縮刷版2012年8月下旬号


【9月30日】 テロリストだったライザ・ラードナーとテロによって父親が巻き添えを食らい死んだ娘が同じ組織で邂逅して、それぞれに綴られる過去と現在との交錯から生まれるドラマに魅せられた「機龍警察 自爆条項」に続く月村了衛のシリーズ第3弾「機龍警察 暗黒市場」(早川書房)は3人いる龍機兵のうち元傭兵の姿、そして元テロリストのライザに混じって元警官という比較的、真っ当なところから出てきたユーリ・オズノフが過去と対峙し現在を乗り越えて行こうとする物語。と同時に、警察が守る市民の正義の上に来る、国家が貫く国の正義といったものの間にあって蹂躙され、疎外される何かへの警鐘にも溢れていて今立っているこの場所が、果たして何の正義によって守られているのか、逆に何の正義によって撃たれようとしているのかを考えさせられる。

 父親が警官でそれも汚職を嫌った警官として尊敬を集めていたユーリも長じて警官となって働き始める。汚職がはびこるロシアの警察にあって比較的、ほぼ潔癖に近い形で業務をこなす一団に混じって自分の信じる正義を貫いてきたユーリだったけれども、ある時、尊敬する上司から依頼されて犯罪組織へと潜入してそこで何者かの襲撃を受け相棒を殺され、あまつさえその犯人に自分がされてしまってユーリは怒り憤りながらもかつて、幼少の頃に知り合いで今は犯罪組織に賊するゴドロフという青年を訪ね国外へと逃がしてもらう。途中、さまざまな犯罪組織に関わり仕事をこなし借金を返そうとしていたもののふくらむ借金、そして恩人に近い老人の死。行く当てもなくなりかけていた所に現れたのが、日本で龍機兵を使う特捜舞台を立ち上げた沖津に誘われ、潔癖だったことも証明されてユーリは晴れて龍機兵として特捜部に加わる。ところが。

 そのユーリが警察を辞めた。そして犯罪組織に加わった。かつて自分を逃がしてくれた幼なじみの仲間となって、龍機兵らしいロボットが取り引きされようとしている現場へと足を運ぶ。日本の警察に嫌気がさしたのか。ロシアと同様にはびこる汚職、あるいは正義の美名のもとに平気で誰かを踏みにじる体質を嫌ったのか。それほどまでの正義感の持ち主だったら犯罪組織になどくだらないはず。ならばやっぱり生来の犯罪者だったのか。訝る周囲の目をかわすようにユーリは犯罪組織に荷担していく、その先の展開で浮かび上がってくるのは日本でも、そしてロシアでも国が国として貫こうとしている正義の御旗の下で、蹂躙され抑圧される庶民の正義もあるのだとうこと。それは正しいことなのかもしれないけれど、同時に間違っていることでもあって、その狭間で人はいったいどちらを取るべきなのかを強く問われ、そして迫られる。

 沖津が気にする「敵」なる存在も、あるいは沖津たちが貫こうとしている正義とは違った価値観の正義をもって動こうとしている組織なのかもしれない。それが証拠に沖津たちの行動を抑制した先に、ロシアという国を相手にして日本という国が行おうとしてうる外光がもたらす価値が見える。それは誰かの私腹をこやすものでは決してない。とはいえそれで蹂躙される命がある時、やはり動きたくなるのが人情というもの。そうした小さな正義の積み重ねによってこそ、大きい正義もなし得るのだという信念を貫くことが出来るのか。かつて大きな正義の美名の元で部下を苦況に追いやった男の到来、その生き様を死に際のドラマが読む人たちに迫る、己の信じる正義を貫けと。とはいえやっぱり難しい問題。それを身近に感じて果たしてユーリ・オズノフは何を思い、これからどう動くのか、ってあたりがひとつの興味。今回は目立たなかったライザや姿、とりわけ姿の物語なんかが強く描かれるだろうことにも期待して巻を置こう。これ1冊で楽しめる物語なら直木賞にだってノミネートされて不思議じゃないなあ、とか思ったり。どうなるか。

 渋谷のパルコに「ONE PIECE」のショップが出来たってんで見に行ったらすごい行列ができていたけどそれは「黒子のバスケ」のショップの方で「ONE PIECE」の方はまずまずの入り。ポートレート・オブ・パイレーツから出ていた新世界編でのナミのローライズなフィギュアも並んでいたけど手元不如意で替えなかったのはちょっと残念、でもまあ買いすぎて置く場所もないんでとりあえず見送るのが正解か。どうしたものか。ついでに「Chim↑Pom」の展覧会ものぞいたけれど内乱ではなかった入り口の壁画がばっちり出来ててその裏側のショップに絵の具をまき散らしたような作品も純度が上がっていたような、気のせいかもしれないけれど。そしてPARCOの看板からCとPだけ抜いて引き上げた作品は相変わらずの笑える迫力。でも見ている客が僕だけってのは寂しい。こんな傑作はもう2度と見られないぞ、回顧展やったってパルコから看板かり出せる訳でもないし。一期一会の傑作に会いに行け。

 外に出てスパゲッティでも戴くと店をみたらなくなっていた。どうしたんだターミネーター。あとスターウォーズ。特撮関連のプロップなんかが置いてあった上にパンチョとは違った上品なナポリタンを食べさせてくれる店だっただけに残念だけれど仕方がないので代わりに入った牛タンの店に入ってランチを戴く。麦飯にテイルスープにとろろも付いてきて990円ならまあ良いか。牛タンといったら前にまだなでしこジャパンと名乗る前の女子サッカー日本代表が仙台で試合をやったことがあって見に行った時に食べたっけ。元祖と本家みたいな店が競い合ってた通りとかのぞいたけれど込んでいたんで別の店で食べたんだった。だいたいが同じセット。そもそも仙台で牛タンって別に産地でもないからどこで食べても一緒なんだろうけれど、本場って触れ込みが何か味をパワーアップするんだろう美味しく食べた記憶。でも渋谷のも悪くはなかった。また行こうかそのうちに。

 ずらりと並ぶ表紙絵の雰囲気から、もはや萌えノベルズへの挑戦状を掲げたっぽいC☆NOVELSにあってその筆頭に位置づけられそうな葦原青さんの「mgmg!(もがもが!)先輩と俺の悩ましき日常」はいわゆる魔法物。でもって最後そう来たかとちょっと驚かされる作品かも。少年期に異能が発動して成年になると消える魔法使いになったらその力を調査できるよう学園に集められるという社会が舞台。意に添わずそこに来た少年が出合う傍若無人な先輩たちに振りまわされ逆に振りまわして迫る学園の秘密とは? ひとつの謎が明かされたものの依然として残る大きな謎とかに挑みながらその、発動した少年の力について研究が進められては世界に何か影響を与えるような出来事になるのかハーレム的展開が続くのか。場をわきまえず突っ走り気味の少年って苦手だけれど、それで救われる人がいて感化される周囲があるなら良いのかな。とりあえずシルバーさんが可愛いので読み続けよう。


【9月29日】 テレビ放送が最終回らいしので「エウレカセブンAO」を見たら終わっていなかった。ってカマトトぶる気はないけどやっぱりクールに収めるんだったらその中できっちりとカタを付けて欲しかった。あるいは事前にそうした情報をもっと流布させておくとか。とはいえ最近アニメ雑誌も買ってないし情報も追ってないんでオフィシャルとしてそうした情報が出回っているか確認できてないんだよなあ、アンダーグラウンドには流れてきていたから別に驚きはしなかったけれど。んで完結編とやらを作って流すとか。完全に「コードギアス 反逆のルルーシュ」の第1期の終わりと同じ展開。とはいえあの時はストーリーが盛り上がりに盛り上がったところでブラックリベリオンへと至る超クライマックス。だからワクワクとして4カ月だかを待てたけど、今回は何を期待して待てば良いんだ。「今晩秋」という人の監督起用か、今千秋監督の親戚か何かか。

 違うって。まあそれも冗談の口だけれども今が秋で名月的には中秋な訳で晩秋ったら来月か遅くても11月。12月に入ったらもう晩秋とは言わないなかで2カ月間ですら待とうという気を起こさせてくれないのは展開があまりにも不明だからかなあ。作中でアオがトゥルースに向かって「なんなんだ、なにがしたいんだ?」って叫んでいたけどそれはまるまるトゥルースからアオに返して通じそう。お前いったい誰のために戦っているんだ。いったい何がしたいんだ。そしてアオを通して作り手たちへも。トゥルースって最大の敵を出してきた割には彼が何を軸にして何を代弁して戦っているのかを見せない。あるいはそういうものも既に失った反逆者として見るのだとしても、そこに至る過程に屈折も屈託もないから敵として感情移入しそれを倒すアオたちに喝采を送れない。

 倒したところでアオたちにいったい何が残るのか。世界にはスカブが満ちてそれに感染した人たちも出ているしクォーツを狙ってシークレットがとんできてはスカブバーストを繰り広げて世界を混乱に陥れる。もうどっちが見方で敵だなんて関係ないくらいにぐちゃぐちゃになってしまった中で未だに「敵だ」「見方だ」って“線引き”をしているから話がどっちつかずになってしまうんだけれど、だからといってオールオッケー、世界はピースと誰も彼もが仲間になった世界では締まりがないからなあ。あとレントン、声がアイアンマンだったりして(ホランドともいう)その意志の継承めいたもんが描かれたけれどもそれはどのホランドだ、「交響詩篇エウレカセブン」かそれとも「ポケットに虹がいっぱい」か。違うんだよ作品によって存在が。そんなあたりのグチャグチャ感を意図して分からせようとしないのか、分からせられないのかは分からないけどそれにしたって分からなさすぎる「エウレカセブンAO」が、終わっていった何が残るのか。パチンコ台か。まあそれが目的だから別に良いのか。良くないなあ。

