縮刷版2014年7月中旬号


【7月20日】 貧乏が竹にまとわりついて竹輪になりかけているんで諦めた日本SF大会だったけれども一般公開もしている企画があったんで総武線から武蔵野線を経てつくばエクスプレスを乗り継ぎつくばへ。降りると「世界のつくばで盆おどり2014」というポスターをやたらと見かけてそこにいわゆる美少女キャラなんかが添えられていてキャッチーで、見かけただろうSF大会参加者の多さからあるいは暗黒星雲賞もあるかなあなんて思ったけれども結果は突如シークレット企画になったSFとエロ漫画だった模様。海野蛍さん永山薫さんが登壇した奴で参加してたら聞いてただろうけれどその題材以上にきっとインパクトのある物だったんだろう。ともあれSF周りでの受賞おめでとうございます永山さん。

 そして到着した国際会議場でもって見知った人とすれ違うも、当方参加者とは違う日陰の身故に目立たず会釈で通り過ぎ、ディーラーズをぐるりと見渡してから1時間目の企画となった聖地巡礼プロデューサーこと柿崎俊道さんによる茨城と埼玉のアニメ関連イベント事情の報告なんかを聞く。なるほど大洗海岸は相当に盛り上がっている様子で、戦車が突っ込んだ旅館そのものの画像がTシャツになってそれが売れているとか。ってプロデュースしたのは柿崎さんか。前に「けいおん」に出てきた豊郷小学校をモチーフにしたTシャツもMARS16から出していたけど、アニメキャラとかを張り付けず、地域そのものをモチーフにして地域への愛着を増すといったアプローチは、作品の人気がいずれ下火になってから先を見据えて、聖地巡礼をどう継続させていくかという問いかけに、ひとつの答えを与えていると言えるかも。あとやっぱり版権物では手続きも面倒だしお金も余分に必要になるし。

 あと面白かったのは、「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」で舞台となっている秩父が、埼玉県の山奥でありながらもどこかお上品なところがあるのは、古くから秩父セメントの企業城下町として栄えてそれなりに教養とそれから資産も持った人たちが多くいた街だから、って話でそこで生まれたという脚本の岡田麿里さんだからこそ、登場する少年少女が極度にヤンキー化しておらず爆走したりドリフトしたりもしないで塾に通い成績を競い合い、そこからこぼれると引きこもったりギャル化したりするといった軸線に乗っているらしい。なるほどなあ。アニ玉祭を担当している大宮ソニックシティの人もそれを補完するように、埼玉県庁に入ってくる人には前は秩父の人が割といたって話してた。勉強して東京の大学を出て地元に戻って埼玉県庁入りというコースに乗っていたってこと。単に風景を織り込んでいるのみならず、歴史も知らず織り込まれているんだっておとを考えながら見るとああいったご当地登場のアニメもより深く楽しめるかも。まあでもガルパンに大洗町の歴史が絡んでいるとは思えないけど。

 2時間目はホールで行われたニコニコ学会βの出張版みたいなもので、ロボットのデザインについてインダストリアルデザイナーや産業総合研究所、アニメーションのメカデザイナーに漫画家さんなんかが登壇してそれぞれのアプローチなんかを話してた。面白かったのはインダストリアルデザイナーの園山隆輔さんで実際に工場とかで稼働しているロボットもデザインしているプロなんだけれど、例えば補助用のロボットアームをデザインする時は、格好いいんだけれども人間に従属している感じを持たせるために頭部を小さくしてみたり、産総研のシリーズのひとつをデザインする時は、無理にが超スタイリッシュな感じにた挙げ句にそれがお茶くみとかしたりステッカーを貼られて格好良さが減殺されることがないよう、量産ヤラレ型ロボットを意識してみたりといった具合に、使われる場なり使う人との“関係性”を重視しているって話してた。なるほどなあ。

 同じシリーズでは前に出渕裕さんもデザインを手掛けていたそうだけれど、その格好良さが逆に仇となってしまったというケースも散見されたからこその量産型の追求だったってこと。かつては3分で潰えたブチメカも今は格好良さの権化で、それがお茶くみとかされたり頭部を外されたりするのはやっぱり何か違うもんなあ。場にマッチしたデザイン。用途を規定し違和感なく仕えるようにするデザイン。デザインってものの意味を教えられた時間だった。行って良かった。会場を出ると長谷敏司さんが何人かと話し込んでいたけど新作の話だろうかどうだろうか。午後には見られる企画も少なくドワーフ号の上映くらいでもう良いやとディーラーズに来ていた弁当屋で弁当を買い近所で食べてロビーをぐるり回ったものの特に呼び止められもせず友人知人の少なさに手を見て嘆息し会場を後にしてつくば駅へと向かう途中に見知った人とすれ違って挨拶をして今年のSF大会は終了。いや参加してないけど。来年は鳥取県は米子だからなあ、遠いけどどうするか、仕事にあぶれて暇になっていたら行こう。その次は伊勢志摩とこれまた難所。飛行機でも飛べない場所に皆いったいどうやって行くんだろう。

 せっかく秋葉原まで続いているんだからとつくばエクスプレスで終点まで行きそこから建て直された秋葉原ラジオ会館に入って一言。「なんでラジオがないんだよー!」。アニキャラビル、ラジオ会館。いや探せば何店か電子部品関係とかオーディオ関係の店もあるんだけれどでもほとんどは漫画だったり同人誌だったりフィギュアだったり模型だったりといった感じ。あとカード。増えたよなあトレーディングカードを扱う店が。各フロアに1店舗づつってのは大げさにしても同じような商材を扱う店がいっぱいあった。そんなに儲かるんだろうか。でもカードゲームなんてはやり廃りもあってそれに着いていくのも大変じゃないのか。マジック:ザ・ギャザリングや遊戯王みたくずっと廃れないで続くカードを扱いつつ新しいものを混ぜていくことで保つようになっているのか。ちょっと不思議。あるいは紙なだけに倉庫も大きくなくて良く単価も低いから店を構えやすいとか。いやそれだと良をさばかないと売上が立たないか。やっぱり謎。紙商売の秘密って誰か書いてくれないかな。木谷さんに聞くのが早いか。


【7月19日】 貧乏が板に着いて蒲鉾になってしまったので、今日からつくばで始まった「日本SF大会」に参加するのは遠慮して、代わりに世田谷で始まった「日本SF展」を観てこようかと家を出たついでに、木場にある109シネマズで今日から公開の「思い出のマーニー」を観ようと劇場まで近づいていったら長蛇の列。そんなに人気があるのかと最後列に掲げられた看板を確認したら違っていて、何でも「妖怪ウォッチ」のメダルがもらえる前売り券か何かを買い求める人の列だった。すげえなあ。

 仄聞するに劇場によっては昨日から並んでいる人もいたとかで、そこまでしなくては手に入らない何かがあるってことが果たして、子供向けの玩具に良いのかどうか悩むところではあるけれど、安心しているとピークが過ぎて大量の在庫を抱えてしまうのは過去にも経験したところ。「たまごっち」とか「だんご三兄弟」とか。だから一挙投入とは行かず足りなさ感を出して群がらせるというのも、経営戦略としてひとつの手なのかもしれない。ブームに乗りたいってユーザーの言うなりになって経営が傾いたら元も子もないからなあ。でもやっぱり朝から子供たちを並ばせるのは可哀想な気も。うまい手ってないものかなあ。

 なんて行列を横目に劇場に入って「思い出のマーニー」。原作は読んでおらず内容については劇場でしつこく流れた予告編くらい。だから想像で田舎に行った少女が、時空を超えてお嬢様が暮らすお屋敷に入りこんで交流するという「星の時計のliddle」みたいなファンタジーとか、あるいは「牡丹灯籠」的なホラーを想像していたんだけれどそれは半分くらい正しくて半分くらいは違っていた。まず時空を超えているのかそれとも違うのか、ってあたりが迷うところ。人の心はいろいろなものを見てしまい、それを真実と思い込む傾向もあるけれど、そうやって見えてしまったものは他人にとっては空想でも、当人にとっては真実に他ならない。だから主観として時空を超えていたって話と見ても良いのかも知れない。

 そんな、12歳の少女に時空を超えさせてしまうような状況というものに果たして、見てどれくらいの人が共感できるかというと、そこは10歳くらいから15歳あたりまでの、まだ世にすれておらず絶望もしてはいないけどれど、その分思い入れもあって信じてもいて、だからこそ自分のことも周りのことも色々と引っかかって、いたたまれなくなってしまう、そんな世代のピュアな気持ちが滲んでいるというか溢れ出ている作品だったという印象。誰もが渡る湿地の泥土。そんなものが描かれている映画だから、該当する世代の少年少女は観てきっといろいろと感じるところがあるんじゃなかろうか。

 そうした世代をとうに過ぎ去ってしまって、物わかりが良くなってしまった大人が見ると何て面倒くさい娘なんだろうと思うところもあるけれど、当人にとってはすべてが自分に向けられた棘みたいなもので、除けたり反発したりしてしまう。無理に理解しようと手をさしのべても、それすらも迷惑なものと捉えてしまいがちな世代なんだということに、自分の過去を振り返って多い至れば、少女のその言動にも納得できるんじゃなかろうか。彼女の場合は特別に自意識が過剰というかヤマアラシでハリネズミなところがあったんだけれど、それが田舎に行って自分に向けられる視線が減るとおさまってくる。

 その意味では、田舎のおじさんおばさんの何にもしなさも良かったのかもしれない。親切だけれどお節介とは少し違う。よその子を預かって夜にいなくなっても騒がず帰るのを待つのは、少女のせっぱ詰まった感じを理解しているからなのか、それとも単に放任主義なのか。ふつうに性格なのかもしれない、そんな鷹揚さの中で少女は自由に振る舞いちょっぴり自由すぎて軋轢も生むけれど、自省する時間を与えられて立ち直りそして一緒に暮らしていたおばちゃんとの関係も介抱へと向かう。その経過が興味深い。心配しすぎが良いのかほったらかしがいいのか。案配って奴なんだろう。

