縮刷版2014年2月上旬号


【2月10日】 六本木のミッドタウンに言ったらコナミのショップが閉鎖していて1階にあったTSUTAYAのCDショップも消えていたりといろいろ入れ替えが行われている感じ。それにしては閉鎖から1カ月が経っているのに次のが入らず閉じたまんまってのはちょっとみっともないというか勿体ないというか、寂れた感じが出てしまうのが頂けない。そんなにかかるものなのか、改装って。場所も場所だしコナミとかは狭いから次って行っても無理なのかな。そんなミッドタウンでXYZプリンティングの新製品発表会。何と光造形式の3Dプリンターが22万9800円だなんてお手頃(でもない)価格で登場するとか。128ミリ×128ミリ×200ミリとまずまずなサイズのも作れるだけにこれでいったい誰が何を作るのか。ちょっと見てみたい。データ転がってたら自分でも作るんだけれど。何を? フィギュアかなあやっぱり。

 泥沼方向へとまっしぐらな福島・正則と加藤・清正の関係は、お互いに関係を改善しようとしながらも、なぜかそれぞれが相手の部屋で待つというすれ違いから生まれた誤解を解消しようと、一時の別れ際に清正が叫んで福島に恋心をうち明けて、そして聞いても返せない福島が暴走の果てに扉に激突してバタンキューとなてしまうシーンがなかなかの見物。日ごろから壁に体当たりをしては、隣室の蜂須賀・小六にポルターガイストの出現を疑わせている罰が下ったとはいえ、心に猛る思いを発散できないのはちょと大変そう。それがどこで発揮されるかは、これからの戦いの行方次第ってことになるのかな、川上稔さん「境界線上のホライゾン 7<上>」(電撃文庫)の続く巻とか。

 関東解放が終わって関東上空に破損したまま停滞している安土城から、十本槍やらその下やらが夏休みの鍛錬に出かけるみたいだけれど、福島はどこに行くんだっけ、清正はどうやら真田に向かうみたいで、待ち受けているあの太っているけど意外に強い真田・信之を相手に転がしたり突っついたりして過ごすんだろうなあ、そして福島はカニ玉なんかを連れて柴田班へと合流だけれど、その柴田・勝家は断たれた腕をくっつけるため湯治中。その下では佐々・成正だとか不破・光治とかがいるようだけれど、勝家から「後輩育成」を言われて成正はともかく文系の不破に何ができる? 案外に強いとか? 分からないけどしばらく見てなかったあのお尻を、また見られそうで楽しみ。

 次々に絡んでくる新キャラクターは、とりあえずクリスティーナであり細川・ガラシャが武蔵にやって来ては新妻っぷりを発揮し楽しませてくれる。色気と乙女の同居する不思議なキャラ。ずっと思い続けてきただけの存在が、すぐ近くに来て長岡・忠興だってもてあますかなと思ったら、案外にしっかり上に立って旦那さんをやっている感じ。男だねえ。ネルトリンゲン攻めに加わっていた島・左近は、機動殻を操っていた鬼切丸こと源・頼朝といった感じに漫才やってて周囲の信頼も集めそう。1人だと周囲に気を配りすぎる左近がああやって、上に立ってくれる人がいて従い慕われる関係を築けるとなると、どんどん強くなって行きそうだなあ。その上にあと幾人か、加わってきた新キャラたちを相手に交渉したり戦ったり監視されたり。

 そして迎える次は<中>かそれとも<下>か。分からないけれども安土すなわち秀吉勢と武蔵勢とのバトルって奴が見られるのかな。また話し合いかな。それにしてもやっぱり不思議なオリオトライ・真喜子という教師のその正体。あの情報こそが命ってなクリスティーナですら口ごもる謎の多い経歴。なおかつ明らかになった武蔵・アリアダスト教導院への参加の経緯。そうだったのか! でもってそこまでして入りこんだ理由は? 目的は? それらが明らかにされると何か大きな変化も起こりそう。第1巻の冒頭にあった競争と戦いの再現で、そんな辺りまで明かされるかと思ったら今回はまだのようで、それも含めて続きが楽しみ。彼女じゃなくって前の教員だったら3年梅組の面々、どんな風になったかなあ。

 やるなあ、東京ヴェルディ。前に「とある科学の超電磁砲」とのコラボレーションなんかやってくれたりしたけれど、今度は地元の稲城市にあるよみうりランド……ではなく甘城市にあるというテーマパークを舞台にしたアニメーション「甘城ブリリアントパーク」とのコラボレーションを発表して、タオルマフラー付きのチケットなんかを売ったりしてる。すでに水戸ホーリーホック戦のタオマフ付きチケットは完売と大人気。繰り出される詳しいイベント内容はまだ分からないけれど、きっとモッフル卿とかが来て激しい怒りを見せてくれるんだろう。いすずがシュタインベルガーをぶっ放してくれればちょっと嬉しいかも。姫の手作りコロッケとか売らないかなあ。でも売り切れになるかなあ、何万人も来れば。来ないかヴェルディの試合では。

 というか、やっぱりさっさとよみうりランドが自分たちをモデルにしたアニメだからとコラボを行えば良かったのに。そして場内にあると言われているスタジアムで東京ヴェルディを招いての試合をする……のは現実には無理だけれど、それに近いことよみうりランドと東京ヴェルディが一体になって味の素スタジアムで行えば、雰囲気とかも出たかもしれないのに。5万人来ないとチームは廃業とかって条件つけて。それは無理か。でも今は東京ヴェルディは読売グループとは無縁でよみうりランドともきっと疎遠。すぐ側にあるチームの拠点やグラウンドもどうなってしうことやら。そんな環境下でありながら、よみうりランドが泡沫パーク扱いされているアニメと組んで客を呼ぼうとする東京ヴェルディの企画力と推進力。良いマネジャーが入ったのかも知れないなあ、元子役で現役の高校生とかいった経歴の。楽しそうなんでこれは行こう。タオマフ付きがまだ売っていて、相手がラモス監督率いる岐阜FCを相手にした試合の方に。

 ビデオジャーナリストの神保哲生さんが、国際テロの専門家というアダム・ドルニック教授が示したテロリスト相手の身代金交渉の必要性について紹介している文章を読んでいちいち納得。それは現状をクールに見据えたもので、まず捕まったなら人命が第一であってそのために身代金が必要なら渡すし、交換できる捕虜なりがいるならそれを当てる必要があって、なおかつ潜入して奪還するなんてほとんど無理だからやっぱり交渉にならざるを得ないっていうもの。読めば科学的に常識的な理性と教養のある言葉ってことが誰にだって分かる。

 面白いのはそうやって渡した身代金が相手を利することには直結せず、堕落を招いて集団の求心力を失わせて崩壊へと向かわせる可能性があると言っていること。それから身代金を払わない国かどうかなんて攫う方は考えないで攫ってそれから考えるから意味がないって言っていること。なるほどごもっとも。うちらはもう払わないから攫わないでねって言ったところで、現場でそれを感じてじゃあやめとくなんて言うとは思えない。むしろ攫って来たけどここん家は身代金を払わないんだからとその場で殺害だなんてこともあり得る訳で、そうやって自国民の安全性を阻害するようなことを日本の安倍ちゃんは、実は平気でぶちまけているってことになりそう。

 でもってそんな安倍ちゃんベッタリのメディアあたりが、また大いにやらかしてくれているからたまらないというか。身代金は拒否すべし、っていう大上段から叫んでいるけどその主張が実にお粗末で嫌になる。「各国が毅然として立ち向かい、テロリストを利すことのないように足並みをそろえることを強く求めるべきだ」って身代金の世界的な禁止を訴え人を危険にさらそうとする。そしてこう続ける。「より強制力を強めて身代金支払いを禁じる世界的な枠組みを改めて考えるなどというのも一法だ。しかし、『テロに屈しない』という強い決意を各国が持ちさえすれば、そんなものは一切必要ない」。

 そうは言っても、そんな態度がテロリストに通用しないことはドルニック教授の言葉どおり。「問題は、苦渋を伴う重大な決断ができるかどうかだ」だって? ようするにお金は払わずさらわれた人質はすまないけれど死んでくれ、ってことであって、けれどもそれが次の拉致を生まないなんて保証がないこともや、っぱりドルニック教授の言にある。そういうことへの思考なり想像を働かせれば、自分たちの言説がどれだけポン酢か分かりそうなものなんだけれど、勇ましいこと言うオレ格好いい的スタンスから書き散らしているだけの言葉でしかないから、そこに有効性も思索もない。

 それなら拉致はどうなんだ? あれも身代金を渡すなり支援をすることで相手を利することになるからもう諦めろとでも言うんだろうか。自分たちが商売にしているネタをそうやって斬り捨てかねない言葉を平気で紡ぐ。突っ込まれれば違うというんだけれどでも、そこに差異なんかない。だって自己責任で行ったもの、そして捕まったものには身代金は払うな、けれども不可抗力で捕まった者は何が何でも奪還せよって言ってないもんそのメディア。そういう気配りと目配りが、すでに出来ないくらいに筆が一過性で一方向に偏っているんだろうなあ、なおかつそれを糺す知性も欠けている、と。ドルニック教授の提言は、テロに屈しないために人質を避けるために紛争地域にNGOもジャーナリストも行けなくなって起こる悲劇と悲惨へも向かう。人道支援と良いながらも片翼だけ。本当に虐げられている人たちを見捨てる支援を自慢し讃える界隈が、その愚かさに気づくと良いんだけれど……無理かなあ、何も考えてなさそうだもんなあ。


【2月9日】 強い強い、強すぎるけれどもその強さに隠された忍耐の凄まじさを思うと単に強くて良いのかよって思えてくる。でもその強さにすがるしかないのが世界だとしたら、人はいたわらず犠牲を厭わないで忍耐の果ての強さを前面へと押し立ててしまうんだろう。十文字青さんによる新シリーズ「サクラ×サク 01我が愛しき運命の鏖殺公女」(ダッシュエックス文庫)はそんな話。友だちが出来ない体質なのか性格なのか、それで他にすることもなくひたすら鍛錬と勉強を極めたことで優秀な成績で飛び級までして学校を卒業し、准士官として赴任したハイジという少年が、訪れたのは最前線の砦でそこで、彼は太守をしているサクラという名の皇女のお付きとなる。

 成績は優秀でも単にコミュニケーション不全なハイジなだけに、挨拶に赴いて現れた絶世の美少女にまずはドギマギ。なおかつサクラはそれこそ下着を身につけただけの格好で、散らかした部屋のベッドに寝ていたから驚き慌てた。なおかつハイジのことを暗殺者かと言いいつ襲ってくるんだとも言って私を殺したいならいつでも来い、ただし無駄だと冷めた声で言って部屋に引きこもる。そこにやってきた侍女というルルチナにとりあえず支持をされ、同じく侍女でこちらは胸が巨大なギチコという女性とも同僚という形になってサクラに仕えることになるけれど、そんなサクラが部屋から逃げ出して探しに言ったりした先でハイジは観る。サクラという少女の凄さを。その裏にある凄まじさを。

