縮刷版2014年2月上旬号


【11月30日】 読んだっけ、読んでなかったっけと記憶を探ったけれども最近、どんどんと記憶が薄れているのでよく思い出せなかった野梨原花南さんの「マルタ・サギーは探偵ですか?」シリーズが富士見L文庫で復刊されたってんで読んだらなるほどこれは人気となるはずだと理解。たぶん流行っていたトレーディングカードゲームの影響なのか、さまざまなカードを使って異能を駆使する人たちが出てくるけれど、そういう人たちの直接的なぶつかり合いってより世界あるいは宇宙なんかを覆った「カード戦争」というものがあって、その上であらゆる時空あらゆる地平を行き来しながらカードを使ってバトルする人たちがいる、っていう設定。

 そんな「カード戦争」のプレーヤーに何故か巻き込まれてしまったのがやる気まるでなしの少年鷺井丸太で、学校を辞めてぐだぐだっとした生活を始めてコンビニに買い出しにいったら何故か見たこともないコンビニで、そこで知らないカード一式を抽選であててしまってそこで出会ったアウレカという青年に半ば引きずり込まれるようにカード戦争にエントリーしてしまって抜け出せなくなる。アウレカに他意はなくただ面白がり屋の迷惑かけな人物らしいと「カード戦争」世界には広まっているらしく、それに引っ掛かっただけの丸太だったみたいだけれどでも、その口車に乗って「カード戦争」を仕掛けている者に迫ろうと、もらった「探偵」のカードを使った途端、とてつもないプレッシャーを受けて逃げ出しオスタスという世界へと飛ばされる。

 誰も見知らぬ世界でひとり、粋だ折れていた丸太を助けてくれた人がいて、そこで世話になりつつやって来た警部に自分は「カード戦争」の参加者だといったことを示すとそれはどうやら知ってる人は知ってる話になっているらしく、女王陛下の元へと連れて行かれて存在を認められてそして、行使した瞬間に事件が解決してしまうという反則技のような「探偵」のカードを使ってオスタスに起こる竜がさらわれてしまった事件なんかに挑むという、そんな展開。犯罪組織なんかがあってそこを抜けたドクトル・バーチという怪盗と対峙しつつその中身の妙齢な美女と交流していく展開が始まったようだけれどでも、「カード戦争」自体は目に見えないオスタスにも入りこんでいるようで、異能を使ってマルタ・サギーと名乗るようになった丸太の周辺へと迫っていく。

 まだ始まったばかりで「カード戦争」がいったい何を目的に、誰がやっているのか見えないけれども最初にマルタ・サギーがカードを使ってその問いを発した時点で、カードの力がすべてを解決しているのだとしたらあるいは起こるすべての出来事はそうしたカードの力に従って動いていたりするのかも、って前の富士見ミステリー文庫のシリーズで完結はしているんだから、読めば分かるんだろうけどそれもまた勿体ない話なんでとりあえず、1巻がどれくらい前のシリーズを踏襲して、そして改変されているかを確認する辺りまでを読んでから、あとは同時並行的に追いかけていくことにしよう。それにしてもマリアンンヌ・ディルベルタはどうしてマルタ・サギーに関心を持つんだろう。やる気がない割りに真面目でそして剛胆なところが気に入った? ただのショタ好き? それも含めて追っていこう、その展開。
 マルタといえば、写真家で廃墟写真に優れた業績を残している丸田祥三さんが、何か非常勤講師をしている大学の方でいろいろと面倒なことになっている模様。その詳細は分からないし、一方の主張でしかないんではっきりと誰が問題なのかは言えないけれど、ただやっぱりひとつの講義を何年もやって来た人間に対して、12時間もの間引き留め辞めてくれって言うのは人間に対する礼を失しているし、講座自体も閉鎖してしまうのも、それを受講してきた学生に対して礼を失しているっていう気がしないでもない。だって大学って教授たちのためにあるんじゃなく、学生たちのためにあるんだから。いったいどういう状況からそういう事態に行ったのか。解明が待たれる。けどその大学、前にやっぱり先生全員が裏で言葉を回しながら、児童文学の寮美千子さんを辞職に追い込んだって話が出てたりするんだよなあ。そういう傾向でもあるんだろうか。自由でリベラルでアバンギャルドなイメージのある学校だったのになあ。不思議。

 体調も下降線気味なんでお台場でのSFなイベントには出向かず、浜松町での動物フィギュアの展示会も遠慮して秋葉原あたりで新刊とか探しつつ散歩。映画「ブレードランナー」のブラスターの模型がそろそろ出回るかなあと探したけれど、ラジオ会館の建物にあるショップは微笑女系のフィギュアが中心になっていて見つからず。田宮模型を青島文化教材のダブルネームで戦艦のプラモデルが出ていて箱絵が「艦隊これくしょん」だったりしてこれが時代かとちょっと思った。駆逐艦は表がノーマルで裏が中破のイラストだったり。何だかなあ。でもそれで戦艦のプラモデルが復活したんだから良しってことで。戦車も「ガールズ&パンツァー」で復活したし。でも航空機は「ストライク・ウィッチーズ」でプラモが売れたって話は聞かない。不思議。

 そんな秋葉原の駅で、切符の買い方を迷っていた外国人に買い方を指南していたおじさんがいて、全員が無事に買い終わったようでああこれが日本的ホスピタリティかと思ったら何とおじさん「100円」ってチップを要求してた。いやまあ外国だとそれくらいのチップは普通に払うしもらうけれどもここは日本でそういう習慣はなく、むしろそれが日本的美徳と思われているのにどうしてそういう振る舞いをするんだろう。それとも常習で困っていそうな外国人に近寄り教えつつ小金をせびっていたりするんだろうか。1日貼り付いて入れば数千円くらいになりそうだし、要求しなくてもチップとかもらえそうだしなあ。次からちょっと気を付けてみていよう。駅員さんがどういう態度でそういうのに臨んでいるのかも。

 奇跡を見た。いや現実に起こったことを奇跡と呼ぶのは間違っているかもしれない。それはたゆまぬ練習とそして努力、さらには気迫といったものが生んだ必然なのかもしれないけれど、でもやっぱりあまりあり得ない状況から生まれた結果を誰もが奇跡と呼びたくなるのは分かる。だってもうロスタイム、いくらも残り時間がない中で引き分けなら敗退が決まるJ2のJ1昇格を決めるプレーオフで、モンテディオ山形がゴールキーパーの山岸範宏選手によるコーナーキックからのへでぃんぐで追加点を決めて勝利するなんていったい誰が予想した? 誰もしなかっただろう。っていうか出来るはずがない。

 なるほどキーパーが最後の最後で前に上がるパワープレーが過去に存在しなかった訳じゃないし、それでキーパーが決めた例もあったかもしれない。でもこの一戦、とてつもなく大事な試合で劇的過ぎる得点を決めたってのは思い出しても過去に例がない。だからやっぱり奇跡なのかもしれないけれど、問題はそんな奇跡を起こしたチームの次の対戦相手がジェフユナイテッド市原・千葉ってこと。天皇杯の準決勝では門点ディオ山形相手に敗れてたりするし、引きずる不安に奇跡の力も乗って萎縮しないかと心配で仕方がない。いっそだったら最初のコーナーキックで岡本昌宏選手を前に上げてヘディングで得点をとらせて奇跡を呼び込むって手もあるけど、それをやったら途端に反撃から失点だろうしなあ、あたりまえだ。だからやっぱり地道に試合し地道に勝利し地道に昇格を目指すしかない。今はとにかく昇格あるのみ。頑張れジェフ。男女合わせても最長身に近いレディースの山根恵里奈選手を紛れ込ませてパワープレーに参加させる手ならあるかな。


【11月29日】 前回は都合で始めて舞台挨拶に出られなかった劇場版「THE NEXT GENERATION パトレイバー」だったけれども今回の第6章は真野恵里菜さんがきっと可愛い格好で出てくれるんじゃないかという希望もあって、頑張ってチケットを獲得してそして早起きをして新宿ピカデリーへと向かってブルーレイディスクの限定版も買い、入場して観た映画のエピソード10「暴走! 赤いレイバー」はすでに東京国際映画祭の中で観ていたんで2度目の確認。レルヒさんちゃんと演技してたんだ。あと真野ちゃんの背中が可愛かったけれども舞台挨拶に出来た当人によれば、あの頃はちょっと膨らんでいたようでこんなに映るならもっと引き締めておけば良かったって話してた。でもあれが良いんだあれが。ぷにぷに。

 そして初見のエピソード11「THE LONG GOODBYE」は大東駿介さんがチャラいイケメンを演じてた。いや本来は真面目でそしてコミカルさも持った人間だったんだろうけれど、ちょっとしたつまづきから変わってしまったところを、昔の彼女だった真野ちゃん演じる泉野明には見せたくなかったんだろうなあ、普通に振る舞っていたけどそこに割って入った駿河太郎さん。父親に似ず明るくて豪快だけれど、しっかり二枚目っぽいところも残した演技で場を盛り上げていた。あそこでもっと緻密にして、最初っから引っかける気満々だったらスパイ物になっただろうけど、そうはしないでコミカルな部分も残しつつ、それを取引にして明を助ける展開にしたのもひとつの筋だった感じ。後藤田さんが裏で動くほどの事件でもないし。

 そんな真野ちゃんの高校生時代を描いたパートでは、しっかりと制服姿で、それを今も着て出てきたけれども全然似合っていたのが良かったというか、むしろ今でも十分通用するというか。あと5年経っても大丈夫な気すらするけど、人って変わるからなあ、真野ちゃんもどう変わるのか。それはそれで楽しみ。制服だからストッキングははかず、生の膝小僧とか間近に観られて良かった良かった。坂道を駆け下りてすっころんで盛大にすりむいた痕とかは流石に残っていなかったなあ。そんな真野ちゃんが次にどんな格好をするのか、まるで予想がつかない第7章。いよいよもって特車二課解体の話が表面化する中で、先代の後藤隊長が残した遺産を探すというサスペンス。それが5月公開の劇場版にも続くという。どんな話か。来年1月10日上映スタート。行かないと。舞台挨拶も頑張って取って。

 午前中に新宿まで出たんだからと、地下鉄丸ノ内線で荻窪まで行って、そこからバスに乗って杉並アニメーションミュージアムで開かれている「今敏回顧展2014」を見に行く。映画の上映なんかもやっているそうだけれど今日はなく、展示してある美大時代の課題やあれやこれやの漫画作品、そしてアニメーション監督として手掛けた「PERFECT BLUE」「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」「パプリカ」の4本とテレビ作品「妄想代理人」と、あと短編「オハヨウ」に関する設定画とか絵コンテとか、セル画とかポスターなんかが飾られていてこぢんまりとはしながらも、網羅的に今敏監督のやって来たことを確認できる。絵コンテとか本当に細かく描かれているものなあ、それがあったからこそあの観て驚きの連続で人を引き込む映像になったんだろう。