 さてはて物語をファンタスティックな幻想と見るか文字通りの「思い出」の再来と見るかは人それぞれ。振り返れば擦り込まれた言葉のフラッシュバックのようなものと言って言えないこともないし、たぶんそれで整合性がとれるような筋立てにもなっているんだろう。なくした靴が見つかったのは十七だっけ、あの無口なおっさんが探して拾って置いてくれたとか。でもそうした現実ですらも妄想の中に取り込んでしまいたくなるくらい、少女は多感過ぎる心をもてあましていた。そこからどう自分自身を見つけて過去を知り、今と向き合い未来に歩むかを教えてくれる物語として、これは広く大勢の人に観てもらいたい。難しく考えず「千と千尋の神隠し」と同様の異界へと紛れ込み諭され導かれて育つ物語と思い込んでおいて、そのうちにこれは自分自身と向き合う物語なんだと分かっていくことで人はたぶん、少しだけ前に進めるのだから。

 ジブリらしいかというとキャラクターとか動きとか雰囲気とかはジブリだけれど、宮崎駿監督らしいかといえば宮さんは「千と千尋の神隠し」で完全なファンタジーあるいは伝奇を描いたのに対して、米林宏昌監督は多感で激しい少女の思念が変える現実のビジョンと言った捉え方も成り立つくらい差異がある。おとぎ話として見せてああ面白かったとなるのは前者だけれど、それだけではワンパターンに陥る中でひとつリアルに傾いた青春ストーリーを繰り出してきた。これがもしも10年前に作られていたら、ジブリにとってひとつの流れになっていたと思うけど、そうはならなかったところが悲劇でもある。

 ひとり知名度を高めた宮さんに何かとすがり、関わっただの初めて関わらなかっただの口出ししただの断っただのという話を乗せて、関心を煽らなければ宣伝として成り立たなくなってしまった。勿体ないよなあ。それだと純粋に米林宏昌監督って人の力量も「思い出のマーニー」って作品の深みも伝わらない。でも仕方がない、ジブリがそういう戦略で来てしまった以上は、宮さんの影をちらつかせながらでも人を誘い、その作品を観てもらって感動を得てもらい、これが続くならまた劇場へと足を運ぼうってこれから思わせていくしかない。だからこそ次に何を作るのかに興味が映る。ついでにジブリでなくても素晴らしい作品があることが、もっと世に広まって欲しいとも思う。空想が現実のビジョンを改変する「マイマイ新子と千年の魔法」に、過去との対峙が成長を促す「虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜」等々。素晴らしい長編アニメーション映画が日本には幾つもあるのだから。

 それはそれとして「思い出のマーニー」の真のヒロインは眼鏡っ娘であると確信しつつ、劇場を出て電車を乗り継ぎ京王線の芦花公園駅から歩いて5分ほどの世田谷文学館へと赴きひとり「日本SF展」を観つつスタンプラリーを集めつつ図録を買いつつマシュマロを買いながら世田谷SF大会に興じる。周囲にコスプレイヤーはいなかった。当たり前か。展示は日本SF作家クラブの創設に関するパネルがあり海野十三さんに関するコーナーがあってそして小松左京さんの「日本沈没」の原稿や「日本アパッチ族」の構想ノート、筒井康隆さんや星新一さんの直筆原稿なんかがあって、昭和の日本SFファンにとっては涙が出るような展示になっていた。

 筒井さんの字は「筒井康隆全集」の全巻購入特典でもらった複製原稿で知っていたけどやっぱり綺麗。小松さんのノートだとアパッチ族が鉄を消化するプロセスが化学式で検討されていた。考えてたんだなあ、理系的に。あと大伴昌司さんが週刊少年マガジンなんかで手掛けた大図解の原稿なんかもあって、サンダーバードのメカの図解なんかを指示している過程が絵のそんなに巧くなさも重なって、中高生がノートに描く僕の考えたメカ設定みたいな感じで面白かった。大伴さん自身がそんな中高生の情熱を大人になっても持ち続けた人みたいなところがあって、だからこそ世の子供たちの共感を得たんだろう。その早世はやっぱり勿体ない。

 特撮関係では「ゴジラ」の美術を手掛けた井上泰幸さんの設定とかもあって、誕生から60年、そしてハリウッド版「ゴジラ」公開に関連して観ておきたいところ。驚いたのは「SFマガジン」創刊号の表紙になった絵の原画があったこと。ちゃんととってあったんだ。どこに誰が保管していたんだろう。貴重。SFマガジンは700号全部じゃないけど年ごとに数冊ずつの展示があって後半には僕がレビューを書いている号も。日本のSFの発展にはまるで寄与していない自分だけれど、こうして展示物の中に紛れ込んでいると大河の水の1分子くらいは何か関われたんじゃないかと思っても良いのかな。まだ早いか。せめてひとつ何か残しておきたいところ。残る人生のいつかにどこかで何かを。頑張ろう。

 京王線から明大前で井の頭線に乗り換え吉祥寺へと出向いてリベストギャラリー創で始まっている「30T」を見物、といっても人が多すぎてじっくり選んでいる余裕がないのと、去年まで出ていた立花満さんとかBLUEBERRY CHEESECAKEとかが出ていなくって、漫画家さんが多くなって、そのバリューに惹かれつつも目新しさといった部分で挑戦させるだけの吸引力を放っていない気がしたんで遠巻きにしつつ、それでもやっぱり大御所感を出していた空山基さんのメタルロボットなTシャツを1枚購入して引き上げる。サインまで入って3000円は安いよなあ。ほかにも探せば山田雨月さんとかいろいろデザインに凝ったものもありそうだったけど、人の多さが移動も困難にさせていたんで週が明けて平日になったらまたのぞいてみようっと。


【7月18日】 目覚めたらウクライナでマレーシア航空の旅客機が撃墜されたとの報。おそらくはBUKって旧ソ連製の地対空ミサイルがずびょーんと飛んでいて、ドッカーンと当たった模様なんだけれど、問題は撃ったのがウクライナなのかそれともウクライナの国内にありながらソ連寄りの武装勢力なのかが今ひとつはっきりしないといった部分。なおかつウクライナにしてもソ連寄りの武装勢力にしても、上空1万メートルだっけ、そんな高々度を飛ぶ旅客機を打ち落とす必要なんかないってことで、いったいどういう判断で誰が撃ったかってあたりが、これから論議されていくことになるんだろう。

 あとは、どうして紛争中のウクライナ上空を民間の旅客機が飛んだのかってあたりも。紛争中とはいえ地上戦がメインで上空を飛ぶ飛行機にちょっかいを出すはずがないってのがあるいは、航空業界の了解事項だったのかもしれないけれど、それでもやっぱり危なさそうなところを飛ばないのが安全のためには必要。でも、飛んでしまったところに何か理由があるのかも今後、追求されていくことになるんだろう。過去を振り返ればイラン航空の旅客機を米軍のイージス艦だか何かが撃墜して大問題になったことが前にあったし、その前は大韓航空機が旧ソ連に領空侵犯してしまった形になって、軍用機によって撃墜されたっけ。民間機だから安全といったことは過去もあり得ず、今もこれからもあり得ない、ってことを踏まえれば、やっぱり飛ぶのを避けるべきだった、ってことになるんだろうなあ。

 それにしてもオランダ発でマレーシア行きだからといっていっぱい、オランダの人が乗っていたっていうのが不思議というか、そんなにオランダ人はマレーシアに行きたがっているのかそれとも、その先にあるオーストラリアに行こうと考える人が多かったのか。何でもHIVに関する学会がオーストラリアで20日からあって、それに行くために欧州からの人がいっぱい乗っていたとか。だから帰国する人より向かう人が多くなっていたのかもしれない。残念なのは、今なおやっぱり真剣に世界が取り組まなくてはいけない病気に関する碩学な人たちに被害が出てしまったということで、これが人類の未来にあるいは何か影響を及ぼすのかが、今は心配で仕方がない。

 発見からかれこれ30年くらい経つんだっけ、HIVについては薬もひろまりワクチンも出来たりして、以前に比べて長生きは出来るようになったけれども、病気自体は撲滅はされずおさまってもいないで、場所によってしっかりと広がっていたりする。発展途上国では予防が難しく、先進国では予防を軽んじる風潮から世界的に。その影響が未来にどんな形で表れるのかを考えた時、あの時に学会に出席する予定だった学者か誰かの死が、大きく影響したって話になって、無念に思うことが起こるのかも。それともHIVが撲滅されては困るような勢力が何かしたか、って陰謀論すら浮かんできそうな一件。それは半ば空想としても、やっぱり真相は追求されて欲しい。今は亡くなられた人を悼みつつ、同じようなことが繰り返されないことを願いたい。合掌。

 なんていい娘なんだろう、という感想がまず浮かんだハセガワケイスケさんの「電子魔法使いのトロニカ。」(電撃文庫)。なのに名前に“トロい”のトロとつけられたそのニックネームがそのままタイトルになってしまうなんてちょっと酷すぎ。もっと周囲も彼女の実力って奴をちゃんと見てあげれば良いのにそれができないというか難しい状況があったりするか悩ましい。何でも魔法に電子が導入されてタブレットを操作しアプリを起動させれば魔法が使えてしまうようになった時代。もちろん誰でもって訳じゃなく魔法の力がなければアプリは起動しないから、その意味では努力よりも魔力だけがものを言い、その有無ですべてが決まってしまう時代になってしまったとも言える。

 そんな時代でありながらニカって少女は魔法が使えない、というか起動させるためのデバイスが使えない。どういう理由からか触れるとそうした電子関連の機器がことごとく壊れてしまう。何か電磁波でもでているのか単に使い方が悪いのかは不明。それ故にニカは魔法の学校に入っても寮とかには入らず離れ小島にある家に世話をしてくれる仕え魔みたいなのと住んでいる。何だかんだいったってデバイスが浸透している世界でそれが仕えないと暮らせないし、兄との連絡もとれないから。そしてその兄がまた問題。とてつもない英雄でしばらく前に起こった反乱を鎮圧したことで有名になった。そういうと強面を想像させるけれどもこの兄がとんでもないシスコンで、偉い人の前だろうと妹のことになると血相がかわってベタベタになってしまう。