 とにかく強い。剣術ならハイジも学校で極めていたものの、そんな剣術がお遊戯に見えてしまうくらいの強さを誇ってハイジがいる砦に偵察に来ていた帝国の尖兵を片づける。それは相手がどんな攻撃を繰り出しても、受け止めも受け流しもしないで全身で引き受けるという捨て身の戦法。それなのに傷ひとつつかず逆に敵が倒されている。魔性(ブラッド)と呼ばれる異能の力を身につけているサクラ。その力の秘密を知ってハイジは驚き、そしてとまどう。サクラがあそこまで投げやりになった理由、そしてたった1人で敵に向かっていく理由。誰かを嫌っているよりも、誰かを慈しんでいるからこそのその態度だと知ってハイジは自ら剣を振るい、憤るサクラを諭してそしてルルチナ、ギチコとともに敵に向かって剣を振るう。

 最強であることが最善だとは限らない。その力によって疎まれることもあれば持ち上げられることもある。いずれにしても孤独がそこに生まれて最強の存在を寂しさに苛む。けれども最強者といえども心を持った人ならば、求めるのはやはりふれあいであり信頼だ。サクラの独善が彼女をひとりぼっちにしていたのだとしたら、それを改められるのはずっとひとりぼっちだったハイジしかいなかった。だからあるいは招かれたのか。だとしたら誰が招いたのか。そんなあたりの作為も気になるところ。病弱なだけに見えて案外にあの司令、ピエール・アルトレッド中将は。そんなキャラの裏を読む楽しみもあり、サクラが仲間を得てそれを失う覚悟ものみ込んで戦っていった果てに来る世界の姿への興味も浮かぶ。どこへ向かうか。呼んでいこう。この先までも。

 1989年の1月7日に昭和が終わったけれど、昭和らしさが気分として断たれたのは1カ月後の2月9日、手塚治虫さんが亡くなったって話を聞いた時だったかなあ、やっぱり。そういう人は案外に多いみたいで、もちろん昭和天皇の崩御も時代の節目だったけれど、その余韻みたいなものが手塚さんの死去で完全に断ち切れた。以後、平成となって26年が経ったけれど手塚さんの偉績は今も健在で、越える存在も出てこないまま時代だけが過ぎていく。いつまでも縋っていてはいけないけれど、でもいつまでも読んでいたいし、読んでいられる漫画家。だからなお同時代的な香りを漂わせているのかも。命日の今日に合掌。手塚さんが大好きだったチョコレートを囓りながらその死を悼もう。どのチョコが好きだったんだろう。明治のミルクチョコ? ブラックチョコ?

 同意が1割いるかどうかって感じで圧倒的に批判がそれも同じ右側からだって起こっていたりする某自称全国紙の1面コラムが、枕に振って自説を述べて日本は敵討ちをしよと煽り憲法9条改正だとぶちあげた後藤健二さんの言葉をこちらも枕に振りながら、まるで正反対のことを書いていたのが神奈川新聞。「後藤さんの過去のツイートである。その一つにはこうある。<目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。−そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった>」

 「憎悪を示すことはテロに屈しないことと同義ではない。いま、愛する人を思い、いかなる命ももてあそばれ、利用されてはならないと確かめ合うための言葉をこそ語りたい」。そう書いた神奈川新聞の2月8日付け社説。対して某全国紙の1面コラムは同じ後藤さんの言葉を受けながらこう書いた。「だからといって処刑直前も彼はそんな心境だった、とどうしていえようか。助けにいった湯川遥菜さんが斬首されたときの写真を持たされ、家族に脅迫メールを送られ、心ならずも犯人側のメッセージを何度も読まされた後藤さんの心境は想像を絶する」。

 何と勝手な憶測だろう。どちらが筆として真っ当なのか。読めば瞭然だけれどきっと、書いた当人には分からないんだろうなあ。そしてきっと同じことをまた書く。あるいは言い訳がてらにさらに非道なことを書いてくる。過去にもそんなことが多く発生していた1面コラムなだけに、新聞休刊日開けがひとつ、注目だけれど知らん顔して逃げるってのも1つの道かもしれないなあ。そんな1面コラムも凄いけれど、ネット向けコラムはさらに凄くて尻がカユくなる。「日本のネットには『試合終了後、韓国がユニホームの交換を断られた』との書き込みが散見された。必ずしなければならないことはないが、互いの健闘を称えあって交換するのが慣習である」。

 これはアジアアカップの決勝で、オーストラリアが韓国とユニフォーム交換をしなかったっていう話だけれど、材料にしているのがネットの書き込みだけっていうから何いというか。そういう話はあったらしいけど、誰か確かめた訳ではないいし、理由を聞いたわけでもない。表彰式を前にしてユニフォーム交換はしないでおいたのかもしれない。ベンチに戻ってから交換したのかもしれない。そういう調査を自分でしないで、ネットでの誹謗的な言葉を真に受け記事を書き、1国を誹謗しそれをあまつさえ見出しにも取って貶すというからたまらない。その大会でさっさと消えた自国の弱さを恥じるのが先だろうに。まあ一時が万事、そんな感じで言葉が歪み、スタンスが爛れているメディアの未来を考えると夜、寝られなくなっちゃう。やれやれだなあ。

 しかしそんなメディアも盛んに使っている煽り上等の見出しを、天下の東洋経済とおあろうものが平気で使ってなおかつ誇っているからもう、すべてがゲスに流れているだけなのかも。「アップル」と書くより「iPhone」と枕に振った方が読まれるってんで、関係ないスマホの記事でも「iPhoneが売れているが他は…」といった具合に枕に持ってくるらしい。だったらこれから書くすべては、すべて「iPhone」から始まることになるんだろうか。たとえばグルメ記事なら「iPhoneといえば発売時に長い行列が出来ることで有名だが、こちらも行列では負けていない、どこそこにあるラーメン屋には毎日長い行列が出来て」といった具合。

 テレビアニメの「Gのレコンギスタ」について書くなら「iPhoneといえば四角いが、漫才師でも屈指の四角い顔をもった加藤歩が所属するザブングルの名前の元となったのは『戦闘メカザブングル』というテレビアニメで、それを監督した富野由悠季氏の最新作『Gのレコンギスタ』は…」といった感じ。政治から経済から文化からありとあらゆる事象野間倉に「iPhone」という言葉を持ってきて語ることが、これから流行ったりするのかも。でもそれだと皆が同じになるからそれに加えてバズワードを加えると。「スタバ」「マクドナルド」「初音ミク」。枕だけで1000字くらいいってしまいそうだぜ。


【2月8日】 ちょうど1年くらい前だったっけ、とてつもない大雪でもって電車が止まり、バスさえ動かない状況の中を、幕張本郷ではなく次の幕張駅まで行ってそこから雪をかきわけ幕張メッセまで歩いていったっけ。でも到着した幕張メッセには、来場者すら苦労する中をディーラー参加者だって来られるはずもなく、櫛の歯が抜けたようにスキマが出来たブースの中で、それでもちゃんと到着できた人たちが、持ってきた品を飾っていて、それを頑張って歩いてでも到着した人が眺めて購入していたっけか。

 その次の夏は、戸田でもってきゃりーぱみゅぱみゅのライブがあったんで行けなかったんで、1年ぶりとなったワンダーフェスティバル2015[冬]は雪もなく、電車もちゃんと動いていたようで、誰もが卓を並べて渾身の造形物を並べていたし、来場者もしっかりと行列を作って午前10時の開場と共に中に入って、欲しい物を探して購入していた。その意味では健全にして盛況なワンフェス。去年は雪で会場に間に合わなかったグッドスマイルレーシングのドライバー、谷口信輝さんも間に合ったようで、メルセデス・ベンツSLSとなった新しいレーシングマシンのお披露目に参加していた。

 BMWのZ3はコンパクトな中にスパルタンな印象もあって、それはそれで速そうだったけれど、今回のSLSはもともとが平べったい感じのボディラインである上に、白を基調とした草野剛さんによるデザインもあってか、爽快感と軽快感があってサーキットをグイグイと疾駆しそう。グッドスマイルレーシングといえばな“痛レーシングカー”としての初音ミクのデザインも、タイキさんデザインによる姫騎士ミクってコンセプトだけあってスタイリッシュで俊敏そうで、それが配されることによってサーキットを真っ直ぐに突き進んでいってくれそうな印象。これなら願望としている2連覇だって果たせるかもしれない。

 フィギュアメーカーがレーシングチームを作ってキャラクターの初音ミクをペイントして走らせて、お堅いレースファンとかが何を言うのか不安も当初はあったけれど、案外に受けいられて今やサーキットはさまざまなキャラクターが乱舞する世界となっている。流石に世界のF1とかではそんなマシンは見かけないし、WRCの世界にも見えないけれども、SUPER GTのようにレースファンはいるにはいても、その先が見えなかった分野にこうしてキャラクターが入りこむことによて、関心を持つ人が増えてそしてレースそのものへの興味を抱く人もでてきた感じ。フィギュアファンでありレースファン、あるいは車のファン。そんな人を作った功績はあるだろう。

 何よりレーシングチームとしてしっかりと体制を整え、強いマシンと強いドライバーによってレースに勝つというレーシングチームにとって最も大切なことを成し遂げた。これがただ宣伝のためPRのためだったらレースファンもそっぽを向いただろう。真剣にレースをやり真剣にキャラクターも展開する、その真剣さの融合が未だかつてないカテゴリーを生んで、そしてそれを核にした広がりへと発展した。次にこういうのがあるとしたらどういった場所になるのかなあ、グッドスマイルカンパニーが関わっているっぽい幕張で開かれる飛行機レースとか? でも高速で飛ぶ飛行機じゃあキャラは見せられないし。いつか初音ミクジャンボが飛ぶ日が見たいなあ、ってジャンボもうないか。まあいろいろ生まれてくるんだろう。気にして見ていこう。なによりグッドスマイルレーシングが2連覇を成し遂げられるかを。

 おおデアゴスティーニ・ジャパンがワンフェスに出ていて「Robi」なんかを見せていた。ほかにもドローンとか3Dプリンターなんかを展示していたのを見て近寄ってくる人の多さに、自分で工作する人が増えているんだなあってことを感じてみたり。3Dプリンターはローランドほか各社も出展。10年前くらいから出てはいたけどこんなに一般化してこんなに普通に使われるようになるなんて、想像もしていなかったよ、原型師のアナログな感性の凄さって奴に敬意もあったんだけれど、でも3Dで2Dっぽさを持ったアニメーションが作られる現代、原型師のそう見せるスキルですら3Dのモデリングデータに落とし込んでプリントできたりするのかも。それはまだ早いけど、いずれ来る時代に向けてこれから10年、進化と探求が進むんだろうなあ。見ていこうその進化を。

