縮刷版2015年10月上旬号


【10月10日】 ついに来た。やっと来た。あの「TIGER & BUNNY」がハリウッドでもって実写映画化ということで、プロデューサーにはアカデミー賞監督でもあるロン・ハワードが就いて挑むからには、きっとそれなりな陣容で、しっかりとした役者も揃えてCGIも日本とは比べものにならないくらいの精度で使われ、アニメーションで見せてくれたスタイリッシュでエキサイティングな物語を、世に顕在化してくれることだろう。これまで誘われながらも首を盾に振らなかった日本側が、やっと出した許可なんだから、十分に寝られた契約になっていると思いたい。向こうに権利がいってしまって、日本ではもうアニメーションの続編が作れなくなるような間抜けな事態とか起こらないと思いたい。

 こうなるとやっぱり気になるのは役者陣ってことで、虎徹を誰がやるかってことだけれど日本人ではなくてもどこかくたびれた、それでいて熱血を喪っていないおっさんが演じてくれるとピッタリなんだけれどなあ、雰囲気でいったらブラッド・ピット? でも日本語の吹き替えでフィクスされているのは、虎徹の声を演じた平田広明さんではないかならなあ、じゃあ平田さん声ってことでジョニー・デップが? それだとちょっと熱血からズレてしまうからやっぱりブラピで。あるいはトム・クルーズとか。かつて「ハスラー2」でで老いたハスラーを演じたポール・ニューマンに挑んだ立場が今度は若い奴に挑まれるといった感じ。でもトム・クルーズなら若い奴とか未だに平気で叩きのめしそうだし。それよりトム・クルーズはスカイハイが適役だし。そのあたり、上手い配役を考えてくれるかにも注目だ。

 それからやっぱり気になるブルーローズちゃん。胸も良いけどお尻もね。そんな役を誰ができるんだろうか、ダコタ・ファニングか、クロエ・グレース・モレッツか、エマ・ワトソンか。いずれも身長が165センチとかその前後でブルーローズ的にはちょっと大きい気もしないけれど、虎徹やバーナビーが大きければその分、バランスもとれるから大丈夫ってことで。ロック・バイソンにはネットじゃやっぱりスティーブン・セガールが挙がっているけれども果たして。ファイヤーエンブレムは「フィフス・エレメント」の頃のクリス・タッカーが浮かぶけれども今は何やっているんだろう。そんなこともいろいろ浮かぶけど、肝心なのはこうした関係性もちゃんとアニメーション版を踏襲するのか、違う設定でいくのかって辺り。そこも世界の「タイバニ」ファンを裏切る真似はしないと思うから信じて待とう。まずは企画が潰れないことを祈ろう。そういや「カウボーイビバップ」ってどうなった?

 見たよ「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦 ディレクターズカット」。いわゆる実写版パトレイバーの劇場映画を押井守監督が、すべての責任でもって再編集したってバージョンで、それはつまり蛇足がいっぱいついて哲学的に深まって、見てダレる作品なったってことかと少なくない人が思いそうだけれど、そうではなかた、まるで違った、押井監督が編集をして最高に面白くなるという奇跡がそこにはあった。そもそもが実写版パトレイバーが登場した段階で、押井監督の実写が面白いはずがないじゃないかという不安が広まったけれど、それを吹き飛ばして最高に面白いシリーズを描いてのけた。劇場版に至ってもそれは変わらなかったけれど、ただちょっと端折りすぎかなあと思ったその公開版には秘密があった。押井監督の希望通りではなかったのだった。

 尺を気にしたのか雰囲気を特車二課の面々に寄せて真野恵里菜さんの存在感を増したかったのか、プロデューサーの責任による編集が施されたバージョンはテンポこそ良かったものの、全体に説明が不足しているようなところがあった。最たるものが特車二課存続の理由であり、そして元自衛隊の面々の自爆に近いテロへの傾注。いったいどういう経緯があったのか、ってあたりで仄めかされた特車二課存続の理由は、けれども映画の中で明確にこれと言われた訳ではなかった。ディレクターズカット版ではそこがセリフによって明確に説明されている。そうだったのかと理解できる。うまくやったなあ後藤さん。そう思える。

 そして元自衛隊員たちがテロに踏み切った理由。とりあえず平和に安穏とした日本にひとつ、危険を見せるっていう目的はあったんだろうけれど、それは成功するしないに関わらず、行うことが重要だった。でもそれにはバックアップがいる。誰にも気取られずあれだけの機材を集めるなんて不可能なところをやってのけられたのは、バックにちゃとしたところがあったから。じゃあその目的は。緊張状態が生み出すビジネスがあって、それについても大国だからだろう、かの国は。さすがにそこで対抗馬となる特車二課も今一度、存在感を浮上させては騒乱を恒久化して共に機材を提供していくような二面展開の死の商人を、かの国がやった感じではないけれど、でも奥の更に置くにはあったりすのかも。それが政治。それが外交。それが軍事。そして謀略。

 そうした大切なセリフをカットし、シチュエーションを曖昧にして、いったい何がやりたかったんだろうって気もしたけれど、特定国家を背後に置いたら何か支障があると考えたのかもしれないし、仄めかしの中に留めておくのもひとつの美学と思ったのかもしれない。ただ、意外にも押井監督がしっかりと筋をつけ設定もおいていたものを、押井監督風に曖昧な哲学の中に溶かしてしまうのを別の人がやっていたとは、ちょっと驚き。本人も見て驚いただろうなあ。だから足した。そのことで全体がきゅっとしまった。長くなってしまるってやっぱり切り方が微妙だったんだろう。そりゃあ蛇足もある。宴会のシーンとかいらないし、橋の下をめぐる前の警備艇に乗り込むやりとりも別にいらない。あっても悪くはないけど必要ないのを入れることで、全体のテンポを整えたのかもしれない。映画ってそういうものだから。カーシャのアクションは足して正解。流れが見えてその分、画面に向かう集中力を増してくれた。戦っている場面で途中が抜けると気になるんだよなあ、やっぱり。

 ひとつやっぱり分からなかったのは灰原零という存在で、途中にどうやらどこかから現れそこに収まったことは分かっても、どうしてそいういうことをしたのか、誰がやらせたのか、そもそも誰だったのかといった謎は残る。本人は年寄りでも途中で若いお嬢さんが成り代わっていたって感じでもなく、途中からその人生を半分近く歩んできた。でも誰だか分からない。そこに謀略が絡むのかどうかも含めて。そこはだから押井守監督も明かさずにいようと考えたんだろう。謎の人間がそこにいて何かをするけど何をしたいか分からないという。まさに幽霊。灰色の。「GRAY GHOST」という英文のタイトルはだから、灰原零という曖昧な存在が主役なんだということを意味するものなのかもしれない。ともあれこれは良い追加。見て飽きない追加なのでまた見に行こう。戦うカーシャのお尻とか、ダンクを決める例の足とか大画面で何度も見たいし。

 東京国際フォーラムである「kalafina」のライブを見る途中で外を歩いていたら「レ・ロマネスク」が四阿みたいな場所に入ってライブを行っていたのでしばし見入る。ピンクの衣装にゴージャスな髪型顔立ちの男性女性のデュオって感じ。そして唄う歌はジュテームに溢れたコミックソング。聞いていて笑いそして踊れて楽しめる。三重県の津市について唄った非公式ソング「津の女」とか津津津津津津津津と言っていたりで何がなにやら。そして「祝っていた」とうのは感じを間違え本当は「呪う」はずなのが祝ってしまっていたという話。たぶん主役は女性かな。相手は男性なのか女性なのかは聞いていた限りでは未確認。ただ一生の半分近くを恨み辛み憎みでもって呪っていたのにそれが実はお祝いの言葉だったとう。相手も幸せになる訳だ。そんな歌をひっさげフランスでは人気という「レ・ロマネスク」。ファンもいるみたいで追っかけさんも参加していた。世界は不思議に満ちている。そして日本はクールに溢れている。

 知らないkalafinaがそこにいた。いや、歌声は清らかで高らかで朗らかでもあるkalafinaであることには違いはないんだけれど、唄われている楽曲がいつものkalafinaとは少し違っていた。ロックでありリズミカルでありダンサブル。そんなkalafinaなんてちょとt見たことがなかった。だから驚いた。そして感動した。また一歩、いやもう何十歩も先へと進んでいったんだなあと思わせてくれた。東京国際フォーラムを幕開けにして全国で繰り広げられるkalafinaのツアーは9月にリリースされた5枚目のアルバム「far on the walter」を受けてのお披露目ツアー。もちろん番組とのタイアップの曲も含まれているけれど、そうでない曲もあってそれらがバンド編成でメンバーの生身の肉体、そして肉声でもって初めて世に送りだされることになる。

 そんな新しさもある上に、この「far on the walter」に収められた楽曲がこれまでの、深淵だったり神秘的だったり漆黒だったりといったkalafinaのイメージを塗り替えるような雰囲気の曲を多く含んでいる様子。実はまだよく聞き込んでいなくて初耳だったりするものもあったけれど、それではのめり込めないといった不安を吹き飛ばすかのように、冒頭から激しいアクションを見せ、衣装を見せながらその歌声でもってぐいぐいとステージに引き込んでいく。コーラスを重んじ誰かが誰かをカバーするような歌い方がメーンだったという印象もここにはなく、誰かが激しく前へと出て、それを追いかけるように別の誰かが被せていくといった感じに、声のセッションがそこでは繰り広げられていた。

 和をもって尊きをなしていたkalafinaを重ねてより大きなうねりを醸し出す。そんな歌のアンサンブルならぬバトルの裂きに生まれた生命感と躍動感にあふれた歌声の場。浴びせられる声に心が躍る。詳細はまだ続くツアーのために触れないけれど、とにかく新しい。いつものkalafinaもあるにはあるけれど、いつもとは違ったkalafinaがそこにあることは間違いない。ああまたかというルーティンでの予定調和の感銘はなく、これがkalafinaかという驚きの感動を味わいに、行けよおのおの方、これから始まるツアーへと。とりあえず2着目のKEIKOさんの衣装はミニスカからにょっきりのびる脚がキュートだぞ。と。


