縮刷版2013年7月中旬号


【7月10日】 届くのは待てないと書店に出かけていって川上稔さんの「今日課員世情のホライゾン6(中)」(電撃文庫)を買って延々と読みふけって過ぎていくハッピーバースデー。48回目ともなるとまあそんなもので、別に四方からフーターズのお姉さんに囲まれおしくらまんじゅうされるなんてこともないんだけれどもし、そんなシチュエーションがあったらこっちを向いてくれた方がいいのか、背中を向けてくれた方がいいのかちょっと考えるところでもある。2人が前で2人が後ろっていうのもありかなあ。デコボコしてていい感じ。だから絶対あり得ないってば。そんなハッピーバースデー。

 そして「ホライゾン」はといえば大谷・刑部がネットを通じて現れ流体をまとめた人工生命みたいな感じでバトルを挑んできては、ネイト・ミトツダイラやら毛利・輝元やら北条・氏直やらを相手に結構な戦いぶりをみせるけれどもそこはそれ、主役チームならではの強さを見せてどうにかこうにかしのいだ後は、再び翌日から始まる戦いに向けての話し合いなんかが繰り広げられて、そこでネシンバラ・トゥーサンが頑張って凹まされて右往左往しつつも、愛しいシェイクスピアの助けとか得て乗り切っていく。多分そうなるんだろうとは思いながらも、丁々発止のやりとりがあっていったいどこへどう落ち着くのかってスリルを楽しめる展開。シェイクスピアのネシンバラへの執着ぶりもある意味スリリング。君のサインをくれというネシンバラに用紙を送ってくれたらサインして返すというのはつまり公的な届けのことだよなあ。みんなそりゃ「ひいいいいいっ!」と驚くわ。

 いつも冷静沈着で自動人形ならではの思考速度を活かしてどんな難題でもぐっと飲み込んでいた北条・氏直が、ネシンバラが繰り出す歴史に依拠した傲慢な態度を受けてかそれとももっと大きな観点から自分たちの運命をかぎ取ってか、涙を流して叫んだりするあたりに何というか意外な可愛らしさも見えたりするのも大きな収穫。でもってノリキはといえば遠く諏訪大社でバージョンアップを図っていたけど、北条・氏直との関係とかをめぐっていろいろ話もあって遠くにありながらもくしゃみをしたり悪寒を感じていたりするから何か羨ましい。やっぱり通じ合っているんだなあ、ってそはそれで「ひいいいいいっ!」な関係でもあるんだけれど。終盤にかけて戦いも始まってそこに向かうノリキは間に合うか、ってのが1つの興味。それより以前にネイトママン、あれを相手にいったいどう戦うのか? もうそれが気になって次の発売まで夜、寝られなくなっちゃいそう。何カ月後だろう。

   また今年も来たのかとドリパスからの案内を読んで、8月に開かれる今敏監督追悼企画を申し込む。去年は上映が「パプリカ」でそこに林原めぐみさんが登壇していろいろ話してくれたけれど、今年はその林原さんと「パプリカ」の組み合わせに加えてマッドハウスを率いてい今敏監督に傑作を作らせ続けた丸山正雄プロデューサーとそしてご夫人の今京子さんが登場。その上で「パプリカ」だけじゃなくって「千年女優」も上映してくれるとあってはこれはファンとしてはもう行くしかない。だって「千年女優」だよ。映画について語られ映画館で観られるべき作品でありながらももう10年も前の公開で、パッケージも発売されてはなかなか映画館でかかる機会もなくなっている。それがかかる。あの感動の映像とそして音響を映画館の大スクリーンとそして高品質の音響施設で観賞できるならこれを逃す手はない。絶対に。

 公開時もいろいろな劇場で観たけれどもまだシネコンってのがそんなに広がっていなかった時代だけあって、例えばメディア芸術祭に絡んでの上映だった恵比寿の東京都写真美術館のホールしかり、リバイバルの上映となった三軒茶屋の劇場しかり本格的なシネコン時代の劇場水準からはちょっと離れていた。確か舞浜にあるシネイクスピアリでも上映があってそこなら最高の音響でもってラストに流れる平沢進さんによる「ロタティオン LOTUS−2」を全身に浴びるように聴けたはずなんだけれどこれは上映のタイミングが合わずに確か行けなかったという記憶。あとはどこで観たんだろうか。もう記憶がほとんどない。

 ほかはだからシネセゾン渋谷が閉まる時に企画されたオールナイトと、アニメスタイルの企画による池袋新文芸座のオールナイトでどちらもやっぱり最新という環境ではなかったなあ。唯一、あったのが2006年10月24日に東京国際映画祭の中で行われた、今敏監督のティーチインがついた上映会で、これは六本木ヒルズにあるTOHOシネマズ六本木での上映だったから音響は抜群に良かった、って記憶がある。ただ劇場は滅茶苦茶大きかったってことはなかったっけ。それが今回は新宿のバルト9。多分最大のスクリーン。いったいどんな音響になるんだろう。そしてどんなワイドな映像になるんだろう。ちょっと楽しみ。映像はやっぱりフィルムだろうか。まだブルーレイディスクは出てないからその上映ってことはないよなあ。そこにも興味。これを機会に一気にブルーレイディスク化が進んでくれると有り難いんだけれど。バンダイビジュアル。どうしてやらないんだろう。

 もう1本の上映となる「パプリカ」もやっぱり映画館で観たい作品なのは中に映画がいっぱい出てくるからなのとあと、巨大化したパプリカというか千葉敦子をでっかい画面で真下からたっぷりと拝めるから、だったり。そしてやっぱりこれには今敏監督自身が超えとそして良く似たキャラクターとして登場しているからでもあって画面の中で原作者の筒井康隆さんと並んで登場してはいろいろと喋ったり大混乱の中で活躍したりと嬉しい姿を見せてくれる。本人にはもう会えないけれどもそれを観れば声は聴けるし姿も拝める。だからやっぱり相応しい作品。そりゃあ「PERFECT BLUE」だって観たいし「東京ゴッドファーザーズ」も観たいけれど前者はサスペンスで後者は舞台が冬、では8月の上映で追悼にはちょっとマッチしない。だからベストの婦人。そして最後に「オハヨウ」を流せばもう完璧、なんだけれどそういう配慮は今回はないかな。渋谷ではあったんだよな。ご検討を。

虚構新聞、GROSを持ったDARSに平身低頭するの図  わはははははは。嘘から出た誠というか嘘でも誠にしてやったぜというか、あり得ない話を書いて評判を取りつつちょっぴり世相を皮肉ってみせたりもすることで名を挙げた「虚構新聞」が、ちょっと前に森永製菓の人気チョコレート菓子「DARS」を題材にして、これが12箱入ったGROS」ってのが発売されることになったってもちろん嘘の記事を書いて世間を楽しませていたけれど、その記事を読んだ森永製菓がようしだったら本当に作ってやろうじゃないかと考え、パッケージデザインの会社なんかにも話をつけて本当に「GROS」ってのを限定12個ながらも発売することにして、虚構であるはずの虚構新聞が本当のことを書いてしまってこれは申し訳ないとお詫びする事態にまで発展してしまった。

 ありそうでなかったけれどもあったら愉快な話題を話題として思い付き、記事に書いた虚構新聞も虚構新聞なら、それを受けて短期間の間に実物を作り上げてしまった森永製菓も森永製菓。怒るんじゃなく訴えるとかとんでもなく、愉快な話を愉快だと受け止め愉快な状況を作り出して盛り上げるお互いの意識のベクトルのポジティブさによって、どうにも世知辛い昨今の重苦しい空気がスカッと晴れたようでちょっと嬉しかった。でもって夕方に現場をのぞいてみたらすでに12人の枠はいっぱいで、早い人だと午前の10時半とかに来ていたそうでそれから8時間近く待って購入したとはなかなかの勇者。そこで話題に加わりいっしょになって盛り上げようとする受け手もあったから、この話もより良い方向へと転がっていけたんだろう。その意味でも買いに並んだ人たちにも拍手。次はいったいどんな瓢箪からどんな駒が出てくるかなあ。虚構新聞に限らず愉快で笑えて喜べる話を。それがネットの良さなんだから。

 なんか凄いというか、そういう時代なのかというか、自主制作でもって作ったアニメーションの「この男子、宇宙人と戦えます。」がDVD化されたり上映されたりして一気に自主制作アニメのトップランナーへと躍り出た山本蒼美さんが何と「メガネブ!」とゆー商業アニメーションの監督を務めることになったとか。あのスタジオディーンが制作を手がけ、キャラクターデザインは中島敦子さんという超豪華布陣を過去に、そういった商業での経験がまるでない山本さんがどう仕切り、どういった展開へと持っていくのか、興味はあるし一方でなかなか大変な現場へと飛び込んでいくものだと心配し、けれども受けたってことはそれなりに成功させる自信があるんだろうと思って感心して、状況を見守っている。

 だってやっぱり1人で作るのと大勢で作るのとではやり方もやることも全然違う。1人だったらそうしたいと思うように脚本を書いて絵コンテを切って、原画どころが動画も描いてそれを撮影して動かして、音楽をつけてセリフも入れていけばそうなっていくけれど、これが別に絵を描く人がいてそれを演出する人がいて、シナリオも別に書かれて来る状況の中で、自分はどういうビジョンで映像にしたいかを考え、それを外に向けて表現して伝えていかなくちゃいけない。
 自分はこうしたいからこうするんだと言ってどうにかなった自主制作とは違うスキルが必要なのは自明。だから普通は大学とかで自主制作アニメーションを作っていいた人でも、商業アニメーションの現場にはいったら例えば演出助手をしてみたり、制作を勤めてみたりしながらワークフローを理解し、現場の人員たちとの信頼関係を築くなり、誰が何を得意としているかの把握なりを行った上で、自分がその流れを舵取りするようになっていく。学生時代に話題の作品をつくったいしづかあつこさんだって、下積みを数年やって監督になっていった訳だし。

