縮刷版2015年4月上旬号


【4月10日】 好みでいうなら、秩父ラブラがバスの中で気絶した時に見せてくれた、大人っぽさが炸裂した赤だか黒だかいった感じの蝶みたいな模様がついていた奴だけれど、雰囲気だったら成木野みかたんを送り出した時にセーターの糸が引っぱられてすっぽんぽんになった時の、あれは台初明香が身につけていた上下がセットになった可愛い奴も悪くはないかなあと思った「パンチライン」。何がってそれを言ってしまったら台無しだから言わないけれどもほかにも曳尾谷糸が部屋で見せたヒップハンガーめいたものも良かったかなあ、ただヒロインの成木野みかたんのはちょっと清潔すぎてフレッシュすぎて普通すぎて今ひとつ迫ってこない。ほかが目立ちすぎる中でやっぱり埋没してしまうというか。ここはだから色や形ではなく見せ方でもって官能を刺激して欲しいところだけれど、果たしてそこに挑めるかフジテレビ、そしてMAPPA。

 って真っ裸なのにパンチラとかつ作っているのは何か矛盾してね? とか思ったりもしちゃったり。そんな「ノイタミナ」の新作アニメーションは正義の味方をしている面々がどうして正義の味方をしているのか、敵としているのは誰名のかってたりがまだ見えないんで、そこはこれからの展開で確かめていく必要がありそう。あと主人公の伊里達遊太の優待離脱で時間ループのネタがまだ、賑やかしの段階で本編に絡んでないんでその理由、その影響なんかも見据える必要があるかも。上手くはまれば楽しい上に奥深い作品になるけどそこまで仕込んであるかなあ、GAINAXやTORIGGERなら仕込んだかもしれないけど。いずれにしても見るしかない。あるいは放送コードで抑制されているものがさらに見えちゃうかもと思ってBDだって買っちゃうかも。ああやっぱり人間って即物的。

 国立大学だからといって国が全額を税金でまかなっている訳ではなくって、学生から学費をもらってそれを運営に当てているということは当然、学生の側をも向いてサービスをしなくちゃならないにも関わらず、国が出しゃばって国の施設で国が金を出しているんだから国歌だ国旗だと言い出せば、学生の中にだっているだろう外国からの留学生なり心情的に国歌とか国歌に反意を抱く者たちにとって、サービスとして拙いことになってしまう。だったらやはり任意にして、それを受け入れたい人だけが受け入れられる環境を用意すれば良いのに、安倍ちゃんは国立なんだから国の言うことに従えとナントカの一つ覚えみたいな答弁でもって、国旗や国歌の強制の網を広げようとしている。

 というか教育基本法には国への敬意めいたものを指導する必要を求めていても、国歌や国旗に限定して教育しろとは確か書かれてない。それに大学ともなればそうした意識は醸成されている人にはされている訳で、そうでない人を転向させるのは大学という場に果たして相応しいのかどうなのか。自治だ自由だといったものを特権的に治外法権的に認めるのは嫌いだけれど、18歳まで選挙権を下げようとしている時代、自己判断出来る大人と認めた相手に強制めいたことをするのはやっぱりどこか矛盾している。そんな矛盾なんてまるで気づかないんだろうけれど、ナントカな人だから。いつか園遊会で米長邦男さんが天皇陛下に自分の仕事を自慢して、強制はどうなのと諭された敬意を今一度、喧伝する必要があるよな。でもそれをしたら安倍ちゃんの面子を潰すとどこも引っ張り出して来ないかな。そういう国になっている。

 そういう国。だってテレビ朝日が何か政権与党がカチンとする報道をしたからって、それに政権与党が中立じゃないんじゃないの? って意見具申ととられかねない言葉をそれも文書で送るなんて前代未聞というか。過去にもあったかもしれないけれど、それにしてもやっぱり大人げないというか。政権与党は電波法でテレビ局の首根っこを押さえている立場でもって、そこから文字通りの上から目線にあって何か言うのはそれが正当であっても不当であっても、相手に確実に脅威を抱かせる。従わなくちゃと思わせそして不当だった場合に間違った従順が蔓延って報道は無茶苦茶なものとなっていく。

 そうさせないためにも日ごろから、テレビ局の側では中立を旨とした報道を心がけ、それに対する世間一般の信頼を確保しておく一方で、政治も自分たちの言葉が何か偏向をもたらしかねない、あるいは破局を招きかねない可能性に恐れを抱いて極力口を出さずに見守るという、大人対大人の関係がもはや構築されづらいメディア状況になっているってことなのかもしれない。視聴率稼ぎのためにはアオリ上等なメディアと、権力を権力として意識し気に入らないことは潰して当然と考えて恥じない政治。そのデフレスパイラル的な関係がぶつかりあって雰囲気を切り下げていった結果、生まれるディストピアがこれから本格的にやって来る。そこで生きて行かなきゃいけない若い人たちは大変だねえ。いやこっちだってまだ20年は生きるだろうから笑っている場合じゃないんだけど。やれやれだ。

 発売日なんで朝1番に本屋へと立ち寄って川上稔さんの「境界線上のホライゾン 8<中>」(電撃文庫)を買って一気読み。28歳のクリスティーナの恥じらいっぷりがなかなかで、面倒くさい相手かなあと思わないでもないけどそれを受け入れ宥めリードしている14歳の長岡忠興がやっぱり凄いというか若いけど襲名者だけのことはあるというか。たとえ勝ち進んではいても武蔵の連中は襲名者じゃないだけあってそういう配慮とか熟考とかしないもんなあ。でも勝ってしまうから恐ろしい。クリスティーナだってひっくり返る訳だ。問いかけに対してまるで見当違いの方向から立てた推論がピタリ正解じゃあいったい、何をどう言えば良いのか。でもその結果からすべてをまとめてしまう。無能でも束になれば有能になる。そうか武蔵は“日本”の縮図か。

 そんな「ホライゾン」では羽柴10本槍のうち、シルエットだけ出ていた平野・長泰がようやくイラストで登場。巨乳だったけど性格は割りにざっくばらんというか、破壊衝動も強そうで浅間・智とバトルしたら世界に損害が出そう。あと十本槍のうちの2人を覗くメンバーの出自に裏がありそうだってことも指摘された。違う2人は歳の離れた竹中・半兵衛とそれから情報体の石田・三成だろうから残る若いのはだいたいがどこからか来た奴らか。やっぱり未来だろうか。そして全員が武蔵関係者の直径の子孫とか。そういう節もあるだろうけど真相は不明。次で明らかになるかなあ。次はやっぱり明智・光秀との交渉事がメインになるのか。ミリアムの知り合いの長身痩躯な誰かって誰だろう。そこも木になったこの巻。次が出るのはいつかなあ。


【4月9日】 東銀座の方へと移転したニューキャッスルで食べた辛来飯も、ソースにこだわりがって、肉とか野菜とかがゴロゴロしているって感じじゃなくって、野菜がベースの素材が溶けて混ざり合って、スパイスと絡んでいかにもソースといった感じになっていて、その味でもってライスを染めて食べさせるといった面もちだったけれど、やっと行けた池袋の火星カレーも同様に、ソースに野菜や肉がゴロゴロしているカレーじゃなく、肉でも野菜でも粉砕されて細切れ以下になっていて、それがスパイスと絡んで液体より固体よりのソースになって、それでご飯を食べるといった感じがニューキャッスルと似通っていた。味もタイプもずいぶんと違うけど。

 トンカツとかキャベツといったトッピングもなく、ソースとご飯、それだけで勝負出来そうだけれど辛来飯は目玉焼きがのって味をマイルドに引っぱり、火星カレーはトッピングでほうれん草や各種の肉をのせることでボリューム感って奴を出している。そして共に後味が良い。結構気に入ったんで火星カレーはまた機会を見ていってみたいもの。今回は日和って鶏肉にしたけれど鹿もあれば馬もあり、カンガルーとやらもあるその肉のバリエーションを試してみたいもの。あとは豆か。どんな味なんだろうカンガルーって。猪はあったっけ。

   やはり素晴らしかった天皇・皇后両陛下のパラオご訪問におけるパラオでの晩餐会で天皇陛下が述べられたあいさつの言葉。パラオは現地の人を安全な場所に逃がしたって言われていることが日本軍の素晴らしさを補強する材料にされているけど、戦争に巻き込まれた現地の人たちがそれで良い感情ばかりを抱いているはずはない。だからいろいろ騒動も起こるんだけれどそこをちゃんと忖度して、天皇陛下は「日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした」と話され迷惑をかけたことをお詫びしている。

 さらに「ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」とも話されて、現地の人だけでなく戦争の相手として戦った米兵も、そして大戦で無くなったすべての人も慰霊の対象に含めて過去に日本が起こしてしまったことへの自省を感じさせている。ペリリュー島へと飛んで行われた慰霊でも天皇・皇后両陛下は日本政府が建てた「西太平洋戦没者の碑」だけでなくって米軍の戦没者をまつる「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」も訪問された。ここには政治的ではなく外交への配慮でもなくって心底よりの慰霊の気持ちが感じられてならない。

 おざなりのバランス取りに終わず、自尊もしないでまさに粛々と弔問をされるこの態度を広く喧伝することで、日本の世界平和に対する揺るぎない覚悟って奴を世界に示せるだろう。それなのに、皇室好きを標ぼうすることで右よりの人たちにアピールしているはずの新聞が、そのニュースサイトの冒頭から並ぶトップ記事にまるで天皇・皇后両陛下のペリリュー島ご訪問の記事を並べないのはいったい何なんだろう。アクセスこそが命でそれを稼げる嫌韓だとか反中だとかセクハラ紛いの罵詈雑言だとかを並べておく方を、世界にとっても誉れと言えそうな天皇・皇后両陛下のお言葉や振る舞いよりも上にする。なんだかなあ。それが商業なんだろうけど、でも精神は最悪だよなあ。やれやれだ。