 でも本当はデアゴスティーニ・ジャパンはフィギュアとか画集なんかを出すのがメインだったみたいで、あの松本零士さんが「銀河鉄道999」の中に出していた「戦士の銃」が、アタッシェケースもついて半額の1万2000円で売られていて、つい欲しくなったけれど置き場所もお金もないので断念。あと旧いアニメーション版「宇宙戦艦ヤマト」のデスラー総統が、フィギュアになったものが半額以下の4000円で出ていてこれを買って飾れば毎朝「ガーレ・デスラー!」と敬礼を捧げられるかなあ、とも思ったけれどやっぱり置き場所がないので諦める。っていうか旧アニメでも「ガーレ・ガミロン!」「ガーレ・デスラー!」って通じるんだっけ? そこが知りたい。

 kamaty−moonさんとか寄ったら作ったばかりのイケメンなシルクハットの狼がオープン直後に売れたみたいで、結構な値段なのに即座に売れてしまうところにワンフェスならではの造形家魂の集まる場所っていうものを感じてみたり。そんな鎌田光司さんが出しているフライングメガロポリスは、キャラクター物とは違うオリジナルの造形が集まる場所として長くワンフェスに出ているけれど、回を重ねるごとに常連さんがついて観客も増えていく感じで、キャラクターフィギュアの集まる場所から造形家の集まる場所へとワンフェスが進化し変化していっていることが見えてきた。場内を見渡しても昔ほど1つのキャラに偏りそれが売れれば万歳といった感じじゃなく、独自に造形したものを売ってるところが多かった。

 あれは浮世絵とかに描かれているつくも神とか、踊る金魚を立体にしたものか、これはリアルな魚の骨とか甲殻類とかを片にとってその揺らぎなんかも含めて合金にして並べたものか、ああ可愛いドラゴンの縫いぐるみだ、そしてメンダコの編みぐるみだといった具合に、キャラじゃないけど可愛くて、そして売れていくものがいっぱいあった。デザインフェスタでもそういったものは並んでいるけど、雑貨やアクセサリーが大半の中にあって埋もれて見えないこともある。ここはワンフェス、造形家の集まる場所だけあってそうしたものがずらりと並び、そしてファンも大勢集まり買われていくのがよく見えた。昔ほど1つのアニメに人気が集中する時代でもないし、それを作っても売れる時代でもないとなると、残るはアイデアであり造形力。それが競われる“健全”で勝つ厳しい場所にワンフェスもなって来た。次はどんな凄い人が見られるかなあ。

 ひええええええ。気づかないうちにとんでもない季節違いのポン酢が現れ大顰蹙を買っていた。とある自称全国紙の1面コラムに載ったこの下り。遺族の人を小馬鹿にして死者を想像でもって愚弄して、その名誉を大いに傷つけているってことで遺族が訴えたら勝てるんじゃないかって気がしてる。曰く「憎しみの連鎖を断たねばならぬ、というご高説は一見もっともらしい。後藤健二さん自身も数年前、『憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。−そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった』とつぶやいている。だからといって処刑直前も彼はそんな心境だった、とどうしていえようか」。おいおい、遺族が悲しみつつも憎しみを広げるなと言っているのを“ご高説”だなんて断じて愚弄してしまって良いのかよ。

 なおかつ当人を知る遺族がそう受け止めた心境に対して、「どうしていえようかって」ってまるで部外者が高みから異論を差し向け「家族に脅迫メールを送られ、心ならずも犯人側のメッセージを何度も読まされた後藤さんの心境は想像を絶する」ってその心情を勝手に解釈して、本当は悲しかったはずだ、そんな悲しみを招いた相手に「仇(かたき)をとってやらねばならぬ、というのは人間として当たり前の話である」だなんて書いて復讐すべきだなんてことを言い出している。おいおいお前達が信奉する明治時代の大日本帝国では、太政官礼によって敵討ちは蛮行だと排除されたんじゃなかったのかい。それを堂々と訴える筆者の頭は江戸時代のままなのかい、どこかの蛮族と一緒の思考なのかい。頭を開いてその思考を見てみたくなる。何も考えていなかったりして。

 そう、きっと何も考えていないんだろう。かつて何十年にも渡って同じコラムを書き続けた人は、ライト系にゴリゴリではあったけれど諧謔なり韜晦なりのレトリックとか教養を土台にした警鐘とかがまだあって、読むに値する部分もあった。今はもう競い合って政権万歳左翼日教組朝日民主党韓国中国沖縄等々への異論暴論を吐きまくっている。それが内輪での競い合いになっていて、より強く罵倒できたものが上に行けるような仕組みにすらなっていそう。その一方で、置いて行かれるのは読者たち。肝心要の商売相手。それを蔑ろにして内輪で罵詈雑言チキンレースを演じていて、いったい先なんてあるんだろうか。ないからさらに内輪で幻想に浸ろうとしているのかもしれないけれど。ごくごく一部の賞賛だけをよすがにして。

 これで読者がスポンサーにこれの記事酷すぎるじゃない、でもってこれに与するあなたもやっぱり仇討ち万歳企業なのって言い募り始めたら、相当にキツいだろうなあ。言論に反対する手法としてそれが正しいとは思わないけど、でもいい加減そういう動きが出たって不思議じゃない。そうなった時にちゃんと対応できるのか、舵を切り直せるのか、知らぬ存ぜぬを決め込んでそれまでどおりの路線で突っ走るのか。でも似たような事態に陥って、トップから転げ落ちて振り向かれる存在にまでなってしまったテレビ局もあるからなあ、その鐵を踏むどころか体力がない分、さらに酷いことになりそう。やれやれだけれど、でもそうやって冷笑していられる事態でもなくなって来た。どうしたものか。


【2月7日】 誰も彼もがポンコツだけれど、誰も彼もが懸命で、そして自分に自信を持っている。そんなキャラクターたちが集まって、一緒になって前に進んでいく物語が面白くないはずがない。引っぱられるようにして連れて行かれ、そこで起こる困難にポンコツたちが翻弄されながらも負けず、突破していった先で得られる開放感に、誰もが小躍りするはずだろう。戒能靖十郎の「M・T・P(マジッシーヴスプロジェクト)1 大泥棒さま、魔都へいく」(C・NOVELSファンタジア、900円)はそんな小説だ。

 お母さん大好きっ子のルウィンって少年は、将来大泥棒になるって何の気もなくただ憧れからそんなことを母親に言ったことがあったけれど、すこし長じて訳あって、母親を失い本当に泥棒を目指すことになり、今は砂漠の真ん中でなぜか栄える魔法の都・アルタイルにある「異界の海」って言う手にした人の願いを何でも叶えるという秘宝を狙っている。途中で山賊たちに捕まったものの、そこは目的のためと彼らに従い手下となって都まで近寄り、自分よりあとに山賊に拾われたフェイルという超絶美形ななのに少女ではなく男でそして、まったくの役立たずを伴ってうまくアルタイルに潜り込む。

 そこで役に立ったのは骨董屋に売っていた誰かの手帳で、そこにはアルタイルって都への入り方や中で起こっていることがつぶさに書かれていた。もちろん魔法の使い方も。そして現れた炎が目玉の形になったような怪物に迫られ、しっかりと手帳から覚えた呪文を唱えて魔法を振るったら…使えなかった。どんな呪文を出してもダメだった。完璧に覚えたのにどうしてなんだ? そう不思議がっているところに、山賊の1人が起きあがって、肉襦袢のように羽織っていた変装を解いて本性を現した。

 怪盗レイド。女性でありながら鍛え上げられた肉体を持った美丈夫というその佇まいで炎の化け物に向かい、そして呪文しら唱えず魔法を繰り出しその怪物を圧倒してしまう。ルウィンにはまるで使えなかったのにどうしてだ? それだけでも苛立つのに、ルウィンにはもっと怒れることがあった。なぜならレイドはルウィンのライバルだった。というより行く先々ですべてその手柄を持って行かれる相手だった。本当は自分の手柄を横取りされたとルウィンは言う。そう訴えるけど真相はどうだったのかと言えば、どうやらレイドだけが大活躍してルウィンは後塵を拝していただけらしい。それは魔法の繰り出し方を見ても分かる。

 けれどもルウィンは屈しない。気分こそが未来の大怪盗であると訴えレイドを誹る。どうやら2人には因縁があるらしい。それはルウィンの優しかった母親の命運とも関わっているらしい。仇なのかどうなのか。それは分からないままルウィンは街の側で気絶し、そして目覚めると美形のフェイルといっしょに荷車に乗せられ街の中にいた。引っぱっていたのは魔法使いのようか格好をしたまだ幼いアヤという少女で、魔法がまるで使えないルウィンをその街を牛耳る“魔喰い”のガルディアノに力を奪われたものだと思って保護したらしい。似た境遇のものたちがあつまる集落へと連れて行って、親切にも2人を世話をしようとする。いい子だなあ、アヤちゃん。おじさんたちが支えるはずだよ。

 いやいや自分には使命があると、世話を受けつつ煮干しを猫といっしょにかじってそして、ルウィンは街へと出るもののどうやって「異界の海」に近づくかがまだ分からない。それでも方法を探して街を歩くうちに、万能を売りにしたエイザードという魔法使いに出会って、彼が売った手帳に自分は騙されていたと気づいて、払った金を返してもらおうとエイザードが宿泊しているホテルにしのびこんだらどっこい、エイザードはポンコツだった。さらに彼を脅すようにして仲間に引き入れ、街を牛耳るガルディアノを倒すために戦力となるシザ=リザという剣士に会いに行ったら、これがエイザードに輪をかけてポンコツだったからたまらない。

 いや剣士としてはすごい。伝説の剣士の名を名乗るだけのことはあるけれど、その姿はどうにもで、その性格もやっぱりなポンコツぶり。というか魔法が使える世界で剣を極めても、実は最強ではないんだけれど、それでも剣にこだわりシザ=リザという名前にこだわろうとしてボロが出てしまう。万能でありながらポンコツの魔法使いのエイザードと、伝説でありながらもやっぱりポンコツの剣士シザ=リザを仲間に、自称だけの大怪盗と美貌であっても頭は空っぽのルウィンとそれから可愛いアヤも加えた面々が、挑もうとしたお宝を横からかっさらっていったのが怪盗レイドだった。

 彼女だけが実はまともで真っ当。文字通りの怪盗なんだけれどでもその出自がやっぱりどこか壊れてた。それで良いのかその人生。良いんだろうなあ自分の人生なんだから。だからこそルウィンは苛立ち、レイドを倒して宝を手に入れすべてを取り戻そうとあがく。その真っ直ぐさが報われる時が来るのか。というかレイドはどうしてそこまでの能力をあっさりと開花させることが出来たのか。彼女の過去とかルウィンの父親が誰なんだとかいろいろ知りたいところだけれど、それは次の巻でのお楽しみ。とにかく笑えてそして楽しめるポンコツ人間どもの頑張りあがいて突き抜けていく物語。過剰な自意識を捨てずに広げることで少々の困難も突破できそう。頑張ろう僕も。