 山本蒼美さんはそうした段取りをすっとばしていきなりの商業アニメーションの監督業。もちろんスタジオディーンという老舗なりが何の能力もない人を上に据えるはずもないから、持っている力はあると認め、そこに演出なり絵コンテなり脚本なりのプロフェッショナルを揃えることで、より大きな作品へと育っていくと確信して起用したんだろー。話題作りだけで素人を声優に据えるのとは訳が違うんだから。だから今は信じてその放送なりパッケージ販売なりがスタートするのを待とう。成功すればこれは新たなパターンとしてアニメーションの世界に定着し、自主制作でもって演出なりを極めて商業へと向かう人とかも生まれて来そう。逆に商業の現場でもまれ演出なりを学び絵コンテなりを切りプロデュース力なりを育んだプロフェッショナルも、よりプロな仕事でもって受けて立ち、そんな相互の切磋琢磨によってアニメの世界が発展していくだろー。楽しみだ、未来が。


【7月9日】 毎年出ているような気がしたけれど随分と久しぶりだったらしい「この文庫がすごい」の2013年版で、文庫ライトノベルの紹介なんかをやっているんだけれどここで選ぶ時に悩んだのがメディアワークス文庫の取り扱い。ミステリマガジンの方だとここから結構な頻度でセレクトしている、というよりほとんど1カ月おきくらいに選んで紹介していたりして専用コーナーかとすら思われ始めていたりするんだけれど、それはそれとして他のコーナーであまり紹介されそうもないならメディアワークス文庫はライトノベル側で引き取るしかないんだろうなあ、という判断が働いて選んでいたりするのが実際のところ。つまりは他との兼ね合いって奴。SFマガジンだとさらにメディアワークス文庫がSF小説で取り上げられる確率が低いんで、もっぱらこちらかファンタジーのコーナーで取り扱うようになっている。

 「本の雑誌」の別冊で出た「文庫王国」の場合はミステリー文庫のあたりで「ビブリア古書堂の事件手帖」とか取り上げられる可能性なんかも考えたけれどそういう判断は個々の選者に任されていたんで何冊か選んで10冊くらいのリストに入れて紹介したんだったっけ。でもって完成したのを見渡すとやっぱりあんまりメディアワークス文庫は選ばれていないなあという印象で、見ればミステリーもラブストーリーも企業小説も時代小説すらもあったりするメディアワークス文庫だけれど、角川文庫新潮文庫集英社文庫文春文庫徳間文庫etc……といった文庫のラインアップにはまだ入っていないか入れてもらえないか別枠とミナされているなあという印象をとりあえず得た。そんな状況をどうにか「ビブリア古書堂の事件手帖」が超えつつあるけどでも、それ1冊のみっていった状態でもあってどっちつかずが続いてる。店頭でもやっぱりそんな感じか。

 だから「この文庫がすごい」でライトノベルを選ぶ時でも果たして入れるかどうするか、ってところで迷ったけれどもここでは敢えて、他の選者に期待を示しつつ現実に紹介できるのが5冊から6冊程度では、メディアワークス文庫を入れて文庫ライトノベルの雄ともいえる電撃文庫も外せないとなるとどうしても偏ってしまいがち。そこに角川スニーカー文庫にファミ通文庫に富士見ファンタジア文庫にMF文庫Jとか入れた日にはKADOKAWA系ばかりになってしまう。それが人気なんだから仕方がないとは言えそればっかりでないのも実際だったりするのでいろいろ考え他で紹介したのもとも重複を避けつつ選んでみたのが今回の作品という次第。何が出ているかはご覧になっていただければとお願いしつつとりあえず、文庫既刊で1万ページは軽く超えて来る「境界線上のホライゾン」も脇で挙げていたので文庫者なら挑戦してみてはいかがと言っておく。ハマれば毎日だって読んで飽きないシリーズだし。本当に。

 そうか「星新一賞」とは日本経済新聞もよく立ち上げたなあ、一般小説については既に日経小説大賞ってのを立ち上げていたりして、そこから「フロンティア、ナウ」の野崎雅人さんとか輩出していたりするけれどもとりたてて企業とか経済に寄っていたりすることはなく、広義のエンターテインメントって奴を世の中に送り出そうとしていたりする。「星新一賞」の場合は科学技術分野にもある程度強い日経ってイメージを出そうとしているのか、石川島播磨重工業なIHIをバックにつけ、あと日本ビジネスコンピュータが変わったJBCCホールディングスに東京エレクトロンもつけて企業なんかの後ろ盾をしっかり得つつ、そこに瀬名秀明さんを筆頭として科学に強い作家と宇宙飛行士とIHIの役員を選考員として迎え入れ、科学のイメージをどこかに漂わせた賞ってイメージを出そうとしてたりする。

 それが本当に星新一さんのイメージと重なるのか、むしろ星さんといえば科学技術も含めて皮相にくるんで描いてみせたりした、もっと哲学と文学に寄った人で何よりショートショートという得意分野を持った作家だったってマスイメージの方が強くあるんだけれど応募要項では1万字という、原稿用紙に直せば25枚より少ない短編からさらに短いショートノベルが対象になっているところに、シンプルでありながらも世の矛盾をつき、意外性を掘り起こす作品って奴を求めている雰囲気も伺える。こんなあたりは星新一さん的といってもいいのかな。人工知能でも応募OKってのは前に瀬名さんが立ち上げた、人工知能に小説を書かせるプロジェクトを念頭においてのことで特に驚きはないけれど、実際に応募してくるかどうかってところに興味。コンピュータ将棋に挑んでもそろそろ間に合わないと思っている人工知能研究者はこっちにシフトしてみても面白いんじゃないかなあ。さてはて。

 それにしてもこうやって新人賞が立ち上がってほかにもハヤカワがSFコンテストを復活させ東京創元社も短編の新人賞を作って新しい人をどんどんと送り出しているから、小松左京賞がなくなって日本SF新人賞も消滅してしまった現時点でも、新しい人材の流入にはとりたてて迷うことはなさそう。ライトノベルの賞だっていっぱいあってそこにライトノベルの皮を被ったSFが出てきていたりする、そんな入り口はたくさんあるのにそうしたSFの最も優れた年間MVPを決める賞がいったいどうなっているのか、まるで見えていないのがどうにもこうにも悩ましい。

 つまりは日本SF大賞のことで今年の春の授賞を最後に徳間書店が降りてしまって現在、続くのかどうなのかって話がどこまで進んでいるのか部外者にはまるで見えて来ない。出版関係の人には見えているのかもしれないけれど、もしもこのまま今年はなし、だなんてことになったら、その年に書かれた諸々の作品が持っている選ばれる権利、って奴が蔑ろにされてしまう。これはとっても哀しい話。そして業界にとってもみっともない話なんでどういう形にしろ、相応の敬意をはらって作品を選び、受賞させるのが良いと思うんだけれど彼方の部外者が何を言ったところで届く世界でもないものなあ。どうなるのかなあ。

 池袋のサンシャインシティにあるナムコナンジャタウンが改装されて上階が少年ジャンプをテーマにした屋内型の施設になるってんで見物に行く。入るとわりとがらんとした印象だったけれども細かいところで「BLEACH」やら「テニスの王子さま」やら「銀魂」やら「こちら葛飾区亀有公園前派出所」やら「NARUTO」やらといったジャンプコンテンツを使って遊ぶ縁日みたいな施設があり、そして「ONE PIECE」のライドとか「NARUTO」のアトラクションとか「ドラゴンボールZ」の天下一武道会を燃した遊戯施設なんかが点在していてそういうのを待って遊んだり細かい縁日みたなので楽しんだりしているうちに結構な時間を過ごせそう。空間はそうした人たちがまったり動いたりしていれば結構埋まって賑やか感じを出すんじゃなかろーか。プライズゲームとかも充実で全部ジャンプ関連コンテンツ。入場料が大人で1300円とか必要だけれどそれで入って「ジャンプフェスタ」をより凝縮した場所で充実の時間を過ごしてみる、ってのもひとつの手かも。

 ナンジャタウンの方も改装が入って餃子にスイーツといったフードテーマパークを寄せつつトレジャーガウスとか青い鳥とかいった前々からあるアトラクションも残して遊べるようにした感じ。ある意味コンパクト化。でも細々としたところに楽しめそうな装置もあって親子連れとか子どもだけとかが来てしばらく遊ぶにはこれもまたベストかも。ジャンプコンテンツとかにこだわらない人ならこっちが良いかな。青い鳥とかもうずっと残してあってこれをコンプリートだかしに来るリピーターも多いようだし。餃子の店も結構あるしフードテーマパーク的な楽しみ方も可能。前は上階に大きな飲食スペースもあってそこに滞留できたのがなくなったのがひとつ残念か。ナジャブとかあそこで子ども相手に愛想を振りまいてたいものなあ。これからはどこに現れるのかな。


【7月8日】 インターネット上のコンテンツがテレビの番組といっしょに映し出されるパナソニックのテレビ製品のCMを、テレビ局が放送できないと言って断ってきてどえらい騒ぎになっているという件。ストレートに考えるなら古い体質のテレビ局が新しいコンテンツと一緒くたにされることに戦々恐々として、横並びになって排除にかかったという既得権益の暴走めいたストーリーに収まる話なんだけれど、単純にテレビ局を悪とも言い切れないのは彼らが放送法でもって事業の内容をある程度縛られていて、それが絶対的に守られているとはいえないまでも、一応は番組中であからさまな宣伝めいたことはできないようになっていたりして、その代わりにCMの時間をとってそこで専門にCMを流してスポンサー料を戴くなり、最初っからそれと分かるインフォマーシャル的な番組を作るなりして、番組作りのための資金を得ているからでもあったりする。

