縮刷版2014年2月上旬号


【2月28日】 H2Aロケットの打ち上げをキャロライン・ケネディ駐日米大使が種子島へと見学に行ったそうで、宇宙へと上がるロケットを見てこれで我がアメリカもロシアに勝てるぞと思ったかどうかはさておいて、日本がこうした技術を持つことに対してアメリカがどういった感情を持っているのかが興味のあるところ。日本ではロケットが北朝鮮ではミサイルになるように技術的なベースは同じ物な訳で、今はまだまだ同盟国として肩を並べるふりはしていても、昨今の安倍晋三総理のキナくさい言動なんかを見て辟易とし始めているアメリカの胸先三寸がどう動きどう流れるのかがやっぱり気になる。太平洋をうちらに向かって打つなとか理不尽なことは言わないだろうけど。まあここまでやって来られたってことは気にしてないってことなのかなあ。使う気概も勇気もないと思われている? 風船爆弾また作るぞ。

 そんな鹿児島訪問ではキャロライン・ケネディ大使、県知事を訪問して黒豚が特産と聞いて食べてみたいと言ったとか。ならばとその場で県知事が「そうですかでは召し上がりますか、おーい確か花子が食べ頃だったなあ、連れてきてお出ししろ、今すぐにだ、そうだここでだ」と秘書に言って県庁にある養豚場からまるまると育った黒豚を引っ張ってきては、ケネディ大使の前で落として開いて切って焼いて出せばとっても新鮮なものを食べてもらえたのに。でもって自分たちが普段から口にしているビーフやポークが、どういう経緯をたどって肩ロースとか細切れとかになっているかも分かってもらえたのに。魚は開きで泳いでないし肉もステーキの形で育つ訳じゃないんだから。でもまあ、そんなことをやったらよけいに野蛮な国扱いされるだけなんだろうけど。それはそれとして薩摩の黒豚ってやっぱり美味しいのかな、あんまり食べる機会がないけど何をどう食べれば良いんだろう。トンカツ? ショウガ焼き?

 気持ち悪いなあ、という思いしか。例の大組閣でもって名古屋行きを言われた東京のメンバーがいたけれど、それを拒否して申し立てが通ってとりあえず残留決定。その理由は母親がいっしょに来ているけれど、生家は東北にあって祖父母の介護なんかの必要もあって遠くにはいけないことががひとつと、それからこの季節だから4月から通う高校も決まって入学の手続きまで済ませているのに、それを蹴ってまるで知らない場所に今から進学するなてことはできないってことがひとつ。そんなことくらい事前に調べれば分かることだと思うんだけれど、情状も事情も酌量しないで無茶を振る運営側の神経がまるで分からない。4月から高校生ならそういう可能性くらい調べなくたって考えるのが大人だどいうのに。それともオトナじゃないのか運営は。アタマの中が。

 当然だから申し開きは認められて残留になった訳で、そうしたやりとりも含めてひとつのパフォーマンスだし、結果として残留が決まったんなら良いじゃん別にって擁護に回る声もありそう。でも違う、そうやってひとつまず断じて追いつめること自体がパワハラで、それを断ったことによって居残る場所でいろいろ影響を被る可能性を生んだこともやっぱり問題。無理に波風立ててはしっちゃかめっちゃかになる様を、傍目で楽しむほどファンって奴は無情ではない。むしろそうした行為に反発して離れていく……はずなんだけれど擁護する人はとことんまで擁護するからなあ、そのシステムを。

 なるほど高校生は義務教育じゃないんだから、進学せずとも芸のために生きろと諭す言説もないでもない。ただ一方で、未成年に自己決定を強いることが現代においてどれほど無茶かって現実もある。小学校でたら丁稚が普通の時代じゃない。それを今に復活させようとしている気持ち悪さ。そうするふりを見せようとしたパフォーマンスとしても筋が悪いんだけれどでも、やっぱり圧倒的な人気をバックに君臨しては、反論を認めない帝国を築き上げていくんだろう。みっともない国になってしまったなあ。そういえば村上隆さんのアトリエで、アーティスト志望の若者を24時間交代制でこき使って朝にラジオ体操をさせ挨拶励行させといった話を取り上げブラック体質だと斬ってたメディアもあったけど、大のオトナが自分の選んだ道で成り上がりろうとしてやっていること。未成年をふりまわして悲しませるのとはやっぱり違うと思うんだ。でも村上隆さんは誹られ最強アイドルグループは称えられる。おかしいぞこの国。

 「いきなり文庫」。ってライトノベルはだいたいがいきなり文庫での刊行だけれど、最近はライトノベルでもいきなるボックスだとか四六版ソフトカバーだとかで出てくるからよく分からないし、角川文庫とか新潮文庫とか大手の一般の文庫でも文庫書き下ろしって作品があったりするから、もはや文庫を叢書的なものとしてとらえるのは間違っているんだろう。ライトに読者に手にとってもらえるパッケージだとか。だから世にある権威と気位の高い文学賞がハードカバーの本でなければ候補にしないような戯けを今なお堅持しているのは愚の骨頂。その意味でいうなら「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」って文庫じゃないけど新書サイズのソフトカバーが、堂々の直木賞候補になったのって凄いことなのかもなあ、落ちたけど。

 それで「いきなり文庫」。これは集英社の文庫がやっているものらしいけれどいつからあるかはよく知らない。店頭でみかけたそれはコバルト文庫で「伯爵と妖精」のシリーズを出している谷瑞恵さんによる「異人館画廊 盗まれた絵と謎を読む少女」(集英社、560円)という小説で、書店員さんたちの応援のメッセージが表にも裏にも載っている。自分のところでもない書店員が応援している本を、違う書店の人たちって売って楽しいのかって疑問はさておき、ストーリーは飛び級で英国の大学を出て図像学を修めた此花千景という少女が、面倒をみてくれた祖父の死去もあって帰国し神戸にある祖父が画家をやって祖母が面倒を見ていた紅茶の美味しい画廊に戻ると、そこに幼い頃に何度かあってその度に悪態をついてきた西ノ宮透磨という青年がやって来た。

 若くして死んだ父親の画廊を継いできりもりしているやり手の青年。そしてキューブという曰くありげな絵を集める不思議な集団を組織している不思議な青年。彼は欧州で盗まれたゴヤとそしてもう一枚の絵が日本にあるらしく、それを買い取り盗まれた場所に戻す手伝いをするよう保険会社に頼まれ動いていて、そして千景が持つ図像学の知識を貸してほしいと持ちかけてくる。もっとも、態度は相変わらず横柄というか辛辣というか千景に対して容赦なく、千景も子供のころに散々いじめられ描いた絵をけなされた記憶もよぎってどうにも納得できない。それでも祖母が好み祖父も愛した青年で、なおかつ自分自身も図像学の知識を使った仕事ができることに興味を抱いて、透磨といっしょに盗まれた絵を探すことにする。

 ゴヤならゴヤで別に美術鑑定を立てれば贋作かどうかすぐに分かるのに、どうしてまだ若い千景が頼りにされたのか、というところがこの小説の大きなポイント。というのも盗まれた絵は2枚あって、1枚はゴヤだけれどももう1枚は誰かわからない人の絵で、なおかつそんな2枚のうちのどちらかが図像学的にヤバい絵らしかった。見れば不幸に見舞われるという絵。それは図像学というかつて隆盛しながらも異端ということで闇に葬られたテクニックが施された絵で、そこかしこにちりばめられた図像なりが見る人に作用して何か心を動かすなり、行動に踏み切らせるなりする。だから危険。なので回収したいというクライアントの要望を受けて、千景は嫌いだけれど透磨といっしょに絵を探して、時に現在の持ち主らしい男の娘にばけて病院に行き、時にどうやらそれが対象の絵らしい1枚を持っていった男から奪い返すための会合に参加する。

 占い師の彰に現役の女優という瑠衣といったメンバーも交えて繰り出されるプロジェクト。それがうまくはまっていく展開を楽しむこともできる探偵ストーリー。どこにあるか、どうやって手に入れるか、なんて作戦を立てて実行に移してうまくいけば喝采、失敗すれば再挑戦といった展開を味わえる。一方で、千景が子供の頃に誘拐された過去を持っていてそれがトラウマのように彼女の両親への不信、昔の自分への嫌気につながっていることがあって、それを透磨が知ってか知らずか、表向きでは辛辣な言葉を投げつけながらも、裏では誘いいたわるようにサポートしていくけなげさが見えて可愛らしい。男って素直じゃないよねえ。それに気づけない女性も鈍感なのかな、それも男がプライドにこだわるから悪いのか。やっぱり悪いのは男ってことで。

 絵に心理的に作用する図像を仕込むことで人を本当に動かせるのかどうなのか、ってあたりは分からないし、海外の神話なり宗教なりに依った図像を仕込んで、それがまったく違う文化を持った日本人なりに作用するのかどうかも不明。とはいえ、神話なり伝承は人間がこの世に生まれ知恵を育み文明を発達していった仮定で共通に生まれ得るもので、だからまるで違う地域でも似た神話が伝わることがある。図像学もそうした原初で根元の神話に迫るものだからこそ人を動かし得るのかもしれない。だったらそれはいったいどんなものだ。千景はどうやら知っているようだけれど、その絵を彼女は危ないからと変えてしまった。それはいったいどんな風に。見てみたいなあ彼女が描いた猿たちを。でも猿に見えないのに猿とわかった透磨ってやっぱり凄い。それが愛の力って奴なのか、画廊の息子の才覚なのか。その真相も含めて続くシリーズで描いていって欲しいもの。次はいったいどんな絵にまつわるミステリーに出会えるんだろう。楽しみにして待とう。

 起きたらいきなりオンラインでビデオオンデマンドを提供しているhuluの日本での事業が日本テレビ放送網に譲渡されていた。やるなあ日テレ。ちょっと前にタツノコプロを買収し、その前にはマッドハウスも買い日活株も手に入れ細田守監督を抱え庵野秀明監督ともつながりを持ちスタジオジブリはすでに同期の桜で押井守監督が作る物もサポートしているといった具合に、コンテンツ面での充実を図っているテレビ局が今度は番組を届けるインフラを強化した。もちろんオンデマンドでhuluが圧倒的かというとそうではないし、買収したことでコンテンツの供給が細る可能性だってある。何で日テレのプラットフォームに他のテレビ局が出さなきゃいけないんだ、って具合に。