 それでも強いことには代わりがなく、世間にも英雄で通っているから世間はそんな英雄の妹だという特別扱いで、ニカが魔法学校にいられてそして代表者ばかりが選ばれて赴くデモンストレーションの旅にも連れて行かれると思っている。それは旅先でチームを組んだ少年2人も同様に思っていたことで、何も出来ないニカは飾りのように置いておいて方や究極の電子魔法使い、こなかとてつもない凄腕の剣士として対戦相手を圧倒して買っていた。ニカなんていらない。そういう扱いを受けながらもニカはそれが半ば当然で、自分は何もできずそして兄が英雄あからいい目を見ていられるんだという自覚を持って行動し、周囲にも触れあっていた。なんていい娘なんだろうと思わないでいられない。

 そんなニカが本当にダメっ子なのか。トロニカなのかは読んでのお楽しみ。びっくりするような展開が彼女の持つ能力っていうものが明かされる。同級生のエリートが手も足も出なかった事態で活躍できたのは、たしかに電子機器を最初から使っていなかったからそれが原因となって起こった事態でも影響を受けなかっただけと言えば言える。でもその先、起こった激しい戦闘でただのトロい子にいったい何ができるのか、って辺りで見えてきたニカの真骨頂。あの兄にしてこの妹あり、ってそれはブラコンってこと? 否、断じて否のその凄さを目の当たりにすれば誰だって考えを改めるだろう。エリート君も改めたかな。その結果が第2巻でどう出てくるかに今から期待。しかしいったい何者が背後にうごめいているんだろう。その陰謀にただのシスコンではない英雄がどれだけの活躍を見せるかにも期待して読んでいこう。

 幕張にNASAが来るJAXAが来る、ってな感じの「宇宙博2014」ってのが始まるみたいで、その内覧会があったんでちょっと見物に行く。日本の衛星とやらはまあどこかで見られるものが大半で、ただイトカワから持ち帰られた小惑星の微粒子とかは見られるものじゃないから貴重だとしてやっぱりメインはNASAから持ってこられた宇宙開発に絡んだ品々ってことになるのかな。アポロ計画で使われたロケットの模型とか月着陸船のハッチとかサターン1型のジャイロスコープとかマーキュリー計画の宇宙船とか。いろいろあって凄すぎるんだけれどその凄さを感じるほど、宇宙計画に詳しくないんでただでかいだけの恐竜の化石ほどには響いてこない。もしもまた行く機会があったなら宇宙計画についての歴史なりを勉強し直し、何が来ているかを予習し直した上でこれがそうかあの時の……って感動できるくらいの知識を溜めて行こう、幕張近いし。子供たちはでもそういう勉強とかしていかないからなあ。何を見てどう驚くか。そこが知りたいんでやっぱり見物に行こう。


【7月17日】 昨日あたりにレコード屋に寄ったら発売されたばかりの「アナと雪の女王」のパッケージソフトが軒並み売り切れという状況に、よっぽど売れているんだなあと思ったら何と66万枚も売れていったとか。そりゃ凄い。何でも「エヴァンゲリオン新・劇場版」の「破」が持ってたブルーレイディスクの累計46万5000枚を抜いてブルーレイディスクとしてはトップの売上に立ったとかで、これを考えるならそれだけ日本にブルーレイディスクプレーヤーが普及した現れかというとちょっと違う。

 「アナと雪の女王」はBDに加えてDVDもつきネットでの視聴も可能なパッケージ。だから買った人もBDではなくDVD目当てで買った人が多分ほとんどで、それを分かっていながらBDだけしか入っていなかったエヴァを抜いたというのは何か、統計的に間違っているような気がしないでもないけれど、どっちにしたってミリオンに届いてない数字をあれこれ言っても仕方がない。ディズニーでは「アラジン」がビデオで発売された時に何と国内で220万本も売れたんだ。それを思えばまだまだ60万なんて小さい小さい。

 DVD目当ても含めて予約が100万を超えていたってまだ半分。本当のヒットと言うにはせめて200万に近づいてから言おう。ちなみにそんな「アラジン」のビデオの大ヒットを日本で手掛けたのが、当時のブエナ・ビスタ・ホームエンタテインメントの代表だった星野康二さん。今はスタジオジブリの社長をやっている人でビデオデッキの普及がほとんどの世帯に進んだような時代を見越して親子を狙って仕掛けたらしい。そんな功績もあって日本のディズニーのトップになりそして徳間書店との連携を成功させその縁でジブリへ。そしてそんなジブリの持つ記録の幾つかに今、「アナと雪の女王」が迫ろうとしている。時は流れる。人は偉くなる。僕は……。窓の外から眺める空に、入道雲。

 これがFIFAワールドカップ2014ブラジル大会に関連して週刊化されていたものでは最後になるんだろう「Number」最新号にて、キャプテンを務めた長谷部誠選手が日本代表を振り返っていたんだけれど、その言によれば「自分たちのサッカーとは、組織的な守備におって高い位置でボールをうばい、勇気を持って縦に速く攻めることだ」とか。へー、そうだったんだー。でもそんな場面あったっけ。阻まれ進めずちょろちょろ回そうとして詰められ戻してばかりだったんじゃん。続けて長谷部選手。「もし相手が引いたてブロックを作ったら、サイドで数滴優位を作り、そこを起点に細かいパスワークで崩す」。でもそこにすら至らなかったんじゃなかったっけ。

 攻めても止められ跳ね返されてカウンターを喰らって慌てて戻る繰り返し。いつしかワントップに入った選手と中盤との距離があき、トップは孤立して何もすることがない。そしてディフェンスラインは下がって全体が間延びしてしまった間を軽々と運ばれシュートを喰らって自滅していった。「もちろん相手の研究もするけど、『自分たちのサッカーを出すことに集中しよう』と」話し合ったっていうけれど、まるで通用しない「自分たちのサッカー」を披露していったい何がしたかったんだろう。それが勝てないサッカーなら、いくら自分たちのって言ったところで、逆立ちしながらボールを運んでいる曲芸に等しく試合には何の役にもたちはしない。

 だから切り替えるべきだったのにそうしなかったのはやっぱり勝ちたくなかった、そして曲芸を見せたかったと言っているのに等しいよなあ。それを許した監督も協会も、やっぱり断罪されるべきなのに、誰も責任をとろうとせずザッケローニ監督は人気を満了して契約金を満額もらって国内で会見もしないで帰ってしまい、そして強化の責任者は居座りその配下に同じく4年間の無策ぶりを結果として演じて見せた人が座るといった感じ。これじゃあ何も変わらない。それとも変える必要がないと思っているんだろうか。思っているんだろうなあ、そしてやっぱり繰り返すこのエジリズム、って江尻さんは関係ないけど、でも4年後も同じように選手だけが責任を被り偉い人たちはさらに偉くなっていく構図が繰り返されるんだろう。やっぱりもう1度、どん底を味わわないと分からないのかもしれないなあ。

 新江ノ島水族館でナイトアクアリウムってのの発表があったんで見に行ったついでに江ノ島を散策。ここがナツキとカホリがいちゃいちゃしていた展望台か、って別にいちゃいちゃしてないか、とにかく江ノ島の駅から歩いて島まで渡って階段を上って上った先にある庭園だかに入ったところにある展望台までたどり着くのが遠かった。江ノ島あたりの住民だってこれは気軽に来られないだろうなあ、東京タワーより行くのが困難。地元の人だってそうは何度も行かないだろう、有料だし。でも江ノ島ってちゃんと人が暮らしてるんだ、観光客相手なのかそれともふつうの住民なのか、分からないけど人がいる。いつから住んでいるんだろう。ちょっと不思議。

現実に仮想を重ね醸し出す幻想のナイトアクアリウム  そして新江ノ島水族館で夕方から始まる新企画「ナイトアクアリウム」の内覧会を見物。いわゆるはやりのプロジェクションマッピングって奴を水族館でやってしまおうって企画だけれど、まさか水槽の中を泳ぐ魚にプロジェクションでマッピングをして色を自在に変えるとか、そんな企画でもあるのかと思ったらさすがに動きが計算できない動物類では無理みたいというか、そういうことではなくって神秘と自然が同居した水族館という場所を、一種拡張するような見せ方としてプロジェクションマッピングを使ったというのが正しい感じ。例えば入り口付近にある水槽の横につくられた岩の模型をマッピングして映像を当てて岩が崩れたり岩の上に海洋の植物が生えたりするような演出を施しただの模型だったそれがひとつのメッセージを放つようになっていた。

 クラゲの水槽ではクラゲたちはそのまま自在に泳ぎ回っているだけれど周辺に水槽からあふれ出たクラゲを映したり、クラゲを世話してきた人を映したりして江ノ島水族館がどれだけクラゲに力を注いできたかを分からせようとしていた。連動して水槽の中の照明も操作してスポットがあたったり消えたりしながらその神秘性をクローズアップするような演出を施していた。足下に波が漂ったりするようなプロジェクションマッピングもあったりして、そんな真骨頂が相模湾大水槽って呼ばれる巨大な水槽の前にスクリーンを下ろしてそこに深海生物なんかの映像を映し出すイベント。ただそれだけでは上映会に過ぎないんだけれど、スクリーンの後ろ側をエイが泳ぎサメが泳ぎカメが泳ぎウツボが泳いだりするのが透けて見えてそれらがスクリーンの映像と重なって、深海と近海とがコラボレーションしたような不思議な感覚を味わわせてくれた。

 そのあたりはネイキッドってプロジェクションマッピングで日本をリードする会社の松村亮太郎さんって代表の人も喋っていて、水族館でやるなら神秘的な雰囲気は出したいし、ただ映し出すだけではつまらないので水槽の宴曲に合わせたスクリーンを用意して後ろ側が透けて重なるように見えるようにしたいといったアイデアを形にして、今までにない水族館ってものの雰囲気を醸し出そうとしていた。見ればなるほど納得の映像。東京駅とかいった立体物の表面を自在に模様替えさせるだけがプロジェクションマッピングではなく、現実の上に映像を重ねて拡張したり、逆に深堀するような体験をさせるおともプロジェクションマッピングを通して出来るんだって示してくれた。これをひとつのきっかけにして、いろいろなアイデアって奴がわき出てきそうな感じ。それが何か分かったら僕も偉くなれるかもしれないんだけれど、わかないなあアイデア。だから任せよう専門家に。それを待とう楽しみにして。