 それによって放送コンテンツの中立性なり、公正性が担保されているという判断で、視聴者もだから安心して見ていたれるということになっているのに、そこにそうした法律上の規制がかからないネットコンテンツが一緒くたにされ、尾籠な面白さやら興味深さをもった“番組”を並立して流されてしまっては、法律で縛られ身動きが不自由なテレビ局側は戦いに負けてしまって、収益を稼げず衰退していってしまうという可能性も見えたりする。だからといってテレビもバナー上等アフェリエイト大歓迎インフォマーシャル大展開といった番組を作って流すと、今度はどこに信頼を置いたらいいのか視聴者は分からなくなってしまう。かといって番組ごと、あるいはチャンネルごとにペイパービューを行うようになっては、みんなNHKとなってしまう。それではとても民放が持たない。

 現実としてはネットにつながるパソコンを使い、インターネットを楽しむ一方で、チューナーのボードとかとつないでそれでテレビを見ている人たちもいたりする訳で、あるいはケーブルテレビの普及によって光ケーブルか何かを介して、番組もインターネットコンテンツもセットトップボックスを通して同じモニター上に表示されることが普通になってもいたりする。そんな時代に電波を使ったテレビだけが旧態依然としていて果たして良いのか、って問題。既得権益と非難するなら放送法に縛られた許認可業種であることも同時に考え合わせてその上で、これからの時代の映像コンテンツの在り方って奴を考えつつ、その信頼性の担保をどうするか、収益をどうやって得るのかを精査していかなければ未来はない。ないんだけれどそれが1番難しいんだよなあ、現実問題。もう全部NHKになってしまって、NHKニュースにNHKスポーツにNHKアニメにNHKドラマ、NHK情報バラエティ、そしてNHKあまちゃんといった局が並立して視聴料を得ていくしかないのかなあ。

 そうかちゃんと動いていたのか「COPPELION」のアニメーション化。東京のお台場にある原子力発電所が大震災によって破壊されメルトダウンして首都圏一帯が誰も住めない場所になってから幾年月。放射能の影響をまるで受けない特殊な人類が誕生してはそうした汚染地帯に送り込まれることになって現役女子高生の3人組が入り込み、そこで生き残っていた人たちと出会ったり米軍だかどこかの勢力と戦ったりするストーリーが繰り広げられる。もろに東日本大震災と絡んで起こった福島での原発事故の影響を想起させる設定で、それだけに震災前に決まっていたアニメーション化の話がペンディングされ、連載すらも一時期は継続が危ぶまれることになった。大騒動だったもんなああの当時。そんなかで単行本の存在を新聞で取り上げてはみたけれど、話題にならなかったのはマイナー過ぎる所以か。影響力のないメディアって哀しいね。

 そんな壁にぶつかり、押し潰されそうになりながらも「COPPELION」は描かれた内容の先見性を持ってして、来るべき現在とそして訪れるかもしれない未来を穿つ内容が逆に評価されることになって連載は継続。そして2年の歳月をくぐり抜けて晴れてアニメーション化もされることになった。迎えた声優さんは戸松遙さん花澤花菜さん明坂聡美さんという超有名所。声のファンとして観て内容に引き込まれる人とかも大勢いそう。これは本当に嬉しいニュース。ここからアニメーションが現実を語り未来を想起させては壁に挑戦して突破していく可能性を示してくれるけれど、それだけに民放地上波がどこまで乗ってくるかが心配な所。放送するのはBS11くらいであとはネット放送とか? そこも突破してこそ意味があるけど、これはいくら民放の経営のためとはいえ、あんまり歓迎できないスポンサーへの顔向けが、門戸を閉じさせてしまいそう。どうなるか。待とう。そして観よう観られるのなら。野村タエ子の胸とか巨大だし。

 「ミスマルカ興国物語」の第7巻の中で、マジェスティア帝国がミスマルカから中原へと攻めていく時に爆発させた新型魔導兵器のボタンを押したユリカが呟いていたっけか。空に一千の太陽が輝けばそれは神の光にも似たものになるだろうとかどうとか。これはかのオッペンハイマー博士がロスアラモスの原爆実験の際に引用したヒンズー教の教典「ヴァガヴァッド・ギーター」にある一節で「千の太陽が空に輝けば、それは神の輝きに似たものとなるだろう。我は死神、世界の破壊者なり」とかどうとか。その威力が目先にいったいどんな破壊とそして死をもたらすかを想像し、そして将来においてどれだけの恐怖を人類に与え続けるかを聡明過ぎる科学者は直観したんだろうけれど、そんな畏れをものともしないで原子爆弾は広島と長崎に落とされ、そして核兵器は世界中にあふれて一時の冷戦を生み、雪解けが終わった現在はさらに拡散して操り手もいない核兵器が世界に蔓延していたりする。

 ジョナサン・フェッター・ヴォームというまるで情報のないブルックリン在住らしい作家でイラストレーターが描いたグラフィックドキュメントというカテゴリーに属する本「私は世界の破壊者となった 原子爆弾の開発と投下」(イースト・プレス)は、タイトルが表すようにオッペンハイマーの核兵器開発からその後を追って描いた本。読むと原爆投下をとかく正当化したがっていると思われがちな米国人だからといって、誰しもが原爆の開発や広島・長崎への投下を良しとしているのではないということが見えてくる。開発者自身がその手を血塗られたものとしてトルーマン大統領との握手の際に告げたことは言うまでもなく、新聞なんかで原爆投下のニュースを知った国民からもいったい何をしたんだという驚きの声が上がったことをこのグラフィックドキュメントは伝えている。そしてそれを米国人であるジョナサン・フェッター・ヴォームが描いているというところにあの国の何だろう、良心めいたものが浮かんで来る。

 「私は世界の破壊者となった 原子爆弾の開発と投下」には原爆とは直接は関係のない東京大空襲の話も取り上げられていて、それで無辜の大勢の死者が出たことを描いていたりしてあれが殺戮に近い行為だったことを示唆している。なおかつそんな行為を米国政府が戦争の相手は日本軍ではなく日本国だからと言い繕う様も描いてあって、そうやって何でも正当化しようとしていたあの時代の為政者なり軍なり支持する人々への批判を行っている。受けて米国ではいったいどんな反応があったんだろう。翻訳される前のこの本が、どういう受け入れられ方をしたかまるで分からないんだけれど、その辺り資料とかあるのかな。こうやって翻訳までされるくらいだから相当に売れた本なんだろうとは思うけど、さてはて。

 左綴じで横書きにされている漫画、という面では昨今ちょっと話題になった海外で漫画が売れるには、なんて話とも絡んで読みやすいかどうかって面から参考になりそう。っていうか日本で出すのに右閉じにして縦書きにしようとしなくても、ちゃんとこうやって普通に読めるのはそれだけ日本人の読書のリテラシーていうか水準が高いってことの現れなんだろうか。逆に「はだしのゲン」なんかを日本のまんまで出してどういう受け入れられ方をしたのか。これは資料とかありそう。ともあれ読んで僕たちは米国に憤るべきなのか、描かれた福島での原発事故を鑑みて共に嘆き間違いを犯したと恥じて悔い改めるべきなのか。そんな示唆を与えてくれるジョナサン・フェッター・ヴォームの「私は世界の破壊者となった 原子爆弾の開発と投下」は、翻訳がSFでもお馴染みの内田昌之さんで日本語版監修は澤田哲生さん、そして解説は武田徹さん。分厚い評伝は苦手でもこれならすんなり読めて深く刺さる。是非にお手に。


【7月7日】 そして見た「物語」シリーズのセカンドシーズンって奴はちょっと前に出ていた「猫物語(黒)」からさらに進んで羽川翼が今度は虎になるんだか虎に襲われるんだかする話みたいだけれど、ブルーレイディスクで揃えた「つばさキャット」を全部見てなかったりするんで羽川翼の家庭の事情って奴がよく分かってないんでどうして廊下で寝ているの? とかどうして家族の1人1人に調理器具があるの? なんてことにも理解が及ばずどうも妙な家庭らしいってことだけしか分からない。とはいえそんな妙さを奥に隠してずっと「何でも知ってる羽川翼」というイメージを醸し出し、阿良木暦を相手に振る舞ってきたんだとしたら相当なやり手。その表面に隠れた内面ってやつが露わになるだろうこのシリーズは面白そう。

 良い子っぽさを見せつつ誰にも頼らず頼る選択をできないまま廃墟で寝泊まりするその性格は何だろうか怯えだろうか虚無だろうか。そんな彼女を捜し走り回って見つけた戦場ヶ原ひたぎのその時の真剣さが、アパートに戻ると取り繕われて能面のように淡々と語る中にポーズでもって服を脱いだり下着になったりする豹変ぶりがまた面白かったけれど別に彼女、もう怪異なんかに取り憑かれてないんだよなあ、だとしたらあの性格の不思議さはなかなかに貴重。そこに阿良木が惚れる気持ちも分からないでもないけれど、一方で好きだと迫られ断れば三角定規とコンパスで切られ刺されるとあっては逃げられないという事情もあるのかも。ともあれ止め絵とポージングとセリフでみせる演出絵コンテがキレキレな新シリーズ。楽しんで行こう。

 築地利彦さんの「冥玉のアルメイン1」(ファミ通文庫)がすげええええええええええええええええ面白いかったので面白い本が読みたい人は迷わず買って読むように。王様と結婚した母に連れられ王宮入りして王子になったアルメイン。血のつながらない姉に労られ妹に慕われ、兄の一部には私生児だと蔑まれながらも王宮によって付けられたメイドに世話をされながら、日陰者として生きていた10歳の時、母が死んだ。王子とは言っても父親とは血のつながりはなく、王宮内の官僚にも貴族にも何も後ろ立てなどないアルメインをなぜか、聡明でなおかつ美貌の長姉が守ろうとする。何て親切な。けれどもその真意に触れた時、アルメインは王宮を飛び出してしまいあちらこちらを流浪。そして8年が経って戻った王都で、アルメインは少し前に死んだ父王の後を、代王として継いだ長兄の死を受け王宮へと呼び戻される。