 でも海外のコンテンツに関しては元が海外の会社なだけに結構充実しているし、買収したり中を深めてきた会社のコンテンツも相当なポテンシャルをもっている。そうしたところを供給していくチャネルとして屹立することによって、他のコンテンツホルダーも目を背けていられない存在感を持つってことはあり得る。今はまだ弱いアジアのコンテンツだって増やせるだろう。そんな可能性を得たってだけでもひとつのチャレンジだし前向きな出来事って言えるんじゃなかろーか。あとはだからコンテンツをどう集めていけるか、リーチをどう増やしていけるかって両輪を間違えずに勧めていくことが大切、かな。それが1番難しいなけれど。しかしそういうのに聡いはずだったお台場の目ん玉放送局はいったい何をやっているんだろう。自前のものがガタガタしはじめているのに他を抱え込めず過去も掘り起こせないとあってあ先は見えてるぞ、ってそは末端をまずはやせ衰えさせるぞ。末端って……。明日はどっちだ。

 電撃が去年から始めた第2回デジタルMANGA新人賞の授賞式を見に行く。審査委員長の岡田斗司夫さんを見るのはいつ以来になるんだろう。いとうのいぢさんは可愛いなあ。でもって無事にグランプリ作品も決定。コラボレーション部門からの受賞でグランプリと部門賞をあわせ500万円がもらえるとか。デカいなあ。何千通も来る電撃小説大賞よりも応募総数から考えると競争率低そうで漫画家志望者には狙い目か。とはいえプロアマ問わずだから次はプロが本格参加してくるかも。岡田さんもたきつけると言ってたし。ユニークなのはこの賞、デジタル上で描かれたことが条件で、それによって表現的な制約なんかも受けるけれども一方でメリットなんかも教授しながら各人、描いてきたみたい。そういう時代なんだろう。

 あとデジタルMANGA新人賞はデジタル上で読まれることへの意識ってのも必要なのかも。岡田さんの話だとグランプリを争った2作のうち、前に戻って何があったかって確かめることが割と面倒なデジタルデバイス上での読書なんかを考慮して、戻らず読み進めていける作品がグランプリに輝いたようだし。ただ読み方においてページめくりへの意識、セリフの横書きの発想なんかはまだないか。竹熊健太郎さんがよく言う横書きで縦スクロールで読んでいけるような漫画の登場。それにふさわしい文法の提示。それがあってようやく“デジタルMANGA”の時代になるのかな。しかしそんなことよりイラスト講座に登場した去年の受賞者のしよたこんさんのふてぶてしさと描いた岸田メルさんの似顔絵のすごさに圧倒されたデジタルMANGA新人賞授賞式。本当はおねえちゃんを描くはずだったのにそれも描いてなお岸田メル。仮面の。羽根がいっぱいに飛び出た。変態は変態を知る。


【2月27日】 一色って訳ではないけれども開けてスポーツ新聞も一般紙もテレビのワイドショーもザ・ローリング・ストーンズの来日公演のことを書いたり流したりして報じてたけれどやっぱりミック・ジャガーの70歳にして未だ健在というかむしろ若がえってすらいるんじゃないかと思わせる、あの軽々としてくねくねとしたパフォーマンスを驚いていた様子。体型の変わっいなさも含めてきっとミック・ジャガーはヴァンパイアになっているに違いない。ちなみにチャーリー・ワッツはサイボーグ。ドラムマシーンが仕込まれた。

 そう思うとキース・リチャーズなんかはちゃんと年相応の変化のし方をしていたななあ、ストーンズでは1番超然として得体が知れなさそうだったのに普通に人間だったんだ。もちろんミック・テイラーも。彼なんてもっとも人間の中年らしい変化のしかたをしていたし。昔は美しかったらしいんだ。それがどーして。時は流れる。それにしても今回の来日公演、26日の次は3月4日としばらく開くけどその間メンバー、何やっているんだろう。いったん帰って出直してくるのかそれとも草津の温泉につかりに言っているのか。お年寄りは基本温泉だもんなあ。うん。

 デフォルトへのセーフティネットも用意されていない上に運営会社もどこの誰だか正体不明なところがある仮想通貨の世界へと足を踏み入れるならば何かしらのリスクを当然のように考え対策を講じながら使うってのが普通のアタマ。でもって案の定に運営会社が雲隠れして預けた仮想通貨が引き出せず確認もできないままおそらくはどこかに溶けて消えてなくなっている事態をどうしてくれるんだと憤ったところで、それは自らのリスク対策の不備が招いた結果だと受け入れるのがああした世界の鉄則だったりする訳で、それを会社の前まで行ってどうしたんだ何があったんだと憤りメディアに向かって話すのは、自分の至らなさを喧伝しているようでちょっと見ていてもの悲しい。

 ああやって出ることによって事態を世に知ってもらい政府なりにも対策に向かって欲しいといった気持ちがあっての行動なら認められるけど、自分が損をしたことへの腹立たしさを世にさらすだけならやっぱりちょとうらさびしい。勉強したと諦めるのが吉、ってことになるのかなあ、もちろん詐欺めいたことがあったならそれはそれで犯罪だから取り締まられるべきではあるけれど。ビットキャッシュにしておけば良かったんだよ、ってそれ懐かしすぎ、まだあるの? ウェブマネーとか。

 ちょっと前に将棋の奨励会三段に昇進してそこを勝ち抜けばいよいよプロ棋士四段に女性としてはじめてなるかもって話題になた女流棋士の里見香奈三冠が四月に始まる三段リーグを前に体調不良で半年の休場を決めたとか。ただでさえ女流としての対局も多い上に奨励会での対局もあっていろいろと体力的にキツい上に慣れない男性棋士ばかりの奨励会で指し続けることへのストレスもあって、体調が崩れてしまったのかもしれない。それを人によっては弱さととるかもしれないし、男性ならそれくらいの対局はこなしてそれでも勝ちあがっているだろうと言うかもしれないけれどでも、パイオニアの苦労っていうのはそれまでにはない壁を壊し山を登って進むことにある。いかに困難か。それを同一条件で比べて弱いと断じるのはやっぱり違う。

 奨励会にはかつて林葉直子さんも所属していたことがあるし、有力な女流棋士ならたいてい入っては壁に跳ね返されて退会している。やっぱり男子ばかりの中で指すのは大変らしく、とりわけ周囲がまだ女性に負けるなんてといった声にあふれかえっている中で、相手の真剣もありこちらの本当はそう思う必要なんてない申し訳なさもあって、心が引き裂かれ体もむしばまれていってしまうらしい。20年以上も昔の話で今はもっとあっけらかんと男性女性関係なしにしのぎを削り合っていると言えるのかもしれないけれど、でもいざ当事者になると男性だって自分の将来がかかっている場で負けたくないという思いは強くなるし、パイオニアの女性はそこにかかるプレッシャーと、受ける向かい風とで苛まれて削られてしまうもの。それがここに来て噴出してしまったんだろう。もったいないけどここはじっくり休養して、出きる範囲で指し続けて欲しい。強さは本物なんだから、いずれ答えは出るはずだから。

 3月1日に迫ってきた日本SF大賞の選考会では候補になっている人たちはそれぞれにどこかに待機しては選考会場から来る当落の連絡をまって時間を過ごすことになるんだろう。早川書房から3冊が入っていたりするけど3人が同じ場所で顔をつきあわせながら連絡を待つのもなかなか気まずいだろうから、それぞれに担当がついて別々の場所に待たせていったい誰のところに来るのかってのを気もそぞろに待つことになるのかな。そうでない1人は長谷敏司さんだけれど角川書店が巨大な会議室を用意して、受賞したらそこにマスコミを読んで大々的に受賞会見なんか開くと良いんじゃなかろーか。それだけのことをする資本力のある会社だし。

 残る1冊は大森望さんが編集した書き下ろしのSF短編集<NOVA>シリーズでこれについては大森さんが焼肉屋さんを待機場所にして遅い新年会なんかをやりつつ待つとかって書いていた。ってことはもしも<NOVA>が受賞したら会場となっている焼き肉屋では共同記者会見が急遽行われることになるんだろうか、それはそれで面白そう。文化部学芸部の記者がわんさかやって来て「今のお気持ちは?」「この叢書にはどんな思いを込めましたか」「SF大賞ということですが受賞者のSF観はどういったものになりますかやっぱりタイムマシンですかそれともロケットですか」「NOVAってあるけどNOVAうさぎとは関係があるんですか」「金メダル噛んでくださーい」「ハラミ追加、あとタン塩も」って質問するんだ。これは見物。そうこうしているうちに選考委員も合流して始まるどんちゃん騒ぎの大宴会。そこに殴り込んでくる受賞を逃した作家たち。始まる血みどろの争いの果て、立っているのは誰だ? これは行かずにいられない。


【2月26日】 新海光が差す新海空を新海雲が流れていく下で、新海高校生たちが新海青春を繰り広げている新海誠さんの新作映像「クロスロード」が登場してやっぱり良いなあ新海ワールドはと再確認。海辺の町に暮らす少女は東京の大学に進みたいと思って勉強をしていて、東京に暮らす少年はまだあんまりやりたいことも見つからないままアルバイトをしながらやっぱり進学しようと勉強していて、そんな2人がZ会でもって添削を受けながら進んでいった先、大学を受験してそして合格発表を見に行った場所で肩を触れ合わせるという流れはそのまま「これから滅茶苦茶……」と繋がりそうだけれど、そこを描かないのが新海誠さん。あとはご想像にお任せということで青春を切り取り流れに乗せつつ帰結へと向けてドライブさせていく巧さはやっぱり流石。田中将賀さんのぴちぴちとしたキャラも得て今までにないみずみずしさって奴も漂っている。この路線で是非に1本、中編も作って欲しいけれどそういうこ可能性ってあるのかな。

 博多こわい福岡市おそろしい。なんて先入観を持ってしまうくらいに昨今、福岡を中心にして暴力団の抗争が続いてやれ組事務所に縦断が打ち込まれただのやれバズーカ砲だの機関銃が押収されただのといった話が頻繁に流れてきては、いったい福岡市とはどんな場所なんだろうといった具合に、同じ吸収にはるハウステンボスなんかとは違ったニュアンスの好奇心を誘い出す。とはいえのぞき見気分で行ったら最後、駅を降り立ったとたん銃撃戦に巻き込まれ、ラーメン屋に入れば店主がカウンター越しに包丁を持って襲いかかって来て、逃げ出した繁華街ではゴージャスなドレスを着た美女たちがハニーとラップを仕掛けてきて、それもかわして逃げ込んだ交番では闇の組織に買収された警察官が腰から抜いた拳銃をつきつけ「ホールドアップ」と博多弁で話しかけてくる……。

