縮刷版2014年9月上旬号


【9月10日】 アギーレジャパンの第2戦とやらを着けていたのに眠ってしまって気がついたら2対2の引き分けで終わったそうで、新メンバーとして入った武藤嘉紀選手が得点し、初招集ではないけど出場は多分初くらいな柴崎岳選手も得点してとアギーレ監督が見て選んだこれからの選手たちが着々と活躍しているようで良い雰囲気。というかこれだけの逸材をどうして4月あたりで見つけて拾い上げて経験を積ませておかなかったんだ、って思いすら浮かぶけれどそれができないのが名前負けする日本の常。4年前に香川真司選手を入れていたら、今大会のように臆して慌てることもなかったのにと思うと心残りも多くなる。

 そのあたりは、小野伸二選手や市川大祐選手を混ぜて底上げを図ろうとしたトゥルシェ監督とは違うところだったけど、ようやく未来を見据えた戦略ができるようになったってことだと理解して、新戦力の活躍を期待してみていこう。このあたりは間もなく始まるんだっけ、アジア大会の方でメンバーにはいるのかな、そこは五輪代表を中心とした手倉森ジャパンが臨むのかな、どっちにしても若い世代が入っていかない4年後はないし、今の若い世代だって4年後にはそれなりの中堅になってしまう。10代の逸材を見いだしていって欲しいけど、そんな逸材今いるかなあ、バルセロナの久保健英選手とかは……まだちょっと早いか。宮市亮選手の覚醒はまだか。

 そして明け方にかけてアップルの新製品発表会があったみたいでツイートとかネットとかを眺めていたらまずはiPhone6の巨大なplusってのが登場した。そのサイズは1万円札大。ってことは財布に入るのかなって思ったけれおd、厚さが7・1ミリあるそうで、それはつまり1万円札が71枚分くらいになる訳で71万円をすっぽりと入れて歩ける財布でなければiPhone6 plusも入らない。でもってそんな大金を持ち歩けるような財布なんて持ったことがないから、本当に実在するかどうか分からない。お金持ちの人教えてプリーズ。財布って1万円札が何枚まで入るものなの? まあ現金持ち歩くよりは普通にカードだろうれど。おっとそうだとすれば給料袋には入るのかな。でも71万円が入って立てると立つ給料袋なんてもらったことないからやっぱり分からない。ちょっと悲しい。

 しかしここでplusが着たからにはiPhone、次はiPhone7ってのが来て着信音とかで派手なロックサウンドを奏でてくれたりするんだろうなあ、その次は当然ながらiPhone Zeroで南海の孤島を舞台にiPhone誕生のドラマが描かれる、って物語なのかよiPhone。続いて一気に宇宙へと飛び出てやっぱり音楽が大きくクローズアップされた機能を搭載したiPhone Frontierってのが出てきたあとにiPhone FB7 オレノウタヲキケ! ってのが出てくるという、まるで超時空的な展開だったら胸が躍るけれどもそんな作品を知っているティム・クックではないだろうし。彼が知っているのは「ロボテック」だろうし。iPhone Robotec。どんなスマートフォンだよそれ。

 さて今回の発表ではいよいよ待望のスマートウォッチを発表していてその名も「Apple Watche」は他にこれまであったスマートウォッチみたないかにもデジタルデバイスですよ感がなく、ケースもベルトもリューズ周りも洗練されたデザインになっていてファッションウォッチのような雰囲気であらゆるシーンにとけ込むようになっている。ベルトも樹脂製のものもあればスチール製のものまで多種多様。ファッションシーンとか自分のスタイルとかに合わせて好みの物を選べるようになっている。文字盤も自分で自由にカスタマイズできるから、アナログだとかデジタルといったデザインをシーンに応じて作り替えておけるし、他の誰かといっしょのデザインってこともない。個性をそこに表現できるのはマニアにはちょっと嬉しいかも。

 ただ逆に言うならデザインも伝統も含めて腕時計を見につけるアクセサリーととらえている人には、ここまで自分でいろいろやらなくてはいけないメカをフル活用するのは面倒くさそう。電池だって2年3年持つわけでもなく、定期的に充電しなければ動かない時計なんて果たして時計といえるのか、って感じに突き放してしまいそう。必要なのはただ時刻を知る機能であって、それすらも希薄になっている時に時計であるといって与えられてもきっとApple Watcheは受け入れられないだろう。やっぱりスマートフォン的な多機能をそこに集約して活用できるという利点をもって、一種のウエアラブルコンピュータとして受け入れられるんじゃなかろうか。だとすればあそこまでのデザイン性が必要だったか、ってあたりが疑問か。あるいはデザイン性でとりあえずファッションな人に時計として使ってもらいつつ、だんだんとその機能の虜にしていく戦術とか。でもiPhone持たないと使えないって面倒さがあるからなあ。やっぱり先行き不透明。どういうシーンにマッチするかを見極めたい。

 例えば以前ならその一言で大臣を辞めさせられていたような発言が、ちょっとした誤解なりちょっとした言い間違いといった程度で済まされ陳謝の後にその座に止まり続けるようになっていたりする状況があって、だんだんと規律の壁が下がってきているような風潮にあったりするだけに、今回のネオナチな団体の長と大臣なり自民党の偉い人なりがいっしょに写真に収まっていた一件も、不用意ではあったもののその時には気づかなかっただけで悪気はなかったという説明でもって、国内的にもメディア的にも一件落着が図られていくんだろう。でも事はすでに海外へと広まりそうした目で見られるようになっている。ただでさえ世界的に差別主義が厳しい視線を浴びている中で、究極の差別を行った団体を支持する人物と席を同じくしたってこと、それが処分もされず居残っていることをもってこの国への信頼は、さらに損なわれていくことになるだろう。それに気づかず自分たちの尊厳だけに縋りつつける面々が、国益に反してないと言えるのかっていう問題に当人たちが気づいていないか、気づいていないふりをし続けているこの苦境。未来は本当に厳しいかもしれない。


【9月9日】 もちろんWOWOWなんて加入していないから見られなかったけれども全米オープンの錦織圭選手とマリン・チリッチ選手との戦いは、ワイドショーなんかが速報体制組んでたお陰で何とはなしに経過は分かって見ると1セット2セットを連取されて3セット目もリードされ、そのままストレート負けというちょっと残念な結果に。それだけチリッチ選手が強かったってことで、ランキングでいうなら錦織選手より下ではあったけれど、それでいて準決勝でロジャー・フェデラー選手を一蹴して決勝まで来た勢いってのもあった訳で錦織もその上り調子に飲まれたって感じかも。錦織選手だって同じ調子はあったけれどストロークで打ち合うタイプじゃなかっただけに相性もちょっと悪かったかな。ともあれ決勝まで行ったってことでとりあえず歴史は作った。次はそれを塗り替える歴史を。いつか。あるいはすぐにでも。

 そんな錦織選手を日本人選手初といって応援するのはみっともないと、どこかのアナウンサーが書いていて、にわかにわき出てくるそうしたファンを鬱陶しく思う気持ちは分からないでもないけれど、だからといって悪し様に言うほどテニスに精通している訳でもなければ普段からテニスを専門に取材している訳でもないんで、こうして時折でも話題になってくれれば、それがフックとして日本出身という経歴を持っているなら、それを拠り所に応援してみたくなるっていうのは人の心情。もちろん圧倒的な強さを誇るゴルフで言うならタイガー・ウッズ選手みたいなのが出てきて、どこの国とか関係無しに応援してみたくなる場合もあるけれど、そんな選手は滅多にいないからなあ。だから日本人選手として近しい錦織選手に注目があつまるし、それを当人だって不快に思ってないだろう。思ってたらデビスカップとか出ようとは思わないだろうから。

 けどどこかのアナウンサーはそういう態度すら頭ごなしにぶっつぶしにかかるから鬱陶しい。でもってそれを非難されると自分は昔っから錦織選手を見てきたんだ、そしてテニスだってやっているから言う資格はあるんだと叫んでみせるから何というか。でも取材ったってテレビ局にいた時代にお仕事でいった訳で自分から積極的に彼を対象として追いかけてきた訳ではない。一期一会だったものから生まれた親近感でもって言ってるだけでちょっぴり早いだけの「にわか」と言われたって仕方がない。テニスをやっているかどうかって話も多くの人に少しだってテニスの経験がないってどうして言えるのか。そうした想像力を巡らせる余裕もなしに、自分の視点のスバラシサって奴を世に訴え、それを非難されるとキレてみせるんじゃあ、支持だって信頼だってされないだろうに。新しいファンを作るきっかけを「にわかが!」と言って潰して入り口を狭めるような似非マニアにはなりたくないなあ。でもガンダムはファーストから。

 そして新聞を見ると全紙が昭和天皇の実録に関する報道をしていたけれど、新聞によってどこから見るかというよりはどう見たいかで解釈も分かれていて面白かったというか、相変わらずに自分の見たいことしか見ようとしないメディアというか。例えば毎日新聞なんかは元宮内庁長官の富田朝彦氏が残したメモが追認されたと大々的に報じて、昭和天皇が靖国神社参拝を止めるようになった理由をA級戦犯の合祀にあったとする説が追認されたといった感じに報じた一方で、産経新聞なんかはいつもの麗澤大学の八木秀次教授を引っ張り出してきては、富田メモは両論併記的に並べただけで別に追認もしていなければ否定もしておらず、むしろ靖国神社の参拝が政治問題化してしまって、参拝に不可欠な静謐な環境を保てなくなったからと書いていたりする。つまりは騒ぐ周囲が悪いといった論調。

