縮刷版2013年10月中旬号


【10月20日】 あすか、という名前の人による「少年遺言執行人 迷える魂と天空の門」(ビーズログ文庫)を読んだら異能で霊能でミステリしていて面白かったよ。未来視や接触感応や絵画実体化なんかを持つ仲間が集う特殊指令執行部というところに所属するルキア少年。霊視が出来て霊とも話せる能力者で冒頭から列車に乗り合わせている犯人を追うバトルを繰り広げて犯人を仲間達と捕まえた後、街で起こっている連続殺人事件の調査に駆り出される。行くと被害者(の幽霊)が言った。犯人はルキアたちの仲間の1人じゃないかと。そんなはずはないと驚くものの、一応の疑いも持って事にあたるルキアたち。別件で屋敷に暮らす大金持ちの女主人が死んで、遺産をなぜか遠縁に当たるらしい特殊指令執行部のメンバーに継がすかという話になって、その解決にも向かい彼女の幽霊と話す中で、ひとつの過去が浮んでくる。

 街で殺された青年は、いったいどうしてルキアの仲間を見たといったのか。周辺でその現場を見ていた幽霊たちもどうして同意したのか。いないはずの仲間がルキアには見えるのはなぜか。そんな謎に出されるひとつの答えは振り返ってみればなるほどと納得。そして殺された青年の母親にまつわる謎が屋敷の遺産騒動と繋がり浮かぶ過去。その背後にあったひとつの悲しいできごとが、全体を覆って大きなストーリーを作り出す。ルキアが霊能を使って殺された相手に聞けば事件は1発解決とかって訳にはならず、逆にルキアが“見える”ことが事態を複雑にしていく仕掛けがなかなかに巧み。無関係に見える事件をつなげ、さらに大きな悲劇と悲憤を乗せて盛り上げてみせる展開もちょっぴり複雑だけれど面白い。まとまってしまった感もあるけど能力が全員、発揮されたとはいえずとくに魅了の力を持った“女王”の出番が少なすぎ。なんで続きが読みたいところだけれど、次はあるかな。あって欲しいな。

 せっかくだからと東京国際映画祭で吉浦康裕監督による新作長編アニメーション映画「サカサマのパテマ」を見たらこれがなかなかに凝っていた。まるっきりサラで見たい人のために詳しいことはまるっと避けるけれども公式のサイトで少年が逆立ちの格好をした少女を抱えているビジュアルを見て、そして少女のスカートがぜんぜんまくれあがっていないのを見てガッカリ、じゃなく不思議に思ったらそれがひとつの設定。サカサマだと思ったら自分がサカサマだったという驚きがぶつかりあった先に落ちることへの恐怖が浮かび、飛翔することへの歓喜が浮かんでそしてお互いの喜びと恐れが行き交う中に理解が生まれる。立場が違えば見えるものも違うってことを学ぶ。

 そんなストーリーを表現するためのビジュアルの工夫があり、足元に広がるのが大地ではなく広大な空間であることへの恐怖を感じさせもしながら進んでいく展開のさらに先に待つのはもう驚愕の展開。そこへといたって諸々のビジョンがなるほどといった整合性を見せるところにSF的なセンス・オブ・ワンダーを感じられそう。敢えて言うならマクロのさらにマクロから俯瞰した認識を、どうして人は持ち得なくなったのか、ミクロな認識がどうしてすり替わっていったのか、それを金科玉条とする心理はどうして育まれ、けれどもそんな中から反骨が生まれ得るのか、といった部分がちょっと気になった。ユートピアでもディストピアでもそこに揉まれた人間が何の理由もなくレールを外れるのって難しいから。1度見てまた見ていろいろと仕掛けを考えたい。それのベクトルはどっちだとか。

 声優さんではパテマって少女を演じた藤井ゆきよさんが可愛くって強情そうでなかなか良かった。これまではあんまりメインの役をやって来なかった人みたいだけれど、これでブレイクできるかな。少年の方は岡本信彦さんで「青の祓魔師」の奥村燐だから割とメジャー。「はぐれ勇者の鬼畜美学」の暁月に「とある魔術の禁書目録」の一方通行も含めてヤンキー気質の兄ちゃん役が向いていそうに思えたけれども「サカサマのパテマ」では真っ直ぐな少年役だった。さすがは声優。驚きは土師孝也さんかなあ、もう家弓家正さんにしか聞こえません、そしてラナを追いつめるレプカの如くの暴虐ぶりを見せてくれるんだけれどそれと同じ雰囲気を感じさせてくれる。素晴らしかったなあ。もちろん土師さんもベテランだから違う雰囲気も出せるんだけれどやっぱり少年と少女の冒険を邪魔する輩にはこの雰囲気、ってことにしたのかな。聞きどころ。

 せっかくだからと六本木ヒルズの上に登って「六本木クロッシング」を見るふりをして展望室で「魔法少女まどか☆マギカ」の複製原画展。ぐるりと回る展望室の壁際とか窓側のスペースに絵コンテと原画がならんでいて、原画を撮影して動かしてみた映像もあって目の前においていある原画の束がどういう感じに動くのかってのを画像と映像の両面から学べるようになっている。等身大のパネルを並べた明大での展示とは迫力がちょっと違ったけれど、こっちはこっちで数ある原画を見てそれから可愛いほむほむのフィギュアを見て、喫茶ルームで関連ドリンクとかフードとかを味わいショップではイベント限定のTシャツだのこれまでに出ていたグッズだのを帰るでファンには嬉しいイベントなんじゃなかろーか。これのために「六本木クロッシング」って現代アートの展覧会を見ないといけないってのもファンには大変だけれど。

 逆にアートから見ると現代アートを見に来たら、手にまどマギのショッパーさげた人がいっぱいいるという不思議な構図。アートとオタクの融合がここで果たされている? と良いんだけれどはてさて。まあ何だって混じり合う中から発見も生まれるってものだから。あと思ったのは、これだけすごい原画に接することが出来て、原画集だって普通に買える時代なんだから見て真似て学んで育ったすんごいアニメーターがこれからバンバンと出てくるんじゃないかってこどだけれど、そういう風になるのかならないのか。原画をあるいはキャラクターグッズとして見て愛でる人は増えても、そこからレイアウトのとりかたを、動きのつけかたを吸収する人は増えているのか。若いアニメーターの人がどういう風に業界に入ってきたのかをちょっと知りたい。原画集を100回写しましたとかいう猛者はいるんだろうか。自分に机があったらやっていたかもなあ。今はミカン箱に座り膝上が机だもんなあ。冗談じゃなく。

 会場を出て今度は上野へと回って「上野の森美術館」で「種田陽平による三谷幸喜映画の世界展」って奴を見物。日本における映画美術のトップランナーで世界からも引っ張りだこの種田陽平さんが三谷幸喜さんの映画のために作った美術セットを見せるという内容だけれども実際のところ、映画のために作ったものを残しておくことを嫌う種田さんはオープンセットか巨大なセットは全部バラしてしまって今に残っていない。そんな中でも残された小道具なんかを集め「THE 有頂天ホテル」とか「ザ・マジックアワー」とか「ステキな金縛り」といった作品ごとに並べて感じを掴ませつつ、映像でもって当時はまだあったセットのなかを三谷さんが歩き回って作りなんかを解説してくれて、なかなかに勉強になったしそんなにゴージャスで大丈夫なのって不安にもなった。

 最新の映画「清洲会議」なんてもうひとつの屋敷を造りそれから巨大な広間なんかも作ってしまうんだから凄いというか。「ザ・マジックアワー」の街1つ作ってオフィスまで2階に作るよりはマシ? いやいや「清洲会議」の屋敷はぐるりと庭を囲んだ造りでその庭まで家kがあってコケが生えて木々が植わっているといった具合に本格的だからなあ。そこまでのこだわりがだから画面のリアル感につながっているんだろう。映画をちょっと観てみたくなって来た。そう言えば種田さんといえば前に「かりぐらしのアリエッティ」の世界を小人の目線から感じられるように立体化した展覧会を東京都現代美術館で開いたけれど、あのときの展示物はいったいどこへ行ってしまったんだろう。巡回展とかすれば凄い人気になったんだろうけれど、あの会場だからこその仕掛けもあったしなあ。だからやっぱり一期一会なのか、オープンセットというものは、映像で永遠に残ることを前提にして。美学だなあ。


【10月19日】 いやでも神衣を着た鬼龍院皐月を相手に互角に近い戦いを繰り広げられる纏流子の覚醒バージョンを、たとえ極星服とはいっても1ツ星2ツ星が束になったって倒せるはずもないし下手したら3つ星だって無理なんじゃないの、だって彼らだって皐月に跪いている訳だから。なんで皐月が自分と戦いたければ仲間を全員倒して来いと言ったところでものの5分で全員倒してさあ再びの頂上決戦、そしてその向こう側にあるさらに巨大な敵との戦いなんて事態が案外に、待っていたりするのかもしれない「キルラキル」。

 だって「天元突破グレンラガン」だって獣人たちの戦いがメインかと思っていたらそれはさっさと終わって次にとてつもない敵との戦いが待っていたりして、そしてクライマックスには対数のように桁が変わってスケールアップしていった。それに倣うならば同じ面子が関わっている「キルラキル」が明日にも新たなる敵を求めて皐月と流子が共闘し、黒と白の神衣でもって2人はキルラキルなんて良いながら踊り唄って蹴り殴るなんてこともあって不思議じゃない。むしろそういう期待を強く抱いているんだけれど果たしてあり得るかそんな展開。それにしても白と黒では白の方が何かエロいよなあ、と思うのはあるいは僕だけか。どうなんだ。