 たかがお金を持っているだけで、警察も国家権力もかいくぐってそうした権力に結びついた悪を退治して回るなんて不可能だっていうのがまずあって、だから「ワイルド7」なんかは国家権力の中にそうした始末人組織みたいなのを作って権限を与えつつ、国家にとってとりあえず不要な勢力を相手にした戦いを演じさせつつ権力そのものが腐敗していった場合に何が起こるかってことも見せて、権力の恐ろしさを見せつつそれに逆らい挑む奴らの格好良さを見せてくれた。だから「トリアージX」なんかだと金持ちに囲われてはいても権力と敵対している奴らがいつまでも、安穏と始末人ごっこをやっていられるとは思えない。そこをどう担保していくんだろう。アニメ版はとりあえず追いかけていこう。乳もたっぷり見られそうだし。

 とてつもない大昔に現代美術家の村上隆さんが自分の作品を海洋堂に小さいフィギュアにしてもらい、それをタカラから食玩として出したことがあって、あれで面白かったのはただ玩具として大量生産品を届けるんじゃなく、ひとつひとつが複製であってもアート作品であって、だからそれぞれに番号を振りつつそれらを大量生産して、なおかつ食玩という形態でもって全国のコンビニエンスストアなんかを通してバラまいてしまうという行為のアバンギャルドさが面白かった。当時も今も一種の玩具化だろうと思われている節があるけど、僕はやっぱりあれはアート的な行為でありアート作品だと思ってる。それだけにオークションで今ひとつ値段が上がらないのが寂しいなあ、家に10個入りが3箱くらいあるのに、ってやぱりそこかい値段かい。

 これと比べて大竹伸朗さんの作品をフィギュアにした「ガチャ景」はアートなんだろうかガチャガチャの玩具なんだろうかといった迷いがあるけれど、宣伝文句なんかを読むとこれはアートピースって言い方がされているから出す側は、自作をミニチュア化してカプセルを通して遍くバラまくアクションも含めたアート作品でありアート的な行為っていう認識でいるのかな。分からないけれど。ただ村上隆さんほど世間一般に知られているとはちょっといえない大竹さんのガチャがどういう受け入れられ方をするのかに今は興味。ルーブルとか大英博物館で売られているミニチュア的に受け取られてしまうのか作品として見なされるのか。未来を見据えてちょっと買い込んで置こうかな。NADiffにあるというから東京都現代美術館とか覗いてみるか。

 長身を鋼のような筋肉で覆っていて、おまけに顔に大きな傷がある目つきの悪い男が経営しているパン屋になんて、頼まれたっていってやらないと思う人が多くて当然。ましてやその男は元軍人で人型強襲兵器なんてものを操り戦果を挙げては「白銀の狼」だなんて呼ばれた英雄だけれど、パン屋のある地域はその男が所属していた国によって併合されたといういわれをもった場所。だから強面である以上に根強い反発もあって近寄ろうとはしなかった。というかそんな強面で元軍人のパンが美味いはずがないだろう? そう思われていたからこそルート・ランガートという男が経営していたパン屋「トッカーブロート」は開店から1年が経っても閑古鳥がないていた。けれども。

 ルートと親しい少年だけは知っていた。ルートの焼くパンが美味しいことに。何しろルートは軍隊を早く辞めてパン屋を開くことだけを願っていたという男。研究熱心でもあって新しいパンを試して焼いてみたりもしていた。その成果が実って美味しいパンを焼けるようになったにも関わらず、食べもしないでお客が敬遠しているのは勿体ないと、遊びに来ている少年は思ってルートに呼びかける。看板娘を雇えと。そしてやって来た少女こそが、誰あろうルートが戦士だった時代に駆っていた人型強襲兵器アーヴェイのAIが人間の姿になったものだった……ってどうしてAIが人間の姿になるのかというと、そこにちょっとした魔法みたいなものがあった。その魔法をめぐる争いめいたものを予感させているところに、このSOWさんの「戦うパン屋と機械仕掛けの看板娘(オートマタンウェイトレス)」(HJ文庫)が異色の2人によるお店コメディに終わらないだろうって予感の根拠になっている。

 古代の帝国が残したロストテクノロジー。それをめぐる争いが裏で動きそうな上に、表面では戦争がもたらした傷が未だに残って怨みや怒りを水面かで沸々とさせては爆発する機会をうかがっている。過去に後悔があってパン屋の道を志し、平和を願うルートにとっては決して戻ってきて欲しくない戦乱だけれど、不満が爆発し遺産を廻る争いが本格化すれば否応なく巻き込まれてしまいそう。そこでルートは再び戦場へと戻るのか。平和のために戦おうと考えるのかそれとも。いろいろと想像が浮かぶだけにここは是非、続きが読みたいけれども出してくれるかなあ。ザザさんって人のイラストも可愛いししっかりしているからもっともっと見たいなあ。


【4月8日】 その胸の下を通った青い紐はいった何だってことで、「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」のアニメーション版が急速に急激に注目を集めているけれど、小説版だとヘスティアはベルくんの相手として最初はそれなりな存在感を示しながらも、ファミリーでパーティーが組まれるようになり、冒険の範囲が広がるにつれてベルくんにとって最愛のアイズ・バレンシュタインの存在がグングンとアップしてきて、なおかつベルくんとの絡みも増えてきて、ヘスティアとの絡みが減って存在が空気になっていくことが見えているだけにきっと、今のこの注目はそんな未来を見越して神様が与えたチャンスなんだろうかと想像する、ってヘスティアが神様な訳だけれど。

 オープニングなんかを見るに付け、ベルくんに相棒ともなるサポーターのリリルカ・アーデが加わり、そしてヘファイトスファミリーのヴェルフ・クロッゾも加わりさらにはタケミカズチ・ファミリーから命も加わって、アポロンによるちょっかいに対抗するエピソードまで進んでいきそうな気がしないでもなく、それだけの大勢のキャラが揃う中でベルくんはアイズに鍛えてもらったりしてヘスティアから遠のき、かといって神様としてその力を震う訳にもいかないヘスティアは、何もできずにやきもきするといった展開が待っている。それともここで大きく存在をアピールしたからには、何か別の展開でもあってヘスティアがメインで進んでいったりするんだろうか。その場合はアイズが空気になるとか。ううん、分からないけどまあ見ていけばいずれ答えは。しかしこのアニメが1番人気くらいになるとはなあ。インパクトって大事かも。

 和食がユネスコの無形文化遺産になったってことで、世界に和食を広めようって動きも強まっているけれど、でも和食って寿司みたいな高級化してしまった食べ物とか、料亭で食べる会席料理のようなものとかじゃなくって、僕たちが普段食べているみそ汁だって煮付けだって和食だし、祭りのような場所でみんなでつまむおにぎりだとか酌み交わす酒なんかも含めて和食なんじゃないの? っていう考えから、和食をただメニューとしてだけじゃなく、その精神性も含めて世界に展開していこうっていう動きが立ち上がっているみたい。ピースキッチンってところがイタリアのミラノで始まるミラノ国際博覧会に合わせて、ミラノでもってそんな精神性を体現する企画を現地のコミュニティレストランを借りて展開するという。

 じゃあ具体的に何やるの、ってことで発表会が六本木で開かれたんで見に行ったら、何と餅つきが繰り広げられていた。六本木で餅つきもなかなかに意外性があったけれど、これがイタリアのミラノで繰り広げられたらどんな感じになるんだろう。ちょっとユニーク。でもってライゾマティクスっていうメディアアート的なものを広告だとかサービスに入れ込み展開している集団が協力して、インタラクティブ提灯だとかピースキッチンテーブルといったものを出展しては、音楽にあわせて提灯の色が変わったり、喧騒や振動に応じてテーブルが光ったりするようにするらしい。静かに食べるのが和食じゃなくって、みんながワイワイと楽しく食べたり騒いだりするのが和食といった捉え方が根底にあって、それを光によって示して“和”ってこういうものだと体験してもらうとか。なるほどなあ。僕らには普通でもそれが分からない人に、別のメディアを通して環境を見せる。インタラクティブの使い方をひとつ学んだ気分。現地でどういう反響があるか。ちょっと楽しみ。

 天皇・皇后両陛下が遠くパラオを訪れ激戦地となったペリリュー島を慰霊に訪れられるとのことで、当地で戦って亡くなられた方々にとってはこれほどの誉れはないだろう。たとえ当時の敵兵となった米兵であっても、等しく弔意を示されるだろう両陛下のお気持ちを忖度させて戴いて、明日は静かに遠くより祈りを捧げたいものだけれど、またぞろライトな人たちが激戦での戦死者の勇猛果敢ぶりが、米国の人間にも感銘を与えたとか言いだし、そしてお国のために戦って死ぬことへの称揚へと持っていきそうな感じもないでもないだけに、そこには細心の注意が必要。ニミッツが発した詩文とかが取りざたされる可能性もあるけれど、あれ、根拠もないしそもそもそういう言葉が米軍の公刊戦史にあったとうのも確認されてない。遠くギリシャでの戦いで生まれた言葉が拾われ、サイパンとかの戦いに引かれパラオに持って行かれたって話もある言葉。それを個々の人たちが書くならまだしも、一般紙が取りあげ持ち上げるようだとこれはいろいろ厄介だし。さてもどうなる。