 なんてことはないけれど、そんな想像がふくらんでしまうくらいにワイルドな街・博多なり福岡市の印象をさらにワイルドにしてしまう小説が登場した。木崎ちひろによる電撃小説大賞の大賞受賞作はその名も「博多豚骨ラーメンズ」(アスキー・メディアワークス)といってはるばる東京から福岡へとやって来た元高校球児のサラリーマンが、博多豚骨ラーメンズにめぐりまうまでを描いたストーリーになっている、ってそれのどこが福岡の恐ろしさを描いているのか、ただの福岡グルメ旅行記ではないのか? 違うのだ。描いているのだ福岡の恐ろしさをとことんまで。

 なぜなら斉藤という名字のサラリーマンは殺し屋で、仕事をミスして左遷させられた福岡に入ってさっそく1人殺して来てよと上司に言われて出向いた先で出会ったのが復讐屋。そこはしのいだもののなぜか自分がちゃんと仕事を果たしたことになって振り込まれた成功報酬で気を大きくしてどんちゃん騒ぎをした先で、へべれけになって気が付いたら今度は女性を犯して殺す連続殺人犯に仕立て上げられ、被害者の恨みを晴らそうとする殺し屋にまたしても追われるはめになる。そんな殺し屋も雇い主に口答えをしてばかりで別に市長の闇を暴こうとする探偵を殺せと言われ、金をもらわなければ殺さないと言ってだったら別に頼むと言われたことに腹をたて、自分の代わりの殺し屋を撃退するべく探偵の事務所に入り込んではやって来た殺し屋を撃退する。

 そんな裏切りを怒って雇い主はその殺し屋を殺そうと殺し屋の組織に依頼をして巨漢の殺し屋が派遣されて殺し屋を殺そうとして殺されたりと、もう何を書いているのか分からなくなるくらいの殺し屋たちのオン・パレード。どうやらこの世界では博多の人口の3%が殺し屋だそうで、道を歩いて100人過ぎればそのうち3人が殺し屋とかっていったいどんな街だと怖気も振るう。なおかつさらなる恐怖が。「にわか侍」と呼ばれる奇妙な仮面を被り手に日本刀を持った「殺し屋殺し」が福岡市の裏社会のさらに裏側を跋扈しては、闇雲に殺しをするような殺し屋を殺害しているらしい。その正体は謎。見たら生きて帰れないという存在を背後に抱きながら「博多豚骨ラーメンズ」では殺し屋たちが殺し殺されていく展開が繰り広げられる。

 凄惨といえば凄惨だけれど、読んでどうにもいたたまれない気分にならないのは、真っ当に生きている人間が殺されるような場合が比較的少ないから。。弱い者を集団で殴って死なせた大学生たちや、動物をさらってきては切り刻んだ高校生、殺し屋に戦いを挑んで返り討ちにあった殺し屋といった具合に悪いやつらが正義の鉄槌のもとに始末されているからある意味溜飲が下がる。まあ騒がしくしているから大家と近隣の住民に始末して欲しいと言われてしまうのはどうかしているけれど。それが殺しが普通になっている物語世界の博多ならではの倫理観って奴なんだろうけど。それからやっぱりゼロではなくって、市長の犯罪をおいかけていた刑事が自殺に見せかけて殺されたりもする。

 ただ、その意志を継ぐようにした同僚の刑事の依頼でもじゃもじゃ頭をした馬場という探偵は動いて、それで殺されそうになったところで中国から来た林憲明という美少女に見えて実は男という殺し屋と知り合うことになり、市長の息子の女性殺しの罪をなすりつけられた東京から来たサラリーマンの殺し屋と知り合うことになってそして、行き過ぎた殺しを諫める殺し屋殺しの活躍へと向かっていく展開を読むにつけ、目には目を歯には歯をの線引きだけはやっぱりあって、そこから踏み出さないでいるところに読んで胸くその悪さを感じないでいられる理由があるのかもしれない。あとはキャラクターたちがそれぞれに生き生きと描かれていて、その言動に引きつけられるってこともあるし。

 そんなこんなで幕を閉じた舞台に果たして立っているのは誰なのか。それは読んでのお楽しみとして最後の最後にもう1つ、どんでん返しのような展開があるけれどもこれはいったいどう続くのか。というよりあれだけ殺し屋を殺しまくってもまだ続くのか、続くとしたら福岡市にはよほど大勢の殺し屋たちがいるんだなあ。まあ博多の人口の3%、全体が22万人としたら6600人が殺し屋ってことになるのかなあ、そりゃあ終わらないし追われない。這々の体で博多豚骨ラーメンズにたどり着いた斉藤くんも含んでいるだろうその先の物語って奴を、これは期待せずにはいられない。「バッカーノ!」でデビューした成田良悟さんの大勢が関わり重なるようにくんずほぐれつしながら物語が進んでいくあの興奮を、あの面白さを今一度、味わわせてくれる新人の登場を喜びつつ、だからこそ成田良悟さんの大活躍をふまえた飛躍を願おう、木崎ちあきさんには。そのためにはまずは生き延びるころだな、福岡市在住ってことらしいし、闇を暴いたその筆を潰そうとする企みをかわして。

 便利は怖い。怖いは便利。つまりはテクノロジーの進化は人に多大なる恩恵を与えてくれるけれども同時に恐ろしい害悪ももたらしかねないという人が火を手にして道具を手にしてから続く教訓を、これも描いた作品だといえる電撃小説大賞でメディアワークス文庫賞を受賞した十三湊さんの「C.S.T 情報通信保安庁警備部」(アスキー・メディアワークス)はビーンズという耳につけて脳とコンピュータ間の情報をやりとりできるようにした機器がネットワーク社会に普及したことで誰もが記憶の外部化から情報機器の操作から、いろいろなことを簡単にしてしまった近未来の日本が舞台。そうした機器が普及するほどサイバー社会となったことでサイバーテロも頻発するようになった結果、警察を離れ文化省の下に情報通信保安庁が作られ管理や取り締まりなんたに当たっていた。

 そんな情報通信保安庁にある警備部はネットワーク犯罪なんかを専門に取り締まったり事件を分析したり要人へのテロを警戒するような仕事をしていた。主人公の御崎という男もそんな1人でそれほどエリートではないものの一応は専門の大学校を出てキャリアとして入庁しては警備部第1部隊で予告されたアイドルグループのイベントに対するテロへの警戒なんかに当たっていた。そこに起こったのが来場していたファンが突然暴れ出すという事件。どうやらビーンズを介してウイルスめいたものを仕込まれていたらしいけれど、それがどうやって行われたかがつかめない。さらに老人ホームにいる高齢者たちが図ったように65歳以上になって死亡する事件が続出し、加えて突然に自分の喉をかききり自殺する人が何百人も現れて情報通信保安庁は大慌てで真相究明に乗り出す。

 御崎ももちろん捜査にいそしむものの彼とは同期で天才的な能力を発揮して誰よりも早く部隊長に昇進した伊江村織衣という美女もまた別になにやら事件を追いかけている模様。とはいえ秘密主義で動く彼女にかえって何か画策しているのではといった疑いもかかり御崎をとまどわせる。それはありえないと同期たちは思っている。きわめて実直でなおかつ精錬。というより鈍感で男女の機微にすら疎く御崎の恋情を知ってか知らずか友人として扱おうとして御崎を嘆かせ他の女へを走らせたりもするくらい。彼女にそんな大それた事ができるはずがない、そう誰もが信じたいけれども一方で彼女には出生に秘密があり、経歴に不穏さもあって一概には否定できなかったりする。

 そうこうしているうちにまたしても大量のウイルスによる人命への毀損があり、さらにビーンズを含めた情報関連技術の中心にいる者たちを狙ったテロまで起こって日本は大きく揺れる。いったい誰が。そんな謎が明らかになった時に浮かぶ驚きは、人間という存在を肉にとらわれないものへと変えるテクノロジーの可能性への好奇心を誘い、行き場の見えないこの国をどうすれば救えるのかといった社会的な命題への悪魔のような解決法への興味を誘う。いずれそうなることもあり得るのか。どんどんと狭く世知辛くなっていく最近の風潮を見ればあり得るかもと思えるだけに気を付けたい、安心を誘い便利をうたって近づいていくるテクノロジーには。御崎に伊江村のほかに山下という美女とそれから浅井という情報通信の天才を入れた4人の同期の活躍ぶりに瞠目。この先があるとしたらいったいどれだけの事件を解決してしまえるのか。そもそも続きはあり得るのか。そこが気になる。おおいに気になる。

 東京ドームでザ・ローリング・ストーンズを見たら全盛期だったよ。そりゃあミック・ジャガーが70歳でキース・リチャーズも70歳でチャーリー・ワッツに至っては72歳だなんて日本のどのバンドにもない高齢者が勢揃いしているバンドな訳で、1番若い論・ウッドだって66歳くらいだっけ、あの還暦でまだツアーをやって驚かれている山下達郎さんより年上の人たちがずらり並んで繰り広げているライブだから決してとてつもないパワフルさにあふれているってものではない。でも下手に40歳を超えたメンツがそろったバンドなんかよりもはるかにスタイリッシュでそしてパワフル。ミック・ジャガーは非kしまった体をくねくねっせつつぴきぴきさせつつ歌いそしてステージを右から左から駆け回る。それで息切れもせずに2時間くらいのライブを通してしまうんだから凄い。そんなライブで延々と淡々とドラムを叩き続けるチャーリー・ワッツも凄いけど。

 決して熱いファンって訳でもないから知ってる曲もそんなになくって耳に漂い聞いたことがあるかなあ、ってな程度で行ったライブだったけれどそれでもブルースが基底にあるロックって奴が大げさでない構成の中でギターサウンドに乗せてミック・ジャガーのボーカルを得て歌われるのを聞いているだけでひとつの世界がそこに感じられ、そしてひとつの時代ってやつがそこからあふれ出てくる。ポール・マッカートニーのライブの時にも思ったけれどもやっぱり時代を築いた奴らは凄い。存在そのものに重みがあり迫力があり説得力がある。だから何も知らない人でも引きつけるんだろう。

