縮刷版2013年月下旬号


【6月30日】 新宿版の「デュラララ!」とでも言うんだろうか熊谷純さんの「ツギハギ運命翅」(オーバーラップ文庫)は、何か3年前に大規模な感染症が発生して大勢の人が死んでそしてその霊みたいなものが漂っていろいろと問題を起こしたりしている東京が舞台。新宿には特にそんなのが多くい、てそれをアキラという男が見つけだしては退治して歩くようなことをしている。いわゆる幽霊ハンターって奴? そんな男がメインに活躍する話と思いきや、展開は七瀬佑也という大人しそうな少年が過去に3人ばかり彼女を目の前で惨殺されるという猟奇を経て得た4人目のミナミという名の彼女と新宿に行くところから始まる。

 何で3人も? それって猟奇というより犯罪じゃん、って話になって警察だって出てきそうな気もするけれど、そうはなってないところがひとつの理由。そしてミナミというその少女と訪れた新宿で、佑也は刹那真虎斗という名のホストが新宿マフィアを名乗るチンピラたちに囲まれていたところにギャルが逃げて来て、場が混乱したところに空から神凪蒼空というトラブルシューターを生業にする若者が降ってきて、チンピラたちを叩きのめしたところにチンピラたちのボスという美ヶ原玲司という若い男が現れそして、本条院政継という新宿警察署の若い署長が現れ、一緒に常に銃を発射したがっている新山紅音ちゃんという女性警官が現れたりしてもうくんずほぐれつ。そんなどこかおかしな面々が重なり絡み合いながら展開は、携帯ゲームの中に生まれた意思を持った少女のキャラクターというものを廻った争いへと向かっていく。

 殺された姿で発見された男がいて、その男を殺したのが新宿で暴れていた真虎斗ということにされ、それを億劫がるどころか名を売るチャンスだと街に出たら、先に新宿へとやって来た佑也をさも知っているように話しかけてきて佑也は誰か分からず戸惑った曰くありげなホームレスがいて、2人で話しているところに鉄砲を持った紅音ちゃんが現れ問答無用で撃ってきて、そして殺された男は前夜にそのホームレスと飲んでいて実は生きているらしいと分かって、そんな一方で新宿マフィアを仕切る玲司は空を飛んでチンピラたちを踏んづけ逃げていたギャルらしき人物を捕まえたトラブルシューターの蒼空といっしょにソシャゲのキャラの謎を探り女性研究者を追いつめた果て。

 佑也が絡みミナミという少女が絡んでそしてツギハギを始末して歩くアキラという男も絡んで事態はひとつの収束へと向かって動き出す。重なり合って絡み合って進んでいく群像的な展開はなるほど成田良悟さんも得意とするところで、パワフルだったり裏で街を仕切っていたり可愛いけれど人間性がぶっとんでいたりするキャラクターたちにも通じるところがあって、だから「デュラララ!」の新宿版なのかなあ、なんて思ったのかも。ただ何か目的があって流れているようではない「デュララ!」とは違い「ツギハギ運命翅」にはツギハギという存在がまずあって、それがもたらす事件を裏で解決して回るアキラという人物がいてその活動を中軸に、周囲がいろいろと立ち回っていくことになりそう。まだまだ残るツギハギたちが何を起こしてそれをアキラがどう始末し、そこに佑也がどう絡んでさらに周囲がどう大騒ぎするのかを楽しんでいけそう。3年前の感染症の実体もまだ描かれていないし。とりあえず紅音ちゃんのビジュアルを、早く。

 目覚めるとネット上で何かよく分からないことが起こっていたので、吉祥寺へと出むいてじぞうビルというところにある吉祥寺御縁地蔵へと赴いて拝観してそして、お地蔵様の錫杖から伸びる糸に、自分でとった糸を結んでなにがしかとの御縁を願ってきたけれど、それはそれとして、何あかよく分からない人たちもあるいはここに来て、自分たちの御縁を願っていたとしたら、それはそれでクリティカルにサバイバル。っていうのもこのお地蔵様は、漫画カフェで名高いカフェゼノンと同じ系列にあって、それはつまり「コミックゼノン」と同じグループってことになって、さらにつまり堀江信彦さんをボスとして、次原隆二さんと北条司さんとそしてもう1人、原哲夫さんとも縁の深いお地蔵様ってことになる訳だから。

 まあ実際、流れてきたのはあの1枚の写真とそしてツイートぐらいで、実体がどうなっていてどこで何かをどうしたってことも分からず、だから吉祥寺御縁地蔵の前で永遠の御縁を誓ったなんてことも分からなかったりして、だからお地蔵様に2人が結んだ永遠の御縁を願う糸もつながってはいなかったし、何か痕跡も見られなかった。ちょっとつまらない。やるならそこでやってのければとってもスリリングでエキサイティングだったのに、真っ向から挑戦状を叩きつけるって感じで。でもまあ、現段階でもその意味不明なツイートから読みとれる文言だけで、どこか不気味で不思議で薄気味悪い空気も漂い流れていたりするからなあ。ネット上の反応も何ぞこれ? といった驚きを超えて気持ち悪い、ってものが割と見えていたりするし。

 なおかつスポーツニッポンって、例えスポーツ紙であっても真っ当なメディアがネット上で報道してしまった以上は、もはや冗談だとか、オンラインゲームの上のことで宣伝ですよマーケティングといった話は通用しない。すべてが了解の上でした、ってやるならそれが見えないと、周囲に気持ち悪さだけをまき散らしたままになって収拾もつかないんだけれど、一向に何か事態の収拾を図るような動きも見えて来ない。つまりは真剣だったってことか。ならもはや事は事件だ。何らかの対応が出ていずれかの方の瑕疵も明らかになっては、どちらの側に社会的な責任とかが生じることになるだろう。いずれにしても難儀な話だけれどただ、炎上でしか話題を集められない人はそれが尽きればあとは燃え尽きた灰が残るだけ。物作りをずっとやって来た人はけれども次を生みさらに次へと進んでいける。その違いは決定的。だから答は自ずと出てくるだろう。しかしいったい何なんだ。

 せっかくだからと吉祥寺を散策してカフェで美味しいランチを、なんてことが出来る身分もなければ甲斐性もないんで、オシャレでファッショナブルな街にあってそこだけ自分にとっても馴染むアニメイトへと出むいていって、前に1度引いたことのある「境界線上のホライゾン」のアニメイトくじをまた4回ばかり引くと、前にも引いた4回とダブっていたのは浅間・智のとっても恥ずかしい手ぬぐいくらいで、これはだから家で開いて腹巻きにして使うことにする。残る3枚は1枚がTシャツで、これは前には出なかった黒藻の獣たちの描かれた無難な奴。街でも着られそう。あとはメアリのポストカードとそれからメアリだっけかのミニタオル。浅間・智とネイト・ミトツダイラのタペストリーはなかなか出ないなあ。出るまで頑張るか。頑張りきれるか懐的に。

 ううん。「『児童ポルノ禁止法は、あくまで子どもたちを児童をポルノ産業から守るための法律で、それがすべてと言っていい』とした上で、『もちろん表現の自由は守っていかないといけないが、まずは子どもたちを守っていくことが大事ではないか。それが私たちの役割・責任なんだろうと思っています』」という安倍総理の言葉はそのまま「『治安維持法は、あくまで日本と日本国民を左翼テロリストから守るための法律で、それがすべてと言っていい』とした上で、『もちろん表現の自由は守っていかないとけないが、まずは日本を守っていくことが大事ではないか。それが私たちの役割・責任なんだろうと思ってます」へとスライドする。そしてそれを一向に不思議に思わない総理とその周辺。児童ポルノにしたって左翼テロにしたって表現の自由とは関係無しに取り締まれるもの。それを問わずに目的が先にして過程をでっち上げるようなやり方は、普通だったら通らないのに何か言いくるめられるように通っていってしまう。その先は? 治安維持法がもたらした先が教えてくれている。真っ暗闇が待っていそうだなあ。


【6月29日】 そして目覚めてから半年ぶりとなる「次世代ワールドホビーフェア」を見に幕張メッセへ。入ってまず見たタカラトミーの「プリティーリズム」にはまあそれなりに人がいて、そして配っているピンクと黒の色彩のバッグを並んでもらっている子供たちがいた。まあまあ人気はあるんだなあ。んでもってその客層をガッチリと食ったというバンダイの「アイカツ」はモニターの前に子どもたちがあつまって一部にお兄さんおじさんもいたりして画面で踊るCGなんだけどアニメっぽい女の子たちに眼が釘付け。それはそれで人気ぶりを表してはいたんだけれどブースを二重三重に取り巻くような人も会場を横切るような大行列もない。

 あるいは整理券なり時間制なりを敷いてそうした来場者が集まり大混乱するのを防いだのかもしれないなあ。ともあれ女の子に人気のこれらが共に切磋琢磨して伸びていって欲しいもの。一方が突出した時、それが途切れるともうポッカリを穴が空いてしまうから。そのあたり、タカラトミーはセガの「オシャレ魔女 ラブandベリー」が大ブームを起こしながらも下火となってぽっかりと空いた穴を埋めてそのままずっと頑張って来てくれたからなあ、ここで落ちては欲しくない。対してバンダイは割と足が速いからパパっと稼いだその後で、ササっと引いてしまいかねないところがある。「プリキュア」シリーズみたいにメディアとがっちり組んで続けているし続けざるを得ないコンテンツは別として、オリジナルはその辺り割り切りも早いから。さてもどうなるこの2大コンテンツ。見守っていこう。遊ばないよ恥ずかしいし。