【10月9日】 渋すぎるというかこれが適材適所というべきか。テレビアニメーションとして始まった「すべてがFになる THE PERFECT INSIDER」は声優さんが主演の犀川創平を演じる加瀬康平さんからして何かメジャーな作品でイケメンボイスを披露していたアイドル声優ではないし、ヒロインの西之園萌絵を演じる種崎敦美さんも人気アニメで主役級を演じてアイドルになっている人ではない。真賀田四季を演じる木戸衣吹さんは最近いろいろな作品でメーンキャラを演じてはいるようだけれど、アイドル声優としてすぐに名前が上がるって感じじゃないこれからの人だったりする。

 それらをメーンに据えても視聴者を確保できるっている算段が、作り手やら監督の側にあったとしたらそれは正解。癖はないけどどこか引っかかるビジュアルに場所は動かないけど引きつける会話劇等々、映像として魅せる部分が多々あってこれは見始めたらもう目が離せない。疾走するフェラーリのスタイリッシュさにキュンと来る一方で、イケメンでクールなはずの犀川創平が像のTシャツを着ているズボラな兄ちゃんになっている様にグヘッとなる設定は、刊行されてからもう20年近くが経って、いろいろといじられまくった作品を今という時代に相応しく、そして飽きさせないものへと昇華させた。これなら今やる意味がある。今やってこその価値がある。

 ストーリーはもうすっかり忘れているけれど、日間賀島ならぬ姫真加島へと合宿に言った犀川ゼミの面々が真賀田四季って天才美人プログラマの研究所で事件に遭遇してこれを解くと言ったものだったっけ。そして真賀田四季はこのシリーズの最終巻でも登場したりして創平やら萌絵とも絡んで来るんだけれど、そこまで描くとも思われないのでこのアニメーションでひとつの完結を見るのかな、それとも「有限と微笑のパン」も続けてアニメ化するのかな。声でいうなら脇は凄くて創平とは義理の妹にあたる儀同世津子は堀江由衣さんが演じて犀川研究室では助手でボーイッシュな国枝桃子を桑島法子さんとベテラン2人が固めてる。それぞれに特徴を持ったキャラだけれどちょい、大人の魅力も備えた女性の声をこの2人が演じる時代。時は流れたなあ。しかしやっぱり気になる創平のTシャツ。像。どこで買ったんだろう。

 「俺がお嬢様学校に『庶民サンプル』として拉致られた件」とかタイトル長すぎだけれどまあ、ありがちなライトノベルがありがちにアニメーション化されただけかと思って見たら、これが案外によく出来ていたというか、とても面白かったというか。オープニングからして映像が良くてキャラがめいめい、よく動いていて特徴がつかめるし、ストーリーも段取りを踏んでその無茶を無茶と思わせなかったりして見ていてぐいぐい引きつけられる。九条みゆきが舌打ちをする場面とかの顔の表情もよくかけていて、そうやると思わせてちゃんとやって飽きさせない演出力っていうのか画力も良い。お嬢様たちが何も知らなさすぎるって言うのはファンタジーだけれど、だからこそのギャップも引き立つ。ここにフェラーリを飛ばしてファミレスでご飯を食べる西之園萌絵がいたらぶちこわし。聖と俗の差違が近づき埋まる様を楽しんでいこう。しかし通勤の満員電車に乗るのかなあ、社会に出たからといって元お嬢様たちが。

 ストーリーは陳腐で起伏もなくちょい感動すら混ぜて味わわせつつ絵はクールでスタイリッシュな雰囲気という、ギャグに走った「ルパン三世Part2」のようですらない雰囲気だった「ルパン三世」第2話。何か得体の知れない雰囲気を持ったキャラが出てきてこれからも後に尾を引きそうだけれども第1話で嫁になったお嬢様は絵が1枚出てきただけで話に絡まず、いったい何だったんだと思わせる。いやまだ先は長いしこれからの展開で絡んで来たりするのかもしれないけれど、とりあえず今回はエージェントらしい男の動静にチェック。しかしカルチョの国で賭け事とかドーピングとか日常的で、それをアニメにして楽しめるのかねえと。生々しすぎるというか。逆に日本では縁遠すぎるという感じで。そんな2つの国に股裂きになってどっち着かずにならないかを、不安視しつつそれでもやっぱり見ていくんだろうなあ、ちゃんとまとまっているだけに。そこがやっぱり「ルパン三世」。土台が良いと何をやっても面白い。

 IRが優秀な会社として1990年代に証券界隈では話題になっていたものの、それはつまりコンシューマ相手の商売をしていないんで、投資家に向けて事業内容を細かく説明する必要があった結果とも言えて、世間的にはだからやっぱりあんまり知られていなかったロームという会社。京都に拠点を置いて半導体を製造している優秀な会社だけれど、そこがこのインターネットでネットワークでIoTの時代に大きく本領を発揮し始めた。機器に組み込む基板なんかでロームの半導体技術が活かされているようで、会場にはそんなチップセットを組み込んだ空飛ぶ折り鶴ってのが会場を沸かせていた。折り鶴ったってまあ半分くらいは紙飛行機で、中に羽根をパタパタさせる機構が組み込まれている。それをコントロールするチップセットが極小で、外からの電波を受けて指令を出してパーツを動かし空を飛ぶ。つまりは一種のラジコン飛行機。

 もっとも飛ぶだけでなくそこで感じた情報をフィードバックさせる双方向性も持っている。飛行機の場合それはあんまり意味が無いけど別のネットワーク上に置いて使う機器ならば、双方向でのやりとりによってさまざまな動きを、あるいは作業をさせられる。小さいから組み込みも自由。まさにすべてがネットにつながったIoTの時代に不可欠な技術ってことになる。それを空飛ぶ紙飛行機という形に乗せて見せているところが今までとはちょっと違ったアプローチ。センサーで光を当てて収縮を感知しドキドキ具合を判断する「ときめきセンサー」ってアトラクションだものなあ。それを2時限のの少女と3次元の女性を見せて反応を取ることで、どっちにときめいたかを見せるイベントをやっている。長蛇の列。それをロームがやっていることに驚きつつ、これが時代なんだとも思ったり。ちなみに僕は圧倒的に3次元。やっぱり生身が好きなのか、それとも慣れない生身に緊張しただけなのか。深くは考えないようにしよう。

 えっと前のマニアックツアーをNHKホールかどこかで見たのが1年くらい前だって、それ以来となる山下達郎さんのツアーを市川市文化会館で見たけれども、「SONGS」をリリースしてシュガーベイブとしてデビューしてから40周年ってこともあって、セットリストには「SONGS」あたりからも割と演奏されていて、オールディーなファンには嬉しい限り。というかあのCDで奏でられた雰囲気の音を再現してみせてくるんだから凄まじいというか。声もあれほどの若さはなくてもちゃんと音域もあってしっかりと響かせてくる。今回は何か調子が良いみたいで初日だっていうのにもうしっかりと声も作り演奏も作って聴かせてくれるから安心して聞くことができた。これがピークじゃないことをとりあえずは祈りたいけど、でもぎに見る予定が決まってないから今はこれをピークと思い幸せな気分に浸ろう。しかし「POCKET MUSIC」のあの曲でのドラムがすごかったなあ、スゴドドドドドって何度もやる。手足ちぎれないんだろうか。そしてコーラスの女性2人が新鋭に。可愛い人と清楚な人。そんな人の声も楽しめるツアー。また聞きたいなあ。


【10月8日】 まず目を見張ったのが風景の表現と人物のスタイルの美麗さか。想像するなら実際に撮影した画像なり映像を元に3Dのデータを作って背景を描き、徹底的なリアルさを追求したんだろうし、人物も場面によっては3Dのモデルを使っているのかもしれないけれど、はっきりたことは分からないから、いずれ誰かによる解説を待とう。そういったテクニカルな興味の一方で、物語の展開も段取りが良くて見ていて飽きないし、声優さんの声の演技もとても耳になじんで心地よい。第1話としてはだから抜群。それがアニメーション版「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」だ。

 太田紫織さんお原作はライトノベルではなく角川文庫の方で出てあれよあれよという間に100万部というベストセラーに。それを横目で見ながらちょっと僕が手を出すのは良いかなあと思っていたけど、ここまで興味をそそられる内容ならやっぱり読んでみた方が良いのかもしれない。法医学者を叔父に持ち自信も骨格標本作りを生業とする櫻子さんが、海岸へと骨を拾いに出かけて見つけた100年前の誰かの骨とか、聞きつけてかけつけて見た心中死体とか。そこから誰かを想像し、どういう状況だったかを推理する展開は、他にもありそうな設定ながらもキャラクターに特徴を持たせ日常の中に異常を混ぜ込み読む人を引きつける。

 どこか高慢で骨にしか興味がなくそのためにはは違法なことでもやってしまいそうな櫻子さんというキャラクター。それを演じる伊藤静さんのキツそうで可愛いところものぞかせる演技が実に良い。その声をそのキャラを一緒に見ていくだけでも楽しい上に、北海道の風景をリアルに再現した背景と、そしてだんだんと増えてくる謎なり設定で引っ張っていってくれそう。今期で1番くらいになりそうな作品かも。ところで海岸から見つかった100年前の女性の遺体は、ストーリーには絡んでくるのかな。自殺に見せかけられた他殺死体の事件に櫻子さんはどういう風に絡んでいくのかな。そんな辺りも期待しながら見ていこう。小説読んでも良いけれど、読むと興味が薄れそうだし……。アニメが終わるまでお預けにしておくか。

   例のシリア難民の少女を撮った写真をイラストに使い難民を愚弄していた漫画家さんがいたことが、遂に新聞沙汰になっていた。ようやく削除されたみたいだけど、そこに至る経緯でいったい、イラストを描いた人が何と戦っているのかがさっぱり分からなかったというか、分かりたくなかったというか。そういったアプローチがトレスであり愚弄であってダメだと分かれば、別の方法で自分なりのイラストでもって主張すれば良いのに。表現者なんだから。自分でもアーティストだって標榜しているんだから。言いたいことは自分のオリジナルの表現でやればそれを差別と非難する人はいても、剽窃と誹る人は出なかった。