 ナルの耳って生えてたんじゃないんだという驚きにもまみれつつ、起き出して新宿へと向かいテアトル新宿で「マルドゥックスクランブル 排気」の舞台挨拶付きの上映会を見る。冲方丁さんの原作を読んで幾年月、どこからも出せず埋もれていた本が文庫で出て良かったねと喜んでいた地平から日本SF大賞を受賞して一気にその名をSF界隈で広めてそして「天地明察」で一般層にも大ブレイク。面白かった「カオスレギオン」シリーズとか「ストームブリングワールド」シリーズの存在なんかが脇へと言ってハードにボイルドな冲方丁さんの名前ばかりが世に喧伝される寂しさはあったもののそれでも書き続けられる境遇へと至ったことは喜ばしい上に、こうしてアニメーション化までされて3年がかりで劇場公開されるんだからもう大出世。この先さらにメジャーになって行きそうな気もするけれどそれだと「天地明察」「光圀伝」の方ばかりが取りざたされてSFでライトノベルの方面が脇にやられてアニメーションとかとの接点も消えてしまうんじゃないか、って心配もちらほら。だからこそ「カオスレギオン」のシリーズをもう1度、話題にしたいなけれどゲーム絡みはやっぱり面倒なのかなあ。

 さて映画は「圧縮」「燃焼」と続いてきたシリーズの最終版でそれだと4サイクルエンジンの「吸気」はどこへ行ったんだってことになるけど輪廻じゃないからそれはなし。ルーン・バロットはどん底からはい上がって自分を自覚し成長して巣立っていく。そんな物語がまた繰り返されては見ている方だって辛いから。シーンは前回にカジノへと行ってルーレットでディーラーの女性を退けそして原作でもスリリングさ炸裂なブラックジャックのシーン。どうやれば勝てるのかをロジカルに説明しつつ心理も描きつつ手に汗握るような筆致で描いてあった原作を、映像にするとただ淡々とカードをして遊んでいるだけじゃないかと見られかねないところを冒頭から、バロットの着飾って瞑目した美しい顔をゆっくりと、分割しながら何度も見せてまず場面へと目を引きつけ、そして始まるブラックジャックのシーンに入り込ませて気をそらさせない。

 勝ったりしてたのが負けたりもしつつやっぱり勝って最初のディーラーをドボンさせて卓から去らせていよいよ現れた最強ディーラーのアシュレイを相手に繰り広げたクライマックス。アクションなんてまるでないのに言葉と映像とそして演じる人たちの声でもって繰り広げられる展開には、感情の起伏があってちょっとした場面の転換があって緊張から安心、そして戦慄へと見る人たちの気持ちを引っ張り操作してシーンに釘付けにする。まるでディーラーが参加者たちの心を操作し煽り間違わせるような感じ。それを林原めぐみさんと、ウフコック役の八嶋智人さん、そしてアシュレイを演じた土師孝也の淡々として渋く強い声の演技といった芸達者な人たちの勢ぞろいて聞かせてうれるからもう見ていて聞いていて心地良い。文章で読んだときの緊張感とはまた違った名場面を楽しめる。この辺は映像化ならではの効用か。

 その映像に関していうと無茶苦茶隅々まで綿密に描かれよく動き良く見えるといった物とはまた違った、どこか1990年代に良く見たOVAテイストというか、あるいは当時のOVAの方が動いていたかもしれないって思わないでもないけれども、必要に十分なクオリティは保っているし中盤からのガンアクションとそしてボイルドとの戦闘シーンなんかは迫力たっぷり。手にしたウフコック銃でもってホテルの中を闊歩し現れる敵を次々と射殺していくバロットの佇まいとか最高過ぎるしその後に来る殺す殺さないの葛藤とか見ていて痛ましくも美しい。ボイルドも倒して全て終わった解放感の中に迎えるエンディングは本田美奈子さんの楽曲を林原めぐみさんが歌うことで工藤進監督的に再生への祈りめいたものをそこの表現したらしい。これは賛否両論ありそうだけれど悪くはなかった。

 そんな工藤監督も含めた舞台挨拶はこれで終わりということもあって終始和やか。冲方丁さんは長身にしてハンサムな顔を檀上で見せ、林原さんは未だ衰えを見せない容色を檀上からふりまき、工藤監督も顔をほころばせてマイクを口から離す油断をみせんがらも完結させた喜びを語っていた。とりわけ林原さんは最初の企画がポシャって浮いていた自分の気持ちを再映画化によってたぐり寄せ、そこでどん底からはい上がり自分を取り戻す少女を演じたことで自分にも何か得るものがあったみたい。それがどういう形でこれからの仕事に現れてくるかは分からないけれど、寡黙なだけじゃなく賑やかなだけでもない少女を演じるという表層とはまた別に、押し潰されたところから甦る内面の情動をも含めたキャラクターの姿をそこに現出させてくれることだろう。期待。それはそれとして割と短めだったスカートからのぞく脚がなかなかだった舞台挨拶の林原さん。あとスタイルとしてややぷくぷくしていた感も見えたけど、これも秋めいてきたからか。ぷくぷく。


【9月28日】 いやあ、さすがに1万2000人はいなかっただろうSCANDALの代々木公演野外ステージでのフリーライブ。たとえば日本武道館で公演があったとして事前に周囲に集まる人数、そして終わった後に九段下の駅へと向かってあるく人波を見ればそれが1万人集まるってことの持つ意味だと分かる。たとえオープンな場所でも同じだけの人数が集まれば起こる状況は似たようなもの。ギュウギュウになってそして終われば通路に目一杯に広がる人間が見られるものが、昨日のライブでは終わった後は三々五々といった感じに渋谷にも原宿にも歩いて行けた。だからだいたい1200人とか2000にとかそんなもの。ケタが1つ違うんだけれど新聞とか見ると1万2000人て書いてあるから主催者の発表がその数字なんだろう。

 ってことは何だろう、演ってた1時間くらいの間に見て帰った人も含めての人数ってことなのかな。別に無理して数字を盛る必要はないもんなあ、1万2000人が1200人だって平日夜にはなかなかの動員な訳だし。あと盛ってバレた時のダメージとか考えるなら、普通に数字を出して頑張っているじゃん的な印象を持ってもらった方が余程かバンドのためになる。だいたいが武道館に1万人を集めたのは事実なんで動員力は確かなもの。大坂城ホールもソールドアウト確実だろうし、下手に盛り上げるよりも実績を積んで事実を見せていくのが、今ののバンドには最適なんじゃないのかなあ。虚飾じゃなく、実像としてのガールズロックバンド、SCANDALを知ってもらうのが今。栄光はその先に自然と付いてくるはずだから。

 日本経済新聞あたりが報道をして3年後だかの閉鎖が発表された青山とうか渋谷にある「こどもの城」。でも1985年にオープンした施設の閉鎖理由が「老朽化」ってところが何というか不思議というか、フランスとかイギリスだったら200年経った建物が今も改装されて使われているのに、日本では30年40年でビルが取り壊されては新しく建て替えられている。そうしないとデベロッパーが儲からないってこともあるんだろうし、テクノロジーの進歩においついていかないってこともあるんだろうけどでもだったら、欧州で古いビルが今も残っているのは何なのか。改装で済む部分もあるんじゃないか。「こどもの城」だって同様。施設の老朽化なんてものが理由になるはずがない。入れ替えれば済むんだから。建物の老朽化ってならなおのこと。30年持たずに老朽化する建物を造ったゼネコンに何を作ってるんだと文句を言ったって良いレベルだろう。

 少子化も理由にあるっていうならそれも妙な話で統計的に少子化が進んだって首都圏で「こどもの城」を利用できる子供たちの数が急速に減って、利用率が落ちているって訳でもなさそう。それなのに潰してしまうっていうのはつまりやっぱりあの場所で、そういうことをするのを“無駄”と想いたがる人の多さって奴が背景にあったりするんだろう。より儲かることをする、あるいは今儲かることをするのが正義といった風潮。それが結果として未来に優れた人材を送り出し、日本という国が大儲けする可能性を潰しているとしたらいったい誰が責任を取るのか。大手町にあったJAXAのショールームもそれが無駄だと想われ潰されて、今はエステだかリラックスだかのショップが入っている。あそこで宇宙に接した子供が未来に宇宙開発に貢献して日本を優位に導く可能性。それはゼロに近いかもしれないけれどゼロじゃない。投資でやり夢であり希望。でもそれが許されない現在がたどり着く未来って、どんなだろう?