 そして富田メモをスクープして報じこの問題の端緒をつけた日本経済新聞 なんかは見出しにまで取って「A級戦犯合祀が理由 」と書いてみせたりする。そんな各紙のスタンスに対して読売新聞は保守側に立ってはいても慎重なのか、あるいは学術的にテキストを読み込むことを旨として文学的に解釈することを避けたのか、「史料の解釈が分かれるとして断定せず」といずれの希望的観測も入れてない。朝日新聞は今ひとつノリが悪いけれどこれは何だろう。どこかに何か書いてはあるんだろうけれど、それを前面に繰り出して来ないのがちょっと不気味。何かあったんだろうか。政治問題化している話題に吹き上がると批判が重ねられると臆したとか。

 まあしかし、こうして実録に添付されたということは富田メモの存在事態は捏造でもなく虚偽でもないって認められたことであって、内容にも触れているあたりをもってスタンスとして内容の真実性も認めていると解釈するのが流れとしては妥当なんだろうなあ、というのが資料なり史料から歴史を読み解く上での真っ当な態度なんだろうけれど、でもなお認めようとせず、他に理由を探そうとして無理矢理に学者先生を、それもそう言うと決まっている人を引っぱってくるあたりにそう主張したい新聞の苦しさってのがあるのかもしれない。1面からだいたいを、昭和天皇による太平洋戦争終戦への聖断といったニュアンスで埋め尽くしていたりするのは、それしか大きく書きようがないと実録を読んで、思ったからなのかもしれないけれど。真実に目を向けろと訴えつつ真実から目をそらす分裂が何をもたらすか。分かっていても止められないんだろうなあ。それとも分かってすらいないのか。

 とりあえず買ってはみたけど竹内まりやさんの新作CD「デニム」を実はまだ聴いていたので内容についてはちょっと不明、まあいつもの竹内さん的なボイスでもって切々と謳われる女性の日常って感じになっているような気はするけれど、今回はジャケットが「TRAD」で竹内さんがツイードのスーツスタイルで映っているのが気になったというか気に入ったというか。決して忘れられた素材ではないけれど、でも野暮ったさもあって若い世代には今ひとつ、浸透してないツイードをこうしてトレンドセッターの竹内さんが身につけることで、世間的に評判になっていってくれればツイードファンとしてはちょっと嬉しい。これを機会に山梨鐐平さんのアルバム「ツイード」も再発ってことになったりすればなお嬉しい。昔聴いたけどもう覚えてないや。


【9月8日】 盛り上がる盛り上がる。もうすぐ今回のクールの最終回へと近づいて「ハイキュー!!」がインターハイの県予選で大盛り上がりを見せている。大王様が率いる青葉城西を相手に健闘して1セットを奪いタイで迎えた第3セットをリードされながらも追い付き、そこから持って行かれてもはや打つ手なしかと思われたけれど、山口忠の失敗はしても頑張ったジャンプフローターサーブが選手たちを結束させてどうにかすがりついてそしてマッチポイントを迎えた相手に日向が放ったど真ん中からのスパイクが決まった瞬間、清子さんの顔がポカンとした驚きとやったという歓喜の綯い交ぜに成った表情を見せていて改めて惚れた。アニメだからこそ出せるその表情。実写だと誰が演じてもどこか感情が走り過ぎるんだよなあ。ともあれ残りわずかの戦いが、どこまで繰り広げられるのやら。来週は絶対に見る。

 盛り上がっているんだけれど、相変わらずに淡々と話が進んでいく「魔法科高校の劣等生」はいよいよもって論文コンクールの研究発表が始まった最中に会場を狙う不穏な動き。敵にはとてつもない強さを持った男が復帰して、本気で狙ってくるんだけれどそこは天下無双の司波達也とやっぱり誰も適わない司波美雪がそろっているから大丈夫、って訳にはいかないんだったっけ、確か。前にも九校戦で見せた達也の再生の力が皆の前に明るみになるんだけれど、それは決して便利ではなく相当な苦しみって奴を要求されるもの。だから安易に使われては困るっていった話が深雪の口から飛び出すんだっけどうだっけ。つまりはそれくらい緊迫したバトルが繰り広げられるってことで、どんな戦いが見られるのかに乞うご期待。これも来週からラストまで見逃せない。

 そして気がついたらテニスの全米オープンで車いすテニスの国枝慎吾選手が男子シングルでも優勝してこれで年間に行われる4つの大きな大会をすべて制していた。すなわちグランドスラム。英国だけいわゆるウィンブルドンとは違う競技となっているけどそれが車いすテニスの4大大会ってことになっているから、健常者のテニスと同様にグランドスラムって言って良いだろう。というか国枝選手、すでに何度も4大大会で優勝していてパラリンピックでだって金メダルを獲得し続けている有力選手。そしてグランドスラムまで果たしたのならもはや国民栄誉賞って話にだってなって不思議はないんだけれど、世間は錦織圭選手が全米オープンのシングルスで優勝するかどうかって話題ばかり。何か一抹の寂しさを感じてしまう。まあでもそれで国枝選手の偉業が消える訳ではない。誇りを胸に帰国して堂々のプレーをこれからも見せて欲しいもの。応援していこう。

 そうかマイナス7・1%か4−6月期のGDPの年率換算だか何だか。聞くと2011年3月の東日本大震災を含んだ期よりも落ち込みが激しいそうで比べられるのはリーマンショックの時くらい。あれはさらに倍くらいの落ち込みだったようだけれど、世界的な強行には及ばなくても1000年に1度の天災を超える影響力って奴をあの時期の無茶な消費税引き上げは発揮してしまった様子。これが7−9月期で回復に向かっていれば良いんだけれども天気は夏が長く続かず8月終盤には雨に入って寒さも出始め夏物の見切りができないまま、冬物の商戦へと入ってしまったからあんまり延びてはいなさそう。給与だってやっぱり延びていない状況でいったい消費が上向くとも思えないだけに、やっぱり厳しい数字が続くんだろう。

 でもそこは天下の安倍ちゃん、内閣改造で見かけを盛り上げそしておそらくは北朝鮮の拉致問題をテコに支持率アップを狙ってきそう。でもそんなに都合良く行くんだろうか。心情としては明るい材料になって欲しいけど、それが経済政策をも肯定するものでは絶対にないことは、信者でもない限りは十分に知っている。尖閣だ竹島だと騒いだところで国内の景気が目に見えて上向きになるような状況が生まれて来ない限り、外に向けられていたはずの敵意は打ちに向いて爆発することになるだろう。そうなっては困るけれど、そうならないと辞めそうもないんだよなあ、安倍ちゃん。応援するメディアがコケでもしたら足下をすくわれひっくり返るだろうかどうだろうか。そもそもメディアはコケるんだろうか。

 コケるかもしれないし、そうでないかもしれないってのが今の分水嶺的な状況か。IT企業の最大手といっしょになって運営して来た新聞社系のニュースサイトが、今月いっぱいをもって提携解消となって、独自ドメインからニュースを発信していくことになったみたい。向こうは向こうで総合的な情報ポータルを目指すことになっていて、そこにはニュースも入っているけど今までのような1社との提携をメインにしないで、あらゆるところから集めてきては重要な順に並べていく、っていうのはYahoo! に似た形態か。そこで重要になるのはアクセス数が狙える扇情的で変態的な見出しと内容を持った記事なのか、それとも正確でジャーナリスティックでなおかつ影響力の大きい記事なのか、って判断が必要になるけど、IT企業の名前が上についたサイトで、ただ煽るだけのヘイトもかくやと思わせる記事が、積極的に引っぱられるとも思えない。

 となるとやっぱり正確性があって影響力も大きいものが選ばれるってことで、取材力があって人的リソースもしっかりとしたところが有利になるんだろうなあ、そして今までの取材力より空想の翼が尊ばれた媒体から来た、想像力の限界に挑んだような記事なりコラムは後回しにされると。それらが無条件でまとめてお金になってた時代は過去となるとすると、当然ながら見入りも減る訳で、その分を何で稼ぐかっていうと独自のアクセスになるんだろうけど、それが簡単に延ばせる時代でもないのはよの中が証明している。アフェリ上等といった感じに煽りと誘いと吊りでもって埋め尽くして、一時を稼いでもすぐに中身の拙劣さが知れて離れていってしまう。それが分かっていればここで原点に回帰し、早さとか珍しさではなく正しさとか大切さを求めるジャーナリズムへと向かうはずなんだけれど、分かってなさそうだけに早く載せて全部載せてアクセス稼げってことになるんだろう。金が稼げるかは微妙だけれど。