 これもポール・マッカートニーのライブで感じたように東京ドームにしては音もこもらずギターサウンドも突き抜けて響きミック・ジャガーのボーカルもしっかり聞き取れた。音響技術の進歩ってやつは凄いなあ。あとミック・テイラーって新人がキース・リチャーズとロン・ウッドに連なって登場してギターを弾いてた。太ってた。いや新人じゃないけどね。来てくれたんだミック・テイラー。これでビル・ワイマンもいればなあ。ともあれ良いライブ。行けて良かったし行ってない人は行くよろし。チケットは当日券とかたぶん出ると思うよ。また来るかどうかは分からないけど。何で1週間も明くんだろ。


【2月25日】 そんなアニメミライに関連したトークイベントで「アニメミライ2104」に参加して「パロルのみらい島」で作画監督とキャラクターデザインを努めた亀田祥倫さんが、もとよりガイナックス作品に興味を持っていた中で出会った「彼氏彼女の事情」で最初に今石洋之さんに興味を持って追いかけていたら、「月刊アニメージュ」で今石さんのインタビューを読んでそこで金田伊功さんという人について言及していたのを見て、これは誰なんだと遡って「銀河旋風ブライガー」のビデオを遊びに出向いた神戸で見つけて買って友人の家に上がり込んでずっとコマ送りで見ていたといった話があって、リアルタイムでそのすごさを追いかけていた世代からぐるっと回って、そういう世代が今は第一線に出始めて次代を担い始めているんだなあと実感。時はしっかりと流れているのだ。

 そんな感慨とは別に興味を持ったのは、「月刊アニメージュ」のインタビューでそうした作画についての話があったことが、亀田さんのような次代のクリエーターを世に送り出したという部分。ご承知のようにアニメ誌ってのはだいたいが作品のグラビア的な版権イラストをドカンと掲載して、作品に出演している声優のコメントなんかを載せるパターンになっていて、監督とか作画監督といった人たちの声ってのはあまり大きくは載せてくれない。幸いにして「月刊アニメージュ」には「この人に聞きたい」って長大なインタビューコーナーがあって、そこで過去から現在までが語り尽くされてはいるんだけれど、アニメ誌全体の主流コンテンツになっているって訳ではない。そんな状況がより色濃さを増している状況で、次代のクリエーターに今のクリエーターから過去のクリエーターへと関心をつないで、その偉業を現代に引っ張り出して次につなげるようなことができるのか、って悩みが浮かぶ。

 アニメのファンとしては版権イラストで格好よかったり可愛かったりするキャラクターの姿態やらが見られるのは嬉しいし、声優さんのコメントなんかも聞きたいとは思うけれども、そればかりっていうのはやっぱりアニメの片面あるいは一面しか見ていない。とはいえ作画とか音楽とか録音といったものをフィーチャーすると今度はファンがついてこずに雑誌の売り上げに影響してしまう。やっぱり見たいのはキャラだもんなあ、あるいは声優さん。ただでさえ紙媒体の売り上げが全体に落ちている中で売ろうとするならなおのこと、そうしたキャラクターや声優のファンを囲い込めるようなコンテンツに向かうだろう状況で、クリエーターを深堀りする記事は減ってクリエーター志望の人を誘い導く導線は細くなっていく。ちょっと寂しいし、未来に不安も残る。

 そんな時代なだけにクリエーターインタビューがちょい偏ってはいるとはいえ掲載される「オトナアニメ」とか、アニメ様こと小黒祐一郎さんが頑張って編集している「アニメスタイル」には期待したいところだけれど、やっぱりというかいろいろと厳しいみたいで広告なんかを広くあまねく募集していた。今の売れ行きも大切だけれど未来の豊穣を願うならクリエーター魂を揺さぶる記事をいっぱい掲載している「アニメスタイル」に投資のつもりで広告を出してもアニメ関連企業、罰は当たらないと思うんだけれど彼らも今がアップアップだからなあ。かといって個人で広告を出すほど僕には業界に対して発信するものがないので、ここは出きることとして出たら2冊は買って誰かにあげるとかしたいもの。だから頑張って出してください「アニメスタイル」。いつになるんだろう。

 宇宙開闢以来の最強は誰かと聞かれて、そりゃあ超人ロックだと即答するにやぶさかではない人間だけれど、もしかしたらそんなロックに対抗できる超人が現れたかも。童貞武侠の戦いを描いた「覇道鋼鉄テッカイオー」のシリーズを脇において(続かないのかどうなのか?)八針来夏さんが新たに興した新シリーズ「メサイア・クライベイビィ」(集英社スーパーダッシュ文庫)に登場するヒノ=セレスという少年が繰り出す能力のその半端なさは、いったいどれだけ生きているのか分からず、そして絶対に倒されることなく存在し続けている超人ロックですら見せたことのないようなド迫力。それが果たして可能かどうかってことは関係ない、やってしまえると仮定していったいどれだけのパワーを発揮し、同時にどれだけの損害を人類の生存権に及ぼすんだろうかと想像してみたくなる。

 とある犯罪者ばかりが収容されている惑星に、レイコ=カタナシという少女型の機会生命体を伴ってやってきたバリルという名の老人は、とある惑星に栄えていた王国の王家に仕えていたものの、銀河を侵略して配下に加えてきた帝国によって王家は滅ぼされ、姫だったリューン=サデュアルは慕う仲間を集めたレジスタンスへと身を投じていた中で、ひとりそうした戦いから身を離して犯罪者収容惑星にいるひとりの少年を捜していた。ヒノ=セレス。エネルギー源となる鉱石が豊富に埋蔵されている反面でその鉱石の影響で生身では3年と生きられないその星でヒノ=セレスは母親から産まれ育てられ、長じる中でひとつの能力を身につけていた。それが重力制御の力。実はバレル老人も同じ力の結構な持ち主ではあったもののヒノ=セレスはそれをはるかに上回る潜在能力の持ち主だったようで、バレル老人は彼を後継者として能力の扱い方を教え、銀河を侵略する帝国を倒し敵だったはずの帝国の尖兵となっているリューン=サデュアルの姉を助けてくれるようにと頼んでやがて世を去る。

 ずっとひとりぼっちで生きて来たヒノ=セレスにとって、バレル老人やレイコ=カタナシは初めてできた自分に関心を向けて慈しんでさえくれる存在たち。いっしょに暮らすうちに誰かを殺して食料を得ることが普通だった生き方を変えて、バレル老人の遺言を受け入れてリューン=サデュアルが率いるレジスタンスへと身を投じることを決意する。やがて収容所に送り込まれてきたリューン=サデュアルと出会い、彼女を連れてきた帝国側の戦力との戦闘を経てレジスタンスに合流したヒノ=セレスは、圧倒的な力を見せて迫るリューン=サデュアルの姉、リザ=サデュアルと彼女を操る帝国の支配侯と対峙する。

 そして見せたその力のすさまじさ。スケールアップが多々あるSFのワールドでもこれだけの化け物じみた力はちょっとない。とはいえ化け物と言われることに怯えていたヒノ=セレスにとってそうした力を発揮することで仲間を失う恐怖もあった。それでも選んだ理由とは。仲間を得てそのために戦う意味とは。いろいろと考えさせてくれるSFアクション。レイコ=カタナシという機械生命体がどうやって産まれそして人類から恐れられる存在になりそして帝国の支配侯たちを完全に滅ぼそうと画策してはヒノ=セレスを見方に引き入れようとしたのか、そして謎めいた生態を持ち宇宙を侵略し続ける帝国の支配侯たちの生態はどうなっているのか等々、気になる設定もあってこれからの展開が楽しみ。あとは機械生命体の胸が小さい訳も。銀河くらいぶっ壊してしまうかなあ。

 理事の辞表ってのを集めたNHKの会長は過去にもいるそうなんでとりたてて横暴って訳でもないんだろうけれど、今となってはその能力やら言動やらにいろいろと不安が見え隠れする中で果たして辞表なんか預けて大丈夫あったんだろうかって不安もいろいろ浮かんでいるんだろうなあ理事たちには。でも出したのは自分たちなんで何をされても文句は言えない。嫌だったら出せといわれた時点で何故出すのかと問いただして妙な権力の濫用を考えているんだったら拒絶してそこで何かあったら即座に問題にすれば良かった。そうでなく粛々と受け入れたってことは新会長の方針を受け入れたってこと。少なくともジャーナリズムのトップにいるような人たちなんだから権力を相手にどう身を処せば良いかは分かっていたはずで、それでもお従順を示したのなら一蓮托生ってことになる。国会で平気な顔して辞表を預けましたなんて言って会長に責任をなすり付けている場合じゃないんだけれど。そういう組織にしてああいう会長。なんだろうなあ。あと経営委員もか。


【2月24日】 やっとこさ見た「キルラキル」は服に取り込まれた人を吸い出す装置をやっとこさ作ったと思ったら復活した纏流子の一閃でもってあっさりと解放されて四天王たちちょっと憮然。そんな圧倒的な力を持ちながらも相手が鬼龍院羅暁となるとやっぱりなかなか勝てないんだろうなあ。おまけに自分が化け物と知ってかつて理解しあえたはずの神衣鮮血をも化け物だなんて言ってしまう無神経さ。こりゃあ落ち込むよなあ鮮血、まるでTシャツにはりついても生きているカエルを化け物とうようなものだ、ってそりゃあ十分に化け物だけれど。気になるのは全裸に近い形でぶら下げられてお尻をペチペチ叩かれている鬼龍院皐月のこれからか。あれで倒れるタマではないけどいかんせん実力が。それを補ってあまりある何かがあるのかな? ちょっと期待。しかい纏一身、姿変わりすぎだろう。

 昼頃に有楽町のビックカメラに寄ったらまだまだあった「プレイステーション4」。それだけ潤沢に在庫を用意して発売したっていうと聞こえがいいけどそれすらも消化できないくらいに売れてないとも言えたりする訳でやっぱり今のこのご時世にたいしたソフトもないまま発売する難しさって奴を痛感させられる。これではWii Uすら超えるのは難しいような。それともメタルギアが出れば少しは状況変わるかな、変わらないかな。聞くとPS4ってDVDとかBDを見るのにまずはネットにつないで認証が必要だそうでそうやってマシンを暖めてあげないと何もできない黒箱になってしまうとか。CDだって聴けないらしいし。