 やれやれだ。「6日に開幕した教研集会では、生徒たちに憲法改正を目指す安倍晋三首相や『天皇制』への批判をあおるなど、今年も日教組のイデオロギーを一方的に押し付けようとする偏向的な授業が報告された」って書いてた新聞があって、つまりは日教組が大嫌いで日教組のやることなすことすべて悪といった筆致でもって記事を書きたい記者の筆によるものなんだけれど、こういう書きっぷりが新聞という公器でもって繰り出される時代にどこか寒気ってやつを感じてしまう。なるほど教研集会に偏りがあったかもしれない短絡もあったかもしれない。でも、それを逆の偏りから嘲り誹る筆のどういったら良いんだろう、醜さ? 書いていて自分が嫌にならないんだろうかと思う。

 真正面から異論を延べ論戦とするんじゃなく、言葉尻から推測でもってネガティブに誘導する筆の歪み方がどうにも気持ち悪い。「『国民主権』の説明では『国の行く末を最終的に決定する力、これが主権。それが国民にある、と書かれている。総理大臣にある、とは書かれていない。それなのに安倍さんは?』と問いかけ、やはり『首相批判』をあおった」って記事では書いているけれど、国民に主権があるのは当たり前で、それを否定するのかって読んで誰もが思うだろう。もちろん安倍総理が国民主権を蔑ろにするような言動をとったのかを、説明していない教研集会の報告に足り無さがあるのは否めない。でも、そうした短絡を諫めるでもなく、こちらはこちらで安倍総理に逆らうものは悪といった雰囲気でもって筆を走らせ空気を醸し出そうとしている。それがこわい。

 悲しいのは相手にたとえ非があるという認識からの憤りから出た筆だったとしても、日本語のあまざまなレトリックをすっ飛ばして批判のための批判、否定のための否定、罵倒のための罵倒の言葉を並べて良しとするモノカキとしての態度の寂しさで、これが昔の書き手なら同じ新聞でももうちょっと高踏に、理知的にそして説得力も持った言葉で書いていたんじゃないのかなあ。言葉からあらゆるそうした配慮が消えて生の罵倒が平気で飛び交う今の空気。「売国」「テロリスト」等々、それそのものじゃないのにそういう危険な言葉をぶつけて排除し隔離しようとする雰囲気。向こう側へと押し出されたものは沈みそして残ったものたちもいずれさらに過激な言葉のこちらとあちらに分断されて純化された衝動だけが残ってそれが人を縛る。国を動かす。世界を脅かす。そこへと至る道はもうまっすぐでそして急坂であとは転げ落ちるばかりの今を、僕たちはいったいどうしたらいい?

 千葉県文化会館でSCANDAL。観るのは何回目くらいになるんだろう、中野サンプラザで2回か3回は見ているし名古屋のZeppとか東京国際フォーラムとか日本武道館とか横浜アリーナとかでも観ているし江戸川区のホールでも観たような記憶があるけど大宮で観たかどうかはちょっと記憶が曖昧。それでも確実にこの5年で10回近くは観ているからまあそれなりに観ている方ってことにあるけど今回のツアー「HELLO WORLD」は今までにも増して濃密で技巧的で情熱的で開放的でそして圧倒的って印象を受けた。

 まず巧い。というかもともとちゃんと弾いているなら凄い凄いと思っていたけど今回はMAMIのリードギターにHARUNAのボーカルしながら弾くギターが重なりサウンドに厚みが感じられたし、そこに響くTOMOMIのベースラインがまた心地よく、それらをまとめて束ねてそして引っぱるRINAのドラムも高らかに鳴り響いては会場を貫く。マニピュレーターがいてシンセをかぶせているかもしれないけれども基本は4人のサウンドでもって場を作りそこにボーカルを乗せて音楽へと仕立て上げる。

 会場が3階席まであっても広大ではなくかといって狭くもないちょうどいい塩梅のなかを3人が遠く離れずに並び後ろでRINAのドラムが鳴るコンパクトさは眺めていてすべてが目に収まるって感じ。これで前の野郎が長身で頭が邪魔じゃなければどんなに良いライブになったことかと席順の不幸をやや載ろう。ライブ中に背が縮んでしまえば良いのにとすら思った。彼女連れだったし。まあ2時間半近いライブの中で疲れたのか膝が下がってどうにか見えるようになったから良いけれど。

 そんなライブは最新アルバム「HELLO WORLD」の曲を真ん中に挟むように前半は見知ったナンバーが並んでタオルを回したり拍手をしたり歌ったり腕を振ったりするアクションを満喫。そして改めて新譜からの楽曲を聴いてそのちゃんとSCANDALしているっぷりに改めて感心する。過去の名曲ってのは別に誰かが作ったものを歌っていたりした訳で、それでもギターのサウンドやドラムの響きやHARUNAを中心とした歌声で、SCANDALというグループの空気感ってやつを作ってきた。ああこれはMAMIが弾くギターの音だな、TOMOMIの弾くベースの弦の音だなって感じ。

 そうしたSCANDALらしさを引き継ぎグルーブ感、ドライブ感を残したままちゃんと自分たちで曲を作り歌を乗せて来た曲がおそらくは新譜「HELLO WORLD」には多かった。って買ったけど聞きこんでないんで断言は出来ないものの、それでもライブで過去のヒット曲と並べて聞いても遜色がなく、むしろメロディにしてもサビの響きにしても大きく進歩している感じがある。聞けばああこれは名曲あって思える強さがあって、そして良い曲を聴いたなっていう心地よさが浮かんでくるという、そんな感じ。

 そんな楽曲を支えるそれぞれのテクニックが本当にしっかりしてきたなあという印象もあって、安心して聞いていられる。歌が流れることもなく演奏が滑ることもなく一体化して繰り出されるその楽曲が、雪崩を打つようにして次々に奏でられていく。途中、MCはそんなに挟まずに演奏を続けた間で、千葉県民からのおたよりを紹介しディズニーランドに行って男気ジャンケンをしてカチューシャやポップコーンや縫いぐるみをかった話をまとめてやって休みをとってもらいつつ楽しませ、そこからまた音楽という構成も、ダレずに演奏は演奏、トークはトークとたっぷり楽しめた。この構成、なかなか良い。

 そんな感じの2時間半、終わった時には体も熱くなり喉もちょい枯れ気味だったけれども疲れはなく良い時間を過ごした後の充実感が身を包む。良いバンドになったなあ。巧いバンドになったなあ。可愛いバンドになっているなあ。それなのに未だ紅白歌合戦には出ずテレビにだってそんなに出る感じがしないのはちょっと不思議。世が世ながらプリンセスプリンセスくらいのビッグスターになっていたはずなんだけど……。それが今の音楽事情だから仕方がないけどその分、ライブで新鮮な姿を生で楽しむことができる。ここからTシャツのあった「世界進出」の言葉どおりに、本当に世界に行って欲しいけれども果たして。応援していこう。次は東京国際フォーラム。


【2月6日】 ブルーボトルコーヒーってのが来たそうで、何でも日本の喫茶店でよくやっている1杯1杯のコーヒーをちゃんと焙煎した豆を挽いてその場でドリップなりサイフォンなりで淹れるというスタイルを、取り入れて目の前でバリスタだか何かがドリップしてくれるという仕組みとか。それで美味いということになって8席しかない見せに3時間待ちとかの大行列が出来ているという。もうポン酢かと。阿呆かと。どうしてそんなコーヒーのために何時間も並ばなきゃいけないんだ。つかそんな時間があったら自分で挽いて淹れて飲めばいいじゃん。そうでなくても街に出ればいっぱい美味しいコーヒーが飲めるじゃん。

 だって日本の喫茶店を模したんだったら、その日本の喫茶店ってのが日本にはいっぱいあったりする訳で、そこに行けば並ばずともコーヒーが飲めて朝ならモーニングセットだって食べられる、かもしれない。名古屋ならそれでサラダに卵にトーストなんかが付いて来て1食分が軽く浮く。そうでなくても神保町には壹眞珈琲店ってのがあって、値段は600円とかだけれどその場で淹れた美味しいコーヒーを飲ませてくれる。一方でブルーボトルコーヒーと比較されるタリーズだってスターバックスだって、その値段に相応する味である上に、その場にしばらく滞留していろいろと作業したり談笑できるというメリットがあるから人気な訳で、そうでないただ味だけを楽しみたいなら別にブルーボトルコーヒーに並ばずとも十分っていう気もしないでもない。

 もちろんブルーボトルコーヒーが何席もあってちゃんとしっかりとしたコーヒーをすぐに飲めたり、あるいは持ち帰らせてくれるなら行って悪いことではない。ただ何時間も並ぶべきかというと……そんな当たりに結局は味よりアメニティより評判ってものに左右される日本人の妙さってのが浮かび上がる。スターバックスだって最初の店が銀座の松屋の裏にできた時は、混んでもなくてそれでいて濃いシアトルコーヒーを飲ませてくれて居心地良かったんだよなあ。増えすぎて価値を落とした感じ。ブルーボトルコーヒーにはその轍を踏まずに、美味しさと居心地の良さを両立させていって欲しいものだけれど。

 おやまゆーえんち。ってフレーズがサウンドともに浮かぶ栃木県は小山市だけれど、同じ栃木県にある宇都宮市が餃子の消費量で静岡県の浜松市としのぎを削って盛り上がっている片割れで、遊園地の評判は聞こえないまま虎視眈々といろいろなことを画策しているみたい。とりあえず名産のかんぴょうをどうにかしようってことで、うどんだか何かを作ったみたいだけれどそれに加えてかんぴょうの、あの丸い実をそのまま使ったスピーカーなんてものを作ったみたいで、第79回東京インターナショナル・ギフト・ショー春2015の会場で鳴っていた。かんぴょうかんぴょうと。いやそんな音はしてなかった。普通にいい音が鳴っていた。

 それもそのはずで、インド辺りだとかんぴょうはシタールって弦楽器の胴体に使われていて弦が弾かれた音を増幅して広げて伝えてくれる。そのかんぴょうを使って響かせつつ鳴るスピーカーはただコーンが振動する音だけじゃなく、かんぴょう自体が胴体として鳴り響いた音も乗っかって、豊かなサウンドって奴を空間の中に広げてくれるらいし。会場ではさすがに大きな音は出せなかったみたいだけれど、ちょっとしたホールならその1個でもって存分に音を鳴り響かせることができるというから、是非に聴いてみたいもの。見た目もかんぴょうのまるっとした形に目玉のようにスピーカーが2個付いていて顔みたい。その可愛らしさと鳴る音の豊かさでもって親しまれていくのかな。値段は4万5000円くらいとか。高橋電機が取扱。しかしやっぱり気になるなあ、その音が。

 ギフトショーであと見て凄かったのが片山文三郎商店ってところの京絞りを使った新しい提案。羽織だのトンビだのといった昔ながらの衣装に絞りが使われているなら分かるけれども、このの品はトゲトゲが立ったようになっていて、それでもってストールだとかショールみたいなものなんかが作られている。構築的っていうかコムデギャルソンあたりが使っても不思議はなさそうなテキスタイルでありデザインでありカラーリングを100年の老舗がやってのけているこの凄さ。若い人が持てばパーティーで確実に目立てるんだけれど今はまだ、京都の老舗ってことで50代とか60代のおばさま層が持って歩いているという。それもまた革新的ではあるけれど、伝統の技術と素材を新しいアイデアでもって広げていく試みは、若い人が引き受けてこそよりさらに広がっていく。ここはだから目にしてショーに取り入れる若いモデルさんが出てくることを願いたい。受けるぞ絶対。