 そして幕を明けたのが謀略と係争の物語。代王の死でやはり代王となった長姉も死の床にあって後継としてアルメインとあと3人、商人と結婚した姉、軍を率いる姉、放蕩三昧の兄にアルメインの4人を代王候補として指名する。他の王子や王女たちには継承権を捨てさせ、そして代王となった4人には争うかそれとも協力するか、いずれにしても誰かが王位を継ぐために競い合えと伝えて、それから程なくして息を引き取る。各地を放浪して社会の裏側も存分にも観てとある王国では王室に入り込んで陰謀にも加担したアルメインには、蛇の住処のような王室もとくに恐れることはなかった。とはいえ悪に染まった訳でもなければ権力欲にまみれた訳でもない彼は、平穏を望み代王の座を事態しようとすらした。

 けれども半ば追い込まれるようにして代王となったアルメインは、彼を慕い騎士として誓いを立てた実直な義理の妹と、なぜか8年前をまるで容姿の代わっていなかったメイドを数少ない見方として、誰もが陰謀を抱え、欲望を滾らせ、己の信念のために邁進している王宮にあって生き残り、そして王として世界のために役立とうと進み始める。王子や王女たちに限らず宰相や異国も絡みめぐらされる謀略も加わって複雑さを増す展開。誰が正義で誰が悪とかではなく、誰もがその思いのために動きぶつかり合う中で、最善と選び最強を目指して勝ち残るための表に裏に繰り広げられる戦いの様がスリリング。最後の最後で意外な所から浮かんだとてつもない企みも見えていったいこの先どうなるの? ただただ続きが心から楽しみ。しかし真っ当な人間がいないなあ、この王宮。父親の血筋? だとしたら相当な親父だったってことで。

 外に出ると灼熱の中をダイオウイカでも見ようかと上野にある国立科学博物館に行ったらダイオウイカを見たい人たちで長蛇の列が出来ていた。ダイオウイカ恐るべし。変わりにコウテイペンギンでも見ようかと思ったものの動物園もまた長蛇の列になっているだろうから東京藝大にある美術館でもって夏目漱石に絡んだ展覧会の最終日に滑り込み、青木繁やら何やらいろいろある絵や書なんかを見る。漱石と美術といったらターナー島と呼びましょう、という「坊ちゃん」のターナーなんかが割と知られていたりするというか、個人的に知っていたけどほかにもジョン・ウィリアム・ウォーターハウスって画家のを割とよく取り上げていたみたい。とっても精緻な筆で神話とか騎士物語なんかを絵にしていた人でその美しさにきっと、留学していた夏目漱石も惹かれたんだろうなあ、当時全盛だったこともあって。1917年死去は漱石の死去の1年後か。会っていたんだろうか英国で。

 やっと見た「銀河機攻隊マジェスティックプリンス」の2クール目に入っての最初のストーリーはクロキ・アンジュって新人がいきなり配属されて来ては最初は先輩の手前もあってか妙におどおど。っていうか男か女かもはっきりしない奴なのに、自分の意見を言う段になると妙に居丈高になってはヒタチ・イズルの描いた漫画に実に的確でつまりは酷い評価をつきつけそして、戦場に出れば圧倒的な技量を見せつける一方で命令は無視し周囲にも敵にも罵詈雑言を投げかけては敵も味方も圧倒する。いったい何者? そんなので戦闘に役立つの? さすがの人材に艦長のスズカゼ・リンも飴ちゃん舐めるくらいしかリアクションできなかったけれど、でもまあそんな人材でも高い戦闘力を持っていることだけは確かなんでザンネンファイブのそれぞれに突出しつつ劣っている組み合わせに巧く融合させて、よりパワフルなチームを作りあげてみせる……ことができるのか? ちょっと不安になって来た。飴舐めよ


【7月6日】 家に戻って寝たのが午前の2時くらいでそれから午前6時には起きて家を出て向かうは前日の夜の11時半までいた新宿はバルト9。だったら近所に泊まっていれば時間も節約できたって話になるけど泊まる場所なんてないしそんなお金もないから家に帰ってまんじりともせず出かけるのだった。ああそうかオールナイトを見ながら時間を過ごすという手もあったか。バルト9って不思議と午前2時とかまで映画上映していたりするものなあ、誰が見たりするんだろうというも奇妙に思ってた。見終わって出勤する早朝キャバクラの女店員さんとか? そういうサービスがあるのかどうかも良い子なんで知らないけど。うん知らない気がするけれど。

 そして到着したバルト9にはなぜか長蛇の列。もしかして物販に並ぶ列なのか、って近寄ると男子ばかりであれれて「銀魂」ってそんなに男子に人気があったっけ、知らないうちに男性人気がバリバリのアニメになっていたんだっけ、ってさらに近寄ってガイドの声を聞いたら「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」の前売りが今日から発売だった。なんだそれなら男ばかりで納得だ。っていうかもう売り出すのか完結編。月内には総集編だった劇場場のブルーレイディスクも出るからなあ。いよいよラストスパートってことか。実際、「劇場版銀魂完結篇 万事屋根よ永遠なれ」を見る前の予告編でそんな劇場版「まど☆マギ」新編の予告も流れたし。どうやらまどかがいない世界でまどかを探すほむほむの話になっていそう。そりゃそうだよな。愛しているから。けど報われるのか? 他のみんながどうなるんだ。そんな辺りに注目。むごい話になっていなけりゃ良いけど。

 予告編ではあと何が流れたっけ、「魔女っこ姉妹のヨヨとネネ」か、2013年公開ってことは着々と制作は進んでいるってことなんだろうけれど、予告編ではまだそれほど詳細な世界観は見えてないんでこれからさらに密度の濃い予告編が出てくるんだろう。お助け魔女のデコボココンビがいろいろやらかす話しっぽいけどヨヨだっけ、ネネだって背の高い方のビジュアルが割とこのみなんで多分見に行く。そのツンとした雰囲気がそのまま出るキャラなのか実はドジっ娘なのか。想像するのも楽しそう。そんな予告編ラッシュの合間にながれる「どーにゃつ」の第2話がまた愉快。昨日も2回見たけど何度見ても笑える。なるほどドーナツの穴はああやって使うのか。爆笑。これいったいどれくらい作られるんだろう。見に通っちゃいそうだよバルト9に。他でも流れるんだっけ。

 そして見た「劇場版銀魂完結篇 万事屋よ永遠なれ」についてまだ見ていない人のために多くは語れないけれど、ただひとつ、言えることがあるとしたら笑え、泣け、驚け、そして喜べ、今このどうしようもない時代に、これだけの物語が届けられたことに対して、全身で全霊で全力で全開で、といったあたりか、うんまるで説明になってないけれど、見ればその意味も分かる、絶対に。もうちょっとだけ足すなら冒頭の遊びがラストまでちゃんと通じてた。よく考えたなあ。あれはロトスコープなんだろうか。もう見られないバージョンが割とリアルに見られたのが嬉しかった。何のこっちゃ。そして登場する誰もが格好良かった。とりわけ大きくなった神楽のチャイナな服に大きく開いたスリットからのぞきにょっきりと伸びる脚がまぶしかった。あれを舐めるように見に劇場に通いそう。

 スケール感もたっぷりあってラストまでみると本当に迫力を楽しめた。そしてストーリーもSF的なギミックを実にタクミに処理してた。なるほどああ締めたのか。そりゃあ考えればいろいろ考えられるけれども細かいことは良いんだよ、銀魂なんだから、さ。そんな映画を見つめる場内は圧倒的に女子が多かった。圧倒的に男子だった「まど☆マギ」の劇場版の前売り券の行列とは全然違ってた。それなのに予告編で謎解き執事が出たってキャーの声も起きなかった。一方で映画本編の冒頭のお遊びには笑いと歓声を拍手が起こっていた。これが日本の女子というものか。感心した。舞台挨拶では杉田智和さんがジャージじゃなかった。くぎみゅう可愛かった。坂口大助さんも格好いいんだけれど坂口さんって役的に三枚目が多いからなあ。でも今回は格好いいところも多かったんでこれから二枚目でクールな約も来ることだろう。あのゴリラは何だったんだ。とか。面白かった映画。また行こう。絶対に。

 連日の早起きでそのまま何かを続けて観る気力もなくなっていたんで、都営新宿線の地下鉄で小川町から秋葉原へと歩いて散策、昔のラオックスパソコン館が名前を変えたAKIBAカルチャーズZONEにあるOne−upのショップで集まった、個人クリエーターたちが毎月それぞれに違ったテーマでもって作り持ち寄ったフィギュアなんかを展示して販売もする「Pandemonium July」を眺め、そこに参加しているくずしまきんさんの「極悪いちごしゃん」を1つ購入する。デザインフェスタでずっと見かけて幾つか買って親戚に配ったりしてたりもしたんだけれど次回の秋のデザインフェスタに落選してしまったとかで、次に買える機会が来るか分からなかったんで仕方がない。極悪仕様は尻尾があったり手先が血まみれになっていたりとなかなかに極悪。購入したピンクははらわたの飛び出方がちょっと余計になっていたんでそれも愉快とこいつに決めた。こういうの好きそうな親戚にプレゼントしようかな。

 何かアメリカの方で公表されたみたいで「アニメミライ2013」のために作られたトリガーって会社の「リトルウィッチアカデミア」が続編制作決定とかでまずは目出度い。完璧なまでの作画に展開とあって公開直後から続編を作れとかシリーズ化しろとかいった要望が挙がっていただけれど、それでどうにかなる甘い業界でもないことは誰もが承知。何のマーチャンダイジングとも絡まないオリジナルの作品でもって世に問うたところで制作費は持ち出しとなってパッケージでリクープできなければ残るのは赤字といった状況で、敢えて乗り出すってことはつまりそれだけ確実に売れるという算段がついたかあるいは、スポンサーが入って大きく展開できるって決まったことの現れなんだろー。そんな感じに周囲を動かしたのはやっぱり作品そのものが持つパワー。良いコンテンツを作ればそれに皆が付いてくる、って確実に言い切れない時代だけれどやっぱり良いものは良い、と認められたことをここは喜ぼう。それより先にBDの発売だな。「アニメミライ2013」としてのは持っているけどメイキングとか入ったのが出るらしいし。いつなんだ。幾らなんだ。