 せっかくだからと電車を乗り継いで大宮まで行って「アニ玉祭」なるものをちょっと見物。埼玉に関連したアニメーションがいっぱいあるってことで、それぞれの自治体なんかがのり気になってアニメと絡んだイベントをしていたりするんだけれど、だったら今度はまとめてやってしまったらどうだという感じに、ひとつ大宮に各方面から人が集まってイベントを開くことになった模様。場所も大宮ソニックシティと山下達郎さんがライブを開けばきゃりーぱみゅぱみゅのライブも控えていたりする由緒正しい場所。そこに痛車がずらりと並び、周囲をコスプレ姿の人が歩いていたりするその光景は、見慣れた人には別にどうということはないけれども始めて接する人にはなんだこれくしょん的な驚きをもたらしたんじゃなかろーか。

 というか県民に限らず全国の自治体もそこまでやるかと驚いた可能性が大。だって埼埼玉県からは上田知事まで登壇をして挨拶をしたりと、イベントの位置づけはもうオフィシャル極まりない。それでいて繰り広げられるのは女装したコスプレイヤーに男装をしたコスプレイヤーのミスコンという何が何だか和からなあ炸裂のイベントだったり、すーぱーそに子の絵が描かれた巨大な草加煎餅の販売だったりと多種多様。ひとつ前のプリキュアの格好をしたどうみたって男子が綾小路きみまろばりの漫談をしたりするのをさて、埼玉県の偉い人とかNHKの凄い人がどう見てどう採点を下したか。ちょっと興味がある。でも見ていたら審査員も受けてたなあ。やっぱり面白いんだああいうの、いや面白がられてばかりじゃ困るけど。

 飲食の屋台もずらりと並んで行田市からはあのゼリーフライの店も来ていて食べたら口の中を火傷した。あっちっち。前に行田で食べたときは真冬ですぐに冷え冷えになったものなあ。でもやっぱり美味しかったよゼリーフライ。東京でも売れば良いのに。佐世保バーガーとか横手焼きそばとかご当地関係ないのもあったけれど春日部焼きそばとかいったのもあってどうやらあんかけっぽい仕様だったけれども有名なのかな。そんな屋台を楽しみつつ物販をながめ痛車を見渡し自衛隊の車に触ってそして物販を見て回る。こぢんまりとしながらもなかなかに充実のイベントがだいたい無料で見られるってのはなかなかないんで近隣の人は是非にのぞいてみてはいかが。そうでなくても埼玉の本気を近県は見に行くべき。千葉も神奈川も群馬の栃木も。栃木って何かアニメあったっけ。

 好奇心は猫をも殺すけれど知的好奇心は人類を生かしも殺しもするみたい。そんな小川一水さんの新刊「臨機巧緻のディープブルー」(朝日新聞出版)は、知的好奇心から宇宙に出ていった人類と異星人“たち”とのコンタクト話。既に過去に異星人と接しては仲良く交流できたのもあれば、攻め込まれて随分の人類が死んでしまった事態もあったりして、様々なコンタクトを経た後だけに人類も随分と慣れた感じに、辿り着いた星で何かを護るようにしている艦隊を相手にしたコンタクトで、いきなりの紛争とは行かず最初はものを送り合い、やがて言葉を交わせるようになっていく段取りはどこか理路整然として知性って奴を感じさせる。とりあえずいきないドカンドカンとはならなかったし。

 けど人類がその星で出会ったのは、守備を固めている鳥のような姿の異星人だけでなくって星に暮らしている魚のような生命体もいたりして、どうやらそっちが本命らしいと気づいた人類は鳥を警戒しながらも魚の方とも接してそして、自分たちが知識を望んでいることを告げて協力を呼びかける。ところが鳥はのってこない。どうしてなんだ。訝るものの相手が頑として聞きいれない中で、艦隊に広報役として乗り込んでいたカメラマンの青年と、その相棒で知性を持って喋るカメラがちょっとした冒険を経て、魚の生命体が囲っている人魚のような少女と近づき、なおかつ鳥の方とも接触を果たしてそれらが持つ秘密や考え方なんかを確かめていく。

 段取りが行き届いて知性も感じられるコンタクトも悪くはないけれど、それでは超えられない壁があって青年の知的好奇心が先走っての行動が、生んだ結果を考えるなら時に冒険も必要なのかもしれないけれど、それが人類を滅ぼす可能性もあったりするから難しい。知的好奇心はだから人類を生かしも殺しもする。そこでどういう判断を下し、間違えたならどうリカバリーするかも含めて学べる1冊ってことになるのかな。誤解と曲解からのドンパチがあっても手を取り合える人類と鳥生命の関係なんかからも、分かり合い認め会う大切さってのを感じたい。だから魚生命の方ももっと胸襟を開いて欲しいなあ。たぶん青年は待っている。童貞のまま。ってそう言う関係だったのか。そういう関係が成り立つものなのか。卵にぶっかけるとかするのかなあ。むろみさんみたく。

 そして取り壊される予定の青山劇場で10年ぶりの「飛龍伝」。そうかてっきり自分はつかこうへい作・演出の芝居を見たことがなくって岡村俊一さんのそればっかりだと思っていたらこの時の「つかこうへいダブルス」での「飛龍伝」は広末涼子さんを神林美智子役に迎えて筧利夫さんが山崎一平を演じてのつかこうへい作・演出の舞台だったことを思い出した。それより前に見た「新幕末純情伝」は岡村俊一さんで2010年の「広島に原爆を落とす日」も岡村俊一さん、そして北区つかこうへい劇団の解散講演で見た「飛龍伝2000」は当然ながらつかこうへいさんの演出ではあり得なかったことを考えると決して、つかこうへいさんならではの芝居とそうでない人の演出との差、ってものを指摘できる訳ではないけれど、今回の「飛龍伝21 殺戮の秋」はしっかりとつかこうへいさん的なセリフ回しにメッセージにアクションのパッションを含んでいたように思う。

 そりゃあ筧利夫さんがあの小さい体をとてつもなく駆使して演じた山崎一平の凄さって奴と比べると、神尾佑さんの山崎一平は出始めはどうにもでかいだけの二枚目崩れに見えて仕方がなかった。山崎一平ってのはもっとチンケでゲスでしつこくって優しい人間でなけりゃあいけない。「飛龍伝2000」の時の逸見輝羊もだからとってもマッチしていて筧利夫さんにひけをとらなかったように思ったけれど、神尾さんは見るからにイケメンで長身でスタイリッシュな役者さん。それが山崎一平ですって出てきた時に最初はちょっとそうは思えなかったんだけれどでも、同棲しはじめのイチャイチャがだんだんとギスギスした関係になってそして離別へと至るシーンでの、慟哭と憤怒、嫉妬と哀願といった表情を見せて話している間に、だんだんと山崎一平にしか見えなくなって来たところにつかさんが書いただろうセリフの凄み、そしてその口立てのセリフ回しを再現させた岡村俊一さんの手腕てものがあるんだろー。2度目に見るときはだから最初っから山崎一平って思えるだろーけど2度目はないんだ明日で千秋楽だから。

 そして桐谷美玲さん。なよっとしてひょろっとして線の細すぎる女優さんに果たしてあの激しくもほとばしる神林美智子の魅力を表現できるんだろうかって心配も浮かんだけれどもなかなかどうして、純情から怜悧を経て純愛があってアバズレた雰囲気があってとさまざまに変わる神林美智子をその都度しっかりそう言う演じ方をしてみせてくれた。こんなに巧い役者だったとは。「荒川アンダーザブリッジ」のニノは演技とかあんまり関係なかったもんなあ。拗ねてたり頓狂だたりするくらいで。それが元よりもっていたものなのか、今回の出演で大きく鍛えられたのかは分からないけれど、他の出演者たちが軒並み「飛龍伝」を経て変化したことを踏まえれば、桐谷さんもこれで大きく変わっていくんじゃなかろーか。「安堂ロイド」でも途中から長いセリフを等々と喋ってみせたりして。

 ただなあ、やっぱりつかこうへい作・演出という看板の1枚がもう使えないって事になると脚が遠のく人もいるのか明日が千秋楽という土曜日の夜公演で空席が目立ったのがちょっと気になった。桐谷さんって結構なバリューを持った女優さんが出ているにもかかわらず、この入りっていうのあは何だろうか、つかこうへいさんの不在が利いているのかそれとも「飛龍伝」という主題自体が時代からかけはなれていっているのか。いやいや権力はさび付き学生は焦げ付いてパッションとは名ばかりの事なかれ主義に陥っている状況にあって、心底から燃えて走った奴らがいたという記憶は絶対に必要。それを学生と警察の両面から見せて末端の激突を描きつつ、まるで変わらない上への絶望感を示しそれで良いのかと煽りふるわせる主題が廃れて良いはずがない。だから見て欲しいしもっと続けて欲しいんだけれどこの入りではもう青山劇場クラスの劇場では出来ないのかもしれないなあ。どうなんだろう。そして次に再演されることがあっても口立てを知る役者が減りセリフ回しを再現できる役者も消えて行くなかであのパッションが受け継がれていくのかも心配。それだけに今の総力を挙げて次代に繋げていって欲しいけれど、それはつかこうへいさんが望んでいたことなのかどうなのか。再演がかなった暁にその舞台を見て考えよう、それはまだ必要なのかを。


【10月18日】 俺も相当につえーけれども彼女の方がもっとというか遙かにというかとてつもなくつえー関係はちょっと珍しいかも。三河ごーすとさんの「祓魔学園の背教者 ―祭壇の聖女―」(電撃文庫)は悪魔と契約してしまって右手だっけに分析の能力、左手にイマジンブレーカーならぬ分析して理解したものを分解してしまう能力を持ってしまった逢沢拓真という少年が、誘われ宗教を拠り所にして祓魔の仕事を目指す学生たちが集まる学校へと行ったらそこにいたのが祭壇に向かい1人でお祈りするミトラルカという名の少女。拓真を見るとあわてて祭壇を抱え逃げ出そうとしてコケたりするいたいけさだけれど、実はミトラルカには秘密があった。たった1人の教団にして世界から邪教認定された宗教の教祖様。その力はあらゆる神を倒すどころか喰らって消滅させる力があって、だから一族関係者もろとも皆殺しにされたんだけれど、ミトラルカだけは世界を統べる七賢人の1人が暴虐に気づいたことで助けられ、庇護されてこうして1人学校に通うことになった。