 今月は社長と夕ちゃんだった「ヤングキングアワーズ」恒例の伊藤明弘さんによる「ジオブリーダーズ」カラーピンナップ。社長は前にもちょい違う顔立ちで描かれていたことがあたとうだけれども今回は割と当時のキャラクターに近い風体。でもちゃんと出るとこ出っ張っているあたりにリアル系の名残があるかな、漫画だとデフォルメされるともうまるでつんつるてんだから。そんな「アワーズ」では「アリョーシャ」でイギリス系の年齢不詳な諜報員が出てきてはCIAきってのオタクなエージェントのケイティを相手にアニメ談義。日本のアニメを自国の物と勘違いして素晴らしさを訴えては日本の物だと知るケイティの罵倒を浴びて落ち込んだけれどそこから立ち直って勉強して、70年代から80年代のアニメこそが至上と気がついた。それでケイティの今のも追いかける姿勢を批判したら大反論。服が脱げるくらいの喧嘩をした脇で冷静なアリョーシャが何が起こったのかと問うと倒したはずのクローンがまだ生きている様子。いったいどうなるこれから。血みどろはいやだなあ。

 連載の方はすでに終わって番外編の掲載も済んだゆうきまさみさんの「鉄腕バーディEVOLUTION」が単行本も第13巻を刊行していよいよ完結。でも巻末のおまけ漫画で軟体なあれはバチルスか誰かが「機会があったらまた会おうぜ!」って言っているから機会があったら連載再会とかあるいは「鉄腕バーディー the ORIGIN」ってタイトルで原点回帰の連載なんかが始まったりするんじゃなかろーか、なんて妄想。あるいは大御所漫画家が得意のこれまでの作品は全部1つの世界観だ的攻撃をするのに倣って「鉄腕バーディー」に「究極超人あ〜る」に「パンゲアの娘KUNIE」に「アッセンブル・インサート」といったSF系作品を1つの世界線上に並べて描いてくれるに違いない「じゃじゃ馬グルーミンUP」はちょっと経路が違うんで脇へ。「機動警察パトレイバー」は原作が別にあるからやっぱり脇。「ヤマトタケルの冒険」は入れられるかな。入れたいな。なんて。実現したらどうしよう。

 バンダイビジュアル系のオンラインショップ、BVCショップがやってた招待に当たって銀座にある東映の試写室で劇場アニメーション映画の「アシュラ」を見た。凄かった。言わずと知れたジョージ秋山さんの漫画が原作だけれど、そのハード過ぎる内容をより先鋭化させて映像化するなんて果たして可能かと誰もが心配したけど、それを軽く吹き飛ばすというか、頭を押さえつけられ顔を泥田の中に叩き込まれるくらいに完璧以上の映像をそこに現出させていた。いやあ凄い。凄まじい。見れば誰もが感じるはず。物語が持つ重たさを切なさを。そして味わわされるはず。生きる苦しみを。それでも生きていく自分を省みて、生きようと思わされる、そんな物語だ。

 凄いのは、そんな主題をあますところなく描ききる映像。3Dによるモデリングにテクスチャをはった映像なんだけれども15世紀の陰惨な世界観とそしてジョージ秋山さんが持つおどろおどろしい雰囲気を、モデルとしてもテクスチャとしてもよく出していて見ているだけでその陰鬱で滾るような世界に引っ張り込まれる。同じ東映アニメーションが「虹色ほたる〜永遠の夏休み〜」を完璧なまでの2D作画によって作り動かしてあの独特の世界観を出していたけれど、同じようにどこか掠れたような映像でありながらもこちらは3Dで作り、その恩恵を活かすようにハードでスピーディなアクションもそこに描き出している。いろいろできるんだ東映アニメーション。やっぱり日本で1番古くてそして大きい会社だけのことはある。

 声は野沢雅子さんだけれども最初のよくしゃべれないアシュラからだんだんと言葉を覚え、内心を叫ぶアシュラへと成長していく姿をちゃんと演じてた。あの言葉をしゃべれないころにいったい、どういう心境であの声を出すのか聞いてみたかったなあ、やっぱり思いを先行させながらも言葉にならない気持ちをそこに乗せて絞り出すんだろうか。それからアシュラの面倒を見る女性として林原めぐみさんも登場。優しくてそれでも一途な女性の凛然とした声をこっちでは演じ、同日公開の「マルドゥックスクランブル 排気」では刹那的な少女の陶然とした声も演じるその幅広さ。まだ「マルドゥックスクランブル」の方は観てないけれども公開日の明日に見てその差異を感じつつ巧さに感心しよう。ともあれ凄い「アシュラ」。食うや食われるやの世界でどうやって人間として生きていくかの問いを投げかけられて今、何を食って生きるべきか。3500円のカツカレーか。それはちょっと。高すぎて。給料が。窓際だし。


【9月27日】 石原伸晃前幹事長の軽佻浮薄というか中身すっからかんな言動でもってこの人に総裁をやらせるくらいならといった気分が回って、党員による地方票と国会議員による投票の合計が安倍晋三元総裁にして元総理を下回って3位に落ちて決選投票に上がってこなかったのは自由民主党にとって幸いだったのか日本にとって幸いだったのか。比べれば言動こそこの5年ほどでそっち方面にアピールしなきゃと頑張りすぎてライティもディープなあたりにどっぷりと入り込んではいたものの、少なくとも政治を回した経験があるってことで安倍元総裁が2位に入って石破茂元政調会長との決選投票になってあとは自民党内の派閥の力学っていうか、安定志向も働いたのかやってくれそうな石破元政調会長は落ちて安倍元総裁が返り咲きっていう自由民主党になってからは過去にない状況が誕生した。

 つまりはこれで麻生太郎元総理にして元総裁の復帰だってあり得るかっていうとうーん、状況が悪すぎたとはいえ2009年の衆議院選挙で民主党に大敗して政権与党の座を降りてそし3年に及ぶ野党暮らしを余儀なくさせた第一責任者ってあたりがネックになって、復帰を拒む人も多そうなんで無理だろう。でも元はといてはそうした状況の悪化を招いたのは2007年の参院選で大敗を喫して自民党の過半数割れを招き国会をねじれさせ、何も決められなくなってしまった当時の安倍総理。あれだけ世間の支持を集めてた小泉純一郎政権から後を引き継いでわずか1年での失墜は、その間に見せた政権運営の拙さって奴が世間にもろバレしたからで、その上に捻れ国会で一切の政策を運営できなくなった挙げ句に施政方針演説までして翌日にドロン。醜態を晒した。

 そこには体調不良があったって言うけどそこまでの政権運営が体調不良のせいだったって言い訳はできないし、そうならもっと早くに辞めておくべきだった。国を見て自分を見て間合いを計ってこれらを導く覚悟と思考が足りなかった人に今ふたたび、権勢を与えていいのかってなるけれども考えてみればこれは別に総理大臣を決める選挙ではなくって、最大野党の党首を決める選挙。民主党が政権与党にあってそして解散なりの手段を選ばない限り、任期となるえっといつだっけ、来年あたりまでは安倍総裁は総裁に過ぎず政策の一切に関与できない。そういう立場の気楽さか、あるいはアピールの必要性を無理に感じての突出から世間の気分とズレた言動を繰り返すと、それが致命傷となって再び総裁の座を降りざるを得なくなるかもしれない。

 なるほど某新聞とかネット上とかいった辺りの好評はあっても、それは決してメジャーな範囲ではなく、とてもとても狭い範囲でのこと。でも甘言として耳に届くそれらを世論と勘違いして突っ走れば、やっぱり世間からズレていく。自民党員による地方票が過半数を超えて石破さんを選んだように。その見極めをこの数ヶ月なり半年なり、やっていけるか否か。ただなあ、この5年でいろいろな人を近寄らせ過ぎた。極右にネトウヨに親学にその他諸々。妙に声が響くそれらに巻きこまれ一心同体を思われ多くに忌避感を抱かせかねないんだよなあ。それも自業自得だとはいえ。かといってここで切って真っ当さに舳先を向けたらこんどは背中から鉄砲玉を浴びせかけられる。前から後ろから集中砲火で結局退陣、その前に患部まで届きやすい薬の開発で抑えられている病状が、内因によって悪化しかねないか。完治って言うメディアもあるけどそういう病気でもないらしいんで、常に節制と養生と安寧が必要なのに無理をして良いように見せかけているのも心配だ。どっちにしたって大変そう。それは日本が大変だってことでもある。大変だあ。

 という訳ではないけれどもやっぱりあやかろうとカツカレーを神田神保町にあるまんてんで。小さい店なんだけれどもライスに山盛りのルーがそれも挽肉入りの美味しいルーがのっかり揚げたてのカツが載ってその上にさらにルーがかかるというサンドイッチ状態。水のはいったコップに刺さったスプーンを手にとりもりもりもりと食らってそして小さいカップで出てくる冷たいコーヒーで口をすすぐといった感じの食べ方でもって、近隣にある大学生とかの育ち盛りの腹を満たしている。そんな店でも時間を外せばまあだいたい座れて普通に食べられる。値段はたったの600円で安倍新総裁がホテルニューオータニで食べたカツカレーの6分の1とかそんなもん。それくらいで作れるってことだけれどもホテルにはホテルの何かプラスアルファがあってああいった値段になっているんだろうなあ、それにも興味があるけれども庶民はまんてんで十分。あるいは銀座にあるグリル・スイスの元祖カツカレーとかで。でもやっぱりなかなかヘヴィーな食べ物。それを食べて大丈夫なのあなあ、元気なのをアピールするのは良いけれども日ごろの節制ややっぱり必要なんじゃないのかなあ。自分を律する強さを本当だったら見せて欲しいんだけれど。それを見せて胃腸の弱さを突っ込まれたら精神の強さを訴え返す肝の太さを訴えれば良いんじゃないのかなあ。