 でも、最初の写真にこだわってこだわって消さずにいて写真家に言われ渋々と消した。その上に「急にいろんな連絡が殺到してびっくりしたであろう彼の苦悩を考えると心が痛みます」とかってその苦悩の原因を作ったのが自分だという認識は示さなかった。示したくないのかそもそも認識がないのか。分からないけれどもそういう人がジワジワ増えて支持者も増えている状況がどうにも厄介。いずれにしても一連の過程において、世界中に日本人の狭量さ、非道さが広まってしまった。そういうことを愛国を標榜する人種が平気でやらかすこの矛盾。やっぱりさっぱり分からない。

 昨日は行けなかったCEATECを見に幕張メッセへ。場内のベンチャー企業とか見て回ろうとか思いつつ日程表に目をやると、坂村健さんが登壇する講演があったんでまずはそっちを聞くことに。何しろTRONプロジェクトを立ち上げすべてにコンピューターが組み込まれ、ネットワーク化された社会を想像して来た人が、「モノのインターネット」と呼ばれるIoTについて話すんだからこれは聞き物。非難するのか賞賛するのか興味があったけれども、基本としては自分はもうずっとやってきたことで、ユビキタスって言葉もIoTと同じ意味なんで別に目新しいことではないっていう主張ではあった。あと自分は何をやるにも早すぎるっていうこと。それで関心を持たれないけれど、時が経てば主流になっていくという繰り返し。ただでもそのおかげで先駆者としてずっと中心にいられるんで良いんじゃないかなあ。僕なんて何に付けても3年5年早く紹介しすぎて目利きと呼ばれないという繰り返し。時流にも乗れず冷や飯ぐらいを続けてる。まあそれでも良いんだけれど、持ち上げられて落とされるより。

 さて坂村さん、言っていたことをようやくすれば「哲学を持て」ってことで、日本はだからIoTにしても先駆者でインターネットと物を組みあわせて新しいさーびすを生みだそうという努力はしてきた。それに関連したデバイスもソフトもしっかりそろっているんだけれど、問題はそれらを社会の中に組み入れて実装して稼動させていくだけの制度的なサポート、法律的な支援が足りていない。だから海外に先を越されてイノベーションも起こされ、それを向か入れなくちゃいけないという歯がみを繰り返す羽目となる。TORONがまさにそうだったし今も似たことが起こってる。ドイツで流行始めたインダストリ4.0とか、トヨタのカンバン方式と何が違うの? って坂村さん。いっしょ。でもそこにオープンという要素を乗せたことでドイツのインダストリ4.0は世界が注目するムーブメントになった。日本は先駆的だけれどクローズでやりすぎる。だから広まらずイノベーションも起こらない。そういうこと。

 あとは法律が後押ししてくれないってことも。強制は好きではないけれど、駆動させる力にはなり得るわけで、運用に哲学さえあれば法律も有効なんだけれど日本には長期的な視野で運用をしていく上で効果的な法律を作り送りだす力に欠けている。そこに哲学がないから目先のことに拘泥して後で問題を生んでしまう。そういう部分を見直さなければIoTで技術にサービスが立ち上がってもうまくはいかないんじゃなかろうか。一億総活躍だなんて言っても、ネットに誰もがアクセスできる権利を作り、敷衍して誰もがどこでもネットにアクセスできる環境を作っていくこととかやる訳じゃないし。フィンランドではそのあたり、進めて電子政府を実現させて効率化を行い別のリソースへと人を振り向けている。真似るなり坂村さんの声を聞くなりすれば理想の一億総活躍時代が来るんだろうけど、そういう目端の利く政権でもないし。やっぱり早すぎたって坂村さんは嘆くのかな。そして日本を出て台湾だシンガポールだってところで理想を実現させて日本を見返すのかな。

 まあ別にどうでも良いけど村上春樹さんがノーベル文学賞をとれなかったこと、それで村上さんの価値が下がる訳でもないし面白い小説は面白いままで読まれ読み継がれていけば作家としても本望なんじゃないのかなあ。毎年この時期になってファンが集まりとるかどうかとワクワクしている姿は、だから村上さんに文学とは別の価値を与えることを尊ぶような態度で、それでファンなのかっていう気もしないでもない。自分が読んで面白ければそれが自分にとっての文学賞なんだと思えば良いんだよ。そしてノーベル文学賞はその政治性からそうしたバックグラウンドを必要とする言葉に与えられれば良いんだよ。今回は反核を訴える女性作家に与えられた。それが世界に与える影響を思えば意味もあったんじゃないのかなあ。日本にだって意味がありそうだし。まずは読んでみるか、「戦争は女の顔をしていない」を。


【10月7日】 探さなくても野球がテーマのライトノベルならいっぱいあって、リアル系からアストロ系から百合系からハーレム系からいろいろと楽しめるんだけれど、それでもやっぱり読んで楽しいのや野球というスポーツが持つ技術が必要な上にメンタルも大事で、そしてチームが一丸とならなければ勝てない部分にドラマが潜んでいるからなんだろうなあ。ってことで明日崎幸さんの「彼女が捕手になった理由」(一迅社文庫)はどちらかといえばリアル系。舞台は高校野球ではなくリトルシニアで関東の大会では2回戦がやっとのチームに全国大会の常連チームから捕手がひとり、移籍してくる。名は梶原沙月。女の子だ。

 名門チームにいたってことは野球はそれなりに出来るはず。でも移籍してきたってことはチームにはいられなかったこと。ひとつには控えの捕手でそしてレギュラーになれる見込みが諸々の事情からなかったってのがあって、それが元で諍いもあって移籍して来たけれどそんな沙月がチームに合流して主導権を握ったから悶着も起こる。まずは捕手だった選手がいろいろと言う。打撃はピカイチ。でもキャッチングはイマイチな彼をファーストにコンバートし、そして剛速球ながらもノーコンだったピッチャーをセンターに持っていく。ピッチャーに入ったのはショートを守っていた本摩敬一。内野手には珍しい左利きだった彼は剛速球は投げられなかったけれど、コントロールはそれなりで、そして打ちづらい球を投げることができた。

 そんな英断によってチームの力は上昇し、実績を示したことで文句を言っていた元捕手も言い分を引っ込め一致団結していく展開に、技術面での蘊蓄があり采配に関する知識もあって読むほどに野球ってスポーツの奥深さを味わえる。さらに対戦相手として因縁の名門チームが登場して、そこの正捕手がまたいろいろと画策する人間で、彼のメンタルを揺さぶってくる戦術に次々をやられて手も足もでなくなる展開が、スポーツにおけるメンタルの大切さって奴を感じさせる。あれだけ頑張っていた沙月ですら動揺するんだからなかなかの策士。でもそんなアクシデントを乗り越え、道を開いていく展開を読めばさらに野球への興味も湧いてくる。コンバート後もコンバート前もともに才能だと認め両方で試合をさせる柔軟さもあって、ひとつに決めない大切さって奴も感じられるストーリー。続編はないだろうけれど、同じ精緻な筆で別の物語も読んでみたいかな、野球でも女子野球でも。

 アメリカではジェシー“ザ・ボディ”ベンチュラがミネソタ州知事を1期なりとも務めたことがあるし、元ボディービルダーで俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーだってカリフォルニア州知事をしばらく務めた訳で、その出自が政策の執行能力には関係ないってことはまあ、それなりに証明されていたりする。問題はそれが適任かどうかであって、文部科学大臣に起用が噂されている馳浩さんの場合は、リベラルな部分もあれば保守的な部分もあるし、何より東京五輪とかその辺の騒動で中心に位置する人としてあげられた森元総理と、とても近いといった辺りで身辺的にどうなのといった話にはなりそう。あと教育って保守的な考えが蔓延ると碌なことにならないんで、そうした辺りをうまくこなしてくれるかどうかに今は関心が向かっている。

 何にせよ安倍ちゃんベッタリで、良いところみせようと張り切りすぎて独断が滑った某文部科学大臣よりは、冷静に周囲にも気を配ってくれると思いたいけれど。だから今回の内閣改造における問題はそっちじゃなくて官房副長官の方。自民党総裁の特別補佐官としていろいろな騒動を引き起こした人物が、今度は内閣という政府組織に入ってその権勢を振るうことになる。河野談話に関する先走った見解は、内閣によって窘められてバランスがとられたけれど、今度は同じ内閣の中にあってそういう発言をしかねない訳で、そうなった時にはそれは党の人間だから内閣の見解とは違うといった言い訳がきかなくなる。

 マスコミに対する弾圧を認可するような会合を仕切ったのもその人物だという話がある中で、内閣でもそうした部分を差配する官房の要職を占めることで、今度は正規の権力としてそうした発言が大なわれるなり、意向が示されることになる。それは拙いと上もやらせないだろうけれど、それでも勝手にやってしまうのがお友達な面々。外にあれば叱責で済んでも今度は一派として一蓮托生。そういうリスクを抱えてでも身内に引っ張り込む関係は、信頼というものを超えた何かネバッとしたものを感じないではいられない。まさかリスクとすら思ってなかったりして。だったら遠からずいろいろ起こるだろうなあ。起こっても知らぬ存ぜぬでスルーし、権勢を恐れてマスコミもなかったことにしてしまう。果てにくる社会の真っ暗ぶり。どうなってしまうのかなあ。この国は。そして僕たちは。やれやれだ。

 Amazonのラウンドテーブルミーティングがあったんで、萩尾望都さんが登場するイベントはなくなく諦め目黒へと行って話を聞く。Amazonのアカウントがれば他のECサイトでもログインして決済もできるようになる「Amazonログイン&ペイメント」を採用したサイトが200くらいになったとか。これが多いかどうかは分からないけれど、意味合いとしてAmazonの中でマーケットプレイスも含めて扱えないような、あるいは扱っていないような商品でも別のECサイトにあってそれがAmazonのアカウントで変えるようになればユーザーは便利だから導入を進めていくといったニュアンスのスタンスは、どうであっても品ぞろえを増やすことが勝者への道っていう認識が背後にあってAmazonらしいと感じた。他のサイトに塩を送って実を得るという。こういう迂遠だけれど壮大なビジョンを日本の経営者は描けているかなあ。気になった。

