縮刷版2014年10月中旬号


【10月20日】 起きたら本田圭佑選手がイタリアのサッカーリーグ「セリエA」のA.C.ミランで2得点を決めていた。これでアルゼンチン代表だったカルロス・テベス選手と並んでリーグトップの6得点。うちテベス選手はPKが2得点あるけど本田選手は全部が自前のゴールなだけに、実質的にはリーグをリードする得点王ってことになる。凄いなあ。ドイツのブンデスリーガでもマインツの岡崎慎二選手が結構な得点を奪っているけど、やっぱり日本人選手がセリエAで、それもA.C.ミランで背番号10を付けて得点王に輝いているのって、20世紀だったら誰も信じなかっただろう。21世紀に入ったって2010年までは信じられなかった。それが……。持ってるって、こういう事なんだろうなあ。

 そのゴールシーンはどちらも後ろから来たスルーパスをしっかり受けてゴールに流し込むという見事な得点。最初は右サイドを駆け上がったところにちょうど来たのを、そのままほとんどダイレクトにゴールに蹴り込んだって感じ。あそこにあのタイミングで走り込んでいる本田選手も凄いけれど、そこにピンポイントでパスを出したミランのあれは誰だろう、そのテクニックと視野の広さも凄い。2点目もやっぱりピンポイントでスルーパスを出した選手が凄いけど、それを受けてドリブルをしてゴールキーパーが目前に迫るところでひょいっと左足でキーパーの向かって左側を抜きゴール左隅へと流し込んだ冷静さが光った。そんな選手だったんだ、本田圭佑って。

 いや、もともとそういう冷静さを保てる選手ではあったんだけれど、日本代表では回りの判断の遅さなんかもあって、そういう場面をなかなか作らせてもらえないのが、この数試合の不調につながっているのかも。サッカーは1人では出来ないってことで。まあでもこうやって、リーグで活躍できているならきっと代表でも大丈夫だろう。ただアジアカップはリーグと重なる関係でどっちか選ばなきゃいけない。せっかく得点を重ねているんだし、リーグでの活躍をもっと見たいけれど、それが許される日本代表でもないのか。別にスポンサーに気兼ねする必要ななさそうだけれど、それでも日本代表を選んでしまうのが本田圭佑って男なんだろうなあ。そんなセリエAの得点王争いを横目にスペインではクリスチアーノ・ロナウド選手が飛ばしに飛ばしてもう15得点。ネイマール選手のほとんど倍。凄すぎ。それでレアル・マドリードは首位じゃない。凄いリーグだなあ、リーガ・エスパニョーラって。

 ウルトラセブンだウルトラセブンだ、ウルトラセブンに会えるってんでお台場にある東京ビッグサイトまで行って国際メガネ展とやらを見物。青山グループって別に洋服の青山とは関係のない眼鏡メーカーさんのブースへと駆けつけると、壁に「ウルトラセブン」のBDボックス発売を告知するような写真が並び、その下にウルトラセブンをモチーフにした眼鏡がずらりと並んでた。といってもウルトラアイをそのまんま形にしたようなものではなく、セブンなりのソリッドな感じを残しつつ、そしてセブンに独特な赤も使いつつ、ちょっとずつデザインが施された感じになってて、普通にかけても押し出しの強さはなく、かといって引っ込むようなこともなしにそれらしさって奴をしっかりと主張してみせてくれていた。

 デザイナーの人は、テレビのウルトラセブンが直撃した世代って感じでもなかったけれど、それでもやっぱりセブンが持つクールでスタイリッシュな格好良さを、どう形にするか迷ったもよう。だって誰もが知ってるセブンだもん、それをどう形にしたっていろいろと言われるのは分かっている。でもそこでひるまず、自分なりの形を模索していった結果は見事にウルトラセブンの雰囲気を残したものになっていた。デザイナーって凄いなあ。よく見ると蔓の先っぽのところにはアイスラッガーが配されそして、蔓のこめかみにあたる部分なんかにはセブンの腹から脚にかけて伸びる揃いラインが配されている。用意されたクロスにも、そしてボックスにもアイスラッガーマーク。それがやっぱりセブンらしさのアイコンって判断なんだろう。

 デザインは良し。では品質は? そこはだから眼鏡の王国、福井県は鯖江の技術が存分に使われているようで、まずは素材がカーボンとチタンのハイブリッド。小さくペレット状にしたそれらの素材をまずはプレートにしてそこから1つ1つ、職人が眼鏡の形を切り出して削って仕上げていく。何という手間。そもそもが上部な素材を削るだけでも大変なのに、間違えたり歪んだりしないそのテクニックの結果が、ひとつひとつの完成度につながっている。軽さもチタンだけの物に比べて30%は軽いとか。チタンだって相当に軽いんだけれどそれよりもってところが、見た目にちょいゴツっとした感もあるウルトラセブンの眼鏡を、かけやすくて格好良いものにしている感じ。

 買うのはおそらくは50代に入ったウルトラセブンを見て育った層か、それよりちょっと下の憧れている層。だって値段は4万8000円。それもフレームだけ。レンズをつけて加工したら6万円は超えてしまいそう。でも欲しい、そしてかけたいという拘りを寄せるに相応しいモチーフであり、品質なんだろうなあ、ウルトラセブンとそして鯖江の目眼は。僕は貧乏なんで欲しいけどちょっと手が出ない。いつかきっと。そんな国際メガネ展で興味深かったのは、北欧かどこかから来ていた木製のメガネフレームかなあ、合板だけれどそれを切って曲げてメガネの形にしたという。かけるとちゃんと顔に沿って蔓が曲がるし金属じゃないからアレルギーも起こらない。踏めば曲がるし割れたりもするけれど、でも丁寧に扱いファッショナブルに掛けるにはちょっと楽しそうなフレーム。これから売るそうなんで気になる人は気にしておこう。

 向かいでメンズファッションの展示会もやっていたんで、のぞいて目に付いたのがオールド・ファブリックっていうバッグのブランド。遠目には布と革が使われたハイブリッドなビジネスバッグだけれど、近寄るとその布が御幸毛織って日本の毛織りメーカーのひとつが昔作っていたビンテージのスーツ生地。それを探し出してはカバンに使いブランド名が書かれた耳の部分を中央に配してそれだと分からせるという凝り様は、スーツ生地なんかに興味のあるファッション好きが見ればこれはと思うはず。なおかつここん家はジェントリーって名前のブランドで、内外のビンテージ生地を使ったスーツも作っているみたいで、生地からジャケット分を採るって残りでパンツを作らずカバンを作って「ジャケバン」としてセットで着こなすといった提案を行っていた。

 これがまた格好いい。ビンテージならではのちょい派手なテキスタイルをスーツで着るとくどいけど、ジャケットとカバンならアクセントになる。今どきの若い人なら颯爽と着こなしそうだし、リクルートみたいな場でジャケットにセットアップでカバンをジャケットと同じ生地で作って持っていたら、ファッション好きの面接官なら一発でヤられてしまうんじゃなかろうか。まあでも基本的にそういうのに疎い朴念仁が面接官になるだろうから、何だこのおチャらけた野郎はって排除されてしまうんだろう。ファッション系だったらどうだろう。そこん家のブランドを着てなければ排除か。つまらない世界。だからそういうのが気にならない粋な大人が利用して、今はもう作れないくらいに繊細な柄の生地を使ってジャケットを作りカバンを作って持って歩けば、世界も格好良さに溢れるってことで。低価格スーツ一辺倒の世界をこれで妥当せよ、ってスーツ着ない人間が言っても説得力、ないかなあ。

 ただの物知らずで、専門家から嘲笑される軍事記事を書き散らしてひとり悦に入っているだけかと思ったら、心底から愚劣だったというか、とある新聞に寄せたコラムで一国の元総理を相手に「政治的禁治産者にせよ」とか主張していてひっくり返った。その趣旨は分からないでもない。元総理という肩書きでもって世界へと言っては、好き勝手なことを言われて日本の政治がままならなくなる恐れを指摘するのは構わない。ただ、そうした人間を論って今は差別語として使われなくなった言葉を持ちだし、それも確実に誹るための言葉として使っているのはどうなんだろう。かつては法律として状態を客観視しつつ表現していた言葉でだったかもしれないけれど、その状態に置かれた人を、ある種の枠におしこめ差別区別のニュアンス込めて表現するよになった言葉だからこそ排除された。それを敢えて引っ張り出してくるセンスはやっぱり拙いんじゃないのかなあ。読んで同じような不快感を抱いた人も多そうだけれど、そうした声は聞かず喝采と同意だけに囲まれ差別的な意識を情勢させ、吐き出していくんだろう。読んで一部の仲間だけが群れ集い、ほかの大勢は離反して、そして……。考えるのも恐ろしい未来が見えてきた。


【10月19日】 そして起き出して舞台挨拶に初めて行けなかった「THE NEXT GENERATION パトレイバー 第5章」を新宿ピカデリーで鑑賞、とりあえずブルーレイディスクは買ってパンフレットも買って、入り口でカーシャの長い長い名前がカタカナで書かれた名刺をもらって、いつもは初日の初回だから大きいけれど2日目なんで手狭な高い階にあるスクリーンへで見た第5章の印象はといえばとりあえず、Tシャツ姿の泉野明こと真野恵里菜ちゃんの胸の膨らみが目についた。そりゃあ細腰から盛り上がったカーシャの方がビジュアル的な迫力はあるけれど、トータルとして黒いTシャツを着ているカーシャは高低の差が見えにくい。残念至極。