 いやもうね、間抜けかとね、もうポン酢かとね、例のイスラム国問題で安倍総理とそれから政府の対応のどこかに何か問題はなかったのか、といった疑問を呈したらそれはイスラム国に与する非国民だって言わんばかりの論調が、堂々とこの国のマスコミを飾っていたりする状況に、言論の自由どころか民主主義すら根底から覆されかねない恐れってのが出てきている。もちろんポン酢が行き過ぎて脳味噌が湯豆腐になった書き手あたりが、上層部に阿りそこは政府に阿り安倍総理に阿った果てに、彼らに味方しないものはすなわち国の敵だと言わんばかりの論調を繰り出し内輪受けを狙っているだけなのかもしれないけれど、そうした論調が曲がりなりにも常識と良識を持っているべきマスコミに載ってしまう空気こそが、何かの崩壊って奴を表している。

 それが単純にひとつのマスコミ企業のベタベタな媚びと諂いを表しているだけならまだ救いもあるんだけれど、そういう媚びや諂いを受けて悦に入る人間が政府中枢を牛耳っているというこの現実が、未来を暗い物にしている。さすがにそれが国民全体に広がっているとは思いたくないけれど、ひとつの染みがだんだんと広がり世界を染めないってことはなく、そして過去70数年前に実際にあったことでもあるだけに、ここは襟を正して阿りと諂いと媚びを持った態度を糺して切り離すくらいの覚悟って奴を政府にはもって貰いたいもの。そうでないと共倒れだっていう意識を目覚めさせて。媚びる方はもう仕方がない、そのハッピーな気分の中で腐り滅びるしか道はないだろうなあ、救いようがないっていうか。そうでなくても国民であり読者といった肝心の方からそっぽを向かれるだけだろうけど。大変だ。そしてやれやれだ。


【2月5日】 あと名前が出てきた人だと鹿島アントラーズに所属したこともあって、A.Cミランで選手から副会長補佐になり監督も務めたレオナルドがいたりするけど、副会長補佐としてカカ選手とかアレシャンドロ・パト選手とかを引っぱったりした功績はともかく、監督としては1年で終わりインテルミラノでもそんなに実績を残してないから、ただ単純に日本を知ってる有名ブラジル人であるか、あるいは日本人のスポーツ新聞の記者がだいたい知ってる有名ブラジル人として挙げた程度って考えるのが良いのかな。ジョルジーニョも同じ理由。でも鹿島からしか挙がらないのは何でだろう。他にもいっぱいブラジル人選手は来てたのに。

 というかブラジル偏重のどうにかならんかというレベル。あの奔放で戦術とか関係無しに凄い選手を集めて凄いサッカーをやろうぜ的なスピリッツのブラジルサッカー界から日本に向いた監督なんてそうそう出てくるはずもないのに。敢えて言うならエメルソン・レオン監督かネルシーニョ監督。でもネルシーニョはヴィッセル神戸の監督になったばかりで流石に引っぱるわけにはいかない。他だってそんなタイミングで解任とかする理由がやっぱり分からないし、ここで無理に次の監督を捜す理由も分からない。スクランブルで予選を乗り切るくらいの意識で誰でも据えるのが良さそうだけれど、それでスポンサーとか読者を呼べる自信がないんだろうなあ、中身より名前でしか仕事をしたことがない協会もスポーツ紙も。だから有名人ばかり並べる。そうやって来たポンコツが何をしでかすか。引きつつ注視していこう。

 ブラジル人以外、ってこと探せばいそうな気がしないでもないけれど、ディック・アドフォカート監督とかセルビア代表を去年に辞めたあとに何をやっているんだろうか、っていうかアドフォカートって日本と相性良いんだろうか。オシム監督のルートで旧ユーゴスラヴィア系の指導者だって呼べそうな気もしないでもないけれど、日本人の選手のことをじっくり見極めている時間がないとやっぱりキツいか。そこは日本人の指導者も入れたW監督性にして乗り切るって手もあるけれど、そういう芸が細かい協会とも思えないし……。元気だったら毎日だってJリーグを見ているオシム監督にやってもらいたかったんだなあ。でなければその息子のアマル・オシム監督。ジェレズニチャルもいい加減長いし、来てくれないかなあ、今の鬼みたいな風貌で、若い奴らを叩きのめしてくれないかなあ。

 なんか見ていたらあの「鉄腕アトム」が実写版となって登場するって話が流れてた。オーストラリアのアニマル・ロジック・エンターテインメントってところが製作を手掛けて、「LEGO(R)ムービー」って結構ヒットした映画の制作総指揮の人が製作に就くってことで座組にはあんまり問題はなさそうだけれど、でもやっぱり元がアニメという題材をフル3DCGで作ってもキツかったのがさらに実写となってどんな着ぐるみショーになるんだという不安も漂う。すでに日本でだって実写版「鉄腕アトム」が作られていたけど、コスプレ劇にしか見えなかったものなあ。さてもどうなる。ちなみにその実写版アトムのDVD−BOXが出てるんだけれど中古で無茶苦茶な高額に! 家にあるけどそういえば。

 1500字程度の原稿を書くために古本屋で並んでいる文庫をざらりと買い占めネットから関連書籍を取り寄せ電子版なんかも見たりしていたら結構な金額になってしまったけれども仕方がない、大好きな作家について書く、それも誰もが大好き過ぎる作家について書くならそれくらいの出費は当たり前のものとして考えなくては申し訳ない。それが指名を受けたものの使命なのだから。そんな1冊として取り寄せた平井和正さんによる「高橋留美子の優しい世界 『めぞん一刻』考 あとがき小説『ビューティフル・ドリーマー』」を読んでそうか平井さんは高橋さんの「めぞん一刻」でウルフガイに帰ってきたんだってことを思い出した。文中平井さんは「高橋留美子との対談で、私はこんなことを喋っている(中略)『めぞん一刻』を読んであんまり感動したので「これはまたウルフガイが書けるんじゃないかなあ」という気がした」って書いている。

 「犬神明がすぐ近くまで来て、その辺で口笛を吹きながら、歩いているという気がしますね」とも。そんな気持ちが当人と会って一気に濃さを増す。「高橋留美子が、虎4のことを口にした時、ぐいっと大きなパワーを有するものが心の中にうごめいた。私はそれがウルフの言霊であることを知った。ごく近くまで来ているのを漠然と感じ取っていたウルフガイの言霊が、まっすぐに私の心に入りこんできたのだ。私は眼前いある高橋留美子の小柄で繊細な姿を見詰めながら、突如行われた人生の転換を意識していた。彼女こそ私の人生の転轍機を入れ換えるべく立ち現れた“女神”であることを本気で信じていた」。

 それがどこまで平井さんの本気を刺激したのかは分からないけれど、実際に「黄金の少女」は書かれ「犬神明」も書かれ犬神明が女の子になったような奇天烈さと、圧倒的なポップさを持ってライトノベルっぽさを爆発させた「月光魔術團」なんかも書かれたりした。「月光魔術團」は後に電撃文庫にも入ったくらいだからライトノベルとの親和性も良かったんだろう。文庫書き下ろしで挿絵付きというライトノベルの源流のようなことを「狼の紋章」でやってのけた平井さんは現役でもライトノベル作家であったという、そんなアグレッシブさを今になって思い返して見てどうして僕は途中から犬神明とつき合わなくなってしまったんだろうと感じた。読んでないもん「犬神明」。そして途中で止まってしまったもん「月光魔術團」。でも今、こういう機会を得たんだから読み返してみようと思ってる。時間はかかるかもしれないけれど、少しづつ。電子版があるってこういう時、便利だなあ。

 そうしギフトショーでは大阪にある基板技販って会社が1年ほど前から出している、プリント基板でもって東京都か大阪の路線図を描いて見せたiPhoneケースだとかが出ていてやっぱりスタイリッシュで超クール。値段は高いけれども工業製品としての確かさがある上に、美術品としての美しさもあって見ているだけで欲しくなる。でもiPhoneもってないので仕方がないのだった。ニューヨークなんかもあって美術館の場所に抵抗器だとかを乗せてるのはそこの美術館のミュージアムショップで扱って欲しいっていう自信と自意識の発露。いずれ本当になると良いけど果たして。新製品にはパリもあってこれもルーブルとかで売られればなあ。京都は発売が決まってるみたいでLSIの御所にLEDの京都駅がチャーム。外国人のお土産に最適だけれど、買っていくかな。ちょっと注目。


【2月4日】 そして次に誰がサッカーの日本代表監督になるかという問題だけれど、下の世代であんまり実績を出していない以上は、年代別の監督がそのまま持ち上がってフル代表の監督になることはまずなさそうだし、そもそもがワールドカップっていうひのき舞台でもあり修羅場でもって憶したり、ビビったりしないようワールドカップでの戦いを経験している監督を、呼ぼうってことになってハビエル・アギーレ前監督を起用したって経緯がある訳だから、ここで未経験の日本人監督をあえて据えては最初からそうしておけば良かったって話になって、アギーレ監督を呼んだ責任を蒸し返される恐れがある。だからやらないだろう。

 では誰だって話になるけれど、そこで挙がっているのがルイス・フェリペ・スコラーリ監督ってのがまた微妙というか、才能豊かな選手がいっぱいいるブラジルなりポルトガルでだったら、選手を選んで並べるだけのセレクター気味な活動でも結果は出るけれど、それすら2014年のブラジル大会では発揮できずに惨敗してしまった。そんな監督を呼んで日本人を戦術的に鍛え上げてくれるとも思えないだけに除外だし、元鹿島アントラーズ監督のオズワルド・オリベイラ監督ではワールドカップでの指揮経験がないってことで除外になる。それはドラガン・ストイコビッチ監督も同様か。

 あるいは指揮経験がなくても、選手として修羅場に立ったことがあるという意味ならピクシーは立ってそして国情という修羅場も経験をした中でイビチャ・オシム監督から薫陶を受けてモチベーションを維持し、試合に臨ませるだけの器量は持っていそう。ただやっぱり指導者としての経験があまりになさ過ぎるというのが問題で、名古屋グランパスを率いて1度の優勝を果たしただけでは、ちょっと代表監督として大丈夫かという懸念は浮かぶ。育成に長けてたり戦術に詳しかったりする感じでもないものなあ、テクニックの指導は今でも出来そうだけれど、あと革靴でのロングシュートとか。

 セレッソ大阪を率いて一時代を築いたレヴィー・クルピ監督も名前が挙がっている口だけれどやっぱり代表監督経験が……。あとアトレチコ・ミネイロを今も率いているんだっけ、それはオリベイラ監督もいっしょで確かパルメイラスを率いてる、そんな現役監督を呼んで代表を任せられるような状況にはないと考えるとここは、手近にアルベルト・ザッケローニ監督の再任とかやってしまうんだろうか、それとも五輪世代の手倉森監督の兼任という形にしてしまうんだろうか。そもそもの方針が見えないだけに先行きを占うのも難しそう。あと責任問題を云々した勢力争いが、船頭ばかり多くしてしまうという懸念も。「○○って言っちゃったね」って言って通じる重鎮もいないしなあ、そっちは今、バスケットボールで忙しいし。

