縮刷版2014年12月下旬号


【12月31日】 そして気が付くと、我らがジェフユナイテッド市原・千葉にヴァンフォーレ甲府から水野晃樹選手が加入して復帰していた。いつ以来だろう、ジェフ千葉からわんさかと日本代表クラスの有力選手が抜けた時に、国内の他のチームへと移籍することはなく、海外のスコットランドにあるセルティックへと移籍して中村俊輔選手とプレーして、さあいよいよ世界のサイドプレーヤーになるんだと思ったものの、今ひとつ目立てないまま国内へと復帰した時には、あのアグレッシブさもスピードもちょっぴり衰え、日本代表どころかレギュラーにすら定着できない有り様となっていた。

 まあよくある話。それでも中村選手が依然として横浜F・マリノスで主力を張っていられたり、槙野智章選手が毀誉褒貶ありなあらも浦和レッドダイヤモンズでちゃんと守備の要にいたりするのと比べると、その落ち込みようは半端なくって、もしかしたらこのまま平山相太選手のように埋もれたまんま低空飛行を続けるんだろうか、なんて心配もあった。実際、J2のジェフ千葉に移籍するってのは平山選手よりも具合が悪いって言えば言えるんだけれど、でも29歳になってちゃんとサッカー選手を続けていられることの方が、今はやっぱり重要だったりする。それだけの自力があるとチームも本人も信じている現れで、その期待にちゃんと答えてジェフのサイドを、谷澤達也選手と共に活性化してくれると期待しよう。まずはちばぎんカップでのお披露目を……。

 予想したら何と! 今年はちばぎんカップが開かれないことになったみたい。世界三大カップ戦と千葉県内で呼ばれて、FIFAワールドカップとそしてUEFAチャンピオンズリーグに並ぶ格式と権威と中身を持っている、って千葉県民が思い込んでいた大会なのにどうしてまたって調べたら、今年は柏レイソルがAFCチャンピオンズリーグのプレーオフに出場するみたいで、それで2月の日程がキツくてとてもじゃないけどカップ戦をやっている余裕がないみたい。それは仕方がないけれどでも、Jリーグのスタートと共に始まり20回続いた日本国内ではそれなりに歴史があるカップ戦であり、千葉県で唯一のダービーマッチがここで中断してしまうのは勿体ない話なんで、代表活動期で中断するような時期にうまく日程を組んで開いて欲しいもの。それも柏の日程次第か。J1とJ2ではまた中断期間も違うしなあ。J1に千葉が上がっておけば……。それも詮無い話なんで、今は全力でJ1に復帰することを目指すのだ。そのための水野復帰。やっぱり期待するしかない。

 THORES柴本さんが表紙を手掛けていて、主にボーイズラブ方面で活躍しつつ最近は「カブキブ!」とかって一般小説であり、キャラクター文芸にも進出している榎田ユウリさんの新作「ここで死神から残念なお知らせです」(新潮文庫nex)を読む。感動に溢れて感涙必至の良い話しにしようと思えばできるのにやらず、残酷な現実を見せ逡巡の愚かさを示しつつ元に戻して安心させたら最後に……って展開が実に面白い。俺はまだ本気出していないとばかりに、夢だけありながらも何もせず、親の仕送りで暮らしている30歳のヒキオタニートが、モーニングを食べに出向いた行きつけの喫茶店で出会ったのは黒い眼をした男。保険の外交員なのか喫茶店に来たお婆さんにしきりに保険を勧めるんだけれど、その言い方がどうもおかしい。

 黒い眼の男が言うには、お婆さんはもう死んでいるけど気づいてないだけで、ここで保険に入りつつ自分の死を受け入れれば、魂の力で保っている肉体は崩壊せず、保険金も残せて万々歳だと勧める。やっぱり詐欺? いやでも詐欺なのに保険金は親戚の娘さんに贈ることになるから、お婆さんは別に騙されてない。やっぱり死神は本当? そんな懐疑を抱きつつ、お婆さんを助けることもしなった30過ぎのニートの梶真琴という男は、黒い眼の男に目を付けられ、引っぱられてその手伝いをする羽目になる。連れて行かれた真琴は、死神を自称するその男が、息子家族から遠ざけられたまま死んだらしい母親に契約を迫る場面に見えるものの、その母親は息子に会いたいとゴね、真琴は可哀想だから連れて行ってあげようと親切心を発揮する。そして行った先で孫娘とだけ会えたんだけれど、そこで時間切れとなって、死神がしきりに気にしていた崩壊が起こり肉体が消滅する。

 グロくて悲惨な場面を孫娘は目の当たりにして、記憶は消えるけれどもでも死体はなくなり、婆さんが残した遺産を引き継ぐには失踪から何年といった時間がかかって、実はリストラされて親に会わせる顔がないと逡巡していた息子が直面していたお金の問題に何の解決にもならない。そういうハートウォーミングな話には向かわない。結婚式直前で死んだ青年も、式の場まで存在させてそして花嫁の目の前で死なせたりして、花嫁に強いトラウマ植え付けてる。離別の悲しみとか思い残して逝くことへの憐情といった死にまつわるドラマにありがちな展開を、採用しないでズラし当人たちにとって重要でも死神にとっては、或いは世間の人には無関係な死というものへの想像を抱かせようとしている感じがある。

 さらにどんでん返しもあって、もう1段の驚きも最後に見せたりしつつやっぱりそうかも……って想像させてオープンエンド。そんな「ここで死神から残念なお知らせです。」を読むことで、人に今自分は生きているのだろうかという感情を抱かせ、誰かが死ぬこととはどういうことなんだろうかと考えさせ、それらも含めて死がもたらす影響なり、無影響なりを想起させるようとしているのかも。あとは増えつつある孤独死の問題か。誰にも看取られないまま迎えた突然死。その先にある混乱なり困惑を予想させ、身の処し方を考えておけよというメッセージでもある。いやでも自分が死んだら関係ないとも言えそうで。自分だったらどうしよう。いろいろ考えたくなって来た。

 そして上総朋大さんって人の「無免許魔女の推理ノート」(富士見L文庫)も読む。魔法が存在する世界で、海の上に浮かんでいるらしいサフィアバレーって都市から、やっぱり魔法が満ちたプラチナムホールってこっちは陸上にあって水が貴重らしい都市にやって来たユート・ウェスターって青年が、住む場所を探していたらなぜか少女が近寄ってきてビルの3階に自分を自由に住まわせてあげるから、あとは自分の活躍を小説にしてくれれば良いと言ってくる。何と都合の良い話。っていうか本当にそんな旨い話があるのかと、聴くと少女こそが世界的に有名で高名な魔女アイカ・ルーベンスだったと分かる。特級魔法学士の資格と、加減学最高位の一級加減学士という資格を同時に取って、数々の発明もした才媛だけれど、やりすぎたのか魔法学士の免許を剥奪されて、今は特許で得た金を使いながらも汚部屋となったビルの上で暮らしている。

 そんな天才魔女がどうしてユートに目をつけたのか? その答えのひとつが後に分かるけれど、でも一方でユートもそれなりの魔法の才能があって、なおかつ生真面目な性格だったこともあって認められた感じ。そしてアイカの下で助手というよりほとんどメイドというかお手伝いさんのような仕事をしながら、アイカに依頼があったりアイカがでくわした事件の謎解きに付き合いそして、出来事を記録する仕事をスタートさせる。その事件がどこか化学的で物理的。母親が息子に残した箱を開くのに必要そうな、緑青の吹き出した鍵の謎を解き明かしたりユートの大学時代の友人が、ホテルで倒れていた事件でいったい何が起こったのかを解き明かしたりする手法に化学の知識、そして物理の知識めいたものが繰り出される。もちろん魔法の使える国なんで、そうした化学変化なんかの発生に魔法が絡んでいたりして、現実にはあり得ない変化であったりもするんだけれど、そうした世界観を理解した上で、何が起こったかを想像していく推理の楽しみは味わえる。

 もうひとつ、犯罪者であってもすべてが悪意から発生したものではないというメッセージがあり、犯罪者の家族には罪はなくって、その家族がいわれのない誹謗中傷で苦しんでいることに対して世界は何をすべきか、って提案もある。もちろんそうした博愛の感情に、被害者の家族が理解を示せない状況っていうのもちゃんと示しながらそれでも、超えていくべき山はあるんだと提示してみせる。果たしてちゃんと受け入れられたのかそれとも。分からないけれども提案されたメッセージ、提示された言葉から僕たちは少しずつでも理解へと歩んでいく必要があるんだろう。しかしユートのどこが良いんだろうなあ、アイカ。そりゃあ生真面目で優しさもあって頭も良いけど、それで自分の下着を洗わせるまでの感情あわくんだろうか。ただのずぼら娘なのか。いずれにしても始まったこのシリーズが、次にどんな化学と魔法の混淆から生まれる斬新な謎解きを、見せてくれるか期待して読んでいこう。

 東京では新宿歌舞伎町にあるミラノ座が閉館だそうで、1000人規模の劇場がこれで東京からは消えてしまったという意味と、そしてかつて大型のロードショー劇場として傑作映画の封切りが行われ、大勢の映画ファンを集め続けたという歴史から、大勢のファンが集まり最後の上映となった「E.T」を鑑賞したらしい。予約が効かず座席指定もできない劇場では切符を買って好きな席に座るため、朝早くから行列をして開場を待ちそして、入ったらずっと居続けて何度も同じ映画を見たという、古き良き思いでもあって往事を偲んだ人もいるだろう。ただそうした経営が、映画館へ行くのは大変だって意識を呼んで一時の衰退を招いたことも事実で、改善されて登場したシネマコンプレックスの予約可能で確実に座れる快適さが、ミラノ座のような旧態依然とした劇場を駆逐し尽くしたとも言える。その意味では単にノスタルジーとして讃えて良い話でもないんだろう。

 1000人規模という意味では、同じ映画をそれだけの人が同時に見に来て一緒に感動をするという、出会いの場であり空間としての意味があってそれが消えてしまう残念さはある。でもシネコンのように細かく別れて趣味嗜好にマッチした映画を探して見られるような施設が、人々のライフスタイルにマッチして隆盛に至った現れとも言える訳で、そうした情勢にそぐわなくなっているからこその閉館だったとも言えそう。この後いったい劇場はどうなるか、って辺りでしばらくはシネコンがさらに増えていくんだけれど、そこにかかる映画にどこまで力ああるかという問題も浮かんでくる。当たりはずれの激しさがそれを示している。だったら何を上映するか、ってところでライブビューイング的な使われ方も増えて、劇場が新たなフェーズへと入っていく時代がまさに今、ってことになるんだろう。その変わり目の象徴としてのミラノ座の閉館。20年後にどう語られるのか。生きて見極めようその意味が何だったのかを。


【12月30日】 「ヤングキングアワーズ」は「天にひびき」も終わってしまって何を読んだら良いか迷いつつ、「ドリフターズ」とか「ナポレオン 覇道進撃」とかそれなりに人気の漫画も載っているという不思議な状態ではあったけれどもとりあえず、田中ほさなさんという人の「星骸の魔女」って新作が面白くなって来たんで、これをより所にして読み続けていく気力がわいてきた。死んでるはずの骨だけの死体に鍵かと思ったら実は指の骨だったそれをくっつけたら、最初の魔女が蘇ったというそんな展開。くっつけた少年修道士に蘇った最初の魔女が寄り添い慕うような状況が繰り出されて、そして今回、驚くべき事実が明らかに。

 それは眠っていた最初の魔女が1人だけではなかったってことで、そんな魔女を捜してやって来た謎の修道士に連れられていくように入った聖堂で、新たに発見された棺桶みたいな中から現れた骨に、鍵の1つになっていた指の骨をくっつけたらやっぱり蘇った新しい魔女。それがまた修道士に寄り添うようになって、これから起こりそうな前からの魔女が抱きそうな感情、そして起こりそうなドロドロ展開。ああ楽しみ。なおかつ魔女は12人いるそうで、それらが全部蘇ってはそれぞれに鞘当てを繰り返して起こるのはいったいどんなシチュエーション? そんな中でニコラはちゃんと生きていけるのか? 続きが気になる。吸い取られるよなあ普通は全部。強壮なのか。

