縮刷版2014年1月中旬号


【1月20日】 それにしてもいったい動物騎士団のダンサーさんたちはどーやって前を見ていたのだろうかきゃりーぱみゅぱみゅの横浜アリーナのライブ2Days。歌っていない時のMAN WITH A  MISSIONの動物頭ほどすっぽりと顔は包んでないけど、歌ってる時のボーカル程度にしか口の部分が開いてないように見える被り物を被っていてはとても前なんて見えはしない。いや遠目には見えないようでも、近づけばもうちょっと目の部分までは開いているようになっているかもしれないけれど、それでも上とか横とかはとっても見づらいはず。けどまるで間違えず曲にベストのポジションに立って踊りそれからちゃんと移動し踊ってみせたその技は、つまりはすべての曲においてポジションをステップを体の芯までたたき込んでいる現れってことになるんだろう。何度も踊って慣れていたってステージの広さが違えば動きも変わる。前のツアーとは違う横浜アリーナのステージに合わせてどれくらいリハーサルを行ったのか。そんな積み上げがメイキングになっていたら見たいなあ。

 そんなステージに立って2日間、「にんじゃりばんばん」の時に登場して美しいかったり激しかったりするヴァイオリンを弾いた花のヴァイオリニストはやっぱり「デビあや」こと石川綾子さんだった様子でブログとかツイッターに出演したことを報告してそしてツーショットの写真なんかも載せている。うらやましい。っていうか美しいなあ石川さん。仮面を被っていてもその顎の線から口元の表情から美しさはとってもにじんでた。それが仮面をはずしたらもっともっと美しかったとはそれこそ何で見せなかったのかと「もったいないとらんど」な気分。でもそこは演出。謎のヴァイオリニストが出てきたからこそ盛り上がったそのステージで盛り上がりの一翼を担ったことをきっとうれしく思っているんじゃなかろーか。でも今度はまるまるっとその素顔で演奏するところを見たいなあ、アルバムが出るのに合わせてライブもやるみたいだし、行こうかなあ、っていうかニコニコ超会議に来てくれないかなあ、うん。

 さあここからだ、マンガ大賞2014の一次ノミネート作品というかここから1作が選ばれるからもはや最終ノミネートともいえる10作品が出そろった訳だけれどもざっと見たところでいわゆる女子とか少女とかってのが読む作品があんまりないなあ、という印象がちらほら。でもって少年漫画青年漫画の良いところが並んでいる感じでこれはこれで「このマンガがすごい」とか他の漫画のランキングとは違った結果を出してくれそうな予感。とりあえず注目作品は武田一義さんの「さよならタマちゃん」でずっとアシスタント業が長かった漫画家が癌にかかって入院して手術して治療して退院するまでの病院での暮らしが綴られていて、そこで見聞きしたことは経験した自分自身の闘病記が淡々と綴られている。

 抗ガン剤か何かの副作用もあって気持ちも揺れ動くような時にいったい何を考えるようになったとか、周囲にははるかに症状が重い人たちがいていなくなって退院したと思ったら亡くなっていたことを後で知って悄然としたとかいった話が、生きること、生きていることの意味なんてものを改めて考えさせてくれる。「イブニング」の連載で決してメジャーではなかったけれどよく入ったなあ、対して松田奈緒子さんの「重版出来!」は評判になり過ぎた感もある漫画家業界漫画で、去年で言うならタイプは違うけれども業界内評判という意味合いで卯月妙子さん「人間仮免中」に位置するような気がしないでもない。あと森薫さん「乙嫁語り」は何度も入って来る作品。媒体のせいもあって発表されるペースが遅いからなかなか終わらず単行本もちゃんと出てその度に入ってくるといった感じ。でもちゃんと進化してるんだ。今年は上に来るかなあ。

 気になるのはあと九井諒子さん「ひきだしにテラリウム」で文化庁メディア芸術祭の何かにもひっかかっていた作品だけに気にかかる。王道系では鈴木央さん「七つの大罪」と原作ONEさん漫画村田雄介さんの「ワンパンマン」あたりってことになるのかな、たぶん読んだら面白いんだけれど名うての漫画読みたちが選ぶだけにやっぱり業界的評判とかちょっととんがった作品なんかが上に来そう、ってことでやっぱり「重版出来!」か「乙嫁語り」か。それにしても高橋慶太郎さんの「デストロ246」はまるで引っかかってこない感じ。前の「ヨルムンガンド」もそうだったけれどもあんなに人が死んでしまうのは良くないんだろうか、いやそれならもっと死んでる作品はあるし。過去に確か推したことがある久正人さん「エリア51」も誰か推してたみたいだけれどやっぱり上がってこない。最高にいかす漫画なんだけれど知名度がやっぱり届いてないか。せめてアニメ化で「ノブナガン」が来年あたりに来てくれると「エリア51」にも広がるかも。そっちに期待。

 ふと気がついたらジェフユナイテッド市原・千葉の新体制発表会が終わっていてユニフォームも発表されたみたいで別にその色が黄色と緑なのは良いとして、サプライヤーが依然としてKAPPAってのがどうにもこうにも気に入らない。なぜってここん家を使い始めてから成績が振るわないからで、2007年に初めて使われた時には社長の方針があんまり定まらなかったことが災いしてか、阿部勇樹選手が浦和にとられて坂本選手もいなくなってと主力に抜けられ成績は低迷。それでも残留を決めた監督をあろうことか解任して親父ともども日本から追い出す形となった翌年は主力選手が更に抜け、新監督が早々に変わりそれでもどうにかこうにかすがりついたものの遺産は保たずに翌年ついにJ2落ち。以後の低迷具合は誰もが知るところなのにそれでも一向にユニフォームを変えて気分一新を図ろうとしない。

 一時J1にもいたことがある他のKAPPAのユニフォームを使っているチームはコンサドーレ札幌も東京ヴェルディ1969もともにJ2暮らしの方が長くなってしまった感じ。ヴェルディは早々に見切りを付けたか4年で他のにしたけれどもジェフ千葉はなぜかずっとKAPPAにしがみついては低迷を続けている。まあ変えたからといってヴェルディが浮上した訳でもないからユニフォームのせいではないんだろうけれど、J2のジェフ千葉=KAPPAっていうイメージがもはや奥の奥まで染みついてしまったイメージを、払拭する意味でも覚悟を決める意味でもこのシーズンあたりで切り替えて欲しかった。でもやっぱり今の成績では供給してくれるメーカーもないってことなのかなあ。1度くらいはアディダスかナイキを着たいなあ。

 惜しいなあ、惜しいけれどもその壁が超一流と一流との差なんだろうなあ、錦織圭選手とラファエル・ナダル選手が激突したテニスの全豪オープン4回戦はほとんど真っ向勝負によってセットカウントが6−6から2つ抜けてナダル選手が取ったり5−5から2つとってナダル選手がとったりまたしても6−6からナダル選手がとったりして見た目こそ3−0のストレート負けながらもほとんど拮抗した試合になっていた。普通だっらら2セット連取されたところで気も萎えるんだろうけれどもほとんど接戦だったこともあってか第3セットも食らいついていく錦織選手。ただやっぱりそこでリードし1セットも奪えなかったところにもうひとつ、トップ10なりトップ3に至れない何か理由があるんだろう。ストロークの正確さなりエースをとるサーブの強烈さなりといった。そこを埋めていくことで一気に成長なんてこともあるのかな、あって欲しいな、せめて4大大会の決勝に進んだ姿を見たい。次は全仏。ここでナダル選手と当たって倒したら最高なんだけれど。


【1月19日】 横浜に行くんで横浜美術館で何をやっているかを調べたら、近代現代のアーティストではなくって日本画の下村観山の展覧会がやっていた。ちょっと前に横山大観をやってていったい宗旨替えでもしたんだろうか横浜美術館と思ったけれど、今年が大観や観山の師匠にあたる岡倉天心の没後100年か何かってことで、連続してそういう企画が立てられているっぽい。でも大観をやったあとで観山ではゴッホ展のあとのゴーギャン展みたくインパクトに薄れ観客も少ないんじゃないか、なんて杞憂はあっさりかわされ展示してある作品はなかなかの充実ぶり。そして描かれている絵の質もある意味で大観よりも一般に慕われ親しまれるものが多いような気がした。

 朦朧体、なんて言葉で言われるように大観の絵は、墨絵がグラデーションになって何が描いているか判然としないか、分かってもぼんやりとしていて絵画というよりゆるやかなデザインのよう。その中から浮かび上がってくる濃淡を見極め没入していくことで得られる境地ってものがあったりして、強烈に絵の具が塗られのたくったようになっていて、何が描かれているか分からないゴッホの絵から受ける印象と、タイプこそ違えどこか共通する部分があるようにも思える。対して観山は明確にモチーフを描く。人物でも風景でも観音様でも何でも、それと分かる筆致で描いてあるからモデルを想像してその世界へと入り込みやすい。なおかつその巧さがひと目で分かる。

 だからあとは個人個人の趣味嗜好がものをいう。観山が描く観音様とか美人の豊満っぷりなり人物のそこにいるようなリアルさなりを感じ取るのが好きなら、観山の展覧会はとっても楽しめるんじゃなかろーか。勉強熱心だったみたいで留学した時にはラファエロとかの絵を模写してそれを日本画の画材で描いたりもしている。モナリザを取り入れたものもあったし、まるで油絵のような日本画もあったりして、その油絵にしか見えない質感であり描線から、決して日本ががフォルムを整えて描いているんではなく、しっかり模写した上でベストを抽出しているものだと分かってくる。描けば描けるんだけど描かないその腕前。だから当時の日本画はすごいんだけれど今は……あんまりよく分からないや。残り期間も少ないんで興味があるなら行くと良いかも。

 天下の朝日新聞であっても足下の業績にはやっぱり火が着きつつあるようで、業界向けの情報誌なんかにいよいよもって販売政策の改善なんかを行い、そして編集部門にも手を付けていくってことを社長の人が広言したって話が出ているらしい。販売でいうならそれは押し紙ってものの整理で、販売店に配達している部数以上の新聞を持ってもらって全体の販売部数を嵩上げして、それを広告費の維持に使って販売店には報奨金を払うなり、折り込み広告の確保で押された分を埋めてもらうって昔ながらのシステムが押し紙なんだけれど、いよいよもって部数が下がってくると、そうした押し紙分を印刷して配送するコストやら報奨金を払うコストも惜しまれるようになるし、押されている店も体力の限界を超えてしまって、よりいっそうの部数拡大につなげるコストが捻出できなくなる。