 そんな今敏さんがどんな想いでもって絵コンテを描いているか、ってあたりをおしえてくれたのが、奥の部屋で上映されていた「2人のパプリカ」という一種のドキュメンタリー。映画「パプリカ」の制作を追ったものだけれどそこでは原作者の筒井康隆さんにとって「パプリカ」がどういう作品なのか、それをアニメーション化する際に今敏監督が“指名”されて何を思ったか、ってあたりが語られていて面白い。1990年代にすでに企画は上げていたそうだけれど、それが実際に通ってなおかつ原作者直々の指名とあって、今敏監督が喜ばないはずはない。本当に筒井さんが好きだなあと思われるのはアフレコのシーンなんかにも現れていて、バーのおやじを筒井さんが演じる場面のアフレコでスタジオに来た筒井さんにもう敬意に溢れた声で指示してる。

 指示はするのかといえばそこはプロなんでちゃんとやり、筒井さんも演劇出身だけあってプロとして自分に納得いく演技を見つけようと懸命になっている。ひとり今敏さん自身は自分の演技にダメ出しなんかしててちょっと可愛かったけど、そういう姿を見られるって意味でもこの「2人のパプリカ」って映像はとっても貴重。っていうか放送されたんだろうか、配信されたんだろうか、今何で観られるんだろうかが気になった。気づいてないだけかな、パッケージもあれこれ買ってるこっちが。さて映画「パプリカ」は、筒井さんへの尊敬を維持しつつ、小説のまんまではやる意味がないと自分ならではのビジュアルを考えていく過程なんかがドキュメンタリーに描かれていた。

 シナリオでは「サーカス小屋」となっている冒頭のシーンで、ピエロが派手派手しくそして可愛らしく「イッツアグレイテストショウターイムッ!」って叫ぶように変えられていたし、敦子と島が車で雨の中を移動するシーンでも、喋る内容を象徴するように窓ガラスを滴る水滴がまとまり太い筋となって流れ落ちる絵をわざわざ入れて、言葉の意味製を絵でもって感じさせようとしていたりする。そう聞くとあのシーンにはどんな意味があったんだろう、象徴させていたんだろうってもう1度2度3度と「パプリカ」を観たくなってくる。

 もちろんBDもDVDも買ってはあるんだけれど家のどこにあるのかが見えないんだよなあ。広い家に住みたい。そうすれば手持ちの「PERFECT BLUE」のセル画だってミュージアムみたいに飾れるのに。都合4袋もあるんだけれど今は適当に積んであって貼り付いているかも。いつかダーレン・アロノフスキー監督にインタビューする機会があったら持っていって見せびらかしてやりたいんだけれどそういう機会がないのが残念。クリストファー・ノーラン監督でも目の前でぶちまけたら何か反応してくれるかなあ。今すぐ全部売ってくれ、100万円でどうだとか。ないかなあ。占いけど。ファンだというなら上げるだけ。そういう風に出来ている。

 “良い肉の日”らしいんでお昼ご飯はお肉にしようと、杉並アニメーションミュージアムから杉並駅へと戻って辺りを探したけれど、ペッパーランチとかくいしんぼうみたいなステーキ屋さんが見あたらなかったんで、近場の松屋に入って、そこでカルビ焼き肉定食をWで頼む。こんなに量あったんだってなくらいの肉が皿に盛られて出てきてすこしタジタジ。1・5倍のサイズとかあったら良いんだけれど、でもそれだと中途半端なんでやっぱり食べる時には一気に行くのが良いのかな。そんなカルビを食べつつ「良い肉」ならと思って観たうしじまいい肉さん……ではなくって、国産肉のPRのために全農が作ったアニメーション「おにくだいすき! ゼウシくん」のサイトを観たら何と新作が作られていた。復活したんだゼウシくん。

 春に第1期が終了してそこで、主題歌の発売記念イベントが行われたのを取材したら、結構な数のファンが来ていて驚いたというアニメーション、っていうかだいたいは花澤香菜さんのファンだろうけど、その作品のシュールさは単純なアニメーションのファンとしても見入らずにはいられないし、ダンスとかのポップさは子供たちを惹きつける。広い世代にアピールして、そこでしっかり国産肉を食べようと喧伝した作品の意義をきっと全農も分かったんだろう、こうやってネットだけながらも第2期の放送をスタートさせてくれた。ありがたいありがたい。でも、その拡散力を取り込みたいんならやっぱりテレビ局は今回も着くべきだったんじゃなかろうか。先行投資に臆病になっているというか、面白がらせるマインドが衰えているというか。でもそんなテレビだからこそ、誰もが観なくなってそしてネットで愉快なあれこれを観て楽しめるようになっているんだ。そういう時代に何を作ってどう見せるか。それが1番の思案のしどころなんだろうなあ。

 安達祐実さんだ安達祐実さんだ、安達祐実さんに会えるってんでチケット売り出しが始まる午前0時にサイトにアクセスして最前列の記者席を除いた最も中央頼を選んだだけあって、安達祐実さんと豊島圭介監督によるトーク付きで観た「花宵道中」は左手の薬指にはめたリングもしっかりと確認できるくらいの距離で安達祐実さんを見られて嬉しかったよ素晴らしかった。まず脚が細かった。そしてお顔も綺麗だった。喋りもとっても巧かったけど、その巧い喋りを映画では過剰な演技にせず、情動の言葉にもしないで諦観の語りにしていた安達祐実さんが凄いと思った。それはどうやら豊島監督による指示だったとか。

 あれだけのキャリアを誇る大女優に「下手に演じて」と求める豊島圭介監督の物怖じのしなさも凄いけど、それを受けて最初は逡巡しながらも自然体というか自分が培ってきたリズムやタイミングを外すことによって自分に染みついた巧さを引っ込め、激情を殺し淡々と語り続ける演技に押さえ込んだのが凄かった。そんな演技の最中に啖呵を切る迫真、呼び止めて叫ぶ真情を混ぜて見せる安達祐実さん。やっぱり凄い女優さんだよなあ。笑顔に真剣な顔に苦渋を含んだ顔など、さまざまに見せる表情ともども演じる女優の真骨頂を見る価値が存分にある映画。言われているのは裸なり情交の様だけれど、それはそれとしてやっぱり演技とはどうあるべきかって勉強になる映画だと思う。

 冒頭に見上げる空と彷徨う女郎の過去と未来を混ぜて見せつつ、出会いから交歓を経て誤解もあり理解もあって結ばれていく女と男の短い逢瀬を、派手な演技も出させなければ無理に情感を煽るような音楽もつけずに、柔らかさの中に静かに描いて観る人を惹きつける。豊島圭介監督のこれが才気って奴なんだろうか。他の作品知らないけど。次も観てみたいかも。そして安達祐実さんの次も。諸々の過去を持ちつつそれを土台にさらに新たな自分を作ろうとしているらしいら。

 ただ、決して「花宵道中」を今までやって来たことの集大成とは言わないところが女優魂って奴なんだおるか。あるいか沽券とも。ここから新たな自分を作っていくなら、それは幕開けな訳だから集大成ではありえない。むしろ不足しているものをここに加えて埋めてそして育てていく。それが果たされた未来、いったいどんな安達祐実さんががそこに現れるんだろう。これも追っていかずにいられない。グラビアだろうと歌手をやろうとファンとして追いかけていくのは当然だけれどでも、天才子役の尻尾を周囲の視線の中で引きずらされていたのをズバッと断ち切ったことは確実。そして始まる第2章の安達祐実のスタートを、皆も「花宵道中」で確認しよう。興行規模として小さくても質として、そして魂として超大作だから。


【11月28日】 それは悪いことではない。伊藤計劃さんという希代の才能が残した3冊の小説が映像化されて再び大勢の人の視線を浴び、関心を読んで盛り上がるということは幸いで、そんな映像化にあたってこれまた日本を代表する才能がそれぞれに結集するのは素晴らしいことなんだけれどでも、ちょっぴりひっかかるのは伊藤計劃さんばかりがそんな集中的な視線を浴びているなあって印象が漂ってしまうこと。そりゃあ今が旬だからって皆がそれを使って何かをしたがるのは良く分かる。分かるけれどもそれを商売だからと割り切ってしまいたい一方で、そうじゃない原作なりオリジナルを世に問うて新しいムーブメントを作るのが映像屋さんの矜持だし、腕だし技なんじゃないのかなあって気もしてる。

 ミシュランのガイドブックに載った三つ星のお店だからと皆が寄ってたかって行列をして、出てくるメニューをかき込んでいるというか、言葉は悪いけれどもその遺命に大勢がすがってついばんでいるといった感じ。追悼っていう時期も過ぎたし映像化して果たしてどれだけの作品になるのかっていった所も見えない中で、そのネームバリューに頼って企画をぶち上げて果たして本当に、誰もが望む形になるんだろうかっていった懐疑もつきまとう。一時の冲方丁さんじゃないけれど、冲方サミットとかってプロジェクト名なんかでいろいろなところがその名前にすがって作品を映像化だ何だとやったけど、過ぎてしまった今、残っているのはいったい何? って思わないでもない。

 「天地明察」ってどれだけのヒットになったの? 「マルドゥックスクランブル」のアニメってちゃんと元がとれたの? ちょっと分からない。「攻殻機動隊ARISE」のシリーズはちゃんとそれなりに繁盛しているように見えるけれどもこれは、別に冲方丁さんをフィーチャーして盛り上げ奉る企画じゃなくってその才能を必要な場所で必要以上に発揮してもらった組み合わせの妙であって、ひとりのスターに群がり守り立てつつ転がしていくっていった感じじゃない。というかそんなの無理だって。やっぱり流行り廃りもあるし、向き不向きってのもある。伊藤計劃さんの作品は小説だと面白いけど映像だとどうなんだろう。

 そう考えた時に同じ労力で別の作品を作り、それを盛り上げ新しい才能を世に出すとかいったことをやった方が、将来に繋がるような気もするんだけれどそれが巧く行く時代でもないからなあ。「楽園追放」はだから奇跡的にうまく行ったオリジナル。こういうのがもっとあれば豊穣さも増すんだけれど。まあ今はそれでもアニメーションが作られる方を嬉しく思う時代なのかもしれない。とりわけ「屍者の帝国」は僕が大好きで10度には及ばないけど結構な回数見に行った「ハル」を手掛けた牧原亮太郎監督が「ハル」と同じWIT STUDIOで作るとあってこれはもう良い物になるって分かってる。分かってるからこそ「ハル」のような冒険を、って言っても詮無いんでここは「屍者の帝国」で名を世に認めさせ、その上で「ハル」のようなオリジナリティあふれる傑作で勝負して欲しいもの。待ってる。