【7月16日】 双葉社がライトノベルに参入だとかで、業界紙の新文化あたりが記事を流していて読むと何でもレーベル名が「モンスター文庫」だとかで、これだとファンタジーのそれも狩猟系がメーンになりそうな気もしないでもないけれど、あるいはライトノベルレーベルのモンスター(怪物)になりたいという思いを込めての命名かもしれないと思えば、これはこれでありなのかもしれない。とはいえ古い世代だとやっぱり浮かぶのはピンク・レディーで、この後に「UFO文庫」「ペッパー警部文庫」「サウスポー文庫」とでも続くんだろうかと思ってしまう。それともライバルとして「春一番文庫」とか「微笑み返し文庫」とか。分からないよなああ20代には。30代にもか。

 しかしなあ。やっぱりちょっとひかっかったのは編集長という人のコメントで、何でも小説投稿サイトの「小説家になろう」あたりから作家と作品をそのまま持ってくるとか。曰く「小説家になろうは、最大の小説投稿サイト。すでに読者がついている作品なので、(書籍化した際にも)それが下支えになる」。つまりはすでに評価が特定層ではあっても固まったものを持って来てそれを出すだけってことで、そこには編集の人が探し出し選び抜いて鍛え育てて世に送り出すといった、従来タイプの編集ステップってのが見当たらない。いやいや選び抜くのも目利きだって言う声もあるだろうけど、そこに自分の目ではなく、すでにいる読者層の人気ってのが乗っかっているという時点で、どこか半歩なり1歩、身を引いたようなニュアンスが漂っている。

 すでに人気のある者を出すのがマーケティング的には正しい振る舞いなのかもしれない。売れなくて山と在庫をかかえ作家には苦労をかけるより、売れて出版社も作家もハッピーなのが嬉しいけれど、でも、ネットでの人気がそのまま本としての人気に繋がらないことは、世にあふれ出している「なろう」系作家の動勢なんかからも見えること。だって同じなんだもん、書くジャンルが。異世界転生。俺TUEEEEE。そのバリエーションからああこれは巧いなあと大喜利的に楽しむことはできるけど、そこに圧倒的な新しさって奴を見いだすことは難しい。それが新しい市場を作りほかを呼び込むようなムーブメントを起こすことも。

 それで良いんだよ、面白いジャンルでいろいろなバリエーションを楽しめるのは読者も嬉しいんだよという意見も嫌いじゃないし、僕だってそういう思いはないでもない。SFずっと読んでいたいし。でも、そればかりになってしまった世界のその先に、見えるものはあるんだろうか。生まれるものはあるんだろうか。ユーザーにすべてが委ねられた世界では、少しずつの傾向からやがてひとつが抜きんでていて、そればかりになって、そこに群がったマニアックな人を除けば、あとは離れていってしまうもの。とてもじゃないけど未来なんて想像できない。それをクリエイティブを支えるべき版元の人が是認している光景が、どうにも心苦しいんだけれど、言ってる方にもそういう意識はあるのかそれとも売れればオッケーなのか。いずれにしてもレーベルは立ち上がり結果も程なく出るだろう。それを見て考えよう。未来を。

 この人も「なろう」系の出身ではあるけれど、どうやらネットに上がっていたのをそのまま出したんではなく、電撃小説大賞に出して最終選考に残った作品を編集が拾い上げ磨き上げて出してきたみたいな古宮九時さんによる「監獄学校にて門番を」(電撃文庫)を読んだら無茶苦茶面白かった。その面白さが「なろう」上で傾向を見て反応を見て鍛え抜かれたものかというと、昨今はやりの異世界転生物でもないし、作者の人はどちらかといえば現代ファンタジーを得意にしていたみたいなんで違うっぽい。だからやっぱり編集が見つけ、面白さを感じ引っぱり叩いたり広げたりして作り上げたものなんだと思うけれど、どうだろう。その面白さがだから、あとは読者に伝わってくれればひとつ、ジャンルが生まれ作家が巣立ちビジネスが成り立ったって言えるんだけれど。問題はその面白さを知らしめるチャネルが弱いことか。新人の新刊ってランキングとかで誘引できないものなあ。だからこうやって口コミに期待するしかない。この本は絶対に面白い。僕が言ってもあんまり響かないよなあ。

   さて物語といえば、ずっと地下室めいたところに引きこもっていた青年が、魔女みたいな存在の世話を受けていたんだけれど、そろそろ外に出ようってことになって、各地で就職に応募したら全部お断り。それこそ99の求人に落ち、これからどうしようかってところに降ってきた最後の封筒に、採用の文字があった。自分で公募したものではない。だってそこは監獄学校。とりあえず生徒たちが集まって勉強をしている学校ではあるんだけれど、そこにいるのが5種類くらいいる種族でも上位の力を持ったものたり。しばらく前に起こった戦争が集結した後、小競り合いがあっては拙いとそうした力を持った者たちを集め囲って閉じこめ、不穏な事態が起こらないようにしたという。

 そんな学校なだけに、門番の仕事は生徒たちが遠くへ逃げたり悪さをしないようにするってこと。学生だから可愛げもあるだろうかといった甘い考えは通用せず、到着して開いた門の向こうにいた生徒たちは、魔法なり武器なりで攻撃して来て新しい門番をいじろうとする。下手したら死ぬくらいの攻撃を、それでも青年はどうにかしのいで前の門番のように首だけ残していなくなってしまうような事態にはならなかった。もっとも夜になって可愛らしさとはまるで違った本気の攻撃もあったりして、どこか不穏な空気の漂う監獄学園。とはいえ青年自身にも秘密はあって、そんな攻撃をしのぎつつ学園で渦巻く不穏な企みへと迫っていく。

 いった門番は何者なのか。それはだからあの人かも、って感じさせつつ進んだ先。明らかになった真実が、予想させてそうかもしれないと引っぱりつつ、意外な展開へと向かっていたりするのが読んでいて実に楽しい。予定調和に落ちず、かといって突拍子もないところへとも向かわず、しっかりと納得のいく展開を用意してくれている。弱そうに見えて実は強いけど、その強さの裏にある青年の悲劇性がストーリーを貫いているのも、全体を上滑りさせない理由か。その意味でとっても巧みな小説。どこか入れ子細工のような舞台の構造も見事。これだけの作品をよく拾いよく出してくれたと版元には喝采を贈りたい。続きはあるのかは分からないけれど、呪いは未だ解けておらず、そして意外な人物も現れ物語りは本当の集結へと向けて動き出しそう。その完結を見届けたい。誰もが笑顔で監獄学園の外に出られる時が来ると良いな。

 ネタでも拾い集めなければと、何週間目かになる連続での東京ビッグサイト通い。今日から始まったのはオフィス防災EXPOとかオフィスセキュリティEXPOとかいった、オフィスのバックヤード的な部分に関する展示会で、とりわけ防災は、企業とか自治体とかが北区困難者向けに備蓄を行いなさいといったお触れが国から出ていたり、震災を経て防災への意識が高まっていることもあって、結構な充実ぶりをみせていた。まず目に付いたのが5年は保つという食料品で、いわゆるアルファ米ってのを使ったもので登山とかキャンプの非常食的なものとして売られていた30年前とかにかじったそれは不味かったけれど、今のは本当に美味しい上に、いわゆるアレルギーへの配慮ってのも行き届いていて27品目だっけかの指定物質が除外されている。

 震災で食料が途絶えて選ぶに選べなくなったとしても、アレルギーに不安がある人は何でもかんでも食べる訳にはいかない。食べることが生きることのふつうの人とは違ってアレルギー持ちは食べることは死ぬことだから。そうした配慮が行き届いた食料をだからあらかじめ備蓄しておくことを、親とかは考えているらしくそうした人が直接買うなりそうした人への配慮を考えている自治体や企業なんかが、買っていくことになるみたい。アレルギー物質が今どれだけあって、将来どこまで増えるのかが見えず、とても厄介な時代だけれどそれでも配慮は欠かせない。これからも苦労をしながら長持ちして美味しいものを作っていくんだろう。

 そんなお米系に混じって興味深かったのが「穀物飲料・三穀食」という缶入りの食料。飲むとお粥か重湯といった感じなんだけれど粒が入ってて歯触り舌触りも悪くなく、何より甘くて美味しい。これがお粥だとどろっと入ってくるだけで遠慮したくなる味になる。それだとやっぱり食べてくれないということで、味に工夫をしたんだとか。作ったミツレフーズは神戸の会社で、1995年の阪神淡路大震災で食べ物に苦労している姿を見て開発し販売を始めたのがきっかけ。そこから原材料の改良を重ねアレルギー対策も行って今の形のものになったとか。途中シナモンを混ぜていた時もあって、飲むと気が休まるといった配慮があってのことだったらしいけど、味でやっぱり受け入れられない人もいたから今は梅と昆布の味になっている。最近では埼玉県とかで起こった雪で身動きがとれなくなった人への非常食として自衛隊が運んだくらいで、水で戻す必要がなく水分をいっしょにとらずともこれ1本で栄養補給が出来るという優れもの。引きこもっている人も部屋にずらりと並べておけば外に出なくて済む……ってそういう用途じゃないんだけど。でもちょっと興味。ダイエットにも良さそうだし。


【7月15日】 「いしづかあつこ」という名に脊髄反射したい特定層の人たちを誘うネタを捜してぶら下げて、アフェリエイトを稼ごうとするまとめサイトの方々もいたりするから実際の反響がどれくらいなのかは分からないけれど、先週から始まったテレビアニメーションの「ハナヤマタ」、よさこいというかこの場合は「YOSAKOI」と言った方がニュアンスとしてもしっくりとくる例の踊りで祭りがいよいよ、美少女深夜萌えアニメにまで浸透して来て、ヤンキー寄りの文化がもはや美少女も萌えも取り込み始めているのだろうかと思ったり考えたりしちゃったり。

 というかちょっと前ならYOSAKOIやってる感じな人たちから見て、深夜アニメ美少女アニメ萌えアニメって自分たちとは遠い世界のオタクたちが何かグフグフと見ているチャネルだっていう認識だったように思うけれど、それがここんところ10年くらいの間に認識も様変わりして、世にはびこる萌えとか美少女の意匠なり感性が、バリバリなのは別にしてマイルドと呼ばれるヤンキーすなわち一般層をも覆い、そのビジュアルそのマインドその空気を違和感なく許容できるようになったのかもしれない。そんな現れがこの「ハナヤマタ」におけるYOSAKOIの主題化に繋がっている、と。もはや深淵のオタクに居場所はないのかなあ。SFとファンタジーですらパチンコ化という裏技でヤンキー層が受容していたりするからなあ。まあ広がるってのは良いことだと思う。

