当人たちの訴えがある訳じゃないから審議入りはしないとか言っているらしい。でもなあ。この場合、本人たちがどう感じたかは関係なく、そのシチュエーション事態に問題があった訳で、権力によって抑圧的な状況に追い込まれた弱者たちが、屈服させられ土下座とは言わないまでも苦渋の決断をする半ば“公開裁判”であり“公開処刑”とも言えそうな、そんな見苦しくて痛ましい映像をテレビが生放送し、それを少なくない視聴者が見せられて抱いたことから生まれた不快感を重視して、番組が妥当かを審議すべきなんじゃないのかなあ。なんて言っても届く相手ではないか。しょせんはテレビ界の雇われなんだろうから。それで放送法の公正がどうとか言ったって、仕方がないよなあ。やれやれ。


【2月12日】 しれっと満20周年を迎えて21年目へと突入した当日記だけれど、総理大臣から祝電が届くこともなければ、人気アイドルから花輪が寄せられることもなく、ベストセラー作家から献辞が贈られることもないのはそれだけ世間に対して影響力が乏しく、つまりはほとんど誰にも読まれていない現れで、それは個人が他愛のない日々を綴ってインターネットにバイトを積み上げていくアバンギャルドな行為として、案外に相応しいのではないかと思ったりしているのはまあ、単なる負け惜しみって奴だ。そりゃあ有名人が1周年でも出てくる人気ブログは羨ましいけれど、それで注目を集めて書きたいことも書けなくなるのはつまらない。負担の掛からない範囲で日々、書けることと書き流していくのが当方の変わらぬスタンスと認めて、これからもどうでも言いことを綴っていく所存にて、どこにもいない読者の皆様にはご厚情を賜りたく、伏してお願い申し奉ります。

 数日前からザワザワとしていた重力波観測のニュースが、いよいよ発表されたみたいで世間は上から下まで大騒ぎ。それがどんな意味を持つかは科学の人じゃないからはっきりとは言えないけれど、あのアインシュタインが存在を予言していたもので、13億年前とかに起こったブラックホールが2つ、ぶつかり合って起こったらしい重力の波をはるばる地球に作った施設で捉えたっていうから、気の長い話というか、よくもまあそんな時間を超えて地球に届いたというか。その瞬間に世界では何が起こっていたのか、ちゃぶ台が揺れたのか、首筋をさらりと撫でられた感じを味わったのか、気になるけれどそもそうやって物理的な現象として感じられないからこそ、存在が疑われ、けれども信じられて膨大な費用でもって施設が作られ、観測に大勢が取り組んだんだろう。結果は大成功。良かったけれども、かけた費用を取りもどすだけの意味ってあるか、ってところになると途端に分からなくなっていく。

 あるらしいと想像されて理論的にもそうだと思われて、けれども見つからないのは地球という場所がそういうのが届く範囲にはなくて、残念だけれど理論的に立証されているならそれで良いじゃんエア重力波だってあると思えばあると考え、それをもとにいろいろと学説を立てていけば良いんじゃないかと考えれば悪くない。そんな気もしないでもないけれど、それを言ってしまうとニュートリノの観測だって、人間の生活にどれだけの意味があるのか分からなくなって、伝染病なり風土病の撲滅に役立った人の方がノーベル賞的に価値があるよなあと思えてくる。そんな俗物だけれど、それでも想像するならそうした研究から導き出されるこの宇宙のあり方が、そんな宇宙に暮らす人間にもどういう形でか影響を与えていて、だからこそ研究することによって人間存在への探求も進むといった考えも、できない訳ではないってことか。どうなのか。ともあれ凄いニュースだったんだと、これからの何十年かで理解していこう。