 今、読まれるべき1冊を挙げろと言われれば、僕は間違いなく、これを挙げる。野々宮ちささんの「帰らじの宴 華族探偵と書生助手」(講談社ホワイトハートX文庫)。すでに刊行されている「黄昏のまぼろし 華族探偵と書生助手」に続く第2作って位置づけだけれど、第1作ですでに吹き始めてい、た言論を弾圧し自由を縛り権力に媚びて社会を暗黒へと向かわせる風が、さらに強さを増しより醜悪な形で吹き荒れて読む僕らを打ちのめす。そしてその風は今、まさしく吹き始めている風。放っておけばどうなるのかというと、つまり小説の舞台となった昭和8年の日本が、数年を経て右傾化し軍国主義かしてそして戦争へと向かい戦場へと人を送った挙げ句、多くの命を奪い、そして多くの命を失い壊滅的な打撃を受けたのと同じ状況が、この国に訪れかねないといったことを思わせる。

 第1作で京都にある旧制高校の第三高に通う庄野隼人という少年が、華族の次男で小説家として活躍している高倉敦之こと小須賀光と出会い、とある華族の秘書が失踪してしまった事件を解決して、身分の違いという絶対的な壁が生んだ悲劇を描きつつ、それでも繋がれた命の尊さを示して感動させた。と同時に、そこに漂い始めた軍国主義が、そうした悲劇をもたらし別の離別ももたらして、だんだんと社会を息苦しくさせていく様子も描かれ懊悩させた。それから年を経て、昭和8年となった舞台で庄野隼人は学校内に吹き荒れる、いわれのない中傷が真実味を帯びて弾圧へと至るプロセスを垣間見、一方でそうした弾圧を堂々と唱える者たちが徒党を組んで台頭しては社会をそちらに引っ張っていこうとするさまに直面する。事件はある豪商の娘が若い教師と婚約したものの、その教師が事故か事件で死んでしまい、疑われた豪商の別の養女を救おうとするストーリー。

 その展開の中には貧しい出の者が上を目指そうとした時にとるだろう、堂々はしないで他人を卑下して自分だけを輝かせようとする尊大さがあったり、聡明な女性がそれでも自分をそのまま出しては生きていけない時代状況のやるせなさがあったりと多層的で多面的。禁断の恋路も示唆され、そうしたことが今ならまだ自由なのにままならなかった往事をしのばせる。もっともそうした自由もどこか縛られつつあるのが今という状況。そして物語の中ではそうした弾圧がだんだんと世間を満たす空気となっていくさまが描かれる。国士を気取って他人を誹り中傷して平気な人間が、崇められ跋扈していく。それを政治も軍部もきっと利用するのだろう。そして満たされる暗黒の中で、自由や正当を求める小須賀や隼人はどうなってしまうのか。近い将来を想像させつつそこから抜けだし嫌な空気を吹き飛ばす道を示唆する。僕たちは勝てるか。僕たちは生き延びられるのか。読んで考えよう。第3作「夜陰の花」が待ち遠しい。


【10月6日】 2015年のノーベル医学・生理学賞を受賞した北里大学の特別栄誉教授の大村智さんって、研究一筋で金になんた目もくれない清貧な人っていった世間が抱きたがる科学者のイメージとは何か違う。自分で製薬会社と話をつけて潤沢な研究費も確保し、それも特許を売り飛ばすような真似をしないでロイヤルティとして入るように仕込んで、売ってしまった場合の3億円の実に80倍にあたる240億円とかいった大きな金額を得てみせた。

 そんなお金を使ったどうかは分からないけど、趣味で絵も集め、それも女性アーティストというニッチだけれども重要なピースをしっかりと埋める仕事をし、地元で温泉も掘って温浴施設作って側に美術館も建て、さらに製薬会社がアフリカに無償で薬を配ることを認めたりと、なかなかに手広く活動している。研究者っていうより篤志家ってイメージ。金に無欲でも貪欲でもない、必要な分は得て必要とされる分野へ使う。日本には得がたいキャラクター。こういう人が増えたらもっと日本も、ほのぼのとして暮らしやすくなる気がするなあ。

 漫画の方は途中で読むのがストップしていてアニメーションの方は当時まだTOKYO MXが映らなかったんで1話も見たことがなく、劇場アニメーション映画もあから見に行っていなくて実写版映画は評判がアレなでやっぱり見ていたいという「進撃の巨人」だけれどでも、おおよその設定は知っているから楽しめるかなあと思って見た「進撃! 巨人中学校」はうん、結構楽しめた。そりゃあ元ネタを知っていたなら誰がどういうキャラで誰とどういう関係にあるかも含めて楽しめるんだろうけれど、エレンとミカサの関係くらいを知っていればだいたいは楽しめるから良しとしよう。スイカを持ってた少女がどうしてスイカに拘るのかとか、分かったらもっと楽しめたかなあ。唐突な設定なのかどうかも今では分からないのだった。やっぱり見るかアニメの方くらい。

 去年ものぞいたけれどもそんなになかったウェアラブルが、今年はあるかもしれないと以てのぞいた第28回国際メガネ展IOFT2015はざっと見て見つからないなあと歩いていた先でなぜかメガネスーパーのブースにそれが。タイプとしては神戸大学の塚本教授がいつも目の前に置いているようなビューワータイプのモニターをひとつではなく両眼の前に置くタイプ。そこにスマホあたりから位置情報でもって関連する情報を引っ張り出して表示させるとか。歩いていけば位置も変わって表示も変わるならそれはそれで手にスマホを以て歩くより安全そうだし腕につけた時計型の端末を見るよりも見やすそう。ただやっぱり目の前に装置がぶら下がるのはおっくうなんで、そのあたり製品化に向けてダウンサイジングや使い勝手の向上が図られる必要があるんだろー。それでも挑む精神に喝采。状況を見守りたい。

 去年はウルトラセブンというキャラクターのイメージを取り入れた眼鏡を出していた青山眼鏡では、今年はやっぱりウルトラセブンならこれだと、ウルトラアイの形を取り入れた眼鏡を製作して展示していて、格好いいなあと思い近寄って見たらなぜか同じカラーリングものが2本づつ出ていた。どうしてかと思いよくよく見るとその2本はちょっとだけ形が違う。そう、テレビ番組の「ウルトラセブン」の中で「ノンマルトの使者」というエピソードに登場したウルトラアイと、そして最終話に登場してスタッフが段ボールを切り抜き作ったというウルトラアイを、それぞれにモチーフにして作ったのだ。だからレンズの角の形が違う。考えたなあ。そして挑戦した。

 気分的には「ノンマルトの使者」の方が好きな形だけれどスクエア感が出る最終話バージョンも捨てがたい、って感じにファンなら両方買うのかな。でもフレームだけで5万円弱。それでも買うのがファンなのか。冬のボーナスあたりを見越して買ってしまうかどちらかを。ボーナスが出るとは信じられないけれど。コラボレーションではほかに「龍が如く」とコラボしたLess than humanの眼鏡があったり、「名探偵コナン」とコラボした眼鏡があったり。コナンのなんてアンテナが出るだものなあ、考えている。そうそうメガネスーパーにも「鷹の爪団」とコラボした「世界征服メガネ」なんてものがあった。かけるとどうしたら世界征服なのか。気になった。世界征服のために買って見るか。

 夕方になって今日もそういえばノーベル物理学賞の発表があるなあと、サイトを開いて中継の記者発表を聞いていたらまたしても日本人らしい名前が挙がった。そして分かった梶田隆章さんという名前。東京大学宇宙線研究所の教授で前にカミオカンデでニュートリノを世界で始めて観測し、ノーベル物理学賞を獲得した小柴昌俊さんの弟子にあたる人で、カミオカンデに代わって作られたスーパーカミオカンデでニュートリノ振動を発見し、ニュートリノに質量があるということを世界で始めて証明した。同じニュートリノでも発見と質量の存在、それぞれでノーベル賞が取れるのかなって不思議に思わないでもないけれど、存在を見つけることだけでなく、それに質量があることもまた物理学の分野でとてつもなく意味があることらしい。だからこその受賞となったんだろう。おめでとうございます。

 早速科学に強いジャーナリストの人から、戸塚洋二さんという人の名前が挙がっていて、調べたら梶田さんが参加した実験のリーダー役として、スーパーカミオカンデでもってニュートリノ振動の観測なんかを行っていた人らしい。2007年には米国のノーベル賞ともいえるベンジャミン・フランクリン・メダルを今回、梶田さんといっしょにノーベル物理学賞を受賞したアーサー・マクドナルドさんとともに受賞していたってことはつまり、存命ならば当然に名前が挙がっただろうけれども残念なことに2008年、癌のために亡くなっていた。残念だけれど巡り合わせってあるなろうなあ。今回のノーベル物理学賞では、梶田さんたちを受けてニュートリノ振動の観測を世界で初めて成し遂げた鈴木厚人さんは外れている。

 彼我の違いがどこにあるか分からないけれど、そういう差違も含めてドラマがあるだけに受賞が偉くそうでないのは違うといったことは思わないのがやっぱり良いんだろう。受賞を誇るのも。いや誇ってもいけど他国を見下すことはやっぱり違うと。どこかの新聞なんて最初は記事の見だして中国を大はしゃぎと揶揄していたのが、こっそり見出しを直していたもなあ。当然の訂正だけれど、最初に揶揄なり侮蔑が出て来て、それを疑問とも思わずはき出してしまえる心性が、もはや落ちるところまで落ちてしまったという証明なんだけれど、言われて気づけるうちはまだ大丈夫…ではないよなあ、心性そのものが直った訳じゃないだろうから。だからまたやる。今度もやっぱり書くのかな、韓国は悔しがっているとかいった話を。やれやれ。