 対してグレーだかカーキのTシャツを着た真野ちゃんは、全体のまるっとはしていてもそこからさらに飛び出た胸がTシャツを内から盛り上げ、何やら柔らかそうなものがそこにありそうだって想像させる。どんな形をしているんだろう。そしてどれだけの大きさがるんだろう。先っぽの形は。あるいは色は。それをどんな下着が包み込んでいるのだろうってな感じに、沸き立つ想像の奔流に溺れそうになるくらい、そのシーンに目を釘付けにさせられた。また見に行こう。いやBD買ったんだから家で見れば良いって言われそうだけれど、巨大なスクリーンを見上げるように見てこそ、感じられる質感なり量感ってのがあるのだ。そういうものだ。

 さて物語はといえば、エピソード8の「遠距離狙撃2000」はあの場面でまずスナイパーがどうしてターゲットをぶち抜かなかったのか、たとえ自分が撃たれると分かってもそこで仕事をこなすのがプロじゃないのか、それともそこは生き延びることを第一にして、自分を狙うこの場合のカーシャを排除してまた狙えば良いと考えたのか、ってあたりが気になったし、スナイパーとカーシャが対峙する場面で、どうしてスナイパーがじれるような雰囲気を醸し出したのかも気になった。釘付けにされてはいずれ露見し捕まると考え、それなら先に動いてでも自慢の50口径で壁ごとぶっ飛ばせば良いと考えたのか。相手がカーシャなら勝てると踏んだってこともあるのかなあ。ちょっと分からないけどとりあえず、勝ったカーシャに敬礼。あれだけの腕がありながら何で日本に研修に出したんだろう。そこも知りたい。問題児なのか?

 そしてエピソード9「クロコダイル・ダンジョン」。テレビシリーズも新OVAシリーズも見てないんで元ネタとの関連で直接的に笑うことは難しかったけれど、そういう話もあったんだという理解の元で見た地下道における小隊の慌てっぷりは、演技なのか素なのか分からないくらいに普段が出ていて面白かった。とくにカーシャ。冷静極まりない演技を見せている彼女が、このエピソードだけはネズミを怖がり慌てそして突っ込む周囲に動揺した声で反論し、ドゥカティが買えるぞと誘われ沈着さを失ったりするそのキャラクターは、直前の冷静極まりなく時に冷酷なキャラクターとはまるで違っているけれど、でもそれもアリなのがこの「THE NEXT GENERATION パトレイバー」。軸をしっかり置きながらも、左右にぶれる様を見て驚きつつバリエーションに笑いつつ、収斂されていく1つの世界観を堪能できるって意味で、1つの解釈しか出来ない作品に比べていっぱい楽しめるんじゃなかろうか。次はどんなカーシャが見られるか。そんな拠り所を得てこれからの展開を楽しみに見ていこう。次はちゃんと舞台挨拶見たいなあ。

 何でこんなに人がいるんだと驚いた「ANIME SAKKA ZAKKA3」。だって同じ千代田アーツ3331で開かれた前の2回は、無料で見られたのに会場に見ている人が僕を入れて数人とかってことが割とあったし、西巣鴨の学校跡で行われた上映会なんかも、理科実験室か何かを会場にした上映場所に僕1人だけって状況があったりして、やっぱり自主制作アニメーションの自主上映会なんてこんなもんかと嘆いてたら、今回は500円を取りながらも会場に入りきらず立ち見が出るくらいの盛況ぶり。期間を2日間にしたことが奏功したのか、それともプログラムに大スターが入ったからなのか、分からないけどでも見渡してもプログラムにジョン・ラセターもライアン・ラーキンもノーマン・マクラレンもヤン・シュヴァイクマイエルもいやしない。全部がまだ若いアニメーション作家たち。それを見に来る大勢の人たち。何か潮目が変わろうとしているのかもしれない。

 とりわけ人気だったようなのが井上涼さんで、ちょっと前に紙芝居対決なんてのをネットで中継して、ダントツの1位を取ったこともあって人気の程を伺わせてくれたけれど、ANIME SAKKA ZAKKAの会場ではサイン会をしていたらそこに長蛇の列が出来てしまって、僕が会場に到着してプログラムを2つと半分くらい見終わって会場を後にしようとした時もまだ結構な行列ができていた。そんなにすごいアニメーション作家だったのか! って驚いたけれど別にテレビのワイドショーが宮崎駿監督みたいに取りあげる感じでもないもんなあ。そこが不思議。それを言うならカンヌだヴェネチアだベルリンだと出まくっている水江未来さんだって、テレビに出ることはあんまりないか。つまりは大手といわれるメディアと、実際のファンとの乖離ってのがあるんだと改めて感じた次第。しかし何人くらいにサインしたんだろう井上さん。そのサインとイラストを後で撮影して繋ぐと1本のアニメーションになっていたらちょっと凄いかも。

 その作品「ワナビー ア ツナ」は、なぜか角髪(みづら)のように髪を結った少女が学校で何かあって落ち込んで還ってきたのを家にいる小人だか妖精だかがお料理を作って慰めるといった感じ。フルーツかサラダか何かをつくりパンケーキを焼いて出したりするその健気さにちょっと涙ぐむ。あとその女の子の部屋にあったのが、髪型に合わせたように土器とか埴輪だったことも。ってことはやっぱり角髪だったのか、何を見てそれを女の子にさせようと思ったのか、って思考の回路がちょっと知りたい。みすず学苑の広告を見てこれかっこいいとか思ったりしたんだろうか、そうでなければ接する機会なんて現代においてないものなあ、昔は普通に歩いていたけど、って歩いてないない。

 インパクトがあったのはザグレブで何か賞を取ったらしい冠木佐和子さんの「肛門的重苦 Katsujiri Juke」でそのあけっぴろげな叫びと展開のシュールさ、そして下品なんだけれど眉を潜めるようにはならないおかしみが、アニメーションのた津陣達をしてそおの琴線に何か引っ掛かるものがあったんだろう。日本語での叫びが分かったかどうかは分からないけえど。パワフルだったのが澤田裕太郎さんの「“新世紀末 奴との遭遇 『第2遭遇 激突の時』”」って作品で、人類を滅ぼしに来た恐怖の大王が人類を見つけられず迷っていたところにやってきた人類の救世主のロボットに絡まれ大変といった展開。ロボットの声とか格好良かったし怒濤の展開も楽しかった。んで結局人類は生き残っているのか。第3遭遇は作られるのか。そこが知りたい。

 五反田へと回ってVELOCHEで休憩してから、ゲンロンカフェへと行ってさやわかさん×ばるぼらさんのインターネッツな対談を聞く。日本のインターネットが今どうなっているか? といった話だったように記憶しているけれど、だいたい頭からとんでいるんで思い出したところを広うなら、テキスト的なもので多くに読まれ国内のみならず世界に届くようなものになるのはキツいんで、猫の画像を毎日いれるかあるいは絶対毎日更新し続けるかどうかしないと生き残れないとか届かないとかいった、そんな感じ、ってそれはちょっと端折り過ぎか。まあ大意としてはだいたいそんな感じで、映像画像の類なら見てもらいやすくなるけど言葉はやっぱり言語の壁もあるんで世界には難しいし、国内だってそんな御託よりは簡単なまとめに飛びつく方が楽だし作る方だって楽。それがバズって言葉をアグリゲートしている人には何も入らないけど、それでも紡ぎ続けていれば、いつか良いことあるのかなと思って今日も益体のない言葉を重ねるのであったという。あと20年頑張ればきっと良いことあるだろう。何だろう良い事って。


【10月18日】 だんだんと寒さも増してくる夜だけれどそこは電気毛布をオンいして毛布を重ねて寒さをしのぐ年中行事。温もりに包まれながらいつしか落ちた眠りの中で、こんな夢を見た。評論家の宇野常寛さんが仕切るジミー・ペイジの講演会に行ったら、その昔にソニー・ミュージックエンタテインメントでマルチメディアを担当していた堤光生さんが来ていて、お久しぶりですと挨拶をしてそのあと講演会が退屈なんで、居眠りしていたら目が覚めたという夢。まるで意味が分からないしつながらないけど、出てきた堤さんは懐かしい。どうやらソニーでは洋楽の堤さんとして有名だったらしいけれど、僕が出会ったころはマルチメディアを担当していて、プレイステーション向けのゲームとかPC向けのコンテンツを作ってた。

 DEPっていう若手のクリエーターを公募して賞金を与えスタジオも貸し出す事業を見ていたっけ。そこから佐藤理さんの「東脳」とか忍者ステルスゲームの傑作「天誅」なんかが生まれたんだっけ。あの西島大介さんも何かで賞をとったらしいけど覚えてない。そうそう東映アニメーション研究所から来た若手ってことでCGの笹原組も入ってた。そんな多士済々の面子だったけれど時代はプレステのゲームが主流となってソニーでもコンピュータ・エンタテインメントがデジタルの主流となって、ミュージックは戦線縮小から最後は栖阿多も見えなくなった。そんな中で堤さんとも会う機会はなくなったけれど、数年前に亡くなったとう話で大勢が見送ったらしい。やっぱり凄い人だったんだなあ。そんあ人が初期にいていろいろ形作った業界を、僕たちは広げてられているだろうか。今一度、立ち止まって空を見上げて考えたい。