 稼げるかってことになると、何かオピニオンを集めたサイトも作られるみたいだけれど、そこに集まる面子を見ただけで、どんな意見が出てくるのかってのがだいたい分かって、そういう人は行くだろうけれどそうでない人は行かないってことが早くも丸分かり。安倍ちゃん大好き葛西さんの会社の系列っぽく、原発再稼働に大賛成な「月刊Wedge」とか、歴史の間違いは許さないと拳振り上げていそうな「歴史街道」や、経営者に寄り添った「THE21」とか、朝日ガーと見出しにこれでもかと並べてみせた元朝日の雑誌編集長がやってる「月刊WiLL」とか、偏って通ぶりを発揮している「歴史通」、そして「週刊ポスト」だの「SAPIO」といったマッチョな方々御用達の雑誌から、記事が並んでそこに正論に溢れた意見が囲い込まれるように載って、これまで以上の読者をつかめるかっていうと逆に内向きに収斂していくだけのような気がしないでもない。でもって行く人が積極的にお金を落として会員みたいになって読んでくれるかっていうと、そういう時代でもないのは今どきの雑誌事情が証明している。未来は果たして。とりあえず10月移行のアクセスがどうなるかに注目だろうなあ。

 知らなかったけれどもサンリオの「SHOW BY ROCK!!」ってアプリゲームがなかなかの人気で、60万ダウンロードを達成していたとかで、そんな人気をバックにこの「SHOW BY ROCK!!」が2015年に深夜アニメ化されるってことで大崎まで見物に。音ゲーと育てゲーが混じったような内容には興味がそそられるし、アリス十番とかクラムボンなんかが参加してコラボレーションしている音楽への傾倒とかも気になる。そういうタイトルだけのアニメの方も音楽性の高い内容と成長の楽しみを味わえるストーリーになってくれると思いたいけど、いかんせん放送局とかが不明。TOKYO MXでやられるとほとんど見られないんだよなあ。まあニコニコと仲がよさそうなんでそっちで配信されることに期待。サンリオ久々に行ったけど鮭の切り身が歩いてたよ美味そうだった。なるほど人気出るわけだ。


【9月7日】 気がついたらテニスの全米オープンで錦織圭選手が準決勝であのジョコビッチ選手を敗って決勝に進出していた。4大大会のファイナリストになるのは女子のダブルスと混合ダブルスで杉山愛さんがすでにいて、杉山さんは優勝もしていたりするし車椅子テニスだと國枝慎吾選手がグランドスラムを達成していたりするけれど、シングルスとなると男女とも確かベスト4が最高だったりしただけに、トップともいえる男子のシングルスでの決勝進出はやっぱり偉大な快挙と呼んで差し支えはないだろう。直前まで怪我が心配され大会中もフルセットにもつれ込んだ試合も多いのに不屈の闘士でファイナリストに。この勢いで勝って初優勝をもたらして欲しいけれども果たして結果は。テレビで中継みたいなあ。

 早起きしたんでバルト9で2度目となる「攻殻機動隊ARISE border:4 Ghost Stands Alone」。今度は席が良かったか施設の関係が画面も明るく素子のお尻もだいたい見えた。電脳会議室だかに集まって話し合うメンバーをすっくと立って見下ろす素子を後ろからとらえた場面とか、赤いたぶんレザーのスーツにつつまれた小さいお尻がなかなかキュートなんだよなあ、でも中身が柔らかいのかそれともカチカチなのかは不明。凄腕のバトーを1発で叩き伏せるパンチを繰り出すあのボディが義体でも脂肪に覆われているとは思えないし。どうなんだろ。触れてみたい素子のお尻。

 ストーリーについてもだいだい見えてきた感じで、基本的には陸軍情報部の仮面大佐がワルモノで国外でいろいろ悪さをしたつけを払いきれなさそうで慌てて工作をしてたって感じで、そこでハッカーを使いカウンターのハッカーを取り込み送りこんだという感じなんだけれど、相手だってこれも凄腕の陸陣501機関を率いる谷間もくっきりなクルツ中佐なだけに、返り討ちにあってゴーストを上書きされるようなドジな少女を送りこんだとも思えないからあるいは取り込み暴れさせつつ敵を浮かび上がらせそして追い落とす作戦を廻らせていたのかも。

 その過程では草薙素子もライゾウも使い潰して構わないとすら考えていそうな冷徹さ。でもくぐり抜けた素子はどうにか生き延び晴れて公安9課に独立攻性の自分だけの舞台を立ち上げた、と。そこまで至らせた荒巻部長の画策が実はすべてを上回っていたかどうかはちょっと分からないかなあ、ハリマダラ重工業前での自衛隊員たちによるハックされての集団虐殺は止められなかった訳だし。それを見過ごし犯人をあぶり出す冷徹さはさすがにないし、それをやったら素子だってついていかないし。不思議な男だ荒巻部長。歳幾つくらいなんだろう。ともあれおおよそ分かった「border:4」。関係者による説明もついたスタッフナイトは行けそうもないけれど、キャストナイトがあったら是非に行こう、あればだけれど。どうなんだろ。

 そうか、そうまでして売りたいか。相手がたとえ失点しようとそこにつけこみ誹り煽りつつ己を売り込もうとする商売っ気もあらわな振る舞いがそそうか日本を取り戻すとか言ってる人たちの心性なのか。相手が転んでも笑わず手をさしのべる優しさとか、相手が叫び向かってきても受けず黙して語らない美意識といった日本に古来よりあった感性は彼らの中にはもはや存在しないのか。それは安倍ちゃんとその界隈の心性でしかないというのなら、心底から日本の美意識を愛したい面々はここで無体な振る舞いをする面々にしっかりと立ち向かって欲しいものだけれど、いっしょになって騒ぐばかりというのはつまり、もはやそれが日本人の美意識となってすり替わっているという現れなのかもしれな。醜い○○人だなんてもう言えない。

 双子の弟がいるけれど、嫁がいて子供もいて一軒家の持ち家に住んでいて車に乗っている普通の暮らしをしていて、とてもじゃないけど自殺なんてしそうになかったりするし、そもそもが二卵性なんで顔があんまり似てないんで突然に双子の弟が突然に自殺したら親は何を思い自分は何を考えるかっていう所はちょっと分からない。だから読んでみたのがアオヤマミヤコさんの「クラゲの食堂」(講談社BOX)という小説で、主人公の高校生には双子の弟がいたんだけれど、なぜかある日突然にナイフを腹に刺して死んでしまう。理由は不明で誰にも思い当たるふしはない。悩んでいたのか苦しんでいたのか。双子の兄が優秀でそのプレッシャーに潰されたって感じでもないのは生きてる兄がそんなに聡明そうに見えないから。あるいは兄が豪快で弟は繊細で世をはかなんで新だといった雰囲気もない。

 とはいえ生き残ったのが片方だと当然に起こる親の戸惑い。2つあった同じ顔が1つになればそこにかけた1つを思い出して悲しみその悲しみを外へと吐き出してしまったの漏れ聞いて、兄はいたたまれなくなって家を飛び出し電車を乗り継ぎ海辺の町まで行って、そこで砂浜に倒れていたところをダイビングか何かしていて海から上がってきた男に拾われる。それは嵐さんとよばれる近所で食堂を営んでいるマスターで、それなりに美味しい物を出しては近所の人たちから支持されていた。そこに転がり込む形になった双子の兄は、記憶喪失のふりをしていたのを告白し、嵐さんが持つある秘密を知ってもなお逃げず逃げ場所もない中で、食堂に居候しながらやって来る人たちの間で揉まれ、だんだんと自分の居場所を探していく。

 その嵐さんの秘密がどことなくファンタスティックというか、あるいはもとより海から来た存在だったのかもしれないって思わせるくらいに神秘的。ビジュアルにすると市川春子さんの「25時のバカンス」なんかを思わせる淡々として静かだけれど少しづつ変わっていく世界が浮かび上がってくるけれど、そんな漫画と似てこの「クラゲの食堂」もなぜそうなのかといった謎解きには向かわないで、迫り来るその時に向けて淡々と進んでいくという感じ。そこからささやかな変化を感じ取り、自分の心情と重ね合わせて変わっていく意味というものを見いだすストーリーって言えるのかも。今にいていずれ去る運命の中で誰かを拾い世話をして次につなげる役割というものの意味なんかも感じたいところ。

 何かアニメ化も進んでいるってことだけれど、どういう形で公開するんだろう。前も講談社BOXからだと「アルヴ・レズル」がアニメ化されたけれど企画に乗って1発で終わってしまったからなあ、本のプロモーションになったかも怪しいところ。続きが2冊も出ているのにSF方面であんまり話題になっていないのが勿体ない。まあいずれ誰かが注目するだろう、僕では世間に通るような声がないから無理だけど。読んであと思ったのは出てくる料理が美味しそうだったってことかなあ、魚も良いけどオムライスも美味しそう。その腕を三崎は継いだんだろうか。そして驚いたのはイラストを担当している趙迎樂さんが中国の雲南省昆明に在住ということ。軽井沢じゃないけど海のない土地で日本の食堂と海とクラゲと街並みを描いている。ちょっと驚いた。どこにいたって世界は見られるし知れるのね。