 良く分からないけど何億円ものお金を引っ張り出せた以上は、そこに何か信頼に足る要素ってものがあったんだろう。相手だってど素人じゃなく海千山千のパチンコ台メーカー。キャラクター物だって扱っていただろうから、その際にどういう手続きがあるのかってことくらい熟知している。そこを騙したんだからきっとそのプロセスに、今までと同じような信頼の梃子ってのが入っていたんだけれど、それがいつからか虚偽になっていたって思わざるを得ない。誰かが寝返ったか騙す側に転んだか。元よりどこかが仕切っていたものがその利権が分散していった先にそこもぶら下がっていると思ったか。分からないけれどもしかいやっぱり不思議な事件。それにしても「金色のガッシュ!!」だなんてパチンコになるって思ったんだろうか。アニメとかだって終わっていたのに。だからこそ一山当てたいって思惑があると勘違いさせたか。解明を待ちたい。明らかにはならないだろうけれど。

 アニメでやっていたから「妖狐×SS」は見たことがあったけれども原作の漫画までは読んでおらず、名前だけ何となく知るのみだった漫画家の藤原ここあさんが31歳で死去とのこと。数日前まで引っ越しとか新しい生活といったことをツイッターに書いていたから順風満帆だと誰もが思っていた矢先の訃報に、いったい何があったんだろうかと誰もが思っても仕方がないことだろう。病死ということになっているらしいけれどそれも果たして真実かどうか。たとえ真実であったとしても31歳というのはあまりに早い。17歳くらいから活動をしてキャリアは相当に長いんだけれどそれでもこれからの活躍を思うと残念だって感じるファンも多いだろうなあ。作品は残るといったって当人がこれから生み出しただろう作品であり、当人がこれから書きたかっただろう作品を思うとやっぱり人は、生きてこそ幸せなのだ。そう改めて思いながらご冥福をお祈りしつつ当方、生きて何かを成す気を取り戻そう。火星カレー食べたい。それなのか。


【4月7日】 そうかこれが「ヤマノススメ」か。5分という番具枠でアニメ自体は実質3分とかあったっけ、ってな感じだけれどもそこにヒロインの人見知り体質が描かれ友人らしい子のポジティブ気質が盛り込まれ、そして山へと向かうベクトルが示されていてここから何か始まるんだろうなあ、って予感はさせるけれど、これが一大ブームを生むことになったほどのパワーはまだ見えず。キャラかストーリーか何かに人を捉える部分があるんだろう。おいおい見ていこう。「雨色ココア」はさらに短く枠だけで2分しかないけど、キャラの感じはだいたい掴めた。ここからいったいどこに向かう? 超短編アニメの時代、続きます。

 「おっぱい」で始まったアニメがかつてあっただろうか? あってたまるかってものだろうけど、「ハイスクールD×D BorN」なら仕方がない、だって実際におっぱいがいっぱいのアニメだから。第2期がどういう展開だったかすでに記憶の彼方だけれど、だんだんと思い出して来たのは段ボール箱の中が大好きな男の娘のギャスパーが加わって賑やかになったこと、だったっけ違ったっけ。そして新シリーズではイッセーが死んでリアスの眷属となった原因がたびたび思い出されては、それを乗り越えリアスとの仲を深めていくような展開になるのかな。北欧神話やインド神話なんかも出てきてキャラ的には賑やかそうだけれどそれでも見どころは「おっぱい」。これだけは間違いなさそうなんで追っていこう、たとえ画面では隠れていても、その先端が。

 ヤンキースタジアムでの開幕戦に日本人投手が先発するなんて歴史的な偉業を見ようと思っていたけど起きられず、気が付いたら朝になっていたんでワイドショーなんかで見た田中将大選手の投球は、それなりに良いようなんだけれど、守備の乱れとかもあってテンポを作れない上にやっぱりどこかキレが無いっていうか、剛腕でグイグイと押していくオーラが薄れているようで、去年ほどの活躍がちょっと期待できるのかなって思わざるを得ない。思わ猿を得ない。そこはプロ集団なだけあって、チームでも回復への期待なんかをちゃんと持っているとは思うけど、そうならないとしたらダルビッシュが登板しない今シーズンは大リーグで日本人のスター選手が消え、サッカーでもミランの本田圭佑選手、インテルの長友佑都選手の活躍がないままスポーツにおける日本人パワーに陰りが出そう。頼れるのはテニスの錦織圭選手とフィギュアスケートの羽生結弦選手くらいか。ゴルフで松山英樹選手がメジャー大会に勝てばあるいは。見守りたい。

 第1巻の頃の誰が誰やらってなくんずほぐれつ状態から見れば、登場人物も少なくて関係性もはっきりして来たことでストーリー面ではスッキリした感じもあった木崎ちあきさんの「博多豚骨ラーメンズ3」(メディアワークス文庫)。基本線には美貌の殺し屋、林憲明の過去との因縁話があって、そして“にわか侍”こと馬場の気持ちの良さも見えてそれらが絡んでラストにひとつの決着が付けられ、林憲明と馬場との関係が固まってそしてこれからといった期待感を覚えさせる。その意味ではひとつインターミッション的な巻だったのかも。博多豚骨ラーメンズのメンバーもほかに情報屋しか出てこなかったし、元リーマンの殺し屋とか完全に陰が薄くなったなあ。

 それにしても、過去にあれだけの過酷な環境を生き延びたんだから、誰よりも強いはずの林憲明でも馬場にはかなわないとなるといったい、どれだけ強いんだろう馬場って男は。でも前作でもこの巻でも死にそうな状況に陥っているから不思議なもの。それでも死なない運と力の強さがあったからこそ、博多を仕切る組織に目を付けられながらも林憲明はずっと生き延びていられるのかもしれない。だいたいがほかにいないヒロイン(?)に死なれちゃ展開的にも困るから、存命は正解。誰かと知り合って仲良くなってしまって次に殺せなくなるようなしがらみも今回は余り生まれなかったし、次は大きなバトルがあって博多がパニックになるような話を期待したくなる。それにしても旧知の彼は女装の林憲明に驚かなかったんだろうか。そこが知りたい。

 シリアとかパキスタンといった紛争地域から送られてくる写真で、幼い子供が日本のキャラクターが入った服を着ていたり、りグッズを持っていたりする光景があるのを時々見かけたりする。日本のキャラクターが世界で人気ってことの裏付けとして、クールジャパン戦略の正しさなんてものを訴える材料にされがちだけれど、村山早紀さんの「かなりや荘浪漫 廃園の鳥たち」(集英社オレンジ文庫)に登場している、海外から日本へとやって来た少女カーレンが大切にしている、日本のアニメに出てくる魔法少女のイラストが入ったハンカチのエピソードを読んで、ただ海外で人気ってこと以上に、知らず日本のアニメとか漫画が行っていることの大きさってものを感じて身に震えが走る。責任感とかいったものの大きさを示すように。

 日本人にとってキャラクターは別に珍しいものではなく、街に溢れグッズに満ちて生活の中に入りこんでいる。大量に集める人もいる一方で、次から次へと新しいキャラクターに目移り心移りして、過去のを埋もれさせていってしまう。でもそうした日本では消費されるキャラクターや魔法少女が、海外ではそれを唯一のものとして慕い、慈しみ、それらが活躍する作品に希望をもらった子供たちがいるってことが見えてくる。あるいはそこにしか希望を見いだせない子供たちがいる場所があるってことが。そこで抱かれた想いの強さを感じた時、たかがキャラクターだと無碍に出来ない。そして責任を持って生みだし、自信を持って世界に送り出していく必要ってものを改めて感じさせられる。

 そんな思いも抱かせられるけれど、「かなりや荘浪漫 廃園の鳥たち」はメインは作家だけれど心身が安定していない母親がプレッシャーから逃げてしまって、クリスマスの寒空にアルバイト先で着ていたサンタの服のまま路頭に迷うことになった茜音って少女が、迷子になっていたカーレンって少女を送り届けた古いアパートで人々と出会い、自分の才能に自信を抱き自分の居場所を得ていくといったハートフルストーリー。そこに暮らす人にはそれぞれに過去があって、たとえば元編集者の美月さんは自分の仕事が誰かを追い込んだのかもといった後悔に苛まれ、仕事を辞めてしまって引きこもっている。そのアパートに住んでいた玲司って天才漫画家は、仕事が忙しすぎたのが死んでしまって幽霊となって残っている。

 そんなアパートで茜音は、美月さんの過去を聞き、玲司のやり残したことへの思いなんかを聞きつつ才能を持った彼や彼女に励まされ、自分という存在を屹立させていく。基本に才能があったから、そういう幸運に巡り会えたんだって声も出そうだけれど、でもそれとは関係無しに常に明るく前向きに生きていたから、友人も出来たし救いの手も伸びた。それだけでも得られた居場所に加え、自分への自信が生み出す未来ってものもあるならもっと、誰もが自分でなし得ることに挑戦しなくちゃって気にさせらえる。この先に果たして茜音は漫画家として成功できるのか、美月はどんな指導をして茜音を導いていくのか、玲司はそこにどう絡むのかといった楽しみを覚えつつ、続きが出ることを願おう。出るのかな。出て欲しいな。

 ある意味大勝利とも言える、学校の教科書への竹島だとか尖閣諸島に関する政府見解の記載達成を新聞の1面トップにしないで、発生から8カ月という中途半端なタイミングで、ソウル支局長の出国禁止問題を取りあげるセンスが今ひとつ分からない。教科書への記載に快哉をあげる愛国心にあふれた読者すらもはや見捨てて、内向きの自己正当化を掲げていてはちょっと保たないような気がするんだけれど、それが正しいことだと思われる風土あ作り手の内にあるのだとしたら、いよいよよっと拙い空気が漂い始めているってことになる。どうなんだろう。