 朝になったんでむっくりと起き出して池袋へと向かい「ニコニコ本社」の内覧会スタートに会わせた外部モニターの点灯式なんかを見物する。いやあ池袋のファッションタウンがニコニコ文化の巣窟になっていく。それが不思議ってんじゃなく今はそれが普通なくらいに、ニコニコ動画なりニコニコ生放送といった文化が日本の文化の結構な部分を締めてそこから諸々の空気なり形なりサウンドなりを発信させている。昔は地上波のテレビであったり大出版社から出る雑誌であったりが作って持ち上げ盛り上げた文化が、ネットの中で取捨選択されつつ周囲を巻き込み広がっていたものによって作られ染められるようになったこの時代に、だったら大メディアが出来ることって何なんだろうって、改めて考える。少なくとも手前勝手なオピニオンやら愚痴やらを、ニュースサイトのトップに並べることじゃないよなあ、それニュースじゃないし、うん。

 モニターの点灯式を終わってから中に入ってスタジオとかイベントスペースとかショップとかカフェとかを見物。ショップは原宿にあった頃の方が大きかったかもしれないけれど、スタジオは池袋の東と西を結ぶウィ・ロードから出た真横にあるんで人通りの多さでは原宿を上回りそう。スペイン坂スタジオとかに群れる人にも似た現象を招きそうだけれど、P’PARCOの中に入ってモニターとか見出すと通路をせき止める感じになるで既に入っているテナントの人とか大変かも。いやそこで相乗効果は生まれるか、どうなのか。カフェは広々として食事とか楽しめそう。ニコ生パスタ、って生パスタとニコ生をかけているんだろうなあ。あとはマンガ肉とかライス定食とかニコニコ超会議でおなじみのメニューも再登場。そういう所のそつの無さがニコニコ文化だよなあ、期待にちゃんと応えるっていうか。

 イベントスペースはそれはそれは広大で、あのスペースに普通にテナントを入れて商売させたら結構な金額を得られそうだけれどそれをまるっと開けてしまうってことは、パルコにとってそれなりなテナント料が入るってことだし、ドワンゴとニワンゴにとってもそこで生み出される何かが収益として還ってくるって算段があるんだろう、って思うけれども赤字覚悟でニコニコ超会議とかやってしまったり稼働率とか考えないでニコファーレとか作ってしまう会社だから、そこもいっそドカンと使ってしまえとノリで借りてしまったのかも。いや分からないけど。ライブとかやるには天井も低いけど発表会とかには使えそう。原宿よりは駅から近いし交通の便も良いんでいろいろ使ってもらいたいけど、どうだろう。カフェでは生主がカウンターから中継できる設備とかあって、自分の喋っている背中を間近で見られそして顔が上のモニター越しに見られるのって、相当な度胸が入りそうだけれどそれが出来るからこそ人気生主なんだろう。そんな人を間近に見て、頑張っている姿に差し入れしよう。25日本格オープン。来るぞ我らがラスボスも。

 池袋から幕張メッセへと転戦してイベントホールできゃりーぱみゅぱみゅのアリーナツアー初日を見る。ホールツアーだと割と新しいアルバムのプロモーション的な内容になっていたけど、アリーナ向けにやるだけあって古いアルバムからもいっぱい曲があって「もしもし原宿」あたりで聞かせてくれていた、メロディアスな中に遊びもある感じの曲が聴けて懐かしかったし嬉しかった。今のも悪くはないけどでも、タイアップが多くてサビが強烈なだけあって曲全体への思いを入れることが何か、難しくなっている気もしないでもないんだよなあ。そこをビジュアルとダンスで舞台では魅せてしまうところがきゃりーぱみゅぱみゅの凄さ、だったりするんだけれど。「もったいないとらんど」とか「キラキラキラー」とか。

 今回のツアーは広い会場に前方のステージを置いてそこに両側から行けるように通路を造っていたりして、前と後ろのステージと両側の花道に囲まれた席なんかも出来ていてちょっとそこに入った人とか、どんな感じに見えたのか気になったというか、前にいるときはいいけれど、後ろに回られると自分も席を後ろ向かなきゃいけないっていうのはどうなんだ、ああでもどっちにしたって遠くはないから良いのか。ファンクラブ先行で買うとそこに入れるのかなあ、代々木2日目とか当たっているけどまだチケットが来ないんでどんな席だか分からないのだた。その席だといったいあのイリュージョンはどう見えたんだろう。瞬間瞬間に行われるその動作。どうなっているかまるで分からなかった。代々木でなら少しは分かるかな。あとそう、衣装は「ファッションモンスター」とか歌った時のがフレア気味なミニスカで脚がにょっきり見えて良かったなあ。もっと間近で見たい。踏まれ……たくはないか、まあともあれ凄いライブをありがとう。残る大阪名古屋に東京を突っ走れ。


【10月17日】 「Lupin The Third 峰不二子という女」が持つルパン三世らしさ、ってのは多分、監督の山本沙代さんや脚本の岡田麿里さんが作り出したストーリーにあるって言うよりは、小池健さんがデザインしたキャラクターの持つ劇画的だけれどアニメーションにも寄っているあの、クールでスタイリッシュなビジュアルにあったりして、それが原作漫画のモンキー・パンチさんらしさであり、大隅正秋さんが関わっていた頃のファーストルパンらしさを想起させて、原点への回帰を願う者たちの琴線を刺激しているって感じなんじゃなかろーか。「Lupin The Third 次元大介の墓標」は、そんなビジュアルに、「REDLINE」で小池健監督が見せてくれた、クールでスタイリッシュな物語まで乗ったことが、余計に誰もが心の理想としている「ルパン三世」を、そこに感じさせたからこその大絶賛となった。そう思ってる。

 もちろん、名探偵のコナン君相手に、ちょっぴり悪人らしさも見せるルパンも、まるでアニメから飛び出してきたようなビジュアルで、3次元の空間を駆け抜けるルパンも、どちらもしっかりとルパン三世をしていたし、155話もあって「ルパン三世」のある種のイメージを決定づけたセカンドシリーズの渦中にあったら、どちらも喝采を持って迎えら入れられたに違いない。ただ、古手のルパンファンが心に浮かべるファーストルパンの、それも宮崎駿さん大塚康生さんが関わる以前という、大隅さんでありモンキー・パンチさんのハードでクールでシニカルでシリアスなルパン三世を近い形で今に蘇らせたという感じで、小池さんがある種“後継者”の最右翼として躍り出たってのも、仕方がないというか、半ば当然というか。

 だからモンキー・パンチさんも「次元大介の墓標」のBDとDVDの発売を記念したイベントに登壇して、「峰不二子という女」の不二子のデザインを見て「上品な色気がうまく出ていたと思います。エロになっていなくて、僕が考えているとおりの不二子になっていて僕にとって嬉しい作品になっていましたね」って喝采を贈ったんだろう。そして、続きの可能性についても「5人の関係だけは崩さないでということだけ、あとは自由に作ってとお願いしているのです」って小池ルパンがこれから広がっていくことを称揚したんだろう。これってちょっと凄いかも。数々のルパン三世が作られながら、どこかに不満も抱いて自ら「DEAD OR ALIVE」でメガホンを撮ったほどのモンキー・パンチさんが、原作者“公認”してお墨付きを与えたのが小池ルパンってことになる訳だから。

 受けて小池監督も、石川五エ門が主役の可能性なんかを示唆していたけどまだ決まった訳じゃなのがひとつ残念なところで、海の向こうで別のルパン三世が作られようとしているだけに日本でも、小池ルパンがその世界を広げてスタンダードにしてスペシャルな地位を確率して欲しいものだと「REDLINE」の大ファンとして思うのだった。どうなるかなあ。そんな「REDLINE」が「次元大介の墓標」といっしょに見られそうなチャンスがあるだけに、是非に行きたいところだけれど、最近どうもチケットぴあのプレリザーブに敗戦続きなだけにちょっと心配。行けるかなあ。行けなくても「REDLINE」はやっぱり映画館で見たいもの。また爆音上映やってくれないだろうか。「イエス!」って笑顔で叫んで突っ込んでいくソノシーのゴールシーンを、また見たいんだよでっかいスクリーンで。

 ひとつ夢があるとしたら、押井守監督の主要なアニメーション作品をLDボックスにした「THE SEVEN DOG’S WAR」がブルーレイボックスとして登場してくれること、だけれどあの頃と違って、パッケージメーカー間の壁も敷居も高くなって、企画物が成立しづらくなった上にBD化だとコストもかかるため、それなりな売れ行きが見込めなければ行われないってこともあるから、7作品でも残る幾つかがBD化されるのはちょっと望めず、従ってBDボックス化も無理だろうと今は諦めるより他にない。ただそうした売れ行きとは別に、何か事情でもあったのかBD化の話がとまっていた「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」のBDが、いよいよもって発売になるみたいで、アマゾンあたりに予約の告知が出ていて見た人からの喝采を浴びていた。そりゃそうだ。

 何ってったって傑作。そしてあらゆるアニメーション映画における最高峰。あるいは原点。そんな作品が、どうして今の今までBD化されなかったんだ、って話の方が先に立つけどその事情は複雑怪奇とういか、暗中模索というか、噂ならいくらだって出てくるけれども真相の方はまるで分からない。コストとかいった部分ではすでにリマスタリングも終わり、何かの記念めいた場所で劇場上映も行われて、あとは発売を待つばかり、ってなっていた段階でリリースにストップがかかって延期になっていたから、それは関係なさそう。では何があったのか。何がいったい妨げとなって発売が延期されてしまったのか。そこがやっぱり気になってる。