 やることもないんで街へと出てとりあえず、大須観音へと詣でて早く自由になりたいとお祈りする。あと美人になりたいとか。観音様だし。ちょっとだけ歩いた先にある大須演芸場は去年たしか最後の正月オールナイトをやって、そして2月に閉鎖となった筈でその前後で高須克弥さんが席亭への支援を申し出たりしたんだけれどその席亭への異論が噴出している中での閉鎖となったのに、所有者が認めるはずもなくそのまま閉鎖へ。っていうか何で間際になって言い出すかねえ、そりゃあその時点の方が話題になるけどもっと前から支援していれば、閉鎖という事態に至らなかったかもしれないのに。そのあたりが行動としてちょっと謎。

 ともあれ閉鎖となった演芸場は1年近くが経った今もフェンスで入り口が囲まれて入れない状況に。幸いに新春の寄席は近くの大須プラザでもって行われるそうで、常打ちしていた落語家さんたちはそっちに出演するみたいだけれどもでも、名古屋にあった寄席が潰れている状況には変わりがない訳で、早く誰か良いスポンサーを見つけ真っ当な支配人も読んでしっかりとした運営を行って欲しいと願いもの。芸所で知られた尾張名古屋から笑いの殿堂の火が消えたままっていうのはちょっと我慢ならない。おまけにちょっと歩いて立ち寄った伏見の御園座も、取り壊しが始まっていてこちらも芝居が打てない状況になっている。

 劇場なら中日劇場だってあるけれど、でも大衆演劇から日本舞踊から演歌歌手の座長公演までやるような庶民派の劇場といったらやっぱり御園座。東京でいうなら歌舞伎座だの帝国劇場に対する明治座のような存在が、こうして消えている状況はやっぱり尾張名古屋の芸所っぷりを大きく損なう事態と言える。でも看板とか読むと次に誰が施工主になるか書いてなくて、本当に建て替えられるのか心配だけれどそっちはとりあえず積水ハウスあビルを建てて劇場を入れたあとに御園座が買い戻す予定になっているから安心。とはいえ一方の雄だった中日劇場が半ば御園座に統合される形となって自主公演のあと、中日ビルの建て替えとともに劇場を無くすとか。
B それはちょっと意外だった。そうなんだ。

 さらに名古屋では3本の指に入る劇場の名鉄ホールも2015年の春にしばらく改修となる。3つも劇場ああるってのがそもそも多すぎるって意見もあるけどそこは芸所、あって当然とした上で世界に冠たる興行を売って日本中から大勢を呼び込むくらいの威勢を見せて欲しいもの。そのためにリニアも作るんだろうって意気込みで。じゃあ東京は、って言えばこっちも劇場がどんどんと改修に入ったりするし青山劇場に円形劇場は無くなるし、中野サンプラザも取り壊されるしとなかなか興行主的にもアーティスト的にも大変そう。じゃあ地方でやってそれをライブビューイングで、って訳にもいかないし。そういう現場の苦境をさてはて、総理大臣殿は知っているんだろうか。知らないだろうなあ。知っていても気にしない。気にする素養がない。そんな廃れた文化の上に立ってこの国はスバラシイと叫ぶ総理の脳内って、いったい何が詰まっているんだろう。いつか開いて見せてほしい。

 ビックカメラで実家用に超望遠ズームのついたカメラを物色して値段も安くなったニコンのクールピクスのP600を買ってそして、矢場町のパルコへと回ってダンボー写真展を見てダンボーにお賽銭でも上げようかとおもったらガラスケースに入って触れられなかった。あれはいつからいるやつだろう。いつかの東日本大震災の最中に行われていた展覧会に立っていた奴だろうか。分からないけどいずれにしても、ダンボーはお金で動く物。入れればがしゃんと動いてくれると信じたい。パルコでは下でチームちゃしほことどこかのファッションブランドがコラボした衣装とか売っていて、欲しかったけれど値段も値段なんで諦める。パーカーで1万円近いんだ。Tシャツで5000円。あれば欲しかったかなあ。でもしゃちほこ、何がヒットしているのか実は知らない。SKE48だって知らないんだけれど。

 それを言うならAKB48だってそうか。「輝く! 日本レコード大賞」の大賞候補に入っていた唄とかサビすら耳に残っていない。PVだって見たことない。それなのにレコードは売れている。不思議だなあ。メンバーも誰が誰だか分からなくなって来たし。1人をのぞいて。松井珠理奈さんは分かる。もう見れば分かる。理由は言わない。そんなレコード大賞できゃりーぱみゅぱみゅが映画「クレヨンしんちゃん」で主題歌になってた「ファミリーパーティー」を披露。バックはキッズダンサーでなく大人のダンサーで、女子4人に男子2人のいつものチームが素晴らしい切れ味のダンスを見せてくれた。キッズも良いけど大人のあの切れ味鋭いダンスの中で踊りついて輝くきゃりーぱみゅぱみゅを僕はもっと見たいかも。そういうツアー、また組んでくれないかなあ、ホールツアーもアリーナツアーもキッズだったんだよなあ、去年は。Zeppは違ったか。また見たいなあ。

 SEKAI NO OWARIに安住紳一郎アナがぶっこんでいたのを見て笑いつつ、いつものような結末でもって終わったレコード大賞を傍らに、実家なんで見られるBSプレミアでもって「はっぴいえんど」の2枚目のアルバム「風街ろまん」がどういう風に作られていったかを、大瀧詠一さんをのぞいた松本隆さん細野晴臣さんに鈴木茂さんの3人が語る番組を見て感嘆する。突出した才能によるあの傑作アルバムが、どういう音の重なりになっているかをマルチトラックを分解することによって探求していった番組は、耳に慣れ親しんでいた楽曲でもそれぞれのテイクがどんな旋律で、そしてどんな演奏になっていて、それがどういう効果を上げているかが分かってとっても勉強になった。タン、って叩くところとタタン、って叩いて得られるサウンドの広がりとか。

 大瀧さんという希代のコンポーザーに迫る番組にも成り得たけれど、当人がいないこともあったのか、やっぱりこのアルバムでメインとなった「風をあつめて」がどういう風に作られたかを考えるためだったのか、作曲者で歌い手でもあって楽器もほとんどを演奏している細野さんにスポットが当たった感じになっていた。もっと大瀧さんが見たかったけれどご本人は1年前に逝去。じゃあ存命だったら出たかというと存命ならこういう番組自体がおそらくは成立しなかった訳で、その意味でもそこに大瀧さんという“存在”を感じないではいられない。だからこそ、右手の煙突と左手の煙突が煙をそれぞれにはきながら、どうも怒りっぽかった真相を当人たちから聞きたかったって気もする。

 大瀧さんと細野さん。その関係が盛り込まれた歌詞だったらしい。クリエーターだったんだなあ、2人とも。だからそこエゴがあり主張があってぶつかり合って、やがて終焉へと向かいそして1980年代、「イエローマジックオーケストラ」であり「ロングバケーション」という化け物2つがそこから生まれてくる。その前史がどんなだったかを2人の口から聴きたかった。でもそれはかなわない。だからこそ残された3人が語ったこの番組はたとえ細野さんにスポットが当たっていたとしても意味があった。レコーディングをしたのは大瀧さんでトラックを作ったのも大瀧さんなら、そこにやっぱり彼の意図があった。才能もあった。それがほの見えた。やっぱり凄い人だったんだと分かった。ああいうアプローチができるミュージシャンが今、どれくらいいるんだろう。そう思うと寂しくもあり、だからこそ番組が誰かの刺激になって新しい音楽への道を開いてくれると願いたい。1年を経て、改めて合掌。


【12月29日】 そうだ、名古屋へ行こうと思い立ったも何も、普通に帰省ってことで昨日のうちに買ってあった新幹線のチケットに合わせて朝早くに家を出て、東京駅からのぞみの博多行きへと飛び乗って到着した名古屋はまだ午前10時前。そこから名古屋飯をするのも時間的に憚られたんで、初詣には行かない熱田神宮でも見ておこうと名鉄に乗ったら何か名鉄電車の古今を描いた中吊りがかかっていて、何でまたイラストなんだろうを目を凝らしたら、描いたのがあの大河原邦男さんだった。「機動戦士ガンダム」の。どうりで名鉄なんて、真っ赤に塗られていかにもシャア専用って感じになっていた訳だ。いや名鉄はどれもこれもシャア専用だけれど。

 ほかに古い車両なんかも含め4枚描いているみたいで、それらが配されたポスターなかが駅に張り出してあったけれど、これってポスターとして販売してくれないのかなあ、あるいはポストカードとか、クリアファイルとか、下敷きとか。欲しがる人は絶対いると思うんだけれど。それにしても大河原さん、ちゃんと実在する車両も描けるんだ。そりゃあ絵描きだから普通に描けば何だって描けるんだろうけれど、それでも大河原さんらしい重厚さがちゃんと現れるところが、長くメカデザイナーとして人気を保ち続けている理由でもあるんだろう。そんな中吊りを見ながら到着した神宮前駅から歩いて熱田神宮へ。屋台も準備中だけれど不思議と来る人も多くいて、東京都は違ってカラリと張れた暖かい日よりの中を参拝してた。観光かなあ。

 見ると織田信長が建造した塀なんてものもあったりして、いずれ「ドリフターズ」がアニメ化された暁には聖地として巡礼されるんだろうか、って思ったものの別に作品に出て来る訳じゃないからなあ、織田信長は出てくるけれど本能寺で焼け損なったおっさんで、熱田神宮とか詣でるどころか焼き討ちしそうだし。というか織田信長として縁の場所ってやっぱり本能寺がベストになるんだろうか、次が桶狭間だろうか、大阪城の豊臣秀吉に日光東照宮の徳川家康と比べると縁の地が分散しているんだよなあ、そこが止まらず前身し続けた希代の英雄の特質って感じでもあるんだけれど。

 そんな熱田神宮の境内を、犬に襲われることもカラスに突っつかれることもなく、悠然と歩くあれは軍鶏か矮鶏か何がいたんで、近づいていったら妙にテカテカとしていていかにも神の鶏といった面もち。蹴爪も結構長くて下手に手を出したらケガをしそうな雰囲気もあって遠くから見守る。聞くとどうやら名古屋コーチンらしくって、だったらさらに取って食う人だって出そうな感じもしないでもないれど、結構生きているみたいなんでもう食える肉の固さでもないのかも。ちなみのその名古屋コーチンをモデルに描かれたというのが、この萌えキャラのエネミィ様らしい。なるほどコーチンの茶色い羽根の色がファッションと重なるところがある。あと悠然として超然としていそうなところも。長生きして欲しいもの。鍋になるならその時は是非に1口。

 戻ってミッドランドシネマで「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」を観る。4度目だけれど仕方がない、27日から存在しないはずのフィルムが配られているから、これはやっぱりもらわない訳にはいかない。ってことで入場して手にした銀色に袋から取り出したフィルムに写っていたのは……バーガーの鼻と口、そして傷。そのどアップ。目もなく髪も見えないそのレイアウトながらしっかりバーガーと分かるのは、ある意味でこの映画の主人公であり、そして傷が重要なモチーフでもあったから、なんだろう。そう思えばこれは決して外れではなく当たりも当たりのフィルムって言えるけれど、でもやっぱり女子が良かったなあ、新見薫さんとか桐生美影さんとかネレディア嬢ちゃんとか。西条未来さんでも良かったなあ、レーダー担当で「5隻近づく!」って感じにですます調ではなく強ばった語尾で喋るセリフも魅力的、なんだよなあ。そんな彼女がいっぱい見られるから僕は「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」は大好きな映画。そういうものだ。

 そんな「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」が、とある新聞社系のニュースサイトで取りあげられていて、それも古代進を演じた小野大輔さんに桐生美影を演じた中村繪里子さん、そしてプロデューサーの郡司さんが登場したインタビュー記事になっていて、どんなことが語られているんだろう? って見た記事の見出しがいきなり「ガトランティス星は中韓!? 『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』古代進&桐生美影インタビュー」ってなっていてひっくり返る。えっ? 何これ? っていうか誰がガトランティスを中韓に例えて喋っているの? って読んだらまるで違ってた。3人はちゃんと普通に喋ってた。じゃあいったい中韓はどこから来たんだと読んでいったら、記者がこう書いていた。

 「ここから先はあくまで記者の極めて個人的な感想なのですが、今回のヤマトにはいまの日本に突きつけられた安全保障の問題がうっすら反映されているような気がしました。 ずばり、ヤマトを急襲する粗野で下品な戦闘民族ガトランティスは、近年、猛烈な勢いで軍備拡張を続け、日本の領海・領空を侵犯する中国のメタファー(隠喩)ではないでしょうか」。えーーーーーっ? ヤマト的な概念からいけば地球は日本でガミラスは第三帝国としてのドイツであって、それらが手を携え戦う相手は連合国であるところの鬼畜米英なり共産国家のロシアをいったところ。そうしたニュアンスが前のシリーズから漂っているにも関わらず、どうして今の情勢を無理矢理そこに当てはめ語ろうとするのかが分からない。あるいは今作はガトランティスが蛮族仕立てになっていても、等外するのは中華帝国によって征服された辺境民族であって、中韓といった暗喩にはなり得ない。でもそう書いてしまう。どうしてだ?