【7月5日】 「星の舞台からみてる」の木本雅彦が、クリエイト・ユニット「KEMU VOXX」の人気ボカロ曲を題材に書いた「人生リセットボタン」(PHP研究所)は、マキちゃんという謎の少女から出来事をリセットできるボタンをもらったシュウが、完璧な人生を送ろうとして、自分にとって気に入らない出来事をすべてなかったことにしていくという話。奇怪なジュースを飲まされ、腹をこわして授業中にウンコを漏らしてしまう最悪の出来事はどうにか回避したものの、幼なじみの少女に告白して、恋人としては見てくれないことに反発して、何千回も繰り返して告白してもやっぱり友達のままだという現実は変えられない。

 さらに友達だった少年が少女から告白されていい仲になろうとしているのを嫌って、友達が告白を受けないように誘導するものの、それを嘆いてひとり街に出た少女が殺されてしまう事件が起こってまたリセット。試行錯誤の果てに恋愛関係へと向かわせず、3人が友人関係を維持できるようにすることで、どうにか少女の死は避けられたものの今度は別の悲劇が少女とシュウを襲い、なおかつシュウ自身にもリセットのやりすぎという副作用が出始める。リセットできるからといって何でも思い通りにはならないという冷徹な事実があり、そして何でも変えられるということは喜びも哀しみも含めてかけがえのない経験であり記憶を希薄化させてしまうということを、反面教師的に突きつけられる物語。シュウは最後にどんな人生を選ぶのか。そこに彼は必要なのか。ボカロ曲が醸し出す世界観をより深く、そして鋭く衝いたノベライズだ。

 ちょい前に出たSWITCHって雑誌のの7月号できゃりーぱみゅぱみゅが「ダンス+インターネット 神フロア100」という特集の冒頭で紹介。他にもわんさかと有名所がいるなかでのトップフィーチャーはつまりそういう存在だってことの現れで、実際にグラビアにインタビューにダンスを振り付けしているまいこさん、ビジュアルを担当している増田セバスチャンさんといういずれも日本を代表するクリエーターが、自分たちのことよりもきゃりーぱみゅぱみゅのことについて喋っているからやっぱり凄い。そんな2人による評価も上々で、周囲をしっかり納得させて仕事をしているんだってことが伺える。

 なおかつそんなSWITCHの冒頭、(FROM)EDITORSっていう編集後記ならぬ編集前記でもって特集のことについて触れられていて、楽曲の振り付けを分解写真的に紹介するコーナーのためにいろいろとポーズをとる撮影で、7曲100カットをものの10分で撮影してしまったとか。曰く「そこまで鮮やかに決められると、まるで目の前でマジックを見せられているよう」。そいういやあ「ロッキング・オン・ジャパン」の撮影でも15分とかしか時間がない中でバシッと決めてアイディアも自分から出して短時間で完璧な撮影を終えたって話が出てたっけ。でもってSWITCHの編集者。「そこにはハタチのプロフェッショナルの凛々しい姿があった」。編集側をも巻きこんで納得させるだけの存在なんだなあ、きゃりーぱみゅぱみゅって。

 これは前に「QUICK JAPAN」のきゃりーぱみゅぱみゅ特集で、欧州のツアーに同行して取材しインタビュー記事なんかも書いていたライターのさやわかさんが、その日程における言動をつぶさに見た上で「彼女は我慢強く、我が儘を言わず、周囲のために最善を尽くそうとして、そして強靱なのだ」と評価していたことにも重なってくる。後に太洋図書から「AKB商法とは何だったのか」って本を出してアイドルの変遷とそして現在、さらに未来をうかがう分析と指摘をしている人が見た、1人の20歳のアーティストに対する印象だからこれほど確かなものはない。持ち上げも阿りもなく身贔屓でもないしそう感じ取り、そう書く以上はそういう存在なんだろうと思うよりほかにない。そんな支持の輪がファンはもちろんインターサークルにも広がっていった果てに一体、どれだけのことが起こるのか。ちょっと見てみたいけれどもまずはサンフランシスコでの日本関連イベントでの評判が気になるところ。そして秋からのツアーの状況。それを見て考えよう、2年3年5年後の姿を。きっと僕は変わらず窓際からその外側で毛布にくるまり眠りこけているんだろうけれど。

これがはけたら俺はタカオの嫁になれる  珍しく早起きしたんで早くから始まっている「言の葉の庭」を新宿のバルト9まで見に行ったら映画に出てくるタカオが作ったのと同じ靴が老いてあった。ドーム状のクリアケースに入って鎮座しててどうしても上からのスポットが映り込んでしまって観察にはベストとはいえなかったけれど、それでも形だけはしっかりと見られてその細部にまで手がはいった作り込みに感心。こんなの贈られたら誰だって靡いてしまうよなあ、でもサイズって幾つくらいなんだろ、結構大きいように見えるけれど。ユキノちゃん足は大きかったのかな。そんな足で踏まれてタカオも幸せだったろうに、ってそういう場面はありません、ただ足を握ってサイズを測ったくらいです。それはそれで楽しそうだったけど。

 もう5度目くらいとなるとどこでどういうセリフが出てきてどういう音楽がかかるかも把握しているけれど、そうやって分かって見ると本当に細部まで作り込まれた作品だってことが見えてくる。とりわけ「Rain」のイントロ付きロングバージョンが流れ始めるあたりからの展開は、直前にマンションの一室でのやりとりあがあって一種の決別があってもうこれで終わりなの? って悶々としはじめた心がバッと燃えあがって爆発するのと見事にシンクロして見ている人たちをハッとさせ、そうした空間へと引きずり込む。そうやってたどりついた場面では先に激しい拒絶というか思いやりも含んでの言葉が浴びせかけられるけど、それすらを含み飲み込んだ上で裸になった自分の心を一気に弾けさせるあの一瞬、そして流れ始める歌声が見事に場を締めて幸福のエンディングへと誘ってくれる。あそこを見たいがために通いたくなる映画。飛ばしてみられるBDではダメ、なんだよなあ、買ったけどだから家で見ないでこうして映画館へと通っている。そういうものだよ、映画って。

 せっかくだからと降り始めた雨の中を新宿御苑に入ってテクテクと歩いて例の四阿へ。先客万雷で座り込んでいる兄さんたちもいるなかを屋根の下で雨が落ちる池など眺めてそして漂うむおっとした熱気に映画館で観る梅雨時の新宿御苑はエアコンが効いてて涼しそうだけれども実際にあの場所で昼頃までいたら結構しんどいんじゃないかって意見に達する。それともじんわりと滲んできた汗でシャツとか透けていい感じ? それをまんじりと見られる関係にまで進んでいたなら良いんだけれど。長いもできず座り込みもせずに退散してから藤棚の方を観察。やっぱりいない。そして千駄ヶ谷門から出てガードをくぐりエクセルシオールカフェのテラスをのぞいてやっぱりいないと確認。千駄ヶ谷駅のエスカレーター脇にも赤い傘の彼女はおらず。いつ会えるんだろう。いつか会えるんだろうか。考えても詮無いけれどもそういう夢をちょっとだけ抱いて、しばらくは新宿御苑に通い続けるんだろうなあ。次は冬。雪が降る中を行ってみよう。靴を手に持って。

 そして夜にまたバルト9へと戻って「攻殻機動隊ARISE border.1 Ghost Pain」の舞台挨拶付き上映会を見物、本編を見るのは3回めとかで夜も遅くになってやや、眠たさも出たけれどもクルツが出てくるシーンとかは例の衣装のぱっくりとあいたシャツからのぞく谷間に目が向き即起床。そして登壇したクルツ役の浅野まゆみさんの凛とした姿にまたしても起床してしっかりと舞台挨拶は聞き終える。バトー役の松田健一郎さんは見た目好青年ながら声は渋くさすがにバトーに選ばれただけのことはある。イケメン系声優は多々いれどそうした特色を持って演じ続ける人はなかなかいないだけに突っ走って欲しいもの。大塚明夫さんだって超えられるさ。バトー役の新垣樽助さんはそうか「Fate/zero」の間桐雁夜とかも演じていたのか。声はクール。そして当人はひょうきん系というこのギャップは舞台とかでも活躍できそう。あとフラットな声質はやっぱり洋画の吹き替え向き? でもこうして大役を得た以上は先輩の山寺宏一さんを超えていって欲しいもの。見守りたい。


【7月4日】 目覚めたら今度の7月17日に決まる直木賞の候補作が発表されていた。以下に伊東潤さん「巨鯨の海」、恩田陸さん「夜の底は柔らかな幻」、桜木紫乃さん「ホテルローヤル」、原田マハさん「ジヴェルニーの食卓」、湊かなえさん「望郷」(にそして宮内悠介さんの「ヨハネスブルグの天使たち」と並んで「盤上の夜」に続く宮内悠介さんの候補入りってところでSF界隈ではおおいに話題が沸騰している。まず珍しい。そしてデビューから著作が2冊連続というのもなかなか異例。もちろん単独として抜き出した場合にそれが直木賞水準にあることは間違いない。だから受賞してくれればとても嬉しいんだけれどもただ、他にも凄いSFはいっぱいあるのにどうして宮内さんなの? という疑問はやっぱり浮かぶ。

 小川一水さんにしたって北野勇作さんにしたって三島浩司さんにしたって上田早夕里さんにしたって、とてつもないSFをガシガシ書いているのにそーした賞にまず、エントリーされることはない。読まれてないのかどうなのか。分からないけれども決してSFだけのためにあるんじゃない直木賞、旬の人を読んで話題を盛り上げたい主催者の側からすれば、SFの新鋭として大売り出し中の宮内さんは恰好の素材だし、出版社の側にとってもこうやってプラスアルファの評価を付けてくれることによって、より大きく展開していけるってメリットがあるから、共に喜んでいるんじゃなかろーか。果たしてどういう評価が下されるのか。選考が楽しみ。