 見えるのは部数減のスパイラル。それをどこかで是正して販売の健全化を実現しようってのがおそらくは朝日新聞がやろうとしているらしい押し紙の整理ってことなんだろうけれど、いったんそれをやって押し紙分を綺麗さっぱりなくして無駄を省いたところで、今の、低落抵抗にある部数減を戻すことはまず不可能。そうなった時にやっぱり部数を減ったと見せかけず、広告料をしっかりとれるようにと少しづつ、押し紙を積んでいって元の木阿弥となってしまう可能性はなきにしもあらず、というかたぶん過去に似たようなことをやっても改善しなかったからこその今なんじゃなかろーか。先に似たようなことをやった新聞もあったけれど、それで収益が上向きになって今は万々歳だって話は聞こえてこないし。

 それでも朝日新聞ならブランド力もあるし紙面の質も高いから、そんなに著しくは落ちないだろうと思えないこともない。心配なのは社長の人が一方で、高騰する人件費を抑制したいのか記者の中でも専門性があるとかいった人を選んで編集プロダクション的な別の会社へと移し、そこで健筆をふるってもらうなんてことを言っているらしいこと。紙面には限界があって誰もがその筆を振るえるとは限らない。けど才能のある人はいっぱいいるならそういう人が活躍できる場を作ろう、って発想なんだろうけれど、果たしてそういう人が移った場所で健筆をふるうメディアが果たしてあるのか。このご時世、媒体なんてものはどんどんと縮小してコミュニケーションがメインとなっている。専門性が高くたって年齢的に高い人がそんな時代にどんな筆を振るえるのか。せいぜいが金に返られる提灯記事くらいしか需要がないような気がする。

 そもそもがこういう分社化だのといった施策において、移されるのは上にとってうっとうしがられたり面倒くさがられたり、仕事ができなかったり仕事をやる気がなかったり、何か問題を起こしてしまったり定年間際だったりするような人たちばかりで、いわばリストラのためのバッファーとして使われる可能性が多々。仮に特定のジャンルにとてつもなく才能があったとしてもそれを活かそうとするマネジメントがなければ何の威力も発揮しない。そしてマネジメントするだけの才覚が上にないからこそ仕事にあぶれているのに、そういう状況に頬かむりをしたまま別会社だ何だといったところで、意味のある活動なんてできないだろう。

 なにより新聞という、とりあえずは今現在も公器として認められていて、そこにいる人は正義と公正を胸に仕事をしている人たちで、それを媒体の看板が保証しているという了解事があるんだけれども別会社に撃つ他人にそれだけの保証ができるのか、あるいは外部が保証のある存在だと認めることができるのか。金がないから作る部署なら金儲けをさせようとする腹づもりがきっとあるだろう。編集プロダクションなら提灯記事なり記事広告なりペイドパブのような仕事も請け負いそれを書かせることに墜しかねない。そうした仕事が一方で編集紙面として掲載されてしまいかねないとしたら、新聞の公器という立ち位置も、公正中立であるという大義名分も棄損され雲散霧消してしまう。

 目先の金のために人減らしをして金儲けをさせたら、全体の信頼が落ちて新聞お部数が減りました、なんてことではお話にならないんだけれど、目先の金を取りに行くのが経営マインドのありすぎる新聞人。いやもはや新聞人ですらあり得ないか。それでもやってしまうんだろうなあ、広言している以上は。そしてじりじりと信用を失い部数を失いすいたいしてく。それでも今まで積み上げた信頼と部数があるから保つだろう。そして残るのは泰然自若として保守中道を行く読売新聞と、経済に特価した日本経済新聞だけという新聞状況。地域紙としての東京新聞も残るかなあ。20年前には夢でしかなかったそんな状況が、本当に来るのが2020年までの日本。怖いなあ。まあとっくに消えかけているからもはや、怖さすら感じないんだけれど。

 そして終わったきゃりーぱみゅぱみゅの横浜アリーナ2Days「マジカルワンダーキャッスル」。もう明らかにしても良いから書くなら最初の登場シーンがいかしてた。お城のセットの中央にある扉から現れるのでもなければ、客席までの伸ばされた花道の先端を奈落からせり上がって来るのでもなかった。上から。ワイヤーで。降りてきた。そりゃあ驚くよ。なおかつ衣装がすばらしい。まるでリボンの騎士。マントを背負いリボンが飾られた帽子をかぶってサファイア然とした雰囲気で踊るんだけれど、そんな時にマントを使って決めるポーズがとにかく決まってて格好よかった。2曲目の「最後のアイスクリーム」の決めポーズなんかだと、片手を前に伸ばしてフェンシングのようなポーズをするような場面があるんだけれど、そこでマントの端を持って突き出すポーズが実に凛々しい。可愛いが定番のきゃりーぱみゅぱみゅなんだけれど、ああいう雰囲気も出せるんだ、それが様になるんだと気づかされた。

 そんな騎士の格好では、一輪車に乗ってステージをくるりと回ってから細い花道に入って先端まで行ってしまったからまだ踊り小田井。転ぶんじゃないかと誰もが思ったけれどもどうやら得意らしくて無事に先端へ。そんな演出を合間に入れ再び空へと舞い上がってはふくれあがった悪の樹なんかを切り刻んで倒して、そして引っ込み今度は騎士から姫になって再登場しては、新しい曲から名曲からいろいろぶっと押して歌い踊って盛り上げる。途中に現れた3人の悪役っぽい奴らが絡んで大変な場面もあったけれど、「つけまつける」の音楽があればきゃりーぱみゅぱみゅは最強さ。蘇っては歌い続けてそして引っ込み舞台は静謐の中に荘厳にして惑乱のメロディーが鳴り響く。そう、「にんじゃりばんばん」だ。

 元歌ではアレンジがポップになってビートも聴かせて和風なテイストも乗せているからとってもキッチュに聞こえるけれど、実はそのメロディーはとってもメロウだったりする。それを塔の上に現れた仮面をかぶった華奢な人が、手にしたヴァイオリンだけで奏でるからもう心に刺さるし染みる。初日はスローなテンポではじめてそしてビートを聴かせた方に持っていったけれど、今日は衣装も女性的なものになってそれでいてのっけから惑乱の演奏となって場内をその音色一色に染め上げる。そこに上から降りてきた忍者たちが踊りはね周り逆立ちして両足を閉じたり開いたりするブレイクを見せ、一方で悪役の3人も絡んで舞台を賑わせたその果てに、花道の先端から背中にエリザベス女王のようなびらびらを背負ったきゃりーぱみゅぱみゅが登場して、いつもどおりの「にんじゃりばんばん」へと流れていく。

 そのシークエンスがもうとてつもなくすばらしい。現場で2回も見られて本当に良かった。もしもパッケージが出るならそこは必見。美しくも切なく、そして激しくも楽しいパフォーマンスを見られるから。そんなすばらしいヴァイオリンをいったい誰が演奏していたのか、紹介はなかったけれどもネットを見ると「にんじゃりばんばんをヴァイオリンで弾いてみた」な女性ヴァイオリニストがいて結構評判になっていたりする。デビあやこと石川綾子さん。果たしてその人なのかは分からないけどでもそうなら、好きで奏でてそしていっしょに舞台に立てて思う存分に奏でられて、きっと楽しかっただろうなあ。優れたヴァイオリニストとしてリサイタルの経験も豊富な人だけれど、そういう場とはまた違った空間でありリアクション。いったい何を思ったのか。どんな経験になったのか。聞いてみたいなあ、機会があれば、何よりとてつもなく美人だし。そこかいやっぱり。

 でもってライブはアンコール前の最後に「もったいないとらんど」が来て、出演しているキッズから大人から3人の悪役から悪の親玉の中身から、ダンサーたちが勢揃いしてフィナーレっぽさを感じさせてくれた。それ以上にやっぱり「もったいないとらんど」って曲がすごいと改めて思った。転調によってどこに連れて行かれるか分からない経験をさせられつつ、それが1番2番とあって不思議ワールドに引きずり込まれた先、ちょっぴりの切なさを感じさせるメロディーで心を誘った先に、開放へと至るような展開を持って来て聞き終わった後に心をスカッとさせてくれる。そんな曲。だからやっぱりフルコーラスで聞きたいけれど、テレビだと肝心なパートがはしょられる。まったくもって「もったいないとらんぢ」。だからこそフルで聞けるライブは貴重。これからもずっと歌っていって欲しいなあ。

 そんなこんなで2日間。1万人が2回というかつてない規模の観客を、濃密なセットリストと驚きを感じさせる演出でしっかりとつかんで離さず、最後まで突っ走ったライブだった。奥の奥、上の上までびっしりな観客がいっしょになってライトを降り、手を挙げ拍手をし、歌い踊ったりしている様をみて、もはや箱のサイズなんて気にすることのないアーティストになったんだなあ、って実感できた。それが分かっただけでも行った意味があった。子供もいれば大人もいたりと実に様々過ぎる客層で、それが一丸となり一体となって楽しむという、そんなアーティストがかつていただろうか? 現在いるだろうか? 未来に現れるだろうか? そう考えればやっぱり希有なアーティストであり、そんなアーティストをささせるすごいチームなんだと分かる。誰かに絞らず万人に何かを感じさせるからこそ日本を出ても海外で受け入れられるんだろう。そんなことを見せるワールドツアーがいよいよ始まる。どんなリアクションがあるか。そして何を見せてくれるのか。海のこちらから応援しよう。