 でもってネットにつなげるのって簡単そうで普通の家では案外に難しい。無線LANが行き渡っているでもないしリビングにLANが引いてあるでもないって家は普通にあるから。あとHDMI端子しかないこと。家のテレビにそれがないのは少なくなっているけれど、つなぐのにそれを使っている人ってどれだけいるかって話だし。とにかく始めるのに敷居が高いとやっぱり始めようって気にはならないもの。一所懸命につないだ果てに得られる何かがあれば別だけれど、それだってゲームくらいだものなあ、実況? それって楽しいのってなもんだ。一緒にテレビみながらチャットとかできるなら別だけれど、ってそれはテレビ見ながらツイートで実現されているか。じゃあ何だ? ってあたりを打ち出して来る必要があるんだろー、普及には。とりあえず様子見。たぶん4年は。買わないってことか。そうかもね。

 「最後のプルチネッラ」「ヘルマフロディテの体温」という、ナポリを舞台にして幻想的なシーンを交えながらも異質で異端な者たちの生への渇望のようなものを描いた2つの作品をほぼ同時に発表して、熱烈に迎え入れられた小島てるみさんがそこから6年を経て待望の第3作を刊行した。その名も「ディオニュソスの蛹」(東京創元社)は、あの三浦しをんさんが帯に寄せた「神話と芸術が太古の闇を照らすとき、浮かび上がってくるのは− うつくしく危険な獣、私たちのなかで眠る希望」という言葉が言い表しているように、耽美さと熱情とが入り交じった激しさを持った小説だった。なおかつとある方面に目利きの力を発揮する三浦さんが帯文を寄せるだけの内容を持った傑作だった。

 ナポリの修道院に育った孤児の少年アルカンジェロに、ブエノスアイレスから届いたのはそこに暮らしていたアントニオという名の父が死に、そして兄という人物がいるという叔父からの手紙。5年前に死んだ母ミモザの過去を知ろうとアルカンジェロは、彼女の軌跡を尋ねてブエノスアイレスに飛ぶ。ブエノスアイレスに渡って自宅を尋ねても誰もおらず、だったらと父アントニオが眠る墓地へと出向いてそこに参っている2人の人物と出会ったアルカンジェロは、そのうちの1人が誰かすぐに気づく。兄のレオン。若くしてアートの世界ですぐれたギャラリストでありキュレーターとして名を挙げ活躍している男だった。

 そんなレオンにアルカンジェロは、美しい顔立ちをして輝く金髪をした母ミモザの面影を見た。そしてレオンもアルカンジェロに黒髪だった父アントニオの姿を見たことをひとつのきっかけに、2人の過去と向き合う旅が幕を開ける。出生の経緯を知って母親だった女ミモザを憎み、父アントニオと同じ容貌を持つアルカンジェロを憎むレオン。レオンの中にたぎる黒い獣に怯え、己が冒した罪に苛まれるアルカンジェロ。とうてい容れられないように見えた2人だったけど、間に立ってスールという2人の叔父が手がけているアートセラピーによって少しづつ心を解きほぐされていく。

 禁断の交わりがあり、現れた奇跡があって悲劇があり、沈んだ心がかつてあった。それを受け継ぐ2人。ギリシャ神話のミノタウロスの物語を、誰もが見知ったものとは違う形に再生し、女神と牡牛の禁忌を描いてそれを現代へと転写し姉と弟の関係を乗せ、さらに兄と弟の関係を乗せて衝動と抑制、拒絶と欲求の狭間にたたき込んでもみくちゃにする。かつては悲しい離別を生み、激しい憎悪を生んだその関係が、時を経て再会を果たしたことによって深い情愛へと転じる。必要なのは己をさらけだす勇気。すべてを受け入れる熱意。そんなことを教えられる物語、なのかもしれない。

 エクスボトと呼ばれる治癒絵画が、物語ではとても大切な位置にああるのがひとつのポイント。かつてそんなエクスボト絵画を描くことが得意だったナポリの青年が、ある事件をきっかけにすっぱりを絵を描くことを止めてナポリを離れ、そして遠くブエノスアイレスに流れてかつての罪を身に秘めたからなのか、子をなさず養子を引き取って財を継いでいくことで代を重ねて今へと至る。ナポリでは親に捨てられた双子の姉と弟が手を取りメキシコへと流れエクスボトを描くようになったものの、悲劇を経て姉だけが残り、ブエノスアイレスの男に見初められて子を成したものの程なくして離別し、ナポリへと戻り子を産む。その子もまた周囲に飾られたエクスボトを見て育ち絵を得意にして長じながらもある悲劇を経て絵を捨て迷いの中に生きていた。

 治癒を祈願するはずの絵が、連鎖するかのように悲劇を招き寄せていくこの矛盾。けれども、時を経て絵は離ればなれになっていた兄と弟を出会わせ、かつての悲劇を埋めて未来へと足を踏み出される。それも絵画を描くセラピーを経て。情念を吐き出したたきつけるからこそ感動を呼べば反発も招く。そんな、原初の想念にあふれた絵画という存在についても語ろうとした物語だとも言えそうな「ディオニュソスの蛹」。読み終えた時に人は絵画を好きになるだろうか。描いてみたいと思うだろうか。そこにある情念を浴びたいと思うだろうか。さまざまに読まれ心に何かを刻みそう。もちろん三浦しをんさんが得意とするジャンルに特徴的な感情も。それは異端か? 異質か? 否、人がいてもう1人がいれば相手が誰であっても生まれ得る感情、なおかつ過去に惹かれ会いながら引き裂かれた人たちの想念を与えられて生まれた2人だ。結果は当然。だから驚かない。むしろ納得を得て喝采を送りたくなる。この先を歩む2人に永遠の幸いを。

 今になっても自分が失言をしでかしてしまったのかどうか、自覚できていないところが凄いよなあ、籾井勝人NHK会長は。来て早々に理事たちから辞表を集めて回ったって話もあったりして、それがあるいは慣例だったとしてもそうでなかったとしても、雇われて振ってきた関係で周辺に地盤をもたない小心者が、精一杯の虚勢を張って自分の権力を見せつけようとしているとしか思われないところにもはや、存在としての軽さが透けて見える。ここからどう建て直したってうまくいきそうもないのに、でもって晩節をひたすらに汚しまくるだけなのに、いつまでやるんだろう。針のむしろに座り続けられる勇気にむしろ感心。

 そうそうこの籾井会長と出身を同じにする池田芳蔵会長ってのが前にいて、国会で頓狂な答弁をしたといって嘲笑されていたけれど、1988年12月14日の衆議院逓信委員会の議事録を読んだらそんなに頓狂なことは言ってなかった。いきなり英語で答弁って箇所もアメリカでの経験を語ろうとして、その会話を正確に再現したら当然のように英語になったってだけのこと。日本語に訳して語ればよかっただけの話で頭のネジが飛んでいるとかいたものではなかった。他の箇所では公共放送について放送法にのっとって云々とちゃんと答弁しているし。むしろ聡明だったんじゃないかとすら思えるその答弁ぶりと比べると、自覚しながら阿呆を言いまくっている当代の方がよっぽど問題だろうなあ、出身母体もやってられないと思いそう。2人続けて途中で首にされる会長を出した上に、質が大きく低下しているんだから。そういう人材しか三井物産にもいなくなってしまったのかなあ。小粒化が著しいなあ財界。

 せっかくだからとアーツ千代田3331で開かれたアニメミライに関連したトークイベントを見物、「とある魔術の禁書目録」の監督でアニメミライでは選定委員をしている錦織博さんを迎えつつ、今回の「アニメミライ2014」のうち「アルモニ」で作画監督を務めた碇谷敦さんとそれから「パロルのみらい島」で作画監督を務めた亀田祥倫さんを迎えて作画の大変さと面白さを聞いていくって内容だったけど、これは作画という仕事を目指す人にとっては聞いて損はない内容。トラブルでニコニコ生放送での提供ができなくって後日配信ということになったみたいなんで、リアルタイムで聴けなかった人でも聴く機会はあるから聴き逃すな。

 イベントでは、どういうことがきっかけで作画に興味を持ち(2人とも「新世紀エヴァンゲリオン」らしいけど)そしてどういう風に作画の世界に入ってどんな仕事を経たりどんな出会いを経て動画から動画チェックから第二原画から原画へと上がっていったのか、ってキャリアが明かされつつ、どいういうところを意識して作画なんかをしているのかって事が語られている。亀田さんなら尻のラインとか。あとはキャラクターのポージングとか。その仕草が状況を表し感情も表しているようなものでなければ見ていて分かりづらいし楽しくないもんなあ。そんな所を意識するからこそ「パロルのみらい島」みたいな表情豊かで内面まで見えるようなキャラクターが描かれそして動かされる。ニコ生を聴いて「パロル」を見るとそんな辺りがよく分かるだろうからどっちもチェックだ。

 これは碇谷さんの方からだっけ亀田さんからだっけ、若い作画の人は動かしたいという意欲が勝っていてそれは良いんだけれど状況にマッチしていなくって感情もズレていたりするような動きはやっぱりさせてはいけない、そこんところはちゃんと考えようってことを碇谷さんは言って話して聞かせるらしい。自分も割と面前として上の世代からここはどういうことだといったことを聞かされた口で今でも離れた場所にいても呼び出されるとか。そういうリアルなコミュニケーションを通して教わってきた経験が、下の世代を育てるこうしたプロジェクトなんかでも出たみたい。教わった人には勉強になっただろうなあ、なかなかそういう機会って今のアニメ制作の現場ではないみたいだし。

 亀田さんはあとユニークに絵と文字で状況を説明してみせるようなこともするとか。ぐったりとしたパロルを女の子が引っ張り上げようとしている絵を描いて、横にシンジ君の僕はエヴァなんかに乗らないと叫ぶ言葉を添えるとなるほど、パロルの今の心境ってのはエヴァを見て育った世代には絶対に嫌だ死んでも嫌だとだだをこねる感じなんだって、割とストレートに伝わりやすい。共通認識を惹起させ絵でもって指示を送るというコミュニケーション。落書きみたいなことならやっている作画の人っているだろうけど、ちゃんとニュアンスを伝える役割を持たせて絵を描くというこの新しいコミュニケーション方法は、これから果たして広まっていくのか。ちょっと興味。

 そんな亀田さんはGAINAXにあこがれて動画募集に応募しようと手近な絵とか映像とかを段ボールに詰めて送ったら開きもしないで送り返されて来たとか。見られていないとおもいまた送り、今度はコメントも添えられ送り返されてきたんで負けじとさらに送ったら2回目の応募ありがとうというコメントがあったとか。1回目見られてなかったんだ。でもって後に段ボールは送ってくるなという文言が募集要項に出たとか。歴史を作った人。後に「天元突破グレンラガン」の第二原画でGAINAXに関われて嬉しく思うあたり、よっぽど好きだったんだなあ、そんな好きが形になって今がある。面白いなあアニメの仕事って。うらやましいなあ夢を現実に変えられる人たちって。