 ひとつに原作者の映画への不満があったと言われ、完全に押井監督テイストとなってしまったキャラクターやストーリーを、これは違うと言ったとか言わなかったとかって話が伝わっていたりする。あるいは、登場するさまざまなキャラクターにゴジラがいて、それの権利をめぐってやりとりが行われたけれど、ようやく解決してそれがハリウッド版「ゴジラ」の製作と上映につながった、なんて話もあって、その延長で「うる星2」もパッケージが出るじゃないか、なんて噂も立っていた。このタイミングでの登場は、後者の噂に根と葉を与えそうだけれど、それが虚実のどちらであっても、こうしてBDのBDが出ることだけはほぼ確実になっている。だったら何があったかはもう関係なしに、諸手を挙げて拍手を贈ってそして発売を待てば良いってことで。ついでにリマスター版の上映会とかも行われないかしら。

 新章である上にプロローグといった感じもあった夢澤章さんって人の「幻惑のディバインドール 〜Eye Knows Heaven〜」(電撃文庫)は、妹と歩く少年の前に不良に絡まれた男の子が1人。すれ違いつつ不良を退け男の子は自由になってそして別れたけれど、その後に男の子は実は人間ではなくドールと呼ばれる天界から来た素材で、そしてちょっぴり壊れていてとてつもない力を発揮してもう1度絡んできた不良を切り刻んでその血を吸い浴び変わっていってします。そんな男の子ドールの存在を何とかしなければと、天界からこっちは女の子のドールが使わされてさっき男の子とすれ違った少年を実働部隊として男の子のドールを追いつめる作戦に出ていくという展開。でもどこか乾いているというか、峰城世水という少年に妙な達観というか自信というか不思議な新城が漂っている。

 ラシカという名の男の子のドールは人間では絶対かなわない強さなのに、何とかんるよなあって感じに世水は向かおうとするし、そもそも天界だのドールだのといった人間の想像を超えた話をなぜか普通に信じてしまっている。それは妹に理由があって、その過去を知っているが故に世水はこの世には人間の理解を超えた不思議なことがあると知り、一方で何か訓練も受けているのか戦いに慣れたところもあってシュマという名の少女のドールの言うことを信じて動こうとする。それが新章めいた展開かもと思った部分。なおかつ世水が本当に凶暴なドールを相手に戦えるようになるには、もう1段の変化が必要でそれが来るのがクライマックス、そしてその後に長い戦いが控えているといった展開からプロローグめいたものを感じた次第。

 あと眼帯に木刀を持った美少女という、強烈なキャラ属性の有栖って少女が特に説明もなく世水につきまとっているのも続編めいているというか。そんな雰囲気を持ちながらもシュマは可愛く神様めいた存在は何か企んでいそうといった具合に読んでいてキャラに引っぱられる部分も多々。不思議なバランスの上に成り立っている大きな物語の1章といった感じ。ここから本格的な戦いへと進んでいくのか、そこにラシカのように壊れたドールがさらに現れ、シュマのような可愛いドールがどんどんとやってきては世水の妹の美鈴をいらだたせ有栖を奇矯な行動へと走らせたりするんだろうか。そもそもどうして生きていられるかという謎がある美鈴の過去が明らかになっていくんだろうか。いろいろと期待できそうなこれから。続刊が出たらとりあえずは読もう。


【10月16日】 167センチならマグシー・ボークス選手よりもアール・ボイキンス大きいんだからきっと活躍してくれるだろう富樫勇樹選手。bjリーグの秋田ノーザンハピネッツに所属しながら日本代表にだって選ばれ、そしてNBAのサマーリーグに出場してはそれなりの活躍を見せたことが契機になって、ダラス・マーベリックスってダーク・ノヴィツキー選手を擁してファイナルも制したことがある強豪チームに誘われ、契約を果たした模様。ただまだ試合に出られる訳じゃなくって、これからロスターに割って入れるかを探ることになるんだろうけれど、実現したらフェニックス・サンズで4試合に出場した田臥勇太選手に続く、2人目の日本人のNBAプレーヤーが誕生することになる。それも田臥選手より背が低い。

 日本人も大型化していて、野球だとダルビッシュ勇選手はハーフだけれどでも196センチあるし、大谷翔平選手も193センチあったりして世界に比べて決して低い訳じゃないんだけれど、バスケットボールだとその辺りは世界的には小さい方。2メートル超えがゴロゴロしていて2メートル10センチ台でやっとちょっぴり大きいと見なされる世界で、半端な大きさでスピードもない190センチ代の日本人選手が活躍できるのか、っていうと難しい。対して田臥選手も富樫選手も、小さいながらもスピードと正確性を武器に日本ではトッププレーヤーになり、世界にもその存在を印象づけるようになった。適材適所。そして特徴を活かすことがサッカーでもよく言われる“日本化”なのかもしれないなあ。でも全員が170センチ前後では、やっぱり世界ではバスケでは勝てないか。出ないかなあ、2メートルオーバーで100メートルを10秒台で走るような日本人バスケットボール選手。サッカー選手でも良いぞ。

 そんなサッカーは、シンガポールでのブラジル戦でのメンバー選びがいろいろ言われているけれど、超ベストとか言われ史上最強とか持ち上げられてたFIFAワールドカップ2014ブラジル大会のメンバーが、戦ってみれば惨敗を喫したことが証明しているように、サッカーにベストメンバーなんて存在しない。ようは勝てるメンバーかどうか、ってことでそれも本番というW杯の予選であり本戦で勝てるメンバーかってことが重要で、親善試合とかはすべてそれに向けて何かを考えたり、選手を育てたりするための機会でしかないって、気付くとシンガポールのブラジル戦も普段は代表の試合にあまり出てなく、世界レベルとも戦ったことがない選手にそのレベルを体感させる、格好のチャンスになったんじゃなかろうか。

 甘いパスだと切られるし、適当なトラップだを奪われるし、判断が遅ければ囲まれる。Jリーグの試合では決して味わえない、そんなトップレベルのフィジカルを、体感して彼らはきっと何かを得ただろう。次に同じような相手と戦った時にはきっと成長した姿を見せてくれるだろう。そうやって底上げが進んでいった果てにこそ、全体がトップレベルの相手と戦えるチームになっていると思うと何だかワクワクするじゃないか。どうせ今のベストメンバーと呼ばれている選手を並べたところで、ブラジル相手にしょっぱい試合をしただけで、次につながるとはちょっと思えない。

 本田圭佑選手だって香川真司選手だって岡崎慎二選手ですら、次のW杯に果たして出られるんだろうかって年齢で、それこそアジアカップに出て活躍しては去っていくことになりかねない年齢の選手たちにブラジル相手の記念試合をさせて、若手の成長を阻害するならいっそガラリと切り替てた方が良い。そうやってぶつかっては散りながら覚えていく試合を、今は繰り返させても良いんじゃないかなあ。アジアカップだってそうしたいくらい。オシムはそうして、そして意半ばで倒れたけれども選手たちに受け継がれて南アフリカで開花した、って思うんだけれどどうだろう。ただ新しく選ばれた選手も27歳とかいたりして、4年後が怪しいだけにその辺りはちょっと不安。U−19アジア選手権に若手をとらえているからそこはいずれ引っぱると考えれば良いのかな。どうせ弱い代表に外連とかはもういらない。あたって砕けて問題点を洗い出し、埋めて成長していくプロセスをこそ、見せてくれ。

 漢・前田と呼ばれていたのかどうなのか、調べてないけど就任時から話題になった女子サッカーのINAC神戸レオネッサ監督の前田浩二監督が成績不振から辞任したとか。今の時期に辞めるなんて実質解任だろうなあとも思わないでもないけれど、自ら身を引いたならそれは辞任だからそう言うしかなさそう。前にいたチームを率いていた時にまるで勝てなかった監督が、女子サッカーに来ていったいどうなるか、って興味もあったけれども強豪だったはずのINACが今シーズンはリーグ戦で5位に低迷してエキサイティングシリーズに入ってもやっぱり5位という低調ぶりでは、進退を問われるのも仕方がないといったところ。ただどうしてそもそも監督の依頼がいったのか、って辺りはちょっと気になる部分で、何かすごい秘策があったのか、それとも伝があったのかは検証されないと、この1年間を振り回された選手たちも釈然としないだろうなあ。来年は誰が監督になるんだろう。ジェフユナイテッド市原・千葉が堅調なだけに気になるなあ。
 そんな女子サッカーでは月末にカナダである代表の親善試合に招集されなかった澤保希選手がそれでも代表からは引退しないと表明。どっかの新聞が引退とかって書きとばしていたけれど、カズといっしょで呼ばれる可能性があるうちすなわち現役選手であるうちは、自分から引退だなんて言葉を口に出すはずがないし実行するはずもない、そんなスピリッツを持った選手だよなあ、そんな選手の想いを勝手に忖度して自分たちが勝手に描いた感動の筋書きに載せて語るメディアの貪欲さ。それも商売なんだろうけど、当人から否定されても捏造だの誤報だのとは言わないし言われないんだろうなあ、そんな国に生きている。でも特定の間違いには鬼の首をとったように攻め立てるみっともなさ。そんなことで溜飲が下がったところで世間は嬉しくもなんにもないのに。世間が求めるのは新鮮なニュースなのに。それをさしおいて自分家の事情を1面トップに持ってくる新聞なんてものもあるから、この国はやっぱり何かがズレている。