 まあそれでも大事なのはとりあえず、目の前のワールドカップのアジア予選を突破することであって、そのためにスクランブル体制でもってガチガチの守備と素早いカウンターで勝利だけしていくサッカーを、やれる監督を呼んでやれる選手たちを選んでそれでアジア予選をまず突破し、それから本番のワールドカップでどう戦うかってのを、新しい監督を迎えて1年くらいやれば何とかなるんじゃないのかなあ、長くやったところでコンフェデレーションズカップに出たところで、何の役にも立たずに本番でグループリーグ敗退の憂き目にあった監督もいたりする訳だし。ジーコ監督とか。ザッケローニ監督とか。なら予選突破がそのまま本番の指揮でなくても良いってことで、予選を突破した後に使える監督を呼んでくれば良いんじゃないか、アギーレ監督とか。裁判がもう終わってたら。

 湯川春菜さんは殺害され、後藤健二さんも殺害されて、そしてヨルダン人パイロットのムアーズ・カサーベス中尉も中世とか織田信長の時代ならまだしも、現代としては考えがたい残酷な方法で殺害されて、そしてヨルダンに収監されていたリシャウィ死刑囚も処刑されてしまって、誰1人として命を長らえなかったというこのデスゲーム。世に大岡裁きというのがあって、死罪は必至の状況でもどうにか命脈を保ちつつ、誰もがちょっとづつ徳をするような判決を下して一件落着となるようなドラマを、味わってきた経験を持つ日本人的な発想で言うならここで誰もが命を長らえて、ああ良かったねそしてこれからは真っ当に頑張って生きていこうねってなるのが、落ち着きもあったけれどそれとはまるで逆の展開となってしまった。

 普通に考えるなら、それが仕方がなくも当然の成り行きだとは分かっていて、捕らえられてしまった以上は殺害される危険性をはらみ、爆撃した空軍のパイロットはなおのこと処刑される可能性が高くあって、さらに自爆テロを起こそうとした死刑囚が刑を執行されることも、流れとしては当然だったりするのかもしれない。ただしリシャウィ死刑囚は自身はやろうとしただけであって、一緒にいた夫はそれで殺害したけど個人としてはそうした事件を犯していない人を、死刑囚だからといってパイロットが殺害されたという別件をもって、報復のように死刑を執行して良いんだろうかという疑問も漂う。あとはやっぱりどこかで命をいたずらに奪うことへの自制が働いて、連鎖が止まって欲しいという希望もあるけど、それがかなう世界ではないし。愛なき世界を生きている僕たちに出来ること。それでも愛し続けること。なのかなあ。

 サイボーグの時代から虎の時代を経て狼の時代となって、そして幻魔の時代へと突入して一大ブームを巻き起こしたSF作家、平井和正の76年の生涯を振り返ってみた時に、どの時代もそれぞれに代表作を持ってはいるものの、やはり狼の時代と呼ばれる「ウルフガイ」シリーズを書いていた頃が、自身としても思いを作品に乗せて世間に向けて大いにぶちまけていたような気がするし、客観的に見ても「ウルフガイ」をその作家人生において転機であり、頂点であり至高として挙げる声も多そう。後者でいうなら圧倒的なタフガイで、殺しても死なない強さを持ったヒーローが、その強さをひけらかさないでひっそりと生きようとしても叶わず、狙われ襲われ虐げられながらも憶さず逃げず、怯まないで自分を貫き通していく格好良さに、誰もが憧れ惹かれ萌えさえした。

 だからシリーズは、自分がヒーローになれるかもしれない可能性に憧れ、あるいはヒーローが存在していて欲しいという願望を仮託したい若者たちによって圧倒的な支持を集めてファン層を広げていく。少年ウルフガイシリーズには特にそいういう傾向があって、シリーズこそハヤカワ文庫SFでは「狼の紋章」「狼の怨歌」しか出ていなかったにも関わらず、愛読されて読み込まれていき、祥伝社の方でSFマガジンの連載が中断された「狼のレクイエム」が書き下ろしで出て、久々の少年ウルフガイの戦いに読者を歓喜させた。一方で「狼男だよ」に始まるアダルト・ウルフガイシリーズも、飄々としながらも強靱な肉体を持った犬神明のハードでエキサイティングな活躍に、大藪春彦でありレイモンド・チャンドラーといったハードボイルドへの関心を持つ読者が惹かれ、読んでこれも人気シリーズとなってく。

 もっとも当の平井和正さんは、ニヒルだったりストイックだったりするヒロイズム漂う人物が主役のハードボイルドとして書いていたというよりも、人間にはない野獣性といったものを描き出そうとして書いていたってことを、「リオの狼男」のあとがきで書いていたりする。「僕は、大藪ノベルスに見出したアニマリズムにひどく衝撃されたのですよ」って感じのあとがきでは、「猛烈にしぶとく、したたかな主人公。法と秩序へのあくなき反逆。腐敗した人間社会に加える徹底的破壊。野獣の化身として性格づけられた主人公の行動原理は、人類支配の世界への執拗な復讐。大藪ノベルスでは、それを悪霊と呼んでいますね。僕は大藪春彦のくりかえし描き出す血の地獄図に、人間によって仮借なく追いつめられ、収奪され、虐殺されてきた無数の野獣たちの怨念を感じとって、身の毛をよだたせ、凄いなあと呻いたのであります」と書いている。

 よく“人類ダメ小説”と自分の作品を評価する平井さんにとって、人間にはない野獣の持つ熱をそこに描こうとして、対象に孤高であって家族思いという人間とは対局にある狼を選び、ウルフガイシリーズを描いていったって感じなのかもしれない。圧倒的な強さとは違ってどこかに自制があり、葛藤もあるヒーロー像を見ればなるほど、今どきの「俺TUEEEEE!」とは一戦を画しているってことも分かる気がする。とはいえやっぱりライトノベルの源流であり、元祖といったニュアンスを捨てがたいのは、文庫書き下ろしという結果としてはそういう形で本が出て、それにはイラストがつけられていたってこともあり、なおかつ文芸とはまた違ったペーパーバック的な軽さと、派手さに彩られていたってこともあるからで。未来、そうしたライトノベルが生まれても良い状況ってのを平井さんのハヤカワ文庫SFでの一連の著作が、地ならし的に作っていたんじゃないかってこともまた言える。どうなんだろうなあその辺り。研究者の精査が欲しい。

 わはははははは。ギフトショーに行っていろいろと見ていた中になぜか石膏像が並んでいる場所があって、画材屋さんが石膏像のミニチュアでも売るのかとブースを見上げたらKADOKAWAだったんで、いったい何事かと近寄ってみたらあの「コレジャナイロボ」のザリガニワークスが1枚噛んで何やら企んでいたりした。その名も「石膏ボーイズ」はホルベイン画材っていう美大受験生とか画塾生とかにとって怨念でもあり想念でもある気持ちの対象としてカンバスを向かわせ、鉛筆やコンテや木炭を走らせるデッサン用の石膏像から、イケメン4人をピックアップしてユニットを組ませるというもの。そのベースにある着想から、何をどう広げていくかってところがザリガニワークス的な作業になっちえる。

 思想としてまず美形男子が4人並んだ壮観さでもって目を引きつけ、石膏像であるという一種のばかばかしさが裏返った微動だにしない高潔さをそこに感じさせつつ、じゃあその4人が何をしでかしてくれるのか、って期待感を煽ってのける。ビジュアルとしてイケメン4人が並んでもユニークはユニークだけれど、ただの石膏像であるそれらに性格付けを行いマルスなりヘルメスといった神様としての属性をふくらませ、聖ジョルジョなりメディチといった実在の人物として持っていたプロフィールを広げることによってそこにドラマなり物語を作って展開していく、って感じになるのかな、あくまで石膏像であることにこだわるのかな、分からないけれどもいろいろと楽しみ。たくさんある他の石膏像から対抗ユニットが出てくるとか。おっさんばかりのとか。見ていこうこの先を。


【2月3日】 小野田坂道がまるで空気になっていた「弱虫ペダル」は、今泉俊輔が急に自分はエースだって自覚して趨り始めて、前を行く箱根学園の福富寿一を追いかけ追い抜いては独走を決めようなんてし始めたけれどもそこに近づく影が1つ。教徒伏見の御堂筋が1人アシストを置いて前へ前へと漕ぎ始めてていてやがて先頭集団へと絡んでいきそうな勢いで、そうなると過去に御堂筋を相手に負けた記憶なんかが蘇ってどうにか自己暗示的に自覚した今泉のエース魂を粉々に粉砕してしまうかも。

 かといって巻島は東堂とのつばぜりあいが忙しいんで、きっと前には出てこられない。そこに空気になってた坂道と、こっちも大気になっている真波山岳がするするっと抜けてトップへと躍り出て、ヒメヒメ歌いながらゴールを目指すって感じになるんだろうなあ。主人公だし。それで3月まで引っぱってさあ次はいつ? っていうか1年次のインターハイに匹敵する山場がまだある? そこはそれ、「ドカベン」だって土井垣主将がいた1年次の戦いで出尽くしたはずが、山岡主将の下で戦った2年次だってその次だってやっぱり面白かったんで、衰えずに楽しませてくれているんだろう。そこまでアニメ化するかは別だけど。

 こっちも原作を読んでないから、1クールで終わる話かどうか分からないけど「神様はじめました◎」、黄泉の国に落ちた奈々生と霧仁こと悪羅王だけれど神様の奈々生は帰ってオッケーって言われたのに、霧仁は肉体は死んでいるんでダメだと言われて別々に。でも連れて帰るんだといって探し、頑張った果てに地上から巴衛がやって来て2人を助けたものの、そこで出会った悪羅王をどうも巴衛は認識していない様子。弱っているからか肉体が違いすぎるからか。分からないけれどもともあれ合流した奈々生と巴衛が、出雲の地でどんな騒動を巻き起こすのかがこれからのお楽しみってことで。でもって打出小槌で大きくなった鬼切って女体なんだろうか。そこがちょっと気になった。

 明日から始まるっていう文化庁メディア芸術祭を見物に六本木にある国立新美術館へ。開門時間ぎりぎりまで受賞者も前で待たせるのってどうなのとか思ったのはそれとして、中は去年みたくさまざまな展示が大部屋に配置される形式を改め昔に戻すようにアート部門、エンターテインメント部門、アニメーション部門、マンガ部門が順に並んでいくって感じで、その方が個人的には見やすかったけれどクロスオーバーするジャンルが分断されてしまっているなあ、って感じもこれありでちょっと悩ましい。マンガはとことんアナログっぽいし。そのあたり、メディア芸術の次を伺うカテゴリーってのが出てこないと分からないかもなあ。アートマンガエンターテインメント的な。なんだそりゃ。