【2月23日】 金曜日から始まっていたけど足を運べなかった東京工芸大学の卒業制作展を見るために秋葉原UDXへ。とりあえずマンガ学科のコーナーをのぞくと入り口すぐに伊藤剛さんの研究室から出る生徒さんの展示があった。ベストポジション。ざらっと見た中では阿部康平さんって人の描く漫画がビジュアル的に可愛げで、けれどもストーリー的にはグロくてなかなか面白かった。萌えホラーとでも言うのかな、1980年代に結構はやってそれを盛り上げようと徳間書店が創刊した「メディウム」って叢書に載っていそうな作品だった。あとは細萱敦研究室の内海紗貴さんって人の作品がなかなかに完成度高かった。見せ場を作りストーリーを整えればプロでも行けるかな。そんな感じ。

 ちょい見たいプログラムまで時間があったんで、外神田にあるアーツ千代田3331へと向かって「『リトルウィッチアカデミア』とアニメミライ〜等身大原動画でみる作画の魔術〜」展ってのを見物する。タイトル長いなあ。内容は「アニメミライ2013」で上映されて話題になって続編も作りたいってことになってキックスターターで公募したらわんさか支援が集まったというアニメ「リトルウィッチアカデミア」の作画がどんな感じになっているかを魅せる原画展だけれど、ただ並べただけじゃ面白くないからと、1枚1枚の原画からキャラクターを抜き出しては等身大に拡大して並べてみせたことによってキャラクターの動きのすごさが際だつようになってる。

 前に明治大学の米沢嘉博記念図書館で開かれた「魔法少女まどか☆マギカ」の展示でも使われた手法であの時に中心になっていた明大の森川嘉一郎さんが中心になって企画した模様。なるほどだから会場を森川さんが歩いていたのか。そんな展示とあとは若手アニメーターを育成するプロジェクトとしての「アニメミライ」なんだからと、若手アニメーターが描いた原画をそれぞれの担当別に並べて見せては誰がどんな絵を描いて、そして吉成曜監督がそうした原画担当者にどんな印象を抱いてどう描かせたかなんてことがコメントで掲示してあって、見て読むとなるほどこれだけ凄い絵を描く人でもプロフェッショナルから見れば至らない部分もあって、それを引っ張り上げていくことによってスーパーなアニメーターへと成長していくんだなあってことが分かってきた。

 今回の「リトルウィッチアカデミア」展の一種看板にもなっている疾走するアッコを描いたトリガーのアニメーター、半田修平さんなんて見ればもう圧倒的な絵を描いているんだけれど、吉成監督にしてみればそうしたキャラクターの動かし方に不満があったとか。凄い動きのあとに平凡な動きを描くとか。半田さんって自動車部品を作っていたのが絵を描きたいからと何か独学で学んでアニメーターになってそしてとてつもない絵を描くようになった“天才”に見えるけれどもそれでもまだまだ成長していけるのか。その先にはいったいどんな絵を描く人になっているんだろう。楽しみになって来た。

 変化する表情の間にいれるコミカルでデフォルメされた表情を集めたコーナーとか、なるほど瞬間にしか見えない表情だけれどそれが挟み込まれることによって見ている人に強い印象を与えてそのシーンが持つ意味を感じ取ってもらえるんだなあと分かって勉強になった。どう崩してそれをどう挟み込めばどんな効果が得られるのか。計算してもつかめないけど経験を積むには時間がかかる。そんなプロセスを縮めるなり技量を向上させる上でヒントになる展示かもしれない。だからアニメーターも漫画家も絵を生業にする人は観て損のない展覧会って言えるかも。

 会場には今回の「アニメミライ2104」に参加している作品の設定画とか原画なんかも展示してあるんで、公開前にチェックしておきたい人は行って見てみると良いかも。あとこれまでのアニメミライ作品からの原画とかもあってちょっと懐かしかったよ例えば「デスビリヤード」。クオリティの高い作品だけれどそれが原画ではどんな感じになっているかが分かる。キューを引く老人の何枚かとか、ああやってパースを付けるんだ。会場の入り口では去年までのDVDとブルーレイディスクも売っているんで振り返りたい人は買っておくと良いかも。とくに2011年版は黄瀬和哉さんが総監督の「たんすわらし」があるので必見。見たら驚くよそのすごさに。

 そして戻って秋葉原のUDXで東京工芸大のアニメーション学科の卒展を見る。各研究室から選ばれたSプログラム。見た中では鈴木沙知さんという人の「Spat−snat−split」がよく動いて変幻もしていてアニメーションらしかったなあ。突然に触れる物がすぱっと切れてしまうようになった男が巻き起こす大騒動。その切れっぷりが見ていて心地良いのだ。人とか触れたら大変だけれどそこは巧みによけて走っていったらやがて海が切れて陸まで切れてしまってドッカーン! ってエスカレーションが良かった。どこに進むんだろう? あと北原優樹さんの「everlasting」が雰囲気あって「みんなのうた」になりそうな感じだった工芸大アニメーション学科卒展。どちらも古川橋本研究室。

 去年にそこを卒業したけどどっかに行かず、研究生になっていたさとうちひろさんも出してた「さとうのちひろブラック」は、割られたコマのそれぞれが動き移っていくという前と同じ形式の作品。とても雰囲気持ってる人だけどアイディア考えるのが大変そう。今回は「歯ブラシかよ!」って突っ込みとか入れられて面白かった。音楽と動きの組み合わせ、って意味では山中研究室の小野由了さんの「『Steppin’ sounds」が秀逸だったなあ。キャラが踏んだ長さと高さが音を作りそれが動いて音楽になり同時に長さと高さが模様を形作っていきやがてギターにラッパに太鼓も現れ重なるという楽しさ。音を可視化してみせた逸品。そのままNHKのEテレで流れても良さそうなクオリティ。他にどんなの作れるんだろう?

 アニメで劇画な感じがしたのは中島悠喜さんの「乱波」。忍者の死闘を描いていて動きとかで見せていた。あのアクションとか絵コンテ切って動かしているんだろうか? そりゃあ商業アニメみたいなスピーディで爽快感にあふれた動きじゃないけど、狭いところで泥臭く戦う忍者のバトルの感じが逆に浮かび上がっていた。石田彩花さん井上貴絵さんのチームが作った「poupee」は物を大切にしましょう的メッセージがイラスト的な絵本的な世界から伝わる作品だった。尾形佳恵さんの「ここで見る夢」だったかな、可愛い絵から激しく崩れて線だけで動く絵までいろいろと絵柄が変幻してたのって? どれも描ける人ってことになるんだろうけど、それだけとっちらかった印象も。1つに絞って押せば作品としての統一感は出たかな。

 赤羽祐香さん「パイを焦がしてしまいます。」は真っ黒けになるパイが黒猫になって会話らしくっていじましくって好きになったんで自分を卑下しないようにがんばろうって話だった、かな。是崎弓奈さん「遠くの土をすくう音」は女の子たちがゴロゴロとしてたりぼんやりとしてたりする姿が可愛かった。そんな東京工芸大アニメーション学科の卒展。ここから植草航さんとか久保雄太郎さんとか小谷野萌さんみたく次代の担いそうな人は出てくるのかな。多摩とか武蔵野の奥地じゃなくって秋葉原で毎年開いてくれるから通っているけど東京工芸大、なかなかの人材を輩出しているようで何より。商業アニメーションに進むにしても短編アニメーションの世界で生きるにしても道は厳しいし、グラフィックとかイラストレーションなら専門家たちもいるだけに進路も決して開けてはいないけど、それでも世界をそこに現出させる楽しさを体感できる素晴らしい場所なんじゃなかろーか。そんな試行錯誤の成果を見にまた来年も行こう、UDXでやってくれるなら。

 映画も見たことだしと笹本祐一さん「ミニスカ宇宙海賊11」を買って読んだらサイン入りだった。んでもってまたしても加藤茉莉香と白鳳女学院ヨット部の愉快な仲間がオデット2世号に乗って過去へとタイムスリップする話だったけど今回は先に弁天丸が過去へと行ってそこから発信されていた加藤茉莉香からの120年越しのメッセージを受けて加藤茉莉香がそこに向かうといった展開。何かややこしい。でもって行った先では前と同様に記録に残っていないことはできないという縛りの中で歴史を改変しないよう注意しながら行動するんだけれど目の前で海賊船と宗主星の艦隊との戦いも始まってやきもき。言いたいけれど言えないつらさ。さらに驚くべきことに歴史と違った状況が! どうする加藤茉莉香と弁天丸および白鳳女学院ヨット部の仲間たち。曲げられない過去と作らなければならない未来との狭間で選択を迫られる展開を今度の巻で楽しめそう。グリューエルはとにかく最強だった。


【2月22日】 やっぱり見て置かなくちゃと朝も早くから起き出して、新宿バルト9に駆けつけたら新宿ピカデリーの間違いだった「ジョバンニの島」の封切り舞台挨拶付き上映。まあそれでもせっかくだからと今日から公開の「劇場版モーレツ宇宙海賊 ABYSS OF HYPERSPACE 亞空の深淵」のグッズなんかをざっと見たけど、見たことのあるビジュアルを張り付けた物が多くて買うのを躊躇した。特大プリントの茉莉香Tシャツだけは欲しかったけれど、着る機会もなさそうなんでここでは見送りピカデリーへと回ってそして見た「ジョバンニの島」の印象についてまず語るなら、ソ連はあんなに可愛い金髪の美少女を、50年以上も海と山しかない大陸から見ても日本列島から見ても最果ての色丹島に塩漬けにしたのかということ。そして今もその血筋を引いた可愛い金髪の美少女が色丹島にはいるのかということ。理由は見れば分かる。

 あるいは色丹島出身者がビザなし渡航をした機会に、かつて色丹島に関係の深かった当時はソ連で今はロシアの家族も呼び寄せられたのかもしれないけれど、それで娘のみならず孫娘まで連れてくるってのはなあ。だから父親が色丹島の守備隊長となってからずっと3代、住み続けたって考えたくもなる。父親を入れれば4代か。それってちょっと苛烈だよなあ。聞いてみたい原作者に。でもって映画について言うなら、戦争と占領にまつわる悲惨さをそれほど見せず、あくまでも悲劇にとどまらせておいて、そこに降ってわいたような悲運の中でがんばろうとする強い意志ってものを見せてくれたことが良かった。国は戦争をしても子供たちはその下で日常を生きようとしていたことを見せててくれた。