【10月5日】 残酷であり戦慄であり観念的でもあった小説の「超人幻想 神化三八年」とは一変、同じ會川昇さんが原作を手がけ脚本も書いている「コンクリート・レヴォルティオ 超人幻想」は昭和ならぬ神化41年の、まだ戦後がどこかに漂っているような渋谷を舞台に、昔懐かしい東急文化会館の上にあるプラネタリウムが登場して往事を知る人たちを涙ぐませ、さらに昭和41年に登場した「ウルトラマン」をリスペクトしたような、人の命に寄り添うように存在して巨大化し敵と戦う力を持ったヒーローが現れ作品を知る世代を感動させる。

 一方で昭和41年にはちょっと恥ずかしすぎるかもしれない魔法少女も登場しては、昭和で言うなら50年代以降にそうした番組を見て育った世代にもちゃんと関心を抱かせつつ、そんな世代を超えたヒーローたちが大集結して何かを相手に戦っているような、そんな雰囲気を店ながらも5年後の神化46年に、「帰ってきたウルトラマン」が放送された昭和46年を重ね合わせてヒーローの再帰を描きながらも絶対的正義だったヒーローから、ちょっぴり社会に疑念を抱き自分に不安を抱いて離脱し反発する暗さを抱えたヒーロー像も提示してみせて、変化する概念といったものを感じさせる。

 ただひたすらに脳天気なヒーローたちの活躍に押し込めず、変化する時間の中で変化する意識も合わせて描こうとしているのだとしたらなかなかの力業。それらをリアルタイムな変化の中から感じていられた昭和30年後半から40年前半に生まれた人間は諸手を挙げて歓待できるけれど、そうでない若い世代はこれを見てそこでいったい何が起こっているのかを、どう読んでどう論じるかが今は興味。まあそう難しく考えなくても古今東西のヒーローたちが、その属性を身に帯びながら登場して活躍してくれる姿を楽しめそうなストーリー。顔は見えてもどう戦うのか、見えない面々もいるからそんなヒーローたちの変身ぶりに期待しつつ、毎週の展開を追っていこう。

 そちらがそんなヒーローの歴史と社会を振り返る物語だとしたら、こちらはヒーローのヒーロー性をどこまでも突き抜けるまで追求した物語ってことになるのか「ワンパンマン」。あまりにも強すぎて戦いに緊張感がなくなっているヒーローの物語だけれどもアニメーション版の第1話ってことで、その緊張感が蘇ってきた時にいったいどれだけの凄さを見せるのかが、凄さを極めた作画によって描かれもう全編ノンストップなパワーにあふれたエピソードになっていた。マッドハウスってやっぱりアニメーション制作会社なんだなあ。それとも監督の夏目真悟さな凄いのか。次回から本編どおりの展開になるみたいで、そんな中での人類最強なサイタマの戦いぶりを見ていこう。エンディングがまた1980年代テイストのアニメ歌謡で心にずきゅん。誰が唄っているかと見て森口博子さんだと分かって納得。ど真ん中の人だ。これはCD、買うかなあ。握手会とかやらないかなあ。

 やはり自分で体験してみなくては分からないと、上野の森美術館へと出向いて「蒼樹うめ展」の行列に並んでみる。午前10時から15分くらい前といった時間ですでにそれなりな行列が。ただ120分とか180分とかいった感じではなく、1時間くらいで入れるかなあと思ったらだいたいそんな感じに入り口までたどり着き、あとは中をするりと見て回ることができた。もう1回は見ているからとりあえずざっと見るだけに留めつつ、どこに人がいるかを確認したらメイキング映像のところは結構な人がたまっていた。やぱpりどうやってあの作品が描かれるのかに興味があるんだろうなあ。液晶ペンタブレットを駆使して描かれるそのイラスト。線の引き方や色の塗り方はやっぱりいろいろ参考になるからね。

 「魔法少女まどか☆マギカ」のコーナーあたりもさっとみてからとりあえず物販へ。こちらもだいたい1時間くらい並んでどうにか幾つか買うことができた。欲しかったタオルマフラーも展覧会のためのTシャツも売り切れだったんで、ラバーストラップを何点か。それが沙英と吉野屋先生とそれからほむほむってあたりに自分の好きなキャラの傾向が見えるっていうか、性格もうかがえるっていうか。ツンとしてたり抜けてたりとどことなくボンクラが好き。あと眼鏡なんかも時折属性といったところか。せっかくだからももう1冊図録も購入。いずれどこかで売りそうな気はするけれど、そうでなけれべ買っておいて誰か欲しい人がいたら譲ることにしよう。定価で。そんなこんなで2時間ちょっと。外に出て木彫彫刻の展示で秋川雅史さんの弥勒菩薩と観音菩薩を見たら上手かった。時間がかかるのかなあ。魂って入れるものなのかなあ。というかなぜ秋川さんが仏像を? そこが気になる。

 幕府山での虐殺を中心に現地で検証も行って南京事件へと迫った日本テレビのドキュメンタリー。今というこの時期に保守系の学者もそう認め、政府だって数万人規模の殺害があったと認識している事態を改めて紹介することで、世の中にそうかそうだよなあと思わせる意味は存分にあるとは思うし、そういう風潮を懸念して抑えようとする動きもあるかもしれない中で、よく頑張って制作し放送したという思いもある。さっそく見た人がそうだったのかあと驚きやっぱりなあと考え、無かったなんて言っている人たち、それがかつては一部だったのが今は政治の中にまで及んでいる状況をヤバいと感じるようになれば意味もある。

 ただ、厄介なのは幕府山での事件について、どれだけ言葉を紡いでもなかったことにした人たちは手記があって逃げたのを押さえ込もうとしただけだと言い、それは戦後に書かれたものだと突っ込めば戦時下で相手が法に背いたから処断したまでで虐殺ではないと言い抜ける。そんな言葉による鎧をまといつつ、仲間を増やし政権まで抱き込んでいる相手にどうすればあった説を主流にできるのか。ゲリラ的なドキュメンタリーの放送に止まらず、継続的に情報を掲げ無茶な反論をひとつひとつ諫めていくしかないんだろう。その手間は膨大で、さらに政権が締めにかかっているだけに先がちょっと思いやられる。だからここはせっかくのドキュメンタリーの放送を、ひとつの橋頭堡としてここから言説を広げていけれれば。あとは政権に荷担しなかった説を堂々と垂れ流して恥じない媒体を、どうにかできれば。これがなかなかしぶとくて。青息吐息なはずなのに、どうして保つんだろう。さっぱり訳が分からないよ。

 さてノーベル医学・生理学賞の発表が始まるぞとのぞいたネットの中継から聞こえてきた日本人らしい名前。調べるとおおむらさとしとあって、それが程なく北里研究所の大村智さんという名誉理事長だと判明する。おめでとうございます。聞くとアフリカとかで失明を呼ぶ病気の予防に役立つ薬を創り出した人だとか。地方の国立大学で教員になる過程を出て東京で定時制高校の先生になったものの勉強したいと大学院に行き海外に留学してそして戻っても日々是採集とばかりに土を集めては微生物を探してたどりついたその物質。丁寧に丹念に地道に根気強くやる大切さを知る一方で、アメリカの製薬会社と組んで資金もちゃんと得て、研究を安定させ人材も集めることの意味も教えてくれる。象牙の塔でそっくりかえってたって何も生まれずどこにも出せないってことか。

 同じノーベル医学・生理学賞を中国の女性科学者も受賞したとかで、こちらはマラリヤの治療薬というなじみもありそうな薬の開発者。その受賞を中国も大喜びしているんだけれど、どこかの新聞は「屠ユウユウ氏は博士号も留学もない『三無教授』 『真の科学者いない』中国で称賛の嵐 …“偽物”じゃない初受賞と大はしゃぎ」だなん見出しでそのはしゃぎっぷりを見下している。喜んだって良いじゃないか。その喜びには喝采を贈れば良いじゃないか。どうして日本がフィーバーしているのを自虐せず、相手が心底喜んでいるのを腐すのか。中国の悪口さえ書いていればアクセスが稼げると思っている短絡があり、そのエスカレーションからとりあえず見下し嘲弄するような言葉を並べてみせるのが習い性になっているんだろう。記事を書く方もそういうスタンスに媚びて中身をチューンしてくる。そんなスパイラルが生んだ濁り淀んだ紙面をいったい誰が嬉しがるんだろう。首をしめているなあ。やれやれ。


【10月4日】 基本、なんだよなあ、やっぱり。ラグビーのワールドカップ2015イングランド大会で日本代表がサモア代表を相手に快勝。前半なんて20点を奪いつつ相手に1点も取らせず後半こそ2ペナルティキックで6点を上積みした一方で1トライを奪われ5点持って行かれたけれど、そんな数字はさておいても前半後半ともに日本代表は相手のランを2人がかりのタックルで止め、キックをされても前に落とさずちゃんと運んで陣地を奪い返していく感じ。ラックからボールを出してパスを回してもノックオンとかあまりせず、せっかくのチャンスを潰して相手にボールを持って行かれることもなく、落ち着いて進めていけた。

 前のスコットランド戦だとどこかで焦りからかミスを生んでボールを落としたり無意味なファウルで相手にアドバンテージを与えてそこからボールを回され突っ込まれるといった感じで後半、崩壊してしまった。それとは逆に今回は前半に相手に焦りを与えてミスを連発させ、ファウルも出させてシンビンで2人を一時的に退場させるくらいにプレッシャーを与えられた。これをやられると後半も相手は余裕がなくなり冷静な攻撃を行えない。まあそれでも1トライを持って行く一方、日本にトライを与えなかったところは自力なんだろう。これを行かして次はどこと当たるんだっけ、どこでも良いから南アフリカかスコットランドに勝って日本の上位進出を手助けして欲しいなあ。