 でもって展示は坂本龍一さんと真鍋大度さんが手掛けた「センシング・ストリームズ −不可視、不可聴」が思いの外に楽しくってついつい遊んでしまったよ。周辺を飛ぶ電波を捕まえそれを光によって可視化し、そして音によって可聴化するというインスタレーションでいったいどういう風に見えたり聞こえたりするのか、ってところをいろいろと工夫してあって円かったり波打ってたりドットだったりと様々な形で見えるようになっている。切り替えられるんで好みのビジュアルで見るってことも可能なのは、ウインドウズのスクリーンセーバーに近い雰囲気かも。

 そして場所も切り替え可能でなおかつ、キャッチする電波も換えられるとなればもう千差万別、1瞬たりとも同じビジュアル同じサウンドにならない。そんな一瞬性も含めて今をとらえ見せて聞かせている作品ってことになるのかも。坂本龍一さんはどういう絡み方をしているんだろう。そしてやっぱりアート部門で優秀賞の「ナイロイド」ってのが凄かった。鉄かと思った3本脚はナイロン製でそれが籠のように屹立しているんだけれど、操作するとくにゃっとなったりくたっとなったりして動き出す。悶絶するような雰囲気すら見てとれる。無機物が有機物となり無生物が生物になって元に戻るような不思議さを、表現してみせてくれた兄弟はいったい何者だ。過去2度の大賞も受賞したCoD.AcTの妙技をお楽しみあれ。

 あとこれもアート部門優秀賞の五島一浩さんによる「これは映画ではないらしい」は映画ではないんだけれど映像的というか、映像ってのが映画じゃない方法で撮影できるっていうか、そんな可能性を形にして見せてくれる作品だった。レンズでとらえた光を光ファイバーの束を通して分解してドットにしてフィルムに焼き付ける。そのフィルムを光に当ててそして光ファイバーを通して戻すとそこに撮影した映像が浮かび上がるという寸法。クリアではなくてもちゃんと動画になっている。1つ1つの画素に分解され記録された一種デジタル的な情報を、回路を通してアナログな姿に戻してあげるというプロセスをこれによって確認できる。映像がもっとクリアになれば面白いんだけれどなあ。あるいは玩具として使える道はないのかな。ちょっと気になった。

 集まった人たちはもう「Ingress」につきっきりでポータルだっけ何かがあるところに入って巨大な何かを見ていたんだけれど、「Ingress」がレベル2になってすぐに止まってしまっている身には何が何だか分からない。っっていうかやっぱりスニーカーを履いて各地を歩き回っていくことによってうまれる連帯感こそがゲームの肝な訳で、それを体感させるような展示じゃないと「Ingress」って言えるのかどうなのかがやや心配。まあでも存在そのものを世に示すってことが重要なんで、これで名を広めて大勢を取り込みさらに次なる展開を、見せられれば僕もレベル2から上がる努力をするかも。しないかも。だってiPadでやるの面倒なんだもん。

 「俺TUEEEEE!」というカテゴリーがライトノベルにはあって、超能力でも戦闘力でも魔法力でも良いから、とにかく圧倒的な強さで敵を蹂躙し、味方を籠絡していくスーパーヒーローといった面もちで、屹立しては読者に自分もそうありたいと思わせ熱烈に支持されている。決して完全無欠な訳ではなくて、心に弱みがあってそれをトラウマに強さを発揮する例もあれば、逆に心が醒めているからこそ強さだけが価値だと思って突っ走る例もある。ただ昔みたいに正義を貫くことこそが正義ってな暑苦しさがあるかというと、あんまりなくってただ淡々と強い人間をやっている。

 そんなどこかいびつなヒーロー像が、どうして受けてしまうのかとうと、もはや屈託や葛藤や情念といったものよりも、「強い」っていう明確な結果だけが求められる数学的演算的世界に人は辿り着いてしまっていて、そんな達観し諦観した中でプロセスなんて面倒くさいと思われているからなのかもしれない。そう思うともしかしたら「俺TUEEEEE!」の元祖かもしれない平井和正さんの「ウルフガイ」シリーズも、少年とアダルトの両方を含めてもちょっと今とはカテゴリーが違っているって言われるかもしれないし、元祖であってもストレートな進化はしてないって言えるかも知れない。だって犬神明、強いんだけれど強そうじゃないだもん。とくに少年の方。

 なるほど強いは強いんだけれど、その強さを外に向かってひけらかすことなんてしない。むしろ隠そうとする。挑発されても受けず呼び出されてもいかない。でもそんな生意気そうな態度と、あとやっぱり滲み出る何かが得体の知れなさって空気感を醸しだし、暴力好きの人間を寄せ付け暴力を振るわせる。それをひらりひらりと交わし、あるいは受け止めても翌日にはけろりとした顔で登校したりするからさらに回りを激高させる。でも当人はそんなつもりはないと嘯く。格好いいのか悪いのか。今なら売られた喧嘩を買わずに逃げてはそこに感情を添えられない。かといって攻めて出てもやっぱり積極的だと疎まれる。やれやれといいつつちょいちょいと拳を振るい頭脳を働かせて乗り切っていくヒーローたちが好かれる中で、打たても平気な顔をするヒーローなんて受けるのか。そう思うとやっぱり「狼の紋章」はあの時代だからこそ熱烈に受けた作品なのかもしれないなあと思ったりもする。

 どこかストイックなスピリッツがまだ残っていた時代。それが主人公にあるからこそ指示しつつ、一方で本性として欲深い人間という存在である自分を、もうちょっと格好いい存在にしたいと思わせ感情を移入させる。そんな器として犬神明はいたのかもなあ。まあ仕方がない、時代は変わってヒーロー像は変わった。ストイックなヒーローに自分を仮託したいなんて高邁さはなく、強さがまずあってそれをどこまで平然と震えるかが衆目に大賞になっている。そんな時代にウルフガイが現れたら、どんな性格になっていただろう。そこは時代を読んでいく才能に長けた人だから、案外に「俺TUEEEE!」の最先端を書いていたかもしれない。というか、アダルト犬神明ってむしろそっちに近いのかな。

 そして気が付いたらハビエル・アギーレ日本代表監督が解任されていた。八百長の疑惑が証明された訳ではなく、戦績に問題があった訳でもないけど、呼び出されるとかいろいろあるかもしれないし、それだど指揮に問題がでるかもしれないんで、辞めてもらったという仮定に仮定を重ねた論旨が意味不明。はっきりと八百長が疑わしい人間に監督なんてやらせておくと世間がうるさいしスポンサーだってつかないから迷惑だから辞めてもらったって言えばいいのに。それを言うとでも、協会に責任問題とか出てしまうと思っているんだろうなあ。腰が引けているちうか。まあでもそれが日本のお家芸、無責任の輪をぐるぐる回しながら誰かを排除していくという。これで日本は裁判の被告にされたら仕事に差し支えるんで辞めてもらう国、職場が被告を支えて無罪を共に勝ち取ろうなんてさらさら考えない冷酷な国ってことを全世界に示したことになる。勿体ないなあ。


【2月2日】 すごいすごい、何がすごいってあの「カラスの真っ白」が深夜とはいえ天下のNHKの総合でやってるMJに登場しては「HIMITUスパーク」を披露して、その凄まじいまでのファンキーな演奏テクニックと、それからヤギヌマちゃんのキュートな声を全国津々浦々まで響かせてみえた。あまりの凄まじさにしばらくtwitterのトレンドに「カラスは真っ白」が入っていたくらいで、このまま一気に武道館から東京ドーム10Daysへと突っ走っていくかどうかは今後の活動次第かな。ロックフェスにいっぱい出たいってヤギヌマちゃんが話していたけど、まずは3月の渋谷でのライブで人気の具合を見よう。チケット買ったけど行けるかな。

 それにしてもどーしてユースケ・サンタマリアさんは あのコロコロとしたビジュアルでもってとてつもないベース演奏を見せるヨシヤマ・グルービー・ジュンさんに絡まなかったんだろう、キャラ的に美味しそうなのに。でも2.5Dでのフリートークで与太っていたから、振ると収集がつかなくなるって事前に感じていたのかも。代わりにギュインギュインとギターを奏でてたシミズコウヘイさんの卒論のテーマで突っ込んでたけど、何が何やら。っていうか全員北海道大学なのかよ。北海道とは聞いていたけど北大だなんてそんな超偏差値。なおかつ超絶テクニック。これはもしかしたら東北大の小田和正さんより高学歴でハイテクニックのバンドになるかも。卒業ちゃんと出来るかな。

 朝になってテレビのワイドショーは、どこもかしこもオレンジの服着て座らされている人の映像画像をトップに流して、あれやこれやの大騒ぎ。なるほどそれを報じることによって、目の前で繰り広げられた惨劇を、目の当たりに見せて悲惨ですね可哀想ですね残酷ですねと視聴者の情動を煽れるけれども、それがもたらす心理的な影響って奴を果たしてテレビ局は考えているんだろうかが気になって、夜眠れなくなっちゃいそう。いや朝だけど。なるほどその場面こそ見せないものの、ほらあの座らされている人がこの後ああなってそうなってっていう想像は、確実に喚起させられる。だって誰でも結果はもう知っている訳だから。だからあの座っている映像があって、横で黒覆面がナイフを振り回している映像があるだけで、何か心に貼り付く痛ましさがあり、同時にああなるんだそうなるんだという興味も惹起させられる。

 その興味はどこかに好奇心めいたものを極小ながらも芽生えさせ、それがやがて大きく育って人をあちら側へと回らせることにはならないか。そうでなくても恐怖感を煽って人にいらぬ萎縮をさせないか。そんな可能性を考えた時に、どのテレビ局もこぞってあの映像とかああいったメッセージを、そのまま垂れ流していることに不思議な気持ちも浮かぶのだった。報道の務めとして、知る権利に答えるというのはなるほどあるけど、一方で報じない義務ってのもあるだろう。それを任じて自制することが悪いことのように思われるマスコミ的雰囲気が、あるのだとしたらこれはやっぱりどうにかしないと、刺激ばかりが強まって、そして鈍感になった果てに、とんでもないことを引き起こしてしまいそう。国あたりがちゃんと指針を作って指導しつつ、メディアも自制していかなくちゃいけないんだけれど、今はみんなで綱渡りをしている感じだものなあ、国も含めて。そしてまとめて落ちるんだ、奈落へと、地の底へと。

 とはいえ国からして頭が抜けているというか、見てくればかりを気にして本質をちゃんとしようとしてないというか、「テロと戦う」「償いをさせる」と勇ましい言葉をトップの総理大臣が公の場で吐きまくっているけれど、「戦い」だなんて言葉はやっぱり使うのは相手を刺激し見方を臆させ、何か突出したイメージを周囲に与えかねないし、「償いをさせる」っていうのは一種「復讐するぞ地の果てまでも追いつめてでも」って宣言であって、そこにニュアンスとして「警察権の範囲で犯罪者を捜し出して法の裁きを受けさせる」といったものは浮かばない。実はそういう意味だと外務省あたりは躍起になって説明して、英文にもそう書いているっぽいけど、トップが頭をカッカとさせて「償いをさせる!」だからどうしようもない。「法の裁きを受けさせる」と普通に言えば良いのに。結局対面ばかりを気にして自分をデカくエラく見せようとした果てに、蹴躓いて転ぶ体質の人なんだろうなあ、安倍総理。それが自分だけの責任で終われば良いけど、今度は国民全体を巻き込んでいる。厄介な話だ。