 存在は知らなかったけれども事故で韓国の女性アイドルグループのメンバーが1人亡くなったという話に心が痛んだレディースコードから、同じ事故で重体になっていたもう1人も亡くなったという報に、希望を抱いて芸能界へと向かい、夢をかなえようとして頑張っていたその人生が突然に断たれてしまう残酷さを感じ、その悔しさを思いさらに胸が痛くなる。重体だったクォン・リセさんという人は日本生まれで福島市の出身で、日本の大学を出ていたそうで、いずれ日本へと凱旋して活躍する夢もあっただろうにと思うと残念で仕方がない。桜塚やっくんの事故死もさあこれからという時だっただけにやっぱり悲しかった。突然の死というものがもたらす断絶への悲しみを、取り戻すことによって埋めることはできないだけに、今はこれまでの活動を讃えつつ、残されたメンバーのこれからを祈りたい。合掌。


【9月6日】 いやあ、まさかこういう言い訳をしてくるとは。それなりに文才もあり法律の知識もあって目端が利く頭の良い人たちが、ずらりとそろって高給を得ているからには、もう突っ込まれるような戯れ言は繰り出して来ないだろうと思っていたのに例の池上彰さんの原稿を不掲載にして、それに非難が集まるや一転して掲載したことへのおわびと説明がふるってた。まず驚いたのがその経緯において「話し合いの結果、予定日の掲載を見合わせる判断をしました」という部分で、それがいった誰でどういう判断でもって載せないとなったのかが分からない。

 どうやら主語は「本社は」ってことになるんだけれど、それはつまり会社ぐるみだったって言っている訳ではなく、かといって特定個人を論ってそこがボトルネックになってしまったと明かしている訳でもない、ただ曖昧な中でなんとなくそういう話になってしまったといった雰囲気を醸し出している。もちろんそんなことは絶対になくって、特定の誰か、つまりは担当の編集者なり記者なり編集権を持った編集長なり報道局長なりの判断がそこにあった訳だけれど、それを認めてしまったら自分の失点につながると思っているのか外には明かそうとしていない。

 でもそれでは不掲載にいたったプロセスも、再掲載が認められたプロセスも分からず誰がどの段階でどういう権限をもって状況を差配するのか見えないまま、これからも運営が続くことになる。そこのボトルネックが存在するかもしれないという雰囲気の中で、果たしてまっとうな意見なんてものが出てくるのか、逆にあらかじめセーブを加えて益体のないものばかりが集まるようになり、書き手もそんな人ばかりんあってしまうんじゃないのか。社内にもそう思い声を上げる人がいるのはなかなか頼もしいけれど、それが束となって特定個人の責任を希求するような動きには流石にならないだろうなあ、それやってしまうとメディアも自分たちにブーメランとして跳ね返ってくるし。そういや宇野常寛さんのコラムが途中で打ち切りになった件とかあったよなあ。どことは言わないけれど。

 これは大昔にとてつもない美少年モデルで今は映画を撮っている黒田勇樹さんがツイートで指摘もしていたことだけれど、「本社には言論による批判や評価が寄せられる一方で、関係者への人権侵害や脅迫的な行為、営業妨害的な行為などが続いていました」「こうした動きの激化を懸念するあまり、池上さんの原稿にも過剰に反応してしまいました」っていったことはつまり、脅迫や人権侵害や営業妨害的な行為が向かえば朝日新聞は筆を曲げるってことを満天下に広言していないか、って話になる。絶対に言い訳では使っていけなかった言葉をさらけだしては自分たちは仕方なかった感を出そうとしてしまっている時点で言論機関として大いに問題な訳だけれど、それを報道局長だなんて中心の人が書いてしまっている体たらく。やっぱり起こるべくして起こった一件なのかもしれない。右も右で無茶が過ぎるだけに頑張って欲しいのに、自爆していく感じ。困ったなあ。

 朝もそんなに早起きしないでTOHOシネマズ川崎まで出向いて「攻殻機動隊ARISE border:4 Ghost Stans Alone」の初日初回を舞台挨拶付きで鑑賞。これで4作を同じ劇場で舞台挨拶付きでコンプリートしたけれど、黄瀬和哉総監督や草薙素子役の坂本真綾さんとともに毎回登壇していたプロダクションI.Gの石川光久の姿がおらず。何か手紙を寄越していてこの日に発表になった2015年効公開の「攻殻機動隊 新劇場版」について話したいたけれど、その末尾に「ニューヨークより」だかって書かれてあってそれに坂本さんが「イラっとしますね」と笑いながら話していたのが印象に残った。いつもいるのに何故いない? たぶん何か大事な用事があったんだと思うけれども何なんだろう。まあいずれその成果も出てくるだろうとそっちは期待。

 問題はその新劇場版がどんな時代で何を描いて誰が演じるか、ってあたりだけれど舞台挨拶ではそこを登壇者に突っ込むことは厳禁だったらしく、読み上げられる石川社長の手紙なんかへの反応から伺うしかなかった。さっぱり分からなかった。まあでも声として田中敦子さんから受け継いだ形の草薙素子役は坂本真綾さんになるんだろうし、バトーやトグサといったあたりもこなれて来たからそのままいってくれるんじゃなかろうか、たとえ時代が前後しても。問題はだから時代ってことになるけれど、期待するのはようやくもって結成された「ARISE」での公安9課が「STAND ALONE COMPLEX」へと向かわないまま発展していった形かなあ、あの面子の成長していく姿を見たいんだけれどでも、それだと「結成」という核となるドラマがなく、かといって神山健治監督が見せた社会性政治性を盛り込んでも二番煎じで面白くない。じゃあ過去か。それだと「攻殻機動隊」にはならないんだよなあ。まあこれもいずれ話が出てくるだろう。じっくり待とう。「EVANGELION 3.0+1.0」より先か後かも気にしながら。

 さて物語はといえば先の「border:3」に思わせぶりに出てきたエマって美少女の正体めいたものが示されたんだけれどどうにもこうにも立ち位置が分かりづらいというか、陸軍の501機関を率いるクルツにあるいはホズミの追い落としに利用されただけなんじゃないか的な印象が残ったんだけれど正確なところは1見だけではちょっと不明。かかしとの関係も分かりづらかったけれどもでも、すりつぶされて上書きされて残った自分のなけなしの自我たちが、それでも居場所をもとめてあがき最後は電脳の海に消えていったかもしれない可能性が、後の人形使いの誕生とかを思い起こさせた。ここのあたりが次に繋がっていくんだろうか、それとも。「booder:2」に登場したヴィヴィーもその本体がどこから来たか今ひとつ分からなかったし。何かうごめいているのかも。それらの埋め込みを集めて作品に仕立て上げるのかも、冲方丁さんが。そこはやっぱり他にいないだろうしなあ。

 TOHOシネマズ川崎のせいか座っていた場所が前過ぎたのか、スクリーンが暗くて全体に何が行われているか分かりづらく、せっかくのたっぷりあったアクションシーンもすごさがちょっと見えなかったのでまた行こう。素子のお尻とかいっぱいでっかく映し出されていたのにだいたい潰れてしまっていたし。あとは前回も出ていた眼鏡の博士の扱いがちょっぴり可哀想だったことか。貴重な眼鏡キャラなのに。中身はセーラーマーキュリーなのに。まあ仕方がない、監督も違えば扱いも変わるということで。しかし最後、留置場から出てきた素子を公安9課の面々が勢揃いしてお出迎えしていたのには驚いたというか、ドライな関係だと思っていたらしっかりファミリーになっていた。それを認めて荒巻部長も設置を許可したのか、もっと他に意図があるのか。最後まで食えない狸だったよ。でもカッコイイ。ああいう人がもっと日本にいればなあ。したたかで、それでいて正義にはうるさいお役人。いないなあ。


【9月5日】 あのダイソンがいいいよもって自在に動き回って掃除をするロボットを出すそうで、画期的なアイディアに先進的なデザインでもって家電の常識をひっくり返したメーカーだけに、さていったいどんなロボット掃除機を出すのかと思ってみたけどこではダメだ、猫が乗らない。上に360度を見渡して見張るカメラがついていて、それでもって掃除した場所を確認していく仕組みになっているようでそれはそれで自在に動き回って壁で戻るだけのルンバとかと違って先進的で省エネ的ではあるけれど、上に猫を乗せたらカメラが塞がってしまうというデメリットがある。

 それでも猫を乗せたいのなら、たとえば猫とロボット掃除機とを接続する有線なり無線の仕組みを取り入れて、そして猫が乗ったらカメラを猫の目に切り替えるようにしないと掃除機もどこに行ったら良いか迷ってしまう。いや何で猫を乗せなくちゃいけないかって話なんだろうけれど、だってロボット掃除機に猫が乗るのは普通じゃないか、というか猫を乗せてあっちこっちをグルグルと動き回ってこそのロボット掃除機じゃないか。そういう製品の機微ってものを知らないと出してもヒットしないと思うんだけれどダイソン、次のバージョンで改良してくれるかな、乗せずともせめて猫がつかまったまんま引っ張り回されるような取っ手を付けてくれるとか。やっぱり猫か。

 蓋然性というものを踏まえるならば代々木公園でデング熱のウイルスを媒介する蚊が見つかったのなら、隣の明治神宮にだってやっぱり同じような蚊がいてもおかしくはないし、そこいらで感染した人が地方へと戻っていってそこで蚊にくわれその蚊がウイルスを別の誰かに媒介したっていう可能性もゼロではない。人から蚊を経て人へと伝染する例はそれほど多くはないようだけれど、でもやっぱり可能性として踏まえておくならこれから日本中にデング熱の症状を表す人はどんどんと現れ、そして結構な人数が感染者として記録されることになるんだろう。

