縮刷版2013年2月中旬号


【2月20日】 実は行ったことがない神田は淡路町にある薮蕎麦は通りがかった道の奥に古めかしい建物が見えてどうにも近寄りがたく、それだったら通りに面してある神田まつやの庶民的な雰囲気の中でたぐった方がよっぽど気分もハッピーかもって思ってはいたものの、そんなまつやも大昔に1度入ったきりで2度目はないままひたすらに前を通り過ぎるだけの日々。そうこうしているうちに薮蕎麦が火事で燃えてしまってしばらくは営業も出来なさそうな雰囲気に、これはやっぱりもう1度くらいは江戸前のそばってやつをたぐりに神田まつやに行くなり、再会するだろう薮蕎麦に行くなりしなきゃあとも思えてきた。でもきっと行かないよなあ、高いし混んでるし。僕には小諸そばがちょうど良い。早いし安いし美味いし。

 「マンガ大賞2013」の投票締切も迫ってきたんで候補作をまとめ読み。松井優征さんの「暗殺教室」はなるほどそういう感じに学校内での最底辺におかれた生徒の前に熱血教師が現れる、って設定なんだけれどその先生が宇宙から来たとてつもないパワーを持った侵略者で月を三日月にしてしまい、今また自分を暗殺できなければ地球を粉々にすると行って生徒たちに自分への攻撃を向けさせる。それが本当に暗殺までの過程を楽しみたいだけなのか、最底辺いいる生徒たちに目標を持たせることによって知識と能力の向上を促しているのか、分からないけどそんな分からなさがかえってどちらに転ぶか分からない不気味さを出していて、熱血の向こう側にある闇ってやつを感じさせる。良い話に落とすかそれとも。けど最底辺のクラスなのに優秀なのもいれば美少女もいたりとちょっと不思議。試験でミスしただけで落とされる暮らすでもないのに。何やったんだろ。

 河原和音さん原作でアルコさん作画の「俺物語!!」はなるほど美男子ではないけれども頑健で実直で繊細さも豪快さも兼ねそなえた男子が普段は自分の容姿を気にしつつ、かといって美形の友人を僻むことなくその良さを讃え親友で居続けていたところに、好みの少女が現れけれどもやっぱり友人になびくんだろうなと思ったらさにあらず、自分に興味をもってくれてこれはいったいどういうことだと臆しつつ、実直さを捨てられずにプラトニックな恋愛がスタートするという展開。見た目はどうでも中身が良ければそれ良いんじゃね? っていう主張を一方にはらみつつ見た目がこれなのにってギャップも感じさせるあたりが実はなかなかの癖球。メーンとなる女子の読者はこれだけ思ってくれるなら良いかもと感じつつもそういう変化球を時には受けてもやっぱり本命は美形かも、でも思ってくれるならどっちでも良いかな的な全方位っぷりを見せて物語を受け止めるんだろう。男子は自分でもあるいはって期待を抱いて読むんだけど。現実は甘くないかもなあ。砂川の姉の落胆ぶりが健気で可愛かった。そっちで良いじゃんとすら思った。勿体ないから僕にくれ。

 岡本健太郎さんの「山賊ダイアリー リアル猟師奮闘記」はイブニングでの連載をずっと読んできたからだいたいの内容は覚えているけど、改めてまとめて読んでみるとこれで野鳥や野獣をどうやって食べるのかってテキストになっていてなかなか楽しめる。まずもって狩猟の免許もないから食べる機会もないんだろうけれど、何かあったときにどうやって生き延びるのか、なんてヒントにはなるかも。大昔にボーイスカウトの必読書として読まされた「冒険手帳」に通じる楽しさと深さがある漫画かも。卯月妙子さんの「人間仮免中」は苦しすぎるなあ、僕には。真造圭伍さんの「ぼくらのフンカ祭」は近所の火山が噴火して自宅から温泉も出て観光地化してしまった街に暮らす少年たちの喧噪の中に自分を捜そうと足掻く物語。流されないで生きるのって大変だけれど、そうしないと自分がいなくなっちゃうんだよなあ。でも温泉が出たのって悪いことじゃないんじゃね? とは思う、毎日温泉、入れるし。

 漫画ばかり読んでいると先生に怒られるから(どの先生だ)ライトノベルも読む。電撃小説大賞で大賞を取った茜屋まつりさんの「アリス・リローデッド ハロー、ミスター・マグナム」(電撃文庫)は銃が喋るって当たりで「エリア51」なんかをふと思ったけれどもたしかに持ち主に力を与える魔銃でもそれがメインではなくむしろ囚われた時の牢獄からどうやって抜け出すか、という一種のタイムパラドックスであり歴史改変に挑むSFアクションって感じになっていた。すげえ格好良かったはずのヒロインが過去に戻ったら真っ直ぐなアホでその手にとられた魔銃もやれやれって感じだったけれど、逆にそんな真っ直ぐさに出会ったことが敵の企みを打破して突き進む原動力になったとも言える。とはいえこれで変わったはずの歴史を修正しようとする神の手もいずれ入りそう。そんなところと戦っていく話になるのかどうなのか。滅びの未来は変えられるのか違うのか。そういう話になるって保証はないけれど、読んでみたいなあ、誰もが幸せになれる世界が来る物語を。


【2月19日】 不二子ちゃんがまだちゃんと不二子ちゃんだった頃、不二子ちゃんはやっぱり不二子ちゃんだった。分かるかな。分からんねえだろうなあ、イエイ。ってつまりは「THE UNLIMITED 兵部京介」で始まった過去編に登場した不二子ちゃんが、まだちゃんと子供で“ちゃん”を付けて読んでもピッタリな感じの容姿を持ってはいたんだけれどもその性格は強引で我が侭なお嬢さまとやっぱり不二子ちゃん。そのせいでいらぬトラブルが起こって兵部ら超能力戦隊だか何かはその実力を試す場へと挑まされることになる。でもやっぱりやりすぎだよ不二子ちゃん、レディーがハイキックの回し蹴りなんかしちゃうんだから。見えたらどーする。ってあの時代、いったい何が見えるんだろうか。

 まあそんな嫌がらせにもきっと勝って、超能力部隊は戦場へと歩を進めることになるんだけれど、人を超えるような強大な力は歓心も買えば反発も買うもので、終戦末期かその後のゴタゴタの中で裏切られたことによって兵部は暴走し仲間は全滅し、不二子ちゃんだけは何故か残ってその若さを維持し続けるという、それが「絶対可憐チルドレン」へと至る道。ただ兵部を筆頭に不二子ちゃんも含めてあれだけの強大な超能力の持ち主たちが、軍部にあっさりとやられてしまうものなのか。それは不意打ちとかがあったのか。次週明らかになるだろうその経緯、そこで見せられる超能力者たちの悲哀とノーマルたちの横暴を噛みしめながら、そんなノーマルたちのために働く今の薫たちチルドレンが果たして幸せなのかどうかを考えたい。

 すげえすげえ「ビブリア古書堂の事件手帖」の第4巻の初版部数が80万部だそうで上下巻で100万部という「涼宮ハルヒの驚愕」と比べて1冊で80万部は感じ的に過去最高。それを創刊からまだ3年とかってメディアワークス文庫が達成してしまったんだから他の老舗の文庫屋さん的にはいったい何が起こっているんだと訝り戸惑いを覚えたりしているんじゃなかろーか。なるほど現在フジテレビ系でドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖」が放送中で視聴率も11%台の半ばから上に踏みとどまって上昇する兆しすら見せるなど、好評を得ているからそれをバックに文庫もってことになっていても不思議はないけれど、だからといって人気ドラマの原作が10万部売れるかとうとそうでもないのが昨今の出版苦境。そこで80万部という数字を出してしまえるのはそれだけ作品自体の支持者が分厚く存在しているって現れでもある。

 だったらそもそもそんな分厚い支持者がどこから出てきたか、ってことになるとやっぱり積み上げてきた過去があってのこと、って感じになるんだろうなあ、それはメディアワークスが角川書店から分裂して立ち上がって創刊された電撃文庫が、先を行く角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫にはない独自性の高い世界観と独特の矜持を持った作品や作家を集め世に送り出して、じわじわと支持を集めてきたって流れがあって、そうやって育ってきたファンが大人になって次に読む物を探した時に、手に取れる小説としてちょぴり大人に向けたライトノベルを出そうとメディアワークス文庫を立ち上げたという歴史の積み重ね。決してポッと出てきてパッと売れた訳じゃない。だから凄い。そして素晴らしい。そうやって3年先を見越してあの次期にメディアワークス文庫を立ち上げたことが。それを潰さず作家を取り込み育て送り出して来たことが。

 ただやっぱり世間は世知辛くって売れたものは売れるけれどもそうでないものには目の届かない状況が依然として続いている、というかむしろ激しくなっている。ONE PIECE」はとてつもない部数が記録されるようになってから順調に部数を伸ばしているけれど、お話自体はマリンフォードでの決戦というクライマックスを経て魚人島での差別問題、パンクハザードでの科学問題といった社会的に深いネタを漫画にして、読んで意義深いものの圧倒的に面白いかというとそうではない所へと入り込んでしまっている。なのに部数が落ちないのはつまり流行っているものには手を出してみるけれど、それ以外には関心が向かないという一種の“お祭り”現象。乗れば自分は正しいを安心できる人ばかり、ってことなんだろうけれど本当はそうでないのは「週刊少年ジャンプ」に掲載の漫画群が持つパワーを見れば分かる。