 それはひとえに最初から、中韓を貶めたいって意識があるからで、そこに都合よく現れた作品を無理に引っぱり当てはめつつ、中にそうした徴候がまるでなくって当事者も語ってないのを承知で、自分で無理にそうだと言ってしまったとう。もうこれはインタビューではなく単なる自己主張で、そんなものに使われ意図してなかった見出しをつけられ無理にそういう意図があるように世間に見なされる可能性もある「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」のスタッフにもキャストにも、失礼を通り越して大変な侮辱をしていることになるんだろうけど、書いてる側にそんな意識はさらさらなさそうなのがどうにも辛い。そして悲しい。

 「まあ、こんなうがった見方をするけったいな人は記者以外、いないとは思いますが」って自分しかいないことを堂々と書くのはいったいどんな神経のなせる技なんだろう。それはだから間違いだってことに他ならないんだから。そんな間違いを広言して恥とか覚えないんだから。話からなあその心理。でもって「昨今の国際情勢を鑑みると、異星人とは分かり合えても、未だに『南京大虐殺では同胞が30万人殺された』などと戯言をほざく中国や『竹島はわが国の領土だ』と主張する韓国とは理解し合えるわけがないなと痛感したのでありました…」。それでいったい映画の何を理解したんだろう。相手がどうであれ理解し合えると信じて進む物語を評しながらも、そうではない現実があることを言うってことはつまり、映画の主題を真っ向から否定しているってことにならないか。

 自分の言いたいことのために映画を持ち出し、インタビューまでしてそれでいて映画の主題をけっ飛ばす。そんな材料にされた映画が可哀想だし、映画関係者としてもこれはちょっと拙いだろう。すぐにでも抗議の声を上げてインタビューとしての掲載を拒絶すべき気もしないでもないんだけれど、それを言って通じる相手でもないのかもなあ。それにしてもどうしてこんなことが起きるんだろう。どうしてこんなことができるんだろう。人間として何かが間違っているんだろうか。そういう人間しか生きられない媒体がやっぱり間違っているんだろうか。分からないけれどもちょっと大変なことが起きているって自覚を、少なくとも媒体側がここで抱かないととんでもない反発が起こっては、媒体の将来に大きな禍根を残すことになると思うんだけれど。気づかない、それが分かっていれば過去に思い込みだけで記事を書いて裁判起こされ敗れた人間に、思い込みで書く新聞はケシカランなんてコラムを書かせはしないだろうし。やれやれだ。心底からやれやれだ。

 おお社長だ。そして栄子ちゃんだ。「ヤングキングアワーズ」でずっと続けられている伊藤明弘さんによる「ジオブリーダーズ」ヒロインイラスト集は2015年2月号で神楽綜合警備の社長の菊島雄佳がメインに描かれその短いスカートでもってひざ立てで座っていろいろと見せてくれている。おおチャーミング。手前では栄子ちゃんが手にブラスナックルを填めて何かに立ち向かっている。何だろう。いつか再び栄子ちゃんがシーンとしてではなくストーリーとして戦っている姿を……でも原作では……どうなっているんだろう、どうなってしまうんだろう。怖いけれど続きを、いつか、この世界へと届けてください伊藤明弘さん。その前にアニメの「ジオブリーダーズ」、BD化しないかなあ、LDもDVDも持っているんだけれど世間的に埋もれてしまっているからなあ、BD化で再盛り上げしたいなあ。


【12月28日】 準決勝だ準決勝だ、女子サッカーのジェフユナイテッド市原・千葉レディースが皇后杯全日本女子サッカー選手権大会の準決勝に出るってんで、朝方に「美少女戦士セーラームーンCrystal」の原稿を適当に突っ込んでから都営地下鉄三田線で本蓮沼へと出て味の素フィールド西が丘へ、って国立西が丘競技場のことだけれどもすでに始まっていた日テレ・ベレーザと、ベガルタ仙台レディースとの試合で客席はいっぱいだったんで、しばらく立って眺めていたら最後の方になって小林弥生選手が登場してくれた。やよいちゃん。ファンタジスタやよい。なでしこジャパンのアンパンマン。いやそれはあんまり言われてなかったか。

 というかアテネ五輪以降、あんまりなでしこジャパンの方で姿を見なくなってしまってすごく残念だったんだけれど、この数年もチームの方でしっかりと実力を発揮して、ごそっと有力選手が抜けた日テレ・ベレーザを支え続けて来た。下位リーグに落ちることなく皇后杯でもこうやって決勝へと進出させるに至ったその力は、やっぱりなでしこジャパンに相応しい選手だったんだなあってことを改めて思わせてくれる。もしも小林弥生選手が全盛のまま2000年代後半を突っ走れば、ロンドン五輪より早く北京五輪で先にメダルを獲得していただろうなあ、そして女子のワールドカップでも優勝を果たしていた、と。運はなかったかもしれないけれどでも、その分を息長く女子サッカーの先頭で走り続けてくれた。ありがとう。そしてあと1試合、皇后杯決勝でのその勇姿に期待。いつかの全日本女子サッカー選手権決勝でPKを外し、泣きじゃくってた時代はもう過去のものなんだから。

 そんなベレーザの勝利を見極めてから、さあジェフユナイテッド市原・千葉レディースだ。調子が悪いとはいえ有名選手が多くいるINAC神戸レオネッサを下して準決勝へと駒を進めたチームがいったい、どれだけやってくれるのかと関心を向けていたチームは最初、しっかりとボールをサイドへと送ってそこから攻めを作る形でもって、浦和レッズレディースの陣地へと入りこんで何本もシュートを放つもゴールに届かず。あそこでもしも1点が決まっていたら、試合の運びも変わったかもしれないけれど、それが起こらないサッカーで起こるのは、ちょっとした油断からの得点であり追加点という嵐。後半に入ったジェフレディースは浦和レッズレディースにコーナーキックを許してしまう、それがふわっと浮かんだところをゴールの隅へと送りこまれて失点してしまう。

 そこで引き締められれば良かったんだけれど、勢いに乗った相手は前掛かりとなったジェフレディースのディフェンスラインを突破して追加点を決め、さらにゴール前が手薄になって飛び出した我らが山根恵里奈選手をかわすゴールを決めて3得点。万事休すとなってしまった。間際に最高のランを見せてくれていた深澤理沙選手が決めて1点を返したようだけれど、これがもっと早い時間に、というか前半に出ていたらという思いがやっぱり募って仕方がない。まあでもやっぱり優勝チームだけあって浦和レッズレディースは強い。走り負けはしなかったけれども前へと向かう圧でもってジェフレディースは及ばなかった。そこが強者をトップチームに持つかどうかの違いなのかもしれない。とはいえ深澤選手の走りは凄く安齋結花選手のドリブルとかも素晴らしかった。あのパワフルさがさらに極まれば、来年こそはもっと上位に行けるかも。残ってくれるかなあ、2人。

 それにしても4000人かあ、来場者数。もちろん前に1試合があって計2試合で4チームの応援だと思うと、それほど多いって訳でもないのかもしれないけれど、これが国立競技場でもって決勝が行われていた全日本女子サッカー選手権大会で、1000人も来ればやっとだったことを思い出すと、準決勝でこれはちょっとやっぱり凄い数字なのかもしれない。決勝はともに関東が本拠地の日テレ・ベレーザとそして浦和レッドダイヤモンズレディースだから、双方の男子のサポーターも含め集まって味の素スタジアムを緑と赤に染め上げてやって欲しいもの。それこそ男子の東京ヴェルディが試合をして集める4000人くらいを上回って、味の素スタジアムを満杯にするくらいに。その勢いでもって続くワールドカップ女子大会での連覇を果たし、日本に女子サッカーありってとこころを見せてやって欲しいもの。遠くから応援しようその試合。どちらのチームも。日本の女子サッカーの総体として。

 今や見出しにゲスなコメントを掲げてアクセスを集めて、広告出稿量に還元させようとするネット媒体が大隆盛を誇っている中で、新聞くらいはその情報密度と情報量でもってアクセスを集めることによって結果として、多くの広告も入るコンテンツ至上の編集方針を保ってくれていると思っていたけれど、どこかの新聞ばかりはそうしたコンテンツ至上を取りたくっても中に人がいないのか、量も足りず畢竟中身を度外視してアクセスが稼げる方向へとシフトしていったその果てが、嫌韓であったり反中であったり対民主といった記事ばかりが横行して真っ当な記事を読みたい眼をドンドンと逸らされているという悪循環。でも今さら改めてアクセスを落とすのが恐ろしいのか、改まるどころかさらに酷くなっているから何ともはや。そのまま行けばどうなるかくらい分かっているけどやめられないのは、ドーピングであり危険ドラッグに近い感覚ってことなんだろう。やれやれだ。

 しかしニューヨークっ子たちがこぞってその去就に注目しては、広島カープ復帰を決めたことに阿鼻叫喚して惜しみ残念がっている黒田博樹投手を挙げては、「ヤ軍、本音は先発ローテ除外? 黒田の広島復帰、米メディアも速報」と見出しを取ったニュースサイトのゲスっぷりには鼻から血が噴き出したというか、頭から毛が飛んだとうか。他の新聞はだいたいにおいて乞われつつ望まれつつも自分としての年齢を鑑み、活躍できる年数を考えては、古巣であった広島に戻って最後の華を咲かせよう、そして広島に優勝という栄誉をもたらそうと男気を発揮したことを書いて讃えていたんだけれど、ここん家ばかりは「再契約といっても、主力でないことを察知したのかもしれない」と、いかにも先発ローテーションに入らないことを黒田投手が嫌気して、逃げたような書き方をしてみせる。

 もうクズかと。っていうか本文では記事の後の方にESPNってスポーツ情報の会社がローテーションで5人の名前を挙げつつ、黒田の名前が入っていなかったことをもって“逃げた”ような言い方をしてる。でも黒田はFAだった訳で残ってくれるかどうか分からない投手をそこに挙げることもないだろう。よしんば残る前提でなお入れなかったとしても、それをもって“逃げる”人間かどうかは分からないのに憶測で「察知したのかもしれない」と書き、そしてそれを見出しに持ってきてはその人間性に懐疑を示す。広島復帰の男気についてはまるで触れない。それもスタンスかもしれないけれど、そういうスタンスを読んで人はその媒体について何を思うか。逆張りのクズめと思うだけで親しみを覚え感心し読み続けるってことはないだろう。一時のアクセスのための劇薬的な貶し見出しで稼いだ分はすぐに消えてそして……。でもやるんだろうなあ、今しか考えてない人たちばかりだから。若いのはいい加減、何か言わないと明日・明後日がなくなってしまうぞ。