 仮に宮内さんの受賞はあり得ないとして、だったら誰を見渡すとやっぱり恩田さんか湊さんに行きそうな気が。とりわけ恩田さんはこれまでも幾度かノミネートされてきた重鎮で、吉川英治新人賞を取り日本推理作家協会賞を取り山本周五郎賞もとってと受賞歴なら万全。そういう人を敢えてノミネートした以上は、ここでやっぱり受賞させて最後にして最上という格を直木賞に改めて付けようって意図が働いたって不思議じゃない。あるいは日本推理作家協会賞とか受賞して作品も映画化されて、どんどんと人気を挙げている湊さんが受賞するというのも業界的に大きなプラスになる。それは原田マハさんにも言えそうでそんな実力と展開力を含めての受賞ってことを考えるか否か。これもやっぱり選考が楽しみ。芥川賞は……いとうせいこうさんはないかなあ、今さら感あるし。戌井昭人さんかなあ、やっぱり。

 顎に手を当て「むーん」と悩む逆木原赤糸さんが可愛すぎる竹内佑さんの「キルぐみ」(ガガガ文庫)は、まず冒頭からどこにあるか分からない病院の中を、大垣内歩という名の少年がなぜか喋る着ぐるみの皮みたいなものを持って、逃げまどっているシーンから始まって、猟奇ともホラーともつかない恐怖感を与えつつ話は戻って学校へ。歩とは友人らしい郷田勇気という少年がいたり、可愛らしい柄州巴という少女がいたりと中は良さげに見えるものの、歩には中学時代に陸上部に所属しながら無理をして膝を壊した過去があり、それを今に引きずってどこか積極的になれない状態にあったりする。郷田には友人として球技大会に出ないかと言われているけど、それは本当に心から誘っているのか別の思惑があるのか。そんな取り繕って上辺だけの関係を維持する、今どきの学校って奴の匂いがどことなく漂って来る。

 でもってそんな歩に話しかける少女が1人。逆木原赤糸という優秀で美しい少女がなぜか歩に関心を持って電話番号を聞き出す。けれども自分の番号は教えないという不思議。何だろう。何か思惑があるんだろうかと訝りつつ、一方で歩は、郷田からはその時は意味不明にしか聞こえなかったけれど、自分がもしもどこか病院に立っていて、そこで喋る着ぐるみに着てくれと話しかけられることがあっても、決して着ぐるみの中に入るな、入らなければ友人でいられるからと忠告もされていた、そんな夜。歩は赤糸からの電話を受けて、そして気がつくと言われていたような病院のような建物の中に立っていて、そこでベッドに横たえられていた喋る着ぐるみから、俺を着てくれと頼まれる。

 どうすればいいのか。そこにやって着た凶悪そうな着ぐるみをまとった郷田。彼は歩にとって友人か。何かから守ってくれるのか。それとも違うのか。どうにもうまくいかない状況で逃げ出した先で、追いかけるようにして現れた赤糸。彼女は敵か。郷田が言うように消息を立ったクラスメートたちにそうしたように、自分を殺そうとしているのか。敵も味方も見えない中で歩は決断を迫られ、その上で自分自身が戦いの中を生き残っていくための道を探らされる。誰が何のためといった部分も分からず、これからどうなるのかといった未来も伺えない手探りの中、いろいろと明らかになっていくだろう展開が楽しみだけれど、それ以上に赤糸さんがやっぱり可愛い。何か迷うとかならず「むーん」と考え込むんだ。その仕草。その声音。アニメーションで見たいなあ。あと性格も、策士なようで案外に抜けててそして真摯。彼女に誘われついていかない手はないね。やっぱりね。

 はっきりしておくなら文春文庫版「半分の月がのぼる空」の底本は、2010年に映画「半分の月がのぼる空」が公開された時に、作者の橋本紡さんが映画と同じように言葉を伊勢弁に改めて書き直してハードカバーの上下に収録した「完全版」という奴で、それをもってしてライトノベルと言って良いのかどうなのか、むしろ青春小説なんじゃないかと少し逡巡するところもあって、だからそれを文春文庫に持っていくのは復刊という大袈裟なものではなく、よくある文庫落ちと言ってもそんなに外れていないし、ましてやライトノベルが意外な出版社からという言い方も、すでに橋本さんが文藝春秋から幾つも本を出していることから考えると、お抱えの作家の旧作をそちらで引き取ったと言って、やっぱり外れていない気がする。

 だからライトノベルの旧作が意外な出版社から復刊というトーンの記事は、どこかズレていると思うし、だいたいがオリジナルの電撃文庫版「半分の月がのぼる空」は本格的に絶版にされたって話でもない。そうした事情をまるで鑑みないで記事にして、いけしゃあしゃあとしているのはやっぱり、長くそうした業界の動勢を見て、そして橋本さんがどれだけ懸命に一般文芸の方へとシフトし数々の作品を生みだしてきたかを考えた時、釈然としないし納得できない。なんて言ったところで窓際のさらに外側で細々とライターをしている人間が、大新聞の大文化部が繰り出す言葉に及びもしなければかないもしないんだけど。呆然。

 だからこそそうした立場にある人には、もっと広く見て最適な言葉を紡いで欲しいんだけれど、そんな余裕も関心もないのかなあ。だいたいがあれだけの分量を使って紹介してる具体的な作家の作品名が橋本紡さんの「半分の月がのぼる空」だけっていうのはどうなんだ。今なら高殿円さんの「カーリー」が講談社文庫から復刊されて、なおかつ新作の連載まで「イン・ポケット」で始まったし、「神様がいない日曜日」も角川文庫の方で表紙がどこかクラシカルなイラストでもって“復刊”されている。「少年陰陽師」は半ば平行しての刊行によって読者の幅を広げようとしてたりする。その意味ではトレンドであり例を挙げればきりがないにも関わらず、ひとつに絞っての紹介はやっぱり勿体ないよなあ。そうだ「宇宙皇子」も版元を変えイラストを変えて復刊されるんだ。それこそニュースなのに無関心。だから新聞は……って言っても詮無いんで少なくとも読み手として、関心を抱いて可能な限り追いかけていこうっと。金にはならないけれど得にはなる。良い話にまた出会えるという得に。

 やっぱりというか東北新社が春の東京国際アニメフェアでぶち挙げていた実写版「機動警察パトレイバー」にかつてパトレイバーの監督をしていた押井守さんが何らかの形で参加することになったらしい。監督なのか脚本なのか原案なのか分からないけれど、他の誰かが参加している風もないところみると、押井さんが独自に書いた小説「番狂わせ 警視庁警備部特殊車輌二課の実写化なんじゃないか、って想像が浮かんで拭えない。まあちゃんとレイバーらしきものは出るし活躍もあるんで押井さん的に虚構へと陥ることはないけれど、代わってサッカーで本格的な映像を撮らなきゃいけないのが大変そう。でもこれが実写なら額田香貫子のあれを誰がどう演じるかって興味も浮かぶ。だから是非に実現を願いたいけど、無理だろうなあ、まったく。


【7月3日】 ゆるゆるとした流れのまんまにつないでまったりと見せてしまう「あいうら」から、畳みかけるようにセリフと展開とつないでいっきに見せてしまう「戦勇。」へと移って、何だかとってもアップダウンの激しい感じなテレビ東京の火曜日深夜午前1時35分枠。ともに5分という時間ながらも、それぞれに特徴を持った使い方をしていて何をどう見せるのかってことを学ぶ材料になりそう。まったりといっても「あいうら」には時々強く突っ込み場所があるし、「戦勇。」にもふっと空気が止まる場所がある。つまりは緩急。あるいは急緩? 題材をどう描きどう見せるのかってところで、中村亮介監督とそして山本寛監督という多分近い世代の2人の演出家がそれぞれに腕を振るっているのを、こうやって目の当たりにできる幸せに酔おう。「あいうら」は第2期ってあるのかな。

 早起きをして西船橋から武蔵野線直通、はちょっと込んでいたんで南船橋へと出てそこから京葉線で東京へと向かい新木場で降りて、臨海高速鉄道を乗り継いで東京ビッグサイトで今日から始まる東京国際ブックフェアへ。もうだいたい15年とか通い続けている中で一時沈、滞縮ムードも漂って縮小の兆しが見えていたけれども、そこにデジタル化の波を浴び、電子出版とかソリューションといった部分を増やして会場を保ち、さらにはクリエーターEXPOとかプロダクションEXPOとかライセンシングジャパンといったコンテンツを生み出したり、それを形にしていく会社なんかを取り込んでいくことで巻き返しては遂に西館(にし・やかた)の下だけじゃなく、上も使って全館を借り切るくらいの大きなイベントへと発展してしまった。危機感から範囲を広げていったリード・エグゼビジョンの目利きが良かったってことななんだろうし、それを受けて出展者をかき集めた営業力も強かったってことなんだろうなあ、きっと。

 一方で、裏返せばこれは出版社って存在が旧来から持ってた機能の外部化が、どんどんと進んだ現れってことでもあるのかも。電子化しかりコンテンツプロデュースしかりクリエーターの発掘・育成しかり。流通だってネットなんかを使って配信するようなソリューションの部分が出版社から飛び出ている。かつてはそれらをひっくるめて出版社は持っていたし、印刷や流通といった部分もほぼほぼ出版社の身内というか内輪だったのが、今はどんどんと外に出て行っている。あるいは外から新しい企業が入って来ている。出版社自体が持つ権能ってのがじゃあ、どこにどれだけ残っているのかってことが問われているんだけれど、それを自覚して出展しているんだろうか、各社は。