 どっちがより山下達郎さんかというとピンポイントで特徴をとらえているとり・みきさんのタツローくんの方がテレキャスターとか持っていたりする分、本人に近いんだけれどそおは「ぴあ」で長年アーティストの似顔絵を描いてきた及川正通だけあって「山下達郎ぴあ」の表紙絵の達郎さんは表情ばっちり髪型ばっちりに特徴をとらえて迫ってくる。これえワッチを被りジーンズを履いていればなあ。それはコンサートでの達郎さんで普段は違うって言われそうだけれど、掲載されているインタビューを読んだらもう普段からジーンズはエドウインの402でもってそしてシャツは襟が付いた普通の長袖のシャツの袖をちょい曲げて着ているとか。これで帽子を被ればもうライブに現れる達郎さんそのまま。日常と会場のまるで変わってないところが、正直となって誰からの信頼も得てそしてあの竹内まりあさんの信用も得て愛情まで得て結婚という事態に至ったんだろうなあ。見栄っ張りな東京人だと自分を言うのにその気配がまるでない達郎さん。でも才能があるからそれで通じるんだろうなあ。そうじゃない圧倒的多数はだから虚飾の皮を被るしかないのだ。

 そんな「山下達郎ぴあ」からは達郎さんの趣味嗜好から日常めいたものまで漂い出ていて興味深い。ファッションについてもそうだけれども落語についても映画についても舞台ついても語っていて割にアップ・トゥ・デートな毎日を送っているっぽい。いろいろ観ているんだなあっていうか。あとアートについてもマーク・ロスコが好きだといってJDC川村記念美術館って佐倉から送迎バスで30分とかかけてたどり着ける美術館へと足を運んでいるんだとか。ちょっと前に行ったけどロスコの巨大な壁画とも言えそうな作品が部屋にどかんと置かれていたりして、全身で浴びるような感じて楽しめたっけ。その空間に娘さんと佇む達郎さん。ううん絵になる。あのまるで静謐で動きのない絵からいったい何を学ぶのか。いやいやあれでずっと観ていると表面の濃淡やら凹凸やらがだんだんと見えてきて動きも出てきて静謐ななかにリズムめいたものが浮かび上がって来るんだよ。それを感じに行っているのかな。っていうか竹内まりやさんが電車で千葉の美術館に行ってるて話していたから総武線なり京成のって佐倉駅まで行っていたりするのかな。ちょっと面白い。でも突然出合ったら面食らうだろうなあ。「あっ」って驚きそう。「RIDE ON TIME」でCMに出た直後とか、周囲から「あっ」「あっ」って言われまくったんだろうなあ。

 なんかタダでライブが観られるってんで代々木公園の野外ステージまで行ったら本当にタダでSCANDALのライブが観られたというか聞けたというか。新しいアルバムの発売を記念したプロモーションみたいなものだけれどもインストアで3曲くらい歌って終わりとかじゃなくステージをつかい機材もいれて1時間、9曲くらいをガッツリやってくれたんで良かったというか良すぎたというか。10月から始まるツアーにも2本くらい参加するけどそっちとは違った野外ならではの通り抜ける雰囲気って奴を味わえた。見渡すと女子高生とか結構いたりして憧れたのバンドになっているみたい。あと外国人とか、キュウベェのフィギュアとかぶらさげ「おれの妹がこんなに可愛いわけがない」のフィギュアとか袋にいれて下げた。サウンド的にはHARUNAのボーカルがやや小さかったのはPAのセッティングのせいかそれとも体調面での影響か。RINAのドラムがしっかり響いていてどんどん巧くなっている感じ。バンドはドラムが命かな。大坂城ホールも決まったそうで1つの夢を叶えてしまってその先は。続いて欲しいよ10年は。さあ本番のライブに向けて新譜を聞き込むぞ。


【9月26日】 大野安之さんという大好きな漫画家の中でも「That’s イズミコ」に並んで好きな作品が「ゆめのかよいじ」(角川書店、1200円)。大昔に1度単行本として出ながらもそれを2000年代に入ってだったか違ったか、大塚英志さんの差配だったが違ったか、ともかくも新しい絵柄で描き直された漫画だったけれどもそこに描かれた主題の儚さ、ビジョンの美しさは強く心に残って、「去って行くものがあって、生まれるものがあって、それが去って、さらに新しいものが生まれる繰り返しの中で、人は思い出を育むことができる。その素晴らしさを噛みしめることができる。『ゆめのかよいじ』でも、過去に縛られた梨絵は新しい出会いを経て歩み去ることができた。梨絵との出会いと別離を経た真理は未来に生きる次の世代へと思い出を伝えることができた。思い出の連鎖がそこに生まれ、育まれようとしている」って感想文を書いた。

 実を言うなら描き直される前の絵が好きだったんだけれどもそれはともかく描き直されたものですら、現在は入手困難で最近ようやく「That’s イズミコ」と「精霊伝説ヒューディー」がJ−コミに入って何と無料で読めるようになって嬉しがっていたらこの「ゆめのかよいじ」が知らないうちに映画化されていたというから驚いた。人気漫画の映画化だったら大勢が騒いでメディアにも話がバンバンでるのにこちらは直前まで誰もほとんど気づいていなかったというもの。出演は「時をかける少女」で芳山和子を演じた石橋杏奈さんに、「とある飛空士への追憶」で王女ファナを演じて「ひ・く・う・し・さん」って可愛い声を聞かせてくれてた竹富聖花さんとなかなかのメジャー級。それなのにまるでここまで評判になっていないのは原作の知る人と知る度の高さって奴なのかもなあ。でも知っている人には傑作になるしかないと期待は上々。あとは仕上がりだけれど果たして。新潟をご当地としている監督だけに新潟からの上映になるけど是非に早い段階に東京へ。来なければこっちから見に行ってやるからな。

 「惑星どうしの激突という未曾有の天変地異は軌道がずれて回避されたぞ万歳」「でも軌道がずれるのって地表にはとてつもない天変地異を巻き起こすんじゃねえの」「……」という会話がビラジュリオとリゼルマインの間で果たして交わされたのかは分からないけれども懸案だったレガリテとデメトリオの激突はどちらかの軌道がずれたかして1000年後に当たることはなくなったとかでとりあえずのところは大団円。小さくなってしまったリゼルマインはこれからアステリアちゃんみたく小さいまんまで2万年くらい生きていくのかそれとも止まっていた時間が動き出したことでここからアステリアちゃんともども成長していくことになるのか。

 まるで分からないけどまあそれはそれで楽しいエンディングを迎えられたってことで気持ちよく見終えられた「輪廻のラグランジェ2」。そもそもウォクス・アウラって何だったんだ的疑問はすっ飛ばし、世界は救われたってことで満足するのが正しく楽しい見方なんだろうなあ。ジャージ部も宇宙進出を果たしたし。次は異次元からの襲来か。そして鴨川とジャージ部は気泡の壁を超えて異次元の宇宙にまで進出していくことになるのか。ユニフォームはもちろんジャージ。それはやがて戦闘服となり礼服となり宇宙服となってあらゆるフェーズで使われる事になるのだ。パワードジャージとかフォーマルジャージとか。どんなんだ。そして鴨川シーワールドでイベントかあ。見たいなあ。行こうかなあ。千葉県民的に行くべきかなあ。

 2021年3月期の連結決算短信を見ると現金及び預金が4620億円くらいあってそして有価証券が4963億円あって、足せば9500億円とかの流動資産が内部留保されている上に借入金はなく社債なんかもゼロだったりするからまるまるプラスな財務内容の会社をいったいどう見たら「瀕死」なんて見出しを付けられるんだろうかと唖然呆然の思いでながめたとある新聞のゲー無関連企業の記事。おまけに同じ新聞ではほとんど1年前にも「瀕死」という言葉を使って同じ企業をあげつらっていたから何というか何とも言いようがないというか。

 そもそもがその新聞は何かとっても日本語を大事にしていて、相撲を見た総理が力士の勝利に「鳥肌が立つ」って今の時代なら十分にそう言えるって辞書にも書いてあるように使ったのを、まるで知らないふりして揶揄したくらいだから、辞書なんて引かなくたって「瀕死」がどうう時に使われるかくらい分かっているだろう。それは今すぐにでも死んでしまいそうな時に使う言葉で、つまりはそのゲーム関連企業は1年前に死に体だった訳で、それなのに1年経ってもまだ生きていて、それに再び「瀕死」って見出しをつけることって何かどこかズレている。

 いやいや今がまさしく「瀕死」だから使って不思議はないと言うんだったら、1年前のそれは間違っていたってことになるんだけれど、それを間違えたって謝った節はない。そして大事なことに今もなおそおその企業は分厚い財務内容によって「瀕死」なんて言葉が近寄っただけで消し飛ぶくらいの健全な経営をしていたりする。まあ家庭用にしても携帯型にしてもゲーム全体がソーシャルな方面に押されがちな中で、パッケージメディア主体でハードウエアも作っている会社が壁にぶつかっていることは事実だけれど、そうした枠組みの中においては未だトップを突っ走っている企業を挙げて「瀕死」って言うのはやっぱり間違い。むしろ誹謗中傷の類であって経営に対する妨害であり市場攪乱の謀略であるって訴えられたら敗れ去って不思議はない。

 さすがに大人の企業で、滑る筆にも鷹揚に構え見る人が見れば分かるはずだと泰然と前回はやり過ごしたのかもしれないとしても、2度目となると果たしていったいどう出るか。というか出ないといつまで経っても改まらず風評を流して世間を惑わすことになりかねないけど、一方でそうした風評が届く範囲がその新聞の特性から限定されていて、大きな影響はないっていった判断がそこにあったりしたら、今回も知らん顔してやり過ごすのかもしれない。それは新聞の勝利でもなくむしろ最大の恥辱なんだけれども、そうとは思わずやりこめたぞって歓喜し拳を振り上げていたりするんだろうなあ。絶海の孤島で誰にも見られないその拳を。何かそんなのばかりだなあ。どうしたものかなあ。どうしようもないんだろうなあ。