 「きんいろカルテット!」じゃないのかあ、と少しだけ思った「響け!ユーフォニアム」の京都アニメーションによるアニメ化の報。ブラスバンドでも決して目立つ楽器じゃないけどトロンボーンと同じ音域で、旋律からリズムからいろいろ刻めて重要な役割を担っているユーフォニアムを取りあげた作品ってことで、世のブラスバンドファンもユーフォニアム吹きも相当に嬉しがっているんじゃなかろうか、そのトランペットとは似てもにつかずトロンボーンとも違いホルンでもない妙な楽器は何かと聞かれなく済むようになるから。原作についてはタイトルは見ていて中身はまだ未読なんだけれど、宝島社の文庫ってところがひとつのポイントか。「このライトノベルがすごい!文庫」の作品だったらなお嬉しいけど、そうでもなくてもここから先、文庫に注目が集まって他の作品へと目が向いてくれれば「【急募】賢者一名(勤務時間は応相談)勇者を送り迎えするだけのカンタンなお仕事です」あたりが実写映画かとか、なってくれるかもしれないから。っていうかしろよ映画界。読んでないよなあ。ちょっと寂しい。


【12月27日】 姫騎士ってそもそも何なんだって話で、姫は立場だけれども騎士は役目であって、その役目に準じるならば姫騎士はそれなりに強いはず。だからそれは美しさとは無関係に、長身でマッチョで剛腕とか振り回していたって姫であるなら姫騎士と呼んで差し支えない訳だけれど、世間に蔓延る姫騎士は、まず美少女であって姫であることが重要視されつつ、その上で騎士でもある強さが付与される。そんなのありかと思うけれど、細身のイケメンが騎士として最強だったりする世間も多かったりするから仕方がない。「ベルセルク」だってベルセルクに負けずグリフィス強かったし。あんなにイケメンなのに。あれこそ姫騎士って奴だよなあ。姫じゃないけど。

 いやだから姫騎士だ。ある種の男たちの願望を乗せて登場したその存在は、ひとつの人気カテゴリーとなっているようで、戦いながらもその強さが退けられ、屈服させられ陵辱されるという展開まで乗っては、男たちの欲望の器となっている。とりわけオークによって虐げられる場面で「クッ、殺せ!」という言葉を吐くところまでがワンセットになっている、なんて話もあるけれど、そういう種類のゲームをやったことがないから真相は不明。ただ姫ではない女騎士さんが、ジャスコに行って「くっころ」を連発している小説だったら読んだことがある。あれもまあカテゴリーにおけるパターン化の変奏か。

 そしてこれもパターン化を逆手にとっての変奏とうか、オーバーアレンジというか、深見さんによるその名も「姫騎士征服戦争」(ファンタジア文庫)は、姫であって騎士でもあるヒロインが、目つきの悪くて辺境あたりで散々鍛えた少年を従僕にして、各地で起こる戦乱へと割って入って、敵方の姫騎士をコレクションしていくという展開。なんだその冗談めかした出落ち気味の設定は、って思うけれども、これが案外に設定落ちにはなっていないところが素晴らしい。

 最初こそいきなり出てきたお嬢様系の美しい姫であり騎士をやっつけ、連れ帰っては拷問するぞ、っていかにもな展開に見せて、そうではなくその意思をくじきつつ、彼女がすがっていた家から断絶されたことを伝え、絶望させて配下に加えたりする展開へと持っていく。そして次の姫騎士をコレクションする場面とか、しっかり相手の心理を読んで硬軟剛柔の変化をつけて心を揺さぶる心理戦めいたものを見せてくれる。身内に拷問も暗殺も得意な少女を入れてみたり、オークだけれど実はインテリで最高学府を出ていて奴を仲間にいれてみたりもするけれど、オークは相手の姫騎士にメガネをかけているのをごまかし、怖い振る舞いをさせようとしてバレたりしたりと、このあたりも定番を外した裏狙いああって素晴らしい。

 そんな展開の中で、狙った姫騎士がいったいどうしてそういう状況に置かれているかを読んで、その窮状から救い出しつつ、敵となったこれも一種の姫騎士の横暴の裏にある、チヤホヤとされているからこそ抱く寂しさを読んで、慰めつつ救い出して配下に加えていく様に、心理戦めいたものを感じて結構深いところまで読んでいける。出落ち気味の設定に乗っているようで、設定を振り回しドラマを加えた実は逸品だったりするこの「姫騎士征服戦争」。これからもそんな展開で、姫騎士たちを平らげていくんだろうなあ。どんな心理ドラマを楽しませてくれるかなあ。次が楽しみ。出るのかこの次?

 そしてこれも深見真さんによる、ファミ通文庫では「僕の学校の暗殺部3」以来になるんだろうか、「開門銃(ゲートガン)の外交官と、竜の国の大使館」(ファミ通文庫)は、星の力を持たないがために偉くはなれないけれど、その頑丈な体を買われて警護官となった少年と、同僚の少女とが、こちらはとてつもない大量破壊兵器級の力を持ったことで外交官となった少女を守って、国同士の紛争の解決に乗り出すという展開。もちろんメインは外交官の少女あ見せる交渉術の方で、不利な状況にあっても譲歩を引きだし、有利な条件を導き出して八方を丸く収める言葉の戦いって奴をみせてくれる。憶さず堂々と、その力すら鼻にもかけないで挑む少女の、辣腕外交官ぶりがまず凄い。

 と同時に、少年の頑丈さもちょと凄い。殴られるくらいならどうということもなく、撃たれたって切られたって平気そう。どうして? っていうのがひとつの秘密で、それが少女と赴いた国で出会った騎士団長の少女から、少年が名前を覚えられて慕われて婚約者呼ばわりされたこととも繋がるんだけれど、それだけに少年の今後の活躍がちょっと気になる。その秘密を狙った敵との戦いなんてのも待っていそうだから。でもってそんな少女と守っている外交官の少女を両脇にし、同僚で同じ警護官の少女が口数も少ない中で苛立つような仕草を見せるところがまた可愛い。つまりはそういう感情なんだけれど、対抗馬は外交官に騎士団長と格上ばかり。彼女に勝ち目はあるのかどうか。というより少年は誰が良いんだ? はっきりしない中で進む恋の四角関係の行方にも注目。さらに相手が増えていく可能性もあるけれど。

 「ONE PIECE」の最新刊を買ったり、「幽麗塔」の最終巻を買ったりして漫画も読んだけども、やっぱりびっけさんの「あめのちはれ8」が最終巻を迎えたのあ寂しくもあり嬉しくもあり。雨が降ると体が女の子になってしまう現象に取り憑かれた5人が、男子校と女子校を行き来しつつ自分の恋情について考えていくストーリーは、前の巻でひとつの解消への道が示されたのが、やがて1人また1人と広がっていくという展開。その結果として全員が当たり前のような結末へと辿り着いてしまったんだけれど、思いとしては中に自分のその現象を受け入れ、もう一方にこそ自分の本当があるんだと感じて止まるような展開があっても良かったんじゃないかなあ、とか思ったりもした。あるいは両方こそが自分とか。

 相手が男性だった場合に、自分は男性の肉体でもってその男性に行為を伝えるべきか、それとも女性になって行為を示した方が相手に受け入れられやすいのか、迷うところだけれど肝心なのは、どれが本当の自分であって、そして本当の気持ちは何かっていうこと。これは「幽麗塔」なんかでも示されていた命題であって、自分は男になりたいけれど、誰かの体に脳だけ移してそれで自分なのかといったアイデンティティのブレについて考えさせられた。結論はやっぱり自分は自分であって、その自分をどう貫いていくか、って辺りに落ち着いたみたいだけれどでも、太一は逆に本当の自分を見失いつつあるかなあといった感じ。再び太一子となって玲(あきら)となったテツオとの間に通わせる感情は、自分のアイデンティティをどこに置いてのものだったのか。気になった。「あめのちはれ」も終わってしまって2つ、読んでたシリーズが途切れてしまったけれど、何か新しいシリーズを追いかけることにしようかなあ。何が良いかなあ。

 隅から隅までゾンビが歩ききるのに三日三晩はかかって、その間に全滅させられそうな巨大なショッピングモールだと全世界が認めるだろうイオンモール幕張新都心へと行って、「美少女戦士セーラームーンCrystal」の世界最速上映会を見物。キャストも5人のセーラー戦士に加えて次から加わるちびうさとセーラープルートをそれぞれ演じる福圓美里さんに前田愛さんも登場して、賑やかに華やかかなところを見せてくれた。けどそんな中心にあって、主役を演じる三石琴乃さんの存在感がやっぱり凄い。まとめ上げ引っぱりつつ決して世代が上ではなく、同じ世代というかやや年齢的には下っぽい月野うさぎを演じてみせる難しさを、完璧にやり遂げて見せていた。

 アニメーションの中ではずいぶんと話数も進んで、勘を取り戻したのかこなれた演技を見せてくれいているようで、うさぎとしての賑やかさ幼さはそれと演じ、セーラームーンとして世界の敵と対峙する凛々しさもちゃんと演じてみせる三石さん。それは葛城ミサトのような年上のお姉さんでも、12年後の厳しい艦長でもない、前のとおりのセーラームーンであり月野うさぎ。20年近くが経ってもなおその演技を貫ける三石さんの凄さに改めて感嘆しつつ、だからこそ変えずに選んだスタッフの慧眼と英断にも感謝したくなった。何よりご本人の努力と才能の賜物ではあるんだろうけれど。ただ女性陣、前のまんまでも演じれば演じられたような気はするなあ。亜美ちゃんとか。でもそこはそれ、新たなメンバーもしっかしそれぞれに亜美ちゃんでありレイちゃんでありまこちゃん美奈子ちゃん。聞いて違和感も遜色もないその声が、来年も続けて聞けることを喜ぼう。意外と燃えた1期クライマックスとそしてちびうさが可愛すぎる第2期。BD買おうかなって気になってきたぞ。


【12月26日】 「タイのSWが」という文字がタイムライン上の流れるようになって、いったいタイで「スター・ウォーズ」に何があったんだって不思議に思っていたら、どうやら違って「セックスワーカー」を略す「SW」だった。じゃあそれは何かと言えば、「そこにすわろうとおもう」ってタイトルの、とんでもない中身の写真集を出した大橋仁さんていう写真家が、刊行に際してインタビューに答えて、前にタイで撮った写真に撮影方法を話してて、それが人権への配慮を著しく欠いたものだっていう非難が起こっては、アートだから何をやってもいいのかとか、ストリートスナップとへの影響が出るからあんまり批判はできないといった声が、ネットを中心に渦巻いているという流れ。

 さらには、その写真を展示した東京都写真美術館に対して、セックスワーカーに従事する人が質問状を出してみたりしたって話も流れて、事は結構大きくなりそうな兆し。当事者でもないのに、遠い代弁者に過ぎないのに、ってそんな意見を出した人への反論反感はまだないけれど、当事者がタイで飾り窓の女よろしく仕事に縛られていたりして、あるいは今なお存命かどうかも見えない状況にあって、誰かが声を上げなきゃいけないって状況から出た声であり、また誰であってもそういう類の写真を、公の美術館が展示することの是非は問われるべきだって見方もあるから、質問状そのものは認められ、そして美術館の側も何らかの解答をすることになるんだろう、という予感はある。その答えがどういったものになるかも、注目を集めそうだけれど。

 アートだから、ストリートスナップだからという言い訳もできそうだけれどでも、公衆が彷徨う街を撮ったのとは違って、撮影禁止が言われている場所で、相手も嫌がるのを構わず撮ったってことを、大橋仁さん自身がインタビューで言ってしまっていることがひとつのネックで、そこに伝えたいというアーティスト的な衝動があったとしても、作品として公開するべきかどうかってあたりでひとつ、大きな壁というか関門がありそう。個人が個人のリスクでもって、命を取られることも覚悟の上で危険な場所で、相手が嫌がるのも省みないで写真を撮ったという、その行為に対して何かできるのは法律であり、掟のようなものであって、今はそれをすり抜けている大橋さんに、いずれ何からの天誅が下ったとしても、自業自得ということになる。戦場に写真を撮りにいって、撃たれて死んでもそれは自己責任なように。