 そんな安倍ちゃんを筆頭に、政府は「イスラム国というな、ISILと言え」って躍起になっているけどでも。その意味って「イラクとレバントのイスラム国」な訳で、人がISILと口にすればそこに自然と「Islamic State」、すなわち「イスラム国」って言葉が含まれてしまう。いくら略したってそこに意味として存在する訳で、マニ車を1回回せばお経を1編唱えたに等しいって考えに則せば、ISILと1回言えばそこに「イスラム国」って言ったという事実は含まれると思うんだけれど、トップは単語として日本語として「イスラム国」とさえ言っていなければ良いっていう考えなんだろう。文字面にこそ言霊が宿るっていう日本的考えでもあるのかな。単純に見てくれにこだわっているだけなのかな。後者だろうなあ、やることなすことそんな感じだし。やれやれだ。

 これはもう屑と言って良いような気がしてきた、とある新聞の軍事が得意と思い込んでいる某記者のコラム。イスラム国で悲惨なことが起こったのを挙げていたから、そこは軍事に詳しいと自称するだけあって、イスラムで起こっていることを軍事的に解説した話かと思ったらまるで違って、イスラム国で悲惨な出来事が起こったけれど、それは韓国でもあったんだぜって話を斜め方向へと向けて、韓国のワルクチへと持っていって過去における所業を論って罵る。確かにそういう行為はあって、それを長い間韓国政府が黙っていたという事実はあるけれど、そうした行為をもって韓国は「イスラム国」というなら日本だって数にこそ議論の余地はあるけどやっぱり非道なことをたくさんしでかして来た。捕虜を人体実験だってしたくらいの国が、それを挙げずどうして韓国ばかりを誹るのか。まったく筋が通らない。

 っていうか、そもそもがイスラム国の話で、日本人が大変な目に合ったという事態があって、そしてこれから中東で何が起こるか分からない、いよいよ軍事情勢分析の出番だってところで、それを専門にしていると自称する人間が、どうして韓国を挙げて罵倒する必要があるのか。タイミングとしておかしいし、神経として間違っているけど、それを何とも思わない思考があり、それを載せて平気な媒体の心理って奴があるんだろう、だからこうして書かれるし、載ってしまう。なおかつ読んで喝采を贈る特定層の存在も。けどそれは決してメジャーではない。むしろタコツボの中の誉め合いに過ぎず、大勢は今言うことじゃないだろうと眉を潜め呆れて見放している。その果てに何が起こるかって、既に起こっている離反と無視。それは収益の寒さを呼び込むんだけれど、ここでも安倍ちゃんと同様に自分が心地よければそれで良いって心理が働いて、他の大勢が被害を被ることを気にしてない夜郎自大っぷりが炸裂している。何がこの先に待ち受けているのか。やれやれだ。

 メインは「SHOW BY ROCK!」の新情報とか、新しく出る「Shinkaizoku」とかいう男児向けキャラクターだったんだけれど、なぜか神田うのさんがダンスをするってんでそっちも見に行ったらなかなか可愛かったよ、神田うのさん。歳は40歳にあとちょっとだし、子供だっているのにも関わらず、細くて綺麗でそんな人が跳ねれば浮かぶハードな材質のスカート姿で踊るものだから、色々と見えて大変だった。いや大変じゃないけどでもそれが明日のワイドショーとかで流布されるとなると、いったいお茶の間の青少年は何を思うだろう。いろいろと刺激されて夜寝られなくなっちゃうかもなあ。それくらいのキュートさを見せてくれた。サンリオピューロランドで踊るみたいなんで機会があったら見に行くか。ラッキィ池田さんの振り付け。「妖怪ウォッチ」関連で相当稼いでいるのに衰えないなあ、そのバイタリティ。


【2月1日】 サッカーのアジアカップという大会に敬意があって、その決勝に残ったチームに対する尊敬の念というものがあって、そしてサッカーという競技を盛り上げていこうとする意思があるならテレビ局は、アジアカップの決勝がたとえ韓国とオーストラリアの対戦になったからといって、地上波で放送するべきなんだけれども日本のテレビ局は視聴率という些末な数字に足をとられたのか、放送を見送ってこれから日本がワールドカップの出場に向けて戦って行かなくてはならない韓国であり、オーストラリアといったチームの現状を、世に知らせないままに終わってしまった。結果はオーストラリアが延長で韓国を振り切って優勝。それはアジアにオーストラリアだなんてチームがあって良いの? って議論をAFCの上層部に呼んでいるけど仕方がない、それを認めたんだから、彼らは。

 それはさておき民放地上波による決勝の放送拒否って振る舞いは、スポーツマン精神からすればとことんポン酢としか言い様がないけれど、自分たちに関係のないことは知らん顔をするという日本の放送メディア的メンタリティが、如実に出ただけとも言えなくもない。これで2019年、ラグビーのワールドカップを迎えて海外の国どうしたする試合を、ちゃんと盛り上げようとするホスト国としての意識が、世間に醸成できるんだろうか。心配だけれどそんな考え、どこにもなんだろうなあ、業績厳しいテレビ局には。

 とはいえアジアの最高峰が戦う試合というものに、価値付けして視聴者を増やして新しいコンテンツへと育てていくのもテレビ局の務めであって、そうした育成を放棄して、受けそうなものに飛びついていった果てが今の陳腐化を招き、八方ふさがりを呼んだとも言える。自業自得なんだけれど、それに気づかず繰り返している様は哀れで無様。未来はだからなさそうだけれど、それで煽りを食らう所もあるんだよなあ、テレビ局が稼いだお金で食べさせてもらっている新聞社とか。やれやれだ。

 今は金剛といえば英語なまりの賑やかな娘だし、高雄をいえば自前の巨大な胸をゆらして「ぱんぱかぱーん!」と叫ぶ明るい娘ってことになっているけど、でもこの映画が流行ればあるいは、印象をひっくり返せるかもと思った「劇場版 蒼き鋼のアルペジオ −アルス・ノヴァ− DC」。というか元もとはこっちの方が早かった訳だしアニメ化だって先行していたんだけれど、ゲームっていう人の暮らしに浸透しやすいメディアでもって展開された「艦隊これくしょん」の影響が甚大で、金剛はツンツンとしっぱなしのお姉さまではなくなり、高雄も艦長に恋するツインテールのツンデレ乙女ではなくなってしまった。残念ながら。いやでも「艦これ」の高雄は好きだからそれはそれで良いんだけれど。

 そこにさらに追い打ちをかけるように、結構な出来のアニメ版「艦隊これくしょん」も来てしまって窮地にある「蒼き鋼のアルペジオ」だけど、劇場版の入りはなかなか良好なようで満席も続出して来場者プレゼントも2日目にして完了となってしまってもらえなかった。続編への期待も膨らむ中で、盛り上がっていけば金剛にしても高雄にしても武蔵にしても榛名にしても霧島にしても、「艦むす」ではなく「メンタルモデル」としての姿と性格でもって世にもう少し、強く認知されるかもしれない。ただそれには継続が必要。「境界線上のホライゾン」のテレビアニメで本多・忠勝が格好いいおやじの姿を見せ評判を取りながらも、立て続けに続編が放送される「戦国BASARA」でのモビルスーツ姿を塗り替えられないでいるように、続かなければ印象も薄れていってしまう。

 次の劇場版公開まで9カ月あるならその間、見られるチャンネルで再放送なんかを期待したいけれど、果たして。あるいは安価なボックスとか。出してくれないと海で潜水艦で闘いだってことで「青の6号」に浮気してはやっぱりゆかなは紀野真弓ちゃんだよ金剛じゃないよってことになり、そして千早翔像なんてゾーンダイクの変装じゃないかって言い出しかねないから。いや何かそういう感じはあるけれど、従えるのが鮫男とか天才鯨じゃなくってメンタルモデルの美少女たちってところで、千早翔像の方が趣味が良いってことになるのかな。それにしてもメンタルモデル、どんどんヘンな方向に行くよなあ、人間の趣味を深読みしすぎっていうか。生徒会長の次は何だろう。メイドか女教師か体育会系女子か。人間のメンタルを誘い揺るがす最大属性を研究してるんだろうなあ、今まさに。ツインテールとか。

 人が人を殺害するのは絶対にあってはならない悪だという基本線を引いて、ISILによる日本人人質の相次ぐ殺害は絶対的な悪事として人口に膾炙され、語られていくべきだという意識はまずもちつつ、そうした行為へと至ってしまったプロセスのどこかに、誰かの責任はなかったのかという検証はなされるべきだって、その対象がたとえ政府であっても政権であっても総理個人であっても、責任があるのかもしれないのなら見つけて指摘して追求することが、次の悲劇を招かない上でやっぱり絶対に必要なことのような気がする。たとえば前年に拘束の事実を掴んだ時点、そして解放に当たっての対価を求める動きがあった時点で、何か相手方とやりとりがあったのか、それはどうして成立しなかったのか、それとも成立させなかったのか。結果としてそれが最悪の事態へと繋がる道になったのだとしたら、何らなの瑕疵は認めてしかるべきだろう。

 あるいは1月になって事態が大きく動いて以降、何か拙い手を打ってしまったことがあるのか。状況を知りながらもうかつなことを気分でもって言ってしまったことはないか。結果論であってもここへと至る過程において、もうちょっと穏便な言い回しは出来なかったのか。そこに一切の間違いなどなかったと擁護する気持ち全開で言い募る人たちもいるけれど、それで同じことが繰り返されては意味がない。どこかに間違いああったなら指摘して、改めるよう示唆していかないと同じ轍を又踏むことになってしまう。いやそれでも全然構わない、そうした指弾など大勢によってかき消され、非難は相手にのみ向かい、あるいは人質個人の責任に帰結するからといった意識でもって、すべてを動かしているのならそれはそれでひとつのスタンスだけど。

 ただ、それで次に誰が被害を被るのかは分からない。あなたかもしれない。自分かもしれない。それが身に迫って慌てても遅いとするならやっぱり今、どこに誰の責任があったのかを検討し検証することは必要なんじゃないのかなあ。総理は全然悪くありませんだなんておだてて木に登らせた果てに、全国民が紛争地域にぶちこまれちゃあたまらないし。あと強力な軍隊があったなら、海外派兵が出来たならこんな事態にはならなかったって言う人もいるけれど、世界最大最強の軍隊を持っていて、世界を相手に派兵なんてバンバンやってる国ですら、人質を取り返せないっていうか取り返そうとしてないんだから何をか言わんや。人は目的のために言葉を歪め作為をこめる。気を付けなくっちゃこれからしばらく。いやずっとか。


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