 あとやっぱり、自己正当化が過ぎるのにも辟易。事件の説明に当たって「同様の噂を取り上げた韓国大手紙、朝鮮日報のコラムを引用しながら、日本の読者向けに日本語で書かれた」って書いてあるけどこれは違う。問題として指摘された部分は朝鮮日報の引用ではなく、証券街の噂であってそれもセクハラに問われかねないような書き方で、大統領の男女関係という尾籠な話に貶めて書いたからこそ激怒を招き、問題として挙げられ事件にまでされた。ただ引用しただけなら、ここまでこじれるはずがないってことは分かっているはずなんだけれど、それを認めたら言論の自由で戦えなくなるから黙っているよりほかにないんだろうなあ。それとも本当に分かってないのかも。やれやれだ。


【4月6日】 ええと「血界戦線」はクラウスを石塚運昇さんで、堕落王フェムトを中尾隆聖さんといったあたりの声で漫画を読んでいたんで、ちょっと2人とも若くて渋みや企みが足りないかなあとか思ったり、チェイン・皇ももうちょっとクールで寡黙な印象だったんで、小林ゆうさんだと強くて賑やかな女性になっちゃうかもなあとも思ったけれど、フェムト役の石田彰さんは裏とかありそうな声質でもあるんでフェムトでも合うし、クラウス役の小山力也さんは落ち着きという意味合いではクラウスにマッチしていると言えないこともない。あとチェイン・皇も汚部屋に住んでいたりとガサツなところがあるから小林ゆうさんでも良いのかな、なんて思い直した。ガサツなのかよ小林ゆうさん。画伯ではあるか。

 スティーブン・A・スターフェイズの宮本充さんはもうピッタリ。何しろ「THE ビッグオー」のロジャー・スミスだもん、クールでダンディで裏だってありそうな壮年を演じて右に出る者なし。そんな声優陣を得て始まった「血界戦線」のアニメーション版は、第1話を割と丁寧になぞって見せてくれたって感じ。ラストは漫画だとコントのようにストンと落ちるところを、エンディングに重ねてタイムリミットの中で罠をくぐりぬけて最善を得たようにしてスリリングな感じを出した、ってことなのかな。どっちが良いとは言えないけれど、メディアの違いが共に現れているって言えるかも。しかしラストに出てきた謎の若者のあれは誰? オリジナル展開もあるのかなあ。見続けようとりあえず。

 そうか「border:4 Ghost Stands Alone」から放送するのかと、TOKYO MXで始まった「攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE」を見ながら感心。まだ草薙素子が陸軍にいて、諜報機関の501機関で働いている姿をいきなり見せて驚かせるよりは、誰もがそれと納得する公安9課でもってバトーやイシカワ、トグサ、サイトーといったところを従えて、荒巻部長の下で警備とか、突入の任務に就いているっぽい姿を見せた方が、劇場で「ARISE」は見ていないけれども「攻殻」の設定は何となく知っている人が、するっとその世界に入れるかもしれない。まだ公安の人間ではなく、タチコマとはまるで違ったロジコマなんかが走っているビジョンにアレレと思うかもしれないけれど、それでも周囲にまだ誰もいない「border:1 Ghost Pain」を見せるよりは良いって判断なんだろう。

 そして次回でとりあえず完全独立の攻性部隊としての公安9課が立ち上がるまでを描いたあと、戻ってそこへと至る過程をそれぞれ前後編にして見せた後、劇場版へと続くエピソード「PYROPHORIC CULT」を放送して全10話とするんだろう。その途中で今はレザーのパンツスタイルでいる草薙素子が、劇場版の予告編に出てくるような肌も露わにしたムチムチボディに変化していくことになるんだろうけど、いったい何が変身のきっかけだったのか、そこに今は興味がある。ゴリラと言われるのが嫌だったとか? 肌を見せたいお年頃だったろか? 想像もつかないけれどもきっと恥じらいも薄れる歳になったんだろう。

 その結果が「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」のもうハイレグでお尻も露わな草薙素子に至る、ってなるかというとそれぞれに違う世界観と時間軸で描かれた作品なだけに、そのものずばりになるとは限らない。とはいえ本当にむっちりしていてムラムラさせるデザインだよなあ「S.A.C」の草薙素子は。チバテレビでちょうど放送が始まって第1話の「公安9課」を見たけれど、あんな格好で弾とか当たったら痛いんじゃないかとすら思わせた。義体なんで頑丈に出来てはいるんだろうけれど。声については坂本真綾さんの草薙素子に慣れてしまっていたけど、田中敦子さんの声はそれでやっぱり草薙素子の強さ凛々しさを感じさせてくれて良かった。バトーは落ち着きがあるしトグサはしたたかさがのぞいてた。そんな成長を逆に感じさせる意味でも「ARISE」の若返りは意味があったのかも。2つの「攻殻機動隊」が走るこれからしばらく。楽しめそう。

 実は本編まるで見ていない「たまゆら」の劇場版「たまゆら 〜卒業写真〜 第1部 芽 −きざし−」を見に行った。もちろん誰が誰だたんてキャラクターの関係性とか分からなかったけれど、主人公がローライ35Sを使うカメラ少女で写真部の部長をしていてまわりからも先輩からも「ぽって部長」と呼ばれていて、3年生で進路とか考えていて先輩とか先達とかもいていろいろ迷っているんだなあ、ことが見ているうちにだいたい分かってきたからこれで良いのだ。そして思ったのは、奥手で人見知りでも何かに熱中することで友だちも出来るし未来も見えるというこの作品をこそ、現役の高校生とか中学生に見て欲しいってこと。そういうアプローチがちゃんと届いているのか劇場にも若い中高生っぽい人とかちゃんと来ていたから何か糧になってくれれば良いかなあ。決めなくても良いけれど、早くに何かをやっておけば転身も効くし満足だってできるからってことで。

 「サイハテの救世主」ああわただしく終わってしまって、ちょっと残念だった岩井恭平さんがそれにも優るSF的なアクションでもってスニーカー文庫に戻ってきてくれた。その名も「東京侵域:クローズドエデン 01.Enemy of Mankind(上)」(角川書店)は得体の知れない現象によって何百万人もの人間たちが消滅し、街も壊滅しかけている上に怪物まで跋扈している東京をめぐって、権力側が掃討作戦を遂行しようとしている一方で、失った人を取り戻したいという個人の思いを貫こうと行動する若者達がいて、怪物も含めた三つ巴の戦いになっているシチュエーションが実に良い。正義と悪との単純な対立にしないで、表の正義と裏の正義が反発試合つつ強敵に向かう展開は、どこに向かうのか分からない予定調和を外した展開を期待させる。

 東京を大変貌が襲ったちょうどそのとき、境目に居合わせて年上の幼なじみの少女を奪われ、自身も半身を失いながらも何かによって補充され生きながらえた秋月蓮次って少年が、知り合ったのは表の世界ではKANATAというアイドルヴァイオリニストとして活躍する弓家叶方という名の少女。彼女もまた大変貌の東京に居合わせて弟を霧のむこうに奪われていた。どうしても取り戻したいとアイドルとして活動する傍らパトロンをみつけ、東京の中へと通じるゲートを密かに土下座までして確保しそして、稼いだ金で鍛錬を重ねて戦闘スキルをため込んでは、半身が得体の知れない者になっているが故に強いこともある蓮次をパートナーにして、お互いに失った者を助け出すという盟約を結んで東京の街へと入っていく。

 変身したり身を戻したりするような薬剤に似たものが閉鎖された東京にはあってそれを手に入れため込むことも勝利には必要といった条件があったりする部分は、一種RPG的というかアドベンチャーゲーム的というか、設定めいたものを感じさせるけれども別にゲームが原作って訳でもないからチートな存在による活躍を抑え、シリアスでシビアな条件を与えることによって一筋縄ではいかないシチュエーションを作り出しているんだろう。そして連次は見つけたかった少女に出会うんだけれど何かがおかしくって、それが蓮次と叶方の関係を邪魔したりもして2人の冒険に影を落とす。さらに国による探査の手が勝手に入りこんでいる蓮次や叶方たちの行動を邪魔しにかかる。共闘するのか逃げるのか。そもそも敵の正体は。謎も多くあるだけにこの後の展開を待つしかない。次はいつ出るだろうか。そして描きたいものを描ききってから完結するだろうか。見守りたい。


【4月5日】 「ミスター味っ子」だよなあ、という印象がまず先に立ってしまうのは、出された料理を食べた反応が爆発して絶頂になって叫んで服を脱ぐといった感じにエスカレートしていく感じがまさに「味つ子」のテレビアニメーション版で、今川泰宏監督が“発明”してみせたものだったからだけれど、それでもやっぱり見ていて楽しいのは人間、誰もが美味しいものが好きで、それがどういう風に料理され、食べた人からどういう反応が現れるかを見守りたいからなんだろう。アニメーション版「食戟のソーマ」。でも本番は学校に入ってからで、そこで繰り広げられる“食戟”とやらに、いったいどんな手段で挑みそして、ライバルたちをどう蹴散らしながらも友情を深めていくかってドラマを楽しめそう。あとこれは見せて良いチャンネルみたいんで、いろいろ見られそうなことにも期待。まず白は見た。次は水玉か縞縞か。