 見渡してコナミデジタルエンタテインメントの「モンスター烈伝 オレカバトル」がしっかり人気でステージ前にいっぱい子供たちが集まってはカードゲームのバトルに挑んでた。見ていたらやたらとキメた子とかいてステージで聞かれて「ベルセルク」のグッズとかを改造して兜とか作ったとかどうとか。そこまでするか。横を見たら「ドラゴンコレクション」絡みもまだまだしっかりと人気があった様子。いわゆるコンシューマー向けのゲームソフトでは「メタルギアソリッド」シリーズとあと「パワフルプロ野球」に「ウイニングイレブン」といった定番ばかりが目立って、一時ほどキャラクター物が出なくなってすっかりバンダイナムコゲームスに持って行かれた観もあるけど子ども向けのアーケードとそしてモバイルへと、シフトはちゃんと続いているみたい。何かホテル西洋銀座のビルも買ったみたいであの中にいろいろある施設をいったいどう活用するのか、イベントなんかがひらける場所も作るそうなんで上にあるセゾン劇場あたりを残し活用して欲しいもの、だけど果たして。

 ガンホーの「パズドラ」人気はさすがに凄まじくってブースから伸びる行列がずんずんずんずんずんと通路を向こうへと続いて通行になかなか大変。列整理はだから壁へと付けてそちらに延ばすのが普通なのに会場をまるで横断してたからなあ、何とかなるかな明日は。そんな合間にあった小学館のブースでは関連雑誌に連載している漫画家の人たちがサイン色紙を寄せていてそれが可愛かったり格好良かったり。そしてそんな色紙をプリントしたタオルなんかが当たる500円のくじをやっていて、1回500円でついつい引きたくなったけれど、さすがに仕事で入っているんで遠慮。本のところには35周年を迎えたという高橋留美子さんの複製原画だか何かがあって2万9800円とかそんな値段で売るみたいだけれどうーん、凄いことは凄いんだけれどそこまでファンじゃないというか、ラムちゃんだけ描かれていれば良いというか。っていうか35周年に意味があるんだろうかという気も。5年後じゃもう商売にならないってこともないのになあ。ちょっと気になった。

 そんな感じの会場をざっと見て「プリティーリズム」のコーナーで眼鏡っ娘が何か小さい装置をアピールする姿に萌えてから会場を出て電車に乗って上野へと向かって「あまちゃん」の聖地巡礼をしている人を見ようとしたらいなかった。まだそこまでじゃないか。GAPとかをさっと舐めてから帰ろうと思ってふと、今日から東京都現代美術館で新しい展覧会「手恷。虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」が始まっていることを思い出して地下鉄を新木場で降りてバスに乗って会場へ。昔はそれでも新木場からテクテク歩いていたんだけれど最近はずっとバス。それが年をとるってことなんだろうなあ。何か哀しい。でも仕方がない。疲れるんだから。さて会場。およそ長蛇の列かもと、去年の特撮関連イベントでの混雑ぶりを思い出して入る前から辟易していたけれどもチケット売り場に人はまるでおらず、会場もじっくりと近寄って見られるくらいに空いていた。良いのか。これで良いのか。

 だって手塚治虫さんだよ、そして石ノ森章太郎さんだよ、神様と怪物だよ、その原画が飾ってあるんだよ、国宝だよ、世界遺産だよ、それが間近で見られる機会ってのは、まあない訳じゃないけれどもそうそうあるものでもない。とりわけ石ノ森章太郎さんは手塚さんと違って、そんなにあちらこちらで展覧会が開かれている訳ではないから割と貴重な機会。それを逃していったいどうするって思ったけどまあ、まだ始まって今日が初日で世間に開催が知れ渡っている訳でもないんで、その貴重さが伝わればきっと人で溢れて見るのも誰かの頭越しになるんだろう。じゃあ何が貴重かってそりゃあ全部が貴重だけれど、敢えて挙げるなら「サイボーグ009」屈指の名場面、009こと島村ジョーと002ことジェット・リンクが宇宙から成層圏へと入って燃え尽きる瞬間、「ジョー、きみはどこへおちたい」とジェットが聞いてそしてジョーが「…」と無言で答えるあの瞬間が、生原稿で見られるんだ。

 その直前に宇宙で2人が体を寄せ合いブラックゴーストの爆発を振り返る場面とかもうビーエル。とてもビーエル。見ているだけで胸がキュンキュンしてくる。002が009を抱え込むようにしているポーズも本当、巧いよなあ、それが雑誌よりも多分ちょい大きいサイズの原稿で見られるんだから、こんなに嬉しいことはない。こんなに素晴らしいことはない。見開きで使いつつ左ページを少しコマで割っていたりする使い方も独特で、後の「ジュン」とかの独特過ぎるコマ割りにつながるんだろうか。一方の手塚治虫さんはもうオールスター的。貸本屋時代のを描き直したものもあれば、最近になって発見されたという松本零士さんが保っていたらいし原稿なんかもあってとその年代を最古から最新まで追って振り返られる。いやあ本当、昔から絵が巧かった。それは石ノ森さんも同様か。なおかつ藤子不二雄の2人に赤塚不二夫さんもいたトキワ荘が場内に再現されていて記念撮影とかできる。行くなら昔ながらのズボンにランニングシャツで映りたいねえ、そんな恰好だと入る前に止められそうだけれど、下駄とか厳禁、美術館は。残念。

 なぜかももいろクローバーZが009のコスプレをしたパネルがあったけれどもこれは石ノ森さんではなくって神山健二監督版の「009 RE:CYBORG」のコスプレだよなあ、ジョーの髪型もジェットの髪型も006のヒゲとかも。まあそれは悪くはないんだけれども僕の009じゃないんだよなあ、そこがちょっと悩ましい。004のあの頭を誰か再現して欲しかったなあ。グッズ売り場にはカタログがって場内に展示してあった作品がそのままスキャンされて掲載されているので写植とかもしっかり貼られているなって分かるしペンのタッチも細かいところまでよく見えるんで、必読。付いてくるのは会場にも展示してあった漫画家とかアーティストによる追悼漫画やトリビュート作品。やっぱり002と009の関係を描いた物とかもあれば梅ラボさんによる作品もあったりして多彩。梅ラボさんはこういう場に起用されるくらいになったんだ。

 中にあった水木しげるさんの漫画は手塚石ノ森の両名に会って2人が2日徹夜した3日寝ていないというのを聞いて僕は10時間寝ていますと答えてそして2人は早死にして自分は長生きしていることを描いている。事実なんで何とも言えない。かといって水木さんが仕事をしてない訳じゃないからなあ、コンスタントに描き続けて今、90歳くらい? 凄すぎる。同じ会場にはやなせたかしさんの作品も。この人も凄すぎる。それに比べて松本さんは……悪くはないけど、でもなあ、昔の美麗さが少し出てないような気が。そんな会場を出て他の展覧会も見てジブラルタル海峡の両岸から子供たちが手にサンダルのヨットを持って海に入っていく映像とか見てアフリカとヨーロッパ、そしてイスラムとキリスト教を隔て往き来もしていたあの場への思い、あの場が保つ意味合いってものが浮かぶ。敵対もしたけれど交流もあったという、歴史。それを今の子供たちを使って想起させるのが面白い。同じことを対馬海峡でもやれば良いのに。やれないか。どっちもどっちに面倒そうだし。

 常設展では最初の部屋にいた展示室を見張っている女性の人が滅茶苦茶に美人で絵より先に見いてしまったけれど見ていると恥ずかしいので横目で見たり通りすがりに視線をやる程度。それでもやっぱり綺麗すぎた。ボブっぽい髪型にすらりとした長身でなおかつグラマラス。それが黒いスーツに包まれている。もうエキゾチックにエキサイティング。そのまま額縁に入れて飾っていて欲しかった。それならずっと見ていられるのに。ううん。また行けば会えるんだろうか。今日だけなんだろうか。通うか。ホンマタカシさんが撮った子供の写真の1枚にあった、幼女のパンツがちょい見える写真とかにも見入りたいし。なんだそりゃ。いやあるんだってそういうのが。

 他にはChim↑Pomの「アイム・ボカン」か、カンボジアの撤去された地雷でブランド物とか爆破してオークションにかけるという、あれ。前にコミケットがあった時に水戸芸術館で見たけどそれから4年とか? 超大物になったChim↑Pomだけれど変わらずアバンギャルドに破天荒な活動を続けている。日本のアートもまだまだ大丈夫。次はだから岡本太郎のあの付け足しが再びあの場に付け足されて誰に何も言われないくらいの存在感を持って欲しいもの。いやすでに持っているんだけれど世間が未だ知らないだけか。突破するために、さらなる爆破を、そして突破を。


【6月28日】 んまあね、見ればそこに止まっているパトカーは別に機動隊員を運ぶ装甲バスでもないから乗れて7人とかだしそんなにもたくさんの警察官を一緒に乗せてやってくるはずもないから運転手とあとペアの1人ってところだったとして、そのうちの1人が離れる人を引っ張っているなら残っている警察官はせいぜい1人からよくいて2人くらいで、実際に写真からそう見て取れそうな長靴を履いて制帽を被ったそれっぽい人は1人くらい。そして証言からやっぱりそちら側にいたのは1人らしいと分かったんだけれどそれを多数の警察官が囲んでいると言って抜けてしまえる心理っていうのは何なんだろうなあ、単純に1人いればそれは多数って理解だったのかそれとも。分からないけれども突っ込み返されればすぐに分かるだろうことを、平気で放ってしまえる心理ってものにはどこか危ないところがありそうだし、実際にいろいろ取りざたされている。いったいどこへ行ってしまうのか。そもそもどうしてこうなってしまったのか。かつてを知るだけにどこかもの悲しく、そして寂しい。