 ともあれラックからパスを出して走り回して突っ込みそこからラックを作ってパスという地味な?ぎに、キックでラインの外へと出してそこからラインアウトで投げ入れられるボールを奪われることなく確保しモールを作って数で押す。スクラムを組んでも崩されることなく押し切って1度は認定トライを奪うくらいのパワフルさをサモア相手に見せていた。それもだから基本。スクラムにラインアウト、ラックにモールといった基本をしっかりこなしつつパスで変化も付けることで相手を押して時に攪乱もして攻撃権を保持し続けた。これだけ持てればそりゃあ奪われない。そういうラグビーを日本代表がどうして出来るようになったのか。鍛えたし学んだからなんだろう。それと同じ事をかつてトゥルシェ監督がやったけど、監督が替わってすべてパーに。エディ・ジョーンズがヘッドコーチを降りて果たして継続できるか。そこが目下の課題だろうけど、とりあえず今は目の前のアメリカ戦で勝利を。それも大勝を。期待して良いのかな。

 早起きをしてお台場で開催される痛Gふぇすたinお台場2015へと出向く途中、気になって上野の森美術館で開催されている「蒼樹うめ展」の様子を調べたらすでに早朝から長い列が出来ていてすでに300分待ちになっていたとか。それってつまりは5時間待ち? コミケだってそこまでの時間、待つことはないこともないけれどあったりもするけれど、流石に普通の展覧会でこれはないだろうと思ったものの、最長でそれくらいにはなっていたらしい。とはいえ待たせるわけにもいかず通常より1時間半も早い開場へ。そして場内を回って物販へと並ぶ人が出てこちらも下手しなくても3時間とか5時間とか待つようになったとか。入場はスペースがあるから限られもするだろうけれど、買えば人が次ぎに変わる物販でどうしてそんに並ぶのか。場所が狭いのとレジが限られるのがあるんだろうなあ。要改善。せっかくの思い出をそれで壊してしまうのは寂しいから。

 そして到着したお台場レインボータウンは快晴で、去年の暴風雨の中での開催がもう信じられないくらいにお天気に恵まれた。ちょっと暑かったくらい。ジョイまっくすさんの司会と「痛車グラフィックス」の編集長のコールで幕を開け、そして回った場内になぜか成田童夢さんがいた。秋葉原ミクミクカレーなんかを売ってるブースの傍らで、痛板というか「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」の黒猫が描かれたボードなんかを並べつつアニソンDJを実演中。そっち方面にシフトチェンジしことはもうずっと聞いてはいたけれど、改めて見ると本当になじんでいるし真剣に楽しんでいる。こういう人がこういうキャラでボードとか乗ってくれていたら世間の見る目も……逆に不思議視線が集まってしまったか。僕らと違ってそういう耐性、惹くそうだからなあ、大手メディアは。

 だってもう本当にお台場にあるテレビ局の真下でもって、もう8年くらい続いているのにこのイベントがそのテレビ局によってニュースとして取り上げられたなんて話は聞かないし、上野の森美術館で5時間待ちだなんて大変な、ちょっと申し訳ない賑わいを見せている展覧会が紹介されたって話も聞かない。それはニュースだし、文化でもあるのにどうしてか取り上げようとしないのは目に見えないものは存在しないという、その目に映らないからなんだろうなあ、こうしたポップカルチャーが。だから初音ミクとか取り上げないしアニメも現場は熱心でも局として盛り上げようとはしない。日本テレビとかTBSが映画を作りイベントを開いてもまるで知らん顔。これで売ろうたって無理な中で「心が叫びたがってるんだ。」も「屍者の帝国」もよく頑張っているなあ。そこは讃えたい。

 まあ最前線の現場は「アフロの変」とかでニッポン放送の吉田アナとか起用したり、ネット放送でアナルな金田淳子さんに喋らしたりとチャレンジはしているんだろうけれど、それが本放送に跳ね返ってこないことが今の停滞を招いているのかも。「ウゴウゴルーガ」とかやってた局がどうしてこんな。おしゃれなコネ持ちばかりが入社してそうした方面へのアンテナが細ってしまったからなんだろうか。まあ良いけど。良くないか。どっちなんだ。さて開場には「初音ミク」やら「蒼き鋼のアルペジオ」やら「放課後のプレアデス」やら「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」とか新しいもの、人気のものがいっぱい並んで今を映し出してた。

 それはトレンドであると同時にひとつのメディアでもあって、そうした痛車の存在が作品への愛を表すと同時に作品の存在もアピールするツールになっている。だから公式で痛車を作って送りだすところも増えているんだろう。こうした痛車もただ、非公式なファンのささやかな愛の証明で果たしてずっと済むのか、といった問題に今後直面するかも。いわずとしれたTPPの問題なんだけれど、同人イラスト的に自分で描いて楽しむとか、同人グッズ的に商売にならない程度を作って配るならまだしも、版権イラストを自分で拡大して張って果たして個人の使用の範囲で留めておけるのか。おけるだろうけどそうした痛車を使って何か収益につながることをしたらやっぱり問題も起こりそう。そうした線引きをどこにするか、明確でなくても自重と許容がうまく折り合いをつけていけるかで、進化と発展もありそう。オフィシャルに使える版権画像があって、それなら一定料金で使えるようにするとかなれば良いんだけれど。それにはまずはやっぱり文化として認知されること。テレビ局とか真剣に取り上げないかなあ。ビルダーとか。痛車の中古販売ビジネスとか。

 さすがに「蒼樹うめ展」へと行く気力もないんで秋葉原へと回って電撃文庫のイベントを見物。3000冊の登場を記念したタワーに古橋秀之さんの「ソリッドファイター」が並んでた。懐かしいなあ。つかまた出せば良いのに。完全版とかもやっぱり絶版ななろうか。それから秋葉原UDXの東京アニメセンターへと回って「がっこうぐらし!」の展覧会。めぐねえのPOPが飾ってあった一角に建つと何か涙が出てきた。頑張ったんだなあって。けれども終わってしまったんだなあって。そんな切なさ。人生ってままならないなあ。せっかくだからと「蒼樹うめ展」の当日券をそこで購入。現場で買うと大変そうなんで。これで行けば並べば入れるけれど、平日でもやっぱり3時間待ちとかになるんだろうか。そこがちょっと分からないのでとりあえず、行ってみようか上野の森へ。


【10月3日】 なるほど、という名案も流れてきた人間ピラミッドへの対処法。ちょっと前にコトブキヤから出ていたミサカ盛りを使って積み上げるコンテストをすれば3段が5段で10段であっても潰れて怪我をする人なんておらず、そこそこの緊張感が楽しめる上に後ろから見ればいっぱいの縞々も見られて超楽しいといった感じ。問題はもう売って無くって買い集めると相当なお金がかかりそうってことだけれど、これがちゃんと正式に種目化すればコトブキヤさんだって再発してくれるだろう。さあ挑戦するのだミサカ盛り13段。前に店で見た時は壮観だったなあ。今は無き旧ラジオ会館の中だった。トゥッゥルー。

 いきなりの巨大な兵器を登場させてその圧倒的な強さって奴を見せつけてから、それがヘヴィーオブジェクトと呼ばれ核兵器も効かない絶対的な兵器であってその登場を持って戦争の様相は一変し、兵器や兵士が肉弾戦を繰り広げるような戦いは終わってヘビーオブジェクトとそれを操るエリートによる一騎打ちの様相を呈するようになったって、説明をストーリーの中ですれば良いかもとか思ったけれど、すでに戦場にあるヘヴィーオブジェクトは一騎打ちの対象となってて、それに通常兵器が挑む戦争は過去のものになっているとするなら時勢が合わないからやっぱり、過去に起こったことをナレーションで振り返り、そして今のぐうたらな兵士たちのぼんくらな日常を見せるのが、段取りしとして良かったのかもしれないテレビアニメーション版「ヘヴィーオブジェクト」。

 原作を読んでいるからそのあたり、おさらいとか必要なかったけれどもアニメとして見だした人にはどこまで受け入れられたのか。まあ気にせず今は騎士道的な一騎打ちが通常となっているけど、そんなヘヴィーオブジェクトにも世代間の差があって、我らがお姫様の機体は古くいつかはやられるかもしれないという状況。そして一騎打ちとはいっても白旗を揚げれば一件落着になるとはいっても、現場ではやっぱり人の命のやりとりもあってそこにクウェンサーとヘイビアも巻き込まれていった中で、迫る敵のヘヴィーオブジェクトに対して人間だけでどうするか? っていったスリリングな頭脳戦ともちろん肉弾戦を楽しめることになるはず。期待して見ていこう。しかしフローレティアさん、相変わらずいい胸をしてる。あとオープニングのおほほも。でもおおほって。それは言わぬが花ってことで。

 胸といえば舞台挨拶付きで見たらやっぱり凄かった「蒼き鋼のアルペジオ−アルス・ノヴァ−Cadenza」に登場のヤマトおねえちゃん。あのたっぷりの胸に頭を埋めて慰撫された記憶を持っているムサシなだけに、復活して現れたはずのおねえちゃんがつるんとしてぺたんな仕様だったらそりゃあ怒って当然だ。「うるさいうるさいうるさい」と釘宮ボイスで叫んで暴れて不思議はなく、実際にそんな行動へと向かうんだけれど「おねえちゃんはゆるしませーん」とばかりに下から消えて上から突っ込む怒りの鉄槌に打たれてムサシもさすがに保たなかったってことなのか。同じようにやられたヤマトは復活できたんだから、あるいはどこかでひっそりと生き延びておねえちゃんと2人、定食屋でも営んでいたりするかも。そんな可能性を信じたい。霧の生徒会のメンバーが魚屋さんを開いているように。違ったっけ。

 イオナでも西住みほでも小柄でおとなしくて従順そうな役柄をこなしている渕上舞さんも登壇しての舞台挨拶は入ってくるなりでっけーとかって叫んでキャラクターとはまるで違った雰囲気を見せてくれて司会の鷲崎健さんも微苦笑というか何というか。M・A・Oさんは役柄の霧の生徒会長っぽい扮装もあってか元よりの性格なのか、清楚でりりしくしゃきっとしていたけれども作中では生徒会の面々をまとめられずにあたふたしているお母さん的扱いを受けていた。可愛そうだけれど実際そうだから仕方が無い。でもナチにも実は小馬鹿にされてるんじゃないの説が渕上さんとかハグロ役の五十嵐裕美さんあたりから出ていてそれもそうかもと思うとさらに悲壮さが。そしてハグロさんはキャラに合わせてネクタイの長いコスプレで登場。今回からの参加だけれど本人の雰囲気と合っていた。他はどんな感じだろうか。ミョウコウとか福原綾香さんだから似合うかな。1度くらいは行きたいアルペジオイベント。頑張ってチケット探してみよう。