 人によっては古くさいといった反応もあるみたいだけれど「レーカン!」は、僕にはそのテンポは案外にマッチしていて見ていてストレスを感じなかった。霊が見えてしまう体質の少女を取り巻く学園ドタバタ劇。周辺で起こる霊感現象にまつわるショートコントをサザエさん的に連続して叩き込んでリズムを出しつつ、友だちとの相互理解や霊とならざるを得なかった子供たちへの慈しみ、見守ってくれているおばあちゃんへの感謝なんかを添えてギャグ味を薄めて“良い話”色を出しているところは巧いなあと思った。同時に死を扱う話なだけに引っ掛かる人もいるかもしれないとも。その配分に注意していけば良い作品になるんじゃないかなあ。あの背景の妙なまでのリアルさは最近の流行なのか。草加市あたりが舞台になっているらしく、その実際の街並みを写真で撮るかして取り込むなり書き写すなりした感じ。聖地巡礼に使われそう。というかまた埼玉か。人気だなあ埼玉。

 えっとお母さん? 本当に妹? ってまずは思ってしまったその声への印象は、きっといずれ改善されていくなりこっちが慣れるなりするとは思うけれど、でも本当にマッチしてるかどうかを考えた時に、もう少しやりようもあったんじゃないかとは思った「電波教師」。才能はあるかもしれないし頑張ってもいるんだろうけれど、そうした才能や頑張りがベストの場所で発揮されないで起こるギャップは、受け手にも作り手にもあんまりメリットを生まないと思うのだった。まあでも別にそれを目当てというか耳当てで観たい人もそれほどいないだろうから、あるいはひとつの味であり、どこかそうあるべきだと慣れてしまった耳に違ったパターンを覚えさせてくれるきっかけにはなるかもしれない。これもストーリーの本番は来週以降になるのかな。異色な奴らを相手に挑み突破していく教師の姿、「暗殺教室」の殺せんせーとは違ったその愛を浴びよう。

 謝って済ませて良い問題でもないよなあ、そしてテレビ人にはそういう誘惑も多いから仕方がないという同業者の応援もまるで意味がないよなあ。日本テレビのアナウンサーで3月30日からリニューアルした「スッキリ!」の司会に就いた上重聡さんとかいう人が、無利子で1億7000万円を借りて高級マンションを買っていたという話は、その貸した相手が番組のスポンサーの創業者だって時点で無関係な支援者からの厚意とは言えなくなてしまう。何かあっても番組スポンサーでなおかつ支援者なら何も言えないという可能性。そうでなくても日ごろから何かそうした配慮があるかもしれないという勘ぐりを、生んでしまう時点で公平性が失われてしまう。

 李下に冠を正さずの例えにもあるように、立場ある人はその身辺に配慮が必要。それが欠けていたと判断された時点で、もうその場にはいられなくなて当然だろう。でも当事者も会社も、親切な人が貸してくれたけれど、それは拙いと気づいて返しましたって言い訳だけで乗り切ろうとしている。同じ会社はちょっと前に知人から頼まれクラブでアルバイトした女子は、もはや清廉潔白ではないと糾弾して内定を取り消し大騒ぎになった。何かしたって訳でもないアルバイトを糾弾しておいて、会社全体の信頼を揺るがしかねない正社員のアナウンサーの醜聞は目をつぶるダブルスタンダードに世間はいつまでも甘くない。同業者が前の立場を引きずった感性で味方しても、世間はそうした態度を業界に特有の甘えと感じて糾弾し、改善しなければ見放すだろう。

 というか、すでに見放しは始まっているかも。だってつまらないんだもん新しい「スッキリ!」。冒頭からアナウンサーが細かいネタを並べるけれど、メリハリがなくって平板でグッと来ない。というかそうしたネタは直前までの番組でたいての局が散々取りあげていたりするから目新しさを感じない。前みたいに1つの話題に突っ込み引きつけそして解説やコメントへ向かっていた方が良かったのに、どうして変えちゃったんだろう。それだけ上重アナを使いたかったのか。どうして使いたかったのか。スポンサー絡みか。なんて憶測を生んでしまう時点でやっぱり無理だろう。尾を引いた話はいずれまた噴出する。その時にどういう態度で臨むかで、日本のメディアの未来も問われそう。さてはていかに。

 反応が大人げないと言われそうだけれど、相手は新聞記者でそれも捏造報道をやって名誉毀損の裁判をおこされ完敗している経歴もある上に、繰り出された言動の上品さからほど遠い感じを観れば、こういう反応だってしたくなるのも仕方がない小西洋之議員によつツイッターでの一連の反応。きっちりと出るところに出て相手に比があるなた認めさせ、止めさせて欲しいというのが遥か彼方の末端だけれど、言葉で食っている身として浮かぶ願いだけれど、それとは別に気持ち悪いのはそんな降りかかる火の粉を払おうとする議員の当たり前の反応を、揶揄しにかかる応援団がわんさかあらわれ醜い言葉を浴びせかけること。そうした応援に悦に入ってさらに醜い言葉を繰り出し平気な状況も見るに付け、これが政治と新聞を取り巻く今の言語状況かと思うと未来の乏しさをあらためて感じざるを得ない。まとめてカタ付けてくれないかなあ。相手を潰す勢いで。とばっちりは御免だけれど。

 「残念なことですが、昨今、この東京でもアイドルユニットが溢れ始めました。その代表例は、AKBやジャニーズです。ライブやCDなどいくらでも無為に時間を潰せる機会が増えています。アイドルユニット依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません」と言ったら反響はどうだったか。あるいは「「残念なことですが、昨今、この信州でもウインタースポーツが溢れ始めました。その代表例は、スノボです。スキーやスケートなどいくらでも無為に時間を潰せる機会が増えています。ウインタースポーツ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません」だったら。信州大学の入学式で学長が挨拶に言った言葉は、スマホを敵視するのみならず、あらゆる行動の有為無為を身勝手な判断によって下していてどこか自家撞着的。だって学問だって世間に出てどれだけ役に立つかって議論が起こっている訳だから。

 哲学に歴史に文学。数学に物理に化学に地学。それを必要とされる場所以外でどこまで必要とされるか分からないそれらを、学ぶ時間を人によっては無為に潰しているだけだと言うだろう。でも、学んでおくことで知見は広がり物の見方が広がって人間というものが持つ包容力や理解力や想像力を豊にする。スマホだってアニメやゲームだって同様。スマホから交流を生みアニメやゲームから哲学なり技術なりを知る機会はいくらでもあるし男女交際や宴会で身を持ち崩すことだってある。何が有為で何が無為かなんて人それぞれでそこにツールもメディアもカテゴリーも関係ない。だから個々を論って批判するより知性や個性の毒となり得る接し方を教えるべきだろうに。そういう想像力を働かせられない学長先生こをまず、スマホをやってアニメやゲームを嗜んで、知見を広げてみるべきだって、誰か言って差し上げて。学祭にアイドル読んで上映会やってコスプレ繰り広げるとか。うん。


【4月4日】 花見なんて集団行事に誘われる身でもないんでひとり、浅草へと出向いていって隅田川のあたりを散策しながら今日辺りが終末では見納めとなる桜なんかを見物する。去年までとは違って外国人の数が多いこと多いこと。アジアからも西欧からもともにいっぱい訪れていては歩いて桜を写真に撮ったり、人力車に乗って通りを走っていったりしている。桜見物が日本における観光のひとつの中心になったってことの現れで、これは年末年始の初詣とか2月の春節とかに加えて4月の桜も観光客を呼べる機会が出来たってことでもある。浅草だとあと三社祭もあるか。

 外貨を得て経済を不要する上で重要な観光の称揚に、大きく貢献するこの事態に風情がどうのとかいってイチャモンつけるのなんて勿体ない。むしろ世界に冠たる「HANAMI−FESTIVAL」として万人の観光客を呼ぶくらいのことをしたら良いんじゃないかなあ。だいたいが日本人だってシートで場所取りしては夜通し騒いで酒のにおいを翌朝に漂わせゴミは持ち帰らず下手したら起きっぱなしにすらして平気な民族。それが無礼講であり伝統だというならたあ桜を見に来て写真を撮る外国の人たちの方がよほどか礼儀正しいってものだ。そうした人たちが留まり桜を愛でて飲食できるスポットを、国が整備すらすれば良いのに。カジノなんか作るよりよっぽど人も集まるぞ。

 歌い手が命に匹敵するくらいに大切な声を失うなんていったい、どれだけの決断がったのだろう。温存する療法だってあったかもしれないと思いたいけど、それすら許されない状況にあったのだとするなら道は他になく、そして命と引き替えられるものなどないという決断をそこで下して、生きていくことこそが自分いとっての最大の使命だと感じたんだろう。つんくさん。言わずと知れたシャ乱Qのリードボーカルにしてモーニング娘。を始めとしたアイドルユニットのプロデューサー。シンガーでありミュージシャンでありコンポーザーでもあるその人生から、声帯の摘出によってシンガーという部分が失われてしまった。

 食道を使って声を出すことだって訓練すれば人は出来るし、人工声帯によって振動を声にして伝えることは出来るけれどもやっぱり、シンガーとしては厳しい運命を選んだってことになるだろう。歌はやっぱりその巧さがどうしても耳に入る。そうでない人は歌ってはいけないということではないけれど、プロのシンガーとして歌う歌はやっぱり巧いこと、美しいことが求められるなら、声帯から声が出なければそこから外れたものとなってしまう。残念だけれど。ただ、それでもつんくさんには音楽があり、生きてきたその人生から繰り出される“言葉”がある。声として発せられなくても、メッセージとして繰り出されるその言葉、紡がれる音楽が僕たちにきっと何かを感じさせてくれる。