 やあ届いたぞフィギュアがその名も「境界線上のホライゾン 本多・正純 ズボンずり下げられ副会長 1/8 完成品フィギュア」がどこかから。どこで買ったっけ普通にキャラアニだったっけ。もう忘れたけれどもそうしたタイトルがもしかして箱の送り状に書いてあったら何かいろいろヤバかったかもしれないなあ、でもって配達員が扉を叩いて「『境界線上のホライゾン 本多・正純 ズボンすり下げられ副会長 1/8フィギュア』をお届けに参りました」なんて叫んだ日には近所一同に自分のすべてが伝わってしまう。ああでも本多で正純でズボンがずり下げられているならそれは男性のフィギュアのズボンが下がっているってことになるのか。なあんだ安心……できないよなあ、買ったのが男性ならそれはつまりはBL方面入っていそうだし女子なら女子でそういうのを好きな女子と思われてしまう訳だし。いろいろと罪なフィギュア。

 でも作りは完璧であの文庫版「境界線上のホライゾン」の1巻の下に入ったイラストであり、テレビアニメの第1期の1シーンでありを見事に再現している。文庫のイラストでもアニメでも、正面のやや下からという1方向からしか描かれていなかったりするんだけれど、それをフィギュアでは立体にする以上はちゃんと裏側も描かなければならない。フィギュアはそれもちゃんとしていて白いパンツに包まれた尻がちゃんと作られているのは素晴らしい。お尻の二つのふくらみのあ間をブリッジするようになるパンツの上の部分にちょい皺がよっていたりするところも再現されているし。そこがフィギュア作りの原型師さんのリアルを勘案しつつバーチャルで楽しませつつもポイントは外さない造形の妙って奴なんだろうなあ。ただただ偉大だ。ホライゾン関係だとあと本多・二代も出るみたいだけれどどうしようかなあ、格好いいから買っておくか。鹿角も出るけどデカ過ぎるんだよなあ。考えよう。大久保・忠隣/長安の同じシーンのフィギュアは出ないかな? 出ないよな。

 何かスクープとかってツイートが回ってきて見たけど東京新聞、東日本大震災の被災地支援の一環としてそこに拠点を置く会社を使って書籍のデジタル化を推進しましょうってプロジェクトがいささかボトルネックを起こしていることに関して「電子化された書籍の六割近くが出版大手五社の作品だったことが本紙の調べで分かった」って感じに非難する記事を書いていた。でもそれって被災地支援がどうかと関係ない数字じゃん。大手だろうと中小だろうと零細だろうとそれが出版社であることに違いはなく、そこが出した書籍の電子化の事業の大半が被災地で行われていることには間違いない。むしろだから記事では「25%は東北と関係なく使われて」いることの方を上に持って来て非難するべきなんだろうけど、そうはならないのはやっぱりバリューとして大手出版社が何かズルしているような印象を与えようとしたかったからなのかなあ。誰が何を、ではなくこれをどこで、が意味を持つ話なのに、それがすっぽりと忘れられているか忘れたふりをされている状況。何だかとっても気持ち悪い。

 復興予算での書籍のデジタル化で大手が多かったと書ていある記事からは、地元の出版社が漏れ落ちているという印象が醸し出されて、それは不味いじゃないの、大手ちょっと出過ぎじゃないのって思われる。でも実際はそういう話ではない。中小が手を上げないならと大手が手を上げ電子化を推進するべく被災地の会社に発注をかけた、って話であってその事業自体はちゃんとだいたい動いている。一部に東北とか被災地以外のところに出されているみたいだけれどそれは全体の25%。多いか少ないかの判断は別にして、4分の3はちゃんと地元に“還元”されているってことになる。全額がどこか遠い場所の事業に使われていることを思えば実にクリティカルな支援。それを敢えて非難するのは新聞としてどういう理屈なんだろう。敵は憎い。だから段取りとか関係無しに打っ叩くってことなのか。いろいろと世知辛い。願うなら電子書籍化が被災地でバンバンと進んでいって欲しいもの。期待してます各県の担当者さん。

 それは国宝であり天然記念物であり国民栄誉賞であり世界文化遺産でありもしかしたらレッドデーターガールなのかもしれないので国は、いや世界は早急に認定してそれを永遠に残していけるようにするべきだと思う一方で一期一会、その場に居合わせた者たちだけが共有できる至福の一瞬として記録には止めず記憶の中で語り継がれていくものにすべきといった意見もあるかもしれず逡巡。果たして僕たちは「井上喜久子、17歳です」「おいおい」「おやおやぁ、声が小さいぞぉ、恥ずかしがらずにもう1回、井上喜久子、17歳です」「おいおい」というその対話を、そしてそれらが生み出すもんわりと包み込まれるような桜桃に似た空気と香りを、いつまで体感し続けることが出来るんだろうか。一生であと何度それに巡り会うことが出来るんだろうか。分からないけれどもただ1つ、言えることがあるとしたら例え僕が還暦を過ぎて古希となり喜寿傘寿米寿となってもやっぱり「井上喜久子、17歳です」は続けられそれに僕たちは「おいおい」と突っ込み続けるのだ。だから生きねば。生きてその場に居続けなければ。

 なんてことを思った新宿ピカデリーでの「ああっ女神さまっ」のOAD発売記念イベント。OADってのはいつの間にやら漫画の単行本なんかに付けられるDVDのアニメーションを指して言われるようになった言葉で昔だったら普通にOVAだったんだろうけれどそれだとオリジナルにビデオを媒体にして提供されるアニメであってDVDの時代にそぐわない。だからなのかオリジナルのアニメが入ったDVDっていったニュアンスでもってこうした言葉が付いた、ってことになるのかな。昔もOVAがOAVなのか悩んだ時期もあったしなあ。閑話休題、「ああっ女神さまっ」だ、イベントではベルダンディ役の井上喜久子さんを筆頭にウルド役の冬馬由美さん、スクルド役の久川綾さんという夢のような3女神たちが揃い踏み。予定調和の自己紹介に至福を感じたあとで久しぶりだという会話があり、前のOAVを見ながらの生オーディオコメンタリーがあり、そして抽選会などもあって1時間半くらいのイベントは笑顔のうちに終了した。

 そう笑顔。これだけのビッグネームが揃っても殺伐とせず誰もがにこやかに笑顔で場を味わえるってのは何かとっても心地良い。そこにいられる幸せ。それらを形作ろうとする一体感。まだそうした空間が貴重でなおかつマイナーだった時代は誰もがその場を守ろう、そして維持発展させていこうとして決して騒がず、慌てず目立とうとしないでにこやかに、微笑みながら時間を過ごしていったものなんだけれど今は……。自分たちが楽しみたいという気持ちは分からないでもないけれど、自分たちだけが楽しければ良いというのはやっぱり違うと言うことで。さてOAVの方は水着だかハイレグだかが満載だった2作目から一転して学校で音楽に関わる少年少女を女神たちが応援するといった感じのストーリーになりそう。そしてCDでは監督の趣味に合わせたのか井上さんと冬馬さん久川さんがメロディックスピードメタルを歌うとか。どう考えても横ノリな井上さんが縦ノリばんばんなメタルを歌えるのか? そんな当たりにも注目したOADと関連CD。発売が待ち遠しい。年を1つ重ねても待とうそのリリースを。井上さんは17歳のままだけど。


【6月27日】 こいつは良いかも。何か唐突にニッポン放送あたりが送り出してきたTシャツのプロジェクト「193t」ってのがあるんだけれどそのラインアップの第1弾として並んだ「進撃の巨人」のTシャツが、どれもデザイン的にこなれていてスタイリッシュで着てみたいって思わせる。こういう類だとCOSPAが先行してあるけれどもデザインは割と月並みで、凄みがあるフルグラフィックなバージョンはちょっと値段が高くて普段着にも向いてない。MARS16は僕的にはクリティカルなラインアップでデザインだけれど一般性となるとちょっと……。そんな中に割って入って一般的だけれどスタイリッシュでなおかつリーズナブルなこの「193t」。今後のラインアップも気になるけれどそれも含めて相応の評価を得るんじゃなかろーか。まずは次に何が出るかに注目だ。何で今買わない? だって「進撃の巨人」ってあんまり読んでないし、観てないし。

 実はあんまり覚えてないから青空文庫で読み返してみて、やっぱりどこか不条理で高尚で、これがもう随分と昔に日本で書かれた小説なんだろうかという気もしないでもなかった宮沢賢治さんの「オツベルと象」だったけれど、それが下敷きになったという成田良悟さんの「オツベルと笑う水曜日」(メディアワークス文庫)は割とストレートに、タイプのまるで違う男女が出会って恋に……は落ちないけれどもどこか寄り添い関心を向け会っては新たな関係を気づいていくって展開が描かれていて、男性女性のどちらの立場にたってもそういう出会いがあると人生、楽しいかもなって思わせてくれる。

 まずオツベル。何でオツベルかというと乙野辺ルイという名前だからで略してオツベル。そう呼ばれている。元政治家で今は政治評論家をしている父親を持ち、母親もなかなかのやり手だったりする関係で、出版社に顔がきいてそれで絵本が中心の出版社にあってひとつの雑誌を任されていたりする。それが「週刊ラストウィーク」で、芸能ゴシップから猟奇殺人からUFOから河童から何から何まで扱うという内容でもって、世間からそれなりの評価とそして同等以上の侮蔑を浴びていたりする。まさに毀誉褒貶。けれどもオツベルは一向に気にせずむしろ家で揉まれているよりも社交の場に出るよりも生き生きとしてゴシップ集めに奔走し、時には現場にも出て百戦錬磨の記者たちと渡り合いなおかつ凹ませる。つまりは超やり手。