【1月18日】 割とオーソドックスな展開。なのに泣けてしまうのはやっぱりここまでの少女たちの頑張りを、映画で目にしていたりするからかなあ。そんな「Wake Up, Girls」のテレビシリーズ第2話は、須藤ってバイキンマンみたいな声を出すプロデューサーの持ってきた仕事をこなすはめになったメンバーが、温浴施設へと出向いてお座敷で白い水着になって歌ったりゲームをしたりポーズを撮ったりとビジュアル的にはサービス回。でも嫌がっているのを無理矢理やらせるお客さんたちの欲望にストレートな心情が、自分にもあるかもと思った瞬間にメンバーを見る目からそうした淀みが落ちてしまって、何てこと思っているんだろなあ自分といった気持ちに苛まれていたたまれなくなる。

 どうしようもなく立ち上がっては向かってしまう欲望を、受け止め仕事なんだからやらなきゃと突っ張る真夕のプロ魂ってやつにはねのけられ、けれどもやっぱり無理みたいだと逃げ出してしまう未夕の姿に、申し訳なさを覚えてしまった先にやって来る再起の場面。優しいけれどもある意味微温的なメイド喫茶に引きこもろうとした未夕を、常連のお客さんたちが支え外へと送り出し支えていこうと声を合わせる。受けて未夕は立ち上がる決意を固めたけれどもその一方で真夕はちょっと複雑そう。それはたぶんかつてアイドルの頂点にいながらも今その場にいない自分の過去に、信じたいけれど信じられない出来事がいろいろあったからなんだろう。裏切りとか。祝福が転じての罵声とか。ファンはいつまでも同じだけファンであり続けるとは限らないのだ。

 ともあれひとまずピンチは乗り切ったWake Up, Girlsは、プロダクションの丹下社長も戻ってきてはやっぱりただのゴロツキだった須藤をボコボコにして主導権を取り戻し、何食わぬ顔して社長業に座っては何かテレビの仕事をとってきたみたい。やっぱり水着か、お尻が見えてしまうような水着でポン番組か、なんてことはないだろうけどそこでもやっぱりメンバーそれぞれに挫折があって快復のドラマがありそう。楽しみ。一方で東京ではI−1クラブから仙台行きのメンバーが発表されていて何か一波乱ありそう。いかにもやり手だけれど作為もありそうなプロデューサー。企んでいるんだろうなあ。跳ね返せるか7人は。そして松田マネージャーはヘタレから成長できるのか。がんばれメンバー。そして製作陣。

 実は漫画版はあんまりピンとこなくって、そこはかとない面白さは感じてもどこか淡々としすぎていた感じを持っていた「鬼灯の冷徹」なんだけれどもこれがアニメになるとWIT STUDIOが繰り出す映像クオリティの高さもあってか声優さんたちの演技も乗ってか面白い面白い。まるで会社のように業務が進められる地獄の醸し出すギャップが映像となり演技が加わるとよけいに強調されて響いてくる。とりわけ鬼灯を演じる安元洋貴さんの決してゆるめない演技がどこまでもまじめで冷徹な鬼灯ってキャラクターの強烈さをより増幅させる。同じ質感なら杉田智和さんでも良かったんじゃない人気だし、って誰か言いそうだけれど杉田さんでは途中にどこかゆるみが出て鬼灯にならないんだ。それは杉田さんの利点でもあり銀魂を経たあとの欠点でもあったりする。当たり役って怖いねえ。しかし途中に出てきた虎縞のビキニにパンツの娘さんの声はいったい誰が演じていたんだろう。別の番組に今なお出演しているあの声優さんか? 私気になります。

 相変わらずのハイペースで進む「キルラキル」は鮮血をバラバラにされて生徒たちに配られていたのを纏流子がいっきに取り返して回るエピソード。関東からいったいどれだけの速度で走ったらあんなに速く京都神戸とそして大阪にたどり着けるのか。きっと鳥坂先輩があ〜ると競っているのを追いかけ追い抜いたに違いない。ストリップストリームという奴で。ちょっと違うか、まあいや。でもって神戸では関西学院にならったかアメフト部たちを粉砕し、そして京都では安倍晴明の伝統を駆るといいつつそんな昔から高校がある分けないと一蹴された学校を一気に蹴散らした本能寺学園の生徒たちから鮮血の切れ端だけとあっという間に取り返す。先週あれだけ針目縫にこてんぱんにやられてそれで生徒たちは小指でひねる流子が強くなっているなら縫はどれだけ強いんだ。そして皐月さまは。そんな皐月から取り返さなくてはいけない最後の1枚。結構かかるかな。10分とか。昔ならそれで10話使ったぜ。やっぱりテンポ速いなあ。

 うーん、見ていないから何とも言えないんだけれども「明日、ママがいない」に対する世間の様々な反応は、制度を運営している大人の側には精一杯にがんばっているのにどうしてそうんなひどいことを子供たちにしているんだ、って異論が起こっている一方で、巣立った子供たちの方からは実際にそういうこともあったしなあ、といった意見もあって真っ向からのぶつかり合い。聞いてなるほど、仕組みとしてあっちゃいけないことをやってはいないのが大半で、それでも生まれる隙間のような事件をほじくり返して全部そうなんだと思わせてしまいかねないという心配が、大人の側にあるのは良く分かる。

 けどゼロかというとそうではないのは、いじめなんてありませんしやらせてませんと学校側がいったところで、生徒の間ではしっかりとはびこり起こっては、誰かの命が犠牲になるケースが止まらないことでも分かる。規則だから、モラルだからってことで守られるほど世界は優しくないし人は美しくもない。問題はだからこうしたドラマを受け止める側の意識にあって、すべてにおいてそうなんだと思うんではなく、一部にでもそういう動きがあるなら是正していこうとする気構えを、物語のいささかエグさを強調したようなストーリーや演出から感じ取って、是正に向かおうとする意識を醸成する必要がある。

 もっとも、昨今の多くはどこか差別的な視線があると、それを向けられる側に立つんじゃなくって向ける側に立って、いっしょに差別や区別へと向かう傾向にあるからなあ、いじめなんかがまさにそうで、自分はそうなりたくない一心でいじめる側に立ってしまう。救われないたった1人を犠牲にして。そんな社会の風潮を改め弱者に立って考える意識を誰もが持てなくなった今、やっぱりこういう過激さは危険なのかもしれない。1990年のまだ人が純粋に正義を信じられた時代ではないんだ。それを取り戻そうとしたのかわからないまま筆を滑らせてしまったのか。でも監修の野島伸司さんが公式サイトから名前を下げた理由だけはわからない。今それをやったら逃げたと思われるのは確実なのに、過去にすべての異論と戦い貫き通して来た人がなぜ。そこにもあるいは何か作品として本意を汲み取られなかった部分があったりするのかも。ちょっと様子見。

 そして横浜アリーナで見たきゃりーぱみゅぱみゅのライブ「マジカルワンダーキャッスル」はもうすごくって素晴らしくって日本のライブ史に残る名演だと思った。詳細はまだ明日もあるから書くのは避けるとしてのっけから驚かされることの連続で、どこで何が起こっているかを追うのも大変なくらいに様々な要素がもられ散りばめられていて、どこで見ていても楽しめるようになっている。楽曲は晩秋まで続いたツアーの曲に加えてヒットチューンや懐かしい曲を詰め込みMCを少なめにした高密度。聞いている方は他もしいけれどもやっている方はきっと大変だっただろう、それをやり切ったところに成長の後が見て取れるというかそんな上から目線がもはや僭越なくらいに高みへと駆け上がってしまった。

 演出も楽しませてくれる要素が多々あって、あの広い横浜アリーナを存分に使い衣装がえなんかの時間も飽きさせないつなぎを入れて目を引きそれを曲へと持って行くうまさを見せてくれていた。歌にダンスがあってホッとするトークもあってな東京ドームのPerfumeとはまた違った作り込みはコミュニケーションよりもエンターテイメントを前面に出した感じ。見ればライブであると同時にレビューのような絢爛さを感じたことだろう。中央に設えられた花道を行ったり来たりを見せ場を作り、キッズダンサーに大人のダンサーもしたがえさらにプラスアルファもにせた豪華なステージワーク。そのセンターを貼って臆さず歌い踊り飛び走る八面六臂の活躍ぶりはなるほど2Daysの特別なライブだからできたんだろー。見られてよかったし見るべきだと思うけど、売り切れてたんだよなあ、当日券出るのかな。ともあれすごいライブ。DVDが出たら絶対に買う。


【1月17日】 ふと気がついたら巻誠一郎選手が東京ヴェルディからロアッソ熊本へと移籍していて、故郷に錦を飾った形で今の熊本を象徴する「くまモン」におそらく唯一対抗可能な巨大さを誇るキャラクターとして、強いロアッソの象徴として君臨していってくれると古くからのファンとしてうれしい限り。とはいえ同じJ2のチームへの移籍は今年こそはと何年も言い続けているJ1への昇格の壁となる可能性も大。とりわけロアッソ熊本は遠征すればたいて負けているような印象も強いだけに、地元阿蘇山の爆発力を身近に感じた巻選手に、熊本城の天守閣からたたき落とされるようなヘディングシュートを決められ敗戦敗戦と黒星を重ねられる恐れもあったりする。守りきれるか我らがジェフユナイテッド市原・千葉は。ホームでの対戦があったら見に行きたいなあ、結局去年はリーグ戦を1試合も行けなかったからなあ。

 ふと気がついたらジュビロ磐田のゴールキーパーだった川口能活選手がFCに移籍していて、これで同じJ2としてジェフユナイテッド市原・千葉とも対戦する可能性が強まった。ジュビロがJ2に落ちたのは監督の交代劇もあって噛み合わない中でリーダーシップをとれる選手がピッチの中におらず、かといって最後列から川口選手が鼓舞する訳にもいかない状況があったからで、別に川口選手が衰えてゴールを許した訳じゃなさそうだから、その守備力が発揮されればFC岐阜が落としていた試合のいくつかが救われ、勝利にも結びついて昇格戦線の上の方まで出てくるかもしれない、ってことはロアッソ熊本に続いてライバルが増えたってことか、監督もラモス瑠偉さんにほぼなりそうって話もあるしそのカリスマ性で選手を鼓舞して盛り上げたら、相当な強豪に化けるってこともありそう。