 米たにヨシトモさんが監督なんでもしかしたら主題歌とか歌ってんじゃないかなんて思ったかというと、既にテレビなんかで「UNISON SQUARE GARDEN」の楽曲が流れているからそれはないて分かって見たんであの地の底からうなりを上げるようなボーカルは聞かれず残念といえば残念。でもまあ聞きたかったら「ベターマン」を見れば良いからそれはそれで、なぜかDVDボックス持ってるし。という訳で「劇場盤TIGER&BUNNY The Biginning」は虎徹とバーナビー・ブルックス。Jrのコンビがどうやって生まれどういう風に諍いしながらだんだんと関係を深めていったかを描きつつ、ほかのヒーローたちの活躍ぶりもちゃんとしっかり見せてあの作品の良い導入になっていたって感じ。オープニングから企業のロゴをバンバンうつしてそういうものだって分からせているんで、そういうものだということを知らない人が見て、本編に入って胸にソフトバンクだのバンダイだのってロゴが入っていても、それほど驚かないんじゃなかろーか。

 ヒーローたちが企業に属してスポンサーを得ながら競い合っている姿をテレビ局が放送しているって設定も最初っから段階を追って説明してあるからこれも驚かずに入っていける。そうやって始まった物語そのものでは超能力を得た者があるいは虐げられ、あるいは持ち上げられながらも自分の力を正義に使いたいといった気持を持つようになって戦いに挑むになって頑張っていて、そこに力を明くようする存在が経ち塞がっていろいろと問題が起こっている中で、それでも正義を貫くことの大切さって奴が伝わるようになっている。悪を抹殺するのが正義だっているハードな正義はまだ出てないけれど、それは2013年秋という続編で描かれるのかな、なかなかシリアスっぽいし。けどテレビシリーズがあれだけあって、本編が終わって映画が1年ちょっと後ってのは早いのか遅いのか。「魔法少女まどか☆マギカ」も似たようなものだからやっぱりそれだけかかるのか。でもちゃんと人気を維持しているところにこの2作品の凄みってやつが伺える。アプリポワゼな映画はみんなちゃんと覚えているかな。いないかな。


【9月25日】 驚いたのは直政が駆る武神の地摺朱雀が、江良・房江が駆る道征き白虎によって表側を破壊されてその駆動部に収められた直政の妹が見えた時で、てっきり子供の頃に収容されたままの姿で眠っていると思ったら、これが直政もびっくりなくらいに立派に成長していて、あるいは直政よりも大きそうで、もちろんアデーレ・バルフェットなんて元がゼロだからいくら掛けようとも追いつけないくらいのサイズになっていた。死んではいないって証明か。ちゃんと生きて姉といっしょに戦っているということか。何か泣けてくる。けどあのまま成長したらやがてケースを突き破ってしまわないかと心配。そうはさせじとアデーレやら鈴さんやら、そのうち登場する里見・義康ことペタ子なんかが必死で押さえるなりかっぱらうなりするんだろうか。でももはや手遅れ感はあるけれど。薄いよなあ、アデーレ。

 そんな名場面もあったアニメーション版「境界線上のホライゾン2」は冒頭から親愛を持っての斬り合いすらもそう言うんだと勝手に解釈した本多・二代のセックス発言に立花嫁は慌て焦ってそして怒り総攻撃へ。けど西国無双の立花・宗茂を一時は襲名するかもなんて言われていた割に宗茂に破れ、そしてフルアーマーな感じにしてもやっぱり二代に敗れたところをみるとあれで案外に弱いのかどうなのか。二代はその後に何度も敗れて落ち込むくらいだから世界の中では決して最強ではなさそうで、それに負けた立花夫妻の立場が最近ちょっと分からない。でも西国無双だし。ううん。ともあれ二代は柴田・勝家とかに敗れて落ち込み腑抜けたところをやっぱり現れた葵・喜美とその母によって鍛え直されピクニック気分で勝家と互角に渡り合うまでになるんだから、やっぱり潜在能力は高かったってことなんだろう。宗茂とやりあったら果たしてどんな感じだろう。瞬殺か。父の本多・忠勝によって割断されていない本気の宗茂相手に瞬殺されるのか。いずれ見たいなあ、そんな場面。

 そして朝になったのて銀座の山野楽器へと向かって山下達郎さんのベストアルバム「OPUS」の初回限定版って奴を購入する。いつもだったら店頭だと何かくじ引きとかやっているなけれど今回はとくになかった代わりって訳ではないけれど、7階でアルバムのプレゼントとして用意されている歴代のアルバムジャケットをプリントしたTシャツが実物になって展示してあったんで上がってのぞいてついでにアルバムから応募はガキを抜いて箱に入れておく。何が描かれていた奴だったっけ、確か「CIRCUS TOWN」と「MELODIES」と「POCKET MUSIC」だったっけ違ったっけ、そりゃあ名盤の「FOR YOU」が入ったセットとか、達郎さんの格好良さが炸裂している「RIDE ON TIME」が入ったセットとかの方にも弾かれたけれどもどのアルバムが好きか、って問われたときに悩んで出てきそうなのが「MELODIES」だったりするんだよなあ、リアルタイム性って点で「FOR YOU」と分けあっているっていうか。んで競争率の高そうな「FOR YOU」は避けたって訳で。まあそな感じ。

 達郎さん的にもそんな時代の楽曲に関心が高いのか「OPUS」いは「MELODIES」から「高気圧ガール」と「哀しみのJODY」と「クリスマス・イブ」が入ってきていて「SPARCLE」と「LOVELAND,ISLAMD」と「YOUR EYES」が並ぶ「FOR YOU」と互しているって感じ。「あまく危険な香り」はリマスターの「FOR YOU」に入っているからそっちの側に与するのかな。でもやっぱりMOONで最初のアルバムだから思い入れもあるんじゃなかろーか。ただシングルの「スプリンクラー」は入れて「メリー・ゴー・ラウンド」を外してしまったのはちょっと残念、あのベースの音とそして叫びだしは絶品なんだよアルバムのB面トップとして。まあこの感覚はアナログ盤先行のアルバムなればこその感覚であって普通に流した時にやっぱり耳に残らないのかな、ライブでもあんまりやらないし、それともドラムが青山純さんじゃないと出来ないとか、ううん、小笠原拓海さん頑張れ。

 とうか「RIDE ON TIME」からタイトル曲しか入ってないってのも意外だけれども入れるに足りるとなると「夏への扉」か「SILENT SCREAMER」かに別れそうな気もするし、ライブでやってる感となるとどっちもあんまりないから仕方がない、というかRCA時代をシュガーベイブも含めて1枚にまとめなきゃいけないってのが辛すぎる。まあそっちには「GRATEST HITS」があるからそっちを揃えておけってことか。まあ仕方がない。そしてMOON時代からはいろいろ入っててもしかしたら聞いても思い出せない曲もあるかも。昔はそれこそ車にもカセット持ち込み100回は聞いてだいたいの曲を覚えてしまっていたけど最近は、リッピングして数度聞くのが精いっぱい、それでライブでまた聞いて思い出すくらいになっているからなあ、金銭的環境的に音楽に浴びられるようになっても心情が音楽を遠ざけている。これが歳って奴なのか。あれが若さだったのか。まあそれでもさすがはシングルカットなりタイアップが大半な3枚目。この歳のアーティストがこれだけのタイアップを取ってるってのを見て改めて気づいて驚いた。偉大だなあ。そして偉大さに気づいて増えたファンでますますライブのチケットが取りにくくなる。困ったなあ。でも嬉しいなあ。そんな思いを噛みしめながら、これは出来るだけ聞き込もう。

 そんな達郎さんにえらく雰囲気が近いってことで評判になったジャンクフジヤマさんの新しいシングルが出ていたんでこちらはタワーレコードで購入したら前の「あの空の向こうがわへ」のアコースティックライブバージョンってCDがおまけでくっついてきた。ビートを効かせたサウンドも達郎さんっぽさのひとつだっただけにどう聞こえるかに興味があるけど、そのシングル盤「あのそらの向こうがわへ」に入っている3曲目のライブの音源がアコースティックでしっとりとして良い曲なんで、そっちの傾向を色濃くだして魂で歌うシンガーとしての本領を、きっと見せてくれているだろう。似てるってこでは過去にもいっぱいの達郎さんフォロワーが現れてはシティポップの流行り廃りの波間に消えてしまった。そうじゃないシンガーとして独自性を出しつつフォロワー的な関心を誘うなら、持ち前の歌声の力ってやつを出していった方が良い。その意味でアコースティックってのは特徴が出せるから。さていったいどんな感じになっているんだろう、聞こう。「SCANDAL」の新譜はそのあとかなあ、武道館ライブのブルーレイディスクも出てるしなあ。


【9月24日】 アニメーション版の「はぐれ勇者の鬼畜美学(エステティカ)」は俺たちの戦いはこれからだ的にそろって異世界へと向かっていったんの終了だけれど、続きがあるとは限らなさそうなのが何というかちょっと残念。強敵も出てきて鳳沢暁月だけではかないそうもないところを連れて行った仲間なのか敵なのか、分からないのも含みながらのパーティが、戦い倒していった果てに明らかになる美兎の存命の意味なんかが、気になるんだけれどそれが描かれるのはいつの日か。あとは暁月の父親の存在とか、コクーンって世界を支配しているゼーレめいた存在の意味なんかも、すべて放り投げられてしまっているので誰かに受け止めて欲しいところ。でもどうかなあ、そうやって終わった作品が続いた試しって、あらかじめ分割が予定されていた作品を除けば最近あんまりないものなあ。「神様ドオルズ」とかっていよいよ本格的な戦いが始まりそうなところで棚上げだったもんなあ、ってあれは続いてもクールが持たないから原作が溜まるのを待っているのかもしれないけれど。