 それが続く。声と共に命も失われたら得られなかったそれらを、僕たちはこれからも得続けることができるなら、つんくさんの決断がたとえ厳しいものだったとしても、そして僕たちに衝撃的だったとしても受け入れ、これから先に何が繰り出されるかを見守って、出てきたものを受け止めるのが最善だろう。幸いにして元気そうだし、意欲も衰えてはいなさそう。だからこれからも味わいたいその音楽を、その“言葉”を。翻って喉頭癌を患いながらも声を失わなかった桑田圭祐さんは、シンガーとしては幸運だった。ミュージシャンでもあるけどやっぱり、自身で歌ってこその曲が大半なだけにその声が、今なお生きていることに幸いを感じたい。つんくさんと桑田さんの、どちらが是で非ではなく、あるがままの人生を、あるがままに生きる大切さを思いつつ。

 ゲスの勘ぐりが酷すぎで吐きそうだ。とある全国紙のかつては名物と呼ばれた1面コラムにこんな文章。枕に政治家たちに相次ぐ不祥事についての非難を掲げつつ、するりと矛先を変えて渋谷区で先ごろ議会を通った同性パートナー条例についての非難を繰り広げ始める。まず「同性カップルに「証明書」を発行する条例が成立した東京都渋谷区は、その典型だろう。性的少数者への偏見解消は大事だが、あまりに拙速で、読者サービス室に寄せられた意見は、ほぼ反対論一色だった」。いやでもその新聞社がテレビ局とやった調査では、確かに反対も多かったけれどそれは3割程度で、実に6割程度が賛成だったって声が出ている。なのに寄せられた賛美だけを元に「反対一色だった」と書いてそれで社会の木鐸か。公正中立を旨とされる新聞か。その段階でアレレと思う。

 続けて「なぜ、今期限りで退任する区長が条例制定にこだわったのか。保養施設として区が伊豆の旅館を買い取ったのが遠因、との説もある。その旅館は建物が古く、アダルトビデオ撮影にたびたび使われたいわく付きの物件なのに、億単位の税金がつぎ込まれた」だなんて、どこかのネット記事が拾ってきた昔の話を蒸し返し、さぞや何度も何度もAVの撮影に使われた定宿であるかのようにこきおろす。そりゃああったかもしれないけれど、それがゲリラ撮影だった可能性はないのか。そういう視点がまるでなく、批判のためになるならとそのための情報を持ち出し牽強付会してみせる。

 その上でこうだ。「醜聞になりかけたところに、降って湧いたように提出されたのが、『同性パートナー条例』というわけ」。おいおいそれじゃああの歴史的な条例はなにかスキャンダルから目を逸らさせるために作られた鬼子なのか。「幸いにして26日には、区長選も区議選もある。渋谷区だけでなく、有権者の皆さんは、真剣に一票を投じていただきたい。ろくでもない首長や議員を選んで被害を受けるのは、有権者なのだから」って言うのはつまり「同性パートナー条例」を作り通した首長や議員といった人たちは「ろくでもない」存在ってことなのか。

 敷衍すれば「同性パートナー条例」は裏もあり陰もあるそんなろくでもない人たちに作られたろくでもない条例だって印象すら与えかねないこの言葉、すなわち苦労して権利を獲得した人たちを愚弄しかねない言葉を堂々、新聞の1面で自分たちで繰り出している。出入りのアパルトヘイト作家が無知をさらしてアパルトヘイトを結果として称揚したのとは訳が違う確信犯にして現行犯が、平気な顔して見にくい言葉を繰り出し恥じないこの国の言論空間に、涙が出ない言論人がいたらそれは紛い物だろう。でもきっとそんな自覚もなく、これからも汚い言葉を吐き散らすだろう。それが狭い空間において生き残る術らしいから。やれやれだ。本当にやれやれだ。

 藤谷治さんの「フィクショネス」とか短編映画専門の「トリウッド」とかに来ていたから下北沢はそんなにアウェイでもないけれど、藤井太洋さんと山形浩生さんがトークするってんでB&Bってお洒落な本屋で開かれたイベントを見物に行く。おお山形さんだ。テレビに出ていた人だ。藤井さんはまだそういえばテレビでは見たことなかったっけ。山形さんはSFの人だけれど経済に強くてマクロからミクロまで語れる人なんで藤井さんの「アンダーグラウンド・マーケット」に何を言うか気になっていたけど総じて面白いという評価はなるほどすごい誉め言葉。細部においていろいろ気になるところもあるけれど、それを上回って引きつけられる部分があるということは藤井さんが示した二重経済のビジョンなり、仮想通貨の技術なりに正しさと将来性があるってことなんだろう。

 ただこれは僕も気になっていたあくまで設定を提示して見せた段階で、ここから始まるだろう物語がまだないって部分は山形さんも指摘していて、受けて藤井さんはここからさらに広がって大きく何かが動く物語を構想しているみたい。ただいつになるか。しばらくはドローンが出てくる話とか、幕末が舞台の物語とかを書くらしい。幕末は趣味。あと新潮社で連載も。どんどんと書く場所を得ていくなあ。それに答えてちゃんとした世界を見せてビジョンを見せることができるのも凄い。次に何を書くのかが楽しみな作家。そんな感じ。そういえば山形さんは次に何を出すんだろう。とりあえず「ヴァリス」「聖なる侵入」と来たから「ティモシー・アーチャーの転生」の翻訳か。まあ何か出るだろうということで。

 ハナザー! ってことでテアトル新宿へと回って映画「君がいなくちゃだめなんだ」を見たら花澤香菜さんが演技してた、ってそういう映画なんだけれども主にやっぱり声優として活躍するようになった今からするととっても新鮮、そしてちゃんと役者にはなっていた。物語の方は……たぶんやりたいことがあってそれは伝わってくるんだけれど、ああいう見せ方で良かったのかなあという気はしないでもあにはどこかただ、演技をさせているだけで場に溶け込んでいないような雰囲気があったからかなあ、でもそれはああいう世界観だから仕方がない、たとえ晴天に雨が降ってもそれはそういう世界ななから。それが後でそうかと気づくんじゃなく、そういう不思議を散りばめ奇妙を並べてそうかもと思わせるジワジワ感があればもっと良かったかな、ってことで。ハナザー!


【4月3日】 そして気が付いたら幾夜大黒堂さんの「境界のないセカイ」の連載が、KADOKAWA系列の雑誌で再開されてそして第1巻もKADOKAWAから出ることが決まった様子。それはそれで嬉しいことで、権利をとっとと手放して、他での再生へと繋げたマンガボックスの対応の早さ、手際の良さにはただただ感心するばかり。作者を守ることだけじゃなく、樹林伸編集長はちゃんと作品も守ったってことで、その行動は大いに賞賛されるべきだろう。なるほど説明において口ごもっていた部分もあったけれど、それはマンガボックスが組んでいる相手への配慮もあってのこと。そこで言い訳するより行動で示しつつ、言い訳しないことで提携先も守って見せた手腕はやっぱり、タダモノじゃないて印象を醸し出す。

 だからこそやっぱり講談社がどうして、この作品の単行本化を取りやめてそして連載の中断へと至らせたのか、ってところが気にかかる。樹林さんは作者のブログにあったとおりと書いているから、いろいろと配慮があったって考えるのが妥当なんだけれど、その配慮が杞憂にすぎなかったと分かってもなお、撤回しなかったのは綸言汗のごとしじゃないけれど、決めてしまったことをひっくり返すことで誰かに何かの瑕疵が生じることを避けたかったから、なんだろうなあ。結果としてモヤモヤは残り不信感も残ったままだけれど、そうでない作品については掲載も是とするようだし、作者にとってもプラスになったのなら、事を荒立てることはもうせずこれからの連載と、そして新しい活躍を見守ることに終始すべきなんだろう。頑張れ幾夜大黒堂さん。頑張った樹林伸さん。おめでとう。そして有り難う。

 歳は知らないけれどもネット方面で活躍していたライターが亡くなったとの報で、揺れている世間にそうした訃報が話題になるくらいの活躍を、自分はあんまり出来ていないなあなんてことを考えて、ちょっとだけ寂しくなる。もちろん死んでその後にどんなことを語られるかなんて死んでしまっているから分からないけれど、生きている今に想像してもそんなに大きくは取りあげられそうにもないだけに、ニュースにもなって語られるライターの人が、ちょっと羨ましくもある。もっとも、もっと書きたかっただろうし、生きていたかっただろう当人にとっては、死んでしまってからの毀誉褒貶なの何の慰めにもならない。だからやっぱり今、生きているうちにたとえ評価なんて得られなくても、自分ができることをやり続けることにしようと思った、そんな春。生きてこそ。

 やっぱり見て置かなくちゃと「劇場版 境界の彼方 −I’LL BE HERE−」過去編を見に行ったらやたらと女子が多かった。京都アニメーションで眼鏡っ娘がヒロインで異能バトルでといった具合に萌え要素にまみれている上に、主人公とかに中二病気質もあってとてもじゃないけど女子に受ける要素なんてなさそうだったのに、どこまでも思われるヒロインだとか、イケメンの異界士だとかいった要素にキュンとする女子もあるいは多いのかもしれない。でもイケメンったって極度なシスコンだしなあ。それで関心を持たれるとは良い時代になったけれど、現実のシスコンがそれで好かれるとは限らないのだった。顔が良くてもそれはやっぱり同様。現実は厳しいのだ。