 そしてメディアワークス文庫にだって面白い作品がいっぱいある。美奈川守の「特急便ガール」に「ドラフィル」にエドワード・スミスの「侵略教師人ユーマ」に野崎まどの一連の著作に入間人間の数多くの作品に、ほか挙げればきりがないくらいにSFもミステリもラブストーリーもファンタジーも時代も含めた多様な作品がそこにあって読みたい人たちを待ち受けている。そんな作品群を「ビブリア」に注目が集まったこの機会を使って世間に広くプロモートできるのか、読者の選択肢に忍び込ませていけるのか。○○屋が舞台となった日常ミステリばかりが雨後の竹の子のようにわんさか続いて横に広がる楽しさも悪くはないけど、もっと他のジャンル的広がり、ドラマ的多様性を楽しんで欲しいなあ。そのための言葉と力が欲しいけど、どうしようもないんだ僕には、ウインドウサイドのヴァーミリオンだから。

 明日が発売日の細田守監督作品「おおかみこどもの雨と雪」のブルーレイディスクを買って開いたらフィルムしおりがはいっていてジジイが映っていた。ラッキー。そりゃ雪ちゃんとかの方が可愛いけれどものあの話の中で最重要人物は途中で死んでしまう父親でもなければ途中で山に入ってしまう雨でもなく、もちろん花でも雪でもなくって彼女たち1家をちゃんと山で暮らせるように導いた韮崎の爺さん。その頑固だけれど腰が入ってしっかりとした導きがあって花は山で作物を育てる大変さを学び、それでもちゃんと育てきる知識を学んでどうにかこうにか生きて行けるだけの場所を得た。もしもただ優しいだけの周囲だったらいずれ息詰まっていただろう。もしもアニメのキャラに賞が出るなら最優秀助演男優賞だって取ったって不思議はない。そんな韮崎のおじいちゃんを演じるのはやっぱり山で農業をしている菅原文太さん。その日々が重なって産まれたキャラだけに見ているとぐいっと力がわいてくる。大切にしよう。

 前回のかまたゆたかさんは行けなかったけれどその前の近藤光さんの時は行った東京藝大での現代プロデュース論の3回目にボンズの南雅彦社長が登場するってんで見物に行く。まあだいたいの話。質疑応答では業界に関心のある経済学部の学生さんが質問していたんだけれど、やっぱりというか今時の耳年増社会というか、アニメ会社は大資本に搾取されていて大変だという構造をがっちり耳に食い込ませているんだなあ。確かにそうだけれどでも、広告代理店もテレビ局も映画会社もそれぞれに積み重ねてきた歴史の中で、それぞれに持つ強い機能があってそれが利益につながっているだけなんだよ。一部にそうした昨日の衰えを自覚せず、あぐらをかいて”搾取”している動きもあったりするんだろうけれど、だいたいにおいて適正なビジネスの上で回ってる。

 そしてアニメ会社はそうした構造をさらに自分たちに利益となるようにと原作権を持ち企画を自分たちで立てるなどして手駒を増やし取り分を増やしている。メディアの構造が替わりつつある今はさらに権益を広げるチャンス。そういう理解の上でかかり提案してくことの方が旧態依然とした構造を持ち出し搾取されていますねえと同情めいた目線で近づくより、相手にとっても有意義なんじゃないのかなあ。上っ面だけじゃなく、何がどうしてそうなって、それがこれからどうなるのか、考えて臨もうアニメ業界研究&就職活動。


【2月18日】 「アルガルベ?」「そうだべさ」。って会話は別に繰り広げられない女子サッカーのアルガルベカップに出場するサッカー女子日本代表ことなでしこジャパンのメンバーが発表になっていて、我らがジェフレディースからあの187センチと巨大な背丈の山根恵里奈選手が選ばれて、3人のゴールキーパーのうちの1人として海掘あゆみ選手や伊賀の久野吹雪選手とともに正ゴールキーパーの座を争うことになる模様。まあ試合の格として優勝を義務づけられているものでもなく、調整に近いスタンスでどこも臨むみたいだろうからそんな中で相手によっては山根選手がその巨大さを見せつけることもあったりすると嬉しいかも。

 早くからその才能と体格に注目はされて、世代別の代表の遠征にも呼ばれて行ったことがあったけれど、所属していたチームが例の原発事故で活動停止となって動けなず移籍を余儀なくされ、その上にずっと怪我続きで出られなかったからなあ、チームでは正ゴールキーパーの船田麻衣選手の調子がずっと良かったし。でも今回はその若さと高さに佐々木監督が賭けてくれたってことか。チャンスは生かして是非に上に定着して欲しいもの。いざとなったらフォワードでパワープレイ要員にもなるだろうし。なるのかな? あとジェフレディースからはフォワードの小川志保選手も選ばれていてINACレオネッサから移籍して1年を頑張り年末の皇后杯での準優勝を成し遂げた原動力となったその力が、ようやくにして認められたって感じ。

 もしも今もINACにいたらどうだったか、ってのは見えないけれども田中陽子選手とか、残った人が選ばれていても試合経験では小川選手の方に一日の長がある。大儀見優季選手に大滝麻未選手に京川舞選手といった代表経験も豊富なメンバーもいるだけに、割ってはいるのは難しいかもしれないけれどそこを若さと突破力で突き抜けていって欲しいもの。さらにジェフ千葉からもう1人、こちらはアルビレックス新潟レディースから着た川村優理選手もいきなりの選出でチームへの合流が心配だけれどもこれはこれで嬉しい話。活躍すればそれだけチームにも注目が集まるだろうし、今年から全試合が有料化にもなっただけにそこはそれ、割り切って活躍して欲しいなあ。

 もうだからとりあえず回をどうやって埋めるか展開に入っている「イクシオンサーガDT」は、姫が結婚するための試練の1つとして2階から目薬を紺にさしてどうにかひとつクリアして、残りもわずかになって暇ができたとおろでイライラも募ったのか姫の頭にアホ毛が1本。それが3本立つと世界がどうとかなるって設定もそういえばあったなあ、と思い出させる展開をちゃんと持ってきて釘を差す。使い捨てにしない。その辺はしたたか。でもって姫のイライラを抑えようと入ったカラオケで今度は姫の退屈なあまりの攻めが出てマリアンデールもセングレンもそれぞれに自分をさらけ出すような歌を唄って姫の退屈を紛らわせようとする。

 紺はといえば現地の言葉が読めないからと免除されてラッキー。かわりに小動物が80点に満たなければシチューの具だと言われびくびくの中を唄って届かずごまかしどうにかこうにか場を凌ぐ。そして始まる姫の歌。あれはノイズかそれともメタルか。聞いてる方も大変だおろうけど案外に悪くなかったかも、音程が外れたからと4昼夜にわたって歌い続けることはなかったし。隣ではEDエレクが唄いたいけど唄えない苦しみに。そして次回はいよいよ結婚式? いったい何が起こるのか。何も起こらないのか。見極めよう最後まで。

 劇場版「とある魔術の禁書目録 エンデュミオンの奇蹟」の試写を見て、出ているキャラクターの誰が誰やら分からないって事態にならないように、始めてこの作品に触れる人、見る人はちゃんと文庫本の原作を読んでおくことと言っておく。面倒なら読んだ人にあれは誰でいったい何か聞くこと。僕でも良いぞ。とりあえず全巻を平均で6回は読み返しているから。8回だっけ。まあそれでも分からないことだけれど。いろいろと知って見ればすっげえ楽しめること請け負い。ただそうでなくてもしっかり楽しめる映画になっているから気にしないで見に行くこと。行けばひとつの奇蹟をめぐって起こる魔術と科学の綱引きの狭間に揺れつつ、己を貫く少女の強さに魅了される物語だから。

 映像的には魔術と科学との間に迫力たっぷりの戦闘があってとってもクールでスピーディー。そしてとてつもない規模での仕掛けあってと設定的にも楽しめる。ラストとかちょっと複雑だけれど何度か見れば見えてくるものがありそう。だから通おう。キャラもふんだん。僕はローラ・スチュアートの胸が良かった。これで吹寄制理がもっといっぱい出てくれていたらさらに良かったのだけれど。まあ仕方がない。胸よりは尻がいっぱいなのでそっち方面からのアプローチも存分に可能だと。いずれにしても劇場版「とある魔術の禁書目録 エンデュミオンの奇蹟」はシリーズの独立した劇場版として絶妙のバランスをそこに作り出して存立する奇蹟の1本。作り手に喝采。早くからスクウェア・エニックスで漫画を連載してアニメ化にも出資して作品を支えただろう倉重宣之さんにも感謝。心より感謝。

 相沢薫、って聞くと思い出すのはアナウンサーではなく松沼薫が相沢耕平と結婚した後の名前であってそれはショートカットに眼鏡をかけたスレンダーながらもグラマラスな美女といった風体が浮かぶけれども、一田和樹さんの「サイバークライム 悪意のファネル」(原書房)を読んだあとだとそれはどこか神秘的な佇まいを持った長身でスレンダーな美人といったことになりそう。それだけの存在感を放って物語の中心に座り、死んでしまった友人がどうやら殺人を買うサイトから罪を買って罰を受けて死刑になったんじゃないかと推測して調査に乗りだしてはネットで脅され、そしてシリーズに共通の主人公、君島悟と出会って事件を解決していい仲になるという。羨ましいなあ君島悟。本当に? 読み終えても本当だと思わせる、それくらいに魅力的な美人。もう出てこないのかな。それとも出てきてたっけ。