 なんというか元ネタのある写真をトレースして自分の作品に持ち込むことへの非難がしばらく前からあったりして、それで漫画家の人とかが自分では撮りにいくのも難しいスポーツのシーンとか雑誌から見てポーズを真似て描いて指摘され、作品が取り消されたりした事態も起こってもうちょっと、世の中緩くならないものかと思った記憶もあるけれど、さすがに実在するシリア難民の少女の写真を引き写して、表情もポーズも服装もほぼそのままに描いた横に難民は気楽な稼業と来たもんだ的なコメントを添えて流布させることには、誰もそれは行き過ぎた批判だって言うこともなく四方八方から糾弾の矢が向かい弾が飛んで当然だろう。

 だって少女はそうした主張をしていない。するはずもない。難民として苦労を重ねキャンプ地なり国外に出て命はあるけれども明日が来るかは分からない日々で、生き続けることさえ精一杯な中で楽ができるから難民になろうだなんて思う余裕があるものか。身内にはきっと命を失った者だっているだろう中で、難民生活を続けているはずの人間が、楽がしたいから難民になるんだなんて言うはずもないのに、そういう風に言っているかのような言葉を添えてイラストにして満天下に晒していった、当人をどれだけ侮辱しているのかが分からないらしい作成者の神経っていったいどういう風になっているんだろう。そこがどうに分からない。

 言いたいことがあるなら自分の筆で言えば良い。それには誰か見解としての不穏さを指弾はしても、個人の思想だといって排除は求めない。だから少なくとも難民の少女の写真を使うべきではなかったのに、使ってそのことを恥もしなければ臆しもしないで使って当然、そのままじゃなくイラストにしたのは配慮ですよと言って元ネタがあることは認めつつ、それはもはや違うものだといった主張を繰り広げる。芸術だから何をやっても良いんだ的なことまで言う。なるほど表現は自由だ。けれどもそれには責任が伴い、ともすれば激しい憤りの中で命すら賭すことになる危険もある。さすがにそれは暴力で、排除されなくてはいけないリアクションだけれど、そうではなく人間として、社会から指弾される覚悟も持っての行動なのだとしたらあとは社会に任せるしかない。ただ今、そうした社会にも当たり前の感性が通用しない人が増え、そうした中で生きていけるようになったいるからなあ。困ったというか。参ったというか。どうなることやら。

 そして戻ってTOHOシネマズ日本橋で「屍者の帝国」の舞台挨拶付きを観る。昨日に続けての干渉だけれどニコ生でやってた舞台挨拶の中継で牧原亮太郎監督が結構良いことを言っていたのでそれを直に聞きたかった。つまりは伊藤計劃さんが残したものを受け継ぎ広めていくことの意味って奴で、自分たちが受け取ったことをそのままではなく、咀嚼して噛みしめて付け加えもしながら多くに広めていくことで、伊藤計劃さんの真に伝えたかったこともいっしょに伝わっていくような気がちょっとした。祭りあげて神棚に入れて神輿に担いで崇めて唯一絶対にしてはいけないし、つまらないってことで。円城塔さんもだからその思いに自分を乗せて小説を書いた。牧原さんたちも思いに円城さんの意識も載せて映画にした。僕たちは何を乗せてどう伝える。試されていると思う。そうした咀嚼と拡散こそがもしかしたらProject Itohなのかもしれない。だから考えよう、「屍者の帝国」の持つ意味を。そして語ろう、ハダリーのおっぱいの素晴らしさを。


【10月2日】 誰のためにやるかというと、それを見て楽しみたい親であり、そうした親に子供たちにやらせているところを見せたい教師であり、そんな教師たちを束ねている校長であり、さらには校長たちをひとつの象徴とする国家権力のためであって、やる側の子供たちには何もメリットもなく、怪我でもしたら一生を棒にふりかねないし、死んだらそれこそ意味もない人間ピラミッドが、取りやめられることなく続いているのは、そんな国家権力を讃えるためだとするならば、まさに国王の権勢を満天下に示すエジプトのピラミッドと思想はいっしょ。そして建造の過程で大勢の人が犠牲になったことも。

 それでもピラミッドでなければいけない理由が果たしてあるのか、ってのが今きっと教育の現場で問われていることであって、けれども国家権力は慰撫しなくてはいけないというならば、ここは同じ権力者を埋葬する墳墓でも、ピラミッドより安全性の高い兵馬俑を人間たちによって形作って見せれば良いんじゃなかろーか。それこそ1000人の全校生徒たちが体に泥を塗りたくり、天日で乾かしてテラコッタのような格好になって整列し、立ち続けることによってその毅然とした態度、整然とした状況、何より国家権力を敬うといった姿勢を見せればもうそれで十分な気がする。立っているだけでは誰も骨折はしないし。

 ただ1時間では足りない、1日でも半端だから3000年、立っていろ、それも坑に埋もれた格好でと言われればそれはちょっとキツいかも。せめて1週間にしてくれれば……ってそれではやっぱりピラミッドと一緒か。まあ実際に誰がやることもなく、冗談で終わるだろう人間兵馬俑。それでも反抗期にあるどこかの男子高校生たちが、人間ピラミッドのばかばかしさをアピールする意味から体育祭で全員が半裸になって体に泥を塗って乾かした姿で校庭に立ってこれなら安全だろう? ってやってくれれば面白いかもしれない。そんな高校生が今時いるかなあ。そもそもが兵馬俑では分からないか。じゃあ人間クレオパトラだ。っていったい何をやればクレオパトラになるんだろう。鼻高々? 真珠を食べて蛇に噛まれる? それもまたステレオタイプなイメージで。

 Part2、とは呼ばないけれども便宜的にファーストシリーズに続く2ndシリーズとしてのPart2と呼んでおく、1977年から1980年まで3年間にわたり全155話が放送された超人気テレビシリーズが、やっぱり大勢にとっての「ルパン三世」のイメージなんだろうなあ、ってことはちょっぴり剽軽でエッチでもあって、銭形のとっつぁんと常に追いかけあってドジも踏み、それでもどうにか成功はしてみせる泥棒兄ちゃんであるところのルパン三世をこそ、スタンダードだと思い込んでいる人の多さからもうかがえる。「とぉーっつぁーん」ってあの口調で言わなければルパン三世じゃなく、大野雄二さんによる音楽が流れなければルパン三世じゃない、といったことも含めたそのイメージの強固さは、ファーストシリーズの色を蘇らせた「次元大介の墓標」を受け、そちらにシフトするかと期待もさせながら、そうではない道を選ばせたことからも分かる。

 そう、21世紀になってスタートしたテレビシリーズで、「LUPIN the Third −峰不二子という女−」を勘定に入れたがらない口調では30年ぶりとなるテレビシリーズとなった「ルパン三世」は絵面こそ「峰不二子という女」であり「次元大介の墓標」なんかを思わせクールでスタイリッシュでハイクオリティなんだけれど、ストーリーは35年の昔が蘇ってきたかのようにギャグでコミカルでユニークでエロティック。銭形のとっつぁんが登場すればかかるあの哀愁に満ちたBGMがあり、高いところから落下すれば先に落ちる相手にむかって空中を泳ぐような描写があってとギャグで愉快なビジョンがあふれ出てきてPart2を毎週、笑いながら見ていた脳を懐かしがらせる。

 あの3年間に限らず、その後に再放送されまくってそれこそがスタンダードだと思った脳に、ビジュアルはともかくストーリー的にはピッタリとハマる。そんな感じ。当時はまだ、おおすみ正秋さんが起こして宮崎駿さんらが引き継いだ、最初はクールでその後もスタイリッシュなルパン三世のイメージがまだ残り、違うこれじゃないこうじゃないんだ的な文句も浴びながら、一方でより大勢が見て楽しめる国民的ヒーローとして、Part2のルパン三世の存在は広がり高まっていった。それが血肉に染みてDNAにも刻まれている大勢にとっては入りやすく、見て疲れずそれでいてビジュアルは格好いいルパン三世が楽しめるなら、30代でも50代でも楽しんで毎週見ていくことになるんだろう。

 お宝ともいえる宝冠を狙われている割には、警備が手薄すぎるとか、周辺にいる奴らがルパン三世も含めて阿呆過ぎるとか、そういった設定もお約束として咀嚼してしまうんだろう。だからヒットする、って行けばいいけど見ては楽しいけれどパッケージを買ってまでも、ってなるとそこは微妙。希に見る内容だった「峰不二子という女」、OVA的でまとまっていた「次元大介の墓標」は買っても、あるいは「名探偵コナン」とのコラボは買ってもこれはとなると躊躇しそう。いやいやPart2テイストは初回だけで、後はクールでスタイリッシュなルパンが戻ってくるならそれもそれ。だからしばらく、様子を見てから判断しよう。出来ればボックスで出して欲しいなあ。

 やれやれ、厄介なことになったようで、制作会社のマングローブが破産しそうになってしまったことで伊藤計劃さんの原作を3作品、連続でアニメーション映画化するプロジェクトの一翼から「虐殺器官」が落ちてしまった模様。当初は11月に公開する予定だったけれども公開は延期となって代わりに12月公開予定の「ハーモニー」が繰り上がっての公開となった。1カ月先に延びたからといって完成するとは思えず、かと言って某「ガンドレス」のように中途半端な色塗りのまま公開して後で全員にビデオを送るようなこともできないだろうから、3カ月連続は2カ月に止まり劇場も年末の開いた穴をこれからどうやって埋めるかの算段をしていきそう。まあ弾はいくらでもあるんで埋まるだろうけど、その時期を抑えながら手放す配給側は痛いだろうなあ、収益を見込んでいた製作委員の方も。