 そんな前半があるだけに後半、まるで前半に浮かんだ暖かさと切なさが入り交じった気持ちが、つながってこないのが気になった。子供がわがままなのは良くあることだけれどもそれを大人がたしなめ引っ張り導くことで子供は弱さから守られ救われるはずなのに、そんな子供の思いを妙に尊重して突っ走らせては悲劇へと持っていくのがどうにもこうにも受け入れられないし、大人も大人で妙なプライドを張ってそれで自分を危機に陥れ、結果として家族もピンチに引きずり込んでしまったことに心が淀んだ。あそこでちゃんと決断していれば、誰も不幸にならなかったのになあ。そんな後段のドラマを見せたかったのだとしたら前半の、日本もソ連もなく子供たちは垣根を超えて交流し、それを見て大人たちも心を許しあうような描写が沈んでしまう。

 むしろ僕が見たかったのはそっちだし、心が躍ったのもそっち。ふすまごしに線路を渡して列車を走らせるあのシーンの何と美しいことか。そんな交流が特にドラマもなく断ち切られてしまった。とってつけたような最後の“再会”のシーンから浮かぶのは、だから感動よりも後悔しかない。その意味ではどこか分裂してしまっているような物語のような気がしたけれど、後段にだけ眼をやるならばあそこで会いに行かなければ2人は永遠に会えなかった訳で、そう思うと賭けるものが重くても仕方がないのかなあという気も。もしかしたら子供ながらそれを感じていて、だたからこだわりわがままを言ったのかもしれないなあ、カンパネルラは。

 あと思ったのは、てっきりいわゆる北方領土返せキャンペーン含みの映画かなあと眺めていたら、むしろ違って北海道のさらに北にある島々がソ連に占領されていく状況を丁寧に描きつつも、こういう物語にありがちなソ連兵による悲惨で非道なふるまいは極力描かず、あってもそうした悲運が最大になった時に起こったものとして描いていた感じ。日常はおおむね平穏に流れて、当時は日ソで今は日露の関係が現代の状況へとつながっていることを感じさせるようになっていた。樺太にあった真岡郵便局だっけ、あそこでの自決の悲劇を描いた映画とかドラマが作られて、映画なんかは公開困難に追い込まれたりしたこともあったけれど、そうした感じに過去を悲劇に入れ込んで、相手方への非難へとつなげようとする意図がなかったのは作り手側の誰かの信念か、それとも現代の関係を考えての配慮なのあ。

 だって舞台挨拶では壇上に立った市村正規さんも仲間由紀恵さんも杉田成道さんも西久保瑞穂監督も、誰もひと言も「北方領土」って単語を使わなかったんだもん、ついつい言いたくなるじゃない色丹島について説明する時北方領土がどうこうって、でもそれがなかったのは、北方領土という言葉が日本側に主権を置いてそれを無法に占領している相手方の不当さを訴える言葉ということで避けたからなのか。それとも単なる偶然か。作った側の色丹島なり歯舞択捉国後といた地域に冠するスタンスが気になった。それが分かればもっとあの映画からくみ取れるものも色濃くなるのに。どうしてもナイーブな地域だけあって利用されやすい内容なだけに。どうなんだろう。

 設定とかストーリーについてはそんな印象も浮かんだけれど、全体を通してみればとってもまとまっていて感動もできる映画。音事協という芸能プロダクションの団体が何故か手がけた映画だけあって、出演しているのは声優さんではなく俳優さんに歌手といった感じだけれども誰も彼もが巧い。市村さんは渋くてまじめなお父さんを演じ、仲間さんは「HAUNTEDじゃんくしょん」に出ていたときとはまるで違って優しくてけなげな先生を演じ、ユースケ・サンタマリアさんは軽いように見えて義理がたい青年を演じきっていた。子役で主人公の2人も最高。そうした声を楽しむ映画としても十分だし、作画もほとんど完璧に違い。

 だってプロダクションI.G.だよ、黄瀬和哉さんもいれば西尾鉄也さんもいてうつのみや理さんとか大平晋也さんとかの名前もあった。演出は「東京マグニチュード8.0」の橘正紀さんで監督は“タツノコ四天王”のひとり、西久保瑞穂さん。杉井ギサブロー版の「銀河鉄道の夜」なんかを彷彿とさせるような幻想的なシーンもあったし、日常の芝居と色丹島という大自然の描写が素晴らしかった。今はそう簡単にはいけない場所をしっかりと取材して現代に蘇らせてくれた。厳しいけれども楽しそうな場所。占領後だって大人にとっては大変でも子供にとっては故郷として慈しみたくなる場所。そんなことを絵によって感じさせてくれた。だからやっぱり誰もが見ておくべき映画。アニメーションとして地味かなあと思わず声の演技に絵の演技を存分に味わい楽しもう。僕もまた行くまた見に劇場へ。

 ピカデリーを出て湘南新宿ラインで横浜まで出てそこから根岸線で桜木町まで行って横浜ブルク13に入って「劇場版モーレツ宇宙海賊 ABYSS OF HYPERSPACE 亜空の深淵」を舞台挨拶付きで見る。1列目が開けられた2列目だから最前列の中央だから舞台挨拶に登壇した小松未可子さんの姿がストッキングの編み目までくっきりと見えた。お美しい。けど演じればどこか軽妙な加藤茉莉香って役をテレビシリーズの時以上に演じきっていて見ていて安心の船長ぷりってやつを披露している。営業も堂に入ってたなあ、あれなら喝采のお捻りだっていっぱり出るさ。そんな舞台挨拶で小松さんが見所としてあげていたのが彼方君っていう少年の半裸になった時の素肌感。何で半裸になるのかっていうのは見てのお楽しみだけれど必然性は不明。そこは佐藤竜雄監督の言う少年の浪漫っていう奴か。

 何者かに追われる少年を助けたもののやっぱりかかる追っ手に対して反撃に出る弁天丸の一行とそして白鳳女学院のヨット部員たち。とてもじゃないけど高校生には見えないそのスキルの高さに驚くけれども考えてみれば元海賊船を操船しているんだもんなあ、強くなるはずだよ。そうやって冒険のはてにひとつ大きなことが見つかるってのは笹本祐一さんの原作「ミニスカ宇宙海賊」シリーズからの一種の伝統。感嘆のクライマックスを得て感動のうちに家路へとたどれる良い映画になっているんで、これもあと3度は見たいかも。個人的な見所はそうだなあ、茉莉香の谷間とチアキちゃんが海賊姿で立っているのをしたからなめていくシーンか。ミニスカなのに見えないんだよ。まあこれは他のシーンでも同様だけれど。映画なのに固いなあ。

 「プレイステーション2」の発売された朝の秋葉原はすごかった。日の出前の始発が動いている時からわらわらと人が集まってきてちょっとした群衆があちらこちらにできていた。それを受けてすべての店が早朝からシャッターを開けてPS2を並べてはみたものの、瞬く間に売れて午前の段階でほとんどが完売になってしまった様子。そのすさまじさを見て久多良木健さんも満足げな表情を浮かべてミスタードーナツで休憩をとっていた。そして「プレイステーション3」が発売された時に秋葉原もすごかった。まだ店が開くまえのヨドバシカメラAkiabマルチメディア館は地下深くまである駐車場へと人が押し込まれては開店して販売が始まりそして実際に手に取れるまで何時間も待っていた。僕も待っていた。4時間だったっけ6時間だっけ。それくらいの苦労を苦労とも思わせないで手に入れたくなるお祭り感があった。

 そして今日、「プレイステーション4」が発売された秋葉原はいったいどうだったんだろう。映画の舞台挨拶があったんでのぞけなかったけれども行列はできたんだろうか。劇場に入る前に見た新宿のビックロは朝から店を開けていたけど行列はまるで見えず、店員さんがしきりに呼び込んでは並んだPS4を売ろうとしていたけれどそれを受けて入っていく人影すら見えなかった。角にある携帯専門の店舗にも看板が立って店員さんが呼びかけていたけれど、やっぱり受ける人影はなし、っていうかゲーム売り場でもない店に品物がちゃんと回っていた。そして売れていなかったこの状況をいったいどう受け止めるべきなんだろう。潤沢に在庫が用意されていてユーザー目線で素晴らしい会社だと称えるべきなんだろうかそれとも。正直に言うなら遊んでみたいソフトがまるでない。シューティングめいたものとかそんなもの。定番のシリーズ物も見えないそれを買って遊ぶ人たちの目的が見えないし、時流に乗って騒ごうという熱も見えない。どういうことなんだろう? そういうことなんだろうなあ。世界は終わろうとしているのかもしれない。

 というわけで本日の舞台挨拶3段重ねの最後となる水江未来監督の短編をまとめた「WONDER FULL!!」の初日舞台挨拶付き上映をヒューマンとラスト渋谷で見る。やっぱり面白いなあ水江作品、形があって動きが付いて音楽が乗るとそこに物語が見える。ノンナラティブって言うけどそれはフィルムの上だけ。見る人の心がそこに思いを乗せて物語を作り出す。押しつけられる物語じゃない、自分自身の心が物語りを作るからその時々に応じてのめりこんだり離れたり、ちょっと眠ったりしながら自分のペースで見られる。そんな映画ほかにある? そこだだから凄いんだよなあ、水江未来作品は。

 個別だとやっぱり「WONDER」も大好きだけどその前の「AND AND」も好き。緩やかに始まって盛り上がり乱舞してそそて円環に修練して世界となるような感じがある。同じ緩やかに始まっても変幻が惑乱となって開放へと向かい輝き果てる印象の「WONDER」と対照的。それが続くからいろいろと浮かんでくるものがある。それから「DEVOUR DINNER」。異形の食い合いが重なり変奏も挟んで騒乱へと進む段取りが面白い。ひとつひとつのアイディアがあるし。そんな映画の舞台挨拶ではベルリン映画祭向けに作ったという細胞着物姿を披露した水江未来監督。次の登壇ではきっと細胞タイツ姿を見せてくれるだろう、なかなか良いんだあれ。個人的には細胞Tシャツなんかあったら着たいかなあ、着物と同じ柄で黒地に細胞が乱舞するTシャツならイタリア人が好みそうだ。イタリア人の服装センスってそんなだって川原泉さんが「笑う大天使」で言ってたし。ヴェネチア映画祭向けに企画してみてはいかが。