 出てきたといえばぶっきらぼうで直裁的な和田だけれどこの頃はまだアルバイトでシステム会社に来ているだけのペーペー。でも君島相手に臆さずセクハラ野郎だの何だのと淡々と罵りつついきなり金髪にしてみたりして驚かせつつ当人はいたって平然という、相変わらずの和田ぶりって奴をみせてくれる。何だ和田ぶりって。それはそれとして物語は一方で死を作りだしその死を買うことが出来る仕組みがあってそれをめぐる丁々発止があり、結構ヤバいところまで踏み込んでいっては国という仕組みの得体の知れなさって奴を感じさせる。一方では会社の金を使い込んではバレないように見せかけるテクニックって奴も開陳されているんだけれど、その中心にいる女性がどうにも独善過ぎて凄まじい。才能の無さを認めず自己正当化にのみ突っ走っては周囲をねじ伏せるその性格。でもちゃんと居場所を得ている不思議。そういう人って、いるよねえって思わせるのかそれとも流石にいないのか。読んで感じよう、ああこれはあの人だとか、あるいは自分だとかと。


【2月17日】 サッカーだサッカーだサッカーのシーズンがいよいよ迫って伝統ある一戦にして世界三大カップのひとつ、「ちばぎんカップ」が開かれるってんで柏へ。東武野田線は船橋あたりはまだジェフユナイテッド市原・千葉のテリトリーっぽさもあって役にジェフのタオルマフラーを巻いた人もみかけるけれども、これが鎌ヶ谷を過ぎた辺りになるともはや柏レイソルの領土。おいそれとは足を踏み入れられない剣呑さもあるんだけれどもそこは年に1度のお祭りにして2年に1度の柏での開催。鷹揚に迎え入れてくれるとは思ったものの、本当だったらJ2に柏レイソルがいれば一緒のリーグで年に1度は詣でることになるんだけれど、さっさとJ1に上がりやがってもうしばらく行ってなかったりするので、ちょっと雰囲気が掴めない。降りた瞬間に囲まれたらどうしようかなんて心配も浮かぶけれどもそこはまあ、杞憂であった柏は普通に柏だった。

 検問もなく税関もなく普通に通った改札を出てまずはとりあえず「かつや」にてカツ丼の梅を1ちょう。もちろん「勝つ」にかけてのゲン担ぎだけれどそれで勝てるんだったら去年のJ2プレーオフで大分トリニータにだって勝っているからあんまり信用はしない。とはいえ六本木の「かつや」が消滅してしまって秋葉原のガード下はいつも混んでいて渋谷の道玄坂はあんまり行かなくなっているのでこういう時くらいにしか寄れないんだよ「かつや」。昔はメンチカツばかりだったけれど最近、ちょっとサイズが小さくなったような気も。気のせいかなあ。並びに近い「リンガーハット」は他の店とも同様にリニューアルされててオシャレな雰囲気。銀座なんてあの狭かった場所から出て一等地に広い敷地で営業していて女性とか入っているからなあ。そういう食事になって来たのか長崎ちゃんぽん。ヘルシーで美味しい、だし。

 そして遠い遠い斜めの道を歩いて歩き通して交差点を曲がり辿り着いた日立柏サッカー場はホームとアウェイが入れ替わっていた。前はビジター側だったゴール裏の席をおおきく拡張して上まで伸ばして広くして、もう2012年のシーズンからそっちをホームに替えたらしいけれども柏レイソル、J2にいないんでジェフ千葉との試合を見に行く機会もなく気がつかなかった。おかげでビジター席のジェフ千葉はいつも歩かない道路沿いを通っていつもは柏レイソルのサポーターがいっぱいいた側へ。見るとなるほど後ろに住宅とかあってこっちを巨大にするわけにはいかなかった模様。でも長くそれこそ20年とかそっちに溜まって応援していた柏レイソルのサポーターの人にとって“爆心地”にして“聖地”が他のチームに埋め尽くされるのってどうなんだろうなあ、気にしないのかなあ、メンバーも入れ替わっている感じだし。

 そんなこんなで始まった試合をきゃりーぱみゅぱみゅでも聞きながら眺めていたらジェフ千葉の調子がすこぶる良かったんでこれからは見に行った試合のBGMはきゃりーぱみゅぱみゅにしよう。大昔はMay’nばかり聞いていてその間は得点を奪われることがなかったけれど、その御利益も落ちて負けてJ2から這い上がれないんで切り替えも必要ってことで。しかし1点また1点と積み重ねていくジェフ千葉、どうしてこんなに強いんだ。というかサイドからクロスが上がってそれとトップが決めるなんっていつ依頼だ、チェ・ヨンス選手がいた時とかそういう場面もあったし巻誠一郎選手がいた時も見かけたけれどもそれもマリオ・ハース選手とか水野晃樹選手とか山岸智選手が抜けたあとはとんと見ず。でもオーロイ選手が入ってそういう場面も復活かなあ、と期待したらどちらかといえば背後からのボールを当てて落として誰かに打たせるポスト役が中心で、自ら飛び込むことはなかっただけにこの光景、そしてサッカーらしい光景は久々に目にする感じ。

 それは新加入のブラジルから来たジャイール選手がサイドで起点を作ってくれることとあと、韓国の若い2人が1人はサイドから駆け上がったりもう1人が前戦で体を張ったりしてボールを奪われずキープしている間にトップがゴール前へと入り込むチャンスをちゃんと構築できているからで、前みたく前戦が孤立して攻撃が散発で終わることはなく大勢がいてボールの受け渡しをトライして奪われてもそこはカバーがチェックにいって持ち上がられても急いで戻って守備に入る連動が、目に見えて出来ていてこれならポカやって得点を奪われることも減るんじゃないかって期待を抱く。そういう負け方が多くて上がれなかったからなあ、この3年間。

 そんな守備の意識は最終ラインにも出来ていて、1発グッピー岡本選手が前に出たところを放り込まれたシュートをあれは竹内彬選手だったかな、残っていたディフェンダーが頭で押し出し失点を防いでた。これが大きかったかなあ、決まっていたら同点だったものなあ。その後もコーナーキックからショートで守りを外したところから入れたクロスを誰かが蹴り込み2手目を奪い3点目もゴールに迫った位置からのクロスを誰かが入れて相手を大きく突き放す。柏レイソルも選手を入れ替え迫るもののジェフ千葉の最終ラインは崩せず無得点のまま3対0というジェフ千葉にとっては快勝で、柏レイソルにとってはちょっと拙い立ち上がりのシーズンになった様子。とはいえまだまだプレシーズン、来週にサンフレッチェ広島とのゼロックス杯も控えて調整のところもあっただろうから本気出していけば或いは。そこは始まってみないと分からない。まあとりあえず柏レイソルは良いとしてジェフ千葉がこの好調をずっと維持できるかだけど、ちばぎんカップで勝つとシーズン調子が悪いのもジンクスだからなあ、さてどうなる。

 言いたいことを言うために気持ちを集中させた結果、ボロが出てそれを散々ぱら突っ込まれて面目丸つぶれってのは今に始まったことではないんだけれどもしかし、重なるとやっぱり知性の水準も疑われてしまうのが残念というか、他人ごとでないというか。とある新聞の伝統ある1面コラムで「一昨日、隕石(いんせき)が落下したロシア・チェリャビンスクの人々は『杞憂』に終わるものは何もないとの思いがしたことだろう」という感じに、例のロシアでの隕石落下について語られていて、天文学的な確率でしか起こり得ない隕石落下を「杞憂」と退けることには注意が必要、直接隕石に当たりはしなくても、昔と違って人も増えてて衝撃はなんかで被害が起こり得る範囲も広まって、一種の“人災”も起こり得るんだからといったことを連ねている。

 そして、「いやロシアのことばかり言ってはおれない。日本では想像を絶する大津波が東北に甚大な被害をもたらした」と書いて、1000年に1度でも起こり得る天災への注意を喚起している、ように見える。ところが、そんな確率は低くても起こり得る災害に備え「杞憂」を「杞憂」と嘲るな、って言いたいように見えたコラムの末尾は、まるで確率とは無関係な「中国では近代化による大気汚染が国民を苦しめている。何をもって『杞憂』といえるのか判然としなくなってきたっ」って言葉。そもそも大気汚染は企業や人間の活動から必然として産まれてくるもので、それは「杞憂」と退けることなんて不可能なくらいに必然であり当然の帰結。だから誰も「杞憂」だとは思ってなかったけれど、経済発展を急ぐ余りに対策がおろそかになって後手に回って起こっってしまった。

 それは過去、日本でだって存在していた状況で、れを経済発展の後の余裕で埋め合わせして取り繕ってどうにか綺麗な空を取り戻しただけなのに、何を偉そうに説教垂れてるんだというのがこのコラムから受ける微妙さの1つ。ようは何かにかこつけて中国を論いたかっただけなんだろう、というのが見え見えなんだけれど、そういうコラムに「杞憂」なんて言葉を持ち出したものだから、さらに追い打ちがかかってしまう。だってこの新聞、原発を推進しているんだよ。福島の一件があっても、今後の安全性は人間の叡智によって確保できるし、例え下に確保活断層が見つかったって、それは本当に活断層なのか地震でズレるとか”杞憂”じゃないのかなんて論陣を張って原発が事故を起こす確率は天文学的なものだとか仄めかしていたんだよ。なのに、より確率として低い隕石落下には“人災”の可能性をを唱え「杞憂」に終わるとは限らないと訴えるこの矛盾。考えればとても言い出せないことを、それでも気にせずぶちまけて後は野となれでは他が困ってしまうんだけれど、そこで一貫性をもった言説を唱えられていたら、今みたいな状況に陥ることもなかった訳で。出るべくして出た言説でなるべくしてなる。これは「杞憂」ならぬ必然。その先は。考えたくないなあ。