 そんな彼女を編集長に仰ぐ部署だけって誰もが戦々恐々として日々を送っているところに、やって来たのがもう1人の主人公とも言える喜佐雪弘。何でも母親がルイの母親と知り合いらしいということで、そっちの伝で送り込まれて来たらしいけれども出勤初日、現れた喜佐雪弘を見て誰もが驚いた。巨漢。190センチはゆうに超えてもしかしたら2メートルくらいあるかもしれないという巨体は、やせぎすではなく格闘家としても通用するくらいの太さ分厚さを持っていて、なおかつ顔には大きな傷が。着ているスーツも白系。そんな人間に町で会ったら誰もがそういう職業の人だと思うだろう、暴力なんとかとかヤがつくどうとか。オツベルも一瞬そう思った。とはいえ日頃からそうした相手とも渡り合っているだけあって、臆さず怯まないで喜佐雪弘に新人に対するいつものテストみたいなことを課す。

 カッパでも捕まえてこいとか、あるいは巷で噂の包帯男というコンビニばかり遅う強盗のインタビューを取ってこいと。そんな無茶なと誰もが思って反論しそうになるところを、喜佐雪弘はいっさい口答えをせず分かりましたと言って出ていって、そして見事に包帯男のインタビューをとって来てしまう。いったいどうやって捕まえたのか。そもそもどうやって犯行場所を見つけたのか。そこはひとつの推理のポイント。そして見かけによらず冷静でロジカルな思考力が後に喜佐が包帯男のインタビュー成功したことによって発生した厄介事に、オツベルが巻きこまれそうになった時に彼女を助けるために大きくものを言う。

 またオツベルが別に追うことになった、10年ほど前に恋人だった少女の双子の兄を殺して服役した少年が、出所したあとで行方を眩ましそして起こり始め、少年を犯人だと指摘した証言者たちが殺される事件で、真相をつかんだオツベルがとった行動が裏目に出た時にも、やっぱり喜佐雪弘の思考力と判断力が物を言い、なおかつその巨体から繰り出される力も助けとなってオツベルの命を救う。巨体だけれど根は極めて善人な喜佐雪弘を象に例え、彼を散々に利用する乙野辺ルイをそのあだ名どおりにオツベルに例えて「オツベルと象」になぞらえた時に、向かう先は決して平穏とはいえな5番目の日曜日。いつかそこへと陥る時が来るのかどうか、ってあたりもひとつの興味だけれど、今はまだ水曜日で2人とも笑って向かい合っていけるらしい。

 それがずっと続いてくれることを願いたいけれど果たして。連続殺人の真相へと迫っていく展開はスリリングで、誰が探偵として推理をする訳でもないけれども描かれたシチュエーションから自分ならではの真相を考え、それが正解だったかを答え合わせしながら展開を追っていけるところはやっぱりミステリーと言えそう。なおかつ首なしライダーに禁酒法の時代から生きているカモッラに佐渡と新潟を結ぶ橋に島で発生したウイルスにと、成田良悟の作品と重なる部分もあって糊代から辿るようにそっちへの興味を広げていける。もちろん単独で読んでも十分に面白い物語。入り口として読んでそこからめくるめく成田ワールドへと向かっていくのも良いかも。まるで泥沼のように続いて広がっているけれど。

 そうだ川崎へ行こう。とふと思って川崎ラゾーナへと入る途中で隣の商業ビルに入っていたアニメイトで「境界線上のホライゾン アニメくじ」ってのを4枚ばかり引いてみると何と! 浅間智のあられもない恰好がプリントされたTシャツと、それから浅間智のあられもない恰好がプリントされた手ぬぐいがあたってしまっていったいどこで着れば良いんだ、どこで使えば良いんだ状態。別に自分的には平気で着られるけれども見た人がどう思うかってあたりを考えるとちょっとやっぱり躊躇するかなあ。そこが平気になれれば自分も1歩、成長できるのかもしれない、変態へと。4枚引いた残り2枚はいずれもポストカードセットだったけれど、そのうちの1セットがお風呂シリーズで見るとメアリとか浅間とか鈴とか本多・正純とか葵・喜美とか本多・二代とかが湯船に浸かったり背中を流しっこしてたりしてた。眼福。でもアデーレがいないのがちょっと残念。残念って……。

 そして川崎のラゾーナでアルバム「なんだこれくしょん」を発売してイベントを開いたきゃりーぱみゅぱみゅの現状を観察。いやあ凄い。あの広場が人でびっしりな上に4階くらいまであるぐるりと囲んだテラスにも人が並んで見下ろしていてさながら武道館のよう。中には通りすがりもいたんだろうけれど、少なくない人たちが始まるずっと前から場所をとってそこに座って待っていたように見受けられるあたりに、今の旬な度合いってのが感じられて面白く感じる。実際、イベントが始まると歌に合わせて踊ったりもしていたから、やっぱりそれなりなファンなんだろう。

 なおかつ凄いのは、そうして集まってくる人の世代の広さ、ってやつ。もうほんとうの幼児からオタの中心から中高生の女子かあその親の世代までありとあらゆる人がいる。有名人だから見にきてるってこともあるんだろうけど、そこから引っ張り込まれる現象が起こる。なんという吸着力。原宿という所在地すらもはや問われない。これはどういう状況なのだろう。国民的、って言うと月並みだけれどやっぱりそう言うしかないんだろうなあ、国民的アーティスト。それが今、生まれ育ち羽ばたこうとしていると。どこまで行くんだろう。それまた楽しみ。


【6月26日】 なんでんかんでんか知らないけれども「もやしもん」が「イブニング」から「月刊モーニングtow」へと引っ越したみたいで、「増ページ毎号連載開始!」って結城蛍と及川葉月が2人して並んで美人っぷりを発揮した表紙に書いてあるからやったぜこれで時々休載だなんて残念に泣かなくて済むんだと思ったかというとそれでも隔週で連続して載るケースもあった「イブニング」に比べると、月刊では確実に1カ月置きってことになって感覚が開いてしまって内容なんか忘れてしまいそう。増ページったってそれで今までの倍になるとは限らないし。まあでも今までだって10ページなかった回とかあったからそれをちゃんと平均にすれば月刊のページ数とトントンになるのかな。だから残念なのはやっぱり1カ月置きになってしまったってことか。長いよなあ1カ月って。

 そして中身はといえば西野円の家の酒蔵がいよいよ本格再起動っぽくって父親が結城蛍の祖父とその仲間のすることになんかいちいち驚いていてひれ伏していてちょっと可愛い。いみじくもその祖父がいった自信の欠落っぷりがいったいどこから来たのか、って考えるといつかの大失敗からなんだろうなあ、そこから立ち直れずズルズルと。でも本来はもっと酒に熱意を持っていた人だから自信さえ取り戻せば良い酒蔵になっていってくれるのかも、今度は前と違って西野円もいるし。そんな彼女は受験を控えて大変そうだけれどそこに発生した農大での溶連菌騒動。その中心に及川がいるっぽいけどいったいどういうことなんだ。それを指摘する沢木直保に果たして及川はどう答える。興味津々。でも続きは1カ月後かあ、やっぱり長すぎるよなあ。

 一方で「もやしもん」に抜けられた「イブニング」では「Eから弾きな」がいよいよもってライブの場に立って手が止まったところを叱咤され手が動き出して1曲奏でてあとは空っぽ。どーする。どーなる。あと「おせん」はタコ飯作りが進んでいるけどあれだけの材料を厨房が開いた時間に使わせてもらって幸せだよなあ、あの男。眼鏡の美人に惚れられているだけでも羨ましいのに、当人がそれを気づいていないって見えるところがまた何とも、会ったらぶん殴ってやって良いかな? 良いよね。「敗走記」はだんだんとせっぱ詰まっていったところに見えた光明。琵琶法師の奏でる音を思い出しつつ過ごす夜からその先に道は見えるか、そして漫画家の将来は。あったからこそ今ああやって連載しているんだろうけれど、でもスリリング、そして切実な漫画。「オールラウンダー廻」に「少女ファイト」もあって「軍鶏」も快調。まだまだ戦っていけるかな、「イブニング」。

 榊一郎さんが「ザ・ジャグル」に続いてハヤカワ文庫JAから出した「蒼穹騎士 −ボーダー・フリークス」をやっと読む。なんかとっても格好いい。ジェット機とかで空を飛んでそして音速を超えると操縦している人が人を食らう怪物の竜になってしまうという、何か異様さを持った世界にあって、災害の消火活動へと向かう戦闘機を飛ばしていた2人のうち、1人が身を捨てて危機を救いつつ自らは竜になったのを見つつ撃ち落とせず、後悔を抱えていたパイロットが主人公。彼はまだ子供だった頃に出かけた山で、襲ってきた竜に兄を目の前で食われながら竜に惹かれる女性研究者と共に空へと上がり竜と、そして過去と対峙する。

 同僚を、そして大切な友人を相手が竜になったとは言え撃てるのかという懊悩。それが友人にとって幸せか、彼の家族にとって幸せかを考えるとやはり撃つべきだったというプレッシャー。それらに挟まれ苛まれた人生にあってなお、主人公を戦闘機乗りとして止めたのは竜になった友人への感情なんだろうか。そんな、生きる上での選択について考えさせるストーリーが迫ってくる。それと同時に 竜とはいったい何なのかという問いも浮かぶ。音速を超えたところで金属部品とかを多く含んだ飛行機ごといっしょに竜になる。現行の世界ではありえない変化。それが認められる法則にある世界として、いったい竜とは何なのか。種としての可能性なんかが問われてくる。

 そしてもう1つ。人類にとって、そして兄を食われたという意味で自身にとっても敵であるべき竜に感情を抱く女性研究者の心理にあるものはいったい何なのか。巨大な存在に対する畏敬か、それともねじ曲がった恋情か。上空で竜を見てそして戦うパイロットを見て浮かべるその高揚。漏らしたんではなく濡らしてしまうその心理。あり得るか。あり得るのか。あり得るなろうなあ、女性の心理とはそれほどまでに複雑なのだ、きっと。そんな榊一郎さんの「蒼穹騎士 −ボーダー・フリークス」。これからまだ続くとしてやはり核は友人であった竜との対決になるのだろう。あるいは竜という存在への憧れとどう向き合い、惹かれるか留まるかという選択についても示されるのだろう。戦闘機を開発している際に竜は生まれなかったのか。今なぜ生まれるかという謎も。だから読み継いでいくしかない。傑作として。その予備軍として。