 石坂敬一さんといえば東芝EMIでビートルズの3代目担当として日本での盛り上げに一役を買い、そしてBOWYとか永ちゃんとかも担当してEMIの一時代を築いた名プロデューサーとして知られながら社長にはならず移籍して日本ポリグラム社長からユニバーサルミュージックへと社名の変わった会社でトップを勤めた音楽業界の大立て者。そして同じ外資系のワーナーミュージック・ジャパンへと移籍する大技も見せた人だけれどそこで使命として帯びた邦楽の盛り上げを、きゃりーぱみゅぱみゅを擁して見事にやり遂げたのみならず世界市場にも討って出てそれなりの実績を上げてしまったから驚いた。

 当人としてどれくらいの音楽性かを認識していたかは分からない。それはプロデュースしている中田ヤスタカさんを除けば案外に誰も知らないのかもしれない、それこそ所属するアソビシステムの中川悠介社長ですら。でも何か目新しい。そして響く物がある。だから海外でもしっかりと支持を集めてきているという状況を踏まえ、これを押すと決めて1年2年とおし続けてきたというから凄いというか根性というか、そういう信念があってこそ音楽っていうのは、文化っていうのは生まれるだけでなく育ち広がっていく。出てきたのを右から左に流してユーザーに任しているだけで果たしてアーティストは育つのか、って昨今の疑問にひとつの答えを見せてくれているんじゃなかろうか。

 日経ビジネスのインタビューとか読むとそんなあたりのプッシュのしぶりがよく分かる。なかなかライブ会場には足を運ばない人らしいけれどもきゃりーぱみゅぱみゅの去年10月のNHKホールにはしっかりと来てずっと見ていたからなあ。そういうところで得た確信をひっさげ海外に行脚しトップにプレゼンテーションしていった結果が、新譜「ピカピカふぁんたじん」のワールドワイドでの配信だけでなくCDの発売って形になったんだろう。これは海外に持っていってサクラをあてがいヒットしてますと日本向けにパブを流すだけでは絶対に実現しないこと。それだけの真実がある。あとはどこまで行けるかだけれど、こればっかりはちょっと分からないなあ。目先の欧州を手始めに各地で出ていくみたいなんでその動勢、見守りたい。

 そんな日経ビジネスではクールジャパン絡みの特集があって機構が立ち上がって官が入りこんできた施策がコンテンツの推進から日本そのもののアピールへと横ズレしていって何かを見誤っている感じを指摘している。もとよりクールジャパンがコンテンツのみを視野に入れていたかっていうとそうでもないんだけれど、結果としてそういう部分の受けが良く、それでいて進出に支障も割とあったんで官の手助けを入れようかって話だったものが、本格化してくるとあれもこれもとすがりついてはショッピングモールだ飲食店だファッションだといった具合に、すでに企業が外に出ている分野が群がり分け前にあずかろうといった感じてコンテンツの存在感が薄れてしまった。

 そこで盛り返せれば良いんだけれどそれが出来ないからこそコンテンツへの支援が必要だった訳で、口ごもっているあいだに兄貴たちに全部持っていかれる末っ子のような様相を呈している。日経ビジネスの指摘が何か盛り返しに役立てば良いんだけれどそうもいかない官の世界。なればこそ独自に企業がそれぞれの頑張りでもって外に出ていくしかないと、ワーナーミュージック・ジャパンではきゃりーぱみゅぱみゅを売り出しアソビシステムは「もしもしにっぽん」プロジェクトを遠くフランスはジャパンエキスポへと持っていってお披露目した。そこに官の支援はまだないみたい。必要ないか、て言われればあった方がいろいろ便利ではあるけれど、それで縛られたりしたら本末転倒、今はだから出来るところがやれることを進めることで、少しでも前向きになってくれれば良いと考えよう。どうなるかなあ。

 美少女剣士の無駄づかいぶりが評判となった松山剛さんの「白銀のソードブレイカー」だったけれども第2巻では状況は一進一退といった感じ。7人いる剣聖を倒して聖剣を回収していく少女と彼女に従う剣士の旅路を描いたストーリーは見かけ幼い割に強い少女が本当だったら敵なしの剣聖たちを切り開いたり刺し貫いたりして4人を撃退。残る3人で2巻も突っ走って終わりかなあとおもったけれど、新たに出てくる剣聖は2人でそして驚くような出来事もあって話はちょっぴり膠着状態。目先は剣聖殺しの少女の持ってる剣を叩き追った剣聖様の圧倒的な強さが目立つけれど、その一方で病気を治す力を震いすぎてあと少しで剣魔になろうとしている剣聖もいたりしてそこをどうしのぎどう突破していくかってのが第2巻の主なストーリー。

 彼女から聖剣を奪えば病人が行き場を失うという悩みの一方、報知すれば暴れて大勢死ぬという恐怖もあって選びづらい剣士がいたったひとつの決意。その先に見える運命をどうくぐり抜けるか、それとも受け入れるか。著者初の第2巻に続いて訪れる奇跡の第3巻の到来を今かと待ちたいところ。これが人気となれば過去の作品にも注目が集まり「怪獣工場ピギャース」の復活とか一迅社から出ていた作品の移籍とかもあったら良いなあと思うけれど。あるいは「アイリス」「アマリリス」「フリージア」の単発3作の映像化とか映画化とか。そんな日の到来もやっぱり待ちたい。

 せっかくだからと劇場版「K MISSING KINGS」ってのを見てきたら話は一応TVシリーズの続きで赤の王亡き後の赤のクランがダラダラしていてそれからクロは消えてしまったシロを猫と一緒に探していたら、赤のクランのお姫さまが元デブにつれられ忍者から逃げていたのを助けたもののやっぱりさらわれそこから赤のクランの八田が猿比古に頭を下げて情報をもらい猿比古ら青のクランが取り囲んでいる黄金の王の居城へと乗り込んでいって緑の王の手下たちと戦うといった感じ。分かりやすいけどでもやっぱり前作知らないと分からないのは映画というよりOVA的な位置づけってことなのか、それとも続きは劇場でのパターンなのか。それでも終わってないからまださらに続きそう。それはTVってことになるのか。

 いずれにしても若い兄ちゃんたちがいっぱいの映像に引きつけられる女子多し。掘れば鉱脈もありそうだけれど「ハイキュー!」「弱虫ペダル」みたいな盛り上がりは見せてないんだよなあ、まだ。それはどこか男子にも媚びたところがあるからなのか。冒頭でオープンハウスのカフェに座った女子のパンツがいきなり見えてたし猫も屹立したところを下から煽られパンツをのぞかせていたし、ツンドラの女王こと淡島世理ちゃんなんかミニスカートからお尻をのぞかせていた。あと黒いパンツも。そんな別に必要なにのにちらちらと見せてくれるところに男の子へのサービスがあるんだけれどこれ、主要な観客の女の子はどう思ったのかが知りたいところ。猿のチッて舌打ちに耳を奪われ目も引かれて見ても聞いてもいなかったかなあ。ともあれそう言う具合に男子にも見所はあり女子ならばっちりある映画。赤の王の“復活”もあって白銀の王の帰還もあってそして黄金の王の退場もあってと塗り変わる勢力図の向こうにいったい何が起こる? 続いて欲しいなあ映像として。待とう。


【7月14日】 まどろみながらも目を覚まして見たFIFAワールドカップ2014ブラジル大会の決勝となったアルゼンチンとドイツの試合はテクニシャン揃いのアルゼンチンとパワフルでスピーディーなドイツとの対決な割に全体に膠着状態で動かずがっぷり4つといった感じでもないせめぎ合いしのぎ合い。それが楽しいかというと油断が得点に繋がりかねない緊張感があればあると言えて見ていてヒリヒリとはするけれど、でもやっぱりもうちょっと走ったり動いたりしてくれないと何を見ているか分からなくなって眠気が襲ってきてしまう。

 というか実際に襲われ微睡んでしまった間に後半が終わって延長になってさらに動かなくなってしまってこりゃあPK戦かなあ、なんて思っていたらドイツが突然に左サイドを抜け出し入れたクロスがドンピシャで入って胸トラップからボレー気味のシュートが決まってドイツが1点先取。これが決勝点となってドイツが結構久しぶりらしいワールドカップを獲得した。っていうか前は西ドイツの頃だから統一ドイツとしては初めてか。そりゃあメルケル主将だって大喜びだ。しっかり来ていたもんなあ、国政とか大丈夫なんだろうか。まあ許すよね、ワールドカップなんだから。

 終わってみればドイツが強靱な肉体とスピードを兼ね備えテクニックまで豊富な面々を揃えて圧倒的な実力でもって勝ち抜いてきたワールドカップだったといった印象。苦労したとか戸惑ったとか、そんな感じもほとんどなかった上に南アフリカ大会の覇者となったスペイン代表のようにどこか華麗でそれ故に儚げな印象もない、このまま4年後が8年後だって同じサッカーで勝ち抜けそうな強靱さって奴をみせてくれた。それはきっと2002年に日本でブラジルに負けてから10余年をかけて築き上げてきたもの。ようやく実ったってことになるんだろうし、それがさらに蕾を生んで開花を招き続けるところが素晴らしい。

 あっちにふらこっちにふらふらしてそのたびにちゃぶ台返され全部がパーとなる日本とは違うなあ。見習いたい、ってそれを繰り返すから日本はダメなんだけれど。日本的なサッカーを今は目指すべきなんだから。一方でアルゼンチンはと言えばやっぱりメッシシステムが機能していたというかそれしか機能させられない感じでメッシにボールが渡らなければ何も怖くない烏合の衆、って言い方は失礼だけれど石ころばかりのチームだったという感じ。もちろんメッシが中盤から後ろに下がって守備をしたって、代わりに前へと出ていく選手がいないところがメッシシステムの弊害であって、それをしっかりと理解しメッシを孤立させメッシ以外に仕事をさせないことでドイツはアルゼンチンを抑えきった。