 おお「情熱大陸」にきゃりーぱみゅぱみゅが登場だ。フランスでのテレビ出演とかネットを通じて映像が入ってきているけれど、ライブの様子がくっきりとらえられた映像を見たのはこれが始めてで、パリとか最前列にタオルマフラーとか撒いてルミカライトを手に持った人がいてやっぱり日本からかけつけたファンかと思ったらフランスの野郎どもだった。それが日本語の歌詞を歌い叫んで踊ってる。女の子たちもいっぱいで歌に合わせ歌い踊って楽しんでいる。本当にほんとうに受け入れられているんだなあ。キャパこそ1000人ちょっとと日本のホールにくらべて小さいけれどもそれだけを、ベルギーとロンドも加えた3ヶ所で集めてしまえるこの認知度はやっぱり凄い。日本でだって正統と異端の狭間を駆け抜ける感じで話題先行なところがまだあるけれど、向こうはそうしたロジックを無視して見た目と感触で良いものは良いと受け止める。その結果があの人数だとしたらきゃりーぱみゅぱみゅ、通用しているしこれからさらにデカくなっていくかも。見たいなあ、パリの1万人が「PONPONPON」で踊る様を。見られるかもしれないなあ、遠からず。


【2月16日】 ようやく愛華の彼氏が滝川吉野だと気付いたのにまだ信じられない不破真広のシスコンっぷりが見ていて痛々しくも愉快ではあったけれどもそんな告白を葉風にしながら最初は淡々として実状を語っていた吉野が、葉風に問いつめられるうちにだんだんと行き場を失っていた悲しみを思い出しそれをそらすことなく自分自身の名かで噛みしめ感情へと接続させて泣き叫んだところが実に転換点だった「絶園のテンペスト」。これで果たして誰がいったい愛華を殺したのか分からなくなってしまいそうなところこを葉風は自分が積極的にはじまりの樹へと挑むことによってはじまりの樹と自身との関係を問い直し、そして何がいったい起こっているのかを確かめようとする展開となってさあこれから何が分かってくるのか。楽しみだけれどそれで今のギャグっぽい展開が消えてしまうのはつまらないからコメディリリーフたるエヴァンジェリン山本には頑張っていただきたいところ。単なる谷間要員ではないのだ。

 こっちは絶対に谷間要員では終わりそうにない、芝村裕吏さんによる「マージナル・オペレーション03」(星海社FICTIONS)に初登場の李世蘭さんはタイを根城にいろいろやってる華僑の美女だけれども日本のイトウさんだかと知り合いらしいので結構立場にもいろいろあるっぽい。そんな彼女がタイでもって日本を叩き出されたアラタに依頼したのが子供たちを傭兵に仕立てて送り込む輩の排除で、そんな子供たちをタジキスタンあたりから大勢引き連れ傭兵として使い人殺しだってさせるアラタのことを心理的に気に入らない李さんはチャイナドレスで現れ大きく開いた胸元から谷間を見せつけつつアラタをひっぱたく。

 一方でそうした感情を抑えつつ、アラタの言動に子供たちの居場所を、より安全な居場所を探ろうとする意志を感じ取っている李は、子供たちを道具としてしか見ないような活動を唾棄し、アラタたちはスラム街の子どもたちの更正と援助を目的に活動しているNPOに協力して状況を打開するよう依頼する。そして起こった戦いは、アラタの“子供使い”としての活動のどこかに勝手に弱さを見た相手の不手際もあって勝利するけれどもそんな相手を見下し油断したことと、そして相手の頭がイカレ過ぎていてビジネスの相手として通じなかったことが災いして、ここまで無事についてきてくれた仲間に始めて害が及ぶ。それはとても悲しいことで、けれどもいつか起こり得ることでそこから浮かぶ複雑な感情にアラタはしばらく立ちすくみ、考え込んでけれどもやっぱり自分に出来る最大限のことをやろうと立ち上がる。

 起こってしまった不幸はだから飲み込んで、忘れないで心にとめて、そして次へと向かい最善を求めるアラタのあの強さは、いったいどこから産まれたんだろうか。もともとの性格なんだろうか。だったらアラタは壊れているんだろうか。合理的なだけなんだろうか。敵となった人物のイカレてはいても実に人間らしい感情の発露に、そんなことを思ったりもしたけれどもそれも過去、アラタはより苛烈な戦場へと、本当の戦場へと足を踏み入れ大勢の部下たちを指揮して戦うことになる。勝てるのか。相手はチンピラではなく、より優れた同業者かもしれない中でアラタの戦いはどうなるのか。続く2冊が描くだろう狂騒のドラマの果てにアラタたちがつかむ物は。ページを開くのが恐ろしく、読んでいくのが辛い物語にならないで欲しいけれど、たとえなっても読み切るしかない、その戦いの意味を知るために、自らの戦いを勝つために。

 しかしもてるなあ、アラタは。ジブリールに右手をとられソフィに左手をとられてジブリールは足りてないけどソフィにはそのふくらみに腕をおしつけられて、左右から引っ張り回されさあ大変。日本のイトウさんもそれなりに気がありそうだしタイでも李世蘭のあの態度の裏にはきっと何かあるに違いないと、少女の勘でジブリールが拗ねてアラタを心配させて、いっしょに朝食を摂らせたことが結果としてジブリールを救ったかもしれないとなると、アラタのまき散らすフェロモンも存外無駄ではないのかも。とはいえリーダーで戦闘指揮の才能に恵まれたアラタがモテるのは分かるとして、まだ心配の勇者なくせにベル君がモテるのだけは分からないなあ、大森藤ノさんの「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか2」(GA文庫)。神様1人信者1人のファミリアにあってその神様がベル君を快く思っているのは当然だけれど、ダンジョンの入り口で世話をするギルドのエイナもベルのことが心配そうだし、立ち寄った食堂の少女もやっぱり彼に気があって、その周囲も彼女の思いを応援している。

 それなら日常の延長で恋めいた感情が芽ばえても不思議じゃないけれども分からないのは愛の女神のフレイヤで、どこかで見かけたベル君の色に興味を覚えてちょっかいを出し続け、最新刊では魔法の力まで与えてしまうというからもう大盤振る舞い。それで成長を促していったい何を求めているのか、より大きな成果を上げて世界をおおきく揺るがすような活躍をすると思っているんだろうか。まあ彼女の場合は女神だから見通す眼があるのかもしれな。分からないのは剣姫とまで呼ばれる凄腕の剣士でおまけに類い希なる美貌の持ち主、アイズ・ヴァレンシュタインまでもがベル君にどこか気があるようす。自分たちのパーティが逃がしたミノタウロスに襲われていたベル君を助けたくらいの接点はなく、それは弱者への気兼ねであっても恋に陥る状況じゃないのにいったい何があったのか。それほどまでに人を引きつける要素があるのか。分からないけれども興味深いその成長ぶり。先に待つのはどんな試練だ。しかし神様、まるで影が薄すぎるなあ、最初に見出したのは彼女なのに、可愛そうだなあ。

 こっちもいいろいろ大変そうなのは藍染猫太郎さんの電撃大賞銀賞受賞作「塔京ソウルウィザーズ」(電撃文庫)に出てくる黒乃一将という少年。一種の魔法使いたちが学び集い活動する塔京にあって「自由騎士」として様々な依頼を受けては解決して金をもらう生活を続けている一将には、動物の例を使役する能力があって「ペットセメタリー」という名でも呼ばれたりするんだけれどそんな彼が同級生経由で頼まれた仕事をしたのが運の尽き。死んだ愛猫の魂と融合したいという真央という少女の願いを聞きいれようとしたら、その魂にウイルスが仕込んであって人間の少女と愛猫の魂が融合した存在となった真央は一将の使い魔となってしまった。自分の未熟を悔いても遅くかといって彼女を放り出すことも出来ずに一将は彼女を一種のメイドとして同居するようになる。

 これにイラっと来たのが従前から使えているブリュウンヒルデという狼犬の使い魔。とはいっておパーソナリティは少女っぽくあって作られた存在であるにも関わらず一将に感情を抱くようになってとんでもない行動に出る。それは一将が前の仕事で乗り込んだマフィアの屋敷で見つけて持ち帰った美少女のボディをもったホムンクルスとの融合で、永遠の生命と引き替えに彼女の中に入って人体をもったブリュウンヒルデは一将を守る立場を真央に譲ろうとせず、むしろ持ち前の戦闘力の高さをもって真央を排除しようとして一将からたしなめられ叩かれ泣いてどこかへ行ってしまう。なるほどとっても人間的。というより元が動物の使い魔で一種人工の知性がどうして人間を超えて主人の命令にも逆らう存在になったのか。そういう不思議もこれありだけれどともあれ真央に好かれヒルデに好かれ同級生の少女からも関心をもたれる一将はやっぱりモテ過ぎ。ソウルという題材を食らい使って人が生きる塔京とう設定も楽しいけれどそれ以上に人とそうでない存在の境目を感じさせ、超えさせてくれそうな物語。どういう方向に転んでいくのか。続きを待ちたい。