 それにしても原作とキャラクターはだいたい一緒で、配置も似ているんだけれどまるで違う話になってたアニメーション版「境界の彼方」。そもそも栗山未来ちゃんは原作だと主人公に相当するヒロインって感じではなく、主人公に絡んでくる外からの来訪者であって主人公と対比するのは名瀬美月の方だったんだけれど、物語にするときはやっぱり神原秋人と未来という強烈な2人の関係を軸にして描いて、着いて離れて反発して惹かれ合うようなドラマを中心に、周辺でやきもきする人物を添えていった方が分かりやすいって判断もあったんだろう。テレビでの放送は実は見てないんだけれどもダイジェスト的な劇場版を見る限り、美月なんてまるで脇も脇で活躍もしなければ絡みもしない。むしろ名瀬博臣の方が神原秋人に絡んでそっち系の人を喜ばせていそう。キャラの無駄づかいっぽくて勿体ない気がしたけどテレビ版では名瀬美月、もうちょっと存在感があるのかな。

 むしろ小説では奥まったところにラスボス的に存在していた名瀬泉の方が、アニメ版だと初っぱなから最後まで大ボス的に活躍していたって感じ。新堂彩華さんについては小説でもアニメでも助っ人として結構な活躍をしているっぽいんで、そういう役柄が好きな自分としてはもうちょっと動いているところを見てみたいと思った。DVDとか買ってみるかなあ、というかボックスにそろそろならないか。ってな差異はあってもアニメーション版であり今回の劇場版の「境界の彼方」は、秘められた力を持ちながらもそれを抑えて生きている少年と、そんな少年を倒す力を持ちながらも倒せない気持ちに揺れる少女との、出会ってぶつかり、惹かれ合って反発し合う関係ってのがくっきりと描かれていて、とても引き込まれた。

 栗山未来の「不愉快です」という常套句も、眼鏡にこだわる、あるいは眼鏡にしかこだわらない秋人への毛嫌いの言葉ではなく、気持ち悪い奴への嫌悪の言葉でもなく、秋人への好意を表に出せない衒いを含んだものとして物語の中で生きていた。そういった改変の見事さは、これも小説版と違った「中二病でも恋がしたい」を作った京アニだけのことはある。だったら小説の立つ瀬がないじゃんとも思わないでもないけれど、小説は小説で秋人という境界に立つ存在の曖昧さが出ていて、それはそれで面白い。あとは名瀬における権力争いめいたものも見えたし、異界士という立場に必須の運命みたいなものも見えて読まされた。まるで違うのを覚悟でアニメファンには原作も読んでもらいたい。そんな「劇場版 境界の彼方 −I’LL BE HERE−」は次、未来編へと至っていったいどうなる? 記憶を失っていた未来は戦いに戻るのか。そこに秋人はどう絡む。彼女の平和と自分の平穏を天秤にかけて下す判断が見物。今度は公開されたらすぐ見に行こう。

 内容もさることながら、そもそも誰が読んでいるかまるで分からなかった新聞小説を社員記者が書いていたっていうこともある種の衝撃なら、それに添えられていたいったいどうしたものかとしか言えない挿絵もまた、社員のデザイン担当によって描かれたものであったということもまた衝撃で、これが他だったら堂々と大作家に依頼して新聞小説を連載してもらい、それに有名なイラストレーターが挿絵を付けて競演するのを楽しみにしてもらうのが、読者にとっても良い話だし新聞自体にとってもステイタスだろう。

 そうした読者サービスも、新聞としてのステイタスもともにかなぐりすてて小説もイラストも内製しなくちゃいけない理由を、そこに才能があるからだなんて言ったとして果たして世間に通用するか。夏目漱石だって朝日新聞の社員として書いていたって言おうものなら、この書き手は夏目漱石なのかって突っ込みも即座に帰って来るだろう。つりはやっぱりお金の問題だろうなあ、としか言えないのはそんなW社員による連載が、続く新連載でも執り行われるってことが理由にあったりする。つまりはそれだけ人材も抱負なんですよって、言い訳に終始するとしたらこれまでの連載が本となってベストセラーになって、本屋大賞にでもノミネートされてから言わないと。けどそんな気配はまるでなし。本にだってなるのかな? だからやっぱりいろいろ勘ぐりたくなるその事情。未来は何処。はあ。


【4月2日】 「風の谷のナウシカ」がスタジオジブリの制作ではないのはアニメーションについて語るときのひとつのトラップでもあって、この成功が徳間書店の徳間康快社長に宮崎監督を中心にしたアニメーションスタジオとしての「スタジオジブリ」の設立を決意させた。だから「ナウシカ」はジブリじゃなくってトップクラフトの制作ってことになるんだけれど、宮崎駿監督の代表作としてジブリの特集なんかと絡めて紹介されるし、ジブリの新作アニメーション映画が公開される時に日本テレビで放送されたりして関連性を脳に擦り込まれてしまっている若い世代も少なくないから、そう思われるのも仕方がないところがあったりする。

 でも「ルパン三世 カリオストロの城」をジブリアニメというのはさすがにアニメの強いファンでも思わない、しアニオタと呼ばれる人なら当然、知っている。あれは東宝の作品であって東京ムービー新社の制作であってそこに関連会社の制作集団、テレコムアニメーションフィルムが協力している。そしてこの興行的な不振が宮崎駿監督をアニメの世界から遠ざけ、その間に「アニメージュ」での漫画連載をしてもらうことになったのが「風の谷のナウシカ」。これを見て映画化しようってなった訳でその意味でもジブリとは大きく断絶してる。

 そんな「カリ城」を挙げて、宮崎駿監督がルパンとコラボするんだぜってテレビ局コピーを揶揄するアニオタ記事でもってアニオタならジブリアニメとして「カリ城」を挙げる<ってなことを書いちゃあ流石にダメだろう、なんて思ったけれども最近は「カリ城」もジブリ特集で同時放送されるから間違える人がいるのも仕方がないかもなあ、もちろんアニオタ以外で。それにしても「未来少年コナン」をスタジオジブリの作品として間違える人がいないのは、テレビシリーズなんで日本テレビの金曜ロードショーであんまり流れないため、混同されづらいってことがあるのかなあ、だとしたらこれぞ宮さんの幻のアニメって劇場版コナンを流したら、どちらも違うのにジブリアニメで宮さん作品として認知されたりするのかなあ。ちょっとワクワク。

 とか言ってたらさすがにヤバいと思ったか書き換えられてたけれど、好きな宮崎駿監督作品で「ルパン三世 カリオストロの城」を挙げるのが通って意見には変わりがなくってやっぱりちょっと眉を潜めてしまいたくなる。というかメジャー中のメジャーな宮崎駿監督にマイナーな作品なんてなくってどれを挙げたって通でもあるし通俗でもある。むしろだったら三鷹の森ジブリ美術館に行かなければ観られない短編アニメーション作品から挙げて「空想の空飛ぶ機会達」とか挙げてみろって言いたいけれども僕だって見てないのでそれがどれだけ凄いのかが分からない。見たのは開場の時に上映された「くじらとり」とあとハルダンゲルヴァイオリンで山瀬理桜さんが音楽に参加した「水グモもんもん」くらいかなあ。だからこそ挙げられたら通だけれど。いつかまとめて上映会とかやってくれないかなあ。

 行っていたのはもっぱら南池袋にある店で、そこだとほぼ隣りにある「ラーメン二郎」に行列は出来ていても、こっちにはあんまり行列もなくって行けばだいたい座れるんで入っていた「大勝軒」。食べるのもどちらかといえばラーメンが多かったけれど、ときどきはつけめそばもあつもりで食べていた。そんなつけ麺を創案したと言われる東池袋の大勝軒の山岸一雄さんが死去したそうで、ジロリアンならぬ大勝軒ファンたちが追悼の気持ちで全国の店へと足を運んでいろいろ食べた、そんな1日になったんじゃないかなあ。新聞各紙もその訃報をちゃんと伝えて偲んでいる。それだけラーメンが日本の風土に溶け込んだ食であり、なおかつつけ麺とよばれる食べ物が日本にとって大きな位置づけにあるって現れなんだろう、フェイクとかジャンクとかでなく。それだけの業を成した人生、きっと充実したものだっただろうなあ、そんな人生、送りたいなあ。とうわけで御茶ノ水大勝軒にてあつもりを所望し戴きつつ合掌。ごちそうさまでした。

 認めたいのか認めたくないのか。とある自称全国紙が1面に掲載している一応は看板だったコラムにこんなことが書かれている。「きのうの各紙が大きく報じていたのは、男女ペアならぬ、同性カップルの話題だった。同性カップルに『「結婚に相当する関係』を認める証明書を発行する、東京都渋谷区の条例案が、区議会で可決、成立したのだ」。そしてその結果を受けて「性的少数者への偏見解消につながるのなら、結構なことだ」とも行っているんだけれど、その筆が続けてこうも書く。「もっとも、同性婚に道を開く一歩にしようとする人もいる。それは、話が違う。確かに、同性婚を法的に認める国は増えつつある。そんな潮流に、安易に乗る必要はまったくない。あくまで慎重に論議すべきである」。

 いったいどっちなんだ。同姓のカップルを認めたいのか認めたくないのか。というか「同姓婚に道を開く」ことに慎重さを求める言葉は、そのままでは「性的少数者への偏見」を助長しかねない。いったい何が問題なのか。そこを書かないと説明不足に陥るんだけれど、仮に書いたとしても同姓婚というのは男性と女性によるカップルがしっかりと家を造り、子を育んで守り育てていくべきだていう旧来型の制度をこそ、正しいという理念に基づいた言葉しか出てこないからやっぱり「偏見」がそこに立つ。法律的に異性が同性であっても同等で、遺産相続でもちゃんとした権利を得るための手続き的なものに過ぎないから認めるべきだっていう意見には絶対に至らない。だから書けないのか、単純に過程は男女のペアのみっていう“偏見”から先に筆が進まないのか。後者だろうなあ。考えて迷う人が担当できるコラムじゃないものなあ。やれやれだ。