 一方で「織田信奈の野望」の方も金ヶ崎の退き口から織田信奈の乱心を経て相楽良晴との再会へといたって仲睦まじいこと羨ましいこと。もしかしたら本能寺の変は良晴の感情が信奈に向き過ぎたことに明智光秀ちゃんが嫉妬を燃やして、本能寺まで燃やして仕舞うから難じゃない過渡すら思えてきた。げに恐ろしきは女の情念。良晴的には羨ましいけれど。そんな感じで終わったものの終わりの終わりで甲斐の武田の四つ割菱が出てきては、床几に座るあれはたぶん武田信玄なんかが登場して、メラメラと天下統一への炎を燃やしてた。これに上杉謙信なんかも絡んでしっちゃかめっちゃかとなった先に、毛利勢まで出てきて始まる本能寺の変へと繋がる相楽良晴の西国遠征。そこで竹中半兵衛の命脈が歴史上では尽きることになるんだけれど一方で、黒田官兵衛の台頭もあってつながっていく秀吉の命運。小説版の「織田信奈の野望」ではそこで歴史に逆らい命を絶やすまいと頑張る良晴に、歴史の魔のようなものが絡んで混迷を見せていくんだけれど、そこまで果たして描かれるのか。単なる武将の女体化アニメのままで終わらせてしまうのか。第2期を期待したいなあ。ここまで作画が綺麗なアニメーションも他になかなかないからなあ。

 「@バンチ」の11月号で浅田有皆さんの「ウッドストック」でいよいよ学も悟ったみたいで、前回にブラジルあたりまで行って椎奈がドラムの腕に磨きをかけ、その前にスゥが父親との関係に悩みながらも、自分の居場所をまずはここだと定めて声に乗せるようになっていただけに、学の覚醒が加わってこれでいっきにサイが加入したブンダーカマーとのバトルを制して、フェスティバルへの出場を決められるかっていうとそこに至るまでには、きっと学の父親なんかが絡んでいろいろややこしいことになっていったりするのかな。それにしてもいつもながらシーンが格好いい「ウッドストック」。ザジが投げたフライングVを学が受け止め、弾き始める場面なんてあの重たいギターをどうして楽のいる場所までぴたりと届かせられるのか、って思わないでもないけれど、その瞬間だけ時がとまったかのようにスローで流れてギターが収まるべき場所に収まる格好良さを考えるなら、あるかないかよりあって欲しいと思うべき、なんだろー。それを受け取りあっけなく弾いてのける楽も凄いよなあ。今のプロで言うなら誰クラスの腕前なんだろうなあ。できて当たり前なのがプロなのかなあ。

 藤栄道彦さんの「最後のレストラン」いはあのナポレオンが登場したけど、栄耀栄華を極めている時ではなくってこれはすでにセントヘレナ島に流された後みたいでハドソン・ロー総督が出すワインが腐っていると文句を付けては持病だった胃の痛みに効く甘草なんかを囓っている。そんなナポレオンが、時空を飛び越え現れたレストランで嗜んだ料理とは。最初は別の覆面調査員らしいナポレオンめいた要望の男にかかりっきりだったシェフも、ナポレオンみたいな男を認識してちゃんと食事を出した様子。塩糀かなにかに着けた肉料理は仲間で柔らかくって味も染みてて、病気の胃にもちゃんと受け入れられたとか。それで長生きをしてセントヘレナから脱出していたら歴史も変わったか。変わらないのが「織田信奈の野望」とは違う「最後のレストラン」という物語の良さえもあり寂しさでもある。分かった人生に向かい自分の最後の晩餐を何にするかと問うのが良いのかも。うめさんの「南国トムソーヤ」はキャッチボール物語。校庭に穴が開いてボールが落ちて取りに行こうとしたら鍾乳洞で夜中に忍び込んで海までも道を探ろうとしたという少年たちの友情物語。分かりやすいけど話あんまり進んでないなあ。あのディベロッパーの美人はもう出ないのかなあ。

 国の関係とか時代の状況とか綿密にチェックしていないんで、これが「とある飛空士への追憶」からどれくらの時代のどのあたりの話になるのか分からないんだけれど、まあ空を飛ぶ機械があってそれを操縦する人たちが飛空士と呼ばれていてそして海には大瀑布があって段差になってて船でこえるのは大変で、そして世界はテーブル状になっていたりするということだけを理解してさえいれば、シリーズの他の作品も大丈夫ってことで犬村小六さんの「飛空士」シリーズ最新作「とある飛空士への誓約」(ガガガ文庫)を読んだら、だいたいが若い士官候補生たちが7人で二式大艇を操って、夜間に戦線の真っ直中を抜けていくという決死行のストーリーだった。1人は父親がエースパイロットだった少年で、ある年に敵軍の襲撃を食らって父も母も姉も死亡し少年はひとり生き残って飛空士になろうとしている。そんな少年とまだ幼い頃に知り合った少女もやっぱり飛空士となって、少年と同じ学校に通っていて、そして訳あって海を越えた大国の飛空士の学校に留学することが決まったという。

 そして集まった場所には、少年と同じ国の出身で刀を振るう先輩の少女がいて、少年の父親が撃墜したエースパイロットの娘がいて、背の低い少女がいて、軟派な態度の少年がいて、強いリーダーシップを持った少年がいるといった具合。そんな7人が飛空艇に乗り込み、操り多くの親善使節たちといっしょに海を越えて帝国へと向かう途中に襲ってきた敵がいて、戦闘状態の最中に少年少女7人が載った飛空艇は1機離れて攻撃をしのぎ着水から修理を経てもともとの目標に向かって飛び立ったところに再び攻撃が始まるという大変さ。おまけに7人の中には敵国で鍛え上げられたスパイがいて、そして断絶した王族の忘れ形見もいたりして、あれこれいろいろと画策をしていそう。それがいったい誰なのかはまるで不明。そうらしさを感じさせる描写もあるけどきっとミスリーディングを誘っているんだろう。そんな正体明かしの楽しさと、少年をめぐって幼なじみの少女と、父親のライバルの娘が激突しそうな雰囲気もあってラブが炸裂しそう。なおかつ7人の盟約が後に世界を揺るがすといった前振りも盛んにされているだけに、この先にどれだけの激動が待っているのか。続きを読むのが今は楽しみ。きっとあいつがスパイだろ思うけど、どうなんだろ。


【9月23日】 秋分の日じゃない。なんでだ。って言われたってそれはお天道様に聞いてくれとしか文字通りに言えないんだけれどもしかし秋分だけあってすっかり秋めいてきて、水でシャワーを浴びるのにもちょっと苦労が出始めた。お湯にすれば良いじゃんって言われそうだけれどもお湯が出ないんだようちのシャワーは。困ったなあ。直せば良いって問題はそこに業者がたどり着けないことなんだよ。困ったなあ。掃除しろ。したいなあ。という秋晴れにはほど遠い天候の中を東京ゲームショウの最終日。幕張本郷駅からバスに乗って到着するとすでに幕張メッセをぐるりと取り巻く人の行列ができていた。

 初日の業者日に言ってから中2日での一般デーは、午前9時半に開いたみたいで10時の到着時には人気のゲームソフトのブースには大勢の人が集まり、試遊台でプレーしていたかというとそういう所もあったけれども、人だかりが目立ったのは何やらカードとかコードとかを配っていたところ。つまりはソーシャルゲームのデータが取り出せるURLなりの配布でそんなんだったらネットでやれば良いじゃんと、これまた言われそうだけれどもそれをやったら人が集まらない。むしろ現場で渡すことによってプレミアム性を出して人を集めてプロモーションも一緒に行うという構え。それでもこれだけ集まるってところにソーシャルゲームの浸透具合ってものが見てとれる。

 昔だったら派手にブースにゲーム機を並べたり、デカい袋に宣伝材料を詰めて配ったりして大勢のファンを集めていたけど、そういう必要もなくってコスト的にもなかなか安心。スクウェア・エニックスもコナミもセガもいわゆる試遊台ってものをあんまり置かずにソーシャルなイベントなり配布なりにブースの過半を傾けていたように見えたのも、そうしたパッケージからソーシャルへと移り変わっている業界事情を映したものだったって言えるんだろう。対してソニー・コンピュータエンタテインメントはハードメーカーでもあるだけにPS3とPS VitaとPSPをそこに置かざるを得ない状況。あとカプコンも人気ソフトが多いだけに先取りして楽しんでもらっていた感じ。人気タイトルは人気タイトルとして盛り上がり、それ以外はしょぼくれる二極分化とそれからソーシャル化を感じさせるゲームショウだった、ってことで総括。しかし22万人オーバーかあ。それもやっぱりソーシャルの人気の繁栄ってことかなあ。

 あとゲームショウではニッポン放送でいよいよ吉田尚紀アナウンサーがその名前を冠されたレギュラー番組を持つことになってその中で使われるトーンコネクトってピポパポ音からデジタル信号を取り出す技術を使ったサービスの可能性なんかをプレゼンテーション。バージョン2ではURLだけじゃなくって画像をそのまま送れるようになるらしい。どんな技術だ。調べたい。しかし2004年ごろにはインターネットで細々と番組をやっていた吉田アナがいよいよニッポン放送でも看板アナに。得意の音楽とオタクとITの知識が今、世間に求められていて、それを局側もキャッチしているってことだろうなあ。その辺りが共にアグレッシブ。対して新聞は……。言ったら口が寂しくなるから言わない。企業とタイアップしてラーメン作った話で新聞協会賞を狙いに行くってところが何というか。ううん。美味しいけどね。