【2月15日】 エコノミーだったかはともかく山中伸弥教授がスウェーデンのストックホルムでノーベル賞の授賞式に招かれ泊まったホテルは既に最高級の「グランド・ホテル」だと分かっているのに、未だ1万2000円の宿でそれも自腹だったという話を否定せず、言いたいことはそうじゃないんだと頑張り元の情報を消さないでいる頑固ちゃんのお陰で、ありもしないデマが未だにジグジグと広まっては信じる人が多数出て、もはや誹謗中傷の類へと陥りかけているのは何というか、人間の情報に対するリテラシーの皆無さって奴を間近に見るようで頭が痛い。これで本当に火星人が攻めてきたとか言われたら信じる人とか山ほど出て世界はパニックに陥るんじゃなかろうか、隕石だって降ってくる世の中、何が本当で本当じゃないか分からなくなっているし。

 まあ、火星人は「嘘でしょ」ってなるけど山中教授の件に関しては便乗して楽したがる官憲がいるっぽい、それはとってもケシカランといういかにもありそうな話でもってそれを信じたい人の気持ちを誘っているところがひとつのポイント。だから信じて拡散する人も大勢出ると。これにならえば今だとさしづめ中国韓国北朝鮮に関していろいろと文句を言うようなデマなんか本当に信じられて拡散されそう。狭い範囲で本気に信じていたりする人も多々いてデモなんかかけているだけに、もうちょっと妄想のレベルを下げてありがちな、それこそ特権とかいった面で非難を誘い誘導するようなデマがあったら、信じて盛り上がりそっちに靡く人とかいっぱい現れそうでどうにも気分が重たい。嘘を嘘だと色分けして表示する機能とか出来ないものかなあ、ツイッターに。ああそれだと冗談もパロディも流通しなくなるから問題か。難しい。リテラシーを鍛えろとしか言えないなあ。

 しかし隕石、落ちてくるんだ、それでけが人が出るんだ、まさしく「隕石に当たるような確率」で起こった事故。何百人単位でけが人が出ているってことはあるいは確率も下がっていたりするんだろうか、10億人に1人だったら60億人の人口で6人しか当たらない訳だし。まあけが人は衝撃波とかで割れたガラスとかで怪我したんだろうから隕石に直接当たったわけじゃないから確率にそれほど変動はないってことで。つまりは隕石に当たる確率はともかく落ちてきた隕石によって起こる被害でもって食らう損害の確率は割と高いってことで。恐竜なんか100%近い損害だった訳だしなあ。さてそういえば地球に近づいてきている小惑星だか隕石もあるそうで、それは本当に落ちてこないのかそれとも欠片になって落ちてきているのか。今回のロシアのもそうした欠片の先触れなんじゃないか。信じたくないけど信じられそうな話。どうなるかなあ。明日地球はあるかなあ。

抱きしめられたいそのパワーで  すっかり忘れていたけれども2年前に開かれようとして東日本大震災の影響もあってその後の状況が分からなかったけれどもとりあえず開催はされて優勝者も決まった、バンプレストによる「ドラゴンボール」関連のフィギュアをプロの原型師たちが作って競い合う「造形天下一武道会」の話を聞いて「それなら人造人間18号を作った人を勝ちとしたい」といったことを呟いていたらしい自分。とはいえ残念にもその回ではピッコロが優勝してあとは悟空が2位3位とマッスルマッチョなキャラばかりが残って美少女キャラ好きにはいささか残念な結果に終わったみたいだったけれども時を経て、3回目を迎えた「造形天下一武道会3」でもって待望の「人造人間18号」が登場。それも寒河江弘さんという特撮キャラとか実在の人物とかフィギュアにすることに長けた原型師さんによって作られていて今日から始まったアミューズメント関連のイベントにいずれ発売されるプライズとして登場したそれは、見るからに骨の入った強靱そうで、それでいてしっかりと鳥山明さんが描く漫画のキャラにもなっている人造人間18号だった。

 なるほど華やかさ派手さでは去年の「造形天下一武道会2」で優勝した、くしゃみをしてワイルドになったランチさんとはテイストがちょっと違っているけれど、寒河江さんが手がけた、インタビューを聞くとそれはドクター・ゲロの研究室を自ら破壊したガレキの上に座り込んだ人造人間18号は、端へと向けた視線のその凶悪そうで強靱そうな雰囲気が無敵っぽさを存分に醸し出し、下へと向けて指をくいっと曲げた左手はもしちょっかいを出そうものならその手で、あるいは指先でつかんで捻り潰してやるよといった力強さをそこに讃えている。下手に近寄ろうものなら喉笛を捕まれ潰されそう。でもそれがあの人造人間18号ならちょっと嬉しいかな、圧倒的な存在が圧倒的な美少女ならもう人間、何だって許せてしまうのだ。クリリンだってきっとそれで惚れたんだ。人造人間18号がクリリンに惚れたのは何でだろ? それだけは解せない。四半世紀経っても。

 そして何よりその膝の造形が素晴らしい。しっかりと膝蓋骨が入っている。漫画じゃあどこまで行っても平面でしかなキャラを立体にした時、その雰囲気をそのまま作っても形にはなるけれど、リアルさからはちょっと離れる。寒河江さんの人造人間18号は顔立ちこそ漫画だけれどその指先とか、膝の形とかからボディにちゃんと骨格があり、そして筋肉がついて人物になっているんだと感じさせてくれる。そんなボディをつつむデニムはどこまでもデニムらしく、ブーツは果てしなく革っぽい。どうやったらそんな質感に出来るんだろう。リアル系フィギュアで鍛えた腕前、って奴なんだろうなあ。そんな寒河江さんは既に1回戦で牛魔王の娘のチチを退け決勝の3組へと駒を進めている模様。牛魔王は逆に漫画の漫画らしさをそのまま立体にした作品でガチャポンのビヨネットになればとても人気が出そう。こういうアプローチも悪くないけどでも僕は人造人間18号が大好きだからこちらの勝利は嬉しい限り。決勝は亀仙人が強敵そうだけれども勝って欲しいな人造人間18号。まあ大丈夫だろう、ドクター・ゲロの作った人造人間で唯一生き残って子まで成した偉大なキャラクターだから。

 これは駄目だ。絶対に駄目だ。とある新聞に寄せられたとあるコラムが例の猫カフェで猫とたわむれていた人を取り上げて、モテなさそうだと書いてあってそれた例えとある事件の容疑者として逮捕されてはいても、未だ起訴されていない段階では容疑者に過ぎずプライバシーは存分に保護されてしかるべきであるにも関わらず、その印象から勝手に妄想をふくらませて作ったパーソナリティをあげつらい、嘲笑の対象にしている。これだけでも非難されてしかるべきで、たとえ容疑者が被告となり最高裁まで行って有罪が確定したところで、モテるか否かはまったく無関係な話として、個人を誹謗中傷した言説として訴えられたら負けるだろう。とはいえそれは個人のレベル、問題はそうした誹謗中傷の可能性がある文章を、新聞として掲載してしまったことでそれは編集権の及ぶ範囲でそうした言説を“公認”したことの現れであって、共に訴えられたらやはり共犯として敗れることになりそう。だから載せるべきではなかったし、載せるなら配慮が必要だった。「個人の感想です」とかって。それはないない。広告じゃないんだから載せた時点でその題字の下に責任は委譲される。罪に問われ罰を受ける権利ともども。

 問題はそれだけじゃない。というよりそれくらいならまだ過去に似た例があって謝って和解で許してもらえることもある。本当に拙いのは、そして愚劣極まりないのはそうしたコラムに当の未だ容疑者でしかない人物の写真を添えたこと。なるほど逮捕されたことをもって犯人か否かという観点からそれを紹介することは、現在の人権意識から考えるなら余り好ましいことではないけれど、犯罪報道の延長としてあってそれほど不思議ではない。けれどもこのコラムは、犯罪者か否かではなくモテそうか否かということを語った内容で、そこに未だ容疑者でしかない人物の写真を、なおかつモテているかどうかを判断するだけの材料を誰も持ち得ていない人物の写真を、その容貌その行動から推測して、勝手にそうだと判断して当てはめている。

 もはや誹謗中傷を超えた人権侵害のレベルに至っているといっても言い過ぎではないし、そうした非難の声がわんさか挙がっているにも関わらず、まるで改められる節がないのはそれだけ意識が磨耗しているのか、本当に気付いていないのかどちらなんだろう。どちらにしたって世間はしっかりと状況を見て、こいつは駄目だと強く感じた。過去のいろいろから、とっくに駄目だと感じていた人もこれで確信のレベルを100段階くらい挙げただろう。そうやって広まる不信がいったい何をもたらすかは明白だし、数字にだってジグジグと現れているんだけれども一向に改まらないのは何なんだろうなあ、それがすなわち駄目ってことなんだろうなあ。限界を超えていったいどこに行く? ごうごうと流れ落ちる滝はすぐそこに見えているというのに。それともとっくに落ちながらそれに気付いていないだけ? 困ったなあ。いつも困ってばかりだ。


【2月14日】 車で突っ込んで何人かをなぎ倒してから降りて刃物で刺していく流れは、本当に秋葉原での無差別殺傷事件を思い出す。まるで同じパターン。それはさらに前の下関での通り魔事件とも同じパターンで、そういうことをやれば大勢を傷つけられるという共通の理解がそういう人たちの間に出来上がっているのか、いろいろと方法を考えているうちに情報としてそういう行為があると分かって来るのか、気になるところではあるけれども銃器が一般に流通していない日本ならまだしも、そういったものが存分にあるアメリカのグアムで、日本と同じようなスタイルを持った事件が起こったということに、いったいどういう伝播があったのかがちょっと気になる。あるいは電波か。いずれにしても痛ましい事件で、死傷者は最初の2人から増えて3人に。どうしたらこういうことがなくなるかを考えるのは難しいだけに、こういう時にどうするか、考えつつそれでもやっぱり遭わないことを祈るしかない。