 世界的な事件だろう? って思ったけれども別にNHKが速報で伝えている風はなく、新聞だと朝日新聞が早い時間にニュースにしたくらいで他は遅れて書いてきたって感じだった、将棋電王戦を前にしたエキシビションマッチとも言える、チェスの元世界チャンピオンでIBMのディープブルーとも闘ったガルリ・カスパロフさんと、将棋の羽生善治名人によるチェス対戦。ボビー・フィッシャーみたく表舞台から姿を消した訳じゃないから驚きこそないものの、そのチェスの差し手をリアルタイムで見られるってのは貴重な機会。そして相手は将棋で名人にしてチェスでもランキング的に日本で1番の羽生さんというから、これは日本の将棋ファンのみならず、世界のチェスファンが注目して不思議はなかっただろうけれど、実際に海外でどれだけの人が見たんだろうか。そこがちょっと知りたい。そして羽生さんのチェスプレーヤーとしての評価も。

 カスパロフさんはもう半端なく強くって、1局目は最後に羽生さんが駒損のまま打つ手なしといったところで投了をして握手して、さあ2局目となった時に先手の有利さを生かした羽生さんが、中盤までは互角かそれ以上の闘いって奴を見せていた。そして同じ局面が続いて相手が引き分けを意図するか、って思われたその瞬間、違う手へと移ったカスパロフさんがルークを横にさばいて縦への利きを作った瞬間、羽生さんの優位さがみるみると崩れて最後はやっぱり投了へと追い込まれた。あそこでどうして千日手から引き分けへと行かなかったのか、1局勝っているんだから花を持たせても良いじゃないかって誰もが思っただろ。

 けれども、そこは真面目に対局に挑みそして相手の真面目さも認めるカスパロフさんの矜持って奴だったんだろう。引かず魅せそして勝利する姿を世に示してチェスの醍醐味って奴を知らしめた。見ればこれは自分でもやってみたいと思うかも。将棋だと不可能な指導対局を受けた羽生さんがこれを糧にしてさらに強くなっていったら、本来の日本のチェスチャンピオンもますますかなわないところへと行ってしまうかも。もしも羽生さんが将棋を捨ててチェスに本気になったらいったいどれくらいの所に行くのか、日本人として初のグランドマスターを得られるのか、興味もあるけどそれをやらないままレーティングだけはGMの位置にいて日本1位であり続けるのがまた羽生さんの凄みって奴。それでも大差で勝てないカスパロフさんが、現役でも勝てるかどうか怪しい今の世界チャンピオンたちの強さもそこから感じたい。ここから日本のチェスの新しい時代がはじまるかな。現場で見たかったなあ。

 というのも午後から文化庁メディア芸術祭の発表があってそっちに行く予定にしていたから。時間的には間もあって場所も近かったから大丈夫だったかもしれないけれど、現場であの熱戦に触れたら体力を殺がれて後に続かなかった可能性もあるから仕方がない。そしてメディア芸術祭は漫画家の近藤ようこさんと幻想作家の津原泰水さんが登場してマンガ部門の大賞を「五色の舟」で受賞していた。決してメジャーではない媒体から出てきたそれほどメジャーとはいえない漫画家の作品が大賞という、芸術祭らしいセレクトにまず喝采。すがやみつるさん曰く「1秒で決まった」というからその面白さはお墨付き、ってことなんだろうけれども実はまだ読んでいないのだった。探しに行くか。新人賞には池辺葵さんの「どぶがわ」が入っていてこれは傑作。現実と空想の狭間に生きる老婆の日常を描いた作品。来るべき老いをどう生きるかって強く考えさせてくれる。他にもマイナー系の雑誌に並んだ作品が多々。読み込めば豊穣な日本の漫画表現の今を知れるだろう。

 そんな文化庁メディア芸術祭でエンターテインメント部門の大賞にはあの「Ingress」が輝いた。いわゆる世界規模の陣取り合戦って奴でリアルな世界にバーチャルを重ねて相互に関係性を持たせ、ネットの中を自在にではなくリアルな空間をえっちらおっちら足で歩き自転車を漕いで進んでポータルをハックしていく作業を、充実した体験へと変えてしまった凄さが評価されたってことなのかな。いずれARが実現すれば可能だっただろうことを、あるいは「セカイカメラ」が指向していたことを先に形にしてそれも最高に面白い形にしてしまったグーグルの凄さって奴を改めて噛みしめる。凄いなあ。でも周辺では評判になっていてもメジャーなメディアがガンガン取りあげ消費しているって感じがしないもの面白いところ。ローソンがポータル化を発表したけどどれだけその意味合いを理解しているか。機会を作りコミュニケーションを誘って収益に繋げるコンビニと、利用者の動静を把握して次の商売を探るグーグルの思惑。そこに利用、って言葉はわるいけど介在する人の集合が、次代に何を作るのか。見守りたい。ちなみに未だにレベルは2。


  【11月27日】 悪魔憑きというからファンタジーとか猟奇の世界と思ったら、悪魔とは人間の中にある何かが発動したものだったということで、精神の究極を描いたSFかもしれないと思った榊一郎さんのダッシュエックス文庫第1弾となる「神鎧猟機ブリガンド」(集英社)。そんな悪魔憑き症候群にかかったら、異常な力を暴走させて世界に損害を与える前に隔離され、その中でのたうちまわりながら死んでいくことになっていたけれど、若槻紫織という少女は違っていた。牢獄のような場所の隔離されていたけれど、そこを破壊する黒い鎧をまとった巨人が現れ、その巨人が化け物を倒した時に何かを浴びたようで、紫織の悪魔憑きの症状はぴたりと収まってしまった。

 前例のない現象に国家は驚いたものの、そのまま闇に葬ることはさすがにしないで紫織を外に出して学生としての生活に戻す。そして通い始めた学校で紫織は出会った。あの牢獄のような場所で少女を助けた黒い巨人から現れた少年の姿を。斯波連志郎という名の少年は学校ではオタク趣味を全開にした変わり者で通っていたけれど、その正体は悪魔憑きとしての能力を持ちながらも暴走させることなく、巨大な鎧「ブリガンド」を操って悪魔憑きによる暴走を止めていた。彼はいったい誰のためにそんなことをしているのか。政府の密命かそれとも、紫織にはまだ想像もつかないけれど、どうやら悪魔憑きの能力を使った陰謀を巡らせている存在があって、そこと戦っているらしい。

 紫織自身の悪魔憑き症候群も決して完治した訳ではなく、ただ止まっている状況でいつまた動き出すか分からない。そして世界を脅かす敵の存在。戦う志郎とブリガンド。いくつもの極が対峙している状況がいったいこれからどうまとまっていくのか、あるいは壊れていくのかが続く巻での興味のポイント。魔法少女をこよなく愛する志郎と、そして志郎が憧れつつ今は大嫌いな戦隊ヒーローを愛してやまない風間大吾という少年とのぶつかりあいから馴れ合いまでも気になるところだけれど、そんな喧騒の中で紫織だけは幸せになって欲しいもの。かつて志郎が救おうとして救えなかった彼の妹への供養であり、未来へと繋がる希望でもあるのだから。それにしてもどこで何を書いてもまとめてくるなあ、榊一郎さん。次はどこで何を書くのかな。

 マリー・アントワネットは言った。「テレビの街角インタビューがアベノミクス批判ばかりになっているのが問題なのでしたら、高級住宅街にある金ピカな家か湾岸のタワーマンションのペントハウスに暮らしていて、駐車場には高級外車を並べて、リビングには何匹もの大型犬を侍らせたお金持ちをインタビューして、『自分? 株で大もうけっすよ! 企業減税でうはうはっすよ! アベノミクス万歳! 安倍ちゃんサイコー!』と言わせればバランスが取れるのではありませんこと」。でもそんなことを本当にやったら、アベノミクスや安倍ちゃんへの非難がかえって増すことは明白で、だからテレビ局は街角インタビューでアベノミクスに懐疑的な人を並べざるを得なかった、って解釈も実は成り立つんじゃないかなあと考える。

 それはちょっと過大かもしれないけれど、実際問題として社会に100人がいたとして、アベノミクスの恩恵をそれほど受けていない人が98人くらいいたとしたらテレビが数人に行ったインタビューが、批判ばかりて占められるのも統計的には不思議ではない。真夏の甲府や熊谷でインタビューして「暑いですか?」と尋ねて「暑くない」と答える人が決して多くないのと同じ状況。それをもしもテレビは平等に伝えることが責務というなら、炎天下の甲府や熊谷で「いやいや今日は涼しいですよ」という人を無理にでも見つけて混ぜなくてはならない。それが本当に状況を伝えていると言えるのか、ってところでそれでもテレビが伝える政治に関する報道で、一切の批判を許さないようなことを要請した政権関係者はやっぱりただの圧力なんじゃなかろうか、って言ってそうだと理解できる頭でもないか総裁補佐な某議員。間抜けな取り巻きに足を引っ張られて安倍ちゃも落ちていくのかな。どうなのかな。

 企業が福利厚生と広告宣伝の一環として運営しているスポーツチームを、一朝一夕にプロ化すべきだって言うのはちょっと無理があるとは分かっているけど、それでもやりようによっては支援している企業があるってことは世間に伝えられるし、そのチームを応援することで社員の気持ちだって惹きつけられるというのはJリーグのチームが証明していたりする。三菱系の社員で浦和レッドダイヤモンズを応援していたし、今も支援しているという人はいっぱいいる訳だし。だからバスケットボールのJBLって旧来の日本リーグに所属するチームだって、プロ化をしてチーム名から企業名を外しても大きく存在が損なわれることはないって言いたいんだけれどでも、すでにそれで動いているのをひっくり返すのには相当な労力がいる。それこそ強いリーダーシップで、世界最大の発行部数を出す新聞のドンと向かい合って殴り合うくらいの労力が。

 日本バスケットボール協会が国際バスケットボール連盟から国内のリーグを統一できないと叱られ、リーダーシップを発揮できていないと咎められて国際試合をする資格を停止された問題は、だからそのまま日本のバスケットボール界がひとつのまとまって難局を打開しようとする意識の薄さがもたらしたもので、ここで時の氏神のような存在が現れ、強いリーダーシップと調整能力を発揮できていたら、サッカーのJリーグのようにプロチームが立ち上がり、それがしっかりとした体制の元に運営されてbjリーグとの共存なり、合同なりがハタされていたかも知れないけれど、残念ながら日本にはそういう人がおらず、国も調整に向かおうとはしなかった。

 というかどうして国が何もいおうとしなかったのか。そこが気になるところではあるけれど、いよいよもって2020年の東京五輪が視野に入り、その前の世界選手権も取りざたされる中で国だって何かせざるを得なくなるだろう。いったい何をどうするのか。もしかしたらFIBAとJBAとの間で何か密約でもあって、国ではなくってFIBAが当事者能力を発揮することにしてJBAをこそ公認と認め、立ち上がってきたbjリーグをパージして「はい統一できました」と言い出すような謀略めいたこともあったりするのかもしれないけれど、それをやっては世間からのバスケットボールへの信頼が地に落ちる。ごくごく普通に、そして真っ当にJBAとbjリーグの融合を思案し、プロ化のデメリットを超えるメリットを提案して、うまくまとまるような方向へと持っていくと期待したいんだけれど、果たして。