 科学でも理解不能な政治の世界。例の国会議員の奥さんが身重でお産のために入院していた最中に、京都で別の女性を連れ込んで良いことをしていたらしい旦那の国会議員が、議員を辞めると言って会見したとか。そりゃまあ体裁の良い話ではないし、倫理といった面から批難されても当然だけれどでも、法律という面では姦通罪とかない日本では別に罪にはならないし、それを許すかどうかは世間ではなく夫婦間の話であって、他人がどうこう批難して良いものでもない。言える筋合いのものでもない。もちろん政治家である以上、身ぎれいさは求められるものだけれど、それをどう感じるかはその国会議員を送り出した選挙区の有権者が決めればいいだけのことであって、汚らわしいと思うならば次の選挙で落とせば良いし、待てないのなら署名でも何でもやって意思を示せば良い。それを受けて自分はやっぱり反省しなきゃと辞めるならそれが打倒。でも今、どうして辞めなくちゃいけないのかってところで首をかしげざるを得ない。

 だってその国会議員が所属する政党には、もっと無茶をやっていた人たちがたくさんいるし、いたじゃないか。それこそ倫理を超えて法律的に問題になりそうなこと、それは例えば存在しない未公開株を国会議員枠ってものが存在して、だから未公開株もあると騙って金を引っ張り出しすような詐欺まがいの行為であったり、国会議員である上に現職の大臣だというバックを感じさせながら、自分たちが働きかければ動かない山でも動くようなことを仄めかして、それではお願いしますとお金を渡させて実際に何かをしたっぽく、事態が動いたという贈収賄と取られても不思議はない行為であったりと、とてもじゃないけど謝って済むようなものではない話が、先んじてゴロゴロと起こっていた。でも詐欺まがいを疑われた議員は党は離れたけれども議員は辞めず、あっせん利得を疑われ続けている議員は大臣の職は辞してもやっぱり議員のままでいる。

 どっちが罪として重いかと言えば、法律に照らして違反していると取られかねないそっち方面がはるかに重く、そして不倫はそもそも法律に触れていないから罪ですらないんだけれど、辞めたのは不倫した議員だけ。これってやっぱり何かがズレている。人としての佇まいが歪んでいる。そんな気がして仕方が無いんだけれど、そうしたことをたとえ多くの人が感じて、個人発としてSNSとかで呟いたりしても、旧来からあるメディアは不倫ばかりを論って、詐欺まがいも贈収賄の可能性も追求しないで記憶の彼方へと封印する。そんなメディアの欺瞞を世間はすでに見破っているんだけれど、メディアと政治は自分たちが見聞きしないことは存在しないことの如くに振る舞って、不倫は誹り詐欺まがいや贈収賄的なことは黙り続けている。それで世間は騙されるのか。今はすぐには動かなくても、じわじわと動くように思うんだけれど、そうはならないって自信でもあるんだろうか、メディアや政界には。ないからこそ威光が通じる今のうちに、目一杯に利得を稼ごうとしているのかも。参ったなあ。

 ひとりでゲームをするのが好きだからコミュニケーションが苦手とは限らないし、ゲームでワイワイできるからコミュニケーションが得意だとも限らない。ただひとつ、言えることがあるとしたらゲームという架空の世界で起こることに強く触れ、耽溺した人にはそれうした世界が再現されている限りにおいて、無敵を誇れる可能性があるということかもしれない。たかみちさんの「百万畳ラビリンス 上・下」(少年画報社、各680円)を読んで思うのはそんなこと。ゲーム会社でデバッガーのアルバイトをしている大学生の礼香と同居人の庸子が気がつくと、自分たちが暮らしている社宅にそっくりの畳敷きのボロアパートの部屋が幾つもどこまでも連なった空間で、見渡せば樹海ばかりでどこにも行けそうにもない。

 食べ物は供給されるし風呂にだって入れるから生活には困ってはいなさそうだったけれど、それでも不思議な世界にいつまでもいたくはないのか、見つかったスマートフォンに電波が届きそうな場所を探して離れた場所にある建物を見つけ、水浸しだけれど下は畳という不思議な樹海をかきわけたどり着いてふり向くと、さっきまでいた部屋が積み重なったアパートがぱっくんと巨大な怪物に食われてしまう光景が見えた。決して安全とは言えなさそうな世界。そしてたどり着いた部屋にどうにか転がり込んだ礼香と庸子は、ネットを介して連絡のついたゲームクリエイターの男から、そこが密猟者なるものによって作らせた世界でも、裏に属する世界でそして別に表の世界もあって、そこから脱出するための道を探すように言われる。