 けれども、東京都も国もとりあえず代々木公園だけ閉鎖して良しってんだから暢気な話。近隣には日本のみならず世界中から人が集まる原宿がある訳だし、渋谷だって人が大勢集まっている。森で言うなら新宿御苑はそんなに離れてないし、水辺を辿って北の丸公園へと向かうことだてありそう。ってことはもう東京中が。そして日本中が。症状だけ見ればそんなに重症化はしないみたいで、何の症状も表さずにおさまってしまう人もいるらしいから潜在的にデング熱のウイルスを持っていそうな人は相当いそう。それをもって安心して良いと判断するか、結構ヤバいと見るべきなのか。政府あたりがちゃんとイニシアティブを取ってその安全性を告知するなりするしかないんだろうな。でも今どきの人はそれは嘘だ何か隠しているって反発してこれが安心だって民間療法も飛び出してしっちゃかめっちゃかになるという。困ったものです。

 天下の朝日新聞がライトノベルだと認定していたみたいなので、新潮文庫nexから出る本を読んでライトノベル書評家がライトノベルを紹介するコーナーでレビューを書いて良いんだと安心はしたけれど、でもそんな1冊の河野裕さん「いなくなれ、群青」を読んだらライトノベルというかどこか幻想的で刹那的でもあって空虚で切なくて観念的な感じが村上春樹さんの書くどこかファンタスティックで暗喩を含んだ文学みたいだったというか、ハードカバーで純文学作家として押し出していけばそれこそ藤野千夜さんとか梨木香歩さんのようなポジションにも置けそうな気がしたけれども、そういう風な売り方はしないんだろうなあ、とりあえずライトノベルの人を引っぱってきて書き下ろしを1冊書いてもらいました的な扱いで、あくまで文庫の中だけで若者向けとして売っていく。ちょっと勿体ないかも。

 主人公で高校生の少年が暮らしているのは「階段島」と呼ばれる孤島でそこには集落があって人もいて学校もあって普通に生活が営まれているように見えるけれども中身は全然違ってた。なぜってそこの住人はある時とつぜんにそこに来ていたから。少しばかりの記憶の欠落はあっても前の生活はちゃんと覚えていて、どうして自分がそんな島に来てしまったかだけが分からない。当然に誰もが戸惑うんだけれど、そこで最初に出会った住人がどういう状況なのかを説明して、自分が何かを忘れてしまっていてそれが何か分かったと報告に行けば島から出られるらしいってことを聞く。いや島なら普通に船に乗っていけば出られるだろうと思うんだけれど、港に荷物を届ける船には誰も乗せてもらえないし、ボートでこぎ出してもどこにもたどり着けない。

 ネットはつながっていてサイトは見られるし通販も利用できるけれど、メールを出したりボードに書き込んで助けを求めることはできない。だから嫌でもその島にいなくてはならなくなって少年は、学生ということで寮を世話してもらい学校に通い始めた、そんな日々に新たな訪問者が現れる。それは少年とはかつて同級生だった少女で、少年のこともしっかりと覚えていてここはどこかと聞くだけでなく、積極的に島から出ようと言い出して周囲を引っ張り回す。もとより強引な性格で曲がったことが嫌いなタイプで、学校で嫌なことがあって帰ってしまったクラスメートの少女の家まで呼びに行って、出てこないとガラスを割って鍵をこじあけてでも会おうとした。乱暴でもそれが正しいならやり抜くという信念。それが年を経て再会した島でも続いていた。

 階段島には由来になった階段があって、その上には魔女が住んでいると言われている。島のことはだいたい魔女が決めていて、時には島民の願いをかなえてタクシー運転手になりたいという人にはタクシーをプレゼントしたりもするし、仕事を斡旋したりもする。でもその姿を見た人は誰もいない。ただ電話で、あるいは手紙で連絡がくるくらい。だから少女は魔女がすべての鍵を握っていると感じて会いに行こうとするけれど、そうはうまくいかない。それでも探る島の秘密と脱出の仕方。新たに男の子も迷い込んできたりするエピソードも経た先で、少年と少女は島の秘密を知り、そして自分たちがどうしてそこに捨てられてしまったのかを知る。

 だからどうしてそういう世界が存在するのか、ってあたりはやっぱりどこかファンタスティック。あるいは人の心の奥にはそうした、鎮めたり切り離したりした思いなり感情なりが吹き黙っている場所があって、それらが重なり合って生まれた世界が階段島の周辺だったりするのかもしれない。一種の集合的無意識というか。科学で説明可能かというとそでもないだけに理屈を立てるのは難しいけれど、人がいろいろと捨てながら成長していく姿を一方で是としつつ、捨てられてしまったものの中にある愛おしくて切ないものたちについて今一度、思いをはせさせる物語なんだと思えばこういう世界もありなのかもしれない。それに気づいて少年と少女は納得するのか、納得できないからこそ捨てられてしまったのか。そこがちょっと気になった。「サクラダリセット」のシリーズも結構、テクニカルなSFであると同時に若者たちの複雑な心情を描いていた。よりシンプルで観念的にした設定の上で繰り広げられる、若者に限らず人の心の機微を描いたストーリー。やっぱり純文学だよなあ。

 見たよ東京アニメアワードのコンペティションで長編のグランプリを取ったとかいうアリ・フォルマン監督の「コングレス」。そうかスタニスラフ・レムの「泰平ヨンの未来学会議」が元ネタだったのか。でも実は読んでないのであんまりよく分からないのだった。そんな未来学会議で幻覚剤飲んであぱらぱらになるシーンをひとつの中心に据えつつも、物語は女優のロビン・ライトがロビン・ライトという女優を演じていて娘がいて聴覚が不自由な息子がいてそのために家庭寄りの仕事をしていたら映画会社から次で契約は終わりだと言われてそしてその契約が自分をCGキャラ化して登録させるものであとは会社がご自由にお使い下さいというもの。このあたりずっと実写でどうしてアニメーションの賞を授賞したんだろうとか思わせる。

 さてロビン・ライト、契約したら自分は2度と人前で演技はできない。それって女優にとって辛いことだけれどでも家族のためってこともあって受け入れロビン・ライトは銀幕でCGキャラとして復活して大人気となるけれど、女優だったロビン・ライトは果たしてそれで幸せか、ってあたりから「泰平ヨン…」へとスライドして現実に生き続けるのではなく、薬によって幻想に生き続ける人がいっぱいの世界が現れそこでの奇妙でグロテスクなビジョンがそこだけアニメーションによって描かれる。だいたい3分の2くらいがそんなアニメーションだからその意味ではやっぱりアニメの賞をとって当然かもしれないし、現実とは違ったビジョンとしてのアニメーションを感じさせる設定もアニメをアニメによって批評した作品と言えなくもない。

 なるほど辛い現実を忘れ架空の幸福に溺れるのがアニメーションの世界なのか、っていった懐疑も覚えつつ実際エンターテインメントというのは浮き世の憂さを忘れさせてくれるものであってそこがアニメーションであって何も不思議はないとも言えていろいろと考えさせられる。でもって実写の部分で提示される女優をCGに置き換えて自由に扱えるようにするってアイディアは半ば現実化していてジャージャービンクスじゃないけど元がいない“俳優”ってのがすでにスクリーン上を跋扈し始めている。今のところはモーションアクターなりフェイシャルアクターってことで実在の俳優が尊ばれていたりする向きもあるけどそれはその演技や表情が本当に欲しいのか、ただネームバリューが欲しいだけなんじゃないのかって思えなくもないだけに、いずれモーション抜きにキャラだけひっぺがされてCGにとって変わられていくかもしれない可能性はまんざら空想でもないのかもしれない。

 それで誰が困るんだ、見る側には分からなければ良いんじゃないか、ってことでもあるけど演じていた側にとって自分が自分でないところで自在に扱われることにどう折り合いをつけるのか。金かそれとも見た目の評判かあるいは自分を超える可能性への喜びか。これまた考えさせられる。そんな映画。契約を渋るロビン・ライトを説得し、キャプチャーのための演技ができない彼女に思い出話を聞かせて笑わせ泣かせるマネージャーを演じていたのがこれまた大物のハーヴェイ・カイテル。巧いなあ。その演技とその独白を聞きに行くだけでも存分に価値があるし、物語が持つ幻想と追憶と妄想と破滅のビジョンを味わいに行く意味はSF者もアニメ者も含めて存分にある。本格的にロードショーされる時は来るんだろうか。来て欲しいなあ。ジブリとか配給すれば良いのに。どうせ作品ないんだから。