 一方で、それを作品として表現し、公開する意味となると議論が分かれるところで、ジャーナリスティックな観点から、そうした抑圧された人権の存在を公表した、って言い訳をしているならまだしも、興味と衝動が原動力だったって表明していたりするから話は違う。いや、ジャーナリスティックなら良いって話でもなくて、それでもやっぱり個人への批判は受けるべきだけれど一方で、公共が立ち上がってそれを擁護する声もあるかもしれない、そんなせめぎ合いの中で評価は定まっていくんだろう、揺れ動きながらでも。一方で、アートとしてあるいは衝動の発露として撮影されたそれらは、公表に値するものなのか否か、ってところは激しく議論されるべき。そして大勢は被写体の人権を逆に抑圧するような行為であり、それを自覚しながらも公表したことは受け入れがたいといった感じになっている。

 まあ妥当な線で、そのあたりは評論家の土屋誠一さんがツイートしているニュアンスに近いかも。そして大橋仁さん個人の資質なり作品なりを批判する一方で、ストリートスナップそのものの是非へと話を広げる危険性を唱えている点も、僕の今のところの感覚に近い気がする。そしてこれらの話は、ろくでなし子さんへの官憲による弾圧をどう批判するか、あるいは個別のケースとしてそれは仕方がないと認めるか、ってあたりの線引きの難しさにも重なってくる。やっぱり挑発するようにそれを見せれば、猥褻という概念にひっかかる。それは認めるべきではないけれど、一方でそうした行為そのもがアート的なものとして存在し得ないことはない。アートは免罪符ではなく、衝動であってその発露であって、結果がどうなるかはすべて個人へと帰する。そういうものだ。

 と、そう考えるなら大橋さんが今、大手を振って歩いていられるのも、ろくでなし子さんが逮捕されて起訴されたのも、あくまで現状であって未来、どうなるかは線引きの線が左右のどちらに触れるかにかかってきそう。自由を守りたいならそちらの範囲を広げ、違うなら狭くする。結果どうなるか。その意味でもこの2つの“事件”の行方には注目してみたいところ。それはそれとして、「そこにすわろうとおもう」の300人セックスの写真を、会田誠さんがソフト・オン・デマンド的なアダルトビデオの想像力を超えてないかもって指摘していたのは面白かった。そうだよなあ、そっちの方が先で凄くて役に立つ。ただ、アーティストとしての発想は、先例があるじゃなくってそれが見たい、それを撮りたい、それを示したいっていう衝動であって、結果がどうあれやってみた、やりぬいてみた、形にしてみたことは素直に賞賛したい。それでこそアーティスト、なんだよなあ。すべてに自省と自重を求める自分にはできない所業。これはやっぱり買うしかないかなあ。

 しかし「表現の自由」だなんてお題目を掲げてしまうと、それを守るためにどれほどくだらなくて無意味なものでも、守らなきゃいけないと拳を振り上げる言論空間も面倒くさいというか。北朝鮮の偉い人を揶揄する映画「ジ・インタビュー」を公開するかどうかで、興行主がそろって上映を拒否して、製作したソニーピクチャーズもこれは無理だろうと逡巡していたら、結果として上映してくれる興行チェーンが現れ、無事公開となったことについて日本のメディアがニュースにして、これは快挙とかき立て拍手喝采が起こっただの、見た観客の表現の自由が守られただのといった賛辞を添えたりして喜んでいる。

 でもねえ、町山智広さんのコメントによればこの映画、ひたすらにお莫迦で中には秘密兵器を隠すためにお尻の穴に入れるって描写もあるそうで、そんな映画を「表現の自由」といって讃えなくちゃいけないメディアの筆を持つ手がいったい、どんな振るえを覚えているかがちょっと知りたい。もちろんあらゆる表現は自由であってしかるべきであって、その上で責任めいたものも求められるのは当たり前の話。でもってそんな表現にもさまざまな場合があって、守られるべきだけれども莫迦にされるべきもの、守られるべきだけれど、非難されるべきものも当然ある。今回はたぶん莫迦にされるべき筋合いのものなんだけれど、それが自由の旗手として祭り上げられてしまった挙げ句、絶対的に守られるべき存在になってしまった。

 ここで思い出すのは、韓国で大統領のワルクチを書いて起訴された新聞社の前のソウル支局長。その言説の筋の悪さは多くが認めるところだけれど、でも言論機関はそうした権力による介入に対して、言論の自由は守られるべきだと言って擁護しなくちゃならない。というか、既に筋の悪さを感じて多くは、振り上げた拳を見えないように下ろして見ないフリをしているけれど、当事者ばかりは未だ拳を燦然と振り上げ非難している。その言説の筋の悪さを無視してか、本当にそう思っていないかして。なかなかに大変だけれどでも、これもいずれ答えが出る話。どっちへ転ぶか。判決を待とう。

 宇宙人が駅伝をする話しだったつるみ犬丸さんの「駅伝激走宇宙人 その名は山中鹿介!」(メディアワークス文庫)に続編が出てそっちは宇宙で駅伝する話だったという、そんな「サムライ・ランナー 続・駅伝激走宇宙人」(メディアワークス文庫)は、尼子の末裔を見つけた山中鹿介が故郷の星へと帰ってからしばらく、平穏だった地球にその星から王子がやって来ては末裔の天沢出雲から地球の管理権を表すメダルを奪い取った。どうやら賭けに使うらしい。それもろくでもない理由のために。追いかけてきた山中鹿介もその娘の小夜も茫然とするけれど、賭の場になって王子が毅然としてクローンの解放を条件にしたことから話は一気に大きく広がる。敵は鹿介の兄。有力者だけれど性格は非道で使っているクローンをペット以下の存在としかみていない。

 そして勝負の決着を駅伝で付けることになってそれで自分が負ければ、連れてきた選手のクローンを殺すというから出雲たちは迷った。自分たちが勝てばクローンは殺されてしまう。けど勝てば地球が奪われてしまう。どうしようもない闘い。それでもクローン解放の権利は欲しいという展開の中、鹿介が敵方につくというアクシデントもあって勝敗の行方は混沌としてくる。果たしてどうなるこの勝負? ってあたりに見える続編ならではの工夫。そしてクローン差別という問題への強い意識。人間をどうすれば目一杯に動かせられるのかというテクノロジー的なアイデアもあったりする向こうに、誰であっても理解し合えるんだろいう地平が広がる。それが王族であっても。クローンであっても。爽快な終わり方で続編はなさそうだけれどあるいは、その子弟の代になって何かあったりするのかも。尼子とは切れない星な訳だから。次に作者あ書く物語が何かも含めて関心を向けていこう。


【12月25日】 僕はエロゲーとかやらないから、田中ロミオさんがそっちでどれだけ凄いクリエーターだったのかは知らず「人類は衰退しました」とか「AURA」とか読んで、その文体に惹かれたんだけれど、こっちの王雀孫さんって人も実は知らなくって、それで刊行されたライトノベルの「始まらない終末戦争と終わってる私らの青春活劇」(ダッシュエックス文庫)を読んだら、その会話芸がもう変態的に素晴らしくって、ぐいぐいぐいっと引っぱられて最後まで読んでしまったよ。いったいどういう文章を、ゲームの方で書いているのかが気になったけれど、そっちをやるには年も年だし、マシンも貧弱だからちょっと無理。どれだけゲーム文体が再現されているかは、そっちに詳しい人に任せよう。

 ともあれ小説の方はといえば、ギャルな妹がいる兄が、駅でとてつもない美少女に出会って、その彼女がどこか妙で、そんな彼女と会話したことがきっかけになって彼女に気になられ、演劇部に誘われ副部長とかいうギャルに教室で取り囲まれ、部室へと連れて行かれてそして…。もうその展開からして変態的。急転直下なんだけれどそれを戯れ言のように受け取り受け入れながら、ひらりひらりとかわしていく主人公の生き方って奴が気になって仕方がない。ただの学校階層における最下層でも負け組でもない、自分をしっかり貫きひらひらと生きていく個性の強さって奴を、ちゃんと描いている。そこが凄い。面白い。

 でもって展開の方では、OSを入れ替えると喋りが変わる演劇部の美少女部長の、とりすましてあたふたした感じとか、演劇部の部員で主人公の少年がが気に入ってる河和ちゃんの、あわあわぶりとかやっぱり変。何かステージの出演権をかけて争う漫画研究会との対決は、展開も結末もアサッテの方向に突き抜けていてひっくり返る。えっ! ってなもんだ。でもそれが不思議と面白い。何かが成し遂げられることもなく、本格的な出会いとなって以下続刊? ってところが文字通りに「始まらない終末戦争と終わってる私らの青春活劇」だけれど、そのな中にも青春って奴はほの見えた。学園プリンセスの未来ちゃんの本性としての喋りも超愉快。そんな未来が抱える秘密とは? いろいろ気になるんで続きが読みたい。続くかな?

 昨日あたりからアイドルグループの「嵐」がライブで使ったLEDの電飾が話題になっていて、どういうものかと調べたらどうやらソニー・ミュージックコミュニケーションズの「フリフラ」を応用したものっぽかった。考案したのは松本潤さんって触れ込みだけれどたぶんそれは「フリフラ」というテクノロジーを使って、どういうパッケージングにしてみせるか、って辺りを考えたもので、大元はライブ&イベント産業展で見せてもらったように、輝くライトの光を無線によって操作し可変させるというもの。もっともそれを自分たちのライブにピッタリの形にして、演出として成立させつつグッズとしても売ったところがさすがは嵐、ちょっと凄いと感動した。

 なるほど演出の統一感のためといって1つ1つを配りたいアーティストだっているだろうけど、それをやったら結構な額を自腹で拠出しなくちゃいけない。かといってグッズとして売るとなると値段もそれなりにかかりそう。それをファンなら欲しがる団扇の形に改造して、公式グッズとしてなら誰だって買う。閃ブレを持ち込んで振り回したり、バルログやら扇型やらにして掲げたりするような目立ちたいがためのライト持ち込みが横行するライブを、アーティスト側の意図に沿わせ周囲の人への迷惑も排除できる手段として、これはぜひに普及して欲しい手法。とはいえジャニーズの団扇って後ろの人には前が見づらくものっぽいんでそのままでは難しいかな。ジャニーズ系はうちわがデフォルトだから、見えることより見せることに重きが置かれているって印象だから成り立つとして、普通のアーティストで可能な形……帽子とか。光る頭がピカピカと。さてもどうなるライブの未来。

 「もしもしにっぽんプロジェクト」としてアソビシステムが展開している、日本の良さを世界にアピールしつつ世界から日本へと来て貰おうと呼びかける活動の一環として、東京はKAWAIIの聖地ともいえる原宿に、アソビシステムのと地元商店街が協力して観光案内の施設をオープン。前に確か靴やさんか何かが入っていた竹下通りを出た明治通沿いの原宿通りへと分岐していく角に建っている建物が改装され、「MOSHI MOSHI BOX 原宿観光案内所」となっていたんで見物に行くと中にきゃりーぱみゅぱみゅあいた。いや等身大POPとして。

 本人がいればそりゃあ誰だってわんさか詰めかけるけれどそれはなく、衣装とかが展示してある訳でもなくって普通に原宿に来た外国人が利用して便利な場所ってイメージ。スマートフォンなんかを充電できる装置もあれば両替機もあり外国へと荷物を送り出せるカウンターもある。そして観光案内のパンフレットもあってそれが日本語と中国語と英語の3カ国語分用意してあって、まあだいたいの人に対応できるって感じになっていた。さらに他言語というとフランス語ドイツ語スペイン語韓国語とか必要になるけどそれも大変だし、今はまあ3カ国語で良しとしておくのかな。

 いずれさらにいろいろな施設も乗っかるみたいだけれど今はそうした案内と、チェブラーシカの顔が載ったスイーツを提供するカウンターと、あと寿司とか富士山とかをかたどった小物なんかが置いてあって売っていたりしてお土産店としても使えそう。ただそのあたりは竹下通りに入ればもっと充実した店もあるだろうから、あくまで商店街のアンテナショップ的な位置づけで利用してもらうのかな。地元商店街の商売を邪魔する訳にはいかないし。外国人が利用可能な無料のWI−FIをそこに敷設するなり原宿全体を覆ってキーをこの観光案内所でパスポートで国籍を確認した上で配るなりするとかすればさらに利用も増しそう。時々はアソビのタレントが来て案内役を買って出るとかしてくれればなお……それもまあ、いずれの話か。ともあれ政府が手をこまねいている間に地元の企業が先手を打って何かをしている。それに追い付き追い越せるか。無理だろうなあ、お金を出す相手は今度はラーメン屋さんだものなあ。クールジャパン。何なんだろう一体。