 「書物復権」みたいに専門書とか翻訳書の分野で存在感、独自感はまだまだ保っていられるけれど、それもいつまでって考えた時に、西館(にし・やかた)に出ているさまざまなフェアの様子をぐるっと見渡して、東京国際ブックフェアが一角に追いやられている実状を、噛みしめてそこからの脱却なり、他とのコラボってことを考えなきゃいけない時期にあるんだろう。電子化にしたってプロダクションの外部化にしたって、クリエーターのネットワーク化にしたってそうした外側とのコラボなくしては成り立たない時代。そんなことに気づかせてくれるって意味で、今年の東京国際ブックフェアって行く意義があるのかも。出版はでもそうやって気づけるからまだ良いけれど、ドメスティックでなおかつ内輪に籠もってその上に組織の上ばかり見ている新聞は、まるでそんな現状に気づかないし気づく気もない。どうなってしまうのかなあ。どうしようもないんだろうなあ。

 そんな会場でまずはプロダクションEXPOに行ったら、知り合いのブースを見学に来ていた北村龍平監督がいた。ずっとハリウッドで活躍している人だと思っていただけに、まさかそこにいるとは思わず最初誰かに気づかなかった。街で有名な芸能人とすれ違ってもまさかそんなところにいるはずがないと思うその心理が分かった。相変わらず格好良かったなあ。どうやら日本でいろいろ作ってくれる模様でとっても楽しみ。あと円谷プロダクションがオリジナルの怪獣の着ぐるみ作ります案内とかしてたっけ。それからスイスイがおべともさんによる新しいコンテンツの提案をしていた。「おべとも学園」でのキャラクターとはまた違った線画の可愛いキャラクター。それが実写で撮られたTシャツの上でアニメみたいに動くという凝った作りの映像を見せてくれた。新たな世界がひらけそうで楽しみ。

 その足で4階へと挙がって今度はライセンシングジャパンへ。いつものスタジオフェイクがいてセバタンがいっぱいいた。何かセバタンのラッピング自販機が登場するみたい。千葉県方面ならきっと大勢が気づくだろうなあ。それからライクスって福島にある会社の出していた「赤べこちゃん」というキャラクターを見た。女の子が赤べこの着ぐるみを被っているといったキャラクターは、ありがちだけれど可愛いから良いのだ。可愛いは正義なのだから。あとIP4ってところで何年か前にライセンス関係の展示会に出ていた「フルーティー侍」が大展開されていた。アニメにもなるみたいでキッズステーションでの放送も決定。まだ映像がそれほどなくキャラクターだけがあったような状態から見ていたけれど、こうやって大きくなって広がっていくのを見ると何か嬉しい。諦めない。そして作り続ける。それが成功への道。それだけが成功へと至れる道。なのだろう。

 ガイナックスのブースに「ネギマン」が来ていてその細さ、そしてお尻の小ささに中身は女子か? なんて思ったけれど中の人などいないのだから、どっちでもないということで。うん。再び降りてクリエーターEXPOをさっと見渡して結構な人手にまず驚いた。去年は最初ってこともあって午前中はあんまり客がおらず、午後になってブックフェアとか電子出版EXPOから人が流れてようやく賑わってきた感じだったけど、2回目ともなるとそれを目的に来る人もいるってことなんだろう。パッと見て目に入ったところでは、SF的でレトロフューチャーでスチームパンクなイラストを描くイトウケイイチロウさんがなかなか。SFマガジンとかで載っていても不思議はない気がしたけれどどうなんだろう。

 その隣のそやなおきさんは都市対抗野球のポスターにイラストが採用されるくらいのプロ。そういう人でも出展するってところにクリエーターEXPOの存在意義があるのかなあ、ネットで作品を公開しているだけではなかなか人は見てくれない、でもああいった場所でリアルに言葉をかわし、作品を見てもらうことによって声を掛けやすくなるという。敷居を下げそしてコミュニケーションを育む場。その効果が見られるようになればきっとさらに出展も増えるんだろう。デザインフェスタも前ほど確実に出られるとは限らなくなってっているだけに。ただなあ、出店費用が高いんだよなあクリエーターEXPOもそしてライセンシングジャパンも。他に似た場がないだけに選ばざるを得ないという事情。とはいえあまり高いと出る人も出なくなってしまう。そのあたりをどう考えていくんだろう。成功したことで強気になるより成功を還元してより大きく。それを主催の人には望みたいなあ。一将功成りて万骨枯るでは勿体ないから。

 いやあ参った。「定収のある家族がいて、選びさえしなければ働き口もある。そんな人たちが当たり前のように申請する。生活保護を『受ける』ことへの精神的ハードルが著しく低くなっていることの証左だろう」って書いている新聞があったんだけれどでも、申請の精神的ハードルって高くなくちゃいけないものなの? それがあるから申請したくてもできないまま餓死したりする親子とか出ているんじゃないの、とりあえず申請はするけれどもそこから先が適性かどうかを判断する側が怠慢こいてることの方を問題にすべきじゃないの。とか思ったり。「もちろん、本当に困窮し生活保護に頼らなければ生きていけない受給者も多い。しかし、一昔前のように、本気で生活保護から抜け出したいと思っている人が減っているのも事実だろう」っておいおい、推測「だろう」とか付けてなお“事実”とか言っちゃって良いの。とか思ったり。なんかいろいろ大変な某新聞。言いたいのは「生活保護=悪」ってこと? たぶんそうだよなあ、そうじゃなきゃあ出ない言葉だよなあ。弱者の味方。社会の木鐸。そんな役目はどこへやら。うーん。困ったなあ。


【7月2日】 調べると秋のデザインフェスタはしばらく前から常連となって不思議なカエルみたいながま口を売っていた「モンヂャック」とか、もうずっとで続けていて不思議な絵とかそれを題材にした立体とかを売って常連も多く集めていた「TAKORASU」とか、こういうイベントには必ずと言って良いほど出てはその不気味に不敵な存在感で場内を闊歩していた「オレパンダー」までもが落選した様子。もちろん巨大な会場に出展している膨大な数のディーラーからすれば一部が見られないだけって言えるかもしれないけれど、長く出続けていて常連も多くいて風景にもなっていたディーラーなりパフォーマーがいないってことが、デザインフェスタ事態の持つ意味合いにどういう変化を与えるのか、ちょっと気になる。というかそういう意味合いをまるで感じていなかったからこその大手なり常連の抽選による落選やむなしというスタンスなんだろう。

 それはある意味でとても公平で、誰もが同じ一線に立ってイーブンな条件で出展の可否を決められることに真っ向から異論を差しはさむのは難しい。一方でそれほどまでにデザインフェスタが巨大になり、人気を集めるに至った原動力として既に風景となって多くの常連を集めていた大手なり人気のディーラーがあることも事実で、そうした存在がまるっと抜けてしまったそれがデザインフェスタと呼べるのか否か、っていう問題も浮上して来そう。だから優先しろ、って言えるかというとうーん、やっぱり難しいかなあ、そこは会場のサイズに制約がある以上。そこに年の商売の大半をかけているから出させろというのもちょっぴり違う言葉。抽選制になった段階で外れる可能性も考えに入れて自分たちが表現する場を広げておく必要はあった。名古屋にもクリエーターズマーケットはあるし7月と2月には「ワンダーフェスティバル」も開かれる訳だし。

 ただ、順々に形作ってきた空気なり風景なりをひっくり返してまで続けることなのか、といった見方も一方にあってそれは公共のインフラとなった場は、極力維持されそして要望に応えて発展していくべきだという意見を生む。コミックマーケットの場合だと想像だけれど表現をしたい人たちのために極力答えていこうという創設者たちの思いが、大田区から晴海を経て東京ビッグサイトという現状、最大の会場を極大に使って開くイベントへと進んでいった。落選もあるけれどそれはもはやキャパシティが現状でいっぱいだっていう物理的な理由であって、商業的な判断は多分そこにはない、と思う。無理は出来ないし。デザインフェスタの場合はそうした理念が先に来る、っていったことはあまりなく、私企業が場を借りてそれを小間で売って儲けつつ来場者からもお金をとって運営にあてる商業イベントといった印象がまだ色濃い。

 そんな商業的な見地から、収益がちゃんと得られる範囲に収めるために抽選制を導入して、その結果として大手が切られようと常連が落とされようと、決断のイニシアティブは運営側にあるといった意見はだから正論。拡大しろと言ったところでその分、会場費も警備費もかかる訳でそれで損が出たときに被るのは運営側になる。だから無茶をしろとはちょっと言えない。願うのは出展者側、そして来場者側からそうした場を作ってきてくれたことへの感謝を向けて良い雰囲気を作りつつ、出られないで泣く人たちが出ることへの配慮ってものを見せて欲しいこと。そうした引っ込めつつ出たりしていった先に誰もが哀しい思いをしないで済む、より良いデザインフェスタの姿があると思いたい。そしてそのために動いていると信じたい。年3回とかにならないかなあ。それは無理かなあ。

 いやあ驚いた。よく隠していたものだなあと吃驚した。フィギュアスケートの安藤美姫選手が密かに出産をして、そして今また競技の場に復帰しようとしている。普通の仕事だって生んですぐに復帰っていうとやっぱり大変だと思われるものなのに、これが最大限の体力筋力を求められるアスリートの世界となるとさらに大変。そこをちゃんと自覚しつつそれでも五輪を目指したいと思い頑張る姿は世の、子どもを生みたいけれども仕事がどうとかいってなかなか踏み切れない世の女性たちに勇気を与えるし、そいうした人たちを我が儘だとか自覚が足りないだなんて非難する風潮すらも吹き飛ばして、それが普通なんだという認識を世に与えることにつながりそう。願うならそうした努力が実って第一線へと戻りそこで、世界のフィギュアスケート選手たちと互角の戦いを見せて欲しいけど、それにはまず関東選手権での優勝が必要だからなあ。頑張れ。