 ネタでもないかと探しにいったファッションワールド東京って展示会で見かけたのがドイツから北「ONOO」というファッションブランド。オーストリアの素材をドイツでデザインしてイタリアで生産しているという欧州的なブランドだけれどドイツっぽさがあるデザインはシンプルでスタイリッシュ。でもって自転車乗りという人がデザインしただけあってノーフォークっぽいジャケットもピーコートがベースとなったコートも前身の胸あたりに縦にスリットがはいってそこにスマートフォンを入れられるようになっている。なおかつそこから出したイヤホンをくぐらせて止めておく切り込みもあって便利そう。乗る時はそこにひっかけ降りたら引っぱり耳に着けて音楽を聴ける。運転中に音楽は厳禁だから。

 ただこうしたトレンディーなジャケットやコートを着て自転車に乗るって人、日本じゃああんまりいないんだよなあ、妙なロード信仰があってロードレーサーが町中を走るようになってもそれをポタリング的ツーリング的に使うって発想はなく、むしろ逆に移動の手段として服装もシンプルにサイクルジャージへと向かってお洒落とは正反対なものとなっている。もっとゆったりと、そして悠然と自転車に乗って人より少し早く動くってライフスタイルが定着してくれれば、こういうジャケットやコートも売れるかもしれないけれど。ただしジャケットで値段が10万円とかでブランドとしては結構なもの。それに耐えられるお金があって自転車に乗る層って日本のどこに住んでいるんだろう。表参道か六本木が目黒か白金か。そんなあたりのダンディさんには行けるかも。ちょっと注目。

 ファッションワールド東京だとあと、デザイナー陣が並んでいた場所にブースを出してた柳澤陽司さんのブランド「Yohji Yanagisawa」がクールで格好良かったよ。何でも墨汁を染料に使い染めているようで、Tシャツなんかはどこか儚いけれども優しげな風合いに染まってて良い感じ。ジャケットやコートなんかも黒光りとかしておらず、黒の衝撃めいて語られカラス族と呼ばれたY’sとかコムデギャルソンとかとはまた違った感じに見えた。でもデザインはスタイリッシュ。デザイナーさん本人が来ていたシャツは絞ったのか張ったのか、ひび割れしたような線が入っていて遠目にも格好良かったけれど作るのも結構大変そう。そんなテキスタイルから作りデザインして仕上げていった作品が持つトーンは、静けさを求めたい人には結構受けるかも。若い人からコムデワイズで育った年輩者まで、広く受けるブランドになるかも。なるかなあ。


【4月1日】 そして気が付くと映画「地球を救え! なかまたち ちびねこトムの大冒険」のデジタルマスターを作るクラウドファンディングがスタートから10日ほどで見事に目標の100万円を集めていてひと安心。集まらなくても費用として利用する予定だったんだけれど超過した分は参加者に還元もされていくようなんで残る日数でどれだけの上乗せがあるかってことに、今は興味が向いている。けど一般にはほとんど知られ知られていない映画がよくもまあ成功したもの。「lain」の中村隆太郎監督が手がけたってことでアニメファンには知られていても、タイプのまるで違う話に協力するかっていうとやっぱり違うから。

 ただしばらく前に2カ月くらい、トリウッドで公開していて見知った人も多かった。これが認知度を高めてもっと見たいという人を呼んだのかも。その意味ではプロモーションとしての上映の勝利だったかも。デジタルマスターが出来れば今のシネコンにだってかけられるようになるかなあ。そうすればさらに大きな画面で見られるようになるかなあ。トリウッドだってそれは立派だけれどやっぱり小さいシアターって感じが否めない。ちゃんとした“フィルム”になってシネコンへと出ていって、完成当時に果たせなかった劇場公開の夢を改めて実現してやって欲しいなあ。それが中村監督へのいいお知らせにもなるし、何より大勢の人に観てもらってそこに描かれたつながる大切さ、地球を救う必要性を分かってもらうことが出来るから。つながれつながれ僕らの思い。

 4月1日なんで、何が本当で何が嘘だか分からない中で情報が飛び交っているけど、多分これは本当らしい次の「ゴジラ」を庵野秀明さんが総監督と脚本を受け持ち樋口真嗣さんが監督をするといった情報。つまりは「館長庵野秀明 特撮博物館」で上映された特撮のためのエチュード的な「巨神兵東京に現る」の2人組が、ついに日本における特撮映画の代名詞ともいえる「ゴジラ」に挑むことになったって感じで、「巨神兵」で見せてくれたあのミニチュアを使い操演を使った映像が、果たしてどこまで使われるのかってところが興味の置き所だけれど、あれはミニチュアであるからこその空気感を、わざと残して懐かしさなんかを惹起していたところもあったんで、そのままやったら映画としてやっぱりCGI全盛のリアルな映像には、負けてしまうんだろうなあ。

 かといって「それが特撮なんだよ!」と言って嬉しがれるのは、結構な歳になった人たちか特撮大好きなマニアばかり。普通の人にはそういった情愛は関係ないとなればやっぱりリアルな世界をバーチャルな中に描いて、観る人を本気に怖がらせなくてはけない。そういうアプローチをちゃんととってくれるのか、特撮の伝道者としての立場に寄って、「これが特撮だ!」といった感じに雰囲気を出しては毀誉褒貶を浴びるのか。そのあたりの方向性が出てくるまではちょっと判断は保留したいところ。僕個人としてはどっちだってありだけれど、興行が大事な映画としてそれでオッケーかってのは別の話だし。まあ特撮風味を出してもそれを宣伝で押し切る力が東宝にあり、受け入れる感性が世界にもあればそれで構わないんだろうけれど。

 手法について思うところもある一方で、人選についてもこれはこれで素晴らしいと思う一方で分かりやすさを狙うんじゃなくって、未来の人材を世に送り出すような仕掛けもあって良いかなあなんて思ったりもした。というかもう10年以上も前になる「ゴジラ FINAL WARS」を撮った時に、北村龍平監督はだいたい35歳といったところだった。そして海外版の「GOZILLA」を撮ったギャレス・エドワーズも、だいたい39歳とかそんなあたりで作っていた。今度の樋口監督は僕と同じで今年50歳で庵野秀明監督はさらに上の世代。つまりは「ウルトラマン」とか怪獣総進撃の「ゴジラ」シリーズを見て育ち、憧れや忸怩たる思いを抱えてそれを自分たちの作品の上に載せてきた。

 だから同じ世代の喝采を浴びやすい一方で、そうした屈託のない世代には果たしてどこまで届いているのかが見えなかったりもする。庵野監督は「エヴァンゲリオン」シリーズがあるからまだ若い世代には関心を持たれているだろうけれど、特撮のメソッドをアニメでやったビジュアルが目新しがられ、そして屈託の有りすぎるドラマで若い世代を引きつけたんであって特撮映画そのものに、どういうアイデアを乗せつつ新しい世代にアピールできるか、ってところはちょっと見えない。「トップをねらえ!」のラストのよなドラマも描ける監督だから、本編監督がいない体制でも問題はないとは思うけれども、果たしてどんな作品になるのか。35歳の田口清隆さんとか今のウルトラシリーズ、戦隊シリーズで活躍している若手も混ぜて、次世代に人材がつながる「ゴジラ」にしてくれたらそれはそれで有難いんだけれど。

 未確定で伝聞だけれど、漏れてきた訃報に過ぎる時代なんかを感じたり。世にアニメーションの演出家は多数いるけれど、その中にあって様々な作品を手がけてそれぞれに面白さをしっかり出しつつ、長いクールをちゃんと持たせる腕前を見せて来た方だった。今はもういわゆるゴールデンとかに長いクールで延々とアニメを流すことがなくなってしまって、作り手も先鋭的なファンに向けて深いところをえぐっていく感じになっているけど、昔は遍く広い視聴者がそれを見て原作付きならその読者も満足すれば、ふらっと観た人も面白さを感じて引きつけられ、そして長く見続けるような作品も多くあった。そいういう作品を作っていける人、って位置づけだったんだろうなあ。時に先鋭的なところも見せて熱烈なファンも得るけれど、その名前で取りざたされるクリエイターにはなっていない。そんな方。本当にそうなのかはいずれ明らかになるだろうけどその前に、1度の面識も得たことを縁として偲んでおこう。合掌。

 いやもう菅義信官房長官のコメントがごもっともすぎて、せっかくの記事なのにまるで古賀茂明氏の支援になっていないというか。「事実無根じゃない! 菅官房長官が古賀茂明を攻撃していた『オフレコメモ』を入手」って記事なんだけれど、そこに描かれている話によると菅官房長官は、誰と特定はしないでおそらくは古賀さんのコメントについて「ひどかったよね、本人はあたかもその地に行ったかのようなことを言って、事実と全然違うことを延々としゃべってる。放送法から見て大丈夫なのかと思った。放送法がある以上、事実に反する放送をしちゃいけない。本当に頭にきた。俺なら放送法に違反してるって言ってやるところだけど」って言っている。官房長官という政府中枢の立場で法律云々を口にすることで、相手に無言のプレッシャーをかけかねないって面はあるにしても、コメンテーターとしての資質に関する部分を議論せず、圧力の有無をのみ取りざたして騒ぐ勢力もこれではちょっと理解は得られないだろう。真っ当な言葉で真っ当な戦いを挑まなきゃいけない時に先鋭的で目立ち屋を掲げて足下を掬われるのは勘弁して欲しいぜまったく。


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