 漢字だと気づかれないものだなあと前にも思って今日も思った三上延さんのサイン会。「ビブリア古書堂の事件手帖」の新刊あ出たのに合わせて新宿の紀伊国屋書店でサイン会があったんで出向いて並んで知り合いの人と話したりして待つことしばらく。整理券を出してそこに書いて置いた名前を溜め書きにしてもらったんだけれど特に気付かれた様子はなかった。いやまあ僕だって世間に名の通ったレビュアーって訳じゃないけれど、それでも気付いてもらえる可能性はあると考えていただに読みが外れた格好。実際のところ、漢字からカタカナへと人間、すぐに変換できないものらしいんで仕方がないか。過去、数多のサイン会で名前を見せてすぐに分かってもらえた人って、それほどいる訳じゃないものなあ。それともやっぱり無名なだけなのか。次は誰のサイン会で試してみよう。


【12月24日】 そうか初音ミクのレーシングカーって今年はドライバーポイントでチャンピオンに輝いていたのか。チームでは2位に終わったみたいだけれどここんところはグッドスマイルレーシングが主体となって運営していただけに、レーシングチームとしても快挙だしそれが痛レーシングカーでのチャンピオンっていうのもやっぱり快挙って感じ。これが大流行したお陰もあってエヴァのレーシングかーとかいろいろ参戦しては賑やかになっている。それを厭うファンもいることは分かるけれども何か新しい産業が生まれそこが流行って得たお金を、旧来からある娯楽へと還元して共に盛り上がっていくのは悪いことじゃない。新日本プロレスがブシロードの傘下で盛り上がっているように。

 そんなグッドスマイルレーシングの2015年度の体制発表会が23日の午前にあったんでのぞいたら安藝貴範さんの雰囲気が変わってた。前は長髪でイケメンの兄ちゃんでレベルファイブの日野社長と通じる雰囲気があったけれども昨日は髪が切りそろえられててひげもちょっぴり伸びた業界な人風。細身っぷりではプロダクションI.Gの石川光久社長にも通じるところがあったけど、ひげの分だけもうすこしサブカルチャーに寄っている感じがあった。でもグッスマ自体は普通にオタクな道をひた走っているから風貌は関係ないってことで。そして登壇した安藝さんほか面々から語られた抱負はダブルタイトルのダッシュ。1つと2つではもらえるお金も違うみたいで、それだけだんくここまで来たなら完全制覇を狙いたいのは至極当然。ってことで挑む2015年シーズン、どうなるかミクのレーシングカー。

 その土台が大きく変わるみたいで今年までのBMW Z4から次はメルセデス・ベンツのSLSへ。値段も上がるし格好だってずいぶんと変わるけれどもそれをいったいどういう風に仕上げていくんだろう? 既に参戦している同種のマシンもあるだろうからそれを参考にしつつチューンを詰めていくんだろう。気になるのはそれよりやっぱりデザインだけれど、そこは草野剛さんが参加して白を基調に差し色として赤を配してたジオメトリックな感じにしていくそうな、ってちょっと想像がつかない。出てくるワンフェスにやっぱり行くしかないのかなあ。そんな上に描かれる初音ミクもイラストレーターがタイキさんにチェンジ。姫騎士とやらをモチーフに守るも攻めるも大丈夫なマシンに仕上げていくらしい。その意気込みも良いけれど、出てくるグッズも期待できそう。強くて格好いいミクになりそうだし。

 体制発表会にはアートディレクターを務めるコヤマシゲトさんも登壇して今もっとも旬なアニメーション映画「ベイマックス」でアートディレクションを担当した人ならではのオーラって奴が放たれていたかというと、髪をぴっちりと訳で黒縁の眼鏡をかけてスーツ姿で登壇した姿はどちらかといえばウォール街のパワーエリートか、あるいはビッグブルーとこIBMのセールスエンジニア。手に鞄を持ってオフィス街を闊歩するのが似合いそうだった。それでいてデザインするものはメカもキャラクターも先鋭的。そんな人がいるんだなあ。ってそれを言うなら22日にヤマトークで見た麻宮騎亜さんも普通の人だった。それでいて生み出される傑作メカの数々。才能って凄いなあ。そんなコヤマシゲトさんはビジュアルだけじゃなくいろいろと手掛けていくそうなんで、きっと楽しい空間がサーキットに出来上がるだろう。1度くらいは見に行くか、走るミクカーとその周辺を。

 熱心な読者だった訳ではなくって、「大江戸妖怪かわら版」のシリーズを最初の方とそれからライトノベルとして出た「全裸男と柴犬男」を読んだくらいで1番人気の「妖怪アパート」のシリーズが眺めるだけだったけれど、それでも電車の中吊りに広告が出たりしてその名前が次第に広がっている感じがあって、いよいよこれから本格的に妖怪と人間のファンタジーを描いてくれるんじゃないかと期待していた香月日輪さんが死去されたとの報にしばし茫然。これからだったのに。本当にこれからどんどんと、超ベストセラーの書き手として宮部みゆきさんとか畠中恵さんのような大活躍を見せてくれる人だと思っていたのに。今はただひたすらに勿体ないという気がするし、残念という思いもして仕方がない。神様って本当にいるのかなあ。

 いやそれでも少しの名前も出ないまま、良い物を書きながらも消えていってしまう作家の人たちはいっぱいる訳で、そんな中にあって人気シリーズが400万部近い売上を見せた香月さんは、大勢の人に知られその死を惜しまれるくらいの方になっていた。もちろんそれが残念だという思いを減じることはないけれど、それでも少しの支えになってその人気を背景に、亡くなられても本は埋もれることなく刊行され続けていってくれると期待したい。書いたものが読まれること、読まれる続けることが多分、作家の人たちにとての1番の誉れだろうから。今はただ合掌。最新刊の「全裸男と蛇男 警視庁生活安全部遊撃捜査班」(講談社X文庫ホワイトハート)も出たし読むとしよう、ってページを開いたら後書きがなかったよ……。変わりに差し替えカバーのような帯が。剥がすとそこに……。見て喜んだかなあ、香月さん。合掌。<BR><BR>  アギーレ監督の件は今号では静観というか触れられていなかった「エル・ゴラッソ」の最新号を読んだらJ3について振り返る座談会ってのが載っていて、とりあえず上の方と下の方との差があるって話になっていたけどそれはまあ、J2でだってあることなんで気にしないとしてこのJ3にJ1とかのチームから若手の選手を集めて参加させたJ−22ってチームが参戦していたことについて触れられていて、読んでやっぱりいったい何だったんだって思いを抱く。っていうか最初っから中途半端に選手が集まり試合をして去っていくだけで、何の強化になるんだろうという思いはあった。
 上の試合が無いときに有力な若手がこぞって参加してその時ばかりは強くなって、対戦する相手も大変だろうっていう想像はあった。それが本気で昇格を目指しているチームなら、不公平だろって誰だって思う。けどそういう差配はまるでなし。ただ来て闘って去っていく。それだけなら良いけれども座談会では気になる記述が。J−22で一番招集回数が多かった柏瀬暁選手が、所属していた清水とは今期限りで契約満了となってしまいました」。そりゃないよなあ。一所懸命に参加して試合にも出ただろう中でプレーしたのに、上はそれをまったく見ていなかった。だから評価もしないで戻しもせずに放逐だなんって、いった甲斐もなにもあったもんじゃない。それとも最初っからいらん子だったのか。でも契約も残っていたんで下に送りこんだのか。J3はスオムスか。

 好意的に見るなら上では出せないけれども下でなら出られるんでそこで活躍して次の移籍先を見つけてね、って親心だったかもしれないけれど、でも22歳までのチームってことは相当な若手。それを上で試しもしないで切るなんて、普通の神経じゃない。J3がそういういらんこ中隊の場なら、来年から行こうって選手もいなくなるし、行っても戦う気力だって出せないだろう。モチベーションもない選手と当たるJ3のチームも不幸だし、J−22のチーム自体も無意味。それをどうにかするならやっぱり、ちゃんとしたチーム編成にして登録選手から出していくようにしないとなあ。でもって復帰後の道もちゃんと付けてあげる。そうでなければただの若捨て山になってしまうけど、来年もこのまま続けるのかどうなのか。私気になります。

 ゲンロンカフェでBL話を4時間半。いやあ喋る喋る金田淳子さんが立て板に水とばかりにBLを持ち出し映して語るとそれをうけてさやわかさんも突っ込み返して話が転がる中からBLのどこを女子は楽しんでいるのか、それは楽しみ方の王道なのか邪道なのか、そういう楽しみ方は男子も出来るのか、これからBLはどうなっていくのかってあたりが感じられて面白かった。紹介されたものの中には設定として優れ物語性もあるものもあったけれど、逆に言うなら自分の興味はそこであってBLというシチュエーションこそが第一義といったカテゴリーを味わうにはちょっと壁があるような気もした。結構奥深い。ただそんなBLも売れるようになって売れ筋が見えるとそれに倣って画一化ああって冒険が足りないとか。ライトノベルでも言えそうな話なだけにそうでない、楽しさがあって新しさもあるライトノベルをどこまで読んでいけるか、進めていけるかを考えたくなった。しかし2人ともよくあんなにしゃべれるなあ。知識が追い付かないよ僕では。記憶力かなあ。勤勉さかなあ。学びたい。


【12月23日】 怖いよう、怖い世界だ警察は、って身近に警察官がいたんで別にそうでもないことは知っているけど、人事という厳しい世界を泳いで乗り越えていくために、大変なこともしなくちゃいけなく苦労ってのも何となくは知っているだけに、そういうこともあったかもしれないって思った月村了衛さんのシリーズでは初となる短編集「機龍警察 火宅」(早川書房)に収録の短編「火宅」。特捜部の人間がどうしてそこまで現場で嫌われなくちゃいけないのか、同じ警察じゃないかって疑問はさておいて、そうやって排除されながらもしっかりと沈思し観察の結果を答えに結びつける由紀谷って男の凄さを見せつけられた思い。

 その才能が捜査課なんかで事件捜査に活かされれば、どんな未解決の難事件だって解決したかもしれないけれど、特捜部が取り扱うのは日本のみならず世界を揺るがす“事件”な訳で、そちらでこそ発揮されて世界を救ってくれればありがたい。当人は報われないけれど。あと面白かったのは、キャリアの宮近が珍しく本気だす「勤行」。特捜部にいながら向いてる方はどうも外で上でもあって、その言動に気に入らないところが多々あったけれど、国会での国家公安委員長の答弁という難題のために資料を作る仕事を任され挑んだ姿は、まさしくニッポンの公務員の鏡。徹夜も厭わず家族すら顧みない場合があっても振り返らないで進んだ姿が、回り回って喝采を浴びる姿にちょっと感動した。それを鼻にかけさえしなければ良い奴なんだがなあ。いやどうしたかは分からないけれど。

 そして「化生」はこれから何か始まりそうな予感を覚えさせてくれた1編。元よりブラックボックスに近い龍機兵な訳だけれど、もその域に近づく可能性は誰にでもあってそれが早いか遅いかの違いでもって世界の情勢もガラリと変わる。沖津旬一郎部長はそれを少しでも先に先にと延ばそうとするけれど、未だ見えない“敵”がそれを許してくれるのか。というよりそもそも“敵”はどこにいる? 分からないし見えないけれどもその気配がひたひたと迫る中で、今は特権的に率先している特捜部にも大変な自体が起こるんだろうなあ。姿は、ユーリは、ライザはいったいどこへ行く? 気になる続きは何時くらいに出るんだろう。鈴石緑主任だけは生きのびさせて欲しいなあ。「ワイルド7 魔像の十字路」のユキみたく、って結局死ぬじゃんユキだって。