 目覚めたら世界が変態に染まっていた。すでに「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の上映初日に横浜のブルク9で予告編として流れた「HK」を見て、即座にそれが「変態仮面」だと気付いてそうか映画化されるんだと思ったものの「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の上映前だけにフェイクか何かの可能性もあるんじゃなかと疑心暗鬼でもあった。それがちゃんとこうして本当に映画化されるという報が世間に伝えられ、主演こそ期待していた小栗旬さんではなかったけれどもどうやら作品を愛して止まない小栗さんが、いろいろと企画の実現に動いていて脚本協力にも名を連ねていたりする辺りに。もはや引き返せないところまで企画は動いているんだといった実感をつかむ。ってか公開日もすぐそこまで迫っているってことは、もうほとんど出来上がっているんだろうなあ、あとはポストプロダクションでどこまで見せるか、見せないかってところを勘案していたりするのかな、やっぱり気になるものなあ、おいなりさんの扱いが。

 その中身は決して酢飯なんかじゃないことは誰もが承知で、それがアップになるということは布地を通してあれがアップになるということなんだけれども映画業界がそれを許すのか、予告編ではOKでも実際のスクリーンに「それは私のおいなりさんだ」が映し出されるのか。今はそれだけが興味の的。あとはあの全身のほとんど9割が露出したファッションがスクリーンにちゃんと映し出されるかだなあ、尻とかまるで見てたりするもんなあ、それは女子だったら絶対にいろいろ言われそうなんだけれど、男子だと平気なのは水泳だってほとんど全身のこちらは7割くらいを見せていたりするからか? でも流石に水泳で尻は見せないし。気になるなあ。さらにはどこかの寿司チェーンが「それは私のおいなりさんだ」という商品をタイアップして出さないかが興味津々、パカッとふたをあけると中に巨大ないなり寿司が1つ。油揚げは薄い色になっていて、それに全力でかぶりつくという。何か楽しそう。箸でつまんだ瞬間に「おっと、それは私のおいなりさんだ」という声が聞こえて来たら凄いけど。やらないかなあ、京樽でも小僧寿司でもスシローでも。

 しかし「週刊少年ジャンプ」誌上でも稀なる猥雑さをもって大勢にインパクトを与えた「変態仮面」が劇場映画になるとはなあ、これも今という時代なんだろうけれどもちょっと前ならせいぜいがVシネっぽいテイストでオリジナルビデオ作品として作られ小規模で公開されて終わりの色物扱いだったんだろうなあ、実際にこれは月刊の方だけれどもジャンプ漫画の「けっこう仮面」なんか映像化はされても大きな映画って感じではなかったし、安永航一郎さんの「巨乳ハンター」なんかもやっぱりビデオ止まり。エロとギャグが絡む話を大きなスクリーンに持っていってもどこか居たたまれない気持ちが観客に浮かんで円ターテイントにならなかったような気がする。でも今はもはや何でもありの空気で、そこに真正面から照れずにあのビジュアルをぶつけることによって逆に清々しさが産まれ、その上でテーマでもある勧善懲悪が浮かんできて見る人を感動させてくれそう。どこか変身ヒーロー物をイジった感じの「巨乳ハンター」ではその辺、時代が変わっても映画にはならなかったかもしれないなあ。「けっこう仮面」ならむしろいけるかも。やらないかなあ。みたいなあ。巨大なスクリーンで。IMAXで。「おっぴろげジャンプ」を。

 熊本にある「ウルトラマンランド」が閉園だそうでもちろん遠すぎて行ったことはないけれども場所が場所だけに17年間、よく保ったといった方が良いんだろうかどうなんだろうか。九州といえば宮崎に「シーガイア」が出来てそれから長崎に「ハウステンボス」が出来てとバブル期の沸き立った経済状況の中でいろいろ出来たものの「シーガイア」は今はなくそして「ハウステンボス」は経営がいろいろ動いてどうにかこうにか今は頑張って生き返ったといったところ。北九州にある「スペースワールド」はロケット関連に特化しているってこともあって今なお元気で頑張っているのかな、あと北九州って比較的繁華街に近くって行きやすそうに思えるところも続いていたりする秘密なのかも。あれで地域的には韓国に近いし中国からもすぐだし空港設備さえ整えばいろいろ観光に大勢が来たって不思議はない場所なんだけれどハブとなる空港があるでもなく、そうした観光客を逃している。まあ今は九州内をぐるぐると回る高級寝台車が人気みたいで需要がない訳じゃないから、そうした需要を精査してマッチしたサービスを提供していくことで九州とう地域の経済的な底上げも、可能なんじゃなかろーか。鹿児島とかのんびりするにはいい場所だもんなあ、火山灰さえ降らなければ。

 まあ普通に考えればノーベル生理学・医学書を受賞して授賞式に臨んだ山中伸弥教授の泊まるホテルが1泊1万2000円だなんてことはあり得なくって、実際に報道でストックホルムにある最高級ホテルのグランド・ホテルが宿泊場所となっていて、調べるとそこはノーベル賞の受賞者が招かれ泊まるホテルとして決まっているみたいだから、安かったりする上に家族は自腹だなんてことがあったりするはずはないんだけれども世間には、国とか公的な機関がムダにお金を使っていることを喧伝したい人たちがいるようで、教授は安宿に泊まらされて大学の事務方は退去してスウェーデンへと乗り込み山中教授の何倍もする宿泊費で、高級ホテルに泊まってたんだって酷いねえ、なんてつぶやいてはすぐさま報道でのグランド・ホテル滞在話を材料に、反論を受けたりしている。最初の段階で何か1つ2つ考えればそもそも間違えないんだけれど、信じたい気持ちを信じさせたいと思った時にそうした1歩2歩立ち止まってふり返ることが難しくなってしまうんだろうなあ。注意注意。


【2月13日】 そしてメディア芸術祭の内覧会を終えたあとに贈賞式はパスして間をおき戻った六本木で、潰れた「かつや」に入れずゴーゴーカレーでカツカレーを頼んで食べてから、夜にのぞいた「攻殻機動隊 ARISE」は夏野剛さんが面倒くさかった。ハードSFはテクノロジーの未来をガジェット的に見せるだけの単純な話じゃないよ、もっと物理的科学的宇宙的な思索の積み重ねの上に成り立った知的想像力の究極を試し試される話だよ、って思ったけれどもまあ仕方がない、「iモード」を作って携帯電話のサイズでインターネットを楽しめるようにした人が、ミニマルなガジェット単位での進化を前提にして、漫画なり映画なりテレビアニメーションの「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」に描かれた便利さを指摘して自分の功績の延長みたいに語るのも当然だろうから。

 おサイフケータイなんて未来的にあって当然だから実現したとか話していてたけれど、そんなの携帯電話にICチップを乗せるかどうかってだけの話じゃん、それがそれまでカードだったりしたのが普及の途にあった携帯電話に置き換わっただけの話じゃん。規格とか混在する中で選ぶ大変さはあったかもしれないけれど、それはどこに与するかって話。非接触ICによるキャッシュレス環境を構想して実現したって訳じゃないから。さらにいうならiPhoneにしてもタブレットにしても、全部におサイフケータイがついている訳じゃない。それでも世の中は回ってる。そういうものだよなあ。まあ端末とネットを融合させてスマートフォンの普及を促した、って意味での革新はあったかもしれないけれどドメスティックで閉鎖的な仕組みに拘った挙げ句に、世界にまるごと持って行かれては。草薙素子が「ネットは広大だわ」って教えてくれたのに、それを容れなかった挙げ句の状況な訳で、そういう人に「攻殻機動隊」を語られつつその功績の凄さをドヤ顔で語られる居住まいの拙さを、どうしてあの場に持ち込んだのか。あの場だったからなんだろうなあ、ニコファーレ。

 対してアスキー編集長を長く務めた遠藤諭さんはブレイン・マシン・インタフェースの最近の動向なんかを踏まえつつ考えたことがマシンに伝わる可能性、人間の思考その物をビッグデータとしてデジタル化しておける可能性なんかについて触れてそれらがもたらす世界としての「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」の面白さを話していて、そして現実を超えていろいろなものを見せてくれるエンターテインメントの凄さってものを語ってくれた。こうでなくちゃ。アニメも漫画も現実の延長に過ぎずそれを先取りした自分は偉いじゃあないんだ。とても届きそうもない未来のビジョンをそこに描いてそしてそれでもそこに近づくための扉をほんのり、開けて待ち受けているのがエンターテインメントなんだよなあ、だから早く近づきたい、義体を駆使して世の中を自在に動き回り、電脳を介して世界を縦横無尽に走り回ることが可能な未来に。

 それはさておき6月にイベント上映とパッケージの販売という「機動戦士ガンダムUC」や「宇宙戦艦ヤマト2199」と同様のスタイルでスタートする「攻殻機動隊 ARISE」は押井守監督の映画「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」で作画監督を務めた黄瀬和哉さんが総監督って立場で関わることになっていろいろ興味。「たんすわらし」って作品は手がけたけれども短い作品と限定された世界観の中で作られた絵本のような作品で、それをそのまま「攻殻機動隊」の世界に持っていくことはできない。一方で押井監督の映画があり神山健治監督のテレビシリーズもあって何より士郎正宗さんの漫画がそびえ立つ「攻殻機動隊」のジャンルに何をどう持ち込むか、ってのは見る人にとっても興味をそそられる一方で、違えば激しい拒絶に合う。そこに自分を失わず過去に阿らず世界を損なわないでどう作る? って出した答えがあのキャラクター造形であり公安9課が出きる2年前という時代設定だったんだろうなあ。