 これも気がついたら三都主アレサンドロ選手もFC岐阜に加わり宮沢正史選手も加わりベテランの味を出しそうで、名古屋グランパスエイトのチアゴ選手もレンタルで加わって得点力とかも増して来そう。何て魅力的な補強をしているんだろうFC岐阜は、それに比べてジェフ千葉は……。コンサドーレ札幌なんてあの小野伸二選手を加えたんだよ中盤での展開力がこれで一気にアップだよ。ロートルでもOBとかはよく戻すくせにビッグネームをとってくることはあんまりしないことが果たしてジェフ千葉にとってどんな意味を持つのか、ちょっと見てみたい今年。とりあえず外国人選手については何かあるかもしれないから、18日の体制発表会とかを見てから今年ジェフ千葉を応援するかを決めよう。ユニフォームもどうなるか知りたいし。またKAPPAなのかなあ、KAPPAになってからずっと下落してるのにどーして変えないんだろう、そこも不思議。

 直木賞での万城目学さん「とっぴんぱらりの風太郎」の落選にがっくしと来た翌朝に、米アカデミー賞の長編アニメーション部門に宮崎駿監督の「風立ちぬ」が見事にノミネートされそして短編アニメーション部門に森田修平監督「九十九」がノミネートされているのを見て少しだけがっくし感が薄れる。もちろん直木賞とアカデミー賞はまるで別物なんだけれども気に入っているものが評価されるか否かという部分ではつながった話。そして「風立ちぬ」のノミネートはまだ賞に手が届いた訳ではないとはいえ、数ある中から最後の5本に残ったという意味合いだけでもすごく評価に値する。ライバルは結構なヒット作が混じっていて苦労しそうだけれどもそこに「引退」の言葉がどうのっかるか。プラスとなるかマイナスに働くか、なんてことも注目したいし何よりあのお話がどういう受け止め方をされるのかに興味。3月の発表を見守ろう。そうかソチ五輪で少し遅くなるんだな。

 短編アニメーション部門は前に加藤久仁生さんが受賞したこともある部門でノミネートされるだけで日本人の衆目が一気に向いて知名度をぐっと押し上げる。ベルリン映画祭のコンペティション部門に短編アニメーションとしてノミネートされた水江未来さん水尻自子さんのことがまるで話題になっていないのと対照的というか、なぜ大手マスコミは報道しないのかっていうのはこういう時に使う言葉とすら思えるけれどもそれが大手マスコミなのだから仕方がない、まあ映画祭が始まれば注目も少しは上がるとして森田修平監督はすでに「FREEDOM」があり「コイセント」がありと数々の作品でその3DCGを使いながらも2Dっぽさを残した映像を手がけて注目のクリエーター。その映像技術とあと使い古された道具たちが職人の手でよみがえっていく展開の絢爛さが外国人の目にどう受け入れられるのか、ってところでも注目したい作品。4本ある中でもこれがやっぱり外国人受けしそうだもんなあ。受賞しないかなあ。

 そんな水江未来さんが1年365日かけて1秒づつ作っていったアニメーション「WONDER」を含む過去から最近までの作品をまとめて80分近く上映する「ワンダー・フル!!」の試写があったんで見に行ったら満席だった。みんな期待してるんだ。幸いにして早めに行ったんでちゃんと席を確保しつつパイプいすに座ったりスクリーンの手前に寝転がったりして見ている人もいるくらいの満席の観客が、79分間もの映画を身じろぎもせず居眠りもたぶんしないでちゃんと見通していた、ってことがひとつの自信になって良いんじゃなかろーか、水江未来さん。映画で80分ない映画で寝るとかどーゆーこと? って普通は思うだろうけど何しろ水江さんのアニメーション作品にはストーリーがない。キャラクターもいない。セリフもない。

 音楽に合わせて何か細胞めいたものが動いたり原始生物みたいなのが漂ったり棒が伸びたり縮んだりする作品が大半。演じる誰かの感情に自分を乗せてストーリーを追うような見方が不可能なはずなんだけれどでも、気がつくと自分もそんな細胞の1個かもしれないと思い、そんな細胞たちが生まれ分裂し弾け消えてそして生まれる流れに何か人生というストーリーを感じていたりする。プレスシートというには豪華なパンフレットめいたものにあった「JAM」という作品の解題で、誰かが「動きと音の絡み合い自体に『物語』がある」って書いていたけどまさにその通り。水江未来さんのアニメーションはノンナラティブと言いつつ、実は見る者の記憶と経験と想像力が引っ張り出されてそこに物語を見てしまうのだ。だから決して退屈しない。惹きつけられる。安心して映画館に運んでくれてい大丈夫だと断言する。

 映画は古い物から順にやって行くんじゃなくって最初の「FANTASTIC CELL」って作品で水江未来さんならではの細胞アニメの原点を見せてすでにここから始まっているんだと感じさせつつ「METROPOLIS」のように斜めに線が引かれた方眼紙を使った作品に行ったり戻って細胞が泳ぐ作品を見せたり線が走る「MODERN」から「MODERN NO.2」なんかを見せたりと自在に年代と作風を行き来しては、何をしでかしてきたのかってことを教えようとする。そんなひとつの到達点的な作品として「TATAMP」というさまざまな音に合わせてそれぞれにリンクした細胞が踊りそして音が重なると細胞たちも重なるような作品を見せて動きと音楽の連動というものを見せる。それは後に「AND AND」へとつながってひとつの完成を見せるんだけれどそこから最新作の「WONDER」へと至ることで、さらなる飛躍というか跳躍を水江未来さんが果たしたってことを見せつける。

 「AND AND」という作品は自在に細胞が泳いで醸し出す破調と躍動が心地良いんだけれども次第にひとつの曼陀羅のような円環の中に統御されてそこで集約の美を見せるといった印象がある。対して「WONDER」は細胞の微動が振動になり躍動が破調となって弾け、弾み輝き煌き広がり昇っていくという感じ。ここまで来たかと思わせさらに先をのぞかせそして上まで見せてしまうからもう見ている方は引き込まれ振り回されて昇らされる、高みへと。

 その意味で「AND AND」から「WONDER」へと結ばれるクライマックスが最高。そこまで見てきた過去の作品から定石があって試行があって進化があってリピートがある、水江未来という異色のアニメーション作家の軌跡を理解した上だからなおのこと、飛躍ぶりが強く感じられる。是非見て欲しい作品だけれどでも、日本でどこまで認知されるかなあ、僕自身は幾度か取り上げたことがあるけど他は誰も目を向けようとしないもんなあ、それが大新聞の普通。やってて面白いのかねえ。仕方がないのでここで喧伝。「ワンダー・フル!!」は絶対に面白い。個人的には食って食われる「DEVOUR DINNER」が楽しいかなあ、異例ともいえる物語とキャラクターがちゃんとあるんだこの作品。笑えるし。


【1月16日】 相手は下部のリーグでそんなに強豪でもないチームだけれど、そんなチームですら苦戦していたのが最近のA.C.ミランだったりする訳で、そこで3点を奪い1点は奪われたとしても圧倒的にボールを支配し完勝してみせたんだからなかなかの試合運び。その中心に本田圭佑選手がいたんだとしたらこれはなかなかない日本人として誇りに思える出来事かも。中継を観られた訳ではなく3点目を奪ったシーンだけが何度も繰り返して目に入ってきているだけだから、試合の流れの中でどれだけ本田選手が効いていたかはわからない。ただゴールシーンの1つをとってもあの場面で大勢とともにゴール前に詰めていた、って事実が単なるごっつぁんではない、攻撃意欲の現れといったものを示してる。

 他の場面でパスを出したりフリーキックを蹴ったりしていることも、本田選手が今のミランにすっかりとけ込んでいることを表している、と思いたいけどやっぱりそれが証明されるのは、リーグ戦で競合相手にフル出場して得点を奪うなり守備にがんばった時かなあ。ともあれひとつの山は越えた。先にある巨大な山を次々に越えていった果てに見える背番号10=本田圭佑という公式を、日本だけでなくイタリアのみならず欧州全土に植え付けてくれればもうこんなにうれしいことはない。そしてそんな評判がワールドカップの場でも発揮されて相手を恐れさせ味方を鼓舞して最高の戦いを演じられることも期待してみたくなる。次はいつでどことだろう。みたいなあ、サン・シーロで1度くらい。

 国を愛してやまない方々が経営委員様となられたNHKがニュース9で取り上げたのがISDS条項といって、国外から来ている企業がその国で制度変更とか起こって閉め出しとか、事業的な損害を被りそうになった時に国を訴えることができるという制度。それでカナダでは国民の健康を考えガソリンとかに含まれる有害物質を禁止したらそういう物質を含んだ石油だかをカナダに輸出しているアメリカの企業が文句を言って規制を取り下げさせ、なおかつ賠償金までせしめたというから何が何だかわからない。相手の国がそう決めたんだから従うのが商売ってもの、ってのが普通の考えでましてや健康問題というデリケートな話に文句を付けて取り下げさせる横暴が、許されるのかと言うと許されてしまうらしいんだ、ISDS条項というものでは。

 アメリカ側に言わせれば、健康に被害があるって証明された物でもないのに、規制をかけるのは間違っているってことだし、それでも規制をしたのはアメリカの特定企業をねらい打ったもので公平性の観点が欠けていたから規制が撤廃されるのは当然だし、紛争を通じて国側が敗れるのは多々ある異論反論のうちの少しだけでたいがいは巧くいってるし、これは相互に適用可能だから相手だって文句があれば訴えれば良いんだってことらしーけど事が健康という観点で、それに被害を及ぼす可能性があるものをあらかじめ規制しておきたいと思うなら従うのが人の道だし、それにいちいちこういう訴えがあると考えると規制をしようというマインドが沈んでしまって、必要な規制が迅速に行えなくなるという反論にも道理がある。

 お互いに訴えれば良いといったってカナダとアメリカでは産業の規模に格差があり過ぎてとてもじゃないけど相互に痛みを分け合うなんてことにはならない。結果としてデメリットを被るのはカナダ側。それはアメリカ以外の他の国に置き換えても同じだって言える。 つまりは日本も。そりゃあ輸出で潤っている産業もあるけれど、輸入に頼っている分野はとてつもなく多いわけで、食品なんかはもう対外が輸入品。そこで健康のために規制をもうけましたといって海外のヤバい品を退けようとして、証明されてないじゃんと訴えられて何百億円もの損害賠償を要求されたとして、そんな事が相次いだら日本だってやっていられなくなる。だったら規制なんて止めちゃえって話になって誰が被害を被るか。日本であり日本人だ。