 アルゼンチンにしてみればほかにどうしようもなかったのか、って気になるけれどそうしなかったところがひとつの矜持なんだろう。そして結果は準優勝。それが是か非かは人によって判断が分かれそうだけれど、スターなき世にスーパースターを1人ひっさげ決勝まで行くサッカーを作り上げられたんだから、やっぱり歴史に刻まれるべき偉業なんだと思いたい。問題はしかしこれからか。マラドーナ以降という意味ではトップにバティストゥータがいたりクレスポがいたりファン・セバスティアン・ベロンがいたりパブロ・アイマールがいたりとタレントには事欠かなかったのが今はメッシにマスチェラーノといった辺りで主役になれそうな人がいない。

 次の世代もだからメッシが引っぱるしかなさそうだけれど、それもキツいからなあ、年齢的に。ネイマールの次が見えずカカは引退でロナウジーンヨは歳でアレシャンドロ・パトはどこかに言ってしまいロビーニョも存在感を薄れさせているブラジルよりは、メッシがまだまだ健在ってことでアルゼンチンの方がましかもしれないけれど、でも共に地盤沈下の可能性もそしてコロンビアが台頭すると。そういう意味では南米サッカーの将来を伺わせる意義深い大会だったかもしれない。4年後にどんなチームが出来上がってロシアの地で激突するか。楽しみにしよう。日本のチームはそこにいるかな。いないかな。

 そんな合間に録画してあった「魔法科高校の劣等生」を見たら司波達也が大活躍してた。あれだけ動けて魔法もそこそ使える人材がただの劣等生であるはずないよなあ、って誰もが思いそうなのに同じ学校のいけすかない連中だけは見下しているというのが灯台もと暗しなのかどうなのか。まあそうでもなければ劣等生なんて言葉、使えなくなるし。モノリスコードって競技が淡々と進んでいく回なのに見ていてそれなりに緊張感もあるのは山場とか作らず平板に進めながらちょっとづつ緊張感を混ぜてみせる演出の勝利って奴なのか。これを見ているときだけは時間が過ぎていくのが早いんだ。今週は深雪の兄思いが故の恐怖がなかったんで来週はもうちょっと深雪を。しかし横浜騒乱編にちゃんと行くのかなあ。

 そしてこれも録画してあった「ハイキュー!」はCMが清水さんの独白でこれは消せない焼くしかないと先週の小声での「頑張れ」に続いて保存決定。あんまり喋らないだけに喋るとインパクトありまくり。声優さん的には美味しいお仕事? でも少ないセリフで人間性を表現しなくちゃ行けない訳で、その意味では結構大変なのかも。さて展開はインターハイへと入ってこれから幾つかの高校と試合。ってことは延々と時間ばかりが過ぎていって区切りの良いところまですら行かず途中の準決勝あたりでいったん終了して第2期か、なんて想像も浮かんだけれどそれは「弱虫ペダル」。こっちはこっちでしっかりと描いていってくれると信じよう。2クールか1年か。ストックはそんなにないか。まあ行けるところまで。そして漫画が貯まったら第2期ってことで。清水さん可愛いなあ。

 脱法ハーブの取り締まりとやらもそりゃあ必要だけれど、やっぱり先に酒を何とかしないと理不尽な死がどんどんと増えていくばかり。北海道で海水浴場から帰る途中の4人の女性が酒を飲んだ上に携帯電話を操作しながら車を運転していた男にはねられ3人が死亡という痛ましい事故が起こった。いやこれはもはや事件であって男は殺人を犯したに等しい。飲んで乗る。携帯をいじりなあら乗る。いずれととっても危険きわまりないのにそれを両方重ねてやった上に、人を跳ねて逃げて買い物までしているんだから非道きわまりない。あるいはすぐに連絡すれば助かった命もあったかもしれない。それをほったらかしにして逃げた訳で、殺人を視野に入れても十分のような気がするし、飲んで判断力を失い携帯で視野も失って運転するという愚行を自ら選んだんだから、これも故意性を指摘できるだろう。

 だからやっぱり殺人に等しいその所業が、なくならず前にも先にも多いのは日本人の酒への妙な肝要さがあるからだろう。司法がだから飲酒による死亡事故を殺人にも等しい所業と断じて極刑とまではいかないまでも相当に厳しい刑罰を与えて世に知らしめない限り、似たようなことはなおも続く。とか言ってたら埼玉で公務員が酒に酔った感じで車を運転してミニバイクをひっかけ女性を1・3キロも引きずって死なせて捕まった。もしも存命のまま引きずられて死亡したなら、それを行った男はやっぱり殺人と言って良い。むしろこっちの方が殺人を立件しやすいんじゃないだろうか。家に帰って飲んだとか言っているけどだったら走っているうちはしらふで、判断力もあったのに引きずって死なせた訳でやっぱり殺人。飲んでいたなら危険運転致死。それくらの認識で当たらないと後にいくらでも続くだろう。ここが正念場。脱法ハーブともども撲滅を。でないと浮かばれないよ彼女たち。


【7月13日】 やりたくなかっただろうなあ、という印象しかなかったFIFAワールドカップ2014ブラジル大会の3位決定戦に挑んだブラジル代表。相手は決勝進出を逃したとはいえ決して弱くはないオランダで、ロッベン選手とかいたりして本気出している一方で、ブラジルの方はといえば見たこともない選手たちが前線にいたりしてこれはいったいどこのチームなんだとまず思わされた。でもって試合運びも圧倒的なパスワークと個人技で支配するなんてことはできず、むしろオランダにボールを支配され気味。運んでも奪われ反撃される流れはどこかアフリカの中堅国の代表チームを見ているようで、サッカー巧者としての雰囲気がまるでなかった。

 それがモチベーションの低下から来ているものなのか、最初っからやる気がなかったのかは分からないけれど、すでにして7対1というとてつもないスコアを見せられている以上、何をやっても挽回は出来ない変わりにこれ以上評判が落ち込むこともない。だったらテキトーに流して終わればそれで良いじゃんといった気分が蔓延して、選手たちの動きを縛っていたよう。対してオランダはもう気力満面、ここで3位なら誇って帰れるといった気分もあったのか、ちゃんと動いて走ってた。得点シーンとかしっかりゴール前に詰めてるもんなあ。個人技で持っていって跳ね返されるなんてない。そこが上に行くチーム。二歩代表だって見習うべきなんだろうけどそういう頭はまるでなさそうなのが気にかかるというか、気に入らないというか。

 スポーツ新聞あたりはすでに、メキシコ代表なんかを率いた経験のあるアギーレが本決まりで仮契約も済んで発表直前だなんて書き立てている。それが外れてもっと違う誰か意外性はあって、なおかつ可能性を感じさせる監督が就いてくれれば楽しみも戻ってくるんだけれど報道のままアギーレ監督となった日には、ただでさえ薄れている代表への興味がさらに失われていってしまいそう。まず日本代表にJリーグで活躍している選手を選びそうもない。だって知らないから。知ろうともしないだろうから。日本人コーチでもいれば助言でもできるんだろうけど、そういう動きは見せてない。そして強くなったところでワールドカップ出場という前に経験したことをまた見せてくれる程度だから。それは良い。見たいのはベスト4で戦えるようなチームを作って見せてくれる手腕。でもあのメキシコを率いてもベスト16止まりだった人にいったい何を期待する? そこがどうしても引っ掛かる。

 でもメディアなんかはリーグそっちのけで、掛け替えられた新しい看板を見せびらかしてさえいれば何か報道した気になれると思っている。中身が海外組ばかりでそれもたいして活躍もしていない控え選手が戻ってきてレギュラーを張るような代表に、いったい誰がどんなシンパシーを抱けるか。Jリーグを見てクラブチームを応援している人たちにとって、どこか遠い国から来た誰かが雲上にいる人たちを集めてこちょこちょやってるチームがひとつ。その目指すところは前にも見たことがある地平。これでどうやって熱中しろっていうんだ。地域と地続きになっているのがサッカーの組織が持つ良さでもあったのに、それが断絶してしまって異次元の存在に祭り上げられてしまった代表を、どうやって応援しろってんだ。メディアの持ち上げとサッカーファンの無関心の乖離がどんどん激しくなっている。けどメディアは気づかないし気づこうとしない。代理店とスポンサーしか向いてないから。それに支えられた協会しか気にしてないから。

 決勝に出てくるドイツなんかはそのあたり、ちゃんと気にしてリーグのファンが気にできるような代表にしてある、っていうかほとんどバイエルン・ミュンヘンな訳だけれど、それを含んでもドイツ国民のサッカー熱を引きつけられる代表になっているところが日本とは違いそう。それが成功しているにも関わらずどうして日本サッカー協会は旧態依然とした有名監督を連れてくれば、何とかなるなんて考えに凝り固まっているんだろう。それは確かに安全策だけれど、将来を食い潰す策でもある。でも協会の人間にとって必要なのは将来の可能性ではなく今の夢。それさえ与えていれば自分も安心できるし世間もとりあえず納得する。そんな積み重ねが10余年、続いた結果が今の国内リーグの空気化であり日本人指導者の数はいても質が見えない、見せる機会を得られない悩みを招いている。じゃあどにかするって誰もどうにかしないなら、状況は変わらず続いていく。その果てにあるものは。暗黒の再来が夢物語ではなくなって来た。

 3位決定戦を見る合間に録画してあった「信長協奏曲」のアニメーション版を見たけどうん、まあ良くできているっていうかあれを3DCGで作る意味がいったいどこにあったんだって思わされるくらいの平面芝居。でもキャラクターの表情とか全体に乏しくいつもどこか遠くを見るような目をしているのは元の原作がそういう絵だからなのかそれとも3DCG作画だからこその味なのか。そんな絵は絵としてお話はテンポよく進んでひっかかりがなく声も達者な人が揃っているから聞いていて安心。何より原作もあって展開を知っているから次はそうなるんだろうという気楽さで見ていられた。