 あとは声。草薙素子役こそ映画「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」でセーフハウスでバトーによって復活させられた子供の義体に入った草薙素子を演じた坂本真綾さんが、18年とかの時間を経て30歳も過ぎてベテランの行きに入り始めた中で、可愛いだけじゃない凄みも持った声を出してくれると思うけれどもその他のメンバーの、大塚明夫さんが演じていたバトーがテレビでは決してメインを張っていなかった松田健一郎さんという人になり、山寺宏一さんの臆しつつ芯の強い声が特徴だったトグサ「Fate/Zero」の間桐雁夜を演じた新垣樽助さんという人が担当する様子。ちょっとすぐには浮かばない。荒巻は大木民夫さん阪脩さんと2人の超ベテランが演じていたけど今回は塾一久さんという、年齢はいっているけど先の2人はまだ遠い人だけにさて、どんな感じになるんだろうかと興味も津々。合う合わないってのは実は気にはしないんだけれどそれでもガラリと変わることによって漂う空気感にどう変化が出るのか、それが物語とどうマッチしていくのか、そんな辺りを注目しながら上映を待とう。先は長いなあ。終わりのは何年後かなあ。

 ワンフェス会場は人が多すぎて近寄れなかったグッドスマイルカンパニーとかそれ以外のメーカー系フィギュアの合同展示会が秋葉原であったんで見に行く。「監獄学園」の副会長がフィギュアになっていて驚く。男子たちを収容しては虫けらのように扱い罵倒する怖い生徒会の女子たちとそれに圧迫されながらも自らのリビドーを見たそうと足掻く男子の激闘をエロスもたっぷりに描いた漫画。だけれどフィギュアになるほど人気があったかどうかってところはなかなかに迷うところ。ただ一部にはとてつもない好き者たちはいるようで、そんな狭いところから吹き上がる欲望に、メーカーも原型師も懸命に答えたのがそのフィギュアってことになりそう。持ち上げて見上げるとそこには白と黒とのコントラストが。漫画でそれをやったらきっと鞭打たれ踏まれ罵倒されるだろうけれど、それすらも快楽となって伝わってくるあの描写を想像しながら愛でられるならこれ、ちょっと良いかもなあ。ああ変態。ほかにはメガハウスで地摺朱雀があったり別のところでは本多・正純が「確認でーす」と言われ葵・トーリにズボンを下げられた場面を際限したフィギュアもあってこれはいい味。見ながら沢って「超おんなー!」って叫びたい。ああド変態。

ゆらゆらうわうわ  六本木へと回って東京ミッドタウンで文化庁メディア芸術祭のアート部門で大賞を受賞した「Pendulum Choir(ペンデュラム・クワイア)」って作品の実演を見物する。台の上に乗った9人のコーラス隊が前後左右に体を振りまわされながらもその上で歌うというパフォーマンスのいったいどこにどんな意味があるのか、傍目には見当がつかないけれども考えてもやっぱり分からない。あるいは斜めに前方へと投げ出され気味な時に出る声とか、仰向けになった時に伸びる声とかってのがあってそれを最大限に出せるような動きをそこにつけているんだろうか、それとも見た目のランダムさと統一性が歌声と重なった時に見えるビジョンの美しさを感じ取って欲しいというものなんだろうか。不明ながらもとにかく見ていて楽しいパフォーマンスが日本では13日と14日の2日間、都合4回しか行われないというのは寂しい。とはいえやる方も体力とかキツそうだし下の揺れる台だって決して長く何度も使えるってものじゃないだろうから安全と安心を考えるとこれが精一杯ってことなんだろう。だから見ておこうこの機会に。折角だから。

 いやあ別に日本のオリンピック委員会に外交能力がないとかいった話でもないでしょ、レスリングのオリンピック競技からの除外は本家本元の国際レスリング連盟だって半ば寝耳に水の状態で、事前に調べて精いっぱいにロビー活動していればって以前にまるで音沙汰もないなかを俎上に挙げられ場外されてしまったって感じ。まあ予兆はあったしそこでがんばれば何とかなった可能性もあるけど、一方で近代五輪が始まってからずっと続いている競技だし、それ以前の古代五輪でだって行われていた人間にとってスポーツの原点ともいえる競技。それを外してどこの何がオリンピックを名乗れるんだ、って話になると考えればIOCの役員だってやっぱりそうはならないよね、って思ってたって不思議はない。それでもそうなってしまったのはもはや五輪がスポーツの健全な発展を望み平和を望む大会ではなくスポーツによって稼ぐ巨大イベントと化しているからで、そこには儲からず人気もない競技はいらないってことも一方には当然の論理として掲げられる。そんな不人気なスポーツが他にあるかというと……。バレーボールなんて日本だけっぽいからなあ、そういうのが俎上に上がってきた時にいったいどんな議論が起こるかなあ。いずれにしても今後の成り行きを見守ろう。例え五輪種目から落ちてもレスリングがなくなることはないし。


【2月12日】 ふと気がつくとヨハネ・パウロ2世だったからローマ教皇はその人と、そして今のベネディクト16世くらいしか知らないんだけれど、ヨハネ・パウロ2世より1人前のヨハネ・パウロ1世が、就任からわずか33日後に遺体となって発見された話とか聞き及ぶと、あれでなかなかに大変な世界であり大変な地位なんだなあと思わせる。右方のフィアンマとかいなくたって。それは違う世界のローマ正教。そっちでは教皇だって大変な術の使い手だったりするから戦いも壮絶なものになるんだろうなあ。80歳を越えているベネディクト16世だって空くらい飛ぶかも。っていうか就任時にすでに78歳だったベネディクト16世、それから世界を歩きツイッターまで始めてノリノリに見えたのにやっぱり寄る年波には勝てなかったか、それともツイッターを見てネットの世界にはダイレクトな憎悪が溢れていると絶望したか、いずれにしても再び見られるコンクラーベ。煙突から黒い煙が出るのを1度くらいはこの目で見たいなあ。

 ベルギーから始まったきゃりーぱみゅぱみゅのライブはフランスにも回って何か流れてきた映像を見るとホールもちょっぴりパリっぽい感じなら来ている客もフランスな感じ。でも歌が始まると叫び踊りポンポンと跳ねてつけまつけつけるで左右に体を振ったりと日本と同じ。首にタオルを巻いた姿でルミカライトを持ち込んでは振り上げる人たちもいたりして、これは日本の文化が流入している現れか、それとも単純に日本からファンが押し掛けているだけか、分からないけれどもとにかくそれなりな観客を集めているっぽいことだけは分かる。報道によれば1300人。これが多いかどうかは分からないけれどもジャパンエキスポのような誰でも来られるステージに数千人が集まる訳じゃないから、その姿を見たいと単独ライブに集まる人数としては結構な数になるんじゃなかろーか、日本のZeppだって入ってこんなもんだろうから。次はロンドンでここは早々ソールドアウトっぽかったから、余計にど派手なライブとか行われそう。ファッションもこっちはパンクになるのかな、それともやっぱりハラジュクかな。

 というわけで発売されたきゃりーぱみゅぱみゅの日本武道館でのライブビデオを買う。ブルーレイディスクとDVDの両方。だって綺麗な映像ならブルーレイディスクだけれど、特典映像がついた初回版はDVDでし出ないんだから仕方がない。BDにはいっしょに入れておけば良いのに。まあでも仕方がない。ざっと見たけどさすがにアンコールでのごりーぱみゅぱみゅと一緒にやった「CANDY CANDY」は入ってない模様。そりゃそうだ。でもほかはちゃんと入っているからあの興奮を今ふたたび楽しめそう。DVDの初回版に入っている写真集は結構なクオリティでくっきりとステージ上のきゃりーぱみゅぱみゅを見て取れる。印刷良いなあ。特典ディスクにはバックステージドキュメンタリーってのがあるけどどんな映像なんだろ、生着替えとか……はないか。ほかは2012年のSHIBUYA AXでの「CANDY CANDY」とそれからSHIBUYA QUATROでの「PONPONPON」が張っているとか。人気曲。家に帰ったら見てみよう。「つけまつける」「ファンションモンスター」のふりつけビデオも見て勉強してZepp TOKYOに駆け付けよう。

 暫く前に「タイタニック」で長い長いタイタニックが直立したところを人が落っこちていったりするような、とてつもないリアルで精緻なCGIを見せてくれたデジタル・ドメインって会社が破産したか売却されたかってニュースが話題になっていたけど、昨日あたりは「ベイブ」で豚の口をちゃんと人間が喋っているように動かし、そして最新作の「ライフ・オブ・パイ」って最新作で人間といっしょにボートで海を旅する虎を作り出してアカデミー賞の視覚効果賞も確実なんじゃないかと思われているたリズム&ヒューズって会社が、連邦破産法の適用を申請したって話があった様子。ILMはといえば親会社のルーカスフィルムがディズニーに身売りしたりして、あれだけハリウッドで全世界規模にヒットする映画が作られそのいずれにも、架空の世界を現実に見せるCGIがふんだんに使われていながらもそれを手がける会社には、なかなか厳しい状況が続いているってことなのか、それとも調子づいていろいろと手広く事業を広げた挙げ句に破綻が出てしまっているのか。