 これを逃すと次にいつ観られるか分からないんで、下北沢にあるトリウッドまで「地球を救え! なかまたち ちびねこトムの大冒険」って長編アニメーション映画を見に行く。監督はあの中村隆太郎さん。後に「serial experiments lain」を作る人だけれども別に電線がブーンとも成っていない普通に子供向けの映画ってあたりは最後に監督した「十五少年漂流記 海賊島DE!大冒険」に近い物があるかも。もしかしたら資質はそっちだったのかなあ、でも「キノの旅」とかやっぱり暗いし重たいし。つまりはいろいろできる監督だったってことで、それだけに早世は惜しまれる。あとちょっとだけでも良いから長生きして欲しかったかも。そんなトリウッドへと向かう前に下北沢ではキッチン南海でカツライス。神保町にある店とは違うけれども小さいなりにちゃんとした洋食を食べさせてくれる店。入ったのは2度目か。10年ぶりくらいか。美味しかったんでまた行こう、今度はオムライスを食べたいな。

 そして「ちびねこトムの大冒険」は、絵に抜かりはなく動きは最初から最後まで凝ってていて、いったいどれだけの枚数をかけたんだって思ったほど。そしてストーリーはといえば、子供たちが山へと冒険に行ったらそこで弱った地球から僕を救ってと持ちかけられて無茶をしたら飛ばされたけれどもそこから、冒険を繰り広げ、仲間を呼び戻して悪の組織も振り払い最後の壁も突破していく展開。観れば頑張れって気持ちになるし、地球を守りたいって気持ちにもなってくる。とっても意義のあるお話。それでいて冒険活劇になっている。

 こういう長編アニメーション映画が子供たちに観られて興行収入で10億円くらい普通に稼ぐ世の中になって欲しいけれども、そうはいかない今の世界。あれだけ本が売れてる「マジック・ツリーハウス」だっていったいどれくらいの人に観られたのやら。その意味では下世話な中にメッセージ性を盛り込みつつ、観る人を感動させる「クレヨンしんちゃん」シリーズは凄いかも。もはや売れることが至上命題で、感動にばかり走りがちな「ドラえもん」にも、新しいキャラクターを出すことに邁進しているっぽい「ポケモン」にも出来ないことを「クレしん」の映画はやっている訳だし。

 声優さんの豪華さには参ったというか、トムが藤田淑子さんで兄貴のマークが野沢雅子さんと超ベテラン。そして聞けばそれと分かる名探偵コナンの高山みなみさんがいて、バイキンマンの中尾隆聖さんがいて、かないみかさん坂本千夏さんの子供声な2人もいてさらに大塚明夫さん鶴ひろみさんと並ぶとその巧さ、その安定感に耳が痺れてくる。佐野良子さんもしっかりと着いてきていたし、そんな声優陣を掘勝之佑さんが下から支えてもう最高。声ってこんなにも耳に届くんだって思わせてくれる。今はどうだろうなあ、アイドルであることと声優であることがイコールで結びついている時代に、果たしてどれだけの重さをそこに乗せることができるのか? ってあたりを考えたいけど、それで客が呼べる時代でもなし。後は職人の意識をちゃんと保って頑張る音響監督さんの仕事を信じて着いていくしかないのかも。

 難しいってことはないんだろうけれど、思弁が過ぎてビジョンがどこか閉じている気がしなくもなかった柴田勝家さんってハヤカワSFコンテストを受賞した柴田勝家さんの「ニルヤの島」(ハヤカワJコレクション)。宗教家たちも死後の世界を否定したんで宗教ってのが壊滅してしまった世界、人間たちは自分の記憶や経験をそっくり機械に記録させていくことによってそれを振り返り人生を味わい尽くせるようになっていたんだけれど、そんな世界に今ふたたび宗教めいたものが蔓延り始めた。「ニルヤの島」に行こう。それが死後の世界を意味するものなのか、どこか涅槃的なものなのか、輪廻転生のための六道なのか分からないけれども、そういうものの存在をさまざまな確度から探求していく物語がつづられる。

 それは女性の学者であり老人の学者であり少女であり人工知能みたいなものであったり。それらによって断片的に語られ重ねられていく物語からやがて長いスパンの時間で培われた思想がさらにアップデートされていく様子が浮かび上がってくる。すなわち死について。死という思想について。読めば何となくその深そうな感じは分かるけれど、気になったのは技術の進化と人の探求がそうした思弁を呼んでいるんであって、思弁から生まれた技術が人を変え世界を変えるような開いたビジョンになっていないところ。そういうのを描いてこそのSFだ、っていう意識の元に読むとちょっと物足りなさを感じてしまうかもしれない。大いに思弁的。でも開放的ではない物語を読んで満足できるなら、それは今いるこの世界に不満を持ち、科学の限界を感じている心があるからなんだろう。もう1度じっくり読み返してみたいかも。


【12月22日】 コミックマーケットで人気の企業ブースに、いったいどれだけの人が1日に並ぶのか、数えてはいないけれども9000人が並んだとして、1人1分がとられてそれが10列あったとしても900分。軽く15時間をそれにとられてしまうことになるからちょっと数字としてはあり得ない。翻って東京駅の開業100周年を記念するSuicaが1万5000枚用意されたとして、1人3枚をフルに販売したとして1人15秒で5000人に売るのにかかる時間は1250分。3列用意されたとして410分とかかかる訳で時間にしたら7時間弱といったところで、それほどまでの時間をかけて、売るなら相当の準備をしておかないと行列も乱れて倒れる人も出るだろう。

 けどJR東日本は徹夜は禁止といいながらも、早朝から来た人が見たら既に行列が出来ているような状況だったにも関わらず、警備員を用意しておかず行列のための誘導もしていなかったというからちょっとお粗末。そのこと自体は大いに非難されて良いし、むしろ非難しておかないと後でまた似たようなことを繰り返して、今度は本当に事故を起こす。ただ並んでいるだけなら事故でも流石に人死には出ないだろうけれど、その体質がもしも鉄道の運行の方にも流れたら? っていうのは大げさとしても、利用者に不安を浮かばせることになるのはやっぱり拙い。だからやっぱり準備を整えておくべきだったし、こうした限定品の販売に長けた事業者にどうすれば良いかを聞いておくべきだった。もう後の祭りだけれど。

 そうお祭りとしての販売は終わったみたいで、JR東日本では限定Suicaを欲しい人がうれば売るように切り替えたらしい。もはや限定でもないんでもないけれど、そもそも限定にする意味があったのかどうかっていうのも少し疑問。あるいは1万5000枚が売れるとすら思ってなかったかもしれないし、実は僕もその数にあれだけの大勢が群がるとはちょっと驚きだったけれど、現実そうなってしまった以上はやっぱりそれなりにファンも多かったってことなんだろう。見ればレンガ造りになった東京駅の丸ノ内口を見学に来る人は多いし、スケッチをしている人だって結構見かける。プロジェクションマッピングの舞台として人気にもなったスポットが、描かれたSuicaはやっぱり欲しい人も多かったってことなんだろう。いずれ具体的な方法も発表されるだろうからせっかくだし1枚買うか。新橋駅の100周年のは作られないのかなあ。

 1670万部っていったいどこの漫画だよ、って話になるけど、漫画は1億部とか出ていたりするからまだやっぱりケタが違うのかもしれないライトノベル「ソードアート・オンライン」シリーズの国内外含めた累計発行部数1670万部達成。過去に1000万部を超えたライトノベルとして「スレイヤーズ」のシリーズがあったり「とある魔術の禁書目録」シリーズがあったりしてこれもやっぱり珍しいものではないって言えば言えるけど、人があまり本を読まなくなった時代にこれはやっぱり快挙だし、日本だけでなく海外でも人気だってところがライトノベルというコンテンツのグローバル化を示している。なおかつ現在進行形の作品でアニメなんかは新シリーズがこれから海外展開もされていくだろう中で、より大勢が購入して読むことになりそう。目指すは3000万部あたりだろうか、やはり1億部? 大きな夢。でもそれが見られる世界になった。後に誰が続く? そこだけが心配。

 昭和食堂だか何かが入っていた中央通り沿いの地下にある店がその後、いくつか様変わりをしてそして少し前から「台湾まぜそば」の店になったようでちょっとだけ見物、っていうか名古屋名物っていう割りに名古屋人として食べたこともなければ聞いたこともなかったのは、僕が名古屋を出てもうずいぶん経ってからの2000年代に“発明”された食べ物だそうで、台湾ラーメンのアレンジから始まってやがてしっかりとしたメニューとなって地元に徐々に広まっていったらしい。それが東京へと来てこちらでも、広まりつつあるようでその1店が秋葉原に出来たんだけれど食べるとなるほどまぜそばといった具合に汁のない麺とトッピングをまぜまぜしてあとはすすり込むといった感じ。特徴がある味でもないし抜群に美味いって訳でもないけれど、食べて良い食感が味わえそして汁がないんで簡単に食べられるってところは気に入った。途中でご飯を入れて食べるのが通らしいけどそれをやるとお腹が膨らむんで遠慮。もう1回くらい行って感じをつかもう。名古屋の本場とも食べ比べてみたいかな。年末年始はやっているのかな。

 そして秋葉原ではANIMAX CAFEの様子を眺めつつ、平日だとまだ人もあまりいないようなのを確認してから新しく24日にナムコがオープンさせる「アイドルマスター」をテーマにした「キャラクロ」の店「カフェ&バー CHARACRO feat. THE IDOLM@ASTER」の内覧会を見物。上に「TIGER&BUNNY」のキャラクロがある建物なんだ。その地下1階のそれなりにあるスペースが「アイマス」尽くしになっていていなかなかに壮観。個人的には「アイマス」はゲームもやらずアニメも「ゼノグラシア」しか見たことがないんで誰に思い入れがある訳でもないんだけれど、その人気の程は分かっているんで提供されるコラボメニューのアイドルたちに寄り添った作り込みぶりに、ファンは食いつくんだろうなあって想像はつく。

 あるいはそういうファンがいる作品だからこそ成り立つ「キャラクロ」って店舗。池袋でまず「タイバニ」から始めてそっちが「マクロスF」になったのを受けて秋葉原に「タイバニ」を持ってきて、そして同じ建物の地下に「アイマス」を並べて来るのもそれぞれの作品に熱いファンがいてその世界観に浸りたいって人が結構な数、見込めるからなんだろう。これが「ラブライブ」だったらどうとか「アイカツ」ならって考えないこともないけれど、ファンの熱さではまだまだ「アイマス」負けてはいないし、むしろ長い年月の間に染みついたプロデューサーさんたちの思いも深い。やっぱり結構な年月が経つ「マクロスF」や「タイバニ」がテーマになっているのも、瞬間の旬ではなく根強いファンに向けてそれなりな期間、運営していきたい意向があるからなんだろう。これに続くとしたら何があるかなあ。「ガンダム」……はガンダムカフェが既に秋葉原で運営中。ならば「ガルパン」か……大洗って地域性に寄ったのが少しひっかかるかなあ。その辺りちょっと考えてみよう。

 今アナウンスされているところではこれが最後の劇場での上映後のヤマトークが終わったってことになるのかな。そんなヤマトークはテーマが絵で、ゲストは加藤直之さんと麻宮騎亜さん。加藤さんはSF大会とかでお姿を見ているから、ああいつもの加藤さんって感じだったけれども麻宮さんは前にGofaかどこかで「彼女のカレラ」の展覧会があった時に、会場にいるっぽい姿を遠巻きに眺めていたくらいで、あそこまで話しをされる方だったと初めて知った。いやあ面白かった麻宮さん。まさかそんなに「宇宙戦艦ヤマト2199」に携わっていたとは。TVシリーズのエンディングを描いていただけじゃなくって、浮遊大陸戦とか雪風でのガミロイド戦とか描いていたそう。でもって漫画家もやっていた。半端ない。何でヤマト描いてポルシェまで描けるんだ! 轟麗菜のおっぱいも! 讃えたい。

 そんなヤマトークでは加藤直之さん描くサーベラーさまが登壇して、周囲を睥睨していた。あの上から目線で睨め付けられたい。そんなサーベラーさまを加藤さん、顔は4度描き直したとか。実画なんで描き塗りつぶしてまた描きダメなら塗りつぶす。そして完成したあのお顔。東京でももっと拝みたいけど今のところ展示会の予定はなし。すぐに福岡での原画展Finalへと向かうそうで、そちらで凛としたお姿を見せてくれるとか。確実に見たいならそっちに行くしかないようだけれど、うーんちょっと無理だ。だからきっといつか東京でもお目にかかれる時が来ると信じたい。それから麻宮騎亜さんがもっといっぱいこれからも描くヤマトの絵の展覧会もそして画集も見たいので、これからも応援し続けるしかない。とりあえず「星巡る方舟」のBDだ。ちゃんとした奴だ。いろいろ手直しとかもあるんだろうなあ。