 みなみケントさん原作で環望さん漫画の「エンジェルパラベラム」が第3巻の絶好調なところでもって連載打ち切り、単行本も出ないといったことになって衝撃を受けていたら、「サイレントメビウス」にして「遊撃宇宙戦艦ナデシコ」にして「蒸気探偵団」の麻宮騎亜さんがずっと連載していた「彼女のポルシェ」も連載が終わるというか打ち切りになって以後の動静がまるで不明だって話が伝わってきていろいろと悶々。だってこれって売れてたじゃん。そして面白かったじゃん。「週刊プレイボーイ」誌上での連載がネットに移ったのは雑誌の誌面構成を変える必然から漫画にはネットに行ってもらってそれでもちゃんと連載は続けるぜって意志を表明したからなんだと思っていたけど、本誌がさらにリニューアルしてジャーナリスティックな話がさらに載らなくなってグラビアと芸能コラムが大半になっていく一方で、漫画はネットに追いやられた感じになって誘導もされず宣伝もされない中でヒットが下がり、それを理由に打ち切りとは何かどこか違っている印象。

 雑誌なら載ってれば見るけどネットは載っててもそこに誘う仕掛けがないとなかなか伸びないのをタイトルの知名度だけで何とか出来ると思っていたのならやっぱり甘いというか。それを理由にここまで続いて来てそして単行本の売り上げも悪くない漫画を打ち切られたんじゃあ麻宮さんもちょっと呆然とするだろうなあ。なるほど売れない漫画、見られていない漫画を切るのは出版側として当然といった味方もあって、そうしたシビアな環境を生き残ってこそ珠玉の漫画が出来上がるんだって意見もあるけれど、そうした土俵なり基準が確立していないネット連載をアクセス数だけで判断して良いのかどうなのか。「エンジェルパラベラム」のようにいよいよこれからってのを感じて続行を判断すべきところを数字だけで切ってしまって良いのかどうなのか、ってのと相通じる不思議を覚えた一連の動き。麻宮さんはもうひとつの連載も終わってしまうようで漫画を書かなくなってしまう訳で、あの麻宮さんですら掲載誌がなくなるこの漫画業界の状況は、いったい何なのかを誰か分析してくれないか。もう全然分からなくなって来た。

 マインスイーパーが得意ってだけで何故かプロゲーマーの養成コースがある高校の特待生として引っ張られて入った学校で、五ツ星秋煌って少年が天堂銀華って銀髪の美少女ゲーマーにこてんぱんにやられ自分が実は学園長にして幼なじみの少女にいっしょにいたいと誘われただけだったと気づきながら、それでも本気で頑張ったりして突破していく岡崎裕信さんの「銀のプロゲーマー」(集英社スーパーダッシュ文庫)に待望の第2巻が登場したんで読んだらさらに面白さが増していた。今度の的は幼なじみの学園長とはライバル関係にあるゲーム会社を率いる吹雪ディアってこちらもまだ少女。圧倒的な天才とそして凶暴さを見せ才能のないものには歯牙もかけず話しかけられることすら時間の無駄、人生の汚点と考えるくらいに飛び抜けた正確をした吹雪ディアに最初、鬱陶しがられるどころか排除されぼこぼこにされた五ツ星だったけれどもディアが作ったゲームで勝負することになる。

 にじみでるのはゲーム開発者の苦しというか孤高さといった奴でいくら自分が完璧と思ったものを作ってもそれにいろいろ文句をいうのはある意味でユーザーの特権、だけれどすべてを知って作っている側にとっては時として理不尽な要求もあり、また天才だから故に上げられた自分のハードルに到達しない意見を歯がゆく時には憎しみすら覚えて受け取ってしまうこともあったりして、そこに生まれる負の感情が凡庸なプレーヤーたちへの激しい言動となって噴出しては、五ツ星秋煌の肉体へと降り注いでボコボコにしてしまう。まあ空気の読めてなさっぷりでは五ツ星秋煌も大概だけれどそれにしてもなボコりっぷり。さすがはけーまを相手に脚を削られながら肘を粉砕するだけのことはあるけどそんな孤高さを打ち壊すのはやっぱり優しさ? あるいは熱い思いって奴で熱さあけなら誰にも負けない五ツ星秋煌のパッションが銀華に続いて吹雪ディアまでをも落ちつかせる。なんかとっても良い展開。でも当人はいたって凡庸なまま。そのギャップがまた良い。秘められた天才が発動してばっかだと自分には無関係な話に思えてくるから。次はどんな相手が出てくるかなあ。楽しみだ。


【9月22日】 秋分の日、っていったらたいてい9月23日でそれだと日曜日に重なるから月曜日は振り替え休日になるのかと期待していたら月曜日は普通だったんで調べたら今年は22日が秋分の日になっていた。何でなんだ。まあ昼と夜とかぴったし同じになる日をそうするって決まりなんで自転公転のズレなんかが積み重なって1日くらい前倒しになることもあるだろうし、今年は今年でうるう年で2月が29日もあったからそういう影響もあるのかもしれない。他の例えば体育の日だとか成人の日だとかはバシバシとズラして休日を連休にしようって動きがあるけれど、こと暦に絡むものとなるとおいそれとはいじれないんだろうなあ、それやってしまうと国が傾くかもしれないし、それくらい大事なんだよ暦って、って映画「天地明察」でやってた、まだ観てないけど。

 映画といったらそういえば劇場版の「TIGGER&BUNNY」も始まっていたみたいだけれども体力的に消耗が激しかったのか財力的に限界が来ていたのかちょっと様子見。まあいずれ行くだろうけれどもしかし公開に合わせて浦安で大規模なイベントを開いてそしてその様子を劇場に中継してしまうなんて大がかりなことをするなあ。もとより全国ネットではなかったアニメをネット中継とかも含めて盛り上げていった作品、最終回の上映を劇場で行い完売の嵐を浴びせただけでなくって、終わった後のイベントなんかもライブで見せるだけでなく、劇場で流してこちらも完売のオンパレードとなったくらいに盛り上がっていた訳で、1年を経ての劇場版の公開でもその衰えないどころかますます高まる人気の程って奴を証明した格好。何で人気なのかは作品をあんまり見てないから分からないけど。

 とはいえそのムーブメント事態はひとつの事件なのに大手マスコミはこのことをまるで報道しようとしないというか、映画としてまるで無視しているのが奇妙というか。高級な外国映画とかは紹介しても圧倒的に人気のアニメーション映画はまるで無視する新聞系映画報道の常とはいえ、あのワールドビジネスサテライトまでもが取り上げ注目をしていたりする作品を、まったく無視して平気って神経は何だろうなあ、まさしく文字通りに無神経って奴か。まあ一時ちょっぴりだけど盛り上がったポップカルチャーの報道も、また下火になりつつあって読売新聞が水曜日の夕刊で展開しているPOPSTYLEってコーナーも、アニメや声優やゲームといったジャンルの人がまるで出なくなってすっかりワイドな芸能面になってしまった。他紙も同様かそれ以下、いや朝日はかろうじて金曜夕刊で拾っているかな。毎週5本6本のサブカル情報を提供していた某社はまるで見向きもしなくなった。だから窓際なんだけど。

 でもやっぱり従来からの高級文化とその方が世間受けするって判断なんだろうけれど、現実に世間で圧倒的に受けている現象をそれと認識できていなで見逃す状況は、やっぱりそこにズレを生んで乖離を生んで離反を生んでいくってことで。それとは別にいろいろな意味から離反を生んでいきそうな所もあるけれど。どことは言わないけれどもその新聞は原発の事故について政府というかおそらくは菅総理について問題があったって言い募りたい関係もあって事故を人災とした国会事故調を大きく取り上げたけれど、それを補強するコメントとして福島県からいわき市に避難した農家の人から話を聞いて、そりゃ当然だって言わせてる。それ自体ははまあ良し。とはいえその人はしばらく前にもコメントを出していたそうだし、つい最近も民主党の代表選で野田総理が再選されたことに、「うそつきドジョウ」とかいったコメントを出して非難してる。

 あるいは福島県から避難した人たちについては、代表してコメントできる立場なり見識を持った人で、それは金融問題に有名なアナリストを使ったり、政局について有名なコメンテーターを何度も使うのと似ているって話なのかもしれないけれど、どうもただの避難しているおじいさんらしく、他の新聞に名前が出ているのは見たことがない。それなのに何度も何度も話を聞かれるってのは、よほど道をあるいていてそこの記者と会うんだなあといった想像も浮かぶかっていうと浮かばない。単純に言うならいかにもそうしたコメントを発してくれそうな人だとうことを、1度目あたりの取材で認識して、そう言わせたいことがあるからまた聞いてみるとか、あるいは向こうがそう言ってくれる人だろうと確信して、今度も聞いているってだけのことなんだろう。

 でもそれってどうなんだ。別に新聞が中立である必要はないし、批判なり賞賛をする以上は中立はあり得ない。けれども公正でなくっちゃ世の中にそれが理屈の通った見解だとは信じてもらえない。だから取材を積み重ねた上で傾向がそうなんだと確認した上で、結果として伝えて批判するなり賞賛する。コメントだって結果として傾向としてそういう意見が多く出るんだとしても、ある程度の幅をもって聞いた上でそういう傾向なんだと認識した上でそちらに属する意見をピックアップするのが常道。でもそれだと書きたいことにそぐうコメントが出てこないかもしれない、だったら最初っからそう言ってくれる人のところに行くのが手っ取り早いって判断が、ただ働いているだけなんだろう。