 そんな話なら日本を愛してやまない経営委員の人だって、国士然として徹底抗戦を呼びかけるべきじゃないかって思うんだけれど一方で、日本よりも安倍ちゃんを愛してやまない経営委員だったりもする訳で、そんな安倍ちゃんがアメリカ万歳、TPP大賛成、ISDS条項導入大歓迎だなんってスタンスでいる以上はそれに倣って、ISDSに異論を唱えアメリカに反対を表明するNHKはケシカラン、なんてことを言い出しかねないから嫌になる。それで本当に愛国者なのか? まあそもそもが戦争への悲惨さを唱える口を押さえて戦争をまたやってプライドを取り戻そうぜ的なことを言ってたりする人たちだから、国民を不幸にすることよりも自分の自尊心さえ満足させられればそれでよし、愛国者なんかじゃなく愛自者でしかない人たちだけに、きっとNHKにいろいろ注文を付けていくんだろう。とんでもない総理が率いるとんでもない国。その未来は? 考えたくもないなあ。

 エントリー方式じゃないからなのか日本アカデミー賞のアニメーション部門で優秀作品賞にスタジオジブリの「風立ちぬ」と「かぐや姫の物語」が並んで入賞。自分たちで応募する形になっている「文化庁メディア芸術祭」とかだと最近はスタジオジブリの作品が入ってこないし、毎日映画コンクールも確かそうなっていたりするのかな、だからここんところずっとジブリの作品が入ってなかったりするんだけれど、もらって映画人的にうれしいのはどっちなんだろうかと考えるとちょっと迷うところ。毎日映画コンクールには宮崎駿監督の名前を歴史に刻んだ大藤信郎賞もある訳で、映画会社の力関係で決まっているかのように観られている日本アカデミー賞よりもよっぽど、中身を観ての評価が得られると思うんだけれど。どうなんだろうそのあたり。

 でもって他には古3DCGのすんごいビジュアルと不思議さを醸し出すストーリーで評判になった「キャプテンハーロック」にイベントムービーとして最高の面白さを見せただけでなくって昨今の「ルパン三世」映画でも屈指のできばえだった「ルパン三世vs名探偵コナン THE MOVIE」、そして我らが「劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]反逆の物語」が受賞。「陽なたのアオシグレ」と「寫眞館」のセット上映とか「言の葉の庭」とか入って欲しい作品もあったけれどもそういう“真っ当”を選ぶのは毎日映画コンクールに任せよう。あるいは東京アニメアワードの続きかな。でもそれらがあっても「風立ちぬ」と「かぐや姫の物語」は強烈過ぎる。むしろどっちを選ぶかで選考する人の趣味とか見識とかが見えてきそう。どっちが何冠で収まるか。楽しい賞レース。

 そして直木賞が発表になって万城目学さんの「とっぴんぱらりの風太郎」は残念ながら選考漏れ。絶対的に面白い小説なんだけれども爺さん婆さんな選考員の方々にはいかんせん長すぎたかあるいはあの空想と諧謔がちりばめられた小説は理解不能だったか。BLの身を探偵風のバディ物という皮で隠して直木賞を獲得した三浦しをんさんの「まほろ町多田便利軒」みたいなやり方でもとらないとあの古びた選考システムを突破するのは難しいんじゃなかろーか。まあでもこの面白さならむしろ山本周五郎賞の方がふさわしいんでそっちにノミネートされて無事に受賞となってくれたらますます森見登美彦さんの後追いか。それもまずいからいっそ本屋大賞で。山田風太郎賞は来年の秋口だから遠いよなあ。まあそっちにも期待。


【1月15日】 凍えそうな夜を電気毛布を間に挟んだ毛布5枚をかぶって眠り起きたら朝になっていたので、とりあえずのぞいておこうかと近所にある船橋郵便局まで。途中でダイドーのあたり付き自販機で、最近はちょっぴりコーヒーが飲めなくなっているんでココアを買ったら何と当たりの「777」が出たんでもう1本と水を買い、この幸運がここで終わらないことを祈って船橋郵便局に到着したら、すでに行列ができていた。ひゃっはー。そうです今日があのふなっしーのフレーム切手販売日。聞けば東郵便局に行けばふなっしー本人(人なのか)も現れるということだったけれど、遠いし船橋の中央郵便局にあたるここなら数も豊富にあるだろうと思って行ったら甘かった。

 何でも用意してあるのは100シートだけですでに50人くらいが並んでいたため、買えるのは1人1シートまで。そういう対応ができたことはありがたいけど1枚は自分でもってもう1枚買えたら誰かにあげようかなんて思っていた人には結構ショックだったかも。それでも最初に並んだ人はもう1回、並び直せばかろうじてもう1枚買えるくらいの人数だったんで早速そうしている人もいた様子。無事に買えたかな。後で聞いたら船橋東郵便局には700シートとか800シートがあったそうだけれど、ふなっしー目当てで300人とか行列を作っていたそうで、なおかつ1人3枚まで販売したそーなんでその行列でだいたい完売になった様子。やっぱり船橋郵便局で良かったよ。

 到着したのは開業10分くらい間でそれで50人くらいだとしたら先頭の人はいったい何時に来ていたんだろうか、それがちょっと気になった。でもって開業してそれほど時間もかからず1枚をゲットしクリアファイルに挟んでとりあえずミッションコンプリート。幸運は使い果たされていなかった。横を見ると買ったばかりのシートを封筒に入れたりゆうぱっくの薄いケースに入れたりしてどこかに送ろうとしていた人もいたから、きっと好きな人に頼まれて買いに来たんだろう。本当だったら自分の分もほしかったのかもしれないけれど、それを於いて頼まれた分をちゃんと送る人たちに喝采。

 しかし船橋でも中央の郵便局にたったの100枚とは少なすぎると思わないでもないけれど、船橋市だけならともかく千葉県全域の郵便局で売ることを考えればこれくらいになっても仕方がないか、鎌ヶ谷とか浦安でも50シートくらいだったらしいし、地域の小さい郵便局だと3枚とか5枚とかで瞬殺も瞬殺だった様子。でもって早速オークションに出てたりするけど、それならやっぱり増刷とかしてほしいもの、だってグッズじゃないんだから。グッズでも転売目的で並んでゲットしたら即オークションに流す筋の悪い人もいないでもないけれど、民営化されたとは言えある程度は公的な性格も持った郵便局の切手で、数が足らなさ過ぎて大勢によけいなお金を支出させるのはちょっと違う気がしないでもない。そのあたり、考えてくれると嬉しいけれど考えられると手持ちの分の価値が下がるというこのアンビバレンツな気持ちを今は、得してるんだという気分に買えて寒さをしのぐことにしよう。ひゃっはー。

 すごいよすごい。アニメーション作家の水江未来さんが365日かけて1日1秒のアニメを作り続けたプロジェクトから生まれた作品「ワンダー・フル!!」が、あのベルリン映画祭のそれも花形のコンペティション部門に正式出品されることになったとか。それだけでもすごいことでもしも有名俳優に女優が出ている邦画作品だったら、これだけでスポーツ新聞の芸能面の半分くらいを使って俳優女優に監督が世界へと挑戦とかいって盛り上げるんだけれどいかんせん、アニメーションに疎くアート系のアニメーションについてはさっぱり過ぎる新聞が水江未来さんを取り上げるはずもなく、一部の専門メディアの間で情報がとどまっていたりする。2月22日は劇場公開も控えているというのに、この関心のなさってのがつまり日本のアニメーションへの認知度合いって奴なんだろーなー、これで受賞でもすればちょっとは関心も向くけれど、それもどうせ一過性に終わるんだ、「グレートラビット」でベルリンの銀熊を持ち帰った和田淳さんの時みたいに。

 だいたいが水江さんといったらすでにベネチア国際映画祭にも作品を出していたりして、世界三大映画祭では常連とまではいかないけれどもそれなりの存在感を示しているアニメーション作家。ことアニメーション映画祭に限って言うならアヌシーでもザグレブでもオタワでも広島でも作品を見せていて、審査員にだってなっていたりするくらいの中堅にして重鎮なのに、テレビの「情熱大陸」でその作業の様子が紹介されたり24時間追っかけられたりするよーなことはない。どうしてだ? ってそれはだからアニメーション作家だからなんだけれど、同じ分野で宮崎駿さんとかスタジオジブリがその名前だけで追いかけ回されていたりする訳で、彼我の差はいったいどこにあるのかと考えてみたりする。

 やっぱり知名度かなあ。その知名度にすがってテレビも新聞も商売をする。自分たちの知名度で人をプロモートするようなことはやらないというか、儲からないからやれないというか。さもしいメディアになってしまった感がありあり。まあ仕方ないとしてそれならそれでネットメディアとアニメファンが自分たちでやっているSNSで大いに盛り上げ、その存在を世に知らしめていけば良いってことで、とりあえずベルリンでの経過を見てそれで賞を取ろうが逃そうが、すばらしい映画ができたってことを喧伝しつつ公開されたらがんばって劇場に通ってそのめくるめく動き回る世界を目に焼き付け、言葉に乗せて大勢に知ってもらおう。でもやっぱり賞の効果は絶大なんで是非にベルリンで。金熊を。

 映画とテレビシリーズを平行して進めたことが徒になっているのか山本寛監督のアニメーション「Wake Up, Girls」で制作の現場が大変だってことで、監督のヤマカン自身がツイッターで誰か手伝ってくれる人募集って訴えていた。珍しいけどこうやってオープンに募集できるところは何か現代的。力量はあるけど今はタイミングとして仕事が入っておらずちょっとくらいなら手伝ってもいいかな、って思ったアニメーターがいたとして、どれだけのお金をもらえてどれだけのレベルを要求されてどれだけの仕事を回されるのかを聞いた上で、応じてみる人も出てくるかもしれないなあ。アイドルを動かしてみたいって名うてのアニメーターとかが続々と参加したら楽しいけれど、そういう現場でもないのかな、ともあれちょっと行き先が楽しみ、っていうかうまく回らないと作品が大変なことになってしまうから、どうにかなって欲しいと切望。絵が描ければ行くんだけどなあ。