 追求すればどこまでだてリアルに迫れる世界で要求に応えようとがんばりすぎた挙げ句にコストが掛かりすぎたというのならそれは職人魂的だけれど、要求された水準を実現して妥当な報酬が得られてないってんならそれは下請け的な苦しみ。何だってビジネスライクな国だけに、どっちなのかちょっと気になる。日本はといえばあちらこちらでCGIの会社として名前を聞く「めめめのくらべ」を手がけたデジタル・フロンティアも、CMなんかをよく手がけるポリゴン・ピクチュアズも、山崎貴さんなんかが仕事をしている白組も、ちゃんと傾かずに続いているからなあ、もう老舗って感じの風格すら見せているし。それは規模としてアメリカみたいにビッグバジェットが出ない分をそこそこの水準できっちり仕事しているからなのか、それとも日本ならではの職人魂で金額が出ようと出ななかろうとしっかり作って収めているからなのか。分からないけれどもアメリカの妙な風潮を受けていっしょに共倒れ、なんてことはなしにがんばって欲しいもの。

 もう16回目となる「文化庁メディア芸術祭」の内覧会を見に国立新美術館へ。場内にはあの巨大なクラタスがどかんと置かれて……はいなくって、アート部門の大賞を受賞した誰だっけ、台の上に乗っかって左右に振りまわされながら歌を歌う人たちの作品もなかったけれど後者の方は六本木ミッドタウンへと置かれてパフォーマンスも行われるそうなんでそっちで見よう、きっと変態的に愉快に違いない、いい歳をしたおっさんたちが真面目に歌っているだけに。あとアート関連では三上晴子さんの監視カメラっぽいものをぶら下げたりした大きなインタラクティブアートがあって入るとそれに追いかけられていたりするような気分を味わえる。映像とのシンクロはどんな感じになっていたんだろう。ちょっと仕組みを調べてみたいかな。

 受賞者では細田守さんが歩いてて、ベルギーから受賞した「Oh Willy…」って作品に興味を示してた。裸人形が雪原を歩くストップモーション作品はいったい何を描いているんだろう。上映会にがんばって参加して見てみるか。あとフランスで刊行されたバンドデシネで漫画部門の大賞を受賞した「闇の王国」の漫画を描いた人とそれから原作の人が揃って来場してた。ちょっと前の漫画のイベントにも来てたんだっけ。でもやっぱり嬉しいだろうなあ、何度も来られるのは。嬉しかったのは功労賞として江並直美さんが手がけたデジタローグの作品がショーケースに入って南天か展示。懐かしいなあ。ここからいろいろ始まったんだ。「アラキトロニクス」がなかったのと、パソコンが合わないのか上映されていなかったのが残念、あれはインタフェースを見て驚くべき作品だから。


【2月11日】 もう別に鉢合わせしようが何をしようがそこで対決は起こらず、ボケと突っ込みが繰り返されるだけになって来たDTたちとADご一行。なおかつ婚礼の儀として繰り広げられる試練も丸太による激流下りにフォークダンスにドミノ倒しと本気さよりも画面受けを狙ってのギャグが主体となってまあ、楽しいことは楽しいんだけれどどこへ向かっているんですか的なモヤモヤもちょっと浮かんで、先も心配になって来た「イクシオンサーガDT」。まあ残り話数もまだあるんでこうやって、笑えるエピソードを重ねつつちょろっと世界を見せていくような押し引きをしつつ、怒濤のクライマックスへと向かうんだろうなあ。つか最初に出てきて紺を異世界へと誘い、小動物を覇権した曰くありげな魔女っぽいキャラが、最近全然出てこないんだけれど、どうなった?

 なんかアイマスが映画化だそうでそれで「そうか『アイドルマスターXENOGLOSSIA』もいよいよ映画化かあ」なんて時代遅れの大ボケをかまそうとして検索とかしたら、案外に同じようなことを考えている人がいたりして未だ衰えない、というかしつこく底流のようにつながっている「XENOGLOSSIA」への支持って奴を感じて涙ぐむ。まだ「アイドルマスター」ってゲームが今ほど大流行してなかった時期に、あのサンライズでもって作られたロボットアニメは、ゲームのキャラを使いつつ、ゲームの設定なんてぶっ飛ばしたSFガジェットをぶち込んだ展開によって驚嘆を誘ったものだった。パイロットを観察して盗撮するロボットとかいたりして、ナンダコレ的反応もあったけど、最後は人と機械の間に通う情愛とか、いろいろ浮かんで面白かったなあ。DVDも全部揃えたよ、ドットアニメ版の水着ジャケットの奴を。

 「アイドルマスター」が人気となって、ゲームの設定に近いアニメも創られた今となっては、余りに違い過ぎるキャラの扱いから、プロデューサーさんたちに忌避されることもあるようだけれど、なかなかどうしてロボットアニメとしては実に良く出来ていて、「アイマスじゃなければねえ」って言う人もいたりするみたい。だから何かにつけて話題に上るし、ギャグでも自嘲でもなくってもう1回見たいねえって訴えるファンもいる。ここはだからバンダイビジュアルもブルーレイボックス化なんて検討してくれれば嬉しいんだけれど、「機神大戦ギガンティック・フォーミュラ」とか「ファンタジックチルドレン」とかいろいろBD化して欲しい作品もあるだけに、そしていずれもなりそうもないだけに「XENOGLOSSIA」も遠いかなあ、でも「アイマス」って材料はあるし、いやそれが逆にネックなんか、うーん、3000人応募があればBDにします企画とかに乗せて欲しいなあ。

 折角だからと秋葉原方面に出てヨドバシカメラの上にある万豚記で豚バラ青菜炒飯をかき込んでからゲーマーズとかラオックスとかコトブキヤの店頭とか舐めて「Fate/Zero」の1番くじが売られている様を見物、いやあ格好いいけどアーチャーとかライダーのフィギュア、良くできているけど兄ちゃんでありおっさんであるこれらを求めて買うってのも気分としてちょっと違うような気がしたんで今回は様子見。そう思った人も多いのか物によっては即日完売となるくじも、昼過ぎとかで行列もできてないまま結構な数が残ってた。せめてやっぱりセイバーがいればなあ。「Fate/Zero」ってセイバー以外はサーバントに美少女キャラっていないんだよなあ。アサシンの片方はいないでもないけどちょっと怖いんでパス。おっさんライダーも良いけどやっぱりライダーは「Fate/StayNight」派な僕。そういう人って、いるよね? ね?

 アニメの脚本なんて書いている人間だから、やっぱりそういうことやりかねないよね? なんて先入観とか固定観念もあってか、メディアからいろいろ言われた挙げ句に実は犯人じゃありませんでしたってことで、メディアには大失態となった過去を経験しておきながら、今度は見かけがあれだとか、猫カフェに通っているからといってあれこれあげつらうような報道が先走って、気持ち悪さも炸裂の「なりすましウイルス事件」。もう明らかにこの人が犯人ですよ的な報道のみならず、1人で猫カフェに行って猫と戯れていることまでもが、何か良からぬ性向としてとらえられている節があって、世に大勢いる猫カフェ愛好者たちの激怒を買っている。っていうか、ちょっと前なら普通に文化として親しまれ報じられていた猫カフェが、どうして他人と接するのが苦手なコミュニケーション不全の人が通う癒しの場になるんだ? まったうもって意味不明。

 それはだから真犯人であるという決めつけがあり、それを補強する材料として行った場所でしかない猫カフェが挙げられ、結果論的にいろいろ言われているに過ぎないんだけれど、そうやって場当たり的に目の前のものを悪し様にあげつらっていくと、いずれ齟齬が出て、自縄自縛に陥ることになるとどうして分からないんだろう。その時は手のひらをひっくり返したように褒めあげれば良いとでも思っているんだろうか。でもやった側は忘れても、やられた側は忘れない。犯人として罵声を浴びせられた脚本家の人も忘れずにいて、犯行を認めてない以上は慎重に報じろと釘を差している。けど聞かない。聞こうともしないで条件反射的な価値判断を繰り返し、周囲の反感を買い信頼を失っていく。そうやって訪れる未来への影響は、というは現在すでに多いに影響を被っているんだけれど、それに気付くことなく今を騒げば何かしている気になっている人が多すぎる。気付いた時はもう遅い。逃げ出すなら今がギリギリかなあ、やっぱり。

 NHKの「MAG・ネット」がそういや3月で放送が終わるらしくってファンの間から阿鼻叫喚。まあそこまでの憤激は起きてないけどむしろそうかやっぱりなあって諦めの気分が強い方に、今のメディアに対する信頼感って奴の衰退から消滅に至る過程が見て何か寂しい。もはや必要とされていないっていうあ。とはいえやっぱり地上波で全国に向けて周知される番組が、こうやって消えてしまうのは惜しい。ネットでだって出きるちうけれど、ダイレクトにそのチャンネルにアクセスして見るネットはやっぱり好きな人の内にしか届かない。それもだんだんとフィルタリングされて先鋭化が進む。テレビとか雑誌って媒体はそこにいろいろ混ぜ込むことで、興味を抱いていなかった人の目に触れさせ、引っ張り込む効果を持っている。出会いの場。それが失われた先に来るのは蛸壺化と先鋭化でありそして縮小から消滅。それを分かっていながら今の賑わいを選んでしまう民放とは違うNHKなら、未来を考えやってくれると思ったんだけど、無理だったか。やっぱりあれかなあ、何であれ進取の気風を持ってた爺さん世代が後ろに下がって、バブル的なオサレ感覚にまみれた世代が上がってきたことで、感覚にそぐわない文化は排除されるってことなのかな。困ったこって。


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