【11月26日】 安達祐実さんがすっぽんぽんになって色々見せてくれている映画「花宵道中」の上映がすでにテアトル新宿で始まっていて、その舞台に安達祐実さんと監督の豊島圭介さんが登壇するイベントが開かれるってんで、日付が変わると同時にチケットを押さえに走ってどうにか最前列で、おそらくはメディア用に押さえられた中央に近そうなところを確保。あの憧れのスターが壇上に立つならすぐに売り切れても不思議はないと思っただけに安心したけど、それからしばらくして予約状況を見ると、あんまり人が増えてなかった。何でだろう。売り出しだってことを知らなかったか、舞台挨拶の存在自体が知られていないか。分からないけど安達祐実さんが来ると分かれば、きっと大勢の観客で客席も埋まってそのボディを衣服越しに眺めたあと、映画で今度はスクリーン越しに露わになったボディを堪能することになるだろう。と思いたいけど果たして。

 雨の降るなかを支度して電車を乗り継ぎ東京ビッグサイトまで行って「IFFT/インテリア ライフスタイル リビング」って展示会をさっと見学。6月にやっている「インテリア ライフスタイル」が家具と雑貨のお祭りだとしたらこっちはもっぱら家具とか暮らしに関わる品々を選りすぐって集めたといった感じ、って違いはそれほど分からないけれど、でもデザインフェスタとかギフトショーよりは中身も絞られ、ゆったりとしたなかに色々と見られる感じで来る側としたら目移りがしなくて嬉しいかも。ギフトショーとかもう本当に巨大すぎて、1日2日じゃ全部は見て回れないものなあ。目的があればキャラクターだけ、雑貨だけ、ファッションだけって選べるけれどそれでもクロスオーバーして意外なものが意外な場所にあることも。そういうのを見落とさないようにするとやぱり1日ではとても足りない。ビッグイベントの功罪って奴か。

 その点で言うなら「インテリア ライフスタイル リビング」は西館(にし・やかた)の1階部分だけを使っているからだいたいのところは確認できた。ってことで入ってまず気になったのがINOKKOっていう岡山県吉備中央町商工会が中心となって仕掛けているブランド。名前の由来は「イノシシ」で、どうやらそこは山深い町らしくイノシシがいっぱい獲れるんだけれど肉を食うくらいしか使い道がなくって、皮なんかも捨てていたらしい。けどそれは勿体ない、何かに使えないかってことでファッションとか雑貨を作っている所とも相談して、イノシシの皮をそこに使った品々を送り出してきた。コットンのハンティングコートとかイノシシの皮がパッチのようにあてられワイルドな感じなんだけれど日本製だけあってスリムなデザインで、アメリカのL.L.ビーンとかエディ・バウワーなんかよりもファッショナブルな感じ。肘とかに皮がパッチされたハンティングジャケットもあってトラディッショナルな中にスタイリッシュなデザインが施されていた。

 値段はコットンのコートが5万円弱だっけ、あとツイードのジャケットは10万円くらいするらしいけど、そういうのを着て似合う年輩層とかに着てもらいたいとかいった感じ。豚とか鹿と違ってワイルドな風合いがあって固さもあるイノシシの皮だけど、着ているうちに馴染んできてきっといい柔らかさを出してくるだろう。着たいけど僕にはちょっと値段的に届きそうもないのが無念。イノシシの革をあんまり整えずにベタっと張ってポケットにしたトートバックとかもあって、これなんて持ち歩いても格好いいし、車につんでタンカーバッグとして使っても丈夫そう。捨ててはムダになるものをちゃんと形にしてそれもファッショナブルに昇華させたのには喝采。こういう活動を支援してこその政府による地方創生なんだけれど、別に宣伝してくれる訳でもないからこうやって東京まで出てきて展示会に出してアピールしている。勿体ない話だけれど、だからこそ出会えた訳でそこから先、どういう発展をしていくのか。気にしていこう。いつか我が手にも。

 似たような話では、これも山県でヒノキを使ってウィンザーチェアを作るという取り組みを始めた木工房ようびってところも面白かった。ヒノキといったら高級な木材でお風呂にも作れば木造の家屋にだって使われるくらいの木なんだけれど、今どきの家にそうした木の柱もなければヒノキの風呂なんてものもありえない。使われる場所がどんどんと減ってしまって、高級なはずのヒノキが余ってしまって伐採されず山が衰えていくといった現象が起こっているらしい。でも、日本産の木のためそれで家具と作るとなるとやっぱり問題があったのを、どうにか解決して英国生まれでアメリカで発達したウインザーチェアをヒノキで作ることに成功したという。どこがどう難しかったのかははっきりとは分からなかったけれど、マホガニーとかメープルといった頑丈な木とはちがうヒノキで家具はやっぱり難しいような気がする。それを成し遂げたってことでこの先、どんな展開を行っていくのか。その結果林業はどう変わるのか。見守っていきたい。ヒノキ風呂に浸かりながら。それは無理だ。お湯が出ないから。

 ほかに感動したのが「ザ・ケース・ファクトリー」ってブランドの革製のスマートフォンケースで、色も多彩なら素材もいろいろでリザードの型押しもあればカーフスキンもあってクロコダイルもいてパイソンもいるしオーストリッチもあるといった具合に、あらゆる革という革がスマートフォンケースの形になってそこに並んでいた。これは格好いいってのも選べるし、自分の持っているバッグや財布や名刺入れなんかにマッチするような素材と色のものを選んで持つとかってこともできそう。そうした小物には気を遣ってもスマートフォンケースだと有り物の量販店で売っているようなケースに押し込んだりしている人もいるだろう。ちょっとバランスが悪いのが、このケースならブランドバッグにだって負けないスマホにできる。むしろスマホの方が上を行くかも。スウェーデンのストックホルムにあるブランドだそうで革はイタリア製だとか。なら安心。値段も1万円台から2万円台と高いけど、革小物として思えばそんなに高くない。いつかケースを持ったら。ああでも布地をつかった「MATA HANDMADE」も捨てがたいからなあ。2台持つか。いや3台か。

 ネットを知的生産の場として活用して、大いに名を挙げている人たちが勢ぞろいするってんで、ネットに言葉を流すだけで何の生産性にも役立っていない人間として学ぶべきところはないかと、デジタルハリウッド大学院で開かれた「修了生・まつもとあつし氏共著書『知的生産の技術とセンス』出版記念セミナー」を聞きに行く。といっても、まつもとあつしさんがメインで何かするってよりは、共著者でブログなんかで有名らしい掘正岳さんが司会進行を務めて、「note」って誰もが自分を言葉や写真やコメントで発信できて対価も得られるプラットフォームを作り、運営している元ダイヤモンド社編集者の加藤貞顕さんや、データセクションって会社の会長でネット書評でも有名らしい橋本大也さんに聞いていくって形で進行。そんな中でやっぱり興味深かったのは、PV稼げば勝ちみたいな風潮がネット界隈には色濃くあって、それに倣うコンテンツが量産されている風潮に、個人が個人の能力て多彩なコンテンツを発信しているnoteの作り手として、加藤さんがどう思っているかってことだった。

 note以前に加藤さんが立ち上げたcakesって書籍紹介系のサイトでは、最初にひとつ決めたことがあって、それは悪口は書かない、エロも避けるといった具合にいたずらにPV稼ぎに走らないってことだったらしい。有料にするならお金を出してまで悪口のような物は読みたくないだろう、むしろ読んでポジティブになるものを読みたいだろうっていう想いがあったらしく、それはそれで確かに成功した模様。そして、今のnoteってプラットフォームにもひきつがれているかのように、ポジティブで前向きな話題があちらこちらで取りざたされている。有料ってのもあるし、ファンどうしが繋がっているってことがって、そういう場でネガティブだったりさげすんでいたり、騙すようなコンテンツを載せたら、即座にファンは離れてしまうって状況もある。同じ前向きな想いで集まった者たちだからこそ生まれるポジティブな空間。それが強い繋がりとなって収益を生むって寸法。なるほどなあ。

 でも、2回りは遅れたオールドメディア上がりのおっさん世代は、未だPVこそが至上で、そためには近隣国なり敵対政党なりの悪口をかき集めては盛大に煽りつつ、エロい話やスキャンダラスな話を集めて並べて卑近な興味を誘おうとしている。自分の感性がそうだからというんだろうか、女性がアイキャッチ的に目立っていればそれでアクセスも集まるといった雰囲気で突っ走っていたりもする。違うって。読み手はそんなものが欲しいんじゃないんだって。ちゃんとした情報と、ちゃんとした意見、そして明るくて前向きになれる確かな言葉。それさえ並べておけば、評価され支持されていくってことが幾つかのネットメディアが証明しているんだけれど、読んでないのか分からないのか、分かろうとしないだけなのか。その結果が現在の惨状であり将来の惨憺なんだろうけれど、言ってどうにかなるものでもないしなあ。仕方がない。こっちはこっちで、満19年が数カ月で終わろうとしているウエブ日記に淡々と日々を記録しつつ、ひっそりと生きていこう。春はまだ遠そうだけれど。


【11月25日】 すでに先週あたりからネットでは、「SFマガジン」と「ミステリマガジン」とあと「悲劇喜劇」って演劇の雑誌を合わせた早川書房の月刊誌が隔月刊になるって話が出回っていて、長くSFマガジンを読んで来たSFファンやミステリマガジンの読者なんかを、嘆かせたり悲しませたり驚かせたりしていたんだけれど、誕生から半世紀もの歴史を持った雑誌が大変革を遂げるというのに、すぐさま新聞あたりが動いて記事にしようとしたって感じがないのが何か不思議というか。

 別冊文藝春秋が隔月刊すらやめて電子雑誌になるって話を取りあげていた新聞はあったけど、それ以上にインパクトがあると思ったSFマガジンミステリマガジンの隔月刊化は、実は新聞的にはあんまりバリューがなかったってことになるのかな。あるいは文脈として昨今の雑誌離れ活字離れといった状況に、SFの衰退ミステリの拡散なんかから専門誌が立ちゆかなくなって、隔月刊へと移行せざるを得なくなったっていう背景があったならすぐにでも記事になったかもしれない。

 けれどもすぐさま寄せられた関係者の説明として、むしろ売上面では堅調な一方で、単行本の売れ行きも悪くないためそっちに事業をシフトして、原稿を溜めるための雑誌はこの際ちょっと力を入れるのを押さえようってなったってことがあったんで、これは記事にするには弱いって判断があったりしたのかも。雑誌の発売前だから正式に話を聞いてから、ってのは週刊誌のスクープを早売りでもって確認して、「○○とわかった」って感じに記事にするメディアも多くいる中で、あんまり理由にはならなさそう。だからやっぱり単純に、バリューとして弱かったってことなのかもしれない。週刊化だったらあるいは……それもないか、そもそも無理だし。