 とはいえ危険視されていることには変わりなく、差別も酷いためにボディガードが必要だった。拓真はだからそんな彼女の守護を依頼されて同じ寮に暮らして学校に通うことになったとう、そんな日々がまだ始まる前にミトラルカを狙う勢力があってあれやこれやとちょっっかいを出してくる。見た目は12歳だけれど実は20歳。不老不死にされては炎を操る悪魔と契約させられた少女は、拓真に目玉を潰されても脚をおられても痛みにのたうちまわりながら復活して拓真とミトラルカに襲いかかる。さらにその背後で暗躍する謎の勢力。果たしてミトラルカは自分を律して宗教を再興できるのか。拓真はそして契約させられたという悪魔の存在に近づくことが出来るのか。幼なじみの巫女さん風少女とかも周囲に現れハーレム的な状況ながらもラブストーリーには行かず緊張した関係を見て行けそう。

 「トップをねらえ!」という実写映画の撮影が北海道で始まったそうでどーして沖縄じゃないんだろうと思って記事を読んだらまるで違う牧畜だか酪農だかの話だった。吉本興業がバックについて吉本が主催に絡んでいる沖縄国際映画祭に出すとかいう。それでいったいどうして「トップをねらえ!」ってタイトルが付くんだろうとか思わないでもないけれど、きっと牛がブルマをはいてはコーチから叱咤されて乳をいっぱい出そうとする話になっているんだろー。そんなことはない。まあ同名のタイトルの作品なんて過去にもいっぱいあって例えば「人間失格」と「人間・失格」なんてものがあって比べられたりしていたけれど、今回はまるで一緒ってのがちょっと気になる。アニメと実写でSFと酪農では間違える人はいなくても、やっぱりどこか真似したっぽさは残ってしまう。それって作品にとっても損じゃないかなあ。あるいは完成までにタイトルとか変わるかな。どんな風に? 「フリクリ」とかって。なんだそれ。

 貧乏が板について蒲鉾になりかかっているのとあと、体重が増加の一途を辿ってお腹が出てきてしまっているのを何とかしなければいけないこともあって、夕食を豪勢にできない代わりをどうにかして埋めようと探してそうだ納豆を食べることにしようと昨日あたりからもりもり。値下げされた唐揚げ丼みたいなものの上から2パックで計80グラムの納豆をわしゃわしゃとかけてもりもりと食うとこれが意外やというかやっぱりというか美味しいかったりするからたまらない。もちろんずっと納豆は好きだったけれどこっちに来てからご飯も炊けなくなってしまうとあんまり食べる機会がなかった。かわりにポテトサラダとかマカロニサラダを買ってはいたけど量を稼ごうとすると割りと値段も張ってくる。納豆なら有機大豆使用で2パックなら150円もしない。それでいてしっかりとしたボリュームと食感。おまけに栄養たっぷり。カロリーは少な目。ダイエット効果はどうだっけ。分からないけど割とありってことが分かったんでこれからもしばらく納豆暮らしをしてみようっと。ポリ袋から漂う匂いだけはどうにかしないと。

 しかし2億2000万円もの賠償を求めた訴訟で敗訴するとはファーストリテイリングとしては本気で勝つつもりだったんだろうけれども、文藝春秋を相手にした裁判は東京地裁でファーストリテイリング側の敗訴となった模様でこれで着手金はふっとび弁護士も約束されていた報酬を失ってしまって気落ちもきっとそれなりに激しいことだろう。負けた理由については蓋然性を想像するしかないけれど、これだけの高額を要求した以上は相当に自信を持って臨んだはず。そして敗訴したということはつまりそうした自信が真正面から完膚無きまでにうち砕かれたってことになる。どうしてこうなったかはこれも想像だけれど現場でのいろいろと上を見て行っている画策が、上には届いておらず本気で信じて自分たちは間違っていないと上が認識していたということがあったのかもしれない。

 平目ばかりの組織でおこりがちなこと。現場の苦衷を中間が握りつぶして上にはいい顔ばかりを見せ、それを上が信じ切って下の苦衷を存在しないものと認識してしまうというギャップが、あるいは生まれていたのかもしれない。そういう事態を創業者の柳井正さんは嫌っていたはずなのに、組織も大きくなると自分の目が届かなくなることも多いんだろう。それとも知っていながら知らないふりをした? そんなことはないと思いたいけど果たして。いずれにしても敗訴という重大な事態に果たして控訴するか、するんだろうけれどもそこでの勝ち目はあるのか、あるとしたら政治が絡んで首切り特区だっけ、そんな労働力の流動性を高める施策が横やりを入れてきた時くらいあけれど、こうも完璧な敗訴ではなかなかひっくり返せないだろうなあ。今後に注目。文春も調子にのって追い打ちとかかけずにもっと挙げるべき企業をどんどと。追い込まれても逃げ切る企業が多すぎるから。

 それが何を意味してそしてどんな事態をもたらすかなんて関係ない、ただ自分たちの願いがそこに実現されれば大満足というスタンスで記事とか書かれては世界が迷惑するんだってことを、もっと知るべきなんだけれどもそういう配慮が出来ていたならこれまでだって願望から来る思い込みをネタにして罵倒を繰り広げては訴えられて完膚無きまでに叩きのめされたりなんかしない。それだけでもはや資格ゼロなのに未だ立場を堅持してはニュースではない願望を垂れ流して悦に入っているのを見て、世間もいい加減に気づけば良いんだけれども気づいている人はとっくに気づいて背を向けていて、今は同じように願望だけを拠り所にして自分を満足させたい人たちが、群がり支えているという薄気味悪い状態がますます色濃くなっている。その結果、世評とは乖離した暴論が堂々、紙面を飾って世間に流れ出てなおいっその愁眉を買うというスパイラル。もしも間違っていたら頭でも丸める気があるのか。ないよなあ、あれだけの大ポカを過去に繰り返しながら誰も丸めていない場所で、ヒラが責任なんてとるはずないよなあ。まったくもって。


【10月17日】 「大日本サムライガール」が絶好調なはずなのに、同じレーベルからひょいっと違うシリーズを出してしまって読者としてはちょっと悩ましいけどでも良いんだ面白そうだから。そんな至道流星さんの「東京より憎しみをこめて1」(星海社FICTIONS)は、経済産業省にあって震災の被災地に対する援助なんかに絡んだ贈賄事件に巻きこまれ、冤罪で逮捕された若い官僚とそれからヤクザの父親が無期懲役を喰らい、跡目を継いだ人も警察にマークされた挙げ句に、解散へと追い込まれた仁侠の組長の娘がそろって社会に挑む、と言った展開。右翼というこれもアウトローな場所から政界を目指す「大日本サムライガール」に似ているけれども、「東京より憎しみをこめて」はああいった、オープンで法に則った戦いは目指していないっぽいところが違っている。

 罪を着せられたとはいえ官僚の青年は、その後の裁判を経た後にどーして無罪だと証明して官僚としての身分回復しないのか、ってちょっと思ったけど、あれだけテレビやら週刊誌やら新聞なんかに書き立てられ報じられ、「純情ウルフ」だなんてあだ名まで頂戴しては真っ当に復帰するのはちょっと無理。童貞ってバレただけじゃなくってエロゲーなんかもプレーしていると報じられたんだものなあ、それって別に犯罪とは何の関係もないんだけれど、でもやっぱり他人にとってはその人となりは気になるところ。マスコミによって面白おかしく書かれた挙げ句に街を歩くだけで指をさされる身になって、再就職すらままならない。そんなことあるのか、っていうと現実メディアスクラムを喰らっても、名誉回復はなされるケースがある一方で、まるで報じられないままレッテルを貼られた一生を過ごすケースもあったりするから難しい。

 一方のヤクザの方だって、警察が本気になっても潰せない組なんて、九州で長引く抗争の例なんかをはじめとして、社会にいくらでもあるのにあっさり潰され過ぎといった印象。でも割に実直で経済関係でしのぎをあげて来た仁侠であればこそ、政治にかまけず後ろ盾も作っていなかったのかもしれずそれでどこからも圧力をかけられないまま、追い込まれていってしまったんだろう。親がヤクザでも娘は違うって言えば言えるけどでも、世間はそうは見ないまま、娘は好きだった絵の道を断たれ新進の版画家としての活動も出来なくなった挙げ句に決心する。そんな彼女に元官僚も合流して、2つの怨嗟が反撃へと変わっていくストーリーがこれから繰り広げられるのかな。方やとりあえず東大卒で頭脳はあるし、こなた組を整理して金もあってと揃ってはいても、官憲は巧みでメディアは悪辣。それらをかわししのいで成り上がるのは右翼少女より難しいけど、果たして。読んでいこうこれからも。

 なんか大変そうな「艦これ白書」は、空母を戦艦とやったり代替わりしている艦船を作品がモチーフにしている代のではなく昔のから引っ張ってみたりとミリタリー好きのファンが見たら噴飯ものの誤記誤植が満艦飾だそうで元より戦艦空母巡洋艦駆逐艦といった艦船が大好きな提督さんたちがファンに多い作品なだけに致命的とも言えるミスがいったい、どーしてまかり通ってしまったのかって方がむしろ今はちょっと気になる。そういうのって校閲なりがしっかりと仕事をすればおかしいよって気づくだろうし、ゲームを監修している誰かが見ればやっぱり違うと思うんだけれど、こうして現実にスルーされて本になってしまったのはきっと、チェックはなく監修も行われないフローで推移してしまったからなんだろう。

 とはいえ回収するのも大変な訳で、いったいどうするんだと思っていたら早速電子版を出すとか。店頭じゃあ売るに売れないもの山積みで書店も機会を大きく損失しているところに追い打ちというこの仕打ち。もう2度と仕入れるもんかと思いたくなるけれど、それが出来ないくらいに巨大な存在になっているからなあ版元は。電子版なら誤植ありでも後でアップデートするから良いってのもコンテンツに対する無責任さが見え隠れ。そういう態度がそれでも、今の時代の気分なんだとするともう、昔気質にしっかりとクオリティを高めた上で形にするような仕事では世間についていけなくなるんだろうなあ。