 とはいっても化物と闘う武器めいたものはなく、密猟者にたどり着く術もない。ただそこで礼香のゲームに耽溺し続けて得た知識と性格が大きく生きてくる。他人とのコミュニケーションは苦手でも、ゲームのことになると途端に前向きでアグレッシブになれる性格らしい礼香は、高い場所でも平気で上がりルールに従うように動くルームシャークを避けつつ倒しもしながら、まずは密猟者にさらわれた人間たちがそことは知らず暮らしている表の世界にたどり着き、そこから密猟者たちの本拠地へとたどり着くために必要な行動を取り始める。その様子はまるでゲームに立ち向かっているよう。どちらかといえばまだ他人を心配し、状況を不安に思ったりできる庸子は心配もし、そしてその言動が礼香の無茶を助けたりもするけれど、そうしたコンビもやがては行き詰まる。

 誰かを不安にして生きることに礼香は耐えられなかったのか。それとも自分が伸び伸びとやれる環境が欲しかったのか。分からないけれども異常な状況、異様な空間に直面しながらも自分を変えず思いのままに突き進んでいった礼香の精神を見るにつけ、心底からのゲーム好きで、なおかつゲームの世界にしか真実を見つけられないような人間がこの世界には存在するのかもと思えてくる。そんな礼香がいたからこそ、人々は救われたのだとしても、そういう人間が逆に支配者の側に回ったときに何が起こるのか、といったあたりでちょっとした不安と恐怖も浮かび上がる。密猟者たちを囲い狩って楽しんでいるように見える礼香のそれは、かつての密猟者たちとどう違うのか。むしろ人として、あるいは食糧として人を扱った密猟者たちの方がまともだったんじゃないのか。

 ゲームのルールをバーチャルからリアルへと引っ張り出して、そこに放り込まれた人間たちの戸惑いを描いた作品のひとつであり、なおかつファンタジー的なPRGの世界に放り込まれるのとは違った、奇妙な世界観を設定し独特のルールの上で行動させるという塑像力を発揮して描かれた希有な作品とも言えそうな「百万畳ラビリンス」。何でもありの状況にあって、決して美貌とはいえなかった自分をそれなりなスタイルに変えることができたにも関わらず、庸子が自分は自分だと言って元通りの自分に戻っていった姿に、それが人間として普通なのか、それとも何でもありなら何でもやってしまう礼香が正しいのか、少し迷ってしまう。自分ならどちらになり得たか。そして世界を救えたか。考えたい。


【2月11日】 アズライフィア怖いアズライフィア可愛いアズライフィア凄いアズライフィア格好いい。そして哀しみも備えたアズライフィア・ウィンチェルという少女にすべて持って行かれた感じすらある鎌池和馬さんの「ヘヴィーオブジェクト バニラ味の化学式」(電撃文庫)は、「正統王国」軍に蔓延る麻薬の影をあぶりだそうとやって来た「黒軍服」による風紀粛正のための荷物検査から始まって、眼鏡の「黒軍服」ちゃんと知り合ったクウェンサーがまたお姫様に尻でも撃たれるのかと思ったら、事態は意外な方向へと転がっていって噂されていたヘイヴィアの妹というアズライフィアが異常とも言えそうなシチュエーションで登場。そこで見せた彼女の剛胆で冷徹な振る舞いは、やがて「正統王国」を揺るがす事態を浮かび上がらせさらにはヘイヴィアの属するウィンチェル家と、許嫁が属するバンダービルト家との対立に終止符を打つための謀略が立ち上がって、ヘイヴィアを急ぎ許嫁の元へと走らせる。

 そこに絡むアズライフィアのとてつもない存在感。目的は? って考えた時にやっぱり浮かぶお兄ちゃん大好きっ娘の膨らんだ自尊心とねじれた愛情。そこまで好かれて幸せだねえと尻のひとつでも蹴飛ばしたくなるけれど、今回その役は「黒軍服」とは親しくなれずアズライフィアとも仲良くなれなかったクウェンサーに任せることにしようっと。発端に事件をのぞかせ深い謀略を背後にめぐらせ、主犯を交えつつ従犯も添えつつ真犯人を見せながら本当の黒幕へと至らせその心理に、ごくごく個人的な思いを載せたりしてみせる、構成と展開の妙味にただただ感嘆。巧くなったなあ。でもせっかく出て来た美少女ツンデレ妹がこれで即退場ってのもつまらないので、黒幕としての再登場なり恩赦されての転向なりを見せて物語に絡んで欲しいなあ。おほほもそういえば今回は出てないか。さらに増やしてクウェンサーのフラグを立てまくってお姫様がキーッとなる展開、期待してます。