 しばらく前から1/144とかいった話と絡めて新しい映像企画が語られていたから、プラモデルのガンダムつまりはガンプラと絡めてくるだろうなあと予想はいしていたけれど、発表になった「機動戦士ガンダム」の新しい映像企画という「ガンダムビルドファイターズ」は、前にもあった「模型戦士ガンプラビルダーズビギニングG」とどこか重なる設定みたいで、作ったガンプラを街とか模したフィールドに叩き込んでは、リモート操縦して戦わせるような展開。「ダンボール戦記」的なドラマとそれから玩具への興味を共に引きだしていこうとしているみたい。「ダンボール戦記」だってそれで結構な話題を呼んでそれなりな市場を確保しているけれどもこちらはガンプラ。30年を超える歴史の上に数多の種類が作られてきただけに、投入される機種には不自由がない上に最初っから知名度もたっぷりある。そんな過去の名作にオリジナルのパーツを組み合わせた物なんかが模型として登場しては、ガンプラファンを誘いそうでなかった子どもも誘って市場を大きく広げそう。

 それは「機動戦士ガンダムAGE」でも目論まれていたことだけれど、ガンプラを作ったものを筐体とかにセットしたりして戦うという形でガンプラが一種のカードゲームのカードみたいな扱いになっていたのがひとつの特徴。ストーリーの展開とともに追加されては、一種のグレードアップを楽しめるようにはなっていたけれど、いかんせん本編への視聴者の食いつきが今ひとつで、子どもたちをそこに招き寄せるには時間帯も悪く、大きなムーブメントを起こせなかった。今度はテレビ東京でおそらくは夕方か、あるいは朝か知らないけれども子どもがちゃんと見られる時間に合わせてきそう。そして作ることがドラマに没入することにつながって、ガンプラを手に取り作る楽しみを子どもたちに与えそう。「ダンボール戦記」との食い合いが心配だけれどそこは同じバンダイの商材、うまくやることだろう。有名なガンプラビルダーも参加してそのオリジナルがアニメにも登場すればさらに面白いことになるのになあ。ガンプラ姫として名高い池澤春菜さんとか登場して参加しないかなあ、前に展示会に出していた水玉に蝶ネクタイのゴッグとか、最高にイカしてたしなあ。

 きゃりーぱみゅぱみゅの新しいアルバム「なんだこれくしょん」の初週の売り上げ枚数が12万6000枚になったとかで週間ではもちろん1位。そして矢沢永吉さんのベスト盤の初週記録を抜いて今年1番ということになったみたい。あの世界のヤザワすら超える2年目のきゃりーぱみゅぱみゅ。シングルチャートではAKB48とかジャニーズの面々に常にやっぱり差を付けられるけれどもアルバムとしてこうやってまとまった時に、届く範囲の広さって奴に恐れ入る。別に握手券とかも入っていないしなあ。だからこれは純粋にアーティストとしての評価であってそれが特定の層に留まらず、老若男女の広い層から支持されたことが売り上げ枚数の増加ってのにつながったんだろー。そしてこの数字は打ち止めではなくまだまだ伸びそう。9月にはツアーも始まって露出も増えるし、そこでの積み上げなんかを考えると20万枚くらい行くのかな。ミリオン続出な昔には及ばないけど今という時代には最高で最強。それを2年で成し遂げた。何者だ? もう世界が放っておかない。


【7月1日】 参加希望者が増えてきてもはや受け入れもままならず飽和状態となっていたデザインフェスタが、2013年の秋の開催から抽選制を導入することはすでに周知となっていて、いったいどうするんだろうかと春の開催の時に各所を訪ねて聞いた話では、とりあえず申し込むって人が大半だったけれど、中には当てにしていてそれで結果が落選となった場合のダメージも考えるなら、秋の出展は回避して他に回るなりする方を選ぶという人もいたという記憶。そうやって抽選制にしたことでこれは落選するかもしれないと遠慮して、申込みを取りやめた結果倍率は下がって割と出やすくなるかもしれないって話もあったけれど、そんな抽選の結果が明かとなって続々と寄せられる情報では、常連として出ていたところが続々と落選していた様子で、いったい何を楽しみにデザインフェスタに行けば良いんだってまずそんな気分に陥り滅入る。

 ただの買い物客でこれだから、出展を当てにしていた人たちにはダメージもきっと大きかっただろうことは想像に難くなく、年に2回のデザインフェスタとあと数回の造形系イベントでもって大半を見せて売り切る人たちが、どうすれば良いんだと戸惑い悩む姿も想像できて同情とそれからどうやって選んだんだろうって不信が浮かぶ。どういう抽選があったのかなあ。応募が急激に増えでもしなければ知り合いが軒並み落選なんてことはまずなさそう。なのに落選ってことは何だろう、参加を目指してダミーでの申込みなんかをしていたりしたんだろうか、それが幾つも出てしまって結果、始まってみたら参加辞退が続出して会場にポッカリと穴が空くとかしたらちょっともの悲しい。そういうダミーでの参加ってコミックマーケットだとどうやって調べてどういう風に除外していたりするんだろう。ちょっと気になる。参加権の転売めいたものが始まったらさらに批判も起こるだろうなあ、そういう可能性があるのかないのか、成り行きを見ていこう。しかしいったいどこで買えばいいんだいちごちゃんを。

 今年も開かれるみたいなんで発表会を見物しにウルトラマンの郷、祖師ヶ谷大蔵まで行った「ANIMAX MUSIX 2013」は、別にウルトラマンとは関係なくってスタジオが毎回そこだってことなんだけれども今回は、ゲストの顔ぶれに変化もあってあの前山田健一さんことヒャダインさんが初参戦となって会見に出席。テレビだとおどけた所ばっかり見せているのにああいう場だとスリムで長身な上に整った顔立ちですっくと立っていて、普通にしていたらビジュアル系な人として大勢の美少女ファンとか引きつけそう。でも歌うと踊り喋ると転げ音楽を作れば世界が驚く破天荒ぶり。それが魅力となって女子だけじゃなく男子も老いも子どもも引きつけるパワーとなるんだろう。初出席では今回、川田まみさんも登場するみたいで前に1度、ライブを見に行ってなかなかのパワーに圧倒されただけにあの7000人とか入る横浜アリーナでどれだけのパワフルなアクトを見せてくれるかに期待したくなる。

 しかし今年はいよいよ横浜アリーナで2DAYSとは大きくなったものだよANIMAX MUSIX。そりゃさいたまアリーナを2日間埋め尽くして平気なアニメロサマーライブに比べれば規模でまだ及んでないけど、アニメロには出ない人たちも含めて結構ヒッパテ来た上にアニソン歌手といっても声優さんが歌っているのとはまた違って、シンガーでありミュージシャンとしてアニソンを歌っている人たちの本気の歌ってやつを聞かせてくれる場としてひとつの意味を持っていた。もちろん声優さんだって歌が巧い人は大勢いるから歌っていけない訳じゃないけど、中には当然にキャラクターソングもあってそうしたキャラクター性とシンガーとしての探求が、ベクトルとして一致していない場合も見られたりした。その点、ANIMAX MUSIXはシンガーとしてまず立っている人が割と多いという印象。だからライブパフォーマンスとして楽しめキャラクターという“お約束”を超越して世界に歌声で広がっていけた。

 アニサマに続くような感じで立ち上げられたアニソンイベント。今は似たようなイベントが乱立気味で夏にいったいどれだけのフェスが開かれたりするんだろうかってお財布の中身を見ながら戦々恐々としているファンとかもいそうだけれど、早い時期に立ち上げブランドも立っている上にこうして、中身に差異もつけて独自の路線で続けてきたことが今の盛況へとつながったんだとしたら、最初にコンセプトを作った人の先見性なり哲学なりが評価されたってことになるんだろう。讃えたい。そんなシンガーたちが繰り広げる夢の2日間はきっと、どっぷりとハイレベルのパフォーマンスに浸れる2日間になるんだろうなあ。行きたいけれども体力もないし気力も財力もないしだいたい1日は別のライブとも重なっているからちょっと行けそうもないんで様子を見て考えよう。

 「ハロー、ジーニアス」のシリーズを電撃文庫で書いている優木カズヒロさんの新刊「私と彼女と家族ごっこ」(メディアワークス文庫)を読んだら120%ファンタジーだった。別に異世界に行って騎士として活躍するとか宇宙へと跳んで銀河系のために戦うなんて話じゃない。いやまだそっちの方が可能性が微塵でもあるけれどもこの「私と彼女と家族ごっこ」は小学5年生の少女を教師が連れだし、逃避行の果てに教師の恩賜だった老教授が管理人もやってるアパートに逃げ込み1つ部屋で暮らす話。絶対にあるはずがないしあって良いはずがない。なんて羨ましい。いやそれ以前に通報されて捜索されて検挙されるだろう。犯罪120%。だからあり得ない。だからファンタジー。なんだけど。

 だからこそ描ける家族の物語。逃げた先で同居人たちもいっぱいいる中で不思議と警戒はされず手配もされないまま、少女と教師は日常生活を送り始める。教授は傑物だし入居している剣豪な女性にエロ系の女性にオタクにマッドサイエンティストも2人を受け入れ、なおかつ疑似を通り越した家族ごっこも始める始末。どうやら何かが起こっているらしい。それが地縁を持った場所に立つアパートならではのミステリー。といっても物語はそっちを探求はせずにうっすらと描きつつ、やがて誰もがそれが虚構だと気づいて少しづつ綻んでいく展開を見せる。

 そうすることによって改めて浮かび上がる家族との絆。教授は娘との仲を快復させ、エロ系の女性は父親との確執をどうにかこうにか収めそしてマッドサイエンティストも生まれたというか生み出されたことへの葛藤を捨てて母親との和解へとこぎ着ける。そして少女は……。そこは明らかにされていなかったけれどもエンディングから想像するにきっとよりよい道が拓かれたってことなんだろう。だから教師も父母の顔すら知らず施設で育てられた過去をどうにか振り切って、ひとつの家族を得てそしてアパートの住人たちという家族も得たということで。剣豪の女性はちょっと寂しいかな。だから少女は戻ってきたってことにしておくか。そんな優木カズヒロ「私と彼女と家族ごっこ」。お読みあれ。羨ましさに歯噛みしつつ。


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