【9月4日】 煮凝り勝ったけど割り勘だってニュースが朝から飛び回っていて、いったいどこの居酒屋の話かと思って耳をそばだてたらテニスの全米オープンで錦織圭選手がスタニスラス・ワウリンカって今年の全豪オープンの覇者を敗って準決勝に駒を進めたって話だった。ちょっと凄いかも。それこそ「栄光なき天才たち」で取りあげられた佐藤次郎選手が、全英とかでベスト4と健闘しながらも重圧に苦しんだのか、遠征の帰途にあったマラッカ海峡で船から行方不明となて自殺したんじゃないかと言われている時代からこっち、久々に快挙と呼べるニュースって感じ。最近だと松岡修造選手の全英でのベスト8以来か。いやあれも凄かったけれど。

 同じ漫画に出ていた清水善造選手は全米でベスト8になっていて、錦織選手はそれを上回ったってことになるけど4大大会全体で見れば佐藤選手の快挙があるし、清水選手も全英でベスト4になっているから錦織選手はそれにようやく並んだといったところかなあ。女子も入れればクルム伊達公選手は全英全仏全豪でベスト4に残ったし全米でもベスト8。そんな辺りに肩を並べてさて次にどうなるか、ってところが目下の関心事で、次に当たるのが世界ランク1位で錦織選手と同じユニクロを来ているノバク・ジョコビッチ選手だからちょっとやそっとじゃ勝てそうもないけれど、怪我から復帰したばかりで2試合連続フルセットを戦ってなお元気そうな錦織選手をみていると、こいつは何かやってくれそうな予感。なのでその試合、いつあるか分からないけど頑張って見よう。伊達選手も残っているんだよなあ。そちらも期待。

ぽかーん。どういう話し合いがあったかは分からないけれど、いったんは拒絶された池上彰さんの寄稿が掲載された朝日新聞で社内の編集に関わる中心的な人間が、多様な意見を載せるという原則が曲げられそうになったことに社員が声を上げて、それを会社が受け入れ是正されたことに誇りを感じるだなんてつぶやいていて、いったいどうしてそんなことで誇れるのかが分からず茫然とする。だってだよ、そもそもの原因はとんでもない記事を掲載してしまっていたことに対する撤回はしても、それで世の中を混乱させてしまったことへの謝罪がないんじゃないか、ってことであって、それを外部の人が指摘しようとして一旦止められたことに抗議はしても、会社が謝罪しようとしないことに対しては、誰もがずっと黙りを決め込んでいた。

 池上さんの原稿を載せないのはケシカランと怒っても、会社が謝らないのはケシカランと憤っていないその態度はつまり、自分たちにとって謝罪するという行為は反会社的であり反朝日的な行為だったんだけれど、それを外部の人が指摘することについては権利を認めるということになる。それで良いのか、って外部でいろいろ言ったところで象牙の塔だか市場の奥だかにあるあのオフィスに集まるエリートな方々の耳には絶対に届かないだろうなあ。でも順番としては自分たちが怒り、それを誰かが代弁しようとして拒絶されて怒るのが筋で、そうでない自分たちを恥じても誇らしげに思う人間がトップの方にいる限り、この状況が変わることはないんだろう。そんな間に攻撃の火はますます燃え盛る。本当にヤバくなって来たなあ。まあどこかの右寄り過ぎな新聞よりは安泰だろうけど。部数も金も能力もあるし。

 そんな朝日新聞だけれど何でも感でも阿呆め戯けめと非難する気はさらさらなくって、例えば春あたりからそうなると言われてきたことを、当日の朝に新聞が書いたら相手が反響の大きさもあってひっくり返したかもしれないことを、別の新聞が結果として書いたのを比べて前者を誤報とか捏造とか言って後者を正しいとかいうのって、状況だけ見ればともかく気分としてやっぱり違うような気がする。それが善意から来ているかは別にして、たとえば社会正義を背負ってスクープして糾弾して相手が反響に恐れを成してひっくり返したのを、ほら違った誤報だ捏造だと揶揄さたら誰も正義の戦いなんてしなくなるんじゃなかろうか。何が何でも朝日なら叩くってんならそれは右側ゴリゴリな連中と変わらないし、心性だけなら左側バリバリな連中とも同様。正義は正義として遂行されることを願いその代弁者を讃えつつ、悪事は悪事として誹り再来を防ぐ。そういう丁々発止がこの国もこの国のメディアも良くしていく道だと思うんだけれど。

 今日も今日とて電車を乗り継ぎパシフィコ横浜へと向かって「CEDEC2014」を見物。基調講演にはセガで「龍が如く」を手掛けた名越稔洋さんが登壇していろいろ語ってくれたけれど、ゲームの発表会の時なんかはそのパーソナリティをより際だたせようって感じでガングロにエグライリッシュなファッションでもって決めて雰囲気を出している名越さんが、講演では淡々とクレバーに、そして優しく丁寧に話してくれた。本当はこういう人なんだけれど、それを見せてしまうと宣伝に利用できないって割り切りもあるんだろうか。

 でも普通に取材にいった時もチャンピオンプロダクツとドレスキャンプのコラボジャージだったしなあ。どっちが本当の名越さん? それとも50歳を手前にだんだんと枯れて来た? いやいやゲーム開発のトップにいるだけあって新しいことには貪欲なようで、今は「白猫コレクション」って大流行しているゲームを遊んでその課金の仕組みなんかに驚いて、これに慣れきった状況下で次にどんな課金の仕組みを作るか考えると「頭が痛い」とまで話してたから、いろいろと体験して吸収しようとしているんだろう。講演でもデジタルに頼りがちな若いクリエーターがいることに触れつつ生身の体で体験して感動したことがなくて、どうして人を感動させられるんだって訴えてた。

 同感。たしかにデジタルは正確性を担保できるツールだけれど、そこに揺らぎなりブレなりがあってこそ人は感動の余地ってものを見いだす。それを作るには外に出て映画を見て運動して誰かと会って何かを食べたりすることが不可欠だろう。って言うと年寄りがって言われそうだけれどでも、デジタルに囲まれたクリエーターとは違って普通の人にはデジタルデバイスもアナログなコミュニケーションも両方ある。そうした人の感性に近づく努力を抜きにして、面白いもの感動させるものは作れないんじゃなかろうか。聞いて若いクリエーターはいったい何を思ったか。その結果はいずれ出てくるだろう。

 あとはスマホのゲームがこれからの主流になるのは避けられないって言ったことも気になったかなあ、インストールが多いものが勝つのは当然な世界だからそれは仕方がないけれど、ただ中身についてはハード性能の向上に伴ってどんどんと変わっていく可能性はありそう。かつての家庭用ゲームが当初はプログラミングのセンスだけが求められていたのが、だんだんとアートな才能も求められるようになったのと同様に、スマホのゲームでも当初はアイディアだけに依っていたのが、だんだんと家庭用ゲームの開発スキルを持った人が頼られるようになて来たとか。それで引き抜かれたりして大変そうだけれどでも、そこに何か新しいゲームが生まれる可能性もあるだけに気になるところ。重たくなり過ぎて10年で3作くらいにしか関われない家庭用ゲームに比べ、スマホ向けなら1年で数作とか関わりキャリアを積めるのも大きいところ。そうやって育まれたクリエーターが次にどこで何を作ってくれるのか。それは日本のゲーム界をどうかせ世界のゲーム市場にどう浸透していくのか。見守りたい。


【9月3日】 そうそうCEDEC2014では大学なんかが出している新しい研究についてのデモンストレーションに面白いものが結構あって、例えば神奈川工科大学が出してた「アオモリズム」っていう一種のアミューズメントマシーンは縦長の画面の上に北海道があって下に青森県があって、上から落ちてくる蟹やら鮭やらが描かれたマークがポイントまで来たときにタイミング良くボタンを叩くと、下の下北半島と津軽半島が飛び出して、上から延びてきている渡島半島の松前半島と亀田半島を叩き戻して北海道を小さくしていくという展開になっている。

 つまりは「太鼓の達人」的に遊ぶ青森推奨ゲームってことなんだけれど、どうしてこうなったかっていうと元々は何か青森で企画できないかってことで出てきたのが、青森主義としての「アオモリズム」という言葉。これをどう勘違いしたか、あるいはスライドさせたか青森のリズムゲームというものが浮かんでそれで青森と北海道がバトルするようなゲームの形ができてきたという。最初っからリズムゲームを作るつもりはなかったんだけれど、自由な発想に枠を設けず転がしていくことで生まれる意外な面白さ、って奴を尊ぶ大切さをこの大学の研究室では教えているらしい。

 こういう自在さってのは多分、企業とかでも活かせるんだけれど今は目的が決まっている中で、その手順を簡略化したりあれこれ付け加えたりする方が尊ばれているから、なかなか新しい物意外性のあるものなんて生まれて来ない。せめて「アオモリズム」に関わった人たちは、そんな頑迷さなんてぶちこわして自由な発想で自在に世の中を変えていって欲しいもの。青森主義に染まって北海道を青森化するとか言い出したって良いけれど。でも広さでは勝てないよなあ。神奈川工科大は別に3Dテレビの応用で2種類の映像を重ね気味に表示し特殊な眼鏡で見た時に重ねられた映像が浮かび上がる仕組みなんてのも出していた。眼鏡越しだと暗くなるのが難点だけれど、それもいずれ解決されて1枚の画面で複数の映像なんてものを実現できるようになるんだろう。