 そして発売になった「SFマガジン2015年1月号」では隔月刊化についての正式な告知が。そこにも売上の減に対する対応ではなく単行本の充実が目的にあって、そして雑誌もメディアミックスなんかを積極的に行えるようにするってこともあってそれには毎月をひいひい作るより、余裕を持たせて作っていった方がいって判断があったみたい。メディアミックスならむしろ機動的に行える月刊化かの維持か、さらに進んで「TVブロス」みたく隔週刊化が良いって気もしないでもないけれど、そうした特集として取りあげるってよりは、むしろムック的な位置づけを持つとか、別にそうしたものを発行していくといった感じにどっぷり殻みたいって意識があったのかも。

 だとしたら雑誌に人数を割かれるよりはそうした活動に人を割きたいって判断もあっての隔月刊化だったのかもしれない。ともあれ決まったのなら仕方がないので、あとは中身がどうなるかってのを遠巻きにして眺めよう。いや他人事じゃないんだけれど。そんなSFマガジンでは新しく連載もスタートしていて、今月と来月に載ってそこから隔月連載になってしまって良いんだろうかと思わないでもないものの、これも決まってしまったんだから仕方がない。間を埋めるようなデジタル連載も行うかどうか、ってのは編集側の判断か。紙に載りデジタルだけに載りじゃあ何か体裁も悪いから普通に隔月掲載で行くんだろうなあ。

 そんな新連載のひとつはアニメ評論家の藤津亮太さんによるコラムで、まずは「楽園追放」を取りあげそのセルルックな映像面を紹介してた。中身については来月だろうか。もうひとつの新連載はアイドルで読書家でもある西田藍さんのコラムで、ここではサイバーパンクの「ニューロマンサー」が取りあげられていた。奇しくもアイドル系では先輩格の池澤春菜さんがやっぱり「ニューロマンサー」を取りあげギブスン対決。その軍配は? って上げられるほどギブスン読んでないんで共に素晴らしいと喝采。もっとガンガンとそんな対決を読みたいけれどそれも隔月になってしまうのか。そう思うとやっぱり残念。ネットでも……ってそれも無理か。じっくりと練られた文章が載ると期待して今後を見守ろう。だから他人事じゃないんだってば。

 物を書くのに煮詰まったんでまだ手に入れていなかった「カラスは真っ白」のCDを買いに池袋のピーダッシュパルコ内にあるタワーレコードへと出向いていって「うぺくたくるごっと」と「かいじゅうばくはつごっこ」の2枚を購入。さらっと聞いたけれども昔っから変わらずファンクなサウンドにウィスパーにして可愛らしい声を載せた曲を作っていたんだなあと理解する。その進化と深化がどんどんと進んでいて最新の「おんそくメリーゴーランド」となってさらに「HIMITU」へと至るといった感じで、どれだけの音楽になっているかがますます楽しみになってきた。っていうかこれ作っているのはファンキーなバックのメンバーじゃなく可愛いヤギヌマカナさんだっていうのにさらに驚き。どんな才能だ。そして世間はまだ気づいていないのか。「ユリイカ」で特集される日も近いと踏んでいるんだけれど、さてはて。

 下へと降りてのぞいた「エヴァンゲリオンストア」に前に買ったニットキャップのアスカバージョンが入っていたんですかさず購入。これで前に買ったK−SWISSのアスカバージョンと合わせて身につけられるようになった。すでにシンジバージョンというか初号機バージョンのシューズとキャップは揃っているんでこれでコンプリート、って言えるのかどうなのか。靴には他の色もあったしなあ。買っておけばよかった。缶バッジも買ったけれど2つ買って2つともカヲルってのはどんな運だ。「ONE PIECE」で女性キャラも入ってる缶バッジを8個買って全部男キャラだった時には及ばないけど不思議な運。不運? 悪運? そういうものだ。次こそは取るとアスカ。いつ行こう。

 世界がひっくり返る感じを味わえる2冊が共にダッシュエックス文庫から登場。まずは鈴木大輔さんの「文句の付けようがないラブコメ」は神さまに生け贄めいた存在として選ばれたとかで少年が神さまのいる屋敷にいったらそこでは少女が葉巻をふかしてまっていて脅しの言葉も吐いたけれども少年が「結婚して」と願ったらたちまち赤くなってドギマギ。そんな2人が出会いつつ会話をしながら進んでいく物語の中で神さまがいったい何をやっているかが明らかにされ、そんなエピソードの合間に記される伝承めいた言葉によって世界がそんなに単純ではないことが示された果て、世界が終わってまた戻るような驚きの展開がまっていて、その先にいつか終焉は訪れるのだろうかと悲しみの中に希望を見いだしたくなる。微温が極寒へと変わり灼熱の先に平穏が来るような転倒がいつか幸福の中に終わることを願う。切に。

 そして杉井光さんの「放課後アポカリプス」は少し病気で出遅れた高校でつまはじきにあっているようでクラスに登校しなくなった少年が、存在しないC組にたった1人でいる少女に気づいてそして、自分のクラスに戻ってそこで世界が反転するかのように変わって化け物の襲撃に遭うのをクラスメートや学校の生徒達が撃退している最中に放り込まれる。どうやらコマンダーというものに任命されたみたいで周囲を指揮しつつ闘うんだけれどそこで傷つき死んだとしても、元の世界に戻れば誰も傷ついていないという状況から単なるゲームかと思われた先。怪物との戦いで死んだ者がどうなるかが分かり、さらに日常とゲーム世界の垣根がひっくり返るような推察も浮かんでそれが事実として突きつけられた先に少年は恐るべき世界の構造を知り自分の存在への懐疑を抱く。誰が。何のために。どうして。そんな疑問に未だ出ぬ答えを続きが教えてくれるのか。刊行を待ちたい。


【11月24日】 寝ぼけ眼で着いてるテレビを見ていたら健さんが登場していろいろと喋ってた。いわゆる追悼の再放送って奴でその時に見ていた記憶はあるけれど、改めて観て実に快活でそして真面目な人だったんだなあという印象を受けた。寡黙でしぶくて強面といった印象ばかりが語られるけれどそんなことはなく、接する人にはにこやかで仕事には真っ正面から取り組んでそして同じように真面目に取り組んでいる人には共感と賛辞を持って接するという。綾瀬はるかさんと語り始めて途中でカメラ前から下がって2人だけで何か語り始めた時はきっと、本気でその仕事について相談されたり答えたりしてたんだろう。それがどんな言葉だったのか。いつか綾瀬さんに聞いてみたいけどそんな機会はないのだった。エッセイ集とか出ないかな。「胸どれだけあるん?」なんて聞かれてたりして。それはない。多分ない。

 午後に用事があるんだけれど午前中なら大丈夫ってことで流通センターで開かれた「文学フリマ」へ。もう19回目なのかあ、というのは始まった第1回からだいたい行ってる身にはひとつの感慨。つまりはだいたい10年くらい経ったってことで最初は漫画ではない活字による創作活動同人活動にいったいどれだけの需要があるんだろうかって思ったりもしたし、有名人の同人活動ばかりがもてはやされるんだろうとも思ったけれども時代が流れて案外に、評論だって創作だってやってその場で反応がみられる紙媒体での出版にこだわる人たちが大勢いて、そしてそれを求める人も結構な数いたってことが見えてきた。有名人のレア物目当てばかりじゃないっていうか、それは最初だけで今は面白い物があればちゃんと読まれるといった感じ。あるいは作り手と読み手の距離が縮まったともいえるし、狭い判にでコミュニティが出来てうまく回っているともいえる。クラスタ化? そうも言えるかなあ。

 なるほど自分たちこんなの書いちゃいましたってな感じ意識高い系同人活動の気配もない訳じゃないけれど、ネットでバズるのとは違ってちゃんとしたコンセプトを立てて取材なんかもして言葉にも工夫をこらして雑誌なり本って形にパッケージングしなければ読まれないって条件があるだけに、意識高いですよという格好だけでは最初っから話にならない。つまりは意識も高いが行動力もちゃんとある人たちが集っている場ってことになる文学フリマ。本当だったらじっくりと回って手に取りその意識と自意識のカタマリに触れたかったんだけれど時間がなくって誘われてプーチンの同人誌を買ったくらいに止まった。残念。あとダンゲロスとか路地裏テアトロの人が参加している本とか。選挙が終わったらちゃんと読もう。

 文学フリマでは久々にゲンロンが出ていて東浩紀さんが来場していて設営から販売から陣頭指揮をしていた。頑張るなあ。そんな東浩紀さんの「動物化するポストモダン」への異論を提案した「ライトノベルライトノベルから見た少女/少年小説史 現代日本の物語文化を見直すために」(笠間書院)を刊行した大橋崇行さんが階こそ違うものの同じ会場に来ていて「上智大学紀尾井文学OB会会誌」を販売していたりして、お互いの間にあった論争が拳へと発展するかどうかってスリリングな想いも浮かんだけれどそういう場面を観ることはなしに会場を後へ。とりあえず両者間で面識も得たようでここから果たしてどういう議論の積み重ねが成されていくのか、加えて伊藤剛さんらによる漫画側からの情報も乗って歴史がどう組み立てられていくかに興味が浮かぶ。大橋さんは批評というより歴史の構築が主眼なんでそこに批評的な視点からの研究が加わればさらに密度の濃い、縦軸横軸の共にとおった言説が生まれて来ると思うのだ。期待しようその行方に。

 用事があっていけなかったフクダ電子アリーナで、女子サッカーのなでしこリーグで上位チームが戦うエキサイティングシリーズの最終戦があって我らがジェフユナイテッド市原・千葉レディースはINAC神戸レオネッサを相手に引き分けた様子。これで順位は5位となって上位6チーム中では最下位にならずに済んだというか、レギュラーシーズンの上位チームから順に多く勝ち点を持ってスタートしたエキサイティングシリーズで最下位からスタートして1つ順位を上げた訳で、それも常勝軍団だったINACより上に来たってことでこれは皇后杯にも期待が生まれてきた。

 欲を言うならもうちょっと勝って順位を上げたかったところだけれど、エキサイティングシリーズだけでの勝ち負けで見ても決して悪くはないというか、だいたいが拮抗している感じがあってそれも皇后杯での勝ち抜けに希望を与えてくれる要因になっている。今の調子がそのまま出るならこれは、って思うけどこのままで追われないINACがしゃかりきになってくるかもしれないし。いろいろと楽しみ。んで優勝は日テレ・ベレーザを振り切って浦和レッドダイヤモンズレディースが優勝を飾ってこれで兄貴分も優勝すればカップルで栄冠をつかむことになる。そういうのが出来るチームって羨ましい。ジェフは兄貴分がようやくJ2で3位にはいってプレーオフへ。1つ勝てば、あるいは引き分けでもJ1復帰が果たせる訳だけれど、そこで勝てないのもジェフなんだよなあ。どうなるプレーオフ。行けたら行きたいけど行けるかな。