 何しろ最近は新聞社だって関連媒体の整理担当者それから校閲全部を別会社にしてしまう時代。同じ釜の飯を食い、同じ題字の元でいっしょになってクオリティを上げてきたはずなのに、お前達は間違い探しと文字の割付が専門なんだから、決まったことだけやっていれば良いんだと、本当はそこにいっぱいあるはずのクリエイティブを認められずモチベーションも抱きづらい立場に追いやられたって感じる人がいても不思議じゃない。誤植はともかく誤解に基づく言説がおエラい編集から回ってきて来ても、それは誤解ですって言えないかもしれないからなあ、下請け校閲では。そうなれば品質は下がり売れ行きは落ちてさらなる別会社化が進んでという可能性。その行く先は? 考えたくないねえ。

 そんな「艦これ白書」にはゲームをやってないってこともあってまるで見向きもしなかったのに、店頭に「ガッチャマン クラウズ キナコデザインワークス」(一迅社)が並んでいたのを見たらもう即購入を決定。もう本当にアニメ「ガッチャマンクラウズ」のキャラ絵がいっぱいで、ラフ画によるキャラの成り立ちからキナコさん自身が色もつけてフィニッシュしたものとそして、テレビに登場して動き回ったアニメ版までいろいろと掲載されていて見比べられる。キナコさんが最初っからああいった絵を描き、それをアニメスタッフが見事な再現度でアニメにしていたかってことが分かる。その意味ではキャラクターデザインの高橋裕一さんの仕事ぶりも大きく讃えたい。

 構成としては、一ノ瀬はじめちゃんが主役だけあって6ページ使われていて、ほかのガッチャマンメンバーは4ページでパイマンなんて2ページといった具合に配分されている。まあ当然。そんな中にあって僕らの爾乃美家累くんははじめちゃんに匹敵する6ページも使われていて青年姿から美少女姿まで多彩なスタイルを見せてくれる。というかカバーに描かれている累くんがもう下から煽るようにその太股をにょっきりと見せつけてくれて、目を近づけたくなるくらいなんだけれども中でもそうしたスカートからのぞかせる脚を拝ませてくれたり、本編では使われなかったナース服姿を見せてくれたりと実に多彩。それだけ設定に試行錯誤もあったってことで、そんな中からあの一途で複雑なキャラクターが生まれたんだなあと思うと益々累くんのことが気になって来た。ブルーレイディスクまではまだ遠いし、録画してある分を見返してそのキャラがどう描かれどう変わっていくのかを改めて確かめてみようかな。


【10月16日】 それが是が非でも勝たなければ、あるいは勝ち点1を手に入れなければならない試合で終盤にハーフナー・マイクをトップに入れた場合に選択すべきは彼をポストにしてヘディングで放り込んでもらうなり、落としたところを誰かが蹴り込んで早くに1点を追いつくことなんだけれども、何だ昨日のサッカー日本代表とベラルーシ代表との親善試合は前線がまるで連動しないでボールをこねくり回しているだけれサイドを崩せず中にも入れないままベラルーシの壁に跳ね返されている一方で、ベラルーシは数人で前線へと持ち込んではそこからクロスを入れて落としたところを蹴り込み1点を先取。別に勝つ必要もないしどこかに向けてアピールする必要もない試合で決して血気盛んだった訳でもないのに、1点を奪えてしまってベラルーシの気分も相当に良くなったし、気持ちも楽になっただろー。

 そんなベラルーシを相手に日本はやっぱり得点を奪えずサイドの崩しも真っ直ぐ入れてそこから回すパスも出せないまま時間ばかりが過ぎていく。ここできっとザッケローニ監督もひとつのテストとしてのパワープレーを選択したんだろうけれども日本代表のまん中に鎮座する男はこれまでどおりを90分間貫くことこそ意味があるとか訳の分からないことを言ってパスプレーを選択してはまるでボールが入らずチャンスも作れないままタイムアップ。セルジオ越後さんじゃないけど2戦2敗ではいグループリーグの敗退が決まりましたっていった未来を想像させる結果となってしまった。

 そりゃあパスプレーで崩す練習をここで目一杯にしておくっていう選択もない訳じゃないけれど、それはピッチの選手たちが決めることではなくって監督が判断することで、そうしてザッケローニ監督はハーフナー・マイクをトップに入れて吉田麻也選手もディフェンスラインからトップへと上げてのパワープレーを示唆した。ここで1点を奪うこと。そして勝ち点1を確保することを至上命題として提示したにも関わらず、動かない現場ははっきりいって必要ない。それを貫いて何か結果の片鱗すら見せられたのならまだ考える余地もあったけれどもそれもなし。つまりはまったくの無駄を繰り広げたにもかかわらず、反省も自省もしてないメンバーをもはや日本代表は諦める必要があるんじゃなかろーか。

 それで結果を次に出せるかは分からないけど、監督に任せたからにはその意思が絶対。その決然とした判断を待ちたいところだけれどでも、変わらないんだろうなあ年が明けてもワールドカップが迫っても。何で? ザッケローニ監督が決めてるんじゃないからきっと。メディアに必要な選手を誰かが入れこんでいるから。そう思うしかなさそうな選考にどーして憤らないんだ選手もファンも。慣らされてしまったんだろうなあ。こうしてJリーグも代表もスポーツからかけ離れたところへと向かい一瞬のきらめきを放ってそして消えていく。悲しいなあ。そんな裏側ではオシムさんが協会をまとめあげて延命させたボスニア・ヘルツェゴビナ代表が初のワールドカップ行きを確定させた。嬉しいだろうなあ。そして目一杯にやってやるぞと思っているんだろう。サッカーのため。国民のため。そういう意識が羨ましく見えた台風の夜。

 船橋自体は風がびゅうびゅうと吹いて雨もざあざあと降ったみたいだけれども春一番の風とそれからちょっとした大雨が通り過ぎたといった感じで朝になっても続いていた風で電車が止まって難儀はしても、被害があったということはなかった。けど台風の直撃を受けた伊豆大島では大変な状況だった見たいであの島で何人もの方が亡くなり行方不明者も出ている。窓を閉めて布団を被ってただ通り過ぎるのを待つのが台風のやり過ごし方だってちょっと思っていた自分だったけれど、場所によっては雨が降れば山が崩れて土砂が流れ込んで家が崩されるとこうことも起こり得るんだと改めて知らされた。そういう場所に住んでいる訳ではないけれど、いずれ暮らす可能性も皆無ではないとするならばどういう対処の仕方があるのかを、これを機会に改めて考えるしかないんだろう。まずは一刻も早い大島の復旧と行方不明者の無事な発見を祈りつつ、得た知識を役立てる方策を考えよう。

 大学生とはいえ未成年で飲酒はいかんだろうとか思ったけれども物語の中なだけにそこは大学生なら飲酒が認められている世界かも知れないんで判断は保留。ともあれ芦屋六月さんという人の「ニート系戦隊らぶりぃー・りとる・どろっぷす」(電撃文庫)は大学生が4人もがん首そろえて魔法少女をやっていたりする気まずさに加えてそんな魔法少女たちが酔っぱらいだったり動物が苦手だったりトレーディングカードのレアカードを見るとそっちに気を向けて戻ってこなかったりやる気ゼロだったりとちょっと大変。たった1人勉強大好きな少女だけが酔っぱらいの姉に無理矢理魔法少女にさせられ世界をまる焦げにしてしまう敵を相手に戦っていたけどいい加減いやになるよなあ。実際とってもいやいになって投げてしまった。さあ地球が大ピンチ。

 おまけに敵の幹部には同級生で学年トップの美少女がいたり主人公の少年の可愛い妹が入っていたりしてこれからの戦いが大変そう。未来からの予告で女子大生たちは数年経ってもやっぱり魔法少女をやっていたりするそうでそれはそれビジュアル的にも体力的に藻難儀な話な上に既に見方にするはずだった妹が敵に寝返っているというから歴史は大きく曲がっている。一体どこに落ち着くのか、どうやって収束させるのかと言った問題も絡みながら進んでいくことになるんだろうなあ、続きがあれば。まあ女子大生が魔法少女をふりふりの衣装でやっていたって悪い訳ではないけれど、流石に30超えるとやるのも見るのも大変なんで歴史が変わったことを契機にちゃっちゃと敵をやっつけて彼女を達を開放してやってあげてはいかが。

 さてもきゃりーぽみゅぱみゅの「なんだこれくしょんツアー」では伊勢原名古屋市川に続く4度目となったNHKホール。土曜日に市川で見たときとほぼ同じ内容で「ふりそでーしょん」も演ってくれてピースサインをがに股になって横に切る動作が見られてとっても嬉しかったし、トークも結構あってほぼ最前列にいてお母さんの手作りの衣装を着た女の子を紹介してあげて、きっと女の子にとって一生の思い出になったんじゃなかろうか。僕等が仮面ライダーの登場に喜び相撲をとって嬉しがったような。それが一生の何かにつながっているのだったりするのだ。でも平成になってからのライダー見てないんだけれど。

 ただいつもは合間に女性4人と男性2人のダンサーが順繰りに踊る幕間だったのが今回は東京ってことでKITEさんが登場して2人の原人みたいな着ぐるみダンサーを引き連れ激しいダンスを見せてくれて会場やっぱり大盛り上がり。ほかも巧いんだけれどやっぱりKITEさんキレがある。遠目にもすんごい肉体、しているものなあ。だからきゃりーダンサーの6人の紹介は今回はなし。それはそれでちょっと残念。格好いいから6人とも。 アンコール後は「PON PON PON」と「ちゃんちゃかちゃん」で締めるのが通例だったけれども今回は新曲「もったいないとらんど」をフルバージョンで初披露してちょっと驚いた。テレビでは聴いてたけどそれだけで強い印象残った曲。それだけにAパートBパートっていうのかな、最初にかかるサビがやっぱり耳に残ってた。CMでもやってるし。