 裏返せば最初からそう書きたいという意識があって、それを補強するためだけに一般の意見を募っているともいえる所業、だったらコメントなんていらないじゃん、って思うけれどもそれだと体裁の上でも公正性は保てないからなあ。だからそう言ってくれそうなところに通い詰める訳だけれど、ただネット時代になって過去の記事がネット上に残るようになって誰が前にコメントしていたかという記録が残ってすぐに参照できる時代。そこにこうやって何度も同じ人を紙面に出して、それを言いたいことのためだけに利用する所業を繰り返せば、そういう新聞なんだと世間も気づいてそういう目で見るようになってくるし、既になっていたりするんだけれどやっぱり気づいてないのか、気づこうとしないのか改まらないのはどうにもこうにも。困ったなあ。

 せっかくなので東京スカイツリーでも見ようと京成に乗って押上まで行ってそこからスカイツリータウンに入ったらすごい人で今回もフードコートで何かを食べるイベントはパス。開業から4カ月とか経っても衰えないどころかむしろ増える一方なのはただのショッピングモールではなく、スカイツリーという象徴を要した場所だからなんだろうなあ、そうでなければ他のショッピングモールと代わらない訳だし。ぐるぐると回っていたら東京読売巨人軍の店ができていてそこで優勝記念のグッズなんかを売っていて、なおかつ1000円以上買ったら抽選できるってんで優勝記念の升を1つ買ってガラガラを回したら外れだった。そういうものだ。とはいえもらえてボールとか、選手のサインとかではなあ。王貞治とか長島茂雄だったらちょっと欲しかったけど今の選手って誰が誰だか知らないし。というか優勝するくらいの人気球団の選手が国民的英雄になっていない、ってのも凄い時代かも。あれだけ人気のあった野球の凋落。これを見ると新聞だっていつまでも王様面していられないはずなんだけれど、上にいる人たちにはそれが分からないんだよなあ、そして下にいる人たちも分からないふりをして追従して、いっしょに崖からダイビング。入院3カ月じゃ済まないぞ。


【9月21日】 ふうん飛騨高山には生きひな祭りなんてものがあるのかって「氷菓」の最終回をやっと見て知った東海地方出身者。っても愛知県の祭りだって全部知っている訳じゃなく、巨大な鯛をかついで練り歩いては海へと放す豊浜の鯛祭りだって聞いたことはあっても見たことはない。国府宮の裸祭りだって前日の鏡餅の奉納は見ても当日の雄壮な裸男たちの激突は見たことがなかったりするだけに、遠く岐阜は飛騨の高山でもって1950年代半ばくらいから行われているらしい地元の祭りを知らなくったって当然かも。でも「古典部シリーズ」の小説版でそれなりに知られはじめていたこの祭りが、アニメーション版の「氷菓」でもって一気に広まってしまったからには、来春の祭りには全国から大勢のファンが訪れては出てくるお内裏様を見て「入須先輩と違うー」と無理を言って騒いで白眼視されるんだ。ハードル上げてしまったなあ。

 ああ良かった「グスコーブドリの伝記」はちゃんとブルーレイディスクも出るみたいでワーナーが発売元だけのことはあると感謝しつつ同じくらいにブルーレイで見たい「虹色ほがる〜永遠の夏休み〜」が今のところはDVDだけのようなアナウンスしかされていないことを思い沈む。見たいよあなあクリーンな画質で。それは「マイマイ新子と千年も魔法」もいっしょか。あと「千年女優」。幸いというかもう1本、今敏監督作品でBD化がまだった「東京ゴッドファーザーズ」のBD発売が決まって今さんが海外で講演した時の映像なんかも特典として入るようで今からいろいろ楽しみ。けど音楽の豪華さと映像の絢爛さという意味では「千年女優」がある意味でピークを極めているだけに、これがBDで見られないというのは辛いだけではなく国家的な損失でもありそう。バンダイビジュアルが発売元だったんだけれどどうして踏み込まないのかなあ。相当に絞っているのかなあ。「境界線上のホライゾン」なんてBDしか出さない徹底ぶりだもんなあ。

 そんな「グスコーブドリの伝記」のBDとDVDは来年1月8日に発売とかで鬼が笑いそうだけれど3カ月とちょっとしかないのかと思うとそうでもなかったり。限定版には特典として秘蔵メイキングだとか予告編だとかTVスポットだとかいった映像が入るそうだけれども作られながら入れられなかった場面とか加わるのかな、映画館でのカットがオリジナルだっていう信念ならそういうこともないか。杉井ギサブロー監督ってどういう主義なんだろうそのあたり。

 あと封入特典として冊子「ブドリを読み解こう」が入っているようようでいろいろと謎だった展開とかへの解説が、きっと張っていることだろう。最後にブドリが光の中でどうなったかとかネリはいったいどこにいったとか。すでに僕的には自明であっても世間じゃやっぱりポカーンだもんなあ、たいていは。そのあたりは作品解説書二はいるのかな。上映用フィルムとかが付かないはもはや上映用フィルムが貴重になっている現れか。いつかセル画と同じ道をたどるんだろうなあ。その意味でもいろいろ付けて欲しいなあ。

消えたPとCの行方は?  渋谷のパルコにいったらPARCOではなくAROだったんで驚いた。どこへ行ったか「C」と「P」。答えは3階へ。例の渋谷にある岡本太郎さんの壁画にいろいろ描いてみせた「Chim↑Pom」ってアーティスト集団がパルコの中で個展を開くってんでその展示として名前に由来のある2つの文字が借り出されていったらしい。そして巨大なネオンサインの看板をただ飾るだけじゃなく、音楽とともにピカピカさせてみたりするところがゴージャスというか笑えるとうか。やっちまったぜ感がバリバリに浮かぶ展示はまさに痛快。資本主義とポップカルチャーの権化みたいなパルコの看板を削って並べて作品にしてしまう辺りに資本主義とポップカルチャーを食らい尽くそうとする貪欲さがあり、それらに否応なく絡んで生きて行かなくちゃいけない現代ならではの業がある、っていった感じか。純粋に見れば笑えるそんな展示のほかにパルコのショップがまんま出来つつその中をペンキで塗りたくった作品やら、バリ島でエリィが観光している下で男どもがゴミ拾いをする格差社会の象徴めいた作品なんかが並ぶ展覧会。行って思おう、こつらすげえと。

 多少なりとも歴史を、それも東洋史を囓ったものなら学ぶというより興味を持って近現代の中国が歩んだ道について調べたり、本を読んだりして状況を探って今の中国共産党による中華人民共和国が成立する過程で、孫文が立ち上げ蒋介石が次ぐ形になっていた国民党と毛沢東が実質的な指導者となっていた共産党とが第一次国共合作を成し遂げつつも分裂し、激しい内戦を繰り広げる過程で長征という悲惨な退却戦めいたものが演じられ、10万人いた共産党の兵士が数千人規模まで減ってしまったものの折しも中国には日本が攻め入り国民党を追いつめつつあって、その中でこれは拙いと蒋介石を西安でもって軟禁しては共産党との話し合いの席にすかせ、その後もいささか紆余曲折がありながらも1937年だかそんなものに第二次国共合作が成田って、中国は国民党だけでなく共産党も揃って日本軍へと立ち向かって最終的に退け勝利へと至ったということくらいは知っている。というより知らなければ中国を学んだとか言えるはずがない。それなのに。

 とある新聞に載ったとある大学院の教授先生のコラムに「戦後の独立にも問題があった。日本軍と戦わずして米国に解放してもらった国(韓国)、少しゲリラ戦をしたものの大負けして、ソ連の傀儡(かいらい)にしてもらった国(北朝鮮)、別の連中が日本軍と戦っている間に山で英気を養い、戦後、前に戦っていた人々を追い出して独立した国(中国)である」と書かれてあって中国共産党があたかも日中戦争の最中は奥地に引きこもって戦わず、戦争が終わってから現れ疲弊した国民党を駆逐したような書きっぷりが成されていて驚いた。何しろ筆者は歴史の学者で東洋史を修めた泰斗であって基本的な認識を間違えるはずがない。とはいえ現実に国共合作というものはあって八路軍というののが戦線で活躍をしたことが中国の勝利となって現れ戦後に起こった権力争いの中で共産党が実験を握り、国民党を追い出し中華人民共和国の建国を宣言するに至ったという歴史があったりするだけに、その間に生まれた齟齬はいったい何なんだろうかと考える。

 知らないふりをしているのか、それとも本当に知らなかったのか、いや知らないはずがないからやっぱり何かリユがある、それはつまり日本を取り巻く諸国に共通の事項を設けて非難しなくてはいけないという目的で、そのために史実が放棄されているのだという理由が浮かんで来る。つまりは嘘をついでても訴えたいことがあったということで、それが正義なら嘘も嘘ではないといった主義が背後にはあるのかもしれない。ちなみにそんなコラムのタイトルは「『ウソも通ればめっけ物』の世界」。素晴らしく皮肉が効いてて笑える。いやまあ本当は笑ってはいけないんだけれど、そうした校閲の存在が否定されるような記事が載ってしまう媒体の将来被る価値の低落を思うと。すでにどん底だから関係ない? まあそれもそうだった。わっはっは。


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