 松村涼哉さんの電撃大賞受賞作「ただ、それだけでよかったんです」(電撃文庫、550円)を読んだ。ほうそうくるかと思った。そして彼はとっても強いなあとも思ったけれど、それが悲劇を招く前に誰かが、誰もがちょっとづつでも分かり合おうとしなかったのかなあとも思った。そういう物語。「菅原拓は悪魔だ」という書き置きを残して、クラスでも人気者の岸谷昌也という少年が自殺した。浮かんで来たのは、菅原拓が昌也を含めたクラスでも人気の4人組を虐めていたという噂。そしてそれを裏付けるように拓は以前に昌也の顔を水筒で殴って怪我を負わせ、昌也の母親から責任を追及されて学校のクラスをすべて回って土下座をしてみせ、謹慎も受け入れいていた。

 昌也を守ろうとする動きもあって、これで大丈夫かと思われていた矢先、昌也は自殺して拓がいったい何をしたのかに注目が集まる。遺書もあってきっと何かをしたに違いないと誰もが決めつける。けれども。拓は本当に昌也を自殺に追い込んだのか。それ以前に昌也を拓はいじめていたのか。真相を探ろうと昌也の姉が周囲を調べ拓にまでたどり着く。昌也の姉とは知り合いらしい女性も絡んで拓の事情を調べ上げる。けれども分からない。どうしたら昌也は自殺に追い込まれるのか。そして見えてくる。ある構図が。世間が言うのとはまるで違ったその構図を、想像するのは難しくはなく学校で取り入れられている人間力テストなるもので、最下位に近い場所で喘ぐ拓のような誰からも関心を持たれず、誰とも協調しようとしないマイナーな人間、どちらかといえば虐めるより虐められる側にいそうな人間が学校でも人気の天才な昌也を、その仲間をどうやったら虐められるのかといった着想から、そういう構図なのかもと感じ取れる。

 ただ、そこに至る状況があったとしてもその後に、どうにかすればああはならなかったんじゃないかといった思いも浮かぶ。誰であっても人の死は哀しいし悔しい。死んで当然の人間なんていないし、殺されても仕方がない人間なんてあり得ない。生きて命を繋いでそこで悔い改め考え直して自分を取り戻す。そういう未来を、そうなる可能性って奴を見せて欲しかったけれど、それがかなわない物語なら、どこで踏み間違えたのかを感じ取って現実の世界でそうはならないように考えるしかないのかもしれない。行き違いから生まれた憎悪を逆転させて生まれた恐怖、それを取り払って穏やかな空気へと変える“儀式”を早くに行うための道筋。途中に邪魔がはいっても、それを捌いて平穏へと至らせる道筋。あったはずだろう。大人もそこに参画すべきだっただろう。それができた大人もいたはずだ。そう思うとやっぱり誰よりひとりの大人の優柔が、生んだ悲劇だとと言えるのかも。何がしたかったんだろうなあ、奴は。

 学級階層化の話は読んでいて胸苦しくなるものが多くて割と嫌いなんだけれど、これはただ弱さに溺れ逃げ惑うというより、弱さに隠した強さを見せることで反撃の可能性を見せてくれるところが好きだし、もっとも悲劇に見舞われた人間が言い過ぎだけれどそうなっても仕方が無い立場にあったことも、心に踊り場のようなものを作らせる。もちろんそうなって欲しくなかったというもったいなさもある。憤りとか嘲笑とかをそうした可能性の探索に切り替えることで、胸苦しい気持ちを抑えて暴かれる真相を理解し、差し伸べられる手の可能性を想像して前向きさを取りもどすのだ。そういう意味でガガガ文庫によくある学校階層から生まれる悲劇や惨劇を扱った暗いカタルシスの物語とは違った、青春の風を感じさせてくれる物語と言えそう。転生もコミカルもないけれど、シリアスな今を求める人に読まれることになるのかな。反響に目を向けていこう。