 何か憂いを帯びて戦う姿は「戦闘妖精・雪風」の深井零にも重なるところがあって、けれども女性ばかりの整備班にパートナーのパイロットも女性という女所帯にあって、淡々とあり続けるストイックさもどこか深井零っぽい。企業に雇われ竜との戦闘をするパイロットってあたりは森博嗣さんの「スカイ・クロラ」シリーズにも似ているかな。とはいえそこは軽小説家を自認するだけあってキャラクターはなかなかに立ってて陽気だったり意地っ張りだったりと多彩。そんな当たりに感心を抱いて読んでいけるから観念的とか哲学的な物語が苦手な人でもこれは大丈夫だと思いたい。パートナーのパイロットは主人公のことをどう思っているんだろう。役立たず? 腕はいいけど今は居眠りしている愚図? それが復活を遂げ始めて惚れ直すんだろうか。ちょいポジションが定まっていなかったんで、そんな辺りがどうなるかも気にしていこう。

 それでいったいどうなったんだ日本柔道連盟は。会長を辞めるといったところで何ヶ月も先の話みたいだしその頃になると世界柔道連盟だっけ、そこの会長が再選されては恩人として日本柔道連盟の会長を引き立てるなんて話にもなっているからあるいはそれを狙っているのかも。でもすでに国内からは人心は離れて組織はガタガタ。このままでは名誉はついてきても実入りは乏しくなって足下がおぼつかなくなるって分かっているのに、しがみついてしまうのは上しか見えていないからか、それが目的化してしまって他が何も見えなくなってしまっているからなのか。いずれにしても難儀な話。それはどこかの野球機構のコミッショナーも同じか。そしてどこかの全国紙を標榜している会社のトップあたりも。足下は泥沼。けれども上だけ見ていればいつかたどり着けるかもしれない天国の門。気がつくと足下には大穴があいて後は地獄へ一直線、なのになあ。たまらんなあ。


【6月25日】 ってんで朝にヨドバシの秋葉原店へと寄って「なんだこれくしょん」byきゃりーぱみゅぱみゅ。タワーレコードに最初行ったら何か棚に入って無くって品切れっぽいのか未入荷なのか分からなかったけどともあれ無いなら無いで仕方がないと、6階のCDやらDVDやらが売っている場所へといったらこちらには普通に山積みだった。いや別に積んではないけれど。そこからDVDもセットになった初回版を取ってついでにもう出ていた「ベルセルク」の劇場版のブルーレイディスク第3巻を買ってこれでシリーズはとりあえず揃えた。あとは「波打際のむろみさん」のブルーレイディスクの第1巻も揃えて出して今月のパッケージ購入は終わりかな。

 アニメのパッケージで今やっているやつで欲しいのはあと「悪の華」くらいなんだけれど、それは映像の凄さを後に語り継ぐために欲しいんであってお話的にはちょっとよく分からない。発売も確か7月だったし。そうだっけ。見ていて楽しいのは「むろみさん」とそれから「銀河機攻隊マジェスティックプリンス」とあとは何だろう、そこから買うとなったら巻数が短くってあと全巻揃えるとイベントに参加できるらしい「むろみさん」ってことになった次第、4話入り、といっても1話15分だから実質2話で5000円弱は安くもないけど高くもないし。期待の乙姫が出るのはまだ先だからそれまで頑張って揃えていこう。「あいうら」どうすっかなあ。

 んで「なんだこれくしょん」をつらつらと聴いてみたらやっぱり「み」が凄かった。PVとかで一部聴いてはいたけれど、みーみみみーみとか続く場面以外の歌詞もあってないようなものだけれど、それを歌って歌いこなして自分の世界を出してしまえるところがきゃりーぱみゅぱみゅ、やっぱり凄いしそうした世界を狙ってあの曲を書いてしまえる中田ヤスタカさんもやっぱり凄い。部分部分に入る「カモン!」って合いの手も単調に流れがちな曲にアクセントとなって耳を引きつける。計算して入れているんだろうけれどもその効果がバッチリってところが流石は売れっ子アーティスト、だよなあ中田さん。

 シングルとかになっている曲はまあ耳慣れているから良いとして、冒頭からぶっこまれる音頭はやっぱり凄いとしか言い様がないタイトル曲。歌詞はひたすらに「なだこれくしょん」と言ってるだけでそれも一瞬で終わる一種のプロローグ。もしかしたら今度のツアーで入場時の音楽に使われるかもしれない。続くのが「にんじゃりばんばん」でああ知ってるってぐっと引き込んでそこから「キミに100パーセント」と来て知ってるの連続のあとに来るcupcuelの「 Super Scooter School」がちょい、他の楽曲と外れてて聴かせる感じ。前も確かcupcuelの曲とか入れていたけどそれを演らせてそれなりにしてみせる凄さをあるいは、中田ヤスタカさんも買って自分のアーティストとして抱えて育てて楽しんでいるのかもしれないなあ。

 かといって玩具にされる訳ではない、その存在だからこそ出来るさまざまな挑戦。それが相互に作用しあって生まれたモンスターが、きゃりーぱみゅぱみゅなんだってことで。なんて身贔屓。その後に来るのが「インベーダーインベーダー」で頭空っぽにされたとこに来るのが「み」ってのがとにかく並べ方の妙。それこそ「なんだこれ」って言葉しか出なくなる。折り返して「ファッションモンスター」と誰でも知っていて最もロックしている感じの曲と続けるあたりも考えている。やっぱりこの曲はメジャー感が強いよなあ。ここから始まった第2期が、いったいどこまで行くのかってのが目下の外野的な評論家的な興味ってところになるんだろう。どっちでもいいけど。

 最後の「おとなこども」も名曲だなあ。旋律も良いし歌声も良いし歌詞も良い。これシングルじゃないんだ。まあタイアップにするキャッチーな曲ってよりそれのカップリングで自分を聴かせる曲って感じだし。そういう組み合わせも面白さの1つ。本当はだから「unite unite」も入れて欲しかった。ライブでも喋っていたけど本当は引っ込み思案な自分が出た曲としてリアルな世代間が感じられる良い曲なんだ。まあそれはシングルなりで聴けば良いか。ともあれ「なんだこれくしょん」はこの1枚が永遠のマスターピースとなることが既に決まった。あとはどれだけ売れるか、だけどこれは読めないなあ、今ってどれだけ売れれば凄いんだ? そこは結果を見てから考えよう。売れるのが良いのか。売れなくても凄いのか。

 普段ば似た名前でBL方面を書いているらしいアイダサキさんって人の「永弦寺へようこそ 幽霊探偵 久良知漱」(講談社X文庫ホワイトハート)を読んだ。想いを残して逝く人の想いに溢れた物語は読んでいてやっぱりもの悲しいものがある。恋でも子育てでももっといろいろしたかったという無念。幽霊なんてものに遭えずその声を聴けない現実では、そういう無念があったんだろうなあと想像するしかないそれらが、物語の中では幽霊の口を借りて直接的に突きつけられるからズンと来る。そんな言葉を受けるのはお寺に探偵事務所を開いている久良知漱という30絡みの男。無愛想だけれど幽霊が見えてそして知り合いの婆さんから成仏させてやってとの依頼を受けて動く。

 その助手にさせられたのが、父親の再婚相手にちょっぴり反発を覚えて父親の転勤についていかず、祖父と知り合いだって住職がいるその寺に居候を始めた女子高生。なぜかその知り合いの婆さんに命じられるように久良知の助手になっては、子供が気になる主婦の相談や、寺の後継ぎで美形の僧侶に恋心を抱いていた少女の相談を受けることになる。聴いてあげれば成仏していけるとはいえ、残された思いはそれなりに難題。なおかつそこに込められた想いの強さに向き合うのは結構辛い。それでも諭しあるいは導いていく久良知漱の心の強さが響く。死者の声を聴いてそれをヒントに犯罪を暴くといったミステリー方面には流れないけれど、人の残す願いの切実さを感じさせ、逝った人への想像を抱かせ、今を生きる自分への叱咤としたい物語だ。


【6月24日】 雲に入ったら時空を超えていた、なんてことが現実に起こるかというと、それはオカルトかミステリーの世界なんだけれども宇宙だったらあるいはあり得るかもしれない、って思うのはやっぱり宇宙が神秘に溢れた世界だから、なんだろうかただのご都合主義なんだろうか。ともあれ笹本祐一さんの人気シリーズ最新刊「ミニスカ宇宙海賊10 二隻の白鳥号」(朝日新聞出版)は、オデット二世号こと白鳥号が練習航海へと出た先でなぜか同じオデット二世号を発見。引っ張られるようについていった先で時空の裂け目だか空間の歪みだかに捉えられて、そして気がつくと120年も昔に連合星系が銀河帝国を相手に戦った独立戦争でも終末期に来てしまっていた。まさしくタイムスリップって奴だ。

 それ以前からもオデット二世号に光速での航行を可能にするブースターを取り付けたらなぜか隠しファイルが見つかって、そこになぜかオデット二世号、当時の白鳥号が独立戦争を戦った記録があったんだけれど、よく読むと同じ時期に別々の場所で同じ白鳥号が活動していたことになっていた。偽なのか間違いなのか、それはだからつまりそういうことで、過去はだから変えられないとばかりにオデット二世号に乗り込んだ加藤茉莉香や白鳳女学院ヨット部の面々は、連合星系にこっそりとしのびこんでいた偵察戦を相手にした戦いに臨むことになる。