 そして新宿三丁目へと出てファーストキッチンでハンバーガーを食べたりしてから新宿ピカデリーで2回目となる「宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海」を今回はサンジゲンの鈴木大介さん、脚本家の大野木寛さんに構成と脚本をやっている森田繁さんを迎えてのトークイベント付きで見る。なんか珍しい取り合わせの上にあんまりしゃべれなさそうな話をぶっちゃけるってことで、きっと大勢が押し寄せるかと思ったけれどもスクリーンの1番大きな部屋にそんなに人が入ってなかったのはやっぱり総集編だからだろうか、でも面白いのにこの総集編、っていうかそんな感じを覚えさせないくらいに良く練られた1本の映画になっている。なおかつ本編ともすこし違ったアレンジもあるとかで、その主張なんかが少し聞けたのが面白かった。鈴木さんの発言とかは一種“宇宙戦艦ヤマト2199愛”って感じでその力量があるいはいつか、ヤマトに反映されれば面白いけどそういう日は来るんだろうか。期待したい。


【10月15日】 ヘリコプターみたいにプロペラを幾つも回して自在な場所に飛んでいっては滞空もできるドローンってものの利活用が、いろいろと言われていて例えばアメリカのアマゾンなんかは、配達にドローンを使って無人でも車が入れない場所でも届けられるぞってなことを確かアピールしていたし、日本でも被災地の上を飛ばして3Dカメラでもって空撮した上でCG化して地形を把握したり、場合によっては被災者を捜すようなことに利用できるんじゃないか、って話があっていろいろと夢が広がっている。けどこれはさすがにない。サッカーのEURO2016への出場を来そう予選で戦ったアルバニアとセルビアの試合で、何と上空をドローンが飛んではアルバニアにとって有利な、そしてセルビアにとって苦々しい旗をぶら下げピッチの上を舞ったという。

 スタンドで振り回したって政治的だという理由からFIFAなりUEFAから糾弾されかねない行為を、ドローンだなんて誰が操縦したか調べればすぐに分かりそうな物体を使ってやるという間抜けさはさておいて、新しいテクノロジーは決して有効に利活用されるばかりじゃなく、こうした愚行に利用されてはさらに愚劣な利用へと転がり落ちていく可能性も結構大きい。あれが何か危険なものを積んでいたら。まあそれはすでに戦場なんかで行われているだろう事態で、今さら感もあるけどそうした兵器としての高額なドローンでなくても、安価でその辺を飛ぶだけのものでも何かやろうと思えばできることを、視覚化してみせたって意味でひとつ転機となる事件なんじゃなかろーか。試合は当然に没収として処分がどちらに下るのか。セルビアも含めてなのかアルバニアだけなのか。民族意識に火を着けかねないと見て見ぬふりか。裁定が待たれる。

 そうかルパン三世か。ルパン三世ねえ。日本のテレコムアニメーションフィルムが制作して新作の「ルパン三世」がなぜか日本ではなくフランスでもなくイタリアから放送開始されるという報に、世間は沸いているけどちょっと待て、たとえ緑ジャケットだろうとビジュアルがファーストに近かろうともルパン三世のその文法は散々に使い倒されて、そして何をやっても二番煎じの二番煎じにしか見えずおちゃらけてもシリアスでもやっぱり今ひとつだねえ、って評判がまず先に立つ。それをかわそうとして新しいルパン三世の世界を想像した「Lupin THE 3rd 峰不二子という女」は個人的には素晴らしかったけれども世間ではルパンなのかという話もあったし、「次元大介の墓標」はOVA前後編的な単発だったからこその懐かしさで、喝采を浴びたといった状況もあった。

 これがシリーズとなるとやっぱりどこかに揺らぎが出て、ああいつものルパン三世だねえ、って話に陥りかねないこの日本。ああだからこそそうした飽きがまだない、純粋にルパン三世のシリーズを楽しんでいるイタリアから放送をスタートさせてその評判をバックに日本へと持ってこようとしたのかどうなのか。それとも「ルパン三世」というビッグタイトルですらもはや日本のテレビ局には売れないくらいにアニメーションの市場が細っている、もしくはテレビ局の懐が弱っているのかどうなのか。いろいろと勘ぐりたくなるけどまあ良い、友永和秀さんという総監督を得て蘇るルパン三世に今は存分の期待をかけて登場を待とう。気になるのは峰不二子のビジュアルかなあ。どんなかなあ。

 何かウルトラマンがファッションショーに出るってんで渋谷はヒカリエに行って「2014 Tokyo デザイナーファッション大賞」ってのを見物。でもほとんどはアマチュア部門にノミネートした学生さんの作品で、1人1作って感じに出てくるファッションをあれやこれやと眺めながら昨日買ったばかりのPENTAX Q10に取り付ける06 TELEPHOTO ZOOMの使い勝手を確認したりする。最初からついてる02ZOOMだと遠目のアップがまるで届かなかったからなあ。かといってK−7持っていくのも重たいんだ。ってことでマップカメラで合うとレットを17800円で購入した次第。あとはマニュアルの露出とかシャッター速度の調整なんかも。自動で撮るとどうしても暗い中にスポットがあたる場所がオーバーになってしまってうまく映らないんだ。

 そんな感じの中で出てきた「カイジュウ」ってテーマの作品が妙に気になったら、最後に発表になった大賞で見事に受賞を果たしてた。おめでとう、大阪文化服装学院の杉本知春さん。フライトジャケットとジーパンとTシャツをアレンジした感じだけれどそれが何か巨体で押し歩く怪獣に見えた。その怪獣なのか懐柔なのはたまた海獣なのかは分からないけどでも、たぶん印象からすれば怪獣で良いんだろろう。それ1点だけでは才能の程は分からないけれど、メンズというジャンルで挑んで見事に大賞を獲得したってことはそれなりな才気がほとばしっていたんだろう。フランス行きの航空券をもらったり賞金ももらったりしていたから、それを糧にしてきっと何か新しい物を生み出してくれると信じたい。それこそメインで登場した「ユキヒーロープロレス」ってブランドのように。

 そう、あの円谷プロダクションとコラボレーションをして怪獣とかウルトラマンをモチーフにしたファッションを披露したのは手嶋幸弘さんが率いる「ユキヒーロープロレス」。名前にプロレスが入っているようにルチャみたいなプロレスをモチーフにした作品も作っているからで、一方で怪獣なんかとのコラボもやっていたりしたのが今回は、円谷プロダクションも公認でいろいろと世に送り出してきた。それがまたかっこいい。ピグモンみたいなモコモコとしたニットか何かもあればウルトラセブンのシルエットがプリントされた着物もある。そしてエレキングみたいな角を生やした女性がまとったワンピース。さらにはゼットンのあのビジュアルが再現されたメンズといった具合に、見る人が見れば確かに分かるウルトラが、最先端のファッションになっている。

 こういうアレンジがダサくなくオタクにもならずにモードになるって何だろう、それだけウルトラヒーローと怪獣がカルチャーにとけ込んだ現れなんだろうなあ。ヒーローなり怪獣が描かれたTシャツってレベルじゃないアレンジ具合。それは「カイジュウ」で服を作った杉本知春さんも同様で、すでに血肉のレベルから大気の状態へと怪獣文化、特撮ヒーロー文化が根付いているって現れでもある。だから違和感なく受け入れられる、と。来週には何か眼鏡でウルトラマンとのコラボも登場するみたいで、ますます浸透していく円谷カルチャー。いずれ怪獣が国会議員となってウルトラマンの総理大臣に質問するとかいった時代も来るかもなあ。来ないって。いやどうだろう。

 そして気が付くとジェフユナイテッド市原・千葉が天皇杯でセレッソ大阪に勝ってベスト4に進んでいた。いつ以来だそんな位置。というか降格を確実視されていたってJ1に居るチームでトップにはフォルランにカカウと億単位のスーパースターが勢揃い。対してジェフ千葉には1000万円もらっている選手は果たしているのか、って状況でもちゃんと1対0で勝ってしまうから試合って奴は分からない。いや普通にアウェイで弱くそしてJ2でも下位チーム相手に平気で取りこぼすジェフ千葉が、勝ってしまうってことが異常だとするならそんなジェフ千葉に負けたセレッソ大阪はいったい大丈夫なのか、って話が浮上してくる。大丈夫なのかなあ。若い選手で良いのがいるけど育っては外に出ていく繰り返し。その果てに誰もいなくなってしまった状態にあったりするのかなあ。分からないけど今はジェフ千葉が天皇杯を勝ち上がり、同時にシーズンをプレーオフ圏内に入ってそこで今年こそは昇格を決めて欲しいと願うばかり。かなうかなあ。虻蜂取らずになるかなあ。


【10月14日】 御嶽山の山頂で噴火に巻き込まれて亡くなった方の少なくない人数が、手にカメラを持って撮影をしていて噴石に打たれたとか、噴煙に蒔かれたといった話を受けて“正常性バイアス”をいう、異常事態だけれども自分の所には及ばないとか、まだ大丈夫だといった心理がそこに働いて、危険を危険と認識できないまま気が付いたら手遅れになっていたといった話が流れてきて、それは東日本大震災の津波でもあったりしたことで、津波警報が発令されてもいつものことで、まさかあんなに巨大な津波が来るとは考えが及ばないまま、波に飲まれてしまった人も多かったという話を思い出して、自分だったら緊急時にどう振る舞うかと考え直した火曜日。