 アミューズメントマシーンっぽいのでは東京電機大学が出してたバトンを転がして遊ぶマシンがなかなかの妙案。2つならんだ半円状のスクリーンがあってそこをバルーンの映像が流れるようになっている上からバトンを転がすと、円形に沿ってバトンが半回転してそして半回転する間に、バトンが接触したところでバルーンが爆ぜて音が出るとか得点になる感じ。バトンがつっかえずによくごろんごろんと1回転するもんだという設計の妙にも感心したし、そこから何か新しいエンターテインメントが生まれてきそうな予感もあってちょっと注目したくなった。転がしてリズムをならし受け取って手に持ち放り投げてくるりと回ってまた転がしてサウンドを発生させるようなトータルなアクションを、そこに醸し出せたら面白いんだけれど、それだとスクリーンに流れる映像と音のギミックの設計が結構大変そう。でもやる価値はあるかな。挑んで欲しいな。

 玩具のクリスマス商戦に向けた見本市があったんで朝も早くから浜松町へと向かい都産貿でもっていろいろ見物、ブリキ屋って店が出してたブリキのロボットが格好良かったけど、聞くと旧来からの金型でもって作られたパーツを組み合わせて作っているんで何がこれからできるのかが分からないってこと。ほとんど限定みたいな感じで作られていくロボットはどれも個性的でそれでいて昔の雰囲気を持っていて、部屋が広ければ集めて飾りたくなって来る。コレなんだけれどコレジャナイ感のある不思議さが良いんだよなあ。でも1万5000円とか2万円とかするからちょっと手が届きそうもないか。

 あと幻冬舎エデュケーショナルが出してた「京都将棋」が面白そう。35年くらい前からあるものらしいんだけれど5駒づつ使い5×5の上で対戦するものの玉以外は表と裏の駒が違ってて1手ごとにひっくり返さなくちゃいけないらしい。たとえば「と」は指したら「香車」になるとかいった感じ。間違えると進めなくなるんで次の次の次くらいまで動ける範囲を読んでおく必要がりそう。それは相手の駒にも言えることで、そのバリエーションを考えると普通の将棋指しでも結構手間取りそうだけれどそこはひふみん加藤一二三九段はすっと理解してさっと指していたらしい。さすが神武以来の天才。定跡めいたものがまだあまりないそうなんで買って研究してみるか。パチパチと指すのが良いんだよなあ、アプリにしちゃうと味気ないし。

 そんな展示会ではタカラトミーのブースで「プリパラ」が結構な賑わいになっていた。知らず50万人くらいの会員っていうのかプレーヤーを集めたみたいで、これからどんどとふくらんで「アイカツ」を抜き去る……かどうかは分からないけど頑張っていって欲しいもの。そんなタカラトミーが定番のリカちゃんのプリパラ仕様を出すみたいで結構な可愛さ。食いつきも良くってそこから「プリパラ」の浸透具合も伺える。人気がじわじわと広がっている。ここから大爆発していってくれるかな。そしてi☆Risも大ブレイクしてくれるかな。あとは見た中ではタカラトミーアーツの変形寿司フィギュアが面白そうだった。寿司種の質感が良いんだよなあ、イクラはイクラで玉子は玉子でタコはタコって感じ。それがロボットに変形する。楽しいなあ。でも食べてはいけません。

 池上彰さんが従軍慰安婦の強制連行を証言していた吉田清治氏の話を全部嘘さと朝日新聞が撤回したことについて、どうして謝らないんですかねえとコラムに書いて朝日新聞に載せようとしたら拒絶され、何書いても良いって言ったのにそれおかしいですねえと怒って連載を降りたらそれが週刊誌ネタとして広まって昨日あたりから大騒動。よりによって発信力のある池上さんの寄稿を拒絶するなんて何を考えているんだ朝日はという想いがあり、言論の自由だなんて言っても自分たちにとって都合の悪いことは乗せないのかって朝日への不信感を招きかねない可能性も浮かんで先行きが心配されたけれども、内部の記者が何だそれはと騒いだせいもあってか事態がより大事になって、慌てて朝日も池上さんのコラムの掲載を決めたとうのが今の段階。

 それは目出度いことだし、正義感にあふれた社員の声が束になれば上の決定すら変えられるんだってことを示した意味も確かにあるけれど、でもこの事態の大元にあるのは池上さんがまるで謝罪しょうとしない朝日のスタンスをおかしいと言ったことに、新聞側がしぶい顔をしたってことであってそれが復活したからといって載るのはあくまでも外部の池上さんの意見。それも事態が起こってからどれだけ経ってるんだって段階の掲載な訳で、ここに至るまでどうして朝日の人たちは池上さんより早くどうして会社は外に向かって謝罪しようとしないなってことを騒ごうとしなかったのか、ってことの方がよっぽど大きな問題なんじゃないのかなあ。それがなかったってことは社員は会社が謝罪しないのを是としていたってことになるし。社外の池上さんが謝罪を求める権利は認めても、自分たちは謝罪を求める意識にないって現れな訳で。でもどこからもそういう声が起こらない。まったく訳が分からないよ。


【9月2日】 そしてやまむらはじめさんによる「天にひびき」が2014年10月号のヤングキングアワーズでもって連載終了。天才美少女、かどうかは意見が別れそうだけれども天才少女であることだけは確実な曽成ひびきがドイツから戻ってきて、やり残したことがあるかのようにかつての仲間や師匠や出会った音楽家たちを集めてコンサートを行いそれを終えて何処かへ。戻ったようでまだ出奔してどこかを歩いているようだけれど、そこに久住秋央の姿がないっていうのはちょっと寂しいというか、結局ひびきにとって秋央は何だったんだろうなあ、安定剤か自分の音楽を伝えるための中継者か。

 それで良いって思っていたんだろうけどでも、それだと波多野深香も迫田美月もちょっと可哀想なんじゃないかなあ、どっちか選んであげれば良いのになあ。ともあれ音楽に集中する若者たちの日々ってのを「のだめカンタービレ」とはまた違った形で楽しめた漫画だった「天にひびき」。ラストのラストに現れたあの幼女はいったい誰なんだろう、ひびきの娘ってにはまだ若すぎるし、そもそも誰との子だって話になるし。顔を見せないで仄めかすってのはそういえば浅田有皆さんの「ウッドストック」でもあったなあ、あれは楽だったんだろうか別の誰かなんだろうか。余韻は残しつつ続編はなさそうな終わり方だった音楽に関する両漫画。いずれまた音楽への思いをかき立ててくれる漫画が現れ楽しませてくれることを願おう。とりあえず今は「イブニング」の上条明峰さんによる「たんさんすいぶ」が楽しみ。

 音楽といえばライトノベルでも「きんいろカルテット」(オーバーラップ文庫)なんてシリーズがあって中学生がブラスバンドで頑張るのを音大生が支えるストーリーが話題になっていたりするけど、それに追い付き追い抜けとばかりにブラスバンドで世界を相手に戦う奴らのストーリーが登場。是鐘リュウジさんの「ブラス・オブ・ジェルオール 新世響奏の姫騎士1」(ファミ通文庫)は、音楽家だった祖父からトランペットを叩き込まれた久藤ハルト、高校でも吹奏楽部でそれなりなポジションにありながら、嫌らしい顧問に逆らって3軍落ちを言い渡されてそりゃあないぜと思いながらも、家に帰って楽器をいじっていたら突然謎の光に包まれ、気が付くとそこはどこかの異世界で、どこかからトランペットの音色が聞こえてきた。

 結構な腕だと思った久藤ハルトはケースからトランペットを出して合わせるように吹き鳴らすと、向こうも対抗して来てなかなか良い感じのセッションに。いったい誰だろうと興味を持っていたら現れたのが美少女で、そしてハルトの腕前を見込んで自分の楽団に引き入れたいと言い出した。誉められたのは嬉しいけれどもそこがいったいどこなのか、まるで分からないため遠慮していたら腹を殴られ気絶させられ砦のある場所まで連れて行かれて、そしてそこが行方不明になった祖父が来て、音楽を残し楽器を残して崇められている場所だと知った。祖父はどうやら元いた世界に帰る方法も見つけていたらしかったけど、それを知るには都に行って宮廷楽士にならなくてはいけないらしい。

 ようし分かったそれならと、トランペット吹きの少女リゼットが率いる楽団に入って、トロンボーン吹きのラナや天才的なホルン吹きのイリスといったメンバーと音楽を始めるもののそこに壁。どうやらその国では祖父が残した16曲の賛美歌だけが音楽として認められ崇められていて、楽団はその音楽だけを極めることが何より優先されていた。けれどもリゼットは音楽の幅に広がりを感じ求めていて、反抗したため王女の身でありながら地方にとばされていたというのが事の次第。そして久藤ハルトが覚えて吹いた楽曲は賛美歌以外だったため、その場を仕切る楽士から疎まれ宮廷楽士になるための演奏会には出してもらえそうにもなかった。

 さらに陰謀も廻らされていて絶体絶命に陥ったハルトにリゼット。そこで音楽の力が爆発する。たとえ16曲の賛美歌だけを聖典とあがめていても、それを完璧にマスターした者たちなら音楽についての感動をしっかりと見に覚えている。そしてハルトたちが演奏して見せた現代から持っていった音楽は、他の者たちを感動させて異端だと誹る気持ちを萎えさせて共感すら浮かばせていた。そして本当のピンチになた時、音楽家としての期待を胸に協力し、さらに国が滅びそうな危機にあった時、渾身の思い出吹いたハルトのオリジナル楽曲がすべてを包み込んで世界を新たな地平へと導こうとした。