 もしもそこで何もしなかったら未来はどうなったのか、逆に何かをしたら未来はどうなるのか、って逡巡するところはSF読みでタイムスリップ物を読む者なら同様に考えること。そこで茉莉香たちは何もしなくても偵察船が帰った可能性を考えつつ、そうならなかった場合に起こる独立戦争の失敗から連合星系の完全植民地化へといたる流れの延長に、自分や海賊船弁天丸の仲間や白鳳女学院ヨット部の仲間たち、あるいはグリューエルらセレニティ王家の面々なんかの将来なんかも勘案しつつ、行動すべきと結論づけていく思考のプロセスが潔い。何もしないで変わるなら何かして変わる方が増し、ってことで。

 それでも注意深く行動し、そして120年後のテクノロジーの分からないようにぶち込んで繰り広げられる戦闘がまたスリリング。ドンパチこそないけれど、相手の居場所をつかんだり逃げる相手を捜したりする知恵比べに化かし合い。相手もそりゃあ歴戦の帝国軍人な訳で現役の海賊船の船長であっても、高校生の茉莉香にヨット部の面々では、やっぱり油断をすればつけ込まれる。そこは女子高生にしては歴戦を経た経験と、セレニティ王家で育ったグリューエルの知恵が重なってどうにかこうにか互角の戦い。そしてその果てに。さらに未来へと戻れるのか、ってあたりは読んでのお楽しみとして残念なのはそんな白鳥号で船長を務めることになった茉莉香のオリジナルな海賊衣装が、2種類とも絵で見られなかったことか。是非にいつか映像化を。そうでなくても画像化を。

 そういや見たんだった「おしゃれイズム」のきゃりーぱみゅぱみゅ回。くりぃむしちゅーの上田晋也さんがああいったホスト役を巧みに務めるようになっていたとは今さらながら驚いたけれど、そんなベテランを相手にひるむことなくしっかりトーク。門限8時をまもらず家に入れてもらえなくって近所を自転車で走っていたら補導されて、それで家に帰ろうとしたらやっぱり入れてもらえなかったという話は何かとっても厳しい家なんだって想像させる。普通だったらそこから家出してまんま帰ってこないとかあるんだけれど、そうはならずにちゃんと高校は出たみたいなんだからその意味では真面目なのかもきゃりーぱみゅぱみゅ。

 あとばいきんまんが好きというか中尾隆聖さんが好きという話になって、ばいきんまんが出てきた後に続くように中の人が出てくるかと思ったら出なかったのはやっぱりばいきんまんが出る以上、中の人が出るのはそぐわないって判断かもなあ、それが中の人の職業意識って奴だろうから。中尾さんだとでも個人的には「BLEACH」の涅マユリがいかにもで好きかなあ。やっぱりワルか。そんな中尾さんが主人公を演じた作品が「伊賀のカバ丸」だったんだ、当時は合っているとも思ったしちょっと違うとも思ったっけ。それ以降、あんまり二枚目声はやっていなかったんだけれど「VIRUS」で主人公と似た顔のミラン・トゥレインを演じたんだっけ、悪役だけれどお茶らけていないクールな役。そういう役もまた見たいなあ、っていうか「VIRUS」が見たいブルーレイで。出ないよなあ。

 2011年頃から比べてまったく選手層に厚みが出ておらずそして将来厚みを増せるとも思えない以上は来年のFIFAワールドカップ2014ブラジル大会で日本代表が辿る道はコンフェデのブラジルと多分大きくは変わらない。守備が劇的に改善して集中力がアップし得点を奪われなくなるかっていうとそれは変わらず、そして攻撃は本田圭佑選手が核となって香川真司選手に岡崎慎司選手といったあたりが軸となって連携から崩して得点といった当たりになって、本田選手のコンディションに大きく左右されてしまいそう。オプションとして用意されているのがハーフナー・マイク選手のポストくらい、ってのは果たして今のオランダリーグでのハーフナー選手が得点を重ねているシチュエーションに近いのかっていうとちょっと違う。だからそう使えば良いんだけれどそうなると今度は他の連携が崩れて機能しない。だから使うならポストで長身を活かすことのみ。勿体ないけどそれがザッケローニ監督の意識であり、限界なんだろうなあ。

 だからそこに賭け、熟成を果たした上で本田選手も香川選手も長友選手も万全の体制でワールドカップに臨んでは、グループリーグの3戦とそして決勝トーナメントに入ってからの2戦ほどを戦い抜ければ日本にだって商機はある。逆にコンディションが整わないまま1人欠け2に欠けたりするともう、動かなくなって惨敗は必死。遠藤保仁選手の代わりもなかなか見つからない中を攻撃も作れず守備はザル、なんて事態が起こりかねないしなあ。そういうことならこことでザッケローニ監督を買えてワールドカップとそしてその後も見据えたチーム作りを手がけてもそんなに悪い気はしない。結果が見えやすいチームより見えないけれども何かやらかしてくれるかもしれないチーム。それで日本人が満足して見られるのならそういう選択もありだけれど、冒険できるほど協会に度量はなくメディアも甘くないからここは熟成だけを狙いザックで行くんだろう。後は祈るのみ。本田選手生きてくれ。

 さやわかさんによる「AKB商法とは何だったのか」(太洋図書)をペラペラ。「だったのか」って過去形にされているあたりにひとつこだわりもあるんだろうなあという印象で、2012年のCD売り上げを冒頭に掲げてそこに居並ぶAKB48とその関連いよびジャニーズのアイドルたちとあとMr. Childrenというどう言ったら良いのか分からないランキングに呆然とさせた答えとして、CDの売り上げに変化が出てきてそして多様性による分散なんかが始まっていく可能性なんかを魅せてくれている。本当にそうなるのか、やっぱりAKBが1強で他は有象無象となるのか、実のところは分からないけれどもあのモーニング娘。だってコロリとチャートから落ちていくのが音楽シーン。今が隆盛を極めていてもその先が同じとは限らない。でもなあ、ジャニーズはやっぱり強いんだよなあ、そんな手を変え品を変えの展開が出来辛いところにAKB商法のエンドが隠れ見えるのかも。バラ売りかなあ。まとめ売りかなあ。


【6月23日】 そうそう「攻殻機動隊ARISE border:1 Ghost pain」のTOHOシネマズ川崎での舞台挨拶で坂本真綾さんが草薙素子役に選ばれた経緯について真綾さんが、オーディションでいったいどういう作品の何という役を演じるのかまるで分からないままその声を出すように求められたと話してた。それはつまり与えられたセリフなりキャラクターの属性なりから状況を読み解き音質を感じ取って出すってことなんだろうけれど、そういうことってよくあることなんだろうか。そりゃあベテランの役者ともなれば行間も含めて脚本から読み取り年齢性別に職業あたりも分かればそれに相応しい声を出せるんだろうけれど、でもやっぱり役作りには戸惑うもの。そうやって出された声が本当に役に合う声になるんだろうかって不安と疑問も浮かぶ。

 けど実際にそうやって声と演技だけ聴いて選ばれた坂本さんは見事に今のこの作品の草薙素子三佐になっていた訳だから、やっぱり必要な声を求めて選んだ、ってことなんだろう。なおかつ黄瀬和哉総監督は坂本さんが前の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」でも「攻殻機動隊S.A.C」でもともに子供の草薙素子を演じてたことすら知らなかったというんだから驚いたというか。まあ仮にコドモトコの声を聴かされたところでそれはコドモトコであって草薙素子という役ではないから、逆に先入観とならず今のこの声が今度のこの役に合うか否か、それだけの判断にはあんまり関係なかったってことなのかも。他の役についてもそういう選び方をしたんだとしたらなるほど、見た目にマッチした声が並んでいるのも当然か。とくに荒巻。巧いし格好いいものなあ。爺さんなのに。

 これがテレビアニメの場合だと、漫画なりライトノベルの絵ですでにあるキャラなりの声を演じる場合も少なくないから、その絵から掴みとれる属性なり、その絵なら出しそうだと世間なり作り手なりに思われる声をチューニングして、そうした思いを捉え役をつかむアプローチもあるんだろうけど、そればっかりだとそういうキャラはそうあるべき的スパイラルに陥り極端が進む可能性もあるから難しいところ。とはいえそういう当てはめを見事にこなし似て非なる声を出し分ける声優の人もいるから一概には言えないし、その声1本で何十年も演じきってむしろ声にキャラを合わせていくような人もいるからなあ。ようはやっぱりその役をなぞるんでなく、その役を自分でやり切るんだという熱情か。それがあれば聴く方だって知らず引きずり込まれるもの、なんじゃなかろーか。

 役になりきるメソッドとか演劇を勉強もしてないし、経験もないんで分からないんだけれど、頭で考えると同時にそれを表現する力ってのもつけないんだといけないんだとしたら、安易に声だけ似せればなれる仕事とはいえずむしろ体を使った動きで表現できない分だけ、難しい仕事なんだろうなあ、声優という仕事は。それがなぜか安易に言われるのは何だろう、ネームバリューを使った起用が多いからなんだろうけれど、でもディズニーの吹き替えってあれで本国が厳しいところでただ名前だけでは選ばない、役にマッチした声でなければ選ばれないって言われているからたとえ俳優でもお笑い芸人でも、選ばれればそれなりにしっっかりした声を出してくる。その意味では安心できる。そうじゃない、それでいて影響力のあるスタジオが割りに名前で選んで声に違和感を与えている積み重ねが昨今の批判的な風土を生んだんだとしたら、何か自省と自制を求めたいところなんだけれど相変わらず突っ走っているからなあ。さてどうなんだろう某作品。7月20日の公開に向けて戦々恐々。