 海の向こうのアメリカでは、エボラ出血熱を発症して亡くなった方の回りで医療に従事していた看護士に、感染者が出たという話が広がっていて、結構厳しい筈のアメリカでどうしてそんな二次感染が起こるんだろうかと不思議になったけれど、これもやっぱり油断があったというか、初期の段階でそうとは分からず普通に扱っていた関係で、誰か感染者が出ても不思議はないという話もあったけれど、発症して危険な状態になってなおどこかに漏れがあって手続きがすっ飛ばされて、感染者を出してしまったのかもしれず、厳密さに厳密さを重ねても起こるこうした事態に、いったいどこまで厳密さを護持すべきなのかと考えたりもした火曜日。台風はどこ行った。

 考えようによってはこれも正常性バイアスで、関東の北部あたりを台風が通過していったにも関わらず、まさか自分の済んでる地域に被害が及ぶことはないだろうと決めてかかっていた節があって、夜も普通に寝て朝も普通に目覚めては、やや風が強いかなあと眺めて背伸びしてすがすがしさを感じていたりした訳だけれど、地域によっては風雨による被害も出て、亡くなられた方も出ている訳で、その差が単に住んでいる地域による差なのか、紙一重の偶然でしかないのかと考えつつ、だったらいったいどんな心構えで常に生きているべきなのかとも思案するけど答えは出ない。常に緊張状態にあって、背中側に立った人間をぶん殴り続ける訳にもいかないんだよ、この人生。だからやっぱり状況をしっかりとらえて、その場その場で迅速に判断していくしかないんだろう。運が悪けりゃ死ぬだけさ? いやそれも辛い話だし、運が悪くても死なないための行動を、とれるようにはしておきたいもの。出来るかな。

 東北楽天ゴールデンイーグルスの新しい監督に、デーブこと大久保博元2軍監督が就任するってことで取りざたされる毀誉褒貶。西武ライオンズ時代に若い選手を鍛え過ぎていろいろと問題になったりして、裁判沙汰にまでなった人物をスタッフとして現場で採用するだけにとどまらず、チームの顔となる監督にまでしてしまうのはいかがなものかといった声も当然あるけど、そうした過去は過去として今をどう捉えるかを考え、その実績がありその資格があるなら任せても良いんじゃないかという声もきっとどこかにある筈で、あるいは禊ぎというか再試験的な意味合いとして、その采配ぶりをとりあえずは見守るべきってのが今のところの雰囲気なのか、それとも断固反対すべきといった雰囲気なのか。分からないけどでもとりあえず、住んでる千葉のチームでも出身の名古屋のチームでもないんでこちらとしてはしばらく静観。ただプロ野球の評判を下げるようなことだけは、しでかさないで欲しいと懇願。ただでさえ低落の傾向がある中で、地元密着という活路すら粉砕しては元も子もないからね。

 ネイマールネイマールネイマールネイマール。4連発だからこれで良いかな、とにかく凄いネイマールだけれどその凄さを凄いと感じさせずに普通にやってしまうところが本当の凄さって奴なんだろう、ボールを受けるにしてもキープするにしてもパスを出すにしてもシュートするにしてもミスがない。そして動作に無駄がない。だから誰も止められない。けれども自然に見えてしまう。それがだから1流のさらに上を行く選手って奴なんだろうなあ。対して日本代表はパスが出せないし出しても相手に渡してしまうしパスを出されても止められないしキープだってできない。

 そこで例えば岡崎慎二選手とか本田圭佑選手といったトップリーグで活躍している選手はしっかりキープもしてみせればパスも通せるけれど、今回の日本代表に始めて入った選手だと出したパスが普段なら通るはずのものが通らず相手に引っかけられる。きっと始めて味わっただろうその違いを、噛みしめて次につなげてくれれば良いけれど。アギーレ監督ならちゃんと分かって糧をした選手たちを今一度、使ってくれるんじゃないかなあ、1度のテストなんてテストじゃないから。と思いたいけど果たして。

 いやあ凄い、あの永田や仏壇店のテレビCMに使われていたアニメーションを作った人がまだ存命で、そして愛知県の日進市に在住だったとは、って驚くのはそっちじゃないんだけれど名古屋人的にはその懐かしさって奴がやっぱり勝ってしまった「開運なんでも鑑定団」。そのアニメーション作家の幸村正平さんが持ち込んだのが何あろう日本アニメーション界の父とも言える政岡憲三さんの数々の作品に使われていた原画や絵コンテやスケッチで、東映動画あたりが量産し始める以前でもちろん虫プロダクションなんてなかった戦前戦中戦後のアニメーション史をたどりその技術レベルを知る上で、他に代え難い資料となるものが今の今まで眠っていたというから驚いた。

 それが僕の実家からそう遠くない愛知県の日進市にあったというのもまた驚き。そりゃあ永田や仏壇店のCMを作った人が持っていたんだから名古屋近郊にあって不思議はないけど、そういう貴重な資料を勉強のためと後輩に、譲って持たせてしまった政岡さんの思いやりというか、叱咤の心根を思うとやっぱり感動する。それを心に幸村さんは作り続けたんだろうなあ。さても貴重な資料がどこへ行くかが目下の興味だけれど、鑑定したなみきたかしさんもいろいろ資料を集めているようだし、「くもとちゅうりっぷ」のDVDも出しているからそこでの管理ってのもひとつの手。ただやっぱり国宝級の宝なだけにここは国なり自治体なり学術機関が乗り出して、買い上げ転売も散逸もさせることなく永久保存といって欲しいところだけれど、それが出来る場所がないんだよなあ、東京都写真美術館か東京国立近代美術館のフィルムセンターか明治大学か、って辺りなんだろうけど、果たしてどこが手を上げる? 名古屋に置いておいてもいいけれど。


【10月13日】 せっかくだから成田まで女子サッカーのなでしこリーグ・エキサイティングシリーズでも見に行こうかと布団から起きあがったものの、空を見上げると曇天で雨も降り始めていてサッカー観戦には不向きと諦め、どこにも出かけず悶々と過ごすことにする。あとで調べると試合はジェフユナイテッド市原・千葉レディースが名門の日テレ・ベレーザを相手に2対1で勝利した様子。エースの菅澤優衣香選手が2点を奪っての勝利によって、チームはエキサイティングシリーズの上位チームで4位に浮上し5位のINAC神戸レオネッサに4点の差を付けた。あの女王にこの差は何か嬉しい、たとえINAC神戸が今シーズン駄目駄目だったとしても。

 まあここで4位が5位になったからといって、シーズンを通しての大差はないんだけれど、残る5試合を上手く戦えば、優勝にだって手が届く位置にいるというのも嬉しい限り。総監督の問題とかでいろいろゴタゴタして不思議はないのに、選手たちはまとまり試合はしっかりと戦えて山根恵里奈選手は相変わらずに巨大と結構なシーズンを過ごしている。菅澤選手はシーズンを通しての得点女王に、INAC神戸レオネッサの高瀬愛美選手と並んだ感じで、これも残り試合での結果次第で、得点女王を獲得できるかもしれない。この勢いを皇后杯まで引っぱっていってくれたら嬉しいけれど、でも皇后杯ってどういう日程でやるんだろう。シーズン11月末までやってから始めるのかな。

 もしも3・11東日本大震災がなかったら、Charlieは全米デビューを飾って世界的なミュージシャンとして大活躍していたんだろうかと思うけど、でも3・11があったからこそ、Charlieは日本という地に足をつけて体まで浸かって、そこで音楽に何ができるのかを模索してあがいたし、その音楽を聞いて人は音楽から得られる何かを感じて立ち上がり、歩き始める力を得た。漫画作品というエンターテインメントとして考えた時に、世界でのサクセスという圧巻の物語を避けてしまったことが良かったのかは判断がつかないけれど、でも漫画というビジュアルで世界観を伝え感じさせる表現を通じて、Charlieは音楽が持つ力と音楽があることの大切さを知らしめた。

 Charlieというパンクロックバンドの誕生と、その活動を描いてきた浅田皆有さんの「ウッドストック」(新潮社)が第18巻で完結。その結末は、米国という無限の可能性を持った場素からの退避にも劣らず示唆的で、サクセスだけではない音楽の求め方ってものがあることを教えられる。同じチャリティーを目的としてても、日本武道館での華やかな式典を思わせるフェスに背を向け、遠く岩巻の被災地にあるステージへと向かうロッカーたちの、その熱情は決して漫画の中だけのものではなくって現実に、多くのロッカーが、ミュージシャンが、アイドルがあの被災地に向かい立って音楽の力で人を励まし、一方で自身も沈んだ気持ちの中から立ち上がる力を感じていった。

 漫画を通してそんな情熱に改めて触れることで、今、ちょっぴり忘れかけられているあの事態を思い出し、今もなお続いているあの事態への感情を喚起させることができる。そして漫画は、今の一時で終わらせることなく、ただひたすらに音楽への情熱を燃やし続けるメンバーたちの姿を最後に見せることで、成功することが目的かではなく、奏でることこそが目的なんだという音楽の本質めいたものも、訴えて鮮やかに幕を引く。続ければ続けられた物語だろうけれど、ここが1番の潮時と分かってのエンディングは、だからこそ心に残ってそこに永遠のサウンドを響かせ続ける。新章となった第11巻を読んであまりの面白さに全巻をまとめ買いして綴った感想文から、最後にこの言葉を記して、時代を刻み未来へと続く漫画を讃えつつ、大勢をその圧倒的な世界へと誘いたい。「この単行本がライブチケット。お求めはプレイガイドではなく書店で 」。