 用事も済んで休日に都会まで出て来たんだからと新宿のバルト9に寄って「楽園追放 Expelled from Paradise」を観る。2回目。んで印象は特に変わらずこれだけしっかりと世界観を持っていてストーリーもあってアクションもたっぷりでメッセージも持った長編アニメーション作品が、パッケージのプロモーション的にわずかな規模で上映されるに止まって多くの人が映画館で体験として観る機会を持てないってのは何かとっても寂しいような気がする。たとえば30年前なら「風の谷のナウシカ」のような作品が大々的な規模で公開されては多くの人に宮崎駿監督という人のアニメーション作家と、そしてナウシカというヒロインと、自然と科学の問題というメッセージの存在を印象づけた。それと同じだろうことが水島精二監督でアンジェラというヒロインで肉体と電子の功罪を印象づけられたはずななのに、公開規模がそれを許さない。

 「幻魔大戦」でも「レンズマン」でも「メガゾーン23」でも「クラッシャージョウ」でも長編アニメーション映画が映画として興行に乗って公開されて封切りに大勢を集めて全国津々浦々から人が見に来た時代ってのはつまり、それを目的としなくても何とはなしに観て結果、これは良いと思いのめりこんでいく人を生んだ可能性があった時代でもあって、そういうところからだんだんとファンを広げつつ一方で、将来の作り手もつかんでいってすそ野を広げ行った、その成果が今のアニメーションの隆盛にあるんだとしたら、今のこの窓口を絞って好きな人しか観に来ないというか、観に来られないような状況は好きな人の純粋培養を生みつつ縮小再生産を招いてそして、将来のマーケットを狭めているような気がしてならない。スタジオジブリが今あるのは「となりのトトロ」の成功が大きいとしても、その前提となる宮崎駿監督の名を知らしめた「風の谷のナウシカ」の興行成功があったから。「楽園追放」の規模ではそういう売れ方はちょっとないものなあ、やっぱり。

 あるいはプロデューサーの人がいっている、最初はビデオパッケージを狙いつつ映画となってそこから小規模で公開して評判をとって世界的に知られ監督の名前も著名となった今敏監督の「PERFECTBLUE」の再来を狙っているのかもしれないけれど、でも貧乏ビスタでビデオ作品として作ってレイアウトなんかもそう切っていたら映画となってこりゃ吃驚だった「PERFECTBLUE」ですら公開に向けては結構な規模での宣伝活動があった。ラジオドラマとか作ってCD化したしコミケにもブース出展をして監督自身が登場したりグッズを売ったりして事前にいろいろ喧伝してた。駅張りポスターもでっかいのを作ったっけ。その結果、ネットもあんまり発達していない時代に人がその存在を知って映画館へと足を運び狭い劇場ながらも連日満席となっていた。「楽園追放」にそうした、アニメ好き以外をかき集めて評判を外へと広げる道筋があるのかどうか、ってのが気になるところだけれど、そのあたりプロデューサーの人がどう考えているのか、いつか誰かに聞いて欲しい。僕はもうそういう立場でもないから。どうなるかなあこれからの国産の長編アニメーション映画って。片渕須直さん原恵一さん細田守さんに頑張って欲しいなあ」。


【11月23日】 片山憲太郎さんの「紅」が復活するってことで話題の「ダッシュエックス文庫」から登場した、「ベン・トー」ではないアサウラさんの新シリーズ「ファング・オブ・アンダードッグ 猟犬の資格」(集英社)が何か殺伐としていて、それでいて人間味もあって良い感じに強いキャラクター性を持った物語を楽しめそう。本当だったら剣にのみ生きる家系に生まれながらも、その頭領を務める兄に腕前でまるでかなわない弟が、逃げるようにして家を飛び出し体に漢字を入れてその文字にちなんだ力を得る「陣士」になろうと総本山へとたどり着く。

 もっとも、そこでも目立つことなく基本的なことを学ぶ学校を終え、いよいよすぐにでも「陣士」になれるかと思ったら仲間内でパートナーを見つけろと命令された。そういうコミュニケーションが苦手でひっそりとしていたのがいきなりのパートナー探し。これはもういけないとやっぱり逃げだし里へと帰ったものの「陣士」になるには体力を減らしておく必要があって、かつて培った剣を降る体力は鈍って森に現れる怪物の鵺すた倒せない。それでも兄に助けられ道場に連れ帰られてそこでなぜか居合いの稽古をさせられた弟は、謎めく少女との対決を経て居合いの何かをつかむ。

 それでもやっぱりまるで届かない兄の剣の腕。兄はやっぱり誹るもののの、それでも弟を頑張れとばかりに送り出し、受けて弟は総本山へと戻ってそこで早急に体に陣を入れ、そして懸案だったパートナーも少女のような顔立ちで耳と尻尾がモフモフなユニが組みたいといってくれて、条件を満たしてさあ「陣士」になったと思ったら甘かった。候補者どうして殺し合え。実際は怪我をしてもすぐに治してくれるし、死にたてでも蘇生してもらえるから言うほど殺伐とはしていないんだけれど、その優勝者だけが「陣士」になれるというのは、裏返せばあとはずっと弱った体力のまま陣の力も消えてしまって生きることになる。

 それは辛いけれどもだからこそ、誰もが必死に上を狙って闘いを挑んでくるのをアルクと名乗るようになった弟と、尻尾モフモフのユニはペアを組んで闘い勝ち残っていく。それはもう熾烈な闘いで、翌日に闘いを控えた対戦相手が食事の場に現れ食べたレシートをこっそり押しつけ去っていったり、やっぱり現れた対戦相手が事前にその店で出す料理に毒を仕込むといった具合。殺伐と言うより卑怯だけれど、それすら許された熾烈な闘いの中でアルクとユニは耐え抜き勝ち抜いては決勝で因縁のある少女たちと対峙する。

 言葉を力に変える陣というものがどういう働きをしていて、そしでどういう組み合わせによってより強さを発揮するのかといった戦術的な組み合わせの面白さがあり、隠された相手がどんな陣をもってどういう戦い方を挑んでくるのかを想像する楽しみもあってと、バトルは単純に異能のぶつかり合いに止まらない奥深さを味わえる。そんな戦い裏では、有力な家系の女子に生まれて政略結婚を押しつけられそうになってあがいている少女の懊悩があり、一族の密命を帯びてとてつもない陣を生み出す焼き鏝を探している探索の冒険があって、その陣がいったい誰によってどう使われているのかという謎へと迫る謀略との闘いもありそう。今は謀略から隔絶しているような道場の兄も何か絡んでくるのか。兄のもとで剣術を学んだ烏という陣士に敵対する一族の少女が、アルクとどう関わってくるのか。気になるけれどやっぱり1番の懸案はユニだろうなあ。本当はどっちなんだろうか。ついているのか。開いているのか。見たいなあ。次は見せてくれるかなあ。

 そしてこちらは「カンピオーネ」の丈月城さんによる「クロニクル・レギオン 軍団襲来」(集英社)。なるほどカンピオーネの作者らしく過去の歴史が現代に大きく絡んでくるといった話。「カンピオーネ」では神様の力を持った人間たちが現れるけれど、その力の背景には神話があり伝承があってその大元を探索し突き詰めることによって力の本質に迫って闘いも有利にできるといった設定があった。この「クロニクル・レギオン」は神様の変わりに過去の英雄たちが現代へと顕現してはその力をふるって身の丈8メートルとか10メートルかある巨大な者たちを使役しレギオン(軍団)を作って戦いを始めるという展開。

 とりわけカエサルが現代に蘇ってローマ帝国の版図を広げたことで、日本は皇国として独立はしながらも、かつては米軍傘下にあったのが今はローマの半ば属国扱いとなっていて、それに不満を持った各地域を治める将軍たちもいるという。そんな皇国にあって皇女でありながらも祖父にあたる竜の力が色濃くでてしまったこともあって疎まれていた日陰者の志緒理という名の姫さまが、カエサルの元で学びつつ人質にとられていた生活からとりあえず開放されて日本に戻ってまずしたことは駿河へといくこと。そこには橘征継という名の少年がいて、志緒理とは2年前に何か因縁があったらしい。正体的には過去の英雄が顕現した存在らしいんだけれど、記憶を失っていてその力をふるえず力を持っていることすら分からない。

 それでも志緒理が駿河に来たのとちょうど時期を合わせるように、ローマに反旗をひるがえそうとした日本の将軍が英国と結んで呼び寄せた女王騎士たちが襲来して駿河鎮守府は風前の灯火に。城代の女性が頑張っても壊滅はさせられず最後の攻撃が行われたかと思ったその時、征継の力が発揮されて敵を退ける。その正体は未だ不明。もしかしたら土方歳三かもと思わせるところはあるけれど、そうとは限らなさそうで、あるいは源氏かそれともといった想像をかきたてられる。そんな立場にありながら、征継自身はいたって平然としていて、力があることを受け入れそれを振るって何かをすることを淡々とやってのける一方で、通っていた学校で学園祭のミスコン実行委員に任命されたことを受けて候補者探しに黙々と取り組み、知り合った志緒理をそこに出そうと頼んでは粛々と水着写真を撮ったりしている。

 たんなるむっつりスケベなだけなのかもしれないけれど、そこはそれ、職務に忠実な真面目さゆえってことにしておこう。とりあえずいったん敵は退けられたものの相手にはとてつもなく強そうな騎士がいて、それとの本気の戦いがあればただではすまなさそう。皇家に対して巡らされる謀略もある一方、志緒理自身も皇家から疎まれている立場でサンドイッチになっている中で、敵も味方もすべて従え天下を手にとれるのか。そこに征継の本性はどう絡むのか、ってあたりが気にかかる。どっちにしたってカエサルは存命で、この希代の英雄を超えることだって難しそうな状況をどう打開していくのか。続きを待ちたい。いつ出るのかなあ。

 ハンドクラフトとアートと音楽とファッションの祭典ってことはどちらかといえばアナログな「デザインフェスタ」とはまた違って、テクノロジーを使ったガジェットを自作しては持ち込み拾うするイベント「Makers Faire」ってのが開かれていたんでのぞいてみようと東京ビッグサイトへ。行くとなるほどスケルトニクスがいたり天気の情報を読み込んで箱に中に雨を降らせたり雲を発生させたりする装置がいたりと「CEATEC」とか「デジタルコンテンツエキスポ」で見たものもあってテクノロジーとアイディアの結びつきって奴を感じさせてくれた。あるいは「ニコニコ超会議」における「まるなげひろば」とか「ニコニコ学会β」の雰囲気とでも言うんだろうか。手作りだけれどとても凄い。ばかばかしいんだけれど面白い。そんんがガジェットがいっぱいのイベントだった。これは楽しいわ。