 前々から名前だけは聞こえてきたポーランドからの将棋留学生的なカロリーナ・ステチェンスカさんが日本将棋連盟の女流棋士を養成する研修会に合格したそうでそこからプロの女流棋士を目指すとか。まだC2クラスでプロになるにはC1に上がって女流3級となった後、さらに好成績をあげて女流2級になる必要があるんだけれどそのとば口に立ったとうだけでも快挙らしいんでここはひとつ応援したいところ。というかカロリーナさんが面白いのは5年ほど前だからまだ高校生の時に日本の漫画を読んで将棋の存在を知ったということで、いったいどんな漫画なんだろう、時期的には「しおんの王」か「3月のライオン」か、まさか「ハチワンダイバー」ってことはないだろうしましてや「ヤンケの香介」とか「5五の龍」とかいった古典ではないとは思っていたけど、どうやら調べると「NARUTO」らしい、忍者漫画の。

 「NARUTO」にそんなの出てきたんだってことが驚きだったけれど、「NARUTO」を読んで忍者のくノ一じゃなく棋士を目指そうとしたのも面白いところ。普通だったらどうやったら忍者になれるだろうかと日本に来ては忍者の里の伊賀上野に行ってそこでピンクの忍者服を着て手裏剣なげてニンニンと言って修了証をもらって帰るもの。そうでなくって漫画の中に描かれた本筋とは違う何かに見せられた。どういう描かれたかをしているか読んであいんで分からないけれど、よっぽど興味を惹く何かがあったんだろう。絵があり物語があってそれが続く日本の漫画には、ある意味で日本の総体が詰まっているって言えるのかも。それが漫画という敷居が低いエンターテインメントを通じて世界に広まっていき、誰かの琴線に触れる。何か面白いし素晴らしい。これがお茶だの日本食だのといった切り取られた文化だけを持ち出してアピールしたって、高踏な人しか高邁な文化だと感じて興味を抱かないんじゃなかろーか。けれどもお茶漫画、和食漫画だったらあるいは。そう考えるとクールジャパンで何をどうするべきかも見えてくる。けどやらないんだ国は。ファッションの人が海外でフードをアピールする無茶を繰り返すんだ。是非もない。

 せっかくだからと「漁師の角度」でアクション仏像フィギュアの竹谷隆之さんがあの韮沢靖さん、桂正和さんとトークするってんでアーツ千代田3331に行ったらなんてお前は凄いんだと夢枕獏さんに言わしめた寺田克也さんまで加わっての対談になってなお吃驚。5000円とったって十分すぎる面子の言葉が無料で聞けるんならこれはグッズでお布施しなくちゃと売り場にいってパンフレットとポストカードを購入する。でもまだ足りないか。買おうかなあ「漁師の角度」の画集の新版。そしてトークイベントは30年に及ぶだろう知人関係で割りにまったりとした空気の中にあって竹谷さんの生真面目さってのが浮かび上がって見えた感じ。作るものに真っ直ぐ挑み最善を目指すというか、どう見えるかが重要ならそこにとろろ昆布を使ったり松ぼっくりを乗せたりするのも厭わないというか。だって写真に匂いは映らないし、写真のフィギュアは腐らないから。その意味ではビジョンを求めるモデラーなんだろうなあ。

 これから何を作りたいのって話で灯台と答えていたのが印象的。別に灯台が変形したり合体したりするってことじゃなく、おそらくは海にあってどこかさびれ窶れた雰囲気を持ちながらも現役として海を照らすその存在感と、何より真っ白で屹立していて20世紀的なモダンさを持ったデザインになっているところが「漁師の角度」でプリミティブの中にモダンを混ぜてみせた竹谷さんの造形魂をくすぐるのかも。いや実はやっぱり変形して合体する灯台が造りたいのかもしれないけれど。そんな竹谷さんの横に座った桂正和さんはスタイリッシュなフォルムもエロティックなガールも描ける漫画家なのに喋りはざっくばらんでおじさん的だったのにちょっと驚いた。この人からあの少女たちが。世界は広い。韮沢さんは前にサイン会をしているのを観たことがあったのかな、工房のおやじさんといった風情、でも描く絵は凄いスタイリッシュでクール。寺田さんはロフトプラスワンで液晶タブレットだけで凄い絵を描く姿に天才だと思ったけど今回は絵は描かなかった。最近は造形もやっているらしい。どんなんだろう。見てみたい。


【6月22日】 そして目覚めると朝になっていたので総武線快速から東京駅で横須賀線に乗り換え品川まで出て川崎にあるTOHOシネマズ川崎へ。早速「攻殻機動隊ARISE」の第1話を見るチケットを引っ張り出してそれを持って売店へと行きパンフレットとドッグタグとそしてブルーレイディスクを購入して今日の仕事が終わる。いやまだ終わっちゃいけない。メーンはもちろん映画を観ることでありその後の舞台挨拶を聴くことで、それまでの時間をパンフレットでも観て過ごそうかと開いたら何か面白そうな機会が目に入った。「GHOST INTHE MACINE」ってそりゃポリスのアルバムのタイトルか? って思う人は相当な年寄り。これは何でも中国のアーティストが作った装置だそうで3倍の可変を持って音楽を再生できるマシンらしい。

 でもって中に「攻殻機動隊ARISE」の楽曲が入っているってんで購入して外のコンビニで電池を買って動かそうとしたら電源がはいらない。赤いランプの下にあるボタンを押しても着かず故障かと思い取り換えてもらってやってもやっぱり着かないんでおかしいなあと上部にあるダイヤルの1つを回したらカチリと音がなっってスイッチが入ってランプがついた。こっちかよ。ランプの側にあるのがスイッチと思うじゃないか普通は。おかげで店頭で冷や汗をかいた。店員さんにも迷惑をかけた。ごめんなさい。同じ過ちを多分普通はしないだろうけど、しそうな人はそのあたりを注意のこと。スイッチはダイヤルのスピーカーが見える方からなら左側。音楽は……まあitunesで買った方が当然ながら綺麗だな。グッズってことで公開のご祝儀って事で。

 観ればいろいろとキャラクターも描かれたクリアファイルとかあったけれども黄瀬和哉さんがデザインによる草薙素子はつまりテレビなんかで予告編も流れていたりするあの素子で前髪ぱっつんの散切り頭で全体にスリムで出っ張っているところがまるでない。それも良いことは良いんだけれど動いていない姿はやっぱりどこか幼く「攻殻機動隊 S.A.C」のようなお尻が丸くて胸もしっかりな素子とも、また「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」の筋骨隆々とした素子とも違ってキャッチーとはあんまり言えず購入にちょい戸惑う。これが動けばもう鮮やかにスタイリッシュなアクションを見せ、表情も豊かになるから不思議なもの。そこが黄瀬さんならでは、ってことなんだろうし前にニコファーレであったイベントでも石川光久社長がそう言っていた。動いてこそ。動かしてこそ。ならば買うのは映像ってことで他はクールなアイテムに絞っておこう。地雷ちゃんがでっかくプリントされたTシャツとか出たら買うかもしれないけれど。

 そう地雷ちゃん。あるいはジライちゃん? ジバクちゃんに倣うならそっちの方が相応しいかもしれないキャラクターが何かは映画を観て欲しいと言っておくけど西尾鉄也さんがゲストキャラを手がけた中に入っていたそんなキャラを、「人狼」のジバクちゃんに倣っていつしかそうスタッフの間で呼ばれるようになったとか。なるほど確かに地雷ちゃん。可愛くって無表情で強くてそして激しく熱い。是非にグッズとか出て欲しいけれどもそれだったらやっぱりラジコンか赤外線コントロールで自走して、そしてスイッチをポチっとなすればドカンするような奴が欲しい。作らないかなタカラトミー。作らないよなあやっぱりな。

 さて映画はといえば既に1カ月ほど前に六本木のTOHOシネマズで先行上映イベントに参加して観ているから展開もすべて知り尽くした上で観たけれどもやっぱりいろいろ気にかかる。誰が中佐を殺したのか。そこについては冲方丁さんによれば劇場限定のブルーレイディスクについているシナリオに書かれているらしいんで替えって読んでBDで観て、また劇場で観て真相に迫ろう。何しろサスペンスなんだから自分の頭でまずは考えたい。ヒントはフィルムにある。観て観て観ぬけば分かるかも。だったら先にBDを見るかなあ、それとも映画館にまた行くか。キャラクターでは上司のクルツがやっぱり格好いいなあ、胸も谷間が露わだけれどやっていることは辛辣にして残酷。組織を守るため、素子を守るため、そして自分を守るために何でもやるそのプロフェッショナルぶりが、今後の展開でどう絡んでくるか。ちょっと楽しみ。次はえっと11月くらい? また行こう劇場へ。そこで観ようこの続きを。次はアクションだったっけ。

 呼ばれて飛び出て幕張メッセで「MTV VMAJ 2013」を見学、いやあ次から次へとアーティストが出てきて歌ってなかなかの見物。冒頭からももいろクローバーZが出てきて2曲ばかりをぶちかますと場内に集まっていたモノノフどもが立ち上がって大歓声、団結力って強いなあと感心。それで終わって帰っちゃうかと思ったけれども帰らずちゃんと最後まで観ていった模様。だから途中でカーリー・レイ・ジェプセンの登場時にももクロがバックでダンサーみたいに踊った姿もちゃんと観られたんじゃなかろーか。いやあなかなかにキレのあるダンスを見せていたぞももクロたち。鍛えているんだなあしっかりと。カーリー・レイ・ジェプセンは1曲目で出てきたバックダンサーの1人が長身な上にパッツンパッツな衣装で遠目ながらも目に保養。近くば寄って目にも観たら鼻血が出たんじゃなかろーか。