 初めて聞く音楽。そして異端の音楽でも人を感動させ得るということを知った世界がこれからどこに向かうのか。新たに始まるだろう冒険と探求の物語が今から待ち遠しい。不思議なのはハルトの祖父がその国に音楽を広め定着させ信仰の中心に押し上げるくらいに音楽の才能がありながら、どうして16曲のそれほど面白くもない曲しか残さなかったのか、ってところだけれどそれにもちゃんと説明あり。なるほどなあ、それだけの遠大な時間をかけて作り上げられた音楽への理解が、ハルトという異端を混ぜることによってどれだけの豊穣をもたらすのか。そんな観点からも見ていきたいこれから。次はいつ出るんだろうか。ハルトはそしてもといた国に帰るんだろうか。

 朝も早くからパシフィコ横浜へと出向いて「CEDEC2014」を見物。目当ては冲方丁さんの講演だったけれどベストセラー作家だけあってパシフィコのホールが早朝にも関わらず満員になったのにはちょっと驚いた。そんな期待に応えるかのように冲方丁さん、物語の成り立ちからその歴史、そして今の物語について喋ってそれがどういう構造でもって人を感動させるのか、なんて話をしてくれた。ゲームのシナリオライターとしても活動して来た人だけに、ゲーム関係者にも参考になることが多かったんじゃなかろうか。「偶然性を娯楽として成り立たせながら、同時に必然性という物語を導入している媒体は、ゲームしか存在していない。ゲームが今後の数百年の人類の新しい物語を作りだしていくかもしれない」とまで言ってゲーム人の心をくすぐっていたし。

 そんなCEDEC014ではソニー・コンピュータエンタテインメントが満を持して送り出すVR眼鏡「モーフィアス」も体験。いやあ凄かった。上下左右がしっかり見えてズレもない。そしてど迫力。床に立っているのに水中のリフトでサメに襲われ揺さぶられているような体感がある。リアル過ぎる視覚がほかの感覚をも動かす現象。オキュラスリフトでもあったけれど、そこは世界のソニーによって作り込まれたモーフィアスだけあって、その力がより大きくな感じられた。気になるのは値段だけれどプレイステーション4と込みで10万円とかになってしまうのかなあ、それならブルーレイディスクを再生して見られるようにもしてもらい、VR空間ではなくても大きなスクリーンで見ている感覚を味わえるようにして欲しいなあ。そういうのって可能なんだろうか。


【9月1日】 国内でどうだったか覚えてないけど当地ではまだ制限時間内の8月31日中に香川真司選手がマンチェスター・ユナイテッドから古巣のボルシア・ドルトムントへと完全移籍に契約したみたいで、これでチャンピオンズリーグにだって出られるし、何より試合に出られるようになるから香川選手としては万々歳なはずなんだけれど去年くらいからそれをやっていれば、ワールドカップの舞台でキレキレの動きだって期待できたはずなのにって思いも一方にあって、何が香川選手を出してもらえないマンチェスター・Uに拘らせたのかってところが気になる。マネーかなあ、香川選手に入る分なりチームにはいる分。

 今シーズンもそれがあって移籍がどうなるって話もあったけれど、そこは偉大なファン・ファール監督は出せもしない選手を置いておくほど余裕はないって切り捨てた模様。いくらお金を運んできてくれたってそれではチームだって立場、ないものなあ。しかしマンチェスター・U、香川選手が移籍してきた頃は名実ともに世界最高峰のクラブでそこに名前を連ねることがひとつのステイタスにもなっていた感はあって、香川選手がそこでレギュラーとはいかないまでもそれなりなポジションを得て活躍している姿は誇らしくもあった。日本人が世界の最高峰にたどり着けるんだって思わされた。ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手と同じ意味で。

 でも今のマンチェスター・Uの体たらはく決してこのチームが世界最高峰に今はいないってことを示してる。リーグ戦ではなかなか勝てずリーグカップでは3部だか4部のチームに大敗を喫する弱体ぶり。モイーズ監督の滑り出しだって好調ではなかったもののここまで酷くはなかったことを考えると、過去にない低迷期に入っているって言えるかも。そんなチームに無理にこだわる必要はない訳で、世界のトップを走るスペインリーグなりブンデスリーグに移籍するのがやっぱり選手としてはリアルな選択。そこで古巣に戻って求められるポジションで活躍すれば、香川選手だって嬉しいしチームだって美味しい。チャンピオンズリーグに出られるチームだしそこで世界を相手に戦うことで、より自分を磨いていければ日本にだって悪い話じゃないからね。なのでまずは成功。あとはケガを治して試合に出ること。どんなすごさを見せてくれるかなあ。

 こちらはすごさをすでに見せてくれたACミランの本田圭佑選手。エル・シャーラウィが抜け出してゴール間際まで持ち込んだボールがゴール前へとけり出されたのを本田選手が蹴り込んでゴールしたのはひとつしっかりと仕事をした感じだけれど、そこに至る過程で自陣の半ばくらいにいた本田選手がエル・シャーラウィ選手のボール奪取から前線へのドリブルスタートを見るや一直線に走り出してはゴール前まで猛ダッシュ。それでエル・シャーラウィ選手のセンタリングに追い付いてみせたんだからすいったいどれだけのダッシュ力を見せたなって話になる。

 ワールドカップ2014ブラジル大会の頃だとまるで走らない印象もあっただけにこの変わり様は何だろう、自分にとっての弱点を知りそれを改める努力を払ったってことだよなあ。これはインザーギ監督も認めざるを得ない。だって長いシーズンの最初の得点を挙げた訳だから。次も使ってもらえてそこで得点を重ねていけば、その背番号10もちゃんとホンモノとして輝き始めるだろう。どこまで行くか。何をしでかすか。目が離せないセリエA。他にいるのはインテルの長友佑都選手くらいか、先発から落ちたみたいでちょっとどうなっているか心配だけれど、こちらはすでに高い実績もあるんですぐに安定した活躍を見せてくれるんじゃなかろうか。ミラノダービーは最初はいつだ。そこがまずは楽しみ。まだ対戦、してないものなあ。

 週刊少年ジャンプ誌上の連載で読み始めた頃ってもうビクトリー球団戦が始まっていたんだっけ、その辺りはちょっと記憶が曖昧だけれどバロン森の活躍とその急死、そして伊集院大門の陰腹による往生からラストへと至る展開を経て最終回へと向かうあたりはしっかりと、雑誌の上で追いかけていたような気がするなあ、それが本屋で読んだか床屋の置き雑誌で読んだかは別にして。それくらいにはリアルタイムだった「アストロ球団」を描いていた漫画家の中島徳博さんが死去したそうで、他に「バイオレンス特急」とか「朝太郎伝」あたりも多分連載なりをリアルタイムに読んでいたけどそこから姿を見失ってかれこれ30余年、いったい何をしていたんだろうという気がしてしまう。

 多分現役で何かを描いてはいたと思うんだろうけど、過去にあれだけの活躍をしていたことと比べるやっぱり気になるその衰え。一世を風靡したところで第一線に経ち続けられない漫画の世界の厳しさって奴を改めて思い知らされる。とはいえ当時から活躍ていたいだろう本宮ひろ志さんも池沢さとしさんもまだ活躍は認められるしちょい下がって登場してきた秋本治さんは連載が未だ続いている。アシスタントだった平松伸二さんなんて「ドーベルマン刑事」から「リッキー台風」はともかく「ブラックエンジェルス」あたりを出してなお次々と新しい作品を出して今も現役感バリバリ。だから誰もが消える訳ではないってことで中島さんはその意味で、残れなかった漫画家だったってことになるんだろう、残酷だけど。「アストロ球団」で燃え尽きたか、原作者を得られなかったのか。分からないけどそれでも「アストロ球団」だけは残る、永遠に。だからやっぱり最高の漫画家だたのかもしれない。合掌。

 えっとこれは誰なんだ、って思わないでもないけれど、でもそうだと言われて見ればきっとそうだと思えるんだろうアニメーション版「純潔のマリア」のマリア嬢。石川雅之さんの漫画だともっと等身が小さくって目も大きかったりする上に表情が時にあどけなかったりもするんだけれど、千羽由利子さんがデザインしたところのアニメ版マリアのキャラクターは顔がまあ大きいとはいえ小ぶりになって目のバランスが欲なって良い意味での可愛らしさが出ていた。似てないっていえば似てないけれどもそこはそれ、ストーリーの中で演じさせつつ声でもってマリアらしさって奴を醸し出していくんだろう。その声を担当するのはいかちゃん金元寿子さん。あるいは認知度だとキュアピースになるのかな、どの声って感じに思い出せないくらいに色々やっているだけに、このマリアにどんな声を当ててくるのかもまるで分からない。放送がだから待ち遠しい。谷口悟朗監督がプロダクションI.G.でどんな仕事をするのかも含めていろいろ気になるそのスタート。千葉でもちゃんと見られるのかなあ。


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