 ただ次のパートはすっげえ変調でそれをよく唄うものだと感心。ダンスまで付けちゃうんだからなお賞賛。そして盛り上がりのCパートはだからとっても叙情的に響いて心に気持ち良い。そういう効果を狙っているんだろうか。大宮とかでもそのままやるかは不明。慶應の文化祭ではやるかもなあ。発売時期が近いし。そんな感じでダンスの切れ味はますます高まりトークも安定してきた感じで長くて結構ハードな日程だけれどこなす分だけ力が付くってことなんだろう。こなせる方が凄いけど。といった感じのNHKホール。次はオーラスの大宮に行く。とか言いつつ来年の横浜アリーナにも行くんだけれど。まあ仕方がない。面白いからそのライブ。


【10月15日】 子供でもいればたぶん直撃として「アンパンマン」のアニメを見せてグッズを買ってテーマパークにも連れて行ってと「アンパンマン」浸りにさせつつ自分も強く影響を受けたとは思うんだけれど、そいういう身分でもないんでまだ絵本だった時代の「アンパンマン」も読んでなければアニメとなった「アンパンマン」も熱心には見ていない。それでも伝わってくる情報があり見かけるキャラクターグッズがあって伝え聞く評判もある中からそれがどれだけ素晴らしい作品かということは知っている。そういうものが多分“国民的”と呼ばれる作品なんだろうなあ、某「あまちゃん」とかその意味ではまだまだ甘い、知らない人はまるで知らなかったりするんだから。

 そんな「アンパンマン」を作者のやなせたかしさんはそれこそ60歳の還暦近くになってようやく作り出したという。ずっと漫画家でありながらも漫画で芽が出ずデザインの仕事に作詩の仕事なんかをしつつ詩人としても活動していたやなせたかしさん。ようやく「アンパンマン」が人気となってそれがアニメーション化された時には70歳近くなっていたはずなんだけれども、そこから始まった人生であるかのよーにイベントの会場に現れては、矍鑠とした姿を見せて歩き回り唄い踊って楽しんでいた。屈託も屈折もないその生き様を比べると悪いけれどもどうしても、年齢の近い水木しげるさんと比べたくなってしまう。

 だって水木さん、早くから「ゲゲゲの鬼太郎」とか「悪魔くん」なんかで注目されて人気漫画家になっていたのに、どこか屈折した物言いをするんだもん。それはだから水木さんのアイロニカルでシニカルな性格のなせる技なんだけれども、そうした部分をやなせたかしさんはまるで見せずに、ただひたすらに「アンパンマン」を中心としたヒーローの活躍を、子供に見せては楽しんで貰おうとしていた。相手が子供ってこともあったのかな。でもそこには直接漫画とかに描いたりもした水木さんとはちょっとぴり違ったかたちで、反戦のような心理がピシッと通っていた。そういう作品を読んで育った人が満ちている世界なはずなのに、どうにもガタピシと人情とか博愛といった心理にヒビが入って欠けて来ているのは何なんだろう。今こそだから思い出そう。やなせたかしさんと「アンパンマン」の精神を。訴えてきたその言葉を。

 僕がやなせたかしさんを見たのは2003年の東京国際アニメフェアの時が1度とそれから船橋のららぽーとに東京パン屋ストリートがオープンした2004年の時が1度とあと何度かってくらいかな、最近はちょっと見てなかったけれどもすぐ前に映画「アンパンマン」が公開されるにあたってご本人が登場しては挨拶とかしていたっけ、それから余命が何週間とかも。それは冗談ではなくきっと心境として感じていて、だからこそ最後に子どもたちの笑顔を見たいと無理を押しても登場したのかも。きっと嬉しかっただろうなあ。そういう人生って果たして僕は送れているだろうか、繰り出す言葉が誰かを喜ばせているだろうか、生きていることが何かの役に立っているだろうか。ちょっと考え込んでしまうけれども、多くのことを成し遂げてきたやなせたかしさんと自分を比べるのはそもそもおこがましい。だから精一杯、やれることをコツコツとやっていこう。いつかあるいは60歳前にブレイクしたやなせたかしさんのように、自分も輝けるかな。

 そうか19・2%もあったか「安堂ロイド」の第1回目の視聴率。あれだけ前の「半沢直樹」が人気となったその後の枠に来たのが天下の木村拓哉さんが主演するドラマであるという点からまずは1回目を見てみようと思った人が多数いて、そして中身がSFドラマということでいったいどんなSFを見せてくれるんだと関心を寄せたSFの人がやっぱりいてといった具合につみかさなってのこの数字。そして終わった1回目の感想は面白いという人もいればSFとして大丈夫なのかという人もいて、そしてやっぱり柴咲コウさんが演じているIT企業の広報担当をしている女性の直情っぷりが気になるという人もいたりして、これからの展開を見るべきかどうか迷っている様子。無理に枠を拡大した感じもあって不必要なシーンもあって退屈した部分もあったしなあ。そこは2回目からどういうまとめを見せてくるか、展開をどうしてくるかって辺りにかかって来そう。だからちょい下がりつつ17%とか18%は維持してそして3回目以降がどうなるかが、目下の関心事って言えそう。どうなるかなあ。

 21歳でグラマラスで空手がとてつもなく強くで寡黙な美女から抱きつかれギュッとされてそして「質問1 年上の女性は結婚相手としてありか」「質問2  強い女性に魅力を感じるか、感じないか」「質問3 子どもは欲しいか、欲しくないか」と跪かれて胸ものと谷間なんか見せつけられて聴かれたら、たいていの男子は即座に結婚オッケー強い女性は最高ですそして子どもはあってもなくてもどっちでも良いけど子作りのプロセスは体験したいですって答えるだろうに碧井初真は朴念仁なのか武道家なのか、お断りを入れては相手を悶々とさせてだったらお命頂戴なんて心境に陥らせる。まるで分かってないけどそこはそれ、相手もちょっと強引なところがあったから激しい戦いを経た今だったら少しは考えも変わっているんだろうかどうなんだろうか、逢巳花堂「ファイティング☆ウィッチ」(電撃文庫)。

 父親がある拳法の実力者で、その下について修行していた初真少年だったけれども父親が死亡し、離婚していた母親に引き取られる形で金沢へ。途中で不良っぽい少年に絡まれていた少女を助けることになって富山あたりで電車を降りて逃げ出して、ひとばんを隠れて過ごして迎えに来た母親が言うには少女は自分の学校の生徒で拳法部の部員だとかで何と狭い世間。そして到着した金沢で初真は拳法部に入ることになるもののそこは女子部員ばかりであんまり初真は歓迎されていない様子。初真の父親が死に際にいろいろと悪評を呼んでいたことも禍して、早速1人がつっかってきて勝負を持ち出したものの実力では黒帯でも初真には父親から女の子は殴るなというきついお達しを受けていたこともあって手が出せずに叩きのめされる。

 それでも決して不真面目ではない態度を認められたか母親がコーチだったことも幸いしてか、部員として演武に臨むことになった彼らの前に現れたのが前に電車で部員の1人を追いかけていた不良であり、かつて母親がコーチをしていた女子で今は不良たちを束ねた拳法部を率いる雪子さん。この雪子さんが初真の父親にぞっこんで今は亡き父親の代わりとして初真を抱きしめさらい求婚してこづくりすら求めてくる。そりゃ受けるでしょ、受けないか、まあ複雑な事情もこれありな展開の中で真の強さとは、ってのがスリリングな拳法のバトル描写とともに繰り広げられる。結構シリアスできわどかったりする描写もあるけど一線は越えないから大丈夫。とはいえ悪評をまき散らして死んだ父親は本当に悪人だったのかそれとも。正義を愛しすぎる男だった彼の真相なんかも含めて知りたいところ。なので続きを。雪子さんももっと見たいし。


【10月14日】 サッカーの元日本代表として一時代を担った前園真聖さんがタクシー運転手を酔って殴ったといって捕まり謝罪した、って話が伝わっていて酔って自分を見失う人間は最低で、それなりにメディアにも出ている公人が他人の見本にならないことをしてはいけないし、何より他人に暴力を奮うということは立派に犯罪行為であって、示談が成立したとはいえ自省してそして立ち直っていって頂きたいと願うばかりだけれどそれとは別に、スポーツ新聞各紙がこの一件を1面トップで報じていることに驚いたというか呆れたというか。だってもう引退して9年になる元サッカー選手だよ、そして日本代表時代もあったとはいえ、ワールドカップには出られなかった選手だよ、最も輝いていたのが1996年のアトランタ五輪から数年といった“過去の人”が今、ちょっと蹴躓いたからといってどうして1面にする理由がある? そこが分からない。

 いや、案外に分かってしまうから嫌になる。ひとつにはスポーツ新聞といった媒体において過去の英雄であっても前園さんの名前がバリューのトップに位置しているという事実。過去にあれだけ取り上げ持ち上げ持てはやした記憶が今の新聞を作っている上の方には染みついていて、その名前なら1面トップだって張れるぞという認識がこびりついてしまっている。けどサッカーを日頃から見ている人間にとって、いったいそれがどうしたといった感じ。過去の実績も知名度に及ばない上に現時点では辛口で良いことを行ってくれてもやっぱり解説者の1人に過ぎない。そんな人が何かをしでかしたからといって1面に持ってくるスポーツ新聞の判断を、心で軽蔑しているに違いない。というか日頃からそのサッカーへの冷淡さもあってなおいっそうのスポーツ新聞離れを招くだけだろう。