 ほかにもVANPSってバンドが出てきてヘビーにメタルな感じでボーカルが美形でどことなくラルクアンシエルのHYDEに似ているなあと思ったらHYDEだった。こういうユニットもそうかやっていたのか。ラルクとは違ってとことんハードにメタルな感じにこだわったみたい。それでいてビジュアルはばっちりというどこを切っても売れっ子間違いないし。だから世界でも大受けしているんだろう。あと驚いたのがTLSの復活か。レフト・アイの事故死によって長く活動を停滞させて復活もあっても多くは語られていなかったのがここに来て本格的に活動を再開する模様。世界中のR&Bな女性たちを引きつけ多くの大人のミュージシャンたちも関心を抱いたユニットが、要の1人を欠いているとはいえしっかりと活動してくれるのは音楽の世界にとってとても良いこと。聴いていきたい。

 あと誰が唄ったっけ西野カナさんにBENIはやっぱり巧いなあ、かと加藤ミリヤさんと清水翔太さんのペアとか出てきてやっぱり良い歌声を聴かせてくれた。巧い人たちはこうやってしっかりいる。けどCDの売り上げとなると上の方をぐっと固められてしまうのは何か不思議というか妙というか。もちろんAKB一党の曲だって良いしだからこそ支持されているんだろうけれど、同じくらい凄いシンガーたちが同じくらい売れないってのはやっぱりどこか哀しいし寂しい。それとも聴かせる場をライブに移してそこで聴いてもらいなおかつ買って貰う方向へとシフトしているんだろうか。レコード店の店頭で演歌の人が唄いレコードを手売りしていたシステムのより大きくてそして洗練されたスタイル。それが今の音楽ビジネスの中核なのかなあ。装置産業であり流通インフラとしてのレコード会社としてはたまらないだろうけれど、それにこだわらずマネジメントとライブにシフトしたエイベックスとか好成績を出しているのを見るにつけ、やっぱり変化は起こっているのかも。乗れるか波に。

 それはきゃりーぱみゅぱみゅも同様か。CDは出してランキングも良いところにいくんだけれどやっぱり数では上にお化けがドカンドカン。そこに割って入ってミリオンを狙うっていう状況がなかなか考えにくい時に、出来るのは配信でありライブでの収益でありそこでの販売か。果たして9月から始まるツアーにどれくらいの集客があるか分からないけれど、そこで人を集めることによって認知も広がりCDも売れるようになれば良い回転をするんじゃないだろうか。まだデビューしてもうすぐ2年とかっていう人が、MTVのVMAJなんて場所で大トリをつとめて2曲唄い、また2つの賞を獲得していたりするくらいなんだから支持はある。実力もたっぷり。それをどうより広くしってもらえるか、ってところでああいったフェスみたいな場に出て自分のファン以外にも観て貰うってのが良いことなのかも。去年の夏フェスで観てライブに来るようになったって人もいるってミュージックマガジンのインタビューでも話してたし。「にんじゃりばんばん」の振りを教える場面でちょいアカペラを披露するのも声の良さと歌の巧さを知ってもらうのに絶好。あれは良いことだ。もっとやろう。そして聴いてもらおう、その声を、その歌を。


【6月21日】 そりゃそうだ、国塚だけじゃなくって猫殺し士は他にもいて当然で、それも国塚が第1号となった後に何人かが誕生してはチームを組んで超能力を操る猫を指すルナを相手に戦っていたんだってことが分かった泉和良「猫の彼女のESP2」(星海社FICTIONS)。どうやら4人組みたいで電力施設の側に陣取って狙撃のような攻撃で周囲を脅かしていたルナを相手に乗り込んでいったらそれが1匹ではなく2匹いて、隙を衝いた攻撃によって舞って猫殺し士が高圧電流に触れて全身を燃やされてしまって瀕死の状態になってしまう。

 そして国塚も撃たれやっぱり瀕死になった時に、4人の中にいた時を遡らせることができる能力を持ったルナを操る女性が選択を迫られ、その結果やっぱり仲間だった炎を操る力を持ったルナを使う男が暴れてチームは瓦解する。それから7年かそこいら。アサキの体をエグエリという史上最悪のルナにのっとられそしてアサキという猫も眠ったままの国塚は、沙良というまだ幼いながらいろいろあって猫殺し士になった少女と共に暮らすことになっていた。エグエリに操られていたとはいえ両親を手にかけてしまった憎しみと後悔を引きずったままの沙良は猫の能力も存分には引き出せない状況にあったけれど、そこに過去の亡霊のように国塚のかつての仲間で今は最愛の舞が死んでしまった責任が国塚とアサキにあると思い込んでいた男が、収容された施設を抜け出し国塚のところに迫ってくる。

 エグエリがどうやら手引きしたらしくその影もちらつきこちらには沙良の怒りが向かう状況の中、幾度かの戦いが繰り広げられてそしてひとつの離別が訪れそうな予感。決してハッピーに収めないその残酷さに好き嫌いはあるけれど、人の心がそう感嘆に癒しや赦しに向かうはずもない。人を呪わば穴2つ。そんな言葉も思い出させる展開の中で、やっぱり生き延びそしてアサキも帰ってきた国塚はいったどこへ向かうのか。エグエリと戦うのかそれとも。続きが待ち遠しいけどちゃんと出してくれるかな、ボカロ小説とか書いているみたいだけど和泉さん。でも筆は速いから遠からず出てくるだろうと思いたい。

 なんだ2クールだったのか「銀河機攻隊マジェスティックプリンス」は敵との激しい戦いとその後に明かとなったウルガルの目的、そんなウルガルから逃げてきた女性との邂逅なんかを経つつどこかインターミッション的にクギミヤ・ケイとイリエ・タマキの2人がMJPのPRにと引っ張り出されてあちらこちらで1日警察署長だとか1日消防署長だとかをやらされもう大変。水着にもさせられたりしてそれが面積が小さかったり水に濡れると溶けるものだったりといろいろあったようだけれど、そんな日程をどうにかこなしてぐったりとしつつモヤモヤも飛んでいった模様。これで苛立ちも消えたかな。しかし甘すぎるものばかり食べてどうして太らないんだろうクギミヤ・ケイ。とくに胸。タマキなんて塩辛とご飯であんなにぱんぱんなのに。ぱんぱん。

 そんな合間にアサギ・トシカズはピットクルーのアンナを連れてあっちこっちでお買い物。スガタ・アタルは宇宙空間でいったい何をしているのやら。だんだんとメンバーが増えていくし。男試し? でも子供からあの武器を誉められていてまんざらでもなかった。ミリオタはミリオタの心知るって奴か。そしてヒタチ・イズルは漫画を仕上げて読ませて微妙な反応に。どこかに投稿する訳にもいかないもんなあ、地球の英雄がトンデモな漫画を描いているってんじゃあ尊敬も支持も逃げちゃうから。アニメだと恒例な学園祭も温泉もなかったインターミッションだったけれど、これはこれで5人の特徴が見えて面白かった。ヒタチ・イズルの恋の進展がないのはちょっと残念かも。次回は総集編。そして7月から新たな章に。何が起こるんだろう。誰も死なないといいな。それが1番大事。

 検察は事件をでっちあげて無実の人に罪をきせようとしてそれを暴かれ上から下まで大騒ぎ。警察は事件の筋を間違え無関係な人を捕まえては何日も勾留してようやく無実をわかって解き放ってそしてその反省をしたかというとやっぱり似たようなことを繰り返していたりする。そんな状況を見聞きして誰もが本当に守ってくれるんだろうかと不安に思っているこの社会に、「警察出身者として言えば、これだけ関心が集まる中で無茶な捜査などできるわけがない」だなんて平沢勝栄さんが言ってどれだけの人がそうですねって信じることができるのか。現に繰り返されているじゃないか。だからいわゆる「児童ポルノ禁止法案」について国が進めようとしていることに、安易に賛成なんかできないんだ。それが通ったら必ず起こる、無茶が。そして間違いが。

 単純所持の禁止みたいなことがいったいなにをもたらすか。本件ではなく別件として利用されるような可能性。讒言なり謀略なんかによって陥れられる可能性。そんな恐怖を絶対に赦してはいけないにも関わらず、平沢さんは「捜査当局の行きすぎで市民の権利が損なわれる可能性はなきにしもあらずだが、そこは私たち国民がしっかりチェックすればいい。まず被害児童の救済を考えるべきだ」だなんて言ってのける。その暴走を止めることなんて本当に出来るのか。出来ないからこその繰り返しなんじゃないのか。メディアだって決して市民の見方じゃない。現行の法律だって推定無罪が原則なはずなのに、ただ摘発されたり逮捕されただけで犯人扱いして貶め叩いて社会的に抹殺してしまう。自制も歯止めも利かない状況で誰をも陥れられるような法律を野放しになんかできるか、ってのが多くの思いだろう。それをどう一般の意志として可視化し国政に届けるか。これからが正念場だ。そしてずっと正念場だ。

 木尾士目さんの「げんしけん二代目の伍」は遂に斑目が咲を相手に告白したかというとやっぱり昔の鼻毛が出ていたのどうだのって話に逃げて素直になれず。けどそこを見透かした咲によって丁寧にお断りがはいってすっかりと関係はクリーンになってちょっとほっとしたというか、そこにこだわって右往左往されていると見ていて苦しくなってしまうからこれで良かったというか。でも咲はともかく高坂は懐が広いよなあ、そんな斑目をも愛せてしまうんだから、ってそれはゲームの役の話か、久々に女装姿で登場しては周囲を引き込みハーレム状態。良かったねえ斑目。うち2人にはついていたけど。可愛いから良いのか。それにしてもスーの態度が気になる。何なんだろう波戸に嫉妬しているのかそれとも斑目と波戸の関係に萌え盛っているのか。次巻に興味、って連載読めよ。いやそれは。


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