【1月14日】 ふるさと祭りだふるさと祭りだ、東京ドームでふるさと祭り東京が始まったんでお昼ご飯を食べがてら、ちょろっとのぞいて来たけれども週末祝日は大混雑して入場までに時間がかかるところが平日なので割とすんなりはいれた上に、目玉の「全国ご当地どんぶり選手権」もチケットを買うまで数分の行列で済んで早速近所を見渡して、おいしそうだった広島から参加の「広島かき飯」ってのをちょうだいする。牡蠣を煮た汁にしめらされた牡蠣が乗ってもう1つ、カキフライも乗ったどんぶりはどこを取っても牡蠣づくし。香りよし味よしで食も進んでもう1杯、っていきたくなったけれどもそこは遠慮して別の丼へ。

 最初は地元は愛知県の「三河一色うなぎの豪華丼」ってやつに惹かれたけれども500円で食べられるウナギの量ってどれだけなんだとやや心配。そうこうして迷っているうちにふと目に入った高知から参加の「土佐かつお丼」ってのがボリューム的によさそうだっんで頼んだらこれが大正解だった。白いご飯の上に乗っているのはカツオのタタキにカツオのカツ、そしてそぼろと3種類の鰹たち。そこにとろろも乗ってネギもかかった丼は、カキ丼に負けず鰹尽くしで食べるほどに鰹の味が喉にしみてお昼時の空腹を満たしてくれた。いやあ美味しかった。今回はこれに投票したけど他にも強そうなのがあったからなあ、勝てるかなあ。

 見た目では最近めきめきと評判を上げている大分県の唐揚げを使った「中津からあげ丼」が唐揚げ好きマインドをくすぐってくれていたし、肉類なら鹿児島から来た「志布志黒豚三昧丼」とかが豚肉尽くしでご当地感もあってなかなかの雰囲気。米沢の牛丼にステーキ丼、近江のステーキ丼といったものもわらわらとある中で、さっぱり系では神奈川から来た「湘南しらすの小田原三色丼」なんかが生に釜揚げに沖漬けのしらすをたっぷり味わえる丼として、かつお丼ともどの興味を引いた。けどやっぱり1回に食べられるのは2つが限度。だからもう1回くらい行っていくつか挑戦したいんだけれど、平日でも入場料が1200円かかって土日だと1500円はちょっと高い。それだけ払っても行く価値はあるんだけれど、込むからなあ、週末は。週内に見計らってまた行くか、ゆるキャラのイベントもあってくまモンにオカザえもんもやって来るから。津山ホルモンうどん、見なかったなあ今回。

 くまモンといえば熊本県でその昔に県知事を務めていたことがあった細川護煕元総理が東京都知事選に出馬を表明。その応援に果たしてくまモンがやって来るんだろうかという興味もあるけれど、ひとつの県のマスコットが別の県の都知事選に立候補している特定の候補のために応援する訳にもいかないから、それはさすがにないかなあ、ふなっしーならしがらみもないからぷっしゃーとかいえるんだけれど、それは逆にお呼びじゃないか。まあ後ろにはライオン小泉純一郎元総理もくっついているからマスコットには事欠かなさそう。現時点でも人気においては安倍晋三総理を凌駕しているだけに、自民党が押す桝添要一候補よりも得票で上回って都知事に就任、なんて話もメリメリと現実味を帯びてきた。

 問題は過去に猪瀬直樹前東京都知事じゃないけれど、佐川急便からお金を借りていてそれがどういう風に使われ、そして返されたのかが問題になったってことか。それもあって総理大臣の座を降り国会議員も辞めてずっと陶芸家とかそんな感じなことをしていただけに、今更どうして政界に、なんて驚きを誰もが思って当然かも。まあすでに返還されて時間もたって犯罪がどうこうあったとしても時効になっている可能性は大。その意味では現在進行形の猪瀬前都知事とは立場も違うし、そもそも当時、事件にすらならなかったんだからそれを問うても意味はない。政権を途中で投げ出したってモラルの問題も、現職の総理がまさにそれをやってしまった訳で大きな事はとても言えない。だから立候補そのものを咎め立てることは難しい。

 だから争点は、細川元総理が小泉元総理ともどもいったい何を訴えようとしているのか、ってところで第1に挙がっているのが原発の廃止といったところで都民にどれだけアピールできるのか、そこが当落の境目になってきそう。都民にとっては安定的に電力が、それも安価に供給されることが大事な訳で、原発が稼働しないまま代替エネルギーへの移行も進まないでそれがかなうとも思えない。だからそんな政策を訴える候補を通したくないというのが本音だろう。もっとも目先のことに揺れ動くというのも無党派で政策に無関心な体勢の心境で、小泉元総理という人気者が言うことならたぶん正しいという感覚が、応援する細川元総理への票へとつながって地滑り的な勝利を収めるってことも割とありそう。

 当選してじゃあ反原発で具体的に何ができるのか、ってところでも株主として東電にいろいろ言うことはできても、それで企業価値が棄損されてはまるで意味がない。そのあたり、口で言いつつも現実は動かず都心部に代替エネルギーの生産拠点を作るなりして将来に備える動きをとっていくのが妥当な行動となりそう。それ以外では元知事であり元総理であり元国会議員といった経歴から、無茶を言わず無理も通さないままそれなりに、ゆるやかでリベラルな政策を進めていってくれると思いたい。何より安倍政権が押した候補が粉砕されてその顔が苦渋にゆがむ顔が見てみたい、ってのが都政に関心がない人でも共通に思うこと。その時は来るのか。開票が今から楽しみだ。

 なんか佐倉市がルパン三世のご当地ナンバープレートを3000枚限定で交付するとかでいったいどうやったらもらえるんだろうかと考えたけれど、やっぱり佐倉市に住んで125CC以下のバイクを登録する必要があるんだろうかどうなんだろうか。何で佐倉市がっていうのは原作のモンキーパンチさんが佐倉市に住んでいるからで、作家の笙野頼子さんが暮らしているって話は聞いていたけどモンキーさんもだったのかとちょっと驚き。どのあたりにいるんだろう? 別に緑に塗られた家とかないもんなあ、って吉祥寺の梅津ハウスじゃないんだから。ご当地といえば千葉県の船橋市ではあのふなっしーの切手を15日から売り出すそうで、いったいどれだけの人が全国から買いに来るのかちょっと興味。すぐに売り切れるかな。とりあえず朝に郵便局、行ってみるか。


【1月13日】 本格的にパソコンのとりわけキーボードの入力がいかれてきたようでEとDとCの斜めの列が使っている途中で入力できなくなって困ること多々。何しろメールアドレスにもパスワードにも使われている文字があってそれが入れられないとメールすら開けなかったりするし、こうやって日記を打っている途中でキーが入力できなくなるととたんにやる気が失せていく。しばらく経つと復活することもあるんだけれどそれからまたしばらく経つとだめになったりとまだら模様。これはもうだめだとあきらめちょっと前に症状が出始めた頃にソフマップで中古で買ってきたX61を立ち上げ必要なソフトとかを入れメールのデータを移行したりなんかして半日をつぶしてどうにかこうにか作業ができるようにする。

 画像を開いたり映像を見たりするのに必要なソフトなんかはまだ未導入だったりしてそのあたりはおいおい何とかするとして、前のを治すにしても捨てるにしても、そもそもの原因がキーボード本体にあるのか接続部分にあるのかソフトにあるのかがわからない、ってのが1番のなやみ所。最初はキーボードの故障かと思いいくつか取り寄せてみて付け替えたんだけれど、違うキーが動かなくなったりするからソフト側にあるような気もしないでもない。かといってそれぞれに故障もある可能性があるで、さらに別のキーボードを乗せ変えてみたら最初と同じ箇所が動かなくなることが判明して、これはやっぱりソフト側にありそうな気がしてきた。

 じゃあどこなんだ、ってところだけれど別に何かいじった訳でもなし、あるいはドライバーとかアップデートとかが悪さしている可能性も考えたけれど、システムの復元がうまくできずアップデートを削除してもやっぱり症状は変わらずといった具合にまるでお手上げ。案外にデータを全部あたらしいハードディスクに移してみたら、治ったりする可能性も考えてみたけどそれも面倒な話だしなあ。まあ今はこうやって中古のX61がうまく動いてくれているから、足りないデータをおいおい移しながら前の作業環境を再現する方に力を入れつつ、これが壊れた時に備えてもう1台くらいX61を買い置く算段を付けておこう。ちょうど秋葉原にX61が綺麗になって選り取り緑な店を見つけたことだし。やっぱりWindows7くらいにしておいた方がいいかなあ。

 HONDAってオンダってイタリアでは発音するらしいけどそれだと恩田さんだと変わらなくなるなあ、アニメーション監督の。まあそれはそれとしてA.C.ミランに移籍して背番号10番を背負った本田圭佑選手がついにアウェーで途中出場ながらピッチに経ってイタリアはセリエAデビューを果たした様子。スカパーなんて高級なチャンネルに加入してないから試合そのものは見られなかったけれども、聞いた話では2点を奪い4点を奪われ追いかけている最中の投入でもって攻撃にリズムを作り、自らシュートも放ってバーにあたったりして惜しいところを見せそして1点を返してなお追いかけるといった試合運びに大きく貢献したらしい。少なくともバレージと衝突して顔面を陥没骨折とかはしなかった。

 こういうのってまずは本当か? 日本向けサービスなんじゃないのか? って思うところではあるけれど、入る以前に4点も、ドメニコ・ベラルディってまだ若い選手に決められているってこと自体が大きな問題。せっかく2点を奪いながらも追いつかれ追い越されるのっていったいどれだけ守備が崩壊しているんだっていわれそうだけれどまあ、今のミランの順位がそんなことはすでにして如実に語っている。カカにバロテッリといったすごい選手が前にいたって後ろがザルでは勝てはしない。そのあたりをどうにかしつつ試合に入ってエンジン的に噛み合ったっぽい本田選手がこれからどんなとけ込み具合を見せていくのか、ってところが評価の上で大きく物を言うんだろうけれど問題は、いきなり監督が代わってしまいそうなことか。誰になるんだろうなあ、インザーギって話もあるけど、あの人が守備を教えるなんてできるのかなあ、攻撃だって独特すぎた訳だし。お手並み拝見。