 感動したひとつが電脳車いす、っていうか頭に取り付けられた電極から筋肉の動きを読みとって車いすに伝えて前進後退に左右旋回なんかを行えるって装置。奥歯をかむとそっちに動いて両方かむと前に進んでトン・ツーで後退だったっけ、そんな動きを割としっかり読みとっているようで試した人も思ったよりしっかり動くと話してた。車いすの電気がどこまでもつのかってことと、あとはやっぱり誤作動に対してどれだけのセーフティがかけられるかってあたりが製品化に向けてのひとつの山になりそうだけれど、そこを乗り越えるとひとつの道が開けそうだし、車いすという形にこだわらなければ入力のデバイスとしていろいろなものに使えそう。ちょっととなりでは豊橋技術大学が立ち上がるのを試演するパワーアシスト装置なんかも持ち込んでいて、これはこれからの開発が必要らしいけど、大学生も大人も含めてアイディアを見せて自由に見てもらえる雰囲気が面白かった。学会とかじゃあないもん、こういう雰囲気。

 ちょうど来日して講演していた本家アメリカあたりでMakersを始めた創設者っぽい人が今はクリエイティビティとテクノロジーの両方が発達してそれを組み合わせていろいろと出来るルネッサンスのような時代だって訴えていた。アイディアがあっても想像力があっても実現する技術がなければ絵に描いた餅、スケッチの中のダヴィンチのプロペラ飛行機になってしまうのが今はアイディアに技術を乗せてネットで情報を募り部品は3Dプリンターで作り出せる。そして作ったものをそれこそ全世界に見せて反応を得られて新しい発明へとつなげていける。

 企業や大学が研究室でひっそりとやっていたものがダイナミックでオープンに行われるようになったこの時代に、いったい何が生まれてくるのか。すごくくだらないものもあるけれど、そのくだらなさが次の1歩を作ることだってある。それが集合知の有効性。バカにしないで発明を讃え支えて伸ばす空気がそこにはある。素晴らしい。今話題のスケルトニクスだってニコニコ超会議の場で見せてこりゃすげえって評判をとった一方で、こうしたら良いこうしたら使えるってなアイディアを吸収して今の形へと発展していった感じだし、ほかの諸々の展示品もここからアイディアをもらい新しい使い方をもらって次へとつながっていくんだろう。ちょっと大きめのピーナツみたいな形をした装置は次世代のガラガラで、ふれば音が鳴りスイッチで音を変えられピカピカと光る。

 物は単純だけれどそこにあある新しさに興味を持って商品へと向かう可能性。それをオープンな場で行える開放性。テストしてマーケティングして商品にしてあたるかどうかを悩んでいる玩具メーカーの対局で、フットワーク軽く何かが作られ送り出されていく。腕にはめて振ると刀になったり銃になったりする装置だってそう。アイディアに資金をもらって作り世に出し評判に。そんな可能性を見せてくれる時代に企業は引きこもって何をしているんだ。そんな企業ばかりを応援してアイディアに金を回さない政治ていったい何なんだ。この国の主体は滅びるかもしれない。でもその下からオープンなマインドから生まれた品々が広まり蔓延っていく。刺激され自分も何かを作ってみようとなった連鎖が将来を作っていったら面白いんだけれど。そうなるかな。どうなるかな。

 SF方面でもイベントがあったみたいだけれどやっぱり見たいと渋谷のパルコ6階にいつの間にか出来ていた2.5Dってライブスペースで行われた「カラスは真っ白」ってファンクでポップなバンドの無料ライブを見に行く。無料ってそりゃあ大盤振る舞い過ぎって気もしたけれど、でもまだ大メジャーへの道を歩んでいる途中なんだからそれもありかなあと。いつかこの日が伝説となって語られる時が来るかもしれない。それくらいに愉快で楽しいライブだった。ネットでの予約がうまくいって会場に入ったらなぜか最前列になって真ん中は恥ずかしいんで隅っこに寄ってベースのグルービーさんの前で見てたんだけれど、中央に屹立して歌うヤギヌマカナさんのキューティーでチャームな雰囲気にあてられグルービーのファンクなベースに酔いしれタイヘイさんのシャープなドラミングに踊らされ、そしてシミズコウヘイさんの軽くて爽やかなキャラとギターの旋律に惹きつけられて最高の時間を過ごすことができた。

 そもそもが「相対性理論」の「ミス・パラレルワールド」って曲のPVになる「やさしいマーチ」を手掛けたアニメーション作家の植草航さんがまた音楽のPVを手掛けたってんで見た「fake! fake!」って曲が素晴らしくって興味を持ったバンドだけれど、そのベースがベキバキとなってドラムがシャープに響いてギターが絡む上に載って響くヤギヌマカナさんの澄んでささやくような声の良さ、そしてメロディアスな楽曲と詞に一気に持っていかれてこれは1度は見ておかなくちゃとなった訳だけど、本物のヤギヌマカナさんは「fake! fake!」のPVに描かれている女の子に似て眼鏡が似合って愛らしく、それでいて男共を手玉に取るような悪魔っぽさもある人で登場して歌い出す鳴り空気感をひとりでガラリと変えてしまう存在感があった。

 そんなボーカルをささえるバンドのテクニックの確かさが、この「カラスは真っ白」ってグループの独特な立ち位置を支えているんだろう。4人そろってのこの結束この雰囲気がずっとずっと続いていって欲しいなあ。でもって大きな会場で全員を踊らせるような姿も観てみたいけどまずはライブハウスから。今回は1月に出るというミニアルバムのプロモーションもかねて新曲なんかも披露してくれたけれど、来年にはツアーもあってもっとたっぷりと聞けそうなんいけたら行こう。歳だけどスタンディングで頑張る。そんな新譜ではまた植草航さんがPVを担当するみたいでこれも楽しみ。すっかりそのイメージを作る人になってしまったなあ。ここからいっしょになってブレイクしていってくれると嬉しいんだけれど。「やさしいマーチ」でブレイクしてもおかしくない人なんだけど。そこが世間、気づかないんだなかなか。ふー。


【11月22日】 朝方に届いた荷物から芝村裕吏さんの新作「宇宙人相場」(ハヤカワ文庫JA)を抜いて出立して横浜へと向かう途中で読み切る。こりゃ面白い。オタクでも結婚できるんだという希望を与えてくれる一方で、結婚したらオタクでいられなくなる可能性なんかも示唆されていてオタクとしての矜持をいろいろと刺激されるけれどもどっちにしても、オタクであり続けるにしても結婚相手を見つけるにしても、結構なお金がかかることだけは確かなようでそれにすら至れない人間は、もはやオタクですらいられないとう指摘を突きつけられて、ここから頑張るべきかもはや諦めるべきなのかと逡巡する。

 主人公は頑張った方だけれどもそれでも35年とかかかった訳で50近い人間が今からどうにかできる時間でもない。ただひとつ芽があるとしたらトレーディングによって日銭を稼いで乗り切ることが出来れば、そのための原資があればってことでそれについては何とかなるんであとは度胸とそして才能。なんだけれど度胸がないんだ僕には主人公のようには。もともとはオタクになりたいと思ったもののお金がなくゲームも変えず漫画も読めない日々。それでも刺激を受けてサッカーを始めて漫画のような活躍をして全国大会にも出たんだけれど、そこでサッカーを極めるかとうとやっぱりオタクが良いと専門学校に行こうとしたら学費がなかった。

 就職の誘いもあたけれどやっぱり漫画か何かを勉強したいとアルバイトをしながら学校に通ったものの稼げる金額ではなく学校は辞めてその日ぐらし。ただそこで引きこもらなかったところがやっぱり想いの強さって奴なのか、秋葉原でアルバイトを始めたらイベントをまかされるようになって知り合いが出来て芸能プロダクションで良い声をした男性の声優さんのマネージャーをやり立場を超えて応援してたらやっぱり拙いかなって話になって、担当を女性に替えられそうになってハッピーだと傍目には見えたものの当人は潔く仕事を辞めて、そこからグッズ制作と販売を始めてどうにかこうにか会社を立ち上げ食べていくだけの規模にする。

 働きすぎず稼ぎすぎず、深夜アニメを見て起きて会社にいって帰って深夜アニメを見られるような規則正しさを貸しつつ仕事はきっちりとやっていた所にリーマンショックで、中国に出していた縫製の仕事がキャンセルされるかもしれない事態に大慌て。国内で代替の工場を探しても見つからずこれはちょっと拙いかもと歩いていたら女性がふらふらと依ってきては彼の目の前で倒れ込んだ。どういうことだか分からないけど心配だからと担いで病院へと走り込んだ元ゴールキーパー。結構危なかったらしくそれで助かった女性に対して最初は奥手で自分なんかといった感じで接していたけど、それを見初めたのかあるいは妙な男だと興味を持ったのか、彼の周辺に女性が現れるようになって彼もいつ倒れるかもしれない女性が心配になって交流を続けるうちに惹かれ合っていく。

 そんな彼女を囲い養わなくちゃいけなくなった主人公が何を捨てるかってオタクを捨てるというか会社を辞めて売却して家にこもってデイトレードして稼ぐという、変わりっぷりが凄いけれどでも好きな人ができてその人といっしょにいたいと思って病院台だって稼がなくっちゃとなったらやっぱりオタクは捨てざるを得ないんだろうなあ。悲しいけれどそれが現実って訳で。そんな「宇宙人相場」の何が宇宙人かというと、彼女の父親に教わりながらトレーディングを始めた主人公の携帯にそれ以前から届くメールがあってどうやら地球のことをいろいろ調べているらしいんだけれどそれがいったい誰なのか、ってあたりがタイトルに重なってきそう。

 つまりはそういうことなんだけれど、それがファーストコンタクトから進化と協調へと至る物語はまたこの先ってことになるのかな。いずれにしてもオタクは金がなくてはオタクでいられず、金を得るためにはオタクでいられず、彼女が欲しければやっぱりオタクでいられないということだけは分かった。オタクな僕はどうしよう。やっぱりオタクであることを捨てて彼女を選ぶか。って言ってもいくら選びたいってなっても目の前に彼女が居ないんじゃ仕方がない。ふらついて倒れてくれる彼女だっていやしないし。いてもきっと美人局だろうし……って夢が無いなあ、でもそれが現実なんだよ。残る派金か。そんなものない。オタクの道は遠くて険しい。哀。

 そして到着した横浜アリーナで見物した「ANIMAX MUSIX2014」は及川光博さんが素晴らしすぎた。ステージの上に登場してからそこで立っている姿、ポーズをつけている仕草、歩いている姿勢に見つめる視線のすべてがミッチー、すなわち神だった。遠くからだったけれど眺めていて頭がクラクラした。なおかつ歌声が素晴らしかった。元より巧いのは知っていたけど、あそこまで通る声で賑やかな会場でアニソンを聴いている人たちを一気に惹きつけるとは。ロックを歌ってもちゃんとパワフルな声が出て会場を引っぱっていた。コラボでいっしょにロボットアニメの主題歌を歌った鈴村健一さんもロックな歌手としてやっていける声量の持ち主だったけれど、やっぱりプロのシンガー、ミッチーが抜けていた。踊りを一緒に踊りたかったけどプレスのボックス席では無理だった。いつか行きたいミッチーのライブ。でもベイベーばかりの中に混じる勇気はないのだった。せめて見て自分を慰撫しよう「バラ色の人生」。踊りたいなあライブでいっしょに。でも歳が…。