 新聞の側からすれば今なお前園さんがトップバリューにあるということは、それを覆すようなバリューをろくに積み上げられないでいるってことの現れ。見渡せば代表選手はいっぱいいるしワールドカップに出た選手だっていっぱいいる。何より現役で活躍している選手がJリーグにはいっぱいいるんだけれど、そういう人たちを日頃から新聞紙面で取りあげることによってスターにし、知名度を高めておくという活動をしてこなかったことが今なお前園さんを御輿のような位置にしてしまっている。そして高められたバリューにすがることによってなおバリューを高めていくスパイラル。見落とされたJリーグはその内容に関わらず世間からないものとされ、いらぬ介入を読んで2シーズン制なんて事態に陥り、なおいっそうの危機を迎えているという逆スパイラル。どうにかしないとスポーツ新聞も、Jリーグも保たないんだけれどどうにもならない現実に、ただただ歯噛みする現在。まあでもジェフユナイテッド市原・千葉は地味にJ2をうろうろしているんで状況の改善に何の貢献も出来ないのであったという。寂しいなあ。

 そしてあおりを食ったのはクライマックスシリーズの1stステージを勝ち上がってジャイアンツに挑むことが決まった広島カープ。しばらくぶりのAクラス入りを果たしたのみならず、日本シリーズ出場の可能性すらたぐり寄せたという快挙がどうして新聞の1面に来ないのか、それがどうして過去の人のスポーツとは無関係の騒動に押し出されるのか、といった辺りでそれこそスポーツ新聞をその報じ方によって野球を貶めたといって訴え出ても良いんじゃないかって気すらして来た。スポーツ新聞がスポーツを尊ばないでどうするんだ。まあそういう反スポーツ的な報道の積み重ねが今のスポーツ新聞離れを生んでいたりするんだろうけれど。本当にスポーツのことを知りたいなら他を読むものなあ、ネットとか。ともあれパ・リーグの方も1stステージ突破が千葉ロッテマリーンズと決まって楽天ゴールデンイーグルスに挑む感じ。ここで勝てば広島も勝つのを前提としてリーグ3位どうしの戦いを、東京近郊の幕張で見られるってことになる。東京に集うカープ女子としてはやっぱり近場で見たいかな。だったら応援するのだロッテを。カープがジャイアンツに勝つ方が先か。

 天気も良さそうだったので起き出して東京ステーションギャラリーで始まった写真家、植田正治さんの展覧会をのぞく。再建されて入るのは始めてか、前は駅舎にあった部屋を再利用したかのように、廊下を挟んで細長く両脇に並んだ部屋を使って展示する感じだったのか新しいギャラリーはちゃんと展示スペースが作られていて作品を見る上では見やすくなっていた。でも駅って感じはしなかったから嬉しさ8割寂しさ2割。その分はドームを囲む廊下に出られたり、丸の内口の外を窓から見下ろせることで補えるから十二分なんだけれど。そして植田さんの写真はやっぱり何度みても面白い。とっても構成的。それはマン・レイであったりモホリ=ナジといった写真を1枚の絵画のように構成して見せる作家達の系譜に連なるものでありながら、鳥取という日本でも都心から遠く離れた場所であり、且つ静謐さを持った砂丘という不思議な場所を背景にして土俗的でありながらモダンでもあるという、かつてなく以降にもない作品となっている。だから今なお新しく、人々をとらえて話さないんだろうなあ。

 そんな植田正治さを僕が知ったきっかけはやっぱり、DCブランドのブームの中に燦然と輝いていた菊地武男さんがモード写真に起用して撮ってもらった「砂丘モード」のシリーズで、それを初出で見たのかもうちょっと後になって何か雑誌の再掲で見たのか覚えてないけれど、1990年にかかるあたりではすでに存在を認識していて砂丘という遠近感すら狂わせる広大な場所を背景に、人を自在に配置して不思議な感覚を見る人に味わわせる写真を撮る人だなあと感じてた。今となってはコンピュータ上で合成すればいくらだって作れてしまえそうな写真だけれど、それを人の配置によって取り上げることによって生まれる空気感、って奴が画面の構成とはまた違う迫力となっていたのかもしれない。とはいえ大勢が並び立つ写真は切り張りした合成なんだけれどそれもまた、コラージュが持つ非現実感って奴が現れて面白かった。CGだと逆にしっくり来すぎて違和感が削がれるという、そんな感じ。まあ単なるアナログ信者の戯れ言なのかもしれないけれど。

 そんな演出バリバリの植田正治さんが、かつて絶対非演出の絶対スナップをこそ至上と訴えた土門拳さんを砂丘に招いて“対決”していたとはちょっと意外というか、そういう面々と既に並び立つ存在だったということも含めて興味深かった。さすがは仕込んだ桑原甲子雄さん。植田さんをちゃんととらえる目配せもあれば土門さんを引っ張り出すだけの腕力もあったってことなのかも。そんな土門さんが砂丘を相手にそこには報道の対象がなく戸惑ったって話を対談でしていることが、売られていた図録に書いてあってなるほどなそりゃそうだとも。植田さんの写真を認めながらもそこからの突破を望みつつ挑発しつつ、けれども出てこなかった植田さんを土門さんはどう感じたか。晩年は長く患っていただけに今一度、対決があったら良かったのにとも思ったり。

 凄いのは植田さん、1990年代にかかってそれこそ80歳近くになりながらも東京とか撮っていてそれが構成主義を漂わせつつフォトジャーナリスティックな雰囲気を醸し出していて、見ていてあの時代の東京の喧噪と虚無が浮かび上がって来るってところ。スクランブル交差点とか国会議事堂とか東京タワーとか、そんなモチーフを相手に砂丘もない場所でどう撮るんだ、ってことに臆さず撮って自分のものにしてしまえる、その才能が長く存在を世に認めさせる力になっていたんだろう。2000年代に入ってなおいっそうの評価も出てきたようでこうして東京で展覧会も開かれる。嬉しいけれどもやっぱり1度は鳥取にある植田正治写真美術館に足を運んでみたいもの。島根でのSF大会ではちょっと遠すぎて行けなかったけれど再来年には米子でSF大会があるんでそのついでに是非、とは思ってもやっぱりそこからも遠いんだよなあ、車の運転を再開してそれで行くか、延々と。


【10月13日】 もう22巻なのか今市子さんの「百鬼夜行抄」なんだけれども、既にひとつの境地に入っているようで、いきなりこれから読んでも人間関係やら背景やらを分からないと何が起こっているのか理解しようがないって感じ。逆にずっと読んできた人にはその文法にも慣れがあって、ああまた何かが起こっているんだそれが見えている人見えていない人があって行き違いなんかもあるけれど、最後にひとつところにおちついて万事解決になるんだってことがだいたい分かる。だいたいだけど。

 というか、時系列とか飛んでいたり戻っていたりして、いったいいつ頃の話なのか掴みづらいし、律より司の方が目立ってたりして、その行動が行き過ぎて律が引っ張り出される展開がままあって、一種の退魔師として律がすべてを解決するような分かりやすさがない分、スッキリとした読後感を得られづらい。それも含めて「百鬼夜行抄」ってことで、どこか霧中にあって状況が分からないまま手探りで進んでいく感じ、例えるなら「サイレントヒル」のような雰囲気を味わえる漫画って思って読んでいくと、割と楽しめるかも。しかし司と星野君っていつぐらいからあんなに親しくなってたんだ。

 えっともう何巻なんだろう、12巻だっけかな佐島勤さんの「魔法科高校の劣等生」(電撃文庫)はアメリカから来たエージェントを向こうに回した吸血鬼退治も一段落して主人公達が2年生へと上がったところからスタート。新一年生も入ってきたけど事情を知らない奴らが多くて実は最強の戦略級魔法使いな司波達也を名家ではない出の人間と勘違いして次々に突っかかってくるけれど、そこは冷静沈着で半ば無情でもある達也なだけに七草の双子の少女たちは片手でいなし、七宝の向こう見ずなガキは目の前でその実力を魅せて黙らせる。それでも見せたのはほんの一端。時間を巻き戻すような力にそして核分裂みたいな力を本気で見せたら世界は壊れてしまう訳で。

 けれどもそんなこととは露知らず、挑んで来ようとする大人までいて達也もなかなか大変そう。四葉の権勢をひっくり返そうと七草が外国の勢力を手を結んでいったいなにを仕掛けてくるのか。そんなものもまとめてマテリアルバースト! ってしてしまえばやっぱり世界は滅びてしまうんだけれど、妹を蹂躙されたらそれくらい、平気でやってしまうのが達也だろうからなあ。まあそうはならないように七草の暗躍を誰かが止めることになるんだろう。真由美が不幸にならないことだけを祈ろう。策士の父親に似ず良い人みたいだから。

 せっかくだからと幕張メッセで開かれている「全日本模型ホビーショー」を見物に行く。大抵は取材日に入っているんで客層もバイヤーが中心だけれど、今日は一般公開デー。それでも前に何度か行ったことはあったけれど、今回はどこか全体に熱気があるように感じられた。別にバンダイが大々的に「ガンダムビルドファイターズ」を打ち出してそこにプラモデルの面白さを乗せたからって訳じゃない。プラモデルとの連動は「機動戦士ガンダムAGE」でも打ち出していて、子供にガンプラ作りを覚えてもらおうと頑張ってたけど、その時だって今回のような熱気は「次世代ワールドホビーフェア」ほどには生み出せていなかった。客層がちょい違いすぎたというか。

 でも今回は「ガンプラ」があるバンダイブースに集まる人が多くいただけに留まらず、ほかの戦艦とか戦車とか戦闘機といったものを並べているブースにもいっぱいの人が集まっては、展示してある模型に見入ったり、写真を撮ったりしていた。いわゆるプラモ好きの男性のそれも高齢者だけって感じじゃなく、女性もいれば子供もいた、ってところも今回感じた特色で、何か潮目に変化があってそういう層までもが模型に、あるいは戦車なり戦闘機なり戦艦なり自動車なりといったものに関心を抱くようになっていたりする感じ。その変化がどういうことをきっかけに起こったのか、って考えて答を出せるほど事情通でもないけれど、やっぱりひとつにはそうした戦車なり戦艦なり戦闘機を“キャラ”として意識できるような状況が、作られ始めているってことがあるんじゃなかろーか。