 もしかしてただのウサギ好きだったんだろうかアイズ・ヴァレンシュタインは。大森藤ノさんの「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」シリーズで主人公のベルって少年にどこか執心しているところを見せている、ダンジョンでも屈指の剣術使いの少女なんだけれどその彼女の視点から描きなおしていくような外伝「ソード・オラトリオ」(GA文庫)で最初にベルがダンジョンでアイズに出会った時の様子がでてきて、どうしてミノタウロスがベルのような初心者が入るダンジョンの上層まであがってしまったのか、という経緯なんかが描かれた後に残ったミノタウロスをアイズが切り伏せたその場にいたベルって少年の白い髪と赤い眼に、アイズは何かを見たようでその夜に懐かしい夢を見たという。

 つまりはラッキーアイテム的な存在だった訳でそれをかわいいウサギと重ねてベルの上に見ただけなんだとしたら少年、あんまり浮かばれないけどその後も出会うたびに話しかけようとしてすれ違ったりしてもやっぱり執心は続いているから、やっぱりベルに執着しているフレイヤ神と同様にかわいいウサギをその上に見ているだけではないのかもしれない。本編の方でとてつもなく速く成長していくことといい、フレイヤのみならず何柱かの神様から関心を持たれることといい、ベルくんにはやっぱり何かあってそれにアイズも引っかかったって見るのがいいのかも。そのアイズはここにきて成長が止まっていることが明かされたけれどもそもそもどうして強いのか、これから先はどこまで強くなるのかといった興味もわいてきた。本編と平行して同じ執筆者では大変だろうけれども是非に進めていってほしいもの。はいむらきよたかさんのイラストはクールさがにじむヤスダスズヒトさんとはまた違い、可愛らしいアイズとかを描いてくれているから好きなんだ。


【1月12日】 やっとこさ読んだ「月刊ニュータイプ」に連載の永野護さん「ファイブスター物語」はダイ・グの詩女との婚約話に同様しまくっていたクリスティン・Vに詩女のが諭すというか導くというか、そんなシーンがあって決してビッチではない優しさと雄大さを備えた人なんだと分かる。でなきゃそもそも詩女にはなれないか。彼女を起点に歴代の詩女が現れクリスティンに言葉をかけるところとかもう滂沱、凶状持ちと言われずっと日陰を歩くことを余儀なくされてきた少女にようやくひとつの居場所が出来たってことなのかなあ。元皇帝のレーダーの養女にもなって格もあがってさてこの後、どんな活躍を見せてくれるのか。それともこれでひとまず休憩か。どこにどう繋がるか分からないからなあ、このシリーズは。まあでも読んでいく。それが信者。永遠の。

 角川シネマ新宿で舞台挨拶付きの「Wake Up, Girls」を見る予定があるんで午前中にどうにか起き出し電車に乗って新宿へ。折角だからと時雨沢恵一さんが満を持して発表したその題名も「男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首を絞められている。1 −Time to Pkay−<上>」(電撃文庫、590円)を読んだら、本当に男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしている主人公が年下なんだけれどクラスメイトで声優をしている女の子に首を絞められていた。問題はただそういう描写がまずあって、それが各章の初めに置かれているけどどういう流れからそうなっているかの説明がないこと。今現在、まさにそうなっているという状況を示しつつ、物語ははそこへと至るまでってのが綴られていく。

 まず出会い。理由があって1年間、公立高校の2年生の時をまるまる休学してしまってそこで私立高校に転校してもう1回、2年生をやることになって新しいクラスに行ってそこで自己紹介で自分がダブりだと明かしてしまってちょっと反省、周囲からグッと引かれてしまっているのが分かる中で、同級生になった似鳥絵里という少女だけは彼の顔をみてうわっと驚き、そして週末に彼が学校を休んで上京することになった特急列車の席で彼に話しかけてきた。まずどうして彼は金曜日に学校を休むのか。その日にどうして似鳥も学校を休んで同じ列車に乗り合わせたのか。追っかけとかストーカーとかの類ではない。彼には彼の用事があり、似鳥には似鳥の用事があった。それが偶然にも同じだった。

 彼はライトノベル作家だった。中学校の時に応募した電撃大賞で最終選考の手前まで残ってそれが編集部の目にとまった。というより完成度なら最終に残しても問題なかったけれど年齢がひっかかった。そこでデビューするとなると受験勉強がおろそかになる。だから受賞をさせず改稿と受験勉強を並行させつつ高校に合格した翌年にデビューとなることが決められた。頑張って勉強して高校に受かりデビューもした彼はその作品で一気にブレイクして次の作品を書くことが求められた。なおかつアニメ化の話も舞い込んできて時間がとれそうもないと思った彼は、2年生の1年間を休学して執筆や作業にあてることにした。やめなかったのはやはり高校は出ておくこと、そして大学にも行ければ行くことを求められたから。そして1年の激闘をひとまず片づけ、転向した先でもとりあえず作家活動を続けながら、毎週金曜日に行われるアニメのアフレコに立ち会うため、学校を休んで上京することになった。

 似鳥はそこに現れた。彼の事情は分かったけれども彼女はどうして。それは彼女が声優だったから。それも彼が書いている「ヴァイス・ヴァーサ」という作品に出演している声優だったから。顔合わせの席で似鳥は挨拶に立った彼のことを見ていた。それがクラスメイトとして現れたから驚いた。そして同じアフレコ現場に向かうため、同じ特急に乗った彼を追いかけて来て話しかけたというのが事の次第。そこから2人がいい仲になるかというとそんなことはなく、いずれ高校生で人気ライトノベル作家をやっている彼は声優をしているクラスメイトの絵里に首を絞められることになる。もっともこの巻ではそこへと至る道筋はまだ説明されない。現場で「どうして」と似鳥が行っているからには何か、裏切られるようなことがあったんだろうけれどもそれもまるで仄めかされない。

 描かれるのはひたすらに、ライトノベルというもの、あるいは小説というものを書いてデビューしそれから作家としてやっていくにはどうしたら良いのか、といったレクチャー。まだ子供だった彼が本好きなのを親に認められて住む場所を図書館の隣にしてもらい、そこから毎日のように図書館で本を読んで育ったことから始まって、いろいろとお話を想像する楽しさを覚えそれをやがて何かに書き記すことへの興味を持って親に頼んでネットに繋がらなくてもいいから執筆に最適なパソコンを買ってもらい、さあ書き始めようとして何も書けなかったことが明かされ、そしてどうすれば小説というものが書けるのかといった話に進んでいく。

 読めば分かるライトノベルの、あるいは小説の書き方。アイディアを持っていたってそれは文章にはならないし、プロットを立てたところで書き方が分からないとなかなかやっぱり書けるものではない。それでも前に進むにはプロットを作ることは怠らず、そして文章もまずは書き、書いてその中で覚えていく必要があること、会話もキャラクターどうしのコミュニケーションである以上に読者とのコミュニケーションであることを意識して、普段の会話のようにではなく説明も加えて書くこと、プロットは立てても話の流れの中で変更しても良いこと、書き上がったらやっぱり見直し間違いを正し、梗概というものをちゃんとオチまで含めて書いて添えて応募先へと送ること。それが作中とはいえ成功したライトノベル作家の口から語られ、なおかつそれを書いているのは現役の売れっ子ライトノベル作家というこの2重の安心感が読む人にそうかこうやってライトノベルって書くのかと教授する。

 ネーミングに役立つネーミング辞典の紹介とかもあってなるほど、プロでもそういうのを使うのかとひとつ勉強。それとも今はインターネットで探すのかな。その意味ではひとつのライトノベルの書き方入門書であって、それを東京へと向かう列車に乗り合わせた2人の会話というものから進めようとしているものだと言えるけれどもひとつ、気になるのはどうしてそこまで絵里が小説の、あるいはライトノベルの書き方というものに興味を持っているかで、そのあたりがあるいは彼の行動を招いてそして絵里の首締めへと繋がっていくのかどうなのか。そんな辺りを想像させてくれる面白さはさすが時雨沢恵一さんといたところか。ほとんど小説の書き方も説明が終わっているんで<下>では何を会話のネタにするんだろう。今度は声優事情? アニメ化事情? ことアニメ化では時雨沢さん、超絶ヒット作ってのがないからなあ、カルト的な人気の「キノの旅」はあっても。それだけにそれがテーマならちょっと興味。さてはて。

 そして新宿についてらんぷ亭で「ハンバー牛」というライスの上にハンバーグと目玉焼きと牛丼の具が乗ったプレートを貪り食って花園神社に初詣して近所のVELOCHEで「Wake Up, Girls」の劇場版BDのサイン付きって奴を注文してからぐるりと周り、角川シネマ新宿へと入って見た午後6時20分からの舞台挨拶の回。そこいn現れたのはWake Up, Girls面々7人と、I−1クラブに参加している芸人と評判らしい大坪由香さん、津田美波さん、福原香織さんの3人だったけれどもアニメの中でそうしたアイドルを演じている彼女たちより、司会として登壇したテレビ東京アナウンサーの紺野あさ美さんが実はアイドルとしてのキャリアも実績もずば抜けているという事実にちょっと目がクラクラした。

 あのモーニング娘。の一員として大舞台だってこなして来た人だものなあ。そんな人見たさに仕事場から駆け付けて来て山本寛監督も舞台挨拶に飛び入りする訳だ。スーツ姿じゃないヤマカン、たぶん見たの始めてじゃないかなあ。そんな山本寛監督が飛び入りしてやってくれたのは、ずっとファンでしたという挨拶とともに紺野あさ美さんにアイドルの心得めいたことを聞くこと。並んでいる新人声優からもすでにプロとして活躍している声優からも、そんな無茶は質問はちょっと出来ない。山本監督がいたからこそ出来た質問だったけれどもそれにたじろぎつつも紺野さん、「とにかく頑張ること。頑張っていれば見てもらえる」と話してくれた。