 それともそれぞれに2週間づつ期間を延ばしたりするんだろうか。「屍者の帝国」と「ハーモニー」の。ただ初日の入りを見たところでは金曜日ってこともあって今ひとつ、そしてストーリーも果たして1カ月以上のロングランに耐えうるかっていうと、そこはやっぱりイベント感はあっても大作感は出ていない企画の悩みが出ているかもしれない。面白くないわけじゃない。フランケンシュタイン博士の作った人造人間が魂を持って出奔したあと、死体を動かし使役する屍者が一般化した19世紀の世界で友人の復活を目論む青年が、世界を旅しながら鍵となる書物を探す過程で様々な人物と出会い、冒険もして戦いも繰り広げると言うストーリー。そこには人の本質とは何か、魂とは何なのかが問われるドラマもある。

 ただ自分の友だちのことばかりを考え世界を見ず、それで大勢が大変なことになってしまって自決もしない主人公とか、ちょっとイラっとするというかあんまり感情移入できないというか。最後に救いもあって世界を捨てて友人を取った罪も減殺はあれるけど、それもガキっぽいその振る舞いにはちょっと辟易させられる。だから世界も救われたんだけれど、そこに至る過程での失敗も踏まえてのことだからなあ。最初から頑張っておけばと。ただ登場するハダリーって女性は胸が砲弾型ともロケット型とも違う、N700系の新幹線みたいに平たくてボリュームもある不思議な形のものがふたつ、並んだような形でいったい裸になるとどういうおっぱいなんだろうかと思ったりとか、見どころは幾つかある。バベッジの差分機会も含めたメカニカルな描写もサイバーにスチーム。そうしたビジョンと屍者が跋扈する世界観、さらには有名人のオンパレードの果てに来る世界のさらに先なんかを思う楽しみもあるんでこれはこれで良作なのかも。もう1度くらい見よう。「ハーモニー」も待ち遠しい。

 うめてんてーだ、うめてんてーだ、うめてんてーこと蒼樹うめさんの展覧会があるってんで上野の森美術館に行って内覧会を見物。某「蒼樹うめ展新聞」を作るために出展ブツの一覧を見ていたんで結構な分量が出ていることは分かっていたけど、実際に入って眺めた部屋に並ぶ作品の多さにはただただ驚くばかり。完成した物もあれば途中のスケッチなんかもあってどいういう風に絵が描かれ、塗られ完成していくかが分かるようになっている。それはメイキング映像のコーナーなんかにもあることで、下描きからペン入れがあってそして色塗りへと向かうプロセスを、蒼樹うめさんが実演をしながら見せてくれる映像が流れているから、それを見れば自分なりに液晶ペンタブレットをどう使って作画するかが見えてきそう。

 展示ではやっぱり気になる「魔法少女まどか☆マギカ」だけれど、それぞれのキャラクターをどういう風にデザインしていったのか、その要点なんかが書き記された絵が割と大きなタペストリーとして飾られていて、近寄らなくてもその字を読めばだいたいのことが分かりそう。「機動戦士ガンダムF91」のデザイン案に書き込まれた安彦良和さんとかの注文を読むために行列が出来た「大河原邦男展」のような状況は避けられそうだけれど、それでも豊富な作品と、ところどころに自分の筆で書かれた作品解説なんかを読んでいたらやっぱり相当な時間がかかりそう。ちょいエロなほむほむの水着は自分でほむほむらしくないんで没にしたとか。あとはグッズ売り場の混雑が心配かなあ、Tシャツとかマフラータオルとか記念メダルとか、本当に面白そうなグッズがあるんだ。また行きたいし買いたいけれど、期間中は大変かなあ。週明けにのぞいてみるか。


【10月1日】 朝のワイドショーでも三重県での女子高校生刺殺事件はやっぱり取り上げられ続けていて、やっぱり頼まれて刺したといった線が濃そうだけれどもそうした状況は別にして、あの場所を橋本紡さんが書いた小説「半分の月がのぼる空」に登場して、“恋愛の聖地”と呼ばれていることを紹介する番組も少なからずあった。難病の少女が死にたがる展開があるってことを抜き出して、やっぱりライトノベルの影響があったんだと思わせそうなところもあったけれど、そこはすぐさまラストの方で少女は少年と共に生き続けることを願い、たとえ喪われてもそれでもずっと思い続ける覚悟を示す物語だということをしっかりと伝えていた。

 枠にはめたがるメディアにしては真っ当な対応。もしかしたら番組制作者にファンがいて、そういう話じゃないからちゃんと伝えようとしてくれたのかなあ。分からないけどそれはそれでありがたい。とはいえ別のワイドショーでは、嘱託殺人の線が濃くなった中で少しは違ったことを言いたいと思ったのか、リポーターが聞いた話として刺した男子高校生には時々激高するところもあったといった話を元に、ただ頼まれたから刺したといった線じゃないといったことを言い出した。だったら無抵抗だったのはどういうこと? って思わないでもなく、リポーターも色を出すためにいろいろ大変なんだなあという同情とは別に、思惑だけで語ることの危なさってのも同時に感じてみたり。

 さてそれではいったい何があったのか。頼まれて刺すということの心理はやっぱり分からないけれど、刺してという心理にはただ死にたいというものとは別に、止めて欲しいという気持ちも平行線としてあって、それが交互なり振幅なりして出たり入ったりしていたんじゃなかろうか。前に家でした時も死にたがっていたのかもしれないけれど、同行していた違う男子高校生が止めて引き戻してあげたからどうにか踏みとどまった。今回もそういう気持ちがどこかにあったかもしれないけれど、止めてはくれずむしろ積極性を示したことでそれならと受け入れ、死を選んでしまったのかもしれない。心理は複雑で正解はやっぱり分からないけれど、もしも後、そういうことがあったのなら必死で止めるのが「半分の月がのぼる空」が好きな僕であり、僕たちの役目だということは言っておこう。

 そして最終回を迎えた「オーバーロード」は、シャルティア相手にアインズが他のメンバーが残したアイテムを使い単独での戦闘力なら誰よりも上のシャルティアをしっかりと倒して一件落着。誰がいったい狙っていていそれが今後の展開にどういう影響を及ぼすのか、分からないけど魔法と武力のぶつかり合いによる戦闘シーンは楽しめた。でもやっぱりストーリーが進んでいく方が嬉しいかなあ。他の王国とか別の勢力とかとぶつかり合うまではいかなかったし。戦闘シーンもクレマンティーヌ戦の方が迫力もあって帰結も凄まじかったし。まあそこは何か思わせぶりだったから2期とか用意されているんだろう。続きがあるなら本を読んでみたいという人もいるかもしれないけれど、アニメーションとしてはやっぱり半端な終わり方だし。それを言うなら「神様ドオルズ」の終わり方の半端さなんてないけれど、漫画が終わったからもういいかな。連載途中の漫画のアニメ化って難しいよね。

 ツイッターで倒産の噂が出ているからといって、それを個人が受けてひそひそ話的に拡散するのはまだしも、それなりに名の通ったメディアが噂があるんだと記事にするのはやっぱり良くないと思ったアニメーション制作会社のマングローブの件。だって噂はまだ噂であってもしかしたら一生懸命に支援くれる相手を探している最中かもしれないし、再建計画を作って銀行とか取引先を回っている最中かもしれない。そんなところに確報に近い形での倒産だなんて話がひろまったら、まとまる話もまとまらなくなって本当に潰れてしまうかもしれない。過去にもそういう例ってあっただけに少なくともメディアは東京商工リサーチとか、帝国データバンクが報じるか自分たちで連絡をとって裁判所への申請が行われるか行われたのを確かめて、字にするのが真っ当な態度なんじゃなかろうか。

 それなのに漫画とかいろいろの分野で結構な情報を出しているサイトが、噂が流れたと字にしてしまい、それが広まって確報めいたものになってしまった。それが常態化するともうネガティブな情報は確実なものとして受け止められると覚悟するしかなくなってしまう。急ぐ話でもないので慎重を期して欲しいんだけれど、目の前のアクセスには差からねないのかもしれないなあ。んで結局のところマングローブは自己破産申請の準備に入った模様。「サムライチャンプルー」から始まって「ミツコとハッチン」とか意欲的な作品を手がけていたけど意欲的すぎたかもしれないなあ。そこは同じサンライズから分離組でもボンズの方が巧くやっている。ヒット作と抑えて手堅くアニメ化しつつ意欲作も織り交ぜる。経営者の感性かなあ。気になるのは公開も近い「虐殺器官」だけれど間に合うのか。どこか引き受けたのか。そこに関心。見守りたい。

 セーファーインターネット協会なんてものがあって、Yahoo!だとかピットクルーなんかが会員となってはネット上にある違法・有害情報の通報を受けたり、自分たちで見つけたりしてその削除を依頼して回っている活動を行っているそうだけれど、その実績発表があって聞きに行ったら読売新聞がいっぱい来ていた。部署が違うのか3、4人はいたような。なにか特集でもやるんだろうか。それはさておきわいせつに児童ポルノにリベンジポルノといった情報が、ネットに上がったからといってそれを削除してくださいと頼んで削除してもらえるのか、それが国外サイトならなおのこと話が通じるのかって不安もあったみたいだけれど、この2年近い活動の中で海外でも7割8割のサイトがちゃんと対応してくれたというから話せば分かるというか、誰もがやっぱりネット上の有害情報には苦慮しているというか。

 ただそれでもリベンジポルノだと3割くらいが残ってしまう感じで、情報がネットに出てから時間が経てば経つほど拡散の範囲も広がって対応してくれないところも増えるらしいから、そういう事態になったら即座にセーファーインターネット協会に言うなりした方が良いってのが会見での主張。警察に言うのもまずは良し。そうやって早ければ拡散も数サイトで済んで対応もしやすいから。ただもうちょっと軽いわいせつとか、危険ドラッグになると海外では法律に違反していないからって対応してもらえないケースもグッと増える。そしてそれが日本に入ってきてトラブルの原因になる。どうするか、ってどうしようもないんだけれど、それにはやっぱり見ない近寄らないといった能動的な対応が必要になるんだろう。教育とも言える。そういうことをやって収まるか。抑止効果はあるのか。なんてことがこれからの注目ポイントか。今後に関心。


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