 つまりは「ガールズパンツァー」ってアニメがあって少女たちが戦車を駆って戦う内容から少女たちへの関心が生まれそんな少女たちが愛する戦車に関心が向かいどんなものかを感じて調べて知って好意を抱いて作ってみようとなるとか、「風立ちぬ」ってアニメがあってそこで堀越二郎が作ってた九試単座って戦闘機があったり堀越二郎が後に作るゼロ戦って戦闘機があったりして、彼が一所懸命に作っている飛行機とは何だって興味からそれがこういうものだと見て手に取れるものとして模型があり、だったら作ってみようとなるとかいった段取り。キャラを通じて模型がキャラ化されているとでも例えるべきか。それは過去の遺物であり一種のカタログだった戦車なり戦闘機の存在に血肉を与えた。

 戦艦はだから「艦隊これくしょん」というゲームがひとつの誘因材となって、その存在を浮かび上がらせ、手に入れてみようと思わせているかどうか、ってところ。もちろんゲームではキャラのビジュアルが少女に砲塔がいっぱい付いたような形で擬人化されていたりする訳だけれども、ゲームそのものは艦隊戦であって戦艦のスペックなりそれを使った戦術なりが戦果に大きく影響する。ならばと興味をもって調べあるいはゲームを通じて艦名に抱いた愛着がすり替わって、戦艦そのものへの興味となって模型に向かうというベクトル。それが熱量をともなって漂い始めたからこその熱気だったのかもしれない。いや本当かどうか確信はないけれど。

 「ガンプラ」は最初っからひとつひとつに強烈なキャラがあって、搭乗者が誰とか関係なしに作ってみよう持ってみようって気になるけれど、戦車戦艦に戦闘機の類はなかなかそうはならなかった。でもかつて一世を風靡したそれらが存在として劣っているってことはない。メカとして持つ機能美なり歴史の中で形作られたドラマなりを今一度、思い出させてあげれば、そこに一種のキャラ性を見いだすことは存分に可能。その一助としてアニメとかゲームなんかがあったと考えることは出来るのかどうなのか。いつか誰か専門家が調べて分析してくれるだろう。こちらはただの出没家なんで見て感じたことを勝手に妄想して書くだけだ。そういうものだ。

 会場では「境界線上のホライゾン」に出てくるメアリのフィギュアがなかなかの出来で、これはやっぱり買わなくっちゃと思ったり。そしてコトブキヤから出ていた「ズドン巫女」とこ浅間・智のフィギュアが素晴らしい出来でこれは絶対に買おうと確信する。すでに本多・二代の発売を決めているコトブキヤなだけに、戦闘モードでのキャラのフィギュア化を進めていってくれるのはファンとして有り難いところ。WAVEのミトツダイラや浅間の水着シリーズとはまた違ったラインとして、他にも欲しいところだけれどその場合は誰が良いかなあ、やっぱり立花嫁か、それともツヴァイフローレンか。

 あれだけ変態な天才科学者の恋人やってんなら、もっと明晰で非常識にも耐性があるかと思ったら、状況を理解しようとせず、激情に任せ敵ロボにつっかかったり死のうとしたりと柴咲コウさん演じる女性の役がSF脳的に納得しづらかった「安堂ロイド」。あとサブキャラをどうしてもっと自然に演じさせなかったんだ。アバズレってたりロリってたり。そこまで極端に見せる必要もないって思うんだけど、それが非日常的な雰囲気の演出に役立っているという考えなんだろうか。ちょっと分からない。設定そのものにはいろいろとSF的に興味深い仕掛けやガジェットや理論なんかが取り入れられていそうなだけに、まとまってみてどういう落ちを繰り出してくるかは興味津々。だから見よう、何となく。


【10月12日】 そして目覚めたらサッカーの日本代表がセルビア代表に親善試合で敗れていたようで、相手は既にワールドカップ2014ブラジル大会への出場が無理となって、代表クラスが何人も合流していない陣容。こちらはいわゆる欧州組ってのをズラリ揃えたフルメンバーでありながらも、無得点に終わり2点を奪われるという失態を、もはや失態ではないとか調整のためとか言ってる段階は過ぎたような気がしてならない。というかセンターバックの吉田麻也選手はプレミアリーグのサウサンプトンでまったく試合に出られていなくて香川慎司選手もやっぱりマンチェスター・ユナイテッドで干され気味。長谷部誠選手も似たような境遇でそしてトップの岡崎慎司選手も試合に出てなくって得点もなくそして遠藤保仁選手も故障気味という布陣のいったい何を試したかったのかザッケローニ監督は。

 これ1試合とそれからもう1試合に出たところでコンディションが戻る訳ではなくってむしろ代表のAマッチがあって選手が抜けるチームに残って練習を積んで監督に認められて試合に出してもらえるようにすることの方が選手にとってはよっぽど重要。そうしたチャンスを奪いつつコンディションは挙げられず連携すら整えられない試合を組むくらいなら新しくチャンスを与える選手をいっぱい連れて行って出した方が良いような気がしないでもないけれど、そんなことはとっくに言われていてなお現状のメンバー選考だからなあ。なおかつこの体たらくではやっぱり消えない解任説。かといって誰を持ってきたところで底上げは無理っぽいし。

 いやでも本当に整えるならアンカーを阿部勇樹選手にして細貝萌選手と組ませ清武弘嗣選手に柿谷陽一郎選手といった若いところを並べ本田圭祐選手からボールを受けられるようにするくらいで、何か攻撃も守備も大きく改善しそうな気がする。長友選手が怪我で離脱しないことが大事だけれどそこもまあ、駒野選手というバックアップがいるからいつだってどうにかなるだろうなあ。キーパーは川島選手で果たして良いのかどうなのか。ちょっと負けも込んでいるなかで誰か別のラッキープレーヤーを作っておいた方が良いんじゃないのか、って言われても今の日本で代表クラスのゴールを守れる選手ってそうはいないんだよなあ、出てきて欲しいんだけれど。いずれにしても残りは少ない。最終合宿の1カ月で劇的に変わった前回みたいなことの再来を期待するしかないのかな。

 まだ年若いアニメーション作家の人たちが自分で企画して設営も行い上映会やらグッズの販売やらを行うイベントの第2回目となる「ANIME SAKKA ZAKKA2」が外神田のアーツ千代田3331で始まったんで見物に行く。「やさしいマーチ」の植草航さんが立っていた。イケメンだった。「やさしいマーチ」は大好きで大好きで今みたいにネットでは観られない時期には帰省も兼ねて愛知県の武豊市まで見に行ったくらいだけれどそれくらいに観てもやっぱり楽しくて美しくて素晴らしい。今回の上映会でも観ればやっぱり大好きになる人も多いだろうなあ。植草さんには次の作品も観たいんだけれど今、何か作っているんだろうか。メディア芸術祭でいっしょに展示されてた石田祐康さんは「陽なたのアオシグレ」がいよいよ完成して上映されるというのに。期して待とうその活躍を。

 上映と上映の合間にあるインターバルではグッズのコーナーで前に観た「crazy for it」が素晴らしかった久保雄太郎さんのその作品とそれから上映された「石けり」が入ったBDとそして「石けり」の原画を買った。あんなに小さいのか原画って。「crazy…」がライアン・ラーキンばりに割とビートの効いたサウンドに載せて変幻自在な絵を魅せる作品なのに対して「石けり」は少年が石を蹴って行く様子をダイナミックな動きを描きつつ流れは割と一直線に魅せていく、といった感じで雰囲気は多分今の師匠に当たる山村浩二さんに近いかな。どっちが好きかといえば前者だけれどでも評価されそうなのは後者ってところでそんな合間を行く作品ができればなおいっそう好きになるかも。東京藝大院の卒業制作では何を出してくるんだろう。待とうその時を。藝大院組ではすでに修了している作家でウサギが音楽に乗って飛び跳ねる「USAWALTZ」がとてつもなくキュートだった池亜佐美さんの「USALULLABY」が、映像作品としてやっぱり秀逸。和田淳さんとはまた違った静謐な中に深淵な物語がありそうだと思わせ目を引きそうだけれど海外での反応はどうなんだろう。

 観た中では松永あさり(しめへび)さんの「MUSIC TRAIN」が可愛らしさでトップ級。グルグル回ったり踊ったりする女の子たちのキュートさといったら。そのビジュアルだけでも最高なのに音楽も自分で確か手がけているんだからこれは才能。どこへと飛び出していくのか注目だ。奧下和彦さん「わたくしりとり」はすごいテクニック。一筆書きで絵を描き文字を描いてそれがしりとりのように続いていくけど、あれはPC上で作っているんだろうかどうだろうか。女性が先輩で何か可愛かった。「CHACA POKO」のkoyaさんはいろいろな絵が描けて凄い人。既にみんなの歌なんかで活躍している大桃洋祐さんの「farm music」は、音楽に合わせ動物たちが踊り演奏していて楽しかったよ。瓶詰めになって髭をネズミに弦にされてた猫がちゃんと助かって良かったよ。いよりさきさん「hug」の少女が動物たちにとっかえひっかえ抱きつき変幻していく様にはアニメーションを感じたよ。白熊ってフワフワしているんだろうか。

 高旗将雄さん「驚き盤 DISCO the ONI」はフェナキトスコープを模したのかそのものなのかが気になった。中内友紀恵さん「スバラシイセカイ」は音楽と合わせ技でしんみりさせ、いよりさき「おはようカロチン」は音楽とのシンクロが心地よくさせる。そんな作品群に混じって異色なのがひらのりょうさん。「ホリデイ」だとか「hietsuki bushi」とか観て脳がでんぐりがえる不思議ワールドを展開しているアニメーション作家だけれど、その代表作ともいえる「河童の腕」はビジュアル面でぶっとびながらもストーリーは切なくて泣けてくる。自分が原因で友達を失ってそして友達の腕をもらいうけるという河童の心情やいかに。観て思おう。そんなひらのりょうさんの新作らしい「パラダイス」とかって作品の予告が流れたけれど、宇宙で人間が熊と出会ったりと世界観がさらにぶっ飛んでた。どんな作品になるのやら。完成を待とう。というかあれが作品だったのか。