 「シドニアの騎士」とか「蒼き鋼のアルペジオ」なんかが3DCG作品として特徴を発揮しながらキャラクターの演技もちゃんとしていたのとは対称的だけれどまあ、特質にあった使い方をしているんだと思うことにしよう。でも信長って平手が自害してから桶狭間まで7年あってそこから姉川の戦いまで10年あるんだよなあ。サブローってその間ずっと戦国時代にいた訳で、いったい今幾つになっているんだろう。そして死ぬときは50歳弱。おっさんだよなあすでに。でも絵的にはずっと若いまんまだし。まあそれは「織田信奈の野望」にだって言えるか。美少女だった信奈が桶狭間で相良良晴と出会ってから浅井朝倉連合軍を蹴散らす辺りまで10年、史実のとおりに経っていたらいったいどれだけのおばさんになっているんだ。でも数カ月から数年って雰囲気。それだけで歴史、変わってしまっているんですけど。ねえ。

 千葉方面に行こうと思い立ったついでに映画でも見ようと京成ローザで「ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦です!」。試写も含めて4回目。アンチョビねえさんのとんがっているようで案外に後輩思いなところとか、アンツィオ高校のイタリア風に明るくて適当な乗りが見ていて心を明るくしてくれるんで何度も見たくなるのだった。まだフィルムも配っていてやっぱり戦車。どこだろうカルロベローチェにアヒルさんチームかウサギさんチームが追いかけられていたり追いかけていたりする場面かな。分からないけどまだもらえたみたいなんで時間があったらまた寄ろう。見終わるとやっぱり食べたくなるスパゲッティ。千葉中央にある太い麺を出してくれるパスタ屋さん「パンコントマテ」でトマトソースにベーコンとジャガイモがはいったのをモリモリ食べる。太いのにモチモチの麺が良かった。また行こう。

 そしてフクダ電子アリーナで天皇杯2回戦となるジェフユナイテッド市原・千葉とAC長野パルセイロとの試合を見物、関塚隆監督が就任して初采配となる試合なだけにいったいどんな戦術を見せるか期待したけど今のところ大きな変更はなし。ただ前半に2点を奪われてからの後半に選手を入れ替え逆転を果たして勝ちきったあたりに何か今までと違う采配の妙があったかもしれないんで、そのああり差異を分析できるジャーナリストの報告を待とう。井出遥也選手とか後半に投入されたけどもしかして逸材なのかな。あと佐藤勇人選手が後半途中から出たりしてこの辺りは信頼ってのを得られているみたい。ともあれ試合は3対2で勝ち次の段階へ。でもリーグ戦で勝たないとやっぱり意味がないんでそっちの采配にも注目。どんなトレーニングを経て鍛え上げて来るんだろう。通うか久々にフクダ電子アリーナ。仮面ライダー鎧武たちもプレーした場所だし。


【7月12日】 いやあ最高だった「THE NEXT GENERATION パトレイバー 第3章」はエピソード4でカーシャが大暴れ。コンビニに立てこもっては泉野明から塩原佑馬から山崎弘道やらを徐々に引っぱり人質にし、入り口に機関銃を備えプラスチック爆弾を設置したテロリスト相手にこっそり持ち込んだAK47に銃剣とりつけ裏口から爆煙をかいくぐってコンビニ内部に侵入しては、手にコンバットナイフ持ったテロリストを相手に大立ち回りを演じてみせる。カーシャ役の太田莉菜さんは何でも最初、ほとんどアクションができず監督の辻本さんも大丈夫かと思っていたらしいけど、アクション監督の人の指導もあって動けるようになってそして、しっかりと撮影に間に合わせてきた。さすがは女優。映画では何よりもその切れたアクションをご堪能あれ。

 そんなカーシャがバトルする相手役の人は見た目ちゃらい感じなんだけれど、アクションに関してはとてつもなくスピーディ。経歴を見るとなるほど映画でモーションなんかも撮っている人らしい。動けて当然だよなあ。そしてそんなカーシャの練習の現場を見に来た辻本監督の目がいやらしかったと、今回の舞台挨拶に登壇した太田さんとそれから泉野明役の真野恵理菜さんから突っ込まれていた。押井監督を欠席裁判にするはずだったのが辻本監督がほとんど袋叩きに遭っていた舞台挨拶だったけど、それはそれだけ信頼関係もあるってことかな。なにしろ目一杯に時間を使って撮る人らしく、コンビニのシーンで役者の人たちは終わるとほとんど能面のような顔になってセットから出て来たとか。そうとうに追い込むみたい。だからこそのあの映像。見れば納得のその強さ。ご堪能あれと改めて。

 そして前後編となった怪獣話の前編となるエピソード5。いきなりクルーザーの船室で上半身肌の女性とか出てきて、エロスとかあるかとおもったけれど性格がずぼらな海洋生物学者という設定で、自宅は荒れ果てラーメンは鍋に麺もスープも放り込んで水をかけコンロで煮てそして鍋のまま喰らうというからなかなかの女傑。これが後藤隊長を先輩後輩っていうころらしいけど学部は違うからいったい何の先輩後輩だんったんだろう。その謎は未だ不明。ただし酒癖は相当に悪くて後藤隊長を追いかけ絡む。昔は美人だったんだろうけどそれでも今に至るまで独り身っぽいのはそんな辺りに要因が? でも人によっては好みのツボに入りそうな理系美女なんだけどなあ。うん。

 そして話はといえば、魚が消えてサーファーも次々といなくなった熱海の海に起こる事態を、たまたま慰安旅行に来ていた後藤隊長と特車二課レイバー隊の面々がオブザーバー的に関わるという展開。何で静岡県で警視庁が仕事するんだと予告編を見て誰もが思っただろうけれども、そこは自衛隊に出張られるくらいならという打算、そして失敗したらつぶせるという思惑が警視庁の方にあったという、なるほどな理由。そういうことってあるよね警察って組織には。でもって熱海の市長はパトレイバーがいれば見物客も集まり熱海が盛り上がると悪魔顔。秘書のメガネのお姉さんに突っ込まれても改めず。社員旅行も新婚旅行も減った熱海に人が来るなら悪魔にだってなるよなあ。そういう意味では今どきの聖地巡礼的盛り上がりを皮肉りつつ、熱海を聖地にめいたものにしてしまう映画とも言えそう。見に行きたくなったもん、出るかもしれないガッ○。伏せ字にする意味ねえよなあ。

 まあそんなこんなでいろいろ見所はあったけれども、やっぱり最大のポイントはは200メートルもある頭のしたがどうなっているかというレイバー隊のメンバーの考察か。ほんと莫迦ばっか。あとは熱海といえばな温泉シーン。何か見えるかというと見えないけれども見えそうな気になるだけで僕たちは嬉しい。ひとりアヒルを浮かべて遊んでいる真野ちゃんには動きがあるんで胸元の喫水線が移動して何か見えたような気になる。気のせいだろうけど。そして怪獣はまだ頭だけの登場で本当にいるかどうかは次回のお楽しみ、ってしっかり予告編に出ているじゃん。あの図体で熱海沖の50メートルの深度のどこにいたんだと突っ込まれそう。やっぱり平泳ぎしてたのか。そして次はちゃんと芹沢博士は活躍するか。ビジュアルがもうげらげら。それ意外にもとにかくげらげら笑える第三章。また行こう。BD買っても劇場で観たいカーシャのアクション、そして佐伯日菜子さんの佐伯さんならではの役所。エコエコアザラクエコエコザメラク。言わないけど。

 そしてバルト9へと移動してこちらも今日が初日の「きゃりーぱみゅぱみゅのシネマJHON」とかいう映画を見に行って思ったことはファンか関係者か親戚だとしっかり楽しめる映画になっているってこと。それ意外の人だとちょっぴりシュールでクール過ぎるかな。だから行くならファンか関係者か親戚になってから行くと心の底から楽しめるんじゃなかろーか。っていうボケはさておき、印象としてはTV番組的な映画というか、「きゃりーであそぼう」といったコーナーのの小ネタ(変顔体操とかオサレな歴史年号&平方根語呂合わせとかオサレだるまさんが転んだとか)をぶっこみつつ、欧州ツアーの映像を3曲ばかり見せつつ本筋めいたものを転がしていくといった感じ。

 そしてエンディングにとりあえず大団円を入れながらも、そこにボケを仕込んで突っ込みを入れたりする展開を一応は世界的な人気者がやっているというギャップを味わおうとしてついつい身構えてしまうという、そんなクール&シュールな空気感で満ちた映像だと言えば言えるのかもしれない。欲を言うならテンポと密度があったらなあ。これが30分番組として放送されたら結構な笑いをとれたかもしれない、って笑いをとるような映像なのか。そのとうり。だから見るにはなかなかの愛ある目が求められるという意味で、やっぱりファンと関係者と親戚にはマストな映画ということで。あと名古屋人。元の番組がめ〜てれだしめ〜てれのアナウンサーも出てくるしテレビ塔ちょっと映るし。映ってすぐに場所が東京都庁前に移るのが凄かったけど。あそこは繋がっているという理解なのか。うーん。

 どちらかと言えば右端に寄ったとあるメディアグループ界隈では、例の韓国で自衛隊関連行事が開かれるのをホテルが土壇場でキャンセルしてきたって話に対して、ほらほらお前らサヨクメディア前に日本で日教組がホテルに集会をキャンセルされたのはホテルが悪いって言ったじゃないか、だから今回もホテルが悪いって言えよ自衛隊が悪いなんて言うんじゃないぞと揶揄が飛び始めているようだけれどちょっと待って足下を見ろ。そのメディアグループは日教組を断ったホテルにも一理があると言い、むしろ喧噪を集めがちな迷惑イベントを開催しようとした日教組の側に問題があったんじゃないかと言っていた。

 そのロジックを当てはめるなら今回はホテルに非があったとしてもやっぱり韓国という場で昨今の情勢も鑑みずに自衛隊が会合を開こうとするのが間違いだったってことになる訳で、だからここでは場所をわきまえなかった自衛隊に非があったと、喧伝すべきなのにそうはしない、する訳がない。つまりは善悪は相対的なものでなくそのメディアグループにおいて絶対。日教組は悪で自衛隊は善。そこからロジックを組み立てるからどうにも落ち着きがなくなるんだけれど、自覚がないから引っ込めることはせずごまかすこともしないで矛盾だらけの言説を披露しては周囲から呆れられる。その果てにたどり着くのはどの地平。考えるだけで滅入ってくるよなあ。そうやって幹が枯れ果てていこうというのに未だ看板にすがって枝葉の関連ビジネスを茂らそうとしたって本末転倒だって。考えれば分かりそうなのに、考えないんだ誰も。参ったねえ。