 「攻殻機動隊」の世界ってものをテクノロジーを中心に再現しようとする「攻殻機動隊REARIZE PROJECT」の成果発表みたいなイベントがあったんで、朝も早くから渋谷ヒカリエホールへと出かけて全国の予選を勝ち上がった技術なんかを見物。面白かったのは力を入れるとセンサーがそれを察知して、エアを体の周りに張り付けた人工筋肉に送り込んでふくらませ、固くして外からの攻撃を防御するっていった技術。最初から普通に固いプロテクターとか着けていれば良いのにとか思うけれど、それだと動きも固くなる。必要な時だけ針を尖らせるハリネズミのような外骨格を、人工筋肉によって生体反応を元に作り出す仕組みはある意味で人間主体の変身の可能性を示したものと言えるかも。これが1番だったかなあ、テクノロジー的にも見た目にも。

 30倍ズームとかのデジタルカメラをヘッドマウントディスプレイに仕込んでそして、人間がぎろっとにらんだ行為をそうした動きから察知して、ズームをぎゅと伸ばして見つめた場所をズームアップするような技術は、手に双眼鏡を持って操作すれば事足りるものではあるけれど、それだと手がふさがってしまう。災害地域なりで両手を開けていたいような時、これをかけて歩いて時々ぐっと見つめてそこにいるかもしれない被災者を捜し出すとか言った使い方に、有効そうな技術かもしれない。もちろんポップコーンとドリンクを持ってフィールドにいる選手を見詰めるような使い方も。今はまだちょっと装置がデカいけれど、いずれコンパクトになって眼鏡サイズくらいになるかなあ。そうしたら買おう。そして見ようストリップを。どこに反応してズームが伸びるんだろう。ちょっと気になる。問題はストリップ小屋があちこちで潰れていることか。船橋もなくなっちゃったし。どうしようかなあ。

 そして神山健治さんと冲方丁さんの対談を惜しみつつ中野サンプラザへとかけつけ上坂すみれさんの「超中野大陸の逆襲 群星の章」を見物。去年の中野サンプラザが面白かったんできっと今年も面白いだろうと、何となく知ってるくらいの曲数でも参加をしたけれども1年の間に楽曲もたまり「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」のエンディングとかもあって耳にした曲も増えたことで想像を超えて楽しめた。しゃべりは立て板に水という感じでもなくあっちいったりこっちいったりで観客に答えるため長くなるけどそれもまた上坂さんらしく、そして歌えばハードな曲もポップな曲もしっかりこなして耳に届かせる。合間にプロジェクターでもってとある学校内を舞台にした寸劇めいたものを流し、衣装換えを挟んで数曲やって映像の後編を流し、そしてクライマックスへと続いて「波打ち際のむろみさん」のオープニング「七つの海よりキミの海」を大合唱。元よりアニメが好きだったし、この曲も大好きだったんでそれで本編を閉める高揚感に浸っていたらまだ先があった。

 板橋かどこかの商店街を歩いて買い物をする映像が続いて、そして去年も中野サンプラザの2階席から間近に見た客席を歩いてのお土産配りがスタート。得体の知れないものを丁寧に配っていく姿がまた可愛らしく、そして1階席に降りてきたらほぼ目の前に背中が見えるという僥倖に預かり、去年の2階席の中通路を挟んで最前席で前を行く上坂すみれさんを見たのに続いての接近を得る。顔は見られなかったけど。そんな交流を経て客席で歌って舞台にあがりスローガンとかをこなしてウラー3連発へと至って、終わっていったい何時だ、午後10時! 午後6時半からスタートして3時間半という、山下達郎さんなみのボリュームを聞かせて保たせるそのアーティストとしての厚みに、成長の一端を見た思い。楽曲だって多彩だしファンも呆れず付いていく、その強さがさらに固くなっていけば凄いアーティストになっていってくれるんじゃなかろーか。次はどこで会えるかな。中野サンプラザをやるとの予告はなかったけれど、でもあるならまた行こう。


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