 なるほど紺野さん。自信もいろいろと言われながらもとにかく懸命に健気に頑張る姿を見せて受け入れられていった経験を持つだけに、その言葉にはとてつもない重みがある。もちろんWake Up, GirlsだってI−1クラブの面々だって頑張っているだろう。でもまだそれは端緒。本当に頑張り抜いて今を得た人からの言葉を聞いて、もっともっと頑張る気になっただろう。そういう質問はだから大歓迎。メディアもそういうことを聞けば良いのに阿呆の鸚鵡の繰り返しのように恋愛沙汰を追いかけていく。だからそっぽ向かれるんだよ。

 とはいえ勢ぞろいした7人のWake Up, Girlsの面々は誰もしっかりしていたなあ。大坪さん津田さん福原さんはそれぞれにキャリアを持ったプロの声優さんだから、ちゃんと受け答えも出来るけれど、まだデビューして間もない7人もオーディションで選ばれてからこれまでを、しっかりといろいろな経験を積みながらプロへの階段を上ってきたみたい。それぞれが自分の声で自分の言葉を話してた。初々しかった。すれずに真面目に真っ直ぐに育って欲しい。それはファンの側もか。応援する自分格好いい、みたいな輩がいっぱい現れ応援している自分を見ろとばかりに暴れ回って滅茶苦茶にするのもいたりする昨今、本当に頑張っているのは誰なのかを自覚して夢に向かって邁進している少女たちを真面目に正直に応援したい。そう誓った舞台挨拶だった。行って良かった。頑張ろう。まずは一眠りしてから。


【1月11日】 誰が監督だとかいった話はどうでもよくって、何か新しいアニメーションが始まったってことで見た「Wake Up, Girls!」は、いきなり何か事後といった感じでのスタートにちょい、戸惑ったことだけれども一応は劇場版が公開されていると知っていたから、それが前提となっているんだろうなあと記憶を補完。でもって多分東京で活躍していたアイドルがいたけど、何かあって今は仙台へと引っ込んでいて、そこでスカウトされて7人組みのアイドルグループを結成して再デビューしたものの、事務所の社長がお金を持ち逃げしていきなり存続の危機に。残されたマネージャーは何か頼りなくって業界の経験もなく、さあどうしようかと戸惑っていたところに得体が知れないけれども一応は名のあるプロデューサーが絡んできて、これから始まる大波、といった引きでもって次への興味を引きつける。

 いったんのサクセスを見せながらもすぐにどん底へと落ち、そこからはい上がっていくストーリーはある意味でオーソドックスで、アイドルだってスポーツ物だって過去にも今にすら未来にだって数多作られて来て、作られていて、作られていくんだろう。そんな数多ある作品の中に入って「Wake Up, Girls」が輝くとしたら、キャラクターたちの妙にリアルでそしてドラマのどこかシリアスなところ。全員が阿呆みたいにアイドルに憧れているといった感じではなく、幾人かは状況に懐疑的でクールに事情を分析しては、いったいどんなプロデューサーがやってくるのかと訝っている。かといって諦めた訳ではなく、せっかくアイドルになれたのだったらやっていきたいという、若い子ならではの前向きさも感じさせてくれる。それがキャラクターの厚みになっている。

 髪の毛の色もグリーンとかピンクとかいないし、銀髪だって青髪だっていなくって、黒かったり茶色だったりといったごくごく普通の水準。住んでいる場所も豪邸とかではなく、って1人いたか割と豪邸が、でも別に超絶的なお嬢さまってことではないし他の面々もごくごく普通の家庭の子。そんな子たちが集まり自分たちの頭で考えながら進んでいこうとする姿は何か運命めいたものに引っ張られて進まされるような展開が持っている、鮮やかだけれどどこか作り物っぽい雰囲気は感じさせない。たぶんこれから苦労もするし躓きもするんだろう。そんな苦労を見せられて楽しいの? って思いも抱かせられながらそれでも、頑張ってはい上がっていく姿ってのを同じ目線からリアルタイムに感じさせてくれる。そんなアニメーションになりそう。

 パンチラが何かキャッチーになってて、お前らこういうの好きなんだろう、だからいれてやったんだ的な感情を持って居るんだと作り手の方を非難しつつ、内心を見透かされたことを憤るような人もいそうだけれど、でもまだ衣装も整わない中でほとんど飛び入りで制服姿のまま唄い踊れば必然としてそうなる。だから見えたに過ぎずこれからちゃんとした衣装が出来てくれば中は当然のように見せパンとなってそれが乱舞はしても、決してそれが欲しいだろうから見せてやっているんだという感じにはならない。そもそもがそうした一瞬の驚き以上に、全体に流れるほんわかとしつつもちょっぴりピリッとした心情が、知らず見る人を物語の世界に引き込んでいる。

 他のテレビシリーズと何ら変わりがない、1話たった20数分のアニメなのに、ちょっとした中編の日本映画でも観ているような印象を受けたのはそんな、画面に描かれていない心情やシチュエーションを感じ取り、味わうことが必要だったから。意外に深くそして重たい作品になってくれるんじゃなかろーか。そこを感じ取れるかどうかで印象も変わってきそうだけれど、ネットって場は監督の山本寛さんことヤマカン叩きばかりが目立って真っ当な意見が聞こえて来ないんだよなあ、褒めて殺すような卑怯なやり口まで流行り始めているし。いつから日本のアニメ好きはそんな無様な振る舞いをするようになったんだ。出てきたものを前向きにとらえ意味を考え自分なりの評価を下すことをせず、流れに乗ってこれは叩けば楽しいんじゃないかという気分だけで叩きに回る。もはやアニメ好きですらない。だったら見なきゃいいのに。どうして気にするんだろう。気にされたいからだろうなあ、自分って存在を。無様だなあ。

 んで「キルラキル」は挫折からさて復活したけど針目縫の謀略によってさらなるどん底へと落とされてしまった纏流子。そのあたりの展開に容赦がないのは年が明けてからも同様だけれど母親が全世界とかいっている割に娘は全国の高校といってるそのギャップを、これからどう埋めていくのかそれとも埋めていかないのか。話のスケール感を計る時にちょっと気になる部分。学校にとどまるうちは銀河から宇宙へその外へと爆発していくような感じにはならず、狭い範囲で女と女の戦いに帰結してしまう訳だから。それも楽しいけれどでもやっぱりこぢんまりとしている感じ。それが「天元突破グレンラガン」と違って絶賛へと心が向かわない理由かなあ、素晴らしい作品ではあるんだけれど。でもこのテンポだからすぐに日本なんか飛び越えて世界へ銀河へ宇宙へと、広がっていってくれると信じて見続けよう。

 せっかくだからというか家にいたら凍え死んでしまうんで、荷物をまとめて電車に乗って浅草浅草寺へ。三が日とかには行けなかった代わりに寄ってみたけどやっぱりそれなりな人の数。外国人の姿もいっぱいあって流石は日本のというか江戸を感じられるスポットとしての人気の高さを見せつける。仲見世あたりを抜けて門をくぐって境内へと入りまずは参拝。それからおみくじを引いたら吉だった。去年は確か凶だったんだよなあ、それとも一昨年だっけ、怖かったんで2度目を引いたらやっぱり凶でここん家は凶しかないと思ったけどちゃんと吉もあったんだ。とはいえ書いてあることがそのまま当たるとはいえないこの世の中。そうだったらとっくにあれはああなりこれはこうなっていたはずだ、結局は自分がやるかどうか、ってことでやるぞ今年は。何をだ? 何をだろう?

 時間があったんで渋谷へとまわって劇場版「Wake Up, Girls 七人のアイドル」を見てなるほど話が繋がった。ストーリー展開は予想どおりだったけれども最初、島田真夢は決然としてアイドルに参加することを拒絶していたようで、松田マネージャーが何度誘っても断っていたところを見ると過去に相当なトラウマを抱えている様子。それが何かは未だにはっきりしないけれども単純にライバルとの争いに負けたとかいったものではないような。まあいずれ明らかになっていくんだろう、仙台にも来るみたいだしI−1 クラブ。そして対面とかあるんだろう。負け犬と罵られたりするとか、比べられてみじめな扱いを受けるとかいった、えぐいシーンもありそうだなあ。それもそれでリアルでシリアス。だから一緒になって考えられる。彼女たちの思いの深さを。そこが良い。

 あきらめることの辛さを身に染みて感じている麻友がオーディションの受かった6人の苦しみや哀しみを知って自分の辛さ悔しさを噛みしめ、ここからやりなおそうと決意するところが映画の大きな見どころか。それをどうしてテレビでやらずに映画にしたのかは、戦略的なことなんだろうけれどもまあ良い、それがなくてもテレビだけでもはい上がる大変さとあきらめない大切さは伝わってきたから。でもやっぱり見て置いた方がいいと思うな劇場版、やっぱりそうだったユニフォームが間に合わず制服で踊る羽目となって見せパンがなく、でもまあいっちゃえとなって踊って見えてしまったパンチラのシーンを大きな画面で見られる訳だし。でも劇場だからストップボタンは効かないぞ。

 ゲンロンカフェで小松左京さんに関して瀬名秀明さんと東浩紀さん大森望さんが話すイベントを最前列で見る。充実した話に改めて小松左京を読んでみないといけないなあと思わされた。主に「虚無回廊」。面倒なんですっ飛ばしているんだよなあ、でもこれ読まないと瀬名さんの「新生」を理解できないから今がチャンスか。終わってからは別にSF業界人でもないんでゲンロンカフェをとっとと脱出。終わり掛けに出た質問から膨らんだ、小松左京さんの評伝を誰が書くのが相応しいのかという話は興味深かった。最相葉月さんの星新一伝の密度で小松さんを描ける人っているのだろうか。関西に詳しく京都学派から関西の演劇落語漫才等々に詳しくないと難しいといった意見も。なるほどと納得。北野勇作さんと牧野修さんと田中啓文さんが共同で執筆するとかすれば出来るとか。何か違うものが出てきそうだ。


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