 地球の将軍の御曹司ながらも庶子なため兄たちから疎まれ火星送りにされて激戦地へと投入され、謀殺される運命にあったタキオン少年がクラスメートを束ねて生き延びようとあがくというエドワード・スミスさんの『マーシアン・ウォースクール』に待望の第2巻。いつまでも責め立てられるばかりではいつか死ぬと思い後ろ盾を得ようと火星の中将を訪ねたりしたけれども敵もさるもの、その後ろ盾を外されあとは死地へと追いやられるばかりと思っていたら意外なところから救いの手が先述べられる。火星でも親地球派ではなく反地球派に属するシャノン・メイヤー大佐と補佐官のアイリスちゃん。共にメガネっ娘。というかメイヤー大佐はメガネ美女だけれどもそんな2人が親地球派の謀略をじゃましたがるのは分かるけど、タキオンを助けるいわれば別にない。それでも支援するのは彼の能力を買ったからか、はたまたショタな関心か。

 それはライトノベル的に美少女キャラを増やしてみたいという思惑が裏にうごめいているからかもしれないけれど、ビジュアル的な華やかさが増す一方で戦いは熾烈さを極め、火星を脅かす敵のバグスに進化の動きも見られるようになって来た。このまま利口さを増されるとそれこそ火星は全滅の憂き目に。そんな危機に親地球派だその穏健派と急進派だそして反地球派だとやっている余裕もないってことで、タキオンたちは先陣を切らされるようにして新型のバグスを相手に戦いそしてこれからも戦っていくことになりそう。その終着点は果たして訪れるのか。誰も仲間を失わないでいられるか。興味も募るけれどもやっぱり嬉しいメガネっ娘の大量投入。果たして誰が選ばれるのか。アイリスかメイヤー大佐か。個人的にはメイヤーだけれどタキオンには歳が倍では荷が重いか。いやいやそれなら中身はアイリスの方が。メリーどこいった。


【7月11日】 演出家でつかこうへいさんの作品を数多く手掛けられている岡村俊一さんのここしばらくのツイートに、「北区ACT STAGE」が10日の紀伊國屋ホールからスタートさせた「飛龍伝2014 〜鬼才・つかこうへいが遺した者たち〜」への不安というか不満みたいなものが綴られていて興味深い。すなわち「遺した者たち」というタイトルに含まれた文言について、「つまり故人の意思で『遺した』人達が演じるという表現になっている」と主体が亡くなったつかこうへいさんにあって、その責任が作家のそれも故人にあるようなニュアンスになっているのは、演じる側として覚悟が足りないんじゃないのかといった指摘を行っている。

 言い得て妙。なるほど北区つかこうへい劇団の参加者たちが解散後に旗揚げした北区ACT STAGEはその成り立ちからつかこうへいさんの直系を名乗るのは構わないような気がするけれど、別に「遺した」んじゃなくってつかこうへいさんが亡くなって「遺された」だけの存在。そこにはもはやつかこうへいさんの存在はなく、目の前の問題についてつかこうへいさんが直接何か指摘してくれる訳でもない。だから何が起こってもそれは新しい劇団がすべてを背負って立つ気構えが必要なのに、「遺した」と言うのは責任をつかいさんの側に押しつけ何があってもそれは「遺した」側にあると取られかねない言葉づかいになっていることを、多分岡村さんは問題視しているんだろう。逃げてるんじゃないかと。

 もちろんそんな大それたことを「北区ACT STAGE」の人たちは考えている訳じゃなくって純粋に単純につかこうへいさんが作った劇団が解散はしたけどメンバーが残って旗揚げした訳でその意味で「遺した」と言って良いんじゃないかと考えたんだろうけど、そこで勘ぐられ足下を見られ見透かされるような言葉を使ってしまったことは、少なくとも言葉を使って表現する者としてどうなんだ、って岡村さんは言いたいのかも。それとあっぱり目の前の物をぶちこわすだけに止まらず、未来すら見据えて芝居を作ってきたつかこうへいさんの遺志を継ぐなら単純につかこうへいさんの舞台をなぞり演じて観客を安心させるんじゃなく、ぶちこわして作り上げて驚かせ憤らせながらも感心させて欲しかったのかもしれない。なるほど見ていて初日の舞台は「まんま」な感じがあったもんなあ、なおかつ「追い付いていない」という印象も。

 じゃあ岡村俊一さんが作った「飛龍伝21 〜殺戮の秋〜」が飛び抜けて良かったかとうとその是非を問うほどつかこうへいさん自身が演出した「飛龍伝」を見ている訳じゃなく、それこそ2003年だっけかの広末涼子さんが主演を務めた「つかこうへいダブルス」での「飛龍伝」を1度、青山劇場の2階から見たっきりなんで進化も退化の具合も分からないんだけれど、ただかつてつかこうへいさんのお芝居に出て鍛えられた有名女優さんが、そこで学んだことの大きさなんかを語りつつ亡くなられた後のつかこうへい作で演出が違う作品は、どこか綺麗になってしまっているって話していたのを聞いたことがあって、それはやっぱり「遺した」ものを守っていく態度になってしまうというか、そう成らざるを得ないこところが作家的にも作品的にもあって、冒険出来なくなっているような印象を受ける。

 「北区ACT STAGE」による「飛龍伝2014」もだからやっぱり遺志を継ぐ形を最優先して自分たちが演じてきたものをまずはなぞり、見せることから始めてしまっている訳で、ただそこに「遺した」という“覚悟”の乏しい言葉を使ってしまったことがひとつ、引っかかりとなって浮上したという感じ。だから「北区ACT STAGE」と演出の逸見輝洋さんは、これからの全国を巡る公演の中で形を崩し壁を突き破っていくことで岡村俊一さんの問いに応えていけば良いし、その岡村さん自身も広末涼子さんを起用した時以来となる「つかこうへいダブルス」での「幕末純情伝」と「広島に原爆が落ちた日」で、遺された自分たちがつかこうへいさんの作品を素材に何を見せ、そこにつかこうへいさんらしさをどう見せるのかを、突き詰めていってくれればきっと、面白い舞台になるんじゃなかろうか。行きたいけどでも、競争率は高いだろうなあ。

 いやあもう世間はアギーレ監督が既定路線でやれ予選突破でボーナス支給グループステージでさらに追加で日本代表監督史上最高の金額になっただのとかき立てているけれど、そういう話を聞けば聞くほどその程度でどーして過去最高金額を海外から来る監督に支払わなくてはいけないんだって気になってくる。だって日本はもうワールドカップには5度も出場しているし、グループステージだって2度突破している。やろうと思えばやれるんだってことを見せた訳で、だったら次は日本人監督で予選を戦い抜いてそしてワールドカップに出場し、そこで堂々の指揮ぶりを見せてグループステージ突破を果たさせるような経験を、するのが日本のサッカー界にとっても日本のサッカー指導者のモチベーション維持にも必要なんじゃなかろうか。

 なるほど不安もあるだろう。それで出場できなかったらどれだけのショックが襲うかって話にもなるだろうけどお隣韓国は外国人監督の招聘を2007年夏まで率いたピム・ファーベークを境に止めて自国の監督をずらりと並べ、それで南アフリカ大会への出場、そしてブラジル大会への出場を果たしてそして南アフリカ大会ではしっかりグループリーグも突破した。ちょっといろいろ変わりすぎてている嫌いはあるけれど、それだけ色々な人に経験値が積み重なっていると言える訳でいずれ10年くらい経った時、国内にワールドカップでの経験なり代表を率いて戦った経験を持った監督が何人もいるようになって来る。

 対して日本は未だ岡田武史監督ただひとり。なおかつ配下に将来を見越した日本人の指導者をコーチ陣に入れて経験を積ませることもザッケローニ監督はしていなかったようで、これえアギーレ新監督がやっぱり身内でコーチ陣を固めたら、8年間という時間を日本は国際舞台での修羅場をくぐった指導者を持てなくなってしまう。オシムさんはその辺りに配慮してコーチ陣を日本人で固めてその指導方針を伝えつつ代表の指揮という修羅場を経験させようとした。我らがジェフユナイテッド市原・千葉をこれから率いる関塚隆監督もそんなひとりで、その意味ではジェフ千葉に何かをもたらしてくれそうな興味はあるけれど、そうした還元がこれまでの4年も、これからの4年もなくていったい日本人の指導者はどこにモチベーションを置けば良いんだろう、って気がしてしまう。

 クラブチームで上位を目指すのもそりゃあモチベーションいなるけれど、方や何億だといって海外から来た監督がもてはやされては結果的に前と変わらない程度で収まっているのを見て、だったら俺たちにやらせろよって気になっても不思議はない。そんな代表に協力してやるいわれがどこにあるかってクラブの側が思うようにもなりかねない。ただでさえ海外でろくすっぽ出ていない選手が重用され、国内リーグが軽んじられている雰囲気が濃くなっている状況だけに、指導者も含めた日本代表への懐疑が不協和音をもたらした果て、いったい何が起こるのかが今から不安で仕方がない。

 なおかつ日本サッカー協会あたりはJリーグを秋春にしてそれで日本代表強化だとか言い出している。というかスポーツ新聞がかき立てているんだけれど、今だってギリギリの日程でやっているのに夏場の試合を削り、冬場は必然的に締めざるを得ない状況で過密化が進んで何が代表の強化だってんだ。誰だって分かっていることをねぐり代表をもてはやし協会に阿るスポーツ新聞の腑抜け、それを書かせる協会の愚劣さが絡み合ってどんどんと状況は悪くなっている。こりゃ拙いんだけれどもはや協会には是正する能力も気概もないんだろうなあ。川淵三郎さんの「オシムって言っちゃったね」はあれはフライングだったけれど、でも日本のサッカー界を革命する上で必要な道でもあった。それが最終形態をを見せられないまま途切れてしまったことが今の不幸に繋がっているとも言えそう。どうなってしまうのかなあ。とりあえず日曜日のジェフ千葉の天皇杯に心を向けて前を向こう


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