 そんな「ANIMAX MUSIX2014」ではANIMAXが開催していた全日本アニソングランプリの歴代優勝者によって作られたAG7ってユニットが登場したけど見たら6人しかいなかった。そうHIMEKAさんがいなかった。所属が決まらず春に本国のカナダに帰ってしまったHIMEKAさんを抜きにしたステージは、それでもやっぱりその声が必要だとばかりにソロのパート部分をレコーディングから抜き映像も添えてシンクロして流してた。その声を聴いてやっぱりAG7には、というか日本のアニソン界にHIMEKAさんが必要だと思った。だって7人の中で誰より歌声に特徴があるんだもん。揺れるような震えるようなその声がサビに聞こえるともうグッと来る。特徴があってなおかつ巧い。そんなアニソンシンガーの不在が今になって寂しくて哀しくなってくる。ご本人のメンタルに要因があることはインタビューした僕も知ってはいるけれど、でもそれを乗り越えてやっぱり復活して欲しいし、乗り越えさせて引っぱってきて欲しいもの。面倒を見て鍛え引っぱり推す人の登場を求む。僕では無理だお金がないから。

 そんな「ANIMAX MUSIX2014」で思ったのはちゃんとアニソン歌手、つまりはアニメソングを専門もしくは積極的に歌う歌手をフィーチャーして人気が出やすい声優さんによるキャラクター的な歌をあんまり引っぱってきてなかったことか。それをやればお客さんは集まるし、最近は声優さんも歌が巧くて聞き惚れることは分かっている。でもそれでアニソンシンガーが廃れてしまうのは勿体ないって事実もあったりする中で、ずっとアニソンを歌ってきたKOTOKOさんを招き第一人者ともいえるMay’n部長をトリに据えたりするセットリストの中にGARNiDELiAを入れアニソングランプリではグランプリじゃなかったけど誰より目立ってしまった春奈るなさんを入れJAM Projectを引っぱりKalafinaを出し今のI’veを引っぱる川田まみさんを大々的に押し出したりしてアニソンシンガーの凄みって奴を分からせようとしている。やなぎなぎさんはやっぱり愛らしくそして今年は力強くもあったなあ。

 谷山紀章さんがリードボーカルのGRANRODEOも出たには出たけどもはや声優さんの趣味って範囲ではなく超絶的な巧さと声の大きさを持ったハードロックバンドとして君臨しているといって過言ではないし、鈴村健一さんもその歌のうまさでもってひとりのロックシンガーとして立っていけそうな印象を醸し出していた。声質がポルノグラフィティにどこか似ていたなあ。つまりはそれくらいの巧さ。合間にはもちろんセガ・ハード・ガールズのように声優さんのユニットもいたし井口裕香さんら声優さんのシンガーもいたけどそれが全部を持っていくようにはしていないところがひとつの配慮かあるいは企画した人の信念か。アニサマが声優さんのユニットショウとして立つならこっちはアニメミュージックシンガーの殿堂として立つ。そんな並立でもって共に栄えていってくれればどっちも好きなファンとして嬉しいんだけれど。でも商業は声優さんのキャラソンなりユニットなりを取るんだよなあ。聞く側の意識を高め歌う側の技巧も高めて良い歌が正当に評価される世界を招こう。まずは及川光博さんにもっとアニソンを。そしてアニサマでもその素晴らしさをベイベーたちに見せつけてもらおうではないか。


【11月21日】 ギターを鳴らして人間の声のようなものを出して会話する人が出てきたのって「コータローまかりとおる」だったっけ、ってな遠い記憶を掘り起こしてしまったのは、今日から始まった「2014楽器フェア」ってイベントに行ってKORGが出してた「MIKU STOMP」ってエフェクターを見たから。ギターに取り付けるものなんだけれどそれでギターを弾くと何と音色が初音ミクになる。でもって旋律をしかりと弾くと初音ミクを歌わせられる。これは凄い。キーボードでだってやれないことはないけれど、ギターでそれをやれてしまう振る舞いがまず格好いい上に、自分で作った歌詞なんかも乗せられるとあってこれを披露するために、ギターをマスターしたいとすら思えてきた。恐ろしいなあ初音ミク。

 そう思った人も多いのか、店頭でも大人気だそうで立ち寄った楽器店の人が増産はいつかかるんですかと担当の人に尋ねていた。やっぱり品切れらしい。アマゾンも入荷未定になってるしなあ。本当に巧い人が弾くと本当にギターで会話しているような感じにできる。1音に1つの声を当てておくことによって様々な言葉をギターによって発せられる。これがあれば会話だってギターで出来るかも、ってそれがまさしく「コータローまかりとおる」のスティーヴ・パイ。彼はそうしたエフェクターがなくてもギターの響きだけで日本語を発してしまっていた。それはちょっと凄すぎるけど初音ミクを歌わせられるのもやっぱり相当に凄い。ここからいったいどんな新しい音楽が生まれてくるのか。ニコニコ超会議とかで演奏する人が出てくるのを待ち望もう。

 楽器が変える音楽というと17世紀の鍵盤楽器のクラヴィコードを現代に生まれ変わらせたようなネオヴィコードってのが楽器フェアに出ていてこれもとっても面白かった。ドライバーのような先端で弦を叩いて音を出すクラヴィコードは鳴っても音が小さくて、ピアノに負けてしまった過去がある。これをネオヴィコードでは、接触によって流れる電気でもって音色を出すような仕組みにして、それで大きな音でも響かせられるようにした。なおかつ鍵盤の叩き方によってビブラートだって掛けられるという。鍵盤を押してそれから押し込むと音が震えるといった感じ。巧い人が弾き始めてそして慣れてくると本当に、ギターを演奏しているような音が聞こえてくる。それはキーボードにギターをサンプリングしたものとは違う、ネオヴィコード独特の音色。その音色を使った音楽って奴をあるいは、考え実践する人が増えてくれば今とは違った音楽って奴が、そこに現れてくるかもと思わされた。楽器って凄い。そして音楽も。プレーヤーのハクエイさんの演奏、聞きにいって見ようかな。

 演奏したいというならそれはKORGから出ていた「けいおん!」の琴吹紬をフィーチャーしたショルダーキーボードも同様かな。製品としてはすでにあるものだけれどそれに「けいおん!」の音源とかが入っていたり裏側に紬ちゃんのイラストが描かれていたりとファンなら垂涎に逸品。手にすれば気分は紬ってことになるし手にしなくても置いて崇めて奉りたくなる。でも楽器なんだからやっぱり演奏してあげてなんぼか。300本限定とかだし値段もそこそこだし、手に入れるにはちょっと遠いけれども何かの弾みで気の迷いが起こったら、買っていたりするのかも。これでまずは鍵盤を練習して、次はギターを練習して「MIKU STOMP」を弾きこなす。それを60歳までにやりとげる。老後の楽しみっていろいろあるなあ、この時代。

 「2014楽器フェア」の目玉はもちろんそうした展示品でもあるし、普通の人にとってはフェンダーをはじめ多くのメーカーが出しているギターだったり金管楽器だったり弦楽器だったり和楽器だったり諸々の音響機器だったりするんだろうけれど、ただ楽器を眺めに行く人は、あるいはミュージシャンに憧れ楽器を愛でている人にとっては「YMO楽器展2014」が相当に嬉しい展示なんじゃなかろうか。1979年のロサンゼルスで行われた初のワールドツアーでの演奏に、あのYMOが使った楽器のセットがすべて再現されているという展示。もちろん当時のものばかりではなくって、ほかの物も混じってはいるけれど中には実際に使われたものもあるそうで、当時を知る人も当時の活躍を今に伝え聞いてYMOの偉大さを感じる人も、見ればいろいろと募る思いがあるんじゃなかろうか。楽器を使う人にはいったいどうやって、あの音を出していたのかを楽器を見て考える楽しみもありそう。眺めるだけなら会場からでオッケーだけれど、別にパンフレット付きのチケットを買って申し込めば楽器に近づけるツアーもあるとか。でもすぐに一杯に。そこがYMOの偉大さって奴なんだろうな。TOKIO。

 偉大さといえばX JAPANのhideさんが愛用していたギターの展示も行われていてこれがもう豪華絢爛。YMOを知らなくてもX JAPANを知っていてhideさんのギターの凄さを知っている人なら見てこっちの方が感動するんじゃなかろうか。ずらりと並べられたフェルナンデスのギターはそれぞれにペイントされたり象嵌されたりしてカラフルでファッショナブル。音楽だけじゃなくファッション性でも時代をリードしたミュージシャンの遺産だけのことはある。やや照明がピンク色してギターそのものの色をはっきり見られなかったけれど、そういう照明の下で弾かれたギターの色はつまりそういうものだという理解もできる。見つつモニターで流れる演奏を聞きつつ思いだそう、あの時代のあの絢爛さを。今にあまりない音楽のパッションを。

 感想を言うなら「乳もあれば尻もある」。あの偉大なしりあがり寿さんが漫画の中で登場人物に吐かせたセリフだけれど、それがこれほどまでに似合うアニメーションもないんじゃなかろうか。アニメーターを育成するプロジェクトとして立ち上がった「日本アニメ(ーター)見本市」は第3作目にしてとてつもなくエロティックな作品が登場。その名も「ME! ME! ME!」はミュージックビデオという形式でもって少女やそれが元になった怪物が踊り群舞し乱舞するようなサイケデリックでエキサイティングな映像って奴になっていて、あまりに過激でiPadとかでは再生が出来ないことになってしまった。何だそりゃ。でもってウエブの方はブチブチ切れて止まってしまうのは個人の再生環境によるものだけれど、それがアクセス過多だからなのか違うのか、もうしばらくしてアクセスし直して見て考えよう。ただしかし何でもありをこうもすぐさま証明してしまうパワフルさが素晴らしい。次はいったい何が出てくるのか。いよいよ楽しみになって来た。

 たぶん正直に考えるなら真っ当で、法律にひっかかる画像をリツイートによって拡散したらそれは配信と同義と捉えられ、罪に問われて不思議はないんだけれどもただ、システムとしてそういった拡散が勝手に行われ得る状況にもあったりすることがひとつ、そして状況をあまり重く考えていない世代の子供がつい面白がってやってしまったことがひとつ、背景としてあったりしてそれを果たしていきなり罪に問うても良いのかって考えも浮かんだりする。目の前にある問題の画像を官憲に通報しようとして、安易にリツイートのような方法をとってしまってそれまでも、善意でありながら罪に問われたらたまらない。そんな抜け道というか、ひっかけようと思えばひっかけられる罪を罪として問うべきなのかといった問題を、これから考えていく必要があるだろう。でないとおちおち、ネットなんて使っていられなくなるから。面倒な世の中になってしまったなあ。

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