 急場に対して身内で助け合うことが悪いとは言わないけれどでも、正直さをそこから廃してご都合主義に走ったらやっぱり支持は得られない。今はそれがまかり通っても本質が突き詰められていく中で、虚飾は暴かれ誘導は見透かされてその不誠実さが改めてクローズアップされ、信頼という最大の価値を大きく損なう。そう分かっていながら、目先の何か利益を得ようとしてか、都合の悪いことを隠して礼賛へと走る筆がそれでもって称揚される不思議。韓国で日本の新聞社の支局長が逮捕された一件について韓国のメディアが社説で主張したことを引いて、その新聞社が日ごろから韓国嫌いの報道を続けてきたことが理由にあるんじゃないかと指摘した、ってなことを書いている。

 けどそこで、引用から「中略」とされた部分があっていったい何だろうと元の社説を読んだら、これこそが社説の言いたいことだったから腰が砕けた。つまりは「支局長の記事は独身の朴大統領が妻帯者と男女関係があるかのように誹謗した性格が濃厚だ。市中に飛び交う疑惑を確認もせず無責任に送りだしたという非難から自由になれない」という、問題となったコラムが果たして真実か否かといった肝心な部分。そこが何よりの前提なはずなのに、日本ではそうした指摘とか「訂正報道はもちろん、謝罪表明さえも真摯にしなかった」といった真っ当な非難を我知らずと封じて伝えない。それって卑怯じゃん。でもやらないのはそれでは自分たちの正義が成り立たないって分かっているから、なんだろうなあ。だからこそ余計に腰が抜ける。そんな態度がいつまでも続くほど世界は不正義に溢れてはいないと思いたい。思いたいけど……。やれやれだ。


【10月12日】 TOKYO MXが入らないと見なくて済むアニメもたくさんあってそれはそれで時間を取られなくて良い場合もあるんだけれど、でもやっぱりいろいろ噂になっている作品は見たいもの、ってことでいろいろ噂が飛び交っている「クロスアンジュ 天使と竜の輪舞曲」を見たらなるほどこれは凄かった。ヒロインがゲスいというか完璧過ぎるお姫さまで、マナって魔法めいたものが使える世界で、それが使えずむしろ魔法を壊してしまう体質のノーマと呼ばれる人間を、人間じゃないと断じる差別に溢れた世界観を体言していて、冒頭でもってその態度を存分に見せつける。

 何て酷い差別主義者なんだ。そう思わせておいて、後半で自身がノーマだったことを暴露されて糾弾され追放されて最下層へと落とされる展開へと持っていって、ノーマだからと赤ん坊を奪われた母親じゃないけれど「ざまあみろ」と思わせる。救いがあるとしたら当人は自分がノーマだってことを、生まれてずっと知らなかったことだけれどそれならそうと周囲が例え魔法が使えなくても同じ人間、いつか融和を目指していくんだと聡し自身がそんな体質であったことが露見した時に備えさせておくべきなのに、親莫迦なのか皇帝陛下はそういう配慮もしないまま、一生を隠し通せると思って何も教えなかった模様。あと母親も。

 そんな間抜けな一家がどうしてあの国を統治できたのか、って辺りに浮かぶ謎。あんまり間抜け過ぎるから皇太子も反乱を起こそうと思ったんだろうか。違うなあ、単純にノーマが大嫌いでそんな体質の妹をかばう父親も母親も大嫌いだったってだけのことか。父の皇帝だってノーマではなく娘可愛さで隠そうとしただけで、ノーマが虐げられる世界を変えようとはしてなかった訳だし。つまりは一家そろってゲスだったってことで。そしてお話は、最下層の劣等民として戦場へと送られ、そこでもやっぱり現実を受け入れられない高慢ぶりを元お姫さまはしばらく発揮するみたいだけれど、そんな分からず屋っぷりなキャラも最近ちょっと珍しい。知性と教養がありながらどうして、って思わないでもないけどまあ、それがお姫さまって奴だから。

 それが逆境でだんだんと矯正され、仲間もバンバンと死んでいく中で誰もが同じ人間なんだと平等なりを感じたようになった果てに、世界を革命する力が発動したりするって辺りが今後のストーリーの軸になるのかな。でないとあまりに差別主義が際だって、不快感ばかりを残すことになりかねないし。それを緩和するためにエロスに満ちたビジュアルが散りばめられているんだろうか。いやでもあまりにエロ過ぎる。これが一部とはいえ地上波で放送されている地域もあるんだと思うと不思議だけれど、だからこそ強烈な反転のメッセージを最後に持ってきて、見る人を不快感の裏返しとなる幸福感に満たして欲しいもの。チラチラと追いかけていこう、ネットでだけど。

 そうだ、アニ玉祭に行こうと思い立って総武線から武蔵野線を経て京浜東北線へと乗り換え、大宮のソニックシティで昨日から始まっているアニ玉祭を見物する。去年は初日のオープニングを見に行ってあまりの寒さに手も悴んだのか、持っていたiPad miniを落としてガラスを割ってしまって翌日にアップルストアに持っていったりと大騒ぎだったけれど、今日はそういうこともなく展示ホールへと入って地域から集まってきていたアニメで街おこしなんかをやってたりするブースを見たり、ご当地ラーメンを持ち込んだブースを眺めたり慶應義塾大学が前にデジタルコンテンツエキスポに持ち込んでいた光学迷彩のデモンストレーションを眺めたりしながら時間を過ごす。

 徳島で絶賛開催中だったマチアソビに比べて有名クリエーターが歩いている訳でもなければ、新作アニメの上映会とかが行われている訳でもなくパッケージメーカーなり出版社なりが全面的な参画でもって大勢のファンを呼び込んでいる訳でもないけれど、それでもそれぞれの地域が版権元の協力も得ながら手作りでご当地コンテンツを盛り上げようとする心意気にあふれたブースが並んでいて、見ていてその頑張りにこれは応援してあげたいなあって思わせるところがあった。一方的ではなく双方向的に人気を盛り上げ継続させていこうとするベクトル。それがあるから一体感も生まれてくる。そんな感じ。だからだろうか、来ている人もお客さんというより一種の参加者となってその場の空気を暖かいものにしていた。こういうイベント、やっぱり良いなあ。

 去年は初日が肌寒く2日目は暴風雨でもって大変だったけれど、それでも6万人近くが集まったそうで今回はいったいどれくらいの人が来たんだろうか。有料の場所じゃなくても痛車を見たりステージを見たり「寫眞館/陽なたのアオシグレ」の上映を見たりして過ごせたりもしたんでチケットの売上だけでは分からないけれど、でも結構な数の人が出入りしていたんじゃなかろうか。その活力が来年へと繋がっていけば良いけれど、一方で場所が手狭になりつつあるのも実際だし、そのあたりをどう改良していくか。拡大してマチアソビ的にしてしまうってのも手だけどそれも、移動とか大変で管理も難しいからなあ。発展途上のイベントはそこが難しい。でも何事も始めてみないと始まらない。そして始まったからには動いていく。その過程を今は楽しもう。大きくなり過ぎて近寄りがたいマチアソビよりは簡単に行ける場所でもあるし。でもやっぱり1度くらいはマチアソビも行ってみたいなあ。

 大宮から埼京線を乗り継いで恵比寿まで出てそこで沢渡朔さんの「少女アリス」の展覧会をFmってギャラリーで見物、いやあやっぱり愛らしい。そして美しい。「少女アリス」はいわずとしれた伝説的な写真集で、少女の持つ生命力と無垢さを、それでも漂い出る官能性なんかを感じさせつつ見る人に判断を迫るような企みに溢れた写真がいっぱい並んでいて当時から話題になり、そして今この情勢でやっぱりいろいろと話題になってはいるんだけれど、そんな時代でも卑俗な雑音を乗り越え展示が世間に許容され、そして大勢の人が男性も女性も高齢者も若い人も問わず訪れるところにモチーフの表層的なビジュアルとは違う、何か奥深さなり意味性ってものがある作品なんだろう。

 それを良い大人が語るとやっぱりそうなのか、って思われてしまうところにこの時代の困難さがあるんだけれど、昔はそれこそ種村季弘さんも谷川俊太郎さんも讃え愛でた作品だったりする訳で、今も新しく制作されている写真集に今日マチ子さんとかが推薦の言辞を寄せていたりする。そうした声があるからこそ再刊もされ続けているんだろう、そんな写真集はこれまでとはちょっと色目が違った感じになりそう。前に出たあれは「海から来た少女」と合本になった「少女アリス」をながめていて、明るくソフトなイメージが確か印象に残ったんだけれど今回のプリントは彩度が抑えられているのか、銀と黒が強めに出ているような印象で、例えるならCONTAXのパンフレットに使われているツァイスレンズで撮られた風景のような沈んだ空気感が感じられた。

 ただの勘違いかもしれないけれど、でもギャラリーにいた方も抑えめのプリントにしたって話していたからたぶんそうなんだろう。ハッセルブラッドに着けられていたレンズがツァイスなのかエルマーなのかは分からないけれど、でも撮られたロンドンなり英国の空気感ってのはどこまでも明るくそして暖かな南仏的な空気感とはやっぱり違う。その意味で当時の雰囲気をより濃く出してきたプリント、って言えば言えたりするんだろうか。そのあたりはあと数度、ギャラリーに通って作品を観るなり注文した写真集が届いて手元にあるはずの前の版と見比べるなりして考えよう。でもいったいどこに行ったんだろう前の版。やっぱり出てこないのだった。掃除したい。引っ越したい。