 そして市川市文化会館できゃりーぱみゅぱみゅのライブ。「なんだこれくしょんツアー」では初日の伊勢原とそれから帰省した名古屋に続いて3回目になる。今回は伊勢原同様にファンクラブ先行でチケット買って入ったけれど、きゃりー自信は24本あるツアーの13本目で折り返し。疲れも溜まるころなんだろうけれどとても元気そうだった。間にテレビ出演もたくさんやっているのになあ。芸能人ってそこが凄い。あと曲数は初日に比べて減らしてトークとか入れていたって感じ。それにしてもチーバくんを知らなかったのは千葉県民としてちょっと憤慨。家にある昔買ったチーバくんTシャツを送りつけて差し上げようかと思ったり。あと観ATAして客層はやっぱり子供から大人まで超幅広いのがきゃりーぱみゅぱみゅのライブの特徴で、観客を入れるテレビだとどうしても観客が高校生以上とかになって女子が中心で、そういう層に受けてるっぽく観られるけれどライブに行くとどういう層がどういう支持をしているかがよく分かる。

 もう小さい女の子が着飾って靴をキラキラさせたり小学生くらいの女子が色のついたセーラー服で並んで観てたりきゃりーの曲に合わせたコスプレ女子がいっぱいいたり男子あいたり頭の禿げたおじさん(僕のことじゃないぞ)が踊っていたりしてその支持層の広さがよく分かる。そして誰もが楽しそうにしてる。居心地が悪いなんて誰もきっと思ってない。そこが面白いと思うんだ、きゃりーぱみゅぱみゅのライブって。だから誰もが1度はりライブは観ておいて方が良いと思う。本当にそう思う。今回は伊勢原に続く感じか何かで「ふりそでーしょん」が復活。がに股になってピースサインを横に切るダンスが可愛いかった。あとやっぱりバックダンサーのきれっきれなダンスが凄かった。ちゃんと歌詞に合わせて口を動かしている。そこが一体感を生んでいる。そういうチームに支えられて出来ているライブ。だから何度でも言うけれどライブは観て置いた方がいい。また行こうNHKホール。そして大宮ソニックホール。慶應は落ちた。しゃあなしだ。


【10月11日】 家計が苦しく学費を稼ぐためにアルバイトを朝も夕方もやっていたため高校では部活動とか課外活動に勤しんでいる余裕はまるでなく、それどころか出席だってギリギリになってしまって友人たちとのコミュニケーションを深めている時間もあんまりなかった苦学生が、自分でも入学金と授業料をギリギリ払える国公立大に行こうとしたら1次試験は日頃の勉強もあって良い得点がとれたものの2次試験は面接で高校の活動とかを聞かれ答えられず胡乱な人物と見られ落とされるというこれは悲劇か喜劇か。

 もちろんそういった個々の事情に踏み込んだ上で、それでもなお向学心がある素晴らしい人間だと評価できる鷹揚さが面接する側にあれば良いんだけれども、そんなことを1人1人にやっていたらいくら時間があったって足りやしない。だから高校から上がってくる内申書めいたものの点数を重要な判断の基準としてしまうだろうことが今からだって相当に予想されてしまうにも関わらず、国はそうした制度を導入しようとしていたりするから筋が悪いというか頭がどんがらがっちゃんしているというか。いくら理想がそこにあっても運用が悪ければろくな結果を生まないのは「ゆとり教育」と呼ばれた教育制度が証明している。

 生徒の自主性を重んじ、それを見守り誘う教員の優れた導きによって柔軟性を持って社会に向き合える人間を育成しようとしたけれど、それは生徒の側の我が侭勝手を生みだし教員の事なかれ主義を生んで成果は一部において上がったかもしれないけれど全体としては虚ろなものになってしまった。面接重視人物重視もそれを的確に柔軟に運用できることが大切なんだけれど現実、マンパワー的にも現場の現在の思考具合的にも無理っぽい。なのに何をやるかってことより何かをやることを第一義として動きぶち壊すこの国の政治の底抜けぶりが、もたらすのはいったい何だろう。

 そんな手間を減らすためにも高校での生活とかそれまでの人生をビッグデータ化して取り置いて置いて、入学者選別スカウターでもって見て点数を出して貰うようにしましょうよ、なんて監視と管理が隅々まで行き届いた社会の到来を誘おうとしているんだったらもう相当な深慮遠謀。気がつくと生まれ落ちてから死ぬまでの経路がすべて決められ復活だの逆転だのが絶対に無理な社会が訪れていたりするのかも。ああ怖い。そうなるくらいだったら大学側がもっと自主性を出して「うちは体力重視の入試を行います。門の前に教員がずらり並んで受験生を迎え撃ちます。入学したかったら戦って勝ちなさい」と言いつつそれこそ武芸百般の猛者教員たちを並べ全滅させる、なんてことがあっても良いんじゃないか。あるいは武道系の学校で生徒を武道場に集めてバトルロイヤルさせるとか。それこそ人間性重視、なんだけどそういうユニークは排除されるのがこの国だからなあ。参ったなあ。

 梅津康臣さんの新作がいよいよ放送だっていうから正座はしないけど意識して見ていたのに、とっても綺麗で可愛い女の子たちがラストエグザイル的なレトロ感とフューチャー感を持ったメカに囲まれ登場するアニメは始まったものの梅津さん的な独特の表情を持った美少女が拳銃をぶっ放すような作品でないんでまさかこれではないだろうなと思ったこれだった。「ガリレイドンナ」。タイトルのとーりにあのガリレオ・ガリレイの子孫って一家が登場してはその家に隠されているらしいガリレオの遺産を狙われ襲われたところをぎょぴちゃん搭載のメカによって救われるといったストーリーに梅津さん的美少女ガンアクションはまるでない。

 もちろん面白いから良いんだけれど独特のビジュアルを持った人を立てつつそのセンスが出ない作品ってどこかやっぱり違和感が漂うんだよなあ、大張正己さんの監督なのにキャラが大張キャラじゃないとかいった。まあテレビだと「VIRUS」あたりを最後にして大張さんならではのキャラクターが暴れ回るアニメってのはあんまりなくって、代わりに大張さんらしいパースのロボットが動き回るアニメは続いているといった感じでそこは「ガリレイドンナ」の場合も演出なりに梅津さんらしさ、って奴を捜して行くのが正解なのかも。とりあえず謎を散りばめ始まったシリーズ。3姉妹では合気道の達人なのに気弱な眼鏡の二女に萌え。そりゃそうだろ? 違うのか?

 そんな「ガリレイドンナ」に参加しながら続けざまにシリーズ構成をやってしまって大丈夫なのか倉田英之さん、ちゃんと「R.O.D」の最終巻は書かれるのかって心配も浮かんでしまった「サムライフラメンコ」。まるで情報を入れずに見たらしばらく前までノイタミナを手がけていた松崎容子さんの名前が企画に挙がっていてちょっと吃驚。復帰したのかたまたまか。でもってストーリーは杉田智和さんのダレた声がそのまま現すような実直だけれど熱血ではない警察官が、裸でうずくまっている青年と知り合い彼がモデルでそしてとてつもない特撮オタクで、正義の味方に憧れ自分も正義の味方として世にはびこる信号無視とか路上喫煙とかコンビニ前でのたむろとかって悪事を注意して回ろうとして返り討ちにあったりしていることを知る。

 半ば巻きこまれるようにして正義の味方サムライフラメンコの戦いに関わるようになった警察官の運命やいかに。っていうかリアルな彼では絶対に悪は倒せないのにそれでも突っ込んでは倒されるストーリーに先はあるのか。そこが心配だけれどまあ、倉田英之さんのことだし単なるバディが四苦八苦しながら正義を成してそれが世間を動かしていくストーリーに止めず、山あり谷あり陰謀ありのストーリーを描き出してくれるだろう。正義を成す、って意味ではちょっと前に終わった「ガッチャマンクラウズ」とも重なるテーマだけれどあちらがSNSなんかを通してつながった徒党が立ち上がり悪意を抑えにかかる「ガッチャマンクラウズ」のような方法は敷居の低さがあるけどその分正義を貫く意識も薄い。だからゲームのようにして誘う。「サムライフラメンコ」は1人の熱さが心を動かす旧態依然。でも染まれば強い。どちらが正義の正解か? そんな辺りも注目して見に行きたい。。

 わははははははははのは。某号外。いやまあ間違いは絶対にしないってことはあり得ないから笑ってばかりもいられないんだけれどそういう世紀の大失敗を過去にやり、そして今回も派手にやってしまいながらもちょっと前にその媒体に所属する偉い人が「日本共産党の機関誌『しんぶん赤旗』日曜版編集部が自身のツイッターで、まさかの書き間違えをし、それが一時インターネット上に掲載される“事故”が起きた」と大論陣張ってたりしたから何というかブーメランというか。誤報なんてなくただの誤記をあげつらって下品な言葉を浴びせかけ、「まさに『お笑い共産党』である」とまで書いて嘲っていたくらいだし。

 けどそれが今回はまるまる跳ね返って来たのみならず、他の新聞テレビ等々でニュースにまでされてしまって恥ずかしいやら情けないやら。だから間違いはあり得るけれど自分を棚に上げて他人を平気で嘲る無神経さは傍目に見ていて愉快じゃない。常の自重と自省がだから必要なんだけれどそういう態度がまるでないから困るんだよなあ。きっとまたやる。そして他も嘲り続ける。信頼を失うとも知らず。いやでもすでに「ああまたね」でスルーされてる現状が、悲惨さを極めていたりするんだけれどそういう危機感もあんまりなさそうだしなあ。参ったね。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る