【2月21日】 やっぱり読んでおくかと読み始めたら面白かったよ、鈴木央さんの「七つの大罪」はまさしく王道少年漫画といった赴き。国を脅かす罪を背負って消えた超人たちが今、いったい何をしているのかといった問いかけがあって、そんな大罪人たちを探して旅に出た王女様が出会った大罪人たちの意外な姿と、真っ当な思考で日々を暮らしている姿があって、世間で思われているのとは違った事情がそこにあるんだと感じさつつではいったい、過去に何があってこれから何が起ころうとしているのかを想像させ、わくわくとさせる。

 弱そうに見えるけれど実は自分は強いんだという願望を、登場人物たちに仮託して感じさせてくれる設定だし、それでも自分の強さのはるか上をいく存在がいるという可能性にも気づかせてくれる展開もあって、身を寄せれば突き放され、それでも食らいついていくことで物語を追っていける。まだまだ端緒に過ぎないストーリーが完結した時に浮かび上がるだろう世界の姿、そして得られる感慨が今から楽し。何巻くらいになるのかなあ。

 ソチ五輪のフィギュアスケート女子フリーが始まるまでのテレビを漫然と眺めていたらまっすぐなエビフライの作り方をやっていた。ブラックタイガーの冷凍された奴をぬるま湯につけて塩と重曹を入れて1時間ほど置いてから、尻尾をちぎらないようにして皮をむいて背わたをとったあとでナイフで切れ目をいれてまっすぐに伸ばしたのにパン粉をつけてカラリと上げるとあら不思議、くるっと回ったエビフライではなくってまっすぐに屹立するエビフライができあがる。なるほどあれなら小さいエビでも大きく見えるし食べ応えだってたっぷり。そんなエビフライを作りたいけど家ではレンジが料理に使えない状況になっているからなあ、引っ越したいなあ、BIG当たらないかなあ。

 そして始まったフィギュアスケートを見つつ、別に放送されていたスキーのフリースタイル女子のハーフパイプって競技で、魚沼産コシヒカリのおにぎりが大好きらしい小野塚彩那さんって人が上位に食い込んでいて、結果的に銅メダルを獲得する快挙を成し遂げたんでついついフィギュアそっちのけで見入ってしまった。浅田真央選手はちゃんと見たけど他はごめん、ただショートプログラムの不調で第2グループに入って優勝候補が並ぶ第4グループとは時間も離れたんで、そういう見方もできた。良いことなのかどうなのか。実はあんまり良くはなかったかもしれないけれど、それはまた後で。

 ともあれフリースタイルのハーフパイプは、メダルをとった男子のスノーボードのハーフパイプと同じコースをこちらはスキーをはいて滑るというもの。もちろん行っては飛び上がり戻っては回転するといったスノーボードと似た動きは見せるんだけれど、1枚の板をくるくると回しながら、前転ありひねりあり後転ありのアクションを見せるスノーボードと違って、2枚の板をそろえつつ回ったりするから見た目にちょっと迫力がない。もちろん演じている方には相当の負担もあって実際、ミスしてこけた選手が痛そうにするシーンはスノーボードよりも多くみられた。だから大変なんだと分かるけれども競技としてのおもしろさってものが、理解されるのにはもうちょっと時間がかかるかもしれないなあ、今回の小野塚さんの銅メダルがそのきっかけになるかも。

 そしてフィギュアのフリーは、浅田選手がトリプルアクセルを含めて6種類の3回転ジャンプを8回そろえたんだっけ、五輪史上で女子のフィギュア史上に残る偉業を成し遂げて見事に自己ベストを更新してみせて全体の1位に躍り出ただけれどいかんせん、ショートプログラムの点数が足りなくって1位を維持できない。最終の第4グループが登場してくるとまずはユリア・リプニツカヤ選手に抜かれ、そしてカロリーナ・コストナー選手にグレイシー・ゴールド選手にアデリナ・ソトニコワ選手と上位に出られて最後に出てきたキム・ヨナ選手にもフリーでの得点を抜かれてしまって、全体では6位に下がってしまった。それでも入賞には変わりがないけれど。

 あれだけの演技を浅田真央選手のフリーがソトニコワ選手やキム・ヨナ選手より下なのか? ってイーブンな眼で見て誰もがあれれ感を抱きそうになるけれど、そこはやっぱり幾度かの休みを挟んで繰り広げられた第4グループというひとつの単位の中で、あちらをこうつければこちらもこう付けるといった具合に案配された結果、ソトニコワ選手にぐわっと点が入ってキム・ヨナ選手にも高得点がつけられてしまったのかもしれない。全体を通して1つの基準で点数をつけるのがベストとは言え、そこはやっぱり人間による採点だ。絶対的な基準もグループによって、滑る時間いよって変わってその中での相対的な加点にならざるを得ない。

 だからあるいは浅田真央選手が第4グループで滑っていたら、相対的に上に出られたかもしれないし、他にプレッシャーをかけられたかもしれない。ショートプログラムで伸び悩んだところからすべてが始まって、この結果になったって言えるんだろう。それでも16位から6位入賞だから凄いもの。心から称えたい。そして長い活躍に喝采を送りたい。もうひとつ気がむいたらいつでも戻って来てねと誘いたい。今は見えない4年後でも、氷から降りて1年2年経った時にふっと見えてくることだって十分あり得る。もしも何かやり残していることがあるならと思ったなら、いつでもスケート靴を履いて銀盤に経てば良い。滑りたいように滑ることが1番。それも誰のために滑るんでなく、自分のための滑ることが。

 しかしやっぱり許されないのは森喜朗元総理にして今は2020年の東京五輪とパラリンピックの組織委員会委員長による無礼千万な大暴言。まずは浅田真央選手をよく転ぶとかいって誹ったみたいな言われようでニュースが流れ、やがてどういう文脈で講演したかが伝わってきてなんだ森元総理、ちゃんと真央ちゃんをいたわっているじゃんそして日本スケート連盟の指導力のなさを嘆いているじゃんマスコミやはっぱり一部を切り取って人をハメようとしているだけじゃん、といった声も上がって来たけどとんでもない。のっけから浅田真央選手は大事なところでよく転ぶと、そのまんまの文脈で言ってしまって上から目線でそのメンタリティなり技術なりを非難し、いらぬ同情を示して選手自身が克服すべき問題から目を逸らさせようとしている。

 これってつまりは選手を全然信じてないってこと。スポーツ選手が自らの全霊をかたむけ挑み挫折しても乗り越えようとする努力を認めていないってこと。まるでスポーツとスポーツ選手をリスペクトしていない人物が、五輪のホストとして頭に立っていて世界はいったいどう思うのか。さらに言うならこの講演で森元総理はソチ五輪のあとにあるパラリンピックに、東京五輪とパラリンピックの組織委員会会長として出向くことに「暗くなる」なんて発言をしている。そりゃあ年齢も年齢だし27時間もかけて遠くまで出かけることに億劫になるのは分かるけれど、そういう行事も含めて引き受けたその役職。なのにハンディキャップがある人のスポーツはまるで関心の外みたいな発言をして、世界もきっと唖然としただろう。果たして2020年のパラリンピックに自国の代表を送り込んで良いものかと迷ったことだろう。

 そんな言動を平気でしていること、それが何よりの問題でひとり浅田真央選手への気遣いをしたところで、そんなものは世間で1番目立っている選手への擦り寄りでしかない。浅田真央選手だけが保護され守られメダルをとったら他の選手たちはどうでもいいのか、団体という場でアイスダンスという競技の存在を訴えたいという気持ちもあっただろうキャシー・リード、クリス・リード組はいない方が良かったのか。そう言っているに等しい言動であり、実際にリード姉弟に対する錯誤と勘違いから出た発言のもはや差別的ともいえる内容は、そのまま国際オリンピック委員会の場でスポーツに対する侮辱、オリンピックに対する侮辱、そしてアスリートに対する侮辱であると糾弾されてしかるべき。本当にそうなって欲しいとすら感じる。

 ところが、それだけのことをしでかしたにも関わらず当人は釈明する雰囲気すらなく、周囲も知らん顔を決め込んでいる感じ。ただただマスコミの悪口を言いたい人たちは敵の敵は味方だとばかりに森元総理を容認する。いったいどうなってしまったんだこの国は。キリリとした軸線を基準に物事を判断できず、誰が言い誰が非難したから誰が正しいといった相対化の積み重ねでもってぶれまくりの判断を下す。そうこうしているうちにマスコミが非難するからこの政治家の言説は正しい、韓国が憤るから中国が反発するからこの言動は正しいといった態度がまかり通って、一線を越え限界すら突破してとんでもない事態へとこの国を引っ張って行きかねない。誰かが止めないといけないのに、誰も止める人はいない、それだけの言葉の重みをもった人がもういない、いや1人おられる、けれどもその御方だけは引っ張り出せない……。明日が見えない。

 強かったんだよ林葉直子さん、女流棋士のトップとして中井広恵さん清水市代さんらとしのぎを削って女流名人位を4期、女流王将位にいたっては10期を保持して一時代を築いた一方で少女小説の書き手としても大活躍して将棋界きっての人気者として羽生善治め三冠王が登場する以前の将棋界をひっぱいっていたんだけれどもどこかでネジがはずれたか、レールがズレてしまって奇妙な行動が目立つようになり、そして例の一件が発覚して情緒も安定しなくなってしまってそのまま将棋連盟を退会。一戦から退く形になってしまった。そのごは芸能でお騒がせキャラとしてすっかり定着。ヌード写真集とかも出したんだっけ。なんか違うなあと思ってた。買ったけど。2冊とも。

 それでも、かとりまさる名義で「しをんの王」なんかの原作も手がけて、将棋に関しても意欲を見せて現役復帰なんかも果たして、さあこれからかと思われたら、何か大病を患い結構大変な状況にあるみたい。自身余命すら幾ばくもないと感じている様子を眺めていて痛ましくなってくる。女流将棋界のドタバタに巻き込まれなかったことはひとつの幸運だったかもしれないけれど、全盛期の強さを今も保ってポスト3強を狙い今まさに全盛の里見香奈女流五段と対戦とかして欲しかったなあ。ともあれ今が大変な時、賢明にその言をつづってその叡智を世に伝えてくれればと願うばかり。将棋界ももはや関係ない人とか言わないで、その業績に対して何かアクションを興して欲しいもの。同時代を走った谷川こう司会長ならやってくれるかなあ、やって欲しいなあ。


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