 なるほどなあ。「今回の事態は産経が自ら招いた。加藤前支局長の記事は独身の朴大統領が妻帯者と男女関係があるかのように誹謗した性格が濃厚だ。市中に飛び交う疑惑を確認もせず無責任に送りだしたという非難から自由になれない」。そして「日本の主流メディアはファクトに強く、慎重な報道姿勢を持っていると信じる。自国の記者を起訴した韓国の検察の措置をめぐり見ることができなかったが、虚偽・扇情疑惑が濃厚な報道を繰り返して韓国人を傷つけた産経に対し、品位の維持も同時に要求しなければならない」。確かに言論に対して権力が起訴という手段に踏み込んだことは非難されるべきだけれど、一方でその言説が事実か否か、公正か否かも問われなければ言論は自由というなの横暴へと堕していく。

 今なお現地の新聞を写しただけだと言う声も少なくないけれど、コラムは現地の新聞をただ引き写しただけじゃなく、敢えてやっぱり書かなかった部分を証券市場の噂という根拠の今ひとつ判然としない情報を加えてよりくっきりと直接的に、そしてそれがあったこと自体を問題視するような筆致で書いたからこそ訴えられたのであって、そういう肝心なところをなぜか、当事者はもちろん他の媒体も伝えようとしないのは、それやってしまうと「報道の自由」で振り上げた拳の下ろしどころがなくなってしまうから、なんだろう。そして向こうも名誉毀損で振り上げた拳を下ろせない以上は、ガチで殴り合うしかないんだけれどでも、裁判という土俵で名誉毀損という争点、その論拠となるコラム、その生成過程と信憑性が問われて果たして戦えるのか、って所まで及ぶとやっぱりいろいろと難しそう。教訓。ボタンは掛け違わないようにしないとね。


【10月11日】 台風も近づいて来ないんで、もう1度くらいスケルトニクスを見て来ようと幕張メッセのCEATECへ。見るとスケルトニクスは場所をさらに移して大きな場所で囲いに入って体験会なんてものをやっていた。人気だなあ。それ以外に特に見たいってものもないんで、空いた時間はどうせガラガラなプレスルームで読書でもしようかと思ったらガラガラ過ぎると分かってか閉鎖されていたという。何てこったい。仕方がないので正午からの東京国際映画祭に関するチケット予約はロビーで済ませてとりあえず、押井守監督による待望の新作「GARM WARS The Last Druid」の上映を抑える。面白いのかなあ、これ。

 昔懐かしいデジタルエンジンの発表会で「G.R.M THE RECORD OF GARM WAR」ってのの発表会を見たけど、そこから幾年月、沈んでは沈みっぱなしな中に「Avalon」へと、実写のアニメ的映像作りという技術を漏らしながらも消えず続いて来た企画が21世紀も15年近く経った中で復活という、この劇的な状況を迎えながらもやっぱり懐疑的なのは、純粋なアニメーションじゃないからってことなのか。「アサルトガールズ」だって僕は嫌いじゃないけどでも、やっぱり「スカイ・クロラ」のようなアニメーションが僕は好きなんだ、静謐な中に哲学的で衒学的な言葉が散らばっていて。

 「GARM WARS」がいったいどういうストーリーで、どういう映像を持っているのかは実はあんまり知らなくて、ファンタスティックな世界観でもって実写をアニメーション的に撮っているのかどうなのか、って感覚しか掴んでないけど、きっと言葉だけはいいろいろと御託が並んでいて耳に刺さってくるんだろうなあという予感。それを支えるだけの映像があるかどうなのか。「THE NEXT GENERATION パトレイバー」はその点でレイバーっていう存在があって真野恵里菜ちゃんというお尻があってカーシャって美人がいるから良いけれど、「GARM WARS」は何を拠り所にして映像を見ていけば良いのか。そこが気になる。だからこそ行くんだ上映に。面白いのかなあ。やっぱりそこか。そうだよね。

 CEATECでは会場をチーバくんがうろうろしてて、そこがやっぱり千葉県なんだと感じさせる。ふらふらとしていたチーバくんはスケルトニクスがあったブースへと近寄って、そこで来場していた出店者から刀とリストバンドを持たされ振り回させられていた。何だこれ、ってそれは「Moff」。ジャイロセンサーが仕込まれた腕輪がブルートゥースでiPadとかに導入されたアプリを動かし音を鳴らすという仕掛けで、刀で切るとかドラムを叩くとかピストルを撃つとかいったいろいろな音が出せるらしい。なるほど面白い。とくにその多様性が楽しくって工夫によってはいろいろな遊びが作り出せそうだけれど、でもやっぱり単純なドラムマシン的な遊びになってしまうのかなあ、分かりやすさで。

 そう、分かりやすさに流れてしまうのがこういった新しいデバイスの難しいところで、刀にしてもドラムにしてもそれで散々遊んだ後で、飽きられ仕舞われてしまうってことがよく起こる。だから玩具なんかはそうした市場の動きを見越して安い価格で単一くらいの機能を仕込んでいっぱい打っては次だ次へと流れていく。そうじゃない、工夫次第でいろいろ出きるんだ、だからずっと遊べるんだという対局を「Moff」は示そうとしている訳で、その入り口として分かりやすい遊びを提案しているんだけれど、そこで止まってしまっては勿体ないし意味がない。いったいこれで何ができるのか。そしてどんな遊びを生み出せるのか。そんな提案が次から次へと出てきては。驚かせてくれたらきっと次代を担うデバイスになるんじゃなかろーか。手首の返しを音声に変えて対話するとか。東芝にあった手話ロボットより実用性があるような。

 同じ島には「電子楽器ウダー」ってのもあってこれがなかなかユニーク。何かスチームパンクだかゲーむんお「GADGET」だかに出てきそうな形をしているそれを手に持ち触れたりすると、電子音が鳴ってはさまざまな音程でもって響き渡る。長い音をうにょーんと鳴らすことも出きるし短音で音階を刻むことも出きる見たいで目の前で和服のお兄さんが「千と千尋の神隠し」の主題歌を演奏してみせてくれた、その一方でSF映画に出てくるような宇宙に響く謎の電子音めいたものも響かせたり。使い方によっては本当にいろいろと鳴らせそうだけれどどうすれば鳴らせるか、鍛錬がちょっと必要かも。今はそのお兄さんが筆頭であとは使える人がいないんで、買って練習すれば世界でも5指に入れるウダー使いになれそう。でもお高いんでしょ? まあそれなりに。でも世界に入れるなら。どうしよう。

 何というか参ったというか、世界が注目したノーベル平和賞を17歳のパキスタン人女性、マララ・ユサフザイさんとインドのカイラス・サトヤルティさんが受賞したってニュースを、普通一般の全国紙と呼ばれる新聞はたいてい1面トップに持ってきて、その苦難に満ちた人生を紹介しつつ一方で、西洋的な価値観でもってイスラムとかヒンディーの世界を塗りつぶすことへの懐疑なんかを感じさせようとしていたりするんだけれど、そんな中にあって新しい事態でもない、ただの続報に過ぎない自分ところに関連する人間が起訴されたって話を、1面のトップに持って来る新聞があったのには少し目が泳いだ。それもなるほど言論に対する権力の横暴ではあるんだけれど、今この時点においてバリューとして伝えなくてはいけない度合いの高いのはどっちか、って判断でここん家は軍配を自分ところの人間に上げた。それもそれで矜持だけれど、読者が支持するのはどっちか、って考えた時に未来への不安がやや募る。

 何よりそうした言論の危機に対する闘争だ、って言い張りたい主体が毎日新聞に聞かれて「さらに『うわさをうわさとして書いて、なぜ悪いのか理解できない』と述べ、欧米メディアの間にある『うわさの中身を書くことは良くない』という指摘に反論」してしまっているんだからさらに参ったというか、欧米どころか普通一般の全国紙との違いを際だたせてしまったというか。これではたとえ下衆な言論であっても、権力側それを理由に検挙し起訴するのは、行き過ぎなんじゃないかという意識の下、言論の自由を守るためには仕方がないかと味方してあげようとしても、勝手に蹴躓いてボロを出していくので如何ともしがたい。こりゃ参ったとどこも引き揚げあとはご自由にってなりかねない。

 せめて「噂を確かめず書いて、それがひとりの女性の傷つけたのは申し訳ないけれど、でも大統領という公人が、大変な時期に何をしていたのかという関心に応え、ひとつの可能性を指摘して、襟元を正して欲しいと求めた切実なる言論に対して、いたずらに権力を振りかざして弾圧を行うのは、世界的に見ても宜しいことではない」とでも言えば良かったのに。いや、そう感じているなら最初の段階で書き過ぎだったと筆を和らげつつ、言いたかった権力の空白への懐疑へと筆を進めただろう。そうでないのは何故なのか。目的は下半身ネタの暴露による誹謗であって、言いたかったことを書いたまでってことなのかなあ、「『筆が滑ったとは考えていない』と強調」してしまってるくらいだし。厄介なことにならないと良いんだけれど。このままだと「言論の自由」を護持するに当たって不可欠な「責任ある言論」の土台が崩れて全体が破綻しかねないんだけど。


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