 しかし大盤振る舞いだったヤマトークのプレゼントは、加藤直之さんの絵皿から剥がした絵の具の層をプレゼントなんてものがあってひっくり返った。加藤さん曰く、一生で何枚も採れないそれを惜しげもなくプレゼント。あの絵もあの絵もその絵の具の層から生まれたもの。お宝というよりSF国の国宝だ! もらった人は一生をかけて守るのだ! って訴えたくなった。どういう保存のしかたをするんだろう。個人的にはサーベラーさまの色紙も欲しかったなあ。あと麻宮さんが描いたいろいろなメカも。そう麻宮さんはメカの方から「2199」に携わっていたみたいで、ヤマトークでは麻宮騎亜さん加藤直之さんがそれぞれに互いに気に入った絵なんかも見せてくれて、それはともにだいたいメカだった。加藤さんは麻宮さんの埋もれつつ夕陽に輝くヤマトを上げていた。麻宮さんはドメル艦とのすれ違い戦の絵も上げていたけど、ドリルミサイルも挙げて手あの先端の刃の質感が出ているのに驚いてた。あれは手描きでは不可能だ、って思っていたらしい。でも描いていた。すごいと思ったそうな。

  絵描きの気持ち絵描きぞ知る。僕たちはうまく描けているなあ、質感出ているなあ、ちょっと寸胴かなあ、でも格好いいなあで素通りするけど麻宮さんは加藤さんの描く鉄の感じスケールの精緻さの凄さを行ってたし加藤さんは麻宮さんのメカの格好良さを挙げていた。互いに認める絵描きの言、勉強になった。ちなみに麻宮騎亜さんも加藤直之さんもロケットアンカーは描くのが苦手なモチーフとか。薄くて尖ったものはやっぱり難しい? そして先端にどう付いているかも分からないので、麻宮さんは3メートルヤマトの模型をよく見たとか。模型はプラモデルなんかも描く参考にしたとか。絵描きさんもそうなんだと思った。想像の中でもちろん描けるんだろうけれど、プラモデルがあればそれが醸し出す雰囲気はやっぱり参考になるらしい。あと光りの跳ね返り具合とか。見て直してそして描いていった果ての完成形、それが数々のヤマトの絵たちなんだと思うとただ格好いいなあで過ぎるのも申し訳ない。今度原画展があれば拝む! でもしばらくないのかな。やらないかなあ。麻宮騎亜さんには「彼女のカレラ」シリーズをもっと続けて欲しいとも。そっちの原画展もまた見たいなあ。


【12月21日】 途中でいつベイマックスが「これが仁義って奴ですか」と言い出すんじゃないかとハラハラ。なんてことを思ったディズニーの新作アニメーション映画「ベイマックス」を日本橋のTOHOシネマズで鑑賞、THXでDOLBY ATMOSで3Dで日本語版。眼鏡が軽くて画面も明るくて大きくて見やすかった。映画好きの間ではIMAXへの妙な信仰が渦巻いているけれど、それなりの環境も備えているって言えるんじゃないかなあ、TOHOシネマズ日本橋。そんな劇場を見渡すとロビーは「妖怪ウオッチ」を見に来た親子連れでぎゅうぎゅうで、これで1人でもインフルエンザだったら明日いったい学校でどうなるんだろうか、なんて心配も浮かんだけれど、子供はそんな人でいっぱいの学校に、毎日通っているんだった。大人の方がむしろ心配か。年末いっせい休業とか。

 だから「ベイマックス」だ。実に分かりやすい。オタクな弟ヒロ。でも勉強に熱意が持てなくてロボットバトルで金ばっかり稼いで満足している。その兄は秀才。そして大学で良い仲間たちとロボットなんかを研究している。そんな兄と仲間たちの格好いい姿を見て僕もと憧れたヒロが、兄に追い付こうとした矢先に兄が事故で死んでしまう。でも本当に事故なの? って疑い始めたところに現れたのが、兄が作っていた介護ロボットのベイマックス。人の体をスキャンし傷を癒し心を読んでこれも癒す良いロボット。それを共にしつつヒロは改良も加えて兄の死の真相を探る。やっぱり分かりすい。そこから仲間を得て強大な的に挑んでこれをうち倒す途中に、憎しみでは人は救えないというメッセージがあり、仲間の協力で大きなことを成し遂げられるという諭しがある。

 見ればそういったことも理解できそうだけれどむしろ、興味を引かれるのは大学でもって学生たちが自由気ままに発明をしては、それをより高度なものにしていこうと頑張っている姿。あるいはヒロが家でコンピュータとか3Dプリンタを駆使して改造し改良を加えベイマックスを進化させていく姿。普通だったら工場があり研究室があってそうした中から生まれ得なかったテクノロジーなり商品が、学校とかガレージのような場所から生まれてくる可能性って奴を見せてくれた。それはそして夢でもない。Maker Faireっていう人々がアイデアを持ち寄りテクノロジーによって形にしたものを持ち寄って見せ合うイベントは、まさに「ベイマックス」に出てきた大学の研究室のようだった。

 あの楽しさ、あの張り合いの中で人々が未来を開こうと研究を重ねている国の将来を、どこか期待したくなったと同時に、そうはまだなってない、研究室の壁の奥でしかめっ面してマーケティングだの何だのといった情報の下、最大公約数の品しか作っていない国からいったい、どんな未来が生まれるのか? ボロボロで予算もおりない中でただ権威ばかりが蔓延って、その下で学生たちが奴隷のように働いている環境からどんな未来が生まれ得るのか? 考えるほどに暗くなるけどそこで「ベイマックス」のお出ましだ! あの楽しさあの明るさを見て自分たちにも出来ると信じた科学オタクたちが、自分の力と仲間の力を集め動き出した果て、生み出される未来に今はちょっと期待したい。そういう映画として大勢の未来ある子供たちを、科学の楽しさへと導いて欲しいけど、でもそういう風に見られるかなあ、兄と弟の友情物語だと思って見るか敬遠するかどっちかなような気もするなあ。ヒーローにヒロインの格好良さをもっとアピールすれば良いのになあ。ハニー・レモンちゃん可愛いのに、デカくて眼鏡で脚細くって。

 はりつけ出たーーーーっ。でも仕方がない。それが「みならいディーバ」なんだから。ってことで元ブルーマンシアターこと六本木ブルーシアターで「みならいディーバ」のクリスマスライブって奴を見物。セガで前に広報やってた知ってる人が現場にいてセガもそうか絡んでいるのかって始めて知った。not TV絡みでNTTが何かやっているかと思ってた。そんな「みならいディーヴァ」とは世界初! なんて触れ込みで立ち上がった画期的プロジェクトで、アニメジャパンの会場でもってその一旦が披露され、人間の動きを読みとってリアルタイムでキャラクターのCGに反映させて動かしながらライブしたりトークするっていう、無茶だけれどもあったら楽しい技術がそこに仕込まれていてスタートが楽しみだった。

 そのアニメジャパンのデモでも司会というか実験台になっていた、ニッポン放送のアナウンサーなのにnot TVの企画に関わってこのプロジェクトでも制作総指揮を担っていた吉田尚記さんの動きが読みとれたり、読みとれなかったりしてCGのキャラクターが固まる場面なんかもあったけれど、それも含めて何が起こるか分からないという生アニメ。その中身はといえば「gdgd妖精’s」並のグダグダな会話があって、そしてリアルタイムで募った歌詞から歌をつくって番組の最後に生で歌ってしまうという無茶もあってと、生アニメならではの可能性をトコトン追求する姿勢が素晴らしかった。

 そこにはもちろんリスクがある。機材がうまく働かないで人間の動きが読みとれずCGのキャラクターに反映できず止まったまま、キャリブレーション途中のはりつけ状態で止まってしまうということも起こり得る。それが1人の時もあればペアの2人ともの場合もあって、その場合は生アニメであるべきキャラクターの映像が動かないことも起こり得た。背後では喋っている声優さんがいて、村川梨衣さん山本希望さんの2人が全身に何か着けて喋っているんだからそっちを映すという手もあるんだけれど、それをやっては面白くないし意味がないのが生アニメ。だからはりつけのまんま見せたり腕だけ上がらないところも見せつつ、何かが起こっていることをリアルタイムで見せつつそれをしのぎ、超えて進んでいく姿に、いつしか視聴者も巻き込まれて一緒に楽しむような空気って奴が出来ていった。

 そうした共感が放送というか配信が終了してなお多くのファンをこの「みならいディーバ」に引きつけたみたいで、こうしてクリスマス前の日曜日、連休の谷間を埋めれば4連休だなんて時に六本木という世界で1番リア充が集まる場所にデジタルのCGの架空のキャラクターを楽しみに大勢の人が集まった。素晴らしいなあ。1年前なんて企画はあったかもしれないけれど姿も形もなかったものがこうやって形になって動いて喋ってそして生でライブまでやって大勢のファンを集め、存在感を示しそしてこれで終わってくれるなという思いを募らせる。もの作りって素晴らしいなあ、なんてことを思った。伝えるだけの身では味わえない感慨をきっと、作り手の側にいる人たちは味わっているんだろうなあ。羨ましい。そして一緒に作っていったファンの人たちも親が子を見るような気持ち、あるいは同志的な意識を感じて今日のイベントを見守り楽しんだんだろうなあ。やっぱり羨ましい。

 そんな「みならいディーヴァ」のクリスマスイベントは、リアルタイムならではの歌詞作りでたどえば「X」が出てきたら歌詞に合いの手に「X」を入れるとみんなが叫び「X飛び」をその場で見せるといった具合にリアルタイムのリアクションが得られなおかつ、画面がしっかり動いていたならリアルタイムのアニメーションにもなっていた。ライブ的な楽しさを味わう一方で、技術的な可能性なんてやつも想像してみたくなったクリスマスライブ。どういう風に技術が仕込まれそれがどういう風にアクシデントも起こすのか、なんてことを突き詰めていくことによって、より精緻で失敗も少ない物に進化していくだろう。それがエンターテインメントの世界、ライブショウの世界にいったい何をもたらすか。考えてみたくなった。何ができるかなあ。

 とまあそんなことを思った2時間半。キャラクターを担当した足立慎吾さんっていう「ソード・アートオンライン」の偉い人なんかも招きつつ、その手になるキャラクターの色紙をプレゼントしたのは良いとして、収録の時に使われたスケッチブックに書かれるあと何分とかのカンペを7冊セットにして、プレゼントしていったい嬉しいのかどうかって謎も残ったけれど、それだってリアルタイムな生アニメだからこそ使われたカンペ。通常のアニメには絶対に存在し得ないカンペって訳で未来、アニメがリアルタイムなった時代にその先駆けとして使われた貴重すぎるアイテムとして、スミソニアン博物館から収蔵を求められるかもしれない。知らないけど。ともあれ楽しかった。またやろうよ。絶対にやろうよ。やって欲しいよ。磔にならない2人を見せて欲しいよ。お願いします制作総指揮さま。

 やったよINAC神戸レオネッサを敗ってジェフユナイテッド市原・千葉レディースが皇后杯の準決勝に進出だよ。そりゃあ今年は今ひとつだったってことは分かっているけどそれでも強豪のINAC。普通にやったら勝てるかどうか分からない相手に対して1歩も引かずに1点を奪いそれを守りきって勝ったみたい。これは嬉しい。次はリーグ覇者の浦和レッドダイヤモンズレディースが相手でこれはちょっと厳しいけれども、勝てば栄えある元旦に決勝というひのき舞台に立てる。これは立ちたい。兄貴たちも届かなかった場所に先に行きたい。そして最初の皇后杯を逃した雪辱を晴らしたいけ。そのためにはやっぱり応援だ。必要なのは応援だから28日は行こう西が丘へ。寒そうだけれどしゃあなしだ。決勝が決まれば帰省はなしだ。


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